文教委員会 第7号
- 発言数
- 105 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1972/04/12
会議録
○丹羽委員長 これより会議を開きます。 この際、小委員会設置に関する件についておはかりいたします。 先ほどの理事会の協議により、文化財保護に関する調査のため、小委員十一名よりなる文化財保護に関する小委員会を設置いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○丹羽委員長 御異議なしと認め、さように決しました。 なお、小委員及び小委員長の選任につきましては、委員長より指名いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○丹羽委員長 御異議なしと認めます。 それでは、小委員に 久保田円次君 塩崎 潤君 谷川 和穗君 野中 英二君 松永 光君 森 喜朗君 吉田 実君 川村 継義君 小林 信一君 山田 太郎君 鈴木 一君以上十一名の方々を指名いたします。 なお、小委員長には久保田円次君を指名いたします。 なお、小委員、小委員長の辞任の許可及び補欠選任並びに小委員会において参考人から意見を聴取する必要が生にました場合、その人選等所要の手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○丹羽委員長 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。 ————◇—————
○丹羽委員長 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、これを許します。新井彬之君。
○新井委員 きょうは委員の皆さま方のお許しを得まして、文化財保護の件に関しまして若干の質問をさしていただきたいと思います。 文化庁は参っておりますね。それでは、まず初めに大臣にお伺いしたいのでございますけれども、わが国におきましては、文化財保護法をはじめといたしまして、文化財を守るという件については種々の法律があるわけでございます。現在いろいろのところで、文化財保護のために、多くの国民の皆さま方の協力を得て、その保護に努力を払っておるわけでございますけれども、実際問題として、現在開発か保存かということについては非常に問題になっておるところがたくさんあるわけでございます。明日香村の件におきましても、いろいろな制約があるために非常に生活がしにくい、そういうようなこともいろいろあるわけでございますけれども、そういうことにつきまして、文部大臣といたしまして、文化財保護とそういう個人の生活の不自由さと申しますかいそういうことにつきましてはどのような調整をとっていかれることが妥当なのかという件について、まず初めにお伺いしたいと思います。
○高見国務大臣 日本の文化財は日本国民の歴史的な遺産であります。これを保護し、これを保存するということは、日本民族のこれからの行き方というものに対して非常に大きな意義があると考えております。 ただ問題は、こういう産業開発の時代におきまして、文化財というものがややもすれば開発の面においてこわされるという事態が実は至るところに起こっておるのであります。そこで、この開発と文化財の保護というものとは実は二律背反する状態になっておりますけれども、文化財の中でほんとうに日本国民の伝統と日本国民の歴史を守る意味において大切なものは開発より優先して考えなければならぬ、こういう考え方に立って文化財保護法というものが成立され、それに基づいてやっております。ただ何でもかんでも、文化財だからこれはつぶすわけにはいかないというほど偏見に立っておるわけではありませんけれども、少なくとも日本民族の文化的遺産についでの重要性というものについては、私ども真剣にこれを考えておるつもりであります。
○新井委員 そこで、お伺いしたいのでございますが、特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準というものがございますけれども、これは昭和二十六年五月十日文化財保護委員会告示第二号ということになっております。その「史跡」の中で「左に掲げるもののうちわが国の歴史の正しい理解のために欠くことができず、且つ、その遺跡の規模、遺構、出土遺物等において、学術上価値あるもの」こういうぐあいにうたわれておるわけでございます。その中に、都城跡であるとか宮跡であるとか太宰府跡であるとか城跡であるとか古戦場その他政治に関する遺跡、こういうぐあいにいわれておるわけでございますけれども、特別史跡は「史跡のうち学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの」こういうぐあいにいわれておるわけでございます。 そういうわけで、一つ一つの史跡を指定いたします場合におきましては、そういう内容等いろいろ検討されると思うわけでございますけれども、一つの例をあげまして、たとえていいますと姫路城跡でございますけれども、文化財保護委員会の指定文化財総合目録、これは昭和四十年三月の資料でございますが、それを見ますと、姫路城跡は、所在地は姫路市本町である。指定年月は昭和三年九月二十日、それから地域の一部の指定追加というのが昭和十六年七月二十六日、それからなおまた、二十七年の三月二十九日に地域の一部指定が行なわれております。そうして三十一年の十一月二十六日に特別史跡ということになったわけでございますけれども、この地域がどんどん広げられてきた。そのたびにいろいろと学術上の価値が高くて、「わが国文化の象徴たるもの」ということで、そういうぐあいに一部の地域追加が行なわれたわけでございますけれども、そのきめられたときの議事録、こういうわけでそういうことになったという議事録等があるのかどうか、また、それはどういう理由で指定されたかということをお伺いしたいと思うわけでございます。これは簡単でけっこうでございますから……。
○安達政府委員 姫路城跡の史跡の指定のことでございますが、昭和三年の九月二十日に史跡が指定されましたのは、内堀の中、内郭と申しますかその部分と、それから中郭の土塁の部分が史跡に指定されたのでございます。それから昭和十六年に一部、中郭の土塁の一部の追加がございまして、昭和二十七年にその中郭の中の土地を一応全部史跡に指定した、こういう経過でございます。それから昭和三十一年に特別史跡ということでございます。 この姫路城は、御案内のとおり天下の名城でございまして、また城としての全体の遺構が最もよく残されておるところでございますので、これを全体的に保存をする、こういう観点で地域が追加指定されたものと承知いたしております。
○新井委員 そうしますと、さっきもお話ししましたが、史跡のうちで学術上の価値が高く、確かに姫路城そのものはそういうことはわかるわけでございますけれども、この地域までがこうなんだというような、きめられたときの議事録というようなものはあるわけですか。
○安達政府委員 議事録というような会議の議事の進行をしるしたものはございませんけれども、それぞれ指定いたしましたとき、追加指定をいたしましたときの指定をするについては、文部大臣からの諮問がございまして、それに理由が付せられておりまして、その理由に従って審議会で審議をし答申をするわけでございますので、その理由書というものが公式のいわゆる記録というべきものだと思います。
○新井委員 それではあとでその理由書をまた見せていただくといたしまして、そういう史跡に指定された地域におきましては——姫路城は国宝ということになっております。そういうわけで、現実は姫路市が管理をまかされておるわけでございますけれども、そういう姫路城がいたんだ場合に、一体それを直すのはやはり姫路市がやらなければいけないのか。これはやはり国宝として、国の財産として国が当然しなければならぬ、こういうように思うわけでございますけれども、そういうところのお考えをお聞かせ願いたいと思います。
○安達政府委員 この城につきましては国有財産でございます。そして、その管理につきましては、管理団体として姫路市を指定をいたしておるわけでございます。この修理につきましては、国宝の国有財産の場合に、全額国でやる場合と、若干地方公共団体にも負担してもらうという例があるように思っております。
○新井委員 姫路城が非常に雨漏りがしておるということが再三管理者の姫路市から文化庁のほうへ、これは何とかしないと非常にいたみが早い、そしてまた、ほっとけばそれを直すのにはばく大な金がかかるというようなことで、再三申し入れがあったと思います。そういう点については御存じでございますか。
○安達政府委員 私は直接いままでちょっとその話を聞いたことはございませんけれども、先ほど申し上げましたように、天下の名城でございますから、もしそういうことがあるならば、すみやかに修理を行なうべきものだと考えております。
○新井委員 じゃ、その件についてはもう少しお話ししておきますけれども、ちょうど昨年の八月に管理事務所がいろいろ姫路城のことを調査したところ、天主閣の西方の夕の櫓から千姫化粧櫓に至る間の西の丸百間廊下の屋根が長さ五十メートルにわたり約八千枚のかわらがひび割れ、雨水がしみ込んで野地板が数カ所腐食していることがわかった、こういうことでございます。これについては文化庁のほうに申し入れをして、直していただきたいということでございましたけれども、本年度の予算には入っていないように聞いておるわけでございます。 そういうわけで、この分については、前に修理いたしましたときに、このところはまだもつだろうということで補修がされないで昔のままで残されたところである。これは市のほうとしても何とかしなければいけないといいますけれども、地方公共団体としてはなかなか財政的な困難さがございますのでできない。私は、当然国宝として、国の財産といたしましてこれを直さなければならぬと思うわけでございますので、先ほど答弁がありましたようにひとつよろしくお願いしたいと思います。 そこで、文化財が広くわが国文化の向上に役立つことは十分理解し得るところでございます。しかしながら、わが国においては、憲法で財産権の保障がなされておりまして、国家権力による恣意的制限は許されない、このように思うわけでございます。したがって、文化財の保護も、憲法との関連において考察されなければならないことでありまして、このことは文化財保護法の第四条あるいは七十条の二等の規定で確認がされておるわけであります。このように考えますならば、文化財保護法の適用及びその運用はきわめて慎重にしなければならない、このように思うわけでございます。すなわち、第一には個人の財産権の侵害の問題であり、第二には公益との調整の問題である、このように考えます。 第一について見れば、所有権を有する土地における唯一の建造物の制限ということの意味はきわめて重大であるわけであります。土地の所有権の内容は、元来その土地を自由に利用し得るところにあるから、そこにいかなる建造物も許さないことは、所有権の実質的内容を空洞化することでありますし、もし文化財保護の見地から何らかの制限を加え得るとしても、それは合理的にして必要最小限度のものでなければならない、このように思います。したがって、もし何らかの制限をするのであれば、当然所有者やその利害関係者たちの意見を十分聞き、かつその処置は総体に公正なものでなければならないと思うわけでございます。 私がこういうことを申し上げますのは、実は先ほどから申し上げておりますように、姫路城の周辺におきましてはいろいろな建物があるわけでございます。その建物は私有地である、あるいはまた県有地である、あるいはまた国有地に分かれておりますけれども、やはりいろいろな建てかえをするような場合において、ほかの地域は建てかえの許可があった。しかしながら、例を一つあげてみますと、姫路の商工会議所なんかは許可が全然ない。許可というか、許可にするか不許可にするかという返事すらないということです。そういうわけで、当然世間一般の方が考えて、このことについて、隣が建つならばこっちも建っていいんじゃないかと思われるようなところが許可がないというようなことでございますけれども、やはりその場合においては、こういう理由で許可しないんだというような、明快なそういうものがなければ、だれも納得しないんではないか、協力のしようもないんではないかと、こう思うわけでございますけれども、そういうような件について御所見を承りたいと思います。
○安達政府委員 御説のとおり、所有権は尊重されなければならないわけでございます。文化財の保存ということと所有権の尊重ということがなかなか調和がむずかしいと、これは大臣からも先ほどお話があったとおりでございます。そこで、その調和点を見つけるメルクマール、基準といたしましては、まずその史跡の価値といいますか、そういうものがまず第一の問題だろうと思うわけでございます。そして、その史跡の価値と所有権その他の財産権との調整を考えていくのが第一点でございます。それからまた、その所有権の制限をする場合におきましても、必要な方法によりまして所有権を尊重する具体的な他の代案等も考えていく、こういうことが第二の点であろうと思うわけでございます。 そこで、この姫路城の跡の問題でございますけれども、これは特別史跡という、とりわけ重要な史跡になっておるということがまず第一として考慮されなければならないと思うわけでございます。しかしながら、実際のその問題に即してみまして、所有権その他の公益との関連も考えなければならないということで、この特別史跡姫城跡をどのように整備していくかということにつきまして、昭和四十二年に、国、県、市——国におきましては当時文化財保護委員会でございます。それから建設省、それから兵庫県、姫路市の関係機関から協議会を構成いたしまして、これは特別史跡姫路城跡周辺地区整理促進連絡協議会というところで整備計画案を作定いたしたわけでございます。そしてその中で、国の特別史跡の指定地の中で、特にこの史跡としての整備をはかっていくというところをさらに限定をいたしたわけでございます。史跡の指定地はいわゆる内郭の中でございますが、その内郭の中でも、主として道路にはさまれました中を中心といたしまして、この史跡としても特に価値のあるものと、特に特別史跡の中でもさらにまた価値のあるものというところを選びまして、そういうところはなるべくその建物を除去して、史跡としての復元といいますか整備をしていく、こういう方針を立てたわけでございます。 しかし、その整備といいましても、堅固な建物等がある場合には直ちにはいかないので、改築その他のある機会を利用しながらある程度の長期計画で整備をしよう、こういうことでございまして、姫路の商工会議所につきましては、昭和四十四年の七月に、会館が老朽化いたしておるのでということで、改築の許可申請が文化庁に出されたのでございますが、文化庁といたしましては、申請地が姫路城のうちの重要な地域に位置するというようなこと、これは御用場会所と申しますか直轄地ということで、ここに番所というようなものもあったとかいうようなことで、非常にポイントをなす場所であるということからいたしまして、また、先ほど申し上げました整備計画の案ということからいたしましても、これは好ましくないということで、改築は認めがたいという方針を同会議所に再三申し上げておったわけでございます。さらに、実は昭和四十五年にこの建物から火が出まして、二階と一階の半分が焼けてしまったわけでございます。したがいまして、この際建物もそういう状態になるから、今度お建てになるときはもう外に出て整備に協力をしていただきたいということを、私ども再三にわたりまして口頭または文書をもってお伝えをいたしておるというのが実情でございます。
○新井委員 いまお話がございましたけれども、文化庁あるいはまた県、市、教育委員会という方々が努力をされて、整備をされようということでいろいろとおやりになっていることは承知しておりますし、また当然ではなかろうかと思うわけでございますが、要するに、その四者会議とか六者会議とかいわれているものの法的根拠といいますか、そういうものは一体何になっているのかということが一つと、それから先ほど、老朽化したものについてはこれを建てかえのときに規制をする——何とか立ちのいてもらおうというような意図だと思いますけれども、昭和四十一年三月から昭和四十五年七月に至る四年有余の期間において、この特別史跡姫路城址地内の原状変更許可申請というのが三十八件にのぼっておりますけれども、そのどれも大体一カ月ないし七カ月の間に許可を与えている、こういうぐあいに聞いておるわけでございます。商工会議所だけが特別に何か大きいものを建てかえる、あるいはまた、何か風変わりのものを建てかえるというようなことではないということを聞いております。私も近くをよく通りますけれども、隣には護国神社がありますし、あるいはまた労働会館、裁判所、そういうようなととろがありまして、今後二十年も三十年ももつような鉄筋の建物もあるわけでございます。そういうようなことから考えまして、なぜ商工会議所だけ許可が与えられなくて現在に至っておるのかということについてお伺いしたいと思います。
○安達政府委員 原状変更の許可申請に対しまして許可をいたしましたのは、先ほどの整備地区外の場合と、それから整備地区内でごく臨時応急のものというようなものでございまして、商工会議所自体につきましても、一部の仮設の建物等については許可をいたしておりまして、これは本建築というものでは許可しないということを再三申し上げた上で、その期限等も切りまして許可をいたしておるということでございます。恒久建築物につきましては、この整備地区については認めがたいという方針で前から申し上げておるわけでございまして、すでにその中の一部の個人の土地で、西播米穀という米屋さんがございますが、この方の分は土地を一億円余で購入をいたしたわけでございます。したがいまして、商工会議所等につきましても、お移りいただくならばこの土地は買い上げます——市が買い上げましてそれに対して国と県が補助をするということで、この土地については買い上げるということを、再三お約束申し上げておるところでございます。
○新井委員 もう一点、さっきの四者会議、六者会議のほう……。
○安達政府委員 礼失いたしました。 この機関は、別に法律の根拠に基づくものではなくて、文化庁が原状変更の許可の申請があった場合にどういう対処方針でいくかということをきめるにつきまして、先ほどお話しございましたように、国家権力というか国の方針だけできめるのじゃなくて、県と市と教育委員会、こういうほうと十分相談して、現実的でしかも可能で県や市の御協力をいただける案をつくる、こういうためのもので、別に法律によるものではなくて、行政上の便宜のために設けられたところの協議会であります。
○新井委員 先ほどお話がありましたけれども、県であるとか市であるとかが代替地をさがしているというようなことで、それもそういう会議でいろいろと検討されたと思いますけれども、文化庁から商工会議所への返答の中に「貴所新築場所については、姫路市において鋭意代替地の斡旋に努力する旨を約している所でもあり」というような文書をいただいておりますけれども、商工会議所にとりましては非常に重要な協議ということになっております。それは秘密で行なっているわけじゃないでしょうけれども、商工会議所はつんぼさじきに置かれて、そして原状変更の許可申請以来二年八カ月に至るまで——いま次長が答弁されましたのは四十六年のことだと思いますけれども、四十三年にその原状変更の許可申請が出まして、その間文化庁は、県の教育委員会を通じまして、好ましくないから建てかえはできないという通知を出す。そうすると今度は、県は市に対して、文化庁から好ましくないということだからそのように言っていただきたいということで通知を出す。そして市のほうから商工会議所にきておったわけでありますけれども、それも内容的にはただ好ましくないというようなことで、二年八カ月も何ら直接返事がなかった、こういうことであると思いますけれども、公式、非公式を問わず、そういうような計画とか、あるいは代替地をあっせんしてこうするというような努力に接したことはいままでないわけなんです。そういうわけですから、そういうことが協議あるいは約束された年月日であるとか、あるいは場所とか、あるいはそのとき居合わせた方の氏名、どういう方々であったのか、あとでまたお聞きしたいと思いますので、おわかりになっておればお知らせ願いたいと思います。
○安達政府委員 正式な関係だけ申しますと、昭和四十四年の七月に改築についての許可申請があり、そして昭和四十四年の九月二十日に指定地の保存上好ましくないという旨の通知を出したわけでございます。それから四十五年に、先ほど申し上げましたように焼けたわけでございます。その後、四十五年の四月ごろに私のところへ会頭の竹田さんが二、三回おいでになりまして、ずいぶんと話し合いをいたしまして、その際、この一部のプレハブの問題等がございまして、私のほうといたしましては、この使用期限を四十七年の三月三十一日までとして、期限終了後三カ月以内に一切の建物を自費で撤去すること、一切の付属建物を設けないということを条件にして許可をするということで、私どもも、ただこれは文書でやるだけでなくて、会頭にも直接お目にかかり、詳しくお話しし、御了承を得ましてそういうようにいたしておるわけでございます。 なお、それから現地におきますところの会合等の記録あるいは往復文書等もございますけれども、いろいろこまこうございますので、あとでまた詳しくお話しをいたしますが、それで私どもといたしましても、県、市、商工会議所、文化庁ということで、みんなで集まって会議をしようということを再三申し上げておるわけでございます。いまのところは、私どもの四者でなくて、県、市、商工会議所の間で話をするからもう少し待ってくれという話で、私どもは、いつでもいいから、直接みんなで話し合いをしましようということを再三申し入れているところであります。
○新井委員 文化庁がそういう前向きなことであるということを、商工会議所の会員の方々がよく納得されていない面があるかもわかりません。そういうわけで、これはいろいろな御意見があろうかと思いますけれども、やはり文化庁としてどんどん出かけて行って——いまそういう姿勢でございますので、非常にけっこうだと思いますけれども、そういう点はよく話し合っていただきたいと思うわけでございます。 そこで、さっきの話にちょっと戻りますけれども、そういうような一連の許可申請というものが出てまいった場合に、もう一点聞いておきたいのですが、文化庁は県の教育委員会に指示をする、そして今度は教育委員会は姫路市のほうへ指示する、それから姫路市が今度は商工会議所のほうに通達をする、そういう何か直接にワンテンポでいけないような感じがするわけでございますけれども、一体、そういうやり方をするというのはどういうことなのか、お聞かせ願いたいと思います。
○安達政府委員 文化財の保護につきましては、文化庁が最終的な責任を負うわけでございますけれども、その処理につきましては、県の教育委員会を経由すべきものというのが、文化財保護法等でも規定されておりますので、それと市とこれは非常に関係があるわけでございます。たとえば土地を買い上げするだけにしましても、市が買い上げをして県と国が補助する、こういうことでございまして、実際の施策の実施は、まさに国、県、市が協力しなければできないわけでございますので、私どものほうとしては、そういうように県、市の連絡を十分よくするということでございます。 ただ、いまおっしゃいましたように、文書としてはそういうように流れていきますけれども、実際には、直接にお電話申し上げたり、また、お会いいたしましたりして、十分意を尽くすように努力をいたしておるわけでございます。
○新井委員 いま次長から答弁があったことはよくわかります。したがいまして、それはそれなりに県なり市に文化庁のほうとして、こういうことがあったのでこういう返事をしておいたということは、当然そうだと思いますけれども、何も回り回ってやらなくても——それも何も、それが何か予算を伴う問題であるとか、買い上げの問題だとか、そういうようなことじゃなくて、好ましくないからだめだというわけなんでしょう。それを言うだけにおいてそういう通達を直接しないというところ、こういうところで非常に混雑が起こっている。したがって、何回言っても文化庁から返事が来ないということで手紙がまいったんじゃないですか。手紙というか、そういうような文書が商工会議所から何回も出されているんじゃないでしょうか。そのことに関してはどういうようにお考えになっておりますか、今後のこともありますから……。
○安達政府委員 一部行き違いと申しますか、市のほうから商工会議所に手紙を渡した、いや渡さないという、何かその辺のことが一部あるようでございます。その辺は、現地の問題でありますが、私どものほうといたしましては、もう一つの問題は、県とそれから市が現状変更の申請がございましたときに、副申としてそれぞれの意見をつけてくるわけでございますが、県と市二つとも、その副申で、好ましくないという意見を添えて文化庁に提出してございました。したがって、やはり県と市も文化庁も同じ意見であるということを知らせなければいけないということも一つあると思います。それから、先ほど申し上げましたような通常のルートでいくと、県、市を通じていくという問題、それをやった。それから、まだ私のほうで直接その点を商工会議所にも、こういうことで返事をしておいたからいずれ文書が届くからということを、さらに念には念を入れて文書を出していくということも——望ましいといえば望ましいと思いますけれども、最初のときはその手続はしておりませんでした。私は、そういうようないろいろな行き違いもあるから、なるべく正式の文書としては、いまのような正式のルートを通っていくけれども、こういう文書を出しましたことは、直接にもインフォーマルな形で知らせて、なるべく相互の意思の疎通をはかるようにすべきものだということで、最近はそういう方針で臨んでおります。
○新井委員 さっきも答弁があったのですけれども、いままでは好ましくないという文書だけだったのですけれども、それでは納得できないということで、「申請地が姫路城の内郭大手と搦手とを結ぶ地域で、姫路城の防禦上きわめて重要なところであった場所であるとの歴史的意義にかんがみ、申請の現状変更は、好ましくない旨」通知を出したのです。この姫路城史というのから見ますと、御用場というのは現在護国神社があるところ、ちょうど大手門と東屋敷との間の内堀の外側にあった。それから御用場のすぐ東隣には会所、これが現商工会議所ということになっておるようでございます。その裏手に鍛冶小屋、これは県労働会館、こういうぐあいになっておりますけれども、文化庁は「内郭大手と搦手とを結ぶ地域」ということは、この地域が図面の上でははずれてくるんじゃないか。いまここに図面がありますけれども、ちょっと見ていただかないとわかりませんけれども、要するに、これが搦手で、それから大手もこういうような形になるんじゃないかということですね。そういうわけで、いまこの場で返事はできないということであればあとでもけっこうでございますけれども、その場所を間違っていらっしゃるのじゃないかということを、この姫路城史というのは姫路城におきましては一番の権威のある本だということを聞いておるわけでございますが、ひとつそれを検討していただきたい、このように思うわけでございます。 それからもう一つは、これも先ほど次長から答弁がございましたけれども、本建築の場合は許可しないんだというようなお話でございますが、あの道路沿いの中には、神戸地裁の姫路支部というのがございます。あるいは道路からはずれますが、姫路警察署、あるいはまた姫路市中央保健所、それから姫路郵便局、それから姫路の護国会館、それから関西電力の変電所、それから姫路実業会館、こういうたくさんの建物が、これは大体民間団体が多いわけでございますけれども、そういうものは本建築で、ほんとうに許可申請して許可されている。ところが、そこだけがそうぽんとあくというのは、だれが見ても、その地域はこういう理由で非常に許可しにくいんだということがもっとはっきりしなければ、これは納得し得ないところではないか、このように思うわけでございます。 そういうわけで、これは地図の上で検討しないと、いまここでことばだけでは何とも言いようがありませんけれども、いま言いました、許可されたところは一切今後は関係ない、要するに建て直してもよかったという地域でございますか。
○安達政府委員 おっしゃるように、いま要整備地区内に堅固な建物が建っていることは全く事実でございます。これはなかなか一日にしてきれいにするというわけにもいきませんので、順次長期的にこれを処理していこう、こういうことでございます。したがいまして、先ほどちょっと申し上げましたけれども、西側のほうでございますが、西側のほうの西播米穀のところとかあるいは乳児保育園のところも近くきれいになりますし、それからすぐ隣の東税務所のほうもきれいになりましたし、それから市役所も、市当局はこれを移転する計画である、こういうように言っておられるわけでございます。したがいまして、まだ隣にあるじゃないかということで新しい建物を認めれば、それがまた今後隣のほうが悪くなったときに、また隣があるじゃないかということで、永久にきれいになりませんものですから、改築される機会に順次きれいにしていただくということで、若干時間は要しますけれども、そういう長い目で見て、この姫路城の史跡をきれいに整備していこう、こういうことでございます。
○新井委員 もう一つお聞きしたいのでございますけれども、あの地域を、姫路城というものがございまして、あとは別に、いろいろ理由はあるのでしょうけれども、何も残ってないということで、したがいましてあそこを公園にする。公園にいたしまして花を植えたりなんかするというような計画もあるようでございますけれども、この特別史跡というのは、要するにいま何もないけれども、ここの場所自体が非常に意義があるんだというようなお考えなのか。あるいは石でもひとつ立てて、これがあの当時の意義あるものなんだというようなものなのか。要するに、あの姫路城の周辺ということについては、昔はいろいろ練兵場があったりなんかしたようでございますけれども、とにかく何回か荒らされて、姫路城以外は何も残ってないわけです。そこをきれいに立ちのかせをするということは、この場合は建物に意義があるのか、あるいは土地そのものに意義があるのか、その点、文化庁どのようにお考えですか。
○安達政府委員 この姫路城という建物は、建造物として国宝に指定されておる。八十一でございますか、そういうたくさんの建物が指定をされておるということでございます。それからもう一つ違った観点で、お城の跡として特別史跡に指定されておる、こういうことでございます。そして、この城自体の保存ということは、先ほどお話が出ました修理とか防災、そういうことで保存していけばよいということになるわけでございますけれども、しかし同時に、史跡というものの保存ということから申しますと、その史跡の上に全部建物を建ててしまりて、ただここのところにかつてこういうものがありきということだけでよいかどうか。そこにはやはり史跡を十分思い起こさせるようないろいろな施設もしながら、国民の方々に史跡というものの意味を考えていただく、そういうためには、やはりそこに新しい建物が建たないで、全部空地としてあるということが史跡の保存なり活用の上で必要であろうと思うわけでございます。 それからもう一つは、姫路城のような天下の名城を保存する場合に、その名城のすぐ横に大きなビルが櫛比しておったならば、せっかくの名城が名城らしくなくなる、名城とは見えないというような感情がやはりございます。したがいまして、私どもといたしましては、お城という建物の周辺をある程度の幅においてこれを空地にしてきれいにしていくという必要もある。そういう二つの面から、すなわち史跡として整備をするということと、それから建造物としての国宝姫路城をしのぶに足るように周囲をきれいにしていく、こういう二つの面から、最小限の内郭の中のまたさらに限定された地区を、建物等をなるべく除去してきれいな形にしよう、こういうことでございます。
○新井委員 私は、先ほどからそういう意味において、結局個人の所有権という問題と、あるいはまた文化財保護法等の運用のしかたということについてお話しをしてまいったわけでございますけれども、たくさんのお城がございますが、姫路城は日本の中でも一番原形をとどめて残ったものだ、そしてまた、それにはたくさんのお金をかけて一つくらい残そうというようなお考えだったのかはわかりませんけれども、ほかのお城の跡というのは一それは開発されていない山の奥の城などは別といたしまして、そういう都会地のところで、お城のここは何だったんだということで残しているような例というのはほかにたくさんございますか。
○安達政府委員 姫路城が城として一番りっぱではございますけれども、また姫路城と並んで、たとえば松本城とか熊本城とかあるいは松江城とか、そういう名城がございまして、そういうところは、その城自体の建物だけでなしに、その周辺等もなるべく整備をしていく、こういう方針でございまして、その間やはり同じような問題が出てきておるわけでございます。それにつきましてはなるべくひとつ御協力いただいて、特に公共的なようなもの、市役所とかあるいは商工会議所のような、そういう公共的使命を持っているようなところはなるべく御協力をいただく。そして、その場合には必ず建物等のあるところの土地は買い上げをいたしまして、その実質的な損害が生じないようにして御協力をいただく、こういう方針でございます。
○新井委員 確かにそういうたくさんの建物があって、そうしてそこの土地がほんとうに昔のままに残るということならば、これは何も問題はない。これはみんなも協力をし、喜ぶことであろうかと私は思います。しかしながら、いままで、たとえていいますと、商工会議所の土地におきましても、あれは昔国有地であったものが払い下げを受けた。そこを私有地として、今度はそこでいろいろ経済活動を始めている。ほかの地域もあの近辺は大体そういうふうになっておろうかと思いますけれども、こういうふうにだんだん混雑をしてきて、そういう面の運用が非常に問題になっておるおりに、ただそこを史跡としてちょっとでも間隔をとるというようなことでは、これは納得できないんじゃないか。 それから、確かに名城は名城でございます。見えることは非常にけっこうでございます。確かにそうでなければならぬと思いますけれども、商工会議所があそこにいままで建っておったから、それが非常に史跡の保存上不都合であったんだというようなことは、一体いつごろから言われて、現実の保存上どういう好ましくない状態になったのか、その点についてもうちょっと御説明願いたいと思います。
○安達政府委員 商工会議所がありまして何か不都合があったとかそういうことは別にございません。ただ、史跡というものを保存する場合に、その史跡という場所が史跡としてしのぶことができるようにできるだけそういうものにする、こういう方針を立てておるわけでございます。したがいまして、たとえば商工会議所のみならず、実は御案内とは思いますけれども、姫山住宅の場合にはたくさんの住民の方々がおられたわけでございますけれども、そういう方々にも同調していただいて、ほかに市営住宅を用意いたしましてそちらのほうに移っていただくというようなことで、一般の住民の方々にも非常に御協力をいただいたわけでございます。しかも商工会議所のあるところは、歴史的な、場所自体についての問題としても非常にポイントをなしておるところである。そこのことでございますから、ぜひひとつ御協力をお願いいたしたいということでございまして、特に不都合しているから、けしからぬから出ていけ、そういう意味じゃ毛頭ございませんで、史跡を整備するについて御協力をわずらわしたい、土地も買い上げます、場所等もできるだけみんなで協力してあっせんいたします、どうかひとつよろしく御協力をお願いしたいということでございますので、その点はひとつ御了承の上お願いいたしたいと思います。
○新井委員 いま姫山住宅の問題が出ましたけれども、あのときにおきましても、ほんとうに最終的にはそれは文化庁のほうは協力いただいたというようなことで解決をいたしておりますけれども、あのときのいろいろなお話の状況からいきますと、それこそ文化財保護法というのはわれわれの生活権を奪うのじゃないかというようないろいろなことがあったわけでございまして、そういうような面についても、ほんとうに説得というか、そういうものが行き届いてやったということには私は感じられておりません。 それで、この問題につきましては、先ほども図面もお渡ししてありますので、またよく検討していただくといたしまして、先ほど、会頭がもう何回も話して納得しているのだ、これは議員の方々がたくさんおりますからちょっと問題になるかもしれませんですよ、あなたと商工会議所の会頭が納得してやられているということになれば。ということは、商工会議所はやはり正式な議決をもって正式な文書をいろいろ検討中ということになっているわけでございますね。そういうようなことでありまして、これは新聞のことでして、私が直接聞いたわけではございませんが、竹田会頭の話として「会議所用地は私有地であることが文化庁にもはっきりわかっていなかったらしい。なんども足を運んだがはっきりした回答がなく、応急建物の期限も迫っているのでいつまでも不自由な仮住まいで過ごされない。議員間にも強硬な意見が高まっているので早急に決着をつけたい」こういうような記事も前に載ったことがあるわけでございますけれども、その後何回かお話をされて、そして、どんどん解決には向かっていると思いますけれども、そういう点についてもどうか納得のいくそして協力の得られるやり方というものをひとつやっていただきたい、このように思うわけでございます。 最後に、これは昭和四十六年三月五日に山原委員が取り上げました姫路のろう学校の問題でありますけれども、これは前に西岡政務次官が非常に前向きの答弁をいたしました。ろう学校も非常に喜びまして、予算等も県のほうも計上したようでございますけれども、これは次官の勇み足であるということで、文化庁のほうからいろいろそういうお話があってつぶれたというようなことを聞いておるわけでございますけれども、私はあのときの政務次官の発言というものは、ほんとうにいろいろ文化財保護ということに対して大切だということはわかりますが、そうすることもほんとうに一つの道であるというように感じておったわけでございます。私としても非常に喜んでおったわけでございますが、その後この問題について文化庁のほうで具体的な何かお話ございますか。
○安達政府委員 県立ろう学校の移転問題につきましての具体的な案とかその措置については、特にいまのところ私どもは聞いておりません。
○新井委員 いろいろ意見を言っても、それはだめだそれはだめだと言えば、何も意見は出てこなくなるわけでございまして、これはその当時、とにかく県のろう学校でございますから、県としてはあそこに残して、そして気の毒な子供さん方に、あの見晴らしのいい、あるいはまた便のいいところでやらしてあげたいという気持ちもあったわけです。それを文化庁が許可しないということでだめになっておる。その件だけは事実でしょう。文化庁が許可しないからだめだということだけは事実でしょう。
○安達政府委員 まだ県のほうで、どこに建てるかということについての方針を立てておられないように伺っております。つまり、政務次官のお答えになりましたときに、できればひとつ代替地をさがす、代替地をさがす場合については、あるいは現地に建てることになるかもしれない、こういう意味の御答弁でございました。その後の代替地をどういうふうに見つけられたか、あるいはまた、具体的にどういうふうに出すかということについて、県の委員会からはまだ話を聞いておりませんし、県としては一応、先ほど申しました四者協議会と申しますか、あの協議会の中では、あの地域には建物を建てないという方針をとっておられた、こういう意味の条件がございますから、県のほうではいろいろな条件を考えて目下検討されておるところだと思っております。
○新井委員 県のほうからいろいろ意見が出ました場合は、どうか前向きにひとつよくやっていただきたい、このように思うわけでございます。私は、この問題については、きょうは質問はこのぐらいにさしていただきたいと思います。
○丹羽委員長 三木喜夫君。
○三木(喜)委員 新井君の質問に関連しまして、若干質問したいと思います。 いまの姫路城の周辺地区、これは特別史跡になって、これを整備したいというお気持ちはよくわかります。私もこの姫路城の問題では、もう五、六年も前から文化庁、また文化財保護委員会と接触を持って、そしていろいろお話ししておりますから、そういう気持ちはよくわかるのですが、やはりものは対比で考えていかなければならぬと思うのです。いま新井さんの話の中で、姫山住宅のこと、それからろう学校のこと、商工会議所のこと、これをみな対比して話が出たと思うのですが、しかし出ていないのは自動車学校です。これは文化財保護委員会ともずいぶん私はやり合って、こんな特別史跡の中で営業をやることはけしからぬじゃないか、金もうけをやることはけしからぬじゃないかということで、この許可をおろすことはあとに非常に混乱を残す、こういうことを言ってきたのですが、当時の文化庁の事務局長の名前を言うのははばかりますから言いませんけれども、事務局長は、実はあるえらい政治家が仲へ入って、どうにもなりませんのやというようなことで、とうとうあれを許可してしまったわけです。そこで、これはもう期限が十年間ということですが、これはもう許可しないつもりだということをはっきりしておいていただかなかったら、こういう整備の根底がくずれると思うのです。営業は許さないし、商工会議所は前からここにちゃんと位置しておったのですから、たまたま火事で焼けて建てかえたいと、こう言うておるのですから、それを拒否する何ものも私はないと思う。これが一点ですね。次長さん、それとの対比でひとつ考えてもらいたいと思うのです。 それから、山原さんもこの問題で関連していただいたのですが、ろう学校の問題も四者のいろいろ取りきめがなされます。しかし、現在のところでは、現状ではぐあいが悪い、特別史跡の前に出ていますから、大事なところですからもう少しうしろへ引いて、建設省の敷地があるのですね、建設省がかわってもらう、あるいは神姫バスの車庫があるのですが、これもかわってもらうということで、いまのところからうしろへ引いて、そこへ建築をやって、そしてろう学校がすぐにうしろへかわれるということなら、子供たちは建築の繁雑さに巻き込まれないで楽だ、こういうような考え方があるわけです。だから、うしろへ引く、引きますと、ちょうど私の見たところでは、こちらに白鷺中学校がある、城南小学校がある、そしてろう学校がある、三つ学校が同じ線上にそろうわけです。だから、学校はみんな許してあるんだったら、ろう学校を許さぬということは、これは対比においてできないと思うのですね。周辺のそういう協力ができなければ現状より少しうしろへ引いてやる、これはたてまえ上私は少しもおかしいことはないし、文化庁としてどこも気ばる必要ないと思うのですね。その点見解を明らかにしてもらいたいと思うのです。その自動車学校をかつて許したくらいなら、商工会議所は前からあったんですから、これは気ばる理由は私はないと思うのです。関連ですからこの二つだけ聞いおきます。
○安達政府委員 白鷺園といいますか、北側のほうの自動車の教習所につきましては、その許可期限が四十八年の十月ということになっておりますので、十月以後の再使用は認められない、こういうことでございます。 それから、ろう学校の問題につきましては、具体的な案を県としても検討してもらいたい、いまお説のような神姫バスなり建設省の用地等を利用するということもあるので、そういうこともひとつ含めて県で十分検討してもらいたいということは申してございます。まだそれについての具体案が県から出てきていないということでございます。私のほうとといたしましては、この既定方針といいますか、その方針の大綱に合い、しかも全体的なその他の観点を勘案して、そのほうがいいということであればそれを拒む必要はないというように考えておるわけでございます。
○三木(喜)委員 文化庁なんかになってくると、そういう役人的な答弁はやめてください、官僚答弁というやつは。私らもあなたも四者も一緒になって相談しておる焦点は、うしろへ引いて三つが並んだらいいじゃないかというところに私は来ておると思うんです。私もそう思うし、それならわれわれも大いに推進したい、こう思っておるんですから、いいならいい、悪いなら悪いと言うてください。みんなが検討してやってきて、その結果出てきたんです。それをあなた方は、石橋を金づちでぽんぽんたたいて渡るようなものでしょう。それは自分の気持ちを出さなんだら政治は前へ進まぬですから、文化庁もいやならわれわれも進めませんし、地元もやらなんだら、不自由な子供たちは苦しんでおるのですから、いつまでほっておくのですか。もっと教育的な立場、人間的な立場に立たなかったらいかぬと思うのに、いまの御答弁だったらどこに焦点があるのかさっぱりわかぬです。だから、それならよさそうだぐらいな返事はあってしかるべきじゃないか。悪いなら悪いと言うてください、私は進めぬから。
○安達政府委員 実際申しますと、私は神姫バスのほうと市のほうと早く話し合いをしてくださいということを再三申し上げております。
○丹羽委員長 午後一時三十分に再開することとし、これにて休憩いたします。 午後零時二十四分休憩 ————◇————— 午後一時四十一分開議
○丹羽委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について質疑を続行いたします。勝澤芳雄君。
○勝澤委員 私は、最近新聞紙上をにぎわしておる浪速医大設置の不正事件の関係につきまして少し御質問いたしますが、この事件の概況を見てみますと、この設立申請書というものがいかにでたらめなものがつくられておったか、こういうことであるわけでありまして、この設置申請についての文部省の取り扱ってきた経過について御報告を願いたいと思います。
○安嶋政府委員 浪速医科大学設置の申請の経過でございますが、正式の申請がございます前に設立準備財団の申請がございました。申請書の日付は四十六年の一月三十日でございまして、それが二月の十九日に大阪府知事に提出をされまして、大阪府知事のほうにおきまして審査の上、五月四日に文部省に準備財団の申請が提出されております。準備財団の申請につきまして私ども審査をいたしましたが、内容にかなり粗漏な点がございまして、これは許可されないままになっております。その後四十六年の九月三十日付をもちまして学校法人浪速医科大学の正式の申請書が文部省に提出されました。十月十二日に私立大学審議会、十月十四日に大学設置審議会に、法人の寄付行為の認可と大学の設置について、それぞれ諮問が文部大臣から行なわれております。 この私立医科大学の設置関係の事務でございますが、御承知のとおり施設設備の整備状況あるいは教職員組織の整備状況あるいは付属病院に関する事項等は、これは大学学術局におきまして審査をいたしまして、またそうした事柄につきましては大学設置審議会にその可否が諮問されるということになっております。 一方、学校法人の設立認可につきましては、管理局において事務的な審査が行なわれまして、その認可の可否につきましては私立大学審議会に諮問が行なわれるという仕組みでございます。したがいまして、いま申し上げましたように両審議会に諮問が発せられたわけでございます。 その後、私立大学審議会におきましては、十一月十九日、大学設置審議会におきましては十一月二十二日にそれぞれ実地調査が行なわれております。その前後、書類の審査等もいろいろいたしたわけでございますが、管理局サイドの審査の状況について申し上げますと、提出された資金計画の中に重大な欠陥がございました。その理由をもって四十六年十二月十五日の私立大学審議会におきまして全会一致で不可という結論が出ております。で、私立大学設置に関する従来の長い慣行から申しまして、審議会で不可という結論が出ますと申請者に対しまして取り下げの勧告をすることにいたしております。したがいまして、浪速医科大学に対しましても取り下げの勧告をいたしました。取り下げることにつきましてかなりいろいろ渋っておったような状況もございますが、本年の二月十五日に文書によりまして学校法人の設立の申請は取り下げになっております。なお、この大学設置認可の申請につきましては口頭で取り下げの申し出があったのでございますが、取り下げの文書の提出がございませんでしたので、三月二十五日付で不認可の通知を出したということでございます。
○勝澤委員 この事件に対しまして私大の審議会委員の方々やあるいは文部省の関係者に何か不正があるやにこの新聞で出されておるようでありますが、この辺についておわかりになる範囲内で御説明を願いたいと思います。
○安嶋政府委員 私立大学あるいは学校法人の認可につきましては、特に問題が起こりませんように、職員の執務の態勢につきまして、日ごろ厳重に注意をいたしておるところでございます。本件につきましては、実は最初から問題のある申請であるという認識を私ども明確に持っておりまして、職員につきましても、あるいは私立大学審議会の委員に対しましても、この件の取り扱いは慎重な態度で臨むようにということを、特に指示をしあるいは要望をしてまいっております。したがいまして私は、新聞等に伝えられるごとき不正ということは絶対ないというふうに信じております。
○勝澤委員 これとは別に、この医科大学の問題で、福岡歯科の問題が少し新聞でも報ぜられて、あるいは参議院でしたかと思いますが問題が出されましたけれども、その状況と取り扱いはどうなっておりますか、御説明いただきたいと思います。
○木田政府委員 福岡歯科大学につきましては、申請は昨年の九月三十日までに所定のとおり申請が出てまいりまして、他の大学と同様に、大学設置審議会並びに私立大学審議会におきまして審査の手続が進められたわけでございますが、その間、福岡歯科大学の教官として予定しております職員が県立の九州歯科大学から二十四名入っておって、その県立の歯科大学からかなりの数の教官が福岡歯科大学のほうへ転出をするということにつきまして、県立歯科大学の一部の学生側で、教官転出の同意書が一部の教官について無効ではないかというような問題の提起がございまして、授業の放棄その他の騒動が一方において行なわれ、また審査の途中におきまして、職員の就任の意思がほんとうに明確であるかどうかというような点、かなり疑問を感ずるような案件が起こってまいりました。 それらの点から大学設置審議会におきましては、主としてこの福岡歯科大学の教官の組織がほんとうに適確にできるのかどうか。また、その教官を中心にいたしまして大学全体としてしっかりした大学ができるかどうかという点を慎重に審査を進められたわけでございます。一方、九州歯科大学につきましても、設立の当初、一部寄付金の扱いその他につきまして、関係者の疑問を感ずるような記事が新聞その他に報道されました。そんなことから設置審議会におきましても、その資金の出所、その他十分な資金の確保につきましても慎重な検討が行なわれまして、三月十六日の大学設置審議会の最終段階で、大学を新年度開校するものとしてはまだ準備が十分でないということから、継続審査ということに相なった次第でございます。
○勝澤委員 次に、最近愛知医科大学の設置許可が出たようでありますけれども、愛知医科大学についても何か紛争があるという話を聞いておりますが、経過がおわかりになりましたら御説明願います。
○安嶋政府委員 愛知医科大学の問題は二つあるかと思いますが、一つは新聞等で報道されました理事の一人が入学を条件とする寄付金を多額に受け取っておったという事柄でございます。医科大学につきましては、しばしば国会でも問題になりましたように、入学時に多額の寄付金が求められるというような問題がございますので、私どもといたしましては、私立医科大学の認可にあたりましては、入学の条件となるような寄付金は一切取らないという条件を付して認可をいたしておる次第でございます。したがいまして、この件につきまして、愛知医科大学の責任者でありますところの理事長の太田さんにその間の事情を説明を求めましたところ、愛知医科大学といたしましては、さような入学を条件とする寄付金は一切取っておりません、新聞等で報道されておる寄付金の問題は、これは理事の一人が個人的に扱った案件であるというような説明がございまして、私どもはその事件はそういう性質の事件であるというふうに理解をいたしまして、愛知医科大学の説明を了承をしておるということでございます。 それから次の問題は、愛知医科大学の理事の間におきまして、何と申しますか、内紛があるわけでございます。ごく最近の状況はまだ報告を受けておりませんが、この愛知医科大学設立の当初中心的な役割りを果たされておりました重富という理事と、それから現在理事長であるところの太田さんとの間にいろいろ問題があったようでございます。問題と申しますのは、この理事の地位についての問題でございまして、このことにつきましては、裁判所におきましてこの問題が争われておるというような状況でございます。 さらに具体的に申しますと、この理事の選任手続に疑義があって、現在の太田理事長等が正規に理事あるいは理事長として選任されたかどうかということについて疑義があるということが問題の内容でございます。このことは、ただいま申し上げましたように、すでに裁判所におきまして問題になっておる事柄でござ、ますので、その間の決定を待ってこの法人の運営が軌道に乗るということを期待をいたしておるということでございます。
○勝澤委員 昨年から阪大あるいは大阪市大医学部の不正入試事件、それからにせ医者の事件、それから浪速医大等々の事件などを見てみますと、一体何が原因でこういうことが起きるのかという点について、文部省はどうお考えになっておられるか、御説明いただきたいと思います。
○木田政府委員 端的に申しますと、やはり医師の社会的な需要に対して供給が不足しておる、医学教育を受けたい人がまた非常にたくさんおるということであろうかと思います。
○勝澤委員 そこで、医師が不足になった理由は一体何ですか。
○木田政府委員 これは、厚生省のほうからも医務局長見えておられますから、厚生省のお立場でのいろいろな御説明があろうかと思いますけれども、新制大学が発足いたしましてずっと今日に至りますまでの間、他の専門分野におきましては、大学の学生の定員増ということはそれぞれの分野におきまして行なわれてまいりました。しかし、医学の領域につきましては、長い間、一つは戦時中に養成された医師がかなりの数あるということであったかと思いますけれども、医師の数というのは決してそう不足ではないということで、医学部の学生定員増ということはあまり関係者から強い御要請がなく、四十二、三、四、五年ごろまでずっと続いてまいりました。ですから、私立大学といたしましても、医科大学を設置したいという御要請もそれほど強くはございませんし、また、医学部の学生定員を拡大するということにつきましても、どちらかといいますとその必要がないというような感じでの関係者の御意見が強かったかと思います。 そういう関係から、国立大学につきましても、私立大学につきましても、医科大学の設置ということは四十四年まではほとんど行なわれないままで推移してまいりました。一つの大きな変化といたしますと、社会保険の充実拡充、保険制度の充実から、医師の診療を受ける患者数が、昭和三十六、七年ごろから漸次ふえてきたというような経緯があろうかと思います。現在人口十万人に対しまして百二十三、四名だったかと思いますが、の医師数ということになっておるようでございますが、これは十分な医療のサービスということから考えまして、厚生省の当局におかれましても、不足であって少なくとも人口十万に対して百五十名程度の医師の養成をはかりたいという御要請がございまして、昭和四十五年のころから、医学部の定員の増あるいは医科大学の設置ということがにわかに大きな関心事となってきたのでございます。
○勝澤委員 何か統計なり資料なり——御説明を聞いていると、昭和四十六年から急激に日本の人口がふえてお医者さんが足りなくなったというような統計になっているわけですけれども、そんなに日本の人口が急激に何千万もふえたのでしょうか。私は、医者の不足になった理由というのは、もうちょっと突き詰めて、やはりほんとうのことを知らせなければいかぬと思うのですが、これは厚生省のほうがいいのですね、厚生省のほうから御説明願います。
○松尾政府委員 現在の段階における不足というものを、たとえば医者の人口比というようなもので比較をいたしますと、ヨーロッパの諸国と比べて必ずしも人口比では低くない。これは過去におきましてもそういうような見方がございました。いま御指摘のようなことを振り返って考えますと、医者の人口に対する比率というものを基準にしながら、医師の数はどれぐらいあったらよかろうかというようなことが、かなり終戦直後におきましても議論をされております。厚生省に置かれました医療保障委員会というのがございまして、たしか三十四年ごろであったと思いますが、そのころの一つの結論といたしましては、このままの養成でほぼいい、これ以上いきますとむしろ過剰になるのではないか、こういう意見が実は公式に出された時期がございました。しかし、それから四年後の三十八年、医療制度調査会ができましたときの答申によりますと、もはやそのときはすでにそういった結論がやや変わってまいりまして、今後の医学の趨勢というようなものから見ますと、やはり不足になってくるという可能性が指摘されておるのでございます。したがいまして、私は端的に申し上げますと、歴史的に見ますれば、戦後においてある時期、このままでいいのだとしたものの見方というものが、こういう長期を要する医者の養成に対して一つのブレーキをかけておるということだけは、私どもは率直に認めなければならないというふうに考えております。 しかしその後、ただいま木田局長からもお話しのように、わが国の患者の需要と申しますか出現というのは、非常にふえてまいりました。私は、患者調査等を見まして、特に前般におきましては、過去この十年間に実際医療機関にかかっている患者が約六割近くふえてきている、こういう実態というものが、当時の古い時代の方々ではおそらく予見ができなかったということもあったろうと存じます。しかしながら、そういう患者の趨勢の将来の予測というものに対して、もっと端的に申し上げれば、早く思いをめぐらしまして、思い切った措置をとるべきではなかったか、率直に反省をいたしますと、そういった点にズレがあったというふうに感じております。
○勝澤委員 医科大学あるいは医学部の設置の状態を見てみますと、四十五年に四校ですか、それから四十六年に三校、それから四十七年に七校という数字が出ているのですが、四十四年以前はどんなふうな設置の状態ですか。
○木田政府委員 国立で申しますと、三十六年から四十四年まで学校数としては一校もふえておりません。四十五年に国立は一校設置をいたしました。公立はずっと校数につきまして変化はございません。私立の学校も、校数といたしましては昭和四十四年まで十三校のままでございまして、何らの変化はございません。総定員におきましても、昭和三十六年に二千八百名の入学定員でございまして、これはその後、逐年少しずつは上昇をしてまいっておりますが、特に目立って大きくなり始めましたのは昭和四十一年のベビーブームの急増期でございまして、この急増期に、国立につきまして他の学部の増を行なっておりますのに、医学部だけ行なわないというのもいかがかということから、学生の定員増を、医学部につきましては、国立の医学部は、昭和四十年の千九百八十人から四十一年には二千百四十人というふうに、百六十名の増をいたしました。その後四十三年と四十四年に、八十名、さらには六十名という定数増をいたしまして、学校の増ではなくて、入学定員の増ということをベビーブームのころに多少実施をしたというのが実情でございます。
○勝澤委員 厚生省も、−あるいは文部省の局長も、三十六年から四十四年まで何もふやさなかった責任者ではないと私は思うのですが、約十年間にわたって日本の医療行政というものは、極端な言い方をするとストップしておった。その原因探究というものが私はまだあまりされていないと思うのです。されていないから、ここに「医師養成の拡充について」と、医科大学設置調査会の黒川議長を中心とした報告書が出ておりますけれども、私はまだこれでも、一体どっちの立場でものを考えているのかなという気が実はしてならないわけです。それは、厚生省の医療行政についてはなかなかやりにくい点はわかっております。政治の中でもなかなかやりにくい点はわかります。しかし、やはり役所の立場からいえば、もっときっちりものを言うべきことは言う。その政治の採択の動向が、国民のあるいは業界の採択かどうかは別ですけれども、ものを言うべきときはきっちり言わなければいかぬと思うのです。きっちり言わない結果がこうなっている。ですから私は、極端に言えば、三十六年から四十四年まで局長をやった、あるいは厚生大臣をしていた人は——全部やめましたけれども、無責任きわまりないと思うのです。それでいま起きているこういう不正入学とか、何千万も金がかかるとか、むすこを医者にしなければならぬので無理をしているというこの現状を取り上げているわけですけれども、私は根本的なものの考え方がなっていないと思うのです。 それで、いま端的に言われました、こういう事件がなぜ起こるのか、それは医師の不足なんだ、それは医学の教育単位が多いのだ、このことを満たす条件が何もされていないわけです。それで、医者の不足になった理由というものをもう少し私はメスを入れて、きっちりしておいてもらいたいと思うのです。それは厚生省が十年前に何とかの審議会にかけたら、現状でよろしいと言った。しかし、それが四十五年末を聞いてみますと約十一万六千人で、人口十万当たり百十三人、世界の三十一番目だと、こう言われた。佐藤総理に聞かしたいわけです。世界の三十一番目だ。これでは恥ずかしくてしかたがないわけですよ。だれが恥ずかしいかといえば、私は厚生省の役人自体、みな恥ずかしいと思う。日本には厚生大臣なんという大臣を置く資格はないと思うのです。それくらいの気持ちを持って、一体この隘路は何なのか、患者さんが悪いのか、お医者が悪いのか、薬屋が悪いのか、もっと赤裸々な姿を出して——それを出さないで断片的にものを解決しようと思って断片的に解決してきた経過が十年間あるわけですから、これを私はしっかりすべきだと思うのです。 それはここであなたに御答弁を求めても無理なことですから、私はそう思うということをひとつ知っていただいて、それはやはりお互いが国民的なもので見る場合でも、あるいはお互いの政党の立場があるし、お互いの支持の問題がありますから、なかなか言いにくいけれども、言いにくいことをだれかが言ってやらなければならぬわけです。それがやはり政治に中立を持っている役所の仕事じゃないかという気が私はするわけです。 そこで、医者の不足になった理由について私の言っていることはそう間違いないのではないだろうという気が私はいたしますけれども、一体その不足の現状をどう見るか、それについての対策をどう考えておるか、これは厚生省のほうがいいと思うのですけれども、ちょっと御説明いただきたい。
○松尾政府委員 先ほど私からちょっと申し上げましたように、非常に長期の養成期間を要する医者の需給という問題については、御指摘のとおり、私どもも将来をよく予測をしながら早目に手をつける、しかもそこのところにはっきりした一つの見解を持って処すべきだ、おっしゃるとおり私たちも反省をいたしております。 したがいまして、先ほど申し上げましたように、日本の患者数が非常に大きく伸びてきた、こういう実態というものは、やはり私どもが現実の問題としてしっかり踏まえて立たなければならぬ、私はそう考えております。しかしながら、そういう状態の中で、医師をどの程度持つのがいいのか、その点につきましては、世界各国ともそれぞれ定説があるというものではないと私どもは考えておりますけれども、しかしそれでございましても、私どもとしてはやはり一つのはっきりした見解に立ってそれを進めなければならぬ。 そこで、私どもが一つ提案をいたしましたただいまの線は、ただいま患者が非常にふえてきた、したがって医者一人当たりの受け持つ患者数というのは、昭和四十四年におきましては五十人をこえたわけでございます。しかし、これをどの程度までに縮小したらいいかという判断が必要になるわけでございますが、私ども少なくともこういう患者増の一番大きな原因と考えられる国民皆保険、その直前でございました昭和三十五年の状態、約三十六人という平均になっておりますが、その状態まで少なくとも患者対医師の関係を戻すべきではないか。これは御承知のように、いろいろと医者が忙し過ぎるということのために起こってきている患者さん方の不満というものもあるわけでございますので、そういった点を目標にしまして、そして患者の数に対応した医者の数を算定すべきだ、こういうことにいたしました結果、人口に直しまして約百五十人という目標を立て、これを少なくとも私どもは当面の一つの最低の数字として進めてもらいたい、こういうふうにしておるわけでございます。 したがいまして私どもは、今後の医療需要というものにつきましても、やはり絶えず過去のそういうことを反省いたしまして、今後どう変わってくるか、長期的な患者の予測というものを一方に十分踏まえながら、ただいま申し上げましたことも——しかしこれは十年も二十年もそのまま置いておくというのは必ずしも正しい姿ではないと私は考えております。したがいまして、絶えずそういうものについての再検討の目を光らせながら、必要な場合には軌道を修正するくらいの気持ちを持ってこの問題に対応したいというふうに考えておるわけであります。
○勝澤委員 医師の問題で、先ほど私が言いました医科大学設置調査会、これは局長も入っておられるわけですね。ですから、この中で見てみますと、現在アメリカや西ドイツやソ連等においては人口十万に対して百五十人以上になっている。日本の目標はどうかといえば、昭和六十年にこれにしたい。十三年おくれているのを、十三年後にアメリカ、西ドイツ、ソ連並みにしたい。ソ連とアメリカと西ドイツなどがストップしていればそれ並みになるでしょう。けれども、十三年の隔たりがあるわけです。十三年の隔たりがあるのに、それにするには千四百人ふやしていかなければならないのにかかわらず、暫定的にはそれもできない。私はいまお話を聞いておりまして、十万人に百五十人——百五十人が是か否かというのは私はよくわかりませんよ、専門家じゃございませんから。しかし、これは専門家の皆さんが使っている数字ですから、専門家の皆さんがとにかくいま十万人に百五十人必要だ。アメリカや西ドイツやソ連はいまそうなっておる。日本はどうなるか、千四百人ずつ毎年ふやしていっても、昭和六十年までかかる。昭和六十年までかかるやつを、今度の計画ではそれを下回って、四十七年から五十一年までやろう、根本的にこの計画、いま医師が必要だということの認識が違うのですよ。十三年のおくれをどう取り戻して、昭和六十年になったらアメリカやソ連や西ドイツと同じようになるかというふうに計算されていないのですね、これを見ますと。依然として日本は、経済は二位だ、三位だと佐藤さんは言っているけれども、医師の状態というのは、三十一番目でいいんだ、何も進歩がないじゃありませんか。私は、そのことをきっちり認識されていればいいのですよ。認識されておるならいいけれども、国民の医療というものを、保健というものを、まだ依然として都合の悪い人たちの言うことばかりを聞いて、国民の立場からものをやってないじゃないか、こう思うのですよ。十年間おくれたやつをまだ依然として十三年もおくらしている。もう一度私は——まあこれはあなたにはあれですけれども、医師の問題と、それに付随して看護婦の問題、この対策、それから問題点はどこにあるのか、この点についての御説明をいただきたい。
○松尾政府委員 人口十万対百五十という目標が、ただいまのアメリカ等の現状にほぼ近い。しかもそれが、私どもの計画としてはこれから先の六十年というところに一つの目標がある、大いにギャップがあるということは、私も十分承知いたしております。ただ、その人口対比というだけでなしに、ひとつ考えてみたというところに、先ほど申しましたような一つの基準があるわけでございますが、私はそれでもってそういう十年後の条件にすべて一切変更を要しないということはないのだということは、先ほど申し上げたとおりでございまして、その点の一つといたしましては、確かにいまの段階では御指摘のような状況でございますが、私どもとしてもなおかつ予測のつかないファクターが正直ございます。それは医療におけるいろいろな機械化、自動化といったようなものがどの程度までこういう数字に影響するのか、その点についての的確な予測ということがなかなかつきにくい。したがって、そういった点を将来の問題として残しながら、少なくともこの程度ということを私どもとしては、先ほど申しましたように、最低限の目標として置きたい、こういうようなつもりでやっているつもりでございます。 それから第二の点にございます看護婦の問題でございますが、この不足問題は、やはり医師とほぼ以たような関係があろうかと私は反省をいたしております。一つは医療の需要の増大に応じまして、ベット数の増加といったようなものが非常に急速に起こってきた。これに対しまして、やはりそれ対応するだけの十分な事前対策というものが、振り返ってみますと十分ではない、こういうことはもう私ども反省といたしておるわけでございます。そういった点に一つの問題があります。 それからまた、同時にこれは、女性の職業だと言い切ってしまうわけにはいかぬと思いますけれども、相当数の方々が、せっかく資格を持ちながら職場を離れて家庭に入っていく、こういうようないわば自然退職の傾向、こういう傾向がございまして、そういったものを十分ひとつ考えて対策を立てるということが非常に必要ではなかったか。過去にさかのぼってずっと振り返ってみますと、私どもはそういう反省をいたしております。したがいまして、看護婦対策としましては、もちろん基本的に養成力の増加ということに重点を置くべきでございます。同時に、せっかく習われた方にできるだけ職場にとどまっていただくという、いわば離職防止のために、処遇の改善でございますとか、あるいは最近は結婚をして同時につとめておられるという方のために、たとえば育児に関するいろいろな保育施設の問題でございますとか、そういったものまで十分配慮をした上でこの問題に当たらなければならぬ、かように考えておるわけでございます。
○木田政府委員 先ほど、文部省の大学局でお世話をいたしました医科大学設置調査会の報告書に関連いたしまして、報告書の中の説明も必ずしもすっきりしておらぬではないかというお尋ねがございました。若干説明を補足させていただきます。 申し上げるまでもないことでございますけれども、医科大学をつくりまして医師が世の中へ出てまいりますまでに、まずざっと十年かかるというように考えております。医学教育六年、その後、卒後研修二年望ましいわけでありますが、それだけですぐ一人立ちというわけにはいかない医学の事情がございまして、やはり一応十年の単位というものがかかると思います。そして、一たんつくりました学校は、これは相当長期に、永遠の存在として活動をしていくということに相なろうかと思います。 そこで、医科大学の将来の規模、医師養成の将来の規模を考えます場合に、いま人口十万人につき百五十人の医師が必要であるという目標が立てられまして、それに対していろいろな施策を進めていきます際に、どういうテンポでそのことを考えていくかという問題と、現実に現在あります医科大学から医学教育の経験者が新しい領域に就任をして新しい医科大学が育っていく経緯を考えますと、必ずしもその人の配置という面から見まして大学が急速にできるというふうにも考えられない面がございます。また、地域的な配置その他のことも考えて慎重を期さなければなりません。そこで、人口十万人について百五十人の医師ということを考え、それをいまからの養成の目標といたしまして昭和六十年を一応のめどとして考えた場合に、千四百人程度の入学定員の増加が必要であるという委員の皆さまの御意見を得たわけでございます。これは地域的な問題、その後のこと、いろいろ考えていかなければなりませんが、このままの規模でさらに昭和七十年に推移いたしますと、それだけでもやはり医師の人口十万人単位の指数が伸びてまいります。したがって、将来の医療需要というものがほんとうにどうなるか、十年先からもっと先はもっとわかりにくいわけでございますが、その辺の動きを考えながら少し拡充というのを慎重にしていくということを一面では考えた次第でございます。 もう一面では、千四百人要るといいながら、千二、三百人という入学定員の増を行なうのがさしあたっての措置であろうというような、何だかすっきりしない書き方になっているのでございますが、これは先ほど医務局長からの答弁がございましたように、看護婦の問題、看護婦の問題の前に、実は基礎医学の担当教官の問題等がなかなか地域的に見ますとそう簡単には集まらない。個々の大学をつくる場所にもよりますけれども、たとえば先般国会でもいろいろと御指摘をいただいていますが、沖繩の大学に医科大学をつくる、病院をつくるという場合に、どうして医師をそろえるかというのがたいへん具体的な課題として問題になってまいりますので、医科大学を設置する場所によりましては、この教官のスタッフ、それから、さらに関連いたしますパラメディカルの職員、看護婦の職員の充足ということを、あまり拙速でなくて手がたく考えていく必要があるという点で、かたいところ千二、三百程度の入学定員の増というのをやって、逐次様子を見たらどうであろうかというのが、このときの調査会の委員の御意見でございました。補足をさしていただきます。
○勝澤委員 十年間ほったらかしにしておいて、そしてこれからやろうといったって、人が足りなくなるのはあたりまえなんですよ。そのあたりまえのことを、いかにもどこかが責任あるかっこうで縮めようとしておるところに、また同じことを繰り返すということですから……。 それはあとでやりますけれども、そこで厚生省のほうの医務局長にお尋ねいたしますが、看護婦の問題ですね。婦人労働者が多いわけですね。家庭に入る率も多い。なぜ家庭に入るか。いま婦人労働者でも家庭に入る率の少ない婦人労働者があるでしょう。たとえば学校の先生。学校の先生というのはわりあいと共かせぎが多いですね。看護婦さんに比べたら。局長これはなぜだと思いますか。
○松尾政府委員 看護婦さんが結婚いたしましてやめる率の一番大きいものにやはり育児というものがあげられております。学校の先生も同様に私はあると思いますが、看護婦の場合で一番学校の先生と違う点は、その仕事の性質上夜勤がある、このことが非常に家庭となじみがたい、こういった点に私は原因があると見ております。
○勝澤委員 私は、それよりももっと大きな原因というのは待遇だと思うのです。お医者さんに聞いてみれば、お医者さんが言います。ぼくらはいいけれども看護婦がかわいそうだ、率直にお医者さんはそう言っております。それは良心的なお医者さんだと思うのですよ。医者と看護婦の関係というのは依然として昔のようになっている、こういう認識をしている。これはやはり看護婦をもっと考えなければいかぬ、医者の一部分だ、こう考えなければいかぬという医者があります。私はそう考えたときに、いま夜間勤務があるなら夜間勤務がないようにすればいいわけです、調整ができるわけですから。みな看護婦さんは子供を持っている人ばかりではないわけですから。いま片方では、学校の先生方の育児休暇の問題を有給でやろうじゃないかという話まで出ているわけです。私はやはり看護婦の問題も、もっと真剣に厚生省という役所が考えてしかるべきだと思うのです。最近人事院でも、看護婦の初任給のいろいろな問題を考えられておるようですけれども、私は看護婦の問題というのは、看護婦をされた人が、家庭に入るよりも共かせぎでもやっていける環境というものをもっと積極的につくっていくこと、これも何年来からだれもみな言っているのですけれどもやらないわけです。これは局長に幾ら言っても、それは局長の力もあるでしょうし、いまの佐藤さんが早くかわらなければ、こういうものも何ともならぬでしょうけれども、それはそれとして、あなたはそういう勤務の問題から見る。私は待遇の問題からそう見ておるわけです。 それは同じ問題でも、いま学校の先生は、男と女の比率は、特に女の先生が多くなりつつある。それは同一賃金で、女子としてはほかとの比較からいって賃金がいい。ですから看護婦の場合を考えてみると、私はそれに比べてもっと考えるべきじゃないだろうか、こういうことを特に申し上げておきますから、ひとつぜひ検討していただきたいと思います。
○松尾政府委員 確かに、その御指摘の処遇問題は大事な問題でございまして、私どもも看護婦の処遇は考えなければいかぬ。これは御承知のとおり、人事院の調査によりましても、国家公務員の中で、民間の給与と比較いたしまして国家公務員のほうがいい職種というのは看護婦さんだけであります。たしか五%程度の差がいつもついておる。しかし、それでございましても、私どもは足踏みをしてもらっては困るのでございまして、毎年大臣をはじめといたしまして人事院にも強くこの要求をいたしております。したがいまして、それで考慮していただきまして、少なくとも看護婦さんにつきましては、平均のアップ率よりも常に上回るという勧告をいただいて進んできておるわけでございます。私どももやはり基本的にはそういった点にさらに努力を続けていきたいというふうに考えております。 また同時に、夜勤という条件がございますが、夜勤手当等も非常に少額なものでございまして、ぜひこれも上げてもらいたいということで、三、四年前百円しかなかったものが、いま三百五十円まで勧告によって実現するようになってまいりましたが、これもやはりまだこれでいいというふうには考えておりません。引き続き努力を続けたいと思います。 また同時に、ただいま御指摘の夜勤の問題につきましても、夜勤自体が個人個人にとっても一月の間に大きな負担になる、こういったことも、やはり一つは数をふやすということをやりませんと解決のつかない問題でございます。これらを含めまして、勤務条件の改善ということが特に大事なベースであるというふうに認識いたしておりますので、私のみならず大臣も常にそういう努力をしていただいておるわけでございますので、今後とも御趣旨の線に沿って努力をいたしたいと思います。
○勝澤委員 それではあとは文部省のほうを中心にお尋ねいたします。 医科大学設置の費用というのは、六十億あるいは七十億あるいは八十億とかいろいろいわれておりますが、一体どれぐらいの資金が必要で、これは場所や規模いろいろ違うでしょうけれども、一体その資金というものはどういうふうにつくられているのか、そういう点についてひとつ御説明願いたいと思います。
○安嶋政府委員 医科大学の設置に必要な資金の額でございますが、これは設置のしかたによりまして非常に違うわけでございます。たとえば、全く新規に医科大学をつくります場合、あるいは既設の学校法人が学部増設という形で医科大学をつくります場合、あるいは基盤に既設の大きな病院がございまして、これを付属病院として利用しながら医科大学をつくる場合等、いろいろな形がございますので、一がいに幾ら経費がかかるかということは申しがたいわけでございますが、最近の例で申しますと、五十億円から七十億円というふうに考えております。この場合は大体土地は別にして考えまして、こうした金額が必要であるということございます。 次に、この経費がどういうふうに調達されるかということでございます。私立大学の場合は必要経費の三分の二は自己資金でなければならない、三分の一は借り入れ金で差しつかえない、こういうたてまえをとっております。したがいまして、かりに六十億の設置費ということでございますと、四十億は自己資金で用意をしてもらいたいということであります。私立医科大学の資金面の審査の場合は、この三分の二の額と申しますか、四十億の金額がはたして真実に用意されておるかどうかということが第一の点でございます。それから第二の点は、そのお金がかりに入っておるといたしまして、入学時の寄付金の先取りといったような問題の資金を含まないかどうか、はたして浄財であるかどうかということを審査をいたしておるわけでございます。 従来の例でございますと、自治医科大学のようなやや特殊なものは別にいたしまして、設置の中心になっておられる方の個人的な寄付、あるいは設置の基盤になっております医療法人の寄付、あるいは関係の地元の有志の寄付、あるいは卒業生の協力、そういったものが中心になって必要な資金が調達されておるということでございまして、その裏づけといたしましては、たとえば大きな金額の寄付がございますと、どういう経路でその資金が調達されたか、資産の売却によってその資金が調達されたということでありますれば、売却契約書の写しをいただくとか、あるいはその売買に伴う不動産の所有権の移転を証する登記簿の謄本をいただくとか、あるいは個人の蓄積金からその金が拠出されたということでございますならば、その方の納税証明書をいただくとか、そうした裏づけをとりながら、はたしてその資金が調達されたかどうか、あるいはそれが浄財であるかどうかといったようなことを確認をしながら、資金の審査をいたしておる。さらに、大口の寄付者につきましては、私立大学審議会の審査会というものがございますが、そこにお差しつかえのない限り御出席をいただきまして、寄付の趣旨なりはたしてそれが真実寄付されたかどうかといったようなことにつきまして証言もしていただいておるというような状況でございます。
○勝澤委員 医大なり医学部は特別に入学寄付金がかかるといわれておるわけですけれども、一体、入学金なり授業料なり、あるいは設備の拡張費なり、あるいはそのほかの強制的な寄付金といいますか、そういうものはどれくらいかかるのですか。安嶋政府委員 昭和四十七年度の入学の場合でございますと、正規に徴収されるものといたしまして授業料があるわけでございますが、これは最高が年額で八十万円、最低十五万円、平均三十万円ということでございます。このほかに入学金あるいは施設拡充費といったものを含む学生納付金、全体といたしましては最も高いものが百八十万円、最も低いものが五十万円、平均八十二万円ということになっております。それから入学時の寄付金でございますが、これは昨年度の入学者につきまして調査をいたしましたところ、入学者総数約二千百人のうちその六五%に当たる約千四百人のものが寄付金を拠出をいたしております。寄付金の総額は医学部全体——当時は十八学部でございましたが、約八十三億五千万円ということでございます。寄付をした一人当たりの金額は六百万円でございます。寄付をしないものもあるわけでございますが、そういうものを含めて入学者全体で平均をいたしますと、一人三百九十一万円ということになっております。文部省といたしましては、任意の寄付金は別でございますが、学生全体から徴収するような経費につきましては、募集要綱に、どういう事項でどういう金額を取るかということを明示して徴収するようにということを申しておりまして、ほかに先ほども申し上げましたように、入学を条件とするような寄付金は絶対に取らないようにということを指導としては申しておるわけであります。
○勝澤委員 任意の寄付金というのですが、私が最近いろいろな人からお話を聞きますと、最低八百万、最高では二千万くらいだ、こういわれているのですけれども、いまの局長の話を聞いていますと、たいへん内輪なお話なんですけれども、ほんとうの話、一体どれくらいだと思っておられますか。これはあなたのまわりで私立の医大に入ったとか医学部に入った人に聞いてみればおわかりになると思うのですが、私もまわりでよく聞くのです。それは一千万円以下というのはちょっと聞いたことがないような話なんです。気の遠くなるような実は話をしているのですけれども、もう少し赤裸々な話を、局長は知らないというわけはないと思うのです。どうでしょうか。
○安嶋政府委員 ただいま申し上げました金額は、これは昨年度の入学生について各医科大学から徴しました報告に基づく数字でございます。報告を徴しますときに、個々の大学名は公にしないという条件で正確な報告をしていただきたいということを申しておったわけでございます。したがいまして、私どもがさつき申し上げました数字は、これは正確な数字であろうと信ずるほかはないわけでございます。高い金額のものがあるということは、いまお話しのような点もあるわけでございまして、平均で申しますと入学者一人三百九十一万円、寄付者一人当たり六百万円ということでございますが、金額の段階別の数をとってみますと、昨年度の寄付者千三百九十三人のうち、一千万円以上というものが九十七人、全体の六・九%という数字も出ております。したがいまして、ただいま御指摘のように一千万円をこえるかなり高額の寄付金というものも、ただいま申し上げました程度は含まれておるということは、私どもの資料によりましても明らかになっておるわけでございます。
○勝澤委員 これも新聞ですからよくわかりませんけれども、たとえば浪速医大の事件を見てみますと、小学校一年で予約して寄付は幾ら、小学校二年では幾ら、中学一年では幾ら、こういう基準がある。私、この基準というのはまるっきり根も葉もない基準じゃないと思うのですよ。いまの世間相場というのがちょっと書いてあるような気がするわけです。一体、どうしてこういう一千万円以上の金をかけて入学しなければならぬのか、あるいは昨年の不正入試の問題を見てみましても、たいへんな金額が出されているわけですね。ですから、入学をする——裏口入学といいますか、あるいはまた入学の裏口の寄付金といいますか、こういうばく大な金が一体なぜ支払われるのか、それはどういうふうにお考えになっておりますか。
○安嶋政府委員 私立の医科大学の場合は、入学生の約六割が開業医の子弟でございます。おそらくそうした関係で自分の仕事を子供に継がせたい、病院には相当の投資も行なっておるというようなこと、かつまた、実際問題といたしまして、それくらいの寄付金が出せる余裕もあるというようなことが、かなり医学部につきまして高額な寄付金が出されておる事情、背景であろうかと想像いたしております。
○勝澤委員 医学部に入学いたしますと、医者になるには国家試験があるわけですね。国家試験の合格率はどれくらいですか。
○木田政府委員 第一回から第五十二回までの全部の合格率を平均いたしますと九六%というふうに聞いております。
○勝澤委員 医者は厚生省ですか。いま文部省ではこういう国家試験というのはないのですか。建設省ですと、たとえば宅地建物とかいろいろありますね。あるいは労働省だと労務管理士、いろいろありますね。こういう国家試験に比べて、医者の国家試験というのは、比率からいって……。おわかりになりますか。
○木田政府委員 文部省自体では、大学の卒業資格によって一定の資格を与えるということはございますが、そのほかそれぞれ専門職種別の国家試験はそれぞれの主務省で実施いたしておりまして、私いま手元に、どのような比較になっておるか、残念ながら承知いたしておりません。
○勝澤委員 国家試験の中で一番楽なのがお医者さんじゃないかと私は思うのです。最近、不動産鑑定士の話を聞いてみますと、これはなかなか受からぬ、百人に一人だとかいう国家試験をよく聞くわけです。国民の命を預かっている医者が一番簡単な国家試験だ、これでいいだろうかと思うのですよ。しかも二千万円出して入ったお医者さん、一体、そのお医者さんだいじょうぶだろうかな、私はこのごろこういうことを聞くたびに、このお医者さんだいじょうぶだろうかな、お医者の免許はあるし、何か医学博士の免状はあるけれども、何の医学博士かよくわからぬ。これは医者自体もやはり考えなければならぬ問題だと思うのですよ。だから、そういう点で——これは文部省じゃないのですか。厚生省ですか。じゃ医務局長がいなければいかぬですけれども、これはあなたが答弁してもしようがないのかな。大臣、あなたは文部大臣だといっても国務大臣だから、厚生省の関係だといったって、やはり国務大臣、文部大臣だから、医者の国家試験の合格率が九六%九六%でもいいですよ。入れるときに、二千万円寄付をもらったのが入って、くれないのは入らなかったというようなそういうことはないでしょうが、最近、にせ医者とかいろいろな話を聞いてみると、これは道義がどうだとか、国民に向かってどうだとか、教育がどうだとか言ったって、このこと自体が恥ずかしい存在だと思うのですよ。大臣、あなたの直接的な管轄ではないけれども、ひとつ……。
○高見国務大臣 これは厚生省の所管でございますけれども、私も心外千万に思っております。たとえば獣医師の試験ですね、同じ国家試験で。豚や馬を扱っておる、犬やネコを扱っておる獣医師の試験の合格率は五〇%前後であります。人の命を預かっているお医者さんが九六%ということは、いかにも、どう考えてみても適当ではないと私は思います。この問題については、厚生大臣とも十分話し合いをいたしたいと私は思います。私が存じております限りにおいては、獣医師は五六%という状態になっておりますので、この点から申しましても、獣医よりも、人間の命を扱う医者のほうがたくさん合格するということが実際あっていいものかどうかということを私も考えざるを得ない、さように考えております。
○木田政府委員 医師の国家試験に関与しておられる大学の教官方もいろいろおられまして、医科大学の設置調査会の席その他におきましては、卒後の研修のことも含めて論議がかわされておる次第でございます。厚生省の医務局長も入っておりますから、そういう席では、関係者の方の強い意見といたしまして、医師の国家試験ももう少しレベルアップする、これはわれわれ自体も関係していることだからという意味の意見も出ておりますけれども、そういう方向で力を入れていかなければいけないのじゃないか。厚生省の医務局長からも、そういうような方向でできるだけかじをとりたいというふうに私聞いております。重ねて、御質問の御趣旨のことはお伝えをしておきたいと思います。
○勝澤委員 まあ、文部大臣にはこの次はぜひひとつ厚生大臣になってもらって、何とか問題解決してもらわなければならぬし、いま局長が言われましたように、医者にかかるときは、このお医者さんだいじょうぶだろうかということを聞かなければ不安だ——極端な言い方ですけれども、やはり十分ひとつお考えいただきたいと存じます。 そこで次に、医学部の設置あるいは医大の設置なりで、先ほどから言われておりますように、医者が不足だったということと、それから医学教育を受けたい人が多い、こういうことに対しては、実は四十五年に文部省としては、大学として秋田大学一つつくっただけなんですよ。あと定員増を少しやったというだけなんです。一体、国として、文部省として、この医師の不足の問題あるいは医師志望の多い学生諸君のだめに何をやってきたかという点で、私は実は不満、あるいは国の怠慢に激しく腹が立つわけです。それは厚生省の責任もあるでしょうし、文部省自体としても、積極的な努力が足りなかったのじゃないだろうか、こう思うのです。その点についていかがですか。
○木田政府委員 御指摘の点は、私ども甘んじて受けなければなりませんけれども、国立大学を中心にいたしまして、四十一年前後あるいはその前に、技術者養成の拡充計画等の際に、文部省といたしましては医師の養成のことも含めてかなり論議をし、関係者の意見も聞いた次第でございますが、医学部の定員増につきましては、定員を増加することにつきましても三十年代にはかなり強い抑制の御意見を伺ってまいりまして、そういう関係者の定員問題についてのお考えで、まあ一応、文部省としても専門外のことにもわたるものでございますから、十分な拡充が前もってとれなかったという経緯はございまして、いまになってみますと残念なことだと思っております。
○勝澤委員 それから、先ほど議論いたしました医師養成の拡充についての黒川報告でありますけれども、私はこの黒川報告を見てみますと、依然としてまだ、基本的な考え方は医者仲間の考え方であって、国民の立場でものを考えている考え方になっていない。こういう程度のものを基礎にやられるのだったら、一体、こういう審議会を何のためにつくっているのかと実は思うのです。 それはなぜかといいますと、先ほど私、申し上げましたが、現状においてアメリカ、西ドイツ、ソ連の四十七年度レベルに追いつくのに日本は六十年までかかる、こういうことが平然と書かれております。これは少し頭の変な人の集まりでなければ、私はこういうことは書けないのではないか。せめて、六十年になったらアメリカ、ソ連、西ドイツ並みになろうじゃないか、向こうのテンポにこっちのテンポを合わしていく、そして基礎的なものをどうだという選定をする、これなら話はわかると思うのです。あなたの言っているのは、六十年過ぎになったらどうなるかわからぬ。わからぬのはあたりまえですよ。しかし、そんなことを考えるより、いま現実によそ並みに、十三年もおくれているんだ、よそ並みにするのはどうしたらいいか。十三年後のことを考える必要はない、いま十三年おくれているわけですから。ですから、日本の役人の一番悪いところは、いま現実に置かれていることが悪いのにかかわらず、十年後になってどうなるかわからぬから、十年後のことを考えて合わせようとしているからこういうひずみが出ているのです。どこの役所も同じことです、聞いてみますと。片方のほうで民間はそうは考えておりません。経済成長がこんなに伸びたというのは、役人が入らずに民間がものを考えているからこうなったのです、ちゃんとそろばんをはじいていますから。しかし役所のほうは、いま十三年もアメリカやソ連や西ドイツにおくれている。六十年になったら追いつく。追いつくじゃないのですよ。いまと同じになる。片方は今度また十三年進むわけです。ですから、その比較をもう少ししないと、基本的な立場というのが、やはり医者が自分たちが依然として二千万、三千万出して子弟を、寄付金を出せるようにするかということしか考えてないのじゃないか、私にはそう見えるのです。ひがみで見えるといえばそうかもしれませんけれども。ですから、そういう点から、私は根本的にこんな報告なんというものは、この報告そのものを尊重すること自体が間違いなんですよ。こういうものをやるよりも、あなたたちだけで考えてものを出せばいいんじゃないですか。こんな審議会を、医科大学設置調査会なんというのをわざわざ金をかけてつくって、国会へ来てしかられるようなものをつくるよりも、皆さん役人同士でものをきめればいい。十三年おくれている日本の医療水準を、世界で三十一番目の医療水準を、一体何年たったら、五年たったら二十番目になるのか、十年たったら十番目になるのか、こういう比較をしたほうが国民はわかりいいと思うのですよ。御感想をひとつ。
○高見国務大臣 これは私から所信を申し上げたほうがいいと思いますが、実は私立医科大学と国・公立医科大学とのバランスというものは、おととしまでは大体国・公立に対して私立というものは非常に少なかった。それがおととしから急激にふえていって、いまでは国・公立の大学が二十八校、私立の大学は二十六校、たしか私の数字に間違いがなければそういうことになると思います。 これをこのまま野放しにしておくということになると、やがて私立大学のほうがウエートが多くなる。しかもその私立大学が、いまお話しのような、私も文部省が各大学から出した数字が正しい寄付金の数字だとは思っておりません。私の感覚から言えば、思っておりません。そこでこれは、やはり国・公立大学に依存するという医学教育というものを思い切って拡充しなければいかぬという気持ちでやっております。今年三校創設準備費をつけましたのもそういう意図で、昭和六十年にアメリカ並みになる。現にアメリカではもう人口十万について百五十人の医者ではとても足りないという意見が猛烈に出ておるところであります。それらのことも勘案しますというと、もう一つ私は国・公立大学をふやさなければならぬという考え方を持っております。理由は、地域の医療水準を高める、地域のお医者さんの医療水準を高めるためには、国立大学の付属病院でなければならぬ。どんな辺地にもやはり国立大学があるということが必要であるということを考えておるわけであります。できるだけ私は——それは順序はありましょう。順序はありましょうけれども、その立地条件なりあるいは設備なり施設なりというものを考えて国・公立大学をふやしていく。私立大学はやみ入学金でなければやれないというような状態はつくらない。そのためには、私立大学等に対する補助金の額を思い切ってふやして、そして父兄の負担をできるだけ軽くするということを考えなければなるまいと、こう考えております。 昭和七十年をどう目しておるかということになりますと、私はおそらく百五十人で十万人をまかなうのじゃなくて、百八十人で十万人をまかなうという状態が起こってくるだろう。これは医療制度全般の問題もあります。ことに数年前までは厚生省側のほうに強い圧力団体がありまして、医師の増員はわれわれ医師を失業させるものだというので、医師の増加というものを極力防ごうとする空気があったことは、勝澤さんも御承知のとおりだと思います。ところが、医療制度が変わってまいりますというと、とてもまかない切れないということになりまして、黒川報告というものが、あなたにとっては無意味だとおっしゃるかもしれませんけれども、一応の目安になってきた。けれども、私どもはそれに満足しておるわけじゃないということを御了承を願いたいと思います。
○勝澤委員 この黒川報告によりますと、四十七年から五十一年の五カ年間で少なくとも千二百ないし千三百程度の入学定員の増加を行なうべきである、こう書かれているわけです。そうしますと、ことしは、四十七年からで、総数八百八十名の増員があったわけですね。そうすると、この黒川報告からいえば、千三百から八百八十を引いた残り、これが五十一年までだ、こういう考え方なんですかな。
○木田政府委員 いまの点につきましては、日本全体の総数におきまして、一応一番かたい医師の供給数あるいは看護婦の確保できる数等から、計算の上では数年間に千四百名ということであるけれども、手がたくいろいろなことを考えていきました場合に、千二、三百という数をはじいておられるわけであります。ところが、それは地域によってかなり違いまして、私立大学の新設が矢つぎばやに出てまいったわけでありますけれども、都市周辺におきましては、比較的教官になる医師の確保ができやすいというふうにも思いますし、看護婦の募集等もできやすいかとも思いますが、私どももそのことを考えますときには、委員各位の御意見として、半数程度以上は、できるだけ公的な病院を中心にして、地域のバランスも考えながらつくっていく、そういう計画の上で千二、三百ということが手がたい数字として出てくるのではないかという御意見でございます。 先ほどから御指摘になっておりますように、人口十万対百五十人というのは一応の目標でございまして、それが早く達成できればそれにこしたことはございません。六十年まで待たなければならぬというものでもなかろうと思います。その意味では、私どもは、千二、三百というものが当面の実施ができる手がたい目標というふうに考えて、地域的な医科大学の配分のことも考えるというふうに御議論を進めていただいたわけでございますけれども、数年の間に都市周辺にそういう医科大学ができたから、これでもう数年間の目標は達成して終わったというふうには必ずしも考えておりません。 昭和六十年に百五十人にいたしますにつきまして、なおかつ千四百という数もございます。これが将来の方向として、御指摘になりましたように、できることならばもう少し多い数でもいいではないかという御論議も十分あり得るわけでございまして、その辺のところから考えますならば、ことし非常に数多くできたわけでございますけれども、これが二、三年続いていいかどうかということにつきましては、かなり消極的に考えますけれども、ここで頭打ちだからもうとめておいたらいいというような考え方は必ずしもとっておりません。具体的にどれだけが手がたく進められるか、これは、安心のいく医科大学の設置を、公的な医科大学を主流として考えた場合のかたい線というふうにお含みをいただければありがたいと思います。
○勝澤委員 この千二百ないし千三百というのは五年間でしょう。そうすると、ことしは八百八十でしょう。差し引いた残りを五十一年までという考え方でしょう。この報告書はそうでしょう。そうじゃないのですか。
○木田政府委員 その報告書にもあげてございますように、人口十万対百五十人の医師が、昭和六十年の時点の医師と患者数との比率を考えた場合に必要だということでございまして、医師の養成増をはかるということにつきましては、この報告書の基調はかなり強い線で、急いで医師の増員を考えなければならぬ、こう言っているわけでございます。 そこで、計算といたしまして、実際に個々の大学をつくっていくという実施の確実性という点から考えてみまして、数年間に千二、三百ということが、教員の充足その他も安心してやっていける数であろうというのがこの意見でございます。これ以上養成してはいけないという御意見はこの中には出ておりません。一番手がたく実施していく場合に、少なくとも千二、三百程度の入学定員の増加をこの五年間には行なわなければならぬぞ、こういう言い方をしておりまして、これが達成できたら残りは増加しなくてもいい、こういう意見にはなっておらないわけでございます。 これを現在の段階におきます目標としてあまり高い線に置いて、はたしてその実施が可能であるかどうかという点を心配された方がございまして、可能な線を考えながら、少なくともこれだけはどうしてもふやしていく必要があろうという御意見になっておりまして、都市を中心にいたしましてことしのように新設の医科大学がふえた場合、今後の課題といたしましては、大臣も先ほど申しましたように、医師の養成はトータルの数だけではなくて地域的な配分ということも考えてまいらなければなりませんから、そのあたりのことも考えまして今後の拡充の措置を個別に検討をする、こういう姿勢でおります。
○勝澤委員 局長も入られてつくったから私は言っているのですが、四十七年から五十一年の五年間で千二百から千三百でよろしい、それが目標だ。それが、四十七年で八百八十いっているわけでしょう。だから、これを議論したときの基礎そのものが内輪で見ているのだけれども、実際には文部省が許可したのですから、八百八十で来年も再来年もいくとは思いませんが、千八百から二千くらいいくだろう、私はこう思うのですよ。 だから、基本的にこのものの考え方が、昭和六十年になってからいまのアメリカや西ドイツやソ連並みでよろしいという基本的なものと現実とはこんなに違っていると言っているのです。これはあなたも入って考えたのだけれども、あなたの意見だか医者の意見だかよくわからぬが、ことしから五十一年までで増加は大体このくらいでよろしいというのが、それが初年度で半分以上定員増がいってしまった。あとまた来年も、これは企業として成り立つから私立もたくさん出てくるでしょう。医科大学というものはまさに企業として成り立つ。いまのお話を聞いていてもそうだと思うのですよ。これは、国民皆保険になっているわけですから、国でやらなければならぬのがあたりまえなんです。こんなのを私企業でやらせること自体が本来的に問題なんです。その問題をほったらかしておいたので、しかたがないから、採算がとれるなら医科大学をつくろうじゃないかという人たちがあらわれてきて、無理に寄せ集めをして、そして金も、自分のむすこはいま小学校だ、いまから予約できるなら少しばかり金かけてもいい、二千万円でも三千万円でもいいよというのが出てくる。だから企業として成り立つ。それはそれで別だというのです。 私は、この報告そのものが現実に合っていないと思う。ここには千四百くらいでもいいと書いてありますよ。書いてあるけれども、それは無理だからもうちょっと目標を減らせ、目標を減らせば十三年たってもアメリカやソ連並みにならぬ。日本は三十一番目で、それがせいぜい二十七、八番目くらいだ。それではこれだけ世間が騒ぎ、これだけ国民が要望しているものにならぬから私は言っているわけです。あなたは自分がつくったものですから、その仲間に入ったのですからあまり言いたくないでしょうけれども、やはり医師の養成というならば——言うならばこれは養成計画だと私は思うのですよ。養成計画そのものが五年間で千二百人か千三百人くらいでよろしいといったら、ことしは八百八十の増になっている。それは問題があれば押えていいですよ。問題がないものはどんどん伸ばしていく。私立が出てきたものを押えて国立にするのではなく、国立もどんどん進めればいいわけですよ。両々相まっていまの問題は解決しなければならぬわけですかち、そういう観点で私は考えてもらいたいと思う。 ですから、こんな報告なんて言ったらしかられるかもしれませんけれども、いまくらいの数字は、私はこの有名な人たちがそろわなくてもできるんじゃないかと思うのです。たとえば数字についてはあなたのほうでわかるのでしょう。ですから、こういう審議会なんというものは公でも私的でもできるだけやめて、役所の責任でやりなさいよ。役所の責任でやらないから圧力によって屈するのですよ。それをあなたたちは審議会の責任にしているのですよ。十年間おくれた原因は、医務局長がお医者さんだったもので、お医者さんとぐるになってやってきたんだというけれども、それならそれでいいと思うのです。しかし、それを隠れみのにして、国民医療というものをサボってきた、あるいは養成をサボっていているわけです。いまはこういうものが出たのですから、こんなものを持っていったら、千二百人のうちことし八百八十人だから、あと残りはこうだから、来年の国立大学は三つでいいじゃないかと大蔵省で押えられるでしょう。三つばかりで追いつきますか。来年国立大学を五つつくって、再来年は七つつくって、次には八つぐらいつくっていこうじゃないかといういま大臣の気がまえでしょう。できるだけ国・公立をふやしていこう、この気がまえにこれは合っていないのです。大臣は、国民的立場からこれはやはりこうしなければならぬと思っているのです。役人のほうは、両またかけて、大臣がやめるまでだますことができないだろうか。それじゃこれはいかぬと思うのです。だからそういう点で・積極的だとこれには書いてあるのですけれども、実際に中身を見たら、まだ旧態依然として、積極的に国民の医療を守ろうというものがないのです。大臣どうですか。
○高見国務大臣 勝澤君の御意見ごもっともであります。実は私は、私立大学の審査はきわめて厳重にやるように言うております。しかし、設置基準がありますから、その設置基準もこの際もっと厳格なものにしてはどうか。私立大学はただ金さえ集めればいいという大学であってはならぬ。むしろ私立大学は——浪速大学の場合は、私は設置者自身に疑問があるという考え方をいたしておりましたから、初めから——管理局長も大学局長もこれは認可はできません。いろいろ新聞で何か汚職なんかがあるのじゃないかということをいわれておりますけれども、これに関する限りは、初めから認可しないという方針であったのでありますから、おそらく汚職等の問題は出ていないと思います。これからの私立大学の設置基準というものは、設立者の問題も一つあります。それから自己資金の問題も、三分の二でいいのであるか、あるいは四分の三は自己資金にしなければならないか、今後検討の課題だと思います。ただ、私はできることなら国・公立をふやしたい、そしてどの県にも国・公立の医科大学があるという状態をつくりたいという考え方を持っております。人口は一年に百万ずつふえているのであります。十万に対して百五十人のお医者さんが必要であるとするならば、昭和六十年には、これから十三年あるわけでありますから、千三百万ふえることになります。お医者さんの数も当然それだけふえることになる。ことし八百八十人増員をしましても、これが一人前のお医者さんになるのは十年の後ですね、昭和五十七年くらいになるわけでありますから、昭和六十年にその目標を達成するということはとうてい不可能であるということはわかりきった話なんです。 そういう意味において私は、国・公立をできるだけふやすことによって、地域の医療水準というものを高めることを考えなければならぬ。一ぺん免許証をとれば死ぬまでお医者さんで通るということで一体いいのであるかどうかという、制度自体についても検討しなければならぬ。これは厚生省の主管の問題でありますけれども、私は国務大臣の一人としてそういう考え方を持っておるのであります。 アメリカあたりでは、二年に一ぺん、四十八時間以上のゼミナーを受けておらなければ免許証の再交付はしないという州もあるのであります。これも一つの方法であろうと思います。それだけの研究を積まなければ医者として通用させない、免許証は再交付しないといった制度をとっておる。シカゴあたりはそういう制度をとっておるのであります。私はこれも他山の石として参考にすべき事柄ではないかと思っておるのであります。 その意味においては、国・公立大学の付属病院があるということは、地域のお医者さんにとっては医療水準が非常に高まるということなんでありまして、立地条件等の関係もありますし、いますぐ急にふやすと申しましても、基礎医学の教官というものを確保することが、これは容易な問題じゃないのであります。新聞で御承知のように、ことし東大で基礎医学に残る学生がたった一人——ゼロと新聞には出ておりましたけれども、ゼロではありません。一人という状態で、医科大学を増設しましても、基礎医学の教官からまず確保することが必要であるし、国立大学の場合は、必ず看護婦の養成施設をつくらせておりますから、この問題は待遇の問題と同時に解決できる問題である、私はそう考えております。それから看護婦の場合は、相当老齢になりましても、パートタイマーで使う道が将来はできてくる。いまのニッパチ制がもう少し改善されるならば、一ぺんはやめたけれども、六時間看護婦で働いてみようかとかいう人が出てくるならば、看護婦問題もおのずから解決する時期が来るだろうという考え方を持っております。 私は、人口の増加というものを考えます場合に、いまの千二百とか千四百とかという数字が固定的なものではないという考え方に立っておるものでありますということをひとつ御了承願いたいと思います。 それから、文部省の役人に私は決してだまされておりません。私は私の信念でやっておりますし、文部省の連中は非常に熱心に協力をしてくれておりますから、その点は誤解のないようにひとつよろしくお願いいたします。
○勝澤委員 大臣はちょっと勘違いしていると思うのですよ。私は私立の設置基準をきつくせよという気持ちはないのです。いまの設置基準に合ったものがあったらどんどん設置させなさい。なぜならば、国・公立は力がないわけですから、大臣が幾らここで力んでりっぱな演説をぶったって、大体佐藤内閣は言っていることとやっていることはこんなですよ。それは事実数字がそうなっているじゃありませんか。たとえばここで四十五年、四十六年、四十七年、医科大学と医学部が解禁になってから一体どれだけ国・公立は人がふえたのですか。ますます私立とはアンバランスですよ。それほど国は今日まで医科大学や医学部について何もしてこなかったわけですよ。ようやくいま高見大臣になられて、それじゃいかぬということで国・公立、国・公立と言い出し始めているわけですからね。ですから私は、たとえば四十七年のやつを見ても、私立が六百八十名、国・公立が百四十名という比率ですよ。私立は私立なりに役割りをやってきたわけです。それはなぜかといえば、国がやらないからですよ。国が積極的にやれば、これは私立もこういうことはやってはいけないということになるのですよ。だから別に私立の設置基準をきつくする必要はない。いまの基準でけっこうですよ。いいやつはやはりどんどん育成強化していけばいいわけです。 そこで、私は次に、いま大臣の言われている私立よりも国・公立を強化せよ、これは私も同意見なんです。それは当然なことです。どうですか。それでは来年は予算で幾つですか。ことしは私立が七つですよ。来年はそれでは一体大学を幾つふやして増員をやるのか。大体どのくらいですか。
○木田政府委員 国・公立の増員につきましては、実は三十六年から四十六年までをとりますと、国公立で千人、私立で八百八十という増でございまして、医科大学につきましては、やはり増員につきましても国・公立が中心になっておったということはいえるかと思っております。 先ほど来数字についての御指摘がございましたが、私どもも千二、三百の増加ができたらそれで終わりということではございませんで、その余の増員のことは、また医療制度の改革の状況とあわせてさらに検討すべきものである、こういうふうなことを指摘してあるわけでございまして、今日の増員が十年先にその効果が出てまいりますから、年々新しい動きに対応してそのことを検討していくという姿勢で増員のかまえを持っておるわけであります。 その際に、先生御指摘がございましたが、十万人について百五十人がいい、多ければ多いほどいいと必ずしも——私どもの関係でないものですからわかりませんが、イギリス、フランス等は百十人程度の低い数字でございまして、それぞれの国の医療体制とのからみもあるのだというふうに考えておるのでございます。ただ、昨今の状況から、どうしても相当数の拡大をはかり、さらにその目標が達成されたならば次の手順を検討していく、日々その検討を進めていく必要があろうかと思いまして、調査会の御意見のような文面になっておる次第でございます。 これからどうするかという問題につきましては、この調査会の答申の中にも、公的な医科大学を中心にして考えていくべきだということを指摘されております。私ども、千二、三百の増という言い方で、私立を中心にこんなにもたくさん出てまいるというような状況でございますと、これからの進め方につきまして、国・公・私のバランスをどうしてとったらいいかということも大きい課題になってくるわけでございまして、いまとかく論議のあります私立の医科大学、国・公立の医科大学とあわせて、慎重な将来計画をさらに具体的につくっていかなければならぬというふうに考えております。
○勝澤委員 計画もけっこうですけれども、つくりたいところはどんどんつくらなければ、絶対数が足らぬのですから、始まりが。ですから、あまり理屈が多過ぎると私は思うのですよ。それは、局長が医者にかかるときに、自分で考えてみればわかると思うのですよ。あるいは娘さんやむすこさんが医者にかかるとき、一体どこの医者にかけるかということを考えてみたらいいと思うのです。そういうことを考えたら、いい医者、いい病院をたくさんつくろうということなんですから、採算なんということは問題じゃないでしょう。いまから五年先、十年先のことを考えると言ったって、そんなことを考える必要はないのです、絶対数が足りないのですから。絶対数が足りないのをどうやってふやそうかということです。しっかりしたものをですね。そうしたら大臣は国・公立をふやそうと言うのですが、文部大臣、来年は国立を、旭川と山形と愛媛ですか、三つの計画をされているようであります。それ以外は、四十七年度は予算の関係でできなかった、その後の計画を来年度で見てみますと、調査費という形で五百万の予算が盛られておるようですけれども、その後はどういうふうにお考えになっておりますか。
○高見国務大臣 まだ具体的にどこと申し上げるわけにはまいりませんが、実は四十七年度に要求いたしておりましたのは、旭川、山形、愛媛、このほかに静岡、佐賀と出ておったのであります。私は文部大臣をやっております静岡選出の議員でありますから、政治家のモラルとして、静岡だけは私が辞退をいたしました。そこで、来年は私はおそらく文部大臣をやっておりませんから、一生懸命になって静岡を推すつもりでおります。勝澤君と同じ選挙区でありますから、どうぞひとつよろしくお願いいたします。
○勝澤委員 いまの大臣のお話を聞いていると、静岡に医科大学ができなかったのは、高見文部大臣が静岡の出身だからできなかったのだ、ばかを見たのは静岡の人で、大臣のモラルのために損したのだ、こういうことになっちゃうのですよ。大臣、そうでしょう。静岡につくることは何も問題はなかった。問題はなかったけれども、大臣が在任中に自分のところにつくるのはモラルだ、それじゃ大臣、大臣はそれでいいかもしれぬけれども、私はやはり地元だから、大臣のモラルなんかほったらかして、静岡はほしいのだからつくらなければいかぬじゃないか、こういうことになるのです。しかし、まあいいでしょう、四十七年度のことを言ってもあれですから。さらにやはり四十八年度は、これは要望が強いわけでありますから、ことしの経過にかんがみ、ぜひひとつ努力をしてもらいたいと思うのですが、もう一度どうぞ。
○高見国務大臣 ぜひ勝澤君と御一緒に、党派を越えてこの問題を実現させたいと思いますので、よろしく御協力をお願いいたします。
○勝澤委員 最後に、私は締めくくって申し上げますと、結局医科大学なりあるいは医学部の問題なりというのを考えてみますと、いろいろな事件が起きておりますけれども、事件が起きた経過というものは、先ほど局長が言われましたとおり、ここ十年間とにかく医療問題というものが根本的に議論はされてきたけれども、なかなかそれが政治の場へ持ち上がらず、依然としてベールをかぶったままきて、ようやく今日、全然別個の形で、にせ医者だとか不正入学だとか、あるいは設置のでたらめだとか、こういう問題から実は医療問題の恥部が出てきた。そして、それを突き詰めていったら、医者の不足というのは決定的であった。よそに比べて、いかに日本が経済力を誇っても、世界の三十何番目だというこのことだけは、佐藤さんにやっぱりいつかしっかり言おうと思うのですけれども、こういう状態にまでなってしまった。まことにお粗末な、みっともない話であります。しかもそれを基礎に置いて、何とかひとつ追い抜き、追い越そうという経済の伸長は考えておるけれども、医療行政において、あるいは医師養成においては、まだまだおくれた考え方を局長もあるいは厚生省も持っておる。これは情けない話であると私は思うのですよ。ですから、やはりもっと積極的に、長期のものですから、大臣が持論として言っております、何とかこの際国民の医療を守るために国・公立というものを拡充強化していかなければならぬ、これは私も同意見であります。ですから、医科大学なり医学部の問題というものは、特殊な問題として、いま起きている事件というものを十分考えながら、その批判として積極的な姿勢を特に私は要望しておきます。
○高見国務大臣 最近できました医科大学にとかくの問題があるというところから、設置審議会あるいは私大審議会等というものの基準をもう少し高めなければならぬ。御承知のように、旧来あります医科大学は、どこの大学を見ましてもりっぱな大学で、りっぱな先生がおられます。しかし、新しくできた大学には残念ながら企業意識のほうが先に立っておるということは、これは否定できない事実であることは、勝澤さんも御承知で、先ほど御指摘になったとおりであります。だから、新しい私立医科大学の設置基準については、もう少し厳格な基準をつくらなければこれはだめだということは私は信念的に考えております。私は私立大学ができることを反対するわけじゃありませんけれども、旧来日本にありました私立大学のりっぱな経営というものを考えてみます場合に、一体医科大学は病院を持ってもうかっている道理はないのであります。現に、固有名詞を出すことはあれなんですけれども、慶応のごときは、実は病院があるがために六億三千万円の三田の学舎からの収益をつぎ込んでおる。これには不正入学も特別寄付金もさすがに一文だってとっておりません。いままでの慶応大学というのは、慶応病院の収入を三田の学舎につぎ込んでおった。それが逆になっておるという事実から考えてみますると、私立医科大学が企業として考えるならばこれは許すべきもんじゃない、私はこう考えております。それが許されるとするならば国・公立をふやす以外にないというのが私の持論であります。この点は誤解のないようにひとつ御了承願っておきたいと思います。
○丹羽委員長 この際、暫時休憩いたします。 午後三時三十一分休憩 ————◇————— 〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕