文教委員会 閉会後第2号
- 発言数
- 131 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1970/08/28
会議録
○理事(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 派遣委員の報告に関する件を議題といたします。 先般当委員会が行ないました教育、文化及び学術に関する調査のための委員派遣につきまして、派遣委員から報告を聴取いたします。 まず、北海道班より御報告願います。田村賢作君。
○田村賢作君 杉原理事、大松委員及び私田村の三名は、去る六月十六日から二十日まで五日間にわたりまして、北海道における教育の実情、札幌オリンピック冬季大会の準備状況、文化財の管理状況について視察調査いたしましたので、その概要を日程の順序に従って御報告申し上げます。 まず第一に、千歳市における学校の防音施設の状況を見ました。申すまでもなく、千歳市には航空自衛隊第二航空団の千歳基地及び旅客機の千歳空港があり、飛行機による騒音の激しいところであります。同市には、現在小学校十八校、中学校五校計二十三校ありますが、そのうち十三校にジェット機騒音防止の工事が施されております。 私たちは、同市立高台小学校を訪れましたが、本校は、総工費七千七百万円のうち防音工事費千七百万円をかけて建築されました鉄筋二階建ての校舎で、本年四月一日に開校されたばかりであります。二重窓、天井及び壁面の防音板、換気装置、暖房設備等完ぺきに近い防音施設を持ち、これにより四十五ホン以下になるといわれております。しかし、夏季における換気装置及び冬季における温風暖房に要する電気料等防音施設の維持管理のための経費が、市全体として千四百万円を突破し、市財政を非常に圧迫しているのであります。基地周辺の学校の防音施設の工事費については、防衛施設周辺の整備に関する法律により、国がその工事費の全部または一部を補助することとなっていますが、防音施設の維持管理費についても、何らか補助の措置をとるべきものと考えます。 第二に、札幌オリンピック冬季大会の準備状況についてであります。私たちは、恵庭岳滑降競技場、真駒内の屋外屋内スケート競技場、選手村建設予定地、距離競技場、バイヤスロン射撃場、月寒及び美香保スケート場、宮森及び大倉山ジャンプ場、手稲山回転競技場、ボッブスレー、ルージュ競技場と、ほとんどすべてのオリンピック競技施設建設の進捗状況を見ました。今年の十一月には、大部分の施設が完成し、来年冬のプレオリンピック大会にはこれを使用するとのことであります。また、道路、地下鉄その他関連公共施設の工事も順調に進められております。国、北海道庁、札幌市、組織委員会の関係者が一体となって準備に当たるとともに、道民がこぞってオリンピック冬季大会の開催に大きな期待を寄せている姿を見て、心強く感じた次第であります。来たる昭和四十七年二月には、この銀世界、銀盤上で、世界の若人によってウインタースポーツの祭典が開かれることとなるわけですが、ぜひとも成功させたいものと思います。また一方、わが国の選手強化対策についても一段と積極的に進められるべきであると考えます。 第三に、根室地方の学校の状況を視察いたしました。 その前に、私たちは根室市納沙布岬の上に立ちまして北方領土を見ようとしたのでありますが、海面上霧が深く立ち込め島影を見ることができなかったのは残念でありました。天気のよい日には、歯舞群島及び国後島をすぐ目の前に見ることができるそうであります。わが国固有の領土である北方領土がすみやかに返還されることを強く念願いたしました。 温根元小学校は、納沙布岬より西方約四キロにありまして、戦後歯舞群島から引き揚げ、この地に定住いたしました人々の熱意により誕生したもので、父兄はほとんどコンブとりの漁民であります。この学校は、僻地三級校、特別教室、僻地集会室、教員住宅等も整備され、児童数五十二名、教員数校長以下五名、二個学年複式の三学級で編制されております。授業の実際を見ますと、各教室とも、一方の学年に対しては教師が直接指導を行ない、他方の学年に対してはシート式磁気録音機を利用しまして学習しておりました。この録音機は、多学年学級の授業の際、大きな教育効果をあげる教育機器であると思われます。この学校には、現在録音機が各教室に二台ずつ計六台用意されておりましたが、さらに学習効果をあげますためには、各教室三台はどうしても必要であるとのことでございました。この録音機を義務教育費国庫負担法による国庫負担の対象に加えてもらいたいという強い要望がありました。僻地教育の振興上考慮すべき問題であると思います。また、教員の研修旅費の増額についても陳情がありました。 根室市立歯舞中学校は、本年四月共和及び珸瑤瑁中学校を吸収統合し、統合歯舞中学校の校舎を総工費一億六千万円をかけ、昭和四十七年完成を目ざして建築工事中でありました。完成されるまでの間、従前の学校を分教室とし、分散授業を行なうこととしております。生徒数二百七十名、教員数二十名、十学級の僻地二級校であります。学校統合もけっこうでありますが、統合後、現在の各分教室から本校までの距離が約五キロメートルありまして、生徒に遠距離通学をしいることとなり、通学費の負担が悩みの種であるということでございました。この通学費は年間約四百万円に達し、市が負担する予定でありますが、僻地校を多くかかえている市にとっては、財政上重圧となるので、国の遠距離児童生徒通学費補助の一そうの増額を望む声が強かったのであります。 別海村立別海酪農高等学校は、健全で有為の酪農経営者及び農村婦人の育成をはかることを目的とする定時制高校で、酪農科及び生活科が置かれ、生徒数三百二十一名、教員数十七名の地域の実情に適合したきわめて特色ある学校であります。この別海村は、香川県に匹敵する面積を有し、人口一万九千人に対し、乳牛約四万五千頭の純然たる酪農村であって、本村の標準酪農農家は、四十五町歩の牧野、乳牛二十ないし三十頭を持っているとのことであります。この学校の特色は、季節的に五月から十月の間、週二日登校するだけで、他は家庭において父兄とともに酪農の経営、実習に従事し、その間教師が生徒の各家庭を巡回指導するというホームプロジェクト学習をとっていることであります。これは、まさに本村の実情に適合する学校形態であって、入学志願者も多く、卒業生もほとんど本村に定着し、酪農経営の後継者になるということでありました。この学校の校長、教員が一体となって、定時制なるがゆえにできる教育ということを絶えず念頭に置き、生徒の指導にあたり、大きな教育上の成果をあげていることを承り、深い感銘を受けたのであります。なお、本村は小中学校合わせて六十校の小規模学校を有しまして、複式学級の単式化、危険校舎の解消、老朽校舎の整備等のため、学校統合推進計画及び文教施設五カ年計画を立て、鋭意その実現に努力中でありますが、村教育当局から一、学校統合について、地域の特殊性から新設統合を避け、吸収統合によらざるを得ないが、吸収統合の場合にも、新設統合並みの補助率に引き上げること。二、スクールバスの購入費及び運営費並びに通学バス路線の除雪費に対し、国庫補助をはかること。三、寄宿舎の建設に関する国庫補助を増額すること等の陳情を受けました。 また、根室支庁管内の教育振興について、一市三町一村よりなる根室教育振興大会会長中標津町長から、一、過疎地域対策緊急措置法の適用、二、僻地教育振興、三、教職員及び児童生徒の保健管理に関し、別紙のとおり、陳情がありましたことを申し添えます。 第四に、阿寒湖の特別天然記念物マリモの管理状況を見ました。御承知のとおり、マリモは数年前観光客の不法採取により、絶滅の危機に瀕したのであります。現在では、湖中の島上にマリモの観覧水槽を設けるとともに、マリモの棲息池は道教委が阿寒町に委託して厳重に管理しておりますので、まず心配はないものと思われます。 第五に、帯広畜産大学及び北海道大学を訪れました。帯広畜産大学は、わが国唯一の畜産大学として、農畜産界の発展並びに農村文化の発展に寄与しております。現在、獣医、酪農、草地、農産化学及び農業工学の五学科が置かれ、修士課程の大学院が設けられております。本学も、昨年は大学紛争のあらしにまき込まれましたが、本年はきわめて平静、学生は勉学に励んでいる山でありました。本学最大の希望は、大学付置研究所として草地研究所の設置ということであります。研究所設置の趣旨は、草地の開発はきわめて重要であるにかかわらず、わが国の草地学に関する研究は、欧米諸国に比し、相当おくれているため、草地学の基礎とその応用の面にわたる総合的な研究を行なうことが必要であるというのであります。本学には、国立大学中唯一の草地学科が置かれ、すでにその基盤はあり、また草地学の研究は、わが国最大の酪農地帯である北海道の畜産の振興に寄与するところ多大であると思われますので、本研究所の設置は、検討すべき課題であると考えました。なお、本学は来年度予算において、畜産経済学科の新設、不完全講座の整備、学科目の増設、一般教養学科目の整備、付属農場の総合整備等を強く要求中であります。 北海道大学においては、まず大学本部において、学長、学生部長、事務局長と懇談いたしました。この本部の建物は、昨年の大学紛争の際、学生によって占拠され、大学の要請により出動した警官隊との間に激しい攻防戦の行なわれたところで、建物の内外には、当時の攻防のあとがいまだになまなましく残っておりました。学生運動もその後平静に帰し、特段に顕著な動きはない模様であります。大学側から、特に教養課程の改善につき、要望が述べられました。本学では、教養課程の学生があまりに多く、教養課程での学習が不十分なまま、学部に送り込まなければならない実情にあり、特に語学、体育、実験、実習等の授業に際しては、教官一人が約二百人の学生の指導にあたるといった高校にも劣る教育条件の中で行なわれており、これでは到底満足すべき学生の指導は期待できず、教養課程の教官の増員は絶対に必要であるというのであります。 次いで、新装なれるスポーツトレーニングセンター及び低温科学研究所を見ました。前者は、スポーツ科学の研究施設であると同時に、札幌冬季オリンピック大会の選手強化のトレーニングも行なうところであります。後者は、北大が誇る付置研究所であって、低温における科学的現象に関する学理及び応用の研究をつかさどっております。従来は、研究の重点が基礎的学理的な面に置かれていたが、昨今は北海道という寒冷地での実生活に直面した問題、雪氷、寒冷による災害に関する研究に重点を置く部門が増設され、地域の要請にこたえております。所長から、研究員に対し低温研究手当支給の要望がありました。 第六に、北海道庁及び北海道教育委員会を訪問し、北海道の教育全般について、懇談を行ないました。北海道の教育全般の特徴は、言うまでもなく僻地校がきわめて多いということであります。すなわち、北海道において、僻地校の指定を受けている学校数は、小学校千百七十校、全道小学校数の五四%、中学校五百二十二校、全道中学校数の四八%を占め、その割合において、いずれも全国一の高率を示しております。しかし、これらの学校は、単級や複式学校が非常に多いので、学校数が多いにもかかわらず、児童生徒数は全体のおよそ一五%にすぎないという状況であります。したがいまして、僻地教育の振興をはかり、教育の地域格差をなくすることは、道教育委員会として、大きな眼目であり、僻地教育振興のため、道教委自体としても、種々の振興方策を講じております。たとえば、優秀な教員の配置、特別昇給制度の実施、校内研修の充実のため、教育実践校の指定及び補助金の交付、簡易水泳プールの僻地校優先設置、眼科、耳鼻・咽喉科、歯科等の巡回診療などの施策であります。僻地教育振興に関する道教委の努力のあとがうかがわれるのであります。なお、昭和四十六年度国の文教施策に対し、一、僻地並びに過疎対策の推進二、学校統合に対する特別助成措置について、別紙のとおり要望があったのであります。 最後に、根室教育振興会の陳情書及び北海道教育委員会の要望書を本委員会の会議録に掲載されるよう委員長にお願い申し上げまして、御報告を終わります。 〔理事永野鎮雄君退席、理事田村賢作君着席〕
○理事(田村賢作君) 次に、九州班より御報告願います。永野鎮雄君。
○永野鎮雄君 六月二十九日から七月三日までの五日間、楠委員長、安永理事、永野の三名は、福岡県及び長崎県の教育、文化の実情調査に行って参りましたので、以下簡単に御報告を申し上げたいと思います。 まず、福岡県におきましては、調査に先立ち、県庁において知事、教育長等と教育一般について懇談を行なうとともに、次のような要望を受けました。 一、防音校舎の換気設備の維持、管理費について国庫補助の道を開いてほしい。 二、板付基地の騒音対策地域を拡大してほしい。 三、公害地域の学校の養護教諭の配置について特例を設けてほしい。すなわち小規模学校にも養護教諭を配置するとともに、大規模学校への養護教諭の増員をはかってほしい。 また、文化財保護の面では、 一、太宰府地域一帯を史跡公園として指定してほしい。 二、国による文化財発掘調査機関を設置してほしい。 などであります。これらの要望事項については、次の実地調査報告で触れたいと思います。 一行は、まず板付空港への進入路位置に当たる笛松小学校を訪問しました。当校は、防音施設が施してありますが、飛行機の騒音回数は一日百二十回程度で、授業を行なっている際には一分間程度これを中断せざるを得ない。換気装置はあるが、夏場はむし暑くて窓を開けている状況で、冷暖房装置がなければ防音施設の用を十分果たし得ないこと、防音装置工事は防衛施設庁によって行なわれているが、教育的配慮が不十分である。 こうした補助事業は文部省で扱ってほしい、などの問題点が出されました。 次に訪れたのは、北九州市立牧山小学校であります。当校は、戸畑区の西南端の丘陵の中腹に位置し、大小三百の工場群に囲まれていて、ばい煙と亜硫酸ガス等による大気汚染の公害を受けております。児童はぜんそくや眼疾の患者が多く、その対策として、目を洗ったり、うがいをしたりする施設と、教室内に二基ずつ配置された空気清浄装置とがあります。当日は激しく雨が降っており、大気汚染の状況を目にすることはできませんでしたが、なるほど空気清浄装置に集められたちりはたいへんなものであります。市長や市の教育長等とも懇談をいたしましたが、空気清浄装置以上に有効な防止設備はいまのところないが、今後さらに研究開発に努力したい。また、公害施策の権限を県から市へ大幅に委譲されたので、これからは対策をスムーズに進められると思うとのことでありました。 次に訪れたのは、八幡区の城山小学校であります。当校の環境はさらに悪いようであります。施設としては、前に申した空気清浄器や、うがい、洗眼の設備のほか、プール浄化装置、校庭散水装置などがありました。当校では、九州大学の衛生学教室の協力のもとに公害地域における教育についての調査研究を熱心に進めております。資料室には大気汚染のために腐食したといやセメントその他の粉じんが分厚く付着したかわらその他の標本や写真が数多く収集、陳列されております。このような学校は、校舎移転をするのが一番の解決法だと思われますが、当校へ勤務するようになってのどをおかされた校長は、しわがれ声で次のように答えました。「校下の父兄たちは、公害なれということもあるかもしれないが、それよりも交通禍の多い状況の中では、子供を遠距離の学校へやれないという不安から、校舎移転賛成者が少ない。」とのことでした。いずれにしても、予想以上にひどい北九州市の公害状況を見て、私たちは早急に抜本的施策を講ずる必要があることを感じたわけであります。 次いで一行は、特別史跡である太宰府あと及び水城あとを調査しました。本史跡は、平城宮跡、多賀城跡とともに、日本の三大遺跡と並び称されているものであります。大正九年国の指定が行なわれて以来、地元の理解と協力によって今日まで保存されてまいりましたが、最近の地域開発の趨勢の中に、この史跡も多くの問題を抱えております。すなわち、太宰府は福岡市の中心部から自動車で二十分という郊外にあり、道路その他の交通機関も便利であるために、急速に都市化が進んでおります。 文化庁は、昭和四十一年史跡保存のため指定地域拡大の方針を打ち出しましたが、地元住民の生活向上の願いと、大正十年以来の史跡行政のあり方に対する不満とがからみ合って調整が難航いたしました。がしかし、県民の文化財保存に対する熱意がささえとなって、ようやく解決の方向へ向かいつつあることを喜びたいと思います。しかし、現状及び今後の対策について考えねばならないことも多いので、若干問題に触れたいと思います。 第一に、水城あとは、つけ根の部分が未指定であったため、住宅造成によってすでに破壊されております。非常に残念であります。現在中央部が二カ所切断されて、国鉄鹿児島本線、西日本鉄道、国道三号線が通っておりますが、さらに九州高速自動車縦貫道路がここを通る予定であり、またインターチェンジ建設の予定もあります。県教育委員会では堤をさらに破壊して道路を通すことは反対であるが、かといって、堤をまたぐ高架道では景観を害するし、地下道にしてほしいとの要求は経費がかかり過ぎるため公団側は承知しないという状況で困っているとのことでした。文化庁はいかなる考えを持っているのか、十分話を聞かなければならない問題であります。 第二の問題は、指定地域拡張という国の方針によって、三十九年以降昨年度までに約六万平方メートル、二億二千五百万円をもって土地買い上げが行なわれました。買い上げ費用の負担割合は、国が八〇%、県が一〇%、町が一〇%とのことであり、大宰府町にとって相当な負担となっております。私どもは町長と町議会に設けられた史跡特別委員会委員長から次の要望を受けました。 指定拡張予定面積は約百二十万平方メートルであり、これを全部買い上げるとすれば六十億円になるが、買い上げの順序としては、まず大正九年に指定した地域を買い上げ、次に売り渡しを希望する所有者を優先する方法をとってほしい。町の負担を軽減し、できれば国有地にしてほしい。明日香のほうは首相の視察で一躍有名になった。大宰府町としてもおくれをとらないように明日香村と十分連絡をとりながら、史跡の保存と地域住民の利益との調和を目標として、今後も努力していくつもりであるので、国としてもできる限りの手を打ってほしいとのことでありました。 また、県教育委員会の要望として、現在、大宰府あとの発掘調査は現地に事務所が置かれ、三人の技師を中心に進められておりますが、いまのようなやり方、スピードではなお百年かかる計算になる由であります。福岡県は御承知のように、遺跡の宝庫でありますが、新幹線やハイウエーの建設、また農業構造改善事業の推進などで掘り返される地域が増大しており、国による発掘調査機関の設置と技術者の大量養成について緊急に手を打ってほしいとのことでありました。 次に長崎県を訪れ、ここでは僻地教育、産業教育、特殊教育、幼稚園教育等を主として調査しました。 まず県庁において知事、教育長等と県下の一般教育状況について懇談しました。長崎県の教育は、離島、僻地が多く、県民所得も低位にあり、最近は過疎傾向が目立つなど、いろいろな悪条件のもとにあります。しかしながら教育振興に熱音を持つ知事によって文教予算の大幅増額がはかられ、僻地勤務教員の優遇措置、産前産後休暇の十六週間への延長、研修旅費の増額、県立学校の運営費充実による父母負担教育費の軽減など、各種の施策が進められております。教育長からは次のような要望がありました。 一、過疎化による児童生徒減のために、養護教諭や事務職員の配置転換を迫られているが、なお暫定的に据え置けるような措置を講じてほしい。 二、僻地への養護教諭の特別配置を考えてほしい。 三、本県は、特に事務職員配置基準――小学校三百五十人以上、中学校二百五十人以上、以下の学校が多いので、この配置基準引き下げのための定数法の改正をしてほしい。 四、時間外勤務手当問題の解決のため、いわゆる教職員特別手当法を早急に制定してほしい。 五、女子教職員の育児休暇制度を確立してほしい。 六、私学に対する交付税による助成措置を強化するとともに、危険校舎改築費については公立学校並みに三分の一の国庫補助制度を確立してほしい。 七、国連大学を長崎県に誘致してほしい。 以上であります。 一行は、まず五島に渡り僻地学校の実情調査を行ないました。五島教育事務所長の報告によれば、五島管内の小学校は五十六校、分校十四校、中学校は三十六校、分校一校であり、そのうち小・中併設校が十四校あります。全部が僻地指定校であります。過去五年間に小学校児童は一五%減、中学校生徒は二〇%減の過疎化現象が目立ち、すでに廃校三校、統合四校にのぼり、現在統合予定のもの十校があります。現在、寄宿中学校が一校ありますが、統合校はすべてスクールバスかスクールボートを使用しなければなりません。児童生徒の平均体位は、全国、平均より相当劣っておりますが、学校給食実施状況はほとんどがミルク給食程度で、未実施校が二〇%以上もあります。中学卒業生の進路状況は、高校進学卒は上昇傾向にあるものの、なお五〇%程度で、他の就職者のほとんどが県外に就職しております。 教員については、五年前では福江市に臨時教員養成所が設けられていたため、中堅以上は管内出身者が圧倒的に多いのですが、若手のほとんどは管外出身者で占められているため、定着意識が薄い。これが一番の悩みの種だとの話でありました。また小学校教員不足のために、中学校免許状所有者や助教諭など、臨時免許状によっている教員が八十名もおります。いわゆる中免小勤教諭の待遇が問題になりましたが、これは中学校に籍を置き、小学校に出向という形で教諭並みの待遇ができないものかどうか、文部省でも検討してほしい問題であります。 私どもは小・中併設校や分校などを訪れましたが、先生方はいずれも僻地教育に熱意を持ち、村の文化センターとしての役割りを、また奥さんは電話連絡係などの役割りを十分果たしておられ、感銘を受けました。 次に、職業教育では大村園芸高校、島原工業高校を見ました。園芸高校は農業近代化を目ざして親の教育もあわせて行なっていること、工業高校ではスポーツを通じて人間づくりをはかっていることなど、すぐれた配慮が行なわれている面を見ました。 特殊教育関係では、まず大村養護学校へ参りました。当校は長崎県唯一の病弱児養護学校で、国立大村病院に入院中の子供で学習可能なものを入学させております。就学中の児童生徒は八十四名でありますが、病名はいろいろで、三十五種類に及んでおります。教室で授業を受けられる子供もおりますが、ベッドでしか受けられない子供もおり、二部授業三部授業になっております。また比較的貧困家庭の子供が多く、生活指導に特に注意がはらわれております。校長からの要望として、 一、高等部を設置してほしい。 二、難聴学級、弱視学級の設置――これは治療によって常人に近い視力、聴力を回復できる者を収容したいとのことでありました。 三、寄宿舎を設置してほしい。 四、病弱児用にエレベーターを設置してほしいなどがありました。 幼稚園教育については、福江の私立双葉幼稚園島原の私立日月第一幼稚園を見せてもらいました。いずれも音楽を通しての情操教育に力を入れておられました。日月幼稚園参観後、同園で長崎県私立幼稚園協会の会長、役員方と幼稚園教育の問題について懇談会を持ちました。 協会側からは、まず一、今回の中教審の初等中等教育基本構想試案は、私立幼稚園をどこへどう持っていこうとしているか不安である。協会でも研究を重ねているが、抽象的表現が試案には多いため、下部ではかなり混乱している。二、私立と公立の差をどう縮めるか、特に国の助成措置をどうするのか、また私立と公立の適正配置をどう進めるのか、全く不明である。三、中教審のメンバーに私立幼稚園代表が入っていないことも問題である。四、宗教法人立幼稚園に対する私学財団貸し付けを制度化してほしいなどの要望を受けました。私どもの側からも質問に対してそれぞれ回答いたしましたが、これは省略したいと思います。 以上で報告を終わります。
○理事(田村賢作君) 以上で派遣委員からの報告の聴取は終わりました。 この際、おはかりをいたします。 ただいま御報告がありました北海道班から別に参考資料が提出されておりますが、これを本日の会議録の末尾に掲載することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○理事(田村賢作君) 御異議ないと認めます。さよう取りはからいます。 別に御発言がなければ、派遣委員の報告はこれをもって終了をいたします。
○理事(田村賢作君) 教育、文化及び学術に関する調査を議題といたします。 本件について質疑のある方は順次御発言を願います。
○安永英雄君 去る八月の十四日に、人事院は勧告の内容を決定をいたしまして勧告をいたしました。さらに八月の二十五日には、閣議において本年度のこの人事院の勧告を全面的に受け入れて、完全実施をするという決定が行なわれておるようでありますから、ことしの人事院勧告をめぐってのこの結果というのは完全実施が行なわれるということは、これは間違いないことではないかと思うわけであります。約十年間値切り続けてきた経過がありますし、ようやく十年の後に勧告どおりの実施ができるという段階になりましたが、その間における人事院総裁の、勧告だけじゃなくて、これの実現に向かっての各省折衝等は私どもまのあたりに見ておりますから、この点については深く敬意を表し、感謝を申し上げたいと思います。 すでに完全実施が決定をされたという状態でありますから、あとは実施だけでありますから、ことしの勧告の問題について云々は申しませんけれども、私はやっと完全実施ができたというこの段階において、期日の五月実施をせよという、いわゆる完全実施に重点が置かれて、ややもすると、勧告の内容そのものについてはあまり国会でも取り上げない、あるいはまた、これはどうかと思いますけれども、公務員共闘の皆さんの立場でも、主としてやはり実施期日というものに重点が置かれておったような気がするわけです。したがって、私は今後の問題として考えておかなければならない勧告の内容あるいは勧告を決定される以前の問題としての態度、こういったものについて今後大きく転換をしなければならない時期ではないか、こんなふうに私は考えるわけです。その点について総裁の御意見をお聞きしておきたいというふうに考えるわけです。 従前の勧告の内容を決定する場合には、主として民間賃金との対比ということで官民格差をはじき出して、それによって勧告の大筋をきめていくという算定方式がとられた。で、この点については、ヒト権あるいは団交権というものを否認されたその代償として勧告制度ができておるし、したがって、民間の賃金をあと追いするというかっこうになってきたと思います。言いかえますと、民間賃金に公務員給与の決定というのが振り回されたという感じを私は受ける。事実そうだったと私は思います。結局格差というものに左右されて、その結果によって公務員の賃金が決定されるといっても過言ではない、私はこう思います。この方式を必ずしも私は否定するものじゃないのですけれども、少なくとも先ほど申しましたように、スト権あるいは団交権を否定されて取り上げられたという立場の公務員労働者というものの賃金というのは、これは民間でも公労協でも、どこでも使用者と労働者というものとの間における交渉というものの中から生まれてくるのがこの勧告制度ということになっておるわけですから、私は本来賃金の確定というのは使用者と被使用者との間で団交、話し合い、こういったものから生まれてくるのが至当だと思うし、公務員労働者としてもこれは例外ではない。したがって、人事院のこの勧告の内容を決定される場合には私は第一義的にやはり何といっても要求する側、いわゆる公務員労働者の要求というものが第一義に考えられなければならぬのではないか。言いかえますと、まず第一番に、勧告の決定をする場合に、この公務員共闘の皆さんの要求というものが妥当であるかどうか。また現在の生活実態というものにあわせてこれがはたして沿うものであるかどうかという要求の検討というものからまず始まるべきである。惰性のように民間の四月の時期における賃金というものをまず調査をする、こういった格差から出てくるのじゃなくて、要求の中から私は主体的に公務員労働者の賃金というのはこうあるべきだという立場を私は勧告の内容の決定の主軸に置いていただきたいというふうにかねがね思っておりましたが、まずこの点について完全実施ができるということしの状態の中で今後の問題として総裁の基本的な勧告の決定という問題についてのお考えというものをお聞きしたいと思います。
○説明員(佐藤達夫君) 最初におことばにありましたように、ことしは幸いにして完全実施の閣議決定がございまして、ただいまお喜びのことばをちょうだいいたしましたが、私ども非常に喜んでおる次第であります。この上なおあと国会の段階がございますが、国会のほうもこの機会によろしくお願い申し上げておきたいと思います。 そこで、非常に次元の高い御質疑でございます。現在の官民比較、悪いことばで言えば民間追随主義というものについての批判が出ておるわけであります。古い話を申し上げて恐縮でありますけれども、かつての旧憲法時代にやはり私は内閣におりまして公務員の給与関係をずっと扱っておりましたのですけれども、そのころはもう民間がどうであろうと、公務員そのものずばりをとらえて、その責任あるいは生活その他公務員としての体面を維持するためにはどのくらいの給与をきめるべきかというようなことで、ほんとうのフリーハンドできめておったわけでございますけれども、時世が変わりまして、今日では憲法上公務員も勤労者の一人、労働者の一人ということになってまいりまして、昔のような特権的地位は認められない時代になってまいりました。したがって、その給与も普通の賃金問題としてこれを見られるという環境の中に置かれておるわけであります。しかしこれも団交権なり争議権なりを持っておられれば、これは普通の民間従業員と同じような立場においてそれらの基本権をフルに発揮されればそれでまた済むわけでありますけれども、それはまたそれで公務員法上は否定されておるというような特殊な環境にあるわけであります。したがって、人事院が中立機関としてこれらの一種の基本権の代償的機能をおあずかりしておるということになるわけであります。したがいまして、私どもの勧告についての立場というのは非常にこれは重大な立場におるわけであります。そこから出発して現在のいわゆる官民比校主義というものが出ておると私は思います。何となれば中立機関として勧告を申し上げ、われわれが相当自信を持って勧告を申し上げましても、一方には公務員側、これは決してけっこうだとおっしゃらない、やはり不満だとおっしゃる場面が多かろうと、あるいは使用者側からいえばこれは高過ぎるという批判が多いだろう、あるいはまた一般納税大衆からいえばまた納税大衆としての一つのそこに批判というものが集中するわけで、とりとめのない論争の中にこれが処置されなければならぬということを考えあわせますと、やはり民間の水準というものをとらえてそこにぴったり合わせていくということが、まあ安易だという批評もあるかもしれませんけれども、一方においては非常にこれは手がたい行き方であると、したがって私どもの人事院の先輩がこの方式を確立いたしまして今日まで守ってきたということは非常に私は賢明だったと思います。まあ素朴な言い方をすれば、民間の従業員の諸君は団交権も争議権もお持ちになって、それらの権利をフルに行使されたあげく、給与の決定をかちとられるということばはちょっと私どもが使うのはおかしいけれども、まあお許し願って、かちとられて、その結果をわれわれはそのまま取り入れてやっておるわけですから、そういうような面から見ても決して非常識なやり方ではあるまいということは、現在のところは自信を持っておるわけです。これは自信を持っておりますのは、まあ宣伝がましくなりますけれども、御承知のようにイギリスだとかアメリカだとか、本来は先進国といわれる国々がわれわれのやり方に追随している。初めは非常に荒っぽい形で追随しておりましたけれども、最近では非常に精密な形でやはり民間調査というものを行なっている。また、その意味においてはわが日本国は世界の先進国であるというくらいの自信も持っておりまして、当面の事態に対処する上ではやはりこれが一番手がたい方法ではなかろうか。すべてがもう少し安定して、国内全体の賃金水準がずっと上がってきて、何%というようなこまかい問題を皆さんが気になさらないというような時代になれば、先ほど申しましたように、おおらかに公務員としての給与はいかにあるべきかということで私どもが勧告申し上げるべきことは、もちろん理想ではございますが、今日の段階ではしばらく手がたい方法でいくべきだという気持ちを持っております。その結果、組合の人々、公務員の代表者の人々の意見というものはどういうふうに反映されているか。たとえば何万円アップという要求がある。そして住宅手当をぜひよこせ、通勤をどうしてくれというような要望がございます。その点から申しますというと、何万円アップという問題は、私どもがいまの官民格差というものをたてまえにしております以上は、にわかにそれをそのままのみ込むわけにいきません。しかしそれは、これほどほしい、これほど困っておるぞという表現としてわれわれはこれを傾聴しなければならぬ、そういう意味でこれをながめておる。配分の問題となりますと、たとえば住宅手当に対する要望がどれほど強いかというようなこともございますし、これはもう御承知のように、私ども勧告前になりますと、勧告作業が多少遅延するのではなかろうかと思うくらい公務員の代表者の方々としょっちゅうお会いして、その要望をとくと承りながら作業をやっておる。要望の中には受け入れがたいものもあります。それはわれわれの責任によって左右いたしませんけれども、なるほどと思われるものは進んでこれを取り入れる。ことしの勧告をごらんになっても御想像はつくだろうと思います。この民間追随主義ということがことしの新聞等で相当、もうやめたらどうかと言わぬばかりの御議論が出ております。これは私は先ほど申しましたような趣旨から、にわかに変更すべきものとは思いませんけれども、一方においてはまた非常に危険な面も持っておる。たとえば経営者の団体の方々がおっしゃるのは、公務員の実際勤務密度を見て、そのまま追随するのはおかしいのじゃないかというのは、もうちょっと下目でいいではないかという点の追随主義反対なんです。ですから、追随主義反対というのは、いろいろな面からの考え方があるということもよくのみ込んでおきませんと非常に危険なことになるのではないか、そういう気持ちで先ほど申しました趣旨で官民比較主義というものをわれわれはとっておるということでございます。
○安永英雄君 私もいま総裁おっしゃったように、官民の格差というものを基礎にした算定方式、これについて全面的に私は否定するものではないわけでございますけれども、しかし、ややもすると、現在のこの算定について、結果から見ますというと、どうしてもやはりそこに主力が置かれるものですから、やはりきめのこまかい公務員の要求というものについて、案外的はずれとは申しませんけれども、たとえばあとで申しますけれども、総体的にはやはり本俸というものを上げてもらいたいというのがこれが公務員労働者の要求なんです。ところが、それは漸次本俸の占める割合というものはだんだん減っていって、むしろ諸手当というものをアップさしていく。なるほど住宅手当、その他諸手当がアップされると喜ぶことは間違いない、要求でありますから要求が満たされたことは間違いないけれども、しかし、よくよく要求の内容全般を見てみると、そうではなくて、やはり本俸それ自体が上がらなければならないということが主軸になっている。こういうところの微妙なこの要求の内容、こういったものが比較という方式をとられる場合には、えてして十ぱ一からげに包括されて、その中のワク内で、要求で諸手当を上げると、非常に一見はなやかに見える。こんなに上げたと言いますけれども、総体的なアップの要求の中の本俸というものの要求は満たしてない。こういうことであります。したがって、私は全面的に否定することは考えていませんけれども、そういった面の配慮を今後十分にひとつしていただきたい。たとえば、これは人事院の場合に申し上げてどうかと思いますけれども、運用の面で、たとえばスト権あるいは団交権を否認されている。こういった立場の団交権を、これを認める、認めないという、この問題は、これは人事院の権限外でありますけれども、たとえば、算定をし決定をする前に、労使双方一堂に集めて、そこにおける双方の言い分というものを十分に戦わせるという状態等をつくりながら、そこで人事院のほうで、その双方における要求というものはどこにあるか、こういったものの真意があるいはわかりはしないか、いわゆる人事院主催の団交というふうな形のものを私はとるべきだと思うのですけれども、こういった運営上配慮できないものかどうか、こういった点はどうでしょう。
○説明員(佐藤達夫君) お話の趣旨はよくわかりますけれども、それを伸ばしていけば、やはりいまの公労委の仲裁裁定方式というところまでたどりつくということになって、団交権の回復の問題につながりますけれども、この段階の手前として考えますと、なかなかこれは、失神する人が出てきたり何やかやと議事の進行がどうなりますか、それは冗談でありますけれども、われわれとしてはなかなかそう簡単には踏み切れません。しかし、名を捨てて実をとらなければならぬということはおっしゃるとおりです。政府側からも各大臣から大臣の所管事項についての御要望がたくさんきます。あまり高くするなという御要望は絶対ありませんけれども、上げてくれという御要望は各省の大臣からもあります。片やいまお話の組合の側からも非常にひんぱんに、もう最後には種がなくなるくらいに徹底的にお話をわれわれとしては承っておりますという段階で、それらをわれわれの責任において公平に判断いたしまして、そして最後の勧告案の作成ということをやっておりますから、そういう御趣旨はわれわれ実態においては十分体してやっておるつもりでおります。ただ、先ほどの本俸との関係、これも打ち割った話を申し上げますと、公務員代表者その他の人々の要望、諸手当の関係の要望を聞きますと、これはまたたいへんなことになるので、今度勧告申し上げた諸手当の関係でも、全然要望のないものにこちらが手をつけたら別ですけれども、その要望の中から適切と思われるものを取り上げておるわけであって、何も本俸の負担を軽くするため、本俸の引き上げを犠性にして手当のほうに配分したということになっておりません。民間の場合は、ことしの場合は、手当に配分の割合がよけいいったといううわさもちらっとあります。これも調べてみると、やはり民間のほうは相当そういう傾向が見える。しかし、わがほうにおいては、これに比べればあくまでも本俸重点主義です。民間の場合は八割くらい本俸にとって、あとはほかのほうに回しておられる。われわれのほうはもっと本俸のほうを重視して、これは給与の鉄則でございますから、本俸を軽んずるということは邪道なんです。いろいろ手当の要求を勘案しながら、本俸中心主義を堅持しておるというふうに御了解願いたいと思います。
○安永英雄君 先に質問をしようと思ったのですが、いま本俸の問題を総裁のほうからおっしゃいましたが、確かに本俸が主軸でありますが、これを尊重されていくことは間違いないのだ、しかし、現実に、そうおっしゃってもことしが八四・五%昨年が八五%、一昨年が八九%、こういうふうになってきますと、現実の問題としてはだんだん諸手当のほうがアップ率が大きく、そして本俸のほうはだんだん下がっていくという状態が出ているんです。尊重されているといいましても、現に出ている。このままずっとお続けになりますと、本俸の占める割合というのはだんだんだんだん減っていくという、過去三年間の例を見ましてもそうなっているということは事実です。しかしながら、いま総裁から力強く本俸が主軸だと、むしろ労働組合のほうが諸手当のことを言うからと、こういう言い方ですが、それは、そういうばかなことを言う人はおらないと思う。私はむしろ人事院のほうで総花的に諸手当全般について花を咲かしたという私は感じがする。しかし、これは基本的にそうとらえられておりますから私はくどくは申しません。 それから次に、せっかく先ほど私もお礼を申し上げたので、また矢つぎばやに私が言うのもどうかと思いますけれども、公労協あるいは民間等のこの賃金の引き上げの時期、こういった場合は大体四月。それからあなた方が民間調査をされる、こういった場合も四月の民間における給与を基礎にして調査をされてはじき出されている。そして勧告の時期は五月一日と。私は以前からこれは矛盾を感じておったわけです。まあ、五月実施ができたわけですから、勧告どおりいったわけですから、当面の問題としてはけっこうですけれども、本来私はそういう四月一日の実施時期というのがほんとうだと私は思いますが、来年でも勧告のときに実施期日を五月一日というのを四月一日という勧告をなさるお気持ちはないかどうか、この点せっかくの完全実施ができて、直ちに注文をつけるのはどうかと思いますけれども、今後の問題としてお考えだけをひとつお聞きしたい。
○説明員(佐藤達夫君) 御存知のように、昭和十五年前までは、勧告の実施についてはなるべくすみやかにというようなことでまいっておりましたけれども、なるべくすみやかにというのは非常にあいまいでよろしくないということで、実施時期をはっきりしろということから、五月一日実施ということになったんでありますけれども、これはやはり当時四月調査をする以上は五月一日実施ということで、これはもう国会の議事録あたりにも出ております。そういうことから、おそらく五月一日実施ということにきまって、それが当時は何ら疑問を表明される方もなしに、そのままずっと十年ばかりやってきた。しかし最近、この二、三年になって四月調査なら四月実施にすべきではないかという声がだんだんおこってまいりました。私どももいま申しましたように三十五年以来、発足当時は何ら批判もなしに受け入れられた形できておるものでありますから、にわかにこれを軽率に変えるということはもちろんできませんが、四月説というのはこれはどうだろうというようなことは、たびたび他の機会でも申し上げておりますけれども、私どもとしては謙虚にその筋を検討はしております。まあ全然理屈のないことでもあるまい、一理なきにしもあらずというところまでは私ども率直に言って感じております。しかし、まだまだ五月を放てきして四月にするというところまでの決断は持っておりませんから、しかし、そういう考え方もあるということは十分尊重をしながらなお検討を続けてまいりたいと思っております。
○安永英雄君 給与局長のほうに内容的に二、三お聞きしたいと思います。 まず一つは、いま総裁のほうからやはり確信を持って、民間格差というものを算定方式の主軸にして今後も勧告をやっていくと、こういう基本的なお考えがありましたが、そうなってくると、どうしてもやはりどういう形で民間と比較をするかという基準の取り方が非常に問題になってくると思うのです。この点について、対象になる事業所の問題でありますが、企業の規模は五百人と私どもは考えるのですけれども、百人以上という取り方は、これは中小企業かそこらあたりの事業所というのが対象になるので、これが公務員との給与を決定する場合の比較の対象になるだろうか。私は少なくともやはり五百人以上、千人以上、こういった事業所の給与というものを調査をして比較していくのがこれは当然じゃないかと思うのですけれども、これは今後変更するお考えはありませんか。今後の問題です。
○説明員(尾崎朝夷君) 公務員給与につきまして、民間と比較をしながら改定をしていくというプリンシプルの面に立って、いわば比較論の問題になってくるわけでございますけれども、日本の賃金の決定は、やはり仕事と申しますか、仕事の種類とか段階とかそういうものと、それに学歴、年齢、経験等、そういうものを含めまして賃金決定が一般になされております。したがいまして、そういう仕事を中心として、その他の属性につきまして、やはりそういうものを同じ条件で比較をするということが筋になってくるだろうと思います。そうしますと、同じ条件、特に仕事について同じ条件ということになってまいりますから、やはりそういう同じ条件のものをすべてについて、すべての事業所について調べるということが原則だろうと思います。 いま御指摘になりました企業の規模の問題でございますけれども、私どもとしてはむしろ規模というよりは仕事の内容について、同じ条件のものは原則としてすべて調べるということだろうと思っておりますけれども、そういう点で申しますと、実際問題としまして調査の上で公務員と同じような仕事というようなことで調査にまいりました場合に、非常に零細な企業にまいりますと、同じ仕事というのがなかなかむずかしくなってくるという点もございまして、調査の能率等から申しまして、小さい、あまり、零細的な企業は除くということにしているわけでございます。むしろ大企業のほうが比較的に比較しやすいという点がございます。で、いまやっておりますのは、会社の規模百人以上、事業所の規模五十人以上ということでやっておりますけれども、これは大体いま申しました原則として全体を比較するといったような観点から申しますと、約半分をカバーするといったようなところでやっておりますけれども、今後そういう事業所の規模なりそういう状況を事業所統計等でよく見ながらそういう関係を見ていかなくちゃならぬというふうに考えております。実際問題といたしまして、実際に調査してまいります相手方と申しますのは、どうしても大企業のほうが実際の職員数が多うございますから、どうしても実際比較しているのは大企業に片寄った、いわば七割くらいがそこに入ってきておるという実情ではございます。
○安永英雄君 時間がありませんから、いまおっしゃった点についてもひとつ具体的にまた御研究を願いたいと思います。私は、そういった比較の対象を取る場合には、いままでのような取り方ではもうそぐわないのではないかという気がするのです。 次に、高齢者の昇給制限の問題が今度の勧告の中に入っておるわけで、これは昨年検討事項になっておるわけです。そこで、これも官民格差という比較の中から生まれてきた問題で、高齢者というのは非常に給与が高過ぎるという結論を出されて、そうしてこのようにむごい措置をとろうとされておるわけです。これは、まず聞きますけれども、この内容についての実施の人事院の規則というのはもうでき上がりましたか。できているのですか。
○説明員(佐藤達夫君) 勧告では五十六歳以上ということをうたいまして、五十六歳以上で人事院の定める年齢をこえる者という見方で勧告を申し上げております。しかし、当面私どもがそれで規則をもちまして年齢をきめます場合は、当面の措置として五十八歳にきめまして、五十八以上ということにいたしまして、そしてなお業種によって、たとえば行政職(二)表の適用を受ける運転手、用務員の方々というような人たちにつきましては、これを六十歳というように例外的に年齢を上げ、それからもう一つお医者さんはお医者さんとしてこれはまた別ですから、お医者さんと行政職(二)表の人については六十歳以上ということにいたしたいと思っております。
○安永英雄君 いま、そういうことにいたしたいということですけれども、規則等で人事院で検討されると、こういうぐあいに私はぜひ考えてもらいたいと思いますのは、昨年一応こういう問題があって、これを検討するということに勧告の中に加えられている。人事院の勧告の中で「その他」の項に入ったら、翌年必ず実現するというのが大体通則なんで、大体予告してあってもあまりに予告が早すぎやせんかと私は思います。 私は、教職員なら教職員という給与表を全部知っているんです。そして、その間に定期昇給がずっと続けてある。一年に一回はある。そういったものが基礎になって、五十五歳になろうと六十歳になろうと、そういう俸給を見つめつつ、苦しい生活をしながら生活設計の基礎になっているのですよ。来年は一号俸上がるのだ。来年一号俸上がると、退職金と一時金が二号俸上がるからこれこれになるのだ、大体この年齢の人はとにかく毎日夜おそくまで研究しているのですよ。そして、去年ちらっと出ましたのをことし直ちに実施というのはあまりにひどいと思いますから、規則の中でひとつこの実施等については、ある程度の研究期間、余裕期間を置いてあげるのが至当じゃないかと思うのですが、そういった人事院内部における配慮を規則の中にひとつあらわしてもらったらどうか。もうとにかく、去年ちらっとそういううわさが立ったものを、ことしになったら直ちに、これの年齢のところは昇給延伸で、もう二年に一回しか定期昇給がない。こういうことはやはり五年なり、そこらあたりの余裕期間を置いて、そして実施するというのが大体普通じゃなかろうかと思います。ここらあたりの、余裕を置くという考え方はございませんか。
○説明員(佐藤達夫君) 実は昨年の勧告の際に、相当、もう具体的のところまでわれわれのほうで研究は固まっておりまして、もう勧告でこれをぶつけようかどうかというところまでは実はあったわけなんです。しかし、待て待てということで、こういうことはやはり適当な周知期間を置いて皆さんの御検討を願って、また御希望があれば御希望を承って、それらの上に立って判断を固めていくべきじゃないかということで、去年は問題提起という形で報告の中にうたっておきまして、ことしの勧告で正面から取り上げたという形になります。そしてなおこれの実施は、先ほど申し落としましたけれども、これが完全実施されたらお困りの方がたくさんございますので、来年の四月からということを勧告の中にはっきりうたっておりますから、ことしの五月にさかのぼるというようなことはいたしません。 それからまた、おことばでちょっと触れられました退職時の特別昇給というようなことも、いままでは一号俸だけの昇給しかございませんでしたけれども、今度二十年以上の方には二号俸昇給させということも考えております。これは実現させるつもりでおります。 それから中途採用者の方が行政職(二)表にはいらっしゃいますから、中途採用者の人たちには前歴の計算その他から、あるいは在職期間調整というような、周辺のことも十分考慮いたしまして、冷酷無残な形にはならないようにという気がまえでおります。
○安永英雄君 ぜひひとつ御配慮願いたいと思うんです。 最後に、これにまた、いまと同じように今度の勧告の「その他」の項に重要なことが書いてあって、このままいきますと来年直ちにまた出るかもしれませんから、念のために申し上げておきますが、本院の調査については、民間における特別給の支給割合にはいま職員の職種に応じて相当の差異があるということが明らかになったので、期末、勤勉の支給のあり方については今後検討するというようなことですが、この点については、私たちよく実態の調査をしていただきたい。もちろんここまで言われるから民間の調査はされているとは思いますけれども、もう少し慎重に調査をしていただかないと人事構成、特に学歴構成、こういったものから民間としては相当出るべきいろいろな格差が出ているのです。少なくとも公務員、特に学校の教職員というものについてはほとんど大学卒ですから、学歴問題には差がない。こういった問題等十分検討されて慎重に結論を出していただかないと、期末、勤勉にそれが影響してくるというような、そういった形で格差があるからということで直ちに期末、勤勉に持っていくという、こういった関連のしかたというのは非常に危険だと思いますので、これは要望として検討するということになっておりますが、ぜひ、ここ一年の間に十分な検討をしていただきたいということをお願い申し上げまして、私の質問を終わります。
○内田善利君 私も教員の給与問題について若干質問したいと思いますが、今回積年の問題であった教員給与の人事院勧告の完全実施が閣議決定を見たということは非常に意義があると思いますが、しかしながら歴年の努力の結果、こうなったことでございまして、いま一度この時点におきまして質問をしたいと、このように思います。 教員の給与の本質的な問題でありますけれども、教育基本法の第六条に、最初のほうは省きますが、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」と、このようになっておりますが、この教育の重要性ということから見まして、この法律の中にある「その待遇の適正が、期せられなければならない。」というのは、具体的にどのように考えられておるのか。また、どのように教員の身分を尊重するということなのか、この点についてお聞きしたいと思います。
○説明員(宮地茂君) お答えいたします。 教師の職務、責任、こういったようなものが一般行政職とは違っているということはよくいわれますし、私ども文部省としても、そういうような観点から、先ほど人事院総裁から勧告のお話も出ましたが、例年文部省といたしましては、大臣のほうから人事院のほうに対しまして、教師のそういった特殊な地位、身分に即応した給与上の処遇をしてほしいということを、勧告のあるつど歴代文部大臣からお願いしているのもその一つのあらわれであります。そういうようなことから、具体的な問題といたしましては、御承知のように、同じ学歴の大学卒ではございますが、初任給におきまして一般の行政職よりも高い給与が支給されるようになっている。ただ、そこがどの程度一般公務員との開きをつけるか、人によっていろいろ御意見もございますし、また何号程度教員の職務、責任といったようなことから、一般公務員に比べて具体的に上げるべきかという科学的な調査はできておりませんが、そういったような観点からも私どもといたしましては、人事院の給与勧告、毎年ございますが、それにしてもあるべき教師の給与といったようなものは文部省としても当然検討していくべきだという考えのもとに数年来諸調査を進めているところでございます。
○内田善利君 一つの例ですけれども、奈良の僻地の問題ですが、ここの僻地の先生は、バスが一日に二回しか通らない。そういうことで、先生は自家用車を持っているわけですけれども、自家用車の燃料代は一日に相当の額になってもこれは全然手当がない。また、住宅の問題も二重生活をしいられておりますが、この住宅問題についても全然何も手当はない。そういうようなことで、非常に僻地の教育の振興といわれながらも、実際教員はそのような中で教育の問題に真剣に取り組んでおるわけです。こういったことについて文部省としては血の通った行政、こういうことからどのように考えておられるか。教員の身分の尊重というようなことからどう考えていらっしゃるのか。お尋ねしたいと思います。
○説明員(宮地茂君) 僻地学校の教員の処遇の問題でございますが、従来から文部省といたしましては教員全般の給与改善ということがもちろん本旨でございますが、さらに同じ教員でありましても、いわゆる平地のとかく普通の人々が住むのに希望される場所と、一般に希望されない僻地のようなところに勤務される教員、これにつきましては当然違った扱いをすべきだというようなことから、僻地教員の待遇改善にはいろいろつとめてまいっておるところで、一例を申し上げますと、たとえば多学年学級担当手当、さらに僻地手当の支給、こういったようなものをいたしておりますが、さらに行政措置といたしまして、原則といたしまして三年くらい僻地におりますれば一回特別昇給をしていく、まあこういうようなことでございますが、さらに僻地教員住宅の建築を促進するように、都道府県、市町村に要望いたしまして、これの補助もいたしておりますし、さらに僻地教員の子女が高校進学のために寄宿舎に入る、こういう場合にはまたこれにつきまして補助をいたしております。さらに今回の人事院勧告につきましては、これまた文部大臣のほうからいろいろ教員の処遇改善について人事院に要望いたしましたが、特に僻地につきましては、僻地教師が非常に交通機関の不便な場所、こういうところにおりますと、バスや汽車が通りましてもそれを利用しておったのでは学校に行けない、学校から帰れない、こういうような場所におきましては、当然自家用車といったようなものも使いますし、これは都会地の人が使うようなものと違いまして、どうしても自家用車を使わざるを得ない、こういうことでございますので、今回はそれを――まあこれは人事院のほうでさらにどういう場所の公務員が使用する場合にするか、こまかい手続はこれからのようですが、自動車を使う教師には千四百円の手当が出る、こういったようなことも勧告されております。
○内田善利君 時間がありませんので、もう一問お願いしたいと思いますが、文部省で八月中に新員の給与問題研究協議会をつくるということですけれども、この教員の給与問題は非常に積年の問題でありますが、ことさら八月中にそういう協議会を設けられるその真意といいますか、それをお聞きしたいと思います。と同時に、この委員の選定はどのようにしてなされるのか、お聞きしたいと思います。
○説明員(宮地茂君) そのことにつきましては、実は昨年、一昨年、先ほど申しましたように、文部省としましては、教師の給与というものがいかにあるべきかということは、当然文部省自身としても考え、それをそれぞれ抜本的な問題として、関係政府機関にもお願いして、教員の給与というものを確立していきたい、こういう考えのもとに一昨年来教師の給与の諸調査をいたしております。これはばく大な調査でございますので、コンピューターにかけたり、いろいろ資料を整理いたしておりますが、すでに二年前から実態調査をいたしまして、まだ完全に集計はできておりませんが、ある程度のものも出つつございますので、そういう資料をもとにして、教師の給与というものを、給与体系、給与水準、こういったようなものを根本的に検討していきたい、こういう考えから文部省が調査しまして、文部省だけで考えますのもどうかというようなことから、部外の学識経験者の方にも集まっていただいて、そういう資料をもとに、今後の教員給与について、ある程度の目安をつくっていきたい、こういう考えを持っております。したがいまして、何もこの八月にその協議会をつくろうとか、特に勧告との関係があるので、どうということではございません。二年前から調査をして、ある程度資料が出てきて、そういったようなものをもとに協議をして結論を出す会を始めていきたいということでございます。まあまだ始めておりませんが、近く進めていきたい、こういう考えでまだ人選等はいたしておりません。
○内田善利君 わかりました。それじゃ最後に、文部大臣に教員の給与の本質的なあり方について、簡単に述べていただきたいと思います。
○国務大臣(坂田道太君) 教職員のこの職務というものは、非常に大事な仕事でございまして、特別の専門職としての職務の要請がきわめて強いものでございます。それから教育を行なっていきます責任ある教職員に、よき人材を集めるということは、またこれ喫緊の要務だと考えるわけであります。したがいまして今日のように社会構造が著しく変化をいたしまして、ともすれば給与水準の高い民間にいい人材が流れていくということであっては、本来のこの教育ということが全うできませんので、何とかしてよき人材を確保するというためには、それに伴う相当の待遇を保障する、考えていくということが大事であるというふうに思っておるわけでございまして、ただいま局長からるる御説明を申し上げましたように、いろいろな努力をしてまいりましたが、まだまだ十分だとは考えておりません。しかしながら、専門職たる教職員の給与、待遇というものを考える場合には、ほかの公務員あるいは他産業との均衡ということも一面においてはやはり考えていかなければならぬわけでございまして、そのためにはいろいろ知恵をしぼり合って、そうしてりっぱな給与体系をつくらなければならない。かように考えまして根本的な抜本的なこの研究検討をいたすべく、いま努力をいたしておる次第でございます。この委員会におきまして、たびたび人事院勧告を完全に実施せよという御要望がございましたし、私どもも一日も早く完全実施ができるように努力をしなければならぬとつとめてまいったのでございますが、今回やっとそれが実現するに至りましたことは、まことにうれしい次第でございますが、これというのも、ひとえに本委員会においていろいろ御指導、御鞭撻をいただいた結果でございまして、あらためて御礼を申し上げる次第でございます。
○安永英雄君 私はいまから教科書問題について質問をいたします。 東京の教育大の家永教授が、国を相手にとりまして、教科書検定制度の違憲、違法、これを訴えて、教科書裁判の判決が七月の十七日、東京地裁で杉本裁判長から明確に判決が示されたわけであります。文部省としては全く完敗という状態が生まれたわけであります。私はこの判決の中で憲法二十六条に示された権利としての教育、こういった理念を子供の基本的人権として人間らしい成長、発展する権利、これを中核にとらえて、教育権は親を中心として国民にある、国家権力に属さない、このことを明確にされたことは、非常に私は今日まで教育会の中における文部行政というものについて疑惑を持っておったのでありますが、これだけ明確に出たことは私は喜ばしいと思います。全く二十六条を国民の目の前に原理的にこれを示したというふうに私はとっておるのであります。 二番目に、憲法二十三条の保障する学問の自由、教育の自由、これは全教師に及ぶということ、基本法の十条の趣旨に基づいて教師の教科書の採択権を統制したり、あるいは学再指導要領に法的拘束力を加えてはならないという、これまた特に三十年来今日まで教育界を大きくおおっておった疑惑を明確に示されたものとして、私はこれは実に輝かしい判決であるというふうに考えます。それから教科書制度そのものについての実質的に違憲である、違法であるという結論が出たものと私は受け取ります。教科書内容の思想的調査にわたるような検定は憲法二十一条二項の禁ずる検閲にわたってこれは許されない、その運用を誤るときには憲法の保障する表現の自由を侵害する、こういったそしりを免れない。したがって、家永さんが、審査ではねられたその不合格という問題は、処分は取り消せ、こういった具体的教科書の問題にしましても、あるいは教師が教科書の採択についての採択権、こういったものも明らかにされておる。これはやはり長年、二十年にわたるその期間における憲法並びに教育基本法のこの精神というものを逸脱しながら国家統制と進んでいく行政というものに対して鋭い批判を加え、判決をくだしておるというふうに私はとっておるわけです。ところが、この判決を受けて、その後文部省の動き、こういったものを見た場合に、実に私は嘆かわしいと思うのであります。この判決は意外であった、予期しなかった、このことは私はそうかもしれないと思う。しかし全く判決はなっていないんだというふうなニュアンスを持たせながら各種の集会やその他あらゆる機会で言っているということは、文部省としての立場としては不適当ではないか、不謹慎ではないかと私は思う。いろんな例はありますけれども、たとえば八月の十五日に、総理府から出しておる「時の動き」というパンフがありますが、この中あたりに局長が座談会に出られて、その速記をとっておられる。私はこの総理府のこのパンフの取り扱いそのものにも私は問題が、この教科書だけではなくてあると思います。これはあえてここで私は明らかにしようとは思いませんし、決算委員会等でこの問題を明らかにしていきたいと思いますが、その中で見ましても、「こうなると何をいっているのか、この論理はナマズみたいでとらえることができないんです、」こういったことばを使ってみたり、「どうも子供の論理みたいなのがところどころあるんです。」「これは何か別の世界に住んでおる仙人が、こうやったらいいだろうなといっておる。理想論とも思わぬけれども、そういう世界の一つの論のような気がするんですよ。」――全く理論の遊戯に近いと思うのです。ことばじりじゃなくて、そういった精神でこの判決を見ておられるとするならば、私は今後の教育行政について非常に不安を感じます。特にこういう座談会に出ていたものをかってにあげたということがあるかもしれません、あるいは大臣がどこそこの集会に行って言われるということ、これまで私はあまりそう深くは考えません。ただ問題は、この八月の七日に初等中等局長名で各都道府県に出された通達という問題であります。その通達になってきますというと、放言とか、あるいは座談会でだれかがほのかに開いて記事にしたとかいう問題では私はないと思います。第一審判決はもちろん確定して、控訴するというわけでありますから、この判決に拘束されるといったようなものではないかもしれません。しかし、文部省がこの行政権を利用して、通達という形でこれを明らかにしていったということは別の意味がある、これは全く、何といいますか、三権分立、順法精神いろいろ説いておりますけれども、一方的に被告、原告一対一で法廷で争って今日まで流れてきたわけです。そうしてその行政権の一つの手段として通達を通じて、そうして、しかもその内容たるや全く判決というものが間違いである、まっこうから否定したようなこの見解というものを述べて、そしてこれを行政ルートを通じて関係各方面に周知徹底させるよう言っているわけでありますから、この点の取り扱いについて私は大きな疑問を感じます。目下係争中だから、教育行政の方針というものは変えないというだけではなくて、本来、控訴の理由書でこういったものは明確にすべきであります。私はここで内容は聞きませんけれども、どういう目的で出したのか、そうしてこの通達は法的な拘束力があるのか、もう一つは、通達の中に書いてあるそれぞれの反論、否定した論というものが今度上訴すれば控訴理由というものと一致するのか、ここにあげたことが、今後皆さん方が上に上がる控訴理由のこれは骨格になっておるのかどうかという問題についてお伺いをまずいたします。
○国務大臣(坂田道太君) いまおことばに通達とありますが、これは通知の間違いでございます。通達と通知の区別につきましては、局長から御報告を申し上げたいと思います。 今日、政府といたしましては裁判所の判断を尊重したいところではございますが、本判決は、その基礎となる憲法及び法律の解釈におきましてきわめて問題が多く、判決理由に述べられているいわゆる教育権ということばがたしか出ておったと思いますけれども、教育権、教育の自由、教育行政の範囲などに関する見解につきましては、国の教育行政に責任を持つ文部省といたしまして納得し承服することができませんので、またこのようなことではとうてい適切な内容の教科書を確保し責任ある行政を行なうことはできないと考えました。したがいまして、本判決には、遺憾ながらこれに服することはできないから控訴いたしたのでございます。 今回の通知は、本判決の内容と文部省が東京高裁に控訴した理由等を説明したものでございます。この通知を出した趣旨は、地裁判決に対して文部省は控訴し、したがって判決は未確定であるが、一方、本件訴訟自体は、原告である家永教授個人の教科書の検定の問題ではあるが、判決の内容は教育行政の根本に触れる問題であり、かつ都道府県等においてもこの判決に対する関心が強く、さらに原告支援団体等の活発な宣伝等による教育現場の混乱が予想されますので、都道府県や市町村の地方教育行政機関や学校に十分その趣旨を理解させて学校運営上遺漏のないよう措置する必要があるというふうに考えたからでございます。 安永さんはこの判決は非常にりっぱなものであるというふうにお述べになりましたが、たとえばこの家永裁判に対するこの判決で私がどうしても承服ができないところがございます。それは、学問の自由ということと同質に教育の自由というものを考えておられるということです。これは明らかな私は間違いだと思います。しかも、すでにこれは最高裁の判決にあることでございまして、学問の自由、憲法が保障しています研究の自由であります。研究の発表の自由であります。しかし大学におきまして判断力を持った学生を対象といたしました場合に、この研究の自由、発表というものの自由が大幅にあるということはこれは認めなければならないと思いますけれども、学問の自由がそのまま同質、同列に教育の自由とは考えられないというのが最高裁の判決にございます。いわんや、心身の発展段階の未熟な、判断力の乏しい高等学校以下の、高等学校、中学校、小学校の段階におきまして、学問の自由と同質の教育の自由があるというふうに考えることはできないというふうに私は思うのであります。もし、こういう論理が貫かれまして学問の自由と教育の自由が同じなんだ、したがって国は何らのチェックはできないんだ、こういうことでございましたならば、おそらく、教育基本法にあります一党一派に偏するような教育内容を持った教科書が、思想の自由をチェックすることはできないという判決に基づいて出回ったとするならば、そういう教科書が使われてもよろしい、また教育の自由なるがゆえに教師はこういう教育を現場でやってよろしい、こうなれば、ちょうど福岡県の伝習館高校におきまして人民民主主義の話と毛沢東語録だけを教授してほかの教材を認めない、そして生徒には六十点の点数を平等につけるというようなことにつながっていくのじゃないか、あるいはそういうことを認めていくことになるんじゃないかというおそれをわれわれは感ずるわけでございます。そういうようなことはどうしても私たちとしては納得がいかないことでありまして、やはり教育の自由といっても、憲法のもとに教育基本法が国会の御承認を得て、そして学校教育法もでき、それに基づいて検定制度ができて、こういうような一つの法体系のもとにおいて教育が行なわれるということが国の責務である、こういうことかと思いますし、(「そんなこと聞いていない」と呼ぶ者あり)親のほうもそういうような、子供を教育させる場合におきまして親の責務といたしましてそういうことを期待しておる、こういうことかと思うのでございます。 私はこの一例を申し上げましたけれども、安永先生はそれは無関係だとおっしゃいますけれども、非常に関係があるのでございます。そのようにこの判決というものはやはり受け取って考えてみなければならない課題を含んでおる。これはひとつ安永さんといえども御了承をいただきたい。だからまあ御質問があったと思っておるのでございまして、無関係ではないわけでございます。この辺のところを私は申し上げ、そして通知を出したということでございます。
○安永英雄君 時間がありませんからね、自分の言いたいことばかり腹一ぱい言わないで、要点だけしぼって聞いているのですから。また、いま大臣がおっしゃったようなこと、これは長い間東京地裁で思う存分今日まで言ってこられて、そしてそのことが否定された。私はここであえて杉本裁判長の判決を、だからあなたの言うことが間違っているという反論は時間がないから申し上げません。また、この問題は重大な問題ですから、この委員会だけでなくて続けてやってまいりたいと思います。要するに先ほど私は通達と申しましたが、これは通知、これはそのとおりであります。また、通知と通達の区別ぐらい私も知っています。知っていますが、要するにやはり通達であれ通知であれ、文部省の機関としてこれを一方的に争った内容を全く否定するような反論を加えてそうして行政ルートで流していくということは、これは行き過ぎだと私は言っている。そのことです。そしてまた、この問題について、こういったやり方を一方的にしていくというならば、あなたのただいまのあれでいろいろな反対の団体が云々ということばもありましたけれども、むしろこれによって教育現場にますます混乱を起こすもとになる通知だというふうに私は思うから先ほど質問をしたんですけれども、これについては全くこの判決には服しがたいという理由だけをいま述べられたわけであります。私はそういう判決、これに服すか服さないか、あるいはこれについて明らかにしていくならば、これはさらに高裁あるいは最高裁、こういった法廷の中で堂々とそういった主張をして文部省としてはこれは争っていくべき筋合いのものであって、いまのお話からいうと、私が先ほど質問をした控訴理由の内容はこの通知の中の反論、これが主軸になっておるというふうに受け取ります。 で、この通達の中で全く影響がないということばがあって、何ら判決によって影響はない、こういう表現がありますけれども、私は、東海あるいは北陸、近畿、福岡、判決後いろいろなところに出向いていって現場教師と、あるいは父兄、こういった者と接触をしてまいりました。この判決は国民に大きな影響を与えておる。教師に大きな影響を与えている。影響がないと言うのは文部省だけ。このぐらい国民教育の上で画期的な判決、そうして国民の教育に対する考え方についてするどく判決が出たのですから影響のないことはない。私はいろいろな意見を聞いたけれども、総括すれば、こういう国民の意見あるいは影響を受けておる状態だと思います。戦後の教育行政は昭和三十年前後を境にして急速に官僚統制の色彩が非常に強まったこと。それから、教科書検定制度はその一つであるという認識。教育行政は教育の諸条件を整備確立することを目標とすると規定してある教育基本法十条、これを文部右が次第に拡大解釈をして教育の内容にまで公然と介入してきたという、こういう現状認識というものがこの判決の中から国民の皆さんの脳裏に焼きつけられておるということ。私ども教育に関してはわりとくろうとと思っておりますけれども、国民の皆さん方に会いますと、教育基本法の内容がぽんぽん出てくる。教科書制度そのものがぽんぽん出てくる。いま文部大臣が法律体系のもとで教育行政は行なっておるとおっしゃったけれども、教育基本法といういわゆる教育に関する基本法、こういったものに違反して、その法律をかってに拡大解釈をして教科ということがあれば教育課程、学習指導要綱までその権限が及んだと、みずからそれを自認して言っておることは、案外国民の皆さんは判決の内容を受けてよく知っているということ。しろうとだろうがというふうなことではないということを私はつくづく感じました。 それから、文部省は三十年前後、検定制度を法律化するために教科書法案を国会に提出したが、野党などの反対に会ってこれは流れた。この法律は検定の方法のほか、これまで自由であった教科書出版者を届け出制にし、文部大臣に検定権を与え、その上広域採択制を内容とする、こういった私は驚くべきことを聞いたのですけれども、あのとき流れた教科書法案、こういったものを真剣にPTA、父兄の方々が調べて検討をされておるということについては私はびっくりしました。立法や裁判をそっちのけにして行政が独走するという危険性というものを国民の皆さんはひしひしと判決から受けているということを私は報告をすることができると思います。安易に国民の皆さんが自分の子供の教科書は高いか安いか、どうするか、どういうことが書いてあるかという関心を持った以上に、この教科書判決の影響というものは国民の皆さんに具体的にしかも法的にずしりと国民の中に入っているということを私は感じました。これは文部省が言う判決の影響がないというこれの証左にもなろうかと思う。時間があれば詳しくどこそこでどうこうというところまで申し上げたい。 次に、この問題が教師に与えた影響というものについて私は申し上げたい。長い間教師というのは教育権、教育の自由、そして教育基本法十条にいう文部行政の教育内容への介入ということをいやがっておったし、反対の運動もやってきておったわけですから、これは感情的には快哉を叫んだに違いない。だれに会ってもよかったと、こういう感情的なことばを聞きます。ことに杉本裁判長の談話あたりは非常に歓迎を受けているようであります。先生方が非常に熱心に特に感銘を受けた。教育を尊重する国は栄えるとひしひしと感じた。「先生方が困難な環境で教育にあたっておられる。その姿勢は大切にしなくてはならない。先生方を尊重する、という理念が近ごろ少し欠けている」。「みんなが、国も、われわれも、先生方をバックアップしていくことが大切ではないか。」というふうな談話等はそらんじるぐらいに非常に感銘を受けておる。あるいはまた新聞等でもいろいろ出ていますが、教育の中心は教科書でなくて教師である。教師を誇りに持とう。沈着な知的成熟の背後に教育の自由への情熱を秘めて日本の教育建設のために歩を進めるようにお互いにやろうではないかというふうな激励等も感情的に歓迎を受けておりますけれども、ただ言いたいことは、私はこういった問題についての討論をしておる場所に相当の数行って直接に聞いたことばであります。そういったことがあるけれども、いわゆる飛び上がって喜んでいるという実情ではあるけれども、しかし、あの裁判の内容で「教師が児童、生徒との人間的なふれあいを通じて、自らの研鑚と努力とによって国民全体の合理的な教育意思を実現すべきものであり、また、このような教師自らの教育活動を通じて直接に国民全体に責任を負い、その信託にこたえるべきものと解せられる。」という教育基本法十条の判決の内容、あるいは教師は「児童、生徒の心身の発達とこれに対する教育効果とを科学的にみきわめ、何よりも児童、生徒に対する深い愛情と豊富な経験をもつことが要請される。」こういったところが徹底的にいま読み直し、検討し、そしてみずからの自覚、そしてこれだけ大きな教師みずからに責任と義務、誇りがあるのかというふうな気持ち、これが私はほんとうに教師の現在のこの判決を受けての影響といいますか、自覚というものに私は間違いないということを確かめてきたわけです。要するに、この判決は、教育全般について国民の皆さんにも教師にも、特に教師にも勇気を与えている。そうして自分たちの責任の重大さというものを感じさせて、そうして日本の今後の教育についての情熱というものがここから出てきていることを私はしみじみ感じたのであります。ところがこれについては全く影響がない、第一審で結審じゃないんだからと、こう言っておられる。私はこういった教育界に一石を投じたこの機会に、こういったものを文部省としてはがっちりつかんで、そうしてそういったいい方向というものを行政の中にあらわしていくと、こういう機会につかんでいくのがほんとうであって、むしろあの判決は間違いである、間違いであることをみんなの、関係方面に周知徹底をさせなさい。これでは私は教育行政の立場というのはおかしいと思う。むしろ混乱を招く。私はそういう気がするわけです。 次に、文部省のほうは、いままでかつて教育裁判というものがたびたびあった。ところがこの問題について都合のいいところはたびたび載せるけれども、都合の悪いところは載せなかったりする。この通知の一番最後を見てみますというと、仙台高裁の判決が載せてある。大臣の各地の演説の中にもよく出ているそうであります。こういう判決が出ていると通知にもわざわざ書いてある。これは全く通知という性格からいっても、一方的な私は取り扱いじゃないかと思う。たとえば、これは昭和三十六年です。大臣が衆議院で文教委員をされておるときに、私は福岡で学力テストをさせなかった。ところが衆議院から調査団が参りまして、たしか大臣はそのときの団長じゃなかったかと思います。私も呼びつけられて、そこでいろいろな質問を受けたわけです。あのときにも私はこの判決の趣旨みたいなことを言ったと思う。あのときの事件の判決というものが小倉判決で出ておる。御存じのとおりです。こういったものをなぜ通知の中に載せぬかということです。読み上げてみます。 教育行政権行使の限界について、「教育基本法第一〇条は第一項において、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と規定している。右にいう「不当な支配」とは、教育の政治的中立性を阻害するような一党一派に偏した干渉をさし、党派的勢力として政党その他の政治団体、労働組合、宗教団体、財閥等はもとより、国又は、地方公共団体という教育につき公の権力を行使する権限をもつもの」のことを言う。こういうことで、教育行政、文部省以下が教育行政のその主体になるということをはっきり述べておる。 そして「諸条件の整備」というものを規定いたしておりまして、「教育内容や教育方法等にわたらない外的事項、つまり教育の外的条件の整備、例えば施設の設置管理、教職員の人事、教育財政等を意味し、前に述べた教育の特殊性から、教育の自主性を重んじ、教育の外にあたって、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を置くべきことを規定しているものと解するのが妥当である。」 そしてこれを受けて、福岡高裁の判決が出ておるわけであります。これは言っておきますが、検察側もこの高裁から最高裁に控訴してはいないのでありますから、われわれもしていませんから、この福岡高裁の判決は結審であります。あなた方が載せておる仙台判決というのはこれはまだ係争中のものであります。いわば国の権力というものがこの判決に服したわけであります。私は、通知を出すとするならば、現時点において明確な刑事事件ではあるけれども、刑事の判決ではあるけれども、この判例として一番ふさわしく法的なあれを持っておるのは福岡高裁の判決であります。これは結審であります。だから法的な公の立場として通知を出す場合に、札幌のこの係争中の判決というものを出そうとするならば、少なくともこれに併記しながら福岡高裁の結審の判決はこれは載せるべきであります。そうして、あなた方が周知徹底させようという対象に対してはこれも明らかに明示する必要があると思うのであります。この福岡判決は四十二年四月二十八日に結審が出たものであります。これと同じように同日、荒尾事件、いわゆる熊本教組の事件についても同様の判決が出ておるわけであります。「教育基本法は(教育行政)と題し、教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。」と規定している。そもそも、教育の目的は、教育基本法第一条に規定するように、人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期することにある。ところで、このような目的をもつ教育は、教育者と被教育者との内面的人格的関係によって始めて達成されるという本質をもつものであるから、教育の内容および方法についてはその自由と独立とが保障されなければならない。右教育基本法第一〇条はこの趣旨を規定したものと解される。したがって、教育基本法第一〇条は、右教育の本質に照し、さらに戦前における官僚等の中央集権的教育行政制度の教育の内容および方法に対する不当な支配が我が国の教育をゆがめたことに思いを到し、右支配から脱却することを目標の一つとした教育基本法の制定経過に照して、解釈しなければならない。すると、教育基本法第一〇条は、同法第八条、第九条と相まって、教育の中立性を規定したもので、同条にいう「不当な支配」の主体は政党その他の政治団体、労働組合、宗教団体、財閥等を含むのはもちろん、法律上教育に対し公の権力を行使する権限を有する行政機関もその主体となりうるものであり、教育基本法第一〇条は、教育行政は、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標とし、教育施設の設置管理、教職員の人事、教育財政等の外的条件の整備をするほか、教育の内容および方法については、行政上の命令監督をすることは許されず、指導助言をすることができるに止まるとするものというべきである。」。長くなりますから、はしょりますけれども、教育課程基準設定という問題についても、「法的拘束力はなく、指導助言としての効力しか有しないものというべきである。したがって、右と同様に解した原判決の判断は相当であり、右小学校学習指導要領に法規命令としての効力すなわち法的拘束力があるとする所論は採用できない。」、こういう判決も結審としてあるのであります。そのほか、四十三年の六月には札幌高裁においてやはり同じような趣旨の明確な教育基本法十条に対する判決が出ております。その札幌高裁の判決の一部を読み上げてみたいと思います。「学校教育法三八条が文部大臣に、学習指導要領にみられるような教育内容や教育方法についての詳細な定めをなす権限を与えたものとは到底解されず」、こういうことで、国家的な大綱的基準を設定したにとどまると主張しておるわけでありまして、こういう杉本裁判の判決と全く同じ判決というものが出ておる。こういう判決が出ておるということも、関係方面に通知を流す場合には添えて流すべきである。私は、いままで刑事裁判等で判決が出た場合に文部省の態度等を聞きますというと、これは刑事裁判だから判例に服さなければならない、われわれとしては行政という裁判の結果しかない、こうしょっちゅう言っておるにもかかわらず、今度のこういった場合になってくると、こういった仙台のいわゆる岩手学テ事件、こういった刑事事件のいいところだけとってきて、そうしてここにあげて通知の中に入れていくという取り扱いは不適当である、こういうふうに私は考えるわけであります。 多少ここで文部大臣の意見を聞きたいと思います。――要するにまだ私質問の内容を申し上げていないんです。私はいま通知の内容にかかわって話をしている。通知についての問題を質問しているのであって、内容の問題について答弁されれば私は幾らでも言いますよ。この点については、あなた方が幾ら言おうとも、そういったことは長年戦ってきて杉本裁判長からきびしくそれは間違いがあるとはっきり判決の出た事件ということを踏まえてもらわなきやならぬと思うのです。そういうことで私はこの通達の問題について、文部大臣、この通知の問題についてこれは妥当と思いますか。とにかくも文部大臣として、これは局長が出しておるけれども、いまのこの行政の中でこういったものをとにかく出したことはないんですよ、いままで。異例ですよ。この判決が出てきた、それに対して承服しがたい、内容を一々とにかくこれについて否定をするという立場を並べ立てて、そうしてこれを周知徹底させよう。こういう通知を出したのは初めてだと思いますがね。こんなことをいまから次々とやられればたいへんなことです。これはかつてありますか。ない。これは三権分立しておるいまの立場というものを混同しておる、あなたは。家永さんと文部大臣と法廷で争ったんですよ、一対一で。裁判所とけんかしているんじゃないでしょう。裁判所はそれに対して判決を出しているんですよ。その判決に対してまっこうから否定するという争いを起こそうというんですか。これが二審に入ればいいんです。二審に入ればそういった立場もとれますよ、この判決に服しがたいというんだから。しかしいまの時点としては、家永さんがこういった論を持っているけれども、私はこう思うというんなら、私はある程度わかると思う。裁判所のそれについて判決したものに対して、文部省がまだ上訴をしてその争いを法廷内で行なわれるという以前の段階においてこういった通知を出すという異例の措置は、私は妥当かどうか。違法とは言いません、妥当かどうか。この点についてだけの見解をひとつ文部大臣に伺いたい。
○国務大臣(坂田道太君) ずいぶん長く御質問がありましたわけでございます。したがいまして、前のところから始めたいと思います。 教育基本法第十条は、教育の目的達成に必要な諸条件の整備を教育行政の任務としておりますが、同条にいう諸条件は、判決にいうような単に施設、設備などにとどまらず、適切な教育内容を確保し、その水準の維持一向上をはかるために教育課程の基準である学習指導要領を定めたり、教科書検定を行なうことも当然含まれるものであると解されるものである。したがって同条の規定と文部省の行なっている教科書検定とは何ら矛盾するものではないと私は考えております。したがいまして、この今度の判決で、原告側は法律的手続をしなければこういう基準等を設けるということはこれはいけないんだということだったと思うんですが、杉本判決で実はこの点は認められたわけでございまして、したがいまして検定制度というものは認められたわけでございます。ところが、まあ安永さんも認められたとは言いながら、実質的にはこれは違憲なんだと、こういう御議論、これも私はいまの第十条の読み方と解釈がもし諸条件の整備だけに限られておるということでございましたならば、この誤字、誤植以外、思想内容に及ぶものはこれは文部省は検定をしてはならない。そこまで及ぶならばそれは違憲だということ。だとすると、これは検定制度は根本的にくつがえってしまうんだと、こういう論旨だったと思うのです、お尋ねも。また安永さんがあっちこっちにお話し合いに行かれたときに非常に喜んでおったという人たちもそういうふうに解釈しておられるんじゃないか、ということだと思うのです。でございますから、そうじゃないんだと、この判決というものは検定制度のその手続は認められたんだというふうに私どもは考えておるわけでございます。そういうようなことで、私はもし検定制度それ自身が実は安永さんがおっしゃるようにくつがえっているんだ、こういうことでございますと、これはやはり現場において混乱が起きかねないと思うのです。ですから行政の責任ある者といたしましては、一審のこれは判決なんだから、その点はやはりこの第一審の判決だけで検定制度はもうだめなんだと、こういう混乱が起こらないようなことだけはしなければいかぬ。だからこの判決によっても検定制度というものはあくまでも維持していきますよということは、国民に対しての当然の責務であると私は思うんです。そういう意味においてこの通知を出したわけでございます。また同時に、その一番基本的ないま申し上げましたような学問の自由と教育の自由というものをごっちゃにして判決をする、そうすると現場の人たちはそうだそうだと、こういうようなことになりかねない。そういうようなことは最高裁の判決がはっきりこれを示しているんだからということで影響はございませんと、こういうつもりでございまして、私どもはむしろこういう判決があった場合に、しかもこれがこの一審に服するということなら別でございますけれども、服せない。服せないには服せない理由があるだろう。そういうことについては地方の都道府県の教育委員会にしましても、あるいはまた学校の校長さんにしましても、あるいは学校の先生方にしましても、疑問にお思いになるに違いない。どういう理由でそれでは一体控訴しようとしておるのか。この判決はわれわれが聞いておると非常にいいように思うんだけれども、文部省は控訴するというから、一体控訴の理由というかあるいは骨格というものはどういうものだ、このことを疑問に思っていらっしゃる。そういうことに対して私どもが、やはりこれは民主主義の世の中でございますし、こういう三権分立の世の中でございますから、それに対して一審で承服しがたい場合あるいは二審、二審で承服しがたいときは最高裁、最高裁の判決が出たらそれに服する。これが私は議会制民主主義のたてまえであって、国民であろうと政府であろうとその判決が承服できないものをうのみにするなんというようなことは、私は法律をもととして組み立てられておる国あるいは社会としてはおかしいことであって、承服できなければやはり控訴をするということは当然なことではなかろうか。そうしてどういう意味でこういうふうにしたのか、そして文部省がどういう点が承服できないのかということを、やはりはっきり行政当局並びに一般の先生方にもお知らせをするという責任と義務が私にはあるんじゃないかというふうなつもりでこの通知を出したわけでございまして、私はむしろそうしなければならないことであるというふうに思っておるわけでございます。 それから何か裁判所と原告と被告だけでこういうような問題が争われればそれで済むんだというようなものの考え方は、この近代社会あるいは法体系で、特に司法、行政、立法というような、こういう三権分立の世の中におきましては、特に民主主義の世の中におきましては、そういうことをやはり知りたい国民がある、知りたい教師がある、知りたい行政官がおる、そういうものに明らかにしていくということは当然なことじゃなかろうかと私は思うんでございまして、その意味合いにおきましても私は通知を出すことが妥当である、かように考えまして通知を出した次第でございます。
○安永英雄君 私が言っているのは控訴をしてはならないということを――私個人としては思っていますよ、一審に服すべきだという考え方を持っておるけれども、あなた方に対してそれを押しつけているわけじゃない。私は控訴をしなさんなということをいま押しつけているわけではない、私自身は思っておるけれども、それはひとつ間違いないように。だから堂々と法廷の中で争いなさい、こう言っておる。このことは何も文部大臣、そんなに言わなくてもわかっておる。私もそう申し上げた。 そこで、いま明らかに控訴して、そして戦っていくという、そういう方針が出ましたが、私は、それはそれとして、第一審の判決を受けて、その判決の中で何らとるべきものはないのか。反省すべきものはないのか。また、あの判決の中から、争いは争いとして続けていったとしても、いまの行政の中でこういった点は取り上げて改正すべきではなかろうかという考え方はないのかと言うのです。いま申しましたように、私は一挙にこの際一審の判決に服して、そうして検定制度等は全く廃止をして、自由発行制度に切りかえたらどうかという気持ちも持っていますが、それを一歩引いて、検定を一時中止するという考え方はまずないのか。少なくとも家永さんが出したあの教科書の検定にかかわった調査官、この人あたりは、これはもう全く結論を出してしまっておりますから、この調査制度そのものは、検定制度そのものは否定はしていない、これはあなたがおっしゃるとおりです。しかし、その運用を誤った場合には、これは違憲、違法のおそれがある。そうして家永さんの具体的な問題については、この教科書については検定を不合格にするというのが間違いである、こういうことが出ていますが、この調査官の、私は少なくともこれにかかわった調査官については、一時休ましたらどうか。あなた方、これは刑事事件とすぐおっしゃるけれども、刑事事件の係争中のものについての公務員の取り扱いについては、あなた方は休職処分にすることができるということで盛んに指導されて、係争中ということだからということでありますが、少なくとも係争中のこの期間においては、これにかかわったこの調査官というものについては休職をさせる考え方はないのか。 次に、時間がありませんからまとめて質問をいたします。検定基準を改める考え方はないのか。言いかえますと、誤字、誤植その他客観的に明らかな誤り、その他教科書についての技術的な事項及び教科書内容が教育課程の大綱基準のワク内にあるかどうかという、そういったくらいのこの検定基準、こういうものにとどめるという、改正するという考え方はないのか。したがって、現在国の基準となっておると称されておる学習指導要領、これを行政の上でもう一回試案としての参考にとどめる、手引き、こういったものに戻す、こういう考え方はないのか。さらには検定の手続、こういったものを明朗にするために教科書の調査官制度を一応廃止して、この制度というものを、検定の仕事というものを文部省から一応出して、第三者機関にもっていく、こういう考え方はないのか。せめて不利益な決定に対して再審等の救済措置というものをとる考え方はないのか。私は順次聞いていこうと思ったのですけれども、一括して聞きましたが、この点、いまの一審の判決を受けて控訴は控訴して堂々と戦ってはいくけれども、その判決の内容の中からいまの行政の中でこういった点は反省をして、しかし争いはするけれども、こういった点については改めていくべきではないかという考え方は文部省の中には出てこないのかということ、この点についてお答え願いたいと思います。
○国務大臣(坂田道太君) 私でわからない点は局長からお答え申し上げたいと思いますが、今度の判決によりまして検定制度というものはやはり私は維持していかなければならぬと思います。たとえば、家永さんの教科書にしましても三百何十カ所も問題点があった。しかも家永さん自身がみずからお認めになった個所が九十七カ所でございますか、八カ所でございましたか、これぐらいあるということは、やはり検定制度がなければいけないことだと私は思うのです。実際一つの教科書を一心につくられた気持ちはわかりますけれども、しかし、その中で誤字、誤植が九十七カ所もあるというのがいい教科書であるのかどうかということは、ここにお集まりの皆さん方だって当然わかっていただけるだろうと思いますし、国民の大多数というものもやはりそうだと思います。それから現在の、たとえば教科書にいたしましても、そういう厳選をいたしましても誤字、誤植に類するものがないとはいえないのですよ。それはやはり私は改めていきたいし、改めて指導していきたい、こう思うのです。神ならぬ身の人間がやることでございますから、それは間違いもありましょう。しかし、基本的な問題については私はやはり検定制度というものは維持していかなければならないのだ、そうしなければ私は国民の負託にこたえられないのじゃないか、かように考えるわけでございます。 教科書調査官というものを休職にしたらどうかというような御提案でございますけれども、私どもといたしましては、この三件六カ所の問題についてもまだ承服しがたいところがございます。したがいまして、その人たちは適正に行なったと、こういうことで控訴をしておるわけでございます。そういう事情もございますし、またそういうふうに調査官をやめてしまって保留といいましても実際上なかなかむずかしゅうございます。ただいまそういう考えは持っておりません。それから検定基準等につきましても、ただいまのところはそういうふうには考えておらないわけでございます。ただ、実際相当数量を、ある時間的制約のもとにおいてこの事務をやり、あるいは検定をやり、しかもそれが公正で、しかも誤字、誤植の一つもないようにしようとつとめるためには相当苦労をしておるわけでございます。しかしながら、そのやり方等について私はベターなものがもしあるとすれば、そういうものを私たちがほんとうにベターだと思うならば、そういうことについては私は改正してもよろしい、改善していくべきである、こういうふうに私は考えております。
○安永英雄君 時間がありませんから、この次にまた続けてやることにします。法的な問題をいろいろ大臣おっしゃったけれども、それは杉本裁判長でなくて、私個人の考え方も申し上げたいこともずいぶんありますけれども、大いに今後委員会で論争していきたいと思います。ただ、いまおっしゃったように、多少やはり改正すべき点があれば改正するというような点あたりは、これは判決が、いまの話でいけば最高裁、相当期間もかかりますが、その間において空白は許されませんし、最高裁でまた完膚なきまでに文部省が負けたということになると、それじゃ負けましたから服しましょうということで二年間なり三年間の空白というものは、これは普通の問題と違いまして、教育の問題につきましてはおろそかにできない問題がある。一審の中でやはり反省して、とるべきものがあればこれを行政の中に生かしていくということがほんとうだと思います。とにかく、けしからぬ、けしからぬでは私は文部省の任務は果たせないと思います。十分ひとつ御検討を願いたいと思います。終わります。
○理事(田村賢作君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時二十分まで休憩いたします。 午後零時四十分休憩 ―――――・――――― 午後一時二十六分開会
○委員長(楠正俊君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査を議題といたします。 本件について質疑のある方は、順次御発言願います。
○杉原一雄君 たしか五月二十八日だと思いますが、中教審の第二十五特別委員会から中間報告の形で、初等中等教育の改革に関する基本構想試案が出されたわけです。そこで、きょうはこれを中心にして質問をしようとは思いませんが、これと相関連しながら、富山県の問題になっております高等学校教育の三・七体制の問題にしぼって質問をしたいと実は思うのでありますが、その前に、先ほど申しました基本構想試案について第一点、今後これが文部省の行政レベルに、いわゆる行政のルートに乗せるまでの大体の文部省の受けとめ方、つまり作業のプロセス等がこの時点で説明できれば、局長等からでもけっこうでございますから、それに対する最初に御説明をいただきたいと思います。
○説明員(西田亀久夫君) ただいまお尋ねの点につきましては、第二十五特別委員会は五月に試案の形で一般に公表いたしまして、これに対する各方面の御意見を伺う手続をいまとっております。したがいまして、初等中等教育の基本構想試案につきましては、九月から一応十月末を目途に、いままでのいただきました御批判を中心に、委員会として再検討されまして、およそ十月末にこれを総会に報告し、文部大臣に中間報告がなされるという予定でございます。中教審といたしましては、その五月の総会できまっております今後のスケジュールを申し上げますと、九月から第二十七特別委員会を別個に編成いたしまして、ここではさきに中間報告されました高等教育の改革、それからただいま御指摘ありました初等中等教育の改革、両方の基本構想を踏まえまして、これを今後、実行に移す上での具体的な問題の検討を開始されるわけであります。その二十七特別委員会は、九月から明年の年度末を一応目標に、作業が進められるわけでございまして、おそらくそれらのすべての検討を終わりましたあと、文部大臣に諮問に対する答申として提出されますのは、来年の春ごろになろうかと、時期としてはまだ確定いたしておりませんが、その辺の見通しでございます。ただいま申し上げましたのが、一応、中央教育審議会のスケジュールでございます。
○杉原一雄君 そこで、それが文部省が受けとめて年次的にこれを行政のレベルに位置づけるわけですが、その辺のところは、ここで説明できる段階ではありませんか、できたら大体めどを示していただきたいと思います。
○国務大臣(坂田道太君) いま、西田審議官から御答弁を申し上げましたとおり、来春になりまして第二十五特別委員会、第二十六特別委員会の最終答申を受け取るというふうに期待をいたしております。それから先、どういうふうにこれを行政ベースにのせていくかということが、文部省としましては非常に大事なことだと考えております。まだ最終答申を得ておりませんので、実はここではっきりそのスケジュールを申し上げられないわけでございますが、しかし、四十六年度の予算の編成にあたりまして、ただいま概算要求いたしておりますが、大学に関しましては、大学改革を行なうについてのいろいろの調査研究の費用を計上しようと考えております。両特別委員会の結論は来春でございますけれども、しかし、いずれにいたしましても、大学改革あるいは幼稚園から高等学校までの改革をやりますにつきましては、経費の面についても相当大きな費用がかかるんじゃないか。それからまた大学につきましては、長期教育計画というものが策定されなければならん。また日本列島全体に対してどういうふうに高等教育機関を配置していくかということもあわせて考えていかなければならん。あるいは二十五特別委員会の、幼稚園から高等学校までの改革につきましても、教育職員の待遇の改善であるとか、あるいは幼児教育を特に重視をして、四歳、五歳、一年、二年というもののつなぎをどういうふうに考えるか、あるいはそのカリキュラムはどうするか、先生方の確保はどうなのか、私立と公立と並存させて、これをまず手初めに五歳児を収容していくという方策はどうなのか、それの先生の養成機関はどうなのか、あるいは養成機関の先生になる先生はどうやって確保するのか、あるいは教育内容といいますか、あるいは保育内容といいますか、そういうものもこのあたりでもう一ぺん考え直してみる必要があるんじゃないか。そういう諸条件を整えた上でなければ、先導的試行と申しましても、やったならばまたいけなければやめるのだ、そういう試行錯誤的なやり方は慎むべきじゃないか。こういうふうな考え方で、多少先導的試行でございましても時間がかかる、少なくとも四十七年度以降になるというふうにわれわれは考えております。その前に、その条件整備に対する見通しがついた上でこれを実行に移していきたいというふうに思います。また高等学校あるいは中学校における一貫教育をどうするか、あるいは高等学校の多様化をどうするか。中教審の試案によりますと、個別指導とか、あるいはその指導方法とか、いろいろな提案がなされておりますが、これらの問題についてはもう少し検討を要するというふうに私は考えております。また最終的な答申はもちろんのこと、中間報告もまだ受けていない段階でございますから、そのようなことについてはまだ申し上げる段階ではないというふうに思っております。
○杉原一雄君 大臣から先回りした答弁をいただいたような形でありますが、大体文部省の日程的な受け取め方を理解できたわけですが、私から指摘するまでもなく、これは大きく分けて第一と第二になっておる。しかも第二には基本構想ということであげられているのは九つ実はあがっておるわけです。ただこの時点で確かめておきたいことは、ある新聞の社説によりますと、日本の教育の第三の大改革の時期だというとらえ方を実はしているわけです。いうまでもなく第一は明治の初年の学制改革でありますし、第二は敗戦直後の日本の教育の改革であり、いま第三ラウンドだと、こういう指摘をしておりますが、私もその指摘はおおよそ認めていいと思います。そういう時点で、いま申されたように二十六、七、それぞれの委員会が、やがて来春に大臣に答申、報告書が出てくるわけですから、この報告書の受けとめ方については、相当確たる考え方をお互いさま出し合っていきたいものだと実は思うのでありますが、そういう観点でいま一度、ここに九つの基本構想が出ておりますが、これを縦割りにしないで、ざっと見たところで、従来の、少なくとも戦後の教育の中で、この点はもっとも特徴的な一つの構想だと指摘されるものが何と何とであるか。これは大臣が、行政に移す場合にこれこれの問題は非常に重要だと指摘されたことでおよそ尽きることと思いますが、あらためて、これが今後いままでの教育と非常に違っているのだという点が、文部省ではこの試案を通して確認しておいでになる点が四、五点あるのじゃないか、かように思いますが、その点私はこういうふうに思うのだが、私の見方を先に出して、文部省からそういうことじゃないのだということがあれば、文部省の考え方をそれに対照していただきたい、こう思うわけです。 第一点は、大臣もいま指摘をしたとおり、就学年齢の切り下げの問題が、私何としても教育の大改革を志向する第一点だと思います。しかし、それに伴って六・三・三・四制が五・四・四とかいう形に何か変革されていこうというのが骨子になっているようにも思います。はたしてそうなのかどうか。 第二点の問題は、いま大臣も触れましたように、高校の教育の多様化の問題が提起されているわけです。このことが、私後ほど質問する富山県の教育の三・七体制、三・七方式との関連が非常に大きい問題でありますが、はたして高校教育を多様化する意図が、今度の基本構想に非常にたくましく貫かれているのかどうか、私の理解がひが目なのかどうか、その辺のところをまず確かめたいと思います。 その次には、個性に応じて、昔行なわれたように学年を飛んでいくといったような飛び学級のそういうような考え方があるというふうに見られます。 第四点は、私の学校に対する補助、援助を非常に強力に進められようとしている。これがことしの国会でも、補助の問題で立法化され、今度の新しい予算の中でもその私立学校への補助が予算面でも非常に拡大されているやに伺っているわけですが、はたしてそういう意図が、政策的意図がこの答申案の中に志向されているのかどうか。 第五点は、非常に私たちは権力と相対峙する立場に立ちますので、非常に警戒心を持つわけですが、校長と教頭なり学年主任、いわゆるこの項でいいますと第七項になるわけですが、管理体制の強化、こういう点が強く打ち出されているやに判断いたします。はたしてそうなのかどうか。 私、五点にしぼって考えているわけです。その他問題ありましょう。そこで、文部省のそうした点についてのこの中間報告に対する受けとめ方、これはたいへんだ、これはすばらしい、これはどうかと思うということなどありましたらここでひとつ披瀝していただきたいと思います。
○説明員(西田亀久夫君) 私あの中教審の事務局をやっております役割りでございますが、同時にこの審議の過程において、文部省事務当局との、すべての関係部局との密接な連絡に当たっております二重の立場でございます。そこで、ただいま御指摘の点はまだ文部大臣には報告されておりません段階でございますので、一応御指摘の点が試案そのものの中でどういう角度で取り上げられておるかということについては、ただいまお尋ねの点にお答えを申し上げたいと思います。 第一点について、先生は就学年齢引き下げというおことばがございましたが、試案ではそのことはいっておりません。で、義務教育の学校に入ることの年齢を下げようという考え方は試案には入っておりません。むしろ現在の幼稚園と小学校に分裂しております幼児教育をどうすれば一貫したいいものにできるか、そのための新しい試みをやってみるべきだという提案だけをいたしております。そして、それらの背景の考え方には、いわゆる第三の学制改革と先ほど御指摘がございましたが、今日の学制改革はいわばいままでの二回のように、どこかの国にお手本をとって一挙に変えるというような学制改革をやるべきではない、むしろ一歩一歩基礎を固めながら漸進的に新しいあり方を探求するというスタートをやるのが正しいんだというのが中教審の考え方でありまして、その意味におきましては漸進的な学制改革のやり方の提案ということで、就学年齢引き下げという問題は直接にはかかっておりませんので、その点はさよう御了承いただきたいと思います。 それから第二番目の多様化の問題につきましては、御指摘のとおり試案の中で、学校の初等教育から中等教育全体の教育内容についての考え方として、初期の段階では、精選されたものをみっちり身につけ、次第に多様な方向に別れていくという考え方をとるべきである、したがって、後期中等教育ではそのことを積極的に考えるべきであって、それは単に職業課程というものをふやすというのみならず、現在の普通科というものの中にももう少し多様なコースをつくるべきだという考え方を取り上げております。しかしながら、試案の特に重視いたしておりますのは、コースが多様化されたことによって、そのコースに別れた人が二度と新しい方向に方向転換がきかないような袋小路を絶対につくらないということを、今後の改革の重要な問題として考えなければならないということをあわせて指摘しておりますので、その点も御了承いただきたいと思います。 それから第三番目の、いわゆる飛び級等の、個人の能力適性を生かすための教育方法といたしまして、例外的措置としてさようなものも制度の中で認めてよろしいんではないかということはおっしゃるとおり。それは一つの新しい提案として出しております。 第四番目の、私立学校の援助につきましては、特に幼稚園教育の振興並びに教育の機会均等という観点から、今後公立学校と私立学校というもののそれぞれ公教育における役割り分担を十分に考えて、そこに恒久性を高め、同時に財政援助について国が積極的な政策をとるべきだという指摘をいたしておりまして、このことは御指摘のとおりこの試案の中の重要なポイントの一つであると考えております。 最後の五番目の、学校の管理体制につきましては、今後学校が個々の教員が創意とくふうをもって積極的に活動していただく、その場合にそれらの活動がばらばらにならないで、一定の教育方針を相協力して効果を発揮するためには、その役割り分担とお互いの協力関係をつくるような組織というものが必要なんだと、そういう観点から、校長を助けてさまざまな役割りを分担をする職制は制度上確立すべきであるという観点でございまして、これらは今後学校の組織的な教育活動に要求されますきわめて重要な役割りをやる上に、学校教育の近代化の一つの方法として重要な提案として述べられていると考えております。
○杉原一雄君 いま指摘しました五つの問題は、西田審議官からお答えがあったわけですが、それを一々私あれこれ言う意図はございませんので、特に二項の高校の多様化の問題ですね。いまの説明によるとなかなか耳ざわりのいいことをおっしゃって、袋小路に入らないように最大の配慮をする――ところが私これから具体的にお尋ねをする富山県の三・七体制の教育は、子どもたちが袋小路に入ってじたばたしているわけです。まかり間違えば命を断つような事態すら起こっているわけです。その具体的な問題等を質問するにあたって、特に文部当局にお願いしたいのは、答申を来年いただかれるわけですが、これを行政ベースにのせる場合に、十分今後富山県の教育の実態等をお調べいただいて、それを半面、教示として、その中から教訓を見出して対処していただきたい。それを冒頭実はお願いしたわけです。私このような言い方をすると、坂田文部大臣が去年十月十九日、富山県へ来て演説されたことと違うので、大臣申しわけないけれども、私の見方と大臣の見方と非常に違うのであります。つまり評価が違うのです。冒頭に、大臣の速記録があるのでありまして、これによりますと、大臣は冒頭に、これはおじょうずもありましょうね。大臣はなかなかエチケットを心得たかたでございますから、「ここの知事さんが、教育に熱心である。その内容が地についている、産業の開発、あるいは産業の開発の担い手である人間自体の教育がいかに大切であるかということに対して、現実的・具体的な把握をしておられる、現に実行しておられる、」その他多くの例をあげて称賛なさっているわけですが、とりわけ最後の段階へまいりますと、「富山県の教育が、ほんとうに地についた教育である、これは知事さんが先頭に立ち、教育長さんがすばらしく、かつ皆さん方がその下におきまして信念を持ちまして正しい、そしてまた健全なる教育を推進してこられましたことに、他ならないと思うのでございます。」そのあとまだまだ宣伝をされているわけですが、「全国の他の県が、この富山に学べと私は思うのでありまして、ご精進賜わらんことを切にお願いいたします。」ここまできますと、全くべたぼめでございまして、私富山県人ですから、ほんとうは腹の底からありがとうございますと言いたいのでありますが、そうは言えないので困っているわけです。いまあげました高校の多様化それは富山県では中教審の答申をまつまでもなく、昭和二十何年かの第一次県政計画、第二次県政計画、第三次、そしてこの八月七日に第四次の県政計画を実は発表したわけであります。その中で逐次あるいは昭和四十五年をめどにして普通科三、職業課程あるいは職業科は四という方向で、きちんと多様化の線を指定しているわけであります。実現をお約束しているわけですが、時間的な若干ズレはございまして、昭和五十年を目途に第三次の計画が昭和四十何年かに発表されたわけですが、これも若干ずれてくるような気もしますけれども、第四次ではそうした何年度に三と四にするというような数字をあげての問題になるところは抽象的表現に逃げているわけであります。この逃げたのはなぜかというところに問題があるわけで、要するにお母さんたちが先頭に立って、住民がこれでは困る、いかに西田さんが袋小路へ入らないように配慮するといっても、普通と職業とに選別をしてしまう。しかも中学卒業段階でそれが選別される。しかも、選別される過程がまた問題でございます。そういう結果になると、職業課程に入ってから、さて、おれはこれから大学へいこうとなると、子供たちが志を立ててもほとんど無理といわれる。いわゆる袋小路に入らざるを得ない状態になる。今日の経験が一切を物語っているわけであります。でありますから、ここまで言い切ってしまえば言い過ぎのような感じもしますから、ここらあたり、大臣は先ほど、具体的に産業経済の開発とかいろいろな観点から見て地についた教育だと盛んにおっしゃっているわけです。いま私すでに私の意見もまじえてしまったので申しわけないのですが、私と大臣はその辺が違うと思いますから、大臣の確信に満ちた、富山県教育多様化の方向まことに正しい、やがて中教審から出る答えもさもあらんというような受けとめ方を大臣はしておいでになると思いますけれども、その辺のところを大臣簡潔に所信を述べていただきたいと思います。
○国務大臣(坂田道太君) 私、富山県に参りまして、いろいろお話を承ったり、あるいは定時制高校も見せていただきました。あるいは県立の短期大学も見せていただきました。やはり、ほかの県に比べると意欲的に取り組んでおられるということを実感として感じたのであります。まあ詳しいデータに基づいたものではございません。また十分な調査をしたわけではございませんし、地元の杉原さんが詳しいわけでございますから、むしろお聞かせを願いたいと思いますが、たとえば高校進学率と大学進学率の四十四年度を調べてみますと、全国が七九・四%に対して、高校進学率は富山は八五・一%であります。大学進学率にいたしましても、総数二五・六%である。全国平均が二三・二%である。それから、職業科からの進学が、富山は一〇・四%である。全国は七・一%である。こういうようなこと、あるいは技能連携教育というような問題にしましても、全国は七十二校と思いますが、富山だけで五校ある。連携施設数が全国が二百九十一に対して十六、連携生徒数は、二万六千三百十三が全国でございますが、一千二百三十九。パーセンテージにいたしますと、全国一〇〇%に対して四・七%になる。それから、定時制生徒数でございますが、実に五千八百五十四人。全国平均が九.三%でございますけれども、富山県は一一・九%ということでございます。たとえば雄峰高校を私はつぶさに見たわけでございます。この学校にいたしましても、普通の県に参りますと定時制高校というのは忘れられがちである。そして、その建物にしましても、普通高校は実に堂々たる施設設備の完備したものでございますけれども、この雄峰高校は鉄筋の七階か八階、エレベーターもついているということで、そこに学んでおる学生たちも非常に意欲がある。そして、ちょうど行きましたときは日曜でございましたか、スクーリングに来ておる人たち、つまり各種学校との連携をやっておる。あるいは各企業から集団入学をやっておるということで、ちょっと私数字は忘れましたけれども、数千名の人がこの定時制高校の雄峰高校を中心として動いてきておる。それには各種学校あるいは企業との連携、それから通信教育等々を総合的にやって、私はきわめてこれ地についた教育じゃないかというふうに思ったのです。 終戦後のものの考え方というのが、教育基本法には勤労をとうとぶ教育ということがございます。にもかかわらず、何か普通高校に行く子供たちがえらいのであって、あるいは普通高校の先生がえらいのであって、定時制やあるいは職業教育に学ぶ学生はそうではないのだ、あるいは定時制に移された先生は非常な劣等感を持って教育をされておる。これは間違いじゃないだろうかと私は日ごろ考えておるわけです。そういう意味合いにおいて、私は、普通高校も非常に大事な役割りを持っておりますけれども、また同時に職業教育、工業高校、商業高校あるいは農業高校というものの役割りというものは非常に大きいし、そうして生徒児童というものがその適切なる進学指導のもとに、能力に応じまた適性に応じてそれがある程度仕分けをされるということによってりっぱな職業を身につけるということは、高等学校に行ってそうしてあるいは大学に進むということと比べ決して遜色はないし、堂々とやはりそういう価値というものをわれわれは認めていかなければならないのじゃないか。こう思うのでございます。 余談になりますけれども、私はこの前「根っこの会」に参りまして、中学校しか出ておらない、高等学校しか出ておらない、しかしながら自分の足をこの地球という大地に踏み締めて、あるいは根を張って、自分の生活を切り開き、あるいはまた親を養い、あるいはお姉さんをお兄さんを養う、こういうたくましいかつ現実的な健康な精神と肉体の諸君をまのあたりに見まして、昨年一年間私が没頭いたしました大学紛争、どうも高等学校を卒業して主として普通科から入りました大学生というものは、中学校を卒業、高等学校を卒業して職業についておる人たちに比べてあまりにも非常識な行動、行為があるのじゃないだろうか。これは、あまりにも観念的な教育というものが普通高校で行なわれてきたというところに原因があるのじゃないだろうかという気がいたしておるわけでございまして、もう少し、いま西田審議官から申しましたとおり、普通高校の内部においても、やはりその子の才能や適性に応じた教育指導というものがなされなければならないのじゃないだろうか。あるいはそういうような教育コースというものを認めていかなければならないというのが、今日日本が近代化され、さらに七〇年代への歩みを続けていく上において当然の方向だというふうに思いますし、ともすれば、私は、この二十年間あまりにも、ただ観念的に普通高校、普通高校とこういうふうにしてきたところに問題がある。その意味において私は、富山県のとらえ方というものが一つの先導的試行をやはり目ざしておられるのじゃないかというふうな気がしましたから、ただいまお読み上げになったような演説をいたしたわけでございます。それは、こまかく言うならば、いろいろ地元の先生でございますから私より以上に調査が行き届いておるかと思います。もしそうでございましたら、十分こういう機会にお述べいただきまして私に聞かせていただきたいと思います。また私どもといたしまして、取り入れるべき点があれば取り入れたいと思います。また富山県の私の見方というようなものが誤っておれば改めたいと思いますけれども、私の印象はそういうような印象でございました。
○杉原一雄君 実はきょうは私の責任において発言をしておるわけですけれども、六月の十一と十二の二日にわたって、山中吾郎代議士を団長とした社会党の三・七体制に対する調査団を富山県に入れて、二日でございましたけれども中学校、高等学校を実は回って、県とも話し合いの場を持ちましていろいろ話し合いをした結果がございます。そういう観点に立って、いま文部大臣からおほめいただいたような内容もないわけでもないわけですが、さかのぼって考えた場合に、すべていろいろなできごとなり現象は原因があるわけですから、何が彼女をそうさせたかということ、ただ平面的に現状を見るだけでは済まされないものがある。それから中間報告にしましても、中間報告以前に出された日経連の見解等を見ますと、日経連の見解が中間報告に大体取り上げられているという――西田さん頭振っていますが、私はそのように理解する節が非常に多い。合致している。その当時、富山の場合は、ここまで追い込んでいく一つの遠い原因があるわけですね。それは先ほどちらっと申したように、第一次の県政計画、なかんずく第二次のところから学校教育の問題にかなりきついワクをはめてまいりました。ワクというよりも、はめる側からいえばきついビジョンを示してきた。第三次に至っては、いままでの普通科、職業科のパーセントまで締めつけてきたわけですね、三・七。これは、ここにいわゆる原因があるわけでして、それは私たちも今日までこうした傾向については、私も県政総合計画の審議委員に入っておりましたから内部ではかなりの抵抗を示し、なかんずく第三次の県政計画のときに、当時の知事が誇らしげに吹聴しておりますとおり、文部省にまねをして望ましき県民像を実はきめたわけです。そのことをいまここで一々申し上げる必要はありませんが、しかし、ただそうした年次を追って県政計画の中にそれがはまってきて、いま富山県は宮崎に次ぐ全国まれな三・七という体制に入ってしまった。何と言おうと袋小路状態に学生を追い込んでいるのが現状であります。それに伴い中学校教育のゆがめられたる実態、高校に学ぶ生徒の無気力なり不満なり怒りなりそうした現象等について具体的にあげる例はずいぶん多いわけですが、ただ問題は、中教審の場合もそれから富山の場合も、一つの大きな発想の起点に経済の要求――まあ大臣のあいさつにもありましたとおり、経済の開発云々という表現にも端的に示されたように、富山県の場合にも経済の開発というものとの関連が教育の中で、能力開発教育とかという形で計画化されてきているというのが事実であります。その点は、これは西田さんの場合にどうですか。私が意地悪な言い方をしたかどうか知りませんが、日経連がこれは去年の十二月十五日出していますね。「産学関係に関する産業界の基本認識及び提言」というのが一つありますね。それからもっとさかのぼってまいりますと、これは去年の五月十八日ですね、「教育の基本問題に関する産業界の見解・提言」というのがあるわけですね。日経連というのはどういう団体であるかは言うまでもありません。ここにあげられていることを一々点検してみますと、いま中間報告といわれているものの中にかなり――かなりというのも私見ると相当これが具体化されていると、意見として採用されているというふうに理解いたしますが、その辺のところのかかわり合いですね、審議の過程でどういうふうに関連しているのか、全然無関係なのか、それをはっきり伺いたいと思います。
○説明員(西田亀久夫君) 中央教育審議会で基本構想の試案をつくります段階におきましては、それまで新聞、雑誌その他において公表されました学制改革に関する各種の意見を事務当局で整理いたしまして、それを委員会の審議の参考資料に提供しております。もちろんその中にはただいま御指摘の日経連並びに経済同友会その他各方面からのさまざまな御意見についての資料が入っておりまして、これらが当初改革の目標を検討する段階においてそのような資料を委員会である程度目を通されたことはありますが、格別どの団体の意見を中教審の試案に取り入れるという角度の審議はございませんでした。むしろこれからの世の中の移り変わりを考え、学校制度の普及に伴い、質的な問題を改善するために一体何を今後の改革の目標とするかということについて、審議会自体きわめて独自の立場でいろいろな御討議がございました。その際に特に強調されましたことは、わが国においては学校教育というものが、かつてはきわめて貧困な時代において現在の生活から離脱するために学歴を得ようという形で、もっぱら上へ上へと進むという傾向が非常に強かった。したがって、最近でもその傾向が非常に強く、必ずしも学問的な内容についてどれだけの関心と興味があるかは別として、何とか上の学校に行きたいという強い趨勢がございます。そしてこの試案の中にも指摘しておりますように、名目的に学歴を得ることを目ざして、実質的に何を身につけたかということがほとんど置き忘れられたような非常に不十分な結果が各所に生じているということの指摘がございます。そうしてこのような教育の普及というものを考えます場合に、憲法、教育基本法が申しておりますように、教育の機会均等とは本来能力に応ずる教育を与えるというのが憲法、教育基本法にも書いてございます。そういう角度からほんとうに同じメニューの同じ食事を食べさせるということが決して教育としての理想ではなく、ほんとうにその人の血となり肉となるような多様な教育をどのようにやるかということが日本の教育の転換点であるという考え方であります。その場合に職業教育とはいわゆるアカデミックな学問、研究というものと、先ほど大臣言われましたような、格別な一歩低いものという考え方が従来ございましたけれども、中教審といたしましては、すべての人間が社会に出て何らかの段階で職業につく。職業というものは人間が生きて働く場である、最も神聖な仕事である。そのために教育は何を準備すべきかということを考えると、その人の進路に応ずる教育というものを徹底するということがほんとうの意味で教育の本来の目的じゃないだろうか。さような意味においてコースの多様化と職業教育というものを積極的に考えるという立場が述べられております。その際に議論がありましたことは、その多様なコースで、進学コース以外の勉強をする人にほんとうに充実した、いい教育のできるように学校を充実する、またどのコースに行ってもそのほんとうの将来の可能性がいろいろ変化してまいりました場合に、さまざまなくふうをこらして、新しい進路の転換ができるようなくふうをする。これは現在の制度ではきわめて不満足でありまして、その点を変えることが重要な点であるということの指摘がございまして、多様化とともに袋小路をつくらないということを今後の改革の目標として指摘された。さようなことでございまして、ただいまお尋ねの日経連のことは資料としては出たことがございますが、どの団体のどのような意見を取り入れるという形での中教審の審議はなかったと私は記憶いたしております。
○杉原一雄君 これ以上追及いたしませんが、この富山に関する限りは、先ほど申しましたように、県政計画というのは第四次計画を迎えたわけですが、その計画のつとにそうした高等学校の多様化の問題あるいは職業と普通との比例の問題、こういう問題が全国、いまトップレベルの締めつけ方を実はやっているわけで、しかもそれはいま申し上げたように、今日の教育をそうあらしめているのは、もちろん富山県の責任において行ない、またその責任の輪郭を示す県政計画にすべての前程がある。そうすると、その県政計画の立て方に問題があるわけでして、先ほど県政計画の中を見れば、事教育に関する限りは、産学協同とか産学の提携の問題がはっきりと第二次から打ち出されているわけですね。産学というふうにですね。そういうところに多様化への最大の動機があると、こういうように私は理解するわけです。でありますから、いま審議会で袋小路の心配、非常になさって御苦労でしたけれども、結果的には袋小路に入るんですよ。たとえば、富山でですね、そうした非常に教科をこまかく分けた学校がございます。そこの学校の校長が、どうしてもその学校へ生徒が来ないものですから、何々高等学校の小学科制についてという、こういうパンフを出した。このパンフは宣伝用のパンフなんです。中学に宣伝して、子供ないしは父兄を通じて、わが学校の特色はかくのごとしということを出しているわけです。これのあいさつに、いま校長はやめましたけれども、こういうことを書いているわけです、冒頭に。「終戦後新学制によって誕生した、歴史の浅い職業科の学校では、優秀な中学卒業生を集めることは困難であります。しかも、一旦入学した生徒の大部分は、自分が始めから望んで来た学校でないという意識から、」――ここがたいへん大事なんです。だから結局多様化への方向は非常に能力に応じて云々と、聞くだけになかなかほのぼのとした印象を与えますけれども、どこで、だれがその多様化の道、コースへ選別していくかという、子供自身が選んでいくか、子供自身が選ぶ能力があるかと、こういう問題は、私はこの校長の権限をもってすればないということです。実は、その学校の子供さんたちと私たち調査団が座談会をもちました。特にこの学校では薬品分析科とか薬業経営科とか、薬品製造科と、こういう科があるわけです。四十人ほどの定員ですが、各科ともその子供さんに聞いてみたところが、あなたはこの学校を初めから選んだのですかと聞いたら、いいえ、中学校の先生から配当されてここへ来ました。割りつけられて来たということです。成績、いわゆる学力テストの結果に従って、おまえはこの学校のこの科へ行けばいいだろう、ある子供は、どうせお嫁に行くのには県立高等学校という肩書きを持たないと、いままで職場でうまいこといかぬもんだから、いやだったけれども来たわけで、そうならこれからどうするんだと。あなた方は卒業して、いま選考したその技術なり能力を発揮するような職場を求めて進出しますかと。いいえ、そんなことを望んでみたってだめでしょう。あきらめているわけです。ここにほんとうの教育の、この何といいますか、情熱が教師の場合にも子供の場合にも出てくるであろうか。非常に私、問題です。これはもうあなた、袋小路なんですよ。あなた方の中に大学へ行きたい人おりませんか、もう二年生ですからね。そう言ったら、はい、私もほんとう言ったら行きたいと思います。でも、だめだと思いますね。完全にあきらめきっているわけですね。これは校長がこういうことを言っているのは事実なんですよ。「学校や学習への定着を頑固なまでに拒否し、いよいよ劣等感に沈んでいきます。」こういうふうに彼は書きながら、なおかつ、このような学校経営に非常にこの校長が苦労してきたわけです。同じその学校で経営方針を、実は学校管理の指導計画を、実は四十五年度のものをもらってまいりましたがね、この中にこういうことばがなまで出ているわけです。それは「産学共同体制の具体的な導入に努める。」とあるわけですね。私たちいろいろな皮肉な意味で質問を実はいたしたわけでございますが、これ以上この中身についてせんさくをする必要はありませんが、つまり、県の県政計画とこの学校の多様化の問題とはおのずから一致しているということ、そのことに伴うてさまざまなひずみが起こっているという事実、このことを皆さんはやっぱり十分お調べになっていると思いますが、御検討いただくことが非常に私、大事ではないか、このように実は思います。 ことしの六月二十日に、来年の三月卒業生の進学希望状況を調べてみた、それは中学校の校長会が調べたのでありますが、六月二十日現在では、普通科希望者が四三・一、そうして職業課程のほうは五六・九であるとおっしゃって、教育委員会が調べた五月一日現在のは四六・五と五三・五であります。でありますから、月日を経過するに従って、子供の普通科希望が減っていくのであります。私が調査に行ったら、六月の上旬でありますが、ある中学校のクラス、選別しないであるクラスだけ特に四十人集まってもらいました。そうして、子供さんたちに、どうでしょう、来年の三月高等学校に行きたい人は手をあげなさいと言ったら、まあ一〇〇%近いくらい手をあげました。これは市部の学校でございますから、そこで、その中で普通科の希望者は手をあげなさいと言ったら八〇%、中には、いや私は、ある学校の子供のように、あきらめて私は職業課程を選びます、家庭科へ行きますというのが一、二おった程度であります。私たちは念を押したのであります。では、あなた方、御承知のように、普通科を希望するということは容易でないようであるが、先輩諸君もその点で涙を流して進学課程に行ったという経過もあるでしょうし、それでもなおかつ普通科に行きますかと、自信がありますかと言ったら、もう八〇%のうちわずかに二、三人しか手をあげない。そのうちたった一人だけ、おれは予備校へ行っても普通科へ行くのだ、こう言って手をあげたわけです。しかし、これは冷静な子供たちが、自己の能力と将来の問題を考えてそういう判断をしているのかどうか、私はそうとは思いません。いろいろ先生から聞かされ、おかあさんから説得され、やがてこれは三月のいわゆる受験期になりますと、県が期待するような産学協同路線にきちんとはまるわけであります。私はそこまで進む過程における中学校教育、子供の希望、子供の将来が選別されていくこの間のプロセスが、はたして教育かどうかということです。少なくとも中学教育の仕上げ段階において、いろいろな子供間に劣等感を与える、あるいはまた、教育に対する何かいじらしい気持ち、教師に対する反感、顧みて親に対してまでうらみを持つような結果を彼らに与えることは、そういう印象が将来の子供たちの人生にとってどれだけの災いを起こすだろうか、思うだに私は戦慄を覚えるのであります。そうした点など、やはり実態をよく見ていただいて、中教審の偉い方の前でいろいろ議論されることも大事だけれども、そういう現場を踏まえて、とりわけ先ほど大臣自身がおっしゃったように、ほかの県にも先んじて、先進県としてお認めいただいたわけですが、確かに前に進んでいるわけですから、進んでいることが是か非かという問題、もう一度、私、十分検討していただかないと困るのじゃないかというふうに思います。同時に、ここまで富山の教育が多様化し、三・七の体制に締めつけられてきたこの段階の行政的処置というのは、それはどういうことかといいますと、私も昭和二十二年ごろから教組運動やっておりましたから、軍政部ともいろいろ話し合いをする機会がございまして、新しく高等学校が出発する場合に、女学校、中学校等を統廃合して高等学校にする。その場合には、杉原君、われわれは三原則を実は持っているのだということで、向こうから提起されました。つまり男女共学と総合制の問題と学制の問題ですね、小学区制の問題。この三つの問題を提起されて、その原則に従って私も新しい仕事にタッチしたものですから、非常に何といいますか、生き生きした気持ちで県下数十の中学校、女学校を整理統合するプランをつくった覚えがあるわけですが、この際にやはり原点になったのは、高校の三原則であります。ところが富山の場合においては、年次的に一つ一つくずされてきたわけです。あるいは男女共学の場合は、女子の独立校を幾つもつくる。これはまあ奥さまたちの皆さんが先頭に立って、昔の母校を復活するという素朴な運動から始まった。それから昔の商業学校の卒業生が中心になって母校を復活する。こういう原始的な要求から出発しておりますけれども、結果的にはそうした総合制をくずしていってしまう、男女共学制をくずしてすまう。そうして昭和何年でございましたか、昭和三十七年の九月の六日でありますが、教育委員会は、とうとう今日の現在実行している大学区制にしてしまったのです。全県一区とは申しません、ほとんど全県一区に近い状態にしたのが昭和三十七年の九月の六日であります。このときは、それこそ富山県の県庁の中は大混乱をするような私たち動員をかけて、阻止闘争をやったことは忘れることはできません。ただ単にわれわれは現状維持者ではありません。そのことが高等学校教育の原点であり、譲りがたいものだとわれわれ信じたからこそこれをやったのであります。だからいまこの時点で覆水盆に返らずと言われればそれまでのことだけれども、文部省はこれから進めようとする過程においてはそういう原点、いわゆる三原則がないほうがいいと考えておいでのように想像されますけれども、しかし、はたしてその三原則はあまり値打ちのないものかどうか、その点を明確に文部省の現時点において、答えはもうわかっているような気がしますが、明らかにしていただきたいと思います。
○国務大臣(坂田道太君) 戦後新たに抜本的な教育制度の改革があって、中央集権的な教育行政から地方分権的な教育制度に変わったことは御承知のとおりでございます。したがいまして、やはり各県ある程度の独自性を持つということはやはり必要なことだ。やはり地域住民の意思を体して県の行政あるいは教育行政が行なわれていくということが私はたてまえだとかように思うのでございまして、いろいろの改革がございましても、単に上からだけじゃなくて、その地域社会にやはりマッチした教育行政を行なうべきじゃないか。日本全国を見回しますと、男女共学を一緒にやったところもございますけれども、また離したところもある。それはそれなりのまた意味もあるのじゃないかと思うのです、私は率直に申しまして。ですから、それはやはり文部省でそれをどうだこうだとあまりいまは考えないで、それを含んでいまの中教審の幼稚園から高等学校までの改革というものをひとつ考えて実現に移していきたいというふうに思います。 それからいまお話しの、子供たちが普通高校へ行くから、手をあげさせてみたら八〇%、九〇%とおっしゃいますけれども、先ほど西田審議官からも申し上げましたように、真の意味の教育は何かといったら、やはりその能力に応じ、その適性に応じた教育を受けられる機関を用意するということが私たちは大事だと思うのです。単に画一的に、観念的に考えたことが、普通教育偏重で、そして能力もなく適性を欠いた者が多数高校に入学をして、そして十分教育内容を身につけないままに、また大学の受験をするというところに、実は今日の問題をはらんでおる、あるいは大学紛争の原因になっておるかもしれない。私はそういう意味合いから、普通高校偏重というものを一応考え直してみる時期がきているのじゃないか、画一性というものがそこから出てきているのじゃないか、そういうお考えから出てきているのじゃないか。しかし、おっしゃいましたことは非常に重要なことであって、非常に進路指導ということが重要である、子供たちはなかなかわからない。それならばやはり先生が、あるいは父兄が、あるいは教育委員会が適切な指導を十分果たした上で、能力、適性に応じた進路を決定していく、こういうことでなければいけないのであって、単に本人だけが希望するからそれを入れないのはけしからぬというものの考え方はいかがか。むしろやはり客観的に能力に応じておるのか、あるいは適性に応じておるのかどうなのか、それでもまだやるのか、その辺は実際の行政として私はわかります。そしてその結果がいろいろ問題を起こしておることもわかります。しかし、基本的に申しますと、この二十年間あまりにも普通高校に行くことだけが教育を受けることであって、職業教育校をべつ視したようなそういうものの考え方が相当支配をしてきた、これは改めなければならないと思います。もう今日、西田君も言いますように、新たな制度を設ける場合、日本独自の、日本の教育土壌においてわれわれが考えていかなければならぬと思います。しかし同時に、世界の国々のいい点はやはりこれを導入していかなければならぬ。その意味においては、ソ連において一ぺん学校に入れておいてまた労働につかせて、そしてまた学校で学ばせるとか、あるいは中国の場合におきましても、勤労精神というものが人間形成に非常に大事である、こういうことは何もソ連、中共のまねをするばかりじゃなくて、われわれのきめました教育基本法にそういう精神がうたわれておるわけでございます。こういうものを実はないがしろにして、あまりにも観念的なことを空転させておる、この辺を私は考え直さなければ、日本における教育というものがほんとうに地についてこないのじゃないかという気がしてならないのでございまして、だれも彼もが学者になるというようなことじゃなくて、やはり職業教育は職業教育の非常な意味合いがありますし、それを卒業した人たちに誇りを持たせるようなことをわれわれは考えていかなければならないと思います。しかし、それだからといって、いま御指導をいただきました進路指導というものが、いかに実際的にむずかしいかということは、私もよくわかっております。特にフランス等におきましては、進路指導については何年かかけてやっておるようでございますが、そういうようなことはやはり学ばなければならぬ、かように考えております。
○杉原一雄君 大臣のしゃべるのが多かったものですから、二十五分で終わる予定でしたのが三十分になりますが、勘弁してください。 最後に、大臣はそのようにおっしゃったけれども、富山で第二の都市であります高岡市というところがあります。この間、六月二十五日に市議会で富山県高校教育の職業化偏重是正に関する意見書を地方自治法第九十六条第二項に従って議会で決議をしております。中身はぼくの申したことを要約したわけですが、高等学校三原則を守りなさい、あるいは申し上げたような三・七の締めつけは困るというようなことを市の議会で決定をしていただいております。同時にまた、県政総合計画の一つの大きな落し穴でありました公害の問題について、直接請求によって、私、代表者になりましたけれども、この二十五日に、一日県会でありましたが開かせて、県政におけるところの産業優先の考え方、これに対する猛反省を促す一つの成果を得たものと思っております。 最後に、イギリスにおいてサッチャ教育相、文部大臣と言ったほうがいいと思いますが、文部大臣よりお若いようであります。四十四歳の御婦人の方でありますが、この方はいままで労働党がとってまいりました単線型の教育、そういうのはだめだ、白紙に返せ、そして伝統の進学学校を守れということで、新しい通知でございませんで通達を出しました。それはまさに逆コースをいくものとして激しい国民の反撃を実はいま受けているわけであります。進まんとする道はいま中教審が出そうとする方向と非常によく似かようておるわけです。こういう点もございますし、なかんずくこの中でサッチャ教育相が言っていることで非常に耳ざわりになることは、ある民主的団体がサッチャ教育相に、われわれに何の相談もなくそういう通達を白紙に返すとは何ごとかと言ったときに、総選挙によって皆さんに相談したじゃないかということを彼女は言っているわけです。文部大臣はそういうことばを使わないだろうけれども、やはり頭の中のどっかにあるわけです、三百人が頭の中にあるわけです。三百人を頭の中におくような文教行政をこれからとらないように気をつけていただくことを最後に勧告いたします。
○国務大臣(坂田道太君) 私はイギリスの文部大臣じゃなくて日本国の文部大臣でございます。
○多田省吾君 私は最初に、教科書検定問題について若干御質問いたします。 いま三権分立に対しまして教育権というものを第四権としてつくるべきだというような意見も強くなっております。私も同じ考えでございますが、しかし、非常に教育に対する行政の支配権というものが強くなっているという現状です。教科書の問題につきましても、国民の大多数は、最近の教科書は非常に検定の結果偏重しているんじゃないか、憲法の問題が空洞化されたり、あるいは戦争や公害に対する問題も非常に少なくなっている、こういう世論が非常に強いのでございます。今回の東京地裁の判決に対しまして、私たちもこういった表現、学問の自由を守り、さらに検定制度の行き過ぎを否定するというような、こういう判決は私たちはおおむね妥当だと感じている次第でございます。それに対して文部省は、先ほど安永委員からも詳しく指摘があったのでございますけれども、いわゆる通知を出しまして、その通知を出したこと自体私は三権分立のたてまえ上、しかも被告、原告という同等な立場にあるのに、一方的に行政権を使ってこういった通知を出すということは不公平ではないか、こういう感も覚えますし、またこの内容につきましても、たとえば「検定にあたっては、法律に基づいて定められた検定基準に照らして」とか、あるいは「国の議決による法律に基づき教育課程の基準としての学習指導要領を定め」たりとか、こういった文部省の一方的な記述があるわけでございますけれども、なるほど学校教育法二十一条あるいは文部省設置法第五条によって教科書あるいは検定の問題は出ておりますけれども、しかし運用とか基準とか、こういったものは結局文部省が省令とか告示、こういった形で国会の議決も経ないものを出しているにすぎない。さらに昭和三十一年に教科書法案が流れたのでありますけれども、しかしその内容である教科書検査官制度とか広域採択制度、こういったものをいわゆる行政措置によって文部省は新設するに至りまして、結局教科書法案とほとんど変わらないようなものをいま打ち出しているわけです。こういった観点からこういった通知は、私は、内容に照らしても非常に国民の世論に対しても反省がないし、一方的である、そういう感を覚えるわけです。これに対して文部大臣はどのように考えておられるか。
○説明員(宮地茂君) これは午前中にすでに他の委員からの御質問で大臣から非常に明快にお答えがございましたと思いますが、また重ねて御質問でございますので、簡単にお答えいたします。 これは別に私ども裁判所の判断を尊重しないとか、一審判決を無視するとか、そういうことで、私の名前で出しました通知はそういう意味で毛頭出したものではございません。これは文部省といたしましていろいろ判決理由を読んでみまして、納得もいきませんし、したがって承認しがたい、そういう立場で、民主主義のルールで認められておりまする控訴ということをいたしたわけでございます。裁判はまだ確定いたしておりません。したがって文部省としては何がゆえに控訴したかということは、これは都道府県の教育長その他いろいろ関心の深いところでもございますので、私どもとしては、判決を尊重するしないということとは別に、いまこの問題についてこういう理由で控訴しましたということを一応関係者に通知をしていく必要がある、こういう考え方が主でございます。したがいまして、三権分立で司法権がこう言ったのに、文部省はそれに従わないとかいうことではなくて、いま申しました理由で三権分立の中で許されておる民主主義のルールに従って控訴をした、それに関連してのことを通知したわけでございます。 ちなみに、午前中の他の委員の御質問のときにもございましたが、実は片や原告側並びにそれを支援する団体等におきましては、第一審判決を定着させるのだ、まだ裁判上、民主主義のルールに従いますと、高裁、最高裁、これは不服がある者は、原告、被告にかかわらずこれを控訴できるわけですが、しかし一方におきましてはその判決を、一審判決を定着させるのだ、そういうことで学習を進めていくのだ、しかも教科書は自由採択でやるべきである、そういった運動がきわめて熾烈でございます。したがいまして、そのようなことは教育界にむだな混乱を起こしますので、この判決を尊重しないということよりも、未確定なんだと、したがってそのことによって教育行政、文部省なり県教委なりいろいろおやりになられます教科書検定その他教育行政そのものはこの判決では影響を受けないのですという意味のことを申し上げた次第でございます。
○多田省吾君 こういった現行の教科書の検定制度というものは文部大臣が総大将になって文部省の行政官が行なっているわけでございますけれども、特に私たちは教科書の思想内容まで行政官がチェックするという結果は教育の独立のたてまえからも非常に不適当だと思います。先ほども質問があったのでございますけれども大臣のはっきりしたお答えがなかったのですが、この検定制度というものを公正な第三者の機関をつくって行なうようにすべきである、そして大学教授あるいは校長、現場の教員または教育専門家、各界代表、父兄代表、こういったものによって構成して公正な判断を求めたらほんとうによい教科書が出版されるのじゃないかという意見もいま強く行なわれております。で、こういった公正な第三者機関を検定制度に設けるようなお考えは大臣にないかどうか。
○国務大臣(坂田道太君) 教科書の検定は文部大臣が教科用図書検定調査審議会に諮問し、その答申に基づいて公正かつ適切に行なっておる実情でございます。現在、このように文部大臣が教科書の検定を行なっておりますのは、文部省は、学校教育、社会教育、学術及び文化の振興及び普及をはかることを任務とし、これらの事項及び宗教に関する国の行政機関であるからでございます。文部大臣から独立した検定機関の設置も一つのお考えではありましょうが、それでは教育行政の一体的責任を負うということができなくなるので、にわかに賛成はいたしかねるわけでございます。 なお、教科用図書検定審議会は各教科の専門の学識者と教育についての識見を有する、経験を有する教職員等をもって構成されております。さらに、審議会の審議に先立ち教科書調査官のみならず、大学の教授や小・中・高等学校の教員よりなる調査員に広く調査を委嘱した調査に基づいて八正かつ適切な立場で審議されておるわけでございますから、ただいまのところ私はこれで検定を行なっていきたい。しかし、このやり方等についてもう少しくふうを要するんだというような点がございましたならば、私たち独自の判断でひとつくふうをしてまいりたい、こういうふうに思っております。
○多田省吾君 変更できるものは独自の判断で変更したいというお話でございますけれども、私どもが見ても非常に調査官の主観のみによって教科書の検定をしているんじゃないかということが多いわけです。時間もありませんからあれですけれども、たとえばどういったことが検定されたかということは現在の検定制度では調査官と著作者または出版者しかわからないわけでございます。たとえば週刊誌等にもこういったことはたくさん出ております。最近でも小学生の国語の教科書が詩を載せた。川の流れを「さら、さるる、ぴる、ぽる、どぶる、ぽん、ぽちゃん」、なかなか芸術的な表現でやったところが、これが、さらさら流れるにきまっているんだというようなことで、これはだめだ、というようなことで、いろいろ言われておりますけれども、そのほかにある週刊誌に久司さんという人が言っているんですけれども、この内容は文書で残しておりませんからもちろん聞くよりしようがないのでありますけれども、たとえば政党の腐敗や利権などは主権者である国民の関心によってたださなければならない。こういうのは政党自身が腐敗をただすべきだというようなことで、これは修正すべきだという意見があったとか、あるいは主権者である国民一人一人が主権者のように勘違いされるというような、こういった理由で直せと言われる。それから、日本国憲法と明治憲法との対比は望ましくないとか、あるいは核兵器が発達しているので戦争が起きると人類が破滅するおそれがあるとか、われわれにとっては当然なことであって、非常に現行憲法の精神に合っているんじゃないかと思われることが直せと言われている。こういったことが全部口頭で修正指示が行なわれる。こういったことを文書で残すと何か不都合があるかどうか。そして、こういった修正のしかたは、あくまでもこれは調査官の主観によってどのようにでもできる問題ですから、これは越権行為ではないかと、このように思うわけです。大臣はどのように考えられますか。
○国務大臣(坂田道太君) 私、調査官をやった経験がございませんので、個々については実はよくわかりませんけれども、しかし一生懸命公正にやるつもりでございましてもたまに間違うということは、これはやっぱりあり得ることだと思います。しかし、私どもといたしましてはそういうようなことがないようにつとめていかなきゃならぬということは申すまでもないことでございます。しかし、いやしくも私は検定におります者といたしましては、自分がどういうような考え方を持とうとも、あるいはどういう、たとえば歴史を取り扱っておる審議官が自分はどういうような主張を持ち、歴史観を持っておりましょうとも、それはやはり検定をいたします以上はその学校教育法、検定制度のもとにおける基準に照らして公正な検定をやっておる、またやろうとつとめておる、こういうふうに信じておるわけでございまして、やはり自分の考え方あるいは自分の歴史観というような、そういう主観でもってこれを判定すべきものではないと、かように考えておるわけでございます。
○多田省吾君 先ほど申しましたが、三十一年に教科書法が流れて、そのあとで調査官制度とかあるいは広域採択制というものがとられたわけでありますけれども、どうもこの調査官制度というものがいわゆる行政措置によって行なわれたわけですけれども、実質的に調査員よりも上に立って行政官である調査官が決定権を持っておるような運営がなされているんではないか。もう一点は、この広域採択制がとられた結果、教科書の選択というものが官庁とか一部の有力教師の代表など、こう人によって選ばれて、現場の教師というものが採択に全く無縁になっております。そして展示会に行く教師、父兄も非常に少なくなってきております。こういった制度はやはり改革すべきではないか。この広域採択制をとってから、もう国定化とはいかないまでも、準国定化のような形態をとっておりまして、非常に教科書の種類が少なくなっているんです。小学校の国語を例にとりましても、昭和四十年に九社あったのが四十三年に七社、四十五年に五社。それから家庭科においても四十年に八社であったものが四十六年には二社と、このようにぐんぐん減っておる。このような教科書の採択についてもいろいろ教科書会社との間にも黒い霧も前からずっとうわさされておりますし、こういった広域採択制というものは私は不適当だと思うのです。このことに関しまして大臣のお考えを明確に伺いたいと思います。
○説明員(宮地茂君) 幾つか御質問がございましたが、まず最初の、調査官がきわめて権限を強度にふるい過ぎておるというような御指摘でございますが、実は確かに調査官が各教科につきまして――定員四十一名でございますが、おりますが、この教科書検定の仕組みは、申すまでもなく、調査官だけがやっておるわけでは毛頭ございません。いま先生も御指摘になられましたように、調査官のほかに非常勤の、先ほど大臣が申されました大学の先生や高等学校以下の先生にお願いしておる調査員――年によって違いますけれども、三百人ないし五百人、これがその年によって違いますのは、これは申請本の数によって違ってまいるわけであります。一つの教科書について三人の調査員で見ていただいて、さらに文部省におります調査官は、これはその科目によりまして多少出入りはございますが、少なくとも二人以上おりますが、それらが合同でやる。そういうところでいろいろ調べましたものを教科用図書検定調査審議会――これは委員さんは九十名でごさいますが、そこにかけます。そしてそういう形で審査が行なわれていることは御了承いただきたいと思います。もちろん、週刊誌等で一、二の調査官のこと等がいろいろ載せてありますけれども、私どもそれが必ずしも実態ではないというふうに考えておりますし、いまのような数字を見ていただいても御理解いただけると思います。 さらに、「ぴる、ぽる」ですか、ことばが詰まるような例の詩が常に最近問題になるのですが、これも調査をいたしますときは、そのこと自身が悪いというよりも、やはり子供の教育は子供の発達段階に応じて教育していくんだ。まあ、教育の自由云々とも関連いたしましょうが、真理でありましても大学生に教えるようなことをやったり、あるいは非常な上級生の情緒に訴えるようなそういうことばよりも、標準的な擬声音から教えたらどうですかといったような指示をした――指示ではございません、そういうことを説明したというようなことですが、その他いろいろ、たとえば、いまお話はございませんが、磁石が北を向いたらどこの国を指しておるので南を向かせというような、いろいろ神話伝説のようないろいろな尾ひれがついていきますが、その点はどうか――さほど文部省の調査官だけが自分の主観でやっているものではない、週刊誌等で伝えられていることは、もう全くでたらめだとは申しませんが、全くうその真理だという前提で、お考えいただかないように、その点は十分同情していただきたいような気がいたしますので、弁解いたしておきます。 それから広域採択の問題ですが、たとえば、よくこれも週刊誌等で言われるのですが、青森県は全県一区ではないかというようなことを言われますが、青森は全県一区にたまたまなっておりますが、制度といたしましては市郡単位といったようなことで、あとは文部省としては指導いたしておりません。地域の実情に応じてやるというようなことでございます。 さらに、教科書の数が減ってきて、これでは国定化だというようなこと、これはいま先生の御指摘だけじゃなくて、これもいろいろ週刊誌等でも言われておる点でございますが、これは私ども思いますのに、教科書の価格というものは、父兄負担の軽減といったようなこともございまして、文部省におきまして一定の最高価格を示すということになっております。もちろんこれにつきましても、そうでなくて、何百円かかる本をつくってもいいではないかという論もございますが、それにしてもいろんな理由から定価をある程度きめております。したがいまして、やはり教科書の発行もこれは一般の経済ベースにのっとってやることでございます。したがいまして、たとえば特殊教育の盲、ろうのような需要のない教科書は、検定にいたしても検定本が出てこないわけでございます。いたし方なく国定にせざるを得ないといったような形になっておりまして、したがいまして、教科書数が減ってくるということは、やはり私ども定価のきめ方ということも相当関連があるのではないか、一般の経済原則にのっとって利潤が非常に多いという商売ではないという特殊な性格によるのではないかというふうに思っております。もちろんそういう御批判につきましては、ただそれだけに責任を着せないで、いろいろ検討すべきことは検討させていただきたいと思います。 大体以上でございます。
○多田省吾君 いまのような意見は、何も週刊誌だけではなくて国民全体が考えていることです。いまから五年前、十年前の教科書と比べると、平和の問題とか公害の問題、物価問題、こういったものがどんどん減っているという姿は、事実私も見ましたけれども、実際減っている姿があるわけです。こういう経過的な姿ははっきり見受けられます。大臣も、調査官の主観を入れてはいけないというようなお話もありましたけれども、さっきあげたような例は、私は調査官の主観で幾らでも変えられるという実例だと思います。たとえばこういう例もあります。原稿審査のときにA意見、B意見というものが付されますけれども、B意見は必ずしも掲げる必要はない。ところが校正刷審査でも再び同じB意見が修正意見として付されてくるというのは、どうも教科書を修正しなさいというお仕着せのようにとられるわけでございます。こういったB意見というような扱いのしかたも、結局はA意見と同じように取り扱えというような主観が入っているのではないか、このように考えられます。こういった点をやはり、そのほかたくさんの問題がありますけれども、まあ大臣は、いろいろな問題は改めていけるものなら改めていきたいとおっしゃっておられますけれども、こういった問題はたくさんあります。こういった点を大臣は謙虚に調査して改めるおつもりはないのかどうかお伺いします。
○国務大臣(坂田道太君) 先ほどお話ございましたけれども、公害の問題はむしろふえておるわけでございます。取り上げ方は。というのは、十年前はそう公害の問題は、現実にあったといたしましても、今日ほどではなかったという事実でございましょうが、そういうことで、事実はふえておるというふうにお聞きとりをいただきたいと思います。 それから、こういうふうに調査員が三百も五百もおるけれども、公正を欠いておるのではなかろうかと疑われるような若干の事例がなぜあるのかというと、これはほんとうに調査官の仕事というのはたいへんな仕事でございます。実を申しますと、三十一年以前におきましての一体教科書はどうだったか、憂うべき教科書というものが世間のそれこそ問題になりまして、そしてこの国会の議論になって、どうも国民全体から考えるならば、こういうような教科書はよくないのではないか、改めらるべきではないか、しかし、現在の陣容ではとうていそれはやれないのだ、そして公正を期しがたいのだと、こういうことであれはたしか三十一年ごろと記憶をいたしておりますが、そのころから、先ほど私と局長が述べましたような陣容でもって公正を期しながらやってきたということをひとつお考えをいただきたいと思うわけでございまして、私も公正を欠いたいろんな事例を御指摘いただくたびに、私自身としてもやはり責任者として責任を感じておるわけでございまして、そういうようなことを具体的に直していくという努力を積み重ねるということは、御指摘のとおり私は考えております。最善の努力を払ってまいりたい、かように考えております。
○多田省吾君 次に、いま大臣は、公害問題はふえているというお話でありますけれども、私はまだまだ少ないという意味で申し上げたのですが、確かに平和問題、憲法問題は減っている傾向はあります。公害は十年前に比べてふえるのは当然であって、私はいまの現状から見てまだまだ公害教育の内容が不足であると考えておりますから、つい口に出たのでありますが、次に学校公害について三点ばかり伺っておきたいと思います。 四日市とかカドミウムの被害のある地域におきましては、特に公害教育を徹底さしてもらいたいと地元住氏の要望も強いわけです。また日本全体において公害の教育というものはもっともっと徹底されなければならない。公害教育に対してどのように考えておられるのか。 またさらに通産省等でも、公害防止大学というものをつくって四十七年には発足させたいという意見もあるようですが、文部大臣としては公害防止対策についてどのように考えておられるか。 さらに、いま学校公害は非常に最近多くなっておるのです。公害は子供さんと老人が最も被害をこうむると言われておりますけれども、この六月に文部省が発表した学校教育等特性に関する調査におきましても、公立小・中学校の一部でございますけれども調査しているわけでございます。私はこれは私立の小・中学校においても調査すべきであると思いますが、その調査においても相当多くなっております。二年半の間に騒音に悩む学校は一・八倍、大気汚染に悩む学校は三・三倍と、わずか二年半の間にこのように急増しております。先ほども委員派遣の報告があったわけでありますけれども、基地周辺の学校あるいはそういった公害の起こっておる学校はまさに非常に強い要望があるわけです。詳しく申し述べている時間がないのでありますが、船橋市あたりでも地盤沈下の結果学校にひずみがいっていると、このような例もたくさんあります。こういったことは何も基地周辺の対策だけではなしに、文部省としても徹底的に考える必要があるのではないか、この学校公害に対して大臣はどのように考えておられるか。
○国務大臣(坂田道太君) 公害の問題はこれから非常に大きな問題でございまして、政治的課題になっていることは御指摘のとおりでございます。学校公害についてもしかりでございます。したがいまして、私どもといたしましては、まず、たとえば基地周辺あるいは空港周辺、それから高速道路のそばにあります学校、その地域における学校で、授業が行なわれないくらいの騒音。あるいは、騒音のための付帯工事をいたしますと換気がうまくいかない。そういうような装置、そういうようなことは学校教育それ自体の問題でございまして、児童を守る責任は私どもにあります。もちろん、予算的措置といたしましては、二重窓あるいは換気装置その他の施設、設備の問題等については、基地周辺についてはこれは防衛庁所管、それから空港諸地域におきましたはこれは運輸省所管、それ以外のところについてはわれわれ所管ということで、総合的にこれを考えながら、公害防止工事あるいは移転その他の事業を組みましてやっておるわけでございます。 それからもう一つは、昭和四十二年度から学識経験者など二十数名からなります、学校に及ぼす公害対策調査研究会を設置いたしまして、公害の児童生徒に及ぼす心理的影響や、騒音、それから大気汚染に対する防止技術並びに防止後の教育環境について調査研究を行なっております。その調査結果に基づきましていろいろ、子供を公害から守る政策を立てておるわけでございますが、さらに、単にこういう公害地区から子供たちを守るということではなくて、都市地域あるいは大気汚染地域の児童を、そういう公害のない地域に、日時は少なくとも、たとえば本年度の予算で組みましたような「少年自然の家」を建てるというようなことで、緑したたる自然の家の中において、いい空気を吸わせるとか、あるいはまた、場合によっては健康管理の上から、公害汚染地区の子供たちを一定期間、財政的な援助をつけて、そしていなかの空気のいい、あるいは自然に恵まれたところで学習するというようなことも、本年度の予算要求の中に私はまさに新規予算として要求をいたしているわけでございます。まあ、そういうような考え方で子供たちを公害から守っていかなければならないと、かように考えておる次第であります。
○多田省吾君 もう一問だけお願いしたいと思うんですが、一つは、この前も私、質問したのでありますが、国立大学の医学部あるいは医科大学、あるいは私立大学の医学部の問題、まあ、辺地医療の危機感にちなんで、自治省も厚生省も文部省もいろいろ言っておりますけれども、非常に統一がとれておりません。今回は、概算要求の段階でもありますし、期待してみていたところが、文部省の医学に対する考え方が非常に消極的のように見受けられます。私は、三省でよく相談した上でこれを積極的に推進すべきであると、こう思っているわけです。この問題に対して、各県あるいは各大学からも医学部設置の相当多数の申し込みがあるはずだと思いますので、厚生省等でも、国立病院等を使ってというような話も出ておりますし、これはもっともっと推進すべきではないか、こう思います。 それから第二点は、今度高校ですが、いわゆる防衛庁で防衛高校を、四次防、五次防で新設しようという動きがあります。文部省でそれをどのように思っておられるのか。政治活動さえも好ましくないと言っているのに、また少年自衛官のこの前大きな事故があったばかりなのに、こういう防衛高校を認めるということは、外国から言われるまでもなく、私はもう軍国主義のはしりである、このように考えざるを得ません。文部省としてどのように考えておられるのか。 最後に第三点目は、概算要求の時期でありますからお伺いいたしますけれども、学校給食に関して三十六年の学校給食に関する調査会では、半分は無償にすべきであるというような半額無償の問題を唱えておりましたけれども、大蔵省によってことしなんかも非常に学校給食に対する補助が危機に瀕しております。やはり父兄の教育費負担というものは年々高くなっております。これは御存じのとおりです。また、この前もわが党で千葉県で学校給食の総点検をやったところが、やはり完全給食を望む声が非常に強く、三五・九%と、学校給食の経費負担に非常に大きな負担を感ずるという、こういう意見もございました。こういったことで、学校給食に対してどのような改善あるいは補助を考えていらっしゃるか、この三点を最後にお伺いいたします。
○国務大臣(坂田道太君) 医科大学新設について自治、厚生、文部それぞれまちまちの見解であるが、これをどのように調整し医師不足を解消していくつもりであるかというお尋ねでございますが、自治省の提案しております医学高等専門学校の構想につきましては、近年における医学、医療の進展に伴い医学教育の内容も高度化してきており、高等学校卒業後の修業年限六年の現行の大学医学部教育でも必ずしも十分な教育を行ないがたいとされていること、昭和四十三年度からは医学部卒業後さらに二年以上の臨床研修の制度が実施されておりますこと等にかんがみて、医学教育が高等専門学校教育に適し得るかどうかは慎重な検討を要する問題であり、現時点ではきわめて疑問であると私は考えております。 また、厚生省は付属病院を持たない医学部の設置を医師養成数の急増対策の便法として考えているようでございますが、医学教育における臨床教育の充実強化が重視されているおりから、現状において学生の臨床実習を国立病院等に全面的に依存することは現在の時点ではなかなか困難ではないかというふうに考えております。 文部省といたしましては、医師需要の急増に対処するため、昭和三十七年度以降逐年既設医学部の入学定員の増加をはかってきており、昭和四十五年度には新設の四大学医学部の新規の定員を含め入学定員は四千三百八十人となっております。医師の需給の緩和のためには今後さらに養成数を増加する必要があると考えておりますが、単に養成数の問題のみでもない面もございますので、これらの問題を含めて厚生省、自治省等とも協議しつつ積極的に検討してまいりたい考えでございます。特に来年度予算の要求におきましても、私設の大学におきまして定員増の余地がある大学には御協力を願いまして、そうして定員増で相当医師の養成を拡充してまいりたい、かように考えておるわけであります。 防衛庁の高校問題については大学学術局長、給食の問題については木田体育局長から御答弁をいたします。
○説明員(宮地茂君) 防衛高校の問題につきましては、まだ具体的な内容とか構想については私ども承知いたしておりませんが、防衛庁の所管におきまして防衛関係の、高等学校に通う年齢段階の防衛庁関係の者に対するそういう学校を設置したいという意向は一度聞きました。したがいまして、この問題につきまして、いろいろ私どもも相談がございましたので、御意見も申し上げましたが、向こうの防衛庁でお考えのものもまだきまっていないようでしたが、要するに、学校教育法に基づく正規の高等学校として防衛高校をおつくりになるということは、防衛高校の目的、性格、さらに、そういう学校は文部省が所管するといったようなことですが、それを防衛庁所管ということであれば所管の問題についてもいろいろ問題がありますので、検討をしないといけないというふうに考えておりますが、また、その学校――防衛高校といいますか、どう申しますか、そうした段階の年齢の子供を入れる学校の卒業生に上級学校の進学などにつきまして、高等学校卒業生と同一の資格をもらえるかどうかといったようなお尋ねもございましたが、これにつきましては、今後教育課程等の関係で検討する必要がございますが、その教育課程が高等学校と同等のものである場合は認めてもよいのではないかというふうに考えられます。しかし、だからといって、そのことが直ちに軍国主義につながるというような問題とは別個の問題と思います。なお、今後この学校の問題につきましては、防衛庁の要望に基づきまして具体的に協議の上検討すべきものと心得ております。
○説明員(木田宏君) 食費の親の負担をなくしたらという御意見のように拝聴いたしました。学校給食の給食費をどうするかということは前々からの課題になっておったことでございますが、保健体育審議会で数年にわたりまして御審議をいただきました。そして、ことしの二月に御答申をいただいたわけでございますが、その御答申の中で出ました意見は、施設設備費あるいは学校給食を用意いたします人件費等につきましては学校の設置者の負担としておるという考え方、また食材料費につきましては父兄の負担にしておるという現在の考え方を基本的に変える必要はないという御意見をいただいております。私どもといたしましても、子供を育てるということが親の基本的な課題でございます。また子供を食べさせるということは、その親の基本的な責任の中でもかなり大事な問題だと思っておりますから、学校に子供が上がってまいりました間、学校のほうで食事の準備をいたしますにつきまして必要な体制を整えることは学校側でなすべきことといたしましても、食材料費全部を親の責任からはずしてしまって全部公費の負担にするということはいかがなものであろうかと考えておりまして、私どもも今後この保健体育審議会の答申の線に沿って処理をしてまいりたいと思っております。 ただ、この学校給食の体制を全体としてどう整えるか、子供にすすめるべき食材料をどう提供するかということは、個々の学校での食費の負担区分を越えた大きい課題がございますから、そういう面から施策として必要なものにつきましては全体の体制をとる措置は考えてまいりたいと思いますけれども、考え方といたしましては、親の基本的な責任である子供に食べさせるという課題を給食の中にやはり組み込んで考えていきたい、このように考えております。
○多田省吾君 私は特に防衛高校の問題は、大臣からお答えありませんでしたけれども、やはり国民の世論も、まあ一般の高校と同じようなカリキュラムを組んだとしても、軍事教育が根本であることは間違いありませんし、こういった明確な防衛高校というようなものは、現状の日本において、また新憲法の精神に従って設けるべきではない、しかもそれは文部省また文部大臣から異議が出るのが当然だというように思っているわけでございますが、いま局長の話を聞きますと、まあ防衛庁からそういう話が出ればそれは認めるつもりだというような御意見でございましたが、私はどうしても納得できない。
○国務大臣(坂田道太君) 私どもの局長から御答弁申し上げましたのが少しあいまいな点があったと思います。普通の一条校としての学校としてこれを認めるということは、私たちとしては困難であるということです。しかしながら、防衛庁自身としてその高校教育を、一般の両校教育でやっておるような内容のものをその防衛庁の子供たちに教育させたいということは私はむしろやるべきことではないかというふうに思うのでございまして、戦前における陸海軍の養成機関として海兵とかあるいはまた陸士とかございました。これはなるほどそれはそれなりの意味は持ったと思いますけれども、あまりにも狭い視野になってしまったというようなことから、一般的なやはり普通教育あるいは高等教育というものを受けることによって広い視野でその自分たちの任務を果たすという資質をつちかっていくことは大事なのである、こういう観点から考えれば、むしろ教育内容について、自衛隊で行ないまする術科とかなんとかということは別といたしまして、そういう広い視野をつちかう教育ということは取り入れてしかるべきではなかろうかという考え方を実は持っておるわけでございます。
○内田善利君 私は文化財について時間の許す限り質問したいと思いますが、開発が生み出した二つの大きなものとして、公害と文化財保護の問題があると思いますが、この文化財の保護については一体だれが責任をもって解決していこうとしているのか。この文化財につきましては総理大臣の諮問機関として歴史的風土審議会、また文部大臣の、審議機関として文化財保護審議会と、こういう二つの審議会がございますが、この二つの審議会の部会の報告が非常に食い違っている。二十六日には両方の審議会の委員が集まって審議をされましたが、それでも一致を見なかった。そういうような状況で非常にばらばらというか、そういったような公害と同じような現象を生じておると私は思うわけですけれども、この二十六日の結論にいたしましても、総理大臣が言っておられた、あるいは文部大臣も言っておられた特別立法はもう考えないのかどうか。あるいは藤原宮跡はもう保護区域には入れないのかどうか、こういった非常に意見が分かれておるわけですけれども、この問題につきましてどのようにして責任をもって文化財の保護を考えておられるのか、お聞きしたいと思います。諸外国では行政面でも保存が優先しておると聞いておりますし、ある国では考古学保存委員会の許可がなければ道路工事などは行なえないと、非常に強く保護しておるわけでございます。日本では、一つの例をあげれば、農林省などは農業構造改善事業計画等の事前連絡等は全くないというような状況で、全く無関心なこのような行政についてどのような手を打たれていくのか、この辺についてお伺いしたいと思います。
○国務大臣(坂田道太君) まず私からお答え申し上げたいと思います。またあとで文化庁長官並びに当局からお答え申し上げます。飛鳥地域の保存につきましては、文化財保護審議会と歴史的風土審議会にそれぞれ文部大臣、総理大臣から諮問がございまして、現在審議中であることは御指摘のとおりでございます。両審議会の中間意見の段階では、飛鳥地域の歴史的重要性にかんがみまして、その保存をはかるため急を要する当面の対策についてはほぼ意見の一致を見ております。しかし、保護対策地域にいま御指摘のありました藤原地域を含めるかどうか、保存をするため直ちに特別立法を行なうかどうか、当面現行関係法の有機的運用によって保護するかどうかについては、まだ意見の一致を見ていないのでありますが、これらにつきましてはさらに両審議会並びに関係者間の意見の調整をはかって飛鳥地域の保存に遺憾なきを期してまいりたいと考えております。実はきょうは朝の閣議後におきましても、山中長官と私と会いまして、意見の一致を見るべく近く話し合おうじゃないかというようなことにいたしたわけでございまして、そのときの山中長官の話からも、この予算要求についてはそれぞれのところから出るけれども、それは総理府として一体的にこれをとらえていこうじゃないかというふうなお話もございました。私も予算は別々であっても総合的な観点でその地域が保護されるというようなこと、それにつきましてやはりわれわれ文化財の保護の任にある直接の責任庁といたしまして、文化庁を持っておりまするから早急にこの話し合いをまとめたい、そうして皆さまの御期待にこたえたい、かように考えておる次第でございます。
○内田善利君 それでは時間の関係で、太宰府地区の史跡地の買い上げについてお伺いしますが、この買い上げ計画ですけれども、本年度は二億三千万円計上されておりますが、この中の八割が国で、あと一割が県、一割が町、こういうふうになっておりますが、太宰府町ではこの一割、二億三千万円の二千三百万円に対して非常にお手上げの状態でありまして、こういったことから遅々として買い上げが進んでいない、こういう状況でございますが、平城京の場合は十割全額国庫負担であったわけですけれども、どういうわけで太宰府だけ八割だけ国庫負担、補助されるようになったのか、この点をお聞きしたいと思います。 もう一つ、この買い上げにつきましては住民は所得税の減免を希望しているわけですけれども、これに対してはどのように考えていらっしゃるか、この二点だけお聞きしておきます。
○説明員(内山正君) 史跡地を地方公共団体が買い上げます場合、国庫補助をいたしておるわけでございますが、通常は原則として五割補助をいたしまして、あとの五割を地元で負担をさしていただいております。ところが地方公共団体の財政負担能力が非常に弱い場合、あるいは特にその買い上げ事業が大きい場合等につきましては、それよりも増額して補助をする、増率して補助するということがございます、例外的にございます。太宰府の場合につきましては、この史跡の規模並びに地方財政の負担能力を考慮いたしまして、最大限の八割の補助を出しているところでございます。したがいまして、あとの二割を地元で負担することになるわけでございますが、ただいま御指摘のように二割のうち一割を町で、一割を県でということにつきましては、太宰府町の負担能力から非常に無理が多いということで、県当局とも十分話し合いをいたしまして、そして二割のうち一割五分を県が負担し、あとの五分を町が負担するという形にして本年度から実施をいたしております。なお町の負担部分の一部の補てんにもなるようにということで、特別交付税の交付につきましても、県は十分な配慮を払っておりまして、できるだけ、町の負担が少ないようにしていきたいということで話し合いを進めているところでございます。なお今後も県当局と十分話し合いをいたしまして、町の負担ができるだけ軽くて済むように措置をしてまいりたいというように考えておるわけでございます。なお、むしろこういうケースにつきましては平城宮跡のように全額国庫で買い上げるべきではないか、なぜ太宰府についてはそれを考えないのかという御指摘でございますが、平城宮跡につきましては、御承知のように、数年前から全額国庫で買い上げておるわけでございますが、これはまあいわば例外中の例外という形でございまして、原則としてこれを一般の史跡に及ぼすことは事実上困難であると考えておりますが、町の負担をできるだけ少なくすること、そういう方向へ努力することによって今後も措置をしてまいりたいというふうに考えております。
○内田善利君 太宰府史跡のような非常に重要な大型のものですけれども、こういう遺跡に対しては大量の人員と長期的に発掘調査をしていかなければならないと思うのですけれども、私が行きまして聞きましたら、二十五人の県の係の中でたった二人、この発掘、研究をやっておる、こういうような状況で非常にわびしい思いをしたわけですが、ところが、平城京の場合は国立奈良文化財研究所などもありまして、強力に発掘調査が行なわれておるようですけれども、太宰府にもこのような強力な発掘調査機関を設けたらどうかと、このように思うんですが、この点はどうですか。
○説明員(内山正君) 全般的に申しまして、遺跡等の発掘に参与いたしますところの発掘調査者というのは、全国的に非常に数が少のうございまして、どこの県でもたいへん苦慮をいたしております。太宰府につきましても、御指摘のように、現在二名でやっておりますが、福岡県は、太宰府の重要性にかんがみまして、昭和四十二年以来三名を実はこれに充当いたしておりまして、たまたま現在一名が病気で休んでおりまして、二名しかこれに従事しておりません。ああいう広大な地域の発掘につきましては、これで十分だとは私ども考えておりません。さしずめこの調査計画を円滑に遂行するために、発掘調査費の補助金を国が出しておりますけれども、この補助金の増額等をはかりまして、その経費のうちでさしずめ二名程度をこれに充てる予定をいたしております。どうもこれでも十分ではございませんけれども、若干の強化をはかってまいりたいというように考えているわけでございます。御指摘のように、むしろこういう広大な重要な地域につきましては、国で平城宮跡のような発掘調査機関を設置してこれに当たらせるほうがいいということでございますが、当然私どもも将来においてはそういう方向を検討していかなければならないと考えております。当面におきましては、とりあえずただいま申し上げたような措置でまいりたいと考えておるところでございます。
○内田善利君 次に、文化財の整備計画基本方針といいますか、そういうものをお聞きしたいと思いますが、買い上げされたその土地の環境整備、浄化、こういった点が非常にまずいと、そのように見てきたわけですが、住民の声も、文化財の保護の指定のしっぱなし、あるいは買いっぱなし、これが非常に私たちは五十年の間いじめられてきまして非常に困っておるんですと、こういうことで、向こうの買い上げされた土地も草がぼうぼう、虫が出てくる、あるいは近所の田地田畑にも影響を及ぼしている、そのような状況でありますが、この文化財整備の計画の基本方針、こういうものをまずお聞きしたいと思います。
○説明員(内山正君) 買い上げました土地の整備につきましては、昭和四十一年度から国庫補助金を出しまして、芝張り等を主とした整備を継続して行なっております。昭和四十四年度には、発掘調査をいたしました南門あるいは中門あとについて復元的な整備を、部分的ではございますけれども、いたしてまいっております。また、指定地域内には国有地が若干ございます。これらの国有地につきましては、管理のための助成金を交付いたしまして、この地域の清掃、管理に当たらせるというような措置もいたしております。買い上げ地が荒れ地になりまして、そこが病害虫の発生源になるという心配も地元民にあろうかと思いますが、現在のところはそれほど荒廃しているとは考えていないわけでございます。しかしながら、だんだん買い上げ地が広くなってまいりますというと、今後その地域の整備についてはさらに積極的な措置が必要であろうと考えるわけでございます。発掘調査の結果等を勘案いたしまして、環境の整備あるいは環境の清掃、浄化等についても、県、町当局とも協力いたしまして、さらに積極的に進めてまいりたいと思っているわけでございます。
○内田善利君 時間がありませんので、まとめて質問したいと思いますが、先日のこの委員会で今長官は、太宰府はもう――これは鈴木委員の質問に答えられたわけですが、「たびたび太宰府の問題もございまして、あそこの農民とほんとうにひざを突き合わせて野らで話し合ったこともございまして、いま太宰府のほうでは問題がなく、非常に協力してもらっております。」と、多田委員に対しましては「太宰府のほうは、きのうですか、私のほうの調査官が帰ってまいりまして、数日中に片づくそうでございます。ずいぶん長くかかりましたけれども、まあ村の人たちとの間のいまのような問題は大体解決したかと思います。ただ規模として、私はヘリコプターであの上を飛びまして、非常に一種独特な雰囲気を持った地域でございますが、惜しいことに、もう半分はちょっと回復の余地がないんじゃないかというように思われます。」と、このように答弁されておるわけですが、もう地元住民との間の問題は解決したのかどうか、この点。 次に、地元住民の代表が七月二十四日に今長官に要望書を出しておるわけですが、これに対してどうして返事がいただけなかったのか。そのあと八月の五日に今度は町当局から要望書が提出されておりますが、この要望書に対して答えられたのか。その点についてお伺いしたいと思います。 もう一つ質問したいことは、拡大地指定後、買い上げ希望者に対しては一年内に予算の限度内で地権者の納得のいく価格で買い上げされる予定があるかどうか。 それから、これも農民との話し合いで一応納得して代表者は帰ったそうですが、指定後B地区内の宅地への地目変更、それから、宅地内に家屋の新築、木造、非木造自由にというようなことなども、朝から夜おそくまで二十二名の代表者が来て文化庁の皆さんと話し合って帰ったと、ところが、実際その場になりますと県がなかなか許可してくれない。地目変更とか宅地での家屋の新築等は許可してくれないと、こういうことがありますが、こういう問題についてはどのようにお考えなのか、お聞きしたいと思います。 さらに、先ほどお尋ねしましたが、買い上げによる所得税の控除額等は先ほど御答弁いただきましたが、この問題についてももう一度お聞きしたいと思います。 さらに、特別立法についてですけれども、これは文部大臣にお輝きしたいと思いますが、太宰府に限っての特別立法を考えてこの間お話しになったのかどうか。もし太宰府だけの特別立法であるならば地元の県、町または住民の意見も十分お聞きになって特別立法を考えていただきたい。このように思います。 この点について、時間がありませんのでひっくるめて質問しましたが、御答弁をお願いしたいと思います。
○説明員(今日出海君) この前の委員会で私がお答えしたのは、この図にありますところの紫と黄色の部分におきまして、これは未指定でございますが、その中の人々が陳情やら、私が参りましたときにもいろいろな人が来まして、どうも金が要る、土地を売りたいとか、あるいはその金の払い方が悪いとか、おそいとかというような問題でございまして、それはまあ来られる方が国と福岡県との間に一年の払い方のずれがございまして、そういうようなことが住民に徹底していなかったのでありまして、この問題は解決したのでありまして、非常にそれまでのいろんな住民との問題は解決のめどがついたのでございますが、いま差し上げましたこの図によりますと、前に指定いたしました地域の約十倍ぐらいの大きさの地域を今度指定しなければならないと、この十倍の地域の中の住民との一々の話し合いというのは、まあなかなかつきがたくて今日までに至ったのでございますが、昨晩大体住民が納得したと、けさのおそらく九州あるいは福岡県の新聞には出ておると思いましたし、先ほど県からも電話がございまして、大体めどがついたということで、非常に偶然ではございますが、数時間前の話でございます。その問題は片づいたと思いますが、それからまた、指定をしたいというのがわれわれの希望でございますし、県当局もまた町のほうもそう申しておりますが、なかなかいまの住民対策や何かの問題で告示というものをいたしかねております。効力が発生するには告示が必要なのでありますが、その告示の問題もどうやら私は告示をする回ってきた書類には判を押しました。ですから、これが福岡につきまして、県とそれから町とにあらためて公に告示されることと思いますが、これもまだならば、ごく近々のことで告示をいたすことになります。やっとこの大きな地域全体が指定されるというような運びに相なったのであります。 それからこまかいことは部長からお答えいたします。
○説明員(内山正君) ただいま長官が申し上げましたように、いままで四年がかりで地元町当局あるいは住民との話し合いを数十回にわたって進めてまいりましたが、ようやく大詰めにまいりまして、向こうから出されてまいりました要望なり、希望なりにつきましても種々検討いたしまして、できるだけ前向きに積極的にこれに応ずるような姿勢を私どもは持っております。そういう方針で今後いきたいということで、近々に告示ができる見通しになっておりますことを御報告いたします。つきましては、先ほど御質問がございました要望書が地元から出ておるけれども、八月五日付で出ておるが、これに対する返事は二十五日付で地元に回答いたしまして、それを受理するかしないか、これに対してどういう措置をするかという会合が、実は昨日地元の町当局で開かれたわけでございます。この回答の中にも書いておりますけれども、先ほど御質問の買い上げ希望者に対しては、少なくとも一カ年以内に買い上げできるように措置してほしいということにつきましては、今年度太宰府地区の土地の買い上げを二億三千万と見越しまして、これに対して八割補助を要求いたしております。来年度につきましても、さらにこれに増額をはかっていくように努力したいと考えているわけでございまして、買い上げの希望が出ましたならば、おそらく一年以内――そう三年も四年も待っていただかなくても買い上げ措置ができるものと考えております。 それから指定地内の地目の変更につきましての御質問もございましたが、たとえば農地を宅地に変更するというようなことにつきましては、文化財の面でこれを規制したり阻止したりするつもりはございません。ただしこの地域につきましては、全体の管理整備計画というものを地元と話し合って立ててまいっております。それに基づきましてこの地区には家を建てさせない、この地区は平屋程度あるいは二階程度の小さな家なら建ててもいいというような管理上の規制の度合いを地区別に区分して管理をはかっていこうという約束をしております。その管理整備計画に基づきまして、どうしても建てられない地域でございますならば、たとえその地域が地目が宅地に変更されましょうとも、私どもは話し合いによって家を建ててもらっては困りますということを申し上げるわけでございまして、その場合には土地は買い上げるという措置をしてまいりたいということでございます。 それから土地の買い上げに対します所得税の問題でございますが、御承知のように土地税制が昨年変わりまして、史跡等の買い上げにつきましては三百万円までが控除になっております。従前よりも楽になったわけでございますが、土地収用法によります場合には千二百万円までの控除がございます。これらにつきましては私どもは関係当局とも十分協議をいたしまして、将来土地収用法による道路等の土地の買い上げ等と変わらない扱いにしてもらいたい。十分な努力をしたいと考えておるところでございます。
○国務大臣(坂田道太君) もう一点。この地区を大宰府の歴史特別地区ですかというような形で法律をつくるかどうか、これはまだ飛鳥のほうもきまっておりません。一緒に考えたいと思っております。
○内田善利君 一緒に考えられるということは、特別立法を一緒に……。
○国務大臣(坂田道太君) その点を含めるのか含めないのか、あるいは単独にやるのか、そういうものを全体を含めまして検討しようということでございます。
○内田善利君 終わります。
○萩原幽香子君 時間がたいへん短こうございますので、前の先生方と少し角度を変えながら、教科書検定制度にからんで私の意見を加えて、三点御質問をいたしたいと存じます。時間の都合もございますので、お答えは質問を全部終えましてから一括お願いを申し上げたいと存じます。そしてまた、いただきましたお答えにつきましての再質問は後日に譲らしていただきたいと存じます。 まず質問の第一点は、未来社会と教育行政のあり方についてでございます。これからの社会は、天然資源よりも人間の持つ知識こそが人類の、民族の発展の有力な資源として注目され、そのため情報社会への促進が進められるべきだと思います。また一方情報社会の渦の中にほうり出された国民がよりよく生きるためには、これらの情報を主体的に選択する能力が大切であり、さらに進んで新しい知識を生み出していく創造力が必要になってまいります。この観点に立てば、教育直接の担当者である教師の創造性は教師であることの必須条件の一つでもあろうかと存じます。そこで教師に創造性を持たせるためにまず考えたいことは、カリキュラムの問題であり、教科書選択の問題であり、進んでは教科書作成の問題が考えられると存じます。 この点について思い起こしますのは、終戦直後の教師の姿でございます。夏休みも返上しながら汗にまみれてカリキュラム作成に取り組んだ当時を私はいまもなお忘れることができないのでございます。それは文部省の考え方の中にございました。昭和二十四年の中学校用の民主主義の下では次のような一文がございます。「新教育は……先生の教え方にも十分の自主性を認める……責任は重くなっても、自主的な教育は先生が自分自身を打ち込むことができるから、教えることの楽しみもそれだけ大きくなるはずである。教えるほうも学ぶほうも伸び伸びと楽しく課業を進めていくのでなければほんとうの教育の効果はあがらない……」 当時は文部省と教師はこのように一体の姿で教育の前進を考えていたと考えられるわけでございます。しかし現状はいかがでございましょうか。 そこであらためてお伺いをいたします。現在の指導要領、教科書、教師、この三者の性格、果たしている役割り、これは一体どうなっておりますでございますでしょうか。教科書を教えるのか、教科書で教えるのか。どこまで教師の自主性が認められているのか。また、現在は教科書の種類――先ほどの御質問にもございましたが、種類も少なくなり、内容も画一化されつつございます。その点につきましてはいろいろまたお答えもいただけようかと思いますが、画一化の一例についても、先ほど出ておりました、子供のつくった詩を教材に載せようとしたら、水の音はみんなサラサラとせよという指示があったそうでございます。これは違いますか。違っておったら後ほど伺います。子供のつくった詩というのは、これはよく出ておりまして、皆さん御承知のとおりです。「さら、さるる、ぴる、ぽる、どぶる、ぽん、ぽちゃん、川はいろんなことをしゃべりながら、なんだか音が流れるようだ」。すばらしいと思います。なぜこれを出すことがいけなかったのでございましょうか。現実の水の音はみんなサラサラでございましょうか。私はそうとは思いません。こんな現実離れのしたものを押しつける必要が一体どこにあるのでしょう。多様化を大切にしようという方向とはおよそ違った感じがするではございませんか。教師にも子供にも創造性を生かす教育行政はどうあるべきなのでございましょうか。大臣の御所見を承りたいと存じます。 お尋ねの第二点は、現場教師の一部と行政官の信頼の回復の問題でございます。先にも申しましたように、終戦直後は確かに文部省と現場教師はともに教育を進める姿でまいりました。それがいつの間にか対立の姿勢をとるようになったのはなぜでございましょう。特に最近では政府は、自分と考えを異にする勢力が一方的な教育を押し進めるのではないかという危惧の念をお持ちになっているように見受けますが、私の思い過ごしでございましょうか。戦前全体主義であった日本が終戦後自由主義国家になったことは、文部省も教師もともに教育の民主化を進めた一つの成果ではございませんでしたでしょうか。そもそも、自由社会とは、多様な考え方、意見、思想の存在を認めたものであるはずだと私は考えるわけでございます。私は、当然お互いを認め合いながら民主教育推進のため進むべきはずの文部省と教職員の間に信頼感が薄れたということほど、国民にとっての不幸はないと信じます。これこそ教育の危機ではないでしょうか。坂田文部大臣は、きっとこの私の悲しみがおわかりいただけるはずだと考えるわけでございます。この両者の信頼感回復のために大臣は今後どのように御努力を続けてくださるおつもりか承りたいと存じます。 福沢諭吉の著「教科書の編さん・検定」の中にこういうのがございます。「教科書検定の如きも、児童に読ましめて真実有害と認むるものに限りて之を排斥し、その他は一切看過して、自由に選定せしむべし。世間の人は案外眼識に乏しからず。銘々に取捨して適当のものを用ふるに他人のお世話は待たざるなり。若し、文部省がみだりに検定を窮屈にするのみならず、一種の偏見をかまえて、その間に我意を調合すること是れまでの如くならんには、只教育の発達進歩を妨害するにすぎざるのみ。自ら省みて、自ら悔悟すべきものなり」とございます。味わっていただきたいことばではございませんか。 第三の質問は、教育における国家のまとまりということの意味でございます。文部省も中教審も国民統合とか国家のまとまりとかということをよくおっしゃいますが、教育の場における国家のまとまりとは一体どういう内容を持つものでございましょうか。日本は憲法、教育基本法があり、その理念こそが国家としてのまとまりの理念だと私は信じているわけでございますが、大臣のお考えはいかがでございましょうか。それとももっと違ったまとまりが要求されているのでございましょうか。もしそうだとすれば、その内容を御説明いただきたいと存じます。私があえてこういうことをお尋ねいたしますのは、憲法の精神が教科書などによって空洞化されようとしている気配を感じるからでございます。たとえば昨年八月に出されたこれでございますが、法律時報増刊の中に「教科書検定における最近の修正指示例」という項がございます。もしもこの修正指示の内容に間違いがございますれば、私ははっきりとお教えをいただきたいと思います。そこであげられておりますものの中から特に憲法に関係のあるものだけを拾って申し上げてみたいと思います。「「基本的人権」については解釈上いろいろ学説が分かれており、日本国憲法についても反対の意見もあることだから、これらのことをよく心得て記述せよ。」そして注の中で、「なるべく人権については軽く扱え」との意であるという注がついてございます。「「平和」については、戦争が恐ろしいから平和をという記述はよくない。また「核兵器」の恐怖を強調しすぎる表現は不可。」、これは一体どういうことでございましょうか。三番目に「日本国憲法は、連合軍の占領下につくられたこと、または占領軍の強い指示によってつくられたことを記述せよ。」、四「日本の政治を反省する際、日本国憲法を完全なものとする前提に立つ評論はやめよ。」また「憲法の平和主義は、理想を示したものである。国際社会の現状では」「憲法の条文説明だけの記述は不可。」とございますけれども、それがもう少し前でございましたら、「あたらしい憲法のはなし」の中に、これは文部省がおつくりになった昭和二十二年のものでございますね。これは、「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人が多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。」「戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。」「そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。」「これを戦力の放棄といいます。」「しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかしてじぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。」「なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。」「これを戦争の放棄というのです。」これが昭和二十二年に文部省のお出しになった新しい憲法の話の中に書かれておるわけでございます。それといまの修正指示とどのように関連を持つのでございましょうか。私はそういった項目が現憲法の改定の意図を持つものと受け取られるような感じがするわけでございます。この修正の意味を承りたいと存じます。 国家のまとまりの内容が私の考えております憲法、教育基本法の理念とは違ったものなのかという疑義を持たざるを得ないというのはこのあたりにあるわけでございます。 以上私はふだん感じております、非常に心配しておりますことをまじえながらお尋ねをしてまいりました。現在において検定制度そのものを私は決して否定するものではございません。しかし改善の要ありという私の気持ちはお受け取りいただけるのではないかと存じます。また文部省に教育の内容にタッチしないでほしいとも私は考えておりません。むしろ内容についても大いに研究をしていただきたいと考えております。しかしながらそれはあくまで教師にそれを押しつけることではなく、教師とともに進む姿勢であっていただきたいと思います。あらためて教育の原点に立ち返りながら、真撃にお考え直しいただけますことを強く要望して質問を終わります。一括御答弁をお願いいたします。
○国務大臣(坂田道太君) 私、頭が悪うございますから、なかなか全部をあるいは記憶していないかと思いますが、しかし熱心に書きましたので次次にお答えを申し上げたいと思います。もし不足しているところがございましたらあとで御指摘を願いたいと思います。 一つは、これからの未来社会、特に情報社会には豊かな知識というものが必要であるというようなお話から、あらゆる情報が流れてくる、それに対して主体的にこれを選択する力というものを身につかせるということが非常に大事だという点は、まさにそうだというふうに思います。そうしてまた未来社会の一つの欠陥として、あまりにも情報の洪水あるいは物質的豊かさあるいは公害、都市集中、つまり人間形成を阻害するいろいろの面があります。あるいは子供の自主性やあるいは創造性や選択の自由というものを失わせる面もあるわけです。つまりプラスの面とマイナスの面とがある。その中において子供たちの創造性をつちかう、また自主性をつちかう、そうしていくためには知識だけじゃなくて情操というかあるいはモラルというか、そういう人間それ自体を構成するもの、単に知識だけではなくてそういうものを含めての御発言だと私は思っておるわけでございまして、そういう意味ならばそうだと思います。その場合における教師の自主性あるいは創造性がことさらに強調をされ一そういうものを身につけなければならぬことは申すまでもないことでございまして、私自身もそういう教師になってほしいと実は思っておるわけです。ところでこの指導要領等に基づきまして、教科書を教えるのか、あるいは教科書で教えるのか、これは私は一つの有力な教材として教科書が大事であるということは申すまでもないことでございます。まあ教科書なんてどうでもいいやと、こういうような議論をなすものもございますけれども、そうでなくてやはり今日の日本においては教科書というものは非常に大切である。大切であればこそ教科書問題がこの憲法違反等をめぐりまして問題にされておる、こういうふうに思います。したがいまして、教科書というものが間違いのない教科書でなければならぬということは当然だと思いますが、しかし、だからといって、教師はもう教科書に書いてあるものだけ伝達しておればいいというものではない。そこに自主性と創造性というものが生まれてくるのであって、その教科書を通じて自分の教師としての教育方法、あるいは教育内容の理解を人心の発展段階あるいは地域性等を考慮して、 〔委員長退席、理事永野鎮雄君着席〕 実際は教師がくふうをしながらやっておられる。それがともすると力のない教師はもうこの教科書を教えることに精一ぱいであるという教師もないわけではない。で、やはり教師というものは自主性と創造性というものを持つからには、みずからが日々研さんをする、反省をする、あるいはいろいろのことに対して勉強するということが前提でたければ自主性あるいは創造性ということもできないのであります。その意味において私どもがやっておりまするような研究集会等におきましても喜んで、進んで参加するというようなことが望ましい。あるいはまた、自主的に自分たちのグループにおいて一つの教科について研究、研さんをされるということは当然だというふうに思うわけでございます。 第二番目の問題は、文部省と言うならば教師の団体とが対決をして、そうして子供たちがその渦中にさらされて、そうして真の教育というものがうまくいかなかったんじゃないか、こういうことかと思います。私も、これはいいとか悪いとかと言う前に、とにかく文部省と日教組とが対決をしたその渦の中に教育を受けました子供たちというものはほんとうに被害者であったというふうに思うわけでございます。しかし、そういう対立関係にありますのも、実を申しますと、先進諸国において一つのものの考え方というものがまとまっているというか、同じ自由社会におきましても、議会制民主主義というものをほんとうに国民全体が理解しておるのと、議会制民主主義を越えた人民民主主義という考え方も一方にあって、つまり協調すべき、あるいは話し合いをすべき基盤というものが失われておるというようなところにおきましてはなかなか、理想はそうでございますけれども、現実の姿としてそういう対立関係になるのも、これはまあやむを得なかった日本の実情ではなかろうか、こういうふうに考えるわけでございます。私は、しかしながら、本来あるべき姿としては現場の教師と文部省というものがほんとうに信頼関係のもとに教育をやっていかなければならないということは御指摘のとおりでございまして、あまりにも政治的課題というものが現場に投入され過ぎたというところにこの日本の教育界における混乱とその悲劇があった。それを教育危機ということばで表現をされたと思いますけれども、やはり自由社会でございますから、政府としても教育基本法あるいは学校教育法、その他の法規に照らしまして、どうしてもこの点だけは主張しなければならないということは、政府としても当然主張すべきであるし、それから現場の先生方としても疑問がある、政府のやり方は間違っておるというようなことがあった場合は、戦前のように黙ってしまうということじゃなくて、やはりそれは正当な手続を経ながらその自分の主張を貫くという形において対立をするということは自由社会で認められなければならない。しかし、漸次そういう対立から信頼関係に一歩一歩近づく努力というものを政府もまた先生の団体も、子供というものを考えて話し合いによって解決をしていくという方向は当然今後やらなければならぬことでございますし、特に私といたしましては、今後そのようなお互いの誤解や、あるいはまた努力の足りなさというようなことを積み上げまして努力をいたしまして、信頼関係を一日も早く回復をし、真の教育が、まとまった教育ができていくようにしなければならぬと思うのでございます。 第三番目は、教育のまとまりというようなことでございますが、どうこれは受け取っていいかわかりませんけれども、はっきり申し上げますと、今日の憲法というものは議会制民主主義である。そうだとすると、この議会制民主主義を守るということでは、いま認められておる政党は全部この議会制民主主義を守るということにおいて一致しておると思っておるわけでございますが、その意味おきまして、ともいたしますと、議会制民主主義なのかどうなのかというような疑いを持たれるようなこともまま実はこの世の中にあるわけでございまして、そういう意味において申し上げますと、私は議会制民主主義のもとに現在の憲法を守り、あるいは現在の諸制度というもののもとに与えられた範囲内において自分たちの主義主張をなし、そうして議会におきましての法律制定についてもやはり多数決原理と同時に、少数意見というものは尊重するけれども、しかしそれについては物理的抵抗というようなことはやはりなるたけなくしていくというようなことをお互いに考えていかなければ、この教育の面につきましてもまとまりはつかないのではなかろうか、あるいは議会以外の場面において何か議会でやる原理があいまいにされるというようなことがあってはならないのであって、私はそういう意味において、たとえば昨年の大学の紛争を考えると、三派の学生の行動は、その目的はわかるとかなんとかとおっしゃる方もありますけれども、しかし議会制民主主義というものを守るという立場から言うならば、とにかく最高学府である大学においてゲバ騒ぎを起こし、あるいはリンチが行なわれる、あるいは大学を拠点として、その革命達成のためのねぐらにする、それほど大学当局の管理体制が整わないというようなことはいけない。それから大学において相手が暴力でもってくるからそれに対抗する道はないのだからそれは自己防衛と同じような意味におきまして……。
○理事(永野鎮雄君) 大臣、なるべく簡潔に……。
○国務大臣(坂田道太君) わかりました。 やはり暴力でもってこれに立ち向かうということは当然な自己防衛であるというような考え方は私は間違いである。そういう意味において教育のまとまりというものも考えていかなければならぬと思います。 それから憲法の空洞化等についていろいろ基本的人権について、あるいはいろいろの例をお引きになりましたが、先ほどから申しますように、やはり私としましては公正にやっておるつもりでございますけれども、なかなか人間のやることでございますから、全部完全だとは申せませんし、この点についてはあるいは自分自身としては公正な判断で自分の主観を交えずにやったとしましても、国民から見るならばそれは少し行き過ぎではないかとか、あるいはそれは不適当ではないかというような、そういう声に対してはやはり耳を傾けて、改善すべきところは改善していくという態度をもってまいりたいと、かように考えておる次第でございます。
○萩原幽香子君 後ほどまたいろいろお教えいただきます。
○小笠原貞子君 けさからの答弁、そしていまの大臣の答弁を聞きまして一番感じたことは、だからこそいまの日本の教育というのは非常に危機にさらされていると気寒い思いがしたのでございますが、時間がございませんし、午前中の続きもございますから端的にお伺いしたいと思います。 通知を出されました。通達ではなくて通知である。そしてこれは全国各地でいろいろな人たちが心配しているから、だからこれに対してお知らせをするという立場で書かれたと大臣は午前中におっしゃいましたし、また、午後の答弁では宮地さんもそういうふうにおっしゃいました。これはそれではほんとうにお知らせをしたという、そういうお知らせの内容の通知、お知らせということですなおに受け取ってよろしゅうございましょうか。
○国務大臣(坂田道太君) 通知をいたしまして、われわれが控訴をする。それで控訴する場合には、この判決というものに対して文部省はこうこうこういう理由があって納得がいかないのだ。どうしても承服しがたいのだ。実を言うならば、裁判でございますから、第一審が下ってそして承服すべきであるならば承服をする。そしてそれでいろいろ行政措置をそれによってやらなければならぬことをやらなければなりませんけれども、しかし、やはり承服できないものをそのまま承服するというのはいかがか。やはり民主主義の世の中でございますから、承服できないことについては二審で再審をお願いをすると、こういうことは当然なことではなかろうか。これは個人であろうと団体であろうと政府であろうとやはりやることでございまして、そういうつもりのことをみんなにわかっていただきたい。いろいろ各県教育委員会等からもあれはどうなのだと、検定制度はもうくつがえったのだというような議論をしてくる団体もあります、文部省の考えはどうですかと、一々それをお話をするよりも、やはり通知という形でそれを知らせたほうがいいのではないかということで通知を出したわけでございます。
○小笠原貞子君 私が申し上げましたのは、先ほども御説明がありましたように、この中身云々ではなくて、通知をするという、そういうお知らせをするというだけの通知であると、こういうふうに受け取っていいかということを端的にお伺いしたわけでございます。
○国務大臣(坂田道太君) ただいま私が通知という内容についてこうこういう意味の通知でございますと申し上げたので尽きるかと思います。
○小笠原貞子君 それではこれは通達とも違うし、拘束力もないし、文部省としてはこうこうこういう立場で控訴したのだということを通知されたわけですね。もしもそれによって、これに特段の配慮を願いたいというところを重点に取られればこれは拘束力が出てくるわけですよ。そこのところを私ははっきりさせたいから、単なるお知らせの通知なのか、それとも各地方府県教育委員会、教育長に対して拘束力を持つものであるか、これをお伺いしているわけです。
○説明員(宮地茂君) 大臣が単なる通知ということばだけで通知でございますと言ったのではなくて、いろいろ内容を含められてそういうことを通知したのですと言われたので、ただこれを知らしたのだというものではないことは大臣が言われましたのでおわかりと思いますが、重ねての御質問ですが、知らせると同時に、いまおっしゃいますように、最後には貴管下の市町村教育委員会及び学校関係者等にこの旨を周知されるように願いますと、ただ知らせるというだけではなくて、特段の御配慮を願いますということも言っております。したがいまして、通達のようにこれを命令するとか示達するといったような強い強制的なものではございませんけれども、言うなればこういうことについて文部省はこのように考える、また現場で混乱が起こらないようによろしく御配慮を願いますということですから、それを指導というふうにお取りいただければ指導通知という意味もございます。拘束力とか、開き直ってそういうことはまあ私どもあまり考えないのですが、この通知に違反したから通知違反でどうこうするといったような意味の拘束力はございませんが、ただ私どもが知るところにおきましては、第一審判決で原告側が勝訴したのであるから、将来は学習指導要領の拘束力もなくなるし、さらに教科書の自由採択、自由発行、こういうことに向かって努力していくのだというような運動もございます。したがいまして、そういうふうな形でまいりますれば、これは通知に違反とかということよりも、現行法には違反してくるであろうと思います、現段階におきまして。
○小笠原貞子君 それじゃ確認いたします。これはあくまでも通知であって、これによって受けた各地方の教育委員会が判決と文部省の言い分というものをまたあらためて判断してそこで討論をする。各学校においてもその問題を討論する。これは決して混乱じゃなくて、よりよい教育をするために私はこれこそが必要な問題だと思うのです。そういうように各地方教育委員会をこの通知によって拘束するものでない、それはそういう拘束力はないというふうに先ほどおっしゃいましたが、法的に言ってもそういうことはできないわけですよね。出先機関に中央官庁が通達するという関係じゃございませんでしょう、文部省と地方教育委員会との関係は。だから、これはあくまでもそういった意味では拘束力を持たないといまおっしゃいましたね。それ以外のことでもしそういう事件が起こればほかのことでひっかかるだろうというようなことをおっしゃったわけでしょう。だから、この通知によってはこれは拘束力というものがないというふうに私には受け取れるのですが、それでよろしいですか。
○説明員(宮地茂君) 通知そのものにつきましては、そのようにお取りいただいてけっこうですが、ただ中身には、私どもとしましては、この判決によって教育行政が影響を受けるものではない。教育行政が影響を受けないということは、文部省としては従来のような教科書検定をやっていきます。さらにここには詳しく書いておりませんが、判決の中身は、もちろんいろいろ勉強されることは、先生御指摘のように勉強されることはけっこうだと思いますが、お読みになれば学習指導要領のこととかいろいろのことに触れております。したがって、学習指導要領は拘束力がないので、あれはただ参考にすればよいのだといったようなことをやっていかれますと、これは教育行政はこの判決によって影響を受けないと私どもは思っておりますので、その限りにおいては別の法令違反ということですが、この中にもそういう意味のことは十分そういうことのないようにということを心配して書いておりますから、ただ形式的にこの通知、私の名前の通知違反ということではなくて、法律違反ということでもちろんいろいろ法律上の問題は処理していかれるべきものと思いますが、中身は法律に書いてあることが含まれております。
○小笠原貞子君 それではこの通知によっては、通知そのものは拘束力がない。あまりくだくだ言われますと結論がごまかされてしまうのですよ。けさからだいぶごまかすのがじょうずだと私警戒しているのですよ。それでこの通知そのものは拘束力がないということを確認しまして、そうして私はそういう態度がまた非常に問題だと思うのですよ。きょうは非常にことばがいんぎん丁重でいらっしゃいましたけれども、やはりいま文部省が持っている態度というものはほんとうに許せないと思うんですよ。なぜかといえば、三権分立だと先ほどからおっしゃった。司法部から出された批判に対して、行政部である文部省として、当然もっとほんとに謙虚に反省していただきたい。ところが、出るやいなやもうたいへんな意気込みですね。居直ってみたり、まあ幹事長の田中さんに言わせれば、この判決はばかもんだと言いたいものだと、まことに鼻息の荒い。その態度そのものがいまの教育の中に混乱を持ち込んだんだと、私はそういうふうに考えるわけなんですよ。これで文部省が、そちらのほうがほんとうに反省していただいて、そしてまた各地でも、この大裁判と言われた教育問題について、ほんとうに討論されることの中から教育というものは私は生まれてくると。それは、事を上から押えて混乱を起こすなと言うというところに私は問題があると思うんです。 それで、時間がございませんから通知のことはおきまして、次に検定の問題ですね、検定制度の問題についてお伺いしたいと思うのです。文部省としては教育内容に介入するのは当然ということを論拠としていらっしゃいます。それは教育権が国にあるから云々というようなことも言ってらっしゃいますけれども、その通知、このいわゆる通知の中にもいろいろ書かれております。その内容の中でも公正でなければならないと、こういうふうなことが言われているわけです。私たちも、検定制度全部悪いと言ってるんじゃない。これが公正に、ほんとうに公正に正しく科学的に事実を、真実を教えている教科書、それをつくるためのものであればいいと思うんです。しかしその、公正であるということを文部省側ではおっしゃるけれども、具体的、客観的に公正さというものはどこで保障されているのか、そのことをお伺いしたいと思います。大臣、どうです。
○国務大臣(坂田道太君) これはやはり現在の教育基本法や学校教育法、あるいはそれに基づいてつくられました検定制度あるいはその基準、そういうものに照らして公正であるかないかということかと思うのです。ですけれども、先ほどからいろいろございましたように、個々について、まあ私どものほうでは公正だと思っておったんだけれども、見落としたとかなんとかいうことは、神様ではございませんからあやまちがないとは申しませんと、家永さんのごときりっぱな執筆者と世間で言われておるような人でも、三百も問題個所があって、百カ所も誤字誤植もあると、こういうことは教科書としては適切ではございませんと、こういうことでございますが、そういうふうに厳密に誤字誤植をやることも、なおかつまだやはりいろんな教科書で指摘をされるようなところが私はないとは言えないんです。ですから、そういうところは謙虚に反省していきたい。しかし、検定制度というものはどうしたってなければ、私はほんとうの国の責任は全うできないんじゃないか、こう思うんです。で、そのことは同時に、国民が受けたいという教育ができないということにつながっていくんだと、こういうふうに思うものでございますから、やはり検定制度は維持していきたい。ところが、今度の判決によりますと、思想内容にわたる部面があれば検定はしてはならない、それは違憲であるということが書いてあるわけです。これはもう賢明な小笠原さんでございますからおわかりのことだと思うんですが、しかし先ほど私が御説明申し上げましたように、研究者である学問の自由と同質の意味において教育の自由があるという一つの前提に立って、教育の自由がなんだから、あるいは、たとえば一党一派に偏することはしてはならないと教育基本法には書いてあるが、しかしこの判決の論理を進めていけば、一党一派に偏するたとえば教科書をあなたがおつくりになったと。しかし国は検定制度のもとにおいて誤字誤植まではいいけれども、そこまで踏み込んではいけないのだ。こうなると、その教科書というものがまかり通ってよろしいということになる。そしてもう一つ私がどうしても承服できないことはこういうことなんですよ。一般国民よりも研究者の執筆した教科書というものが優れているのだという断定が行なわれているのですね。これは私はほんとうに国民というか国民の常識をどういうふうに裁判官はお考えになっているか。むしろ、そしてことばでは心身の発展段階に応じた教育をやらなければならぬとおっしゃっておるけれども、一体心身の発展段階に応じた教育とは何ぞやということについての考え方は出ておらない。そして私は実際上、高等学校、中学校、小学校の先生方がむしろ心身の発展段階に、この同じような学説というかあるいは歴史教科書であっても、どういうふうにこれを書いたほうがより適切な教科書になるかということは別な問題だと思う。大学の学生に対しましてこの講義がすばらしい講義であっても、それが直ちに小・中・高生にいい教科書であるとはいえないということがこの判決にあらわれているわけですから、この辺はひとつお考えをわずらわしたいと私は思っているわけです。
○小笠原貞子君 大臣うまく答弁そらしてしまったんですよ。
○国務大臣(坂田道太君) いえ、そらさない。
○小笠原貞子君 そらしました。私が聞いたのは、公正であるということは客観的にどこで公正であるかという基準になるかということ。いまおっしゃったのは検定基準があるということでございまして、あとの部分は坂田持論の学問と研究の自由のそこのところにペースを持っていこうとしている。だめです。私が言ったのは……ちょっと聞いてください。検定基準がありますと、学習指導要領がありますと、そこでまあいろいろ私もわかっていて聞いているわけですけれども、こういうふうな段階で検定をいたしましたと言われますね。――それでは一言で答えていただきたいのです。この検定基準、学習指導要領はだれがつくるのですか、どこでつくられますか。一言でいいです。
○説明員(宮地茂君) 文部大臣の責任でつくりますけれども、文部大臣一人ではございませんで、文部大臣が決定するまでには小笠原先生のおっしゃいますような公正を期する意味から、いろんな学識経験者を集めて審議会等で十分練っていただいて最終的に文部大臣が決定いたしております。その際、審議会の趣旨は最大限に尊重いたしております。
○小笠原貞子君 それに携わる人間、人選ですね、人選はどこでおきめになりますか。
○説明員(宮地茂君) 文部大臣の責任において文部大臣がおきめになります。
○小笠原貞子君 つまり検定の適用者は文部大臣が任命される。そして検定の基準になる学習指導要領も文部大臣の責任においてなさる。そしてその文部大臣の立場たるやどう否定されようともやはり政党内閣の自民党の一員であるというところに、影響されないということはいえない。それはだめですよ。客観的に見て私はそうだと思うのです。そこでこの検定が公正に行なわれているとおっしゃいますね。それじゃあこの順序でこういうふうに検定しているのだと、自信があるならなぜそのときに、こういうふうに討論されて、こういう意見があがってきたといういわゆる文書ですね、文書をなぜ提出なさらないのですか。その文書を提出することこそがいまのこの裁判の中心になっている問題でしょう。そちらでし客観的に公正でございますと言われたって、いま言ったようにすべて文部大臣の責任において文部省でやっているのだ、公正である、公正である。客観的にどこで判断できるのですか。だからこそ高等裁判所でも出せと言われたでしょう。そしてあの文書は全部法律的の文書であるということで出せと言われているわけです。それをお出しになれば公正であるかないかということも一応は裏づけがあるわけですけれどもね、それをお出しにならないのですね。なぜお出しにならないのですか、それじゃあ。
○説明員(宮地茂君) 高等裁判所のほうで出さなくてもよいという指示を受けましたので出しませんでした。
○小笠原貞子君 それいつですか。――まあいいです。それじゃあ高等裁判所が出さなくてもいいと言うからお出しにならないと、いうことですね。裁判所が出さなくてもいいと言っても、私が言っているのは客観的な証明にならないからお出しになるべきだと思うのですけれども、その点はどうですか。
○説明員(宮地茂君) 文部省としては出すということについては消極的でございます。したがいまして権限のあるところが出せとおっしゃるなら、消極的であっても出さなければいけませんが、高等裁判所のほうで文部省が消極的であるという趣旨を認めて出す必要はないということでございましたから出しませんでした。
○小笠原貞子君 その点は自主性がないですね。それではいいです。公正であるはずの審議会だと、そうしてまた検定基準であるということを、一応そちらのを認めて私は話を進めていきたいと思うのです。 たとえば、その人間ですね。人間で言えば、一番マスコミでも問題になっております教科書調査官の村尾次郎さん、村尾次郎さんが主任になっていらっしゃいますね、きょう資料をもらいましたら。村尾次郎さんがそれでは公正な判断をするに適当な、妥当な人か。この前の答弁では、思想穏健で中立的、公正的、いろいろ並べられましたけれども、村尾次郎氏について、いま、それでは大臣はこれは公正な判断のできる適当、妥当な人であるとお考えになりますか。妥当であるか、妥当でないか、簡単に。
○国務大臣(坂田道太君) 私は、村尾次郎君は昔から知っております。しかし、その知っている、知っていないは別といたしまして、歴史についての見識といいますか、それはあると思います。それから公正だと思います。それは、自分がどういうような歴史観を持っておろうとも、少なくとも教科書調査官という任命を私から受けました以上は、私は、自分の歴史主観といいますか、そういうものを基準としてやらないだけの自主性とそれから公正さは持っておる男だというふうに信じております。
○小笠原貞子君 信じる信じないは、そちらの御自由なんです。それは村尾さんは、大臣としては教科書の調査官として妥当であると信じていらっしゃるわけですね。現在もそうですか。
○国務大臣(坂田道太君) はい。
○小笠原貞子君 そうですか。それでは村尾次郎さんがどういうことを言っているかということをちょっと聞いていただきたいと思います。「教科書調査官の発言」という本の中で「検定そのものが、日本国憲法違反の権力濫用であるかどうかは、法学者でない私には全くわからぬ。わからぬばかりでなく検定調査に従事することが私に命ぜられた職分なのであるから、私としては工夫をこらして調査能力の向上に努める以外、自分の進むべき道はないのである。」憲法違反であるかないかはわからないけれども、とおっしゃっているところを注意してほしいと思います。「現在の日本の文教は純然たる国民教育ではなく、常に政治的対立の渦中にまきこまれつつある一種の政治問題である」、この調査官は、教育というのは政治問題である、こう言っているのですね。こう言っていらっしゃる。その内容ですね、これは正しい、妥当だとそれでもお思いになりますか。
○国務大臣(坂田道太君) 私は、どういう書物の中でどういうふうに書かれたか、その前後の関係を読まないと、ただここでおっしゃったところをただ耳で聞きましただけでは判断がつきません。
○小笠原貞子君 それもいつもの逃げの手ですよね。だけれども、これは問題になっていますよ、何年も前から。そうしたら少なくとも大臣、こういう人が書かれたものを、私みたいな一年生でも見ているのです。責任あるとおっしゃる大臣が見ていらっしゃらないなんというのはけしからんと思うのです。また、その皇国史観についても、これも大臣昔からのお知り合いだったらよく御存じだと思います。また週刊誌を出すと何とか言われますけれども、「週刊朝日」です。四十四年八月一日号。ここでも村尾氏は堂々と言っていますよ。「天皇があって国がある」「呼ばれるなら、むしろ右翼と呼ばれたい。私は国粋主義者だ」と言っているのです。文教は純然たる国民教育ではなく、政治問題である、こういうふうに断言して、政治闘争としてこの教育を見ていらっしゃる方が、教科書検定を行なっていらっしゃるメンバーに加わっている。これでも、その前後左右のいろいろな問題がないから、一冊読まないとわからないとおっしゃるかもしれないけれども、こういう方が、ほんとうにまだやはりこれが妥当だとお思いになりますか。
○国務大臣(坂田道太君) 私は、先ほどちょっと御指摘になった中でちょっとわかった個所があるのですけれども、先ほどにも萩原先生に御答弁を申し上げたとおり、私自身の認識も、今度の、この二十年間の教育行政を振り返った場合に、これがいいか悪いかはともかくとして、あまりにも政治的問題が教育現場に持ち込まれたということが、いわば教育界における悲劇でございます。したがって、このことをどうやって解きほぐして、現場の教師とわれわれ文部省というものが、対決とか対立とかいうことでなくて、一緒に進まれないものかということに対して最善の努力をいたしたい、こういうことを申し上げたのですが、その記述の中にそういう実態を彼が言っているのじゃなかろうかというふうに思います。先生のおっしゃるように、皇国史観であるとか、大学とかいわれると、われわれ文部省が役人を採用し任命するときに、一々思想調査をやらなければ任命できないのか。私は、そういうことはやるべき問題ではないと考えております。しかしながら私は、この教科書の調査官というものについては、いかなる思想、いかなる主義主張、いかなる信仰を持っておられようとも、その人がその道におけるエキスパートであり、かつ公正さというものを失わない人であるならば、これは適当な人であろう、またそう信じております、ということを私は申し上げているわけです。
○小笠原貞子君 政治的問題として検定するという調査官ですね。それから思想審査は採用するときには行なえないとおっしゃったけれども、国家公務員というのは、採用されるときに、憲法を守りますという宣誓をするのでしょう。国家公務員としては憲法を守る立場に立たなければいけないのじゃないですか。憲法がどうだかわからないというような、あいまいな者でしょう。そんなのが公務員としてふさわしいのですか。
○国務大臣(坂田道太君) その辺は、本人に聞いてみなければわからぬと思いますけれども、非常な謙虚な気持ちで、私は一般的な意味において憲法は理解しておりますが、歴史学者でございます、憲法学者ではございませんから、詳しいことは存じませんということを前提としてお話しになっているのじゃないかというふうに思うわけでございますけれども、これはまあ私の推測でございます。
○小笠原貞子君 それからもう一つだけ具体的に申し上げたいと思います。これは四十四年七月十二日の二十六回の口頭弁論、証言集の中にあるのですけれども、こう聞かれているのです。これも御存じだと思います。「検定は検定の基準にのっとってされると、こういうわけでしょう。」村尾さん「はい。」といっております。「検定の基準にのっとってされるという場合に、個人のたとえば証人の学問上のご見解その他ということが、検定の基準にのっとって検定するということの中に混じり込んでいかないという保証は、どういうところに求めるのか、ということなんですが。」これに対して「たとえ個人の見解といえども、それが正しいものと、客観性を持ちうるものと、いう判断がある場合には入れます。」正しい、客観性があるという判断がある場合には個人の見解も入れます。それでは「その正しいと客観的に判断しうるかどうかは、だれがどのようにして行なうわけですか。」「それは自分で決めるわけです。」こういう答えなんです。これはもうたいへん問題になりまして、あとでまたそちらのほうの弁護士さんに助けられて否定なさるような内容に変わっていきますけれども、ぱっと聞かれたから、こういうふうに言っているわけです。つまり、非常に個人的見解が確信を持って恣意的に検定の中に生かされるというところに、この教科書検定の内容の非常に危険な思想的審査というものが行なわれている、そういうふうに考えます。
○国務大臣(坂田道太君) いまのお読みになった限りにおきまして、個人的見解が入るというふうなことも、彼としては、おそらく客観的に認められた歴史的事実あるいは基準、指導要領その他の範囲内において、最終的に決断するのはやはり自分なんだ、だからそのやったことに対しては自分は当然責任を負わなくちゃならんということを、学者的な立場から非常に厳密に解釈して申し述べたのじゃないかと思います。そういうようなところが、学者ではあっても法律学者ではないというふうなことであとで訂正されたとか、あるいは弁護士に助けられたというようなことは、そういうことを物語っているのじゃなかろうかと思いますけれども、その辺も、いまとっさにお話しになったことでございますから、私といたしましてはそういうふうに考えているということでございますから……。
○政府委員(宮地茂君) いまの大臣の答弁に補足いたします。 大臣資料を持っておられないし、先生は資料でお尋ねになられますので、私も資料でお答えいたします。いまの点は、先生の都合のいいところだけお読みになられて、「自分の個人の見解でもこれは皆さんに認めていただけると思われるものは、私個人から発した説でありましてもいれる場合があると。しかし、これは調査官会議もありますし審議会もありますし、そういったときにどうもそれは適切でないとおっしゃられれば否決されてしまうわけです。」個人としての責任を重大に感じて言った発言でございますので、誤解のないように。
○小笠原貞子君 そこまで私ちゃんと知っているのですよ。それでそれがどういう経過でそういうふうになったかといったら、おたくのほうでびっくりされたわけでしょう。あの裁判聞いて。あんな大胆な証言されたらたいへんだというので、あとで誘導尋問して、その答え変えられたんじゃないですか。私はちゃんと準備書面から証言集もずっと読んでわかっているのですよ。だからそこで私は、時間がないというのですよ……。一年一カ月ぶりなんですよ。大臣も教育的配慮とは言いませんけれども、特段の配慮でちょっと腰を落ちつけていただきたいと思います。そしてあとは、高山岩男さんなんていうのがありますけれども、これも抜かします。時間がありませんから。それではおたくのほうで、公正な手続によって、公正な基準によってというふうに受けとめられていますね。公正であるという、検定制度であるというふうに考えていられますけれども、それじゃその公正であるべきはずの教科書、具体的にそれじゃどういうふうにあらわれてきているかということを、ひとつ実際の教科書で調べてみたいと思うんですよ。先ほど公害の問題ちょっと出ましたけれども、いま問題になっている公害の問題、いろんな教科書を調べてみました。きょうは時間がないから一つあげます。小学校六年上、「日本書籍」のこの本ね、公害の問題が五、六カ所出ておりますね。その中で山口の南陽町という問題が出ているわけです。またそちらで御存じないという答弁で逃げられると困るから、南陽町の実情と、この教科書とがどうなんだということをお調べおいていただきたいということを申し上げたんですけれども、お調べいただけましたでしょうか。
○国務大臣(坂田道太君) 六年の政治学習の一環として、「身近な問題と願い」という単元で、南陽町の公害ということで取り上げて、南陽町の公害に悩む人々の問題とこれの解決のための各種の努力などについて記述しているが、教科書中、公害に悩む人たちの移住がすべて完了したかのごとくとれる記述については、事実と異なる面があるようであるので、なお十分調査の上教科書会社に対し至急訂正するよう指導いたしたいと考えております。こういうふうに先ほどもお答えを申し上げましたわけで、公正に公正にとつとめながらも、やはりこういうようなこともあるわけです。しかし、こういうことはなかなかお役人の調査官がほんとうに日夜を分かたずやっておりますけれども、やはり見落したり間違いというものはあるわけなんです。しかし、これはこういう間違いがあったということを発見された場合には、これに対して責任を感ずる文部大臣といたしましては、訂正を求めると、こういうことでございます。
○小笠原貞子君 いまの大臣の論理に反対なんですよ。これ一方的に思想的な面だけに力を入れて検定なさるから、こういう客観的な事実について間違ったものを抜かしちゃうのですよ。これがまともな頭ですよ。考え方としたら私はその点でほんとうに教科書というものを考えたときに、責任問題だと思うのですよね。それだからこそその検定というものが、非常に片一方のほうだけに力を入れられるというようなものじゃない。公正なものにしなければならないということで、私は申し上げたわけです。この南陽町の場合は、いま大臣もおっしゃいましたように、全く違うんですよ。もう移転なんというのは半分も移転してないんですよ。そして、もう会社は毒ガスを防ぐ装置をつけましたなんてきれいにすましてますけれども、私のほうでも調べましたけれども、毎日新聞でも、「公害なんてなくなれ」という特集に出ているんですよ。いまでも鼻をつくようなガスが襲ってくる。避難サイレンが鳴らないだけで、子供もタオルで口を押えて走るというような状態なんです。こういう明らかな事実が、大事な検定ではすぽっとこういうふうに抜けちゃうのですよ。そこに私は問題があると思うのです。それからまた今度南陽町だけではなくて、この中には横浜の問題が出ておりますね。この横浜の問題にしてもすべてここに書かれているものは、全く政府答弁がやさしく書いてあるようなんです。私見てびっくりしましたよ、これ何でこういう政府答弁みたいな公害の問題が出てくるかと考えてみましたよ。そうしたら何だかいっぱいおたくのほうでお出しになっていますね。この小学校指導書社会科編というここのところの中に、意味深長なことが書かれているわけです。つまり教えるときにはここにただ「注意しなければならないのは、産業公害の問題を扱うといっても、たとえば企業を悪者として糾弾させることが目的ではないし、」というようなふうに書いてあるわけです。それじゃ公害という問題は一体どこから起こってくるか。教育というのは真実を、事実を教えなければならないとしたら、工場が立ちまして公害が起きました何というのじゃだめでしょう、やはり公害というものがどういうことが原因で出てきているのか、それによって苦しめられているのはだれかというこの事実がはっきり出てこなければならない。その事実を出すと、こういう会社ができて、その会社の脱硫装置がないとかいろんなことが出てくる。そういうことを言えば味方じゃないでしょう、被害を受けているものにとっては。そうすると悪者になるというようなことになってはいけないというここのところに、まだ非常にチェックされるわけです。だからこの教科書を見ても、いま大事な公害問題ということについて全く正確な問題というものが書かれていない。だから私はやはり公正に正確に科学的に真実、これを教える、こういう態度をとってもらわなければならない。そのことを今度の教科書裁判の判決の中でも、やはり私はこういうことを受けとめるべきだと思うのですよ。そうしますと、やはり司法部の批判に対して行政府としての文部大臣はじめ文部省の態度というものを見てみますと、どうもこういう場合は、非常にことばでは丁寧におっしゃいましたけれども、非常に法無視、そういう態度になっている。民主主義とか憲法とか教育基本法とかたびたび言われたけれども、そういう実質的なものは、そういうものはことばでしかないというふうに受けとらざるを得ないわけです。私のほうですよ、受けとらざるを得ないわけです。どうぞそちらのほうもそういう意味で客観的に取り上げていただきたい。またこういう問題というのは大事な問題です。教育の問題、教科書裁判、世紀の裁判と言われた。そうしますともう一度、少なくとももう一度あの証言集の一から七までくらいずっと検討なすっていただきたいと思います。そうしてほんとうにいま教育の置かれている問題は何なのか、というそういう立場に立ってほんとうに反省してもらいたいです。そうして私のほうから言えば、控訴なんというものはやめて、こんな通知なんてろくでもないものは出さないような、そういうほんとうに国民に直接責任を負う、そういう文部省であっていただきたいということを申し添えて終わりたいと思います。
○国務大臣(坂田道太君) いま最後におっしゃいましたように、私たちも公正に、そうして真実を求めて科学的分析、いろんなデータに基づいてやりたい。いまの段階では承服できないからこれを二審に裁判をお願いする、こういうことは今日の議会制民主主義において当然なことだと私は思っているのです。それから先ほど御指摘になりました企業だけが悪いとおっしゃいますけれども、今日の下水道等のことを考えて、もちろん企業だけに責任がある場合もあります。しかしながら今日の水質汚濁の関係から言うならばむしろ下水道じゃないか。下水道をちゃんとやらないことにはいかぬというのが今日問題になってきているのでしょう。そのことはやはり御承知の上で、そういうものも含めて公害対策に真実を求めていかなければ私はならないと考えております。
○小笠原貞子君 もう一言だけつけ加えさせてください。いろいろおっしゃいましたけれども、やはり私が言いたかったのはほんとうに憲法の立場に立つ主権在民の立場に立つ、そうしてほんとうに住民の健康と文化的な生活を守るという立場から判断するのか、そこで違いが出てくるわけですよ。先ほど時間がないから抜かしちゃいましたけれども、全く検定制度というものの中身というものは秘密でしよう、さっきもおっしゃったように、書類出さないとおっしゃるのですから。そっちは公正だ公正だとおっしゃるけれども、書類を出さない秘密のうちに進められているわけですよ。そこで、ほんとうに考えられないようなことというのが出てくるわけですね。これも三省堂の久司さんが証言されていますけれども、憲法二十条に信仰の自由がある。信じる自由も信じない自由もあるということを書いたら、信じない自由を消せと、こう言うわけですよ。しかし信じない自由もあるというのが憲法二十条の趣旨だ。そうすると、憲法二十条を抜かしちゃえ、こういうことになるわけですよ。これは決してうそでもないし、証言の中に出てくるわけです。川の音でさっきも言われましたけれども、そういう危険な例が出てきています。 また、大臣がよくおっしゃいますね、専門的な学問研究の自由がそのまま教育の自由とはならないのだという、そこが大臣の持論の中心ですよね。確かに、そういう学問研究の自由が小・中・高に直接持ち込まれるというときには制限があると思うのですよ。だからといって学問研究の自由というものが否定されているわけじゃないのですよね。その辺から違ってくるわけなんですよ。 だからいろいろ問題があります。専門家でない調査官がチェックするわけですよね。だから、これも私はおもしろい、まことにこれは漫画みたいなものだと思って読んできたのですけれども、学術会議で報告された例一つだけあげますよ。一九六五年三月の学術会議で著名な物理学者である山内恭彦博士の物理の教科書に対する検定をめぐってという問題ですよね。きっともう大臣も……。
○理事(永野鎮雄君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○理事(永野鎮雄君) 速記を起こして。
○説明員(宮地茂君) 先ほど私、文部省から資料出すのを文部省消極的であると申しましたのは誤解を受けますので、多少中身を申し上げます。 これはただイエスとかノーとかいったようなものではございませんで、教科書調査官が著者並びに発行者等の方に申し上げますのは命令的なものではございません。でこれにはいろいろB意見、A意見ございますが、たとえばさらさら、ぴゅるぴゅる等の例をとりましても、そういうものは擬音としてはまず最初はこういうふうにやるのがどうでしょうか、順序ではないでしょうかとか、あるいは公害の問題でも、これをこうしなさいというよりも、いまの南陽町ですか、これは全部そういうふうになったでしょうか、なっていないでしょうかというようなことから始めるわけです。したがいまして、書いて出せと言われても、これはいいとか悪いとか理由を一行で書けるものではございません。 そういう点がありますことと、調査官が申しましたことを一々書いて出しますと、それが公表され、不当な干渉が調査官に及ぶおそれもございます。公正ということを小笠原先生非常に力説しておられましたが、公正を期するためにも、調査官等に不当な干渉なくやっていただきたい。こういうようなこと。 それからさらに、それでもあいまいだからという御希望がある場合は、速記をつけさせたり、テープで録音とりたいとおっしゃる方には、調査官がしゃべることを録音もとらしております。一部の会社ではそういうことをおやりになっておられるところがございます。したがいまして、消極的と申しましたのは、文部省だけに都合が悪いという意味ではございませんので、誤解があるといけませんので補足いたしました。 それから公害の問題も大臣答えられましたが、先生のお読みになったのはその部分でございまして、その次を続いてやっぱり読んでいただかないと、その一行だけを読まれていろいろ申されるということは、私のほうは非常に迷惑するわけです。したがって、このあとのほうには、結局「産業が高度に発達すればするほど、こうした問題に懸命に対処し、自分たちの国土や環境を住みよいものとして守っていく責任を国民全体が強く自覚していかなければならないことに気づかせるのが主眼である。」というふうにあるわけです。その辺を全部お読みになって御批判いただきたいと思います。
○理事(永野鎮雄君) 本件についての本日の質疑はこの程度にとどめます。 これにて散会いたします。 午後四時五十六分散会 ―――――・―――――