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61回国会衆議院1969/06/11

文教委員会 第22号

発言数
99
登壇者
10
会派数
3
開催日
1969/06/11

会議録

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 これより会議を開きます。  この際、参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  著作権法案及び著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案の両案について、本日午後二時より、著作権制度審議会会長中川善之助君、東海大学教授法貴次郎君、著作権制度審議会委員野村義男君、以上三名の方々を参考人としてその意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。      ――――◇―――――

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 著作権法案及び著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案を一括して議題とし、その審査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。帆足計君。

帆足計日本社会党

○帆足委員 このたびの著作権法の改正は、多岐にわたっておりまして、また画期的なものであります。その上、時代の変遷が速くて、そして今日の実情に沿うように、また利害関係者並びに問題関係者相互の間に、たとえば映画一つを例にいたしましても、製作会社、監督、俳優、それから撮影、その他舞台装置等々、たくさんの要素からできております。それらの方々の努力、その人権、その創意と魅力、それから財産権等を互いに勘案して、正当に保障しながら、均衡と論理と、すなわち情理兼ね備わるような形にせねばならぬとするならば、どの分野におきましても慎重な検討と冷静かつ公平な考慮が必要とされるのでございます。したがいまして、この問題を国会の文教委員会において審議いたしますにつきましても、それぞれの専門家の皆さま並びにこの専門の問題について御研究あり御造詣ある同僚議員諸君の意見もよく承りたいと思うのでございます。私どもがこういう気持ちでおりますので、ある意味におきましては、この問題は党派を越えて、共同でともどもに考える問題が非常に多かろうと思います。とかく党派性の過大であるわが国の伝統のもとにおきましても、なおかつそのように考えられるのでございますから、これを行政官庁の官僚諸君だけで最終的におきめになるようなことのないことを切望いたしまして、委員会は、特に立法府は行政官庁の飾りものではございません。したがいまして、この委員会における審議が単にことばのやりとりだけに終わらずに、そのうち十分なる論理もあり根拠もある問題につきましては、特に文部大臣において御考慮を賜わる必要な点はその御考慮に入れていただきたいと思うのでございます。  とかく法案が出ますると、これはわが国の弊風でございますが、議員立法の数が比較的少なく、そして議員立法は超党派的なものが多く、そして国民の心にかなうものが多いのでございますけれども、政府がお出しになると党派色があまりにも強過ぎる弊風がありはしないかと私はかねて思っております。かりに野党の数にいたしましても、与党と野党の差は六十票くらいの差でございまして、あと三十票野党連合がとりますれば主客転倒の立場に立つやもはかり知れるのでございます。大学問題一つとりましても、かりに封建時代に大学があったといたしまして、そして日本におきますれば天皇制をもってすべてを律する――封建時代でなくして明治時代、天皇制が絶対である。美濃部達吉博士のような中庸的リベラリストまでが法難のうき目を見ねばならぬ、こういう時代もありました。封建時代であるならば、林子平がテームズ川の水は日本橋に通ずると書いただけで、彼は閉門を仰せつけられました。高野長英、渡辺華山は、シーボルト博士にたまたま蘭学を学び、洋学を学んだだけでついに二人とも自殺に追い込まれました。それは明治維新を隔たるわずか二十五年前のことでございます。  だとするならば、いまから著作権の問題に入るのですけれども、しかし、まずその論理の方法として申し上げたいのですが、大学問題一つとらえましても、私は坂田文部大臣の御苦労のほどをよく察知しておりまして、前にはよく私どもと、安田講堂に旗が立っていたころは懇談会をしてくださいましたが、安田講堂が陥落いたしますと、どうも野党との連絡が急激に悪くなってまいりまして、特に、ときとしては、無頼漢のような印象を与える発言をされる、いわゆる猛烈な発言をされる公安委員会の委員長が、まるでその前日まではナメクジに塩がかかったのではあるまいかと心配しておりましたのが、あの日から急に元気になり、灘尾先生といわれる前の文部大臣は、教育学についてはほとんど何の御造詣もない方と、かねて尊敬いたしておりましたが、そのことを率直にこの文教委員会において、予算分科会においても述べられましたから、率直な方であるということだけに私は敬意を持っておりまして、ペスタロッチとはどういう方であるかと一言聞きましたところが、そういう方はよく知らないということでありまして、まことに愛らしい純真な方であると思いました。しかし、ジャン・ジャック・ルソーもベスタロッチもコメニウスも知らない文部大臣とはまことに愛らしい文部大臣であります。しかし、日教組が必ずしもその方を相手にせず、また相手にされないことをそれほど苦にもしてなかったということも、これまた歴史の一こまであろうかなどと思いながら、しかし坂田さんになりますと、たいへんものわかりがよいので、一般的に坂田さんはハト派であろうかタカ派であろうかなどという議論が出ておりまして、人からそのように言われることは、すなわちその思索が深いためであろうと考えまして、敬意を表する次第であります。  しかし、本日出席いたさねばならぬ文化庁の長官が、美術館の開会式のためですからやむを得ませんけれども、御出席になりましたら申し上げますが、大臣がおられますから一百申し上げておきますが、東京新聞でございましたか、きのうの夕刊を拝見いたしますと、大学騒動を起こすようなものは直ちにひっくくってしまえばいい、こっぱみじんにやっつけろ、こう書いてある。これでは、かねて「文藝春秋」などで軽い読みものとして私は敬愛し愛好しておりましたこの自由主義的な作家も、案外兄貴の血筋を引いておるのではあるまいか、これは自由人として書くならば御自由であるけれども、文化庁長官として、一行政官としてそのような書き方をして、はたしてこれが適切なものであろうか。私はこれこそこっぱみじんにやっつけなければ、学生諸君の神経をなだめるためにもこれはよくあるまいと思いまして、実は御出席を待っておりまして、まずその問題を片づけてからでなければどうも気が進まぬ、健康上もよろしくない。そういうことをがまんしておりますとやがてガンになるおそれもある。植物性神経を悪く刺激すると万病のもとということでございますから大臣から御注意を願います。個人としては敬愛すべき愛らしき作家でありますけれども、それなら行政官にならねばよい。なった以上は、自分は行政官であり、いまや官僚の一人であるぞ、公務員であるぞという自覚を持たれることが、そして公務員としての発言をなさることが重要であって、もし、一文化庁長官によってこっぱみじんにされるほど問題が簡単であるならば、大学法について各界がこれほど心を痛めて慎重審議をする必要は何もないはずであります。「一網打尽」と書いてある。全部逮捕すればいい。私は問題はそれほど簡単ではなかろうと思う。この方は歴史というものを知らないお方ではあるまいか。したがいまして、文化庁長官に、中世の大学の発達の歴史のみならず、日本においては徳川時代の大学はどういう過程を経たか、奈良朝時代の大学はどういう悩みを持っていたか、もう少し側面から御勉強なさるように大臣から教えさとされんことを切望いたしまして、もの言わぬは腹ふくるるわざでございますから、これで健康を回復いたしまして本論に入る次第でございます。  一言大臣から御所見のほどでもお聞かせいただければ一そう有益でございます。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 今長官が何とおっしゃったか、実は私新聞も読んでおりませんし、つまびらかにいたしておりませんので、何とも申しようがないわけでございます。とにかく文化庁の長官でございますから、それにふさわしい言動があるということは望ましいことであるというふうに思うわけでございます。   〔「総理大臣のようなことを言うては困る」と呼ぶ者あり〕

帆足計日本社会党

○帆足委員 良識ある大臣のおことばを伺いまして多少気分がよくなりましたが、ただいま総理大臣のようなことを言うちゃ困る、全くそのとおりでございますが、総理大臣のまねをしたならば志大なるをほめてもよろしいですが、国家公安委員長のようなまね――文化庁長官が国家公安委員長に早がわりされたのではちょっと私どもも戸惑う次第でございまして、元来警察関係と文化の関係というものは、また、科学と常識の世界というものは、どちらかといえば宿命的に摩擦を生じやすい、これは当然のことでございます。公安委員長から気に入られるような文化なんというものは私は世間でも珍しいことであろうと思います。昨日国立西洋美術館に御案内にあずかりまして心から感謝しておりますが、その節ロダンの「青春」並びに「接吻」という彫刻をもう一ぺんゆっくり見ました。しかし、あれはかつての日本の警視庁のもと並びに文部大臣のもとでは公開をはばかられたいざこざのあった彫刻でございます。政府というものは、権力というものはときとしてはかくほどまでに低いものでございますから、文化庁長官にもついでにそのこともお伝え下さいますように。すなわち「朝に思い夕べに思うべし」とは島崎藤村が好んだ芭蕉のことばでございますが、少し文化庁長官は頭にきておられるようでございますから……(「みんなきちゃっている」と呼ぶ者あり)みんなきたら困るのでありまして、せめて文化庁長官くらいは頭にこないようにと申し上げまして、同僚諸君の御迷惑になっては恐縮でございますから、本論に入る次第でございます。  人生は短く会期は長し、諸兄の寛大な精神によりまして、法案は慎重に審議せよ、そして和気あいあいのうちに情理兼ね備わる法案を仕立て上げよ、こういうおぼしめしと思いますので、著作権法の一部に入るわけでございます。  まず最初に、私は写真の問題に入り、第二は、私の副業の一つでありますが、レコードの仕事を青年時代からしておりますので、レコードのことについて申し上げたいと思います。  写真の問題につきましては、御承知のように日本はまずレンズにおいてもカメラにおいても世界一流の国でありまして、ドイツと肩を並べる国になっておりますことは各位の御承知のとおりでございます。同時にまた、撮影のほうも非常に優秀でありまして、その感覚が芸術的であり繊細であるために、日本の写真は国際写真芸術祭におきましても常に称賛の的になっておることも御承知のとおりでございます。写真と連関のある映画につきましては、私自身が映画の監督をいたしまして幾つかの作品もつくっておりまして、五年前にはチェコスロバキアのカルロビバリ国際映画芸術祭で優秀賞をいただきました。レコードにおきましても、昨年と一昨年は文部大臣賞をいただきまして、政治家として身に余る光栄に思っている次第でございます。  写真に関する限りは、日本、フランス、アメリカ、それぞれ三大一流国といわれております。したがいまして、写真の場合、他の芸術作品の場合にも同じような問題がございますけれども、やはり写真工業及び写真技術における後進国の数も非常に多いのでございまして、特に写真につきましては近年急速に発達し、また、いま非常な発達をしつつある過渡期でございます。おそらく一年が十年、百年の速さで発達しつつあることは皆さま御承知のとおりでございます。したがいまして、このたびの著作権法におきまして、写真に対する政府当局の配慮がよほど時世に適するようになりつつあるということはだれしも認めるところでごございますけれども、なおかつ私は、写真芸術というものに対する認識においてまだ旧時代の認識が残っておることを残念に思うものでございます。  写真といえば、乃木将軍とステッセル将軍がナツメの木の下で互いに握手をかわしたころに比べますと、いまは隔世の感があるのであります。私は、うちの四男坊に多少芸術的素質がありまして、盛んに絵かきになりたいと申しますから、それはやめなさい、それはもうよほどの才能がなければだめだ、普通の才能で、ただ絵がじょうずで、クラスで一番だったぐらいのことで絵かきを志すなどということはもってのほかであると申しまして説得いたしました。それで建築を志しまして、いまでは建築界で働いて喜んでおりますが、へぼな絵かきは優秀な芸術写真に及ばざること遠し。もちろん、絵かきさんは絵かきさんとしての創意と魅力、他に比ぶべくもないほどのものを――きょうも美術館でまた開幕式が行なわれますが、しかし最近の映画を見ましても芸術写真を見ましても、そのあるものはもはやすぐれた絵画と舷舷相摩す、肩を並べ得るところまで成長しつつあるのでございまして、ものによっては、特に映画の中のある一こまなどには絵画も及ぶまいとピカソですら慨嘆したほどの作品が幾つもあるのでございます。したがいまして、写真を芸術と見ないということはもう古いということをひとつ銘記していただきたいと思うのでございます。  そこで、この問題を論じますためには、どの芸術作品もそれぞれ連関する範囲がございますから、まずお伺いしますが、これは先日有島委員からもお尋ねになったことですけれども、著作権法改正の目的と、著作権法で保護しようとする対象を当局はどこに焦点をしぼっておられるか、これをもう一度明確にしていただきたい。そこにすべての問題を解くかぎがあるのでありますから、著作権法は何を対象にしてどこに焦点を合わして改正をなさろうとしておられるのか。このたびの著作権法改正の方法論と申しますか哲学についてまずお伺いしたいと思います。そのために文化庁長官に来ていただきたかったのでございますけれども、後ほど文化庁長官に答弁していただくことにいたしまして、次長にお答えをいただきたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 新しい著作権法で保護しようといたしておりますのは、著作物、実演、レコード及び放送、そういうものに関する著作者の権利あるいはこれに隣接する権利というものでございます。その著作物というのは、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するところの思想または感情の創作的表現である。こういう創作的な表現というものを促進するために、これらの著作物を創作した者に、財産権としての著作権あるいは著作物の関係において存する人格的利益というものを著作者人格権という形で保護する。それによりまして、これらの創作的な活動を経済的な面等から保護し、それによってこれらの創作を奨励し文化の発展に寄与する、こういうことがこの法案の第一義的な目的になるわけでございます。そういう著作物、著作者の権利を保護するという場合におきましても、それらの著作物を同時に利用しやすくする、それらが一般大衆に容易に利用できるようにするということも勘案しつつ、これらの著作物あるいはこれらの著作物の創作者の権利を保護する、こういうのがこの法案の中心的な考え方でございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 中学校、高等学校における卒業試験に十字軍の原因は幾つあるかということが出ましたときに、十字軍の原因を十書いたのは百点になって、七つ書いたのは七十点だ、こういうばかな点のつけ方をしている学校がありますけれども、ただいまの御答弁を伺いますと、すべて並列的に、ちょうど十字軍の原因のようにずっと並んでおりますが、私はどこに焦点を合わせるか。焦点というのは、写真で申しますとピントをどこに合わせるかということでございます。ピントをどこに合わせるかということをお尋ねしたのであります。ただいまのお答えはあまりにも平面的で、かつ、あまりにも唯物的だと思うのであります。私どもは、弁証法的唯物論者と申しましょうか、人間的人世観を持っておるので、すなわち社会主義者でありますけれども、同時にヒューマニストでございます。その芸術に接する態度というものは、私はそうあらねばならねとかねて思っております。  先日、アルゼンチン大使の河崎大使が日本に関する本を書きまして、おろかな外務官僚のいるるところとならずにアルゼンチン大使の待命を仰せつかったということを聞いて、私は驚いてその書物を読みましたが、何のことはない。あれは大体永井荷風のような立場の、ちょっとすねたところがある方ですけれども、急進、ラジカルデモクラットでありまして、当時の「ふらんす物語」「あめりか物語」の今日の日本版と考えれば非常におもしろい本でございます。もし外務省の首脳部が「ふらんす物語」でも読んでいたならば、河崎大使の書物を読んで、これは荷風の影響を受けているたいへんおもしろい諷刺に富んだ大使であるから、適所適材に置けば使いものになるぞといって総理に報告し、それで事が済む書物であろうと思うのであります。文部大臣もこれはぜひ参考にお読みくださるように。多少の欠点はありますけれども、なかなかすぐれた本です。  それにこういうことが書いてあります。日本人というものはおおむね仏教徒である。しかし、古代仏教のように仏教哲学をやっているわけではない。仏教についてはほとんど無知である。西洋人以上に知らない。しかしそのお経を読む音楽に傾倒しているわけでもなく、セミの鳴くような声を聞きながら、お寺とはお葬式屋さんの一種だと思っている。しかし、祖先崇拝のアミニズムがありますから敬虔な気持ちでお葬式に参加しておるけれども、腹の底ではおおむね無神論者である。そのくせに神さまも同じく尊敬し、八幡さまも尊敬し、ついでにお稲荷さまにも敬意を表することを絶対に忘れない。今日、人生に対して敬度な気持ちで日曜ごとに礼拝に通っておるのは、もうクリスチャンぐらいのものであろうか。そうすれば、今日の科学と哲学の段階では人間にはどうしても宗教を求める心がある。庶民において、貧しい者においては一そうそうである。これにこたえるためにいろいろな新興宗教ができておるけれども、なかんずくその中で形の整い、そして多くの人を引きつけておる魅力のある宗教は公明党であります。これが政治に進出してまいっておる。その前途はだれにもわからないけれども、庶民の心をりっぱに引きつけておるということは注目すべきことである。こう書いてあります。私は公明党に対して詳しく存じませんけれども、同僚議員諸君の挙措態度から見まして、敬意を表しておる者の一人でございますけれども、とにかく河崎大使は一アルゼンチンの大使というなかで、その大使がそれくらい鋭い文明批評をしております。いま次長の御答弁を伺いますと、全く河崎大使に書かしたらもっとおもしろく書くであろう。すなわち無神論者というか、あまりにも唯物論的なお答えである。私は著作権の保護というものは、やはり作品をつくった人の創意、魅力、努力、責任、人格を守り、それを守るために物質の裏づけをするということに重点があって、そしてそれに関連する直接間接の関連者のまた努力と創意と協力とその財産権を守るということでなくてはならないのであって、焦点をどこに合わせるかといえば、お金の問題じゃなくて、やはり著作者の人格、人権を守るということ、法の精神のピントを合わせる場所は著作者でなくてはならぬと思いますが、次長のお考えはいかがでしょう。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 先ほども申し上げましたように、著作物に関する著作者の権利、それからそれを伝達する実演、レコード、放送、そういうものに関する権利を擁護することがこの法律の直接の目的でございます。それによって著作者、創作者の創作意欲を促進して文化の発展に寄与する、こういうことでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 重ねてお尋ねしますが、必ずしも物質の分量でなくて精神のピント、著作権を守るという精神のピントはどこにあるか。たとえば風景もありますし、こちらには松林もありますし、人物もおりますし、どこに当局はピントを合わしてなさろうとしておるかということをお尋ねしたわけです。ピントはどこに合わしてお考えですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 著作者の権利という場合には、財産権としての著作権ももちろんございますが、同時に著作者の人格権というもの、この両者を保護するということでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 その精神においてはどちらが重要ですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この法律はいうならば外面的な形において、つまり法律という形で取り扱うものは直接その創作活動自体ではないわけでありまして、そういう活動が経済的に保障される、同時に、それによって生じたところの人格的利益が守られるという、その根底の、その基礎の問題でござ  います。したがいまして、人格権ももちろん大事でございますし、同時に財産権も大事である。私は、両方ともがこの著作者の創造意欲を高めて文化の普及に役立つものだと考えております。

帆足計日本社会党

○帆足委員 ピントをお尋ねしているわけでありまして、画面は全体が写りますし、それから場所はピント以外の画面のほうにもつと多くの経費がかかる場合もありますから、その著作をつくったその創意、くふう、魅力、人格、能力、それが発祥の地でないでしょうか。次長にもう一ぺん……。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 現行の著作権法におきましては、経済的な利用権としての著作権を権利として保護しておりますが、人格的利益については、こういう著作物を改ざん変更してはならないという程度の、公法上というか、それに近いような形での保護しか与えていないのでございますが、この法案では、著作者の人格的利益を著作者人格権というような形で強く打ち出していく、こういうことで著作者人格権に特に重点を置いた形でこの著作権法案が構成されておりますけれども、しかしながら、それだけでこの著作権法案はできているわけではない。やはり経済的なものと精神的なものと両者が保護されて初めて著作者の権利が守られ、著作者の創作意欲が報いられる、かように考えておるわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 最後の御答弁で私は大体了解いたしました。最切の御答弁では、次長は商工省の役人でなかろうかと思ったのでございまして、商工省にお帰りのほうがよかろうと思ったのでありますが、最後の御答弁をもって正式の御答弁と了解してよろしゅうございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 けっこうでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 やや焦点は合いましたようでございますから、論旨を進めるといたします。  写真につきましては、先ほどすでに申し上げましたように、最近急激な発達をいたしておりますから、当局におきましても多少戸惑う問題が多いこともよく了解できます。しかし、日本が写真工業における世界第一流の国、そしてフランス、アメリカと並んで写真技術においても三大国の一つであるということ、これはあらかた私は常識的に肯定し得ると思います。すなわち、写真におきまして先進国最高のものの一つである、こういう認識を次長は肯定いたしますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 私は通産省の役人でございませんから、写真工業についてドイツと日本が特にすぐれていることは一応常識としては知っておるわけでございますが、写真の技術と申しますか、写真芸術というものの面におきまして、日本が非常に進んでおるということは承知いたしておりますけれども、そのほかの国でアメリカとフランスとおあげになりましたけれども、そのほかドイツなり北欧の諸国その他すぐれた写真芸術家もあるわけでございます。その意味において、私は、日本がすぐれておる、そしてまたそのほかの国も大いにすぐれている国が多い、こういうふうに了解をいたしておるわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 おおむね私も一般的規定には同感でありますが、さて、そのような目で今日の日本の写真を見、そして写真工業並びに写真の芸術並びに技術の発展をいよいよ願うものでありますが、これに端的に責任を負う人たちは写真師の諸君であります。第一に、これはたびたび写真技術者協会から陳情したことでもう十分御承知でございましょうが、写真の著作権の有効期間を死後五十年間とせずに公表後五十年間としておる。私はいろいろ考えてみましたけれども、やはりこれには多少無理があると思います。と申しますのは、公表後と申しますと、第一に、いつ公表したかということを当人でもつけておくのは容易なことではございません。それから雑誌社等においてもこれを記録しておくことは容易なことではありません。また、他の芸術作品におきまして、著作権保護はこのたび改正されまして死後五十年としたのでございますから、写真だけをわざわざ公表後五十年とする必要はないのではないか。公表後とすると、非常に混乱して実行もむずかしいではないかという意見は妥当でございますから、私は、今日の段階の写真芸術及び写真技術の水準におきましては、死後五十年とすることがやはり適当であろうと思いますが、当局におきましては再検討のお気持ちは全然ないものかどうか。こいねがわくは再検討していただくことを聡明な次長にひとつお願いしたいのでございます。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 写真の保護期間についていろいろな御見解があることは前からわれわれも承知しておるところでございますが、この御審議いただいておりますところの著作権法案で写真の保護期間を公表後五十年としたその経緯を一応御説明さしていただきたいと思います。  まず第一は、現行法との関連でございます。現行法は発行後十二年というふうになっておるわけでございまして、十年が原則でございましたが、暫定的に二年間延びているというのが現行法の規定でございます。法律をつくります場合に、保護期間というものを、絶対的に何年がよいというような理論的なものというよりは、一種の従来からの経緯、それからまた国際的な動向、そういうものを勘案して全体的、総合的に考えなければならないということからいいますと、まず第一に、現行法が発行後十二年である。それがいきなり死後五十年というようなことは、あまりにも大きな開きを生ずるということがまず第一点でございます。それから国際的に見ましても、国際的な保護期間は、写真につきましては各国によっていろいろな相違がございます。お手元にお配りしておりますところの資料によってもごらんいただけますように、制作時なり発行時、公表時を起算点とするものが相当数ございます。そうしてまた、もちろん著作者の死亡時を起算点とするものもございますけれども、条約上からいいますると、現行入っておりますところのベルヌ条約等におきまして、ローマ改正条約なりブラッセル改正条約におきましては、同盟国の国内法によって適宜定めてよろしい。ブラッセル条約では、一般の著作物については死後五十年以上というのが義務になっておるわけでございますが、写真については同盟国できめてよろしいということになっておるわけでございます。一昨年のストックホルムの改正会議におきまして成立いたしましたストックホルム改正条約におきましても、写真については、同盟国の国内法の定めるところによるけれども、制作後二十五年より短くてはならないということて、制作時を起算点とし、それが二十五年より短くてはならない、二十五年を最低限とするというような規定もあるわけでございまするし、また、万国著作権条約におきましては、発行または制作後十年より短くてはならないというふうに、国際条約等におきましても、この写真と一般著作物との間には区別を設けておるわけでございます。区別を設けることの是非は別といたしまして、この著作権の保護期間を考える場合には、従来との関連、国際的な情勢、そういうものを総合的に勘案することが適切である、おそらくはそういう考え方で、著作権制度審議会の答申によりましても、公表後五十年ということになっておるわけでございます。したがいまして、この法案におきましても、この写真の保護期間について以上のような規定を定めておるわけでございます。もちろん、この国会の審議の過程においていろいろな御意見を総合的にお考えいただくことは、国会の立法機関としての性格上当然なこととは存じますけれども、この原案におけるところの、著作権法案におけるところの写真の保護期間をなぜ公表後五十年にしたかということを十分御了解いただきたいと思います。

帆足計日本社会党

○帆足委員 ただいま原案作成中の過程における経過やいろいろの御考慮、御苦心のほどはよくわかりました。しかし、ただいま伺いましたように、ベルヌ条約につきましては、その期限については各国にある範囲まかされておりますし、アメリカ、フランスにおいては五十年という期間にもなっておりますし、それからわが国におきましても、このたびの改正でおおむね五十年ということになっておりますから、私は、死後五十年が適当であろう。と申しますのは、その論拠のほかに、さらに公表後五十年というと、無名、変名による著作に適用しておる場合と同じようなことになりますし、公表の日というものは、正確な記録を得るということはよほど困難でございます。実務的にも非常に困難な仕事でございます。実務的に困難なことはつけ加えといたしましても、死後五十年にして何も悪い理由はない、そのほうがはっきりしてよろしい、こう思うのでございますから、重ねて御検討、御考慮のほど願います。また、この法案は非常に複雑でございまして、審議の気持ちも、超党派的に、われわれは公明党の御意見も伺い、民社党、共産党の御意見も少し伺っております。また、与党自民党の有力な御意見も今後とも引き続き伺いたいと思っておりますから、多少の点が、一致した修正意見も出ようと思いますから、ひとつ次長におかれましては、この公表のときというようなむずかしい、ほとんど記録不可能なことに固執なさらないように切にお願いする次第でございます。  第二にお願いいたしたいことは、この著作物をみだりに改ざんしてはならないということ、これは私は非常に大切なことだと思います。北原白秋の詩集にありましたが、童謡詩ですが、ことばをいかに大切にせねばならぬかということばの例といたしまして、フローレンスのあるかじ屋が、ダンテの詩の一節でしたか、うろ覚えにしてその詩をうたいながらトンチンカンチンやっていたそうです。それをダンテが聞いてたいへんおこって、その詩はぼくのつくった詩ではない、正確に読んでもらわないと困る。それを子供らしく、とんちんかんのから覚えと最後の一節があったのを覚えておりますが、とんちんかんのから覚えでということは、少なくとも詩は一句といえどみだりに動かすべきものではない、他人の著作は一句といえど動かすべきでない、これが原則であります。したがって、時代のかなづかいとかその他によって変えねばならぬことは、そのときのその時代の良識から見てよほど肯定すべき理由がある場合に限る、こうされねばならぬと思います。したがいまして、第二十条二項の一にありますこの点は、用語、用字の変更などをすることに限定いたしまして、それから写真そのものをいじることは――説明をいじることは何でございますけれども、写真そのものをいじるというようなことはないことを希望いたします。  また、著作上の意図に反せざること、これは四十三条に関連しまして写真著作者同盟が要求していることですが、私はこれは考慮に入れて差しつかえないことであろうと思うのでございます。  それから同じこの問題は私も失敗したことがあるのでございますが、あるポスターにたいへんきれいな写真がありましたので私はカットに使いました。後にはがきで警告が参りまして、あわてて使いをやりまして謝罪いたしまして必要な著作料を払ったのでございますけれども、つい写真というと使ってもいいじゃないかという気になりまして、これはいいポスターだからこの一部を小さく縮小して、そうしてカットに使いました。抗議を申し込まれましたあとで陳謝して支払いをいたしましたけれども、でき得べくんば掲載する以前に通知してその許諾を得るということを原則にしたらどうであろうか、こう思うのでございます。  それから複製の問題も、これは業界から陳情いたしておりますが、未公表の著作物をも例外的には無断で複製することができる。たとえば警視庁などが証拠物件にするといって、たとえば裸体画の写真などを複製するというようなことがあるとすれば、私はそれは個人の尊厳をおかすものであって、しばらく押収せねばならぬとするならば、期限をきめてそれを押収するか、または複製しておかなければやがて散逸したり、その大切な実物が悪くなったりするおそれがあるからというときは、許可を得てのみそれができるということで、無断で複製することはできない、こういうことにいたしたらばどうかと思うのでございます。  その他二、三ございますけれども、こういうこまかな各条になりますと、私どもしろうとでございますから、むしろ御専門の次長さんのほうがよく御承知ですから、問題点がありましたら御説明を願いたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 一般に他人の著作物を使用する場合には、当然その著作者の許諾を得なければならないという原則でございます。いまお述べになりましたこと、よくわからなかったところもございますが、御指摘になりました四十二条の「裁判手続等における複製」におきまして、「著作物は、裁判手続のために必要と認められる場合及び立法又は行政の目的のために内部資料として必要と認められる場合には、その必要と認められる限度において、複製することができる。」、この場合の著作物について公表、未公表という限定をしていない。したがって、未公表のものでも、四十二条においては、こういう条件を満たす場合には複製することができるということの御指摘の問題だろうかと思うわけでございます。これについては、もちろんこういう規定上、未公表のものもできるわけでございますが、これをいわゆる外部等に公表するというような場合には、当然著作者人格権がなお生きておるわけでございますので、その意味での制限は当然あるわけでございますから、そういう未公表のものを内部資料として内部においての必要の範囲内において複製する限り、特に未公表著作物の公表権の問題にはかかわりない問題。それを外部等に公表する場合には、当然そこに公表権の問題が生じてきて、その場合の著作者の人格権であるところの公表権は生きておる。こういうことでございますので、特に支障は生じないのではないかと考えておるわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 警察その他行政権で複製する権利を持たせるということは過剰な権利であって、それを証拠物件として置いておく必要があるならば、保管の方法を考えて置いておく。そしてそうされることを一これは芸術品であるから、汚染のおそれがあって困るというならば、当事者に相談して了解を得て複製すればよいのであって、それを無理に複製するという権利は警察といえど私は持つべきでないと思うのでございますが、いかがでございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 現行法の三十条の九号で、「専ラ官庁ノ用ニ供スル為複製スルコト」は著作権の侵害とならないというような規定もあるわけでございまして、その規定を、この四十二条におきましてはさらに厳密に規定をいたしまして、「内部資料として必要と認められる場合」とし、そして「その必要と認められる限度において、複製することができる。」というように限定いたしまするし、また、ただし書きをつけまして、「当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」というようにいたしまして、この裁判手続等のために著作物が利用される場合において、これが不公正にならないように配慮をいたしておるわけでございます。  なお、著作者人格権との関係につきましては第五十条の規定を置きまして、「この款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない。」というわけでございますので、未公表のものを公表するような状況になる場合におきましては、著作者人格権の侵害の問題が生じてくるというわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 そういたしますと、ただいまの警察の問題は、「ただし、」とありますが、「ただし、複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」、解釈となると、これは警察がかってに解釈するおそれがあるのでありまして、しかも「不当に害することとなる場合」というのはだれがそれを認めるか。したがいまして、それに対して原作者が異議を申し立てるときは、その原作者と懇談して了解を得てでなければ困るということでなければ、「ただし、」以後のことばは、現在の警察権力をもってすれば、これは空論になるのではあるまいかと私は思います。と申しますのは、今日まだ軍国主義時代の余弊を受けまして、警察では拷問の行なわれていることが至るところにある状況であります。ばなはだしきに至っては検事が証拠物件を隠して、そして犯人を死刑にしててんとして恥じず、最高裁判所によってやっと釈放されたというような世にも不思議な物語の行なわれている国でございます。私は、このことにつきましてある老練な検事と話し合いましたけれども、中には職業意識で、無意識で公平と思ってそうやる場合もある。しかし、それを知っておって意識的に証拠物件を隠したという事例もあるのでありますから、それが処罰されないのはほんとうに同感である、おかしいということを言っておりました。まだそういう過渡期でございますから、このただし書きというものがはたして原作者に対してどれだけの権利保護になるか疑問であると思いますから、私は、それならば再検討なさって文章を書き改めて害のないような形にする必要があろうと思いますが、いかがでございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 四十二条で書いてございますのは、裁判手続のために必要と認められる場合のほかに、もちろん立法または行政の目的のため、たとえば立法府でいろいろな法案の審議その他のために内部資料として複製されるというような場合も考えられるわけでございまして、そういう場合も複製ができるようにしよう、こういうことでございます。そういうような場合に、その著作物の種類、用途、複製の部数、そういうものが部数等が非常に多くなった場合は当然著作権者に断わるべきであるということで、このただし書きは当然要ると思うのでございます。いま写真家のほうで特に問題にいたしておりますのは、公表された著作物に限って四十二条のような規定を置くべきである。だから四十二条の「著作物は、」というところを「公表された著作物は、」とすべきだ、こういう御意見のように伺っておるわけでございますが、その点からいいますならば、それは第五十条の規定によって著作者人格権には影響を及ぼさないからして公表云々の問題は生じない、かように考えておるわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 しかし、五十条には何と書いてありますか、私いまちょっと見落としましたが、警察または行政府が必要といたしますときには、そのもの自体を国家権力で押収することができますれば何でも押収することができるのですから、それを証拠物件にすればよいのであって、複製する必要がなかろうと私は思うのでございます。なぜ複製を認める必要があるのでしょうか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 あるものについて、内部資料として一部だけでなしに数部とって、これを十分検討したいというような場合が、立法、行政、司法、そういうところを通じてあるわけでございます。そういう場合においては著作権者の承諾を得ることなくやっていいということにしてもいいのではないか。現行法にもそういう規定があって、現行法上もそれで運用されておって、特にこれについて支障を生じたことはない。こういうことからすれば、こういう規定を置くことが裁判手続なり立法または行政の目的のために適切ではないか。これは一般的にいいますと、いわゆる私的使用、個人なり個人の家庭内において部数を複製するというような場合においては、この法律の三十条で私的使用のための複製として書いてございます。ところが、官公庁とかそういう場合に、それが私的使用というようなことでは、私的とはいいにくいようなところもございますので、そういう場合には内部資料として必要と認められる場合に、その必要と認められる限度において複製することができる道を開くことは著作権者の利益を害するものではない。ただし、それが不当に害するような場合にはいけない。こういうことにいたしたのでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 私は自由人権協会の専務理事をしている者の一人ですが、日本における人権侵害の事例というものは実におびただしいものでございまして、言語に絶するものでございます。この国におきまして、まだ人権ということばは国民に十分に消化されていないのでございます。民主政治になりまして、天皇が人間天皇になってわずか二十年でございますからやむを得ないことでございますが、そのような国であります。その上芸術品でございますから、たとえば「チャタレー夫人の恋人」一つを例にいたしましても、これは印刷物であります。おにいさまのことを言うてはぐあいが悪いのですが、今さんのおにいさんのお書きになる通俗ものはまことに猛烈でありまして、チャタレー夫人も腰を抜かすであろうと思うほどのものが出ておりますが、これは印刷物でありますから別でございます。しかし、これが映画になりましたものを私は見まして、涙を流してこの名画を見ました。私は映画を見て初めてこの原作者の心がわかりまして、そうして英国の保守社会の偽善というものがこういうものであったかと満腔の同情をチャタレー夫人に得せ、人間の心というものをもっと深く理解せねばならぬということを痛感いたしました。これは名画ですから、ぜひ文化庁において、リバイバルのときは御推薦くださいますよう、そしてそれによって司法省を少したしなめてやるように、もしチャタレー裁判をやるなら、今東光裁判でもおやりになったほうがもっと猛烈でやりがいがあって私はよかろうと思うのでございます。  話は余談になりましたけれども、芸術品の複製をいたしますときには、その明暗の度合い等によりまして受ける印象が非常に違いますから、これが複製だ、こんなものをつくっていた。発表してなかったけれども、他の芸術作品のほかにまだこういうものもつくっておったなんという例にでもされたら困りますし、一体何のために複製をするのか。一つあれば十分であって、警察権力といえども無断で複製する権利はないように私は思いますが、なぜ文化庁はそれにこだわりになるのか。御経歴は司法省に前につとめておられたかとまた言いたくなるような状況でございます。  ちょうど長官お出ましになりまして、おにいさまの悪口を言わなくて済みました。「チャタレー夫人の恋人」のことに触れましたものですから、おにいさまの御著作はチャタレー夫人が腰を抜かすほどのものもたくさんあるということをちょっと例をあげて申し上げまして、まことに失礼申し上げました。こういうことは御舎弟の陰で言うべきことでありまして、人の御親戚の面前で言うべきことではございません。しかし、お耳に入っても私はけっこうだと思うのですが、ちょっと猛烈過ぎるのがございまして、さぞかし御令弟も御迷惑なさっておることと思うのでございます。  たって無断複製を行政官庁がせねばならぬ、また司法当局がせねばならぬというのは、どういう理由でございましょうか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 この四十二条で主として考えられますのは、立法、司法、行政の目的のために、主としては普通の本というようなものの一部を複製して審議の資料にするというような場合が通例でございまして、写真等の場合、特にそれの芸術的な意味での複製とかいうものではございませんので、もっぱら内部資料として必要と認められる場合でございますので、写真等が使われる場合はごく少ない、まれであろうと思うのでございまして、二、三その内部の必要としてリコピーにとって複製するというようなことがその目的上必要と認められる場合で、その限度であるならば、これはあえて著作権者の許諾を得なければならないとする必要はないだろう、こういうことで写真だけを特に除外するということもございませんので、ここでは一般的に、主としては書籍等でございますけれども、そのほかのものもないとはいえないから「著作物」と一般的な表現をしておるにすぎない、こういうことでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 重ねて、申し上げましたように、日本の警察当局及び検事局当局は、あえて証拠物件を隠してまで人を死刑にする、そして職務に熱心のあまり無意識にやったことであるならば私は了とします。しかし意識的に、これは偽りということがわかっておって、証拠物件を隠しておって、そして人を死刑に処して、そしてあと処罰もされずに、これが司法権の独立といえるかどうか、私は疑問に思っておるのでございます。私自身が終戦のころ海軍と近かったがゆえに、いわれもなく、当時経団連の専務理事をしておりましたが、憲兵隊に一年間勾留されました。そして憲兵隊はうそが好きだから、何でもいいうその事件をつくれというので、ずいぶんくどく拷問を受けました。ちょうど三つばかり離れた部屋のかなたに、あの老宰相の吉田茂氏が中で泰然として四十日ばかり留置されておりましたのをいまも思い出します。戦後それが機縁となりまして国際連合の外郭機関である自由人権協会の専務理事になりまして、この国における人権の確立してないこと驚くべし。自由人権協会及び人権擁護局が出しております白書を読みますと、確かに目をおおうほどの人権侵害が行なわれておるのでありますから、それをいずれ次長にお届けいたします。したがいまして、私がかくも神経質に申しますのは、行政機関特に司法機関をまだ一〇〇%には信頼していないからでありまして、公然と一再います。検事局を私は五〇%信用しておりません。しかし、幸いにして裁判所はまだ健在でございます。これはわが国の国民のために慶賀すべきことでございまして、そしてまたリベートと贈賄の流行する世の中に、この国の行政官庁がアジア諸国に比べれば比較的清潔であることもともどもに慶賀すべきことであります。しかし、だんだんアジア諸国に近づいたということをアルゼンチン大使の河崎さんがまた詳しく書きました。あまり詳しく書いたので、ついに外務大臣また政府・与党のげきりんに触れたのじゃなかろうかと思いますが、その他の点は河崎さんの書いたことは筆足らずのことはありますけれども、現代版「ふらんす物語」であったと思います。とにかくそういう経験がありましたが、この点につきましては私もう一度、具体的弊害を人権協会の調書で調べまして重ねて質問申し上げますから、また御当局においても御研究のほどをお願いいたします。  時間があまり長くなりましたので先を急ぎますが、次は、このたびの著作権法の改正にあたりまして、とにかく創作者の創意、努力、才能、人格を尊重し、同時にそれと連関する諸要件を含めて人格的及び財産的保護にあたるという最後のお答えをいただきましたので、私もさように考えておりますが、現在国際条約に加入いたしておりますのは、何と何の条約に加入いたしておりますか。条約の名前だけをお示し願いたい。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ベルヌ条約と万国著作権条約と、この二つでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 ベルヌ条約ブラッセル規定のほかに、ローマ条約いわゆる隣接権条約に入ることにつきましては、ただいまどのように御研究中でございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 いま御指摘になりましたいわゆる隣接権条約、実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護に関する条約でございますが、この条約の現在の加盟国はまだ十カ国程度でございます。この条約はそういうことで国際的に広く通用している条約とまではまだいえない面が一つございます。ただ、その条約が実演家なりレコード製作者、放送事業者の保護に関する国際的なレベルというものを示しているというように考えられるわけでございます。したがいまして、わが国といたしましては、わが国におけるこれらのものの保護ということを国際的水準にまで高めるということをまず第一段といたしまして、この条約の示すところを大いに参考にして今度の著作権法の中にこれらのものの保護に関する規定を置いたわけでございますが、この条約自体は、なおまだ十カ国程度でございますので、まだこの条約にわが国が加入するまでの段階には来ていないというわけでございまして、諸外国の動向等を見た上でさらに検討を進めてまいりたい、かように考えておるわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 このローマ条約に関しましては、かりに条約上の最低限を二十年といたしまして、各国それぞれの国内事情によりまして、国内法でもってそれ以上の保護をすることは差しつかえないことに原案ではなっていると聞いておりますが、そのようですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 現在の隣接権条約におきましては、ただいま御指摘のとおり著作隣接権の保護期間につきましては二十年より短くてはならないということで最低限が二十年でございます。もちろんそれぞれの国においてこれよりこえる年限を定めることについては何ら条約上の支障はないわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 このような専門的な問題につきましては御当局のほうが詳しいのでございますからせっかく御研究願いますが、私はかつて経済界におりましたために国際収支等のことが始終念頭にあります。日本は島国でありまして、この島国の中に一億の国民が生きていかねばなりませんから、一番重要な問題は、インフレーションの関門として、国家財政よりも、当面の一時的需給の問題よりも国際収支、為替の問題が一番大きなショックを国民に与える問題であります。もちろん、文化財につきましての収支というものはごくわずかでございますから、ただ念頭に置くだけで現実の政策上それほど大きな問題にはなりません。しかし、わが国は先進国であると同時に後進国である。アジアの中のヨーロッパでございます。したがいまして、写真などにおきましては先進国でございますし、ことにカメラにおいては、これは著作権の問題でなくて、工業としては先進国で大輸出国でありますし、またテレビ・ステレオ等においても輸出国でありますけれども、音楽の分野につきましては――これは音楽の水準が低いというわけでは必ずしもありませんけれども、東洋における日本音楽というものの特殊性と、それからよくぞここまでこぎつけたと思いますほど日本にヨーロッパの音楽が理解され、また演奏されるようになってきましたけれども、まだ前途遼遠でございます。したがいまして、レコードの輸出入を考えますと、輸出は輸入総額の数%にすぎないというような状況でございますから、国際条約に入ります場合にはよほど緩急よろしきを得なければならない。御苦心のほどがあろうと思います。しかし、それらの前提条件となりますもの、そしてまたこのたびの著作権法改正の前提となりますもの、またその後に来たるべきものは、著作権というものの思想、それ自体の思想が、すなわち義務の観念も発達しておりませんが、権利の観念もまたこれに劣らず発達しておりません。また、権利のみ発達して義務の観念が欠除するという弊風が見られることも御承知のとおりでございます。したがいまして、政府は、今後著作権思想の啓蒙普及につきましてどのようにお考えでございましょうか。長官または次長にお尋ねいたしたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 著作権思想の普及につきましては、従来から大いに努力をいたしておるところでございますが、特にこの法案の新しい著作権制度の作業が始まりまして非常に急速に著作権に対する関心が深まってまいったのは御同慶の至りでございますが、なお今後これをするために各種のパンフレットを配布して、地方等におきまして著作権講習会というようなものを開きまして、機会ある限り著作権尊重の思想の普及に努力をいたしていきたい、かように考えておるところでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 次に、レコード及び音楽の問題について若干の御質問及び要望を申し上げたいのですが、すでに申し上げましたように、文学、音楽等の分野におきましては、ごく一部分進んでおりますけれども、一般的には、特に国際収支の面からいえば非常な後進国でありまして、支払い過多の国でございます。したがいまして、国際条約加入につきましては非常に困難な問題がありまして、緩急よろしきを得なければならない。これにはそのつど十分な御研究が必要であると思います。  レコードの権利につきましては、保護期間が大体二十年と聞いておりますが、私は、レコードの保護につきましては、作詞者、作曲家、演奏者、レコード会社、それぞれの権利の調整が必要であろうと思っております。それを前提といたしましてお尋ねいたしますが、二十年の権利では、戦前の歌曲はもとより、戦後の歌曲演奏者の権利は全部消滅してしまいます。たとえば戦前の有名な、大衆が好みました「東京音頭」とか「島の娘」とか――先日私はポルカを旅行しまして、ポルカの船の中で、アストラハンの近所で「酒は涙か溜息か」を偶然聞きまして、まあ単なる俗曲と思っておりましたけれども、ボルガの船の上でキャビアを食べながら、またウオッカをなめながら「酒は涙か溜息か」も悪くはないなあと思った次第でございます。しかし、これも全部権利が消滅してしまうということを聞いて驚きまして、実は藤原義江氏の若いころの作品――私は、今日のレコード会社及び映画会社は、みずから卑しめて人これを卑しむ、全くそのような風潮があることを残念に思います。映画、歌曲並びにテレビ、ラジオについては、大体テレビ、ラジオを郵政省などが、技術を監督しておるならいいけれども、そのプログラムの監督権まで郵政省などという事務官僚が握っているというのはもうばかげたことであって、なぜこれを早く文部省の手に取らぬか。しかし、文部省というのも、昔の「国体の本義」を思うと頭の改造ができているかできてないか。それならばせめて文化庁あたりにでも見てもらわなければどうもならぬと思っております。先日、だれでしたか、すぐれた女流評論家がこう書いているのを見ました。私はその嘆きをある座談会で嘆きまして――私は三年前まではテレビを置かなかったのです。子供の勉強の差しさわりにもなるし、自分の勉強にも差しさわりになるのでテレビを置かなかった。三年前に置きましたところが、つい引っぱり込まれて、やはり西部劇が好きなものですからつい見る。ゲーリー・クーパーが出るともうがまんできなくなる。そうすると、ゲーリー・クーパーだけならいいけれども、その次のをまた見る。そうするとお手伝いさんがやってきて、だんなさま、もう一つ見ましょう。お手伝いさんの文化指導によりまして私も庶民的になりまして、つい見る。結局、約三年間もう読書から遠ざかりまして、その知性の低くなったこと、もし私のうちにテレビを置かなかったならば、いまごろ文化庁長官とこっぴどく文芸批評をやるのですけれども、何しろ私テレビ水準に下がったものですからほんとうに残念です。それで、これもいずれ席を改めまして文化庁にひとつ御活躍していただかなくては、芸術というものは強制して権力によってよくなるものでないことは、ソビエトの芸術が必ずしもその後いいものが出ておりません。一番おくれているのは詩人が出ていないことです。私は、詩をもってその国の民族の心の水準をはかれということを言っておりますが、 エフトシェンコなどが出ましても、彼がフランスに旅行して、ヴェルレーヌの「ちまたに雨の降るごとく」を読んで涙を流した。帰ってフルシチョフにしかられたということですけれども、フランスでちまたに雨が降れば、それは涙流るるわが心ということになるでしょうが、しかし、すぐれた作家といえばショーロホフとシーモノフくらいのものでございまして、エフトシェンコとなるとちょっと残念ながら一流とは言いがたいと思うのであります。したがいまして、ソビエトの例を見ましても、それから最近「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」など来ましたけれども、人工衛星を見るようなものでありまして、偉大な技術の発展を見る、しかし芸術としてはそれほど高い水準でありません。ロサンゼルスの「戦争と平和」もモスクワの「戦争と平和」も、モスクワのほうが本場だから舞台が美しいというだけで、その思想の深さにおいてはあまり変わりがないではないかと非常に残念に思っております。結局、これは哲学の貧困ということにある。レーニンには哲学というものがあったけれども、スターリンには哲学がなかった。彼は歌がうまかったそうです。私はゴリの町の彼のうちまで行って、何事でも確かめねば承知しない性分でございますから、スターリンが赤ちゃんのときに湯あみした皮袋のにおいをかいでみました。そしてそのとき、私はソビエトだよりにこう書きました。一世を動かし、ヒトラーを退治し、ムッソリーニに打ち勝ち、ファシズムを倒した英雄スターリンも、結局は哲学の貧困のために「資本論」をマスターした成吉思汗にすぎなかったのか、こういうことを書きました。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 帆足君に申し上げますが、本日は午前中にあなたのほかに山中君に質問をしてもらうということに理事会の申し合わせができております。お含みくだすって質問の本論にお入りを願います。

帆足計日本社会党

○帆足委員 山中君にも了解を得てありますが、つい長官の御出席がおくれましたために、長官のお顔を見まして初めてのお近づきでありますから、ちょっと所感の一端を述べましてまことに失礼いたしました。とにかく文化庁ができましたことを私は心から祝福し、また今長官のような愛される文化人が御就任なさったことを祝賀するものでございます。  先ほどちょっと委員長に御了解得ましたが、今日の大学の騒動を起こすような連中はひっくくってしまえというような書き方はちょっと猛烈過ぎたように感じますので、これはまた大学法の審議のときに質問しますが、やはり徳川時代の大学、奈良朝時代の大学、それから今長官の一番きらいな明治の官僚的官僚を生んだ大学から起こった事件でもありますから、これはもう少し長官と話し合わねばということを痛感いたしましたことだけを申し上げておきます。  話が横道にそれましたから、委員長の仰せに従いまして直ちに本論に入ります。  これで演奏ができなくなるのが「酒は涙か溜息か」だけならよろしいのですが、日本における民謡の最高峰は山田耕作、北原白秋、藤原義江、私はこの三者のコンビが日本における最高であったと思います。この時代を何とかして復活する方法はないものかと思っております。「からたちの花」はそば屋の小僧さんにも愛されました。「城ケ島の雨」は焼鳥屋の小娘にも理解することができました。そうしてこれは最高のものであり、庶民的なものでありました。歌謡曲というもの、またフォークソングというものはそういうものでなくてはならぬ。今日の演歌調のあれがガンの原因になるのではあるまいかと思うくらい、すべてあれも公害の一種かと思って聞いておりますが、その藤原義江氏の若いころの傑作もレコード会社で権利がなくなってしまう。自殺してなくなった関屋敏子さんの歌に幾つか優秀なものがありまして、まだ発掘をされておりません。そういうものも消えるのかと思うと非常に残念でございます。したがいまして、レコード製作者の権利も五十年にしていただいて、そうしてレコード製作者と演奏者、または作詩者、作曲者との関係は互いに調整をさせるということにしたらどうかと思っております。しろうと考えでございますから深いことを申し上げることはできませんが、御検討願いたいと思いまして、次長の御答弁をお願いします。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 現在録音物は著作権として保護されておるわけでございます。その保護期間は、大体においてレコード会社等でございますが、その場合は製作後三十年ということになっておるわけでございます。これを今度の改正で二十年ということにしておるわけでございます。これは先般申し上げましたが、先ほど御引用になりました隣接権条約で最低二十年ということになっております。現在は、その隣接権条約は、まだ世界の十カ国程度しか入っていないから、現在の段階では入る必要はないけれども、いずれまた入る時期もくるであろう。その場合に、その国際的基準よりさらにこれを高くしていくということについてはどうであろうか。こういうことが一つと、それからもう一つは、権利の内容につきまして、現行法ではいわゆる有形的な複製権しか認めていないわけでございまして、放送等に使う場合においては、出所を明示すれば自由に使ってよろしい、レコード製作者の権利は、そういう点ではないわけでございますが、今度はそういう権利もふやす、そういう意味においては権利の内容もふえるというようなことから、一応二十年というようになったわけでございます。ただ、著作権の存続期間とレコード会社の場合と若干違いますのは、たとえば東海林太郎さんが昔吹き込んだレコードを複製するということについては、今後二十年というものが出てくるわけでございますけれども、もう一度、たとえば東海林太郎さんが歌い直せば、そこでまた新しくレコード製作者の権利が出てくる。著作物でございますと、それとは違うわけでございますが、レコードの場合は、新しく吹き込めば、それによって新しい固定が行なわれれば、そこでまた新しい権利が生ずるというところで、著作権とはその内容が基本的に違っている点がある。こういうようなことから、いまお述べになりました製作後五十年というようなことは、やや無理ではないかという感じがいたすわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 年をおとりになっておる東海林さんが、もう一ぺん若い日の歌を歌うということは不可能ですからね。それはどうなりますか。たとえば山田先生はなくなりましたけれども、権利がなくなりましたあとは、どういうふうに取り扱えばいいのでございますか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 東海林太郎さんの昔の音盤をそのまま複製するという場合は、存続期間しか権利がない、レコード製作者も。したがって、その期間が過ぎた後はだれでも複製することができる、こういう状況になるわけでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 私も小さなレコード会社をやっているのですが、主としてソビエト、チェコスロバキア、朝鮮、中国、キューバ等のレコードを出しておりますが、レコード会社というのは、マザーを持っているだけではなくて、完全な設備のところで録音テープを保存していて、その録音テープを使わなければ、海賊版をつくってもいい音が出ないのです。したがいまして、その録音テープを持っている会社にやらせなければできないのですから、ただいま次長がおっしゃるようなことは実行不可能ですが、どうですか。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 いまお話しになりましたように、実際的な問題になりますと、録音テープから複製しなければいい音が出ない。ということは、つまりレコードを回してもう一度マザーをつくっても、あまりいいレコードはつくれないということになりますと、レコード会社の隣接権の保護期間が切れましても、マザーテープを持っている限りは、それを貸さない限りは、それは複製できないということになりますから、権利はなくても、事実上テープの所有権というものからの利益の保障ということは十二分に考えられるところでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 そういうあいまいな状況にしておきまして、演奏者との関係とかその他の関係がうまくいくでしょうか。二十年という期限を限られるが、それならばなぜ限る必要があるのか。そういうあいまいな状況にしておかないで、五十年というものを正確な状況にしておく、そして五十年たった後にあいまいな状況にしておいても、それはいいでしょう。そのときは、またテープのほうもそういうふうに考えて、次の準備をして保存しておくことにしまして……。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 レコード製作者の権利は、有形的な複製権ではなくて、今度は音楽の有線放送についての二次使用料の請求権というような問題も当然入ってくるわけでございます。したがいまして、やはり保護期間というものは、テープの保存期間とは別個にこれは定めておく必要がある。これを二十年、三十年、五十年といろいろな切り方はございましょうが、一応この法案では、国際条約の面を見て二十年というものを採用した、こういうことでございます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 時間がございましたら、これはもう一ぺん私もよく調べて検討いたしますが、しかし隣接権につきましては、レコード会社の名前さえ出しておけば、放送局はこれを大目に見るということになっているように私どもは記憶しております。有線放送の場合には、若干の寄付金をレコード協会に寄付しまして、レコードの啓蒙費用その他やや公共的な費用に使うように協会のほうでしているように伺っております。したがいまして、その金額たるや敵たたるものでありまして、喫茶店組合等に聞いても、何回どう聞いたということは一々わかりませんし、それから有線放送の場合に、一々その会社の名前を言うたのでは煩にたえませんし、気分が悪くなりまして、飲みかけのカクテルもちょっととまるということになりますから、非常に料金を安くして一括契約しているのです。それを有益に協会で使う。放送局については、そのレコードを出した会社の名前を言えばいいということになっておるのでございます。したがいまして、隣接権の問題の限期を二十年に切ってしまうということはどうかと思いますから、私のほうもさらに研究いたしますが、御担当の方ももう一度御研究のほどを切にお願いをいたします。何かいまの私の考え方に間違っているところでもございましたら、御指摘をいただきたいと思います。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 特に御指摘申し上げるようなこともございませんが、この保護期間を定める問題は、先ほど来申し上げておりますように、いろいろな点を総合的に判定してやるべき問題でございまして、二十年、三十年といろいろな切り方はあろうかと思いますが、その点ば国会でまたいろいろ御検討いただくことはもとよりでございますが、私どもといたしましても、一応二十年というものを原案として出しているわけでございますが、なおまたよく検討いたしたいと思います。

帆足計日本社会党

○帆足委員 ただいまの問題は、リバイバルをつくるにあたりまして、海賊版をつくるような気持ちでやるのはいやでございますから、御研究を願いたいと思います。  最初に申し上げましたように、著作権の問題は、利害関係もいろいろありますが、やはり著作者を尊重する、それと並んでその裏づけとなる関係者の財産権を大切にするというふうに承りました。私もその考え方は正しいと思っておりますが、これはほとんど超党派の問題でございまして、それぞれ御専門の方や御研究なさった方々から今後御発言があると思いますから、あらかじめ文部大臣にお願いしておきましたが、虚心たんかいに御検討くださいまして、決して原案のメンツにとらわれずに、情理兼ね備えたお立場で若干の部分は修正をしていただく、こういうようなお気持ちでお臨みくださいますよう長官にお願いして、私の質問を終わります。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 午後二時より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時三十分休憩      ――――◇―――――    午後二時十八分開議

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  著作権法案及び著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案の両案において、本日参考人として御出席くださいました方々は、著作権制度審議会会長中川善之助君、東海大学教授法貴次郎君、著作権制度審議会委員野村義男君、以上三名の方々でございます。  この際、委員会を代表して参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人の方々には、御多用中のところ御出席いただき、たいへんありがとう存じます。  目下当委員会におきましては、著作権法案及び著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案の両案について審査を進めておりますが、参考人各位より御意見を承り、もって両案の審査の参考といたしたいと存じまするので、何とぞ忌憚のない御意見をお述べくださいますようお願い申し上げます。  なお、議事の都合上、まず御意見をお一人約十五分間程度で順次お述べいただき、その後委員各位からの質疑にお答えをお願いいたしたいと思いますので、右様お含みの上よろしくお願いをいたします。  それでは順次御意見をお述べいただきます。まず、中川参考人からお願いをいたします。

中川善之助著作権制度審議会会長

○中川参考人 ただいま御紹介にあずかりました中川善之助でございます。  私、文部省の著作権制度審議会の会長をいたしております関係上、審議会のいままでやりましたことにつき概要初めに御説明するということになったのだと思っております。きょうはこまかいことにつきましては、「著作権法」という著書を出しました山本桂一君が来るはずでございましたが、東大がいま騒がしいのできょう急に来れなくなりました。山本君が来ればこまかいことは山本君にお願いできると思っております。  もう一つは、これはきょう来ていらっしゃる野村義男君が著作権制度審議会の中の一番の学者でありまして、こまかいことを実にこまかくたんねんによく覚えていらっしゃる。めんどうなことはどうかあとで野村君のほうへお願いをいたしたい。私は、ことにしばらくいなかへ行っておりまして、いなかで何をしておるかというと、学生と毎日戦いのようなことをしていくさごっこのようなことをしておるものでありますから、だんだん著作権のほうも忘れがちになって困っておるわけであります。  初めに、皆さんも委員会の議事録なんか拝見いたしますと、なかなかの専門家で、私のほうがお話を伺わなければならぬような方々ばかりで、私からお話しするほどのことはないのでありますが、御承知のいまの著作権法というのは、明治三十二年に水野錬太郎先生がおつくりになった非常に古い法律であります。それにしてはよくこんなことまで考えてできたと思うほど感心するのでありますが、しかし、何しろ明治三十二年――民法が明治三十一年でありますから非常に古いものでございます。その後たいした改正もありませんが、昭和九年にわりあいに大きな改正をいたしております。大体六十歳でありますから相当の年であります。六十歳――いま七十歳ですね。  ところが、世の中のほうは非常に変わってまいりまして、ことに複写と録音の技術が新しく非常に発展をしたということが著作権というものにたいへんな影響を与えております。何でもしゃべっておることがすぐ録音されてしまう。それでテープにとられてしまう。それからごく簡単な八ミリというような映写機までできて、すぐ自分の行動が写真にとられてしまう。こういうことでありますから、たとえば踊りの振りつけなんかも以前には舞譜ですね、踊りの手をずっと書いたもの、舞譜に載らないと著作権の対象になれなかったのであります。ところが、今日ではそういうものを書かなくても映画にとってしまえば何でもないことでありますので、そういうような点が、著作権法でどういうふうに著作物というものをつかむかという点にたいへんな変化が起こってまいったわけであります。  そこで、十八世紀の終わりに著作権法の国際条約ができたのでありますが、これがベルヌ条約であります。ベルヌ条約が一八八四年でありますが、その二年前にローマで集まった、これはおもにドイツの本屋さんであります。それが何とか著作権法というものを考えなければいかぬのじゃないかということを一番初めに考えついたようであります。つまり、もうすでに本を書いている人が集まったのでなく、本屋さんが集まったというところになかなかおもしろい歴史の面があると思うのであります。  それからずっと年代で申しますと、一八九六年のパリ会議、一九〇八年のベルリン会議、一九二八年のローマ会議、これを日本が昭和六年に批准をしております。それから一九四八年にブラッセル、一九六七年にストックホルム、これらについてはあとで野村義男さんから詳しいお話があるだろうと思うのであります。  それから、この系列とは別に、アメリカ系の諸国が集まった万国著作権条約、これも日本は批准いたしております。そういう非常に世界じゅうの情勢が複雑多岐に分かれて、そしてことに日本と密接な関係のあるアメリカがまたちょっと別な流れを持っておるというようなのがいまの状態でございます。  日本のほうは先ほど申しましたように明治三十二年制定でありますが、それらは明治四十三年、大正九年、昭和六年、昭和九年、それから十六年、三十三年、あとのほうは小さい改正でありますが、それぞれ改正になりまして、そして継ぎはぎだらけの法律が現行法であります。三十二年の水野先生の法律をもとにいたしまして、それを一ぱい継ぎはぎだらけにしておりますから読んでもなかなかわからない。たとえば活動写真なんということばがまだちゃんと使われているというふうな法律であります。そこで、これではどうしても今日の著作権法として十分でないというので、昭和三十七年の五月に文部大臣から諮問がありまして、それで三十七年の九月にその審議会が発足いたしました。そのときは五つの部に分けまして、第一小委員会が文芸学術、それから一般の事項。第二小委員会が美術、建築、写真。第三小委員会が音楽。第四小委員会が映画。第五小委員会が著作隣接権の問題実演、レコード、放送ですね。そしてこれが四十一年の四月に答申を出しております。そして翌年三十八年に著作権の仲介業務に関する小委員会ができまして、それが四十二年に答申を出しております。そういうようなわけで、私どもの審議会もかなり一生懸命仕事をやりまして、総会、小委員会合わせて三百回近い会合をいたして今日に至っておるのでございます。  そこで、内容について簡単に申し上げますが、第一に私の考えますのは、著作権法というのは何を保護するものであるかということであります。これは著作を保護するというのが本来の本質だろうと思います。著作というものは著作者の文化的な創造的な精神的なものということになっておりますけれども、しかし、同時に、そういう創作物というものは公表伝達ということがなければ著作になりません。そこでその伝達方法ないし伝達機関というものの保護ということが問題になってくるのであります。それがまた今日のような社会の構造がスケールが大きくなってまいりますと、そうするとまた、それの保護が大きくなりまして、伝達機関が伝達企業というような形になってまいります。それからそれの保護は、著作物を保護するために著作物伝達機関を保護する、そういう形になってくる。伝達機関を保護しなければ著作物は保護されないじゃないかという考え方が入ってきておる。それでありますから、そこら辺のところが非常にむずかしい問題で、著作物を保護するということと、それから著作物の伝達機関あるいはそれが企業になれば伝達企業とでもいうべきものでありますが、それを保護するということと、これは本質的には同じねらいであるというふうに思われるのでありますが、しかし、具体的には非常に違ってくる。  たとえば映画なんか一番めんどうでありまして、会社が映画製作者、それから実際の映画は監督あるいはプロデューサーあるいは俳優、あるいはもっとさかのぼっていけばシナリオ、それから小説なら小説原作者というような人たちが集まって映画の製作をやっておるわけであります。そこで、映画についてこの著作権法の保護はどこに持っていくか。そうしますと、どうも映画製作者も保護しなければならぬし、それから著作者といっておりますが、監督以下原作者に至るまでずっとそういう人たちももちろん保護しなければならぬということで、このあたりどういうふうに調和をはかっていくかということがなかなかむずかしいのでありまして、私どもの審議会でもこの映画の小委員会、一番長いことこの点で苦心いたしたのでございます。  それから次にレコードでありますが、レコードによる放送及び演奏というものが問題になってくる。レコードを使って町の喫茶店でも何でも流す。そうすればそれについて著作物の使用料を出さなければいかぬじゃないかという問題があるわけであります。ところが、日本ではレコードで音楽を流すというようなことは、小さい店でも、うどん屋でもパチンコ屋でも何でもやっておる。そういう自由利用の慣行が非常に広まっておるわけです。そこで問題は、著作権使用料をこれらからみんな取るようにするか、そうしたら商売が立っていかないものもあるんではないかというようないろいろな問題がありまして、このレコードの演奏及び放送というのは、結局政令でもってその範囲をきめる。どういうものはお金を払え、普通のそこら辺の小さい喫茶店だとかパチンコ屋程度のものは著作権使用料を払わないというような方向で政令にここはまかせたといえばあれでありますが、逃げたというような形になっております。  著作権の保護期間でありますが、これが今度死後五十年ということになります。非常に長いものであります。日本では著作権は公表したときから発生しますから、二十歳であった人が八十歳まで生きれば六十年、生前著作権者としての保護を受けて、そしてその人が死ぬと五十年ということになる。だから五十年というのは大体ひまごからやしゃごくらいの保護ということになる。そこら辺の子孫を著作権法として保護する必要があるか、この点が非常に問題であります。問題でありますが、これは著作者を保護するという意味で著作権の保護期間を長くするということが一般の世界的な情勢であります。日本だけがいや三十年でいいよというわけにいかないような情勢であります。私は、どうもひまごはいいじゃないかと言いたいのでありますけれども、世界の情勢がそういう情勢でありますので、日本も今度五十年という条約に賛成しております。  それから日本にとって重大なもう一つの問題は翻訳権であります。日本では翻訳権の十年留保というものがありまして、十年間原著作者が、日本語なら日本語の翻訳版を出版しなければ、今度は日本人はかってに翻訳してよろしい。その人はつまり翻訳権は失う、こういうことになっております。これは後進国保護の法律だ、そういうように解釈されておるわけです。日本でも前にはそうだったけれども、いまじゃ後進国じゃないじゃないか。だからあれをやめろ、こういう意見がちょいちょいあるわけであります。でありますが、これは後進国、先進国という関係じゃなしに、国語の性質というものによるのでありまして、翻訳を非常に必要としておるというのは、日本語という特殊の国語のためであって、日本の文化がおくれているからではないというように私は思います。これはフランス、イギリス、ドイツ、スペインというような人が集まって、お互いに他国のものを読むあるいはそれを翻訳するという場合と、日本の場合には非常に違うのであります。でありますから、国際会議なんかでも同時通訳でみんな翻訳して出しますけれども、日本語だけはいかないのであります。ことばの配置が違いますから、何とかかんとかと言って、私は思うのでありますというのか、思わないのでありますというのか、しまいまで聞かないと翻訳ができない。ところがヨーロッパのことばだとみんな同じ配列でありますから、アイ・ドント・スィンクならアイ・ドン’・スィンクと言ってしまえば、ずっとそのままドイツ語に直してもフランス語に直してもいいということで、国語そのものの性格が違うので、日本語に対する翻訳というものは、日本文化にとって、ただ先進国、後進国あるいは文化の輸入国、輸出国というような観点から見るべきではないと思うのでありますが、しかし、これも世界的な情勢で、なかなかそうも言っておれない状態にありまして、日本もこの翻訳権十年留保というものをやめなければならぬという状態になったのでありますが、いまのところまだやめないで、何とか現状のままで、少なくも将来十年間は持っていこうじゃないかというような空気であります。今度の法案もそういうような状態になっております。  最後に、先ほどちょっと申しました隣接権というのが、これは御承知のように新しくできた観念でありますが、日本では演奏歌唱というのが大正九年ですか、著作権の中に入りまして、そして歌を歌うというような人は、そのまま著作権ということになっております。しかし、その音楽の曲でなしに、その歌そのもの、歌曲そのものが著作権だということは、どうも著作権の概念に合わないものでありますから、それじゃ保護をしなくていいかということになると、またレコードというものがだんだん出てくると、そうもいかない。そこでこれらは著作権に近い、著作権に隣接する権利という意味で、隣接権というようなことばが出てき、観念が出てきたのであります。日本の場合には「演奏歌唱」ということばが著作権法の第一条の中に入っているものでありますから、これを著作権でないとして、これを隣接権にちょっと落とさなければならないので、少しめんどうになるかと思ったのでありますが、案外その点に大きな摩擦もなしに下がりまして、今度はそういう実演、それからそれについてレコード及び放送事業者というふうなものが隣接権者として保護されるということになったのでございます。  たいへんかけ足でおわかりにくかったかと思いますけれども、十五分よりも少しよけいになりましたが、私の話はこれだけで終わりたいと思います。どうも失礼いたしました。(拍手)

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 次に法貴参考人にお願いいたします。

法貴次郎東海大学教授

○法貴参考人 さっそくでございますけれども、割り当てられた時間が足りないと思いますので、いきなり問題点に入って意見を申し上げたいと思います。  お手元にございます「著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案資料」の整理法案の第六条をちょっとごらんいただきたいと存じます。この第六条によりまして、「連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律の一部改正」ということで、第六条にその特例法について何カ所か改正されているのでございます。私はこの改正にたいへん問題があると考えております。これの四ページでございますが、この特例法の「第四条中「当該著作権の存続期間」を「当該著作権に相当する権利の存続期間」に改める。」そういう改正がございます。私の理解いたしますところでは、この部分改正が結局いまの法律改正案によりまして、死後五十年という日本の著作権法の保護期間の規定が効力を発動した場合に、戦いに勝った英、米、フランスその他の連合国民の著作権だけはさらに死後五十年にプラスしまして十年半ぐらいのものがプラスされる。つまり、いま法律案として国会に提案されておりますものがそのまま法律となる暁には、日本の国内で、保護期間が日本国民は死後五十年で終わる、しかしアメリカやフランスや英国のものは死後六十年をこえるものになる、そういう効果を生じるだろうと私は考えます。そのような案は私としては賛成できない。それは平和条約の解釈について私がとっております解釈と、今度の法律案のとった解釈が違っているのだろうというふうに了解いたします。  で、一たん成立いたしました条約及び法律につきましては、先生方もとより御承知のとおり、一ぺん成立した条約、法律の解釈というのは、解釈権を裁判所が持つということだと私は考えております。平和条約に基づく連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律について、私の知っておるところでは、その保護期間の点についてまだ判決はあったことがないと私は考えております。そういうふうな段階におきまして、かりに平和条約の十五条の期間延長に関する意見に互いに対立する意見があったとしても、だからといっていまの段階でこの特例法に手を入れるということは私はしていただかないほうがいいのではないかという感じを持つわけであります。  結局、いろいろ綿密なことを申し上げたいわけでございますけれども、ちょっと時間がございませんので、簡単にその見解の分かれるところを申しますと、私たちのとっております見解は、平和条約の期間延長というのは、平和条約が効力を発動したそのときにすでに延長の効果が生じて、外国人の著作物に延長の効果が付着している。したがって、その後において今日の時点で死後五十年に延ばす場合には、平和条約に基づく期間延長は死後五十年の中に吸収されるのだ。したがって、死後五十年にかりに日本の法律が延長されました暁には、日本で内外人平等に死後五十年の著作権になるべきものだ。本来著作権の内国民待遇の原則というものは内外人平等ということでございますから、したがって、そういう観点を背景といたしまして、このたびの法律案がおとりになった平和条約の解釈には私としては賛成できない、こう考えているわけでございます。  もう一点申し上げたいことは、平和条約の特例法というのは、私の記憶では昭和二十七年の四月の初めに国会に提案されまして、そしてその後において可決されておるのでありますが、昭和二十七年四月初めの段階ではまだ総司令部が存在いたしまして、連合国四十八カ国の代表としての総司令部というものが存在しておりました。で、平和条約の著作権条項というのが事前にわれわれ日本国民の意見を反映させる道がない。戦いに勝った国だけが文章を起こしてわれわれは判を押させられたという関係にあります。そういうような著作権条項につきまして、ときの日本政府は連合国四十八カ国の代表としての総司令部の同意を得まして、この特例法を制定したという状態にあったと考えておりますので、したがって、この特例法が明文になりましてすでに十年をこえてベルヌ同盟の文献あるいはユネスコの文献として全世界に特例法が周知されておりまして、しかもこの特例法の内容についてはいまだかつて諸外国から異議の申し立てというものは全然なかった。承認されている。それを今日の時点において、戦いに負けた国としての日本――平和条約の著作権条項がどういう著作権の内容を考えて、それで戦いに勝った国がどういう権利内容を意識して書き込んだかということはわれわれによくわかっておりません。そういう平和条約の解釈について、今日の時点で戦いに負けた日本国だけ著作権条項の内容というものは正確にはだれも理解しておりません。そういうものにここで手を入れるということは、私としては賛成いたさないというわけであります。平和条約の特例法の関係についてはそういうことでございます。  次に、この整理法案の第七条に「万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律の一部改正」というものがございます。この問題は、先ほど中川先生の御指摘になりましたとおり、アメリカの著作権法というのは御承知のとおり方式主義でございまして、日本国民の発行著作物につきましては著作権表示を付して最初に発行することによってアメリカで著作権の成立を認めるのだ。しかし、それだけでは裁判所、検察庁に持ち出す権利を認めないのだ、裁判所、検察庁に持ち出すためには、さらにアメリカ国会図書館の著作権局に登録、納本をしなければならないというのがアメリカの法律でございまして、ベルヌ条約に入っていないアメリカの法律の特殊性がある。そういうアメリカと日本との間に内国民待遇という条約の基本原則が働きまして、日本国民の著作物はアメリカの地上ではアメリカの著作権法によって保護する、アメリカ人の著作物は日本の地上では日本の著作権法で保護する、こうなっております。したがいまして、万国条約という条約の成立する前、つまり昭和三十一年の四月二十八日前にできた日本国民の著作物はアメリカの地上においては法律上の権利として著作権は成立しておりません。何となれば著作権表示がなくて発行されているからであります。そして特に作曲については、日本で最初のレコードが発行されたときには、そのレコード録音権を行使したという通知をアメリカの著作権局にファイルしませんと、録音権の法律上の権利の行使がアメリカでできないわけです。そういうふうにアメリカの著作権法が特別なものでありますから、万国条約が日本で施行される直前の日本国民の著作物は、発行著作物に関する限りほとんど全部アメリカでは法律上の著作権としては成立しない。しかるにアメリカ人の著作物は、日本の著作権法が何らの手続条件を課さないで著作権を認めるというベルヌ条約方式の著作権法を持っておりますから、反対にアメリカの著作権については、日本で日本国民と同様にほとんど全部著作権が成立するということになっております。ですから形式的には、日米の関係は内国民待遇による相互保護という文章になっておりますけれども、保護の実際をそういう実質的な観点から考えますと、この権利義務の関係が非常に片務的である、そういう関係を見て日本の著作権法案をどのように書くかという観点があってしかるべきだというのが私の考えでございます。何も報復主義という考え方ではございませんけれども、しかしながら、そういうことをやはり背景として考えておくべきだろう。  そこで、この万国条約によりますと、この整理法案の第七条の最初のところで、「「著作権法(明治三十二年法律第三十九号)」を「著作権法(昭和四十四年法律第  号)」に改める。」ということで、現行法としての特例法の第一条の著作権法を、現行法は明治三十二年の法律、この現行法をさしておりますけれども、この改正法案によりますと、著作権法というものは昭和四十四年のこれから成立するはずの著作権法をさす、そういうふうに書かれております。したがいまして、万国特例法の第十一条に「日本国との平和条約第二十五条に規定する連合国でこの法律の施行の際万国条約の締約国であるもの及びその国民は、」という第十一条の冒頭の資格は、現行法によれば「平和条約第二十五条に規定する連合国で」、そして現行法――この特例法ですね、「この法律の施行の際万国条約」――ちょっと話がこんがらがりましたけれども、結局、現行の万国条約の特例法の第十一条というのは、「平和条約第二十五条に規定する連合国で」、つまり平和条約に調印、批准した国で、そしてこの特例法施行の際、つまり昭和三十一年四月二十八日に「万国条約の締約国であるもの」という意味になっております。それは具体的にはアメリカ合衆国とコスタリカとハイチとチリの四カ国でございます。そこで、その四カ国及びその四カ国の国民の、平和条約十二条に基づく権利は、万国条約施行の後はどのように扱うかということをきめたものであります。  ところが、今度の整理法案によりますと、そういう連合国の国民は――ちょっとそこのところこんがらがりましたので、部分的に、その十一条の冒頭のところはたいへん失礼でございますけれども、一ぺん取り消しをさせていただきまして、その十一条に手が入れられまして、現行法では「著作権法」とあるところに「旧」という字を入れまして「旧著作権法」として、旧著作権法というのは明治三十二年法律第三十九号だ、それについてはこの法律の施行後も、平和条約十二条の時代に得ていた法律の保護を与えるけれども、「その保護」について、整理法案は「著作権法の施行の際当該保護を受けている著作物については、同法による保護」というカッコ書きを入れましたから、したがって、平和条約十二条時代に成立していた平和条約十二条に基づく米国人等の著作権については、平和条約十二条時代の著作権保護じゃなくて、今度国会で議決される予定の著作権法上の保護を与えるのだというふうに読めるわけです。私にはそういうふうに読める。ところが、そういうふうに、平和条約十二条に基づく保護を受けていた著作物に、これから議決されるはずの著作権法上の保護を与えるのだということは、そもそも何のために万国条約の特例法を設けたかという万国条約の特例法を制定した趣旨に反すると思うのでございます。なぜかと申しますと、この万国条約の特例法というのが、要するに万国条約の持っている翻訳権の規定が、ベルヌ条約の翻訳権の規定と違う。したがって日本が、アメリカの著作権につきまして、平和条約第十二条に基づいて与えていた保護は、著作権法第七条の保護である。しかるに、万国条約の効力が日米間に生じますと、万国条約の法定許諾制による保護が与えられることになる。そこのところの経過規定が問題であったわけであります。法律で経過規定をきめておきませんと、もう混雑、何が何だかわからなくなるから、したがって、万国条約というのは昭和三十一年四月二十八日からあとに発行された著作物にのみ適用があるので、万国条約が施行される前の米国人の著作物については万国条約は関係ないのだ、そのような趣旨を定めることを目的として、万国条約の特例法ができておるのであります。しかるに今度の整理法案によって、この万国条約の特例法に部分修正を加えられた個所を私が拝見いたしますと、そもそも何のために万国条約の特例法を設けたかという趣旨を没却いたしまして、平和条約第十二条時代、つまり万国著作権条約が日本で効果を発動する前に発行済みの米国人の著作物にも今度の改正法にきめられている内容が与えられるのだ、具体的に例を言いますと、そういう米国人の翻訳権の保護はいま国会に提案されている法律によるのだということになります。そういうことを避けるために私は万国条約の特例法は書けていると思いますので、そういう点に非常に疑義を感じるわけでございます。  時間がなくなりましたので、もう一点だけ翻訳権について申し上げますと、現行の法律状態におきまして、ベルヌ条約の翻訳権条項と万国条約の翻訳権条項というのは、採択している原則については同一でございます。どういう点かと申しますと、著作権がある間は翻訳権を認める、これが両方の条約とも認めている原則である。ベルヌ条約の原則に対する制限については、最初の発行から十年間に契約に基づく翻訳著作物が発行されないと、十年の経過後は翻訳権が消滅するということが認められている。ところが、万国条約の原則に対する制限は、ベルヌ条約の十年に当たる期間が七年になっておりまして、七年間の間に契約に基づく日本語の訳が発行されないときは、七年経過後は法定許諾制に入るのだ。しかし、翻訳権が消滅することはないというのが万国条約の翻訳権の立て方でございます。  さて、今度の法律案によりますと、日本の国内法としての著作権法の翻訳権は、この新法施行前に発行されたものについては旧法七条による、それから新法施行後のものについては十年の留保を認めない、著作権がある間は翻訳権があるのだ、こういうふうに法律を変えようとしている点でございます。そういうことになり得た場合に、米国人の著作物に関する万国条約に基づく翻訳権がどのようなものになるかという点については、法律的に非常に検討すべき問題がある。それにつきまして、今度の整理法案の第七条の3に「この法律において「翻訳権」とは、万国条約第五条に規定する翻訳権をいう。」という定義が書かれております。私はこの定義については非常に疑問を持っております。なぜかと申しますと、万国条約における翻訳権というのは、万国条約に入ろうとする国は翻訳権の保護の最低限として万国条約第五条の権利は認めなければなりませんよということでございます。万国条約に入る国が、アメリカのように著作権がある間は翻訳権があるという規制の国にするか、または、日本の現行法のように、万国条約に基づく法定許諾制を設けることとするか、いずれを選択するかは、万国条約に入ろうとする国が自由に決定できるのであります。  そこで、一般に著作権保護としての翻訳権というものを、日本における日本国民が意識する場合には、日本著作権法上の翻訳権内容を翻訳権というのであります。したがって、日本の地上で翻訳権をアメリカ人が持っておるというのは、アメリカ人が日本で日本の著作権法上の翻訳権を持っているという意味であります。したがって、この法律案の翻訳権とは、万国条約第五条の翻訳権をいうという定義は、私には非常に奇妙な定義だと考えられますので、さらにそういう点は検討されなければならないのではないかというように思います。  途中でちょっと頭がこんがらかりまして、部分的に訂正などいたしましてたいへん失礼いたしました。  対日平和条約も、万国著作権条約も、日本著作権法も、万々御承知のとおり、国民全部を直接に拘束するものでございますから、国民生活全体に広範な影響を及ぼすこのたびの著作権法全面改正法案については、特別に慎重に御審議くださいますよう、特にお願い申し上げます。  失礼をいたしました。(拍手)

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 次に、野村参考人にお願いをいたします。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 今度の新法案について参考意見を述べられる機会を与えられましたことを感謝いたします。  新法案の内容につきましては、先ほど中川会長からるるお話があったように、おおむね審議会の結論を採用しているので、私といたしましては大体賛同するところが多い、こういうように思っているわけです。著作権制度というのは一国の文化制度の基準である、こういうふうに考えられているのですが、これによりましてそういうものが実現して、ようやく日本が国際水準に追いついていけるということになりそうなことについてはまことに喜ばしいと思います。  しかしながら、ただ一つ日本の国際著作権上非常に重要な問題がある。これは非常に大きな問題で、十分にお聞きを願いたいのですけれども、このある条項があるために、われわれが基礎に考えていたところの一九四八年のブラッセル条約、あるいは一九六七年のストックホルム条約、そういうものに日本が未来永劫入れなくなる。そうして一九二八年のローマの著作権条約というものにとどまっていなければならないという国際状況が出てくる、これを申し上げます。  これは法案の附則第十四条では、端的に言うと、非営利目的にレコードの中の作詞、作曲の著作権を使っても、それは著作者の許諾も要らなければ、あるいは料金も払わないでもいい、こういうことにしようという附則第十四条の規定並びにこれから出ようとする政令をあやつるとそういうことになります。この政令では、音楽を不可欠の要素として使っているもの、でないものについては自由利用である。したがって、喫茶店とかホテルとかパチンコ屋とか、こういうような利用については、音楽著作権についても何ものも支払いをしないでもいい、著作者の同意を得ることもない、こういうことになっているわけであります。この規定があるためにブラッセル条約にはいれないということになるわけであります。  ここでベルヌ条約の関係を少しごめんどうですがお聞きを願いたい。御承知のように、現在レコードを放送あるいはその他の公演に使うということは、レコード自体についてもあるいはレコードの中の作詞、作曲というような著作権についても無料、無認でいいということは、現行法第三十条第八号にそういうことが書いてあるからであります。ベルヌ条約でということで、その中のレコード自体のことでなくてレコードの中の作詞、作曲の著作権、その関係を申し述べます。  現在のローマ条約、これは日本の現在の著作権法のある意味では基盤条約である。そうして国際的には第三十条第八号の自由利用の根源でもあるわけであります。その十三条は何が書いてあるかというと、著作者というものは録音権を持っておる、それから録音したもので公演もすることができる、公の演奏をすることもできる、こういうことが書いてあります。ところがその第二項のほうに持っていって、だけれどもその公演をしたりあるいは録音をしたりすることについては、各締約国政府は適当な留保をしたりあるいは条件を書くことができる、こういうことを書いてあるわけであります。この条項に基づいて現行法の第三十条第八号を書いているものと思います。しかしこれは、この条項を制定するにあたっての国会の議事録を見ると、そこのところは議事録をストップしてあって、根拠はあまりはっきりしていない。国際的には、このレコードの中の著作権の利用をこのように制限することに第十三条を読むことについて、反対論が二つあるわけであります。  一つは、ここに書いてある留保や条件をつけることができるということは、この新法案六十九条で今度新しく制定するレコードの強制許諾、一ぺんレコードに録音を許諾したならば、三年たてばだれでも文部大臣の裁定を得て使うことができる、こういうことの、レコードの録音の強制許諾、現にアメリカなどもやっておりますが、そういうことを言っているので、レコードをただで使っていい、ただで公の演奏をしていいというのではない、こういうことであります。  もう一つの反対論は、一体この著作権というものは、最終には使えば金を払うというのが原則である。留保、条件を付するといっても、それは料率の制限をするとか、あるいは許諾を得ないでも金だけ払うとかといようなことをいうのであって、全くただであるということはこの条約の精神ではない、こういう解釈があるわけであります。  そこで、一九四八年のブラッセルの著作権条約、これではいまのような事情を考慮しまして、十三条のあとに一つ加えて、どんな場合でも金は払え、官憲の仲裁を経てもいいけれども、とにかく公正な補償を払うべきであるというふうに改正したわけであります。それすらも当時の説明では、新たにそういうことを改正したのではない。理論上当然なことを確認のために条項を入れたのである、こういう説明さえあるわけであります。  さらに非営利と営利、営利目的で音楽を利用する場合と非営利目的で音楽を利用する場合とで区別をする主義、これはかって昔は存在した。いまから七十年前に日本の現行著作権法ができる前の脚本楽譜条例、そういうものの中では、音楽については利益を得る目的で興行をすること、そういうときには著作権が働く、こういうことが書いてありました。ところが明治三十二年に現行著作権法を制定して、そしてベルヌ条約に入るにあたって、現在の著作権法第一条第二項にあるがごとく、前の営利を目的とする、あるいは利益を目的とするという字は取って、ただ「興行」と書いてある。音楽の著作権は興行権を有すと書いてあるわけでありますが、それはベルヌ条約では営利目的、非営利目的ではなくて、公衆の前で、公衆に聞こえるような状況で音楽を利用すれば著作権が働く、こういう要請があるので条約に入るにあたってそういうような改正をしたのだと思います。ことに御承知のように現在の著作権法は明治三十二年、まだ日本が治外法権を持っているときにできた法律で、治外法権撤廃条件の一つになってベルヌ条約に入っているわけであります。  さらに、この営利、非営利の区別の国際的状況はどうかというと、現在たった一つ残っているのはアメリカの現行著作権法、音楽は営利を目的とするものでなければ金を払わないでもいいということになっております。ところが、現在第九十一議会上院で、いま著作権法を日本と同じように全文改正をやっておるのですが、その中では営利目的を取るということが音楽著作権について重要なことになっております。現在でも営利目的とはどういうことかということについては、どこの国でもなかなかむずかしいのですが、アメリカ法では非常に広くと申しますか、狭くと申しますか、解釈している。たとえば先ほど申し上げましたパチンコとかその他の利用、こういうものは営業の助けになるのだから営業的利用である、こういうふうに判例はなっているようであります。これらの状況を見ますというと、附則の十四条のような営利、非営利の一応区別を出してくるということは、国際的には時代錯誤ではないか、こういうふうに考えられるわけであります。  このような事情から現在の諸国の立法例の中で、レコードの中の音楽著作権をただ使ってもいいという立法の国は、ベルヌ条約の中にはどこにもありません。ただ日本がそういうものを持っているだけであります。したがって、先ほど会長が申し上げました審議会の答申におきましても、すべて著作者の許諾を要することとしたい。しかし、レコードの使用ということは、長年レコードに許諾を得ないで、かってに使えるというような長い間の習慣があるのでありますから、社会的な慣行も考慮する必要がある。また、使用料の額とかあるいは徴収方法についても、現実には現状に急激な変更を加えないようにしておいてもらいたいということを答申しておるわけであります。したがって、審議会としては、当初からブラッセル条約というものを見て、それを基準にした国際水準に達しようということを努力していたので、ブラッセル条約にはもう入れないのだというようなことを考えてみたこともないと思います。  以上が、十四条という附則があるためにブラッセル条約に入れなくなったという実体的理由であります。  さらに、このほかにめんどうな条約というものの形式的理由には、次のような事情があります。  一九六七年のストックホルム条約、ブラッセル条約はもう二十年も前の条約で古いから、新しい会議をやったわけでありますが、その条約の中で、ストックホルム条約が効力を発生すれば、ブラッセル条約にはいかなる国でも入れない、こういう規定を置いたわけであります。ベルヌ条約はベルヌ同盟の規約でありますから、規約が改正になったのに古い規約に入るというのは、これは困るのは当然でありますから、そういう条項を置いてある。いかなる国もあとからは入れない、条約が発効すれば入れない。このストックホルム条約の中では、条約の発効は、七カ国が批准または加入すれば条約は発効する、こういうことになっているわけです。現在はまだ発効しませんが、七つくらいはじきにできるのではないかというふうに思います。それだから多くの諸国で、おくれた諸国も急いでブラッセル条約へ入ろうという努力をしているのではないかと思います。現にオーストラリアは、日本のような膨大な著作権法を全文改正して、今年の四月一日加入書を寄託して、この六月の一日からブラッセル条約が同国について発効したという状況にあります。さらに昨年南米で著作者団体が集まって会議を開いたのですが、その会議で、この中南米大陸ではメキシコ、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、これがベルヌ国ですが、これらの諸国にならって中南米の諸国政府が、ブラッセル条約が五年で閉鎖されるのだから、その閉鎖される前に条約に入るように政府に勧告をしようではないか、こういうような決議もしております。これにはベルヌの同盟の事務局の役員も列席しているところであります。  さらにこのストックホルムの会議では、先ほど申し上げたローマ条約の十三条あるいはブラッセル条約の十三条の規定、それの中のレコードの中の著作権の公の演奏の規定と、それから第二項に書いてある各締約国はそれにおいて留保または条件をつけるという条項を全部削ってしまった。これは締約国の中においてもだんだんなくなっていく。日本の様子を見ても、日本では審議会の答申を見てもその他を見ても、そういうものを放棄するということになっている。三十条第一項第八号はやめるということになっている。多数決でその条項は削って、もうそういうレコードの中の著作物を公に利用することを無許諾、無料で自由にきめることができるということの規定を削ってしまった、こういうことになるわけです。したがって附則の十四条、あれがある限りはストックホルム条約にも入れない。十四条は「当分の間」と書いています。西欧のことわざでも、当分というのは永久のことだ、日本ばかりではないそういうことわざがあります。したがって、このようにして今後相当の期間にわたって国際基盤を定めたブラッセル条約――ブラッセル条約というのは現在の国際間の基準的条約である、それには入れない。それでは閉鎖されたら、飛び越して一九六七年のストックホルム条約に入れるかというと、いま言ったようなことで附則の十四条を適当にごまかして入ろうかとしてもなかなか入れない事情に、またもう一つの事情がある。  もう一つの事情は南北問題です。どこの著作権の分野でも開発途上国の援助、すなわち南北問題というものは重要な問題である。ストックホルムの重要な議題の一つは、それがために特別委員会まで開いてやっていたのは、開発途上国の援助条項、著作権を、少なくとも日本の入っている一九二八年のローマ条約の程度にとどめて、あるいはもっと下回って、そして開発途上国を援助しようということをはかったわけなんです。ところが、あんまり下回り過ぎたものだから、先進国の利害関係者の突き上げが多くて、ロンドンタイムズなんかは社説でリーガル・パイアラシィである、白昼海賊を働くものであるという論文を書いたくらいですが、それに従ってイギリスはこの条約にはもう入りそうもない。先進国も入りそうもない。現在条約を批准したのはセネガルだけである。先進国はこの条約を批准しそうもない。小さな国だけで五カ国入って発効しても世の中には行なわれそうもない。いま国際間では大問題になって、それをどうしようかというので、万国著作権のユネスコとベルヌの事務局が集まって、これからだんだん国際会議を開こうというところまでいっているわけであります。したがって、当分長い将来――はっきりわからないのですが、世界に行なわれておる著作権条約というのはブラッセル条約である。日本が締め出しを食うかもしれないところのブラッセル条約である、こういうことになるわけです。  そこで、いまベルヌ同盟でどういう分布になっておるかということを申し上げますと、ベルヌ同盟の加入国というのは現在五十九カ国、日本のようにローマ条約にとどまっているのはブルガリア、カナダ、セイロン、サイプラス、チェコ、ハンガリー、アイスランド、日本、レバノン、マルタ、オらンダ、ニュージーランド、パキスタン、ルーマニア、これらを見ると、カナダ、日本、オランダを除けば開発途上国であるかあるいは共産国であります。このうちオランダも現在著作権法改正案が国会に出ているので、近くブラッセル条約を批准するのではないかというふうに私どもは考えております。これに対してブラッセル条約国というのは四十三カ国。前は十四カ国だけれども、ブラッセル条約のほうは四十三カ国、先進国は全部これへ入っている。もっともタイ国のように一九〇八年のベルリン条約に入っておる国というのは一国ありますけれども、これは例外であります。  このような国際事情で、今日の日本の国際的地位にかんがみてブラッセル条約にはぜひ加盟を実現したいものだと思います。審議会の四年間にわたる審議もブラッセル条約を横目ににらんで審議をしていたので、委員もあるいは見ている業界も利害関係者も、ブラッセル条約へ入るということで国際文化が向上するというから、自分の主張を押えてでも大目的に賛成していたものがあるのではないかと思います。日本が一九二八年のローマ条約にとどまるということは――一九二八年というのは、日本では一九二五年にラジオができた、FMも短波もない、テレビもない、蓄音機は場合によってはラッパのついた蓄音機である、そういうような時代の条約であります。映画もサイレント映画である。そういう時代の条約に、全くわずかの、音楽著作権のちょっとした利用で四十年も前のこういう古い条約状態に国際的に縛られておらねばならぬ。まことにつまらない話で、国際的分野においては日本として非常に大きな問題ではないかと思います。主義の問題だというならこれはたいへんですが、要するに経済の問題である。これはよけいなことですが、けさの新聞を見れば、GNPは世界二位だ、ここでまたエコノミックアニマル性を出して、そういうふうにとどめていかなければならぬというのが、私としては非常に残念なことだと思います。他に方法がなければ別ですけれども、何とか方法があるのではないか、賢明な先生方のことでございますから、どうかその点を御議論になって、ブラッセル条約に入れるようなふうに御審議を願いたいと思います。  以上でございます。     ―――――――――――――

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 質疑の通告がありますから、これを許します。唐橋東君。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 参考人の方々に、時間がありませんので、要点だけをお伺いしておきたいと思います。ほんとに御苦労さまでした。  まず中川先生にお伺いしたいのですが、中川先生には四点ほどお伺いします。  一つは、法貴先生からも御指摘されてあった平和条約の第十五条C項の規定による戦時加算については、審議会としてはどのような議論が実際行なわれてあったのか、それをひとつお伺いしたいと思います。

中川善之助著作権制度審議会会長

○中川参考人 これにつきましても、かなり審議会でも議論いたしました。しかし、いまちょっとこまかいあれは、あるいは野村さんのほうが詳しく御存じかもしれませんから、あとからまた野村さんにでも説明していただくことにして、これは、困る困るということできてしまっておる問題です。ただし、私は、実際には死後五十年の保護期間の延長というような問題にからんでくるわけですけれども、死後五十年たって著作権がまだ生きておるというて保護が問題になるという場合は、非常にケースは少ないと思うのです。それに戦時加算が十年ばかりつくということでありますから、そのくらいでいいだろうというふうに、私も黙って目をつぶっておりました。いろいろこまかいことを言えば、法貴さんの言われたようにいろいろな問題があるだろうと思います。なお、こまかいこと、詳しいことは野村さんが御存じだと思いますから、そこで詳しいことはお聞きください。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 もし、いまの点で野村先生、審議会の状況等、ありましたら、ひとつお知らせください。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 審議会でも、その点は十分に審議いたしました。答申は、多分希望的観測を加えて、そうなればいいなというふうな答申をしていると思います。  私は法貴さんとは少し違った考えで、平和条約の中で通例の期間といっているのは、たとえばその条約を結んだ当時の――現行ということではなくて、条約当事者というのは、そういうばく然たることは書かないで、もし書くのなら、現行の通例の期間というふうなことをいうのではないか。したがって、そういうことを書いてなければ、通例の期間というのは通例の期間である。さようならきょうの通例の期間である、こういうふうに私自身は思っております。それから、それについては外務省も同意見だというふうに思います。しかし、日本として得のいくことですから、答申は希望的観測を加えて、そうなったらいいかなという意味を書いていると思います。こういうふうに思います。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 他の委員の方々から御質問があるかと思いますから、ほんとに要点だけお伺いして、失礼いたします。  次に、いま中川先生からも、先生として、日本語の性格として翻訳権十年の問題は留保したかったという意見もありましたが、それについてももう少し詳しく委員会の状況等ありますれば、お伺いしたいと思います。もしあれでしたら、中川先生にお伺いしたい。

中川善之助著作権制度審議会会長

○中川参考人 かなり議論はありまして、ことに出版業者の方のほうからの強い要望が出ておりまして、それで私どももいろいろ議論をいたしましたが、一つの流れは、先ほどもちょっと申し上げましたように、翻訳権留保というのは、後進国の受ける恩恵のような考え方がやはりどこかにあったように思います。というのは、そういうことと離れて、いまの野村さんの言われたような国際情勢のために、やはり日本だけいつまでもそういうことを言っておれないじゃないかということが主流だったように思います。ただし、私は、先ほどもちょっと申し上げましたように、それとこれとは違うのじゃないかと思うのですが、私が微力で、そこまでいきませんでした。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 それでは、次にお伺いしたいのは、隣接権の設定についてなんですが、これは新しい問題として一もちろん隣接権の国際条約との関係もございますが、これは新しい問題ですから、答申を見てみましても、相当議論をされておるようでございますけれども、しかし結論としては、この隣接権の仲介業務等の問題を見てみましても、現段階においてはなお実態を予測しがたいところがあるので、将来の管理の実態に応じてと、こういうふうに答申がなっておるようでございます。しかし、今度法案としてはっきりと隣接権が生きまして、それに伴う仲介業務という問題も、必ずすぐに法案成立と同時に見なければならないと思うのでございますが、それらに対して会長さんとして、審議会の状況等をさらにつけ加えていただくならば非常にけっこうでございます。

中川善之助著作権制度審議会会長

○中川参考人 私は途中から、江川君がなくなって会長になりました。その前は隣接権の小委員会に入っておりました。かなり隣接権問題は、いろいろ議論をしたのでありますが、御承知のように隣接権条約というのは、実演家、それからレコード製作者、放送事業者ということになっておりまして、このレコード製作者と放送事業者というのは、私が先ほどちょっと申し上げました伝達機関のほうの問題であって、実演家というのとちょっと違うのでありますね。違うのでありますが、著作権保護の隣の保護を受けなければならぬ点は同じだろうと思うのであります。そこで、実際には実演家が一人一人から金を取るわけにはいかないので、実演家が隣接権の使用料として受け取る金は、やはり音楽協会へ入るとか、レコード会社に入るとかして、それが全体の実演家の間の福祉資金に回るというような方法よりほかにないと思うのでありますが、ちょっとそこのところが二種類の、著作権全体について起こる問題でありますが、その著作そのものの保護と、それから著作の伝達機関の保護と両方入っておると思います。それがいずれも、いま申しましたように新しい分野なものでありますから、ちょっとどういうふうになるかわからないような点もないではありませんが、しかし、日本なんかは、わりに演奏歌唱は内部でやってまいりましたし、そこへもってきて、何しろ録音と映画の技術が普及した関係がありまして、非常にむずかしい、捕捉しにくいところはあると思います。あると思いますが、何とかいくのだろうというふうにわれわれは想像はしております。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 野村先生、いまの点で、何か国際条約との関係等で、隣接権というものが非常に大きくこの法案の中でウエートを占めておるのですが、先生が隣接権について、審議会の状況等でいまの中川先生のお話に、何かそのほかつけ加えていただく点がありましたら……。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 個人的なことを申し上げて申しわけないのですけれども、隣接権会議には、私も日本代表部の一人としてローマへ行っております。したがって、この隣接権条約というものについては相当理解を持っておるものでありますが、いま中川先生もおっしゃったように、日本は演奏歌唱、これは現在の入っておる条項が隣接権条約で認めているような広い内容にまで触れているのかどうかわかりませんけれども、とにかく著作権として演奏歌唱、それからレコードも著作権で保護しているというようなことであるので、隣接権的には先進国であるというふうなことがいえるかと思います。そうすると、レコードと放送と実演家というものは相互依存の関係にある。インターディペンデンス。毎日使う放送の中でレコードの占める分量というものは非常に広いし、それから実演家も、レコードにも出、あるいは放送にも出る。その三者の相互関係というものは非常に大きいということで、三者を組み合わせて国際条約をつくろう、あるいは条約をつくろうということは、その実態の相互間のリンクが国際的にも国内的にも深い、こういうことでユネスコ、ILO及びベルヌ同盟の事務局、三機関が合同でこの実態的な条約をつくった。そういうところから見れば、日本のようなレコードもあり、それから実演家もすでに保護しているということで、隣接権条約の趣旨をくんで三者一体の保護制度を導入するということは、憲法上から見ても当然なことではないか、こういうように思うわけであります。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 野村先生、隣接権条約に今後加入するかどうか、批准するかどうか非常に問題があると思うわけでございますが、いまの法案を見てみまして、いまのような趣旨は了解できるのですが、いま、条約との関係で、そういう問題点は何かございませんか。隣接権条約を日本が批准するというようなことになってきた場合に、いまの法案で問題点がございませんか。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 私の見たところでは、現在の法案の中で、日本が隣接権条約を批准するためにじゃまになるとかあるいは行き過ぎたというような事柄はないと思います。ただ、それよりは隣接権条約になかなか各国が入ってこない。現在は十カ国しか入っておりませんが、日本としては一番対岸にあるアメリカが入ることが重大である、アメリカの態度いかんにかかわるわけでございます。世界的にもアメリカを見ているわけですが、そういう環境状況のほうが重大であって、法案の内容については特に申し上げる点はないかと思います。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 中川先生にもう一点ですが、御承知のように応用美術については一応答申においては議論されて、将来の問題にするというような答申であったのでございますし、いまの法案等においても除かれておる。こういうことについて先生の御意見がございましたらひとつ……。

中川善之助著作権制度審議会会長

○中川参考人 いま、こまかい討議の模様を覚えておりませんですが、これは参考人を呼びまして、何べんも議論いたしております。たしか二回くらいその意見を聞く会を開いたかと記憶いたしておりますが、いろいろ議論があったのでありますが、どうもつかみにくいところがあったものですから、答申、今度の法案に入らないような結果になりましたが、しかし、問題が起こってまいりますれば、やはり考えなければならぬ問題はあると思うのであります。ただ私個人として、いまちょっとこまかい点覚えておりませんが、野村さん、何か覚えていらっしゃいますか。――それでは野村参考人から……。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 審議会では、応用美術とデザイン、できるなればそれの両者の分界をはっきりしたい。ある程度美術には、応用したから美術性を失い、応用しないから美であるというような区別は非常にたいへんなので、何かもっと著作権で保護する方法はないか。現にブラッセル条約の条項でもできる限り応用美術を保護するというふうたことになっている。ただ両者の分界点は各国のデザイン法なりあるいは著作権法できめてもいい、こういうことになっているものですから、十分余地はあるのですけれども、そういうような保護をすべきではないか、こういうことを立てて、第一案はそれ。しかし長年の伝統で、応用美術はデザイン法、あるいはデザインはデザイン法、それからほんとうの美術のほうは著作権法と、こういうような区別があるものですから、それをそういう区別を適当に修正するという両案立てたわけですけれども、第一案のはっきりした区別をして、著作権領域を広めるというとおかしいけれども、そっちのほうに繰り込もうということは従来の慣習にだいぶ反対することになるので、だんだん議論の結果、第二案のほうの、それが実現しなければ当分見送りであるということになっているわけであります。ただ国際的解釈でも、応用美術のうちでも一品美術、一品工芸品、こういうものは日本の著作権法で保護されるということを日本も思っているし、国際的にもそう思っているので、おそらく今度の法案の中で美術工芸品は美術であるというようなことを書いておりますが、そういうことにいずれ入るのではないかと思います。国際的にもこの問題は重大で、ストックホルムにおいても日本代表は、現在このベルヌ同盟の中の著作権同盟とそれから工業所有権同盟の中で、応用美術とデザインの保護の方法をもっと国際的に、デザインでもなければ著作権でもない、中間的な適当な方法を編み出すということを長年研究していたのだから、その方法をもっと継続すべきじゃないか、こういうような発言をしております。日本としては、将来そういう方面において国際間におけるところの解決が主であって、それをまず見出すべきではないか。日本がデザイン法、応用美術の区別に困っているのも、輸出貿易のことを考えて、その他のことを考えているわけですから、そういう点で将来の解決に待ちたい、こういうことで、そこまで議論をしたと思います。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 野村先生は、ことに国際会議や著作権については権威者であるということで敬意を表しているわけでございますが、先ほどのお話で、審議会委員として参加されていて、そしていろいろ意見を出された。そしてその結果現在の法案ができた。その法案ができた中で、先ほど指摘された点に非常に問題がある、こういうような点が指摘されたのですが、そのほか法案全体として、先生が審議会の委員としていわゆる審議されてきたときと、いまでき上がって提出されております法案の中で非常に問題点がございましたならば、先ほど指摘されたほかにありましたら、ひとつ簡単でけっこうでございますので提出をしていただきたいと思います。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 先ほど日本がブラッセル条約に入れなくなる、冒頭に、審議会としてはいろいろな審議をしたし、そしてこの法案にあらわれているところはおおむね賛同し得るものだ、こういうことを申し上げたので、特に申し上げる点というのはありません。

唐橋東日本社会党

○唐橋委員 それでは法貴先生に一つお伺いしたいのですが、先生は、国際条約との関係で三点ほど指摘されたのですが、そのほか現在の、いま審議されようとしております法案と、それから先ほどいろいろ議論になっております国際条約との関係の中で、この点とこの点がやはり問題なんだという問題の提出だけでもひとつ――時間が非常に短いのでありましたならば、問題の提出だけでもひとつお伺いしたいと思います。

法貴次郎東海大学教授

○法貴参考人 申し上げたいことは幾らでもございますので、意見を言えといえば五時間でも六時間でも続けて、問題点について申し上げたいと思っているくらいであります。  一つの点は、著作権法の経過規定の書き方でございますけれども、ベルヌ条約のローマ規定を見ますと、その十八条に、遡及効についてこういう書き方をしておるのでございます。ベルヌ条約は、このベルヌ条約を実施する際に、その本国で保護期間の満了により外国の著作権保護期間の切れたものは、日本は保護する必要はありませんよという経過規定と、それから第二項に、他の一つの経過規定を書いている。たとえば日本の著作権法を適用すれば死後三十年、フランスは死後五十年である。フランスで死後五十年経過して消滅した著作権を、日本の著作権法で保護する必要はありませんよ。しかし、もう一つは、死後四十年を経過した著作物で、まだフランスでは著作権のある著作物がある。しかし、日本の著作権の保護期間が死後三十年であるならば、フランスではまだある著作権も、結局、そういうものは日本で保護する必要はありませんよ、こういう規定がベルヌ条約の経過規定でございます。つまり「保護ノ期間ノ満了ニ依リ」ということが書いてありますね。  それから、いまの日本の著作権法の経過規定の書き方の中には、こういう書き方が一つ入っております。現行の著作権法第四十七条でございますけれども、「本法施行前ニ著作権ノ消滅セサル著作物ハ本法施行ノ日ヨリ本法ノ保護ヲ享有ス」つまり著作権が消滅していないものは日本では保護の中に入ってくるんだ。「著作権ノ消滅」という字を使っております。  ところが、今度の国会に提案されました著作権法の経過規定によりますと、ベルヌ条約の経過規定の書き方、現行法が持っている経過規定の書き方と違うのです。それはどういうふうに違うかといいますと、この著作権法の附則の第二条に、「改正後の著作権法(以下「新法」という。)中著作権に関する規定は、この法律の施行の際現に改正前の著作権法(以下「旧法」という。)による著作権の全部が消滅している著作物については、適用しない。」つまりこの法律案の附則の第二条に、「著作権法による」という限定を入れてしまったものですから、したがって、経過規定の書き方に非常に混雑を来たしたんじゃないか。「著作権法による著作権の全部が消滅している」、したがって、それでは連合国及び連合国民の著作権特例法による著作権延長のものはどうなるんだ。万国著作権条約国の著作権保護期間についてはどう考えるんだというふうに、ほかの条約によって期間が延びたりしているものが、この法律案の経過規定の書き方では入ってこないんじゃないかという疑問がある。  ですから、結論から申しますと、この附則の第二条の「著作権法による」というのはお省きになって、ベルヌ条約の経過規定の書き方、また現行法の経過規定の書き方を活用されまして、それに何かくふうを加えられたほうがいいのではないかという点が一つでございます。  それからもう一つは、現行法に第二十八条という条文がございまして、外国人の著作権については、これは有名な条文でありまして、御承知のとおり条約と法律の効力関係については、この著作権法の第二十八条が例として引かれる場合が多いのでございます。それで皆さま十分御承知と思いますけれども、現行法の第二十八条は明治三十二年にできた規定でございますけれども、「外国人ノ著作権ニ付テハ条約ニ別段ノ規定アルモノヲ除ク外本法ノ規定ヲ適用ス」、つまり日本の著作権法は、外国人にも 原則としては適用される。しかし、日本で成立する外国人の著作権に関しては、日本の著作権法と相違があるときは条約のほうが勝つのだ。たとえばポーランドの現在の著作権期間は死後二十年でございます。一般にああいう共産圏の保護期間というのは短いのでございますけれども、ポーランドでは死後二十年である。日本の現行法は死後三十七年である。したがって、現在の時点でポーランドの著作権は、日本で死後二十年で消滅いたします。つまり日本の著作権法上の保護期間について、著作権法第二十八条の規定とベルヌ条約の第七条の保護期間に関する規定が働きまして、日本人の著作権は死後三十七年だけれども、ポーランド人の著作権は、現行法のもとにおいて死後二十年で切れますよということを、現行法の第二十八条で書いておるのであります。現行法の持っておる、外国人の著作権に関し条約と法律が衝突する場合についての書き方は、国会に提案されておる法律案には書き込まれていない。現行法第二十八条に相当する条文がどうなっておるかといいますと、著作権法案の第五条という条文になる。そこで、著作権法案の第五条には、「著作者の権利に関し条約に別段の定めがあるときは、その規定による。」ということでございまして、現行法の外国人の著作権に関しという副詞がこの法律案の第五条にはないのであります。したがって、この法律案の解釈からいうとどうなるかというと、第五条の「著作者」というのは、この法律案の第二条の第一項第二号によりまして、「著作者 著作物を創作する者をいう。」こうなります。そうすると、日本国民の日本における未発行及び発行著作物について、たとえば石川達三さんでも、丹羽文雄さんでも、この法律でいう著作者になるわけです。したがって、この法律案の第五条を適用いたしますと、著作者の権利に関し、石川達三さん、そういう日本国民の著作者の権利に関し条約と法律が違うときは、条約によって日本国民の日本における権利がきまるのだと読もうとすれば読める規定になっておるということは、そのように読めるということは――実際問題としてはそういう読み方をする人はないと思いますが、そのように読もうとすれば読めるということは、やはり条文の起草のしかたにさらに検討を要するということを示すものではないだろうかというふうに私としては考えておるわけでございます。  先ほど来時間がございませんで、ちょっと言っておることを部分的に取り消したりいたしまして、たいへん失礼いたしましたけれども、この著作権法の全面改正というときには、著作権法と同時に、先ほど申しましたとおり対日平和条約でも、それからベルヌ条約でも、万国著作権条約でも、国民を直接に拘束しているということを考えて、いわば法律ということばを広く――これは法律の側面のできごとだとか、これは法律問題だとかいうときの法律ということばは、憲法、条約を含んでおりますから、そういう非常に広い意味に法律という用語を使いますならば、著作権法の改正ということは、結局、条約と日本の国内法と、全体を対象として著作権法の改正を考えていただきたい。そうするのが普通じゃないか。ところが、私が先ほど参考人に割り当てられました十五分内外の中で問題提起をいたしましたのは、その条約面の把握のしかたが正確に考え抜かれていないのではないかという疑問が背景にありまして、ああいう三点の問題提起をいたしたわけでございます。  それからもう一つ申し上げたいことは、著作権というものは、なるほど条約や法律に書き込まれておりますけれども、アクチュアルな、現実に機能している著作権というものは、現に日本国民の間で機能している著作権そのものでございます。そこで著作権法改正という仕事は、現実にアクチュアルに働いている著作権の働き、その内容、あるいはその契約関係に対してどのような影響を与えるかということが著作権法改正の目的であるべきだと思います。  私は、実は著作権を幾らか勉強しておりますけれども、知らないことがたくさんあります。たとえば私の仄聞しているところでは、それが実際あるかどうかは必ずしも自信ございませんけれども、英国やフランスでは、音楽の著作権を管理する団体が徴収した著作権料を、岡内の著作権者に払うものと外国人に払う場合では、大体においていつでも国内の著作権者に払う割合のほうが大きい。英国あたりでは大体外国人への払いが一〇%前後だという話をかつて聞いたことがございます。ほんとうかうそかわかりませんけれども。しかし、現在日本音楽著作権協会――日本国民の音楽著作権及び全世界にわたる外国著作権を管理している日本音楽著作権協会が徴収している料金のおそらく六割五分見当は外国人に対する支払いでございましょう。外国人全体に対する支払いよりも日本国民の音楽著作権に対する支払いが比率において少ない。あるいは翻訳権というものについて留保するか、捨てるか、捨てないかという問題について考えてみますと、著作権のある外国著作物そのものについて丸善その他を通じて日本はばく大な量を輸入しております。したがって、それは出版物の印税という形で外国の著作権者に利益がいく。おそらく日本国民の日本語による著作物の輸出というものは、外国著作物の輸入に比べてほとんど問題にならないくらい少ないのではないか。そういう金額の比較を実際上の数字としてどういう関係になっておるかということをつかむことが必要ではないか。  なるほど、翻訳権を留保しろ、あるいは翻訳権は捨てるべきだという議論はございますけれども、私の考えでは、それに先立って前提として、たとえばアメリカに対して日本国民が翻訳権の使用料をどのくらい払っておるか、あるいはアメリカの国民が日本へ向けて、日本人に対して翻訳権料の支払いをどのくらいしておるか。あるいはレコードについて、音楽著作権の録音権料というものは膨大な額を日本国民は外国の音楽著作権者に払っている。ところが、外国の著作権者に払っておる録音権料の額に比べて、日本国民の録音権の料金として日本人が外国人から受け取るのはおそらく三%、百のうち三でしょう、つまり三%。多く見て五%くらいじゃないか。要するに、著作権というのは財産権でございますから、著作権が財産権であるということを考えることは、著作権の使用について日本の国と外国との間にどういうお金の受け払い関係があるかということを考えることである。つまり国際的な著作権関係について考える場合に、実際上、法律上の観点として、数字を握るという仕事は軽く見ることのできない重要な仕事だと思うのです。  そこで、著作権は財産権で、著作権の使用ということにからんでお金の受け払いが国内的にも国際的にも行なわれる。その額を何らかの方法によってつかむ。それをつかむことによって、著作権法改正上議論が対立する点に、どっちに軍配を上げるかということの有力な理由が成り立つことになる。要するに説得力を持つ議論がそこから生まれてくると思うのです。ざっくばらんに言わせていただきますれば、現在まで数年、六年ないし七年を経過いたしまして著作権法改正に従事されました方方の御苦労に対しては十分敬意を表するところでございますけれども、しかしながら、ある見方からいえば、著作権の根拠としての形式的な条約の把握、著作権成立のワクのつかみ方がどうも少し浅いのではないか、あるいは誤解があるのではないか。それから、著作権が財産権であるということから、著作権にからんで国内的、国際的にお金を払ったり受け取ったりする関係がある。そういう点についてのお金の移動の実態を政府が調査する、そういう調査は政府しかできませんからね。われわれ個人あるいは民間の団体ではできません。そういう調査こそ、実は政府が幕末的な仕事としてやっていただきたい仕事だと私はかねてから考えておりました。また、その点をかねてから論文に発表しておりますが、そういう著作権の実態に関する数字の公表というものは全然情報としてわれわれに伝えられてこない。そういうふうな地盤の上に形式的な条文だけを何から何へ変えるかということを考えるのは、つまり法律というもの、国民全体の財産権に関する法律の取り扱い方としては、私は問題があるのじゃないか、そういうふうに考えます。  先ほどブラッセル規定に入るか入らないかという点につきまして野村先生から御意見が出されましたけれども、しかし、考え方によれば、日本の隣の国のソビエトという国は国際著作権条約に入っておりません。ベルヌ条約にも入っておりません。万国著作権条約にもいまのところ入っておりません。お隣りの人口七億をこえる中国もベルヌ条約にも万国著作権条約にも入っておりません。それから日本語の著作物が互いに交流する韓国あるいは北朝鮮というところも、著作権の国際条約に入っておりません。台湾も入っておりません。そういうことで、見方によれば人口の上において世界人口の三分の一くらいは国際著作権条約に入っていない。そういうことであるし、そして日本の近隣諸国、韓国、台湾、フィリピンあるいは沖繩、ハワイというふうなところに日本の著作物を進出させるためには、日本の立場として著作権の観点から何か積極的に考えなきゃならぬ点があるんじゃないか。そういう点を考えながら著作権法改正の仕事をしていただきたい、こういうふうに考えるわけでございます。そういうわけで著作権法全面改正は――まことに関係された皆さん方の御苦労は非常に多とすることでございますけれども、著作権の全面改正の歴史から考えて、これは百年に一ぺんのことでございます。明治三十二年に著作権法ができてから約七十年前後を経て、このたび初めて全面改正の事業が行なわれ、いまここで全面改正をいたしますれば、将来まず百年近い間全面改正はできないのじゃないか。この際、条約の全体の枠の把握のしかた、それから国内的、国際的な財産権としての著作権にからんだお金の移動、そういう数字、そういうふうなものをできるだけ正確にキャッチした上で著作権法改正を考えていただきたいという熱望を持っているわけでございます。  さらに先ほど来御指摘のありました隣接権制度というふうな問題も、お書きになった御苦労はわかるのですけれども、しかし、なかなかこれはむずかしい。実にむずかしくて、表現が非常にむずかしい。それで著作権法というのは、万々御承知のとおり、一ぺん効力を生じますと、国会の外の著作権の専門家でも法律の専門家でもない映画会社の人、出版会社の人、放送機関の人が理解して、条約上、著作権法上の権利をどう扱うかということを考えなければならない。そういう実際に著作権機能を生かすべき立場にいる人たちが、いまここに提案されました法律案を見ますと、なかなか理解がおできにならないのじゃないか。同じことをお書きになるにも、もう少しわかりやすくお書きになることができるのじゃないかというのが私の考え方でございます。先ほど冒頭に申し上げました平和条約の特例法や万国条約の特例法について、このたび法律案に加えられた部分改正が何を意味するかということは、日本の法律家、あるいは著作権に平素タッチしている方でも、ちょっと読んだ程度ではなかなか内容がおわかりにならないのじゃないかということを私は考えているわけです。  もう一つお考え願いたいのは、ここまで来ましたからちょっと一点申し上げてしまいますけれども、日本音楽著作権協会という団体がございまして、仲介業務法という法律のもとに、日本国民の著作権と、ほとんど全世界的な著作権の管理とを現実に行なっておりまして、この団体の活動によりまして日本国民は非常な便利を得ていると思います。そこで、この団体の存在理由というのは十分あるとは思いますけれども、しかし考えてみますと、この仲介業務法の効果によりまして、仲介業務法のもとに政府が許可している契約約款によりまして、日本の著作者が机の上で著作物を書きますと、創作と同時にすべての音楽著作権は日本音楽著作権協会に信託財産として移転するのだということが書かれているのであります。そこで結局、いま国会に提案されておりまする著作権法案が著作権の内容を増大いたしますと、現実には、現在施行されている日本の音楽の作者と日本音楽著作権協会との契約によりまして、日本人作家の音楽著作物のすべての著作権が日本音楽著作権協会の管理下に入るということになる。日本音楽著作権協会が信託譲り受けを受けて、第三者、日本国民一般に対しては音楽著作権者になるという契約関係が成立しております。私は、こういう契約関係は非常に無理だと思いますので、国会におかれましてもその点についてお考えいただきたいと思います。  同時に、日本の著作者の方にもお考えいただきたいと思うのは、創作によって著作物ができた、著作権ができた。ところが、こと、音楽については仲介業務法と政府の許可した信託約款の働きによって、著作権の全部が音楽著作権協会にいってしまうのだ。オリジナルな著作者は著作権の活用といいますか行使について、独自の著作権行使ができない。反面からいいますと、映画会社でも出版会社でも放送機関でも、できるだけお金をたくさん出して、そして著作者と協議して一番著作物が生きるように著作権管理をしようと思うと、そういう契約の自由というものはない。なぜないかといいますと、とにかく著作者の著作した音楽著作物の著作権のすべては、日本音楽著作権協会にいくのだという契約約款が仲介業務法という法律のもとに成立しているということなんです。音楽著作権という財産権というものは、管理し、行使することによって財産権としての意味を持つと考えられます。今度の著作権法案によりまして、かりに音楽著作権の内容を増大する、増大してみても仲介業務法と信託契約の関係で、それは日本音楽著作権協会が著作権者になってしまうという法律関係にあるわけです。そういうことから申しまして、やはりこの著作権法の改正は、仲介業務法の改正とあわせ考えて御立案を願ったならばさらによい法律になり得るのではないか。さらに著作物の国内交流と国際交流、日本の著作物を外国にどのように持ち出すか、外国人に使わせるかというふうなくふうを全国民が多方面で考えることができるように、やはり著作権のレギュレーションというものを立てていただきたい。ところが今度の改正法案では、仲介業務法はわきに置きまして、仲介業務法の改正ということにはノータッチだ、形式的に成立している著作権法の改正だけだ、こういう考え方でお進めになっていらっしゃいますけれども、私はそういう進め方に基本的に疑問を持っておるわけでございます。  まだあとからあとから申し上げたいことがございますけれども、この程度にいたします。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 川村継義君。

川村継義日本社会党

○川村委員 たいへんおそくなりまして、先生方どうも御苦労さまでございます。  それでは一言お聞きしておきたいと思います。今度の法案提出にあたりまして、大臣の趣旨説明の冒頭に、「わが国の現行制度は、一九二八年にローマで改正されたベルヌ条約の基準にとどまり、国際的にも立ちおくれたものといわざるを得ないのであります。このような事情にかんがみ、」云々、そこで私はおそらく、先生方のお話にもありましたように、少なくともブラッセル条約に加盟する土台をつくるという意味で今度の改正が行なわれるであろうと実は推測しておりました。ところが、先ほど野村先生のお話を聞いて実はびくっといたしておるわけでございます。野村先生、たいへん素朴なお尋ねでございますけれども、一言お尋ねいたします。  このブラッセル条約に加盟するということ、加盟できないというお話がございましたが、加盟できない場合にわが国の著作者、著作権、そういうもののこうむる不利益と申しますか、あるいはブラッセル条約に入っている外国の著作権あるいは著作者のわが国における利便あるいは得失、そういうものはどういう判断をしたらよろしゅうございましょうか。野村先生、ひとつお話しいただきたいと思います。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 御質問の要旨をつまんで言うと、結局ブラッセル条約に入ればどういう実益があるか、こういうことだと思います。これは実は非常にむずかしくて、一がいに簡単にはなかなか言えないのですが、ことに新法案が出て内容がブラッセル基準になる、こういうことになると、国内的にはその基準にまでなっている。ただし、国際的にはそういう基準にはならないということになるわけです。その場合にまず一番ブラッセルの実益というのは、世界多数の国、たとえばイギリス、イタリア等ヨーロッパの国々、ほとんど全部の国が入っている最新基準、あまり最新でもないですけれども、現行としては最新基準の条約国になる、こういうことが第一番の利益だと思います。  第二番目には、先ほど申し上げたような一九二八年の思想あるいは技術基盤と今日の技術基盤、思想基盤とではたいへんな違いがある。そこでモラルには精神的な意味で先進国レベルになる。たとえば保護期間を五十年にする。著作権法の改正を見越して三十五年、三十七年に直していらっしゃるのも五十年を基準にしている。五十年を基準にしているということはブラッセル条約で世界的基準にする。世界的基準の最低限は五十年である、こうきめたことによってこれに入るんだから五十年にする、こういうことになるわけであります。先ほど申し上げた一九二八年のローマの条約では三十年でもかまわないというふうになっていて、ストックホルムの開発途上国議定書というのは、インドその他はきめようによっては日本のような五十年主義でなくてもいい、そういうところまで下げる利益を持っている、こういうことにあると書いてあるくらい三十年主義、五十年主義というのは条約の基盤のたいへんな違いの一例であります。したがって、その他は、ブラッセル条約というものは著作権の保護期間の例に見られるように、著作者の利益の保護が多いということをねらっているわけであります。  それから、利用者の便宜から考えても、たとえば報道の自由をブラッセル条約は非常に見ている。たとえば行列が通る、それで音楽をやりながら行列が通ったのを映画にとる、テレビフィルムにとる、その中に音楽が入っている。そういう場合には、そこに聞こえた音楽の著作権料を払わなければならないというのが原則であります。これは外国ではやかましいものですから、戴冠式に入った音楽、造船所の開所式に入った音楽、そういうものにも訴訟をして著作権料を取っているという例があります。そういうものはブラッセル条約によれば取らない、こういうことになっているわけであります。  それから写真と映画、これは現在ではブラッセル条約でないローマ条約では、映画というのは独創性がなければ写真だ、したがって十年しか保護してない。独創性があれば映画である。そういうような区別をしているのですが、そういう区別をブラッセル条約は払って、一切映画というものは著作物である。写真についても同様のことを規定しております。ブラッセル条約の中では、保護すべき著作物の中に写真というものと映画というものを新しくちゃんと掲げてある。現在の条約の二十八年のローマ条約を字義どおりに解釈すると、各締約国は映画と写真を必ずしも保護する義務を負ってない。文芸的著作物あるいは美術的著作物として保護すべき義務を負ってないと解されているものもあります。実際にはそういうことをしている国はないので、国内法で保護はしておりますけれども、条約上ではそういうことです。  あるいは放送につきましても、現在ローマ条約では第一次放送権、私たちがいまここでマイクを置いて放送するものだけのことを書いてあって、この放送がまたどこかで使われる再放送ということは書いてない。書いてないということは保護はないということであります。最近のことで一番重大になるのは人工衛星によるところのテレビ中継、この場合にローマ条約の中でいくというと、テレビ放送された放送がベルヌ条約の国の中でかってにまた再放送されて国内に流されても、著作者は何らの文句を言う権利はない。ブラッセル条約でそこまで予想したのではありませんけれども、ブラッセル条約によれば、再放送に対してもこの著作権を侵害してはならない、そういう義務が出てくるわけであります。  さらには詩の朗読、ポーエムをこういうところで朗読する、あるいは放送の上で朗読をする――国際間の著作権制度の中で、朗読というのは、さっきのレコード、音楽演奏とは同じに考えないで、軽く考えて権利を認めない、そういう時代があったのですが、アメリカでも長いことそうであった。一九五一年に法律を改正して、ポーエムを放送の中で読めば著作権料を払わなければならない、こういうように改正したわけです。それと同じようなことをブラッセル条約の中で出されてある。さらには先ほどるる申し上げたレコードの公演に対するお金を払わなければならない。どんな制限をしてもいいけれども、金だけは払ってくれよということはブラッセル条約の持ってきたものであります。さらにはブラッセル条約の中では、紛争解決に国際司法裁判所を使う。現在の条約では、二国間に紛争ができても、処理の方法としては相互で話をするよりしょうがない。今度は司法裁判所の権限として認める。  そういうようないろいろな点があります。それを外国と日本との間でどっちが得か損かということの比較はなかなかできないわけです。これは、先ほど法貴先生がおっしゃったような輸入国であるか輸出国であるか、あるいはそんなエコノミーのところには重点を置かないで、モラルの先進国の仲間のところに重点を置くか等によって違ってくるわけであります。  御質問の趣意に沿えないと思いますが……。

川村継義日本社会党

○川村委員 いま詳細にお答えいただきましたが、この際ちょっと文化庁次長に聞いておきたいのですが、いま野村先生のお話をお聞きいただいたのですが、お話のような考え方からおそらくそういう趣旨を持ってであろう大臣の説明の中にも、「この法案の趣旨とするところは、最近における著作権保護の国際的水準にのっとり、著作権等の権利の保護を厚くするとともに、」云々と述べられておる。そこで私は、先ほどちょっと申し上げたようにブラッセル条約に加盟する前提としてこの法案は提出されたと実は理解をしておった。ところが、先ほど野村先生おっしゃるように附則十四条等があればブラッセル条約にもストックホルム条約にも入れない、こういうことになるというお話、次長、あなたはいろいろお聞いただき、あるいは法貴先生の平和条約との関係等お話しいただきまして、この時点における次長さんの所見をひとつお聞かせ願いたい。

安達健二文化庁次長

○安達政府委員 ただいま参考人の方々からるるお話を伺ったわけでございますが、平和条約に関連する連合国及び連合国民の著作権の戦時加算の問題それから平和条約十二条に基づくところの万国特例法の十一条の解釈等の問題については、私どもは残念ながら参考人の意見には首肯しがたいところでございます。  それから、ベルヌ条約の改正条約に加入するという問題でございますが、これにつきましては、先般来申し上げておりますように、わが国の国際的地位の向上に即応して、できるだけ新しいブラッセル改正条約、あるいは将来発効されるべきストックホルム改正条約に加入できるようになるということが望ましいという観点は、もちろんございますけれども、同時に、わが国の著作権法でございますから、わが国の実情に即したそういう著作権制度の内容でなければならない。そういう関係で、当分の間政令でもって限定する、そういうような形で音楽の公の演奏権の一部が制限されるというようなことの関係上、ブラッセル改正条約に入れないということも、またやむを得ないところであろうと言わざるを得ない。こういうことでございまして、両者を勘案してこの著作権法案の内容となった、こういうことでございます。

川村継義日本社会党

○川村委員 いまの次長のお話、これはちょっと問題だと思います。先ほど、野村先生のほうから、いろいろとブラッセル条約に加盟した場合の著作者あるいは著作権の国際的な保護というもの、あるいは実益関係のお話がありましたが、そのようなお考えであるということになると、これはちょっと問題ではないか、そう思います。いずれ、そういう問題について、国会としては、さらにお尋ねしながら十分責任を果たさなければならないということを痛感するわけです。  私は以上で終わります。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 有島重武君。

有島重武公明党

○有島委員 貴重な御意見をいろいろ伺わせていただきましたが、時間もかなりたちましたから、ただ一つだけ中川先生にお伺いしたいのですが、アメリカのCの行き方でございますが、これに対しての評価をどのようにしていらっしゃるか、そのことを伺っておきたいと思います。

中川善之助著作権制度審議会会長

○中川参考人 私、あまり詳しく研究しておりませんので、よろしかったら野村参考人から……。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 Cというのは、アメリカでは著作権を持つためには、本を発行すると同時に、著作権所有という意味の名前と年号とを書かねばならぬということに国内法でなっておるわけですけれども、万国著作権条約でもってCをつけてあれば、そういう方式をしないでもいいのだ、こういうことになっているわけです。したがって、直接の効果というのは、日本の著作物でもCをつけてあれば、アメリカへ行って登録をしなくても著作権の保護ができる、著作権を放棄したものではない、こういう表示になるわけです。アメリカではCあるいは著作権所有ということをつけないで本を出せば、これは公衆にデレゲーションしたものだ、こういうことになるわけです。だから、日本の本が向こうへ行ってCも何もつけていなければ、それは公衆の自由に供したのだ、こういうことになって、著作権というものはなくなるわけです。Cがついておれば、著作権というものは本人にあるのだということになる、こういうことであります。しかし、日本自体はそういう方式をとっている国ではありませんから、先ほど法貴先生のおっしゃったように、つくってあれば、同時にすぐ著作権が生じる。Cというものは日本にとっては何の役にも立たないが、外国とかあるいは方式国としては、Cはそれによって著作権を放棄したものではないというような効果を持つ、こういうことでございます。

有島重武公明党

○有島委員 重ねて伺いますが、著作権の審議の段階におきまして、Cのこの行き方について特に御審議がありましたでしょうか。こういった行き方を日本の田がとったならば、どういう利点がある、またどういう弱点が生ずるか、そういうような審議はありましたか。

野村義男著作権制度審議会委員

○野村参考人 御質問の趣旨を了解すると、日本でもCをつけるような制度をとったらどうか、こういうことに聞えるわけですが、日本はベルヌ条約国である、ベルヌ条約では著作権の発生及び行使については何らの方式を課してはならない、こういう原則をとっているわけです。したがって、先ほど申し上げたベルヌ条約国五十九国の中では、アメリカのような登録主義とかCをつけなければだめだとか、そういう方式というものが使えない。ということは、この著作物が崇高なもので、つくれば、そこに生ずるのだというアングロサクソン系以外の、米国以外の方式をとっているわけですね。したがって、これから登録主義にしようじゃないかという話は出ませんでした。登録主義にすれば、文部省なんか著作権課どころじゃなくて、著作権局、特許局のようなものができてもいいくらいなわけです。だから、登録主義の利点、アメリカ式の利点というものもないことはないわけですけれども、何が著作物だかよくわからない、著作物だ著作物だと自分で言っておれば著作物になるのだ、方式国ではそういう弊害がありますが、アメリカのように著作権を登録してあれば、Cをつけてあればいい、そういうことになれば、ある程度整然とすることはあるけれども、それはたいへんなことですね。大体日本はベルヌ主義を踏襲しているから、そういう方式はとらない、こういうことで一応そういうことになっているわけです。

有島重武公明党

○有島委員 わかりました。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 他に御質疑はありませんか。――帆足計料。

帆足計日本社会党

○帆足委員 質疑ということではございませんが、理事の諸君のお許しを得まして資料の要求をお願いしたいと思います。  ただいま各参考人の御意見の御開陳は非常に有益でございまして、後ほど全文は速記録で拝見させていただきます。ありがとうございましたが、特に国際条約に対処するため、緩急よろしきを得るためには資料がなければなりません。そこで委員長のお許しを得まして、政府当局から資料をいただきにいのでございます。  後ほど書面でも提出いたしますが、第一に著作権の各代理機関の名称、その専門の担当事項、第二に各種著作権の国内の支払い額、その受領団体、関係者への団体別配分の状況、一般の使途などについて伺いたい。その次に国際収支の問題ですが、各種著作権ロイアルティーの範疇別の支払い、相手国別の支払い及び支払い総額、この支払総額はばく大なものでございます。次には各種著作権ロイアルティーの範疇別の収入額及び国別の収入額、これはごくわずかなもので、先ほどレコードなどはわずか三%くらいということでございましたが、これらの事実を統計でいただきたいと思います。それに基づいてよく研究いたして、また御助言もいたしたいと思います。  それから、時間をとりません、一、二分でございますから、お許しを願いますが、先ほどちょっと申しおくれましたが、写真の著作権につきまして、いわゆる芸術写真がおもに対象になっておりますけれども、風景写真、美人写真等のほか――私が最初写真に興味を持つようになりましたのは、キューバ、ベトナム、朝鮮等に参りまして、特にキューバにはキューバ侵攻作戦のときに参りましたものですから、それからキューバはコロンブスがたたえたように世界で一指美しい島でございますから、興味を持って参りましたが――ニュース写真も、ある瞬間をとらえる、ある激烈な瞬間をとらえる、ある場所に焦点を合わせますということは、これは非常に芸術的才能を要する問題でございますから、報道写真と芸術写真とをそう安易に区別することはできないと思います。映画にもよく出ております。そのことを申し添えておきますが、御当局において御研究ください。  さらに先ほど申しおくれました点で、写真に対しまして、だれが作者であるかよくわからない場合が多いので、それを借用いたしまして、私どもがポスターをつくります場合につい著作権のことを忘れてしまうものでございますから、でき得る限り写真製作者の名前を入れることを義務づける方向に指導する、奨励するというふうに希望いたしておりますことを申し上げまして、これまた御研究のほどお願いいたしたい。  以上でございます。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 これにて参考人に対する質疑ば終了いたしました。  参考人各位には御多用中のところ長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。(拍手)  当委員会といたしましては、参考人各位の御意見は今後の法案審議に十分尊重、反映せしめたいと存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。      ――――◇―――――

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 この際、小委員会設置に関する件についておはかりいたします。  すなわち、著作権法案及び著作権法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案の両案を審査するため、本委員会に小委員十三名よりなる著作権法案等審査小委員会を設置いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  なお、小委員及び小委員長の選任につきましては、委員長より指名いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  なお、小委員及び小委員長の氏名は迫って公報をもってお知らせすることといたします。  なお、小委員及び小委員長の辞任の許可、小委員及び小委員長の辞任に伴う補欠選任並びに小委員会において参考人より意見を聴取する必要が生じました場合の、その期日、人選その他所要の手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  次回は明後十三日金曜日午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十三分散会

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