内閣委員会 第18号
- 発言数
- 145 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1971/05/18
会議録
○委員長(田口長治郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。 文部省設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。 御質疑のある方は順次御発言を願います。
○足鹿覺君 私はからだの調子が悪いのですわったままで質問いたしますので、大臣も御健康がすぐれないようでございますので、どうぞすわったままでけっこうでございます。 先日の当委員会におきまして非常勤職員の定員化の問題についてお尋ねをいたしたわけでございますが、大臣も健康を害していらっしゃいますし、これについての本院の満場一致の決議の線に沿って対処しておられないような事情にあるようでございます。したがいまして、当委員会の決議の二項、三項、行政需要に応じて定員は増加すべきである、非常勤職員の定員化はすみやかに解消をはかるべきである、この二項についてお尋ねをいたします。 「行政監察監査週報」によりますと、「非常勤職員の問題は古くて新しい問題である。政府機関の非常勤職員数は、委員、顧問等を含めて約十九万人いるといわれ、このうち常勤的な職員は七千四百人を完全に上廻っているといわれている。しかし、その実態すら把握されていない。国会で総定員法審議の際、佐藤首相が非常勤職員問題の存在にさえおどろき、その実態を明らかにするため、行政管理庁を通じて調査を命じたため、この調査の結果によって、非常勤職員の問題は解決をせまられているものといえよう。」、こういうふうに非常勤職員問題を行管としても非常に重視しておいでになるようでございます。 そこで、具体的にお尋ねをいたしましたところが、定員外職員を全員定員化するということについて、当面の問題として一年雇用制の撤廃、定期昇給、期末・勤勉手当を定員内職員と同様に行なうこと、定員外職員の昇給制度頭打ちですね、を撤廃すること、現在七等級四号俸で頭打ちになっていることは御承知のとおりであります。 次に、年次休暇、病気休暇、特別休暇を定員内職員と同様にすること、特に年次休暇は年三日しかなく、病気で休むと賃金は出ない。生理休暇、産休などは全くない、こういう非常に人道上の問題も含んでおる。定員外職員の祝休日の有給休暇の問題、現在日給月給のために祝休日は無給になっておる。 最後に二、三項ありますが、退職金を定員内職員と同様に支給すること、雇用期間一年の終わりには〇・三カ月ずつ出すのみで長く勤務するほど退職金を損をする、こういう具体的な事例に触れ、さらに共済組合に加入をさせておりませんので、共済組合にも加入さしてもらいたい。特に一年以上勤務しておれば、定員外職員でも共済組合に入れるが、年度内雇用で一年以上雇用されてはいけないという理由で加入が認められておらないようであります。超勤手当は差別なく支給してもらいたい。たとえ非常勤といえども超勤費を少ししか支給しておられないということはきわめて遺憾である、こういう点についてお尋ねをいたしましたところ、行管としては、それはある部分は大蔵省だ、ある部分は文部省だ、ある部分はというので、何らみずからが佐藤首相の意思に基づいて実態を明らかにし、解決を迫られておると言いながら、調査の結果も明確でない。こういうことについて行管局長は何ら誠意ある御答弁をなさっておらない。 そこで御病気中の大臣をわずらわしたわけでございますが、これらの問題に対して、言えば限りなく資料はたくさんございますが、御病気のことでもありますし、多くを申し上げませんが、政治家という立場に立ち、ここに東京大学農学部の辞令がありますが、事務補佐員の任用通知を毎日更新しておる。そしてこれの限界は一カ月だ、こういうことを六年有半にわたって取り扱いを受けておるような状態を資料をもって御指摘を申し上げても、これはまあ官庁のなわ張りと申しますか、きわめて答弁があいまいであり、さっぱり要領を得ない。こういうことでは基本的人権問題にも事が及びますので、実態を調べられ、行政需要に応じて対処していただかなければならぬということは、当委員会における定員法審議の際の満場一致の決議であり、行政需要が増大しておるということをお認めになっておるわけでありますから、この際、かかる基本的人権を侵すような問題について行管としては進んでこの問題と取り組み対処していただきたい、御善処をいただきたい、かように思うわけであります。いろいろ困難な問題はあろうかと思いますが、これに対する行管長官としての御所信と今後の対処する御方針を明らかにしていただきたい。で、御健康もすぐれないようでありますので、これについての御所信を承わり、大臣にかわって他の職員が答えてもけっこうでございますので、基本方針についてはこの際誠意ある、かっこのような実情に対処する基本的なかまえをひとつお聞かせをいただきたい、こういうことでございます。
○国務大臣(荒木萬壽夫君) この問題は、先年当委員会においても問題としてお取り上げになったことは御指摘のとおりでございます。その後一年余りかかりまして調査しました結果、定員外職員はあくまでも定員外職員、定員内の問題は総定員法の範囲内において処理する課題として、きちっと処理するというけじめをつけまして調査結果が終わったわけでございます。 そこで、定員外職員と称するものの実態が、定員内職員と勤務形態がよく似ておるという関係から、定員内になぜ入れないかというふうな課題が連想されてきたわけでございますが、定員内は定員内、定員外職員は定員外職員、あくまでも別個の問題でございまして、待遇の問題は、定員外の職員の待遇が現状が適当でないならば、何らかの手段を講じて待遇を、処遇を改善するという課題として、別個に存在する課題というふうに仕分けをして取り扱うべき問題として考えておるような次第でございます。 答弁がはっきりしませんか知れませんけれども、一応お答え申し上げます。
○足鹿覺君 大臣のお考え方の概要がわかりましたが、あくまでも総定員法に基づくものはものとして既定方針でいくのだ。しかし、行政需要が増大をして、たとえば東京大学の農学部のごときは教官、教授が相当数ふえておる。ところが、その手足となって働く職員がない。そこで研究その他に大きな支障を生じておる。こういう現実的な問題が起き、大学当局も働いておる職員も一体となってこの問題に対して強く交渉いたしましても、結局この問題がうやむやになって今日に至っておる。これは加藤揚子さんという人でありますが、六年半にわたってつとめておいでになる事務補佐員でありまして、「(東京大学農学部)に採用する 任期は一日とする ただし任命権者が別段の措置をしない限り昭和四十一年三月三十日まで任用を日日更新し、以後更新しない 日給(勤務八時間につき)八六四円を給する昭和四十年十二月一日」と、こういうことになっておるわけであります。 こういうことがずっと繰り返されて、この人はたんねんに自分のもらった辞令をきちっと整理をしてこられて、そうして現在、昭和四十六年四月六日の勤務実績は六年半、先ほど指摘いたしました定期昇給も期末・勤勉手当も差別を受けておる、定員外職員の昇給制限、頭打ちの差別を受けておる。以下省略いたしますが、先ほど述べたとおり、現在日給千八百円、著しく格差がある、こういうことなんでありまして、総定員法は総定員法でいくけれども、別途に処理をする、こういう御方針のようにいま聞きましたが、そういう御方針で今後具体的に行管としては各省に御折衝になり、この問題のすみやかな解消——御善処になる、かようなふうに理解してよろしゅうございますか。
○国務大臣(荒木萬壽夫君) おあげになりました事例の方が、客観的に見て定員内の仕事をして定員内であるべき方であるとするならば、新たに、たとえば四十七年度の予算の課題として、増員要求の課題として受けとめて折衝いたすのにやぶさかではございません。それを、その努力をしないで、ただお話のような方が定員内であるべきを定員外というのはこれはけしからぬと文部省が言っておるとすれば、それは不届きだと思います。努力不足をたなにあげて、陰でこそこそものを言っているたぐいのことでありまして、適切な態度ではないと思います。
○足鹿覺君 正確に申し上げますと、これは昭和四十四年法律第三十三号、行政機関の職員の定員に関する法律を審議した際に、自民、社会、公明、民社、四党共同提案によりまして、附帯決議が付された。特に一は、「本法律案審議の過程において政府の言明せるとおり、公務員の出血整理、本人の意に反する配置転換を行なわないこと。二、各行政機関における職員の定員については、行政需要に応じた人員を確保し、職員の労働が過重にならぬよう努めること。三、定員外職員については、その実態について速やかに検討し、定員化を含めて合理的な処遇の改善を図ること。四、人事院勧告の完全実施を期すること。」、こういうことになっておりまして、現在この気の毒な人々が、大体あなた方の把握しておられるものについては、先ほど私が申し上げましたような状態のもので約十九万人、これは増大するとも減っておらない。この中で常勤的な職員は七千四百人を完全に上回っておるといわれておるけれども、この実態は把握されておらないということは、監察週報の四十四年七月三日号に載せられております。で、いまこの人々の期待しておりますのは、いわゆる内閣委員会におけるこの各党一致した附帯決議の精神が生かされ、それが実現することにただわずかな期待を寄せておる。かような状態において私どもは、すみやかにこの矛盾の解決のために、国会が形骸化し、決議が空文化していくということは、国民なり当該者の期待に沿わないと、国会に対する信頼度も大きな問題として顕在化するであろう、そういう見地から先般相当の時間もかけてお尋ねをいたしましたが、はっきりとした御言明がない。こういうことで重ねてお尋ねをいたしたわけでありまして、ただいまの大臣の御答弁によって明確になりました。したがいまして、その線に沿って文部省はじめ関係当局は、今後この問題について対処していかれるものと私も考えますし、大臣もそのただいまの御言明に従って行管の使命を正しく達成をしていただきたい。強く御要請を申し上げておきたいと思います。御善処をお願いいたします。
○国務大臣(荒木萬壽夫君) お話までもなく、附帯決議の趣旨は誠実に守って実行しておるつもりでありますし、今後も実行してまいります。
○足鹿覺君 この際、人事院にお尋ねいたしますが、ただいまお聞きのとおりの状態であります。いわゆる行政需要は拡大しておる。たとえば東京大学の農学部においては、峯山委員の資料要求に基づいてきょう膨大な文部省から資料が出てきておりますが、東京大学においてもこれはたいへんな、国立学校の職員別非常勤職員数というものが出てきております。これは峯山委員からあらためてお尋ねがあろうかと思いますが、たいへんなものです。したがいまして、このような非人道的な人権無視の姿はすみやかに解消さるべきではないかと思う。ただ、人事院は、具体的な公務員の一身上の問題を担当しておられる唯一の官庁です、俸給はもちろん身分に至るまで。そういう立場にあって、いま私が荒木行管長官にお尋ねをいたしましたような、このような遺憾な状態が、今後拡大するけれども解消はしないという、この現状を踏まえて、大臣も決意の一端を述べられたわけでありますが、人事院総裁としてこの問題に対して現在までどのように取り組まれ、今後どのように対処なさる御所存でございますか、この際ひとつ御所信を明らかにしていただきたい。
○政府委員(佐藤達夫君) 問題の所在は、私ども始終公務員代表の、また特に非常勤の方々の代表者ともお会いをして実情を伺っておりますし、それから私個人的にも大学の研究室にはしょっちゅう出入りしておりますので知ってはおります。したがって、また、まことに深い同情を持ってこの問題を見詰めてきておるということははっきり申し上げます。ただ、私どもの所管は、先ほどなわ張りというおことばがございましたが、私どもからなわ張りと申し上げるのはおかしいんでございますけれども、所管の問題から申しまして、私どもは、非常勤職員と定員内の職員との間には制度的にはこれははっきりした区別がある、これは申し上げるまでもないことです。私どもとしては、この非常勤の職員としての身分にあられる方々が、それに適した処遇を受けておられるかどうか、あるいはさらにその待遇を向上すべき面はないかというような角度から集中して考えていく、また措置を講じていくのがわれわれの使命だと考えております。したがいまして、従来御承知のように制度的にはよほど定員内の方々に近いところまでいっておる。 ちょっとお話の筋とはずれますけれども、一応私どもの基本的な筋論をお聞き取り願いたいという意味で申し上げますけれども、災害補償の問題にせよ、あるいはまた不利益処分の問題にせよ、分限懲戒の問題にせよ、あるいは組合の結成その他の問題にせよ、そういう面において、ただ定員内の皆さま方と同じ制度的な扱いになっておる面もございます。これもわれわれは常に留意をしてまいったところであります。それからまた、非常勤職員として非常に労働強化になっておるんじゃないか、これは見過ごしがたいことである。あるいはまた、低い給与で押えてやられておるというような面はないだろうかというような面について、従来も努力をしてまいりましたし、今後もまたそういう面については努力を怠らないつもりであります。ただ、これは非常勤職員という面においてのワク内の努力でありまして、この非常勤の職員の方が定員内の職員として当然あるべきじゃないかというような問題になりますというと、先ほど荒木行政管理庁長官も所管事項としてお答えになりましたように、これは行政組織法系統の問題であります。あるいは定員管理の問題でもあり、あるいは任命管理の問題でもあるということでございまして、私どもとしてはそこまで権限として手を伸ばすというべき立場にはない。これはしかしあらゆる策、たとえばこの間の予算委員会でもお尋ねに対して触れましたように、いまの御質問の趣旨なり、あるいは荒木長官が答えました趣旨については、私もそうありたいなと強く念願をしております。
○足鹿覺君 いま一、二点お尋ねをいたしますが、総裁とも公式、非公式にいろいろと懇談をする機会がよくあるわけでありますが、大体本年の勧告のめども近く発表されるやに新聞紙上を通じて見ております。つまり本年度のアップ率が何ぼになるかということは今後の問題として、それをきょうは聞こうとは思いません、あなた方の御調査の過程でありますから。ただ問題は、先般もあなたと非公式に御懇談をいたしたときに、人事院勧告の完全実施は大体終着駅に来た。問題は、これから中身の問題に自分たちとしては努力をしていかなければならぬ。こういうことでございまして、私ども全く同感である。ぜひひとつせっかく御研さん、御努力をお願いいたしたい、かように申し上げて、きわめて友好的にお話し合いをしたことを記憶しておりますが、いま私が指摘しておりますようなことが、いわゆる官庁別に行なわれておるんですね。直接にこの問題にタッチはできないにいたしましても、行管長官の決意も同感である、こういうお立場でございますが、先ほど荒木さんは、かりに文部省が行政ベースでこの問題を無視していくがごときことがあればけしからぬ、ここまで御断言になっておりますし、荒木さん自身も、私は文部大臣当時にもこの問題でいろいろと話し合ったこともございます。非常に実行力の強い、信念のかたい人だと思っておりますが、総裁も総定員法との問題は問題として、この問題を何とか処理したい、こういう熱意は持っておる。そこで、私もこういう問題については必ずしも詳しくよく存じませんので、深く立ち至っては申し上げませんが、内容をこの問題にしぼってひとつ早急に御検討を願い、何らかの措置、いま荒木さんが何らかの措置をと、こういう示唆に富んだ御答弁がありましたが、そのためには、必要であるならば法的な措置も必要になりましょうし、従来の政、省令が障害となるならば、その改廃の問題も出てまいりましょうし、いわゆる縦割り行政でいきますと、ある官庁ではある程度の矛盾が解決した。ある官庁ではてんで解決をしないというようなことになるかもしれない。そこへいわゆる大蔵省がさいふのひもを握っておって、ことごとにこの問題について抵抗を示される。こういうことになりますと、何らかの方法というものは、やはり立法措置によらざるを得ないのではないか。あるいはそれにかわるべき強力な措置が必要になってくるのではないか。いつまでもこういう状態を解消どころか増大をしていくということは、本院決議の精神にも反し、定員法制定の際における趣旨にも反すると思うのです。定員法はすでに法律として実施されておりますから、その限りにおいては、これが法改正をされない限りこれに依拠せざるを得ないのは、法治国家としてやむを得ないでしょう。しかし、一面、行政需要が拡大をし、そうして複雑多岐にわたっておる。人文科学と自然科学との場合はよほど違ってくると思うのです、その内容が。教官をふやし教授をふやしてみても、いわゆる手足となって働く者がない。入れても一日更新だ、最大限一カ月で首切りだ、こういうことが絶えない。こういうことについては、おそらく人事院総裁としても御同感であろうと思う。これを、人事院勧告の完全実施は一応あなたの努力なり誠実な積み上げによって、ようやく終着駅に近づこうとしておる。まあアップ率とか、どうとかこうとかいうことは別ですよ。しかし、一応完全実施にまでこぎつけてきた。本年もおそらくそうなるでしょう。また、なされなければならない私は総裁にも責任があろうと思う。問題は、これから国家公務員が定員職員と同じ仕事を十年近くもやっても、このような基本的人権を侵すような事態が許されていいはずはないと私は思う。したがって、この問題を重点として御検討になり、対処をしていかれる基本的な姿勢なり方針をこの際承っておきます。あとは関係省間に事情をお尋ねをいたしますが、この点はいかがですか。
○政府委員(佐藤達夫君) 先ほどおことばに出ました四十四年の附帯決議によっても思い起こしますけれども、給与勧告の完全実施について、毎年毎回この委員会で全会一致の決議をしていただいたということは、かねがね感謝しておりましたけれども、それが幸いにしてお力添えによりまして、昨年完全実施を見るに至ったということは、ほんとうに心から喜こんでおりますし、また、この機会にまたあらためてお礼を申し上げたいと思います。したがいまして、われわれはそれを実績として、今後はいまお話にありましたようなやはり内容の面についても独善独走を避けて、できるだけ各方面の御意見を聞きながら、りっぱなものにしていきたいという意気に燃えておるということをここで申し上げさしていただき、今後ともよろしくというお願いを申し上げておきます。 それから、いまの非常勤職員の問題は、先ほど申しましたように、実は私ども定員内にすべきではないかというような、いわゆる定員管理の問題ということになりますというと、これは行管長官その他等、実は横の関係になるわけです。給与の勧告、その他人事院本来の権限である以上は、ほんとう言えば各省大臣の上にあるくらいの意気込みで私どもはこれまで努力してまいりましたし、今後もその意気込みで努力いたしますけれども、いまの問題、たとえば定員の管理の問題ということになりますというと、完全にこれは横の関係になる。しかも各省各庁の長の問題になるということでございますからして、われわれとしては横からのいろいろな気づきの、あるいは希望の開陳ということはいままでもやっておりました。この間、予算委員会の際のごときは、ちらっとそれにも触れたようなことまで実は実際上は申し上げておりますけれども、開き直っての問題になりますというと、給与勧告その他の問題とは、これは性格が違う。やはり横からの努力を続けていくという方向で御了承を願いたい。したがいまして、行管長官、その他各省各庁の問題となりますと、その上に立っていらっしゃる国会のいろいろな御努力等がまたあることと、現に附帯決議にも出ておりますし、ということで、私どもは結果においてはすっきりした形にしていただきたい、ぜひそういうふうにあっていただきたいという念願を持ちながら、実際上の問題としてはこのような立場にあるということは御了承願っておきたいと思います。
○足鹿覺君 まあ、きょうのところは時間もありませんし、その御趣旨を十分今後生かしていただくと、具体的な点を今後よく御検討いただいて、その御趣旨に合うような方途について何らかの具体案を、人事院は人事院の立場において行管と協力をされて、同じ公務員が大きな差別を十数項目にわたって受けておるようなことでは、せっかくの完全実施が中身において泣くわけでありますので、この点はとくと御配慮、御善処をお願いいたしたいと思います。 文部省にこの際伺いますが、先般、官房長が大臣心得で御答弁になったことは、官房長が一日大臣におなりになったということですが、やはりその権限は官房長でありますから、それ以上の御答弁は期待できなかった。坂田さんに御出席を願いたいわけでありますけれども、これは長期の療養を要するということで、これまた残念ながら御出席を断念せざるを得ない。そこで、いませっかく入りましたので、荒木行管長官からも申されましたが、いま問題になっておる東京大学の農学部の関係であります。これは時間を節約する意味においてこまかいことは申し上げませんが、昭和三十六年、七年当時に比較して大学院制度が完備し、このための事務量が増大しておるということが一点。新生大学制度の趣旨を生かし、図書館などを整備したため、そのための定員増が必要になってきておるということ。第三点は、学術の進歩に伴い、実験用機器、設備などが著しく増大、高級化し、このための管理要員が必要となっておること、つまり行政需要が増大しておるわけです。 これらの定員外職員の待遇を定員内職員並みにすることは、現行制度上では著しく困難である。また、そのためにこれら職員の勤労意欲が十分でない場合がしばしばあります。そして、常勤的定員外職員の問題は、大学学部の管理運営上最大の問題の一つとなっております。私どもは、このような現状の打開には定員増以外に方法がないと考えます。また、このような状況に対処するために、定員法に対する参議院内閣委員会の附帯決議、先ほど来しばしば繰り返されております二項、三項がなされたものと存じております。実情を調査の上、十分な御配慮を賜りますようお願いをいたす次第でありますということで、名前は省略いたしますが、七名の農学部の教授が連署し御陳情になっておる。 また、先ほど来、私が具体的な人権問題として取り上げました一日ごとに更新をしていくという人権的な問題。それから職員組合が具体的に要求をしております。先ほど次官もお聞きのとおりに、この問題を煮詰めて質問をいたしましたところが、行管は誠意ある御答弁がなかった。それはきょうの行管長官の答弁と、人事院総裁のきょうの大体の方針の答弁で、その具体化によって解消していくと思いますが、行政庁別に、その庁の性格、業務の内容等によってみな違ってくると思う。これを広範多岐にわたって質問をするということは、私はきわめてむずかしい問題だと思いますので、職員も教授もすべてがこの矛盾の解決のために善処してもらいたいということを、先般も実例を引用して申し上げましたが、きわめて満足すべき御答弁がいただけませんでした。いまの行管長官の御答弁もお聞きになったとおりでありますが、この点について、政治家として、所管大臣としての大臣の御意思もある程度お確めになっておると思いますが、今後長い政治生活を担当されるであろう西岡政務次官が、この際、文部大臣の意向を体して、今後どのように対処されますか、大局的な立場から、ただいまの人事院総裁並びに行管長官の御答弁を踏まえて、御答弁をいただきたいと思います。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 ただいま先生御指摘のように、現在、国立学校における定員外の非常勤職員の中にかなり長期にわたって雇用される結果となっている方々が多数おられるということは事実でございます。これらの職員につきましては、本来臨時的あるいは季節的な仕事に従事するということがたてまえでございますので、本来その趣旨に沿った臨時的あるいは季節的な業務に十分これは活用されるように配慮をすべきであると考えておるわけでございます。しかし、ただいま先生からもお話がございましたように、業務の遂行上、行政需要の拡大、また、教育、研究の進歩発展に伴って、あるいはまた新しい学問分野、こういった関係によって、ほんとうに増員をはからなければいけない増員が認められるという部門も出てきておるわけでございまして、こういった点につきましては、文部省といたしましては、明年度の概算要求の段階におきまして、所要の定員増を確保し得るよう、これまでも努力を続けてきたところでございますが、特段の努力を今後続ける所存でございます。
○足鹿覺君 大蔵省は財政をつかさどっていらっしゃるわけでありますが、いままでの荒木行管長官、人事院総裁、文部政務次官の御答弁を踏まえて、今後、この問題のすみやかな解消のために、行政需要の拡大あるいはその学科の特殊性、文部省に関連する限り、一つの大学等を例にとった場合、そういった場合に、できるだけ全力をあげて対処していく、制度上の問題としては早急には結論は出ぬが、十分人事院としても中身の検討をしたい、こういうきわめて良心的な前向きの姿勢を打ち出されておりますが、従来とられたようなかたくなな態度を——同じ国家公務員として長年公務に従事しておる者に対して、この矛盾のすみやかな解決のために対処される御用意がございますかどうか。どのように担当主計官としてお考えになっておりますか。あなたの答えられる限界ですね、答えられなければ大蔵大臣も御出席を要求いたしますが、御答弁をお願いいたします。
○説明員(原徹君) 行政需要の増大に即応して増員をはかるということについては、私どももそのつもりでおります。で、本年度の予算におきましても、二千六十九人でございますかの増員を認めてございます。これは総定員法の職員の増員の中の約四割に当たるわけでございまして、文部関係、特に国立学校の定員については非常に人数が多いのでございますが、しかし、それはやはり行政需要の増大に応じて認めるという趣旨で見込んでいるわけでございます。したがいまして、今後もそういう行政需要の拡大の問題があり、そうして文部省からの要求がございますれば、その点につきまして格段の努力をすると、そういうつもりでございます。
○足鹿覺君 後半がちょっとよくわからなかったんですが、少なくとも大蔵省の方針としては、これを減ずるとともに、一定の一つの年次計画なら年次計画、あるいは一日雇用にしろ、直ちにこれを絶無にすることが困難だとお考えになるならば、ある一つの基準を定め、年次計画を立て、そして現実の行政需要に即応し、かつ、他の公務員と同じような仕事を長年にわたって行なっておるというような者に対しても、特に配慮を——問題を一挙に解決することは好ましいことでありますが、なかなか困難が伴っておる。この大学教授の連署といい、職員組合の要請というものは、理を尽くして、きわめて謙虚な、最小限度の要求であると私は思う。理不尽な要求であれば、われわれはあえて取り上げる必要はないと思いますが、きわめて謙虚である。「教育機関といえども職員の能率向上と事務の簡素化をはかり、定員増の必要を極力押えなければならないことは私どももよく存じているところであります。」と、きわめて謙虚に考えながら、しかし、やむにやまれない、この最小限度のものは満たしてもらいたいという悲痛な叫びに対して、どう対処されるのか。 ただいま西岡政務次官は、季節性云々と言われましたが、一例をあげますと、季節性ではないんです、これは、次官。図書館という同じ業務に、図書館関係の業務に季節性はないわけですね。たとえば林野庁のいわゆる非常勤の定員化の問題、これとは趣を異にしておる。従来よく引用されましたものとは趣を異にしているわけです、職種を。季節性ではないわけです、恒常的に何年も同じ仕事をしておる。こういった矛盾は、まず当面すみやかに解決されなければならぬと私は思うんです。この問題すらも解決をされないということは、私は大蔵省当局みずからもやがてはお困りになることも出てくるでしょう。そういう具体的な問題に対して、あなた方が財政の立場に立って、ずたずたと要求を切られる、要請を切られる、一律に切っていかれるというのが従来のやり方なんです。それでは実態に即応しないんであります。そういう態度に対して反省を加え、実情をよく検討して、少なくとも前向きでこの問題を解決されていくという熱意と具対策をお示しいただきたいと思います。
○説明員(原徹君) この問題につきましては、実は四十六年度には別段私どもに文部省からの要求がございませんでした。したがって、その点につきまして十分検討はしておりません。しかし、文部省からのお話ですと、行政需要に対して、その拡大に対して増員をしてもらいたいということ、これは非常に強い要求でございますから、その点につきまして、私どもも鋭意努力をして、先ほども申しましたように、二千六十九人の増員、これは非常に私は少ないと思いません。非常に多い数字でございます。お認めしておるわけでございます。そして、たとえばコンピューターをつくるといえば、それに対して確かに要員が要るわけでございます。それについてその要員は要るわけでございますが、やはり片方において、いまの行政の簡素化という点もございますから、ほかに振りかえられる可能性というふうなものがあれば、それは文部省と十分相談をしてそれに充てる。しかしそうは言っても、やはりそればかりではとても足りないものですから、やはり二千六十九人の増員計画になっておるというのが現在の実情でございます。したがいまして、将来の行政需要の拡大に応じまして、私どももその増員の問題は対処いたしたい、そういうふうに考える次第であります。
○足鹿覺君 もう一言申し上げておきますが、大蔵省当局に。先般、当委員会に山田農学部長、逸見助教授を招致して意見を聴取いたしました。私も資料その他をよく収集し、検討いたしました。この定員外の職員問題については、研究費を削っておられるのですね、やむにやまれなく。これは今日のような、日進月歩の科学の進歩していく今日の状態のもとにあって、非常に嘆かわしい事態だと思うんです。大学の使命達成の上からいっても、同じ人民の出した税金、そして研究費に充てられるべきものが、それを削減しなければ当面のまかないがつかないという状態は正常な状態で私はないと思う。このようなあり方は、あなた方は予算の効率的な運用ということをいつも言われますが、私はそのことそれ自体は国民のためにとって必要なことだと思いますが、しかし、このような非人権的なことがますます増大していくということに歯どめをかけ、問題を解消していく。他に冗費があれば別でありますが、いかにせん冗費がない、削るべきものがない。したがって研究費に手をつけなければならぬというような状態は放置できないと思うんです。これはただ単に東京大学の例のみにとどまらないと思います。そういう事態の早急解決のために対処してもらいたい。あなたが担当主計官として責任のある御答弁をこの際承っておきたいと思います。
○説明員(原徹君) 研究費と申しますか、おそらく教官当たり積算校費というものがございます。それをたぶん使っているのではないかと思います。その校費につきまして、その使途を制限するということは、研究の自由な弾力的な運用ということに関しまして、かえって問題があるわけでございますから、それを人件費と申しますか、いまのたとえば資料を整理したりなんかするためには、それは研究でございますから、それは校費を使うのは、もちろん制度本来の趣旨としてはそういうことだろうと思いますけれども、しかし、その校費につきましていろいろ制限を加えるということは、かえって研究の弾力性がそこなわれるものですから、その点は大学におまかせしていく、こういうような実情でございます。研究費それ自体につきましては、私どもも毎年心配いたしておりますけれども、研究費の二割ぐらいの増加をしておるのでございます。今後とも研究費の増加につきましては考えていきたいと思います。
○足鹿覺君 せんじ詰めて、そういう矛盾は今後解消すると、そういうふうな御答弁であったと解してよろしいですな。よくはっきり聞き取れぬかった。
○説明員(原徹君) 先ほど申しましたように、行政需要に応じて増員をはかるということにつきましては、私どもも鋭意努力をしてきております。それにつきましては文部省と十分協議をいたしたい、こういうことでございます。
○足鹿覺君 文部省と協議をしたい——いま私は意外なことを聞いたんですが、四十六年度の予算編成時においては、西岡政務次官、文部省からは要請がなかったと言っていますよ、大蔵省は。これは一体どういうわけですか。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 ただいま先生の御指摘の点は、図書館等につとめる方々の問題も含まれていると思うわけでございますが、(「それは一例だ」と呼ぶ者あり)一例として御指摘いただいたと思いますが、文部省としては行政需要の拡大に伴う、また教育研究の発展に伴う定員増の要求はもちろんこれはしているわけでございますが、ただいま御指摘の図書館等の例に見られますものは、文部省としては、これから数年間にわたって業務量の増減、変動がある、そういう業務、あるいは業務の合理化等が予想されることによって、そういう問題については、これは臨時的と申しますか、そういう形でこれを処理すべきではないかという基本的な考え方に立っているわけでございます。したがいまして、図書館の場合を例にとりますと、たとえば図書館なり研究室等で図書を購入した場合に、一時的にその図書の整理等が必要になるという、そういうふうな例もあるわけでございます。もちろん、個々のケースについて問題がある点は残っているということはあるいはあるかもしれませんけれども、基本的にはそのような考え方でこの問題には対処しておるわけでございます。
○足鹿覺君 要するに、昭和四十六年度に、いま大蔵省の主計官が言われましたように、具体的な要請がなかったということは、いまの次官の御答弁とは食い違っておると思うんです。とにかく季節的なものの感覚ではなくして、常時雇用を必要とする理由は、大学院制度が昭和三十六年、七年度に比べて完備してきたということです。事務量が増大したということです。新制大学制度の趣旨を生かして図書館などが整備した。これは当然、当然過ぎるほど当然な定員増がついて回ると思うんです。また、人文科学といわゆる自然科学との差は、ただ研究室に立てこもっておればある程度の研究のできるものと、いわゆる土壌から種をまき、まいたものから作物を育成し、そこに遺伝学の分野も出てくるでしょうし、栽培学の面も出てくるでしょうし、応用化学の面も出てくるでしょうが、そういうことになってまいりますと、実験用機器その他の立体的な広範多岐にわたった問題がついて回ることはこれは当然なんです。したがって、その管理要員が必要になるということは、何人が見ても疑う余地はないはずでありませんか。それをあなた方は四十六年度において要求をしていない、大蔵省に対して具体的な要求がなかったと主計官が言ったが、事実は違うのじゃありませんか。考え方は持っているけれども、実際的にはやっていない、そういうことにならざるを得ぬではないでしょうか。くどいようですけれども、その点は私は盲点だと思うのですよ。どうですか——大臣、大臣、あなたの答弁はあまり信用できぬから……。(「文部省は何もやっていないのだ」と呼ぶ者あり)大蔵省がいま言ったでしょう、四十六年度は要求しなかったと……。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 先ほどもお答え申し上げましたように、文部省といたしましては、四十六年度の予算要求におきましても、行政需要の拡大、また先生がただいま御指摘になられましたいろいろな条件のもとに定員増の要求はいたしておるわけでございます。ただ、定員外の職員がおるから、それはそのまま定員化を全部要求するという形での要求はいたしていないということでございます。
○足鹿覺君 それは西岡さん、あなたの答弁としてはそういう答弁でしょうけれども、その中身を、いわゆる人権上の問題に対するようなものを含めて御要求がなかったと、定員外を含めた非常勤職員をそのままそっくり要求なさったのではこの問題は片がつかない。定員増の要求がなかったと私はいま……。定員増はあったのですか。——定員増については要求があったといって、いま大蔵省は手を振っておりますから、若干あったといたしましよう。問題はその中身を言っておるのですよ。そこで、この間のやりとりのときに、山田農学部長はこう言っております。東大の総長が文部省と交渉するのだ。そうすると焦点がぼけてくるわけです。総長が何も知っておるわけじゃない。したがって、今後のいわゆるこのような問題を深刻にかかえておるときには、学部長みずからがその衝に立ち会って、よく大蔵省にも文部省にも、そのよってきたるところを詳細説明をし、事務当局で解決がつかない場合には、やはり局長折衝や事務次官折衝で終わらないで、大臣折衝まで持っていってこの実現をはかるということが、政治家の任務でしょう。それなくして一体、大臣の仕事は何がありますか。事務がこまか過ぎて問題が解決しない場合に、たとえ事が小さくても大きくても、その本質が重大と思う問題については、やはり局長の段階でおりたり妥協したりしないで、大臣折衝まで持っていく、そのような決意がなくては問題の解決ははかれぬのじゃないですか。それをいわゆる総長まかせにしておった大学当局も少しずさんだと思う。総長がそんなにピンからキリまでわかる道理がない。資料の説明もできるはずもない。といって職員組合の代表を文部省との折衝に参加させるだけのことはいまの制度ではできますまい。したがって、職員組合はいろいろ折衝をするけれども、全学共闘との事情等をかまえて会見を拒否したり、交渉を無期限に延期したり、そういうことをやっておる。そういうことで正しい職員の意思が反映するはずが私はないと思う。 全学共闘とは別個な問題ですよ。きわめて堅実に、きわめて控え目に謙虚に、たとえば一例を申し上げますと、確認書ですが、「削減用ポスト三および空ポストを即時定員化に使う。高橋さん(七年目、園実)朝妻さん(七年目、図)大貫さん(七年目、水産)を削減用ポストで定員化する。完全定員並待遇を即時実施する。こまかい点については今後さらに交渉する。」、一九七一年二月十八日に、農学部長代理藤巻という人と職員組合の委員長の志村何がしという人との間に確認書ができておるけれども、これまた解決がついておらない。こんなことを繰り返しておるから一向に前進しない。それが大学の研究の支障となってあらわれる。いわゆる大学側と職員間の不信感がつのってくる。しかも、いわゆる全学共闘のよしあしについて私はここで論じようとは思いません。それはそれのケースで別途にまた論議をいたしますが、少なくとも学部全体の意志を代表する職員組合との最小限度の確認書すらも実現ができないということは、私は非常に遺憾だと思う。そういう不信感がお互いの間にあって円満な大学の運営というものはできないと思う。 そういう点から踏まえて、来年度の予算折衝はもちろんでありますが、少なくともこのような問題については、どうせことしの十一月か十二月には補正も出てくるでしょう、補正予算の必要も生じてくるでしょう。そういった場合にネックになる問題をやはり取り上げて、そして補正要求でもして問題の解消をすみやかにやるということも考えるべきだと思う。まあ、あまりこまかいことまできょうは質問する時間がございませんし、もうあと一点重大な点がありますから、そういったやはり熱意と具体性をもって交渉に当たっていただきたいと思いますが、いかがでございますか。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 今後文部省といたしましても誠意をもって、また、先生からおしかりを受けましたけれども、これらの諸問題について熱意を持って、行政需要の拡大その他の原因に伴う定員増のために格段の努力を続けることをお誓いをするものでございます。 ただ、ただいま先生の御指摘の中に、大学の学部の責任者が直接文部大臣等と折衝をすべきであるというお話がございましたが、もちろん大臣といたしましても、また事務当局にいたしましても、各大学の学部長に、特に学部内におけるいろいろな具体的な問題の中で重大な問題がある点につきましては、直接御意見を承るということも当然いたすわけでございますが、ただ、予算の概算要求の前の段階における文部省と各大学との話し合いは、大学当局の中でまとめられた総意というものを文部省としては尊重して概算要求のもとをつくるわけでございますので、やはり大学当局の、大学全体の中で政策順位というものがおのずから出てくるのではなかろうかと、これは大学自体の内部でこの政策順位について、この種の問題をいかに取り上げるべきであるかという考え方をまとめていただくということがやはり前提になるのではないか、かように考えるわけでございます。
○足鹿覺君 少なくとも一万人からの定員を擁しておる大学ですよ、全国に幾らもある、東京大学はその最たるものですね。これは、ある一省庁にもまさるような大きな団体です。そこでね、あなた方から予算折衝なさる場合には、農林省なら農林省のまず最初課長クラス、それで片がつかぬ場合は今度は部長、参事官クラス、その次は局長クラス、次には事務次官折衝となる、最後には大臣折衝だ、こうきまる。ですから、私は総長が何もかにも順位をつけて、総意を代表して出るとおっしゃる、それはそのとおりでしょう。だけども、各省間における予算折衝の中身を、私もずいぶんやっておりますが、省のこまかい行政事項なり陳情なりをわれわれがいわゆるカバーして、それを実現していく上には、西岡さんも政治家でしょう。私もこれに長いこと携わっておりますけれども、やはり積み上げ積み上げ、そしてその実施予算の裏づけを求めていくものなんです。それを大学総長と文部当局が順位をつけておるから、大学総長ということでは無理ではないか、そこでこの間、帯同していきなさいと、各部長を。そうしなければ総長では理解のできない問題があるだろうと、制度的には私どもはなかなかそういう慣行を一ぺんにつくるということは無理でしょうが、少なくとも総長と文部省とが折衝なさるときには、少なくとも各部長を帯同して、その前に職員組合等との意見調整も十分にとって、そして重要度の問題についてもよく腹に入れて、そして行き詰まったときにはやっぱり帯同しておる各部長の意見も聞き、そして問題を煮詰めていく、こういうことでなければ、一万人からのいわゆる教授その他要員を持っておる大学の運営を総長一人の文部折衝で片がつくなどということは、どこかに穴があくんですよ。非常にずさんなものになってあらわれてくる。いわゆる文部省はあらゆる陣容をたてにし、さらに背後には大蔵省がおって大なたをふるってくる、太刀打ちになりませんよ。大体大学の先生というものは紳士的である、ややもすれば象牙の塔に立てこもるくせがある、政治家的な素質はなかなかない。加藤一郎さんは別でしょう、彼はなかなか政治力もあるようですけれども。大体この間一ぱい学者を呼んで聞きましたが、とにかく世情にうといですなあ。いわんや官庁間の折衝などということになると、これは負けです。その辺をいわゆる大臣なり政務次官というものは心得られて、帯同してきた総長に助言をし、そうしてそこで初めてある程度の妥結点が出て問題が前進するのではないか。これを制度としておやりなさいというのではない。そういう慣行をつくられることが、問題解決の糸口になりはしないか、この点どうですか。むずかしい問題じゃないですよ。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 現実的な処理の問題として、先生の御意見を十分尊重して、文部省としては対処してまいりたいと考えております。
○足鹿覺君 最後に、もう時間も迫りましたので詳しいことは省略いたしますが、蚕糸教育の問題について、先般、京都工芸繊維大学の藤本武助氏、それから山添中央蚕糸会長を呼んで、本委員会で審議をいたしました。まだ審議録もできておりませんからお読みになっていないでしょうけれども、村山君もお見えになっておりますが、先般、五月八日、蚕糸教育研究会というものが京都の農協会館で開かれ、与野党も招かれまして、私は野党の立場、あとは自民党の立場でありまして、他の党からお見えになったか、案内があったかどうか知りませんが、私はとにかく行きました。そこで満場一致決議が行なわれた。これは、決議文はすでに村山局長が当日出ておられて、農林省の荒勝蚕糸園芸局長もおいでになっておりますから、お聞き取りであろうと思います。つまり、大学自治の名に隠れて学科の廃止問題を一方的に押し切る陰謀といいますか、術策といいますか、こういうことが行なわれる。しかも、まことに遺憾千万に思うことは、本年の学生募集の募集要項に、本学科はやがて廃止される見込みであるというような意味のことを記載している。これを配付したというようなことから大きな問題になり、全学ストにまで発展をした。そして紛争が続いておる。 これは昭和四十年、横山答申があった当時の状況と今日の状況は、日本の蚕糸業界の状況というものは根本的に変わりつつある。水田を休耕・転作しなさい、政府はおっしゃるけれども、何をじゃおやりなさいということは具体的にお示しにならない。その条件の整備にも御尽力になっておらない。その中にあってわが国の蚕糸業のもとである繭の生産量は世界一、輸入量も世界一である。こういうふうな状態で内需がまかなえない状態になっている。海外からは養蚕技術者派遣の要請は日に日につのってきておる。こういう世の中にあって、日本の農政の転換の背景をなすそれを踏まえてこそ、私は今後の大学の使命というものは、こういう技術教育に当たるものは対処していくべきものだと思う。しかるに藤本参考人は、当初はそういうことを言った。最後には、所見を聞いたところが、これは農学部に移管すべきものであると、反省の色が見られない。農学部というものは、御承知のようにいわゆる工学につながらない。なぜ京都に高等蚕糸学校が七十年の歴史を持って生まれ、それが学制の改革によって工芸繊維大学になったかということは、いわゆる土壌があり、そこに桑の苗が植えられ、種屋さんがすぐれた蚕種を供給し、そこで農家が桑を栽培して養蚕が成り立つ。そのはき出した糸は、人工をもってしてはいかんともしがたい、これが化学繊維との相違であることは御承知のとおりだろうと思う。その上に製糸があり染色があり、そこで織布となって京都の西陣、丹後のちりめんというような長い日本の伝統の工業が成り立っておる。その特殊性にかんがみて工芸繊維大学という名前になったと私どもは考えておる。いわゆるその根本の使命を忘れて、農学部へ持っていくのが適当だなどという暴論をはく。当日はあらゆる各界各層を網羅した蚕糸教育研究会には出席があり、満場一致、あとで決議文はお読みいただいておると思いますが、決議が採択されておる。山添中央蚕糸協会長もこれに全く同感である。農林省も現状の蚕糸業の現状から将来の展望に立って絶対に必要である、こういう言明があったにもかかわらず、なぜか藤本さんは反省の色がなく、村山大学学術局長も答弁がきわめてあいまいである。したがって、この決議の趣旨に従って今後いかに対処されるか、当面の私は非常な大きな問題だと思う。 日本の休耕、転作を余儀なくしたその責任にまでは私は論及いたしません。が、しかし、自殺者が十四名も出ていく、そういう悲劇の中に農民は新しい自分たちの生きる道を求めている。しかも転作の中で一番将来性のあるものは養蚕であり、そのもとである桑園であるということに方針も固まっておる。にもかかわらず、その根本になる養蚕学科を廃止し、六人の教官を現在三名にし、転出し、あるいは定年で自然退職したものをほったらかし、自滅を待つような対策が講じられている。しかも、これは教授会が一部の反対を押し切って、しかも深夜、私が旅館だと言ったら寮だと言ったが、寮でも何でも旅館に相違ない、泊るところなんです。学外でそういう決議をやっておる。その当、不当についてはきょうはもう申し上げませんが、少なくとも手続の上からいっても、大学自治の名のもとにこのような現実と離れた姿を実現していいものでしょうか。深く日本の今後の農業の将来に思いをいたし、また、これに関連する業界の意思を正しく受けとめて、むしろこれを拡充すべきであって、これを繊維材料学として、一般繊維と、蚕のはく生糸と同列に論ずるようなものの考え方、つまり京都大学の農学部に設置せよということは、縦割り一本で事はできるものではない。いわゆる養蚕から最後には織布となって外貨をかせぎ、内需を満たす、将来性は十分保証されております。そういう実情というものを全く無視して、一方的に学長が強行しようとしておる実情はよく御存じのはずでありますが、これに対して坂田文部大臣にも、私はよほど前からも直接意向も聴取し、ある程度意向も聞いておりますが、大臣の意向等もよくお打ち合わせになって御出席になったと思いますが、このような情勢を踏まえ、学園自治の美名のもとに非を強行するということは、国民の大学を学長が死滅さすことである、断じて許せません。そういう点において文部省当局としては慎重にして、かつ適切な措置を講ずべきだと思います。この点についての政務次官の文部省を代表する御所見を承りたい。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。これまで文部省といたしましては、蚕糸教育につきましては、昭和四十年の三月に蚕糸関係の学術経験者でつくられました大学における蚕糸学教育の改善に関する会議において出されました答申に基づきまして、諸般の施策を進めるというのが基本的な態度であったわけでございます。しかし、答申が出されましてから、すでに六年近く経過をしたわけでございまして、その間わが国の農業をめぐる諸条件に著しい変化が出てきておることも、先生ただいま御指摘のとおりでございます。したがいまして、わが国の農業政策の転換とも相まって、この問題については再検討を要するのではないかと文部省は考えているわけでございます。 具体的にはこれからの基本的な方針は、まず当面のいまございます三大学についての養蚕学科のあり方でございますが、いまある三大学の養蚕学科の措置につきましては、これはもちろんこのままの形でそれを整備していくという考え方で今後進めてまいりたい、かように考えているわけでございます。
○足鹿覺君 要するに横山答申は、昭和四十年ですね。その後における情勢の変化に即応し、三大学の養蚕学科の問題に対しては、適正かつ慎重に対処していく、こういうことですね。
○政府委員(西岡武夫君) この問題は、ただいまも御答弁申し上げましたように、農業自体の急激な置かれている環境の変化というものが背景にあるわけでございますので、今後の養蚕についての振興策、その基本になります養蚕についての教育については、やはり抜本的な振興策というものを踏まえながら、文部省としても当然教育という立場で考えていかなければいけないと思っているわけでございます。したがいまして、そのような認識に基づいて、いま存在をしている三大学の養蚕学科については、現状を尊重して、今後の整備をはかっていくというのが基本的な考えでございます。
○足鹿覺君 わかりました。 最後に、先ほどもしばしば触れましたが、大学自治の内容とその限界について十分ひとつ文部省でも今後配慮をしていただきたい。高等教育機関であるとともに、大学は研究機関である。社会制度としての大学の自治、これについては文部省もいろいろとお考えがあるでありましょう。あえてこれを論争しようとは思いません。大学の自治は、わが国において学部の自治を中心として認められておるようでありますが、最近の大学における研究教育の分野が多様化してきておる。社会的意義の発展、大学が大衆化しつつあり、大学自治の理解は次第に多くの問題を内包してきておると私は思います。それはそれなりに、今日の論争はいたしませんが、学部を基盤とする大学の自治は、つまり、国家権力が学問の自由を侵すことに対して、その自由を保障するということにあると思うのです。教育専門家の独善を克服すると同時に、国民的な社会的要求と研究教育の結合を、特に技術の場合においてはその背景をよく踏まえていかなければならぬと思います。そういう点において、農政の転換を迫られておる今日の時点において、将来を展望し、少なくとも国民的社会的要求と遊離するような存在を許さないよう、学部長の独善を私どもは国民の立場から監視していきたい。文部省もそういう観点から、文部省の大学でもない、いわんや学部長の大学でもない、学生あっての大学であり、国民の大学であるという、そういう観点から本問題に対して十分配慮していただきたい。 このことを御病気中の坂田文部大臣にも強く御要請を申し上げて、本日は時間もありませんし、先般の補足でありますから、文部当局に対する質問を打ち切りますが、行管の監察局長に最後に一言申し上げておきますが、先ほどの大臣の御答弁を肝に銘じて、先日示されたようなあのような具体的な問題に対して、当面を糊塗しているような態度を改められて、今後具体的な内容に至って行管の使命を発揮していただきたいと思います。御決意と今後の所信があればこの機会に承って、私の質問を終わりたいと思います。
○上田哲君 関連して次官に一言。 行政需要ということばは、私はたいへん気に入らないのです。大蔵省当局から見れば、みんな札を食う動物に見えるでしょうけれども、行政需要に見合って効果的な措置を講じようという抽象論は、少なくともこの定員管理の問題については少しく冷た過ぎると思う。ヤングパワーのたいへん突き詰めた所見を発表なさる次官に、少なくとも前回参考人としておいでになった農学部長が、問題を他の一切の要素をこえて人権問題と考えておる、こういうことばがありました。大蔵省当局が札を勘定するように、それを食う動物の数を当てはめるような意味での行政需要ということばもわからぬではないが、文部省当局の、しかも新進政治家の政務次官は、人権問題としてどのような理解をされ、したがって、それに対して政治的判断をどのように前向きに持たれるかということをひとつ承っておきたいと思います。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 先ほど行政需要の拡大ということばを使ったわけでございますが、これは行管等でも一つの用語としてお使いになっておられることばでございまして、別に私も他意があって申し上げたつもりはないのです。ただいま先生御指摘の人権問題としてという問題が、この問題の基本的な問題としても存在するということは、私も十分に認識するところでございまして、その問題はもちろん、個々のケースの具体的な例として措置をしていかなければならない問題でございますので、一般論として、これもまたなかなか具体的には論じられないと思いますので、先ほど先生からも御指摘がございましたように、個々の大学の学部長なり、それぞれの責任者から、私も直接こういうことがあるのだというお話を承れば、一つ一つのケースとして善処していくことをお約束いたします。
○政府委員(河合三良君) お答え申し上げます。 定員管理の問題につきましては、行政管理庁が所管でございますので、この問題の解決に当たっているわけでございますが、御承知のように、確かに定員管理につきましては、非常にきびしい態度をとっております。これは国民の税金の負担をできるだけ少なくする、少数精鋭主義によるという趣旨から当然のことだと思っておりますが、また同時に、そういうことから総定員法制定をいたしました際の附帯決議の趣旨に反するようなことがあってはならぬということも、これは肝に銘じてやっております。そのために職員の負担が過重になってはならぬということは十分に承知をいたしておるつもりでございまして、そういう趣旨で今後定員化に臨んでいくつもりでございます。また、あわせまして、定員管理の問題は、これは同時に各所轄庁あるいは所管大臣、あるいは直接には大臣を補佐される人事担当の補佐の方々の仕事でもございまして、これはまた少ない定員の中で、できるだけ——少ないと申しますか、節約すべき定員の中で効率的に人員を管理していくということがあるかと思います。で、また実際に現場の仕事を、行政事務を処理しておられる方々は、これは一般論でございますが、やはりなるべく人が多いほうがいい。これは仕事が楽になるのは当然のことだと思います。そういう御要求があるかと思いますが、そういう御要求に対しましても、各省庁におかれまして実際に大臣を補佐して人事管理をしておられる責任の方々は、これはできるだけやはり省庁内でのやりくりでまずその需要に応じていただいて、さらに必要な場合には増員の要求をされるというような対処のしかたをしていただいてきております。 私どもも定員管理の一般原則でございます国民の税金負担をできるだけ少なくするということと、それから職員の負担が過重になってはならぬということと、また、所轄庁におかれますそれぞれの定員管理、合わせまして、できるだけ、先ほど大臣の御答弁申し上げました趣旨に従って厳正に、また誠実にこの業務を行なっていきたいというように思っております。具体的には本問題につきましては、今後の予算査定の際に十分に文部当局側の実情を伺いまして、増員要求がございますれば、それを慎重に、また誠実に検討していきたいというように思っております。 —————————————
○委員長(田口長治郎君) 委員の異動について、お知らせいたします。 本日、野坂参三君が辞任され、岩間正男君が選任されました。 —————————————
○委員長(田口長治郎君) 本案に対する午前中の審査はこの程度にいたし、午後二時まで休憩いたします。 午後一時三十一分休憩 —————・————— 午後二時二十四分開会
○委員長(田口長治郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。 文部省設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。 御質疑のある方は順次御発言願います。
○峯山昭範君 午前中に続きまして質問したいと思うのでありますが、この定員外職員の問題につきましては非常に重要な問題でございますので、本来ならば大臣に答弁をお願いしたいのでありますが、大臣がおりませんので、私はいろいろと質問したいことがたくさんありますが、初めにこれは何といいましても東大の問題をはじめ非常にあらゆる分野に及んでおりますが、昭和三十六年の二月二十八日に「定員外職員の常勤化の防止について」という閣議決定があったわけでありますが、この閣議決定に基づいて各省庁に政令、あるいはいろいろな文書によって定員外職員の問題をワクをはめているわけですね、そういうふうな意味において「定員外職員の常勤化の防止」というこの法律というか、閣議決定ですね、閣議決定の意味というのは非常に大きな意味を私は占めていると思うのです。そういうふうな意味において「定員外職員の常勤化の防止について」という、いわゆる昭和三十六年の二月二十八日に行なわれた閣議決定、これに対して文部省当局はどういうふうに考えていらっしゃるのか、この点まずお伺いしたいと思います。
○政府委員(安嶋彌君) 行政機関の業務は定員内職員で執行することが当然のたてまえでございますが、それ以前の段階におきまして、御承知のとおり非常勤的な職員の常勤化したものがかなりございまして、それが御承知のとおりかなりな数定員化されたわけでございます。その際に、自今そうした非常勤をたてまえにしながら、しかも実態において常勤的であるそういう職員がありますことは、人事管理上もいろいろ問題が多うございますので、これを定員化した機会に新たにそういう常勤的な非常勤職員が発生しないような措置を講じようということが、閣議決定の趣旨であろうと思います。文部省といたしましても、その閣議決定の趣旨に従いまして、本省はもとより、各国立学校につきましてもその順守を求めておるというような状態でございます。
○峯山昭範君 だから私はあなた方が何と言おうと、この閣議決定の趣旨を順守するという以外にはあなたは答弁できないわけですよ。だから私はあなたでは答弁はだめだと言うのです。この閣議決定を、当然行政官庁の長がきめた閣議決定ですから、あなた方は守らざるを得ないでしょう。しかしながら、この閣議決定は、決定されてからもう十年以上たっているわけです。現在の時勢にはこの閣議決定は合わなくなっているわけです。閣議決定が時勢に合わなくなってきたらどうしたらいいか。だからこれについては当然大臣でないと答弁できないわけです。私はこの閣議決定はもうすでに、これはもうこの閣議決定があるためにかえってたくさんの人たちが苦しんでいる、こういう実情にあるわけです。したがって、この閣議決定なんかは破ってほしいわけです、私たちの立場から言えば。すでに常勤化された職員がたくさんいるわけです。この閣議決定があると閣議決定に反する人たちがたくさん出てくるわけです。本来ならばこの閣議決定がなければ、従来定員内職員と定員外職員の中に、常勤職員と常勤的非常勤職員と三つに分かれております。この閣議決定がなされたために、定員外職員の中に常勤職員という欄がなくなったはずです。したがって常勤的非常勤職員になったはずですね。だからおかしいのですよ、そうでしょう。ここのところをはっきりしていただかないとこの問題は私はまず解決する見通しはもう全然ない。あなた方が予算の要求をしないのも、いろいろおっしゃっておりますけれども、結局はこの決定に縛られてくる。増員の要求をするにしたって何をするにしたって、そういうところがはっきりしない以上は何もできないわけです。あなたはこの閣議決定の意味だけ説明をしている。この閣議決定そのものが現在の時勢に、文部省当局として考えた場合に、これはほんとうにあなた方苦しいでしょう、これ。どうなんですか、これ。
○政府委員(安嶋彌君) 閣議決定は行政機関としては当然守らなければならない準則でございますが、一方御指摘のとおり、かなりな非常勤職員が現在いるということもまた事実でございますので、昨日来申し上げましたように、また、午前中政務次官から答弁をいたしましたように、この非常勤職員は、たてまえといたしましては、これは臨時的な業務に従事するというものでございますが、業務の遂行上かなりの者が長期的な勤務に服しておるという実態があるわけでございます。そういう実態をそのまま定員化をするということは、閣議決定が順守されている以上は、私どもはただいまお話がございましたように、そういう形での定員化要求というものは、これはまあできないわけでございます。したがいまして、行政需要の増大と申しますか、教育研究の必要が増大をしてきているというそういう現実を踏まえまして、それに対応して必要な定員につきましては今後増員要求をいたしたい、まあこのようにお答えを申し上げておるわけでございます。私どもといたしましては、閣議決定がございます以上は、常勤化した定員、非常勤職員というものはないというたてまえで事を処理せざるを得ない立場でございますので、そうした形で問題の前向きの処理をはかっていきたい、かように考えておるわけでございます。
○峯山昭範君 私は、あなたはそれだけしか答弁できないのですね、要するにね。それ以上は言えないのですよね。この閣議決定がある以上は全部縛られてくるわけです。たてまえは、要するに季節的な職員、仕事に携わる人たちと、こうなっておりますけれども、実際は長期的な人が非常に出ているわけです。出てきている。そういう人たちは定員外職員の中の常勤の職員なんです、言うたらね。しかしながら、それを定員外の職員の中の非常勤職員じゃなくて、いわゆる常勤的非常勤職員という考え方に立って、そしてこの閣議決定に基づいて日々契約をしておる——それこそ非人道的ということがそこから出てくるわけですよ。なぜそうなるかというと、この定員外職員に関する閣議決定を変更する以外にないわけです。あなた方が行政事務的に、または前向きでとおっしゃっておりますけれども、前向きであろうと何であろうと、とにかくこういうふうな問題についてはあくまでもこれに縛られますよ。現実に定員化すべき職員がどのくらいいるのか、あなた方前もって各大学から、あるいはこの間の、先般からこの問題については相当問題になって、行管庁当局からも定員管理の面からこういうふうな調査がされました。されて、現実にあなた方届け出やりましたし、現実にこういうふうに定員外職員の中で常勤職員がたくさんいるわけです。こういう人たちは、本来ならば、仕事の量がふえているわけですから、定員増をやらないといかない人たちです。逆にそういう点からいきますと、あなた方何ぼこれから予算要求をしようと何をしようと、これはなかなか解決しませんよ。あなた方の腰が入ってないのです、根本的に。今回新たに初めてこういうふうに具体的に問題が出てきたからこういうふうに問題になるのであって、こういうふうに具体的に問題が出てこなかったらいつまでも解決しない問題ですよね。私は、これはもうこれだけではとてもじゃないけれども、納得はできない。少なくとも大臣に来てもらって、この定員外職員に対する閣議決定について、これは非常に時代に合わないようになっておる、したがってこの閣議決定そのものについても一考を要する、そういうふうな答弁が出てこない以上は、この問題はなかなか私は解決しないと思うのですよ。そういうふうな立場に立って、もう大臣がいなくて質問をしろなんということは、わが内閣委員会においては、大臣も次官もなしで質問するなんということは前代未聞です。その前代未聞のことをいまやっているわけです。委員長、だからほんとうに私はいかぬと思うのです。少なくとも政務次官がおって質問するというのはいま常識ですよ。全くあなた方の答弁を聞いておりましても、答弁はわかっているのです、実際のところ。それでは私はいかぬと思うのです。したがって、あなたにいつまでもこういう問題を食い下がっておりましても一つも前進はしませんので、ちょっと質問のほこ先を変えまして、総理府の人事局長にちょっと聞きたいと思うのです。 まず、総理府の人事局長から、この定員外職員の問題について、あなたはどうお考えですか。
○政府委員(宮崎清文君) 総理府人事局の直接の所管事務といたしましては、国家公務員等の退職手当法、これを所管いたしております。したがいまして、定員外の非常勤職員の処遇の問題、その中で直接私どものほうが担当いたしておりますのは、いま申し上げましたような退職手当の問題でございます。退職手当につきましては詳細申し上げるまでもなくおわかりと思いますが、たてまえは常勤の職員がその対象でございますが、勤務形態が常勤職員に類似しております非常勤職員も例外的にその対象といたしております。現行法におきましては、日々雇用の非常勤職員で月の勤務日数が二十二日以上かつ六カ月引き続いて継続して勤務いたしまして、さらに引き続き勤務いたしておるような職員につきましては、退職手当法の適用があるわけでございます。そういったわけで、非常勤職員につきましてはそういう仕組みになっているわけでございますが、それ以外の非常勤職員の一般の処遇の問題、これは個別的に申しますと、給与につきましては人事院でございますとか、共済の問題は大蔵省でございますとか、いろいろございます。ただ私のほうは、たいへん抽象的でございますが、国家公務員全般の制度につきまして企画いたしたり調査いたしたりすること、あるいは国家公務員の人事管理につきまして総合調整をいたすというような仕事があるわけでございまして、非常勤職員もそういう問題になった場合には私のほうで窓口になりましてそういう問題を取り上げる、こういうことになろうかと思います。
○峯山昭範君 私はいまの局長の答弁は、もう全然気に入らないですね。気に入らないというよりも、非常勤職員を侮辱しておる。とにかく、あなた、こういうふうな非常勤職員、いわゆる今回の、あなたはずっと前から聞いてわかっておるはずです。こういう方々は国家公務員なんでしょう。どうなんですか。
○政府委員(宮崎清文君) 本日問題になっております国立大学等の職員の方は、国家公務員でございます。
○峯山昭範君 そうすると、あなたは、わが総理府の管轄は退職手当と一番先にあなたはおっしゃいました。当然それは退職手当もそうでありましょうけれども、少なくとも日雇いの——日雇いといったらおかしいですけれども、日々雇用契約をやっているこういうような職員の皆さんを雇って人事管理をやっていく、あなた、あとのほうでちょっとちらっとおっしゃいましたけれども、あなた総理府設置法の第六条の三のあなたの人事局の事務の管轄の内容を見ますと、退職手当の問題もありますけれども、少なくとも「国家公務員等の人事管理に関する各行政機関の方針、計画等の総合調整に関すること。」という、あなたのほうの掌握の義務があるでしょう。少なくともそういう点について、やはりあなたのほうが一番先にこの問題は乗り出してきてちゃんとやらぬといけない問題ですよね、そうでしょう。あなた、この問題と閣議決定のこの問題とあわせて、これはどういうぐあいにこの問題を受け取っているのですか。
○政府委員(宮崎清文君) これは日々雇用されております非常勤の職員の方の問題につきましては、けさほどからもいろいろ御議論があったところでございますが、現在、けさほども政府関係のほうでいろいろと御答弁申し上げておりますように、閣議決定の問題は、これは定員管理とうらはらの問題になろうかと考えております。それを離れまして、非常勤の職員の方の処遇の改善、これが理論的に考えられるわけでございます。その点につきましては、先ほど申し上げましたように、私のほうの直接具体的に掌握しておりますのは退職手当法の問題でございまして、これにつきましても検討はいたしております。それからまた、給与その他の問題につきましては、人事院等とも協議をいたしております。しかしながら、午前中もいろいろ御答弁がございましたように、たいへん問題が国家公務員全体の体系にかかわる部分がございまして、むずかしい問題でございますので、たいへん残念でございますが、いままでのところ、結論は出ておりません。
○峯山昭範君 いや、私はあなた、まだまだ納得できませんよ。私は定員管理なんて一つも言っておりません、いまの問題に一ついては少なくともね。あなたはそれが、非常勤職員の皆さんが国家公務員である以上は、人事管理の面からどうしても必要じゃないかと、あなたのところはあらゆる面で掌握する義務がある。そうでしょう、人事管理の面からは義務がある。少なくとも総理府設置法のこの第六条の三からいえば、少なくともありますよね。これはないですか、どうなんですか。
○政府委員(宮崎清文君) ただいま御指摘になりました総理府設置法の条文は、総合調整について規定しているわけでございます。総合調整が何かということになりますと、なかなかむずかしい問題がございますが、ごく一般的に申しますと、各省庁で、かりにこのような非常勤の職員の方々の処遇に関するやり方が非常にちぐはぐになる、そういう問題が起こりましたときには、それは政府全体としては好ましいことではございませんので、それを調整する、こういうようなことが典型的な一例であると思います。
○峯山昭範君 あなたがそんなことを考えているようじゃそれはいかぬね。各行政機関の、たとえば処遇等がばらばらになっちゃいかぬ、それを調整するんだ、それだけですか、これ。これはそれだけなんですか、その法律からいうと。
○政府委員(宮崎清文君) 先ほど私が申し上げたのは、先ほど申し上げましたように、総合調整というのはいろいろなケースがございますが、一つの例をあげるとそういうことでございますと申し上げたわけでございます。
○峯山昭範君 ということはね、あなた、一つの例としておっしゃったのかもしれませんけれども、各行政機関の方針ですね、また、各行政機関の計画等、これは各行政機関の方針とか計画というのは、これは何ですか、どういうことなんですか。
○政府委員(宮崎清文君) これは非常にいろいろございますが、たとえば人事計画を長期的にどうするかとか、あるいは一般的な人事管理の方針をどうするかというようなことがその内容であろうかと存じております。
○峯山昭範君 さすれば、あなた方は、非常勤職員の問題について、少なくとも文部省当局に対しても、この閣議決定もありますけれども、これからはみ出た職員もたくさんいる。現実にあなた方は調査をやっているわけでしょう。そうしてあなた方は、こういうような職員に対してどういうような見解を持っていらっしゃるのですか。
○政府委員(宮崎清文君) これはあくまでもたてまえ論でございますが、これは午前中も政府側が答弁いたしましたように、たてまえといたしましては常勤の職員と非常勤の職員は違っているわけでございます。したがいまして、給与その他、退職手当につきましても、共済につきましても、一応適用関係が違っております。しかし、それはそれといたしまして、実際問題として非常勤職員の方々の処遇がこれでいいかどうかということは、私たちももちろん問題としては意識いたしておりますし、先ほども御答弁申し上げましたように、関係機関とそういう点で協議はいたしております。
○峯山昭範君 私は、そんなことではとてもじゃないけれども、あなた方は、この非常勤職員の問題について、いままでこれは、閣議決定がある前は、定員内職員と、それから定員外職員の中に常勤職員と非常勤、常勤的職員、常勤的非常勤職員、こういうように分かれていたでしょう。これはどうなんですか。
○政府委員(宮崎清文君) たいへん申しわけございません。私、閣議決定の文章を持っておりませんが、私の記憶でございますと、確かに先生の御指摘のような点がございまして、昭和三十六年の閣議決定に至りますまでの間に定員外の常勤的な職員は極力定員化する。その間にどうしても残りました常勤職員、これは現在、ことばはともかくといたしまして、常勤労務者と呼んでおりますが、これと、それからそれ以外の日々雇用の非常勤職員に分けまして、いわゆる常勤労務者のほうはそこでいわば凍結したというかっこうになっております。この数はふやさない。したがって、それ以外の常勤的な非常勤職員は置かないというのが閣議決定の趣旨であったと理解いたしております。
○峯山昭範君 ということは、その定員外職員の中の常勤職員を置かないというのは閣議決定ですね、そうすると私たちは、定員外職員の中の常勤職員は、当然仕事の量から、いろいろな面から見てもこれの定員内に繰り入れ、あるいは定員増をやるべきである。こういう考え方を私はいまでも持っているわけです。そういう点からいきますと、その閣議決定があるために、いわゆる定員化すべき非常勤職員がずいぶんいるということを、私たちはこの間から国会でもずいぶん言ってきたわけです。ところがこの間、国会でも総理大臣は、そんな職員は一人もいないと、こういう答弁があった。しかしながら、先ほど官房長は、たてまえとか、いろいろなたてまえ上のどうのこうのという話がありましたけれども、現実にはこういうような職員がずいぶんいるわけですね。あなた方はどういうぐあいに調査されておりますか、三十六年以降、こういうような問題については定員化したほうが妥当である。人事管理の面から見てですね。もちろん処遇という点もありますですよ。あなたは、処遇はたてまえとしては違うべきであるけれども、実際はその定員内の職員と同じようにという考えを持っていらっしゃるという話がありましたけれども、しかしながら、実際にこういうような、いわゆる三十六年以降、いわゆる定員化すべきといいますか、定員増にすべきといいますか、そういうような定員外の職員というのは、いままで言っておった常勤職員ですね、定員外の常勤職員、こういうような人たちは現在どの程度いると見ていらっしゃいますか。
○政府委員(宮崎清文君) 一昨年の統計でございますが、日々雇用されている非常勤職員で、実際に十一カ月を越えて雇用されているこういった職員は、大体二万三千名程度いると承知いたしております。
○峯山昭範君 二万三千人ですね。ということは、あなた、この場合、えらいことではないですか、二万三千人というのはどこから出てきたのか、人事局長、これの資料を出してください。 それで行政管理局長にお伺いしますが、この間、総理大臣は、確かにこの間の本会議で、そういう職員は一人も、そういう人は一人もいないという御答弁をやりました。これは四十五年十二月四日です。「定員外職員の定員化についてのお尋ねでありましたが、定員外職員の問題につきましては、昨年八月以来調査を進めてまいりましたが、その調査結果によりますと、いわゆる定員化の措置を要するものはないと、かように聞いております。」と、こういう答弁がありましたが、これは総理大臣にこういうことを伝えたのはどこですか、これは総理府の人事局ですか、これはおたくですか。
○政府委員(河合三良君) お答え申し上げます。 総理大臣が答弁をされた基礎になっておりまする調査は、私どものほうで各省庁にお願いいたしまして調べていただきました調査に基づいておられると思います。で、これによりますと、昭和四十四年七月一日現在で四十三年、四十四年、二年のそれぞれの年次に十一カ月をこえる雇用のあった臨時雇用職員、この一般行政機関と国立学校で現業を除きまして七千七十二名になっております。で、この職員の業務内容につきまして各省庁でお調べいただきました結果、年間に仕事の業務が違ってくるもの、あるいは勤務場所が変更するもの、あるいは業務量が年間に変動するもの、あるいは今後二、三年の間に変動するものと、そういう四種類の仕事の内容に含まれるものでございまして、いずれもそういう意味から臨時職員をもって仕事をしていただくのが適当な職種であるということで、そのために増員をして定員化する必要のある職員はいないという結論を出しているわけでございます。
○峯山昭範君 私は、管理局長の答弁はなかなか気に入らないんですがね。これは二つあるんです。まず一つは、総理府人事局では、いわゆる定員外職員の中の従来から言っておったいわゆる常勤職員というのは二万三千人いるというんですよ。それは二万三千人が普通ならば三十六年の時点でちゃんと整理もやりましたけれども、あのときのいわゆる常勤職員というのは二万三千人、現在の私たちの時点から考えてみても、少なくともこの二万三千人は当然私は定員の中へ繰り入れなきゃいけない、いわゆる人権の問題であると、そういうぐあいにいわれている人がこれだけいるという答弁が先ほどあった。これに対してどうお考えです。 それからもう一点は、私は非常にけしからぬと思うことは、総理府人事局のほうは、人事管理の面からでしょうが、いわゆるあなたのほうから出たこの資料、総理府人事局の四十五年七月一日のこの資料によりますと、定員外職員の分類について、これはまあ私は詳しく言いませんが、いわゆるその「常勤職員に準じた勤務態様で勤務した日が二十二日以上ある」、あなた先ほど言いました、「月が引き続き六カ月以上である職員」という分け方ですね、これを基礎にした分け方、それからもう一つは、「常勤職員の一週間の勤務時間の四分の三をこえない範囲内において勤務する職員」、これがいわゆる六カ月以上と六カ月以下と、この四つの分類のしかたをして調査をしていらっしゃいますね。そうですね。あなた、自分のところの人事局が出している資料じゃないですか、これ。こんな基礎になる資料を説明を聞かなきゃわかんないようじゃしょうがないですよ、これ。基礎になる資料じゃないですか、あなた。ほんとうに話にならないですね、これ。こういうふうに人事局のほうではきめていらっしゃる。私はいま人事局の資料読んだんです。行政管理庁はこういうふうな人事局の、またこれは人事管理で、私のほうは定員管理だとおっしゃるかもしれませんが、いわゆるこの定員外職員を規定する場合に、なぜこういうふうな業務量の変更がここ数年なんという、こういうふうなあいまいな立て分け方ですね、こういうふうな立て分け方自体私はおかしいと思うんですよ。臨時職員の基本は、日々雇い入れられる職員で、一日につき八時間をこえない範囲内において勤務する職員という、これは総理府人事局のきめ方のほうが明らかですね、はっきりしていますよ。そうすると、こういう職員からはみ出た職員はずいぶんいるはずです。初めからこの調査は、総理大臣にどうも本会議で答弁させなきゃいかぬ、そのために一人もいないのだという答弁をさせるにはどうしたらいいかということを前もって考えて、それでそういう結論を引き出すための魂胆を下に置いての、下地にしての調査にしか見えないのです、これはね。これは私の勘ぐりが入っておりますがね、そうだと思うんですよ、これ。そうでないと、たとえばこういうような総理府人事局の定員外職員に関する、非常勤職員に関するこの分類ですね、「非常勤職員在職状況統計表で用いられている雇用別の分類は、次に示す基準によってなされている。」、それで、日々雇い入れられる職員はこうだ、それからずっと詳細出ているわけですよね。総理府人事局のほうがずっと——人事局長さんもすぐ答えられないようじゃしょうがないですがね、私はこっちのほうがいいと思うんです、少なくとも。そうするとこの範囲からは完全にこの職員の皆さんというのは全部はみ出ますよ。いわゆるこれは常勤的職員です、かねがねから言っている。文部省から出てきた、年内に業務変動該当者というのを、私はこの間一人一人聞くつもりだったんですが、そのとき出てきた人というのはたった四人ですよ。あとは数年動かないんです、少なくとも。ということは、数年ということは、これは定員内職員と同じですよ、少なくとも。少なくともこういう人たちは、私はいろいろその採用の条件とか、いろいろ内容的にあるかもしれませんが、少なくともこういう人たちは定員化すべき職員であると私は思うんですよ。どうもあなた方は、この答弁ですね、一つもまともなきちっとした答弁が返ってこないんですがね、これ。——委員長、どうですか、実際問題、いろいろ私はさっきからずいぶん聞いておりますけれども、これはあきませんわ。これはいろいろこの問題については、あと参考人があるでしょうから、私はこの問題はまだ結論、決着つきませんよ。この問題は私は保留して、参考人のほうに入ったほうがいいですよ。それで大臣が出られるときにこの問題をやると、そういうふうにしたほうがいいんじゃないかと思うんですがね。
○政府委員(河合三良君) ただいまの前段の御質問、これは人事局における分類とその調査における分類との違いかと思いますが、人事局における分類は、これは勤務時間あるいは勤務日数のみに着目した分類でございまして、ただいま申し上げました調査の分類は、これは仕事の内容に関する分類でございまして、それは分類の観点が違うためにこういうことになっているというふうに理解いたしております。
○峯山昭範君 私はそうは思わないんですよ、そうは思わない。日にちにしたって、総理府人事局のほうは六カ月以上です。六カ月という一つの基準が出ていると思います。それから言いましても、行政管理局のほうは数年なんというあいまいなぼかし方をやっているんですね、これは。私はもうこれ以上言いませんけれども、それじゃ納得できない。それで政務次官か大臣か来てもらわないといかぬですね。
○委員長(田口長治郎君) それでは、これより参考人に対する質疑を行ないます。 ただいま、参考人として、東京教育大学教授大山信郎君、東京教育大学附属桐が丘養護学校PTA会長岡本文夫君、全国特殊教育推進連盟会長下田巧君が出席されておられます。 三参考人におかれましては、御多忙中のところ、本委員会に御出席いただき、ありがとうございました。 それでは、三参考人に対し、質疑のある方は御発言を願います。
○峯山昭範君 今回の文部省設置法の審議にあたりまして、私は、この特殊教育の重要さにかんがみ、実は、何カ所か、実際に教育に携わっている皆さんの御意見並びにこういうふうな特殊児童をお持ちの家族の皆さん方の心境並びに苦労等、いろいろ聞いてまいりました。私はしみじみと思いましたのは、政治の立場におります私たちは、こういうふうな方々に対しても、どうしてもこの特殊教育の重要さというのをしみじみと感じたわけです。何とかしてこういうふうな、暗い毎日と言えばおかしいですけれども、非常にたいへんな毎日を送っている皆さん、また、現場で携わっているそれぞれの先生や看護婦の皆さん方、そういう方方に対しても何とか報いる道というのをわれわれは考えなければいけない。これは結局は私は国家の責任であり社会の責任である、こういうぐあいに感じました。視察の予定を初め一時間で行ったところでも、現場の教師の皆さんの熱心さに引かれて一時間が二時間になり、二時間が三時間になるというようなことがずいぶんありました。 そういうような観点から、きょうは実は参考人の皆さんに質問する前に、本来ならば大臣にこの席上に来ていただいて、そうして初めにこの特殊教育の基本的な理念といいますか、考え方といいますか、私はこれを明らかにする必要がある、その上で質問に入りたいと、こう考えておりました。すなわち、憲法の第二十六条、教育基本法第三条にも定められておりますように、すべての人間はその能力に応じて教育を受ける権利があり、また、心身に障害を有する者に対してもその教育を十分に保障することが、これは当然国としての責任で私はあると思うのです。最近は特に人間尊重とか人間主義というようなことがさんざん言われておりますけれども、この人間尊重ということを土台にした近代国家であるならば、当然これはそういうふうな教育の機会均等といいますか、こういうふうないろいろな方々の教育を受ける権利というか、それを満たしてやるだけの私は国としての当然責任があると思うのです。そういうふうな意味から私は初めに、文部省当局の、きょうは政務次官お見えになっておりますが、当局の特殊教育に関する理念といいますか、基本的な態度といいますか、そういうようなものについてお伺いをしたいと思います。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 ただいま先生御指摘のとおり、現代における特殊教育の重要性というものはますます比重を増してきつつあるわけでございまして、これまで文部省が特殊教育の振興についてもちろん努力を続けてきたところでございますが、率直に申し上げまして、必ずしも十分な施策がとられてきたとは考えていないわけでございます。したがいまして、過去の反省をも含めまして、今後特殊教育の充実、その振興のために努力をする決意でございますが、今回御審議をお願いをいたしております特殊教育総合研究所の設置につきましても、ただいま申し上げましたような反省の上に立って、おくれております特殊教育の根本的な改善のために資するという考え方に立ちまして、この設立を文部省としては考えているわけでございます。 先生のただいまのお話にもございましたように、非常に恵まれない、いろいろな障害を持っているそういう子供たち、そういう立場にある方々のために、適切な教育の場を整備をいたしまして、その能力、適性に応じた教育を施していくということを目標として、私どもはもちろんこれまで努力をしてきている。養護学校、また特殊学級の増設、施設設備の整備、また教育の中身につきましても、内容、方法等についても、私どもはまだまだ改善をしていかなければいけないという考えでございますし、また、特殊教育につきましては、特に教職員の能力というものが、特殊教育そのものの成果を左右するかぎでございますので、特殊教育に携わる教職員の養成等についても格段の努力をしていかなければいけない、かように考えておるわけでございます。
○峯山昭範君 きょうは三人の参考人の方においでいただきましたので、大臣も本来ならば初めから終わりまでそこにすわっておっていただいて、そうして参考人の皆さんの意見をよく聞いていただいて、そうして今後の特殊教育に関する施策の資料とし、また、参考としてやっていただきたいと私は思うのですけれども、残念ながら、委員会の都合等で席をはずさなければいけないそうでありますので、実は文部省当局の官房長はじめ、きょうは関係の皆さん方がいらっしゃいますので、ぜひともきょうの三人の意見をこれからいろいろ述べていただくわけでありますが、無にしないようにしていただきたいと思いますが、この点をひとつ確認をして質問に入りたいと思います。どうですか。
○政府委員(西岡武夫君) お答えいたします。 ただいま先生の御指摘のとおり、私もぜひ参考人の先生方の御意見を直接承って、今後の特殊教育の振興に資する先生方の貴重な御意見を政策に生かすためにもお聞きをしたいと思っておるわけでございますが、本日文教委員会が別途開かれておりますので、委員会の関係で退席せざるを得ないわけでございますが、官房長以下、特殊教育に関係する事務当局出席いたしておりますので、十分参考人の先生方の御意見を事務当局承りまして、今後の具体的な特殊教育振興策に盛り込んでいくという考えでございますので、御了承いただきたいと思います。
○峯山昭範君 それでは、さっそく参考人の皆さんに御意見をお伺いしたいのでありますが、初めに大山先生のほうからお伺いをしたいと思いますが、まず、特殊教育につきまして基本的にどういうぐあいに理解をしていけばよいか、特殊教育の重大さにつきましては私たちも前々からずいぶんいろいろな面で聞いてまいりましたのですが、特殊教育の基本的な考え方についてお伺いをしたいと思います。
○参考人(大山信郎君) 本日こういうふうな機会を与えられましたことを、長い間、二十数年にわたりまして特殊教育に関係しておりました私といたしまして、こういうふうな機会のあることを非常にうれしく思っております。厚く御礼を申したいと思います。 ただいまの御質問に対してお答え申し上げます。特殊教育と、こう申しますけれども、特別に特殊教育だというのでどうだということは、それだけそんなにないと思いますが、要するに教育基本法というもので述べられておりますとおり、教育の機会均等というふうなものが定められておる。これは障害者といえども教育の機会均等があってしかるべきだと考えられるわけであります。それで、そう申しましても、従来言いますと、そういうふうな障害を持った者に教育するといいましても、それにはたしてできるかどうかという問題があるわけでございます。しかしながら、最近におきます科学のいろいろな進歩によりまして、障害者といえども教育は可能であるということが着々実証されてきました。そのことが第一点であります。 それから次に、心身障害者がその持てる能力を十分に使って身体的、精神的、社会的、職業的あるいは経済的にもおのおのその分野で正常に近いところまで戻そうとする試みの概念、すなわちリハビリテーションという概念が導入されまして、そういった概念に刺激されたということ。 それから次に、普通教育と特殊教育との関係について申し上げます。これはちょうど医学というものにたとえてみますと、医学の進歩のためには生理学と病理学という両方がともども発展する必要があるのにちょうど似ておりまして、特殊教育を研究するということによって得られた成果が一般普通教育にも寄与することが大きいということが確信されるようになったわけであります。まあおもな点をあげたわけですが、以上のような三つの点というものが、教育基本法の精神にのっとって、その上に特にこういうふうな考え方というものが入りまして、この特殊教育というものを充実しなければと考えるようになったわけでございます。 以上簡単でございますけれども、特殊教育の意義について述べさせていただきました。
○峯山昭範君 それでは続きまして第二点についてお伺いしたいのでありますが、戦前の特殊教育というものは、これはもうすでに御承知のとおり富国強兵といいますか、そういうふうな教育方針のもとにありまして、実際問題、この特殊教育というのは私たちは全く顧みられなかったんじゃないか、こういうぐあいに思っております。しかし、戦後、先ほど先生からもお話ございましたが、憲法第二十六条及び教育基本法によりましても、すべての国民は教育の機会均等ということが保障されるようになったわけであります。これに基づいて国や公共団体と、それこそ関係者が集まりまして、その関係者の努力によりまして、まあ戦前に比べますと非常に充実してきたとはいえ、まあ充実してきたとはいえ、その反面、まあ実際問題、国家予算とか、そういうふうな立場からこれは考えてみますと、まだまだ軽視されてるんじゃないかと、私はこう思うわけであります。そういうことは、こういうふうに軽んじられてる点があるように思うわけです。その点から考えてみますと、そこでまあ非常に遺憾なことでありますけれども、これはどうしても戦前と比較してなんて言いますと、非常に時代おくれの感じがいたしますけれども、現実の面としましては、いろいろな問題点もあると思いますので、きょうは先生にお伺いしたいのは、特殊教育における戦前、戦後の相違点といいますか、戦後における特殊教育の発展のおもなる経緯と今後のあり方ですかね、そういうようなことについてお伺いをしたいと思います。
○参考人(大山信郎君) ただいまの御質問にお答えいたします。 国として公に特殊教育というものを考えましたのが、明治四十三年に東京盲学校、それから東京聾学校の規程が示されたわけでございます。その他の障害者というふうなものは就学猶予という形で、教育的には放置されておりました。昭和十六年の国民学校令におきまして、精薄教育、肢体不自由教育、身体虚弱教育が初めて制度的に日の目を見るようになりました。しかし、それだけのことで、戦前は盲ろうあ児には一応国としてもいろいろ考えておりましたが、そのほかは不十分でありました。 ところで、昭和二十二年、学校教育法及び同施行規則が制定され、同じ日に公布されました教育基本法の精神を受けて、学校教育法では特殊教育の目的を盲ろう以外の精薄、肢体不自由、その他心身に故障のある者に対しても教育を施し、あわせてその欠陥を補うために必要な知識、技能を授けるとしております。そして義務教育が一応それによって定められました。しかし、実際には盲ろうにおきましては、昭和二十三年四月一日から逐年的に義務教育が施行されてきました。現在では小・中は義務教育化が完成しておりますので、この点は一応満足する点があるが、しかし養護学校におきましてはまだそこまでも行っていないというのが現状でございます。で、このように考えてきますと、一応戦前に比較しましては、いろいろな障害者に対しましての配慮というものが着々となされてはきております。しかし、ただいま申しましたように、義務教育というふうなもの、そういったものがほかの盲ろう以外でも強く要望されております実情におきまして、ぜひそういったことの充実をお願いしたいと考えております。 それからなお、最近におきますといろいろと内容が、従来、盲ろう、精薄、肢体不自由と、こういうふうに一つのことばで言われておりますけれども、それぞれの内容というものが非常に変わってきたと、これは一つには医学というふうなものがそこに関係するわけですけれども、そういった医学あるいはそのほかの社会的な状態というふうなものに関連いたしまして、内容が非常に変わってきたという点、そういうふうな事柄に応じてどういうふうにしていくかということがまだ現在不十分な点があるのじゃないかと思います。しかし、そういった点はまだ今後、これは最近においてだんだんと変化してきたということでございますので、そういった変化を十分見きわめて、そうしてそれに対応してやっていくということが今後必要なことになってくると思うわけであります。 以上であります。
○峯山昭範君 いろいろと御意見をお聞かせいただいておりますが、小さいことに入って申しわけないのでありますが、特殊教育は何といいましても心身障害児の一人一人の障害の程度といいますか、あるいは能力、適性に応じたそれこそ適切な指導を行なうということが、教育のこれは原点であると私は思うのです。こういうふうに能力に応じて指導または教育をやっていくということそれ自体が、また教育本来の姿でもあると私は思うのです。そこで、たとえ心身にどのような障害があろうとも、これは憲法の精神からいきましても、あるいは教育基本法の精神からいきましても、すべての子供一人一人の能力、適性に合った教育の場が用意され、かつ就学の機会が与えられる、そういうことは結局国民すべての願いであり、かつ責務であるとも私は思うのです。こういうふうな観点につきまして、わが国における特殊教育の現状は、私もいろいろと勉強はいたしてみましたのですが、特殊教育の、いま話がございました施設とか、あるいはまた教育の研究、あるいはあらゆる問題が山積みしている、こういうふうな感じを受けるわけです。 そこで先生に大体三点にわたってお伺いしたいのでありますが、まず一点としましては、ことに教育の現場において直接具体的に直面している問題は、現在どういうふうな問題があるかということですね。 それから二番目は、特に弱体といわれております特殊教育の研究体制上の欠陥、これは今回特殊教育の総合研究所ができるわけでありますけれども、これもいろいろ問題はあとでもう一度お伺いしたいと思うのでありますが、研究体制がまだまだ整っていないという問題があるわけですね、この問題が第二番目。 それから第三番目は、特殊教育に携わっていらっしゃる皆さん方、いわゆる教職員の皆さん方の質の向上という問題も、これは重要な問題ではないかと、私はこういうふうに思っております。そういうふうな立場から、具体的に先生のお立場でけっこうですから、御自由にその御意見をお伺いできれば幸いと思います。
○参考人(大山信郎君) ただいまの御質問にお答えいたします。 先ほども申しましたように、最近におきます医学の進歩というようなもので、障害児のその障害の内容が質的にも程度的にも非常に変わってまいりました。それに対応しまして、教育方法の改善ということが必要になりますし、また教材、教具というふうなものも新しいものが必要になりました。それからなお、そういった事柄に関連いたしまして、お互いに情報を交換するということが必要でありますけれども、しかし、特殊学校というものは、何と申しましても、全国に非常に散らばっておるわけであります。したがって、お互いの連絡がうまくいかない。そういったことは非常に、たとえば普通の学校でありますと、同じような学校がたくさんありますから、お互いに連絡をとって、どういうふうにやっていけばいいかというようなことがよくわかるわけです。しかし、特殊教育になりますと、各都道府県見ましても、その県に一校、二校という程度でありまして、お互いにそういうふうな悩みというふうなものを話し合うという機会が少ないわけであります。それで、そういったことで同じような悩みを持ちながら、お互いに同じようなむだを繰り返しておるというような現状になっておるわけであります。それで実際に生徒を教えていくという、個々の児童というふうなものが、一般の場合と少し違いまして、非常に能力的に差があるということ、あるいは能力的だけでなくて、それぞれの障害というふうなものにもいろいろ程度差があるということ、そういうことは、結局個々の児童に応じて個別指導ということが非常に重要なものになってくるわけであります。集団として教室内で授業を教師は行なうわけですけれども、そういった集団という一つの中で、また個々の児童というものの指導というものがどのように調和していくのか、そういった意味の授業研究というふうなものが非常に必要なものですが、そういったことを話し合う機会が非常に少ないという点が問題になるのであります。 それでそういった現場でいつも聞かされる一つの悩みというふうなもの、そういったものをどういうふうな体制に持っていくかということが問題になるわけですが、ほかの例を見ますと、たとえば各都道府県に教育研究所のようなものができておりますし、いろいろ一般教育になりますとそういう充実性がある。そういうことを考えますと、特殊教育というふうなものが一つ二つあるようなところで、そこに研究所というふうな形はできないということで、どうしてもそういった意味のことを何か考えなければならぬ。で、研究体制というふうなものがそういった意味におきまして、一つの欠陥というものがあると思うわけです。それでそういうふうな研究の欠陥というふうなものがありますが、同時にまた教職員というふうなものを見ますと、現在の特殊教育に関係する職員というものは、一応ある程度は教育されておるわけでございますけれども、しかし、これはまだまだ不十分で、一般普通の教員になる者が特殊教育の分野へ入ってくるという点が多いわけです。で、特殊教育というふうなものは、それなりにまた一般教育とは違った教え方があるわけですけれども、そういったことでまだ未熟なままに、普通学校の教官である資格の者が特殊教育へ入ってくる。そうしますと、そういった教官がすぐに児童をどういうふうに教育をしていくかというふうなことがなかなかうまくいかない。そういうふうなことをいろいろ相談したり、あるいはそれを教えてもらうというふうなことが、いま申しましたように非常に全国にわずかずつ散らばっておるという関係でそれがうまくいかない。そういうことを考えますと、特殊教育に関係する教職員というふうなものをどういうふうに教育していくか、その確保というふうなものをどういうふうにするかという、特殊教育に関係する教員の養成というふうなものがここで一つの問題になるわけですが、その特殊教育の関係する教員養成というものを、もう少しこうしっかりした形においてとらえていただきたいと思うわけでございます。 以上簡単でございますが。
○峯山昭範君 確かに、いまお伺いしておりまして、先生が特殊教育の場合は話し合う機会も少ないし、教員の養成の上からもいろんな問題があることはよくわかりました。 次に、特殊教育の中でことに幼児時代といいますか、早期にそういうふうな症状があるということを発見するということは、これは非常に重要な問題であると思います。そこで、特に最近自閉症児の幼児期の教育の問題というのが相当各方面の世論が高まっておりますが、特にこの幼児教育についての教育研究の現状、これは非常に特殊教育の中でも私は重要な部分を占めていると思うんですが、この点についてどういうふうに教育研究が現在進められているかという点についてお伺いしたいと思います。
○参考人(大山信郎君) この幼児教育というふうなものが必要であるということは、これはもういまさら申し上げることもないと思いますけれども、大脳生理学というものが進歩してきましたし、学習理論というふうなものの発展と、そういったことから幼児教育というものが非常に重要であるということが浮かび上がってきております。特に障害児を考えますと、普通の児童より以上に非常に早期にそういった教育が必要であります。それで幼児教育というものが必要になりますと、それに関連しまして、まずそれをどういうふうに発見するかということが問題になるわけですが、この障害児を早く早期に発見する、そういうふうな事柄が必要であるということはよくわかっておっても、それを具体的にどのようにしてとらえるかということになりますとなかなか問題がある。まずそういうふうなことから考えまして、家庭におきましてその両親がもしも自分の子供さんが障害児であれば、どういうふうにそれに注意していくかという、そういったことの啓蒙と、また両親を教育していく、どういうふうにしたらいいであろうという相談に乗ってやる。そういうふうな両親の教育ということが必要だと思う。自分の子供が障害を持っておるかどうかというようなことをその親なりが早く感じ取る。そしてどういうふうな症状があればこれは障害児だろうと、そういうふうなことを親として早く知る。そして医者に相談する、そういうふうな、まず最初はそういう点のところが必要だと思う。近ごろ三歳児検診というようなことが言われる。そういうことが言われるのは、やはり幼児期からいろんなことをやらなければいけないんだという考え方がだんだん浸透しまして、三歳児というわけですけれども、しかし、これは三歳児と言わずにもっと早くから検診制度が確立されてくるということが望ましいわけです。しかし、いまの日本におきまして、そういった障害児というふうなものをどういうふうにとらえていくか。これがイギリスのように社会保障が充実しておりまして、障害者が一々登録されてくるというふうなことになりますと、それによってすぐにわかる。全体で日本にどれだけの障害児がどのように分布しておるか、いろいろな点がよくわかるわけですけれども、まだそこの点まではとらえられていない。それは考えてみますと、障害児をとらえる第一は、先ほど申しました両親ですけれども、次には医者であるわけです。それも開業している医者というふうなものが多くは最初にぶつかるんじゃないか、それから病院とだんだんくるわけですけれども、そういった開業医あるいは病院、そういうふうなところで実はよく障害児というものが最初にわかってくるわけです。そういうふうなところのものをどういうふうに、現在それがそのままどうやらなっていってしまうというわけですけれども、そういったものをもっと組織的に何かとらえて、そうしますと、障害児がどうであるかということがすぐにわかってくる。そういった点がどうも特殊児童、特殊教育というものに関係しますと、そういうふうな子供から大きくなるまで一貫して特殊教育というふうなものの、先ほど三歳児と申しましたけれども、私たちにいたしますと、特殊教育というふうなもの、障害者というものに対しましては、それがゆりかごから生涯教育をというふうな考え方を持つわけですけれども、そういう小さいゆりかごのときからそれを認めて、そしてその子供をどういうふうに訓練していくかということ、そしてそれが最後までいろいろと見てやると、そういうような事柄を考えますときに、どうしても文部省だけではなくて、初めに見る医学というものから考えますと、その分野は厚生省の所管にもなると思うわけですけれども、しかし、障害児というものを考えますときには、その障害児というものを認めると同時に、その一貫した教育というものがあるわけなんで、その点はぜひ教育も一貫という意味でとらえていただきたい。 どうもここで申し上げて失礼ですけれども、国というふうなものが、それぞれの行政官庁の考え方というものがありまして、なかなかある点でしっくりしていない点があるんじゃないかと思うわけですけれども、障害児というような問題になりますと、そういうことを子供の、障害児というもののためにお考えいただきまして、そういうふうな省による考え方と、それぞれの領分というふうなものを乗り越えて、そして一貫した形をとっていただきたいと、こう思うわけです。どうかこういうふうな障害児というふうなものを、たとえば盲児が生まれた場合に、皆さんも生まれた子供が、自分の子供が何も見えなかった、何も見えないというときに、その子供をどういうふうにして育てていくんだろうとか、あるいはどうしてわかるんだろう、目の見える子供になりますと非常に活発にすぐに動き回るわけです。それなのに目が見えないということになりますと、それがどういうふうになっていくか、親はただとほうにくれるばかりです。そういうときに、子供の目のかわりを親が果たしてやるのか、あるいはほかのものがやるにしましても、とにかくそういった子供の助けをしてやるということになりますと、それによって障害を持っておる子供でも普通の子供に近くまでだんだんといくわけでございまして、そういうふうなことで、子供というふうなものを特に小さいとき、何も三歳児といわず、小さいときから、生まれたときから一貫してこうやっていかなければ、障害児というものがなかなかうまく教育されませんし、また、生まれたときから十分注意してやれば、障害児といえども相当のところまで伸びていくということがいろいろな点から考えられておるわけで、現にそういうふうな実証もあるわけでございますので、どうかそういうような御配慮をお願いいたしたいと思うわけであります。
○峯山昭範君 確かに重要なことだろうと思います。いずれにしましても、心身障害児の問題につきましては、これは人間尊重といいますか、人間主義といいますか、そういうふうな立場から、心身障害児の立場に立って私たち行政機関も考えていかなければならないと思っております。したがいまして、確かに教育の立場にいらっしゃって、行政機関がしっくりしていない点等がもう気づいていらっしゃったら、もうずばりそれおっしゃっていただいてけっこうでございますから、もうずばりずばりこの特殊教育の問題性についてお話をしていただいてけっこうであります。よろしくお願いしたいと思います。 また、先ほどから戦前、戦後の特殊教育の問題等についてもお話がございました。また、いまのお話の中にもイギリスの例等もあげてお話しございましたが、特にわが国の特殊教育の現状は、欧米先進国に比べて非常におくれておる、こういうぐあいにいわれておるわけでありますが、特におくれている点とか、また、あるいは相違点等についても承りたいと思います。また、わが国のこういうふうな特殊教育を欧米並みの水準に持っていくためには、具体的にどういうふうな施策といいますか、どういうふうなことをしなければならないか。これもやはり今後の私たちの立場として重要な問題であろうと思っておりますのですが、率直な御意見を承りたいと思います。
○参考人(大山信郎君) お答え申し上げます。 先ほど来申し上げておりますように、いろいろな特殊教育に関連いたします領域の学問というふうなものが進歩しておりまして、障害の類型というふうなものの研究が進められてまいりました。それに応じて教育というふうなものが考えられるようになってきました。特に先ほど申しましたリハビリテーションという概念、そういうものが導入されてきたわけですけれども、そのリハビリテーションの概念というふうなことに先ほども触れましたけれども、要するに社会生活に参加する、要するに一般社会に、特殊の中に閉じ込もるということなく、一般社会にも参加するという考えが支柱となっておりまして、したがって、そういうふうな考え方というふうなものが入ったということは、結局特殊教育を受けるような児童、そういう障害を持った子供たちが、従来からいきますと、社会というふうなものにまだ十分受け入れられておらないというふうなことから、それぞれ孤立的にたとえば盲学校あるいはろう学校ができているわけです。それは十分その時代に即したものでありましたし、また、そういうことによって障害者という恩恵を受けてきたということは事実でありますが、しかし、だんだん社会というものの考え方というふうなものが、従来と違いまして、非常に戦後は人道主義というような形に目ざめてくるということになりますと、そういう障害者だけを特別にする必要が必ずしもない。それで、むしろ積極的に障害者というふうなものも普通の児童と同じような教育を受ける場面といいますと、施設から家庭へ、特殊学校から普通学校へという、そういうふうな事柄が進められている。言ってみますと、従来の障害者に対する考え方というものは、どちらかといえば社会福祉という観念が強く打ち出されている。しかし、必ずしも福祉ということだけにこだわらなくて、どちらかといえば、教育ということによって、そうして障害を持っている人たちがやはり一般社会において仕事ができ、そうして自分の生活が安定していく、そういうふうな形をとるということがむしろ望ましいのではないか。それで、たとえば盲人に対しますいろいろな考え方も、数年前までは例の世界盲人福祉協議会が、イギリスの「ゆりかごから墓場まで」というような非常に社会福祉を徹底していこうというような概念に徹底しておったわけでありますけれども、それがつい最近になりますと、もうそういう考えから、むしろわれわれはそういうような保護を受けるというような考え方でなくて、社会の中の一員としてりっぱにやっていくのだというような考え方に変わってきておる。そういうような事柄がだんだん世界的な形で、規模でできておるわけなんで、そういうようなことから見ますと、今後の進むべき道と申しますか、一般社会へ、結局は障害者といえども、現在は特殊な学校になっておりまして、それを卒業すれば一般社会の中に入り込んでしまう。ですから、一般社会の中にやはり溶け込んでいけるというような形が早くから打ち出されていくことが望ましいわけです。しかし、こう申しましても、それは障害者に対する考え方というようなものが、その国々によって違っておるわけでございますので、急にものを、外国がこうであるからというので進めるということには難点があるかもわかりませんけれども、その点は、日本は日本なりの国情に沿って、そしてやっていく必要があると思うわけです。しかしながら、世界的な傾向としては、やはりそういうリハビリテーションというような概念というものが非常に共感を呼んでおりますし、また、私自身におきましても、そういった概念というふうなものにやはり共鳴しておる立場から申しますと、だんだんと特殊特殊ということをその子供に対してはあまり打ち出さなくて、しかし、やっていく方法としては、そういうような子供の特殊教育という面を大きく見ていただきたいと思うわけです。 何ぶん教育というふうなものは、教育の可能性というふうなものを強く認識していただきたい。これは障害者といえども、どんな障害を持った子供におきましても、それが適切に教育されるならば、りっぱに成長していくという事柄を強く訴えたいと思うわけです。たとえば精薄なんか見ますと、この子供がどうして教育なんかされるのだろうかというような場合もあると思うわけです。しかし、ちょうど医学におきまして、この病人はもう死ぬのじゃないかと、こう思っておる。だからといって、それを放置するということはないので、全力をあげてその生命を食いとめようとするのと似たようなことで、事、教育というふうなものは、どんな子供でも可能性を持っておる、人間であります以上は、どういう子供でも教育されるという、そういうふうな考え方、そういった子供というふうなものが、やはり一般社会にいずれは出るわけです。社会に出たときに、学校教育の中においては、一つの皆さんの温情のもとに教育の中におったと仮定いたしましても、社会に出ますと、やはり社会にはいろんな問題があるわけです。それにやはり対応できなければならないわけです。やはり人間というものは一つの職業を得て——ただ国家から福祉を受けるというだけが能じゃなくして、やはり自分から積極的に仕事をし、自分から報酬を得て、そして世の中に一般の中にまじって生活していくと、そういうことが非常に重要なものでありますし、同時に、おそらく障害者の心というものはそういったものじゃないかと思っておるわけであります。 そういう点から教育というふうなものを、なお進んで学校におけるだけでなくて、外に出てからもどうすると、そういう点の配慮というものが、わが国と欧米を比較してみますと、あとの考え方というものがどうも不十分ではないか。学校におきます間は一生懸命やっても、そのあとをどうしてやるか、そういう点が非常に不十分だと私は考えておるわけですけれども、そういうふうな点を、文部省の立場とされましても、やはり学校におけるだけでなくて、しかし現在は生涯教育といって、あとあとまでの教育ということも、最近は国においても考えておられますけれども、特に障害者というふうなものにおきましては、そういうふうな生まれたときからずっと一貫して生涯教育というものまでも進めていっていただきたい。そういったことによって欧米と何ら遜色のないものになっていくのではないかと思うわけでございます。
○峯山昭範君 どうもありがとうございました。確かにいま先生おっしゃるとおりであろうと思います。先日も私、王子の養護学校に参りましたときに、校長先生からいるいろ説明をしていただきましたけれども、普通の学校ならば、卒業式がやってくると、おめでとうと言えるけれども、学校にいるうちはいいけれども、私たちは卒業式になってくるとほんとうに喜んでおめでとうとはなかなか言いにくい。社会に出てほんとうにこの子供たちがどういうふうに育っていくかということを考えると、ほんとうにさびしいというか、心配でたまらない。そういうふうな話でありましたけれども、全くそのとおりだと私は思います。 そこで、先生に対して最後でございますが、特に今回提出の文部省設置法によりまして、国立の特殊教育総合研究所というのが皆さん方の努力によりましてようやくできることになったわけでありますが、特にこれからこの総合研究所を運営していくためには、いろいろな問題が出てくると私は思っておりますが、先生も運営委員の中のお一人でございますが、この当研究所をりっぱに所期の目的どおり成功させ、また、研究の成果をおさめるためには、設置された後も、特に私はそれぞれ専門的に大学で、あるいは養護学校等で教育に携わっている皆さん方の協力というものがどうしても必要であろうと思っております。そういうような観点から特に大学と当研究所との協力関係等について、どういうぐあいにあるべきであるか、そのあるべき姿、あるいは総合的な研究内容についての御意見等あればお伺いしておきたいと思います。
○参考人(大山信郎君) まず、私もいま申されましたように、総合研究所の建設につきましてもいろいろ賛成した一人でありますし、ぜひまた国としてもこういうようなものをつくっていただきたいという念願をしておった一人でありますが、そういうふうな考えになっております一つの考え方というものをこの機会にちょっと述べさしていただきたいと思います。 私自身が医学というところにおりまして、医学から特殊教育というものに入り込んだ関係上、どうも医学というものの考え方というものがありますので、その点をちょっとお許し願いたいと思うわけですけれども、御承知のように、医学というものが進歩します過程におきまして、基礎医学というふうなものと臨床医学というものがある。臨床医学というものをだんだん具体的にやっていくためには、開業医というふうなものが要りますし、また、病院というものをどうしても必要としておる。そういうふうな形で特殊教育というものをながめるわけですけれども、特殊教育というふうなものをやっていくためには基礎的な研究とか、要するに基礎特殊教育学というようなものが必要でありますし、また、臨床特殊教育学というような形のものが必要でございます。それで、いまの開業医に相当するようなものが現場の教師でありまして、直接にその子供を見ておる。しかし、いろんな問題がありますので、そういった問題を少し上のほうで食いとめるという形で病院というものがある。そういうふうなものがいまの特殊教育を考えた場合に、大学というところは基礎的な研究にとかく重点を置きますし、また、そういうことが必ずしもいいかどうかは別にいたしまして、現実の大学というふうなものは非常に基礎的な学問の研究というようなことに重点を置いております。そういうことから、ともすると現場での教師というもの、現場での問題がそれなりにすんなりと大学に反映してきない。そういうことは、ちょうど医学におきまして、その間に一つ総合病院というふうなものがどっかにあるわけです。そういうことから総合したいろんな特殊教育の現場の教師のいろんな問題を特殊教育総合研究所という形に受けとめて、そして特殊教育の発展が医学の進歩というものを考えまして、同じようにそういうふうに考えたらというのが年来持っておる一つの考えでございますが、そういうふうなことから、ぜひ特殊教育という総合研究所というふうなものを考えてきたわけです。 そういう考えから発展しますと、先ほど御質問のありましたいろんな現場における問題点をどうしてもここですぐに食いとめていただきたいと思うし、とりわけ情報の交換、日本全国におきましても、各都道府県にあります特殊教育の関係のいろんな資料、そこでやっておりますいろんな個々の経過、そういうふうなものを全部こういうふうなところへ集合するようにしていただきたい。医学におきましても、第一線は開業医でありまして、そういうところから実際に病気を見ておりまして、そうしていろんな問題が出るわけです。この病人をどういうふうになおしたらいいか、いろんなことが出て、それがだんだん返ってくるわけなんで、そういうことから見ましても、その現場での問題、現場でどういうふうにこういうふうな子供を教育したらいいか、また、現場の教師がそこでいろんな内容が変化してくるということも気づくと思うわけですが、そういうものがどういうふうに変わってきたかというふうな実情が、みなこの総合研究所において集結されますと、それによって一つの傾向というふうな、現場の悩みというもの、現場の問題点が率直にここで受けとめることができる。それからまた、いろんな研究の成果、教材、教具にいたしましても、その児童に対しまして、それぞれの先生方がくふうをこらしてやっておられる、そういったものが非常に離れておりますと、あるところでやっておっても、それがいいものでありましても、つい知らずに、ほかのものに応用されない。そういうものがこういうところにいつもまとまってくるというようなこと、それから自分が関係しております視覚障害部門というものが入るわけですけれども、たとえば視覚障害におきましても、特に教材とか教具というようなもの、そういうものと関係しまして、たとえば文字ということになりますと、点字の本を必要としておるわけですけれども、まあそういった点字の本が不足ということで、これは前から、できれば国立点字出版所とか、いろいろな形のものをつくっていただきたいというような希望がよく盲関係から出るわけですけれども、そういった一つの、これは盲だけでなくて、それぞれの障害分野においてそういった問題があると思うのです。普通の学校で使っておりますいろいろな教材、教具をそのまま使えれば問題ありませんけれども、それにいろいろなくふうをこらした形というものが必要になるわけなんで、そういった形のものを何かこう考えた場合に、どうも数が少ない。一つの県に幾つと数えるほどしかないということで、需要供給ということから考えましても、どうもそういうものを引き受けてやってもらえるところがないわけであります。そういう点が一つの悩みでもありますので、こういう研究所というふうな形におきまして、そういった教材、教具というふうなものも、この中を見ますと、教育工学というような分野も入っておるわけですけれども、この設置につきますものの中に、前に私どもが答申しております特殊教育総合研究所の運営及び建設のあり方というふうなものを盛っておるわけですが、それと、大体今度これが実現しますという中に、まだ全部が実現しておらない点があるわけですけれども、そういった問題はまあいずれだんだん、これが現在の状態ではこうだと思いますけれども、いずれ着着とこれが完備されると思いますけれども、どうか早くそういった問題を解決していただきたいとまあ思っておるわけですが、そういうふうなこの総合研究所というふうなものが、現場のいろいろなものを考えてやっていただくと、しかし、一番この総合研究所をつくったということで、まあこういうふうなことが必要であり、ぜひこういうふうなものをつくっていただきたいというふうなことを強く述べてきて、まあ今日ここまできたわけですけれども、しかし、いざこういうところにまできますと、また次にこれを実際に運営していく場合にどういうふうな形で——要するにものができましても、そこに入ってくる人なり、そこの考え方、いろいろなもので、こういうふうなものがよくもなり、せっかくつくったものが有名無実になるということもあり得るのじゃないかと思うわけです。 そういうことを考えまして、ぜひこのこういった研究所と人と、これを十分に、全国の要望にこたえてこれを運営していくにはどういうふうにしたらいいかということをぜひ考えていただきたいと思うのです。で、大学というふうな形の立場から申しますと、まあこういうふうな形におきまして、この特殊教育に関係しております各委員すべて、大学関係の者も多数いるわけですけれども、みなこの研究所に関しましては、別にこういうものが無用であると考えた者はほとんど一人もいないと思っているわけですけれども、そういうことから見ましても、ぜひこれに協力していくという、大学関係があげてこういったものに協力していきたいと、いこうという気持ちは持っておるわけですけれども、それよりもここに実際にくる、要するに現場の、どういうふうにこの現場の悩みというものを聞くと、受けとめるか。また、それを受けとめ得るような人々、そういったものをいろいろ考えていただきたいと思うわけです。 で、まあ余談になったわけでございますけれども、この特殊教育総合研究所というふうなものが必要であるというようなことは、いろいろおわかりになっていただきたいと私は思うわけですけれども、今後の運営というものをどういうふうにしてやれば、これが魂が入るかということ、そういう事柄を十分考えていただきたいと思うわけでございます。
○峯山昭範君 まあ時間の都合がありますので、本来ならばもう少し、ただいまお話しございました特殊教育総合研究所の運営及び建設のあり方という報告でございますが、これに基づいて今回の国立総合研究所ができるわけでありますが、確かにこの報告書の面からいえば、満たされてない面がずいぶんあるんじゃないか、こういうふうに思うわけです。そういうように一つ一つについても本来ならばここでお伺いしたいのでありますが、その点については後ほどあらためてお伺いすることにしまして、きょうは三人お見えになっておりますので、次の方に質問をしたいと思います。 それでは初めに、全国特殊教育推進連盟会長の下田巧さんにお伺いしたいと思います。 下田先生は先日まで東京都の北養護学校の校長先生をやっておられたというふうに私お伺いしておりますんですが、実際のところ、何といいますか、特殊教育そのものに直接携わっておられまして、まず現場の実際にそういうふうな特殊教育をやっていらっしゃる、または心身障害児の皆さんと毎日接していらっしゃる先生の立場から、いろんな問題が私あると思うのでありますが、まず、全般的な問題としまして、心身障害児に対するいわゆる学校における収容能力といいますか、これは先生のいままでタッチしてこられた範囲内でけっこうでございます。範囲内の収容能力といいますか、または就学の受け入れの条件といいますか、そういうふうなもの、あるいは教育の指導体制の問題、そのほか、いろいろ制度上の問題もたくさんあると思いますし、かねがねから、こういう点をこういうぐあいにしたらどうかというような問題もたくさんあると思います。そういうようなのをきょうはひとつ質問をしておきますが、初めにそういうふうな全般的な問題、特に収容能力等が少ないということを私も聞いておりますし、先般王子の養護学校へ参りましたときにも、ことし東京都で王子の養護学校に入りたいという希望者がたくさんおったけれども、実際に収容できたのは、半分も収容することができなかった、そういうふうに嘆いておられたのですが、まあそういうふうな意味も含めまして、現在の収容能力あるいは就学の受け入れ条件、あるいは先生の指導体制の状況ですね、そういうふうなことについて初めに忌憚のない率直な御意見をお伺いしたいと思います。
○参考人(下田巧君) 全国に盲学校、ろう学校、養護学校、合わせて三百五十前後ございますが、その校長会の会長もいたしておる関係で、特殊教育全般についていろいろと問題をかかえておりますが、ただ昭和三十年ごろから世間の目もようやく理解をしていただくようになって、特殊学級もかなりの数に充実いたしましたし、盲学校と、ろう学校は数が動きませんが、精薄の養護学校も八十近く、肢体不自由はおかげで全県下に一校以上ずつ、病弱は二十校近くできた次第でございます。 それで、先ほど大山先生からお話があったのでございますが、私どもが校長をしておって、あるいは教員をしておって一番不愉快なことばは、特殊と差別とを同じように世間の人が考えているということなんです。つまり、きみはどこの学校だ、養護学校だ、そういったことばは差別ということが頭の中にあるかのごとき印象を強く受ける。私どもは、特殊教育ということばよりは、障害を持っておる子供の教育ということばで、先ほども大山先生もしばしば述べておりましたが、私どもはそういうことばで使っておるわけでございますが、これがやはり特殊な教育といいますか、こういう熟語になっておるから特殊教育と申し上げますが、特殊教育に対する理念といいますか、世間一般の人が、障害があるから手厚く看護あるいは手厚くめんどうを見てやる教育だと、こういうふうに思い直していただきたいというのが、私どもがこういう教育に携わっておる願望でございます。なるほど、就学奨励法という法律もおかげさまでつくっていただきました。養護学校整備特例法もできまして、形の上では何とか整ったのでございますが、この根本的なあの子たちの教育をこうするのだという体系と申しますか、それが不十分であったために、いろいろなことに問題がございます。いま先生からお尋ねになった、たとえば就学についても、県の知事さんが非常に御理解あるところはすばらしいりっぱな学校が早くできる。財政等の苦しい県ではそれほどできないとか、あるいは東京都のように、ほとんどが寝たりはったりするような子供ばかりを入れられるところがあるかと思えば、そういう子は重くて、とてもめんどうだからまだ入れられぬ。就学をきめる基準、あるいは就学のかりに基準をきめても、それにふさわしい建物の設置基準というふうなものもまだはっきり定まっていない。こういうふうなまず就学をきめる子供の判別についてしっかりした体系が整っていない。したがって、それを入れる建物の基準もいまだ不十分でありますので、現在の小学校や中学校の建物に準じながら少しずつ改善して現在建てられておるような現状でございます。 こういうことは、そうした障害児の教育に理解を持つ父兄の方がふえればふえるほど就学児童は多くなってくる。かりに多くなりましても、地方でいきますと、いなかの離れたところに一人二人の障害児がおりましても、これが県に一校しかないところへ通えと言いましても、一年生ではなかなか寄宿舎教育が、重ければ重いほど不適当だということになると、幾つか年齢が立つまでは放置されざるを得ないというふうな子供があっちこっちにおりまして、多分先生お伺いになったときに、何とかして訪問教師制度をお願いしたいという希望もあったかと思いますが、そういう実情でございます。 そしてそれに携わっている先生方が、今度は先ほど大山先生のおっしゃったように、子供が重くなるし、教え方がむずかしくなるというふうなことになると、先生方の教える技術、あるいは教えるために必要な教養、あるいはそれにふさわしい待遇というようなことになってくると、私どもはしばしば文部省にお願いをしておるような次第でございまして、現在毎年全国の特殊学校から来年の希望としていろいろ予算上のことや制度上のことを集めてはお願いをしておるのでありますが、現在はでこぼこのくぼんだところを埋めるのに一生懸命でございまして、いよいよ軌道に乗せてこれから本格的にということになってくると、先ほど申したように、大山先生の申したように、いよいよ基本的なものが問題になってきておるというようなことで、昭和三十九年の校長会の総会以来、総合研究所の設置方をお願いしてきた、こういうようなのが全体的な問題でございます。
○峯山昭範君 よくわかりましたが、確かに特殊教育のこの問題につきましては、先日も私直接現場の皆さんにお伺いしたときに、大体もう十項目ぐらいばっと並べられまして、特に幼児教育、特に早期発見、早期教育、こういうふうな問題から始まりまして、特殊学級、養護学校の設置の促進とか、専門の教員の問題とか、その他進路指導とか社会復帰の問題とか、重複障害教育の問題ですね。それからいまお話ございました訪問教育の制度化の問題等、ずいぶん話ございましたが、逐次お伺いしていきたいと思っておりますけれども、先ほど大山先生からも話ございましたが、具体的に言いまして、心身障害児の施策の体系のまず第一として、何としましても問題となる発生予防ということも、非常に大事なことなんでございますが、これは一体どういうぐあいになっておるのか、私詳しく知らないのですが、この点についてお伺いしたいし、また、早期発見、早期教育ということについて、先ほど三点にわたって発見の順位等についても、両親から始まってお医者さんから病院等、順次話がございましたが、そういう点も含めまして、特に現状における問題点といいますか、そういうような点についてお伺いしたいと思います。
○参考人(下田巧君) 発生予防とか、発生防止につきましては、大山先生さっきちょっと触れられましたが、私どもは六歳から学校としてお預りする、それ以外のことは知らないと——知らないということじゃなくて、相談においでになれば五歳でもいろいろ御指導する、それまでは何もわからない。これはいま特殊学校の中でも、社会教育の立場から父母教室とかPTA教室とかを設けまして、社会教育の立場として学校では少し手をつけている程度で、それも発生というよりは、すでに発生してしまったものへの教育が中心であります。このことは母子衛生の問題であり、三歳児検診の問題等々、厚生関係の問題でございまして、このことにつきましては、先般心身対策基本法ができましたことに関係しまして、心身障害者中央対策協議会が発足しまして、私もその一員に加えられてございまして、一番私どもは問題にしたことは、就学するまで、あるいは生むことも含めて、それと教育、いわゆる厚生省と文部省というようなことの一体的な対策というものをぜひ立てていただきたい。幼稚園ならば文部省でめんどうを見られるが、託児所ならばこれは教育に関係がないんだとか、家庭におったならば、それは全然三歳になっても見てもらえぬなどと、そうした矛盾がなくて、一貫した障害者への施策を一本にしていただきたいということを強く厚生省のほうへも申し入れしたというふうな程度で、実は手のついていないというようなことが事実でございます。
○峯山昭範君 特に今度は東京の問題についてちょっとお伺いしたいと思うのですが、都立養護学校における昭和四十六年度の入学調査実施上の問題点というのがあるのですが、それを見てみますと、いろいろな問題があるようでありますが、特にこの入学相談の中でも、特に応募者がふえておりますし、また、ことにその重複障害児というのですか、これがもう非常に増加しておるように私は思うのです。そこで心身障害児の重度化の傾向について、また、これらの者の収容能力と就学の実情についてお伺いしたいのでありますが、特に東京都における心身障害児の数は全部で大体三万人ということを私はお伺いしておりますのですが、そのうち実際に養護学校等に入っている人たちは九千五百人ぐらい、大体三〇%ちょっと、こういうぐあいに聞いておりますのですが、早急にこれは養護学校並びに特殊学級等の施設は、当然その設置は早急に全力をあげてやらなきゃいけないんじゃないかと、こういうぐあいに思っております。東京都を調べてみましたところ、昭和四十六年以降で三カ年計画で肢体不自由児学校が一校、それから精神薄弱児学校が二校、合計で三校ですが、これ以外に三カ年計画外として七校、合計十校の増設計画を立てておるように聞いております。のです。これらの増設計画並びに教育・内容等、さらには国に対する御意見あるいは要望ですね、そういうようなものがございましたら承っておきたいと思います。
○参考人(下田巧君) いま御指摘のように、東京都のこの春の就学希望者に対する選考状況は、実は病弱の養護学校のほうは、どうぞいらしてくださいといって、定員にまだ数があったのでございますが、肢体不自由と精薄のほうは押すな押すなの盛況であって、何人かお断わりをしなければならない状態になったのは事実でございます。これはたいへんむずかしいことが起きておりまして、私どもの理念といたしましては、就学の免除なんということはあり得ない。からだや何かの都合で猶予はこれはあり得ても、免除ということはあり得ない。どなたもいらっしゃい、これはすべていま学校の先生方も、どんな子供でもとってあげましょう、この気持ちには変わりないのでございますが、実は精薄でありながら、非常に多くてんかんを持っていたり、あるいはからだが悪かったり、東京都の肢体不自由児は九割九分までが脳性麻痺という状態の子供でございまして、脳性麻痺の子は、手足が動かぬばかりでなしに口も動かない、寝たきりというふうな子供をかつぎ込んで学校へおいでになるわけです。そうなりますと、知能がまあ何とかある程度そろっている子供ですと、一クラスにすることができるんですけれども、知能も悪いし、からだも非常に悪いし、言語もきかないというような子を一緒のクラスには入れかねる。こういうようなことで、クラスの数は建物の施設の関係で一ぱい一ぱい、いま都立の北、私もおりました北養護などは、普通教室、特別教室をつぶして実は子供を入れたような次第でございますが、これの解決ということは、根本的な問題が実はございまして、精薄の場合でも、一つの学校に重いのから軽いのまで重複されておったのでは、思い切った教育ができぬから、できれば重複は重複で一つの学校にしたいというような希望もある。それを満たすということになると、これは寄宿舎がないというと、東京は近いようですが、交通がそううまくいかないので、そういうような問題がございまして、現在の増置計画としては、精薄のほうは高等学校と同じようにブロック別に一校ずつ建てようではないか、それから肢体不自由のほうは三多摩地区にもう一校くらい要るのではなかろうか。 東京の場合は、ここで申し上げてはちょっと困るのでございますが、東京という特殊性がございまして、たとえば浦和というところは、これは埼玉県でございますけれども、その浦和のおとうさんやおかあさんは全部東京におつとめになっている。東京に住みたいんだけれども家がない。たまたまそういうところに障害のお子さんができた。そしてそこの隣に王子があったり北がある。どこへ行くよりも一番近い、あるいは市川にお住まいのおとうさんおかあさんは江戸川が一番近い、あるいは川崎にお住まいのあかあさんは大田区が一番近いとかいうふうな問題がございまして、東京都民としての現実的な出現数は、私どもも実は完全な調査をしかねますので、はっきりはいたしませんが、だれがめんどうを見るにいたしましても、当然めんどう見なければならないことなんで、これだけの増置計画をぜひしたいということを私どもも都に申し上げまして、都のほうもこの体制は整えておるのでございますけれども、このことについては国のほうで、先ほど申し上げましたような、しっかりした教員養成を早くやっていただきませんと、でも教員と申しますか、どこもいくところないからなんていわれては、これはたいへんなことで、非常に教育がむずかしくなりながら、非常に重要でありながら、飛び込んで何としてもこういう教育をやりたいという数は希望数に達してないのが事実でございます。そういう悩みを持っております。
○峯山昭範君 確かに、いまお伺いしておりまして、重要な問題であると思います。中でも今度は、私は先ほど訪問教育の制度化の話をちょっといたしましたけれども、確かに児童という問題を考えてみますと、児童福祉法の精神からいいましても、これは訪問教育というのは非常に重要なことだと私は思います。特に就学したくても受け入れ態勢が不十分である、またまわりの環境が十分になっていない。あらゆる教育の可能性を持ちながら、教育を受ければ何とかなるという見込みがありながら、実際就学することもできないし、また、最近の新聞等を見ましても、児童福祉施設や、また医療機関に入っている人はまだ非常にいいほうで、実際に自宅のほうに放置されている、しかもそれも非常にたいへんな状況で置かれている。最近の新聞報道等を見ますと、座敷牢とか、いろいろなのがずいぶん出ておりますけれども、これも非常にたいへんな問題であると私は思います。 そこで特にこういうような人たちを対象に訪問教育が行なわれているということでありますが、この制度というのは、非常にそういうふうな面からいいますと重要な制度であろうと思います。そういう点から考えますと、この制度を何らかの方法で拡充あるいは強化をはかっていかなければならないと、こういうぐあいに私は思うのですが、この制度の内容といいますか、いままでどういうぐあいにしてこれができたのか、また、これから今後これをどういうぐあいに改善していくべきであるか、非常にこれはたいへんなことであろうと思うのですね。一対一で教育をやらなければいけませんし、たいへんだろうと思いますが、この趣旨等についてお伺いしたいと思います。
○参考人(下田巧君) このことにつきましては、いずれ文部省でも調査をしていることと思いますので、現在二十県近く訪問教師的なことを、嘱託の先生なり、あるいは正規の教員のワク内なりでやっていることと思いますが、校長たちが集まってこの制度を推進するときに、実は二つ意見がございました。一つは、この制度を早く押しますと、当然建てるべき学校を、あるいは施設を建てないで、教員を配置して回したからいいじゃないかというふうなことになってはこれはたいへんだ、やはり建てるべきものは義務化してでも建ててしまって、その上で在宅もさることながら、病院やなんかで、ネフローゼ等で三カ月も四カ月も入っている子に、実は欠席扱いで、教員が派遣されていない小児科の病院が全国でかなりの数あります。まず、そういうところへは、これは子供が集団でおりますから、教員を派遣せなければならぬ。それから、各家庭に寝た切りの子は、もし動かせぬとするならば、体系を立てなければならぬ、これはどんなことをしましても。東京で中野区で先般、去年の春やるということでいろいろ回って相談にあずかったのでございますが、一人の先生は四人しか実は持てない。四人持って午前一人、午後一人ということになりますと二回しか行けない。というのは、一日は帰って教材や教具を準備してあげなければ、ぐるぐる回っておってもどうにもならぬ。そして、自動車に紙芝居やら幻灯やらを積みまして、そして行って、午前中話し相手になってやる。するとあくる日は帰ってきて、また準備していかなければいけぬから、子供四人で週二日しか行かれないのだ。そうすると子供は、あすも先生来てもらいたい、あすも来てもらいたいと期待しておる子供へ、その子供の能力を伸ばすにふさわしい準備なり資料なりを整えて回るというのには、かなり事前にそうした研究なり準備を整えたサンプルといいますか、実験的なものをかなり踏まないと、制度的にきめてしまうのには、制度が先へ行きますと非常に危険で、非常に効果があがるという実績を幾つか積んでからやっていただくようにというふうな希望を申し上げておる。どの県でも、やっておるところでも、やっぱり暗中模索で一年間くらいやっていた、二年目くらいにまあカリキュラム的なものを立てておるというふうなことが現状でございますが、とにかく、第一段階としては病院等にかなり長期におる子供へまず手をつけて、それから家庭におる子供の実態を把握して、そしてまあ最初のうちは週一回でも月に一回でも、やはり教育者が顔を出してあげるという制度から実験的に充実したものにしていただければ幸いだと、そういうようなものについてはそれこそ何とかして、今度できる総合研究所あたりが考えて、少しめんどうを見ていただきたいというような希望を持っているわけです。
○峯山昭範君 なるほど、非常にむずかしい問題だろうと思いますが、いずれにしても、そういうふうな点からいきますと、これは現場に携わる先生が足りないということにもなりますですね。そういう点からいきますと、確かに先生の問題を第一に解決していかなければいけないということになりますが、実はそれと関連をいたしまして、確かに専門の先生が少ないという話を実は私も聞きました。先生がいらっしゃった北養護学校にも、たとえば水治訓練の設備や何かあるけれども、先生がいないというような話を聞いたのでありますが、確かに言語訓練士とか水治訓練士とか、そういうふうな配置ですかいそういうふうな人が少ない。そのために非常に実際上そういうふうな人たちがおればもっと何とかなるものをというのが、非常にうまくいかないというようなことも先日はお伺いしたのでありますが、これは非常に私は重要な問題だと思います。 そこで、この教員の養成の問題について、これはまあ先生直接タッチしてはいらっしゃらないと思うのですが、現場の先生の立場から希望等、要望等は私はあると思うのですが、そういう点についてお伺いしたいということと、それから保母さんの問題は、これは厚生省になるかもしれませんが、そういうような問題も先日お伺いして、非常にこれはたいへんだなとしみじみ思いました。そういうふうな点についてお伺いしたいと思います。
○参考人(下田巧君) 実は、おかげさまで東京が一番そういう専門的な職員の数や質については進んでおるのでございますが、肢体不自由の場合に、脳性麻痺が少ない子、いわゆるポリオだとか、それから股関節脱臼だとかいう子には、実はマッサージをすることが非常に効果があるということで、昭和三十年ごろにいわゆるお金で、一時間幾らで雇う賃金の制度でマッサージをする人を雇ったのがこうした専門的な職員の始まりでございます。これを賃金で雇っておるうちに、これは子供にも効果があるし、りっぱな一つの学校の職業として成り立つというようなことで、昭和三十四、五年ですか、六、七年ごろですか、これを実習教諭として格づけしたのが始まりでございます。そしてそれ以来定数をあわせましてやってきたのでございますが、そういうのはポリオとか、あるいは股関節脱臼だとかにはたいへん効果があって、顕著な成績があがるから非常に喜ばれたのでございますが、今度は脳性麻痺ということになってきますと、脳の中枢が第一いかれておるということになると、手や足をもむだけではこれはちょっと効果が目立たない。しかし、何とかして自分の力で機能を改善しようというような意欲を起こすための専門的な技術指導というものは、これはあり得るし、なくてはならないことだろうというふうなことから、文部省に対してもしばしば養成方をお願いしたりしておりますが、ただし、これは教育職員の資格としてとか、あるいはいろいろややこしいこともございますので、とりあえずは、じゃ長期の講習でもやってくださいというようなことで、まだまだ、各県で一年に一人ぐらいずつ出てこいというような数ですから、まだまだどうにもなりませんが、こういうことは、盲の場合にも感覚訓練のための専門家、それから、ろうの場合にも聴能訓練のための専門家、それから精薄について、あの子たちに適切な作業訓練の専門家、あるいは言語指導の専門家、肢体不自由児の場合もそうでありますし、病弱児の場合にも、カウンセラーのような、かなり情緒が障害を持ってる子供がおるのですから、情緒指導家的な専門家だとかいうような専門の先生方を、何とかして養成していただきたいということをしばしばお願いをしておる。で、とりあえずはそうしたものの長期講習でもやってくださいというふうなことをお願いして、数年前から手がついた程度でございますが、たいへん不十分なので困っておる。 それと、いま寄宿舎を持っておる校長さんの共通の悩みは寮母でございます。これはなぜ共通の悩みかと申しますと、勤務体系がどうのこうのということよりも、障害の度合いがだんだん重くなってきておる。そしてそういうことになってくると、寮母に対しても責任的な負荷が非常に多くなってきておるというようなことから、何とかして待遇上の措置もしていただきたいということで、先般特殊学校長の名前で調整号俸の点数をひとつ考えていただきたいというようなこと等を人事院等にお願いするような案をきめたような次第でございます。
○峯山昭範君 先ほどから出ておりました義務教育以後の教育の問題でありますが、この点について最後にお伺いしたいのでありますが、非常に義務教育以後の教育というのは、特にこの心身障害児の場合は大事な問題だと思います。そこで高等部への進学率等は大体どういうぐあいになっておるのか、また職能教育につきましても、小・中学校においてやってらっしゃるそうでありますが、高等部での教育がこれまた、全然ないと非常にたいへんなわけでありますが、そこら辺のところの制度並びに必要性等についてもお伺いしたいと思います。さらに、この心身障害児の場合、高等部までちゃんとやったほうが、受けるようにしたほうがいいと思うのですね。そういうような意味から考えると、まあ高等部の義務教育というような、ちょっとあれかもしれませんが、そういうような制度も必要じゃないかと、そういうような考えを私は持ってるわけでありますが、その点についても御意見をお伺いしたいと思います。 さらに高等教育を終えた者の社会復帰といいますか、生活安定の道というような、これは非常に何というか、たいへんなことだと私は思っておるのでありますが、そういうふうな対策はどういうふうになっているのか。現実に社会復帰については可能であるのかどうかという問題も私あると思うのですが、こういうふうな諸施策についてどういうふうにお考えなのかということをお伺いしたいと思います。
○参考人(下田巧君) 初めに社会復帰のほうから。ことし北の肢体不自由児の、私の養護学校でございますが、高等部の卒業生が六人おりまして、普通の俸給の二分の一か三分の一か、とにかく俸給をくれるところへつとめた子が二人、それからああいう重症施設へ預かってもらった子が二人、どこでもだれもとってくれないのがたしか二人。先ほど先生がおっしゃったように、卒業式は涙の式であって、にこにこした式ではありません。おかあさん方があとに謝恩会ということをしてくれますが、結局泣きながら別れるというのがここ二、三年でございます。 東京に一番古くできた肢体不自由児の養護学校でも、初めは卒業生で大学を出たり、りっぱな職業についている方がおります。が、しかし、現在はだんだんだんだん重度化し、低知能化してきたので、卒業生で正規の待遇がもらえるというような者は一人か二人しか出ないのだろうと思っております。そういうようなことから、私どもはそういうハンディがあって、普通の子供は九年を義務教育とかりに言うならば、そのハンディを乗り越す目の見えない分を三年追加する、耳の聞こえない分を三年追加するということが当然であろうから、十二年を健常な子供の九年に相当するという考えでおりまして、東京都の場合は高等部というものはほとんど義務にひとしい、全員入学をしておるのが実情でございますが、地方の場合には、精薄の高等部って君、そんなばかなことがあるのかというような声、あるいは高等部というのは試験をしなければだめだぞ、できぬやつは落とさなければだめだぞという声が、地方の府県教育委員会の中にはあるのが実情でございます。しかし私どもの考えは、もしここに子供があって、知能が伸びている者を十六年教育して大学ともし言うならば、私たちは知能が低い、手足の動かぬ者を十六年教育すべきであろう。そして大学院というのがあるならば、また、その子たちの社会自立の可能な範囲まで大学院に置いていただきたいというふうな考えを実は教育については持っておる次第でございまして、九年が義務で高等部は義務でないなんということは、とても考えられないと私は思っております。 したがって、先般東京都の場合でもお願いしたのですが、盲と、ろうの場合には、高等部を出ても専攻科という制度がありまして、まだ一年か二年学校におれるのです。したがって、養護学校の場合にも、職がなければもう一回でも、一年か二年その職能教育を受けて社会自立をさしてあげたい、こんな願いでありますが、一つ問題は、どの学校も高等部の生徒としましても四、五十人になるわけなんですよね。一学級が十六名でそれが三学級、これでも四十四、五名、それにあの子たちが十分手や足を訓練する設備施設、教育者を充てようということになると、むだが出てきたり、そしてことしの子には少しいいからタイプを使ってやろうといっても、来年の子はもうタイプは全然使えないのだというようなことが起きたりしますと、こういうものは、重度の障害者の高等部の職能教育というものは、何とかこれは数県合わせた専門の施設でもつくらないと、一学校でやったのでは、経済の場合と施設の場合と教員の場合で非常にロスが出たりして、このことについては、実は校長さん方集まるたんびに、さてどうといったときに、みな行き詰っておるような、こういうことこそ今後の課題にしていただければと、こんなふうに私は思っております。
○峯山昭範君 それでは、先生に対する最後の質問としまして、今回、国立特殊教育総合研究所というのができるわけでありますが、この研究所に対する御意見も、先ほど大山先生からもございましたが、下田先生の立場から、この御意見なり要望があれば承っておきたいと思います。
○参考人(下田巧君) これは全く大山先生と希望が同じで、私どもが昭和三十九年以来要求した一つは、現場に完全奉仕するものであってもらいたい、象牙の塔であるんならばお断りしたい。もうこれが私たちの、現場で直接奉仕というのは、困り切っておるのは、重複障害児の教育の技術とか方法、それからその教材、教具の市販のものは実は使えないんです。どうしてもその子たちに合った改善くふうというようなことになって、だから直接現場の教員に返ってくるもの。それから現場の教員が困ったというときには、子供を連れて泊まり込みにでも行って、もうこの子をどうするんだといって、そこの研究所員と先生と子供が宿泊してでも、非常に自由に行き来できる研究所であっていただきたい。もうこれが私たちの最大の願望でございます。
○峯山昭範君 それでは、最後になりましたけれども、岡本さんにお伺いしたいと思います。 まあ何といいましても、心身障害児を持っていらっしゃる父兄の立場からのいろんな御意見をきょうはお伺いしたいと思いますが、岡本さんは日本身障児教育福祉協会の理事長も同時にやっていらっしゃるとお伺いいたしておりますが、養護学校のPTAの会長という立場から、いろいろとお伺いしたいと思うんですが、初めに特殊教育の現状といいますか、親の立場からいろいろ問題点についてお伺いしたいと思うんです。
○参考人(岡本文夫君) お答えいたします。 本日はありがとうございました。前もってちょっとお断わりしておきたいのですが、私どもの母親教室、または父兄がきょうここへ来るときにほんとうはみなで来たかったんです。ほんとうにこの席上の姿を見たいと泣いて言っているおかあさんもおりました。 いまの御質問のことですが、父兄の立場から、現在の特殊教育に対しましていささか不満を持っている者であります。ということは、学校はただの収容所であってはならないのであります。この教育は、少なくとも一人の人間の可能性を信じ、そのために情熱をつぎ込むことにとうとい使命を感じなければならない仕事だと考えます。さらに、この肢体不自由児教育に対しましては、障害や程度、その内容、多様性からして、個別指導が重視されなければなりません。実際に現場で私たち親が子供の教育を見ていますと、ただ学校へ行っているそのことだけでもって楽しんでいる子供と、毎日がほんとうに苦痛であるというような顔をして行く子供と二通りあります。ですから、特殊教育そのものは何んであるといって先生にお聞きしますと、これは普通学校に準ずる教育であるとお答えの先生もいらっしゃるわけです。特殊教育というものは、訓練と養護、そのものが主としてやられなければいけない、これがことしあらためて文部省のほうから出されましたことでございますけれども、現場では実際はそうじゃございません。やはり訓練者が足りないとか、いろいろな不平があるわけなんです。 私たち親としまして、自分の子供が学校へ通い、卒業するときでも、字が右に走ったり、左に飛んだりして十分に書けないような教育を受けてきても、毎日が楽しく、せめて人さま並みの教育を施していただけるような教育をしていただきたい、それを願っているわけなんです。先ほど卒業式のことを言っておられましたのですけれども、私もPTAのほうといたしまして、卒業式のときに何かことばを出せ、お祝いのことばをくれということを言われるのですが、もう胸に詰まりまして、何を言っていいかわからない。ほんとうにその子供がからだをこわばらせて、卒業式の証書をもらうとき手がこうなって、ほんとうに受け取ることができないわけです。それでもやはり、あなたは卒業しましたよといって社会にほうり出される。先生にしましても、その子供をこれからどうしてやろうということもできない。だから、われわれ父兄のほうは、実は昨年、部の大会のときにも私文部省の方にもお願いしたのですけれども、教育そのものを一年から六年、三年というようなことでやらずに、重症児に対しましてはせめてその九年間を十二年間ぐらいというような分け方の教育をやってもらえないだろうか、ただ、きまりきったような年数に限らずに、できるだけその子供を学校で楽しく皆と遊ぶんだというような生活をさせてやりたい、永久的に自分の子供をうちに引き取って社会へ出すことができなくとも、せめて学校に行っている間だけでも人並みのなにを暮らさせてやりたいというのが親の気持ちでございます。終わります。
○峯山昭範君 いま聞いておりまして、切実に私たちも胸を打たれるわけでございますが、確かに心身障害児の教育施設の現状はどうかと聞かれて、実際問題、満足なものであろうと私たちも思いませんし、これは文部省当局に対しても何とかいまの叫びを聞いてもらいたいと、こういうふうな思いで私も一ぱいであります。 それでは次の問題に移りますけれども、確かに先ほどから心身障害児の問題について早期発見、早期教育ということが何回も指摘をされておりますのですが、実際に御父兄の立場としまして、心身障害児を持たれて、早期発見ということは非常にむずかしい問題だと私は思うのです。現実の問題として、障害の種類によってもいろいろ違うと思うのですが、実際どういうぐあいにして発見することができるのか、発見されたのはどなたであったのか、そこら辺のいきさつ等についても多少お聞かせいただければと思うのですが。
○参考人(岡本文夫君) これは個々に発見の方法が違いますが、参考のために私の子供のことを申し上げます。 私の子供は、生まれたときは正常でございまして、六カ月たちましてから魔法びんのお湯を全身にかぶりまして、重度三でございました。そしてもう半分仮死状態であったんでございますが、前田外科の結局手当てを受けまして、そこへ約半年間入院しておりました。それを冷凍治療でやったわけでございます。頭に氷袋を三個かぶせまして、そして全身を冷やしていくというようなことで、そのためかどうかわかりませんが、食欲が全然なくなりまして、約一年後に慶応大学のほうで見てもらったんですが、そこでも脳性麻痺とはいわれなかった。頭がぐらぐらなんです、タコのように。こちらを向いていることはできない。ただぐらぐらしている、全身。それでおかしいといっておりながら、まだ病院自体ではわからない。それからさらに半年ほど慶応に入院しておりました後に、マッサージの先生、この先生が、どうもおかしい、脳性麻痺じゃないだろうかということで、初めてそこで、あなたの子供は脳性麻痺ですよというふうに……。もうそれからその子供をかかえまして、ただ東に走り西に走り、もうあらゆる病院を回ってまいりましたのですが、結局行くところがないのです。ということは、養護学校というところはあるのですが、結局幼児は預かってくれない。 幸い、そのときに、中野区の父母の会、ただいま私理事をやっておりますが、父母の会の方が、そういうことではいけないからと言って、非常に親切にされまして、日本肢体不自由児協会というのが池袋にございますが、そこの四階で治療を受けるようになりました。訓練をやっていただくようになったのです。そのときにも都のほうに参りまして、何とか訓練とか何か施設がないでしょうかということを申しましたら、話をしまして、板橋に整肢療護園というところがございますが、そこへ母親と母子入園するわけです。ということは、申し込みをしてから約一年くらいしないとその寮にはいれないわけです。そして、そこでやっとはいれて、三カ月間、これは母親教育なんです。子供の訓練と同時に母親の訓練もやらなくちゃいけません。そういうふうなことで、やっとそこへ自分の子供がそういうふうになったというかっこうでございます。 そのほかのおかあさん方は、やはり熱にうなされたりなんかした、みな早期発見ということを言っておられますけれども、実際、現場では、すでにその状態が進まないことには、脳性麻痺である、脊髄性なんだということがわからない状態でございます。
○峯山昭範君 非常によく実情等がわかりましたのですが、実際にこういうふうな心身障害児の皆さんが発見された場合、これらの児童に対する治療といいますか、教育相談といいますか、こういうようなものも、いまのお話の中に出てまいりましたので、非常によくわかりましたのですが、一般的にはどういうぐあいになっているかということもお伺いしたいことの一つなんです。 それから、実際問題としまして、先ほど来お話ございましたように、未就学者の問題でございますが、先ほどのお話の中でも、東京都の場合、六割近くの人たちは、これは学校にもはいれなくて、非常にたいへんな実情にあるわけでありますが、こういうふうな方々の現状といいますか、実情というのをお伺いしたいと思います。 実際のところ、先日も私お伺いしたのでありますが、養護学校に入学することができて、そして教育を受けられる人たちというのは、非常にしあわせな人たちだ。実際のところ、そういうところへ入ることができなくて、そして自宅にほっておかれる。そういう人たちのほうがほんとうにかわいそうなんだと、そういうふうなお話もお伺いしたわけなんでありますが、そういうふうな方々の実情というのは、やはりPTAの会長をやっていらっしゃる岡本さんが一番よく御存じじゃないかと私は思うのですが、そういうふうな実情についてお伺いしたいと思います。実際問題、岡本先生やっていらっしゃる福祉協会等においても、いろんな活動をやっていらっしゃると思うのですが、そういうふうな方々の現状をきょうはここでお伺いしておきたいと思います。
○参考人(岡本文夫君) 初めに、先ほどの続きのようになりますのですが、障害を受けた場合に、親の立場としまして、まず教育相談というところがございまして、その福祉事務所のほうへ参りまして、いろいろ話を聞くわけなんです。そして、それと同時に、就学の問題になってまいりますが、なるほど、学校にはいれるということは非常に幸いでございます。学校によりまして、ここに教育大学の先生、また下田先生がいらっしゃいますけれども、失礼でございますけれども、学校にはやはり試験があるのです。そしてその試験は、教育大なら教育大の付属の学校に合った子供の知能を一応テストします。そして今度は何十%前後の子供を採ろうとか、幼児の子供は一人か二人だというふうに、学校の方針に合った子供しか採用ができないわけです。ですから、親たちは、その学校へ入りたいのだ、国立が一番いいのだからというようなことで、みな希望していくわけです。都立は、光明なら光明が一番古いからいいだろう。北は病院があってりっぱだからといって、希望のところに行くわけですが、みんな検査があるわけです。学校に受け入れるだけの施設がない。施設がなければ子供は入れてくれない。おかあさん方、おろおろしちゃって、結局どこかの学校へ入る。その点は、下田先生のほうは大幅に採っていただいたように聞いております。 そして、そのほかに、はいれない子供ですが、私中野区の父母の会の理事をやっているのですが、実はこういうことがございました。八百屋さんであって、その子供さんをどうしても手放しておけない。バス停のところまで連れていくのに、親御さんも足が悪い。そうこうしているうちに、父親が交通事故でなくなられまして、女手一つで子供さんをかかえて八百屋さんをやっておられましたが、どうしても学校へやるだけの余裕がない。確かにあそこに肢体不自由児の子供がいたからといって、私委員をしておりましたものですから、尋ねていったんです。ところが、いなかへ現在行っておりまして、そのほうでやっておりますからと言って、なかなか相手にしない。だけれども、隣近所に聞いてみると、どうも子供の泣き声がすると。そこで、再三行きまして、やっと見つけましたら、野菜の倉庫です。家の地下に野菜を入れる地下室がございますが、家の下のそこにその子供さんをつないであるわけなんです。子供は、はいつくばって、足も全然歩けませんし、手はたしか左手だけしかきかなかった。ことばもあんまりはっきりわからない。そんな状態ではいずり回っておるわけです。ほんとうに薄暗くて、その中へ入ったときにはぷんと変なにおいがしたわけでございますけれども、あまりのことで、これは公にしてなにするかということも考えたのですけれども、それではあまりにかわいそうだからということで、おかあさん方、約一週間説得に参りました。何とかしてこの子供さんを施設かどこかへ入れるように努力しなさい。私がわあわあ言っても、あなたのお子さんだから、いまは肢体不自由児のいろいろ法律もきめられているけれども、結局、要は自分の子供は自分で見なくちゃいけないのだ。だからあなたは、どこか施設のほうに入れるようにあなたも努力しなさい、私も一生懸命やるからと言って、しばらくして、皆さんの力でやっと府中のあそこへ収容することができました。 そういうようにして、そのほかにも、中野区のほうでは、家庭の重度心身障害者に対しては、教育相談というのを設けまして、先ほど下田先生言われましたように、お二人の先生が巡回に回っておられますが、まだ十分な教育じゃございません。それで私ども、中野区の区のほうと協力しまして、中野区に北部センターというところがございまして、そこでもって、日曜だとか土曜日に、訓練をやったり、皆さんと遊んだりなんかする機会をつくっております。これもやはり区長とか、また区のほうの方が理解がないと、中野区はよくやってくれるのだけれども、私の区はできないとかいうことになっている。ですから、そういうことでも国のほうで、先ほどお話しいたしましたような幼児訓練、幼児教育という場所をぜひつくっていただきたい。これだけひとつお願いいたします。
○峯山昭範君 ずいぶん時間もたってきましたので、できるだけかいつまんでお伺いしたいと思うのですが、特に、特殊教育の諸施設における教員数の不足といいますか、先生が足りないということで、いろいろな問題も実際問題として起きていると思うのですが、身障児の親としての立場から、先生が足りないということについてはいろいろ改善のための要望等もあると思うのですが、この点についてひとつお伺いしたいと思います。 それからもう一つ、二つ続けて申し上げますが、現在の特殊教育について就学奨励費等が支給されているというふうに私は聞いておりますのですが、実際の問題として、父兄の負担がどれほどになっているかということですね。これはやっぱり大事な問題でありますし、一ぺんお伺いしたいと思っておりまして、先日からお伺いする機会がなかったのでありますが、父兄負担が非常に過重になっておるんじゃないかということを非常に私たちが心配しているところであります。そこで、まあその父兄負担が非常に多いために、かえって途中でやめてしまわなくちゃならない。そういうことになったら、ほんとにかわいそうな問題でありますし、そういう点も含めましてお伺いしたいと思うのであります。この二点についてそれじゃ初めにお伺いしたいと思います。
○参考人(岡本文夫君) 専門職員の不足というのは、根本的にやはり待遇が悪いからです、言いかえれば。これはもう結論的にそこへいくようになるんです。ということは、機能訓練関係の職員が一校当たり三名というように国のほうで定めておられるんですが、実際は現場は一名でございます。米英のほうは、養護学校児童生徒十名に対して一名の職員がついてるような状態なんですが、これは各養護学校のPTA連合会のときでも各学校から言われることですが、訓練士、リハビリテーションでもって訓練の教育を受けられまして、訓練士の資格をお取りになり、それをもって養護学校へお入りになりますと助手の形になる。それは教員の資格をお持ちにならないために、やはりそういう待遇しか受けないということが現状なんです。せめて教員並みの待遇をしていただきたい。それでなくても病院とか、または医療機関でもって訓練士が不足しているものでございますから、養成している間に手を回していって、あなたがいま訓練習っている学校の費用は私どもの病院で持ちましょう、そのかわり卒業したら私の病院へ来てくださいという前もっての勧誘があるわけです。ですから、なかなか養護学校まで回ってこない状態なんです。 これは先ほどからお話がありましたように、養成学校というようなものをどうしてもつくっていただきたいし、また、特殊教育総合研究所の中にも訓練施設というものをつくっていただきたいと私は思っているのです。それと、東京都の場合は訓練教師の方が一名でございますけれども、その助手に約五、六人いらっしゃいます。大体一校に対して七人か八人くらい、これは助手とされましても、はりとか、あんま、マッサージやっておられた方が、一応訓練の内容として補っているような状態。教育大のほうでは一名、あと助手が二人おりますけれども、足らない場合には訓練の免許を持っている普通の教官が一応それを補っている状態です。そうすると、どうしても授業とか、そういう方面にまた影響してくる、それが状態でございます。ぜひこれは、待遇のことを申して失礼でございますけれども、待遇を改善しない限りは、養成をやりましてもなかなか訓練士さんは来てくれ手がないんじゃないかと思います。 それから教育の就学奨励費の問題でございますが、これも私のほうは国立でございますので、実践研究学校だという使命がございまして、いろいろあるのですけれども、大学のほうからは法定のきまり切った法定授業費、それだけしか父兄に対して支給されておりません。それもやはり保護者の家庭の状況とか、そういうことを基準としまして、ほんとうにきちっときまったことだけしかやっていただけない。それに比較して都のほうでは、結局そういう父兄負担はできるだけ軽くしてやろう、そういう趣旨のもとに、法律がきめているほかに、都独自の奨学奨励費をあわせて支給をしております。それはどういうことかと申しますと、校外教授費、結局見学したり遠足、鑑賞会とかといったような交通費とか入場料、補助教材費というものを都のほうでは別個に出しておるわけです。われわれは、どうも金額のことを申して失礼ですけれども、国立のほうは全然それがございません。全部父兄にはね返ってまいります。そういうような状態で、何が一番それが原因になるかと申しますと、結局学校、本校から養護学校のほうに対しての補助金——補助金と申しますか、そういうお金は物件経費と申しますが、人件費とは別に物件経費が生徒一人当たり都の場合ですと大体三万七、八千円。これだけがもらえる。桐が丘の場合はこれは一万四千七百円でございます。これだけしかない。そうすると、おのずから現場の炊事婦の方であるとか、また自動車の運転手に対しましても、それのほうの負担をわれわれ父兄が何かの形で出さなくちゃいけない。出せる家庭はいいのです。だけれども、先ほどから申し上げますように、その経費の負担が非常に親にかかってきている。だけれども、親は何とかして、歯をくいしばってでも子供を何とかしたいと思いまして、一生懸命働いておられるのですけれども、実は入院部といって、私どもの学校には通学と入院部とございますが、入院部の中でもやはり年間一家族ぐらいはどっかに蒸発されるわけです。最初におとうさんがいなくなる。それでしばらくじっとしていますと、今度はおかあさんがいなくなる。子供さんは一人で、いま小池先生の名前で保護の児童生徒が十一名おります。だけれども、その子供はやはり、先ほどのことに戻りますけれども六年、義務教育が終わると追い出されるわけです。そうするとだれが預かってくれるか。結局国の施設だと言っても、結局十八歳になるとまた出されるというような、たらい回しのやり方、ですからこの教育そのものにもいろいろ疑問がございますし、またいろいろやっていただきたい。そうして、この奨学費の問題も、これも大幅にもっと普通養護学校にはこれだけのものがあるのだというような、奨学費の幅をぜひふやしていただきたいと思います。
○峯山昭範君 大体のことはわかってまいりましたのですが、確かに心身障害児を持っていらっしゃる親の負担というものが非常にたいへんだろうということは、私たちも推察をいたしているのですが、いまちょっと話がございましたように、奨学金とは別に、都あるいは国、あるいは私立の施設等によって、その国立の施設に入れるか、私立の施設に入れるか、また都の施設に入れるか、そういうようなことによっても親の負担は相当違ってくるのじゃないかと思いますが、こういうことについては岡本先生御存じないかもしれませんが、実際問題、月当たりその経費は一体どれくらいかかるものなのか、概算でけっこうでございますが、お伺いしたいと思います。 それからさらに、先ほどから、国立特殊教育総合研究所というのが今度できるわけでございますが、これに対する意見なり要望等があれば、これは親の立場からお伺いしておきたいと思います。
○参考人(岡本文夫君) 費用の点でございますが、これは学校によって異なりまして、東京の例をとりますと、都立と国立と違います。そうしてまた都立の中でも、やはり学校の政策上違いがあるわけなんです。ですけれども、都立の場合は、東京都の方針としまして、負担の軽減のための財政の措置がありますので、学校の援助はなくしていく方針でございます。しかし、児童の安全をはかるため、やむを得ず徴収する場合があるように聞いております。で、国立の場合ですと、大体PTA会費、それから後援会費、またその中に学校助成費というのがございます。それと別に学級費というのがまたございます。それから遠足に行ったりなんかする場合は、都立の場合は無料でございますが、国立の場合はそのつど出さなくちゃいけない。夏季のときには大体八千円、これが二泊として八千円ぐらいかかるわけです。そういうようにいたしまして、大体平均月に直していきますと四千円ぐらい。これは小学部、中学部、高等学部というのがございますですけれども、大体四千円ぐらい必要であるように思います。 そのほかに、ですから、これは都でもって今度五千円の支給があるんですが、それもやはりいろんなうまい仕組みになっておりまして、健康保険料とか、また子供がなくなったときにめんどう見てやるからこれを払えよといって、月々千五百円払っておりますが、大体実情としましては、学校に子供をあげていくと、その四千円はどうしても要ります。それで、そのほかに要るのは補装具のこれは費用なんですが、これは補装具の場合に、身につける補装具は、これは国のほうから一応多少支給されるワクがあるわけなんです。これもやはり収入によっても別でございます。ですけど、その補装具以外に訓練用具として、われわれが子供の、うちへ帰りまして訓練をさせなくちゃいけない訓練用具を買うのに、その金は全部自分のほうで払わなくちゃいけない。だれの補助も受けない。訓練用具というのは非常に特殊なものでございまして、高うございます。それから、かりにくつ一足にしましても、これは補装具でございますので、余分に補償はされるんですけれども、年に二回ぐらいやりますと断わられるわけです。おたくばっかりそういうわけにいかない、やはり国なら国の予算があるので、あなたは順番だから、どうしても要るんだったら、あんた親でしょう、自分でつくりなさいというふうにやられちゃう。そういうことを言われりゃ、親としましても、やむを得ず何とかやるんですが、くつ一足が大体六万から七万でございます。これは足の矯正ぐつといいまして、足のところからずっと金がずっとあります矯正ぐつ、これが大体七万円ぐらい。そういうようにして、どうしても金がかかるんですが、何とか親として、それで歯を食いしばって現在やっております。一応そういうことでございます。
○峯山昭範君 それでは大山先生と下田先生に、あと、いままでいろいろ質問してまいりましたが、こういうことをもうちょっと言っておきたい、こういうことを話をしておきたいということがありましたら、大山先生からお願いいたします。
○参考人(大山信郎君) いままで述べましたので、特別に言うことは、いままでの繰り返しの形になりますけれども、先ほども申しましたように、一貫した教育というものを重ねて申し上げておきたいと思います。あとの、いろんな子供の、場所によって違う、子供は一人ですので、それが生まれたときから、それが学校を出て、それから生涯社会の中に出ていくと、そういうものを通じまして、その子供自身がおんなじ同一人でありますので、その間に一貫した形をとっていただくということを、重ねて希望申し上げたいと思います。
○参考人(下田巧君) ぜひお願いしたいことは、先ほど先生の御質問でも、矛盾が出ていることは、厚生行政と文部行政の、あるいは上の労働行政、入学するまでは厚生行政との一体化、卒業したときは労働行政との一体化、このわれわれの子供、普通の子供ですと直線的で、厚生が済んだら文部、文部が済んだら労働と、直線にいくのですが、こういう子供はどうしても複線でないといかない、両方がダブったところがないといかない。この行政措置を何かの機会にぜひ改めるようお力添えをお願いしたいということが一つ。 もう一つは、先ほど就学奨励と申しまして、こういう特殊学校に行く子供の就学を奨励するために補助制度があるのですが、この補助制度というのは収入によって段階的補助になっておるのです、原則が。それはある種のものはそれでけっこうだと思いますが、当然建てるべき学校を県に一校しか建ててないで、そこへ通う通学費は、これは家計に応じなさいという。普通ならば地域に小学校が建つのだから当然来れるのに一校しか建てていない。金のある者は自分で払って来いというのは、どうも矛盾のような気がいたしますので、就学奨励費のある種のものは、やはり富に関係なく全額補助していただくような法的な措置がどうしても今後必要だと、そういうことをお願いした節には何とぞひとつお力添えをお願いしたい。 これは文部省の先生方もいらっしゃるのでお願いしておきたいのですが、教材開発に対する先生方の意欲を高めるためには、この開発研究費というふうなものをどんどん出していただいて、いい研究を先生方がしたら、その試作費くらいは出していただくというふうな、先生方に意欲を持たすための施策というものを、根本的にひとつ考えていただきたいというふうなことが私たち現場のお願いでございます。
○峯山昭範君 確かに三人の参考人の皆さんの御意見をいままで聞いてまいりまして、私は、わが国における特殊教育といいますか、心身障害者の教育の問題は、憲法の精神からいいましても、また教育基本法の精神からいいましても、さらには児童福祉法の精神といいますか、児童福祉法の第一条の、「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。」、同第二条は、「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」と、こういうふうな精神からいいましても、国が全責任を持ってこういうふうな教育に対処していかなければいけないと、私はこういうぐあいに思うのです。 そこで、官房長は、きょういままでずいぶん聞いてこられたわけですが、文部省当局としての、いままで意見を聞かれての感想なり御意見をお伺いしたいと思います。
○政府委員(安嶋彌君) 三人の参考人の方々から非常に現実に即した御意見をいただいたわけでございますが、文部省といたしましては、坂田大臣、特にこの特殊教育に熱心でございまして、文部行政全体の中におきましても、重点的にその施策の充実につとめてきたつもりでございますが、ただいまいろいろ伺いますと、私どもの努力のなお非常に不十分であったということを痛感いたします。今後さらに御意見の詳細を検討さしていただきまして、このための格段の努力をいたす、そういう気持ちをあらためて深めた次第でございます。
○峯山昭範君 私は、きょう大臣もお見えになっておりませんので、文部省設置法の内容等、特殊教育の内容等、文部省当局への質問はきょうは留保いたしまして、参考人に対する私の質問はこれで終わりたいと思います。
○足鹿覺君 いまも峯山委員から参考人に対する意を尽くした御質問がありましたので、再度私は重ねて申し上げることを避けたいと思います。ただ二点だけこれはすわったままですが、私はちょっとからだの調子が悪いのでございますから、すわったままでけっこうですが、お許しをいただきたいと思います。 わが参議院は、昨年度の予算案の審議にあたりまして、正式の公聴会を開きまして、四十五年四月八日、公述人に宮尾修君という重度身体障害者をお呼びをいたしまして、お話を聞き、聞けば聞くほど胸の痛まる思いがいたしたわけでございまして、ただいまも各参考人からるるお話を聞きまして、日ごろ気の毒な人々のために日夜御尽瘁になっていることに対して非常に敬意と感謝をささげる次第でございます。その際、宮尾修君は、去年はたしか三十六歳、これはおかあさんと妹の庇護によっておるわけです。母親もすでに六十歳を越して、妹は婚期を逸しておる。もしこの人々が嫁にいったり、母親が万一のことがあった場合には、自分はどうしたらいいか、こういう悲痛な訴えをなさっておりました。いまも下田参考人から厚生省所管の問題との関連について御指摘になりましたが、その際に国に何をしてもらいたいかということについてお尋ねをいたしましたが、その人々が身体障害者に対してアンケートをとったことを御発表になって、一番多かったのは、福祉年金の増額と所得制限の撤廃の問題、次がホームヘルパー制度の確立を訴えておりました。もっともだろうと思います。それから国民の選挙に対する投票権の行使、在宅投票制度が復活したけれども、施設の増設と充実がないために貴重な権利の行使ができない。その充実をはかってもらいたい。医療保護の完全実施、住宅の改善資金というようなことがアンケートで出ている、こう言っておられました。一々ごもっともなことでございますが、この点については下田さんから先ほど述べられたところと、私も体験の上からよくお気づきになっておることだと思って感銘したわけですが、要するに、法律の面から見て、身体障害者福祉法と雇用促進法、児童福祉法、母子保健法あるいは生活保護法等、関係づけられる法律というものはずいぶん一ぱいありますが、現在この心身障害児童の教育なり、その養護なり、施設のためにお三方が御尽力になっておるわけでありますが、同様に全国にはたくさんそういう方々がいらっしゃると思いますけれども、問題はその養護施設を出てから、社会復帰をしてからのところに大きな問題があるのではないか。これに対する文部省なり厚生省なり、関係省当局の対策が望まれたい、早くやってもらいたいということでございます。そのときは限られた時間でありますので、委員諸公からもいろいろと御意見が出ましたが、この人は三十六歳でありますから、まだいまのような養護施設や養護教育は整備されておらない、全然小学校も出ていない。どうして、りっぱな公述をなさるのかと聞いてみましたら、母親から……。そしてだんだんと勉強を積み重ねて、りっぱな公述をなされたことに対して、非常に謙虚な態度でお話になっておりましたわけですが、あなた方のとうとい御尽力が実った後における、社会復帰後における、生きていく手段のための職業の問題とか、いろいろな問題が横たわっておると思う。むしろある程度の成果をあげられましても、その後の問題がうまくいかなければ、その人々はまともに生きていくことができない。ここに私は非常な大きな問題が残されておるのではなかろうか、これらの点につきまして大山先生なり、岡本参考人なり、下田参考人なり、同僚議員からも意を尽くした御質問がありましたが、この際、どのような御意見をお持ちになっておいでになりますか、ひとつ御意見がありましたらお聞かせをいただきたい、かように思います。
○参考人(大山信郎君) 身体障害者の雇用促進法というのがあるわけでございますけれども、その身体障害者の雇用促進法というのは、現実に見ますと、まだまだ少し骨抜きではないかと、われわれは考えておるわけです。そういう事柄をもっと積極的に進めていただきたいと思います。 それからなお職業教育というふうなもの、これはそれぞれの障害者に応じた職業教育というものをやらなきゃならないわけで、その点はまだ私どもも未熟で、なかなかどういう職業がこの人にいいかと、いろんなことをやっていくのには十分でありませんけれども、そういったそれぞれの障害者に応じた職業というふうなものの開拓、そういうふうなものをもう少し積極的に進めていただきたい、そう思っているわけでございます。
○参考人(下田巧君) 私は、足鹿先生、そのことについて純然たる現場の教育者として考えますことは、ただ現在の補助制度、施設にしても、あるいは生きていくための生活費にしても十分とは申されません。が、しかし、私がこれで校長を十何年かしている間に数名の高等部の子供の自殺者を実は各学校でお聞きをするわけです。これは前途を悲しんだりどうしたというさびしさを持たしたら、わずかな職業教育や、わずかな待遇は意味がないと思います。これこそやはり私は差別からくる、おれはかたわだというふうなものを社会人が押しつけてその子を暗くしていったのじゃなかろうか、社会人にはもちろん教育者も含まれると思いますが、宮尾さんよりまだ重い子がおります。毎日テレビを見ておるだけで楽しくって、あすのテレビを期待しながら俳句などをつくって楽しんで生きておる三十何歳の人もおりまして、どうやって人間らしく楽しくあすを持てるかという教育をしないと、これは先ほど大山先生もおっしゃいましたが、ただ福祉で時間がきたらおむつを取りかえてあげますよ、時間がきたら御飯を食べさせてあげますよ、ああおまえは幸福だなというのでは人間は生きていけないと思います。人間が生きていく希望というのは何だと考えますと、世にいう金銭でまかなえる職業というのには、つける人はほとんどつけましょう。つけない人がたくさんいる。がしかし、何かの仕事をやって、それが貨幣に換算されるなら、貨幣に換算されて、そしてやはり自分ももうけたのだ、働いたのだという喜び、そんなようなものをどのようにして植えつけるかということ、そして、社会の人がみんな仲間だ、同僚だと、どのようにあたたかく見守ってやるかということ、こういう根本問題を解決しないとだめだと私どもつくづく感じておりまして、実はうんと重度の子供がこの間、寝たきりの子なんですが、同窓会をやったら、その大将、おかあさんに連れられて来まして、一番最後まで帰らない。帰りたくない、みんなといたいのだと。みんなにとっては非常にやっかいなんです。重くて寝たきりだから、ビール飲むといったって、こう飲ませなければならない。お菓子食べるといったって、さじで食べさせなければならない。それでもみんなといたいと言う。だから、おまえはおば捨て山かどこかへ行ってめんどう見てやるぞというのでは、人間は生きていけない。みんなといたいのだという人間的な本能、あすを期待するような心持ちを私ども教育者としては植えつける、社会全部がそうなってもらいたいというのが切実な要求です。
○足鹿覺君 PTAの会長さん、いかがですか。
○参考人(岡本文夫君) 親としましてその問題が一番切実でございます。これは、養護学校に入ったときからそういう訓練、自立の訓練が始まっているというふうに親は考えています。ですが、現実はそういうことじゃございません。ですから、学校に対しまして、私よく校長の方にも話をするのですが、各学校、東京都の場合には七校でございますが、その七校の中で肢体不自由児に適した職業、職能を各学校に一つずつ設けていただきたい。それで工芸なら工芸をやる、ノギスならノギスをやるという簡単な仕事を分担してやっていただく。そこでこういう施設の子供が分担して職能を受けていくというのも一つの方法じゃないかということも考えております。 それから、私まだ別に協会持っておりますけれども、その協会の皆さんと相談をしているのは、何といっても自分のことは自分でする、身につけるだけの能力を持たなければならない。社会に出るにしても、何としても自分のことは自分でやるだけの状態に育てなければいけないので、学校の近くに、これは母子寮的なもの、言いかえればマンションですね。一階が訓練室とか、それから学習室、そういうものを全部つくりまして、二階以上はアパートにする。そして、それを学校の近くに三棟なら三棟、二棟なら二棟つくりまして、そこから学校に通う。学校から帰りますと、そこに全部一たん子供が集まりまして、もう一度そこで訓練をする。こういうような施設をどうしてもつくりたい。それで、私どもではいま約二千五百万の金が集まりまして、それをどうしてもつくろうということでやっております。 それはやはり学校で教育、訓練を受けてまいりまして、自分の家に母親が連れて帰る。そうするともう一度訓練しなければならないのですけれども、親はいろいろな家事に追われて子供を見ることができない。だからまず第一番に、そういうことでは困るので、第一に訓練が一番だという頭を植えつけなければならない、潜在意識を。ですから、学校から帰りますと、そういうようなアパートに十四世帯なら十四世帯、十世帯なら十世帯入れまして、十人の子供がそこへ一たん帰ってくる。そこでおかあさんが当番になってもかまわない、ヘルパーの人がいてもかまわない。学校で受けた訓練をもう一度一緒にやるわけです。遊戯を取り入れた訓練をここでやる。子供も非常に喜ぶのじゃないか、そういうような私は理想を持っております。 それともう一つは車いすでございますが、これは車いすそのものが非常に重いので、学校でもって遠足なんかに行ったときに、子供のめんどうを見てやれないので、車いすとうば車の中間のようなもの、軽いものを大体もう研究し、試作しております。そういうようなものを各養護学校に分けるとか、そういう一つの仕事を私どもは進めていきたいと思いますので、卒業生の中にそういう仕事に携わっていく者を養成をしていこうと思うのです。そういうふうにしてだれかが小さいながらも、五人でも六人でもいいから、肢体不自由児の子供をかかえた仕事をやっていくようなことをやっていただけると、みな仕事ができるわけです。そういうことも考えていただきたい。ですが、きょうここへ参りますときに、一人のおかあさんがこういうことを言っておられました。何も望むことはない。ほんとうに望みたいのは、この子供が死んでから自分が死にたい、一日だけでもけっこうだ。そういうことを言っておられました。
○足鹿覺君 この宮尾さんの公述をあらためて私読み直してみまして、昨年の予算委員会の公聴会の当時のことを思い出すわけでありますが、足が両足ない、手も片方ない、そういう重度の身体障害者、その人が申しますことは、やはりいままでに峯山委員も質問で言っておりますが、やはり「養護学校の増加に見られる特殊教育の普及はもちろんけっこうであるけれども、大学・専門学校と同様の、同等程度の内容と資格を備えた高等教育機関の設置を検討して、また、一般大学等への障害者の入学について最大の便宜と配慮をはかってほしい。」ということを具体的に言っておりました。私はもっともだと思うのです。いまも下田さんがおっしゃるように、一人前になって相当の年齢に達した、しかし前途に光明がない、自殺するようなことでは、せっかく苦労なさったことも実りがない。何かいまの日本は高度成長経済だと誇らかに言っておりますけれども、このような面にはあたたかい手が伸べられておらない。文部当局ももっと目を見開いて、おそらく、きょうの参考人の貴重な御意見を文部大臣みずからがお聞きになることが好ましいわけであります。私どももまたあなた方のお話を基礎として大臣の所信をただしたかったが、何しろ御病気のために会期一ぱい出られない、こういうことでありまして、明日政務次官なり、あるいはその他の適当な文部大臣代行が、いま自治大臣がつとめておいでになりますので、最後には政治家としての高度の判断に立った、いわゆる事務ベースでなしに、思い切ったただいまお述べになりましたようなこと等の実現のために努力をし、皆さん方の御労苦に少しでも沿いたい、そういう気持ちで一ぱいでございます。 どうかひとつ、いろいろ困難な仕事ではございましょうが、勇気をふるい起こされて、宮尾君のことばではございませんが、最後に彼はこう言っております。「もちろん障害者自身が強く生きる心を持たねばならぬことは言うまでもありません。新訳聖書の一節に、「艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じる。そして希望は絶望に終ることはない」ということばがあります。私は至って無信仰な人間でございますが、しかし、少なくとも自分に残されている自分の能力は信じております。」と断言をいたしました。心打たれることばであり、これらの要請に対して、一日も早く文部当局なり、関係当局が連携をし、相互にばらばらでなしに、総合的な統一のとれた対策が講ぜられることが、皆さん方の御期待にこたえるゆえんであり、われわれもそれに努力していきたいと思います。非常な貴重な御意見を聞かしていただきましたが、峯山委員の御質問に尽きておると思いますので、私は最後にその一点を伺ったわけでありますが、官房長も先ほど、文部大臣は養護教育に非常な熱意を持っておられると、かようなことでありました。少なくとも明日の審議に文部省を代表し、それ相応の人の御出席をわずらわして、責任のある御答弁を私どもは求めたいと思っておりますので、よくきょうの趣旨をお伝えになって、先日来私が質問いたしましたことについても、大臣の御答弁は留保いたしております。ぜひ御出席になるように、そしてきょうのこの参考人の皆さんのとうとい非常な努力のかたまりである貴重な御意見をよくお伝えになって、それらの期待に少しでもこたえるような前向きの答弁を用意してもらいたい。このことを申し上げておきますが、官房長にはその御用意がございますか。
○政府委員(安嶋彌君) 先ほど峯山先生にお答えをいたしたようなそういう気持ちでございますが、ただいま参考人からお話しのありましたもろもろの点につきましては、最大の努力をいたしまして、御趣旨に沿うような方向で検討をいたしたいと、こういうふうに考えます。具体的にはまた明日の御質問に対してお答えをすることにいたしたいと思います。
○足鹿覺君 私は、三参考人には直接の質問は以上で尽きますが、厚生省当局をお呼びいたしておりますので、参考人もひとつお聞き及びいただきたいと思う。 それは、皆様方の手を離れた後における気のどくな人々の将来にわたっての問題をいま私は述べましたが、今度は身体障害者がいろいろな原因によって今日のような気の毒な状態におちいったことについては、それぞれの原因があり、またいろいろな理由があろうかと思います。問題はこのような身体障害児をなるべく少なくしていく、絶無とは言いませんが、少なくしていくということが、私は養護教育以前の問題として一つあると思うのです。 そこで、厚生当局に一点だけ伺っておきますが、心身障害児の中には、すでに母体の中でその状態が原因づけられておる、こういうことが言われておりますが、その点について厚生省は実情をどのように把握しておいでになりますか。御所見なり、御検討になった事項がありますならば明らかにしていただきたい。
○説明員(石野清治君) ただいま先生の御指摘のとおり、障害児の対策の基本というのは、やはり母子保健というのが一番大事であるということは、私ども十分承知いたしております。先生の御指摘のような、いわゆる母体のうちにいろいろな障害をすでに発生する素因があるというような場合もいろいろございますが、その中で特にいままで私どもの把握しております点は、先天性代謝異常、これにつきましては、たとえば重症黄疸でございますとか、あるいはフェニルケトン尿症でございますとか、あるいはもっと専門的に言いますと、血友病とか、いろいろなものがございます。そういうものの発生頻度につきましては、いまだ明確な数字が出ておりませんけれども、たとえば重症黄疸でございますと、大体百人に二人程度でございますとか、あるいは血友病でございますと、男子の出生一万人に対しまして約一人とか、その程度の数字は把握いたしております。そこで、そういうような先天性代謝異常あるいはそのほかの先天性の心臓疾患でございますとか、いろいろございますので、そういうものにつきまして、実はそういうことのないように、妊娠の届け出の問題でございますとか、あるいはそのほか母子の健康診査あるいは妊産婦の健康診査というものにつきまして、従来から努力いたしておるわけでございます。特に四十六年度におきましては、そういう先天性の異常の問題の発生のために、特別治療研究費というものを計上いたしまして、本格的にそういうものの発生を予防してまいりたい、かように考えております。
○足鹿覺君 私は具体的にはきょうは触れませんが、いずれ厚生省設置法等の審議の機会に述べる場があろうと思いますが、その原因の一つが医薬品にあるということがすでにいわれ、それが大きな社会問題化しておると私は受けとめておるのでありますが、厚生当局は、そのような点については御関心を持たれ、どのように受けとめられ、調査をし、検討をしておられますか、この際、明らかにしていただきたい。
○説明員(松下廉蔵君) 申しわけございませんが、ただいまの御質問は、直接は薬務局の所管でございまして、私、いま関連の事項といたしまして承知しておる限りで御説明をお許しいただきたいと思います。したがって、もし間違っておりましたら、後ほど薬務局のほうから訂正させていただきたいと思います。 ただいま御指摘のありました点は、最近の問題として起こりましたのはサリドマイド、妊娠中つわりの予防のためのサリドマイドの服用に起因いたしますいわゆるホコメリア、そういった障害の問題が一番社会的にも医学的にも問題になったと承知いたしております。この問題につきましては、これはこれとして、サリドマイド製剤の製造、販売を一切そういうことが明らかになりました段階で禁止したわけでございますが、その後の厚生省としての対策といたしましては、国立衛生試験所に毒性部を設置いたしまして、従来主として検討されておりました医薬品の副作用、特に急性毒性の問題だけでなしに、慢性毒性あるいはそういった催寄型性と申しますような内容につきましても、十分な審査を経ました上でなければ医薬品の製造の承認をいたさない、そういうふうな方針を立てて指導しておるというふうに承知をいたしております。
○上田哲君 ここに専門家がいるんだからそれでは答弁にならない、専門家を呼んできなさい。私がかわりに答弁してあげようか。じょうだんじゃないよ、ほかにいないのか。たとえばいまのさっきの数字だって、でたらめな数字じゃないですか。だめだ、そんないいかげんにやっていたら。
○足鹿覺君 いかに現在の厚生行政というものが、いわゆる縦割りで医務局、薬務局などというような全く縦割り行政で横の連絡がないということを露呈していると思います。しかし、これは参考人を長い時間拘束することは御迷惑だろうと思いますから……。 最近、漢方医学が非常に日本に受け入れられておることは御承知のとおりであります。ところが、これは国保や健保にもその他一切適用対象になっておらない。しかし一般には非常に多く普及しておる。私自身もその恩恵を受けた一人であり、その効果が相当期間飲めば的確であるということは、私自身が現在病気をしておりますのでよく体験をいたしております。この漢方医学に対する厚生省の現在対処しておられる態度というものはどのような態度か、私どもは理解に苦しむものである。私は先輩とともに漢方医学を、いわゆる西洋医学に何か一辺倒の現在の医療行政というものに対しもっと深く検討する必要があるのではないか、かような気持ちをいつも持っておるものでありますが、漢方医学並びに漢方医薬物についても、どのように現在あなた方は評価をなされ、今後どう対処していかれようとしておるか、承っておきたい。
○説明員(松下廉蔵君) ただいま先生御指摘のように、現在漢方医学、いわゆる和漢薬と申しますか、生薬系統の医薬品は、それを使用いたします医学の分野がもう一度見直されて、専門家の間でも研究が進められておるということは私ども承知いたしております。御指摘のように、現在の社会保険の薬価基準の中に漢方医薬が十分には取り入れられておらないと思いますけれども、局方薬の中には漢方に由来いたします生薬系統の医薬も相当含まれておるというふうに承知いたしておりまして、要は、どこに由来する医学でございましても、国民の医療あるいは健康の増進、疾病の予防というような手段に役立つものであれば、積極的に取り入れるべきものであるというふうに私どもは考えております。現在の医学は、私も自信を持って申し上げるだけの知識は十分ではございませんが、多少、先生御指摘のようにいわゆる西洋医学に偏しておる。したがって、作用は緩慢であるけれども、副作用が少なくて、長期的な面から疾病に対しては非常な治療効果を持っておる漢方医学というものが、今後もう少し見直されて研究されなければならないという御意見も十分拝聴いたしておりますし、私どもといたしましても、今後の国民医療の向上いたします方向の一つの手段といたしまして、漢方医学の検討、あるいはそれの行政への採用というような面につきましても十分検討いたしてまいりたいと、そのように考えております。
○足鹿覺君 これを私はいつもポケットに入れているのですが、最近の漢方医薬は非常に製造が進歩して、必ずしも水から煮たててその煎汁を飲まなくても、ちゃんといつでも純粋度を保った真空装置によって粉末にし、エキスを出し、そして固型化して、いつも携帯できるようになっている。私がすわったまま質問をいたしますのも、西洋医学では解決がつかない。そこでいろいろやったが、持っておりますこれが一番よくきく。長期にわたって飲用しておりますが、三百錠が二千円です、三百錠が。なかなか高いのです。これを三種類複合して飲むわけです。そうしますと、私どもも経済的に相当こたえる。いわんや一般の国民の生活水準の上で、きくことはわかっておっても、これを飲むことができない。そういう実情にあることは御存じだろうと思う。 いま検討検討ということでいつも言われますが、もっと一歩踏み込んで、医療行政の上における漢方医学の評価、また漢方薬物の健康保険、国民健康保険等、その他のいわゆる投与対象にこれをどうとり入れていくか、そういった問題に対していわゆるその道の権威者を集める、あるいは経験者を集めるというふうにして審議会等をつくり、そしてある一つの目標を定めて、そして問題の解決のために努力をなさる御所存はございませんか。これは厚生省設置法のときに私は申し上げたいと思っておりましたが、会期末でありますので、この際この点を一点だけお尋ねをしておきたい。あなたの所管で解決がつかなければ、これは厚生大臣の御出席を求めてもけっこうです。ひとつ御所見があれば、直接担当者としての具体的なお考えを承っておきたい。いかがですか。
○説明員(松下廉蔵君) 基本的な考え方といたしましては、先ほど申し上げましたように、和漢薬あるいは洋薬というような区別は私どもとしては考えておりません。国民医療のために有効で副作用の少ないものであれば、これはすべて積極的に採用すべきものであるというふうに考えております。したがって、いま先生が御指摘になりましたような有効な医薬品、これは漢方薬でありましても、積極的にその有効性が証明されたような場合には、国民医療上あるいは医療保険の上にも採用すべきものであると私は考えております。具体的な手続といたしましては、御承知のとおり中央社会保険医療協議会に諮問する等の手続も必要でございますので、いますぐにどうこうという即答はいたしかねますが、施策の方向といたしましては、御指示の点に賛成でございますので、そういう方向で進めさしていただきたいと思っております。
○足鹿覺君 和漢薬ないしは西洋医薬の区別はない、いいものはとる、医事審議会へもはかるということでありますが、申請が出ておりますか。たとえばそういう区別はつけない、こういうことでありますが、そういうものについてあなた方のほうへ申請が出ておりますか、おりませんか。
○説明員(松下廉蔵君) 先生がお持ちのお薬がもし市販されておるものでございましたら、これは当然厚生省に申請が出まして、すでにもう製造の承認を受けておるはずでございます。
○足鹿覺君 もちろんこれは承認を受けておるんでありますが、健保の対象にしてもらいたいということになりますと、西洋医学を受けたお医者さんばかりです。たまに漢方医学をおさめた先生がいらっしゃる。その先生方でなければ使いませんよ、これは。全然問題にしてくれない。したがって、医者としての登録ですね。許可、医師の資格付与等、医療行政全般にわたって私は一つの大きな転換期が来ておると思う。そういう見地から、市販されておるから許認可はしておいでになるに相違ない。そんなものを売っておるはずはない、相当のメーカーですから。現在西洋医学といわれるものの中に、木根草皮的なエキスを相当入れたものが市販されているということは御承知のとおりです。したがって、そういう意味における取り入れ方でなくして、いわゆる純粋の和漢医薬としてのこういったものを、いわゆる一般のお医者の中にも健康保険、国民健康保険等で希望をすれば、その対象としてこれらがいわゆる患者に支給できるような、いわゆる給付の対象になる、そういう取り扱いを近き将来においてしてもらいたい。そうしなければ、なかなか高価で手がつけられない。そういう点を一点指摘し、今後重大な関心を持ってひとつ対処していただきたい。 そこで、先般私は中国へ行って参りました。中国の北京の第三ろうあ学校というところへ連れて行かれました。最近第二次訪中団が行って、第一ろうあ学校を見学したという手紙を昨日いただきましたが、ここに写真がございます。これはあとでそちらへお見せいたしますが、これは若い婦人の校長先生、これは三歳のときに、おし、つんぼになった生徒が、いまりっぱに歌も歌い、歓迎の辞も述べることになっている。その現場を見たら、これは耳の裏に針をさす——耳の裏に一日一回の治療をやる。要するにつんぼはおしを生ずる。聴覚が故障があるから音感が何も聞こえない。したがってものが言えない。このおしをなおすのは、つんぼをなおすことにあるということから、この学校が第一、第二、第三と、まだ第四、第五とあるようでございますが、私は北京の第三ろうあ学校を見学した。目の前で治療をして見せました。これ、ごらんいただけばわかりますが、若い婦人の治療師ですが、目の前で長さこの程度の——私は明治生まれですからメートル法がにが手なんですけれども、二寸程度の針を目の前でぶすっと入れる。で、一定のところまできますと、まあということでやめる、ぎりっと回して抜く、それだけです。これを毎日一回繰り返すことによって、一九六八年十二月に開校したこの学校は、三百二十八名中三百十五名の聞く力を回復しておる。そのうち二百八十名は、いつまでもものが言え、聞こえるようになっても、この手まね口まねをやることをしておくと、いつまでたっても社会復帰ができないから、一般の学校へ送ってしまう。そこで一般の子供たちと一緒に教育を受けるようにしたのが二百八十名、他の小学校へ転校さしておる。 そういう方法をとって今日大きな成果をあげ、しかもその土台になったのは、中国の解放軍が、いわゆる自分の生身に自分の同僚が針をさしてつぼを調べ、そして有効と思われる方法を発見をし、これを私どもの目の前でやってくれた。あるいはもっと近いのがありましたけれども、新聞に掲載するというので貸してあげましたが、この二つ、その現場がある。これらを私は見たときに、理屈は抜きで、まず日本においては、ろうあ学校というものがあり、教育は相当普及しておりますが、なぜ、ろうあになったかという原因の追求と、それをなおす医学というものがない。それを治療する、そういう点に大きな欠陥があると思う。 これは詳しくはいずれまた説明する機会があろうと思いますが、われわれの目の前で、教育を受けてものが言えるようになった子供が代表で歓迎の辞を読み、毛沢東語録を読んで聞かせました。最後にはおどって、そして歓送のあいさつをみんなでしてくれました。これを見たときに私は、全く日本の医療体系というものは、いわゆる営利企業体系である。これができるまでは町医者に通っておった。うみが出るからおまえの耳はくさいというのであまり相手にしなかった。そこで文化大革命後において、これではいかぬというので、新しいこういう学校ができ、そうしてその成果が、一九六八年からすでにこれだけの成果をあげておる。五つの学校が北京にでき、各地に普及しつつある。これは理屈でも何でもない、事実でありますから。目の前で小さな子供に針を立てるわけです。私はこれを見たときに、とにかくただ驚嘆の一語に尽きました。 中国といえば何か一つの偏見を持って見る習慣がありますが、事実ほどとうとく、かつ現実的なものはない。したがって、いわゆる身体不自由の子供をかかえた家庭や、その養護教育に当たられる、あるいはその理論教育の基礎を勉強させる先生方や親御さんたちや、そのPTAの会長さん方の苦労をねぎらい、かつ今後も御活躍を祈ると同時に、このようななおり得る治療の方法に一歩メスを入れなければ、日本の身体障害者問題は解決はつかぬと思う。この点についても、私は重要な問題でありますから、資料も何も全部メモして帰って来ております。必要とあればその日課までも全部何しておりますが、朝の六時三十分に起き、晩の九時就寝するまで、職員も校長も全部子供と起居をともにしておる。全部そこで給食を受け、そこで治療を受け、そこで教育を受け、そうして一定の段階に達すると普通の家庭に帰し、普通の教育を一緒に受ける。こういう姿の現実を見ましたときに、私はつくづく日本の現在の医療体系というものの矛盾を考えざるを得ませんでした。これは一例でありますが、いかにして身体障害者を最小限度に食いとめるか、なった者をどうしてなおすか、社会に復帰した後において、どうこれを希望を与えるか、これがまん中だけかろうじてできておりますけれども、初めと締めくくりがない。これでは今度の特殊教育総合センターができましても、私は国民の期待に何ほどこたえるか、まあナンセンスとは言いませんが、きわめて迂遠な策だと断ぜざるを得ない。もっと視野を広く持ち、他国の長所に学び、そしてもって国民医療の達成のために御努力になる責任が私は厚生省にあると思う。そのことが本日おいでになった三人の参考人によって述べられたことばのまた一つの示唆なり、貴重な体験にこ失える一つのゆえんのものではないかというんでこの問題を持ち出したわけで、十分に大臣にも御報告になり、いまあなたが述べられたように、早急に漢方医学の取り扱いの問題、和漢薬の健保適用の問題あるいは国民保険適用の問題等、総合的に医療体系全般にわたって新しい視点に立って十分御検討になる価値が私はあろうかと思います。厚生省並びに文部省においても御所見があれば承り、必要があれば、長い時間をここであれこれ言うことは避けたいと思いますが、資料はいつでもお目にかけます。十分ひとつ御検討いただきたい、かように思いますが、厚生、文部両当局の御所見を承って、私の峯山委員への関連の質問は終わります。御所見があれば承りたい。
○説明員(松下廉蔵君) まことに貴重なお話を拝聴さしていただきまして、たいへんありがとうございます。厚生省の付属機関といたしまして言語障害者のための聴覚言語障害者センターを持っておりまして、医学面、それから訓練の面、いろいろな面で研究、それから実際に聴覚障害者、言語障害者を収容いたしましての訓練、矯正をいたしております。そこの専門家の御意見によりましても、同じ聴覚障害者のうちでも、先生が例にあげられましたようないろいろな治療によりまして、難聴の者に補聴器を使うことなんかは昔からやっておりますが、いろいろな医療によりまして、相当程度聴覚を回復することが可能な者もあるように聞いております。先生がいま御提示いただきました治療方法につきましても、後日詳しいデータを担当の者が伺いまして教えていただきまして、そういったセンターにおきましても十分参考にさしていただいて、少しでも障害者の福祉のために役立てるように御教示をいただきたいと思っております
○政府委員(安嶋彌君) 足鹿先生の非常に貴重なお話でございますが、先般文部大臣が、文部省設置法の一部を改正する法律案の提案理由説明におきましても申し上げましたように、特殊教育の総合研究所は、特殊教育に関する諸問題を医学、心理学、教育学、工学などの立場から広く総合的に検討するということを目的にいたしておるわけでございまして、その研究の分野には当然この医学というものが含まれておるわけでございます。かつまた、この研究所が設置されることを予定されておりまする久里浜の地域でございますが、これは厚生省の国立久里浜病院の隣接地でもございます。厚生省における医療行政と文部省における特殊教育の総合研究所が、医学の面におきましてお互いに連絡をとりつつ、ただいま足鹿先生からお話がございましたようなそういう問題に取り組んでいくべきものと考えております。中国における非常に貴重な実例についても御紹介があったわけでございますが、そうした貴重な実例につきましては、広く世界の最もすぐれた実例を参考にしてこうした行政は進めるべきものであると考えます。
○上田哲君 一問だけ参考人の方に。下田先生か岡本先生、どちらでもけっこうでありますが、私も、主として先天奇形ですけれども、その問題に首を突っ込んでやっておりますので、本来は厚生省設置法のところでひとつ相当な時間をかけていろいろお伺いしようと思っていたところが、会期末でもありますし、きょうはしなくもこの問題にこちらからぶち当たったということもありますので、ほんの一言ですけれども……。 これは文部省が、下田さんのおっしゃるように文部省が、とにかく複線でなければいけない。政治がということでしょうけれども、全部まかなっていかなければならないので、それから先に行政なんというものが出てくるので、どうもその辺は、複線どころか、まだ点線でしかないという感じだと思いますね。まあしかし、それはいま官房長なり、ほかのお役人に幾ら詰めてみたところで、ここのところでは出てこないと思うし、問題は、さっき岡本さんが言われたように、親なんですね。本来政治でなければならない面が全部親になっているので、まあ、なるほど、下田さんのおっしゃるように、生きる希望をどうやって与えるか、それはもう職業ということになれば一番わかりやすいのですが、そういう根底はあるけれども、もっと現実の問題として言えば、それはもうしあわせのものである、根本的に。親の死亡が子の死亡だということがありますね。そこで二階建てのお話もたいへんな私はアイデアだと思うんですよ。思うんですが、これも親ですね。しょせん、その限界の中でしかない。まあ私は子供の城運動というのをやっております。お聞き及びかもしれませんが、その辺は全部総合的にみんなでやらなければならぬことですが、私も明日冒頭から文部、厚生当局を相手にひとつじっくりやることになっているんですが、そのために、それから先のこと、親から先のことを具体的にどんな青写真をお持ちだろうか、あるいは考え方をいまよりよりお集めになっていらっしゃるだろうか、そこのところがもしあれば、単なる御見解でもけっこうなんだけれども、ひとつ伺っておきたいと思います。
○参考人(岡本文夫君) これは、きょうそういうお話が出るようでしたら資料を持って参りましたのですが、これは結局コロニーなんです。これは私も北海道の大会のときにみんなに説明したんですが、国でもって高崎のコロニーはできているんですが、ああいったコロニーではなくて、やはり心体障害者自身の町づくりをやる、村をやる。そして村から町、町から市になってもかまわない。何も昔で言う部落民とかなんとかいうことじゃなくて、もう大きな目で見た、その親も一緒にその町に入るわけです。そしてそこで学校、それから医療機関、仕事もする。そして大きな牧場もある。そういうようなところがぜひほしいわけです。それで私は高崎のほうから約三里ばかり入りましたところに、これは教会、ドイツの人がキリスト教会をやっておられます。そこに大きな牧場があるのです。そこには医療機関もありますし、そして学校もある。そういうようなところを何かうまく役立てるようなところはないだろうかというので、いろいろ相談もしたのですが、そこはそこでもってカトリックの信者の方、またそういう人たちのいこいの場所になっているわけです。開拓農民が入られましてから、それを広げていったわけですが、われわれ父母の会なんかでもみんなで——ぐちをこぼすのは、先ほど先生からお話があったように、われわれが死んだ場合、親が死んだ場合に子供がどうなっていくだろうかということをみんな考えているわけです。ですから、親は自分の子供よりも一日だけ生き延びたいのだ、長生きしたいのだという気持ちはみな持っているわけです。だから教育もけっこうだ、何だといっても、結局は要は自分の子供は自分でやらなくちゃいけないのだ。そういう気持ちを持っていても、やはりいろいろなことにぶつかってまいりますと、国のお力をかりなきゃできないわけなんです。そのために、かりに富士の演習場ですか、富士五湖のあたりに国有林なんかずいぶんありますが、ああいうところでもけっこうですから開放していただきたい。そういうようなブロック、関東ブロックなら関東ブロックに一カ所つくる、北海道は北海道でまたつくる、九州は九州でまたつくるというように、コロニーの場所を全国に点々としてつくっていくわけです。そうして北海道の名産とか、そういうようなのを交流していくとか、何かそこにコロニーをやる上でもっての仕事、職業ですか、そういうものが生じてくるんじゃないかと思うのです。 これは甲府のほうの、山梨養護学校の校長先生が、甲府に実は昔、終戦後浮浪児を収容しました場所がある。山梨県に約十万坪の山林があるのですが、そこに施設の子供を全部収容いたしまして、りっぱになってみな出ていったのですが、終戦後二十何年になりまして、そこがもう要らなくなった。何か使えるくふうはないだろうかということが、私どもの校長のほうに話がありまして、そこを子供の何かでやっていこうじゃないかという計画を立てたのですが、いかんせん、寒いところなんです。そしてこれはビールのホップというのですか、ああいう木のあるような程度で、なかなか雪も深いので、これはちょっと無理じゃないかということで一応取りやめたような形になっているのですが、そういうような場所が私は全国にあるんじゃないかと思うのです。ですから、そういうようなところをぜひ国でもってめんどうを見ていただければと、われわれはそういうようなことをみな望んでおるのです。ですから、何も親そのものが一緒に私は入ってもいいと思うのです。おば捨て山とかなんとかいう意味じゃなくて、親もろともに子供のために一緒になってやっていくのだ、そういう希望を持っております。
○上田哲君 下田先生にいまの関連でひとつ重ねて……。厚生省は帰ったのですか、けしからぬな。どうもだれが帰っていいと言ったのか知らぬが、厚生省に聞かせておかなきゃ、この次の問題が発展しないのですが、いまのお話でわかるのですよ。私そこに問題があると思うのですよ。少なくとも二つの問題、これは議論されていることだと思うのですが、あすの議論のために伺っておきたい。単純にいえばコロニーでいいのかどうか、コロニーにいるのがいいのかどうか、二つの問題がある。一つは親のかかわりの問題ですね。それからもう一つは、そういう集落ということの、さっき差別化、特殊化というお話がありましたけれども、その基本にかかわる問題、この二つをどういうふうにお考えになるかを一つ伺っておきたい。
○参考人(下田巧君) このことについては、先ほど大山先生がうまく理論づけていらっしゃったのですが、私は大きいコロニーについては、人道的な人間論的な立場からはよほど考えていただきたいものだ。つまり世話するには楽です。いかにも幸福そうには外からは見えましょうが、ほんとうにいいか。できれば私は五、六人の、小さな十人単位のものが普通の町に、普通の場所にあって、それは生活と職場が一緒でなくちゃだめなんです。そしてそこには普通の町の人が隣近所におる。普通の社会の普通の人間のつき合いができるところで、その人たちが生きていくための国家的な補助なり施設なりを考えるべきではなかろうか。それで、そのことが何だかいわゆる人間が生きていく、自分が生きていくというふうなことに合うんではなかろうか。これは校長たち、岡本先生も一緒ですが、みんな寄ってどれがいいだろうということになると、金がかかる。めんどうかもしれませんが、当然町にいろいろな工場があるごとく、からだの気の毒な者たちが家と工場が一緒になって、奥さんがきてくれたら奥さんも生活できる。結論的には結婚というか、夫婦というものまでも結んで考えていただかなければ、三十六歳になって、それでおまえは一生一人で暮らせというふうな冷たいことは、やっぱり人間としてはあり得ないならば、だれか奥さんにきてくれたら夫婦で暮らせるんだというふうな、小さな単位のが幾つかあることを私は理想としては希望しております。
○岩間正男君 三参考人の方にお礼を申し上げたいと思います。私はあすこの法案について質問する予定になっておりますが、先ほどから非常に深い体験のお話をお聞きしまして、非常に参考になり、あすの論議の中で役立つものと考えます。この点は非常にお礼を申し上げたいと思います。 時間もございませんので、ただ一つだけ、これは先ほどのお話にも出ておったと思うのでありますけれども、一番根本的な問題、これをお聞きしたい。これは特殊教育という名前でいま呼ばれておりますね。これはやはり非常に実態をあらわしていない面があるんじゃないか。つまり特殊とか差別じゃない、結局は、障害児の教育なんだ。ところがいまの実際の特殊教育という意味、あるいは概念といいますか、そういうものからくる感じは、これは普通教育に対置する特殊な教育だ、こういうふうにこれは考えられやすいのですね。そうじゃなくて、普通教育をやる対象がたまたま身体障害者だったんだ。あくまでもこれは教育の精神からいえば、ことに教育基本法の精神、あるいはまた二十六条のだれでも教育を受けることができるこの憲法の精神からいえば、当然普通教育が、たまたま教育の対象がそのような障害の方であった、こういう立場をとるべきじゃないか。また、世界の徴候もそういうふうにこれはなっていると思います。 もう時間ございませんから、いろいろ詳細申し上げませんけれども、ここのところが私はいまの文部行政とはっきり対置するところだと思うわけです。文部行政一般、大きなところを見ますと、差別、選別の教育のほうにこれは大きく傾いてきておりますね。そうしますというと、こういう中から、はたしてこのような障害児教育というものを、徹底的に貫くことができるのかどうか。こういう点では、やはり文部省そのものの意識革命が私は必要だ、こういうことなしには、やはりほんとうの障害児教育を徹底的に推し進めて、ほんとうに障害児の方々に一つの光を、そして実質的に発展させる方法を選ぶことはできない、こういうふうに考えております。これがあすの私はやはり論議をする上での一つの根本的な問題になると思うんです。そういう点から三先生方にこの点について御意見をお伺いいたしておきたいと思います。あすの審議のために、ぜひこの点先生の御意見をお願いいたします。
○参考人(大山信郎君) いま言われました事柄には私も賛成の気持ちを非常に持っておるのであります。特殊教育ということばが従来使われておりますけれども、これは一つの便宜的なことばとして、普通と特殊というふうな形できてしまったわけですけれども、その中に人を特殊に扱うという概念がだんだん出てきますと、非常にこれは問題があるわけであります。要するに、いまおっしゃられましたとおり、心身障害児に対して普通の子供に対する教育をやる。それがまた具体的の方法としますと、そういった教育方法を障害児が受けるには、どういう方法を講じたら一般の普通の教育が受けられるかということを研究しておるわけで、その考えのもとに基本的には立っておるわけですから、これは特殊であるから、別のものであるからというような考え方というものは、もう全然あり得ないと思うわけで、先ほどの教育基本法というふうなもので言われましたとおりの概念というもの、これがやはり教育の中には基本的に突き進めていくべきものであろうと思っておる次第でございます。
○参考人(下田巧君) 先生のいまおっしゃったことが、実は現場で、養護学校、盲学校、ろう学校という場合の入学にはそれは起きないんですが、精薄の特殊学級を編制する場合に、校長は、募集といいますか、御承知のように、もし知能的なことで言うんならば、該当者は幾らでもいるはずだが、なかなかおかあさん方が、どうぞ特別に丁寧に御指導していただきたいという希望者がない。あるいは弱視で、盲かもしれぬ、盲学校行ったらいいというような場合にも、うちの子は見えるから、どうぞ普通学校へ行きたいと言う。このことは私は、特殊教育ということばが、やはり普通教育というところがよくて、特殊教育というところは別だという意識を強くしてしまった原因だろうと。実際は手厚く、健康な者、健全な者よりももっと丁寧に、もっとよく教えてやる学校だとか、あるいは、やる場所だと言ったならば、これはおとうさんもおかあさんも喜んで行かねばいけないので、現実はそうでないということに、現場の、特殊学校の教員をしておる、あるいは校長をしておる私どもが、日夜、どこに原因があって、どうすることが一番いいんだろうというようなことを現実的に悩んでおると、こういうような状態でございます。
○参考人(岡本文夫君) これは先生がおっしゃるとおりなんです。親の立場といたしまして——いまここで先生が特殊学校だとおっしゃる。これは全体的の養護学校のことをおっしゃる。だけれども、養護学校へ私たちが行って見ますと、養護学校の中に特殊クラスというのがあるのです。普通学級と特殊学級、そこでもってまた特殊学級と、また別に使われるわけであります。それで同じ養護学校の中に入っている。これは一般的に見ますと、養護学校が特殊学校、ところが養護学校のわれわれの学級の中には、あなたは特殊学級、私は普通よと、就学のことを言っている。そこでまた二つにこう分かれてくるわけです。それでは現場のほうでは困る——現場と申しますか、学校のほうでは困るので、われわれのほうで話をいたしまして、今度は何々学級という名前をつけました。だけれども、潜在意識で、いま私の子供はその学級に入っているのですが、何々学級というのは養護学校の中の一つの特殊学級、だから程度の一番悪い、重複の障害児、ですから普通学校の就学の中に、小学一年であればA、B、Cというふうに三つに分けまして、さらにその中からふるいにかけ、もっと悪い人を特殊学級というふうに——だから学校制度からこれは改めていただかないと、われわれのほうでは何々学級、何々学級と言っているのですけれども、前から特殊学級という潜在意識があるために、もう非常に肩身の狭い思いをしているのが事実でございます。
○岩間正男君 どうもありがとうございました。
○委員長(田口長治郎君) 三参考人には、長時間にわたりありがとうございました。 本案に対する本日の審査はこの程度にいたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後六時四十四分散会 —————・—————