法務委員会 第30号
- 発言数
- 272 件
- 登壇者
- 18 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1970/09/08
会議録
○高橋委員長 これより会議を開きます。 おはかりいたします。 法務行政及び人権擁護に関する件、すなわち臓器移植の問題について、参考人の出頭を求め、意見を聴取することとし、参考人の人選及びその日時につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○高橋委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○高橋委員長 裁判所の司法行政に関する件、法務行政に関する件、検察行政に関する件及び人権擁護に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、これを許します。鍛冶良作君。
○鍛冶委員 私は、札幌医大における心臓移植の問題について、昨年の秋、法務大臣並びに厚生省当局に対して、心臓移植ということは人命尊重というところから考えてまことに重大なものと思われる、何より重大なことは、生きた心臓を他人に移植する、こういうことのようです。そこで生きた心臓を抜き取るんだから、生きた人間を殺して抜き取るということになりはせぬか、これが第一の疑問です。 その次は、片一方の心臓を移植される者は、これもいままで持っておった心臓を抜き取られて、他人の心臓をかわりに入れるということになります。これはもちろん、それでその人を生かすという確信のない以上はやれないことではあるが、しかし、必ずうまくいくものかどうか。生かそうと思ってやってもうまくいかない結果が生じた以上は、その手術をした者に責任があるのではないか。人命尊重の点からして、こういう重大な問題が残ると思うのであります。 そこで、これらの点について、法務当局並びに厚生当局においてどのように考えるか、十分研究しておいてもらいたい。医者が、これは死ぬものだから、死んだのだからしかたない、しかし、生きた心臓を取るとこう言えば、それは専門的のことだから医者の任意にまかすほかはない、そして医者に責任がない、こういうことになってはわれわれの常識から考えまして納得のいかぬところがございます。そういう点からして、いやしくも生きた心臓を取るというときにはどういう場合でなかったらやっていかぬものだということが国民の納得のいくものでなければいかぬと思うのです。こういう点をひとつ十分研究してもらいたいと申し上げておいてもう一年以上たつと思います。その後の研究においては、札幌地検及び高検等において調べられたようでありまするが、私は検察庁の決定いかんを言うのではありません。厚生省並びに法務省としてこの問題に対してどれだけの研究をせられたか、そしてどのように今日まで考えておらるるか、まずそのお考えを承りたいと存じます。
○松尾説明員 前回にも先生からただいま申し上げられましたようなことの御指摘がございました。私どもも基本的に全くそういうような態度でございまして、少なくとも、前回にも申し上げたと存じますけれども、生きている人間から心臓を取り出すということは全くあってはならない問題でございます。これらの点につきましては、ただいまも御指摘がございましたように、心臓のみならず他の臓器をも含めまして、移植という問題が起こりますときにいろいろな問題が生じてまいりますので、厚生省といたしましては、昨年の十二月に臓器移植に関する懇談会というものを設けました。十七名の医学者並びに心理学者、哲学者あるいは法律の関係者というものも含めまして、こういった種類についての多角的な検討を行なってまいっております。ただいままだ懇談会では真剣にかつ慎重な検討が続いておる段階でございます。 私どもの当初の予定といたしましては、少なくともこの年内あたりに何らかのそういう大きな意味での方向づけということの答えをこの懇談会からいただきたいということでお願い申し上げておるわけでございます。その際におきましての中身については、なお進行中の問題でございまして、この懇談会自身が一定の結論に達するまでは内容については外に申し上げないというルールになっておりますけれども、私どもずっとこれに出席をしておりまして、この臓器移植に関連をいたしまして特に死の判定という問題も当然その一つの議論になってくるわけであります。私が拝聴しております限り、日本の学者たち、特にこの懇談会における空気というものはきわめて慎重でございます。非常に慎重な態度でございます。一部御承知のように、脳波学会等の中間的な案も出ておりますけれども、そういう問題を見ましても、よく伝えられますような、各国でいわれておるような判定基準に比べますれば、よほど日本のほうが進歩し、かつ慎重な態度であるというふうに考えておりますので、そういう懇談会の結論によってただいま申し述べられましたようなことについての措置を考えたい、こういう状態でございます。
○辻説明員 ただいま厚生省からお答えがございましたとおり、厚生省で設けられました臓器移植に関する懇談会には、当初の係官も参加させていただきまして、この問題につきまして法務省の立場からもいろいろ参画をしておるところでございます。先ほどお話がございましたように、なお心臓が生きておると申しますか、提供者の死亡が確定された後に初めてこの心臓移植手術が行なわれるべきものであるということにつきましては、現在法務省当局の考え方といたしましても、さように考えておる次第でございます。
○鍛冶委員 厚生省において深い研究をしておられる、法務省はその研究を待っておる、それは当然です。この間、札幌地検における決定を見ますると、死んだか生きているかわからぬけれども、医学上欠点がないとすればこれは起訴することはできぬということが出ました。こうなると、どうも医者が死んだのだからと認めた以上はそれ以上はしかたない、手術に手落ちのない以上は死んだからといって医者に責任を負わせるわけにはいかぬ、こういうように書いてあります。そうするとどうも医者が認めさえすれば、われわれが考えて責任があると思うことでも何ともならぬのだ、医学上そんなことは差しつかえないんだという一つの判例のようなものができたことになりはせぬか、これが私きょうあなた方に特に聞こうとする重点でございます。 いまあなた方のほうでまだ結論が出ぬと言っても、ああいう決定が出ると、医学上いいとすればいいじゃないかといってどんどんかようなことがはやってくる——はやってくるということは悪いか知れぬが、やってもいいということになったら私は重大なる結果が起こらぬかと、こう思うからこの質問をするのです。 そこで、私はそれではもっと具体的に一つずつ聞いていきたいと思うが、第一番に、心臓移植をするときには人間の死に生きは別であるが、心臓そのものが生きておらなければいかぬのだ、こういうことをこの間の決定でも認められておるようだし、諸々の論説を見ましても書いてあるのですが、これは間違いないのですか。心臓が生きておらなければいかぬ、それに間違いあるかないか。これが第一番の重大なことだと思うのです。生きておる心臓というならば生きておる人間から取らなければいかぬということが私は第一番だと思う。その次は死んでおっても心臓が生きておるということがあるが、そういうことがあるかどうかという問題にいきまするから、第一番に、生きておる心臓でなければならぬと言うておるが、この点は厚生省でそのとおりお認めになりますか、いかがですか。これをひとつ承りたい。
○松尾説明員 心臓移植のみならず臓器一般の場合の原則であろうと存じますけれども、その移植をいたしますものが生きているという表現になりますと非常にむずかしいかと思いますが、きわめて新鮮な状態であるという条件はすべての移植のときに必要な条件だと考えております。
○辻説明員 ただいまの御指摘でございますが、今回の和田教授にかかる案件でございますが、それに対する検察の決定につきましては、心臓移植手術について生きておる心臓でなければだめだというような判断はいたしておりません。検察といたしましてこの点判断いたしておりますのは、この和田教授の手術におきまして、心臓を提供なさいました山口さんの死亡と宮崎さんに対する心臓移植手術の時期でございますけれども、山口さんの心臓摘出に着手いたしました時期におきまして、まだ山口さんが完全に生きておった、確実に生きておったということを証明する資料がない、こういうふうに考えておるわけでございまして、手術そのものが心臓が生きていなければできないとかというような点については何ら判断をいたしていないわけでございます。
○鍛冶委員 それはどうもどの説を見ましてもその点にはみんな疑いがないようですが、じゃ死んだ心臓でもいいのですか。医務局長、これは重大なことですよ。人間が死んでも心臓だけは生きておらなければいかぬ、これからきめてかからなければ話にならないのですよ。あなた方のほうでそうじゃないのだと言われるならば、これは一般の説とたいへん違ってくることになるが、もう一ぺん明確にそこを言ってもらいたい。
○松尾説明員 新鮮な状態というふうに申し上げたわけでございますけれども、現在人間の死というものをどういうふうに考えるかということは、先ほど来申し上げましたように、脳波学会等でもいろいろ慎重な検討をしておるところでございます。現在の医術の中では、心臓自体というものを動く状態にしておくということは技術的に可能でございます。したがいまして、かりに死というものがあった、いわゆる脳波関係あるいは脳幹の死亡その他のものによりまして、医学的にこれは全く死と断定していいという結論が、学界の通説といたしまして客観的にも認められるような状態になった場合でも、心臓自体を動かしておくということは人工的に可能でございます。したがいまして、そういう状態の、動いておるという形で、いわばこれは新鮮な状態に保つというための手段としてそういう動いておる状態が望ましいということであれば、おっしゃるような意味になると思います。そういうときには、その人間というものがある程度死んでおりましても、死と認定されましても、心臓だけは動き得るということを前提にしてこの問題は考えなければならぬかと存じます。
○鍛冶委員 それを言うておるのですよ。心臓は動いておるということは生きておるということです。人間の死に生きはあとにします。とにかく動いておる心臓、言いかえれば生きておる心臓でなければならぬということはお認めですね。 そこで、私は聞きたいのですが、生きておる人間から心臓を取れば、これは心臓が生きておることは間違いない。これは一番いいのだ。その次、死んでから生きておる心臓を取る、かようなことは可能なことであるのかどうか。そこで、いままでだんだん説が変わってきておるが、私はずっとこの経路をつまびらかに調べておるのですが、前は、生きておる者から取るんだ、しかし、生きておってもこの人間は死ぬことにきまったんだ、死ぬことにきまったんだから、かわいそうだが心臓だけでも間に合わしてやる、こういうので生きた人間から心臓を取る、しかし死ぬことにきまっておったんだから死んだ原因は心臓を抜き取ったことではないんだ、病気そのものが死因だったんだから、それでそのものには死因がないんだ、こういうことを言うておった時代があるのです。この点に対して、いまそういう説を述べたとすれば、厚生当局は何とお答えになりますか。法務当局はこれをどう見られますか。その点をひとつ学問的に御答弁を願いたい。
○松尾説明員 死ぬことがきまっているからという段階でこれを死亡と認定することは私はできないと考えております。したがいまして、死ぬときまっているから心臓を取るというようなことは、許さるべき問題でもないというふうに考えております。死ぬときまっているということじゃなくて、明らかに死亡したという認定の後に行なわるべきだと思います。
○辻説明員 法務省も同様に考えております。
○鍛冶委員 そうなると、確かに死んでおったかいなやということがこの問題の焦点になると思うのであります。そこで、間違いなく死んでおったかどうかということの認定でございます。私はこの前の質問のときにも実例をあげて、まさしく死んだといったものが生きた例を申し上げたはずです。しかるに、いま札幌における和田教授の手術の結果を見ますると、八月八日の午前二時八分まで生きておったということは認めておるようです。ところが、二十八分ぐらいに死んだと和田教授は認めて、そうして三十分にこれを摘出した、こう言っておるようです。ところが、八分から二十八分までにはたして死んだものであるかどうかは認めることができない、またいろいろの証人、鑑定等によれば、和田教授の言うことは信用しかねる、だから死んだとは認定できない、こういう決定になっておるようですが、これは間違いないですか、どうですか。
○辻説明員 今回の和田教授にかかる事件につきましては、山口義政氏が八月八日の午前二時八分まではただいま御指摘のように生きていたと認められる。しかしながら、山口氏からその心臓の摘出に着手したという時期は午前二時三十分と認められるわけでございますが、この二時三十分においては、山口さんがなお確実に生きていたということを立証することができない、かように判断をいたしておるわけでございます。
○鍛冶委員 これは厚生省はどうですか。その点は研究になっておりませんか。大事なことですからやはり御研究になっておるでしょう。
○松尾説明員 私どもは、ただいまの検察当局の調べた事実だけを承知しておるわけでございます。
○鍛冶委員 そこで、私は重大な問題を持っておる。二時二十八分の時点において確かに死んだとは認められない、こういうのですね。そうしてみると、言いかえると生きておったかもしれぬということになるが、どうですか。そう言わざるを得ぬ。
○辻説明員 先ほど来申し上げておりますように、この心臓摘出に着手した時期が八月八日の午前二時三十分でございますが、この二時三十分におきまして山口さんがなお確実に生きていたということが立証できない、こういうむしろ裏からでございますが、生きていたということは、検察としていろいろ捜査をしたけれども立証するに足る証拠が集められなかった、かように判断をいたしておるわけでございます。
○鍛冶委員 生きておったということがわかれば、これはもう問題はありゃしないのですよ。私が言うのは、死んでおったとは認められない、確認されない、そうすれば、生きておったかもしれぬということになるでしょう。生きておったでしょうとは私は言うておらない。生きておったかもしれぬという結論にいかざるを得ぬじゃないか、こう言うのですよ。どうですか。
○辻説明員 これはむしろ、私どものほうは、まあ逆と申しますか、確実に生きていたことが立証できない、かようなことを申し上げておるわけで、それ以上のことは言っていないわけでございます。
○鍛冶委員 じゃ、死んだと言えますか。
○辻説明員 生きていたことが立証できない、こういうことでございます。
○鍛冶委員 だから、それを言うとるんですよ。死んだとは言われない。それで、生きておったかもしれぬ、当然じゃありませんか。言わぬでもわかっておることだと思うが、私はあなたに念を押したのですよ。
○辻説明員 山口さんが午前二時三十分に生きていたということの立証ができないんだということでございますから、生きていたことが立証できれば、これはまた法律問題として、仮定論でございますが、いろんな犯罪になる。殺人罪なら殺人罪とかあるいは傷害罪とか、いろんなことが問擬できることであろうと思いますけれども、検察庁といたしましては、この時点において確実に生きていたことが立証できないということに相なるわけでございまして、それ以上のことは判断をいたしていないわけでございます。
○鍛冶委員 それは何べん言うても同じだ。生きておったということがわかっておれば、それはたいへんなことですよ。けれども、生きておったということは言い切れぬけれども死んでおったということも言い切れぬと、こう言うんでしょう。したがって、生きておったかもしれぬという疑いが残ると、こう言うのですよ。そんなことは言わぬでもわかっておることでしょう。あなたに死んだか生きたかを言えと言うんじゃない。そういう疑いが残るだろうということ、そんなことは言わぬでも理論上当然じゃありませんか。そこで私は言うんですよ。なるほどあなた方は——私はいま起訴のよしあしを言うておるのじゃありません。人命尊重という大問題から申し上げるのですが、起訴されなかったと言われることについては、いずれまた話しすることにしますが、生きておったかもしれぬ。死んでおったかもしれぬけれども、死んでおったとは言われない。そうすれば生きておったかもしれぬ。そういう場合に、人間の生命を断ったことがいいんだ、医学上そういうことをしてもいいんだ、こういうことが言い切れるかどうか、このことを私は聞きたい。人間の大事な命ですよ。もう取り返しがつかないのですよ。その取り返しのつかないことを、そういう疑わしいことがあるかもしらぬが、死んだと確定されぬときに心臓摘出をして殺してしまってもいいんだという結論が出るか、これを聞きたいんだ。まず厚生省からひとつこの点に対して御返答を願いたい。それから法律的に法務省から御返答願いたい。
○高橋委員長 ちょっと鍛冶君、厚生大臣は十一時三十分羽田発の飛行機で長崎に行かなければならぬ。それで、延ばしたらどうかという話だったけれども、どうしてもこれは約束があるので、行かれないから御了承願いたいということだから……。
○松尾説明員 先ほど来申し上げておりますように、生きているという状態、またそういう可能性がある場合、これはやはりそういう心臓摘出をすべきではない。これはもう前から申し上げておることとちっとも変わらない方針でございます。そういう生きておるという可能性の場合には摘出をすべきではないと思います。
○鍛冶委員 よくわからなかったが、どういうのですか。生きておるということがわかっておる場合にはやっちゃいかぬ、そんなことはあたりまえですよ。そういうことをやったら故意の殺人罪です。だけれども、死んだとはわからない。死んだとはわからぬとは、生きておったかもしれぬということですよ。そういうときに、医学上死んだと認めた以上はやってもいいんだ。これは犯罪になるか、起訴するかせぬかは、検察当局の訴訟上の問題ですから別の問題だ。私の言うのは人道上の問題です。人命尊重の問題を言うのですよ。死んだと確定できない。そうすれば、裏を返せば生きておったかもしれぬという疑いがある。そういう疑いのあるときに、摘出して殺してしまってもいいんだという議論が出ますか。これを聞いておるのですよ。もっとはっきり言ってください。わけのわからぬようなことばではいけない。はっきり言ってください。
○松尾説明員 さような場合にはやはり摘出すべきでないと考えております。
○鍛冶委員 法務当局は、これを法律的に見てどう思いますか。これは大臣がおられるといいのですが、大臣がまだ見えないから……。
○辻説明員 法律的には、申すまでもなく、生きておる場合に心臓を摘出したということになれば、これは殺人罪なら殺人罪に該当すると思いますし、死んでおる場合に摘出した場合には、それは殺人罪にならないということは当然のことでございますけれども、あとはやはり一つの医学における医師道徳の問題と申しますか、医療道徳の問題であると思いますので、法務省としては答弁を差し控えるべきものであろうと考えております。
○鍛冶委員 医師道徳、それは医者に対して言うには、医者としての道義ということも言えるが、そういうことよりか人道上の問題です。人命尊重、人命尊重と言うておるときに、そういう場合にやってもいいのだという結論は私は出ぬと思うのだが、法務省ではその点はどうだと、こう聞いておるのですよ。これは明白に答えてください。
○辻説明員 生きておるときに心臓を摘出すれば、これは殺人罪になろうと思います。死亡しておれば殺人罪には当たりませんが、ほかの関係法条が当たる場合もあろうかと思いますけれども、やはり法律的には人の死亡によって犯罪の成否とかあるいは違った犯罪が成立するということは当然のことでございまして、それ以上に、人命尊重という趣旨から、まだ生きておるかどうか、死んでおるかどうかわからぬ状態であっても、手術をすれば犯罪がどうなるかという問題は、やはり犯罪の問題じゃなしに医療道徳の問題でございましょうから、その点個人としてはともかく、法務省当局としては所管の点から答弁を差し控えたほうがいいのじゃないかと考えておる次第でございます。
○鍛冶委員 私ははなはだ遺憾だ。この間の不起訴決定については、公判の維持ができないと思うから起訴しない、結局証拠不十分ということに帰着する、こう言うておられる。これは訴訟上の問題です。私の言うのは、それを言うておるのじゃないのですよ。それはまた別に聞きます。医学上と言われるが、医者だけではありません。人道上、そういう場合には殺してもいいものだと思われてはたいへんだと思うから、訴訟上のテクニックは別として、あなた方のほうで、そういう場合は殺さぬほうがいいと思うか、それとも、医学上やはり殺したほうがいいと思うか、それをお聞きしたいのです。はっきり言ってください。
○辻説明員 人命を尊重すべきはもとより当然でございまして、法律の問題以前の問題であろうと思うのでございますが、法務省といたしましては、法律との関係においてものを申さなければいけないと思うのでございます。法律以前の問題として、一般論として人命尊重に徹するということはもう当然のことであろうと思うわけでございますが、医学の手術の問題についてどうしろこうしろという問題については、やはり厚生省御当局の御見解に従うべきものだろうと考えておるわけでございます。
○鍛冶委員 あとでそれはもっとはっきりしておかなければいかぬと思うが、その次は移植された人間です。 移植をするときにはその者から現在持っておる心臓を抜き取ります。そしてよそから持ってきた心臓を入れるのです。もちろん医者としてそれをやれば生きるという考えでやったのでしょうが、われわれはその点に疑問があるのだが、理屈よりかどうですか。世界じゅうをながめてみて、移植して生きた例は幾つもございますか、いかがです。理屈以上、実際論としてこれから聞きましょう。いかがですか。
○松尾説明員 一九六九年の末までに世界じゅうで百四十七人の移植が行なわれております。三分の一が三週間から六週間の生存、それから十九人の方が約十二カ月、約一年というような生存の期間が報告されております。
○鍛冶委員 この点に対して法務当局でも、この間の決定を見ますと、「宮崎信夫君がはたして心臓移植手術適応の患者であったかいなか疑問がないではない」こう言う。そして次に、当時は諸外国における心臓移植手術の成功が伝えられたときでもあったから云々とこう言っておられます。そうしてみると、これは間違いなくなおるという信念のもとにやったとは認めていないことですね、疑いはないでもない、こう言うのだから。間違いなくなおるものだという信念を持ってやったとはわれわれは認めかねる、こういうことですね。そういう場合に、こういう死に生きに関する手術をやって、その結果、ついに死に至らしめた。いますぐ死なぬでもいいですよ。とにかくその結果死んだとすれば、起訴するだけの勇気はないかしらぬが、そういうことで手術をやってもらっては、人命尊重の上からはなはだ疑念にたえない、おそれざるを得ないとわれわれは思うのですが、この点は厚生省としてどう思いますか。
○松尾説明員 医療が行なわれます場合に、この方法しか残された道がないんだというような事例がたくさんあるわけでございます。そういうような場合に、最善を尽くしてその方法をとる、結果的にそれが悪くなる場合も、これは何も心臓だけでなくて、ほかの例でもあり得ると存じます。そこの場合に、適応上の問題といたしまして、それがまさに適法であると考え、またそこに技術的に相当の自信もあるという見通しのもとにこれが行なわれたとするならば、これはその医師の良心に基づいて、また医者の判断に基づいて相手の生命を救いたいという好意から出たものでございますれば、それはもうほかの場合にもあり得る問題ではないかというふうに考えております。
○鍛冶委員 間違いなく生きるという確信のもとにやって、その上で死んだとすれば、これは責任はないかもしらぬが、道義上はおもしろくないことですな。いわんやこの場合には、法務当局として「適応の患者であったかいなか疑問がないではない」こう言う。そういう疑問があるのにあえて手術をした、そしてその結果死に至らしめた。こうなれば、そういうことはいいものだと言われますか、いかがです。さようなことがあってはたいへんだと私は思うが、あなた方はどうお思いになりますか。
○辻説明員 先ほど来御指摘の本件に関します検察処分についての発表からの御質問であろうと思うのでございます。その発表には先ほど来御指摘のとおり、宮崎さんがはたして心臓移植手術適応の患者であったかいなか疑問がないわけではないが、こう言っております。その次に、和田教授がこれを手術適応と診断したことも著しく不当とは言えないと考えられる、こういうふうにそのあとに続いておるわけでございまして、検察が判断いたしておりますのは、宮崎さんが心臓移植手術適応の患者であったかいなか疑問がないわけではない、この点の真意は多少先ほどのおことばとは違うわけでございます。 いろいろと捜査をいたしまして、また権威者の鑑定を求めました結果、この宮崎さんの場合にはいろいろな方法が考えられた。大体私医学のことは知識がございませんのでわかりませんけれども、この心臓移植手術を含めて三つばかりの方法が考えられたというふうに判断をいたしておるわけでございます。この三つの方法のいずれの方法をとるかという問題につきまして、先ほど申した患者であったかいなかは疑問がないわけではない、こういうことを言っておるわけでございまして、全くこの心臓移植手術が問題にならないというようなことを言っておるわけじゃございません。方法が三つ考えられる、そのいずれをとるかはそれぞれのお医者さんの立場におきましてまず考えられるべきものでございましょうし、片やこの心臓移植手術というものが当時の時点におきましてどれほどの医学的価値があったかどうかは当該和田教授の判断あるいは医学界全般の判断、こういうものを総合勘案して判断されるべきものであろう、かように考えられておるわけでございまして、心臓移植手術が必ず失敗するであろうというような見通しのもとに手術を開始したというふうに判断をいたしておるわけではございません。
○鍛冶委員 私は先ほどから断わっているように、何もこの間の検察当局の決定に対して言うておるのじゃないのですよ。人道上の問題から言うておるのです。だから、なぜ起訴せなんだと私は言うておるのじゃありません。結論はそういうことになるかしらぬが、私の質問の趣旨はそういうのじゃありません。間違いないと思って手術した、それでも死んだ。そうすれば、責任はないかしらぬが、やはり医者としては申しわけなかったと言わなければならぬ。その点は間違いないでしょう。しかるに、間違いないものであるかどうかはわからなかった。疑問がないではないのだ。そういう場合に、手術されてそれで死んだとすれば、これはどうもそういうことは注意してもらわなければならぬと考えなければならぬと思う。遺族のことばをかりて言えば、今日となればどうもあきらめ切れなくなりましたということを言っております。これはあなた方のこのことばから出ておる。あたりまえだと思う。私はそれを聞いているのですよ。間違いないと思ってやっても死んでは気の毒だ。いわんや間違いないといったってどうもその点は疑問があるんだ。そういう場合に手術をしてそして死をいたしたということになれば、こういうことはどうも注意してもらわなければならぬと考えられるべきものだと思うが、その点は考えられないかどうか、こういう私の質問ですよ。よろしいですか。
○辻説明員 検察が判断いたしておりますのは、先ほど来申し上げましたように、宮崎さんの心臓移植の手術に際しまして考えられる方法が、心臓移植を含めてほかにも二つばかりあったというふうに判断をいたしまして、その選択につきましては先ほど来申したような見解で、当時としては心臓移植手術というものにかかることについても、これは著しく和田教授の判断が誤っておったとは言えない、そこに過失があったとは言えない、かように判断をいたしたわけでございます。そしてさらに和田教授は、この手術をいたしましたにつきましては、もとより手術の成功を信じて本件の心臓移植手術を実施したものであり、また当時は諸外国における心臓移植手術の成功が伝えられていたときでもあり、本件手術を実施したこと自体をとらえ、また本件手術及び術後の過程において和田教授らの胸部外科医師団に医師としての過失があり、それが宮崎さんの死の原因をなしているということは認められない、こういう逆からの判断を検察としてはいたしておるわけでございます。 ただいまお述べのとおり、手術の結果死んだということについて、これはやはり医師として道義的責任というものを感ずるべきかどうかという御指摘であろうと思いますけれども、この点につきましても、先ほど申し上げましたように、事件処理に当たりました検察としては、医師としての過失はこの点では認められないということを言うにとどめておるわけでありまして、あとはやはり一般の国民常識として、この措置についてはそれぞれの立場から批判がなされるべきものであろうと考えますけれども、検察としてはこれだけの判断をいたしておる次第でございます。
○鍛冶委員 では何べんでも言いますがね。起訴できるできぬという問題よりか、そういうことは好ましいものだと思いますか。それだけですよ。間違いないと思ってやっても、死んだらお気の毒だと思わなければならぬ。いわんや、どうもこんなことはいいか悪いかわからぬがなと思ってやった。その結果死んだ。これはどうもそういうことがあってはいかぬと私は思いますが、あなた方そう思わぬというのですか。それを私は聞いているのです。
○松尾説明員 多分にそういう場合の医学的な判断というようなことに関連いたしているかと存じますので、私から申し上げたいと存じます。 常に医者が最後の選択を迫られるという場合には、いま御指摘のような問題が多少ともあろうかと存じます。一〇〇%この方法だけでいいんだというような手段だけではなくて、もう残りはないんだけれども、これしか方法はない。しかし、これについては多少何らかの危険性というものがないわけではない。しかし、もうこの手段をとる以外にないんだという最終的な判断を迫られる場合が一般的に非常に多いわけでございます。そういう場合において、本人等の了解の上に立って行なうということで、実際は医療というものが行なわれておると考えておるわけでございます。 ただ一般論として、そういうことが道義的にいっても好ましいかといえば、これは私どももあげて好ましくない問題でございます。しかし、その好ましくない状態というものを排除していきますためには、やはりその適用の決定なりあるいは手術なりその他の医療上の技術が安全であるような進歩というものを期待せざるを得ないというふうに考えておるわけでございます。
○鍛冶委員 その次に問題になるのは、抜き取られる者の近親者の同意を得ておるということです。これも何かこの中に載っておりますが、私は同意を得るということも、これは道義上はいいことかは知らぬが、同意を得たからといって、犯罪になるものは犯罪を阻却するものではないと思う。それから同意を得ておっても、いまはこういうことを聞かされるとまことにどうも残念でたまらぬと母親が言うておる。これらの点から考えて、同意を得たからいいんだという議論は成り立たぬと思うが、これは言うまでもないか知らぬが、この点もひとつ確かめておきたい。あなたどう思う。
○辻説明員 本件手術に際しまして、山口さんの御両親に山口さんの心臓摘出前に和田教授らの医師団が同意を得たことは事実でございます。しかし、同意を得たからといって、山口さんにかかるこの手術に関する刑事責任を問擬する場合に、いろいろな情状の問題としては考慮すべき点があろうかと思いますが、犯罪の成否を考えます場合には、この御両親の承諾というものは、場合によりますけれども、必ずしも関係のないことであろうと存じておるわけでございます。
○鍛冶委員 その点をはっきりしておいてもらいたいと思う。 その次には、これは日本であったかどうか知らぬが、新聞で見ると、どうも危篤になったというと危篤になった病人を追っかけて、心臓をくれ心臓をくれといって歩くのがある。そういうことが出ていました。そういうことになって、いまのような問題で死んだと断定のできない人間を殺してもいいんだということになったらこれはたいへんだと思いますから、この点を私はやかましく言うのです。これはこれでいいんだということになりますと、この間の決定は一つの判例のようになりますよ。そうすると、やってもいいんだということになったらたいへんだと思うから何べんも言いますが、そういうことから考えて、心臓を抜き取る場合、どういうことが確定しなければいかぬのだ、こういうことを法律的に認めるときでなければいかぬもんだとせなければならぬのじゃないか、私はこう考えるのです。また厚生省においても、こういうときはやっていいがそのほかのときはやって悪いものだ。いま言ったように、だれが考えてもそういうことじゃ困るじゃないか、やられた者はかわいそうじゃないかと思うときにさようなことをやらしてはいかぬ。社会道義の上からいかぬと思う。してみれば、こういうときならいいがそれ以外はやれぬ、こういうことを法定すべきものだと考えて私はこの質問をしておるのですが、これについてひとつ厚生省及び法務省の考えをお聞かせ願いたい。
○松尾説明員 先ほど申し上げました臓器移植に関します懇談会におきましては、こういうケースも含めました問題についてこれを法定化するかどうか、また法定化するといたしましたら、どういう範囲のものあるいはどういう内容のものにすべきかということも含めて検討するというたてまえで発足をいたしておるわけでございます。 その結論は、先ほど来申し上げておりますように、まだ出ておるわけではございませんが、少なくとも、先生も御承知のように移植学会等から、その研究結果といたしまして臓器移植に関する法定化をしてほしいという学会の意見がすでに出されております。そういうことも参照にいたしまして、いまの臓器移植懇談会ではいろいろと討論をいたしておるわけであります。そういう学会から出されましたような案の根底にもやはりこういう臓器移植というものが、医療の立場から見ましても、いわゆる疑惑を持たれることなくきちんとした形でそれが実施される、これが医療上からも好ましい問題であるという判断が働いた上でそのような法制化という要望が出てきておるわけでございます。内容につきましては、どういうふうな形にするかということはいろいろ問題があろうかと存じますが、方向としてはただいまそういう方向も含めて懇談会で検討しているところでございます。
○鍛冶委員 ぜひそうでなくちゃいかぬと思う。だれが見ても、どうもまだ生きたか死んだかわからぬときに、死んだものとしてやられてはいかぬということを前提で、その点をお認めの上でもっと研究するということは私はぜひ必要だと思う。 そこで、この前も申しましたが、医者が死んだと断定しても生きた例が幾つもあるのですよ。いわんや死んだとは断定できない、そういうときにいいということになったらたいへんだ、こういうことを申し上げておるのです。それじゃもう一ぺん例を言いますよ。ついこの間のことですが、私の友人に大島正恒という弁護士がおります。これが心臓が悪かったんですが、入れ歯をしておるので、入れ歯を食事のあとで洗いに出る例になっている。朝飯を食べて洗いに出た。そうして洗いに出て帰りぎわにばたんと倒れた。そこでたいへんだというので、いつもかかりつけの、しかも友だちの医者だそうですが、親友の医者を呼んできたらもう脈がない。心臓のどうきがとまっておる。瞳孔を見たら瞳孔には動きの反射はない。肛門を見たら肛門はあいたきりでもうそれきりになっておる。もうこれでは死ぬ、間違いないのだからかわいそうだがしようがない、こう言うて医者は帰っていった。そこで家の者は親戚を呼ばにゃいかぬ。さすがに死んだというのは家の者はいやなものだから、危篤だという電報を打った。そうするとみんな電話をかけてくる。危篤というのはどういうのだ、実は死んだんだ、死んだという電報がいやで危篤と書いたんだ、こう言ったら、みんな香典を持って喪服を用意して出てきた。出てきたらううんと言ってうなり出した。それで医者を呼んだ。呼んだら、おおこれは生きておる。友だちのことだから、こいつまだしゃばに未練があったのか、生きておるわい、こういうこともあるものかと言って、医者みずからも驚いていた。死んだに間違いないんですよ、医学上からいうと。それでも生きたんですよ。いわんやあなた方、どうも死んだとは認められぬ、死んだとは認められぬとは生きておるかもしれぬということですよ。そんなときに心臓を取って殺して、それでいいんだということになったらたいへんだ、こう思うから私は言うのです。 これらの点から考えて、どういう場合でなかったらやっていかぬということを法律上きめなければいかぬものだと私は思うが、どうです。これは大臣がおられるといいのだが、おられないのはまことに遺憾だが、大臣のかわりに責任を持って答えてください。
○辻説明員 和田教授にかかる本件につきまして、検察庁はたいへんな年月と日数をかけて慎重に捜査をいたしたわけでございますが、その捜査にあたりまして重点といたしました数々の点がございます。そのうちの特に二点、これが先ほど来鍛冶委員の御指摘の点にかかわる問題であろうかと思いますので、それを申し上げたいと思うのであります。 まず第一点は、この心臓提供者山口さんがまだ生きておる間にその心臓を摘出し、その結果山口さんを死に至らしめたのではないかという点が捜査の最も重点の一つでございます。これは裏を返して言えば、ただいま御指摘のように生きている間に心臓を摘出したのではないかということでございます。そういうことはあってはいけないから、この点をまず問題にしたということでございます。この結果は、やはり先ほど来申し上げておりますように、心臓の摘出をいたしましたときには山口さんが確実に生きていたということが立証できないということで、この点は問題にならなくなったということになるわけでございます。 次の点は、これも先ほど御指摘のございましたように、心臓を受けました宮崎さんにつきまして、他に安全な治療方法があったにもかかわらず、かつ、不成功に終わることを予見しながらあえて実験的に心臓移植手術をしたのではないか、こういう点がやはり重大な問題点でございます。この点をも中心に慎重な捜査をいたしたわけでございますが、この点につきましては、先ほど申し上げましたように、他に安全な治療方法があったかどうかという点につきまして、心臓移植もこの場合は一つの選択を考え得るものであったということであり、かつ、必ずしも不成功に終わることを予見しながらやったわけではない。もちろん実験的に心臓移植手術をしたものでもない。そういうことを認めるに足りる証拠がないという意味でございますが、そういうことになりまして、この検察処分につきましては、御案内のとおり証拠が不十分であるということで不起訴にいたした次第でございます。
○鍛冶委員 どうもいかぬですね。あなたはどうも検察の弁明ばかりに一生懸命になっておるからこっちの質問の答えにならぬじゃありませんか。私はそんなことを言うておるんじゃないですよ。間違いない、死んだと言うてさえ生きる場合があるのだから、それならそのときに死んだというて心臓を取ったら、それは殺人ですよ。そういうことさえあるのだから、死んだと認められない限りはそういう者を殺す手術はやってはいかぬものだと思うがどうだ、これが第一です。 その次は、そういう大事のことだから、やってもいいという場合は少なくとも、いま医務局長もそれを調べておると言われたが、こういう場合ならいいがそのほかはやっていかぬということを法律上きめなければいかぬものだろうと思うがどうだ、こう言うておるのです。私は何もその決定がどうのこうの言うておるんじゃないですよ。あなたはさっきからそればかりにこだわっておるが、どうですか。
○辻説明員 第一点につきまして、生きている間に心臓を摘出してはならないということはもとより当然でございます。全く仰せのとおりであると考えております。 第二点につきましては、先ほど厚生省からお答えになりましたように、法務省におきましても厚生省の委員会に参加をいたしまして、ともども研究をいたしておる次第でございます。
○鍛冶委員 きょうは両大臣がおられないからはなはだ遺憾ですが、この次に大臣がおられるときにこの結論だけを聞くことにするから、きょうの質問をひとつ大臣に報告して、当局としての責任ある御返答をもらうことにして私はこれで質問をやめます。 もう一ぺん繰り返して言いますが、死んだと決定してさえ生きることがあるんですよ。いわんや、死んだと認められぬときには死んだものとしてやるわけにいかぬ。死んだとしてやれないならば殺す手術はしていかぬ、こういうことになると思うがどうだということなんですよ。そうしてみると、間違いなく死んだ、差しつかえないということは、法律上認められるときでなかったらいかぬものと思うが、この点をひとつ確答してもらいたい、こういうのですから、きょうはこの程度にしておきますが、いずれあなた方から大臣に報告せられて、大臣から責任ある御答弁を伺うことにいたしましょう。 私はこれで終わります。
○高橋委員長 畑和君。
○畑委員 鍛冶委員に引き続きまして、同じく心臓移植の例の問題について質問をいたしたいと思います。いずれこの理事会の決定によりまして、今月二十四、五日ごろを予定して特別にこの問題の解明についての委員会を開く、そして和田教授をはじめとして告発者あるいは心臓移植についての告発の会等の代表者等を呼びまして委員会を開催するという決定になりましたので、その前に一応私の疑問と思う点について質問をいたしたいと思います。 この問題は、結局死の判定基準というものが非常に問題になったのであります。しかもそれにつながる医者の倫理、医の倫理ということが、非常に大きくまたそれ以上に問題になっております。この間の検察の最終的な不起訴決定によって一応区切りがついたかに見えますけれども、しかし、その問題につきましても、まだ国民が釈然としておらぬ。しかもそれがたとえ司法的に検察段階で不起訴決定ということになったといたしましても、なおさらに医の倫理という問題が尾を引いておりまするから、これはやはり徹底的にそういう問題をも考え合わせながらメスを加えるべきだというふうに考えておるわけです。先ほども鍛冶委員からいろいろ質問がございました。私も途中で中座等をいたしましたので、なるべく重複は避けたいと思いますけれども、若干重複になることがあるかもわかりません。このことを前提として質問を申し上げるのであります。 この心臓移植の問題については、大きく分けて二つの側から、一つは山口さんの心臓を摘出した問題と、その心臓を宮崎君のほうに移植をした、宮崎君の心臓を切り離してそこへ山口君の心臓をつないだという二つの側があるわけです。この二つの面について、山口君については、死亡前に心臓を摘出したのではないか、したがって殺人あるいは業務上過失致死に当たるのではないかという点、それから宮崎君のほうについては、一体あの段階で心臓移植はどうしてもやらなければならなかったのかどうか、そうでなければ生命が保てないというような状況であったかどうか、その判断等についてあるいは手術について過失がなかったかどうか、あるいは場合によったら殺人行為がなかったかどうか、この二つの面が議論をされ、特に一般の国民についてはともかく心臓を切り取られたほうの山口君の場合が非常に関心が深い。医学的に見ると、何か宮崎君のほうの問題のほうがむしろ興味があるんだというような話を聞いておりますけれども、一般的には何としても生きている心臓を取ったのではないか。先ほど来鍛冶委員からもいろいろ何度も食い下がっての質問がございましたが、この問題が特に関心を引いておると思います。 大体心臓移植ということについては、健康なしかも新鮮な心臓を必要とする。いわば生きている心臓を必要とする。このことが心臓移植の際の大前提でなければならぬはずだと思います。ということになると、心臓を生きているうちに切り取るというようなことになるおそれはないか。この場合がそうではなかったのか。その心臓移植を実際にやり、またそれをこれからもやろうではないかというような心臓移植を企図する人たちにとっては、死の判定の基準というものを心臓鼓動の停止とかそういうものには求めずに、脳の脳波の平たんというか、停止というか、そういったものを基準にしようというような学界の動きがあることも御承知だと思います。もっとも脳波の問題につきましても、脳幹それ自体が死滅をするという段階が初めてほんとうの意味の脳の停止だということになると、大体結果的にはいま通説になっておる心臓あるいは心臓の心拍停止、さらにまた呼吸の停止、それから瞳孔散大等の生活機能の停止、こういういわゆる三徴候というか、そういうものと実際にはほとんど同じようになるというような説明を私、医者からも聞いておるわけであります。今度の場合などはその辺がほんとうにそういう意味の脳死であれば別なんだけれども、私は今度のこの和田さんの手術の場合の死亡の判定というのは脳波だけの、しかもその脳波をとったかどうか自体もきわめて疑問だというようなことを聞くに及んでは、まことに問題が深いと思っておるわけです。 その証拠には、山口君が八時五分か何かにあそこに運び込まれた。ところで、それから高圧酸素室に運ばれたそうでありますけれども、その高圧酸素室に運ばれてある間の時間がきわめて短いというような話も、新聞でも報道されておる。それでは高圧酸素療法にはならぬ。少なくとも十五分間を要しなければ、すなわち三気圧か何かにその気圧が高まらなければ、その治療効果がないのだそうでありますが、それを待たずに、またほかのところに移されたというような事実もあるようです。それから死亡診断が十時十分ということになっておる。これは和田教授、あるいは和田グループかもしれませんけれども、死亡の診断書がそうなっておって、十時十分に死んだということになっておる。死体検案書記載の死亡時刻も同様であるということです。それでしかも、手術をする直前の二時八分には少なくとも生きておったという心電図の証拠はあるのであります。一体これはどういうことなのか。和田さんはあくまで簡単な脳波説を主張して、脳波だけが平たんだったということで早期に死亡を断定をした。午後十時十分に死んで、それがまた翌日の二時八分には生きておった。それで三十分ごろから手術を始めた、こういうのでありますけれども、あまりにもその間が長過ぎる。その和田さんの死亡診断の時期というものについて検察のほうはよほど突っ込んで聞かれたかどうか、私非常に疑問だと思うのです。その食い違いをどの程度究明されたのか、それがきわめて疑問なんです。普通のだれも、国民もそう思っている。十時十分に死んだものが、それから十一時、十二時、一時、二時と四時間もとにかく生きていたことになることは間違いない。和田さんはもう死んだという考えでいろいろやったに違いない。また遺族にもそういう説明をして心臓を切り取ることの了解を求めたのだろうと思う。だからこそいま山口さんの遺族が、そういうことであったらということで残念がっている、こういうような新聞記事も見ておるわけです。 それからまた、和田教授が自分であらわした本があるそうです。私は見ておりませんが、週刊朝日の報ずるところによりますと、「ゆるぎなき生命の塔を」という書物をあらわしているそうであります、この手術に関連して。そしてそれには二時五分、ナイフと言ってナイフをとった。それから胸を開いた。それで心臓摘出まで約十五分、こういったことも和田さん自身が書いているそうです。そうすると、五分から十五分、二十分にもう心臓摘出を終わっていることに和田さんの著述からすればなるはずなんです。そういうところにも非常に疑問がある。 その和田さんの著述の問題、あるいは十時十分だという死亡診断書の問題、その辺の問題を検察陣がどれだけ確かめられたかということについてまず質問をいたしたいと思うのです。
○辻説明員 ただいま御指摘のとおり、本件に関します検察の最終判断におきましては、山口さんは昭和四十三年八月八日の午前二時八分には少なくともなお生存しておったというふうに判断をいたしておるわけでございます。片や先ほど来御指摘のように、和田教授あるいは和田教授をはじめとする医師団は、八月七日の午後十時十分に死亡したという御主張があったわけでございます。この食い違いにつきましては、検察当局は、捜査の過程を通じまして、関係人その他を調べまして解明に当たったわけでございますけれども、最終的には八月八日の午前二時八分までは少なくとも山口さんは生存しておった、かように判断をいした次第でございます。
○畑委員 それではもう一つ。あなたは知っているかどうかしらぬが、いま言うた和田教授の「ゆるぎなき生命の塔を」私、転記ですけれども、これにはこういう記述がある。週刊朝日に載っている。「午前二時五分、『ナイフ』と声をかけ執刀を開始する。……まず提供者の心臓を摘出。……摘出におよそ十五分」こういう記述があるそうです。これは週刊朝日が報ずるのだから間違いないと思う。私は読んでいない。これからすれば二時五分——先ほど来言っているように二時八分には少なくとも生きている心電図がある。二時五分にナイフと声をかけて執刀を開始した。そして十五分かかって摘出、こういう記述があるんだが、これも悪意とか過失を立証する際の大きな材料になる。起訴になる前に自分自身で書いているのですから、このことは過失を問題にする大きな手がかりになると思うのだが、検察側はこれをその資料にしたかどうか、これも伺いたい。
○辻説明員 ただいまの和田教授の著書を資料にしたかどうか、ただいまちょっと私はつまびらかにいたしません。しかしながら、山口さん及び宮崎さんの手術の日時的な経過につきましては、検察といたしましては、もとより当然のことでございますが、詳細に時間的な経過を追いながら捜査をいたしております。その結果、検察が認定いたしておりますのは、手術の開始、山口さんの心臓の摘出は八月八日の午前二時三十分ごろであろうという認定をいたしておる次第でございます。
○畑委員 私は、和田教授に殺意があったか、殺意はまさかないとしましても、少なくとも業務上の過失があったのではないかというような観点に立って——和田さんがもし書いたとすれば、これは何ら関係なかったときに書かれたもので、しかも調子に乗っているときに、いい調子で書いたものですから、それが一番正直に書いた資料だと思う。これはやはり重要な手がかりとすべきだろうと思うのですが、これではちっとも触れられてない。週刊朝日が報ずるだけなんです。私はほかには見てないのですが、非常に有力なものだと思う。 〔委員長退席、小澤(太)委員長代理着席〕 同時に、十時十分に死亡したという診断書は非常に無責任きわまると思う。したがって、私は蘇生のための手だてはほとんどやってないと見る。大体湯水者でありますから、病院ではこの蘇生の手段を最善を尽くしてやるのが本来だ。溺水者に対する処置は内科あるいは麻酔科、これの領域で、胸部外科の領域ではない。それをほとんどやっておらぬ。高圧酸素室に入れたというけれども、それもほんとうの短い時間という話だ。これはあとで御答弁願います。 それから、そのあと手術室に運ばれて、結局心臓の新鮮度を保つために人工心肺につないだ。あるいは家族を説得するための時間をかせぐためにやったのかもしれない。ともかく蘇生術としては一体どういうのがあるか、これはどういう手段を講ずべきか。厚生省のほうにお聞きしますが、どうもいろいろ話を聞きますと、蘇生術としての処置としては適切な処置ではなかった。高圧酸素室に入れたということも、専門家に聞くと、やっても悪いことはないだろうけれども、そういうものを濁水者の場合にするようなことはないというような話も聞きます。とにかく高圧酸素室とすればもう少し長い時間そこに置くべきだったと思うが、新聞の記述等によると、わずかの間しか高圧酸素室に置かないで、あとは人工心肺につないで手術まで待った、こういうことのようであります。しかも死亡診断時刻は十時十分、こういう診断をする人だから、当然もう死んだのだという解釈で粗末にしたと私は思う。ただもっぱら新鮮な心臓をそのまま保持したいということだけの欲望のあまりそれにきゅうきゅうとして、蘇生術というものについて医者の当然やるべき濁水者を助けるという最善の方法を講じなかったと思う。この点はいかがですか。蘇生術のことについてまず厚生省のほうに聞きたい。どういう手段を講ずるのが最善であるのかということ、この場合にはあの程度のことで適当であったかどうかということ。それから刑事局のほうには、さっきも言ったように、その辺の、私が申しました経過についてどんな捜査をしたか。結局その過失をあれするには、そういったいろいろな状況を勘案して過失が認定できないか。そういうことでやったのかどうかという点ですね。これを御答弁願いたい。
○松尾説明員 私もそういう方面に詳しい知識を持っているわけではございませんが、一般的に蘇生術といわれている場合、いわゆる人工呼吸、これは人間の手でやる以外にいろいろな機械装置を使う場合があります。そういうものだとかあるいは心臓のマッサージというような問題がございます。そういうことが通例考えられているものでございますけれども、そのほかにいま先生も御指摘のように、酸素の問題でございますとかいうことがその状況、状況に応じて全く蘇生に関係がないのだということはどうも言えないのではないか、私もそういうふうに感じています。一般的には、いま申し上げたようなことが通例行なわれるというふうに聞いているわけでございます。
○畑委員 高圧酸素室に入れた時間や何かの食い違いは……。
○辻説明員 山口さんが札幌医大に運ばれまして、最初は救急部処置室というところに入られたわけでございますが、それからいまの高圧酸素室に入ったわけでございます。高圧酸素室に入られましたのは八月七日の午後八時四十分から五十分ごろではなかったかと思われるわけでございます。そういたしまして、手術室に入られたのが九時二十分ごろではなかったかというふうに一応考えております。
○畑委員 その御答弁から聞きましても、高圧酸素室でのそれが蘇生術の一番いい方法でなかったとしても、二番目、三番目の方法とするという場合にも、それはいいでしょう。ただそうだとすれば、もう少し長く置いておかぬと、何か気圧を上げる関係でも十五分くらいかかるんだそうですね。そういう記録がありますが、それからしてもほとんど効果がないようなやり方ですぐ次に移されてしまった、こういうことなんですが、もしそれが事実だといたしますと、厚生省のほうとしてはどうお考えになりますか。人工呼吸、心臓のマッサージですかそういうものをやって、それでさらに高圧酸素室で呼吸がしやすいようにするのですか、それも蘇生術の一つだとして第一のやり方じゃないか。これも蘇生術の一つだとした場合、そんな短時間で一体蘇生術の効果があげられるかどうか、きわめてその辺疑問だと思うのですが、厚生省のほうの御見解を承りたい。
○松尾説明員 高圧酸素室というものは数もきわめてわずかしか日本にないような装置でございまして、私も、何分間入れておったならはたして完全に適切であったかどうか、全くそれが不適当であったかという判断はにわかにここでは申し上げかねますが、ただ救急部というものがあって、救急の体制からそういうふうに運ばれたといたしましたならば、そのときにおそらく救急部の持っているいろいろな可能性、能力といったものの判断に立った上でそういう手段が選ばれたのであろう。それからまた同時に、酸素室に入れておりましても入れっぱなしという問題ではございませんで、常時その患者の状態は観察されるはずでございます。およそ私はその常時の観察の上に立った判断があったと従来は理解してきているわけでありまして、はたしてその十分か十五分というものが完全に効果があるのかどうか、ちょっとここではお答えにくいところでございます。
○畑委員 高圧酸素室に入れた時間等について、和田さんの供述はだいぶ違う。もっと長く置いておいたような供述になっているらしいが、その辺はどうでしょうか、検察のほうは。
○辻説明員 この点につきましては、検察側といたしましては詳細にたくさんの関係人から調べておるわけでございます。その結果、ただいま申し上げたような結論になっておるわけでございます。
○畑委員 そういう点で検察庁がずっと時間を追っていろんな証言から実際を調べてそういうことになった模様でありますが、和田グループの供述は時間的にだいぶそれと違うらしい。しかし、結局検察庁としては、どう和田さんのグループが言おうと、そういう時間的経過を確認した、そういうことだと思う。そういうことからしても、和田グループの供述というものは、実際の調べたものと非常に食い違っておるというふうな事実がそれでもわかる、こう思う。そのほかにも新聞等の報ずるところによると、いろいろな疑点がある、うそが多過ぎる、こういうふうに私も思います。 たとえば脳波のテストをした、検査をしたというんだけれども、話によると、当時その場所には脳波の機械がなかった、同時に、あってもこわれておったという話もある。しかも、その脳波の検査をしたのは門脇という講師であって、その人はもう死んでしまっていない、その人のせいにしてしまった、こういう話もある。同時にまた、実は脳波のテストをしてなかったんだと欠点をつかれて、一体どうしようかということを同僚の教授に聞いてサゼスチョンを受けた。同僚の教授は透視をしたということで言いわけしたらいいじゃないか、こういうふうに言ったというようなことも事実証言に出ておるそうですが、それは事実かどうか。そうだとすれば、どうも脳波をとったこと自体を、門脇さんが死んじゃったからそれにかぶせている。同時にまた、実際は脳波をとらないということで同僚の教授に助言を求めて、そうしたらいいじゃないかといった事実があるというふうに聞いているんですが、そういう供述があるとすれば、和田グループの話にはその点でも非常にうそがある、こういうことだと思う。死の判定を求める基準になる重大な点について、私は非常な食い違いがあると思うのです。その点、検察のほうはどの程度まで調べてどういうことになっているか、その点について聞きたい。
○辻説明員 御指摘の点につきましても、詳細に捜査をいたしておるわけでございます。この点につきまして検察側が重点にいたしましたのは、濁水のために仮死状態にあった山口さんに対して適切な治療を施したかどうか、この点について業務上の過失があるかどうかという点を中心に調べたわけでございます。その結果、先ほど来申し上げておりますように、結論としては、業務上の過失があったと積極的に認定する資料がないという結論になったわけでございまして、その一々の捜査の過程の詳細につきましては、事柄が不起訴になった事件でございますので、結論だけでごかんべんを願いたいと思うのでございますが、詳細に事実は捜査をいたしておる次第でございます。
○畑委員 もっとも、捜査をしたのも刑事局長が全部知っているわけでもあるまい、そういうことは私に初めて聞いたという点も何か少しあるようだ。しかし、いずれにいたしましても、国民が非常に疑問に思っておるんですから、できるだけひとつ答えてもらいたいと思います。 それから、もう一つ問題があるんですが、いままでの話に関連するんですけれども、結局先ほども鍛冶委員からくどくいろいろ質問があった、検察側のほうでは少なくとも二時八分には生きておった心電図の証拠はあるけれども、それ以後については心電図等の証拠はない。それで二十九分か三十分ごろから解剖を始め、胸を開いて摘出手術をしたというようなことで、それまでは生きていたという証拠、少なくとも心臓摘出の時期において生きていたという証拠がないから、したがって殺人罪または業務上過失致死罪は問擬し得なかったということのようです。その点で、そうかといって、生きていたかもしれないじゃないかと言って、先ほどもだいぶ鍛冶さんが食い下がっておられましたけれども、私も確かにその点はそう思うのです。あなたのほうの技術的な問題としては、生きている証拠がなければ殺人罪にも問擬しないということがあった。しかし、死んでいたという証拠もないじゃないか、生きていたかもしらぬじゃないかということにもなる。ともかくそういう場合に生きておったという推定が一応成り立つのではないか。それに対して死んでおったんですと、こういって主張する和田さんのほうで死んでおったという証拠をあげなきゃならぬ、私はそう思うんだが、どうでしょうか。これは殺人罪の場合だから、生きていたという証拠がなければ殺人にならぬということかもしらぬけれども、私はこういう場合に、一応生きていたと推定をして、心臓摘出をやった医者なんだから、もう死んだからやったんだという、死んでおったという心電図その他の死んでおった証拠ですね。心電図がこうずっといってとまっておるのだったら、そこで死んでいるのですからね。それが途中で切れているわけですね。それが途中でどうしたかわからない。そういう点に私は非常に疑問がある。生きておったという推定を一応できるのじゃないか。それに対して死んでおったという反証を医者のほうであげるべきだ。これは民事の挙証責任の転換みたいなものでありますから、民事と刑事は少し事情が違うと思うのですが、その点はどうお考えですか。
○辻説明員 これは申し上げるまでもなく、検察官といたしましては公訴を提起いたします場合には、有罪となるべきあらゆる証拠を検察官のほうで収集をし、それで立証をしていかなければいかぬという大原則がございます。本件の場合につきましても、やはり生きておったということを検察官としては立証する必要がございます。それが結局慎重な捜査を重ねましたけれども、二時八分にはなお生きておったと認められるわけでございますが、手術開始の二時三十分ごろには確たる立証ができないという意味で公訴を提起しなかった、かようなわけでございます。
○畑委員 それから次には、和田さんグループが心臓を摘出した、一体死んでいたか生きていたかということが重大問題なんでありますが、その摘出する人自身の判断でやったということに私は大きな疑問がある。疑惑がそこにある。したがって、そういう際には、ほかの第三者がその死を判定するということが必要だと思う。そうすれば、この場合にも問題がなかった。もし内科医なりあるいは麻酔科なりの医者が立ち会って、それでまだこれは死んでいませんというものを和田教授が執刀できるはずもない。ところが、これは蘇生関係の麻酔医もほかの内科医も関係しておらぬので、それを胸部外科の和田さんのグループが自分でみだりに判断をしてやったというところに解くべからざる国民の疑惑があるのであります。したがって、こういうときに第三者機関を設けて、その死の判定をするというようなことが必要だと私は思うのです。この点について、いままで心臓移植というのは初めてだからそういったことが問題にならなかったけれども、こういう問題になってくるにおいては、これが特に必要だと思う。こういう点で、これは医療行政の、医療関係の範囲に属すると思いますが、厚生省ではこの問題をどうお考えか。それがきっと必要だったと言われるに違いないけれども、そうすれば、今後どうしたらいいかということについて厚生省の御所見を承りたい。
○松尾説明員 死亡の判定という問題が心臓移植等の場合にはきわめてデリケートな問題になると考えられるわけでございます。そういう意味におきまして、先ほど申し上げました厚生省に設けております臓器移植に関します懇談会におきましては、鍛冶委員にお答え申し上げましたように、こういう問題について非常に広い範囲から研究を続けております。まだ結論は出ておりませんけれども、その中に、法制上のいろいろな問題を検討する一つの項目といたしまして、いま御指摘のように、死亡の判定という問題についてはこの判定の基準というものがもちろん問題でございます。同時に、それが客観的に国民の納得するような形で認められるという、そういう仕組みを必要とするかどうか。さらにそういうことでございましても、だれがどういう資格の人がそれに参与すべきであろうか。そういったところまでこれは制度的に何らか規制すべきであるかどうか。明らかに一つの問題点といたしまして、こういうことが検討されるという予定になっておるわけでございます。
○畑委員 次にお伺いしたいのは、死体解剖についてです。 この山口君の死体がなぜ解剖されなかったのか。解剖というのは司法解剖の場合と、教授自身が次に移植を受けるほうの宮崎君の健康管理という点からいいましても、あるいはまたその心臓が健康でなければならぬはずだから、そういった問題、心臓だけでなくほかの臓器関係も健康であったかどうかということも、移植を受けるほうの宮崎君の側からとっても非常に重要だ。そういう観点から医者の良心があるならば、そういう面からも摘出されたほうの山口君の心臓以外のほかの部位の診断のためにも解剖を必要としたのではないかと私は思うのだが、それがやられてない。したがって、そのデータもない。しかし、もし和田教授グループがやらないとしても、司法解剖をしておれば、これはその死因が突きとめられた。これがやられてない。結局心臓を切り取った、その切り取ったほうの残っておるほうの口ですね、それのほうに解剖の結果生体反応があらわれれば、生きておるうちに心臓を取り除いたということが立証できるし、それから肺臓の中にたまっておる空気の量をはかることによって肺が自発呼吸をしておったかどうかということも判定できるそうであります。そういうことをやっておればこういうことにはならなかった。和田さん自身がやるとすればごまかしするかもしらぬが、しかし、医者の良心としてそれをやるべきではなかったかと思う。それを学会に報告すべきだったと思う。それがしていないと同時に司法解剖の関係のほうもしてない。こういうことも私は事件をこうして混迷に導いたことにもなると思うのです。 その点について、医学的な、和田さんがやるべきだったと思う解剖の点について厚生省、それから司法解剖というほうについて検察庁のほうからひとつ御意見を承りたい。
○松尾説明員 一般論としてお答え申し上げるわけでございます。少なくとも研究機関というようなところでいろいろな症例をお扱いになる場合、医学的な常識からいえば、当然解剖というものをやってその結果を明らかにしておくということが、これは医学的に見たときの常道ではないかと私は考えます。
○辻説明員 本件の移植手術当時におきまして、この山口さんの死亡が犯罪によるものではないかと疑わしめるに足りる資料がございませんでしたために、捜査当局におきましては、当時いわゆる司法解剖をいたしていないわけでございます。もしいたしておれば、ただいまお説のようにいろんな関係の事案が解明できたであろうと思われるわけでございます。
○畑委員 ぼくはその点で検察庁は怠慢だと思う。刑事訴訟法の二百二十九条によりますと「変死者又は変死の疑のある死体があるときは、その所在地を管轄する地方検察庁又は区検察庁の検察官は、検視をしなければならない。」「検察官は、検察事務官又は司法警察員に前項の処分をさせることができる。」こういうことになっておりますね。これは検視の条項です。これによって事実は札幌中央署の警察官が検視をしたようであります。ところで、これは新聞の報道を見ますると、そのとき和田グループの渋谷という医者が立ち会った。その渋谷医師は、胸の傷、解剖したあと閉じたその胸の傷は、心臓をマッサージするために切り開いた傷であります、こういうことを言ったそうであります。したがって、医学的には非常に暗い、われわれでもひっかかると思うのですが、それじゃというので別に不審も持たずに、ほんとうに治療行為、すなわち蘇生術の一つとして直接開いて心臓マッサージをしたということだと思っておった。ところが、そうではなかったという報道がなされている。同時にまた、そのあとで三時間もたって、和田教授自身が中央署に電話をして、実はあれは心臓摘出のときの切り傷であります、こういうことで訂正をしたといわれております。そういうことがわかった以上、あとでわかったんだから、そうだとすればやはりその際司法解剖をすべきではなかったか、こういうふうに私は思うのです。そうしておれば、先ほど言ったとおりの生体反応その他もあらわれるであろうし、それこそ第三者がやるのでありますから、相当あのときにはもうセンセーションを巻き起こしておったのでありますから、そういうことも当然検察側としても予想をして、特に和田教授からそういう話があった場合にはこれは司法解剖すべきではなかったか、こういうふうに思うのですが、どうですか。その点、怠慢ではなかったか。
○辻説明員 この山口さんの死体の検視その他の手続につきましては、大体いま御指摘のとおりのような事実があったようでございます。結局最終的には和田教授のほうから札幌中央署にこの手術をしたという電話連絡があったようでございますが、当時はやはり、すでにもう新聞その他でこの心臓移植手術が大々的に報道されたときとほぼときを同じくいたしておるわけでございまして、現在想像いたしますと、当時の捜査機関におきましてはこの解剖を検討したようではございますけれども、やはりりっぱな医学的な手術の成果があったという一般的な考えということをも勘案いたしまして、当時は司法解剖までには至らなかったというのが実情のようでございます。現在となれば、先ほど来御指摘のように、当時司法解剖をしておけば事案はもっと明確になった点が多かったであろうと思われるわけでございます。
○畑委員 その当時はだいぶ手術成功ということで宣伝をされ、しかも名医がやったんだからということでそういうことまでしなかったということでありますが、結局はやはり医の倫理という問題に帰着をすると思うわけであります。医者はそれだけやはり一般的に信頼をされておる。検察庁までがすっかり信頼をしておるということが、結果としてこういうことになったということになると、そのときしておけばまことによかった、こういうふうに思うのは私だけではないと思います。こういう点でやはり検察庁は冷静な判断で、たとえそういうふうな状態下におきましてもやはりやるべきことはやらなければならないのではなかったか。最初は心臓マッサージと言ってうそをつき、それが三時間後に和田さん自身によって訂正されたというようなことでは、若干その点でもって疑いを持つべきだったと私は思う。しかし、これは議論してもしかたがないからその次へ進みます。 次は死体の解剖と関連するのですが、もし死んでいる人の心臓を、この際山口君の心臓を摘出したということでありますれば、当然死体についてどうするかという規則があるはずです。その規則には検視の規則も先ほど言ったとおりあるし、刑事訴訟法の規則がある。そのほかに死体取扱規則というものも定められておるし、それから死体解剖保存法というのが御承知のとおりございます。これによると、そういった病院で死んだ場合などは例外規定があって、一般の場合には「死体の解剖をしようとする者は、あらかじめ、解剖をしようとする地の保健所長の許可を受けなければならない。」こういうことになっております。だから、和田さんが死んだと認定したその後に心臓摘出をしているということは、少なくとも解剖の一つになると思う。それで、一体それの資格者であったかどうか。例外の規定の中には「死体の解剖に関し相当の学識技能を有する医師、歯科医師その他の者であって、厚生大臣が適当と認定したものが解剖する場合」これはよろしい。私はこれに認定されておったかどうか知らないのだが、そういう場合、あるいは「医学に関する大学の解剖学、病理学又は法医学の教授又は助教授」和田教授は解剖学や病理学や法医学の教授ではないと思います。それから第八条に、死因の判明しない場合の解剖の規定により解剖する場合、刑事訴訟法によってやる場合、こういった例外の規定があります。それ以外の場合には保健所長の許可が要るということになっています。その点和田さんの場合、私は許可を得なければならぬ人に属するのではないかというふうに思う。もしそうだといたしますならば、保健所長の許可を得ていたかどうかわからぬが、その点を御回答願いたい。そうすると、死体解剖保存法にも該当することになるのではないかというふうに思いまして、死体損壊罪の関連も出てくるということになるのだけれども、検察庁のほうは、死体損壊罪も検討したけれども、これには当たらぬ、こういうような裁定でありました。この辺、私ちょっと疑問でございます。この辺について厚生省のほうと検察庁のほうに承りたい。
○松尾説明員 御指摘いただきまして、私も率直に申し上げますと少し疑問を感じているわけでございます。率直なところ、この件に関しまして死体解剖保存法上の資格があるかどうか、私のほうではまだ調べておりませんが、ひとつ早急に検討させていただきたいと思います。
○辻説明員 死体損壊罪の成否につきましては、本件の場合には両親の一応の承諾を得ておるという点、それからやはりいろいろな事情を総合考覈いたしますと、やはり一つの正当行為としての心臓摘出業務行為と申しますか、正当行為と申しますか、少なくとも違法性を阻却される行為であるという判断から、本件について山口さんの死体損壊罪は成立しないと考えておるわけでございます。
○畑委員 いまの死体解剖の問題はどうですか。死体解剖保存法の関係は検察庁では検討したかどうか。
○辻説明員 ちょっと現在、検察庁が検討したかどうか、手元に資料がございません。おそらく、和田教授はこの死体解剖保存法の資格を持っておられるか、あるいはさらにこういうことが解剖といえるのかどうかという点も、一つ問題があろうかと思うのでございますが、現在私ども、検察庁でこの点どういう結論を出しておるか、ちょっと資料を持っておりませんので、留保させていただきたいと思います。
○畑委員 いま、心臓の摘出だけであるから解剖には当たらぬかもしらぬというような疑問も一応あります。しかし、同時にまた、少なくとも死んだものをやったとすれば、殺人罪や業務上過失致死罪にはならなくても、死体解剖保存法にいう解剖に当たるとすればこれはなるのではないか、こういう疑問があるわけです。いずれにいたしましても、医者のやることはもう間違いないんだ、こういった観念が一般にある。それで検察側にもあるし厚生省側にもあると思う。これはやはりそう簡単な考えでやるのは間違いだ。一般の人はそう信じやすい。それを厚生省や検察庁は別の見方で、人権の擁護、保護という観点から、やはりいろいろな点に気を配ってやってもらいたい、かように思います。死体損壊罪については御家族の御承認があったということであるけれども、これもいまになっては、どうも残念だったなどと言っておるところがある。もう死んじゃったんだからひとつ提供してもらいたい、ぜひ医学の進歩のために提供してもらいたい、こういう話があれば、私がその場合でも、どうせ死んじゃったとすれば、全的に医者を信頼するとすれば、それが医学の進歩のためなら提供する。一人はだめだが、その心臓によって別の宮崎君の生命が助かるんだということであれば、私が家族といたした場合でもそれを承諾したかもしれぬ。しかし、あとで聞けば、そういうことであったとすれば、私も憤慨する一人だと思うのです。そういう事態だと思うのです。 そこで、最後にもう一つ、宮崎君のほうの関係についてちょっと御質問いたします。 私もしろうとですからよくわかりませんけれども、何か和田グループの話によると、宮崎君の心臓は、弁が四つあるそのうち、僧帽弁、それからもう一つ何尖弁といいましたかその弁と大動脈弁、この三つともだめだった、不全であった、狭窄しておった、こういうような判断だったようであります。したがって、三つがだめな場合として、これはもう移植以外にはないというような結論で山口君の心臓を移植した、こういうことになっておるようであります。ところで、あとでこの宮崎君の心臓を、アルコールづけになっているのを鑑定人に検討さした結果、宮崎君の大動脈弁が切り離してあった。しかもその大動脈弁が——血液型の反応が宮崎君のはAB型、僧帽弁ともう一つの弁は確かにAB型である、ところが切り離された大動脈弁はA型だった、こういうことですね。そうすると、これは宮崎君の心臓の大動脈弁ではなかったんだということになると思います。これは結局、前から心臓内科の人たちは大動脈弁は悪くなかったと言う、それをあえて、手術の功績をあせるのあまり和田さんが、大動脈弁も悪かったんだということにして、これではどうしようもないからということで手術をやった、こういうことになっているが、実際は大動脈弁は悪くなかった。それで悪かったということにするために、あとで、宮崎君の死亡後切り離した後に大動脈弁をつけかえた疑いがある、こう言われてもしかたがないと思う。そうだとすると明らかに証拠隠滅だ、私はそう思う。この点非常に疑問がございます。この点について、検察側はどういう捜査をしその判断をされたのか。 これは宮崎君側のほうだけれども、非常に問題だと思う。血液型の問題、それからこれだけ切り離してあった。その切り離してあったのが、しかもそれをだれがやったということになると知らないと言っている。ところが、あとで和田グループは、先ほど申した、脳波を検査をしたということにさせられておる門脇講師がこれを切り離したのかもしらぬ、こう言って言いのがれをしておるようであります。これも死人に押しつけた非常にいまわしいやり方ではないか。うそが非常に多過ぎる。しかもそのうその矛盾を死んだ門協さんに転嫁をしている点が三つも四つもある。こういうことなんでありますが、この点はどういうふうに捜査をし判断をされたか。
○辻説明員 本件が問題になりましてから提出されました宮崎さんのものと称される大動脈弁が、はたして宮崎さんのものであったかどうかという点につきましても、検察はきわめて慎重な捜査をいたしております。たいへん技術的なことで私どもはっきり理解ができないわけでございますが、関係の教授や、あるいはごく最近に考案された鑑定法とか、そういうものを用いて慎重に捜査をしたようでございます。その結果は、結局これまたある意味では非常に歯切れが悪いのでございますが、宮崎さんの手術時に切離された心臓の一部であったものかどうかという点については、宮崎さんとは別の臓器組織のものである、宮崎さんとは違った人の臓器組織のものであるとは断定することができない、こういう判断になったわけでございます。
○畑委員 別のものとは断定するわけにいかぬ——同じものだということの断定はどうなんでございましょうかね。宮崎君とは別のものだという断定まではできない。しかし、血液型がAB型であり、片一方はA型であり、しかも切り離されておったということについては非常に疑問なきを得ない、こういうことが私の考え方なんであります。どうも検察側の判断というのは、もう助けるほう、助けるほうというように向かっている感じがする。生きている証拠がなければだめなんだ。生きてる証拠は残念ながらない。山口君の場合にもこう言い、また宮崎君の場合にも、他人のものだと断定する資料には証拠が足りないということで、したがって、和田さんの言うとおり心臓大動脈弁も悪かったんだという主張を裏づけるようなことになる。そういう結果に終わっておる。 結局要するに、これは大臣にもお尋ねしたいのですが、結論みたいになりますけれども、いままでいろいろ鍛冶委員からも質問があり、私からも御質問申し上げ、このことは同時にまた全国民の疑問でもあるわけです。検察側のほうとしては、それはやはり公訴を維持するに足りるような証拠がないという場合にはやはり起訴しないということになるのが普通でありましょう。しかしながら、本件の場合のように、国民が非常に疑惑を持っておるような事件につきましては、たとえ証拠が不十分であっても、状況証拠的なものが相当にあり、うそが多いというふうに判断した場合には、これはやはり検察庁だけで判断をすることなしに、若干の証拠足りずの点はあるとしても、やはり公判の請求をして裁判所の名において最後の決着をつけるということが必要ではなかろうか。私は、検察のほうとしてはなるほど公訴を維持できる可能性がないということになれば、どうしてもやりたいけれどもできないということになるのはわかります。また若干のメンツということもあるでしょう。そういうこともあるといたしましても、こうした大きな問題になったことは広く裁判所という庭において黒白をつける。そのとき検察官が負けたっていいじゃないか。そういったメンツにとらわれて——そればかりにとらわれておるとは私も思いませんけれども、しかし、こういう場合にはやはり法廷へ出して国民の目の前においてすべてを明らかにする。それでなければ、検察の手によって死の判定基準その他が判断をされることになる。ある意味では僭越じゃなかろうか。最後の問題は裁判所が判断をすべきである、またそれが可能なんです。ただ負けるだろう、それはわかっているのです。負けるかもしれぬ可能性は多い。それはそれであっても、片っ方の人権を守るという点において、この問題は、人権の中で最も尊厳であるべき生命が侵される危険が非常に多いということで関心を呼んでいるのですから、こういう点について検察庁としてやはり起訴すべきであるというふうに私は思うのでありますが、法務大臣の御見解をお尋ねいたしたい。
○小林国務大臣 これはお話しの次第もありますが、実は起訴そのものについては、検察としては公判の維持がとにかくできるというふうなある程度の見通しがないと起訴に出ることが——もう今日においては、場合によっては検察官の過失とかあるいは怠慢とかいろいろの問題さえ出てくるような状態であるから、どうしても検察としては慎重にならざるを得ない、こういうことになるのでありまして、いまお話しのような議論も当然あり得ると思う。よくわからないというようなものは、むしろ裁判できめてもらったらいいじゃないか、こういう議論もありますが、しかし中には、そういうふうな考え方が、検察としてはまた一つの怠慢じゃないかあるいは行き過ぎじゃないか、こういう議論も一方においては相当にあることも事実でございまして、やはり問題によって検察がたとえばある程度憶病になるというふうなことも避けられないというふうに思うのであります。これは個々の問題について言えることと思いますが、できるだけ自分たちの集めた証拠で公判が維持できる、こういうふうな見通しを持たないとなかなか起訴できない。また皆さんの中にも、場合によって起訴は慎重にやれ、こういう議論が始終出てくるのでありまして、このかね合いが非常にむずかしいというふうに思います。 しかし、いまのように世間から非常に疑惑を受けておる、そして検察として公訴維持の自信が十分なくてもやるべきものがありはせぬかというふうな考え方もあると思うのです。これは今後もお話しのようなことは十分に考えていかなければならぬと思っておりますが、この問題については、とにかく検察のほうのおきめになったことをわれわれは了承したというふうなことに相なっております。
○畑委員 大臣のおっしゃることもわかるのでありますけれども、ずいぶん証拠が不十分と思われるような事件で簡単に起訴をされる、状況証拠だけで起訴をされておる事件も相当多い。この間差し戻しになった例の有名な何という事件でしたか、あの問題なんかもそういうところがあるようでありますし、すべての起訴が十分な証拠があったとは私、判断できない。そうでない事例も相当あるのであります。この問題こそは国民が注目している事件だけに、やはり一応起訴をして、裁判所の判断を請うという事件ではなかろうかと思うのであります。しかし、これはそう申しましても、私の思うとおりの答弁を求めるというわけにもいかぬから、重ねて御答弁は必要ないのでありますが、私はそう思います。 同時にまた、ちょっと聞き忘れたことがございますので申しますが、これは鍛冶先生が質問したかどうか忘れましたが、心臓移植というような問題がどんどん出てくるというようなことになると、医学の進歩ということも考え合わせなければならぬ。しかし、拒絶反応という問題が解決されるまでの間は、当分心臓移植のようなことは、ほかのじん臓その他と違って、心臓のような急所のところはなかなかむずかしい。実際はこういう問題があった結果、おそらく慎重にならざるを得なくなるであろうというふうには想像できます。世界の趨勢も、一昨年かは百一件もあったそうであります。ところが、その次は六十四件ですか七十四件ですかになって、その次は十四件になってしまった、こういうような話も聞いておる。非常に結果がよくないということでだんだん少なくなってきているのだと思うんです。 しかし、いずれにいたしましても、そういった問題のけじめをつけるために、生死の問題等についてもけじめをつけるために、第三者の判定機関等も設けるというようなことも関連して、心臓移植法というものを制定する必要があるかどうかという点について、おもに厚生省のほうにお聞きいたしたい。
○松尾説明員 法制定の問題につきましては、現在は角膜の移植法というのが一つございます。これも角膜の場合だけに法定されているわけでございます。ただいまの臓器移植に関する懇談会では、単に心臓というだけじゃなく、ただいま御指摘がございましたじん臓につきましてもいろいろな問題がございます。したがいまして、かなり幅広い臓器というものを総括いたしまして、それにはそれぞれ臓器によって特性を強調すべき問題もあろうかと思いますが、広く臓器移植という形で法定化すべきかどうか、そういうことを検討するということになっておるわけでございます。
○畑委員 もうすぐ終わります。一つだけちょっと聞き忘れましたが、これは検察庁のほうにお聞きしたいのですが、和田教授は、先ほど来言っておりますように、十時十分に死亡した、こういう死亡診断所を出している。これは実際では二時八分には少なくとも生きていたということなんですが、この診断書は文書不実記載にはならぬか。この点検討されたかどうか。
○辻説明員 ただいまの御指摘は、刑法百六十条の虚偽の診断書というか、検案書の作成罪に当たるかどうかという点でございますが、この点につきましては、私ども十分また検討をいたしたのでございまして、これは結局和田教授としては十時十分に死亡したということを確信しておられるわけでございまして、結局これは法律的に見てまいりますと、事実の錯誤と申しますか、犯意がないということで、この犯罪を論議することは困難であるというふうに判断をいたした次第でございます。 なお、先ほど私お答えするときに一点落としましたので、補足させていただきたいと思うのでございますが、この山口さんの司法解剖の件につきまして、私、当時捜査機関において検討いたしたというふうに申したのでございますが、検討は捜査機関としては当時いたしたわけでございます。ただ現在考えてみますと、当時も、この山口さんの死因を解明するには死後六時間内ぐらいでないと解明できないというような問題があったようでございます。こういう点もございまして時期おくれの面もあったという点も一つ事情があったことを付加させていただきたいと思います。
○畑委員 いまの問題ですが、和田教授は十時十分に死んだということを確信しておる、結局これは医学の認識の問題になるので、医学と法律との間の食い違いというか、いまの医学並びに法律の分野では、三徴候によって死亡の基準にする、生死の境の基準にするということになっておるが、和田教授のほうは、心臓移植の学者でありますから、したがって脳波によって、脳のほうの死亡を基準にするということから出てきている問題だと思う。それにいたしましても差があり過ぎるのじゃないか。十時十分だ、それを確信しているといまでも彼は言えるだろうか。この委員会で次に出てまいることになるでしょうけれども、幾ら医学的な見解の相違といっても、それほど違うことがあるのかどうか。先ほど私、冒頭に申し上げましたが、脳波の場合におきましても、脳幹の死亡ということについてはよほどあとになる。脳幹の死滅までということになれば、ほかの三徴候の生死の基準と大体一致するというのがどうも医者の通説のようでありますけれども、こう違うということはよほど——私はその確信はまことにおかしい確信だと思う。私はそういう医学的な確信はないと思う。それで振り切られちゃって検察であたふたするのは私はおかしいと思うが、それはそう思うから、そういう医学的な良心で確信しているというからそれに従うほかはないということだろうが、そういうことからして私は過失を認定できないか。そういういろいろな過失を認定する材料はあるじゃないか。それで状況証拠はそろうじゃないか。時実教授のあれもあるし、いろいろな鑑定人のあれもあるし、そういうことから少なくとも過失を認定することはできないか。少しは無理であっても、起訴して最後公判廷でやるべきだというのが私の主張ですが、その点ひとつ……。
○辻説明員 先ほどお答えいたしますのをややはしょりましたところでございますが、この山口さんの死体検案書は、実は作成者は和田教授ではないわけでございまして、渋谷さんというやはり同じ教室の先生が死体検案書を出しておられますので、名義が渋谷名義の死体検案書でございますので、そういう面からも和田教授の名義にはなっていないということでございます。
○畑委員 以上で終わります。
○小澤(太)委員長代理 午後一時四十分より再開することとし、この際、暫時休憩いたします。 午後零時五十二分休憩 ————◇————— 午後一時四十七分会議
○小澤(太)委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。安井吉典君。
○安井委員 外国人登録法の関係で、とりわけ韓国籍から朝鮮籍への登録がえないし書きかえといわれている問題に関しまして、若干のお尋ねをいたしたいと思います。 まず、前提的なお尋ねを二、三いたしたいわけですが、現在外国人の登録につきまして、ごく最近の統計で、「韓国」と「朝鮮」と登録人員はどれくらいになっているか、その面から先にお伺いいたします。
○吉田説明員 在日朝鮮人全体が、現在の登録の上から見ますと、約六十一万人でございますが、そのうち、現時点におきましては、三十二万余が韓国籍でありまして、二十九万程度が「朝鮮」という記載になっております。
○安井委員 そこで、登録事項につきまして変更があったりあるいは訂正が行なわれるということにつきまして、外国人登録法第九条第一項あるいは第十条の二の規定があります。その具体的な運用はどうなっているかということをひとつ伺いたいわけです。 つまり、この両規定に伴って、「韓国」から「朝鮮」へ、「朝鮮」から「韓国」へ、こういう変更ないし訂正措置がどういうふうに行なわれているか、この数字、ごく最近の段階でもけっこうでありますが、ひとつ状況を伺いたいと思います。最近と言って悪ければ、たとえば昨年一年間とか、あるいはいわゆる政府の統一見解が出てから以後でもいいです、その動きを、わかりやすいような御説明をひとつ願いたいわけです。
○吉田説明員 この数字はいままで部外に発表しておりませんので、ちょっと微妙な点があるのでございますが、概略のめどといたしましてここで申し上げますが、昭和四十年から以降で申し上げますと、昭和四十年から四十五年までに、「朝鮮」の記載から韓国籍に書きかえました数字は七万三千五百八十八名、まあ大体七万三千余でございます。それから韓国籍から「朝鮮」への書きかえは約百三十程度ございます。
○安井委員 この中身についてもう少し伺えばいいのですけれども、本論に少し時間がかかると思いますから、機会を見てまたさらに伺うことにいたしまして、この際伺っておきたいのは、八月に入りまして以降、市町村長が外国人登録法に基づきまして窓口で申請を受け、書きかえたというケースが二、三あるようでありますが、その数、市町村名、それをひとつ伺います。
○吉田説明員 ただいまの御質問の点に関しましては、詳細な資料をいま持ち合わせておりませんが、八月、九月の概略の数字といたしましては、変更を申し出ておられる方が約二千五百件くらいあったと記憶しておりますが、府県別の詳細はいまここに持ち合わせがございません。現在明瞭に事務的に間違いであったというケースで書きかえた件が一件あったかと思いますが、それ以外の分は検討中、一部は田川市のように現地のほうで訂正されて報告があがってきておる、こういうケースもございます。
○安井委員 私どもの調べでは、田川市、下関市それから福岡県の築城町ですか、そういう名前を聞いているわけですが、どうですか。
○吉田説明員 私たちも、情報としてはそのことを先週末から耳にいたしておりますが、まだ確実な報告その他をもらっておりませんので、確認できない状況でございます。
○安井委員 いまちょっとおっしゃった数字は法務省まで伺いということで出てきた数字を言われたわけですか、それとも窓口の数字が二千五百件というのですか。法務省まで来たのはそのうちどれくらいですか。
○吉田説明員 先ほど二千幾らと申し上げましたのは、現地の市町村の窓口で受けられた数字というふうに聞いておりますから、必ずしも全部確認したわけではございません。法務省にきょうの時点で何件あがっておりましたか、私ちょっと詳細に調べませんでしたが、いま関係の課長に聞いて、後ほどお答えいたします。
○安井委員 法務省はその伺いを、市町村長から知事を経てあがってきたものについて、その扱いをどういうふうにされていますか。市町村のほうの話を聞きますと、ほとんど明快な回答もなしに下まで下がってくるというふうなことのようですが、現実の処理のあり方についてですね。いわゆる経伺をやれということをやっているわけですけれども、その具体的な扱いですね、それについてどうですか。
○吉田説明員 法務本省のほうにおきましては、記載の原票資料を持っておりますので、そういう変更の申請があった場合には、一々関係書類を全部調べまして、慎重に検討しました結果回答しておるわけでございますから、決して放置しておる、もしくははっきりした返事が末端まで届いてないということはないはずでございます。
○安井委員 それじゃそれはあとにいたします。 そこで、いまの田川市の件でありますが、けさの新聞でも、行政命令の措置を講じたというふうに伝えられているわけでありますが、田川市のケースについての書きかえの経過と、それからこれに対して政府は今後どういう扱いをするおつもりか。ここまではまだ局長でもいいですが、どうぞ。
○吉田説明員 田川市のケースにつきまして概略申し上げますと、私たちの承知しておる限りでは、八月十五日に福岡県から、管下の田川市で八月十三、十四の両日にわたって合計十四名に関して、法務省に経伺しろという通達に違反して、外国人登録証の「韓国」の記載が「朝鮮」に訂正されたという旨の報告を受けたわけでありますが、私のほうでは十七日、これは従来指示しておる通達に反するので、通達に従って措置するように福岡県にあてて指示をしたわけでございます。 その後、田川市長のほうから、国籍欄を訂正した旨の正式の報告が参りましたので、これに基づいて調査してみましたところ、田川市に提出された書類、理由書だけでは外国人登録法の第十条の二に規定してある要件を満たしているとは見られない。したがいまして、右処分は適法なものではないということで、昨日「韓国」に記載を再訂正するように福岡県知事に対して指示した次第でございます。それが本日までの状況であります。
○安井委員 もう一点伺っておきたいのは、その指示は自治法百四十六条の規定に基づく指示なのかどうかということ、そして、それならば期限を付してという規定があるはずでありますが、それはどうなっていますか。
○吉田説明員 一応地方自治法の百四十六条、それから監督権全体としましての百五十条、国の委任事務でございますので、そういう関連条文に基づきまして指示したわけでございます。
○安井委員 あとでけっこうですからその指示書の写しを資料としていただきたいと思います。 それで、いつまでに変えろというふうな期限は付してあるのかどうか、それをひとつ明確に御答弁いただきたいと思います。
○吉田説明員 後ほどこの通達の写しを差し上げますが、期限につきましてはこの通達には明確には書いてございませんが、この訂正、具体的にどういうふうにしろということについて指示したわけでございます。
○安井委員 いまのその指示は知事に対する指示ですね。知事から市町村長に対する指示というふうな形で百四十六条ならコースに乗っているわけです。しかし、その際において期限を付してという明確な規定があるわけです。期限なしということですね。そうとっていいわけですね。
○吉田説明員 百四十六条の規定にはその旨が書いてある条項がございますが、早急に訂正を指示した、こういうことでございます。
○安井委員 早急にということで、期限の指示がなかったということははっきりしたと思います。 そこで、これからひとつ大臣にお出ましを願いたいのでありますが、小林法務大臣に伺いたいのは、この田川の場合、どういうふうな御処理を今後されるおつもりか、それを伺います。
○小林国務大臣 これらは法律に処理の方法が書いてありますから、法律に従って処置したい、こういうふうに思っております。
○安井委員 法律と言われますのは、自治法百四十六条の、つまり職務執行命令の規定というふうなおつもりで言われているわけですか。
○小林国務大臣 さようでございます。
○安井委員 それではもう少し問題の中身に入ってこの際議論しなければならぬと思うのですが、いまのお話の中から、一つは外国人登録法の政府の運用の問題があると思います。これが一つ。もう一つは、自治法百四十六条の規定に基づいて今後処理するという大臣の御答弁でありますが、その点の理解の問題、これがあるのではないかと思います。ですから、きょうはひとつその両面に分けて若干お尋ねを続けてまいりたいと思います。 まず、国籍問題でありますが、私も専門じゃないものですから、四十年のあの国会論争も最近になってもう一度読み返してみたわけであります。さらにまた、政府のこの法律の適用に関する規則だとか省令だとか各種の通達、指示、そういうようなものをずっと一わたり読んでみますと、どうもこの法律に関する政府の運用のしかたは多くの誤りをおかしているのではないか。特に法の精神をねじ曲げた違法な運用ではないかという感を深くしたわけです。 そこで、国籍についての政府の判断でありますが、私いろいろ調べてみますと、国籍というのはまず国家の側からの側面と国民の側からの側面と二つあって、まず国家の側からは、自国民の国籍をきめることは全く排他的なその国の権限であって、他国の干渉を許さないという原則、それから国民の側からいうと、「何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」これは世界人権宣言第十五条の規定でありますけれども、もうこのことばで尽きているようなことではないか。この二つの条件を具備したようなもので国籍というものはきめられるわけで、ほかの国が、おまえの国籍はどこだとか、おまえはここの国籍の者でないとか、そういうような干渉がましいことを言うべきではないという原則をはっきりしてこの問題を考えていかなければならぬのではないかと思うのですが、この点は大臣どうでしょう。
○小林国務大臣 まあ一般的にいわれればそういうことであろうと思います。
○安井委員 それで、このケースでありますが、朝鮮民主主義人民共和国国籍法がありまして、それによりますと、第一条に、「朝鮮民主主義人民共和国公民はつぎのとおりである。」第一号「朝鮮民主主義人民共和国創建以前に朝鮮の国籍を所有していた朝鮮人とその子女で、本法の公布日までにその国籍を放棄しなかったもの。」第二号「外国人で合法的手続きによって朝鮮民主主義人民共和国の国籍を取得したもの。」こういう規定があります。ですから、以前に朝鮮国籍を持っていて、今日の段階——この法律は一九六三年十月九日の公布でありますが、そのときまでに国籍放棄の意思表示をしなかった者は全部共和国公民だ、こういう書き方であります。 だから、私はいま二つの側面から問題を申し上げたわけですが、国家意思というものがここで明白になっているのではないか。残るのは国民の個人の意思ということだけであります。ですから、自分は朝鮮の国籍である、こういうふうに本人が意思表示を明確にすればもうそれで朝鮮籍が確認された、こういうことではないか。日本がそれは間違いだとかうそだとか、そういうふうなことで処理すべき問題ではないのではないか。その国を承認しているとか承認してないとかということとは別問題な、人権的な立場からの問題ではないか、こう思うのですが、どうでしょう。
○小林国務大臣 これはもう分裂国家という理念からいうて、一刀両断にきわめて明確な定義あるいは解釈ができるとは思いません。したがって、これらの問題については、政府当局の言うことにもどうも多少何か割り切れない問題があるということは、これはよくおわかりのことと思うのです。こういう事態がなければこれは明確になる。また韓国側からいえば、朝鮮半島で戦前に日本の国籍を持っておった朝鮮の者は全部韓国人である、こういうふうにお互いが言われておるのですね。これは朝鮮だけの問題でありません。韓国もそういうことを言っておる。われわれとしてはまことに困った事態だと思いますが、やはり国を承認しておらぬということが全然関係のないことで、そのまま日本で適用されるかどうか、こういうことについてはやはり多少のあれがある。承認したものと承認せぬというものとの間にはそういうようなことがありはせぬかということで、日本としても、いずれのことといたしましても非常に困ったことではありますが、しかし、政府としてもそんなことを言っておれないからして、ある程度の解釈をつけて通牒も出せば省令も出す、こういうことにならざるを得ない。それで皆さんがおっしゃるように、はたしてそう明確に言えるかどうかということについては、必ずしも私は疑問がないとは言えない、こういうふうに思うのでありまして、要するにこれはもうわれわれ日本としては直接の関係のない分裂国家であるということからして、かようないろいろな難問が出てきておるというふうにおわかりいただけると思うのであります。
○安井委員 もちろん分裂国家という現状からの扱いづらさ、これははっきりしていると思います。本日トラブルが起きているのもそこに根本的な問題があるわけでありますが、それにしても、いまの大臣のお話にもちょっとございましたけれども、どうもあの政府の扱い全体を見てみますと、韓国側の政治的立場に日本政府は少しよけいはまり込み過ぎていささか不公平な扱いになっているのではないか、だから問題をかえってややこしくしているのではないか、そういうふうに思うのですが、それはあとで触れることにいたします。 さらにまた、政府はいま「韓国」は国籍で、「朝鮮」というのは用語であり符号であるという解釈をとっておられるわけでありますが、「朝鮮」とあの登録証に書いてある人の国籍は何なんですか。
○吉田説明員 終戦のときにわが国に在留していました朝鮮人は、いわゆるまだ日本人だったわけでございまして、平和条約発効の時点、つまり昭和二十七年の時点におきまして初めて日本人でなくなった、わがほうの国籍を失っていった。分離国家として朝鮮半島におそらくできるであろう国家の国民になっていくということが予想されたわけでございますが、平和条約発効前の段階において、日本の国籍を持っておりますが外人登録法上は外国人ということにして取り扱ったわけでございます。したがいまして、まだ国籍が決定してないということで、国籍欄のところに「朝鮮」という記入をした、こういうところから発生しているわけでございますが、現時点において「朝鮮」という記載をしておる人の国籍というのは、韓国人もおり、将来かりに北鮮に国際的に法律上何かの国家ができるという事態になったときに、その国民になる人もおるかもしらぬ。日本としましては要するにわれわれはきめられないし、はっきりしない国籍を持った人が、つまり外人登録法上にいう「朝鮮」という記載をしておられる人である、こういうことに相なったと思います。
○安井委員 どうもわからぬのですがね。何を言っておられるのか私にはわからぬわけです。おそらく聞いておられる人はみんなそうだろうと思いますね。 それで、いまのお話の中で一つ問題なのは、北朝鮮に何らかの国がかりにつくられたら、こういう発言をいまされたわけでありますけれども、いま現に朝鮮民主主義人民共和国という国ができているのは、よもや局長もお知りでないわけではないと思います。この間も政府は「よど号」でお世話になりましたよね。成田委員長もこの間行って帰りました。二、三日前の新聞では、今度卓球の選手に朝鮮民主主義人民共和国という名前を掲げることを日本政府はお許しになったようであります。現に国があるわけですよ。その点どうもかりにと言われるから問題があるのではないかと思うのですが、韓国人と朝鮮民主主義人民共和国の公民を区別するのは、日本政府はどこで区別するわけですか。
○吉田説明員 韓国民のほうは、韓国民の国民登録証、国民であるということを示す証明書があり、また旅行者であれば韓国政府の発給した旅券を持っておる、その他これらにかわる戸籍上のいろいろな書類があるわけでございまして、そういう書類によって韓国籍であることが確認されるわけであります。
○安井委員 そうすると、朝鮮公民のほうはどういうことですか。
○吉田説明員 朝鮮に関しましては、現在国交がございませんし、朝鮮、現実にできておる政府を日本は承認しておりませんので、そこから発給される書類というものは法律的には承認することができない、これは法律上の問題でございます。 先ほど、北鮮に事実上政府があるではないかということがございましたが、それは事実でございます。しかし、われわれは事実の問題を登録上問題にしておるのではございませんので、法律上、国際法上、国内法上の問題としてこれを取り扱っておるわけでございます。
○安井委員 これは非常に大事な問題なのですが、きょうの本題はさらにまたあとの部分にございますので、そのあいまいな御答弁ではなかなか満足できないということだけ申し上げて、次の問題でありますが、同じ法務省の民事局は「国籍朝鮮」ということを統一的な取り扱いとされていると思います。官報にはっきり「国籍 朝鮮」と書いてありますね。民事局長、その点ひとつ伺いたいと思います。
○新谷説明員 国籍事務の取り扱い上「国籍 朝鮮」と書いておるのがほとんど大部分と申し上げて差しつかえないと思います。この趣旨は、先ほど入管局長から申されましたように、沿革的には本来日本人でございましたが、平和条約までの間は日本人として取り扱われてきたのが、平和条約によりまして、その意思に関係なく日本の国籍を失ってしまった、しかしどこの国民であるかということは、これは日本政府の関与する限りのものではございません、朝鮮半島におけるいずれかの政府に帰属する国民である、こういうふうに理解いたしておるわけであります。 そこで、国籍の関係でございますが、帰化を許しますときに「朝鮮」と書いてありますのは、これは韓国であるということであれば「韓国」と書いてもよろしいわけであります。しかし、従来の帰化を申請される方々いずれもその点については一切触れられないわけであります。したがいまして私どもとしましては、朝鮮半島の出身の人であるということを表示する意味において、帰化の場合にも「朝鮮」ということばを多くは使っている、こういうことになっておるわけであります。
○安井委員 民事局のほうはいまおっしゃったように原則として「国籍 朝鮮」でいっているわけですね。国籍の離脱だとか、帰化もいまおっしゃったように全部「朝鮮」、それから官報にもはっきり「国籍 朝鮮」と活字で書いてあります。一方、裁判所の扱いも、身分法の事件では未承認国の法律を適用する場合が多いわけですね、そういう判例が現にたくさんあります。朝鮮民主主義人民共和国の法律をもって処理しているという判例もあります。そこで裁判所のほうはこれはあとといたしましても、同じ法務省の屋根の下で、一方は「国籍朝鮮」と官報にまで掲げて、入管局のほうは「朝鮮」は国籍でありません、「韓国」だけが国籍です、その上に法務大臣は乗っかっておられるわけでありますが、どうもおかしいとお考えになりませんか。
○小林国務大臣 これは私がいま申し上げたように、あなたがお考えになっても、うまく一刀両断で解決がつくかというとこれは非常にむずかしい問題であることはおわかりのとおりです。いまの帰化はどちらでもかまわぬ、とにかく朝鮮半島に籍を持つ方が日本に帰化する、こういうことであまりこだわりがなくておやりになっておる、こういうふうに思うのです。いまの問題になっているのとは事柄の性格が多少変わる。しかし、私はおそらく「韓国」としてあるのもあるだろうと思うのです。いまの帰化の問題も、本人の申し出がそうならばそういうふうになっておる。これは必ずしもみんな「朝鮮」に直しておるわけではあるまい、両方あるだろう、こういうふうに私は理解しております。
○安井委員 いずれにしても全く扱いが違うんですよ。だから、国籍という問題はそういう中にあるという事実を大臣やはりのみ込んでもらわなければいけない。 そこで、さっき分裂国家というお話を申されましたけれども、中国の場合、ベトナムの場合、それからドイツの場合、そういったような分裂国家的様相を呈している国がたくさんあるわけであります。その扱いの問題をちょっと局長から伺います。
○吉田説明員 一番典型的な例は中国との比較になるかと思うわけでございますが、中国の場合は終戦の時点におきまして直ちに先方に独立国家が存在し、大使館その他で中国民としての僑民証といいますか国民登録証みたいなものを発給して旅券としてみんな持っていたわけであります。したがいまして、その時点における外人登録令ができましたときには、外国人「中国」として明瞭に登録できる法律上の体制が整っておったわけでございますが、韓国及び朝鮮の場合は、先ほど申しましたように、登録令ができました時点におきましてはまだはっきりした形が整っていなかった。こういうことで一応用語としての「朝鮮」ということで最初登録したというのがスタートでございます。中国の場合におきましてはその点に差がございますので、大陸糸ともと台湾に属した台湾人、そういった人たちを「中国」ということばで国籍としてこれを記載しておるわけであります。
○安井委員 「中国」というのはこれは国籍ですね、符号ではなしに国籍ですね。
○吉田説明員 そのとおりであります。
○安井委員 そうすると、中国人という特定の人がいますね。その人の国籍は、中国にも現実政府が両方にあるわけですが、どっちの国の人ですか。
○吉田説明員 現在、いま申し上げましたように、日本の取り扱いといたしましては、台湾系、それから大陸系あるいは香港系の人もおるわけでありますが、いわゆる外国人登録法の証明書に基づきまして国籍の表示は「中国」としておるわけでございます。これは特にどの政権であるとか、どこの出身であるということをこの「中国」という形では区別しておらない、こういうことであります。
○安井委員 それでおかしいのは、中国の場合はいまおっしゃったとおりこれは国籍ですね。朝鮮の場合は、「韓国」が国籍で「朝鮮」は符号だ、用語だ、その扱いにおいて差別、その点が私はどうものみ込めないわけです。それは経過の問題はありますよ。経過はあっても、現実にいま朝鮮も分裂的な様相だし、中国もそうです。その二つの中国、二つの朝鮮を認めるという意味で言っているわけじゃありませんが、現実はそういう形になって、同じじゃないですか。経過はあるでしょう、しかし現実において朝鮮の場合だけが「韓国」が国籍で「朝鮮」は符号だというその考え方は、差別をそれぞれに押しつけている考え方ではないか、そう思うのですが、これは大臣どうでしょう。
○吉田説明員 補足的に先ほどの、まあ経過は省略いたしますが、もしコリアというような一つの共通語があって、半島出身者が国籍としてコリアだというふうになればこれは一番明瞭なわけでございます、簡単なわけでございますが、経緯としましては国籍がはっきりしない。いわゆる半島出身者であるということを示す「朝鮮」という形で外人登録がスタートしておる。そしてその「朝鮮」というものは国籍ではない。現にただ朝鮮だけを名乗る国籍はないわけでございます。外人登録法上、国籍欄に通常原則として各外国人は自分の国を示す旅券その他を示してその国籍をはっきり示す、あるいはソ連人、あるいはフィリピン人、あるいはアメリカ人というふうに書いているわけでございますが、旅券もないし、それから法律的には平和条約までは日本の国籍を失っていなかったという半島出身者に対しては、用語として「朝鮮」ということばを使わざるを得なかった。その後に事実的に日本との国交関係が発生し、またいろいろそれに伴う永住権その他の法律的効果の伴うような韓国籍——韓国政府の出しておる旅券及びいろいろな証拠書類、それに伴う法律的効果、そういった事実が積み重ねられてきた今日、やはり「韓国」というのは国籍であるというふうに認定せざるを得ない。「朝鮮」は、そういう意味におきまして韓国籍の人も含むいわゆる朝鮮半島の出身者ということでございまして、これは依然用語の範囲を出ない、こういう区別が残らざるを得ない、こういう次第になっておるわけでございます。
○安井委員 私は、その国籍のいろいろな扱いについての結着をここでつけようとは思いません。これはまたさらにあとの問題にいろいろ議論があると思うのですが、しかし、いままでの政府の御答弁で明らかになったのは、国籍という問題についていかに支離滅裂な対応を政府がされておるかということだけはここでどうもはっきりしたように思うわけです。ですから、国籍の書きかえなどという問題も、そういう事態を踏まえて考えていかなければいかぬのに、非常に硬直した姿勢を韓国から朝鮮籍への移行にだけ持っておられるという点に私は問題があるのではないかと思います。 もっとも、これは四十年十二月二日の参議院日韓条約特別委員会の会議録の抜粋なんですが、ここの答弁では相当柔軟な態度を政府は述べられておられるわけです。当時の八木正男入管局長は、「たとえば、これは本来が誤りであったと明瞭に資料の裏づけのある国籍でありますれば、これはもちろん個人の一方的な意思だけで国籍が取り消されるわけじゃありませんけれども、そこに記載されるに至った当時の個々の事情を調べまして、同情すべき点、あるいは書類や何かの上で不備な点があったりしたような場合には、そういう点に主眼を置いて、本人に一番都合のいいような方法をできるならばやっていってやりたいというのが私どもの方針でございます。で、これは御承知のとおりにいろいろなケースがございますし、一がいにここですぐに思いつきませんけれども、いろいろな場合があると思いますので、その場合に応じて十分にお互いに納得のいくような方法でやろうじゃないかということを部内でも申しております。」こういう答弁があります。 ところが、国会の中はそういうふうにきわめて低姿勢で通り抜けられるが、しかし、現実には機関委任事務をしている市町村長にはとんでもない高飛車な姿勢で政府は臨んでおられるというのが実態ではないかと思います。「朝鮮」から「韓国」に変わるのは問題はないが、「韓国」から「朝鮮」に変わるのはだめだという指導、ここに問題があるのではないかと思います。この点どうですか。
○吉田説明員 「朝鮮」という記載から韓国籍に変わるといいますのは、「朝鮮」というのは先ほど言いましたように用語でございますので、もし本人の意思で自分は韓国籍であるということを希望され、これは自由意思に基づいた希望であり、韓国政府のほうがこれを自国民であると認定して旅券を出すなりあるいは国民登録証を発給するということで、その書類を持って窓口で、変えてください、私は韓国籍になりますからという申請があったときは、これを韓国籍に変更しておるわけでございます。これは国籍としてそういう裏づけの書類が明瞭にそこに立証されておる。ところが、韓国籍に一度なった人は、韓国としての旅券を持って一つの国籍をそこで取得しておられるわけでありますから、御本人の明瞭な、何か自分が知らないうちに韓国籍にされたとかあるいは第三者が行ってやったとか、そういう自分の完全なる錯誤、過誤に基づく、もしくは事務的に完全な手違いで間違いが起こっておったというような事例に関しましては、現在韓国籍になっておる人も「朝鮮」に変えることを認めておるわけでありまして、そのためには、ただ書類その他が全部法務省の本省のほうにありますので、それぞれの窓口ではわからない場合が多いし、疑義のある場合も多々あろうかと思いますので、そういう書類を添えて変更の申請を出していただく、それを本省が受けまして、慎重に審査しまして、先ほど御引用のありましたように、事情がはっきりしている場合にはもう一度「朝鮮」に変更することを承認する、書きかえる、こういう手続をとっておる、こういうことでございまして、一度韓国籍をとった者は絶対「朝鮮」には戻らないんだということはやっておるわけではございません。
○安井委員 それをいまおっしゃったような態度でやれば、こんなトラブルは起きませんよ。国会で質問すれば、何かこれだけくぐり抜ければあとはこっちのものだというお気持ちかどうか知りませんが、そういうふうに言われるけれども、しかし、さっきのお話でも、二千何件申請があって、実際変わったのはほんのわずかしかないわけですね。だから現実には、国会でお話しになっているのと現実に役所の中でやっておられることと違うのじゃないですか。私はそこが問題じゃないかと思います。 それでは、どういう証明書があれば「韓国」から「朝鮮」に戻ることができますか。
○吉田説明員 最初にお断わり申し上げておきますが、国会で私がいま説明申し上げることと実際やっておることとが非常に違っているというふうにおっしゃいましたが、そういうことは毛頭ございません。現在韓国籍になっておる人がどういうふうな書類を出せば「朝鮮」に戻るかという御質問でございますが、韓国籍になられたときには、本人は、私は韓国民になるのだ、そして韓国政府に忠誠を誓うのだ、そしてそれを証明する韓国民である証書を下さい、あるいは旅券を下さいということを申請されて、従来は「朝鮮」であったものを韓国籍として認められて書きかえられておる人であるわけです。その人が自分はもう一度「朝鮮」になるのだということで、また書きかえてくれ、こういう申請が出ておるというのが現状であるわけでありますが、そうしますと、当初に書きかえられた韓国籍としての書きかえ方が間違っていたということが証明されなければならない。それが立証される書類が必要だ。具体的に申しますと、これは非常に困難なケースでございますが、自分は韓国民ではないのだということを証明していただく書類が必要である。一番いいのは、韓国政府から国籍を離脱するのだという証明をしてもらえば一番いいのですが、これは事実上困難なことであろうかと存じます。しかし、「朝鮮」から韓国籍に変えられたときに脅迫によるのだとかあるいは自分の知らないうちにそういうふうになっちゃっていたのだというようなことを主張されるのであれば、その事実を立証できる証拠を添えて申請していただきたい、こういうことでありまして、単に、ある方が、自分は今度「韓国」になるのだ、いや今度おれは「朝鮮」になるのだというふうに、その申し出によって右左というふうに変わるということであっては非常に困るわけでございまして、われわれのほうの持っております資料その他いろんなそういう申し立て書、理由書というようなものを十分検討した上で、これは韓国籍に間違ってなっておるのだということが認定される場合には「朝鮮」に書きかえることを承認する、こういうことになるわけでございます。
○安井委員 変更と訂正と両方あると思います。第九条第一項の場合と第十条の二の場合と両方あると思いますよ。間違いの訂正とそれから変更と。どうも法務省の扱いはそれがごちゃごちゃになっているようであります。書きかえということばで一括して言っておられる。あるいは書きかえというのは一方だけをさすのかどうかわかりませんが、それはそれにしても、ではたとえば田川市から出てきた申請、これは私は中身はまだ見せてもらえません。あとでひとつ見せてもらいたいと思いますが、新聞によりますと、窓口で民団の人に間違って書かれてそれきりになっているので戻してくれ、こういう申請もあったという新聞記事なんですが、ではそういうのは戻りますね。
○吉田説明員 民団の人に渡して書きかえてもらったということだけではまだ状況がはっきりしない場合がございます。たとえばある人が自分の持っております登録証をその民団の人に渡して、韓国籍に今度変えてきてくださいということを委任してその人が持ってきて書いておるということだけでは、本人が自分の国民登録証を書きかえるように渡した時点においては本人の同意といいますか意思が働いているわけでございます。したがいまして、それが強奪されて持っていかれて知らぬうちに窓口へ提出されて変わっていたということであればこれはまた話が全然違ってくる。その辺に多少、単なる本人の申し立て、私は知らないうちにそうされたのですという場合には、その知らないうちに韓国籍に登録されていたということを証明する書類が必要である、こういうふうに見ておるわけでございます。
○安井委員 いまの場合、それは民団の人に知らないうちに「韓国」と書かれてしまったのだ、こういうケースで、その人のうちへ行って民団の人が証明書を書きますか。あるいは韓国政府が離脱をするなんというような書類を書くでしょうか。それを唯一の条件としているということで、結局、「韓国」から「朝鮮」へのものは事実上許さないという形をいま政府がつくっているわけですよ。不可能ですよ。不可能なことを要求しているわけです。不可能なことを要求して、それ見ろできないじゃないか、だからだめですよ、こういうやり方ですね。じゃいま言われましたが、田川の場合、政府は書きかえを命令されたそうでありますけれども、何が不備だったのですか。書類が不備だったんじゃないですか。書類が不備だったら不備なような手続の方法があるじゃないですか、どうなんです。
○吉田説明員 外国人登録法の第十条の二によりますと、客観的に明瞭な間違いである場合に訂正するという趣旨でございまして、一応の理由書といいますか、申し立て書がついておりますが、それは自分が知らないうちに出されたんだということが書いてあるだけでございまして、それを証明する第三者の証言なり当時の客観情勢を立証する書類が不十分である。そういう本人の申し立て、わずかに本人の誓約書なりあるいはそういう理由書を書いてきたものだけでもって、客観的に明瞭でないことを一方的に市町村長が職権で訂正されては困る、こういうことであるわけでございます。
○安井委員 どうもその辺おかしいのですがね。通達そのものに問題があるのですけれども、これはあとに触れることにいたしまして、それでは、その人が朝鮮人ではないという反証は、政府はその登録原票だけで言うわけですか。いま韓国籍の人にですよ、おまえさんは朝鮮人じゃないんだと政府は言うわけですね。その基礎はなんですか。
○吉田説明員 私のほうは、あなたは朝鮮人ではないということを積極的に言うのではございませんので、本人の意思に基づいて「韓国」と登録原票に記載された、あるいはその記載されるときに韓国政府から旅券をもらってくるなりあるいは韓国政府の発給した、この人は韓国民であるという国民登録証を添えて、窓口で私を韓国籍にしてくれというので書きかえが行なわれた場合には、その人は韓国籍であるというふうにわれわれは考えておるわけでありまして、それが朝鮮人で——朝鮮人というのは朝鮮半島の出身者ということでございますが、韓国籍として国籍を取得しているということが政府の書類によって明瞭に立証されている以上、その人は韓国籍であるということでありまして、いわゆる「朝鮮」に戻す必要もないし、そういう関係ではない。つまり韓国人であるということをわれわれは認定しておるだけでございます。
○安井委員 客観的に見れば、法務省のほうは、いままでもいろいろな書類や何かの経過の中でそう言っているんだろうと思うのですけれども、わきから見れば、韓国籍ということで登録された人が、自分は朝鮮人だと思っている、朝鮮民主主義人民共和国の公民だと思っている。その人は、おれは韓国人でないと叫んでいるわけです。しかし日本政府は、いやおまえは韓国人だと無理やりにしいているかっこうじゃないか。わきから見ればそういうふうに見えるのですよ。そんな人権を無視したあり方なんてありますか。経過をいろいろ説明してのがれようとされますけれども、問題はそれなんですよ。大臣、どうです。
○小林国務大臣 これは非常にむずかしい問題で、私も大臣になったとき、あなたのおっしゃるようなことを全部事務当局に質問しました。そして曲がりなりといっては変でありますが、そうですかということで、とにかく法務省もきめなければならない。ただわけのわからぬようにしておくわけにいかない。それでだんだんいまのような結論が引き出されてきた、こういう経過をたどっておるわけで、いま急にあなたの言うような問題が起きたわけじゃありません。いろいろな経過を聞いたが、なかなかむずかしい経過。それでいまのところは、だんだんにここまで煮詰めてきたというか結論づけてきた、こういうことで、私もそうかということで一応納得しておる、こういう状態であって、非常にこれはむずかしい問題だなと思うのでありますが、とにかくいま事務当局がおっしゃったようなことでだんだんそこへ落ちついてきた、こういうことであるのでありまして、それがあなた方から見て非常に筋が通っているとか、だれにもわかる結論だということは必ずしも言えないと思うのであります。もとは要するに分裂国家で、しかも日本のすぐそばにおって非常に争われておる、こういうことから出てきておる。きわめてあいまいな結論じゃないかと思いますが、とにかく一応の結論をまとめなければならぬというふうなことでいまのことになってきたのです。したがって、人から見ればおかしいじゃないか、こういうことも出てくるし、またこの問題が、いまたとえばいわゆる社会党の市町村長のところにだけ出されている妙な関係でもあって、日本の内地において総連だかあるいは居留民団だかのいろいろの関係がそこのところに出てきているのではないか、こういうふうにも思われるのでありまして、非常に明快を欠く話であるといえばそれまでであります。しかしいまはこれまで申し上げたような扱い方になっておる。そしてそれでも私やむを得ないというふうに思っておりますから、その点だけ申し上げておきます。
○安井委員 佐藤内閣の中の実力大臣といわれている小林さんがそんな態度では困る。やはり長く懸案になっていておかしくなっている問題を在任中に処理していただきたいわけですよ。いまおっしゃったその話の中で非常に重大な問題が出てきたわけです。つまり長い経過の中でやむを得ぬ、やむを得ぬというので、いろいろなことを政府はやってこられた。ところがそういう経過の中でやってこられたそれは、この外国人登録法と似ても似つかぬものになってしまっているわけですよ。法律は、たとえば第九条の規定でも変更の規定もありますね。特に第十条の二の登録の訂正の規定においても、「市町村の長は、登録原票の記載が事実に合っていないことを知ったときは、その記載を訂正しなければならない。」市町村長の権限や責任をはっきり法律はきめているわけです。それを通達や指導は実際上こんなことはできないように、おまえやってはいけないというのですから。法律は国会がきめたのですよ。国会は市町村長の責任だといって預けてあるやつを、政府は通達で、市町村長が権限に基づいてやろうとしたらそれはだめだというのですから、そんなばかな話がありますか。だから、長い経過の間で、いま大臣が言われたようないろいろな苦労があったのはわかりますよ。その苦労があって、その苦労を一つ一つのがれながら行くうちに全く違ったものになっているわけです。だから、この今日の大きな問題点は、政府の行政措置、自治体に対する指導措置、そういうものが、本来法律が市町村長の権限だときめたものをそうでないようにし、できることをできないようにしている、それは違法ではないかと私は思うのですが、どうですか。
○小林国務大臣 権限というが、要するに委任をした政府の意向に反することをやる権限はありません。そういう意味で正当に権限が行使されなければならぬということは当然でありますから、その権限行使が正当であるかどうか、こういうところに問題が来たのであります。権限は何でも行使できる、こういうわけではありません。
○安井委員 しかしなるほど法律の運用は国会は政府にまかせております。運用はまかせてありますけれども、しかし、市町村長に何をやろうとそれは政府がかってにやりなさいとは言ってないのですよ。市町村長の権限以外のことで法務大臣がいろいろやることは、これは法務大臣にまかせてありますけれども、権限事項としたりあるいは義務事項としていることは法律がはっきり直接規定してあるわけで、それを一番最後のほうにある、この条文にないいろいろな運用について法務大臣にまかせる、こうありますよ。その権限を国会がはっきり明記してあるところまで、かってに法務大臣は通達や何かで動かしている、そういう実態があるんじゃないかと私は思うのです。そういう意味で、この運用というものは違法だと私は言いたいわけです。
○吉田説明員 ただいまの御指摘の点でございますが、外人登録関係事務のほとんど大部分の問題については、市町村のこの訂正ということでやっておるわけでございますが、いま問題になっております国籍という問題が事ほどさように微妙な問題であり、しかも認定を要する重大な事項でございますので、その事実を確認する必要上、そしてまた市町村の状況によってしょっちゅう変わるということであっても困りますし、全国的な調整ということも必要である、そういういろいろな行政上の配慮から、こういう疑義である、あるいはこういう書類をそろえて一応本省に提示してくれ、こういう通達を出しているわけでございまして、これはこの法令の精神及びその執行の範囲内でやっておるものと了解しておるわけでございます。
○安井委員 私はそうではないと思います。 そこで、地方自治体のほうが処理をする場合に、証明書や何かいろいろな条件を満たさなければならぬという指導をされておるわけでありますけれども、現実に韓国がこの人の国籍離脱を認めますという証明書を出すわけがないし、さっき言った民団のほうが出すわけじゃない。だから私は、この問題の処理には朝鮮民主主義人民共和国の何かの証明書とか、あるいはいま総連がありますが、そういうようなものの証明というか何というか——それは資料でもいいですよ、政府が認めてないんだ、こう言われれば。そういうものを一つの手がかりとして問題を処理するというそういう便宜的な方法もあるのじゃないかと思うのですが、そういう点のお考えはありませんか。
○吉田説明員 この外国人登録という問題は、先ほど話もありましたが、民事上の身分関係とか、国際私法上のいろいろな原則というものと多少異なりまして、外国人と日本人との関係という問題になって、登録外人管理をしておるわけでございますから、国籍という問題はその中で非常に重要な意味を持ってくる。ところが、国際法の原則上遺憾ながら、やはり承認してない国家あるいはまたその政府に近い考えを持っておる特定の団体というものが発給する書類を、直ちに法律上の絶大な効果を持つ文書とみなすということは非常に問題があろうか、かように考える次第でございます。
○安井委員 資料として考えていくということはできませんか。
○吉田説明員 資料という意味のとり方でございますが、もちろんその人がそういう非常に強い希望を持っておるとか、それに対するそういった関係の資料があるという事実は、私たちはもちろん調査いたして認定しておるわけでございます。
○安井委員 それはあとにおくことにいたしまして、私いろいろ調べてみた場合に、昭和四十年十月二十六日の政府統一見解、これくらい独断的かつ理不尽なものはないというふうな印象であります。この統一見解以前には、国籍欄記載の「朝鮮」も「韓国」もどちらもこれは符号なんだ、そういう答弁を政府はしていたし、そういう態度を公表していたわけであります。それがこの日から、一夜明ければ、「韓国」は国籍で、「朝鮮」は相変わらず用語だ、符号だ、こういう態度であります。しかしこれはだれが考えても、いろいろな利害関係もあるし、それから身分関係の問題もあるわけですよ。符号だということなら、符号だから国籍欄の記載はいいかげんでいい、私はそういう意味で言うわけではありませんけれども、符号というのと国籍というものの重みというのはこれは違いますよ。だから用語だとか符号だとかいう軽い扱いのもとに置いておいたのを——だから朝鮮人の諸君のほうも取り組みが気持ちの上においてはいささか軽いでしょう、国籍というはっきりした規定よりも。そういうところに置いておいたのを、もうこれから、いついつまでに変更しないのは国籍とみなしますよという予告も何もしないで、一ぺんに統一見解と称して国籍というふうな措置に切りかえていく、私はこんな乱暴なやり方というのは、ちょっとこれはかつてないのではないか、そういうふうに思うわけであります。「朝鮮」を符号とし、「韓国」を国籍とするというあり方については、さっきから申し上げてきたように、これはきわめて不合理ですよ。不合理きわまるものでありますけれども、それにしてもこの切りかえはもっともっとひどいですよ。あの段階におきまして国会でも、速記録を読んでみますと衆議院も参議院もずいぶんこの問題を取り上げています。しかし政府はろくな答弁ができていません。それによってみんなを納得させるような答弁ができていません。だから新聞の世論なんかでも、あの当時の論説を私も拾ってみましたけれども、みんな政府に反対ですね。そういうふうなめちゃなやり方は間違いだということをどの新聞も筆をそろえて書いています。ですから、当時青天のへきれきのように感じた人たちがいまになって、あるいはいまになってじゃなしに、それ以来、ずっと変えてほしいという希望を持ち続けてきているわけでありますので、この際便宜的な措置として、あの四十年における政府の罪滅ぼしの措置としてどうでしょうか、この段階でもう一度国籍ということ、「韓国」をはっきり規定づけることによって問題のある人は手をあげてください、両月何日までに受け付けますよ、そういう措置をとることがいいのではないか。これは私の一つの提案です。いまずいぶんトラブルが起きているのを解決する道は、そんなような一つの考え方で救済ができないかと思うのでありますけれども、これはどうでしょう大臣。
○小林国務大臣 四十年のその処置にも当時いろいろの問題があり、批判もあったのです。そういうことは私も承知しておりまするが、とにかくそれで一応の処置をしてまいっております。それでこれはいま私も、「朝鮮」とは何だということ、それでは「朝鮮」というのは形式的にいえば一体無国籍か、こういったような疑問さえ持つわけであります。認めておらぬから、国際法上はいまの北鮮は認めておらぬということになると、朝鮮と称するのは無国籍か、私もこういう疑問を持つが、しかしほんとうに正直なことばでいえば、日本人でない、外国人だ。その外国とはだれか、まだはっきり定義できない。こういうふうなものではないかと思う。これは非常にお互いに不幸なことであります。いずれにしましても、「朝鮮」というのは符号だなんと言っていることは、これはだれが聞いてもいかにもおかしな話である。よく聞けば、いや「朝鮮」の中には広く「韓国」も入っているんだなんという説明も出てくるわけであります。だからして、私はこういう事態を何とか早く解消する道はないかということを考えておりますが、しかし、現在の処理といたしましては、先ほど申しましたように、曲がりなりにもここまで来ておる、こういうことでありまして、あなたのおっしゃったことをいまここでそういたしましょう、こういうわけにはまいりませんが、しかし一つの御提案として私もお聞きしておきたい、こういうふうにいまはお答えを申し上げておきます。
○安井委員 ですから、私は申し上げたいのは、いまの質問の中で、二つ提案をしておるわけですね。一つは、国籍変更や訂正について。たとえば、朝鮮総連というふうな事実上の機関の証明を資料として使うという道がないかどうかということと、もう一つは、この際一定の期間を置いて、登録がえか何か——登録がえといったら悪いかもしれませんけれども、その辺は政府のほうでいろいろ考える余地があると思うのですが、何か一定の期間を置いて、その中で問題を処理するというふうな、そういう姿勢が今日のトラブルを解消する道ではないか。これはだれにも相談したわけじゃないのですけれども、私の感じでありますから、それを一つ申し上げたわけでありますが、しかしこれもおやりにならぬとすれば、私はあくまで、今日までの法律に対する政府の扱い、措置というものは違法だというふうな、はっきり断定をした姿勢で臨まざるを得ないのではないかと思います。 そのほか、永住権の問題だとか、国保や入管行政における「韓国」「朝鮮」の間の差別の問題だとか、そういう問題があるのですけれども、時間がだいぶ過ぎたようですから、それは別な機会にすることにいたしまして、もう一点、国の自治体に対する委任事務の問題、これについて少しお尋ねをしていきたいと思います。 この登録事務は国から自治体に対する委任事務であります。しかも自治体じゃなしに、自治体のつまり市町村長に対する機関委任事務であります。ところが、委任したといいながらも、今日の法務省のあり方は、預けたあと——これは法務省が預けたんじゃありませんよ。国会が預けたのですよ。その国会で預けたものを、はしのあげおろしから一挙手一投足、何でもかんでも口を出さなければいかぬというやり方、こういうやり方は法務省がこういうのをしょっちゅうおやりなのかもしれませんけれども、ほかではあまりないんじゃないかと思うのです。委任事務の本質という点にも、私はこれは問題があるのではないかと思います。特に自治法第二条十一項の規定では、自治体の自主性をそこなうような法律や行政のあり方はいかぬというふうに書いてあるわけですけれども、そういう精神にも違反するのではないかと思います。 そこで、自治法第百四十六条の職務執行命令の訴訟でいかざるを得ぬということをさっき大臣も御答弁になったわけでありますけれども、この規定の理解のしかたに問題がありはしないかということであります。いろいろ調べてみますと、自治体の自主性、独立性を保障するという一面をこの百四十六条は持っておるわけですよ。百四十六条によれば、国が期限をつけて変えろという執行命令書を出す、それに市町村長が従わなければ、主務大臣は裁判所に執行の請求をする、裁判所がその請求に理由があると認めた場合には、判決によってその命令を執行させる。それにもなお市町村長が従わない場合には、それを確認する裁判をやって、その判決によって代執行をして罷免もできる、こういう規定であります。だから、もちろんこれには上訴やそれから罷免にいくためにはいろいろむずかしい手続がありますけれども、その手続をどうも法務省などは国家事務を遂行するための自治体の長に対する強制だという側面を強くとらえがちではないかと思います。しかしそれは一面的な見方で、あくまで百四十六条の規定は、あの砂川判決にも明らかなように、自治体の自主性と、それから一方国の事務は一貫性をもって実行に移していかなければいけません。その二つを調和する、その調和を裁判所によってさせるのだ、そういう考え方で貫かれているのは、判例の中で明らかですね。そういう点についての理解が少し不十分ではないかと思うのですが、そういう点はどうですか。
○小林国務大臣 いま、機関委任をするのは国会が委任したという、こういうことではありません。国会は政府が委任することを認めた、こういうことでありまして、委任するものは政府機関である、こういうことには間違いがありません。委任するにつきましては、やはりその事務の執行についていろいろ注文が政府としてはあるわけであります。注文というのは条件があるわけです。どういうように執行してもらいたい、これはやはり委任の内容なんです。だからそれにもとることは直してほしいということは、別に自治権の侵害なんという問題ではありません。自治の侵害というのは、地方が自治権を持っておるということの、地方が当然その固有の権限としてやるべきことをいろいろ侵害することは、これは自治権侵害でありますが、いまの事務の委任につきましては、委任された趣旨の範囲において市町村長がこれを実施しなければならぬ、こういうことでありますから、政府の要望なり条件に違反することについて、政府がこれを阻止するとか直してもらうとかいうことは、別に自治権の侵害とは私は思っておりません。要するにまたその注文に非常な無理があるかどうか、こういうことは問題に相なるのでありまするが、この法律の実行を政府機関が委任するについては、政府機関の意向というものを当然守ってもらわなければならぬ、こういうことでありまして、その守らないことについてこれを阻止するとかあるいはその他の措置をとるということは、私は自治権の侵害とは考えておりません。
○安井委員 私が申し上げているのは、この百四十六条という規定は、自治体側の自治権をあくまで守らなければいけないという、憲法なり自治法なりの精神をそこで貫いていかなければいけないというものと、それから国の事務の一貫性と両方あるわけです。その上に両方の意見の食い違いは裁判所で処理するのだということであるということを私は申し上げているわけで、その百四十六条を適用されたのは砂川判決一つしかありませんね。いままでこの法律ができて以来一つしかありません。この中ではっきり言っているわけですね。「国の委任を受けてその事務を処理する関係における地方公共団体の長に対する指揮監督につき、いわゆる上命下服の関係にある、国の本来の行政機構の内部における指揮監督の方法と同様の方法を採用することは、その本来の地位の自主独立性を害し、ひいて、地方自治の本旨に戻る結果となるおそれがある。」つまり一般の国家公務員なら上命下服の関係に立つのだが、自治体のほうは自主性を持っているからそうはいかぬというのです。「そこで、地方公共団体の長本来の地位の自主独立性の尊重と、国の委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との間に調和を計る必要があり、地方自治法一四六条は、右の調和を計るためいわゆる職務執行命令等訴訟の制度を採用したものと解すべきである。」ですから「地方公共団体の長に対する国の当該指揮命令の適法であるか否かを裁判所に判断させ、裁判所が当該指揮命令の適法性を是認する場合、はじめて代執行権及び罷免権を行使できる」つまり国の指揮監督の実効性を確保できるのは裁判所の判決があってからなんだ。つまり自治体の長は、判決があれば、これは従わなければいけませんよ。これは従わなければ、その罷免権、そういう強制力、やはりそれくらいないと国の仕事の一貫性というものは保てないかもしれません。しかしながら私がさっきから問題としてあげていた外国人登録法の解釈なり、国の今日までの行政措置が適法かどうかということは、やはり裁判所がさばかなければいけませんよ。そのための百四十六条の規定だと思います。そういう点を、やはりはっきりさせておかなければいかぬと思いますが、どうでしょうか。
○小林国務大臣 これは、もうおっしゃるとおりで、初めから百四十六条に従って処理をいたしますということは、あなたのおっしゃったとおりのことでございます。
○安井委員 それでわかりました。 百四十六条の適用について、六大都市の場合はどういうふうな適用が行なわれるのか、その点を最後にちょっと伺っておきたいわけであります。遠藤課長がおられますから、その点を伺っておきたいわけですが、つまり自治体の首長と国との間の調和という点にいまの百四十六条があるわけです。ところが外国人登録法を見ますと、六大都市の市長の場合は、その事務をストレートに行政区長に委任していますね。市長は関係ないのですよ。だから百四十六条の適用については、六大都市の場合はどうなのかということ……。
○遠藤説明員 ちょっと突然の御質問で、いまその関係条文を調べておりますので、正確なお答えはもう少し研究させていただいてからにしていただきたいと思います。と申しますのは、外国人登録法の規定が六大都市の行政区長の権限としているという意味が、それが指定都市の市長に対して委任しておるのだけれども、実際上区長に仕事をさせておるという意味なのかどうか、その辺のところの外国人登録法の規定自体の解釈の問題とあわせて検討してみませんと、百四十六条の関係の規定を即答するだけの自信の持ち合わせがございませんので、おそれ入りますけれども、少し検討させていただきたいと思います。
○安井委員 ですから、問題点だけを申し上げておきますが、自治法の別表四で外国人登録法の事務は市町村長の機関委任事務だという規定があるわけです。しかし、それは法令の定めるところにより、こう書いてあるわけですよ。法令の定めるところにより機関委任事務だ、こう書いてあるわけですが、しかし、その法令は、外国人登録法の中には、市町村長に委任してあります、こういうようにはっきり書いてあります。しかし六大都市には区長が出てきてしまって、市長は出てこないんですよ。市長はつんぼさじきである。ですから一体法務省は、この事務について今日まで行政区長にストレートに指導をされていたのか、六大都市の市長に指導監督を及ぼしていたのか、その辺をお伺いいたします。
○吉田説明員 六大都市の場合は、非常に特殊な形態でございますけれども、市長を通じて区長に直接渡している——直接ということばは、あれでございますが、通じて区長に仕事を委任している、こういう形をとっているわけでございます。
○安井委員 市長を通ずるという権限は、法律にはないんですよ。六大都市の市長は、この法律の中にはあらわれてこないんですよ。一般の市町村長とそれから政令都市、指定都市の区長、それしかあらわれておりませんね。だから私は、この辺がどうも自治法とこの法律との間のつながりができていないと思うんですよ。何かありますか。
○遠藤説明員 御指摘のように、この問題につきましての一般的なはっきりした回答は、もう少し研究してからにさせていただきたいと思うのでございますけれども、関係法律の中で六大都市、指定都市につきましては、行政区長といきなり書いてある法令があるわけでございます。しかしながら法令の体系について考えますと、国の機関委任事務というものにつきましては、国の指揮監督権が及ぶわけでございまして、これが仕事を行なうのが行政区長であるからといって、そこのところだけが、国の機関委任事務がまるっきり穴があくという法体系にはなっていないだろう、そこで、その当該事務は、おそらくは市長に対する機関委任ではあるけれども、行なう事務処理機関を行政区長にしたというような解釈をするのが妥当な解釈ではないかと思うわけでございますけれども、一般論としてはそのように解釈すべきではないかと思われるわけでございますが、具体的な問題でございますので、関係法律が法務省の法律でもございますし、もう少し時間をいただいて研究させていただきたい、こう思います。
○安井委員 これをよく読んでください。非常におかしいですよ。自治法の規定もおかしいし、それから外国人登録法の規定もおかしい。大体外国人登録法は、いろいろ読んでみたら誤りがあるんですね。たとえば第九条の第二項に「前条第三項及び第六項の規定」と書いてありますけれども、前条には第三項も第六項もありませんよ。これは、いつか改正して、第八条の二というのを入れたときに、これを訂正するのを忘れたんですね。どこの国会がこういう規定をつくったのか知りませんけれども、法文をよく読んでみますと間違っておりますね。どうもいまの自治法の六大都市の市長に対する扱いの問題といい、この法律そのものにも問題があるんですね。大臣、だいぶいろいろ問題だらけの法律、法律にも問題があったということを発見いたしましたが、もう一つ、委任事務だそうでありますけれども、これに対してどれだけ市町村に委任のための事務費を出しておられるか、それを最後に一つお伺いいたします。——それではいいです。田川市にこの間聞いてみたら一万六千円出していますね。それで何人やっているのか。それからいろいろ各都市調べてみましたけれども、それはスズメの涙みたいなものをやって、そしてあれでもない、これでもないといって押えつけているわけです。これは地方財政法違反ですよ。大臣、地方財政法という法律をたまには読んでいただきたいと思います。局長も。地方財政法は、国の仕事を預ける場合にはそれに必要で十分な金額をやれと書いてありますよ。それでなければ違反だと書いてあります。ろくに委任の事務費も出さないで、ただきびしい責任だけを負わせている。そして窓口において書きかえをしてくれという大ぜいの人とも折衝をしていかなければならない。国のほうはぎゅうぎゅういって、それは市町村長たいへんですよ。そういうふうな実態も十分にわきまえないで、百四十六条というだんびらを振り回して、それで何でもやるんだというふうな姿勢は、私ははっきり誤りだと言いたいのです。いずれにしてもこれは重大な問題で、いまなお全国的なトラブルがさらに起きる可能性もあるわけです。したがって政府も、きょう私も若干の提案もいたしましたし、問題点の指摘をしたわけでありますが、それらを是正をしたりあるいは検討をしたりしていただきたいと思います。そのことをひとつお願いをして終わります。
○小澤(太)委員長代理 林孝矩君。
○林(孝)委員 外国人登録法の問題に対していま同僚委員から詳しい質問がございました。重複している点も多々ありますので、それ以外の点で二、三質問します。 ごく基本的な問題になりますけれども、人権宣言の中にうたわれている内容と現在起こっている事件の内容の間には非常に大きな矛盾があると感じられるわけです。これは国民の素朴な感情ではないかと思いますけれども、「何人も、ほしいままに、その国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」そのようにはっきりうたってあるわけなんです。ところがいま起こっている問題は、国籍を奪われている事実、また国籍を変更する権利を否認されているという事実、こういう問題に対して法務大臣ばどういう基本的な態度で臨まれておるか。また今後こうした問題がますます多くなっていくのではないかと思います。その上から考えても、この機会に今後そういう問題に対して取り組む態度もはっきりさせておかなければならない、そのように思いますので、基本的な態度に関して明快なる答弁をいただきたいと思います。
○小林国務大臣 人権は大事にしなければならぬし、人権宣言もありますが、しかしこれらの問題は公式には法律の規定によってやる、こういうことだからして、法律がそのことを明確に規定しなければ実現はできない。そういうことで、私どもはそういうものは尊重するという方針のもとにいまある法律に従って処置をしていく、こういうことでございます。現在の国籍の問題もそれぞれの国内法に従うということは当然でありまして、いま北鮮にも法律があるということになるが、それは形式論をいえば北鮮はいま承認はされておらない、こういうこともあるので一がいには扱えない、こういうことでございます。
○林(孝)委員 ですから、そういう現在の法律によって運用されるという、その現在の法律を将来の問題として改正してもこうした人権宣言の意思に基づいて運用をしていくという、そういう態度かどうかということです。
○小林国務大臣 これはもう立法論の問題でありますから、一般の世論がそういうふうな方向に行くに従って、そういうふうな場合には法律改正もあり得る、こういうことでございます。
○林(孝)委員 そうしますと、現在そういう世論がないというふうに考えられておるのか、それとも、現在はあるけれどもまだ世論が、大臣が感じられてそれほど盛り上がっていないという意味なのか、その点お願いします。
○小林国務大臣 まああとのほうのお話だと思います。
○林(孝)委員 そうしますと、今後世論が最高に盛り上がっていくという状況が起こってきた場合に、現在の法律を改正してこうした問題の解決に当たる、そのように解釈してよろしゅうございますか。
○小林国務大臣 そういうことであります。
○林(孝)委員 それから次の点は、政府が、昭和三十八年の十二月法務省から「理由の如何を問わず原票等の国籍欄を「韓国」から「朝鮮」に書きかえることは原則として認めない。」そういう通達をしているわけですけれども、これはいまの大臣の答弁から考えて、国籍の非強制の原則に反するのではないか、私はそのように思うわけですけれども、大臣の見解をお伺いしたいと思います。
○吉田説明員 いまの大臣の御説明に最初にちょっと補足さしていただきますが、林先生の御質問は、人権に関する世界宣言の十五条にあります「何人も、国籍を有する権利を有する。何人も、ほしいままに、その国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」この条項を引用しておられたんではないかと思うわけでございますが、これはある特定の国家が自国民に対してその国籍を一方的に剥奪をしたりあるいは本人の意思に反した取り扱いをしてはいけないということを世界宣言できめておるわけでありまして、実は現在問題になっております国籍の国籍欄の外国人登録法上にいう記載の点は、ある国籍がきまっておる人が、私はソ連人です、私はアメリカ人ですというきまった旅券を示して「ソ連人」「アメリカ人」と国籍欄に記入してくるということでありまして、そこにある人が間違えて「フィリピン人」と記入したからといって、日本政府は、その人に、おまえはアメリカ人になるべきだとか、あるいはアメリカ人になってならないとか、そういうことと何ら関係のない次元で見ていかなければならない。したがいまして国籍の決定の関係を示しておるのがこの世界人権宣言でございますので、日本政府は、先ほどから御説明申し上げましたように、朝鮮半島出身者の国籍に関してはわがほうはこれを決定する立場にはないということでございますから、いまの登録法にどういうふうに書いてあるかということでその人の国籍をこっちが決定しておるのではない。この点を最初にはっきりしておきたいと思う次第でございます。 そこで先ほどの通達の件についてでございます。用語でございますが、韓国というのは韓国籍にその人が記載されたときに自分は韓国籍になるんだという自由意思の表明があって、その自由意思の表明を裏づける韓国政府発給の国民登録証もしくは旅券の提示があったので、それを確認してこちらはそういう韓国籍と認めて記載したということでございますので、それを本人が何かの都合で、あれは間違いであった、またこっちへ変わるんだというふうに言われただけで窓口でこれを変えておると非常に困る。したがって、原則として国籍を取得しておる人が一方的に本人の意思だけで簡単に国籍を放棄したとかあるいはどうかということで変更することは好ましくない。したがって、そういう手続は原則として認めない。ただし、それが間違いであったとかその後自分が「朝鮮」であるという、韓国籍はとっておらない、自分は韓国籍をとったことが一度もないんだということを立証されるならば、韓国籍からもう一度もとへ戻す、こういう措置がとられるというふうになっておる次第でございます。
○林(孝)委員 いまの答弁に関してはいろいろ問題がありますけれども、まだ関連質問が他の同僚議員からあるということでありますので、あと一つお伺いしておきますけれども、先ほど来の答弁の中で感じられたことでありますけれども、今回の事件を通して、いまそうした不安定な状態に置かれている人たちに対して法務省として旅券、国籍証明書にかわる何かを発行して問題の解決に当たる、そういう考え方はないかどうか、その点を確認しまして外国人登録法に関する私の関連質問を終わりたいと思います。
○吉田説明員 ただいまの御質問の趣旨は何か旅券その他にかわるような身分証明書を日本政府が在日朝鮮人に発給したらどうか、こういう御趣旨でございましたでしょうか。
○林(孝)委員 そうです。
○吉田説明員 現在外国人登録法による登録を済ましておる人は登録証というものを常時携帯して、それが一種の身分証明書になっておるわけでございます。
○林(孝)委員 終わります。
○青柳委員 ただいまの問題について関連して少しく御質問申し上げたいと思います。 先ほど大臣も、いままでやってきたことに対していろいろ率直な疑問を出して事務当局の説明などを求められたと言われておりましたけれども、確かにいままでやってこられたこの外人登録に関する在日朝鮮人の扱いですね、これはどうも道理にもかなっていない面が非常に強いし、また法律にも違反しているんじゃないかというふうにわれわれは考えているわけです。これはどうしてこういうことが起こったかということにつきまして、いわゆる分裂国家だから不自然なことが起こるのもやむを得ないというような大臣の御見解のようでございますけれども、なるほど第二次世界大戦後各地で分裂国家があらわれたわけでございますが、その中で戦時中あるいはいわゆる日韓合併の三十六年の間に朝鮮人の方々が半強制的に日本に連れてこられて、そうして在住しなければならないというような状況になっているというこの現実、これを考えますと、たとえば南北ベトナムの場合とか東西ドイツの場合などとはまた違った意味で、この問題は在日朝鮮人の人権にかかわる重大な問題をはらんでいると思うわけであります。したがって、分裂国家だからやむを得ないなどというような投げやりな考え方でこれに対処することは正しくないというふうに私は考えるわけです。何よりも朝鮮におられる朝鮮民族の方々は統一国家を念願しておられますし、また在日朝鮮人もひとしく統一されることを願っているわけであります。これが戦後の不幸な事態の中で、特にアメリカに責任があると思いますけれども、分裂国家にさせられてしまった。これに対して日本が一体どういう態度をとったのか。過去に犯した日本帝国主義の朝鮮人に対する罪過の責任というものを考えた場合に、いち早くいわゆるかいらい政権といわれている南朝鮮の政権を承認する。そしてその国の国籍を主張する者は大いに外国人登録のほうでもこれを受け入れて、そして最初のうちは「朝鮮」は用語だというのと同じように「韓国」というものを用語だといっておったのが、四十年の日韓条約の批准の段階になりますと、いわゆる統一見解なるものを出して、あれは実は国籍なんだ、単なる用語とか符牒ではないのだというようなことを言い出された。そうして符牒であるということであるならば「朝鮮」から「韓国」というふうに登録の記載を変えた者が再び「韓国」から「朝鮮」というように変えてくれということに対して、何ら支障なく変えるべきであるにもかかわらず、いやもうこれは歴史的な事実から国籍とみなすから簡単には変えられない、こういうふうな処置をとる。そして最近の状況を見ますると、日米共同声明の路線で朝鮮に対する敵視政策、特に朝鮮民主主義人民共和国に対する敵視政策というようなものが露骨な形で出てくる。そして南朝鮮を含める朝鮮に対する軍国主義的な侵略の方向へ政治の道を進めていこうとしておる。こういうところに、そもそも政治の姿勢にこの問題の根源があると思うわけです。先ほどからも同僚議員から指摘されておりますように、世界人権宣言の十五条の二項には「その国籍を変更する権利を否認されることはない。」という、これは吉田入管局長の御説明では、それはその国のことであって日本とは関係ないのだというのでありますけれども、日本自身についてみても、憲法二十二条の二項には、何人も国籍を離脱する自由を侵されない、そういうふうに日本人について日本の国籍を離脱する自由を保障しているわけですね。国籍法の八条から十三条の規定を見てもそのことが裏づけられているわけです。したがって在日朝鮮人の方々が、かりに日本政府の外国人登録の扱いにおいて「韓国」と書いたのはあれは国籍なんだ、こういうような言い方をすることを認めると仮定いたしましても、その人が、もう韓国の国籍などというそういう扱いいにはがまんができないのだ、自分は朝鮮民主主義人民共和国の公民であるから、国籍といえば朝鮮民主主義人民共和国の国民ということである、こういう意思を表明しているのにもかかわらず、そういう扱いをがえんじない。それが市町村長に申請して、変更登録になりますか、書きかえというあいまいな概念になりますか知りませんけれども、これは単なる訂正であるならばよろしいけれども、いわゆる誤ってそうなった場合以外は変更はなかなか認めないのだ、大韓民国の国民登録法ですか、それの証明書を持ってこない限り、離脱の証明書ですか、そういうものがない限りはだめなんだ、こういって、本来基本的な人権として、世界人権宣言でもまた日本の憲法でもあまねく保障されておるところの国籍離脱の権利まで、外人登録に記載する国籍欄の事務というそれを厳守するという立場で事実上じゅうりんしていく。これはどう考えても道理にかなったやり方でないと思うのです。 そこで、私はお尋ねいたすのでありますが、一体日本の政府は講和条約が発効した一九五二年の四月二十八日、日本の国籍を失ったところの在日朝鮮人の方々を、今度は国籍として承認したいわゆる大韓民国の国民というふうに扱うというそういう方針をとったのかどうか。それから、この間条約を批准し地位協定などを協定する中で、同じように在日朝鮮人はすべてその国籍は大韓民国にあるんだというようにするという方針をとったのかどうか。また条約上の義務として、いわゆる大韓民国に対してそういう義務を負ったのかどうか、これが一つ。 それから、いわゆる日本の政府の考え方であるところの「韓国」という外人登録法の記載は国籍であるという解釈をとっている、その国籍なるものを離脱しようとする在日朝鮮人の意思というものは、これは大韓民国の承認を得なければ認めないという方針をとっているのかどうか。またそういう義務を負うような約束をしているのかどうか。この二点が非常に政治的にも重要な日本の姿勢をあらわすものだと考えますので、まずお尋ねをいたしたいと思います。
○小林国務大臣 いま青柳委員の本会議の演説のようなお話を承ったので、これは御意見として承っておきます。 それでいまのお話は別段「韓国」を「朝鮮」に直さないなどという約束はしておりません。 それからして、全部が韓国の国籍である、こういうふうな解釈もいたしておりません。
○青柳委員 もしそういう何か、いわゆる韓国政府との間で取りきめなり、了解なりというものもないし、また日本の政府の方針でも在日朝鮮人は全部韓国国籍にしてしまおうというような政策はとっているのじゃないというのであるならば、先ほども申し上げましたように、世界人権宣言もあることだし、また憲法二十二条の、この日本の規定もあることで、これは在日朝鮮人についても同様に保障されている権利だと思うのであります。要するに憲法上の人権というものは、何も日本人だけの固有のものであって、日本にいる外国人には関係ないということではないと思いますので、そういうたてまえからいうならば、外人登録の記載で「韓国」となっているのは、どうも自分は困るんだ、だから自分の国籍欄の記載は、従来どおり「朝鮮」ということにしてもらいたい。できれば「朝鮮民主主義人民共和国」という正確な記載にしてもらいたいという希望だって当然あると思います。しかし、これに対しては、まあ朝鮮民主主義人民共和国は日本政府としては承認しておらぬのだから、外人登録法の上でもそういう名称は使えないという反対論もあろうかと思いますので、だから昔どおり「朝鮮」と——それが符牒であるという解釈であろうと何であろうとを問わず、とにかく「韓国」と書いたらそのほうが国籍だといわれるのだったら、それは困る。だから「朝鮮」ということに変えてもらいたいということに対して、これを否認する、認めないということはどうも納得がいかぬわけです。で、いままでの説明を聞いておりますし、いままでの議事録などを見てみますというと、原則として認めないというふうになっている。例外としては認めるらしい。どんな場合に例外として認めるかといったら、在日朝鮮人の方で外人登録の国籍欄の記載が「朝鮮」と書いてある人の家族のところへ一人だけ韓国籍の人が嫁に行った、一人だけのけ者みたいでおかしいから、人道的な見地からいってもこういうのは特別に「朝鮮」に戻す、戻すというか、変更してもよかろうとか、何か特定な場合にはそれが認められるようなそういう扱いのようです。だとすると、先ほどから何か特定の証明書がなければだめだ、韓国側の何か権威のある文書でもなければだめなんだ、本人の意思だけではだめなんだということとは矛盾するわけですね。だからすべて、原則と例外というようなことでなしに、すべて本人の意思があれば「朝鮮」と直すのもよろしいでしょうし、また「朝鮮」というのをどうしても「韓国」に直してくれというのであれば、直してやるのもいいのじゃないか、このように私どもは考えるわけです。したがってこの期に及んで今までの通達を墨守し、これに固執して、しかも田川市あるいは築城あたりでの措置に対して地方自治法の指揮監督権を行使して何か事をかまえる、この当然道理にかなったやり方をしているところのこの地方自治体の長の国家事務、登録事務に対してそういう干渉といいますか、そういう指揮監督をやるのはやめるべきではないかというふうに考えるわけです。先ほど世論がまだ高まっていないなどというような御意見もございましたけれども、すでに一九六七年、昭和四十二年の末で東京、北海道、大阪、京都等をはじめとして八都道府県、それから九十一の市、区、それから三十八町村、合計百三十七の地方自治体の議会が自由にこれは国籍の変更を認めるべきである、具体的に言うと、「韓国」というふうに外人登録に記載されている者は、これを本人が希望するならば「朝鮮」というふうに戻すべきであるということを意見書として決議しておりますし、また四十六の市長が集まったいわゆる全国革新市長会も、これはまあ小林法務大臣に言わせると社会党糸のものだと言われるのでありますけれども、必ずしも社会党だけの市長ではないと思いますけれども、そういう人たちが集まって同じような意見を出しておられる。これは非常に多くの日本人の共感を得ていることでございまして、大体新聞の論調などを見ましても、いまだに国籍問題で何か在日朝鮮人の方を韓国人にしてしまうというような日本政府の姿勢というものに対しては非常に否定的というか、反対の態度があらわれているわけであります。これは正しいと私は思います。だから、この際、きょうの新聞などにも報道されました田川市に対する復帰命令といいますか、再訂正命令といいますか、そういうようなものを知事を通じて出されるというようなことは即時撤回されるべきだろうと考えますが、いかがでございましょうか。
○小林国務大臣 私は今度急に——何もこの問題は急に起きた問題じゃないのに、八月になったら、いわゆる革新市長か何か知りませんが、そういうところへべたべた出てきた。何かこれはどういう運動でしょうか、もっとぼつぼつどこへでも希望があったらお出しになったらいい、八月になって急に出てきたということは、やっぱり何か意図があっておやりになっておるのかな、こういうふうな疑問を持つのです。それもけっこうですよ、しかしもっとどこへでもお出しになったらどうですか。そんな希望者は革新市長がいる市町村にしかないなんということも、これは考えられません。そんなのも私どもは非常におかしな話だなと、こういう私の感じを持つ。それからして百三十六とかいったって、全国の市町村はいま四千ばかりあります。市長さんはいま七百人おる。四十何人集まったというのですが、やはり大部分はおのずから常識的な世論というものはあろう、こういうふうに思うのでありまして、いまのお話に、要するに人権宣言はありまするが、やはりそれぞれの国内の法律に従うということは当然でありまして、いまの台湾にしても日本に帰化したいという人はたくさんありますが、本国の国籍離脱の承認がなければやらない、こういうふうになっておりますし、それから「韓国」を国籍ときめたのは矛盾だとか間違いだとか、これはいろいろ議論がありますが、一応そういうふうに政府がきめた。そうするとやはり原国籍国の同意がなければ扱いかねるというのがこれは国際法上の礼儀と申すか慣例じゃないか、こういうふうに思います。私先ほど林委員にお答え申し上げたのは、やはりわれわれの常識として多数とはどういうことが多数か、こういうふうな問題も考慮せざるを得ない、こういうことでございます。
○青柳委員 百三十七の、これは議会でございまして、この中にはおそらく圧倒的多数は自民党あるいは自民党系の無所属議員の方がおられると思います。したがって全国何千ある中のわずかじゃないかとおっしゃいますけれども、この事実はなかなか軽視できないと私は思うのであります。やはり自民党系であろうと保守系であろうと、日本へ連れてこられた六十万の朝鮮の方々の悲痛な願いというものは、やはり聞いてあげるのが人道的でもあるし、親善友好を深めるゆえんでもある。何よりもこれは自然な人情の発露から出ている決議であり意見だと思うのです。それを何か法律が云々というお話がございましたけれども、法律でどうしても変えちゃいかぬなんという規定は一つもないのですね。それを政府の方針でこれをねじ曲げているわけです。国際礼儀に反すると、何か韓国に対して申しわけないような、そういうお考えのようでございますけれども、これを変えて韓国政府のほうに何も抗議をされるような筋は一つもないと私は考えるわけです。日本が独自に本人の意向を尊重して、私はいわゆる大韓民国の国民とは思っておらぬ、朝鮮民主主義人民共和国の公民だと思っているのだ、これを非常に自分の名誉だと思うし、民族的な権利として保障されなければならぬものだというふうに考えておられる。そういうものを日本政府が認めようとしないというところに、敵視政策といわれることが露骨な形であらわれてきているのじゃないか。だから私は、日中友好関係の問題も非常に重要な問題でありますけれども、何よりもこの日本と複雑な密接な関係を持っておるところの朝鮮との関係、特に在日朝鮮人の関係の人権を守るという観点から、いま申し上げたような方向で国の施策を変えていくというお考えはないか。いままでどおりでいいとかあるいはこれをもっと悪くするなどというようなとんでもない考えでなしに、いわゆる前向きといいますか、いい方向へ変えていく、そして在日朝鮮人との間の円満な友好関係を深めるという、そういう方向で政治をやっていくお気持ちはないかどうか、これだけをお尋ねしておしまいにしたいと思います。
○小林国務大臣 お話しのようにしたいが、在日朝鮮人でも、さっきここで説明されたようにとにかく「韓国」というのが三十二万かある。また「朝鮮」というのが二十九万かある。こういうことでありまして、両方の主張がかなり食い違っておる。総連にしても民団にしても食い違っていることは御承知のとおりですね。一方の言うことだけ聞けばごきげんがいいか悪いか、いろいろ問題があるので、これをあなたのおっしゃるようなことをやることによって直ちに在日朝鮮人の方々のみんながごきげんがよくなるかどうかということは、これも保証し得ない。みんなが納得するような線が出ればまことにわれわれとしてはありがたいことでありますが、そういう心がけは持っておるがいま困難である、こういうことであります。
○青柳委員 いまの御発言についての御質問申し上げますが、この問題についていわゆる日本にある民団系の人たちの何か政府に対する陳情とか要請とかいうものがございますでしょうか。
○小林国務大臣 全然ございません。
○青柳委員 終わります。
○小澤(太)委員長代理 林孝矩君。
○林(孝)委員 私は最初に奈良少年刑務所の中における問題について質問したいと思います。 この問題についてはすでに三月十七日に一度質問いたしました。そのとき小林法務大臣からは、こういう事態があってはならない、明るい少年刑務所でなければならぬという答弁がございました。また当時の勝尾矯正局長からは、もしこういうことがあったとしたならば矯正業務の自殺的行為である、そういう重大な認識を持った答弁があったのでございます。それ以来調査が進められまして、私のところにはそういう事実はなかったという報告があったわけでありますけれども、調査が進むに従ってその事実がいろいろな面で明るみに出てまいりました。当時の朝日新聞を見ますと、「矯正どころかシゴキ」という見出しをもって、規律訓練を報道しております。たとえばどういう方法が用いられているかといいますと、壁こすりであるとか、明けの明星だとかあるいは空気まくら、いろいろな呼び方があるそうでありますけれども、ひもを口にくわえさせて正座させてひもを引っぱって前へ倒し、額を打って目から火が出るから明けの明星だ、こういうふうなしごきが実際行なわれておったという報道があるわけです。現在までの動きの中でいろいろ感じさせられる点があるわけでありますけれども、まず第一点は、こうした刑務所内における問題に関しては、われわれ法務委員会全体としても、例の静岡刑務所の中における金嬉老の事件が起こったときに視察を行ないました。委員全体の意見として、こういう問題をなくすために今後刑務所の総点検をやったらどうか。大臣も、早急に総点検をやるべきである。当時の矯正局長も、そうした意味の答弁がございました。ところが実際調べてみますと、この件に関しては、奈良少年刑務所の調査におもむいた法務省の役人の方の調査の時間はたった三十分。それから後どこへ行ったかということもわかっておりますけれども、それはまた別にして、三十分の間で事実がないということを報告する、そういうような調査のしかた。まずほんとうにそうした問題をなくしていこうという姿勢があるのかどうか疑われるようなやり方が、現実に行なわれておるわけであります。こうしたことに関して行政指導だけではなしに、奈良地検がこの問題を取り上げまして、副検事の担当のもとに調査が進みまして、一応、この調査は一段落をして、証人の調べの結果は、そういう事実があったということになっているそうでありますけれども、こういう経過をたどっておるわけであります。 大臣にお伺いしますけれども、こうした刑務所の中における問題を大臣もほんとうに取り上げて、明るい、またみんなが矯正という効果が出るような、そうした刑務行政というものをしていかなければならない、そう思うわけでありますけれども、大臣のお考えはいかがでしょうか。
○小林国務大臣 これは前回の委員会でいろいろお話がありまして、私も当時、総点検をいたしますと言い、その趣旨のことを実行させております。ただ、いまの奈良の問題は、刑事事件として立件できるかどうか、そこまでは行かなかった、こういうことでありまするが、行政的に十分処置をすべきである。検察庁では、これは立件するまでのあれではないと、こういうふうな報告を受けております。 お話しのとおり、全体としてこれはもう自粛していかなければならぬ。そういうつもりで、矯正局長にも、私は強く申し渡してあるのでありまして、地方にも、通牒だけではどうかと、こういうふうな問題もありますが、これはまあ管区長というのがありますから、そこが直接出向いて、そういうふうなことを励行しよう、こういうことも言うております。 また、いま、少年刑務所には三十分で、どこかへ行ってしまった、こういうことでありますが、そのことは私も聞いておりませんが、そういうことはきわめてふまじめな行為であって、真剣におやりになったかどうかということは、またこれから私も聞いてみたい、かように思います。
○林(孝)委員 いまの大臣の趣旨はわかりましたけれども、現実の問題として、たとえばこういうことがあるわけです。ああいう一般社会と閉ざされた世界の中で起こった問題に対して、これは検察庁当局も感じられたことと思いますけれども、関係者を呼んで調べる。これは静岡刑務所のときもそうですが、なかなか真実のことがあらわれない。そういうなぜあらわれないかという一つの例でありますけれども、奈良少年刑務所の中においては、こういうことが言われた。朝礼のときに刑務所長が全員を集めまして、そしてその所員に、内部のことを漏らした者は懲戒免職にする、それから、妻子を路頭に迷わせるようなことをするな、そういうことを言った。これは全部の所員を集めているわけですから、聞いた人がたくさんいるはずです。このことに関して調べていただければわかると思いますけれども、そのように言われますと、結局、どのようなことが行なわれておっても、自分の家庭のこと、また子供のことを考えると、外部に言うわけにはいかない。そういう面で、検察庁の取り調べも相当手間どっておったわけでありますけれども、そういうことがはたして実際問題として許されるものかどうか、この点についてお伺いしたいと思います。
○小林国務大臣 私はもう、省全体の問題として、くさいものにはふたをしちゃいかぬ、一切のことは外へ出して、外の批判を仰いだり、反省したりすべしと、こういうことを強く申し渡してあるのでありますが、しかし、実際には、いまお話しのようなことがあったかもしれません。これはどこの世界にも、まことに悪いくせであるが、仲間をかばう、こういうのがありますが、こういうことがあってはならぬ。悪いものは悪いとしてひとつ十分摘発をすべきだ、こういうふうに思いますが、いまのようなことも、奈良の少年刑務所長が、そういうことを言うて、もしくさいものにふたをした、こういう事実があれば、私はそれはやはりきびしくひとつ反省を求めなければならぬ、かように考えております。どこの刑務所においても——これはまあ刑務所に限らず、ことに刑務所のような閉鎖社会においては、そこの者がしゃべらなければ一切わからない、こういうふうな場所柄でありまするから、それだけに、やはりみな注意しなければならぬというふうに思っておりますが、しかし、その隠すということは、やはり一番いかぬことです。私は、上に立つ者はそういう考えをぜひ直してもらわにゃならぬということで、これからもまた重ねてさようなことを注意いたしたいと思います。いまの奈良の問題、ひとつ矯正局長にも事実を調べてもらうことにいたします。
○林(孝)委員 話が変わりますけれども、大阪地検が捜査に当たった拘置所の切手代横領事件ですけれども、これは不起訴になったわけでしょうか、起訴したわけでしょうか、その点ひとつ確認したいと思います。
○羽山説明員 大阪地検の捜査いたしました切手関係一連の被疑者全部、不起訴になっております。
○林(孝)委員 こうした切手代横領事件というものが不起訴になっておる。これは、同じケースでもし一般社会で行なわれた場合はどういう結果になるだろうか。また、こうした刑務所内におけることが、結論的に、先ほど法務大臣が心配されておったように、もみ消されていったりあるいは刑事事件にならないままにおさめられている。そういうふうなことが続いて起こっていきますと、所内においては何をやったって起訴されないんだからというような、そういう考え方が起こらないとも限らないと思うわけです。 私、なぜこういうふうに言うかといいますと、こうした刑務所内の感覚から起こってきたもう一つの事件があるわけです。それは、先日、奈良少年刑務所から一人の囚人が脱走しました。この囚人は、強盗致傷犯というのが罪名ですけれども、脱走したわけです。この脱走した原因、こういうものを調べてみますと、まず、刑務所内から外へ出しておる。模範的な人かという問題があるわけですけれども、階級降下された人である。そうした人を外へ出して、そのまま逃げられてしまって、いまだにつかまらない。逃げた当初においては、これは奈良県の五条市というところでありますけれども、市民が非常に心配しまして、早くから戸締まりをして家の中にこもっておるという事態が起こったわけです。こうした問題も、やはりそうした刑務所内の空気、そういうものが非常に影響しているのではないか、そのような感じもするわけなんです。したがいまして、どういう事情があるにせよ、この奈良の少年刑務所の内部でいろいろ行なわれている問題に対しては、あってはならない問題だというそれだけの話ではなしに、もう少し積極的に、こういう問題が起こらないような具体的な対応策というものが立てられて、それが実践されていかなければ、ますますこうした問題が起こってくる。そのときに、はたしてどういう責任をとるのか、私は非常に憂えるわけなんです。その影響がすでにこうした市民の間に及んでいるということにかんがみますと、本気になって取り組んで、絶対解決するという、そういう手段が講じられなければならない。この点について矯正局長、また大臣が、ほんとうにそれをやっていかれるかどうか、お伺いしたいと思います。
○羽山説明員 大臣も御答弁になりましたので、私から何も申し上げることはないと思いますが、私どもは、内部で起きました事故なり非行なりあるいは犯罪なりを、隠蔽するとかいう意図は毛頭ございません。これはもうぜひひとつ御信用をいただきたいのでございます。先般の大阪切手事件につきましても、私どものほうから検察庁のほうに連絡いたしたものでありますし、このたびの奈良少年刑務所の事件にいたしましても、新聞では奈良地検が乗り出したということに相なっておりますが、私自身が大阪の高検に参りまして検事長のところへ伺いまして、あたかも奈良の検事正は長期病気療養中でありまして、次席検事が非常に忙しい時期でございましたが、林先生がお取り上げになりました投書の件を含めてぜひひとつ徹底的に調べてもらいたいということを申したのであります。それから、ちょうどあたかも、その後に六月になりまして、朝日新聞に報道がございまして、それから七月一日にまた報道があったことは御承知のとおりでございます。その内容が、要するに特定の内部職員が受刑者に暴行を加えたということ、それから、一体に奈良少年刑務所においては職員が受刑者に暴行を加える傾向があるというようなこと、それから奈良少年刑務所におきましては受刑者が受刑者をなぐるとか、受刑者の間に傷害事故があるが、これはそもそも職員が見て見ないふりをしていることであるというようなことであるとか、そういうことでございます。 これは、もう新聞にここまで書かれまして、そして釈放になっただれがこう言っている、ああ言っているということに相なりましては、私どものほうで調査をいたす範囲と申しますか、私どもは刑務所を釈放になった者まで調べる権限を持っておりませんので、これも大阪矯正管区長及び奈良少年刑務所長を督励いたしまして、足しげく奈良地方検察庁に行ってすべてを徹底的に調べてもらいたいということで捜査をお願いしたわけでございます。 先ほど御指摘のように、主任検察官がきまりまして約二カ月になったわけでございますが、その結果が、要するに特定の職員が特定の受刑者に暴行したという投書による事実、これはそもそも昭和四十一年の事件でございまして、昭和四十一年当時に投書があったものが、どういうわけでございますかまた五年後に同じような趣旨の投書があったわけでございます。これは私どもいたしましてはまことにふしぎなことであって、何ゆえに五年前に投書かあって、五年前に内部で相当調査して済んだものが、なぜ同一のような投書がまた起きたのであろうかとふしぎに思うわけでございますが、とにかくこれにつきまして検察庁は相当の捜査をしてくれたようでございます。 その他かみそりで受刑者が受刑者のほおを切った。これはまさにその事実はございまして、これは検察庁にその当時告発いたしまして、もう刑事処分を行なっております。 由来、この少年刑務所、少年院と申しますものは、非常に残念なことに少年同士の間でけんかをする、あるいはなぐり合いをする。たまたま奈良少年刑務所におきましては理容学校をいたしておりまして、床屋の実習をいたしまして公認の資格試験で資格をとらす。国際会議で外国人が多数見学をいたしまして、刑務所でいろいろ技能を習得させて免状までとらしておるというところは非常に珍しいといってほめられたのでありますが、そのほめられた理容教室においてけんかをして一人が一人のほおをかみそりで切った、こういう事故が起きておるわけであります。これは、ただいま申し上げましたように刑事処分に回したのでありますが、その他先ほども御指摘のような、また新聞に詳細書きました明けの明星だとかなんだとかいうようなことがあるということもわれわれはよく知っております。それで職員を督励いたしまして、そういうことがないように、それを極力未然に防止するように、また現行中にはそれを発見するようにということがこの少年刑務所、少年院の非常な苦労になっております。ところがやる連中も、昔の軍隊の古い兵隊が新しい兵隊に意地悪をいたしましたように、非常に巧妙にやるのでございまして、見張りを立てまして古いやつが新しいやつをいじめるというようなことをいたす例があるわけであります。しかしながら、非常に巧妙にやられたからといってそれはしかたがないというようなことを考えておりませんで、もしありますれば、私どもは職員自体をもその職責関係において措置いたしております。ただ私どもがこのたびの新聞報道におきましていささか誇張だと思いますのは、奈良少年刑務所におきましては、夜間は全部原則的に独居でございまして、二人以上でいることがないわけでございます。そしてただいま申しました、いろいろな明けの明星とかなんとかいうことは、少年院その他の雑居のほうでしばしば起こる現象でございまして、一人でおればまあほかからなぐられるという心配はないわけでございます。そういうようなこと。なぜそういうことが少年刑務所で起きるように新聞報道に出たのであろうか、ここまでいろいろせんさくいたしておるのでありますが、要するにこれは、遺憾ながら少年刑務所に入ってまいります人間の中には、相当多数、少年院の出身者が多いのでございまして、その少年院でやられたことが、あたかも少年刑務所で行なわれているごとく新聞のほうに書かれた、こういうふうに思わざるを得ないと考えておるわけでございます。 いずれにいたしましても、このリンチとか暴行とかいうようなことは絶対に私どものほうでは厳禁をいたしております。見つけ次第処分する、それをいかなることがありましても隠したり隠蔽するというようなことはないという姿勢でやってまいりましたし、これからもやってまいるつもりでいるということを念のために申し上げたいと思うのでございます。 それから、先ほど所長がみんなに訓辞をするというお話でございますが、奈良の少年刑務所の職員は全員で約二百人近くおるわけでございまして、これにそういうことを言ってはたして秘密がよく守られるかどうかということも、私どものほうもせっかくの御指摘でありますから、これからも一度調査さしていただきたい、こういうように考えるわけでございます。
○林(孝)委員 いま、ほんとうにあるとかないとか、ありますればとか、はっきりしない話ばかりで、全く答えがあいまいなんです。隠すということはないようにちゃんとしている、ところが実際は隠しておる。所長がそういう訓辞をしたということ、もし訓辞をしたというならば、人数が多いのだから目的が達成されないはずだ、そういうふうな考え方自体が私は問題だと思う。人数が多いからそういう訓辞をしているということが外にわかってきたわけなんです。全く考え方がおかしいと思うのですよ。ほんとうにそういう問題を解決しようという考え方があるかないかということは、私はさっきから言っていますけれども、いまの答弁を聞いておりますとはなはだあいまいで、矯正局長が実際奈良の少年刑務所へ行って、二百人なら二百人の諸君に会って話して、事情を聞いてくればすぐわかります。そういうことが行なわれないで、動きが非常に微妙なんですけれども、問題をもみ消すような感じがするわけです。たとえば、法務委員会の質問通告をする。質問通告をしたとたんに動きが始まるんです。事実高検へ走る人もおれば、新聞の切り抜きを持って検事に会いに行く。そういうふうな動きの中でこの問題が解決されるかどうかということです。先ほどの私の質問の脱走事件のことに関して答弁はなかったのですけれども、この件はどうなんですか。
○羽山説明員 それは奈良の少年刑務所ではございませんで、五条と申しますのは別の施設でございます。それは外に出ていて逃げたのではございませんで、はしごをかけて中から逃げたのでございまして、はしごの管理が悪かったことについてはもう申しわけないと言わざるを得ないのでありますが、中から逃げたのです。
○林(孝)委員 私は、はしごの問題が申しわけないというのじゃなしに、五条市の人たちが夕方になって戸を締めてひやひやしている、そういうことを感じさせたということに対して、矯正局長が申しわけないと言うなら話はわかりますよ。そうじゃないのです、いまの話は。だから私はおかしいと言うんですよ。みんなそのことによってひやひやしているわけですよ。まして刑務所から五条の拘置所に行った人なんです。階級降下されているそういう囚人を、そういうところに連れていって何をさせておったのかというと、先ほどお話があった散髪でしょう。何でそういうことをさせるのか。まして模範的な人ならばそういうことは考えられるけれども、その辺の考え方が私はおかしいというのです。どうですか。
○羽山説明員 お尋ねの趣旨がよくわからないのでございますが、ことばが足りなかったかもしれませんが、はしごの管理が悪かったということは、要するに逃がしたことが申しわけない。それで五条の方にいろいろ御迷惑をかけたこと、これはもちろん申しわけないということでございます。
○林(孝)委員 話は変わりますけれども、こういうこともあるわけです。少年刑務所から奈良市内のある会社に働きに行かしているわけですね。一日千五百円の契約で働かしている。こういう仕事に従事している中で、先日事故が起こった。五メートルの上から落ちて一人は一カ月の入院、一人はたんぼの中に落ちたから助かったものの、五人働いているあとの三人は手にけがをした。ところが労災も何にもないわけです。こういうふうなことまでやらなければならないのか。千五百円の契約でありますけれども、これはこの人たちには関係ないことです、この人たちは囚人なんですから。もし万一この人たちがそういう危険な仕事の中で取り返しのつかないような事故が起こったとしたなら、どうしてこういう人たちに対する償いをするのか、こういう人たちの人権がはたして守られているのかどうか、この点はどうです。
○羽山説明員 刑務作業の上で死傷が起きたという場合には死傷手当というものがございます。
○林(孝)委員 こういうことを今後もやっていくわけですか。囚人の人たちを外に働きに出す。そうしてその環境が非常に危険である。すでにもう事故も起こっておる。手当を出すからいいという問題ではないと私は思うのですが、どうですか。
○羽山説明員 監視つきで外に出すということは、最近の傾向といたしましては、家の中ばかりで働かしておるよりはいいんだという考え方がだんだん強くなっておりまして、そういうことが行なわれるようになっているわけでございます。 なお、危険であるかどうかということは、先般も川越で、石を運んでおりましたら石が落っこちて大けがをしたということがございますので、なかなか危険かどうかという判定はむずかしいと思うのでございます。
○林(孝)委員 まだほかに質問があるので次の機会にしますけれども、まだまだ具体的な問題としていろいろございます。大臣よく聞いておいていただきたいわけですけれども、この少年刑務所の具体的なそういう問題に関して、再び真実のほどを調査して——私自身がいろいろ聞いているそういう問題を、あとでもしよければ話しますけれども、実際を調査して、周辺の一般の人たちに影響が及ぶようなことにならないように、いまのうちに早く解決していただきたい、私はそう思うわけですけれども、そのように実践していくという大臣の考えはいかがでしょうか。
○小林国務大臣 いろいろお気づきの点がおありだと思いますから、ひとつ私のほうへそれを教えていただければたいへんけっこうであります。これらのことについては、私も十分調査して、将来にわたって善処していきたい、かように考えます。
○林(孝)委員 以上で少年刑務所の問題は終わります。 続いて公害罪についてでありますが、この公害罪の新設についても、大臣がかつて緊急事態という意味から、公害罪の新設をという答弁をされました。もうその時期が来ている、それはもう現在であるということで進んだわけであります。閣議でもその旨が了承されたという新聞報道も読んでおりますけれども、先日来数回開かれました四党政審・政調会長会談、この中でこの公害罪の新設ということに関しては、与党から、自民党の政調会長から保留という話が出ておるわけであります。大臣の考え方が変わらないならば、今後与党の説得をどういう形で進められていくか、その点についてお伺いしたいと思います。
○小林国務大臣 これはいろいろまたお尋ねがあるかもしれませんから、私が総括的にお答え申し上げます。 実はきょうの閣議におきましても、野党三党から臨時国会の開会の御要求が出ておる、こういうことでありまして、時はいつになるかは別にしまして必ず開かざるを得ない、こういうことです。その際私はきょう閣議で質問をいたしまして、今度の臨時国会というのは公害という問題の解決に大きなウエートを置いておやりになるか、こういうことをお尋ねいたしたところが、官房長官は、大体そのつもりだ、たとえばほかにも緊急のものがあるからそれはかけるかもしれぬが、やはり公害問題を大きな問題として処理する、こういう趣旨で臨時国会は開かざるを得ない、時はいつになるかいまのところわからない、こういう話でありますから、そういうことになれば、公害関係の諸法案というものは、政府が現に目ざしておるものは、そのときひとつ提案すべきである、私はこういう考え方を持っております。したがって法務省所管の公害法なるものも、その臨時国会にひとつ提案をいたしたい、こういうふうに私は考えております。これらについてはまだ党と私どもが実はなまけておりまして、連絡を十分いたしておりませんので、これからひとつある程度の成案をもって自由民主党とも十分御連絡を申し上げ、御理解を得てひとつ提案の運びにしたい、こういうふうに思っております。 それで通常国会であれば、大体来年の二月ごろになる、こういうふうに思いますが、臨時国会となれば、だれが考えても常識的に年内にあるわけでありますから、それだけ早く法案の準備をしなければならぬということで、私としましては、法務省の事務当局には九月いっぱいには成案を得てもらいたい、こういうことで、それをもとにして党ともあるいは各省とも、あるいはまた場合によっては皆さんとも御相談申し上げてこれは用意をいたしたい、こういうふうに思っております。この問題については法制審議会がどうかと、こういうことがありますが、法制審議会も刑法の一般改正の中に織り込んでおりまするが、これは時間の関係で間に合わぬから、われわれとしては単独法として提案をいたしたい。したがって提案をする場合には法制審議会に諮問をしなければならぬ、こういうことでありますが、これらの手続も臨時国会に提案できるようなそういう時間的余裕をもってすべてを運ぼう、かように考えておりますから、さように御了承願います。
○林(孝)委員 その場合ですけれども、刑事局長もその趣旨に沿っていま事務を担当されておりますでしょうか。
○辻説明員 当然いまの大臣のおことばどおりの趣旨に沿いまして作業を進めております。
○林(孝)委員 ひとつ仮定でありますけれども、法制審議会の刑事法特別部会の第一次案といいますか、準備草案、その中に二百十八条、二百二十一条の二、二百二十二条の二という条文があります。それを読みますと、現在の公害の発生源が単一の工場である場合に準備草案のこの条文で十分処罰できるのではないか、そういう可能性を感じるわけなのです。万一の場合、大臣の意図どおり事が運ばなかった場合、現在の刑法に追加条文としてこういうものを加えて、緊急の現在の事態に備えていく、そういう考え方をも含めていま刑事局長のほうで考えられているのかどうか、その点をお願いします。
○辻説明員 ただいま御指摘の刑法全面改正を審議いたしております法制審議会刑事法特別部会におきまして、ただいま御指摘のような案文がござ います。この案文の考え方は、国民の健康に対する罪という観点から一つの公害的な犯罪をとらえようといたしておるわけでございます。私どももこの考えをも十分に参考にいたしまして、先ほど大臣が答弁なさいましたような日程でいろいろと国会に間に合うように準備をいたしておる次第でございます。
○林(孝)委員 以上で終わります。
○小澤(太)委員長代理 横路孝弘君。
○横路委員 きょうは先日、八月二十五日に福岡地方裁判所のほうで博多駅事件について準起訴手続請求事件の決定がなされましたけれども、この内容に関して、検問と所持品検査を中心に、この博多駅事件並びに日弁連の人権擁護委員会の警告、この二つの内容を中心にして少しお尋ねしたいと思うのですけれども、時間がありませんので、最初に、この決定を読んでみていろいろ問題点があるわけでありますけれども、非常に不審に思う点があるわけであります。その点を中心に最初に御質問をしたいと思います。 質問の第一点は、この決定の中で被疑者の特定という項目があるわけでありますけれども、この被疑者の特定というところで裁判所ではこういうことをいっているわけです。本件の請求当初、福岡地検は、警察本部長に対して、本件の際出動した警察部隊八百名の名簿の提出を求めたけれども、いずれも調査が困難である等の理由で拒絶をされた。さらに昭和四十三年一月十六日、この事件のあった日、博多駅に出動した職質部隊員の名簿及び当時の職員名簿の提出を書面をもって要求したけれども、調査及び提出が困難であるとの理由で拒絶された、こういうことを裁判所は非常に残念だというふうな書き方で認定をしているわけです。 そこで、真実を発見するために、裁判所はいろいろと調査をやられた。その公権力である裁判所のそういう調査に対して、公機関である警察がどうして真実発見に対して協力をしないのか、私は非常におかしいことだと思う。なぜ拒絶をされたのですか、その点をまず明らかにしていただきます。
○三井説明員 警察が裁判所の真実発見について協力しなかったのではないか、その理由というような点がお尋ねでございますが、警察といたしましては、本件の真相追及について裁判所が審判の請求を受けて調査ないし捜査をやられるということにつきましては、これには十分の協力をするというのが警察の基本的な態度でございます。そういたしますとこの具体的な、ただいま御指摘のような職質部隊員の名簿などにつきまして、その提出を渋ったではないか、あるいはしなかったではないかというような点でございますが、御存じのように、この問題になりました事件は、四十三年の一月十六日、博多駅において起こったという事案でございます。これにつきまして付審判請求が行なわれましたのは、告発があり、これに対する検察庁における処分がありまして、その処分が済みましてから四十四年の四月四日にこの請求があったわけでございます。それに基づきまして裁判所からただいまお話がございましたような点について照会等があったわけでございます。この四十三年一年間だけとりましても、たいへん多くのいわば警備実施というものがあったわけでありまして、その間にたとえば問題の博多警察署におきましても三百回近い警備実施があり、自署の警察官をたとえば二万人以上、あるいは応援を求めました他署の警察官も数万人に及ぶ、こういうような警備実施が連日あったというようなこともございまして、そのつど部隊を編成をし派遣をするというような錯綜した事実がありまして、当時の職質部隊員の名簿というような点につきましても早急にあるいは的確にこれを作製することが困難な事情があったわけでございます。その間には大きな県下の異動というものも数回にわたってあったというようなこともありまして、そういうような点もありましたので、結局裁判所に対しましてはこの照会に基づきまして、ごく最近の博多署署員の名簿というものにつきましてはこれを全員の名前を提出をするというような努力をいたしておるわけであります。何ぶんにもこういうようなことをあらかじめ予想せずにやっておったことでありますし、ただいま申しましたように事件が次々と多くあって、あるいは臨時に急に部隊を編成して派遣をする、こういうような事情がありましたために、協力をするという基本的な方針、態度に変わりはないわけでございますが、結果的に裁判官からあのような指摘を受けるというようなことになったわけでございます。
○横路委員 どうもいまの理由というのは私は納得できないのです。私も裁判をやっていますけれども、大体そのとき出動した部隊名について明らかにしろということを言いますと、必ず警察側のほうから、こういう部隊編成で、人数は何人で何個班編成で責任者はだれだれ、どこの署からどれだけ持ってきたというのは、いつの裁判でもちゃんと出していますよ。少なくとも北海道の場合はそうですよ。いいですか。職質部隊については、当時の博多署員だということは明らかになっているわけですね。しかも責任者も明らかにされている。警察が出動する場合に、それはそのとき急のことで朝命令が下がることもあるでしょう。あるでしょうけれども、しかし最高責任者をだれにして、どういう班の編成にして、各主任なら主任を置いて、その下に係を何名置くか——しかもこれは職質部隊ですからね。いつも置いている部隊じゃないでしょう。特にこのときのために編成された部隊だと私は思うのです。そうすると、職質部隊について一体だれがメンバーか全然わからぬなんというふざけたことはないと私は思う。これは考えようによっては証拠隠滅以外の何ものでもないと思うのですよ。裁判所が決定の中でこういうような書き方をしている。非常に残念だと言わぬばかりの書き方をしている。やはり真実を発見するためには、そこに出ていた人の名簿くらい出してみんな調べる。そのことによって当時の真実というのは一体何なのかということをやはり警察としても協力しなければ、警察として一般国民に対してこれからいろんな事件について協力するように要請することができますか。全員について、たとえば八百名なら八百名については、それはなかなかむずかしい点があるかもしれない。しからば職質部隊だけについて、しかもこの職質部隊というのは博多署の署員によって構成されていたということは最高責任者は認めているわけですね。警察で当時の名簿なんてなくなるわけないでしょう。そうすると、そのときのだれがどういうような関係で仕事をやったか、これは割り振りですから、それがわからぬなんということは私はないと思う。どうですか。
○三井説明員 この部隊の編成につきましては、八百名全員につきましても当時名簿をつくっておらなかったというような事情がございまして、この職質部隊につきましても、ただいまの御指摘でございますけれども、同様な状況でございまして、名簿というものをさかのぼってつくらなければならぬ。その間には、ただいま申しました入り組んだそのような変動というものがございまして明確なものができなかったというような事情でございます。
○畑委員 関連。いま三井君からそういう答弁がありましたが、あなたもあの当時警察庁から派遣されていった幹部だったはずだ。私はあの問題について予算委員会で質問したこともあるし、同時にまた、あの事件が起きた当時、博多へ私自身も出張していろいろ当局の話も聞いたりなんかした。したがって、当時から相当問題になった事件であるからには、しかも職務質問をする部隊というのは限られておるはずです。そう多いはずはないのです。どこの部署の人たちが職務質問したかということはわかっておるはずです。ところが、これに協力してないということは、私がそのあとも前田本部長とやり合った場面もあったけれども、私は告発された相手だということで初めからけんか腰だ。そういうような状態であるから、私は三井君の言うようなことではなかっただろうと思う。前田本部長を先頭として非常に意図的に初めからそういった考え方でやってきたのだから、したがって資料はあったにかかかわらず出さない、こういうことだと思うほかないのです。それにあなたも当時本部から行っておられた。博多はどうか知らぬけれども、佐世保にも行っておられたのだから、大体状況はわかっておるだろうと思うが、どうでしょう。
○三井説明員 当時私はこの一月十六日の事案が起こる前に博多へ参りまして、前田本部長にも会って諸般の打ち合わせをした上、一足先に佐世保に行っておったわけでございますが、ただいま警備実施のための部隊を編成をいたしました場合に、その名簿が一個人に至るまで明確に確定をしておるというようなこともございますけれども、本件の場合につきましては、実情が必ずしもそうでなかった。つまり福岡県といたしましてその後多くの事案を処理するということになったわけでございますが、警備実施の部隊編成といいますのは、やはり平素の署の常務を行なっておる編成をくずしまして臨時に警備実施部隊として編成を与え、それぞれの任務に即応した人員等を捻出し配置するわけでございますので、幹部等につきましては比較的はっきりいたしておりますけれども、具体的な一人一人については、人数として明確なものは——具体的の場合には出入りがあるわけでございますが、何ぶんにも、ただいま申しましたように急場に部隊を臨時に編成をし、その後事件が多発をして、繰り返しいろいろな編成を行なったというようなこともありまして、このときには、各人までも確定するような、そういう名簿の編成をしておらなかったというのが実情であるというように考えておる次第でございます。
○畑委員 その当時、一般の警備実施のほうはほかの寄せ集め部隊であったかもしらぬけれども、職務質問のほうの部隊は、おそらくそうではないと思う。しかも指揮官がわかっているのだから、指揮官は、あのまざまざとした事件であり、当時から問題になっておるだけに、だれが部下であるかということは掌握していないはずはないと思う。これは言いのがれだと思うしかない。しかしそれに対して答弁を別に求めませんけれども、私はあの当時の模様をよく知っているだけに、どうもいまの答弁が言いのがれにすぎないというふうに考えられてならぬのです。
○横路委員 いま畑先生のほうから指摘もありましたけれども、出動する場合、やはり職務の担任表というものはそのときどきであるわけでしょう、一般のあれは別にして。職員のその日の行動について職務担任表というのを、それも出していないのですね。大体、職質部隊というものは警備を中心でしょう。警備を中心にして編成しているわけです。そうすると、この当時の警備なら警備に所属していた人間だけでも明らかにすべきじゃないですか。私ら裁判をやっていると、いろいろそういうことで現認報告書というものが出てくる。それには必ず責任者の名前があって、自分の部下はだれだれ、何名でもってやりました、それでこういう事実を現認したので報告します、という上申書を必ず上司に出している。それは事件が連日続いたとしても、必ず一つ一つの事件について、皆さん方仕事が終わってから徹夜をしてでもまとめて報告しているじゃありませんか。だから私は、わからぬということはないと思う。 そこで、なかなかむずかしいという点があるかもしれないけれども、これは抗告されています。また裁判所から同じような問い合わせが行くと思うのです。もう一度これは調べ直して、真実を発見するために警察も協力するのだという姿勢をとることはできませんか。
○三井説明員 ただいまの職務分担表と申しますのは、その署における——この場合博多署でございますが、博多署におけるいわゆる通常の編成上における事務分掌表というようなことでございまして、警備実施をやります場合に対象並びに事態というものがいろいろと流動的で変化をいたしますので、そこは指揮官の判断で現場に即応したよりな態勢をとるということで、大まかに職質部隊とか一般部隊あるいは特科班といったような程度の編成をすることがあるわけで、また事態によりましてはこまかくやる場合もございますが、本件につきましてはこういうふうな編成をしたというのが実情でございます。 なお、この事件、抗告されておりますので、またただいま御指摘のような照会その他があるかと思いますけれども、抗告審に限らず、第一審といいますか、地裁段階における問題につきましてもそのつもりでございましたけれども、私たちといたしましては、真実の発見と申しますか、裁判所が真相究明、事態の真実追及について行なわれる点につきまして十分に協力をしてまいるという態度においては変わりがないつもりでございます。いろいろまた不十分な点につきましては、さらによく検討を加えてまいりたいと考える次第でございます。
○横路委員 そういうことで職務担任表の提出も実際にはしていないわけですね。別に警備編成が行なわれたなら行なわれたでそれはいいけれども、そのときの職務の担任はこうだったということくらいは残っているはずですから、それはやはり提出をしていただきたいと思うのです。 いまの答弁を、さらに協力をするというように私のほうで解釈をして、次に質問を進めたいと思いますけれども、もう一つ重大な点は、やはり裁判所の決定の中で一七ページでありますけれども、「なお、被疑者(1)前田利明は、被疑者としての取調には応じられないとして当裁判所による取調を拒否したので、同人を取り調べることはできなかった。」その当時の県警本部長で、現在警察学校の校長をやっている人ですよ。裁判所が真実を発見するために来てくれというのに、これを断わるというのは一体どういうことですか。捜査というものは国民の協力を得なければできるわけじゃないのです。いろいろな問題が起きたときに、いつもそのことが言われているわけです。協力が必要だ。その警察の、警察学校の校長をいまやっている人が、取り調べに対して、われわれは行く必要はないと言って拒否するということは、一体どういうことです。
○三井説明員 前田前本部長の場合につきましては、裁判官が上京してまいりまして、警察大学校において取り調べをいたしたい、こういうことであったわけでございます。ただいま申しましたように、警察といたしましては裁判所のこの種の捜査あるいは調査に協力をするという点につきましては、できる限りこれに応じて協力をするという態度でございますが、一面また他から考えますと、本件の場合には個々の警察官がいわば付審判請求で被疑者の立場に置かれておる、こういうような事情も同時にあるわけでございます。そのような警察の組織とは別に、組織上における地位とは別に、一個人としての警察官というものを見ました場合に、これはまた憲法上あるいは刑事訴訟法上におきまして一定の権利と申しますか、被疑者一般に通ずる基本的人権というような点もまたこれを持っておるということも一面あるわけでございます。前田前本部長が今回裁判所の被疑者としての取り調べに対して応じなかったという点につきましては、私たちはこのように理解しておるわけでございますが、福岡県の本部長であった当時の警察の組織の責任者として、裁判所が真実の究明に当たっておるということに対しまして、当時の事情をよく知っておりますので、実情を申し述べて真相発見に協力しよう、こういう基本的態度であります。しかし、そういう意味で前田さんは十分に話をいたします、こういうことを裁判官にも言ったそうでありますけれども、裁判官はあくまで組織における前田本部長じゃなくて、被疑者としての一個人である前田を調べたい、こういうようなことでありましたので、これに対しましては、これはまた前田氏の考え方をわれわれがはたから推測するということになろうかと思いますけれども、被疑者の立場に立たされるのはどうも不本意だというようなことで、取り調べ、供述は応じがたい、こういうふうに申し述べたようでございます。裁判所も、いろいろ話し合いはあったようでございますけれども、結局これを了とされて、それ以上取り調べはしない、こういうことでお引き取りを願った、こういうことでございまして、組織の責任者として前田氏が裁判所の捜査に十分協力する、こういう態度を貫き、同時にただ一個人としての立場はまたこれとは別だというような態度であったと私は考えるわけでございますが、これもまた個人の立場をとってみれば、やむを得ないのであろうかというように考えておる次第でございます。
○横路委員 まあそれは個人からいえば、刑事訴訟法に規定されたいろいろの権利というのはありますよ。ありますけれども、そこで人格を分けるわけにはいかぬのですよ。裁判所としても、参考人としてではなくして、告発されているのだから被疑者として調べるというわけでしょう。前田さんがなぜ被疑者になったかというのは、まさに彼の職務についてなんです。大体私の経験なんかによると、あまりやましい点がない場合には、警察に行って堂々と述べてくるものです。やましい点があると、やはり何だかんだと言って行きたくない。そういうことで人格を分けないで——一般論としても、県警本部長をやり、あるいはいま警察学校の校長をやっておる人が、こういう態度でいいですか。皆さん方だって任意出頭、参考人だということで忙しいところを来てもらっていろいろ捜査をしている。それは行きたくないですよ。国民だって仕事を休んで賃金カットされて、なかなか捜査に協力なんかできない。しかしそれでもやはり真実を発見するためにということで、何か事件があると、それに関連をした人というのは、あるいはそのまわりにいた人というのは、警察まで足を運んでいろいろ捜査に協力している。この立場で、警察として国民に、これでいいんだ、来なくてもいいですよ、それはあなた方、権利があるから来るも来ないも自由だからいいんだ……。はたして問題はこれで済みますか。しかもこのときの警備の最高責任者だ。だからそれは三井さんの立場もあるでしょうし、県警本部長にまさか業務命令を発して行けというわけにもいかぬ問題です。しかしその辺のところを警察の内部で少しお話し合いになって、これが抗告審にかかっているのですから、やはり出かけていって、そのときの警備の計画はこうだった、自分としてはこういうように指揮をとったということぐらいは、裁判所できちっと明らかにするために協力すべきだと思う。その辺のところをもう少し中でもってお考え直しになる気持ちはございませんか。
○三井説明員 組織上の問題と分けられないということもあろうと思いますけれども、この場合、前田前本部長が被疑者の立場において個人の責任でものを考えるという分野のものにつきまして、私たち組織の立場においていろいろ指示をするというわけにもまいらないかと思うわけでございます。やはりこれは本人のお考えになることというところに、最終的には従わざるを得ないのではないかというように考える次第でございます。
○横路委員 それはもう一度、あなた個人の立場でもけっこうですよ、行って説得する気持ちはありませんか。
○三井説明員 ただいま申しましたような性質の問題でございますので、個人の立場として申し上げるかどうかというような問題は、またごく個人的な問題は別として、ここでは控えさせていただきたいと思うのでございます。
○横路委員 この決定の中に裁判所のほうはこういうことを認定しているわけであります。被害者はいろいろ特定されておりますけれども、「一七名が、圧縮されあるいは集団から引き出される際、警察官により足や膝で蹴られ、投げ飛ばされ、髪の毛をつかんで引きずりまわされあるいは手でなぐられるなどの暴行を受けた。」さらにそのほか「一四名が、通路から階段下に排除される際、階段の直前から途中において、警察官により足をかけられあるいは足で蹴られ、または突き飛ばされたり、投げ飛ばされたりあるいは髪の毛をつかまれて引きずり降ろされるなどの暴行を受けて、階段を転倒しまたは転倒しそうになって降りた。」「右の暴行を加えた警察官について特別公務員暴行陵虐罪が成立する」成立すると認定しているわけですね。そうして、一方で、その犯罪を行なったこの「特別公務員暴行陵虐の点については、第一大隊第一中隊員(中隊長、小隊長を除く)中の」者だ。中のだれかなんだということを認定しているわけですね。それから、職権乱用についても同じように、所持品検査についてはやはりこれは違法だ、そうしてこれは公務員の職務強要罪になるとして、やはり「公務員職権濫用の点については、第二大隊第一中隊員および職質部隊第一小隊員中のそれぞれ誰かがその加害実行者である」ということが認められるというように、これは認定をしているわけです。 そこで、こういう警備に際して、こういう暴行を加えてもいいんだというような教育はまさかなさっていないと思いますけれども、一体、その辺のところ、警察庁としてどのように教育なり指導なりをお考えになっておるのか、その辺を簡単にひとつお答えいただきたい。
○三井説明員 もちろん、警備実施にあたりまして必要な実力規制を行ないますが、それは当時の状況に見合った、相手の行動に見合った適切な限度において行なうという教育をいたしておるわけでございます。したがいまして、それを越えた過剰な実力の行使というような点につきましては、厳にきびしく戒めており、繰り返し教育いたしておるところでございます。
○横路委員 次の質問に移ろうと思ったのですが、ちょっとその答弁、気になるんですがね。相手方の態勢に見合った適切な処置というのは、相手方の行為の態様によっては、こちらは、いわゆる刑法で禁じられているような行為をやってもいいというような趣旨なんですか。まさかそうじゃないと思いますが。
○三井説明員 警察比例の原則にのっとった、つまり、適切妥当な実力の行使、こういう意味でございます。
○横路委員 そうすると、これらの指摘のあった第二大隊等々の警察官のとった行動というのは、少なくとも、この福岡地方裁判所では特別公務員暴行罪になる、あるいは、職権乱用罪になるというように認定をして、その範囲というのも、このくらいの範囲ということは明らかになっているわけです。そこで、ことしの五月十六日のアメリカ大使館の例の取材妨害事件、同じような事件でありますが、これについては直ちに五月二十一日に、当時の警備部長については国家公安委員会の訓戒、そのほか、以後減給も含めた処分というのがなされているわけです。今回のこういう裁判所の決定を見て、一体、この事件についての警察内部での責任の所在というのをどのように明らかにされますか。
○三井説明員 まず、手続的に申しますと、この決定につきましてはまだ争われておるという点が一つございます。もう一つは、この内容につきまして、この決定の主文は請求を棄却するということでありますので、私たちもこれには納得いたしますけれども、ただいま御指摘ありましたような、大きくいえば二つの罪名にかかわるような事実、この点につきましては、どうも裁判所の認定につきまして私たちとしては納得しがたいというふうに感じておるわけでございます。ただ、普通の裁判と違いまして、付審判請求ということでありますので、主文で棄却になっておる以上、ここで被疑者とされておる警察官の側からこれを争うというような法的な道はないというように考えておりますので、この点はもう争いようがないわけでございますけれども、この内容につきましては、事実関係の認定につきましては、どうも納得しがたいというように考えておるわけでございます。
○横路委員 しかし、この事実認定については、たくさんの目撃者、さらに問題になったテレビフィルム等によって、これは事実を認定しているわけですね。法律論の部分は別ですよ。所持品検査についての法律論の点は別にしても、事実の内容として、けっ飛ばした、やれ髪の毛をあれした、突き飛ばした、こういう特別暴行罪のほうについては範囲も明確になっているのです。範囲が明確になって、この中の人間がやったんだ、こういうことになっているのですよ。しかもこれは、この事件ばかりじゃなくて、もう一つのほうの、例の公務執行妨害罪のほうについての無罪判決の中でも同じような指摘がなされている。私はこのテレビフィルムでもって裁判官が事実を認定しているということを尊重したいと思う。だから、皆さんとしても、いや、事実はそうじゃないんだということを答弁なさらないで——もしこれが事実だったら、やはりこれは処分の対象になることでしょう。どうですか。裁判所が認定したことがもし事実であるとすれば、これは当然、警察としては責任の所在を明らかにする、処分すべき者は処分するということをやらなければいけないでしょう。どうですか、その辺のところは。
○三井説明員 そのとおりでございますが、先ほどちょっと申し上げましたように、現場において排除行為をするとか実力をもって規制をするという場合に、相手がきわめておとなしくしておって、たとえばすわり込んでおるという場合に排除するために用いる実力の程度と、相手が本件の場合のように渦巻きデモ的に公安職員を巻き込んで動いておるというような場合とは、おのずから違うわけでございますが、その場合に相手の行動に応じた、いわば比例の原則と申しましょうか、ふさわしい実力の規制と申しましょうか、行使というものがあって初めて排除行為というものが行ない得るわけでございます。本件の場合におきまして、私たちの感じといたしましては、相手の動きとの関連において警察官の行動がはたして適切であったかどうかという点につきまして、どうも十分その辺が考慮されておらないのではなかろうかというような感じを持っておりますが、何ぶんにも裁判所が決定をいたしたことでございますので、その内容に立ち入って一々またこれを論議するということも差し控えたいと思うわけでございますし、なおペンディングであるという現状でもございますので、その内容に立ち入ってのいろいろの論議はただいまのところは差し控えたほうがいいのではないかというように考えておるわけでございます。
○横路委員 ちょっとそこが気になるのですがね。警察比例の原則だといいながら——それは警察比例の原則というのはありますよ。しかし、刑法犯に触れるような行為をやってもいいんだということにはならぬでしょう。それも認めるということですか。比例の原則ということで、刑法犯に触れることがあっても、相手の態様によってはいいんだ、こういう趣旨なんですか、いまの答弁は。それだったら、私はこれは重大なことだと思いますよ。もしそういうお考えで警察が警備指導をしているならば、これはやはり大問題です。何をやってもいいということじゃないですよ、警察比例の原則だって。憲法なり刑法なり、法律で禁止されていることは、これはやはり別なんです。日弁連の警告にありますよ。足でけっ飛ばしたり、めがねをとってこわしたり。これは何をやってもいいという趣旨なんですか、いまの答弁は。
○三井説明員 そういう意味ではございませんで、適法にという趣旨でございます。相手方に見合った適法な方法で、こういうことでございます。
○横路委員 それならわかるのです。そうすると、適法だということであれば——裁判所が認定しているのは、この行為はともかく適法でない、つまり、事実の認定として、刑法犯に触れる、刑法に該当する行為があったというように認定されている。それはいろいろいままでの行きがかりもありますよ。行きがかりもあるし、この責任者が途中で雲隠れになったり、職質部隊の責任者があの事件の直後警察をやめていたり、重要な人間が行くえ不明になっていたり、行くえ不明になっていたと思ったらいつの間にやら警察に戻っていたとか、いろいろなことがある。しかも名簿が提出されないという。私はそれは、考えようによっては、相当組織的にいろいろ対策をやっているように受け取れるのですがね、この決定書を読んだだけで。しかし、そういうような経過は別にしても、裁判所のほうからこういう決定が出された。その内容についてもう一度おたくのほうで、一体警備について問題がなかったかどうかということで調査をされて、その上でやはり責任を明らかにするんだ、こういうことになりませんか。これは私は何と言ってがんばろうと、いろいろテレビフィルムというああいう大問題もかかえながら、なおかつそういうことで証拠調べをして事実を明らかにすることに裁判所としては全力を傾注された、その結果だと思うのですね。その結果を、一つの公的な機関が、裁判所という公権力が認めたことについて、皆さん方のほうで、いままでの経過は別にして反省をして、もう一度事実を調べてみましょうというくらいの謙虚な気持ちがあってしかるべきだと私は思う。その点どうですか。
○三井説明員 警備実施のやり方につきましては、いろいろとくふう、検討を加えて、より適切な方法を研究するというのはわれわれ平素心がけておるところでございますが、本件につきましても、当時の状況の中であのような形で警察活動が行なわれたという点につきましては当時も十分調査をいたしたわけでありますが、状況上当時においてはやむを得なかったのではないかというように考えておるわけでございます。 ただいま申しましたように、裁判所でこのようないろいろな調査の結果、こういうことになったわけでございますが、なお私たちといたしましても十分将来に備えまして、いやしくもこういうような決定が出るというような警備実施ではなくて、もっとスムーズな、適切な、うまい警備実施のやり方がないかというような点については、研究をしてまいりたいというふうに考えます。
○横路委員 時間が来ていますのでやめたいと思うのですけれども、どうも答弁がのらりくらりしているものですから……。 この裁判所の調査と皆さん方の調査の中で違う点は、テレビフィルム等の、皆さん方が調査の対象にされなかった証拠と調べなかった証拠が新しくつけ加わっているのです。それから第三者の目撃証人の供述というのも、九大の井上教授をはじめとして、あるいはその当時のそばにいた会社の役員とかいろいろな人が供述をして、その供述調書をもとにして事実を認定している。そうすると、皆さん方が、あれはあやまちはなかったという場合の調べられた範囲よりも、裁判所のほうが範囲が一段と広いわけですね。だから、結果としては皆さん方の調査は私は不十分だったと思う。そこで、こういう結果が出たのだから、皆さん方の調査は不十分だったから、もう一度ここに出されているような調書も含めて検討して、一般的にこれからのことじゃなくて、あの事件についてもう一度徹底的に調査をされる。どこに問題があったか、やはり誤った点があったならばそれは是正するという方向で、調査を再びやり直して責任の所在を明らかにしてもらわなければ、私はそういう無責任なことじゃ困ると思う。ともかく権力を行使されているのですから、その辺のところをもう一度重ねて御答弁いただきたいと思うのです。早く終わりたいと思うのですけれども、そういうようなことでなかなか終わることができないので、ひとつ明快にお答えいただきたい。
○三井説明員 御指摘のように、われわれの調査よりも、テレビフィルムも参考にしたというような点は広いかもわかりませんけれども、私たちもいろいろ私たちの立場において真相を明らかにするための努力を当時いたしましたし、また常にそういう問題については心がけておったところでございます。ただいまのところは、申し上げましたように、どうも裁判所の決定という形に出ておりますので、その内容をいろいろ論議をする点にはあるいは問題があろうかと思いますけれども、それとは別途に、私たちとしてはこの事案について、事実関係についてはいろいろの考え方を持っておるということでございまして、この点につきましては明確にお答えいたしかねますけれども、適切な警備実施をやるためのくふうのために、いろいろ調査をし改善を加えていくという努力を重ねてまいりたいということでございます。
○横路委員 そうすると、いまの調査というのは、もう一度この事件について将来のために検討を加え、調査をし直す、こういうことですね。それは目的は何でもいいです。その責任の所在を明らかにさせるためでもいい。抗告審になれば、こういう事実認定については警察のほうでもまた反論しなければならぬわけでしょう。そのためにだってまた調査をしなければならぬわけですね。いずれにしても再調査をするというふうに確認をしてよろしいですね。
○三井説明員 この決定が出たのであらためてやるということではなくて、二年以上たっておる事件でもありますので、この点については将来のよりよき警備実施のための教訓を引き出す意味において、この事件も含めましていろいろ検討を加えてまいりたいということでございます。
○小澤(太)委員長代理 ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○小澤(太)委員長代理 速記を始めて。
○横路委員 では最後に念を押しておいて、それはお答えは求めないで終わりにいたしますけれども、仲間内のことで、それをやるということはなかなかやりずらいだろうと思いますが、うがった見方をしますと、ベ平連のときには、取材妨害については非常に迅速に措置がとられたのですね、相手はマスコミなんだから。今度の場合は、これは学生ですね。その辺のところをもう少し考慮されて、もしそういうようなことだと、私はやはり大きな問題だろうと思うのです。ですからその辺のところを、いままでいろいろエキサイトした部分もあるということは、私も承知をしておりますけれども、しかしやはり謙虚に、裁判所の決定は何をしたっておれは知らぬと言っても、もし抗告審になって起訴されるということになれば、有罪でも確定したらどうなさいますか。そういう可能性だってあるわけですよ。いま裁判所がとっている考え方をもうちょっとすなおに解釈してやれば、認定された事実はもう現場共謀ですから、現場共謀で有罪にできると私は思うのです。だからあまり強がりをおっしゃらないで、これは将来どうなるかわからないのですから、ひとつ謙虚に、その辺のところは将来のために調査されるということですから、もう一度検討し直していただきたいと思うのです。 そういうことで、時間が少し長くなりまして恐縮でございましたけれども、これで終わります。
○小澤(太)委員長代理 青柳盛雄君。
○青柳委員 時間がございませんので簡単に御質問いたします。 沖繩の返還協定が準備される過程でいろいろと問題点が出てきていると思います。その中で、沖繩における軍人軍属の沖繩県人に対する犯罪行為、人権じゅうりんに関係してお尋ねいたしたいと思うのでありますが、もちろん、これは七二年に全面的に返還になる場合には、司法権の問題も含まれてくるわけでありますが、それを待つほど余裕のある問題ではないという立場から質問するわけでありますけれども、これについてことしの七月十八日に日本弁護士連合会のほうで要望書というのが出されておりまして、おそらく政府当局のほうにもその要望書は届いていることだと思います。 その要領は、最近米軍による凶悪犯罪が頻発している現状にかんがみて、返還が完了する以前においても沖繩における米軍人等による犯罪の捜査権と裁判権、もちろんこの中には公訴権も含まれるわけでありまして、そういうものを原則として琉球政府側の機関——現在沖繩においては三種類の裁判所がございますけれども、その中の琉球政府裁判所というものの権限として移すというようなことを、日本政府からアメリカ政府に対して強力に交渉してもらいたい、これが骨子でございます。詳しいことはもう時間もありませんので申し上げませんけれども、要するに根本的に返還される以前は、あくまでも、琉球政府裁判所といえども、アメリカ大統領行政命令に権原を持っているところの米国施政権内部の分掌のものでございますけれども、その内容を、ちょうど日本における日米安保条約第六条に基づく地位協定第十七条と同じような趣旨で、この第一次裁判権を琉球政府裁判所に移してもらうということを考えてもらえぬか、その交渉をアメリカと強力にやってもらえぬかということでございます。私どもいろいろの資料を検討いたしますというと、ベトナム戦争がああいう状態になっている中でアメリカ軍人が沖繩に引き揚げてくる。そういう中で望みを失ったようなアメリカの兵隊さんがいろいろと凶悪な犯罪、殺人とか強盗とか放火とか強姦その他暴行、傷害、恐喝、いろいろの犯罪が頻発しておりますけれども、その検挙率などもきわめて低いパーセンテージにしても二、三〇%程度、多くても五、六〇%程度、あとは野放しというような状態であるばかりでなく、それが幸い起訴になりましても、日本の沖繩県人によって構成されているところの琉球政府の裁判所の管轄でございませんので、たとえば沖繩女子高校生に対する刺傷事件などはたった三年の懲役にしかすぎない。その理由は、ベトナムで勲功を立てたので情状酌量してやったのだということであり、あるいはメイドさんが暴行を受けたけれども証拠不十分だということで無罪になるというような、全く沖繩県人にとってみると心外にたえないような判決が出ている。こういうふうに単に捜査が一方的に米軍によって行なわれるだけであって、琉球警察本部の権限が非常に薄いということだけでなしに、基本的には裁判権が米軍人の犯罪に関しては、いわゆる日本側といいますか、琉球政府側にないというところに問題があるようでございます。ですから、この問題について政府としてはどういうような方針をとっておられるのか。返還協定が最終的にきまるまではじっと待っているというのであるのか。それともこの強い沖繩県民の願いであり、また同時に日本弁護士連合会あたりの人々も強く要望しているこのことについて検討しておられるかどうか。まずこれを第一点としてお尋ねいたします。 それから、時間がありませんから、第二点は、沖繩官公庁労働組合裁判所支部、本土にある全司法労働組合の沖繩支部になるわけですが、そこから最高裁判所のほうに要請書がやはり出ております。それは、返還に伴っていろいろと政府のほうでは考えていると思うのだけれども、琉球裁判所の現在の人員を確保してもらいたい、首切り、合理化はしないようにしてもらいたい、そして沖繩裁判所職員の現に保有する身分を継続し、保障するようにしてもらいたい、それから賃金は、現に受けている額を保障するようにしてもらいたい、それから本人の意思に反して他府県へ配置転換をするというようなことを強行しないようにしてもらいたいとか、あるいは現在沖繩には琉球高等裁判所というのがあるようでありますけれども、今度沖繩が復帰いたしますと沖繩地方裁判所だけになってしまうわけでありますが、高裁の支部を沖繩に設けてもらいたい、こういうようなもろもろの要求が出ております。一つ一つ説明するのは省略いたしますけれども、いずれも沖繩の裁判所関係の職員としてみて、また沖繩県人としてみて、もっともな要望事項であろうと思います。これについても現在どのように検討しておられるか。この二点について関係の係の方から御説明をいただきたいと思います。
○大河原説明員 御質問の中の第一点につきましてお答えいたします。 施政権返還後の沖繩裁判制度は、先ほど御指摘のとおりに、アメリカの軍人軍属等の犯罪の取り扱いを含めまして全く本土並みとなるわけでございまして、政府といたしましては、目下米側並びに琉球政府側とも十分話し合いながら、そのための具体的な準備を進めている段階でございます。当面その復帰準備に万全を期することが政府として最も肝要なことではないか、こういうふうに考えておりますが、この春以来沖繩におきましていろいろな犯罪が頻発いたしておりますことについて、政府としてもまことに遺憾としているところでございまして、最近では六月に外務大臣からマイヤー駐日大使に、それから総理府の長官からランパート高等弁務官に、それぞれ犯罪の防止並びにすでに起きました事件に対する善処、こういうふうなことについてそのつど申し入れをいたしまして、米側としましても事件が起きているということについて遺憾の意を表しますとともに、今後の再発について全力を尽くしてその防止に当たりたい、こういうことを言ってまいっているわけでございます。 そういう一環といたしまして、政府といたしまして、沖繩におきまして民政府に対して種々申し入れを行なっておりましたところ、去る八月二十四日に米側と琉球政府との捜査共助に基づきまする新たなる合意ができまして、現在その覚え書きの作成を急いでおる、こういう状況でございます。
○青柳委員 その第一点について、私が先ほどお尋ねした一番基本の点でございますね。とにかく安保条約六条に基づく地位協定十七条を準用するような形で、日米双方の法令に違反するものについては原則として日本国が第一次裁判権を有する、こういうことになっておりますが、まだ返還前でございますから日本国が第一次裁判権を持つわけにはいきません。だから沖繩県人によって構成されている琉球政府裁判所に第一次的な裁判権を暫定的に与えるような大統領行政命令の改正ですね。これをしてくれないかという要請をする、その交渉をするということについてはいかがでございましょうか。
○大河原説明員 先ほども御答弁いたしましたように、政府としましては、本土復帰の暁に本土並みの地位協定が適用できますようにその準備に全力を尽くしてまいりたいというのが基本でございまして、具体的に米側が現に行使しております裁判権の一部を琉球政府の裁判所に移す、あるいは移せということについての交渉をいたす考えは、いまのところないわけでございます。
○青柳委員 それではどうも非常に残念なことで、世論の一致するところは——最終的に返還協定ができ上がって返還になるまで待ってもらいたいというようないささかのんびりした状態であって残念だと思うのでありますが、これは再度申し上げますけれども、強い要望でございますので、やはり検討してみて、日本政府からそういうふうに言っても米国政府のほうががんとして応じないというのであれば、これは外交交渉でございますからやむを得ない場合もあり得ると思いますけれども、とにかくいまの犯罪捜査についてだけはやや改善が行なわれる、それでほんとうに検挙率もよくなるということであって、また裁判の結果も満足にいくようなものであるということであればよろしゅうございますけれども、そうでないということが考えられる節が非常に強いものですから、やはりこれは検討して進めなければならないのじゃないかというふうに考えるわけでございます。 第二の点についてはいかがでございましょうか。
○長井最高裁判所長官代理者 第二のお尋ねの点についてお答え申し上げます。 沖繩の裁判所の職員の身分につきまして、ただいま御質問のような要望が出ておりますことは十分承知いたしております。それでまだ引き継ぎにつきまして、具体的な事項につきましては、政府各省の関係等もございますので、そのほうの検討を承りながら、私のほうは復帰後の司法について十分責任を負い得るだけの組織機構をつくりたいと鋭意検討しておるところでございます。もちろん職員の引き継ぎにつきましては定員法その他組織機構等につきましていろいろあるいは立法していただく、予算的手当ての問題等将来解決に努力しなければならない問題はございますけれども、基本的な構想といたしましては、できる限り本土の裁判所職員として現在の沖繩の裁判所職員の身分を引き継いでいく措置を講ずるよう努力したいという基本構想を持っております。そして御要望の趣旨に沿い得るよう努力する方針を立てておりますので、現在具体的な回答を一々申し上げるまでに検討が進んでおりませんけれども、このような基本構想で二十五年間の司法における御苦労に報いたい、こういう考えで問題の解決に努力しておる次第でございます。
○青柳委員 御趣旨よくわかりました。ただ定員法の関係がございますし、いわゆる本土並みということで機械的に本土並みにされますと、二十五年間アメリカの施政権下にあったという司法の状態、それからまた沖繩という離れ島の特殊性、こういうものを十分尊重してくれということがこの希望の中に書いてあります。よくごらんいただいていると思いますけれども、本土並みだから何でもいいじゃないかということで、現状をあまり無視するようなやり方をしてくれるなというのが希望のようでございますから、これは全くもっともなことだと思いますので、優遇するのはよろしいですが、本土並みになったら悪くなったというのでは全く沖繩県民にとってマイナスなことになるのですから、その点をよく考えていただきたいと思います。 これで終わります。
○小澤(太)委員長代理 本日は、これにて散会いたします。 午後五時三十四分散会