予算委員会公聴会 第2号
- 発言数
- 42 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1971/03/11
会議録
○委員長(古池信三君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。 公聴会の問題は、昭和四十六年度総予算についてでございます。 本日は午前中、秦公述人に御出席を願っております。 この際、公述人の方に、一言ごあいさつを申し上げます。本日は、御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして、厚くお礼を申し上げます。 それでは、委員会の議事の進め方について申し上げます。 まず、公述人の方から三十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員の方から御質疑がありました場合、お答えをお願いいたしたいと存じます。 それでは、これより御意見をお述べ願います。秦公述人。
○公述人(秦玄龍君) 私、いま御紹介いただきました埼玉大学の経済学部の秦と申します。本日は、四十六年度予算のうちの特に農林予算について公述をしろというようなお話を受けまして私まかり出ましたが、主として、私はお伝えのとおり農林予算を中心で、それも全面的に申し上げるというよりも、むしろ私なりに、どういうところが農林予算として問題点であるか、そういう点を若干私の意見を述べたいと思います。 農林予算は、ことし四十六年度初めて一兆円をこえたといわれていますが、その農林予算で一体どういう点が私なりに問題として考えられるかということを、いま申しましたように申し上げますが、その前にごく大ざっぱに農林予算の総体について概観をしておきたいと思います。 御承知のとおり、農林省から提出された四十六年度の農林予算の中に、林業と漁業を一応別にしますと、純農政部分だけにつきましては大体十本の大きな柱が立っております。ごく簡単にその柱というのはどういうものかということを申し上げますと、第一が農業生産基盤の整備ということであります。第二番目が米の生産調整、第三番目が食糧の安定的供給、第四番目が農業構造の改善、第五番目が地域農業の総合的整備開発、第六が農産物の価格の安定と農業所得の確保並びに流通の近代化等、第七が農業技術の開発と普及、第八が農業金融の拡充、第九が農業従事者の福祉の向上、第十が農業団体の整備強化、こういうまあ大きな柱が立っております。これは農林省から出されました農林予算の説明書の中に大体この大きな柱が出ているわけでありますが、この農林予算というのは、先ほどちょっと申し上げましたように、一兆八百五十九億六千九百万というのが総予算額であります。これは昨年度の予算額に比較しますと一八・三%の増加となっていまして、国家総予算の伸び率とほぼ同じ伸び率を示しております。その中で特に重点を置かれているのは、言うまでもなく、米の生産調整ということが四十六年度予算の中にはやはり非常に大きな重点項目になっている。その伸び率は昨年に比べると二一〇・二%というぐあいに、まあ昨年の生産調整の数量に比べてことしは非常にそれが倍以上に増大したために、伸び率が二一〇・二%というようになっているわけで、つまり二百三十万トンの生産調整に対する金額であります。まあこれがまず最初に目を引くところでありますが、それに関連して稲作転換の推進のための予算、これは伸び率としては四五一・三%というぐあいに、昨年度に比べて非常に調整の補助金の額がふえております。 それからさらに伸びているのを若干拾ってみますと、公害関連の対策費、これが昨年の約三倍増というぐあいにふえております。それから地域農業の整備開発という項目でありますが、これが一九二・四%で、ほぼ昨年よりも倍増をされている。御承知のとおり、農村でも最近かなり公害問題というのがいろいろ取りざたされておりますが、それに見合う公害の問題として三倍増、それからそれにつれまして地域農業の整備開発等々が一九二・四%と、かなりこのあたりが大きな増率を示しているところであります。しかしながら、いろいろこういうぐあいに非常にふえている項目がありますけれども、何といっても農林予算としては、四十六年度の政策の非常に大きな重点といいますか、金額から見ましても、米の生産調整というのがやはり中心的な政策項目であるというぐあいに考えられます。 それからこういったぐあいに米の生産調整というのが非常に積極的に推進されておりますが、しからば米の生産制限というものが行なわれまして、一体他のそれに関連して農業政策はどういうぐあいに進められるべきか、これも非常に重要な問題でありますが、そうした政策としてあらわれてくるのは、地域的に非常に専門化した農業をこれから進めていくのだと、そういう点が生産調整と関連して新しい項目としてあらわれてきているやに見えます。いわゆる農業新地図というのが農林省を中心に最近だんだん固まってきておりますが、その農業新地図に従って地域的に専門化したそういう農業、こういうものを今後進めていくのだというので、そういった地域開発的な問題が予算項目の中でかなり大きなウエートを占めてくるようになりつつあると、これは予算を見ますと、かなり政策の重点がそういうところに移りつつあるということが考えられます。いわば日本全体の農業の生産構造の再編成というようなことが去年からぼちぼち始まっておりますが、四十六年度予算に入りましてその傾向はさらに積極的になりつつあると、こういうぐあいに私は見ております。 それから、それと関連しまして非常に昨年の暮れあたりから問題になりましたが、いわゆる農業生産物の価格安定の問題であります。この農業生産物の生産の安定はもちろんのこと、生産物の価格の安定というようなことに対して国の予算はどれくらい積極的に取り組んでいるかということでありますが、残念ながらこの問題につきましては、予算面から一応見たところでは、いままで私が述べてきました項目に比べて比較的あいまいなといいますか、その金額から見ましても、どの程度一体この項目に対して重点が置かれているのか、やや私は疑問を持たざるを得ないのであります。と申しますのは、青果物とか畜産物の生産の安定、それからその生産物の流通の合理化というようなことがしばしばマスコミなんかでも取り上げられておりますし、この二、三日前もかなり大きな見出しでそういうことが盛んに新聞なんかに出ておりますけれども、予算内容を見ますと、単に金額からだけ見ましても、ほかの項目に比べて比較的予算の伸び率というものが大きくないということが言えます。そういう点から見ますと、農産物の生産の安定あるいは流通の近代化あるいは合理化ということに対して一体農林当局がどの程度本腰を入れているかということに、私は若干の疑問を持たざるを得ないということがあります。いわゆる農産物の流通段階の前近代性といいますか、そういうものが非常に問題になっているにもかかわらず、その合理化がなかなか実現しない、これはまあ相当徹底的に流通段階の合理化ということが行なわれない限りは、おそらくこういった農産物、ことに蔬菜だとかあるいは畜産物だとか青果物、それから水産物も特にそうでありますが、これは非常に差し迫った問題でありながら、なかなかその合理化が進めにくいと言わざるを得ないんであります。予算面からだけ見ましても、どれだけ本腰を入れてこの点に農林当局が取り組んでいるのか、いささか私は疑問を抱かざるを得ないのであります。つい最近も、そういう野菜の生産地の生産安定あるいは例の野菜法といわれます農産物の生産の安定法につきましても、必ずしも法律が十分でないような感じを強く受けるわけであります。去年の暮れに、農林省自体が調査団を組織して調べた結果報告というものを見ましても、流通の不合理な点というのは、ちっとも明らかにされていない、非常にあいまいな調査結果の報告がありましたが、こういうところにかなり問題があるんではないかと私は考えます。 それから総合農政といわれていますその農業政策でありますが、これがやはりいまのところは米の生産調整というようなところが非常に重点に置かれていまして、生産調整した結果、一体日本の農業というものが米以外についてどういう非常に積極的な政策措置が行なわれるのか、このあたりが必ずしも四十六年度予算の中ではまだ明確になっていない。予算の大きな部分が、いわばうしろ向きのほうに主として投入されている。積極的にそれにかわって伸ばすべき予算項目、施策の内容というのが、現在の段階ではまだ必ずしも明らかに打ち出されていないという感じを抱くわけであります。御承知のとおり、生産調整というのは、本年四十六年度は二百三十万トンの生産調整、それからそれに対する休耕、転作の奨励補助金というのが三万円ないし四万円の幅でそれぞれに従って出されるということが決定しておりますが、それから政府の買い入れ量というのも大体五百六十万トンというぐあいに制限をされております。米作農民が予約で売り渡しを申し込んだ額の全額についてでなくして、五百六十万トンについて制限的な国の買い上げというものがことしは行なわれるわけであります。で、事前の売り渡し申し込み数量というのは御承知のとおり七百六十万トン、その中から自主流通米として考えられている百八十万トンを差っ引いた五百六十万トンだけについて国が据え置き価格で買い上げるということが一応保証されているわけでありますが、農民が売り渡し数量、たとえば七百六十万トン全部売り渡し、一部は農協に自主流通米として申し出るでしょうが、そういうところのどこまで七百六十万トン全体について国が買い上げ価格で保証するのか、あるいは五百六十万トンだけに限るのか、農林省自体は五百六十万トンだけだと言っていますが、農協なんかは強く残りのいわゆる自主流通米として農協に売り渡す分までもし売れ残りが生じた場合には保証してもらいたいというような希望をかなり強く持っているようでありますが、一応、現在のところは五百六十万トンの限度にするというような予算が組まれているわけであります。で、こういうぐあいに米の生産調整というのは飛躍的に四十六年度は大きくなっております。米の生産地域、ことに東北地域あるいは北陸地域では、必ずしもこの生産調整、ことにその割り当てについて全面的に農村が受け入れるということがなかなかむずかしいというのが現実ではないかと思います。で、ところによっては非常にそれに強く反発している地域もあるようであります。そういうことから、米の生産地域における、ことに主産地なんか、そうでないところでもそういう現象は出てきているのでありますが、ことに注目しておかなくてはならないのは、最近農家の主婦です。男手は大体出かせぎに出るというのが非常に多いのですが、うちを守っている農家の主婦というものの間に、最近、家内手工業的な内職が非常に全国的に広がっております。そういう報告はわれわれの研究団体の中でもしばしば聞かれるところであります。で、家庭の主婦というものを対象にした家内手工業的な仕事が非常に企業の下請として普及しつつある。で、しかもその婦人がやっている家内手工業というのは時間給であり、出来高払いで、非常に安い賃金であります。これは極端に安い賃金でありますが、そういう形で兼業農家の主婦の間にかなり家内手工業が広がっている。それを行なわなくては農民は食えない、だんなさんは出かせぎに出ているというような状況がかなり農村部分に最近広がっております。これは東北地域、南は鹿児島でさえもそういうことがかなり一般化しつつあるということです。で、そういう手工業が農村の家庭内に広がっているということに付随して、またいろいろな問題が出てきております。で、これは対子供との問題ということはもちろんのこと、また、これは中小企業の下請というのが比較的多いのですが、ちょっと会社の支払い状態が悪くなると、すぐもう会社の人が来て、各家庭に置いている小さな旋盤なんかをさっさと持っていって賃金を不払いにして姿をくらますというような事態さえ、ところによってはかなり起こってきているわけですが、そういう状況で、単に一家の主人が兼業に出るばかりでなくして、家庭の主婦までもそういう状況の中に非常に巻き込んできているということがうかがい知られます。 それから、それと関連しましてですが、四十六年度の予算の中でちょっと新しい項目として目を引きますのは、農村地域への工業の導入ということが実は新しい項目として出てきているのであります。新規予算として、四十六年度は一億二千六百七十一万幾らかという金が、予算がついているのであります。この予算金額そのものは、これは総予算から考えますと、たいした金額ではありませんけれども、数日前の新聞にも発表されましたように、農村への工業の導入の問題というのは新しい政策として今後さらにこれは大きく進展する一つの政策だと思いますが、これを私は必ずしも一がいに喜べないのではないか、それに付随していろいろな問題が起こってくる、農村にとっては、はなはだかんばしくない問題が起こってくるのではないだろうか、この点が非常に心配される点であります。いま申しましたように、すでに農村の留守をあずかっている主婦の間で非常に低賃金の家内手工業というものが広がってきて、それによって、いろいろな問題が出てきているわけでありますが、いま言ったようなことが——さらにこれは、あとで、まだちょっと触れたいと思うのでありますが、いろいろな問題を投げかけそうだということを考えております。 それから第二番目に、ちょっと注目しておかなくてはならないのは、生産調整によって休耕とか転作、それに対する奨励補助金というようなものが出ているのでありますが、これも、方々からの報告を聞きますと、こういった、たとえば休耕の場合には十アール当たり三万円、あるいは転作をした場合には三万五千ないし四万の補助金を出すということになっておりますが、この休耕あるいは転作の奨励補助金なるものが、実は実際には地代になりつつあるわけであります。つまり、一反当たり三万円とかあるいは四万円というような、そういうものが、はっきり、即地代だと。もしこれを、たとえば自分の転作なりあるいは休耕する土地をだれかに貸すという場合に、この三万円なり、あるいは場合によっては四万円を出さないと貸さないと。それだから、従来行なわれていた請負耕作というものが、反当三万ないし四万の地代を取られては成立しない、成り立たないと、そういうことから、いままで行なわれていた請負耕作がだんだんくずれていく傾向が部分的に見えつつあります。これはかなり大きな問題であります。そういう形で、奨励金即地代だ、小作料だという形になりつつあるわけで、これは、請負耕作あるいは大規模の集団経営というものが政策的に非常に奨励されているにもかかわらず、それが経済的に成り立つ条件というものが地代の高騰によって非常にはばまれる反対の結果が出つつあるということは、注目すべきことではなかろうかと思います。 それから、休耕で特に問題になっているのは、休耕のたんぼというものがあちこちにぽつんぽつんと出て、つまりスプロール化しているために、それによっていろいろな問題が出てきているわけです。たとえば、病害虫の問題だとか、かん排水がそのために非常にうまくいかないというような問題から、休耕田の回りが、それに関連して幾つかのたんぼがだめになってくるというような問題であります。これは、休耕する場合には一つにブロック化して、つまり集中して、なるたけ休耕田をまとめろというような指導が行なわれておりますけれども、実際には、それは、ことに傾斜地の山田なんかの場合にはうまくいかないで、非常にこういった副次的な結果が出てきているということであります。 それから、第四番目に、私としてちょっと注目しておかなくてはならないのは、例の貿易の自由化ということであります。これは、まあ初めの予定によりますと、四十六年度の末までに大体の貿易の自由化ということを日本なりに完成するということでありますが、それに従って、農産物の輸入の問題というものが当然出てくると思うのでありますが、一体、この貿易の自由化にあたってですね、競合作物がかなり自由化の対象になるわけでありますが、そういうことに対して国の予算というのはどういう対策を持っているのか、あるいは、それに対する予算措置がもしなさるべきであるならば、どういう予算措置をするのか、そういう点が、われわれはこの予算内容を見ても必ずしも明らかでないということであります。これは、言うまでもなく、外国からの農産物の輸入というのは、低開発国から入ってくるもの、まあ米だとか飼料——えさでありますが、飼料の原料だとか、そういうものが大体後進国から入ってきますが、農産物の中には、資本主義的な先進国から入ってくる輸入農産物というものが、かなりたくさんあるわけであります。それが適当な輸入の対策というものが講じられない限りは、非常に撹乱的な作用を国内の農産物に対して及ぼすおそれがあるわけであります。例のあの貿易振興会の報告書、四十五年度についての報告書というものを見てみますと、農産物の輸入額というものがかなり急激にふえつつあるわけでありますから、そういうことから考えましても、この貿易の、ことに農産物の貿易の自由化ということについて、その対策が急がれなくてはならない。しかしながら、それについて、国の対策というものが一体どれくらい進められているのか、ちょっと私は、必ずしもはっきりつかむことができないのであります。まあ、米の生産転換ということ、国内的にはそういう問題がありますし、対外的には貿易の自由化の進行というようなことがあるわけですが、この生産転換ということで作付転換の対象になっている作物、一例をあげますと、たとえば大豆というようなものが、やはり米の作付転換の場合に新しい奨励作目として取り上げられているわけでありますが、これは、御承知のとおり、大豆はアメリカその他から大量に輸入をされているわけであります。作付転換作物として奨励をされている作目も大量に外国から輸入をされていると、こういう関係がすぐ頭に浮かんでくるわけであります。それが一体、この輸入の自由化ということとからんで、どういうぐあいに政策的に取り上げられているのか、私、はなはだ疑問に思うものであります。こういった輸入農産物に競合する国内の作目、作物というものの処置を誤りますと、非常にこれは農家にとっては重要な問題があるわけで、すでにそういう前例があるわけで、国内における畜産物と外国から輸入される畜産物の競合問題、それから青果物、果実についても同じようなことが言えるわけであります。すでに現在では米の転作、作付転換ということが積極的に推進されているわけでありますが、しかもなおそれに対する貿易の面からの自由化の拡大、それに対する対策というものが一体どう考えられているのか。非常にあいまいではなかろうかというわけであります。 それから、もう一度米の問題にちょっと触れてみたいと思うのでありますが、せんだってある新聞の記事を見ていますと、こういうことばがちょっとありました。米の完全自由化までに長くて二年だというようなことであります。それに対する、そういう見通しのもとで、一般商社が最近米の生産地域に非常に積極的に乗り出していっているという記事であります。ことしは、四十六年度は、二百三十万トンの生産減が割り当てられているわけでありますけれども、こういった北陸地帯あるいは東北地帯に対して、大きな商社が盛んに農村に入り込んできております。これは、現地の農家の話を聞いても、われわれが想像する以上に、商社の、米を対象とした農村への進出というのは予想外に激しいようであります。わが国の大手商社のほとんど代表的なものが、北陸あるいは東北地帯に入り込んでいっているわけであります。米の買収工作ということがきわめて活発に行なわれております。そういう大きな資本の力というものによって、現地の大手のそういう卸商を自分の系列下に置く工作、あるいは小売り米穀商の登録権の買収というようなことが行なわれているわけであります。それから、かなり、数十億に達するような米の商売というものがすでに行なわれつつあるというぐあいに一般にいわれるわけであります。御承知のとおり、米というものがもし自由化すれば、大体商品として取り扱われる米は全国で二兆円だというぐあいに推定をされていますが、この二兆円の米に向かって、大手の商社というのが非常に活発に動いているという印象を強く受けます。こういう状況の中で割り当てが行なわれたわけでありますけれども、これが御承知のとおり、すでに米というのは物統令をはずされております。それから買い上げ価格というものも必ずしも今後は固定されるものじゃなくして、すでに政府の買い上げ価格も、場合によってはさらにこれから新しい問題が起こってきそうであります。結局これは、米の自由化、国内における売買の自由化ということが早晩始まってくるであろうと思いますが、そういうことを考えてみまして、よく世間でいわれますように、米の売買というものが自由化した場合に一体日本の米は高くなるのか、安くなるのかということが消費者としては非常に心配の種でありますが、これは、国内の商社がそういうところに向かって非常に積極的に乗り出すというのは、やはり一定の利益がないとこれは乗り出さないわけで、商社の商売として成り立つ商売だということをおそらく商社自体は十分に感じていることだと思います。そういういい商売が、一体、国民の主食である米を対象にして行なわれる場合に、どういう結果が起こるだろうか。これは私が説明をするまでもないことだと思います。そういうことに対して、一体、一方では生産調整をやりながら、国としてどういう措置を講じられるのか。そういう点が、予算面からだけでは必ずしも明らかに出てきておりません。これは、同時に、国内におけるそういう問題と、外国からの輸入農産物というものの競合の問題ということがいろいろと考えられるわけであります。 特に、問題になっています野菜について申し上げますと、野菜については、いわゆる指定生産地制度というのがありまして、これはいわゆる野菜の生産安定法というのがありまして一応法律はありますけれども、現在ではこの法律どおりに必ずしもいっていないわけであります。指定生産地なんかをいろいろ調査された結果を見ますと、大体同法の第四条と第七条にそれのいろいろな重要な項目が盛り込まれているわけでありますけれども、生産したものの半分以上を、たとえば大都市に、大消費地に向けて出荷しなくてはならないとかいうようなことがきめてありますけれども、実際にはこれはほとんど守られていないわけですね。で、かなりの大きな部分がむしろ地元で消費される。大消費地に向かってはほとんど出荷がなされない。そういうことから、野菜の流通というものが必ずしもうまくいかないのみならず、中間段階が非常にたくさんあるために、マージンだけがふえて、生産者の手取りあるいは消費者の買う値段というものに非常に大きな開きがあるというような不合理な面をわれわれは日常感じているわけでありますが、しかも野菜の生産の補てん金額というものは生産費を下回っているわけであります。そういうわけで、生産者としては、むしろ、地元に売ったほうが手取りがよりあると、それから簡単であるというようなことから、必ずしも大消費地に売ることを好まない。こういうところに、せっかく野菜法で生産の安定だとかあるいは流通の合理化というようなことを考えているにもかかわらず、その結果は必ずしもうまくいっていない。こういうところから、やはり青果物あるいは野菜、これは畜産物についてもほぼ同じようなことがいえると思うのですが、非常に、ちょっと品枯れになるとめちゃくちゃに暴騰するというようなことを相変わらず繰り返している。それに対する抜本的な施策というものがなかなか出てこない。何度調査してみても、どこも間違っているところはないというような報告しか出てこない。こういうところにもやはり、今後のいわゆる、ことに米の生産調整とからんで、今後の農業のあり方、こういうところにもう少し適切な施策というものが行なわれなくてはならないのではなかろうか。先ほど述べましたように、農林予算の総伸び率というのは一八・三%でありますが、こういった農業生産物の生産の安定あるいは流通の合理化という項目の中に投じられる予算額というのは、一八・三%よりもはるかに伸び率が下回っているわけであります。一々小さな数字は申し上げませんが、これほど流通面の合理化あるいは生産の安定ということが騒がれているにもかかわらず、その面での予算措置というのは、私から言わせれば必ずしも十分でないという感じを抱かざるを得ません。それから、ことに輸入農産物との競合作物というようなものに対する生産安定の措置というのが一体どれほど真剣に考えられているのか。そういうことも疑問を抱かざるを得ないわけであります。 それから、ちょっと時間があまりありませんので少し先を急ぎますが、最後に、工業の農村への導入ということでありますが、これはよほど立法的にもあるいはいろんな政策的な措置の面でも慎重に考えられないとかなり大きな問題が起こってきそうであります。で、その点、私なりにどういうことが起こるか、そういうことについてのことを若干整理して最後に申し上げたいと思います。 そのことはどういうことかといいますと、第一に、工業が農村へ入り込んでくるということでありますが、これによって農家の兼業化ということが一段と進むのではなかろうかという気がいたします。で、いわゆる農村の現場に企業が進んでいった場合、これは企業側にとって非常に有利なことは、たとえば宿泊設備だとか、あるいは交通費の問題というのは、これは非常に会社側にはそういう負担は軽減されることは当然であります、労働力のある現場に企業が入り込んでいくわけでありますから。それからどうしてもその場合には、いわゆる兼業労働力というものが農村側から提供されるということになります。したがって、そこでは必然的にどうしても低賃金というものが一つの企業側にとっては大きな魅力になるだろうと思うんです。これは大都市の中における労働力というよりも、労働力のある農村自体に入っていった場合には、どうしても低賃金の労働力が確保できるということが企業側にとっては非常に大きな魅力であります。低賃金の労働力であればあるほど、農民側にとっては、どうしてもこの自分の非常に小さな面積であるけれども、食糧を確保するための農地というのはどうしても農民側は確保しなくてはならないということになります。そうなりますと、いわゆる総合農政でいわれていますこの経営規模の拡大ということに一つの支障ができてくるだろう。一方では企業を農村側に持ち込んでいくという一つの構想があり、一方では経営規模の拡大という、そういう農家を育成するという農政がありますが、これがはたして工業を農村に持ち込んだ場合に非常にうまく合致するかどうか、私はむしろこれは対立的な関係が生じてくるのではなかろうかということを心配します。で、もちろん、この非常に過疎地帯に見られているように、いわゆる挙家離村というような形をとる場合にはこういう心配はないんでしょうが、企業がすぐそばにある場合には、農民は農業、少なくとも一方では食糧を確保しながら工場に働きに出るという形をとらざるを得ない。そういうことから非常に一方では大規模な自立経営農家の育成という農政を掲げながら、他方では農工一体化というような項目を政策の大きな重点にしつつあるというところが、若干の矛盾があるのではなかろうかということであります。もし、これが非常に一般的な政策によってどんどん進められていくと、逆に農業という中に兼業農業というものが一般化してしまっていく、あるいはもっと極端な言い方をしますと、日本の農家というのはオール兼業だというような事態が出てきはしないだろうか、まあ国が非常に期待していますかなり大規模の自立経営農家の育成ということにかなり大きな、矛盾する問題がそこに発生せざるを得ないと、こういうぐあいに感ずるわけであります。 そうして、こういうところに働く農家というのは、経営規模からいうと比較的中以下の人というのが多いでしょうが、最近では兼業化傾向というのは、日本ではかなり大きな経営といわれる二ヘクタールぐらいあたりまでがすでに兼業化の方向に進んでおります。この上限の分岐点、兼業するかしないかの分岐点というのが、だんだん上に上がりつつあるのが現状でありますが、これがさらに一般化していく傾向というもの、国が期待しているような大規模経営の成立条件というのがだんだん阻害されていくという心配が一方ではあると思います。御承知のように、日本の企業というものは非常に急激な成長をいたしましたが、その成長の基礎というのは、農村を背景としたいわゆる低賃金労働、これの確保ということが日本の企業をささえた一つの大きな柱であったと思うんです。ところが、その高度成長の柱をさらに企業を現場に進出させることによって労働力の逼迫をさらに防ぐ一つの手段として、農村の現場に企業が出ていくということになりますと、農家の兼業化というのは、さらに急激なテンポで全国的に進んでいくということが言えるように考えられます。そういう点が、一方では総合農政では大規模の自立経営農家ということを言いながら、他方で農工の一体化というような方策が進められるというところに、よほどそこの調和といいますか、政策の面でもはっきりした見通しを持っておかないと、日本の農業というのはすべてが兼業化、それから企業が入り込んできますと、どうしても地価が暴騰をいたします。で、地価が暴騰しますと、小作料というものは必然的に上がっていく。この点から考えましても、土地を借地をして大経営を行なうことが非常に条件的にむずかしくなってくる。こういう点で、法的な措置というのを地価だとか、小作料に対してどう考えておられるのか、こういう点がはっきりこの四十六年度予算を見ただけではほとんどうかがい知ることができません。まあ私はこれは一種のユートピアを考えておられるのではなかろうか、その裏には、いろんなそれに関連したむずかしい問題が伏在をしているし、場合によっては、日本農業に非常に徹底的な大きな問題が生まれてくるんではなかろうか、こういうことを私は心配をしております。 で、これは一方では企業として労働力の確保というのは非常に困難である、現場にむしろ企業側が進んで行って、できるだけ安い労働賃金で労働力を確保しようと、そういう一つの考え方があるかもわからないと思うんですが、それが逆に今度は農村側を徹底的に破壊する一つの問題が出てくるかもわからぬ。それから農村にこういう企業が進みました場合に、私は住まいが埼玉県でありますので、日夜見るわけでありますが、まあ非常に、たとえば土地の敷地として一ヘクタールがつぶれるとすると、実際に使えなくなる農地というのは二ヘクタールの土地が使えなくなります、周辺の土地が。これはいろんな工場からいろんな汚物が廃棄されたり、農道が破壊されたり、通風が悪くなったり、それから、かん排水が全く頭としりが切られてしまってどうにもならないというようなことから、実際には倍の農地がだめになってしまうわけであります。これは計画的に固まって行なわれればいいんですが、過去の例を見ますと、非常に工場の進出の場合には手前勝手にスプロール化の傾向をたどっていく、こういうことから純農村地帯に思わぬいろんな問題が出てくると私は思います。これは地価の暴騰、機材の暴騰ということと並んで大きな関連的な被害が出てくる。こういう点まで、われわれは農工一体化として工業を農村に持ち込むということについては、もっと慎重に考えていただきたいというぐあいに考える次第であります。 で、これに対して一体もっと農協がどういう態度を持っているのか、こういうことを私は知りたいわけでありますが、時間もありませんし、十分調査する時間もありませんでしたので、一応私の陳述はここで終わりまして、質疑応答に関連して、もし詳しいことを若干説明する必要があれば、そこで説明したいと思います。 一応これで終わります。(拍手)
○委員長(古池信三君) どうもありがとうございました。 御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
○杉原一雄君 第一点は、先生は時間の関係もあったのだと思いますが、新しい農業地図についての御批判をいただくというわけにいかなかったわけですが、できたら、先生もお見通しいただいていると思いますから、きわめて個人的な、学者的な見解でけっこうですから、新しい農業地図についての端的な御批判をひとついただきたいと思います。 第二番目の問題は、今後転作の農作物として、政府は大豆を筆頭にあげていることについて、私もすぐ過去の貿易の自由化のときの大豆の運命をよく承知しているし、現状も承知しておるわけで、非常に不可解な問題の一つである。とかくわれわわは、いま目の先にぶらついているグレープフルーツにはかなり敏感ですが、大豆のそうしたことについてきわめて敏感さを欠いているわけですが、これらのつまり輸入量、これは政府に聞けばいいわけですけれども、輸入の相手先、特にアメリカだろうと思いますが、そうしたことを、もし先生の資料の中でおつかみになっていたならばお漏らしいただきたいと思います。 それから第三点。先生非常に、きわめて大切な警告を発せられたわけですが、しかし、これは先生の見解とも受け取れなかったわけですけれども、将来二年間たちますと完全にお米等が自由化されてしまう、国内、内外を問わずというようなこともおっしゃったわけですが、単なる流されている情報程度であるかどうか、ある程度的確に押えておられる資料ないしニュースの出どころが明確であればお聞かせをいただきたいと思います。 私、第四点として、農村への工業の進出について非常に憂慮している一人であります。また一面、農民は大きな期待をかけていると思います。この矛盾をやはり政治家の立場でどう解明するかに良心的な苦しみを実は感じております。とりわけ、去年からことしにかけて、いわゆる日本経済がかなりダウンをし始めているという今日の状況の中で、農村へ工業が進出するということは、かなり国家の計画性なり、それを指導するなり、誘致する条件をつくるということ、財政的な問題等も含めて、必要だと実は思うわけでありますが、先ほどの兼業化の問題など、いろいろお聞きしまして、おおよそのことはわかりますけれども、経済の動向とのからみあいについて、ことしはどうなるか、こういったような問題、非常に短い、ミクロ的なものの言い方をしますが、そうした観点から見ての先生の端的な御批判があったらお漏らしいただきたいと思います。 以上四点です。
○公述人(秦玄龍君) はなはだ失礼ですが、第一の質問事項、もっとはっきりちょっとお聞きしたいのでございますが……。
○杉原一雄君 農業新地図についての端的な批判です。
○公述人(秦玄龍君) 第一点から申しますと、いわゆる農業新地図というのは、これは農林省で一応策定をして、まあ地域ごとに、たとえば米作地帯でありますと東北と北陸に重点を置くとか、あるいは蔬菜であるとどことか、畜産ですと福島県とどこというぐあいに、全国的に主要な作物についての生産の集団的な中心地域というものをつくりまして、それをいわゆる農業新地図と一般に言っているわけで、つまり、農業生産の地域分担、全国的な地域分担というのを明らかにしているというのがこの農業新地図だと思います。で、これはまあこの新地図、それでは、たとえば長野県はその新地図の中でどういうぐあいになっておるかというのは、あの新地図の説明をごらんになると明らかなことだと思うのです。私いま全体的にまだ全部確実に覚えているわけではありませんが、とにかくそういった地域的な農業生産の特徴を生かしてこの新地図というものがつくられている。これはまあよく言われますが、新全総といいますか、新全国総合開発計画というようなものとタイアップした農業版だろうと私は思います。で、こういったものが、たとえば新全国総合開発計画というようなものが経済企画庁あたりでつくられておりますが、こういわゆる新全総と一般に呼んでいますが、こういうのが一体農業版として内容的に適切であるかどうかということでありますが、これはまあいままでの過去の農業生産のそれぞれの特色というものを考えて一応そういうぐあいな地図をつくってみて、これは米の生産調整の場合の一つのファクターになっているわけですね、新地図というのは。で、それに一定のウエートをかけてあの生産調整というものが行なわれているわけでありますが、で、まあ事実これはもう農政の中で生かされて使われている農業の全国的な地域的な配置だと思います。まあこれは必然的にこの考え方というのは、農業の組織化あるいはシステム化、装置化というような考え方と非常に密接な関係を持っているのがこの計画だと思います。まあいわゆる農業のシステム化あるいは装置化ということは、まあ一方ではこれに対する批判としては、いわゆる農業の中央統制化というような危険性が非常にあるのだということが当時すぐ批判として出てまいりましたが、これはやり方によっては確かにそういうことがあり得るということはまあ当然であります。それから、このいわゆる農業というのは、工業生産と違いまして、自然的な条件というのが非常にむずかしい問題であります。土壌にしましても、気象条件というようなことに関しましても、それが一体、このいわゆるコンピューターではじき出した完全なシステム化あるいは装置化によって、一体農業というのは行なえるのかどうか、こういう点も若干疑問がありますけれども、まあとにかく新地図というのはそういう観点からつくられた地図だと私は承知しております。まああるいは説明がはなはだ不十分であるかと思いますが……。 それから、大豆の輸入量というのは、残念ながら私はいまここに数字を持ってきておりませんので、正確に申し上げることはできませんが、これは調べればすぐ出てまいります。年次ごとの大豆の輸入量というのは増大傾向にあるということは明らかでありますが、どれぐらい輸入されているか、それは、相手国は主としてこれはアメリカであります。 それから、米の自由化は二年後になってはという話の問題ですが、これはまあ朝日にこの記事は出ていたわけで、それは商社が一般的に言われている、口で言われていることとして、商社の間では米の自由化は二年後には必ずくるのだと、そういうことが一つの合いことばになっているというような表現で出ておりまして、私はそれをちょっと見たわけであります。で、商社側がどういう根拠によってそういうことを言っているのか、そこまでは私突きとめておりません。 それから、農業と工業の一体化という問題でありますが、これは兼業化の問題としてどう考えるかということでありますか。
○杉原一雄君 経済がダウンしていますね、そういう状況の中でいまこういう計画を推進するということは相当の力がね……。
○公述人(秦玄龍君) これも現在の日本の経済のいわゆる景気というものが、一番最短で考えても、ことしの秋以降にならないとこれが上昇傾向には向かわないだろうというようなことがよくいわれていますが、これはまあ景気の動きというのはここで私は説明すべき問題じゃないと思いますが、この農工一体化がこれによってどの程度の影響を受けるかという問題が一つあると思います。これは場合によっては、いわゆる労賃のコストというものを会社ができるだけ安上がりにやっていこうと考えるならば、おそらくこういうことは一つの景気の不況を乗り越えていく一つの方策としては考えられ得ることだと私は考えます。まあ、それだけ安上がりに、コストが安くつくということは確かでありますので、ただ、これが大企業は一体農村に行くか、私はいままでの傾向を見てみますと、むしろ中小企業が出て行くんではないか。中小企業が無規則に、無制限にといいますか、何らの法的な制約を受けないでかりに進出をするとすれば、その被害というのはむしろ大企業が進んで行くよりもっといろんな問題が出てくるのじゃなかろうかと私は考えています。これは、私、埼玉県に住んでいて、あの沿線に非常に中小企業がでたらめにあちこちに出てきておりますが、そのための被害というのはきわめて大きいものがあるわけで、ああいう状況でかりに農村地域に入り込んでいくと、これはたいへんな問題になりかねないと私は思うわけで、まあ、大企業のほうはそういう点ではかなり大きい面積を確保していくという形になって、むしろ耕地をそういう工場敷地に変える場合にはむしろ計画的にある意味では行ない得ると思うのですが、ただしかし、労働賃金の問題になると、それは大企業でも中小企業でもそれは変わりない。やはり同じような使い方をするだろうというぐあいに考えます。もし中小企業がまず進んで行くとなると、これは急激に一体この経過が進むかどうかちょっと考えざるを得ないと思うので、ちょうど景気が下降状況にあるわけですから、そういう大ざっぱなことは考えておりますが、どこまでこれが実現できるのか、私は危惧の念を抱いているわけであります。
○竹田四郎君 公述人にお伺いしたいのですが、今年度の生産者米価のあり方なんですけれども、いま、米の自由化が二年後に出てくるというようなお話もあったんですが、そういうものと非常に関連があると思いますが、今年度の生産者米価のあり方というのはどうあるべきなのか。これは賃金も上がってきておりますし、物価も上がってきておりますので、はたしていままでの生産者米価でいいのかどうか。それと米の自由化というものはかなり密接な関係がある。 それから第二点は、私この間、比較的農村的なある地域へちょっと寄ってみました。そこには新しく東名道路なんかが入りまして、新しく小さな工業が入ってきている地域なんですが、その地域のお医者さんなんかに会いますと、非常に問題点は、そういう地域では農村の子供の保健というものが最近非常に体位が下がってきたということを心配しておりましたが、特にパートタイマーというような形で工場にかり出されますから、結局、朝晩の食事というのがどうしてもインスタントなものを使うというようなことで体位が下がってきている。しかし、これはまあ全国的な情勢なのかどうなのか私はわからないというお話でありましたけれども、そういう面は一体どうなのか。その辺についてもおわかりいただけたら教えていただきたいと思います。
○公述人(秦玄龍君) まず第一に、この本年度の米の生産者米価ということでありますが、これは一般的な物価が上昇しているときに米が据え置きにされるとなると、これはだれが考えても、むしろ据え置きでなくして米価の引き下げ、実質的には引き下げになるわけでありまして、ことしのこの一般消費者物価の上昇ということを考えてみますと、据え置きでなくしてこれは実質的なむしろ引き下げだというぐあいにしか私たちは考えておりません。そういう意味では農家にとってははなはだ不本意だろう。当然のことだと思います。 それから第二点の、農村における子供の保健の問題でありますが、これも私たちはよく集まりをして、地方からもよく参加してこられるのですけれども、そこのやはり工場進出その他による報告というのはちょいちょい出てきますが、いまおっしゃったとおり、いままではうちにいた母親自体が最近は小さな旋盤をうちの中に持ち込んで部品をつくっていくというようなそういう仕事、しかも、低賃金で出来高払いでありますので、食事どきになってもパンをかじりながら旋盤を回すというような実態がほうぼうで報告が出ております。これは当然に子供の育児、保健ということはないがしろにされる。そこから不良化の問題、それから、いまおっしゃった保健の問題、こういうことが農村、これは都市だけではなくして、かなり農村地域に新しい問題として広がりつつあるという報告。中には、非常に深刻なケースまで出てきている。それから夫婦別れということがしばしばここで起こっているのでありますが、こういう問題がだんだん農村でそういう家庭工業的なものが持ち込まれるに従って非常に広範に広がりつつあるということ、それと、もちろん子供の問題も出てきております。おっしゃるとおりであります。それで、これは私たちが聞きました報告は、鹿児島というのはそういう工業的な影響はあまりないかと思っていたが、こういうところにけっこうそういうケースが盛んに農村部で出てきているとか、まだへんぴなところであまり工業とは関係のないようなところに逆にそういう下請的な家内工業的に持ち込まれた問題が非常に多いようであります。まあ、東北あたりでは、それはもちろん前からかなり出ておりますが、そういうことだと思います。
○塩出啓典君 ちょっと先生にお伺いしたいのですが、林業の問題で、ちょっときょうのお話の内容とは違うわけですが、まあ、将来の水資源対策とかあるいは洪水調節とか、そういう観点から、国土の三分の二を占める林業の使命は非常に重いと思うのですが、ところが、だんだん山村地帯は非常に人手不足になって、今後そういう林業経営も非常に困難になってくるのじゃないかと思うのですが、そういう点で、私は現在の国の施策というのはもう少しやはり強化していかなきゃならないのじゃないかと、そういうことを感じているわけですが、そういう点について、将来の林業のあるべき姿とか、そういうものについて何か御意見があればお伺いしたいと思います。
○公述人(秦玄龍君) 私、きょうは林業、水産業というのは全然触れなかったのでありますが、私は、県の林業構造改善対策委員をやっているので、若干は知識があるので、どの程度お答えになりますかわかりませんけれども、申し上げますと、林業の問題では、これも決定的な問題は労働力不足だと私は思うのです。その対策として、林業経営の合理化ということが当然出てくるんですけれども、この構造改善、林業の合理的な構造改善というのは、つまり林業経営の一つは機械化でありますね。こういうことが、まあ、私たちよく構造改善計画なんか出てきているのを見ましても、やっぱり予算的に十分な手当てがまだできる段階に達していません。そういうことで、出された要求というのが大きくなたをふるわれて削減されていくというようなことが、この構造改善というのが積極的に、私たち委員をやっていまして、思うとおりになかなか進まない点があるようでありますし、労働力の確保というのがまた一方では非常にむずかしい問題で、ことに山村地域は労働力がどんどん外に流れていっておりますから、この対策をどうしたらいいか。また必然的に林業経営の合理化でカバーをしていくということになるでしょうけれども、それのほうの予算的な措置というのが十分でないと、現状ではやっぱり林業経営というのはかなり粗放化するおそれがある、まあそういうぐあいに考えております。 もう一つは林道ですね、林道をもっと徹底的に開いて、林産物の運び出し、あるいはそこへ行って作業する場合の非常に能率があがるようなそういう林道をもっと合理的にどんどんつくっていかなくては、林業経営というのは非常にむずかしいんじゃなかろうかと、こういうぐあいに考えております。まあ個々の具体的な、たとえば林道をどこからどこまでつけるかというようなことは一応別にしまして、ごく大ざっぱには、林業労働者労働力の確保の問題と、それから林業経営の機械化、これが必ずしも現在は十分に行なわれていない。で、そこから林業経営の粗放化ということが一方ではかなり進んでいるようで、できるだけ林業、比較的これは置き去りにされている面ですが、国あるいは地方自治体自体で、林業経営の合理化のためにもう少し積極的に手を加えないと、山がだんだんだめになっていくんではなかろうかという気がいたしますですね。 まあ、ちょっとその程度のことでがまんしていただきたいと思います。
○小山邦太郎君 全然しろうとの質問でございますが、いま先生のお話を伺うと、だんだん兼営農家がふえてしまう、これは非常に憂うべきことだというふうなおことばだったんですが、地方地方によって違いましょうけれども、起伏の多いところ、あるいは山地、山間地などでは段々畑、こういうところに大規模経営をやれったってできないですね。そうかといって、土地を離れて純然たる農村の人が労働者になっちゃっていいか。私はむしろ兼営農業をいいあんばいに指導するということが、地方によっては大事な問題じゃないか。生活の上にはもっと高賃金でいけるほうに乗り出し、技術を養う。さればといって、労働時間はだんだん短縮します。一週間に一日の休みが二日になるということになると、この余剰をレジャーに、あちらへ遊び、こちらへ遊びしているのを、むしろ自分が狭い土地を持っておって、土に親しむということですね。しかも昔から農家であるという歴史的な関係もあるから、それを守りながら、わずかに一週間のうちの二日ぐらいをそういう方面に利用して、そうして、うまく精神的にもまた肉体的にも調和のとれた——片寄った一つの工業、あるいは技術面、あるいはもしくは事務屋として働いて収入は得ている、それだけではいけない。土地と親しむということは、何も山に遊び、川に遊ぶばかりではない。自分の狭い土地を耕していくというようなことで、それだけでは生活はできないが、生活の補いというよりは、むしろ農家とはいっても、収入の半分以上が工業方面から入っておっても、私は兼営農家をむしろいいあんばいに指導していくことが、これが今後大事な問題ではないかと、こんなようにも思っておるんです。単純なただ労働者になっちゃう、技術者になるということの意義が、週に二日間も休みがあるようになれば、この余剰労力というか、レジャーをむしろその方面に有効に使うということになれば非常によいんじゃないかと、こんなようにも思うんで、とにかくたいへんな転換期にきておるから、従来の頭だけではいかぬ、そこに、いまの先生のおっしゃる予算的にも十分なものをもってやっぱり指導していかなけりゃならぬじゃないかというような考えを、いま伺いながら、兼営農家、私はむしろ兼営農家を奨励すべき地方もあってしかるべきだと、こんなように逆に考えたものですから、お尋ねいたします。
○公述人(秦玄龍君) いまの御質問、御意見でありますが、私、兼業農家が一がいに悪いとは申しません。いまの私が陳述したところでは、何かそういうように聞こえたかもわかりませんが、これは新しい企業が入り込んできた場合の、その周辺の農村のことについて一応考えてものを言っているわけでありますが、たとえば都会に住んでおる者が、土曜、日曜、近郊に行って農業をやってくる、そういう一つの農業がありますが、これはやっぱりレジャーを楽しむ、あるいは自然に親しむというような観点から、そういう農業を最近ぼちぼちやる人がかなり出てきていると思うんですが、これがいわゆる農業と言えるのかどうか。これ、ちょっと問題ですが、農村におけるそういう兼業農家のあり方というのは、これは最低限の要求としては自家用の食糧を確保するということ、で、兼業で得る賃金だけでは食っていけない、その不足がちな兼業収入と、それから最低の食糧部分を確保して、自分の生活を支えていく、こういう私は兼業だと思うんです、農村の兼業は。したがって、それはいわゆる食糧の確保、最低限の食糧の確保ということがありまして、そこでのたとえば兼業農家が行なっている農業の近代化とか合理化、そういうことよりも、とにかく、何はともあれ食糧分だけは確保していくという農業生産であると思うんです。それは主としていままでは主婦が行なっていたわけですね。刈り入れだとかそういう場合には、いわゆるほんとの農繁期には、だんなさんも何日か休んで手伝ったかもわかりませんが、ほとんど大部分は、これは農村へちょっと行かれればすぐわかるんですが、たんぼに出てるのはほとんど女だけなんですね。あるいはじいちゃんかばあちゃんかという形であります。そういう農業というのは、いわゆる農業の近代化とか農業の合理化とはおよそかけ離れた農業を行なっております。で、生産性も非常に低いわけであります。それが、たとえば工業が農村の現地に大規模なものが入ってきて、周辺の農村から非常にたくさんの労働力がそこに吸収されるというようなことになりますと、地価は当然にどんどん上がっていきます、これは何らかの法的な措置が行なわれない限りは。それから小作料というのももちろんそれにつれて上がっていきます。そういう場合に私が心配しますのは、そうでなければ自分が十ヘクタールぐらい借りたり買い集めたりして、兼営の農家で専業的に大きな農業をやりたいと考えておる人でも、地価が上がったり小作料が上がると、一体、そういう土地を借りたり買ったりして農業経営を行なってペイするかどうかということにまず何といっても疑問を抱くと思うんです。事実、最近は、いままで請負耕作をやっていた人が、三万円の地代あるいは三万五千円の地代を要求されると、もう投げ出しております。せっかくでき上がったそういう大規模経営、請負耕作というような形で行なっていった農業がくずれていっているところがかなりあるわけなんですね。そういう状況で、小作料の値上がりとかあるいは地価の暴騰というのを法的に何か阻止する法律ができれば別でありますが、そうでない限りは、せっかく大規模経営をやろうと思っている人でも、事実上できなくなるんじゃないかということを心配するわけであります。 それから、その周辺の兼業経営と、農業の兼業農家というのは、これは私は決して悪いとは申しませんが、しかしそこから農業生産力の上昇ということは私は実際的には期待できないということを考えるわけです。うっかりすると大規模経営も成立しないとすれば、周辺農村というのは総兼業化してしまう。生産力も落ちます、そうなると。そうすると、一体日本農業としてそういう形態が一体いいのかどうか。こういう観点から私は考えてものを言ったわけでありますが、それが阻止されればこれにこしたことはないし、自立経営農家、大きな経営規模の農家があれば、そこで成立し得るならこれはりっぱなことだと思うのですが、その点、よほど、政策的にも、予算的な裏づけというような面から見ましても、もっともっと慎重に考えてもらいたいということなんであります。
○鈴木一弘君 私も先生と同じく埼玉にいるんですけれども、非常に農地のスプロール化が進んでしまいまして、そのために今回は調整区域と市街化区域を分ける、そういうことで一たんその方式ができるかと思うのですけれども、現実にいままでのを見ておりますと、農耕地としてずっとたんぼを続けていきたいと二年も三年も四年もがんばっても、周辺に住宅がどんどんできてくる。その下水道の排水でございますが、それがどうしても用水に入ってくる。そのために稲の倒伏が起きて、もうがまんができなくなって、それがそのまま放置をされて、結局市街化区域というふうになってきた。これが一つの私は現象だろうと思う。 それで、これから先の心配は、調整区域と市街化区域の境目の問題——どうしても境目のところではいまのような問題が私は同じくずっと繰り返されていく。せっかくの線引きをしても、効果はなかったということになりますし、大規模の公団等が入ってその用水の排水の問題、こういうことがやはり同じような現象をもたらしてくるだろう。それでは、本来の農家としてずっと経営を続けていきたいとがんばっていた者がみな倒されていくということが起きてくるわけであります。実際の農地としての農業の経営ができなくなるということが出てきているわけであります。そういう点についてのお考えでございますけれども、伺いたいと思います。
○公述人(秦玄龍君) 御承知のように、新都市計画法による市街化区域と調整区域の問題、これは、ことに東京近郊なんかにおいてはかなり大きな問題だと思うのですが、というのは、市街化区域が極端に膨脹しておりまして、農地というのはだんだん片すみのほうに追いやられていく。全般的にそういう印象を深く受けるわけで、問題は調整区域、これは早晩ことに東京周辺では調整区域というのは数年ならずして市街化区域にいっそ入れてしまわなくちゃ処理がつかないというような事態に進んでくるのではないかと私は思うのでありますが、調整区域はいまおっしゃったように、私もよく見ているのでわかるのですが、入ってくるのは、ことに埼玉県の場合には、東北本線沿線は比較的大規模の企業が入ってきますが、浅草から出ている電車の沿線、それから逆のほうというようなところは、比較的中小企業、それもむしろ零細企業があそこにはかなり入り込んできて、非常に虫食い状態ができてきて、私もあそこで実態調査を二回ほどやった経験がありますが、全く処置なしという状況が出てきております。市街化区域で、一体それがどういうぐあいに整理されるか、交通整理ができるかわかりませんけれども、むしろ市街化区域よりも今後大きな迷惑を受け被害が多く出てくるのは、私は調整区域だろうと思うのです。そういう意味から、調整区域は、土地については農民もちょっと手がつけられないというような状況ではなかろうか。放置していればもっとひどい状況になってくるというので、ことに東京周辺のそういう調整区域というのは、御意見のとおり、非常に私は問題のところだというぐあいに考えます。これに対して、農林省あたりでも、もう少し実態をよく調査なすって、打つべき手をいまのうちにはっきり打っておくということが私はことに首都圏地域では非常に必要なことであり、農家も一体農業をどうしていいのかだんだんわからなくなって、農家自体が農業を放棄せざるを得ないような状況に追い込まれてしまうというのが私は実態だろうと思います。で、調整区域というのは、全く一体どうしてくれるのだと農家は言いたいところだろうと思いますが、そういう感じを強く持っております。
○小林国司君 先生にちょっとお尋ねしたいと思います。 農業構造改善事業が、第一次が去年、四十五年度で終わりまして、ことしから第二次事業に入ります。この構造改善事業の進め方の内容について先生の御所見をお伺いしたいと思います。 それから二番目は、学者さんの中で農業の国際分業論をお唱えになる方がいろいろございますが、非常に広範な問題で、解明がなかなかむずかしいと思いますが、端的に簡潔に先生のお考えをお伺いしたい。 この二点をお願い申し上げます。
○公述人(秦玄龍君) 最初に構造改善の問題でありますが、これは第一次の構造改善が、人によってはいろいろ評価があるでしょうが、一方では失敗をしたというような評価があります。これはつまりどういう点がそういうぐあいに評価されているかと申しますと、構造改善の対象地域の具体的な条件というものに適応した改善事業を行なわないで、上から、セットでつくられたそういう構造改善を上からむしろ押しつけるような形で構造改善が行なわれる。そこで、たとえば、この地域では何にしろ、作目は何と何というぐあいにあらかじめ上からきめて、それに従って構造改善をやらせるとか、地域農民のそういう具体的な要望だとか、それから実際的な状況、農業生産の諸条件、そういうものとマッチしたようなそういう構造改善事業ではなくして、どちらかというと、上から、ワンセットで、構造改善事業が、地域的な特性をあまり考えないで押しつけられてくるというようなところに、いわゆる官庁仕事の画一性というようなことが私は第一次構造改善の失敗の大きな原因だったと思うのです。今度の場合に、それが全然改められて、いわゆるその構造改善対象地域の特殊性というもの、あるいは農民の要望というものを徹底的にくみ上げて、そこで間違っているところははっきりとアドバイスしてやってつくり上げられた構造改善計画であるならば、私はこれは非常に効果的だと思いますが、いわゆる官庁的な考え方で上から押しつけて画一的にまた同じようなことをやるというようなことがかりになされると、これは何度やっても同じことだろうと私は存じます。そういう意味で、今度の構造改善事業というようなことが、これは農振法によってきめられた地域が主たる対象になるわけでありますから、そこでまた二度目の失敗を繰り返すことがないように、やはり慎重に、具体的な農業生産の諸条件あるいは地元農民の希望なりそういうことにマッチした構造改善事業をぜひやっていただきたいと私は思います。 これは農林予算の中では非常に大きなウエートを占めている予算面でも事業でありますので、それだけに、私は今度は慎重に、ほんとうに日本農業の発展の基盤になるようなそういう構造改善事業というのをぜひ進めていただきたい。 それから、第一次構造改善事業の中には、たとえば排水事業だとかそういうのをやったのが、いつかだんだん都市化してきて、それがむしろ農業のためじゃなくて都市のために使われていく、そういうケースがかなり出てきておりまして、そういうことはちょっと困るわけで、そういうこともよく考慮に入れられて、ことに工場がそういう農村に入ってくるような政策が一方では進められるわけですが、企業のための構造改善事業か農業のための構造改善事業かわからないようなことになりかねないと思うのです。農道の整備なんてやった場合にはですね。こういう点も、よほど、農工の一体化なんというようなこととのからまり合いでも、私は構造改善事業というのはしっかり考えてやっていただきたいという考えを持っています。 それから国際分業という御質問でありますが、私はやっぱり日本の場合には、いわゆる日本に適した農業生産と、あるいは農業生産物というものがあって、これは自然を相手にしている農業でありますからそういうのがあります。それは同じ日本の中でも地域的な分業関係というのはおのずから成立しているわけでありますね。米なんというのは全国的にできていますけれども、たとえばどこが非常にリンゴがたくさん主産地であるとか、そういうのはおのずからでき上がっていっているわけで、国際的に考えましても、日本はアメリカの農業とはやっぱり違うわけで、生産対象は。それからたとえば東南アジアともまた違っている。日本での農業というのはそういう農業。それが固定的と考えるのは、私は必ずしも賛成できないんで、農業の生産技術というものが進めば進むほど、ある程度その分業というのは修正される点は出てくると思うのですね。いままで米がつくれなかったところでも、つくれるようになるとか、そういう問題は出てくるでしょうし、あるいはこの限界地区というものが、生産の限界地がもっと広がる。あるいはその逆のことさえ出てくると思いますが、ある程度やはりしかし国際的なそういう分業というのは、私は自然を相手にして、それぞれの国が自然的条件が違っている以上は、そういう分業というのはおのずからある程度は出てくると私はこういうぐあいに考えています。
○委員長(古池信三君) 他に御発言もないようですから、質疑はこの程度にいたします。 公述人の方に申し上げます。長時間にわたり御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手) 午後一時再開することとし、暫時休憩いたします。 午前十一時四十二分休憩 —————・————— 午後一時六分開会
○委員長(古池信三君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。 午前に引き続き、午後はお二人の公述人の方に御出席を願っております。 昭和四十六年度総予算について御意見をお伺いいたします前に、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は御多忙中にもかかわりませず、本委員会のため御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。 それでは、委員会の議事の進め方について申し上げます。お一人三十分程度、順次公述人の方から御意見をお述べいただいた後、委員の御質疑のある場合お答えを願いたいと存じます。 それではこれより御意見をお述べいただきます。まず、宇田川公述人にお願いいたします。(拍手)
○公述人(宇田川璋仁君) 御紹介にあずかりました宇田川でございます。予算は多方面にわたっておりますが、時間の関係もございまして、私は主として税制の側面から問題点を指摘してみたいと思います。話の順序といたしまして、まず事実について簡単に触れまして、それからそれについて私の評価を下してみたいと、こう思います。 まず事実の第一として、これはもうよく知られていることと思いますが、ことしは減税の程度が昭和四十年以来最低であるということであります。その最低と言いましたが、実は四十三年度が減税の度合いが低かった。これは昭和四十三年度予算が公債依存度を引き下げるということを至上命題といたしましたために、減税が低かったわけでありますが、四十三年度を除きますと来年度が最低でございます。ちょっと数値を申しますと、一般会計、国税について、自然増収に対する初年度の減税割合、これは九・三%、昭和四十年が一七・五、四十一年はこれは不況対策のフィスカルポリシーのために実に一七五・六%という大きな減税割合、四十二年が一〇・九、四十三年が先ほど申し上げましたような理由で五・八、四十四年が一二・六、四十五年が一二・八、来年が九・三、こういうわけで、ここ五、六年のうち、かなり低い減税割合である。さらに自然増収に対する今度は所得税の減税割合を見ましてもこれも一一・一と、これは四十三年度と並んで最低であります。それから、所得税に関する自然増収、つまり所得税という一つの税目で自然増収をあげる、そのうちの減税割合はこれは二四%、これもここ五、六年、四十年度以降最低であります。これは事実として、昭和四十六年度予算はここ数年間最低の減税割合である。それじゃ、その税の伸びはどちらに使ったか、公債発行額は当初予算については一定、前年度と同じということになっておりますから、結局歳出に回ったということです。歳出の割合を見ますと、伸び率を見ますと一八・四%、これは昭和四十一年度の一九・八%に次いで最高であります。つまり、昭和四十一年度は、これは景気対策として大いに歳出を、公債をたしか八千億という金額を計上して不況対策に乗り出した年でありますが、それに次いで高い、こういうわけで、事実問題として来年度予算は減税を押えて歳出に振り向けているというタイプをとっているということが事実であります。 それから、第三の事実といたしまして、減税も所得税について行なわれたわけですが、その減税方式は課税最低限の引き上げという形をとっております。つまり、ことしの租税の変更は所得税について課税最低限の引き上げと、それから自動車重量税の創設という二つがあるわけですが、自動車重量税については、ここでは触れません。所得税についてこれも減税しないわけにはいかない。幾ばくか減税しよう、ただし、その方式は諸控除の引き上げである、そういう減税が行なわれたというのが第三の事実であります。そこで、その事実をもう少し事実と見るためには、少しその数値を操作してみる必要があります。私は次のように考えて、その事実をもう少しはっきりさしてみようと思いました。 まず第一は、税法は貨幣錯覚を持つということであります。つまり、税法の予定している金額は全部ノミナルである。それを少ししゃれて貨幣錯覚を持つということが言えると思いますが、したがって、実際の減税の度合いを見るためには、それをリアルタームに、つまり物価上昇分を打ち消して、あるいは物価上昇分についてデフレートしてみないと減税の真の大きさはわからないと思います。私は、四十四年度、四十五年度二年度にわたって行なわれた税率の手直しについて非常に精緻に、こまかにこれをつくったわけですが、これはたしか長期税制のその前の中間答申ですか、それに基づいてかなりある種のビジョンをもって税率を手直ししたはずでありますが、それについて私はかねがね物価上昇過程についてはあぶなっかしい税率の手直しであるというふうに思っておりました。そこで、そういう租税、所得税構造、所得税システムの真の役割りを見るために、先ほど申しましたように、リアルタームに直すために予想される物価水準でデフレートいたしました。経済見通しによりますと、これはおそらくアンダーエスチメートであるかとも思いますが、昭和四十五年度から昭和四十六年度にかけて五・五%の物価上昇を予定されております。したがって、課税最低限の金額、それから税率の刻み、間隔、これも全部五・五%についてデフレー卜してみました。ちょっとゆうべぱちぱちと計算してみたんですが、これは当然予想されることでありますが、そういたしますと次のような事実が見出されます。 夫婦子三人では、まあこまかな限界税率、十、十二、十四、十五と、こう切っているわけですが、限界税率が二四%程度からは増税になります。つまり負担率がかえって上昇するということになります。私はこの税が増税になる、あるいは減税になるというのを次のように考えます。実質所得がふえていく場合、税負担がふえるのはこれは増税ではない。実質所得が一定であるのに税負担がふえる、これは増税以外の何ものでもない。そういたしますと、ことしの所得税は限界税率二四%ぐらいから増税であります。こういう事実はつまりリアルタームに直してみてはっきりする。これは夫婦子三人についてそういうことでありますが、そのほか夫婦もの、あるいは独身者についてみれば、おそらくもっと早い限界税率の段階から増税になるのではないかというふうになります。つまり、それが、これは事実であります。 以上のような事実をもとにして幾つかの評価を下してみたいと思いますが、まず第一に、毎年いかなる事情があれ所得税減税は行なわれております。またそれだけの十分な根拠があると思いますが、ただ私は所得税を扱うときに、一般所得税の減税ルールというものをはっきりと確認しておかなければいけないと思います。物価上昇過程では減税ルールは決して課税最低限の引き上げだけではいけないということです。課税最低限と税率とは別々に分離できないものである。昭和四十四年度、四十五年度に手直しした所得税率の刻みは昭和四十四年度、四十五年度の課税最低限に見合ってそうして存在意義があった。つまり一定のある課税最低限がある。そこまでは無税である。それから税負担はかくかくの傾斜であるべきだというのが、つまり両方組になって所得税というものは意義があるわけで、それを別個に、今度課税最低限を上げた、こっちを手直ししない、ということは、物価上昇期においてそのゆがみを変えるということです。したがって昭和四十四年度、四十五年度当時に合理的と考えられていた税率刻みは昭和四十六年度においては不合理である。つまり、切り離すことはできないわけです。それを切り離そうとする、切り離した減税を行なっているというところに、先ほど申し上げました増税という、そういう結果を生じているわけであります。 ただ、課税最低限にのみ手をつけるということは、メリットはあるのです。そのメリットは何かというと、減税の度合いを一番低い層に集中するという意義です。ですからそれがメリット、同時にデメリットにもなっているわけで、つまり納税者については負担率を変えている、昭和四十四年度、四十五年度当時の負担率を変えている。そういう意味で、したがってこれについて昭和四十四年度、四十五年度の負担率の上がりぐあいがいけないんであるならば、今日のような、直したのもそれも意味がある。しかし四十四年、四十五年度のあの負担の傾斜はいいんだということになりますと、じゃあ、どうして四十六年にそれを変えたんだと、そういう問題が起こるわけで、一般的に言えば、所得税減税ルールは、課税最低限、税率きざみ、これは分離できないということが言えるかと思います。それが第一。 それから第二に、ことしの予算は、先ほども言いましたように、歳出を伸ばし減税を相対的に押えるという、そういう仕組みを持っておりますが、これは、いわば政府サービスをふやすにあたっては、国民の負担を求めるという趣旨だろうと思いますが、その方向については私は異論がありません。しかし問題は、だんだんと税金の負担をふやしていくという場合、その場合、その負担の度合いがやはり十分に合理的、公平、妥当というものでなければならないと思うわけです。つまり、高所得者は高所得者なりにまた税負担率がふえていく、低所得者は低所得者なりに応じてふえていく、つまり、そういうある型の坂道を、こういう傾きを持っているけれども、その傾きが変わらないで、あるいは少し手直しをしたとしても、それがそのまま上へ上がっていく、だからそれぞれの分野について高くなっていくというのが高福祉、高負担の精神であると思いますが、しかし、わが国の税制は、実はそういうシステムになっていない。大きく見ますと、いわば資産所得は比例税、法人所得比例税、個人所得税累進と、こういう仕組みを持っている。したがって、このまま税負担率を上げるということは、その不合理といいますか、公平という面から見て非常におかしなものになるということはもうあたりまえであると思います。じゃあ、その資産所得のほうは、もうすでにこれは昭和五十年まで手をつけないという、昨年いろいろ時期がきたときにそういうことになりまして、昭和四十八、四十九、五十年と五%ぐらいある種の源泉分離税率は上がりますけれども、しかしその程度であって、昭和五十年度まではこれを、源泉分離、あるいは少額貯蓄は税金かかりませんけれども、それ以上のものは源泉分離という形でこれは手をつけない。 それからもう一つの資産所得にはキャピタルゲインがあります。利子と所得は先ほど言ったようなもの、もう一つの資産所得としては譲渡所得というものがありますが、これについては、昨年の土地税制でこれもまた源泉分離というそういうシステムをとっている。だから資産から出てくるような所得、キャピタルゲインを含めてこれは全く比例税、アーンドインカムのみ累進という形をとります。その中で高福祉、高負担を求めていくということがいいのかどうかというのは非常に大きな問題だろうと思います。ここ数年確かに給与所得中心の減税が行なわれてきておりますけれども、給与所得者については負担率は上がってきております。ちょっと数値を申し上げますと、昭和四十一年度にこれは先ほどの不景気政策として減税を大幅にやったことによってがくんと下がりました。これが四・一一%、つまり給与所得者の所得に対する税額、それが四十二年が三・九一と下がり、四十三年が三・九五と、ここから上がり出して、四十四年が四・一七、おそらく四十五年も——いま数値はまだ四十五年とれませんが——上がってきている。四十六年もそうだろう。そういうわけで、給与所得についてはこれは税制の仕組みからして当然上がる、比例税というものは上がるわけがないわけです。そういうようなアンバランスの体制のままで今後減税なりあるいは歳出をどうやっていくかということが大きな問題だろうと思います。 まあこまかなことは省きまして、これに対する答えは二つしかないと思います。もうそういうかなり重要な税源、所得形態については、比例税ならば、思い切って給与所得関係みたいなものを比例税にしたらどうか。——これは乱暴な表現かもしれませんが、実はそういう動きがあるわけです。それが間接税化だと思います。間接税を導入するということは、とりもなおさずそういう比例税体系をとる、そういうのが答えの一つ。それからもう一つの答えは、そういう一国税体系を比例税システムでやるのはけしからぬ。それではそもそも財政の任務である経済の安定と、それから資源を民間と政府がうまく使うということとそれから政府は再分配をしなければならないという、財政の三つの任務の一本の大きな柱、再分配がごっそりと抜けてしまう。それは避くべきじゃないと言うのならば、答えはもう一つ、所得税を真の累進税として再建するというこの二つしかないわけで、これをどのように選ぶか、国民の多くが、結局一種の価値判断が入っておりますから、国民がどう選ぶかということによるわけですが、まあそういう大きな方向として二つの間の選択を迫られている。片っ方は再分配の放棄、片っ方はそれの重視、まあどういうことになりますか、私どもは注目していきたいと思います。 少し時間の関係で急ぎましたが、これにて終わらせていただきたいと思います。(拍手)
○委員長(古池信三君) どうもありがとうございました。 それではただいまの公述人の御発言に対しまして御質疑のある方は、順次御発言を願います。
○塩見俊二君 私、たいへんおくれて参りまして、先生の最後のお話しか伺っていないわけでありまして、まことに恐縮に在ずる次第でございますが、最後の御発言の中に、非常に重大な税制の基本に関する問題が含まれておると思いますので、その点につきまして先生のお考えをお伺いいたしたいと思います。 いまの給与所得を比例税率に置きかえていくというような御発言であったように存ずるわけであります。それで、ほんとうに税の公平な負担を考える場合に、あらゆる所得をすべて対等の条件で考えてそれを総合的に比例税率にするということは、これは私は税制の一つの基本だと私自身も考えております。その点におきましては、アメリカやヨーロッパの諸国よりも日本の税制のほうが今日までしっかりしておったというふうに考えておるわけでありますけれども、しかし、その間にいろいろな経過を得て、あるいは租税特別措置法も含めて、もう比例税制というものが多少くずれておるというような現状ではないかと思うわけです。その点で、いまお話を十分にお伺いしておりませんので、もっと詳しくお伺いしなければわからぬかと思いまするが、日本の税制の今後を考える場合において、比例税制を徹底して行なうべきか、あるいは多少なり源泉課税などというような問題を洗い直して、それぞれ特殊の所得については特殊の税制を考えていくべきか、あるいは比例税制を徹底していくべきかというような基本的な考え方について、先生の御意見をひとつお伺いをしたいと思います。
○公述人(宇田川璋仁君) 最後に申し上げました間接税かあるいは累進所得税の再建かということは、これは二つのそういう間の道しかない。つまり、昭和五十年まで資産所得については手がつけられない状況であります。ならば、少なくもそれまではいまのままやっておくとすれば大きな矛盾を来たすので、できるだけ早い機会にそれにならってオール間接税にするか、あるいは、五十年まで手がつけられないのかどうか私はよく知りませんが、つけられるとすれば、いち早くつけて、まあ通常公平と言う場合は、おそらく比例税というようなものを公平とは呼んでいないんじゃないか。国民もきっと公平という考えをどうとるか、これもいわば価値判断で、必ずしも明確ではないと思いますけれども、常識的に考えて、公平というのは比例税じゃないんじゃないかということになると、もう一つの真の所得税再建への道を歩まねばならない、そういう選択しか答えはない。それについて、いわば基本的な考え方ですから、それについては、ロジックの問題ではないので、どういうものを公平と考えるかということを国民に問うて、そこで選択をしなければならないのじゃないかというふうに考えておるわけです。私自身は、まあここで意見を別に述べるのがいいかどうかわかりませんが、そういうメリット、デメリット、片や再分配という政策を放棄すると。そうすると、税金と社会保障という場合、要するに入るものと出るものと組み合わせて一国の福祉というものは成り立っている。それを、入るもののほうを放棄するということはどうだろうかというふうに考えます。これでお答えになったかどうかしりませんが、そういうふうに考えます。
○塩見俊二君 もう一問だけお聞きします。 この問題は非常にむずかしい問題で、理論的な問題、政策的な問題、あるいは税務署の徴税能力の問題、幾ら理論的に正しくても事実はそれに違反した姿で行なわれているというような問題、多多ありますので、なかなか一がいに結論を出すことは困難かと思いまするが、ただいま先生のおっしゃいました間接税というお話が出ましたけれども、この間接税というのは比例税と逆な性格を持っておると思います。すなわち、間接税というのは、たとえば砂糖消費税をとりましても、酒税をとりましても、あらゆる税金をとりましても、これは個人の租税負担能力とは別個にきわめて徴税しやすい財政的な財源としてはまことに便利な財源であるけれども、これは負担能力というものとは無関係に、徴税の便宜を主にしてつくられたのが私は間接税だと思います。そこで、要するに比例税の直接税と間接税をどう組み合わせるかということは、これは世界的な租税の体系を考え、あるいは実際の実行を考える場合に、基本的な問題だと思うわけでありまして、それで、それぞれの特質を十分に理解しながら、いまの現実の状況に当てはめて、比較的な公平、比較的な財政の豊かということを考えざるを得ないという妥協的な道しかないと思うわけですけれども、最近におきましては、日本の直接税の比率が大きい、間接税にもう少し重点を置かなければならぬというような議論も行なわれておるので、そのあたりの感覚も一言だけお伺いして私の質問を終わりたいと思いますが、直接税中心にいくか、間接税中心にいくかという点だけを一つお教えいただきたいと思います。
○公述人(宇田川璋仁君) 私のは、先ほど二つの方向へ、つまり、向かうべき方向のいわば極点にそういう方向があるということで申し上げたわけで、もちろんその間に多様なコンビネーションは可能であります。それが結局選ばれるであろうということも想像されますし、また、それが合理的であろうかとも思いますが、しかし、問題は、その精神、なぜこういうことをするのか、なぜそういうことをしないのかという精神とかあるいはその考え方は、やはりクリアーにしておかないといけないということで、二つの道筋ということをあえてはっきりと明示したわけでございます。
○竹田四郎君 先ほど先生が課税最低限の引き上げと税率の関係をおっしゃられたのですけれども、何か、先ほどのお話ですと、だいぶ緻密に計算をなされたというようなお話のように承ったわけです。今度の場合、課税最低限をあれだけの形に引き上げた場合に、税率のほうを具体的にどのように直していけばいいのか、その辺の具体的な税率のお話を承りたい。 それからもう一つは、いま問題になりました間接税かあるいは累進税の再建かというお話でありますが、間接税でやっていくとすれば、どういう形、どういう税金があるのか。いろいろ物品税だとか付加価値税だとかいわれておりますが、どういうものがあるか。 この二つの点を伺いたい。
○公述人(宇田川璋仁君) 精緻な計算でありませんで、ゆうべ一晩でちょこちょことやったわけですから、それほどのものではありませんが、要するに、やり方は、つまり去年を基準にして、実質所得というのは名目所得から物価水準というものを落としたものですから、そういう実質所得というもので税負担というものをやらないと、幾ら減税をしたからといってもどうもインチキが多いということでやってみたわけです。結局、問題は、こういうことなんです。去年あるいはおととし、そういう基準の年の税負担がいいというならば、それを物価上昇過程で維持するにはどうしたらいいかというその減税ルールは一義的に出てくる。それは、課税最低限を少なくとも物価上昇分だけは引き上げる。それから税率の刻み、つまり一〇%か二〇%かという税率は手直しをする必要はないのです。何万円から何万円までは一〇%であるというその幅をやはり広げればいい。それは、四十五年とそのまま同じ、何といいますか、税法、実質的な税法にするといえばそういうことです。そういうことがいいかどうか、これは別な判断ですね。昭和四十五年のやり方がいいならば、そういうふうにすればいいし、いや、四十五年のあの税の負担の状況というのはいけないんだと、いま考えてもやはり欠点がある、それでそれを直すというのならば、あるいは課税最低限だけの引き上げがあってもいいし、税率のほうの手直しがあってもいいと、そういう意味でばらばらにしてもいいのですけれども、そのばらばらにするのならば、なぜ昨年度はいけなかったのかということを明示しないと、われわれはことし一ぱいに減税をやったということだけでは、やはり問題があいまいにされている。さっき言ったような計算でむしろ増税になるということもあるわけですから、増税になっていいんだというということを明示してもらいたいというわけです。増税になっているという事実、それをカモフラージュして減税をすべてやったんだと言うのはいけないということでございます。 間接税化の方向ですが、そのほうに踏み切る決意がいろいろ段階があると思うのです。先ほどの二つのコースで、つまり、どうしても今日のようないろいろな各所得源泉から出てくる税を比例税その他で取っている、分離課税で取っていると、こういうことから見て、向かうべき道は、所得税の累進化という方向ではないということを放棄しなければならない、まず間接税から。だから、その前に、間接税がどれがいいかということを決意する前に、その放棄せざるを得ないということをやはり一般国民に明示しなければいけないのじゃないかと思うのですね。これだけだから所得税再建への道は放棄した、それで、じゃ間接税を選びますよ、選ぶにあたっては、じゃその中からベストを選ぼうじゃないかということになってくると、間接税というものは、個別消費税かあるいは一般税かというまず選択が行なわれるでしょうね。個別消費税というものには限度があって、これではとても間接税化の道はできない、あるいはまたいろいろ個別的な課税品目をつけ加えていくということについても非常に抵抗があるということになれば、よしそれでは一般化でいこう、一般化にあたっては、またさらにその中で、すべての取引に全部同じあるパーセンテージの税をかけるという行き方、及びその取引に全部かけると非常に取引が複雑になっていって、最終消費者のところにいくまでには何回も税をかぶっていくためにたいへんな税負担になるということならば、何かそこら辺で調整するということで、いわゆるEEC型の付加価値税だとか、あるいは一段階における売り上げ税だとか、いろいろくふうはあると思うのですけれども、まあそういうことも一つある。というわけで、間接税を選ぶにあたっても、一つ一つなぜ、なぜということを十分考えていかないといけないのじゃないかということです。
○羽生三七君 先ほどのお話の、課税最低限の引き上げだけでは不可と、税率の問題と言われましたが、その税率は引き下げるということでございますか。
○公述人(宇田川璋仁君) 引き下げるという意味は、ぼくの真意は、五%、一〇%という数値を変えなくても、広げるということでいいと思いますね。
○羽生三七君 そうしますと、そのほうでかりに減税になっても、今度はいまの間接税のほうは、先ほど塩見先生からお話があったように、これは所得には関係のない大衆課税ですから、そのほうで相殺されてしまって、プラス、マイナスその減税効果というものはなくなるのじゃないかと思うのですが、その点はどうなんですか。
○公述人(宇田川璋仁君) 私は、所得税減税ルールについて申し上げたわけで、別に所得税減税とそういう間接税の移行とをコンビにして考えているわけじゃないわけです。だからコンビにしないとすれば、こういうことになるわけですね、一般所得税を減税する、課税最低限引き上げ、それから税率手直しということになれば、その他を変えないということになれば、つまり自然増収はいまよりも多く減税のほうに向けられる、歳出のほうが減る、そこだけのまずワクの中で考えていくわけです。
○委員長(古池信三君) 他に御発言もないようですから、宇田川公述人に対する質疑はこの程度にいたします。 宇田川公述人に申し上げます。 長時間にわたり御意見をお述べいただき、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手) —————————————
○委員長(古池信三君) 次は、日向公述人に御意見をお述べいただくのでありますが、一言申し上げます。 本日は、御多忙中にもかかわらず、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。 それでは、直ちに御意見をお述べいただきたいと思います。(拍手)
○公述人(日向方斉君) 私、御指名にあずかりました日向でございます。 平素実務をやっておりますから、ここで諸先生方に御参考になるような意見が申し上げられますかどうか疑問でおりますが、御指名によりまして、平素私が産業人として考えておること、それに関連いたしまして予算等にも触れて意見を申し述べてみたいと思います。 まず第一に、昭和四十五年度のわが国の国民生産がざっと二千億ドルに達しましたことは、まことにけっこうでありますが、しかしながら、国民一人当たりの所得から見ますと、まだ千五百ドルでありまして、イギリスの千六百ドル余り、イタリアの千四百ドルはこえましたが、ドイツの二千四百ドル、フランスの二千三百ドルから比べますと相当の差があるのでありまして、かりにわが国の経済成長の速度がこれらの西欧諸国よりも年々五%多いと仮定いたしましても、ドイツ、フランスに追いつくためにはまだ十年前後かかるように思うのでありまして、私は、何とかしてやはり西欧一流国並みの国民所得に持っていきたいと、かように考えておるのであります。 さて、そういう考え方からわが国の経済にどういうことを望むかといいますと、まず第一は、輸出の拡大と輸出入の均衡であります。御承知のように、資源のない日本が経済成長を遂げようとするならば、勢い輸出を拡大し、また輸入も拡大していかなければならないのでありますが、昭和四十五年度の輸出、おおむね二百億ドルと思いますが、なおかつ国民一人当たりの輸出にいたしますと、ドイツの一人当たり五百八十ドルに対して三分の一であります。また、アメリカでさえも国民一人当たり二百ドル以上の輸出をしておるのでありまして、今後ともわが国は輸出を拡大し、またそれに見合う輸入も拡大し、そうして国内的にも物価の安定等のために輸入を拡大するということが必要であるかと思うのであります。このようなときにおきまして、政府も、あるいは民間の一部も、輸出のウエート、輸出尊重という観念が薄らいできたように思うのはまことに残念でありまして、われわれ輸出に努力しておる者は血のにじむような努力をしまして今日の輸出をしておるのでありますが、最近の税制でも、輸出貢献企業に対する輸出割り増し償却を廃止いたしましたことは、むしろ逆行であるように思うのであります。しかしながら、わが国の税制が輸出に対して内部留保を厚くすることによって消極的に保護する大綱は維持できておりますので、これはもうこれ以上輸出を冷遇しないようにお願いしたいと思うのであります。御承知のように、ヨーロッパ諸国では、国内の取引高税を五%ないし一〇%戻入いたしまして、それだけ輸出を保護しておりますので、わが国でも輸出に対しましては直接、間接に手厚くしていただきたいと思うのであります。なお、輸出入銀行の資金五千三百二十億円の増加を与えられたこともけっこうでありますし、また経済協力基金等の増加もけっこうでありますが、こういう輸出促進のための資金を積極的に使っていただきまして、この上とも輸出増大をしていきたいと思います。 なお、最近輸出がふえまして、外貨準備が五十億ドルに近くなりますにつきまして、一部に円の切り上げというようなことを言う人がありますが、しかし、私たちから考えますと、わが国の経済規模をドイツの経済規模と比較してみますと、二百億ドルぐらいの外貨準備があってもいい勘定になるのでありますが、その上に、わが国は為替管理によりまして国民には一文も外貨を持たしておりませんので、その点がドイツやフランスとはだいぶ違いますので、軽々に円の切り上げなどを考えずに、むしろ外貨はこれから必要になるし、外国の資源開発とかあるいは発展途上国への援助等に回していただきたいと思うのであります。わが国の国外における投資はわずかに二十億ドルでありまして、西独の三十九億ドル、イギリスの百七十八億ドル、フランスの四十七億ドルに対比しますと、まことに微々たるものであるのであります。その意味におきまして外貨が余りましたらどしどし海外へ投資してまいりたいと思います。 その次に問題になりますのは、海外資源の開発でありまして、今日までわが国がこれだけ発展しましたにもかかわりませず、原料、材料等について海外に投資をしてこなかったということは、実はまことにのんきな話でありますが、しかしながら、今日まで外貨バランスをとることにきゅうきゅうとしてきた日本としては、ここに至ってやっとその資源開発に投資をする余力ができたとも言えるのでありまして、わが国が工業資源がないということはほんとうに深刻な悩みでありまして、最近石油カルテルのOPECの原油値上げなどによりまして、われわれ驚いておるのでありますが、OPECのみならず有力石油会社のカルテルは、世界の油の資源を押えておるのでありまして、これらから考えましても、われわれは今後大いに海外の資源開発に参加して、そうして発言権を持っていくことが大事でありまして、これはいまからでもおそくないと思うのであります。そういう意味におきまして、今回、海外資源の開発投資損失準備金の制度でありますとか、あるいは石油開発、金属鉱物探鉱開発等にも税制等の面で改善を加えていただきましたことは、まことにけっこうなことだと思うのであります。が、同時に、民間の海外資源開発投資につきましても、今後とも積極的に支援していただきたいと思うのでありまして、私の従事しておる鉄鋼業だけをとりましても、昭和五十年に一億六千万トンの鉄鋼を生産しようとすると、大体十七億五千万ドルの海外資源開発費用が要るのであります。石油のほうもおおむね十億ドルぐらいの資金が要るようでありますが、しかしながら海外資本との合同等も考えてまいりますと、これから年々三億ドルないし四億ドルの資源開発投資をしていけばまずまずよいのではないかと思うのでありまして、御承知のように年間十億ドルも外貨が余ってくる状態でありますので、今後は海外資源開発に大いに外貨を活用さしていただきたいと思います。 それから次に大切なことは、こうなってまいりますと、海外諸国との経済協調の問題であるかと思うのでありまして、率直に言いまして、昭和四十三年ごろまで、わが国の国民所得が千ドルに達するまで、あるいはわが国のGNPが世界の二番目ぐらいに達するまで、あるいは外貨が三十億ドルに達するころまでは、日本はまだ国際的に独立——一人前ではなかったかと思うのでありますが、今日になりますと、やはり世界の経済国としての責任をとるべき立場にあると思いまするので、そのような立場をとることが必要と思います。たとえば自由化の問題にいたしましても、現在、残存輸入制限八十項目というようなのは、よほど保護的色彩が多いのでありまして、わが国は進んで自由化を行なうべきだと思います。元来、資源のないわが国でありますから、やはり自由化を、みずから進んで貿易の面でも資本の面でも行なっていかなければ、世界の各国から孤立するようなことになるおそれさえあるのであります。そのように自由化を進めてまいりましても、国境がある限りいろいろと問題がありまして、今回の繊維の自主規制の問題でありますとか、あるいはわれわれがすでに実行しておる鉄鋼の自主規制の問題等の、いろいろ妥協の問題は生ずるのでありますが、少なくとも自分が自由化しないでおいて、相手だけに自由経済をしろというふうに言うことは、これからは通るまいと思いますので、やはり進んで完全自由化を目標に進んでいくことが大事であるかと思うのであります。同時にまた、先ほど申し上げましたように、外貨の余分のものは発展途上国にどしどしと投下いたしまして、これらの国々との交流も進めていくことが大事であるかと思うのであります。また、これらの国々とはさらに経済の自由化によりまして国際分業を進めていって、これらの国の福祉向上にも貢献しつつ、日本の経済圏を拡大していくことが大事かと思うのでありまして、わが国のたとえば繊維加工業でありますとか、あるいは弱電部門などにも、よほど国際分業化しなければ競争できないであろうというような仕事が多いかと思いますので、そういう意味でも発展途上国との協調もはからなければならないと思います。 さらに共産圏との交流でありますが、もちろん共産圏とは政治的にもいろいろと問題がありますから、自由国と同様にはまいりませんが、それにいたしましても経済的には可及的に自由国と平等に取り扱うように配慮していくべきではないか、そうして経済的に交流を進めていくことが、同時に政治的な国交の回復にも貢献できるのではないか、かように考えておるのでありまして、中国との周四原則の問題なども、私などは実際的に考えましてあの国との交流を進めていきたいというふうに考えておるのであります。 さらに、この国際的な自由化の問題は、わが国の経済圏を拡大するばかりでなく、国内にもよい影響を及ぼすと思うのでありまして、国際的自由化をすることによりまして、国際競争から国内の低生産性部門の合理化を促進し、また、いま申し上げました国際分業化を促進し、国民の生産性を高め、その所得の向上をもたらすことになり、あるいは労働力の流動を促して、その生産性をあげることによってわが国の経済発展に寄与することになるかと考えるのであります。 さらにわが国はこの上とも重化学工業とか、あるいはその上に立っての高度の精密工業を発展さしていくことが必要であるかと思うのでありまして、労働力だけが資源であり、しかもその労働力は質的にも比較的優良なわが国におきましては、やはり労働力を生かすことによって経済を発展させることが必要であるかと思うのであります。戦後、今日までのわが国の経済発展の歴史を考えてみましても、重化学工業その他に世界的な近代設備を入れ、そうしてその合理化を促進することによって国際競争力を増し、今日の経済発展を促してきたと思うのであります。最近に、昨年の秋以来の不況によりまして、わが国産業界全体が一種の挫折感のような気持ちになりまして、どちらを向いても悲観的な空気に推移しておることは、まことに残念であると思うのでありまして、こういう際には財政投資等も大いに積極的にしていただきまして、景気の沈滞を防止するとともに、業界におきましてもその先の発展を見越して、こういう機会に積極的に近代的投資を進めることがよいのではないかと思うのであります。そのようにわが国の産業の近代化を進めるとともに、一方においては国際間の自由化を進めることによって、わが国の経済はさらにさらに発展を続けることができるかと思うのであります。そうして以下に述べる今日におけるいろんな困難な問題が生じておりますが、その解決をはかるためにも、結局はわが国の経済が発展を続け、その経済力によってその発展の過程においてそれらの諸問題を解決していく以外に方法はない。もし経済の発展がこのままであり、そうして以下に述べる公害その他の問題だけを解決しようとすると、おそらく増税でもしなければ解決できないということになりますので、私は、やはり経済の発展を通じて社会的な諸問題を解決することが一番実際的であると、かように考えておるのであります。 さて、戦後二十年間のわが国経済の発展に伴いまして、いろんな問題が生じておることは事実であります。その第一は、社会資本充実の問題であったと思うのでありまして、戦後において戦前の約十倍の経済になっておるにもかかわりませず、社会資本の充実がおくれたために、いろんな問題を起こしておるように思うのであります。その例をとってみますと、わが国の道路補装率はドイツ、イギリス、フランス等に比べましてそれらの国の一三・四%、上下水道は二一%、水洗便所が一三%、公園などに至っては九・三%というような状況でありまして、いかにも社会資本の充実がおくれていると思うのであります。また、各国の社会資本の過去の投下額を調べてみますと、日本を一といたしますとドイツが六、アメリカが一〇、イギリスが六というふうな過去の社会資本投下になっておるようであります。そういうところから、やはり社会資本の充実は刻下の急務であるかと思うのであります。その意味におきまして、今回の予算が公共投資に一九・七%増、財政において一九・六でありますか、それから生活環境においては四〇%、財政投融資においても二四%というふうに、いろいろ社会資本充実の面を重視しておることは、まことにけっこうでありまして、こうした調子で数年間をやっていけば、今日の西ドイツくらいの水準にだんだんとなっていくであろうかと思うので、まことに喜んでおるのでありますが、しかしこれとても、わが国の経済が成長し年々政府の収益が上がっていくようでないとこれを継続することができないのでありますが、うまく経済成長を続けることにいたしましてこういう方向にいくことはまことにけっこうであるかと思います。 その次に、最近問題になっておるのは公害でありまして、過去二十年間この公害問題が比較的放置されておりましたために、各所にいろんな公害問題を引き起こし、その中には極端な事例が散見されるのは、まことに遺憾であるかと思うのであります。戦後わが国経済の成長だけにひたむきになっておりましたために、こういう事例ができたことは、まことに残念でありますが、これとても企業の側においてその気でかかれば解決できるのでありまして、住友別子銅山なども明治のころから亜硫酸ガスの克服に努力いたしまして、昭和十三年には亜硫酸ガスの発生しない精練所を建設しておるのでありまして、ほかにもいろいろと努力しておる例があるかと思うのであります。 私のほうでも最近和歌山の製鉄所で地域と協定をいたしまして、九百万トンの製鉄所でありますが、亜硫酸ガスの発生量を〇・〇一二PPM、これは六畳の部屋でマッチを一本すったときに発生する亜硫酸ガスの四分の一以下に押えるという協定でありまして、この協定にサインした以上、私は責任を持ってこれを実行してまいりたいと思っておるのでありますが、ただ、ここで考えなければならないのは、こうした一般環境基準の問題について日本の亜硫酸ガスの規制は〇・二PPMでありまして、世界的に見ても最もきびしい基準であります。アメリカのニューヨーク州の保養地における基準、〇・二五PPMよりも日本全体の基準値のほうがきびしいのであります。しかも、このきびしい基準の八割方を目標といたしまして、今回の和歌山の製鉄所の規制をしたのでありますが、そのようにきびしい基準、ほかにももっときびしい基準があります、にすることがよいのか、その必要があるのかという問題であるのでありまして、私はこうした環境基準は先進国と同じにしてほしい。アメリカでもその基準でやっているなら日本もそれでやってもらいたい。ドイツもそれならそれでやってもらいたい。それでなければ経済が国際競争に打ち勝って発展することはできないではないか、かように考えておるのであります。もちろんほかにも、亜硫酸ガスのほかにまだまだ公害についてしなければならないことがたくさんあるのでありまして、これにはわれわれも大いに努力をしておりますが、たとえば亜硫酸ガスだけをとってむやみにきびしい基準をつくっていくことがよいのかという点は、よく考えていただかなければならないと思うのでありまして、私はやはり国際基準というものを基準にして、その範囲内でどう押えるかという具体的な問題に取り組んでいくべきであろうかと思うんでありまして、昨今マスコミなどがいろいろとそのきびしい基準等を比較し合いまして、エスカレートするような傾向にあるのはいかぬのじゃないか。むしろ実際的にいかにして公害を除去するかというふうに具体的に取り組むべき段階に来ておるのではないかと思います。私は鉄鋼業の経験から言いまして、今日まで公害関係に投資した資金は、全体の約七%ぐらい前後であろうかと思いますが、これにさらに五%ぐらいの投資をふやしていくならば、大体において今日の基準は守れていくのではないか。さように考えていくならば、日本の経済力と、また今後における技術の発展と相まって公害の問題は、感情的な論争にならぬ限り、実際的にやっていくならば、これは解決できると、かように考えておるのであります。 その次に、物価の問題でありまして、世界的にも物価が高騰してまいりましたが、わが国におきましても最近年々五%程度の物価高騰がありますことは、非常に残念なことであります。ただ、ここで問題になりますことは、何か経済成長が物価高騰の唯一の原因のように考えて、経済成長を押えようとする考えについては、私は賛成できないのでありまして、現に昨年のように経済成長が停滞いたしましても、物価は高騰いたしておるのでありまして、これにはやはり物価の構成そのものに、問題があるかと思うんであります。現にわが国の卸売り物価は世界一安定しておるのであります。にもかかわらず、消費者物価だけが高騰しておるというのは、そこに原因があるかと思うのでありまして、第一は、やはり消費者物価の供給面に問題があるかと思うのでありまして、ことに農産品などは農業の生産性が低いということも一つ、あるいは輸入政策が十分でないということが一つ、あるいは特定の、たとえば米にとらわれてほかのものに対する施策がおくれたというようなことが原因ではないかと思います。要するに消費者物価は、供給面からも解決をしてゆかなければ片づかないと思います。また流通面においても問題が多いのではないか。最近における物価高騰の大半の原因は、流通面にあると思うのであります。最近の物価高騰を分析してみますと、農水産製品、中小企業製品、サービス業において、その消費者物価の九割の値上がりの原因をなし、大企業においてはわずかに一割の原因になっておる。このことを考えてみましても、供給面、流通面等にメスを入れない限り物価高騰は押えられない。物価の高騰をただ単に経済成長の結果だと思うのは、早計であると私は思っております。 今回、物価対策として八千億円をお出しになりましたことは、まことにけっこうであります。そのほかに食管会計からも出しておるようでありまして、ここに力を入れたことは、傾向としては私は賛成でありますが、しかしながら、物価の問題は、根本においては産業構造の問題、あるいは農業等の政策の問題、輸入化の問題、こうした幾つかの問題をかみ合わせないと解決できない。一番いけないのは、物価の高騰は経済成長を押えることによって押えようという方法は、私は間違いであると、かように考えております。 なお、物価と賃金についてもいろいろと論争されておりますようで、私の私見を申し上げてみますと、賃金が上がることが物価の上がった一因であることは事実であると思います。たとえば、国民所得が次第に上がってきまして、サービス料が上がるというふうなことはむしろ当然でありまして、経済成長とある程度の物価高騰とは必然的に結びつくとも思います。しかしながら、今日までの賃金の上げ方を今後とも続けていいかというと、私はそう思いません。実は戦後、今日に至るまで、従業員にいかにして生活費を与えるかということを主にしてベースアップを繰り返してきたのでありますが、しかしながら、昨年統計をとってみますと、日本の工場労働者の賃金はイタリアを越え、フランスと並んでおります。精密にいうと、ちょっと上がっておりますが、大体並んでおります。鉄鋼賃金をとってみますと、一時間当たりの賃金は、すでに昭和四十三年で日本はイタリア、フランスを抜いております。現在では相当大きく抜いておるのでありまして、こういうふうに、わが国の工場賃金が世界的水準に達した今日において、なおかつ戦後の復興期における生活賃金を与えるだけのためのベースアップを繰り返すということは、もうやめなければいけないと思うのであります。それでなければ、国際競争力からも、そう上げることはできなくなると思います。で、私は賃金のベースアップはここで転換いたしまして、消費者物価の高騰からくる実質賃金の切り下げにならないように、いろいろの形において、多少のベースアップもしながら、実質的な賃金低下にならないように努力しなければならぬ。これは労使ともにそうであります。しかしながら、それ以上のベースアップは、労使協力いたしまして、利潤の範囲内において、——利潤がなければ賃上げできないと思います。そうして生産性の向上の範囲内において、しかし生産性向上の中には、資本投下による生産性があります。装置産業なんか、そうでありますが、その資本投下による金利を引いた純粋の勤労による生産性の範囲において、ベースアップをするというのが原則であるかと思います。そのようにいたしまして、生産性を上げながら所得をふやしていくことは、これはわれわれも目的としているところでありますので、そういう正しい意味での所得の増加をはかるべきだと思います。 最近、いわゆる所得政策というようなことが話されまして、いろいろ話題を引いておりますが、これもどういう意味かわりませんが、画一的なベースアップをはかろうというような意味、あるいはやや賃金を抑制するような意味での所得政策というのはどうかと思うのでありまして、わが国の各産業にはまだでこぼこがありまして、非常に生産性の高い産業もあれば、非常に国際的に見て生産性の低い産業もあります。そういう際に、画一的に賃金をきめていこうという政策は、私は好ましくないと思うのであります。やはり労働生産性の高いところへ労働力が流入し、そうして全体の生産性を上げていくという方向に持っていくためには、業種別には賃金の差があってしかるべきである。生産性の向上に従って賃金が上がっていくということを繰り返すことによって、日本の生産性も上がり、正しい所得の増加にもなっていくだろう。単に一つのパターンで所得をきめていこうというような考え方は、私はとりたくないと思います。 最後にもう一つ、労働力の不足の問題がよく問題になるのでありますが、私は、これもそう思いません。 御承知のように、日本のような狭い国で第一次産業にいまなお一九%の人口をさき、西独の一〇%、アメリカの五%に比較してはるかに第一次産業のウエートが高いというのは、これは適当でないと思います。世界各国を見ましても、第一次産業は第二次産業、第三次産業の二分の一ないしは三分の一の生産性でありまして、第一次産業の少ない国ほど、国の地理的条件にもよりますが、第二次、第三次産業の高い国ほど所得も上がっており、生産性も上がっておるのであります。私は、近い将来に、わが国でもやはり第一次産業は全体の一〇%ぐらいにまで下げていくべきであろう。そうして第二次産業をふやしていくべきである。第三次産業にも、わが国にはよほど非能率の分野がありますようなので、これらをやはり合理的に配置していく。これは経済の実勢によってそうなっていくのでありますが、そのようにすべきであるかと思うのでありまして、かりにわが国の第一次産業が一〇%に下がったと仮定すると、昭和四十五年の国民所得千五百ドルは、千六百ドル前後になり、イギリスの千六百ドル余りとあまり変わらないところにくるというような勘定になるのでありまして、産業構造もやはりわが国の経済発展の上から変わっていくべきであると思います。そのためには、先ほども申し上げましたように、わが国の経済を自由化することによって、国際競争の上から、生産性の低い分野は逐次転換をし、もしそれが必要ならば、発展途上国に国際分業化するというふうに考えていって、初めてわが国の経済が高度の成長を遂げられる、国民所得もふやせる、かように考えておるのであります。また、そのように考えれば、日本を取り巻く近隣諸国の人口もまた工業化へ転換することができるのでありまして、私は、ざっと考えて日本が一億人、韓国とか台湾とか入れると一億五千万ぐらいの人口を持って生産をしていくことができる。また、そういうふうにしていくことが、これらの諸国とも仲よく発展していける道ではないか、かように考えておるのであります。 これを要するに、今回の予算を拝見してみますと、公共投資でありますとか、公害でありますとか、物価対策とかという方面に重点を置いていることは、これはまことにけっこうであると思いますが、中にはまだ不十分であるようにも思う点もありますが、傾向としてけっこうだと思います。しかしながら、こういう予算を継続していくためにも、やはりわが国の経済は今後ともある程度の成長を遂げ、そうして政府の収入もふえていくようでないと、これを続行していくことができないと思うのであります。また同時に、私はかねてから行政費の合理化、いつも委員会などで問題になっているようでありますが、あまり実行されてないのではないか。なかんずく地方制度などは、今日の経済社会の情勢とよほどかけ離れてきておるように思うのでありまして、こうした行政の面にも合理化を進めていくことが必要ではないかと、かように思っておるのであります。 だいぶ時間ちょうだいいたしましたが、私、昭和六年に大学を出たのでありますが、そのとき就職率が比較的よかった東京大学を出たのでありますが、卒業までに就職がきまったのは三人に一人でありました。町へ出ますと失業者があふれており、東北の農村の女の子が東京へ売られてくるんだというようなことを新聞で読みました。そして大阪へ就職してみますと、その会社の月給が七十五円、工場労働者の賃金が大阪では一番高いレベルでありましたが、六十円でありました。それが今日になってみますと、失業者は大体にいなくなり、そうして初任給がそのころの七百倍になっております。大学の卒業生はたいがいその前の年の春には就職がきまっております。それから工場労働者のほうは、そのころの千三百倍に上がってます。それを考えてみますと、わが国の経済成長は、ほかにいろいろと社会的余波はあるかもしれませんが、いかに国民の生活を潤しておるかということをしみじみと感じるのであります。しかし、私はこれで満足しているのではありません。先ほど申し上げましたように、わが国はまだまだ経済発展を遂げて、少なくともヨーロッパの一流国並みの経済国になりたいと思うのであります。しかも、その間に発生する、たとえば公害の問題にいたしましても、現在よりも、ものの一割も資本を投下して技術の改善と相まって努力すれば解決できるであろう、できると私は確信しております。社会資本の充実も、この経済成長を続けていくならば数年を出ずして現在の西ドイツ並みにまで持っていくことは可能であろうかと思います。その他いろいろ問題ありますが、健全なる経済発展を遂げていく以上は、わが国が西欧の一流国並みの経済福祉国家になれない理由はないと、私は確信いたしておるのであります。しかも、この気候、風土に恵まれて風光明媚なわが国の山河とわが国の経済を調和させることは私はできると思う。少なくともいま問題になっておる公害の程度のものは克服して、わが国のこの風土、比較的風光明媚なこの国土と調和していくことができると私は確信しておるのでありまして、このように考えますと、わが国を東洋の楽園にすることは不可能ではない、可能であると私は確信しておるのであります。ただ、そのためにはあまりに感情的になったり、あまりに一、二のことに刺激されたりいたしまして、国内の摩擦をあまりひどくしないように、お互いに理解しながら、この国を愉快な国にしていく気になりさえすれば、私の夢は必ず実現できると、かように思い、また念願しておるのであります。どうぞひとつ諸先生方よろしく御支援いただきますように……。 ありがとうございました。(拍手)
○委員長(古池信三君) どうもありがとうございました。 ここで御質疑のあるお方の御発言をお願いするわけでありますが、承りますと、日向公述人の御都合によりまして、午後二時三十分には退席したいとの御希望でありますので、その点をお含みの上で御質疑をお願いいたします。
○岩動道行君 たいへん含蓄のある哲学を含んだ産業経済全般にわたってのお話、たいへん傾聴をいたしました。私、時間もございませんので諸般の問題は省略いたしまして、当面する経済界は非常に大きな不況感に襲われ、しかも、ここに至っては相当長期にわたって先にならないと回復しそうもないと、そういうところから、本年度の予算編成もまた公債発行はふやさないと、しかしながら二段がまえでこれを運用していきたいというのが本年度の予算の一つの特色でもあろうかと思いまするが、この公債発行を押えていることは、私はやはり社会資本の充実にも相当チェックになっておると、かような観点から、公債発行はさらに積極的にやはり今後やっていっても日本の経済体質からして十分にまかない切れるんではないか、こういう点。そしてまた、自己資本が非常に不足をしている産業界の実情、これらをどうやって克服していくか、当面する不況をどう切り抜けるか、これについての御所見をこの機会に承りたいと思います。
○公述人(日向方斉君) 私は財政のことは詳しくはありませんが、日本のこの経済を円滑に運用していくためには、必要がある場合には公債も発行し、また、必要がない場合はこれを勇敢に削るというようなことで経済の運営を円滑にすることは必要ではないかと思います。ことに、昨年から実はこういうふうに経済が落ち込むというふうには政府の皆さんもわりあいに考えなかったんではないかと思いますが、われわれから言うと、もう少し早く転換してほしかったように思うんでありますが、何としてもいま気分的に非常に悲観的になってしまって——その点がまあ日本の悪い癖でありますが、現在悪いと将来も悪いかのように思い込んでおりますので、公共投資等もどしどしやって、また、こういうときにやったほうが安くできるはずでありますから、どうかこの気分を直すようにひとつお願いしたいと思います。機動的な弾力的な予算というのもそういう意味かと思いますので、よろしく賢命なる運営をしていただきますようお願いいたします。
○塩見俊二君 たいへんお忙しい日程で二時三十分ということでございますので、結論だけでお願いを、御意見を伺いたいと思います。 確かに日向さんのおっしゃるとおり、私は、日本の経済の成長をいまのままで続けようが減速をしようが、いずれにしても続けていかなければ、これは単に経済の問題でなくて社会問題にまで発展をすると考えております。そこで、よく経済の底が浅いと言っていますが、このことばはこのごろなくなってきたように感じます。しかし、私は、日本の経済の底は非常に浅いと思います。ということは資源がないということ。その点では理論と経験をお持ちになっておる日向さんでございますので、その点をお伺いしたいと思います。先ほどお話がありましたように、日本の外貨がふえておるようでございますが、これをひとつ全部海外の資源開発に使ったらどうかと。私は、今日までの日本の経済成長は、日本人の優秀性と設備投資の拡大であったと思う。これからは、単に国内の設備投資の拡大では日本の成長はないんです。あくまでも外の資源開発ということが日本の成長の条件になる。そういう場合に外貨を使うということも、五十億ドルなんかたいしたことはないけれども、これは使ったほうがいいと思う。一体その海外資源開発の可能性があるのかどうかということが第一点。 第二点は、こういうふうに海外資源開発をすると、このごろはやりの日本が軍国主義に復活するのじゃないか、資源開発を保護するために軍備が必要じゃないかと、こういう議論が行なわれてくると思うんです。 いま申し上げましたとおり、ただ二点、第一は、一つはその可能性がありやいなや、第二点は、その軍国主義化の批判に対してどう答えていくかという点を、もし御意見がありましたらお答えいただきたいと思います。
○公述人(日向方斉君) ただいまの御質問のうちの一つ資源開発につきましては、先ほど申し上げましたように、年々十億ドルぐらい外貨が余る中から、私は三、四億ドルでいいかと思いますが、多く見て五億ドルぐらいのものを投下してもらえば鉄鋼業などについてはおおむね充足できると思います。ただ、石油については、いわゆるメジャーの各社がいい資源を押えております。OPECでも相当いい資源を押えておりますから、なかなか簡単には進みませんと思いますが、それでもアラスカの北方の問題だとか、あるいは東南アジアの問題だとか、これから注意してまいりますれば、何も全部が全部、日本で押える必要はないのであって、ある程度日本が発言できる程度の資源を押え、あるいは資源開発に参加して発言権を持つことによって打開できるかと思うのであります。その意味で私は、いまからでもおそくないと実は思っております。 第二点の軍国主義の問題でありますが、これはよほど注意して、よく事情をわからせなければならぬと思いますが、日本がGNPの一%にも足らぬ軍事費でやっているというのは、ずいぶんまあしあわせといいますか、有利なわけなんで、よそのどんな国防費の少ない国でもGNPの二%ぐらいは使っておるのであります。何も国防費にそうたくさん使うばかりが能ではありません。幸いにして日本は島国であり、防衛本位に考えれば、まあ向こうの攻撃に対する防衛的な飛行機とか、あるいはロケットとかいうようなものを整備すれば、艦艇のほうはそんなに要らぬのじゃないかという、しろうと考えでおりますので、そういう実態をよくわからせさえすれば、日本が軍国主義化するというふうには受け取らせずにいけるのではないか。それよりもむしろ、発展途上国等にはどしどし資源開発費等を現地の資本等とも結び合わせてやることによって、あるいはまた、人的にももっと交流をよくして、日本の真意をわからせることによって、軍国主義という懸念——まあ一部にそういうことを言いたい人はおるかもしれませんが、懸念を払拭しながら、資源確保あるいは発展途上国の発展に貢献していくことができると私は思います。これは日本としても注意して説明に努力していかなければならぬと思います。国防だけの軍事力でありますので、話してわからぬことはないのではないかと、かように思っております。
○委員長(古池信三君) 他に御発言もないようですから、質疑はこの程度にいたします。 日向公述人に申し上げます。長時間にわたり御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手) 以上をもちまして、昭和四十六年度総予算についての公聴会は終了いたしました。 明日は、委員会は午前十時開会いたすこととし、本日はこれにて散会いたします。 午後二時三十三分散会