文教委員会 第27号
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- 開催日
- 1969/06/27
会議録
○大坪委員長 これより会議を開きます。 大学の運営に関する臨時措置法案を議題とし、審査を進めます。 質疑の通告がありますのでこれを許します。西岡武夫君。
○西岡委員 大学の運営に関する臨時措置法案について質問をいたしたいと思います。 法案の逐条約な質問に入ります前に、まず基本的な大臣のお考えをただしたいと思うわけであります。 今日わが国は幾多の重要な難問題をかかえているわけでございますが、この大学における紛争の問題ほど日本全国民の関心を集め、国民がともに心を痛めた問題はかつてないと私は考えるわけでございます。 大学紛争の原因につきましては、非常に複雑多岐にわたっているために、その解決が非常に困難であるということはだれしもこれを認めるところでございます。しかしながら、すでに大学紛争が全国に蔓延をいたしまして一年半を経過をいたしております。この間、大学紛争の解決に対する有効適切なる方策というものを今日まで見出し得なかったその責任を、私自身政治に携わる者の一人として痛感をするものでございます。非常に問題が複雑でございますので、解決がなかなか困難であるということは事実でありますけれども、しかしながら、その解決の非常にむずかしいということのために、政府の大学紛争に対する責任というものは決して免れるものではないと私は考えるわけであります。この政治的な責任について、まず文部大臣の御所見を承りたいと思います。
○坂田国務大臣 今日起こっておりまする大学紛争に対する政府の責任についての御質問でございます。私どもといたしまして、最終的な責任を負っておりまする文部大臣、文部省といたしまして、その責任を痛感いたしております。ことに昨年の十二月から東京大学、教育大学の紛争が激化をし、十二月の時点で教育大学はことしの入学中止をせざるを得なくなりましたし、また、東京大学におきましても、一月の二十日東大と私どもとの協議の結果、事実上の入学中止ということに相なったわけでございまして、この点、東大を目さしあるいは教育大学を目ざして勉強し続けてきました志願者に対して、非常に責任を痛感しておるわけでございます。また、同様にその御父兄に対しましてもそう思いますし、また、全国民の方々にも、今日国立大学だけではなく私立大学等においてもゲバ学生が横行して不法状況が続いておる、いつ果てるともしれないという非常な不安な状況、しかも入学をいたしましてもなお自宅待機を余儀なくされておる。あるいは二年生、三年生、四年生の学部学生におきましても、授業がいまもってできないというのが相当の数にのぼっておるということ、そして大多数の学生、大多数の教官たちは、一日も早く大学を昔のような静かな教育と研究の場にしたいと願いながら、一部暴力学生のためにこれが行なえないということにつきまして、そういう状況が続いておるあるいはそれがエスカレートしておるということにつきまして、私は責任を感ずるものでございます。でございまするから、何とかして一日も早くこの暴力の横行が行なわれないように、あるいは秩序回復をはかり授業再開をして、そして一日も早く教育と研究の場にふさわしい大学のたたずまいに直そうと努力をし、私に与えられましたところの指導、助言を通じまして、繰り返し繰り返しその努力を続けてきたわけでございます。 昨日も学長会議を招集いたしまして、そして一日も早く教育の正常化、秩序維持、確保、そういうことについての御懇談を申し上げたようなわけでございます。大学側からの要望としましては、従来とにかく大学の問題は大学の自主解決にまかせてくれ、こういうことを強く主張をされるわけでございますが、諸外国の例で見ましても、一カ月か二カ月か続いた例はございましょうけれども、半年も一年もあるいは一年半もこのような不法な状況、授業再開ができないというような状況は諸外国にも例がないわけでございまして、この点、ただ大学側の自主的解決だけにまかせておくということでは、最終の責任者でありまする文部大臣として、あるいは文部省といたしまして、国民の方々に対する責任を果たすことにはならないのではないかということを考えまして、今回紛争処理を目的といたしましたところの法案を提出をいたし、御審議をわずらわしておるところでございます。
○西岡委員 私は、文部行政の最高責任者として、坂田文部大臣が今日まで、制約された権限のもとでこの大学紛争の解決のために文字どおり心血を注いで御努力いただいておりますことに対しましては、心から敬意を表する次第でございます。しかしながら、今日まで佐藤内閣が大学紛争に取り組んできたその姿勢につきましては、今回のこの法案の提出を含めて、私には全く納得がいかないわけでございます。政府は今日まで、中教審の答申を待つということで、この大学紛争に積極的に取り組む、いわゆる政治責任を果たすということを、どちらかといえば回避をしてきたという感じがするわけでございます。どうも文部当局の様子を見ておりますと、この大学紛争については、何もやらないのが最善の策であるという感じすらするわけでございます。この点についてはどういうふうにお考えになっておられたのか。もしそうであるとするならば、最後までこういった法案なんかは出さないほうが賢明ではなかったかということを感ずるわけでございますが、その点について大臣の御見解を承りたいと思います。
○坂田国務大臣 お答えを申し上げたいと思いますが、元来、やはり大学というところは、外からの力ではなくて、みずからの力において問題を解決しておくということが望ましいことは申すまでもないことでございます。したがいまして、私就任以来、何とかして大学みずからの自主的な解決ということを期待し、それを激励をするという意味におきまして、私に与えられておりまする唯一の権限でございまする指導、助言というものを通じまして、その解決に努力をしてきたところでございます。しかしながら、先ほども申し上げまするように、ますます紛争というものが激化をしてまいりまして、今日の段階では、もはや大学だけにこれを、自主解決を求めるということだけでは、とうていこの紛争の解決の糸口をすらも見出すことはできないのではないかというふうに考えまして、今回の法案の提出ということに踏み切ったわけでございます。 しかしながら、それとても、やはり大学の自主解決ということ、大学側の自主的な解決への努力というものを助けるという気持ちを変えておりませんので、そしてそれを手助けするということを主眼としてこの立法ができておるというふうに御理解をいただきたいと思いますし、また、その最小限度の法案にいたしたわけでございます。 中教審は、四月の三十日に答申をなさいまして、皆さま方もすでに中教審の内容をごらんいただいておると思います。また世論、あるいはこれを読まれた大多数の人、あるいはいろいろのNHKの調査であるとか、あるいはまた文部省のモニターの回答の分析を通じまして受け取りましたところによりますと、大体においてこの中教審の答申を是とするのが圧倒的に多いわけでございまして、この中教審の答申を踏まえまして、指導、助言を根幹として、行政措置でやるべき問題、そしてまた、将来、閉ざされた象牙の塔のかつての大学から、国民のために開かれた大学、そのあるべき姿というものについて、そういう一つの大学像というものを頭に置きながら、なおかつ現実の紛争というものを何とかしなければならないという、示唆に富む御答申がございまして、ただいま御提出を申し上げておるような法案にこれをまとめ、そうして当面の紛争処理の糸口をつかみたい。また同時に、指導、助言の行政措置によりまして、この大学のあり方というものを改善してまいりたい。さらには将来あるべき大学像ということにつきましても、大多数の国民の合意を得られるようなものを考え、また、それを打ち出して、そうしてほんとうの意味における国民のための大学、万民のための大学というものを再建してまいりたいというふうに私は考えておるわけでございまして、この法律だけですべてが解決をするというふうには考えてはおりません。しかしながら、私はむしろこの法律を通じまして、この紛争解決への糸口が見出されるものであるというふうに確信を持っておる次第でございます。
○西岡委員 政府は、文教政策を決定する場合に、中教審の答申を得てから行なうということを再々言明をしてこられた。その態度自身に問題があるのではないかと私は考えるわけでございます。そもそも中央教宣審議会というものの存在はどういうものであるか、中教審が答申をしなければ政府は何もやれないのか。これまでの政府のやり方を見ておりますと、どうもそういう感じがするわけでございますが、その点についてお考えを承りたいと思います。
○坂田国務大臣 教育の制度というものは、日本の民族の将来を決定するものでございます。したがいまして、非常に多くの方々の合意のもとに、そうしてまた客観的に認められるような方向で考えていくということが、教育の制度を考えていく場合に非常に重要なことではないかと私は思うわけでございます。また、戦後いろいろの制度の改革がございましたけれども、最近の基本的な根本的な制度の改革を行ないます場合は、単に文部大臣だけの考え方ではなくて――最終的には私が考えるということ、決定をするということではございますけれども、やはりそういう教育制度の基本にかかわる問題につきましては、中央教育審議会という学識経験者のお集まりになっておる審議会の審議を通じてこれの答申をいただき、そうしてそのもとにおいて制度の改革を行なっていくということが近代的なやり方ではないかということで、今日までそういうやり方を続けてまいっておるわけでございますが、私といたしましては、そういうような慎重さということは、教育制度を考えます場合におきましては、やはり非常に大事なことではないかというふうに思うのでございまして、単なる文部大臣の独善的な意見、あるいは恣意に基づくところの意見等によってやるということは差し控えるべき問題ではないかというふうに思います。そういうわけで、中教審のこの前の御答申も、十分の審議を重ねられ、今日大学問題に対する具体的提案といたしましてはきわめて貴重な御意見であると私は思うのでございます。今日いろいろ学術会議、あるいはまた各大学から意見も寄せられております。しかしながら、こういう形にまとまって大学問題に対して具体的な提案をなされたのは初めてのことであるというふうに思うわけでございまして、私は、この答申というものを十分尊重していくということが、行くべき道ではないかというふうに考えておるわけです。
○西岡委員 文教行政について、大臣が自分かってな考えで簡単にきめるべきではないというお考えは、これはもっともな話でございます。しかし、この中央教育審議会のあり方につきましては、これからもたぶん何かといえば中教審、中教審ということを政府はおっしゃるであろうと思いますので、重ねて大臣のお考えを承りたいと思うのですが、中央教育審議会というものは、文部省設置法の二十六条にこれが定められているわけでございます。ちょっと参考までにこれを読みますと、二十六条の二項に「中央教育審議会は、文部大臣の諮問に応じて教育、学術又は文化に関する基本的な重要施策について調査審議し、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議する。」とございます。この「諮問」ということでございますが、参考までに各種の辞典を引いてみたわけであります。諮問ということは「問い尋ねること。下の者の意見を求めること。」とございます。ところが、これまでの文部省の中教審に対する態度は、下の者の意見を求めるということではなくて、上の方の御意見を承るという感じがするわけでございます。こういった点、大臣はどのようにお考えになるか承りたいと思います。
○坂田国務大臣 いまの西岡先生から御指摘になりました意味がちょっと私にはわからないわけなんでございますけれども、私といたしましては、広く国民の教育に関する、あるいは学術に関する、あるいは文化に関することについて高い識見を持った方々、そういう方々の意見というものを広く求めるということでございますので、むしろそういう下の意見を十分聞いた上で審議をしていき、また御答申になるものだというふうに私は考えておるわけでございます。
○西岡委員 そのお考え、わかるわけでございます。ただ、私が申し上げたいのは、大臣がこういう政策をやりたい、これをどう考えるかという、意見を広く求めることはしなければいけない。しかし、中教審の答申がなければ何もやれないというこれまでの文教行政のあり方に問題があるということでございます。このことは、これ以上追及をいたしますことは差し控えますが、やはり文部大臣としてこれからの文教行政をやられるときには、少なくともわが国の文教の最高の責任者でございますから、信念を持って、中教審の答申がなければ何もやれないというような態度であってはならないと私は信ずるのでございます。ぜひそのように大臣の識見というものを発揮をしていただきたいということを要望をしておく次第でございますす。 私が、この政府の提案をいたしております法案につきましてまず第一に問題であると考えますのは、この法案が持っております性格が少しも建設的ではないということでございます。これは、この法案の第一条の「目的」に書いてございますように、紛争大学だけを対象としているわけであります。ということは、ちょうど川下できたないものが流れてきたのを処理をする、そういう感じでございます。しかし、政治というものはやはり常に建設的でなければならない。やはり川上できたないものは処理しなければならない。これが政治の本来のあるべき姿であると私は考えるわけでございます。この点について大臣の御所見を承りたい。
○坂田国務大臣 私は、この法案というものは、御承知のとおりに、これは六月十二日の調査でございますけれども、国立が三十一校、公立が四校、私立が八校、合わせまして四十三校が授業放棄または占拠、封鎖の状況にございます。御承知のとおりに国立大学は七十五あるわけでございます。そうして、そのうちの三十一校と申しますと実に四一%、それから私立大学は約二百七十校ございますが、そのうちの八校、わずかに三%であります。公立は三十四校のうちの四校が紛争校でございまして、一二%でございます。御承知のように、授業料は、国立大学は一万二千円、おそらく私立は十万円以上、その他いろいろ経費を取られるわけでございます。また、一教官当たりの学生数にいたしましても、今日マスプロダクションといわれることから考えましても、教育条件から考えましても、はるかに国立のほうがいい。私立のほうが悪い。にもかかわらず、国立の七十五のうち四一%に当たる三十一校の紛争校がある。そうしてまた私立大学においては二百七十のうちの八校である。これは一体なぜかということを考えました場合に、国立大学の授業あるいは管理者というものは親方日の丸ではないか、自由競争の原理というものが国立大学の管理者及び教官には及んでないのじゃないか、そういうことの結果として、大学自体が社会的な責任というものを感ずる度合いがきわめて薄弱ではないかというような気がいたすのであります。ところが、私立大学の場合は、もし入学試験を一ぺんやれなかったとするならば、もうその大学というものはつぶれる。こういう意識が教官にもございます。また理事者にもあります。また学生たちにもある。こういうことから、とにかく何とかしてこの紛争を解決しなければならないという気持ちが、教官あるいは理事者あるいはノンセクトの学生に盛り上がってきて、そしてそれが解決への糸口になるのじゃないだろうか、こういうふうに私は思うわけでございます。そう考えてみると、国立の大学の場合には、あまりにも長い間身分保障というものが手厚いがために、親方日の丸に安住して、いわば社会の変化、世界の変化というものに対応できなくなってきているのじゃないだろうか。むしろ私は、私立大学と同じような意味における自由社会におけるところのいわば風、きびしい風、非情な風、そういうものを正面から受けとめていただきたい、また受けとめるということによって大学人が立ち上がる、自主解決というものにほんとうに熱意がこもる、一般学生も立ち上がるという機運が出てくるのじゃないだろうかというふうに思いまして、この法案を提出いたしておるわけでございまして、いま仰せのとおりに、むしろその根源にさかのぼって解決しようという態度を私はこの法案に出したつもりでございますけれども、その点をそのように御解釈になっておられるようでございますけれども、私どもといたしまして提出いたしました法案の気持ちというものは、そういう気持ちだということを申し上げましてお答えにかえたいと思います。
○西岡委員 これは大臣のお話を承っておりまして、全く私は納得がまいりません。紛争大学だけを対象とした法案で何で建設的であるということがいえるでしょうか。やはり紛争が起こりそうな、紛争がまだ表面化していない大学を、どのようにして紛争校にしないかというのが政治の姿勢でなければならない、この点を重ねてお尋ねを申し上げます。
○坂田国務大臣 私は、今日の大学がかかえておる大きな問題、多くの問題、しかも今日学生たちが大学に問いかけておる多くの問題、そういう問題を解決するために、これから先の新しい大学とはどういうものでなければならないかということを考えるということは当然なことだと思いますが、現在紛争しておりまする問題大学というものの処理をすることなくして、そのような新しい大学の建設あるいはあるべき大学像というものは求められないというふうに思うわけでございまして、やはりその一つの、当面の大学紛争というものに対する手だても加えながら、同時に新しい大学像というものを求め、またそれをつくり上げていかなければならない。かように考えておるわけでございまして、矛盾はいたしてないつもりでございます。
○西岡委員 ますますおかしいと思います。もちろん私は、紛争校に対する手だてを何にもしないでいいということは言っていないわけでございます。これはやはり当然やらなければいけない。あるいは内容についていろいろ問題がございますが、政府が提案しておられるようなこういった内容のものもあるいは必要かもしれない。しかし、これだけではいけないということを言っているわけであります。もちろん、将来の新しい大学像、どうあるべきかということは、当然ビジョンというものがなければいけない。その上に立って紛争を起こしそうな、まだ紛争校とまではいかないけれども、紛争を起こしそうな大学に対する手だてというものは、やはり現在なされなければいけないと感ずるわけでございます。その点はいかがでございますか。
○坂田国務大臣 その点は、西岡さんと私と全く同じなんでございまして、この法律だけでもって紛争校を解決できないし、その他の紛争校になろうとしておるようなところの大学というものについては、この法律だけではなくて、指導、助言あるいは行政措置等によって紛争校にならないような手だてをしていかなければならない。かように考えるわけでございまして、もしこの法律だけでもってすべてが解決するということにわれわれが考えておるとお考えであるとすると、それはそうではないというふうにお考えをいただきたいと思います。
○西岡委員 私は、この法案ではもう何にも解決しない、何にもならないと考えるわけであります。やはりどうすれば多くの大学を紛争校にしないかということが当面なされなければならないし、紛争を起こしてしまった大学についてはどうしてこれを収拾していくかということが、これは政治の姿勢でなければならないということを重ねて申し上げたいと思います。この法案を見ておりますと、だんだん廃校へ流れていくというような感じすらするわけでございます。ですから大臣、いまいろいろおっしゃっておりますけれども、この法案にどういう建設的なところがあるわけでございますか、具体的にお示しをいただきたいと思います。
○坂田国務大臣 私は、基本的に申しますると、大学というところは、やはり大学の自主的な解決ということをまつべきものであるというふうに思うわけでございます。われわれが文部省といたしましてやはり得ることは、やはりそれを手助けしていくということが主眼になければならないものだと考えておるわけでございまして、そういうわけで、この法案にいたしましても、御承知のとおりにそのことを、自主解決を手助けるということを根本に考えておるわけでございます。それに対しまして、たとえば何かわれわれがそれ以上のことをするということが、はたして今度は大学の紛争を解決することになるのか、あるいはまた紛争を激化しないことにつながっていくのか、その辺はよくわからないわけなんで、とにかく私が申し上げたいことは、一片の法律でもって管理運営というようなものまで直ちに入るということがいいのかどうなのかという、そのような課題ではないかというふうに思っております。
○西岡委員 大臣何をおっしゃっておるかよく私にはわからないわけでございますが、私がお尋ねをいたしておりますのは、この法案にどういう建設的な部分があるかということでございます。
○坂田国務大臣 私といたしましては、先ほどから申し上げておりまするように、大学みずからが自主的に立ち上がるような機運を持たせるという建設的な意見ということがこの案だというふうに思っております。これは非常に非情な面を持っておると思います。しかし、その非情さということがやはり私は大事である。みずから立ち上がり得ないものは、やはりこれは立ち上がらないわけなんで、そういう意味合いにおきまして自主的に立ち上がることを助けるものだというふうに考えております。
○西岡委員 この法案ですと、すべての大学が紛争校にならなければ当然対象にならないわけでございます。ですから、紛争校とまではいかない、紛争が表面化していない、しかしながら、非常にその危険のある大学について政治が何もやらないということになるわけでございます。この点についてどうお考えになりますか。
○坂田国務大臣 私が先ほどから繰り返し申し上げておりますることは、大学の問題というものは、法律、法律といってやったからといって、必ずしもうまくいくものではないという基本的な考え方があるわけでございます。それでございますから、この法律だけで紛争解決はできない。むしろ、それ以上にわれわれの指導、助言と申しますか、行政措置と申しますか、そういうものが必要であるということを申し上げておるわけでございまして、この法律だけでもって一切がおさまるというものの考え方は、大学問題に関する限りいかがかというのが私の考え方なのでございます。
○西岡委員 大臣の、その法律万能ではいけないという考え方は私も同感でございます。しかしながら、今回政府は、やはり何らかの処置をやらなければ、これはどうにもならない事態に来たという認識を持っておられる。だからこそこの法案を出してこられたと思うのであります。そうであるならば、紛争校だけでなくて、いかにすれば紛争を起こさない、紛争校にならない、そういう手段を考えるか、どうすればいいかということを考えるべきではないか。いま指導、助言、行政的な指導でというお話でありましたが、それが十分な効果をあげることができなかったからこそ紛争校が続々と生まれてきたということではないかと思うわけでありますが、この点をどうお考えになりますか。
○坂田国務大臣 私から言わせますと、紛争校というものの処理なくしては、やはり大学のほんとうの姿というものも実は出てこないという考え方でございまして、その紛争校に対して何にもしないというわけにはまいらないと思うわけでございます。私は、むしろ逆に紛争の処理に対する糸口を見出すことによって、いままでの指導、助言よりもなおさら一そう指導、助言の効果というものはあらわれてくるというふうに思っておるわけでございます。
○西岡委員 私は紛争校の対策が必要ではないと言っているわけではないわけであります。医学の場合でも、治療ということと予防ということがございます。治療というのは、病気になってしまってからこれを何とかしてなおそうということであります。しかし大切なのは、やはりどうすれば病気にならないかという予防のほうであるはずであります。これからの医学もそういう方向に進んでいるわけでございます。そういう意味で私は御質問をしているわけであります。
○坂田国務大臣 私は、予防ということも念頭に置き、またそのほうもやりながら、同時に病人はやはり助けなければならない。助ける場合には手術もしなければならないし、劇薬も使わなければならない。こういうことでございまして、病人が痛いからといって手術を怠ったら病人は死んでしまう。こういう意味合いにおきまして、相当痛いかもしれないけれどもこらえて、やっぱりその病巣を取り除くということだけはやらなければいかぬのじゃないかというふうに考えておるわけでございます。
○西岡委員 ちょっと議論がかみ合わない感じがするわけでございますが、病人を、あるときは劇薬を用いてなおさなければいけない、その劇薬が将来の健康体を取り戻す、健康体になるための薬になる、そういう場合もあるわけで、それもしなければいけない。しかしながら、病人をなおしたからといって隣の健康体が病気にならないということにはならないわけであります。やはり予防しなければいけない。その処置が当然なされなければいけない。もちろん、文部省の行政的な指導、助言でそれをやっておられるというお話でありますけれども、その効果がないということは、いままでのここ一年半ばかりの経過を見ましてほとんど明らかでございます。ある程度の効果はあったとしても十分な成果をあげていないことは明らかであります。ですから、これだけの法案を出されるならば、もっともっと突っ込んだお考えが必要ではなかったかという点をお尋ねをしているわけでございます。
○坂田国務大臣 だいぶよくわかってまいったのでございますが、その病人に対する処置は一応わかる。しかしながら、病人になろうとしておる人たちに対しての処方が一向この法案にはないのではないか、それはまさにそのとおりなのであります。その予防医学の方面についてはむしろこれからの問題ではないかというふうに私たちは考えております。これからの問題で、ただちにいまないのか――これはやはりもう少し今日の大学というものはどうなければならないかという基本的な検討あるいは調査ということなくして、そういう処方せんは書けないというふうに思っているわけでございまして、そのことにつきましては、この六月以降の中教審の検討をまつべきものであるというふうに思っております。また、この六月三十日には幼稚園から大学までの教育制度全般にわたるところの中教審の答申も受け取るという段取りに実はなっておるわけでございまして、そういうものが明らかにされ、さらに七月以降におけるところの大学問題特別委員会というような形において、いま少し検討をわずらわし、その答申をも待ちたいし、また文部省自身といたしましても、先ほどのお話じゃございませんけれども、単に中教審だけにたよることなく、文部大臣は文部大臣の見識でひとつ大学の問題に対する考え方というものも出してもらいたいというような御指摘でございますが、私自身もそのように考えておる次第でございます。
○西岡委員 また大臣のおことばに中教審が出てきたわけでございますが、私はお考えがちょっと逆ではないかと思うわけでございます。くどいようでございますが、どうすれば紛争校になりそうな大学を紛争校まで至らしめないか、それが先になければならない。そしてできれば同時に紛争校に対する処置も必要である、そういうふうに私は考えるわけでございます。このままでだらだらと日にちを送っておりますと、日本全国すべての大学が紛争校になってしまうおそれが多分にある。この点をどのようにお考えでございますか。
○坂田国務大臣 私はそうは考えないのでございまして、やはりこの法案をひとつ通していただきますと、紛争解決への糸口は見出されるものであるというふうに思っております。同時に一面においては、私は、先ほど申しましたように、これから大学というものはどうなければならないかということが検討され、また各大学においていろいろ試みがなされるというふうに思いますので、健康体の大学というものが生まれてくると考えておる次第でございます。
○西岡委員 どうも私は大臣のお考えが納得いきかねるわけでございます。しかし、これはちょっと水かけ論みたいになって、大臣も私が申し上げていることをわかっておられながら、法案の手前そういうことをおっしゃっていらっしゃるという感じすらするわけでございますので、先に進みたいと思います。 現在の大学紛争の原因というものは、これは大臣もたびたび御指摘になっておられますように、多分に文明論的な非常に根深いところにその原因があるということも事実でございます。しかしながら、こういったことについての議論はまた他の同僚議員の議論に譲ることといたしまして、当面の具体的な大学紛争の原因について考えてみたいと思うわけでございます。 やはりいろいろな原因がございますけれども、一つには、現在紛争が激化をいたしております大学の状態を見ておりますと、当初学内におきますところの暴力行為をそのときいいかげんに扱ってきた。これに断固たる手だてを加えなかった。その積み重ねが暴力をますますエスカレートさせてきた、ここに一つ大きな原因があると考えるわけでございます。この点について大臣のお考えを承りたいと思います。
○坂田国務大臣 その点は、やはりそのとおりに私も考えるわけでございまして、大学当局がそういう暴力の横行というものを安易に許したというところに問題があるというふうに思います。
○西岡委員 民主主義というものもやはり一つの体制でございます。権威に裏づけられた体制である。したがって、やはりこの権威に対してこれを破壊しようとする動きがある場合には、民主主義の社会といえども、これに断固たる処罰をあるときには加えなければならない。そうしなければ民主主義の社会自体が崩壊をしてしまうと考えるわけでございます。それだけに暴力に対する処置というものは、あるときはきびしく断固としてしなければならない。ところが、それが今日までなされてこなかったわけでございます。したがって、大学の紛争について対処する場合に一つ考えなければならないことは、この暴力にいかに対処するかということであろうと私は考えます。ところが、現実の姿を見ておりますと、多くの大学において、暴力が横行しているにもかかわらず、その暴力行為を明らかに行なった学生が依然として学生としてまかり通っている。これに対する国民の怒りというものは非常なものがあると思うわけでございます。ある地方の農村の私の友人の青年などは、われわれがああいうことを町のまん中でやったらどういう目にあうか、なぜ学生だけが許されるのであるかということを、真剣に怒りをもって私に迫って質問をしてきたことがございます。これが大多数の国民のほんとうの心であろうと私は感ずるわけでございます。それだけに、いまのような状態ではどうしても暴力を行なう学生に対する処置が大学としてできない、これをやはり何とかしなければならないのではないか。政府が今回この紛争校に対する特別の対策をやろうということで立法をされたわけでありますが、拝見をいたしますと、暴力学生に対する取り扱いというものが全くないわけでございます。この点について、どうも私は納得がいかないわけでございますが、大臣のお考えを承りたいと思います。
○坂田国務大臣 私は、やはり大学で暴力が横行するということ、そしてまた、それを見のがしてきたというところに問題があるわけなんで、こういうことに対して断固たる、き然たる態度を大学当局が持っていただきたいと思うわけでございます。そのためには、やはりその裏づけとなりますところの学生処分というようなこともびしびしやっていただきたいというふうに思います。また、現在の制度上におきましてもそれはできるわけでございます。ところが、それをやりましたがために逆に今度は紛争が激化をしてきておるという例も幾つかあるわけで、その点、大学人自身が非常にためらうという点もあるわけでございます。しかし私は、今度の法案によりまして、そういうような断固たる処分というものがやれるわけでございますから、やれるような状況というものを――やれると申しますのは、法制的にやれるということになっているわけですから、大学側がそれをよりやりやすいようないわば状況をつくってあげるということが大事じゃないかということにおいて、この法案の中において、たとえば権限集中等が行なわれて、いろいろなことがやり得るような状況をつくっていくようになっておるわけでございます。
○西岡委員 時間が参りましたので、あとの質問は午後の時間に譲りたいと思いますが、大臣がいまおっしゃいましたそこに次の問題がくると思うわけであります。やろうと思ってもやれない、そこにやるように指導しているというお話でございますが、それでも実際には行なわれていない。そこに現在の大学におきますところの管理体制の不備というものがあると思うわけでございますが、この点につきましては午後の質問に譲りたいと思います。
○大坪委員長 本会議散会後再開することとし、暫時休憩いたします。 午後零時五分休憩 ――――◇――――― 午後三時五十八分開議
○大坪委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 大学の運営に関する臨時措置法案について質疑を続行いたします。西岡武夫君。
○西岡委員 午前中、主として、この政府の提出された法案の基本的な考えというものに対して、私は、どうにも納得できないということで質問を続けてきたわけでございますが、この問題は、どうも議論がしっくりかみ合わない感じがいたします。今後、この法案の中身の具体的な議論がなされて、また最終的に戻ってくる議論というのは、この法案の性格、ものの考え方というものになるだろうと思いますので、この問題につきましては、私は質問を留保いたしまして、先ほどの暴力の問題、そして続きまして、現在の大学紛争の大きな原因の一つであると考えられます大学の管理体制、運営の体制について、やはりこの際考えるべきではないかという点について質問を続けていきたいと思うわけでございます。 大臣は、今回のこの大学の紛争の経過をごらんになられて、何が一番この紛争を激化させた原因であるとお考えになりますか。
○坂田国務大臣 今度の大学紛争の一番大きい原因は、何と申しましても、一部暴力学生が自分たちの政治的主張を貫くためには、暴力、破壊活動を通じてその実現をはかる、特にこの社会を構成しておりまする制度そのものに対する反逆でもあるわけでございまして、むしろ大学問題というよりも、大学を一つの拠点としてそういう政治主張を実現しようとしておるというところにあるかと思うのでございます。ところが、元来大学というところは、暴力やあるいは力ということに対しては無力でございます。良識と理性の府であるわけでございます。したがいまして、そういう暴力でもっていろいろ撹乱をいたしまするならば、なかなか大学当局として、管理運営の衝に当たっているものでございましても、その暴力を排除をするということは、自分たちだけの力ではできない。こういうわけでございますが、御承知のとおりに、大学は、とかく学内に警察力を導入をいたしますることは非常にいやな感じを持っておるわけでございまして、これは戦前における思想あるいは学問の自由に対する国家干渉という例もございまして、何かそういう警察官に対するアレルギーがあったことは認めないわけにはいかないと思いますけれども、しかし、大学というところは決して治外法権の場でないことは明らかでございます。そういうわけでありますから、もし大多数の学生が勉強をしようと思い、また大多数のまじめな教官が研究をしようというふうに思っておるならば、そういう一部の暴力学生があった場合において、これを排除するためには、管理者、大学当局が警察官の要請をするということに対しても、一般学生やほとんど全部の教官というものが支持してしかるべきだとわれわれは考えるわけでございますけれども、戦前のそういうような歴史的な背景もございますし、なかなかそういうようなふうに直ちに迅速果敢にこの暴力学生を排除して、むしろ学園の自治を守り、あるいは研究と教育の自由を守るということが適切に行ない得なかったというところに問題があるかと思います。 それからもう一つは、戦前に比べまして非常に量的な学生の数の拡大が行なわれ、しかも学部にいたしましても非常にたくさんになりましたし、また、一つの学部におきましても講座が百以上もあるというようなところもあるということでございます。また、学部だけではなくて、大きい大学におきましては、相当の付置研究所等をも併置されているというような事情で、大学というところが非常に複雑多岐にわたっておるということでございますけれども、これを管理運営するところの規則というもの、それが明確でなくて、たとえば学長の権限が何なのか、あるいは教授会の権限が何なのかというようなことがさだかではないというような事情もございまして、全学的な意思を決定するということが非常にむずかしいような仕組みになっておる。 また、御案内のとおりに、大学教授というものは、教育と研究ということについてはエキスパートの人でございますけれども、多数の人たちを管理運営をするという管理面については、確かにその能力におきまして欠けておるというわけでございまして、今日の社会における管理運営という問題について、これまた適切に対応できなくなってきておるというような種々な原因の結果、暴力が横行いたしましても、これに対する適切な処置がとり得ない。あるいはまた、学生を説得するというような仕組みになっておらないという、もろもろの大学当局自身の管理運営についての欠陥があるのではないかというふうに思うわけでございます。
○西岡委員 大臣のおっしゃるとおりだと思うわけでございますが、それだけ明確に大学の管理機構というものが整備されなければならないということがわかっているのに、なぜこれを整備しようという努力をなされないのでございますか。
○坂田国務大臣 私は、ぜひともこの管理運営の新しいあり方というものが確立されなければならないというふうに思っております。また、それなくしては今日の大学というものは機能しない、また教育研究というものも効果ある教育研究ができないというふうに思います。しかしながら、これをやります方法の点になりますと、これを一つの法律をつくって、画一的に国立大学に押しつけるというようなやり方がはたしていいかどうか。また、そういうような法律をつくって、はたして――実際上運営いたしますのは学長であり、教授会であり、あるいは評議会であるというわけでございまして、はたして私たちが考えておりますように、そのとおりにうまく運営ができるかどうかということになりますと、なかなかむずかしいわけであって、むしろでき得べくんば、大学みずからの手によってそういう管理運営の方式と申しますか、というものが生まれ出てこなければならない。世界の変化、社会の変化に対応するような大学自治のあり方、それに伴う管理運営のちゃんとした方式というものが、みずからつくり出せるようにならなければならないと思っておりますし、またそういうような努力を続けておるところの大学も幾つかあると思います。しかし、一番の障害になっておるのは何かといいますと、やはり暴力的な学生の横行によって、そういうようなことそれ自体に対して大学がやるというところまでいっていないというのが現状かと思うのでございまして、まずもって、そういう暴力等が行なわれないような状況、あるいは占拠、封鎖というような、授業が行なわれないような状況というものをまず取りはずして差し上げる、また取りはずすということに対して手助けをいたすということが先決ではなかろうかというふうに私どもは考えまして、この法案を出しておるわけでございます。言うまでもなく、私は、管理運営の正しいあり方、あるいは今日的あり方ということの確立なくしては、終局的には大学の紛争の終結というものはあり得ないというふうに思っておる次第でございます。
○西岡委員 私は、この管理運営の機構というものを整備しなければならないと申しておりますのは、何も国家権力を直接大学に介入させて、そうして強制的に力を与えて、しかも国がコントロールできるような形にすべきであると申しておるわけではないのでございます。現在の大学紛争を見ておりますと、一体だれが責任者なのか、だれがどういう責任のもとにおいていろいろな決定をやっていくのかということが非常に混乱をしているわけでございます。現在の大学における管理機構のあり方につきましては、法律の上でも非常に不備な点がございます。学校教育法におきまして、五十九条に「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。教授会の組織には、助教授その他の職員を加えることができる。」、これだけがあるだけでございます。しかも大学の評議会に関する暫定措置を定める規則というものが文部省令でございます。これもあくまでも暫定の規則である。そしてまた、大学の学長、また教授その他の身分関係、そういった関係を定めておりますのも、教育公務員特例法に規定がございまして、しかも各条文を教育公務員特例法の二十五条で読みかえてこれを適用しているわけでございます。こういった点が法律的にも非常に整備されていない。ですから少なくともどこに権限がある、どこに責任があるということだけでも明確にすべきである。これは決して国が学問の自由を侵すという、そういう議論が出る種類のものではないと私は考えるわけでございます。こういったことが整備されませんと、いつまでたっても紛争を解決しようとする主体が大学の中にいないという結果になりかねないわけでございます。この点につきましてどうお考えでございますか。
○坂田国務大臣 西岡先生の御指摘の点はまさにそのとおりだと私は思うのでございまして、それをどうやってつくり出すか、あるいは確立するか、あるいは場合によっては法律にするかということがわれわれの課題ではないだろうかと思うわけでございます。それゆえにこそ、実は中教審のこの前の答申も、中間報告ではございますけれども、そういうような面について答申がございましたし、さらにその点につきましても、今日新しい大学という場合に、いままでのような学部制というものもこのままでいいかどうかというような検討もなされなければならない。あるいは今日学生の意思を反映したような大学自治ということが求められておることも御承知のとおりでございまして、その場合に、一体学生参加というものをどう考えたらいいか、また学生参加の領域というものをどの辺まで考えるか、あるいは参加をいたします学生の地位というものをどう考えていいかというようなことにつきまして、中教審はもちろん一つの方向をサゼスチョンいたしておるわけでございます。また答申をいたしておるわけでございますけれども、この点につきましては、まだもう少し広く深く検討をする必要があるというふうに思いますし、そういうようなことをやった後において、西岡先生の御指摘のような管理運営の方式というものを定着させるべきではなかろうか。その場合にた学側が自主的にやる面、あるいはどうしても自主的解決ができない場合においては、その程度のことはむしろ法律につくるということも一つの考え方かと思うわけでございますが、その点はもう少ししばらく広く深く検討する課題だと思って、せっかくわれわれといたしましても努力を続けておるという次第でございます。
○西岡委員 私は、大臣がおっしゃることはよくわかるわけであります。しかしながら、何回も申し上げますように、現在の大学紛争が非常にどろ沼の状態になっております大きな原因の一つは、大学の管理機構というものが整備をされていないというところにある。そうであるならば、もちろん将来の大学の、新しい大学像というものの中で考えなければならないことの重要な問題の一つですけれども、当面とりあえずでも、何らかの手直しをやるべきではないか。政府は現にこういう法律を出してこられたわけであります。こういう法律を出される以上は、そういう部分もなければ片手落ちではないか。紛争の起こった大学だけを、非常にことばは悪いのですけれども、首つりしている人の足を引っぱる、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、そういう感じすらするわけであります。ですから、縄に首をかけてしまった人間だけを相手にするのではなくて、そこまでいかないところでやはりどうしても食いとめなければならない。そういう意味では、やはりいまこれだけのことをやられるならば、同時にやられるべきではないかと考えるわけであります。重ねてお尋ねをいたします。
○坂田国務大臣 この法案の第六条に「運営機関等の特例」という項がございます。ここにおきまして、たとえば「副学長その他これに準ずる学長を補佐する機関」というものを設けるようなこと、あるいはまた、「大学紛争の収拾及び大学の運営の改善に関する事項について審議する機関」ということ、あるいは「大学の運営に関する事項を管理し及び執行する機関」、こういうようなものをつくるということを積極的に促す規定が設けられておるわけでございます。こういうようなことは単に紛争大学だけに限られるものではなくて、やはり普通の大学においても、いま仰せになりましたような副学長であるとか、あるいは特別補佐官であるとかいうような学長を補佐する機関が必要である。あるいはまた学生の意思をくみ取るというふうに申しますけれども、その場合において学生と対話をする担当の特別補佐官あるいは副学長というものがあってしかるべきではないか。あるいは学生の意思を反映し、また大学当局の管理運営の具体的な考え方というものを学生側に伝達する方法というものがいままではきわめて少ない、言うならば学長告示というような年に一回か二回の形においてしか大学当局の意思が伝達をしない。そういうことではなくて、ふだん、学生の意思が常に大学側にも反映し、また大学当局の考え方というものが一人一人の学生にも伝達ができる、そういう意味における広報機関と申しますか、そういうようなことも設けられるようなことをもこの法では考えておるわけでございます。また、執行機関というものの性格あるいは審議機関というものの性格も形づくることができるというふうにサゼスチョンをいたしておるわけでございまして、そのいろいろの形というものは、これでなければならないというこまかいことまでも、一々の大学にこの法律で示すということではなくて、むしろ大学側がやろうと思うならばそういうような手だてはございますよということを親切にサゼスチョンしておる。こういうようなやり方が、大学の自治を尊重するという政府の一貫した考え方からいうならば望ましいことではないだろうかということで、たとえばこういうようなことも今度の法案の中に織り込んでおるわけでございまして、この考え方というものは、同時に私は紛争を起こしてない大学においても、準拠してこれを行なうことのできることではなかろうかというふうに思っておるわけでございます。
○西岡委員 この各条につきましての質疑は、後ほど続けてやっていきたいと思いますので、いま大臣がお示しになりました六条の問題は、またあとで取り上げたいと思うわけでありますが、この法案はあくまでも紛争大学というものを対象にしているわけであります。ですから、そこに紛争大学に対する何らか特別の措置がなされていたとしても、これがそのまま紛争大学でない大学に応用されるというぐあいには解釈できないのではないかと私は考えます。ですから、もちろん、将来の大学像というものを踏まえなければなりませんけれども、いまのこの異常な事態でございますので、異常な事態を乗り切る、これは時限立法でももちろんこの場合けっこうだと思います。将来の新しい大学像というものが具体的なものとして確立をされるまでの間、やはり何らかの手当てをすべきである。これがないのは政治としては正しいあり方ではないと思うわけでございます。その管理体制の整備の問題と、もちろんこの管理体制が整備されれば暴力学生に対する処置ということも、これは機敏に対応できるのではないかと私は考えます。そういう意味でも基本的な大きな問題である。こういったことをやりながら、紛争大学に対する特別の対策というものは一方ではあってしかるべきである、こういうふうに今回の大学紛争に対する取り組み方を私は考えるわけでございます。ですからまず、なければならないのは、具体的な細部に至る計画というものは現在においては無理といたしましても、将来のあるべき大学の姿というものは、文教行政の最高責任者としての文部大臣は、すみやかに国民にお示しになるべきではないか。これがないというのは、私は非常に残念なことでございます。これがあって初めて政府の法案というものが生きてくる。もちろん、このままで生きると思いませんが、これに管理体制の整備、そして暴力学生に対する断固たる態度というものがなければ、ほんとうの政治とはいえないと私はかたく信ずるわけでございます。そういった意味では、民社党から大学基本法というものが出されております。そういう取り組み方の姿勢から申しますと、民社党の案のほうがはるかに正しいやり方であるというふうに私は感ずるわけでございます。大臣のお考えをお尋ねいたします。
○坂田国務大臣 西岡先生のおっしゃられていることは、非常に示唆に富む御指摘であると私は思うのでございます。西岡先生の描いておられますところの管理運営の正しいあり方あるいは現代的なあり方というものについて、私は異論はないわけでございます。ただ、その異論のない大学管理運営の正しい姿というものをどうやって樹立をするかという場合に、その方法が西岡先生とちょっと違う。違うという意味は時間的に違うというだけでありまして、おそらく紛争大学あるいは悩める大学というものを一つのものと考えまして、そこに病気があると考えますと、この病根をどうやって治癒するかということに対して、いろいろの処方せんがあると思いますが、とにかく緊急になさなければならない問題、そしてまた基本的に考えなければならない管理運営の姿、それからまた国民のための新しい開かれた大学、こういう三つのものでもってこれを収拾するということについては、私は異論がないわけでございますが、しかし、それをやるためにはどういう道筋でやるか、どういう順序でやるかというならば、私から申しますると、現在悩んでおりまする、あるいは病気にかかって重症のこの大学というものに対して手術をする、あるいは相当の劇薬をも回復のために使うという処置も一方にやって、そして少し元気が回復したときに、ちゃんとした御飯、栄養のある肉も魚もあげるという形によって、先生のおっしゃる今日的な大学管理運営の制度というものを定着させる。こういうことでいかなければ、重病人に初めからかたい御飯、それから肉、魚を、栄養があるからといって取りそろえましても、これは受け付けないのではないかというのが、比喩的に申し上げますと私の考え方でございます。 それからもう一つは、時限的なものであるが、とにかく管理運営の正しい法律というものをお考えのようでございますけれども、はたしてそれを押しつける形によって、大学側がこれを受けとめてくれるかどうか、あるいは有効適切に運用するかということについて、私はまだ心配なのであります。 それからもう一つは、新しい大学というものはどう変わるかということは、これはまだ定着したものではございません。もう少し国民的コンセンサスのもとに、各党においても、学者間においても、大学当局においても、中教審においても、いろいろ検討を重ねられるべき課題である。そういう中における管理運営というものは、いま現在の大学というものの管理運営の姿とはおのずと違ってくるというふうに私は思うのでございまして、そういうようなことを指向する場合において、時限的なものであっても、直ちにそういう法律的な管理運営というものの法案をここで出すという勇気を、実は持ち合わせなかったということでございまして、私は、当面まず重病人をどうやって回復させるかということに主眼を置くわけでございますけれども、しかし、その重病人というものを単にこちらからだけやりますと、病人がまいってしまうわけでありまして、やはり重病人といえどもみずから生きる、あるいは健康を回復するというみずからの力というものをよく見きわめつつ、少しずつ投薬をする、あるいは場合によっては手術をするということでないと、かえってその重病人はまいってしまうのではないかというふうに思うので、その辺のところについては、いろいろの議論がございますし、これは神さまだけしかほんとうのところはわからないと思うのでございますけれども、私ども政府、文部当局といたしましては、今日ただいまの処方といたしましては、この程度のものがやはり病人を回復する唯一の道ではなかろうか。そうして西岡先生が御指摘になりましたような管理運営の正しい姿というものは、その次の段階で十分われわれも検討して出すべきものではないかというふうに思うわけでございます。しかしながら、西岡先生のおっしゃいますることは非常に貴重なる、見識ある御意見でございますし、民社党さんのお出しになっておるあの法案そのものにつきましても、私は決してそう異論を唱えるものではないのでございます。でございますけれども、やはりああいう形をいま直ちにここで出すことのよしあしということになりますと、まだそこまでどうも私は思い至らないということを率直に申し上げる次第でございます。
○大坪委員長 関連して河野洋平君。
○河野(洋)委員 私、一、二点確認をいたしておきたいと思います。 管理運営に関しましては、いまの大臣のお話で、時間的な問題があるというお話でございましたけれども、実は昭和三十七年に国立大学協会で、当時茅先生が会長であったときに、会長談話として、大学の管理運営の改善は法令の改正によって直ちにその目的を達し得るものではない。むしろ、われわれ大学にまかせてくれるほうがいいんだというような会長談話が三十七年に出ております。自来、もうそれ以後七年の歳月を過ぎているわけですが、この国大協の当時の茅会長以下その後いろいろ努力はされたのだろうと思いますけれども、どうも一向に管理運営体制というものは整っていない。そういうことを考えますと、大臣御自身の御認識は、国大協はサボっておって何もやらぬというふうにお考えになっておられるのか、七年もやらしてみたけれども、どうも何もできそうにないという御認識の上でもうしばらく様子を見た上でもうそろそろ国大協にまかせておけないから、文部省がやらなければないかぬとお考えになっておるのかお伺いしたい。これが一点です。 もう一つ確認しておきたいのは、いまの大臣の御答弁ですと、時間的な問題、病人がもう少し体力がついたらさらに肉も食わそうというお話でございますけれども、肉が食えるような状態になったかどうかという判定は大臣御自身がなさるのでしょうか。それとも、午前中の西岡質問にもありましたように、実はそう言っているのは口実であって、中教審の答申が出てくるのを待っておるんだ、そういう状態になったとしても中教審の答申が出てこなければやらないということなんでございましょうか。その二点を確認しておきたいと思います。
○坂田国務大臣 三十七年に国大協が、自分たちにまかしてくれということをおっしゃいまして、それで私どもといたしましては何らかの具体的な御提案があるもの、そしてそれこそ必要最小限度の立法というものを国大協がむしろサゼスチョンなさって、そしてそのあり方はこういう形なんだ、これ以上はむしろ法律ではやってもらったら困る、しかしこの程度はむしろ法律がなければわれわれ管理運営をやっておる者としてうまくない、また今日の多数の学生あるいは多数の教官、多数の事務職員をかかえておるこの大学、集団的に教育、研究という重要な仕事をしておる大学、しかも学問の自由、大学自治ということを旗じるしとしておる大学というものを、十二分に社会のために機能することができない、今日の大学の使命を果たすことはむしろできないんだ。そういう積極的な意見というものが当然私たちは出てくるものであると期待しておったわけであります。しかしながら、いろいろ各常置委員会等において御検討にはなっておったようでございますけれども、具体的な提案というものはなされないままに今日に来た。そして昨年以来われわれ自身も予想もしないようなこの学生運動の暴力行動あるいは不法状況、しかもそれは単に日本だけではなくて世界的な傾向、こういう状況に対しまして、私は、やはり国立大学協会だけに、あるいは各大学の自主的解決だけにまかせておくだけではこれはとうていこれを乗り切ることはできないんじゃないか。やはりわれわれ文部当局と大学とが一体となってこれに当たらなければいけないんじゃないか。どの程度まで法律にするかあるいは行政措置でいくかは別といたしまして、とにかくいままで文部省と大学当局とが事ごとにアレルギーを持つ、文部省は大学アレルギーを持ち、大学当局はまたわれわれにアレルギーを持ち、また大学当局は警察アレルギーを持つ、そういうようなことではとうてい今日の学生運動を静めることもできないし、また大学としての機能をより効果的に発揮できないというふうな段階に来ておるというふうに私は思うわけでございます。言うなれば国立大学だけにまかせてはおけないということが明瞭になってきたというふうに御了承賜わりたいと思います。 それから二番目の御質問でございますが、管理運営に対してどうしなければならぬかということは、むしろ積極的に文部大臣は考えておる。その話はわかる。しかしながら、いまはそれをやるべきじゃない、もうちょっとしたらそれをぜひやりたいというふうに言っておるが、しかし、それは中教審を待ってやるのかどうかということでございます。私は一応七月以降におきまして、この大学問題につきましての諮問もしておるわけでございますけれども、その中において早急に一つの中教審の考え方を御答申を願いたいと考えております。しかし同時に、それだけに私はとらわれることなく、この問題に対処をいたしたいというふうに考えておりまして、できますならばこの年末くらいまでには、一つの新しい大学の大綱と申しますか、そういうようなものは文部省自身といたしましてもつくりたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
○西岡委員 大学の管理運営の機構の整備につきましては、その中身については、学生参加の問題をはじめとしていろいろな広範囲な問題がございます。この議論はまた別の機会に詳しくやらなければいけないと思いますので、きょうのところは大臣のお考えをただすということはこの程度にとどめたいと思いますが、やはりいま大臣おっしゃいましたように、すみやかに新しい大学像というものを打ち立てなければいけない。これはいまの段階で大臣がお考えになっておられるものを、いまの時点でけっこうでございますので、お聞かせをいただきたいと思うわけであります。
○坂田国務大臣 私は、中教審の答申にもありますように、やはりいままでのような少数の一部エリートのための象牙の塔の大学から、そういう一つの理念から、むしろ国民のために広く聞かれた大学というものに移行すべきであるというふうに思うのでございまして、そういうことはこういう意味でございます。当該年齢人口の中でただいま大体高等教育機関と呼ばれる各種の大学に学んでおりますのは、国公私立を合わせますと大体二〇%程度かと思います。しかし、これが今後二十年後には、日本におきましても三〇%ぐらいになっていくのではないだろうかというふうに思いますし、それはやはり日本が今後発展をいたしていく場合におきまして望ましいことであるというふうに思います。そういう意味合いにおいて、やはり国民のために開かれた大学ということが一つ考えられるわけでございますが、高等教育機関とあえて申さなければならないほど大学の態様というものが、あるいは目的、性格に応じた種類分けというものがなされなければならないのじゃないかというふうに思うのでございまして、学問研究というものを深く狭く徹底的にやるという一つの大学、言うなれば研究中心の大学とでも申しますか、大学院の博士課程を中心としたようなそういう大学というものと、それから一般の職業を身につける高等職業教育機関としての大学、あるいは一般的な市民の、高い教養を持った教養人養成の大学、あるいはまた、われわれの小学校、まあ幼稚園も含むかと思いますけれども、中学校、高等学校の先生という職務を行なう先生の養成の一つの大学、あるいはまた、これはちょっと違いますけれども、芸術、音楽とか美術とかそういうようなものに対する大学というものは、目的、性格に応じた種類分けをしなくてはならないのじゃないか。この点は先ほど河野先生も御指摘になりましたように、昭和三十八年の森戸さんの御答申の中にもうたわれておることでございます。そういうことがやはり今日社会から求められておるのじゃないだろうかということであります。 それからもう一つは、量的な拡大で、昔は八万くらいだった学生数というものが百五十万になっておる。しかも百五十万のうち、三十万が国立大学である、そして百万が大まかに申しまして私立大学である、その他が公立である。こういうわけでございますが、今日国公私立の大学が教育、研究人材の輩出というものをしておりますその公共的使命というものはほとんど変わらないのじゃないかということを考えた場合に、百万のいわゆる私立大学の学生一人当たりに対しては、財投を含めましても三万円以下である。にもかかわらず、三十万のこの国立大学の学生一人当たりに対しては七十六万円を出しておるということは、国の施策としてはあまりにもアンバランスではないか。あるいはまた、そういうような国立というものの性格から考えまして、はたしてこのままでいいのかどうなのかということを、国公私立を通じた一つの大学政策というものをもう一ぺん考えてみる必要があるのじゃないだろうかということがやはり第二点に考えられるわけでありまして、私は、先ほど申しますような、研究中心の大学と、それから一般教養あるいは一般職業人養成の大学というような形にやっていかなければならない。 さらには、私は将来この労働時間というものがいまの四十八時間からだんだん少なくなっていくと思います。そういたしました場合において、相当の人たちがこの時間的余裕を持つ。あるいは経済がどんどん伸びていきますがゆえに経済的余裕も出てきます。そしてまた人間の欲望というものも、単に目の前の欲望充足ということでなくて、精神的なものをもう少し身につけたい、あるいは新しい技術を身につけたい、そういう高度の欲望に変わってくる。そうすると、生涯教育の時代に入ってくる。そういう形において生涯教育の社会的要請にこたえるところの大学のあり方というものも考えられなければならないのじゃないか。 あるいはまた、放送とか電気通信とか、非常に情報産業の進んだ社会になっていきますならば、むしろこのメディアを使うことによってこの知識の伝達ということが考えられるのではなかろうか。こういうわけでございまして、イギリスあたりでやっております、来年の一月から発足するというオープンユニバーシティーの構想というようなものも、われわれ文部省といたしましてはただいま検討をいたしている次第でございまして、そういうような形、新しい大学の構想というものも当然生まれてこなければならないんじゃないかというふうに思っておる次第でございます。
○西岡委員 大学の将来のあり方についての大臣のお考えには私は賛成でございます。ところが、きょうも総理は新聞協会の会員総会においてモデル大学という構想を御説明になっておられます。このモデル大学というものの等え方は、私は総理のお考えの詳しい点は存じませんけれども、モデル大学というものを考えるという、そういうものの考え方自身が、いま大臣がお話しになったことと非常に矛盾をするのではないかと考えるわけでございます。なぜかと申しますと、今日の日本の大学の姿を見ておりますと、東大というものがある、いわゆる帝国大学というものがありまして、これにすべての大学が自分を似せていこう、これが日本の大学のあり方というものを非常にゆがめてきたと思うわけでございます。これからの大学というのは、やはり非常にバラエティーに富んだ大学というものが望まれるわけでございます。そうすると、「モデル大学という固有名詞の大学をつくるならいいわけでありますが、そういう意味でモデル大学をつくるというものの考え方というのが、私は誤っているのではないかと感ずるわけでございます。また、そういう大学をつくった場合に、その大学で、いまのような状態ですと、紛争が起こらないという保証はございません。そこで起こるからモデル紛争であるということになりかねない。その間のところを大臣のお考えを承りたいと思います。
○坂田国務大臣 総理がどういうつもりでこのモデル大学という名称をおつけになったかは知りませんけれども、しかし、私にお話しになりました気持ちは、戦後、私立においても国立においてもいろいろ大学が新設をされた。しかし、それがむしろ、いま先生御指摘のとおりに、地方に、一県に必ず国立大学一つという形で新制大学が発足したわけでございますが、その一県一校の新制大学なるものが、みんな東京大学あるいは京都大学、昔の旧帝国大学を模倣して、そしてああいう総合大学を地方にということで今日まで推移をしてきた。ここにやはり今日の問題も実は起きておるんじゃないか。あるいは大学設置基準というようなものを一応きめておりますが、それに従って新設の私立大学というものがきめられていくがために、戦前におきましては国立と私立では非常に違う、あるいは私立大学の場合にはその建学の精神による特徴ある大学というものがその有用な働きをしてきておった。ところが、戦後できました私立大学というものは、何か今度は国立大学に似てきた、画一的になってきた、こういうところにやはり問題もひそんでおるのではないか、今日の問題の一つの原因があるのじゃないか。そう考えました場合に、そうではなくて、今日の社会的要請というものがいろいろの種類があるし態様があるわけなんで、それに対応する特色のある大学がつくられるべきじゃないかという意味でお話しになっておるのであって、そういう全然新しい社会の要請に応じた大学をこさえてみたらどうなんだというお気持ちはあるように私は承っておるわけであります。で、イギリスの場合には、御承知のとおりに、たとえばケンブリッジとかオックスフォードというものは四百年とか五百年の歴史を持っております。これをそう現在の社会にすぐさま適応させろといっても、なかなかこれをそのまま適応はできない。しかしながら、もうオックスフォード、ケンブリッジというのはそれなりにりっぱな、くずすことのできない、いな近代的な意味においても指導者養成あるいは人間形成の、紳士というものを養成するりっぱな大学としての役割りを果たしておる。しかし、今日のイギリスの社会のあらゆる要請に対しては、もう少し大学をふやさなければならない。しかし、それに対応するに、みんな全寮制度のああいうような人間形成に主眼を置いたところの大学だけで対応できるか、むしろ科学技術というものを身につけたような職業人の養成というような大学というものがもう少しなければ、とうていイギリスというものはやっていけない、こういうことから戦後七つの新しい大学をつくっておる。その七つの大学というものは、それぞれ画一的じゃなくて特色のある大学というものを生み出している。そういうようなことも総理はお考えであるわけでございます。あるいはドイツにおきましても、御案内のとおりにスイスの近くにあるコンスタンツ大学であるとかボッフム大学であるとかいうような幾つかの新しい大学で試みられておりますけれども、こういうものもそれぞれ非常に特色のある大学というものを考えておる。たとえば学部制というものを廃止してしまって、新たな学問領域というものを非常に総合的に考えておる。たとえばわれわれの学術審議会で先般中間報告を申しました中において明確に指摘しておりますような課題を、現にドイツにおいてもまたイギリスにおいて実行をしておるわけでございます。そういうような新しい大学というものは、やはり今後考えていかなければならないのではないかというふうに総理もお考えでございますし、私自身もそういうようなことも将来考えなければならないというふうに思っておるわけでございます。
○西岡委員 将来の大学のあり方を考える中でいろいろな問題がございます。どれだけの大学が一体これからの日本に必要であるかという数の問題、また、これからの大学の適正規模というものはどういうものであるか、また、現在の日本の大学の状態を見ておりますと、非常に都市に偏在をしている、こういった問題も解決していかなければならない。多々あるわけでございますが、これも同僚議員の今後の議論、質疑にまちたいと思うわけでございます。 この点で一つだけお尋ねをしておきたいと思いますのは、これから日本もいよいよ情報産業の社会に突入するといわれております。ということは、一口で申しますと、いわゆる知識というものが物質と同じような扱いを受ける時代になるわけでございます。そういう時代における教育というものは一体どういう意味を持ってくるのか、これは非常に大きな教育そのものの変革ではないか、こういった点について大臣のお考えを、簡単でけっこうでございますからお尋ねをいたします。
○坂田国務大臣 大学の機能というものについて、大学というものは何かということについて、これはいろいろ学者の意見もございますし、いろいろの考え方があると思いますけれども、一応知識というものを獲得する、これが研究、獲得いたしましたものを教える、これが伝達をすると申しますか、それが教育、そしてまた教育、研究の成果というものを社会に還元する、寄与する、こういう三つの働きがあるという定義のしかたをする学者もおるわけでございますが、その中におきまして、先ほど申しますように職業教育あるいは一般の教養人を養成するような大学と、それから研究を主とする大学というものは、これからやはりある程度分けて考えていく必要があるのじゃないかと思いますけれども、しかし、やはり教育と研究というものは、その濃度は、非常に研究に重点を置いてやる大学、あるいは教育というものに重点を置いて、もちろん研究というものもやるけれども、そちらのほうはどちらかというと薄いというようなことはあるわけでございます。あるいはソ連あたりでは、むしろ研究と教育というものを全然もう画然と分けてしまうという考え方もあるようでございますけれども、中教審の考えや私たちの考えは、やはり教育、研究というものは一体的に考えるべきである。ただし、いま申し上げますように、研究に重点があるか、あるいは教育に重点があるかというふうに考えていくべきではないかというふうに思います。ことに戦前よりも一歳くらい早く入ります大学でございますし、同時に戦前は高等学校という三年間の、言うならば人間形成の非常に大事な期間があって、そして大学に入るということになっておったわけでございますが、その点がいまの六・三・三の、この高等学校以下の教育期間において、ともいたしますると、これはほかにいろいろな原因はございますけれども、人間教育ということについてアンバランスな状況において大学に入らざるを得ないということを考えました場合においては、やはり教育という作用、人間関係というもの、人間性というものをどう考えるかということに重点を置いた大学というものはやはり必要であるというふうに私は考えるわけでございます。
○大坪委員長 関連して谷川君。
○谷川委員 大臣に一点お尋ねをいたしたいのでございますが、先ほどからの大臣の御答弁で、大臣がきわめて積極的に、しかも政府全体がきわめて積極的に、いわゆる前向きで新しい大学像というものを現在模索中、検討中、さらにいろいろ内部では作業が進んでおるようにお伺いをいたしたわけでございますが、一点関連いたしまして、くどいようでございますがお伺いしたいと思いましたことは、世界すべての国で、特に非常な経済の発展といいますか国富の増進が著しいところでは、社会の変革がきわめて急速に起こりつつある。それに対応するためにそれぞれの方式で新しい大学像というのを現在模索中であるような感じがいたします。 その中で方法が二つあるような感じがいたします。一つは、現在ある大学の制度に手を染めて、現在ある大学の制度の中から改革していこうという方法、それからもう一つは、もう数百年も伝統を持っているような大学を特にヨーロッパ諸国においては数多く持っている。それを飛び越してひとつここで新しくモデル大学をつくってしまって、そしてそのほうに新しい制度はまかせてみようというような行き方と、二つあるような感じがいたします。わが国においては戦後諸外国に見られない学制改革があって、大学の数も驚くほど多く、そして高等教育の人口爆発といいますか、人口の殺到しておる姿をそこでみごとに受けとめた形にはなっておりますが、今後そういう大学改革を考えた場合には、先ほどから論議されておる、思い切ってこの際モデル大学を幾つか設定して、それでいくほうがよろしいのか、それとも現在ある大学を手直ししてその内部の改革に期待するほうがよろしいのか。これはまだもしその案について、はっきり腹がきまってない時点であれば、大体いつごろまでにそういうようなめどを立てていこうとなさっておられるのか、その点についてだけちょっとお伺いをいたしておきたいと存じます。
○坂田国務大臣 まだはっきりきめてはおりませんけれども、しかし、私はやはりこれは両方考えていかなければならないんじゃないかというふうに思うのでございまして、現在ありまする大学をある程度われわれのサゼスチョンを行ないながら、あるいは指導、助言を行ないながら内部改革を迫っていく、あるいはまた大学自身がそういうことをお考えいただくという一つの方向があるかと思います。同時にまた、社会の要請に対しまして特色ある大学というものを幾つか設置していくという方向は、やはりわれわれが検討していかなければならない課題であるというふうに思います。
○西岡委員 まだ基本的な問題で議論する点がたくさんございます。しかし、時間もだいぶ経過をいたしましたので、法案の中身に入っていきたいと思うわけでございます。 その前に、一つだけ特に要望を兼ねまして御質問を申し上げたいと思いますが、先ほど大臣もおっしゃいましたように、現在の紛争を起こしております大学は、主として国立大学である。私立大学には、その数のわりに紛争が起こっている大学は少ないわけでございます。これは現在のところはそうでございますが、私立大学の場合に紛争の原因になっておりますのが、おもに授業料の値上げというものを一つのきっかけにして紛争が起こっております。そうであるならば、現在のような状態で私学の経営状態が非常に悪化しつつある今日、予想されておりますのは、来年度はどうしても授業料を値上げしなければならない状況下にある。この点について国の助成というものを、いままでのようななまぬるいことではなくて根本的に考え直さなければいけない、そういう時期に来ていると思うわけでございます。そういう観点から来年度どういう姿勢でこの私学助成の問題に取り組まれるのか、これを一歩誤れば私学全体の大きな問題、いまに倍する以上の騒動になると私は考えるわけでございますが、大臣の御方針をお尋ねをいたします。
○坂田国務大臣 今日、いま御指摘の紛争というものの一つの原因に、あるいはそのきっかけとなる要素に、入学料等の値上げというものも一つあるかと思いますが、先ほど来私が申し上げておりますように、大学の公共性という点から考えると、今日では国公私立あわせてそのことがいえるわけであって、そのことから考えると、あまりにも国の予算的措置と申しますか、援助という面が均衡を失しているのじゃないかということをわれわれは考えておるわけでございまして、私学助成についての具体的な、どういうふうにするかということについてはまだ成案を得ておりませんけれども、しかし、抽象的に申し上げますると、この際抜本的な私立大学助成というものを考えなければならない時期に来たということだけははっきり申し上げられますし、またそれに対して最大の努力をいたしたい、かように考えておる次第でございます。
○西岡委員 時間が迫っておりますので、法案の中身につきまして一、二点だけ特に御質問を申し上げたい点がございます。 まず、この「大学の運営に関する臨時措置法案」でございますが、この題名と第一条に掲げておりますところの「目的」とどうもしっくりいかない感じがございます。この点の御説明をお願いいたします。
○村山(松)政府委員 御質問の点、ややつかみがねる点がございますが、おそらくこの法案の題名が「大学の運営に関する臨時措置法案」、やや一般的、包括的なとらえ方をしておるのに対しまして、第一条の「目的」では、紛争収拾に必要な措置という、やや限定的な目的を掲げておることとの関係の御指摘だと思います。その点は確かにございますが、紛争収拾の措置にいたしましても、これは大学の運営を紛争収拾という角度にしぼった臨時措置を述べておるわけでありまして、論理的には矛盾いたさない。また第六条等で、これは紛争収拾に関連はありますけれども、大学の運営上、たとえば副学長といった特別の機関を設けたりあるいは審議機関あるいは外部の者まで加え得る機関を特設するというのは、これすべて相当大きな大学の運営に関する特別措置でございます。そういう内容を勘案いたしまして、題名はやや広い感じがいたしますが、大学の運営に関する臨時措置法という題名を用意したわけでございます。
○西岡委員 次に、第二条の、これは非常に重要な点だと思いますが「大学紛争」、この大学が紛争を起こしている大学である、いわゆる紛争大学であるという認定と申しますか、これをなすのは一体だれがこれを認定をするか、この点につきましてその定義の問題が非常に問題であると思うわけでありますが、その点のお考えをお尋ねをいたします。
○村山(松)政府委員 第二条では大学紛争の定義を――一般に紛争といえばいろいろな態様があるわけでありますが、限定いたしまして、物理的客観的な状態をさして大学紛争といっております。これを分析いたしますと、まず原因としては学生による物理的な状態である。物理的な状態の態様といたしましては、いわゆる授業放棄、俗にいうストライキでございます。それから大学施設の封鎖、占拠、そういう学生による大学の正常ならざる物理的状態を現出して、究極的には大学の目的であるところの研究、教育機能を阻害しておる状態、こういうぐあいに押えてございます。このように客観的物理的状態をもって大学紛争の定義といたしましたので、これは客観的に認知し得るものでございます。そこで関係者が何か特別に認定するというようなことはしなくても明瞭である。何よりもまず当事者である大学自身において、そのような状態は当然認識できるわけでございます。そういう意味合いにおきまして、これを特に何か特別の機関で認定するというような措置を講じなかったわけでございます。
○西岡委員 ちょっと納得できない点がございますが、先に進みます。 第六条でございますが、「運営機関等の特例」、この項目で、学長が運営機関等を設置をする場合に、「評議会にはかり、」という項目がございます。ところが、こういう機関をつくらなければならないのは、評議会というものが一つの意見をまとめることが非常に困難である。だからこそこういう特例を設けるわけでございます。そうしますと、学長が評議会にはかるということは、なかなか結論が得られない場合が考えられるわけでございます。これが非常に矛盾をしているわけでございますが、この点の御説明をいただきたい。
○村山(松)政府委員 大学の学長と評議会との関係は、本来協調的な関係であるべきであります。しかし現実には、その協調関係が十分でない場合が間々あることは御指摘のとおりでございます。しかし、この大学運営の臨時措置法で、大学紛争の収拾措置を中心として考えます場合、やはりあくまでも大学の自主的な収拾意欲を中心として、大学人の意思を集中して行なうことが最も望ましいわけでございます。そこで、まず紛争収拾の第一着手といたしましては、学長が、大学の一番基本的な審議機関であるところの評議会にはかって紛争は収拾すべきであるという、意思を集中してこれに臨むということが望ましいと考えて、かような措置を講じたわけであります。学長と評議会との関係が全く疎遠の状態であれば、確かに御指摘のように学長がはかっても同意を得られないという危険性は絶無ではないと思います。しかし、大学紛争というような非常事態にあたって、学長が収拾意欲に燃えて誠意をもって説得すれば、合意が得られるものと考えられますし、また、そのような合意に基づいて収拾に臨まなければ、自主的な収拾努力は実を結ばないのではないか。若干の問題ではございますけれども、自主的な収拾という段階では、このような措置によって出発することが適当と考えた次第でございます。
○西岡委員 非常に残念でございますが、定められた時間が参りましたので、この法案に対する基本的な問題についての疑問点につきましては、なお質問を留保させていただきまして、本日のところは質問を終了いたしたいと思いますが、最後に大臣にお願いをしておきたいことがございます。 それは、この法案が提出をされる経過の中でも、特に佐藤総理の意向が非常に強く反映をしたかに私どもは感じているわけでございます。また総理は、モデル大学等の構想をすでに発表しておられますけれども、文部大臣、やはり文教行政の最高責任者として、総理をも文教のことに関してはリードしていくという強い信念のもとに、この問題にぜひお取り組みをいただきたい。このことを要望いたしまして、私の質問を終わります。(拍手)。
○大坪委員長 次回は、来たる七月二日水曜日午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時十二分散会