予算委員会公聴会 第2号
- 発言数
- 39 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1969/03/18
会議録
○委員長(塩見俊二君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。 昨日に引き続きまして昭和四十四年度総予算について公述人の方々から御意見を拝聴いたします。本日も午前中お二人の公述人の方に御出席を願っております。 ただいまから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきましてまことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。 それでは、議事の進行上、お手元に配付いたしました名簿の順に従いまして、お一人三十分間程度で御意見をお述べを願いまして、お二人の公述が終わりましたあとで、委員の方から質疑がありました場合、お答えを願いたいと存じます。 それでは、藤澤公述人にお願いをいたします。
○公述人(藤澤益夫君) ただいま御紹介にあずかりました藤澤でございます。ごらんのように若輩でございまして、いかほどお役に立てるようなことを申し上げることができるか、その点危ぶんでおりますが、私がこれから申し上げることは、社会保障に関するわが国の現状を諸外国との比較においてどのような位置を占め、どういう問題点があるのかということについて焦点をしぼってお話し申し上げたい、このように考えております。あるいは本年度予算という点から見ますと、多少迂遠な話になるかと思いますが、その点はあらかじめ御了解をお願いしておきます。 社会保障と申しますと、もうこれは言うまでもなく国民生活の安定、貧困の防止という点につきまして必要欠くべからざるものと、このように考えられております。ただ、しばしば、これがただ単に受け身の救貧対策である、あるいは貧困問題処理の諸政策であると、このような発想が多いわけでございますが、私は社会保障につきましてもっと積極的な意味がある、こういうふうに考えたいわけでございます。と申しますのは、ただ単に貧困の原因、貧困が発生する諸原因——失業であるとか、疾病であるとか、さまざまの諸原因が社会性をもってあらわれてくる。そういう点だけから社会保障の問題を考えるべきではないものと、このように考えております。と申しますのは、少なくとも社会保障は、それ以外、いま申し上げました社会的な諸要因以外に経済的な諸要因があると、こういうふうに考えるべきではないかと思います。と申しますのは、資本主義の社会が進展し、進化いたしますと、当然そこに所得の不平等の問題が起こってまいります。所得が不平等化する問題が起こってまいるわけであります。そうしますと、当然に社会の消費力というものが片寄ってまいります。社会的な消費力が片寄ってくるわけでございます。したがって、順当な資本主義社会の進行が妨げられる、こういう結果を招くわけでございます。したがいまして、最低生活の維持という政策目標を所得再分配という政策手段によって達成することによりまして、こういう所得不平等を解消していく、あるいはそれを是正していくという機能が非常に強いわけでございます。もちろん所得再分配、垂直的な再分配が起こるわけでございますから、高所得から低所得への再分配が起こるわけでございますから、当然、社会的な消費力、そういうものが高まることになります。そうして社会的な消費力が資本主義の進展に伴って縮小していくのを自動的に食いとめていく制度である、このように考えております。したがいまして、現在、資本主義国に関する限り、その発展段階を問わず、社会保障というものが競って取り入れられ、どこの国にも定着をしている理由をなしているのであろうと、こういうふうに考えます。そういうふうな制度的な機構だけではなくて、機能と申しますか、政策目標と申しますか、そういうものがどこの国も共通でありますから、そこに当然国際比較の基礎が開かれる、このように考えてよろしいかと思います。 言うまでもなく、わが国では社会経済がさまざまな面につきまして、欧米のいわゆる先進諸国と比較し、それへの接近をはかるという発想が盛んに行なわれております。社会保障もその例外ではございません。ただ、社会保障の場合は、そういうふうに欧米と対比し、それへの接近を積極的にはかるという発想よりは、むしろ端緒的には、経済の発展段階に応じた社会保障の度合い、つまり国民の負担能力、そういうもの、国民経済の持っている社会保障を受け入れる素地というものに照らしますと、日本の制度でも十分であると、そういうふうな発想から国際比較がまず最初に行なわれたということは、きわめて特徴的なことであったろうと思います。つまり、日本の制度の現状は満足でないのは確かであるけれども、経済発展が中心的であるからして、それに照らしては相応であるという一種の調和音として展開されたわけであります。 ところが、こういう発想は、ごく単純な国際比較を試みましただけでは、きわめておかしいということが判明することになります。と申しますのは、日本の社会保障は、国民所得に対比いたしまして大体五、六%のところを前後しております。そういたしますと、きわめて経済の発展段階が接近してまいりましたイタリアに比べましてもはるかに劣ることになります。あるいは、ある意味から申しますと、ラテンアメリカ以下的である、こういうふうなことさえ言われることになるわけでございます。こういうふうに単純な比較をしましても、そういう調和発展論というものが力を失ってまいりますと、次には、ほかの国際比較と並んで欧米諸国への接近ということが表面に出てまいるようになります。大体、昭和三十年の初め、わが国で国民皆保険あるいは皆年金というものが実現した段階から、そういう政策発想が出てきたように記憶しております。具体的に申しますと、たとえば、社会保障制度審議会が三十年代の初めに答申いたしました勧告の中では、近い将来——まあ十年ぐらいを想定していたらしゅうございますが、西欧水準への接近をはかることを政策目標とすべきであるというふうな、発言と申しますか、建議と申しますか、そういうものになってあらわれてくるわけでございます。とりわけ、その後、日本の経済成長が進みまして、一人当たり国民所得の規模が現在のように八百ドル段階から千ドル段階への接近がもう目睫の間に迫ってまいりますと、この議論はなかなかに力を得てまいります。ところが、よく考えてみますと、西欧への接近と申しましても、西欧の社会保障の型が大きく二つに分かれているわけでございます。 一つは、これはもう御存じのとおりに、EEC諸国、西ドイツであるとか、フランスであるとか、こういう国を中心とする制度の仕組みでございます。これは比例型と私どもは呼んでおります。比例型と申しますのは、拠出の徴収を、所得に応じて保険料を徴収するわけでございます。拠出を所得に応じて徴収するわけでございます。そして、その拠出に応じて給付水準が設定される。なお具体的に申しますと、従前の賃金水準、従前得ていた所得水準から一定割合以下には下がらないようにする、どういう制度の仕組みでございます。具体的に申しますと、日本の制度で申しますと、たとえば健康保険制度であるとか、厚生年金保険であるとかいうものが、不十分ながらこれに相当するというふうに考えられます。もう一つの型は、イギリスや北欧、いわゆる福祉国家と言われている諸国でございます。これは均一型とわれわれは呼んでおります。これは従前の所得やあるいは職業、そういうもの一切にかかわらず、全国民均一に同一の額を設定するわけでございます。給付水準を設定するわけでございます。したがいまして、国民所得に対する比率をとりますと比例型のほうは高く出てまいります。大体八百ドルから千ドル段階になりますと、対国民所得比にしまして一〇%を上回ります。あるいは二〇%近く、西ドイツやフランスのごときに至りましては二〇%近くにまで及ぶわけでございます。これに比べまして均一型は一〇%前後という実績を示すわけでございます。そういたしますと、単純に西欧型への接近ということは、しかくいうごとく簡単ではない。日本の制度の仕組みが、あるいは構成原理がどちらを指向して、どちらに傾いているかということによって多く決定されるであろう。そういたしますと、たとえば日本の場合には、ごく単純に申しますと、均一型と比例型の混合形態だと、このように考えられます。 いまもお話し申し上げましたように、比例型の制度の代表としては健康保険や厚生年金、被用者保険といわれているものがこれに相当いたします。それ以外に国民一般に対する国民健康保険であるとか、あるいは国民年金とかいわれるものが、これがいってみれば均一型に相当するわけでございます。そしてまた従来の経緯からいたしますと、明らかに日本の場合は比例型に中心を置きつつ全国民に社会保障を均てんするための一つの政策指向として均一型がこれに補足された、こういうかっこうをとるのではないか、こう考えられます。そういたしますと、しばしばいわれている西欧型への接近ということが、少なくとも北欧型を目ざしてはならない、それでは低過ぎる、過小に過ぎるということになるわけでございます。 一例を申し上げますと、今度の国会にも提出されております二万円年金案というものがございます。厚生年金の改正によりまして給付率を二万円にする。この二万円という水準が、国際的にいいますと、わが国の年金制度を世界の一流国並みにするのだ、少なくともイギリスの水準を上回る結果になるのだ、このように説明されております。ところが、いまも申し上げましたように、厚生年金というものは比例型の制度でございますから、少なくともフランスや西ドイツ、そういう国の制度と比較しなければならない、こういうことになります。そうすると、大きな格差を残しているといわなければなりません。少なくともイギリス等の均一型を主体としている国の水準と比較いたします場合には、同じく均一型を目ざしています国民年金等の給付水準とこれを比較しなければならない。その点からいたしますと、きわめて見劣りがするという結果になるわけでございます。日本の制度につきまして、比例型か均一型かという点の識別、並びに同じ西欧水準への接近を目標といたすにしましても、こういう点での識別が重要な点になろうかと考えられるわけでございます。 ところで、日本の社会保障制度の発展割合を見ますと、先ほども申し上げましたように、すでに国民所得は八百ドル段階に達しているにもかかわらず、社会保障給付費の対国民所得比は六%を切る、あるいは六%を前後するというふうな状態にある理由はどこにあるのかと申しますと、言うまでもなく、わが国で見るべき制度が医療保険を中心とする医療保障制度しかないことにあるわけでございます。諸外国の例に徴する限りにおきましては、いまも申し上げましたような経済の発展段階に応じて一〇%からあるいは二〇%に至る給付を確保するだけの経済的な力は先進諸外国の経験に徴する限りにおいては可能性を強く持っている、こういうふうに見なければなりません。また、そういうふうな意味での要求と申しますか、国民的な要求も強いことも、これはもう言うまでもないわけでございます。ところで、いまも申し上げましたように、日本の制度が六%ほどを前後しているわけでございますから、急速にこれを伸ばさなければならない。とりわけ非常に劣っている年金、並びに制度それ自体が皆無である児童手当等の急速な整備を必要とすることは、言うまでもないわけでございますが、もう一つの問題は、最近の財政硬直化等々の諸原因を前提といたしまして、医療保障費がかくも急増している現状においては、年金の充実あるいは児童手当制度の創設等につきましては、医療保障費に圧迫されまして、その余力が失われていると、こういう発想がございます。確かに日本の制度はきわめてへんぱな形をなしております。と申しますのが、ILOの資料によりまして、多少時点はさかのぼりますが、比較いたしますと、日本の場合、社会保険等を中心といたしました制度の中で、医療保障の占める割合は実に七割を占めております。諸外国の例に徴しますと、比例型の場合、これが三割を切るわけでございます。三割弱でございます。均一型の場合、四割強でございます。年金につきましては、いずれの国もほぼ四割と、こういう給付水準にあるわけでございます。日本の場合の年金は一〇%程度でございます。児童手当は、これはございません。西欧の場合、比例型の場合は、児童手当は全給付費中に占める割合が二割を占めます。均一型の場合は一割強を占めます。ところで、このように七割を占める医療給付費の前に圧迫されて、はたして余力がないのかどうかということを試算いたしたいと思います。一つの目安をつけますために、日本の医療給付費をそのまま固定いたします。七割を占める実額を固定するわけでございます。これをそのまま固定いたしまして、この額がそのまま、日本の制度の場合七割でございますが、比例型のように三割弱というふうな比重にしたらどの程度になるだろうか、総額がどの程度にふくらむであろうかということを考えます。そして算術計算をいたしますと、結果といたしまして、もし比例型のような給付構成をとりますと、西欧並みの年金給付あるいは児童手当、そのほかもろもろの諸制度を実現した暁には、対国民所得比にしまして一〇%強でございます。あるいは均一型にいたしますと、実に七%程度になります。そういたしますと、年金や児童手当のおくれは、医療保障の前に圧迫されて余力がないのではなくして、医療保障しか見るべき制度がない。先ほどの国際水準に照らしましても、こういうことが証明できるかと考えます。医療保障制度が七割を占めるのは、ただ単に見るべき制度が医療保障しかないことの結果であって、決して逆ではないということがある程度推測できるかと、このように考えます。 さらにこういうふうな、言ってみますと、年金であるとか児童手当であるとか、防貧的な機能を負うべき諸制度がきわめて薄いために、いまも申し上げましたように、医療保障制度しかないために、社会保障支出の制度別構成においてどういう結果を招いているかと申し上げますと、他の諸外国は——ヨーロッパを中心とした諸外国でございますが、先進諸外国は、日本の生活保護に当たる扶助、援助というものが、すでに一割から一割を割り込むという段階に達しているわけでございます。ところが日本の場合には、まさに防貧ではなくして救貧のための制度である、こういう諸制度について、二割を上回る率を占めるという結果を示しているわけでございます。しかもこれが、ヨーロッパ諸国が初めから一割を割入込んでいたわけではございません。戦後すぐには三割、四割、ひどい国になりますと、そういう高い率を示したわけでございます。ところが他の所得保障制度であるとか、いま申しましたように社会保険を中心とする所得保障制度あるいは医療保障制度が充実して、これが防貧機能を果たすことによって、事後的な救貧費の割合が軽減していく。すでに一割前後あるいは一割を割り込む、こういう結果を示しているわけでございます。日本の制度につきまして、とりわけこういうふうな救貧的な割合がきわめて多いということは、年金や児童手当、そのほかもろもろの防貧的な諸制度が少ないことによる欠陥が露呈されたのであろう、このように考えるわけでございます。 これにつきましては、もちろん歴史的な経緯そのほかがございますが、時間がございませんので、多少省略させていただきまして、いずれにしましても、社会保障の問題をごく概括いたしますと、防貧あるいは救貧機能を果たすに十分な給付水準をまかなう費用の調達のあり方いかんというところに、大きな比重がかかってくるわけでございます。冒頭に申し上げましたように、社会保障の政策目標である最低生活の維持ということは、政策手段としての所得再分配がどの程度に効果があるかによって決定されると申しても過言ではございません。こういう点から考えますと、わが国の制度はきわめてあいまいなと申しますか、あるいは後進的な性格を示していることになります。と申しますのは、社会保障の進展と申しますのは、従前は私的な対応、個人的な貯蓄であるとか、あるいは私的な保険であるとか相互扶助であるとか、こういうところによって処理がまかされていた部分が、次第に社会的な扶養に移っていく、社会的な責任において処理していく、そういうふうなことに転じてくることを意味するかと思います。そういった意味での集中的な表現は、まさに費用負担における本人負担部分が低減するというところにあらわれるわけでございます。これが西欧の段階を見ますと、均一型諸国におきましては、本人負担部分は二割でございます。比例型制度におきましては、実にこの二割すらも割り込んでおります。ところがこれに反しまして、日本の場合は、本人の直接負担する部分が二割六分強を占めるような状態にございます。これに、大体本人負担部分が低減するわけでございますから、直接的な本人負担割合が、西欧的な費用負担においてはすでに二割まで下がっているといたしますと、あとの八割の処理のしかたが、事業主あるいは国の負担において処理される、こういうことになるわけでございます。そしてまた、ここでも比例型と均一型の構成原理の作用が及びまして、比例型制度においては、本人が二割に下がって、あとの残余の八割のうち、おもな部分を事業主負担が占める、こういう形をとるわけでございます。均一型制度におきましては、本人が二割を下回ってしまった残余の八割のうち、中心的な費用負担者は、政府ないしは地方公共団体等が占める、こういう形をとるわけでございます。 ところが日本の場合には、この負担区分が必ずしも明確ではございません。まず第一に、本人負担部分が西欧諸国に照らして非常に高いということが、まずあげられなければならないのと同様に、事業主負担部分と政府、公共団体負担部分がそれぞれ三割ずつを占めるというあいまいな性格を示すようになります。この一半の理由は、生活保護費等が高いことによって国の負担が高まる、こういう結果になるでありましょう。そういたしますと、先ほどもお話し申し上げました防貧的な機能を強化し、拡充によりまして浮いた財源というものは、当然に本人負担部分の低減あるいは削減に回す余力がそこから生まれる、こういうふうに考えることができるかと思います。これはごく小さな一例でございますが、いずれにいたしましても、給付水準が高まることと本人の負担割合が低減していく、これが社会保障の進展の一つのパターンであるという点が重要な事項になろうかと考えるわけでございます。 こういう点からいたしますと、日本の制度はまさに早急に拡充されべきでございます。ところが、日本の制度につきましては、最大の欠陥と申しますのは、社会保障の今後の進展につきまして明確なタイム・スケジュールを有していないというところに尽きようかと思います。現在の社会保障経済発展計画によりますと、現行よりほぼ二%程度を七十一年度までに高めることという総括的な政策目標が掲げられているだけでございます。その点から勘案いたしますと、いかなる制度をいかなる時点において拡充し、いかなる程度まで国民生活のうち消費部分に対する社会化が進展しようとしているのかという意味での計画がないというふうに考えられる、あるいはないと申しますか、あるいはきわめてずさんであるという以外はございません。ところがわが国の場合、社会保障の進展をながめてまいりますと、さまざまな点で、医療保障を中心にして動いてまいりましたために、意図せずしてそういうふうな再分配効果が高まるような方向に進んでいるということは申せようかと思います。と言いますのは、社会保険のうち、医療保障が最近も問題になっておりますが、医療保障の財政問題、赤字の問題といいますのが、過去大きな山が三つほどあったかに記憶しております。これがみな日本経済の好況不況の波とほぼ符節を合わして起こっているわけでございます。たとえば不況期となりますと、中小企業を中心とする諸制度である政府管掌健康保険が赤字となります。あるいは賃金との相関があまり強くない国民健康保険が赤字となると、こういう形になるわけでございます。そしてそこで赤字解消のために国庫負担が導入される。そうしますと、意図せずして財政構造を媒介にした再分配効果がそこで果たされる。先ほども申し上げましたような社会的な消費力の底入れが、わずかながら医療保障の部分において行なわれる、こういう結果を招いておるわけでございます。そのうち日本の経済がやや回復してまいりまして、好況期になりますと、賃金上昇、そのほかの諸要因によりまして、保険財政が多少ゆとりを持ってまいります。そうしますと、そこで給付率が進む、このイタチごっこを繰り返してきたわけでございます。結果的には確かにプラスの側面がございました。 今後のわが国の社会保障の発展といたしましては、こういうふうに結果的に、あるいは意図せずして生まれた効果などというものにたよるのではなくして、まさに計画を持って、そしてまた国民諸生活における諸事項を網羅するという方向に進まなければならないのではないか。先ほどからるる申し上げましたようにそういう必要性は高いし、また日本経済の現在の実態からして十分その基礎はある、このように考えるべきであろう。そしてまた、ただ単に高度成長ばかりを追いかけてまいりました日本経済が、そろそろ安定成長というものを真剣な政策目標に掲げなければならない時期に達しますと、社会保障における経済安定効果、自動的な安定効果でございますね、あるいは所得再配分効果というものがますます重視されてしかるべきである。したがいまして、ただ単に社会的な摩擦であるとか、社会不安の除去、緩和であるとか、そういう点はかりではなくして、日本経済そのものが今後安定的な発展をはかるために、内部的に社会保障の充実というものを要求している、このように考えてよかろうと思うわけでございます。 まことに大急ぎで申し上げましたことで、措辞至らぬところが多く、さらにまた、さまざまな論点を省略いたしましたので、これは後ほど御質問がございましたら、そのおりにでもお答えいたしたいと思います。時間が参りましたので、これで打ち切らしていただきます。御静聴を感謝します。
○委員長(塩見俊二君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(塩見俊二君) 次に、石川公述人にお願いをいたします。
○公述人(石川英夫君) ただいま御紹介にあずかりました石川でございます。 日本の農業の当面しております幾つかの側面につきまして、農業問題を論評している者の立場として、若干の御意見を申し上げさせていただきたいと思います。 この昭和四十四年という年は、わが国の農業や農業政策にとって、あるいは後世一つの画期をなした年として記録をされることになるのではないかと思います。その理由といたしましては、いま国会で御審議されております四十四年度予算に盛り込まれておりますように、わが国農業の基幹作物であるお米につきまして、まずその生産面について、わずか一万ヘクタールでございますけれども、作付転換という施策で、それに必要な経費が計上されておるわけでございます。また、お米の流通につきましては、自主流通米という名のもとに、いわゆる直接管理の根幹はくずしておりませんけれども、政府が直接売買にタッチしないという形でもってのお米の流通が公認されようとしておるということでございます。 まず、このお米の作付転換というのは、明治百年来のわが国近代農政にとっては初めて講じられようとしている施策としてこれは注目されます。また、自主流通米も、昭和十七年、お米の直接統制の食糧管理制度が始められまして以来の措置であるというふうに、非常に着目されると思われるのであります。米の生産と流通に関する新しい措置は、昨年来政府が打ち出しておりますいわゆる総合農政の骨組をなすものというふうに見られているのでございます。しかしながら、この最初の二つの措置に引き続きまして、どのような次々に日本の農業にとって重要な関係のある措置が体系的に打ち出されるかということについて、またそれによって日本の農業がどのような進路をたどるかということについて、まだ政府からは、遺憾ながら、はっきりした御表明がされておりません。ここに農業と農政のこういう画期に直面しながら、全国の農業者並びに農業関係者の間にかなりの不安と動揺が広がってきたということはいなめないところであるというふうに思うわけでございます。 それは、今度の措置、つまり、いわゆる総合農政というものが、今年の十月末に五百万トンにのぼるといわれますところの政府米の過剰在庫とか、あるいはまた三千億にものぼる食管特別会計の赤字、こういうふうな赤信号に直面いたしまして、どうやら農政が急ブレーキをかけようとしておる、いわば財政上の見地から申しますというと、さしあたりの緊急措置として打ち出されたという性格が非常に濃いことからきておるというふうに思われるのであります。 ところで日本の農業の方向づけに関しましては、八年前この国会を通過いたしました農業基本法というものがございます。この法律に基づきまして、政府は農業政策を、いわゆる基本農政という名のもとに展開してまいりましたわけでございます。いま新たにここに総合農政という新しい看板がつけ加えられなければならなくなったということ、このことは、非常に日本の農業と農政について大きな意味を持っておるものと思われるのでございます。これについて若干の見解を述べてみたいと思います。 申すまでもなく、一国の農業の役割りというものは、国民の必要とする資源の適正利用によりまして、農産物を安い価格で安定的に国民に供給することであります。ところで、農業生産についての資源的な三要素と申しますのは、申すまでもなく、土地、資本、労働力でございます。この土地、資本、労働力の適正な組み合わせというものが実現されますと、農業はその国民経済的な要請に円滑に応ずることができるわけでございます。この組み合わせをいかにはかるかということは、かかって農業者の主体的な創造力というものにかかることでございますが、何しろ農業というものは国民経済の中の非常な後進部門でございますので、やはり何らかの意味での国民経済負担が必要であるということは、これは言うをまたないと思います。その国民経済負担と申しますのは、一つは財政負担であり、また消費者の負担するところの農産物価格ということに相なりましょう。そこでまあ、ことにこの予算、財政というような点がきょうの論点でございますので、今国会で審議されております四十四年度予算並びに政府がこの国会に提出をされようとしております幾つかの法案に関連づけて、以上の点を検討してみることにいたしたいと思います。 まず、三要素と申し上げました第一の土地でございます。これについては、政府は農地法の改正案を今国会に提出しております。これはたびたび流産の憂き目を見ているわけでございます要するに、この農地法改正案で政府がねらおうとしているところは、賃貸借解約を自由化することによって農業経営規模の拡大をはかる。つまり、土地というものが規模拡大をしようという農家に適正に移動する、移動をはかるということによって、資源利用の有効化をはかろうという考え方のようでございます。で、これらの措置につきましては、まあかなり農地改革以来の固着化いたしました農地制度を何らかの意味で緩和しようという見解に立っております。以上、これについてはとやかく申す筋合いのものでもございませんと思いますけれども、かりにこういうようなその制度の改正だけでもって農業経営規模の拡大とか資源の適正利用ということがはかれるだろうというような、それだけのものしか見解に立っておりましたとしますれば、これはきわめて不十分と言わなければいけないというふうに思うわけでございます。つまり、だれが農地を借りて、だれが土地を拡大し、資源の有効利用をするのか、その有効利用する中堅的な農業者の主体というものを政府がいかなる財政並びに政策的な援護で伸ばしていこうとするのか、この点についての成案がありません限り、単なる農地法というものの改正によって何かすこやかなる農業者が育つということを期待することは無理ではないかというふうに考えます。 次に、土地をめぐりましては、農地価格の問題がございます。急テンポでいままで上昇しておりました農地価格が、昭和三十七、八年ころはちょっと上昇が鈍化したんでございますが、昭和四十年代に入りましてまた再び激しい上昇を続けておる。年に前年に比べまして一〇%以上の上昇というような激しいスピードでございます。これは農地の円滑なる流動化ということを妨げていることは申すまでもございません。この農地価格の上昇の背後にはさまざまな要因がございますが、やはりこの都市化に伴います市街地価格の上昇というものが非常に大きな影響を及ぼしている。といたしますれば、この農地価格の問題を処理いたします上において、こういう高騰する市街地価格からの影響をいかなる法的並びに財政的措置によって遮断するかということが考えられなければならないと思います。一つには、厳重なる法的拘束力を持った土地利用の規制ということが考えられましょうし、あるいはまた、すでに流産になりました農地管理事業団に似たような構想というような形で国家機関がこれに介入するということも考えられましょう。いずれにいたしましても、農地価格の問題というのが土地利用について大きな問題になっておるということだけをここで申し上げたいと思います。こういう中でもって、耕地利用率の低下というものが非常に注目されます。昭和三十五年全国の耕地利用率は一二三%でございましたが、これが四三年になると一一八%に下降している。こういう形で、日本に土地資源がありながら、これが有効に農業に利用されていない。その結果はどうかと申しますというと、農産物の輸入の増加である。ことに、そういうような遊休した土地に作付けられるべき飼料というものが実に、四十二年度でございますが、四億ドル余りも外国から輸入されている。こういうことは、やはり土地、資本、労働力という農業の三要素の中のその土地について見ましても、この資源の有効利用がはかられていない、ここに何らかの日本農業の欠陥があるということを指摘せざるを得ないわけでございます。 次に資本でございます。資本蓄積水準の低い農業部門に対して、いろいろな財政、金融援助が必要なことは、私すでに申し上げたとおりでございますが、四十四年度農林関係予算を見ますというと、どうやら農業に対する資金供給というものは、かなり積極的な融資政策で政府は行なわれようとしておるようでございます。たとえば、予算をざっと拝見いたしますというと、自立経営を志向する農家に対しますところの総合施設資金というものが二十億から八十億へと四倍にふえたり、農業近代化資金は四十三年の一千億から三千億に融資ワクが拡大されようとしている。このこと自体は、一応けっこうなことというふうに申し上げなければなりませんと思います。しかしながら、これらの政府資金というものが、農民の立場から見ますというと、とかく施設資金だけに片寄って供給されている。施設を建設いたしましたあと、その経営をどういうふうにして円滑に運転さしていくかという運転資金については、かなり高い農協のお金とか民間のお金を農業者が使わなければならないという苦衷がございます。この点について、融資政策の積極化はけっこうでございますが、円滑にその経営並びに施設が運転できるような資金についての御配慮が必要ではないかというふうに思われるのでございます。また、近代化資金につきましても、その原資三千億は、これは農協資金によるわけでございまして、政府資金ではございません。その点、一応政府が融資政策を積極化されようとしているようでございますが、その原資が農業協同組合であるというところに一つの問題がないかというふうに思うわけでございます。 次には、資本については、金融だけではございませんで、農業関係予算の非常に大きな部分を占めますところの農業生産基盤整備費でございます。これは四十四年度予算では前年度より一六%増ということでございます。なお、この農業基盤整備費の運用にあたりましては、新規開田の抑制と畑作並びに草地改良へ重点を移行するということを政府がうたっておられます。この観点に沿って政府は土地改良長期計画の再検討に取りかかるということを表明されておるわけでございますが、私ここでもって一言申し上げたいのは、土地基盤というものが従来水田と畑というふうにもう伝統的に区分されて考えられているという点を、いま革新する必要があるのではないかというふうに思います。この水田と畑の区分があるというのは、米作を中心にいたしますところのアジア・モンスーン地帯だけの特徴でございまして、水田というものは、水が自由に管理できるところの耕地を水田という、しからざるところは畑であるというふうにいままで観念されてきておるわけでございますが、将来の新しいビジョン的観点に立ちますと、むしろ水田と畑の区別というようなものをこの際払拭して考えるべきではないか。畑といいましても、その土地生産性を高めるためには、水田に近いところの水の調節、水利の完全制御が必要なのでございまして、水田、畑というものを一本に考えまして、水田についてはさらに水管理を徹底的に行なうことによって土地生産性を徹底的に上げる。そうして、お米の需要が将来千二百万トンくらいであるといたしますと、お米のヘクタール当たり収量が六トンぐらいになりますというと、大体二百万ヘクタールくらいでもって日本の必要とするお米はとってしまう。その他の水田では百万ヘクタール、畑を合わせれば三百万ヘクタールくらいでございますが、これについてはさらに水利の徹底的な改良をはかりまして、もしかお米の供給が不足のときはそういうところにも緊急にお米を作付ければ十分にお米がとれるような水田基盤をつくる。で、お米の需要が縮小しておるときは、飼料作物にいたしましても、野菜にいたしましても、果樹にいたしましても、国民の必要とするところの農産物を非常に高い生産性でもって生産できるような基盤をつくるという考え方がいかがかというふうにわれわれ研究者の仲間ではこのごろ討論しておるわけでございます。そういう形で水田の基盤整備、畑の基盤整備を行ない、単なるいままでの古い土地改良という観念からさらに進みまして、いわゆる農業における一つの生産装置というようなものまで高めていくことが必要ではないか、こういう観点に沿って、お米が単に過剰になったから土地改良事業を消極化するということではなくて、むしろ日本農業の国際競争力を強めるために、そういうような一つの徹底的な基盤整備ということが必要であろうというふうに思うわけでございます。さらに、畜産振興のための草飼料の増産基盤という観点からも、土地基盤整備は積極的に行なわれるべきだというふうに思うわけでございます。 その第三に、農業生産の第三の要素であるところの労働力については、これはあらためて詳しく申し上げるまでもないと思いますが、農業からの人口流出の問題がございます。四十二年にすでに全国の農業就業者は九百三十六万人と、一千万人の大台を割っております。また、農業を主とする男子就業者のうち三十五歳未満の者は、三十八年の百四十二万人から四十二年には九十六万人まで減っている。しかしながら、私がここで注意を喚起いたしたいのは、とかくこの労働力の問題は若年労働力の減少という面だけしかいままで見られなかった。しかしながら、多くのこの中高年齢層の滞留というようなこと、農村がだんだん老人化しつつあるところのこの日本国の中において、農民家族というものは非常に多くのやっぱり老人というものをかかえていく形勢にある。こういうところから、まあ政府は今度農民年金問題というようなものを一つの政策として打ち出されようとしているようでございますけれども、この例を申しますというと、六十五歳以上人口のうち農家人口の割合——全国の六十五歳以上の人のうち農家のかかえております人口の割合は、男は五〇%、女は四六%というような例でございます。さらに、いま働いております中年の農業者について考えますというと、将来非常に激しい形で農業で技術革新がいま行なわれようとしております稲作についても、さしも困難であるといわれたところのこの田植えの機械化というものも、この両三年のうちにこれは機械化されようというような形勢にあります。そういたしますというと、この農業合理化に伴いまして、いま一人前の農業者として働いている中年層くらいの人がいつやはり生産から疎外されるかということも、これははかり知れないわけでございます。そういう意味でございまして、当面滞留している老年人口からさらに将来農業の技術革新に伴いまして顕在化するであろうところの中年層にまで至っての一つの中高年齢者対策というものをことに農村においてどういうふうに講ずるかということが、これからの大きな政策課題として登場するというふうに私は考えておるのであります。この場合、そういうふうにして生産から疎外されても農村に住んでいく人たちに対して、農民年金もしくは国民年金の拡充という形での社会保障によるのか、あるいはまだ十分働く能力のある中年齢層でございましたならば、これを職業転換という形によって他産業に吸収をはかる。これをまあ、いずれ人のことでございますから、上からとやかくというような強制力は発揮できないわけでございますけれども、いずれかのやはり政策的な選択の道というものが期待されることになるのではないかというふうに思うわけでございます。 以上述べましたとおり、ごく概括的にある側面を散発的に述べたような感もございますけれども、日本農業の土地、資本、労働力の三要素の姿というものを見ますというと、それぞれに非常に重大な問題をかかえております。非常にやはり、それらの三つの要素の組み合わせ、円滑なる農業体制の確立には、なおなお数多くの困難があるということの認識がまず必要であろうというふうに思われます。そこへもってきまして、日本の農業の国際環境を見ますというと、数年前は需給関係が緊迫していたといわれる世界の農産物需給関係というものは、とにかく緩和の形に向かいつつある。先進資本主義国のことに農業では、これはやはり一つの供給過剰という局面が、たとえばヨーロッパEEC諸国を見れば明らかなように、だんだんだんだんと出てきている。日本においては五百万トンというような一つのお米の過剰在庫というものにあらわされますように、日本農業もまたそういう意味では先進資本主義国農業としての苦難というものの時期にいま差しかかろうとしているように思われるのでございます。こういうような情勢にあります。 さらに、その予算並びに法律措置において、農業部門にに対する援護を積極化することが必要であると思われるのでございますが、日本の農業の困難のさなかにあって、単にその日本の農業というものの局面が灰色でありまっ暗であるというだけは申せません。私、職業上、全国の農村におもむきまして、いろいろ農業経営の先進的な事例を調査、研究しておるわけでございます。時と所によっては、実に農業者の集団的なすばらしい創造力によって新しい農業経営計画というものが築かれつつある事例にぶち当たるのでございます。それらのこまかい事例についてここでお話し申し上げる時間がないのは、たいへん遺憾でございます。それらの新しい農業経営タイプ、新しい先進事例を見ておりますというと、何ゆえにこういうような先進的事例というものが全国的な一つの広がりを持ち得ないかということについて感なきを得ないのでございます。それは、かかって農業の発展というものは、単にこの財政とかあるいはまた法律の援護だけではなく、冒頭申し上げましたとおり、やはりすぐれた農業者の人間能力というものにかかるところが多い。その地域環境によりまして、たまたますぐれた資質ある農業者というものによる新しい農業の実験の試みが行なわれている。政策というものは、これをすなおに受け取りまして、こういうような発展の芽をつみ取ることなく、むしろそういうような新しい経営事例、新しい農業者の提出しております種々の問題にこたえながら、それを受けとめながら、積極的にそういう人たちを援護していくという姿勢に転換することが必要ではないかというふうに思われるのでございます。とかく農林省の制度、あるいはまた農業関係の諸制度というものは、いままで、低い後進部門を引き上げるというようなことのために、上から下へという指導体制が非常に精密に組まれておりまして、ただしこれが下から上へという一つのパイプをつくるという点についてなおなお十分でないというふうに思われるわけであります。この体制そのものをどういうふうにつくっていくかということについては、まだまだ検討の余地が多くございましょうけれども、そういうような一つの下から上へのパイプをどうつくるかという問題。 さらにもう一つは、将来の農業発展、非常に複雑な経済環境の中にあります農業発展というものが、いわゆる狭い農業政策のワク内だけではなかなか期し得ないということについても、ひとつお考えいただきたいというふうに思うわけでございます。狭い農業政策のワク内で、農民の所得の向上だとか、生活水準の平均化だとか、そういうことをはかってまいりますというと、その結果の一つが生産者米価の例年の引き上げとその結果としての過剰在庫というような結果を招いたようにも思うわけでございます。狭い農政のワク内で農業者の要求というものを取り上げますと、とかくそういうことになりがちであります。しかしながら、たとえばその雇用制度にいたしましても、社会保障制度にいたしましても、冒頭申し上げました地価の問題にいたしましても、要するに、この日本経済の成長のルールの中にいかに農業を合理的に組み込めて、農業以外の諸施策の総動員によってこの後進部門たるところの農業をどういうふうに引き上げていくかということが、第二に一つの大きな政策課題になるかというふうに思うわけでございます。 第三の問題として、またこれは農業の問題に立ち返って申し上げますというと、冒頭申し上げましたとおり、農地法というものを政府が一部改正しようとしている。これはあくまでもいままでの自作農体制というもののワク内での改正である、そのワク内での賃貸借解約の緩和、自由化であるというふうな御説明でございます。しかしながら、将来のこの農業発展を考えますというと、いわゆる農地改革でもって創設されました家族自作農という体制、こういうような形での家族自作農という体制だけで新しい農業形態が形づくられるものかどうか。それに対比いたしますには、各地の先進的事例を見ますというと、法人経営でございますとか、あるいはまた企業経営でございますとか、共同経営でございますとか、幾つかのやはり個別的家族的経営を離れた新しい経営事例によって農業の発展をはかっていくという事例もあるわけでございます。農地改革で創設されました家族自作農、それを擁護していくという家族自作農主義というようなものが徐々に時代の趨勢とともに変更を迫られざるを得ないような情勢に来つつあるのではないか。それでは家族自作農にかわる新しい農業経営主体のイメージをいかに築くかということも、これは一つの大きな研究課題に相なろうかというふうに思うわけでございます。総合農政という形でもって新しい一つの農業の方向というものがいやでも築かれねばならなくなってきているわけでございます。そういう一つの端緒を、これを禍を転じて福となすと申しますか、日本の農業が古い体制から新しい体制へ脱皮する具体的な政策、スケジュールというものが一日も早くつくられまして、そうして農業者が安定した農業発展にいそしめるような一つの体制を形づくることが、いまや私たち農業関係者にとっては急務であるというふうに考えております。 たいへん口幅ったいことを申し上げまして恐縮でございました。私の公述はこれで終わります。 —————————————
○委員長(塩見俊二君) それでは、公述人の方々に御質疑のおありの方は順次御発言を願います。
○山本伊三郎君 先に藤澤先生にお尋ねしたいんですが、いわゆる先進諸国との比較でいろいろお話がございましたが、ごもっともだと思うんですが、お尋ねしたいのは、まず第一に、比例型に移行するということが社会保障内容の充実と同時に被保険者のいわゆる負担軽減につながる、こういう趣旨であったと思うんですが、わが国の実は社会保険の実態を見ましても、事業主の負担が折半主義ということは、被用者保険でもそういう形で実はあまり事業主の負担が多くない。ましていわゆる地域保険といわれる国民年金、国民保険にいたしますと、事業主というものは実はない、一応ない形でございますが、その場合、国民年金、国民保険でも、その内容充実をすると同時に、現在のいわゆる被保険者の負担は軽うございますからこれは別として、比較的に給付を充実した場合に、その負担は政府が持つのでないとすれば、どういう方法で給付の内容を充実し、かつ、被保険者の軽減をはかるか、この点についてはちょっとわが国については私も見当たらないので、お教え願いたいと思います。 〔委員長退席、理事江藤智君着席〕 それから第二の問題としまして、いま年金のスライド制がやかましくいわれております。これのいわゆるスライド制の必要性ははっきりしておると思いますが、しかし、財源負担が一応問題になっておりますが、一応政府では三者負担という形を考えておるようでありますけれども、われわれとしてはそれではいかない、それでは被保険者に相当負担が高まるので政府なり事業主が持てというんですが、もうすでに受給を受けておる現在のいわゆる労働者とか被保険者でない受給を受けた人の年金のスライド・アップの財源を、はたしてどうすれば合理的に、しかも一般被保険者に負担を増大ささずにやれるか、この点についてひとつ先生の御答弁を聞きたい。
○公述人(藤澤益夫君) まず第一点でございますが、比例型の制度、つまり職域を中心とする社会保険諸制度におきましては、お話しのように、日本は折半負担主義、こういうものをとっております。もちろん、西ドイツそのほかにおきましても、こういう職域制度の強いところでは折半負担主義という事例もたくさんございます。ところが、同じように被用者保険でございましても、たとえば一例をあげますと、イタリアのごときに至りましては、きわめて事業主負担が高い。つまり、事業主負担が場合によりましては八割を占める。平均をいたしてみますと八割を占めるというふうな制度もございます。必ずしもこの負担割合というものは固定して考えるべきものではないであろう、こう考えるわけでございます。たとえばその場合、被用者保険の増徴ということになりますと、これは所得税が追加されるのと同じような効果を持つわけでございます。被用者以外に、たとえば事業主の負担ということになりますと、これはまた雇用税でございますから、一種の雇用に対する租税でございますから、いま申し上げましたように、租税公課という点から考えまして、直接税とは違う経路をたどるわけでございます。まあ、この折半負担主義というものは歴史的な事実として固まったもので、必ずしも固定して考えるべきではないのではないか。これにつきましては、さまざまな諸点、つまり、日本の賃金水準であるとか、あるいは社会保障以外の部分で負担しているいわゆる福利厚生などとからみ合わせまして、はたして折半負担主義でよろしいのかどうかという点については大きな問題が残るであろう。そうしてまた、折半負担主義に固定して考えるべきではないだろう、こういうふうに考えます。むしろ問題は、御質問のございました地域保険のほうにあるようでございます。地域保険の場合には、明らかに雇い主がございません。自営業者、農民そのほか都市の中小企業、自営業者を中心とした制度でございますから、その場合には明らかに本人負担分の軽減という方向が社会保障の発展の歴史的な流れであるといたしますと、これにかわるべきものは当然国庫負担ということが考えられてしかるべきであろう。ただ、その場合に、無原則的な国庫負担を主張するわけではございません。私が申し上げますのは、たとえばいまの日本の制度の現状から考えまして、職域別に、あるいは所得階層別に、大企業中心のたとえば年金におきましても、例の厚生年金の比例部分が適用除外になる等の形で、所得ごとに、所得格差と申しますか、あるいは職域、あるいは所得格差によって分断されている現状がございます。これをカバーする方法といたしましては、いかなる制度的な保障が考えられるであろうかといたしますと、まさに一般租税から補給いたしますと、これは租税構造の問題、ただ、日本の場合、租税構造が完全であるとか理想的であるとか決して申しません。直間の比率を考えましても、あるいは累進の度合いを考えましても、あるいは免税点の問題を考えましても、種々さまざまな問題があることはたしかでございますが、少なくとも地域保険に対する国庫負担を通じて、そこに垂直的な所得再分配効果が生まれることは確かでございます。こういう点で、地域保険充実の方法として事業主負担にかわるものはある程度国庫負担という方向が考えられてしかるべきではないか。これは先ほど公述のときにも申し上げましたように、日本の場合、医療保険の赤字補てんという形で結果的にはそういう所得再分配効果も生まれてきた。これを制度的に考えていってしかるべきではないかというように第一点については考えます。 第二点の年金スライドの問題でございます。日本の場合、五年ごとの給付改定によってこれをカバーするというふうに考えられておりますが、どうしてもこれはタイム・ラグを生じます。もちろん、諸外国の例を見ますと、物価水準にこれをスライドさしたりいろいろ問題がございますが、先ほどもお話にございましたように、物価上昇の陰に物価上昇の打撃を最も受けるのは、先ほどお話もございましたように、年金受給者でございます。賃金、俸給、被用者等の場合は、物価上昇も、いまの日本の経済発展が続く限りにおいては賃金上昇によって及ばずながらある程度のカバーができる。ところが、年金受給者は全くこういう点について無防備でございます。それからさらに、社会保障制度そのものが物価上昇についてきわめて弱いわけでございます。たとえば年金なんかに典型的にあらわれるわけでございます。日本のように積み立て制度というものをとっておりますと、そこにファンドがますます減価してしまう。実質価値を失ってしまうという問題が起こるわけでございます。それと関連いたしまして、日本の年金の積み立て金運用の問題が一つあろうかと思います。と申しますのは、年金ファンドというものは安全かつ有利に運用されるのが当然でございます。ところが、日本の現状に関する限り、資金運用部資金に一括されております。実に六分五厘という低利でございます。財政投融資目標による低金利による融資と社会保障基金の運用とは、まさに政策的には一致しないわけでございます。したがいまして、社会保障視点からする限りにおきましては、その間の利子差の補給ということは当然考えてしかるべきであろう。少なくとも拠出者の責任において物価上昇が起こっておるとは言いがたいわけでございますから、そうしてさらに申しますと、普通社会保険、とりわけ年金等の拠出は実質的に強制貯蓄でございます。ところが、この金利が任意拠出である国債利子をはるかに下回るということになりますと、たとえば一兆円の資金がございますと、そこで金利が一厘違いますと、実に十億の収支差を生むわけでございます。こういうふうな問題を考えてまいりますと、ただ単に物価上昇のために衝撃を受けておるだけではなくして、日本の場合、年金運用の仕組み、あるいはそういうものの制度的な影響がたいへんに大きいであろう、こう考えられるわけでございます。こういう点につきまして、年金資金の運用のあり方、あるいはそういう財政投融資政策目標と社会保障の金利の運用目標との間の差額というものは、当然利子差の補給等の形で処理さるべき問題ではなかろうか、このように考えております。さらに年金のスライドに伴うそのほかのつまり積み立て不足分につきましては、これは先ほどもお話を申し上げましたように、事前の社会保障、防貧的な社会保障が高まることによりまして、救貧的な部分への、つまり年金が十分でないためにそのままストレートに生活保護世帯に転落してしまうような事態を食いとめるという効果がありますから、ある程度費用負担につきましては相殺される部分が出てくるのではないか、このように考えております。あるいは十分なお答えにならなかったかもしれませんが、こういう点につきましては国庫負担というものは当然考えられてしかるべきである、こう考える次第でございます。
○山本伊三郎君 最後の、いわゆるスライド制についての財源負担ですね。現在政府が考え——まだ実現していないんですよ、恩給審議会から答申はあったのでありますけれども、まだ実現していないんですが、毎年法律の改正で年額を上げておりますけれども、私の言うのは、現在は受給者も被保険者でないから掛け金をかけておらない。現在政府が考えているのは、まだはっきりしませんが、大蔵大臣なんかちょっと漏らしておりますが、結局政府とそれから現在の被保険者いわゆる被用者ですね、それから事業主、この三者ですでにやめた人のスライド・アップの財源をやるんだと、こういう意向らしいんですが、先生が先ほど申されましたように、物価の上がったのはやめた被用者の責任じゃないですから、われわれとしてはかりに三者負担にしても、いままでのような割合ではなく、政府はもっと負担すべきではないかという主張をいたしておるんですね、それについてどうかということです。
○公述人(藤澤益夫君) わかりました。いま、多少申し上げましたように、スライドに伴う要するに積み立て不足の問題でございます。積み立て不足の処理のしかたでございますが、いろいろな方式がございます。いまお話のございましたのは私の理解します限りでは、修正賦課式と申します
○山本伊三郎君 積み立て方式の場合でも実は五分五厘の予定利率をもってずっとやっておりますから、やめた人のスライド・アップの財源まで実は財源率に入っていないわけです。したがって、やめた人のスライド・アップするにはどこからか財源をもってこなければ合わないということです。
○公述人(藤澤益夫君) これは当然お話のございましたように、現在すでに受給者であるものの給付水準を実質的なところに高めると、当然そこに積み立て不足の問題が生ずるわけでございますから、これをいかにまかなうかという点でございますが、これは社会保障の財源といたしましては一時的にはいまもお話のございましたように、公共資金によるか、あるいは本人負担によるか、ただしこの場合、本人負担は将来の受給者でございます。現在の被保険者でございますが、被保険者の負担によるか、あるいは事業主の負担によるか、この三つの経路しかございません。その間の利子その他の問題を捨象いたしますと、その三つしかございません。したがいまして、社会保障の場合にはこの三つの組み合わせがとりわけ重要になる、このように言いたいわけでございます。したがいまして、そこでいかなる再分配と申しますか、再分配効果を期待するのかという点に実はかかってくるであろう。その点から申しますと、老齢人口が高まるにつれまして、それの扶養の負担というのは現在の就業人口の上にかからざるを得ないわけでございますから、現在の賃金から負担するということになりますと、当然賃金が十分な水準でなければならないという前提がそこに生ずるわけでございます。もし賃金が最低生活を維持する水準に足りないとすれば、将来の老齢人口扶養のために貧困現象が生ずる、あるいはまた事業主負担にいたしましても、国の負担はもちろんでございますが、結局転嫁の問題を起こすわけでございます。そういたしますと、事業主負担の場合、いまも申し上げましたような老齢人口扶養のための貧困現象を呈さないためには、当然そこに租税構造をいかに配分するかという問題がからんでくるわけでございます。国の負担の場合も同様でございます。あるいは事業主負担の場合は物価問題にからんでくるわけでございます。そういう負担を最終的に消資者の肩に転嫁する可能性を持っているわけでございますから、そういうふうな物価政策との関連におきまして、いかにこの転嫁を食いとめていくかということが大きな問題になろうかと思います。したがいまして、そこで日本の場合の所得政策等の問題とからんで問題になりましたような利潤と賃金との配分比率の問題、労働分配率の問題、こういう問題がそこで重要な論点になろうかと思いますが、この点につきましては、政府の諸政策を通ずる物価政策が、ただ単に物価上昇による結果としての年金減価を防ぐ点からだけではなくして、負担の公正を実現するためにもきわめて決定的な重要な要素になろうかと、このように考える次第でございます。
○二宮文造君 藤澤先生にお伺いしたいと思います。先ほどのお話で、日本の場合、医療保険というものに追われて児童手当の創設ということもおくれてしまっている、こういうふうなお話がございました。もちろん児童手当の制度の創設につきましては、佐藤総理もたしかあれは、四十二年からは実施したいとか、こういうふうに言ったこともあるわけですが、現在御承知のように創設されておりません。そのおもな理由としては巨額の財源を必要とするとか、あるいは税法の扶養控除の問題、これとの関連ということで、いま児童手当懇談会での答申を待っている、答申待ちというふうな話で創設がおくれているわけであります。そういうような現在のもろもろの状態というものを勘案しながら日本の場合児童手当制度を創設するのについて、一応考えられる諸点、考慮しなければならない点、これらをひとつ御説明をいただければと、こう思います。
○公述人(藤澤益夫君) 児童手当の問題でございますが、児童手当の経済的な機能を考えますと、児童の生活機会を均等化するというところに基本的な観点があろうかと、このように考えます。賃金は必ずしも家族規模を反映しておりません、世帯規模を反映しておりません。とりわけ職能給への切りかえが進む等々の現在の条件を考えますと、こういうふうな意味での家族、世帯規模による生活機会の不均等がますます顕在化するであろう。これは社会保障研究所が行ないました調査にかんがみましても、ほぼ一人当たり五千円ずつの割合でこういう扶養手当の問題が増加してくる、児童扶養費が増加してくるという結果があらわれております。とりわけ日本のように身分制度そのほかによるのではなくて、むしろ教育を通じていろいろな社会的な流動化がはかられておるところにおきましては、教育費等を中心とする児童の扶養費の問題は決定的に重要な論点になろうかと、このように考えるわけでございます。したがいまして、早急に実現すべきであることは確かでございますが、まず最初に御指摘のございましたように、大きな財源の問題がそこに立ちはだかっておるかに思われます。ところが日本の経済の現状にかんがみますと、先ほども申し上げましたが、八百ドル段階、一人当たり国民所得の規模が八百ドル段階になりますと、社会保障に振り向けられる率というものが、諸外国の経験に徴しましても、さほど無理なく出ているわけでございます。そして、医療保障だけが独走していることの差額を算定してまいりますと、児童手当を実施したことによりまして、決して西欧の水準を理想化するわけではございませんが、そういうことによりまして、かろうじて西欧水準に到達する、こういう可能性が開かれるわけでございます。そういう点を考えますと、児童手当というものは、ただ単に財政上の問題だけではなくして、さまざまな点で日本の経済あるいは労働力構造、就業構造あるいは賃金構造との関連で、ぜひともその間の摩擦や、あるいはひずみというものを是正するために実施してしかるべきであろうと、このように考えられるわけでございます。さらに扶養控除の問題がございましたが、扶養控除の問題が生じますのは、少なくとも租税を負担している階層以上のことでございます。そういたしますと、まさに児童扶養機会均等化の問題が最も切実に起こるのは低所得層でございます。あるいは租税負担において程度がきわめて少ない層でございます。そういたしますと、扶養控除イコール児童手当では決してございません。したがいまして、児童手当の問題にからみましてももちろん、これに対する国庫負担の割合をどうするのか、あるいは保険料の事業主、本人との負担割合をどうするのか、等々の問題がからんでまいりますが、児童手当と扶養控除は結果的には似たような効果をとりながらも、まさに政策目標ないし政策効果は異質のところがある、このように考えざるを得ません。そして、まさに児童手当と扶養控除の機能の違うところこそが、児童手当を最も必要としている階層であり、また必要としているグループでございますから、こういう点にかんがみますと、ただ単に財政上の理由からして、あるいは扶養控除との関連からして児童手当の創設をおくらせるのは必ずしも妥当でない、このように考える次第でございます。 何かお答えになりましたかどうか、あるいは質問ございましたらそのときに補足さしていただきたいと思います。
○中村波男君 最初に藤澤先生にお尋ねしたいんですが、まあ日本も児童手当がようやく日程にのぼってまいりましたが、防貧的社会保障として児童手当を考えます場合に、所得制限というものをつけるべきなのか、つけるべからざるものかということが一点。それから、岐阜県におきましても、県で独自に児童手当の制度をつくろうというので、知事がいろいろ考えておりまして、議論を呼んでおるのは、求人難等から考えて、県独自の経済成長発展をするために人口がふえたほうがいいという考え方があるわけです。したがって、一子には児童手当をつけなくてもいいんだ、ただ二子以上につけようということで、議論を呼んでおるわけでありますが、将来の人口構造というものを考えた場合に、社会保障とは別な観点で、政策的にそういうことを考えることが必要なのかどうかという問題と、よその国でそういうような問題からとらえて児童手当というものが考えられておるような例があるのかどうかという問題をまずお尋ねしたいと思うわけです。 次の問題は、これは石川先生にも御意見をお聞きしたいと思うのでありますが、御承知のように、財政硬直化という現況であるとは言いませんけれども、いわゆる食管赤字、本年度三千億ということから、いろいろ農政の転換という問題が、具体的に作付転換あるいは自主流通米という形で出てきたわけでございますが、私は、この二重価格制というものの政策の中に、家計米価というものがとられております具体的な役割りを果たしている面で、これは社会保障的な政策として位置づけてもいいのではないか、大きな役割りを果たしているのではないかということを考えるわけであります。そういう面で食管制度というものの、特に三条、四条というものを堅持させるということは、今後も続けさせなければならぬという主張を持っておるのでありますが、そういう点における社会保障との関係、また農業政策としての観点から、両先生の御意見をこの機会に承っておきたい、こう思うわけです。
○公述人(藤澤益夫君) 先ほどから御質問が続いております児童手当でございますが、防貧的な制度として所得制限ということが考えられていいのではないか、あるいはそういう可能性はあるのか、あるいはそれに伴う利害はどうかという御趣旨であったかと私は拝聴いたしました。そういたしますと、所得制限を付すことは、あたかも社会保障を、たとえば生活保護のようなものに限る、もちろんイコールではございませんが、と似たような弊害を起こすことになると、このように考えます。と申しますのは、ワクのある財源を最も必要なところに配賦する点におきましては、受給者の所得をはかり、貧困の程度をはかり、必要度をはかって配賦するのが最もいいわけでございます。たとえば生活保護がそれであろうかとも思います。所得皆無のところにつきましては国家が認める程度までの給付を行なう、一部所得がある者については、それだけを控除した分を渡すと、こういうことでございました。ところが、そこでそういう財政上の利点は確かにございますが、極言いたしますと、利点はその一点に限られる、このように思うわけでございます。なぜかと申しますと、まず第一に、社会保障を受給することに対する権利性が失われるわけでございます。社会保障の長い歴史は、まさに慈恵と申しますか、救貧と申しますか、極貧層に対する措置から始まりまして、それが、事故が決して個人の責任によるものでなくして、社会的な要因を含んでいるのだ、社会構造性を持っているのだという認識が広がるにつれて、給付が広がり、給付水準が上がり、適用範囲が広がってきたわけであります。社会保障が社会保障たるゆえんは、まさに救貧制度が権利をもって動いている、権利性を付与されて動いている。たとえば所得に立ち入った調査、そのようなものがそこに加味されることは、それだけ権利性が制限されることに通ずるわけでございます。そういう点からいたしますと、児童手当の問題は、まさにその権利という点からまず第一に考えなければならないであろう。それからさらに保険あるいは全額国庫負担の形をとりましたにしましても、結局児童の扶養費について最も基本的な部分が共同消費機構が設定されるわけでございますから、共同消費機構が設定される限りにおきましては、所得に関係がなくこの問題は起こってくるであろう、最も基本的な部分をまず押える、こういうわけでございます。もちろんそこに先ほどからるる申し上げましたように、所得再分配効果を加味する上におきまして、高所得層には負担が重く、低所得層には負担が軽いというふうな形で、消極的な意味での所得再分配効果が生まれることは確かでございますけれども、いずれにいたしましても、基本的な生活に関する部分が社会化されるという点に社会保障のねらいがあると、このように考えます。防貧という点からいたしましても、救貧でなく防貧という点からいたしましても、権利性を失わないという点からいたしましても、児童手当につきましての所得制限というものは好ましくない、このように考えます。 それから第二点でございますが、人口政策との関連のお話がございましたようでございますが、これは古くからございます。児童手当等を行なうことによりまして、現在の出生率の低下、そのほかに効果がありやいなやという点でございますが、私は間接的な効果しかない、このように考えます。と申しますのは、各政党、あるいは政府その他から案がさまざまの形で出されているようでございますが、暫定的に三千円、あるいは将来六千円、これがよしんばもう少々上回るようなことになりましても、児童の扶養費全部を見るわけではございません。国家が行なう社会保障というのはどこまでも最低必要なところを押える。これは身分、階層にかかわらず権利として押えるところにあるわけでございますから、当然、平均的な所得水準の何割という形で押えられるわけでございます。そうすると、そのわずかな給付を、受給を目当てにして、端的に申し上げますと、児童をふやすというふうなことはおそらく考えられないわけでございます。ただ、先ほども申し上げましたように、直接の効果は、生活機会を均等化する、生活の機会が三人家族と一人の家族、あるいは六人の家族と全く違ってしまうというふうな、あってしかるべきでないところの制限と言いますか、壁をこわすことに児童手当の本来の目標があるわけでございます。人口の数そのものに対する効果は間接的である。直接的に効果があるとすれば、より質のいい、資質の高い人口と申しますか、教育にしろ、あるいは生活内容にしろ、体力にしろ、知力にしろ、そういう人口資質を高めるところに効果があるので、数そのものに対する効果というものは、よほど高い額でない限り生まれない、あるいは従前と大差ない、かように考えてしかるべきかと、このように考えております。 それから、もう一点ございました食管会計等にからみましての問題でございますが、しばしば社会保障的な措置と社会保障そのものとが混同されている向きがあるかと思います。と申しますのは、通勤費に対する補助であるところの、たとえば学割り、あるいは通勤の定期割引というものも社会保障であるというふうな見方がなされますが、社会保障的ではあっても、社会保障とは必ずしも言いがたい。食管会計等につきましても同様であろうと考えます。ただ、これは私、食管会計そのものにつきましては専門外でございますのでお答えはできませんけれども、必ずしも責任を持ったお答えはいたしかねますが、たとえば、そういう点で農家の家計費を食管会計等を通じ、あるいは現金収入を保障するということは、社会保障的な効果がございましても、社会保障そのものとは違うわけでございます。と申しますのは、生活の基底的な部分、まさに基本的な部分を共同計算し、必要あるものは同じようなそういう事故を起こしたり、あるいは事故と言いますか、所得の中断を起こしたり、あるいは資質の増加を来たしたりするものが共同計算する。もちろん社会保障でございますから、国の資金の参与があり、事業主の資金の参与がございますわけでございますので、基本的には、そういうところに社会保障の社会保障たるゆえんがあろうかと思います。そういう点から考えますと、社会保障的な措置と社会保障そのものとはあくまでも厳然として区別して考えるべきである。社会保障的な措置というものは、さまざまな所得政策あるいは農村構造の変化の問題等とからめて考えるべきで、社会保障とは切り離したところで考えるべきであろう、このように考えております。もちろん相互に関連を持つことは言うまでもございません。ただ、どこまでもそのように焦点をしぼってまず生活の基礎づくりをする。全国民がそれ以下の水準では生活することを社会的に認めないという態度が社会保障の基本であろう、このように考える次第でございます。
○公述人(石川英夫君) 私も基本的にはいまの先生のおっしゃったとおりだというふうに思います。 食管会計、米価の社会保障的機能は消費者に対してはできるだけ安く米を供給していくということでございますけれども、家計の中におきますところの米への支出割合というもの、これは下がっております。下がっているから若干上がってもいいじゃないかということにはなかなか相ならぬとは思いますけれども、それを無理に据え置くということによって、はたして国民の社会保障ということが有効に行なわれているかどうかという証左にはならないというふうに思うわけでございます。それから農民に対しましても、それはかなり高い生産者米価を保障するということによりまして、社会保障をしているらしく見せているところに問題があるように思われるわけでございます。 国民大衆一般にとって考えまして、この農産物価格について若干、私、述べさせていただきますと、お米よりはむしろ畜産物だとか野菜だとかの大幅な値上がりというものが家計を圧迫している。やはりこの全般的な合理化ということのほうが非常に先決だと思うわけでございまして、まあ食管会計の米価というものも、もちろんその一環において考えられるべきでありますけれども、そろそろ日本の社会全般にとりまして、農業政策の手段でありますところの農産物価格政策というものに、何らかの社会保障的な機能が過大に期待されますというような事態というものは、そろそろ是正される必要があるのではないだろうかというふうに考えます。
○森中守義君 石川先生に御質問いたします。七〇年後半の国際的な食糧事情をどういうふうにお考えになっているか。ことに主要生産国の中における輸出の限界量というものはどういう推移をたどっていくか、これが第一。それからさっきお話しの、国内需要の一千二百万トンということは、正確に需要の基準量とは言いがたいにしても、大体何年ぐらい一千二百万トンということが続いていくということになるのか。また、もし将来若干の変化があるといえば、一千二百万トンを上昇するのか、逆に下降するのか、この辺の御見解。それからいま一つは、今日の農業協同組合がかなり社会の議論の対象になっている。一説には生産農協に帰るべきだという説がある。いや、流通農協でよろしいという説がある。かようにこの問題が複雑であり、むずかしいだけに、正確な答えがまだ私もよくわかりません。したがって、将来の農協はいずれを選択すべきであるか、これに対するお答えをいただきたい。 それからいま一つ、六、七年の経験をふまえながら農業基本法は今日に至っておりますが、この状態で農業基本法をさらに堅持していくべきであるか、あるいは若干の手直し、修正等を必要とする段階に来てはいないかどうか、このことをひとつお伺いしたいと思います。
○公述人(石川英夫君) 本日、具体的な計数を持ってまいりませんので正確なお答えはしかねるわけでございます。 七〇年代後半の世界の食糧需給という問題については、さまざまな複雑な要因があるというふうに思います。第一に、開発途上国におきましては、これは食糧がかなり増産されましょうけれども、国民生活の向上によりまして、お米をはじめといたしますところの農産物需要というものは相当高まるであろう。したがって、開発途上国、ことに東南アジア等から日本への食糧供給力というものは、これは十分期待できないのではないかと思います。むしろ今後の世界の食糧需給というものを決しますのは、アメリカ、ヨーロッパあるいは豪州、ニュージーランドという先進資本主義の農業国、かなり大幅な農業を持っておりますところの先進資本主義国の供給力にかかるというふうに思います。この先進資本主義国の供給力というものはやはり相当なものである。アメリカの作付制限の状態を見ましても、EECの最近当面いたしております農産物過剰局面にいたしましても、豪州、大洋州の開発可能性にいたしましても、これは相当の供給力を持っている。したがいまして、一九七〇年代後半には東南アジア等開発途上国では、食糧の需給の逼迫がございましょうけれども、全世界的にはそれほど逼迫した情勢には相ならないのではないかというふうな感じで私は見ております。 それから第二に、日本の一千二百万トンの問題でございますが、この見解は、一応、政府が先ごろ発表いたしました農産物の需要と供給の見通し、これの需要の計測数値というものに準拠いたしまして申し上げたわけでございます。私たちの研究者の仲間では、この千二百万トンというものについていろいろな見解がございます。あるいはこのとおりいかないで、また米の需要というものは千三百万トン台にまでいくんじゃないかという説、それから、また、千二百万トンを割りまして一千万トン台に近づくのではないかという説でございます。私、現在までのお米の需要の減り方を引き延ばしますと、とても政府の千二百万トンではございません。これはもう一千万トンに近くなる、つまり結論を申し上げますというと千二百万トンをかなり下回るような需要が、十年、二十年後には予測されるようになると思います。これは現在までのお米の消費の減りぐあいを引き延ばしての一つの推算でございますが、私個人としては、むしろ千二百万トンをかなり割るというようなことで考えておいたほうが、いろいろな施策上妥当なのではないかというふうな見解でおります。 第三は、農業協同組合は、申すまでもなく、集配的なものは、これは総合農業協同組合でございます。しかしながら、総合農業協同組合を通じては、現在地域経済の都市化の進展に即応いたしまして、一部の都市化地域では、これが市街地信用組合というような形の、あるいは、また、農業が残りましても、農業に重点を置かないところの地域協同組合的な性格を都市化地域ではとっていく。さらにこの農業的な地域では、現在の農業を事業の基幹とする協同組合の形をとりましょうが、いずれにしても、総合農業協同組合というものは、金融を中心にいたしますところの、やはり流通中心の協同組合という形態はくずさざるを得ないのではないかというふうに考えます。むしろ先生のおっしゃいました生産協同組合的なものは、先ごろすでに実施されておりますところの、たとえば農事組合法人という制度がございます。こういうような一つの生産共同体というものは、流通や金融を主体にいたしますところの総合農業協同組合とは別個の生産主体として、農事組合とか、あるいは、また、共同経営とか法人経営とか、こういう形として育ってまいりましょうし、そういうようないわゆる農業協同組合、そういうような生産体というものの活動というものが両々相まっていくということが最も望ましい形態ではないかというふうに私は了解しております。 それから、農業基本法については、一つフランスに事例がございます。これは改廃とかということは別にいたしまして、フランスでは農業の方向づけに関する法律というものが一九六〇年代の初めに出ましてから数年たちまして、国会や、あるいは、また、農業各界の要望、経済界の要望に従いまして、この農業の方向づけの補完法というものを制定いたしました。このいわゆるフランスの農業基本法の実施をさらに実情に応じた形でもって補完し、強化していくという措置をとっていることが、一つ日本にとっても参考に相なるのではないかというふうに思うわけでございまして、農業基本法につきましては、その基本法の精神についてさまざまな法改正というものもいままで数年中に行なわれてきているわけでございますが、やや評論家的なことを申し上げますれば、現在の農政というのは、農業基本法という法律がある。ところが、この施策というものは全然法律と別個に行なわれているのじゃないかというような批判が往々聞かれるわけでございます。こういうような一つのその政策推進のやり方といたしまして、冒頭申し上げましたようなフランスにおきますところの農業基本法と、また、補完法との関係というようなものが一つ御参考に相なるのではないかというように考える次第でございます。
○田村賢作君 石川さんに御質問いたします。時間がないですから、具体的なことだけをお聞きいたしますが、先ほどのお話で米の需給についての傾向はわかったのでありますが、いまの日本の農政の問題でわれわれが一番困難を感じるのは、米の生産と供給、この食管の負担における問題が一番大きい面でございますが、本年度の予算に盛られております政府管理米七百五十万トン、自主流通に回るであろう百七十万トンという数字のこうした政策をとることについての石川先生の御意見、並びに、七百五十万トンと予想される政府管理米が、はたしてこれでまかない得るものか、あるいは政府管理米に大きく傾斜するものか、自主流通米に比重が多くかかっていくものか、それは予算にも関係をする非常に大きな問題でもありますし、今後の農政の実施にもたいへんな関係を持つ問題であります。これはあなた方の立場からどのような判断が下されるものか、これが一点です。 それから、第二点は、農業の今後の新しい行き方として、農地法の改正もさることながら、家族自家労働という線にいつまでも膠着しないで、新しい共同生産の方式というものに移行していくということが生産性を高めていく問題でもあり、また、農業労働人口とのかね合いもあってそういう形式に将来進むであろうという、また、そうしたことによってたいへん実績をあげている事例もたくさんある、こういうお話でございましたが、私は、そのような形における生産性を上げるくふうもさることながら、もう一点は、いまもちょっとお話が出ましたが、国際的に見た日本の農業生産力、また、生産コストという問題から見て、日本の農産物が国際的な競争力に耐え得る体質をつくっていかない限りにおいては、これはどうにもならない問題であろう、こう考えるわけですが、日本の農業の国際競争力に耐え得る体質を強めていくための施策として、もちろんこれは構造的に見た政策もありましょうが、きわめて簡単に考えたこの問題に対する対応策というものについてお伺いしたいと思います。
○公述人(石川英夫君) 自主流通米が実際に何万トンくらいになるだろうということについては、私も軽々にこれは予測できないと思います。ただ、自主流通米についての私の基本的な考え方を申し上げますれば、いずれにいたしましても、現在の直接統制にかわる新しい流通秩序をつくる一つの試みであろうという形で、一応これは注目しておかなければならないのじゃないかと思います。この自主流通米のあとでどういうような新しい流通形態ができるかは、まだ予測の限りではありませんけれども、自主流通米がどの程度の数量を集め得るか、どの程度が流通し得るかということは、かかって総合農業協同組合というものがこれにどれほど積極的に取り組むかということに帰してくるというように思うわけでございます。総合農業協同組合は農民の団体でございますが、それが市場の卸・小売り業者といかなる連係をうまくとって、農民の米というものを政府の手を経ることなく、総合農業協同組合の事業活動によって有効にうまく流通させ得るかというようなことに非常に私は期待しておるわけでございます。かかって、やはりこれは現在のお米の集荷の九十何%を占めております総合農業協同組合の一つの事業体制、事業態度にまずかかるというように思うわけでございます。現在のところ、まだこの制度が動き出しておりませんので、お答えはこれで御容赦願いたいというふうに思うわけでございます。 それから、家族自立経営という問題につきましては、いずれにいたしましても、家族自立経営にかわるさまざまな新しい農業経営形態が生じていると申しましたけれども、家族自作経営というものが日本からなくなるということはこれはあり得ないと思うのです。しかし、家族自作経営については、いろいろな矛盾がある。たとえば、いま非常に成長が期待されております酪農がございます。この酪農を家族二人くらいでやりますというと、レジャーがないということを酪農民は非常に苦難を訴えるわけでございます。家族経営でもって二十頭、三十頭という酪農をやりますと、もうこれは非常にどうにもならない。だから、もう酪農をやめようという若い農家の方が多くなってくるわけでございますが、これを突破する道といたしまして二家族が共同いたしまして五十頭なり百頭の牛を管理する。そうなれば、お互いに交代してレジャーというものを受けることができるわけでございます。こういうような複合家族の経営というようなことを考えますときに、これはやはり孤立してやっていくといういままでの家族自作経営とは違うような形であるというふうに考えます。でありますから、家族自作経営をいまから全部なくしてしまうとか、もうこれは必要ないとかいうことじゃございません。さまざまな程度において現在の家族自作経営の持っている障害とか矛盾というものを緩和しながら新しい経営形態に持っていくということが可能なように思われます。 それと関連いたしまして、日本農業の国際競争力の問題でございます。最近、大型機械というものが非常に発展いたしまして、一つのトラクターでもって、小さいトラクターでも、十ヘクタールや十五ヘクタールはできる。大きなトラクターになりますと、もうこれは五十ヘクタール、百ヘクタールというような稼働単位になってまいります。しかるに、日本の家族自作経営の平均経営規模は一ヘクタールである。どんどん技術革新が進むに従いまして、現在の零細な家族自作経営の規模との矛盾がはなはだしくなってくる。ここで、トラクターならトラクター、コンバインならコンバインの共同利用、あるいはまた共同的な生産組織という形でもって、家族自作経営を補完し、また、新たなる集団経営に移行していくという試みもいま行なわれているわけでございます。で、これは、西欧の先進資本主義諸国、ことにEECのマンスホルト副委員長が最近発表いたしました、いわゆるマンスホルト覚え書きというものによりますというと、ヨーロッパ農業も日本の農業と非常に似た困難な局面に入ってまいりました。ヨーロッパこそは家族経営擁護という精神でもって農業基本法だとか農業施策が行なわれている国であります。この西欧資本主義諸国でさえも、百ヘクタール単位くらいの企業単位——農業企業体というようなものをつくって何か家族経営を改めていこうという気がまえがあるわけでございます。ヨーロッパ諸国といいますれば、日本の経営規模の平均的に言えばほぼ十倍の経営規模を持っている国でございます。そういうような国が、アメリカの進んだ資本主義農業に対抗いたしますために、非常に思い切った改革提案というものをいま検討しているような段階でございます。いずれ、日本といたしましても、そういうような形での大幅な経営形態の変革ということを検討の爼上にのぼせなければ国際競争力という重大な問題を解決することができない日が近づきつつあるのではないかというふうに考える次第であります。
○田村賢作君 時間がないから、簡単に伺います。石川先生、自主流通米を設けることについての御意見をお聞きしたいのですが、つまり、自主流通米というものを設けることもやむを得ないと考えられるのか、また、こういう措置をとらなくても米の生産、供給の需給というものはこういうことで調節できるのではないかという名案がございましたならば、お伺いしたいと思います。
○公述人(石川英夫君) 自主流通米というものを必ずしも私は最良の案というふうには考えません。さまざまな新しいお米の流通秩序を考える際には、お米の価格というものは市場価格で決定する、つまり自由流通にいたしまして、農民の要求するところの所得水準というものは政府が別途に不足払いという形で払うという方法も考えられるわけでございます。これは英国なんかで行なわれている制度でございまして、日本のように直接統制でもって生産費及び所得を補償している国というのはなかなか外国にも例が少ないわけでございます。私は、本来は、英国式の不足払いという方法でもってお米の流通を自由化しながら、生産者の所得を政府が過渡的に補償していくという制度が最良のように考えていたわけでございますが、現在いろいろな関係から自主流通米という制度が行なわれようとしている。これは米の新しい流通秩序をつくる上においてはきわめて不十分な制度であるというふうに思いますけれども、しかし、一応そういうルートをたどってもお米の流通秩序というものが新しい形態に移行するという可能性がこれをもって生じますれば、これは一応私は評価していいというふうに思います。現在の段階は、私がさっきの公述の冒頭で申し上げましたとおり、ともかく何らかの意味で財政負担を軽減したいのだ、そういうふうな当面差し迫った発想によって生じましたのがこの自主流通米でございます。その意味では、これはきわめてまだ将来をトしがたい不満足な制度であるというようなのが私の基本的な考え方でございます。
○田村賢作君 生産と供給の調整は。
○公述人(石川英夫君) 生産と供給の調整につきましては、これは、いずれにいたしましても、米の生産過剰、過剰在庫ということがございますのですから、これはやはりお米の需要が千二百トン程度でございますれば、さまざまな行政手段のとり方には困難な点がございましょうけれども、お米の作付けというものをお米以外の農産物というものに転換させていくということは、これは時世の動きとしてやむを得ないことだというふうに考えます。
○理事(江藤智君) 他に御発言もなければ、質疑はこの程度にとどめます。 公述人の方々には長時間有意義な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。 午後一時再開することとし、これにて休憩いたします。 —————・————— 午後零時六分休憩
○委員長(塩見俊二君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。 午後もお二人の公述人の方に御出席を願っております。 ただいまから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。 それでは、名簿の順序に従いまして、お一人三十分程度で御意見をお述べをお願いいたします。お二人の公述が終わりましたあとで、委員の方から質疑がありました場合、お答えをお願いいたしたいと存じます。 それでは、藤田公述人にお願いいたします。
○公述人(藤田晴君) 名古屋市立大学の藤田でございます。 四十四年度の予算案と、それから税制改正案を中心にしまして、財政政策のあり方についての私の意見を申し上げます。 現代財政政策の基本的な目標としまして一般に重視されておりますのは、まず、公共部門に対して資源を適正に配分し、次に、経済の安定と最適成長とを確保し、さらに、第三に、分配の平等化をはかるということであります。このような考え方を前提として承認いたします。さらに、日本経済が置れております特殊な諸条件を考慮に入れますならば、昭和四十年代におけるわが国財政政策の基本的な課題としまして、私は次の四点を重視すべきであると考えます。 まず第一は、財政政策の景気補整的機能を強化し、金融政策の適切な運営と相まちまして、経済の安定成長を確保するということであります。第二は、一切の政府支出と、その背後にある制度の現代的な意義を再検討し、財政支出の効率を高めるということであります。第三は、急激な都市化の進展に対応する支出政策と、財源調達方式とを確立するということであります。最後に、第四は、これまで閑却されてきた感があります福祉政策の推進に全力をあげまして、経済が生活に奉仕する正しい姿勢を取り戻すということであります。以下におきましては、このような観点から四十四年度の予算案を評価してみたいと思います。 まず、財政の景気調節機能という観点からの評価でございますが、四十四年度の予算に関しましては、国債減額かあるいは減税かという論争に見られますように、この財政の景気に対する影響が非常に重視されてきたことは御承知のとおりであります。政府予算案に対する批評としまして、景気刺激的な要素が強過ぎるという意見がかなり有力なようでございますが、しかし、当初予算の伸び率及び減税率を見ますと、過去の平均値から判断しまして、それほど大きいものとは言えない。財政投融資の伸び率も、政府の財貨サービス購入の伸び率も比較的低い。これらの点を考慮しますならば、四十四年度予算の需要刺激効果が強過ぎるという非難は当たらないようであります。また、予算の執行につきましても、もとより弾力的な態度は必要でありますが、当面の経済情勢に大きな変化がなければ、ノーマルなベースで支出を続けていくことが妥当であると考えられます。 四十四年度の予算のもう一つの焦点になっておりますのは、財政硬直化を打開するためどのような積極的な対策がとられたかということであります。われわれは政府支出の硬直化あるいは非効率化をもたらしましたさまざまの制度につきまして抜本的な改善方針を確立した上で、四十四年度の予算が編成されるということを期待しておったわけです。しかし、残念ながらこの期待はおおむね裏切られたように感じます。たとえば、食管制度に関しましては、いわゆる自主流通米の制度が導入されましたことは大きな前進に違いありませんが、しかし、間接統制方式への移行の具体案がいまだに提示されておらないということは残念であります。医療保険の問題に関しましても、政府は恒久的な解決策の具体化を翌年度に延期する方針のようでありますが、いずれは抜本的な対策をとらなければならない以上、特例法の延長を繰り返すということは避けるべきであると考えます。国鉄に関しましても、きわめて多くの赤字路線を温存しながら運賃の値上げをするというのでは国民の納得を得ることはできないと思います。 わが国のような高度成長経済におきましては、経済の規模と構造が迅速に変化していくわけであり、その変化に応じまして行財政制度を絶えず弾力的に適応させていくという努力が必要であります。ところが、昭和元禄といわれるような太平ムードの中でこの点の努力が怠られてきたということが、今日財政運営に対する国民の不信を強くし、また課税に対する国民の抵抗を激化しているということを反省すべきであると思います。 財政運営の効率を高めるための手段としましては、長期財政計画の導入ということも真剣に考慮すべきであると考えます。長期財政計画を導入することの意義は、まず第一に経済計画及び国土計画に対して財政面から確固たる裏づけを与えるということにあります。第二に、各年度の予算の間に連続性、統一性を確保できるということにあります。第三に、長期的な視野からさまざまの主要なプログラム別の支出の見通しと成果の評価等を行なうことが可能になるということであります。そして最後に、長期財政計画を基礎にして、財政収支の補整的な調整を行ないますならば、財政の資源配分機能と景気調整機能とを矛盾なく両立させることが可能になるという点にあります。長期財政計画は、このように多くの長所を持つものでありますから、経済社会発展計画の改定が行なわれます機会に長期財政計画を導入することを真剣に考慮すべきであります。現代は計画と情報の時代であります。ところが、それにもかかわらず、財政部門全体については、長期の計画が存在しない。また政府予算案の発表にあたりまして、われわれが財政活動のこれまでの成果を長期的な視野に立って評価するに十分な情報は一向に提供されないのであります。このような事態は当然すみやかに是正されるべきであると考えます。 次に、都市問題に触れたいと思います。都市問題は時間との競争であるといわれております。いわゆる過密と過疎の矛盾を打開し、全国土を効率的に利用するためには全国的な高速交通網の建設をできるだけ促進することが必要であることは言うまでもありません。また、住民の福祉に重点を置きまして、大都市の機能を回復しようというのであれば、下水道や公園の充実、あるいは地下鉄網の拡充、あるいは都市の再開発を急ぐ必要があるのであります。また、都市問題の焦点である土地問題を解決するためには税制面の地価対策はもとより重要であります。それと並んで、あるいはそれ以上に政府支出面の幾つかの措置を重視する必要があります。たとえば、公共機関による宅地と住宅の大量の供給であるとか、あるいは都市交通網の拡充であるとか、あるいは市街化区域内における都市施設を急速に整備するということであるとか、あるいは地価公示制度の迅速な実施などであります。さて、四十四年度の予算案は、確かに都市問題の解決に相当な考慮を払っておるということは認められるようであります。しかしながら、宅地造成に関しまして、あるいは公園、下水道、道路のいずれに関しましても、決して十分な支出が予定されておるということは言えないと思います。四十四年度予算における一般公共事業費の伸び率は、一五・三%であります。これについては、いささか大き過ぎるという批評もないわけではありません。昭和四十一年度以後の動向を見ますと、社会資本の民間資本に対する立ちおくれがますます顕著になりつつあるようであります。むしろ、この公共事業費の伸び率は過小であると言うべきであります。景気の過熱化を予防するために、公共投資の伸び率を抑制する政策がこれまでとられてきたのでありますが、このような政策を非常にきびしいやり方で続けることはきわめて問題であります。財政面の景気調整の手段としましては、公共投資と並んで、あるいはそれ以上に税制面の政策を重視すべきであります。この観点から、民間投資を有効にコントロールしていくための税制面の手段としまして、たとえば、投資平準化準備金のような新しい制度を導入することを検討する必要があるように思われます。 次に、福祉政策の観点からの予算の評価でありますが、この点からいえば、都市問題の解決と並んで社会保障の充実は当然中心問題であります。ところで、社会保障に関しましては、いわゆる硬直化対策としまして、医療保険財政の健全化と失業保険の合理化とが中心問題になってきたようであります。しかしながら、正しい硬直化対策というものは、福祉国家政策と矛盾しない形のものでなければならないはずであります。この点からしますならば、人口の老齢化、核家族化の進行のテンポにおくれをとらないように、今後も老齢年金のレベルアップと、年金制度の成熟化を促進していくことがきわめて大切であることは言うまでもないところであります。年金制度を充実していくためには、一般財源による負担が今後急増していくことは当然覚悟すべきであります。これを財政の硬直化として問題視するような態度は正しくないと思われます。なお、財政の再分配機能を重視するという観点から申しますと、租税政策におきましても、租税の所得階層別の負担配分という点がきわめて重視されるべきであります。そうしてこのような見方をとれば、国民の感覚的な税負担感をやわらげるという観点から間接税指向型の税制というものを考えるということは、非常に問題であると言わなければなりません。 国民の福祉という観点から関連が深いものとして、教育サービスがありますが、この教育サービスは、一般の消費と比べますと、その水準が次第次第に立ちおくれてきているように思われます。たとえば、近代的な設備が完備したビルで執務しているサラリーマンの子弟が、もしその人が人口急増地域に住んでおりますならば、その子供はプレハブの校舎で、しかも、校庭もろくにないようなところで教育を受けているわけであります。このような社会的アンバランスはしばしば見られるところでありまして、決して例外ではありません。このようなアンバランスを是正することが重要であるというのであれば、小学校の校舎であるとか、用地の充実をできるだけ促進するために国庫負担率を引き上げることを考慮すべきであります。また、大学に関しましては、マスプロ教育の弊害ということが今日非常に重大な問題になっているわけであります。これが大学紛争と深い関連があることも言うまでもないところであります。このような事態を打開するためには、学生経費、教官の人件費や、施設費のそれぞれに関しまして飛躍的な充実が必要であります。そのためには私立学校の助成と国立学校の運営費を大幅に充実するということが要望されなければならないわけであります。 以上で予算案に関する私の意見を終わりまして、次に、四十四年度の税制改正について意見を申し上げます。 四十四年度の税制改正の中心は所得税の減税と租税特別措置の改正、それから土地税制の改善という三点であります。これらのうちの所得税改正は、今回は中堅所得層における税負担の軽減に重点を置いておることが大きな特色であります。このねらい自体は明らかに正しいものであります。しかしながら、このような目標を持って税制を変更しようとします場合にも、いろいろなやり方があります。今回とられましたのは給与所得控除の定率部分の大幅な引き上げと、それから税率表の部分的な手直しであります。しかし、これら以外にもっと根本的な対策があるわけでありまして、税負担の公平な配分という観点を重視するのであれば、二分二乗方式と呼ばれているような課税方式を導入することをこの際検討してもよいのではないかと思われます。また、中堅層の場合しばしば教育費が重い負担になっておりますが、教育費に関しましては特別の控除を認めることも考慮に値すると考えます。それからまた通勤手当に関しましては、非課税限度は、国鉄運賃が値上げされるというのであれば、当然すみやかに引き上げられるべきであります。また根本的な改革としましては、通勤費は通勤手当の給付があるとないとにかかわらず、実費はすべて概算経費控除である給与所得控除とは別に控除することを認めるべきであります。 次に、租税特別措置の改正について申し上げます。今回新たに導入されました租税特別措置は比較的問題が少ないように思われます。しかし、中には原子力発電を推進するための特別措置のように、利用者がきわめて限定されておることが当然予想されるものがあります。この種の措置はむしろ政府支出面で補助金の形をとるべきであります。このような措置によって税制をますます繁雑にするということは避けたほうがよいと思われます。今回強化されました特別措置として交際費の課税の特例がございますが、いまなお社用消費の風潮が非常に強い状況から見まして、これに関してはもっときびしい措置がとられてもよかったように考えます。それから、今回期限をもって廃止されました特別措置につきましては、利用状況が芳しくないということが廃止の理由としてあげられているものがあります。もしもそうであるとしますならば、利用の見込みも十分に検討せずに安易に特別措置を導入したということについて深く反省すべきであります。特別措置のうちでその存在理由が疑わしいものにつきましては、これを積極的に整理するという方針をほんとうに確立すべきであります。政府支出の面では財政硬直化の打開ということがやかましく論じられながら、税制の硬直化の弊害が比較的軽視されているように思われるのは理解できないことであります。今回の税制改正の最大の特色は、言うまでもなく土地税制の改正であります。しかし、今回の土地税制の改正、それは譲渡所得課税の改正でありますが、これは税制面の地価対策としましてはきわめて不完全なものであります。土地税制の改革には違いないが、ただその第一歩を踏み出したにすぎない、このように考えます。長期保有土地の譲渡益に関しまして、新たに分離比例税率による課税方式が導入されたわけでありますが、この税率は住民税を考慮に入れました場合に、二年ごとに六%ずつ引き上げられていくという仕組みになっております。しかし、この程度の税率の引き上げ方でありますと、宅地の需給関係に根本的な変化を引き起こすような他の要因が同時に出現しない限りは、大都市近郊の農地などの場合は、いわゆる売り惜しみの傾向はやはりそれほど変わらないのではないかと思われます。しかも、政府案における分離税率は、開発利益を反映した地価の上昇から巨額の不労所得を得ておる一部の人々に対する国民の怒りを無視したものでありまして、あまりにも低く定められておるように思われます。私の考えでは、土地の譲渡所得課税の改正は、土地の保有税を固定資産税や都市計画税の改正と同時に行なわれるべきであったと思います。そして譲渡所得の課税は開発利益を社会に還元するという観点からきびしく行われるべきであり、また、税収の大半は都市財政の強化のために地方に還元することが適当であると思います。そして税制面における地価対策としましては、正当な時価を基準にしました土地保有税を強化するということが非常に重要であります。ことに都市化されておる地域内にある農地を宅地並みに課税するということが農地の流動化という観点から最大のきめ手になる地価対策ではないかと思います。 以上で税制面の改正についての私の意見を終わりますが、最後に、いろいろなことを申し上げましたので、私の考えておりますことを要約してもう一度申し上げておきたいと思います。 まず第一に、財政政策の四十年代への挑戦としましては、財政の景気調節機能を重視すべきことは言うまでもありませんが、そのためには公共投資の補正的な調整だけに頼るべきではなく、租税政策を積極的に活用すべきであります。 次に第二に、各種の政府支出の背後にある諸制度と、それから税制とを根本的に再検討し、財政の効率を高めることが緊急の課題であります。 最後に、国民の福祉と社会資本の充実とに重点を置いて、大胆な長期的構想に基づき、都市化時代の財政政策を積極的に推進することを要望したい、以上がただいま申し上げました要点でございます。 それではこれで公述を終わらせていただきます。 —————————————
○委員長(塩見俊二君) 次に、森木公述人にお願いをいたします。
○公述人(森木亮君) 公聴会も大詰めとなりました。各党所属国会議員並びに全国国民各位、私は本日予算に関する公聴会に公述人として出席できましたことは、まことに光栄に存ずる次第であります。国会議員の諸先生方には、日ごろ国政に御尽力賜わり、この機会に厚く御礼申し上げます。 これより、わが国が直面しております昭和四十四年度予算について所見を申し述べたいと存じます。 ことしは御承知のとおり明治百一年、敗戦の日から足かけ二十五年になるのであります。ちょうど四分の一世紀を経過しました。また、本年は四十四年でございまして四十五年の前年となっております。このことは私どもにとって一体どういう意味があるのかということを考えねばなりません。明治百一年を迎えたわれわれは、いたずらに過去の歴史を振り返るだけでなく、今後の百年に向かうスタート台に立っていることをまず深く認識しなければなりません。国の内外はいま、かってない激動と変化のさなかにあるのであります。私どもは、未来を展望する中で、わが国は国際社会の中でどのようなステータス——地位を占めたらよろしいのか、また国土のあるべきグランド・デザイン——構図、理想図はどうあったらいいのか、産業の高度化、都市化の進展の中で、理想に至る道のりをどのように、どこに求めるべきか、その明確な施策を予算に裏づける責任を持っていると存じます。そもそも予算というのは、財政活動のプログラムであり、一定の期間に国が行なう収入と支出の予定計画であります。したがって、予算はわれわれ国民にとってきわめて重要なものと言わなければなりませんが、御承知のとおり、衆議院を通過しておりまするので、予算について、私は会社員でもございまするので、細目触れてみようとは存じません。しょせん、一升のますに入るのは一升の水であります。けだし、国に対していろいろと施策を求める以上は、応分の税負担を確保せねばならないからであります。もちろん、エフィシェンシーの悪い財源配分があることは否定できません。そういうものをむしろ締め出すためには、予算の編成に対してもっと建設的な角度からの意見や批判がほしいものと日ごろ痛感しております。そこで、私は次の四点に大筋を申し上げたいと思います。 まず第一点は、財政制度がいろいろな面でさびついているということであります。前に藤田教授が公述されましたとおり、その改善のためには強い情熱にささえられた改革案が必要である。四十四年度は、先ほど私申しましたように、今後の百年に向かうスタート台なのでありまするので、この点は特に強調しておきたいと存じます。確かに、生産者米価の据え置き、そして自主流通米を発足させ、食管改善への一歩を踏み出しました。また国鉄財政でも、物価対策の壁を打ち破って料金の値上げをしようとしております。しかし、古びた制度を直し、新しい時代に即する体制をつくり出すためには、曲がった財政の幹におのを入れる決意が必要であります。予算らしい予算ができ上がった反面で、幹を正すきびしさを後退させたことも、これまた事実で、枝ぶりをよくすることだけに力を注ぎ過ぎたのではないかと、こういう印象がいたします。 第二に指摘いたしたいのは、景気の持続的な成長と物価の安定を最大の眼目とせねばならぬことであります。国際情勢は波乱含みであり、財政が突っ走っている環境ではございません。財政が景気刺激的になるのはやはり避けるべきではないかと思います。そこで、適切な財政政策の運営には、財政と金融をパラレルに運用し、景気手段の強化をしなければならないと存じます。なかんずく金融政策の効果は、国債のもたらした影響と資本取引面の規制緩和や資本自由化の進展の二点から、薄れております。 そこで私は、この際、金融制度について一言述べてみたいと、かように存ずる次第であります。一つは、準備預金制度の対象に中小金融機関や農林中央金庫を加えるなどの量的規制を考えてほしいということであります。それから二つは、公定歩合の年利建て移行に伴う変動幅の拡大と、金融機関の貸し出し金利を公定歩合の変更に連動させるなどの質的規制の拡充整備を要請したいのであります。それから三番目には、金融効率化のためには、店舗、配当、金利の自由化行政を推進し、同時にその表裏一体としての預金保険制度の導入を要請したいのであります。それから最後は、中小企業のフィナンシャル・ギャップ、つまり中長期資金の不足を補充するためにも金融再編成を促進する必要があると考えます。昨年の六月に施行されておりまするところの合併転換に関する法律、略して合転法の改正を要すると思います。 ここで私は、最近の金融再編成論議について、一言述べてみたいと考えます。金融再編成の軸になるのは、今後どのような方向に持っていくかという大蔵の銀行行政の問題と、もう一つは現行の金融制度をどのようにしたらいいかと、この二つに分けられると思います。御承知のとおり、現在、大蔵大臣の諮問機関である金融制度調査会では、金融の効率化を目標にそのあり方を検討しておりますが、長期金融と短期金融のあり方、信託分離問題等についていま浮き彫りにされております。そこで、私はこの底流を見ますると、金融再編議論は、都市銀行が目となってデパート化を主張し、やれ中期定期だ、CDだ、はたまた信託兼営などと主張しているのであります。これに対して、信託銀行は、長短分離堅持並びに都市銀行の信託兼営絶対反対などと反論をしております。私は率直にこの様相を見て感ずることでありますが、国民経済的に見て、都市銀行の自己の権益の拡大や、また信託銀行の防衛をはかる議論は、国民経済的に見てナンセンスではないかと、かように存じます。金融再編成の主人公はあくまでも、金融機関でなく、国民経済であり、企業であるべきだと考えるからであります。したがって、目下金融制度調査会で議論していること自体も、すでに世界の大勢に立ちおくれていると考えます。この際、国際経済の大勢をもう一度よく見きわめた上で、アメリカ型の集中化方式がよいのか、さもなくば英国型の別会社育成方式がよいのか、前向きの検討が要請されるのであります。 予算の問題点の第三は、世界第三位の国民総生産という成長を遂げたにもかかわらず、立ちおくれがはなはだしい社会保障及び防衛、治安問題であります。社会保障について、生活扶助基準、あるいは失業対策事業の労賃、恩給など、弱い立場の人たちの収入を引き上げ、ハンセン氏病患者に救いの手を伸ばし、保育所への補助も大幅にふやしております。保母さんの数も確かにふえました。そこで、福祉費は前年度に比べ二五%もふえておることは事実であります。保健衛生対策費も一三%も伸び、低所得者層に対して公費負担で妊婦さんや零歳児の健康診断を行なうなど、新しい母子保健対策も芽を出しました。他方保険年金制度も、先ほど藤田さんからお述べになりましたように、この面での改善もされ、厚生年金、国民年金もそれぞれ二万円年金が実現するものと思われます。このように前進した社会保障費でございまするが、他面、くさいものにふたをした問題として、医療保険があるのであります。累積赤字がすでに千五百億円以上に達し、財政危機状態が続く医療保険は、日雇い健保が若干手直しされる程度にとどまり、抜本的改革は見送られているのであります。この件を解決しませんと、その他の社会保障関係費を圧迫することとなりますので、制度の効率的な運営は重要な課題ではないかと存じます。 社会保障については、午前中に藤澤助教授、またただいまは藤田教授から公述がございましたが、人口の老齢化も先進国の共通の宿命であるとするならば、特に老齢人口の政治的動向への配慮からも、年金制度は今後とも政治、経済、財政の各般にわたって大きな問題となることは避けられません。わが日本においても、昭和三十六年に国民年金の実施によりまして皆年金体制がとられましたし、また近く予定されまする給付改善により、年金制度は実質的な意味のあるものに引き上げられることになると存じます。そこで、四十四年度の予算に関連して、年金制度にかかわる問題点を三点指摘してみたいと存じます。 第一に指摘したいことは、三十七年の四月から法人税法並びに所得税法の一部改正する法律によりまして、税制の適格年金制度が創設されました。しかし、その積み立て金に対して千分の十の特別法人税が課せられているということであります。私はこの特別法人税を即刻撤廃すべきではないかと考えております。国税庁の発表によりますと、四十三年の九月現在でこの適格年金制度を導入した会社は四万二千社に達しているといわれております。これは社会保障の補完として重要なファンクションをになっておると私は考えます。したがって、この特別法人税の問題については撤廃をしてほしいのでありますが、この特別法人税がほかの国にあるかというと、世界に実は類例がないので、まことに残念ながら、これはげすの勘ぐりではございませんが、大蔵官僚の趣味か、さもなくば政治家の不勉強で大蔵事務官に振り回されているか、さらには、生保協会、信託協会並びに日経連の政治献金が少ないためか、いずれにしても、私ども国民にとってはナンセンスと言わなければなりません。 第二に指摘したいことは、年金額の自動スライド制問題であります。本件は社会労働委員会の重要な問題かと仄聞しておりますが、従前からもいろいろな意見がございます。わが国のように高度成長を続けている経済のもとでは、ともすれば年金の水準は立ちおくれるものと思います。年金の地位は容易に確定できない状況にあるために、自動スライド制の設定はむずかしいことと存じます。自動スライド制の有無にかかわらず、年金水準の立ちおくれを解消する意味での財政再計算期における年金額の改定は不可欠でありますが、年金額の実質的な価値が一定以上に減少した場合には、財政計算期とは関係なく、物価にスライドするような措置が講ぜられてしかるべきだと考えます。 年金制度の問題点の最後になりますが、公的年金制度の統合ということを私は主張したいと思います。現状を横断的に見ますると、六種類の共済組合制度と船員保険、国民年金保険、厚生年金、都合九種類の制度が併存、乱立が顕著であります。そもそも年金制度というのは老後の保障のためにあり、その給付額自体が問題なんであります。ILOの百二号条約第六十七条には、年金給付の算定基準として最終月収の四〇%がめどであると言われておりますが、私は国民の一人として公的年金制度がどうなっているかよく存じません。おそらく厚生省で働いているところの年金局の事務官もその制度内容はよく御存じではないと思います。学者のように論文を書くならばむしろ複雑なほうが材料となりますので、それのほうがベターかもわかりませんが、このような乱立して、しかも受給者にとってわかりにくい制度の統合化、合理化を切願するものでありまして、このためには政界の、政治家の強力なリーダーシップを要請したいと存じます。 次に、防衛、治安問題について所見を申し述べます。安保再検討期を控えて、強力な四十五年対策を打ち出し、陸上自衛隊の定員六千人、警察官の定員五千人、検事の定員三十五人をふやし、手厚い四十五年対策を打ち出しているのであります。とにかく自衛隊違憲説をよそに、四十四年度防衛予算はかなりふえ、新しい装備がどんどん入ってまいります。自衛隊増強は極東米軍の軍事費肩がわりであるという批判はさておき、四十五年対策のための機動隊の大幅増員をしようということには、四十五年問題という一国の安全保障の問題を治安対策にすりかえようとしているのか、まずこの辺について政府が国民に納得のいく説明をしなければならないと考えます。 予算の問題点の最後でございます。民族の将来を思うとき、いわゆるスチューゲントパワーに目を転じなければなりません。私が前に指摘した年金制度はすぐれてオールドパワー対策でありますが、ここに指摘します文教問題はすぐれてヤングパワー対策なのであります。私も若い世代層の代表として本日公述さしていただいているのでありますが、この二つのパワーが中間層を機軸に一体化していく中に社会の連帯性がかもし出されるのではないでしょうか。このヤングパワーが分極化を招くか逆エネルギー化するかは、わが国の将来を決定的なものにすると言っても過言ではありません。文教予算は、教育の谷間に取り残されていた底辺に光を当て教育条件の改善をねらっていることは評価できますが、大学問題の一つの根である私学への対策はまた取り残された感じがいたします。「エリート大学から国民の大学」は、ことばをかえて言うならば、「駅弁大学」から「各駅大学」となり、格差が生ずるばかりであります。特に国立大学七十五校に占める東大の予算は、御承知のとおり約四〇%となっており、本年度の予算で地方大学充実構想を進める方向の中で何らかの改善策を要望したいのであります。また、大学生の七三%が私立大学生とあっては、私学の役割りは大きいのでありますが、私学の国庫補助については、前年度に比べ一〇%程度の増加ではまだまだ不十分と言わなければなりません。私は、この私学助成が私学の果たすべき役割りに比べますと十分とは言えない、本件は人件費補助をめぐり近き将来政治問題化すると言っても過言ではありません。早稲田、慶応も火をふかんとしているのが週刊誌で伝えられております。 ここで文教問題に関連して一言所見を述べさしていただきます。確かに学校制度にメスを入れないと、「六三制野球ばかり強くなり」ということで、学校制度は空洞化します。また、学生の地位も重要な問題かと存じます。しかし、ここで私が特に強調したいのは、教授対策を忘れてはならないということであります。本公聴会にも公述人として四人の教授がすでにお述べになりましたので、たいへん言いづらいことではありますが、財政学者や経営学者が御自分の大学をりっぱにマネージしておるかというと、現実は必ずしもそうではないのであります。最近の大学問題は、確かに社会体制、政治体制に対する不信感もあります。しかし、学者がやるべきことをやらないで問題を政治にすりかえているということも、これまた事実であります。駅弁大学から各駅大学となっております今日の占領行政の失敗を反省しつつ大学の再編成を要望したいのであります。 以上、昭和四十四年度予算に関する問題として四点言及いたしましたが、最初にも申上げましたとおり、ことしは明治百一年であります。明治以降の百年の歴史を見ますると、日本の思想的潮流はちょうど二十年ごとに変わっているのであります。明治維新が成功すると文明開化という流れが入り、そうして日本主義が興こり、大正デモクラシーの反動で昭和国粋主義に続き、大東亜戦争の敗戦にぶつかり、第三の文明開化となり、最近は新現実主義といわれているのであります。御承知のとおり、ここ二、三年の中「中央公論」や「世界」、「文芸春秋」の論文をごらんいただくと、林健太郎先生とか、会田雄次先生、また中根千枝先住など、日本を見直す論文が非常に多くなっております。つまり、現実の日本は一ころ言われるようなマルクス主義によっては律し切れない複雑な問題があるということであります。私は、そういう意味で、思想の変化は二十年周期説と見ておりますが、政治面では来たるべき衆議院選挙がこれからの多彩な流動化現象を示す導火線となることは確かでありまして、連立政権構想や新党結成計画を具体化し、政界の再編成を促進するものであります。私は国民の一人として考えていることは、独善的な路線が目立っている各政党が、沖繩返還というこの国民的合意を求めて、この際政界の再編成をすべきではないかと考えております。そのためには、この硬直化した政党間において相互乗り入れを促進し、一ころいわれた国会の正常化であるとか、国会の効率化を要請したいのであります。国会の効率というのは、大ざっぱに申し上げてもあれでございますが、むだなく、むらなく、無理なく——むだと、むらと、無理があってはいけない。この「む」を取る、なぜならば、だらりとなるからであります。そういう意味で、むだと、むらと、無理を称して三む主義と私は呼称したいのでありますが、このだらりを排除することが、国会の正常化、というよりは国会の効率化に資するのではないかと考えます。政治家は、議員としてでなく、代議士として、野心を持ち、国民の先頭に立っていただきたいと望むのであります。 最後に一言いたします。将来展望に立って見るとき、四十四年度予算は確かに多くの問題点がございます。なかんずく、うしろ向きの問題点を切っていく勇気に欠けるのは残念ではありますが、反面、時代の要請に少しでもこたえようとした姿勢が盛り込まれているので、私自身は条件を付して賛成し、公述を終わる次第でございます。御清聴ありがとうございました。
○委員長(塩見俊二君) 以上をもちまして藤田、森木両公述人の発言は終わりました。 —————————————
○委員長(塩見俊二君) 御質疑のおありの方は順次御発言を願います。
○松永忠二君 藤田先生に一つお伺いいたします。 私は、先生がおっしゃるように、財政政策の中では支出を調整するということはなかなか容易でない。特に公共投資などについては、やはり民間設備投資との差から、相当充実をしなければいけない。また減税等の消費的な投資にも、これまた国民生活を向上するにおいて相当重要な部面があるので、そう簡単に支出の面の調節はできないから、どうしても収入面の調節をするよりほかにないじゃないか。そうなってくると、間接税とか所得税よりは、やはり法人税が問題になるというようなことを考えておることは全く同じなんであります。ところが、こういうことを申しますと、実は総需要を抑制したり、景気を調整するのは、小回りのきく金融政策のほうが大事だと。それはもちろん金融政策のほうが即効的な効果があることは事実であります。しかし、金融政策でそういうことをやると、一番先にあおりを食うのは中小企業でありますから、そういう面についても相当な配慮が必要だけれども、財政は小回りがきかないからというようなことでありますし、特にお話の出た法人税なんか問題にいたしますと、法人税の税効果というのは非常におそいんだと、ききめがですね、そういうわけであります。しかし、私はそのほかの支出なんかも、一年たたなければ財政効果はあらわれてこないわけですから、必ずしも税の効果がおそいとばかりは言えないと思うんです、総需要や景気調整に対して。しかし、そうういうことを言うのであります。そこで私は、税は、速度はそんなにおそくはないし、また同時に税の心理的効果というのが非常に働くので、設備投資抑制などには非常な効果のあるものだし、しかも法人税自身は国際的にも非常に低いんだというようなことが出ているわけでありますから、ここが問題だと思うのですが、それはあまり効果がないんだと、ききめがおそいんだという議論について、少し御意見を伺わしていただきたい。 それからもう一つは、具体的に法人税については、この引き当て金とか準備金というものも問題ではあると思うんですが、何をあなたは法人税の場合に考えておられるのか、税率の問題を考えておるのか。また、ときによると年度の途中で税率を変えるというような、こういう考え方もあるのではないか、そういうことを実施しておる国もあるというようなことをいわれておりますが、まあ特別償却の制度を途中から生かすとか、いろいろな方法があると思うのですが、具体的に法人税のどこを一体どういうふうにしていくべきだというのか、その点が一点と、先ほどの、法人税は税制による総需要調整なんというのはたいして効果ないのだ、おそいのだ、この理論について反駁する理論というようなものを少し藤田先生からお聞かせ願いたい。
○公述人(藤田晴君) ただいま御指摘になりました租税政策に伴うタイムラグの問題は、これは別に法人税だけに限られたものではございませんが、これにつきましては、政策措置を発動するまでのタイムラグ、発動して以後における措置の効果が経済的に浸透するまでに要するタイムラグ、二つを区別する必要があると考えます。税制のタイムラグが長いといわれる場合には、政策措置を発動するまでのタイムラグが特に問題なのであります。たとえば法人税率を年度の途中で変えるという場合に、特別に国会を開いてそれを審議する、それに要する時間が問題なのであります。もしも法人税率を変更して以後のタイムラグを、たとえば公定歩合の変更の場合のタイムラグと比較いたしますならば、その場合効果の浸透が、税制面の措置の場合のほうがずっとおそいという論拠はないわけであります。 それから、金融政策のほうがタイムラグが短かいから、法人税制の税率操作は不適当ではないかという見方でありますが、これに関しましては、やはり相当問題がございます。昭和四十年のように、金融政策が不況対策として効果を発揮できなかったようなケースが今後とも起こり得ないとは言えない。それからまた、今日国際的な資本移動が非常に活発でありますので、金融政策の運営にあたりましては、少なくとも金利政策は、国際収支の問題に重点を置いて行なわれなければならないわけでありまして、国内均衡の、国内における需給の均衡の確保のための手段としましては、これまでにもまして財政面の措置を充実する必要があると考えるわけでございます。さらに、伝統的な金融政策が効力が弱くなってきたと考えるべき幾つかの理由があることは、よく知られておる事実であります。こういう点から、私は、民間需要をコントロールするための手段である税制面の措置が今後重要である、そうしてその中心としては、やはり非常に変動率が激しい民間投資をコントロールするための施策が重要になる、だとすれば、法人税制の面における政治操作が必要である、こう申し上げたのであります。 具体的に、それじゃどういう措置をとるのかという問題でありますが、法人税制に関する景気調節手段としましては、すでに延納の利子税を公定歩合にスライドさせる制度であります。それから、一部の特別償却を景気の過熱期に停止する措置とが、たしか昭和四十二年ごろの税制改正で組み込まれておるわけであります。 〔委員長退席、理事江藤智君着席〕 しかし、これらの措置はいずれも問題があるのでありまして、公定歩合にスライドして利子税率を動かす制度は、これまでのところあまり効果がなかったようであります。また特別償却の停止に関しましては、どのようなふうに、押えるべき投資は不要不急のものがまず押えられるべきである、特別償却の対象になっているような、政府ができるだけ促進したいタイプの投資が押えられるということは非常にまずいわけであります。そうだとしますならば、この措置にも非常に問題がある、現にいままで発動されておらない。それでは、法人税率の一般的な操作がよいかと申しますと、これにも相当問題があります。政治的な抵抗ということもありますし、それからまた、経済的にも望ましくない効果が出る、税率が高いときにできるだけ経費控除をやろうというような問題がある。そこで、私が先ほど公述の中で申し上げましたのは、投資平準化準備金と呼ばれる制度であります。これは、通産省が資本の自由化対策として提唱したものであります。本来、スエーデンにおけるあり方としましては、投資の平準化をはかる景気政策の手段である。この具体的なやり方はもちろんいろいろな方式が考えられるわけですが、その趣旨は、政府が望ましいと思われる時期に、投資が行なわれるということを前提にしまして、そのような投資のための準備金を蓄積する場合、税制上優遇措置をとるというやり方であります。そのようにして、投資のタイミングを調整しようというのであります。 それからもう一つは、固定資産の償却一般につきまして、たとえば第一年度の償却をブームのときの投資については半分に落とすと、そういうような減価償却の操作というやり方が考えられます。具体的には、そういうふうな措置を考えておるのでありまして、法人税率の一般的操作は非常に適切な手段であるとは思いません。
○鬼丸勝之君 藤田先生にお伺いしますが、先ほどお説のように、都市問題は時間との競争である、これはまあ残念ながら事実でございます。ところで、お話の中で土地の需給関係に触れられまして、一方では、土地を開発して供給をふやす、一方では、さらに需要の方面を再開発その他で考えていくという意味のことがあったと思いますが、都市施設を先行的に整えていくということが都市問題の、しかも、土地問題を含めての私は一番重要な方策だと思いますが、さらにそのほかにお触れにならなかった点で、私権の制限を、いま御承知のように土地収用、その他の制度がございますけれども、一番問題なのは、やはり都市内では、不動産に関する権利が錯綜しておりまして、御承知のように、ちょっとした市街地改造をやろうにも進まないのは結局権利の調整ができないということと、さらに制限が思うようにできない、つまり地域の公共の福祉のための制限が思うようにいかないという点にあると思います。今度の再開発法あたりでは、組合をつくってやる場合に、その地域の権利者が三分の二以上同意すればやれるというような案も考えられておりますが、この辺について、もっと思い切った措置をとる必要がないのかどうか。 さらに、これもお触れにならなかったと思いますが、根本的には大都市の地価が上がるのは、やはり人口なり民間の設備が集中するところにあるわけでございますから、過密化を防ぐ対策として、都市の施設をよくしてももう追いつかないという状況にございますから、むしろ地方に産業基盤の整備の公共投資を積極的に進めて、地方都市を育成していくということでやはり国土全体のバランスのとれた開発ができるし、都市のこの息詰まるような事態も防げると思いますが、その辺についての御意見を伺いたいと思います。 さらに、税制も土地対策の重要な方策ではございますが、これは非常にむずかしい、その効果をプラス・マイナス両面から考えると、非常にむずかしい点がございます。お話のように、今回の土地税制についてもあるいは中途はんぱで、十分効果を期待されない。特に売り惜しみの傾向をなくするという意味では十分でないという御意見がございましたが、しかし、御意見による土地保有税なりあるいは潜在農地を宅地として課税するというようなことは、かえって売り惜しみを激しくする面がないかということも考えられます。一方では、どんどん市街地が開発されますけれども、これをやはり秩序ある開発に持っていくためには、税制の面でどういうふうに考えていったらいいかということが一つと、税制による収入は、もちろんその開発に投入するということはぜひ必要だと思いますが、その辺についての御意見をお伺いしたいと思います。
○公述人(藤田晴君) 今日の都市問題におきまして土地の問題が占めておる地位というのは非常に重要であると思うのであります。その意味で、地価の安定、土地の有効利用のためのあらゆる政策をできるだけ早く動員して、強力に土地問題の解決のための政策を推進すべきであるということは言うまでもありません。そのためのいろいろな手段の一つとしまして、土地に関する所有権を絶対視するという考え方を捨てるということは、もとより大切であります。この点、各政党の土地問題についての御意見を書かれたものを拝見いたしますと、大体全政党とも御異論はないようであります。ところが、実際に土地に関する政策が行なわれておる状況を見ますと、なかなか土地所有者の利害関係というものを、多少でも阻害するような政策というのは実行しにくいわけでありまして、土地収用法の改正一つでも非常に異論がありまして、長い間かかったわけであります。現在の収用価格の評価のしかた自体にも、学者の中には異論を持っておる人があるわけであります。計画を立案する当時の価格で収用するのが当然であるというような意見がございますが、実際問題として、そこまでなかなか踏み切れないというのが実情であろうと思います。これは、国民の一般的な土地の所有権についての考え方が変わっていくのを待つほかないわけであります。その間、啓蒙活動を積極的に行なうことがもちろん必要であります。この私権の制限に関する考え方が、急速に短期間に変わるということはどうも期待できないように思います。そういう意味で、いろいろな土地政策の実行には、政治的な限界ということがあるということを痛感いたします。 それから第二に、現在の過疎と過密の矛盾を打開するためには地方都市の育成が重要ではないか、大都市の再開発だけをやってもしかたがないではないかという御意見はまさに同感でございます。ただ、従来の新産都市の育成というやり方が失敗したのは、全国的な高速交通網を整備するというやり方がとられずに、ただ、いたずらに多くの新産都市を指定するということをやったからであります。この失敗は十分反省されなければいけない。新しい国土計画に合いますように、全国的な高速交通網を——もちろん通信網もそうでありますが、これを急速に整備するということを、今後の都市政策の重点事項の一つとして推進していきますならば、少なくとも首都圏、その他の大都市圏への人口集中の勢いをある程度はセーブすることはできると思います。しかし、同時に大都市の特定地域に関しては、工場、事務所などの新設に対して、税制上抑制措置をとるというふうなやり方も同時に考慮する必要があると思います。 それから土地保有税を強化しました場合、特に農地が市街化地域内にある場合に、それを宅地並みに評価した場合に、売り惜しみがかえって起こるのではないかという問題でありますが、確かにそういうふうな御意見は何人かの方から聞いたことはございます。税制の問題で一番めんどうなのは、そもそも地価がいかにしてきまるかということがはっきりしないということでありまして、特定の税制面の措置が地価を上げるという説もあれば、下げるという説もあるというのが現状でございます。私自身は、土地の需要価格というものは、土地の保有からもたらされる将来の年々の収益を利子率を用いて資本還元したものが基準になると考えますが、このような観点からすれば、収益から当然保有税というものはコストとして引かれなければならないわけでございまして、このコストが増大することは、むしろ土地の需要価格を押えることになる。ということは、現在農地としてそれを持っている人の場合でも、その土地を農地として持ち続けるのは、これだけの価格であれば持っていたいというその価格が下がるということであります。ということは、供給価格はむしろ低下するということを意味するわけです。実際問題としましても、大都市の市街化されておる地域内、ほとんど耕作が行なわれていない農地に、たとえば宅地並みの評価が行なわれて固定資産税がおそらく百倍ぐらいにはなると思いますが、そういうことが起こった場合、そのまま農地の状態でがんばれるかどうかということを考えてみれば、売らないまでも、少なくともそれを貸し家住宅のための敷地として利用するというような形で、実際には宅地としての供給が促進されることになるだろうと考えております。 土地税制に関しましては、そのほかいろいろとめんどうな問題があるのでありまして、たとえば空閑地税の問題、これも大都市地域における土地の用途別の指定が明確に行なわれまして、特定の都市部の地区については、一定以下の容積を持つような建物を建てることは望ましくないというふうな、そういう制限が行なわれるようになれば、そのときにはその種の措置を前提にしまして、空閑地税あるいは低利用税とでも申しますか、そういう税を創設することも可能であります。さしあたっては、やはり土地の保有税と譲渡所得税が税制面の対策の中心になると考えます。そして私自身は、譲渡所得課税を強化することこそ売り惜しみを促進する危険がございますので、むしろ保有税の強化を中心的な手段として使うべきであると考えております。そして固定資産税その他の保有税の強化は、もちろん大衆にとっての税負担の増大を意味しますので、同時に、たとえば一定の課税標準までは税率を低くするというふうな二段階税率制をとるとか、あるいは住民税を軽減する、そういう措置をとる必要があると考えます。
○塩見俊二君 藤田先生にお願いいたします。 先ほど先生から、きわめて簡単でございましたが、二分二乗方式のことにつきましてお話がございましたので、その点についてお尋ねをしたいのでありますが、この二分二乗方式というのは、これは新しいとは言えぬかもしれませんが、また、この概念は私は定着をし固定化していない概念だと思うわけであります。したがって、そういう意味合いからお尋ねをいたしたいと思います。もちろん、この財産なりあるいは所得の形式に妻が協力をする、そういった事実は否定することはできないわけであります。特に、あるいは中小企業でございますとかあるいは農業であるとかいったような場合には、そういった点が非常に顕著ではないかと考えておるわけであります。しかしながら、この方式を実行するということになりますると、技術的に見ましてもあるいはまた理論的に見ましても、非常にいろいろの問題を私は含んでおると思うのでありまして、そういった問題を整理してからでなければ、なかなか軽々にこの問題に手をつけられない。たとえば大所得者、名前を申し上げて恐縮でございますが、日本一の松下さん、この人も二分をして軽い税率をかけるといったようなことが、はたして負担の公平であるかどうか、あるいはまた所得の形成にあたりまして、特別の人、まあたとえば歌を歌う人、このごろの歌謡をする人といいますか、こういうような方とか、あるいは特別の野球の選手、いわばその人の特別の才能なり能力というものによって所得が形成されておる、こういったような場合に二分二乗方式を直ちに適用するといったようなことは、これはどうも負担の公平から見ても非常にむずかしい問題じゃないかというようなことで、簡単に二分二乗方式がいいのだというような結論をいま出すのは非常に早いので、この問題につきましては、もっと真剣に取り組んで、そうしてどうすればいいかということは、むしろ私は今後の問題であると、かように考えておるわけでございまして、先生のお話は非常に簡単でございましたので、ちょっとこの点について補足的に御意見をお伺いしたいと思います。
○公述人(藤田晴君) 二分二乗方式がアメリカで導入されましたのは、アメリカの特定の州における財産権についての取り扱いが関係しているといわれております。そういう観点から二分二乗方式の説明に、よく、妻が所得の獲得に協力しておるからああいう制度をとるんだということがいわれております。しかしながら、私は、二分二乗方式の意義を理解しようとします場合、こういう説明のしかたはよくないと思っております。それではどういう説明のしかたになるかと申しますと、所得税は、担税能力、租税負担能力に応じた課税というところに最大の長所があるわけであります。この場合の担税能力は何を基準にしてはかるかといえば、言うまでもなく所得であります。その所得は、個人の所得ではなく、生活共同体としての家族の所得の額である、そういうふうに理解すべきであると考えます。これがむしろ欧米で支配的な考え方でありまして、わが国の税制は個人主義的な方向へ行き過ぎておるのであります。そこで、家族全体の所得の水準がその家族の生活水準を規定し、その生活水準の高さに応じて税負担率がきまるべきであるとしますならば、夫婦の場合と独身者の場合、同じ所得水準であれば、生活水準は夫婦のほうがはるかに低くなることは当然であります。たとえば、独身者の二倍ではないにしても一・八倍程度の所得があるときに、夫婦が同じ所得水準になる、こういう関係が、あらゆる所得水準について成立すると考えますならば、たとえばプロ野球の選手で一千万円も所得を取る人の場合でも、その人が独身者である場合と、夫婦あるいは子供があるというような家族構成の人である場合とでは、当然税負担率に大幅な変化がなければならない。ところが現在わが国でとられておりますような配偶者控除というやり方は、定額控除でありますから、高所得層になるにつれましてその効果が薄れてまいります。たとえば一千万円も所得がある場合、配偶者があろうとなかろうと、税負担率を計算してみれば、ほとんど同じになります。こういうことは、夫婦と独身者の場合に、実現する生活水準が非常に違うというのであれば、非常に不合理なのであります。したがって、高所得者の場合に、税負担が、配偶者を有すると大幅に軽減されるのは不合理でないかという御指摘がございましたが、むしろ、従来の課税方式が、高所得者の場合、配偶者の有無についての調整が非常に不十分であったということなのであります。したがって、従来のやり方が不公平であったのを公平な状態に戻そうということでありますから、決して弊害があるとは言えないと思います。実際問題としましても、いわゆる中堅のサラリーマン層になりますと、相当な所得水準に達しておる場合が近ごろは多いのであります。定額の配偶者控除とか、あるいは扶養控除も実は同じことでありますが、そういうやり方ではうまく税負担の調整が行なわれない。同じ生活水準を持っている独身者に比べますと、中堅層の家族の多い人たちのほうが税負担率は高くなっているというのが実情ではないかと思います。こういうふうな実情を是正するための手段としましては、すでにアメリカ、西ドイツ、フランスなど、多くの先進国で導入されております二分二乗方式は真剣に検討に値すると思うのであります。直ちにこれを導入しろということを主張しておるわけではございませんが、少なくとも、税理論の立場から申しますと、むしろ正当な、公平なやり方というのが二分二乗方式、これをもっと徹底したものが、フランスの除数制度と呼ばれるやり方でありますが、そういう方式なのでありまして、日本のような定額の配偶者控除や扶養控除による調整方法のほうが欠点が多いということを申し上げておきたいと思います。
○理事(江藤智君) 他に御発言もなければ、質疑はこの程度にとどめます。 公述人の方々には、長時間有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。 以上をもちまして、昭和四十四年度総予算についての公聴会は終了いたしました。 明日は午後一時から委員会を開会することといたしまして、本日はこれをもって散会いたします。 午後二時四十二分散会