法務委員会 第14号
- 発言数
- 64 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1971/03/23
会議録
○高橋委員長 これより会議を開きます。 委員派遣承認申請に関する件についておはかりいたします。 大阪刑務所における行刑運営等について、明二十四日、現地に委員を派遣し、その実情を調査するため、議長に対し委員派遣承認申請を行ないたいと存じまするが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○高橋委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 なお、派遣委員の人数、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じまするが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○高橋委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○高橋委員長 民事訴訟法等の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。畑和君。
○畑委員 私は、今回提案になっております民事訴訟法等の一部改正の法律案について、若干質問いたしたいと思います。大体いままでもほかの委員の方からいろいろ質問がありましたので、なるべく重複を避けて質問をしてみたいと思うのであります。 今回の民事訴訟法等の一部改正の企図するものは、裁判所における決定あるいは命令、そういったものが裁判官の署名と押印によって行なわれておったわけでありますが、それを例外として記名押印でやろう、こういうことであります。刑事訴訟法のほうが戦後改正になって、さらに規則等でもまたいろいろやり方が変わりまして、刑事訴訟法の関係ではすでにほとんど大部分記名押印でよろしいということになっておるが、民事訴訟法のほうは、民事訴訟法が改正になっておらぬので依然として従来の、戦争前のやり方がそのまま行なわれておった。そこで、刑事訴訟法とのつり合い、かね合いということが一つ、それから事務の簡素化ということがねらいで今度の改正案上程となったと思います。 しかし、刑事訴訟法のほうがそうなったからということなんでありますけれども、大体刑事訴訟法のほうでも、私は本来なら裁判官が署名すべきであるものがたくさんあると思う。ところが、あのときのいきさつでずいぶん変わって、記名捺印にされた。令状などというものもほとんど記名捺印であります。しかも、警察官のほうから令状請求がある、それに謄本をつけてくる、その謄本に対して、その上にちょっと裁判所の命令の文書を乗っけて、それに継ぎ印をしてそれで出す。実際においてはぽんぽん出してしまう。当考えている裁判官はそれをチェックしますけれども、ほとんどチェックせずに出してしまうというようなことが実際には行なわれておるようでして、その点、刑事訴訟法のほうの令状等の扱いが記名捺印をするということになることによって乱雑にやられておる傾向が非常に強いと思うのです。心ある裁判官ぐらいのもので、あとは実際はほとんど警察官の令状請求どおりになってしまうというような状態だと思うのです。それで警察官などによっては、どういう裁判官かということを考えに入れて、なるべく通りやすいようにうるさい裁判官のところは避けて通るというずるい考えを持っておるところがずいぶんあるらしい。それで、あの裁判官はうるさいからというので、その人が当直のときには避けて、ほかの裁判官のときに出す、こういう傾向が現にあります。 そういうことで、規則は記名捺印でいいことになっておるが、裁判官によってはそうしてまじめにチェックをする人もあるにはあるけれども、しかし、どうしても記名捺印ということが手続をおろそかにする可能性が非常にあると思うのです。そういう点で、むしろ刑事訴訟法のほうでも一部のものについては、特に令状などは人の権利に対して非常に影響があるものですから、これなどはむしろ逆に戻すべきだというような感じを持っておるのですが、その点については大臣、どう考えていますか。そういう例はたくさんあるのですよ。刑事訴訟法ではそうなっておるから民事訴訟法もそうするのだ、今度の改正の大きな論拠はそれです。人権に大きな関係のあるのは刑事訴訟法だ、民事のほうはむしろ当時者処分権主義だ、刑事のほうこそ重要なんだ、ところがその刑事のほうが事務の簡素化ということで記名捺印になっている、令状もそうだ、したがって民事訴訟法のほうも変えなければ、こういうふうになってきているんだと思うのです。私は、むしろ逆に刑事訴訟法の中にも人権に大きな問題があるものがあって、むしろその改正は行き過ぎだというふうに感じておる。特に令状等の扱いについてそういう感じが非常に深いのですが、この点は大臣、どうお考えになりますか。
○植木国務大臣 ただいまの御意見、ある意味におきまして、確かに私どもも同感の点がございます。しかし、今回の改正につきましては、最近における事件数の増加あるいは手続の簡素化が訴訟の進行をよくする意味におきましての必要が他面において感ぜられますので、今回法律案を提出しておるわけであります。どんな制度にいたしましても一長一短はございます。したがって、これらの手続を実行いたします上においても、関係の判事さんなりあるいは関係の職員が十分気をつけて、そしてできるならば、できるだけ運用の上において適切な措置を講じていただくということが必要であることは私も同感するわけであります。しかし、いま申しますような趣旨からの改正案でございますので、どうぞこの点も御理解を賜わって御賛成を得たいと存ずる次第でございます。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 ただいま畑委員の御質問の中にございました、令状について記名押印であるという制度は、大正十一年に刑事訴訟法が改正せられて以来の制度でございまして、戦後昭和二十六年に記名押印に変わったのはその他の決定、命令でございまして、勾引状、捜索令状、そういうものはすでに戦前から記名押印制度をとっておったわけでございます。 なお、逮捕状を却下する、しないということは、これは署名押印であるか記名押印であるかによって少しも変わるところはない、こう考えておるわけでございます。
○畑委員 民事局長の言われるとおりではありますけれども、ただそういうことが軽く扱われることに通じはせぬかということを言っておるのです。理屈上はあなたの言うとおりですよ。記名捺印だって署名だって同じた、それはそのとおりですよ。だけれども、それだったら今度の改正でこれだけ問題になるはずがない。扱いがそれだけ簡単になれば、やはり簡単に扱われてしまうおそれがある。裁判官といえども記名捺印する以上は責任を持たなければならぬ。署名だって記名捺印だって同じだとはいうものの、そういう形でやれば、やはり事柄がどうしてもいいかげんになるおそれもないではない、こういうことを私は言っておるのでありまして、記名であろうが署名であろうが、実質的には責任を持つ点においては同じだという点については、私だって異論はないわけです。その点はそれだけにいたしまして、その次に進みたいと思います。 一体、民事訴訟法がこうした署名捺印がいままで完全に行なわれておったかどうか、それをひとつ裁判所のほうに承りたい。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 裁判の形式には、判決、命令、決定、この三種類があることはいまさら言うまでもないわけでございまして、判決につきましては、民事訴訟法百八十九条によりまして、判決原本に基づいて法廷で言い渡すということが要求されておりますし、必ず判決はその正本を当事者に送達するということが要求せられていることは、これまた言うまでもないところであります。したがって、判決という形の裁判につきましては、必ず判決原本を作成することが必要であります。 ところが、決定、命令となりますと、必ずしも独立の裁判書の作成が要求せられていないものがございます。裁判書をつくるということが原則であることはもとよりでございますけれども、例外的に裁判書をつくらなくてもよろしいという決定、命令の種類がございます。 それは第一に、口頭弁論中に言い渡される決定、命令、これは調書に記載すればよろしい、裁判書をつくらなくてもよろしいということは、民事訴訟法百四十四条第五号に「書面ニ作ラサル裁判」これは調書に記載せよという規定があるところからも明らかでございます。たとえば弁論の分離、併合あるいは続行、次回期日の指定、こういったものがその裁判の種類に属するだろう、こう考えられるわけでありまして、この種の決定、命令は主として訴訟指揮に関するものに当たるわけであります。 この口頭弁論中に決定される場合と同じような関係にありますのは、主として裁判所の内部の事務の処理に関する決定、命令でございます。たとえば準備手続に付する決定あるいは合議体で裁判する旨の決定、受命判官あるいは準備手続をする裁判官の指定、それから期日の指定、変更、こういった種類の裁判については必ずしも独立の裁判書をつくる必要がない、こう考えられているわけであります。 第三番目に考えられますのは、きわめて付随的、派生的な裁判でありまして、それ自体不服申し立ての対象にならないもの、こういうものがございます。たとえば公示送達の許可、あるいは簡易裁判所におきます代理人の許可、あるいは執行停止、保全処分の前提としてなされます保証を立てる旨の決定、こういうものにつきましてはまた独立の裁判書を作成する実質的な必要がないのでその作成を要せず、何らかの方法でその決定、命令があったということを、調書の上であるいは記録の上で決定の内容を明らかにしておけばよろしいわけでございまして、こういうような決定、命令につきましては記名押印あるいは押印のみをいたしまして、そういう決定をしたということを記録の上で明らかにしているわけでございます。この点につきましては、昭和二十五年八月二十二日に、口頭弁論期日の指定については必ずしも書面によることを要せず、押印等によって記録上指定がなされたことを認めることができれば足りるという旨の最高裁判所の判決が出ておりまして、実務上はそのような取り扱いをしている次第でございます。
○畑委員 それ以外はみんな現行どおりやっておりますか。おたくのほうである一定の時期をきめて、実際にどう行なわれておるかということを調査されたことがあるようありますが、その結果がありましたらひとつ提出してもらいたいと思います。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 昨年の暮れに東京地方裁判所と簡易裁判所で調査をしたことがございますが、これは判決以外の決定、命令件数がどのくらいあるのかということの調査でございます。日にちは昭和四十五年十二月十七日から二十三日にわたります一週間につきまして調査を行なったわけでございます。 その結果によりますと、東京地裁の民事部で一日に裁判官が署名押印をする回数は、通常部におきまして十二件、手形部におきまして三十三件、保全訴訟部におきまして二十件、執行部におきまして四十九件、簡裁におきましては一日平均八件という件数を数えております。なお、書記官が署名押印をする回数は、東京地裁民事部の通常部におきまして一日平均九件、手形部におきまして二十二件、保全部におきまして二十六件、執行部におきまして十六件、東京簡裁の民事係におきまして十五件という統計が出ております。このことを昨年の暮れに調査したわけでございます。
○畑委員 決定、命令が一定の期間にどれだけあるかということの調査だったようであります。そうするとその決定、命令が規則どおりちゃんと署名でやっているかどうかということ、これはもう当然だと思うのですが、そうでなくて記名捺印でやっているようなことはなかったですか。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 先ほど申し上げました三種類の決定、命令は別といたしまして、その他はすべて署名押印で行なわれております。
○畑委員 便法といえば便法だと思うが、そういうことができるという裁判所の判例があるんで、それによって署名しないでいいことになっておるのが幾つかあるといまおっしゃいましたね。それをもう一度おっしゃってください。またその根拠。法律があるのにそれを判例でくつがえすことができるのかどうか、その辺を……。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 まず第一は、口頭弁論中に言い渡される決定、命令でございます。これは民事訴訟法百三十二条の弁論の制限、分離、併合に関する決定、民事訴訟法百八十二条及び百三十三条等に規定せられております弁論の終結決定、三百十四条に規定せられております文書の提出命令及びその余の証拠決定、民事訴訟法百三十九条に規定せられております時機に後れた攻撃防禦方法の却下決定、同法百五十二条に規定せられております次回期日の指定、これなどがすべて弁論中になされる決定で、調書に記載されればよろしい。このことは民事訴訟法百四十四条の第五号に記載せられているわけであります。 第二の種類に属しますのは、裁判所の内部的な事務処理に関する決定、命令で、当事者に文書をもって告知するまでの必要のないもの、これに属しますものが準備手続に付する旨の決定、これは民事訴訟規則十六条に規定されている決定でございます。受命裁判官、準備手続をなす裁判官の指定、これは裁判長の命令でございますが、民事訴訟法百三十条、民事訴訟規則十八条に規定せられているところのものであります。それから民事訴訟法百五十二条に規定せられております期日の指定、これは裁判長の命令でございます。期日の変更、これは裁判所の決定に属するものでございます。それから民事訴訟法五百二十条、五百二十三条に規定せられております執行文付与についての裁判長の許可、これなどが主として裁判所の内部的な事務処理に属する決定、命令として独立の裁判書を作成する必要がないもの、こう解されているわけでございます。 第三番目のものは、きわめて付随的、派生的な事項に関する決定、命令で、それ自体独立して不服申し立ての対象にならないもの、これについても独立の裁判書を作成する必要はない、こう解されているわけでございます。これに属するものは、たとえば公示送達の許可、これは民事訴訟法百七十八条に規定せられているものであります。同じく同法七十九条に規定せられております簡易裁判所における弁護士以外の代理人をつけることの許可、それから執行停止あるいは保全処分の前提として金幾らの保証金を供託せよという保証決定、これは民事訴訟法の五百十二条、七百四十一条等に規定せられている決定でございます。 この三種類については、独立の裁判書の作成を要せず、調書の上もしくは記録の上でどのような裁判があったか、その内容を明らかにしておけばよろしいというのが実務上の取り扱いでありまして、このことについては、昭和二十五年八月二十二日、最高裁判所判決によりまして、口頭弁論期日の指定については必ずしも書面によることを要せず、押印等によって記録上指定がなされたことを認めることができれば足りるという判決によって正当化されているわけでございます。
○畑委員 わかりました。まあ決定、命令でもいろいろな場合がある。したがって、裁判書が必要としない種類が、いま言われたように約三種類大きく分けてあるようであります。それは本来裁判書を必要としない、あるいは場合によってはそのかわり調書にそれを載せてそれに押印くらいしておけばいい、こういう扱いになっておるわけですね。それ以外はちゃんと決定、命令はいまの現行法の規則どおりやられておる、こういうことですな。そこで同じく決定、命令とはいっても、そういうふうに非常にいろいろの種類がある。法廷内でやられる場合もあるし、法廷外でやられる場合もあるし、しかも裁判書をそういうことで必要としない、何らかの形で証拠として残しておく、調書の上に残しておくということで足りるということになっている場合も相当あるようでございます。 ところで、書記官の権限とも関連するんですけれども、いまのところ決定、命令というものにはそういう種類がたくさんあると思う。そういう点で、この際根本的にそういった問題を交通整理というか、はっきりして、書記官の権限とも関係する問題なんだけれども、それを一々裁判官の決定、命令が要るということでなくて、ものごとによっては書記官だけでできるということにすることは考える余地がないのかどうか、こう思うのです。たとえば期日の指定だとか公示送達の許可、あるいは鑑定人の指定だとか司法委員の指定、あるいはまたさらに強制執行に関するものでは、賃貸借等の取り調べの命令あるいは競売期日等の指定、それから公示催告の場合における新期日の指定、こういったぐあいのものは書記官でやらせるというようなことはどうなんでしょう。これは根本問題なんですけれどもね。何でもかんでも裁判官ということなんだけれども、決定、命令をするのは裁判官なんで、いまのところ、いまあげたのは全部実質的には決定であり命令である。したがって、裁判官がすべてやるんだということになっておるんだけれども、しかし、扱いとしてはいま言ったようにいろいろな種類があって、裁判書を必要とするもの以外はそういった形でやっておるということなんですが、実際においては書記官が事実上やっているというところの分野が相当に多いんじゃないか。そういったときにはやっぱりひとつ根本的に考え直してもらって、この際書記官の権限というものを独立して、そういった軽微のものについては書記官の権限でやらせるというようなことは考えられないものかどうか、その点ちょっと承りたい。
○長井最高裁判所長官代理者 ただいまお尋ねの点は、民事、刑事双方の訴訟手続にわたりますので、私からお答え申し上げます。 ただいま御指摘のような点は、今日の書記官の法律的な素養、能力が非常に強まっておりまして、任用資格も大学の法学部を卒業して、その上書記官研修所で一年専門の研修を経て試験に合格した者から任用するというような高い資格を要求されておりますので、私どもの考えといたしましては、そのように書記官の権限の拡張と申しますか権限の委譲と申しますか、こういうことは真剣に考えておりまして、その方面に大いに伸ばしていきたい。これは国民学識教養、それから裁判所につとめております職員の法律的素養の向上に伴いまして、当然検討されるべき問題であると私ども考えておるわけでございます。 ただ、ただいま裁判所法のたてまえといたしまして、たとえば裁判所法第二十三条の地方裁判所の構成の条文を見ますと、「各地方裁判所は、相応な員数の判事及び判事補でこれを構成する。」というようにございまして、構成員としましては判事、判事補のいわゆる裁判官に限られておりまして、外部への訴訟法上の意思の決定ないし表明は、裁判所法のたてまえからいきますと今日少しく困難でございます。この根本的な考え方につきましてどのように検討すべきか、これは先ごろの臨時司法制度調査会におきましても慎重に検討を加えられまして、これを伸ばす方向につきましての御意見も出たわけでございますけれども、残念ながらその答申の内容が必ずしもそれぞれの立場から十分な了承を得られませんために、この方面の検討がただいまはかばかしく進捗しないという状況にございます。したがいまして、そのような根本的な問題をあわせて検討した上でなければ、その点の法改正といいますか、権限の拡張、権限の委譲という問題が進捗しない状況にございますので、これは国会の諸先生方にもひとつ御支援をいただきまして、一般の職員の法律職としての希望が持てるような配慮をこれからお願いしたいと強く念願しておるところでございます。
○畑委員 最高裁のほうでもそういうことは考えておられるようでありまして、昔の書記官と違って最近大学出の書記官がほとんどでありますから、そういう点では、書記官といえども法律的な素養が前とは違って相当高まっておると思うのです。裁判所法によって、判事、判事補で構成することにいまたてまえはなっておるというところの困難があると思う。ただ、いま民事訴訟法の改正に関連して私がちょっと気がついたのですけれども、やはりものによっては書記官の独自の権限ということでやらせて交通整理をする必要があるのではないか。何でもかんでも決定、命令、裁判書を必要とするもの、しないもの——するものはそれはもちろん裁判官でなければならないわけですが、同じ裁判書を必要としないものでもまたいろいろな場合がある。重要の度合いが違う場合があるのでありまして、事実上はまた裁判所の書記官にまかして、むしろ裁判所の書記官に幾らくらいいいのかどうかなと裁判官が聞かれるのが実際上は多いようです。そういう点等も考慮すると、事の重要性によっては、ある程度のものは書記官に権限を委譲するという形によって、やはり書記官の職域をはっきりさしていく。そしてやる気を起こさせるということも私は必要じゃないか。書記官も大きな意味の裁判所の構成員でありますから、法律上は裁判官、判事あるいは判事補で構成することになっておりましょうけれども、大きな意味では、事実上書記官というものは大きなウエートを私は占めておると思う。そういう点で、ひとつ根本問題でございますけれども、裁判所などでもそういう考え方があるようでございますが、そういう方向でひとつ検討してもらいたい、こういうふうに今後ともやってもらいたいと思います。その点はそれだけにいたします。 その次に、何度もいままで質問があったと思うのですが、今度の法律案によりますると、裁判官の署名押印が従来の制度になっておりますけれども、それを今度は、そういう場合に全部ほとんど網羅して一々条文で、ただし記名押印で足りるという例外規定が全部について書かれてあるわけですね。そうすると、私が心配するのは、これが実際上例外が原則になる可能性が非常に強い、かように思うのです。そうなると同じ決定、命令でも、重要度がいろいろ違います。重要度の非常にあるものについては、やはり原則どおりでやるののが正しいのではないか。たとえば仮差し押え、仮処分の決定、命令あるいは破産、それから和議、会社更生、強制執行の停止あるいは取り消し、こういったものは非常に国民の権利に影響するところが大きい。むしろ場合によっては判決以上の威力があるわけですから、こういう場合にはやはり原則どおりにやってもらいたい。ところが、このままの法律でいきますと、どうしても例外が原則になる可能性がある。そこで裁判所で通達等で——裁判官会議等をやったり、あるいは通達などを出して、それである程度のそこに歯どめをしようという考えのようでありますけれども、われわれは、むしろ最高裁の規則でこうした限度をきめて、最高裁判所の規則できめたもの以外については、それを除いては例外を認めるというような形にすべきではないかというふうに考えておりますが、この辺についてどうお考えになりますか、承りたい。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 前回も答弁いたしましたとおり、裁判官の立場から見る限り、裁判書に署名するか記名するかは、単なる形式の問題にほかならないのでありまして、そのことによって裁判の内容が影響を受けるということはあり得ないわけでございます。しかし、裁判を受ける国民の立場から見ますると、必ずしも右のように割り切った心情には表れないのももっともなところでございます。重大かつ決定的な影響を与えるような裁判につきましては、慎重に判断をしたという形式的なシンボルとして、裁判官みずからの署名のある裁判書を要請する感情がいまだに残っているものと思われます。その心情はわれわれとしても理解できなくはないのでございます。裁判所としましては、このような国民感情を尊重し、これに沿った運用をはかるのが望ましいものではないかと考えているわけでございます。 このように裁判を受ける当事者の心情という観点から見て、署名が望ましい重要な決定、命令とは何かを考えた場合、膨大な数にのぼる決定、命令の種類の中から、特定の種類の決定、命令を抜き出して一律に決定することは困難でございまして、結局のところその事案の内容によって決せざるを得ない面があるのであります。したがって、署名するのが相当かどうかは、その裁判をする個個の裁判官が、事案の内容、当事者の感情等を考慮しまして、ケース・バイ・ケースで判断するのが相当であります。その裁判官の良識ある判断に期待せざるを得ないのであります。また、その良識に十分期待できるのではないか、こう考えておる次第であります。
○畑委員 そうすると、裁判所が考えておるのは、結局一人一人の裁判官の良識に訴えて、これは当事者の感情も考えて自分が署名したほうがよろしいというふうに判断した場合には署名でやれという程度の通達しか出せないと私は思う。しかし、これは形式が必要だと思う。重要なものについては、先ほど私が申し述べましたような種類のものについては、これは形式がやはりある程度ものをいうのではないか。裁判官にまかせると、どうしたって楽なほうがいいから、記名捺印でやってしまうことが多いのではないかと思う。外国の場合は、とにかく横文字の国は大体署名でやっておりますね。これはおそらく全部署名だと思います。手紙やなんかだって、自分の名前のところだけは署名しますね。あとはみなタイプで打っても自分の名前は自署するということになっておる。おそらく裁判の関係もそうではなかろうかと思う。ただ日本は判こというやつがある。中国もやはり判こがある。朝鮮などもそうだと思うのですが、判このあるところはちょっと横文字の国とは違っておると思う。結局判こが相当のウエートを占めるというような関係で、判こがあれば記名でもよろしいということになりがちなんだと思うのです。判の保管というのがどうなっておるのか、裁判官が自分のところの机なりにかぎをかけてしまっておるのか、普通はどうなっておるのか。裁判官があくまで押すのかどうか、その辺の実態がよくわからぬのですが、その辺はどうやっておられるのでしょうか。記名捺印でもいいにしろ、そうだとすれば印の保管というものが必要だと思う。それがどの程度になっておるか、その辺諸外国の例もあわせてひとつ承りたい。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 外国には、中国は別でございましょうけれども、判という制度はございません。すべてサイン、署名でやっておることと思います。わが国の裁判官は、署名にせよ記名にせよ、すべてその下に判を押すわけでございまして、判の保管については日常自戒しておりまして、常に判をからだにつけているのが一般でございます。現に私もこのポケットに判を入れているわけでございます。
○畑委員 ほかにもまだいろいろございますけれども、大体重複しますから、以上で私の質問を終わりたいと思います。
○高橋委員長 林孝短君。
○林(孝)委員 最初に、昨年の簡易裁判所の事物管轄の改正のときにもそうでありましたけれども、今回も同じように一つの問題点として法曹三者の連携ということが当初から問題になっております。同じことが問題になるということは、印象としては、前進してないということであると私は感じております。そういう点について、法曹三者の連携というものをどのようにして行なっていけば、こうした一つの法律の改正というものに対して法曹界の意見が統一されて、そして法の運営あるいは裁判の運営が円滑に行なわれていくか。そういう面について大臣にお伺いしたいのでありますけれども、今後の問題として、こうした法曹三者の連携を保っていくという点について、大臣はいろいろビジョンもお持ちになっておると思いますし、またこうした法案の審議を通していろいろ考えられていることもあると思います。その点について最初にお伺いしておきます。
○植木国務大臣 先般来、法曹三者のお互いの連絡をもっと密にすべきではないか、その点において欠けるところがないかという御指摘がございましたが、この点、私は、でき得る限り三者間の連絡を緊密にして、そうして、一体としてそれぞれの事案について議をまとめていくことが望ましいということは、私も全くそう思うのであります。しかしながら、これについていろいろ考えてみました。そうしますと、やはり三者の意見をなるべくまとめてなるべく一緒に同じ方向に進んでいけるようなことにする上でどういうことが考えられるかといいますと、なるほど裁判所当局とそして日本弁護士連合会というのですか、弁護士関係の方方の御意見との調整のために、いままで長い歴史で連絡会議を何回か持っておられる、法務省もそれに参加したらいいのじゃないのかというようなこともなるほどそのとおりに思うのでありますが、その仕組みの問題がこれでなかなかむずかしいのじゃないか、運用がむずかしくなりはせぬかということも、いろいろ考えてみると思い当たる点があるのでありまして、そういうような状況でございますから、かりに三者がそれぞれ代表を出して、そして相談をし合うとかあるいは説明をして御理解を仰ぐというようなことは、裁判所当局からの原案の場合にしても、あるいは法務省当局からの原案の場合にしても、それぞれその最後の結論得るのになかなか骨の折れる問題がある。それだからこそ、連絡協議会というか連絡会と申しますか、そういうものが必要なのだともいえますが、かりに従来ある裁判所当局と弁護士会当局との間の連絡会に法務省も一緒に参加さしていただくとした場合にどういうようなことになるだろうかと思いますと、非常にそこのところに運用のむずかしいものがある、こう思うのであります。 すべて世の中の制度というものは、人為的にこしらえるものでありますし、人おのおの立場が違えばおのずからまた変わった意見が出てまいります。その変わった意見をどういうふうにして調整していくかということが骨が折れる。だから私は筋としては、従来せっかく二者の協議会、連絡会があるならば、これにわれわれも仲間入りをさせていただいて、そして三者の協議会になるということが望ましいとは思うのであります。しかし、よほど運営の上で気をつけてまいりませんと、たとえば裁判所当局はそれぞれいろいろな事案、大事な判決そのものをおきめになる場合も必ず一人でおやりにならぬ。すなわち小法廷なら小法廷、数名の方が一緒になって、裁判長と御一緒に結論を出していかれるのであります。しかし、法務省なんかになりますと、やはりある部局で一つの問題を扱い、それを決定するためにはその部局のみならず省議を経て、そしてそれぞれ大臣、次官一緒になって最後の方針をきめるわけであります。そういう場合でも、やはり役所の仕組みというものあるいは長い間の慣行というものがあります。それによってある程度のところに議をまとめることがまだ幾らか楽でありますけれども、今度は弁護士会当局のことを考えますと、これは地方によって小人数の弁護士会もございましょうし、ところによって、たとえば東京、大阪のように非常に膨大な会員を持っておられる弁護士会もある。そういうところでは、議をまとめるといっても、その会合をやろうと思っても、全員集まるというようなことはほとんど望み得ないということすらあります。そういう場合に全員の意見をまとめられるかといえば、これはなかなかまとめられない。そうすると、そういう場合になりますと、一体どういうふうに仕組みをきめるのかという問題になります。かりに弁護士会を代表してそういう連絡会にお出ましになって、そして自分たちはいいだろうという考えのもと、あるいはそういう案についてはいずれなお会員諸君の意見もできるだけまとめるとおっしゃってくださったとしても、第一書面による回答を求めるなんということは一々全部はできませんでしょうから、だからそういうことになると、いよいよそれを代表して大体賛成を得た場合でも、やはりこれに対して異論をお持ちになる弁護士の方もあるかもしれない。そうすると、その方が非常に強い主張を最後までなさるということになると、結局三者連絡はできてもその結論を得るということについては、ほんとうに三者の議がまとまったという意思がはっきり理解し合えたというところまでいくのには、これはなかなか問題がある。だから事の軽重にもよると思います。事案そのものの軽重にもよって、まあそれならばついていこうやということでやっていただける場合もあろうが、しかし、事と次第によると、どうしても自分はこれには賛成できないという強い意見の方も必ず大ぜいの中にはあり得る。それがいわゆる裁判所当局、法務省当局、それから弁護士会当局というものを考えますと、その間に議をまとめ得ることの難易の問題が非常にあるのじゃないか。だから事案でも三者それぞれほんとうに理解し合えた問題じゃないと、国会に提案するような法律にまとめるということは、なかなかむずかしい問題とやさしい問題とがあるので、そこがどういうふうにするか。やはりそういう連絡会式のものをこしらえますと、お互いに十分寛容の精神を持って、その事案に対する自分たちの立場あるいは他の二者の立場というものに理解を持って、寛容の精神で、お互いに譲るべきものは小異を捨てて大同につくというような運用がほんとうにうまくなされないと、これをやってもむだだということになってしまいます。 だから、私としては何か試みてみたいと思っているのでありますが、そういうことをいろいろとまだ一人で考えておりますので、事務当局の諸君ともよく話し合いをして、方向としては、三者連絡会があって連絡し合うということは望ましいことだなとしきりに感ずるのですが、さて理屈を言い出して、一方のほうがまとめてもらうことができないとなると、そういう場合には新しい制度改正とかなんとかがなかなかむずかしくなって、そして必要以上な労力を——近ごろのように定員のやかましい時代に、定員が足りないときに、仕事ばかりふえてしまってそのほうに労力を取られてしまうというのでは、これまた大事な仕事に差しつかえが起こりはせぬかというようなことも考えられて非常に悩んでおります。だから、方向としてはぜひそういう方向に持っていきたい希望を強く持っておりますが、また、その試みをしてみようと思っておりますが、これを実現するのにどんなことを考えればいいか、初めからどの辺で基準をつくろう、そんな程度のことしか相談をかけてくれないのなら、こんなものが一々新しく入ってきてひっくり回されちゃたまらぬと言う者も出てきましょうし、また参加するのにも参加しにくい。一々こまかいことまで干渉されるのではたまらぬというようなこともある。 世の中は結局はお互いに寛容の精神で、相手の立場を理解し合って、言いかえれば真の民主主義に徹底してお互いが進めていくということになればそれもできるのだろうかなとも思うのであります。ぜひともそういうような考えで研究をし、そしてなるべく国会に出るときには、関係のいわゆる法曹三者はみな一致してそれは希望しているのだ、これでよろしい、若干不満の者があってもこれでいくのだというふうになるような、そういう連絡会の運用に賛成をしていただけるとありがたいのだがな、こんなふうに思っております。たいへんくどい言い方でございますが……。
○林(孝)委員 そうした基本的な姿勢というものが今後の法案の立法化等にも非常に影響しますので、少なくともたとえば法務省がそうした反対の声を、十分連絡協議しないで提出したというような印象で受け取られるようなことがないように、私も要望するわけであります。 もう一点は、署名押印から記名押印に改正される。事務の簡素化ということが先ほどから非常に強調されておったわけでありますけれども、事務の簡素化という前提は、現在署名するということが非常に事務の進行の妨げになっているというようなことが考えられるわけですけれども、大体署名押印していることによって、先ほどから言われたような裁判の進行だとかそうしたものにどれだけの影響が及んでおったのか、具体的に一日どれくらいの署名が行なわれておるのか、現場の実際の例をお伺いしたいと思うのです。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 統計に基づきまして調査したところによりますと、年間に判決の件数は九万五千九百件ほどございます。決定、命令件数は九十八万五千六百件ございます。調書の作成件数、現在は調書に裁判長の署名押印、書記官の署名押印、両方を要するわけでございますが、この数が年間百七十三万件ございます。 なお、東京地方裁判所並びに簡易裁判所で昨年の暮れ一週間にわたって調査したところにより・ますと、地裁の民事部で一日平均、裁判官は判決を除く署名押印が通常部におきまして十二件、手形部におきまして三十三件、保全部におきまして二十件、執行部におきまして四十九件、東京簡裁の民事係におきまして一日平均八件。書記官の署名押印の件数は 地裁民事部の通常部におきまして一日平均九件、手形部におきまして二十二件、保全部におきまして二十六件、執行部におきまして十六件、東京簡裁民事係におきまして十五件という統計が出ております。年間考えますと、非常に膨大な数の署名押印をしているわけでございます。
○林(孝)委員 東京、大阪以外の地方との差というものは非常に多いですか。それともあまり変わりませんか。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 いなかと都会ではかなり件数は相違するかと思います。
○林(孝)委員 それからもう一つは署名に対する考え方の問題なんですけれども、西欧の例と東洋の例と基本的に違うということで御答弁がございました。署名に対する基本的な認識といいますか、実際、一応署名ということになりますと、何か重みがあるような、権威があるような、そうした印象で署名するほうもされるのではないか。また、署名してあるものと記名してあるものと、受ける感じはそうした意味において違うのではないか。するほうも受けるほうも見るほうも考え方が違う。そうしてみますと、もちろん判決の内容等には関係ないことであるということも理解できます。ただ、それが判決の内容とは関係ないと言われますけれども、実際そうした署名という長年の慣行というものを変更していこうとされる、それがはたして事務的な簡素化だけなのか。それでもって、そうしたいままで署名によって影響を受けてきた、署名によって権威を感じてきた、署名によって裁判の信用というものを感じてきた、そうした人たちに対する影響というもの、この双方のバランスをどのように判断されているのかという点なんですけれども……。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 署名についての感覚は、若い世代の人あるいはわれわれのゼネレーションの人によって非常に違うかと思います。われわれは長年署名押印をしてきたわけでありまして、やはり署名することに一つの感覚を持って裁判をしてきたわけでありまして、また裁判を受ける当事者としましても、署名があるか単なる記名押印であるかで、受ける感じはそれぞれ違うだろうと思うのであります。しかし、時代の進展とともに文書は大量化し、裁判書も昔はすべて自筆で書いていたものがいまはもうすべてタイプで書くという、こういう時代の趨勢を考えますと、いつまでも署名というものにこだわっているべきではない。やはり事務の近代化という観点から記名押印にかえていくべきではないか。しかし、この法案も記名押印でなければならないということは少しもいっておりませんので、依然として署名する裁判官もむろんあることと思うわけでございます。
○林(孝)委員 そこで、記名と署名のケースが出てくるわけです。先ほどからケース・バイ・ケースということでそれが行なわれるということでありましたけれども、具体的にこういうケースの場合はやはり署名が好ましいとか、あるいはこういうケースの場合は記名押印でいいのではないか、そうした判断の基準というものを具体的にお持ちになっておりますか。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 先ほどから申し上げておりますように、事案とこれを受ける当事者の感情、これを考慮しまして当該裁判官が具体的に良識に従って判断する、これが本則でございますけれども、もししいて基準をあげろということでございますれば、一般的に従来どおり署名することが望ましいと思われるものを指摘いたしますと、次のようなものが考えられると存ずるのであります。 第一は、会社の解散を命ずる裁判、破産を宣告する裁判、会社更生手続を開始する裁判、この種類の裁判は自然人ないし法人の生死に関する裁判でございまして、個別執行と変わりまして利害関係人も非常に多いという観点から、従来どおり署名押印することが好ましいかと考えられます。第二のケースは、和議手続の開始、会社整理の開始、特別清算の開始の裁判、これはいま申し上げました第一の種類に準じて考えられるかと思います。三番目の種類は、民訴法七百六十条の規定するいわゆる断行の仮処分を命ずる裁判でございます。これは通常の保全処分と異なりまして、暫定的にもせよ申し立て人に勝訴の本案判決を受けたと同様の満足を与えるものでありまして、相手方にとっては本案敗訴の判決を受けたのと同様の影響を与えるものでございます。非常に重要な内容を持つものでございますから、これら三種類のものについては一般的な事柄として署名押印を維持するのが適当ではないかということを考えておる次第であります。
○林(孝)委員 その中に仮差し押え、仮処分等は入りますか。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 仮差し押えは千差万別でございまして、重要な差し押えもございますし、簡単な仮差し押えもある。また仮処分もいろいろな形がありまして、係争物に関する仮処分、仮の地位を定める仮処分、いろいろな種類があります。ただいまあげたのは、仮処分の中で断行的な意味を持つ仮処分、仮の地位を定める仮処分のうちでもいわゆる断行的仮処分を一つの例として申し上げた次第であります。
○林(孝)委員 最後に要望しておきたいわけでございますけれども、いま三種類の署名を例示されましたが、非常に国民の権利義務、会社の生死に影響するということでの判断の基準だと理解します。そうした意味において、運用の面においてそうした重要案件というものを判断される場合に、はっきり言って、やはりそうした記名捺印で行なうよりも署名押印で行なうというほうが、国民の感情としては現在の時点においては権威とかあるいは信用とかいうものを感ずるのではないかと思うわけなんです。将来においては、長い時点において意識革命もなされるでありましょうし、また社会環境も大いに変わっていくと思いますけれども、現時点においてはそうした国民感情が強いので、そうした点をよく考えて判断の基準にしていただきたい、そのことを要望しても私の質問を終わります。
○高橋委員長 青柳盛雄君。
○青柳委員 前回お尋ねしましたときに、裁判官の持っている判は私物であるけれどもこれは粗末にしないというお話で、先ほどもはだ身離さず持っているというお話でございましたが、いままでの例を見ますと、ときには机の上に置いてあったり、書記官に代印というか、かわって押させたりするような例が現実にはあるようです。しかもそれが実印である必要はないという。だから、いわゆる三文判でもいいわけなんです。ただはだ身離さず持っていさえすればいいわけなんですが、どうもこうなりますと形式化されてまいります結果、はたして裁判官本人が押したものか、それとも、裁判官の知らない間に何ぴとかが押したというようなことが偽造とあえて言えるかどうか、あとから裁判官の了解を得たからいいというようなこともあり得ると思うのです。簡易裁判所あるいは常駐していない地方裁判所の支部あたりで仮差し押え、仮処分などをあらかじめ書記官のほうで判を押しておいて、そうしてあとから了解を得るというようなことだってないとは限らない。そういう意味で、裁判書に用いる判は特定させる必要があると思うのです。一人の裁判官が一個の判こを持っておるとは限りませんので、二個以上持っている場合があり得るわけで、ついあれを押したのかこれを押したのか自分でもわからないというようなことが起こり得る。だから特定させる意味で、弁護士会あたりでは届け出制度を設けて、印鑑証明も弁護士会で出すようになっている。それは強制的なものではありません、裁判所に出す書類には必ずその弁護士会に届け出たものを押さなければならないという制度ではございませんけれども、やはり弁護士の判であるということを認証するような意味で届け出制度があるのですが、裁判官についてもこういうふうに簡略化する、手続を非常に形式化することに伴う弊害を除去するという意味で、届け出制度を設けるということは考えたことがあるかどうか。 前回の答弁では、偽造されるなどということは絶対にないのだというお話でございましたけれども、万が一にも偽造された場合、署名ならば筆跡鑑定その他で必ず犯人は割り出せるわけでありますけれども、どうも記名押印ということになりますと、これは、記名は本人がやらなくてもいいということは先ほどからの答弁でもはっきりしている。押印だけは自分でやる。ただ判は無数にある。だれがどの判を押したのか全然わからないというようなことになって、あとになってこれは自分が押した覚えはないのだ、また自分の判じゃないのだというようなことが争われたとしても、結局犯人不明というようなことにならざるを得ないのであって、権利義務に関することが非常に疑わしい状態になる。だから、少なくともこういう制度を採用するからには、繰り返して言いますけれども、届け出制度というようなものを考えたことがあるのかどうか、それをお尋ねしたいと思います。
○長井最高裁判所長官代理者 印鑑の届け出等に関しましては、前回民事局長から御説明申し上げましたとおりでございまして、届け出、登録、そういうようなものについての配慮は従来いたしたことはございません。ただ記名捺印ということで法案の御承認がいただければ、危険が考えられる場合にはもちろん配慮いたさなければなりませんので、その点は十分検討いたしたいと思います。ただ今日までそういう問題に関連しまして、偽造というようなことでの誤った経験というようなものを耳にいたしておりませんので、大体従来の線でいけるのではなかろうかという考えでおります。もし御懸念があれば、その点は十分検討いたしたいと思います。
○青柳委員 前回はお尋ねしませんでしたが、調書には裁判官の認印を押せばいいというようなことに今度改正になります。これは調書をつくる責任者は公証官としての書記官であることのたてまえからいえば、前進であるというふうに考えて私も異議はないのですが、ただここでちょっと一般訴訟当事者などの感覚からいいますと、少なくとも和解とかあるいは調停なんかの調書について、それに立ち会った裁判官あるいは主任調停官ですか、そういった方々の名前はあるけれども、それは調書の中にだれが立ち会ったということは記載されておりますけれども、判はただ肩のところに押されるというだけで署名がない。この和解とか調停は判決と同じ効力を持つことは、法律の規定でどれもきまっているわけです。民事調停にしろ、家事審判における調停にしろ、いずれもそうなのです。ですから、当事者からの希望がある場合にはという条件つきでも私はかまわないと思うのですけれども、少なくともその和解あるいは調停を成立させるに至った経過において、やはり重要な役割りを演ずるところの裁判官——認証はもちろん書記官がおやりになることですけれども、その内容がきわめて重要でございます、判決と同じように、執行文もとれるわけですから。したがって、みずから署名捺印をするというような制度の運用が考えられておるかどうか、これについてもお尋ねしたいと思います。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 お説はごもっともでございまして、和解調書、認諾調書、こういうものは債務名義となり得る文書でございますから、これを神聖に扱うというお説はもっともなところでございます。しかしながら、新制度になりますと、支払い命令等についてもすべて記名押印で足りるということになるわけでございまして、公判調書には書記官の記名と押印があり、その上なお裁判長の押印があるということになりますので、その内容の神聖の担保としては新制度による方式で十分であろう、こう考えている次第でございます。
○青柳委員 私の言った趣旨が必ずしも十分に理解されていないようですが、少なくとも当事者が裁判官の署名を欲するという場合にも、あえてこれは制度的には押印でよろしいということになっているのだけれども、それを今度は書いて悪いというところまで反対解釈、狭く解釈する必要があるのかどうか、その点をお尋ねしているのです。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 当事者の手に渡るものはすべて裁判書の正本もしくは調書の正本でございまして、当事者は裁判官の署名した文書を受け取るわけではないのでございまして、裁判の原本あるいは公判調書に署名押印がされているというだけのことでございますので、当事者は常に記名のある裁判書を受け取るということでございますので、当事者の立場から署名があるかどうかということは、従来と、新制度になってもそう差はないかと思うわけであります。
○青柳委員 それは全然私の言う趣旨を——調書をもらうときに正本をもらうのは、別に裁判官の署名もなければ判もない、それはそのとおりですよ。しかし、和解や調停に当事者は必ず立ち会って、そして、こういう条項で成立するのだということを聞かされるわけなのです。それは読み聞かして非常に慎重にやっている場合が多いですね。だから当事者が立ち会っている、あるいは代理人がその場において調書の作成について申し出をする、ぜひこれには立ち会った裁判官の署名をしておいてもらいたい、あるいは記名でも場合によってはよろしいかもしれませんが、少なくとも裁判官が出たということが記録上明らかである。ただ肩のところに押印があるというだけではどうも不安でしょうがない、これが判決と同じ効力を持つのだといわれても、どうも何となくという話があり得ないとは限らない。だからいまの答弁では、その正本をもらうときあるいは謄本をもらうときは同じことだから別に変わりないじゃないかというのは、調停や和解に出頭している当事者を全然頭に入れてないような答弁なので、その点どうでしょうか。
○瀬戸最高裁判所長官代理者 新しい制度で、すべて裁判官の押印にしましたのは、書記官の公証官たる地位を重視したわけでございまして、公判調書の作成はすべて書記官の責任において行なうという点を強調した次第でありまして、内容の神聖という点は書記官の記名押印、裁判長の押印、これによって十分であろう、こう考えられるわけでございます。
○青柳委員 終わります。
○高橋委員長 これにて本法律案に対する質疑は終了いたしました。 ————◇—————
○高橋委員長 次に、民法の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。 質疑の申し出がありますので、これを許します。羽田野忠文君。
○羽田野委員 民法の一部を改正する法律案、これは根抵当関係の法律を設けるわけでございますが、私、質問をします前にちょっと、この法律はもっと早くつくられるべきものだったと思うのが今度出たのですが、内容は非常によろしゅうございます。これを立案するに至った経過並びにその基本的態度というものについてひとつ伺います。 まず第一に、わが国におきましてこの根抵当の制度は古くから広範に行なわれております。登記もこれができますし、判例もこの有効性を認めておる。にもかかわらず、いままで民法の中に今度案で出されたような規定が長い間なかったということがふしぎなんですが、いままでどうしてこういう条文をつくらなかったのか。特に現行民法ができた当時、この根抵当ということは必要であり、その関係条文を当然入れるべきであったと考えられ、そのことはいまの民法が効力を発生してから間もない明治三十四年からずっとこの根抵当は有効だという判例が続いておる。このことを見ても、民法典をつくる当時にすでに入れるべきであったと思うし、外国の立法例にもそういうものがあったはずです。それなのにいまの民法典に入らなかったのは何かいきさつがあるのですか。そういうことを踏まえて、今回この条文をつくって法律案として出すようになったのはどういうことなのか、このいきさつをちょっと説明していただきたい。
○川島(一)政府委員 仰せのとおり、根抵当は非常に古くから、民法の施行される前から取引の慣行として非常に広く利用されておった制度でございます。御承知のように、明治三十四年に根抵当の有効無効ということが争われまして、これを有効であると判定した大審院の判決が出まして、それ以来銀行取引その他各種の商取引において非常に広く利用されてきたのでございますが、今日まで民法に規定がないまま現在に至っておる、こういう状態でございます。 そこで、なぜいままでこういう状態に放置しておったかというお尋ねの点でございますが、古いことは私承知いたしておりませんが、戦後のころからのことを申し上げますと、この立法はまさに当然なすべきものであったと思うわけでございますが、これを規定するとすれば今回の改正案のように民法の改正によって行なうということになるわけでございます。 御承知のように、民法は基本法でございまして、これを改正するという場合にはかなり慎重な手続をとっております。戦後におきまして法務大臣の諮問機関として法制審議会というものをつくりまして、そこに多くの学者や知識、経験のある方々を委員としてお招きして、そうしてその御審議を経て要綱を作成し、この要綱に基づいて法律案を作成する、こういう形式をとってまいりました。 ところで、この法制審議会でございますが、民法の改正点といたしまして戦後まず問題になりましたのは、民法の身分法の関係でございます。これは昔の家族制度が変わりましたので、それに伴って身分法の検討をする必要がある、こういうことで身分法の検討を始めました。それから戦後非常に混乱いたしました社会情勢に応じて、借地借家の立法を行なう必要がある、あるいはまた建物の区分所有の問題が非常にたくさん事例として起こってまいりまして、これに対する立法も行なう必要がある、こういうことでいろいろ検討事項がほかにございましたので、これを検討しておる。したがって、そのために法制審議会で根抵当に関する審議を開始するのがおくれたという事情でございます。 それから、今回の改正の経過を簡単に申し上げますと、根抵当につきましては民法にこれを規定すべきであるという要望が非常に強かったのでございますが、法制審議会では昭和四十年からその調査、審議を開始いたしまして、その間各種大学、経済団体その他関係者にいろいろ意見の照会などもいたしまして、途中で中間案の公表をしたりいろいろな経過をたどりまして、四十五年の三月三十一日に最終的に今回の民法改正の要綱案を決定したという経過でございます。今回の案は、この法制審議会で決定された要綱を忠実にもとにいたしまして法律案を作成したという経過になっております。
○羽田野委員 いままではっきりした条文が危いわけですから、取引の慣行だとかあるいは判例なんかで確立した法律関係、これを今度は明文で法律関係を明確にしようということだと思います。結局明文にいたしますと、根抵当権者あるいは債権者、後順位の抵当権者というようなものの利害関係を合理的に調整して、これをつくったことによってある権利者の権利が非常に強くなる、あるいはある者の権利が擁護されないというようなことではいけない。いわゆるこの関係者の利害関係の調整ということが一番むずかしい問題であったと思うし、この利害関係の調整ということについて今度はどういうふうな基本的な考え方でこの法律案がつくられたか、この点を御説明願いたい。
○川島(一)政府委員 今回の法律案は、ただいま申し上げましたように、根抵当をめぐる法律関係の明確化というのが第一のねらいでございますが、これにあわせまして関係権利者の利害を合理的に調整するという見地からいろいろな規定を設けております。根抵当権者の権利が不当に強大になるというような心配もございますし、また債務者、それから設定者、後順位者、あるいは第三取得者といったようないろいろの関係者の利害が錯綜してまいりますので、この間の利益の調整をはかる必要がある、このための措置を講じておるわけでございます。 その一番大きな点は、いわゆる包括根抵当を認めていないということでございます。御承知のように、包括根抵当というのは根抵当権者がすべての債権を担保できるという形の根抵当でございますが、これを認めますと根抵当権者の権利が非常に強くなりまして、その反面、債務者あるいは設定者、後順位者などの利益が害される。予測しないような債権が根抵当で担保される。そのためにいま申し上げたような関係者が不利益をこうむるというようなことがございますので、この点を、このような包括根抵当を認めなかったというのが一番大きな点であろうと思います。それからそのほかに、たとえば根抵当権の譲渡をする場合に、設定者の承諾が必要であるということにいたしまして、根抵当権の特殊性から、特にこういった場合の設定者の保護に留意しているわけであります。 さらにまた、法案の第三百九十八条ノ十九、元本債権の確定の請求というのがございますが、これはやはり設定者の立場を考慮して、いつまでも不安定な拘束を受けることをこの請求によって終局させるという制度でございます。 それからまた、法案の三百九十八条ノ二十一で、極度額の減額の請求というのを認めております。これも設定者の保護をはかったものでございます。 それからさらに、法案の三百九十八条ノ二十二におきまして、根抵当権の消滅請求という制度を認めております。これも、設定者それから第三取得者などの立場を考慮して、特に新しく設けた制度でございます。 そのほか、こまかい点でいろいろございますが、そういった点で設定者、債務者、後順位者等の利益を十分に考慮しているということでございます。
○羽田野委員 いままでこの判例なんかも分かれておった法律関係、非常にはっきりした画期的な条文があるようですが、いまの包括根抵当の問題であります。結局これは担保権ですから、どれだけのいわゆる債権を担保するかということのきめ方が、根抵当では一番重要なことだと思うわけです。それで根抵当の設定者あるいは後順位者、こういう者の権利を擁護するために包括根抵当を認めなかった。なるほどこの条文では認めてない。ところが、昭和四十三年の四月に出ておる試案では、この包括根抵当を認めてあった。根抵当は極度額が定まっておるのだ、幾らまでということで、担保する債権の極度額は定まっておるのだから、それがはっきりしておる以上は、むしろ被担保債権の内容がこれまでだこれまでだと、いろいろなうるさい制限をつけてある三百九十八条ノ二というものはかえって混乱を招く。包括根抵当を認めたほうがほんとうは法律としてはすっきりするし、制度としては目的を達したのではないかと思うのです。前の四十三年四月の試案で認めてあったのに、今度の法律案では包括根抵当を認めぬで担保債権の範囲を制限したということは、どこに理由があるわけですか。
○川島(一)政府委員 御指摘のように、昭和四十三年の試案におきましては、包括根抵当を認めるという立場をとっております。これは、包括根抵当を認めるかどうかという点につきましては、御承知のように、その以前からいろいろ論議のあったところでございまして、判例などもまだはっきりとは確定していなかった問題でございます。実際の取引界の立場からは、これを認めてほしいという意見もかなりあったわけでございます。そういう点を考えまして、一応試案におきましてはその点についての各界の御意見を広く求める、こういう意味で包括根抵当を認める立場の案をつくったわけでございます。ところが、この案に対して広く御意見を伺ったわけでございますが、必ずしも賛成の意見ばかりではございませんで、特に第三者的な立場の団体からは、このように包括根抵当を認めると、かえって根抵当権者の権利が強くなり過ぎて、設定者や債務者の不利益が多過ぎるのではないか、こういう反対意見が出てまいったのでございます。それと、実際界の人々の意見を聞きますと、必ずしも包括根抵当まで認める必要はない、ただ債権の範囲をかなり実際界の要求に合うような形で認めてくれればそれで足りるのではないか、こういう御意見でございました。 これらの御意見を総合いたしまして、今回の法案のように包括根抵当は認めない、しかし、かなり債権の範囲は広く自由に決定できる、こういう形にいたしたわけでございます。
○羽田野委員 包括根抵当権を認めなくて債権の範囲を一応特定するということはわかりました。これを制限するとなると、今度逆にこういうことが考えられる。いろいろ不安定主要素を持ったものはなるべく入れないように制限することがいいのでは雇いか。三百九十八条ノ二の三項を見ると「手形上若クハ小切手上ノ請求権ハ担保スベキ債権ト為スコトヲ得」こうなっておるわけですね。そうすると手形、小切手をこの中に入れてきますと、問題は回り手形です。いろいろな企業などが内容が悪くなると手形の乱発をやる、こういうのがどんどん回ってきだす。これを計画的に買い集めて被担保債権にするというような弊害が出てくるおそれがあるわけですね。そこで、回り手形をどうして入れるようになったのか、あるいはそういう弊害を除去する方法を講じておるのか、ここのところをちょっと説明してください。
○川島(一)政府委員 回り手形に根抵当権の被担保債権としての資格を認めるかどうかという点につきましては、いろいろ問題があったわけでございます。しかしながら、実際の取引界、特に金融界におきましては、回り手形も実際は取引上の債権、取引から生じた債権と同じように扱っておる、こういう実情にあるわけでございます。そこでこの回り手形を含ませないということになりますと、銀行としては別な形で担保を要求せざるを得ない。そうなると債務者にとってもそれだけよけいな手数がかかるし迷惑も生ずるというようなことになりますので、そういった取引の実情を考慮いたしまして、回り手形を含ませることができるような形で規定いたしたわけでございます。 そのようにいたしますと、債務者の信用状態が非常に悪くなった場合に、根抵当権者が回り手形を安く買い集める、こういう心配があるのではないかという点でございますが、その点はまさに御意見のとおりであろうと思います。そこでこの法案におきましては、第三百九十八条ノ三の第二項におきまして、手形上または小切手上の請求権を根抵当権の被担保債権とした場合において、債務者が支払い停止とか破産の申し立てとか、そういった非常に信用状態の悪くなる事情が生じた場合には、その事情の生じた以後に取得した手形上または小切手上の請求権については根抵当権をもって担保しない、こういう措置を講じて、御指摘のような弊害を防止することにいたしておるわけでございます。
○羽田野委員 従来の判例では、根抵当権の極度額のきめ方は、債権極度額と元本極度額という二つの判例がありましたね。これがなかなかうるさくて、よく間違っておった。これを債権極度額という一本に統一したということは、私は非常に適切であったと思うのです。ところが、これにまた弊害が出てきやせぬかという心配がある。というのは、極度額の限度内であれば利息損害金がどこまでいくかというようなことがなかなかはっきりしないというようなことで、たとえば町の金融業者などが高利の利息損害金をつけておいて、長い間ほっといて、極度額の範囲内ならみな取れるんだからということで、利息損害金かせぎをするというようなことが起こってきやせぬかということがちょっと心配される。そういうのに対する何か歯どめがあるかどうか。どうです。
○川島(一)政府委員 御指摘のような事態というものは正常な取引関係においては考えられないわけでございますが、特殊な金融業者にありましては、そういう場合もあるいは起こり得ようかと思います。そういう場合に対処する方法といたしましては、この法案では三百九十八条ノ二十一に、極度額の減額請求というのを認めております。したがって、この規定によりますと、現存の債務額とその後二年分の利息あるいは損害金を加えた額が極度額よりも低いという場合には、その額まで極度額を減額させる、こういう請求ができることになっております。この規定によって、お尋ねのような場合には救済されることになろうと思います。
○羽田野委員 根抵当は結局債権額が確定していない抵当権でありますので、後順位の抵当権者、これがいつも何か前の抵当権がはっきりしないために損をするか得をするかという不安定な状態にあるような気がする。極度額はあるから、それまで、極度額だけは先順位について取れるのだと腹をきめておればいいですけれども、やはり前の抵当権がなるべく金額が少なければ、あとのほうがよけいくるからという期待を持っておる、そういう場合にこの三百九十八条ノ四と六を見ると、後順位者の保護が十分でないような気がする。というのは三百九十八条ノ四によると、元本の確定前においては、根抵当権の被担保債権の範囲を変更することができる。それから六によると、確定期日を変更することができる。こういうことになっております。取引の実情に応じて根抵当権者と設定者がこれを変更するということは非常に便利なことなんだけれども、後順位者が何も相談を受けぬで範囲を変更されたり期限を変更されたりすると、後順位者が非常に不利益なような感じがするのだけれども、ここはだいじょうぶですか。
○川島(一)政府委員 三百九十八条ノ四について、根抵当権の担保すべき債権の範囲の変更を認めておりますし、また三百九十八条ノ六において、確定すべき期日の変更も認めております。この点は御指摘のとおりでございまして、このようなことにいたしましたのは、根抵当権者と設定者との便宜を考えたからでございます。 ところで、このような表制度を認めますと債権の範囲の変更あるいは確定すべき期日の変更によって後順位者の持っている期待が害されるのではないかというお尋ねでございますが、この点につきましては、今度の根抵当というものはこれは極度額一ぱいまで先取りできる権利である、したがって後順位者としては、そのことを初めから承知して予定しておいてもらいたい、こういう考えの上に規定ができておるわけでございます。したがいまして、あまりおっしゃるような期待を初めから後順位者が持つということはできないような制度になっております。ただ、根抵当権の元本が確定いたしました後は、このようなことは起こり得ない、普通の場合と同じでございますので、後順位者の承諾しない変更が加えられるということはないわけでございます。
○羽田野委員 最後にもう一つ、経過的な問題ですが、この新しい改正が施行された場合に、いままで実際に通用してきた根抵当権の制度、たとえば元本極度額というようなものはいままであったわけです。今度の法律では債権極度額だけしかない。こういういままで認められた制度で、登記もあるもので、今度新しい制度になった場合に、そういうものは認められないというようなものが出てくると思いますが、こういう経過的な混乱について、これはどういうふうに措置するように考えておりますか。
○川島(一)政府委員 これは経過措置の問題でございますが、附則の第二条におきまして、この改正後の民法の規定は、別段の定めがある場合を除くほか、この法律の施行前に存する根抵当権についても適用があるということにいたしております。ただ、改正前の民法の規定によって生じた効力を妨げない、こういうことにしておるわけでございます。このただし書きによりまして——この新しい民法の認めていない形の根抵当、現在元本極度額を担保するという形で存在しておる根抵当権は新法の規定によっては認められないわけでございますが、この附則の二条のただし書きの規定によってその効力を認められる、こういうことになるわけでございます。ただ、この規定によりましてそういう根抵当権はいままでと全く同じ効力を持つことになるわけでございますが、この新法で認められておりますいろいろな処分をそういった根抵当権について加えようとする場合には問題がございます。新法は新法の型の根抵当権を前提として、それについていろいろな処分がなされるということを予定しておりますので、新法の認めていない根抵当権につきましては、まず新法の形の根抵当権につくりかえる必要があるわけでございます。その点を第三条、第四条におきまして規定しておるわけでございます。
○羽田野委員 終わります。
○高橋委員長 次回は来たる二十六日午前十時理事会、理事会散会後委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時五十三分散会