内閣委員会 第11号
- 発言数
- 71 件
- 登壇者
- 5 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1971/03/24
会議録
○天野委員長 これより会議を開きます。 文部省設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、これを許します。和田耕作君。
○和田(耕)委員 きょうは精薄あるいは情緒障害の人に対する教育の問題につきまして文部大臣にお伺いしたいと思います。 大臣、特殊学級をごらんになったことがありますか。
○坂田国務大臣 はい、見ましたこともございます。
○和田(耕)委員 特殊学級をごらんになりまして、どういう点を改善しなければならぬかというふうにお気づきになっている点があるでしょうか。
○坂田国務大臣 やはり先生方が特別の訓練と申しますか知識と申しますか、あるいは指導の資格を持たれるということが大事であり、同時にまた愛情といいますか、人間性豊かなそういうことがなければ、特殊教育はやれないという感じを持っております。私、実は二、三年前になりますけれども、三重苦の教育をしておりますパーキンスという盲学校を見まして、これはヘレン・ケラーの出ました学校でございますが、そこにおきます先生方あるいは保母さんというものは、全く宗教的な感じを受けたわけです。三重苦でございますから、ことば一つを発音するのに、何十回やらせてもできない。しかし、それができたときに、やっておられる先生が抱きすくめている。そして抱きすくめたときに、ああ自分はいまよく発音をしたということがわかって、またやり始める。そうするとまたわからない。何回かやっているうちに、ちょっと発音が、先生がおっしゃるようなことになると、また抱きすくめる。こういうことの連続繰り返しによって、あとで小学校教育、中学校教育、高等学校教育の資格を三重苦の子供でも受ける。私は、その意味において、資格も大事だけれども、同時に愛情というようなものを、あるいはそういうことに生きがいを感じて献身される先生、そういうような方が得られないと、やはり特殊教育は成り立たぬと思います。
○和田(耕)委員 非常に大事な点を、さすがに国の教育を預かる責任者でございます、はっきりと言い当てておられると思います。ところが大臣、私、選挙区は東京の四区でございまして、特に渋谷と杉並の特殊学級に通っている親御さんたちからよく話を聞くものですから、渋谷あるいは杉並の特殊学級の何カ所かを何回か拝見をしたのです。いま大臣がおっしゃったのと同じような感じを持つのですけれども、とにかく普通の子供とははっきり違った教育の場であるということの認識を、はたして現在やっておられる小学校、中学校で持っておられるのかどうか、あるいはその持っておられるような指導を文部省としてやっておられるのかどうか、こういう点も非常に疑いを持つわけなのですけれども、その点、どうでしょうか。
○坂田国務大臣 実は私も杉並のある特殊学級を見せていただきました。たしか区におきましてかなりりっぱな特殊学級の施設と設備をつくっておられる。ところが、私参りまして、ちょっとやはり先生の御指摘のような感じを持ったのです。というのは、兼任で主事といいますか分校長といいますか、そういうことをやっておられるのですが、自分はちゃんと学校を持っておられるわけですね。そっちのほうは一生懸命だけれども、こっちは腰かけという感じ——これは感じでございますけれども。そのときに父兄の方々が一緒に来ておられまして、短時間でありますけれども、いろいろお話をしたわけです。ちょっとそういうような、不十分というか不満な気持ちがあったように思います。これではいけない。これはやはり定員その他に問題があるのじゃないかというような気がいたしまして、この特殊教育等につきましては、文部省としてそういうような指導を全国的にやっておりますけれども、しかしやはりその都道府県の教育委員会あるいは市長村の教育委員会あるいは学校、その熱意があるなしで非常に違う。同じ条件のもとでも、やる気のあるところはかなりいっている。しかし、そうでないところは、全くいかがかと思うようなところがあるということでございます。 それでございますけれども、私たちのほうの教職員の配置は、昭和四十四年の法律の改正におきまして、大体、盲、聾、養護学校につきましては、一学級に八人、重複障害の学級が五人、特殊学級については一学級十三人、全国平均一人当たり児童生徒数が、盲学校は三・五人、聾学校は三・八人、養護学校が四・六人——精神薄弱が四・三、肢体不自由が四・八、病弱が四・二人。特殊学級全体といたしましては平均七・七人となっておりまして、諸外国の実態から比べましても、平均といたしましてはそう劣っておるというふうではございません。しかし、障害が重度化していく傾向もございますし、あるいは障害の特殊な程度によりましてはさらにきめこまかな配慮が行き渡るように、教員配置の面につきましても改善が必要ではなかろうかというふうに考えております。
○和田(耕)委員 初めにもう少し事実関係の問題をお聞きしたいのですけれども、大臣、この特殊学級に通う子供を持っておる親御さんが、子供を学級に通わす場合にどういう状態で通わしておるのかという問題なんです。一つの例は、東京で情緒障害、自閉症の子供を持つ親御さんたちは、大体、就学しているのが七十八人ですね、その中で三十八人というのですから、約六割ぐらいの人は親御さんがついていっているのです。朝八時半ごろから出まして四時半ごろまで子供について、そうしてずっと教育を見ておられるという状態なんですけれども、こういう状態を大臣御存じでしょうか。
○坂田国務大臣 一応知っております。
○和田(耕)委員 まだ若いおかあさんですから、その次の子供さんが産まれますと、その子供についているわけにはいかないということで、そういう場合は家計のやりくり算段をしまして、そうして学生にそういうことをよく話をして、ただで下宿をさせまして、学生がその子供について学校まで行っているというような状態も相当広く行なわれておるのですね。こういう状態も御存じだと思いますけれども、こういうような問題をいろいろ考えて、私まず第一に問題にしたいのは、特殊学級の先生の問題を大臣ぜひともお考えいただきたいと思うのは、現在、特殊学級の先生の資格というのは、普通の小学校の先生の資格を持った人でないとできないということになっています。この問題について、普通の子供と教える内容が全く違うと思うのですよ。特殊学級に行っている子供さんたちを教える教育の内容から見れば全く違うのです。全く違うのに、その学級の先生は、小学校あるいは中学校の教員としての資格のある人でないと先生になれないという厳然たる制度があるわけなんです。このあたりの問題を私何とか改革しなければならぬという感じを持つのですけれども、大臣どうですか。
○坂田国務大臣 大体先生おっしゃったように私も考えておるわけなんです。と申しますのは、日本には昔から盲とかあるいは聾、そういう単純な、盲は盲、聾は聾ということでございますと、かなりこれは教育方法も確立しておりますし、かなり行なわれてきておる。ところが、それが盲、聾のダブルハンディキャップになったり、あるいはまたそれに精薄が加わったりとなりますと、もう三重苦の子供はどうするのかということは手探り状況でやっておられるところもございます。たとえば山梨の盲学校等におきましてかなりやっております。しかしこれは手探りでございまして、まだ教育方法として確立はいたしておりません。それから自閉症とか情緒障害というようなことになりますと、どういう方法で自閉症をなおすのか、あるいは情緒障害をなおすのかということが、実はまだ未知の段階でございます。したがいまして、それを実際的に普通の小学校の先生に多少の特殊教育の資格を持った人が当たっておられるわけですが、実はそれはほんとうの自閉症あるいは情緒障害をなおす確信を持ってやっておられるとは言いがたいのではないかというふうに、卒直に私は考えるわけでございまして、そのためにも、私はいま御提案申し上げております特殊教育の総合センター、これは医学的な、心理学的な、教育学的なあるいは工学的な、あらゆる分野の学問を総合いたしまして、そうして教育の方法を見出し、あるいは社会復帰のための職業指導をどうするか、あるいは年齢的に見て、やはり小さい段階からこの教育をやらなければいけないのじゃないかというような意味で、この総合教育センターというものをつくりたい。現に始めておるわけで、そこで一つの教育方法を確立いたしますと、それを全国に普遍化していく。そうすると、その特殊教育に当たられる、情緒障害なり自閉症に当たられる先生の養成というものはどうするか。そのカリキュラムはどうするか。そうすると、その資格については免許状その他が変わってくるということでございまして、やはり基本はそこの総合教育センターの結果を待たないと、本格的なことにはならない。その本格的なことに取り組みたいと思っておるわけでございます。
○和田(耕)委員 その点は非常によくわかります。たとえば自閉症の問題にしましても、精薄の問題にしても、どういうような教育の方法をもってすれば効果があがるのかという問題についての検討は非常に大事なことだと思います。そういう点で、教える先生の資格等も考えなければならぬと思うのですけれども、何よりも先に、現在の状態からいえば、親御さんにとってみれば、そういうところに行かさなければならない子供を安心して預ける場所がほしい、しかもその場所の教育というのは、いろいろな読み書き、黒板に字を書いてわかる相手ではありません。あるいはものを話して理解する相手ではありません。その内容は、たとえば一緒に遊戯をさす。たま拾いをする。先生がたま拾いをしょっちゅうしてやらなければいかぬ。あるいはまたお掃除の体験をさす。お掃除のいろいろなことまで自分でやって教えてあげなければいけない。炊事の問題でもそうですね。そういうことが教育内容なわけなんです。つまり、どうすればこの子供をまともに近い子供にするかという問題のほかに、いまおる精薄あるいは自閉症、情緒障害の人たちを、安、心して一つの場で、いろいろな子供の特質をよく見て、そうしてめんどうを見てあげる。つまり高度な教育目的のその前の段階が非常に重要な問題なんですね。そこで、私、この間杉並区役所に行きまして、学務課長さんと話しておった。ちょうど大臣と同じことを言っておりました。つまり、自閉症の子供であれば、普通の先生よりはもっと高度な資格を持った先生が必要だ、それに違いない。しかしそう言っておって、その先生がいるかといえば、いはしない。またお金をたくさん出さなければ来はしない。したがって何にもできないんです。こういう状態なんですけれども、それじゃいけないと思うんですね。まず第一に大事なことは、そういう親御さんたちが安心して子供をまかせて、そうして遊ばしてあげて、あるいはいろいろな生活訓練をさせながら教育をする、高度ないろいろな教育の前の段階の状態を、親御さんたちは、非常に望んでおるということなんですね。そういう望んでおることに対して、これは非常に専門的な知識が必要だから、そういう人を採りたいと思うけれども、それが採れないんだ、それでしょうがないんだ、ここのところになっているのじゃないかという感じがするんですね。そういう問題だから、高度な教育目的云々の問題は別として、非常に重要なことで、やっていただきたいんですけれども、とりあえずたくさんのそういう特殊な子供たちに対して、親御さんたちが安心して教育さすような、その人たちを教育する、生活指導をする、訓練をする、こういう人たちが必要なんですね。その点大臣、どういうようにお考えですか。
○坂田国務大臣 非常に、お答えするのがむずかしい問題でありますけれども、一応私もそう思うわけでございまして、まず親御さんたちがこの特殊学級あるいはその他の学校施設にお預けになった場合は、とにかく自分がいなくても安、心なんだということがまず第一だというふうに思います。それから情緒障害等につきましては、たとえば漢字なら漢字を覚えるというのは非常に特殊に覚えておる人もいるんですね。ほかのこと、はあまりできない、ほかのことには全然、ことばをかけても返事もしない。しかしながら字を覚えるということは人より以上によく覚えるというようなはんぱな、あるところの才能だけが発達しているという、そこをどうするかということは、ほんとうにこれからの課題だと思いますけれども、まず生活学習が主体にならざるを得ないんじゃないだろうか。確立するまでは、ですね。実は私ごとでございますけれども、私の二番目の娘が教育心理をやりまして、特にその精神障害の子供並びにおとなまでを取り扱っているわけでございます。たまたまモダンダンスをやっておりまして、つまりからだを動かすことによって、踊りを踊らせることによってだんだん情緒障害を回復していくというテーマといま取り組んでおるわけでございます。でございますから、私は子供からいろいろ話を聞くわけであります。われわれ普通の人間が考えることのできないようなことでございますけれども、そういう踊りを何回かやっていると、いまだかつて笑顔を見せなかった中年の男の人が笑顔を見せるようになった。それでそのおとうさんが、踊りの発表会を見て、涙を流して喜んだということを言っておりましたけれども、何かそこに教育方法があるような気がいたします。そういうような子供を持たれたおかあさん方というものは、ほかの、身体的あるいは能力的に十分な子供以上にかわいい子供でございますから、そういうようなお子さまを預かる学校としては、やはり十分な配慮をしなければいけないんじゃないかというふうに考えます。
○和田(耕)委員 大臣はその状態はよく御理解いただいておると思うのですけれども、一つの特殊学級ですね、十人なら十人——大体五人に一人の先生が必要だという普通のあれから考えてみて、十人の特殊学級はあちこち多いようですけれども、十人の特殊学級に資格のある先生を二人置く、先ほど申し上げたような教育の内容から見て、そのほうがいいのか、あるいは、資格のある先生は一人にしてその助手を三人にするというふうにしたほうがいいのか、私は、はっきりあとのほうがいいという感じがするんです。その点、大臣どうお思いでしょうか、現在やっている教育の内容から見てですね。
○坂田国務大臣 先生のおっしゃるお気持ちはわかるわけでございますが、しかしわれわれのほうで取り扱うものといたしましては、やはり正規のやり方をやらざるを得ないんじゃないか。その点はもう少し検討してでなければ、それをくずすというわけにはいかないと思います。
○和田(耕)委員 おっしゃる内容は、おっしゃるとおりでよく理解ができるが、現在のところはやらざるを得ないという、つまりそこのところを、私はどうしても文部大臣に理解していただきたいと思うのです。つまり、教える内容は先ほど申し上げたとおり、たま遊びであればたま拾いであり、お掃除であればお掃除の見本も自分で見せてやることであり、炊事であれば炊事のいろいろなことを教えることであるわけです。高度ないろいろなことは言ったってわからない。こういう場で、たとえば同じ資格のある人が二人おって、そういうふうな相手を教育する場合、能率があがるかどうかということですね。つまり、教育中に先生がやっている主たる仕事は、たまがあっちへ飛んでいったら走っていって拾ってくる、そういうことなんです。そういうふうな問題を考えるから、私が普通の学級の子供の教育の場とはっきり違った考え方を持つ必要があるというのは、そこなんですよ。それは先ほど申し上げたとおり、父兄は約六割以上の人が、しかも相当の教育を持った人が、朝から晩まで子供についていって見ているわけです。あるいは人によれば、ボランタリーの学生を雇って、そういう学生が子供についていってやっているわけです。その人たちは知らず知らず、たまがころんでいけば拾ってあげるということをやっているわけなんです。つまり、特殊学級の教育においては、教育の一つのチームの中にそう人をはめ込んでいく。つまり助手なら助手としてそういうボランタリーな学生を、あるいは家の中の適当な人を指導の先生につけて、三人なら三人のチームを組んで特殊学級の子供の教育をしていく。問題は、大臣もさっきおっしゃったように愛情なんですね。ものを言ってわかる相手じゃないのですから。書いてわかる相手じゃないのですから。愛情ということになりますと、ただ資格のある先生を配置してあるから、それは国あるいは公共団体は十分やっておりますというのじゃ、この問題は事済まないのです、教育の内容からいって。そういうような面から見て、私はこの問題をぜひとも大臣、検討していただきたいと思うのですけれども、どうでしょうか。
○坂田国務大臣 その点は少し私と考えが違うかと思うのです。と申しますのは、同じたま投げや遊びをやりましても、多少とも特殊教育に理解を持ち関心を持ち、そうして特殊教育の学校の先生となられる方は、そういう眼で見ているわけです。普通の人がたまを拾ってくればいいというように、そうしてこれはだれでもいいとおっしゃいますけれども、そういうものじゃないのですね。やはり同じたま拾い、生活学習の中、遊びの中に、ひょっとしたところに実は意味づけがあるので、教育の方法があるので、それを重ねていくうちに、ひょいと情緒障害が直っていくというきっかけがある。そのきっかけを、何でもないようだけれども、その遊びの中にあるいはたま拾いの中に、遊戯をさしておる中に発見するという、そういう忍耐強い教育というのが特殊教育の特殊な教育だと思うのであります。でありますから、それは普通のずぶのしろうとではだめなんで、やはり教育者というそういう資格のある人、そうして少しでも何らかの特殊教育についての教育を受けた人のほうがいいということは言えると思います。私は、厳密な意味において、先ほどのような意味において、まだ教育方法は確立していないと申しますけれども、しかし、現場におきましてはやはり対象があるわけですから、この人たちをどういうふうに教育したならば普通の子供と同じように教育ができるかということについては、もう自分を犠牲にして相当打ち込んでやっておられる人たちもあるわけです。先ほど申しました山梨の盲学校の、十三年これに打ち込んだ人でございますが、その方なんというのは、最初はしろうとだったのです。しかし、現実にダブルハンディキャップや三重苦の子供をやってみてかなりの成果をおさめ、そしてそのことから、特殊教育についての研究をしておられる三木先生その他の大学の先生方とともに教育研究をやっていって、だんだん教育方法を日本的ではございますけれども一応見出しておる。ただこれが世界的に認められる段階ではまだないわけでございます。そういうことで、何にもやらないわけじゃなくて、かなりやっているところもあるというふうにお考えいただきたいと思います。
○和田(耕)委員 いま先生で、おっしゃるように非常に熱心な人がおります。私どもも大体三人くらいの先生をよく存じております。しかし、そういう人たちが大部分だとは大臣考えておられないでしょう。
○坂田国務大臣 私は、特殊教育におられる方は、大部分は非常に一生懸命、かなり意欲的にやっておられると思うのです。しかし、その中にはおっしゃるようにそうでもない人たちが若干おるというふうには思っております。しかし、これは実態的にどうなのか、私ども二、三の学校しか見ませんものですから、はっきりは申し上げられません。
○和田(耕)委員 そこのところが一番大事な問題なんですね。大臣は、大部分の先生は情熱を持ち愛情を持って何とかこの子供をよくというふうに考えて指導しておると思っておられるとは思うのですけれども、そこのところは大事な点ですよ、大臣。ぜひそういう問題を一ぺん直接、部下の人を連れないで、よく現場の先生と話し合ってもらいたいと思うのですよ。残念ながら、私が集めました資料では、大部分の人は、普通の子供の先生になりたい、話せばわかる子供の先生になりたい、しかしまあ月給も少しふえる、八%くらいふえるから、というような人が案外——全部だとは申しません、りっぱな人を私知っておりますから。が、多数の人がそういう人になっているのじゃないか。また八%加えるということが退職金の計算の上にも入るらしいので、退職まぎわの人が特殊学級の先生になっているという例が非常に多いということを私は聞いております。そういうことで、再び大臣にお聞きしますけれども、実情について大臣どういうふうにお考えになっていますか。
○宮地政府委員 いま先生のお尋ねの件でございますが、実は特殊教育学校と特殊教育学級とございますが、こういう特殊な教育に従事される方ですから、どなたも、普通学級よりは、自分はこっちのほうに興味と関心、経験があるのだという人、 一応一般的にはそうでございます。特に特殊教育学校——盲学校、聾学校、養護学校、こちらのほうは特に初めから免許状も普通免許状の人では全然資格がございませんで、特にそういう免許状を持たないと特殊学校のほうの教師にはなれません。特殊学級のほうは必ずしもそうではございません。それに特殊学級の数も相当ふえてまいっております。したがって、中には、これから一生を特殊教育に打ち込むというほどの人でない人も、非常にたくさんの特殊学級のほうにはあろうかと存じます。したがいまして、先生の御指摘のような先生も、中には、特殊学校に比べまして特殊学級のほうには、比較的あろうかと思います。 それから、先ほど来先生のおっしゃいます件、大臣からお答えいたしましたが、ちょっと私補足させていただきたいと思いますが、学校といたしましては、やはり先ほど大臣もおっしゃいましたが、特に知的にはそう高いものを教えるわけじゃございません。特に生活訓練的な、便所へ連れていくとかあるいはたまを拾うとか、そういうことが即教育でございますので、やはり学校の先生としては——そういう普通の学校で見ますとたまを拾ったり便所へ連れていくようなことはその辺の小使さんでもいいじゃないかと思うことが、特殊学校なり学級ではそのこと自身が教育でございますので、やはり教師として十分訓練された人に受け持たせるのがよい。したがいまして、先生のおっしゃいます父兄の理解を高めることは必要ですが、だからといって、そういう親御さんたちを免許状を持たざる職員として採用することが制度上どうであろうか。先ほど大臣が申されましたが、普通の学級と違いまして、特殊学級は現在十三人にしておりますが、全国平均では八人に一人ぐらいの体制になっております。したがって、やはり制度上の問題としますれば、特殊学級の一つのクラスの受け持ち生徒数を減らしていくように、逆にいえば先生の数をふやしていく、そういうことによって、そういうたま拾いといったようなことも教育ですから、そっちに手の回る教育ができるのではないか。先生のおっしゃることは十分わかりますが、要は今後ともさらに制度的に教員定数をふやしていくということではなかろうかというふうに考えております。現在五カ年計画を立てまして、私ども必ずしもこれが十分と思っておりませんが、漸次教員定数等も増加していくということをやっておる次第でございます。
○和田(耕)委員 私はいま助手ということばを使ったのですけれども、たま拾いなど、小使さんがやったらいいのだというふうには考えておりません。私が質問しながら頭にあることは、私が見たところで非常によくやっているなあと思っている先生二人と相当親しく懇談をしました。あなた、教育をするのにどういうふうにやったら一番いいのだということを聞きますと、偶然にその人は、実はアルバイトの学生で、学校の卒論をとるのに、これに興味を持って来ている人がおるのです、この人はたいへん教育に役に立ちます、ということばがあったのです。それなら、かりに三人の資格のある先生が必要だとして三人そろえるのと、あなたが主任者になって、そういう熱心な助手を二人配したのとどっちがいいのだ、こう聞きますと、問題なしにあとのほうがいいのだというふうにその先生は答えておりました。つまり、ここのところが大事な点だと思うんですね。同じような資格の人を三人並べて、十五人なら十五人の生徒をそれぞれ担任をさすということのほうがいいのか。たとえば特殊学級の教育をいたしておりますという型通りの答弁を文部省がするならそれでいいのですよ。しかし教育の内容から見て、この三人の先生が同じような愛情をもって同じような熱意を持ってやっている人がおればまだしもですが、同じ熱意を持っている人を三人並べるよりは、すぐれた人がリーダーになって、そして熱心な助手的な人を配したほうがはるかに教育のためになると思うのです。しかも、そういうふうに熱心な人は現実に少ないのです。もう退職まぎわの人で、退職手当が多くなるからというので、八%の加俸でいくという人がおります。また、しょうがないから二年くらい行ってこい、二年たったらまた他のところにかわらしてやるというふうにやっておる人もあります。そういう資格があるからといって、そういう人が頭を並べたところで、この教育と本腰に取り組んでおらなければ何にもならない。私はこの問題は検討すべき問題だと思うのです。そういうことでいま申し上げておるのですけれども、それでもなお大臣は検討の余地がないとおっしゃるのですか。
○坂田国務大臣 先生のおっしゃる意味はよくわかるのです。ということは、どういうことかといえば、情緒障害児とか自閉症とか、そういう特殊教育の人は、一つの教育方法をもってやろうとしておるわけですね。それをまた違った教育方法でやるとすると、普通児ですらも混乱をする。普通児でございましたらこれはある程度知的教育を受けるわけでございますから、それはこなしていける能力を持っておる。ところが、さなきだに困難な子供に対しまして、違う教育方法、あるいは三つの方法が一緒に来たら、それこそ混乱しまして、かえって情緒障害を深めていくという結果になる。したがって、私は、同じ学校でもしその問題児をやるとするならば、三人おられる先生がチームを編成されて、そうして教育方法をどうするかということについて、意思統一をやった上でやられないと間違うという意味です。そのことをたとえば先生がお聞きになって、先生はほかの二人の先生とするよりも、自分と意思統一をした学生さんを使ってやったほうが効果があるとおっしゃった、それはそれなりに意味がある。しかし、それを制度としてどうするかという問題は、また別だというのが私たちの考えであります。
○和田(耕)委員 こういうことにおざなりに、校長が行けと言うから二年ぐらいしようがない、月給もふえるという人をやれば、これは簡単なんです。しかし、熱意を持っている人は個性を持った人ですからね。三人の人が行くとして、やり方について必ず意見の相違が出てきますよ。そういう場合が多いと見なければならない。そういう三人の同じ資格を持った人を配列するよりも、むしろしっかりしたリーダーに助手、いまのボランタリーの学生みたいな人ですね。あるいは父兄の中の適格の人を、そういう先生の指導のもとにしっかりとチームを組まして、そして一つの遊戯なりあるいは家事の訓練なり、そういうことを指導していくということのほうが、なまけた先生がおるとか、熱意のない先生がおるとかいうことを別にしまして、理論的に考えてもいいのじゃないか。たとえば、大臣、これはちょっと仕事は違いますけれども、経済調査でも、いろいろな調査をする人が、同じくらいの能力の人が五人なら五人おるよりも、一人のすぐれた人のもとにもっと資格の低い人がいて、理論的な一つの角度を持って研究していこうとする場合に、このデータが要る、このデータが要る、こういう切り抜き、こういうものを集めてこいという仕事、これは大事な仕事ですね。これは自分の助手にやらして、自分はいろいろのデータを組み立てていろいろな帰結をつくろうとする。こういう場合に、ドングリの背比べみたいな調査員が五人いるよりは、調査員を三人にして助手をそれぞれ二人、三人つけるというほうがはるかにりっぱな調査ができるという事実がある。これは大臣御存じだと思うのです。私は、調査の仕事を幾らかやったことがありますけれども、それとよく似たことなんです、仕事の内容からいって。普通の子供であって、黒板に字を書いたらそのままストレートに覚えていく、あるいはものを話せばストレートにわかるという子供であれば、それは同じ資格を持った一人の人が話せばわかるし、書けばわかる。しかしこの教育、つまり特殊教育の場合は、そういう場合ではないですよ。それは大臣、先ほど最初にお伺いしたときにそういうふうにお認めになっておられるのです。こういう教育の場ですから、普通の教育とは違った教育のチームをつくるということが私は必要だと思う。しかも、その要員としてはいまのボランタリーなり——若い学生の中にもそういう人がたくさんおりますよ。何とかそういうところで働いてみたいという人もおります。あるいは父兄の中で朝から晩まで子供についている若い奥さんもおります。そういう人たちのエネルギーを、愛情を必要としている特殊教育の体系の中にはめ込むことはできないのか、ここが私の質問の一つの焦点なんです。そこはぜひひとつ大臣は実情をよくごらんになって、現在の先生の素質、先生の心がまえあるいは先生のいろいろな問題を勘案して、この問題をぜひとも考えていただきたい。そうすれば適格の先生が不足しておる、先ほど杉並の例で言いましたように、自閉症のあれをしなければならぬと思うけれども、高度の能力を持った先生が必要ですから、これを都の教育委員会に話をしても、そういう人はありません、しかたがないからいまやっておりません。こういうことですね。その状態を打開していくことが特殊教育の重要な一つの問題なんです。そういう点もひとつ、重ねて大臣に、ぜひともこの現場を一ぺんそういう目で見直していただいて検討していただきたいと私は思うのですけれども、なお検討の余地はないというふうにお考えなんでしょうか。
○坂田国務大臣 いや、それは、現場を見たりあるいは検討をすることはやぶさかではございません。しかし私は、どう考えてみましても、先生おっしゃるように、一人の先生がおって、そこにアルバイトの学生を使うというようなやり方というものは望ましくないというふうに考えます。教育というものは、やはり責任を持った人が、そしてまたその先生がイニシアチブをとってやるべき問題だ。あるいはまた、その学級をやっております学校におきまして、校長を中心として、三人先生がいらっしゃれば三人とも個性はあるかもしれない、しかしうちの学校としてこの学級はこういうふうにやるということは、やはりチームを組んでやっていただかなければ、子供は非常に迷惑を感ずるというふうに思います。
○和田(耕)委員 そういうふうにお考えになっておられるから、実際の、つまりたま拾いの一つ一つの行動が教育だとおっしゃるけれども、一人の先生でできますか、十人の子供を相手にしてたま拾いを。たまが向こうへころんでいくと走っていって拾ってくる、またこっちへいく、また走って持ってくる、そういう仕事が……。第一、先生自身が、その子供の反応のしかたを見分ける時間がないじゃないですか。先生が遊んでいる子供をよく見ておって、たまが向こうへ行けば、普通のアルバイトなら——アルバイトということばは語弊があれは、ボランタリーな熱心な若者というふうに言いかえたほうがいいかもしれないと思います。熱心なそういう人が、たまを拾っていく、炊事のいろいろな助手をする、あるいは掃除をする、それを先生がよく見ておって、この子供はあそこだなということで、先生が出かけていって適当な処置をすることのほうが、はるかに教育上の効果があがるとはお考えになりませんか。
○坂田国務大臣 そこが教育の非常にむずかしいところです。というのは、たとえば、何の資格もなく、ただ愛情は持っているかもしれない、あるいは手伝いをするかもしれない、そういう人がかってに、その教育の一つのシステムの中に入ってきて、先生の考えていることとは別個ないろいろなことをやられたら、先生としてはたまったものではない。それでは教育は成り立ちません。子供を混乱させるばかりです。と申しますのは、私の娘の話を申し上げたのですが、たとえば何年間かその子供たちあるいは中年の男の人たちを、一つの、何といいますか、ダンスを通じて、運動を通じて情緒障害をなおす方法をいま考えているわけです。それでやっているわけです。そういうことで、いままで話もしなかった、笑いもしなかった、ほかの人が行ったって、あるいはそこのお医者さんが行ったって見向きもしなかったその子供たちが、あるいはその中年の男の人が、娘のやることに一年間ついていけば、話もする、笑いも出るというところになってきた。そういう一定の方針のもとに進んでいく。それを、わきで別個なことをやられたら、教育は成り立たないです。子供というのは、あるいはそういう情緒障害や特殊教育の人たちは、ちょっとしたことで反応するわけですから、先生や子供が正しいと思ってやっておるのに、そのアルバイトの人たちがいろいろやる、そうすると、それのほうに引かれてしまって、こっちのほうは全然成り立たなくなるということになると、これは制度としては成り立ちませんよ。 ですから、定員の問題について十分考えろとおっしゃれば、それは考えなければならぬ。それから、先生自身が特殊教育について不熱心である……、不熱心な人もおられるでしょう。しかし私は、文部大臣として、大多数の特殊教育をやられるような人たちは、それなりの理解と意欲を持ってやっておられると思う。いわゆる養護学校等の特殊学校については、先生のおっしゃるような人たちがたくさんおるでしょう。しかしながら、先生御指摘の特殊学級については、いろいろな都合上、あなたは特校学級をやってくれ、こう言われて、実はそういうあれは私はやりたくない、しかし校長がそういうふうに言うからやっているということで、いやいやながらやっている人だっていないわけではないと思います。そういうのを見れば、先生おっしゃるように、あれはどうにもこうにもしようがないじゃないか……、それはわかる。しかしそういう人たちも意欲を持って、特殊教育を担当するようになったら一生懸命になるように持っていくというのが、また文部大臣としての一つの責任ではなかろうか、それの条件として、定員の問題もございますし、給与の問題もございましょうし、いろいろございましょう。そのことは私たちの責任としてこれを考えていかなければならぬ。 それで私は特殊教育の先生方と何回かお話をしたことがあります。その人たちが異口同音におっしゃることは、また先生の御指摘と一致するかもしれませんが、こういうことです。一般の先生方の理解が足らない。——一般の父兄が理解がないということじゃない。普通児を持っておられるおかあさん方が理解を持っておられないということじゃない。一緒の同僚である先生方が、特殊学級を受け持っておるわれわれのことについて、もう少しあたたかい目をもって、あるいは理解をしてやってもらうなら、われわれは非常にやりやすい。また効果もあがる。ところがそうじゃないのだ。だからでき得べくんば、これはそういうことができるかどうかわかりませんが、大学等において、一ぺんは特殊教育関係のものを取らなければ普通の先生にもなれないような仕組みにひとつしてもらえませんか、というようなことすらおっしゃる。その裏は何かというならば、やはり一般の先生方自身が、特殊教育を担当しておられる先先方の立場や、あるいは特殊教育というものに対する理解が薄いということです。これはまたわれわれ自身の責任でございますから、そういうようなことのないように、これから指導をしてまいらなければならぬというふうに思っております。
○和田(耕)委員 大臣は、先ほどから私が言っていることについて、わけのわからないアルバイトを使って、そこらあたりのやつを連れてきてというような印象を持っておられるようですけれども、そんなことを言っているわけではない。そんなことは私はさっきから一言も言っていない。つまり熱心なボランタリーな学生、何とか役に立つような学生がおる。朝から晩まで子供についておる父兄の中で適格な人もおる。このような人を一人の資格のある先生の指導のもとで、しっかりチームを組んでやらせればいいんだ、ここを言っているわけですよ。私が申し上げているのは、アルバイトがあっちこっちかってなことをやっていいなんということを言っているわけではない。大臣のいまお答えになるのは、助手がいろいろな思い思いのことをやってもらっては困るのだ、それは困りますよ。そんなことを私は言っているわけではない。特殊教育の内容は一般の教育と違うのだ。教育の内容は、先ほども言ったように、遊戯をさす、掃除をさす、あるいは炊事をさす、その他の生活訓練をあらゆる場を通じてやることなんだから、したがっていろいろからだを使う仕事が非常に多い。そうであればあるほど、責任のある先生が子供の動作をよく見ておって教育なさったほうがよろしい。たま拾いをやっている人もいいかげんな人じゃないのです。一生懸命子供を教育をしようと思っている人なんです。そうしたほうが先生にとっても子供をしっかりと見守る時間もできる。先生が一々たま拾いをし、掃除のまねをする。それは大事ですよ。できればそういう人が三人ぐらいの子供を持ってやることが大事ですけれども、三人ぐらいの子供に対してそういう資格のある先生をいまのところ配置することができますか。
○坂田国務大臣 やはりアルバイトの学生で、どんなに熱心であろうと、そういうものを制度として認めるということは、私はいまは考えておりません。やはり私たちは正規の先生として資格のある人を充実していくという方向でなければならぬ。なお、基本的に申しますと、先ほどから申しますように、特殊教育総合センター、そういうものを含めまして検討したいと考えております。どういう方法でやったほうが一番いいかという、そういうことについて、あるいは先生のおっしゃるようなことも研究のテーマとして含めるかもしれません。しかし現在のところはそういうふうに考えておるということを言わざるを得ないのです。先生がそういうようなことをおっしゃるのはわからないわけではないですよ。けれどもそれを制度として認めろとおっしゃいましても、それはむずかしいというふうに思います。
○和田(耕)委員 先生は一つのなわ張りを持って、ちょうど医者がなわ張りを持っていると同じように、教育のことはおれがやるのだというような、これは非常に大事なことですよ。しかしこの特殊教育という先ほどから繰り返し申し上げておるような場では、もっと違った教育の一つのチームを組んだらいい。アルバイトはいけないというけれども、アルバイトということばをつけなくてもいいのですよ。私がさっきから言うように、助手ということばをつけて、適当なテストをして、適当な能力の検査をして、そういう人たちを責任のある先生のもとにつける、これでもって教育をさすという、この考え方が一顧の価値もないように大臣はおっしゃるんだけれども、それは検討もしますよなんということも言っているけれども、ほんとうは、先生のなわ張りの中に異質なものをはめてはいけないという考えが強過ぎるんじゃないですか。
○坂田国務大臣 私は、先生がやはり一般的な常識を持たれるということは大切だと思いますけれども、先生は先生としての、専門職としての資格とその教養を持ったものでなければいけないというふうに思います。そうでなければ教育は成り立たぬと思うのです。ですから、そういうアルバイトで熱心な人であるならば、その資格をおとりになればよい。それを助教諭ですか、教諭ですか、そういうような形で手伝うということならば話はわかると思うのですけれども……。
○和田(耕)委員 さっきから言うように、先生が四十人なら四十人の学生を並べて話をする、黒板にものを書いて理解する相手じゃないのですよ、この特殊教育の相手は。その違いはさっき大臣もお認めになっているわけですよ。そうしてまた、先ほどアルバイトということばが出ているけれども——先ほどの例で私は申し上げている。卒論をとる学生が私のところへもボランタリーで来ております、この人たちは子供の教育に非常に役に立っていると、非常に熱心な先生がそう言っている。この問題は、助手としての適当な一つの資格をつくって——助手になるには、当然いろいろなテストも必要でしょう。いろいろな体験に基づく素質も必要でしょう。そういう一定のテストの上で特殊学級の先生の助手——名前は何でもいいのですよ、助手としての一つの地位を与えることをお考えになってみたほうが効果があがるんじゃないか、こういうように申し上げているわけです。たとえば七万円の月給の先生が五人必要だとして、五人がん首そろえてそして特殊の子供を教えるというよりは、七万円の月給の先生が三人で、あとはその三分の一くらいの手当の助手で、その先生を中心に生徒を教える一つの教育のチームを組ます。これはいいかげんなことを言っているわけじゃないので、そういう一つの制度をつくる。そういう制度でもって教育をしたほうが、つまり、必要な、熱心な、愛情を持った人たちを十分に集めてくる上からいっても、必要ではないのか。大臣は、大部分の特殊学級の先生は十分熱意を持ってやっている、それは責任のある大臣としてはそう思うでしょう。しかし、世間の見る目はそうじゃないのですよ。先ほど大臣もちょっとおっしゃったように、普通の先生は、この特殊学級の先生をひが目で見る。事実そのとおりです。職員室の中でも一番すみっこで、あまりいはれないようなかっこうでおる。教室にしても、校舎の一番てっぺんのところのすみに置いたり、そういう差別待遇を受けている。つまりお添えもののような、のけもののような扱いを現在しているわけです。そこで先生をしている。そういう先生にりっぱな先生が好んで行きますか。それは特別の先生は行きますよ。
○坂田国務大臣 だからそういうようなことがよくない。よくないわけでございますから、一般の先生ですらも、一度は特殊教育の経験を経させるというような指導をむしろやるべきじゃないか。ですから、おっしゃるようなアルバイトにかわるような、その学生に匹敵するような、別にそのほうの特殊の資格を持っておられない先生でも、その一つの専門を持っておられる先生につけて、二人なら二人をやったほうがよろしいということは、チームの一つの教える方法が確立しておりますから、それにおいていいかもしれない。だからそういうやり方でやるべきであって、何か大学で先生が研究をするのに助手を必要なような、そういう形ではいますぐこれは考えていない。しかしながら、いま私どもが御提案申し上げております、あらゆる学問を総合した結果、教育方法として先生のおっしゃるようなことのほうがむしろ現実的であるし望ましいという結論が出れば、われわれとしてはそれに賛成したいとは思うのでございます。ただ現在のところでは、むしろ理解がない先生が多過ぎるから、一般の先生方も特殊教育について、一人の専門の先生を中心としてやるというようなやり方を校長等も考えていく、あるいは教育委員会も考えていく、われわれも指導していくということでないと、いつまでたってもこの問題は解決しない。私は、一般の先生方も、特殊教育というものに関心のないような先生では、とても一般の教育も十全ではないというふうに思います。ですから私は、これからは、むしろどんどんそういう一人の先生のもとにいろいろな先生をつけてチームを編成して、その学校の特殊教育はこういうふうなやり方でやるのだ、そういう習慣といいますか慣習といいますかを確立してもらいたいというふうに思っております。
○和田(耕)委員 重要な点で見解の違いがあるようですから、その問題は一応質問を打ち切ることにします。 次に、特殊学級の開設について文部省はどのような御援助、補助をしておりますか。
○宮地政府委員 特殊学級につきましては、盲、聾・養護学校のような特殊学校と普通の学校にございます特殊学級と比べまして、卒直に申しまして特殊学校ほど十分な助成措置が講じられておりません。しかし、そういうことではございますが、特殊学級につきましても、たとえば特殊学級の設備につきましては、特殊学級を新設します場合に、その障害に応じました設備を整備するということで、これは精薄とか弱視、難聴、言語障害、情緒障害、いろいろの種別がございますが、大体三十万円程度の設備整備費の助成をいたしております。それから、その他に教材費、これは一般の学校にも教材費がございますが、これはこまかい基準はございますものの、相当広範囲に必要と思われる品目がございまして、その学校でほしいと思う教材を買える教材費の助成をいたしております。
○和田(耕)委員 それでは、新設の場合、備品とかあるいは教材の費用として三十万円の補助をする。三十万円まるまる国が出しておりますか。
○宮地政府委員 私の答弁が不十分でございましたが、単価三十万円といたしまして、半額を国、公立ですと半額は交付税で積算いたしております。
○和田(耕)委員 それじゃ三十万円だけで、あとの必要な設備は全部最下部の公共団体が受け持っているわけですね。
○宮地政府委員 いま申しましたのは新設をするときの一回でございます。ところが、経常的には教材費助成をいたしております。
○和田(耕)委員 この特殊学級という場合は、生ほどから問題にしておりますように、普通の子供と違いますね。教える内容が全く違ってきます。そのためには校舎の片すみを——片すみといったら失礼だが、校舎のある一角を、特殊学級はここでやりなさい、それで備品とか教材はこれですということでは、この特殊学級の教育はできないということなんですね。たとえば、まず第一に必要なのは、お掃除のいろいろなことを覚えさせるためにも、水道のせんが必要だ、あるいは炊事場の設備も必要だ、あるいは特別の遊戯場も必要であるということになると思いますけれども、こういう問題は国は何かめんどう見ておりますか。
○宮地政府委員 特殊学級は、申し上げるまでもございませんが、普通の学校にそういうクラスを一つとか二つとかつくるわけでございます。したがいまして、新たに特殊学級を設けるということである場合には、先ほど申しました二分の一ずつの負担になりますが、国と地方でその年度に三十万円助成をする。しかし普通の学校にあります特殊学級でございますので、それを含めまして義務教育費国庫負担金で教材費が出ております。これは実は十年計画で八百億円の教材整備費というものを進めております。したがいまして、それらで特に水道のじゃ口がどうとか、いま例をお出しになられましたが、たとえばその学校で剣道をする場合、教師の防具はどうするとか柔道はどうするとか、あるいはスキーがどうだとか、いろいろ他の委員会でも御指摘がございましたが、そういったものはその教材費の中から買えるということになっておるわけでございます。
○和田(耕)委員 現実では、東京の各区役所なら区役所というのがありますけれども、区役所の財政によって、あるところではわりあいに設備まで気を配っているところもありますが、これは非常に少ない。大部分のところは、普通の校舎のある一角を、ここで特殊学級をやりなさいということであって、特殊学級の教育に必要な設備についてはほとんど準備をしていないところが多いのですぬ。国全体としてこういう特殊児童の教育をするための特殊学級を置くという方針を立てた場合に、最低限度の特殊学級の教育に必要な設備というものは、国がめんどうを見ていくというのがほんとうじゃないでしょうか。ある区ではやり、ある区では全然やっていない、しかもやってい云いところが多いという状態をごらんになったことがありますか。
○宮地政府委員 確かに特殊学級をつくらなければならないという法律上の義務規定がございません。したがいまして、先生御指摘のように熱心なところはつくる、あるいは本来なら、熱心なところであるならばつくるべきところを、必ずしもそうでないところはつくらないということは、確かにございます。しかしながら、私どもといたしましては一応の計画を立てまして、それぞれの障害によって違いますが、盲、聾、養護学校の程度ほどではないといった軽度の障害の子供で、普通学級ではぐあいが悪いといったような子供の積算も全国的にはいたしております。したがいまして、それらに基づきまして一定の基準、これはなまぬるいとおしかりを受けるかもしれませんが、人口一万人に対して特殊学級一つとかいったような一応の積算をもちまして、特殊学級の奨励をいたしております。来年度千二百学級を設置したい。それから、したがいまして、こういう場合には私の所管でございませんが、建物の助成につきましても、特殊学級をつくるという場合には、そういう助成は一般の普通学級と違ったプラスアルファの助成をいたしております。それから、いま千二百学級の設備費といたしましては一億四千二百万円を計上いたしております。そういうふうに一応の計画を持って年次的に推進しております。それで、たとえば先ほど来お話のございました自閉症等いわゆる情緒障害、こういう学級は来年四十学級とか——詳細申し上げますと時間がかかりますが、そういったようなところで、不十分ではございますけれども、法律上必ず特殊学級を置けという義務にはなっておりませんが、私どもはそういうことを目標にいたしまして、推進いたしておる次第でございます。
○和田(耕)委員 確かに法律ではそういう義務はないし、各学校全部にそういうものを置くということが正しいかどうかという問題はありますけれども、しかし特殊学級という問題について、文部省が統一的に指導しておることは事実ですね。その場合に、つまり特殊学級が教育上から見て、設備としてぜひとも必要だと思われるのは、たとえば掃除とかいろいろななにをするための水道のついた洗面の設備が必要ですね。他の学級とは別にあるいは炊事のためのガス管を特に引っぱってきて炊事をさせるような設備が必要ですね。あるいは親御さんにとってみれば、特殊な児童ですから、学校におくれることもある、特殊な電話、教員室に電話がかかって、みんな呼んでもらうのではなくて、学級のところに電話をつけるということも必要でしょう。あるいは特殊な運動場をつくることも必要でしょう、あるいは作業場をつくることも必要でしょう。つまりそういう最低限の共通の施設として必要だと思われる点は当然国が補助をして、これだけはやりなさいよということを言わないと、おまえさんのところはこの校舎の一角だけ特殊学級にしなさいということだけでは、国のこういう児童に対する教育の責任は果たせないと思いますが、大臣、どうでしょう、この点に対しては。
○坂田国務大臣 御指摘のとおりに、特殊教育につきましては、日本の教育は世界的な水準から見ますと、かなりおくれておる。私就任いたしまして、まず第一には大学紛争をおさめる、第二番目には教育行政の中の谷間でございます特殊教育を何とかひとつ軌道に乗せるということでやってまいりました。でございまして、かなりほかの教育につきましては、日本は世界的に見ましても水準も高いと思いますが、特殊教育は、盲、聾等については、かなりの水準を行っておりますけれども、精神薄弱であるとかあるいは最近の情緒障害、あるいは自閉症その他につきまして、あるいはダブルハンディキャップを持った者の教育というものについてはまだまだ不十分である。これに対しまして、特殊教育の学校もさることながら、特殊学級という形で見守って、教育をやっておるわけでございますが、それに必要な施設であるとか、設備であるとかというようなことは、今後やはりある程度の計画を立てまして充実していかなければならぬのじゃないかと考えております。
○和田(耕)委員 今年度の予算はもう手おくれですけれども、来年あるいは再来年にかけて——いま私が申し上げたような特殊学級としての教育には絶対必要であるという最低限度の設備があるわけです。いまの一つの水道管あるいはガス管、それから炊事用のガス管、あるいは特殊な電話、あるいは運動場、こういう問題についてはできるだけ早い機会に特殊学級をつくるところにはこういう設備をつくれ、そのためには国が援助をすること、そうたいした金じゃないですよ、そういうふうなことをぜひおやり願いたいと思うのですけれども、大臣どうでしょうか。
○坂田国務大臣 その点はひとつ検討させていただきたいと思います。
○和田(耕)委員 いまの運動場の問題でも、現在こういうことが多いのですよ。特殊学級の子供がごく限られた運動をしている。普通の子供が運動しておるときには、おまえらもうのいておれという形でのかされて泊るという姿が圧倒的に多い。つまりそういう子供は一つの自分たちの運動場を持たないわけです。また東京のある学校では四階の一番上の端、日の当たらない端に追いやる。こういう特殊の子供、肢体の不自由な子供もおります。四階の上の端、しかも日の当たらないところに追いやっておるところがあります。こういうことがあります。つまり特殊学級というものを何かやっかいもの扱いにする。先生も普通の先生とは違った献身的な、いろいろな状態のもとに置かれておる。こういう状態は、文部省が特殊学級に対して、これは教育を受ける権利があるのだからぜひともひとつやりなさいという、もっと筋の通った指導があれば、改善されていくわけですよ。そういう問題に対処するに非常に不十分なところがありはしないかと私は思うのです、現実の状態から見て。そういう問題についてはぜひ大臣検討していただきたいと思うのです。
○坂田国務大臣 何と申しましても、先ほどから申し上げますように、特殊教育につきましては国民の理解もまだ十分ではございませんし、先生方自身がやはりまだ十分ではございません。しかしそのことについてはやはり文部省自身の姿勢の問題もあると思いますので、十分ひとつ総合的に、この特殊教育総合研究センターができますこの機会に前向きに検討していきたいというふうに考えております。
○和田(耕)委員 最後に、私こういう問題について質問してみたいと思うのです。 いまのろうあ者の問題じゃございません。精薄と情緒障害に限って申し上げておるのですけれども、日本でこういう人の中で教育を必要とするような人がどれくらいおりましょうか。
○宮地政府委員 精薄と情緒障害関係でございますが、実はこれにつきまして昭和四十二年に文部省のほうで実態調査をいたしました。そのときのいまの精薄なり情緒障害の子供の数を全体の子供の数に対しまして比率をとりまして、その比率で四十五年度の推定数を一応出しておりますが、それで申し上げますと、精薄関係で非常に重度の者、中度の者、軽度の者ございますが、重度、非常に重い精薄関係の子供が一万六千人余り、それから中腰の者が二万七千八百人ばかり、軽度の者が二十五万一千人余りというふうに推定いたしております。それから情緒障害関係では、六万一千人ほどの子供がそういう情緒障害なり精神薄弱なりの教育の対象になる子供の数と、心得ております。
○和田(耕)委員 この中で文部省の特殊学級に該当する児童数はどれくらいになりますか。
○宮地政府委員 精薄で申しますと、これは先生にもいろいろ御意見がおありのところのようでございますが、まあIQで一九以下は非常に重い、それから中度としましては五〇から重度の者までの者、四九から二〇といったような、そこの関係は厚生省の精薄関係の子供の収容施設なりあるいは特殊教育の養護学校の対象に一応原則としてはなる。したがいまして軽度の二十五万人余りの子供は特殊学級なりあるいは普通学級でもよいといったような考え方、理想を言えば二十五万人は全部特殊学級へ入れるのがあるいは理想かもしれませんが、いろいろこの点は学問的にもまだ十分ではございませんので、一応そのようにお答えいたしておきます。 それから情緒障害のほうは先ほど大臣からもお答えになられましたが、その六万人の中には自閉症が三千人余りと推定いたしておりますが、これは卒直に申しますと、教育のやり方等につきましてもまだまだ未開拓でございます。したがいましてその六万人ばかりの子供は一応特殊学級で教育をすべきものであろう、こういうふうに考えております。
○和田(耕)委員 二十五万人の人をこれは全部というわけにいかぬでしょうけれども、かりにこの半分の人を特殊学級で教育するとして、現在との違いはどういうふうになってくるか。現在特殊学級へ収容しておる人の数と二十五万との差ですね。
○宮地政府委員 二十五万人の者のうち特殊学級へ行っております者は十一万五千人余で、ほぼ半分弱でございます。残りの者は普通学級に通っておるという状況でございます。
○和田(耕)委員 この十一万五千が特殊学級の収容しておる人員、あとの半分以上は普通学級の中で教育を受けておられる、こういうことですね。ここで五〇%以下の人と目された人でも、親御さんにとってみればできるだけ普通学級で何とかめんどうを見てもらいたいという気持ちを持つのは自然ですね。そしてまた相当重度の精薄あるいは自閉症としても、親御さんにとってみれば何とかせめて特殊学級ぐらいで教育してもらいたいというのが実情です。こういうふうなことについて非常にお困りになっている人が、そのボーダーラインの人たちで非常に多いですね。しかも厚生省の施設等へはやらしたくない。これは単に親御さんの利己的なあるいはかってな要求というふうに受け取ってはいけないと思うのですよ、これは親としては自然の感情なんですから。できるだけこのボーダーラインの人たちを何とか収容するという考え方を持たなければならない。これはあるいは特殊学級をもっと増設することによって、いろいろな種類をつくることによっても果たされるし、あるいは厚生省の施設の側でも施設の中に特殊学級を置いてそこで教育をするということもあると思いますけれども、その位づけというのですか区別を何か親御さんにとってみて納得いくような形のものをつくる必要が私はあると思うのです。現にそういうボーダーラインの人で何とか上の——上というとおかしいけれども、かっこうのいいところで教育を受けたいというのは自然な気持ちなんですから。しかもボーダーラインの人たちは重度とか軽度とか中度とかいいましても、実際に扱っている先生の話を聞きますと、教育委員会ではとてもこういう人はだめだというふうな人でも、扱ってみれば非常によくなりましたという人が非常に多いのですよ。そういう例が多い。いろいろなことから考えてみて、普通の標準から見て特殊学級は無理だというような人でも、そういう熱心な方々のためには新しいそういう設備を設けて、そして何とか父兄の要求にこたえてあげるという心がまえが必要だと思うのですけれども、大臣どうでしょうか。
○坂田国務大臣 おっしゃることは私もまことに同感でございます。特に日本の社会におきまして、知恵おくれの子供に対しましては隠す、潜在的にあるんだけれども、それを隠す。そしてその能力ありあるいは手だてがあるというにもかかわらず、教育の機会均等が与えられていないというのが実は今日までの状況であったと思います。そこに、実を申しますと日本の特殊教育が進まなかった原因の一つもあったわけです。その意味において、私たちも四十二年度に思い切った調査をやったわけです。この調査自身がかなり抵抗があった。しかしながら、ようやくそういうような調査もある程度は行なわれるということになったわけでございます。 それから私たちが考えましたのは、一つはこういうような方々は特殊学校、養護学校等において全部収容するという行き方もあるんじゃないかというふうに考えたのですが、それがはたしていいのかどうか。重度の人たちはそういうところに置くけれども、軽度の人たちはむしろ一般の学級に置いて特別の教育を受けさせるというような形においてかえって社会復帰というか、一般の児童と同じような形に回復するのも早いんじゃないか。閉鎖的に全部そういう特殊、つまり知恵おくれの子供たちを集めるということが、教育としていい場合もありますけれども、一面においてそれ自身の持つ弊害もないわけではない。そうだとするならば、軽度の者については一般の学級のほかに特別学級として、ちゃんと普通の学校に自分の子供を通わせながら、その中で特別な教育をやっていただくということが教育の機会均等だ、そしてやっておるうちに自然と普通の学級に入ってしまって、そして同化していく、こういうことがいいということで、実は特殊学級という制度を設けたわけでございます。それが今度はまた、特殊学級そのものについても、特殊学級に行く者と、普通学級というものがあってそのボーダーラインについてはいろいろ問題があろうかと思います。この辺がやはりもう少し、父兄の方々あるいは先生方、つまり現場の方々の御意見等も十分承りながら考えていかなければならぬ課題だというふうに思います。非常にデリケートな問題があるということはわれわれも承知をいたしております。
○和田(耕)委員 父兄の方々が特殊な学級あるいは施設になかなか入れたがらないという問題はどこでも起こっている問題なんですね。この問題をどのように理解するかということが非常に重要なんです。たとえば、これは親のわがままだというふうには見られない問題があるわけなんですね。そのためには、先ほどから問題にしている特殊学級なり施設の教育というものに対して親御さんが安心してまかされないというところが、やっぱり非常に重要だとして受け取ってみなければならぬと私は思うのですよ。安心して子供をおまかせする、通院をさすあるいは施設に収容さすということに対して、もっと理解できるような状態であれば、それは何ぼひいき目に見てもうちの子供は普通の子供じゃないんだということはわかるわけですから、親御さんだって進んでそういう施設にお願いするというのが自然ですね。区役所とか教育委員会とかいろいろ聞きますと、何ぼ学級を開いて、施設を開いて、来てくださいといってもなかなか来てくれないんだ、ということをおっしゃるのですけれども、そうおっしゃる前に現在の施設あるいは学級の実情をもっと検討してみる必要がある、私はこの問題はそう思うのですね。特にボーダーラインだと思われる人をあまり簡単に扱い過ぎる、区別し過ぎるということですね。一番大事なことは、つまり、いろいろなむずかしい教育上の問題もありますけれども、その仕分けをしてもらうためにも、親御さんが安心してこの子供を学級の中で預かってもらう、自分たちも半分くらいの人はついていって見守っていく、あるいはまた、施設に預ける場合にも安心してあれするような、そういう理解なり雰囲気なりというものがないと、結局この問題は解決しない。役所のほうでこういう設備をつくったから来ればいいじゃないか、なぜ来ないんだ、ということではいけない問題であると思うので、そういう問題をひとつ考えていただきたいと私は思うのです。 厚生省の課長さんがお見えになっておるのですけれども、施設を預かる人は先生ではなくて指導員とかあるいは保母さんということになっているわけですけれども、ここにも資格の問題等については同じ問題があると思うのです。これは今後の施設拡張計画、政府も社会保障制度の拡充について大きなあれを持っているわけですけれども、今後の大きな拡充ということから見て、指導員あるいは保母さんの数が十分充足できる、こういうような見通しをいま持っておられますか。
○今泉説明員 現在の時点におきましては、収容施設における保母、指導員の定員につきましては充足しておりますし、保母の養成所もかなりございますので、今後においては、私たちといたしましては、保母につきましては考えておりません。それから指導員につきましても相当いけるのではないかと思っております。
○和田(耕)委員 それは特別な考えをしなくても指導員、保母は大体だいじょうぶ充足できる、こういうわけですね。
○今泉説明員 保母につきましては保母養成所の卒業生あるいは保母試験等を行なっております。それから指導員につきましては、大学におきまして児童心理あるいは心理学、社会学等を修めた方、そういうところの卒業生を持っていくということでございます。ただその人たちが現実に施設に来てくれるかどうかということは別問題だと思いますが、お医者さんのように絶対数が足りないということはないわけでございます。
○和田(耕)委員 別問題だということではなくて、実際にその人を充当できる計画を持ってやっているのか、そういう見通しが立つかどうかということをお聞きしているわけです。
○今泉説明員 現在の段階では、精薄児の施設に四千名ぐらい毎年ふえております。それを五対一で、保母、指導員純増は八百人程度でありますが、保母の卒業生が毎年二万名いるはずでございますので、そういう点では人数そのものからいえば十分ではないかと思っております。
○和田(耕)委員 これは厚生省の施設に収容している人あるいは通院している人たちが特殊学級に通っているとか、特殊学級で分校を置いているという場合があるでしょう。こういう場合はどのくらいあると思いますか。
○今泉説明員 現在施設に入っている者につきまして、ちょっと資料が古くて恐縮ななんでございますが、昭和四十年の資料なんですが、そのとき調査いたしまして回答があったのが百三十四施設で、対象児は七千名でございました。そのうち普通学校に通っている子供は約七五%、現在もその程度、むしろそれよりふえているのではないかというふうに考えております。
○和田(耕)委員 この場合の先生も、やはり文部省のきめた資格のある先生が来ているわけですね、あるいは先生が教育しているわけですね。
○今泉説明員 その場合は、たとえばこのうち施設内に文部省のほうから、教育委員会のほうから派遣された先生と、それから施設の外にある養護学校なり特殊学級に通学している者と二種類ありまして、それぞれ資格のある先生が行っております。
○和田(耕)委員 厚生省の施設で、自分のところで学級を開いて教育するという一貫した教育は不可能ですか。
○今泉説明員 先ほども申しましたように、現在児童福祉施設につきましては、可能な限り入所中の児童を就学させなければならないとなっておりまして、学校等に通える子供については可能な限りその学校にあるいは施設内に特殊学級を設けてやるというふうにしておりますが、ただいま、先ほどから文部省のほうからお話がございましたが、就学が不可能な子供、そういう子供につきましては保母、指導員が学級を施設で編制いたしまして、そういう学級指導を行なっております。これにつきましては運営費の中で、そういう学級維持のための教材費なり学用品費なりその他を支出することができるという取り扱いをしております。
○和田(耕)委員 私は今後施設がどんどん拡充されてくると指導員とか保母の人たちが不足してくるのではないか、そういう声を現にやっている方々からも聞いたことがあるのですけれども、いまの特殊学級の先生と同じように、この問題については違った考え方を持つ必要がありはしないか。先ほど申し上げたように、いままでのきめられた資格のある人はリーダーとしておいて、もっとほんとうの手をとり足をとりする一つの助手のような人を施設の中の教育——これも内容的には同じような問題がだいぶ多いのですよ。特殊学級の教育と施設の中のいろんな教育を拝見していると、やっぱり非常に初歩的な生活訓練というものを通じて教育をするという点では同じような問題なんですね。実際同じなことをやっている。それを、これは文部省の管轄だ、これは厚生省の管轄だということで名前まで違っている。片方は先生であるし、片方は指導員であり保母さんである。しかし保母さんになるにも短大を出た資格が必要ですね。指導員は四年制の大学を出る必要がある。私は資格のきめ方というものを、この際もっと社会保障制度を拡充していく、特殊児童の教育なり生活訓練をしていくためには、資格そのものの制度を根本的に再検討してみる必要がありはしないかという気がしてならない。これは私は長年考えていることなんですけれども、これは単にこの問題だけじゃありません。医者にしても、いま医者は資格を持っている医者だけがいばっているという状態を改善するためにも、医者に準ずる資格をつくれと私はいつか強調したことがあるのですけれども、看護婦で十年か十五年たった経験のある人は、何もかも医者がいなければ何もできないというのではなくて、ある医者に準ずる資格をつくるということを考えたらどうか、そうすれば、医者の横暴みたいな、わがままみたいなところもチェックできるし、そういうことも考えたことがありをすけれども、要するに教育なり資格の段格の段階をもっときめこまかく埋めたらどうなんだということなんです。ある大学を出て四年制の医者の修業した者が医者だ、実際十年、十五年のうちには看護婦の中にも十分りっぱな人がおる。その看護婦の中のりっぱな人にある教育を与えて医者に準ずる資格を与える、こういう人が僻地なら僻地に行って、そうして病院と連絡をとって、僻地のいろいろな医療の需要に対して充当していくというようなこと、つまり最高の資格から最低の資格までの階段をもっときめこまかく埋めていったらどうだ、こういうことがいまの資格全体に対していえるのじゃないかと私は思うのです。そういう問題について、先ほどのいろいろ特殊学級の問題についても、施設の問題についても、そういうことをかなり大幅に取り入れて、先生の資格あるいは先生に準ずる人たちの資格、助手的な人の資格等の問題を考えなければ、特殊教育というものは十分に果たされないのではないか、こういう気がしてならないのです。そういうことによって、つまり民間であり余っておるエネルギーというものをそういう必要な教育の場に充当していく、動員していくということもできるし、またおざなりな教育ではなくて血の通った、愛情のこもった教育というものも出てくるだろうし、そのことが教育効果の上からいってもいままでとは違った効果を生み出してくる。あの先生熱心にやってくださるからというので、うちの子供もうちの子供もというような気分も出てくる。非常に形式的な官僚的な一つの雰囲気のもとでは、なかなか子供を持っている親御さんは安心してまかされないというような感じもありまして、こういうような問題をひとつ御検討していただいて、ぜひともひとつこの問題について、文部省あるいは厚生省の担当の方々の善処を私は要望したいと思うのです。 この問題は、私二年ほど前に、一度園田さんが厚生大臣のときに、文部省の課長さんも来てもらって、こう詳しくは言わなかったのですが、やったことがあるのですけれども、これは大臣、ひとつ資格の階段を埋めるということで、そうして新しい教育の分野を切り開いていく。民間の教育に対するいろいろなエネルギーがあちらこちらにある。このエネルギーをひとつ組織し直して特殊な教育を十分にやってもらいたい。そうして設備はどんどんつくってもおざなりなものになったりというような結果にならないように、十分人の問題を考えてもらいたい。そうでなくてもいまの経済成長とかいうことの中ではだんだんいい人がなくなりますよ。そういうようなものを含めまして、最後に要望いたしまして私の質問を終わります。ありがとうございました。
○天野委員長 次回は、明二十五日木曜日午前十時委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後一時四十六分散会 了