文教委員会 第19号
- 発言数
- 66 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1972/06/02
会議録
○丹羽委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を行ないます。 この際、理科教育振興法の一部を改正する法律案起草の件について議事を進めます。 本件につきましては、先般来各党間において御協議願っていたのでありますが、先刻の理事会におきまして、協議がととのい、お手元に配付いたしましたような起草案を作成した次第であります。 —————————————
○丹羽委員長 本起草案の趣旨及び内容につきまして、便宜委員長から簡単に御説明申し上げます。 義務教育諸学校等における理科に関する教育は、去る昭和二十八年に本法が制定されて以来一段と整備充実し、わが国の科学技術の進展に貢献いたしましたことはまことに喜ぶべきことであります。しかしながら、今日の社会の著しい発展に対応するためには、従来の理科に関する教育の振興のみでは十分でなく、これにあわせて算数及び数学に関する教育の充実、振興をはかることが緊要であると痛感するのであります。したがいまして、政府においてもこのことの重要性にかんがみ、さきに、教育課程の改訂を行ない、当該教育の内容の改善をはかり、かつ、設備の整備に意を用いているところであります。 よって、本法により小学校、中学校及び高等学校等における算数及び数学に関する教育の振興をはかり、もって社会に貢献し得る有為な国民の育成に資せんとする次第であります。 その内容の第一は、理科教育の定義に、新たに算数及び数学に関する教育を加え、当該教育を本法の対象とすることであります。 第二は、公立または私立の小学校、中学校及び高等学校等における算数及び数学に関する教育のための設備を、本法による国の補助対象にすること、ただし、公立義務教育諸学校における当該教育のための設備で本法による国の補助対象となるものは、義務教育費国庫負担法等により国がその経費を負担する教材以外のもので、当該教育のため特に必要なものとすることであります。 第三は、この法律は、公布の日から施行し、昭和四十七年度分の補助金から適用することであります。 以上が本起草案の趣旨及び内容であります。 本起草案につきまして別に御発言もないようでありますので、この際、衆議院規則第四十八条の二の規定により、内閣において御意見があれば発言を許します。高見文部大臣。
○高見国務大臣 理科教育振興法の一部を改正する法律案につきましては、近年における算数及び数学に関する教育の重要性にかんがみ、政府といたしましては特に異議はございません。 —————————————
○丹羽委員長 おはかりいたします。 理科教育振興法の一部を改正する法律案起草の件につきましては、お手元に配付の案を委員会の成案とし、これを委員会提出の法律案として決定するに賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○丹羽委員長 起立総員。よって、さように決しました。 なお、法律案の提出手続等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○丹羽委員長 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。 ————◇—————
○丹羽委員長 この際、高見文部大臣より発言を求められておりますので、これを許します。高見文部大臣。
○高見国務大臣 私はこの際、先ごろテルアビブ国際空港におきまして、日本の青年がゲリラ活動を行ない、多数の死傷者を出しましたことは、まことに遺憾なできごとであり、その犯人の一人がただいまのところ国立大学の学生であったことにつきまして、国立大学をあずかる文部大臣としてまことに申しわけないことと考えます。 従来とも、学生の暴力行為等については、各大学当局に厳重な注意を繰り返してきたところでありますが、今回の事件の重要性にかんがみ、この際、学籍にあります者の指導管理に再検討を加え、長期の欠席者、休学を願い出る者等に対しまして指導管理を的確に行なうとともに非違を犯した者に対しまして、厳正適切な処置を講ずるよう今後指導いたしてまいりたいと存じます。 国際上まことに遺憾な事件を起こしまして、ただいま身元がわかっております岡本公三という学生は、鹿児島大学農学部に在学中の者でありまして、林業を専攻いたしております。昨年八月から十一月までは日朝観測を担当いたしまして、非常にまじめに連日この観測を続けておったのでありますが、本年三月休学を一年間いたしたいという申し出をしてまいりました。この休学の申し出は代理人をもって申し出たのでありますが、代理人の申し出を承知するわけにはいかないというので、大学は一応却下をいたしまして、熊本におりまする元小学校長をやっておりました実父を招致いたしまして、大学でどうだということを父親に対して尋ねましたところ、父親は、最近非常に熱心に勉強をしておることだし、ぜひ一年間休学をさしてもらいたいという父親からの申し出によりまして休学の措置をとった。ところが、その後アラブ・ゲリラに参加しておったということがわかったのであります。 私は今朝、鹿児島大学の中村学長を呼んで厳重に注意をいたしておきましたがいずれにいたしましても、国際的信用を失墜することこれほど大きな事件はなかったと思いますので、大学の管理運営につきましてはさらに厳重な注意を促してまいりたいと思います。 なお、念のために申し上げますが、この岡本の兄というのが一昨年のハイジャック事件でただいま北鮮におるのであります。兄の影響があったかなかったかということははっきりいたしませんが、ただいまのところさような事件が起こったこと、まことに申しわけないことと存じまして、この際御報告を申し上げます。 ————◇—————
○丹羽委員長 学校教育法の一部を改正する法律案を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、これを許します。渡部恒三君。
○渡部(恒)委員 私は、いま提案されておる学校教育法の改正案についてお尋ねしたいと思うのですが、この法律的な内容等については、先般の委員会で管理局長にいろいろただしたのでありまして、これに関連して基本的な大臣の所信をただしたいと思い、きょうの質問をお願いしたのでありますが、その前に、もちろん基本的なこの法の問題にしても、学園秩序を維持するという問題でありますから関係があるわけでありますが、大臣からいまほどお話のありましたイスラエルの日本人ゲリラの空港襲撃事件であります。この一人が国立大学である鹿児島大学の学生であり、しかもおとうさんは長い間教職をつとめておった小学校の校長先生であったということから、これは単に外交上の問題あるいは治安上の問題でなくて、国民ひとしく、戦後三十年近く行なわれてきたが国の教育がこのままでよいのかどうなのかということに、先般の赤軍派の問題に、さらにまた加えて大きな問題を投げかけたのであろうと思うのです。 これはいま大臣からお話がありましたが、休学願を出しておったということでありますが、しかし大学生というものはかなり社会的な信用を今日まで受けておった立場であります。私は昭和二十六年から三十年まで学生生活を送っておりましたけれども、学生服を着て歩けば、学生さんなら信用できます、お金を持っておらなくても、宿屋にいって泊めてもらえるというほど信用がありました。大学当局というのは、ただ授業の切り売りをすればよいのだというのでは、テレビで教育をしておったっていいのであって、大学生という社会的な信用、大学を卒業したという社会的な信用ということを考えれば、社会に迷惑をかけない、社会の役に立つ一人前の人間をつくって送り出すというのが大学の基本的な使命である。しかも百万円近い国費を使って、預かって、大学の中から一番世の中に迷惑をかける人間がしかも国立大学の中から続々とあらわれてきておるということについて、これはもう、いまのままのこんなことで文部省の教育行政は、いいのかというたいへんな世論がいまわき起こっておるのでありますが、大臣の見解をお聞きしたいと思います。
○高見国務大臣 御意見まことにごもっともであります。御承知のように、大学に対しまする文部大臣の権限は勧告、指導ということだけでありまして、大学の自主性にまかしておる。このことのよしあしにつきましては、さきに臨時措置法を制定をいたしました。しかし、これも時限立法でありますので、あと二年しかないのであります。私はいまの大学の姿であるならば、むしろ特別な立法措置を必要とする事態がくるという感じがいたしておるのであります。これがいろんな意味におきまして世間の反発を買うことも私は承知をいたしておりますけれども、現実の問題はそうであるという事実を踏まえます場合には、やむを得ないじゃないかと申し上げざるを得ないのであります。その辺のことは渡部君も御承知をいただけることだと思います。
○渡部(恒)委員 これは大臣、われわれが考えなくちゃならないのは、なぜこういう不祥事件が起こるかという根源をただすと同時に、二度とこういう不祥事件を出さないということだと思うのです。そのためにこそ責任の所在を明らかにするということがきわめて大事だと思います。先般の横浜国立大学の学生の問題のときも私は大臣にお尋ねをしたのですけれども、確かにこれは何万人の学生の中から何人かの不届きな学生が出たということですぐ責任を云々されるのは気の毒だというような理由もありました。しかし、二度とそういうことを起こさないようにみんなが努力するというためには、責任の所在を明らかにするということがきわめて大事なんです。かつて一人の気違いがアメリカ大使館にあばれ込んだ。そのためにせっかく長い間苦労して大臣の地位を得た人がすぐ辞任しなければならないという問題が起こった。確かにこれは、一億人もいる中で気違いが一人おったということが国家公安委員長の辞任となるのでは気の毒じゃないかという意見もありましたけれども、しかしこれは国際的にも責任のけじめを明確にする、また二度とそういう事件を引き起こさないようにみんなが努力するということのためには、泣いて馬謖を切るという必要があって、そういうふうに責任を常にとっておる。だから、横浜国立大学でああいう事件が起きたら、当然学長が責任をとるべきでないかということを再三質問し、大臣も同感の意を表したのでありますが、その後全然責任感を感じられておらないで今日まできて、またここに、同じ国立大学の鹿児島大学の学生にこういう不祥事件が起こった。これは休学中であるとかなんとかいろいろ言いわけはあるかもしれませんが、しかし世間は、やはりこれは国立大学である鹿児島大学の学生であるということでその身分を扱っておるということであればこの関係において、これだけ日本が世界じゅうに迷惑をかけておる、また逆に、一億人の人間の中のたった三人ばかりの人間のために、日本人というものが世界じゅうから誤解されるような迷惑をこうむるだけの事件が起こった、その責任をとるのは当然と思うのですが、大臣いかがですか。
○高見国務大臣 今朝、中村学長を私は招致いたしまして、そして厳重な警告をいたしたのであります。御承知のように、いま一番欠けておるものは、長期欠席の学生ないしは休学の学生に対する処置というものが十分に行なわれておらない、そこに根源があるようであります。現在在籍中の学生でありますとたちどころに——実はたちどころにいっておらないところに問題があるのでありますが、今後はたちどころに処分させるというたてまえを進めていきたいと思いますけれども、長期休学の学生あるいはみずから進んで留年を希望する学生、これはいろいろ家庭の事情、経済的な事情等もあるでありましょうけれども、大体見ておりますと、学生活動家の多くは在学中の単位取得がきわめて低いのであります。今度の岡本というのはどういう経緯であったろうということを見ておりますが、百三単位までは取っておりますね。百二十四単位を卒業の資格といたしまして百三単位までは取っておるということで、田島という担当の助教授の話によりますと、非常にまじめな学生であった。昨年八月から十一月まで一日も休まずに日朝の統計をとった。それがどうしてそうなったか、大学当局にもどうも理解がいかないということを言っておるのであります。 大学はもちろん責任をとることは当然のことであると思います。当然のことではあると思いまするけれども、私は大学の学長に直ちに責任をとらせるよりも、むしろこういうまじめなものの考えをしている大学の学長に会ってみて、大学の改革のために非常に懸命な努力をしておられる。たとえば、この大学ではほとんど暴力事件などというものは起こっておりません。ただ偶然一人の学生が暴走したという状態でありますので、むしろ警戒すべきは他大学の問題である。ただ私は、非常に気持ちの上において遺憾千万に思っておりますることは、この三人の青年の手によって一億国民のこうむった国際的な信用の失墜というもの、これはおおいがたいものがあるということを、私自身も大学を預かる者の一人として非常に責任を感じている次第であります。
○渡部(恒)委員 これはきょうの朝日新聞ですけれども「このなかに京大理学部を卒業後、同大助手として勤務中過激派グループと接触のあったAも含まれているのではないかという疑いも出ている。Aは四十五年夏、京大理学部の助教授が中近東方面に出張した際、同行したまま行方をくらましている。」云々と出ているのですが、まだこれは疑問の段階ですから、どうこう言える段階ではありませんけれども、これは二、三日中に明らかにされると思うのです。 もしこういうことが事実となるとすると、京都大学といえば国立大学の中でたいへんな信用のある大学なんですが、そこの助手をつとめておる、またこれは助教授がそれを同行して連れていったということになれば、当然この事件は助教授も幇助していることになるのです。まだ仮定の問題について大臣にどうこう言うのは無理かもしれませんが、もしこういうことが事実であるとすれば、助教授にしても大学にしてもこれはたいへんな責任を負わなければならない問題でありますが、いかがですか。
○高見国務大臣 私も実はその懸念を持っておりまして、昨晩京都大学のほうへ至急に調査するように指示をいたしました。これはイスラエルともノーともはっきり御返事のできない状態でありますけれども、もしそういう事態があるとするならば、大学当局の少なくとも教授会が任命したのでありまするから、非常な大きな責任問題であるということは申し上げるまでもないことである、かように考えております。
○渡部(恒)委員 そこで私は、いまの国立大学の学長の教育に対する社会的な責任感というものが問題になってくると思うのですが、先般、中教審の新委員の選任にあたって、大臣が非常に新委員の若返りをはかり、また従来からこういうものはおもに古手の官僚を使うために硬直化しておるというような批判を卒直に受け入れて、官僚出身者をなるべく除いて、広く若返った民間の意見を教育に反映させるということでかなり党内の反論等があったのに、強い態度で臨んでやられた。これは世間が非常に拍手かっさいをもって迎え、大臣の考え方に共鳴をしたのです。ところが、その後、大臣のせっかくのそういう意図が完全に実らなかった。実らなかったのは、これは東京大学の学長、一橋大学の学長等が、新聞等の解説によれば、一部の偏向した組織等にあやつられてこれを受けなかったために、せっかくの大臣のすばらしい構想も画竜点睛を欠いてしまったということがいわれておるのです。私は、国立大学の学長という立場であれば、当然国がこれからの教育をどうするかという真剣な討議をする最高の機関としての委員の選任を求められたら、できる限りそれに就任して協力をするというのが当然であって、それに就任できないというのでは、教育に対して発言する資格をみずから放てきしておると思うのですが、大臣の見解はどうですか。
○高見国務大臣 これは私は必ずしもそう考えておりません。内諾を求める過程において、ある方は受諾されるだろうし、ある方は断わられることもあるだろうということを予定をいたしておったのであります。たとえば、東大の加藤学長の話がいま出ましたけれども、東大としてはこの構想に対しては全面的に賛成であるという加藤学長からの申し出がありました。だが個人的な理由において、私はひとつ大学の改革の問題に真剣に取り組みたいために、いまこの委員を引き受けるわけにはまいりかねる。一橋大学の都留学長の場合も、せっかく学長になったこの機会に、大学の改革のほうに専念をいたしたいという御趣旨でありまして、中教審のテーマについてわれわれは全面的に協力する、全面的に賛成であるという御意見でありました。テーマそのものについて反対だという趣旨ではなかったということを御理解をいただきたいと思います。
○渡部(恒)委員 その点はわかりました。 質問が前後しますが、先ほど私がお尋ねした責任の所在を明らかにするという意味で聞いておるのですが、京都大学の経済学部の助手が昭和四十六年八月の埼玉県の自衛隊員殺害事件の首謀者として公開指名手配をされておるということが前に起こっておりますが、この助手の身分は現在どうなっておるのか、お尋ねしたい。
○木田政府委員 いま御指摘のございました経済学部の竹本という助手の身分は、現在まだ助手の身分のままになっております。
○渡部(恒)委員 懲戒免職になってない。そのままの身分になっておる。これだけの事件を起こしている者が、大学の助手ということになればかなりの立場ですよ。それが指名手配されておって、公然責任をとらせられないでそのままになっておる。そういうことは大学局長としていいとお思いになっていますか。
○木田政府委員 このことは、いま正確な日時を覚えておりませんけれども、新聞で、そういう事件が起こり、竹本何がしなる者が指名手配になったということを承知いたしました直後に、大学の事務局長及び引き続いて京都大学の総長を招致いたしまして、すみやかに大学として責任ある処置をとるようにということを私からも強く申し渡しました。その後、大学の関係者に会う機会がありますたびに、このことについての大学当局の処置を何とか明確にするようにというふうに私からも繰り返し申し伝えております。先般、別の案件でございますが、一番当の中心であります経済学部の新学部長が就任のあいさつを兼ねて見えましたとき、重ねてそのことを強く申しました。こうした状態が学内で正常化しない限り、京都大学の教育研究の体制が正常化したとは考えられないではないかということにつきまして、厳重な意見を向こうにも開陳をし、すみやかな措置を学内で御相談いただくようにという注意を申しておるところでございますが、今日まで大学内におきまして表に出ました措置がとられていないということについては、私、担当局長としてまことに申しわけないことと思います。
○渡部(恒)委員 いまのようなお話を考えてみますと、学園の秩序というものが全く守られていない。戦後何か学問の自由とか独立とか、これはわれわれも大いに主張いたしておりますが、これを何か曲解して、学問の自由と独立ということを、何か学園を無秩序にして、学園に責任ある立場、責任ある仕事を遂行させないように混乱させ、学問の自由と独立という美名のもとに学園の無秩序というものがはかられてきておる。この一つのイデオロギーを背景とした学園の無秩序化、これが単に学生だけでなくて、助手とかあるいは助教授とか、学園を運営する側にも無秩序化がある。これが今日社会を悲しませておる無謀な大学生を生み出しておる大きな要因だろうと思うのです。これは単に大学だけに限らず、小学校、中学校、高等学校、これはまだまだ批判力のない子供を預かっておるのですから、大学の秩序がないことがこれほどの混乱を起こしておることを考えれば、高校、中学、小学校の学園秩序をつくり守っていくということがより一そう重大であるということを、われわれはさらに一そう認識するのであります。 今回文部省が提案しておる学校教育法の改正案の趣旨も私もこれだと思うのです。私は、今度の提案された法案の内容を見て、一体これに反対する理由というものがあるだろうかということを一生懸命考えてみた。また、おとといの委員会で管理局長と一問一答をやりながら検討してみたのですが、まずこれは全く今日の常識の当然のことをやろうとしておるのであって、無理に反対するというような考え方、そういう意図、そういう動き、そのものが今日の間違った教育問題を起こしておるものと関連なしに考えられないのであります。教頭職というのは何もいまさら始まったのではありません。私どもが小学校に通っておったころから、学校というのは校長先生がおり教頭先生がおるというのは常識であります。ところが、これを今回文部省が法制化するということなんでありますが、大臣、何か世間がこれに反対する理由の一つとして、文部省当局の権力による学校管理を押しつける意図等があるというようなことを言う人が一部にあります。私はそうは思わないのでおりますが、この際、世間に対して誤解を避ける意味と、また、大臣がこの教頭職の法制化を提案した率直な趣旨というものを申し述べていただきたいと思います。
○高見国務大臣 教頭職に対する超過勤務手当を支給するという制度は、たしか昭和三十三年でありましたか四年でありましたか制定をされました。施行規則でもって管理職手当を教頭に与えるという法律案が、たしか昭和三十三年であったと私は記憶しておりますが、成立をいたしました。そのときに、いま御指摘のような文教の国家支配だというような意味の強い反対があったのでありますが、幸いにこの法律案は成立をいたしまして、今日まで管理職手当を支給をいたしておるわけであります。 いわば教頭職というものはすでに十余年の間ほぼ定型化した形になっておるのでありまして、これは教諭をもって充てるということになっております。だから、いまさら法制化しなくてもいいじゃないかという御議論も一方にはあると思いますけれども、私はこの機会に、すでに定型化しておるところの教頭職という地位を法律的な位置づけをする、また、教諭でありまする身分の者が教頭に充てられておって、それが教頭外の教諭にまた格下げされる——格下げでありましょうか、格上げでありましょうか、いずれにしても変わってくるというようなことは、教頭の持っておりまする地位というものが絶えず不安定なものであるという状態に置くことは、学校管理上決して望ましい姿ではないと思いますので、私はこの際、これに法律的な位置づけを与える教頭職という職を、ひとつ学校教育、学校管理の形態の中に設けたいというのが今回御提案を申し上げておる趣意であります。それによりまして、待遇等の問題についても別途の考え方をしなければならないだろう。これは私は、教育の国家支配などというようなそういうけちな根性でものを申し上げておるわけはございません。その辺はひとつ御了解をいただきたいと思います。
○渡部(恒)委員 何かこの法律が誤解を受けているのは、同じ教職員の中に身分上の差別をつくる、一つの教室の中に。そういう偏見を持って見られている面がありますが、私は、一つの組織体があれば、役場に町長がおり、助役がおり、あるいは収入役がおる。何人か、二人以上の人間が集まって一つの組織体で仕事をする場合、おのおの最高の責任者、二番目の責任者、三番目の責任者がおらなかったら、機能として動くことができないのであります。これは、今日のように学校統配合が行なわれて一つの学校が大きくなってくれば、その必要性はますます大きくなるので、教職員の中から選ばれた教頭、教職員の中から選ばれた校長、そして当然これは校長という学校で一番大きな責任を負わせられる立場になれば、多少は待遇上の特典を受ける、あるいは職務上の手当を受ける、あるいは教頭になっても同じことというふうに解釈しておるから何でもないことと思っているのですが、何か教職員でなくなってしまうのだ、今度は教頭職を法制化すると、教職員なんというのと全然身分が違う性質のものになってくるのだ、一つの教室の中に何か身分が違うものがあらわれるというふうに誤解されている向きがある。これはいかがですか。
○高見国務大臣 教頭職という地位を与える、しかし教育の仕事を教頭職はやらないというわけではございません。ただ、勤務時数が変わってくるという問題はございます。これは、学校管理のたてまえ上当然のことだろうと思っております。どうもその辺にいろいろ誤解があるようでございまするけれども、教頭職は教諭の仕事もやっておる、学校管理の仕事もやっておる、ただ法制上教頭職という新しい法律的な地位を与える、しかもこれは十数年間の定型化した一つの形のものでありますので、いまさらこれを法制化しちゃぐあいが悪いという筋は毛頭ないという感じがいたしているのでございます。
○渡部(恒)委員 大臣のおっしゃるとおりなんですね。もう一つ、反対する考え方の中に、小中学校約四万近くある。これをいまの文部省の言っておるように、教頭職というものをこのままつくって、それには教頭職として専念できるようにする。専念させるということになると、教職員の中からその教頭職の人数だけぽっかり定数の中であいてしまうので、これを別ワクとして定数を改正するなりなんなり考えていかないと、かえって教頭職をつくることによって教職活動に穴があくのじゃないかという心配があるのですね。これは大臣、いかがですか。
○高見国務大臣 この問題につきましては、教頭職の担当数というものをきめております。したがって、定数をいますぐに要るということは考えておりませんが、しかし御指摘の問題は確かにあると思うのです。確かにあると思いますので、今回の措置に伴いまして、定数法上教頭の定数を別ワクで算定するという問題につきましては、全体的の定数改善計画との関連を考慮しながら今後慎重に検討してまいりたい、かように考えております。
○渡部(恒)委員 それからもう一つ、これは教頭職ということで出たために、何か校長、教頭というのは一般通念として古い考え方からいえばえらい人だという観念、上のほうにえらい人を一ぱいつくられると押えつけられるという妙な考え方があるのですけれども、これはいまの説明を聞いておれば一つの役職ですね。当然一つの組織が有機的に機能として責任の分担をして動き回るためのポストですね。そうであれば校長も大事だ、教頭も大事だ、しかし、それと同様に、私は用務員も、学校給食婦も、あるいは警備員も全く同じように学校の秩序維推、運営のためには欠かせない職分なんですね。そういうものも職務として身分を明らかにしていくということであれば、この法案に対して、何か上から押しつけるのだとか、えらいやつをつくって学校の中をどうこうするんだとかいうようなこじつけの反対論が間違いであるということを、なお一そう明快にすることができると思うのですが、大臣はそういうお考えをお持ちになりますか。
○高見国務大臣 確かに、給食婦であるとか用務員、警備員などが学校運営について必要な職員であることは異論はございません。現在でも学校教育法の二十八条で「その他必要な職員」という形で置いておるのでありますが、ただこれをいますぐ法制化するという問題になりますると、その職の定数の標準、財源措置などとの関連を調整してかからなければならないのであります。今回養護助教諭、講師、実習助手、寮母を法律で規定することといたしましたのは、これらの四つの職員が教育公務員特例法上、任用、服務、研修等について校長、教諭と同様に取り扱われており、また定数の標準などもきめられておるからであります。給食婦、用務員、警備員などを法律で規定することにつきましては、いま申し上げましたような事情がありまするので、これは今後の問題として十分に検討すべき課題である、私はかように考えております。
○渡部(恒)委員 もう一つ、最後にお聞きしておきたいのですが、先ほど私申し上げた竹本助手の問題、今日までこれは責任が明確になってなかった。これはまことに遺憾なのでありますけれども、これは考えてみますと、いまの教育公務員特例法によって、大学の教員は教授会の承認なしには降任、転任、免職などできないことになっているのですね。これでは確かにわれわれこの委員会で、大臣けしからぬじゃないか、局長けしからぬじゃないかと幾ら責めてみても、これは大臣の権限——国の教育に対する最高の責任者は大臣だと思うのですね。また、これは役所として国民の教育の最高の責任は文部省だと思うのですね。その大臣あるいは文部省が全然、国立大学の教職を担当している者の人事に対する一切の介入権がないということでは、これは全く国民の期待する教育の最高責任者としての任に当たれないと思うのです。われわれがここで文句を言ってものれんに腕押しに、大臣に権限がないと言われるとそれまでですから、やはり大臣は、いまの一連の、国立大学から、国民の非常に嘆かわしい不祥事件を起こし、また新しい正しい社会のために好ましからざる学生を続々と生み出しておる、この大学を何とかするということに関連して、この法律の抜本改正というものが必要であろうと思うのですが、大臣のお考えを最後にお尋ねしたい。
○高見国務大臣 お話しのように、この問題につきましては、私は大学自治というものがやや曲がった形において考えられてきたのが今日の姿ではないかと思うのであります。制度上文部大臣に解任、免職、停職の権限がございませんが、これで一体いいのかということになりますと、私は日本の文教制度のあり方としてこれでいいのではないという感じがいたしておるのであります。これは将来の問題として、わが国の文教制度のあり方として考えなければならない問題が多分にある。現に指名手配されておる助手の処分すら大学当局はようやらないという状態では、教育公務員特例法というのは一体何だということになるわけでありまして、この問題を含めて、やはり将来の問題として考えなければならぬ大きな問題があるということを私は信じております。また、そういう方向に皆さんの御協力のもとに大学がほんとうに自覚してくれて、そして大学が大学らしい大学になってくれれば、文部大臣が口を入れるのは——なるべく入れたくないのであります。このままの状態でいいとは私は考えておりません。ぜひ大学の猛省を促しまして、それでもどうにもならないという場合には、いま先生お話しのような方向に考えざるを得ない時代が来るのではないか。しかし、ただいまのところはあくまでも大学の自治を尊重してやる、これは私は大学教育の基本問題だと思いますので、できる限りのしんぼうをいたしておるつもりであります。短兵急に、大学はけしからんから、それじゃすぐに特例法の廃止をやるということを言明する段階ではありませんけれども、将来にわたってはやはり考えなければならぬ大きな一つの課題であるということだけを申し上げておきます。
○渡部(恒)委員 それではこれで終わります。 ————◇—————
○丹羽委員長 文教行政の基本施策に関する件につい調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。三木喜夫君。
○三木(喜)委員 ただいま大臣からお話がありました学生のこうした事件につきましては、私たちといたしましてもたいへんに心を痛めるわけです。特に犠牲になられた方々に対しましては、私たち文教委員の立場からも、心から御冥福を祈りたい気持ちでございます。それだけに、この問題に対する原因というものを徹底的に追及する必要があると思うのです。 〔委員長退席、河野(洋)委員長代理着席〕 同時に、この原因を追求するには二つの立場がある。一つは大学の管理をしっかりやれ、大臣の言われるように、欠席しておる学生、あるいは休校しておる学生に対して総点検をやれ、これも必要だろうと思います。こういう立場と、もう一つは、学生に対するところの学校当局として、あるいは文教の行政として何が不足しているのかというそういう立場でも考えなければいかぬ。だから、強硬な立場と、それからもう一つは愛情を持った立場と、二つから考えなければならぬと思います。 そこで、いま大臣に御質問がありましてその答えから私考えてみまして、ちょっと私たちの胸にはまらないのです。お答えをいただいたようでいただいていないような感じがする。と申しますのは、学生のこういう犯罪が、国内だけにとどまらず国際化してきた、これに対するところの今後の対策というものを、見通しを持って答えていただかなかったら、まだどんなことが起こるかわからない。この間はとっぴもない浅間山荘の事件だ、今回は国際的な問題に発展しておる、国際的なこういう悪のルートの中に学生がはまり込んでいく、そういうコースというものを考えていかなければならぬのではないだろうか。はまらないようにしてやるという愛情を持った考え方も必要ではないだろうかと思うのです。学長を処分してみたって、こんなものとまるものではありません。そういう立場に立ってひとつお答えをいただきたいということと、もう一つお伺いしておきたいことは、平和国家でありますね、武力で外国と交渉するというよう農ことをやらない国になっておるはずなんです。そうして、その平和の教育を受けておる学生は、武器だとか弾薬だとか、こういうようなものを持たないはずであります。それがあえて持つのはなぜか。平和国家であって、平和の教育を受けておる学生があえて反平和の武装をする、武装蜂起をする、一体これは何か。この二つの焦点をひとつ最初に答えていただきたいと思います。
○高見国務大臣 私は、戦後二十年間平和教育が続けられた中で、いまのような暴力学生がわずかながら存在をする、しかもこれが暴走をしておるという事実を、おそらく世界じゅうの人が侮べつの目をもって、日本人の正体はそうじゃないかという見方で、戦前の日本軍国主義が依然として日本民族の習性として残っておるという印象を与えることを、最も懸念をいたしておるものであります。このことは、いかなる場合でも日本では許されない問題であります。また、人類が生活する上においても、絶対にこのことは許されることではないと思うのであります。そこで、教育に愛情をということは、これはもう先生おっしゃるまでもない、教育の基調は愛情から出発しなければなりません。なりませんが、もののけじめだけははっきりつけてもらいたいという感じがするのであります。もののけじめをつけないで今日までまいりましたところの教育界というものに、私は本質的な欠陥があったのじゃないかという感じがいたしておるのであります。この機会に私どもは猛省いたしまして、暴力はあくまで否定するということが、教育界にも根強くしみ入ることを心から期待いたしております。長い目で見ます場合に、日本民族というものが平和愛好の民族である。それが十九世紀ごろから非常な変わり方をいたしました。二十年前に至ってようやく終止符を打ちました。今度は平和へという歩みを続けておった中でかような事件が起こったということは、私はひとり大学の教育だけの問題ではないと思っております。私どもが考えなければならないのは、教育全体の問題として考えなければならぬ問題であるということを痛感をいたしておるわけであります。
○三木(喜)委員 けじめをつけるということについては、先がた質問者に対してお話があったのですから、これはいいのです。これは大臣のお考え、そのまま聞きました。けじめをつけることに、国際化するところのこういう犯罪——これは大犯罪ですよ。国際ルートでやっておる犯罪です。人類に対する挑戦というか、平和に対する挑戦というか、こういうやり方は、単にここでけじめをつけるだけでおさまるかどうか、そういう見通しがあるかどうかということを、長期の見通しをもって大臣のお考えを聞いておる。大臣は、ことばとしては、侮べつ、軍国主義に返ったかというような目をもって見られるということは遺憾である、教育全体の問題だ、こうおっしゃるんだけれども、それではどうするのかということです。けじめをつけるということは、さっきの質問者にもお答えになったように、学長を処分するとか、あるいは指名手配中の助手を免職にするとか、これだけで大型化した学生問題というものはおさまらないだろうという心配を私は持ちますから、幸い教育に非常にたんのうな考えと識見を持っておられる高見文部大臣ですから、そのお考えを聞いておきたいし、ついては閣議の中でも、文部大臣としてのお考えをやはり述べてもらわなければいかぬと思うのです。こういう事件が起こったから、文教委員会で、遺憾でありました、調べてみましたらこれこれの者がいままでは大体こういう生態を持った学生でしたという単なる報告にとどまってはならぬと思うのです。見取り図をわれわれに話をしてくれぬと困るのですが、その見取り図を聞いているわけです。
○高見国務大臣 この問題は人間性の問題に根ざしておるということを考えますと、見取り図と申されますけれども、一朝一夕に解決する問題ではないと私は考えております。したがって私どもは、大学の自治は自治として尊重したいという基本的原則をくずしてはおりません。しかし、このままの姿で現在の大学が推移しておって、はたして世論は許すであろうかということを懸念いたしておるわけであります。これは大学のために懸念をいたしております。また、日本の教育のために懸念をいたしております。文部大臣に教授の任命権がないことは、私はそのこと自体はまことにけっこうなことだと思っております。大学の自治を尊重する意味において、文部大臣はそこまで立ち入らないほうがいいと思っております。しかし、このままの状態で世論ははたして許すであろうということを考えますと、まことに心細い感じがいたすのであります。 その点から、ただいま渡部君に私がお答え申し上げましたように、好まざることではあるけれども、場合によってはそういう道も講じなければならぬということを申し上げたつもりであります。こういう事柄は、一朝一夕に速効薬的なものはないと私は思います。近代学校制度ができまして今年は百年になります。その百年の歩みの中においてもいろいろ変化はございましたが、少なくとも日本人が国際的な舞台において暴力活動を行なうというようなことは、そう例のないことでありますし、こういう問題が二度も三度も起こるというようなことは、厳に慎まなければならぬことであります。したがって、大学当局に対して猛省を促すということは、私は文部大臣として当然とるべき仕事である、こういう考え方に立っておるわけであります。
○三木(喜)委員 一朝一夕に片づけられぬ問題だからここで考えるべきじゃないのですか。だから、大学の自治がどうの、あるいは世論は許さぬだろうという、こういう事態だけを言われたって、それは大臣、解決にならぬのですよ。一朝一夕にできぬから、いま考えなければいかぬと思うのです。これから学生は麻薬の組織に引っぱり込まれるかもしらぬと思うのです。これはいまテロの世界に引っぱり込まれたのですね。それは大学の自治がどうだとか、世論は許さぬだろうとか、教育百年の何だとかいう話は、ちょっと横へそれておるように思うのです。現実の問題が起こっておるのですからね。それが解決つけられなければ——解決つけられぬけれどもこれからこういうことにしなかったらいかぬと私は思う。大学局長もお考えがあるだろうと思いますが、こういう重大な問題に日本の国はぶつかっておるのですから、あとで局長も……。
○高見国務大臣 それは先生おっしゃるとおり、私は個々の事象につきましては、一つ一つ責任を明確にしていきたいと思っております一明確にいたして、事柄の責任についてはけじめをつけるほかないと思います。それからまた、個人の責任感を高める以外に方途はないと思っております。個々人の責任を他に転嫁するというような考え方は、現在私は持っておりません。私の申し上げ方が悪かったかもしれませんが、私は責任を転嫁するという気持ちは毛頭持っておらないということを御承知をいただきたいと存じます。
○木田政府委員 先般から御指摘もございますが、学内でいろいろな問題が起こっております。はなはだ嘆かわしい事件が連続をし、それに対する処置が必ずしも十分に通じていない。事柄があいまいなままにいろいろと問題が次へと連続をしておるという状態がございます。どうしてこれを是正していくかということにつきまして、いまお尋ねがございますが、端的にこうすればすべてがよくなるというふうな妙策は、大臣もお答え申し上げましたとおり、私は出てこないと思いますけれども、世界が狭くなりまして、国内だけで起こっておったことが世界的な規模で起こる、国内で徒党を組んでおったことが国際的に徒党を組んで起こるというような今日の世界情勢になってまいりました。そして、日本の青年が、また特に大学の学生が、ああしたとうてい考えられもしないような犯罪を犯すということは、私どもほんとうに残念でございます。 これをどうして是正するかということにつきましては、私見でございますけれども、やはり冒頭に大臣がお答え申し上げましたとおり、それぞれの立場にある者が、個々のそれぞれの事柄について処理を明確にし、責任意識を高めて、事柄を解決していくという以外にはないであろう。大学の中で集団暴力も行なわれるのでございますけれども、そうしたことが、一種の甘えのもとで、何か別の課題の中にすりかえられてしまうというような風潮を是正し、当面の責任の衝にあります者が、それぞれの立場に立って事柄を考え、また非違を犯した者がそれぞれ個人の責任意識として高めていく。浅間山荘の事件のあといろいろ新聞に報ぜられました動きを見ましても、犯人たちに非常な甘えがあるというような問題が、徒党を組んで何かをしてしまうという方向へ持っていっていはしないかということを感じるのでございます。それぞれには次々と因果関係が広がっていく輪は十分ございますけれども、それを断ち切って是正をしていくためには、やはり当の個人、その直前の担当者の責任意識を高めていくという以外には方法がないのではないかというふうに考え、いろいろと混乱が起こっております大学の事後の処理につきまして、やはり学内の関係者にも十分な自覚を促してそれを待つという一面を強調するほかはなかろうかと考えております。
○三木(喜)委員 学内の体制とか、あるいは個々の責任を持つというそのお話はわかりました。これもその一つの側面でしょう。それがないとは言いません。それと同時に、私の思うのは、これはお考えを聞かしてもらいたいと思います。とにかく一つは政治の姿勢が問題だと思う。個々には責任をとらすと、こう言うておきながら、たとえば国会をうそついてだましても、その最高の責任者は処罰されることが何もない。公務員として秘密漏洩した者は処罰を受ける。公務員法百条と百十 一条で処罰を受ける。国会と国民をだましても、それに対して何ら処分がないという、こういう責任のとり方だけを示されてはだめだと思う。政治の姿勢が一つ。 もう一つは、国家それ自体が問題じゃないかと思うのです。武力は用いません、こういうことを言っておきながら、四次防をどんどん先取りする、武装する、軍備を強化する、これは憲法の中にはないわけなんです一そういう姿勢がそのままでよいのかということが、私の申し上げたい二つ目の問題。そして、学生にはどういうぐあいにそれを説明するのか、これは大学局長としてお話を承りたいと思います。根本的な問題ですから。 それから三つ目に、私、いまここへ来たときに、「現代革新とは」という東大教授の篠原さんの論文をちょっと読んでみたのですが、その中に脱政党というのがある。若い人々をつかまえて聞いてみた。脱政党ということがあるけれども、私たちは脱政治とは言っていないんだ、こういう反論が返ってきたということを読んでちょっとびっくりしているんですけれども、政治を抜け出そうという気持ちはありません、どこまでも政治の中でものを考えようという考え方はあるけれども、いまの政党には信用は置けない、こういう青年の考え方がいまわれわれに返ってきておるわけです。 そこで、比喩で申し上げて大臣に非常に失礼かと思うのですけれども、私たちの郷里の近くに禅宗の寺がある。そこに盤珪禅師という和尚がおりました。御存じのとおりだと思います。血を吐きながら座禅を組んだ人なんですが、肺結核になったのに精神力でそれさえなおしてしまった。盤珪禅師に対して、どうも不肖の坊さんがおって困る、ああいう者をのけてもらわなんだら、私ども坊さんは全部、竜門寺という寺がありますが、その寺から出ていこうというこういう申し合わせをしたそうです。そうすると盤珪禅師は、そういう人間は私が守ってやらなんだらいかぬ、君らはどこへ行ってもめしを食うことができる、どこへなりと行ってくれ、私はこの一人の者を守ってやる、こういう言い方をしたということを私は聞いておる。それは書物にも載っています。こういうことは、禅宗という非常にきびしい非人道的なようなくらいの行をやるところにおいて、かくも愛情のある取り扱いをやったというところに私は禅宗の坊さんのえらいところがあると思う。特に盤珪禅師のえらいところがあると思うのです。 私は、教育というものはこんなものじゃないかと思うんですね。教頭法案を私たちはまだきょうはとやかく申し上げる段階ではありませんから言いませんけれども、そういう秩序さえ保っていけば学校はいいぐあいにいく、こういう考え方に一つ問題があると思いますけれども、これはまた後ほど申し上げましょう。愛情というものはこういうもんじゃないかと思うのですね。 そこで、教授と学生、先がた大臣からお話がありました、親が欠席届を出して、そうして子供の行くえはわからぬなんというような、こんな親子の断絶、教授との間柄、親子の間柄、それから社会との間柄というものを、今後大きく教育の中で計画を立てて学生を守っていかなければいかぬのじゃないかと私は思う。処罰するだけが能じゃないのです。きょう話を聞いておったら、処分問題ばかりに話がいったように思う。これで大きく国際化するところの犯罪の中に投入されるわれわれのかわいい学生が、大学生が、次代をになうところのこういう力が、そんな姿でいいんか思うて私はあえて質問をしたわけです。
○高見国務大臣 教育の理想とするところは、まさに先生のおっしゃるとおりであります。悪いからこそよくなるまで教育をするというのが教育の理想でなければならぬと思います。ただ学校という一つの組織の中において、組織を維持するためにやむを得ずその組織にそぐわない者を学校から排除するということも一つの方法であろうと思うのであります。私も、あなたがおっしゃるように、処分が第一だとは考えておりません。少なくとも教育者の持つ理念の根底はどこになければならぬかと申しますると、どんなよくない子供でありましても、最後までめんどうを見てやるというのが教師の当然とるべき姿であろうと思うのであります。これは教育に携わった人のだれもが考えることであります。悪いからというのでほっぽり出すのならそれは教育ではないと私は思うのであります。ただしかし、学校という組織体で、その組織の運営に非常に妨害になって全体の教育に支障を来たすという場合には、これはやむを得ず学校から排除をしなければならないという問題が起こってくると思うのであります。その辺の問題は比重のかね合いの問題であります。理想論として考えまする場合、三木先生のいまのお話、それはまさにそのとおりであると申し上げざるを得ないのであります。
○三木(喜)委員 議論をしておるんじゃないのですよ。その見通しをどうするか、どういう施策をやっていくかということを聞いておるのです。
○高見国務大臣 この施策の問題になりますというと、非常にむずかしい問題があるのでありまするけれども、これを正常の姿に直していくということが私どもに課せられた仕事であると存じておりまして、ただいま教育制度の改革の問題等につきましても、どうして愛情豊かな教育の組織ができるかということを鋭意検討を続けておるところであります。
○木田政府委員 いまの青年たちが、社会のいろいろな事象を見まして、自分たちの立場から見てとうてい理解できないことがある、あるいは不届きなことがある、そういう認識を持つことは多々あり得るだろうと思います。しかし、社会の中にいろいろと自分なりに理解しがたいことがあるからといって、みずからがその理解しがたいことを同じようにやっていいということにはならないというふうに思います。 それで、おとなが悪いからということもよくいわれますけれども、だから子供まで一緒に悪いことをしていいということには私はならないと思います。どうしてもその点では——いろいろ社会にあります是正したいと考えること、それはそれなりに進めていけると思いますけれども、そのことのために個々人の青年たちが、あるいは学生たちが、なすべきでないことをしているという点につきましては、やはりその非違を犯した青年の個別の責任というものを考えていく筋道だけはつけていかなければならないというふうに思います。 第二点に、その非違を犯した者に対して、ほんとうに愛情を持って育てるべきではないかという御意見に対して、私もそのとおりと思います。宗教あるいは教育の本義というのはそこにあると思います。しかし、それで社会の制度ができ上がっていくかと申しますと、私はそうは考えません。教育の制度にいたしましても、世の中のいろいろな制度にいたしましても、あるいは罪を犯した者に対します刑事上の政策にいたしましても、社会の諸制度として考えてまいります場合には、宗教家であるならばすべて許されることであっても、社会の制度としては許されないことがたくさんございます。その意味では、教育の制度を立てていきます場合にも、その制度としてのけじめというものをそれぞれつけていかなければなりません。その点で現在大学の中のいろいろな学生の指導、管理運営の体制、こういうことを見ておりますと、ほんとうの教育論と、それからそれに基づきます大学の制度としての秩序を維持していくというけじめが、事柄によってぼかされてしまっておるというふうに考えております。この点は、やはり一教育者として、自分の子弟に対していろいろ許されることでありましても、一つの公の大学として、大学の学生としてとうてい許されないという学生としてのあり方、大学としてのそれに対する措置のとり方ということはあると思うのです。ですから、教育者としての教師、あるいは宗教家としての教師が、ほんとうにあたたかい気持ちで許され得ることと、それを大学の制度、教育の制度として維持していくためにどうしてもけじめをつけなければならぬという点の区別は、明確につける努力をお互いにしていかなければならない。いま学生指導の個々の事例その他を個別に聞いておりまして、その辺の考え方がややともしますと混乱しておるのではないかということを私ども感じます。教育者としての責任意識を高めると同時に、それが公の活動、公の教育制度である、あるいは社会における公の秩序を乱すものがあるという場合の責任意識はまた高めていき、その責任を明確にそれぞれがとる、こういう方法で教育制度の運用に当たらなければならないというふうに考えております。
○三木(喜)委員 これでおきますけれども、話がどうも抽象論でくるくると回っておるのですけれども、要するに私が提起したのは三つです。一つは、政治の姿勢も正さなかったらいかぬだろう。私はその政治の立場で謙虚にものを申したはずなんです。それからもう一つは、平和国家であって銃を持つというのはおかしいじゃないか、そういうところに問題がある、国にも問題があるんじゃないかということを申したのです。それに対するお答えはいただいていないのです。 そこで、ちょっと局長、国やあるいはおとなが悪いから、学生なんかはそんな悪いのは見習うべきではない、これはわかるのですけれども、しかしそれを要求することは、おとなとして、あるいは政治家として、行政官としては多少えこひいきじゃないか。身がってじゃないか。教育の原理は、やはりなすことによって学ぶのですから、デューイの思想ではないのですか。そういうことをこちらがちゃんと示範してみせて、それによって見習うのが教育なんです、小さいときから。一方、師範をするほうがそういう姿勢ではいけないじゃないか、そういう立場に立ってものを言うておるわけです。 それから、教育に愛情がなければならぬ、そういう抽象的な問題を言うておるのじゃないのです。親と子との断絶がここで現実にあっておるじゃないか、教授と学生との間にやはり断絶があっておるじゃないか、それを埋めるにはどうしたらいいかという具体的な教育をそこに展開をしなければだめなんだということをいま申し上げておるのです。 この三つに対して、いや責任を明らかにせんならぬという堂々めぐりの一番初めの話だけに戻って——それは私はわかったというのです。それはよくわかりました。それはやはり教育者として責任を明らかにせないかぬけれども、政治家の姿勢もこの際問題じゃないか。それから、平和国家を志向しながら軍備に移行するところの国の姿勢そのものも問題じゃないかということと、それから教育の一番根元にあるところの愛情の断絶をどうして埋めるかという問題を真剣に考えなければいかぬということを申し上げたのに、お答えはいただけておらぬわけです。もうそれまでにしてください、言いようがなかったらけっこうですから。
○高見国務大臣 御指摘の問題はまさにそのとおりであると思います。政治の姿勢の問題も、帰するところは教育の問題に帰すると私は思っております。この点では私は、教育の責任というものは政治にも及んでおるということを痛感をいたしておるのであります。先生がいま御指摘になりました点は一々私は同感であります。同感でありますが、この問題は根ざすところが非常に深い、民族の歴史に立脚しておるわけであります。御承知のように、日本の歴史の中で一番大きな問題は、何と申しましても日本が戦争に敗れたときに、平和主義を断固として打ち立てた。この打ち立てた精神をどこまでも守らなければならぬ。守っていくために何が必要かということになれば、私はやはり帰するところは教育だという感じがいたしておるのであります。その意味におきましては、私は先生の御意見に全面的に賛成をいたすわけであります。ただ、親と子の断絶あるいは教授と学生との断絶、これらの問題は、人間と人間との問題であります。私は、教育は帰するところ人間と人間との精神の交流によって生まれるという考え方を持っておるのでありまして、そういう意味から申しましても、どうしてもこの辺で教育界のこういう不幸な事態を一日も早くなくする努力をしなければならぬ。それが制度の上においてやるのはもちろんでありますけれども、制度以上の高い次元でものを考えなければ教育というものは実を結ばないという考え方をいたしておるということを、ひとつ御理解いただきたいと存じます。
○河野(洋)委員長代理 山原健二郎君。
○山原委員 こういう事態が再び起こらないという保障はないと私は思います。戦前戦後の教育を考えた場合、戦前は天皇の名において戦争にかり立てる教育が行なわれておった。そして異民族を殺すことを平然と行なうような教育が行なわれておったわけですね。そして戦後を迎えて、学校の先生方の中にも深刻な反省の中から教え子を再び戦場に送らないという民主主義教育というものを確立するための努力が、大学から小学校まで行なわれておったわけです。 そういう民主主義的な教育の発展というものを、その後の文部行政の中で一つ一つつぶしてきたところにこういう問題の発生する原因があったのではないかというふうな見方を私はしているわけです。たとえば、いまから十五年前に勤務評定が出されました。学歴の問題が出されました。そして各学校種別における入学試験というものも強化されました。そして試験地獄というものが生まれてまいりました。そして大学管理制度というのが国会で強行されるという事態が起こってまいりました。こういう過程の中からいま生まれてきておるような人間破壊、人間性がスポイルされた人間が発生してきておるということ、ここのところに文部省としては深刻な反省をしなければならぬ時期を迎えているのじゃないか。 今度の学生の場合も、確かに鹿児島大学へ入るまでに二回京都大学か何かを受験をして、二回不合格になっておりまして、そして二回浪人をしておるという、そういう状態です。結局弱肉強食の教育、友だちはどうであっても自分だけがのし上がったらいい、こういう人間関係を失うような教育が、文部行政の中からいまじわりじわりと教育の中に持ち込んでこられておるところから人間破壊というのが行なわれているのじゃないか。 私はこの歴史的な過程ということを簡単に申し上げましたけれども、ここのところが重要なんです。だから、そういう人間性が破壊されるような教育制度の中に、自分の意見に賛成しない者は暴力をもってこれを制圧をするという思想が生まれてきている。あるいは外国の、たとえば毛沢東語録の片言隻句が盲信をされて、武器をもって革命をするのだ、鉄砲が政権をつくるのだ、そういう中国革命の一つの毛沢東理論というものがそのまま盲信をされて、それが彼らの論文の中にすぱすぱ出てきているという状態です。要するに、自分の意見に従わない者は暴力をもって制圧をしていく、こういう思想が彼らの各セクトの中に一貫してあるわけです。だから、こういうことがある限り、これらの事件はこれからもさらにエスカレートして出てくるであろうというように私は考えるのです。そういう教育の流れというものを見たときに、現在文部省として、実際日本の教育がこれでいいのかということを反省しなければならぬ時期を迎えておるのではないかというふうに思うのです。その点について大臣の見解を伺っておきたいと思います。
○高見国務大臣 お話しのように、私どもが反省すべきものは謙虚に反省をいたしたいと思います。しかし、いまの学生の暴力集団というもの、これは私から申しますと、学生の暴力集団とは申し上げかねる問題であるような気がするのであります。戦後の教育にいろいろなひずみがあったでありましょう。しかし、少なくとも教育は平和主義の教育であったことは、山原さんもお認めになることだと思うのであります。結果において何が起こったかと申しますると、平和どころか武器を持って戦うという結果が起こっておりますことは、私は戦後の教育について私どもが反省しなければならない大きな問題であると同時に、国民全体がこの問題について深い反省をしなければならない問題ではないかと思うのであります。 こういう問題が、あるいは今後も先生の予測のとおり、二度と起こってもらいたくないのでありますけれども、起こらないという保障はございません。したがって私は、これからの教育というものを考えます場合に、二度と再びこういう事態を起こさないだけの教育の制度なり教師の養成なりというものに特に力を入れていきたい、かように考えておるわけであります。
○山原委員 私は、子供のときから子供たち同士の連帯感というもの、あるいは高等学校へ行き大学へ行っても、学生同士の連帯感というものが育てられるような民主的な教育こそがほんとうに成長しなければならぬ時期、そして、それは成長しつつあったと思うのです。それに対して一つ一つ歯どめをかけてきたところに問題があるというように考えております。これは論争の問題でありますからこれ以上申し上げません。 もう一つは、やはり私は、泳がせ政策といいますか、そういうものがあったと思うのです。この前も私は連合赤軍の問題で申し上げましたが、たとえば坂田前文部大臣の発言、経団連の藤井丙午氏の発言、あるいは荒木前国家公安委員長の発言、彼らに対してはいたわりの目をもって見なければならぬならぬという最初からの見解というものが、彼らを常にエスカレートさせていった原因になっていると思うのです。だから、そういう点では、暴力に対してはき然として社会的にもこれを排除していくという思想、さらに学園において教授も教職員も学生も一緒になって、学園の中のほんの少数の鉄パイプを持っている暴力を排除するという思想が起こらなければ、ただ警官が入ったって、あるいは文部省が学長の首を切ったって、問題は処理できないわけです。そういうことがいま一番大事になってきておるのではないか。 この前、連合赤軍の問題で質問しますと——本日は警察関係の者は来ておりませんけれども、たとえば関西ブント、関西における共産同あるいは関西における連合赤軍の合法部隊がある、それとは連絡をとっておるということをここで発言をしているわけです。ところが今度の場合を見てみると、合法部隊から非合法部隊に入っていって、その連中が軍団を組織しておるというのがずっと最近の新聞にも出ているのでありますけれども、そういう可能性を持った、暴力をもってやろうとするこの集団と警察が連絡をとっておるというようなことにも重大な問題がある、そのことを私は指摘しておきたいと思うのです。 さらに、先ほど渡部委員のほうから出ました竹本の問題でありますけれども、これだって京都大学の「序章」という雑誌があるのです。その「序章」という雑誌を出しておるのは京大出版会だと思いますが、その京大出版会が出しておる「序章」には常に竹本の論文が出ている。ところがその京大出版会に対しては部屋も与えておれば電話も与えておるという状態なんです。この竹本というのはどういう人物かというと、これは読売新聞が書いておりましたように、麻薬販売をやっておる暴力団とのつながりを持っておるということです。だから、これは単なる学生と助教授とかかいうような教育関係者の集団ではなくして犯罪者なんです。その犯罪者に対する態度というものがあまりにも不明確になっておるというところは、私は一つ大きな問題だと思うのです。 もう一つ申し上げておきたいのですが、今度出ました犯人のおとうさんは学校の校長先生をしておられた。しかもきわめて謹厳な、熊本県の校長先生だというお話を聞くわけです。さらに、この前出ました連合赤軍の伊藤和子、この父親も中学校の校長であります。さらにまた加藤兄弟のおとうさんは教頭先生という状態なんですね。教育者の子弟、しかもきわめて謹厳な、まじめに教育生活を戦前から行なってきた先生の子弟という、これは私は非常に因縁を感ずるわけでありますけれども、たとえば加藤兄弟のおとうさんは二宮尊徳を尊敬されておるということを発表されております。それから建国記念日に賛成しておられるというような方なんですね。いわば戦前からつながってきた一つの古いタイプの思想性というものをそのまま持ち続け、教師としては謹厳、そして子供に対してはおそらく厳格な父親であったと思います。そういうふうな子弟が、しかもかなり頭脳の優秀な子弟がこういうふうな状態になっているというわけですね。 そういうことを考えますと、ほんとうの民主主義というのは一体何か、子供たちの成長にとって一番大事なものは何かということを私たちは考えましたときに、戦後生まれつつあったところのあの民主主義的な、子供たちがほんとうに連帯感を持って、お互いが学力を身につけて前進をしていこうという、そういう教育をこそ発展させなければ、またこういう事態が起こってくるのではないかということを重ねて感ずるわけです。この点について大臣の見解を伺いたいのです。
○高見国務大臣 今度の事件、浅間山荘事件の犯人の中に、教職に携わってりっぱな業績を残された方の子弟が多いということは、一見まことに奇異な感じが私もいたしておりますが、一番大事な問題は、おそらくこれらの方々は、戦前の教育に携われた方々であり、戦後教育のあり方というものについての理解にはあるいは乏しかったかもしれないという感じがいたしております。まことにお気の毒だと思います。自分の子供がこういう犯罪を犯すということは、身が教育者であるという問題を考えます場合に、いても立ってもいられないという気持ちがおとうさんにはしておると思います。おとうさんを責める気持ちは毛頭ございませんけれども、この問題は、ほんとうにお気の毒だと申し上げるほかはございません。戦後教育の中で、いま先生がおっしゃった連帯感の問題、これをもう少し強調していかなければならぬ面がある。いわゆる個人主義という名のもとに、個人主義の曲解のもとに連帯意識というものが欠けておる。だから、自己の主張を通しさえすればいいんだ、自己の主張に反する者は消せばいいというような考え方で、社会の構成はできないと私は思っております。これからの教育につきましても私は、社会全体の構成員として、社会を構成しておる一員としての立場というものをほんとうに理解をさせるという教育に力を注がなければならぬ、これを、一連の事件を通じましてしみじみ感じておるわけであります。
○山原委員 これで終わります、が、個人主義の問題を言われましたけれども、真の個人主義は連帯に通ずるわけですね。日本では、卒直にいって、個人主義そのものがまだ確立されていないということを私は感じているわけなんです。時間がございませんけれども、真の個人主義が確立される、それは連帯に通じていくという、私どもはそういうふうに考えて教育を行なってまいりました。で、現在、この前私が取り上げました東京大学の医学部神経科の問題だってまだ解決はしていないと思います。それから現在、それぞれの大学のキャンパスへ入ってみたらわかるのです。殺伐たるものですね。いつ襲撃をしてくるかわからぬというような状態。そして、まじめな学生が学園に入れないというような状態があるわけです。教授が学園に入れない、教室に入れないという事態があるわけです。集会を持てばいつ襲ってくるかわかぬという状態にあるわけですね。こういう暴力が甘やかされておる状態ではどうにもならない。学問の自由、学園の自治といったところで、そういう暴力が学園の中で少数派によってはびこって、のさばって、それが甘やかされているという事態では、これは問題の処理はできないと私は思うんです。しかも・それは日本の教育、文化にとって大きな損害を将来に残すものだということを考えましたときに、この問題については私どもはさらに真剣に討議をする必要があるんじゃないかというふうに考えます。私の見解は、戦後真に確立されつつあった民主主義教育を、さらに躍進をさせる、前進をさせるという文部行政を確立してもらいたいということを要請しまして、私の質問を終わります。
○河野(洋)委員長代理 小林信一君。
○小林(信)委員 先ごろ大臣は中教審の委員を任命をされましたが、その委員の任命をする大臣としての方針、方法、こういうものをこの際われわれにお聞かせ願いたいと思います。
○高見国務大臣 私は、過去九回いろんな答申をいただいておりまするが、主として学校制度の問題についての御答申をいただいております。しかも、第九期の答申は、四年の長きにわたって御検討願いましたいわゆる中教審答申というものが出まして、これを、これから政府はどういう行政的な感覚のもとに、どういう行政的な処置をとるかということは、これからの問題であると考えておるわけでありますが、さて、今後中教審が取り組むべき課題をどこに求めるかということになりますると、私は、教育、学術、文化の国際的交流というものをテーマにする一つの問題を提起いたしまして中教審に御審議を願いたい、こういう考え方を持ったのであります。と申しまするのは、いろいろな意味におきまして、こういう事件が起こってみてしみじみ感じるのでありますが、これから世界は非常に距離は短くなります。したがって、世界各国の芸術、文化あるいは学術、教育等の交流というものが非常に大切な問題になってくるだろうと思う。早い話が国連大学の問題にいたしましても、手近な具体的な例でありまするけれども、これは幾ら国連で論議をいたしましてもなかなか結論が出ておらない。しかし、日本自身はどうするかという問題も考えなきゃならぬ問題であろうというふうな観点から、テーマはそこへ持ってまいりまして、そこへ持ってまいりますというと、できるだけ各界各層の御意見を伺うということが必要になってくると考えまして、国際的感覚の豊かな方々をひとつこの際お願いを申し上げたいというので、そういう方針のもとに選考をいたしたわけであります。
○小林(信)委員 その選ぶ方針、選び方、こういう問題だけでも私どももいろいろ意見がありまして、いままでもその過程をいろいろお聞きをしたい気持ちはあったんですが、時間が得られず残念でございますが、私は、この中教審は、いま何かというと文部省では、ただいま中教審に諮問をしておりますとか答申を求めておりますとかというふうなことで、中教審は非常に大事にされる。したがって中教審というものは、いまや国の教育の大事な諮問機関として国民自体も重視しておる状態であります。要はこの中教審の委員が、中教審というものがいかに国民から信頼されるかが問題だと思います。前の中教審にはだいぶ批判がありました。年寄りが多いじゃないかという、あるいは各層各界を網羅しておらないじゃないかというふうなことから、中教審答申として例の大々的な答申がなされても、これに対してきわめてきびしい批判が出ておる。これを高見文部大臣は十分聞いておいでになって、今回はその国民の要望というふうなものを十分取り入れて人選をされたと私は思います。しかし、私たちに言わせれば、国民全体から中教審への信頼を十分持ってもらうためには、その選び方が文部省の独善あるいは高見文部大臣のひとりがって、こういうふうなものでなく、広く大ぜいの人が納得がいくような方法というものが必要じゃなかったかと思うんです。たとえばほかの政府機関が持っております諮問機関のように、ある一つの集団に、あるいは集まりに、あなたの中からだれか代表を出してくださいというような選び方をする方法もあると思うんですが、そういうようなこと等が考えられなかったかどうか。私は端的に申します。労働界から代表を選んだというようなことは、これはもう高見文部大臣が相当画期的な考え方としてこれを遂行されたと思うんですが、一番大事なのは、教師集団であります教員組合。これはいろいろありますけれども、そういうものから選ぶというようなことは、私は、高見文部大臣に限ってはやるじゃないかと、こう思っておったんですが、これは除外をされておりますけれども、何かそれについてお考えがあったらお聞かせ願いたいと思います。
○高見国務大臣 私が労働界から委員を選びましたのは、少なくとも労働界の現役の方だといろんなことに差しさわりがあるだろうというところから、一応現役を去られて、しかも現役に影響力のある方を、という考え方で選んだのであります。各界の代表という形で今度の委員は選んだんじゃございません。各界の代表ということになりますと、前の中教審が小学校長会の代表だとか高等学校会の代表だとか中学校長会の代表なんというものを選びましたけれども、今回はそういうことを抜きにいたしまして、そういう意味で私は日教組をこの際入れるということについては初めから考えておりませんです。
○小林(信)委員 私が申し上げた各界層の代表というような選び方も一つの方法ではないか申し上げたのは、やはり選ばれた人がいかに国民の信頼を持つかという点を重視したわけであります。そういう意味からすれば、高見文部大臣が大臣としてせっかく委員を選ぶからには、日教組ということは問題かもしらぬけれども、現職の集団、現在教師集団として存在するそういうものの中から、堂々と人選をするようなものが高見文部大臣個人にはある。しかも、いま世の中がそういう積極的な考え方、行動というものを要求しておるのじゃないか。それを避けるようなところが、この問題を追及するのでなくて、そういう文部省の姿勢というものが、私は実は今日の大学問題あるいは学生問題、ああした暴力問題とあわせ考えなければならないような気がするのです。 私はこの際、連合赤軍の問題についてその後どういうふうに文部省当局は問題を整理して、どこに問題があるか、今後どういうふうに対処しなければならぬか、その後事態も相当に明白になっておりますので、そういう中から文部省としての見解を私はきょう実はお聞きしようと思うのですが、おそらくそのことは、学長に責任をとらせるとか、あるいは大学の経営管理、こういうものをもっと法的に何か改正をするとかいうようなこともあるのかもしれませんけれども、あのときもいろいろな議論がありましたように、そして先ほども話し合いがありましたように、社会的な断絶、そういうものをなくすことが一番大事だという話が出たのですが、きょうもやはり問題がそこへ行っていると同じように、いかにしてわれわれがそうした断絶をなくなすかということが一番重大だと思うのです。やはりこの際、日教組の考え方とわれわれ文部省の考え方とはもう断絶があるのだ、話し合いをしたってしかたがないのだということでほうっていくか、あえて接触をする機会をつくり、接触する時点というものをつくって、そして話し合っていくか、これをやらなければきょうの問題になっておりますこの国際的な暴力事件、私はこういうものは解消できないと思うのです。そこまで文部大臣は意図しているけれども、高見さんは考えておるけれども、何となく自民党とかいまの政府の姿勢とかいうふうなものが大きな障害になって、その目的を果たすことができなかったのじゃないかと私はひとり判断をします。 大臣はそんなことにはお答えできないかもしれませんが、そこを突き破っていくということは、この際、問題解決をする——これはもう教育の問題じゃない、大学のあり方じゃない、社会風潮なんです。そして世界的な問題であって、その世界的な問題も全世界じゃないのです。アメリカとか、そのアメリカの影響を受けた日本とかいうものが一番いま重大な時点にさらされておると私は思うのです。その場合、アメリカはアメリカ流に行く、日本は日本流に行かなければいけない。制度は何であってもよろしい。しかし、教育をする者は日本文化を基盤にしてやっていく。古い日本文化をそのまま踏襲するのでなく、その日本の文化の発展をしていく中でわれわれは教育をしていくということが基本的なものである以上、それをどういうふうにやっていくかということは、親が子ともう価値感が違っておるからといってほうるのではなくて、その接触点を見つけていく。そういうことがいま一番教育に要求されておることです。鹿児島大学の学長を呼んで云々という話があった。それだけで問題が解決するなんということはおそらく文部省も考えておらぬでしょう。そういう社会風潮をどうするかというふうな点から考えていく場合に、私は中教審の選び方なんかも、まだまだ文部大臣が口ではこうする、ああするとおっしゃっておるけれども、そこまで踏み切らなければ問題解決に出ていったものとは考えられない。これは私の意見ですから、大臣あとでお考えがあったら言ってください。 その一つの例として私は過日大学局長とある大学の問題でもってお会いしたことがあります。そして、大学の先生にも来てもらって話をしたことがありますが、大学の問題は、われわれがいままでこの場所で論議したような問題じゃないのです。やはりそういう一般論的なものが解決をしていかなければならぬのじゃないかと思いました。学長あるいは総長というようなものは、文部大臣あるいは大学局長としょっちゅう接触しておるのかと思ったら、全然そういうものはつくられておらない。大学の学長や総長はその場でもってかってなことを言っている。文部省のほうでは何とか接触をはかりたくても交流がはかれない。そして、学長は学長でもって、学内でもってまず自分の周辺にあります教授だとかそういう人たちと人間的な接触というものを深くやっているか。やっていないのです。そこにも断絶がある。その教授と学生の断絶をなくせなくせと言ったって、もとがもとだからできないわけです。学長も教授あるいは職員とほんとうに胸襟を開いて話をする、学長が大学だけにおさまっているのではなくて、文部省にもしょっちゅう来て交流をはかる、大臣は大臣で、私のいまのように思い切って、自民党がどうであろうと、政府がどういう考えであろうと、やはり教育行政官としてはそこまで思い切っていかなければ、一切の教育界を動員することはできないと思うのです。そういう動員の中でこの問題を解決をしていかなければいけないのじゃないか。私は先日ある大学の問題で詳細話を聞いた。きょうもその話の中の人間が出てきておりますよ。問題を起こすような人間、そういう人たちは学生とほんとうにひざを突き合わせてやっているわけです。学生は学生でもって単位をとって社会へ出てどういう地位につこう、そういうものからやはり価値観の転換から脱却しております。だから、自分の主義主張というふうなものを強く考える人間は、この人ならばといって門をたたくわけです。学生のほうから、自分の人間形成のために、人間的な接触をはかろうとしておる。たまたまそれがある思想を持った先生やあるいは教官であれば、その影響力というのはどんどん強く入っていくわけです。あるいはそれが連合赤軍をつくったのかもしれぬ、あるいは今度のあの国際的な暴力行為が生まれたのかもしれぬ、私はそうも考えるのです。だから、問題を起こすほうは、どんどん人間的な接触を深めていく中でもって問題を彼らはきわめていく。だから、ときには主義主張と比べれば人間の命などというものはたいしたことはないじゃないか、そういうのも出てくるのかもしれません。ところが一方、それを何とか是正しなければならぬというほうは、お互い大臣は大臣、あるいは学長は学長、教授は教授、それぞれのところでもっていま困っている状態なんです。一歩も自分から抜け出ることができないような状態なんです。私は、それをまず高見文部大臣あたりは、中教審答申なんかの問題にもそういうところを積極的に見せてもらえるんじゃないかと思っておったのですが、残念です。できてもできなくても、それを一歩前進するところに、中教審の姿勢を直す、性格を直すという仕事があったんじゃないかと思うのですが、大臣いかがですか。
○高見国務大臣 御指摘のとおり、私も大学の学長とひざを突き合わせて話をする機会が非常に少ないのであります。まあ国立大学の授業料値上げの場合には極秘で数回国立大学の学長とお目にかかっておりますが、非常に少ないことを私も残念に思っております。 ただ大学には一つ文部省に対するアレルギー的な感覚があること、これもまあ当然だと私は思いますけれども、そういう傾向がなきにしもあらず、むしろあると申し上げたほうがいいんじゃないかと思います。この壁を打ち破って——予算のときだけは非常に熱心に、大学は文部省へ足をお運びになるようですが、その他の問題については、文部省と提携してなどということはできるだけ避けたいというお気持ちのようであります。が、それではほんとうの、共同して一緒になって教育というものを進めていこうという体制ではないということを私も痛感をいたしておるのであります。 将来この問題は真剣に大学当局と——大学と申しますと、大学局では大体事務局長を対象にして論議しておりますが、事務的な問題では私はないと思います。ある大学を、私どもの大学ではいまこういう問題に悩んでおるという問題に、それじゃ文部省で金を出すとするならばこういう出し方をしてみようか、あなたのほうではひとつこういうふうにやってくれんかということで、ざっくばらんに話し合える状態をつくりたいということが、実は私は非常に大切な問題じゃないかと思うのです。 私が日教組の槙枝君と会談をいたしましたのも、長い間の断絶を、主義主張は別といたしまして、とにかく現場で子供を預かってもらっている先生方の団体でございますから、これを抜きにして日本の教育を論議することはできないという考え方でお目にかかることにいたしました。いたしましたが、私はいま小林先生のおっしゃるような意味における大学というもののあり方につきましては、大学人に大学を管理していく能力がほんとうにあるのかということをいろいろな大学人に聞いてみますと、実は大学の教授というものは自分の講座の研究に専念するのが本来の姿だという教授もあるのであります。これが日本の教育のある意味においては不幸であり、ある意味においては日本の学術の非常な大きな進歩に貢献をした原因であるという感じも私はいたしておりますけれども、少なくとも教育行政の任にあります私といたしましては、文部省の立場から大学の教官あるいは学長には絶えず接触を持つという姿を何としてもつくらなければならぬと考えておるわけであります。そういう意味から申しますと、大学の教官各位が文部省に来ることは、雑談に来るくらいの気持ちでおいで願ってけっこうだと思います。そういう意味で、教育論議を吹っかけてやろうというおつもりでおいでになるような状態をつくることが、何よりもいまの状態においては大切じゃないかと考えております。また、そういう状態をつくらなければ、大学と文部省はますます断絶するということでありますし、この断絶が学長と教授間の断絶であり、教授と学生間の断絶であり、ひいては親と子の断絶になっておるというのが現実の姿ではないか、こういうように考えるわけであります。 長い伝統が大学の自治というものはあくまで尊重するというたてまえになっております。したがって、文部省のお指図は受けない——別に指図しようと思っておりませんけれども、指図は受けないという非常に強いアレルギー症状があることは先生御承知のとおりであります。これはもっと——権利だとか義務だとかいう何かがつがつしたようなものでなしに、何とかしてくれ、私の大学ではこの問題で困っている、何とかしてくれということを、すなおに言っていただけるような事態をつくりたいものだというのが私のいま考えている願いであります。
○小林(信)委員 もうほんとうに大臣の人間的な面から、あるいは考え方から、われわれしょっちゅう接しておりますから、いまのおことばの中からも十分うかがえるわけでありますが、もう大臣という肩書きとかあるいは局長という肩書きとかいうふうなものを除いて、人間としての、そういう各機関の立場という点で人間的な交流、接触というものをうんとやることが、いまのような問題の大きな解決の力じゃないか。私はそんなに大学局長を信頼しておらなかった。しかし、先ごろの話を聞いてみて、実に深いところまで考えてはいるけれども、そういう断絶的なものをもっと解消する機会あるいは方途、そういうものがないということを、私は第三者として痛感をしたわけです。それから、大臣がアレルギーというふうなことばを言ったんですが、そのアレルギー的なものをこの際どうして打開していくか、それ以外に私はないと思います。 それから、大臣から日教組の問題も話がありました。大臣になってからおそらく日教組と接触を——あなたが接触すれば、それが自民党内に大きな波紋を描いて、大臣としても何か苦境に立つようなことをわれわれは陰ながら聞いております。しかし、大臣がそれをやろうとしておられて、先ごろも会われたのを私も聞いております。そうしてその内容も、いま学校教育法の一部改正というものが論議されているけれども、世間では単に教頭に反対するんだ、日教組は教頭に反対するんだというようなことで問題を見ておりますけれども、話し合った大臣には、おそらくそんなものじゃないというふうなことをお考えになられていると思います。やはりそういうところから事態というものをいい方向へ解決していくことが私は大事と思うのですが、残念ながらまだ高見文部大臣、もっとやってほしかったと思うのですが、なおそういうものを文部省にしっかりこの際残していただきたいと私は思います。 〔河野(洋)委員長代理退席、委員長着席〕 実は、やはりいま問題になっております問題として、一般質問が許される中で私はどうしても取り上げなければならぬのは、最近、毎日毎日のように学校の児童生徒が光化学スモッグの問題でやられておりますが、これは私はただ光化学スモッグだけの問題でなく、公害に対して文部省がどういうふうに対処してほしいかということをお願いをし、お話を聞きたいわけでありますが、時間がありませんので、一方的にしゃべらしていただきます。 やはり文部省の責任としては、その発生するあるいは被害を生ずる、害を与えるものに対する研究というふうなものが、これは文部省の大きな仕事だと思います。そうして、子供たちがそういう被害を受けないようにする対策を講ずることが文部省の仕事だと思いますが、大臣がせっかくおいでですから、この前私はその点について申し上げたんですが、子供の健康を管理する学校の体制というのは、これは教育の大きな分野だと思いますが、それを扱っておりますのは学校医ですね。あるいは歯科医あるいは薬剤師というふうなものが大体健康管理の役職になってこれがきめられております。ところが、その学校医が年間どれくらいの報酬で働いているか、大臣は御存じですか。三万か四万で働いている。だから私の県では、先ごろ学校歯科医が歯科医返上の運動を起こしました。ここら辺も考えなければならぬことだし、あるいは養護教諭を各学校に設置しなければならぬけれども、これが完全でないことも事実であります。そういうふうに、医者の問題もだいぶこの委員会では論議されておりますけれども、もっと児童生徒の健康管理をするためにはこの問題をどうするかというふうなことを積極的に考えていかなければならない段階だと思います。私の願うところでは、学校医というふうなものは、全く生徒全体の健康診断をして、そしてもう診断書というふうなものを全部持っておって、そして子供の健康管理をしなければならぬが、とてもそんなことはできない。年一回簡単に胸をたたいたり、口をあかしたり、まぶたをひっくり返したりして、それで児童生徒の健康管理は終わりということになっておりますし、それを文部省は黙って見ておって、きょうのような公害の多い中で、健康管理は十分でございますなんて私は言えないと思います。そういう点をこまかく論議をしながら御意見を承りたいと思ったのですが、局長に、当面しております問題に対してのお考えをひとつお聞きし、それから健康管理全体に対して大臣から御答弁をいただいて、終わらしていただきます。
○澁谷政府委員 先生御指摘の学校における保健管理全般の問題の充実強化につきましては、一応昭和三十何年か……。
○小林(信)委員 それはこの前聞きましたから、いまの光化学スモッグというような問題でひとつ具体的に御答弁願って、それから大臣からまとめてお答えを願えればけっこうです。
○澁谷政府委員 今般の問題は、従来の光化学スモッグによる被害と若干違っている傾向がございまして、いま第一次的には東京都の公害局、衛生局でその原因の究明に非常に努力されております。それから、環境庁でもそれを待って原因の究明をやろうといたしておりますが、いずれにいたしましても、現実に学校の生徒が被害を受けておるわけでございまして、東京都の教育委員会とも連絡をとりながら、できる限りのことをやっておるわけでございます。やはりそういう大気汚染その他による被害のほかに、生徒が最近朝めしを食べてこない、そういう生徒に被害が多いとか、いろいろ御指摘のような保健管理全般につきましてさらにいろいろ注意しなければならぬ問題があるかと思っております。
○高見国務大臣 小林先生のおっしゃるのはこういうような問題だろう思います。ほんとうに学校医あるいは学校歯科医の処遇というのはばかにしたような処遇で、これで児童の保健を管理ができると私も思っておりません。いわゆる学校保健予算につきましては、ことにこの問題は考え直さなければならぬ時期が来ていると思っておるわけでございます。公害全体につきましては相当の予算を見ております。たとえば管理局で七億幾ら、体育局で一億二千万というような予算を見ておりますけれども、実は学校の保健管理の問題につきまして、それじゃ学校医はどうなっておるのか、学校歯科医はどうなっておるのかということになりますと、先生御指摘のとおりでございまして、これでいまの児童生徒の保健管理ができるわけのものではないということは、私自身も承知をいたしております。御趣旨に沿うて十分検討をいたします。
○丹羽委員長 本会議散会後再開することとし、この際、休憩いたします。 午後一時五十五分休憩 ————◇————— 〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕