公害対策並びに環境保全特別委員会 第21号
- 発言数
- 110 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1972/05/24
会議録
○田中委員長 これより会議を開きます。 内閣提出、大気汚染防止法及び水質汚濁防止法の一部を改正する法律案並びに島本虎三君外七名提出、公害に係る事業者の無過失損害賠償責任等に関する法律案の二案を一括議題とし、審査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。土井たか子君。
○土井委員 それでは、まず大石環境庁長官にお尋ねをいたしたいと思います。 今回の改正法案も含めまして、長官御自身公害に臨む政治の態度と申しますか、姿勢といいますか、それは被害の救済そのものを考えておればよいとお考えになっていらっしゃるのか。それとも被害が発生することを予防していかなければならない、その被害の発生の予防にむしろ重点を置いて考えるべきだとお考えになっていらっしゃるのか。まあこんなことはもはや明々白々のことであるかもしれませんけれども、しかし、一応このことをまず前置きとして確認しておきたいのです。
○大石国務大臣 それは何と申しましても、公害の防止をすることが公害を起こさぬための一番大事な条件でございます。そういうことで無過失損害賠償責任法案の考え方も、これは直接には患者の救済ということにはもちろんなっておりますけれども、何と申しましても、全体のいわゆる環境行政と申しますか、公害行政の一環として、やはりできるだけ患者を発生させない、公害を起こさせないということに一番重点を置いてまいりたいと考えております。
○土井委員 そういう基本姿勢で臨まれているわけですから、現にもう不幸にして引き起こされてしまっております被害者についてはできる限りの救済、最大限の救済をすべきであるという基本姿勢は、もちろん今回の改正案の中にも生かされるべきだというお考えで臨まれておりますね。
○大石国務大臣 おっしゃるとおり考えております。
○土井委員 それではいよいよ本題の質問に入りましょう。そういう前置きというのを私も念頭に置きながら質問させていただきたいと思います。 まず第一に、これはいままでの各委員の質問の中で再三再四繰り返されたことだと思いますけれども、今回の改正案というのは、無過失責任の対象を大気汚染と水質汚濁について適用を限っているわけですね。大気汚染や水質汚濁以外に、いま御承知の公害対策基本法の二条一項にあげられた公害というのは、それぞれ内容に対してもかなり切実な被害者側からの訴えというのが出ておりますし、また、もっともっとこのことに対しての予防対策というものをどういうふうに講じていったらよいかという課題もそれぞれあるわけです。ところで、今回の大気汚染や水質汚濁にのみ改正の対象をしぼって無過失責任というものを追及しようとしているこのあり方については、なぜこれだけに限ったかという疑問、さらに質問がいままでるる展開されてきたと思います。ところが、その節必ず答弁として繰り返し繰り返し述べられてまいりましたことは、大気汚染や水質汚濁以外の、たとえば騒音であるとか振動であるとか、あるいは地盤の沈下であるとか等々の問題については、実害の測定が困難であるというふうなことが述べられてまいりました。まあこれは一つの理由だと思うのですけれども、しかし実害の測定が困難だという意味においては、大気汚染についても同じことがいえますし、それから水質汚濁の問題についても同様のことがいえると思うのですね。ですから、何かそれ以外に特にこの二つ、大気汚染と水質汚濁に限ったという合理的な理由がなければならないのじゃないかと私は考えるのです。特にこの問題は、大気汚染と水質汚濁防止法の規制物質にさらに限定しておりますから、そういう点からいいますと、いままでのいきさつを考えました場合に、公害史を見てもわかるとおり、企業者の私法上の責任が最も問題になってきたのは未規制物質についてだったといういきさつがあるわけですね。 そういうふうな点からしますと、いまここで規制の対象に置かれていないそれぞれの物質を問題にしながら責任を追及しようとすると、無過失責任ではなく、いまの民法七百九条によるところの過失責任主義によらざるを得ないという問題がまた再度提起されてまいります。そうすると、むしろ七百九条の中身については長官もよく御承知のとおりで、判例だとか学説については無過失責任と過失責任主義というものの境界線というのはかなり流動的になってきているわけですね。無過失責任という範囲を拡大して考えようじゃないかという前進的な考え方というものがだんだんと出てきているわけです。そのときに、こういう具体的に規制対象ということを限定を置いて、そして規制物質についても限定を置いて無過失責任はここまでというものの考え方で臨むということになりますと、現に前進しつつあるところの判例だとか学説のあり方についても一定の限定をこれによって加えることになりはしないか。つまり、民法七百九条の過失の解釈について、この改正案によって不当な影響というものがあるいは出てきはしないかという一部の心配があるのです。このことについてどういうふうにお考えになっていらっしゃるかということも、あわせて先ほどの合理的な理由がどの辺にあるかということと、それからいま申し上げた七百九条に対する影響はどういうことであるか、これをひとつお聞かせいただきたいと思うのです。
○大石国務大臣 なぜ水質汚濁と大気汚染防止法の二法だけに限ったかということでございますが、それは大きな理由が二つございます。 一つは、先ほど指摘されましたように、原因と結果と申しますか、因果関係がまだ明確でない、たとえば振動であるとか騒音であるとか、あるいは悪臭とか、こういうものの因果関係が明確に確立しておらない点が非常に多いと私は思います。そういうものはいま取り上げましても、直ちには正しい裁判の早い判定があるとは考えられません。 そういう理由と、もう一つ、これは事務的、時間的に——この法律案をまとめ上げますときには、はっきり申しますと、新しい環境庁ができてからまっ正面から取り組んだということがあると思います。そうしますと、約半年余りの間にこの法案を仕上げますことにつきましては非常な努力が要りました、これは新しい考え方がありますので。そこで、いろいろと前に申し上げましたように、その他の財産の問題とかいろいろな問題についても当然われわれは考えなければならぬと思っておりますけれども、そういうものに対してはとてもそれだけの大きな法案をつくるだけの時間的余裕がありませんでした。しかし、何と申しましてもこれは公約でありますし、このようなものの考え方を行政面に取り入れることが大事であると考えましたので、この基礎をつくろうということで、とりあえず一番大事な健康被害だけに限りまして、二つの法律の改正案に限ったわけでございます。私たちはこれで満足だとは思っておりませんので、一つ一つ範囲を広げてまいりまして、近い将来には総合的な、ほんとうに役に立つりっぱなものに仕上げたい、こう考えておるわけでございます。 それから、あとの場合は、大体いままであげてあります特定物質ですか、こういうもので、まずいまの段階では健康被害に及ぼす有害物質はこの範囲で大体いっぱいだろうということであれを入れておるわけでございますけれども、なるほど未知の物質が出てくるおそれは確かにございます。また、それを出さないようにすることが今後の行政の努力でありますけれども、しかしこれはわかりません。出てくることもやはり予想しなければならないと思います。そういう場合には、おっしゃるとおりこれは何とかしてやはりそういうものが出たら直ちに取り入れられる仕組みを考えなければならぬと思います。たとえば先日いろいろな御議論にもありましたようにPCBですね、これなんかも有害であることはわかっておりますから、当然直ちに取り入れなければならないと思います。ただ残念なことに、このものの測定法がなく、実態をまだつかみかねているのです。そのものは、つくることでわかりますけれども、それが土壌とかいろいろなものにまじった場合その実態がどうかということは、分析がはっきりしていないところに難点がございますけれども、いずれそんなものは近いうちに解決されると思います。そういうものを考えて、PCB等はやはり取り入れなければならないと考えております。 その他の未知の物質につきましてはどのような形でこれをとらえたらいいか、これも私はいま具体的に申し上げられませんが、おっしゃるとおりいつでもこれを取り入れて、とにかくわれわれの健康や生命にいろいろな影響を及ぼすものは全部入れる、そういう形で進んでまいりたい、こう考えておるわけでございます。そうすれば必ずしも、いま申しましたような過失責任の範囲を広げるとか、あるいは無過失責任の考え方を制限するとかということにならないようにしてもらわなければならない、こう思う次第でございます。
○土井委員 基本的な姿勢を一番最初にお伺いした限りで、被害者について最大限の救済ということをやはり考えなければならない。その場合には裁判上はやはり迅速性ということを確保することも一つの要件だと思いますが、それと同時に、最大限の補償をするということになってまいりますと、いままで放置されていた被害者について手を差し伸べるということは重要視されなければならないたいへん大事な要件だろうと思うわけです。そういう点から、いまの大石長官の御発言に即応して、これから立法上の措置も重々考えていくという御趣旨の御説明でございますから、今回のこの法案に対して決して満足はなすっていらっしゃらないということを再確認させていただきたいと思うのです。 ここで、いま申し上げている問題の中にむしろこれは入るわけですけれども、十九条の二項で「有害物質となった日」という表現がございますね。この中身は、物質の有害性の認定が事実によって確かめられた時点をさすのか、それとも法令によって有害と指定された時点をさすのか、これはいずれでございますか。
○船後政府委員 ただいまの御指摘は水質汚濁防止法の一部改正の十九条の二項でございますが、この時点は、水質汚濁防止法の系統で有害物質というものが政令で指定されることになっておりますので、政令で指定されたときからでございます。
○土井委員 そうしますと、先ほど大石長官がちょっとお述べになりましたけれども、PCBの問題などは、これは具体的に言いますと、政令で中身が取り上げられて、有害物質だということが認定されたその瞬間から、ただいま問題になっております改正法案の中身に入れて考えていってよいということになるわけですか。
○船後政府委員 PCBにつきましては水質汚濁防止法の規制対象物質とすることを現在非常に急いで検討いたしております。PCBにつきましてもこの政令で有害物質に指定いたしますれば、そのときから無過失責任の対象物質となるということでございます。
○土井委員 もちろんPCB以外に、有害物質ということで取り扱っていかなければならない他の物質はたくさんあると思うのですけれども、特にいまPCBというのは注目の的でありますから、これがどのように取り扱われるかということは、かなりの人がこれに対して関心を寄せております。またこれに対していかに政治がこの予防措置を講ずるかというのは大きな課題ということでもありましょう。 そこで、いま政令でどう取り扱うか、あるいは一部水質汚濁防止法の法律の中身の改正という形によってこの問題を取り上げて規制の対象にするかといういずれかの方法、これはあるでありましょうが、具体的にどういうふうに作業がいま進められているかという点について、少し具体的にお聞かせいただきたいと思います。
○船後政府委員 PCBにつきましては、現在特に慢性毒性が問題になっておるわけでございます。このためには、一つには食品の安全基準、魚でございますとかあるいは肉類でございますとか、こういうものに含まれておるPCBが食品安全の見地からどの程度の許容量がいいかということにつきましては、現在厚生省で急ぎ作業をいたしておるわけでございます。環境庁におきましては、これらの成果も、その関連も考えつつ、排水につきまして暫定的な指導指針というようなものを取り急ぎ策定いたしたい。そして他方においてPCBの生態系あるいは人体に及ぼすいろいろな影響についての研究を進めておりますので、そういった調査研究の結果を待って排水基準と環境基準というものの設定に進みたい、こういうことで作業を進めておるわけでございます。
○土井委員 これは具体的な事実によって被害者が出て、そうして有害物質であるということが認定されてからあと、たいていの場合はこれに対する規制基準が問題にされてみたり、さらにはやっとのことで法律の中身にそれが組み入れられたりするいきさつが、過去においては繰り返し繰り返しあったわけですから、この「有害物質となつた日」というのも、私たちはこの中身がどういうふうに考えられておるかという点についてかなり心配をするわけです。そこでいまのPCBの一件なんかについては、世上たいへんに騒がれておりますから、これについては早急に手を打たなければならないという姿勢があることは事実でありますが、世上であまり騒がないでおりますと、こういう問題についてもこれはなかなか促進されないというふうな事情があるわけですから、「有害物質となつた日」というのが、法令によって確められた日であるかどうかというのを再度お伺いしたわけです。法令によって指定された日、その時点をさすということであるなら、これは後手後手ではなくてよほど積極的な姿勢で事に臨むということが要求されると思うのです。そのことについては大石長官、どういうふうにお考えになりますか。
○大石国務大臣 PCBにつきましては、私はできるだけ早く入れたいと思います。幸いに、と申しますとしかられますが、不幸な事例が起こりましたが、その事例によってPCBが人体にきわめて有害であるという証明がなされたわけなんです。ですからこれは有害性というのははっきりわかっております。ですから私はいまでも入れたいのです。なぜ多少ちゅうちょしておりますかと言いますと、PCBの実態を測定することがまだ不可能なんです。いま基準をつくるとかなんとかいいますけれども、基準なんか残念ながらまだつくれません。ほんとうの指針みたいな中途はんぱなものしかつくれない。それでもつくらないよりつくったほうが幾らか役に立ちますし、それから人心にも不安を与えませんので、一応大まかな指針をつくりまして、この限度まではよろしい、これ以上はだめであるという、非常な安全性をとった指針を近くつくるつもりであります。ですが、そういう場合、大まかなものがはたしていろいろな裁判の場合にどれだけ役に立つかという問題だと思うのです。問題は、いまのPCBというのをいざはかります場合に、たとえばこれだけの実態のものがあるといろいろな反応に出て、これだけ大きく出てくるわけなんです、これだけ小さいとこれだけという比率がはっきりわかっておれば、それはそういう考え方がありますから、それで測定もできますけれども、その実態そのものが、まだ分析でつかみ得ないというところに一番大きな、むずかしい問題があると私は思うのです。それをできるだけ早く測定してもらいまして、その測定の大体の見当がつきましたら、私はすぐこれを指定して、PCBも特定の有害なる物質に加えなければならぬと思っておりますが、そのかね合いで多少ちゅうちょいたすわけでありますけれども、一年も半年もかかると思いません。これはごく近いうちに厚生省である程度分析方針を打ち出されるということでございますから、それの大体のめどがつきましたら私は入れたいと思っておるわけでございます。 それから将来未知の有害な物質が出た場合にどうするか、私もいま土井委員と同じように、適用する時限ですね、一体どこにその判定の基準を置いたらいいのかということを考えているのですが、考えてみますと、未知のものでありますから、それはわからないのです。これからいろいろな新しい化学物質がつくられます。それがどのように人体に有害であるかということは全然わからないのです。どのようなものが出るかもわかりません。ですからそれが有害であるということは実際にそのような有害な実例が起こってみないとわからないことなんです。 もう一つは、その前に有害であることが考えられれば——それは構造式でわかるわけなんです。そのような構造式で有害が予想されるものは絶対に製造なり販売なりは許可してはならないと私は思います。そういうこれからの行政でなければならぬと思うのです。有害である、つまり無害であるという証明がなされない限りは、同時にその廃棄物も無害であるという証明がなされない限りは製造なり販売の許可をしてはならないという、私は行政の基本的な方針を早く確立しなければならぬと考えておるわけでございます。 そうなりますと、われわれの現在の科学知識で予想し得るものはそれで全部危険性がなくなるわけでありますけれども、それでもなおかつ、われわれの科学知識、科学技術なんというものは中途はんぱでありますから、やはり予想しないようないろんな実例が起こるかもしれません。こういう場合にはいつから判断するかというと、実際にそういう被害が起こってみない限りは有害であるとはいえないのですから、どこで判断をしたらいいのか非常にむずかしいと思いますが、そのようなことももう少し突き詰めましてしっかりしたものの考え方をきめなければならぬ。想定のことでありますからなかなかむずかしいのでありますが、そのようなことで、おっしゃるとおりいまの項目はそのままで私は満足しないで、もう少し突き詰めて考えてみることが必要であると自分でも思っている次第であります。
○土井委員 いまの御説明を承っていて再度一つだけ確認してみたい点が出てまいりました。それは有害物質という認識であります。 これは現に被害が起こっていなくてもカメの甲の方程式から考えて、先ほど長官おっしゃったとおりに、これは有害性であると認識されるような物質について有害物質と認識していいのか、それとも実害が起こらないと有害であるということがここで問題にされ得ないのか、いずれでありますか。たとえカメの甲でそのことが問題にされていなくても実害という意味で被害が起こる場合もあるでしょうし、それからさらには実害という被害が現に起こっていなくてもカメの甲の上でこれは有害性があるというふうに認識できる場合もあるだろうし、この有害物質と書いてある有害性というのは一体どういうふうに考えたらいいのでしょう。
○大石国務大臣 それは私は、有害というのは実際に有害であることが証明されたものが有害でなければならぬと思うのです。それ以外では有害であるとはいえないと思うのです。われわれが実際に使う場合、物を使用するとか製造するとかは別として、有害というものの考え方は、そのものが実際に有害であるという証明がなされない限りは有害とはいえないだろうと私は思うのです。ですから有害とは、たとえばこれが毒かもしれないと思われましても、それが何らの影響がなければ有害だとはいえないと思うのです。そういう意味で、構造式においてたとえばクロールが入るとか何とかがあると有害であると普通は考えますから、そういうものは初めからつくらせないようにしなければだめです。そういうものをつくらしたり使用さしたりしたらそれこそどういうような公害が起こるか予想できることですから、そういうものは絶対に許可してはならないと思うのです。われわれが現在の科学知識において有害であると考え得るようなものは断じて使ってはいけないと思うのです。それは使ったら、私は過失どころか故意だと思わなければならぬと思うのです。ですからそういうものはつくらせてはいけません。そうすると、われわれがいろいろないまの知識においてこれなら有害でなかろうと思ったもの、有害と予想できないもの、そういう物質をかりに使ったといたします。その場合にそれでいろいろな弊害、害毒が起これば初めて有害ということになるわけでございまして、起こらない限りは有害であるとはいえないと思います。有害でありません。そういう考え方で、ですから、将来未知の有害物質が出た場合もやはりそのような実害が出ない限りは有害でないのですから、われわれのいまの科学的知識で毒性が予想されるものは断じて使わせないという方針でいけば、結局われわれが想像もつかなかったようなものからかりに被害が起これば当然有害と断定されますけれども、起こらない限りは別に有害でも何でもない、われわれに何らの支障がないわけでありますから。そこに私は非常にむずかしい問題があると思うのです。有害だと予想されるのは、これは絶対だめですけれども、未短のものというのは結局出た出ないがわからないのですから、出た結果でなければ有害であるとはいえないと私は思います。
○土井委員 それじゃその実害が出た限りの問題に限定してお尋ねしましょう。 その現に被害者が出たという場合に、その有害物質を取り扱う際、規制基準を問題にすることが先でございましょうか、まずこれは有害物質であるから、一応この有害物質によって起こった、また起こり得る被害に対して何とか手を打たなければならぬということのほうが先でございましょうか。
○大石国務大臣 起こり得るということは、これは考えられません。起こり得るものはすでに予想できますから、それは手を打たなければならないと思います。問題は起こってからの対策なんです。ですから起こらないかもしれないけれども、あらゆる科学が進んでこれから新しくつくられる物質が害毒を起こし得るというものは、これは絶対に使わせちゃいけないと思います。起こり得るという想定がされるものであって、使用した場合に実際に害毒が起これば、それは私は過失だと思うのです、一般的に。決して無過失じゃない、責任があると思う。ですから起こり得ると考えられるものは絶対に使わないということを前提に考え行政をしなければだめだと思います。 そうすると、じゃ将来どういうことがあるかといえば、絶対に起こり得ないと考えられるものの中から害毒が出てきた、被害が起こったということ以外には私は考えられないと思います。そうなりました場合には、はっきり被害が起こってから初めて有毒であることがわかるわけであります。ですからその場合に、被害者の救済にははっきり有害であると証明された日を基準として考えるのか、その物質を使った以前、つくり始めたときに考えるかどうかというところに私は問題があると思うのです。私自身の気持ちとしてはそのような判断の日ではなくて、もっと前にさかのぼって、そのようなものをつくってきたことに責任があると思うのです。ですからそれはもうわからないことであって、そのようなくらいに法律を解釈していきたいと思いますけれども、その解釈は法律家の判断によりますが、私はそのような考えに将来はもっていきたい、こう考えております。
○土井委員 いまお尋ねしたことと御答弁がずれているようです。あるいは私の質問のしかたが悪かったかもしれません。ただ終わりのほうで少し私の趣旨に即応したようなお答えを伺うことができたわけです。つまり被害というものは現に起こってしまった、その起こった時点から問題にするのか、製造時点にさかのぼって問題にするのか、その点が一つあるということと、製造時点にさかのぼって問題にするということならば製造規制の問題が出てくるでしょう。ところが、製造したから、使用して、その結果そういう被害が起こったということですね。使用段階でやはり規制基準というものが問題になってくると思うのです。環境基準、排出基準等々によるところの規制基準というものが問題になると思うのです。規制基準のあり方をどう考えるかという問題が一つ出てきやしませんでしょうか。ところが、いまここで問題にしている有害物質となった日というのを考えながら被害者救済をおもんばかる場合に、規制基準というものがあって初めて法令ということが問題にされるのか、法令でもってまずこれは有害物質だという認定をしておいてから規制基準というものはあとでよろしいのかどうか。これはあくまで被害者救済というところに無過失賠償責任という問題を持ってまいりますと、そのことは具体的な例に当てはめて考えた場合にやはり一つの問題点として出てこようと思うのです。この点はいかがでしょう。
○大石国務大臣 いまのお尋ね、ちょっと土井委員と私の考え方が食い違っているのかもしれませんが、製造の規制をしますね、その規制のしかたはどうかというのですが、そのものはりっぱに規制してある。毒性がないという前提のもとに規制してあるわけです。いま考えられるあらゆる努力の結果、これは十分無害であるという基準なり規制のもとに規制してあってつくるわけですから、しかしそれがたまたまわれわれ人間の知恵で及ばなかったような害毒が発生した場合にどうか、そのことが問題になっているのですから、規制ということよりは一番問題になるのは、これは食い違いかもしれませんが、有害であると断定された日からこれを適用するのか、その前から適用するのかということが私は一番問題だと思うのです。規制のしかたというのは、これは規制はしてある。それに適合したものがつくられて、適合しないものはつくられませんから。ただいまの人間の知恵、能力で考え得る、努力した結果無害であるというすべての規制を通ってつくられたものですからね。これはわれわれの現在の判断では絶対に間違いがあるはずがないですね。間違いがあると思われるものはとめられますから。これはとめなければなりません。ですからりっぱな規制の網を通ったものがいくわけですから、それ以外の規制というものはちょっと私には考えられません。 〔委員長退席、島本委員長代理着席〕
○土井委員 ちょっと問題点がぼやけてきているのですが、いまのPCBなんかの例をとって少し問題点を整理してみればあるいはわかるかもしれません。 被害が発生してしまってからあとの問題を私はお尋ねしているわけです。ですから、被害が起こり得るということが予想される物質についてはもちろん製造禁止という手だてだとか製造を認めないという行政措置というのが講じられるべきでしょう。長官のおっしゃるとおりだろうと思います。しかし一応その網の目をくぐってだいじょうぶであろうという認定のもとに製造されて出発してしまっているわけですね。そして使われて、その結果被害が起こったという場合をいま問題にしておるわけです。被害が現実にもう出てしまっているという場面からいまお尋ねしているわけです。ですから、被害が出てしまったという時点から見ますと、有害物質となった日という問題を考えていくと、その被害が出た瞬間から問題とすべきか、それともだいじょうぶなのだという認定に基づいて製造され使用されてきたところにまでさかのぼって問題とすべきかという点が一つありましょう。これを私は終始お尋ねしているわけなのです。
○大石国務大臣 いまのこの法律の詳しい解釈につきましては政府委員からお答えさしたいと思いますが、私の考えでは、おそらく有害であると判明したときから適用されると思います。しかし私自身の気持ちはそれでは足りない。やはりさかのぼりまして製造された時点から、あるいは販売された時点から考えなければならぬじゃないか、そういうふうに持っていきたいというのが私の考えでございます。ですから、そこの解釈はひとつ政府委員から……。
○船後政府委員 ただいまの御質問は有害物質がどのような段階から法の規制の対象になっていくかという問題であるかと存ずるのでございますが、まずたとえばPCBのようにいわゆる合成された化学物質でございますが、こういうものにつきましては、現在製造の段階あるいは販売の段階というものにつきまして環境に及ぼす影響あるいは人体に及ぼす影響といった見地からの規制措置は法的にはございません。ただこの問題が、農薬のDDT、BHCあるいはPCBというように、未知の化学物質が蓄積されまして影響を及ぼすということの重要性にかんがみまして、現在通産省におきましてこれらの法的規制をどうするかという問題について検討をいたしておるところでございます。そういうことになりますとどういう規制体系ができ上がるか、われわれ詳しいことは存じておりませんが、先ほど長官が申し上げましたように、商品として売り出される前にやはりその急性あるいは慢性の毒性というものを見きわめまして、その上でもって販売がされるということにならなければならない、かようにわれわれは考えております。 それから次に、大気、水質におきまして規制いたしておりますのは、工場あるいは排出口ごとに、有害である物質が排出され、排出の結果環境が汚染されて人体あるいは生態系に影響があるということを取り締まっておる法律でありますので、そういった排出口のところで出るのをつかまえるわけでございます。そこで現在の体系では、たとえば水でございますと、人の健康にかかわる被害が出るおそれがある物質というのは、水質汚濁防止法の第二条二項でもって政令指定をするわけでございます。そして第三条に排水基準の規定がございまして、この指定されました有害物質についてそれぞれ排水基準が定められる。したがいまして、法的に解釈いたしますれば、第二条二項の有害物質の指定と排水基準の設定というものは一挙動で行なうのが妥当だと思います。しかし物質によりましてはそうはいかない。有害物質の指定だけが先行いたしまして、排水基準の指定がおくれるということもあり得ると思います。水には現在そのようなものはございませんが、大気のほうの系統では、たとえば大気汚染防止法の第二条一項の三号では、ものの燃焼、分解等に伴い発生する物質というものを政令指定することになっておりまして、この中に窒素酸化物が指定されておりますが、窒素酸化物につきましてはいろいろ測定あるいは影響等に関するむずかしい問題がございまして、現在のところ排出基準というかっこうのPPMの定めがないという状況でございます。こういうものも経過的には措置していきたいと考えております。
○土井委員 いまのお答えで、法令と規制基準との関係というのが少しわかりました。 ところで長官、先ほど被害が出た時点からの質問を私申し上げて、そしてあとは製造された時点にまでさかのぼってこの有害物質となった日というのを考えるのがむしろ好ましいであろうというお答えをいただいたわけです。 それならば、その問題についてもう一つお尋ねしておきたいことが出てまいります。といいますのは、そういうふうに考えてまいりますと、今回の改正案の中身では差止請求というのがどこにもございません。製造工場に対する差止請求、製造事業場に対する差止請求というのがございませんですね。しかしいま長官がおっしゃったような解釈、考え方からいきますと、被害が出た場合には、その有害物質を使用した工程におけるところの事業場、さらにその有害物質を製造したところの事業場についてまでやはりこの無過失賠償責任というものは及ぶわけでございますか。
○大石国務大臣 私もそこのはっきりした詳しい法律的なことはお答えしかねますけれども、差止請求権に関連して考えますと、かりにそのような有害な物質であるという疑いでも出ましたら、さっそく製造禁止とかあるいは工場の操業停止とか、そのような措置は必ず近い将来に出てくると思うのです。そうしなければ私は公害被害を防げないと思うのです。ですから、いますぐ半年や一年ではそういうことにならないかもしれませんが、近い将来にはそのような疑いのあった場合にはしばらく操業をとめるとか製造禁止ということをしなければならぬような時期がくると思うのです。そういうものは、みんなから差止請求が出てこなくても、当然行政でそのようにやるようなことでなければならない、そう考えるわけでございます。
○土井委員 実はすべての大臣が大石長官のような感覚でいてくだすったら私は大過ないと思うのですよ。ところが現実におきましては、通産大臣あるいは農林大臣あるいは各大臣がそうでないために、いままでにもいろいろな問題が激発し、そして激増し、どうにもならない。後手後手行政だというような非難が高まってきているわけですから、その点で環境庁長官に対する期待は大なるものがあると思うのです。だからいろいろな点で、環境庁長官はこういう問題に対してどういうふうなお考えをお持ちであるか、具体的にどれだけ実行していただけるかということが私たちとしては大きな課題になってきているわけで、そういう点からしますと、今回の改正法案の、一の物質が新たに有害物質となった場合とか、なった日というようなことのものの考え方も、先ほど長官からお伺いすれば、確かに長官の感覚というのはそこまでいっていると私は確認させていただいて、しからば今度の法案の中で、たとえば差止請求の問題について、どうもいま長官のおっしゃったような感覚がうかがい知れるところの条文がない。あるいは、もう一つ言いますと、行政官庁というものがこういうことに対していつも手をこまねいている——手をこまねいているだけじゃないのです。自治体についても、場合によったらごまかしたりあるいは隠蔽したりするような場合が多々あったために、こういうあとの被害者救済ということに対して後手であったり、あるいは十分な手を尽くすことができなかったりしたいきさつがずいぶんあるわけですね。ですから、そういう問題からすると、住民がこのことに対してどれだけ声をあげることができるか、住民請求ということができる道がどれだけ講じられているかということは一つの大きなきめ手であると私は思うのですが、この差止請求の問題が今回の改正法の中にない、あるいは住民の直接請求の問題、請求権ということについての考え方がない、こういう問題については、どういうふうに長官はお考えでいらっしゃいますか。 〔島本委員長代理退席、委員長着席〕
○大石国務大臣 私のお答えする前に、土井委員にひとつお考えを御訂正願いたいと思いますのは、何でもそのような古い考えの各大臣であるというお話でございましたが、いままではそういう大臣であったのでありまして、いまはあるのではございませんから、その点ひとつ御認識をお改めいただきたい。みんな新しい考えで新しい方向に向かって進んでおる大臣でございます。 これはやはり何と申しましても、後手、後手は確かであります。これはみんな後手なんです。ことに、過渡期といえばいつでも過渡期になりますけれども、このような人権尊重の時代というのは、いままで日本の国にはありませんでした。私は、そのような考えの基盤に立っているのはいまが初めてだと思います。ただしいまの段階では、いろいろな問題、ごちゃごちゃしたことがたくさんあります。しかし、基本的にヒューマニズムを基盤にしていろいろな政治なり行政をやっていこうというのは、日本の歴史においていまが一番進んでいる時期だと思います。今後は、いろいろなごたごたはありますけれども、おそらく政治の方向というのは、そのようなヒューマニズムの基盤の上に立った政治なり行政なりに必ず進んでいくと思うのです。その面に持っていかなければ、われわれの政治の意味がないと思いますので、そうなってまいります。そういうことで、これからはいままでと非常に違った前向きの行政が必ず行なわれると、私自身は信じておるわけなんです。 いまの差止請求のことですけれども、これは、そのような考え方が国民の中にあっていいと私は思うのです。ですから私は、近い将来に、何かそのような差止請求権に類以したものでもう少し限定された——というのは、やはりもう少し限定されたほうがいいと思います。限定された、そしてそのようないろいろな公害の予防なり先取り、そういうことに役立つようなあり方は、私はあっていいと思うのです。ただ、いまの段階では、たとえば何でも差止請求をして押えるということになりますと、日本のすべての産業活動が麻痺するおそれがある、私はそう思うのです。その判断がはたしてすべての場合に正しいかどうかということは、なかなか困難だと思うのです。ですから、こういう場合に、やはりある程度この考えは必要ですが、いまもそれに近いようなものは多少ありますね。仮処分請求とかそういうものがありますが、いま言ったような、もう少し進んだ差止請求権に近い考えは入れなければならぬと思いますが、これはもう少し研究させていただきたいと考えております。
○土井委員 今回の大気汚染防止法の一部改正の中にこれは直接に入ってこない問題になりますけれども、いまおっしゃった差止請求などというようなことが、近い将来にやはり法の中で確固としたものとして考えられなければならないという御答弁から、ひとついまよりも——これは実は私たちが野党三党案をつくる際に苦慮した点でありまして、いまいろいろ被害が起きている中にまだまだ未解決の、そして化学の知識からするとそのことに対してまだまだ解明されていない部面というものは多うございます。その一つに、いわゆる光化学スモッグというのがあるのですね。この光化学スモッグというのは、つい最近でも東京でむちゃくちゃな状況が起こったという事例が出たりして、そろそろその季節を迎えつつあるわけですから特にお伺いしたいわけですけれども、これはおそらく自動車の排気ガスが影響している面が非常に大きいということは、もう事実によって言えることだということになっているわけですね。 この自動車の排気ガスをいかにして規制するかというのは、大気汚染をいかにして防止するかということの中身を考えた場合にたいへん大きな問題でありまして、公害、公害と一口に言うけれども、一体日本の公害の中で一番大きな公害は何かというと、たいていの人が一言のもとに自動車公害じゃなかろうかと答えるくらいです。この自動車に対する規制、自動車の排気ガスに対する規制という問題を今回の法案の中へどういうふうに織り込んでいったらよかろうかというのが、やはり一つの苦心の払いどころであったのです。しかし、実は自動車を動かしているのは不特定多数のユーザーでありますから、その人を相手にして無過失損害ということを問題にしても、これはどうにも具体的に立法の上で困難がございまして、そうはいかないだろう。となりますと、やはり問題になるのは、自動車製造業者に対してどう臨むかということが最終段階として出てこざるを得ない。 最近、参考人をお呼びして御意見を賜わった中にも、戒能参考人がこの自動車の問題について、やはり自動車製造産業についての規制ということを、差止請求なども込めて考える必要があるのじゃないかというふうな趣旨の御発言がございました。御承知のとおりに、アメリカでは一九七〇年十二月三十一日のいわゆるマスキー法、クリーン・エア・アクトがございますね。ああいう単独の立法をして、それで自動車の排気ガスというものを規制することによって何とか大気汚染の防止をやっていこうとする側面があるわけです。 今回の法案をつくる際も、ちょっと横道にそれるかもしれませんけれども、私たちの場合にはずいぶん苦慮した末に、やはりこの自動車の排気ガスというのは大気汚染をしているところのたいへんなしろものだ、したがってこれに対する規制はどうしてもやらなければいかぬだろう。また、実害も起きているわけですから、これはやはり別の単独立法でしていく必要があるのではなかろうかという方向に最終的には踏み切ったわけですけれども、こういう問題については、先ほどの差止請求について、これは近い将来に具体的に法律の中に生かすことも必要だという御趣旨の御答弁があったわけですし、この自動車産業について、特に自動車の排気ガスなどを問題にしながら、どういうふうに規制していくことが好ましいとお考えになっていらっしゃるか、この点ちょっとお伺いしておきたいのです。
○大石国務大臣 これはちょっとこの法律とはかけ離れますけれども、自動車の排気ガスはやはり規制しなければなりません。そこで、御承知のようにアメリカではマスキー法ができまして、七五年ですか七六年までの間に十分の一の排気ガスに減らすということでございます。それに対して今度は、やはりあくまでその期限を守るんだという確固たる方向を示したようでございます。 われわれとしましては、そのまねをするわけではありませんけれども、やはりわれわれとしても同じような規制は日本でもやらなければならないと考えております。ですから、いまわれわれとしては中央公害対策審議会に特別部会をつくりまして、その部会でマスキー法に匹敵するようなものの考え方の具体的なあり方、そういう排出基準をいまはっきりと諮問いたしまして、おそらく近いうちに答申がくると思います。われわれはそれを土台として、やはりマスキー法と同じような——日本の実態とアメリカの実態とは違いますから、どのような形にモデファイしたらいいか、これはいろんな考え方がありますけれども、とにかく基本的にはそれと同じような基準をつくることに方針をきめて、その努力をいたしております。この基準は、別に立法する必要はございません。環境庁でこれを基準とすると決定すればそうなるのでございますから、いまそのような方向で、近い将来に自動車の排気ガスを徹底的に減少するという方向でいま努力をいたしておる最中でございます。
○田中委員長 速記をとめて。 〔速記中止〕
○田中委員長 速記を起こしてください。土井君。
○土井委員 いまの問題は、どういうところまで行っていたかちょっとぼやけてしまったんだけれども、お伺いしたいことを大臣に直接一問お伺いして、あと次官にお願いいたします。 自動車の排気ガスならば、この法案からする「被害者の責めに帰すべき事由」があるという場合があると思うのです。ところがいまここで問題にされております大気汚染防止法、水質汚濁防止法の中身で「被害者の責めに帰すべき事由があつた」場合には、裁判所のしんしゃくが認められますね。一体この「被害者の責めに帰すべき事由」というのはどういうふうな場合をさして言うのか、「被害者の責めに帰すべき事由があつた」場合における賠償額の減免というものがあるわけですから、やはりこの点をはっきりしないと、一応それは免責事由ということになるわけですから、ひとつお聞かせいただく必要があると思うのですよ。 それで、端的に言わないと時間がもったいないですけれども、いろいろな試案、要綱に御承知のとおりこういうふうな規定がございません。現在改正案の中身からいたしましても、鉱業法で定めるところは鉱業法によるというふうに言われております。鉱業法を見ますと、「損害の発生に関して被害者の責に帰すべき事由があったときは、裁判所は、損害賠償の責任及び範囲を定めるのについて、これをしんしやくすることができる。」ということにしているわけで、一般論とか抽象論としては、公害の場合において「被害者の責めに帰すべき事由がある」場合があると思うのですね。しかし、いまここで問題にしている大気汚染防止法だとか水質汚濁防止法による規制物質というものは限定されているわけですから、そういう問題についてさらに「被害者の責めに帰すべき事由」というものが考えられるかどうか。ほとんどこれはないんじゃないか、またそういうような場合が生じ得るというようなことではございましても、現行民法の一般原則にまかして、少しも差しつかえないのじゃないかというふうに私は考えているわけです。特にこういうことの条文をお置きになったことについて、やはり考えて質問しなければなりませんから、なぜこういうことになったか、これはかなりの問題だと思うのです。ひとつお願いします。
○大石国務大臣 法的ないろいろな事例だとかなんとかにつきましては、私もいまどうお答えしていいかわかりませんので、恐縮ですがさきに法務省からお聞き願いたい。
○田中委員長 では大臣、退席してもらって、あとで。
○古館説明員 いまのお尋ねにお答えする前に、先ほどの水の場合の十九条二項について調整企画局長がお答えかけでございますが、その点若干確認的な意味で補足させていただきたいと思います。 先ほどの「一の物質が新たに有害物質となつた場合」でございますけれども、「有害物質」につきましては、水の場合に三条の二項で「前条第二項第一号に規定する物質(以下「有害物質」という。)」というように書いてございます。したがいまして、ここでの「有害物質」と十九条二項の「有害物質」とは、第三条第二項の「有害物質」をいうわけでございます。そうなりますと「有害物質」は三条二項で結局第二条第二項第一号によって規定する物質ということになります。そうしますと二条二項の一号では「カドミウムその他の人の健康に係る被害を生ずるおそれがある物質として政令で定める物質を含むこと。」となっております。したがって、ここで「有害物質となつた場合」というのは、政令で指定された場合に解釈としてはなろうかと思います。念のためにつけ加えさせていただきます。
○土井委員 その点は先ほど長官がおっしゃったことと矛盾しませんから、それはけっこうです。
○古館説明員 被害者の過失相殺でございますけれども、これは規定がございませんと、おっしゃるとおり民法に戻ることになるだろうと思います。ここでは民法と違いますのは、「被害者の責めに帰すべき事由があつたときは、裁判所は、損害賠償の責任及び額を定めるについて、これをしんしやくすることができる。」という点が民法七百二十二条二項と違っているかと思います。民法七百二十二条では過失がある場合に額についてしんしゃくすることができるということになっております。そこで「責めに帰すべき事由」というのは、まずこれは過失の場合が入るということは疑問の余地がないだろうと思います。さらに故意の場合も入るといってよかろうと思います。故意の場合につきましては、民法七百二十二条二項では問題になってはおりません。これはおそらく民法の場合には、こういうものについて被害者は、被害者といいますよりむしろそのものが不法行為で、そのものが賠償責任を負うべきなんで、したがいまして、損害をこうむってはいても、それは自損であるというような考え方だろうと思います。ところがいまの法案になりますと、ここでは問題は、企業者は無過失でございます。無過失でも賠償責任を負わせるということでございます。そういうことになりますと、企業者、つまり加害者に注意義務の極限を課すということでございます。そうしますと、そういったものもあるかもしれないということを踏まえた上で加害者としては注意をしなければならないということになろうかと思います。そうしますと、過失の場合あるいは故意の場合はどうなんだという問題も、いまの過失相殺の場合は当然考えなければならない問題であろうかと思います。そういう趣旨で、そういった故意、過失をも含めて、責めに帰すべき事由ということで過失相殺の対象ということで一応考えているということでございます。 そこで、この場合に、先ほどのお話にもございましたように、そうだとしましても加害者は無過失責任を負わせられている、つまり注意義務の極限を課されているんだから、こういう規定をしてあっても、適用されるというのはほとんどないだろうというような御意見でございますね。私どももその御意見のように、いまのように無過失責任を認めたということになりますと、結局被害者の責めに帰すべき事由というものの比重は非常に少なくなるだろうと思います。そういうことになりますと、そういったしんしゃくされるべき責めに帰すべき事由の考慮される程度というのも少なくなるということになりまして、非常にまれな場合にしかしんしゃくされないだろうと思います。どういう場合しんしやくされるかということは、これは個々の事案につきまして判例の判断にまつべきかと思いますけれども、この間も、それは適当な例じゃないじゃないかというふうなことでおしかりを受けましたけれども、しいて考えてみますと、たとえば企業が僻地に参りまして工場を建てる、そこの住民に立ちのき料を払って立ちのかす約束をした、しかし住民が立ちのかなかったというような場合に、その工場の事業活動に伴って被害が生じたというような場合ならば、公平の見地からしんしゃくされる余地があろうかというように考えるのでございますけれども、いずれにしましても、非常に少ないだろうと思いますけれども、無過失責任の場合でも、公平の見地から、こういった被害者の責めに帰すべき事由というのも賠償額あるいは責任の算定の場合にしんしゃくしてもよかろうじゃないかということで、こういう規定を設けたというように理解しているのでございます。この点は我妻先生もこの間の公聴会で、こういう規定があっても差しつかえないのじゃないかというふうな御意見をお述べになっておりますけれども、そういうことでございます。
○土井委員 それは、こういうふうな被害者の責めに帰すべき事由というものはほとんど考えられないと思ってよかろうという御趣旨の御答弁なんですね。それで、我妻先生がこういう規定を置いても差しつかえなかろうとおっしゃったのは、確かに私も伺いましたけれども、しかしどうでしょう。先ほど、立ちのき料を支払って、当然ここには大気汚染というものが起こり得る可能性がある、したがって、身体並びに生命に対しての被害が起こるかもしれないということを予測して立ちのき要求をした、それにもかかわらずそこにいたために現に被害が起こってしまったというふうな場合なんかは、別の法規制でできるんじゃないですか。民法の一般原則から考えてそういう場合にはどういうふうに取り扱うかということは、現行民法でもできるんじゃないですか。新たにここで、被害者の責めに帰すべき事由というのは一体どういうことなのか、あれこれいろいろ考えてみても、そう考えつかないですよ。わざわざこういう規定を置く必要はないだろうと私は思うのです。特に置かなければならない積極的理由があるなら別ですけれども、むしろこれは——私なぜこういうことを言うかといいますと、これは加害者についての加害者責任というものをあいまいにする、あるいは公害発生源に対しての措置を十分にし得ないような状況をつくる、あるいは加害者責任というものに対して、十分にそれを追及できないような状況をつくるということに逆用され、悪用されやせぬかというふうなことも考えるわけです。したがって、なくてもよい、あってもよいという問題ならば、いずれの立場に立ってものを考えるかということでしょう。この改正案自身が被害者救済とか、あるいは被害を起こさないことのための予防措置までも考えるということであるならば、こういう問題について、この規定を置く必要はないだろうという側に立って考えることのほうが理が通ると思うのですけれども、いかがですか。
○古館説明員 このような無過失責任の法案の場合に、しんしゃく規定が働く場合というのは非常に少ないだろうというふうに私も考えますけれども、それにしましても、被害者の責めに帰すべき事由というのは、先ほどもお話ししましたように、故意、過失が含まれるということなんですけれども、実質的には、故意に準ずべき場合というような場合は、ここでしんしゃくの対象になるのじゃないかと思いますけれども、それにしましても、こういう無過失責任の場合に、こういった過失相殺についての規定の適用がどうなるのかという関係では、ほかの鉱業法といったものでもこういう規定が設けられている。そういうことになりますと、そういう規定が他の法律で設けられておりながら、この法案でその規定がはずされるということになりますと、自動的には民法の七百二十二条二項に戻るというふうに考えられますけれども、そこで、念のために、この法案でも当然に過失相殺ということは公平の見地から問題になり得ますということを、確認的な意味で規定しておくというのもまた意味があろうかというふうに考えます。
○土井委員 無過失責任の問題が単独立法で出されている場合は、まだ大いに論議の余地があると私は思うのです。だけれども、今回の政府案というのは、対象となる公害というのは、大気汚染防止法と水質汚濁防止法の規制物質でしょう。しかも被害は生命、身体の被害に限定しているわけですね。なおかつ、その範囲内で被害者の責めに帰すべき事由というのは、先ほどから繰り返し言うように、ほとんど考えられないのですよ。ですから、無過失損害賠償責任法なんというふうな単独立法なら、おっしゃるとおり、まだ論議の余地があると私は思います。だけれども、いまこれだけ限定し尽くして、これ以上限定できないぐらいに狭めてしまって、その中での無過失責任を問題にしようというときに、なおかつ被害者側に対してその責めに帰すべきような事由というものが一体あるか。ほとんどないのなら、これは要らないのじゃないですか。いかがですか。
○古館説明員 社会環境の発展等に基づきまして、社会生活環境がいろいろ複雑となります。したがいまして、われわれがいま絶対あり得ないというようなことでも、将来は問題になる場合もあるということもあり得るわけでございます。 〔委員長退席、島本委員長代理着席〕 したがいまして、理論的に考えて、こういった無過失責任の場合でも、対象物件を限定したといたしましても、結局そういった公平の見地から、被害者側の事情も考慮すべき場合というのが、これは理論的に絶対考えられないというものじゃなくて、考えられる余地は十分にあるというならば、これはこれで、そういう場合に備えまして規定しておくということもまた必要かと思います。
○土井委員 それならば申し上げますが、先ほど有害物質の問題については、そういうことのおそれがあるとかそうあり得るかもしれないという段階での規制というのはまだそこまでする必要がないという御発言だったわけですよ。いわゆる政令で問題にする際にも、被害が起こってからやはり有害物質というふうに認定して政令で規制するということが初めて出てくるわけでしょう。いまここで問題にしている「被害者の責めに帰すべき事由」というのも、起こり得るかもしれない、あるかもしれない、社会環境というのがだんだん複雑怪奇になってきている。だからわれわれがいま想定できないところにそういう問題があるいは起こり得るかもしれないという、その段階でこういうことをわざわざ置く必要はないと思うのですよ。それは先ほどの有害物質についてと同じ論法で私はむしろ反論を言います。有害物質については、いまから起こり得るか起こり得ないか、そういう被害ですよ。わからない段階じゃ規制できないです。被害が起こってしまってから初めて問題にして政令でその中身に対して規制を始めるというわけでしょう。いま、この問題についてもその被害者の責に帰すべき事由というものが起こってからでいいじゃないですか、こういうことを論ずるというのは。起こるかもしれないということを想定して早くもこういうことをわざわざ条文の中に織り込むというのは、加害者に対して、この加害者側というものの責任をあいまいにしようとしているじゃないかというふうな憶測が出てくるということに対しての反論、あるいはそういうふうな、加害者側に対してこういう法案は非常に有利に考えようとしているということに対する反論を強力に展開できないだろうと思うのですよ。だからそういう点からすると、将来起こるかもしれないということをいま予測してつくるということは、なるほどおっしゃるとおり必要でしょう。だけれども、先ほどの、有害物質については被害が起こってしまわないと規制できないということと同じような意味で、あくまで被害者に対して補償しよう、被害者に対して何とか被害の救済を考えようという態度を徹底してとるのなら、この節こういうふうな条文についてはむしろ置く必要がないと考えられて当然だったと私は思います。こういうことはいかがですか。
○古館説明員 この被害物質として指定する場合の問題でございますけれども、これはどういうものがどういう状況になった場合に被害物質と指定されるかという、この被害物質の内容については承知しておりませんけれども、少なくとも法のたてまえといたしましては、大気汚染防止法でいいますと二条の三号で、人の健康に被害を生ずるおそれがある物質、おそれがあるという場合には、これは政令で関係行政庁が有害物質に指定するだろうというふうに理解されます。 そこで問題は、なぜ野党案のように対象を限定しなかったかという問題ともつながろうかと思います。いまの民法のたてまえといたしましては、不法行為においては過失責任が原則でございます。無過失責任は例外でございますので、そういうたてまえからも公害の場合一般につきまして抽象的に無過失責任を負わせるということは問題があろうと思います。この公害の態様というものは多種多様でございます。したがいまして、公害の実態あるいは企業活動の実態、これを慎重に検討いたしまして、合理的かつ必要な範囲で無過失責任を認めていくということが相当かと考えるのでございます。 そこで、たとえば地盤沈下あるいは騒音、振動、あるいはその他の規制外物質、そういうものにつきましても、結局その被害の発生のおそれあるいは危険の態様、そういったものを慎重に検討しなくちゃならぬのじゃないかというふうに考えます。そういった検討をしまして、その上で、こういった物質については危険であるから、危険を防止するために規制基準をきめて、そしてできる限り被害の発生を未然に防止するという態度がまず必要であると思います。そういうふうな規制基準をきめました場合に、その規制基準自体は、これはその排出行為に伴う損害賠償責任と直接結びつくものではございませんけれども、やはり事業者にとっては一つの損害防止のための目安となって、そういった目的に進んでできるだけその損害の生じないように、被害の発生しないように努力するだろうというふうなことで、その事業者も、結局そういうことで損害の防止につきまして極限の、そういう場合には注意義務を——結局、危険物質、生命と健康に被害を生ずるおそれがあるということがはっきりしたのですから、そういう場合にこそ注意義務の極限が課されてもこれはいたし方ないだろうと思うわけでございます。そういたしますと、結局いまの場合でも、この有害物質、つまり無過失責任の対象を有害物質に限定するということは、そういう意味でやはり非常に意味があるというふうに考えるわけでございます。 それに反しまして、過失相殺の場合のこのしんしゃく規定ということは、いままでの不法行為のいろいろな場合からも、これは当然そういう事例が生じ得るだろう、その場合にどういう事例がこれに当たるかということは、これはまた個々の事例について考えなくちゃなりませんけれども、そういうことは当然生じ得るだろうということは予測し得るわけでございますね。したがいまして、そういうことにつきまして、公平の見地からこういう規定を設けるということは、これはこれで意味があるのでありまして、これはこれで、前のすべての公害について規制対象にしないということと——これは過失相殺の場合にですね、故意に準ずべきような場合についてしんしゃく規定を設けておくということとは、別段矛盾しないのじゃなかろうかというふうに考えております。
○土井委員 おっしゃるところの趣旨が私にはよくわかりません。何をおっしゃっているのかよくわからないですが、つまり、一言でいえば、今回の改正案の趣旨というのはどの辺にあるのですか。被害者の救済と被害の発生を未然に防止するというところまで立法趣旨としては考えながら、舞過失損害賠償ということを、いままでの民法にいうところの不法行為とは体系を別にしてここに設けるというところに趣旨があるわけでしょう。不法行為論ではまかないきれない部分をひとつここにはっきりと確立しようという問題ですよ、要は。ですから、法理論はいろいろおありになる。それは不法行為論からすれば、どういうようなことが最小限度考えなければならない原則か、たとえば、いま公平の原則なんとおっしゃいましたけれども、それから考えてかなっているか、かなっていないかという問題は、むしろ私は今回の改正案からすればらち外の問題だと考えている。いまお伺いしているのはそんなことじゃない。先ほど申しました有害物質となった日ということの認定はどういうふうに考えるかということをお尋ねした節に、政令となったときだというふうなお答えがあった。つまり具体的に政令としてきめられる日までは有害物質とはいえないのです。今回の改正案でも有害物質と認められないですよ、政令で認められない限りは。いかに被害が現実に起こっておりましても、これは有害物質だというふうに政令で認められない限りは、これを今回の改正案の中では取り扱うわけにはいかない。「おそれがある」じゃだめなんです。おっしゃったそれは、法律の文面からするとなるほど「おそれがある」という表現がありますけれども、それを具体的にきめている政令がなきゃ、今回のこの法案の中身でいう有害物質にならないわけですよ。同じように、被害者の責に帰すべき事由というものが具体的にどんなことかということがはっきりしてからでいいじゃないかと私は言っているのです。むしろ今回の改正案は被害者の救済にある。被害者の立場に立って加害者に対する責任を追及する、故意、過失を問題にしない、そういうところに今回の立法趣旨があるのなら、被害者の責に帰すべき事由というものを具体的に特定化する、そうして何人が読んでもなるほどとわかるようなものであって初めてこれを置く必要があるということになるだろうと私は思うのです。そういう点からすると、今回の政府案からいって、被害者の責に帰すべき事由という中身はどうもよくわからない。しかもなおかつ、被害者の責に帰すべき場合というものは、あったとしてもおそらくは希有じゃなかろうか。そしてごくごくほんとうにまれに起こった、そのときにこういう問題を考えていいじゃないかということを先ほどから問題にしているのです。「おそれがある」という範囲内で、もうすでにこんなことを条文化する必要はないのじゃありませんかということを言っているわけですよ。まだ私の言っている質問がおわかりになりませんでしょうか。
○船後政府委員 この法律の立法の趣旨は、先生御指摘のように健康被害にかかわる被害者の救済ということに目的を置いておるわけでございます。ただここで問題になっておりますのは、加害者側の故意、過失ではなくて、被害者側に故意、過失があった場合のしんしゃくの問題でございます。もしも政府案のような責めに帰すべき事由ということにつきましてのしんしゃく規定を設けないといたしますと、民法の原則に戻りまして、第七百二十二条の第二項、つまり「被害者ニ過失アリタルトキハ裁判所ハ損害賠償ノ額ヲ定ムルニ付キ之ヲ斟酌スルコトヲ得」という規定の適用があるわけでございます。ところが考え方といたしまして、加害者側に過失責任の極限といたしまして無過失責任を課するわけでございますから、これに対応するところの被害者側の落ち度というものもかなり厳格に解釈する必要があろう。先例といたしましては鉱業法の規定があるわけでございまして、私どもも鉱業法にこのしんしゃく規定の判例があるかどうか、実は寡聞にして存じないのでございますが、学説等を見ますと、たとえば鉱業法の場合に、単に製錬所の近辺で耕作するというだけではこれに該当しない。やはり製錬所の近辺に補償を目的といたしましてわざわざ耕地を急に造成したといった場合にはこれに該当するというような学説、理論もあるわけでございまして、具体的に公害にかかわる被害につきまして、このしんしゃく規定が発動されるようなケースというものは、先ほど古館参事官が申しましたように、たとえばでございますが、立ちのき料をもらってそれをほかへ費消してしまって、また再び損害が生じたから賠償請求をするというようなケースがありますれば、そういう非常に限定されたケースには相互のバランスという観点からしんしゃくされてしかるべきではなかろうか。そして民法の七百二十二条の過失相殺規定を残しておくよりは、むしろこれを排除いたしまして、ここに新たに責めに帰すべき事由ということでもって、この間のしんしゃくを裁判所におまかせするほうが、無過失責任に対応するところの被害者サイドの事情というものがかなり限定的に、厳格に運用されるのではないか、このように考えておる次第でございます。
○土井委員 不法行為の中身をどう考えるかとか、あるいは挙証責任の転換から、さらに因果関係の推定についてどう考えるかというふうな判例だとか学説の前進的なものを一体今回の改正案の中ではどういうふうに織り込んでいらっしゃるかという点は、私たち考えていった場合に、一つも積極的じゃないです。むしろ私は、その点をもう一歩判例や学説よりも先んじて法文化することに改正案の意味があるというふうに考えている一人ですから、そういう点からすると、現在のこの因果関係の推定だとかあるいは不法行為の中身をどう考えるかということについて、今回の改正案の意味はないと思っておりますが、いまはしなくもおっしゃった御答弁の中身を承っておりますと、判例や学説ではこういうふうな学説があるからその点を法文化した、積極的な意味を持たせる法律が必要だろうというふうなことをおっしゃる。片や、ここではそういうことをおっしゃりながら、肝心の因果関係の推定の問題だとか、あるいは先ほど申し上げた民法七百九条に対してどう考えるかということについて、一体積極的意味をこの改正案で持たせるかどうかということについては非常に消極的です。この間のアンバランスを考えても、この特に被害者の責に帰すべき事由というものをここに置かれた、これは過失でなく故意である場合があるから、したがって、いまの民法の条文からまかなえない部面をここに積極的に持たせて法文化したというふうにおっしゃる説明でありますが、しかしこれは他のたとえば因果関係の推定を全く認めないで、当初は原案の中にあったのを削除したというふうな後退後退の——最初の原案ですら私はあってもなくても同じような中身しかないと因果関係の推定の政府原案については考えている一人ですけれども、しかしそれから考えていっても、特にこの点について被害者の責に帰すべき事由というものをお置きになった中身というものは、もう一つ私ははっきりしないと思うのですよ。何かこのことに対して、さらに条文の上で特定化する必要があるというふうにはお考えになりませんか。
○古館説明員 大気汚染につきましては二十五条の三でございますけれども、条文の解釈の場合には、結局この法律全体との関係で解釈していくことになるだろうと思います。そういうことになりますと、被害者の責めに帰すべき事由というのは、やはり故意に準ずる場合というふうな意味に限定して解釈されるということになるだろうというふうに考えております。これをさらに特定するということになりますと、立法としても非常にむずかしいと思います。法律の解釈でございますから、これは二十五条の三だけで解釈するのではなくて、やはり法律全体との関係で解釈しますから、特定した場合と同じような結果が出てくるだろうというふうに考えております。
○土井委員 しかし、いまの御説明を承っていても、特にこの条項、この部分というものを置く積極的な理由というものが私にはよくわからないのです。特に必要だというふうな、この規定を置く必要が特にあるというふうな理由がさらにあれば別ですが、どうもこれはそういう理由に乏しいんじゃないか。先ほどおっしゃったとおり、解釈というものは他の条項ともかね合いを持たせて、法律全体の立場から一条文だって解釈すべきでしょう。そういうことになってまいりますと、それはおっしゃるとおり、大気汚染防止法の一部にそういう被害者の責に帰すべき事由の中身を解釈するについての根拠になる法文がすでにある。 〔島本委員長代理退席、委員長着席〕 そしてさらに、これは全体の今回の改正案のバランスから考えても、どうもこの点についてだけことさらに被害者の責に帰すべき事由というものを取り上げてここに持ち出されているということを考えますと、一つは、解釈の上でまかなえるのではないかという問題、二つ目には、いまの改正案の中身からすると、この部分は他の部分とのバランスの上から考えて、バランスを欠いているんじゃないかという問題、この二つから、やっぱりこの部分にこういう規定を置く必要を欠くという理由として申し上げることができると私は思うのですけれども、いかがですか。
○古館説明員 特に問題になりますのは、先生の御指摘の場合は、結局「おそれ」との関係で、二十五条と二十五条の三、このバランスを欠くのじゃないかというのが特にポイントかと思いますけれども、二十五条三の場合には、これは先ほどちょっとお話ししましたように、結局どういう場合に無過失責任を課すのかという問題でございまして、二十五条の三は、要するに無過失責任を課せられた場合に、賠償をどういうふうにするのかという関係でございまして、やはりそういう趣旨から「おそれ」という抽象的なことばからはバランスを失するような形になるかもしれませんけれども、実質的にはそのバランスを失するということにはならぬじゃなかろうかというふうに考えております。
○土井委員 私形式主義者じゃないのです。むしろ形の上でバランスをそこなうとか何とかでなしに、あとでおっしゃった実質面について私は考えるから、どうも中身からしたら、ここに「被害者の責めに帰すべき事由」というものをことさら置く必要がないのじゃないかということを言っているわけですよ。これ削り取っても大勢に影響ないでしょう。どうですか。むしろ私は、この立法趣旨からすると、ないほうが立法趣旨にかなうと思っていますよ。だって被害者救済ということなんですもの。被害者救済という立場に立って、今回の加害者側に対する無過失責任を追及するということなんですもの。だから、そういうことから考えますと、これはもう初めはあってもなくても同じだという論法だった、それがだんだんいや必要なんだ、あるいは被害者側にも故意である場合がある、これは現在の民法の現行法から考えても、そこまでいってないし、実は置く必要があるというようなお答えになり、やがては、それは解釈ではその辺まではまかなえると思うけれども、法文の上ではっきりしたほうがいいからというような論法にだんだん変わってきたわけですよ。これは削り取ってくださいよ。いかがですか。
○古館説明員 これがない場合は、七百二十二条二項、これの適用があるというふうに考えております。ですから被害者救済ということで、ない場合に直ちに被害者救済になるかといいますと、その意味ではあってもなくても被害者救済ということには関係がないのではないかと思います。ですから、ここで意味がありますのは、やはり無過失責任の場合でも民法にもとらない。この規定によりまして被害者の事情をしんしゃくするということを一応規定するという意味では民法と同じでございます。さらに民法と違っておりますのは、故意の場合です。故意のあったような場合に、つまり被害者から言えば、被害をこうむりましたけれども、被害者が加害者のような場合があると思うのです。不法行為者のような場合がありますね。その場合に、どういうことになるかという問題も一つあり得るわけですね。その辺の問題につきまして、責任を定めるについてこれをしんしゃくするということが民法の過失相殺と違っているわけでございます。
○土井委員 いまおっしゃっている中身だったら民法の不法行為でまかなえますよ、いかがです。ここで問題にしているのは、それは民法の不法行為じゃないでしょう。無過失責任の問題なんですからね。
○古館説明員 民法でも、これは不法行為ということでまかない得ると思います。それも込みにしましてここで規定しているということになろうかと思います。
○土井委員 委員長、まだよくわからないのだけれども、一度この辺で休憩を要求します。 休憩していただいて、本会議後もう一度出直してこれについてやります。
○田中委員長 それではちょっと速記をとめてください。 〔速記中止〕
○田中委員長 速記を始めてください。 この際、午後三時まで休憩いたします。 午後零時十六分休憩 ————◇————— 午後三時十一分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。土井たか子君。
○土井委員 午前中特に長官が参議院のほうにお立ちになってからあと、問題は例の第二十条の二にあります「賠償についてのしんしやく」の部分で、特に「被害者の責めに帰すべき理由があったときは、」という事柄についてでありました。長官がただいまはお席におつきになっていらっしゃいますから、そう長い時間をとるわけにはいきませんが、特にこの点についてさらにお尋ねを続けたいと思います。 本来無過失賠償責任についての単独立法だったらともかく、今度の政府案のように、大気汚染防止法と水質汚濁防止法の一部改正という形で出されて、しかも規制物質というのがこういうふうに具体的に特定化されますと、その規制物質による被害だということで、その事実の認定を過失の認定ということで可能にしていくという部分がかなりこれはあると思うのです。ですからことさらに無過失責任ということを追及するという意味を、この節あらためてここの部面で考え直す必要があるんじゃないかと私自身は思って、第二十条の二の「被害者の責めに帰すべき事由があつたときは、」という具体的な中身は一体どうなるかということを考えてみたわけです。それから考えてまいりますと、どうも全体を総合的に見た場合に今回の政府の改正案の中身というのは、無過失責任立法というのは被害者の救済のために事業者に特別の責任を負わせるものだという考え方があるんじゃなかろうか。私は本来事業者に特別の責任を負わせたものとは考えておりません。むしろ公平の原則から考えれば、しごく当然のことを問題にしているにすぎないと思っているわけです。特にこの考え方は、過失責任主義というのは御承知のとおりに近代法の基本原則であったわけで、特に近代社会が、あるときは加害者になりますし、あるときは同時に加害者が被害者にもなり得るというふうな立場を想定しまして、そうしてこの近代法の背後にそういう考え方というものが存在しておりましたから、過失責任主義というものはある者には有利に、ある者には不利に働くというものではなく、まさにそれによって公平というものを期そうとしたところがあったと思うのです。しかし高速度の交通機関や近代的ないろいろな工業、産業の発達ということで、加害者と被害者との間には近代法が想定した立場の交換可能性というのがだんだんなくなってまいりまして、私たちがよく知るところではイタイイタイ病や水俣病なんかのように、公害の被害者が加害者になるということは考えられない。被害者は被害者として厳然としてある。加害者は加害者として厳然としてその立場があるということがはっきりしてくるという現代の公害の事実というものが明るみに出てきているわけです。そういうことからしますと、無過失責任というものを採用することは、法が本来目的とする公平を実現することに適合するというふうな意味を持って今回こういう改正案というものが立案されたのだろうと私は考えているのです。ですから事業活動によって利益を得ているものは、他方においては損害もまた引き受けなければならないといういわゆる報償責任論ですね。それからさらに他人に損害を与えるような危険をつくり出したものは危険が具体化した場合には損害を賠償すべきであるという危険責任負担論ですね、こういうふうな問題が古くから無過失責任主義というものを正当化するために主張されてきたんですけれども、本来のこの改正案の裏づけにそれはやはりあると思うのですね。そういうことからしますと、やはり特に今回被害者の救済のために事業者に特別の責任を負わせるものではない、事業者に対して本来とるべきしごく当然の責任を問うているにすぎないという考え方があろうと思うのです。そこで被害者救済のためという本旨に基づいて考えられ、特にこれは事業者に対して過酷な過度の責任追及ということをやってないということを考え、そうしてその上に立ってやはり公害防止というものを期していかなければならないということを追及してまいりますと、この二十条の二にいうところの「被害者の責めに帰すべき事由」というのは具体的にいうとどういうふうなことに当てはまるのか。私は午前中法律論を専門家の立場でいろいろ披露なすった参事官にお尋ねもしてみたわけですけれども、どうもいま取り上げられている二十条の二にいう「被害者の責めに帰すべき事由」というのは、いまあるところの民法の不法行為の中身で消化できる問題じゃなかろうか。それ以上に出て今回の改正案の中で特にこういう明記の規定を置く必要があるといわれる理由はどの辺にあるかという点も私はまだ疑問点を残したままでいまのこの席に立っているわけです。したがいまして、この二十条の二にいう「被害者の責めに帰すべき事由があつたとき」という中身について特にこれを置く必要があるとお考えになる長官の御見解のほどを承りたいのです。
○大石国務大臣 はなはだ私にとっては過酷な質問でございまして、あまり法律のことにタッチしておりませんので、そういう明確な事例は私にはお答えできませんので、先ほどもお答えしたかとも思いますが、いつかもどなたかの答弁にも適当な事例を古館参事官のほうからお話し申し上げたように記憶しておりますが、もう一回聞いてみたいと思います。 ただ私がこれを認めましたのは、やはり一般的に考えまして、こういうこともあり得るだろう、そういう場合にこれは入れてもよかろうと一般的な考え方からこれを認めたのでございまして、具体的な事例というのは私にはいまちょっと考えつきませんので、もしお許しをいただければひとつ古館参事官のほうからお答えいたします。
○古館説明員 被害者救済のために無過失責任、たとえば大気汚染防止法の二十五条でこれを設けるということになったわけでございますけれども、ただこれは従来の規定と若干違いますのは、無過失を明記したということもありますけれども、たとえば複合汚染の問題になりますと、そういう場合には本来の有害物質の排出量の少ないというものは従来の民法の過失責任のもとでは過失がないとして賠償責任を問われないというものもあるかもしれないのです。ところがこれが無過失責任になりますと、そういうものについても賠償請求権が発生するという意味で従来の民法よりも責任の範囲が広がっているということがいえるんじゃないかと思います。 私ども考えておりますのは、通常大量に排出している大企業、これを前提にしていろいろ議論しているわけでございますけれども、そういう場合ばかりでないというふうに考えられるんじゃなかろうかと思います。 それからいまの被害者の事情のしんしゃくでございますけれども、これは午前中申し上げたような事例、これは適切かどうか問題があるといたしましても、やはり先ほど土井委員からもお話がありましたように、損害賠償制度というのは公平の原則からできておるということになりますと、加害者に無過失の責任を負わせても、中にはやはりその損害の全額について被害者に支払うということが疑問視される場合もあり得るのじゃなかろうか、そういうことから、大気汚染防止法でいいますと二十五条の三ですか、こういう規定を置いたということでございます。それで、この規定をいま削除してしまうということになりますと、一たんこういうふうに法案に出たものにつきまして削除してしまうということになりますと、その場合にこのしんしゃく規定が民法の七百二十二条二項にもとるのかもとらないのかということもまたこれは議論が出てくる余地があろうと思います。 それからもしこの規定がそもそもなかった場合はどうかということでございますけれども、やはり無過失責任の場合に、先ほども例を出しましたけれども、たとえば被害者のほうが不法行為があるというような場合でございますね、この場合にはやはり民法の不法行為責任という問題になるのでございますけれども、これでもって企業に無過失責任を負わせるということになりますと、その場合はどうなんだという問題はやはり問題として残り得るのじゃないか。私どもとしては、その場合民法の不法行為の分野でまかなえるというように考えますけれども、またそれで絶対に問題はないかといいますと、問題がないとは確言できないというような事情もありまして、ここでそういった問題についてもはっきりさせておこうということで、こういう規定が設けられたというふうに理解しております。ですからいまの場合の不法行為者、またそういうものに準ずる者は、それは被害者という名前で呼ばれますけれども、被害を受けたという関係では被害者ということになろうかと思いますけれども、実質の被害者という範疇からははずれるのじゃないかということで、実質的には被害者救済の目的には反しないのじゃないかというふうに思います。
○土井委員 いまの御説明によりますと、実際的には被害者と言い得るかどうかも疑問であるというふうな御発言ですから、そうなれば、私は形式論者ではありませんけれども、これにあくまでもこだわります。二十条の二にあるのも「被害者の責めに帰すべき事由」と書いてあるのですから、この中身をもう一度吟味し直して、そのことに対して誤解のないような表現につくり変えるという必要性もあろうかと思うのですよ、そういうふうにお考えになるのならば。ですからこれはやはり、あくまでこの法律自身が被害者の救済というところに主眼があるということならば、被害者の救済という所期の目的を達するためにそごがないように、一〇〇%完全を期する法律なんというものはおそらくつくり得ないでしょうけれども、できる限り最大限の努力をして、被害者救済を期するため、この法律でいいのか、これでいいのかという吟味こそこれは大事だと思います。だからそういう点からすると、従来の公害事件を見ていった場合、事業者に負わされた——法律、法令の上で問われている義務を十分尽くしたけれども被害が発生したという例、つまり過失が認定されなかったという例があったかどうかですね。いままでいろいろな研究調査義務だとか公害防止措置を講ずべき義務の内容、程度というのは事業活動によって違っておりますけれども、過失が認定されなかった例というのはわが国の公害判例にあったかなかったかということですね。こういうこともひとつ吟味していただいて、いまの二十条の二にあるところの「被害者の責めに帰すべき事由」ということについて、特にとりたててこれは考える必要があるかどうかということも、あわせてもう一度御検討を賜わる必要が実はあるんじゃなかろうかと私は思っているわけです。そのことについて、まだまだこれは言い出したら切りがありませんけれども、四時以前に必ず質問を終わることという委員長命令が出ておりますから、あまりこの問題ばかりに時間を費すわけにはまいりませんけれども、他日もしまた別の機会がありましたら、関連質問なり何なりでもう少し吟味をしてみる必要があると私自身必要性を感じておりますから、これは課題としてひとつ置いておきます。 それでは長官がいらっしゃいますから先に進みますが、例の共同不法行為者の責任の範囲の問題です。損害が二以上の事業者の事業活動によって生じ、かつ、当該損害賠償の責任について民法第七百十九条第一項の規定の適用がある場合、裁判所は当該損害の発生に関し、その原因となった程度が著しく小さいと認められる事業者があるときは、その者の損害賠償の額をしんしゃくすることができると書いてありますが、これは民法の一般原則七百十九条によって不法行為が成立する場合の減額規定が問題にされているわけです。しかし私は、公害について問題となるものは、減額の問題以前に、いかなる場合に共同不法行為が成立するかということに対しての問題点があろうと思うのです。この問題について、現在の改正案を見た限りでは立法措置が講ぜられているとは申せません。むしろ、いままで論争になってきた中身は寄与率が小さいか大きいかということを問題にしながら、企業が負うべき賠償額の減額規定というところに重点が置かれたのではないかと存じます。減額の中身、加害企業に対しての減額問題というものをここで追及することをやるということでこの問題を何とか消化しようとすると、やはりこれは加害企業保護に偏した不当な立法であるという非難は免かれないと思うのであります。私はそういう点からして、一体この公害について問題となる、いかなる場合に共同不法行為というものが成立するかということについては、どういうふうに長官自身お考えでいらっしゃるか、その基本的な問題をひとつお伺いいたしましょう。
○船後政府委員 今回の改正では、いわゆる複合汚染物質といわれております硫黄酸化物等も無過失責任損害賠償の対象といたしました。したがいまして、御指摘のように共同不法行為の成立につきまして、非常にむずかしい問題が出てくるわけでございます。 現在民法七百十九条の解釈につきましては、後ほど法務省のほうからお答えすると思いますが、私どもとしては現在の七百十九条に関する判例、学説等についてはいわゆる共謀ないし共同の認識は必要としない、関連共同性と申しましょうか、客観的な共同性が認められる場合につきましては、それぞれ不法行為の要件を満たしている場合にこの七百十九条の共同不法行為が成立する、かように解釈しておるわけであります。 そこで具体的に硫黄酸化物、これは非常に多くの排水から発生されるわけでございますが、そういうものの途中被害というものとの間の結びつきをどうするかという点については、やはり七百十九条の解釈というものにゆだねるのが妥当である、こういう判断から、政府案にございますように、大気汚染防止法のほうでは二十五条の二というふうに、民法七百十九条の規定の適用がある場合ということを前提といたしまして、御指摘のように二以上の事業者云々と、こういうことにいたしたわけでございます。
○土井委員 その七百十九条の適用がある場合というのがすでに問題なんです。いま七百十九条の中身について、被害の原因となる汚染状況の形成にどのように寄与しているかというところで論争が大いにあるのじゃないでしょうか。客観的に考えまして、寄与度がいかに小さくとも、それが寄与しているということが一応考えられる以上はこの共同責任をとらなければならないという立場と、またそうでないという立場と、学説の上ではこれは競合していると思うのですよ。つまり解釈論上これは疑義があるということを申し上げていいと思うのです。したがって、七百十九条の適用がある場合という、その七百十九条に対する解釈論が確定しない限りは、一体、今回の改正案で七百十九条それ自身に対してどういう立場で臨むのかということを明文上はっきりさせる必要が一つあるのじゃなかろうか。むしろ、むしろ、寄与度の問題については論じられておりますけれども、それ以前にどういう立場で七百十九条に臨むかということで、どうもその解釈にまかせるということでいまの御答弁はおありになるようですから、この点、そもそも問題であると私は考えるのですが、いかがですか。そういう明文上の規定を置く必要があると私は思うのですが、このことについてどのようにお考えになっていらっしゃいますか。
○船後政府委員 先般、この点につきましては公聴会で我妻先生も述べておられたとおりでありまして、極端な例かもしれませんが、大阪の煙と名古屋の煙が、物理的にはあるいは相合して一つの被害を生じることがあり得ても、共同不法行為の範囲としてそこまで広げるのが妥当かどうか、これは常識的に考えて、一定の限度があろうというふうにわれわれも解するわけでございます。しからば非常に狭く解しまして、コンビナートというように、企業相互間に地域的あるいは原料供給等につきまして何らかの関連性があるというようなグループだけをとらえまして、その間にのみしか共同不法行為は成立しないというような解釈も、これまた狭きに失すると思うわけでございます。それからさらに、自動車の排気ガス、あるいは東京都内にございますように中小企業の煙突から出るSO2あるいはビル暖房から出るSO2、こういうものが相合して被害を出す、こういうことから考えますと、合理的に一つの被害に対して原因者の範囲をどのようにするかというのは非常にむずかしい問題があるわけでございます。そのようなことから、私どもは共同不法行為の成立の範囲については、やはり民法七百十九条、それから先ほど申しましたように、最近の判例、学説は、かなり客観的な関連共同性というものに重きを置いた解釈になっておりますから、そういうふうなことからこの範囲をきめていただくのが妥当である、このように判断したわけでございます。
○土井委員 御承知のとおりに民法七百十九条の一項前段については、事業者相互間の共謀ないし共同の認識を必要とするという有力説があるわけですね。今回この公害問題では、事業者相互間の共謀あるいは共同の認識を必要としないというところが一つの特徴として考えられなければならないと思うのです。結果としては被害原因となる汚染状況の形式に客観的に寄与しているということがもし認識できれば、そういうところで共同不法行為の成立が認められるという点に、やはり今回のこの改正案の特徴点というものを持たせなければならないんではないかというふうに私は考えておるわけでございます。そういう点からしますと、いまの解釈でまかなっていくべきだ。現にそういう方向に解釈されるというふうになっているからだいじょうぶだという趣旨の御説明でございますけれども、それはそれでだいじょうぶと言いきれますか、どうでしょう。そういうふうに考えて今回の改正案に臨んだということをひとつ鮮明にしていただきたいと思うのです。
○古館説明員 七百十九条の各行為者間の行為の共同ということにつきましては、かつては共同共謀あるいは共同の認識が必要であるというふうな意見も、非常に強く学者に主張されておったということはあったかと思います。しかし最近は、学説におきましても判例におきましても、民法の共同不法行為一般につきまして、その辺が非常に要件がゆるめられてきております。たとえば客観的に各行為者間の行為が共同関連しておればいいんだというふうな傾向にあるんだということは、先生よく御承知のことかと思います。このことにつきましては、過日の公聴会におきましても、民法と五十年生活をしておられる我妻先生が、そういう判例、学説の趨勢、その前提に立つ限りは、いまのおっしゃるような行為の関連共同という点では、御質問のような趣旨で解釈されるおそれはないというふうな趣旨で、あのような発言をなさっておるんだろうと思います。私もそのように考えております。したがいまして、いまの主観的共同関係、それを重視して解釈され、また判断されるおそれはない。したがいまして、七百十九条の引用をいたしておりましても、いまの野党三案とは実際の審理、扱い、裁判所の扱いにおいては実害はないだろう、そういうことで我妻先生もああいうような発言をなさったわけでございます。それはやはり民法一般の不法行為についての学説、判例、そういう方向で固まってきているということは、やはり裁判所も当然これは理解いたしまして、その上で現在のいろいろな訴訟がなされ、また判断がなされているわけです。 そこで、そのような形で七百十九条を引用してきておるわけでございますから、ここでさらにまたもとに戻るということは、私どもそういうことはあり得ないというふうに理解しておるわけでございます。この点は、たとえばこれは傍論でございますけれども、昭和十年の判例でも、結局有害物質を二企業が川に流したという場合でも共同不法行為が成立するのだという意味の意見も述べられているわけでございます。そういう経緯から見まして、従来のようなきびしい要件で解釈され、また判断されるおそれはないというふうに考えております。
○土井委員 判例や学説がだんだん固まってきている、それはお説のとおりだと思います。だけれども、実際問題としてこういう法律というものはどこで使われるかというと、裁判所の法廷において使われるわけですね。裁判所の法廷においてだれが一体この法律に従って認識するかというと、裁判官なんです。事実認定をやる、法の解釈をやる、運用をやるわけですからね。その際の判断基準としていまの学説や判例が固まってきたということを傍証として見る場合、これはもちろん多いでしょう。だけれども具体的に法律がこの問題に対してどうきめているかということは、実は最終的きめ手だと私は思うのです。最大のきめ手というふうに申し上げていいと思う。それこそまさしく判決する場合の基準でしょう。それこそまさしく判定をする場合のきめ手というふうに申し上げていいと思います。ですから、いまの判例や学説がどう固まってきているかということをやはり考慮しながら、いままでの法律から一歩出て、積極的にやはりこの法律をどう取り扱うかということは、今回の改正案の一つの使命ではなかったかと私は思うのです。だからそういう点からしますと、そういう解釈で間違いないのだから解釈にゆだねていっていいじゃないかとか、判例や解釈が固まってきているからそれで大過ないと思う、だいじょうぶだというような御説明は、私はそれはそれで意味があると思いますけれども、いま問題にしているのは改正案についてですから、改正案の法文上、明文規定を置くと置かないとでは、裁判所で取り扱われる場合にそのことによって十分な保証があるかどうかということを考えた場合に、やはり明文の規定があったほうがより一そう鮮明にするということで最終的きめ手、最大のきめ手ということをはっきりさせるというような意味があると考えておりますから、これは判例、学説でなくて、法文上こういう意味の明文の規定があっていいのではないか、むしろあるべきじゃないかというふうに考えて質問をしているわけです。いかがですか。
○古館説明員 この明文の規定がある場合、ない場合ということで裁判所の扱いがどういうふうに変わるかということの一つの例でございますけれども、たとえば午前中の一番最初の土井委員の御質問の中にもございましたけれども、結局この無過失法案で健康被害物質を特定しまして、これについて無過失責任であるというように規定いたしますと、そのほかの物質等による損害賠償の場合には、これはむしろ過失がきびしく要求されるのじゃないかというふうな懸念もあるというふうなお話がちょっとあったように思うのですけれども、この点につきまして私どもといたしましては、この間の我妻先生のお話にもありましたように、判例等が固まっておりまして、大体企業、つまり公害の場合の損害賠償責任につきましては事実上無過失と同じような取り扱いがなされておる、それが判例の趨勢である、傾向である、そういうのを踏んまえますと、結局この規定で特に無過失責任としなかった、たとえば物質損害についても逆にきびしく過失が要求されるということはあり得ないだろうというふうなことをおっしゃったわけでございます。私どももそういうふうに信じておるわけでございますけれども、その一つの例といたしまして、たとえば鉱業法の場合は無過失責任でございます。鉱業法の適用のないような場合には過失責任ということになるわけですね、現在の民法理論では。そうしますと、この鉱業法の無過失責任の規定ができたから、それ以外の公害につきまして過失責任がきびしく追及されたという事例があるだろうかという疑問を持つわけでございます。そういう判例は私、ないだろうと思うのですね。その端的な例といたしまして、たとえば過日の富山のイタイイタイ病、あれは鉱業法の適用される公害事件でございます。それから新潟の水俣病、あれは民法の適用される公害事件でございます。この二つの事件で、一方は無過失責任、一方は民法の過失責任ということで、新潟の水俣病の場合に過失責任について逆にきびしく立証が要求されたということはないんじゃないか。その辺はやはり従来の判例と同じ傾向、同じ趨勢を踏んまえた上で裁判所は扱っているんじゃないか。そういうことで、いまのこのような問題につきましても、やはり裁判所としてはそういった判例——判例といいますのは、やはり判例法といいまして、法源の一つというふうに数える学者もおりますけれども、そういうふうな一つの裁判の規範として事実上取り扱われておるものでございます。したがって、そういうものは、たまたまその点について明確にしなかったということから直ちに従来の積み重ねられた判例がくつがえされ、それと異なった取り扱いを裁判所がすることはないというふうに私どもは考えておるわけでございます。
○土井委員 私、ここで法源論争をやろうとは思いませんが、しかし判例法という法は日本にないのです。英米法体系だったらどうか知りませんが、日本においては法と名のつくのは憲法四十一条にもあるとおり、国会は国権の最高機関であり、唯一の立法機関であると書かれている。国会で立法する以外にないわけですよ。裁判所は立法機関じゃないのです。したがいまして、裁判所が出すところの判例は、事実としての判例としてあるかもしれない。そうしてそういう判例の積み重ねというのは事実としてあるかもしらぬ。だけれども、それを法として認識する以上は、立法機関としての国会のこの国家的作用というものを得て立法されるわけでありまして、判例法ということばをいまお使いになりましたから、私わざわざこういうことを言うわけでありますが、判例を参考にするとか参照にするということはあり得ていいと思うのです。だけれども、それを法として見るというのはちょっと違ってはしませんか。
○古館説明員 私も、法律という趣旨で判例法ということを言ったつもりはございません。まあ法源の一種というふうに言いましたので、そういう意味で、私は厳格な法律という趣旨で使ってはおりません。ですからその辺は私の舌足らずな発言であったかと思います。しかしそういう趣旨で私は、法律は、そういう意味の厳格な法律じゃないというふうに解釈しております。
○土井委員 それは法律という意味でお使いになってなくたって、一応判例を形成する裁判所は、これは法律によって裁判をやるわけですから、したがいまして、事実として存在しているこの判例に従って裁判をやるわけじゃない。法律に従って裁判をやるわけですから、これは憲法の七十六条の条文にあるとおりです。裁判官の職務規程にちゃんと書いてある。この憲法と法律に拘束されて裁判をやるということでありますね。だからそういう点からしますと、この裁判官がやはり何によって拘束されるかということをひとつこの際も考えていただきたいと思うのです。いままでの判例だとか学説によってまかない切っていっていいじゃないかというような姿勢というものは、やはり改めるべきじゃないかと私は思います。同様に、法律の中でこの問題を組み入れて、どれだけ法律が被害者救済ということに対して意を尽くしているか、どれだけ被害者救済というものを考えて今回の改正案に臨んでいるかということ、これがきめ手じゃないですか。だから、学説がどうのこうの、判例がどうのこうのという問題では、これは参考にされていいけれども、この今回の改正案そのものじゃないのですよ。いまここで問題にしているのは改正案の中身についてでありまして、ここで取り扱っている内容は、おっしゃるように解釈でまかない切っていってよいとか、判例が固まってきているからこのことについては心配は不要であると言い切れる問題かどうかということを私は言っている。やはりその点については、法律は法律として明記する必要があるのじゃないか。そのことについて、私は必要があるという立場で展開しているわけですから、論をそらさないでください。
○古館説明員 判例も、その判例の合理性のゆえに、やはり裁判をする際の裁判所の一つの基準であるということがいわゆる判例法というふうにいわれることだろうと思います。そういうことで、やはり判例が社会秩序の維持、形成のために当該具体的な事案につきまして——裁判と申しますのは、具体的な法でございます。これは訴訟法上はそういうふうにいわれているのじゃないかと思います。といいますのは、裁判といいますのは、結局先ほどもお話がございましたように、国会のつくりました実定法を適用しまして、その個々の具体的な法律、具体的な紛争についての解決、この解決の結果は、これは国の紛争解決機関としての公権的な判断としてこれは何人も認めなければならない。当事者を拘束するという意味で、抽象的な法律が具体化された、その具体的な法といいますのも、またこれは国会のつくった法だという趣旨は毛頭ありません。そういうことで、裁判所の判断が個々の紛争を解決することによって社会秩序を維持しているということになろうかと思います。そういった機能を持っております裁判所の判断、それがやはり積み重なりますと、その判断はやはり次の同じような裁判をする際の基準になる。そこでその基準がいろいろ問題になりますものですから、最高裁判所が判例を統一するというような機能も持っているのじゃないかと思います。そういうふうな裁判制度、そういうものを前提といたしまして、立法の際もいろいろ考えるということもまた必要じゃなかろうかというように考えておるわけでございます。
○土井委員 こういう質問をまたしておりますと、時間がいたずらにたって、私は四時以前に終わるわけにはいかなくなってきますから、別の機会にじっくりひとつやってみたい気になってきましたけれども、いまの御発言を承っておりますと、裁判所の判決例は憲法以上のものですか。憲法よりも判決例の存在については、社会秩序を維持するために必要な存在というふうに認識なすっているわけですか。つまり社会秩序を維持させるのは、具体的には判例を通じてだ、裁判を通じてだという趣旨の御発言があったわけですから……。私は、裁判というのは憲法や法律や法令に従って存在していると考えているわけです。したがいまして、その判決の中身というのは、憲法に従って存在している、法律に従って存在しているという認識を持っていたわけですから、いまの御発言を聞いていて奇異の感じを持ったわけです。
○古館説明員 判例、裁判所の判断が憲法以上であるということを申しているつもりは毛頭ございません。
○土井委員 これについては、まだ押していったら、これでも時間は四時過ぎて五時にもなり六時にもなると思いますから、共同不法行為について、民法七百十九条にいうところの中身をどういうふうに理解して今回の改正案に当たられたかということを、やはり明文の規定を置くと置かないとでは違うということを私は先ほどから言っているわけで、やはり法律に従って裁判所における裁判官は裁判をやるのであるという確認の上に、もう一度この点についてはお考えをいただく必要がありはしないかということを申し上げて、これもまた先に進みます。 それは、もう再三再四繰り返し繰り返しこの問題については質問が行なわれているかと思いますが、もともと環境庁の原案にありました因果関係の推定規定の問題、これは私は、もともとの原案を見まして、原案自身それほど進んだ規定だとは思っておりません。これは先日阿部議員が長官に対してこの問題についての質問をされました節、長官は、あってもなくても同じような因果関係の推定規定だ、あったほうがかっこうがいいのならそれがいいじゃないかと思って原案の中には入れたという御趣旨の説明でございました。私は、本来は因果関係の推定規定というのはかっこうがいいためにあるものじゃないと思うのです。かっこうがいい悪いの問題じゃなかろうと私は思っていたものですから、長官のこの御発言を聞いて、やはり原案それ自身は、私自身が読んだ際に、それほど進んだ規定じゃない、かっこうがいいことのために入れたとおっしゃる、これは正直な御発言だなと思って聞いていたわけですよ。つまりそう申しますのは、因果関係の蓋然性ということに対して、現在の学説、判例のもとでも原案程度の解釈論は容易に成り立つからです。ですから、原案に入れるか入れないかということにかかわらず、解釈だとか、先ほどから繰り返し質問の中でも言いました判例などにまかないをさせていけば十分できる事柄だろうと思うのです。要は、したがいまして、判例、学説の問題じゃない。やはり困果関係の推定については、それなりに入れる積極的理由があると考えておりましたから私たちは重視していたのです。それはどういうことかといいますと、たとえば有害物質を汚染物質と考えなければならないのじゃなかろうか、さらにその排出による損害が生じ得る地域内というのをまず問題として展開する場合には、濃度について多いか少ないかという論争が生じてまいります。おそらくは濃度について論争が生じたことのために、時間的経過というものをかなりかけなければ決着がつかないという問題があるでしょう。そうすると、やはり裁判においてその長期化を防ぐということが相変わらずできないということにもなってまいります。そこで、そういう意味も込めて、その汚染物質が到達し得る地域内というふうに私たち野党側は考えました。またこの同種の物質による損害が生じているときというふうな考え方を、同種の物質によって損害が生じたかどうかの立証が困難である、またこれにも時間をかけなければならないというふうな問題点があるのじゃなかろうかということで、私たちは同種の物質により生じ得る損害が生じているときというふうな考え方を持ったわけです。ですから、表現からいうと少々の違いであるというにすぎないというふうな形式論者もあるかもしれませんけれども、内容からいうと、たいへんにこういう点に力点を置いて、私たちは因果関係の推定ということに臨む際にかなりの積極性を持たせたといういきさつがあるわけなんですね。私たちから見れば、こうでなければならないという線がこれだったわけです。ですから、当初の環境庁の原案にあった中身を見て、ずいぶんこれは進んだ規定じゃない、いわばあってもなくても同じような規定だ、もう一つ言うと、だらしない規定だとすら考えていたわけですね。それがいまは改正案の中では消えてなくなって、どこをさがしてもないわけですから、これは二重の後退だということがいえると思うのです。こういうことに対して、環境庁長官はどういうふうなお考えを現在お持ちであるかということをひとつお聞かせいただきたいと思うのです。
○大石国務大臣 まあ多少後退という御意見がございますが、それは私は必ずしも否定いたしません。二重かどうかわかりませんけれども、二重とは思いませんが、私どもは、原案ではありませんけれども、この最後の原案をきめる過程においては、確かに因果関係の推定の規定を考えておりました。それが、いろいろと最終原案をまとめる段階におきまして、取ったほうがいいという判断に立ったわけでございます。それはなるほど、いま土井委員のおっしゃるとおり、そういう規定があったほうがはっきりしただろうと思うのです。私、確かにあったほうがいいと思います。思いますが、しかし、取らなければならないというふうな一部の意見があるとすれば、これは取っても、ある程度いまの判例で救い得る、率直に申しますとそう考えまして、実は最終段階ではその考え方をやめて、取ったわけでございます。そういうことで、だんだんそのような判例も固まってまいりまして、やはりこれは推定規定があったほうがなお法律としてのていさいも整うし役に立つということが、近い将来そうなってまいりますれば、私は喜んでそれを入れたいと考えておる次第でございます。
○土井委員 判例や学説というのは尊重しなければならないと思いますけれども、少なくとも、政治の場である国会が判例や学説のあとを追っかけてばかりいる存在であってはならないと私は思うのです。むしろ、私は、こういう法律論や何かにつきましても、理想からいいますと、大学における法律論争というものはとっくの昔に消化して、しかも、なおかつそれの上を行くところの政治に臨む態度というものを持っていなければつとまらないと考えておるわけです。なかなかそうはいきませんけれども。しかし、そういう態度を忘れてはいかぬのじゃないかというふうに思うわけです。それからしますと、今回の因果関係の推定の問題についての論争を聞いておりまして、たいへんに心さびしい限りなんですよ。単に法律でこのことを、現に確かめられている判例の中身だとか学説の中身を法文化すればはっきりしてよいじゃないかという問題だけにとどまりません。それがはっきりする以上に、やはり積極的意味というものを法律の中身へ持たせなければならないと私は考えております。ですから、長官が、あったほうがかっこうがいいと思ったけれども、あってもなくても同じようなものなら、あえてたいへんな反対を押し切ってまで置く必要はないという御認識をもしお持ちなら、その点を改めていただかなければ困ると私は思うのです。今後、やはりこのことについては、因果関係の推定規定ということに積極的に臨むということを考えておるのかどうかということをはっきりと伺わせていただきます。
○大石国務大臣 ただいまの土井委員の意見に私は非常な賛意を表したいと思います。そのようなものの考え方、積極的な、自分に自信と責任とを持たしたような行政の行き方が正しいと私は思います。あなたの御意見に賛成です。私はいままでそういうことで行政もそのような考え方で努力してきておるつもりでございます。ただこれについて少し歯切れが悪かったのは確かでございます。今度の場合、因果関係の推定のほうにつきましては、かっこうがいいというのは、ことばは悪いのでありますけれども、体系がよく整う、そういう意味でいいと思います。ですから、私は、今度の場合少し歯切れが悪かったのですけれども、やはり近い将来においては、そのような因果関係の推定の規定をはっきりさせることが必要であろうと思います。そういう時期がきましたならば、これはりっぱに修正いたしたいと考えます。
○土井委員 そこで、今回の法案全体について、基本的な問題について私は最後にお伺いしてやめたいと思いますが、それは無過失責任制度に対して必ずつきものは、やはりその履行を確保する手段だと思います。今回のこの無過失責任について履行確保の制度、たとえば担保の供託であるとか基金であるとか、あるいは強制的責任保険なんかについて、一言で言うといわゆる賠償基金制度ですね。こういう問題をどういうふうに考えていらっしゃるかということをお伺いしたいのです。鉱業法や原子力損害の賠償に関する法律なんかは、みんな何らかの強制的な履行確保の制度を伴っておりますね。公害については被害が広域に及んで、賠償額というのは巨額になるという可能性が現実の問題としてございます。そのような履行確保のための制度を早く用意しておかないと、被害者がせっかく裁判で勝ちましても、損害賠償の全部を取り立てることができなくなる場合が必ず生じてくると思うのです。加害者が中小企業の場合はことさらこのおそれがございます。現にあるところの医療救済制度だって内容が貧弱ですし、大々的な救済制度であるとはとても考えられない。ですから、いま申し上げたような損害賠償基金制度について、どういうふうなお考えをお持ちか。今回の改正案の中からは、これは全然それて書かれておりませんし、それにこういうことに対してこう考えているという具体的な案を持って、あるいはそれに従っての作業が展開中であるということなら、それについてひとつはっきりさせておいていただきたい。
○大石国務大臣 いまお話しのとおりです。この法案だけで済ますならば、私は非常に片手落ちだと思います。これは車の両輪の片一方の輪だと考えまして、もう一つの輪は、おっしゃるとおり、要するに被害者に補償をする基金と申しますか、そういう制度を確立することであると思います。私どもはその二つを考えまして、とりあえず国会にこれを出したわけでありますが、その片方の基金と申しますか、その補償の財源、これにつきましては、いまどのような形でどのような方法でつくったらいいかということを考慮中でございまして、その前提として中央公害対策審議会に費用負担の特別部会という部会を特別につくりまして、そこの中で、要するにこの基金の補償のあり方をいかにすべきかということをいま諮問してございます。いずれ十分勉強してもらいまして、早い機会にその答申があると思いますが、それを土台として、その基金と申しますか、それをつくるように努力いたしたいと思います。
○土井委員 私はこの改正案はまあこれは通らない、あるいは抜本的修正が必要だと考えている一人ですけれども、もし不幸にしてこの国会で通過しますと、何日に交付で、何日に施行ということになるわけですか。
○船後政府委員 施行日は本年の十月一日を予定いたしております。
○土井委員 それじゃこの十月一日に施行されるというふうなことをやっぱり念頭に置きながら、いまの車の片輪であるところの賠償基金制度なんかについても、具体的な作業を進めていらっしゃるわけですね。
○船後政府委員 ただいま中央公害対策審議会にも諮問いたしておりますし、また事務的にも昨秋来種々検討いたしておるところでございますが、この制度の立て方につきましては、先例といたしまして、鉱業法系統の担保の供託というような制度から、自動車賠償責任あるいは原子力損害保険、いろいろな類似の制度があるわけでございますが、やはりこの公害問題につきましては、個々の被害者の方々に対する損害賠償を担保するという目的と同時に、そういった企業者の拠出が同時に公害の未然防止に役立つというような仕組みというものが必要ではないかと思います。そういうように考えますと、なかなかその制度の立て方、どういう体制からどのような基準でもって、一つの金というものを拠出させるか。あるいはどのような画一的な給付をどのような要件に該当した場合に給付するか。なかなか技術的にもむずかしい問題がございまして、現在学識、経験者の方々にそういった問題についてお知恵を拝借しておりますが、十月一日の本法案の施行日までに、でき得れば中間報告でもいただきたいと思いますけれども、問題が非常に複雑多岐でございますので、その辺の見当は現在立っておりません。
○土井委員 いまの御説明を伺っておりますとこの法案が通過しても、これを具体的に実行する裏づけがなおかつ乏しいということになると思うのですよ。施行されたその時点で、本来申しますとこれは昭和四十五年以来の案件です。かなりこのことに対する作業を急がれて、今日これは出てきている問題で、慎重に検討いたしますという答弁を、いままで私は耳にたこができるほど聞かされてきた。あげくの果てに出たのがこの改正案ですが、損害賠償責任を追及する際に、やはり内容としてはそれを確保するところの賠償基金制度というものは、忘れられては困る問題だと思うのですね。本気でもってこれを具体的に実行しようというんなら、本来はこの法律関係資料の中にそれが入るべき問題の一つだと私は思っているんです。だから私たちの手元に関係資料が渡されるときに、中身を見れば、基金制度は大体こういうふうに考えておりますということが、やはり裏づけとしてはっきりなければならぬ。だからいま伺っておって、またこれもずいぶん心細いきわみでありまして、実際この法案が通ってから、どれだけ実現可能であるかということについても、どうも心配先に立つというきらいを持つわけです。ひとつそういう意味を込めて、これはこういう法案を出された以上、責任があるわけですから、作業の点も急いでいただかなければ、法案をお出しになったという具体的な裏づけというものに乏しいということをぬぐい去るわけにはいかない、このことを最後に申し上げておきたいと思います。
○大石国務大臣 これはおっしゃるとおりです。船後局長は非常に慎重な人ですから、はっきり十月までに出しますとか、一月までにしますとかということははっきり言いませんから、たよりないようにお聞き取りだと思いますけれども、われわれはできるだけ急いで、これと相呼応する基金の制度をつくらなければならぬということで努力いたします。ただし、いま局長の言いましたように、ただ、基金をつくるだけのために金を出す、いろいろな企業が出すということだけではつまらないというのがわれわれの考え方です。つまらないというとことばは適当でないかもしれませんが、さらにその金を出すことによって公害がよけい防止できるということ、なおはっきり言いますと、金を出せばあとはどうなってもいいということではなくて、公害を防止することにより努力すればその金をあまり出さなくてもいいとか、むしろ全然免除もできるような、そういうことまでつけ加えて、いろいろな公害の防止に努力してまいりたいと考えておるわけです。欲が出ました。そういうことでいろいろむずかしい問題がたくさん重なっておりますから、いま言ったようにすぐこれだけに間に合うようになかなかできない、たぶんできないかもしれないという慎重な発言でございますが、これができました以上、これだけ単独で歩かせるわけにまいりませんから、できるだけ早い機会にそういうものをまとめるという覚悟をいたしております。
○田中委員長 島本虎三君から関連質疑の申し出がありますので、特にこれを許します。島本虎三君。
○島本委員 いま履行確保のための基金制度は今後急いでやるというはっきりした意思表示があった。その前提になる無過失責任の問題にからんで、私は一つだけ伺っておきたいのです。 二十五条の三、この賠償についてのしんしゃく規定の中に、「天災その他の不可抗力が競合したときも、同様とする。」という一項があるわけであります。この天災というのはどの範囲のものを天災と見ているのか。特に野党案では、この問題では厳重に不可抗力以外のもの、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。」したがって、不可抗力はこの程度にしてありますが、第二十五条の三の中にも「天災その他不可抗力が競合したときも、」とこうあるわけです。この具体的な理由をこの際ですからひとつお示し願っておきたいと思うのです。
○古館説明員 二十五条の三の天災でございますけれども、この天災は原子力損害の賠償に関する法律の第三条の「異常に巨大な天災地変」これよりは小さい天災ということになろうかと思います。「その他の不可抗力」といいますのは、天災に準ずるような事由でございます。その中にはたとえば第三者の不法行為、これも入り得る場合もあるだろうというように考えております。したがいまして、この二十五条の三の「天災その他の不可抗力が競合したとき」という場合の「天災その他の不可抗力」というのは、先ほどお話ししましたように、原子力損害の賠償に関する法律の第三条の「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」とはちょっと違うということでございます。
○島本委員 そのちょっと違うが問題なんです。せっかくここに、不可抗力というもの以外はそれに該当すると言いながらちょっと違う。そのちょっとがどの程度なのか。災害とは普通災害、いわゆる暴風であるとか津波であるとか、こういうようなのも見るのか。ちょっと違うといったって、これも災害でないということはいえないわけです。そうなるとこの点については、原因者といわれる使用者側にはまことにりっぱなしんしゃく規定になってしまいますけれども、この点を少し、ちょっと違うそのちょっとはどの程度までのちょっとですか。
○古館説明員 まず原子力損害の賠償に関する法律の第三条の趣旨でございますけれども、これは結局、本来原子力というものは非常に危険性がある。そのために、危険防止のために十全な防止措置を講ずべきであるということは、当然要求されるだろうと思います。したがいまして、通常の天災とかそういうものがあった場合に被害が生ずるということでは、十分の防護措置を講じたから責任はないのだというのは、これは問題だろうと思います。そういうことで、その危険性の度合いに応じまして、それに相応するような、結局注意義務、危険防止義務、措置、これを講じておる。それで結局、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」の場合でなければ責任を免れないというふうに規定したわけでございます。 ところがいまのこの無過失法案の場合に対象になりますのは、大企業ばかりじゃございません。中小企業もございましょう。そうしますと、中小企業につきまして、いまの原子力事業者あるいは大企業者と同じような危険防止措置をしろということは、その実態に応じて、当然要求することには問題があろうと思います。ですから企業ごとに、企業の程度あるいは危険性、それに対応した十分な防止措置をすればいいのじゃないかということが前提になるわけですね。そういうことから結局、原子力損害の賠償に関する法律とは違った規定になったわけでございます。天災といいますと、この辺はやはり社会通念に照らして考えられるべき問題じゃなかろうかと思います。
○島本委員 その社会通念に照らして考えられるという点が、通念という概念もまたいろいろあって、はっきりこう野党案のように、「異常に巨大な天災地変」、これは何百年もない、歴史上かつてないような大事件であるとかいう解明がなされ、それに「社会的動乱」の場合にこの限りでない。これも戦争または内乱を含む、こういうふうに解釈できるわけです、これでは。ですからそれ以外のものはまず認めるのだ、また認めないのだ、いろいろ解釈できるわけだ。その場合の社会的通念の天災というのは、だからどの辺なんですか。ちょっと違うという、そのちょっとの点がどこまでなんだということをちょっと説明してくださいというのです。こっちのははっきりしているのです。異常にして巨大だというのは、野党案の中にあるものは、歴史上かつてないような大事件だ。いいじゃありませんか。規定として、戦争及び動乱、これだって内乱や戦争なんだ、これもはっきりしているじゃありませんか。ところがちょっと違う天災というのは、これはさっぱりわからぬ。まして「その他の不可抗力が競合したとき」というのはどういう状態なんだ。それを説明してくださいというのです、わからぬから。
○古館説明員 ちょっと違うといいますのは、異常に巨大な天災から異常に巨大な部分だけを引いた天災ということになろうかと思います。
○島本委員 ちょっと、もう一回そのまま言ってください。
○古館説明員 異常に巨大な天災から異常に巨大なを抜いたような天災、異常に巨大なまでいかない天災……(島本委員「たとえばどんなもの」と呼ぶ)たとえば予想以上の津波が来たというような場合あるいは台風が来たというような場合があたるかと思います。その他の不可抗力といいますと、先ほどお話ししましたように、たとえば第三者が工場に爆弾を投げ込んだ、そういう場合もあたるかと思います。まあそういうことでございまして、結局いまのような、異常な自然災害ですね……。
○島本委員 その自然災害、天災は、どの範囲。その異常というのを取った天災は、ではどの程度のもの。
○古館説明員 これは自然現象でありますから、その程度を限定づけるというのは、ちょっとものさしでものをはかるのと違いまして、非常にこれは困難であります。
○島本委員 では、解釈によってどのようにでもなるということだな。
○古館説明員 ですから、これは、具体的な事案に即しまして、裁判所の判断にまつということになろうかと思います。そういうことに基づきまして、有害物質が排出される、その結果被害が生じたという場合に、この規定の適用があるということでございます。
○島本委員 念のために一つだけ。 毎年台風がくる。台風がくる場合には、やはり毎年くるからそれぞれ準備しなければならない。そういうようなものと合したときにはそれは天災と認めますか。
○古館説明員 これは認められる場合もあるだろうし、認めない場合もあるだろうと思います。それは企業の実態、企業の規模、程度、それによつてまた違ってくるだろうというふうな感じがいたします。
○島本委員 これで終わります。 よくわかりました。まことにこれは、とらなければならないということで、意を強くしたわけでありますけれども、これはやはり、二十五条、無過失責任のうちの「被害を生ずるおそれがある物質として政令で定めるもの以外の」「大気中への排出により、人の生命又は身体を害したときは、当該排出に係る事業者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。」というのが基本ですね。そのしんしゃくとして二十五条の三に、この規定による「損害の発生に関して被害者の責めに帰すべき事由があつたときは、裁判所は、損害賠償の責任及び額を定めるについて、これをしんしやくすることができる。」、七百二十二条の二項による過失しんしゃくの場合には、これはもう額はきめてあっても責任はないのだ。これは責任まで免れさせることができるような、まことに都合のいい法律になっていますね。まして、その「損害の発生に関して被害者の責めに帰すべき」、損害の発生というものの被害者の責任というものは、煙を吸ってぜんそくになったりして気管支をこわしたりした、そういうもので、被害者の責めに帰すべきものはほとんどないだろうと思うものまで入れて、これは裁判を長引かせるのに都合のいいような一つの足がかりを与えるようなおそれがある。こういうようなことで、早く裁判をするために、被害者を早急迅速に救うためにこういうようなことを考えられるとするならば、まさに木によって魚を求めるたぐいのものである。ましてこの中の天災そのほかについてはますますわからない。競合したということになると、あらゆるものが予想されるということになって、まことに私どもとしては納得しかねる状態であるということはよくわかりましたので、私はこれで終わります。
○古館説明員 いまの御発言の中で、民法と違って損害賠償の責任を定めるについてというように規定している、これは一つ問題だということで御指摘を受けたわけでございますけれども、先ほど土井委員にもお答えいたしましたとおり、「被害者の責めに帰すべき事由」がある場合という場合には、被害者の故意がある場合を含むというふうに理解しているわけでございます。民法七百二十二条の場合には、故意の場合は問題になっていないわけでございます。過失の場合が問題になっているわけでございます。ですから、「被害者の責めに帰すべき事由」というのは過失の場合と故意の場合も入るのでございます。過失の場合は民法と形式的には同じ形式になろうかと思います。しかし、故意の場合にはどうなんだといいますと、故意の場合には民法では不法行為になるわけですね。したがいまして、七百二十二条の二項の適用というのは、故意の場合には問題にならないわけでございます。なおこの場合には、故意の場合もここに取り込んだ、その結果「責任」ということばも入ってきたということになるわけでございます。
○田中委員長 わかりにくいということがわかったということか。
○島本委員 わかりにくいということがよくわかった。
○古館説明員 それから一点、先ほど土井委員の公害の場合に過失がしんしゃくされた判例があるかというお話ですけれども、私の記憶では山王川の最高裁の判例、四十三年四月二十三日の事案が過失がしんしゃくされた事例ではないかというように記憶しております。
○土井委員 四十三年四月二十三日最高裁、事件名は何ですか。
○古館説明員 判例集で言いますと、二十二巻の四号九六四ページになっております。
○田中委員長 いいですね。——もう一ぺん調べて……。 本日の質疑はこの程度にとどめ、次回は、明二十五日木曜日午前十時理事会、午前十時十五分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時二十四分散会