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63回国会衆議院1970/03/18

文教委員会 第7号

発言数
223
登壇者
10
会派数
5
開催日
1970/03/18

会議録

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 これより会議を開きます。  著作権法案を議題とし、審査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。山中吾郎君。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 著作権法につきましては、前回審議の途中審議未了になった関係上、私も若干質問をしておる途中、そのまましり切れトンボになったので、あるいは重複する点があるかもしれません。また整然と整理をして御質問を申し上げる時間もなかったので、あるいは前後するかもしれませんが、非常に多くの疑問のある法案でありますから、その点明快に解明をしていただいて、国際的な問題でもありますので、この法案ができる限り欠点のないもの、あとに問題を残さない方向で審議してまいりたいと思いますから、そういう趣旨を含んで御答弁をいただきたいと思うのでございます。  まず第一に、前回も触れたのでありますが、この法案全体の目的そのものに混乱が少しあるのではないかということを私はいつも思うので、問題にいたしましたが、この第一条に、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」という一節が、ここに挿入されておる。このために、著作権法の目的が非常に乱れてしまっておるという感じがあります。これをもう一度、当局において、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」という意味を明快に御答弁いただきたいと思うのであります。最も根本的なことですから、責任者答えてください。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 この前の御質問のときにも申し上げましたように、著作権法は、まず第一義的には著作者の保護ということでなければならぬ、これは言うまでもないと思うわけでございますけれども、しかし、同時に、なぜ著作者の保護を厚くしなければならぬかということを考えるならば、やはりそれが一面におきましては、広く国民に利用される、そして新たなる文化的な創造、新たなる文化的価値あるものが生み出されるということを前提として、著作者の保護ということが出てくると思うのでございます。その意味合におきまして、私は、この第一条の「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」——これが不公正であってはいけないので、やはり「公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を」はかるというふうに考え、そうして「文化の発展に寄与することを目的とする。」ということで、そう矛盾はなくて、まとまっているのじゃないかというふうに思うわけでございます。  しかし、実際問題としまして、たとえば著作物の権利というものとそれからその公正な利用という問題との調和と、ことばでは調和と申しますけれども、いろいろ問題があるということはわかるわけでございますが、やはり世の中が発展し、進歩いたします。その変化に応じまして、一面においては著作者の権利を保護しつつ、そして一定の保護期間を過ぎた後には広く国民に供せられるという、その作用があって初めて意味があるのじゃないかというふうに考えます。  詳しいことにつきましては、文化庁の長官や次長から御説明申し上げたいと思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 この文章の解釈は、明確にこの国会の審議の中で記録にとどめておかなければならぬと思いますので、なお重ねてお聞きいたしたいと思います。  いま文部大臣が、国民の利用という立場でこの文章が入れられた、第一点は国民の利用の立場……。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 いやいや、先ほど申しましたように、著作権法は著作者の保護ということを第一義とするものでございますということをまず申し上げたわけです。その次に一般の利用……。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 いま文部大臣の言われたように、著作者及び著作権の保護、これはもう当然第一の目的であるが、同時に広く国民が著作物を利用する立場、これも含んでおるのだ、さらに新しい文化を創造するというためにということを、この文章が含んでおるというお答え、間違いないですね。その表現の限りにおいて正しいと私も思います。これは異議がございません。したがって、この法律は、思想的、情操的な一つの精神的文化産物であるから、著作者を保護することによってさらに文化を創造し、はつらつたる創造性を持たすための著作権、著作者、著作物の保護法なんだ。同時に、しかし一般の国民に広く利用せしめるということが、著作権者の国民に対する一つの義務であるという意味において、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」という文章が挿入された、そういうふうに私は受け取ったのでございますが、間違いございませんか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 もう一回繰り返すということになるかと思いますが、著作者の保護も第一義的に考えるわけでございますが、また同時に、著作物というものが利用されて初めてその存在意義があるということも、十分留意をする必要がある。したがいまして、著作権に存続期間がありますのも、一定期間経過後にはこれらの文化的所産を広く国民に開放し、自由に利用させようということが出てくると思うのでございます。また、著作権の存続期間中でございましても、著作物の利用についての権利者の立場、それから使用者の立場、さらに著作物を享受する国民の利益を全体として調整、調和させなければならないというふうに考えるわけでございますが、先ほど申しましたように、今回の制度の改正にあたりましては、このような考え方から、法案の第一条に掲げましたように、著作者の保護を第一義的な目的としつつ、その保護の内容が全体として調和のとれたものとなるように苦心をいたしておる次第でございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 文化庁長官、いま大臣と私、本質論を論議しておりましたが、お聞きになっておりましたね。そのとおりでございますか。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 大臣の御答弁に、私は異議はございませんです。そのとおりだと思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 私、なお念を押しておきたいと思いますのは、現在の資本主義経済体制の中では、現実においては著作物が商品化をしていくために、したがって著作権者は売り手になる。買い手は出版会社、映画会社等の営利事業団体である。そしてその著作物を活用し、利用するのは国民である。したがって、著作権者と著作物と国民、文化を享受しさらに普及していく主体である国民との間に、経営主体であるところの企業が入っておりますね。その企業の立場を保護するということは、いまのお答えからいって、この法律の目的にはないはずである。間違いございませんか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほど大臣、長官からお話がございましたとおり、著作者の権利を保護するということが第一義で、同時に公正な利用に留意するというわけでございますが、その際企業というようなものがどういう立場になるかというお尋ねだと思うわけでございますが、この著作物というものにつきまして、たとえば映画製作者というようなものがあって、著作者との関係を生ずる。同時にその映画が十分に利用されるということが、逆にまた著作者の利益にも還元する問題であるということもございます。したがいまして、この著作者を保護するためには、同時にその著作物が利用されやすいように配慮をするということも、またこの著作権法でも配慮をいたしておるところでございまして、映画等につきまして、その経済的な利用をはかるためにその権利を集中させる、こういうようなことが世界の大勢でございますので、そのような措置にいたしておるわけでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 御答弁が明確でないので頭に入らないのでありますが、利潤を追求することを目的とした営利事業が著作権と国民の間に介在をしてくるのであるから、したがって、この著作権法の目的が著作権者を保護する、著作物を守ることを通じてできるだけ国民に多く普及するという意味であるから、その経営主体であるところの企業者の立場を保護するということは、この法律の目的にはない。「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」というこの一節の中には、それは含んでいない。間違いないですね。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 むしろ「著作者等の権利の保護を図り」というところに入るかと思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 それを明確にしておかないと、この法律がもし成立しても、解釈、運営について非常にまた著作権者を不利にするようなことが出るので、第一条の解釈は非常に大事だ。私は、個人的意見からいえば、これは取るのが一番いい。あえてここに書かなくても、当然に国民の利用というものはわれわれが法の運営においても考えるべきであり、あるいは文化の振興に関する特別法という特別法をつくってもいいのであるから、著作権法にわざわざこれを入れたということによって関係者がいろいろ疑問を持つ現実があるので、解釈だけは明確にしておかなければならぬと思って申し上げておるのです。あえて削除ということを主張しないために、この解釈は明確にしておかなければいけないという意味であります。  そこで、念を押しておきますが、現在の出版会社にしても、映画会社にしても、公共の利益のためにこの事業を運営しなければならないという公企業的な性格を、どこの法律も与えていないのである。風紀紊乱になるような映画でも何でも、出すことは自由なんです。そういう企業が、精神的文化所産であるところの著作物と国民の間に介在するのである。現在の法律の中に、こういう精神的著作物を取り扱うところの企業体に対して、公共の福祉に沿うごとくそれが許可、あるいはそういう方向に用いる義務づけがされておるならば、あえて私は論議をしないのであるけれども、自由企業なんです。そのときに、この企業を保護するような部面を介在しながら、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」ということの中に含めるならば、いろいろ混乱が来るから申し上げておるのです。それをまず明確にしておきたいので、いま大臣及び長官、次長が言われた意味をもう一度復習しておきたいと思いますが、この法律の第一条の目的は、あくまでも著作物、著作権の保護である。保護を通じて文化の発展をはかるのだ。同時にまた、国民がそういう精神的な文化所産を広く、かつ、自由に享受できるために配慮をしなければならないという意味であって、何らの制限のない利潤を追求することだけを考えて著作物を商品として取り扱うことのできる企業の保護は含んでいない。間違いございませんね。大臣、よろしゅうございますね。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 目的は、あくまでも著作者等の権利の保護をはかる、そういう目的のためにどのようにする方法がいいか、こういう観点においてこの法律は定めておるわけであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 それでは、そういう趣旨に沿うて逐次お聞きしてまいりたいと思いますが、まず第二条に、「著作物」、「著作者」その他ずっとここに用語の解明がされておりますが、ここに六の「レコード製作者」、あるいは九の「放送事業者」、十の「映画製作者」、これはこの著作物を営利の目的として取り扱う企業主体である。これをここにずらっと同じように並べておられるのは、どういう意味ですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この法律におきまして、著作隣接権という制度を定めておるわけでございます。その際に、実演家のほか、レコード製作者、放送事業者を隣接権の権利者といたしておるわけでございます。これはレコード製作者にしろ、放送事業者にしろ、それぞれ著作物の使用に関連しながら、そこに一種の創造的な寄与をしておるという意味において、著作者ではないけれども、著作者に準ずるような地位等もあるということにかんがみまして、これらのものに隣接する権利を与えておるわけでございます。そういう意味におきまして、それらのものがどのようなものであるかを定義において明確にしよう、こういう趣旨でございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 隣接権者にこういう営利事業を目的とするものまで含めるところに、思想の混乱があるのではないか。その実演者その他がわれわれが国際法上普通に考えておる隣接権者であって、純粋な営利事業者を隣接権者に持ってくるということは、第一条の「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」というあなた方の解釈から少し逸脱しておるのではないか。これは二条にこの法律上の用語として便宜上掲げたのであって、必ずしも最適な並べ方ではないが……という説明ならわかりますが、当然の隣接権者としてここへ持ってくるということについては、やはり考え方の混乱があるのではないですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 一九六一年、昭和三十六年にローマにおいて成立いたしましたいわゆる隣接権条約におきましては、実演家のほか、レコード製作者、放送事業者を同時に権利を守るべき主体であるというような観点で条約もできておるわけでございます。したがいまして、このレコード製作者なり放送事業者を著作物の媒体の中心的存在としてこれを保護するというのは、国際的な動向にも合致しておるものと考える次第でございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 国際条約にそれが載っておれば、私もいわゆる準隣接権者として、だんだん国際条約に入っておれば、異議がありません、私調べたわけではありませんから。ただし、こういうものは一つの経営権として、別途所有権の延長にある経営権として、当然社会体制から保護された人々なのであるから、私個人の考えからいうと、奇異に感ずる。ただし、条約上レコード製作者と放送事業者が入っておる。入っておるには間違いありませんね。——それならば異議は申し立てません。  映画製作者は、入っておりますが。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 映画製作者は、いわゆる隣接権者としては入っておりません。ただし、映画製作者につきましては、昭和四十二年に成立いたしましたストックホルム改正のベルヌ条約におきまして、映画製作者というものに権利を集中させる意味の規定がございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 隣接権者としてではなくて——これも私、条約を一々調べておりませんから、ほんとうは調べて勉強してやらなければいかぬのですが、そのひまがないので、お聞きしながらやるのですが、私の質問には偏見も何もありません。それなら、この映画製作者を正式に法律上隣接権者としてここに掲げたのは、日本が初めてだということになるのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ここで映画製作者の定義をいたしましたのは、あとに出てまいりますところの映画の著作権の帰属に関しまして「映画製作者」ということばが出てまいりますから、その定義をあらかじめしておいたということでございます。映画製作者は隣接権者として国際的に認められているのではなくて、映画著作権の行使を容易ならしめるために映画の著作権を映画製作者に集中的に行使させるというような方法がいいということで、このベルヌ条約にそういう映画製作者の定義があり、そしてまたそれについての規定があるということでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 これも明確にしておきたいと思うのですが、いま次長の説明では、第二条の「レコード製作者」「放送事業者」は国際条約上隣接権者として認められておる常識があるので、載せた。しかし、同じく九、十と同列に載せておる「映画製作者」は、便宜上、隣接権者ではないのだが、載せたのである。隣接権者としてここに載せたのではない。間違いないですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 間違いございません。隣接権者ではございませんが、あとで出てくる規定の「映画製作者」の内容をここで明らかにしておこう、こういう意味でございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 法律立法技術上は少しりっぱな並べ方でないと思うのですが、これもやかましく言っておるとまた著作権がどこかへ行ってしまうから、あまり言わないですけれども、同列に並べると、一般の国民からいったら、全部隣接権として日本の著作権法は認めたと解釈するのが常識です。私が質問することによって明確になってきているので、これも明確にしておいてもらいたい。ことに、日本の憲法は個人の尊厳ということを人権の大黒柱に規定をしている憲法なんです。その憲法を有する日本の国内における著作権法でありますから、そういう意味において精神的所産であるところの著作物を保護する、著作権者を保護する立場からいえば、ほんとうは立法手法としては、国際条約の常識の中に個人の尊重というものが加えられて日本の国内法が設定さるべきである。そういうことを考えると、隣接権者でない者までここに入れて著作権者の権利を侵害するすきをつくるような規定のしかた、立法技術については、そうほめたものではない。これだけ意見を申し上げておきます。何か御意見があればお聞きしますよ。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 第二条は用語の定義でございますので、ここでこの人が隣接権者であるとかいうことではなくて、あとで出てくる用語をあらかじめはっきりさせておく、そういう意味でございますので、御了承願いたいと思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 最初からそう言えば、質問を続けなかったのだ。そうでなくて、あなたは一番最初には、これは隣接権者でありますからこの二条に列挙したんだと言っていたから、私は一生懸命にやっている。どっちがほんとうなんですか。あとのほうがほんとうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 第二条は、御案内のように用語の意義でございます。そういうことで申し上げたつもりでありますが、「レコード製作者」、「放送事業者」はどういうものだというお話が出ましたものですから、隣接権者として書いてあるということを申し上げただけで、最終的には、いまおっしゃるように用語の定義を定めたものにすぎません。こういうことで御了承願いたいと思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 あとで速記録をお読みになると、あとのほうと前のほうと矛盾があることがおわかりになるから、よく見てください。  次に第十五条。私は第二章の「著作者の権利」というところが非常に問題が多いと思いますので、これを中心として聞きたいと思うのですが、第二節の「著作者」のところの十五条に「法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。」、この法人を当然のごとく推定といいますか、著作権者にしておる思想が、私は非常に疑問がある。これも第一条の先ほど申し上げた解釈を確認したことと関係があるので、営利事業を目的とした、そして現在の日本の法体系で、公共の福祉に沿って運営しなければならぬという公企業体的規制の少しもない、いわゆる自由な出版会社とか映画会社というものを含んでおると思うのですが、その法人を十五条で推定著作権者としておる思想、この点について非常に異議があるのでありますが、そのことについての解明をしてください。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この「法人その他使用者」の中には、たとえば文部省というようなものももちろん入るわけでございます。その場合の……(山中(吾)委員「文部省は法人でないですよ」と呼ぶ)文部省は法人でございませんが、その他の使用者というと、国の機関でございますが、その場合、文部省名義で、文部省の発意に基づきまして、文部省の者が職務上作成する、たとえば教育白書というようなものがあるわけでございます。そういうものの著作者はだれにするかという問題が出てくるわけでございまして、これは実態におきましても、それぞれ書いた人のものではなくて、やはりそこでその過程においていろいろの人の意見が集合的に出てまいりまして、文部省の著作物というふうに考えられるわけでございます。あるいは新聞社にいたしましても、その他民間の会社等におきましても、その会社の著作物として、会社がまずそういうものを出そうという発意をして、そうしてその従業員が職務上作成する——個人的な意味じゃなくて、職務上作成する著作物であって、そうしてその著作の名義というものが法人その他の使用者である、そういう場合は、原則的にはその法人と文部省なり会社なりが著作者であるとするのが通例であろう。しかし、そこにございますように、その作成のときにおける契約とか勤務規則等において、そうではなくて、その場合には会社等ではなくて書いた人のものであるという特約があれば別でございますけれども、一般的には文部省なり会社その他が著作者であるとすることが適切ではないか、こういうことで、この第十五条で一種の推定規定を置いた、こういうことでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 文部省を「等」の中に入れてしまって、「等」だけあなた説明を始めたのですが、見出しは(法人等の著作名義の著作物の著作君)、これは法人が中心の規定ですね。「等」はそのつけたりなんだ。そのつけたりの文部省の例を出して——これは文部省、国家がつけたりに入る。そのつけたりをいま中心に説明されたのですが、そうでなくて、この十五条の一番おもなる対象は、やはり営利事業である出版会社とか映画会社でしょう。国家をこんなところに「等」の中へ規定するなんということは、またわれわれ国会議員として異議がある。もっとりっぱに規定しなさい。そして、それを例に出して私への答弁にかえるのは、よろしくないですよ。言い直すことがあれば、言い直しなさい。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 文部省におりますから、ついそういう例が出ましたが、たいへん失礼いたしました。  たとえば法人の中に、地方公共団体、これは明らかに法人でございます。それから新聞社、これも商法上の法人であることが多いわけです。あるいは民間の会社で、たとえば十年史を出す、そういうときに、会社の人たちが職務上分担して書いて、何々会社著ということで出た場合、そしてその間に、この著作物のこの部分は、自分のものは全く独創的なものであるから自分に著作権があるんだ、著作者であるというようなことの特約があれば別ですけれども、そういう会社にいたしましても、公共団体にいたしましても、あるいは文部省にいたしましても、すべてこういう同じような状態になるのではないだろうかということでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 少しこじつけの答弁になると私が思うのは、そこの終わりのほうの「その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り」という表現を見ますと、市町村とか府県とか国家というふうな——国家も法人という学説がありますからけっこうですけれども、この「契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り」という表現ですね、これは私法人の用語ばかりですね。契約、勤務規則——勤務規則というのはあるいは公務員の勤務規則が入るかもしれませんが、大体この立法の精神は、私法人を対象として書いたのじゃないですか。一つの官庁において係長かだれか起案をしたものが、たとえば文化庁長官の名前で、あるいは文部大臣の名前で発行されるようなことは、よくわかっておりますよ。それは主たる目的でなくて、私法人を対象としてここに十五条が出ておるのではないか。公務員の場合においては、公務員としての勤務の義務があって、当然いろいろの起案、作成あるいは白書等が職務の内容であることは、私もよくわかっておる。一般の私法関係において、技術者その他が、これは特許権の問題にもなると思いますが、思想物としましても、これを法人というものを当然に著作権者と推定することは、やはりいわゆる利潤を追求する経営者のほうに過ぎるのではないか。かりに「その作成のときにおける契約、勤務規則その他に定めるところにより」というならわかる。その会社に勤務をするときに——公法契約じゃないんだ。官庁とか文部省に皆さんがおつとめになるときのそういう公法関係でなくて、私法関係においてその会社員その他になるについては、契約、勤務規則その他の定めがない限りでなくて、定めるところによりというならわかる。ある意味においては、著作権者を保護するという第一条のたてまえからいって、私はわかると思うのですよ。ただ、本人の意思にかかわらず、その営利事業者の経営者というものを当然のごとく著作権者にするということは、私は、皆さんの解釈された第一条のいまの解釈からいって、不適当ではないかと思う。ここに混乱があると私は言うのです。ここで文部省などを持ってこられて、十五条の目的の主眼からはずれた方法で私をごまかそうとされては困る。そういう意図はないと思うけれども、少し誇張すればそうなる。そうではなくて、通常の場合については、契約とか勤務規則があるのですから、それを認めて——こういう一つの著作物ができたら会社の物にしますという規則があって、雇用契約を結んでくるならばわかる。法律で個人の思想的産物が、人格、法人格、最近その人の名誉とかその他精神的な問題が起こっておるところに、個人的な名誉とかいうふうなものにあまり関係のない、そういう法人に帰属するということは、どうしても趣旨に合わない。その点は、この立法の趣旨について、第一条との関係で混乱があるのではないか。そうして「別段の定めがない限り」より、「定めることによって」と書きかえて、どうして悪いのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 これはたとえばある新聞社の名前で本が出た場合に、そして著作者名が全然ない、そういうような場合等に、著作者をなるべくはっきりさせるということが一つございます。その場合に、たとえばたくさんの人が書いた場合に、だれが著作者であるかという場合には、法人の名前で出ておって、しかも法人の発意に基づいてその職務上作成したものならば、むしろ会社自体を著作者とするほうが実態に即しておるという考え方でございまして、いまお示しの「その定めるところにより」といたしますと、定めがない場合は、だれが著作者であるかというその趣旨が明らかにならないわけでございます。ここではそういうものの著作者をはっきりしょうということが趣旨でございますので、そこでここではそういうようなものについては会社がつくったものと考えて社会的にも十分納得できるということでございまして、それは決して会社の利益をはかるとかそういう意図は、毛頭ないわけでございます。実際にも新聞社等におきましては勤務規則等でそういうことが具体的に明らかになっておる場合もあるわけでございまして、こういうようにしておけば、実態的にも、また一般的にも、著作者が明らかになる、こういう利益があると思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 著作者が明らかになるというのは、実際に書いていない法人が著作者であるという推定をしておるのですから、その本にその人の思想というものを織り込んだほんとうの著作者というものが逆に明らかにならないのであって、だから私はこの法案の目的である第一条の著作者の権利を保護することを通じて文化に貢献しというのは、自分の書いたものに自分の名前が出ることによって文化の創造に意欲がさらに増すのであるから、その趣旨でこの法律はできておるのである、そう理解をして論議を進めておるわけなんです。法人というのは、税法からいったら法人擬制説を大蔵省では言ってやっておるような時代なんです。これは法人実在説をとっているかどうか知らないけれども、名誉その他についての精神的な、いわゆる個人の人権というようなものを必要としない法人、こういうものによけいに推定をしていくという思想がこの十五条にあるので、私はおかしいじゃないかと言っておるのです。それをおかしく思わぬのですか。これは文化庁長官にお聞きしましょう。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 私はかってに推定いたしますけれども、いまの先生のおことばの裏に、あるいは映画とか一般の出版物のことを内蔵されてのおことばではないか、こう思うのでございますが、いまのこの規定は、次長の説明しましたとおり、会社の何年史といったような、著作者を推定しがたい場合の規定でございまして、出版または映画というようなものの著作権者というようなものについては、別個に御説明申し上げる機会があろうかと思いますが、いまおっしゃった、ただ大ぜいの人が義務的に書いたような著作物に関する著作権者を法人とするという一つの規定でございまして、いまたびたび出ておりましたように、ほんとうにこれを書かなければならないという個人の熱意を込めた著作物のことではないのではないかと、私は思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 文化庁長官は文化人ですから、文化人の気持ちをよくわかるので、そういう解釈をされたわけです。だから、こういう解釈をきっちりとどめておかないと、受け取り方については幾らでも拡大ができるので、いま文化庁長官が言われておるような限定的な意味で、一応それがこの法律の解釈、運営の権威的なものになるならば、私はそれでもいい。しかし、時間があれば、こういうものを論議をしていくのがほんとうの国会の権威なんですけれども、文化庁長官が一応そういう解釈を下されたのであるから、そういう意味であるということを一応確認をしておいて、次に移りたいと思います。  あと何か委員で質問をする順番があるようですから、不本意ながら私の疑問だけを出して、皆さんの一応の回答だけを得て後日に譲っておきたいと思います。したがって、次の十六条になるのですけれども、この十六条について、さらに関連をして映画会社の問題がここに出てくると思いますが、映画製作物については映画会社にその著作権が帰属するという規定、これは前にも私非常に問題にしたところでありますけれども、映画の著作者というのは、一体どういうものをさしておるのでしょうか。定義的に述べてください。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この第十六条は、映画の著作者がだれであるかを規定しておるわけでございますが、この著作者という一般的な定義は、第二条の第二号に、著作者とは「著作物を創作する者をいう。」という規定がございます。これだけでは映画のような総合的な著作物についてはこれが明らかでないということで、第十六条で映画の著作物の著作者はだれかということを規定したものでございます。ここで「映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者を除き」というので、いわゆる映画の原作者と申しますか、そのもとになった小説とか脚本、そういうものはここでいう映画の著作物の著作者としては扱わない。そしてその次にございます「制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。」ということで、一部分ではなくて、全体的形成について、しかも創作的に寄与した者であるということをそこに例示をいたして、それらのものが映画の著作物の著作者であるということを明らかにしたのでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 詳しいことは専門でないので、この例示そのものが完全に適当であるかどうかは私はわからないので、一般のお答えとしてはそのとおりだと私は思いますので、それによって論議を進めたいと思いますが、そのあとに、「ただし、前条の規定の適用がある場合は、この限りでない。」この「ただし」が非常にくせ者ではないのか。その「ただし」と、さらに二十九条に帰属の規定があるのでありますが、このよけいな推定をなぜされるのですか。「ただし、前条の規定の適用がある場合は、この限りでない。」という十六条のただし書きは、映画の著作権者はこういうものだといっておいて、「ただし」で打ち消してしまっておるじゃありませんか。この法案には「ただし」が非常に多い、「ただし」があまりあり過ぎる。これは定義でしょう。「ただし、前条の規定の適用がある場合は」こんなのをなぜおつくりになっておるのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 たとえばニュース映画等におきまして、制作なり監督、演出、撮影等の名義がない。そしてもっぱらニュース映画社の発意に基づいて、その職務上作製して、そして著作物について映画会社だけの名前で公表されておる、こういうようなものは、むしろその前条第十五条の規定に該当するものであるということで、念のために書いたということでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 十五条の場合のいままでの御説明は、そんなニュースのことばかりしゃべっておるのではない。いま文化庁長官は何か何十周年記念刊行物程度に限るということで十五条を解釈されて私を納得させたのであるが、今度はこっちの解釈はニュースに限って説明をされた、これはどうもいけないですね。そういう限定解釈を思いつきでされても、この法律はできていきますと、かってに歩いていくのですから、どこにでも解釈が拡大できるのではないのですか。十六条は定義的なものだから、ただし書きなんというのは要らないのではないのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほども申し述べましたように、第十六条のただし書きの適用ある場合は、著作者であるところの名前が映画自体にもあらわれていないわけであります。ということは、そういうものについて、ぜひ自分の著作物として強い主張があるならば、当然そういうものが出るでございましょうし、先ほど長官からお話しございましたように、特に自分の著作物として強い主張といいますか、ぜひそうしなければならないようなものではない、会社の著作物としてかまわない、そういうような場合でございまして、名前が出ている場合についてはこれは適用がございませんので、いわゆる通常の劇映画等については、このただし書の規定の適用はございません。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 そうすると、ごく狭いものだけをこのただし書きの中で書いておる、そういう解釈と聞いておく。  これに関連して、二十九条の「映画の著作物の著作権」、これについて製作に参加することを約束しているとき、映画製作者に対して著作権は法律でばさりと映画製作者に帰属するという規定がある。前に私は、これを一番大きいこの法律におけるところの欠点と考えて質問を申し上げた。それに対して次長は、私に、いわばこれは法定譲渡である、法律の規定によって著作権者が法人に対しで譲渡することを法律で定めたんだというふうな答えもあったのですが、まことに私は不適当な解釈であり、二十九条は非常に不適当なものであると思うのですが、その辺について、もう一度解明をしていただきたい。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 映画の著作権の帰属をだれにするかということにつきましては、これは世界でも大きな問題になっておるところでございまして、これはアメリカにおきましては、映画の著作者は会社であり、同時に著作権は会社が持つという規定を持っております。それからヨーロッパの国におきましては、それぞれ監督等が著作者であるけれども、その映画の著作権は、映画製作者に譲渡したものと推定するという制度と、それから法律によってその映画製作者が持つ、こういう規定を持つ国と二つございます。条約におきましても、ストックホルムの改正条約におきましては、映画の著作者は、映画製作者が他の国において権利を行使することについて反対することができない、こういうような規定を置いておりまして、映画の著作者の著作権は、いろんな形はございますけれども、映画製作者が集中的に行使するという制度を定めておるところでございます。  ここで、その理由は何かということになりますと、この映画の著作物につきましては、映画の著作物の著作者が多様性を持っておるということ、それから映画の製作における映画製作者の寄与が大きい。それから映画の利用を容易ならしめるために権利を集中させるということ、こういうようなことがございまして、映画の著作物の著作権は映画製作者に帰属する、こういうことを法律で定めるということでございます。私が、この前法定譲渡ということばを使いましたのは、国際的にそういうことばが出ておりまするので便宜使った意休でございまして、リーガル・アサイメント・システムということばがございますので、それを翻訳して申し上げただけでございますが、その辺、ここにございますように、そういう映画の著作物については、著作者は人格権というものを持つけれども、著作権という経済的な利用権については、これは会社に帰属させるという考え方に立っておる、こういうことでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 映画の場合は、先ほどの解釈の皆さんのただし書きのニュースとかなんとかいうのと違って、監督はだれ、俳優をずっと名前を書いて、一人一人の著作者の人格を字幕に書いておる。したがいまして、観客からいいますと、じょうず、へた、あるいはその俳優の私的人格までその映画をもって評価する者もある。ベッドシーンでもやると、何だということになり、週刊誌までにも載るものである。そういう性格であると私は思うので、映画の著物作についての著作権者というものは、その人格権というものがつきまとっていると思うのです。一般の国民からいっても、その俳優のじょうず、へた、人格の評価までその映画を通じてやるわけです。したがいまして、私は、ことに日本人の心理学的な構造からいっても、映画著作者について、二十九条のように、映画製作者が参加するということだけで映画製作者に著作権を帰属させる規定は、まことに実態に合わないし、映画会社がどんな風俗を害するような低俗な、倫理的に低い映画を出しても、映画会社は損をするか得をするかだけなんであります。とにかく多くの者を集めて金もうけをするような映画会社に対する責任で、いわゆる危険負担だけを置いて、その映画会社に対して毀誉褒貶というものはないと思うのです。それでこの二十九条において推定されておる。そして権利は会社のほうに移っても、毀誉褒貶は、そこの字幕に載っておる俳優さん方に全部行っておるじゃないか。そういう現実を考えて、二十九条で軽率に映画会社にその著作権を帰属せしめるということは、まことに実情に合わない。著作権という人権的性格を持っておる特別のこの権利に対しては、こういう二十九条の規定は不適当である。私は痛切にそう思います。結果として、一つの映画会が資金を出して製作をするのでありますから、映画会社とそれから著作権者の間における契約その他によってこういう慣行が事実精工できておるということについて、私は異議をはさむこともなければ、それが常態であることも認めます。しかし、法律で、国家の権力によって毀誉褒貶を受ける監督から、俳優から、その人の生涯を棒に振るような悪口も映画によって言われる立場に立っておる者から、こんな推定において著作権を奪おうというのは、大体はなはだしく人権にも反するのじゃないか。文化庁長官の御意見をお聞きいたしたいと思います。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 この規定は、前の映画の著作者はだれであるかという規定にございますが、「監督」、「美術等」と書いてありますが、実は「等」ははなはだ多いのでありまして、たとえば照明であるとか、かつらであるというようなことも、これは実際に、創造的に、全体的にその映画に寄与しておるという者がたくさんあるので、著作権者としての代表をどうするか。先ほど次長が説明申したとおり、その国その国の習慣がございまして、アメリカのやっておる万国著作権条約では、監督その他の者と会社との関係は雇用関係とみなす。その場合に、著作権は会社がとるというのが習慣でございます。またベルヌ条約の加盟国の中で最も有力なフランスでは、会社というものはございません。またイギリスでは、会社という名前はありますが、大部分はアメリカの資本により、アメリカのプランによりやっておりまして、ただ名義だけイギリスの会社の名前になっておるというような状態でございまして、各国それぞれ違った立場をとっております。日本の場合は、会社という組織で映画をやっておりますから、アメリカ的な、つまり万国著作権条約的な解釈も入っておりますし、またこの著作権者の中のものが入り得る余地も残しております。たとえば日本では五社ございますが、現在独立プロがたくさんございまして、独立プロの場合には、それが必ずしも会社というものではございませんから、そのつどプロデューサーというものが著作権になったりあるいは監督がなったりする場合がございまして、日本でも、制作者、つまり会社の主要な人物がプロデューサーとして著作権を持つ。会社の場合はそうなっておりますが、必ずしもそうきまっているわけでもない。独立プロの場合などは、そのつど、だれが著作権者かというのは、その製作者、製作に関係した者たちの間できめておるのでございまして、毀誉褒貶の場合は、私は何とも申し上げられない。そういう低俗むざんなるものをつくった俳優がどうであれ、監督がどうであれ、そういう者も非難を受けるし、会社自体が非難を受けておると私は思います。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 長官のお話を聞いておると、逆に、こういう国の権力によって映画会社に著作権が帰属するという規定をおつくりにならぬほうがいいという説明に受け取れるわけなんですがね。日本の場合については、映画会社に帰属するようなことが必ずしも定則にはなっていない。いろいろのプロダクションの中でいろいろの著作権のあり方があるのである。いわゆる監督その他の者に著作権が帰属するというふうな慣行もあり、さまざまだ。そのさまざまな現実の上に立ってきておるのは、著作権の特質から出ておる、人格的な影響の強いものであるから、創作物であるから。それをしかし、今度はこの法律によって一律に国家が映画会社に著作権が帰属するという、いわゆる次長のことばによれば法定譲渡のような規定を定めることが、不適当だというお答えのように私には聞こえる。それから毀誉褒貶というものは、会社も受けるかもしれぬが、会社はそんなもの平気なんです。金もうけさえできればいいのでしょう。どんな風俗壊乱の映画でも、多く取れれば喜んでおる。それが経営の本質でしょう。そんなものは問題にしておりませんよ。撮影の結果を見た俳優からは、これ以上してもらいたくないという意思表示をしても、そういうものを無視して幾らでも上映を続けていける法人と、具体的に、人格的にいろいろ非難をされる俳優の立場というものを考えたときには、著作権としての人格的に影響を与える主体は、やはり著作者、俳優であり、その他の直接創造に参加した者なんですから、これから権利を剥奪するような規定はおかしいのではないか。ことに日本人の心理構造からいって、ヨーロッパの人々よりもっと個人的な評価というものを強く考える日本の社会構造、精神構造からいって、この法律は不適当であると私は考えるのであります。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 ここに映画の著作者の規定がございますが、これはことばが同じ音で恐縮でございますが、映画制作者というのはプロデューサーのことでありまして、特別にプロデューサーを置くか、あるいは会社の社長がなる場合もございまして、それはここに製作に参加することを約束しておるとき——たとえば製作者永田雅一氏と書いてある場合には、永田雅一氏をプロデューサーを兼ねて著作者にするというわけでございまして、必ずしも会社の社長が著作権者であるとは限らないのでございます。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 まず第一の点は、第十六条にいっておりますところの制作者と、いわゆる映画会社を含めるところの製作者とはちょっと違うわけでございまして、この第十六条でいう意味は、企画に相当するような、いわゆるプロデュースといいますか、創作的な意味のプロデュースという意味で、これは著作者ということになるわけでございます。  ところで、この映画製作者というのは何人であるかは、第二条の第十項で、先ほど御指摘になりましたが、映画製作者の定義がありまして、ここでは「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者」——これは衣へんがついておりまして恐縮でございますが、これはメーカーというような意味での製作者ということでございます。したがいまして、この映画の著作者は第十六条に規定するものでございまして、この人たちは同時に著作者人格権を所有するわけでございます。いわゆる著作者たるの栄誉といいますか、そういうことに関連するところの著作者人格権というものはあくまでも保有するわけでございます。ところが、第二十九条でいっておりますところの著作権というのは、経済的利用権でございまして、これは他人にも譲渡できるような経済的な権利でございます。そういう経済的な権利は、映画の製作に発意と責任を有する者に与える、これは普通のメーカーということでございます。したがって、著作者は人格権を持つ、そして製作者は経済的利用権を持つ、こういうように考えておるところでございまして、これはイタリアとかオーストリアとかいう国にも、こういう立法例があるわけでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 文化庁長官はプロデューサー、あなたはメーカーということになったが、どっちですか。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 セイサクシャという字が、製造の製とそれから衣のない制とございまして、会社のほうはメーカーでございます。それから著作者と申しますのは、衣のないプロデューサーのことをさすのであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 その解釈はわかったのですが、二十九条の適用されている映画製作者というのは、プロデューサーでなくてメーカーである。長官は、そうでなくて、プロデューサーとぼくに説明されたのですが、速記録に載るから、どっちかに統一して訂正してください。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この映画製作者には、単に会社ではなくて、独立プロなどでその映画に発意と責任を有するところのものは、個人といえども入るわけでございます。そういうものについて、その人が同時に製作者である場合もありましょうし、制作者である場合もあるというような関係でございます。したがって、その映画の製作について企業的な責任を有し、その製作について発意を持つというようなものがメーカーであって、それは個人であると会社であるとを問わない、そういう独立プロのものが、たとえば五社を通して配給される場合の配給権などは、まず第一段には独立プロの映画製作者である者が持ち、そしてそれを行使して配給をするという関係になるわけでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 文化庁長官の答弁を少し弁護しながら答えているものだから、よけいわけがわからなくなる。二条の十号にいう「映画製作者」の「製作」は衣が入っている。そしてここに定義をくだしてある。あなたはこれをメーカーと言われた。文化庁長官は、私の二十九条の解釈について、この「映画製作者」はプロデューサーであると言ったのです。ところが、二十九条の映画製作者の製作の製には衣が入っている。したがって、二十九条の映画製作者は第二条の十号に相当するものであって、法人であろうが個人であろうが、これはプロデューサーではないのだ。そうでしょう。だから、明らかに文化庁長官の最初のほうは間違いなら間違いとして訂正しておかないと、わけがわからぬじゃないですか。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 また回答が間違うといけませんので、次長から……。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 文化庁長官自身が答弁してください。速記録を削ってもいいですから……。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 私の申したのは、メーカーと映画のプロデューサーと——自分もプロデューサーをしたことがございますので、ついプロデューサーと言ってしまったので、法律用語上のあれは間違いかもしれません。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 用語の間違いではなくて、重要な解釈論議をしているのですが、一応あとまた速記録を読んで整理をしてください。そのときまたお聞きをすますから。  そこで、先ほど財産権として次長が説明をされた。あなたは人格権と財産権を二元論的に法構成があるということを前に説明されたので、その点についても私は論議があるけれども、保留しておきます。この著作物についての著作権者は、ここに創造参加したものである。そして憲法の二十九条には、公共の福祉に沿う場合については、そのときだけ財産権を制限できるというのがある。二十九条は、その憲法との関係を見ると、この著作権という財産権も、製作者に帰属するという、本来の財産権者を法律によって他に移譲する規定をしておる。     〔委員長退席、久保田委員長代理着席〕 このことが公共の福祉に沿うものでなければ、憲法違反である。この二十九条の場合に、メーカーに対して財産権を法律の規定によって移譲するということは、公共の福祉に沿うときの場合にどこから見てもなってない。したがいまして、憲法違反だという二十九条の重要な解釈論議がなければならぬ。そういう研究をしてこの規定ができておりますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この二十九条は、権利の主体がだれであるかということを定めるわけでございまして、権利の内容を定めるものではない。だから、憲法の第二十九条の二項の「公共の福祉に適合するやうに」という、そういう観点ではなくて、財産権の主体がだれであるか。そもそも映画の著作物については、映画の製作者が発意と責任を有する意味において大きな寄与をしておる。そういうことからして著作権者がだれであるかをきめる、そういうことでございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 おかしいでしょう。第二十九条をもう一度見てください。「映画の著作物の著作権は」——これは十六条に「映画の著作物の著作者は」ということを書いて、十六条に明確に規定をしておる。これはメーカーは含んでいない。著作権者はメーカーでない。これは法構成上、明確に出ておる。したがって、財産権の主体は、ここでいう十六条に相当する著作権者である。そしてそれを受けて、二十六条は著作権という財産権をメーカーに渡す規定なんである。そうでしょう。だから、あなたは法定譲渡なんということばを使っているんじゃないですか。だから、憲法の二十九条からいったら、公共の福祉に関係ないと言われたとおりに、この二十九条の規定は、憲法違反でしょう。あとは、また次に順序があるそうですから、理事会の申し合わせを尊重してむずかしい理屈は保留しておきますけれども、そういう疑義がある。厳密に論議をすれば疑義がある二十九条を規定してまで著作権法を乱すようなことはおやめなさい。現実には、著作権者とメーカーとの関係においては一つの慣行が成立しておるのだから、憲法違反の論議をされるような二十九条を持ってくるのはおやめなさい。この著作権保護については、あってもなくても少しも支障を来たさないのだ。あればこういう問題が出るのである。  私は、また問題を提起しておきます。理事会で論議をされるときには私の私見も述べますから、もう少し明快に皆さんのほうもこの二十九条の矛盾というものを御検討されて、この国会開会中に明らかにするように研究をしておいてもらいたい。これをやるとまた二時間も三時間もかかるから、一応これはこれくらいにしておきます。これは打ち切ったのではありませんよ。  次に、時間がないので、写真のことについて触れておきたいと思います。五十五条ですね。五十五条の写真については、公表後五十年という規定をしておる。一般の著作物については死後としたのだが、これは公表後五十年にしたということにおいては、差別的な取り扱いを受けておる。だから、写真関係の人々からはいろいろと異議が出ており、また経営者のほうからはあまりに保護し過ぎるからこれでいいと、いろいろと論議が出ておることは、私は承知をしております。私は、そういうことを離れて、著作権法という法律の性格からいって、同じく死後五十年——「死後」という一定の基準をくずしてはならないという考えなのであります。公表前において保護されないということは、著作権の性格からいって適当でないので、何カ条かに公表前といえども著作権として存在し、保護されることを規定されておる。この写真の場合にだけ保護の起点を公表ということにされたことについては、原則論として、思想として私は認めるわけにはいかない。技術的に当分の間どうかというふうな一つの法規定ならばわかるのだが、思想としてこういう規定をすることは認めるわけにはいかない。したがって、私は現実を無視して観念論はしないけれども、この規定の指向するものについては非常に矛盾がある。どういうふうにお考えになっておられるのか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 五十四条で「公表後五十年を経過するまでの間、存続する。」と書いてございますが、その始まる時期は、第五十一条で「著作権の存続期間は、著作物の創作の時に始まる。」ということでございますから、創作のときから公表のときまでの期間と公表後五十年というのが保護期間でございますので、写真についても、もちろん未公表のものについても保護は与えられます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 そうすると、どうしてこういう規定になっているんですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 現在、写真の著作物の保護期間は、発行後十三年ということになっておるわけでございます。そういうことで、保護期間というものを考える場合に、やはり現行法との関連、いわゆる急に非常に大きく延びるとか、そういうようなことの経過的な関係も当然考慮しなければならないということが一つございます。  それから国際的に見ましても、ベルヌ条約におきましては、一九四八年のブラッセル規定まではそれぞれの国が自由に定めてよろしいというようになっておりまするし、ストックホルム改正条約におきましては、製作後二十五年が最低限であるというようにいたしておるわけでございまして、各国の立法例も発行後あるいは製作後というような発行時または制作時を起算点としておる国が相当数ございまして、むしろ死後起算よりは、そういう製作時あるいは発行時起算をしておるところのほうが多いような状況でございまして、その場合も二十五年というようなところもございますし、二十年というようなところもあるわけでございます。それから写真というものの性格からして、その記録としての利用をなるべく早く社会に開放したい。写真というものが報道的といいますか、記録的な性格を多く持っているところは、御承知のとおりでございます。そういうようなことからいたしまして、現行の十三年を五十年に延長するということが、現在の段階においては最も適切ではないだろうか。写真家のほうはもちろん死後起算をいわれますし、出版社側のほうは発行後二十年でよろしいというような意見がございまして、審議会で再三にわたり審議いたしました結果、一応公表後五十年ということがいいだろう。これは何も写真だけには限らないわけでございまして、映画につきましても公表後五十年でございまして、映画につきましても、先ほど申し上げましたように、著作権者は単に会社に限らないで、個人が著作権者である場合もあるわけでございますから、その場合におきましても、公表後という起算をいたしておるというような関係でございます。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 急に保護が厚くなるからとか、国際関係のいままでのいろいろの写真の保護についての一般のレベルというものを中心にこれの規定ができた、その説明は説明でいいと思う。しかし、現在、写真そのものの芸術的な要素もだんだん高まってきておるし、著作権保護の趣旨というものは、やはり著作権を保護する方向でその発展をはかる大目的からいって、他のものと差別するという原則を変えるべきではない。私は、保護を急に厚くするということがいろいろの関係において問題になるならば、そういうものは経過規定なんですから、附則その他で当分の間というような、思想は認めていろいろなことを考えるというならば、まずあなた方と論議をする余地があるけれども、原則的に他の著作物と写真を差別すべきであるという原則を本則の中に定めるということは、私はどうしてもうなづけない。この点についてももっと論議を深めていきたいと思いますけれども、きょうは著作権法の眼目に照らしながら最大の矛盾を感ずる点を二、三ここに問題提起として取り上げて、御質問申し上げた。文化庁においてもまだ答弁について十分に意思統一をされておらない面もあるようでありますから、次の機会においてまた私は審議を続行いたしたいと思います。また、その間いろいろと意見交換もすることを、私は一向拒否いたしません。本日はそういう疑問の点を提起をする意味の質問をして、一応あとは保留にし、本日の質問は終わりたいと思います。

久保田円次自由民主党

○久保田委員長代理 有島重武君。

有島重武公明党

○有島委員 前々回の六十一国会で審査いたしましたとき、問題点となってそのままあまり答えがはっきりしなかった問題がございますので、それから入っていきたいと思います。あれから一年たっているわけでございますから、そちらでもたいへん検討してくださったんじゃないかと思っております。  いま質問を聞いておりましても、第一条のこの法律の姿勢そのものが非常にあいまいなものを含んでおるんじゃないかということであると思いますが、第一条の書き方そのものがもう少し整理されないものかということを、この前申し上げました。それは非常に望ましいことなんだけれどもというようなお話でございましたけれども、そういった点で検討してくださったのかどうか、その点を伺いたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この第一条につきましては、さらに検討を加えたわけでございますが、この一条の定め方は、三段になっておるわけでございます。第一段は、著作者の権利とこれに隣接する権利を定めて、この法律の直接の内容を明らかにいたしているわけでございます。その定める直接の目的は何かというと、著作者等の権利の保護をはかることであるが、同時にこれらの文化的所産の公正な利用にも留意しつつ定めたものであるということを明らかにいたしまして、最後に、もって文化の発展に寄与することを目的とする、こういう三段構造になっておるわけでございまして、著作権法の目的としては、検討いたしましたが、このように表現するのがやはり適切ではないか、こういうことで、前回の法案と同一の内容になっておる次第でございます。

有島重武公明党

○有島委員 いま三段と言われましたけれども、これは著作物についての著作権の主体と内容ということが含まれているわけでございましょうね。そして著作者の権利を保護するということが一つと、それから実演、レコード、報道に関して隣接権というものの定義をはっきりして、それで隣接権者の権利を保護する、そういうことですね。それから著作権と隣接権の保護にあたっては、これら文化的所産の公正な利用に留意する、そういうことになりますね。それからそれをひっくるめて、そういったものを運用にあたっては、総体的に文化の発展に寄与することを目的とする、そういうふうに解してよろしいですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 いまおっしゃいましたこととほぼ同じでございますが、この「著作者等」という中には、もちろん著作者以外の隣接権者がこの「等」の中に入っておるということを御理解願いたいと思います。なお、最後におっしゃいましたが、運用にあたって文化の発展に寄与するというお話でございましたが、むしろこの「もって」以降はいわば究極目的でございまして、この法律の目的は、権利を定める。その権利を定める意味は何か、そして究極の目的は何か、こういうような意味で申し上げた次第でございます。

有島重武公明党

○有島委員 これはことばの問題だけじゃなくて、この著作権法をめぐってのいろいろな議論がこの辺から出てくると思うのですけれども、ここには著作権と著作権者、それから隣接権と隣接権者、その営利的な利用ということが陰に含まれているわけですね。それからもう一つは、文化の発展という問題が入るわけなんです。こうしたものの関連性をここでいっているらしいのだけれども、その重点がどこいら辺にあるのか。ほんとうにこれは受益者の主体がこの法律のどこにあるのか。その論議であったと思うのですよ。この法律で一番の受益者はだれになるのか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この法律の第一の受益者は、著作者なり隣接権者の権利の保護をはかること、これによって経済的権利等も保障しつつ創作意欲を高めていくということにあるのが、第一義でございます。同時に、先ほど来大臣がおっしゃっておられますように、これらの文化的所産が公正に利用されるということをも考慮しなければならない。したがって、権利といえども保護期間も永久ではないといったようなところが、公正な利用というところから出てくるわけでございます。そして国民という立場から見ますと、著作者を保護することによって、いい著作物が盛んに出てくるということによって利益を受ける。同時に、保護期間を経過したもの等については、これが自由に利用できるようになる。そういうようなことによって受益者というものは、まさに国民に還元されてくるわけでございます。そこで、先ほどお上げになりました中間の、いわゆる著作物の直接利用によってある種の利益を上げておる者、出版者とかあるいは映画製作者とか、そういうような者が出てくるわけでございまして、しかし、これらの点について書いておることは、むしろ著作者等の権利を擁護するためのものである。たとえば出版権というような規定を置いておるわけでございますが、出版権に関する規定は、著作者から出版権を受けて、そして独占的な出版権を持つことによって出版者の地位を守ることではございますけれども、これが同時に著作者の権利に還元されてくる、こういうことでございます。中間の著作物の媒介手段について言及しておりますことは、これは著作者等の権利の保護に対する一つの方途でございます。したがいまして、その辺のことにつきましては、公正な利用ということに直接には大きな関係がないということでございます。

有島重武公明党

○有島委員 そうすると、いまのお話ですと、結論的には、それを利用していくというところには重点がないのだ、著作権者及び隣接権者の保護ということに一番の重点があるのだ、こうきめていってよろしいわけですね。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 そのとおりでございます。

有島重武公明党

○有島委員 文部大臣に伺うのですけれども、この前のときに、もう少しだれが読んでもはっきりわかるような表現のしかたをお考えになったらばどうかと申し上げたのでございますけれども、いまの時点での御感想はいかがですか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 ただいま次長から申し上げましたし、また先ほど私が申し上げましたとおりでございまして、第一義的には、やはり著作者の権利並びに隣接する権利というものを保護するということに重点が置かれたということでございます。でございますけれども、やはり文化的所産の公正な利用云々、そしてその結果としてはそれが文化の発展に寄与するということを書きましても、その第一義的意味というものは失われないというふうに私は考えるわけでございまして、このままでいいというふうに思います。

有島重武公明党

○有島委員 私は、いままでここでもこれだけ議論がこの前からずっとあったのは、みんなこの第一条の読み方そのものにかかわっているのではないかと思うのです。もう少しはっきりしてあれば、時間的にもずいぶん能率がいいのではないかと思いますので、それで申し上げておったのですけれども、なお、第一条の定義のところの書き方については、御検討あっていいのではないかというふうに私は思います。  それからもう一つ問題になりましたのは、文化の発展に寄与するといっても、抽象的になるかもしれないけれども、軍国的な文化というようなものもあれば、商業主義的、営利主義的な文化というものもあるわけですね。それが究極目的だといたしますと、非常に営利的なほうにぐっと引っぱられていくというおそれが十分あるのではないか。そういうことで、またこの場での議論の一つの焦点になっているのでないかとは思うのです。こうした問題の紛争は文化庁長官が責任をもって処理されるのだと思うのでございますけれども、文化庁長官の御所見を承っておきたいわけです。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 ただいまのお話で、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」というのがだいぶ問題のようでございますが、この中の「公正な利用」というのは、営利事業者というものよりもむしろ国民というのでありまして、そのあとのほうに業者の問題というのはいろいろ種類によって区別されている。第一条は、私は著作権者が本を出しました、それを一般の読者が読むということが、これが文化的所産の利用という意味で、業者が少し入っているように思われる、業者を擁護しているように思われるということは、私は書き方が悪いとは言えない。そのことはもっとこまかくあとに出ております。出版なら出版の問題、映画なら映画化の問題というものが出ております。  それから、著作権をめぐっていろいろ紛争が起こり得るという場合に、著作権を持ち出して著作者の権利を擁護するというところに、紛争が起こりました場合にはそのような立場を堅持するつもりであります。問題は権利が侵害されるということで、利益の追求というようなものに対しては、私は別個の問題だと思うのです。

有島重武公明党

○有島委員 私の伺うのとちょっとはずれたことだったと思うのでございますけれども、いまの私が伺いたかったのは、一番最後の点でございますね。「もつて文化の発展に寄与する」そちらのほうに話があったわけでございます。そのことはまた伺いますけれども、いまのお話の中で、ちょっと私は気になるのは、ヒットラーもあるいは共産主義も、みな国民の名においてやってきたわけですね。それで、そこら辺にみんな疑惑があると思うのですね。与党で言っていらっしゃる国民のためだというのと野党各党が言っている国民のために、それがズレがあると思うのですね。ですから、営利主義といいますか、商業主義力の強いものから人間の創作そのものを守っていくという基本精神が貫かれていかなければいけないのじゃないかと私は思うのですけれども……。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 全く同感でございます。

有島重武公明党

○有島委員 しかも今度は人間の創作を社会的に奉仕さしていく、そういった面もあるわけでございますね。その重点がどちらにかかっているか。いま同感でございますとおっしゃったおことばの中に、社会的に奉仕さしていくという面と、それから人間の創作を守っていくということ、これは一つ一つの場合になってみると非常にむずかしい問題になるのですけれども、基本線を今後もそういうふうに置いていくということがこの場ではっきりすると、だいぶあとの論議が楽になると思いますけれども、もう一ぺんお願いします。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 著作物の権利を保護するということが第一義的であると申しました意味は、著作者の創作意欲というものを大切にしようということだと思います。そういうことを大切にしなければ、自由な創作活動というものはできないのだということが大前提だと、私は思うわけでございます。しかし、その著作物というものが、国民のためにあるいは次の創作者に刺激を与えたりあるいは創作活動を啓発したりする力を考えました場合には、その文化的所産というものの利用というものを考えなければそれは出てこないと私は思いますし、しかし、それがいまお尋ねのように、不公正な形において、ある一つのものに対して奉仕をするというような形において、間違うおそれはある。だから、公正な利用ということが申されておるわけでございまして、第三段目の文化的寄与ということについてのいろいろの御心配があろうと思いますが、これこそ私は、言論の自由というか、あるいは発表、表現の自由といいますか、そういうものが確保されるという前提がある限りにおいては、あるいは公共の福祉とかあるいは良俗とかいうようなことの制約内においては、先生のお気づかいになる点は心配をされなくてもいいのではなかろうか、こういうふうに私は思うわけでございます。

有島重武公明党

○有島委員 次に行きます。定義のことでございますけれども、この定義でもって、やはりここでもって問題になりましたことは、そういう本質的な定義と便宜的な定義と二つあって、それが混乱しているんじゃないかというふうに思うのでございますけれども、たとえば第二号でございますか、著作者というのは「著作物を創作する者をいう」というのは、非常に自明な定義なんですけれども、十番目の映画でございますね。いまのプロデューサーがきめがあるかという話がありましたけれども、やはりここではこうきめておくというふうなやや便宜的なきめ方じゃないか。それは当然あってもよろしいんですけれども、そういうふうに了解していったほうが、やはりこれからの論議の上でもって楽なんじゃないかと思うのですけれども、いかがですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 第二条におきましては、この法律において解釈上疑義のないようにしようということで、いまおっしゃったようにわざわざ定義するまでもないことまで親切に定義をしておるというところで、いま御指摘のようなところもあるいはあろうかと思いますが、要は、法律でございますので、解釈上疑義をなくしたいということで、できるだけはっきりする、こういう方針でございます。

有島重武公明党

○有島委員 いまの次長さんのお話ですと、非常に親切にやってやったんだというのですけれども、その親切が、そういう本質的なものと便宜的なものがごちゃまぜになってこう出されておりますと、やはりそこに混乱が起こってくるんじゃないか、そういったことは知っての上でやっていただいたほうが、話が楽なんじゃないかと思うのですよ。いかがでしょうか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この定義によりまして、その実質的な内容をはっきりさせるというものと用語の定義を明らかにするというようなものが、具体的にいえば両方入っていることは事実でございます。ただし、そうかといって用語の定義を明らかにしないというわけにもいかないわけでございます。それが法律上第二条の定義の中に一括してあるということは、先生のおっしゃるとおりでございます。

有島重武公明党

○有島委員 文部大臣、こういったところも、やはりもう少しくふうがあってもいいんじゃないかと思うわけでございます。これも論議がずいぶん省略されるのではないかと思うのです。これは別にお答え要りません。  それから、これもこの前私は問題提起だけしておいたのでありますけれども、創作、映画の場合に限らず、これからの創作活動というのは、昔と違って大ぜいの人たちが参加してやることが多いんじゃないか。多くの人格が参加していく場合に、そのオリジナリティの所在の配分はどうきめるかということがここでいろいろなふうに規定されておって、そこであの場合この場合と、これも本質的な問題と便宜的な問題と混乱しているのじゃないかと思います。それでもう一つ、この前問題を提起しておきましたのは、創意ということと技術ということですね。それでイミテーションがこれからたくさん出てくるのじゃないかと思うのです。創意というものをどうこなしていくか。たとえば作曲なんかの場合でも、流行歌を聞いておりましても、曲名は違うのだけれども、ほとんどよく似ている。メロディーが非常に似ている。これはだれでもよくわかるわけなんですけれども、発想が全く同じものである。ただちょっとメロディーを変えたものであるとか、そういったような場合がございます。今後もいよいよますますそういったことが多くなるのじゃないかと思うのですよ。それで創意ということに関して申しますと、ある人が五年も八年もかかって、いろいろ失敗をしながら、貧乏しながらつくって、それを今度そっくりそのまま似たようなものをつくれといって現在ではつくっておるはずであります。そうした場合の守られ方というのが、この法律では保障されるかどうか。この辺はどうなりますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 著作権というものは、言うなれば非常に広いことばでいいますところの複製を禁止して、その複製についてその創作者が権利を持つということでございます。したがって、そのアイデアの保護というところに至らないわけでございます。アイデアの保護ということになりますと、これは工業所有権の関係で、たとえば美術の関係でいけば意匠法とかそういうようなところで考えるということでございます。したがって、いま御指摘のようなものが相当あろうかと思いますけれども、ここで、その第二条で著作物の定義をいたしておるわけでございますが、「創作的に表現したものであって、」というのでございますけれども、これは作者が全くのオリジナリティのものというわけではなくて、そこに作者自身が苦心をしてやったというところにおいて創作的に表現した、こうなっておるわけでございます。したがいまして、いまお示しのような問題につきましては、それが全くの模倣であるとか、あるいは盗用の関係であるということが非常に明確でない限りは、アイデアを盗んだというのはこの著作権法では保護できない、こういうことでございます。

有島重武公明党

○有島委員 文部大臣は、先ほど創意くふう、そうした創作意欲を大切にすることが大前提だと言われました。そういたしますと、これからの世の中のことを考えていく場合、この法律では文部大臣のおっしゃった大前提が守られないということに、いまの次長のお話ではなるのじゃないか。そうなりませんか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 私が申し上げましたのは、著作権を守ることによって自由なる創作活動を豊かにするということを申し上げたわけです。ですから、その大前提という意味は、あくまでも著作権を保護するということ、そしてそのことは結局自由な創作活動を促すという結果をもたらすということを申し上げたわけでございます。

有島重武公明党

○有島委員 さっきの例なんかで申しましても、あるいは写真なんかでもいいです。絵でもいいです。一つのアイデアがある。それをずいぶん苦労してつくった。イミテーションが出る。イミテーションの技術は非常にあって、どっちがもうかるかというと、まねしたほうがどんどんもうかっている世の中です。そういったことについてはこの著作権法では全然関与できないとなりますと、この著作権法では、そうした創作意欲を助長していくということははなはだ不十分だといわれてもしょうがないのですか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 先生のおっしゃるのとあるいは食い違っておるかと思いますが、次長から補足をさせますが、私が言っておりますのは、あくまでも著作物でございます。著作物というのは、やはり創意くふう、それによってできた作品だということなんで、著作物は権利として保護するということで、別に矛盾はしないのじゃないかというふうに思います。その著作権が守られるということが大切なんだということです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほどちょっと言い足りなかったところを補足させていただきますと、たとえば模倣、盗用という関係がなければ、いわゆる著作権侵害とは考えられない。しかし、故意に模倣しようとしたということが明らかに証明されれば、これが一種の複製という関係になるということで著作権で守られるところはありますが、ただし、そのアイデアというものが、全くそのものとしてでなくて、中身のアイデアを盗んだというところになりますと、これはなかなか複製の関係では保護できない。ただし、大臣がおっしゃっておりますように、本を書いた、その本が複製されないようにする、その複製については著作者に権利を与えるということが、やはりいい著作物をつくろうとする意欲を刺激するわけでございます。したがって、著作権法でいける部面と、著作権法ではなお足りないところのアイデアの保護という問題は、これは工業所有権とかあるいは不正競争防止法とか、そういうような別個の法体系というものも必要である。しかしながら著作権法はその中で重要なる地位を占めておる、こういうことだろうと思います。

有島重武公明党

○有島委員 結論として、別な法体系がなければ、そういった創作意欲全部を保護、助成していくということはちょっと無理だということになりますと、この著作権と同時に出せということは言いません、これはもう少し時を待ってもいいと思いますけれども、その自分の著作物に対して、この点は自分のオリジナルとして登録しておきたいのだということが可能な、そういう法律というものがまたできなければならないのだ。そうでなければ守られないのじゃないか。現実には、初めつくった人のほうが埋もれてしまって、そうしてイミテーションでもってもうけているほうが多いわけですよ。そういったことが、これからもどんどん問題になってくると思います。  それから翻訳と翻案ということがございますね。それからもう一つ、やや関連いたしますけれども、報道写真の問題とか芸術写真の問題とかいうようなことがございます。このごろ雑誌なんかに出ている写真というのは、単なる報道ではない、かなりいい写真がたくさん出ている。それでそういったものをとらせる場合に、雑誌社のほうも非常に苦労して、いわゆるプロデューサーみたいなものがいるわけでありますが、そうしてつくる。そうすると、写真というものは一枚とるのではなくて、一本か二本、七十枚くらいとってしまうわけです。そしてそこに出た写真とほぼ同じものが、今度別なところにまた売られておる。そういったようなことは、これは逆な立場ですよ、今度は写真をとった人が両方に売ってしまうということは、この法律ではどうにもならない問題ですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 法律問題といたしましては、契約の問題になるわけでございまして、わが社だけにしか使わせないというような契約を結ぶことは可能でございます。したがって、その場合にそれに違反して他の社に出した場合は、これは契約違反の問題ということになるわけでございまして、それは直接著作権法の問題ではなくて、その原板等の使用上の債権上の問題になるということでございます。あるいはさらに、それは当然徳義上の問題としてそういうことはすべきじゃないという、一つの徳義上の問題にもなり得るかと思いますけれども、著作権法上は直接そういう問題はありません。

有島重武公明党

○有島委員 いまのお答え、同一のものを使うんだったら、それは問題が明らかだと思うのです。やや角度が違っているけれども、まあ何というかアイデアは同じものである、そういった場合もかなり起こっているわけなんです。こういったことは、やはりこの法律では守られないわけですね。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 言うならば、それは契約自由の問題なりあるいは徳義上の問題でございますので、この著作権法でそういうことをしてはいけないということをいうことは、逆にまた契約の自由をも阻害するわけでございまして、それは自由な領域にしておる、こういうことでございます。

有島重武公明党

○有島委員 そういたしますと、いまの問題を結論して、契約のしかたということが今後いろいろなふうに問題になってくると思いますね。そうすると、契約のしかたで力関係が働いてくることが十分予想されるであろう。そうなると、その契約のしかたそのものについて、いわゆる特許法に似たようなそうした法体系がさらに必要な時代が来るんじゃないか。そういうことを予想されてこれを製作なすったか。それともいままであまり考えておらなかったか、あるいは今後そういったことを少し検討なさる御用意があるかどうか、その辺だけ伺っておきます。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この法案におきましても、あるいは現行の著作権法におきましても、いわゆる出版権というものの規定がございまして、本を出す場合に出版権をある会社に設定して出版せしめるという方法がございますけれども、そのことについてはこの法律で規定をいたしておりますけれども、そうではなくて、出版権を設定しないで、この本をあなたに出してもらうといって会社との間で契約を結ぶ、そういう場合がございます。それは出版権設定契約ではなくて著作物利用契約というものがございまして、そういう著作物利用契約についてある種の標準的なものを定めるようにするかどうかというようなことも、著作権制度審議会でいろいろ御審議をされたわけでございますが、その問題についてもなおまだ問題点があるということで、書物等の出版につきましては、いわゆる法律上は出版権に関する物権的な権利を設定するという関係においてのみ規定をして、債権関係において著作物を利用せしめる契約についての何らかの規定を設けることはしないということになったわけでございまして、そういう問題は将来の課題にはなるだろう、このように考えておる次第でございます。

有島重武公明党

○有島委員 長官に伺います。第一条の目的でございますけれども、この法律は、著作権と隣接権を定めて、公正な利用に留意しつつ、文化の発展に寄与するということでございますけれども、この第一条の目的を果たすためには、この法律でははなはだ不十分である、また別な法体系が必要な場合も起こるかもしれないということでございますか。そういうふうに私はいまの話を受け取ったのですけれども、長官の御所見と、それから今後さらにこの補助的なと申しますか、これらの文化の進展に伴ってのいろいろなケースができてきますけれども、そういった技術発展とそれからイミテーションの問題、そういった問題についての御用意がおありになるかどうか、そのことについて伺っておきたい。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 いまのイミテーションの問題というものは、第一条に示したように、文化の発展とか、あるいは先ほど大臣が申したように創造的寄与というようなものを問題にしたので、イミテーションとか盗用とかいうような悪意のものに対して著作権はあくまで守りますが、その処罰問題とかいうようなことは、この著作権法では別のやり方でやらざるを得ない。また、今日きまってないものはたくさんあるのでございます。たとえばカセットのビデオ、ああいうようなものがこの著作権をやっているうちにできましたし、今後これがどういうふうに発展していくかということも著作権上の大きな問題で、これはただいま研究中であります。ですから、それ以外にもいろいろと出てくるだろうと思います。たとえば私、芝居の演出をしておりますが、演出権というものを隣接権の中にどこまで確立し得るものかということもこれからの大きな研究の課題だと思っておりますし、われわれ自身も、どういうようにそれを証拠立てるか、自分の発意である、これは創作であるということ、オリジナルなものであるということの法律に通用するような証明法、これはなかなかむずかしい問題だと思うのです。ですから、いままでのお話の中にオリジナリティとかいうようなお話がございましたが、これを証明し、これを主張するということはなかなかむずかしいことですが、小説なんかの場合では、そういうことが道義的に非常にやかましく言われて、これを法の問題の前に、文芸家協会などが原稿の二重売り問題だとか、あるいはアイデアの同じようなので少しシチュエーションを変えたようなことは、これはやはり創作としてはどうかと思うと、徳義上の問題としてこれを糾弾したりしておりますが、法律的には、著作権法上これはそこまで規定できないというようなことがございましょう。ですから、紛争などが起こったときの用意としては、それだけのことを研究しておく必要があると思います。きょうはたいへんいいお話を承ったので、なお研究する余地は十分あると思います。

有島重武公明党

○有島委員 私も別に法律がたくさんふえてやっかいになるということは全然望ましくないことでありまして、なるべくは少なく簡明なほうがいい、そういった前提から出発しているのですけれども、これからのほんとの文化が守られていくということについての最低限のことは研究していただくし、またその運用については、これだけで十分なのではないのだということをはっきりして運用していっていただきたい、そう要望いたします。  それからあとこまかい問題でございますけれども、ストックホルム規定、隣接条約の訳の問題でございますけれども、公定訳、スタンダードなものはできているのでしょうか、まだできていない  のでしょうか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 一九六一年、昭和三十六年のローマにおいて成立いたしましたいわゆる隣接権条約、あるいは一九六七年、昭和四十二年のストックホルムで改正されましたベルヌ条約につきましては、いずれもわが国はまだ加入をいたしておりません。したがいまして、いわゆる公定訳というものはないわけでございますけれども、文部省、文化庁等において作成した一応の訳はございます。

有島重武公明党

○有島委員 これは今後すぐに必要になるんじゃないかと私は思うのですけれども、こちらの用語と向こうの用語でまた混乱を招くようなことがないように、これは早くなさったほうがいいんじゃないか、そう思います。  それから、これもこまかい問題でございますけれども、映画製作者がその著作権をとるという場合と、台本を書いた人なり、あるいは一番先に言い出した監督ですか、あるいはプロデューサーの場合、そういったものとの間の自由な契約によってきめられていくということでは非常な差しさわりが起こってくるので、その製作者にきめる、こうなったわけですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほど映画の製作者が映画の著作権を持つということにつきましては、映画の著作者の多様性、あるいは映画の著作物の成立について映画製作者の寄与が大きいこと、あるいは権利を集中させることによって映画の利用をはかり、もって映画の著作者自体をも保護するということによって、この映画製作者に著作権を帰属させる、こういうことでございました。その前提といたしまして、二十九条に明らかなように、「その著作者が映画製作者に対し当該映画著作物の製作に参加することを約束しているときは」ということでございますので、約束するときには当然参加契約が結ばれるわけでございまして、したがいまして、その映画の利用等については、著作者と映画製作者との間において、契約自由の原則によってそれぞれその事態に即応した契約が結ばれてくる、こういうことになるだろうと思うわけでございます。  なお、先ほどおっしゃいました映画の原作者、脚本の著作者等につきましては、先ほども申し上げました映画の著作者ではなくて原作者であるということで、その権利は第二十七条、第二十八条によって確保しておるというところでございます。

有島重武公明党

○有島委員 逐条的にはまだいろいろ問題がございますけれども、それは後日に譲って、きょうの質問は、これで終わります。

久保田円次自由民主党

○久保田委員長代理 午後二時より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後一時五分休憩      ————◇—————    午後二時十九分開議

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  著作権法案について質疑を続行いたします。松永光君。

松永光自由民主党

○松永委員 お許しをいただきましたので、著作権法案について質疑をさしていただきます。  午前中から非常な熱烈な論議をなされておりまして私も感じたのでありますが、要するに、この著作権法は、いわゆる文化的な創作活動に従事している人々が、非常な関心を持っておると思うのです。と同時に、一方においては、この著作物を利用する側の人々も、非常な関心を寄せておるように思われます。そういうことで午前中論議された著作権法案第一条の問題が出たんだろうと思うのですが、要するに、著作権法というものは、著作者の権利を保護する、それが第一義的であって、著作者の権利を保護することによって文化的な創作活動に従事しておられるそういう人たちの苦労に報いる、そうしてよりよい創作物がこの社会に出るように配慮する、そして文化の興隆に寄与するというのが、第一義的な著作権法の目的でなければならぬと思うのですが、しかし、著作物というものは、人間が公正な方法で利用する、利用することによっていわゆる価値が出てくるものであると考えます。ですから、著作者の権利を保護すると同時に一方においては第二義的だという午前中の説明でございましたが、とにかくその著作物が公正に、かつ、円滑に利用されるような配慮もしなければならないと思います。著作権というものは、いわゆる絶対権として所有権に類似するような権利であるといわれております。しかし、同時に所有権より以上に公共性を持たなければならない、そういうふうに私は考えるわけです。そこで、この著作権法は、著作者の権利の保護、これは第一義的でありますが、同時に著作物の公正かつ円滑な利用、この二つの要件を備えておらなければならぬし、かつ、その二つの要件がうまく調和したものでなければならぬというふうに私は考えるわけです。そこで、この点についてはいままでにも相当論議がされたと思うのですが、重ねてお尋ねするのは恐縮ですけれども、きわめて基本的なことでありますので、あらためて著作権法の全面的な改正をしようとされる文部省の文化庁の長官、さらに次長さんにも補足していただいて、この基本的な御見解をひとつ伺いたいと思うのでございます。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 基本的な考えにつきましては、きょう午前中文部大臣がるる説明されたとおりでありまして、やはり著作者の権利の厚い保護をはかるということが、この著作権法の第一義的な意義でありまして、その利用者の公正にしてかつ調和ある利用、そのような両者との間の関係もいま仰せのとおりでありまして、ただ七十年も前につくられた著作権法が、今日まで部分的には改正がございましたが、根本的な改正は今回が初めてでございまして、いろいろな問題を含んでおりますのは、つまり七十年間の日本の著作物に対するさまざまな考え方が、七十年間のあるいは成長と申しますか、経路をたどったのでありまして、まず日本の著作権法が明治三十二年にできまして、すぐに当時のベルヌ条約に加盟いたしました。このベルヌ条約の線に沿ってさまざまな改正も行なわれたのでありまして、今後もそのような経路を通るだろうと思います。しかしながら、やはり日本と諸外国との間の非常な習慣上の相違がございます。アメリカのほうでもまた万国著作権条約というものをつくって、これにも日本は加盟しておるということと、またいろいろな著作物の種類の変化というものが歴史的にもこの間にさまざまに行なわれまして、たとえばいろいろ論議がございましたが、例を申しますと映画のような問題でございます。映画は、アメリカにおいては大体会社を中心にしてできておりまして、会社と著作者との関係は雇用関係になっているというような習慣がございます。またヨーロッパのほうでは、ベルヌ条約関係では、フランスのように大体会社というものが早くつぶれまして、ユニオンというような制度で、監督のユニオンと申しますか、組合でございます、監督の組合あるいはカメラマンの組合、俳優の組合というものがあって、一本一本の企画をだれかが立てて、またその人が金を集めてきて、その組合からこれにはこの監督がいい、このカメラマンがいいというようにして、一本勝負のような組織でございまして、そのためにベルヌ条約の性格が、そういうように著作者というものの立場あるいは考え方というものは、その習慣によって違っております。それを日本はまず会社というもので映画を出発させたものでありますから、アメリカ的でありますが、技術的にあるいは監督、カメラマンなどは非常にヨーロッパの影響を受けてヨーロッパ的であるというような、非常に複雑な関係がございます。また今度の新しくできました隣接権の問題あるいはレコードの問題というようなものの考え方も、ヨーロッパの習慣では、日本のような喫茶店というものはヨーロッパにございません。かつまた、音楽をカフェーとかキャバレーなどで演奏しますのには、レコードを用いるよりもはるかに多く実演をやっておりまして、レコードにかえることによりまして実演者が失業をするというような状態、ですから、レコードの著作権料を相当取るということは、あるいは実演者の失業を保護するというような意味が相当強いのでございます。また日本は、いわゆるヨーロッパ風のカフェーというものがなくて、いわゆる喫茶店というようにこれを訳しますと、大学の近所だとかあるいはいろいろな町のはずれのほうにある小さなものまでレコードをやっている。別に実演者を擁護する必要はない。お茶を飲んで音楽、レコードを聞いたからといって一々著作権料を取り立てていたら、取り立てるほうに非常な労力と人手、費用が要りまして、事実実行不可能じゃないかという、日本と西欧とのそういう習慣上の相違というようなものをどういうように調整するか。それから、著作権法でこうきめましても、なかなか実際上の問題になりますと非常にむずかしくて、これも事実に即して今日の著作権法に書いたわけであります。両者ともいろいろな話し合いをして、まず双方の大体の理解に到達したと思うのでございます。そういう点で、国内法であると同時に国際法の性格を持ち、かつまたさまざまの国際的、と申しましても、二つの著作権がある、こういうような問題も勘案して、今日のこの著作権法ができたのでありまして、やや複雑であったり、先ほども写真の年限などというようなお話もございましたが、これも各国のものを勘案しての結論でございまして、これが決定的と申すのでないのですから、どうかそういう点もひとつ十分日本の実情というものをお考えになって御決定を願いたいと思います。そういう意味で、非常に幅の広い国内的な著作権であると同時に、国際性をも勘案して、できることならば二十年ごとに改正する、このベルヌ条約に、どこかにわれわれが加盟し得るような形にいたしたいという理想を追っているのでありまして、ただいまでは昭和三年のローマ法からまだ進んでいない状態であります。この点も勘案して今度の著作法は立案されたのでありまして、どうかひとつそういう著作権法の草案立案にあたりまして、さまざまな考慮と理想と申しますか、そういうものまで含めて書かれてあるのでありまして、十分な御検討をお願いいたしたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この法律の目的につきまして松永先生からお話がございましたことは、私どももそのとおりに理解いたしておるわけでございますが、日本が加盟しておりまする万国著作権条約の前文におきましても、ほぼ同様の趣旨が規定されておるわけでございまして、そこではこの「万国条約により表現される著作権保護の制度が、」「個人の権利の尊重を確保し、かつ、文学、学術及び美術の発達を助長するものであることを確信し、このような万国著作権保護制度が、人間精神の所産の普及を一層容易にし、かつ、国際の理解を増進するものであることを了解して」というように書いてございまして、そこには権利の保護ということと、人間精神の所産の普及を一そう容易にするというようなことが、条約のプリアンブルにも書いてあるということでございます。  それから、著作権制度の改正の必要な問題につきまして……。よろしゅうございますか。(松永委員「簡単に」と呼ぶ)では簡単に申し上げます。  先ほど長官からも御説明しましたところに関連いたしますが、一つは現行法が明治三十二年、一八九九年、十九世紀の最後の年に制定されたままでございまして、その後昭和六年なり昭和九年にはある程度の部分的改正は行なわれましたけれども、基本的体系はそのままである、ところが、最近におけるところの著作物の複製手段、利用手段が高度に発達した時代の要請には応じ切れなくなっておる。たとえばゼロックスとかリコピーのようなもの、あるいは音楽等のテープコーダーあるいはテレビ、それから先ほども出ましたVTR、そういうような新しい機器、複製の機器というものが高度に発達してまいりましたし、またその利用の手段も、民放等の発達によりまして、あるいは出版界の盛況等によりまして、非常に利用される機会も広くなってきておるわけであります。こういうような点からいいまして、現行法はそういう新しい時代の要請に応じ得なくなっておるということが第一でございます。  第二は、権利者側の要望というものが長年にわたって続けられておりますけれども、なおそれが実現していない。一つは保護期間の問題でございます。これは昭和三十一年に文芸家協会が国会に陳情されまして、そして著作権の制度の審議会の設置と暫定保護期間の設定が当時の国会の議員立法でできたことは、御案内のとおりでございます。それからレコードによる音楽の放送または興業につきましては、現行法三十条一項八号の撤廃は、関係者が強く要望しておるところでございます。  第三には、国際条約ないしは他の先進国における保護の進展に立ちおくれておるということでございまして、たとえば保護期間につきましては、世界のほとんどの文明国が五十年でございまして、保護期間がこれより短いのはブルガリア、ポーランド、ルーマニアのような共産圏の国とタイ、フィリピンのほか日本だけでございまして、他の国はすべて死後五十年の保護期間を設定しておるということでございます。それから、レコードによる音楽の演奏につきまして、放送についてはすべての国が認めているのでございます。また公の演奏について、認め方については若干特異なものもございますが、各国とも権利を及ぼすという原則は認めているのでございます。また昭和三十六年、一九六一年に成立いたしました、いわゆる隣接権条約ができまして、この実演家、レコード製作者、放送事業者の保護というようなものにつきましても、新しい基準が定まってまいったわけでございまして、こういう国際条約ないしは他の先進国における保護の進展にわが国がいまや明らかに立ちおくれるに至っておる、こういうような点。  以上申し上げました三つの点から、著作権制度は早急に改正をしなければならない必要を感ずる次第でございます。

松永光自由民主党

○松永委員 詳細に承ったので大体わかりましたが、要するに、現行の著作権法が明治三十二年に制定されたままで、その後少しは改正されたけれども、非常に古い、それに外国の制度などと比べた場合にいろいろな点で立ちおくれておるというふうなことのようでございますが、そこで文化庁の次長にお尋ねするのですが、現行の著作権法のままでは、著作権者、それから著作物の利用者、そのどちらの側の——両方をお尋ねするわけですが、具体的にどういう点において不都合な点があるのか。現行著作権法が非常に古い、外国の制度と比べて立ちおくれておるという点はわかりましたが、具体的に現行の著作権法ではどういう点が不都合になってきておるのか、それを簡単にひとつ提示してもらいたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ただいま御説明いたしましたレコードによる音楽の演奏につきまして、現行法は三十条一項八号におきまして「音ヲ機械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器」すなわち、レコードに著作物の適法に写調、録音されたものを興業または放送することは、出所を明示すれば、偽作とならない、著作権侵害とならないということになっておるわけでございまして、実際問題として、一々放送のたびに出所を明示するということは、非常に興をそぐことが多いわけでございます。したがって、そういう場合の出所の明示は、具体的には非常に困難であるということになっておることでございまして、これは一面では権利者の要望するところの、レコードによろうとなまであろうと、音楽を演奏することには変わりがないという、こういう世界的に認められた原則に違反するのみならず、現行法上では、そういうことがしかも実際的でない方法によって著作権侵害とならないというように規定されておる、こういうところが一つの例だと思います。

松永光自由民主党

○松永委員 ちょっと質問の順序が前後したかもしれませんが、このいま提案されている著作権法案、これは第六十一回国会においても提案されて、相当論議され、審議をされたということですが、いまここに提案されている法案、これは第六十一回国会に提案されたものと全く同じものであるかどうか、あるいは修正をされた部分があるのかどうか、それをひとつお尋ねしたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 変わっておりますことは、一つはこの法律の施行期日、これが先般の法律では四十五年の一月一日からという施行になっておりましたのを、四十六年一月一日からというように直したことが一つでございます。  第二の点は、先般の国会には著作権法案のほかに著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案というものを、この著作権法とは別個の法律として提出いたしておりましたが、今度の法案におきましては、これを附則の中に組み入れるということで、著作権法案一本の法律にいたしましたという二つの点以外は、前国会、といいますか、昨年の国会に提出いたしましたものど全く同様でございます。

松永光自由民主党

○松永委員 そうすると、きわめて事務的なというか、当然のものだけを修正しただけで、あとは全部同じだ、こういうことでございますね。  そこで、続いてお尋ねしますが、先ほど私は著作権の公共性ということについて申し上げたのですが、著作権といえども無体財産権、いわゆる財産権であります。権利というものは、すべて公共性を持っておるし、持たなければならぬわけでありますが、そういう意味で、民法などについても、終戦後わざわざ第一条に公共性というものをうたってあるくらいですよね。そこで、午前中問題になったこの第一条の「公正な利用に留意しつつ」と、こういう文句は、著作権の公共性というものを明確にする、そういう意味で挿入された文言であるというふうに理解してよろしいのでしょうか、ちょっとお尋ねいたします。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 広い意味におきまして、文化の進展をはかるという文化的所産の利用をはかる、そういうような観点におきましての公共の福祉によるところの制限が、たとえば著作権の制限等において明らかにされておると思います。

松永光自由民主党

○松永委員 そこで、第一条のいま言った「公正な利用に留意しつつ」ということの具体的な条文上のあらわれとして、この法案の、いわゆる第五款の「著作権の制限」ですね。きわめて公共性の強い用途に利用する場合には、著作権者の権利が制限される、こういった規定、あるいはまた第八節の第六十七条あたり、こういったものが公共性を具体的に条文の上であらわしておるものだというふうに理解してよろしいのでしょうか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 そのとおりでございまして、そのほか、午前中に大臣がお述べになりました保護期間を定めておるというようなところも、それに該当するかと思います。

松永光自由民主党

○松永委員 この著作権法の全面改正については、著作権者と著作物の利用者、この両者間で相当の利害の対立があるということは、当然考えられます。特に、この著作物の利用のしかたが非常に複雑になるし、また非常に大がかりな利用がなされる、こういう時代になってまいりましたから、特にこの著作権者と利用者側との利害の関係、これは非常に複雑な対立というものがからみ合ってきておるというふうに私は考えるわけです。そういうようなことから、この法案を制定されるにあたっては、昭和三十七年以来、著作権制度審議会ですか、それを設立して、そうして慎重な検討をすると同時に、著作権者のいろいろな団体、それから著作物を利用するいろいろな団体、そういったそれぞれの利害関係者の意見を十分お聞きになって、そうしてこの法律案をつくられて提案されておると思うのですが、現在において、この法律案に対して著作権者の団体、それから利用者の団体、大体において納得をしておられるのでしょうか、それともまだ納得いたしかねるというふうな強い反対意見を持っておる著作権者の団体なり、あるいは利用者の団体なりがあるのかどうか、その点をひとつお伺いいたしたいのであります。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この法案の作成の過程におきまして、ただいま先生から御指摘ございましたように、権利者、それから著作物を直接使うような者、あるいは一般国民的な観点からというような観点におきまして、いろいろな利害が錯綜いたしておるわけでございまして、そういう観点におきまして、昭和三十七年に著作権制度審議会を開催して以来、審議会の過程におきまして、あるいは草案を公表する段階におきまして、その他法案を作成して国会に提出する以前等におきまして、再三意見を徴したところでございます。そういうようなことで、今日成立に至るまでの間は、もうできる限りの努力を払いまして関係者の意見を聴取したところでございます。そういうようなところから、ごく大観して申しますと、大綱においては各関係者ともこの法案の内容について賛意を表しておると申しますか、こういうような方向において改正されることについて大きな異議はないものと考えておるわけでございます。

松永光自由民主党

○松永委員 じゃ具体的に尋ねていきますけれども、たとえば午前中にも問題になりましたが、映画の著作者をだれにするかという問題ですね。この点については、日本映画製作者連盟、それと日本映画監督者協会というのですか、日本映画監督協会というのですか、映画の製作に重要な関与をするそれぞれのグループの団体である両者の間で、相当意見の相違があったというふうに聞いておるのですが、その点はどうなったのでしょうか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 映画の関係者と申しましても、単に監督と製作会社だけではございませんので、その関係者といたしましては、やはり第一のグループは原作者たる小説家とか、それからシナリオライターというようなものもございます。それからまた、映画の直接の著作者であるところの監督のほかに、カメラマンとか、美術監督とか、そういうグループもございます。それからさらに、製作の映画製作者というような段階もございます。映画につきましては、いろいろな議論もあったわけでございます。これにつきましては、先ほど長官からも御説明がありましたように、日本の実態に即しつつ国際的な視野に立って最も妥当なものは何かということで、いまのこの法案の内容になっておるわけでございます。この法案の内容について——それからちょっと申し落としましたが、もう一つのグループとしては、映画の俳優のグループがございます。この映画の関係者がたくさんある中で、現在若干の異議があるのは、監督の方々の集まりでありまするところでございます。監督の方々の御意見によりますと、この映画については何もさわらないでほしいというような見解が、いま出ているやに伺っているわけでございますが、私が申しました映画のその他の監督以外のたくさんあるグループにつきましては、この法案の内容について、おおむね異論はないと申しますか、もちろん希望意見はございますけれども、この大綱についてはおおむねこの法案の内容の方向において解決されることについて、大きな異論はないものと私どもは考えておる次第でございます。

松永光自由民主党

○松永委員 そのいまの映画の著作権に関連するわけですが、日本映画監督協会というのですか、この映画の著作権については何もさわらないでほしい、こういうことなんですね。そのさわらないでほしいという意味は、映画を製作するときに、映画の著作権者をだれにするか、一人にせずに複数にする場合には、その持ち分をきめて共有するとか、そういったようなことで、実際に映画を製作する場合に話し合いできめるから、そのきめるままにしておいてほしい、推定規定などは置かぬでほしい、こういう趣旨なんでございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ただいまお示しのことが、おおむねその監督協会の言っておられることだろうと私ども理解しております。

松永光自由民主党

○松永委員 それから、レコードによる音楽の演奏とか、音楽の放送とか、そういうことに関連して、日本音楽家連合会とか、そういう音楽家のほうの著作権者の団体と、それからレコードを利用してそうして営業する業者の団体、たとえば、要するに、環衛組合というんですか、環境衛生同業組合、それとの間に、これまた相当意見の相違があった、そういうふうに聞いておるのですが、そのほうの意見の調整これはできたんでしょうか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほど申し上げました現行法の三十条一項の八号は、レコードによる演奏について事実上権利を認めない、こういう形になっておることについて、強い異論がございまして、これについては、この法律ではたてまえといたしましては、まず一つは、レコードによる音楽の演奏の放送と申しますか、それについては、全面的に権利を認めるということ。それから、それ以外の公の演奏、先ほどおっしゃいましたそれ以外の社交場、喫茶店、その他の公の演奏については、たてまえとしては権利を認めるけれども、先ほど長官からも申し上げましたように、日本の喫茶店というようなものは他の国とは非常に違っておるというような実情もございますので、したがいまして、この法律の附則の十四条でこの経過措置を設けまして、十四条にございますが、「適法に録音された音楽の著作物の演奏の再生」——レコードによる公の放送については、「放送又は有線放送に該当するもの及び営利を目的として音楽の著作物を使用する事業で政令で定めるものにおいて行なわれるものを除き、当分の間」従来のとおりにするということでございます。ここで政令で指定するものにつきましては、名曲喫茶とか音楽喫茶等、客に音楽を鑑賞させることを営業の内容とする旨の表示を掲げ、あるいは、客に音楽を鑑賞させるための特別の設備を持っておるもの、いわゆる名曲喫茶、音楽喫茶あるいはダンスホール、ナイトクラブ、キャバレー等設備を設けて客にダンスをさせる営業——これは音楽がなければダンスはできないわけです。音楽が不可欠である。それからまた、営利を目的として行なわれる演劇等、こういうようなものに限って権利を及ぼす。たてまえとしては、権利を一般に及ぼすけれども、当分の間はそういうものに限定する、こういうことにいたしたわけでございます。これにつきまして、音楽の権利者のほうは、これでけっこうでございます。それから、放送関係者は、文明の法則に従って権利を認めることは差しつかえない、こういうことになっておるわけでございます。それから、いわゆる喫茶店側といいますか、そういう環境衛生のほうの方々は、こういう附則を設けるならばこれでけっこうであるということで、これに関する限りは、一応関係団体においての合意が得られているものと私どもは考えておる次第でございます。

松永光自由民主党

○松永委員 じゃ次に、写真の著作権の取り扱いに関してでございますが、これは午前中山中先生のほうからもありましたが、写真の著作権についての保護期間を他の著作権の保護期間よりも短いような形になっておるわけですね、そういう点について、写真の著作権者の団体の日本写真家協会とかそういった団体のほうは、一般の著作権に比べて写真の著作権について保護期間を短縮してあるということについて、それでよろしいというふうに納得しているかどうか、その点お伺いします。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 写真家協会におきましての御意見は、写真についても他の著作物と同様、死後期間にしてほしい、こういうことで、年限等についてはまだいろいろの意見もあるようであります。ただ、先ほどのちょっと補足になるのでございますけれども、写真だけが公表後五十年ではなくて、映画とか、団体名義の著作物、あるいは無名、変名の著作物等、公表時を起算点とする著作物のほかにあるということをちょっとつけ加えさせていただきます。

松永光自由民主党

○松永委員 先ほどから長官や次長の話を聞いて大体わかったのですが、要するに、著作権というのは国際的な性格もある。あるいは国際的な性格が相当強い。であるから、日本の著作権法というものも外国の水準に合わせるというふうにする必要があるということでありまして、それは私も同感であります。ことに、わが国は、いわゆる文化国家だということを標榜しておるわけでありますから、文化に関連する国際条約には当然これに入って、そうして名実ともにすべて、制度の上でも条約の上でも、あるいはまた日本の国内の内容においても、文化国家の名にふさわしいような形につくり上げていかにゃならぬと思うのですが、そこで、午前中にも出ておりましたが、わが国は、ベルヌ条約の関係ですが、ベルリンの改正条約、そうしてまたさらにローマの改正条約、これにはそれぞれ加盟しておるということでありますが、昭和二十三年のブラッセルの改正条約、それから昭和四十二年のストックホルムの改正条約、これはまだ加盟していない、こういうことでございますね。そうすると、いま提案されているこの著作権法の全面的な改正、これが通れば、ブラッセル条約とかストックホルム条約、そういったものに加盟できるのどうか。どうも附則第十四条があるためにブラッセル改正条約とかストックホルム改正条約には加盟できないというふうに思われるのですが、その点いかがでございます。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ベルヌ条約のブラッセル改正条約、一九四八年、昭和二十三年の改正条約に加入するためには、著作権の原則的保護期間を著作者の生存間及び死後五十年間とすることと、レコードによる音楽等の著作物の放送、公の演奏について著作権が及ぶものとする、こういう国内法制を立てることが必要でございます。この第一の著作権の保護期間を死後五十年にまで延長するという要件は満たされるわけでございますが、もう一つのほうのレコードによる音楽等の著作物の放送と公の演奏について著作権が全面的に及ぶということについては、御指摘のように附則十四条がございますので、現在のままでございますと、ブラッセル改正条約に加入することは困難であるということでございますが、なお外務省とも協議の上、慎重に検討することにしたい、そのように考えておるところでございます。

松永光自由民主党

○松永委員 そうすると、この附則第十四条があるために、ブラッセル改正条約に加盟することは大体困難である、こういうことでございますね。  ところで、この附則第十四条というのは、私の考えでございますが、レコードを利用して音楽を演奏する、それを商売にしている団体、環境衛生団体、そういった人たちを納得させるというような意味もあってこの附則第十四条というのはできておるわけですか。附則十四条がなければ、そういう団体がどうも納得しない、だから、国際的な水準」に合わせるには附則第十四条みたいなものがあるのは好ましくないんだけれども、しかし、国内のそういう勢力の強い団体があればそうも言っておれないからということで、やむを得ず附則第十四条を設けて、それでそういう団体の一応の了解を得た、こういうことでございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほど長官からも申し上げましたように、日本の喫茶店というようなもののあり方が、諸外国とは違っておる。これがどの時期になったならば他の欧州諸国のようになるかということははかりかねるものですから、一応「当分の間」ということで表現したわけでございまして、したがって、たてまえといたしましては、わが国の実情に合った著作権制度を立たるために、当分の間の特例を設ける必要があった、こういうように御理解いただきたいと思います。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 大体次長のお話ししたとおりでございますけれども、これは日本の実情というものとあまりに違っておって、理解していないのですから、日本の実情をもっと知らせることによって、日本はこういう特別な喫茶店のあり方なんだから、これはとらないというように向こうが言うかもしれない。ですから、それについては外務省その他からそういう実情をもっと知らせる必要があるんじゃないかというようにも、私考えるのでございます。しかし、このブラッセル条約というものをそのままとりますと、ちょっといま入りにくいというので、こういう附則をつけた。ですから、当分の間というのは、こちらの努力がどのくらい向こうに通るかどうかということも、十分やらなければいけない、そういうわけでございます。

松永光自由民主党

○松永委員 そこで、文化庁長官や次長さんとしては、ブラッセル条約に日本としては加盟すべきである、もちろんこういう御意見なんでしょう。加盟せぬでもいいのですか。加盟しなければならぬというお考えなんでしょう。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 理想的といいますか、望ましいと申しますか、将来の方向といいますか、そういうような面から申しますれば、やはりブラッセル改正条約に入ったほうがベターであるという考え方を持っておるわけでございます。しかしながら、わが国の実情を全く無視してまで入らなければならないとも言えない。そういうことで、いま申し上げたように、現在の段階では入ることは困難である。しかしながら、外務省とも相談したり、あるいは事務局等とも接触いたしまして、いま長官の言われたようなことも含みながら、いろいろと話し合いを続けていきたい、こういう状態であります。

松永光自由民主党

○松永委員 ブラッセルの改正条約に加盟したほうがベターであるということですね。そこでお尋ねするのですが、ベターであるというのは、どういう点においてベターであるのか。単に、日本はいわゆる文化国家だ、日本は非常に文化水準が高い国だというふうなことを世界各国に知ってもらって、日本の品位を高めるというふうな、そういう抽象的なといいますか、精神的な意味でベターなのか、それとも具体的に、現実的に、ブラッセルの改正条約に入ることと入らぬことによって、加盟するか加盟せぬかによって、日本に不都合があったり好都合があったりするのか。その点をひとつ御説明願いたいと思うのです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 純粋に法律的にまず申し上げますと、まず第一番目は、もし日本がローマ改正条約にとどまっていたといたしますと、実はローマ改正条約に加入することなくブラッセル改正条約に入っている国が、たとえばアルゼンチンとかメキシコというような国がございます。多くの国は、ローマ条約に入って、それからブラッセル条約に入っておる、こういう関係になっておるわけでございます。そうすると、その関係について、一つの解釈としては、たとえばアルゼンチンとかメキシコとの間には、共通の条約に入ってないから、条約関係がないのではないかというような疑問が、一つ出てくるわけでございます。ところが、これにつきましては、先般の、昭和四十二年のストックホルム改正条約におきまして、同一の同盟に加盟している、すなわちベルヌ同盟というもとの同盟に入っているならば、何らか相互に保護し合うという関係があるのだという解釈ができておるわけでございます。したがって、これも法律論としますと、突き詰めていくとやや問題点がございますけれども、実際上はそれほど大きな支障はないということが一つ。それから第二の点は、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア等、すでにローマ条約に入って、それからブラッセル条約にも入っておる場合において、日本はローマ条約にとどまっている場合に、一体相手国であるイギリス、ドイツ、フランス等はどの条約によってわが国の著作物を保護するかという問題が、一つ議論としては出てくるわけでございます。これについて、たとえばイギリスなどは、最も新しい条約によって他の同盟国のものを保護するということで、ブラッセル改正条約で保護するといっております。ただ、フランスなどは、日本との間にはローマ改正条約しか共通の定木はないから、したがってローマ改正条約でしか保護しないということが、理論的には合うということを主張もいたしておるところでございます。しかし、実際に言いますと、日本のものだけはローマ条約であってほかの国のものはブラッセル条約ということは、非常にめんどうになりますから、大体の国もその国が入っている新しい条約で保護するということに大体なってくるわけでございます。したがって、理論上から言いますと問題はあるわけでございますから、もちろん入って明確にするほうが、そういう意味ではより一そうベターであるということでございますけれども、入らなくても実際問題としてはわが国の著作者が他の同盟国で不利益をこうむるということは起こる可能性がほとんどないということからすれば、入らなくてもいいということになるわけでございます。そういうような意味で、法律的に見ますと、純粋に理論的にいえば、入ったほうがベターである。それから入らなくても、大体支障はないということになるわけでございます。  それからもう一つの点は、お示しのように、日本が経済的にも発達したわけでございますから、文化面においても最新のといいますか、他の文明国が入っておるそういう改正条約に入ったほうが、わが国の威信といいますか、文化尊重政策からしても、ベターである、こういう意味で申し上げたつもりでございます。

松永光自由民主党

○松永委員 そうすると、やはりこのブラッセル改正条約に日本として加盟することがベターであるから、加盟するようにしたい、こういう御意向でございますね。そこで、日本はどうも附則第十四条というやつが問題になる。日本の喫茶店ですか、そういったものは、日本独自のもので、独特のものであるから、その日本の特殊性というものを外務省を通じて外国に承認してもらって、そうして附則第十四条はそのままにしてできれば加盟するようにしたいものだ、そういう努力をしたい、こういうことでございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ただいまお示しのような具体的なところになりますと、なお今後の検討問題でございますけれども、いま十四条がついたままの関係でもしブラッセル改正条約に入りますると、外国人の著作者は一般の喫茶店からも金が要求できるようになっておる、そういうところに問題が生ずるわけであります。そこで外国の権利者が日本の実情を知って、日本も十分一生懸命やっておるのだ、また日本の喫茶店は違うのだというようなことで、そういうところで権利を行使しないというようなことが、かりに音楽の世界的な権利者の団体のほうでそういうことを認めるような状況になれば、これは必ずしもブラッセル改正条約に現行のままでは入れないとも言えないという若干の含みがあるということを、長官なり私が申し上げているところでございます。

松永光自由民主党

○松永委員 附則第十四条、これは附則というつくり方から見ても、また条文の文言から見ても、どうも本来は暫定的なようにとれるのですね。そして「当分の間」というふうなことばが使ってある。そしてただいまの次長のお話によれば、第十四条はそのままにしておっても、あるいはブラッセルの改正条約に加盟できる可能性も残っておる。またブラッセルの改正条約に入るか入らぬかという問題についても、ベターであるという程度であって、ぜひとも入らなければならぬというような意味にもとれない。そうすると、この附則第十四条というものは、形の上では先ほど申したとおり暫定的なもの、いずれは附則第十四条は撤廃しなければならぬというふうになっておるようですけれども、どうなんでしょうか、文化庁のほうでは、暫定がずっと続く、「当分の間」というのは、いつまでたっても「当分の間」でいくというふうなお気持ちなんでしょうか。それとも、近いうちに環衛団体の人たちなどにも納得してもらって、そしてこれはあくまでも附則であるし、「当分の間」という文言も使ってあることであるから、そのうちこの十四条はやめようというふうなお気持ちがおありなのかどうか。そこらの点について、ひとつお聞きしたいのです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 まず第一の点は、原則と附則といいますか、本則と附則という関係でございます。本則に書いたということは、その原則を国会において認めていただく。しかしながら同時に、同じ国会において附則において「当分の間」は認めない、あるものに限って認める、こういう附則がついておるわけであります。したがって、二つ合わせまして国会においてそういう御承認をいただくならば、その次に「当分の間」が解消されるまでの間はこの制度が続く、こういうことになろうと思う次第でございまして、したがって、これは当座の措置である。何年たったらやめるというようなことも、ここには年限が書いてございません、「当分の間」と書いてございますから。しかしながら、これが本則の例外であって、「経過措置」と書いてあるというところでこの意味をお読み取りいただきたい、かように考えておる次第でございます。

松永光自由民主党

○松永委員 本則の例外規定だけならば、ただし云々と書くんでしょう、本文の中に。附則で書いて、そして「当分の間」となっているから、そう長くない期間内に十四条はなくなるのではなかろうかというふうに一般の人は感ずると思うのですよ。そこのところを聞いておるのですよ。その点、要するにまあ理屈はそうだけれども、なかなか撤廃するなんていうことは考えておらぬからよろしいということなのか、あるいは理論どおり、あるいは一般の考え方どおり——本則に対する単なる例外であるならば、ただし書きで規定するのがこれが法文のていさいですよ、附則で書いてある、しかも「当分の間」ということが書いてあるから、一般には、いずれこの十四条は撤廃されるのではなかろうかというような危惧の念を持つと思うのですよ。しかし、それは法文のていさいはそうなっているけれども、そう近いうちにはないから心配要らないというふうに理解していいのか、その点です。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 まず第一の点は、日本の喫茶店の事情について、そうあるけれども、やはり音楽の演奏等であるからこれは全面的に権利を及ぼすものだというようなことが、関係者も十分納得し、国民も納得するようになる段階においては、この「当分の間」ははずさるべき問題であろうと思うわけでございます。ただし、その時期がもうそのうちにくるんだというような期待を持つことは、少し早急であろうと思うわけでございまして、やはり関係者なり国民がもうこの「当分の間」ははずす必要があると思われるときにあっては、これは「当分の間」をはずすべきであるというような意味におきまして、先生のおっしゃいました両方の中間くらいのところじゃなかろうかと思うわけでございます。

松永光自由民主党

○松永委員 最後の質問になるわけですが、著作物を尊重する著作権法を、りっぱな法律を制定して、そしてそれを守っていくというのは、これは文化国家の国民として当然なことですよ。ところが、実際の問題として日本では、わが国では、私の見るところ、著作権を持っている人あるいはまた著作権者の団体に関係する人、そういう人は別として、一般の人は残念ながら著作物を心から尊重する観念、これがどの程度あるのか、特に著作権に関する法意識といいますか、著作権法を守らなければならぬというような法意識、あるいは著作権法の存在もそうでありますが、特に内容等についても、一般の人はほとんど知らない人が多いんじゃなかろうか。前もそうでありますけれども、著作権法の現在の審議されている改正案についても、著作権侵害に対しては刑罰をもって処罰する、こういうことになっています。そうすると、現在のような一般人の著作権に対する認識、あるいは著作権思想の普及、徹底がこの程度だと、どちらかというと比較的善良な人が著作権侵害ということで犯罪者というレッテルを張られる危険性がありゃせぬかというふうに私は思う。同じ権利侵害でも、所有権に対する侵害、これなどは、もう何人も常識として、他人の所有権を侵害しちゃいかぬ、侵害すれば窃盗罪になる、あるいはまた不動産侵奪罪になるというようなことは、一般人がちゃんと法意識として当然持っておりますよね。ところが、著作権法に対する観念というものは、著作権法と似ている特許法と比べた場合でも、特許法に対する認識のほうは相当一般に普及しておる。あるいはまた他人の特許権を尊重しなければならぬという意識も、相当徹底してきておる。ところが、著作権法については、まだそこまでいってないと思うんです。そこで私が思うのに、こうした著作権法の全面改正、これを契機として、著作権思想、著作権を守らなければならぬ、著作物、他人の著作権を尊重しなければならぬという啓蒙活動をひとつ十分やる必要があるというふうに私は考えるのだが、そこで文化庁としては、一般市民に対する著作物尊重の観念、著作権思想の普及、徹底、そういうものについて、いままでどの程度努力をしてこられたか、将来は、どの程度一生懸命になって著作権思想の普及、徹底、そういったものに力をいたされる御所存であるか、その点をひとつよく伺っておきたいと思うのです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 著作権思想と申しますか、著作権の尊重の思想が、一部の関係者を除きましては、諸外国に比して低いということでございまして、こういう点に非常に力を入れる必要があることは、まことにお示しのとおりと思う次第でございます。文化庁では、従来から著作権講習会というのを、昭和二十七年以来全国を七ブロックに分けまして、新聞、放送関係者、学校の先生方、まあそういう方に集まっていただいて、著作権の話などを通じまして著作権思想の啓蒙、普及には従来努力はしてきていると思うわけでございますけれども、著作権というものは、お示しのように、有体物とは違いまして無体の財産権でございまして、目に見えない財産権であるために、なかなか十分徹底しないといううらみがあるわけでございます。ただ最近は、著作権法の改正という問題が出まして、だいぶ著作権ということばも新聞等に出るようになりまして、ある程度の認識は深まったと思いますが、お示しのように、今後新しい法律をもし成立させていただきますならば、この機会に、大いにひとつ著作権思想の普及に向かいまして最大の努力を重ねる必要があろうと確信をいたしておる次第でございます。

松永光自由民主党

○松永委員 そこでまたちょっと条文に返るわけですが、この法案の第三十三条ですか、これによると、公表された著作物の教科用図書等への掲載、この関係について規定されております。そうして補償金を著作権者に払うわけでありますが、その補償金の額、これを文化庁長官が毎年きめる、こういうようになっておりますね。そこで、この文化庁長官がきめるということですが、審議会か何かつくるのじゃないかと思うのですが、この点については、どういうふうなルートで、あるいはどういった機関にはかってきめられるのであるか。それからまさか文化庁の長官が文化庁の係員の人たちと相談してだけきめるのではないでしょうし、要するに文化庁の長官の名においてきめるということだと思うのですが、この点。あくまでもこれは著作権者の自主的な同意、不同意にかかわりなく、いわゆる著作権の公共性からこの引用ができる、教科書などへの掲載ができる、こういうことになっているわけですよね。そこで、著作権者の同意なくしてこれは著作物を利用する、無償で利用しちゃいかぬということで、適正な補償金は払わなければならぬということで、この補償金を払うことをきめられ、その額を文化庁長官がきめるということになっているようでありますが、どういったやり方で文化庁長官がおきめになるのか、その点だけをひとつ伺っておきたいと思うわけであります。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 これはちょっと前に現行法との比較で申し上げさせていただきますが、現行法は修身の本とそれから読本の目的のために「正当ノ範囲内ニ於テ抜華蒐輯スルコト」は自由であるということになっておるわけでございまして、国語の読本に文芸の著作物を挿入いたしましても、現行法上は抜粋収集である限りは、出所を明示する限りにおいては自由である、こういうことになっておるわけでございますが、実際問題としましては、文芸家協会と教科書協会とで話し合いがございまして、年に百五十万円教科書協会から文芸家協会に払って、それを文芸家協会のほうで分配しておられる。今度は文芸著作保護同盟ということになりますか、そういう状態になっておるのが現状でございます。  この三十三条におきましては、教科書には最善の著作物を入れて児童のために精神のかてにしたい、こういうことからいたしまして、著作権の制限をいたしまして、教科書に使用する場合には文芸等の著作者は協力していただきたいということで、「掲載することができる」、こういうようにいたしたわけでございます。しかしながら、それを現行法のようにただにはしないで、これにやはり適切な額の補償金を著作権者に支払うようにしなければならぬということにしたのでございますが、教科書は、御案内のとおり、現在教科書の価格については文部大臣の認可制になっておるわけでございますし、小、中学校義務教育用については国が購入するというような形にもなっておるわけでございまして、これは特に高等学校などの教科書になりますと、国民の父兄負担の問題等もございますし、そういうようなことからいたしまして、教科書に使う場合については、そこにあまり多額な金になることはやはり考えなければならない、そういうようなことからいたしまして、三十三条の二項でどのような額にすべきかの原則が書いてございまして、「著作物の種類及び用途、通常の使用料の額その他の事情を考慮して文化庁長官が毎年定める額の補償金を」というように書いてあるわけでございます。したがって、この問題につきましては、実質的には、この関係者同士の間で話し合いがまず行なわれまして、その段階においてこちらのほうとの相談をいたしまして、そしてそれを七十一条によりまして著作権審議会に諮問をいたしまして、その上で定める、こういうような状況になっておるわけでございます。

松永光自由民主党

○松永委員 どうも長い間ありがとうございました。  そこで、私のこれは希望あるいは要望なんですが、りっぱな著作権法を制定するということも非常に大切です。しかし同時に、先ほど申し上げました著作権思想の普及、徹底ということも、りっぱな法律を制定するのと同じように私は大切であると思います。著作権思想の普及、徹底のために相当努力をしていらっしゃるようでありますが、私はもっとこの努力を続けていただきたいと思うのです。たとえば高校の社会科あたりで著作権に関する話をしてもらうとか、あるいはまた著作権に関するいろいろな読みやすい、わかりやすいパンフレット類をつくるとか、そういうような形で今後著作権思想の普及とその徹底にひとつ文化庁のほうで努力されるように要望いたしまして、私の質問を終わります。

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 山原健二郎君。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 時間の関係がありますので、私は、映画並びに写真または隣接権の問題につきましては、日を改めて質問をいたしたいと思います。  本日は、第一条と第三十三条を主にしてお伺いをしたいわけですが、特に著作権法の第一条の目的につきましては、重複する面があると思いますけれども、もう一度おさらいの意味を兼ねまして簡単に質問をいたします。第一条には「もって文化の発展に寄与することを目的とする。」こうなっておりますが、本来著作権法の目的は著作者の権利を保護することにあると考えていますが、この法案では、文化の発展こそ目的で、著作者の権利の保護はその手段となっているように思われてならないのでありますが、この点、改正法の本来の目的はどちらにあるのか、明確にしていただきたい。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 第一条におきまして「著作者等の権利の保護を図り、もって」というように書かれておるわけでございます。したがいまして、著作者等の権利を保護すること、すなわち著作者の労作に対して報いるところを確実にするというようなことによりまして、著作者の創作意欲を刺激する、そのことによってよりよい著作物が世にあふれる、こういうことは、すなわちそれが文化の進展に寄与することになるというようなことでございます。したがって「図り、もって」というのが目的、手段というようなことではなくて、はかること自体が広い意味においての文化の発展に寄与するのだというように考えられると思いますし、同時に「文化的所産の公正な利用に留意」するというようなことによりまして、精神的所産を普及する、先ほど申し上げました万国著作権条約の精神等にもありますように、そういう文化的所産を普及することに役立ち、そういうことが相まって文化の発展に寄与することができる、かように考えておるところでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 著作者の権利を保護することがすなわち文化の発展に寄与するということで、これはもちろん当然のことであるわけですけれども、しかし、その結果として、本来の目的としなければならない著作者の権利の保護が、先ほどから問題になっておりますように、やはりあいまいになっておるのではないかということを私は感じるわけです。著作者の権利の保護と文化の発展に寄与することがこの法案の目的であるとするならば、直接の目的は権利の保護で、大きな目的が文化の発展にあるとするならば、その最終的な目的は文化の発展にあるというのが、当局の考え方ではないか。これでは、本来的目的の意味は薄れるのではないかという感じがするわけです。わざわざなぜこのようなまぎらわしいことを明記したのだという点について、私はもう一回お伺いをしておきたいのです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 著作者等の権利の保護をはかることはそもそも何のまた大きい目的であるかといえば、それは文化の発展に寄与するからである、こういうように考えられるわけでございまして、この法律の直接の目的は、権利の保護をはかることである。それはなぜそういう必要があるかといえば、それは文化の発展に寄与することであるから権利者の保護をはかるのだ、こういう意味に理解いたしておるわけでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 著作権法本来の目的からするならば、著作者の権利を保護するというすぱっとした法律の目的というものが出るのが、あなたのような説明をしなければならない法律になっておるところに、この法律全体を貫く問題点があるのではないかというふうに私は考えるわけです。  時間がありませんから、それと類似した問題として第一条の、これもまた今朝来問題になっておりますところの「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」の個所でありますけれども、この条項からいたしますと、まさに利用という点に重点が置かれまして、著作者の権利の保護が第二次的なものとして受け取られる可能性がきわめて強いと思うのでありますが、その点はどうなんですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 同じような用例はたとえば特許法等にございますが、特許法第一条によりますと、「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」こういうように、直接の目的とそれから間接的といいますか、理想的目的といいますか、そういうものを書いた立法例もあるわけでございまして、そういう立法例等も参考にいたしまして、「保護を図り、もって文化の発展に寄与する」というように規定をいたしたわけでございます。  それから第一条が「著作者等の権利の保護を図り」というところに重点があることは、けさほど来大臣等からも申し上げたところでございまして、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」ということでございまして、留意でございますので、あくまでも主体は「権利の保護を図り」というところにあるものと御了承いただきたいと思います。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 「留意しつつ」ということですけれども、これはすなわち権利の運用を意味して、それは同時に著作者の権利行使の制限を意味するのではないかと思うのですが、どうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほど松永先生のお話にもございましたが、この「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」という内容といたしましては、この法律にございますように、第五款、三十条以下の「著作権の制限」、著作権というものは公共の福祉その他の観点から制限を受けるというようなこともございますし、あるいは裁定等の制度というようなものもございましょうし、あるいは保護期間というようなものも一種の権利の制限でございます。それはこれらの「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」定めたその内容でございまして、権利の保護をはかるとだけいたしますと、なぜその権利の制限のようなものが出てくるかというところが当然問題になるわけでございまして、それは権利の保護をはかることを第一義とするけれども、その権利の中にも制限があり、あるいは裁定等の制度もある、あるいは保護期間に限度があるということはなぜかというと、それは「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」そのために権利の制限等も行なわれるということで、内容と第一条の目的とがうらはらになっておる、こういうことでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 権利の制限ということが出てくるわけですが、確かに法案の第五款の「著作権の制限」あるいは第四節「保護期間」の問題など、制限条項があるわけですね。制限条項があとで出てくるわけですから、法案の内容に書かれているでしょう。それをなぜわざわざ第一条の目的のところに抽象的なことばとして「公正な利用に留意しつつ」というふうなことが明記されるのかという疑問なんです。制限条項はあとに出てくるわけでからね。にもかかわらず、なおかつ冒頭の目的のところに抽象的なことばが出てくるのか。そうすると、あとに書かれておるところの制限条項以上に、そのほかに何か著作権に対する制約、制限があるのではないかというふうに考えられるわけですが、その点はどうなんですか。具体的に言ってください。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ここで、文化的所産の利用に留意しつつとだけ書いてなくて、「公正な利用に留意しつつ」と書いてあるところに御留意願いたいわけでありまして、この著作権の制限規定を制定するにあたりましても、解釈するにあたりましても、それは「公正な利用」という観点において解釈し、運用されなければならない、そういう一種の精神的な規定にもなるわけでございまして、あくまでもこれは公正な利用である。先ほど教科書の場合で申し上げましたけれども、その場合でも、教科書に最もいい教材を使うために著作権を制限するけれども、しかし、公正を確保するために補償金を払う、こういうように定めておるわけでございまして、そういう趣旨で常に制限規定の解釈、運用についても、この公正な利用ということに留意をして解釈、運用してもらいたい、こういう趣旨を出すためにも、このような規定をすることは適切であると考えておる次第でございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 もう一度お伺いしますが、その「公正な」というところに問題があるわけですね。「公正な」というのはきわめて抽象的なことばであって、だれがその公正を期する基準になるのかというようなこともないわけでありますから、「公正な利用」の名前のもとに不当な制限というか、すなわち本法で明記されている制限以外に何か制限されるのではないかということが考えられるわけですが、公正であるかないかという、その公正利用の判定の基準というのは、どういうところにあるわけですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この著作権の制限としては、権利の内容は本法律によって定められておるわけでございますから、この法律に書いてない制限がこれ以外にも加わる、第一条に書いてあるから加わるというようなことは、あり得ないわけでございます。それではなぜこういう規定が必要かと申しますと、これらの規定の解釈、適用を裁判所等で行なうわけでございます。その場合に裁判所はこの第一条に書いてあるところの「公正な利用」という観点に立って権利者の保護を十分考えつつ、それとの関連においてその利用が公正であるというようなことで、権利の制限を行き過ぎて裁判所等が適用しないようにというようなことも、当然この「公正な利用に留意しつつ」から出てくるわけでございます。申し上げたいことは、一つは著作権の制限としてはこの法律に定める以外のものはないということと、それからその権利の制限の規定の解釈、適用する、これは具体的には裁判所でございますから、裁判所が、立法者の趣旨はただ利用をはかればいいという思想ではなくて、それは公正な利用ということに十分注意していただきたいというようなことも含めまして、ここに「公正な利用に留意しつつ」と、こういう規定を入れた次第でございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 その裁判における判定の問題が出てきますと、逆の場合も予想されるわけで、全く公正な、正当性のある公正な利用ということならばいいわけですけれども、不当な制限ということも生まれてこないという保証はないわけで、その意味での歯どめといいますか、何かそれを規制するものがあるのかということなんですが、それはどうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 裁判所は法律によって裁判するわけでございますから、この各条によりまして、著作権の制限は、それぞれ内容ができるだけ明確にしてあるわけでございます。しかし、具体的な場合において、その場合がこれに該当するかどうかというようなことになると、具体的な事件に即して裁判所が判断をするわけでございます。そういうときに公正な利用ということを十分考えて裁判をしていただきたいということが第一条によって明らかにされていることが、むしろ逆に権利の保護にもなるし、また公共の福祉にも適合する問題である、こういうふうに考えて、この第一条の規定がある、こういうことでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 ちょっと時間がかかりますからその点はいまおいておきますが、いま教科書の問題も出ましたので、この点について先ほども質問がありましたが、三十三条に関連した問題として、教科書用図書の掲載の問題ですが、「公表された著作物は」ということが出ているわけでありますけれども、これはすべての公表された著作物をいうのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 公表されたものであれば、特に限定ございませんから、これが文芸の著作物であるとか写真の著作物であるとか、そういう限定はなく、すべての公表された著作物でございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 同条の「学校教育の目的上必要と認められる限度において」ということは、具体的にはどういうことですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 これらの小学校、中学校、高等学校あるいはこれらに準ずる盲聾学校、養護学校等における教育につきましては、文部大臣が定める学習指導要領の定めがあるわけでございまして、そういう指導要領に従って教育をする上において必要と認められる限度、ということは、必要と認められる最低限度においてという意味で、学校教育の目的は教育基本法、学校教育法、学習指導要領等によって明らかでございますから、そういう目的上必要と認められる限度において、こういう意味でございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 これを認める主体は一体だれですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この著作権法は、私権に関する法律でございますから、どの程度までが必要と認められるかどうかの判定は、最終的には裁判所の判定にゆだねられる。したがって、その掲載者が学校教育の目的上必要と認めて掲載した。しかし、これが目的上必要でないということであるならば、これはやはり裁判所に対して、それは三十三条違反であるという訴えをして争うということになろうかと思います。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 もうちょっと具体的に。認めるというのは裁判所だということですけれども、掲載する際に学校教育上必要と認めるということは、たとえば教科書の編者あるいは教科書会社とか考ええられますね。そういう点では、学校教育の場における教科書の掲載の問題については、だれがその認める主体になるのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ここには認めると書いてございません。「認められる」というように客観的に書いてございまして、したがって、その判定は——判定と申しますか、必要と認められるという客観的なものがあるわけでございまして、それが具体的に合うかどうかという問題は、それぞれの人が、たとえば教科書の編集者、あるいは教科書会社、あるいはこれらの教科書は検定という段階を経てなるわけでございますから、そういう段階において、客観的なものであるかどうかという一応の考え方は出てくると思いますけれども、最終的にそれが客観性において目的上必要と認められるかどうかということは、これは最終的には裁判所の判定にまたざるを得ない。しかし、その具体的な段階においては、そういう段階において客観性として必要であるかどうかという判断が、繰り返し行なわれるということがあり得ると思うのでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 第三十三条の第一項の解釈ですが、そうすると編者であり、場合によっては教科書会社であるというふうなことにもなりかねないわけですが、客観的なと言いながら、やはり客観性を確認するのが主体であると思うので、そういう意味で申し上げておるわけですが、ともかくそういう編者あるいは教科書会社というものが教育上の配慮のもとで無条件に教科書に公表された著作物は掲載できるということになるわけでございますから、そうしますと、著作者にとりましては、この第八十六条第一項の出版権の制限によりまして、教科書に関しては出版権の設定さえ制限されるという結果が生まれてくるのではないかと思うのですが、その点はどうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 八十六条は、出版権が認定されたものについての制限でございまして、出版権が制限されるという意味ではなく、出版権そのもの、設定された出版権自体が制限されるということで、出版の制限とかそういうことではございません。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 この教科書に関しては、著作者にとっては出版権の設定さえできなくなるのでございますか。かって自由に掲載することができるとすれば、何一つ出版権についての設定もできないという状態におちいるのではないのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 教科書に掲載するということと、著者が出版権を設定することと別なことでございまして、すなわち、ある著者が自分の小説をあの出版社から独占的に出版をさせよう、そしてある会社に出版権を設定するということがあっても、この教科書に掲載することは別なことでございますから、その出版権を設定しようとしまいと、教科書への掲載は第三十三条によって行なわれるということでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 だから、著作者にとっては、教科書に関する限り、その権限、著作権といいますか、それは侵害される内容を持つのではないかということを言っておるわけです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 お示しの点は、いまおっしゃるとおりでございます。出版権を設定いたしましても、その部分を、たとえば著作物の出版権の設定されたものの一部を教科書に掲載することについては、出版権をも制限される、こういうことでございますから、出版権というのは、その出版会社が持っておる独占的な出版権というものが、その限りにおいては教科書に載せられるということで、その部分については独占的でなくなるということがあるわけでございまして、それはいまお示しのとおりでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 その点が私は、たとえ教科書の場合でも、問題になる点ではないか。少なくとも著作権法においてそういう著作者の権利というものを一方的に法律によって制限をするということは、問題があるんじゃないかということを考えておるわけです。それと同時に、もう一つは、人格権の問題ですね。それはその際どういうふうになるのか、お聞きしておきたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 出版権というのは、権利者は出版権者、いわゆる出版会社のほうの権利の問題でございまして、著作者の権利はその限りにおいては出版に関しては出版会社に移る、こういうことになるということを、ひとつ御了承願いたいと思います。  それからもう一つの問題でございますけれども、人格権との関係でございますが、これにつきましては、この第五十条というのがございます。第五十条をごらんいただきますと、この著作権と著作者人格権との関係を規定いたしておるわけでございますが、この間の規定、すなわち著作権の制限に関する規定は、「著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない。」これはあくまでも財産権としての著作権の制限であって、著作者人格権とは関係がない、著作者人格権を制限するものではないということでございます。したがいまして、著作権について第三十三条のような制限をいたしましたことは、即著作者人格権が制限されるものではない。著作者人格権は脈々として生きておる、こういうことでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 では、人格権の問題について、これは生きておると言われるわけですが、その場合に、三十三条第二項によりまして、「その旨を著作者に通知するとともに」というのがあるわけでありますが、これはどういう形の通知をするわけですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 著作権を制限いたしますると、当然文化庁長官が定めるところの補償金が著作権者に支払われるわけでございます。したがいまして、あなたの著作物を使いましたよ、そのうち補償金が支払われますよということが、当然著作者ないし著作権者に通知をしておく必要があるということが一つでございます。  それからもう一つは、先ほども御指摘になり生じた著作者人格権との関係でございますが、著作者人格権は著作権とは別個の形で生きておるわけでございますが、その際に、その著作者に通知をする。そうすると、あなたの著作物を使いますよ、あるいは使いましたよということになると、著作者としては、それでは自分のものを変えてはいたいかということで、これを注意を喚起するということで、著作者に対して、著作者人格権についての意識をはっきりさせ、そしてそれによって著作者人格権の侵害のようなことは起こらないように、そういう意味で、二つの意味におきましてこの通知をする、こういうようなことだろうと思います。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 いま次長のほうから、あなたの著作物を使いましたよ、使いますよと、こう二つの言い方があったわけですね。これは明らかに事後通告をあなたのほうは認めておると思うのですけれども、時間ががありませんから私のほうから申し上げますが、これはすでに御承知だと思いますけれども、昭和四十一年四月の著作権制度審議会答申によりますと、「著作権の制限」で「教育の目的のための使用」「教科書のための使用」の項で、「人格権の保護の見地から、使用にあたっては事前に著作者に通知すべきものとし」こういうふうに答申をいたしておりますし、さらにそのあとで「著作者に対する事前通知義務が守られるよう配慮すべきものとする。」こういう文部省が出しております四十一年四月の著作権制度審議会答申がはっきり出ておりますので、これからするならば、明らかにこれほどの著作権制限を受けておる著作者に対して、当然事前通告制というもの、事前通知義務というものがこの改正法の中に明記されるべきであると私は思うのでありますけれども、それがなぜなされていないのか、非常に疑問に思っておりますので、その点お伺いしておきたいのです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 著作者人格権との関係でございますが、著作者人格権の中で、たとえば公表権というようなものにつきますると、すでに公表された著作物に限って問題にしておるわけでございますから、そういう問題との関係はない。一番関係あるのが、同一性保持権との関係でございます。したがって、その著作物の内容をそのまま変更を加えることなく教科書に掲載した場合については、著作者人格権との関係は何もないわけでございます。しかし、それでも通知をしたほうがいいというふうになっておるわけでございます。この場合は、あくまでも著作者人格権との関係が中心になってこういう規定があるわけでございますから、こういう通知をしたから著作者人格権を侵害してもいいというわけではないわけであります。もし通知の有無にかかわらず、著作者人格権の侵害があるならば、これは当然そこに罰則の適用があるということでございます。  そこで、その事前、事後の問題でございますけれども、この通知というものは、全く同じようなもの、全くそのまま掲載するならば、これは別に著作者人格権との関係は生じないわけでございますから、その通知が事前になければならないということにはならないと思います。それからもう一つは、逆にもしも内容を変えるというようなことであるならば、これは事前にやっておかないと著作者人格権の侵害になるわけであります。したがいまして、教科書発行者といたしましては、その状況に応じて事前にやるということが多いでございましょうし、しかし、そうでない場合においては事後でも、特にこの著作者人格権との支障はないわけであります。したがって、事前、事後ということを特に明らかにするまでもないであろう。もし変更を加えるならば、当然通知がなければかえってその問題を生ずるわけでございますから、当然その間に関係が解決されるだろう。したがって、この問題は、具体的な場合において、教科書出版社が著作者人格権の関係に早く通知をしておいたほうがいいという場合もあるでしょうし、あるいはもう少しあとの段階でいいということもあるでしょうし、それから事前、事後というのが一体いつの事前、事後であるか、これは教科書の場合はなはだむずかしいわけでございまして、最初に編集者が入れる場合、それから原稿を完成する場合、あるいは文部大臣に原稿を提出する場合、あるいは原稿についての訂正要求があったとき、あるいは最後の検定合格後において、発行前であるとか、いろいろな段階がありますが、事前にということは発行前だということになると、もうすでにきまってしまったのであるからということになってしまって、かえって問題も生じますから、いつ通知をするかということは、具体的な場合においても異なるということが一つと、それからその時期等につきましては、具体的にはなるべく相互の間の紛争が起こらないようにするために、教科書協会と文芸家協会との間でその点について十分な話し合い等をして、適切な時期に通知が行なわれるようにしたほうがいい。したがって、法律でもって事前とか事後とかいうことを書かないほうがいいということで、事前にということばを省いたということでございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 もうあまり時間をとりませんが、いまのお答えは、法律作成当局として、私はどうも納得がいかない。ことに答申の趣旨は非常に明確に事前通知義務ということを配慮しなければならないと書いてありますので、そういう点から見ると、答申の趣旨からいえばかなり幅の広い解釈をしておるというふうに考えます。しかし、これは時間がありませんから、省略いたします。  最後に、三十三条の第二項に「文化庁長官が毎年定める額の補償金を」という点が、先ほどの御質問でもあったわけですけれども、ここで突如文化庁長官が法律の中にあらわれてくるわけなんですね。そして著作権者に対して支払わなければならない金額を毎年きめるというわけですけれども、これは場合によりましては、教科書会社の利益を保障する金額にならないともいえないという心配も出てくるわけですね。そういう点。さらにもう一つの問題は、文化庁において著作物あるいは絵画、そういうすぐれた芸術品に対する評価を行なうということになりますと、それが一般市場における評価を限定することによって、逆に今度は著作者の権利を侵害していく可能性が生まれてくるのではないか。市価と文化庁が出してくる価格と——これが一つのてこになって、そういう意味での芸術品あるいは著作物に対する制限が、文化庁という役所が選定をすることによっていわゆる公的統制の可能性が生まれてくるのではないかという心配を私は持っているわけですが、その点については、皆さん方の考え方はどうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 御案内のとおり、教科書の価格につきましては文部大臣の認可制でございまして、文部大臣が認可をする場合には、十分な検討を加えた後に適正なる価格を認可するわけでございます。それで、この場合において、たとえば甲氏の著作物と乙氏の著作物において差があるかどうかということでございますけれども、ここで考えているのは、一つは、大体において教科書に掲載する場合は二次的な利用で、たとえば小説なり随筆を一般に公表したものでございまして、公表してそれとしての利用は第一次的にあったわけございます。それからもう一段教科書に使われるのは、その著作物にとってはいわば二次的な使用になるわけでございます。その意味で、第一次的使用においては非常にたくさん印税の入ったものも、二次的利用においては同じような価格にするのが大体の傾向でございまして、現在音楽著作権協会の音楽の著作物をたとえば音楽の教科書に載せる場合におきましても、A氏の歌詞、作曲のものとB氏の歌詞、作曲のものとは、値段を異にいたしておりません。それから文芸家協会の場合も、発行部数、それから量等に応じてきめておりますので、具体的な著作物についてA氏の著作物は高価でB氏のものは著しく価値が低いというようなことは、現実には行なわれていないわけであります。文芸の著作物、音楽の著作物、写真の著作物というように、著作物の種類、それからその用途、あるいは通常そういうものの使用料はどうか、たとえば音楽でございますと、楽譜に載せる場合は幾らであるが、教科書に載せる場合は幾らであるというように、通常の使用料の額と教科書にやる場合との均衡をとるとか、そういういろいろな事情、発行部数とか、教科書の定価とか、そういうことを総合的に判断いたしまして、文部省が行なうところの教科書価格の認可の制度と教科書等への掲載の補償金が調和できるように、十分文部大臣と文化庁長官とが連絡できるようにする、そういう意味で文化庁長官が定める。しかも文化庁長官が定める場合には、七十一条にございますように著作権審議会に諮問をいたしまして、それについては訴える道その他もあるわけでございまして、そういうことによって補償金の額を公正に、しかも子供のための教科書として最も適切なものをやっていこう、こういう趣旨でございます。そういう意味では、文化庁長官が適切に補償金の額を定めることが、著作権者の保護にもなるし、教科書の健全なる発展にも資するものがあるだろう、こういう趣旨でございます。

山原健二郎日本共産党

○山原委員 私は、数点にわたって申し上げたわけですけれども、危惧すべき点があるということで申し上げたわけです。だから、削除して、あるいは修正したらいいじゃないかという気持も含めて申し上げたわけでありますが、時間の関係でおきます。ただ、映画の問題、特にけさ話題に出ておりました写真の問題隣接権の問題につきましては、時期を改めて質問をいたしたいと思いますので、これで質問を終わります。

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 麻生良方君。

麻生良方民社党

○麻生委員 いままでもうだいぶんこの問題は議論されていますし、前国会の速記録もずっと目を通してみました。また、今度質問されていることも、おおよそにおいて問題点は尽きていると思うのですが、総括的な意味で問題になっている点をちょっと指摘していただきたい。長官でも次長でもけっこうです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ここでは私どもがどう考えているかは別といたしまして、私どもより関係団体で問題にしているというような意味で客観的に御紹介いたしたいと思うわけでございます。  第一番目は、応用美術の保護という点でございます。これにつきまして、日本図案家協会等は図案にも著作権による保護を与えるべきだと言っておられるわけでございますが、日本繊維意匠センター、日本特許協会、日本弁理士協会、その他繊維業界では、図案の著作権による保護には反対であるということで、一品制作的な美術工業品を保護するということを明らかにして、その他の染色、図案等の保護については、なお意匠法との関係もあるので、さらに慎重に将来の課題にするということになっておるわけでございます。

麻生良方民社党

○麻生委員 あなたが言う図案というのは、どういうものですか。図案というのは英語に翻訳するとどう言うのですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 条約等ではデザインアンドモデルといっておるわけでありますが、いわゆるこの応用美術といったものがどのようなものを含んでいるかということにつきまして、大体四つのものがいわれておるわけでございます。  一つは、美術工芸品と実用品自体であるという美術的著作物、花びんなら花びんと、日展に出るような花びんというようなものがあります。それから、家具等に施された彫刻と実用品と組み合わされた美術的な著作物。それから先ほど申しましたモデルと申しますのは、量産される文鎮のひな形等、実用品のひな形として用いられる等美術的著作物、こういうようなものでございますが、第四番目に、いわゆる染織図案等実用品の模様として利用されることを目的とするものでございまして、たとえばネクタイというようなもの、あるいは着物の意匠とか、そういうようなもので、それは非常に量産されるというようなものがいわゆる染織図案等のものでございまして、問題として従来ありましたのは、そういう染織図案のような量産されるところの美術的な面をも持っておるところのもの、というようなものでございます。

麻生良方民社党

○麻生委員 それじゃちょっとお伺いしますが、私なら私が図案をかいて、その図案は私のオリジナルなもの、いいですか、それを染織にしてたくさん量産する、その場合どうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 量産されることを目的としたそういう図案としておかきになりますると、それはやはり意匠法によって登録をされませんというと保護をされないということになるわけであります。

麻生良方民社党

○麻生委員 それはこの法律に立てばね。あなたの提案になっておる、政府が提案になっておる法律に立てばそうだが、法律解釈を聞いておるんではない。私は図案としてかいたのではない。私は近代美術、近代絵画としてかいたんです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 それが全く美術的な著作物として特殊の性格を持った、麻生先生の絵なら絵というような、独立性を持ったような絵としてかかれたものがたまたま他のものに利用されるということになれば、それは著作権の作用が及ぶ、そういうことでございます。

麻生良方民社党

○麻生委員 そうすると、私の絵がかりにある人が図案と同じだといっても、著作権が及びますか。  あなた、ちょっとその前に聞くが、絵画とデザインとの差というものをはっきり説明してください。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 絵画とデザインとの差別につきまして非常に激論がございまして、こういうものが絵画でありこういうものが図案であるのかということは、にわかにきめがたい大きな課題であると思うわけでございます。そこで、いまおっしゃいましたものを、先生は絵としてかいたが、一方は図案として同じようなものじゃないかというような問題が起こるわけでございますが、それは一般的にはやはり量産されるということを目的としてかいているか、そうではなくて、まさに絵として鑑賞にたえるということをもっぱら目的としてかかれたものかというようなところで、一応の判定をせざるを得ない。最終的にはやはり裁判所が、これは絵である、絵画である、これはやはり工業的に使用されるところのデザインであると、そういう判定にまたざるを得ないので、片々たる文化庁がいずれにということはできないと思います。

麻生良方民社党

○麻生委員 そうすると、裁判所が芸術であるかデザインであるか判断できると思いますか、あなた、あの裁判官が。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 かつてこの問題については猪熊弦一郎さんが、「花ひらく」という三越の包装紙の問題がございました。猪熊弦一郎さんのような、そういう個性を持った画家がかかれると、そういうものが絵画であるというのが、裁判所の判定では出ておるわけであります。——裁判所ではございません。そういうようなふうに両者間において話し合いがついた、こういうようなこともございます。

麻生良方民社党

○麻生委員 両者間において話し合いがついたということと法律とは、これは別ですからね。示談にしたという意味ですよ、両者間で話し合いがついたということは。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 いまの「花ひらく」の問題は、意匠登録を申請したけれども、これを認められなくて、著作権の著作年月日の登録ですか、申請したわけでございますが、著作年月日の登録は、形式的審査だけで、これが著作物であるかどうかについての判定は下さずして登録するという制度になっております。それを著作登録したということでございますけれども、文化庁は、登録したからといってそれは直ちに著作物であるということは確定するわけではない、こういうことでございます。

麻生良方民社党

○麻生委員 いまの例の話ですが、猪熊さんがかいたからそれは芸術であろうということですが、本来この著作権法というのは、だれがかいたからということではないのですよ。無名の者であろうと有名な者であろうと、それが著作物であると判断されれば、著作権が及ぶわけでしょう。そうでしょう。だから、その判断は適用されないのだ、猪熊さんだから芸術であろうということは。その点はどうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 まことにいま麻生先生のおっしゃるとおり、猪熊さんがかいたから、麻生さんがかいたからというようなことできまるわけではなくて、それはやはりそのもの自体、性格が、一種のキャラクターといいますか、そういうようなものがあるかどうかというところが一種のきめ手になると思いますけれども、最終的には、先ほど申し上げましたように裁判所が判定をするということだと思います。

麻生良方民社党

○麻生委員 最終的にはあなたは裁判所裁判所で逃げますが、裁判所になんか判定されないような法律のほうが、なおもっといいんですよ。  そこで、文化庁長官、あなたは芸術家でいらっしゃるからお聞きしますが、あなたは、たとえばいま国立美術館やあるいは上野の美術館、あるいはもっと言えばフランスの美術館等で開催されておりますね、そこに出品されているいわゆる美術と称するもの、これが絵かなとお思いになりますか、あるいはこれは絵じゃないんじゃないかとお思いになりますか、これは非常に重要な問題ですから、文化庁長官から答えていただきたい、長官の主観判断で。

今日出海文化庁長官

○今政府委員 非常に主観的なものでございますから何とも申し上げられませんけれども、だんだん絵だか彫刻だかわからないような芸術と称するものがどんどんできつつありますから、それは絵だと私が申しても、また先生のように絵に非常にたんのうな方は、冗談言うな、あれは絵じゃない、こう言っても、これはどうしても水かけ論みたいになっちゃうのです。はなはだ絵だか何だかわからない絵がふえつつあるという現象はございまして、それは紛争になったらすぐ裁判がきめるかもしれませんけれども、どうでございましょう、これはやはり主観的なもので、その主張は相当に傾聴すべきじゃないかと私は思います。

麻生良方民社党

○麻生委員 絵だか彫刻だかわからぬものがあるし、絵だか図案だかわからぬものもありますし、私は次の機会にここに実物を持ってきますよ。これを図案と見るか絵と見るかということを判断していただきたい。きょうは持ってきておりません。しかし、近代芸術というのは、もういまや具象、つまりわれわれが頭の中で概念で描く具象的なものからずっと離れておるということは、長官もお認めになったでしょう。そうしますと、すでに絵画とか工芸とか、それから彫刻とかいう差別で芸術全般を論ずるということは、もはや不可能な時代に入りつつあるんですよ。現実において、それは長官御自身がフランスに行ってモダンアートの展覧会をごらんになれば、おもちゃもあるし、電気で動かすものもあるし、それは生産すればもう明らかに大量生産できて、すぐ実用に転化できるようなものも、幾らでもあるわけです。だから私は、せっかく著作権法を今度改正しようというなら、やはりそういう新しい時代の移り変わり、特に芸術についての概念の移り変わりというものをよほど踏まえてかからないと、いまあなたが言われたように、図案に問題がある。これはずいぶん論議されたと言われたが、いま私が一、二指摘したように、図案であるか絵であるかという判断ができにくい著作物が、非常に多くなってきている。しかしそれは、書いた本人がこれはオリジナルなものであると言えば、やはりそういうことにならざるを得ないのです。しかし同時に、そのオリジナルなものは、幾らでも工芸品として転用されるわけです。いまたとえばディオールであるとかだれであるとかいるけれども、ネクタイの柄、ディオールがつくったからそれは著作権があるのであって、そうじゃない無名な者がつくったらそれは単なるネクタイであるというような議論は、著作権法に関する限りにおいては成り立たない。したがって、ネクタイにもまた著作権が及ぶ場合も、幾らでもあり得る。ところが、その判断が、さっきの猪熊さんのように有名なものなら著作権として認めようというような判断が介入する余地のあるような法律は、つくるべきではない。そういう判断が介入せざるを得ないと私は判断しますが、あまりこの論争をたくさんしようとは思いません。思わないけれども、長官、長官ほどの文化人が図案を——つまり図案という日本語で言うと、何となくみんなもそれはそうだと思うでしょう。デザインと言ったら別ですよ。デザインというのは、芸術の分野の一番幅広い分野です。デザイン性のない芸術というのはなくなってきている。それから、実用と芸術というもののけじめというものは、いまつけがたい。すべての芸術作品が、つくられた商品、あらゆる商業主義によって商業商品に利用されなければ、その芸術が大衆化されない。いまはあらゆるものが大衆化されている時代ですが、芸術ほど大衆化されている時代——一番芸術が大衆化されています。つまり、われわれ自身が、テーブルを選ぶのでも何で選ぶか。品質で選ぶのではない。デザインで選ぶ。ネクタイを買うにしても、品質で買うのではない。デザインで買う。つまり芸術性で買うということになってきております。それを、量産されれば芸術でないという判断を持ち続けなければならないという法律は、どんなに改正したって、最も前近代的な法律としてのそしりを免れない。  だから私は、ちょっと結論だけ言います。図案を入れるべきだ。デザインを芸術として認めなければ、裁判所にしょっちゅう判断させざるを得ないような問題が起こりまして、わが文化国家日本の文部省としては、まことにお粗末なきわみになると思いますが、これについて長官のお考え……。次長のお考えでもけっこうです。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 図案とおっしゃる中に、絵画に近いといいますか、それ自体として鑑賞するという、そういうものがございまして、それはまさにこの法律でいうところの美術の著作物に該当するものがあるわけでございます。そこで、その保護の対象とするのがむずかしいと申しましたのは、もっぱら量産を目的とするところの、工業的な製品のためにつくられるようなものを問題にしている、そういうことを申し上げていることをひとつ御了承願いたいと思います。  しかしながら、一面的に言って、それじゃ一体それが美術的な価値がないかどうかという点については、裁判所と申しましたが、裁判所といえどもはなはだ判断に苦しむ問題になるわけでございます。したがいまして、そういうものでも、意匠法による保護と著作権法による保護をダブらせるべきだということもございましょう。あるいは両者を調整すべきだということもございましょう。それは、昭和三十七年以来、著作権制度審議会の大きな問題の一つでございました。しかしながら、これにつきましては、同時に、従来現行法なり意匠法によって保護をされてきているわけでございまして、その秩序を急激に変えることは困難である、そういうことでございまして、いま御指摘のようなことはまことに当然でございますので、これはやはり将来の課題にすべきだ。これは国際的にもまだそれについての統一した取り扱いはできておりませんので、国際的にもそういうものを統一的に考えようという説も出ておるわけでございまして、これは将来の課題として真剣に取り組むべき課題である、かように考えております。

麻生良方民社党

○麻生委員 将来の課題じゃなくて、いまの課題なんですよ、これは。だめだ、あなた将来の課題なんて。いまの課題だから議論されておるわけです。  ここにもう一つ染織の問題があります。染めものの図案です。これはいままでは明らかに図案の概念です。だから、これはいままでは職人という角度でしか扱われていなかった。そういう意味でいえば、絵かきだって、昔は職人ですよ。画工と呼ばれた。ものをありのままにかくということが、画工の仕事だ。しかし、だんだんその芸術性が認められて、いまや絵画というものが完全な芸術になった。同じように、着物をつくる。もともと柄をつくる職人であろうとも、それが独自的な発想で、つまり独創によってそこに描かれたものである以上は、それは芸術なんだ。社会的にどんなに低かろうが高かろうが、そういうものを芸術として認めていくという方向でなければ、私は、せっかくの著作権改正法案も、竜頭蛇尾に終わるであろうということを申し上げたわけです。  大臣もお見えになりましたから、私はそういう点で、一つ一つお伺いするとたいへんなんですから、こういう問題については小委員会へゆだねます。だけれども長官、いま申し上げた、一番しょっぱなに図案の問題が出ましたからしょっぱなの問題になってしまいましたけれども、そういう点でなお幾つか検討を要する問題がありますので、これは小委員会が設置されてから、それぞれまた必要な参考人も呼んで、その中で解明して、文部省としてはさらに取り入れるべき意見があればこれを修正していく基本的な心がまえを持っていただきたい。何が何でももうこのとおりだというようなことではなしに、弾力的にこの法案に取り組んでいただきたい、これを要望いたしまして、これについて特に次長、あなたが一番頑固のようですから、あなたのお答えを聞いてから大臣に聞いてみたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この問題は、著作権制度審議会でほんとうに長い間かかりまして、京都等へも出張いたしまして関係者の意見も聴取する等、調整にずいぶん努力をいたしましたけれども、短日月にはとうてい調整ができない。それで、なお世界的な傾向等もさらに踏まえた上で新しい制度を考えるべきだ、こういう段階でいまのような案が出ておるということを御了承願いたいと思います。

麻生良方民社党

○麻生委員 せっかく大臣がおいでになりましたので——そんなむずかしい話をしませんよ。この著作権法というものは、本来憲法の上に立って、二つの憲法の規定の上から成り立っておると思うのですが、大臣はどう考えますか。この法律の根源、憲法の中にどこにこれがあるか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 私、あまり法律がよくわからないものでございますから、あるいはお答えがとんちんかんになるかもしれません。ただ、やはり著作物というものは、その人間が精魂込めてつくり上げたもの、つまりクリエイティブな、創造的な作品だ。その意味においては、人格を持っておる、生きておると申してもよいのではないかと思うわけです。それだけに、その人しかできないものだ、その意味において非常に大切なものである。しかも、それがその民族なら民族の文化的所産になる。そしてその著作物を保護することによって、次の世代の新しい価値創造というものにつながっていく意味において非常に基本的な、大事なものであるというふうに私は考えておるわけで、その意味において、私は憲法のどの条文にどうなるのか的確には申し上げられませんけれども、大事な法律であるというふうに思うわけでございます。

麻生良方民社党

○麻生委員 私は大臣、こういうことをお伺いしたのです。すべての日本の法律というものは、根源は憲法にある。その憲法が基本になって、その中に書かれておるものがさらにいろいろな形で法文化されてくるわけです。これは法概念としては当然なことです。そこで、私、著作と同時に、著作権の問題は二つの概念をとらえておる。その一つは、表現の自由ということが確保されるということなんです。それからもう一つは財産権の問題なんです。その表現をした結果生まれてくる財産、これが権利として確保されてくる。その両方がからんでいるのが著作権。これがもし単なる意匠登録だけなら、別問題なんです。これと別個に、ともかくそこにものが表現された瞬間から有無を言わさず権利が生まれるということは、憲法上の規定における表現の自由というもの、これが基本的な問題としてあるわけです。この二つを踏まえて、この著作権法という法概念ができ上がってきている過程、これは大臣もそう言われてみればたぶんそういうことだとお考えになると思うのです。そこで、一つは財産権の問題としてこれが論ぜられなければならない。これは当然です。しかし、それ以前に、表現の自由の確保という点から、この著作権問題というものを同時に並行的に論ぜられていかなければならない。幾ら財産権のほうだけ取り上げてみても、表現する過程の中において表現する自由が失われているというようなことがあれば、それは根本的な著作権の精神に反する結果が生まれてくると私は解釈していますが、この解釈について大臣、いかがですか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 いまお教えをいただきますと、なるほどそうかなと思うわけでございます。

麻生良方民社党

○麻生委員 別にお教えするつもりじゃないのですよ。したがって、この著作権の問題というのは、私は先ほど文化庁の次長さんにも長官にもお話ししましたけれども、表現の自由ということがいやしくもそこなわれるようなことがないように、一面において配慮していかなければならない。その表現されたものがあくまで芸術的なもの、思想的なものというものが、背景として表現の自由があるわけなんですから、それがせっかく芸術的な意図あるいは思想的なものを表現する意図によって表現されたものが、著作権として認められないという結果になったのでは、この著作権法の精神が踏みにじられてくるわけですね。そういう意味で、いま一つの問題点をいみじくも次長が初めにお出しになったけれども、図案をつくる者の立場、それは、図案というのは単なる線を書くだけではない。やはりそこには独創的な意図がなければ、何人といえども図案は書けない。たとえば、子供においてすらいたずら書きをしているように見える、親はそれをいたずら書きだと言うけれども、子供にとってみれば独創なのであります、創造なのであります。むしろおとなより以上に子供のほうがある意味で独創的なイメージを、図案という形、あるいは絵という形、あるいはいたずら書きという形でする場合もあり得るわけですね。そういうような独創的な意図をチェックするようなものがあれば、これはやはり謙虚に省みて、改めるべき点は改めていかなければならないと思います。私は、総括的にこの著作権法がいままでずいぶん長きにわたって審議されておる過程も聞き及んでおりますし、また私自身も速記録に目を通しました。しかし、やはり問題になる点は幾つかあります。私はこの成立を拒むつもりは全然ない。しかし、どうせ成立させるならば、いまはちょっと問題があるなと思うものでも、やはり時代の趨勢として、やがて五年後にはそういう方向に向くだろうという判断を委員各位がされたなら、やはり大臣として率直にそれを取り入れていただくお心がまえを最後にお伺いして、きょうの私の質問は終わります。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 十分審議の進む過程におきまして、どうしてもこの辺はもう変えたほうがいいということがございましたら、柔軟に処したいというふうに思うわけであります。

麻生良方民社党

○麻生委員 これで終わります。      ————◇—————

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。  御質疑はありませんか。   〔「なし」と呼ぶ者あり〕

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 ないようでございますので、本案に対する質疑はこれにて終了いたしました。     —————————————

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 これより討論に入るのでありますが、本案につきましては討論の申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。  採決いたします。本案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。  なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 御異議なしと認めます。よってさように決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕     —————————————

八木徹雄自由民主党

○八木委員長 次回は、明後二十日金曜日、午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後四時三十七分散会

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