法務委員会 第5号
- 発言数
- 176 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1970/12/09
会議録
○高橋委員長 これより会議を開きます。 人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案を議題とし、審査を進めます。 本日は、参考人として、早稲田大学客員教授で弁護士をされております稲川龍雄君、東京大学教授の藤木英雄君、慶応義塾大学教授の宮崎澄夫君、日本弁護士連合会公害対策委員長関田政雄君が御出席になっております。 参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ御出席くださいまして、まことにありがとうございました。ただいま本委員会において審査中の人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案について、御意見を承り、本案審査の参考にいたしたいと存じます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきますことをお願いいたします。 なお、議事の進め方は、最初お一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。 それでは、稲川参考人からお願いいたします。 稲川参考人。
○稲川参考人 それでは御指名によりまして、私が本法案に関する私なりの考えておりまする意見を若干申し上げます。 時間がありませんでしたが、私なりの考えで法案を慎重に検討いたしたつもりであります。言ってみれば、私どもにはいろいろな希望もありますし、理想としての要望もあります。そして、それらの要望を刑罰法規としてとらえた場合、立法作業として困難な問題とか、あるいは刑罰法規としては、いまだなじまない問題というものがあるわけであります。 しかし、人の健康を侵す公害に対する措置は、これは一刻も猶予を許さないというのが本来であります。そうかといいまして、私は公害に対する刑罰法規というものが、成立さえすれば、公害問題が解決するなどということは、これはだれでもそうでありますが、毛頭考えておりません。これは刑事司法というものの関与する分野というものかおのずから限界があるという、その役割りは補充的のものであるということから当然だと思います。 公害を防止するためには、まずもって的確にして強力な行政諸施策の実施とともに、企業関係者の真剣な努力というものと、地域住民の一致した協力を必要とするということは、これは申すまでもないことであります。したがいまして、刑事司法の面におきましても、公害に対する刑事罰としてとらえるための各種の理論的なあるいは実務的困難というものを克服いたしまして、公害に対処する総合政策の一環として、国民の健康にかかる公害を生じさせる行為を処罰して、公害の未然防止をはかるというための本案が提案されましたことにつきましては、これは全面的に賛意を表します。 このように行政措置の実施とともに、刑事法上も公害の抑止を目的とした特別の処罰規定を設けるようにする動きというものは、ひとりわが国ばかりではございません。たとえば、アメリカ、 スウェーデン、ソビエトロシア共和国におきましても、すでに国民の健康等に対する危険な行為を刑事法の対象として規定しておりまして、そのほか西ドイツ等におきましても、刑法上にこの種の規定を設けようとする作業が進められておるようでありまして、これらの諸外国の立法の動向は、いわゆる公害罪法案の策定にあたって、ひとつ十分考慮していただきたいと思います。 さて、今回の人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案の特色として指摘されます点は、第一に、公衆の生命または身体に危険を生じさせる行為を処罰するということにしてありまして、公害の事前防止をはかっております。いわゆる実害犯ではなくて、危険犯を処罰するということなのであります。 第二は、公害を発生させる行為は、本来事業活動の一環として行なわれるものであることを考慮いたしまして、法人または個人の事業主をも処罰するということ、つまり行為者と法人を処罰する両罰規定を置いた、こういうこと。 それから第三点は、公害関係事件の特殊性、複雑性ということにかんがみまして、その適正な処理をはかるために、推定に関する規定を設けたということ。いわゆる原因と結果に対して、その因果関係を法律上推定する、こういう特殊な規定を設けた、こういうことが第三点であります。 これらの規定は、いずれもこの種事件に対しまして、現行刑法の上で、たとえば業務上過失致死傷罪というものを適用するにあたりまして困難な問題というものがあるわけであります、そういう諸点についての解決をはかろうとしているものでありまして、刑事法理論のワク内で考えられておるところのぎりぎりの画期的な措置を講じているものではなかろうか、かように推定いたします。 次に、この法律案についておもな問題点を取り上げまして私見を述べさしていただきます。 第一は、危険犯としての罪の定め方についてであります。 公害の防止をはかるためには、実害、すなわち死傷の結果発生を待つまでもなく、事前にその行為を規制できることにすることが必要であることについては、これは異論がないと思います。この法律案も、かような観点から「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者」を処罰の対象としておりますが、法務省の当初の案として伝えられておるものを仄聞いたしますに、「公衆の生命又は身体に危険を及ぼすおそれのある状態を生じさせた者」となっていたということであります。この案から「おそれ」という部分を削除したということについて、種々論議を呼んでいるようであります。ただ、「おそれ」という文言があるにせよあるいはないにせよ、本罪を具体的危険犯としてとらえているということには、これは少しも変わりはない。 元来、「危険を生ぜしめた者」という文言は、すでに現行刑法の第百十条の建造物以外の放火罪、第百十八条のガスの漏出罪というようなものに用いられている表現でありまして、その解釈も学説、判例もほぼ確定しておりまして、実害発生の可能性のある状況をいうのだ、実害発生の切迫性や高度の蓋然性は必要でないというふうにされております。そこまでいかなくてもいいのだ、それより前の段階でよろしいのだ、それが実害発生の可能性という危険性で押えております。したがいまして、この実務上確定した表現を用いましても、相当程度の事前の規制を行なうということは可能じゃないかと考えます。 他方、「危険を及ぼすおそれのある状態」という文言は、行政罰則中にこれに類する表現を用いているものもありますが、刑事法中にこれを取り入れるということについては、行為の類型としての概念の不明確性という疑念を指摘されるという問題があります。どの段階が一体「おそれ」であって、どの程度まで進めば「危険」になるのだということは、これはもとよりケース・バイ・ケースということで、一がいに申し上げることは困難でありますが、「おそれ」という概念は、「危険を生ぜしめた者」の概念が判例、学説上定着しているというほどには定着していないということはいえると思います。 それでは、「危険」と「おそれ」ということは観念上異なるかといえば、これは異なるということがいえる。「おそれ」のほうが「危険が生じた」というより一歩手前の概念であるかもしれません。ところが、「危険を及ぼすおそれのある状態」と「危険を生じさせた」という状態の中身は異なるかというと、これは全然同一である。つまり、犯罪の対象とする有害物が一定竜蓄積されたというい状態であります。 それでは、「おそれ」という時点で、犯罪の既遂と認定するには、現実問題としてどうすればいいかという問題があると思います。たとえば、先般国会で取り上げられた事例のように、水底の微生物が工場の有害排出物によって、犯罪の対象となる程度に汚染されたと仮定いたします。しかし、このことは、だれがどこで、いつ、どんな地域で、どんな方法で一体認定するのでありましょうかという疑問がある。これは、犯罪の既遂の認定をその時点でとらえるということは、かなり困難が伴うのではないかということが考えられる。もちろん、困難と申しましても、川と海とでは困難性は違う、これは考えられる。 いま、かりに工場等の排出物が、どの程度の時間を経過すれば水底の微生物を犯罪の対象となる程度に汚染するかなどという科学的証明を一切抜きにいたしまして、捜査の結果——捜査といいましても、犯罪の嫌疑がなければ捜査はないのでありますが、その結果、水底の微生物汚染の結果が科学的調査の結果判明いたしたとしまするならば、その段階で、「おそれ」として危険罪は既遂と認定することができます。しかし、右のような時間的経過の段階で、「おそれ」を認定いたしたといたしましても、その微生物が魚介類の常食であるということが前提ならば、すでにその時点では、その魚介類の体内にも同程度の有害物質が蓄積されていると見るのが通例じゃないかというふうに考えます。したがいまして、この点の詰めが具体的に判明しないで、「おそれ」という危険性の近接論だけを論議するということは、実りのない議論に終わる、それこそおそれがあります。むしろ通常の事態では、魚介類の汚染程度の発見から逆及いたすということになるのではないかというおそれがあるのであります。 しかし、他面またこの法案の目的というものは、第一条で「他の法令に基づく規制と相まって公害の防止に資する」となっております。ではこの場合、直接関係のある「他の法令」とは何かということになりますると、大気汚染防止法の一部改正案及び水質汚染防止法案が用意されておりまして、いずれも直罰規定を設けることとなっておるようであります。それによりますると、いずれの法案においても、排出基準に反する排出をした者は「六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。こととしておるようであります。すなわち、前述した事例の水底の微生物等の汚染状態を待つまでもなく、有害物質排出の時点において予防措置が講ぜられるのであります。 そうしてみまするならば、本法案において、「危険を生ぜしめた者」の時点で、危険犯としてこれをとらえるという考え方は、法案第一条の「他の法令に基づく規制と相まって公害の防止に資する」という立法目的に沿えるものであるというふうに考えます。したがって、その意味におきまして、提案どおりの表現とするのが適切であると考える次第であります。 第二は、この法律案が処罰の対象を「人の健康に係る公害を生じさせる行為」に限定していることについてであります。この点につきましては、財産権に対する被害をはじめ、騒音、振動、悪臭等の生活環境全般にかかる公害についても、この法律案による処罰の対象にすべきではないかという御意見があろうかと思います。 生活環境の保全は、もとより私どもにとりまして重大な関心事でありまして、私個人といたしましても、可能な可罰規定がもしできるならば、それにこしたことはないと考えます。しかし、この問題は、生活環境を侵害する行為のすべてを公害罪としてとらえて、刑事法の対象とすべきかどうかということはおのずから別の問題ではないかというふうに考えます。と申しますのは、生活環境にかかる被害といいましても、たとえば庭木が枯れる、洗たくものがよごれるから始まりまして、飛行機の騒音、自動車、ラジオ、テレビ等電波放送の騒音等、その内容はあまりにも多種多様でありまして、これを一律に同じ犯罪として、刑罰の対象として公害罪に取り込むということは可罰的評価に差異があります。それに類型性に欠けるばかりでなく、実際問題として相当ではないのではないかというふうに考えられます。その上、法理論として見ましても、このように、それらの中には一般に違法性の低いと考えられる類型の犯罪に対してまで、実害がいまだ発生していないという段階の、危険の段階で処罰するということは許されないのではないかという、法理的な疑問があります。 このような生活環境にかかわる被害を生じる公害につきましては、国民のモラルの問題として、または民事法規における不法行為の問題として、さらには関係行政諸法令上のきめのこまかい施策によりまして対処していくべきが当面の筋道ではないかというふうに考えます。 第三は、共犯関係、つまり共謀関係のない多数の者が同時に有害物質を排出して公害を生ぜしめるという、いわゆる複合公害の問題であります。 この法律案は、規定のしかたから見まして、このような複合形態の公害は処罰の対象にはならないものとしていると解釈されます。しからば、このような複合公害をどう扱うかということは、推測いたしまするに、基本的には立法政策の問題であろうというふうに思います。すなわち、右のような複合形態の場合に、結果に対する寄与の度合いのいかんにかかわらず、そのすべてを一律に処罰の対象といたしますれば、ほんのわずかな量しか排出していない者もこの法律案の対象に含まれるということになりまして、理論的にはともかくとして、実際問題としては著しく妥当を欠く、こういうふうに考えます。 最後に、その他の若干の問題点に関して述べますと、その一は、第五条の推定に関する規定でありまして、いろいろの考え方の中には、公害の特殊性から見て、刑事法の大原則を変えて、疑わしきは罰すべきであり、この規定の要件をさらにゆるやかなものにしてはどうかという御意見があるようにも承ります。しかし、刑事法に刑事責任を課する推定規定を設けるということ自体は、これは画期的な立法といわなければならぬのであります。いかんとなれば、いわゆる公害関係事件の捜査、公判を通じまして最も問題となるのは、行為と危険発生という結果との間における因果関係の存否についてであるということは、容易に推測される。ところが、公害の実態を見ますと、現在の通常の科学的知識を活用しても、なおこの関係を解明し得ない場合もあり得ると考えられます。そこで、人間の健康に関係する公害という特殊状態に限って科学的証明を要せずして、因果関係ありとする法律上の推定の規定を設けたものでありまして、もし責任なしとするならば企業者側に証明をさせるという、立証責任の転換を企図したものでありまして、したがってこの種の規定を設けることは、人権保障と直接関係のある刑事責任の刑事法の性格に照らしまして、厳格な条件を定めることによって、はじめて許されるというふうに考えられます。この法律案は、有害物質を、そのものの排出だけでも公衆の生命または身体に危険が起こる程度に大量に排出することや、その排出で普通発生するであろう地域内に、同種類の有害物質による危険が現に起きているということを条件として定めております。この程度のことは、その内容から見まして、疑わしきは罰しないという刑法の大原則の精神を貫いておるというふうに考えます。 その二は、法人の犯罪行為能力を正面から認めてはどうかという点についてであります。この点は、まだ刑法理念の上で解決されていない問題である上に、この罪についてだけそのような理論を採用するということは困難であろうと思いますので、やはり従来どおりの立法形式によることが相当であると考えます。 その三は、いわゆる食品公害を含めるかどうかという問題点があるようであります。御承知のように、この種のものは公害対策基本法に含まれておりません。検討されておることとは思いますが、含まれてないということにはそれ相当の理由があるのではなかろうかと思います。 前述のように、本法案のたてまえというものは、基本法に含まれている公害を前提として、その中でも、人の健康上被害防止の急務とする公害に限っておるのであります。公害といまだ認定されないものを本法案の対象とすることは、公害防止に関する他の法令に基づく規制と相まって公害防止に資することを目的とする法案の立法目的に沿わないことになるので、右種類のみを直ちに刑事法の対象とする公害としてとらえて具体的危険犯とすることは、立法技術的に見ても相当でない、かように考えます。 さらに付言いたして申し上げるならば、食品に人の健康を害する物質の混入を禁止したものに、食品衛生法四条、五条があります。これらの規定を含めて言えることは、およそ食品に人の健康を害する物質を混入することは、基準を越えるの越えないのという問題ではないのであります。絶対に混入を禁止する問題でありまして、混入した時点においてすでに既遂犯であります。本法律案が対象としている具体的危険犯とは異にするということがここで明瞭であるというふうに考えられます。ことに有害物質を混入しておきながら、人の生命、身体に危険を及ぼすおそれのある状態とか危険が生じた状態まで待って処罰するということは、それ自体危険犯になじまないものといわざるを得ません。 したがいまして、この種の事犯は、現行刑法の業務上過失致死傷罪とか関係行政法令を十分活用して所期の効果をはかるべきが適当であると考えます。 第四は、刑についてでありますが、この法律案以上の重い刑を科すかいなかという点であります。この法律案の刑は、刑法上のガス漏出罪とか業務上過失致死傷罪との対比上、あるいは対象となる企業にはさまざまな規模のものがあること等を考慮されて、この法案程度の刑ができたと思うのでありますが、私はこの程度のものが相当であろうかと考えます。 以上の理由をもちまして、私はこの法律案に賛成をいたします。 以上でございます。(拍手)
○高橋委員長 次は藤木参考人、お願いいたします。
○藤木参考人 御指名にあずかりまして、ただいま御審議中の人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案につきまして、私のさしあたり考えておりますところを述べさせていただきたいと存じます。 まず、結論から申しますと、人の健康を害する公害を犯罪として罰するというこの法案の基本構想につきましては、全面的に賛成いたしたいと存じます。しかしながら、今回内閣提出という形で出ております法律案には、いろいろ不十分ではないかと思われる点もございます。そこで、この点について御審議にあたりぜひとも御考慮をわずらわしたいと存ずる次第でございますので、この点についても申し述べさせていただきたいと存じます。 まず初めに、公害を刑事犯とすることについて賛成であると申しましたその理由でございますが、これまで公害は、社会観念上だれが見ても許されない犯罪、いわゆる刑法上自然犯と呼ばれるものでございますが、そのような犯罪であるということが一般には必ずしも承認されておらず、むしろ産業発展のやむを得ざる副作用であって、国民はその被害をがまんすべきである、こういう考え方が強かったように思われるわけでございます。しかし、いまや、たとえ産業発展に必然的に伴う副作用的な害悪だからと申しましても、それを国民にがまんせよと言うことはもはやできない。むしろ国民の健康にそのような害を与えるような行為は、たとえ産業開発に必要なことであっても当然に許されない犯罪であるということをはっきりさせる、そして有害物の排出を伴うような企業活動をしておられます企業関係者の方々に自粛自戒をお願いしなければならない、こういう段階になったわけでございます。その意味で公害を単に国の定めた各種の排出基準、いわゆる環境基準の違反、つまり一種のルール違反ということで規制するだけではなく、直ちに国民の健康に害を与えたものについては犯罪として罰する、こういう形にしております。この法案の考え方は、公害についてのものの考え方のいわば百八十度の転換を意味するものといたしまして、公害対策としてまことに重要な意義を持つものと存ずる次第でございます。そのような意味合いで、公害罪法案と俗に呼ばれておりますこの法案の根本的な考え方には全く賛成でございます。 しかしながら、ここに提出されております法案の個々の規定を拝見いたしましていろいろ考えてみますと、なおいろいろお考えを願いたいと思うような点があるわけでございます。 第一は、処罰の対象となる公害の種類についてでございます。 法案では、処罰の対象となります公害の種類を、工場または事業場における事業活動に伴って有害物質を排出することにより発生するもの、こう限定いたしております。この限定につきまして、まず犯罪の主体を「工場又は事業場における事業活動」こう限定しております点はまことに正当であろうと思われるわけでございます。いわゆる都市公害と申しますような個人の家庭排水などの集積による公害を犯罪として罰するということは実際上も不可能でありますし、同時にまた、公害の被害者という面を持つ一般市民にかえってこれを加害者として刑罰を科するということが適切でないということからもいえるのではないかと思います。 しかしながら、この主体は工場または事業場における事業活動に伴うもの、こう限定することはよろしいのでございますが、その公害の内容は結局大気汚染、水質汚濁の二つにしぼられるということになろうかと思われます。公害対策基本法などにあげられております公害のうち、この二つが特に公衆の健康を脅かすという点で放置しがたい重要なものである。そのような点からこの二つを特に取り上げたということについてはまことにけっこうな御判断であろうかと思われますけれども、しかしながら、その判断の基準といたしまして、公衆の健康を脅かす点で特に重要である、こうお考えであったといたしますならば、公衆の健康を脅かす公害、あるいは厳密な意味では公害とはいえないかとも思われますけれども、公害に類する大規模な災害ということになりましょうか、そのようなものといたしまして、飲食物、薬、化粧品そのほかいろいろな食器や家具などについております塗料などの添加物、それからおもちゃなどについております添加物、こういったいろいろな種類の有害物質の付着した薬品、食品、化粧品、家具、食器、おもちゃなどに伴います被害というものは、これはいずれも直接体内に摂取されるというものであるかあるいは直接はだに触れるというものによって起こる被害でございます。その意味で、これらのすべてを取り上げるかどうかは別といたしまして、少なくとも食品公害あるいは薬品、化粧品などの公害といわれるものにつきましては、この法案の提案趣旨からいたしまして、ぜひともこのような種類のものをこの法律の中に含めるということについて御考慮願えないだろうか、こう存ずる次第でございます。 現に、たとえば大規模な食中毒事故というものは過去何回も起こっております。ミルクの中毒事件であるとか、油の中に機械の有害な塩素物質が入ったというようなことによって起こった大規模な災害というものが現に発生しておるわけでございますし、また睡眠薬による奇形児の被害というようなものも発生しておるわけでございますし、それらの被害は長期にわたって現在までなおその傷あとを残しているというような点からいたしますと、大気汚染、水質汚濁に伴う公害以上に重大な被害を国民に及ぼすものではないか、こう考えるわけでございます。 そのほか、技術開発に伴って各種の建材、有機物質が日常の生活に使われるようになりますと、将来そのような被害がいつ発生するか予測しがたいものがあるわけでございます。その意味で、こういった種類の災害についてもぜひとも立法にあたりまして御考慮願いたいと、こう考える次第でございます。 第二点は、処罰にあたって具体的な被害を待たず、できるだけ痛ましい犠牲者が現実に発生するより以前に、事前に被害を防止するということができるような形の法律であってほしいと、こう考えるわけでございます。この点で、この内閣提出の法案は、有害な物質の排出により公衆の生命または身体に危険を生じさせたときに処罰する、こういういわゆる具体的危険犯の規定となっているわけでございます。確かに生命または身体に対する具体的危険の発生で罰するということは、実害発生以前に罰するということに比べますと一歩前進した点があるわけでございます。しかしながら、その具体的危険の内容ということを考えてみますと、この危険の発生という概念はややあいまいな点もございますが、大体これまでの学説や判例で固まってきております線に沿ってまあ厳格な解釈をしてまいりますと、例といたしまして有毒物質として水銀をあげてみますと、水銀中毒患者がすでに発生したと診断される場合には、これは障害そのもの、具体的な被害の発生でございますが、その具体的危険を発生させたという時点は一体どのような点であろうかと考えてみまするに、結局、水銀の中毒患者であるとはっきり診断はされない、しかしながら、身体に水銀が相当大量にたまっていて、いつ発病するかもしれない要注意患者であると、こういった程度の診断がつげられたときに、その当該個人に対する生命、身体の危険が生じ、かつそのことを知った付近の同じような物質を食べている、同じような魚を食べているような人々が、自分も同じ病気にかかるんじゃないかという不安にかられる、こういう意味で公衆の生命、身体に対する危険が生じたと判断されるわけでございます。しかし、その段階は、どうも危険と限定いたしますと、水銀を含んだ魚を食べたという段階だけでとらえるのは少し無理で、少なくとも何らかの異常の徴候が見られる、経過観察を要するという程度にならなければ危険といいがたいのではないかと、こう思われるわけでございます。 そこで、このような点からいたしますと、実は住民の不安という点から申しますと、日常食べております魚が水銀でよごされているらしい、特に川の水の中に大量の水銀が流れている、こういう事実がわかったとか、あるいはイタイイタイ病などの関係ではカドミウムが井戸水をよごしているというようなことがわかった、こういう段階で、しかも現実にその有害物質が住民のからだの中に入っているということが検診の結果わかったというくらいの状態になりましたときには、司法権を発動させまして、そのような排出をストップさせるような機会を持ちますことが、住民の保護のために不可欠ではなかろうかと、こう思われる次第でございます。 かような観点からいたしますと、法務省が要綱としてかつて公にした段階の条項のように、「公衆の生命又は身体に危険を及ぼすおそれのある状態」いわゆるおそれ条項でございますが、このおそれ条項が含められることが被害の早期発見、早期の防止ということにとってきわめて重要なことではなかろうかと思われるわけでございます。おそれ条項がございませんと、ただ川や海がよごされており、その中の魚から水銀が発見されたという程度の段階では、ちょっとこの法律を適用することはできないのではないか。かなりの精密検査をして要注意患者ぐらいまで診断される人がいなければこの法律は動かないのではないか、こう思われるわけであります。これはあるいは私の個人的な解釈理論の至らざるところであり、ほかの方方においては、当局におかれては別の解釈をおとりになるということもあるのかもしれませんけれども、そのような点からいたしまして、私といたしましては、おそれ条項の復活と申しますか、おそれ条項を挿入するというようなことをお考え願えないであろうかと、こう考える次第でございます。 第三に、この推定規定についてでございます。第五条では、厳格な条件のもとに因果関係の証明について推定で足りる、そこに掲げられました前提要件が立証されたときには、当該工場または事業場のほうで自分の排出した物質によってその病気が起こったものではないんだ、こういうことを証明する責任を転換する、いわゆる挙証責任の転換を行なう、こういう規定が設けられているわけでございまして、これは先ほどの稲川参考人のお話にもございましたように、因果関係の立証というものが科学的にいろいろ不明な点が少なくないというようなことから、とかくまあこまかな科学論争に事件が持ち込まれまして訴訟が長引く、そのため被害の防止、被害者の救済ということに非常に難点が生ずる、こういった点を緩和するためにきわめて有益なことであろうかと思われるわけでございます。かような推定規定を設けるということについて全面的に賛成いたしたいと存じます。 しかしながら、この推定規定の第五条におきましては、「工場又は事業場における事業活動に伴い、」「公衆の生命又は身体に危険が生じうる程度に人の健康を害する物質を排出した者がある場合において、」という、この前段と後段の中間に「当該排出のみによっても」こういう条項が挿入されているわけでございます。この条項の趣旨といたしましては、たとえば四日市公害のようなタイプの何本かの煙突の排煙が、その排煙の中に含まれております亜硫酸ガスが合体して住民に被害を及ぼす、こういったタイプの公害被害については推定規定を適用しない趣旨だ、こう説明されているわけでございます。しかしながら、複合公害でありましても、同じ物質を数カ所の煙突から排出している、たとえば煙突が五本ありまして、その煙突からいずれも亜硫酸ガスが排出されている、それぞれ一つ一つは有害な分量には達しないけれども、全部合算すると有害な分量に達するというような場合には、刑法の実体法の理論といたしましても、それぞれの煙突から排煙しております事業場において他の事業場の排煙と自分の排煙とが競合するならば被害を生ずる可能性があるということを知りながら排煙しているという場合には、これは相互にそれぞれの煙突と被害との間に因果関係を認めることができるのではないか、こう考えられるわけでございます。 そのような観点からいたしますと、この推定規定につきましても、たとえば工場の亜硫酸ガスでぜんそくにかかったという主張をする被害者に対しまして、実はその被害は五つの全体の工場から出た亜硫酸ガスによるものではなく、他の原因によるものである、こういう反論をすることも十分に考えられるわけでございますから、したがって、かような場合に、たとえば亜硫酸ガスをのどにどのくらい吸収すると被害が生ずるか、あるいはその亜硫酸ガスにさらされている人がのどをやられることについて他のいろいろな心身の特殊事情などが作用しているのではないか、こういったこまかな点にわたって反論をするということによる訴訟遅延を防ぐという意味では、やはり複合公害の場合でありましてもこの五条の推定規定を働かせておく意味があるのではないか、こう考える次第でございます。 そのような意味において、この第五条の複合公害から推定規定を除外するという趣旨の規定はいささか疑問を抱かざるを得ないわけでございます。 なお、推定規定については、さらに同じ有害物質を数カ所で排出しているという場合に、その排出を少なくとも故意に行なっているというようなものについては、それぞれ具体的な被害が自分のところの排煙によって生じたものでないということを積極的に証明しない限り、因果関係ありと判断されるというような趣旨の推定規定を設けることも一つの考え方ではなかろうか。これにつきましては、なお多少推定の幅を広げ過ぎることになるのではないかという反論もあり得るかと思いますし、将来の研究課題にいたしたいと思うのでございますが、このような問題もあるということもお含みの上、御審議の御参考にしていただきたいと存ずる次第でございます。 以上、簡単でございますが、要するに、公害を犯罪として罰するという基本方針については全く賛成でありますけれども、なお欲を申せば、処罰される公害の範囲の中に食品や薬品、化粧品あるいは食器類その他日用品の塗料などから生ずる被害についても御考慮をいただけないであろうか、この点。第二点といたしまして、いわゆる「おそれ」という条項を復活と申しますか、挿入するということにお考えいただげないであろうかという点。第三に、推定規定の第五条の「当該排出のみによっても」という条項は、はたして必要なものであろうかどうか、これは要らないのではないか。こういう三点につきまして私の意見として申し述べさせていただきました。何とぞいろいろ御審議の御参考にしていただければ幸いでございます。(拍手)
○高橋委員長 それでは、次に宮崎参考人にお願いいたします。
○宮崎参考人 ただいま稲川、藤木両先生からいろいろと御意見の開陳がございました。時間の制約もございますので、私は簡単に所見を申し述べさせていただきたいと思います。 元来、公害罪というようなものを設ける、あるいは公害罪を処罰する、そういう規定を設けるということの根本的な意義、それがどこにあるかといえば、先ほどもちょっと藤木先生が触れられましたけれども、従来公害現象というものは適法な事業をやっていく上でやむを得ない、必然的に出てくる必要悪として認容されてもいいのだ、そういう考え方であった。それが今日ではそういうことではいけないのだ、たとえ適法な企業、適法な事業に伴って出てくる問題であるにしても、それにはそれ相応の処置を講じてその防止に努力しなければならないのだ。それを怠って、そうしてことに人の生命や身体に害を加えるような、そういうことは道義的に見てもはや容認できないのだ、こういう認識でございます。 今日、このことはもうほとんどの方は肯定されておられると思いますけれども、私どもが刑法の全面改正の審議にあたりまして、公害罪というものを設けることを計画いたしました。その当時におきましては、まだまだそういう考えは十分には定着していなかったようでございまして、当時は設けることそのもの自体にえらい反対が見られたわけでございます。ところがそれが一昨年、四十三年の秋でございますけれども、その後、御承知のように公害の問題が、事件の発生数あるいはその質あるいは量、あるいは国民の公害に対する意識の高まりといったようなものが、比較にならないほど急速に高まってまいりました、増加してまいりました。そういう時点におきまして、刑法の全面改正を待たずしてこういう法律をつくるということについては、むろん私として大賛成でございます。 ただ、全面改正におきましては、まだ全部完了するというのに多少の日子を要することでもありますし、またこまかい点になりますと、たとえば法人の処罰とか、あるいは推定規定を設けるとかいうような問題につきましては、現在の刑法理論の立場からは異論がまた少なくございません。そういうことでこういう特別法というものを企画されましたことはまことにけっこうなことであり、国民の切実な要望にこたえる答えの一つであるというふうに考えております。したがいまして、基本的にはむろんこの案に賛成でございます。 ただ、これはもうおわかりとは思いますけれども、いま申し上げましたような公害を発生せしめるような行為、これは全部だとはもちろん言いませんけれども、そのうちのあるものが、先ほど申しましたように道義的に見て許されないんだ、固有の意味における刑法的な犯罪だということの認識、それを明確にするということの意味、それともう一つは、もっと実際的な、つまりこれによって公害の発生を防止するあるいは少なくする、こういう実際的な、実践的なねらい、この二つがとかく混線するのであります。どちらにウエートを置くかということをことばで申しますと、いろいろ誤解を生ずるわけでございますが、いずれにしてもこの二つが問題になってくる。 そこで、あとのほうの実際上こういう法律をどういうふうに実効性を持たせるかという問題から見ますと、いろいろな不備な点が出てくるわけです。どんな立法をいたしましても不備な点が出てくるのです。これは自分の経験ばかり申し上げて恐縮でございますけれども、私が全面改正にあたりまして他の方々といろいろと論議いたしました経験上、それが言えるんでございます。ことに御承知のように、公害は他の現象に見られないような、いろいろな複雑な問題がからんでくる。複合現象とかあるいはまた集団現象とかあるいはまた責任者の交代とか、あるいはまた行為から結果への因果関係の複雑性とかいったいろいろの問題を含んでおります。これらの問題をどこから見ても余すところなく十分な立法をさしあたってやろうということは、これはまことに困難なことでございます。したがいまして、立法にあたりましてはある程度の不備は、これは認容していく。もっと根本的なところへひとつ頭を置いた上で、立脚した上で、とにかくこの法律を成立させるという形でお考えを願いたい。こまかい点はあとでまた申し上げますが、こういうふうに考えるわけでございます。 そこで、先ほどの「おそれ」という問題でございますが、確かにそういう案もございました。大体「危険」の概念というものは、これは幅のあるものでございます。またドイツの参考書などを見ましても、かなり説明のしかたに違いがございます。それで、ある一つの状態、ツーシュタントだということはみんな一致しておりますけれども、そのどういう状態をゲファール、危険というのかということになりますというと、人によりまして説明がさまざまでございます。詳しいことは時間がございませんから申し上げませんが、ただ日本の判例といたしましては、先ほど稲川先生があげましたように、ある程度広く理解はしておるように考えるわけでございます。たとえば、百十条の放火罪につきましては、「放火行為によって一般不特定の多数人をして前掲第百八条及び第百九条の物件に延焼する結果を発生すべき虞れありと思料せしむるに相当な状態を指称する」この「おそれ」があると考えられるような、そういう状態というふうな説明あるいは可能性、実害が発生する可能性が考えられるような状態、そういうふうな意味でことばを使っておる判例もあるようでございます。しかし、それに対しましても、幅はございます。したがって、先ほど藤木先生がおっしゃったように、この案によりまして、公衆の生命または身体に危険を生ぜしめた、こういう場合に、どこをどういう段階において危険を生ぜしめたということになるか、これは今後の学説あるいは判例を待つよりいたしかたがないことだと考えます。ただ、私自体の考えといたしましては、この原案のようでありましても、先ほどあげました例、魚の水銀の場合を考えますというと、食用に供せられるような魚介類の体内に、それを食すれば健康なり、生命なりに影響を及ぼすと思われる程度の物質が蓄積されておるということであれば、まずまずそこまでは私は原案でいけるのだというふうに考えております。もちろん、それではまだ早いのだ、現実に人体にある程度有害物質が蓄積されでなければ、まだ危険とはいえないんだという解釈も成り立つとは思います、あるかもしれません。そういう解釈が行なわれるかもしれませんけれども、しかし、おそらく私はそれを越えて、食用に供せられる魚介類あるいはまた稲に相当量のカドミウムといったようなものが含まれておるということであれば、その状態においてはすでに危険を生ぜしめたということができると判断しております。ただそれより前の状態、たとえばその魚類のえとなる物質あるいは土壌それ自体が汚染された程度であって、農作物にはその影響が見られないといったような段階では、この案ではいけない、こういうふうにやはり考えます。 そういうわけでありますから、「危険」とした場合と、それから「身体又は生命に危険を及ぼすおそれのある状態」というふうにいたしました場合とでは、理論からいたしますれば確かに違いがございます。ないとは申しませんと私は思います。しかし、稲川先生も言われましたように、それでは実際の場合にそれが非常にデリケートに響くかというと、それほどではないということ。私の考えとしては、「危険を及ぼすおそれのある状態」というほうが、理論的には、前の段階でとらえ得るという点で確かに一理ある、あるいはベターであるということはいえると思います。いえると思いますけれども、しかし、今度はその「危険を及ぼすおそれのある状態」という、その概念自体をとらえてみたときにどういうことになるか。大体「危険」という概念が、すでに先ほど申しましたように、おそれあるいは可能性というものを含んでいるわけであります。そのおそれなり可能性なりを生じさせるようなおそれということになりますから、言いかえてみますと、おそれを発生させるようなおそれとかあるいは可能性を生じさせるところの可能性とかいったようなことになるわけであります。こういう点に、ちょっと見たときにはことばのあいまい性といいますか、それがあるわけです。おそらく、どういう段階まで来たならば既遂になるかという、そういう問題についてしろうとの方が疑点を持たれる、普通の国民が疑点を持たれるとすればそういう点にあるのじゃないかと思う。 ただ、私は学者といたしましては、その危険という場合の「おそれ」、それとさらにその危険を生じさせるようなおそれという場合の「おそれ」とは、意味が違ってきて、したがってそれは十分考えられることだとは考えております。ですから、「危険を及ぼすおそれのある状態」というようなものが、矛盾であるとか成り立たない、そういう概念的に成り立たないということは申しません。しかし、今度そうした場合に、普通の人が通俗的に見て何か不安を感ずるということも否定できないと思うのであります。その点もあわせて御考慮願いたい。 それでは、おまえはどういう考えを持っているのかといえば、それは学者としてほんとうにこの条文ができたときに解釈した結果はどういうことになるかといえば、私はやはり「おそれある状態」というふうなことばを入れたほうがベターであるとは思います。ベターであるとは思いますけれども、しかし、それはわれわれが学問的な領域からものを見た場合でありまして、普通の者が、国民がそれを見た場合に、これはどうもわからぬ、いつからどういうことになるかわからぬ、そういう懸念を持つこともまた考えなければいけかいのじゃないかというふうに私は思っておるわけでございます。 なお、まだいろいろほかにございますけれども、時間がございませんから、この点に対しまして何かまたあとで御質問がありましたらお答えいたしたいと思います。(拍手)
○高橋委員長 それでは、次に関田参考人にお願いいたします。
○関田参考人 ただいま、以上で三人の学者の先生から本法案についての意見の開陳がございました。私は、日本弁護士連合会の公害対策委員長でございますので、もともとの弁護士であります。いわば実務家であります。実務家の立場から見た本法案というものの本質あるいは価値というものを申し上げまして、今回の法案審議のみならず、今後前向きで前進していただくための資料にしていただきたい、こう考えておる次第であります。 本年三月に、日本の国で世界の科学者の公害に関する国際シンポジウムがございました。その外国の科学者がイタイイタイ病や四日市ぜんそくの様子を見まして、これはもはや公害ではない、犯罪ではないかとうめいたということであります。まだ昨年の議会では、公害は産業発展に伴う必要悪であるという表現がとられておったと私は記憶いたしております。それが、公害はすでにもう公害現象ではとどまらない、犯罪現象なんだという受けとめ方が必要になってき、さらに熟していると考えるのであります。ただし私は、公害による被害、特に健康、身体に対する被害が、社会的にあるいは道義的に非難し、排撃すべきものであるということについては一歩も譲りませんけれども、だからといって、直ちにこれをもって自然犯的構成要件をとって処罰すること、そういうような国家の対処のしかたがはたして妥当なのかどうかということとはおのずから別問題だと考えるのであります。その意味におきまして、人類が長年にわたって積み重ねてまいりました人権保障という輝かしい文化的成果でありますが、これといま対決せんとしている時期に再会したわけであります。その点におきまして、刑罰法規の制定にあたってはまずその刑罰法規というものをいかに受けとめるかという基本的姿勢の問題がある。 法律案によりますと、他の法律と相まって公害の防止に資するという目的をうたっていらっしゃいますけれども、これはわれわれが常に申しております、いわゆる一般予防的なものであります。刑罰の威嚇をもって公害現象を抑止せんとする。しかし、これは目的そのものと考えていただいてはいけないということは、もうすでに御承知のとおりであります。目的は公害を防止することなんです。罰することはやむを得ざる処置なんです。 しからば、刑罰の威嚇をもって公害をどれほど予防できるか、こう申しますと、これはあくまでも第二次的であるということはすでに御承知のとおりと思うのであります。したがって、公害防止の第一次目的たるべき政治的行動あるいは法律というものがあるということをどうしても忘れることはできないと私は存じます。 第二番目に、刑罰法規制定にあたって順守すべき原則と理念があります。それは二つございます。一つは、迅速、的確に犯人をつかまえてきて、しかも迅速、的確にこれを処罰すること。別なことばで申しますと、罪なき者を罰するという危険をおかしてはならないとともに、免れて恥なき徒を放免してはならぬのであります。これが迅速、的確に捕えてきて裁くという理念であります。しかし他面、人類が多年にわたって打ち立てました文化的遺産として、基本的人権をじゅうりんしてはならないという基本的人権に対する感覚であります。これをじゅうりんするようなことがあっては、角をためて牛を殺す結果になる。この点は特に御注意を願いたいと思うのであります。 さて、今回の法案は、御承知のように公害罪——「人の健康に係る公害犯罪」という表現ですが、ことばを略しまして公害罪と今後も申し述べます。公害罪は実質犯としてのとらえ方でございましょう。なぜ実質犯としてとらえたか。処罰する上において行政犯的構成要件をとることは可能であります。しかし、行政犯的構成要件をとると、それは形式犯だということばで置きかえられまして、本来罪でない者を罰せられるのだというどうも抵抗意識を黙視することになる。罰しておるけれども、われわれはほんとうは悪いことをしているんじゃない、運が悪かったのだというような法律が、これはたくさんございます。公職選挙法というようなものもその一つでございましょう。道路交通法というものもその一つでありましょうし、戦争中の食管法あるいは統制法、みなそうでございました。しかし、私は現在の段階においては行政犯的組織をとったからといって、それはほんとうの意味における実質犯ではないというような受けとめ方は間違っておる。なぜ実質犯的構成要件をとるよりも形式犯あるいは行政犯的構成要件をとれと申すかと申しますと、これは理屈と実際の差であります。理屈の上では排撃すべき悪質な犯罪なんです。けれども、実質犯で捕えにいこうとすると捕えにくいから、捕えやすい技術的方法を講じた。実質は自然犯だけれども、つかまえにいく一つの技術として行政犯的構成要件をとった。とるべきであるという一つの考え方であります。 この意味におきまして、わが日本弁護士連合会は、従前から実質犯で捕えることには非常に困難があるから、行政犯的構成要件をとって、まず環境基準というものを設定し、排出基準を定め、それに対して違反する者に対しては改善命令を出し、それになお従わない者は厳罰に処すべしという態度をとってきたのであります。先ほどから法案の第二条、第三条につきまして「人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体の危険を生じさせた者は、」これは「おそれ」があるのを抜いたということでずいぶん問題があるようですけれども、私は実際家としましては、「おそれ」があってもなくてもあまり差はないと考えております。 なぜかと申しますと、ほんとうに犯人をつかまえてくるためには、やはりだれかの被害者が出なければなりません。少なくとも一人か二人の被害者が出ない限りは、犯人をつかまえてくるわけにはまいらぬでありましょう。もしもその一人や二人の被害者さえ出ない段階においてつかまえに行こうとしますと、警察庁や検察庁は、水質汚濁の場合は日本の全水系にわたって、大気汚染の場合は日本の空全体にわたって、盛んに議論していらっしゃいますが、プランクトンにどれだけの水銀が蓄積されておるか、魚の中にどれだけの水銀が濃縮されておるかということを不断に監視していらっしゃらぬ限りはつかまえるわけにはいかぬのです。ですから、概念的には非常に抽象的危険犯に近づいて早い段階で処罰するとおっしゃいますけれども、これは早い段階でつかまえるわけにはまいらぬ。藤木先生のどこかで発表されておられるところでも、非常な実効あるものといえば、一人か二人の被害者が出たときに立証が非常に簡単になる、こうおっしゃっておる。まさにそのとおりだと思います。実際家としてはその点でございます。 その次、本件は個人のみを罰するのではなくて、法人そのものをも併罰される、こういう規定をお置きになりました。一大前進でありますが、その法人そのものに対する刑罰が最高五百万円なんです。水質汚濁の防止のために沈でん池を一つつくるのに五億円の費用を要するいう会社が、五百万円の罰金を科せられたということになれば、まさに私は喜んでとは申しませんけれども、五億円をとるか五百万円を忍ぶかということになれば、人間の凡情としていかなる結果を来たすか。 その次に、またさらに重大な問題は、罰金刑でない、企業そのものでないいわゆる懲役刑に処せられる人間は、これは会社そのものではありません。行為者を罰するのでありますから、せいぜい工場長とか技術部長とかいう下級職員といえば失礼ですけれども、決して社長そのものではないのであります。これは大きな企業になればなるほど社長そのものは具体的なことにあまり接触いたしませんので、大きな会社になればなるほど下級の人々がその責任者となって罰せられる危険がある。この点はいかにするかという問題であります。 三番目に、複合公害と担当者の交代の問題であります。もしも実質的に処罰される者が使用人であるということになりますと、公害というものは短期間に結果の出るものじゃありませんので、長期にわたって追跡していくうちに担当者が数人かわった、あるいは担当者が数人おる、あるいは危険なる状態を生ぜしめた企業が数社あるというような場合には、共犯理論の上に非常に困難な問題が持ち来たされるでありましょうが、本法案にはその共犯理論に関する配慮が欠けていると私は思うのであります。 さらに、実際家として皆さん方に非常にお願いしておきたいのは、推定規定を持ち来たされた点であります。今回の公害罪が実質犯的構成要件をとられたために非常に画期的な処置をされなければならなかった。その一つは推定規定でありましょう。ところが、この推定規定というものは、疑わしきは罰せずという人類が長い間にわたって打ち立てた輝かしい金字塔であるそれを譲り渡すことになるのではないか。これは第一の疑点であります。 さらに、第五条の推定の規定をしさいに検討いたしますと、二つの厳格な要件を置いていらっしゃいます。一つは、当該排出のみによっても危険な状態を生じ得るという要件と、同種の物質によって危険な状態が生ずるという二つの要件であります。これは提案者である政府のほうでは、推定規定を置いたけれども、非常に厳格な要件のもとに推定規定を置いたんだから安心してくれという話でありますけれども、もしもそれほど厳格な規定のもとにおける推定規定ならば、あまり働きません。もし働くものならば、非常に危険なものになる。私はその点からいいますと、あまり効用を発揮しないような推定規定を持ってきて、一方では非常に重大な文化遺産を売り渡すというような結果になることをおそれるのであります。どうかこの点におきましては、他の点においては現在の段階においてこの法案を成立さしていただくことは非常に歓迎するところでありますけれども、実際家であり、あるいは弁護士会といたしましては、この刑罰法規の中に推定規定を持ち来たすことだけは御一考願いたいと思うのであります。 しからば、公害犯罪者を見のがしておくのかということに相なるのでありましょうが、われわれとしてはもっと早い段階において処罰する方法がある。願わくは公害対策基本法、各種の規制法令、環境基準、排出基準、これを整備していただきまして、それに関し指導し勧告を与え、さらに行政命令を発して改善命令——停止命令であります。この行政命令を発してなお従わない者には厳重なる処罰を加えていただきたいと存ずるのであります。先ほど、本法案におきまして実際に懲役刑に処せられる者は下級の職員におちいるおそれがある、少なくとも工場長とか技術部長になるおそれがあるが、もしも改善命令を出して従わないから処罰するということになれば、改善命令はおそらく社長に向かって発せられるでありましょうから、社長そのものを罰することもできるのではないか。 この意味におきまして、本法案を成立せしめられました以後においても、どうぞ以上申し上げました行政犯的構成要件を持った、実質的にしかも早期に排出の段階において捕えてきて処罰することのできる法案を一日も早く提出していただくことを、切実にお願いするものでございます。 以上でございます。(拍手) —————————————
○高橋委員長 これにて参考人の意見の開陳は終わりました。
○高橋委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。 なお、宮崎参考人は所用のため十二時に退席したい旨の申し出がありますので、宮崎参考人に対する質疑を先に願いたいと存じます。 申し出がありますので、これを許します。鍛冶良作君。
○鍛冶委員 これはどの参考人にも同じことを聞くことになるのですが、宮崎さんお急ぎだから宮崎さんに対して先に……。 あなたのおっしゃることでは、要するに「おそれある」という規定はとってもとらぬでも同じことだというような、むしろあったほうがいいんだという、それがよくわからなかったのですが、もう一ぺんそれをはっきり……。あなた方の趣旨からいうと、あったほうがいいと思うが、何か庶民のほうではこれを疑うように思うからないほうがいい、このようにも聞こえましたが、この点もう一ペんはっきり簡明におっしゃってください。
○宮崎参考人 その趣旨は、非常にデリケートな問題ですけれども、確かに早い段階で捕えようというその目的だけから考えますと、「危険を及ぼすおそれのある状態」というような文言が適当であろうと思います。が、しかし、同時にそれでは早い段階が、そういう表現を使ったときにどこから始まるかということになりますと、これまたあいまいな点が出てくるのではないか。少なくともやはり専門家のかなりの検討を必要とすることになろう、そういう面もお考えをいただきたい、こういうことなんでございます。
○鍛冶委員 そうすれば、なくて、危険が出たというときに捜査を始めるということがよろしい、こういうことになるわけですね、結論は。
○宮崎参考人 それは、私どもが専門家として考えた場合を見ますと、裁判所の合理的な解釈というものをある程度信頼しなければならぬから、ですから「おそれある状態」というような文言を使用しても差しつかえないとは思います。思いますけれども、しかし、懸念という点からいえば、先ほどお話ししたような、それではいつからだ、初めはどこからとるんだというような疑問が起こるから、そこでその点は考慮した上で、同時に今度は「危険」というふうにいたしましても、必ずしもそう狭くとる必要もなかろうから、立法は妥協と申しますから、場合によっては原案のようで通過させていただいてけっこうではないかということなんでございます。希望は、理屈からいってどちらがベターかといえば、やはりあったほうがいいのです。「状態」というふうにしたほうがよろしゅうございますけれども、しかし、それだけで立法が解決すべき問題ではありませんから、それらの点を考慮した上でぜひともというふうには私は考えないということです。
○鍛冶委員 そうだとすると、私はたいへん考えが違う。そこをはっきりしたがった。私は原案を見る前からこれはだめだと思いました。その理由は、いやしくも刑罰法規ですから、「おそれある」などということは、「おそれ」とはだれが判断するか。これはだれでも、被害を受けた者もおそれある、ながめていた第三者もおそれあるといえるし、これを判断する者もおそれあるということをいえるし、みんな主観によって違います。刑罰法規にそういう千差万別のものをもって臨むということは、刑罰法規としてはおもしろくない。やはりこういうことがあれば罰するんだというめどをつけなくちゃいかぬ、こういう意味でわれわれは言うたのです。あなたの言われる俗論というのはその点だろうと思うのですが……。
○宮崎参考人 そのとおりでございます。
○鍛冶委員 そういう意味でわれわれはいまでも直してよかったと思っておるのですが……。
○宮崎参考人 「おそれ」ということばは、なるほどおっしゃるような意味にも普通とれます。とることもできますけれども、法律の専門家が解釈をいたしますれば、そういうふうな解釈はいたしません。客観的な意味において「おそれ」ということを考えております。それもいままでの判例にも十分あらわれて、危険そのものの中にもう「おそれ」ということばを説明してあるのです。危険というものを説明する場合に「おそれ」ということばを判例は使っておるのです。しかし、それは客観的な意味で「おそれ」ということをいっておるわけです。ですから、法律の専門家が「おそれ」の解釈をする場合だったら、そういう心配は要らないのです。要りませんけれども、しかし、先ほどお話ししたように、普通の方がそうはお考えにならないだろうということを申し上げたのです。
○鍛冶委員 あなた、先ほど魚の例を言われましたが、法務当局の答弁は、いつでもとれる状態にある魚に毒物が入ったとすれば、もうそれで危険な状態だ、こう申しております。ところが、川に濁りができた。これがどういう濁りであるか知らぬが、人によってはこれは毒物かもしれぬ、いやこれはどうも単なる山くずれの濁りだと言うかもしれぬ。これでもやっぱりおそれありと言われますね。こういうようなことからいうとすれば、それはどうも何でもおそれありということになり得るから、われわれはいやしくも魚に毒物が入ったという程度でこれをつかまえるというものでなったら、刑法というもののつかまえどころというものがなくなる、こう考えております。その点はひとつあなたと違うことを、もう一言だけ申し上げておきます。
○宮崎参考人 私は違うとは考えませんけれども……。
○鍛冶委員 違わなきゃよろしいでしょう。
○高橋委員長 畑和君。
○畑委員 ちょっと参考人の方にお聞きしますが、宮崎先生が早くお帰りになるようでありますので、ほかの先生にもお聞きしたいことがまだあるのですけれども、宮崎先生早く御退室になるということを前提にして、宮崎先生に伺います。 いまの「おそれ」ですが、先生のおっしゃること、私も法律家ですからわかります。ただ問題は、「おそれ」というのは非常にあいまいな構成要件である、こういわれております。しかし、刑事法規には「おそれ」というものはないかもわかりませんが、実際には判例において「おそれ」ということはある。しかもそれを相当客観的にとらえるということにおいてもう一致しておると思う。したがって、そうたいした違いはない。「おそれ」があったほうが事前において規制できるということで、よりベターであるけれども、実際の適用においてはそうたいした違いはないであろうというお説だったと思います。問題は、法律家としてはもちろんそうした客観的にとらえることが必要だが、この法律のねらいとするところは、やはり一般的な警戒あるいは予防、抑止力、こういうことに相当ねらいがあると思うのです。そういう意味で、一般的な国民に対する警戒という意味では、この「おそれ」はあったほうが、先生のおっしゃるベターという音一味よりももっと、あったほうがそういう意味でよろしいと思うが、その点はいかがでしょう。
○宮崎参考人 仰せのとおりでございますが、いまの「おそれ」という表現を使ったほうがいいか悪いかということについては、やはりいろいろな方面から検討しなければならないのであって、ただ抑止力という方面からだけ見ることは行き過ぎではないか、こう考えておるわけなんであります。 先ほど私、根本的な問題として——法制審議会でもそうなんですが、いつもこういう問題に触れて、根本の問題、つまり公害の犯罪、公害を発生させるような行為の犯罪性という問題と、もう一つは予防という問題とがいつもこんがらかってまいりまして、とかく予防、予防というところにきたがるわけです。それは確かに理由があることでありますけれども、しかし、といってやはり刑罰法規ですから、ある程度やはり概念としては明確であるということが必要なわけなんです。これはどの法律でもそうなんですが、そういうわけで抑止力だけから見れば、確かに「おそれある状態」というふうな表現を使ったほうがベターでありますけれども、しかし、先ほど来私がお話ししているような疑点もあるということでありますから、その点をそう簡単に、ただ抑止力ということだけで御判断にならないようにお願いしたい、こういうわけでございます。
○畑委員 先生のお話、よくわかりました。ただ先ほど先生からのお話もありましたように、刑事法の明文には「おそれ」というものはない。ただ判例的にも「おそれ」というものはもうはっきりしておる。使っておる、客観的な意味で使っておるということであれば、刑事法に「おそれ」というものを初めてここで使うということについても、やはりその意味ではベターだというお考えですか。——抑止力ということだけではなくて、その点はおくといたしまして、「おそれ」ということが非常に不明快だという一方の批評はあります。しかし、明文にはいままで刑事法にはないけれども、こういった特に厳重にこれからやっていこうという、一つの思い切った、自然犯としてとらえる行き方ですから、その際に「おそれ」のほうが広範囲であるし、より事前であるし、しかも客観的にとらえるように、すでに判例でも確定しておるから、この文字を使って「おそれ」ということを加えることは、その意味ではベターだというふうに思われるかどうか、こういうことです。
○宮崎参考人 「おそれ」という文言を使いましても、それはそれなりに従来の裁判所の態度からしまして合理的な解釈が行なわれるということを、私は専門家としては期待いたします。期待いたしますけれども、しかし、新しいことばでございますから、したがって、それについてとかくの議論が起こる。ことに「危険を及ぼすおそれ」という、先ほどのお話のように「危険」という概念とさらに「おそれ」という概念が複合してまいりますので、その点で概念的によほどよく考えませんと、理解ができないという欠点があるわけであります。これは率直に私の意見で申し上げます。そういうわけでありますので、その点も御考慮いただかないと困ります、こういうわけでございます。
○畑委員 もう一つお聞きいたしたいのですが、先ほど藤木先生からお話が出ました俗にいう食品公害ですね。あるいは薬品あるいは化粧品、そういったものが、政府の出している案文のほうの、いわゆる公害の類型とは違いますけれども、いわゆる公害基本法にいう公害の中には入っておりません。おりませんけれども、こうした刑事罰を立法するというに際しては、やはりそれも入れたほうがいいのじゃないかと和は思う。それでわれわれは野党三党でその点を修正案として出してまして、追加して、したがって「公害等」というふうにいたしまして、化粧品、薬品はまたあとにいたしまして、食品だけに限って非常に問題が多いようですから、それをこの法律の中に入れようということで修正案を出したのですが、この点については先生の御見解はいかがですか。簡単でけっこうです。
○宮崎参考人 基本的にはおっしゃるとおりだと思います。現にと申し上げては少し言い過ぎでありますけれども、全面改正のほうでは食品公害に関する規定を入れております。もっともそれはまだ十分検討を要する条文でございまして、決して完全なものではございませんけれども、やはりそれも考慮した上で条文を入れております。それですから、基本的には私はそうだと思います。ただ、なるほどそれは公害という概念に定義のしかたによっては入りますし、また普通の工場排水とか等等のものと類似した点もございますけれども、しかし、それが全く同じものだというわけにもまいらぬと思います。そこで、といってしかし、それをほうっておいていいというわけでは決してございません。根本的にはおっしゃるとおりだと思います。ただ御提出になりましたこの案ではたしていいものかどうか、これらの点について十分検討をしなければならぬのじゃないかという気がいたすわけでございます。それだけの余裕も、実はいま拝見したばかりでございまして、ございませんので、その程度のことしか申し上げられないのでございます。基本的には私は必要だと思います。
○高橋委員長 林孝矩君。
○林(孝)委員 一点だけお願いします。 宮崎先生のお話の中で、実効性の上で不備な点が出てくるという御発言がございました。どういう点を想定されて不備な点と言われるのか、その点具体的に、数多くあるならば、一、こういう点、二、こういう点とこういうふうにお答え願いたいと思います。
○宮崎参考人 それは、先ほど来もお話に出ておりますけれども、いわゆる普通に複合現象と呼ばれているような問題でございますね、数工場からの廃液が合して有毒なものになるというふうなそういう場合とか、それから人の交代でございます。これも御指摘がありましたけれども、責任者が交代する、事業者が交代するといったような人の交代の問題ですね。それから因果関係の問題ですね。これはまだやはり従来の刑法理論の因果関係というふうなものでは足りない、それだけではちょっとまかないきれないような場合が出てくるのではないか。それでいくとちょっともの足りないような結果になるんじゃないかということで、これは詳しく申し上げますとたいへん長くなるのでございますけれども、そういうふうな他の犯罪に見られないような複雑な現象でございますので、そういう点で責任の問題、違法性の問題、因果関係の問題等々について刑法学上はいろいろな問題がございます。ことに共犯との関連、承継的共犯の問題、そういうふうなものがどの程度適用されていくのか、こういうふうな難問は確かに伏在していると思います。だけれども、私はそれらの問題は今後この法案を契機としてわが国において刑法学者が研究すべき問題である。まさにそれこそそういう問題は克服さるべき問題であろう、この法案がその一つの契機になってほしいというのが偽らざる心情でございます。
○林(孝)委員 その中の一つの、先ほど藤木先生からは五本の煙突から亜硫酸ガスが出ているという例を引かれまして、全部合算すると有害に達する、こうした因果関係についての推定規定の問題が提起されましたけれども、この点については宮崎先生はどのようにお考えでございますか。
○宮崎参考人 これは従来の因果関係理論からいいますと、一つのある行為に随伴した事情として他の行為が入ってくるのだろうと思います。言いかえれば、A工場である物質をある程度排出しておる、そういう場合にB工場でもまたある程度同質の物質を排出している。異質の場合もありますが、同一の物質を排出している。C工場でも同じようにやっている。こういうような場合に、A工場からの排出行為が結果に対して原因力を持つかどうかということは、A工場での排出行為の因果関係を考えるときに、B、Cという他の工場の排出行為を、事情を考慮に入れた上で考えていいか悪いかという問題だろうと思うのです。しかも現在の因果関係論では、通例はその行為がなかったならばそういう結果は生じなかったであろうというような、そういう場合に因果関係があるんだというふうに説明されているのが普通なんでございます。そういたしますと、その行為がなかったならばそういう結果は生じなかったろうという関係が、個々のAなりBなりCなりの工場についてそれぞれ言い得るかどうかという点がたいへんな問題になるんじゃないかということでございます。複合現象で複雑な問題が起こると言ったのは、それもその一つでございます。ですからいまのような問題も、おそらくは一つの今後解決さるべき、研究さるべき問題になるんじゃないかと思います。 〔委員長退席、田中(伊)委員長代理着席〕 私はそういうところからやはり因果関係論に一つの発展といいますか、を期待しているわけであります。
○林(孝)委員 終わります。
○田中(伊)委員長代理 それでは、宮崎参考人はお時間のようでございます。貴重な御意見を長時間お述べをいただきましてありがとうございました。どうぞ御退席ください。 鍛冶君。
○鍛冶委員 稲川さんに「おそれ」についてやろうと思ったが、先ほどからお聞きですから、ちょっと違うようだが、大体あなたは賛成だとおっしゃるからやめておきます。第五条は関田さんでしたか、明瞭に言われた。これは私もあなたにひとつ聞きたいのですが、実際あの五条は私にはわからないのです。前にそれで何かやっておったら犯罪になるものがあって、それをあとから来てつちかえば、その者がそのものを持ってきてやったものと推定する、こういうことですね。推定ということはあなた画期的だとおっしゃったけれども、刑法理論ですと通るでしょうか。私はそれを心配するのです。疑わしきは罰せずということは、刑法ではわれわれとしては抜くべからざる原則だと思っておる。大原則だと思っておる。それをどうもわからぬから、こいつはやったことにしておこうじゃないかということで罰せられたのでは——それは反論したらいいじゃないかというんだが、反論せぬからといって、行為なき者を罰することになりますよ。私は刑法の原則はまず行為がある。認識がある。そして責任性がある。この三つが欠けたんではそれは犯罪にならぬものだと習ってもおるし、いまでもさように覚えておるのですが、それとも行為がなくてもやったものと推定しよう。そうしたほうが公害だからいいというんだが、なるほど公害だからいいか知らぬが、刑法理論としてはいかがかと思うのです。あなた画期的だとおっしゃったから、その点ひとつ説明していただきたい。
○稲川参考人 おっしゃるとおり刑法の大原則は疑わしきは罰せず、そのとおりだと思っております。ただ、刑法理論の中に推定理論を持ち込むということが是か非かということは、これは従来から大きな問題で、従来まだあまり解決されおらなかった。そこで推定理論を持ち込むという考え方は、むしろ行政取り締まりの面で用いておった。なぜかというと、行政取り締まりというのはむしろ社会防衛という行政目的を主たるものにして考えておるからその可能性があったのではなかろうか。したがって、厳格に個人の責任を追及する刑事責任という立場からいえば、従来この推定理論というものを用いることにちゅうちょした理由はそこにあると思う。 ところが、公害と現在基本法にいわれている問題の中で、しかも本法案が特に健康に密接な関係があるというような問題について考えた場合に、甲の原因があった場合に乙の結果が発生したであろうということが科学的には証明できない。証明できないが、ここに二つのしぼりがあるわけです。一定の原因という一定量の排出というものがある。しかもそれと近接して当然そこにあるであろうところの近接状態にその結果が発生した、科学的に証明し得れば得るかもしらぬけれども、いろいろな現在の段階で証明しないが、つまり常識的にはそれが可能であるという見通しがついたという場合に、何でもかんでもするというんじゃなくて、そこに大きな因果関係の中にしぼりが——厳重にしぼって、この程度のしぼりをするならば、公害という近代産業から生まれた特殊犯罪に対して生命、身体を守るということに適用しても道義的非難は受けないんじゃなかろうかという点でこれを入れた。 そこで、元来が行政法規のほうにおいて行なうべき理論構成を刑法の実体法のほうに借りてくるということは、現在の国民感情からいってそれにそうそぐわないものではなかろうということの踏み切りがつかなければこれはできないと思うのです。その意味において、これを取り入れたことは画期的である、こう申し上げたのであります。
○鍛冶委員 いま問題になって、これはこの第一条にもすでにうたっておるように、「他の法令に基づく規制と相まって」と書いてあるのですから、この法令で十分やって、それで聞かないでそれを利用したというなら、それはそれでわかっておって利用したんだから私はそういうことでやるべきもので、行政法規の取り締まりでやって、それでも聞かなんだらこの法律を適用する、こういうならばいいが、どうもこういうものがあった、それをまたここで生じた、それはすぐ刑法といくということは相当考えものではないかと思われます。よほど大問題で、これはいまここで行なわれるということになったのでは大問題だから、ひとつよほど注意をしてもらいたいと心得ます。 次に、藤木さんでしたか、藤木さんもこの点は同様におっしゃいましたが、どうお考えですか。
○藤木参考人 大体同趣旨でございます。 ただ、ここに掲げられておりますような推定は、実は自由心証主義ということがございますけれども、実際の刑事裁判——民事ではほとんどそういうことであろうかと思いますが、刑事裁判においてもこの程度の前提要件が備わり、この程度の結果が発生しているという場合には、むしろその犯人と疑われたほうが積極的にある程度の反証をしない限り犯人と断定されるというようなことは、これはこの特別の推定規定を設けなくてもあり得ることだと考えるわけでございます。この推定規定は、その意味では現実にできる、いまの推定規定がなくてもできる範囲のことをはっきり規定したという程度の非常に控え目なものではなかろうか、こう考えるわけでございます。 それからなお、刑法にはそのような推定が絶対に許されないというようなこともよく問題にされるわけでございますけれども、たとえば刑法二百七条という規定がございまして、これは二人以上の人がそれぞればらばらに人に対して乱暴を働いて、その結果けがを生じた、こういう事例につきましては、それぞれの者が、そのけがが自分のやったことで生じたものでないということを証明しない限りは、他の者と共同して全体の結果を生ぜしめたものとして扱われる、こういう規定がすでに刑法二百七条に現に存在し、しばしば活用されているようでございます。その二百七条の規定に比べますと、なおこの規定は控え目なものでございますので、刑法の基本原則をくつがえすというほどのものではないように考えております。
○田中(伊)委員長代理 ちょっと鍛冶君に申し上げますが、時間が——なるべく簡単に。
○鍛冶委員 いま私が言ったように、これは行政法規で取り締まっておるのですからね。行政法規でまず取り締まって、それでもなお聞かぬときに刑法を用いるということが一番穏当だと思うが、この点はいかがでしょう。
○藤木参考人 確かにそういう御意見、ごもっともであろうかと思われます。関田参考人のおっしゃったような考え方もごもっともだと思います。ただしかし、それだけでは十分ではないというところが問題で、行政命令によりまして環境基準の網の目を張りめぐらし、かつ行政指導、行政命令、それに従わないものは刑罰、こういうタイプで完備されるならば、確かにそれも一つの方法でございますけれども、現実には行政上の環境基準というものが必ずしも常時適切に設定されているわけではございませんし、確かに排出基準を守ったところでやはり被害が生ずるというような事態は現にあちこちにありそうでございます。それもございますし、また実際の行政庁の運用方針としては行政命令というものをなかなかお出しになりませんで、行政指導と申しますか、行政指導以前に担当係官が非公式にアドバイスをして早く是正しなさいというような形で事を処理される場合が非常に多いと聞いておりますので、そのような実態を考えまして、やはり最後は刑罰というものが直接適用される場面をつくっておきませんと歯どめにならないような感じがいたします。たとえば最近でもたしかどこかの工場で煙突排煙設備が故障したにもかかわらず、県当局の勧告を——勧告でありましたか、助言でありましたか、これを無視して排煙を続けたというような事例がございましたですが、こういった場合にやはりこういう公害罪法というもののささえがありますと行政指導というものに非常な重みがかかってくる。その意味でたいへんな効果があるのではないか。 それともう一つは、被害者側がいろいろ工場に対して操業停止を要求してかかるといったような場合に、工場側がこれは環境基準は何も定めはないのだ、だから自分は聞く必要はない、こういってがんばる場合もあり得るかと思いますし、また、自分のところは排煙基準は十分に守っているのだから要求を聞くことはない、こういうこともあろうかと思われますので、その意味で、この環境基準を整備しておけば、そしてそれを守らせるようにすれば十分だということではないように考える次第でございます。
○鍛冶委員 あとまた「おそれ」のある場合だが、関田さんの言われるのと藤木さんの言われるのと違いますけど、われわれの言うのは、刑罰法規ですからね、「おそれ」というのは、千人おれば千人とも別々の考えで「おそれ」があるということで、てんでてんでに違うんですからね。主観的に考えるのだから。そういうことでは私は何かここに、基準が出たときに押えるものだ、こういう考えからわれわれは「おそれ」ではいかぬ、こう言ったんだが、この点に対してお二人から、簡単でよろしゅうございますから答えていただきたい。われわれはそういう意味でこれを削ったのですから、その点だけひとつ答えていただきたいと思います。
○藤木参考人 「おそれ」と申しますのは、主観的と申されますけれども、「おそれ」というのは、ただ何か住民が不安を抱いているというだけでは、ここにいう「おそれ」ではないわけでございまして、その「おそれ」に科学的な根拠があるというときに、初めて「おそれ」といえるわけでございます。(鍛冶委員「そんなこと、しろうとではわからない」と呼ぶ)いや、しろうとの方々が、何か奇病が発生していて、あれは工場のせいだと言っているだけでは、まだ「おそれ」とはいえないわけでございまして……(鍛冶委員「言ったらしょうがない」と呼ぶ)つまりそれを言っても、しろうとがそれを申して検察庁や警察に告訴をしても、まだその段階では捜査は開始されないということではなかろうかと思います。
○関田参考人 私のほうは、先ほどの推定規定の問題は、こういう立場を明らかにしなければいかぬと思うのです。
○鍛冶委員 推定じゃない、「おそれ」です。
○関田参考人 私のほうは推定規定と「おそれ」と関連しておるのです。推定規定を排除するならば、「おそれ」という文言を入れておいて差しつかえなし、もし推定規定を置くのならば、「おそれ」という文言は排除すべきだ、こういう意味ですよ。ただ、その推定規定の根拠だけ申し上げておきますと、これは民事責任にこそ推定規定を置くべし。刑事責任の場合は、相手は個人同士ではないのです。相手は絶大な権力を持っておる国家なんです。だからこそ、疑わしきは罰せずという刑法の原則が生まれたのでありますから、国家が訴追するのだということを度外視なさっているのではないか。個人同士の争いならばハーフ・アンド・ハーフで、推定規定で十分ではないか、こういうことです。あるいはまた早く置くべきだという考え方です。
○鍛冶委員 終わります。
○田中(伊)委員長代理 羽田野忠文君。
○羽田野委員 いま推定規定の問題が出ましたが、そこから入ってまいります。これは稲川先生と藤木先生にお答え願いたいと思います。 疑わしきは罰せずという刑法の大原則の転換ではないかと思われるこの規定には、非常な関心を持っておるわけでございまして、これは重大なことだと思っております。そこで、両先生は、この規定は立証責任の転換だというふうにおっしゃられました。そういたしますと、疑わしきは罰せずということになるのですが、これは熟してないことばでございますが、やはり立証責任の転換までいかなくて、疑われたものにまず一応の反証義務を与えたという程度のことに解せられないだろうか。というのは、この公害罪は科学的に証明の非常に困難な事情が。ございますので、一応排出があり、それと同種の結果が出る、そうすると因果関係の推定をする。そうすると疑われたものは、これに対して反証を出す、もし反証を出さなければ、そのままこの推定が法的推定になる。反証を出すというこの反証の程度でございますけれども、立証責任の転換になりますと、その反証をいわゆる説得できる程度の本証をもってしなければならないということに相なるのではないかと思う。そこで私が、いわゆる反証義務を与えたというふうに考えますのは、一応推定を受けた場合には、その推定が疑わしいと考えられる程度の一応の反証をする。そういたしますと、訴追当局のほうでは、その反証に対してなおかつその反証を打ち消す程度の今度は説得のできる本証を出したときに初めて前の推定が生きていく、そこで有罪ということになる。前の反証を打ち消すだけの訴追当局の本証ができない場合、これは証拠不十分であるということであるならば、完全なる挙証責任の転換でもございませんし、また疑わしきは罰せずという理論はくずれない、こう考えるべきではないかと思うのでございますが、いかがでございましょう。
○稲川参考人 立証責任の転換ということばの持つ意味ですが、おっしゃるとおり反証義務を与えたのだ、反証義務を与えて、反証が成り立てば、これは責任はないということになる場合は、やはり立証責任の転換ということばでとらえても、そう誤りはないんじゃないかという意味で申し上げたのです。ですから、立証責任の転換というのは、広い意味に、それが持つ意味の内容によってニュアンスが全然理論的に違うのだというのでしたら、おっしゃるとおりでございます。
○藤木参考人 私も先ほど、この推定規定はいわゆる事実上の推定として現に行なわれている程度のものを条文化したくらいのものであろうということを申し上げたわけでございますけれども、その意味からいたしまして、挙証責任の転換ということばにもいろいろ内容がございますが、実態はいま先生のおあげになりましたようなものではなかろうか、こう考えるわけでございます。つまり一応企業が加害者らしいという積極証拠を国側が出さなければいけない。そうすると企業側では、その一応加害者らしいという推定のその一応をゆるがすという程度の反証をすれば十分である。それをしましたら、今度はまた国側がそれをくつがえして、さらにやはり一応たしからしいという程度まで立証するという責任が生じ、またそれに対して企業側がさらに反駁をすることができる、こういう内容のものであろうかと思います。
○羽田野委員 藤木先生に、危険を生ぜしめたというこの「危険」と、それから「おそれ」の問題をちょっとお伺いいたします。 先生のおっしゃられるところがよくわかるわけでございます。一つの目的を持っております以上、この目的をなるべく確実に把握をいたしたいということは、よくわかるわけでございますが、先ほど宮崎先生の御意見の中にもありましたとおり、危険犯ということそれ自体が、実際に公害を出したということよりも一段とはっきりしなければいけない。焦点のぼけたような状態、この焦点のぼけた、いわゆる危険を生ずるおそれとなりますと、これは二重にぼけてしまいます。そういたしますと、少なくとも刑事罰を伴う、いわゆる刑法犯の犯罪構成要件は明確にあることが必要である。これが不明確でございますと、宮崎先生のおっしゃられように、一般の国民が、どこまでいけば処罰の対象になるのか、どこまでは許されるのかということがはっきりしませんで、非常に不安を生じます。これは、もう法的安定をきわめて害することだと思いますし、一方、それを取り締まるほうにいたしますれば、またそれがはっきりしないと、確信を持ってこの法の運営ができない。結局法をつくりながら、その法が効用をなさない法になるというような、両方どちらから見ても、たいへん弊害があるのではないか。そこで一歩下がって、やはり危険を罰するというようにいたしましたこの法案というものは、刑事立法的な観点からすると適切ではないかというように考えるわけでございますが、いかがですか。
○藤木参考人 確かに仰せのようなお考えも十分に成り立つものと判断いたします。ただ、この危険ということの概念は非常にあいまいであると申されましたけれども、確かにことばとしてはあいまいでございますが、危険という概念は、これは必ず公衆の健康に対する危険でございますから、何らかの実害というものを含んでいるわけでございます。一人の患者の発生が住民全体に対する危険というようにとらえられるというように考えられますし、それからまた危険を発生させる、危険を生ずるおそれのある状態という「おそれ」もまた同じような趣旨からいたしますと、個々具体的に——少し例か飛びますけれども、たとえは鉄道の場合に、鉄道の往来危険罪で、その他の方法で列車の往来に危険を生ぜしめた者という場合に、危険といいますと非常にばく然としておりますけれども、具体的には線路に石を置くとか、障害物を置くとか、そういう個々の行為が特定されているわけでありますね。 そこで、「おそれ」という条項を刑事法一般に入れることについてはどうかという点になりますと、確かに慎重に考えなければならない点はございますが、この犯罪につきましてはもともと有害であることがわかっているような物質を排出したということで、たとえば線路に置き石をしたというような意味合いのはっきりした外形的事実がある上で、さらにそれだけでは処罰をしない、その排出した物質によって危険を生ずるおそれが生じたら罰するか、あるいはもっと切迫した状態になったら罰することにするかと、そちらの問題でございますので、本来ならばこれは有害物質を排出した者を罰するという考え方だってあり得るのではないか。その意味では「おそれ」という概念もある意味ではかなりしぼられた面があるのではないか。こういう感じがするわけでございます。
○羽田野委員 本件の直接の対象になっておるものは、大気汚染と水質汚濁が主でございます。それで第一条に他の法令との関係が書いてございますが、大気汚染防止法、水質汚濁防止法のいずれにも直罰規定がございまして、環境基準に適合をしないものを排出した場合には、それ自体で六カ月以下の懲役または十万円以下の罰金というようなものがございます。そういう両方の関連を考えますと、自然犯的な刑事罰と考えられる本件公害罪においては、やはり明確な危険を生じたということに持っていって、それより前のものは一応直罰規定で処理するという、本件の関連立法でございますが、それのほうがよろしいのではないかとも考えますけれども、いかがですか。
○藤木参考人 確かに原則的にはそうでございますが、先ほど申しましたように、環境基準というものが必ずしも適切に定められていないと、環境基準を全部の煙突が守っても、安全度の倍くらいの煙が出ているというような例がちょこちょこあるわけでございまして、そういう場合には、やはりいまのような環境基準を守っていてもなおかつ生ずる危険というようなものに対処する立法も必要ではないか、こう考えるわけでございます。
○羽田野委員 時間が参りましたが、一問だけ、稲川先生と藤木先生にちょっとお伺いしたいのです。 二条二項の法定刑の大綱でございます。七年以下の懲役で、ございますが、これは故意犯の死傷を生じた場合になるわけで、そこで傷害罪、それから傷害致死罪、これとのバランスを考えますと、やはりこれは懲役は十年にすべきではないかという意見を持っているわけでございますが、いかがでございましょうか。
○稲川参考人 刑の問題はむずかしい問題だと思いますが、やはり同種、同類型の犯罪との対応において考えられる。そしてその考えた対象がガス等の漏出罪とか、それから業務上過失致死傷害罪とかという程度の形の考えで、そしてさらに第二項において結果的加重犯というものを考えた場合に、やはりその特殊な国民感情との調和においてはこの程度のことはしかたがないのじゃないかというように思います。
○藤木参考人 私も同様でございます。実害が生じた場合には傷害罪を適用していくということでよろしいのではないかと思います。
○羽田野委員 終わります。
○田中(伊)委員長代理 畑和君。
○畑委員 何点かちょっと質問したいと思います。 先ほど来いろいろお話の出ております因果関係の問題とも関連があり、かつ違法性の問題過失の問題あたりとも関係があると思うのですが、排出基準ですね、排出基準を守っておれば違法性を阻却される、免責される、こういうような解釈をするというのが法務当局の質疑応答を通じての返事なんです。そうであるほかはないだろうと実際に私も思うのでありますが、しかし、実際の問題が、いま排出基準というのはきめられておるところもあるし、きめられておらないところもあるので、実は一部の中には、他の法令により云々というやつを入れて、明文を入れろといって、そうしてその点違法性を阻却するのだという点を明確にしろというようなこともあったようでありますが、法令も、前提となる法令が基準をちゃんときめていない、必ずしも全部きめていないというようなこともあって、解釈として、排出基準がきめられている場合には、排出基準を守っておりさえすれば違法性を阻却される、免責になる、こういうような解釈をとっておるようなんです。そうすると問題になるのは、同種複合といいますか、集合複合というか——異種複合については問題は別です。これはとても関係ないでしょうけれども、同種の複合の場合に、先ほど藤木先生もおっしゃいましたように、大気汚染の場合、四日市ぜんそくのようなときの場合ですね、四つの煙突の場合はそれでよかった。ところが、五つの煙突にふえた場合に、それが集合してやはりぜんそくというような危害が出てくるということがあり得るわけであります。その場合にも藤木先生、因果関係の規定が適用になり得るのじゃないかというようなお説がございましたけれども、先ほどの違法性の阻却の問題と関連しまして、ほとんど大企業というものは一応の排出基準が定められれば大体守ると思うのです。守っても、しかし、幾つも幾つも同じ工場が付近にできて、そうして集積して危害が出る。ところが、いまの理論からいえば、解釈からいえば、守っておりさえすればいいのでありまして、しかもここにあります「当該排出のみによっても」先ほど藤木先生もおっしゃいましたが、この点があるものですから、これでひっかからないやつでも、私が申し上げましたような場合があり得るわけであります。そういうものに対してちょっと縛りきれぬと思うのですが、その点は藤木先生いかがでしょうか。
○藤木参考人 確かにその点はこの法律では対処できないように思われます。ただ、先ほどから申しておりますように、排出基準を守っておれば確かに合法ということは一応言えるわけでございますけれども、しかし、現象が現実に起こりまして、その排出基準を守っていても安全は保たれないということが一応公知の段階になったけれども、しかしなお排出基準は改正されていない、こういう状態があるかと思いますが、かような場合には、先ほどちょうど一応の証明とその反証という例に出ましたのと同様に、排出基準を守っておることが一応の合法性の根拠になるけれども、その一応の合法性の根拠である排出基準の妥当性が疑われるような段階になった場合には、排出基準を守ったから自分のところは合法だということは言えなくなるのではないか、こう考える次第でございます。そのいつ疑われるようになったかという点につきましては、なかなかむずかしい問題もございますけれども、かなりの科学的根拠に基づいて、この排出基準ではもう安全は保てないのだということが論証された場合、これは監督官庁がそう認めた場合は一番はっきりしておりますが、監督官庁でなくても、たとえばその地域の大学の専門家の研究班がそのような警告を、科学的根拠をあげて発したというような場合が考えられますけれども、このような場合には、やはり排出基準そのものが合法の保証になるという作用を失ってしまうのではないか。以後適切な自粛措置をとらない限りは、その企業の行為は違法性を帯びるということがあるのではないか、こう考えたいと思っております。
○畑委員 私もその点同感なんですけれども、いままでの法務省の答弁だと、要するにその場合はひっかからぬ、こういうわけです。確かに基準を守っておっても、そういった状態が出てきたときに、いわゆる警告的徴表とでもいいますか、そういったしるし、警戒警報、こういったものが学者等によって出た場合には、それ以後それを知りながら、なおかつ同じ排出基準以下だといってもそれを排出し続けておるという状態があったならば、そのとき以降、やはり過失が推定されるというふうに私は思うのですが、その点同じですか。
○藤木参考人 全く御説のとおりだと思います。
○畑委員 それから、これはこの法案とは直接関係ないのです。実は先生方においで願うときには、まだその案が出ていなかったのですが、これは民事関係ですが、民事関係についてちょっと三人の先生にお伺いしたいのです。 刑事問題はこれとして、民事の無過失責任の賠償制度、これをわれわれ三党で提案をいたしております。非常に未熟なものではありますけれども、少なくとも公害に関して、しかも人の生命、あるいは健康、こういうものに関して損害ができた場合には、故意、過失を問わず、損害賠償をさせるという制度、さらにまた、それにちょっと加えまして一部の財産権、すなわち人の口にのぼるような米だとかあるいは魚介類だとか、こういったものの生産に当たる業者の財産権、漁業権、農業権等の財産権を侵害した場合、この二つだけにしぼりをかけてわれわれは無過失賠償責任制度を立法化して案をつくって提出してあるのです。ところが当局のほうでは、それはやはり個別のたとえば鉱業法だとか、あるいは原子力損害賠償法だとか、そういった非常に危険度の高い個別のもので、無過失責任が規定してあります法規が幾つかございます。それと同じように、そういう物質だけに限って追加するならまだいいけれども、横の意味で一つの七百九条の例外ではあるけれども、ある意味で一般的な公害についての無過失損害賠償責任をいま設けるのは適当でない、こういうのが政府の考え方なんですが、しかしその点、こうして公害訴訟等は長引きまして非常にお金もかかる、一方は非常に強大で、一方は非常に能力のない大衆である、こういうところから考えて、これは非常に急務だと私は思うのでありますが、この点、われわれの考え方についてどうお考えになるか。大体刑事専門の方も多いと思いますが、ひとつ簡単でけっこうですが、おのおのの先生方に御意見をいただきたいと思います。
○稲川参考人 民事のことはよくわからないのでありますが、むしろこれは国民の一人として、国民感情として申し上げたほうがいいかと思うのです。 こういうような公害というものが、いま御指摘の限定されたものに対して無過失責任を認めることがいいかどうか、こういう問題だと思います。法律論にならないかと思いますが、責任があるか、要するに過失があるかどうかということは、具体的な事実について、その具体的事案の内容からその責任が出てくるのではなかろうか。したがってこれを一般的に法規化する、一般的にそういうものを同じレベルでもって一括して無過失損害賠償責任というものをつくるということが、そうたやすく技術的に一体可能かどうかという点は研究しなければならぬ。これは非常に問題があると思うのです。問題があるからこそ、現在に至るまで民事における無過失損害賠償の法規というものは完成していない。ところが、国民感情のわれわれからいえば、何とかして理論的に技術的にやってもらえぬものかという願望は持っております。したがって、個別的にやるにしても、その内容とそれの対象となるものと、それからいろいろな環境というものを勘案しての緻密なことを積み重ねませんと法案としてどうかということが、専門ではありませんが、しろうととして思っております。しかし、国民の一人としては、できるだけ早くそういうことは解決してほしい、こういう考えでおります。
○藤木参考人 私も民事についてはしろうとでございますけれども、刑事的な感覚から民事について考えてみますと、できるだけ被害者の救済を促進するような立法を進めてほしい、こう思いますので、いま御提案のようなお話には非常に引かれるわけでございます。 ただ一言申し述べさせていただきますと、無過失損害賠償の場合には、結局とにかく払えばいいのだという感じを企業側が持つという場合もございます。つまりこれは保険制度を完備して、保険をかけておきさえすれば何でもないことだということになりますと、やはり社会的責任と申しますか、それを民事賠償を通じて自覚させるというのが、これは民事の方面としては多少邪道のようにいわれるわけでありますけれども、そのような意味合いからいたしますと、やはり過失というものを根拠として損害賠償を与えるという方向のほうが正しいのではないか。しかし、過失の立証についていろいろ困難がございますので、過失についての挙証責任に関しまして種々定めを設け、無用な鑑定請求などで訴訟が長引くようなことなく、訴訟が早期に進行するというような方策をお考えになるのも一つの方向ではなかろうか、こういうような感じがするわけでございます。
○関田参考人 くしくも刑事専門の方と考え方が逆になるのです。九月二十一日の新潟の日弁連の人権擁護大会で五つの項目の宣言をいたしました中に、無過失損害賠償責任の原則を確立することという一項がございましたので、これは頭から日弁連は無過失責任の規定を望んでいるのです。 ただ注釈的に申し上げておきますと、公害に関する加害は一時的なものでありません。永続しております。永続しておりますから、無過失賠償責任の原則を確立しなくても、現実はもう無過失賠償と結果は同じなんです。ということは、先ほど藤木先生おっしゃいました、あるいは宮崎先生だったかもしれませんが、もう損害を与えることが公知の事実になったという段階以後は、無過失を主張できないのです。けれども、さらに百尺竿頭一歩を進めて、無過失賠償責任の原則を確立しなければならぬ、これは日弁連の従来の態度です。ただ刑事専門の方と反対だと申しますのは、刑事のほうこそ疑わしきは罰せず、推定規定を置くというようなことは、長い間の人類の蓄積を一ぺんにして売り飛ばすものだ、いや公害だけは特別だとかおっしゃいますが、憲法第十二条には、国民は「不断の努力によって、」この基本的人権を擁護せよとありますが、重大なる人権保障の橋頭堡の一つを売り渡すことはやがてそれがくずれる第一歩なんです。ですから、刑事のほうにこそもっと厳格であって、民事のほうは推定で十分。相手が四九%立証してこちらが五一%立証すれば損害賠償を認定してよい。 なお、ついでに申し上げておきますが、無過失責任問題よりも実際に事件を長引かせておるのは因果関係の立証なのでございましょう。したがって、無過失賠償責任問題よりも因果関係の推定規定のほうが民事にこそ重要である、こう申し上げたいのであります。
○田中(伊)委員長代理 岡沢君。
○岡沢委員 稲川先生に、関田参考人のおっしゃいました行政犯処罰の強化整備のほうが公害犯罪の特殊性からしてより必要ではないかということについての御意見、もう一点は、食品公害及び薬品公害につきまして、先生は食品衛生法あるいは業過でまかなえるのではないかとおっしゃって、政府案のように取り入れないほうに御賛成のような感じがいたしました。そして藤木先生はその反対意見であったと思います。この二つの問題につきまして、特に稲川先生の御意見をお聞きしたいと思います。
○稲川参考人 最初の問題は何でございましたか。
○岡沢委員 関田先生がおっしゃいましたように、公害犯罪の特殊性からしてむしろ行政犯処罰の整備強化が必要であろうということ……。
○稲川参考人 私が申し上げるまでもなく、行政犯的な処罰の目的と刑事罰の処罰の法益というものは全然違うのでございまして、行政関係でありますと防止策もしくは社会防衛というような立場でもってきわめてこれが取り締まりの対象となりやすい。ところが、刑事罰となりますと、基本的人権の関連等もありまして、個人の刑事責任を追及するということになりますと、どうしても責任論というものが出てこなければだめだ。そうすると、いま公害罪でそれをある程度早めたということは、現在の段階における公害罪の及ぼす社会的影響、人命、身体に及ぼす影響から見まして、従来の刑事罰の対象としておった道義的責任観念というものが、それより以上に高度にいってもよろしいという段階に来ておるんじゃないかという考え方で、これが危険という問題あるいはおそれという問題にまで発展してもいいじゃないか。つまり、刑事罰の元来の目的というものは結果が発生しなければこれは処罰しなかったものが大原則なんだ。それを発生しなくてもその前でとらえていこうというところまで道義的責任というものをいまの段階でもって持とうじゃないか、それをやろうじゃないかというのが、刑事罰思想がそこまで進んできたのだと思います。いわゆる行政罰の社会防衛とか抑止という問題はそれとは少し違いまして、そこまでいかなくても、個人の道義的責任という刑事罰ではないんだが、社会防衛のためにあるいは行政目的のためにするんだということの違いがそこに私はあると思います。したがって、おっしゃるように、あるいはもしも道義的責任をもっとさかのぼって追及して、出しただけでもって処罰ができるという段階になれば、これは同じ危険犯といいましても描象的危険犯ということになってしまうんじゃないか。そうすると、抽象的危険犯だということになると、そう簡単にはいえない。たとえば現在建物放火罪、人が住んでる建物に放火した、これはすぐ放火という行為自体でもって抽象的危険が発生しているから、これは刑事罰という対象にしてもいいという問題がそこに出てくると思います。ところがそうでない、現在の公害というものはいろんな現象がからみ合って、そうして行為があってからいろいろな自然現象、科学現象その他の環境現象があって一つの危険発生という段階に来るという点では、そこまで個人の道義的責任を追及していく刑事罰の対象とするということにはまだ至っていないのではないかという点が分かれ道ではないのか、こういうふうに私は考えております。 次に、食品とか薬品とかの問題は、実はいまいただいたばかりです。ですから内容はよくわかりませんが、これをちょっと見ました場合は、「健康を害する物質を混入し、」とこうなっておりますね。混入したということは、混入したということをとらえておるのですね。そうすると、これは行為犯ですから、混入した段階でこれは既遂になっているのです。これは間違いかしれませんよ。私はよくうちに帰ってしさいに検討しなければわかりませんが、いま拝見した段階では、「人の健康を害する物質を混入し、」とこうなっている、それが云々ということになっておる。混入すれば、それでいけないのですから、これは基準を越えるも越えないもあったものではない、混入すること自体が行為犯罪として対象になるのですから、それをどうして「公衆の生命又は身体に危険を及ぼす」まで待たなければならぬかということになると、これは理論の矛盾ではないか。これはたいへん失礼なことですが、私は勉強しておりませんから、悪かったら訂正いたしますが、いま拝見したばかりですから、いまちょっと質問されても申し上げかねますが、ちょっと見ただけではそう思います。しかも、これはいまの公害立法というものは推定規定もある、それから立証責任の義務負担の問題も出てくるという段階でありますと、これを一体そこまで持っていくのかどうかという疑問が出てくる。ですから、これはもう描象的危険罪みたいなものでありまして、そこの段階でもってもう犯罪既遂になってしまっているというような気がするのです。これは私のほうの理解が間違っていれば訂正いたしますが、何もそれをこれで持ってくるということは、どうもこの法案が具体的危険犯というものを他の経済諸法令と相まって防止の目的を達するということにはなじまないのではないか。これを罰する必要はもちろんあると思いますよ。あると思いますが、この法案の立法趣旨とあわせて、これをお入れになるということはちょっとなじまないのではないか。いま拝見した瞬間にそう思っただけで、深いことは申し上げかねます。
○岡沢委員 おそれ入りますが、もう一問だけですが、やはり稲川先生に、いまの最初の質問に関連するのですが、行政犯処罰の整備強化よりも、ただいま公害罪の必要性を御主張になりましたけれども、しかし、関田参考人がおっしゃいましたように、嫌疑罰の廃止ということは、やはりわれわれの文化的所産の喪失でもあるわけですし、また実害が発生してから処罰するよりも、発生源で押えるということを考えました場合、やはりそのメリット、デメリットを比較しましたら、関田参考人としての、排出段階での基準を越えた場合のいわゆる行政罰を整備強化するほうが一つの考え方としてデメリットが少なくてメリットが多い。特に関田参考人もおっしゃいましたけれども、この種の犯罪が企業によるものが多い、企業に使われておる者よりも、企業自体を罰するということを考えました場合でも、行政犯処罰の整備強化という方法はわれわれとしても考えなければいけないのではないか。公害罪でいわゆる犯罪者をつくるよりも、公害犯罪の必要性は十分考えながら、やはりこの関田参考人の意見に非常に傾聴すべきものがあると思いますが、私は先生のきょうの御意見が非常に傾聴に値するものだっただけに、重ねてこの点についての御意見を聞きたいと思います。
○稲川参考人 行政罰を強化して、目的が達成されれば私は一番いいと思います。これは異論のないところだと思います。ただ繰り返しますが、行政罰の目的と刑事罰の目的はおのずからその理論の根拠、法益侵害の根拠が違ってまいりますので、そこで刑事法規の存在性の必要というものが出てくるわけです。ですから、行政罰をもっと強化し、基準を厳密にするということは、もう国民の一人としても大賛成である。ぜひやっていただきたい、こう思います。それから行政罰にかりに漏れた場合、行政法令の中で漏れたような場合でも、それがあるいは基準がきまっていないとか、それからさっき問題になりましたけれども、基準は守ってはいるんだが、現在相当程度のものがある、それに基準だからといってこれを流すということになれば、それがさらに相当危険な程度になるという認識を持ってやったということになれば、基準は守っただけでは——基準は守ってさえあれは故意、過失はないと一応はいえるが、さらにそういう現在の客観的状況というものが危険な基準を越えているというような、危険な状態が発生しているのを知りながら、もしくは過失によって、過失があるのにかかわらずそれを侵したということになれば、それはやはり刑事罰としてある程度とらえなければならないという問題が、私は理論として出てくるのではなかろうかということを心配する。そうすれば、どこかの段階でやはりそういう基準がないものとか、守っているんだが、現在の一定の基準がある、そこにさらにそれを越すということはわかりながら基準をやったといえば、やはり過失というものは出てくるから刑事罰の対象になる。それを抽象的危険犯と具体的危険犯とのどこら辺で一体押えるかという問題がこの法案のねらいじゃなかろうか、こう考えております。
○岡沢委員 いまの点は、行政基準は守っておりながら犯罪が発生するというような場合は、あるいは被害が発生するというような場合は、これはむしろ行政権者の怠慢であって、当然その基準の改正ということがおそらく私は先行すると思うのです。そういうことを考えました場合、行政犯処罰で十分にまかなえるような気もするのでございます。あえて御答弁いただかなくてもけっこうでありますけれども、私としての意見も述べさせていただきたいと思います。 終わります。
○田中(伊)運委員長代理 青柳君。
○青柳委員 この場所で、時間がございませんから関口参考人にだけお尋ねいたしたいと思います。 先ほど行政犯とか行政罰というものと、それから公害について、これは実質犯、自然犯、刑事犯、そういうものと区別するなら一般的には区別ができるけれども、公害に関する犯罪といいますか、そういうものは実質犯として見るべきではないのか。要するに、いまのような現状を見るならば、これが単なる規則違反である、ルール違反であるというようなとらえ方ではなくて、不道徳なことである、企業が犯罪を行なっているのであるということを見て、これに対処することが正しいんじゃないかという御趣旨のお話がございました。そして最後におっしゃられた行政的な措置を厳重にして、それに違反するものに対しては、これは単なるルール違反というようなものではなくて、実質犯として対処するという姿勢が必要じゃないかというふうにおっしゃられたと思うのですが、私も、選挙法などが最初できた時分には、買収供応などというものはルール違反的みたいなものに思われていたかもしれませんけれども、現在では実質犯として明らかに殺人やその他の自然犯と同じような不道徳なものとして処罰の対象にされておりますから、そこでお尋ねをするのでございますけれども、この行政的に規制をするということによって公害を未然に防止する、人の生命や身体に危害が現実に起こってこない前にそれを食いとめてしまうということが一番理想なわけなことは、だれも異論がないところでございます。その点がこの法案では抜けているのではないかという御主張、まことに同感でございまして、それをやる場合、やはり先ほどもおっしゃられましたからもうよく理解しておるのでございますけれども、排出基準とか環境基準とかいうものを厳格に規定し、そしてこれに基づく命令に違反する、改善命令あるいは操業停止命令、そういったようなものに対して違反した場合には厳重に処罰する。そして危害が及んでこない前にこれを自然犯として処罰するということによって、この公害罪というものの概念を定着させることがいいんじゃないか。 〔田中(伊)委員長代理退席、委員長着席〕 危険の問題についてはなかなか議論がございますので、危険という段階まで待っているんでなくて、排出の段階で押えてしまうという御趣旨じゃないかと思うのですが、その点いかがでありましょう。
○関田参考人 まさにおっしゃるとおりでございます。私の申し上げたことも十分御理解をいただいておると思います。 もう一つつけ加えておきますと、確かに、選挙違反の例を出されましたが、初めは選挙違反でひっかかったら運が悪かったと思うておったかもしれませんが、現在では明らかに買収犯などは破廉恥罪なんだという意識が高まっていると私は思います。私の申し上げましたのは、行政犯的処罰をしても、取り締まりをしても、それは実質犯を技術の上でそうやっているんだというだけのことなんでございます。でなければ、いかに危険犯のもう一つ前の危険犯を罰して、早い段階で罰すると申しましても、実際は被害が発生して損害賠償を請求すべき段階まで指をくわえて待っておらなければならぬわけなんでありますから、排出基準は整備して——これは私は国家や地方自治体の義務だと思います。責務なんです。それをやらずに罰することばかり御熱心になられることは、私はどうも感心いたしません。 本日の毎日新聞の朝刊にこういう記事が出ております。「ライン川汚染」として船会社社長らに体刑が処せられております。それは、クレープ地方裁判所は七日ライン川汚染の責任を問われていた船会社の社長らに対し最高八月の禁固刑、罰金五千マルク、日本貨にして四十八万円、それから賠償金八万マルク、邦貨にして七百六十八万円。これはハンブルクの船会社ハンバーガー・ロイド社のベルンホルト社長、それからコルトマン支配人はじめ船長らを含め十二人である。犯罪事実は、海洋投棄すべき石油コンビナートの有毒排水をライン川に一九六五年から六八年までの四年間に八千六百五十トンを不法投棄したことが罪になっているんだ。ちょっとおくれているようですけれども、六八年までの犯罪をきのう判決したのでありますから、私これは非常に早いと思うのです。これをもしいかに推定規定が置かれまして危険犯だとおっしゃっても、抽象的危険犯に近い段階で押えるんだとおっしゃっても、反証をあげる限り、許す限りは現在の民事訴訟法の遅延と同じ程度に刑事訴訟が私は遅延すると思います。その意味におきまして、政府あるいは自治体がその責任をまず果たして、それに違反するものに命令を出して改善させ、なお違反するものは社長みずからを罰する、こういう行き方が最も効果あるものではないかと私は思うのであります。
○青柳委員 先ほどのお話の中にもございましたけれども、複合公害の場合、あるいは違反があった場合の行為者の問題が出ておりました。いまのお話でもわかりましたけれども、基準違反の排出を行なう、それから改善命令あるいは操業停止命令に対して違反をするという場合に、特定の責任者だけが、形式的な責任者が処罰を受けるだけであって、実質上の責任者と申しましょうか社長のようなものは罪を免れるというような考え方というのは、これは行政犯といいますか行政的取り締まりというようなことを前提にしているから、ついだれか責任者だけ出して、実際上犯罪に加担している、しかも主力をなしている社長とか重役とかいうものは免れてしまう結果になると考えられるわけです。その点をたいへんに関田先生も危惧しておられて、いま最後に社長も罰するとおっしゃられたので、命令違反、基準違反の場合には社長も同罪に見るというのが常識であり、それを免れないような法制を確立すべきである、それは決して無過失責任ということではないんだということでよろしいんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
○関田参考人 社長を罰するということの前提として、ただいま申し上げましたように、改善命令が出ているのであります。改善命令は社長に向かって発するわけでありますから、自後は社長も責任回避できないわけであります。
○高橋委員長 田中伊三次君。
○田中(伊)委員 わかったようで大事なことがわからぬことが一つございます。それは、この法案は危険を生じた場合に処罰をするという法案になっております。ところが、参考人の皆さんは御存じはないのでありますけれども、野党から有力な修正案が出ておりまして、やはり最初の立案当時のように「おそれ」がある場合ということに戻すほうがよかろうという熱心な御意見がございます。 そこで、伺うのでありますが、私の意見は、危険を生ずるおそれというそのことばは、ことばの形式としては「危険」と「おそれ」と別のもののように判断ができる。けれども、実際の犯罪を認定するという、実体、真実を発見してこれを認定す万という立場からいうと「危険」「おそれ」という二つのことばは同じことを表現しておる一つのものではなかろうかというように考えられてならないのでございます。この点がはっきりしないので、お疲れのところ恐縮ですが、これを伺うのです。 順序を追うてみると、まず事業活動が開始される、それからそれが進んでいくとおそれを生ずる、おそれを生ずることが進んでいくと危険が発生する、危険が発生したことをほっておくと実害が生ずる。事業活動の開始、おそれ、危険、実害発生、この四段階がことばの上では考えられぬことはない、理論としては、机の上では。しかしながら、そのうちで「おそれ」と「危険」というものは全く同じ事柄を二つのことばで表現しておるものではなかろうか、こういうふうに考えるのですが、おそれ入りますが、三先生それぞれどうお考えになりますか承りたい。
○稲川参考人 私は原案に賛成しておるものですから、すでに冒頭に述べたとおりであります。
○藤木参考人 私はやはり「おそれ」と「危険」とは区別できるし、また区別しなければいけないものではなかろうか。これは最初に例をあげて述べたわけでございますけれども、病気にたとえていえば、実害というのははっきりと中毒患者と診断される場合、危険と申しますのは要注意くらいになっておる、それからその以前の「おそれ」といいますのは、日常使っている井戸水あるいは常食にしております魚の住んでおります河川や海が水銀その他でよごされており、魚の中にももう水銀がある、この程度になりますと、あるいはお考えによっては「おそれ」ではなくて「危険」だ、こういう解釈も成り立つかとも思いますが、しかし、これはやはり最後に最高裁判所までいく間にいろいろゆれ動くということではなかろうかと思われますので、「おそれ」ということに——「おそれ」という規定でありますと、魚が汚染されたという程度ではっきりととらえられるということになるのではないかと思います。 それと、やはり机上の頭で考えた内容ではございませんで、実際上も区別ができると思うのでございます。たとえばカドミウムというのがイタイイタイ病という病気を生ずるということはすでにわかっているわけでございますが、あちこちにカドミウム汚染という問題が出ております。たしかに一月ほど前に九州のごとかの漁業組合の組合員がアサリをたくさん持って工場の門の前に投げ込んだという事件があった、こう聞いておりますが、この程度の事例を考えてみますと、どうも危険が発生したとまではちょっと言えない、イタイイタイ病発生の危険が生じたとは少し言いにくい。しかし、「危険を生ずるおそれ」という条項があればかなりはっきりととらえられるということになるのではないか、こう考えられるわけでございます。まあ食品とかなんとか直接からだに作用する毒でございますと、「おそれ」と「危険」の間は非常に狭まってまいりますけれども、非常に長い間服用しているうちに、ほかの原因と複合して病気になる、あるいは病気の危険を生ずるというようなタイプの有毒物質になりますと、「おそれ」と「危険」というのはかなり区別がつくのではないか。ですから、これは有害物質の性質にもよるというように私は考えております。
○関田参考人 私は、前提として申しましたように、本法案そのものよりももう少し前段階において、いわゆる抽象的危険を罰する、行政犯的処罰の充足を急げという立場ですから、この議論はあまり重きを置いていなかったというと失礼ですけれども、あまり重きを置いていないのです。そして同時に考えますことは、いろいろなことはいえるけれども、どっちもどっちであまり現実には区別できないのじゃないか。実際の結果はカドミウムならカドミウムが発散されてだれかが病気になった、だれかが死んだ、だからさかのぼって処罰の対象をつかまえてくるのですから、そのときになって「おそれ」ということばがあれば立証は非常に簡単に済む、その程度の実益はある。もう一つの実益は、本法案によって公害に関する公害罪がいままでの行政犯的な取り締まり規定の反則ではなくて実質犯なんだ、非常に社会的に非難さるべき犯罪なんだということを意識せしめる上においては効果がある。あとの実効は行政犯的処罰の充足を急いでいただきたい、本法案とは別にでございます。
○田中(伊)委員 稲川先生、おそれ入りますが、両者の区別はできるとお考えか、できないとお考えか。
○稲川参考人 つまりお尋ねの趣旨は、「おそれがある」と「危険」ということの区別ができるかどうか、観念的には区別ができると思います。具体的の問題になるときわめて困難であるということがいえると思います。
○田中(伊)委員 ありがとうございました。
○高橋委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。 この際、午後二時三十分再開することとし、暫時休憩いたします。 午後一時十九分休憩 ————◇————— 午後四時十分開議
○高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案及び同案に対する沖本泰幸君外二名提出の修正案を一括して審査を進めます。 質疑の申し出があります。これを許します。中谷鉄也君。
○中谷委員 いわゆる公害犯罪の処罰に関する法律案、政府案に対してお伺いをいたしたいと思います。 同僚委員のいろいろな角度からの質問がありまして、結局問題になるのは、私なりにこの法律に対して取り組む問題点としては、法律学とそれから医学、特に疫学などといわれている自然科学との関係をどのようにして見ていくかという問題、それからいま一つは、刑法であるところのこの処罰法と、法の一条にも書かれておりますけれども、「他の法令」すなわち行政法規との関係をどう見ていくかというふうな問題などなど、そういうような点に問題をしぼってお尋ねをいたしたいと思います。 まず最初に、従来の政府の答弁は、排出基準を守っておれば本公害罪法違反にはならないんだという御答弁であったと思うのであります。そうしてこの法案のかかわり合いは大気と水であるということであったと思われます。したがいまして、私は、大気汚染防止法の一部を改正する法律案と水質汚濁防止法案とのかかわり合いをまず検討してみたいと思うのであります。 最初に大気汚染防止法の関係で、法の二十三条をお開きいただきたいと思います。まず私が申し上げたいのは、はたして排出基準を守っておっただけでいいのかという問題であります。法の二十三条は次のように規定されておるわけであります。四項「都道府県知事は、気象状況の影響により大気の汚染が急激に著しくなり、人の健康又は生活環境に重大な被害が生ずる場合として政令で定める場合に該当する事態が発生したときは、当該事態がばい煙に起因する場合にあっては、ばい煙排出者に対し、ばい煙量又はばい煙濃度の減少、ばい煙発生施設の使用の制限その他必要な措置をとるべきことを勧告し、」云々とあるわけであります。そこで、この勧告をしたことについては、勧告でありますから拘束力はございませんね。しかもこれは排出の許容基準を守っていることになりますね。こういう勧告がありまして、この勧告に応じないという場合、排出基準は守っておるけれども、勧告に応じないという場合、これれは公害罪について一体どのようなかかわり合いを持ってくるのでしょうかというふうな点を私はお尋ねいたしたいと思います。 同じくそのような問題は、「緊急時の措置」といたしまして、水質汚濁防止法案の十八条、「期間を定めて、排出水の量の減少その他必要な措置をとるべきことを勧告することができる。」とあります。したがいまして、はたして排出基準され守っておればいいのだということが緊急時の場合にいえるのかどうか、この点について刑事局長の御答弁をいただきたい。
○辻政府委員 御審議を願っております人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案、これの犯罪の基本類型は、しばしば申し上げておりますように、「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」ということを行為の基本類型にいたしまして、これに故意、過失の場合を分けて規定をしておるところでございます。この二条、三条の本法に定める罪と行政法規からきております有害物質の排出基準との関係でございますが、この点につきましては、排出基準を守っております限りにおきましては、私どものこの法案の「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」という状態は、事実上これは発生する余地がないというふうに私どもは確信しておるわけでございまして、その限りにおいては、まず事実問題としてこういう状況、生命、身体に危険を生ずるという余地は事実上発生しないということが第一点でございます。 そこで次に、かりにこの排出基準に一つの過誤があるというような、仮定として申し上げるわけでございますが、そういう場合に排出基準が間違っておって、排出基準は守っておった、おったけれども、本法案にいいます「公衆の生命又は身体に危険」を生ずる状態が発生したといたします。そういたします場合には、通例の場合はこの範囲または過失を阻却するということで、その面から本法に定める犯罪は成立しないことが多かろうということを申し上げておるわけでございまして、ただいま御指摘の大気汚染防止法の改正案とかあるいは水質汚濁防止法案の条章との関係においても、なお同じことがいえると存ずるのでございます。
○中谷委員 大気汚染防止法の現行の十七条をごらんをいただきたいと思います。十七条は次のようになっております。「指定地域に係る大気の汚染が著しく人の健康をそこなうおそれがある場合として厚生省令、通商産業省令で定める場合に該当する事態が発生したとき」とありまして、「著しく人の健康をそこなうおそれがある場合」こういう場合がありますね。これは現行法の大気汚染防止法の十七条の規定であります。その場合には許容基準を守っておっても量を減らしなさい、量を減らさなければ著しく人の健康を害しますよというのが十七条の緊急措置の規定でありますね。著しく人の健康を害するということは、生命、身体にも害を及ぼすということですね。そういう場合があり得るということですね。だからそれが今度の大気汚染防止法の関係では二十三条の場合になってまいりましたね。二十三条の場合は、健康を害するおそれとありますけれども、それは、著しく人の健康を害する場合あるいは生命、身体に危険を生ずる場合というふうな場合も、これは当然場合としては含むわけでございますね。そういう場合もあり得るわけですね。だから、そういうふうな場合の勧告があった場合には許容基準があったというだけでいいのですか。これは私は先ほどの御答弁は問題点を正確に把握しておられないと思うのです。ですから、緊急時の勧告というふうな場合は許容基準を守っておっただけでは私はいけないと思う。勧告というものを、今度の産業公害あるいは商工委員会等では命令に変えようという話になっているということになっておりますね。命令になれば命令違反で直罰でいくわけですね。いま勧告の状態になっている。しかし、その勧告の場合に、許容基準を守っておれば公害罪に触れないのかどうか。触れる場合がありますね。とにかく緊急事態の場合で、人の生命、身体に危険を生ずるという場合に、緊急事態として勧告をする場合も当然あると思うのです。それでも許容基準を守っていればいい。しかも、大気の場合は、現行法十七条、改正法案二十三条、水質の場合は改正法案十八条で勧告というものがある。こういう場合にも、許容基準を守っておればいい。排出基準を守っておればいいということになるのかどうか、いかがでしょうか。立法との関係でひとつ答えてください。
○辻政府委員 ただいま御指摘の、現行の大気汚染防止法の十七条、それから改正案の二十三条との関係でございますが、これは私ども理解しておりますのは、この現行法で申し上げますと、「都道府県知事は、指定地域に係る大気の汚染が著しく」そしてそのあとに「人の健康をそこなうおそれがある場合」とこういうふうになっておりますし、改正案におきましても、「大気の汚染が著しくなり、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずるおそれがある場合」と、こういうことになっておるわけでございまして、この大気汚染防止法やあるいはこの改正法案の人の健康にかかわる被害が生ずるおそれがある場合と、それから、私どものほうのこの法案の公衆の生命、身体に危険が生ずるという状態とは、私は状態が違うというふうに理解をいたしておるわけでございます。
○中谷委員 どういうふうに状態が違うでしょうか。私が聞いているのは、大気汚染の改正案の二十三条四項、現行法十七条の場合には、そのような公害罪に触れるような場合もあり得るではないですか、こう聞いているのです。これは結局、最小限度こんな場合に勧告の措置をとるという場合であって、それ以上の緊急事態が——それ以上の場合も当然あり得るわけです。そういう場合でも、許容基準を守っておれば、排出基準を守っておればいいのですか。勧告というものについては全然——そうすると、勧告を聞かなくても公害罪には触れないのですか、という趣旨なんです。重ねてお答えをいただきたい。たとえば、複合公害というふうなところに問題をそらさないでください。要するに、火力発電所が一つある、そういうふうな場合、そうして大気が汚染して、著しく人の健康が害されるという状態、しかも、そういう状態について排出量を規制しなさい、一時操業を停止しなさいというふうなこと、そして著しく人の健康が害されるような状態がさらに進んで、人の生命、身体に危険を生ずるというふうな状態に達しておる緊急時、そういう場合でも、勧告は勧告だから聞かなくても、だから、人は死んでもこれは公害罪には触れないのだ、人の身体が害されても公害罪には触れないのだということになるのでしょうか、と聞いているのです。
○辻政府委員 私は先ほど、大気汚染防止法あるいはその改正案の「人の健康をそこなうおそれがある場合」というのと、本法案の公衆の生命、身体に危険を生ぜさせる状態とは、これは概念としては違うということを申し上げたわけでございます。そこでただいまは、違うことは違うということを前提にいたしまして、あとこの状態のうちで、大気汚染防止法のほうの一つの状態のうちできわめて極端な場合があって、その極端な場合には、公衆の生命、身体に危険を生ずる場合がある、そういうことを仮定して、その場合の御質問であろうと理解をするわけでございます。 その場合には、これは一つの理論の問題になるわけでございますけれども、そのことをかりに複合公害というものを全然抜きにいたしまして、一つというふうにいたします。その場合に、客観的に大気の状態が相当に汚染されておる。ただいま御質問のように、相当の高度の汚染状態がきておる。その状態を知りながら、なおあえてその排出を続けた。続けた結果、私どものこの公害罪法案にいう生命、身体に危険を生ぜしめたという状況をつくりました場合におきましては、具体的事案によって、一人で——最初にある一つの堆積状態と申しますか、それをさらに上回って、結局この法案にいう公衆の生命、身体に危険を生ぜしめる状態を自分一人でつくったというふうに刑法的に評価されます場合におきましては、この本法案の犯罪が成立するというふうに考えております。
○中谷委員 そうでしょう。——そうでしょうというのは悪いけれども、許容基準を守っておっただけでいいという場合も、こういうふうに行政法規との関連で見ていけば、そうではない場合が出てまいりますね。そうすると、一体その場合の公害罪の成立の時期はいつなんでしょうか。要するに、危険を生じたときというのですが、もし私がかりに知事だったら、そういう勧告をしますね。生命、身体に危険を生ずるおそれがあるという緊急事態だという勧告をしますね。そういうことがまた客観的に認定された場合には、一体、その勧告のときから——その勧告を受けた場合には、成立する犯罪は故意犯でしょうか、過失犯でしょうか。
○辻政府委員 ただいまの御設例の場合を整理して申し上げたいと存ずるのでございます。 大気が相当に汚染をしておる、そこで知事から勧告があったという場合に、もうほかの工場は全部かりにストップをした。ある工場だけはストップせずになお続けておった。その場合に、その続けておった工場が、先ほど申し上げましたように、客観的にはもうこの状態にきておるということを十分に承知しながら、なお排出を続けまして、この法案にいう危険な状態を生ぜしめたという場合に、その一つの工場として危険状態をつくったというふうに評価できる場合には、私は、本法案の犯罪が成立するということを申し上げたわけでございます。 その場合に、そういう状態があることを知って、しかも、自分がなおあえてこれを出すことによって、この法案に定める公衆の生命、身体に危険な状態を発生するということの認識まで持ってやるならば、二条の故意犯は成立いたしますし、そうでなくて、やはり業務上の注意をするならば、自分がこれ以上続けていくならば、当然本法案にいう公衆の生命、身体に危険な状態が生ずるということを認識すべきであったにもかかわらず、なおやったという場合には、これは三条の過失犯が成立すると思うのでございます。 そこで、もう一つつけ加えて申し上げさせていただきたいのでございますけれども、私ども法務当局におきましては、この排出基準と本法の成否の問題でございますが、私どもは、排出基準が守られている限り、故意または過失を阻却すると申しておりますけれども、その場合には、私どもは常に、通例の場合は故意または過失を阻却するというふうに終始説明をいたしておるわけでございます。ただいま御指摘の場合は、その通例の場合に当たらない特殊な場合であろうと考えるわけでございます。
○中谷委員 ただ、通例の場合に当たらないと言いますけれども、きょうは行政法規の関連をまずやりましょうということでしたね。大気汚染防止法と水質汚濁防止法案のそれぞれの法案に書いてある条文ですから、この場合は当然、公害罪法案との関係において、こういう場合には一体成立するのかどうかということは検討しておくべきことであったと思うのです。これは従来の質問に出てなかった点だと思いますので、確認の質問をしたわけです。 そこで、問題になる点は、あとで大臣の御答弁をいただきたいと思いますが、先に局長にお尋ねしますけれども、大臣は、結果を評価するのが公害罪だ、結局は予防主義に立つのだけれども、法の一条に書いてあるとおり、行政法規としても整備されなければならない、こういうことを言っておられますね。そうすると、この緊急時の勧告というのは、水質汚濁にしろ大気汚染にしろ、勧告というのは、公害罪の立場から見ましても、ちょっとおかしいんじゃないでしょうか。要するに、これは勧告じゃなしに命令。命令ができる、その命令を聞かなかったらやはり処罰がある。その処罰があって、それを直罰をする。そうして、しかもその直罰に続いてその後生命、身体に害を生じた、あるいは生ずるおそれがあった、そういうような場合には、公害罪の適用を受ける。これはそうでないと、この緊急時はもろに公害罪がかぶってくる。直接公害罪で規制せざるを得ないということになりますね、勧告で罰則がないのだから。これは私は大気汚染防止法と水質汚濁防止法の行政法規上の不備だと思うのです。この点、局長はどのようにお考えになりますか。
○辻政府委員 これは私は、いわゆる公害罪法案の、この法律の案に規定されておりますこの二条、三条の犯罪というものは、何回も申し上げておりますように、一人の者でこういう状態を発生させたというように評価できる場合にこの犯罪が成立するというふうに申し上げておるわけでございまして、この大気汚染防止法なんかの行政法規の場合は、これはむしろ全体的なたくさんの工場、事業場があるということを前提にした場合の規定であろうと思うわけでございます。その意味におきまして、先ほど来御指摘の緊急事態との関係でございますけれども、私どものこの公害罪法は、一つの工場でこの犯罪がこういうことになったというふうに評価できる場合のことでございます。そこで理屈の面では、理論的にはこの公害罪法案のほうは純然たる刑事犯的なとらえ方をしておりまして、理論的には行政規制とは一応関係のないという刑事犯的なとらえ方をしておるわけでございます。
○中谷委員 実態はやっぱりあまり御存じないと思うのですよ。たとえば一つの主力的な、九九%まで汚染しておる火力発電所があって、あとは小さいふろ屋とかなんとかいうところがたくさんあるのですよ。ですから、そういう場合がありますから、これはちょっと局長、大臣と御相談いただきたいと思いますけれども、公害罪法というものの性格から見て、これが緊急事態の場合は勧告にとどまっている、水質汚濁にしろ大気汚染にしろ、勧告にとどまっておるということは、公害罪法の立場から見て——都道府県知事か住民のしあわせを守っていくということが、大気汚染防止法と水質汚濁防止法の別の立場ではなしに、公害罪法との関係から見て、むしろ勧告にとどまっておって命令権がないというのは、少しおかしい。これはもうきのうから修正案の話が進んでおりますが、そういうふうに私は思いますが、ひとつ大臣の御答弁をいただきたい。
○小林国務大臣 頭があまり緻密でありませんから、むずかしい質問はやはり専門家の局長にしていただく以外にないということで局長におまかせしておりますが、私はこの法律は、要するに結果を評価するだけである、こういうことになるから、こういう事態が生すれば、この法律は発動する。したがって、その前の勧告であるとか命令であるとかいうことは、その行政法規においておきめになればいい。勧告であろうが何であろうが、とにかくこういう結果が出れば、これで結果を評価する、こういうふうな考え方じゃないかと思います。
○中谷委員 処分、勧告、命令とございますね。それで処分よりも勧告は強いけれども、勧告というのは聞いても聞かなくてもいいという場合が勧告だと思います。その聞いても聞かなくてもいいというのが公害罪法である。一番関係のある二つの法律の中に勧告とあって、拘束力がない場合が出ておって、しかも公害罪に触れる場合があるというのはおかしいので、この勧告は命令としなければ公害罪として——この公害罪法の一条の規定、要するに他の行政法令との関係をよく見なさい、「他の法令に基づく規制と相まって」という点からも一条と矛盾してくるんじゃないかということだと思います。大臣、勧告ではおかしいんじゃないかということを、公害罪との関連において言っていただいていいんじゃないでしょうか。
○小林国務大臣 この法律の関係では、私どもはえらい大きな支障があるとは思いませんが、いまのような議論が出ておって、相当この議論が評価されている、そして直すか直さぬか、これは国会の問題ですが、そういう議論が行なわれている、こういうことでございますから、その行政法規自体としてひとつ考えるべき問題である。私がここでこれは不穏当だなんと言うことはあまり適当でないと思います。
○中谷委員 しかし、大臣の持論からいって、勧告というのは、これは行政法規にはまた別個の理由があるとしても、公害罪法案の立場からいうと、もう何も行政罰がなくて、直接とにかく刑法の公害罪法がかぶっていくというのはおかしいということは、大臣の従来の持論から言えると思うのですが、いかがですか。
○小林国務大臣 これは、この法律の目的自体が、行政の取り締まりというものがあって、それと相まっていく、こういうことをきめておるのでありまして、したがって、この法律自体としては結果をひとつ見るということであって、その経過はそれぞれの法規でまかなわれている、こういうような考え方であります。
○中谷委員 だから、結果を見るというのだけれども、その結果に至る経過は勧告ではおかしいんじゃないですか。経過というのが命令というかっこうで出てきて、改善命令だとか一時操業停止命令だとかいう規定があるわけですが、 この場合も、とにかく勧告ではおかしいんじゃないですか。経過として命令でなければおかしいんじゃないですか。これは私が何べんも言っている点です。これは方針ですから、局長のお考えがあっても、大臣から御答弁いただくのが適当だと思います。
○小林国務大臣 これは行政罰とは別のものだ、しかし、それじゃおまえは行政罰をどういうふうに思うかというと、必ずしも適当かどうか、こういうことについて私も疑問を持ちます。
○中谷委員 法務委員会においても、この点が問題になってというようなことで、これは当然修正になるべき問題だと思います。公害罪との関係においても問題を提起したということでとどめておきたいと思います。 次にはたして排出基準を守っておればいいのかというような問題についてお尋ねしたいと思いますが、大気汚染の関係でいきますが、一部改正案の十五条「燃料の使用に関する措置」「燃料使用基準に従うべきことを勧告することができる。」とありますね。この場合も先ほどのような設例の場合には、許容基準を守っておったからといって公害罪に触れる場合があり得る、これは簡単に答えてください。
○辻政府委員 この大気汚染防止法案の十五条は、使用いたします燃料についての規制だと思うのでございまして、これは公害罪法案にいう排出の場合の基準とは違うものであると理解をいたしております。
○中谷委員 もちろんそうなんです。ただその燃料はお互いに——お互いにといいますか、先ほどの参考人も非常に精緻な議論をしていたのですけれども、私はやはり法律学と疫学、医学、自然科学との関係の視点がやはり私自身が抜けておったと思うのです。そういう点でお尋ねしたいのですけれども、たとえば硫黄分が、低硫黄じゃなしに三%含んでいる硫黄などという場合には——そういうことはあり得ませんけれども、そういうようなもの、あるいはまた排出基準には合っておっても気象条件でどんどんたまってきた、大気が気象条件で汚染してきたという場合には、一・八から一・五、一・四、一・〇、そしてまた一・〇を切らなければいかぬというふうなことでなければ、公害罪の条文に触れる場合だってあると私は思うのです。だから排出基準だけの問題ではなくて、排出基準をそういう点で燃料の使用について、燃料の問題からずっと落としていかなければならぬ場合がある。排出基準としてはずっと落ちてくるわけです。排出量としては落ちてくる場合がある。そういう場合もこれは勧告になっておりますけれども、この勧告を聞かない場合には、やはり特例ではあるでしょう、特殊な場合ではあるでしょうけれども、一般的排出基準を守っておったらいいのですよという場合じゃない場合があり得るということをお答えをいただきたいと思います。
○辻政府委員 これは何回も繰り返して恐縮でございますが、この排出基準というものは特定の地域に多数の工場があるということを前提にして、その全部で一つの環境基準との関係で設定される問題であろうと思うのでございます。その意味におきまして、排出基準とこの公害罪法におきます公衆の生命、身体に危険を生ぜしめるという状態とはたいへんな開きが実際上あるわけなのでありまして、きわめて特殊な場合と排出基準が間違っておるというような場合以外は、やはり排出基準との関係ではこの法案にいう公衆の生命、身体に危険な状態というものは事実上発生しないのではなかろうかというふうに私どもは考えておるわけであります。
○中谷委員 大気汚染防止法施行規則十三条をごらんをいただきたいと思います。 法務省は要するに原案で「おそれ」を入れた。それからその後とにかく「おそれ」をとった。そして「おそれ」論争というものが当委員会を支配いたしました。しかし、「おそれ」論争というのは私は蓄積性重金属にとっては非常に重要な論争であって大事なことだと思うのだが、 この緊急時、十三条の場合は一体どういう——十三条を一ぺん読んでみましょうか。十三条は「法第十七条条第一項の省令で定める場合は、次の各号の一に該当する場合であって、気象条件からみて当該各号に規定する状態が継続すると認められるときとする。一 いおう酸化物の大気中における含有率一容量比の一時間値とする。以下同じ。)が、千万分の二以上である状態が三時間継続したとき。」あとは二、三、四とありまして、省略をいたしますが、緊急時のこういう状態ですね、これは法の十七条の著しく健康を害するという場合を受けている実際の設例基準ですね。しかし、こういう場合はあり得るわけです。 設例でいきましょう。危険を生じたとか、また「おそれ」をとるとらないというようなことで非常に議論になっているわけですけれども、こういうような聞き方をいたします。「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」という前提になるところの、一つの有力な火力発電所から出てきたところの大気汚染の状態が規則十三条に触れるような状態になったというような場合には、一体法の二条一項との関係においてはどうなりますか。そういうことはお調べになっておられるのですか。
○辻政府委員 ただいま御指摘の大気汚染防止法施行規則十三条の緊急時の状態でございますが、これはここに書いてある状態が継続する時間というものがまたたいへん問題になろうと思うのでございます。この公害罪法案にいう生命、身体に危険を生じさせる状態というものは、もちろん科学的な知識を基礎として認定されなければならない問題でございます。一般的にいいまして十三条の状態は、相当の時間の継続を前提にする。時間の継続との関係において大いに問題があろうと思うのでございまして、私どもはこの公害罪法案の生命、身体に危険を生じさせたというのは、それぞれの有害物質について一応の設定例を考えておるわけでございますけれども、これは具体的な環境いかんによってたいへん変わってくる問題でございます。
○中谷委員 それでは「法第十七条第二項の省令で定めるばい煙量は、温度が摂氏零度であって、圧力が一気圧の状態に換算して毎時十立方メートルとする。」こうありますね。こういう状態の中で法務省としては、素案でけっこうですから、まず生命、身体に危険を生じさせる場合の大気関係 それから次は水の関係、これは有害物質になっておりますから、水質汚濁防止法はカドミほか政令でとなっておるから、いまのところは工排法でいいと思うのです。その関係の有害物質の生命または身体に危険を生じさせるという状態の一つの数値をずっとここで、お調べになった科学的なものを法務省の素案でけっこうですから、いままでだれも質問してないと思うので出してください。
○辻政府委員 これは科学的な知識を前提といたしますむずかしい問題でございます。私どももちろん十分検討はいたしましたけれども、何ぶん科学的知識に乏しい面もございますので、その点は全く正確かどうかということについてはごかんべん願いたいと思うのでございますが、ひとつ御指摘によりまして硫黄酸化物の場合の公衆の生命、身体に危険を生ぜしめた場合というのを設例して申し上げたいと思うのでございます。 硫黄酸化物につきましては五〇ないし一〇〇PPMの濃度のものを一日八時間ずつ数日吸入すると、健康人であっても肺組織に障害を起こすとされておるようでございます。そこでこの数値をとってまいりまして、煙突から排出される煙が地上において十倍に一応拡散されるという——仮定の問題でございます。具体的事情によるわけでございますが、空気中において十倍に拡散されるということを前提にして考えますと、五〇〇ないし一〇〇〇PPMの硫黄酸化物を含む煙が数日間継続して公衆の住む地域の上空の一定範囲に滞留する状態が生じたという場合に、この公衆の生命、身体に危険が発生したということが言えるのではないかと思うのでございます。 なお、この点につきましても、上空にそういう状態が発生いたしましても、これがまた下へおりてくる場合の拡散という問題が起きるかもしれないのでありまして、これは当該地形であるとか気象状況とかいろいろな具体的な状況との関連において変わってくると思うのでありますが、一応数値的にはさようなことを例として申し上げる次第であります。
○中谷委員 お互いにしろうと同士で恐縮ですけれども、いずれにいたしましても、SO2、硫黄酸化物のPPM、要するにPPMの五〇ないし六〇とおっしゃいますが、それの量と、そして時間、これは相関関係がありますね。その量の上限は一体どこに求めますか。量はこれだったら、一時間こんな状態が続いたら絶対アウトだという場合がまず設定されねばいかぬ。五〇PPMないし六〇PPMが数日間とおっしゃいましたね。とにかくこの十三条は三時間継続したと書いてありますね、そうでしょう。その場合、三時間というふうな時間でいえば一体どういうふうなPPMになるのですか。
○辻政府委員 これは先ほど来御指摘の大気汚染防止法施行規則十三条の一号に硫黄酸化物の場合が書いてございます。これは「いおう酸化物の大気中における含有率が、千万分の二以上である状態が三時間継続したとき。」こうなっているわけでございますが、これは先ほど来申し上げておりますように、この緊急時の状態と、この公害罪法案にいう生命、身体に危険を生ぜしめる状態とは相当差があると思うのでございます。したがって、この設例で、濃度がこの法案にいう公衆の生命、身体に危険を及ぼす状態の場合のこのPPMの量で幾らになるのかという点につきましては、ちょっと計算をしなければならぬと思いますが、先ほど私が申し上げた設例の場合でいけば、私どもはこれが一つの基準に一応なるものであろうと考えております。
○中谷委員 五〇ないし六〇PPMが数日間とおっしゃいましたね、そうですね。
○辻政府委員 五〇ないし一〇〇PPMの濃度のものを一日八時間ずつ数日吸入すると、健康人であっても肺組織に支障を起こすとされておるというふうに私どもは考えております。
○中谷委員 出どころは何ですか。
○辻政府委員 一応役所関係の権威ある技官その他の意見を聞いております。
○中谷委員 肺は守ってもらわなければ困ると思いますよ。しかし、人体というのは肺だけじゃないのです。気管もそうです、目もそうです。かぜがひきやすい状態になるというのもこれは人体に害が生ずることになりますか。
○辻政府委員 この公衆の生命、身体に危険を生じさせたという状況でございます。これは一般通常人というものを前提にした基準であろうと考えております。
○中谷委員 だから肺とおっしゃるから、気管がやられる、とにかく大気の関係で。「おそれ」ということでずいぶん論争をしたわけですけれども、まずあまりにも設例が不十分だと私思うのです。肺がやられるというが、人間のからだというのは肺だけじゃないのです。目もあれば鼻もあるし、鼻かぜだって身体に危険を生じた場合でしょう。鼻かぜが生じるという場合は、どの程度の場合か御存じですか。
○辻政府委員 私が申し上げました設例は、肺組織に支障が起きるという状態を申し上げたわけでございます。そのほかの場合もそれはもちろんあり得ると思います。
○中谷委員 肺をやられる以前に、鼻かぜという場合はまず公害罪の対象になりますね、鼻かぜでも。その場合は一体この五〇ないし一〇〇PPMよりも重いと思いますか、軽いと思いますか、汚染状態が。
○辻政府委員 これは私が申し上げました肺組織に障害を起こすという状態が具体的にどういう状態なのか、いま御指摘のたいへん重い状態であるのかあるいは鼻かぜ程度のものも含むのか、ちょっとその点は私どもいまつまびらかにすることができません。
○中谷委員 なるほど、局長は法律の専門家で、「おそれ」を復活しなさいというわれわれの論争について、「おそれ」をとったのはそれでよかったのだということをずいぶん言われたけれども、いまの法律学に対する疫学の導入、医学の知識というものについては全く不熱心というか、そんなものだから、「おそれ」も何もあったものではなくて、一体どんな場合が人体に危険があるのかないのかということについて全然お調べになっていないと私は思うのですよ。それくらいのことなら、四日市ぜんそくはどんな場合に起こったとか、百でも二百でも例があげられる、かぜの場合はこんな場合だったという設例くらいは。そんなことを言ったら、第一線の検事だって捜査はできませんよ。そういうこともありまして、私は大臣にお尋ねしたい。 非常にむずかしい問題だと思うのですが、私は非常に熱心な同僚委員の論争、質問をずっと聞いておりまして、公害罪法運営のためには、法務省の中に医学的な自然科学の知識を導入していくことがなければ、「おそれ」をとったほうがいいのだなんで、なかなか簡単に言えないと思うのです。要は、どの程度の場合が身体、生命に危険を生ずるというふうな科学的な認定が前提にあるべきであって、「おそれ」についての精緻な——少なくとも私の言っているのは大気の問題ですよ。蓄積性重金属は絶対違うということを私はあと論証しますが、ただ簡単に言われることは非常に問題だと思う。やはり法律の解釈をほんとうに国民の期待にこたえる客観的なものにするための——施行期日が来年の七月となっている、そういうことについての相関関係、要するに濃度と時間との相関関係、それはどこが人体に害を生ずるかということについて、法務省は全力をあげて各省と連絡をして協力を得るように努力をしていただきたいと思いますが、大臣、いかがでしょうか。
○小林国務大臣 それはその御意見のとおりだと思いますので、そういう努力をいたします。
○高橋委員長 中谷君、もう一時間ぐらいになりますが、まだやりますか。
○中谷委員 まだまだ序の口のつもりでおったけれども、皆さん、早くということなら……。 そこで次に、水質汚濁防止法の条文をお開きいただきたいと思うのです。設例の第十四条の3「排出水を排出する者は、有害物質を含む汚水等が地下水にしみ込むこととならないよう努めなければならない。」こうありますね。これは一体排出基準が定められている条文でしょうか、条文じゃないのでしょうか。
○辻政府委員 この法案の第十三条は改善命令の場合の基準であると考えております。
○中谷委員 あなた水質汚濁防止法はお読みにならなかったですね。十四条の3は「努めなければならない。」であって、改善命令は対象になりませんよ。
○辻政府委員 私、十三条と誤解したのです。これは水質測定の規定でございますが……。
○中谷委員 もう一度言いますよ。水質汚濁防止法案の十四条の3ですよ。何を言っておられるのですか。これは一体どういうことになりますか。これは一体拘束力がある条文ですかという質問です。
○辻政府委員 私は、これはいわゆる訓示規定と解釈いたしております。
○中谷委員 そこで訓示規定というよりも、私が聞いたのは、排出基準がきまっていない条文ですね、地下水については有害物質が入ってはいけませんよ、地下水は汚染してはいかぬ。ですから排出基準かきまっていないんですね。だからもろにこれは公害罪の適用を受ける場合があり得ますねということを聞いているのです。
○辻政府委員 お尋ねの場合は、これは排出基準がきまっていない場合でございます。
○中谷委員 そこで、だからもろにというか、直接に公害罪の適用を受ける場合があり得ますねと聞いているのです。
○辻政府委員 これは公害罪法案の「工場又は事業場における事業活動に伴って」から「排出」というところまで、もちろん外形的にも該当するという場合には、これはこの公害罪法案に適用される場合があり得るものと考えます。
○中谷委員 そこで「おそれ」に入っていきます。 地下水にずっとカドミが入っていく、そうして地下水にたまっていく。そうしますとそこがとにかくあき地だったという場合、三年後にそこに家を建てた、井戸を堀ったらカドミがたまっておったならば、井戸水には使えませんね。それで生命、身体に危険を生じておるということですね。「おそれ」があるということなら将来とにかくあき地の状態あるいは地下水のほうに入っていくという状態のときにとめられるのじゃないでしょうか。この蓄積性重金属の場合には、「おそれ」というものをとったらこういう場合は処罰できない。やはり「おそれ」を残しておかぬと、とにかくそういうものの場合には、先ほど藤木先生も言っておられたけれども、大気汚染の場合には「おそれ」というのは必ずしも一PPMできめていくわけだから、PPMとそれから時間でこの程度ということ、それも若干問題はあるでしょうけれども、蓄積性重金属の場合は、危険を生じたという場合にはどうにもならぬ場合が出てくる。たとえばこの場合がそうだと思うのです。いかがでしょうか。
○辻政府委員 ただいまの御設例、必ずしもどの物質かどうか……。
○中谷委員 カドミにしてください。
○辻政府委員 カドミウムでございますか。カドミウムにつきましては、これはお答えにならないと私は思うのでございますが、カドミウムのつまり公衆の生命、身体に対する危険性というものにつきましては、現在なお科学的に確定した見解がないというふうに承知をいたしております。
○中谷委員 お尋ねをいたします。公害対策基本法第九条に基づく公共用水域の水質汚濁にかかる環境上の条件についての閣議決定の人の健康に係る環境基準にはカドミウムは入っておりますが、いかがでしょうか。
○辻政府委員 お説のとおり入っております。
○中谷委員 これは絶対に最大値でございますね。これ以下でなければ絶対にいけないという、人の健康にかかわる基準ですね。そうするとなぜ科学的に確定していないのですか。
○辻政府委員 これは私は科学の知識に乏しいわけでございますが、私が承知しております限り、カドミウムが人の骨を害するというふうに聞いておるのでございますが、それはそのカドミウムの量とそれからその期間といいますか、身体に蓄積される期間とか、いろいろなそういうほかのデータの関係で左右されるところが多いというふうに聞いておるのでございます。その意味におきまして、公衆の生命、身体に危険という場合に、なかなかこの状態が、先ほど御指摘のような科学的に客観的な一つの状態として把握いたします場合に、なお現在の科学ではその点が客観的には確定できないというふうに私どもは聞いているのでございます。
○中谷委員 私も全く自然科学のしろうとだけれども、局長は私よりもひどいんじゃないでしょうか。要するに人の健康に係る環境基準の中に、シアン、アルキル水銀、有機燐、カドミウム、鉛、クロム、砒素、総水銀、そうして総水銀には検出されてはならない、それからアルキル水銀も検出されてはならない、シアンも検出されてはならない、カドミウムについては基準値はこういうふうにきまっている、それ以上出たら人の健康にはいけないのですよ、これは絶対的なものですよと書いてあるのですね。だからあなた自身が何も因果関係の立証をする必要はないのですよ。あなた自身が、人の健康に係る環境基準、閣議決定ですから、これを基準にして、身体、生命に危険を生ずるおそれという場合はどんな場合か、これを法務省としてはカドミについて検討されたことがありますかという質問なんです。
○辻政府委員 ただいま御指摘のとおり、健康を基準として定められておることは、これは十分承知をいたしておるわけでございます。その意味におきまして有害な物質であることは、これはもう当然のことでございます。しかしながら、この基準というものは安全度を見込んで定められておるわけでございまして、この公害罪法にいう公衆の生命、身体に危険な状態という場合に、その危険度というものが現在の科学ではまだ確定的には言えないというふうに聞いておるということを申しおるのでございます。
○中谷委員 そうすると水銀、シアン、アルキル水銀とそれから総水銀、カドミ、そういうものが、先ほどのずっと地下水を汚染したそういう状態について、いつ研究するのですか。要するにどんな状態、さっき大気の場合をあなたは言われましたね。五〇から一〇〇PPMと。これが正しいかどうか疑問ですよ。そんな答弁がはたして科学的にいいのかどうか、答弁として適切かどうか、疑問がありすぎるのですよ。しかし、そのアルキル水銀と総水銀とカドミについてはどういうふうに考えられますか。
○辻政府委員 ちょっと恐縮でございますが、私どもの設例でまずシアンについて申し上げさせていただきたいと思うのでございますが……。
○中谷委員 シアンは——蓄積性重金属の問題に入ったのですよ、いまは。
○辻政府委員 ちょっとお待ちくださいませ。砥料を持っておりますので……。
○中谷委員 じゃあシアンでもいいや、思案してやってください。
○辻政府委員 シアンについて申し上げますけれども、シアンはただいま御指摘のように即効性の毒物でございます。その経口致死量は六十ないし百二十ミリグラムとされておるわけでございますが、ところで人間が一回に飲みます飲水量というものを一応二分の一リットル、これは五百ミリリットルになるようでございますが、一回水を飲んで、そこでシアンが入って死ぬという状態に水が汚染されているということになるわけでございますが、一回飲んでシアンで死ぬという場合を考えました場合に、一回の水を飲む量を二分の一リットルといたします。そういたしますと、それだけ汚染されておるシアンの水というものは、濃度が一二〇ないし二四〇PPMにならなければならないというふうに計算できるようでございます。そういう水が出るために、またそういう排出があったといたしますれば——川ヘシアンを含んだ水が排出されるという場合に、川で何倍にその水が希薄化されるかということはまた具体的な状況によって事情が異なってまいります。それも各具体的に、かりに一つの工場からシアンが排出されました場合に、十倍に薄められるというふうに仮定いたしますと、いまの一二〇〇ないし二四〇〇PPMのシアンを含む水が何トンと、川のことは水の量との関係においてまた規定されてくると思うのでございまして、一概に言えないわけだと思うのです。
○中谷委員 人の健康に係る環境基準の中で、蓄積性重金属というのはどれとどれですか。
○辻政府委員 お尋ねの物質は、アルキル水銀、カドミウム、鉛、クロム、総水銀と理解をいたしております。
○中谷委員 そこで、ではカドミについては蓄積性重金属の一つとして、先ほどの例をいきますよ。要するに、地下水汚染については「努めなければならない。」だから、排出基準がきまってない、それで地下水が汚染されていった、そういう場合ですね。おそれがある場合とおそれがない場合とは、一体どういうことになりますか。たとえばあき地がある、人が現に住んでいない、将来住むかもしれないというような場合には、一体どの状態が公衆の生命、身体に危険を生ずることになるのでしょうか。
○辻政府委員 これも具体的な事案によると思うのでございますけれども、その地下水が汚染されている。その地下水をその近辺の人が通常飲料にするという状況であれば、一定の汚染度になった場合——カドミウムの場合には、その汚染度というものが科学的には現在まだ確定していないということを申し上げておりますが、一つの抽象論として申し上げました場合に、その汚染度が一定の汚染度に地下水がなったという場合に、通常、人がその地下水を飲むという状態であれば、これは危険を生ぜしめたということになろうと思うのでございます。
○中谷委員 大臣にひとつお尋ねいたしますけれども、昨日、大臣は、監視体制の確立ということを言われたらしいですけれども、これは法案立案者の中心人物である刑事局長の科学的な知識だって、私は非常に不十分だと思うのです。現場の第一線の検事さん、検察官にどんなにして——初歩的な化学知識のイロハのイを教えるというくらいのことをしてもらわないと、「おそれ」があったがいい、ないほうがいいのという議論ばっかりとにかくやられて、それで実際の科学的な知識がない。そうすると結局、事前検挙だといっても、事前検挙はできっこないのですよ。どういうかっこうで検索をおやりになりますか。その点ひとつ大臣の御方針をお聞きしたい。
○小林国務大臣 これは先ほどもお話がありましたように、いまの医者、科学者等にも依頼して、わかりやすい基準をやはりつくらなければなるまいというふうに思っておりまするし、たとえばそういうことの調査、あるいは検事が捜査する端緒を得ることが非常に困難じゃないか。検事が回って歩いておるわけじゃありませんし、また、検事が的確な知識を有するようなくふうをするが、これはやはり専門家にそれらの知識を借りなければならない。すなわち、基準をつくるとかあるいは鑑定をしてもらうとか、いろいろそういう方法を講じなければならぬ。しかし、何といたしましてもいまの、事前にこれらを危険が生ずるかどうかというようなことは、私は、やはり相当これに関心を持つというか、これをひとつ専門に担当する人等が、組織あるいはそういう機関として必要じゃないかというふうなことを考えておるのでございまして、 いまおっしゃるような、 いますぐにどうやる、こういうことは不用意といえば不用意、非常にその点においては欠けておる。これはまだ施行期間もありますから、いろいろの点の少なくとも常識的と申します科学的基準というようなものはつくらざるを得ないというふうに思っております。
○中谷委員 来年の七月からの施行ですから、やはり少なくとも、高等学校の一年生ぐらいの化学知識ぐらいは持ってもらわぬと私はあぶないと思うのですよ。そんなことではとにかく、企業のほうから資料を出させて、企業の言いなりになるという場合だってありますよ。そういうことでは私は捜査なんというものは——しかし、たとえば「法務研究」をお書きになった検事さんなんかずいぶん勉強していらっしゃることは承知しておりますよ、りっぱにやっておられたということは。事前検挙になったら、事件があったら検挙するということ、そういうことはゆっくり本屋へ行って化学の本を買って勉強するということじゃ間に合いませんから、とにかく大いにそういう体制をつくってもらうことの御努力をいただきたいと思います。 それから、私はさっき、一つ思い違いといいますか、私自身若干、質問の中にミスがありましたので訂正をしておきたいと思います。 と申しますのは、火力発電所は、大気汚染にしろ、水質汚濁にいたしましても、適用除外でございますね。適用除外でありますから、火力発電所というものについて私が言った例は間違いだったと思うのですが、火力発電所は、都道府県知事の要請があって、通産大臣がそれに対して改善をしろという通知をいたしますね。そこで私は、こんな場合は一体どうなるのかということをお聞きしたいのです。通産大臣に要請すると同時に、とにかく、いまの状態を早く改善してもらわなければ生命、身体に危険を生ずるおそれがあるということで、その企業に対しても同じ要請の写しを送ったというふうな場合は、そのことについて通産大臣からの改善命令等がくる以前に一こなければ公害罪は適用がないのでしょうか。
○辻政府委員 この公害罪の成否の問題につきましては、具体的な状況というものが前提になるわけでございまして、ただいま御指摘のきわめて抽象的な問題について、成否を言うことはできないと思うのでございますけれども、私どもは、この大気汚染防止法の適用外であろうと適用内であろうと、何回も申し上げておりますように、この公害罪法案は、二条、三条の要件に該当する限り成立するわけでございます。一人で二条、三条にいうこの状態をつくった、こういうふうに評価できる限り、積極になるわけでございます。その場合の前提の事実として、どういういまの通産大臣への勧告でございますか、要請でございますか、そういう事実があるということで、この場合によっては、一つの犯意、過失の認定の根拠になるということは言えると思うのでございます。
○中谷委員 そこで、もう一度お尋ねをいたしますが、地下水の場合、おそれがあった場合とおそれがない場合とでは一体——先ほど私、設例をあげましたけれども、魚とプランクトンの関係ばかりおっしゃっていますけれども、地下水の場合は「おそれ」があった場合とない場合では私も絶対、断じて違うと思う。たとえばプールなんか、地下水をくみ上げてプールを満たすというような場合に、冬にもそういうふうな人の身体、生命に危険を生ずるようなカドミウムの汚染がある。しかし、冬は泳ぎませんね、そういう屋外プールでは。夏は泳ぐ。夏泳ぐという状態にならなければ一体検挙できないのではおかしいんで、やはり「おそれ」がなければ、そういうことはおかしいんじゃないかという場合も私はあり得ると思うのです。だから、そんなことで蓄積性重金属の場合を考えてみると、危険というのはおそれであるという先ほど参考人の話があったとしても、おそれのおそれを入れておかなければ、こんな場合は事前検挙はできないと私は考える。その点についてそうじゃないのだということを反論があれば御反論いただきたい。
○辻政府委員 ただいま御指摘の設例でございますけれども、地下水が汚染されておるという場合に、この汚染の状況がこの法案の二条、三条の要件に全部当たるという前提でございますけれども、その場合に、地下水が汚染されておるという場合は、やはり人間の飲料水に供せられるかどちかというその関係における一つの状態の問題であろうと思うのでございます。人間の飲料に供されるという可能性が全くないところで地下水が汚染されておるか、人間の飲料に供される可能性が十分にあるかというところによって、結論が変わってくるのじゃないかと考えております。
○高橋委員長 中谷君、あんまり名質問で聞きほれていたら時間がオーバーしておるのがわからなくて、三十分もオーバーしています。
○中谷委員 私の質問はこの調子でやっていくとあと一時間くらい続くのです。
○高橋委員長 きょうで打ち切りじゃないのだから、きょうは約束どおりやって、あとは理事懇でもって相談しましょう。 ちょっと速記をとめて。 速記中止
○高橋委員長 速記を始めてください。 —————————————
○高橋委員長 それでは御報告いたします。 本案に対し、青柳盛雄君から修正案が提出されました。 この際、提出者から趣旨の説明を聴取いたします。青柳盛雄君。
○青柳委員 内閣提出の人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案に対して、私の修正案の趣旨を申し上げます。 まず、案文を朗読いたします。 人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律案にたいする修正案 第二条ないし第五条を次のとおり改める。 (公害事業罪) 第二条公害の防止に関する他の法令(地方公共団体の条例を含む。)の定める基準を越えて、人の健康を害する物質(身体に著積した場合に人の健康を害することとなる物質を含む。以下同じ。)を排出することにより、工場又は事業場における事業活動を不正に継続した者は、五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金に処する。 (公害死傷罪) 第三条 前条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、一年以上十年以下の懲役又は一千万円以下の罰金に処する。 2 前条の罪を犯した者は、当該排出が死傷の結果を生じさせたものでないことを証明しない限り、前項の処罰を免れることができない。 3 第一項の場合において、死の結果を認識したときは、刑法(明治四十年法律第四十五号)第百九十九条(殺人)及び第二百三条(未遂)の罪の例による。 (両罰)第四条 法人の代表者若しくは当該事業活動を執行した役員又は若しくは人の代理人が、その法人又は人の業務に関して、前二条の罪を犯したときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する。 (公訴) 第五条 第二条及び第三条の罪の公訴については、刑事訴訟法第二百六十二条ないし第二百六十八条の規定を準用する。この場合において「刑法第百九十三条乃至第百九十六条又は破壊活動防止法(昭和二十七年法律第二百四十号)第四十五条の罪」とあるのは、「人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(昭和四十五年法律第 号)第二条及び第三条の罪」と読み替えるものとする。 附則を次のとおり改める。 この法律は、昭和四十六年一月一日から施行する。 修正案の理由は次のとおりであります。 一、事業者の業務執行による事業活動に伴う有害物質の排出を、不正な公害事業罪として、その業務執行者とともに、企業を処罰すること。 二、右の公害事業罪が死傷の結果を生じたときには公害死傷罪として、業務執行者とともに企業を重く処罰すること。 三、殺人の故意ある場合には、その業務執行者を殺人罪で処罰すること。 四、以上の各公害犯罪を、迅速適正に処罰するため起訴強制の手続を認めたこと。 これが、この修正案を提出する理由でございます。 以上でございます。
○高橋委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。 この際、暫時休憩いたします。 午後五時二十九分休憩 ————◇————— 〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕