法務委員会 第17号
- 発言数
- 100 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1972/04/21
会議録
○松澤委員長 これより会議を開きます。 理事補欠選任に関する件についておはかりいたします。 去る三月二十一日、理事麻生良方君が委員を辞任され、理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行ないたいと存じますが、先例により委員長において指名するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○松澤委員長 御異議なしと認めます。よって、委員長は、理事に麻生良方君を指名いたします。 ————◇—————
○松澤委員長 おはかりいたします。 本日、最高裁判所長井総務局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○松澤委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○松澤委員長 内閣提出、犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。沖本泰幸君。
○沖本委員 前回に引き続きまして、この犯罪者予防更生の問題と取り組ませていただきます。 そこで、前回私が質問した中で、無期とかあるいは長期刑に服務している人たちの仮釈放あるいは仮出獄、こういう者のあり方として、間々こういう人たちが大きな重大事件を犯しておるということを申し上げて、その数の点もお伺いしたわけですが、過去三年間で仮釈放した方が五十二件、その中で取り消しになったのが二十一件と御答弁があったわけです。二十一件ということになりますと、約半数近い者がそうだということが言えるわけですが、一がいにこの数字だけをとらえて云々ということではありませんけれども、まあ社会的な感覚として……。
○笛吹政府委員 数字がちょっと違っておりますから……。
○沖本委員 それでは、もう一度お答えし直してください。
○笛吹政府委員 前回、私が申し上げた申し上げ方が悪かったのだろうと思いますが、ちょっと誤解をお招きしたかと思うのでございます。 この三年間に無期刑で仮出獄を取り消されたのが二十一件でございますが、無期刑で仮出獄になった者はもっと多いのでございます。私が五十二件と申し上げましたのは、無期刑でその仮出獄中に再犯を犯して、再犯を犯せば取り消しの理由になりますので、その再犯を犯して取り消しの理由になったのが五十二件ございまして、その五十二件の中で実際に取り消しの決定があったのが二十一件、こう申し上げたつもりだったのですが、ちょっと申し上げ方が悪かったものですから、御質問がちょっと角度が違ったのかもしれません。 そこで、それでは三年間で無期刑で仮出獄になった者が何名かと申し上げますと、二百六十六名でございます。したがいまして、二百六十六名が三年間に仮出獄になっておりまして、この者の中から二十一名取り消されたわけではございません。これは三年間がずれますから……。ですけれども、この三年間の中で、無期刑の中で仮出獄になっておって仮出獄の取り消しを受けたのが二十一件、こういうように申し上げます。
○沖本委員 無期刑ということになりますと、ほとんど人身に及ぶ犯罪を犯して無期刑になるというのが実例だと思うのですが、それ以外に無期の刑を受けるような例はないのじゃないか、こう私なりに受け取るわけでございますが、この無期刑の方々の、いわゆる罪状の内容についてお答えいただけませんか。
○笛吹政府委員 無期刑の者の罪の内容でございますが、強盗殺人が非常に多いのでございますが、具体的にそれではほかに何があるかというと、ちょっと手元に資料がございませんので、申し上げかねます。
○沖本委員 矯正局長のほうと保護局長のほうと、お二方にあわせてお答えいただけたらと思うのですけれども、無期刑の判決を受けて刑に服して、それが今度は仮釈放なり仮出獄なり、そういう検討を加える名簿に載るかどうかの対象として御検討になって、そして仮出獄なり仮釈放なりという形になっていくと思うのですが、どういう内容で、どういう経路をとって、そして反社会的な、最も凶悪な犯罪を犯した人たちが社会へ出てくるのかということですね。それに関しまして、われわれ社会人が安心して受けとめられる内容なのかどうなのか、その点について、ばく然たる御質問でございますが、われわれが納得できるようなお答えをいただきたいと思います。
○羽山政府委員 無期懲役に処せられました受刑者が入りますと、これは無期ばかりに限りませんが、まず身上調査ということをいたすのであります。その身上調査は、行刑施設の内部でもいたしますし、帰住地、本人が申し立てておりますが、その帰住予定地の保護観察所と連絡をいたしまして調査をいたすのでございます。 そして、御承知のように無期懲役は十年が最短の要件でございますので、十年間は幾ら成績がよくても仮釈放はできないわけでございますが、実務のやり方といたしましては、十年が参ります以前に定期的に審査をいたしまして、これは現行の行刑累進処遇令に基づく累進審査がおもなねらいでございますが、受刑者は四級、三級、二級、一級というふうに上がっていくわけでございまして、その上げる審査をいたすわけでございます。そして、十年目に一級になっておりましたときに、いままでの所内の行状、行刑成績その他を勘案いたしますと同時に、保護観察所のほうからいただきますところの環境調査調整報告書その他をしんしゃくいたしまして、まず再犯のおそれはあるまいという判断をいたしましたときに、その判断は各行刑施設に設けられております、施設長を中心といたしまして幹部で構成いたしまする刑務官会議というものが施設としての判断をいたすことに相なっておりますが、それで仮釈放の上申が適当であるというときに、仮釈放の上申を委員会のほうにする、こういう大体の運びになっておるのでございます。
○笛吹政府委員 保護の関係で申し上げますと、前回にもちょっと触れましたことでございますが、矯正施設のほうから、無期刑につきましては、法律で定められております十年という刑の服役期間が経過いたしますと、応当日経過通告というものが参りますので、そのあと仮出獄の申請があるまでに、すでに仮釈放準備調査というものにかかる場合があるわけでございます。本来なれば、申請があってから仮釈放のいろいろの環境調査その他をいたせばいいわけでございまするけれども、なるべく十分な環境の調査、調整をしたいというところから、申請前にでもやるという場合があるわけでございます。 そういたしまして、その本人が帰住する予定地になっておりまするところの保護観察所におきまして、家族その他本人が帰住するときの就職の先、そういったものを調整いたしまして、本人が仮出獄になる暁には、仮出獄中ではございますが、社会人として正しい生活を歩んでいって、更生の道を進めるような下地をつくっておくわけでございます。 その後申請がございまして、地方更生保護委員会のほうで審査委員が任命されまして、本人に面接して、そしてそのほかの環境調整の結果とにらみ合わせて、これが仮出獄をさせて相当であるという判断をした場合に仮出獄の決定をする、こういうことになっております。これがまだ環境調査も不十分である、また本人の改俊の状その他社会感情もまだよくないといったような結論が出た場合には、この施設の長からの申請を却下して、仮出獄をさせないという決定をするわけでございます。
○沖本委員 一応裁判の過程を経て、有期刑、無期刑という判決を受けておるわけですけれども、逆に社会環境の中におる私たち社会人から見た場合は、この前も申し上げましたとおりに、社会に悪影響を及ぼすので、どこか社会から隔絶したところで刑に服してもらいたい、こういうことになるわけです。私が質問していることは、何もそういう方々の人権を無視して強硬に意見を述べているということではないわけですけれども、その点が、この前少しお話をしたとおりに、機械的に法律で定められておりますから、十年も経過すれば対象として考えていく、手続もとっていく、審査もしていく、調査もやっていく、こういう過程を経ていくと思うわけですが、何かその間に機械的に、自動的に検討されながら、仮出獄なり仮出所なりいろんなことをなさるのではないだろうかというふうに考えられるわけです。 それで、私の申し上げている根拠というのは、そういう方々を観察もし、調査もし、研究もし、専門的におやりになっているお立場の方々がこういうものに目を通しながら、われわれ国民の立場から見れば、仮出獄なり仮出所なり仮退院なり、いろいろな形で社会に出てきた方々は、完全な更生の道をたどっていく人でなければならないという条件があると思うのです。それが、そういう専門的な方々の目をくぐりながらも、なおかついろいろな社会的な大きな問題を引き起こすということについて、もっと観察を深めなければならない、もっと別の角度から考えてもみなければならない、検討を加えなければならないという内容があるのではないか。望ましいことは、絶無であってもらいたい、こういうことになるわけです。お互いに人間同士がやることであり、刑を受けている方にも当然及ぼさなければならない人権保護の問題があるわけですから、これは検討しなければなりませんけれども、そういう関係の中にあって、国民的立場から考えれば、その後の再犯は絶無であってほしいということを願うわけです。 そういう観点から見まして、現在行なわれているこの種の検討あるいは審査なり調査なりというものに、われわれはわからないわけですけれども、何かの問題点があるのではないだろうか、こういうふうに考えられるわけでありますけれども、その点についての御所見を伺いたいと思います。
○笛吹政府委員 お説のように、無期刑といった長期の犯罪を犯した者の仮出獄についてでございますが、本人の更生といったことと、それから一般社会の安全ということとの調和が最も大切であるということは、これは前回もおっしゃいましたとおりでありまして、私もそのように感じておるわけでございますが、この調和が非常にむずかしいとともに、これは私たち非常に大切だと思ってこれにつとめておるわけでございます。 そこで、先ほどちょっとおっしゃいましたが、何年たてば無期刑の者も仮出獄になるといったような機械的な運用はいたしておらないつもりでございます。これを数字的に申し上げましても、無期刑の者が、法律的には十年たてば、改俊の状があれば仮出獄さしてもよいということになっておりますが、仮出獄になる者の在監期間というものは、いろいろ非常に多種でございます。バラエティーに富んでおります。二十年をこえてまだ在監する者もございますれば、十四、五年で仮出獄になる者もございまして、その間その人のいろいろの感情、それから行状、また本人の改俊の状況、それから先ほど申しました社会環境の状況、それからまた一般社会、被害者とかその他社会の人の本人に対する感情がどうであるか、そういったいろいろな問題、特に本人が社会に出てからほんとうに更生していけるかどうかといったような点を慎重に検討いたしまして、それでその個々の人間の、そういったものに対して、適しておるかという適否の判断をした結果、適している者を仮出獄さすことにいたしておりますので、先ほど申しましたように、非常にバラエティーに富んだ在監期間ができてきておるわけでございます。決して機械的な運用はやっておりません。 ところが、まあそのように申し上げましても、無期刑で仮出獄中に再犯を犯して、また仮出獄の取り消しを受ける者が、先ほど申しましたように、一割まではいきませんけれども、やはり八%ぐらいあるといろことは、まことに申しわけないことだと思うのでありますが、私たち、仮出獄中保護観察になっておる対象者に対しましては、やはりこれは一般のほかの、軽いと言うとおかしいですが、そういう犯罪者よりもやはり重点的な保護観察の対象と考えておるわけでございます。したがいまして、地方更生保護委員会が仮出獄の決定をいたします際に、これを保護観察所のほうに重点観察の対象ということで通知いたしまして、保護観察についても、まあ一般の者よりは重く、注目して観察していくというような取り扱いをいたしておるのでございます。 〔委員長退席、田中(伊)委員長代理着席〕
○沖本委員 そこで考えられますことは、これは矯正局長にもお考えいただきたいことなんですが、古い問題を出して恐縮とは思いますけれども、たとえば大阪の不正入試事件というものは、出た方の中に長期刑の方がほとんどであった。その長期刑の方が仮出獄をして犯罪を再び犯している。その犯した犯罪が、刑務所を舞台にして犯罪を犯しているということになってきますと、その内容的なものは在監中に事件をはらんでおるわけですね。そしてその調査をされて、こういう手続を経て社会へ出て、社会と刑務所の中とを連絡をとりながら事件を犯しているということになると、いわゆる調査をし観察をし、それで十分社会復帰にたえる人であるという判断をし、決定をした方々とは、全然内容的に違う問題が中にあるはずなんですね。 そういう実例を引いてものごとを考えていきますと、そこに私たちが納得できないものがあるということになるわけです。あなた方の立場から考えれば、一例を引いて一々そういうことを指摘されたんではどうにもならないという反論があるかもわかりませんけれども、しかしながら、手続を経て社会復帰した方が何らかの、社会が受け入れない、あるいは社会的に生活がたえられない、そういうところからだんだんとまたもとのところへ落ちていって、罪を再び犯すということになっていく経過というものは考えられないことはないわけですし、そういうこともあり得るだろうということはわかるわけですけれども、それが、いわゆる刑に服しておる間にお互いに連絡を取り合いながら、中におる人、それから今度は、いわゆる手続を経て社会へ出ていくその人たちが長期刑であるということになると、その中におる人あるいは手続を経て出た人たちの心の中にある問題は、出るということのために努力をして、それでいろいろ手続をとってくれる人、自分の身の上を考えてくれる人の目をごまかしておるということを逆に考えますと、いとも簡単に目をごまかせるのだということも言えるわけですね。そういうところに何か欠陥があるんじゃないだろうか。私が一番疑問を持っている、端を発しているのはそこにあるわけなんです。 ですから、そういう手続を経て社会へ出てこられる方々の、そういう中に何か満たされないものがあってこういうことになるのではないだろうか。社会へ出た大ぜいの方々の中には、すべてがすべて同じであるということは言えないわけですけれども、しかし、こういう一例をとって考えていきますと、そこに釈然としないものがあるわけですね。これはもう検討を加えていただいて、何らかの形で中身を改革しなければ、やはり同じような事件がそのまま残っていくということが考えられるわけです。非常にむずかしい問題を申し上げておるわけですけれども、しかし、これは社会人からとってみれば、国民の目からとってみれば、最も許しがたい問題でもあるわけです。それで、非常に大きな社会問題を社会に提起してきている。こういうことを考えていきますと、これは大きな問題ではないかというふうに考えられます。 当然、すべての国民が個人的な人権は平等に受けなければならないわけですから、刑を受けている方々も、法律で許されるところの人権は当然保ってあげなければならない。しかしながら、いま申し上げたような実例から問題をいろいろ深く掘り下げて考えていきますと、何かそこに問題がある、こう考えざるを得ないわけなんですけれども、そうすると、これは単に外側の保護監察、あるいは更生保護委員会、こういうところだけの問題ではなくて、両方を立体的に考えてみなければならないし、いろいろな問題があるのではないだろうか。 それから、最近グアムのジャングルからいきなり社会復帰なさった方の問題もあるわけです。社会から隔絶された環境の中から毒々しい現代の激しい社会の中へ出てくるには、ある一定の期間社会復帰の準備が要るということにもなるわけですけれども、そういう準備的な施設なりあるいは準備的な機関なりそういうものが設けられて、その中で観察されながら次第に社会復帰をしてきておるものであろうかどうかという点も考えられるわけですけれども、非常に長い御質問をいたしましたが、いまの点につきましてお答えいただきたいと思います。
○笛吹政府委員 大阪刑務所の事件でございますが、在監中にすでにそういった犯罪を犯していた者をわからずに仮出獄を許可したということで、まことに申しわけないことだと思うのでございます。さらにまた、中には仮出獄後刑務所のへいを乗り越えて中に入って窃盗を働くといったようなことも、保護観察中でありながらやったということについても、保護観察の力が足りなかったと言われてもしかたがないと、まことに申しわけないと思っておる次第でございます。 こういった仮出獄を許可するに当りましては、先ほど申し上げましたように、できるだけ慎重に検討した結果、最良の時期であると思うところで出しておるわけでございますけれども、それでもやはりこういったような見のがしがあるということは、数が少ないとは言っても申しわけないことでございますので、今後こういったことのないように、私たちのほうで自戒いたしまして、この事件があったあと、地方更生保護委員会委員長あるいは保護観察所長の全国の会同など、そのほか観察課長の会同、そういったつどこの点を十分戒めておるわけでございまして、特に矯正施設のほうともっと綿密な連絡をとって、そして在監中の行状その他を仮出獄審査あるいは保護観察にすべて反映させるといったように心がけるようにしておる次第でございます。また、長期在監者がいきなり社会に出るということは、非常に本人の構成に難しい面があるのではないかという点でございますが、その点は私たちも十分考慮いたしまして、それだけに環境の調査、調整というものに特段の配慮を払っておるわけでございます。こういった調査、調整がつきました段階で出すというふうにいたしております。そして、前回もちょっと申し上げましたが、本人はすでにもう犯罪を十分悔いて、改俊の状があり、そしてまた、在監中の行状も非常に成績がよろしいというので出すべき状況がそろっておっても、身元の引き受け者がないといったような者の場合には、特に適当な更生保護会を選んでそこに帰住させるというような配慮もいたしておるわけでございますが、この更生保護会といいますのは、御承知のように、強制的にここへ収容させる制度に日本の現在の制度ではなっておりませんので、これは本人にすすめて、本人がそこへ帰住するというようなことに形式的にはなっております。しかし、本人がほかに身元の引き受け人がない場合に、この更生保護会に入らなければ、仮出獄の許可がまずできないというような状況になっておりますので、そういった人たちは更生保護会に収容されて、当分の間そこで社会復帰の準備をしていくというようなことをいたしておるのが現状でございます。
○沖本委員 矯正局長のほうからは、何かお考えありませんでしょうか。
○羽山政府委員 私どもも大阪の事件につきましては、まことに申しわけなく思っておりまして、その後再三いろいろ検討をいたしておるのでございます。 御承知のように、大阪は長期の刑務所でございますが、長期の刑務所に入ります犯罪者のタイプには二通りあるのでございまして、一つは、殺人、強盗殺人というようなことで無期懲役のような刑になっている者であります。 先ほど保護局長にお尋ねの無期の罪名の点につきまして、私、手元に資料を見つけましたので申し上げますと、四十五年の在監者が、無期が三十六人でございますが、そのうち、殺人で無期になりましたのが二十人でございます。そしてその他が強盗殺人、こういうことでございます。 こういうタイプの者と、それからもう一つは累犯と申しまして、何回も何回も出たり入ったり出たり入ったりしているうちにだんだん刑が長くなりまして、長期に刑務所に入ることになった、こういう二つのタイプがあるわけでございます。従来、われわれの実務経験によりますると、出たり入ったりいたしまして刑が長くなってまいりました者は、まことに改善が困難でございまして、いわんや、これが十年にも達するような刑をもらいまするような人々は、まことに改善が困難でございますが、初めて、一回限り殺人をやった、一回限り強盗殺人をやった、それで非常に重い刑に処せられた人々は、かなり素質的に、累犯者に比べまして、改善という点から申しますると、それほど悪くないという人たちがほとんど大部分でございます。 それで、問題の大阪の入学試験問題を抜き取りました人たちは、大部分がこの累犯者に比べれば悪くないという評価を一応されておったのでございますが、そこに一人累犯で入りました人物が介在いたしまして、これが殺されております人物でございますが、これが首謀者になりまして入学試験問題の抜き取りをやったということになるのでございます。 それで、今日の私どもの真剣な反省でございますが、施設内でほかの累犯者に比べまして悪くないということではありますけれども、やはり彼らも受刑者なんであるということを本気になって考えなければいけない。すなわち彼らに対しましては、彼らが日常の生活を事故なくやっておるからというようなことで安易に流れまして、朝起こして作業につかせ、めしを食わせ、夜寝かせるというだけではなしに、やはりこれに対しまして徹底的な矯正教育、道徳教育、精神教育というものをやるべきである。すなわち、いまの刑務作業は主として自活能力をつけることを目的としておるわけでございますけれども、そこに悪い誘惑に屈しないような自立の能力をつけるようなことを目的とした矯正教育をほんとうに真剣にやるべきである。その点において、この大阪の事件は、われわれといたしましてははなはだ遺憾な点があったのではないかというような点を反省いたしまして、自来、そういう点に努力をいたしておるのでございます。
○沖本委員 いま矯正局長のお答えなんですが、たとえて言えば、大阪刑務所に例をとると、私たちも視察したので中身はよくわかるから、そういう観点から申し上げているので、決してそういう問題で矯正局長を攻撃しようとかなんとかいう立場で申し上げておるわけではないわけなんですが、私たち全体がこの問題を考えなければならない一つのあり方としていま申し上げるわけで、そういう観点から見ますと、たとえば大阪の刑務所は堺の繁華街のどまん中にある。その中でへいで隔絶されて中におるわけです。それもやはり犯罪を発生させる一つの小さな原因になっているかもわからない、こういうことにもなります。 そういう点からいろいろ考えていきますと、いまのお答えの中で、精神教育であるとか矯正教育であるとか、社会環境のいろいろな点を考えて教育をしなければならない、こういうお答えもあったわけですけれども、そういう内容そのものが、われわれがいまいろいろな社会の環境なり何なりを考えてみますときに、はたしていま法務省のほうでいろいろお考えになって実施なさっていらっしゃる、いろいろな更生させていく方法の一つ一つの中身そのものが、現在の社会にマッチした内容であるかどうであろうか。ただ一つの、こういう人たちのめんどうを見ているという角度から、こういうふうな内容をとらえて、そういう角度での教育をお考えになっていらっしゃるのではないだろうか、そういうふうな疑問も出てくるわけなんです。 そこで、一番大事なことは、無期なりあるいは長期刑でいる方でも死刑になるわけではないわけですから、いつかは社会に出てこられる。一番好ましいことは、社会に出たときに、一般社会人としてりっぱな人物になるか、あるいはりっぱでなくても、一般の社会人として十分にたえ得るだけの人であるかどうかという条件が本人にあるかないかというところにあるわけですから、そこのところに焦点をしぼっていくと、いまおっしゃったような教育のあり方、矯正のあり方自体の中に、極端なことばをかりて申し上げますと、やや古めかしいそういうものの考え方、あるいは法務省的なものの考え方、角度、そういうものがあるのではないだろうか。教育者自体が教育についていろいろなものごとを考えておるけれども、教育の専門的な立場では考えるけれども、それが現在の社会に合わせて重ねてみたときには、そこにズレがあるというような内容もいろいろあるわけです。専門的には理論は立つけれども、具体的に合わせてみると合わなかったというようなこともあるわけですね。 そういう観点から、いま矯正局長がおっしゃったような中身そのものにもつともっと検討を加えなければならない。もっと機械能力も加えていかなければならない、あるいは科学的ないろいろなものも加えていってやっていかなければならない。法務省は非常に予算が少ないところであるから、なかなかそういう予算面で改善がはかれない。だからといって、そういう方々が社会復帰したときには重大問題が関連してくるわけですから、そういう観点から考えてみますと、刑務所の中に大きな改革をはからなければならないような内容があるのじゃないだろうか、そういうふうにも考えられるわけです。 ですから、ちょうど刑務所が町のどまん中にあるように、法務省のそういう矯正内容も町のどまん中に隔絶した内容で存在しているのじゃないだろうか。そのこと自体が、かえってむしろ問題を起こす一つの原因になるようなことになっているのじゃないだろうか。ばく然とした意見を申し上げているわけですけれども、そういう点を何となく私は疑問を持ったり不安を感じたりするから申し上げておるわけなんです。 たとえて言うなれば、刑務官が足りないからいろいろテレビの監視もやっているとか、照明の問題もいろいろな個所につけるとか、こういう改革をいろいろおやりになっていらっしゃるわけなんです。そういう角度からも、作業内容とか、あるいは中につとめている刑務官の方の服装なり何なりにも、もっともっと角度を変えた考え方が必要じゃないだろうか、こういうふうにも考えられるわけですけれども、そういう点について何か御研究はしていらっしゃるわけですか。
○羽山政府委員 まことに御理解のある御質問でありまして、恐縮に存じますが。御指摘のとおり、まことにこの問題はむずかしい問題でございます。私どもは今日、精神医学とか心理学とかいうような専門家をかなり擁しまして、われわれの行刑処遇の内容をできる限り科学的に、またできるだけ近代的なものにしようということに努力いたしておるわけでございまして、先ほど申し上げました精神教育、矯正教育というようなものも、単に古めかしい一片の説教ということではなしに、やはりほんとうに合理的な反応を生むようなものでなければならぬというようなことで、この専門的な点に研究なり試験的な実施をいたしておるわけでございます。 ただいま御質問にもございましたが、無期懲役といえども結局は出ていく人物でございまして、いつまでもいるわけじゃございませんけれども、その出ていくときに、その施設の中の生活と、社会の外部の生活にほんとうに順調に移行するというようなことにするにはどうしたらいいかというような点でございまして、現在、受刑者分類規程というものを大臣訓令で近く実施することにいたしまして、たとえば長期刑の者につきましては、近ごろ二、三の施設で実施いたしておりまする、いわゆる開放処遇というものを、もう少し大幅に実施してみようというようなことも考えておるわけでございます。 それはそれといたしまして、これは決して弁解がましいことを申し上げるつもりはないのでございますが、たとえば大阪の事件にいたしましても、あの試験問題が、ほご同様の紙くずのようなものが、外部に持ち出しますと何百万円でも取引されたというような事実があるわけでございまして、こういう社会の一部の現実に対処いたしまして、こういうところに受刑者が、それこそ長くへいの中で処遇されておった受刑者が出ていったときに、それは悪いことだからやめろということで、はたして、ただわれわれの現在やっておりまするような教育手段によって、その誘惑に屈しないようにすることができるかどうかというようなことを考えますと、これはまことにむずかしい問題でございまして、いささか自信のぐらつくのを覚えるのでございますが、そういう現実を踏まえまして、とにかくいろいろなことをやってみていきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
○沖本委員 これは重要なことでございまして、一般社会人が法務省、こういうふうな呼び方をすると、一番先に頭に何が浮かぶかというと、刑務所、こう出てくるのです。ほかのいろいろな機構があるということが頭にいかないわけなんです。一般社会人のとらえている感覚からいきますと、私自身が最初そうだったわけですから、自分のことを申し上げているわけですけれども……。ですから、これは重要な問題だとお考えになっていただいて、最重点にこの問題をやっていただかなければならない、こういうことになるわけですから、どうぞ自信をもって、社会人の不安を起こさないような内容に改めていただくために全力をあげていただく、こういうふうにしていただかなければならないと思います。 たびたび申し上げますとおりに、こういう受刑者をいろいろと見ていらっしゃる刑務官なり何なり自体が、この前申し上げましたけれども、逆の立場からいけば服役しているみたいな状態ではないかと思うのです。刑務所自体が社会から隔絶されておる。隔絶された中で勤務しておる。そして官舎に入っておって、その官舎も社会から隔絶された内容なんです。ちなみに通っていきますと、ここからは一般の車は入ったらいけませんとか、ここのところだけは特別の環境ですとかいうようなものが社会人の目に当たるようなところなんです。むしろそういう方々が休暇を得て社会の空気にうんと触れて、社会感覚を十分身につけて、あるいは社会生活を十分やりながら勤務しておる、こういうふうな環境の中に置いておきませんと、このような事件が起きることもありますし、まるで国から俸給をいただきながら服役しているような勤務をしなければならないようなことになるのじゃないか。そういうところに異常な環境ができてきたり、それから異常な心理が働いて、むしろ受刑者自体をほかの方向に向けてしまう、こういうことになってしまうのじゃないか、こう考えられるわけです。 全然同じ例とは言えませんけれども、いわゆる刑務所へ入っている罪を犯した人と、裁判を受けるまでのいわゆる勾留中の人たちの扱い方というものとは、まるきり同じような環境の中にあるわけですね。こういうことも、同じ角度から考えてみると考えなければならぬということもあるわけです。そこで申し上げるわけですけれども、交通事故を犯した人の受刑状況はどういうふうになっておりますか。
○羽山政府委員 交通事故で刑務所に入りますのは、初犯者は一応中野の分類刑務所に送られまして、そこでいろいろ分類をいたすのでございます。そして開放処遇に適するという者は市原の刑務所に送られまして、市原でその刑をつとめるということに相なっております。近ごろだいぶその数がふえまして、大体夏場がだいぶ多くなりまして、市原に入れない人々も出ておりますが、やむを得ずこれは静岡あるいは前橋、あるいは川越少年刑務所というようなところに入れておりますが、そしてそこでまたさらに精密に検査をいたします。 大体実績によりますると、三分の一が運転不適格で、もう一生運転をしないほうがいい。たとえば、これはまことに極端な例だと思うのでございますが、色盲というような人がかなり発見されるのでございます。そういう人には運転をやめさせまして、別途に職業訓練を施す。それから、次の三分の一は運転の適格はあって、また出ました場合には商売で運転を継続せざるを得ないという人でございます。これらの人々に対しましては、やはり再びそういう交通事故を起こさないようないろいろな訓練をいたすのでございます。それから、中間的な三分の一といたしまして、運転をしようかどうかということで迷っている人があるわけでございます。これらの人々は、また帰っていく社会環境などを調査いたしまして、その中でもどちらかといえば不適格ではないかというような疑いのある人物は、なるべく運転をしないような方向に向ける。そしてやはり運転をせざるを得ないのじゃないかというような方向にいく人には、それなりの再犯防止のいろいろな指導訓練を実施いたしておるというのが実情でございます。
○沖本委員 この問題は、最近内容が非常に問題になってきて、こういう方法をとらざるを得ないようなことでこういう制度が設けられたわけなんですけれども、何かもう少し中身を検討していただかなければならないのじゃないだろうか、数も非常に多くなっていくわけですから。それと、犯罪の中身も千差万別の内容があるわけです。こういう問題を考えていきますと、全部一からげにして一カ所に入れているような内容が、非常に多いということが言えるのじゃないかと思うのですが、こういう人たちの仮釈放の方法は、どういう形で仮釈放されているわけですか。
○笛吹政府委員 交通事故あるいは道路交通法違反で実刑に処せられた者の仮釈放でございますが、それは一般的に見まして短期の受刑者でございます。したがいまして、刑務所に入りましてすぐにこの者の仮釈放の準備にかからなければならないわけでございます。 先ほど申し上げましたいろいろな手続もございます。そういった手続を個々の受刑者につきましてそれぞれ環境調査をいたしまして、適切な時期に仮釈放をいたしておるのでございまするけれども、特に被害者との関係で、そういった被害者の感情といったものも配慮いたしまして環境の調査、調整というものを尽くした上で仮釈放さしているわけでございます。
○沖本委員 この面は、私もう一つ深く勉強していないのですが、これまた機会を変えて御質問したいと思います。 そこで、話をもとに戻しますが、環境調査調整報告書というのがあるわけですけれども、これはどういう内容でもって、それで一人当たり何通ぐらいずつ報告書が出ているのか、その点いかがですか。
○笛吹政府委員 これは前回申し上げましたと思いますが、先ほど矯正局長のお話にありましたように、施設に入りましてすぐ施設のほうから身上調査書というのが、帰住予定地を管轄する保護観察所に届けられるわけでございますが、これが届けられましたあと保護観察所におきましては、この地域の保護観察官、保護司を担当させまして環境の調査に当たるわけでございます。その保護司から環境調査調整報告書というのがまずできて送られてくるわけでございますが、これはいろいろその人によりまして、長らく入っておる人とそれからわりあい短期の人がございますので、その対象者によりまして、一応その具体的な場合によって、どの程度あるかということは差ができてくるわけでございますが、初めに環境調査調整報告書第一回がございますと、その後大体六カ月ごとに追報告書というものが出されてくるわけでございますが、何も環境に特に変化がなければ出してこない場合もございます。変化がございますと、六カ月といわずそのつど報告書が出てくるわけでございます。 そこで、どのくらいの環境調査調整報告書が出ておるかということでございますが、これは人によりましていろいろ差があるといま申し上げたのですが、その報告書が出ました数だけを申し上げますと、昭和四十五年の統計しかございませんのですが、四十五年の分でございますが、環境調査の初回の報告書、これは全国で三万三千百八十件あります。それからこれに続くいわゆる追報告書というもの、六カ月ごとに出してくる、あるいはまた変動のあったときに出してまいりまする追報告書が、四十五年だけで四万八千八百五十八件ございます。大体毎年これくらい、あるいはまたさかのぼれば事件そのものが多いわけでございますので、環境調査調整報告書も、さかのぼったほうが多くなっております。
○沖本委員 この「保護観察読本」というところから拾い出してみたわけですが、この様式十五の中に出ておるのですが、これは本人の氏名が、暴力団員で「サブこと甲野三郎」とこういうふうになっております。この人の特徴の中で、「交友関係(共犯者関係を含む)」ということで、「暴力団△山組の大山登およびその輩下のものとつきあいが復活するおそれがある。」こういう記載があるわけです。そしてこの中に、「近親者についての特記事項」ということで、その中には大酒飲みであるという回答が出ておるわけです。いま申し上げたのは特殊なことを拾って申し上げたわけですけれども、こういうふうな中で、一つずつ綿密な検討が加えられていっているのか。こういう調書は単に機械的に出されていっているのじゃないか。その辺に問題があるんじゃないだろうか。 一般的なことを申し上げますけれども、たとえばテレビなんかの映画の中に、アメリカのニューヨークの下町あたりのこういう保護観察をやっている人の活動面が出たりしておりますけれども、そういう内容は、その本人について非常に活発な動きがありまして、相談相手になりながらどんどん更生をはかっていっている。いろいろなところをめんどうを見て、この点をやっていっている。苦労している点とか成功している点とか、これが劇的にテレビになり、映画化されて出ているので、特徴があるところだけをとらえているのじゃないかとは思いますけれども、そういうものを見たら、日本のこの種のものとだいぶ趣が違うのじゃないか。ただこういう報告書形式の中から割り出してやっているような印象だ。二つ比べると異なるように感じておるわけなんですが、そういうような点はいかがでしょうか。
○笛吹政府委員 環境調査調整報告書は、その帰住予定地担当の保護司にやってもらっておるわけでございますが、保護司がこの報告書をつくりますのは、写しをつけて四通つくることになります。そして四通のうち一通は自分の控えに置いておきまして、あとの三通を保護観察所に送るわけです。保護観察所におきましては、その一通はもちろん保護観察所に置き、あとの一通を地方更生保護委員会に将来の仮釈放のために送りまして、あとの一通を施設に送るわけでございます。 そして各それぞれ送られた報告書は、その部署においてよく検討されておるはずでございますが、特に保護観察所におきましては、担当の保護観察官がこれを綿密に見ます。見て、問題点がどこにあるかということをよくここから探り出しまして、その問題点については保護司に対して適切な指示をすることになっております。もちろんまた保護観察官だけじゃなく、その上司にあたる観察課長、事件によっては観察所長もそれぞれ綿密に見まして、その調整に当たるということをいたしておりますので、単に表面的な報告書を受けておるというような取り扱いでなく、実のある環境調査、調整をいたすことにつとめておるわけでございます。
○沖本委員 アメリカのそれは専従的にやっておったように思えるわけですけれども、日本の保護司なり何なりとは全然趣が違うわけですから、一様には言えないと思います。しかし、たとえば観察するについても、いまお答えになった中でも、問題点を拾い上げてみて、その御自身自体が本人の住居地に行って、生活しているその生活の中身をとらえながら問題をいろいろと観察していくということであるのか、あるいはそういう問題の指摘された人を自分のところに出頭させて、そこで質問していろいろ問題を消化していっているのか、そういう具体的な内容にまで踏み込んでみないと、こういうことはわからないと思うのですが、間々われわれはお役所仕事、それに類するようなものをよく見受けるわけです。ですから、そういう点から考えますと、これはただ形式的に問題が流れていっておるだけのことになりますし、本人が来て、てまえのいいことさえ言えば事が済んでいくということになるし、出頭したということだけで本人はちゃんとしているんだ、こういう見方もできるのではないか。これは疑問点としてこれからわれわれも勉強しなければならない問題だとは思いますけれども、そういう点もやはり実体的にこういう問題が消化されていく、実体的にこういう方々が更生していく、あるいは社会復帰の中で毎日がうまく送れる、こういうことであっていただきたいと思うわけです。 〔田中(伊)委員長代理退席、委員長着席〕 あとの質問者の方が待っていらっしゃいますので、私まだまだこの三倍も四倍もお聞きしたいことを持っているわけですが、西宮先生がお待ちでございますから、一応この辺で交代して、質問を留保しておきます。
○松澤委員長 西宮君。
○西宮委員 私は、恩赦の問題についてお尋ねをしたいのでありますが、きょうは法務省、それから最高裁判所、さらに選挙に関連をいたします自治省、あるいは取り締まりに当たります警察庁、そういう担当の関係者においでを願っておりますので、それぞれの立場で御意見を聞かしていただきたいと思うのであります。 まず、質問の第一は保護局長にお尋ねいたしますが、一体恩赦は必要なのかどうかという点であります。 恩赦の存在理由というのは、たとえば法の画一性に基づく具体的不妥当の、妥当でないものの矯正とか、あるいは事情の変更による裁判の事後の変更であるとか、あるいは三番目、他の方法をもってしては救えない誤判の救済であるとか、あるいは必要な資格の回復であるとか、こういうのが、これは教科書にも書かれているわけであります。私どもも特にこの中で、大きく事情が変更する、社会経済状況が激しく変化をしたというような場合に、それ以前の処置を新しい事態に即応して修正しなければならぬということは、これは当然あり得ると思います。特に日本の場合、この前の終戦直後に行なわれた恩赦などは、まさにその典型だと思うわけであります。 そういう点、われわれも十分理解ができますけれども、一体、全体としてこの恩赦という制度そのものがどうしても必要な制度なのかどうかということを、まず第一に伺いたいと思います。
○笛吹政府委員 私から申し上げるまでもないことでございますが、恩赦を規定しておりますのは憲法の第七条と第七十三条でございまして、この憲法の条項に大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権について規定されておるわけであります。 これは一般論でございますけれども、そもそも恩赦というものの始まりは、各国それぞれの事情はあるでしょうけれども、各国におきまして君主の恩恵ということから出発したものだといわれております。その後いろいろ近代化してまいっておりまするので、その機能がそれぞれ発展してまいっておるのでございますが、いま御質問の中にございましたその恩赦の機能の四つのものも十分考えられるのでございまして、せんだってもちょっと申し上げましたが、昭和二十三年の恩赦制度審議会が最終意見書を出しましたその中にも、そういった点が指摘されておるのでございまして、古くは君主の恩恵であったものが、戦後わが国におきましても恩赦の権限が内閣にあるということになったことから、その恩赦の機能というものは、やはり合理的な根拠を持つべきであるというように指摘されておるわけでございます。そういった形の、昔とはやはり違いますが、単なる恩恵というだけではなく、それにさらにそういった刑事政策的な合理性といったものをプラスされた恩赦といったものが、必要なんじゃないかと思われるわけでございます。
○西宮委員 お願いをいたしておきますが、時間に制限がありますので、できるだけ簡単にお答えいただきたいと思うのであります。 最高裁の総務局長にお尋ねをいたしますが、もし恩赦に存在理由ありとするならば、それは当然にいまの裁判におけるマイナス面を十分にカバーして余りある、そういう制度でなければ意味がないと思うのですね。つまり、要するに裁判において決定された事柄が行政機関によってくつがえされるということになるわけですから、したがって、せっかくの三権分立の基本に立っておるものを行政機関が修正するあるいは否定するという関係に立つわけですから、それがもしどうしても必要なんだというならば、裁判の足りない面というか、マイナス面というか、あるいは行き過ぎというか、とにかくいずれにしても裁判におけるそういう不当な面を十分にカバーして余りあるもの、こういうものでなければ恩赦の意味はないと思うのですけれども、裁判所のほうではこの点をどういうふうにごらんになっていますか。
○長井最高裁判所長官代理者 恩赦の制度につきまして、ただいま御指摘のような面もあるところかと存じますが、申し上げますまでもなく、裁判所は憲法と法律の適正な解釈適用のみを任務とするものでございまして、三権分立の制度のたてまえあるいは憲法の精神から、現行の憲法とこの法律制度について批判もしくは意見を申し上げるということは、やはり越権であり許されないことと存じますので、せっかくのお尋ねでございますが、意見の陳述は差し控えさせていただきたいのでございます。
○西宮委員 どうもそう言われてしまうと何もお尋ねはできないのでありますが、もちろんいまの制度が現にあって憲法があり、それに由来して恩赦法がある、そういう制度の中では何も言えない、その限度を越えて何も言えない、やはりその立場もわかりますけれども、私は立法論として一体どうなんだろうか。これはもちろん恩赦のメリットも評価されています。しかし同時に、恩赦制度に対する無用論というのかあるいは不当論というのか、そういう議論が少なくとも学界にはあるわけですよ。そういう際に、裁判とそれを修正する行政機関の介入という点について、立法論的立場から聞かしてください。——それもできませんか。
○長井最高裁判所長官代理者 お尋ねの気持ち、よくわかりますが、実は私の憲法に対する考え方から申しますと、日本国の憲法ではアドバイザリーオピニオンと申しますか、立法的勧告意見を述べることは、裁判所としては絶対に許されないところであるというように解しておりますので、申しわけございませんが、差し控えさせていただきたいのでございます。
○西宮委員 どうもこれは壁がかたくて、私なかなか破れないかもしれませんが、それではこういう弊害があるということはお認めになりますか。たとえば恩赦のために裁判機能が著しく弛緩をする、こういう問題がいろいろあるわけですね。たとえば一例でありますが、これは大阪の高裁の判決でありますが、これはちょうど昭和四十三年十二月でありまして、このときは例の明治百年の恩赦があろうとするときですね。それで判決の中に、明治百年の恩赦が実施されている以上、裁判所だけが独走して公職選挙法違反にきびしい刑で臨むことは考えものだ、こういうことを判決の中にいっているわけですよ。だからもう裁判官としては、われわれの俗な言い方をすれば、もうそんなものをやったってばかばかしい、こういうことでもういいかげんにやっておけ、こういう気持ちになってしまう。たいへんに俗な言い方で恐縮ですが、少なくとも神聖な裁判官がそういう言い方はもちろんしないと思いますけれども、そういう問題が具体的に起こるわけですね。例をあげるとたくさんあるのでありますが、単に一例だけ申し上げて、あとでまた申し上げたいと思います。 私は、こういうことになりますと裁判の機能にもずいぶん大きな影響を与えるということは、これはもうけだし当然だと思うのですね。そういう点について何ら支障がないとお考えですか。
○長井最高裁判所長官代理者 恩赦制度も法律上の機能を果たし、社会的な意味を持つものでございますから、裁判の制度に全く影響を与えないということはないと思います。あるいは御指摘のような判決の意見も出ることもあろうかと思いますが、さて、それが功罪と申しては表現が適切ではありませんが、得失の点から申し上げましてはたしていかがかという点、十分な検討を残念ながら経ておりませんので、裁判事件処理上の得失というような観点からはっきりした意見を申し上げる準備がないのでございますが、やはり努力している百日裁判というようなものにつきまして、全然影響がないとは申し切れないと思います。 ただ、どのような影響かということはちょっとむずかしい問題で、お答え申し上げることはむずかしいと思います。
○西宮委員 その百日裁判の問題等についても、時間が許したらあとでちょっと申し上げたいと思うのでありますが、私は、たとえば大赦等が行なわれるというようなことになりますと、裁判自体が恩赦に迎合していく、恩赦にますます近づいていく、こういうような傾向がある。さっきの例にあげた大阪高裁の判決などもその一つだと思いますが、あるいはまたこれは直ちに裁判所の問題とは言いかねるかもしれませんけれども、たとえばこういう大幅な恩赦が行なわれるというようなことになりますると、それに該当しない者は、矯正施設ですね、そとでは集団脱走が行なわれる。あるいは死刑囚は自殺の危険が起こる。あるいは集団で釈放された者が、その中の悪質者が指導者になって再犯の危険性があるという問題であるとか、刑事政策の面からはそういうマイナス面も指摘をされているわけであります。特に恩赦で救われたという者には非常に再犯性が多い、こういうふうに指摘をされておりますが、こういう点は、いままでの統計等ではいかがですか。
○笛吹政府委員 恩赦で救われた者が再犯の危険が多いといったこと、私ちょっと寡聞で申しわけございませんが、存じておらないのでございまして、こういつたことの調査といいますか、そういった統計というものは、ただいまのところ持ち合わせてございません。
○西宮委員 さっき申し上げたように、恩赦の存在理由として私、四つばかりあげたのでありますが、その中の一つの社会経済情勢が、あるいは政治情勢が大きく変化をしたという際に、これに対応してそれ以前の者を救っていくということは、これはもちろん当然のことで、私はもちろん一般恩赦を言っているわけですが、恩赦の存在価値というのはそういうときにあるんだと思うのです。しかしこれは、もしそういうことであるならば、そのときの臨時の立法措置をするというようなことによってもそれには対処できるので、私は必ずしも恩赦でなければ目的が達成できないということはないと思うのです。 それでは、なかなか私が期待したような答弁をいただけないので、これは両局長どちらでもけっこうでございますが、いま行なわれている恩赦は、十分に刑事政策としての目的を果たしているか、これはいかがですか。
○笛吹政府委員 刑事政策的な目的も果たしておると考えております。
○西宮委員 最高裁いかがですか。
○長井最高裁判所長官代理者 刑事政策の問題も、もちろん裁判の実施にあたって考慮すべき問題でございますが、その点につきましては、個々的な事件についての問題でございますので、事務当局から統一的な意見を申し上げることは、ちょっと支障があるんじゃないかと存じます。
○西宮委員 私は、さっき保護局長が言われたように、恩赦のそもそもの始まりは、ああいう君主の慈悲、あるいはもっとさかのぼれば仏教の思想に大きく影響されたと思いますが、昔は、たとえば罪業消滅のためとかあるいはまた時の権力者、やんごとなき方々の病気になったときの平癒祈願とか、そういう際に恩赦を行なうというようなことが日本の昔にもかなりあったわけですよ。だんだんその後になりまして、いまのように君主の恩恵として、特に明治憲法時代はもっぱらその目的によっておったということは御承知のとおりであります。しかし、いまや憲法は主権在民の憲法に変わったのでありますから、そういう君主の恩恵というようなことはもうその必要がなくなった。 ところが、これは恩赦ということばからもわかるように、やはり恩恵的な要素を持っている。そういう点で、その憲法に由来をして恩赦制度があり、それに基づいての法律が制定をされている。こういうことになりますると、この制度そのものの中にそういう恩恵的な面を一面持っているということは、われわれも否定はいたしません。それはむしろそういう筋道からいって、そういう要素も持っているということは当然だと思う。しかし、私はこれを運用する面においては、そういういわゆる君主の恩恵というような立場ではなしに、あくまでも刑事政策的にこれを運用するということが必要だと思うのですが、その点についてはいかがですか。
○笛吹政府委員 もちろん、先ほどから申し上げておりますように、戦後内閣に恩赦の権限が与えられましてからの恩赦というものは、昔と違いまして、単なる恩恵というものではなく、そこにさらに刑事政策的な配慮からする合理性というものが加わらなければいけませんし、またいままでの恩赦は、すべてそういった配慮によって行なわれてきたものと考えておる次第でございます。
○西宮委員 刑事政策的な立場から考えなければならぬ、単なる恩恵ではいけない、いままでの恩赦はその立場で考えられてきたということを最後に言われましたね。しかし、私はそういう刑事政策が前面に出て、あるいはそれが重点に考えられて、それで今日までの戦後の恩赦が行なわれてきたというふうには見れないのだと思うのです。もう一ぺんお伺いをいたしますが、戦後に行なわれた恩赦は、そういう刑事政策の面でも、十二分に機能を果たしてきたというふうにお考えですか。
○笛吹政府委員 そのように考えております。
○西宮委員 役所の御答弁としてはそういうことでやむを得ないのかもしれませんが、私は必ずしもそうではないということを申し上げなければならぬと思います。 その次にお尋ねいたしますが、恩赦が多過ぎたという感じはいたしませんか。たとえば、日本が現在の立憲君主制の国家になって、いわゆる近代国家になったという憲法ができ上がってからは、大赦は二回しかなかったわけですね。憲法ができるときにはありましたけれども、それ以後は二回しかない。それに比べて、終戦後の大赦はすでに四回行なわれているわけですね。その他大赦はしなかったが、政令恩赦が数回行なわれた。こういう状況が、その点を比較をしただけでも、どうもちょっと多過ぎるのではないかという感じがいたしますが、その点は両局長いかがですか。
○笛吹政府委員 戦後四回大赦があったわけでございますが、このうちの初めの二回、すなわち昭和二十年十月の終戦の恩赦、それから二十一年十一月の恩赦は、これはいずれもいまの憲法に基づいたものではなかったかと思うのでございますが、その後、さらに平和条約の発効のとき、国連加盟といったときに、恩赦といいますか、大赦が行なわれておるわけでございます。そのほかに大赦でない恩赦もございますけれども、大赦はそういったときに行なわれておるわけでございます。それを見ますと、やはりそれぞれの理由があったのではないかと私は考えております。
○西宮委員 まあ確かに理由があったからやったんでしょうけれども、ただ、従来に比べるとかなり恩赦が乱発をされておる。乱赦されているというきらいがある。これは新聞等でもそういうことをしばしば批判をしておりますけれども、私は明らかに乱赦の傾向があったということはいなめないと思うのですが、局長にお願いいたしますが、いままでの戦後の恩赦の行なわれた際、実は私も大体調べてはおるのですけれども、調べるたびごとに数字が若干ずつ違ったりするものですから、もう少しオーソライズされた資料がほしいと思うのであります。数字が違うと申しますのは、要するに、それで該当した人員とか、あるいは犯罪の種類として、特に私は選挙違反がどのくらい入っているかということを見たいのでありますが、それが調べるたびに多少ずつ違うものですから、正確な法務省で調べておられる戦後の恩赦の資料を、あとでけっこうですから届けていただくようにお願いしておきます。——よろしいですね。
○笛吹政府委員 はい。
○西宮委員 そこで戦後の恩赦の理由を見てみますると、一番大規模に行なわれたのは、もちろん終戦直後のを別にいたしまして、講和条約発効の記念の恩赦だったと思います。これはいわば日本が独立国になって最初の恩赦でありますから、そういう意味では非常に大きな注目を集めたわけでありますけれども、対象にした犯罪の種類も百二十の種類にわたって、該当した人が百二十三万といわれておる。あるいはさらに個別恩赦も加えると百三十万だというふうに当時の新聞等は報道いたしております。その中には選挙違反者が三万九百人おったというふうに報道しておるものもありますが、いずれにしても非常に大幅な、大規模な恩赦が行なわれた。 さらに、その次にありました国連加盟恩赦、このときなどは、さっき私が申し上げた点で、最高裁の局長にお尋ねをしたことに関連をするわけでありますが、裁判所の中ではかなりの抵抗があったようであります。当時の新聞によりますと、この国連恩赦に対する裁判所の見解は、「司法の独立犯す」ということで、「最高裁ではこれまで公明選挙に協力するため選挙違反の裁判のスピード化を各地、高裁と検察庁、弁護士会に呼びかけサンザ苦労したあげく、やっと候補者、総括主宰者、出納責任者の“百日裁判”が軌道にのり始めた矢先だけに」今回の恩赦で非常に憤慨をしている。ある最高裁の課長は、「「恩赦はもともと封建社会の絶対君主が国民に喜びをわかつため行ったのが始まりで三権分立の民主社会のもとでは元来あり得ないものだ。こんなことでは司法の独立も裁判官の身分保障もあったものじゃない。こんな恩赦をやるような大臣は大臣になる資格はない」ときめつける。」これは新聞に書いてある。特にこのときは佐藤榮作さんが政治資金規制法で摘発されておりまして、それがパーになってしまったという問題があるものですから、よけい問題があると思いますが、「憤慨は第一線の裁判官の間ではもっと大きい。」ということで、「最高裁が判決を延期した十一日には東京高裁では選挙違反事件の証人調べをふだんと同様続けたし、東京地裁では十三日佐藤榮作元自民党幹事長の政治資金規正法違反の裁判を開くほか審理中の三百余被告の裁判はギリギリまで行う方針をとっている。佐藤公判を例にとると二年余、公判回数六十回、証人六十三人を調べ、裁判官と書記官たちがたいへんな手数をかけて膨大な調書を作り、来春結審にまでこぎつけたところ、」そこでふいになってしまった、こういうようなことで第一線の裁判官はさらに憤慨をしている、こういうふうなことがいわれておるわけであります。 私は、さっき最高裁の局長に、いわゆる裁判官に対する影響ということでお尋ねして、それに対するお答えが全くなかったのですけれども、現実にはこのように、あとから他の例も申し上げますけれども、私は裁判所としてはまことに迷惑だという考え方は、少なくとも裁判を担当している裁判官にはかなり強いものがあると思うのですよ。そういう点はいかがですか。
○長井最高裁判所長官代理者 ただいま御指摘の事実が、どのような形で発表されたかわかりませんが、確かに百日裁判というものが、法律の規定のように円滑に実施されないということについては非常な責任を感じ、また残念に思っているところで、努力いたしておることは事実でございます。しかし、個人的にいろいろな考え方はあり得ることと思いますけれども、それは政府がその権限に基づいておやりになることでございます。裁判官といたしましては、個々の事件を誠実に審理をするということによって社会の信頼を博するよう努力すべきでございまして、制度そのものを批判申し上げあるいは意見を申し上げるということは、公の立場ではやはり信頼を博するゆえんではないと考えまして、差し控えさせていただきたいと思います。
○西宮委員 私の言おうとしていることはわかったという御答弁でありましたが、局長の立場、最高裁の立場ということになるといろいろワクがありましょうからやむを得ないと思うのだが、少なくとも個々の裁判官がそういう大きな制約を受け、熱意を失ってしまうというのももちろん当然でございましょうし、あるいはまた被告の立場からいっても、たとえば上告中のものを取り下げてしまう、あるいは上告しようと思った者もやめて判決に従う、こういうことになって、せっかくの上訴権などが行使されないで終わってしまう。つまり、早く判決に服して恩赦にあずかったほうがいいという打算から、そういう道を選ぶという人もたくさんあるわけですね。このときでしたか、いまちょっと数字は忘れましたが、途中で取り下げをしたという人の数が非常に膨大になった、こういう数字、御承知ですか。御承知ならいまここで聞かしてもらいますが、ともかくたいへんな数のそういう人が出たわけですね。これらは明らかに憲法なり法律によって保障されている、正当なる裁判を受ける権限の行使をせずに終わってしまう。これは本人の意思だからかってだといえばそれまででしょうけれども、当然法によって保障された権限を行使しないで終わってしまう、こういうことは、やはり法治国家としては望ましくないという感じが私はするわけです。あるいは裁判所の立場でも、十分これを争って、裁判所として適正妥当な判決をすることが当然のことである。それが途中でうやむやに終わってしまうというようなことは、決して望ましいことではないと思う。そういう点について、何かお考えがあったら聞かしてください。
○長井最高裁判所長官代理者 たいへんむずかしい御質問でございますが、刑罰権そのものがなくなる問題でございますので、裁判所としてはちょっと意見を申し上げることができないので、お許しいただきたいと思います。
○西宮委員 いま申し上げた国連加盟恩赦の際は、特に選挙違反が大きく対象にされて、その前に行なわれた衆議院議員三回の選挙、それから参議院の選挙は二回ありましたが、これがこの恩赦でことごとく一掃されてしまったという結果なのであります。このときの数字も若干違うのだけれども、どっちがほんとうなのか、その数は六万九千五百人といわれ、あるいは七万二千名というふうにいわれておりますが、とにかくそういう膨大な数です。 保護局長についでにお願いしますけれども、恩赦によって救済されたという人数なり件数なりと同時に、そのときに対象にされた有罪者あるいは起訴された人、今日ですから古いものについては有罪の判決ということになりましょう。もし私の調べたのが間違っていなければ、いまの国連加盟恩赦の際には、第一審で有罪判決を受けた者は、昭和二十七年が一万三千三百四十人、二十八年が一万八千四百六十七人、二十九年が六千百八十一人、三十年が三万六千七百五十六人、三十一年が一万六十四人、合計八万四千八百八人、こういう数字になっているわけです。それで、これは第一審の判決ですから、最後の有罪になった人はこれよりももちろん少ないに違いありませんけれども、そういう数字と、それから恩赦によって救われた人数との対比をしていただきたいということをお願いしておきます。
○笛吹政府委員 先ほど御要求のございました戦後の恩赦該当者の数、こういったものはさっそく資料にいたしましてお届けいたしますが、ただいまおっしゃいました第一審有罪者の数は、ちょっと私のほうで出ないかとも思いますので、これは少しお引き受けいたしかねるわけでございます。これはもう少し研究させていただきます。
○中谷委員 第一審有罪者の数というのは、そうすると保護局と刑事局が共同しておやりになればできるという意味ですか。これは、西宮委員は犯罪者予防更生法にとって一番大事な質問をしておられるわけですから、その資料はどうしても出してもらわなければならないのですが、保護局限りではできないという意味ですか。
○笛吹政府委員 保護局だけではもちろんできません。それから、これは他の部局に問い合わせてみて、できるかどうか、これから検討してみなければ、私のほうでちょっとお答えできないものですから、研究させていただきたいと思います。
○中谷委員 議事進行ですけれども、そうすると、それは資料としては、法務省にある資料と突き合わせをすればできるということですね。結局、時間的に日数が要るという趣旨ですが、次回の二十五日までにはできるというふうにお伺いしてよろしいですね。もしそうでないとすると、これは法案審議について非常に問題がある点だと私は思うのです。いかがでしょうか。
○笛吹政府委員 できるだけそういうように努力してみますが、いまここで確約を申し上げて、あとで間違いますと困りますので、研究させていただきたいと思います。
○中谷委員 委員長にお願いしておきますけれども、これは西宮委員が従来からずいぶん詳しく資料調査され、そして準備をされて、予算委員会等でも毎年、この観点について、西宮委員は質問をされているのです。従来からも、このような点については、西宮委員を中心としてわれわれ質問してきた点なんです。 そこで、資料については、ぜひとも二十五日までには用意していただきたい。これは時間があれば、資料の対象たるべき材料はあるというお話ですから、これは私のほうもその資料を待ってこの法案の審議をさせていただきたい。こういうことで、委員長ひとつ御配慮いただきたいと思います。
○笛吹政府委員 できるだけ努力いたします。
○西宮委員 当然に裁判の判決の記録はあるわけなんです。法務省としてはそれがなければおかしいと私は思うのですよ。それは、ちょうどこの恩赦に該当した、対象になった有罪者がこれとこれだということを、一々突き合わせるということはなかなか困難であるかもしれません。しかし、少なくともこの時点で行なわれた恩赦のときに対象になった人員が幾らということは、これはなければおかしいと思うのですよ。恩赦のたびごとに政令等が出るのですから、それに該当する人を拾うのですから……。
○笛吹政府委員 第一審有罪判決のあった者というのは、この国連加盟のときの時点において何名であったか、公職選挙法違反の有罪判決を受けた者が何名であったかという数でございますか。
○西宮委員 そうです。
○笛吹政府委員 わかりました。
○西宮委員 いまの国連加盟の恩赦については、さっきも申し上げたのでありますけれども、非常に無理が行なわれて、したがって、裁判所の中でもたいへんな抵抗があったということを言いましたけれども、これは単に新聞記事等でそういうことが問題になっておる、あるいは報道されておるというだけではなしに、当時の国会でもこういう問題が議論されているわけですよ。当時の法務委員会の記録等を見ると、やはりそういう点が指摘をされて論争されておるという点で、非常に重大だとは私は思うのです。あるいは、例の佐藤榮作さんがこの恩赦によって救われた。こういうことに関連をいたしまして、それまでになかった政治資金規正法の違反者を救済するということを、わざわざこの際に初めてやったわけです。それは、政治資金規正法の該当者はわずかに二件しかなかった。一件は北海道の教員組合の事件で、もう一つは佐藤さんです。そのわずか二件のために政治資金規正法の該当者も加える、こういうことにして救った、こういう点で国会等でも論議をされているわけです。私は、あまりにもそういう点が、最高裁の局長は歓迎をしないと思いますけれども、私に言わせれば党利党略的に運営されている、刑事政策という問題よりも、むしろそういう点では党利党略という面が前面に出ておる、こういうことを十分に指摘できると思う。最高裁の局長もあるいは保護局長も、同様に刑事政策面でこれを行なったということをさっきから強調しているのだけれども、私はとてもそういう実体は備えていないというふうに指摘せざるを得ないのであります。 そういう当時の国会論争などを考えながら、あるいはその当時の新聞などを見ると、なおさらひどいわけですよ。気違いに刃物を持たせたようだとか、新聞などの論調その他はもっともっとひどいことばで表現しているわけです。これを見てもなおかつ、恩赦は少なくとも八、九割は刑事政策の面で有効な機能を果たしているというふうにお考えですか。
○笛吹政府委員 先ほど申しましたように、戦後のいろいろな恩赦を見ますと、それぞれの意味を持った恩赦でございまして、刑事政策的な合理的な配慮というものも盛られておるものだと考えております。
○西宮委員 刑事政策的な合理的な配慮も行なわれておるという程度ならば、私もそのとおりに伺っておきましょう。刑事政策の合理的な配慮も若干加わっているというのならば、確かにそのとおりだと思いますね。 その次に行なわれたのは、御成婚の記念恩赦ですね。これの際も、裁判所としてはかなりの抵抗があったわけですよ。ことにこのときは、国会でやはりこの問題が取り上げられて、岸総理大臣は、「特に本年は御承知の通り選挙が四月以降全国にわたって広く地方選挙、参議院の選挙が行なわれようとしている。これを含めるか含めないかということは、いろいろな関心を非常に高めております。」「しかし、選挙違反の問題を特にこれに含めるということはこの際として適当でないというのが私の考えでございます。」こういうふうに国会では答弁をした。したがって、おそらくこれでこの問題は終わったんだろうと思っておりましたところが、まあたいへんな恩赦が行なわれたわけですね。政令によっては復権が行なわれ、あるいは特別恩赦としては特赦、特別減刑、刑の執行の免除、特別復権というようなものが行なわれた。これなどもやはり選挙を控えてのねらいのほうが強かったと思うのですよ。なぜならば、いまの天皇が結婚されたのは、あれは大正十三年だったかと思いましたが、そのときでさえも、勅令で行なわれたのはわずかに減刑だけ、あるいは内閣の指令で特赦と特別復権、この三つだけが行なわれたにすぎない。ところが、今度の御成婚の場合は五つの種類の恩赦が行なわれているわけですよ。人数ももちろん多い。いまの天皇の東宮時代の御成婚というのは、いわゆる主権は天皇にあった時代ですよ。そういう時代においてさえこの程度の恩赦しか行なわれておらなかった。それが主権在民になった今日、こういう大幅な恩赦が行なわれたというようなことは、私はどう考えても合理的ではないと思う。さっき申し上げたように、いわゆる党利党略的なそういうにおいがふんぷんとするということは絶対に否定できないと思うのです。どうですか。 さらに、明治百年記念の恩赦に至っては、当時の赤間法務大臣が、これは最後の最後まで非常に抵抗したということはわれわれの記憶にも新しいところです。明治百年の記念行事はあの年の十月二十三日に行なわれたわけです。ところが、その二十三日になってもまだきまらない、こういうことで当時の法務大臣は非常な抵抗を重ねていったわけです。自民党ではその年の二十三日にあるいは二十五日に緊急代議士会というものを開いて、大赦を実施しろというので激しく迫っておる。あるいは参議院のほうでは参議院の決定をもって、昭和四十三年七月に行なわれた参議院選挙の違反者を当然これに該当させろ、それがために時期を延ばしてそれをみんな救済しろ、こういう主張で、参議院のほうは当時の平井会長、それから副会長と幹事長、この三人が一緒になって総理大臣とかけ合いに行ったという記事等が新聞に出ておりました。そういう非常に強い自民党の圧力に押され押されて、ついに当時の法務大臣も屈服せざるを得なかったわけでありますが、そういう点はわれわれもよく記憶をしておるのですから、いわんや法務省の御当局は十分承知をしておられると思う。 そういうことを考えてみると、ずいぶん多過ぎたのじゃないか、しかも、そういう政治的な色彩を持った恩赦が多過ぎたのではないかというような感じがするわけですけれども、もう一ぺん両局長の御感想を伺いますけれども、私はだいぶその恩赦が多過ぎたと思う。むろんそれはさっきの御答弁のように、それぞれ理由があったことは事実です。しかし、それに便乗してそういう恩赦が行なわれたということだけは否定できないと思うのですが、そういう多過ぎたという感じはいたしませんか。
○笛吹政府委員 先ほども申し上げましたように、戦後の恩赦は、それぞれの内閣がずいぶん慎重に御審議になりましておきめになったことでございますので、それぞれ意味があるものだと考えておりますが、多過ぎたかというようなことにつきましては、これは多いか少ないかということは、とても判断できる問題ではないんじゃないかと思います。それぞれの意味がやはりあったのじゃなかろうかと私は思っております。
○西宮委員 そういうふうにお答えになるならやむを得ないところであります。当時の新聞等で見ると、たとえば朝日新聞の十月二十日の社説でありますが、この中には、この明治百年というのは自民党のための祝典ではないかといっており、あるいはある雑誌でありますが、これは恩赦のための明治百年だ、明治百年を記念するための恩赦じゃなしに、恩赦のための明治百年だ、これは明治大学の法律雑誌「法律論叢」でありますが、その中にはそういうふうに書いてあるわけです。つまり、そういう一般のマスコミもあるいははまた学者陣等もそういうふうに見ている。局長はそれぞれの理由があったのだ、したがって行なわれた恩赦だと言いますけれども、私は、いま指摘したように、むしろ恩赦を行なうために明治百年の祝典が行なわれたのだというような感じさえもするほど、政治的な臭気ふんぷんとしたものを感ずるわけであります。 まあ、同じことをお尋ねしても同じような答弁しか得られないと思いますので、私はここに、少し古いのでありますが、中川善之助さんのことばをひとつ引用しておきたいと思います。あの方は高名な法学者でありますけれども、いわゆる革新的な立場とかそういう人でないと私は思います。学者ですから、別にどっちがどうでもかまいませんけれども、つい最近もイタイイタイ病の問題について、だいぶ私どもとは違った立場で企業を擁護しておられるというようなことで、つい最近だいぶ新聞をにぎわした人であります。したがって、そういう立場の人だと思いますけれども、この人はこういうふうに言っております。「恩赦という制度は、昔の専制君主が何かの慶事を利用して君主の仁慈を誇示して人民日頃の不満をごまかそうとした手段に外ならない。」「昔は恩赦をうけた者が皇恩に感泣したといった。今は何に感泣するのか。赤い舌を出して儲けた儲けたといって喜ぶくらいが関の山だろう。それほが恩赦というものは時代錯誤になっている。うまく恩赦にぶつかれば宝くじに当ったようなものである。だから恩赦があると判れば犯罪が急に増えるのである。窃盗や傷人も増えるが、最も悪いのは恩赦を予想した選挙事犯である。何よりも神聖であり公正でなければならない選挙が、恩赦があるだろうと予想されるとすぐ腐敗してしまう。今年などは参院選挙や知事選挙など三つも四つも選挙の重なる年である。その関係者がしきりに恩赦を口にしているのだから嫌になる。」こういうふうに中川善之助さんは言っておられるわけであります。 私はこの中川教授が言っている恩赦の沿革はこのとおりであったし、さらにその沿革を今日利用して、いわば主権在民の今日これを利用して、そういう政治的な恩赦が行なわれるということは断じて許せない、こういう気持ちが非常に強くするわけであります。 この辺で、ひとつ法務大臣の御見解を伺っておきたいと思うのですが、私、法務大臣がおいでになる前にるる申し上げてまいりましたのは、戦後六回、あるいは七回と言ったほうがいいですか、恩赦が行なわれているわけですけれども、まず第一に、これがずいぶん回数が多過ぎたということが言えるのではないかということであります。それからしかも、戦後はいわゆる主権在民の時代になったのだ。にもかかわらず依然として恩恵的な要素を持った恩赦という制度が行なわれる。しかも、それのほとんど大部分が選挙違反の救済に利用されている、こういう点に重大な問題があると私は思うのであります。 したがって、いままで法務省の局長なりあるいはまた最高裁の局長に見解を伺ってきたのでありますが、法務大臣のお立場になりますると、たとえば検察官の立場も十分考えなければならないのは当然であります。私は、できるならばここに検察官の代表者に来てもらって意見を聞きたいぐらいに思ったのでありますが、それはもちろんできませんけれども、さっき私は、国連恩赦の際に、裁判所の裁判官のこれについての気持ちというのが新聞に報道されている点を御紹介をいたしましたが、検察庁に至っては、この問題はさらにさらに深刻なわけです。 当時の新聞によると、検察庁はたいへんな憤激をしておって、ある最高検の検事は、「我々のこれまでの努力が水のアワだ。なんのため憎まれ役を引受けてきたのか」と言って嘆いている、こういうことが長々と書いてあります。私は、検察官の立場になると、さらにさっき申し上げた点は深刻だと思うのです。そういう検察官の立場も当然に踏まえておられる法務大臣として、一体いままでの恩赦がほんとうに刑事政策的な立場から行なわれたかどうか。私は、刑事政策的な立場というよりは、むしろいわゆる政略的な立場が強く影響を与えてきたのではないか、そういうふうに考ええて、したがって、その点をいままで指摘をしてきたわけですが、大臣の御所見を伺いたいと思います。
○前尾国務大臣 先ほど来非常にいろいろ御意見を述べられて、私も非常に参考になるところが多かったわけでありますが、ただ、このいま出た表を見ますと、昭和の場合を回数から考えると、必ずしも最近多くなったというわけでもないように思います。ただ、それぞれが国の慶事として考えるべき問題であったことには相違がないのであります。 ただ、率直に申しまして、皇室の慶事を喜ぶというような意味から、新憲法になりましてからは、やはり主権在民である、できるだけ合理性を持ち、また刑事政策面から、いわゆる合理的でなければならぬ、こういう意味合いをもって、次第にそういう方向に来ておるのではないか、かように考えるわけでありまして、最初においては、いろいろ政治的な意味も皆無であったとは思いません。しかし、恩赦の制度というものの根本はやはり国の慶事、またそれによって刑を受けた人が恩恵をこうむって喜んで、先ほどもお話に出ておりましたが、二度と再犯は犯すまいといって決心をするような方向で考えていくべきものであると思いますし、また、そうあるべきものだと思うのであります。 したがって私は、恩赦が絶対にいかぬものだとか、あるいは恩赦をできるだけ狭くあるいは少なくすべきものだとも思っておりません。要は、非常に合理的に、できるだけ刑事政策の線に沿ってやっていくべきものだと考えておるわけであります。ただいま非常に抽象的な感想しか申し上げられませんが、また私みずからもそういう方向でできるだけ努力していきたい、かように考えておるわけであります。
○西宮委員 大臣が最後に言われたように、できるだけ刑事政策的に実施をしたい。私もほんとうに刑事政策として実施をされるなら、この制度も存在理由があると思うのですよ。私は、さっき申し上げたように、この恩赦という制度そのものについて、これが無用だという意見があり、あるいはまた不当だ、あってはいけないのだ、そういう議論もありますけれども、必ずしもそうは言っていないので、だからほんとうに大臣が言われるように、刑事政策的に十分活用されるならば、恩赦制度の存在理由は承認できると思うのです。そうなければならぬ。しかし、現実ははなはだしくそれから逸脱をしているということを、私はるる申し上げてきたのであります。 時間がなくなりますから保護局長にお尋ねをいたしますが、個別恩赦、これはかなり刑事政策的に活用されているといわれているわけですね。われわれもそう思います。これは一つ一つのケースをそれぞれ審査をしていくのですから、刑事政策の面がかなり生きていると思う。昔の美濃部先生の本の中にも、特別恩赦の目的は、法規の画一性を緩和してその公正を補足する。二番目は、裁判の欠陥を補い、誤りある場合は矯正をする。三番目は、犯人の改俊の状著しい場合には救済をする。これが特別恩赦の目的であると書いておられますけれども、私はおおむねこういう目的に沿って運営されているというふうに考えるわけです。 しかし、常時行なわれている個人恩赦、つまりそれぞれの関係の機関から上申がありまして、その上申に基づいて行なわれるという個別恩赦、もちろん形式的には特別恩赦の場合もそういう形式をとりましょうが、そうではなしに、常時行なわれている恩赦ですね、あるいは刑務所の所長とか、あるいは保護観察所の所長であるとか、あるいは検察官であるとか、そういう人たちが上申してきて、それによって行なわれている平常の恩赦、平常の個別恩赦、つまり審査会で審査をする恩赦でありますが、これなどは一番よく刑事政策の面を吟味しながらやっているというふうに考えられますけれども、しかし、それに突然、たとえば特別恩赦というのが加わってくるということになると、平常行なっている恩赦もかなりそれの影響を受ける。ことに選挙違反なんということになると、その際に選挙違反を恩赦で救うという例が急にふえる、こういうようなことがかなり行なわれるわけです。 私は、そういう点から考えて、個別恩赦についてもかなり制度としては検討する問題があるのではないかというふうに考えます。大竹武七郎という方がおりますが、これは、いまはどうか知りませんけれども、審査会の委員をしておって、この人の書いたものの中に、特別恩赦が入り込んでくるということに対して、非常な強いことばでこれを非難をしているわけです。そういう点を考え合わせると、個別恩赦なるものもかなり問題があるのではないかという気がいたしますが、局長はいかがですか、
○笛吹政府委員 常時行なっております個別恩赦につきましては、どの犯罪がどうということなく審査、審理されておるのがたてまえでございます。
○西宮委員 いま申し上げた選挙違反ですが、選挙のときになると急に個別恩赦の数が非常にふえるわけですね。個別恩赦から選挙の事犯は除くという考え方についてはどうなんですか。
○笛吹政府委員 常時行なっております恩赦につきまして、特定のどの犯罪を除くということは、恩赦のたてまえから申しまして、ちょっとむずかしいのではないかと考えております。
○西宮委員 個別恩赦については、さっきも言ったように、相当のメリットを評価できるわけです。しかし、たとえば検察官の場合ならば起訴猶予制度があったり、あるいは裁判官の場合ならば執行猶予の制度があったり、あるいはまた行刑当局ならば仮釈放というような制度があったり、あるいはそのほかにいろいろ保護観察の制度というようなのがあるわけですね。そういうのを活用すれば、必ずしも個別恩赦の場合も、恩赦という制度がなくてもいいんじゃないかという感じもするわけです。ちょっと考えてみると、そういういろいろな制度があって、それを利用すれば相当の程度やっていける。そしてまた、何かもし足りないものがあるならば、そっちのほうの法律を改正するということにしてでもやっていけるという感じがするので、私は個別恩赦の場合も、いまのような方法で改善をはかっていくということでいいんじゃないかという気がする。 これは、あとで最高裁の局長にもお尋ねをしたいと思いますが、つまり私、そのことを言うのは、せっかく裁判で決定をされたことが、行政機関でくつがえっていくということは適当ではないというふうに考えるがゆえに、個別恩赦の場合でさえも、別な方法で救っていくということで事は一済むのではないかというふうに考えますが、その点いかがですか。
○笛吹政府委員 御趣旨のような御意見もあろうかと思うのでありますが、先ほどからも申し上げましたように、恩赦に刑事政策的な機能というものがあるわけでございまして、また、恩赦は更生保護の仕上げであるというようなことばもいわれておるわけでございます。私どものほうにいたしましても、先ほどおっしゃいました仮釈放の制度も活用いたしておりますし、また保護観察の制度も十分に活用いたしまして、犯罪を犯した者を社会に更生させていくようにつとめておるわけでありまするけれども、こういった人たちが刑を終わって、あるいは罰金を納められまして刑の執行を全部終わったあとにおきましても、まだ刑法によりますれば、それぞれ前科というものがついて資格を喪失している状況でございますが、それをさらに一歩を進めて、この人の資格を回復させるといったようなことも必要でありますし、そういったことが、この人の社会に更生していく上において非常に勇気づけられるものではないかと思っておりますので、こういった面におきまして、私は個別恩赦は、特にそういう更生保護の仕上げの段階において十分活用していくべき、将来もさらにまた活用していくべき問題ではないかと考えております。
○西宮委員 大臣にお尋ねをいたしますが、かつて恩赦制度審議会ですか、それが勧告をいたしまして、恩赦の審議機関を設けるようにという勧告をしたわけであります。そこでいま行なわれております、いまわれわれが審議しておる法律に定められたこの審査会ですね、これが個別恩赦についての審査をしておるわけです。もう一つそのときにこの恩赦制度審議会が勧告をいたしましたのは、一般恩赦について、政令恩赦について、これを審査機関を設けて審議をしろ、それが適当なんだ、こういう勧告をしておるわけですね。これについていかがですか。つまり二つの勧告をしたわけですけれども、そのうちの一つは現に実施されておるわけです。しかし、もう一つの大事な一般恩赦についての審査機関というのがないというのは、非常に片手落ちだと思うのですが、これについての考えはいかがですか。
○前尾国務大臣 おそらく私は、恩赦制度審議会は一時的に恩赦制度をつくるのだが、具体的には、やはりそういう審議会にかけるべきじゃなかろうか、こういうことではないかと思うのです。 ただ、率直に言いまして、従来みたいな大赦式のものはおそらくだんだん限局されてくると思う。したがって、いまの政令恩赦じゃない面がだんだん活用されて、結局現在の更生保護審査会にかけて、従来なら大赦式に政令恩赦でいくべきものを、そこに刑事政策を入れていくべきじゃなかろうかというので、そういうような面がむしろ多く取り上げられてきておるということでありまして、やはりそこに、同じ一般的にやるにしても、刑事政策的に、特別予防ということで個々の人について考えていくべきだというような面が出てくるのではないかと私は思いますので、結局、常にできるだけ特別予防ということで個々の人について考えていくという考え方を、できるだけ取り入れていくというのがいいんじゃないかと思います。
○西宮委員 私の質問したこととは違ったことをお答えになったのですけれども、しかし、非常に大事なことをお述べになりましたので、重ねてお尋ねをいたしますが、これからはそれじゃそういう個々のケースをケース・バイ・ケースで審査をしていく、いわゆる個別審査、個別恩赦ですね、それを中心にしてやっていくので、大赦のようなああいう政令恩赦というようなのは考えない、こういうお考えですか。
○前尾国務大臣 これは全然考えないというわけではありませんが、率直に言って、だんだんそういうものは狭められていくべきではなかろうかというふうな考えを私、持っております。
○西宮委員 まあ近く沖繩恩赦が行なわれるというような際なんで、私もその点はたいへん重大ですから十分伺っておきたいと思うのですが、その前に、さっき私がお尋ねをいたしましたのは、大臣、こういうことなんですよ。 昭和二十何年かに意見書が出たのですが、それは一般恩赦、政令恩赦ですね、それをやる際には、その審議会の意見を聞きなさいと、つまり内閣総理大臣の専権事項ではあるけれども、審議会を設置する必要がある。そうして、「政令による恩赦に関する事項、たとえば政令による恩赦を行なうべきか否か、またその内容など。」といっているわけです。だから、こういう審議会をつくるべきだという勧告がなされているにもかかわらず、今日までできていないというのは非常にいけないことだと思うのです。いかがですか、その点。
○前尾国務大臣 それにかわるものとして、できるだけ中央更生保護審査会、これを活用していくというような方向できておるんじゃないかと私は思って、先ほど御答弁したわけです。
○西宮委員 それは大臣、たいへんな認識の違いですよ。中央更生保護審査会は全く任務が違うのですから、そこでは活用されておりません。これは当時の恩赦制度審議会の建議でもありますが、なおその当時、朝日新聞の「論壇」というところに載っておりますが、ある法務省の刑事局の検事が論文を書いております。「恩赦制度の改善望む」サブタイトルに「「政令恩赦審議会」設置を急げ」こういうので署名入りの原稿を書いておるのでありますが、この人などは、「審議機関を設けて良識ある人々に恩赦の必要性や具体的な範囲等を審議させるようにすることが急務であり、この方法によればおおむね政令恩赦の公正を担保することができるであろう。」というふうに書いておりまして、おそらく現職の検事などが新聞等にこういう論文を出すなんということは異例なことだと思うのでありますが、署名入りでこういう論文を出している。だからこれは私は、そういう審議会の設置ということはどうしても必要だと思うのですよ。大臣、その点をもう一ぺんお答えいただきたいと思うのですが……。
○前尾国務大臣 まあ天皇の大権といいますか、恩恵というような面から内閣が責任をもってやるというので、内閣が一応審議会の役目をしておるのが現状だと思います。さらにそれを一般に、審議会を設けてそれに従ってやるということになりますと、従来のいわゆる恩赦の観念から言うと、逆行というか、すっかりひっくり返っていくような、そこまで進むかどうかという問題ではなかろうかと私は思います。 ただ、先ほど来申しておりますように、だんだんそういう方向に行きつつあるということは私、否定はいたしませんけれども、やはり恩赦というのは天皇の大権であり、またそれに対して内閣が十分責任をもって、それで内閣において慎重にやるということではなかろうかと思います。
○松澤委員長 西宮君に申し上げます。 本会議は午後一時からですから、結論をお願いします。
○西宮委員 たいへん大事なところで時間がなくなってしまって残念なんですけれども、私はぜひ、このいま申し上げた審議会は設置をすべきであるということを強く主張して、大臣に再考していただきたいと思います。 ただ大臣は、だんだん個別恩赦に切り変わっていって、そういう政令で大赦令を出すというようなことがなくなる、そういう方向に向かっている、こういうお話なんですが、それでは、沖繩恩赦について伝えられておるわけですが、もしこれをやる場合には、そういう個別恩赦でいくか、つまり政令恩赦というようなものは避ける、こういうことを明確にお答えいただけるかどうか、お聞きをしたいと思います。
○前尾国務大臣 沖繩恩赦については、実は私、全く白紙で、皆さんのいろいろ御意見を伺って慎重に検討したいと思っておりますので、それ以上の御質問に対してはお答えできないというのが現在の現状でありますから、御了承を願いたいと思います。
○西宮委員 時間がありませんから、それでは強く申し上げておきますが、さっき大臣が言われた個別恩赦を中心にするということで、沖繩の場合は、特に沖繩県の人たちを、あの当時受けた裁判について、これに恩赦を行なうというのはこれはもちろん当然でありますから、それは私いまここで議論の対象にはしておらないのです。そうではない、もし本土の人たちも対象にするという場合には、その点をぜひ明確にしていただきたいと思います。 時間がなくなって恐縮なんですが、自治省と警察庁からおいでをいただいておりますが、警察のほうで何か沖繩恩赦に関連して、そういう予想に関連して何かございませんか、変わったことは。
○小林説明員 私どものほうでは、別に変わったこともございませんし、この問題は法務省の所管するところでございますので、特別に意見を持っているわけではございません。 ただ、これは巷間伝えられているようなうわさでございますけれども、暴力的事犯の関係者が上告審を取り下げておるというような動きがあるように聞いております。 以上でございます。
○西宮委員 そういう事例などが出てくるとたいへんに困ると思うのですが、そういう特に暴力団などが恩赦で救われるということを目的にして、途中で上訴を取り下げるなんということがあると、たいへん困ると思うのです。 自治省いかがですか。沖繩恩赦に対する抵抗といいますか、反対運動というか、そういったもので何か陳情なり要請なり、そういうことはありませんか。
○土屋説明員 沖繩恩赦については、私ども全然承知はいたしておりませんが、ただ、そういうことがあるのではなかろうかという予想のもとに、いろいろなところで意見はあるようであります。 一つは、たとえば選挙制度審議会等におきましていろいろな方から、恩赦からは選挙違反者を除くべきだといったような御意見もありまして、それを総理の耳にお伝えしてくれというようなことで、審議会長からそれをお伝えしていただいたりというようなこともございます。また、選挙の浄化の運動をいろいろいたしております、明るい正しい選挙推進全国協議会とかあるいは公明選挙連盟とか、そういった下部組織では、そういったことはやめるべきであるという意見が出ておることは承知をいたしております。
○西宮委員 これで終わりますが、大臣、沖繩恩赦についてはまだ何もきまっていないというお話でありますが、われわれが非常に心配をいたしておりますのは、またこれによって選挙違反を救うんではないか、そのために行なわれる恩赦ではないかということが、世間でたいへんに心配されているわけです。私がさっき申し上げた明治百年記念の恩赦の際も、あのときも時の法務大臣は非常に抵抗に抵抗をして、最後はずいぶん譲歩させられたようですけれども、とにかく非常に強い抵抗をしていたわけです。その前の恩赦あるいはその前の恩赦いずれも、さっきるる申し上げましたけれども、法務当局はたいへんな勢いで抵抗をしてきたわけです。ぜひ今度の沖繩恩赦について、もし選挙違反をこれの対象にするというようなことがあったらば、大臣、ぜひともこれを阻止をしていただくようにお願いをしたいと思います。もし御意見があるなら伺いたいと思います。
○前尾国務大臣 御意見として承っておきます。
○松澤委員長 次回は、来たる二十五日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会をいたします。 午後一時一分散会