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67回国会衆議院1971/12/21

文教委員会 第6号

発言数
102
登壇者
11
会派数
4
開催日
1971/12/21

会議録

丹羽兵助自由民主党

○丹羽委員長 これより会議を開きます。  この際、御報告を申し上げます。  長らく本委員会で御活躍をされておりました堀田政孝君が、昨二十日逝去されました。まことに哀悼痛惜の念にたえません。ここに委員各位とともに故堀田政孝君の御冥福を祈り、つつしんで黙祷をささげたいと存じます。御起立を願います。   〔総員起立、黙祷〕

丹羽兵助自由民主党

○丹羽委員長 御着席を願います。      ————◇—————

丹羽兵助自由民主党

○丹羽委員長 文教行政の基本施策に関する件に  ついて調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山中吾郎君。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 前回、文部大臣おられなかったので、本日は大臣を中心に御質問したいと思うのです。  予定の質問の前に、きのうの新聞にも、全日空の飛行機で傷害事件が起こった。あるいは土田警務部長の奥さんが爆死したとか、あるいは学生運動で松本楼が全焼になった。一連の最近の犯罪を見たときに、これはもう普通の法律では防げない事件である。社会防衛の立場から言いますと、現代の社会においてはもう法律では防げない段階に来ているので、一人一人の人間が自覚した姿の中でお互いに秩序を守るというふうな、そういう前提がなければ、ここまで科学技術が発達し普及してきた場合には、犯罪は防止できないと最近痛感をしてきたのですね。たとえば火薬の製造なんというのは、高等学校卒業の化学知識があればつくれる。凶器なんというものを取り締まるといっても、これはだれでも持っておることができる。人を殺す刃物なんというのは、所持は自由なんでだれでも持てる。こういうことを考えたときに、私は人間形成という教育政策によって、こういう人の命を、いかなる目的のためにおいても殺害その他は絶対すべきでない、してはならないというような人生観形成がないと、もう防ぎきれない。法治国家時代は過ぎたのじゃないか。悪法も法なりというような絶対順法精神というものはもう通用しない。憲法によって人権を守るために法律も一定の制限をするというのは常識である。すべての世界国家は憲法国家である。神様というものの権威のもとに人間性を無視するような法律をつくっても、これはもう強制力というのはない。それほど人権思想も発達し、人間自身がもっと主体的に生きる、みずから納得しなければ外的な拘束に従うというようなことは昔のようにはいかない。そういう意味において、こういう一連の事件を目の前にしたときに、私は、教育という問題からどうあるべきかということを深刻に考える段階に来ているのじゃないかということを痛感をしておるのです。文部大臣はどうお思いになりますか。これは刑法問題であるから文部行政には関係ないので高見の見物されておるのかどうか。もうそういう時代は過ぎたのじゃないか。やはりこれも教育政策の問題として、日本の教育のあり方、教育課程というものをどうするかという問題を投げかけられておるのじゃないかと思います。痛切に感ずるものですから、大臣の御意見を聞いておきたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 お話のとおり、今日頻発しておりますいろいろな不祥事件、ことごとくは人間性から出発をしておる事柄であると思うのであります。その意味から申しますると、山中先生御質問のとおり、教育というものに対する認識というものが非常に大切な問題になってくるということは申すまでもないことであります。法律は私は道徳の最低の基準であると考えます。法律以前の問題として人間があるべき姿というものは、やはり道徳というものがなければならない、倫理がなければならない。知性のない行動は単なる盲動にすぎないと思いまするし、また、知性はありましても行動が伴わない知性というものは、私は知識の貯蔵にすぎないという感じがいたしておるのであります。ここに私は教育の非常にむずかしいところがあると思います。知性を高めることによって——その知性を悪用すれば凶器となるということを考えまする場合に、教育というものがいかに重要なものであるかということを切実に感じておるわけであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 多いか少ないか、現在は知能犯的犯行になっておると思うのですね。あらゆるものが人間の選択の自由が与えられておるので、あらゆる文明の利器というものは両刃のやいばになっておる。そういう意味で法律で取り締まるということではできない部面が非常に多くなってきておるから、いま申し上げたのでありますが、たとえばいつかも言ったように、三億円の銀行の金を盗んだ完全知能犯。私はもう犯人は出ないと見ておる。だから、単なる法治国家思想というものを脱却して、もっと教育国家というのは教育自発性に基づいた秩序意識がなければならないという意味でいま申し上げたのでありますが、大臣の所見のその次に、それなら教育としてどうしたらよいか。私は、教育課程というものをもっと根本的に再検討して、人間尊重の人生観、いかなる目的のためにも人の命だけは奪うようなことを手段として選んではならないし、また選ぶことができないような精神構造を形成する。一人一人の命は地球より重いというふうな生命に対する敬意、それを基本とした人生観形成、こういうものを義務教育の中でつくらなければならない。教育課程の改定を文部省でやっておるのは、そんな着眼が少しもなくて、何か天皇愛即愛国心であるとか、あるいは現在の秩序を維持するために不都合なものはなるたけ触れないで支配者の都合のいいものだけを選択するような、実に次元の低い教育課程の改定ばかりしておる。私はこれは与党にも責任があると思う。自民党が政権を持つという中において、どこかに次元の低い判断が日本の教育課程の編成の中に入ってきておる。文部省も責任がある。もっと原点に戻って、人命尊重とか、そしていまのような法律では取り締まることのできない、こういう新しい犯罪が生まれてきておるものを、教育の力で未然に防止をするというふうな根本的な立場に立って教育課程の改定を検討すべき段階である。検討されてはいかがであるかお聞きしておきたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 お話のように、教育の課程において検討すべき課題は数多くあるのであります。そのが今度の教育制度の改革に対する中教審の答申ともなってあられておるわけであります。  ただ問題は、戦後の急激な価値観の変動というものが人間の生きるべき指標を失なわしめた最大の原因ではないだろうか。そこで、法律で取り締まることができないものは、これは御承知のように教育でやらなければならない。しかし、少なくとも法治国家であるという意味において、憲法下においてわれわれの基本的な人権を保障されておるという事実は、厳としてこれは失うことのできない問題であります。しかし、それより次元の高い見地においてという御意見ならば、まさに先生のおっしゃるとおり、教育の課程において考えなければならぬ問題である、かように私は考えます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 これで論議をするつもりはないのですから、ひとつ少し角度を変えて、教育のあり方、学問のあり方を根源的に検討する段階に来ておるという認識のもとに、肉眼で見える形式的な文教政策でなくて、やはり人間形成の原理をどこに置くか、現在の体制、反体制なんというような論議の前に、人間形成の問題として検討されることを要望しておきたいと思います。  次に、前回文部大臣がおられなかったので、局長を中心として次官の意見も聞きながら質問をして保留しておいたのでありますが、最近全国的に過疎地帯において臨時採用の教員が非常に多くなった。それは現在の定数法の定数内ではあるけれども、過疎地帯であるからだんだん児童生徒が減っていく。本採用しますと、減っていったときに首を切るのがめんどうなので、それで臨時採用で二年、三年身分の保障もしないで教壇に立てている。その先生は免状がないわけではない、素質が低いわけではない。いま採用して三年、四年後には今度は定員外になってしまう。そして、義務教育国庫負担法についてわれわれは反対したけれども、大蔵省の圧力によって定員定額制ができたために、定員よりはみ出ると二分の一の補助がこない。そういうことから、現在過疎地帯において、児童生徒が減るに従って先生の数を減らさなければ二分の一の国庫補助を受ける先生にはならないというので、正規に採用すべき定数内の教員を身分を不安定のままに採用して、そして教壇に立てておる。これは私は、ある意味において、拡張して考えれば定数法からいって法的違反のような感じさえする。その間昇給もない。この不合理を私は文部省の問題として再検討すべきであると思うので、局長のほうに全国の資料とこれに対する対策を検討して報告してもらいたいという質問をしておいたのです。いまお読みになっておりますが、わかりますか。書いておりますか。書いておったら読んでみてください。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 これは、お話のとおり、そういう実態があることは承知をいたしております。しかし、この問題につきましては、なお調査を十分にしなければならぬ問題がございますし、またこの問題については積極的に検討を進めてまいりたい、かように考えております。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 なお大臣に認識を深めておいていただくために繰り返して言っておきますが、大学を卒業した者を、将来過員になるおそれがあるからといって臨時採用して、数年たって今度また採用試験をするときにペーパーテストでやるわけです。そうすると、新卒のほうはまだ記憶が新しいので優秀な点をとることができる。三年くらい前の卒業生は、ああいう試験をされると新卒より不利なんです。そこで古い者がはねられていく。三年も教壇に立って教育に挺身していた者がむしろ不利になって首を切られる。そうして新しい者が採用をされていく。こうなると、教育政策として、教育経験を尊重し、そして教壇に立った者を守っていくという文教行政の基本がくずれるのではないか。それを非常に心配をするのです。奥さんをもらって教壇に立っている人が、毎年一年ごとに上からばさりとされれば首になるのです。そんな不安のままで教壇に立っている人が数知れずある。これはぜひ検討していただきたい。  たとえば過疎地帯においてだんだん児童生徒が減っていく場合も、定員内の先生として教壇に立っておる人は、あと三カ年とか四カ年は暫定定員として国庫補助の対象として認めるようなくらいなことは、大蔵省とも話してやるべきで、生徒が何名減ったから何名首を切れ、それ以上は国は負担金の責任は持たないというような紋切り型の定員定額制でいくことは、現在のように過疎過密という過渡期の現象が出ておる場合には許されないのじゃないかと思うのです。暫定定員という形で処理するか、少なくとも定員内の者を本採用して、そして児童生徒が減るに従って退職するという、本採用を前提とした対策をぜひ立ててもらいたい、立てるべきである、こう思うので、そういうものを含んで検討されることを要望し、いつまでに検討されるかお聞きしたい。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 これは山中先生御承知のように、過疎地帯においてそういう現象が起こっておると同時に、過密地帯においては教員の不足という現象が起こっております。ところが、御承知のように、文部大臣は各都道府県の教育委員会に対して指揮命令権を持っておるわけではございません。私どもはできるだけ過密地帯へ過疎地帯の過剰教員を動かしてもらうように要請はいたしております。そういたしますと、いま先生がおっしゃるような問題はおおむね解決がつくという考え方をいたしております。  ただ問題は、過疎地帯の先生が、子供の頭数が少ないから直ちに定員過剰だという判断をすることは適当でないという考え方に立っておりますから、いま申し上げた検討をする、しかしいつまでにやるかということになると、なるべく急いでこの問題は解決いたしたいと考えておるわけであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 私の申し上げるのは、過疎から過密に転任さすということも一つの方法ですが、しかしそれは本採用していることを前提としないといかぬということを強調しておるわけです。最初から本採用にする。採用するときは定員内ですからね。数年のうちに児童生徒が減るから、将来はみ出るからというので、いま臨時採用して身分の保障をしていないし、昇給もささないのです。数年後に過員になるときに、過密都市において先生が足らぬというときに、転任を希望する者は転任をさす努力もするし、とにかくいずれにしても本採用ということが前提でなければならぬ。これは、指揮命令ではなくて義務教育国庫負担法の適用の問題ですから、ここに大蔵省の主計官に特に来てもらったのです。いままで政令をつくるときに、あらゆる論議をして、一番最初、戦後地方自治体において必要に応じて先生を採用した場合には、二分の一国庫補助を実員で出しておったわけです。文部大臣きっと頭に浮かんでくると思う。それを定員に押えてしまったために、はみ出るとその瞬間に二分の一の負担金が出なくなってしまった。そういうときは過密過疎という現象というものは頭になかったと思うのです。いま急激に過疎になるときに、そのために地方では苦肉の策として臨時採用で百名、二百名のものをとってしまっておる。そこに私は、政令の切りかえの問題のときに予想しない現象が起きておるのだから、これをどうするかということを、本採用を前提として対策を立てるということを特にいま強調しているのです。そして大蔵省のほうも暫定で二年、三年、ある程度——急激に児童生徒が減るときに、紋切り型に定員定額で、先生がはみ出たからもう四月一日から国庫負担法の二分の一の適用外にするので金を渡さぬというような、そういう融通のきかない形式主義の事務的処理はちょっといけないのではないか。暫定的な何か措置を考えるべきであると思うのですが、主計官どうですか。

青木英世大蔵省主計局主計官

○青木説明員 山中先生御承知のとおり、標準法は、第三次の定数改善ということで、昭和四十四年度から五カ年計画で進行しておりまして、通常でまいりますれば昭和四十八年度で終わるわけでございますが、そういう過疎県等のことを考慮いたしまして、特殊な事情のあるものについては附則で五十年度まで延ばすという特別措置をとっておるわけでございます。したがいまして、ただいま高見文部大臣からお話のありましたような、ひとつ過疎過密の間の人事交流を行なうということによって、できるだけこの範囲内でおさめていただきたい、このように考えておる次第でございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 そういう思想がわかれば、過疎から過密に移動するのに時間が要りますから、その間は暫定的に大蔵省も国庫負担の対象として過員教員も考えるということでなければ、一瞬にして移せないのですから、そういう思想の上で文部省も大蔵省も本採用を、少なくとも定数内は本採用を前提として対処してもらいたいと思います。これはもう少し具体的に伺わなければならぬと思いますが、一応検討されるということでありますから、一定の段階でもう一度取り上げて質問いたしたいと思います。  次に、これもじみな問題で、ここで取り上げないと行政も動かないので私は申し上げたいと思うのですが、僻地の小規模の中学校において、これもだれでも知っておるはずですが、免許のない教科担当ですね、大体三学級の中学校、一年、二年、三年一学級ずつの小さな中学校においては、一人の先生が三教科あるいは三教科以上を担当するのが常識になっております。これをいなかでは無免許運転と言っておる。無免許運転に二種類あって、酔っぱらって乗るのと、免許なしに授業をしておるのを無免許運転と言っておるのですが、非常に多い。しかも、その中身を見ますと、岩手の例をとりますと、無免許で教えておる教科の一番多いのは数学、その次が体育なんです。その次が国語なんです。そして音楽なんです。これは全然免許のない、教えるだけの教養を持っていない者が教えておるということなので、実質的には僻地の中学校においては戦前の小学校の高等科教育をしておるのです。専門の教師がその教科を担当するというのが中等教育であるという定義を前提とすれば、私は僻地には中等教育はないと見ておるのです。小学校の高等科教育である。だから、教育の機会均等というのは、ことばでは皆さん主張しておりますが、六・三制の実態からいって、僻地においていま言ったような重要な数学、国語その他を全部いわゆる無免許の先生が担当しておる実態からいって、私は中等教育の機会を与えられていないと見ているのです。非常に重要な問題である。  そこで、これもここでは結論は出ないと思いますから、局長がおるので、無免許の教師が担当しておる教科は、全国的にどれが一番多いか、そして一体どれだけの学校においてそういう事情にあるか、やはりこれは調査をされるべきです。してあれば出してもらいたいし、してなければ調査してもらいたい。そしてこれをなくす対策を立ててもらいたいと思うのです。たとえば、もう教員養成課程の中で、中学校の免許を与える教師の場合、少なくとも卒業までに二教科の免状を与えることだ。いま一教科でしょう。一教科ですから、現在の六・三の三という短かい三学年制度の中等教育では、これはもう無免許の授業を持たざるを得ない定員配置であり、教員養成だと思うのです。だからこの問題について、基本的な教員養成課程の中から検討して、とにかく免許状を有する者が教えるのだという体制をとる必要がある。いま一例としてそういう提案をしたのですけれども、何か方法があるし、これは解決をしなければならぬと思うのです。このままこういう状況では、教育の機会均等は永久にできないと私は思うのです。そのことについて資料があれば局長から御説明願いたいし、なければ、調査をしてこれも報告してもらいたい。これに対する文部大臣の御所見を聞いておきたい。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 御指摘のように、確かにそういう実態が多いのであります。ことに中学校におきましては教科単位になっておるのでありまして、教員免許法の附則二項によりまして、免許外の科目を担当せしむることができるという制度があるのでありますけれども、一番多いのは数学、保健体育の先生であります一文部省といたしましては、これは昭和四十四年度から五カ年計画でもって、研修等によって免許制度を拡充するという方向に進んでおりますが、いま私の手元にあります資料で申し上げますと、免許教科外の教科担任件数でございますが、これは漸次減ってはきております、昭和四十年度を基点といたしまして、六万五千八百五十九件からずっと減ってまいりまして、昭和四十五年度にはこれが五万四千五百二十八件、約一万一千件減っておりますけれども、しかし、現実に先生がおっしゃるような事態があることは事実であります。できるだけこれをすみやかに解消する努力をいたしたいと考えております。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 資料が十分できておるそうですから、あとでひとつよこしていただきたい。  それで、いま解消するといっても、対策がなければできないのですから、そこで、その具体的対策を立てて、ひとつ解消の方向に努力していただきたい。  なお、参考に——大臣、なかなかお見えにならないから言っておきますが、東北の教員配置基準を東北で調べた中で、たとえば岩手を持ってまいりますと、一年、二年、三年一学級ずつの三個学年の中学校が非常に多いわけです。その三学級の教員の配置は五名なんです。四学級で七名なんです。中学校の必修科目は九科目あるのです。九科目ある中学校において五名しか先生がいない。理屈から言えば、九科目の必修科目があれば、少なくとも九人の先生がいなければ、最初から文部省の基本的な方針として無免許の教員を認めたかっこうになる定員配置ですね。あとでどうしてもやむを得ないというのは、財政上これ以上配置できないという理屈しか言えない。そういう現実ですから、それを前提とすれば、少なくとも一人の先生が二教科の免状を持つ教員養成制度を考えるとかなにかをしなければ、ただ努力するということだけではこれは永久に解消できない。この数では永久に解消できないことはおわかりだと思うのです。九科目の必修科目で三学年の中等学校で、多いところでも六人です。七人あるにしても、あとの二教科というのは無免許を前提として配置しているでしょう。そういうことを私は申し上げておる。こういうことを真剣に検討されないことは文部行政の怠慢だと私は思う。中等教育の少なくとも最低の基準を保持する責任があるならば、よけいなことを干渉されないで、こういうことをまず最も重視をして文教行政は検討さるべきだと思いますので、実態をひとつ肉体的につかんでいただいて、具体的提案を含んで、具体的方策を含んで解決の道を明らかにしてほしい。これはもうぜひ、一定の機会に結論が出たならば、私に報告していただきたいと思います。どちらでもひとつ……。

岩間英太郎文部省初等中等教育局長

○岩間政府委員 現在第三次の五カ年計画が進行中でございますが、ただいまの三学級の場合には、これは最終的には教員が六名、それから校長を入れますと七名ということになるわけでございます。御指摘のように教科が九つでございますから、その辺から申しますと御指摘のような点があるわけでございますけれども、私どもも順次そういうふうな方向で問題を解消していきたいという考えでございます。  なお、現在一学級だけの中学校というのが百ばかりございます。それから二学級が二百五十くらい、三学級になりますと千五百くらいでございますが、これも、先ほどちょっと大臣が触れられたかと思いますけれども、学校統合というふうな方法もございますし、順次解消していくように定数の面からは詰めていきたいというふうに考えております。  なお、教員養成の面につきましては安養寺審議官からお答え申し上げます。

安養寺重夫文部省大学学術局審議官

○安養寺政府委員 現在教員養成の大学としまして、極端に申しますと、免許法の上では大学の八割が教員養成に関連をいたしておりまして、そこに参ります学生の相当多くのものが免許状をとっております。しかし、これはいわゆる開放制と称せられておりまして、学生が好んでとる場合に免許状が取得されるわけでございまして、入りました大学の何学部の何々学科というのを必ずとるというような仕組みのものではございません。概して申しますと、中学校なり、特にまあ高等学校の一つの免許状をとって出るというのが実態でございます。  この間にございまして、わずかに各県にございます国立の教育学部とか教育大学が教員の、主として義務教育を中心とする需給のセンターというような役割りを果たしておるわけでございます。そこでは、各地域地域の教員の需給の問題等にも正しく敏感であるように、いろいろとくふうがなされておるわけでございます。先生御指摘のようなくふうも、在来からも教員の需給の調整の関係上ある意味では必要だということで、いろいろやっておるわけでございまして、小学校の免許状を四年かけてとるかたわら、中学校のある教科を、特に得意とするなり趣味とするということで深く勉強する。結果的には、ことばが悪うございますが、中学校の何かの教科の免許状がとれるということでやっておったわけでございます。御指摘の、中学校の先生で、たとえば保健体育と理科であるとか、社会と英語であるとか、こういうように組み合わせて四年間に二つの免許状をとるということは、多少教育課程の編成上むずかしゅうございます。そういった勉強自体をさせることには、やや大学の側に難がある。学生自身も、最近はそういうことをあまり好まないという実態もございます。したがいまして、その結果は、先生になって現職教育で大いに養成をするというようなこともございましょうが、いろいろ別途のネックもあるわけでございまして、今後も関係者とも大いに協議をいたしまして、できるだけ改善できるように子供のためにはかっていきたいと思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 御検討を具体的にしてもらいたい。私たちは、数科目免許状をとるような学校を出たもんだから、あなた方の言うことがぴったりこないんだ。三つか四つありましたからね。そんなことできないはずはない。大体、無免許で教壇に立たれて、そのときから無免許の教科を持つことを公認するような文教政策ですよ。  次に、授業料について。山原委員からも質問があるので、私、この機会に一つだけやります。  最近感じておることば、ドル・ショックのあと円の切り上げで来年度の予算は大型刺激予算だという立場をとって、経済優先から生活優先に切りかえる。そこで政府声明、大蔵大臣談話その他にも、これはきのうの新聞ですが、政府は、国民福祉充実のため経済資源の配分を再検討し、特に住宅、生活環境、公害、老人問題などの政策に一そう努力すると書いてある。教育ということはどれを見ても出てないのですね。そこで、経済中心のものから老人問題その他の方向で刺激的予算の使い方を考えるときに、一体、教育ということばが一つもない、出ないということはどういうことか。その中で考えたときに、教育に関する国民の、いわゆる父母負担というものは非常に大きいので、少なくともこの不況を押えるために授業料でも少なくするということによって国内の需要を多くする、そうして教育費に使う部面を少なくするということが——私は、この経済優先の企業保護の予算の使い方を、住宅、生活環境、公害、老人へというときに教育は入るべきだと思う。ところが、ひとり国立の授業料だけ値上げを要求されて、文部大臣は、やむを得ないというような言い方をしたりしておるけれども、一体四十七年度の、円切り上げを前提とした日本の予算編成の中からいって、授業料を下げるという線ならば私は全体の構想の中に合うと思うのです。家計への圧迫を少なくする。国立大学でも、下宿をさして、いなかで出しておるのは月に五万も家計から出しているのです。だから、授業料そのものの値上げがどうかということよりも、教育に対する父母負担は一体どうかという中で授業料を検討すべきである。そういう着眼がどこにも見えないし、政府のこういう国内外の情勢の変化に対する予算編成の中にも、教育費というものについて一言も触れていないということは、日本の政治全体の体質なのか、文部大臣の怠慢で、刺激を与えないためにそうなっているのか、その辺が非常に疑問である。私は、社会保障というものを考えるときには、老人を大切にすることと、未来に準備する子供を大切にするという二つがなければ片手落ちだと思っている。子供のほうは少しも出てこない。一番わかりやすい次の選挙対策に都合がいいか。子供の教育は二十年、三十年の効果だからという、短期的な近視眼的な一つの政治常識があるために出てこないのか。そこに非常に疑問があるのでありますが、それは別としても、来年度の予算編成のときに、教育費の軽減ということは、国内の不況における購買力、家計に余裕を持たすという非常に大事な項目でもあるので、少なくとも上げるという論理は、来年度の予算編成からは出ることは考えられない。どう思いますか。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 授業料の問題は、目下慎重に検討中でございます。山中先生ただいま御指摘の、大蔵省が出しました予算編成の基本方針というものについては、私も、御指摘のとおり、はなはだ不満であります。少なくとも一番長期的な社会開発は何であるかというと、私は教育であろうと思っておるのであります。これは正式な閣議の席上で私はもの申したいと思っておったのでありまするが、たまたま先生の御指摘がありまして、私もまことに不満であるということを申し上げておきます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 大臣の積極的な考え方、教育費全体について御意見を聞いたので、最後まで大いにがんばっていただきたいと思います。  次に、戦後の教育行政組織について御質問したいと思います。  実は、三党共同提案で、戦後の教育行政組織に関連をして教育委員を公選制に戻す法案の提案があるわけですが、その法案の審議としてでなくて、沖繩の問題もあるものですから、教育行政組織のあり方全体の問題として、ぜひ文部大臣の御意見をお聞きいたしたいと思うのであります。沖特との連合審査のときに、私、大臣と意見交換する時間がなくて不徹底のままに終わっておるので、再度お聞きしたいのですが、戦後の日本の教育行政の基本方針はどうなのかということを、もう一度お聞きしたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 御承知のように、教育委員会法が成立いたしました当時のたしか森戸文部大臣だったと思いますが、教育の自主性というものを非常に高く主張せられました。それから五年か六年でありますかいたしまして、いろいろな教育財政の二元化とか地方行政との摩擦あるいは偏向教育だとかいろいろな問題がありまして、昭和三十一年に法律が改正されて今日の任命制になったわけであります。この任命制への切りかえにあたりましては、まことに不祥ないろいろな事件がありましたことは私も存じております。また、野党の皆さんのほうから非常に強い御反対のあったことも承知をいたしております。しかし、制度は制度として、いずれにいたしましても昭和三十一年から今日まで十五年間行なわれてまいっております。そこで、木島先生からも沖特の際に御質問がございましたけれども、今度の沖繩の返還にあたりまして、少なくとも国民共通の課題としての教育問題については、教育行政制度というものは地域によって異なる教育行政制度で行なわれるべきものじゃない、これは望ましい姿ではない、皆さんが多年主張しておられるとおりであります。私は是非の議論はあると思いますけれども、この際は、本土の制度と一体化いたしたい、かように申し上げたわけであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 公選制の時代と任命制の時代において、戦後の教育行政の基本方針は変化があるのですか、ないのですか。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 戦後の教育行政の上においての変化というものは、本質的に私はあるとは考えておりません。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 そうすると、戦後の教育行政の基本方針は、端的に法的に規定しておるのは教育基本法十条だと思うのです。それは間違いないですか。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 間違いございません。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 あれによると、二つの教育行政の基本方針を掲げてあるわけですね。不当なる支配に服しないということと、それから直接国民に責任を持つ、この二つの原則の上に立って公選制の教育委員、地方教育委員会制度をつくるときに、当時の森戸文部大臣も、基本法十条で決定した方向がここに具体化したものである、各委員の質問に応じて、その十条の基本方針のもとに公選制の教育委員会が自然に流れてくる制度であるという趣旨の説明を何回かしておるわけです。それを任命制にどうして切りかえたか。任命制ということと公選制ということによって基本方針が変わっていないとすれば、口では変わっていないと言っているようでありますけれども、どうも文部省のその後の——これはあとであらゆる文章で引例をしてもいいのでありますけれども、非常に変向しておるような言い方をしておるので、いま高見文部大臣は変向していないと言うのですから、その辺を明確にしていきたいと思って聞いておるわけなんです。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 教育基本法第十条の第一項は「教育は」という表現をいたしております。第二項は「教育行政は」という表現をいたしております。「教育は、不当な支配に服することなく、」云云ということは、教育委員の選任方法そのものについて直接関連があるとは私は考えておりません。その意味において私は教育制度自体が戦後変わったものであるという考え方はいたしておりません。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 森戸文部大臣の当時に、衆議院の文教委員会のやりとりの中で岡谷委員——私はその人を知らないのですが、不当な支配というのはどういう意味かというので、教育委員会法案の提案について質問があるのですよ。それで森戸文部大臣は、「一つは中央集権的ないわゆる文部官僚の支配に教育が動かされるということについて改められなければならぬという点と、他面教育以外の方面の力、戦前におきましては、殊に軍部の影響、また内務官僚の支配というようなものからも教育が脱することが必要である。」こういう趣旨で、これは教育基本法の十条の「不当な支配」の解釈についての質問に対する答えなんです。それは制度的に保障しなければならぬので公選制の教育委員会を置いたと説明しております。これはどう思いますか。違いますか。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 これはせんだって私は木島委員にもお答えしたのでありますが、不当の支配という意味は、森戸大臣が言われましたように、教育は、国民の一般意思を代表するものといえない社会的性格による不当な支配、たとえば特定の政党だとかあるいは労働組合、宗教団体等による党派的支配をいう、政府は含まれておらない、という意味であります。しかし森戸大臣が言われましたのは、私も木島先生にそういうお答えをしたのでありますが、戦前の教育に軍が中心になり、あるいは官僚が中心になり、超国家主義的な国家支配があった、これは排除しなければならないという意味のことを申し上げたのでありまして、私はその意味において、これは教育委員の選任制度の問題と直接の関連を持つものではない、選任の方法が直接選挙であろうと間接選挙であろうと、少なくとも今日の教育委員というものは県民の総意を得て当選いたしましたところの知事が、県民の支持を得て当選いたしました議会の承認を得て任命せられるという形になっておるのでありまして、その意味においては私は変わりがない、かように考えておるわけであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 非常に変わったと私は思っているのですがね。森戸大臣のときからずっと、一つの戦後の教育行政の基本方針は、権力を持っておる団体からの支配を排除するということから、専門的な公選制の教育委員会を設置するという趣旨で出している。労働組合なんて権力ないのですよ。官僚という行政権の国家権力を持っておるもの、それが中央集権という姿の中で地方の教育というものが絶えず支配されてきたことから、軍国主義の方向に教育内容そのものまでが曲げられていったというふうな反省、軍部だって一つの大きい権力を持っているから、そういうものに対する配慮で公選制ができているので、いまおっしゃった日教組、何も権力ないじゃないですか。日教組は行政権もなければ立法権も何もない。そういうものを排除するなんというのは、ほんとうに次元の低い、便宜的制約がああいう中立性が出ているのであって、それは切磋琢磨にまかすべきである。少なくとも国家権力に直接結びついたものの中で曲げるようなことのないように、そこから来ておることは間違いない。  それから次の、市町村長、知事が公選制だから、その人の任命なら同じじゃないかということを言われたが、そういうことが私は十分理解されていない証拠だと思うのです。教育行政だけは専門の機関によらないと、教育だけは真理というものを追求していく人間形成の仕事であるから、地方においては一般行政と別な機関でやるという趣旨が本来の教育委員会制度の出たときの原点ですよ。そしてそれは、戦前の教訓として、地方における教育行政も何も官僚から支配されたという弊害の反省もそれは含んでおるのであります。たとえば県の教学課長というのは、高見さんも昔やったかしらぬが、二十七、八歳の教育を知らない高文を通った人が教学課長になって、五十五、六歳の大校長とか視学官を駆使して、何もわからない者が教育を支配した。その弊害をなくするというところから公選制の独自の教育行政組織が生まれてきた。これはもう事実なんです。いま、市町村長があるから——それはもう最初の教育委員会制度を否定している論理ですよ。それで、中央においては議会と議院内閣制と裁判所という三権分立で、あいまいな三権分立だが、地方だけは日本の国民教育の最高の大教育目標は憲法と教育基本法で、法律できめる。あとの行政行為では一々支配しないように、地方においては独立性を持たした地方教育行政組織を持とう、そして他から支配されないという立場で、地方分権においては四権分立思想というものが奥にあったことは間違いない。私らはそういう指導を受けたのですよ。地方の教育だけは一般行政権と教育行政権を別の機関でやるという趣旨なんです、教育委員会制度ができたときには。したがって知事と市町村に対して公選制の教育委員会、直接住民から選ばれた独特の教育行政機関を二つ置こうというところから最初出発した。だから高見大臣の論理は、この公選制教育委員会ができた論理を絶対理解してない論理だ。そうなら変更しちゃったのです。変更したというなら別ですが……。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 私は変更してないと思うのです。と申しますのは、地教行法が制定されましたいきさつをお考えいただけばわかると思うのでありますが、山中さんは現に教育長を長いことおやりになった。地方財政の二本立てでは、私は端的に申し上げて相当苦労されたはずだと思うのです。これは私には理解できます。おそらくそんなことはなかったとはおっしゃらないだろうと思っております。地教行法は、この教育委員会法のとる教育委員の公選制なり極端な地方分権主義なりから生じた弊害を防ぎ、教育の政治的中立と教育行政の安定を確保するとともに、一般行政と教育行政との調和を進め、あわせて国、都道府県、市町村が相提携して教育行政を行なうようにするために地方教育行政の組織及び運営の基本を定めたものであります。その後の地方教育委員会法を改めますときの歴史的な過程であります。改めたものでありまして、教育が不当の支配に服すべきでないということは、教育行政が公正な民意にのっとって、地方の実情に即して行なわれるべきであるということには何ら変わりはないと私は思っております。教育委員会の任命制が教育基本法第十条に違反しておる、その精神を否定するものであるという御意見でありまするけれども、同条にあります「教育は、」「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という大原則は、「教育は、」としるすところから見ましても、これは教育全般を貫くものであって、特に教育委員だけに対して適用される規定でないことは申すまでもございません。学校の教職員をはじめ、文部省や地方教育委員会の職員全般にも教育委員と同様に適用のある大原則である、かように考えておるのでありまして、教育は少なくとも主権者である国民全体に対して責任を負って行なわれるという趣旨でございますので、教育委員の選任方法には直接何らの関連はないと、かように申し上げておるわけであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 大臣は十分理解されていないのじゃないかとなお私は思うので、一番あとのほうの、直接国民に責任を持つという立場から公選制というものが生まれてきた。     〔委員長退席、西岡委員長代理着席〕 それから十条は、「教育は、」と書いてあるけれども、十条の見出しは「教育行政」ときっちり法文に書いてある。そして内訳をして説明しているのです。教育行政の基本方針の一つの説明として「教育は、」と書いてあるのですけれども、そういう教育を前提として教育行政はこうあるべきだということを書いてあって、別条はないと私は読んでいる。そういう基本方針を持っておる限りは、私は公選制を堅持すべきだ。したがって任命制に切りかえたときの地方教育行政の組織の第一条は、教育基本法十条の「不当な支配に服することなく、」という法律の目的を書いた目的規定をとってしまっているわけでしょう。任命制の地方組織についての法律第一条の目的は完全にとってしまっている。十条を空洞化してしまったじゃないですか。法文を見てください。完全にとってある。私も苦労いたしました。しかし公選制のときは苦労しがいがあったです。それから毎年知事と予算折衝をしておる中で、だんだんと運営の中で調和の慣行ができて、もうぼちぼちよさそうなときに変えたんですよ。教育委員会法には、予算送付権があって、知事と折衝して、どうしても意見が合わぬときには教育委員会の意見を付して県会に出す、これは高見文部大臣も、その当時県庁の部長か何かされておられたのでわかっておると思いますけれども、その中で調和がとれて、そうして教育委員会の要求というものを知事折衝の中で努力をしておるけれども、私は教育委員会法、公選制の規定があるがゆえに教育というものが地方の実態に即して進んでいった。それをとってしまったときには、いまのような説明は、もっともらしくおっしゃるけれども、そういうことはうそだ。大体その当時の人々で、公選制というものについて支障を来たすような世論はなかった。私はそこの第一条というのを削ってしまったところに、教育基本法十条を空洞化をして、いつの間にか文部省は戦後の最初の教育行政の基本方針を変更してしまった。そして、してないしてないと、ことばだけで、前と同じであるといってごまかしておるのじゃないか。もしそうであれば、なぜ公選制と同じような第一条を掲げなかったのか、それをお聞きします。

岩間英太郎文部省初等中等教育局長

○岩間政府委員 教育委員会法の第一条には目的が書いてございますけれども、中身は現在の教育基本法の第十条と大体同じような中身があるわけでございます。教育委員会制度ができましたのはそういう趣旨でということでございますけれども、現在のいわゆる地教行法も教育基本法の第十条の精神にのっとってやっておるということには変わりはないわけでございます。ただ、法文の上からは確かに削除されておりますけれども、そういう方針で運営されているということはこれは間違いないことでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 運営の話にすりかえをされたけれども、岩間局長も当時、公選制教育委員会をつくるときには熱意を持ってつくった一人なので、元の天城次官あたりが一生懸命に熱を入れてつくって、私たちもそれをよく知っておるわけです。内外のいろいろな条件の姿の中で、心ならずも変更したかどうか知らないけれども、運営はくるっと変わってますよ。せめて、公選制から任命制に変えても基本方針は変わらないというのなら、なぜ旧法の第一条を残されないのですか。あれは運営の基本的な精神でしょう。とってしまった、完全に……。そうして、内容的にも教育長は文部大臣の承認を要するというので、時の文部大臣が伝家の宝刀をかかげて、地方の教育長の任命を阻止しておるじゃないですか。運営というよりも法律の中で変質をさしてしまっている。それは言いわけ立たないと思うのです。変更したというなら変更したと言ってください。それならそれを前提として論議をしますけれども、少しも変わらないというのでは、うそを言われては論議できぬじゃないですか。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 これは山中先生よく御承知のとおり、地教行法を定めましたときの教育界の客観情勢というものが、非常に偏向教育が行なわれておったという事実があちこちで起こってまいりました。しかも政党的に片寄っておるというような弊害も出てまいりました。それを踏まえて地教行法の改正ということになったわけでございますが、これについての異論のあったことは承知いたしておりますけれども、客観情勢はそうであったということは、おそらくお認めになるだろうと思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 その偏向教育という傾向は、これは非常に誇張して政治家が心配したのであって、たいしたものではなかったのです。一部心配があったことは認めますが、公選制の教育委員会がそれなら偏向教育奨励の役割りを果たす——とんでもない話だ。公選制を変えるという理屈はそこから何も出てこない。公選制というものが、日本の長年の努力の中で土着したときにはじめて、むしろそういう心配のいわゆる偏向教育をなくすることができたとさえ私は思うのです。その当時教育委員会は何もそんなものに便乗したわけではない。国会において偏向と考えられる事例の半分は偏向でなかった。岩手県に二つありました。私もタッチしまして、国会議員が視察に来ました。私は偏向でないと言った。そういう非常に政治的に濃厚な雰囲気の中で公選制が犠牲になったと私は見ておるのです。市町村の教育委員会に一々公選制のあることは私も当時は賛成でなかった。せめて県単位の公選制において義務教育の人事その他もできるように、そうして民意というものが直接反映するところで権威のある教育ができるという意味において、県の教育委員会の公選制というものが土着しかけておったのですが、その土着することをおそれて、しかも坂田文部大臣は、日本の風土に合わないというようなことを言いながら、沖繩に行ってもそういうことを言っておるようでありますけれども、これは事実に合わない論理が横行しておると思うのです。これは今度の国会でわれわれが三党共同提案で出しておる法案でもあるのですが、いまは法案の審議ではないけれども、少なくとも戦後の教育行政組織の基本方針については、もう一度掘り下げて文部大臣と論議を深めていきたい。いまは時間がありませんが、通常国会にかけて真剣に論議をしていきたいと思うのです。国の基本的な教育方針、教育目標というものは、憲法の国家理念がそうであり、それを基礎にしてつくった教育基本法に明示しておるから、戦後、教育行政の第一の足場は法律主義であった。法律で基本本針を定める、あとの個々の具体的な、そのもとにおける教育活動は教師にまかしておる。文部省は助言指導に限定をして、地方の自発性を認める行き方をとるという意味で法律主義をとってきたわけでしょう。憲法と教育基本法は絶対に守るべきである。あとは自由な教育活動にまかすというのが戦後のまじめに考えた、日本の平和、民主主義の発展のために考えた教育の基本方針であったことは間違いない。あらゆる会合でそういう論議を文部省もわれわれもしてきた。ところが、いつの間にか助言指導の権限を逸脱して、地方教育長の任命権まで空洞化して奪っていくことをだんだんと行ない、そうして定着しかけておって、いろいろな運営の苦労の中からだんだんルールができた時分に任命制に理屈をつけて切りかえた。私はもう一度初心に戻って論議すべきだと思うのであります。これと関連をして、沖繩の問題もあるのでありますが、沖繩の問題について一言だけ——もう次に譲りますが、これだけ言っておかぬと次に論議の発展がないので……。  憲法九十五条との関係でもう一度静かに私たちは考え直さなければならぬ問題が沖繩問題においてある。憲法九十五条を読んで見ますと、とにかく上から一定の自治体に特別の強制をするような法律をつくったときにはその住民の意思を聞かなければならぬという趣旨である。お読みになると明らかにあると思うのです。全国的に統一した法律の中で、特定の自治体に上から押しつけるようなことがあってはならないから、そのときは住民の意思を尊重せいという趣旨である。読んで見るとそうでしょう。そうだと思うのですね。文脈を見るとそのとおりです。したがって、沖繩のように、沖繩県という新しい自治体ができて、その前にすでに住民において行なわれておった制度については、これはもう下から——上から押しつけるところの特定自治法ではなくて、前からずっと行なわれていた公選制の委員会を、しかもアメリカに対して抵抗をして獲得したその公選制の委員会法を、そのまま認めるというならば何も文句はないが、県民のいままでずっとつくってきた、その沖繩だけに特殊性が制度として土着しつつあるものを取り上げるというふうな場合には、少なくとも憲法九十五条の精神からいえば、県民の意思を問う手続だけは必要だということは、その九十五条の中に明らかに出ていると私は思うのです。その憲法の精神ですよ、どうですか、それだけお聞きしておきます。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 憲法九十五条は、形式的な議論と実質的な議論と二つあると私は思います。形式的には沖繩県はまだ施政権を回復しておりません。したがって、新しくできる沖繩県ということであるわけであります。したがって、憲法は現在適用されておらないという形式論が一つあります。それから、実質的に申しますと、憲法九十五条はこういうふうに規定をいたしております。「一の地方公共團體のみに適用される特別法」とあるのであります。本土の全体の制度がこうなっておるということなんでありますから、今度返ります場合には当然本土と同じようになってしかるべきである。これが憲法九十五条によって住民投票を求める必要はない、かように考えております。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 形式論理としてはそういう解釈があることはわかっているのです。だから、この場合については、いままで憲法を施行されない地域が編入されるとか、あるいは国連の関係においてある地域を日本が委任統治をまかされるとか、そういう特例について九十五条というのは何ら触れていないと思うのですね。いままで同じ日本の憲法の施行下の中で、その地域だけ例外的に適用するような特別法を施行する場合には、その地域の住民の意思を尊重しなければ、とにかく上からつくる法律であるから、住民の過半数の意見を聞かなければ特別法をつくってはならないといういわゆる九十五条の基本方針は、「地方自治の本旨に基いて」という九十二条の特別法だと思うのです。そこで、この憲法の予想しない、いままで施行されてない沖繩地域が日本の自治体として編入されるときには、九十五条の精神というものが大事だと思うのだ。そのときには、沖繩にすでに施行されておる公選制教育委員会法なんです。こっちから特別の地域だけ適用する特別法という論理でなくて、日本の自治体に編入される前に公選制の教育委員会法がもう土着しておる。そして、かつて日本においてもそういう公選制の教育委員会法が実施された時代がある。そして歴史的に住民が異民族の支配から教育を守るために戦い取ったという事情がある。これを残してやるのがほんとうだ。しかし、一般論として日本の教育行政組織に一本にしようとするならば、九十五条の精神に基づいて、新しく地域を委任統治をするような場合、ある地域がこちらの憲法の施行に入るという、憲法の予想しないような事例の場合については、ある意味では憲法に何の規定もないと思うのです。そういうときに、少なくとも法の精神を考えて、憲法の精神にほんとうに忠実な政治というものを考えるならば、もし公選制の教育委員会法を切りかえるならば、沖繩県民の意思を聞くという手続をとるのがこの九十二条の自治の本旨、及び九十五条の精神を、憲法が予想しない事件が起こったときにやるべき手続は、最小限地方自治の本旨という意味においてとってやるべきではないか。これは精神的にもそうです。この間私質問した最後にそういう話をしたら、総理大臣は、現段階でと言って、私は山中君と同じ気持ちであるという答えをしたのですが、それで終わったのです。同じ気持ちであるというのはどういうことか。やはり県民の意思は尊重しなければならぬという気持ちを言ったと思うのですね、厳密な法律論、憲法論ではなくて。それが真実じゃないですか、今度の場合。これを特に私は形式的に——いまおっしゃった憲法学者が書いておる解説、実は私みんな読んでおります。そんなことよりも、私は予想してない事件だと思う。そうすると、憲法の精神を尊重するということで対処するのか。木島委員の言った、沖繩の心を心として、ことに教育なんだから、そういうものを考えていくという配慮が当然あってしかるべきだ、最小限、そう思うのであります。これは通常国会にかけて論議を深めなければならぬ問題でありますから、きょうはこれで終わりますけれども、そう簡単に形式的に冷たい行政官と同じような気持ちで、公選制はこっちでかってに切りかえていいんだと形式的解釈をしてやるべき問題でないことを、特に私は強調しておきたいと思うのです。それと、公選制についての戦後の基本的な精神をもう一度われわれは振り返って、日本のほんとうの意味の教育の中立性を守る道は何かということを論議をしながら、この問題を通常国会へかけて私は進めていきたい、これは特に私の意見を申し上げて質問を終わっておきます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 山田太郎君。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 前回の当委員会で文部大臣の出席を、万やむを得ないことではありましたが、見ることができなかったので、そのときに保留しておきました問題数点だけお伺いして、まだあと山原委員の質問を控えておりますので、ひとつ簡明にお答え願っておきたいと思います。そして引き続いて通常国会等においても、これから質問する問題は基本的な問題でもありますので、ふえんして質問してまいりたいと存じております。  そこでまず、日本の経済大国であるということは世界各国から認められておりますが、日本の教育大国であるということも、あるいは福祉大国であるということも、まだまだこれからの重大な課題になっております。そこで福祉大国になるためにも、前回質問申し上げました医師の不足の解消あるいは辺地医療の解決の問題、どうしてもこれはのがすことのできない重大な問題です。  そこで、文部大臣にまず基本的な問題をお尋ねしておきたいのは、医科大学(医学部)設置調査会の文部大臣に対する十二月七日の答申について、文部大臣のお考え、あるいはこれによってどのように具体的にその方策を進めていこうとなさるか、この点について、大切な基本の問題でございますので、具体的にお答えいただきたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 御指摘の設置調査会の報告の趣旨を体しまして、ことしは国立大学の医学部の入学定員を百四十名ふやすことにいたしました。けれども、将来千数百はどうしてもふやさなければならぬという状態で、百四十名ではどうにもなりません。そこで新しく国立の医科大学を設置するというので、ただいま創設準備費の概算要求をいたしておるところであります。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 そこで、新しく医科大学を設置するという問題については、大蔵省の当局では、現存の医学部の定員増をやれば間に合うのじゃなかろうか、千数百名の定員増も現存の医学部の定員増でまかなえるのではなかろうかというふうな意向を持っているやに聞いています。この点についてもう一度文部大臣のお考えを聞いておきたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 現存の医科大学の定員増はできるだけやっていきたいと思っております。が、私ども国立医科大学をできるだけ多くつくりたいと考えておりますのは、地域医療の医療の質の改善から申しますると、その地方地方に、たとえば島根県であろうと高知県であろうと、やはり医学部があるほうがその地域の医療水準は上がってくるという意味において、一カ所でまとめて数多く教育するよりも、金はかかっても医科大学はできるだけ全国各県に置きたいものだというのが私の基本的な願いであります。しかしこれはなかなか容易なことではございませんけれども、私はそういうふうに考えておるわけでございます。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 いまの文部大臣の御答弁のように、ただ現存の医学部なりあるいは医科大学の定員をふやしたからといったって、この辺地医療の問題は解決するものではありません。答申の中にもありますように、公立の医科大学が、現地に残る卒業生といいますか、あるいは現地で開業する医師といいますか、その率が非常に多いということはこれは事実ですから、その地域地域とあるいは文部省当局とよく協議して、辺地の医療の確保を当然進めていくべき使命があると思います。その点については、文部大臣も大事な医師養成の問題ですから、ひとつ強力に交渉してもらいたいということを切望しておきます。  そこで問題は、今度は別に移しまして、当委員会の九月十日に、高見文部大臣が医師養成の問題で、総定員法のワク外に教官あるいは看護婦等々のものを置いてもらうように交渉するというふうな御意見が出てきております。また、前文部大臣の坂田大臣も、やはり総定員法のために思うような医師養成ができないという意味のことを述べております。ここに議事録がありますが、これを一々読むのはやめますが、その総定員法についての文部大臣のお考えをあらためてもう一度、基本的な問題ですので、これを聞いておきたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 私といたしましては、少なくとも総定員法のワク外にしてもらいたいということを強く要望をいたしております。ことに看護婦の場合になりますると、総定員法のワク内に入れること自体が私はおかしいのじゃないかという感じがいたしております。と申しますのは、看護婦であるとかあるいは付属病院の教官、医師とかいうものは、収益を伴う、いまのところは赤字になっておりますけれども、収益を伴う事業をやっておるわけでありますから、総定員法のワク内に入るのは至当ではないという考え方を私はいたしておるのであります。  しかしこれは、行政管理庁にとりましてはなかなかたいへんな問題でありまして、いますぐ承知したというわけにはまいりません。けれども、これは私は粘り強く総定員法のワク外にしてくれ、少なくとも看護婦はそうしてくれということを要請するつもりでおりますし、また、これは考え方の問題でありますけれども、ただいまの構想では、基礎医学に関する教育病院というものは、確かに医科大学には必要でありますが、臨床医学に関する問題は、その地域のしかるべき大病院に委託をして、そこで臨床実験をやらせるというような方法を考えるならば、看護婦の定員数というものも半分で済むというような状態でありますが、いずれにしても医科大学を増設いたしますために一番大きな障壁になっておりますのは総定員法であるということは、これは間違いのない事実でありますので、これを何とかしなければ、この壁を破らなければ、とうてい解決をしないというところで私も苦心をいたしております。どうぞひとつ御協力をお願いいたします。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 そこできょうは、行管当局の方にも来てもらっておりますが、私の仄聞するところによりますと、この医師養成の問題、あるいは医科大学設置の問題、あるいは医学部増設の問題等について、やはり現在の総定員法はあまりじゃまになっていないというふうな御意見のように聞いております。しかし、それによってもしも医師養成の問題あるいは辺地の医療制度が解決できない大きな一つのじゃまになっているとするならば、やはりこれは相当考えなければいけない問題だ。その点について行管当局の意見なり、あるいはこれからやろうとすること、あるいはいままでやってきたことについて、概括的にひとつお答え願っておきたいと思います。

増淵亮夫行政管理庁行政管理局審議官

○増淵説明員 ただいまの医師の養成が重要問題であるということについては、行管も十分認識しておるつもりでございます。そこで、医師の養成に関連するいろいろな定員問題につきまして、総定員法がその障害になっているということについてでございますが、総定員法は、行政の需要が変わってまいりますので、その需要の増加した部面に対して定員の手当てをするためには、需要の減少した部面の定員を減らしてそちらに配置がえをする、そういうことによりまして、できるだけ少数の定員で行政の効率をあげていくという趣旨でございます。御承知のとおり、総定員法のワクの外にはずれておりますのは、特に特別な性格を持っております自衛官が大体おもな例外でございまして、そのほかの行政機関の国家公務員につきましては大体このワクに入れる。もちろん純然たる企業でありますところの郵政事業でございますとか、あるいは国会の職員でございますとか、そういった方たちは除外してございますが、これについては、できるだけ、現在の行政機関の国家公務員の能率を全体として考えて、総合的に行政の需要にこたえようという趣旨でございますので、私どもといたしましては、これをワク外にするという考え方は、現在のところは持っておらないわけでございます。  そういうことで、昭和四十三年から四十六年に至りますところの第一次定員削減三カ年計画、それからこの八月に決定をいたしました四十七年度に始まる第二次定員削減計画というものも、各省の御協力を得まして順調に実施をいたしてまいりましたし、また反面、それで浮きました定員をもちまして、主としてどこへ行っておるかと申しますと、これは大学なりあるいは国立の病院なり、余人をもってかえがたいといいますが、あるいは行政の需要が非常に熾烈なそういう部面の手当てに振り向けてやってまいっておるわけであります。  先ほど来いろいろとお話のございました国立大学の医学部の教官、あるいはそれに関連する看護婦、技術者等につきましても、過去においてそういうことで、文部御当局の御要請に十分御満足得られたかどうかわかりませんけれども、行管といたしましては、一応それによって措置いたしましたし、また今後とも医学教育なりあるいは医師の養成なりということにつきまして、真に必要な部面については、定員面、機構面について、もちろん財政御当局といろいろ御協議をいたしましてできるだけ手当てをしてまいりたいし、また当分のところ、大体これでいけるのではないかというふうに考えております ○山田(太)委員現在のところ総定員法のワク外に出す予定はないという冒頭のお答えであった。しかし、私の聞いた質問は、その結論を引き出すために聞いた質問じゃない。あなたは、現在の医師養成の重要度、あるいは辺地医療の解決の問題の重要度の認識をしていらっしゃる。最重要な問題だとあなたも考えていらっしゃる。     〔西岡委員長代理退席、河野(洋)委員長代理着席〕 したがって、それがじゃまになっておる。行管において、配置がえの定員の半分以上、五〇%以上は文部省に出しておるということは私も知っております。その努力は多といたしますが、しかし、それだけによっては医学の教育なり医師養成の問題あるいは辺地医療の問題の解決はできないという段階に来ておるわけです。  また同時に、看護婦は、これは大学病院、すなわち収入を伴うものです。収入を伴う問題であるから、したがって看護婦は定員外に当然はずしたって、これは異論が出る問題じゃないと私も解するわけですが、その点についてもう一度、ただ単にこそくに、閣議で決定した計画が順調に守られておりますなんということでなしに、その点をどのように将来解決していこうかという計画がなければ、医師養成あるいは辺地医療の問題を最重要視しているということにならない。この点の計画なりあるいはお考えなりということも、この場でひとつ表明しておいてもらいたい。

増淵亮夫行政管理庁行政管理局審議官

○増淵説明員 お答え申し上げます。  ただいま先生のお話のございました総定員法のワクの中では医学の教育なりあるいは医師の養成なりにこたえられないではないか、それが基本的な障害になっているじゃないかという点でございますが、先ほど申し上げましたように、これまでに文部御当局から、そういった点で、国立大学の医学部の問題あるいは教官、関係職員の増員の問題、これは現在まで定員あるいは機構的に措置してまいったという一つの実績なり認識があるわけでございますが、四十七年度あるいは今後におきましても、そういった点につきましては、真に必要な部面については措置をしてまいりたい、また、ただいまのところではまいれるのではないかという考えでおるわけでございます。したがいまして、具体的に現在の総定員法が、確かにそういった意味で障害になるとか、あるいはいろいろな私のいまの認識を越えた事態が発生いたしますれば、その点についてはまたいろいろと検討する必要があろうかというふうには考えております。  それから、看護婦については、収入を伴う問題でもあるし、収益的な事業でもあるから、これは定員の外にはずしたらどうかという問題につきましては、これはこの前も一度ほかの先生から御質問があったと思いますけれども、この問題につきましては、特別会計がとにかくたくさんございますし、あるいは教育のための医科大学あるいは教育に関連した病院というような立場もございまして、現在の国家公務員で、国立大学で医科大学を設置し、それからその医科大学で教育のために病院の経営をやっているという角度からまいりますと、収入があるからという点だけで判断はできないような気がいたします。したがいまして、この点については総合的な判断が必要でございまして、行管といたしまして、この点についていま直ちにワク外にはずすべきだ、あるいははずしていいという判断はちょっとむずかしいのではないかというふうに考えます。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 行管当局の増淵審議官のお答えは、看護婦の問題はまた別の問題として、四十七年はいまの総定員法のワク内でいけるのじゃないか、しかし四十八年以降は、やはり現状のままではむずかしいというふうな事態になれば、またそのときに当然考えなければいけないというふうに思っております、そういうお答えがあったわけです。  しかし、看護婦の問題は、これはまだ議論があります。これは次の通常国会等でもっともんでいきたいと思いますので、この点はおいておいて、大事な、最重要の一つと見ておる医師養成あるいは辺地医療の問題について、医科大学なり医学部なりあるいは付属病院なり等々の定員については、四十七年についてはこれでいける——いけない場合、あるいは四十八年以降これではどうしても医師養成が成り立っていかない、そういうときには当然考えるべきであると思いますが、どうですか。

増淵亮夫行政管理庁行政管理局審議官

○増淵説明員 四十八年度は考えなければいけないのではないかという点につきましては、具体的に私がそういう考えをする材料はいまのところございません。したがいまして、私が申し上げましたような事態はおそらく出てこないのではないかというふうに考えております。したがいまして、四十七年度も含めまして、四十七年度以降につきまして、これは文部御当局の具体的な要求なりあるいは御相談がございますれば、それに対応して私どもとしては検討しなければいけないというふうに考えております。  それから、看護婦なり辺地医療の問題につきましては、いろいろとそういうように具体的な問題が出てまいりますれば、当然その重要性につきまして行管としても十分認識しておるつもりでございますが、行管といたしましては、各省の持っております行政の要求全体につきまして総合的に判断する必要もあろうかと思いますので、そういう点につきましてひとつ先生の御了解を得たいと思っております。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 一番最後にちょっと変なことばが入ってきたのですが、一番最後の答弁だけのけておけばいい。  そこで、やはり四十七年度、これはいまの喫緊の問題です。したがってこの医師養成についての定員増という問題は、当然国家的な見地から考えなければいけない、あるいは他の省の問題等もあるのはわかっております。また、いままで定員の配置転換した分の半分以上は文部省のほうに渡っておりますのも知っております。しかし、それだけでは充当し切れない状況になりつつありますからね。ことに医師養成の問題については、この定員の問題をことに強力に考えておいてもらいたいことを要求しておきます。この点についてもう一言。

増淵亮夫行政管理庁行政管理局審議官

○増淵説明員 御趣旨を承りまして十分に検討したいと思っております。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 行管の方、もうけっこうです。  そこでまず、文部大臣に次の機会に質問する一つの前段階として、私立大学あるいは私学の教育における私学の位置というものを文部大臣としてどのように認識していらっしゃるか、この点文部大臣のお考えを、基本的な問題をお聞きしておきたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 私学にはそれぞれ建学の精神がございます。たとえば福沢先生やあるいは新島襄先生や大隈重信先生がそれぞれ慶応、同志社、早稲田というような大学をおつくりになりました当時の建学の精神は、当時の国家権力に支配されないで自力でもってやっていくという気魄でもってお建てになりました。しかし、私学というものはやはり公教育をになっておるものでございまして、その後、御承知のように貨幣価値の非常に大きな変動がございました。その関係で、私学の基本財産などというようなものが学校経営の役には立たなくなったということになりますと、私学の健全な運営をはかるためには、国が積極的にこれを援助してやるのでなければ——当然国がやるべき仕事を私学がやってくれておるのでありますから、その私学の労に報いるためには、国がしかるべき予算を出すのは当然のことだ、かように考えております。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 私学はそれぞれ建学の精神がある、したがってこれは尊重しなければならぬが、基本財産等々の評価も変わってきているし、経営困難になるという場合には、公共的な意味もあるからそれを助成しなければならぬ、このお答えはわかります。わが国の教育に占めておる私学の位置づけというもの、この位置づけが、文部大臣としてあるいは文部省として、これがなければ——いまの私学振興財団が第二文部省だ、こういう評判もあります、これは妥当かどうかは後に論ずる問題として。やはり私学のわが国の教育における位置づけというものを、文部大臣としては、ただそれぞれ建学の精神を持っておりますということでなくして、わが国の教育に占める位置づけというものの基本問題というものを考えなければ、私学助成に対する基本的な対応策というものは成り立たないわけです。ただ単に助成すればいいというふうな、あるいは基本的な計画がないままの私学振興財団のような形になってしまう。その点についてのお考えを承りたい。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 私学につきましては、ここ二、三年来、私学助成という声が出てまいりました。しかし、制度として私学振興財団が生まれましたのはおととしからであります。私学は現在、大学について申しますと大体七割、四分の三を占めておるという実態を踏まえてみますというと、これをおろそかにしているわけにいかないことは申すまでもないことであります。だが、いままでのようなつかみで幾らという補助制度をやめまして、一定の積算基礎に立つ人件費の補助あるいは施設整備の補助金を出す、その出す割合が一体私学の経営の何%に相当するものを国が負担すべきであるかということは、これはそのときの財政事情もございますし、いますぐ即答のできる話ではございませんけれども、しかし現在の状態でいいとは思っておりません。現在私ども私学に出しております割合は、わずかに九%程度でございまして、この程度で私学は健全な経営をするということが実際問題としてできるかということになりますと、これはなかなか困難な問題であろうと考えておるのであります。しかし、それじゃ一体、どこの国を標準にしてどのようにやればいいかということになりますと、たとえばイギリスの場合のように、国は一切容喙はしないが、経費の八〇%は出す。これはイギリスは官学がない国でありますから八〇%を出すということは別にふしぎはございません。フランスの場合におきましては、これは官学中心でありますから私学の問題はございません。それから、ドイツの場合はまた違っておりまして、四〇ないし九〇という非常に幅の広い補助率になっております。アメリカの場合でも、連邦、州、市によってそれぞれ違った形のあれをやっておりますから、どこの国を標準にするという状態まではいっておりませんけれども、私ども現況から見まして、私学の経営がほんとうに成り立つ状態は幾らだろうかということについては、ただいま鋭意検討中でございます。大体の腹案はありますけれども、検討中である、まだ発表する段階には至っておらないというように御了解いただきたいと思います。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 どこの国を模範にしたらいいとか、そういうような意味で申し上げたのじゃない。しかし、イギリスの場合はUGCは非常にうまくいっている。大学の数が少ない、あるいは官学がないというふうな相違点はあるといたしましても、やはり寄付にたよっておる金額はわずか一%か二%しかない。まあ、他の問題もありますけれども、八〇%以上は国でめんどうを見ている。同時に、金は出しても口は出さないという運営方法をとっております。前坂田文部大臣も、視察に回ったときに、それについての感想なりあるいは考え方なりを述べておるようでございます。ところがわが国の場合は、官学があるとはいっても、大学の場合は私立大学が七五%から八〇%、ことに医科大学の問題について申し上げれば、非常な多額の寄付を取っているのは事実です。     〔河野(洋)委員長代理退席、西岡委員長代理     着席〕  また同時に、この前、管理局長は、寄付自体は入学の条件にはなってない、そう確信しておりますというお答えではありましたけれども、これはあくまでも確信ということだけであって、事実はそうではないわけです。事実、私の親しい友人の子弟は、ある私立医科大学の第一次の筆記試験を通っている。しかし第二次のときに、多額の、五百万や六百万じゃない、二千万円などというふうなそういう寄付という話もあって、第一次は通っておったけれどもついにやめざるを得なかった。また、きのうの朝日新聞にも、お医者さんであり教員である方が投書していらっしゃいます。入学案内をとってみたところが、あまりにもひどいのに驚いて、お医者さんの長男は医師になるのをあきらめたような、そういう意味のことが出ております。入学金は三十万、授業料が六十万、大学維持費が六十万あるいは実習費二十万、学生会入会金一万あるいは学生会費一万、計百七十二万円。この中であとあと継続していかないのは入学金とそれから学生会入会金だけだ。あとは毎年この金が要る。しかもこれは寄付は入ってません。このような状況であるわけです。  したがって、まず医師養成の問題からちょっと離れて、この私学助成の腹案はある、だけれども発表の段階ではないといういまの大臣の御答弁です。やはりUGCなどにしても五年計画を立てております。現段階はおととしから私学振興財団は始まったばかしだというお話ではあるけれども、やはり単年度ごとのその場その場限りの予算の要求でなくて——それはいまのわが国の予算制度としては単年度にならざるを得ないかもしれぬ、しかしこの私学の助成の問題については、三年計画なりあるいは五年計画なりというものがちゃんと立てられて初めて文部省として私学に対しての真の位置づけを認識していくということになるんじゃなかろうか。ただ単に補助金を渡す窓口にしてしまっておったんでは、あまりにも私学振興財団の意義がなさ過ぎるし、文部省としてもやはり三年計画なり五年計画というものがあってしかるべきだと思うのですが、その点は基本問題ですので、大臣どうお考えになるか、どの辺まで進んでおりますか。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 人件費につきましては五年間で五割まで出すということで、医学部は少し先に進みまして今年度で五割に達するという状態になっております。文科系で今年は三割、理科系で四割というような年次計画で進んでおるわけであります。それから施設設備費につきましてもやはりその割合でふやしていくということでありますけれども、それではまだなかなか追いつかないんです。だから、基本的にもう一ぺん考え直してみなければならぬ問題があるということをいま私は申し上げた、その腹案をいま申し上げるわけにはいかないということも申し上げたわけであります。計画はないわけではありません。五カ年計画は進行中であるということを御承知をいただきたいと思います。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 いま文部大臣の御答弁で、五カ年計画は進行中である、時期はいつと明示できますか、いつごろまでにということを……。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 最終年次は再来年で終わります。人件費の五割補助という最終年次は再来年度になるわけであります。もうすでに来年度で達成する年次もあるわけであります。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 ぼくの質問の意味はそういう意味じゃなかったのだ。いまの現行の分じゃないわけだ。時間がないからこれはまた別の機会にしますが、ぼくの言うのは、いま進行中の五カ年計画を言うておるのじゃない。基本的な私学に対する位置づけというものを認識して、しかもUGCの長所は取り入れて、そして真の私学の要請し要望するところの計画というものを立て直すべきではなかろうかということを申し上げたわけです。聞きたい問題はまだほかにありますが、時間がないので、その点についてお答え願っておきたいと思うのです。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 イギリスの制度とアメリカの制度とは非常に違います。イギリスでは私立オンリーでありますし、学校の数も四十五校しかないという状態でありますから、八〇%まで国が補助するということができるわけでありますが、アメリカの場合は、逆に今度は寄付金が非常に多い。その寄付金をもとにしてやっておる。だから国の財政と同時に、私は税制の問題もひとつ一緒に考えなければならぬ問題だと思うのであります。たとえば私立学校に相続財産を寄付する場合には免税措置をとるとかいうような税制の問題もありましょう。行政の問題もありましょう。それらを総合して私学の振興というものを考えていかなければならない、かように考えておるわけであります。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 そこで、少し具体的な問題を一点お聞きしておきましょう。ぼくがいまちょっとほのめかしたのは、寄付が入学の条件になっていはしないかという杞憂ですね。特に医学部なりあるいは医科大学の場合は、これは非常に大問題になってくる。それに対して現在特別助成費をつけているのだ、そのために約二十九億の文部省への要求もしております、こういう御答弁になるかもしれませんが、私立の場合、そういうふうなことによって、寄付を条件とした医科大学なりあるいは医学部への入学になっていくということは、当然国民的見地からも防がなければならぬ。いまの段階ではこれが防ぎ切れないわけです。この点についてのお考えと、もう一つは、入試案内なりあるいは入学案内なりに寄付金は要るという意味のことをちゃんと明示する、そういう指導、助言はできるはずです。ある大学においては、ちゃんと入学案内に書いております。寄付金をいただきますということを、ちゃんと入試案内にも入学案内にも前もって書いてある。せっかく一次に受かって、そういう寄付等の問題で二次で落ちるなどというふうなみじめな——教育基本法にうたう機会均等の基本原則からいっても、こういうみじめなことは防いでいかなければならぬ。この点について最後にお伺いしたいと思います。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 文部省が調べました六百万円の寄付金というものは、これは表向きの話であろうと思います。かえっていま山田先生がおっしゃるほうが正しいのではないかという感じがいたします。ことに新聞の投書の百七十万というのは最も良心的な数字であろうと思います。実際、医学教育におきまする経費というものは事実上そうかかっておるのであります。国立の場合は非常に安いのでありますけれども、医学教育に関する経費というものは非常に高くかかっております。そこで、どうしても医学教育については特別な助成の方法を講じなければならないということを考えざるを得ない。その意味から申しますと、文部省が取ってはならないということを言いますと、これは私立学校に対する干渉になります。教育の自主性をこわすことになります。したがって文部省は、指導、助言以外にはできない立場におりますけれども、いま御指摘になりましたような、入学案内に初めからちゃんと明記しておくというような指導は現にとらしておるわけであります。

山田太郎公明党

○山田(太)委員 まだ根本的な問題をまた次回にお伺いしたい点もありますので、ただ、入学の条件に寄付金がなるようなことは何としてでも防いでいかなければならない、この点についてまた別の機会に質問を申し上げます。それではこれで質問を終わります。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 山原健二郎君。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 私は三つ質問をいたします。一つは教科書裁判について、二つは沖繩の教育について、この二つは簡単にやりたいと思います。三つ目は授業料問題についてです。  最初に、教科書裁判について十二月十七日に最高裁の第三小法廷の決定が出ましたが、これは国側に対して抗告の却下ですから、当然資料を提出すべきであるという決定ですが、これにつきましては、昨日参議院の連合審査会におきまして、高見文部大臣がたいへん勇気ある答弁をわが党の加藤議員に対していたしておるということを新聞で見ました。ところが、岩間初中局長のことばを新聞で見る限り、文部大臣並びに法務省と相談をしてきめるという態度をとっておるのです。文部大臣の態度と岩間さんの態度と違うわけですが、この点について岩間さんのほうから、これはこの最高裁の決定に従うのかどうか、最初に伺っておきたいのです。

岩間英太郎文部省初等中等教育局長

○岩間政府委員 最高裁の決定は、これは高等裁判所の決定におきまして、検定が憲法にいう表現の自由を侵すということについて判断をしたものではない、そういうことでこれは最高裁で取り扱う問題ではない、そういうふうな判断のもとに却下されたわけでございます。そういたしますと、東京高等裁判所の決定というものが結果といたしまして確定をするというふうな事態でございます。それに対して記者クラブのほうから私に意見を求められましたものでございますから、私といたしましては、まだ大臣にも御報告しておりませんし、それからこの主管大臣は法務大臣でございますが、法務省とも連絡をいたしておりませんので、したがいまして、その段階におきまして、私どもといたしましては慎重に取り扱うべきであるという意見を申したわけでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 現在はどうですか。

岩間英太郎文部省初等中等教育局長

○岩間政府委員 現在、事務的に申しますと、法務省との間の連絡をまだいたしておりません。そういう意味で事務的には、これから打ち合わせまして、その結果によりまして判断をいたしたいというふうに考えております。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 いままで文部省のほうにおきましては、佐賀教組の判決にいたしましても——私はここに資料を持ってきておりますけれども、時間がありませんから申し上げませんが、最高裁の決定というものについてはこれを尊重するという態度を、これは一つは下級審に対する軽視のことばもはかれておりますけれども、それと裏返しに、同時に最高裁の決定に対してはこれを尊重するということを、ずいぶん方々で言われておるわけですね。これは読み上げたら非常におもしろいのですが……。そういう中で今度十七日に最高裁の決定が出たわけですから、これは当然従うべきであって、文部大臣もそのことを昨日言われておるわけですね。したがって私は、直ちに資料は提出すべきであるというふうに思いますが、大臣の見解を伺っておきたいのです。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 私は、きのう加藤進先生に対して、私の私見として申しますならばということで申し上げました。しかし、これは被告は国であります。訟務事務は法務大臣の所管になります。証拠書類の提出要求に対しまして抗告をいたしました。その抗告に対して、東京高等裁判所では一部を認めました。そこで最高裁に抗告をしたところが、最高裁は、これは憲法問題ではないから、わがほうの判断すべき性質のものじゃないというので却下をいたしました。原審へ返したのであります。そこで原審でもう一ぺん裁判をし直さなければならないということであります。直ちに資料を提出するという段階には、まだいまのところはなっておりません。けれども、私は裁判の権威というものを尊重すべきものであるということについて加藤先生にお答えをしたつもりであります。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 これは、たとえば文部省の出しております教育委員会月報を見ましても、その中に佐教組の事件についての論文が出ておるわけです。四十六年九月号です。これを見ますと、たとえば「下級裁判所の判決の中で示された法令の解釈は、直ちに主管庁の公定解釈を左右するものではないということである。端的に言えば、公定解釈に優先するものは最高裁判所判決によって示される解釈に限られることは、三権分立の原則から当然のことである。」こういう論文が出ておりますし、いままでの裁判問題についての文部省側の見解を見ますと、ほとんどがそういう見解をとっておるわけですね。だから、今回抗告を却下したということは、これは当然高等裁判所の見解に基づくということになると思うので、その点については文部大臣は、これは個人的見解であろうとも、やはり事態を明らかにする意味において、資料を提出するというのが私は正しいと思うのですよ。これは教育の問題として論議されているわけですから、主管大臣が法務省であろうとも、しかしこの点についてははっきりした態度をとってもらいたい。もう一度見解を伺っておきたい。それから、法務省との間にいつ話し合いをなされるのですか。

岩間英太郎文部省初等中等教育局長

○岩間政府委員 これは、ただいま大臣から申し上げましたように、最高裁が意思表示をしたということではございません。読み上げますと、「本件提出命令申立にかかる原判示各文書は右法律関係について作成された文書であるとしているものにすぎず、原審は、本件検定が相手方の表現の自由を侵害している旨をみずから判断したものではない」それから、飛ばしまして、「したがって原決定は本件検定が相手方の表現の自由を侵害している旨をみずから判断したものであるとして、原決定の違憲をいう所論は、ひつきよう、その前提を欠くに帰し、特別抗告適法の理由とは認められない。」そこで却下されたわけでございます。つまり、文書を提出するかどうかについて最高裁が、それを提出すべきであるとか提出すべきでないとかいうふうなことを判断したわけではないわけでございます。それから、これは御承知のとおり民事事件に関するものでございまして、民事事件の場合に、文書提出命令がございましても、必ずしもそれに従うということにはならないわけでございます。これはもちろん、文書を提出しないことに伴う不利益というものはございますけれども、そういう意味で判断の余裕があるということを申し上げているわけでございます。  なお、行政事件につきまして二番目の訴訟が提出されておりますけれども、それにつきましては、やはり東京の高裁におきまして、こういう関係の書類は提出するには及ばないというふうなことが決定されております。同じような種類のものにつきまして二つの異なった決定がなされておるわけでございます。いずれも確定しているわけでございますが、そういう場合に、行政当局としてどういうふうに判断をするかという点につきましては、これは十分中で打ち合わせをいたしまして決定をいたしたいというふうに考えております。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 いつごろですか。

岩間英太郎文部省初等中等教育局長

○岩間政府委員 これはまだ裁判の時間がございます。それから、先ほど大臣が申し上げましたように、一部につきましては提出命令が決定をいたしたわけでございますけれども、一部につきましてはまた地方裁判所のほうに差し戻しになっておりまして、それはまだ決定しておりません。いずれも関連するところがございますので、そういうふうな関係を見ましてこれに対して対処をしたいというふうに考えているわけでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 これは、省内文書であるから提出する必要がないという抗告に対する決定ですからね。私は、常識的に考えれば、当然これは国側としては提出をして事態を明らかにすべき責任がある、こう考えるのです。だから、時間がありませんから文部大臣に最後に伺いたいんですが、個人的であろうとも、文部大臣としては提出すべきであるという見解は変わっておりませんか。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 いま初中局長が申しましたように、差し戻しになっておるわけでありますから、直ちに提出するというわけにはまいりません。けれども、それは提出すべきであるという決定が出れば提出するにやぶさかではない、こういうことを申し上げているわけでございます。  念のために申し上げておきますけれども、佐賀判決あるいは東京判決を例にお出しになりましたが、これは裁判の救済制度としての上級審裁判の制度があるという事実の上に立って御判断を願いたいと思うのであります。したがって、佐賀地裁の判決がそのまま有効であるというわけのものじゃございません。それがために裁判の救済制度というものは三審制になっておるという事実が厳然としてあるという事実だけは、ぜひ御理解を願っておきたいと思います。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 次に、沖繩の教育の問題については申し上げたいことがあるんですが、教育委員公選制の問題につきましても、いま山中先生から御発言がありましたので、私も同感なんです。山中先生、長く公選制時代の教育長をやられている。私も公選制時代の県の教育委員をやっておりましたので、教育委員会制度の功罪については私自身体験をしております。この点についてはあとでまた論議すべきだと思いますので、授業料の問題について質問をいたしたいと思うのです。  総理府の物価指数によりますと、これは統計局の四十六年十一月二十六日の発表を見ますと、教育費の上昇率ですね、これは昭和三十二年を一〇〇としまして、国公私立の教育費の上昇率は二四二%になっております。読売新聞の、これは国公立の授業料だけの統計図面を見ますと、これも二〇〇%になっております。ところが、諸物価の上昇率の平均は、これは同じ総理府の統計によりますと一九三%。したがって教育費の上昇率というのが平均物価指数よりもさらに高くなっておるという統計が出ておるわけです。さらに、この二四二%というのは、これは地代あるいは家賃にひとしい上昇率でありまして、まさに教育がどういう状態に置かれてきたかということをこのことが示しておると思います。それが一つ。  それからもう一つは、国立大学の授業料の引き上げの問題が現在問題になっておりますけれども、これは当然公立の高等学校に影響してきます。さらに、高等学校のほうにおきましては、知事会におきましても、また財政窮迫の状態の中から引き上げを検討している、方針が出ている、こういう状態。高等学校の問題になってきますと定時制高等学校がまたこれに関連をしてくるというような状態にまで発展をしていくわけですね。現在高等学校数が全国に四千八百校あるようです。そして生徒数が四百五十万人、さらに大学を入れますと百七十万人ですね。合計しまして六百二十万。その家族を含めて、これは日本人口の一割以上をこすものが影響を受ける問題として考えてみたときに、教育の機会均等という面から考えましても、まさにこれは教育の破壊につながっていく内容を持っておるのではないかということを、私はしみじみ今度感じているわけです。  それで、大蔵省出ていただいておりますのでお伺いしたいんですが、今度大蔵省が考えておりますところの、発表されておる国立学校の授業料値上げによって生ずるところの増収分はどれぐらい期待しておるのか。たとえば平年度と初年度に分けて発表していただきたいのです。  それから文部省のほうに。これと関連しまして、今度私学の授業料値上げによってどれだけの増収を期待されておるのか、これも平年度と初年度に分けて、概算でけっこうでありますから、数字をあげていただきたいと思うのです。

青木英世大蔵省主計局主計官

○青木説明員 私どもといたしましては、私学の授業料とのバランス、それから国立学校の運営費に占めます授業料等学生納付金の割合が非常に低いということ、それから、前回国立学校の授業料を改定いたしましたのは昭和三十八年度でございますが、それから約九年間据え置かれておりまして、この間に個人所得がかなり伸びておるというようなことを総合勘案いたしまして、三倍程度の引き上げは授業料あるいは入学金についてやってもいいのではなかろうかという考え方を持っております。これによる増収額は、初年度が約四十億、平年度で約百億見当かと推測しております。

安嶋彌文部省管理局長

○安嶋政府委員 私立大学の授業料値上げの問題でございますが、新聞等にも報道されておりますように、現在各大学で学内のいろいろな手続を踏んで決定されようとしている段階でございまして、まだ決定されたという報告は文部省に参っておりません。  そうした諸般の事情を文部省としては現在調査中でございます。したがいまして、どういう値上げ幅になるのか、あるいはどういう値上げの、つまり新入生から上げるのか、あるいは在学生も含めて上げるのか、そういったところも各大学によって違うわけでございますので、そういった全体がわからないと、金額的にもどの程度のものになるか、ましてそれを平年度化した場合に幾らになるかという推定はつきかねるという現状でございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 いまの大蔵省の説明によりますと、現在の段階で、国立の場合は大体平年度百億、それから初年度四十億、いわばささいな金額ですね。それから私学の場合、私どもが計算しまして、初年度で多く見積もっても百六十億程度ではないかというふうに考えますと、これは初年度においてわずか二百億の問題だというふうに思うのですよ。だからこの問題が解決できれば、現在の授業料値上げというものをしなくても済むのではないかと私は思うのです。  ことに私学の問題について触れますと、先ほど来も話がありましたように、国が高等教育に対する国民の要求に対してこたえなかったということがこのような事態を起こしているのであって、ほとんど私学に依存してきた状態の中から、これが放置されてきたということが一番大きな問題であるわけですね。だから私は、物価指数の問題を出しましたけれども、物価の問題から見たって、教育費の上昇率というのは高い。それから、大学政策としても、政府の責任というものは、こういう事態に追い込まれるまで放置しておいたということは、その責任は当然追及されなければならない問題だと思うのです。  昨年、私学振興財団の発足にあたりまして私が質問をしたのです。そのときに坂田文部大臣がどういう答弁をしておるかと申しますと、授業料の値上げはしないということを言っているのですね。高見文部大臣にちょっと読み上げてみます。  前大臣の発言ですけれども、「現在の段階で国費を出さないということになるならば、授業料を増すか、あるいは納付金をよりたくさん取るか、あるいは借金をするか以外にはない。それではとうていもう教育研究の充実ということはできないんだ。こういう意味において、私学に対しても人件費を含めて助成をしなければならない時期にきた。」こういうふうに述べております。さらに、同じく私の質問に対して、「国立と私立の格差をなくしていく、あるいは将来にわたっては私学に学ぶ人たちの父兄負担の軽減をはかっていく、こういうことは画期的なことである。」これは私学振興財団をつくられるときの、昨年の四月十五日の私の質問に対する大臣の答弁なんですね。  ところが、こう言っておきながら、一年もたたない今日、大幅な値上げをしなければならないということになってくるわけですね。これはどこに原因があるかというと、時期がおそかったということと、もう一つは金額が少ないということでしょう。だから、それが解決されるならば、私学の問題も、完全に解決することはできないかもしれませんけれども、かなり緩和される面が出てくるわけですね。それをなし得なかった政府当局の責任というものはきわめて重大だと私は思うのですが、この点について見解を伺っておきたいのです。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 お話のとおり、私学に対する補助というものが確かに手おくれになっておったことは間違いありません。そこで今年は、概算で昨年の二倍以上も要求いたしております。しかしそれでも間に合いませんが、私学にとって一番大きな問題はどこにあったかということを考えてみますと、私は大学設置法にも一つの原因があったのじゃないか。と申しますのは、かつての私学は専任教授というものを比較的持たなかったのです。そこで、いい大学の先生をアルバイトの教授に雇って経営をしておるという状態で、人件費の問題で非常に楽であったのですね。これは、私は将来もう一ぺん考え直してみなければならぬ問題じゃないかという感じがいたしております。そこへもってきて、最近の科学技術の進歩というものは、大型のいろいろな教育施設をしなければなりません。これが私学の経営を困難ならしめた最大の原因だと思っております。今日まで政府の私学に対する援助の手がおくれておったということは、これは私は率直に認めます。認めますが、坂田大臣がおっしゃったように、私学振興財団も発足をいたしましたし、来年度予算もひとつ大幅に伸ばしていこうというわけで、それではたして授業料をどこまで抑制し得るかというと、その保証はございませんけれども、伸びることによりまして授業料の値上げ幅が少しでも少なくて済む、あるいは値上げの時期が一年でもおそくて済むというような状態をつくりたいというのが、現在の私どもの願いであります。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 大臣が言われましたように、教育と私学の問題について今日根本的に検討してみる段階にきておると私は思うのです。そのことはあとで申し上げますが、大蔵省のほうに伺いたいのですけれども、この初年度四十億、平年度百億という増収分がどうしても必要なんですか。大蔵省の見解は、たとえば財政上の問題、均衡上の問題で考えておるだけなのか、それとも教育の問題、教育論として考えておるのか、ちょっと伺ってみた  いのです。

青木英世大蔵省主計局主計官

○青木説明員 先生の御質問に完ぺきにお答えできるかどうか、あるいはちょっと見当はずれのお答えになろうかと思いますが、一つはやはり私学とのバランスという問題。これは御承知のように四十六年度で申し上げますと、国立は理科系であろうと医歯系であろうとあるいは文科系であろうと、関係なく一万二千円、これに対して私立の平均が約九万ということで七・五倍でございます。これをさらに理科系等に分けて見ますと、たとえば理科系は九倍くらいであるとか、あるいは医歯系になりますと二十二、三倍とか、非常に開きがあるわけでございます。  そこで、いま御指摘がありました私立大学あるいは国立大学あるいは公立大学の設置形態といいますか、その任務と申しますか、これをどう考えるかは、やはり根本的に再検討すべき時期にきておるとは思われますが、いかにしてもこの格差がひど過ぎるということで、これはやはり教育費の負担の公平ということから、できるだけ格差を縮めていきたいという観点が一つであります。  それからもう一つは、後段に御指摘ございましたように、来年度は景気がなかなか思うようにまかせませんので、財政事情が非常に苦しいという点も若干あることは否定できない、こういうことでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 格差論をこういうところへ出されてくるわけですけれども、格差の問題は、私の調べたところでは、昭和三十二年度から格差が急速にふえていくわけです。昭和三十二年度の場合を見ますと、一対四ですね。これは文部省の「わが国の教育のあゆみと今後の課題」によりまして、生徒一人当たりの授業料の差が、国立と私学の場合には一対四、それから現在では、四十年で一対六というふうになってくるわけですね。こういうふうに昭和三十二年度あたりから急速に格差が出てくるわけですよ。このときに実際は私学に対する対策というものが文部省において考えられなければならなかったわけですね。それがいままで放置されてきておる。そこに大きな問題があるわけです。しかも格差を縮めるために現在の国立の授業料を上げるという簡単な論理では、私は賛成できないのです。というのは、現在、この間も私、東京教育大学へ参りましたが、アルバイトをしておる生徒の数というのは全学生の大体七割近くアルバイトをしていますね。それからさらに、それが単に大学だけでなくして、先ほど申しましたように、高等学校へ影響してくる、定時制高等学校へ影響してくる、これは実に大きな問題なんです。私も高等学校の教員をしておりまして、授業料値上げ問題でずいぶん大きな紛争が起こった。高等学校においてさえそれだけの紛争が起こるんですね。ついに知事は中止をせざるを得なかったことも経験をしておるわけですけれども、そういう事態をあえて招こうとするその基礎に、単に格差論が出てくるということは納得できないわけです。ことにこれは、今度沖繩に対して自衛隊の配備百八十六億という数字が出ておりますね。五兆三千億円という財政投融資が出ておる。十一兆四千億円という来年度の国家予算の数字を見ましても、教育に対してどれだけ金を使っていくかということをいま考えなければ、事態を基本的に解決することは大臣、私はできないと思うのです。これは朝日新聞の去る十二月十九日の社説を見せていただいたのでありますけれども、高等教育費の国民所得に占める割合が出ておりますが、イギリスの場合は六三年が〇・六であったのが、六七年は一・〇になっております。西独の場合も現在一・一になっております。アメリカの場合も丁九になっております。日本の場合は一九六二年に〇・六であったものが、一九六八年に〇・七、ほとんど動いていないんですね。こういうところに教育に対する日本政府の考え方が端的にあらわれているということ、ここのところを改善をしなければ問題の解決はできないだろうと思うのです。朝日新聞の社説はこう書いております。「授業料問題の根本は、七〇年代の日本が新しい社会の建設にふみ切るか否かにある。」ということも書いておりますね。私はこの見解には全く同意するわけでありますけれども、こういう状態に置かれておる。また、学術会議その他も、いままでしばしば見解を発表してきておりますが、そういうことに対して文部省としても謙虚に耳を傾けるべきであったと私は思うのです。そういうことをしないで今日まできたところにこのような問題が出てきておるのではないかというふうに考えます。時間がなくなりましたからこれでおきますけれども、その点についての大臣の見解を伺っておきたいのです。  それからもう一つお聞きしておきますが、私学の累積赤字の問題でありますけれども、今度、銀行その他からの借金につきまして、私学財団が肩がわりをするという予算も出ておるそうでありますが、この私学財団からの貸し付け金については、昭和四十六年が三百十億、四十七年が四百二十億と聞いておるのでありますけれども、これらの利子補給については国が行なうべきであると私は思うのです。その点についてあわせて見解を伺っておきたい。

安嶋彌文部省管理局長

○安嶋政府委員 前段のお尋ねにつきましては大臣からお答えをいただくことにいたしまして、利子補給の問題について私からお答えを申し上げておきたいと思います。  私学の貸し付け金につきまして、低利長期の条件を確保しあるいはさらによくするために利子補給をするということも確かに一つのお考えかと思いますが、それに対しまして政府が従来やってまいりましたことは、政府出資金をふやすということでございます。政府出資金は御承知のとおり無利子でございます。それが私学に対して貸し付けられれば、それに対応する利子が上るわけでございます。つまり原価のない金がそういうふうに利子を生むわけでございますから、それが全体として私学の利子補給という役割りを果たしておるということが言えるかと思います。もしこれがなければ私学に対する財団の貸し付けはもっと高い利率になったはずでございまして、財投等から借り入れております資金を、それよりもさらに安いいい条件で私学に貸し出しが可能になっておるということも、やはり累積された約二百億に近い政府出資金があるためにそういう措置が講じられておるわけでございまして、私どもも、実質的に御趣旨のような目的を達成するために、来年度も政府出資金の増額をお願いをしたい、こういうふうに考えておるわけでございます。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 山原さんは昭和三十二年の統計を中心に御議論になっておりますが、実は私学と官学とがほぼバランスがとれておりましたのは昭和四年ごろでございます。その当時の割合から申しますと、年額、国公立が百二十円、私立が百四十円。もっとも、私立の中には百二十円を割っておったところもあります。  その当時の割合から申しますと、いまの国立と私立とのバランスの差はどうなっておるかと申しますると、ちょうど物価指数から申しますると六百八十八倍になっております。そこで、バランス論だけでこの問題を解決するわけにはまいりませんけれども、私立が大体、まあ学科によって違いますけれども、平均いたしまして十万円と考えますと、国立の私立に対するバランスというものは一体幾らが適当かというと、六万八千八百円が適当だという議論も、実は議論としては成り立つわけなんであります。けれども、私どもそんなことを考えておるわけではありませんが、そういうことも言える。  これは、何と申しましても、私立大学が、御承知のようにベビーブームの影響を受けまして一時に拡張いたしました旧債の償還金というものが相当のウエートを占めておるというところに私学経営の困難さがあるわけであります。したがって、いまお話しのように、利子補給の道を講じたらどうだ、そして低利長期の金に借りかえさせれば私学の経営が健全化するのではないかという御提案はそのとおりであります。それを私どもは振興財団の出資金として無利子の金を出してもらおうと、昨年十億出してもらったのでありますが、ことしはそれを四十億要求をいたしておるわけでありまして、これができますというと、相当低利の金に借りかえができる。旧債償還費というものが大体私学経営の——私これは数字をちょっと確実なところを覚えておりませんが、二七%くらいを占めておるのではないかと思っております。それが軽くなりますれば私学にとっては経営がたいへん楽——というわけにはまいりませんけれども、改善されるのではないかという考え方を持っております。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 最後に、実はこの前にも指摘しましたが、中教審答申の付録には、昭和五十五年度に国立が二十四万、私学が四十七万になっておるという数字が出ておりましたね。私はこれを言ったのですが、その第一歩が出てきておるような感じがしまして、この問題を取り上げたわけでありますけれども、文部大臣に私は申し上げたいのです。四百九十一億今度出ておりますけれども、あと二百億、これぐらいのものは出して、授業料値上げなどはやらさないという決意を私は持ってもらいたい。これが日本の教育に対する大きな転換問題を処理する道だと私は当面具体的な問題として申し上げたいのですが、それだけの腹を持って——大蔵省はいろいろ言うかもしれませんけれども、文部大臣としてはこれを取る。六百億か七百億でしょう。それぐらいのものは取るという決意を持ってもらいたいのですが、これについて一言、決意を持っておるかどうか、言ってください。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 山原先生、いま急に六百億を要求しろとおっしゃっても、すでに要求して査定中であります。私は四百十五億が取れるか取れぬかというところに必死の努力をいたしております。ぜひひとつ御協力をいただくことをお願いを申し上げたいと思います。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 それは自民党も共産党も超党派で一緒にやります。

高見三郎自由民主党文部大臣

○高見国務大臣 ちょっと、私の申し上げましたのは、出資金は今年十億出まして来年四十億を要求しております。三十億だけ増しておりますから……。      ————◇—————

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 これより請願の審査を行ないます。  今国会、本委員会に付託されました請願は全部で百十九件であります。  請願日程第一より第二九までの各請願を一括して議題といたします。  まず、審査の方法についておはかりいたします。  各請願の内容につきましては、文書表等によりすでに御承知のことでありますし、さらに先刻の理事会におきましても、慎重に御検討願いましたので、この際、紹介議員からの説明聴取等はこれを省略し、直ちに採決いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。  それでは採決いたします。  請願日程中、第一、第六、第一八、第二三ないし第二五、第三九ないし第四一、第四四ないし第四七、第四九、第五〇、第八三ないし第八八、第九一ないし第九三、第九六ないし第一〇五、第一一八及び第一一九の各請願は、いずれも採択の上内閣に送付すべきものと決するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。  なお、ただいま議決いたしました各請願に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕     —————————————

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 なお、念のため御報告申し上げます。  今国会、本委員会に参考送付されました陳情書は、旭川市に国立医科大学設置に関する陳情書外十六件でございます。      ————◇—————

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 次に、閉会中審査に関する件についておはかりいたします。  本委員会といたしましては、  文教行政の基本施策に関する件  学校教育に関する件  社会教育に関する件  体育に関する件  学術研究及び宗教に関する件  国際文化交流に関する件  文化財保護に関する件 以上の各件につきまして、議長に対し閉会中審査の申し出をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。  なお、閉会中審査案件が付託されました場合、文化財保護に関する小委員会につきましては、閉会中もなお存置することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。  なお、小委員及び小委員長は従前どおりとし、その辞任の許可及び補欠選任につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

西岡武夫自由民主党

○西岡委員長代理 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。  本日はこれにて散会いたします。     午後一時五十五分散会

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