文教委員会 第2号
- 発言数
- 116 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1970/12/11
会議録
○八木委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を行ないます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。國場幸昌君。
○國場委員 本日は、本委員会におきましてこのように発言の機会を与えられましたことは、委員各位のあたたかい御配慮のたまものと深く感謝するものであります。 私は、沖繩における先般の文部大臣の発言等に関連して、この際、特に文教関係につきお尋ねしたいと思います。 さきに閣議決定されました沖繩復帰対策要綱を中心として、また、これに関連して沖繩の文教の現状と将来の展望を少しく御説明申し上げまして、沖繩の文教問題について文部大臣の所信をお伺いしたいと思います。 御承知のとおり、沖繩は、長年にわたる米施政権下にあって、あらゆる面で特殊事情を余儀なくされてきたのでありますが、一年有余に迫った復帰を目前にしていま最も必要なことは、県民生活の長期的な基盤を正しい見通しの上に立って確実に策定していくことであると考えます。 基地経済からの脱却をはかりつつ、各種産業の振興開発により生産の増大と産業構造の高度化を進め、十年後には、県民総生産を少なくとも三倍に引き上げていくという具体的な計画が望まれるのであります。この計画を第二次産業に限定すれば、国民所得の伸び率を五倍以上に見込む必要があり、従来にも増して多くの技術者が要請されるだけでなく、管理、流通、金融の面などでも法文、経商などの専門知識を身につけた人材が不可欠になってくるでありましょう。この開発計画の実現のための人材は、基本的には沖繩側で育成していかなければならないのであり、さらに島内産業に沖繩出身の人材が活躍するだけでなく、沖繩出身の人材が広く本土でも活躍するようにならなければ、真の一体化は実現されないと考えます。 沖繩の児童生徒の学力水準は著しく低下、本土との差は、小中学校で七〇%、高校においては六〇%と、高学年にいくにつれて学力差が大きくなっています。第二次大戦によって、当時の教員在籍者三千九人のうち六百八十一人、師範学生三百九十二人の計千七十三人が死亡したため中堅教員層が非常に薄く、教育効果をあげていく上で大きな問題をかかえているわけでございます。さらにまた、児童生徒一人当たりの公教育費も本土と比べかなり低く、本土の約六〇%程度しか満たされず、学校施設、備品も不備であり、これら沖繩の教育諸条件は本土との格差がひどく、およそ十年以上も立ちおくれているといわれているのであります。 もちろん、学力向上の要因は、外部的諸条件のほかに教師、父兄の高い道義に基づいた主体的努力も当然要求されるべきものでありまして、何らかの反省があってしかるべきだと考えるのでありますが、まず当面これら教育諸条件の格差の解消こそ急務であり、沖繩対策が本土政府で論議されている機会に、教育問題にも目を向けて、沖繩県民の納得のいく積極的な姿勢を打ち出してもらいたいことを強く要望いたします。 そこで、まず最初に琉球大学の国立移管についてお伺いしたいと思いますが、沖繩の復興と開発のための人材養成機関として重要な役割りを果たしてきた琉球大学が、今回、復帰時に国立移管されることに決定したことは喜びにたえません。しかしながら、琉大の現状は、本土の国立大学と比べてみると、教育条件において人的にも物的にもかなり格差があると承知しているわけでございます。 そこで、琉大の学科等の構成を本土の大学設置基準に照らして改編整備すると聞いているが、入学定員や学部の数などにまで大きな変動があるかどうか。改編整備の基本的な考え方をお伺いしたいわけでございます。琉大では特に教授の不足が著しいが、その補充策についてお伺いをいたします。
○坂田国務大臣 琉球御出身の國場さんの御質問にお答えを申し上げます。 去る十一月二十日に、沖繩復帰対策要綱第一次分が閣議決定になりましたのは御指摘のとおりでございまして、その中におきまして特に教育、文化の面につきまして、第一には教育行政制度について、第二には琉球大学の国立移管について、第三には国費沖繩学生制度について、第四には学校給食について、第五には文化財保護について決定をいたしておるわけでございまして、長年アメリカの施政下にあって日本の教育を守ってこられた皆さま方に対して深く敬意と感謝を申し述べるのでございますが、同時に、いまから復帰に至るまで、われわれといたしましては全力をふるって、いま御指摘になりました教育の格差を是正していくということに最善の努力を払わなければならないというふうに考えておる次第でございます。 まず、琉球大学の国立移管についてのお尋ねでございますが、大学学術局長からお答えを申し上げたいと思います。
○村山政府委員 琉球大学は、現在五学部、学生定員にいたしましては九百二十名程度の規模になっております。これを本土の大学設置基準に照らしますと、この規模では教員組織、施設、設備にかなり不備な点がございます。そこで、琉球大学当局とも、すでに事実上復帰時にいかなる形で国立大学にするかにつきましては打ち合わせをやっております。基準に合わせるということを主眼に考えますと、かなりの改編ということも理論的には考え得るわけでありますけれども、琉球大学側並びに沖繩の現地のほうといたしましては、御指摘のように、琉球大学が今日まで果たしてきた役割りにかんがみまして、学部や入学定員についてはこれを縮小しないようにという強い御希望がございます。文部省といたしましてもその点は原則的に了承いたしまして、むしろこまかい点にくふうを加え、あるいは必要な整備を復帰時までに、あるいは復帰後においてもなすということで、できるだけ現地側の御希望に対応するように目下協議中でございます。 結論的に申し上げますと、御質問の学部あるいは入学定員を大幅に縮小するというようなことはしないで、むしろ整備、充実することによって設置基準に何とか適合させて国立に移管するという方向で努力をいたしたい、かように考えております。
○國場委員 現在、琉大の敷地は三万余坪しかございません。そこは文化財地区に指定されていろいろな制約があり、移転が計画されておる。琉大では、約四十四万坪の候補地を選定し、そのうち十三万五千坪が現在購入済みでございます。残る三十万五千坪に対し琉球政府財源では困難な状態であるようだが、これに対し政府は財政援助をするお考えがありますかどうか、お伺いしたいと思っておるのでございます。
○村山政府委員 琉球大学が、現在の校地が狭いということで、北方に適地を求めて移転を計画しておられることは承知しております。その敷地購入についての援助要請もあったわけでありますけれども、現在までのところ、援助の段階におきましては、むしろそれより先に、現時点で琉球大学の運営費並びに復帰に備えて、先ほど申し上げましたように、施設、設備等の不備な分を現状で充実するための援助というのがより緊急であると考えまして、それらを含めまして現在約二十三億円の援助予算を要求中であります。 土地購入費につきましては、直接援助の計画は四十六年度予算では考えておらないわけでありますけれども、その他の整備費、運営費におきまして、そのように従来よりは格段に多額の援助を考えておりますので、敷地の購入につきましては、復帰までの時点においてはそれによって財源に余裕ができるかどうか、そこら辺は明細に承知しておらないわけでありますけれども、運営費や整備費を援助することによってもし余裕ができるならば、現地側においてできるだけ確保していただくように現在お願いしておるところであります。
○國場委員 日本政府の援助により建設中でございます那覇病院が琉大に付置されることになったが、沖繩における医師の不足は極端なものであり、人口十万に対して本土全国平均が百十一名であるにもかかわらず、沖繩では三十六名であり、その医師の数は日本本土の三分の一に満たない状態となっておるのが現状でございます。これは大きく社会問題をかもし、この際、沖繩において急務とされておる医師の養成のため医学部を設置される考えはないかどうか、お伺いしたいわけでございます。
○村山政府委員 沖繩において医師が非常に不足しておるという状況は、以前から承っておるところであります。そこで、日本政府といたしましては、沖繩の国費留学生という制度がございますが、これの数の算定にあたりまして特に医学部を重点的に取り上げておりまして、現在までに約五百名の国費留学生の医学生というものを受け入れておるわけであります。その約半数は、もうすでに医学部を卒業いたしまして、そのまた半数近くの者は沖繩に帰っております。そこで、この国費で養成いたしました者、それから自費の留学生につきましても医学部は比較的多くなっておりますが、これらが沖繩にできるだけ帰って医療に従事するということが、さしあたり沖繩における医療の対策として一番緊急なことだと思います。 それから、さらに長期的な問題としては、御指摘のように、できれば現地に医学部がほしいという御要望がありまして、日本政府としてもそれと前向きに取り組むということになっております。ただ、医学部をつくるということは非常にむずかしい問題がありますので、すでに総理府に設けられました琉球大学医学部設置問題懇談会におきましても慎重に検討の結果、医学部はつくるべきであるけれども、さしあたりは保健学部をつくることが最も緊急かつ時宜に適した方法であって、将来医学科ということを考えたらよかろうという結論が出て、現在保健学部それ自体が、まだ設置に着手され、学年進行が始まったばかりであります。そこで、医学部の問題というのは、やはり将来の課題として検討させていただきたいと思っております。 ただ、これは緊急を要しますので、保健学部としては本土の大学ではきわめて異例のことでありますけれども、現在、新那覇病院が琉球大学付属ということで現地においてはこれまた建設中でありまして、復帰に際しましても新那覇病院は琉球大学の付属機関として受け入れるという方針が立てられております。これらの整備をはかることによって、将来医学科の問題につながっていくように検討、努力をいたしたいと思います。
○國場委員 教育委員会制度についてお伺いいたします。 このことについては、閣議決定やさきの本会議の質疑にもより、政府の考え方は明らかであると承知してございます。現地沖繩ではなお反対の動きがあり、最近も中央教育委員会で公選制存置の決議が行なわれておるのは御承知のとおりでございます。沖繩では公選制のほうがすぐれていると考えておる人たちもおるので、現行の本土の制度にどのようなメリットがあるか、その点に対しまして十分説明をいただきたいと思いますが、それに対しまして文部大臣のお考えをお伺いしたいわけでございます。
○坂田国務大臣 先般の本会議の御質問にお答えいたしましたように、沖繩が従来アメリカの施政権下にあって、日本人としての教育を守り通してこられたことに対しては、私も敬意と感謝を申し上げるのでございますが、同時にまた、復帰をいたしました暁には、日本本土に行なっております任命制のやり方で、ひとつ教育行政をやっていただきたいというふうにわれわれは考えておるわけでございまして、日本全部が、同じ制度のもとに教育行政が行なわれるということが私は望ましいというふうに思うのでございます。現在の本土の教育行政制度は、昭和三十一年に公布施行されました地方教育行政の組織及び運営に関する法律に基づいて設けられているものでございます。同法は、昭和二十三年に発足しました旧教育委員会の運営の実態にかんがみまして、行政委員会としての教育委員会の制度を設立する、その実情に即さない点を改善するとともに、さらに必要な整備を加えまして、新たに地方公共団体における教育行政の組織及び運営の基本を確立するため制定されたものでございます。同法に基づく教育行政制度は、旧教育委員会の組織及び運営と比較いたしまして、教育の政治的中立あるいは教育行政の安定性を確保し、さらに教育行政と一般行政との調和を進め、教育行政における国、都道府県及び市町村の連携を密にすることを主眼としている点に特色があると思うのでございまして、むしろ従来財政力がきわめて貧弱でございました沖繩県において、違った行政、しかもそれが公選された形において、相対立とまではいかなくとも調和ができないというところに、私は施設、設備、教育条件整備にかなりおくれがあるのじゃなかろうか。しかも、先ほど御指摘になりましたように、本土と沖繩県との教育条件にかなりの格差がございますから、むしろ復帰いたしました暁においては、行政が一本の筋で進むということ、国−県−市町村、そういう形のほうが条件整備を早くやることに効果があるのではなかろうかというふうに私は考えておる次第でございます。
○國場委員 教職員の人事、身分取り扱いについてお尋ねいたします。 沖繩では、特に小中学校の教職員については公務員法の定めがなく、子供の教育を預かる教師という立場にあっても政治活動や争議行為が禁止されていない。かつて立法院で教公二法案を審議した際にも、教職員会の十割休暇闘争で廃案となったいきさつがあるわけでございます。復帰後は、本土の教職員と同じく公務員法を適用するのであるかどうか、これをお伺いいたします。
○宮地政府委員 お答えいたします。 御指摘のように、現在沖繩におきましては、本土におきまするような国家公務員法、地方公務員法、さらに学校の教職員につきましては教育公務員特例法、こういうものが本土にはございまするが、沖繩にはございません。したがいまして、復帰後は本土の教職員と何ら変わりがございませんので、復帰後の教職員のそれぞれの所属する身分に応じまして国家公務員法、地方公務員法、さらに国立、公立の先生を含めまして教育公務員特例法の規定の適用を受けるように措置したい、こういうふうに考えております。
○國場委員 わかりました。 それでは、教員の待遇についてお伺いいたします。 教員の給与体系が本土とかなり異なっており、給与水準も相違が見られる。そこで、本土の給与制度に切りかえる際いろいろな問題があると思うが、どのような方針で考えているか、お伺いしたいわけでございます。
○宮地政府委員 沖繩の本土復帰に際しまして、教職員の給与をどのように取り扱うかということにつきましては、新たに国の機関に移されることになります機関の職員、たとえば琉大等の職員の給与、こういった職員の移行措置とも十分関連がございますし、さらには、一般の地方公務員の給与制度をどのように取り扱うかということとの関連で総合的に考えなければならないと思いますが、基本的な制度といたしましては、両制度ともほぼ同一であるところから、大きな混乱を起こすことなく沖繩の給与制度を本土の給与制度へ移行していくことが可能であろうというふうに思われます。したがいまして、御指摘のような趣旨で教職員の不利となることのないような措置を給与上考えていきたい、こういうふうに考えております。
○國場委員 退職勧奨についてお尋ねいたします。 沖繩の教育界では六十歳以上の高齢者が多い。これらの教師は退職したいと思っていても、琉球政府の退職手当の予算が、とてもこれで予算を計上することができないような貧弱財政の中でありまして、この教鞭をとっておる先生方はもう年をとって、これに対しても、教育の向上の観点から退職勧奨を積極的に行なわれる必要があると思うが、財政的にどのような援助で、それに対する措置としてはどういうようなお考えをお持ちでございますか、お尋ねいたします。
○宮地政府委員 私どもの考えといたしましては、本土におきましても、各県で事情は違いまするが、退職勧奨が一般的に行なわれておるようでございます。そのねらいは、教育の機会均等、水準の維持、向上、こういった学校教育の振興の観点から適正な人事行政をはかる一環としてやっておるわけですが、沖繩におきましても、復帰後そのような勧奨退職を行なうということはやむを得ないというふうに考えております。 ところで、沖繩におきます退職手当の内容は、勧奨退職の場合は普通退職に比べてきわめて有利でございます。と申しますのは、退職するまでの勤続年数の三倍といったような計算がなされております。ところで、財政難といったようなことから勧奨退職が必ずしも十分に行なわれていない、こういうことでございますが、本土に復帰しました後には、これは一般の公務員の取り扱いとの関連がございまして、特に教師だけという取り扱いもいかがかと思いますが、ただ、形式的に申しますと、沖繩では退職するまでの勤務年数の三倍が払われる。ところで、本土では、たとえて申しますと、三十年勤続した者は一・六五倍の退職手当ということになっております。したがいまして、御当人にとりましてはいまであれば三倍、本土並みであれば一・六五倍、こういうふうに非常に不利なように見えますが、しかし、この三倍と申しますのは、勤務年数の計算のしかたが、一九五二年以降の今日までの勤務年数ということになります。したがいまして、具体的に申しますと、現在六十の方がやめられる場合、普通ですと、師範学校を卒業しておりますと四十年近く勤務しておられるわけですが、沖繩の計算では一九五二年以降ですから、いま六十歳の人なら十八年しか勤務してない。したがって十八の三倍ですから、五十四年勤務したという計算になります。ところで同じような方が本土ですと、師範学校を卒業しましていま六十としますと三十七、八年はつとめておられまして、退職のときに計算されます勤務年数というものは三十八年になるわけです。したがって、本土のやり方ですと三十八年勤務した人ですと、沖繩のように三倍は出しませんが、五十七年ということで計算されます。ところで沖繩では、その六十の人は十八年しか計算されませんから、その三倍は五十四年でございまして、むしろ三倍という、形式的には本土のほうが不利なようですが、実質的には、本土と同じように扱いましても本土のほうが五十七年で、三年はふえるような計算になります。したがいまして、三倍にするかどうかといったようなことは、いま申しましたように、いろいろ他の公務員との関連も考慮して検討しなければいけませんが、実質的には沖繩の方に、本土に復帰したために退職手当が不利になるということのないように検討していきたいということで、いま鋭意検討を進めております。
○國場委員 教師の資質の向上についてお伺いいたします。 沖繩の児童生徒の学力水準は、本土に比べて約七〇%の開きがあるのはさきに申し上げているとおりであります。学力向上のためには、教師の資質を向上させることが何よりも大切だと思いますが、沖繩の教師の資質を高めるため政府は今後沖繩に対してどのような施策を行なうつもりでございますか、お伺いいたしたいわけでございます。
○宮地政府委員 沖繩におきます教員の資質向上につきましては、昭和二十七年以来のことでございますが、現在内地派遣沖繩研究教員制度というものを設けまして、校長、指導主事、一般の先生方に対しまして、毎年約百名程度を一定期間本土の学校や教育委員会等に配属しまして、現職教育を実施しております。さらに、沖繩におきます教員の研修のため、本土から各種の講習会の講師や学校の教育指導員を派遣するなど、諸施策をとっております。したがいまして、本土復帰後におきましても、沖繩の教員の資質向上につきましては一そうの努力を要すると考えられますので、具体的な問題につきましては本土の各県との関連をも考慮しながら検討の必要がございますが、従来の措置と比べまして、実質的にはそれより劣ることのないようにより一そう積極的な配慮を加えたい、こういうふうに考えております。
○國場委員 学校施設の整備についてお伺いいたします。 沖繩の学校施設の整備につきましては、これまでの本土政府の援助によってかなり改善を見ているわけでございますが、まだまだ相当な格差があることはいなめない事実でございます。格差はできるだけ早く解消するため、年次計画をもって本土の都道府県と異なった高率の助成を行なう必要があると思うが、政府の方針はどういうような方針を持っておられるか、それが一点。 それから第二点としましては、小中学校については特に特別教室、屋内運動場などの整備がおくれているが、この対策、及び人口急増地域の校地取得に対する措置をお伺いしたいわけでございます。 問題点をもう二つくらいあげておきましょう。 第三点といたしましては、高校進学率が本土と比べ低い現状にあるので、高校施設の整備についても本土より手厚い援助を行なう必要があると思うわけでございます。 第四点としましては、幼稚園の園舎は老朽化しておりますので、改築について援助が必要だと思うわけでございます。 それから、国費沖繩学生制度について。この制度は、祖国から分離された沖繩の子弟に対し本土の大学に学ぶ機会を与えるものであり、長年にわたって沖繩の子弟に勉学の希望を与え、また、沖繩の人材育成に大きく貢献してきたことを感謝いたすわけでございますが、この制度は、要綱に見ますと今後一定期間これを継続するということでございますが、これはいつまで、一定期間とはどの程度のことを考えておられるのか、また、要綱では「これに準じた奨学措置を講ずる。」と述べているが、その意味は給与制度を存続する考えなのかどうか、お伺いしたいわけでございます。
○岩間政府委員 学校施設につきましてお答えを申し上げます。 御指摘のとおり、沖繩と本土では学校施設につきましてかなりの格差がございます。そこで、ただいまお話がございましたように、まず年次計画を立てるということが必要でございますので、来年度から新しく五カ年計画を立てましてその整備をはかるということにいたしたいと考えております。 また、本土よりも高率の助成を行なうということにつきましてお話がございましたが、現在国、都道府県、市町村というふうな、本土におけるようなしっかりした財政的な援助というものが確立されておりません。したがいまして、どうしても高率の援助を行ないまして充実をはからなければ整備ができないというふうな状態にございますので、その点につきましても特に留意をしてまいりたいということを考えておるわけでございます。 それから小中学校につきましては、ただいま御指摘いただきましたように、特に特別教室、それから屋内運動場、そういうものの整備が非常におくれております。また、人口急増地域の校地取得というふうな問題も起こっております。これらにつきましては、いずれもその点を最重点といたしまして、全体的な計画を立てましてその整備をはかりたいというふうに考えておるわけでございす。 それから高校の進学率が本土に比べて低いという御指摘でございますけれども、それは事実でございまして、現在六三%程度の進学率に対しまして本土のほうでは八〇%をこえておるというふうな現状でございます。これにつきましても五カ年計画をもちまして、おおむね八五%程度までは、五カ年の間には持っていきたいというふうなことを目標にいたしまして、その整備をはかりたいと考えております。 なお、本土におきましては現在危険校舎だけしか補助ができないというのが原則でございますけれども、新設、それから校舎の改築、寄宿舎の整備、そういうものにつきましても特別の配慮をしてまいりたいというふうに考えております。 なお、最後に幼稚園の問題がございましたが、幼稚園の進学率は、平均いたしますと本土よりはちょっとよろしいわけでございます。しかし、現実を見ますと、いろいろな建物の転用とかそれから間に合わせのものが多い、あるいは老朽のものが多いということでございますので、この点につきましても、できるだけ早く完全な校舎ができますように援助をしてまいりたいというふうに考えているわけでございます。
○村山政府委員 国費留学生の問題につきましてお答え申し上げます。 国費留学生は、給費をいたしまして本土の大学に入学あっせんをするという制度であります。そういうことでございますので、復帰いたしまして本土並みということになりますと、原則的には存続できないわけでございますけれども、現地のほうから存続の御希望がたいへん熾烈にございます。そういうことを考慮いたしまして、一定期間現状に準じた扱いをするということがきまっておるわけでございます。一定期間につきましては、御要望としては五年ということがあるようでありますけれども、私どもとしてはなお検討させていただきたいと思っております。 それから扱いといたしましては、入学あっせんということを残し、それから奨学金の問題といたしましては、貸費にするというようなことも含めて検討いたしたいと思っております。
○國場委員 学校給食についてお尋ねいたします。 沖繩の子供たちの体位は、戦前よりかなり劣っているといわれておるのが現状でございます。無償措置を行なう基本物資として何を考えているか、また、この本土と異なった特別措置はどの程度の期間実施するか、お伺いしたいわけでございます。
○木田政府委員 沖繩の子供の体位は、本土と比べまして戦前はかなり劣っておりました。御指摘のごとくでございますが、実は戦後になりまして急速に縮まってまいりました。たとえば十四歳の男の子で申しますと、沖繩の体位は、本土の平均に比べまして戦前は九・八センチも差がございました。しかし、昭和四十三年で比較をいたしますとわずか三・七センチというふうに、相当の勢いでこの差が縮まってきているのでございます。体重につきましても同様に、かなり急速に本土の平均に近づいてきております。 学校給食でございますが、沖繩の学校給食はある面では本土よりも進んでおるところがございまして、パンとミルクの給食だけは幼稚園も全部一〇〇%実施されておりまするし、定時制高校、小中学校全部一〇〇%実施されている。もちろん、完全給食におきましては約半数程度の普及でございますから、この点は本土のほうが相当進んでおるとはいえるわけでございますけれども、給食の物資の取り扱いその他につきましても、ある意味では本土の各県のほうが今後沖繩に見習わなければならないような要素もあるわけでございます。したがいまして、この学校給食を本土並みで行なうということは、沖繩県の子供たちにとりましては好ましくない事態も生じてまいりますから、従来から米国政府によって提供されてまいりました小麦粉と脱脂粉乳につきましては、復帰後も日本の政府のほうで同様の援助措置ができるような措置を講じてまいりたいというふうに考えておるところでございます。 なおそのほか、学校給食につきましては、生活の苦しい家庭や僻地の学校の児童生徒に対しまして、従来、本土の各県には準要保護児童生徒に対する給食費の補助の制度がございますし、また、高度僻地の子供たちに対しましては特別の僻地給食の補助もとってきておるところでございますから、こういう制度を沖繩の僻地あるいは準要保護者にも加えていくことによりまして、給食に対する食費の父兄負担軽減という点に関しましては、かなりの措置がとられるものというふうに考えておるところでございます。 なお、こうした小麦粉、脱脂粉乳の無償援助の期間をどの程度復帰後続けるかということでございますが、これは他の復興対策との関連もあることでございますし、沖繩の自治体の今後の全体の整備との関連もあることでございますから、そうしたことと見合いまして検討させていただきたい、このように考えておる次第でございます。
○國場委員 文化財の保護についてお伺いしたいわけであります。 沖繩の文化財は、地理的に見ても文化史的観点から見ても、わが国の文化財の中で特異な地位を占めるものであるが、その貴重な文化財の多くは戦火に見舞われており、その復元修理は急を必要としておるわけでございます。そこで、沖繩の文化財の保護のためにどのような援助を行なってきたか、また、今後どのような計画のもとに保護を進めようとしているのか、この一点。 第二点。要綱で、復帰に際し、「すみやかに、国の文化財として指定する。」と述べているが、いつごろまでに指定を行なうものであるか。 第三点。現地に首里城正殿の復元の動きがあるが、このことについてどのような考えを持っておられますか、お伺いしたいわけであります。
○安達政府委員 沖繩の文化財は、御指摘のようにわが国の古い文化の伝統の上に立ちまして、中国、朝鮮、東南アジア等の強い影響を受けて、わが国文化史上特異な価値を持つものでございまして、その文化財の保護につきましては大いに力を入れていかなければならないところと考えておるわけでございます。 お尋ねの第一点の、従来どのような援助を行なってきたか、また、今後どのような計画のもとに保護を進めようとしておるかということでございす。これにつきましては、一九六〇年専門調査官の派遣、それから一九六六年以降の長期滞在によるところの技術援助というようなことで、首里城の周辺等の整備あるいは特別史跡の円覚寺などの復旧というようなことに援助をしてまいったわけでございます。また、昨年からは埋蔵文化財の発掘調査指導といたしまして、史跡の勝連城跡の発掘調査というようなことも実施してまいったわけでございまして、このような施策をさらに進めますために、来年度は、たとえば八重山権現等の神殿の解体修理とかに八割の援助をもちまして、これらの修理に直接力をかすというような方向に進んでまいりたいと思っておるところでございます。 それから第二点は、「すみやかに、国の文化財として指定する。」というのであるが、いつごろまでに指定をするのかということでございます。御案内のとおり、一九五四年に沖繩の文化財保護法が制定されまして、これによって指定されておる文化財が百六十八件ございます。本土に復帰いたしました場合におきましては、新しく文化財保護法によるところの国の文化財としての指定が行なわれなければならないわけでございます。したがいまして、この百六十八件を主体といたしまして、この中から重要なものを国の文化財として指定する作業が必要になるわけでございます。われわれといたしましては、復帰後すみやかに、あるいは復帰と同時ぐらいにこの指定ができますように、明年度からその実地調査を完ぺきにいたしまして、いろいろな記録等も集めて国の指定をすみやかにする。それ以外のものについては、県の条例によるところの県の文化財として保護をはかっていただくような措置を早急に講ずるようにいたしたい、かように感じておるわけでございます。 それから第三点の、現地の首里城正殿の復元の問題でございます。御案内のとおり、首里城の正殿は琉球王国時代の国政の政庁、まつりごとの庁といたしまして重要な儀式に使用されたものでございまして、その様式、規模におきまして沖繩の古建築中最大にしてかつ特徴的なものといたしまして、戦前は国宝保存法によって国宝の指定を受けまして、昭和六年に国の補助事業として解体修理を行なったわけでございます。が、不幸にして戦災で失ったわけでございまして、このような重要な意味にかんがみまして、この正殿の復旧というものは非常に大事なことであり、その復元は、文化史的に見ましても建築学的見地から見ましてもきわめて有意義なものと考えておるところでございます。幸いにしまして戦前、昭和六年の解体修理の際に作成された詳細な設計図あるいは模型、これは博物館にいま展示されてございますが、あるいは写真や一部の材料等もなお残っておるわけでございますので、今後は十分検討いたしましてこれを前向きに、この復元に向かっていきたい、かように考えておるところでございます。
○國場委員 最後に、沖繩の復帰記念としまして沖繩で国民体育大会、すなわち特別国体を実施するということを決定していると聞いておりますが、体育、スポーツ施設も少なく、道路等の事情もよくない沖繩で実施するには、国として相当な財政上の援助を必要とすることが考えられるわけでございます。そこで、それに対するところの予算、どの程度の予算を計画しておられますか、その点についてお伺いしたいわけでございます。
○木田政府委員 お答え申し上げます。 沖繩の復帰を祝いまして、国民的な記念事業として七三年に沖繩でスポーツの大会を開催するという方向で、現在日本体育協会、沖繩体育協会、それから政府の側では沖繩・北方対策庁、文部省、さらに琉球政府等の関係者の間で鋭意相談を進めておるところでございまして、いま御指摘がありましたように、沖繩におきましては十分な施設等がございませんので、現在競技の規模を二十一競技、種目で五十種目、参加人員が二千九百七十二名というふうに一応計画を立てまして、既設の競技場二十五、それから改築を要する競技場十九、新設の競技場十三を予定いたしましてスポーツの大会ができるように考えたいと思っておるところでございまして、現在、これらの関係予算は沖繩特別団体に必要な経費といたしまして、沖繩。北方対策庁のほうから四十六年度の要求額といたしましては、体育施設並びに若干関連して必要な道路整備費、運営費等を加えまして五十九億ほど要求をいたしておるところでございます。できるだけ努力をいたしまして、十分な大会ができますようにつとめてまいりたいと考えております。
○國場委員 どうもありがとうございました。(拍手)
○八木委員長 川村継義君。
○川村委員 私も、きょうは沖繩の教育問題について若干お尋ねしておきたいと思います。時間の制約がたいへんありますから、お聞きしたいことを十分聞くことができないと思います。これは次の機会に譲っておきたいと思いますが、急いで申し上げますので、政府側もひとつ要領よくお考えをお答えいただきたいと思います。 そこで、さっそく入りますが、この前の本会議で、私のほうの新しく当選された上原議員が質問をしまして、坂田文部大臣がわずか八時間の日帰り沖繩視察で、公選制は本土の土壌になじまない、復帰後は本土同様の任命制にすると発言したのを取り消さないかというような発言をしております。そこで、教育委員会制度のことについてはあとでお聞きしますが、文部大臣が沖繩においでになったことは当時の新聞にも報道されたと思うのです。わずか八時間の日帰り沖繩視察であったということだそうですが、一体あのときに沖繩においでになったのは、どういう視察目的でおいでになったのですか。沖繩の教育事情等を見るためにおいでになったのですか。何か目的があっておいでになったのですか。
○坂田国務大臣 私は、就任いたしましてから大学紛争とぶつかりまして、一年はほとんど各地を視察することができませんでした。ことしになりまして大学紛争がかなり鎮静いたしましたので、現場を見る必要があると考えまして、実は下は幼稚園から高専に至るまでできるだけ各県の現場を視察いたし、あるいは教職員の方々、あるいはまた父兄の方、あるいは子供たちとお会いし、あるいは施設、設備等を見て回ったわけでございます。 私は、かねて沖繩もぜひ視察をしなければならない、そういう責任を感じておりましたので、実は九月の十七日に、わずか一日ではございましたけれども、小中学校の建物についてはどうなのか、あるいはまた体育館等はどうなのか、あるいはまた給食はどうなのかということで、真和志中学校あるいはまた与那原小学校を視察しまして、与那原小学校では先ほど御指摘がございました学校給食も子供たちとともにしたというようなことでございまして、十分な視察とは申せませんけれども、しかし、現地に行って直接見聞きするのとそれから東京でいろいろの報告を聞いておるのとでは、非常に違うなという感じを持って帰ったわけでございます。
○川村委員 かけ足視察で御苦労だったと思いますが、それにしても八時間ぐらい沖繩におられて、いきなり公選制廃止だという打ち出し方は、坂田大臣としては少し疑問が残っているわけです。それはそれとして、あとでちょっとお聞きします。 そこで、政府も、これまで沖繩の教育については教育の条件を整備しなければならぬ、教育の水準を上げねばならぬということでいろいろ援助をしておりますが、先ほどの國場さんのお話にもありましたように、またわれわれが持っている資料からいたしましても、本土の教育水準と比べると残念ながら相当格差があるようですね。そこで、これらについていろいろ詳しくお聞きし、どこに問題点があるかを指摘しなければならぬと思いますが、先ほど申し上げましたように時間がありませんから、要点要点をお尋ねいたします。 第一は、教育予算について、生徒一人当たりの公教育費は本土に比べてどのような水準にありますか。小学校、中学校、高等学校だけでよろしい。ほかのはまた機会があったときに聞きますから、小中高だけで、生徒一人当たりの公教育費は本土に比べてどのような水準にあるか、それを言っていただきたい。
○犬丸説明員 ただいま御質問の生徒一人当たりの教育水準でございますが、かなり格差があるものと思われます。本土に比べまして十分ではないと思われます。ただいまちょっと数字を持ち合わせておりませんので、調べまして後ほどお答えいたします。
○川村委員 これは社会教育費についても同様でありますが、そういう関係の資料をぜひお願いをしておきます。 次に、大臣にお答えいただきますが、沖繩の市町村の教育予算はどうして編成をされますか、それをひとつ。
○犬丸説明員 沖繩の復興対策の援助費でございますけれども、これは総理府におきまして沖繩・北方対策庁……。
○川村委員 ちょっと待ってください。沖繩における市町村の教育予算はどうして編成されているか。援助費のことはあとで聞きます。
○宮地政府委員 市町村と同一区域に、形式的には別法人ですが、教育区の教育委員会が設けられておりまして、教育予算につきましては教育区教育委員会におきまして予算見積もりをいたします。その予算見積もりを出しまして、それを自分で決定する権限はございませんけれども、しいて比較すれば、現在の地方教育行政の組織及び運営に関する法律以前の教育委員会法時代に本土で教育委員会が予算見積もり権を持ち、それを査定された場合には、査定した金額と教育委員会が見積もった額が議会に同時に出された、ああいった形の中間的な制度になっております。
○川村委員 沖繩の教育委員会法の第四十五条にその権限が書いてある。そこで、これは言うならば、従前のわが国にあった教育委員会制度とその趣旨を同じくしておる。いわゆる予算の調整権を持っておる。そこで、先ほど大臣が國場さんの質問にお答えになったことばの中に、教育水準のおくれは市町村行政との調整がうまくないからだというような意味の御発言があったようでありますが、このいわゆる教育委員会の予算調整権というものは、結局教育水準をおくらせる一つの原因をなしているとお考えになっておるのか、日本本土の市町村の教育予算の編成というやり方がすぐれておるんだ、こういうようにお考えになっておるのか、そこのところを少し大臣のお考えを明らかにしてお聞かせをいただきたい。
○坂田国務大臣 先ほどお答えをいたしましたのは、従来日本人としての教育を守ってきた意味において、この沖繩県のいわゆる公選制というものの意味は十分私は評価をする、こういうことを申し上げたわけでございますが、これを本土に移した場合に、これからはむしろ別な制度をとるということはいかがか、こういうことに重点を置き、かつまた、今後おくれた教育条件を整備する上においては、国、地方、府県そして市町村が一体になって調和ある行政をやっていくということが、条件整備を効率的にするのではないかというふうに私は考える、こういうことを申し上げたわけでございます。
○川村委員 いまの国会でいろいろ論議したいのでありますが、私の考え方をちょっと申し上げてみたいと思いますが、私は、予算調整権が教育委員会にあるからといって、市町村行政との調和がとれないというように断定を下すのはおかしいと思うのです。むしろ調整権があり、そしていろいろの規則の制定権、そういうものがあるところに教育の中立が存在するのじゃないか、教育の民主的な行政というものが行なわれるのではないか、こういうような基本的な考え方を持ってながめておらねばならぬ、そういう分析をすることが正しいのではないか。 そこで、本土のわれわれの市町村の教育予算が一体どうなんだというと、大臣もおそらく御存じでございましょうけれども、私たちはいま非常に心配しているものを持っている。たとえば教育委員会に予算編成の調整権というものがないので、市町村は教育委員会の予算要求に対してほとんど大きな考慮を払わない。そしてPTA、PTAというようなことで、これは御承知のとおり文部省の調査の中にもあらわれている。PTAの負担が非常に大きくなる、なかなか減らぬでしょう。税外負担が非常にまた多くたっている。 〔委員長退席、久保田委員長代理着席〕 最近なまなましい、大臣と私の足元で起こった大きなPTAの寄付行為という問題もあるが、ここでは私は具体的に申し上げません。そういうようなかっこうで教育財政というものの秩序が乱れてしまう。こういうことは、結局教育そのものを何らかの形において侵害しているという弱点を本土の教育委員会では持っているわけですよ。これを本土のやり方がいい、本土のやり方が市町村行政とうまく調和がとれるのだ、こういうような考え方だけで、沖繩の教育委員会が持っておる予算編成、予算の調整権というものを切り捨てるというようなことは一考を要する問題じゃないか、このように私は考えております。それで、こういう点につきましても、ぜひもう一歩教育の民主化あるいは政治的中立、こういう立場から検討をしていただく必要があるのじゃないかと思います。いろいろお考えも十分お聞きしなければ失礼だと思いますけれども、時間もありませんから、いまのお答えに対して私の見解を申し上げておきたいと思います。 それから、先ほども國場さんからいろいろ御指摘があっておったようでありますが、一人当たりの校舎の保有面積、屋体の保有面積、校舎基準の達成率、こういうものもやはり本土と比べると残念ながらたいへんおくれているようです。先ほどの答弁で非常に努力をする、こうおっしゃっておるのでありますが、沖繩の人たちが、いま復帰を前にして本土不信といいましょうか、非常に疑惑を持っている。おれたちは差別されたんだ、こういうような考え方が非常に強いのも、原因の一つはやはりここにある。そこで、これを取り除いてやることが非常に大事じゃないかと私は思います。 そこで、これは大臣にお尋ねしますけれども、沖繩が復帰したということになると、こういういわゆる施設整備等々についての特別の措置法、特別措置をもって一日も早く本土の水準に近づけるというような考え方があってしかるべきだと思うのですが、そのようなお考えはいかがでございましょうか。
○岩間政府委員 先ほども御説明申し上げましたが、私どもといたしましては主として財政措置におきまして、先生から御指摘ございましたような格差の是正ということにつきましては、万全の措置をとりたいと考えておるわけでございます。立法措置につきましては、沖繩の復帰に伴いまして各種の立法措置が必要であろうと考えておりまして、その際に十分検討させていただきたいと思います。
○川村委員 これは財政措置もけっこうですね。しかし、おそらくそういう特別措置という法的措置が必要になってくると思いますから、十分ひとつ検討していただいて、二十五年間苦労した沖繩の皆さん方に、教育という立場から善処願いたいと思います。 そこで、いろいろ問題があるのでありますが、先ほどもお話が出ましたように、児童生徒の学力が低いというような指摘がありました。どうもいろいろ調べてみると、そういうような点もあるようであります。そこで、ただ学力が低いからといっても、これだけで文部省のほうで、では一体どうするかという具体的な最善のあれがなければならぬと思う。それは一体どういう原因なのかというようなことが考えられなければならぬと思います。特に私が聞くところによると、理科教育等について問題が多いのじゃないかとも指摘されていることを聞いております。そこで、残念なことに、こんなことはあまりいまお聞きしたくないのですけれども、児童生徒の学力が低いといわれておるその原因はどこに基因しておるのか、その見解をちょっと聞かしておいてください。私の質問は、きょうはおそらく問題提起に終わるかと思いますから、どうぞ……。
○宮地政府委員 学力水準が低いか高いか、これはなかなかむずかしい問題ですが、一般にいわれますのは、たとえば過去に文部省でいたしました学力テスト等におきましての一応採点の結果等がもとになっていわれているわけでございます。したがいまして、そういう点数を見ると、沖繩のほうか本土平均より若干低いといったようなことからそういうこともいわれると思いますが、御承知のように、本土内におきましても、各県でいろいろなそういうテストをいたしますといろいろな点数が出てまいります。したがいまして、この学力が低い原因は何かということは、ずばりどなたにも納得のいくような説明はできにくうございますが、一般に、先生も御指摘になられましたが、やはり子供たちの教育を受ける教育環境、施設、設備、あるいは教師、大いに教育愛に燃えた先生方が沖繩に少ないというのではございませんで、形式的な面になるかとも思いますが、一般に先生になる前の資格が大学を卒業するということに対しまして、大学を卒業しなくても高等学校程度であれば教師の免許状をもらえるといった形式的なものになりますが、そういった意味におきまして教師の問題もあろうかと思います。ただ、教育内容におきましては、先生も御承知のように、本土と同じような学習指導要領を定めまして、また、本土と同じ教科書を使っておりますので、客観的なそういったようなものが相関連し合って、教育水準が低くなる原因の大きなものになっておるのではないか、こういうふうに考えます。したがいまして、今後本土に復帰後は、従来からもそうでございましたが、一そう教師の研修を進めていくとか、施設、設備を充実していくとか、教員定数の配置も少なくとも本土と同じ水準にしていくとか、諸般の総合的な対策を講じていく必要があろうか、こういうふうに考えております。
○川村委員 いまの答弁、別に異議はないのですけれども、ただ、私が一つ考えておることは、やはり二十五年間もアメリカの施政権下にあったのですからね。ことばをかえて言うならば、異民族の支配の環境にあったということ、これはやはりわれわれ本土の者としては、十分考えておらなければならない問題じゃないかと思います。それらがやはり学力等に影響しておるという分析も、非常に必要だと私は思っております。そういう点をひとつ抜かりなく御検討いただきたいのです。いま局長がおっしゃったようなもろもろの問題につきましては、私は決して異議を唱えるわけではありませんが、私がいま申し上げましたことについては、やはりこれは全部が一緒になって考えてやらなければならぬ問題だと思います。 その次に、この義務教育諸学校の現状ということについていろいろお聞きしなければなりませんが、これも取り急ぎます。やはり学校の状態であるとか、あるいは児童生徒が小学校、 中学校は減っているのですね。高等学校が非常に増加しつつある。それから特殊教育諸学校が増加をしておる。それから、教員一人当たりの生徒の数が本土に比べると非常に高いですね。私はこれがすぐ学力云々とは言いたくありませんけれども、教員一人当たりの児童生徒の数が非常に多い。それから教員の構成にしましても、これは私のほうにちょっと資料がありますけれども、小学校などでは、特に六十何%というように女の先生が非常に多い。私は、女の先生が多いから学力が落ちるとは言いませんよ。しかし、これはやはり本土に比べて検討しなければならぬ課題が含まっていると思います。そういうような義務教育諸学校の現状を見ると、いろいろ問題があると思う。これらも、ひとつぜひ皆さんがつかんでおられますことを資料としてお渡しいただきたいと思うのです。 そこで、こういうような問題等を考えると、文部省のこれからの取り組みは、ぜひひとつ全力をあげて誠意をもってやっていただきたいと思いますが、これについてもたくさんの問題点があるようです。その問題点を私は六項目ばかり持っております。しかし、それを一々やっているとまたあれですから、次の機会に譲ります。 そこで、大臣、こういうような義務教育諸学校の沖繩における現状、それからいろいろな問題点を考えてみると、大臣は必ずしも教育委員会が公選であったからこういう状態に落ち込んだとはお考えになっていないと思うのですけれども、何かその辺にお考えがございましたら聞かせておいていただきたい。
○坂田国務大臣 先ほどから初中局長がお答えをいたしましたように、何と申しましても教育条件が本土よりはるかに悪いというところに最大の原因がございますし、また、先生が御指摘になりしたようないわゆるアメリカの施政権下にあった、これはやはり精神的に非常に大きいものではないかと思います。 それからもう一つは、先ほど国場さんが御指摘になりましたように、師範学校の人たちあるいは一番若い先生方が千人以上もなくなっておられる、そこに中堅の先生方がいなくなっておられる、これは非常に大きい問題だと思うのでございます。それから、年齢構成が、非常に年取った方方が多くて若い意気に燃えた先生が少ないという年齢層をずっと見てみますと、そこに穴があいておるというところに非常に大きい問題があるのじゃないかというふうに私は思います。
○川村委員 教育費援助について、私、四十四年度と四十五年度の資料をここへ持っているわけでありますが、四十六年度は、おそらくいま総理府のほうで皆さん方の意見を聞きながらまとめていると思います。そこで、これもひとつなるたけ早い機会に、まとまった時点で、できたらこれまでの援助額を比較しながらぜひ私たちにもお見せをいただきたい。そういうことによってまた次の機会にいろいろと御質問申し上げる、こういうようにしておきたいと思うのです。 それから、琉球大学の問題につきましては、先ほどお話がございましたので、私もいろいろお尋ねしたいのですが、これは次の機会に保留をしておきます。琉球大学の現況はどうなのか、問題点はどこにあるのかというようなことであります。 それから、沖繩の私立学校、これは本土の私立学校に比べるともっと問題を持っておるようであります。そこで、私立学校の問題につきましても、ひとつ私立学校の現況はどうなっているか、こういうものも琉球大学の現況等とあわせて、これも資料をお願いしておきます。いずれお聞きいたします。それから、社会教育についても同様であります。 それから、文化財保護についても、ひとつこれまたぜひ現況、それから対策、そういうものについてお願いをしておきたいと思います。それらの問題につきましては、私は次の機会に譲らせていただきます。 最後に、私は教育制度について少し大臣のお考えを聞くつもりでありますが、その前に委員長に、私、実は唐突でありまして申しわけないと思うのですが、お願いがあるのです。次の通常国会開会中におそらく無理だとは思います、閉会中になるかとも思います。しかし、これは時期を失しては困るわけでありますから、文教委員の方々がやはり何らかの名目で、いまのところ国政調査というわけにいかぬかもしれませんが、沖繩に行って、実際に沖繩の各界の意見を聞き調査する、こういうような機会をひとつ御検討いただくようにお願いをしておきたいと思います。これが一つ。 それから、先ほど私、一、二申し上げてまいりましたが、沖繩関係について、施設整備の問題から学校の現状等々幾つかの資料を実は私たちほしいわけでありますから、そういうのを文部省で至急に整えて委員会に提出をし、私たちが審議の参考にできるように取り計らっていただきたい、これだけお願いをしておきます。 それから最後に、教育制度について少し重ねてお聞きをしておきますが、この前、本会議で上原委員が教育問題についてこういう質問をいたしました。「沖繩県民は、戦前の軍国主義教育が戦争への道であった歴史的事実の上に立って、さらにまた、教育行政に対する米軍権力のあらゆる介入をはねのけ、祖国と分断された中においても、なお正しい日本国民としての教育を守るために、血のにじむような努力を重ねながら、教育基本法の制定をかちとるとともに、教育委員の公選制度を守り通してきたのであります。」こういうような論法で、私が先ほど申し上げましたように、坂田文部大臣が「公選制は本土の土壌になじまない、復帰後は本土同様の任命制にする」と発言したことの取り消しを要求すると同時に、閣議での任命制移行の決定の撤回を強く求めるものであります、総理大臣、坂田大臣いかんということで答弁を求めているわけであります。それについて文部大臣は次のように答弁をしておられます。「お答えをいたします。アメリカの施政権下にありまして、沖繩県民があげて日本人としての教育を守り抜いてこられたことに対して、私は、高くこれを評価し、深くこれに感謝をささげるものであります。」大きな拍手がありました。それはそのとおりでありまして、別にありません。ただ「であればこそ、日本国民の教育が地域によって異なった制度のもとに行なわれることは、決して望ましいことではなく、国民のすべてが、同じ制度のもとに、同じ水準の教育を受けることができるように配慮することこそ、沖繩の本土復帰の有する大きい意義の一つであると考える次第であります。したがって、教育委員会制度についても、 復帰の際、本土の関係法令を適用するよう措置する考えであります。」こういうようなお答えでありますが、私はこれを聞いておりまして、あとで議事録を読み直して、ちょっと気になることがあるのです。 第一節はよろしい。ところが、「であればこそ、」こう言って、いま私が読み上げたような、こういうようなものの考え方というのに私、どうもちょっと疑問がわくのですね。 そこで私は、これについては、先ほど上原君の質問に対することばにもありましたように、第一節の感謝していただく、これはだれでもみんな大臣と同じような気持ちを持っておると思いますけれども、どうも沖繩の歴史と現状、問題点を考えてみると、沖繩の教育に対して、いきなりそのようなものの考え方を当てはめるということはどうであろうか。私は少し大臣の論理がすりかわっておるんじゃないか、大臣の思想をちょっと何かオブラートで包んでおるんじゃないか、坂田大臣はそんな人ではないがなあ、実はこういう見方をしておるわけです。「であればこそ、」というこういう続き方をするならば、ほんとうに沖繩の教育界、沖繩の皆さん御苦労だった、公選制を守って異民族支配の中に日本人教育を守り通してきた皆さん方の公選制度というものは高く評価しながら、だから、いまいきなり公選制を廃止するようなことは考えていません、こういうような発想になっていくのが「であればこそ、」ではないかと私は思うのです。このところを考えていかないと、沖繩に報ゆる道は決して出てこないと私は思いますけれども、そういうような考え方を実は抱いたわけであります。 そこで、教育水準の問題は、公選制教育委員会が一体じゃましたのか、いやそれはそうではない、沖繩の教育委員会が教育調整権を持っていることは一体どこに欠陥があるのか、本土の教育委員会の予算編成についても実は多くの問題がかえってあるではないか、こういうことを実は申し上げてきたわけです。大臣、ひとつ重ねてお考えをお聞きしたいと思うのです。
○坂田国務大臣 私は、主席というのは施政権下に——前にありましたときにアメリカの任命だったと思います。そういう任命権者、少なくともそれをずっとたどっていけばアメリカ国民に主権があるわけですね、そういう形において任命される。それに対して本土のほうは、主権が国民にあるという形においてその国民が総理大臣を任命する、それから教育委員会にしましても結局知事は公選だ、あるいは議会は公選だ、そういうわけで主権は国民から出てきておる。その場合における任命制度と、アメリカの任命による場合において任命制にするのとは、それこそ非常に大きい問題がある。それなりにそのときは公選でなければならなかった、公選であればこそ日本人としての教育を持ってこられたのではないか、ここに私は思いをいたしたわけでございます。しかし、こちらに復帰をいたしました場合においては、もう日本の制度そのものが、いま申しましたような任命制になっておりますし、したがいまして、公選をやめたからといって非民主的であるとか、あるいは住民の意思を踏まえていないとかいうようなことにはならないというのが私の考え方でございます。私がここで強調いたしておりますのは、むしろ施政権下にありました制度をそのまま沖繩にだけは復帰後も残すということが、一体日本国民全体として考えてどうなのかということに私はむしろウェートを考えておるわけでありまして、その意味合いにおきまして、いままではそれなりの意味もあったかもしれぬが、復帰をいたしました以上は、同じ制度のもとにおいてやるというのが復帰の意味があるのではないかというのが、実は私の考え方なのであります。
○川村委員 いま大臣のおことばをいただきました。大臣の気持ちはわからないではありませんが、その辺は考え方が並行線をたどるのではないかと思うのですね。いまの大臣の御答弁、どうも必ずしもぴたっと納得させるものではありませんけれども、なるほど沖繩はアメリカがおったから公選制であった、どうもそういうものの発想は私ども考えられない。公選制の委員会が存在したしいう大もとは、教育は民主的でなければならぬ、教育は政治に中立でなければならぬというところから実はつくられたわけです。いま一つは、いわゆる地方分権という考え方に立ってあれはできたわけであります。ところが、昭和三十一年にわが国の本土における教育委員会というものも、これは御承知のとおり、大臣はそのとき文教委員会の理事をしておられましたが、中間報告等で相当世論は反対があったけれども、あれができたといういわくつきのことであります。今日では、先ほど私が申し上げましたように、日本の本土の市町村の教育委員会制度は、いまのままではこれは困るではないか、何とかやはりこれは考えなければいかぬという声も相当民間の中には高まっているわけです。先ほど申し上げますような予算の問題、あるいは町村の教育委員会がいま行なっておる仕事は何だ、町村の教育委員会は何をやっておる、ただ三月末の人事異動のときに動いているだけである。あるいは有能な職員は役場につとめて、教育委員会に配属されるところの職員というものは、一体役場からつまはじきされたような者がある、全部とは言いませんよ。そういうようなことで、いまの町村の教育委員会というのは、もっともっと考えていかなければならぬような具体的ないろんな事例が差し示されておるわけですね。 そこで、本土におけるところのこの地教行法というものがすぐれているというならばいざ知らず、憲法、教育基本法を引き合いに出すまでもなく、その精神、地方分権の自治の思想からして地教行法が卓越した制度ではないと考えるならば、いろいろな矛盾や問題が今日露呈をしておるわけですね。そうなると、本土における教育委員会、市町村地方教育委員会についてもいろいろと検討しなければならぬという声があるときに、沖繩のやつをすぐ引き直さぬでも、沖繩の公選制というようなものはできるだけあたたかく見守ってやるという寛容さがあっていいのではないか。その辺のところは決して角をためて牛を殺すようなことをやってはならぬ、私はこう思うのですね。そこで、大臣の答弁にも、このような行政制度の切りかえにあたりましては必要な経過措置を設けます、こう答弁しておられますが、具体的にどういう案を持っておられるか、ここでお示しいただけるならば、経過措置に対する構想を具体的に明らかにしていただきたい。 私がなぜそれをお聞きするかといいますと、御承知のとおりに、いまたとえば沖繩の中央教育委員会の委員の任期にいたしましても、この十二月で五人の人が切れるわけでしょう。五人が交代になる。この人たちは一九七四年まで続くわけです。復帰があるだろうと思われる一九七二年の十二月に六人の人が交代になる。そのときにぴしゃっと復帰ができたらいいのですけれども、できなかったらこの交代した残りの六人はまた次に四年間続いていく。一体そんなのを途中でちょん切ってしまうのですか、いや、それはずっと認めていくのか。いろいろなことを、実は沖繩教育を混乱させぬためには、考えなければならぬ重大な問題が存在すると思うのです。 そこで、経過措置を設けると大臣はおっしゃっているのですが、具体的にどういう経過措置をお考えになっておるのか。それは、経過措置をやるには特別の法律をつくって、沖繩に適用するというような考え方をお持ちになっておるのか。なるほど沖繩の教育委員会制度にも、市町村における教育、連合教育における教育事務の処理、ちょっと考えるといろいろ問題がないではないと私は思っているわけです。連合教育の位置づけをどうするかというような問題もあると思うのです。ところが、沖繩県民は、ほとんど公選制を置いておけ、こういうことを声高らかに呼んでおる。そうなると、先ほど申し上げますように、大臣としても経過措置を考えられる場合は、これは決して沖繩を、また教育問題でるつぼに追い込むような愚策をしていただきたくないのが私の気持ちでありますから、大臣の御考えを聞いておきたいと思います。
○坂田国務大臣 この前、本会議においてお答えをいたしましたように、必要な経過措置を設け、切りかえが円滑に行なわれるよう配慮するのが適当と考えると申し上げているわけでございます。いま先生御指摘のいろいろの任期等の問題を含めまして、実はまだ検討しておる、まだ結論に達しておらないということでございます。しかし、十分それらのことも踏まえまして決定をしていきたいというふうに思っております。
○川村委員 たいへんはしょってお尋ねをしてまいりましたが、私は、きょうは時間の制約がありましたので、問題を提供するということで、いずれ次の機会にさらにいろいろと御意見をちょうだいしたい、こういうことで質問を申し上げてまいりました。復帰を前に非常に沖繩は各種の問題で悩むわけですから、教育問題につきましてもこっちからつまらない混乱を起こさないように、教育のことでございますから、ぜひひとつその点は文部省としても、大臣としても勇断をもってお進みいただきたい。 これだけ要望いたしまして私の質問をきょうは終わりまして、また保留させていただきます。
○久保田委員長代理 有島君。
○有島委員 昨年、沖繩の本土返還につきまして日米の見解が合意に達して、ことしは国会議員の選挙がございまして、この席にも国場さんと安里さん、上原さんもお見えになっております。多年沖繩の返還について主張してまいりました私どもにとって、ほんとうに喜びにたえないところでございます。 それで、沖繩が正式に日本の帰属になったというのは、これは近々江戸時代の末期ないしは明治時代であったというふうになっておりますけれども、民族的な親近感というもの、これはもう疑いのないところであります。そうして私の狭いおつき合いでございますけれども、教育関係の方、学生さんたちなんかと話し合っておりますと、ある場合には本土のわれわれよりも、もっともっと日本人らしい日本人だという印象さえ受けることもあるわけでございます。そうして、いまお話がございましたけれども、アメリカの施政下にあって日本語教育というものをずっと続けていらっしゃった教育関係の方々、特に教育委員会については、大いに高く評価すべきものがあると思います。先ほど後段がよろしくないというようなお話がございましたけれども、この席でもって文部大臣からも、このいままでの教育者、教育委員会、ないしは沖繩における教育の果たした功績というものについて、一つの表明をしていただきたいと思います。
○坂田国務大臣 これはもうこの前の本会議でも申し上げましたとおりでございまして、とにかくアメリカの施政権下にありながら、あるいはお金はドル建てであるにかかわらず日本語の教育、そして日本の教育基本法あるいは学校教育法、あるいはそれに基づきました教科書を通じて日本人としてのりっぱな教育というものを、悪条件といいますか教育環境が非常に悪いにもかかわらず守り抜いていただいたことに対しては、心から感謝をいたしますし、深く敬意を表する次第でございます。
○有島委員 それで、民族的には非常に親近感があるわけでございますけれども、いままでの経過を経て沖繩同胞と本土のわれわれとの間の心のつながり方ということについては、これは非常に慎重にしていかなければいけないのじゃないかと私は思います。それで、四十四年一月の総理の施政方針演説の中に、「本土と沖繩との一体化については、本土復帰の日に備え、沖繩同胞の意向を十分にくみ入れて推進いたします。」というようなことを言われております。これについて、文部大臣も当然沖繩同胞の方々の気持ちというものをくもうという努力をしていらっしゃるのじゃないかと思うのでございますけれども、去る九月、沖繩において突然言われました教育委員会の任命制の発言で沖繩の方々がどのようなショックを受けられたかということについて、これはどういうふうに認識していらっしゃるのか。本土とそれから沖繩の同胞との間に、これは前向きの何か心情のつながりということが起こったよりも、むしろあそこには大きな断絶をつくってお帰りになったのじゃないかというふうに私は思うわけですが、その点についてはどういうふうにお考えになっていらっしゃるか、どういうふうに認識していらっしゃるか。
○坂田国務大臣 私は沖繩へ参りまして学校等を視察し、また教育者の団体の方々とお会いしたわけでございますけれども、別に本土復帰に際しては公選制でなければならないという陳情は、卒直に申し上げて一つも受けておりません。あるいはそういう方々がおいでにならなかったのかもしれませんけれども、しかし、たしか私たちのほうではあらゆる方々とお会いしたいということでアレンジしたはずでございます。でございますから、沖繩の全住民が任命制反対だ、沖繩が復帰した暁において任命制になるということは困るという方もおられるかもしれませんけれども、またそうでない人たちもおられる、こういうふうに私は思うわけでございまして、何か復帰した暁にも公選制を実施し、そしてその公選制を日本全土の教育制度に変えようという考え方の人もおられるわけですから、その人たちからすればあるいはショッキングなものであったかと思うのでございますけれども、普通あたりまえに考えるならば、このアメリカの施政権下にあった公選制、そして本土のほうは、すでに教育土壌になじまないという形で、あれは三十一年でございましたか、すでに任命制に切りかえておる。こういう状況であるならば、本土復帰、そして本土と同じようにということであるならば、教育という非常に大事な、しかも日本民族全体として、連帯的にものごとを考えていく唯一のものが教育の本質だと考えるとするならば、沖繩だけ施政下にあるそのままの制度を持ち続けるということは、どうも私はすなおには受け取りがたいのでございます。 しかも私は、任命制に切りかえたときの文教委員もしておりました与党の一員でもございます。そして先ほどから川村先生からも御指摘がございますけれども、公選制のいい面もありますけれども、また悪い面も非常に出ておったわけでございます。しかも財政権というものを持たずに、そして財政の実際を持たなくて日本の場合、教育委員会を片方は公選、片方はやはり市町の首長が公選になる。そうしますと、結局市町村で敗れた者が教育委員会の公選で出て、そして同じ地域の住民がけんかをする。つまり行政というものが、なかなか調和あるようにいかないという事実も一面においてあった。 そういうようなことを考えると、やはり私は、日本本土で三十一年に多数できめましたあのことが、一応日本の本土においては定着をしているわけでございまして、復帰の段階において、沖繩の公選が任命制に切りかえられることのほうがすなおじゃないかというふうに思います。それがベターではないかというふうに私は思います。そのことがまた沖繩のためにもなることであるというふうに私は思っております。
○有島委員 事の善悪、ベターであるとか、より悪かったという問題をいまお聞きしておるのではなくて、沖繩における大臣の表明がどのようなショックを与えたであろうかということを——私は、ここにショックを与えたというふうに判断しておるのです。大臣のお答え、いまのお話では、さほどのことはないであろうという御判断であったというふうに承ります。それでよろしいですか。たいしたことはない、これはあたりまえなんだ、そういうふうに思っていらっしゃるのかどうか、そこだけ聞きたいのですよ。
○坂田国務大臣 こういう問題は、そう簡単な二つのことばでは説明できません。あなたのおっしゃったとおりだと私が答えたとするならば誤解をされます。したがいまして、私は、先ほどお答えを申し上げたことを含めて私の答えと御了承を賜わりたいと思います。あなたがいまたった十秒か五秒かでおっしゃったそのままが、そのとおりだとは私は申し上げられない。
○有島委員 そういたしますと、私が伺っているのをもう一ぺん答えていただけますか。沖繩の同胞とわれわれ本土の心情の中には、やはりなかなか、表面のことばで通じ合えていても心情的にはかなりむずかしい問題がある、非常に慎重にやっていかなければならないのではないかということを前提に言ったわけでございます。そして九月のときのあの表明については、お互いの気持ちを通わすということに関しては、これはかえって逆方向になったのではないかと私は判断する。それで、大臣はそのことについてどのように認識をしていらっしゃるのかと、そう伺ったわけなんですよ、さっきはね。
○坂田国務大臣 あなたのおっしゃるように、施政権下にあった沖繩の人たちとそれからわれわれ本土の国民との間に、いろいろな問題において、気持ちの上においてわれわれが沖繩の人たちを考えているといいましても、沖繩の人たちは自分たちの生まれた故郷を戦場にさらしておる、そして何万人かの人が死んでいる、そういうところとわれわれのところと、それは違うことはあたりまえなのでございまして、いまおっしゃられる前提としてのその気持ちを通わせるということがなかなかむずかしいということは、私も同感でございます。
○有島委員 であればこそ、今後の処置については非常に経過において慎重に扱っていかなければまずいのではないか。本土内においても、学生と教授の間、ないしは行政との間にあれだけの断絶がどんどん起こってくるわけでございますね、そういったことを申し上げたい。 それで、大臣がそういったことを配慮なすっていたのじゃないかと思われることは、先月十九日の沖繩復帰対策要綱案の手直しのときに、実はまだ教育委員会の任命制にはあの原案では触れていなかった。新聞の記事で見ますと、「しいて教育委員の任命制に触れなくてもよいとの判断から、今回の復帰対策要綱案(第一次分)に盛込むことは見送った。しかし、教育行政制度は復帰の根本的な問題であるという正論に押切られた形で追加することになった」という政府側の答弁でございます。ここに一つ問題があると思うのですけれども、佐藤総理はしばしば人間尊重ということを言われております。ここにあらわれているのは、これは人間尊重以前の制度尊重ということである。それで、このたびの復帰に伴う行政上の措置について、やはりその人間尊重のほうをはっきりと基本的な態度にして、それで制度を合わしていく、これは当然のことでございますけれども、その点を特に申し上げたい。それが第一点であります。 それから今度は、先ほどから何べんもお話があったようでございますけれども、昭和二十二年の日本国憲法制定に伴っての教育立法、これはきわめて民主的な一連の措置がとられておった。それが、メリット、デメリットはいろいろな立場からいわれるでしょうけれども、公選制から任命制に切りかわっていった、これはわれわれとしては、現在の日本の情勢においてはむしろ本土のほうを任命制から公選制に、この際切りかえてもいいじゃないか、そのことをむしろ前向きに考えていくべきじゃないかと思っております。これについてはお答えはけっこうです。ここでは要求はいたしませんけれども、民主的な方向についてはどんどんやってもいいと思うのですね。 それから琉球大学の問題でございますけれども、これの国立移管の問題これも先ほど出ておりましたが、基本的には賛成でございます。ただ心配なのは、向こうに国立大学ができますと、おそらく本土からどんどん学生が行って、そのほうが成績がよかったりして、沖繩の方々はそこになかなか入学できないということさえ起こるのじゃないか。これはハワイの大学たんかでも、あそこで金をかけていい大学をつくったら、アメリカのカリフォルニアあたりからどんどん来てしまって、ハワイの学生さんたちはあぶれてしまっている、そういうことが現実に起こっております。こういったことに対して十分適当な処置をとらなければならないと思います。それで、募集定員の一定比率を沖繩県の子弟に確保するような処置をとられるかどうか、こういったことは大切なことなんじゃないかと思います。 それからもう一点は、教授、教官の不足です。これについて、いまの本土のほうの大学設置基準に基づけば、これは四百十三人必要だということになっているのですね。現在向こうでは二百四十人だと聞いております。約百七十人不足している。これは一体どうするのか。本土のほうからどんどん教授を派遣することに当然なると思いますけれども、こういった場合に、本土の経験豊かな教授を向こうにちゃんと派遣してもらいたい。こういった一連の問題についての御見解を伺っておきたいと思います。
○村山政府委員 琉球大学の問題の第一点でありますが、琉球大学に地元出身者の学生の一定数のワクを設けたらどうかという御提案に承知いたしたわけでありますけれども、これは全く新しいお話で、そういうことにつきましては、従来私どもは検討してみたことがございません。琉球大学が復帰後どういう形になるかについて、いろいろな情勢を想定して整備計画を立てるようにという相談はいたしておりますけれども、いまおっしゃいましたような面に焦点を当てての検討はいたしておりません。と申しますのは、大学というものは全国的な立場で設立され、私学も、これは公共性ということが強調されております。したがいまして、志願者はどこから来ようとも、どういう立場の者であろうとも平等に扱って、入学者選抜要項に示すような観点に合格した者を入れる、その間に差別を設けないというたてまえであります。そういうことで、琉球大学があるいは特殊な状況が起こらないということを保障するわけにはまいりませんけれども、現時点でそういう点がかりにあるからといって、入学者の取り扱いについて、地元出身者を優先的に扱うことができるかどうかということは、現状では否定的でありますが、ひとつ検討さしていただきたいと思います。 それから第二点の琉球大学の教員組織の整備の問題でありますが、これは先ほども申し上げましたように、琉球大学は、その母体からいいますれば従来の師範学校であります。それが現状では五学部、入学定員九百名という程度になっておりまして、それに相応する教員組織が整備されておるとは必ずしも言いがたい状況であります。復帰までにできるだけ整備をはかり、場合によっては復帰後についても努力を継続することによって、できるだけ地元の御要望に沿って、規模をあまり縮小したりせずに、むしろ内容を充実いたしたいと思っておりますが、その具体的な手だていかんということになりますと、実はなかなか的確な手だてが見当たらず、いま琉球大学側、それから私ども含めましていろいろ苦慮いたしております。いままでやっておりますのは、本土のほうから教授の短期派遣というようなことをやっております。これは復帰時点までに一そう拡充いたしたいと思います。それからまた琉球大学側におかれましても、すでに従前から本土の国立大学長会議には、以前はオブザーバー、最近では正式メンバーとして参加されておりまして、いろいろと協力要請をされております。教員組織の充実というような点は、大学に対する協力要請としては一番強力に琉球大学側も働きかけておりますし、本土の大学においても、これに対応する動きも若干ございます。文部省として、事が人事に関係いたしますので関連のしかたはなかなかむずかしい問題がありますが、少なくとも琉球大学における必要な定員の獲得でありますとか、あるいは先生方が行ってくださるような環境の整備だとか、そういう点につきましては努力いたしまして、当事者それから本土の各大学の努力とあわせまして、できるだけ教員組織の整備につとめたいと考えております。
○有島委員 それでは、先ほどもお話が出ておりましたけれども、国費の沖繩学生制度を一定期間存続させるように、この一定期間というのは大体五年くらいという要求に対して考えていらっしゃったようでございますけれども、これとちょうどうらはらのような話になるのじゃないかと思いますので、お考えおきいただきたい。 それから医学部のことでございますけれども、これはもうぜひ早急に設置しなければならないと思うのです。ですから、これは大臣に伺いたいのですけれども、来年度予算に組み入れていったらどうか。この場合も同じように、本土の医学部はみんな非常に入りたがっているのに入れない人がたくさんおりますから、そっちのほうにみんな行ってしまって、沖繩の医学部を早く設置してやり出したのはいいけれども、内地からの子弟が行って卒業して帰ってしまうというのでは困ると思うのですね。心情論でもって申しわけないけれども、お医者さんなんてものはやっぱり非常に親しみのある人が——心理効果というものはずいぶんあるわけでございますから、早く沖繩同胞の中でのお医者さんができるようにしなければならないと思います。これは来年度予算にどんどん組み入れていくべきじゃないかと私は思っておりますけれども、この点はいかがですか。 〔久保田委員長代理退席、委員長着席〕
○坂田国務大臣 その前提としましては、琉球大学が本土の国立大学と同じような水準の大学になるということがまず第一であろうと私は考えます。そのことそれ自身も、教授を迎えるという点においても非常にむずかしい問題があるわけでございまして、私は、将来は早急に医学教育というものが沖繩になされることは当然なことだと思いますけれども、いま直ちに来年度予算にとおっしゃいましても、私はそこまでは考えておりませんし、また、むしろ琉球大学をほんとうに本土の国立大学並みにする前提としての予算要求をしたい、こう思っております。
○有島委員 これは琉球大学の中に医学部をつくるという問題もあるかもしれませんが、別に独立の医科大学を設置する計画を新たに立ててもいいのじゃないかと思うほどであります。私どもはそういった見解を持っております。 それから次に、文教施設、特に体育関係なのでございますけれども、体育館については小学校は五・三%、中学校が九・八%、プールについては小学校二・五%、中学校五・三%、こういったような数字を私のほうでは持っているのですけれども、本土に比べても非常におくれております。それで当然島が非常に多いわけでございますから、本土とだいぶ違うと思うのですけれども、 こういった点、充足を急いでいただきたいと思います。 それから給食についても、むしろ沖繩のほうが模範的だというようなお話がさっきあったそうでございますけれども、実際に私が聞いておる範囲でも、貧困の家庭なんかでは、給食費が払えないから昼その子供だけ帰ってしまうとか、家のほうで子供に食べるなと言っていたとかいうことを私は聞いております。これはごく一部だといえばそれまでの話でありますけれども、そういったことについて、私たちは、本土においても給食費の完全無償化ということを訴え続けてまいりましたけれども、今度沖繩の特別措置として完全無償ということを、文部大臣、公約なさったらどうですか。私どもはそういうようにすべきだと思っております。時間がないから、これは飛ばします。 それから、最後に幾つか提案があるのであります。沖繩県がこれから経済的に繁栄していくことができるかどうかという、これはずいぶん重大な問題だと思うのですけれども、佐藤総理は四十四年十二月に、「真に豊かな沖繩県をつくることを目標に、政治、経済、社会、教育、文化等あらゆる面にわたり、積極的な一体化施策を講じていく考えであります。」と言っておられる。これも前段は非常によくて、後段は問題が非常に起こるところであるというように思いますけれども、とに丸く前段の「真に豊かな沖繩県をつくることを目標に、」というところ、これが大切なんだと思うのです。それで、沖繩県は、やはりアジアにおける一つの沖繩県でなければならないような、あるいは世界における沖繩県でなければならないような、そういうような施設を教育の上からも、文教政策の上からもこれは考えていくべきじゃないかとわれわれは思います。それにつきまして海洋大学を設置してはどうか。海洋開発ということについては、これは、わが国はこれから世界をリードしていかなければならないような問題でございます。アジアの諸国からの留学生ないしは世界じゅうの、やはり国際的な海洋学開発の機関を将来つくっていくべきであるとわれわれは提案したいのですけれども、大臣のお考えはいかがでしょうか。
○坂田国務大臣 海洋大学、海洋研究所等の御提案、一つのお考えだと思います。とにかくわれわれといたしましても、沖繩でなけれない何かを、一つの夢をというようなことをも政府の内部におきましてもいろいろ話し合っておるわけでございますが、いろいろお知恵を拝借いたしまして、そのようなことの実現に向かって努力をしたいというふうに思います。
○有島委員 次の提案は、先ほど大学につきましても教官の不足ということがありました。それからもう一つは、義務教育に関しても教員不足のことがございます。こういうことについて、本土のほうからどんどん教員を送る、教職員を送る、派遣するということも、これは一つでございましょうけれども、放送教育をもっと大幅に利用できるような体制を特に向こうにつくってあげてはどうか。それに島も多いことでありますし、有線放送なんかはいまでもやっておるようでございますけれども、むしろ本土に先がけて、ラジオやテレビないしはビデオテープなんかをうんと活用させてあげるような予算措置を大幅に持たしてあけるべきじゃないか。それで、そのビデオテープなんかの製作にあたっては、こっちが最優秀なメンバーでもっと本土でつくったものを向こうに与えることもできますし、向こうで制作させることもできる。そういう措置を速急におとりになってはどうか。提案でございますが、大臣の御見解はいかがでございますか。
○坂田国務大臣 貴重な御意見だと思っております。
○有島委員 貴重な御意見だというだけでは困るので、私は将来緊急な問題じゃないかと思うのです。だから、ひとつ御検討いただきたい。 それから、七二年に特別国体をするというお話が出ておりましたけれども、国体をするということになりますと、グラウンドの整備から何から準備しなければならない。いつから準備をするのか。これはやはり来年からかからなければならぬわけですね。これの準備はいつからお始めになるのか、このことを聞かせていただきたい。
○木田政府委員 御指摘のように、施設を急がなければなりませんので、明年度の予算に沖繩・北方対策庁のほうから必要な施設費あるいは道路整備費等、五十九億余の追加要求を今日いたしておるところでございまして、予算が認められましたならば、早急に整備を始めたいと思っております。
○八木委員長 関連して正木良明君の質問を許します。正木委員。
○正木委員 先ほども質問がありましたし、いまも質問がありましたが、万国博にしたって東京オリンピックにしたって、それほどの大規模なものではないと思いますけれども、少なくとも七二年というと再来年だ。常夏の国ですから冬でもできないことはないかもわかりませんけれども、大体シーズンというのはきまるわけです。実際七一年に特別国体を開催するということになれば相当な準備期間が必要だと思うし、そういう点については沖繩では非常に待望いたしております。特にもうすでにコザ周辺で会場を求めるというようなことらしいのでありますけれども、したがって、これから検討するとかなんとかいうのではおそいので、もう少し詳しく特別国体の計画ないしはその進捗状況を説明してもらいたいと思います。
○木田政府委員 御指摘のように、沖繩自体には体育施設その他必ずしも十分に整備されているわけではございませんけれども、本土の各県で毎年やっておりますような、選手、役員合わせて一万六、七千名にのぼるような国体はとうてい実施いたしかねます。一番の隘路は輸送でございまして、そこへあれだけの人間を送り込むということが技術的にとても不可能でございます。そこでいろいろと関係者の間で検討いたしました結果、大体沖繩からの参加者を除きまして、他の四十六都道府県から二千五百名程度の規模で向こうへ出かける。地元からは各競技につきましても、個人種目は別でございますけれども、一チーム程度の参加を求めるということにいたしまして、全体で先ほどもちょっと御答弁申し上げましたが、二十一競技種目に、たとえばバスケットボールでありますと高校男子あるいは教員男子というふうに種別をそれぞれ設定いたしまして、二十一競技、五十種別につきまして、チームゲームにつきましてはチーム数を一応八チームと考えております。四十六都道府県からは七チーム選抜をいたしまして、地元から一チーム参加させるというようなことで参加人員を積算いたしまして、約二千九百七十二名という具体的な参加人員数を一応予定いたしております。 また、その会場につきましても、各競技種目別にどこの高等学校の体育館を使う、どこの施設を使うという予定を、現地の沖繩体協と日本体育協会の関係者が、現在の段階での用意をいたしておるところでございます。また、国体をいたしますにつきましては、試合の本競技場のほかに練習会場が必要でございまして、練習会場につきましても、小中学校、高等学校のそれぞれの所定の施設を現実に特定をし、配置をいたしまして、先ほど申し述べたように全体で既設の施設を二十五施設、それに改修して使いたいと思いますものがそのほかに十九施設、新たに十三の施設を新設いたしまして、五十九の施設を本会場と練習会場にそれぞれ割り振る。こういう計画は、いままでのところ二度にわたりまして日本体育協会並びに政府関係の専門家が出かけて、一応計画をつくったところでございます。ただ、 ただ、これを整備いたしますにつきまして必要な経費と、もう一つ、主競技場をどこにするかという問題がありますが、主競技場を、現在のところ沖繩の地元の方々は那覇の近くにございます奥武山の総合競技場を整備いたしまして、そこを主競技場にしたいという御希望のようでございますが、これが工期の関係から見ましても一番大きな問題であろうと思います。その主競技場として予定してあります奥武山に対しまして、一応四十六年度の予算で八億八千九百万円ほどの整備費を計上し、要求をいたしております。そのほか、競技の実施につきましては競技場と取りつけ道路との関係が、かなり個別にわたってまいりまして問題がございます。その辺の関連道路の整備費を三十八億ほど計上いたしているわけでございまして、いまの程度の規模でございますと、ちょうどいまバンコクで行なわれておりますアジア大会と同じ程度の選手の規模になるわけでございます。祝意を表するには十分なものになり得るというふうに考えておりますし、現在の施設の活用、それから充実と加えまして、また必要な限度の新しい施設の追加を加えてまずでき得ると思って、予算の獲得につとめたいと考えております。
○正木委員 よくわかりましたが、もともとこういう考え方は邪道であるかわかりませんけれども、東京のオリンピック大会にしても、今度やる北海道の札幌の冬季オリンピック大会にしろ、万国博覧会にしろ、それぞれの名目は画然と立てられてはあるけれども、結局万国博覧会でも大阪の経済界の地盤沈下を防ごうというような、実際は大阪府議会で、私がまだ府会議員のときに知事が説明した説明なのですよ。結局名目はそうであろうと、通常の場合、社会資本の投下というものがきわめておくれている現状においては、そういう形で集中的に社会資本の投下ということが行なわれなければなりませんし、また、それは決して私も一がいに邪道だとは言い切れないものがあるだろうと思います。したがいまして、一九七二年に行なわれるところの沖繩における特別国体においても、やはりそういう副作用的なもののほうが、ほんとうを言えば主眼というようなことも言える。そういう意味においてはあまり構想を小さ目小さ目というのではなく、むしろこの際、うんとどかんと集中投資をしようというくらいの気持ちになってもらいたいというふうに私は思うわけです。これは一文部省の範囲の問題ではございません、もちろん沖繩一北方対策庁との関連もありましょう。しかし、大体呼吸はその辺に合わせておいていただかないと、この成果はあがらないのではないかというふうに考えます。したがって、私も二度にわたって沖繩に行ってまいりましたけれども、実際おくれている。したがって、交通機関等についても、大規模な輸送はできないなんということをきめないで、大規模な輸送をするためにほんとうは鹿児島からフェリーボートを着けるとか、また宿舎等についても、これはいま沖繩出身の方々、安里さんいらっしゃいますが、安里さん御存じだろうと思うけれども、私が実際行って見てみると、嘉手納からB52がいなくなって、そういう関係者が民間で借り上げておったアパートがずいぶん余っている。そういうことになればそれを宿舎に使えることにもなるだろうし、また、いまおっしゃったように、高等学校や義務教育小中学校においてもそうでありますけれども、体育施設というものも、この際積極的にこの国体に便乗というとことばはよくありませんけれども、そういう形で整備するということもやはり積極的に考えていっていいのではないか。こういう形で沖繩国体をぜひとも成功させていただきたい。その積極的な姿勢をやはり文部省側としても示していただきたい。これは私の強い希望でございますので、この点ひとつ御確信のある御答弁をいただきたいと思います。
○木田政府委員 御指摘のように、せっかく全国各県からの祝意を持ち寄って大会をやろうということでございますから、できるだけりっぱなものにしたいという気持ちは私どもも持っております。しかし、現実の問題といたしまして、現在あります民間の船の輸送力あるいは飛行機の輸送力等を考えますと、選手、役員で二千九百人と申しますことは、そのほかに新聞報道関係もございますし、それぞれの応援の方々もございますし、倍以上の人員が動きます。現地のバスの輸送力その他も全部調べ上げてございまして、一体どのくらいの道路でどのくらいのバスを使って選手輸送ができるか。そのために全部専用で借り上げられるバスが何台現在あって、それを二年先——正木委員は七二年とおっしゃいましたが、七三年の四月のころを予定しておりますが、その間までにどの程度現実に民間事業としての拡大が期待できるかとか、いろいろなことも考え合わせて、結局、二千九百名程度の選手、役員を考えるべきであろうという現在の判断に立っておるわけでございます。これは確かに普通の国体に比べますと小そうございますけれども、アジア大会ほどの大きさのもので十分にあり得るわけでございますし、また、もう一つのあとあとの施設の整備の問題は、事後の意味を十分考えてやらなければいけないということを考えまして、体育施設は、主競技場等特別なもののほかはできるだけ学校の施設を整備し、あるいはそこに新築をしてまいりまして、御指摘のありました事後に十分意味のあるものというものを考えてまいりたいと思っております。できるだけ関係者とともに努力をいたしまして、成果をあげたいというふうに考えております。
○正木委員 そこで、問題はもう一つ残るわけなんですが、これはどこが金を出すかということですね。これを、沖繩の地元に相当大幅な負担をかけるということであってはならないわけであります。これもやはり文部省のほうへ言ったってほんとうはしようがないのであって、これは大蔵省に言わなければならぬ問題でありますが、少なくとも文部省の態度としては地元負担をできるだけかけないように、できれば国費でもってこれをまかなうというふうな方針でやっていっていただきたい、このように思いますが、どうでしょうか。
○木田政府委員 現在の段階では、沖繩・北方対策庁のほうから五十九億八千万の要求をいたしておりますが、競技施設につきましては、一応全額国費で整備したいという要求をいたしております。あとの運営その他、いろいろとやはり地元の御協力をいただかなければならぬ部分もできてこようかと思いますけれども、施設面につきましてはそういう意気込みで予算をお願いし、できるだけ地元の負担というものを軽減する方向で努力をしたいと思っております。
○正木委員 もう一点だけ。問題は変わりますが、先ほどちょっと私が聞き漏らしたかもしれませんが、琉球大学の医学部設置の問題について保健学部というお話が出ておりましたけれども、医学部の設置ということについては可能性がなくて、保健学部なら設置できるというのかどうかということが一点と、どうしてそれでは医学部が設置できないのかという点ですね。その点をお伺いしたいと思います。 実際沖繩に参りまして、本土にも僻地へ参りますと無医村がたくさんございますが、沖繩には実際にたくさんの無医村がある。お医者さんが足りない。沖繩には、御存じだと思いますが、特別な医事関係者ということで医介輔という制度もございます。この医介輔という制度を活用しなければ、とても沖繩の医療制度というものが、曲がりなりにも達成することができないという現状であります。したがって、私は、どうしても医学部の設置、できれば琉球大学に医学部というよりも、沖繩に単独の医科大学を設置してもいいというぐらいに思っておるのですが、その点、非常に私たちの考え方に逆行するような保健学部というような説が有力である、こういう点非常に危倶を感じておりますが、この点の御説明をさらにいただきたいと思うわけです。
○村山政府委員 琉球大学には保健学部というのが現に設置されておるわけであります。と申しますのは、沖繩に医科大学あるいは琉球大学に医学部をつくってほしいという要望がありまして、総理府で琉球大学医学部設置問題懇談会という会合をつくりまして、これは武見医師会長が主となってお世話されたわけでありますけれども、そこで検討の結果、医学部をつくることは必要であるけれども、これを早急に実現するというのは無理である、保健学部というものをつくることが次善の策として緊急に必要であり、かつ有効であるという結論に基づきましてこれができて、現在学年進行で整備中でございます。 それからまた、大病院が必要であるということで、従来の那覇病院の隣に新那覇病院というものをつくることがきまりました。これは地域医療の中心でもあり、将来の教育研究の場でもあり、どこにその世話をさせるかというのが非常に問題であったわけでありますけれども、結局琉球大学に付置する形で新那覇病院というものが設置されることになり、これまた現在建設中でございます。 そういうことで医学部設置問題は将来の課題として取り組みつつ、当面の問題としては、保健学部並びに新那覇病院でもって琉球の医療に当たっていく、こういう現実的な対策が立てられ、現在進行しておるわけであります。 それからまた、多少別の問題ではありますが、先ほども御説明申し上げましたように、従来の国費沖繩学生、この中で医学部は特に重点的に取り上げまして、現在までに約五百人採用してございます。その中で百三十名余がすでに卒業して、七十名ほどは沖繩に帰って医療に従事しております。残りはまだ卒後研修などをやっております。それから在学中の者もあるわけであります。それからなお、自費につきましても医学部はかなり重点的にやっておりまして、現在まで二百名程度。国費、自費合わせますと七百名程度の医学生あるいはもうすでに卒業した者があるわけであります。これがかりに全部沖繩に帰るといたしますと、沖繩の医師数は現状よりも二倍以上になります。まあこれは漸次卒業して帰っていくわけでありますので、さしあたりはこの方々が沖繩の医師の新しい戦力となって加わりていく。保健学部というもので保健衛生を向上し、あるいは保健婦の養成をやる。まあ医療ではございませんけれども、沖繩の衛生状態の向上をはかる。新那覇病院でも地域医療並びに教育研究を推進する。そういういい病院ができるということによって、本土で勉強した医学生の方が沖繩に帰るという機会もふえるであろう。いろいろなことを併用いたしまして、沖繩の医療問題に当たっていくというのが政府の考えでございます。
○正木委員 ありがとうございました。
○有島委員 終わります。
○八木委員長 山原健二郎君。
○山原委員 九月十七日に文部大臣が沖繩へ行かれたわけですが、この沖繩に行くにあたって、大体沖繩のどこが大臣を招待したのですか。どういう形で行かれたのですか、最初に伺っておきたいと思います。
○坂田国務大臣 私がぜひ行きたいと思って行ったのでございます。とにかく本土の小中校、幼稚園等の施設は見ておる、あるいは教職員等とも話をしておる、あるいは子供たちとも話しかけておる、しかし、沖繩県の学校がどうなっているかということをやはり私としては自分の目で見たい、かように考えておりまして、ちょうど私、御承知と思いますけれども、その後イギリス、フランス、ドイツの新しい大学を見て回ったわけであります。外国へ行くくせに沖繩を見ておらぬというようなことでもいかぬというようなこともございましたし、とにかく私、就任しましてから一度は見たいと思ったのですが、御承知のように、大学紛争で就任第一年目はとうとうできなかったものですから、いろいろ時間をあれしましたけれども、どうしても一日しかとれなかったので、一日行ってまいったというわけでございます。行くにつきましては、主席あるいはいろいろな方々とは前もって連絡をとってまいったわけであります。
○山原委員 大臣とふろ場で、翌日行かれるということでお別れしたのですが、私はあれから三回行っておるのですよ。ところで大臣が沖繩に行かれたのですけれども、私の聞くところによりますと、琉球政府の文教局も実は知らなかった、こういうお話なんですけれども、一国の大臣が、たとえば鹿児島県へ行く場合でも、県知事あるいは教育委員会に連絡するわけです。戦後二十五年、しかも苛烈な戦争があったわけですから、そういうところへ大臣が行かれるのに、琉球政府に最初に連絡していないのですね。していないのです。ちょっと経緯を聞かしてください。
○犬丸説明員 文部大臣の沖繩訪問につきましては、日本政府の沖繩事務局を通じまして琉球政府にも事前に連絡してございます。
○山原委員 琉球政府の中山文教局長は、関知しないと言っておるのですよ。それから日程等も——これは新聞に出ていますが、日程等についても全く文教局としては知らなかった、こういう状態なんですよ。先日私が屋良主席に会いましたときにも、大臣がお見えになったのは事前に何らの連絡なく、情報を得て文部省に問い合わせて確認をした、こういうふうなお話なんですが、そういうことですか、そうじゃないのですか。
○坂田国務大臣 私としては、実際それは事実と思えないのです。それから、屋良さんも前から知っておりますし、ぜひ来てくれ、私も行くということで、十分その点は連絡をしておるものと思っておりますし、またお会いしましてもいろいろお話を承りましたし、それから、たとえば真知志中学校、与那原小学校にも一緒に教育長さんも行きましたし、その後も南部戦跡をずっと回りましたときも、教育長さんとずっと一緒に、いろんな話もして和気あいあいで実は行ったのです。私は、帰ってから飛行場で新聞記者の方々との会見がありまして、そこでいろいろ聞かれましたものですから、いろいろなことをお話をした。そこで、それが先ほどお話もありましたような非常にショッキングな報道になったり何かしたということなんで、私が小学校へ行ったり中学校へ行ったり、あるいはPTAのお集まりだとか、教育関係者との懇談会では非常にいい雰囲気だったのです。でございますから、どうも私としては、何か自分の行った感じとそれと違うのです。というのは、あとで小学校の生徒と一緒に御飯をいただいたり何かしたあと、全部私の、自作の写真も送ってきておりますし、日本の小学校や中学校を見たとき以上にちゃんとしたやり方で、私は実に感激しております。そういうわけで、ちょっと皆さん方が私を追及されるのと感じが実は違うのですから、どうもよくわからないのです。
○山原委員 だけれども、そういうことであれば、当然琉球政府にあらかじめ連絡をしまして、文部臣が行かれる、そうして向こうに計画を立てていただいて、そうしてまず琉球政府なり中央教育委員会がありますから、その方々に集まっていただいて、沖繩の教育の情勢をお聞きして、そういう上で、たいへん御苦労でございましたということ、そして文部大臣の見解というものが出ればまだ話がわかるのです。ところが、いまあなたはそういうふうに言われて、非常に気分のよい八時間を過ごされたわけでありますけれども、じゃ、ここに中央教育委員会の文書が出ておるわけです。さらに琉球政府の要望書が、あなたのお帰りになったあとで十一月に出ておりますから、ちょっと読み上げてみますと、こうなっているわけですよ。あなたの発言も含めまして、「理解に苦しむとともに遺憾におもう次第であります。」というのが要請書の二ページにありまして、その次に、「おもいまするに、戦後長期間にわたり、多くの曲折を経てこの地に定着しました公選教育委員会制度は、教育関係者をはじめ、住民に馴染み深い民主的な制度となっているとともに、これまでその果した役割もまた大きいのであります。したがいまして、このように住民の間に融け込んでいる制度の改廃については、住民の充分なる理解と協力のうえで行なうのが民主的な当然な行き方だと思うのであります。」これは琉球政府が出しておるわけですね。さらに中央教育委員会は、やはり同じ趣旨で、「長年なじんできた。しかもこの制度の沖繩教育行政における功績は、高く評価されなければならない。したがって、復帰後も本土法を適用するのではなく、特例措置を講ずることによって、沖繩の現制度を存置していただくよう要請する。」これはまさに公式文書ですね。こういう公式な、沖繩の教育の最高機関並びに琉球政府が日本政府に対して意見を出しておるわけです、あなたがお帰りになったあとで。これが今日、公式に発表された沖繩県民の少なくとも意向ではないかと私は思うのです。教育委員会公選制度の問題につきましては、これをどういうふうにお考えになっておりますか。
○坂田国務大臣 それはあとで承ったわけでございますけれども、私が参りましたときにただ学校ばかり行ったわけじゃなくて、一番最初に高瀬代表のところに参りましたし、それから琉球政府行政主席を訪問しまして、短時間ではございましたけれども、和気あいあいにいろいろお話をしたわけです。そういうようなときには、全然そういうふうなお話はございませんでした。それで、文教局長も一緒に私と八時間行動を共にしているわけでございますから、もしそういうようなことであるとすれば、当然何らかの意思表示あるいは文書なり何なりが私に手渡されるものだと思うのでございますけれども、そういうことは全然なかったのです。ですから、どうも私にはふに落ちないのです。あとからの何かの突き上げや何かでそういうことになったのではないかという気がしてならないのです。ほんとうに私はわからないのです。
○山原委員 文部大臣の把握のしかたか少し——八時間ではやはりおわかりにならなかったと思うのです。これはどうもふしぎだと言われるのですけれども、あなたがおいでになって向こうがお迎えをする場合に、まゆをつり上げてけんか腰でお会いするという状態じゃないと思うのです。それはどなたも、せっかく本土から大臣がおいでになったのですから、当然あたたかく迎えて和気あいあいの状態だったと思うのです。しかしながら、いままでの経緯から考えまして文部大臣もおわかりになると思う。いまから三年前にこの問題が出たときに、沖繩ではこれは中止になっているわけですね。そういう沖繩の教育公選制を守る運動というもの、そういう歴史から考えまして、そんな和気あいあいということだけでものごとを判断すべきではなくて、長い教育の二十五年の苦しみとその過程の中から生まれてきたものを把握しなかったら、これは文部大臣として資格がないと思うのですよ。そこのところをよう把握しなかったから、あとから出てきておかしいな、おかしいなという形になるのではないかということを私は心配しますが、そこのところを十分つかんでいただきたい。
○坂田国務大臣 その点は、あとで屋良さんともお話ししたのです。そして屋良さんがおっしゃるのには、先ほど私がどなたかの御質問にお答えしましたように、施政権下にあって私がアメリカから任命されておる中において、われわれは公選制でやったからこそ日本人としての教育を守り得たのだ、こういうお話がございまして、私も全くそうだ、このことに対してほんとうに私は衷心から敬意と感謝の気持ちをあらわしたいのでございます。しかし、今度、そういうアメリカの施政権下にあり、しかもアメリカの一部の州における制度、それが公選制、しかもそれが日本に戦後一応持ってこられたわけですけれども、どうも日本の教育環境にはなじまないということで、三十一年、御承知のように任命制に切りかえたわけです。だから、私が申しますのは、むしろ教育委員会制度の任命制、公選制ということは、私自身がよく経験をしておるわけでございまして、全然そういうことを、ただ感じがよかったとかなんとかいうことだけで私は把握しているつもりはございません。したがって、屋良さんにも、そういうわけなんで、しかしながらこれを任命制に切りかえたからといって、地方住民の意思を無視したということにはならないのではございませんか、それよりも、復帰した後において片方では任命制、片方では公選制というふうにして、まさに施政下のままの教育制度が残っておるということは、復帰して日本全体が一体となっていかなきゃならない、一体となる上においては精神的なあるいは教育的なものが非常に大事だ、こういうことから考えれば、それはむしろ私の言うのが素直じゃありませんかということを私はとくとよくお話し申し上げたわけです。そこで問題は、この経過措置については、私たちも十分に考えなければいけないのじゃないかというふうには思っておりますということでお別れをしたわけでございまして、全然ただ感じだけで言っているというのではなくて、教育委員会制度というものの本質も私は私なりに承知をしておると思います。その公選制というのも、アメリカにおいてすらもなかなかこれがうまくいってない、こういう実情で、何で日本にまた公選制を残さなきゃならぬかということは、私から言いますと何かわけがわからないということなんです。
○山原委員 文部大臣は、三十一年の公選制を任命制に切りかえるときの与党の議員であった。私は公選時代の教育委員です。私も公選問題についてはよくわかっているわけです。ところで文部大臣の御意見はわかりました。ところが、琉球政府並びに琉球の中央教育委員会は、少なくとも公式に日本政府に対して要請書を出しているわけです。文部大臣の考え方は、いま言われたようにこれに対して違うわけですね。違うが、そこで問題は、この間、十一月二十日の閣議で決定をされました沖繩復帰対策要綱の冒頭、ここが問題になってくるわけです。「なお、これら施策の決定にあたっては、琉球政府および沖繩県民の意思を反映するため、できる限りの努力が払われたことはいうまでもない。」と書いてあるのです。その前に、三月三十一日に出されました閣議決定におきましても、「その推進に際しては、琉球政府をはじめとする沖繩県民の民意を十分に尊重するものとする。」という、この原則は変わらないわけでしょう。そうしますと、沖繩における琉球政府並びに教育行政の最高機関の意思は、公選制の問題については、これは住民になじんできたものであるから守ってもらいたい、こういう要求なんです。文部大臣の意見は、施政権返還にあたっては、これは当然本土並みの任命制に切りかえるべきものだ。ここに意見の食い違いがあることは事実ですね。事実でありますけれども、先ほどの閣議決定の一番の重要なモメントからいうならば、当然ここで双方でこの問題について話し合うべきであると私は思うのです。少なくとも議題を明確にして、長期にわたってこの教育委員会制度の問題について、琉球政府並びに琉球の中央教育委員会と話し合いをすべきであると私は思うのですが、その点はどうですか。
○坂田国務大臣 この沖繩の本土復帰というものは、ただいま御指摘がございましたように、政府全体としてこれに取り組んでおるわけでございまして、やはりその全体の一環として、できる限り沖繩住民の意思を尊重して進めていかなければならぬことは、先生のおっしゃるとおりだと私は考えております。また、そういうようないろいろな機会も持たれることだろうと私は思っております。
○山原委員 それでは、そのような話し合いがなされることを期待します。 もう一つ、沖繩中央教育委員会が教育五カ年計画というものを七〇年度からつくっているわけです。これは金額まで出されておりますところの五カ年計画です。これは、本土との格差を是正するという意味で非常に重要な内容を持っておると思うのですけれども、これについて検討されて、そしてこの金額等について、どういうふうにこれにこたえていくかという年次計画その他ができておりますか。これは教育基本法第十条によりまして、当然一番先にやらなければならない教育目的の達成に必要な諸条件の整備の問題であります。教育委員会制度よりも先にこの問題が取り上げられなければならないわけですが、これについての御回答を、時間がないから簡単にいただきたい。
○岩間政府委員 従来、文部省関係の援助予算を要求いたします場合は、事前におきまして必ず琉球政府のほうの文教関係のところと相談をしながらやっています。しかし、現地のいろいろの御要望とそれから私どもの実際の計画とは、ちょっと考え方その他におきましてもズレがございますものですから、必ずしも琉球政府の要求がそのまま予算要求されるということはないわけでございますけれども、先ほど大臣から申し上げましたように、地元の意見を十分尊重してやるというたてまえに立ちまして、それに沿うように予算の要求をいたしてあります。 なお、沖繩の予算関係は、これは文部省だけが直接大蔵省に要求するといったふうな仕組みになっておりませんで、一応やはり総理府の担当のほうで各省のものをまとめてやるというふうなこともございまして、琉球政府の全体の意見は、やはりそちらの担当のほうでも聞いておるわけでございます。したがいまして、ちょっと筋が複雑で、直接に琉球政府の御要望のある点がそのまま予算要求されるというわけではございませんので、私どもとしましては、十二分に御意見を承りながらやっていくつもりでおります。
○山原委員 この教育五カ年計画に対する本土の対応のしかたですね。これこそが、私は文部省の仕事だと思っておるのですよ。教育基本法第十条の仕事はそれだ。そういう教育環境を整備充実していくこと、この点で文部大臣が行かれてずばりと話をされてくれたらよかった。それをせずに、教員が政治活動をやっておるからいかぬとか、公選制を任命制にするということをずばりとあなたは言われたから、ショックを起こしたわけでありますね。 そこで、沖繩教職員の政治活動が行き過ぎであるということですけれども、沖繩の教職員が今日までほんとうに日本人としての教育を行なっておるということは、教育基本法の中にもうたい込んだわけです。これは軍政下におきまして非常に困難なことだったと思います。その中で、しかもこれは大江健三郎氏が書いておりますけれども、あの戦後におきましては、ほんとうに砂の上に字を書いて子供に字を教えたという、そういう苦労を味わってきた沖繩の教職員がほんとうに平和を守っていくということ、また、祖国復帰ということで動いてきた二十五年間の血のにじむ歴史というものに対して、文部大臣はどういう感覚を持っておるのか、これを単に政治活動として行き過ぎであるというふうな形で受け取っておるのかどうか、私は非常に重大な問題だと思いますので、簡単に伺っておきたいのです。
○坂田国務大臣 これはまあいろいろの見方があると思います。それで私がとやかく申し上げることは、あまり好ましいことではないのではないかと思うのでございますが、しかし、卒直に申し上げますと、屋良さんがまだ主席になっておられない十一年前だったですか、初めて国会においでになりまして、そしてお話し会いをしたことがございます。そのときいろいろ占領下における苦しさというようなこともお話しになりましたし、そしてその中において、われわれは教育基本法のもとに日本人としてのりっぱな青少年の教育に当たってきておるのだ。それで、そのときに私は申し上げたのでございますが、ちょうど十一年くらい前、日本ではイデオロギーが現場に持ち込まれ過ぎまして、そして不幸な、われわれ文部省と日教組と対立関係になった、そしてその渦の中に子供たちが巻き込まれておる、こういう日本の状況を考えてみますと、沖繩にこそ日本人としてのほんとうの姿があるんじゃなかろうかと思います、しっかりひとつやっていただきたい、われわれも何とかして一日も早く復帰を考えなければなりません、そして私たちとしてでき得る限り御協力も申し上げたいと思いますというお話をしたことを、私は記憶するわけなんです。ところが、もちろん私は、ベトナム戦争が非常に激しくなり、そうして沖繩が最大の基地として活動する、そしてこの数年間いままで以上の苦しみを沖繩の人たちが持たれた、特に先生方が持たれたということはうなずけるわけでございます。したがいまして、こういうような基地を一日も早く沖繩からなくして、そうして本土復帰をという気持ちを大多数の教職員がお持ちになっておるということはわかるわけでございます。あるいは内地の人が考えておる以上に痛切に感じておるということはわかるわけであります。しかしながら、それだからといってその政治運動が絶無であるかというと、私は、必ずしもそうじゃないので、やはり行き過ぎも多少あったのじゃないかという気がしてなりません。しかし、これはあまり私も知ったわけじゃございませんが、ただ、この間参りましたときにも、高等学校の組合の人ですか、赤旗でもってあそこの空港で歓迎をされたわけでございまして、私、小学校や中学校へ参りまして、そして小学校の先生や中学校の先生たちとお話したり、校庭に並んでおる児童を前にして校長先生がお話しになる中にずらりとその先生方が立っておられる、そういうような私が直接お会いした雰囲気とは非常に離れておったということはいえるのじゃないかというように思います。
○山原委員 あと安里先生もおられますので簡単に申し上げますけれども、いま文部大臣の言われた政治活動の問題、時間をとる余地がきょうはありませんけれども、ただ私は、そう簡単なきめつけ方といいますか、また公選制の問題にしましても、本土の土壌に合わないのだという土壌論というものは——私は広辞林を引いてみたのですよ、土壌とはどんなことか。実際本土において公選制から任命制に三十一年に切りかえたとき、国会には七百数十万の反対請願の署名がきたのです。これは国会史上最大の数だといわれておるわけですね。そういう状態の中で任命制に切りかえられて後の日本の教育行政というものが、はたして正常な形であるのかという問題については、これは大いに論争すべきことだと思うのですよ。たとえば任命制に切りかえたと同時に、佐賀県におきましては、生徒数は九千何十名ふえているにもかかわらず教員の数は二百七十名減ずるという問題が出ております。任命制に切りかわってから、予算の面でも父母負担は増大しております。さらに、たとえば汚職の問題にしましても、四十三年度の汚職は七府県の汚職が起こっております。当時の天城初等中等局長は、これは氷山の一角だと言っているのですよ。そのほとんどが教員の異動に伴う買収、収賄罪が成立している、こういう状態もあるわけです。 その中で一つだけ私は申し上げたいのですけれども、これは文部大臣にも関係してきますが、北海道の教育委員会がいわゆるマル秘記録を編集して出しているわけでしょう。これは北海道の高等学校の校長が「新任校における学校経営一ケ月のとりくみ、課題解明と実践の記録」というのを出しまして、そして教育委員会がこれを各校長に配付しておるいわゆるマル秘文書です。これは文部大臣御存じですか。
○坂田国務大臣 そのことは承知いたしておりません。
○山原委員 これは文書を文部大臣知らないということないはずですが、わが党の岩間参議院議員が文部大臣に対して抗議をいたしておりますから。そのときに文部省のほうから、こういうことは誤りであって、こういうことは今後起こしてはならぬということを言っているわけでしょう。そういうことないのですか。
○宮地政府委員 いまおっしゃいますような点は、私どものほうは存じ上げておりません。したがいまして大臣にも報告しておりませんので、大臣も御存じないと思います。私もそういうことを聞いておりません。
○山原委員 これは重大な御発言でありますけれども、ある高等学校では、高教組に所属する組合員と非組合員とをお互いに争わせながら外部に目を向けないようにして、そして学校運営をやっていくとか、その文書は私いま持っておりますけれども、これはたいへんな中身なんです。いわゆる憲法で保障されたところの、あるいは公務員法で保障されたところの労働者の団結権すら破壊していくということをマル秘文書で出して、それを北海道教育委員会が全校長に対して流して、学校運営の参考にせよということをいっているわけです。全く重大な文章。それを文部省が知らないということになりますとこれは話になりませんけれども、もしそういうことがあれば、文部大臣どういうふうにお考えになりますか。
○坂田国務大臣 その辺がまだよくわからないのですね。 それから岩間さんが私に聞いたという、それはいつの幾日にそういう御質問があって——あるいは何か答えておるかもしれませんから、岩間さんの話から一ぺん私にお知らせをいただきたいと思います。ちょっと記憶にないのです。私、もの忘れが非常に多うございますから、あるいは間違っているかもしれませんけれども、ちょっとほんとうに記憶がありません。
○八木委員長 ちょっと山原君に申し上げます。 二時から本会議が開かれます。安里君がまだ残っておりますから、もう一問だけで終わってください。
○山原委員 いまの問題は、これは一学校ですけれども、こういうことが書かれているわけです。「私が深川西高校でとった一本釣りは手が古いので、ここでは未組織の組織化をはかり、フォーマル(高教組)な組織と、インフォーマル(非組合員)な組織の適当な対立、抗争を助長させながら、高教組が組織防衛に専念せざるを得ない客観条件をつくり、外にエネルギーを出し得ない内部分裂(群集心理学でいうつつき運動の発生)を醸成させていきたい。」というふうなことが各高等学校長から教育委員会に報告されまして、そしてその記録がマル秘文書として高等学校長の学校運営の資料にされておるという問題です。これは知らないと言うのですからこれ以上質問いたしませんがあとで文書を見せまして意見を承りたいと思います。本日はやめます。 最後に、こういう教育行政がいま行なわれているわけですが、この間、十二月一日でありますけれども——これはたいへん恐縮ですが、私の県にも関係するわけですが、国立青年の家の問題で私の県の知事その他が文部大臣に陳情に行った。そうしたときに文部大臣は——これはまあたいへん恐縮ですけれども、愛媛県と高知県で国立青年の家の誘致運動が起こっておるのですが、委員長が前におられて申しわけないのですが、誘致の問題は別の問題として、これは私は当然青年のためにつくるべき問題だと思いますけれども、それはおきまして、そのときに文部大臣はこう言っておるのですよ。高知県の場合は、雄大な太平洋岸に面する点では明らかにプラスであるけれども、しかし、教育的土壌では愛媛にプラス、こう言っているのですね。また土壌ということばが出てくるのですよ。どういうことかとよく聞いてみますと、高知県下の教職員の日教組組織率が高い、それでまた県の青年団協議会が日青協から資格停止処分を受けている事実をあげて、なぜこうなったか、それをきびしく反省してもらわなければならぬ、いま私が愛媛に行けば、たちどころに二千人の教職員の前で話ができる、高知でそれができますか、この際知事さんにもはっきり申し上げておきたい、こういうことばですね。何で国立青年の家の誘致の問題が、日教組の組織率に関係があるのですか。ここのところに私は文部大臣の非常に問題になる思想性があると考えているわけですが、この点についての文部大臣の見解を伺っておきたいのです。
○坂田国務大臣 私が申し上げましたのは、こういう意味でございます。一つの県に国立青年の家というような施設をつくる、それをつくります場合には、学校教育あるいは社会教育というものがどういうふうに行なわれておるかというそういう全体を踏まえないといけないのだ、ただ風光明媚である、あるいは地理的条件がよろしいということだけではいけないのだという意味を私は申し上げたわけでございまして、たとえば公民館の数であるとか、あるいは日ごろの社会教育面について充実しておるかどうかとか、そういうような面もあわせて考えないと判断はできないのだということを私は申し上げたわけでございます。
○山原委員 最後に一つ、その点では日教組の組織率がどうとかこうとかいうことは問題じゃないですね。当然そうでしょう。そんなことが問題になるのだったら、憲法も何もないわけですよ。職員には当然団結をする権利もあるわけですから、話の内容に対して、しかも県知事、国会議員あるいは県の教育長までが組織率の問題を言うということになりますと、これは明らかに偏向教育行政の考え方だと私は思いますので、答弁は要りませんけれども、今後そういうことがないように厳重に注意をしていただきたいのであります。 終わります。
○八木委員長 安里積千代君。
○安里委員 長時間にわたりまする質、疑でございまして、かつ各委員とも、沖繩問題を中心にいたしまして質疑が行なわれました。私は一言も漏らさずお聞きしたために、私の頭も疲れておりますし、本会議の時間も迫っておりますので、ごく簡単に、基本的な問題だけについてお聞きしたいと思います。 ただいままでの御質疑の中におきまして、具体的な沖繩の教育の施設のおくれ、その他復帰まであるいは復帰に際しての各種の問題につきまして、当局が熱意を込めて財政的な援助その他あらゆる努力を払われるという趣旨に私は御答弁を理解いたしました。もしその理解が誤っておるとしますならば、あとで御訂正いただければけっこうでありますが、そのような立場からいたしまして、沖繩の教育の具体的な諸問題につきましては私はもう触れないでおきたいと思います。 ことに、社会、公明、人民党の委員の方から特に触れられましたのは、沖繩の教育委員制度の問題、教育制度の問題であります。この問題は、沖繩の復帰にあたりまして非常に重要なる問題であります。復帰不安ということがいわれておりますけれども、それは決して経済的な立場における不安だけのものでなくして、むしろこういった人間づくり——政治も経済も行政も人が支配するのでございまするから、結局どのような人間がつくり上げられるか、教育の面というものが将来の沖繩に対しましても非常に重要な問題であります。これに対しまするいままであらわれました大臣のお話や、あるいはまた本会議にあらわれましたいろいろな方向からいたしますと、沖繩の人々というものは、ことに教育者は不安を持っております。これは一つの大きな復帰不安といっていいか、こう考えております。いろいろ御答弁もあったわけでございまするけれども、私はその中から感じ取りますのは、まだまだ皆さん方が沖繩の心をつかんでいらっしゃらないという気持ちがいたします。 沖繩の教育は、今日までいろいろな過程を経てまいりました。戦争のために非常な破壊をされました、食うにも困るという困窮な時代でありましても、教師を中心としまするところの住民の気持ちというものは、沖繩の新しい建設のために教育をどうするか、子弟の教育をどうするかということが第一の関心事でありました。したがいまして、あのような中から青空教室あるいはまた掘っ立て小屋の教室あるいはムカデ教室ともいわれますそのような中において、先ほどお話がありましたように黒板もない、紙もない、砂をそれにかえる、あるいは教科書もない、ガリ版刷りのもので間に合わす、そういった苦しい中から教育を続けてまいりました。あのような破壊の中からでも沖繩の教育はとだえることなく、努力し続けてきた、こういうふうに思うわけであります。それはどこまでも、教育という問題がどれだけ重大な問題であるかということを認識するからであります。 ところで、終戦直後におきますアメリカの、沖繩の教育政策は、基本的にはやはり民主的な教育に持っていくという考えをもちまして、その初期におきましては、日本の軍国主義とそれから極端な国家主義の根絶のため、沖繩を日本からつとめて切り離し、日本との結びつきをなくするという方向に向かっておったと見るわけであります。そういう軍国主義を排除し、極端な国家主義からの根絶をはかる、そして日本の結びつきを取り除くこういう基本的な考えがアメリカにあったと思っております。そういう方向からいたしまして、むしろアメリカに奉仕するところの教育、植民地教育の方向というものが如実にあらわれてきました。 学校の校舎の問題について、いまの行政主席の屋良さんが教職員会長時代に、日本本土の同胞に訴えて、あの掘っ立て小屋の教室を、青空教室を解消して校舎を建築するために同胞に訴えまして、当時の金で六千万円という金ができました。だがアメリカは、これに対しましてもこの金は校舎建設には使わせない、備品に使え、校舎建築はアメリカがやる、こういったことで排除をいたしました。あるいはまた、後になりまして、本土の教育の指導者の方々を沖繩に招きまして非常な効果をあげたのでありまするけれども、それに対しましても、これまた第二次の場合には一応拒否をしたというような事実もありました。こうした中において沖繩の教師たちは、このような軍事権力、そして日本から切り離されるところの教育、これを排除しまするために戦い続けてきたのであります。 そこで、先ほどからもお話がありましたし、また文部大臣も、日本人としての教育ということに努力したことに非常な敬意を払われておるわけでありまするけれども、こういう中にありまして沖繩の教師たちの心に反省として起こったものは一体何であるかというならば、自分たちの戦前教えたところの子供たちが戦争という野蛮の中におとしいれられて、そして幼い子供たちまでも戦争の犠牲をこうむった、それは結局教育者の大きな責任である。軍国主義につながるところのそのような教育をしてきた教育者は、その責任の反省に立って絶対に平和的な教育を進めなければならないということが一つであります。 もう一つは、教師をしてそのようになさしめたということは、教師自身の考えというよりも、国の政策、国の政治権力というものが教師をそのように追い込んだ、教師もまた無批判にそれを信じていった、従っていった、こういうところからいたしまして沖繩を日本に返すところの大きな運動となり、そして教育を権力から排除する教育委員制度というものも行なわれてきておるわけであります。 こういうことを考えますと、平和教育、そして民主的な教育、政治権力というものが教育に入ってくるということに対します強い反撃、これは私は正しい姿だと思います。これを排除するということが教育の精神にも合致しますとともに、沖繩の教師たちのこれを確立するための大きな戦いは、高く評価さるべきものだと私は考えております。日本国民としての教育、非常に賛辞を呈しておられるのでありまするけれども、私ども沖繩において、日本国民としての教育ということを教育基本法において打ち込みました。しかし、それは単なる民族主義的な、日本国家主義的な立場における単純な考えのものでは決してございません。それはあくまでも日本の平和憲法、民主憲法、この日本人としての教育であるということであります。したがいまして、いまの日本の教育というものが、はたしてこのような民主的な教育、平和的な教育この線をたどっておるかどうかということに非常な疑問を持つわけであります。 そこで、私が文部大臣にお聞きいたしたいことは、われわれが日本人としての教育ということをいっております、その日本本土におきます教育というものに対します平和的な、民主的な教育というものが、日本の教育においてどのように行なわれておるのか、この平和教育に対するところの教職員の大きな動き、教育の動き、こういうものに対して日本の文教の責任者といたされまして基本的にどのように考えておるか、そうしてそのような気持ちで現実に沖繩においてこのことのために戦われてき、今後も同じような方向でいくべきであろうところの教育に対しまして、大臣といたしましてどのような基本的なお考えをお持ちであるか、それを明らかにしていただきたいと思います。
○坂田国務大臣 日本本土の教育が、何か軍国主義的な教育に走っておるんじゃないかというふうな立場でお尋ねのように思いますけれども、そうじゃなくて、いま先生がおっしゃるように、日本国憲法に基づきまして、日本国の憲法の平和主義あるいは基本的人権を守るという考え方で教育基本法というものもできておりますし、学校教育法もできておりますし、そのもとにおきましていろいろの教科書もできておるわけでございます。しかも、権力権力とおっしゃいますけれども、まさに戦前と戦後とは違うわけです。これは主権は国民にあるわけでございまして、国民の大多数の意思によって政治が行なわれていくということが、憲法の示すいわゆる議会制民主主義であると私は思っております。その憲法、教育基本法、学校教育法の中において日本本土における教育というものも私たちはやっておるわけでございまして、いま先生の御指摘のいわゆる正しい、平和的な教育というようなことをわれわれも考えておるわけでございます。その点は、何かいかにもわれわれの本土でやっているのは、いままで先生方がやっておられるのとは基本的な考え方が違うということであるとすると誤解でございまして、私どもは、先生の仰せのとおりのようなことをどうやって守っていくかということに実は苦心をしておるといりふうにお受け取りをいただきたい、かように思います。
○安里委員 私がこの点を特に強調いたしまするのは、沖繩の教育の方向、特にアメリカの軍事支配のもとにおいてなされ、しかも現実に軍事基地に使われておるところの教育の中におきまして教師の人々が平和を求める気持ち、これは本土の教師も国民も全体でありましょうけれども、特に沖繩の教師はその線に従って——その線というのは、結局それをはばむあらゆる勢力と戦わなければならぬということが当然生まれてくると思うのです。 そういう平和への戦い、これはある場合に、もちろん政治の基本にも触れてくるわけでございまするけれども、そういった活動を目して、先般大臣がおいでになったときに、沖繩の教職員は政治的に非常に偏向しておるという趣旨のおことばがあった。これはそういったことも含めてのことばであるかというふうに受け取れる筋もありますとともに、もう一つ先ほどから問題のありました教育委の制度の問題も、民主的な教育とおっしゃるのでございまするけれども、われわれが沖繩でやっておりますところのいまの制度というものは、歴史的に、先ほど申し上げましたように、アメリカのいろいろな植民地政治に対抗する立場あるいはアメリカの権力支配のもとにアメリカの考えの方向に教育を持っていこうとすることを、民主的にわれわれは食いとめておる大きな力だと考えておるわけでございますが、そういったことも本土の任命制度に変えるというような方向の発言がありましたし、本土におけるところの任命制度の実情がどのようになっておるかということにつきましても私その結果を十分知りませんけれども、先ほどの御答弁からいたしまするならば、一口に申し上げまして日本の制度の中においては中央集権的な教育の制度の方向に向かっているのではないか、こういったことがうかがわれるわけでありまして、そういう立場からいたしますところの沖繩のこれからの方向が、政府の政治権力というものがやはり強く教育の面に作用してくるんじゃないかという不安を持たされております。その点について、あらためて大臣の気持ちを伺いたいと思います。
○坂田国務大臣 私が先ほどから繰り返し繰り返し申し上げておりますことは、沖繩がアメリカの施政権下にあって、しかも主席がアメリカの任命という形においては、アメリカ支配というものに対して日本人としての教育を守るという意味において、公選制の役割りというものはやはり私は高く評価すべきであるということを繰り返し申し上げておるわけでございますが、しかし、沖繩が復帰になるということはまさに施政権が返されるということなんです。つまり日本のやっております教育制度というものといままでのアメリカの施政権下の制度とは違うんだということ、これをおわかりいただかなければいかぬのじゃないかというふうに思うのでございます。 それで、公選制も、確かにわれわれが本土でもやったことがあるのですけれども、行政的にこれはうまくいかなかった。これには各党で意見が違うこともございますけれども、しかしながら、任命制に切りかえたことによって、教育行政は正常化したというふうに私は考えるわけでございます。しかし、これは党派が違いますといろいろの意見がございます。しかし、党派が違いましても一応当時の多数の政党できまりまして法律となっております以上は、そのもとにおいてやはり教育行政がなされていかなければならぬわけでございまして、その意味合いにおいて教育委員会の意向等につきましては、先ほどから申し上げますように十分考えていきたいと思いますけれども、この基本は、やはり沖繩が祖国に復帰する以上は、国民の教育という基本的な事柄が地域によって異なった制度のもとにおいて行なわれることは決して望ましいことではなく、日本国民のすべてが同じ制度のもとに同じ水準の教育を受けることができるように配慮することこそ、沖繩の祖国復帰の意義であろうというふうに私は思うわけでございますが、その意味合いにおきまして先生もよく御了解を賜わりたいというふうに思うわけでございます。
○安里委員 先ほど私のことばに「人民党」とありましたが、「共産党」の誤りでありますので、つつしんで御訂正申し上げます。 最後に一つだけ。あとで私は沖繩のいまの軍事基地の問題と教育の問題に触れたいと思いますけれども、時間がございませんので省きますが、先ほどから、大臣が沖繩においでになったときのいろいろなお話もございました。たいへん歓迎された、またそういう声も聞かなかったということでありましたが、ただ、沖繩のわれわれの受ける感じは結局つくられた歓迎じゃなかったかということ、それからもう一つには、あの選挙中においでになりまして、教職員の教育の偏向あるいはまた任命制度をやるのだといったことばというものは、多分に選挙に対してのことじゃなかったか、関連してのことじゃなかったかという気持ちを受けます。そういうこと自体が、やはり政府の大臣といたしまして、選挙を前にいたしましてそのように発言されること自体の中に、文教の責任者というものが、一つの権力と言っちゃ語弊があるかもしれませんけれども、政府の力でもって選挙に対しましてもいろいろな圧力を加える、こういったことが非常にうかがわれるわけであります。そういう気持ちがなかったとすればあれですけれども、時期的にそうであったとともに、非常な誤解を受けておる、この点も明らかにしてもらいたいと思います。
○坂田国務大臣 いまおことばの中に「選挙中」ということばがありましたが、私は選挙中には参っておりません。(安里委員「選挙の前に……」と呼ぶ。)いや、選挙中にとおっしゃいましたから……。速記録を調べていただきたい。 それから、何かつくられたと、それはまあ人の見方だと思います。しかし、あの小学生の人たちやあるいは教職員の人たちやあるいは中学校の人たち、私はつくってああいうようなことはできかいと思っております。ほんとうに本土の文部大臣が来てくれたというふうなあの気持ちを、私は少なくともこの胸に感じてまいったのでございます。 それから、そういうようなあっせんを、私が行きました場合にやはり主席さんやあるいは教育長が御配慮になったと私は思うんですよ。ですから、私はすなおにそういう気持ちで言ったわけでございまして、この点だけははっきり申し上げておきたいと思います。
○安里委員 時間がございませんので、これで終わります。
○八木委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後一時五十六分散会