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65回国会衆議院1971/05/18

文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

発言数
23
登壇者
5
会派数
2
開催日
1971/05/18

会議録

久保田円次自由民主党

○久保田小委員長 これより文化財保護に関する小委員会を開会いたします。  文化財保護に関する件について調査を行ないます。  本日は、参考人として奈良女子大学教授門脇禎二君が出席されております。  参考人には、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  門脇参考人から、飛鳥、藤原地域の文化財保護に関する問題につきまして御意見をお述べいただきます。門脇参考人。

門脇禎二奈良女子大学教授

○門脇参考人 それでは若干意見を述べさせていただきます。  すでに、飛鳥、藤原地域の保存のことにつきましては、実際に予算化され、漸次計画も動き始めた段階でございますが、やはり全国至るところに飛鳥の文化財保存問題が起こっておりますが、この問題について私なりに文化財保存という意味において、飛鳥、藤原地域の提起しておる問題の特色というものを次のように考えております。  その一つは、この地域がわが国の統一国家形成過程の舞台といたしまして、その直接の前史からまたその国家の形成過程を直接にはかる舞台であるということです。この点は、やはりほかの地域の遺跡と史跡の性格が非常に違う。しかもこれは、六世紀の終わりから八世紀の初めにかけまして、いわゆる飛鳥・白鳳といわれる時代のことでありますが、非常に多面的な資料をこの地域に包含しておる。かつまた、時期的にも系統的にたどり得るという点で非常に貴重な場所であるということを感じております。  それからその次の点といたしましては、それにもかかわらず、実際ここの地域に入りますと、この目に映るものは案外少ないわけでございます。つまり大きな寺院とか非常に古い時代の仏像がたくさんあるとか、そういうものではありませんので、その意味ではやはりこの飛鳥、藤原地域をとらえるその目というものは、やはり何らか事前の知識といいますか、前もって飛鳥、藤原についてのイメージがその訪れる人々の心の中に先にあると思うのです。すなわち万葉集の直接の舞台であったり、万葉集を鑑賞する舞台でありましたり、あるいはその当時の歴史というものを考えるのに一定の歴史的な知識というようなことが事前に学ばれておるわけでありまして、ですから、そういう意味ではそのような知識を蓄積すればするほど、この地域の文化史的なあるいは歴史的な意味を多様に受けとめられる、そういう地域であるというふうに思います。  それからさらに、いま一つは、最近飛鳥、藤原を訪れる人々を見ておりますと、単にそういう文学的あるいは歴史的なそういう知識あるいはそれへの関心、そういうことだけではなしに、特にこの地域を包む美しい自然といいますか、そういうものが非常に魅力を呼んでおる。このことは、いままで述べてきましたような関心のほかに、最近では、特に都市生活あるいは都市公害といわれるようなそういった世界から一とき離れて、同時にここの地域の自然と歴史と溶け合ったそういう風土の中に一ときを過ごしたいという、そういう訪れる人々の、従来と違ったそういう印象を明らかに感じ取っておるわけであります。  以上のような点が、このどの地域にでもある文化財保存の一般的な問題を重複して申すことはいたしませんが、逆に特に一つの特色として指摘できるような点ではなかろうかというふうに判断いたしております。  そこで、その次には、しからばこういう地域がどの程度、私どもの専門にいたします歴史学の立場からいいまして従来調査されていたかということでありますが、これは、日本の古代国家のことを書いた本もずいぶんありますし、古代国家の形成過程というのはある程度解明されているような印象も一般にはあるわけでございますが、少し立ち入りますと意外にまだ調査の残されたところが非常に多い。むしろ、もう少しはっきり言えば、従来あまりに飛鳥、藤原地域は調査が不十分であったという、こういう従来からの流れを一つ受けとめざるを得ないというふうに考えるわけです。したがって、そういうことが前提でございますので、この点につきましてのまず一つは、先般奈良国立文化財研究所の行ないました飛鳥寺、川原寺の発掘結果が、非常に当時の学問的な常識では考えつかなかったような新しい事実、たとえば飛鳥寺の新しい伽藍配置など、こういったこと一つが非常に大きな衝撃を与えたわけでございます。  考古学から提起してくる問題もたくさんあるわけでございますが、いま一つ文献で進めております研究からいきますと、この地域の一つの意味は、文献史学と考古学の研究からして両方が関連的に考察できる。いわば文献史学と考古学との共同研究という、この効果が非常に大きい地域だというふうに考えるわけであります。これも時間がありませんのでこまかいことは省略させていただきますが、飛鳥寺の造営事業、これをつくる造営事業一つとりましても、あるいは飛鳥のいろいろな遺物の中で、特に石に関する遺跡物というのは非常に特色かと思うのですが、こういうものが古い文献にあらわれてくるあらわれ方との関連考察、こういったことがこの地域では非常に重要なといいますか、貴重な材料を提供してくる場所であるというふうに考えるわけです。  それから、さらにいま一つは文献の歴史、この点につきましても幾つかの新しい着眼点が生まれてくるわけであります。それはもとより基本的な資料は日本書紀になるわけでありますけれども、日本書紀の解釈あるいはこれの理解、こういうことにつきまして非常に具体的にイメージがつかめる段階になってまいりまして、そういう点で一例をあげますと、たとえば蘇我氏というような一族にいたしましても、これは非常に古代の氏族の中では研究がおくれていた氏族でありますけれども、これなどが現地との関係におきまして、あるいは後の天智天皇であります中大兄、こういう人物などを引き出しましても、これが日本書紀の記述が非常にリアルに理解できる。そういう視角というものをあらためて提起してくれておるわけであります。  それから、この文献的な研究に関するいま一つの点といたしましては、もちろん基本的な資料になりますのは、いま申し上げたとおり日本書紀でありますけれども、この時代のことを記録したものには、日本書紀以外にも特に聖徳太子関係の記録が一連のものがございます。ところが、これらの聖徳太子関係のものは、従来これは資料の性格上当然のことでありますが、主として仏教思想、仏教資料、仏教史、そういう観点からもっぱら見られていたわけでありますが、これらの資料も、日本の古代国家形成過程の中に非常に新しい角度といいますか、重要な価値を見直させる、そういうことも可能になってきておりまして、その点、日本書紀の記述とこれら聖徳太子関係の書物とが相互補完的な考察が可能になってきた。この点で飛鳥、藤原地域の調査というのが非常に重要な意味を持つというふうに考えられるわけです。この点につきまして一例をあげますと、たとえば橘寺という非常に古い由緒ある寺でありますけれども、どうしたことか日本書紀には、ほとんどこれに関係の記述は出てまいりません。だから、こういった点のなぞは、いま申しました点に触れて今後に残された課題だろうと思います。  それからいま一つは、これは木簡などのような新しい資料が次々と出てまいります。これまでの若干の調査においてもすでに次々と出てきておりますので、こういうものによりましてこれまで学界で長く続いていた論争が一挙に解決したというような例もございまして、ですから、こういう新資料をなお多く埋蔵しておるという点で非常に大切であるというふうに考えます。  以上、要するに飛鳥、藤原地域につきまして、若干歴史学のいわば研究史上における意味というものを申し述べてみましたが、その点は二つの点に集約できると思っております。  一つは、古代国家あるいは古代文化の形成過程というものについての新しい方法、新しい資料、こういうものを非常に多く含んでおる、そういう地域であるということであります。なお、この点に関連して十分には意見が述べられませんでしたが、すでにこれまで明らかになっておるところでも、この古代国家や古代文化の形成のいきさつにおきまして、従来より考えられていた以上に非常に国際的な要素や国際的な契機が強い。だから、従来、ともすれば日本国家の展開、形成というものはむしろ非国際的な関係の上にとらえられがちでありましたけれども、その点、文化の内容におきましても政治過程におきましても、非常にアジアの国際関係あるいは国際的な諸要素、そういうものを予想外に多く組み込んでおる。そういう点で古代国家あるいは古代文化の理解のしかたに、新しい内容を盛る可能性があるというように考えております。  それからいま一つの要約点は、古墳文化の時代から統一国家形成への時代、これは非常につなぎにくい、いわばそこの過程を系統的にたどりにくい時期として日本歴史全体の研究の上でもなお弱点が幾つもあるわけですが、その点を解明していくのに、飛鳥、藤原地域は全くかけがえのない地域であるというふうに考えられるわけであります。  そして最後に、いま一つ、以上のように考えますと、やはり飛鳥、藤原というこの二つの地域は、同時に現在まですでに長い時期にわたりまして調査が続けられてまいりました、平城京あるいは平城宮の調査あるいは研究の成果と統一的に把握しなければ、その価値が半減するといっても過言ではないというふうに思っております。特に平城京や平城宮などは、中国の都のそれをモデルにしたものでありますからそれを下敷きに理解できると考えられていたわけでありますが、その後のいろいろな調査結果は、やはり日本独自のいろいろなプランやいろいろな特色があるということが非常に明確に証明されてきております。せっかく平城京や平城宮のそういう成果が出ておりますので、飛鳥も飛鳥だけ、あるいは藤原も藤原だけというふうに切り離してはその理解というものが非常に分断されるわけでありまして、飛鳥、藤原、平城というのは、これは一貫して関連的に保存の必要があるというふうに考えておるわけです。したがって、そういう点におきましては今後もやはり従来以上の科学的調査が保障されるような、そういう保存案が非常に望ましいというふうに考えられますし、また、そういうものによって再構成されていく日本の古代史像というものは、やはりこれは国民の歴史意識あるいは歴史認識というものを深め、かつ豊かにしていくことに大きな意味を持っているというふうに思います。  それから、いま一つ蛇足ながらつけ加えますと、すでにこれまで非常に貴重な保存案が幾つか出されており、一部はすでに実現の段階に入りかけておりますが、地元住民の問題ももとよりありますけれども、やはり観光規制といいますか、現に観光の現状は、せっかく修復した遺跡が一部かえって乱されるというような現状が出ておることも事実であります。ですから、その面、かえって最近の若い人々の間に歩いて見る会というようなことが、これは奈良などに全国から集まったそういう小グループに分かれて歩いて見る、これなどは、今後の新しい一つの観光といいますか、遺跡観光の一つの原型といいますか、そういったものと見ていいのではないかと思うのです。だから、やはりこういうものをある程度保存するためには、地元民への規制ということと同時に、やはり外から見る人の、たとえば無制限に車を乗り入れないとか、そういった点での規制というものも若干考慮すべき時期に来ておるのではなかろうかというように存念しておるわけであります。  一応これで終わります。(拍手)

久保田円次自由民主党

○久保田小委員長 どうもありがとうございました。  これにて参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————

久保田円次自由民主党

○久保田小委員長 次に、奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長坪井清足君から、本問題につきまして説明を聴取いたします。坪井部長。

坪井清足奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長

○坪井説明員 昨年度から先生方に、飛鳥の現地をいろいろごらんいただいたわけであります。ただいま門脇参考人のほうからいろいろ御説明がありました趣旨といいますよりは、もっと具体的に、どういうものが残っておるかということについて少し述べさせていただきたいと思います。  私ども、たまたま縁がありまして、昭和三十年から飛鳥の地域の発掘を数年にわたって行ないました。その後平城宮の発掘に従事しておるわけでありますが、その飛鳥の発掘に従事いたしました間に、いま門脇参考人が申されました、いろいろな問題が地下に埋まっているということが出てまいったわけであります。  お手元にお配りしました「飛鳥の京」と書いてございますパンフレットがございますが、それの最初に出しておりますのが藤原宮の正門の遺跡でありまして、石が点々としておりまして、手前に簡単なみぞがあるという、門としては相当に破壊されておるわけでありますけれども、こういう正門のあとがここにはっきりと出ておる状況でございます。これは一昨年の冬から発掘いたしました状況でございます。この藤原宮でもこのようにして出てまいりますが、この写真でもごらんいただきましておわかりのように、現在一面の水田でございますが、決して深くない、非常に浅くといいますか、平均地表下六、七十センチメートルでこういう昔の遺構の面に到達するわけであります。  このようなところが飛鳥全般につながっておりまして、藤原宮の中はもちろんでございますが、裏面の地図にございます香久山から皆さんもおいでいただきました石舞台にかけての二キロばかりの地域の間に、一ぱいそういう遺跡が並んでいるわけでございます。  私、昭和三十一年に飛鳥寺の発掘をいたしました。飛鳥寺というものは、日本で最初に仏教が伝わって本格的なお寺をつくったところだということを言われておりました。それまでどういうものかわかっておらなかったわけでありますが、それを掘りまして、そこに出てきましたかわらなどは、わが国で戦時中に、特に終戦間近になりまして朝鮮半島の昔の百済の都の扶余のあとから出てまいります百済の国のかわらと非常によく似た模様といいますか、日本書紀には、それは百済の工人が来て日本の技術者を指導したということが出てまいるわけでありますけれども、それと全く同じかわらが出てまいりました。それから、それまで日本ではやっておらなかったような新しい大陸風の建物を建てるという状況が出てまいったわけであります。こういうものが発掘によって出てまいりましたが、最初の年に掘りましたときには、そういう大陸文化の影響というものが書紀なんかにあらわれておる、そういう大陸文化の影響というものを非常に強く感じたわけであります。  ところが、その翌年になりまして塔の心礎の礎石を発掘いたしました。これは地下三メートルほどの深いところに埋まっておりまして、現在飛鳥寺の境内の一番南の端に当たるところでございますが、この地下三メートルほど真四角に穴を掘り込んで、そこに直径三メートル近い大きな石を据えてあるわけでございます。その石の回りから、よろいですとかあるいは勾玉、それからいろいろな馬につける鈴でありますとか、そういうものがいろいろ出てまいりました。これは一般には、考古学の上では古噴からたくさん出てまいるものと全く同じものであります。そのときに私は、古墳を掘っておるのかというような錯覚を起こしたくらいであります。前の年に、その当時の最新の大陸文化が入ってきたという印象を非常に強くし、さらに次の年に、古墳を掘っておるのではないか、在来の日本文化のそのままの状態のものを掘っておるという錯覚を起こしたわけであります。飛鳥寺が建てられました推古天皇元年のころ、特に塔の柱が建てられた、日本書紀に記載されておりますこの時期こそは、一方では古墳時代、まだ古墳を豪族が造営しておった時代であります。初めて仏教のりっぱな伽藍をつくるという時代であったということが、一つの遺跡で非常にはっきりと出てまいったわけであります。こういうようなことから、それまで一般に考古学と歴史学というのは何かそこの間に、つなぎ目に非常にヒアタスがあるように考えられておるわけでありますが、それがこの飛鳥寺の発掘によってその間を隔てておったみぞがだいぶ狭くなったというか、そういう感じがしたわけであります。こういうような事実は飛鳥を掘って初めて出てきたわけであります。  さらにその翌年に、昭和三十二年から三十三年にかけまして川原寺(弘福寺)というお寺を掘りました。これは、後に弘法大師が京都の東寺から高野山へ行く途次にここを宿舎として賜わった寺でありまして、東寺にも文書がたくさん残っておるわけでありますが、この川原寺を発掘いたしまして、また飛鳥寺とニュアンスの違ったものが出てまいりました。  ところが、この川原寺の発掘で一番意外でありましたのは、このパンフレットの一番下に川原寺西金堂の写真を入れておりますが、この西金堂のこの状況の次に、この下に大きなみぞがありまして、二十メートル間隔くらいに一つずつマンホールがついた暗渠が出てまいりました。その暗渠が、二本のみぞがあるわけでありますが、そういう暗渠を伴ったりっぱな構造物が出てまいりました。これはいままでには、このお寺のこの状況から言いまして、お寺の建てられる以前であるということは確実でありますので、これが記録に出てくる川原宮、斉明天皇がそこに、板蓋宮から焼け出されて一時お住いになった川原宮に関連したものではないかと考えたわけであります。さらに、そうなりますとそれに関連しまして、それを掘っておりますときに地元の人たちが、実はこういう石の敷いたところなら川向かいにもあるんだということでございましたので、それを昭和三十四年の五月、六月にかけまして掘りましたのが飛鳥板蓋宮の伝承地であります。これが、いま大きな井戸だとかそういうものが、現地でごらんになられるように石が露出して残してあるところでございますが、こういうものが出てまいりました。その後奈良県が引き続いて今日に至るまで発掘調査をし、いろいろな成果をあげておられるわけであります。  こういう状況の遺構が飛鳥の至るところに出てまいります。昨年も私どもの研究所で、いままで全然遺跡の知られておらなかった豊浦の村の小治田宮と推定しているところを掘りました。昨年の当初に村の人と交渉しておりまして、私たちは先祖代々このたんぼを耕しているのだから、そんなところから何も出てくるはずがないんだということをたびたび言われました。でも少し掘ったら石が出るでしょうと言っても、そういうものはないというお答えだったのです。ですが、ともかくそれじゃしかたがないから掘らしてやろうということで、ようやく掘らしていたださましたら、昨年、やはりここからS字型にめぐりました苑池といいますか、そういうみぞのようなものが出てまいりました。その中から飛鳥時代の単弁の、非常に珍しいせんなども、敷がわらだと思いますが、そういうものも出てまいりました。ここでやはり土地の人も予想もしてなかったものが出てきたということであります。  それからまた、その後この雷の丘のすぐそばで、飛鳥浄御原宮と書いたところでつい最近、本年に入りましてから宅地造成が行なわれました。それの事前の調査をいたしましたところ、そこからもやはり掘っ立て柱の建物が出てまいりました。それから和銅くらいの鬼がわらと、それから軒を飾ったかわら類が出てまいりました。こういうことは、ここは、浄御原宮といいますと歴史的には天武、持統天皇の都のあとでありますが、その端っこと思われていたような地域にまで、その地域に入るか入らないかというようなところに、それより時代の少し下がった和銅ごろのいろんな建物が出てまいったわけであります。でありますから、この地図の裏面に何とかの宮というふうに表現しておりますところ以外にも、その当時、七世紀から八世紀にかけての豪族の邸宅、そのようなものがいろいろここに埋まっておるのだということが、いろんなことではっきりいえるのだと思います。ただ現在のところ、その地域をまだごく一部しか発掘できておりません。ところが地元の人には、先ほどちょっと豊浦で申しました小治田宮のように、私のところには何も出ないんだ、先祖代々耕しているんだからと言われますところでもそういうものはいろいろ出てまいりますし、そのほかに、こういう広大な地域であってたいへんなことでありますけれども、これを調査すれば日本の古代の歴史が、一つずつ薄皮をはぐようにベールをはいでいけるというふうな感じがわれわれにはいたしております。  今日、いろんなことでだんだんと飛鳥が破壊されつつありますが、それに対しまして、われわれの調査能力の非常に遅々としておるということを悲しんでおるわけであります。でありますが、諸外国でも百年、二百年とかけて営々として発掘しておられる遺跡がありまして、それを何とか後世に伝えるというところがたくさんございますので、あわてて掘ってしまうというよりも、日々技術が進歩しております、一方において学門の進歩とともに、さらによりいろんなことがわかっていく日が来るものだというふうに私ども期待しておるわけであります。しかし、何はともあれ、そういう地域が現在のようなブルドーザーあるいは高層建築を建てるための事業をするというようなことによって破壊されてしまっては、これは今後の科学技術が発達した時代を待っているわけにいかないという問題がこの地域に残っております。そういう点で、一日も早くこの地域全体が何らかの形で保存できる日の来ることを切に望んでやまないものであります。(拍手)

久保田円次自由民主党

○久保田小委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。川村継義君。

川村継義日本社会党

○川村小委員 門脇先生、きょうはどうもありがとうございます。坪井さん、どうもたいへん御迷惑です。ただいま先生の御意見を拝聴し、また研究所の部長さんのお話を聞きまして、三点ばかりあわせて御意見をいただいておきたいと思います。  私がくどくど申し上げる必要ございませんけれども、まあ文化財保護に対する国民の関心というものは近年急に高まってきておる、そのように私どもは受けとめております。また、戦後たいへん立ちおくれておったといわれた政府の文化財保護に対する施策が大きく前進をする姿を見せておる、私はたいへん喜んでおります。ただ、今日の産業振興あるいは国土の開発というような問題とからんで、文化財保護がいろいろの難関に遭遇しておることもいなめないようであります。この文化財保護という立場から見て、特に最近、飛鳥、藤原の地域の文化財保存に対するそういう世論が高まったことは、たいへん喜ばしいことではないかと考えているわけであります。  御承知のとおりに、文化庁のほうも、今年度、文化財保護の推進というような考え方に立って、昨年度よりも相当大幅な四十四億六千万にのぼる予算を組んで、その前進をはかっておられます。そのうちで平城宮あとの保存整備についても、相当の予算が増額されております。特に初めてことしは、飛鳥、藤原宮のあとの保存整備ということで四億九千万余りのお金をつけて取り組んでいかれるわけでありまして、いよいよ四十六年度から飛鳥、藤原宮あとの文化財の保存整備に本格的に取り組まれた、こう言ってもいいと思います。ただ、ことしの飛鳥、藤原宮あとの保存の整備計画の内容は、土地の買い上げというのが相当大きなお金を占めておるし、その中でいま一つは、資料館の設置というようなことに手をつけられることになっておるようであります。で、いまもこの飛鳥、藤原地区の文化財の価値というか、あるいはそれが日本の歴史の中において考古学から見てどういう重要な意義を持っておるか、たいへんありがたい貴重な御意見をお聞かせいただきました。  ただ、私たちが実は現地に行ったときも、わずかの日数の現地の調査でありましたから、はたして考え方が妥当であるかどうかわかりません。それにしましても飛鳥、藤原地区のこの埋蔵文化財を中心とする保存ということは、なかなかたいへんな仕事ではないか、いろいろの障害がこれはあるだろうということを感じておるわけであります。申し上げるまでもなく、飛鳥、藤原地区には、確かに万葉の昔をしのぶことができるであろう飛鳥の三山をはじめ、そのほかのたくさんの景観が存在しておる。これはほんとうによくもまあそういう姿が残っておったと、こういう感心させられるようなものがあるようであります。また、いまもお話がございましたように、埋蔵文化財が非常に豊富であるというようなことも指摘できると思います。何とかしてこれを保存をしたい、これはおそらく文化庁はもちろんのこと、全国民の願いではないかと思います。しかし、そこには、これも当時からいろいろと論議されておりますことであるし、まあ文化財保護審議会のほうの見解としても、あるいは風土審の見解としてもなかなかかみ合わなかったような状態を考えてみましても、住民の生活というものを考えなければならない、あるいは経済の発展の波がどうかぶっていくか、それにどうこたえていくかという問題も考えなければならない。また、文化財保護といっても、地域開発の願いというそういう宿望というものもやはりまつわりついておるようであります。やはりこれらを考えていくときに、なかなかたいへんな大事業ではないかということがいえるわけであります。飛鳥の前の村長さんあるいは現在の村長さんあたりが、古代の飛鳥は国の財産だ、開発の魅力を振り切って文化遺産を守り続けねばならぬ、私は、たいへんな決意を持って今日まで飛鳥の村を、あの文化財を守ってこられたと思って、敬意を表しているわけであります。  そこで、私たちが調査に参りましたときに、奈良県の皆さん方から、一つの方針として飛鳥、藤原地域の総合保存開発構想というものを示してもらいました。その中に、保存ということと開発ということと生活ということを三本の柱として保存開発構想を策定していると説明をいただきました。なるほどねらいは私はたいへんいいねらいだと思いますけれども、先ほどもちょっと触れましたように、一体具体的にどういう対策を進めていかねばならないのか、奈良県の皆さん方が願っておられるようなこの三本の柱というものが一体可能なのかどうなのか、飛鳥文化保存の目標はどこに置けばいいのか、たいへんわれわれも実は頭がこんがらかって、ぴしっとしたものをよう見出し得ないでいるわけであります。申し上げるまでもなく、古都保存法が適用されておるあの地域の奈良であるとか鎌倉とかいうところの問題を考えましてもいろいろな問題が起こっているわけでありますが、そういうようなことをあわせ考えながら、飛鳥の文化財、特に埋蔵文化財というものの重要性を考えれば考えるほど、どのようにこれを保存していくか、その対策をどう進めていけばいいか、これはただ文章の上で書いただけではどうにもならぬというような気がいたしております。  少し、前にかってにおしゃべりし過ぎて失礼でございましたが、実は私たちは、文化財保護審議会から昨年答申いただきました答申案も拝見いたしておりました。まあ答申に書いてあることも理解できるわけでありますが、また答申もそういう点でよく検討されておるように受け取っております。しかし、まあひとつきょうは、そういうような何か非常に大事であればあるほどその対策は慎重で、しかもあやまちのないようにせにゃならぬというような気持ちでございますから、飛鳥・藤原文化に対する保存というもののねらいを一体どこに持っていって、どういう具体的な方策を進めていったらいいかどうか、その辺のところをひとつまず先生からお聞きかせいただければ幸いだと思います。

門脇禎二奈良女子大学教授

○門脇参考人 ことに具体的なねらいとか具体的な方策ということは、私ども、それはもちろんなかなかないわけでございまして、見出しにくいわけでありますが、歴史的風土審議会あるいは文化財保護審議会の答申、ああいったもので御指摘のとおりに地元住民の生活というふうなことは一応方針としてうたわれておりましたけれども、実際の事業が動き始めますと、いわゆる回遊歩道とかあるいは歴史資料館、こういうようなことがどうしても初年度としては出てきておりますので、その辺のところ、具体的に実際どうなのかということで非常に疑問が出ておるということは私ども聞いております。  そういうふうに聞いておりますが、先ほど最後にちょっと私申し述べましたのは、たくさんの人が見に来ておるわけですが、何といいますか大きなバスをむやみやたらに乗り入れたりして、そういう点で非常に無秩序なそういう見学が出ておりますので、やはり私どもとしては、ある程度この地域の全体的な保存というふうなこと、これがまず一つ必要じゃないか。  それからもう一つは、これは私ども軽々に言えないことですけれども、農業規制とかそういったもので、これは大きな工場とかそんなことはもちろん初めから考えられないわけですけれども、よく現地で問題になっておりましたビニールハウスとか現在の明日香村でやっておる程度の小規模経営のそういったものは、それほど神経質になる必要はないのじゃないか。ですから、景観変遷といいましても、山を削ったりそういう大きな変化というものは、これはもちろん厳に避けていただかなければ困ると思うのですけれども、その辺のところであまりに規制面ばかり表面に出るということは、むしろ非常に心配しておるわけです。ただ積極的に、それではどことどこをどうするかというようなことは、この点ではとても私などは言えないわけですが、それは何よりもまず調査が非常に行き届いておりませんので、いまお話にありました一つの宮あとにしてもどの範囲であるかとか、それから事前調査自身も十分に進んでいない、またできていないというのが現状でございますから、どうしても現在のところでは、まずそういう史跡なりあるいは調査の必要という可能性のあるところは、少し事前にその辺のところの保存措置を講ずるというところにどうしても目がいってしまう、そういうのが現状でございます。

川村継義日本社会党

○川村小委員 お話にもございましたように、この地域の文化財の研究ということになりますと、どうしても発掘調査、それが歴史的にもあるいは考古学的に見ても最も重要であるし、先行されねばならない問題であろうと思います。しからばそのような文化財をどうして保存するかという一つの課題が、やはり考えられねばならないと思います。  そこで先生もお話しのように、またわれわれもあとで新聞を見たのでありますが、急に政府関係やら何やらが現地を訪れたということが一つのブームをあおったのでありましょうか、ことしはえらい飛鳥の観光ブームみたいな状態をなして、たいへんな騒ぎと言ってはおかしゅうございますけれども、文化財が荒らされる。特に石舞台なんかのところは全く、観光に行った諸君の手洗いの設備もないので、やたらめっぽうに不潔な状態にしてしまうということが新聞等に報じられておりました。確かに私たちは、風土審の答申があったときにも実は批判をしたわけです。一体飛鳥を観光地にする考え方で取り組んでおるのか、そういうことはよほど気をつけねばならぬ問題ではないか。かといって、私は、何も国民が飛鳥を訪れることに反対をするわけではありません。そうなると、先生の意見のございましたように、これはよほど、資料館をつくる場所にしましてもあるいは埋蔵しておる文化財をたずねる方法——バスなんか絶対使わぬとか歩いていくとか、やはり何かそういうことを綿密に計画しておきませんと、せっかくの文化財が荒らされてしまうというような懸念があるのではないか、そういうことを、現地をたずねたときにも、その後の状態を聞くにつけても心配をしておるものであります。  そこで、こういう点につきましては、専門でございます文化庁あたりが鋭意努力をして計画を立てていただく、あるいは奈良の国立研究所あたりでひとつ十分研究、計画を立てていただくことになるだろうと思いますが、せっかくのこういう貴重な文化財が、ほんとうに学術的にも大きな成果をおさめると同時に、それらが保存され、しかも明日香の村民がほんとうにそれを歓迎するような方途というものを見出していきませんとならないのではないか。すぐお隣まで、橿原市の近郊には住宅がぼんぼん建っておる。やはりあれなんかを見ておりますと、おそらく明日香の村民だって、おれのところもあんなのに売り払うとずいぶん高くいくのじゃないかなんて、人間らしい欲望がくると、せっかくの地域指定もたいへんな混乱におちいるということなどがあるのではないかと、しろうとでございますけれども、そういうことを心配しているわけであります。したがって、この文化財の発掘調査という学術的に重要な仕事はもちろんのこと、埋蔵文化の保存、そういう点につきましては、これはひとつ文化庁のほうで十分検討してもらわねばならない課題だと思っております。  それから第二に先生の御見解をお聞きしておきたいと思いますことは、実は現地を訪れましたときに、奈良県庁及び教育委員会、各方面からいろいろの御意見をお聞きしたわけでありますが、特に飛鳥の文化保存ということになると、やはり一つ一つを文化財と指定するのではなくて、総合的に、言うならば飛鳥の景観、自然も含めた指定というようなことを考えなければならないのではないかというのが一点のように記憶します。それから、埋蔵文化を発掘、調査、研究していくには、やはり現在の文化財保護法ではどうしてもうまくやれないところがある中で、特別のかくかくの立法をぜひしてもらいたいという要望がありました。久保田小委員長もそのときにいろいろ意見を聞いておられましたが、ぜひそういうように努力をしたい、こういうことをお答えになっております。また、この文化財保護審議会の答申の中にも、いろいろ具体的な方策を述べられた最後に、「保存対象区域の保存・整備・活用について総合計画を立案し、その計画および実施が一体的に処理され得るような措置。」を講ずるためには、「法的に裏づける新たな立法措置を講ずることが適切であると認められる」というような意見等も実は出ているわけであります。何かそういう特別の立法を必要とするのかどうなのか、先生及び部長さんのお考えをこの際ひとつ御披瀝いただきたいと思います。

門脇禎二奈良女子大学教授

○門脇参考人 飛鳥、藤原の保存についての委員会の答申段階では、いわゆる特別立法の問題は私どもよく承っておりましたのですが、いま御指摘の点につきましては、やはり面の保存と全体的な保存という点では特別立法というものでないと——そういった方向で御検討いただくのがよろしいのではないかというふうに考えております。  なお、その辺の具体的な個々の遺跡の場合にどういう法の適用になるのか、その辺のところは、私より実際にそういったものに触れられておられます坪井さんのほうが、より具体的につかんでおられるかと思いますが……。

坪井清足奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長

○坪井説明員 ただいまの御質問にございましたように、この裏の図面にもございますように、それぞれの遺跡について一応こういうふうに、この範囲にこういう遺跡があるということを掲げておりますけれども、これでごらんいただきましても、だいぶまだ飛鳥全体の景観というものに関しましては空白のところが残るわけでございます。先ほど申しましたように、そういう空白の地域と思われるところにも実は掘ってみるといろいろなものが出てまいりまして、それが総合的に保存されなければわからないという面があるわけでございますが、現在非常に徴証のない場合には、その点行政的に非常に埋蔵文化財のいわめる周知の遺跡という形で押えられるのは、この範囲にいま書いてある部分ぐらいのものだということでございまして、それでもまだいろいろと空白に、ブランクに残るところが出てまいります。  ところが、実はこの飛鳥につきましては、この藤原宮を含めました範囲というのは、この飛鳥を中心にしましたところには石舞台のような非常に大きなお墓もあるのでありますけれども、奈良県のほかの地域と比べましてここは非常に古墳の少ない地域であります。最近そのことについて京都大学の岸教授も指摘しておられますが、そういうものがやはりないということが飛鳥の特徴でありまして、そこに天皇の生活される宮のほかにいろいろな古代豪族がその辺に住居地をかまえておって、それが一体として京になるというような、藤原京あるいは平城京のように秩序正しい都というものがまだできる以前の、いささかこんとんとした、カオスのようなものでありますけれども、そういう地域の都としての飛鳥というものがどうもこの地域全体の中にあったというふうにわれわれは考えざるを得ない状況にあります。こういうものは、個々のわれわれが現在の資料から推定できる何々の宮とか、あるいは何とか寺のあと、あるいは何とか神社のあとというふうなものだけを指摘しておったのではいけないのでありまして、飛鳥全体のそういう立体的な空間としての価値というものの中からその歴史のいろいろな動きが出てまいるわけであります。たとえば飛鳥寺の場合には、そこへ大化の改新のあとで中大兄を主体としました軍勢があの飛鳥寺に立てこもるわけであります。これは蘇我氏の蘇我蝦夷と戦うための戦いをそこでやるわけでありますが、そこの陣地としたわけであります。その陣地がいまわれわれが甘橿丘と呼んでおる付近にあったというふうに考えておるのでありますが、この中間が抜けたりしますと——この間がやはりそういう歴史の場としては一体的なものであった。その間にいろいろな構造物がつくられるということになれば、その歴史の意味合いが全くなくなってしまうのではないかというふうにも感じておるわけであります。  ところが、先ほど観光面で取り上げられましたが、最近の状況をざっくばらんに申し上げますと、道路を四十六年度にすでに拡幅するというような予算がついておるわけでありますが、これは実は観光面ということで村の人たちも納得しておるわけであります。これは桜井から下市へ通り一番簡単なバイパス的なものになるわけであります。この両者には大きな木材市場がありまして、現在あの狭い飛鳥の道ですら、相当大きな材木を運ぶトラックが相当数入り込んでまいります。それで、こういうふうな道路がよくなれば、いままで飛鳥で想像もしなかった交通公害というようなものがこの地域にまで持ち込まれる、しかもこれは生活道路として、桜井から南のほうへ抜けるルートとして活用されようとしておるわけであります。といって土地の人々にとってみれば、交通事情が悪いということが自分たちの地価を押えておる一つの要因だというふうに考えておるわけでありまして、その辺がなかなかうまく調整がつかないわけであります。  もう一つ、平城宮がいまから十年ばかり前に問題になりました。飛鳥が今日問題になってまいりました。この点につきましては、平城のあそこの地域、西大寺の一角が、電車で通いますと大阪から大体三十分圏に属しているわけであります。この橿原が四十五分圏に属しておる、そういう大阪を中心とした都市化というものがここへ押し寄せてきておるという問題と密接に関連しているというふうに考えております。

川村継義日本社会党

○川村小委員 いま部長さんからお話がありましたように、飛鳥を文化地域である、あるいは埋蔵文化が多い大事な地域であるということで、道路もつくってやらぬでただ押し込めてしまう、これはとてもできっこないことでありますから、そういう問題と先ほど私が申し上げましたようなことは、十分ひとつかみ合うように検討せなければならぬ課題がやはり残されておるものだと思います。この法改正が必要であるかどうか、これは実は時間があれば、文化財保護法のいまの条章と照らし合わせて、この飛鳥、藤原地域の文化財保護についての考え方というものが検討されねばならぬと思いますが、きょうはほかの委員の先生方も門脇先生に対するお尋ねがございましょうから、きょうはこのことは省かせていただきます。  そこで最後に、門脇先生に文化財保護行政に対する全般的な御所見をひとつお聞かせいただきたいと思います。  飛鳥、藤原だけの問題でなくして、最近は福岡の沖島の遺跡の重要性が急に高く出てまいりました。この沖島も、おそらく文化史的に見てもあるいは歴史学的に見ても、非常に重要なものを持っておるようであります。特に当時の国際的に見たときに、たいへん大きな意義があるようでありますが、こういうような遺跡の調査、保存ということもまた考えねばならないと思います。さきには、ちょっと問題になっておりましたけれども九州太宰府の遺跡の問題、これは少し住民との間にごたごたがあったようでありますけれども、こういうような問題等、ほんとうにこれからは手をつけていかねばならぬものが、急に大きくクローズアップしてきておるかと思います。そういう意味で文化財保護行政に対する全般的な御所見をお聞きするわけでありますが、昨年、文化庁が「文化財保護の現状と問題」ということで発行されました、これに詳細にいろいろと標題を掲げて、一つ一つ当面する問題点ということで解説がしてございます。  たとえば第三章の「記念物および埋蔵文化財の保存」という章では、「当面する問題」として数項目の問題点をあげて実は指摘をしてございます。これは非常に大事な資料であると私は思っております。ところが、これが発行されたあとでいろいろの批判を実は呼んでいるようです。その一つには、「指定すれど援助なし」、特に「哲学なき行政こそ問題」だというような見出しで、この「文化財保護の現状と問題」の内容に触れた批判的な解説が発表されておることも、あるいは皆さん方も御存じであると思います。いろいろのことが解説されておりまして、いま私が一々それを指摘する必要はございませんが、何しろやはり日本の文化保護あるいは文化財の指定、援助、そういう問題からして幾つかの問題が残っておることがいえるのではないか、このように思うわけであります。  その中に一つ、こういうことばがあります。「だれのための保護」なのかということで、「文化庁が三十五年から三カ年計画で行なった遺跡調査で、全国の遺跡は十四万個所と推定される。そのほとんどが“凍結保存”、また天然記念物も“放置保存”だ。」と、えらい極端に文化庁がいやがるような表現でありますが、「本来、学術調査によってこそ遺跡を保存する価値も出るはず。ところが、戦前から名勝や庭園と一緒に考えているように、調査より“鑑賞”が優先してしまった。ただ、ながめるだけで保存する価値があるというわけだ。最近、文化庁が熱をいれている「風土記の丘」も同じ考え。環境を整備した一種の史跡公園である。イタリア、ギリシャなど歴史の古い外国では積極的に学術調査が進んでいるというのに、わが国では天皇陵の発掘調査すらいまだに許さないという現実もある。」ということで、こういうようにずっと「だれのための保護」かということで批判的な解説が発表されております。  そこで、先生はいろいろと御研究いただいておると思いますけれども、文化財保護行政に対する全般的な先生のお考えをひとつお聞かせいただくと同時に、私は、奈良や飛鳥、あちらに行って広大な仁徳陵などを山の上から説明を聞きましたが、これは小さいときから写真でもよく見ているところです。仁徳陵などというものは一体発掘してみたらどうか、こう思ったりしておるのですがね。私はああいうものをほんとうに発掘調査ができたら、学術的に実に貴重な資料を与えるのじゃないかと思ったりしております。これはおそれ多いということではいまは通用しないんじゃないかと思いますが、とにかくそういう点を含めて、文化財保護行政全般に対する御所見を最後に先生からお聞かせいただきたいと思います。

門脇禎二奈良女子大学教授

○門脇参考人 たいへんな問題ですが、一応意見を申し上げてみたいと思います。  文化財の保護というのは、私、古いものをただ守るということではなくて、その時代時代に応じた新しい意味を、常に時代とともに発見していくということが非常に大切ではないかというふうに感じておるわけです。その場合に、その新しい意味を発見していくということは、これはやはり人々が文化財に何を求めるかということでありますが、その場合に、ただ、やはり的確な根拠が要るわけでありますから、その点でやはり学問的な調査ということがまずどうしても前提にならなくてはならない、この点がまず第一点でございます。ですから、その点で実際、これはわが国の文化財あるいは遺跡、こういうものは、その発掘を含めまして調査というのは必ずしも十分ではないわけでありまして、今後もそういったことが非常に重要であろうというふうに考えておるわけです。  それから、もう一つの最近の特色は、文化財の保護といえば必ず一つの住民運動を伴わなければなかなか守りにくいということ、これはまた問題が必ず住民運動と結びついてきた、一種の市民運動的なそういうものと結びついてきたのが最近の一つの特色ではなかろうかというふうに考えております。そのことの意味は、やはり片一方で非常に都市化が進みますから、人々が文化財に求めるものが非常に人工的な施設とかそういうものではなくて、やはり歴史の重みに耐えてきた本物のよさといいますか、そういったものと、それをとりつつも一つの自然環境、歴史的な環境、こういつたものに対して人々が目を向け始めておるというふうに思うわけです。ですから、そういう点では、やはりこれはなかなかたいへんなことでありましょうけれども、行政としてはやはり国家的といいますか、かなり体系的な、全体的な見通しと、それからその地域地域のそういった文化財との関連、そういったものをもう少し系統的に立ててもらいたいというのが私どもの希望であります。ですから、そういう点で、いま御指摘のように後手後手に回るということがどうしてもありますので、一つの先取りした体系的な見通しといいますか、そういったものがほしいというふうに思います。  それからもう一つは、文化財というものは、先ほど沖島の例をあげられたわけでありますが、確かに、昔からの日本の歴史の組み立て方というものが、特に日本の歴史とか日本の伝統というものが、むしろ非常に国際的な契機とか国際的な関連と断ち切るところに特殊性を見出していこうという、そういう傾向が非常に強かったわけでありますが、そういう点で文化財の、あるいはその歴史のつかみ方そのものが、やはり古代国家の形成の時期から非常に国際的な内容というものを内面的に取り込んでいく、そういう観点というものが非常に要求されてきておるわけです。ですから、この点は、特に若い人の歴史意識というふうなものにとっては今後ますます重要な観点ではないか。したがって、先ほどたまたまあげられたわけでございますが、沖島なんかの資料も、単にこれは日本文化とのかかわりというようなことではなしに、朝鮮を通してアジアとの国際文化の交流といいますか、その要素の流入、こういった点とのかかわりが出てくるのではないかと思います。  それからいま一つ、最後にお触れになりました天皇陵の発掘の問題でございますが、これは私ども承知しておりますことでは、やはりこの前の終戦直後の数年間の時期にもそういう意見が出たことを思い出します。ただ、その場合に私は二つのことを感ずるわけでありまして、一つは、これまで特殊に保存されてきたそういうものをいまやらなければどうしても解けない、逆に言うと、それをやれば非常に大きくその時代のことが解けるというようなそういう場合と、それからしいてそれを掘らなくても、あるいはしいてそれに手をつけなくても、周辺の類似の調査でかなり解明されているという点がありますので、それはかなり個々の事例についてケース・バイ・ケースの問題になるのではなかろうかということと、それからもう一つは、そういうふうに申しますのは、やはり特に遺跡というものを見るときに、これはたとえば何か学問的な分析とか調査というものと、それからいわゆる国民が文化財に対していわば社会通念的に持っている印象と、この辺のところの不要な分裂といいますか、不要な対立はできるだけ避けたほうがいい。たとえば具体的に申しますと、これは私どもよく学生に教えることでありますけれども、お寺の彫刻、仏像を見に行きましても、これは単純に美術品として見るか、信仰の対象として見るか、こういう見方の問題がありますが、まず拝見するときには一応手を合わせてから拝見する。また、宗教的にそのことによって今日まで保存されてきた面が非常にありますので、そういうなぜそれが今日まで保存されてきたかという点につきましては、やはりそういう先人の方に対する感謝といいますか、そういうものをつまり織り込む必要があるだろうというように考えますので、そういう事例に即して申しますと、やはり社会通念とそれから科学的な分析対象というものとの間、これもそういったことをよく押えて取り組む必要があるだろうというふうに思っております。  なお論点はかなり落ちておるかもしれませんが、一応申し上げてみました。

川村継義日本社会党

○川村小委員 どうもありがとうございました。  これで終わります。

久保田円次自由民主党

○久保田小委員長 山中吾郎君。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)小委員 一点だけ、重複しないようにお聞きいたしたいと思います。  お二人の先生から非常に参考になる貴重な御意見をいただいたのでありますが、それを基礎にして飛鳥の文化財というものについての特殊性がよくわかったので、飛鳥の特殊性に基づいた特別の保護のしかたというものをわれわれが検討して、それで国会においてその飛鳥の文化財に合うような保護対策を立てるのがわれわれの任務でありますので、そういう立場でお聞きしておきたいと思うのです。  それで聞いておりますと、門脇先生のお話の中に、飛鳥というものは日本の古代国家、統一国家の形成過程を示すものとしての意義と、それから文献と考古学の接点として重要な学問的な研究の対象になる、さらにそれを、周辺を取り巻く自然環境というものを含んで全体として特殊な文化財価値を説明されたので、私もすっきりと飛鳥というものの価値を頭に入れたわけであります。そういう中から文献主義の日本の歴史が、何か正しい史観が生まれてくるような感じがしまして、やはり国会も真剣にこの保存を取り上げるべきではないかと思ったのでありますが、そういう特異性を考えたときに、やはり特殊な保護のしかたを研究すべきではないか、そういうように私は思いました。  そこで、こういうことはどうでしょうか。この飛鳥文化財を総合的に保護する計画、たとえば総合保護計画といいますか、そういうものを間違いなくまず立てる必要があるのではないか。そのとき、歴史学者の先生のほかに政治学者、生物学者、建築学者その他いろいろな学者が、専門専門の立場で飛鳥に向かって研究をする、そういう中から総合的にこの地域全体を、いま先生おっしゃった新しい夢を養うという意味を持った計画が必要じゃないか。個々の学者が研究するのでなくて、研究体制というものをつくったらどうかという感じがするのですが、この点、いままでそういう体制ができて行なわれておるのか。これは文化庁がむしろ音頭をとる問題だと思うのですが、その点いままであったかなかったか、あるいは御意見を、われわれが今度審議する参考にお聞きしたい。

門脇禎二奈良女子大学教授

○門脇参考人 御指摘の、いろいろな歴史や文学だけじゃなしに、総合的な研究体制はどうかというお話でございますが、実は私も同じことを前から申してまいりまして、あまり大きなものじゃございませんが、特にたとえば農業の専門家とかそういうようなものまで含めまして、これは大きなものは存じませんが、ただ私どもの大学で、これは十二の大学が一緒に入っております科学研究費で特定研究をやっておるのがございます。その中に、私どもの大学で分担して飛鳥を中心にいま進めておるところでございますが、これは私ども歴史のほかに、地理学、社会学、特に最近のつまり近郊農村の変貌と申しますか社会学、それから家庭経営学、それから建築学、そういう方々が本学の教官を中心に周辺の地域をそれで少し多面的に追求してみようということで、小さな計画でございますけれども、そういう十二の大学の連合の特定の研究の分担のテーマとして、そういうことを試みかけております。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)小委員 同じようなことを考えられておられるので非常に意を強くしたのですが、文化庁長官、お聞きになっておるのですが、そういう総合的に体制をつくることについて御検討願いたい、これは要望だけしておきます。単に一大学だけでなく……。  そういうときに、こういう地域が全体として聖地と言ってはことばは悪いのですが、少なくとも経済合理主義を克服して、計算を克服した、とにかく文化を保護するという意味において別な保存の原理というものが支配するような地域、それを聖地といえば聖地といえると思うのですが、そういう観念をつくらなければなかなか保存はできないんだ、たとえば結果論からいえば、一千万の人口を有する東京都に経済合理主義の入る余地のない聖地としての宮城があったために、現在は、結果論的には、東京都の都市の体制をあの宮城があることによってようやく保持できるというものが出ておる。私は、そういう意味において、合理主義が入らない地域を文化財保護の対象の地域として保存することが非常に重要ではないかということを最近感ずるのでありますが、そういう意味においてどうも特別立法が要るのではないだろうか。現在の文化財保護法では保護し切れないような感じがしておるのです。  そこで、先ほどお二人からお話があったのですが、やはりそういう立場からも、御研究になった結果に対して全体として保護するために、特別立法が要るというようなことについても積極的に御意見を——奈良の知事だけが出すのでなくて、皆さんからも、総合保護計画の中から特別立法の必要性その他について、積極的に発言を必要ならばされてはどうであろうか、非常に遠慮がちにお話しになっておるようでありますから、必要ならば科学的根拠から出されたらどうかと思いますが、坪井部長の率直な御意見をここで参考に聞いておきたいと思います。

坪井清足奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長

○坪井説明員 いま御指摘のありました問題につきまして、飛鳥に最近取っ組んでおりまして特にそう感じておるわけでございますが、先ほどちょっと申しましたように、十年前に平城宮が対象となりましたのは、飛鳥に比べまして大字が一つ、いま佐紀町と呼んでおるところでございますが、最近東のほうが広まりまして法華寺町、いずれにしましても奈良市の市域に含まれておる一つの自治会、町会程度の範囲の地域が対象になったわけであります。面積的にはそれが決して小さくなかったわけでありますけれども、そういうものでありますと、何とか現行法である程度のことができた。ところが飛鳥の問題になりますと、主として明日香村でありますけれども、橿原市、さらには桜井市を含めた広域の地域でありまして、現在そういうそれぞれの地域の自治体のエゴみたいなもののぶつかり合いも、われわれ現地では痛切に感じておりますし、いろいろな点で、またたとえば本年予算が、先ほど御指摘のありましたようなお金が、明日香村というような小さな自治体に——と言うと失礼ですが、入った場合に、村がほんとうにそのお金をもらうことによってどう破壊されてしまうかということが、非常に私ども心配なんであります。  実は平城宮趾の場合には、相当な範囲に十数億のお金で土地の買い上げが行なわれまして、まあしかし、先ほど御指摘のありました太宰府の土地の買収なんかをめぐりまして、そっちから調査に来られまして、平城宮の買収を受けた人たちの意見というふうなものも聞かれたわけでありますけれども、平城の場合、最近法華寺の買収価格と非常に大きな差がありまして、実は五倍ほどの差があるわけであります。ですから、いまになれば少し損をしたというふうな気を持っておる方がおられるかもしれませんが、あの時点においては非常に満足しておったわけでありまして、それが明日香でももうそれに近い状況でありますが、半分都市化しつつある。そういうようなところでありますと、農業をほんとうに続けていくだろうか。ざっくばらんに申しまして、いまわれわれが交渉に行きますと、お年寄りたちは、まあ家父長といいますか、おじいさんたちは、私は農業をやっていくんだということを言われるのですが、そこのむすこさん、あるいはまして孫の代にでもなりましたら、そんな土地にしがみついているものかということが実態であります。  平城の買い上げのときにも、その当時買収を受けた代金で一町歩ほど、さらに別のところに水田を買い求めた方もおられます。ところが、数年たたずにもうどこかよそに働きに出ておられまして、農業高校を出たんだからわしは一生百姓をやるんだという二十代の青年が、もうすでにそういうことになりまして、佐紀町で現在わずかに専業に農業をやっておられるというのは、あの辺でイチゴをやっておる人が二、三人と言えばちょっと極端かもしれませんが、そういう状況なんです。  明日香の村も、だんだんこういうふうにして、あっちこっちが買収されていくという状況になりますと、当然そういう問題が起こってまいります。そういう問題でいま門脇参考人からも御指摘がありましたように、農業経済の面あるいは地方の政治学的な形態がどういうふうになっていくかというようなことにつきましても、最近、飛鳥の保存ということで何がしかお金がどうも出そうだということになってから村の気風ががらっと変わってまいりまして、いままでの素朴さがなくなりまして、実は半分土地ブローカーになったみたいな気持ちの人が、たくさんうろうろ村の中を横行しておるわけであります。まあそう言ってはなんですけれども、わしにまかせておけとかなんとかいうことがもっぱらはやっておりまして、人心の荒廃といいますか、明日香の村の素朴さというものは、私、先ほど申しました昭和三十年代の初めに現地へ参って調査をしておりましたころと最近の地元の人たちと、全く考え方が変わってきているといいますか、周辺の都市化に人心が荒廃され、おかされているという感じがいたします。  こういうものまで含めて手当てしなければ、飛鳥というものの保存は当然できないのだと思います。これは文化財保護法だけでできる問題ではとうていございませんし、あらゆる面でそういう総合的な立法で強力にあの地域を、今後永久に保存するという方策を御配慮願えればというふうに考えております。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)小委員 よくその辺の事情はわかるので、したがって私は、地域ぐるみのこういう文化財保護の場合は、保護計画が同時に教育計画でないと成功しないと思っておるのですが、当局、それから教育界、専門家、住民が保存に対して理解とそれに対する意識の統一がなければ、単なる観光の材料になるだけで、せっかく保存というやつがいま言ったような退廃の原因になる。したがって私は、簡単にすぐ保存に着手するというふうな軽率な考えの前に、少なくとも先ほど言った総合的な、学者を中心とした保護体制をつくり、その計画ができると同時に少なくとも教育計画、啓蒙期間が要るのではないか。そこの小学校、住民、婦人、青年に対する社会教育講座から、あるいは小、中、高にわたる文化財についての正しい考え方だとか、あるいは自治体に対する考え方その他が、二年、三年のいわゆる啓蒙期間というか教育計画がないと私は成功しないと思うので、やはりこういう、もしこれを総合的に、しかも国会において立法措置も考えるという場合には、住民の参加と承認に基づいた保護といいますか、そういうこともひとつ一緒になって検討しなければならぬのではないか。あとでお聞きになっている文化庁次長のほうも、これは文部省がきょうはいないものですから、ひとつ御検討願いたい。  ことに全国の修学旅行が対象になるという、これは教育課程の一環になってくるのでありますから、重要な問題だと私は思います。文化財と観光と教育というものがいつも別々に行なわれておるので、文化財は観光の材料になって、文化財保護でなくて文化財軽視の思想が観光の中から出てくる。奈良を見ると、そのとおりになります。したがって、観光と文化財保護とその住民に対する、意識の変革はおかしいですが、教育といいますか、そういうものが総合的に行なわれるように検討しなければならぬのじゃないかと、私はきょうお聞きしておりまして痛感をしたので、そういうこともぜひ、われわれも検討しますが、地元の関係者の皆さんも御検討になって、適時適切に、われわれ組織しておる小委員会があるので、委員長あてでもけっこうでありますから、ひとつ御意見を出していただきたい。  私、お聞きしたり御意見を申し上げるのはこれだけでありますが、そこで頭に浮かんでおるのは、日本の正しい古代の国家形成、それがまた閉ざされた日本の中だけでなくて、アジアに開かれた舞台の中でアジア的要素があるとお聞きしたのですが、そういう全体というものがある中で再現できるとすれば非常におもしろい、地域そのものが教科書になるような感じがするのですが、ああいう古代の国家形成、文化形成を総合的に保存しようとする場合は、できるかできないかは別です、礎石を中心にして、土地の所有権その他はもちろん住民の協力を得て解決しなければならぬのですが、もしそれができるとすれば、その当時の建築その他を再現するということは、いいものか悪いものか私はわからぬものですから、どういうものなんでしょう、それだけお聞きして、終わりたいと思います。

坪井清足奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長

○坪井参考人 現状で確かに上にどういう建物が建っておったかということを復元して見せないと、一般の方になかなか御理解しにくいという点は多々ございます。ただ一方、ああいうふうな廃墟のあとはこういうふうなしのび方をするんだという考え方も、一方に、わりあい早くからそういう感傷主義的な見方もあるわけです。ただ一部の資料のあるものにつきましては、できるだけそういうものを復元してみたいというようなことも考えられるわけでありますが、下のその当時の遺構を傷つけずに、上にそれと同じだけのものをつくるというのは非常に困難なことでございます。一部そういうことも不可能ではございませんけれども、それの第一の試みとして平城宮なんかではいろいろ模型を、十分の一でありますが、構造的なことまで検討できる模型をつくったりしております。ただ、その地盤等にいまの礎石なんかが出ておりますが、それが相当風化したりいたんだりしておりますので、そのままということ、そのままに上へ木造のものをまた建てるということは非常に困難がありますので、どこか都合のいいところでそういうようなことがぜひあればいいと、私個人としては考えております。まあしかし、技術的に非常に問題がある。  それからもう一つ、飛鳥までいきますと、これはその上部構造がまだ学問的に解決してない問題がたくさんございまして、いろいろと遠望して大体こんな形だろうという程度の絵はかけるわけでありますが、現実に上ものを建てるということになりますと、そのデテールがどうしても資料が不足でかけないというようなものが出てまいるという気がいたします。たとえば川原寺の場合には、現在の知識で、ある程度復元的な、建物がどういうふうに配置されておったかということが推定できるのでありますが、飛鳥寺の場合には、これは中国、朝鮮にもそのような例はございませんし、まして日本では最古の建築というと法隆寺になるわけであります。でありますと、どう復元しましても何か法隆寺めいたものしかできないおそれがありまして、構造的に必ずしもあれが唯一の方法であったかどうか、もう少し大陸方面の、その方面の研究が進んだ上で解決するのを待ったほうがいいのじゃないかと思う点もございます。ですから、両様でございまして、飛鳥時代後半以降といいますか大化の改新以降の建築につきましては、現在薬師寺だとかあるいはいろいろな奈良に残っておりますものから逆に類推してほぼ間違いのないものがございますが、特に大化改新以前の建物になりますと、構造的な面にまでまだ非常に学問的にわかっておらない問題が多々ございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)小委員 わかりました。ありがとうございました。

久保田円次自由民主党

○久保田小委員長 門脇参考人には貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。  本小委員会といたしましては、参考人の御意見を、今後の本問題調査にあたり十分参考にいたしたいと存じます。ここに厚くお礼を申し上げます。  本日は、これにて散会いたします。    午前十一時四十三分散会

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