文教委員会 第26号
- 発言数
- 100 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1969/06/25
会議録
○大坪委員長 これより会議を開きます。 大学の運営に関する臨時措置法案を議題といたします。
○大坪委員長 政府より提案理由の説明を聴取いたします。坂田文部大臣。
○坂田国務大臣 今回政府から提出いたしました大学の運営に関する臨時措置法案につきまして、提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 社会の発展と文化の向上は、教育の普及と学問研究の進歩にまつところがきわめて大きいことは申すまでもないところであります。大学は、最高の学府として、学問の教授及び研究を行なうことを使命とし、その使命を果たすためには学問の自由が保障され、そのためにいわゆる大学の自治が認められているところであります。しかるに、最近、大学を中心として学生運動が激化し、大学当局者をはじめ関係者の懸命の努力にもかかわらず、単なる大学改革の運動の域を越えて一切の体制を否定しようとする暴力的活動にまで拡大してきております。そのために大学の使命とする教育と研究の機能が麻痺し、学問の自由を守るための大学の自治が脅かされ、いまや大学の存立そのものまでが危ぶまれるに至っていることは、わが国の将来にとってまことに憂慮にたえないところであります。 大学紛争のよってきたる背景には、現代社会に根ざす複雑かつ深刻な要因がからんでおります。また、今日の大学紛争は、ひとりわが国のみならず、世界の先進諸国にも共通して見られる現象であります。したがって、これを根本的に解決することは決して容易なことではありません。 戦後の大学は、新制度のもとに再発足し、産業経済の発展、科学技術の進歩、国民の進学率の上昇等の事情により、戦後二十数年の間に急激に膨張しました。また、これに伴って多様な資質能力を持つ学生が入学することとなり、加えて大学教育に対する社会の要請も時代に応じて変動し、単に大学教育の対象が拡大したのみならず、その内容においても質的に変化してまいりました。それにもかかわらず、これらの変化に即応した大学の体制がとられないままに今日に至ったところに大学問題の大きな原因があるものと考えております。 このようになったことについてはそれなりの理由もあり、また改革の企ても一再ならずあったのでありますが、実現を見ないままに推移し、本来、社会の指導的役割りを果たすべき大学が社会の進展に立ちおくれることとなったのは、はなはだ遺憾なことであります。 大学は、もはや社会から隔離されたかつての象牙の塔として存在することは許されないのであります。学問研究を通じて社会に貢献するとともに社会の教育に対する要請にこたえるいわば開かれた大学とも申すべきものでなければならないと考えるのであります。 このように変貌する社会に即応して大学制度を改革することは、今日最も緊急を要する課題であります。政府としては、近い将来中央教育審議会の大学制度の基本的事項に関する答申を得た上で、広く各界の意見も聞き、大学制度について抜本的な改革をはかる考えであります。このような観点に立って今後大学改革を進めるにしても、まずもって暴力と破壊の横行する紛争状況を収拾し、大学の使命である教育と研究の正常な実施をはかることが、何よりも先決問題であると考えております。 従来政府は、大学の自治を尊重する立場から大学の紛争解決への自主的な努力を期待し、適時適切な方法により指導と助言につとめてきたところでありますが、これ以上紛争が長期化することは、大学の使命と社会的責務にかんがみ、もはや許されないところであります。 そこで政府としては、現行制度のもとにおいてできる限りの行政措置を講ずることとするとともに、行政措置のみによって十分効果ある処理を期待し得ない事項については最小限必要な立法措置を講ずることといたしました。すなわち、去る四月に行なわれた中央教育審議会の「当面する大学教育の課題に対応するための方策について」の答申の趣旨に沿い、各方面の意見も聞いて、当面の紛争を収拾するための大学の自主的な努力を助けることを主眼として立案をいたした次第であります。 次に、この法案の内容を申し上げますと、大学紛争が生じている大学における教育及び研究の正常な実施をはかるため、大学による自主的な紛争収拾のための努力を助ける措置等大学の運営に関し、緊急に講ずべき措置について所要の規定を設けております。 すなわち、第一に、国立大学の学長は、大学紛争の収拾等のため必要があると認められるときは、学長補佐機関、審議機関等必要な機関を設け、また、学長に権限を集中する等事態に応じて迅速かつ適切な措置を講じ得るようにいたしました。さらにまた、大学紛争が生じている学部等における教育及び研究に関する機能の全部または一部を、必要に応じて休止することができることといたしております。 第二に、大学紛争が生じた後九月以上を経過してもなおその収拾が困難であると認められるときは、文部大臣は、学長の意見を聞いた上、臨時大学問題審議会の議に基づき、当該学部等における教育及び研究に関する機能を停止することができることといたしました。この措置がとられたときは、当該学部等の職員は特定の業務に従事している者を除き休職になる等の効果が生ずることといたしております。 第三に、文部大臣の停止措置がとられた後三月以上の期間を経過してもなお大学紛争の収拾が著しく困難であり、大学または学部等の設置の目的を達成することができないと認められるに至ったときは、その事態に応じて国立学校設置法の改正等の必要な措置が講ぜられなければならないことといたしております。 第四に、公立または私立の大学については、国立大学に対して適用される規定を一部準用することといたしました。 第五に、停止措置その他文部大臣の講ずる措置の適正を期するため、文部省に臨時大学問題審議会を置いて調査審議することといたしております。また、学長の申請により、学部等の間の紛争についてあっせんを行なうことになっております。 なお、この法律は、五年以内に廃止するものとしております。 以上が、この法案を提出いたしました理由及びその内容の概要であります。何とぞ十分御審議の上、すみやかに御賛成くださいますようお願いいたします。
○大坪委員長 これにて提案理由の説明は終了しました。 ————◇—————
○大坪委員長 曽祢益君外三名提出の大学基本法案を議題といたします。
○大坪委員長 提出者より提案理由の説明を聴取いたします。岡沢完治君。
○岡沢議員 ただいま議題となりました大学基本法案の提案理由を説明いたします。 まず、本法案の基礎になっている根本的な考え方について申し述べます。 現在、日本及び世界の各所に起きている大学紛争は、表面の現象としては、個々の学生集団の大学並びに現体制に対する反抗であり、形態としては通常の集団暴力行為と異なるところはありませんが、その本質は近世以来人類が築き上げてきた近代文明の根底に対する挑戦であり、同時に新しい文明の生みの悩みであり、したがってその本質に対する認識を誤っては事態の処理が不可能であることはもとより、かえって人類の不幸を招くおそれがあります。ゆえにわれわれはまず次の二つの政策には反対であります。 第一は、現在の大学紛争を単なる不祥事件と見、紛争処理という観点から大学の正常化をはかろうとする企てであります。この立場を維持する人たちは、新しい大学像を描くことや大学の根本的改革をなすのはけっこうであるが、それには時を要することであるから、この際とりあえず問題を紛争の処理にしぼり、大学を正常化するのが先決要件であるという考えを持っております。この考え方は一応常識的には聞こえますが、実は俗論であります。大学紛争が通常の不祥事件であれば、一応紛争を処理し、おもむろに根本対策を考えるということが可能でありましょうが、現在の大学紛争のように根の深いものに対する対策としては紛争処理としての効果を期待できないだけでなく、かえって事態を悪化させ、危機を一そう重大化させる危険があります。現に政府が大学の運営に関する臨時措置法案を発表して以来、大学紛争は一そう激化しているではありませんか。現在の大学紛争は新時代への生みの悩みであるという歴史的意義を没却し、大学の紛争を処理することにあせるのは危険なことであり、われわれは絶対に反対であります。 第二にわれわれは、大学自治の美名に隠れ、大学を事実上治外法権にしようとする思想、並びにそのような思想を前提とする政策にも反対であります。ゲバ棒と称されている学生集団は単に大学に反抗しているだけではなく、日本国憲法の規定している秩序の破壊を企て、それを堂々と公言しています。理性を基礎として話し合うというのではなく、一方的に力を行使し、現体制を破壊しようとしているのでありますから、これに対し、大学自治を云々して公権の発動を妨げるのは破壊行為を扇動し、国民に迷惑をかけるだけであります。大学自治の美名に隠れて学生の集団暴力を大目に見る人たちは、主観的には進歩的か、革新的か知りませんが、実は古い特権を固守しようとする保守反動の勢力であります。憲法のもと、国民はすべて平等であります。学十を例外とすべきではありません。秩序を破壊しようとするものは、学生であるなしにかかわらず、法によって処置すべきは当然であります。したがって、われわれは違法行為に対しては現行法を十分に励行するとともに、どうしても現行法で不十分な場合には最小限度の治安立法はやむを得ないと考えます。ただし、これは現在政府が考慮しているように、大学を特に対象としたものではなく、国民一般の違法行為を対象とするものであり、大学や学生を特別扱いすることは厳に避けなくてはなりません。 以上、二つの立場を拒否し、われわれの基礎的考え方を述べたいと思いますが、まず大学を人間形成の場、すなわちもっぱら教育の機関とすることであります。現行学校教育法は、戦前の大学令に比べるとやや実情に近づいてはいますが、やはり大学を学術の中心とすると規定し、大学の主たる目的を瞬間の研究に置いております。これは明治、大正の時代のように大学がエリート教育の場であり、大学の目的が少数の指導者を養成することにあった時代ならともかく、今日のように同一年齢層二〇%、理想としての一〇〇%に進行しつつある大学の実情に即しないのは当然であります。深く専門の学芸を研究することに適した者はごく少数であるのが当然であり、大多数の者は適当に教えれば高等教育を受ける能力は十分にありますが、深く専門の学芸を研究するのには不適当であります。研究能力のあることはもとより望ましいことではありますが、それが人間能力のすべてではありません。文化の程度が一般的に低かった時代に知的エリートが特に尊重されたのはやむを得なかったにしても、文化の水準が著しく向上した今日においては、大学の使命は広く人間能力並びに人間性の開発にかかるべきは当然であります。もちろん、社会は高度の専門的学芸の研究を要請しています。したがって、われわれはその要請にこたえるためそれに適した者を収容し、深く専門的学芸の研究をさせるため、大学とは別に大学院大学を設置すべきであります。換言すれば、大学は広く国民大衆に高等教育を授け、人間性を開発する教育機関とし、大学院大学は深く専門の学芸を研究するところとし、両者の機能を分ける必要があります。現在起きている大学紛争の大きな原因の一つは学生生活がおもしろくないからであります。おもしろくないのは、現体制が古い大学の理念にとらわれ、古い大学の理念を学生に押しつけ、学生もまたその理念に感染され、その結果、理念と現実の間に矛盾を生じ、劣等感、欲求不満、疎外感、絶望感となり、その不調和が無力感となったり、狂暴な反抗となったりするのであって、大学紛争解決の近道は大学を改造することであります。 今日議題となりました大学基本法は、以上述べた新しい大学の目的を達成するため、次の事項を織り込みました。 第一は、大学教育の内容をなす教育課程であります。従来の大学が深く学芸の研究をしなくてはならないという思想にとらわれていた結果、一般教育という名のもとに必要以上に準備教育に時間を空費して学生を退屈にし、学習意欲を減殺した事実にかんがみ、入学のときから直ちに専門課程を教えて学生に専門教育による自信をつけさせるとともに、専門教育をみずから総合し、批判するため、四カ年を通じて一般教育を授けること、従来軽視されていた体育を重要視し、ただに体位の向上をはかるだけではなく、体育を通じて人間の社会性を開発すること、最後に、従来無視されていた情操教育を達成するため芸術科目または芸能科目を設置し、新時代における時間と金の使い方を教えること等を内容としております。 第二は、大学の管理運営であります。従来大学は社会に対し閉ざされ、社会に対して閉ざされていることを誇りとする傾向がありましたが、大学基本法はそれを改め、大学の管理運営の決定権を理事会とし、その構成要素を学長、教授代表、職員代表のほか、卒業者代表並びに社会代表とし、大学管理運営の責任と権限を大学の教職員以外の人にも与え、大学が社会に対し開かれていることを制度として認めることにいたしました。しかし、管理運営における合議制度の欠陥を補うため、学長の実質権限を強化することが意図されております。 第三に、従来不明確であった学生の地位を明確化し、学生を教授、職員とともに大学の正式な構成員とし、学長選挙並びに学生協議会を通し、大学の管理運営に参加させることにいたしました。 第四に、現在の国公私立の区別を廃止して一切の大学を大学法人立とし、国家はその公共性を認め、財政的負担をすることにいたしました。もちろん、この規定の趣旨は現在の大学、ことに伝統ある私学の特徴を無視する意味ではなく、かえって現在の国公私立の特徴を生かし、財政的理由により大学の質が低下することを防ぐことを目的としたものであります。 大学基本法の概要は以上の説明でほぼ尽くされていると思いますが、ここに明瞭に御理解を願いたいのは、本法案はあくまでも大学基本法でありまして、新しい時代における大学の基本的原則を規定しただけであります。したがって、その詳細、たとえば教育課程、管理運営の方法その他は、別の法律、政令、省令等に譲ることにいたし、わが党においてはすでにその研究を進め、近く成案を得る予定であります。 大学紛争は多くの人たちの楽観的予想を裏切り、ますます激化拡大の道をたどっております。これは国民全体として、ことに現在の父兄及び近い将来に子弟を大学に送ろうとしている方々にとって重大な関心事でもあります。したがって、私は大学が一日も早く正常化することを願うことにおいて人後に落ちる者ではありません。しかし、冒頭に述べましたとおり、現在の大学紛争は偶然発生した単なる不祥事ではありません。したがって、紛争処理に重点をおいて解決をあせることは紛争処理の効果をあげ得ないだけではなく、かえって紛争を拡大激化させ、重大な危機を招くおそれがあります。現在の大学紛争は、現象として見れば不幸な事件の連続でありますが、近世以後人類がつくり上げたいわゆる近代文明そのものが重大な欠陥を露呈している証拠であり、大学紛争は近代文明の根底に対する挑戦であります。したがって、われわれの問題は、いかにして最小限度の犠牲により、近代文明を超克し、新しい人類の文明を創造するかであり、右に述べた大学基本法は新文明創造への一つの提案であります。ゆえに私は本委員会が政党政派を超越し、高いステーツマンシップの立場から本案を御審議くださることをお願いいたして本法案の提案理由の説明を終わります。 何とぞ十分御審議の上、すみやかに御賛成くださいますようお願いいたします。
○大坪委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。 ————◇—————
○大坪委員長 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の通告がありますのでこれを許します。岡沢完治君。
○岡沢委員 私は、ただいま提案の法案とは別に、きょうは立教大学の村松剛教授が、三十時間にわたる学生との大衆団交の末、教授会で懲戒解職の意思決定がなされた問題について質問をしたいと思います。 最初に文部大臣に、この村松教授の懲戒解職に至る実情等を把握しておられるかどうか、お尋ねいたします。
○坂田国務大臣 新聞程度でしか承知をいたしていないのでございます。
○岡沢委員 文部大臣はいまお忙しいときですから、必ずしも個人的に責めようとは思いませんけれども、この村松教授の辞表提出から教授会の解職決議に至る過程というのは、私はある意味では大学の自治、学問の自由の根幹に触れる問題であろうと思いますので、新聞以上の詳しい知識を、当然文教の最高責任者としての文部大臣はすでに現在までに把握しておられてしかるべきではなかったか。私自身も、すでに先週の金曜日にこの問題について質問することを予告しておったわけですから、新聞程度の知識しかないという文部大臣の御答弁自体に、まず私は非常に不満を感ずるわけであります。 まあ、しかしやむを得ませんから、簡単に事実だけを申し上げますと、去る五月十八日に、村松教授が、御自分の属されます立教大学文学部の教授会の考え方と自分の良心との矛盾を感じられまして辞表を提出されたおけであります。文書で提出されました。大学のほうから教授会で説明をしてほしいという希望がありましたので、村松教授もそれを了解されまして、六月五日の教授会で辞表提出についての真意を表明される予定であったそうであります。ところが、その間の六月二日から六月三日、正確には六月二日の午前十時から六月三日の午後二時まで三十時間にわたりまして文学部の教授会と学生の大衆団交がありました。その結果、文学部の教授会は村松教授を懲戒解職にするという結論を出されました。六月四日の午後三時、教授会代表と学生とが共同記者会見のようなかっこうでその経過を発表されたということであります。 こういう大学教授の身分に関する問題が大衆団交の場で、しかも三十時間にわたるいわばつるし上げ的な行為のもとで懲戒解雇というような結果が出たという事実に対しまして、最初に、文部大臣としてはどういうふうな御見解をお持ちになるかお尋ねいたします。
○坂田国務大臣 私が先ほど新聞で承知をいたしたということは、村松教授が、かねがね自分の考え方と大学の考え方あるいは文学部教授会の考え方との間においてあまりにもはなはだしい見解の相違があったということで、自分自身がもうやめたいと考えておられて、そして辞表を出された。それによって辞表をどういうふうに教授会が受け取ったのか知りませんけれども、それに対して、それをそのまま受理するということでなくて、いまお話しのようなことは私もちょっと聞いておりませんが、学生と教授会と大衆団交をやって、そのもとにおいてただ辞表を受理するということはけしからぬ。したがって、むしろ村松教授がかねがね立教大学について、大学運営のあり方等について率直な意見等を言っておることは、いわば大学を侮辱するものである。であるから、大学の権威を守りあるいは文学部の教授会の名誉を守るためにむしろ懲戒処分にすべきであるというて、教授会がそのような方向へ進んでおるというように私は新聞を読んでおったわけでございます。 もしただいま先生のおっしゃるように、学生の大衆団交によって教授会の意思が変えられたというか、あるいは無視されるということであると、大学の先生方がよく言われますところの学問の自由というものは一体何なのか、考えるわけでございまして、学生たちの圧力あるいは学生たちの考え方あるいは学生たちの一つの思想、イデオロギーということによって大学の先生の言動というものに制限を及ぼすということ、そしてその結果として先生がやめさせられたり、懲戒処分にされたり、あるいはまたやめようと思ってもやめることができなかったりというようなことがもし事実だとすると、私はそれこそ学問の自由というものを侵すものではないかというふうに考えるのでございまして、まことに重大なことだというふうに思うわけでございます。 今日、学問の自由に対して政府権力が介入したり、あるいはまたこれに対して干渉を及ぼすということに対して非常に心配をされ、学問の自由を守るために云々ということがよく言われるわけでございますけれども、現実の姿は、国家権力からいわば学問の自由というものが侵されておるのではなくて、むしろ足もとの大学の構成員であるともいわれておる学生の一部の者によって、行動によって、あるいはその圧力によって、この学問の自由を何といいますか、守っております大学自治、手段としての大学自治、その大学自治というものの根幹でございますところの学者の、教授のいわば人事権ということに第三者であります学生が介入してきておるのであって、学問の自由を叫び、また大かたの研究しようとするまじめな大学の先生や、あるいはまた勉強しようとする大多数の学生諸君の学ぶ自由というものを守るために考えていかなければならないのであって、その一部の学生によってまさにこの大学の自治が侵され、あるいは学問の自由が侵されようとしておるのではないかというふうに私は思っております。
○岡沢委員 私も大臣と同じように、この問題は、ある意味では学問の自由、大学の自治に対するきわめて重要な課題であると思います。挑戦であると感じられますし、もし学生の気に入らない教授は大衆団交なり学生の圧力によって身分が奪われるというようなことになりましたら、これは単に一村松教授の問題ではないと思いますし、現に同じような傾向が大阪の市立大学その他でも見られるようです。私は、文教行政の最高責任者として文部大臣がいまお示しのような学生の集団圧力に屈して教授会がかりに意思決定を左右されるということになれば重大な問題であるというこの考え方を——文部大臣には指導、助言という与えられた職責があるわけでございますから、これを活用されて、こういう大きな問題をはらんだ事件についての見解を、立教大学あるいは一般の大学に、学問の自由、大学の自治という立場から私は公にされる必要があるのではないか。こういうことを見過ごされることによって同じような問題が他の大学にも他の教授にも波及する。文部大臣はいつか、たしか有島委員の質問に対して、いまの学生には態度でもって示さなければならぬという意味のお答えがあったと思います。こういう際に文部大臣として、立教大学の村松問題はきわめて重要な学問の自由の根幹に触れるものだという意味からも大臣見解が、あるいは具体的には立教大学に対する指導、助言というような権限の発動があってしかるべきではないかと思いますけれども、御所見をお聞きしたいと思います。
○坂田国務大臣 この問題につきましては、私立大学の問題でございますし、第一次的にはやはり立教大学それ自体としてまずお考えをいただくべき課題であると思います。 しかしながら、事情が事情でございますし、事学問の自由に関する問題でございます。また、その一つの例というものがその他の大学にも影響を及ぼすおそれもないわけではございません。その意味合いにおきまして十分事実を調査いたし、また報告を求め、相談をいたしたいというふうに考えております。
○岡沢委員 この解職の問題について、教授会のほうでは、おそらく学生の圧力に屈したのではないとおっしゃるかもしれませんけれども、問題は、三十時間に及ぶ大衆団交の結果、そういう意思決定がなされ、しかもその発表の方法がいわゆる暴力学生立ち会いのもとでの共同記者会見というかっこうで行なわれたというところに、現象面から見ます限り、私は学生の人事権への介入ということは否定できないような感じがいたします。 これと関連いたしまして、私は村松教授とこの問題について二回ほどお話しいたしたわけでございますけれども、村松教授に対する解職の理由の一つとして、いわゆる大衆団交に教授が欠席されたということが指摘されておるようであります。立教大学の文学部では、ここ一、二カ月二日に一回ないし三日に一回大衆団交が行なわれている。それに対して村松教授は、そういう大衆団交は認めないという立場で出席を拒否された。それが非難されておるようでありますけれども、大衆団交というものについて文部大臣はどういうふうにお考えになるか。教授は出席の義務があるのかどうか。私自身は、その実態はいわば人民裁判的なものである。ある意味では集団的な圧力、集団暴力というようなにおいもするわけでございまして、大衆団交の性格について、あるいはまたその方法について文部大臣としての御所見をお聞きします。
○坂田国務大臣 大衆団交ということばの問題もございますし、また、現実の問題として立教大学の場合に大衆団交であったのが、全くの大衆集会、そこに出て話し合いをしようということで教授会側も了承し、また学生側も了承した形において行なわれたのか、その辺はよくわかりません。しかし、学園紛争に関する限りにおきましては、やはり大学側と学生側と意思の疎通をはかる何らかのコミュニケーションをやる。従来ともするとそういうものが学生の意思を全然無視して行なわれてきたというところに、問題の原因もあるということも考えられるわけでございまして、私は、やはり学生側と大学当局側が話し合いをするということについては、今後いかなる形に大学の制度が変わりましても、考えていかなければならない課題である。つまり大学において学生の参加する領域というものにはおのずと限界があるし、その参加のしかたについてもおそらく限界があるというふうに私は思うわけでございます。 しかし、これから先はやはり学生の意思をくみ上げて、そうして大学自治を行なっていってもらいたいし、また大学の管理運営をやってもらわなければならないわけでございまして、おそらくそういうことを踏まえて民社党さんのお出しになりました大学基本法案も書かれておると思うわけでございます。学生が大学の中における重要な構成員であるということをお認めになっておるわけでございますが、さりとて学生が参加をする領域というものは全く無制限なものであるとも私には考えられない。おのずとそこには限度があることだと思います。また、たとえば人事の問題とか、あるいはまた予算の問題とか、財政の問題とかというところに、はたしてどのように学生は参加するのかというようなことについても、私はまだ民社党さんの基本法案についてつまびらかではございませんけれども、学生は大学の構成員としてであっても、やはり教授は学生を教授し、学生は教授から教育を受けるという立場は変わらないわけであって、おのずとそこには限度があるということは御了承がいただけることだと思うわけでございます。 その意味において、当然学生の意思を反映するような話し合いを大学においてするということは今後大事なことであるし、むしろ進んでやるべきことではなかろうかと思います。しかしながら、大衆団交という通常われわれ理解しておりますることばの内容のような、つまり労働関係における団体交渉みたいな形における交渉ということであるならば、私は大学というものにおいてはそういうものはふさわしくないというふうに思います。やはり理性と良識の府であって、おのずと学生は学生らしい、また教授は教授らしい一つの話し合いの場があってしかるべきではないかというふうに思うのでございます。つまり力によって、力の量あるいは力の強さ弱さによって、正しいこと正しからざること、あるいは妥当なこと妥当でないことというものをきめるという方式は、少なくとも大学という雰囲気においては、良識と理性の府においては許さるべきことではないのではないかというふうに私は思うのでございます。もし力によるところの団体交渉であるならば、それは許さるべきことではないというふうに私は思います。
○岡沢委員 文部大臣は非常に抽象的に一般的なことをお述べになりました。だれが考えましても、大学側と学生側にコミュニケーションの必要なこと、対話の必要なことは否定できないと思います。また、われわれにおきましても学生の参加の問題につきましては真剣に考えるべきことは当然でございます。しかし、いわゆる大衆団交、これはヘルメットをかぶる多数の学生が、村松教授の場合におきましては三十時間教授会をかん詰めにして、つるし上げたというのが実態であります。文部大臣もお答えになりましたように、大学は理性と良識の府であるべきだし、対話は必要でありますけれども、大衆団交はむしろ対話を不可能にするような実態というのがすなおな見方だと思います。私は、先ほど申し上げましたように、きれいごとではなしに、悪いことは悪いということをはっきり態度で示すということが、むしろこの際文部大臣にもあるいは大学の教職員にも求められているのではないか。大衆団交という名前はよろしいのでございますが、学生との対話の美名に隠れて、実際は教官のつるし上げ、あるいは暴力による圧力によって自分たちの意図を無理やり押しつけよう、それがはたして学生の総意であるかどうか非常に疑問でありますが、現に私自身は、大学においてヘルメットとかあるいはこん棒、石等そのもの自体がすでに無用ではないか、むしろ大学と無縁であるべきものではないかと思う。あたかも最近ではそういう行為は当然に許されるというような風潮があるようでありますけれども、暴力を否定するということについてはお互いにもう少し勇気を持つべきではないか。当然のことが当然に行なわれない。 先ほど村松教授のことについて質問いたしましたが、最も筋を通した教授が逆に学生から懲戒解職を要求される。われわれ良識のある国民から見まして、国民の代表者から見まして、国立大学の教授にふさわしくない言動をする教授に対してはむしろ擁護運動が起こる。全く世の中はさかさまのような感じがするわけでありますけれども、そういう点からいたしましても、暴力を大学から排除するということについては、もう少し神経質に、勇気を持って、根本に返って考えてみる必要があるんじゃないか。そういう意味からいいますと、むしろ文部大臣のお持ちになっております指導、助言の権限からいたしましても、あるいは教育行政の基本責任者といたしまして、先ほど大臣自身がお答えになりましたように、学生の学ぶ権利、教授の教える権利を教育の場で確保する立場からいいましても、大学と全く無縁であるべきヘルメットとかこん棒とか石とか、あるいは鉄パイプ、こういう小さな暴力的要素をかもし出す要件になるもの、そのものを大学から排除するというのが大学のあるべき姿だということを、私は、文部大臣の権限の中で、大学に対して指導、助言の行使として御指摘になってしかるべきではないか。大学の中では小さい暴力は当然に許される、あるいは治外法権的な誤った考え方から教育の場に小暴力を許すことが、結局、大学の暴力をエスカレートさせた一つの理由ではないかと思うわけであります。そういう意味からも、大衆団交という名前は別といたしまして、実際には刑事的な不法監禁すらも成立する場合も考えられるような実態を見ました場合に、これに出席しない教授が排斥されるというような事実は、私はどう考えても正常でないと考えます。重ねて文部大臣の御見解を聞きます。
○坂田国務大臣 大学におきまして暴力が許されないことは申すまでもないことでございまして、ただいま御指摘になりましたようなヘルメットであるとか、あるいは角材であるとか、あるいは石であるとかというものは、本来大学とは無縁なものであるというふうに私も考えております。また、大学の中からそういう暴力行為がなくなるということに対しまして、私も指導、助言を続けるつもりでございます。同時にまた、私は国会の論議を通し、あるいは世論の背景のもとに、こういうものが行なわれないということが必要かと考えておる次第でございます。
○岡沢委員 ここで私は、村松教授問題とも関連いたしまして、大学紛争がここまで大きくなった原因につきましては、昨日の本会議の論争等を通じましても各種の要因が指摘されましたけれども、一つの大きな原因は、教職員、特に大学の教職員の、あるいは教授会の姿勢というものが大きく作用しているということを思わざるを得ないわけです。集団無責任体制といわれる現在の大学教授会あるいは教職員の姿勢についてお尋ねしたいと思いますけれども、憲法の十五条には、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」という規定がございます。国公立の大学の教授に限って考えました場合、その先生方も国家公務員あるいは地方公務員であることは否定できないと思います。もちろん、その方々に対しては、その職責の必要性から教特法の特例があることも承知いたしておりますけれども、たとえば三権分立のもとにおける裁判官に対しても、裁判官訴追、裁判官弾劾裁判という制度が憲法上認められております。同じように、身分上高い独立性を要求されております人事官につきましても、国会における訴追制度が開かれております。ひとり大学教授についてのみ、実際には教授会の意思を無視して、任命権者である文部大臣も人事権には介入できないというのが実態であります。私は憲法十五条との関連におきまして、また一方、大学教授が単に公務員的な性格だけの持ち主でないことは重々承知いたしながらも、国民から見て国立大学の教授としてふさわしくないような言動の教授、たとえば私自身が予算委員会の分科会で法制局長官に質問いたしました九州大学の井上正治教授の場合、井上教授の警察は敵だという考え方は憲法の精神に反するということを、法制局長官自身がこの国会において御答弁になっている。そういう教授がおられましても、しかもその人はりっぱな公務員としての身分の持ち主でありましても、国民の立場から一切の罷免の手続がなされない。憲法十五条の精神が生かされないということについては、私は非常に疑義を持つわけです。わが党の先輩代議士であります春日一幸元書記長の言によりますと、いまの大学教授については、かりにどろぼう的な行為があっても、どろぼう仲間に相談しなければどろぼうの処分ができないというのが国立大学教授についての特権だということをおっしゃっておられるわけですけれども、それに近い身分上の特権に甘んじ、なれ過ぎて、国家公務員として、あるいは国立大学の教授としてふさわしくないような言動の教授がおられることは、これは悲しいかな、事実であります。私も学問の自由、思想の自由ということにつきましては、重々理解をしているつもりではございますけれども、だからといって、裁判官に対しても人事官に対しても、何らかの意味から、国民が国民としての罷免権を行使する道が開かれておりますのに、ひとり大学教授についてのみ、事実上憲法十五条の精神が一切閉ざされていることについて、文部大臣としてどう考えるか。また、今後の法改正の必要をお認めになるかどうか、この辺のところをお聞きしたい。
○坂田国務大臣 先生御指摘のように、やはり主権在民という憲法のたてまえから申しますと、国家公務員であり、たとえ教育公務員特例法によってその身分保障が普通の公務員よりも手厚くなされておるとはいいながら、最終的には国民から批判をされるという道はたてまえ上開かれておらなければならないわけであって、また一応そのたてまえ上、形式的には、そういうふうな法制上のたてまえになっておると思います。と申しますのは、やはり最終的な任命権は、国立大学の学長に対しましては文部大臣にあるわけでありまして、私がサインしない限りにおいては、その人がいかに評議会できまりましても、事実上は学長にはなれないということであるわけです。また、法制局長官も申しましたように、はなはだしく不当であるということが客観的に認められた場合には任命しないこともあり得るということは、これは今日まで、政府といたしまして一貫してとってきた私どもの法解釈でございます。さりながら、大学制度全般を考えました場合において、いま先生がお述べになりましたような国民の意思というものが十分に反映するような有効な制度になっておるかどうか。あるいはまた、その現在の制度というものが、大学の先生というのは単に一般の国民、社会の一市民より以上にモラルを持った人である、一市民よりもより以上の常識を兼ね備えた人である、こういう一つの前提に立っておるわけでございます。ところが、事実におきましては——これはまあ全体から申しますならばその数は少ないかと思いますけれども、二、三の教授におきましては、暴力を肯定し、あるいはまた暴力学生を援助するような言動をなす者もおりますし、あるいは当然の国家権力の発動としての警察力の行使というようなことについても、これをはなはだしく不当だというような言動もございますし、また、そのことが今日大学紛争をエスカレートしておる原因にもなっておるのではないだろうかということを考えました場合に、そのような言動というものは、一体国家公務員としてあるいは教授としてふさわしいものであるかどうかということについて一般の国民が疑いを持ち、そういう先生が学長になったり学部長になったりあるいは教官になるということについて非常に憂慮することは当然なことであって、普通ならばそういうような一般市民、国民の人たちが深く憂慮をし、それが単に一人だけの考え方でなくて多くの人たちがそういうような疑いを持ち、心配をし、憂慮をする、こういう段階においては、もしそれの反映がなされず、またそういう国民の声に耳をかさず、そしてかってに独善的に教授会やあるいは評議会というものの決定がどしどし行なわれ、あるいはそういうようなことに対する懲戒処分というようなこともなさないというようなことがあったならば、この制度自身に多少不備があると言われてもしかたがないのではないかというふうに思います。 そういうことを考えました場合に、現在の終身雇用的な大学の任用の制度につきましても、この際やはり考えてみるべき段階に来ているのではないだろうか。やはり契約的な関係において十年なら十年というふうに期間を設けるとか、あるいはふだんにおきましてもその選考を何らかの機関においてやるとか、あるいは再審査を求めるとかいうようなくふうがなさるべき課題ではないだろうかというふうに思います。そのことについては、やはりこの大学問題の基本的な問題にかかわる問題でございまして、中教審でも検討をいたしております。また各党においても御議論になっておるところでございます。文部省といたしましてもこの点についての検討をいたしておるわけでございまして、現在の制度そのままでいいかどうかということに対しまして、私は多少改善の必要があるのではないかというふうに考えておるわけでございます。ただ、どういうような制度にするかということについては今後の検討にまちたいというふうに思っております。
○岡沢委員 問題をおすりかえになりまして教官の適性審査制度あるいは任用制度等についてもお触れになりました。このことについてはあとで聞きますけれども、私がいま端的にお聞きしたいのは、先ほどの態度で示そうよという文部大臣のお考えを実行に移されるという意味で、暴力を行使した学生に対する処分が当然なされるのと同じように、それ以上に、大学教授としての職責を果たさない、あるいは法令に違反する教官をそのまま在職させるというところに無責任体制を生む一つの大きな原因があるのではないか。政府がお出しになりました法案のねらいの一つは、文部大臣が折りに触れておっしゃいますように、親方日の丸的な国立大学の教授に対する警鐘の意味もあったということは御指摘のとおりだと思いますけれども、そういう裏口からの攻めではなしに、正面から、たとえば国家公務員としての立場から法令に違反したり、あるいは職務上の義務を怠ったり、あるいは国民全体の奉仕者たるにふさわしくない行為があった教授等に対しまして、当然その怠慢に対してあるいは法令違反に対して処断がなされるような道が設けられてしかるべきではないか。現実にはこれに該当する教職員、特に国立大学の場合には、たとえば訓示規定かもしれませんが刑事訴訟法二百三十九条の犯罪に対する告発義務を履行する教官のほうがむしろ少ない、大学のほうがむしろ少ないという現状一つにいたしましても、あるいは国有財産を管理する立場としての背任的な姿というのが、各国立大学に毎日のように見られる姿でありますが、そういう行為に対して何らの必罰が行なわれていないというところに問題があるのではないか。私たちも、もちろん教特法の精神、特に大学教授の学問の自由を保障されなければならない、その職責を重々承知しながらも、いま一方で、先ほど指摘しました憲法第十五条の国民の権利が阻害されるような現制度については改革を要する面があるのではないかということとともに、現行法でも、文部大臣自身として任命権者として拒否権があるという御指摘もございましたが、現実には、法令を犯しあるいは反体制的な、法秩序破壊的な行為を扇動する教授に対しては何らの身分的な措置がなされない。むしろ、逆に暴力学生からは良心的な教授が迫害を受けるという、本末転倒と申しますか、前にはやったことばでありますけれども、木の葉が沈んで石が流れるような現在の大学の実態について、やはり文部大臣としては、現行法でもなし得る措置があるのではないかということを指摘さしていただいておるわけであります。 私は、長くても一時間以内ということで、四十分くらいでやめろという鈴木先生の御指摘がございましたので、先ほど大臣自身お触れになろうとされました教官の身分制度について若干聞いてみたいと思います。 東京工業大学では、六月九日の評議会、六月十日の教授会で、いわゆる大学改革については、まず教官自身の体質改善が必要だという観点から、業績を審査して五年ごとに定期的に大学の教官の適格性をテストする必要があるのではないか。発表されましたところによりますと、教官が常にその責務を批判し合うことは、自由な研究を使命とする大学では当然行なわれなければならないことであったけれども、日本的習慣におぼれて実施を怠ってきた。大学のまず第一になすべきことは教官自身の自己規制である。私は非常に建設的な、しかも傾聴に値する見解を東京工業大学は出されたと思うのですが、大臣も御承知のとおりアメリカではメリットシステムというのがございます。助手は一年、助教授は三年、準教授は四年ごとの評価制度を採用しておる大学があります。先ほど大臣みずからおっしゃいましたように、日本の大学の場合、終身雇用的な制度が大きな災いをしておるのであります。よく言われますように、国立大学の場合、一年間授業が行なわれなくとも教授はサラリーがもらえるだけでなく、ボーナスももらえる、さらには昇給もある。おまけに時間的な余裕があるからアルバイトもできる。こういう安易な考え方がやはり国立大学の紛争をエスカレートしておる一因をなしておると考えました場合に、やはり大学教授の身分、先ほどの任期制についても検討してみる必要があるのではないか。国立大学の教官になるということは生命保険に入るのと同じことだということが大学教授自身の間でもささやかれておるということ自体ゆゆしい問題である。無能な教授を放任するということがやはり学生の不満を買っておる一つの原因になっておると思います。この意味から教官の適性審査制度その他について大臣として現在お考えになっておることがありましたらお答えいただきたい。
○坂田国務大臣 東京工大の内部改革案、特に自己規制と申しますか、教授会におきまして教授の学問研究の成果、業績の審査をやるというような改革案が出されておるわけでありますが、こういうようなことが各大学に行なわれますると、いままで先生が御指摘になりましたような問題もおのずと解決していくのではないかというふうに考えております。でございますけれども、私がいま承知をしておりますること、考えておりますることは、先生から御指摘になりました範囲、程度を出ておりません。しかし、この問題は、やはり今後の大学制度を考えていく場合における一つの——一つのと申しますか、有力な柱の一つだというふうに考えておりまして、十分私たちは検討したいと考えております。
○岡沢委員 お約束の時間が参りましたので、この最後の質問で終わりたいと思いますが、この委員会で私自身も何回か読み上げた条文でありますけれども、教育基本法の第十条というのを、大臣も私もともに考えてみたいと思います。それは、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行なわれるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない。」。私は村松教教の解職問題等を含めまして、あるいはまた現に大学に入りながら自宅待機をさせられておる数万の学生の立場を考えまして、文部大臣として、大学の自治、学問の自由についての十分な配慮をなされながらも、しかも国民の教育を受ける権利が現実に確保できるように、勇気を持った御処断を賜わりたい。そういう意味からも、この立教大学の村松教授の事件を単に教授個人の事件とお考えにならないで、先ほどお尋ねいたしました大衆団交の法的性格も含めまして、き然とした態度をこの際文部大臣として出していただきたい。 先ほど申しました教授会あるいは教授の姿勢について、これは別に立教大学に限ったわけではありません。むしろ国立大学の教授に強く求めたいところでありますけれども、この教授会のあり方について、今度の大学立法等につきましても、文教委員会の委員の一人である私に対しても、各大学からいろんな意見を聞かされた。しかし、あまりにも自分の権利を主張するに急であって、教授の責任、教職員の責任ということを自覚した意見が少ないような感じがいたします。私は、自由を主張する者は、それに伴う責任を当然持つべきである。また、自治能力のないものにはたして自治を与えるべきかという基本的な問題も、この際大学教授自身に対しても関わるべきではないかと感ずるわけであります。あわせまして、間違った、あるいはまた国民全体の奉仕者としてふさわしくない教授に対して、信賞必罰的な制度も確立される必要性ということも考えておるわけでございまして、この辺の問題について、もし文部大臣として締めくくり的な御答弁がございましたならば承りまして、私の質問を終わります。
○坂田国務大臣 大体私が先生にお答えをいたしましたことで尽きると思いますけれども、先生がおっしゃいましたことは非常に重要なことでございますし、私は十分傾聴に値する見識ある御意見であるというふうに承ったわけでございます。やはり国立大学の先生は言わずもがな、いやしくも大学教授といわれる者は、単に自分の研究ということだけでなくて、国民の子供を教育するという責務を持っておりますし、また同時に国家公務員として、あるいは大学教授としての直接の責任というものを国民全体に負っておるのだという自覚も反省というものが求められなければならないというふうに思うわけでございまして、それゆえにこそ、今日の大学紛争の実態を見ました場合に、もちろん、一部の政治主義を貫くために暴力行動に出ておる学生も責められなければいけませんけれども、どうもその学生を一面において教唆しておるかのごとき教官の態度、言動、あるいはまた法令違反も犯しておるような教官というものに対する大学自治の名におけるところのチェックする機能というものが麻痺してしまっておるというところにも問題があるかと思うのでございまして、そういうような点を含めまして、先生のきょうの御発言に対しまして、われわれも十分これを頭に置いて、今後の教育全般にわたる指導、助言を続けてまいりたい、かように考える次第でございます。
○岡沢委員 終わります。
○大坪委員長 石田幸四郎君。
○石田(幸)委員 ただいま岡沢委員のほうから大学問題についていろいろ質疑がございましたけれども、私は特に高校の一つの実例をあげて、この学園紛争の問題について政府の見解をただしたいと思うわけであります。 今日大学紛争が全国的に百九校、四年制大学の約三分の一は紛争を起こしておるわけでございます。この大学紛争の中で非常に大きなウエートを持って取り上げられておる問題がゲバルト問題であることは、政府もよく御存じのとおりでありますが、このゲバルト問題は、民主主義社会の慣行を否定する大きな問題でありますだけに、本来大学問題の本質と並行してこの問題は論議されていかなければならない、こういうふうに私は考えておるわけでございます。この議論についてはきのうもいろいろ申し上げましたけれども、これらの問題については、さらに特別立法の審議のときにいろいろ質問をしたいと思いますが、この学園紛争が大学から高校へと移っておる、だんだん高校へ波及しておる、そういうようなことが、そろそろ社会の話題になっておるわけであります。その中には学園民主化運動あるいは政治運動化しておるものもあると思うのですが、一体現在、この高校の学園紛争はどのくらいあると政府のほうでは認識しておられるのか、まずここら辺の問題から伺いたいと思います。
○坂田国務大臣 大学紛争というものが非常に激化し、あるいはエスカレートしてまいりましたのですが、その後だんだんこれが大学だけではなくて、高等学校の段階にも及んできておるということは、御指摘のとおりでございます。たとえて申しますと、卒業式の場合あるいは入学試験の場合におきましても、警察力を導入しなければ正常に卒業式や入学試験が行なえないというような状況等もございます。これら過激な学生というのは、大体その数が一万とも申しますし、あるいは一万四、五千くらいになったとも申しておるわけでございますが、とにかく大学の学生から高等学校にもその影響が及んできたということは、これはゆゆしい問題だとわれわれも考えておるわけでございまして、このために特に全国の教育委員長会議あるいは教育長会議等におきましても、これについての十分な認識、また指導体制を強化すべきであるということも繰り返し行なわれておるところでございます。 また、同じ高校と申しましても、特にその起こりやすい地域というのが、たとえば関東の都市集中のところであるとか、あるいは関西方面の地域であるとかいうような特定の地域もございます。そういうような関係から、東京都は関東一円について、あるいは関西は関西方面におきましての地域協議会の指導者会議等も開催をいたしまして、これらの情勢の分析あるいはこれに対する適切な指導が、県の教育委員会から各高等学校段階において行なわれるような指導もいたしておるようなわけでございます。詳しくは、担当の局長が来ておりませんので、もし何でございましたらあとで呼びたいと思いますが、全般的にはそういうような状況でございます。 先生の御質問の関係の管理局長は参っておりますから……。
○石田(幸)委員 いま文部大臣が過激な学生は一万から一万五千とおっしゃいましたが、これは大学紛争のほうの数字でございますね。
○坂田国務大臣 大学紛争と同じような代々木系、反代々水系といわれるような数字が大体そうでございます、高校の。
○石田(幸)委員 過激な学生というふうに規定をすること自体が非常にむずかしいと思うのでございますが、やはり高校の学園紛争は、現在のいろいろな政治運動への、いわゆるデモや何かの参加というような方向にかなりあるとは思いますけれども、まとまったかっこうの一つの高校なら高校の学園紛争というようなことになりますれば、これは必ずしも政治運動ではないはずであります。したがって私は、そういった今後起こり得る高校の学園紛争の問題点についての分析を、やはりそろそろ文部省等ではしっかりなさらなければいけないのじゃないか、このように思うわけであります。したがって、私は一つの学校の例をあげまして、現在こういうような問題も起きているんだというようなことを例証しまして、今後の高校の学園紛争に対処していただきたい、こう要望を申し上げたいわけであります。 私が取り上げますところの紛争校は愛知県の両国学園弥富高校であります。この学校は昭和三十九年四月に創立になりまして、理事長はお医者さんであります。ここで一つ大きな問題になりますのは、こういった私立高校が設立をされますところのいろいろな条件が文部省によって示されておるわけでございますが、こういう認可事項について、はたして適切な検討が加えられておるのかどうか、こういう問題について私はたいへんに疑問を持つわけであります。たとえばこの弥富高校の校舎の敷地でありますけれども、これは弥富町というところから、最初この学園の理事長に貸与されるような予定であったのでございますが、私立学校設置の基準について、これは学園の財産でなければ認可にならないという問題点がございまして、この町有財産を無償で払い下げてしまったわけであります。この町有財産払い下げについては、もちろん条例で定めるのが普通でございますけれども、条例が全くございません。さらにまた無償払い下げは、自治法の二百三十七条二項に違反をしておるのであります。その条文を読んでみますと、「第二百三十八条の四第一項の規定の適用がある場合を除き、普通地方公共団体の財産は、条例又は議会の議決による場合でなければ、これを交換し、出資の目的とし、若しくは支払手段として使用し、又は適正な対価なくしてこれを譲渡し、若しくは貸し付けてはならない。」、こういうような条件が自治法によって規定をされておるのでございますので——もちろん申請の段階においては譲渡を受けた形をとっておるわけでございますけれども、こういうような問題が審査の段階で的確に審査が行なわれないから、私は今日の学園紛争が起こっておると思うのであります。 これは去年の七月のたしか十五日ごろから約一週間にわたって地元の中部本社版の各紙にはかなり大きく報道された学園紛争であります。しかし、その学園紛争の内容を見ますと、一つ一つ生徒たちの言い分がもっともであるという点が非常に多いのであります。こういう点についても行政指導を一体どうなさっているか、お伺いをいたしたいと思います。幾つか問題を指摘しますので、これに対してお答えをいただきたいと思います。 まず、学校経営の問題でございますけれども、教師が極端に不足を来たしておりまして、満足な授業が行なわれておらないのであります。三十九年四月の創立でありますから、今日に至るまで約五年であります。その五年間に校長が三人も交代しておる。あるいは教師が、これはたしか少なくとも二十名前後の人が首になっておると私は記憶しておるのでございますが、こういうような状態に対しての指導、監督というものは一体どうなっておるのか。 もう少し内容を申し上げますと、たとえばそういうところから教師が足らなくて、通常でも二ないし四クラスの合同授業がしばしば行なわれている。こういうことは過去五年間のうちにかなり行なわれてきたわけであります。あるいはまた、こういう普通高校でございますと、理科の実験設備や何かを必要とするわけでございますけれども、こういうようなものにつきましては実験設備がほとんどない。文部省から助成金が出ているわけでございますけれども、一体この助成金をどこへ使ってしまったのかと疑いたくなるような、そういう事態があるわけであります。県から視察に来れば、他の学校から実験器具を借りてきて、そして一時しのぎをして監察官の目をごまかしておるというようなこともあるわけであります。 あるいはまた、この弥富高校の前身というのは、実は看護婦の不足から、この理事長のお医者さんである人が、看護学校を設立したらいいのではないかという発想から起きておるわけでございまして、現に看護科がこの学校の中に設置されております。ところが、この看護婦の教育をするための資格のある先生が全くおらぬのであります。 〔委員長退席、高見委員長代理着席〕 この看護科では自習がほとんどでございます。看護婦としての教育はほとんど行なわれておりません。したがって、そこに学んでいる看護婦志望の生徒さんたちは非常に不安に思っておりまして、ある一人の女の子は、はたして私たちは資格が取れるでしょうか、卒業できるでしょうか、こう言って泣いてきたような事実もあるわけであります。あるいは授業全体を考えてみましても、この学校では一単位三十五時間というふうに規定を設けておるそうでございますが、実際には二分の一から三分の一くらいの授業しか行なっておらないというような高校教育というものは、あるはずがないのでございますけれども、ところが実際に行なわれておるわけでございます。二分の一か三分の一しか出席時間がないわけでございますから、当然卒業資格がない。ところが、出席したことにしてどんどん卒業させてしまった。そういうようなおそるべき実態もあるわけでございます。あるいはまた、試験の問題にいたしましても、前もって試験問題を教えてそれから試験をやる、これでは成績がいいのはあたりまえでありまして、こういうようなことは全くたいへんな——そういった私立学校の教育の実態ではないかと思うのですが、一体ここら辺のことについて——まず設立の問題について、これは全然県にまかせっきりなのか、それからこういういろいろな教育の実情について県から報告が来ていないのかどうか、こういう問題からお伺いをいたしておきたいと思います。
○坂田国務大臣 まず私からお答えを申し上げます。あとはひとつ管理局長から答弁させていただくことをお許しいただきたいと思います。 愛知県の報告によりますと、学校法人両国学園が設置いたします弥富高等学校というのは、交通の便があまりよくないというところに設置をしたために、結局スクールバスを運行して、名古屋方面から通学する生徒から料金を徴収をしておる。昭和四十三年の七月の初旬に、このスクールバスの料金を無料にせよというので、一部の学生生徒が授業を放棄をいたしましたところから、それが原因となりまして、設備の充実、国庫補助事業の実施、経理の公開、さらに理事長の退陣などを要求して学園紛争に発展をしたということでございます。しかし、その後父兄、教師、生徒の三者と理事長及び校長をまじえまして再三話し合いが行なわれた結果、理事者側において、改めるべきところは改善するというようなことで事態はおさまって、七月十五日以来は平常に回復をしておるという報告がきておるわけでございますけれども、先生の御指摘のような点もございますので、管理局長からお答え申し上げたいと思います。
○岩間政府委員 高等学校の設置の問題でございますけれども、これにつきましては、基本的には文部省令で高等学校設置基準というのがございまして、それに基づきまして各県のほうで認可をするわけでございますが、その際には、必ず県に置かれております私立学校審議会の議を経なければならない、そういうような形になっているわけでございます。この学校は三十九年から開校したわけでございますが、その前に県のほうで審議会におきまして十分そういう点につきまして審査したと思いますけれども、御指摘のように、あとになっていろいろ問題が起こってきたという点がございます。 特に文部省に対しましてどういうふうな報告があったかというふうなお尋ねに対しましては、これは文部省のほうから理科教育あるいは産業教育の施設設備につきまして補助金を出しております。その補助金が実際に法律どおりに運用されてない、補助条件どおりになってないというふうな点におきまして、県のほうでも八回にわたりまして実地調査をいたしまして、その結果は文部省のほうに報告がきております。そのあと始末もいたしているような次第でございます。
○石田(幸)委員 いま補助金の話が出ましたけれども、こういった理科の実験室等の補助金が出ておるわけでございますが、どうも適正に運用されていないので、補助金の返却を文部省が求めたということを聞いておりますけれども、それは事実でございますか。
○岩間政府委員 ただいま御指摘になりましたように、補助金の使い方につきまして明確を欠くものがございましたので、その分につきましては返還を命じております。具体的に申し上げますと、発足当時の三十九年度につきましては、これは学校のほうでも補助金の使途につきましては別に問題はなかったようでございますけれども、その後の四十年度、四十二年度につきまして、特に四十二年度につきましてはほとんど補助金を補助目的のとおりに使ってないというふうな事情がございまして、この点につきましては、県のほうでも、ただいま申し上げましたように八回にわたりまして実地調査をいたしまして、その結果、補助金の返還等を命じておるわけであります。
○石田(幸)委員 いろいろな問題があるのでございますけれども、この理事長さんがお医者でございますので、高校生は月に一回健康診断を受けなければならないというようなことになっているはずでございますが、これは生徒の健康管理のためであると思うのですけれども、理事長が医者のためにかってに健康診断の書類を作成して、そうして報告しておるという、これもまたゆゆしき問題でありまして、こういった問題は医師法違反であるのじゃないかと思います。 実に問題がこの学校は多いのでございますけれども、ただ私が問題にしたいのは、少なくとも設置基準によってつくられた高校でございますがゆえに、現在の高校生——普通一般教養の高校生並びに看護科に学ぶ多くの女子青年たちが、やはり適正な教育を受けて資格もとれ、卒業ができるような状態まで厳正な指導をしていかなければ、これは非常に気の毒な状態になってしまうのじゃないかと思うわけでございます。たとえばいま申し上げたような状態がございまして、本年度の新入生なんか、普通科がゼロ、全くなかったというわけでございます。看護科にかろうじて十四人の新入生があったという程度のことでございます。しかし、このまま放置していくわけにいきませんので、今後どのような指導をされるおつもりか、いま御指摘申し上げました万般の問題を十分御考慮の上御答弁をいただきたい、こういうふうに思うわけであります。
○岩間政府委員 高等学校が、たいへん先生の御指摘のような非常にひどいような状態になっているという点につきまして、私ども実は驚いているわけでございますけれども、その原因といたしましては、昨年実は短期大学をつくりたいということで、文部大臣に申請がございましたのですが、結局それがうまくいかなかった。短期大学をつくります際に、借入金をもって資金に充てるというふうな、非常に無理な運営をしたようでございます。先ほども申し上げましたように、三十九年の四月に開校した高等学校で、まだ十分基礎も固まらないうちに短期大学の申請をするために非常な無理な運営をしたというところに原因があるんじゃないかというのが、県の報告にもあるわけでございますが、私どももそのような無理な経営というものが、今日のような、ただいま先生が御指摘になりましたような無理な事態を生じたんじゃないかというふうに考えるわけでございます。県の指導によりまして、短期大学の設置というものは一応あきらめまして、すでに得ております土地等の財産の処分をいたしまして、これから正規の軌道に高等学校の運営を乗せていきたいというふうなことであるようでございまして、そういう点から見まして、ただいまのところでは教員組織も整い、正規な授業も行なわれているというふうなことも聞いておりますので、施設設備等につきましてはさらにこれを充実し、あるいは正規の授業が行なわれますように指導を強化してまいりたいというのが、私どものただいまの考え方でございます。
○石田(幸)委員 管理局長のお答えでございますけれども、これはこういうひどい実情がおわかりになればそれでよろしいのでございまして、今後の指導にまつのでございますが、現在においてすら紛争が解決をして正規の授業が行なわれているという状態ではないということをもう一歩御認識をいただきたい。これは私はいろいろな角度から実情を調べましたけれども、特に現在首になっている学校の先生方からも十分事情を聴取してございますので、いまもなお看護科には全然資格のあるそういった教員がおりませんので、ずっと自習が続いておるのでございます。女子学生が非常に自分たちの将来について悲しんでいることについては、この事情を聞きましたのは約十日ぐらい前の話でございまして、そういう実情からも、資格のある教師がいないということが明確なのでございます。こういった点もひとつ十分御認識の上、今後の指導をお願いをいたしたいと思うのであります。 それから自治省にお伺いをいたしますが、この弥富高校の敷地については、弥富町からの町有財産の払い下げであります。これは自治法二百三十七条に違反していることは先ほど申し上げたのでございますが、これが事実であるかどうかが第一点。 それから、この官治法違反、並びに条例にも払い下げが規定されておらないわけでございますので、こういった問題について町民から財産の返還を町議会に要求された場合、これはどうなるか。あるいは自治省としてこの問題に対してどのような指導をされるおつもりであるのか、そこら辺のところを明快にお聞きしたいと思うのです。 なお補足して申し上げれば、いま管理局長が御指摘になった、短大をつくりたいというような目的から財政的に非常な無理があったんじゃないかと申しますけれども、これは弥富町から財産の払い下げを受けて、それを担保にして短大を設立するための用地を買収しておるわけです。こんなむちゃくちゃなやり方は私はないと思うのでございますけれども、そういった問題を踏まえてひとつお答えをいただきたいと思います。
○森説明員 ただいま委員会に入りましたので、その前の経過については聞いておりませんですが、御質問になりました点で、町が私立学校に財産を譲渡をしたという件であろうと思います。具体の事例についてはつまびらかにいたしませんが、一般論といたしまして、地方自治法でそのようなことは禁止いたしておりますが、例外をつくる法律がありまして、その件の場合は私立学校法によって、私学振興上必要があると認めた場合は地方公共団体が財産を提供することができるという規定が私立学校法にございます。その規定に従ってやったのではないか、このように考えております。
○石田(幸)委員 特例法があるということでございますが、その場合でも適正な対価というものは全く必要ないのでございますか。また、いま申し上げました町民から、条例にもない財産の移譲について、その返還を求められたらこれは一体どうなるのですか。もう少し腹のすわった答弁をお願いしたい。型どおりのことを聞いているわけじゃない。
○森説明員 お答えいたします。 私立学校法の第五十九条に「国又は地方公共団体は、教育の振興上必要があると認める場合には、私立学校教育の助成のため、」途中省略いたしますが、「補助金を支出し、又は通常の条件よりも学校法人に有利な条件で、貸付金をし、その他の財産を譲渡し、若しくは貸し付けることができる。」という規定がございますので、その規定に従って適法に市町村が私立学校に対して財産を譲渡したといたしますれば、それについて住民の側からそれの返還の要求等はできないのではないか、かように考えます。
○石田(幸)委員 なおまだ明確でないのでございますけれども、二百三十七条のほうには条例によらなければならない、いわゆる町議会でこれをきめなければならない、このように規定されておるはずでございましょう。それでもなおかつその特例法のほうが優先するのですか。
○森説明員 地方自治法の財産処分に関する規定は一般法でございます。私立学校法にありますただいま読み上げました条文は、そういう意味におきましては地方自治法の財産処分に関する特別法になろうかと思います。したがって、一般の法律の例に従って特別法が一般法に優先して適用されることになると思います。
○石田(幸)委員 いま特例法をお読みになったのでございますけれども、対価の有無についてはいまお話がありませんでしたけれども、この問題はどういうふうに解釈するのですか。いわゆる価格の問題ですね。
○森説明員 私立学校法の解釈でございますから、あるいは有権的には文部省からお答えになったほうが的確かと思いますが、法律の条文では譲渡することができると書いてありますので、これは無償譲渡をも含むと解釈いたします。
○石田(幸)委員 この問題は法律論議だけではとても解決ができないと思いますので、後ほど十分お調べの上、書類でけっこうでございますからお答えをいただきたいと思います。 ただこの場合、問題は町議会にかかってないわけでございますから、はたしてその私立学校がその町のための公共的な一つの教育目的に合致するかどうかというのは問題だと思うのです。いわゆる普通の私立高校であります。あるいは看護科を設けておりますので、弥富町からの学校の生徒だけがこれに通っているわけではない。その多くは他の地域から集まってきているわけでございます。これは愛知県全体の問題であれば、いわゆる愛知県の財産であればそういうことがいえるかもしれませんけれども、町の問題でございますので、いわゆる町の子弟を教育するというたてまえであるということならば、これは確かに公共の目的に合致しておるわけでございますけれども、それ以外の範囲の人が多く通っている場合、これは必ずしもその目的には合致しない、こう私たちは解釈するわけでございます。ひとつ愛知県側でどういうふうな問題から認可したか、そこら辺の問題を十分お調べの上御返答いただきたいと思います。 それから、これはついでに自治省にお伺いするわけでございますが、これはあなたに伺ってもしようがないのかもしれませんけれども、こういうような各県に対する事務委任ですか、たとえば設立基準の問題あるいは監査の問題——この間私は農水で農業協同組合の問題を取り上げました。このときも、農協法によると、いわゆる県が必ず年に一ぺん監査をしなければならない、そういうような規定があるにもかかわらず、半分もやっておらない。漁業組合しかり、あるいはその他の協同組合しかり、あるいはこういう教育問題にいたしましても十分な県の監督業務というのは行なわれていない。一体法律に規定されながら、地方のそういった出先の県では全く法律を順守しない。そういうような状態について一体自治省はどう考えておるのか、そういうような問題についても御見解がありましたら伺いたいと思います。
○森説明員 ただいまの私立学校の助成に関する件につきましては、実情を存じませんで、ただこの場で法律を読みましてお答えいたしましたので、私の答弁にも不足な点があろうかと思います。追ってまたよく実情を調べた上で、また法律解釈もよく承りまして御答弁をいたしたいと思います。 それから後段のお尋ねの件でございますが、地方公共団体が、国の機関としていわゆる機関委任事務を多数処理いたしているわけでございます。非常に大量の事務を処理いたしておりますので、その機関委任された事務あるいは法令に規定されたものが全部が全部実行されておらないという面もあるいは御指摘のようにあろうかと思います。もちろん、法令に従って地方公共団体がその執行の責めに任じているわけでございますので、それは的確に執行されなければならないということは御指摘のとおりでございます。特にそのような法令で義務づけられた仕事につきましては各主務大臣において指揮監督を各知事にいたしておるわけでございます。具体的に指揮監督をいたしておりますし、また、機関委任をされた都道府県知事がその事務の執行を怠っている場合にはその執行を命令することもできる、このような規定になっておりますので、それぞれの主務省において、その主務省の行政を展開する上に必要な指導監督等がおそらくなされておるものだ、このように考えております。
○石田(幸)委員 この問題について最後に文部大臣にお伺いしますが、いま自治省が言われたとおりでございますが、そのほかに各種学校の授業なんかかなりいいかげんです。いわゆる規定にあるところのせいぜい半分をちょっと上回る程度の授業しか行なわれていないところがたくさんあるわけです。そういう意味で、出先である県に対して、文部行政のあり方について十分御注意を願いたいと思うのでありますが、いかがですか。
○坂田国務大臣 よく承っておきます。
○石田(幸)委員 時間がありませんので、次の問題に移らせていただきます。 私は美術工芸品の問題についてお伺いしたいのでございますが、日本古来の美術品、いわゆる重要文化財指定の有無を問わないのでございますが、その保護については非常に不十分ではないか、このように現在考えておるものでございます。特にこういった日本古来の美術工芸品につきましては、日本民族固有の財産でございますし、また、われわれがその文化の遺産を受け継ぐばかりでなく、後世にこれを伝えなければならない責任を持っていると思うわけでございます。そういう意味におきまして、現在の状態をいろいろ考えてみますと、一つには美術工芸品を公開しない、したくないというような空気が非常に濃厚なのでございます。その理由をあげますと、いわゆるこれを公開した場合、自分がどこかからこれを相続したかあるいは取得したわけでございますので、相続した場合に相続税といろものが取られる。そういうようなところから、先祖伝来のいろいろな美術工芸品があっても、これを積極的に公開しようというような意欲に欠けておるわけでございます。さらにまた、この重要文化財を売却をしたい、こういうふうな場合、これは個人から個人に売却をされる場合は価格の大きいものもあるでしょうから、当然これに所得税というものが取られてしかるべきだと思うのですが、こういった工芸美術品を国立、公立、そういう博物館や美術館に買い上げをしてもらう場合においても所得税というものが取られる。こういうようなことでは、国家財産としての美術工芸品のあり方にはそれだけの効果が何らあらわれてこないんじゃないか、私はこういうような感じがしておりますので、この質問をするわけでございます。 まず最初にお伺いしたいのは、重要文化財指定等の問題は除きまして、美術品の保護についてどういうような措置をとられているか、文化庁の方にお伺いしたいと思います。
○安達政府委員 現在、一つには文化財保護法によりまして、そういう絵画、彫刻、工芸品、書跡等の有形の文化的所産で、わが国にとって歴史上または芸術上価値の高いものにつきましては、これを重要文化財に指定し、あるいはそのうちさらに貴重なものについては国宝に指定をする、こういうことでございます。指定されました重要文化財、国宝等につきましては、これらの保存管理の義務を所有者にお願いをいたしまして、そうして修理等をする場合には、これに所有者の経済的負担、経済的能力等に応じまして補助金を交付する、あるいはそういうものを保存する施設、たとえば保存庫とかあるいは収蔵する施設、そういうようなものをつくる場合におきまして、そういう防災のための施設をつくるための費用を支出するというようなことで、これらにかかっておる次第でございます。 そのほかの、いわゆる歴史的なもの以外のものにつきましては、美術館等を国立または公立等で建て、これを保存し、同時に国民に公開をしていく、こういうことをやっておるわけでございます。
○石田(幸)委員 時間がありませんから一括して質問をしますが、一つ一つ明快にお答えをいただきたい。 一つは、こういう重要文化財の指定並びにこういう文化財の指定が行なわれておりますけれども、指定されているほうでは、とにかくこの財産を処分したい、あるいはまた古くなってしまったので、もうだんだんだんだん破損をしていく、どうにもならないからつぶしたいけれども、文化財の指定があるからできないというような、そういうジレンマにおちいった。また、それを保存するためにはかなりの経費がかかって、これはどうにもならぬ。こういうような不平不満を持っておるような状態でございます。そういうような不満をかかえての文化財のそういうような保護というものは期待できないではないか。現在の保護の実情について十分だと思っているかどうか、さらに費用等を増加して十分な手当てをするつもりなのかどうか、この点、第一点に伺います。 それから、いま申し上げましたところの、重要文化財の指定を受けても相続税を課するということは、これは所有者にとってたいへん過酷な問題であろうと思うのです。この点をひとつ大蔵省としっかりかけ合って、重要文化財あるいは文化財の、地方の文化財の指定もありますから、そういう問題については相続税は取らないというようなところまで折衝すべきだと思うのですよ。この点について第二点。 それから、所得税の問題につきましても、いわゆる博物館や美術館に譲渡した場合に、こういった場合の所得税は免税にすべきである、これもしっかり大蔵省にかけ合ってもらいたいと思いますが、この点の御答弁を願いたいと思うのです。 最後に、文部大臣に御質問をするわけでございますが、この間の鎌倉の史跡ですか、ああいうものがだんだんそこなわれて、どんどん住宅あるいは工場が建つというようなことで、これはもめておりました。ああいうような問題について、どうもいろいろな美術工芸品やあるいは歴史的な建築物に対する保護行政というものが、非常に行政能力が薄くて効果がない。こういう問題についてもう少し抜本的に解決する方法はないのか、この点を最後に伺っておきたいと思います。
○安達政府委員 文化財保護行政等の強化につきましては、現在、文化財の保存修理、防災等に約二十億くらいの経費を支出しておるわけでございますが、これは御指摘のとおりなお不十分でございますので、これは大いに今後拡充して、所有者等の不満もなくして、国民とともどもに文化財の保存に遺憾なきを期したい、かように考えておるところでございます。これが第一点。 第二点は、重要文化財等を相続した場合の相続税の問題でございますが、たとえば美術工芸品等の相続税でございますと、これは市場価値もあるわけでございますので、これの相続税を免税にするということは、非常に困難ではないかと考えておるわけでございます。ただ不動産、たとえば史跡等に指定されましたところの不動産等につきましては、その効用価値等が非常に減ずる、あるいは現状変更が禁止されるというようなことがございますので、そういうものについてはやはり一つの検討課題ではないだろうかと考えておるわけでございます。 それから第三点の、国や地方公共団体の国立、公立の美術館等に対して美術品を有償で譲渡した場合について、この所得税の減免というような問題につきましては、これはわれわれの文化庁の立場からいたしますれば、そういうものが免税されてそれだけ安く、しかも容易に取得できるということは望ましいわけでございますけれども、また別個な観点からすれば、それは買い上げ費を増加すればいいのだというようなこともまた言い得るわけでありますので、この点についてはなお検討の余地はあろうかと思いますけれども、非常にむずかしいところがあるのではないだろうかと思います。 それから、不動産等で史跡に指定されましたものにつきまして、これを国が買い上げる、こういうような場合につきましては、今年度から三百万円までは免税するというような措置ができたわけでございまして、これについてはさらにその額を上げるようにお願いをしたいものだ、かように考えておるわけでございます。 それから、いずれ大臣からお答えがあろうかと思いますが、鎌倉の史跡の全体的な保護につきましては、文化庁といたしましては、あそこにありますところのいろいろな、まだ未指定の文化財もございますので、こういうものの指定を促進すると同時に、これは古都保存法との関係もございまして、これらのものを保護保存することにつきましては、相互によく連絡をとりまして、できるだけ鎌倉の史跡的なものを保存するように努力をしていきたい、かように考えておるわけでございます。
○石田(幸)委員 大臣の答弁の前にお伺いしますけれども、どうもいまの文化庁のお話は大蔵当局の答弁みたいに聞こえるわけです。美術工芸品は市場価値があるから相続税は無理だと言いますけれども、いま私が質問している趣旨は、こういうものが、相続税を取られるということから、だんだん倉庫や何かの中に埋没してしまう危険性があるから、個人から個人に売買する場合はやむを得ないかもしれないけれども、一般公開の意味からいっても、相続税というものはもう一ぺん考えるべきじゃないかと思う。 さらにまた、美術館の買い上げ等については、買い上げ費をふやせばいいというような考え方ではこの問題は片づかぬ。というのは、売るほうは三百万で売れれば三百万円まるまるもらいたいのが人情、あるいはそれを四百万にしたところで、やはり税金を取られるということについては、これは大いなる不満を持つわけであります。そういうところからいまそういう美術館やなんかの買い上げがスムーズにいっておらぬのじゃないですか。そういう立場でものを言われるのじゃだめだ。やはり国民の財産をそういう美術館等に保存をしていくんだという立場からこれは論議を起こしていかなければ、私は文化庁の立場としてはおかしいのじゃないかと思うのです。これは御要望でございますので、一つの議論ですから、結論は出ないでございましょうからお答えは要りませんけれども、もう一ぺんその問題について何かの機会に議論をしたいと思いますので、要望だけは聞いておいていただきたい、こう思います。
○坂田国務大臣 文化財保護につきましては、重要な日本民族の残しましたものでございますから、これは国民が大切にしていくということは言うまでもないことでございます。でございますけれども、従来、ともいたしますると、文化行政に対して政府はあまり十分ではなかったということの指摘があったわけでございますが、われわれもいろいろ努力をしてまいりましたけれども、なかなか御期待に沿い得ない点は率直に認めなければならないと思います。 しかし、そういうようなことの批判も考えまして、実はこの執行能力あるいは効果的なやり方等を考えまして、文化庁というものを新たに設置をいたし、ことにその長官には文化人であります今長官を迎えて、そして一つの文化財行政、文化財保護並びに芸術その他幾多の現代から未来に向かっていく創造的な制作につきましても、ほんとうに力をいたしたいという考え方でこの任に当たっていただいておるわけでございます。 〔高見委員長代理退席、委員長着席〕 しかしながら、全般といたしましては、先ほど次長も申しますように、やはり予算の点につきましても十分ではございませんので、この点につきましてはやはり皆さま方の御協力を得まして増額もしてまいりたい。 また、ただいまお話のございました美術品というものを所有しておりまする所有者の立場というものも一面に考えながら、同時にその美術品というものがたくさんの美術愛好家に公開をされるということもやはり非常に必要なことでございますので、その点につきましては十分御意見を拝聴しながら、誤りなきを期したいというふうに考えておる次第でございます。
○石田(幸)委員 終わります。 ————◇—————
○大坪委員長 著作権法案及び著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案を一括して議題とし、審査を進めます。 質疑の通告がありますので、これを許します。山中吾郎君。
○山中(吾)委員 この著作権法案を一べつさせていただいたのですが、長い間御検討願ったことにまず敬意を表したいのでありますけれども、そのわりあいに著作権保護法としての本質的な性格に乱れが少なくないと考えられます。文章の表現もあいまいで幾ら読んでもわからないところがある。ずいぶん迷いのある法案ではないかと思いましたが、あと小委員会をおつくりになって吟味をされるということが運営のほうで内定されておるようでありますので、その機会にいろいろとお聞きすることにいたしますが、この法案を小委員会で審議する基本的な態度といいますか、そういうものを確認をしておきたいと思いますので、時間をかけずに簡明にお聞きいたしますから、そして次の審議の参考にしたいと思いますから、そのおつもりで御答弁願いたいと思います。 私、この著作権法を読ませていただいて第一に感じたことは、現行憲法の感覚に欠けておるのではないか。それから現代の国際水準になかなか及ばない点がまだ残されておる。第三に企業の力に動かされておる向きがあるように見える。それから知能的生産物でありますが、その人格権的な性格と同時に社会的な共有関係の点について、これも明確に法律の中に出ていない。そういうことを感じますので、その点を含んでお聞きしたいと思います。 まずそういうことを感ずるのでありますけれども、それは具体的に、これは有島委員からも御質問のあったのを私も聞いておったのでありますが、そういう乱れが根本の基本になるこの目的の第一条、この第一条の規定に二つほど乱れがあるので、また各内容についてどうも納得しないものが出ておるように思いますが、その第一は、有島委員が御質問になった点と同じであります。「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」ということですが、これは第三次案にはないようですね。それとこれとの関係をどういう配慮で、どういう審議の過程でこのようにあいまいなる表現が生まれてきておるのか、説明をお聞きしたいと思うのです。
○安達政府委員 この第一条の目的の点につきまして、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」ということでございますが、これは先般も申し上げましたが、この法律の考え方が、まず第一段は著作者等の権利の保護にある。同時に、それらの保護にあたっては文化的所産の利用、この利用と申しますのは一般国民が利用することでございますが、そういうものが利用されるということにも配慮をしなければならないのではないか、その場合の利用は公正でなければならない。著作権を侵してまでこれを利用するようなことがあってはならない。したがって、それは公正なものでなければならない。こういうような考え方で、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」という字句になったわけでありますが、この四十一年に公表いたしました法律草案では「公共の利益との調和を考慮して、」というような字句を入れておったわけでございますが、「公共の利益との調和」というと非常にばくたることになるから、むしろ著作権法といたしましては、文化的所産の利用という、その利用が公正でなければならぬということをより明らかにしたほうが、この法律の趣旨が明確になるであろう、こういう趣旨から「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」という字句を入れたわけでございます。
○山中(吾)委員 公正という表現は中身のないことばですからね。いかなる内容でも入ってくる。現実の実態からいいますと、著作権の買い手は企業会社である。企業というものは、文化の普及というものよりも、利潤追求の本能を持っておる。それが媒介をしてそして一般の民衆が利用する立場に立つ。したがいまして、著作権というものを保護し、保護を通じて文化的に寄与するならば、著作権者を、そういう大企業に対して著作権を保護することに徹することによって、そうして国民に利用せしめるというのでなければ、著作権保護法なんというのは成り立たないと思うのですよ。いまあなたの説明では、大衆が利用者といったら、その中に買い手が入っている。著作権の権利者という売り手があって、買い手があって、それが出版会社であり、映画会社であり、その買手は今度は利潤追求の立場で文化財とか知能生産物を一般民衆になるたけ利用を多くしようとするときに、文化の寄与が第一の目的ではない。これは当然企業の性格なんだから、利潤追求というものを第一の目的で行なうのであるから、それを阻止していくということが文化の寄与でなければならない。そこで、これを見ると、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」と入ってしまったために、民衆と著作権者の中間にある利潤追求を本能とする企業のことを考慮することになってしまった。そうでありませんか。確実に聞いておきます。そうでなければないと言ってください。
○安達政府委員 ここに公正と言っておりますことは、エキタブルといいますか、著作権との(山中(吾)委員「結論だけでけっこうです。あとで小委員会で加えますから。」と呼ぶ)結論としては、企業の利益のために公正な利用を入れたのではございません。学校教育の利用とか、そういう場合にも必ずその著作権料といいますか補償金を払うというようなことによって利用をはかる、こういう意味でございます。
○山中(吾)委員 お聞きしておきます。 それから、目的規定のいろいろの法案の中に、第一条の目的規定には、何々をはかり、もって何々をする、こういう表現のしかたというのが例外なくあるんですが、「留意しつつ、」というのはどこを調べてもない。このあいまいな——第一条の目的の基本規定に何々を留意しつつという表現はどこを見ても見当たらないのですが、これは皆さんで発明されたと思うのです。そこで私も、どうせ意味がわからなくなってしまっているのですがね。どこかにありますか。そういう法令が。
○安達政府委員 他の法律で、第一条で「留意しつつ、」という立法例があるかどうかはちょっと私も存じません。
○山中(吾)委員 だれが発明したんですか。
○安達政府委員 この法案の趣旨、目的からして「留意しつつ、」というのが最もいいのではないか。つまり、保護をはかることが中心であって、こういうことにも留意をするというのが最もこの場合の適切なる表現である、こういうことでございます。
○山中(吾)委員 私が調べた限りについてはないのに、だれか頭のいい人がデリケートに考えたと思うのです。これで次に移りたいと思うのですが、この文章を見ますと、「この法律は、著作物並びに実演、レコード及び放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、」そこのところを削って、「著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」というふうにすると、すっきり頭に入って何も支障がないのです。読むほうからいいますと、「文化の発展に寄与する」と書いてあるから、これが入って留意すると入ってしまったもんですから、読む者をして非常に迷わしめておる。その点についてあなたのところで他意がないというお答えでありますから、それが小委員会の審議に乱れが出るか出ないか確かめることにして次に移りたいと思いますが、お答えになることがあればあとで答えてください。 次に、「著作者等の権利」と、「等」ということばが入っている。これも私わからない。「等」というのはどういう意味なのか。
○安達政府委員 この「著作者等」と申しますのは、そのすぐ前のところに、「著作者の権利」と、それから「これに隣接する権利」とございますので、これに隣接する権利といたしましては、出版権、著作隣接権がございます。ですから著作者、出版権者、それから著作隣接権者というのを簡単にするために「等」というのを使ったわけでございます。
○山中(吾)委員 そうすると、隣接権者というものを入れるために「等」とした。ほかはありませんね。——いいですね。 そこで憲法——著作権法でありますから、国際的性格を持っておるので、国際条約のレベルを前提として審議をされる第一の柱であると思いますが、国内的にこれを規定するときに、どういう国際レベルにおいて日本の国の著作権法を定めるかというときに、一番重要な資料はやはり憲法だと思うのです。私は憲法そのものを見たときに、十三条に「すべて國民は、個人として尊重される。」という人格を尊重する規定というものがまず日本の憲法の明文に書いてあるので、著作権の人格的側面というものを重視をするということが、こういう法案の審議のときにわれわれは関心を必ず持たなければならないと私は考える。それから二十一条の表現の自由、これも重要な柱として、この法案を定めるときに絶えず考えて、この法案ができ上がらなければならない、こういうふうに私は思うのですが、そういうことを十分に頭に置いてこの法案ができておりますか。
○安達政府委員 いま御指摘の点が、この法案作成の上で一番——一番と申しますか、非常に重視をした点でございます。
○山中(吾)委員 その点が、読んでみますとどうもちぐはぐに感ずるところがあるのでお聞きしておきたいと思いますが、著作権について人格権と財産権を、この法案は一元論の立場なのか、二元論の立場なのか、あるいは第三の学説というのですか、御思想をおとりになっておるのか、それはどちらですか。
○安達政府委員 この法案におきましては、著作者人格権というものを新しく私権として設定をし、その内容といたしまして、公表権、氏名表示権、同一性保持権というようなものを確立したわけでございます。それでこの法案のとっておりますのは、言うならば二元説と申しますか、著作者の権利は財産権としての著作権と、それから人格的利益を守る著作者人格権、この二つの権利が与えられる。そしてその両者の間で、たとえば著作権は死後五十年まで継続する。それから人格権はその本人に、人間についたものであるから著作者の生存中に限るものである。ただし、死後においても死後の人格的利益を保護する、こういう形をとっておるわけでございます。
○山中(吾)委員 明快な御答弁だと思いますが、そうすると精神的創造物としてこの法律による著作権として確認した場合は、その保護期間は一貫しておりますか。
○安達政府委員 先ほど申し上げましたように、いわゆる財産権としての著作権は、原則的には生存間と死後五十年である。それに対して著作者人格権というものは著作者の生存中である。ただし、死んだ後においてもその著作物を変えることは原則としては許されない。それから、それをだれが保護するかという、人格的利益を保護するために二親等以内の親族がこの保護に当たる、こういうことをきめておるわけでございます。
○山中(吾)委員 その答弁は非常に明確だと思うのです。現実のこの法案との関係でお聞きしておるわけですが、公表後とか、いろいろ違った基準が入っているのですね。それは一貫していないではないかということをお聞きしているので、著作物というものが財産権としても、人格権の延長線である財産権ですから、そういう意味において、憲法の人格規定第十三条に明示しておる。これは成文憲法にある思想からいっても、日本の国内法の著作権法は、特にそういう人格的側面を尊重しなければならぬという思想が背景になければならぬ。たとえば写真著作物については例外的なそういう乱れがあるのでありますが、この点はちょっと私はうなずけないのです。これはどういうわけですか。
○安達政府委員 財産権としての著作権の保護期間につきましては、これは各国ともそれぞれの著作物に応じて違いのあるところでございまして、たとえば団体名義の著作物あるいは映画、写真等につきましては、多くの国におきまして、これらの著作権の保護期間はいわゆる個人のものとは別個にしておるという例が多々ございます。したがいまして、そういうことをすることが個人の尊重の精神に違反するものではないということでございまして、個人の尊重の精神は、著作権の保護期間を延長し、同時にその人格権を確立するということにおいてわれわれは期待をいたしておるところでございます。
○山中(吾)委員 最初、生前、生きておる間においては人格権を尊重する立場において考え、死後においては財産権として保護ということを明確に答弁されたのです。それで明確な答弁として私はお聞きしたのですが、写真著作物については公表後ということになっているでしょう。そこに乱れがあるのではないか。 そこで、もちろん国際関係においては文化的に進んだ国、進んでいない国がある。日本は世界文化水準のすでにトップレベルにあると私は見ておるわけです。そうして国内法を設定するときに、国際条約水準を考慮しながら日本の憲法の思想に基づいて初めて日本の国情に合う国内法としての著作権法ができるのであって、そのときに、いわゆるこの憲法の思想からいったときに、保護期間を設定するときには、生前は人格権を守ることを重点に置き、死後においては残る財産権を守るということでなぜ一貫できないか、こういうことなんです。法人の場合はわかっておる。法人の場合は、そういう意味において、理論構成の場合に、法人が著作権を持つということは私は理解ができないのです。しかし、それでも法律的にこれはまた法人が法人実在説と擬制論と、税金のことになってくるとどうも論議があるようですが、それを小委員会で論議をお聞きしたいと思いますけれども、いま私のお聞きしているのは個人の場合だけですよ。あなたは法人の話をしているから、これは答弁をずらしているのです。死後の場合はよくわかるのです。これは一番最初に著作権制度審議会を設定するときに、すでに現行法が死後三十年であったために、たとえば宮澤賢治であるとかあるいは芥川龍之介とか、ああいう人々、大体日本の小説家というのは早く小説をつくってすぐ自殺をするから、三十年では、未亡人はもう五、六十で食えなくなってしまっておる。だから遺族の方も含み、日本の場合、この著作権法を設定する場合においては慎重に救済をしていくべきであるというので、最初三十三年、三十五年、三十七年、たしか二回の審議は延びるだけにしてきたので、一番最初そういうヒューマニズムから、審議が結論出るまでに、もうその年に期限の切れる未亡人で路頭に迷う人があるということで、そうして三十三年の議員立法、私が出したはずです。その当時の委員長の櫻内委員長がそれを取り上げて、委員長提案でこれはできたはずなのです。そういうことはよく頭に入っておるのです。生前に、その著作物の中であるものは死後を基準にし、あるものは公表を基準にするというと、あなたの答弁の論理が乱れてくる。だから死後に五十年のものあるいは七十年のものにするとかあるいは三十年のものにするというならば、その国の経済、国際情勢あるいはいろいろの関係から出てくるかもしれない。しかし死後を基準としないで、あなたの論理からいったならば、個人の場合に公表後とか何後ということは出てこないのではないか、そういう乱れがこの法案にあるので、この点についても考え直すべき点があるのではないか、これをお聞きしているのです。
○安達政府委員 三十七年の著作権の暫定延長のときには、実は写真だけは延ばされなかったわけでございます。そのほかのものは三年延びたわけでございますが、写真だけは延びていないわけでございまして、実はそのときにもすでに写真については別個にすべきだというお考えがあったかと私ども伺っておるわけであります。それは別個といたしまして、現在の写真の保護期間が発行後十年である。これをどうするかにつきましては、個人の権利の伸長のためにこれを五十年にするということでございますから、非常に大幅な延長になるわけでございます。その意味におきまして、私は、この法案は個人の尊重の意味において大幅な措置をしておるということが言い得るのではないだろうかと思うのでございます。 考え方として、写真というものの著作者とそのほかの著作者を区別することについての御指摘でございますけれども、著作権の保護期間を考える場合は、別にその五十年というものが理論的に根拠づけられるわけではなくて、社会的、歴史的に定まっておるわけでございまして、これをどのようにするかはそういう歴史的、社会的に見て、この十年を——現行は十二年でございますが、それを五十年にすることがまず第一段としては適切ではないだろうか、こういうことでございまして、特に写真の人を従来に比べて著しく不利益に扱うのではなくて、非常に利益的に扱っておる、こういうことを御了承願いたいと思います。
○山中(吾)委員 私の質問の答弁にはならないのです。まず写真というものを思想的、情緒的な創造物として確認する限りにおいては、文学作品と写真作品とは少しも変わりはない。ことに写真というそのものが発達をして、現在写真というのは全部その人の意思というものが入る著作物として十全の存在になっておる、写真機ができた当時からして。さらに私は、この問題を差別してはならないと思うのは、機械と人間の問題なんです。ああいう機械があるから、機械によって人間が支配される。ここに現在の人間疎外だ何だという論が出ておるのであるが、やはり人間は機械の主人公なんです。こういう著作物と人間の間に一つの文明機械が介在したために、機械が写すのだから写す人間を軽視するとか、著作物を軽視するという思想は取り去らなければならぬ。小説というものと人間の間には機械がないから、これは創造物である、写真創作物は、人間とその作物の中に機械があるから、これは軽いのだ、もしそういう先入主があるならとるべきだ。こういう機会に、世紀の法案をつくるのでありますから、いままでは十何年であったから五十年はあまり保護し過ぎるとか、そんな便宜主義な考えは捨てて審議をすべきであると思うので申し上げておるのであって、あなたの私に対する答弁は、いま小委員会ではないので、基本的な考えを聞いておるのだが、ずれておる。それでは、まずそれでよろしい。大臣は一時にどこかに行くという約束があるので、私はできるだけ短く質問しようとして最大の努力を払っているのですよ。 それで大臣にこれから根本問題でお聞きしておきたいのですが、著作権という問題については、これは個人の人格に関係する問題であるので、できる限り権力あるいは政府の力は入らない、民間が自主的に民主的にこの問題を取り扱っていくのが最も理想である、こういうように私は本質的に考えておるのです。ところが、この裁定の条章のところになってまいりますと、文化庁長官のおせっかいという感じのするものが相当ある。それに開運して特に私は遺憾に思うのは、行政簡素化とか整理の中で文化財保護委員会というものが強化される方向に私は期待をいたしまして見ておったのでありますが、文化庁という文部省の外局的部局というのですか、そうになってしまった。文化財行政というものは政党政治の中に入るものでなくて、中立的性格を持つべきであるというので、国会の議員立法で文化財保護委員会法ができて、そうしてあそこに合議制の行政機関として文化財保護委員会ができた。それで政党の領袖の一人なる文部大臣と、自主的独立性を持つ委員会ができて、戦後の日本の文化行政の新しい行き方をあそこで示した重要なものであったと思うのです。それを今度は文化庁という名前において文化局に毛のはえた庁ということにして、そこのもとに今度はこの著作権法ができて、文化庁長官の裁定が非常に多く入ってきた。そうでなくて、文部省にあるところの芸術行政その他が文化財保護委員会に移って、文化財保護委員会のほうにおいて、独立的な行政機関的性格を持っておるもので、そして著作権に対する最小限の必要な裁定権その他を持つならば、わかるのである。ところが、そうでなくて文部大臣のかさのもとに濃厚に入ってくる行政機構をつくっておいて、そしてそれが今度は著作物保護に関する規定に多く入り込んでおる。そこに非常に私は抵抗を感ずるのですが、その点について坂田文部大臣にお聞きしておきたいのです。これは予算委員会において私が佐藤総理大臣に質問した中で、総裁になる前に、日本では文化省を設置するということを、あの人は公約に発表されたことがある。総理大臣になってもそれは忘れていないのか、忘れていません。結局現在の教育行政というものは、どうしてもイデオロギー的論争の中で権力的になるので、文化行政というものを重視すると同時に、別な行政庁という思想もあり、文化財保護委員会をそっちの方向に発展をさせる方向の思想というものを発表しておった。今度は入ってきてしまった。そしてその入った文化庁において非常におせっかいの権限が入っておるように思うのですが、この点は私は矛盾を感ずるのです。そうなればそうなるだけ、この裁定権というものについては自制をすべき思想が必要であると思うのですが、そうではない。この点は文化財保護法を執行する行政機構の根本の問題になってくるのですが、文部大臣の御意向を聞いておきたいと思うのです。
○坂田国務大臣 ちょっと次長から前に…。
○安達政府委員 まず、文化庁長官の裁定というものの性格でございますが、これは事の善悪、たとえば放送を許すことがいいかどうかというようなことをやるのではなくて、その事実の有無を判断するにとどまっておるということを、ひとつ事務的でございますが、御了承願いたいと思うのです。
○山中(吾)委員 それなら次長に聞くが、文化庁と文化財保護委員会の行政組織法的性格の差異はどこにありますか。
○安達政府委員 文化財保護委員会も文化庁も、ともに文部省の外局でございます。このことは全く同様でございます。ただ違いますことは、長官という単独制の執行機関であるのが、従来の文化財保護委員会では、五人の合議制の委員会の執行機関であった。ただし、文化庁長官の単独な行政でございますけれども、そのもとに五人の文化財保護審議会というものがあって、その保護審議会にはかって文化財保護行政をやっていくということでございますから、大体において両者は同じであるということがいえるのではないかと思います。
○山中(吾)委員 その答弁はトリックがあるように思うのです。文化財保護委員会は、最初の出発の立法の精神からいって、公安委員会、文化財保護委員会と、戦後新しく、戦前の行政思想の中になかった合議制行政機関としての行政委員会として出て来たと私は記憶しておるのです。あなたは同じだというのだが、それはどうも私らの政治感覚からいうとごまかしがあって、これは官僚的答弁だ、何かご左かされているような気がする。確かに基本的精神が違う。それから、文化財保護委員会の場合は、保護委員はその文化財の専門家という民間の要素が入ってきておる。そしてそこで最後の決定をするから、権力が文化行政にあまり支配しない、そして民間の文化専門家の知恵が入って結論が出る、そういう精神もあった。今度はそうではなくて、今度の長官は文化界の出身であるけれども、一つの官僚としてその行政裁定権を行なうようなことになると、非常に実質は違いがあるから、あなたの答弁では引き下がるわけにはいかないのです。 そこで方向について大臣に聞きますが、ぐるぐる持ってくるのなら、文部大臣のほうがまだ権威があると私は思う。文化財保護委員会というものがあって、そちらにこの著作権法の執行その他を持っていくならば、これは非常に文化行政としてはふさわしい機構の方向なんです。一方に官僚的な性格を、文化庁という名前において文化財保護委員会から移してきて、そして今度は裁定するものが文部大臣でなくて文化庁長官になり、そして相当必要でないと思うような部面が入っておる、裁定について。そういうことを含んで矛盾を感じておるから、日本の文化行政機構というものの終着駅は一体どうあるべきかということを文部大臣から聞いておきたいと思います。いまは途中下車したり、途中的な姿ですから、日本の行政機構はどうあるべきか、終着駅だけ聞いておきます。
○坂田国務大臣 非常にむずかしい問題なんですが、しかし、山中さんのおっしゃる意味もわからぬわけではないと思います。戦前におきましては非常に権力的に文化行政をやるという考え方があった。その反省の上に立って、一般の人あるいは民間の人たちによってやるという形として文化財保護委員会も生まれ、またそれも会議制でやっているということ、それはやはりそれなりの意味があったと思います。しかし、日本の土壌にそういうやり方がはたしてなじむかどうかということになると、これは必ずしも非常にいい、それでうまくいっているともいえない部面も幾多出てきたということから考えまして、いま文化庁というふうにして、文化庁の長官には特に文化ということについて深い識見のある人を選んでやらせる。そういうことで、むしろ合議制よりもそのほうがうまく所期の目的を達成するに機能するのではなかろうか、こういうふうに考えまして、新たに文化庁というものをつくったわけでございまして、これの功罪はしばらくやってみないことには、直ちにいいとか悪いとかいえないと思いますけれども、しかし、私どもは、むしろそういう経験から、これをベターなものとしてただいまは考えておるというふうに御了解いただきたいというふうに思います。
○大坪委員長 関連して川村君。
○川村委員 先ほどの山中委員の質問に開運をして、大臣お立ちになるそうですから、ちょっと聞いておきたい。 この著作権法が昨年の第五十八通常国会に——去年の四月二日に閣議決定をされております。そしてついに提案されないでそのまま終わった。これは大臣、どうした理由でございましたか。これを明らかにしてもらいたいと思います。ちょうど閣議決定があってから、閣議決定をいたしました、そこで近々提案したいと思いますから、衆議院に先議していただけるか、参議院に先議していただけるかという相談がありました。ちょうどそのころは衆議院ではいわゆる教育三法というのが審議されることになっておりましたので、著作権の大改正法案を衆議院に先議されても、とても十分な審議日数がないであろう、むしろ参議院で先に審議していただいたほうがいいのではありませんか、議運等にもよく相談をいたしましたら、じゃあそうしようということで、参議院先議にしていただきたいということをいっておったら、いつまでたっても提案にならない。どこかへ姿が消えてしまった。政府は、閣議決定をしたということを非常に重要視して、事によっては動かしちゃならぬぞとまでおっしゃるのですが、その閣議決定されたものがついに提案に至らずになったという理由は、どういう理由でございましたか。これをお聞かせをいただきたいと思います。あと次長にちょっとまた関連してお尋ねする関係もございます。
○坂田国務大臣 私、あるいは間違っておるとすればあとで訂正をいたしたいと思いますが、私の記憶では、政府としては、やはり提出をしたいということで閣議決定をいたしたわけでございますが、しかし、法案を取り扱いまするのは国会でございますから、国会の御都合によってそういうことになったんではなかろうかというふうにいわざるを得ないわけでございます。私のほうで閣議決定をいたしましても、われわれのほうで、ああせい、こうせい、それは衆議院に出すべきである、いや参議院に出すべきである、そういうことはわれわれのほうでは実はあまり言えない。むしろ、これは川村先生のほうが私より詳しいんで、議院運営委員会や各党の国会対策委員会等においても、議会の進め方、どういうふうにやるかということはそちらでお考えいただくというので、その結果、そういうようになったのではないかというふうに思っております。
○川村委員 大臣は当時大臣であられませんでしたから、いろいろお聞きするのはあれですけれども、そうでなくて、推測するところ、閣議決定された案が天下に明らかになった。それまで相当内密にしてあった。そこで関係者の間からいろいろ問題が出てきたというようないきさつが実はその根底のようであります。大臣、どうぞお立ちください。 そこで引き続いて文化庁次長のほうにお尋ねをいたしますけれども、去年閣議決定をされた著作権法案と、いまお出しになっておる著作権法案とは、相当修正というか改訂がなされておる。いまここで初めからずっと、この長い条文をどこをどう変えた、どこをどう変えたということを一々言ってくださいというのは無理でしょう。そこで私も、一応今度の法案と対比してみました。ところが、まだ私自身として不明確なところがある。著作権法の四次案とか三次案とかいっている昨年閣議決定をされた案とこの案との違い、改訂をされたのはどこどこかということを、これは小委員会でいいですから一覧的にお出しいただきたい。それは、その変わってきた今度の法案と変わってきたところの考え方、そう改正された理由、そういうものをお聞きしなければならぬと思うからであります。 そこで次長のほうで、いま私がお尋ねしたこと、その資料もお願いするわけですが、何か違っておるところの重要なポイントがありましたら、ここでいま答弁をいただいておきたいと思います。
○安達政府委員 昨年の著作権法案とただいま御審議を願っております法案との違いは、技術的な点もいろいろございますけれども、大きい点といたしましては二つでございます。一つは、映画の著作権の帰属につきまして、昨年の案におきましては、契約で別段の定めがない限り、映画の著作権は映画製作者に帰属するというのであったのでございますが、その別段の定めがない限りを削除したということが第一点であります。第二といたしましては、レコード等の録音物による演奏につきまして、経過措置は昨年のにはなかったわけでございますが、ただいま御審議をいただいておる法案の附則の十四条によりまして、録音物による演奏についての経過措置を設けた。この点が大きい点でございます。
○川村委員 そこで、先ほど大臣の答弁がありましたけれども、そういうような手直しが必要になってきたから、閣議決定をしたけれども国会に提案に至らなかった、こう解釈しておいて差しつかえございませんね。
○安達政府委員 その二つの点は国会に提案にならなかった以後において検討された結果でございまして、国会に提案にならなかった理由は、先ほど大臣からお答えがございましたように、議院運営委員会の御判断によったものと考えておるわけでございます。
○山中(吾)委員 私、ちょっとだけお聞きします。 著作権者の中に、端的に原著作者、著作権者を含めて、映画会社、出版事業会社、これは含むか含まないか。
○安達政府委員 映画の製作者は、映画ができ上がった場合において著作権が帰属するわけでございます。したがいまして、著作者ではないけれども著作権者たる地位を持つということでございます。 それから出版者につきましては、著作権を譲渡された場合と、それからこの法律によって出版権を設定された場合におきまして著作権の一部である有形複製権の権利を持つということでございます。だから出版権者は、譲り受けた場合以外は一般的には著作権者ではないということがいえると思います。
○山中(吾)委員 帰属ということばがわからない。端的に映画会社、出版事業会社は著作権者でないかあるか、あるいは著作権者と会社の間のいろいろな契約とか——自己契約その他のことは知らないですよ。理論構成としてはないのではないのですか。具体的なことはまた小委員会でお聞きしますが、基本的理論としては、著作権者はその著作物に創造的に参加した人でしょう。だから映画会社、出版会社は著作権者でない。帰属とかいって、庶民には帰属という変なことばはわからないですよ。これは法律用語としては初めて見たのですが、ちょっとわからないのですがね。もっと明確に理論的に言ってください。それで終わります。
○安達政府委員 まず、著作者と著作権者は違うわけでございます。著作者は、著作したことによって原則的に著作権と著作人格権を持つわけでございますけれども、著作権は譲渡できるわけです。相続できるわけでございますから、これは転々いたすわけでございます。映画製作者の場合について見ますと、映画製作者は著作者ではない。けれども映画の成立に非常に大きな寄与をしておるということからして、映画ができ上がったとたんに映画の著作権が帰属するというわけでございます。でございますから、これは著作権者といって差しつかえないというわけでございます。
○山中(吾)委員 譲渡するという表現をしているんだから、著作権者は譲渡しなければ他に持っていかれないのでしょう。理論構成を聞いておるのですよ。そうでないと、各条文について論議をするときに乱れると思うので、帰属というのも、だから実際に著作創作物に参加する者は著作者であり、本来著作権というものはその人に帰属するはずであるけれども、譲渡行為があり、あるいは長い慣行の中にいろいろあるか知らないけれども、理論構成としては、利益を追求するためにその著作物を——これは買い手でしょうからね。私の頭の中では、理論的にいえば売り手と買い手の関係のような気がするのです。利益のためにそれを利用する人が、そういう立場において著作権者という概念の中にはうり込んでしまえばあらゆるものが乱れてくる。そのあとで実定法の論議はすべきだと思うのでありますから、あなたのおっしゃる譲渡ということばを使うのは理論としておかしいはずなんです。出版会社が著作権者だというふうなこともいえるような言い方はおかしくなるでしょう。それだけ明確にしておいてもらいたいと思う。
○安達政府委員 映画製作者は、映画の製作に対して発意と責任を有するものであると法律で規定しておるわけでございます。したがいまして、映画の著作という著作行為自体ではないけれども、映画という著作物ができる上において、単にそれを買ったとかそういう買い手というものではなくて、映画の製作自体に参画するものであるというところが、ほかの場合とは非常に違うということをひとつ御了承願いたいと思います。 それから第二に、それならば一体、映画製作者はどのような関係において著作権を取得するかということの考え方でございますが、これはいわゆる理論的にいえば、映画の著作権は著作者である監督等が持つわけでございますが、できたとたんに、これは映画製作者に譲渡されるものと法律上は定めたということでございます。言うなれば、法定譲渡という言い方も可能かと思います。ただし、ここでは、法定譲渡という考え方と同様でございますけれども、帰属すると言ったのは、でき上がったとたんに、いかなる行為をも要せずして、法律上著作権は映画製作者に帰属する、こういう考え方の上に立っておるわけでございます。
○山中(吾)委員 その思想は断じて認めるわけにはいかない。法定譲渡なんて、そんな権限がその中に入ってくることは、許すわけにはいかないと思うのです。法定譲渡とみなす。これはその人の思想とか情操の一つの発現、精神的な一つの所為として、それを明確にわれわれが確立したあとで、やはり著作権法の構成をすべきであって、だれが権威的にそういう思想を確定したか知らぬが、私は認めるわけにいかない。小委員会において論戦をするつもりで、明確にしておきます。 これは文明の発達の中でわれわれの人格的な自覚も高まり、そうしてその人々のつくられた知能的、精神的産物というものを、一方で個人として尊厳されるという憲法規定まで出ておる思想の中で、この著作者を保護するという第一の柱があって、そして今度は資本主義社会であるので、企業として利潤を追求する立場から著作権を利用し、それが強いものと弱いものの間に、そういう知能的なものを産出した人を保護するという立場からどう規定するか。そして一般民衆はなるだけ安くこれを活用できるかというふうなことも含んで、複雑な構成になると思うのです。企業そのものに法律的に譲渡という理論をはさんで、実質上著作権者というふうな保護位置を与えるということは、私は間違いであると思うので、あなたの思想を認めるわけにいかない。これは法律の背景になる思想でありましょうから、それは小委員会で論議をしたいと思います。小委員会を設定されることになっておるそうでありますから、矛盾を感じてお聞きしたいことはたくさんありますけれども、詳しいことは譲りたいと思います。もちろん、著作権に関するいろいろの研究その他が少ないので、読めば読むほどわかりにくいところも非常にたくさんあるようでありますし、私自身ももっと勉強しなければならぬと思いますけれども、その点、当局のほうにおいても謙虚にこの問題を取り扱ってもらって、また、一般大衆の批判にさらしながら慎重にやるべきだと思います。 以上を申し上げまして、私の質問は終わります。
○大坪委員長 次回は明後二十七日金曜日、午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後一時二十九分散会