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61回国会衆議院1969/02/26

文教委員会 第4号

発言数
92
登壇者
8
会派数
1
開催日
1969/02/26

会議録

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 これより会議を開きます。  昭和四十四年度における私立学校教職員共済組合治の規定による年金の額の改定に関する法律案を議題といたします。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 政府より提案理由の説明を聴取いたします。坂田文部大臣。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 このたび、政府から提出いたしました昭和四十四年度における私立学校教職員共済組合法の規定による年金の額の改定に関する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  私立学校教職員共済組合は、御承知のように、昭和二十九年一月に、私立学校の教職員の福利厚生をはかる目的のもとに私立学校教職員共済組合法によって設立されたものでありますが、自来本組合が行なう給付については、国・公立学校の教職員に対する給付の水準と均衡を保つことをたてまえとし、逐次改善が進められ、現在に至っております。  しかしながら、既裁定の年金額及び昭和三十六年十二月三十一日以前のいわゆる旧法期間の年金額等において、国・公立学校の教職員と比べてなお不均衡な部分がありますので、今回これらの点を改善するため、この法案を提出することといたしたものであります。  次に、この法案の概要について申し上げます。  第一に、国・公立学校の教職員の既裁定年金につきましては、過去数回引き上げが行なわれてきております。しかし、私立学校の教職員の概裁定年金につきましては、一度もこのような措置がとられておりませんので、この不均衡を是正するために、今回国・公立学校の教職員の既裁定年金の引き上げに準じて、次のような改善を行なうことといたしております。  まず、私立学校教職員共済組合法の規定による年金につきましては、その計算の基礎となっている標準給与の額に、その標準給与が適用されていた期間に応ずるそれぞれの改定率を乗ずることによって、昭和四十四年十一月分から、年金額の引き上げをはかることといたしております。また、これに伴って旧私学恩給財団の年金につきましても相応の引き上げを行なうことといたしております。なお、他の共済制度と同様、既裁定の退職年金及び廃疾年金の最低保障額を現行の六万円から九万六千円に、遺族年金の最低保障額を三万円から四万八千円にそれぞれ引き上げることといたしております。  第二に、旧法期間の年金及び一時金の額を計算する場合は、国・公立学校の教職員につきましては最終俸給額を基礎といたしておりますが、私立学校の教職員につきましては退職前三年間の標準給与の平均の額、すなわち、平均標準給与の額を基礎といたしておりますので、この不均衡を是正するための率を政令で定め、この率を旧法期間の年金及び一時金の額を計算する場合の平均標準給与に乗ずることといたしております。  第三に、他の共済制度の例に準じて、給付等の基礎となる標準給与の月額の下限を現行の一万二千円から一万八千円に、上限を現行の十一万円から十五万円に引き上げることといたしております。  最後に、この法律の施行日につきましては、厚生年金保険における年金額の引き上げが本年十一月一日から実施の予定であること及び準備の期間等を考慮し、既裁定年金の引き上げ及び旧法期間にかかる給付の改善については昭和四十四年十一月一日とし、既裁定年金の最低保障額の引き上げ及び標準給与の月額の上限・下限の引き上げについては他の共済制度の例に準じて昭和四十四年十月一日といたしております。  以上がこの法律案の提案の理由及び内容の概要であります。何とぞ十分御審議の上、すみやかに御賛成くださいますようお願いを申し上げる次第でございます。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。  本案に対する質疑は後日に譲ります。      ————◇—————

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。西岡武夫君。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 明治以来わが国が資源の乏しい自然条件を克服して発展をいたしまして、第二次世界大戦における敗戦とその荒廃をも乗り越えることができたのも、ひとえに私どもの先輩が何よりも教育に力を注いできた結果であると考えるのでございます。この経験から、私どもはこれまで以上に教育を重視し、新しい社会の進展に対応した教育の改善に積極的に取り組むことが必要であります。そうでなければ、今後激動する科学技術の革新の中で、わが国が発展を続けることは不可能であると考えるのでございます。また、これからの教育には、これまでにない人間疎外の問題という難問題に解答を与えていかなければならない使命があると思うのでございます。したがいまして、教育行政の最高の責任者である文部大臣の責任の重大さは申すまでもないわけでありますが、文教委員の一員としても、私自身もその責務を自覚するものでございます。  以上の観点から、過般行なわれました文部大臣の所信表明を中心に、大学問題をはじめ、文教行政の基本に関し質疑を進めていきたいと考えるのでございます。  私は、今日わが国をおおっております大学紛争について、まず第一に政治の責任というものを痛感をするものでございます。過去十数年間、わが国は経済的発展のみにその精力を集中させてきた観がございます。その間、制度と実態との間にいろいろな矛盾が増大をして、これに目をおおってその根幹にメスを入れることを怠ってきたという感じがするのでございます。教育制度につきましても、根本的な手術を必要としながら放置されたものの一つであり、大学という最も矛盾の多いところにそのうみが出てきた。これが今日の大学問題であると考えるのでございます。  第二の責任は、大学の学長、教授会の姿勢にあると考えるのでございます。大学教授の水準の低下、教授会の封建性はもちろんのこと、東大の例に見られるごとく、学問の自由と大学の自治とを、故意にかどうかは別といたしまして、これをゆがめて解釈をして、一時期におきましては大学内の暴力を黙認をした。これが今日の事態にまで紛争を拡大させた大きな要因であったと考えるのであります。  政治の責任とこの大学当局の責任を思うときに、一部の職業的革命家としての学生は別といたしましても、ゲバ棒をふるう暴力学生は、法の秩序を無視した、学園を破壊する加害者であるとともに、一面では、ゆがめられた教育とその制度のもとにおける被害者でもあるというふうに考えるわけでございます。この点の認識につきまして、まず大臣のお考えをお聞きしたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 お答えを申し上げたいと思います。  今日の大学の紛争の原因につきましては、非常に深い、また広範な原因がある、種々の要素があるというふうに私は思うわけでございます。学生の意識の低下、また量的にも質的にも変化をいたしましたこの国民のための大学、それにこたえるだけの大学当局の姿勢というものが今日問われておるのではなかろうかというふうに思うわけでございます。  政治の責任ということでありますが、御承知のとおりに、新制大学が発足いたしましてから、はたして新制大学という一つの理念に徹した考え方で大学当局がこれをとらえ、そしてこれに応ずるような、社会の変化に応ずるような態勢をとってきたか、また、それに対しまして、私ども文部当局といたして指導、助言という形で——第一義的には大学の管理運営の主体を大学当局がとる、しかも学問の自由と、それに伴うところの大学の自治ということを大学みずからがまず直接責任を負うということであったかと思うのであります。それに対して私どもの文部省というもの、そしてまた文部大臣としての国民に対する責任というものは、確かにその指導、助言を通じて初めてその責任があるわけでございまして、この一つの制度というものを考えました限りにおきましては、やはり最終的な責任は私が負わなければならないと思いますけれども、ただいま申し上げましたような意味合いにおいて、第一義的には大学当局みずからがその責任を負うべきものである。その責任の負えないことまでも負えと言われても、それは負えないわけなので、その辺のことを、はっきり責任という問題についても明確にすべきじゃなかろうかというふうに私は考えるわけでございます。  とにかく今日、戦前の八万くらいの大学生から国公私立を合わせますと百五十万の量的拡大を行なってきておりますし、そしてそのことは、一面においてまた日本の経済及び社会の発展、あるいは文化、教育の発展の上において非常に貢献をなしてきておるというふうに私は思うわけでございます。しかし、その量的な拡大を急ぐのあまり、質的な面におけるわれわれの責任を果たし得なかった点も、私は率直に反省しなければならないのではないかというふうに考えておるわけでございます。同時にまた、大学当局にいたしましても、今日学内的はそういう改革すべき、改変すべき多くの問題はありますけれども、同時に第一義的責任を持っておりまする大学当局みずからが、はたして国民のための大学に変貌した大学のあり方に十分対応しておるかどうか、またそれに対する努力をなさったかどうかということを考えると、どうもそういう点について、やはり昔の旧帝国大学、あるいはさかのぼりますならば十九世紀のフンボルトの大学の、たとえば学問のうんのうをきわめる、あるいはまた一部エリートのための大学、社会とは隔絶したような形においてその学問研究を行なうという理念を、戦前においても受け継がれ、そしてまた戦後の新制大学になりましてもなおかつそういう考え方でこれを受けとめておったのではなかろうか。そうして学部自治ということがむしろ学部の閉鎖的な形となって、あるいは学部のエゴイズムとなって、全学的な意思の決定ということについて欠くところがあったのじゃないか。  かつては学問の自由というものにつきましても、外部勢力、ことに国家権力からこれを守るということであった。しかし、戦後におきましては、それに加えまして、特に今日の段階におきましては、現在の東大の加藤執行部自身も一月十七日の私との協議会の際にも申しておりまますように、いまや東大は学内問題だけではなくて、一部学生の暴力的な、一つの政治主張を持った学生によって学問の自由と大学の自治が侵されようとしておる、こういう認識を持ってきておられるわけでございます。  しかも大学自治の美名のもとに大学がその拠点とされておるということに対する反省と、それからまた積極的な考え方からいたしまして、御承知のような安田講堂を占拠しておりますところの共闘会議の不法状況を排除するために機動隊の要請をいたし、そしてとにかくこの半年にわたるところの不法状況を排除した。こういう一つのき然たる、管理者としてまた大学当局として、国民に対する責任といたしましてこういうことをもう少し早い段階においてお考え願わなければならなかったのではないかというようなことが一つはあるのじゃないか。そういうことについての国民に対する文部大臣としての責任といたしまして、それを十分に指導、助言という形で果たし得なかったことは、また私といたしましても率直にこれを認めなければならない、かように考える次第でございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 大学問題を考えるにあたりまして、私は二つにこの問題を分けて考えなければいけないと思うわけであります。一つは、現在荒廃しております各大学の秩序をいかにして回復させていくかという問題であります。もう一点は、大学制度自体の根本的な改革でございます。この大学制度の根本的な改革につきましては、今後相当の時間をかけて国民的論議の上で答えを出していかなければいけないと思うわけでありますが、当面の学園の秩序を守るという問題につきましては、学問の自由を守り、そして教育の場を確保するという責任からも早急に対策を立てなければいけない。こういった二つの問題に分けて考える場合に、文部大臣として、これからどういうスケジュールでこの問題は取り組んでいかれるか、その予定表といったものをお示しいただきたいと思うわけであります。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 現在のところ、率直に申し上げまして大学改革の内容、方法、スケジュールということが具体的にきまっているというわけでございません。しかしながら、文部省といたしましては、御案内のとおりに、四十二年七月におきまして、「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」という疑問を中教審にいたしております。それから学校教育の総合的な拡充整備という観点から、高等教育の長期的な課題につきまして御審議をわずらわしておるわけでございますが、さらに昨年の十一月、最近の大学紛争にかんがみまして、新たに「当面する大学教育の課題に対応するための方策について」ということで諮問をいたしておるわけであります。御承知のとおりに、たとえば一般教育の問題をどうするか、第二番目といたしましては学生参加の問題をどうするか、あるいはまた、それに付随いたしますところの管理運営をどうするか、それからあちこちに紛争が拡大いたしておりますが、この当面の紛争解決の処理をどうしたらいいだろうかというような、四点についての諮問をいたして、せっかく第二十四特別委員会におきまして検討いたしておるわけでございます。三月の初旬かあるいは中旬ごろになるかと思いますけれども、すみやかにこの御答申を得たいというふうに考えておるわけでございます。  また、いま仰せのとおりに長期的な、第二次大戦以後におきますところの社会の変化に対応する国民のための大学というものはどうなくてはならないかということについては、やはり各般の慎重な御検討がなされなければならないじゃないか。各党においても、やはりいろいろそういうような大学のビジョンを出しておられる段階でございますし、また世間の方々に対しても、大学問題というものが今日このような形において提起をされた時代はいまだかつてないのではないかと思うので、この際一般の方々も、大学問題を、単に学生問題である、あるいは大学の教授だけの問題であるということじゃなくて、広く御検討をわずらわされなければならない。  そういうわけでございまして、私といたしましては、お説のとおりに、文部大臣としてそういうようなスケジュールで、一応長期的な問題については、私の諮問機関でございます中央教育審議会で御検討をわずらわす。また、中央教育審議会におきましても、各党の御意見やあるいは各界、各層の御意見等を踏まえて、そしてその結論を出していただくというような運びになるかと思うわけでございまして、お説のとおりに、やはり長期的な問題については多少時間がかかる。しかしながら、現在のこの紛争の問題を一体どうするかという問題につきましては、やはり私も最高の責任者といたしまして、とにかくこの現在の学内に横行いたしておりまする暴力というものは、それが何派であれかに派であれ、どういう派であれ、およそ大学というところはこれは良識と良心の府であって、暴力というものは許されないのである。暴力ということが横行する限りにおいては、大学の本質である学問の自由というもの、大学自治というものは成り立たないのであるという確信を持って、全教官か一致してこの排除のために努力をしていただく、またそういうき然たる認識を持っていただく、また学生もそういうふうに持っていただく、世間もそういうふうに持っていただくということを、第一義的に考えなければならないのじゃないか。第一義的に考えるけれども、もしそれでもどうしてもいけない場合においては、何らかの形においてこの暴力の排除というものを考える必要があるというふうに思っておるわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 将来の大学、新しい大学に対する大臣のビジョンにつきましては、後ほどお尋ねを申し上げたいと思いますが、今度の東大をはじめとする大学紛争の経過の中で、国民がまず一番初めに感じたのは、一体文教行政の最高責任者である文部大臣は何をやっているのだ、もっといろいろな処置をすることができるのではないかという一種の歯がゆさと申しますか、そういうのが率直な国民の感想ではなかったかと思うわけであります。その点につきまして、一体いまの文部大臣、いまの制度のもとにおける大臣としての権限と申しますか、国立大学にどの程度までの指導ができるのか、その点をひとつ明確にしていただきたいと思うわけであります。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 率直に申しまして、文部大臣というものは、やはり国民の側からいいますと、何か非常に権限を持って左右できるように思われておるということは事実だろうと思のでございます。でございますけれども、今日文部大臣の権限は、御承知のとおりに文部設置法によりまして一般的に大学の運営に関する指導と助言ということのみでございまして、しかもその上において、大学に対してこの指導、助言をいたしますること、当然の措置としての指導、助言をやりますること自体に対しましても、大学当局みずからが、何か干渉しているというふうに、一種のアレルギーと申しますか、そういうものがこの二十年間あったのではないか。つまり、大学というものの学問の自由というものを政府から、あるいは憲法で保障されておるということと、それから何もかにもとにかく批判は許さないのだ、批判を許すことは学問の自由を侵すことである、こういう錯覚があったのではないかというふうに私は思います。しかしながら、御承知のように文部省設置法によりますと、別段の法律の定めがない限りにおいては、行政上及び運営上の監督を行なわないものと規定されておるというのが、この内容なんです。詳しいことは政府委員から……。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 大学に対します文部大臣の権限は、国公私立大学一般に対しましては、いま大臣から御説明のありましたように、文部省設置法に定めるところによりまして、その運営に関し指導、助言をする。ただし、法律上別段の定めのない限りにおいて監督を行なわないということが定められております。なお、国立大学につきましては、文部大臣は設置者でございますので、学校教育法五条にありますように、設置者は、その設置する学校を管理し、その経費を負担するということで、管理、経費負担の責任がございます。設置者としての文部大臣の権限につきましては、設置の態様につきましては国立学校設置法で定められておりますし、また、国立大学が国の機関であるという関係から、たとえば財政法第九条あるいは国有財産法、あるいは物品管理法等、会計に関する諸法規につきましては、法律の定めに従いまして監督できる権限を有しております。また、人事に関しては、国家公務員法なりあるいは給与法、それから教育公務員特例法の定めるところに従いまして、特に教育公務員特例法の定めに従いまして、大学管理機関の実質的な選考あるいは上申に基づきまして文部大臣はその権限を行使することになっております。  大体以上が文部大臣の大学に対する権限行使の法的根拠及び概要でございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 そうしますと、大臣は、東大紛争をはじめとする大学紛争の経過の中で、これではいけないのだと具体的にお考えになって、何らかの立法的な措置をしてでも大学に対する何らかの権限を持つべきであるというようにお考えになっておられますか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 その点につきましては、まさに中教審に私は諮問をいたしておるわけでございます。しかしながら、私は、やはり第一義的には、大学みずからがそういうようなき然たる管理者としての責任あるいは国民に対する責任というものを果たしていただくということが前提でなければならない。その限りにおきまして、私どもはあくまでも学問の自由、それに伴う大学の自治というものを尊重していく、第一義的にはやはり大学当局を信頼していくのだ、こういうことが基礎でなければならないというふうに思っております。しかし、非常な事態が起こる、あるいは起こりつつあると、見る人もあるかもしれません。その事態もいろいろ考えあわせまして、中教審等の御意見等も承りながら慎重に対処をいたしたい、かように考えております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 そうしますと、具体的にはいつごろまでに中教審の答えが出て、そういった問題を具体的に実施されるという予定になっておりますか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 先ほどもちょっとお答え申し上げましたように、一応さっき申しました第二十四特別委員会の四項目については、あるいはそのうちの学生参加の問題については、三月初旬あるいは中旬ごろに出るものと期待をいたしておりますし、間もなくその他の問題についても順を追うて答申をされるものだというふうに聞いておりますが、場合によりましては、むしろ参加の問題というような問題についてはもう少し、ただ中教審で御審議になるだけでなく、中教審自身といたされましても、先般、たとえば会長招待というような形で若い東大の助教授二人あるいは学習院大学の助教授一人、その他評論家の若い人たちの意見も聞かれましたし、その前にもたしか会長招待という形でいろいろ各方面の意見を聞いておられる、そういう柔軟な姿勢をとっておられるわけでございます。したがいまして、あるいはずばりと三月の中旬ごろに中間答申という形でということではなくて、むしろ草案という形でこれをある程度世に問われるというようなことも実は聞いておるわけでございます。ただ、その当面の紛争処理の問題については、引き続き御検討いただくと思いますが、この点につきましても、何らかの形において出てくるだろうと思っておるわけです。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 現に三月三日から国立大学の一期校の入学試験が始まるわけですが、入学試験が安心して行なえるかどうかという点にも相当不安が出ているわけであります。こういう切迫した状態の中で、いつまでものんべんだらりと、中教審で審議されているからということだけで済まされる問題ではないと考えるわけでございますが、その点は責任を持っている文部大臣としてどういうふうに、いつまでに措置をするか。また、国民各層の中には、紛争中の大学にはもっと断固たる措置をすべきじゃないかという声すら出ているわけであります。たとえば半年余も紛争を続けて、解決のめどがついていない大学に対しては、休校あるいは廃校処分にすべきであるというような意見すら出ているわけでありますが、そういう国民の声というものを前にして、大臣、当面、具体的に早急に何らかの措置をすべきだというふうに感ずるわけでありますが、その点について、くどいようでありますが、お聞きしたい。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 当面の私の責任といたしましては、御承知のとおりに東大及び教育大学の体育学部を除く入試中止がきまったわけでございまして、その方々に対しても、行政措置としてほかの国立大学に増員をお願いをしておる、こういうことでございます。また、その入学試験ということは、単に国立だけではなくして、公立も私立もまたその影響するところは非常に大きうございますし、ことにその入学せんとする人たちの心情を思いますときには、まことにしのびがたい点もあります。また、御父兄の御心配もあるわけでございまして、私どもがそういうような形で入学を中止いたしましたということもありまして、私は全力をふるって、あらゆる措置をとって、場合によっては非常的な形においてでもどうしても入学実施だけはやらなければならない。現在入学実施をきめておりまする大学については、万難を排してこれをやるように努力を傾けておるわけでございます。  具体的にという御質問でございますけれども、具体的にということはないというならば非常に失望なさる方もあるかと思いますけれども、やはり私があまりそれを申しますことが、かえって刺激を強めるということで、また紛争を招くということもございます。私は、いまここでは万難を排してやるつもりでおるわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 昭和三十七年から八年にかけてでございましたか、池田内閣の時代に、やはり中教審の答申に基づいて大学管理法案というものが準備されたわけであります。大臣、今国会にそういったものをあるいは準備されるかもしれないということをお考えでございますか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 確かに三十八年ごろに大学管理法が問題になったことがございます。しかしながら、国立大学協会等の御意見もございまして、結局これを法案として通過を見なかったわけでございますけれども、やはり大学の問題というのは非常に大きい問題を控えておりますし、ことに現在の大学制度そのものが今日問われておるというときでございまするから、この点については、やはり長期的な形で考えなければいけないのではないかというふうに思います。ですから、ただいまのところは私どもは大学管理法という形のものは考えておらないわけでございます。でございますが、その前提として、やはりいま必要なのは、むしろ先ほど私が申しましたように、大学当事者、大学当局みずからが、その理由のいかんを問わず、大学というたたずまいは暴力は絶対に許すべきものではないということを、ほんとうに心の底から再確認をし、そうして学園内の暴力の排除に積極的に当たる。場合によっては、どうしてもいかない場合には、自分たちに物理的な力がないわけでございますから、むしろその学問の自由を守るために、あるいはその学問の研究と教育とを正常にやろうという多数の一般学生がその暴力のためにやれないでおるわけでございます。学ぶ自由というけれども、その学ぶ自由が侵されておる、研究しようとしておる教授の研究というものが、その暴力によってまさにやれない状況にあるわけでございますから、やはり大学当局みずからが何とかして自分の力でやれない場合は、むしろ警察を導入してでもそれを排除して学問の自由を守るという、こういうことが必要ではないだろうかというふうに私は思うわけでございまして、それが私は大学の国民に対する責任であって、一年間も授業をさせない状況に置くということ、あるいは東大の場合においては、四億数千万円のいわば国民の税金を破壊にさらしたままでおるということ、あるいはまた研究者として一番の命として考えなければならないところのその研究の資料であるとか、あるいは設備であるとか、そういうものを侵されたときには、むしろ学者としては基本的人権を侵られたというような気持ちで、これを排除するためには警察力をお願いをするということが当然なことであって、それをやらないということは、むしろ学問の自由というものをほんとうに考えていないということにつながるのではなかろうかというふうに私は思うのであります。そういうことが前提にならなければいけないと思うのでございまして、将来の新しい大学というものは、先ほど申しますように、各党でもいろいろお考えのようでございますし、また政府も考えておりますし、また皆さん方もお考えでございますから、そういうようなことをやはり長期的に慎重に制度の改革については考えるべきだと思います。しかしながら、当面のこの横行いたしておりまする暴力というものを、いかにして排除するかということについては、これはここにお集まりの各党の委員の方も御異論のないところだと私は思うわけでございまして、この点については、もし何らかの措置が必要であるとするならば、考えなければならないのじゃないかというふうに考えております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 そうしますと、大学管理法という総体的なものではなくて、たとえば中教審から学生の地位についての答申が出た場合には、この答申の内容によっては、その問題だけを取り上げて法制化していく、そういうふうなことを一つ一つ取り上げて処置をしていくというお考えでございますか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 これはやはり中教審の答申の内容によると思うのです。それを見まして、行政措置としてこれを扱うのか、あるいはこの点については法律改正の必要があるのか、それは出ました時点において考えていきたいというふうに私は思っております。

河野洋平自由民主党

○河野(洋)委員 関連して。ただいまの文部大臣のお話で、文部大臣というものは、国立大学については設置者として管理上も責任があるし、財政上も責任があるというお話でございました。私は、やはり国民のかわりとなって文部大臣が国立大学についてはいろいろ指導、助言をなさっていくべきだろうと思いますけれども、現在新聞等によりますと、全国の国立大学七十五校のうちの約五分の一にも及ぶ十四校が学長の座が大ゆれにゆれて、学長不在の国立大学が全国で十四校もある。そうして学長が学長代行になり、さらに代理あるいは事務取り扱い等、いろいろな名前で一応執行はしておられるけれども、こんな体制で十分に国立大学が管理できるものだろうかどうだろうか。国立大学の設置者として責任をお持ちの文部大臣は、こうした事態についてどうお考えになっておられるか。あるいはこういう十四の大学で学長不在のまま入学試験という学校ではたいへん大事な時期を迎える、この時期に国立大学に対して何らかの指導、助言をなさるべきではないかというふうに考えるのですが、その点を伺います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 河野先生おっしゃるとおりだと思いますけれども、実を申しますと、先ほどもちょっと触れましたけれども、今日の大学の紛争の原因はもろもろの原因があることはわかる。それは事実であると思います。非常に量的、質的な変化に対応できない大学当局を責めるということも——責められるべき責任があるとは思いますけれども、しかしながら、最大の理由は何かというと、まさに今日一つの政治目的を持った学生集団が、学外、学内を問わず、大学を、大学自治の名において、これを拠点としてその政治運動を続けておるというところに実は問題があるのであって、もしそういうようなものが排除されたならば、現在の指導、助言というような形において、あるべき国民のための大学というものも、大学みずからの力によってもある程度できるのではないだろうか、あるいは大学の秩序維持ということもできるのではなかろうか。ところが、いま申しますような暴力的な性質を持った学生集団が相呼応いたしまして全国的にこれを行なっておるというところに大きな問題があるので、この問題をもし各党そろってでも排除できるようなことになれば、私の与えられております指導、助言というものは効果的に動くのではないか。(「弱い、弱い」と呼ぶ者あり)弱い、弱いとおっしゃられますけれども、実態はそういうことではないかというふうに私は思うのでございます。

河野洋平自由民主党

○河野(洋)委員 関連ですから簡単にやりますけれども、大学学術局長に伺いますけれども、私は、たとえば新潟大学の例をとりますと、新潟大学では十八日に山内学長がおやめになって、この十八日に学長代行に就任した鈴木教養部長が四日目にして執行部総辞任を表明した。発令前の辞意表明だと私は聞いておりますけれども、こんなにぐるぐる執行部がかわって、しかも発令前に辞意を表明するような管理者であって、一体大学学術局長として、新潟大学なんかまかしておけるのかどうかという気がするのですが、だいじょうぶですか。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 正常な管理者である学長の不存在というのはきわめて遺憾であります。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 先ほど大臣もお触れになっておられましたように、いまの大学紛争を見ておりますと、もちろん大学の制度自体に、その根幹に病原菌があるということは事実でありますけれども、紛争の直接の原因としては、やはり一部の政治的な意図を持った学生によって教育の場が破壊されておる。したがって、多くの学生は勉学したい、学びたいと思っているにもかかわらず、それができない。だからこそ国民は、文教行政の責任者である文部大臣に何とかしろという気持ちを持っているのであろうと思うわけであります。  また一方、何かしら大学紛争の経過の中で見られますのは、大学が単に大学人だけの大学である、国民の大学であるということを忘れているという感じがするわけでございます。これも国民の怒りが政治に集中をしてきている大きな原因の一つであろうと思うわけであります。したがいまして、大臣はいろいろな配慮から慎重なことを先ほどからおっしゃっておられますけれども、必要とあれば、やはり勇気を持って対処しなければならぬ点は対処していただきたいということを強く要望するものであります。  それから、いまの文部大臣には指導、助言以外にはあまりたいしたことはできないということでございますけれども、ただ、それでも、いままでの大学の問題に対していろいろこまかい配慮というものがもっとなさるべきではなかったかということを感ずるわけでございます。たとえば大学生の下宿の環境とか、あるいは精神衛生に対する配慮とか、そういうものが文教行政の立場ではたして十分配慮されていたかどうか。ただ単に指導、助言あるいは法律が守られ予算の使い込みがなかった、その点だけを監督するというのではなくて、そういう面からも十分な配慮がなさるべきではなかったかということを感ずるわけでございますが、その点の文部大臣のお考えを承りたい。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 私も十分であったとは思っておりませんし、もう少しこれから、そういうような学生の生活といいますか、そういう面にはやはり相当のお金をつぎ込んで、学生がそのスチューデントライフを楽しめるような、あるいはまじめに勉強できるような環境をつくっていかなければならぬということは、まことに西岡委員と同じ考えでございます。  しかしながら、たとえば学生会館とかいうものを相当あちこちにつくったわけですね。ところが、まさにいまの政治的な運動の場にこれが供されまして、せっかく国民の税金を使ってつくっておるにかかわらず、あるいは学寮にいたしましても、ドーミトリーにいたしましても、そういうものができておるにかかわらず、そういう政治的な活動家のためにこれが乗っ取られて、それが拠点にされておるという事実もあわせて考えなければいけないのではないか。一体、そういう一部の人たちの政治運動の場に学生会館や学寮というものが供用されるということであったら、一般学生がほんとうに正しい意味におけるスチューデントライフを求めておっても、これは求められない。この点にいつては、やはり大学の学生でございますから、相当良識を持っておるべき人たちでございますし、やはり自分たちの自治活動の中においてこういうようなことを排除する気持ちというもが一般学生の中から出てくるということが前提とならなければいかぬのじゃないかというふうに考えます。  しかし、一面におきまして、たとえば今日の二十年間の科学技術の異常な進歩、そしてそれに社会が非常に激しい変化をいたしております。あるいは都市集中というものが行なわれております。御承知のように、七つの大都市に全体の学生の六〇%の学生が学んでおるということから考えますと、やはり過密都市と今日の学生紛争というものもある程度かかわり合っておる。それから世界的に共通な面からいいますと、やはり機械文明の異常な進歩の中において人間性というものが問われておるその共通な部面がある。そういうようなわけでございまして、たとえば京都大学、東大等におきましては、前々から、入学してまいりまする学生に対する健康管理の面から、精神衛生の面から相当の学問的な調査をいたしております。その調査によりますると、京都大学の場合においては一二%から一三%程度毎年精神障害たとえば分裂症であるとか躁鬱症であるとか、その他の精神障害を受けておる人たちが多いというデータが出ております。ほぼ同様のことが東大にも出ております。これは単に日本だけではなくて、アメリカの、たとえばカリフォルニア大学のバークレーあるいはまたハーバード大学あるいはケンブリッジ、ロンドン大学というような世界の一流校、名門校といわれるところに一二、三%の精神障害の学生がおるということは、まさにこれは文明というものについてもう一度われわれは考え直さなければならない時代に来ておるんじゃないかということがいわれるわけでございまして、文部省といたしましては、この点に着眼をいたしまして、実は保健管理センターというものを、いまも申し上げますように、東大、京都大学その他現在十二でございまして、本年度の予算案にお願いをいたしておりますのが九つございます。そういう保健管理センターの充実というようなことにつきましても配慮いたしておりますし、また一方、運動場であるとか、図書館であるとかあるいは育英、奨学の制度について、不十分ながら徐々に改善を加えてまいっておるというのが実情でございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 次に、東大のその後の動きについて質問を進めてまいりたいと思いますが、非常に大きな問題になりました東大の確認書でありますが、この東大の確認書が持っております大きな問題点は、第一は、その底流にあるところの暴力黙認の姿勢である。これが第一点。それから学園を治外法権化するような印象を与えているということ。それからもう一つは、教える者と教えられる者という教育本来の人間関係というものを否定しているがごとき点にあると私は思うわけでございます。こういった点は、一月の二十四日でございましたか、東大の法学部の教授会が出しております報告書の中にも指摘をされているところでございます。こういった点から、文部省が先般東大当局に、八日でございましたか、東大確認書に対する見解を出しておられますが、この点文部省の見解、私も全面的に支持をするところでございます。  ところで、その後東大当局は依然としてその確認書を前提とした改革というものに取り組んでいるように見受けられるのでありますが、その後の動き等についてお知らせをいただきたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 確認書の問題については、非常に各党でも、あるいは世間でも御議論であったところでございますが、そもそも確認書なるもの、あるいは確認書の前提となりました加藤提案なるものは十二月二日に出ておるわけであります。これが実に文言があいまいもこといたしておりまして、学生側がこういうふうに有利に解釈するならばこういうふうになる、ある人が別な立場で読むならばこうなるというものでございます。非常に幅があるわけでございますね。したがいまして、そのあいまいであるがゆえに、十二月の二十六日だったと思いますけれども、執行部はさらに基本的見解というものを出したのであります。その基本的見解を読みましても、これまた学生側から読むならば、それを前提として考えれば、御指摘のような暴力肯定みたいなようなものにもなるであろうというようなことでございます。そこで、さらに七学部集会が行なわれ、確認書が取りかわされ、そうして一月の二十八日だったと記憶いたしておるわけでございますが、この日に加藤代行は分厚い、経過とその背景、そしてまた説明書なるものを添えたわけでございます。そうしてそれを二月の十一日に二十六項目——あれ十項目といいますけれども、それをまた詳しくしますと二十六項目かに分かれておるわけです。そうしてその二十六項目のうちの十五項目というものが、これは学生側も承認し、執行部も承認したものだけを一応批准をしたということになっておるわけでございます。その際に、加藤執行部の説明によりますと、自分の最後の一月二十八日のこの詳しい分厚い説明書を読んでもらいたい、これが加藤執行部のその評議会で確認をされた一つの線なんだ、こういうことなんです。そういたしますと、前々いろいろ議論されました、これだけの幅のあったものが——その間には私は指導、助言のつもりでございますけれども、たとえば法制局見解というものを一月三十一日に法制局長官から受け取りました。たしかこれをお願いしたのが一月十八日だったと記憶をいたしておりますが、そうしてそれを受け取ったのが一月三十一日だったと思いますが、これをたしか二月の三日に先方に手渡しておるわけでございます。  それから、単に違法であるかどうかというだけではなくて、やはり大学というものは良識と良心の府であるという意味において、適当であるか不適当であるかということがむしろ論ぜられなければならぬという意味合いにおいて、私どもといたしましては二月の八日文部省の見解というものを出したわけでございます。そういう形でございますが、とにかく加藤執行部の確認書なるものは、二十六項目のうちの十五項目については、一応その承認をした学部と執行部との間において批准が行なわれておるという形なんであります。しかしながら、この加藤提案なるものは、おそらく私は紛争収拾の一つの手段としてお考えになったんじゃないだろうかというふうに思います。その後、これについて何らのまだ意思表示はなされておらないわけでございます。それからまた私どものほうでも、その手渡しまするときに文部省の見解を示しますときにも、なおかつ加藤さんのこの説明書を読んでもなお若干の部分については真意を聞いてみなければわからない部分がある。この点についてはあらためて御協議を申し上げあるいはお話を承るということもあるかと思いますが、いかがでございますかと申しましたら、それに対しては、そういたしましょうという関係になってきておる。その間御承知のように一月六日ぐらいから、これは加藤執行部の一つの諮問の問題点を指摘いたしまして、かりの調査委員会をつくりまして、問題ごとに答申をもらっておられるわけでございますが、それが新しい大学像の一端を示しておる。それは各社で多少発表されておりますし、私たちの手元のほうにも来ておりますが、これについても私どもといたしましては検討を加えてまいりたいと思いますが、その大まかな筋は、そう確認書のあの最初のわれわれが心配いたしましたような点はないようでございますし、確認書そのものがやはり紛争解決の一つの手段として考えられ、そしてその場合、私は十二月の時点におきましても、これが将来の大学の基本的問題にかかわる問題については十分御考慮いただきたい、あるいは各大学に影響を与えるようなことについては十分お考えをいただきたいというようなことは強く要望をいたしておるわけでございまして、その点をやはりある程度はお考えいただいて、このような経過になったんじゃないかというような気持ちもいたしておるわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 東大の確認書が持っておりますもう一つの大きな問題点と申しますのは、いま大臣が最後におっしゃいました、昨年の暮れに加藤代行と東大の入学試験を中止するということを決定された際に、大臣が加藤代行に対して要望をされました三点の中で、紛争解決に際し大学制度の基本にかかわり、あるいは他の大学に影響するような事項については慎重を期せられたい、これに明らかに反していると考えるからでございますが、すでに東大の確認書が出てまいりましてから、明らかに東大確認書に影響されたような動きが他の大学に出てきているやに見受けられるわけですが、その点に対してどのようにお考えになられるか。実際に北海道大学等でそういった事例が出ております。その点について大臣の御見解を承りたい。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 御指摘のとおりに、やはり確認書問題については相当の影響を及ぼしておると思います。たとえば学生参加の問題についても、最初十二月二日の加藤提案を読みますと、団体交渉権までを認めるというようなことでございますけれども、およそ学問の府においてそういう力関係があそこへ持ち出されるということを非常に意外に思ったわけでございます。最終的な加藤執行部の見解を見ますと、その中において、その対象とする内容は人事権は含まないのだ、あるいは予算の執行は含まないのだというふうに書いてあるわけでございます。そうすると、学生の意思の反映あるいは反対意思の表明というものをどういうふうに具体的にやるかということをこれから考えようということになっておるわけでございますけれども、しかし、その最初の提案があいまいであり、あるいは十二月の段階の二十八日の基本的見解でもその点があいまいでございましたから、それを踏まえて確認書というものはこういうものだと自由かってに、実は最終的なことがまだその時点では公にされていない、その影響で各大学に相当な影響があったということは、これは私も事実上認めざるを得ないわけでございます。でございますから、それにつきましてはわれわれのほうといたしましても、東大の確認書はこうだ、それからそれに対する法制局の見解はこうだ、そしてまた文部省の見解はこうだというものを、国立大学はもちろんのこと、各公私立の大学に至るまでの団体にこれを送付をいたしておるわけでございます。という意味は、よくお考えをいただきたい、こういうような問題は将来にかかわる問題であるという、一応のことはいたしておるわけでございますが、いまお尋ねのような北大の問題につきましては、いろいろ拒否権等も含めておる重大な問題だと考えておるわけであります。この点はひとつ大学学術局長からお答えいたしたいと思います。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 最近北海道大学の教育学部の学部長の選考につきまして、学部長の選考につきましては教育公務員特例法によりまして、教授会の議を経て学長が行ない、これを文部大臣に上申することになっておりますが、その前段階で学生の信任を問うような手続を行ないまして、学生の過半数の不信任を得た者は候補者からはずして、はずされなかった者について教授会において最終選考をして上申してまいってございます。このことが法律の条文に照らして直ちにどうということはなかなか複雑な問題でありますが、実際問題として、教授会の議を経てきめるという教授会の議をかなり拘束するものと考えられますので、この点について問題がございます。そこで、どのような形でなされたのか、なおよく大学側の説明を求めておる段階でございますが、最終的な結論はまだ出しておりません。

河野洋平自由民主党

○河野(洋)委員 もう一度関連。ただいま局長から御説明のありました北大の問題はきわめて重大な問題だと私考えております。これは大臣からるる御説明のありました東大の確認書問題を踏まえて、北大の学生問題がある方向に発展しつつあるというふうに私たちは理解をしているわけです。この教授あるいは学部長の選任にあたって、一体どこまで学生の参加の問題が出てくるのか。これは新聞等で現在中教審がいろいろ審議をしている段階だそうでございますから、きょうここで大臣からこうするのだという最終的なお答えをいただこうとは私は思いません。しかし、この北大の動きが学生参加への一つの大きな動きをわれわれに示したし、テストケースというとたいへん聞こえがよろしゅうございますけれども、大学、高等教育の中にあって、われわれが十分に考えなければいけない問題であろうと思うわけです。大学局長にもう一度伺いますけれども、先ほど十四校の学長の問題についての局長の御返事は私は納得しかねる御返事でございました。しかし、それはそれといたしまして、もっともっと大学局というものが大学の管理、運営について責任を持っていただきたい。ただ、国立大学の学長がくるくるかわるということがただ遺憾だということであっては、大学局というものは十分な行政的指導、助言ができていると私には思えない。われわれ国民にかわって行政をしておられるのですから、もっと責任を感じていただきたいと思うし、今度の北大の問題についても、北大の教育学部長が一体どういうかっこうで選任をされ、どういう場合にはどうであるのかということも、できればお答えをいただきたいと思います。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 文部省といいますか、大学学術局の指導、助言は、現行法規に照らして行なわれるわけでありまして、現行法規で国立大学の教官、管理職も含めまして、その人事につきましては教育公務員特例法に定めがあるわけであります。たとえば学長でありますれば評議会の議を経て学長が文部大臣に上申をする。それから学部長でありますれば、先ほど申し上げましたように、教授会の議を経て学長が文部大臣に上申するということが定められておりまして、それ以上細部の事柄は大学が従来は自主的にやっているわけでありますが、そもそも教授会なり評議会で議するということは教育公務員の特質にかんがみた特例措置と考えられますので、どんなに相談をするといたしましても、それは教官の範囲内での相談だということが従来はほぼ通説でありまして、そういう通説に従って指導しておるわけであります。したがって、何らかの段階で学生が実質的に加わるのではないかと思われるような節がある場合には、文部省としては、現段階ではそれは適当でないのではないか、かように思うわけであります。  それから学長の不存在の場合、これも学長を選考するというのは当該大学の評議会の権限であります。文部省としてなし得ることは、その権限行使を適正に行なうようにという一般的な指導、助言にとどめまして、現実にはだれが学長に選考されるか、あるいは学長が選考されてないのは、指導するとすれば早くやるようにという指導をするにとどめまして、それ以上具体的な立場まで踏み込んだ指導は現在のところはなされませんし、その範囲で当該大学が善処をすることを期待するのが指導、助言の限界である、かように考えております。

河野洋平自由民主党

○河野(洋)委員 局長は法的な問題をるる御説明になりましたけれども、法律によれば、学生の政治活動というものについて非常にきびしい規定があるわけです。ところが今回の北大の場合には候補の三人の教授から学生がアンケートをとった。そのアンケートの内容には、憲法改悪の動き、沖繩問題、安保条約についての見解等、きわめて政治的な感覚のアンケートが入っておる。それについての答えが一人だけ違っておった教授が、その人だけ信任をされなかったというのを新聞の報道でわれわれ聞いておるわけです。これはまた同じ新聞の報道によれば、北大の他の学部の教授の談話によれば、「「これではどんなに能力がある、人格のすぐれた大学人でも、革新的な意見をもっていないと運営の責任者になれなくなる。このアンケートは政治的な信仰告白をせまる踏絵に等しい」と強く反発する声もある。」という記事があるのでございますが、こうしたアンケートのとり方について一体局長はどういうようにお考えになりますか。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 アンケートそれ自体はいろいろな形でなされるわけでありますけれども、アンケートの内容につきましては不穏当だと思います。

河野洋平自由民主党

○河野(洋)委員 しかしながら、この学部の学生の数がわずか百九十人という非常に少ない学生の中で、しかもこうしたアンケートがとられて、それが公開されて、これがデータとなって信任投票されているということを考えますと、やはりこのアンケートの内容についてはわれわれは知らぬということではどうも済まないのじゃないかという感じがいたします。しかしながら、この問題についてはもう少しあとでまた私時間をいただいて議論をするといたしまして、それじゃ率直にお伺いをいたしますけれども、こうした学生の信任投票によってふるいをかけられて、その上で教授会の議を経てきめられた学部長を、一体局長は認めるおつもりでしょうか、お認めにならぬおつもりでしょうか、それはどうでございましょう。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 いま事実関係について詳細に調査中でございます。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 ただいまの北大の問題がそういう形でアンケートを求めて、そして一種の何といいますか、教授の思想や何かというものを踏まえた、あるいは政治的なことを求めるということがもし事実だとすれば、これは私は非常に重大問題じゃないかというふうに思うのであります。それこそが学問の自由、つまり教授というものはそれが憲法で保障されておるのであって、そういうことを同僚の教授からあるいは自分の教えておる学生からいろいろ批判——直接的に人事に及んでくるような影響力を持つという形をとるとするならば、これはまことに大事な問題だと言わざるを得ないのでございまして、まず私といたしましては事実関係について報告を求めたいと思うわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 学生参加の問題は、今後非常に重大な問題を投げかけてくる基本的な問題の一つでございますが、学生問題を議論するにあたって、よくフランスにおける学生参加の例が持ち出されております。ところが、このフランスの学生参加の問題、大学改革にからんでの問題をよく調べてみますと、非常に制限された形での学生参加であるというふうに見受けられるわけであります。中教審におきましても、学生参加の問題については相当具体的に答申の内容が新聞等にはもうすでに発表されているわけでございますが、どういう方向で答申がなされようとしているか、その点いま発表できる、わかっておられる範囲で御説明をいただきたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 学生参加の問題につきましては、ドゴールがフォール文相に対しまして参加の哲学というものを出しましてから非常ににぎやかになったわけでございますけれども、まさに参加という概念は、これまた非常にあいまいでございます。でございますから、どう考えるかということなんでございますが、御指摘のとおりにフランスの場合においては確かに学生に参加をさせておりますけれども、しかし、その参加する学生というものは登録学生の六〇%以上の投票ということが前提になっております。それからまたフランスの大学制度というものは、日本と違いましてきわめて中央集権的な制度になっておることは御案内のとおりでございまして、たとえば当該地区における、日本のことばでいうと学長と申しますか、その任命は日本と違いまして、文部大臣の発意で、そして閣議の了承を経て大統領が任命をするということでございます。しかも、いろいろ伝えられておるわけでございますけれども、政治運動というものは許されておらない。情報の自由というもののみが許されておる。しかもまたきびしい制限がございまして、教育の場、研究の場、それから病院の周辺においては情報の自由さえも許されておらない。いわんや秩序保持というような問題については、暴力その他のことについて許されていない。ちょっと考えますと、ソルボンヌ大学は御承知のように町のまん中にあるわけでございますが、研究の場、教育の場、病院周辺の場をはずしてしまったら、一体どこでいわゆる情報の自由が許されておるのか。空間的に考えますと、おそらく街路以外にはないのではないかという気がいたしておるわけであります。   〔委員長退席、谷川委員長代理着席〕 そういうきびしい条件のもとにおいて参加というものが考えられておる。でございますから、参加の考え方についても、フランスはフランス、イギリスはイギリス、また西ドイツは西ドイツという、やはり基本的な教育の制度そのものにつながっておるということを第一に考えなければいけない。  しかしながら、今日、日本の大学というものがやはりその点についてはたしてそれじゃ国民のための大学として学生の意思の反映を踏まえておるかどうかということについては、私はそうではないのではないかというふうに思うのでございます。むしろ、学生の意思の反映を踏まえた一つの大学自治ということが考えられなければならない。同時に、国民のための大学であれば、特に東大の場合は百二十六万円も国民が税金を払っておるわけでございますから、この国民の意思というもの反映を踏まえた大学自治というものが考えられなければならないのであって、大学を構成しておるのは学生と教官と事務職員であるから、それでもってきめたことはすべて正しい、批判は許さないのだ、こういうようなことであるとするならば、これはまことに国民のための大学ではないのだ。こういうふうに私は思うわけでございまして、その点について管理当局が国民のための大学というものはどうあるべきかということを十分真剣に考えていただきたいというふうに私は思います。  ただいま中教審においてもそういうようなことを考えてせっかく審議中でございますが、とにかく学生の意思をどこまで反映させるか、あるいは人事権とか、あるいはそういうような予算の執行までもかというところについては、むしろその責任のない、そしてまた学生というものは普通でございますと、四年いたしますと出ていってしまうわけでございまして、行政上責任をとり得ない立場にあるということから、人事権とかあるいは予算とかいうようなところまで持たせるべきではないのではないかというような考え方でございます。しかも加藤執行部の確認書の提案のところでも、先ほど申しましたように、人事権、予算権までは及ばないというようなことも言っておるわけでございまして、世論あるいは各党でお考えいただき、あるいは一般国民の間においても、この参加の限界というものを議論されつつ、だんだんその幅というものが狭められておる。中教審もそれを考えながら考えておる。こういうわけでございまして、確かにやはり大学で学生というものは一応おとなとして扱うべきところだろうと思いますけれども、しかしながら、同時に学生と教授との関係においては、やはり教育者と被教育者ということは変りませんし、大学院の学生でございましても、やはり指導するという意味においては、片方は学者、教授であり、片方は大学院学生である。この本質というものは変わらない。しかし同時に、研究と教育というものの本質の中には、教える先生が学生たちから教わるという要素もある。研究の場合においても同様の本質を持っておる。この点だけはやはり私たちは認めていかなければいけないのじゃないか。しかし、管理運営その他の問題について同質同等の権利が学生にもあるということはどうかということが、やはり中教審あたりの基本になっておるというふうに伺っておるわけであります。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 学生参加につきましては、私もいまの大臣の御見解と同様に考え、賛成でございますが、実態としては、先ほど河野委員からも指摘がありましたように、北大のように学生参加がとことん進んでいる。この状態が各大学にも波及しつつあるわけでございます。これを一体それではどういう方法で歯どめをするかという問題でございますと、その点について大臣のお考えを承りたい。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 一応は私といたしましては、この点についていま苦慮をいたしておるところござでいまして、十分ひとつ皆さん方とも御相談しながら、単に自民党さんだけでなくて、各党の方々の御意見をも聞きながら、これに対処したいと考えております。同時に、中教審のこの中間草案と申しますか、そういうものが一応の歯どめ役をなすのじゃないかというように思うので、それはおそらく三月の初旬かあるいは中旬ころになって草案の形として世に問われるわけでございますから、またそれを通じましていろいろ議論がある。そうすると、そのところを各大学もやはり受け取りまして、ははあここは行き過ぎである、ここまでは大体よろしいのじゃないかというようなことをお考えいただくきっかけになるのじゃないか。  少なくとも大学の問題は、いままで、冒頭に申し上げましたように、大学自身もまあ率直に申し上げますとほったらかしてきた、第一議的な責任者である大学当局は、各大学とも。同時に、文部省も指導、助言について、あるいは新制大学ができましたときのその理念に徹した指導というものをやってこなかったということは、率直にまた私ども反省をいたしたいというふうに考えるわけで、とにかく時間がかかり、そしてお互いがひとつつくり上げていくべき問題だ、そう早急にこれはというようにきめられるべき問題じゃないのじゃないか、時間をかけつつ次第にあるところに定着をさせたいというのが、まあ私としての期待でございますし、希望でございます。

谷川和穗自由民主党

○谷川委員長代理 この際午後二時より再開することとし、暫時休憩いたします。     午後零時十六分休憩      ————◇—————     午時二時十二分開議

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政の基本施策に関する件に関し質疑を続行いたします。西岡武夫君。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 午前に引き続き大学問題について質問を進めたいと思います。  京都大学の井上清教授の言動をめぐっていろいろな論議が起こっているわけでございますが、この間の経過について局長からひとつ御説明をいただきたいと思います。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 京都大学の人文科学研究所の井上清という教授がおられまして、去る一月の東大の封鎖、それを機動隊で解除するという一連の経過の中で、全学共闘会議を支援するような手紙を送って、これが掲示されたという事実があります。そのほか井上教授は東大全学共闘会議あるいは日本大学の全学共闘会議等の会合に何度か出席をされて、これを激励するような講演をされたという事実があるようであります。それらの一連のことにつきましては、所属の大学である京都大学にこの間の事情を照会いたしましたが、東大に対する書簡については、書簡を出した事実はあるとのことでありますが、本人は掲示されることまでは予期しなかったというようなことでございます。京都大学としては、事実を確かめ、本人の行動について、言論の自由とか、それから法律に触れるとか触れないという問題は一応別といたしまして、国立大学の教授の言動としてはやや穏当でない点があるのではないかという見地から自重を勧告したようでございます。  以上が経過でございます。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 ただいま大学学術局長からお答えいたしましたとおりでございますが、向こうからの回答によりますと、激励文の原稿は井上教授みずから執筆をし、手紙の形で東大全学共闘会議に送付したものであり、掲示されることは本人としては予期しなかった。しかしながら、同人の所属する人文科学研究所の所長みずから、及び同僚教授を通じて好ましくない行動として同人に自重するよう勧告したということでございます。この内容は、週刊雑誌に出たということも本人は認めておるようでございます。また同人は、学内の大衆団交の際に、封鎖学生に対する大学側の措置について奥田学長に詰問したという事実があります。ただいま局長から申し上げましたように、二月一日全電通労働会館で開かれた東大、日大闘争勝利報告集会に出席し、演説したと伝えられておるが、この事実及び内容については、いままだ調査をいたしておる段階ということでございます。  文部大臣といたしましては、この点につきまして慎重に、やはり教授の身分に関する問題でございますから、慎重に取り扱いたいと考えておるわけでございます。しかしながら、このことが事実であるとするならば、これは法に触れるとか触れないかという問題でなくして、大学の教授たる者として、あるいは国家公務員として国民に対して責任を負わなければならない者としていかがか。それからまた、今日紛争の最大の原因というものが、学内、学外を問わず、一部の政治主張を持って暴力をもってこれを占拠したり、あるいはまた大学というものをその政治闘争の拠点にしたりというようなことをやっておる最中であり、かつ、国民の大学としての大学というもののあり方について国民から批判をされ、学生からも批判をされておる。こういう立場にある教授というものが、こういういわば暴力を肯定するような言辞をなされるということそれ自体は、教育者として、学者として、私は決していいものではない、まことに遺憾なことであるというふうに表明せざるを得ないのでございます。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 関連して河野洋平君。

河野洋平自由民主党

○河野(洋)委員 ただいまの文部大臣の御答弁で納得するところでありますが、私は、いまのお話にもありましたように、全学共闘会議というものは、やはり何らかの政治的意図を持って活動するグループである、私はこう思うのです。この点についても、もし御異論があれば後ほど御説明をいただきたいと思いますが、私は、そういう政治的意図を持って活動するグループに積極的に激励文を送ったり、あるいはそれらの会合に出ていって演説をするということは、国立大学あるいは国公私立を問わず、大学の教授としてやはり慎まなければならぬ行為、行動ではないかと思うわけでございます。教育基本法をはじめとして、いろいろな法律で政治活動を禁止しておる現状から見まして、こうした点はもっともっと本人の自重を促さなければならないし、また、そうしたことが行なわれた後にも、法律的にそうした行為、行動を制約する根拠法というものがないとするならば、これは法律的にもその法律に問題があるのではないか。もっと法律を整備すべき点もあるのではないかというふうに考えるのでございますが、その点はいかがでございましょうか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 いま河野先生の御指摘の点につきましては、われわれといたしましても、井上清教授の行為、行動というものが、まずもって法に照らしましてどうなのかということも検討をいたしておるわけでございます。そういうようなことを含めまして、やはりわれわれは今後検討していかなければいけないのじゃないか。大学紛争の一つのこうまで拡大してきたということについて、やはり管理者であり、あるいは教授として学生を教育し、ともに研究をするという立場にある人たちは、こういうような言辞を弄することそれ自体が問題である。たとえば自分の思想的な、あるいは学問の真理追求のための純粋な学問的研究ということにおいて教授をされるということについては、これは憲法が保障しておるところであると思いますけれども、それを逸脱して政治運動に走るとか、あるいはまた学生を使嗾するというようなことがあるならば、これはまことに問題があるというふうに私は思います。

河野洋平自由民主党

○河野(洋)委員 もう一点だけ。これは大学学術局長に確認をしておきたいと思いますが、全学共闘会議の諸君の行為、行動は何らかの政治的意図に基づく活動ではないか、つまり政治活動ではないかと私は考えてただいま御質問を申し上げたのですが、大学学術局長としては、彼らの行動が政治活動であるとお考えになるかどうか。あわせて民青の諸君のやっておることについても、これらの行為、行動が政治活動だとお考えになっておられるかどうか、御返事をいただきたいのです。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 政治的活動のことばの意義につきましては、一般的な意義、それから法令上の意義、いろいろあろうかと思います。法令上の意義としては、主として職員等について、たとえば人事院規則でありますとか、そういうもので定義が定められておりますが、そういう職員に適用される法規は学生には適用がないわけであります。それから、しばしばいわれるところの教育基本法第八条の学園の政治的中立をうたったものも、あれは学校の行動を規制しておるのが、法律の意味をきびしく解する場合には問われるのでありまして、学生を必ずしも拘束しておりません。したがって、学生の政治活動というのは一般的意味でとらなければならぬと思います。  そこで、政治的活動でありますが、三派系全学連の行動にあたってのスローガンなどを見ますと、極端には現在の体制の変革、まあ大学の破壊といったようなことをうたっておるわけでありまして、そういうことを目標にして行動するというのは、一般的意味において政治的行動であると言って差しつかえなかろうかと思います。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 次に大学の自治の問題につきまして、大臣のお考えをお尋ねをしていきたいと思います。  今回の東大紛争をはじめとする大学の混乱を見ておりますと、大学の自治に対する認識に大きな誤りがあるのではないか。この認識の誤りが大学紛争というものをますます混乱させ、複雑にしていっているのじゃないかというふうに私は感ずるのでございます。  現在いわゆる大学の自治といわれておりますのは、十九世紀の初めにベルリン大学の創設者といわれておりますフンボルトによって大学の自治が理論づけられたといわれておりますが、十九世紀の初めのころの大学と今日における大学と、その規模あるいは社会的な役割り、そういったいろいろな関係から、内容的にも相当変わってきておる。したがって、ここで大学の自治そのものについて源にさかのぼって考え直すべきではないか。新しい時代における新しい大学の自治とは何かという問題をあらためて検討する必要があるのではないかと考えるわけでありますが、この点についての大臣のお考えを承りたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 確かに学問の自由あるいは大学自治といわれる問題については歴史的な沿革があると思います。仰せのとおりのフンボルトあたりの大学という考え方を受け継いで、日本の戦前の旧帝国大学というものができ上がったのであると思いますし、また、そういうような考え方で、いまの国民のための大学といわれる大学を管理運営しようとしておる、あるいは教育研究をしておるということがいえるかと思いますが、さらにベルリン大学にさかのぼって歴史的に申しますと、たとえばボロニア大学とか、あるいはソルボンヌ大学とか、あるいは違った意味ではございますけれども、ケンブリッジとかオックスフォードとかの創設はその前でございますから、特にボロニア大学においては、当時アルプスの山を越えてオーストリアとか、あるいはスイスとか、あるいはまたスペインその他の国々から勉強しようといって集まってきて、そして御承知のような中世紀の時代でございますから、なかなか市民権というものが対等に得られないということもあって、その市民権を獲得され得ないそういう学生たち、教授たちがボロニア大学というものをつくり上げたという沿革もあるわけでございます。  そういう時代に渕源を持つような大学自治という観点は、まさにおとなの人間を対象とする、まあ自立的人間というものを前提とした大学自治といいますか、そういうことが基本的にあったわけでございます。御承知のとおりに、戦前の大学においては、旧制の高等学校である程度の自立的人間形成というものをやって、しかも入りましたのは十九歳でございます。ところが今日は、新制大学になりましてから六・三・三のいわゆる高等学校の段階でかなり自立的人間形成がなされなければならないのではございますけれども、まあ入学試験その他のいろいろの原因から予備校化してしまっておる。ここにもいろいろ問題があると思います。とにかく今日入ってまいっておりますのは一年若い十八歳の学生たちである。あるべき姿としては、大学なんだから、これはあくまでもおとなとして取り扱わなければならないというこの理想というものはあろうかと思います。しかしながら、現実に入ってきておりますのは一年若い。そして精神的にも未熟な人たちが非常に多いという形において大学自治というものが考えられてきておる。そしてそれに対する大学当局自身は、一人前の者として、学生としての本分をわきまえた者として考えてきておるという、理想と現実とのギャップがやはり紛争の一つの原因にもなってきておるというわけでもございますし、現実の、たとえば国立大学にして申し上げますならば、年収百万円以下の家庭から六八%も入ってきておるというこの現実は、およそ各階各層から入ってきておると申し上げても過言でないと思うのでございます。たとえば年収三十万円以下からも四%程度の人が入ってきておるというわけでありまして、一部富裕階級の者が入っているわけではございません。  それからもう一つは、大学生としての能力という点について、能力の判定についてはいろいろこれはあろうかと思いますけれども、とにかく当該年齢人口の二〇%以上のものが高等教育機関に学ぶというこの時代になりますと、成績の点においてもABCDEと区別をいたしますると、ABCくらいまでのところが多数入ってきておる。こういうような、言うならば高等学校の成績の六割くらいとる人は大体もう入れるんだ、こういう時代になってきておる。そういうような時代の、大衆化された、あるいは国民のための大学というときの自治のあり方というものと、それから昔、ほんとうの師弟関係によって結ばれ、共同社会的な、いわば一部エリートのための、一部富裕階級のための大学、特にイギリスなんかはそうでありますけれども、そういうようなときの大学のあり方においては、やはり管理運営その他大学自治というようなことについても、やはりその社会に適応した大学の自治のあり方がなければならぬのじゃないか。ことに国立大学に関しては、国民の税金によってまかなわれておるというこの事実を踏まえて大学自治ということが考えられ、教官も学生もその考えに徹しなければいかぬのではないかというふうに思うわけでございます。この大学の自治というものをどういうふうに考えてくるかということは、同時に学生の地位、あるいは学生の参加というものをどういうふうに考えるかという当面の課題でございまして、これもただいませっかく第二十四特別委員会において真剣に討議されておるわけでございまして、私も先ほど一時から四十分くらい審議会を傍聴いたして、またここへかけつけて参ったような次第でございますが、非常に真剣にその問題とただいま取り組んでおるというわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 今日の大学と国との関係、また大学と産業界との関係、これは非常に科学技術の進展によって、ビッグサイエンスの開発等いろいろな観点から、いままでのような関係と全く違う関係が出てきていると思うわけでございます。こういった問題についてはどういうふうに考えていくべきであるか、その点についての大臣のお考えを承りたい。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 この点についても、実をいいますと長期的な展望でございますし、新しい大学像につきまして中教審においてせっかく御検討になっておるわけでございますけれども、しかし、国民のための大学というからには、やはり国民の意思を反映した大学であってほしいと思いますし、それから、従来のような閉鎖的な意味における大学であっては、この激変する、急流のごとき勢いで変化をしていきます世の中に対しまして、むしろ、その一番基礎的な研究の成果というものを社会に還元しなければならない大学といたしまして、言うならば、その泉であるべき大学自体が門を閉ざし、窓を閉ざしておるわけにはいかないのであって、むしろその社会の進展、発展に対し寄与し、そうしてその活力を与える、あるいは刺激を与える大学として若返らなければならない大学といたしましては、やはりビッグサイエンスの時代になりますならば、それにこたえて産業界と大学とのあり方、あるいは国と大学とのあり方というものをやはり考えていかなければいかぬのじゃないか。私は、やはりフンボルトが考えましたときの大学のその機能というものは、ただ研究しておればいい、そしてその結果が自然と教育作用につながっていくし、そのこと自体がすなわち国や社会に影響を与えて、社会の進歩に寄与するという時代だったと思うのです。しかし、今日の時代において、むしろ大学それ自体が積極的に自分の研究の成果を社会に還元する。アメリカあたりではむしろ奉仕ということばさえ使っているわけでございますが、やはりその研究の成果を社会に還元するという一つの作用というか、機能というものが新たに大学の使命として考えられなければならぬのじゃないか。  それからもう一つは、御承知のように、日本の社会もだんだん経済状況もよくなってまいっております。同時にひずみも生じているわけでございますが、同時に、たとえば労働時間等も四十八時間からだんだん四十時間程度の方向へ進む世の中に変わっていくというふうに私は思うわけでございまして、そういたしますと、国民のレジャーという問題につきましても、やはりこれを使う場合に、いままではとにかく働くことだけで、いわば人間としての生活というものはあり得なかった。ところが、これからはやはり自分たちも楽しもう、レジャーを楽しもうという時代に変わってきている。現実そうだと思うのです。しかし、人間の欲望というものはさらにきわまりないものでございまして、そういう単なる娯楽とか、あるいは旅行をするとか、夫婦そろって北海道旅行をする、九州旅行をするとか、あるいはボーリングをするとか、カーを買うとか、そういうようなことだけではまだ満足できないという新たな欲望が目ざめてきているわけでございまして、むしろそうすると、社会的な発展に対して対応していくために、新たな知識を獲得し、新たな技術を身につけ、そうしてそのレジャーというものをいわば精神的な意味においても活用しようという意欲というものがもう芽ばえてきているのではないだろうか。ことに戦後の男女の平等というものが、法律でも、また同時に社会的にも認められてきております今日においては、女性においてもその気持ちというものは非常に高まってきている。そうなりますと、大学というものはそういう新たなる要請に対しましてこたえるものを持たなければいけない時代に変わってくる。したがって、たとえば大阪大学におきまして、市民講座でございますか、開放講座という形において去年の十月から十二月までやりました意味は、まことに私は先覚的な意味を持っているのじゃないだろうか、たとえば去年のテーマは、機械文明における人間とは何ぞやということをあらゆる角度から検討する一つのカリキュラムを編成されまして、そうして提供されている。つまりこういうような生涯教育の時代に入ってきている。その要望にこたえなければならぬ大学の使命があるのではないだろうか。ソシアルインスティチュートの働きというものを大学というものは考えなければならないのではないか。企業につきましては、一企業の利益のために大学はあるのではなくて、一般的なそういう企業の発展、社会の一般的要請というものにこたえるところの大学というものがやはり求められなければならないのではないか。そういう意味の国民のための大学、そのための大学自治ということがこれからお互いによってつくり上げられなければならない。各大学がお考えになると同時に、現制度でもお考えをいただき、また国民の間にも議論を尽くして、私たちその責任の地位にある者といたしましては、一応制度といたしまして中教審というものがございますから、その機関を使いまして御検討をいただくということを実は考えているようなわけであります。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 次に、学生自治会の問題について若干御質問を進めていきたいと思いますが、学生自治会とは一体何なのか。この学生自治会は御承知のとおり全員加入である。しかも会費を徴収する権限がある。これが少数の政治的な意図を持った指導者によって運営をされて、徴収された会費がそういう面に自由に使用されているという、そういう点にいろいろ問題があるわけでございます。中教審における学生の地位の諮問をされた中でも自治会の問題が取り上げられているかに聞いておりますが、どういう方向で学生自治会の位置づけをなされようとしておられるか、現在の中教審における方向づけについて、おわかりになる点御発表いただきたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 これは学生の地位の問題あるいは大学自治の問題と関連をする問題でございますが、大学の自治会の問題についてただいまも実は審議をいたしておるわけなんです。いろいろございますわけでございまして、いま私、ここでこうだああだとは実は申し上げられないわけでございます。

村山松雄文部省大学学術局長

○村山(松)政府委員 学生自治会というものは、わが国の大学では戦前ではあまりございませんで、むしろ一般的にございましたのは学友会というものでございます。これは教員と学生とが加入してスポーツ、文化その他の諸活動を営むものでございまして、そういうものは学生生活を豊かにする上において必要であろうということで、学校も援助し便宜を供与いたしてまいったわけでございます。戦後一般的に学生の生活条件などが困窮したこともありまして、学生自治会というものが自然発生的に出てまいりまして、間もなくかなり一般的なスローガンを掲げて横断的に連絡をとるようになった。スローガンのおもなものは、当時一番インフレで問題でありました授業料値上げ問題これに反対する。あるいは寮費の値上げに反対する。それから当時から若干政治問題的に取り上げられました、たとえば国立大学を地方に移譲するとか、あるいは大学管理制度について立法するとか、そういう問題に対する反対運動、言うなれば経済的な、学生納付金の値上げに反対する、それから大学諸制度に対して法的な規制に対して反対をする。こういうようなことをスローガンとして、横断的な連絡をとって政治活動に傾きがちな自治会が全国の大学、高等教育機関に続発してまいった。  そこで文部省としては、学生の厚生補導に関する問題でもございますので、大学関係者あるいは学識経験者の協力を得まして、この学生自治会なるものの指導理念についていろいろ検討し、かつ、検討の結果に基づいて指導してまいったわけでございます。そこでとられました一つの考え方として、大学が学生自治会なるものを認めるゆえんのものは、学生というものは、単に大学において大学が用意した教育課程等に従って受動的に勉学するのみならず、未成熟から成熟化へ移行する青年期の段階として、自己に関する諸般の問題を自主的に処理していく訓練を大学在学中にやることも教育上意義あることであろう。そういうものであるとするならば、学生自治会なるものは相なるべくならば学生の総意に基づいて全員加入制で自主的に規約も定め、会費も取り、それを大学側が教育的観点から指導するのが適当であろう、こう考えて指導してまいったわけであります。したがいまして、学生自治会なるものの望ましきあり方というのは、大学において直接学問、教育、研究以外のところで、たとえば文化活動、それから音楽その他の情操的な活動あるいは市民としての政治教養等々について討議しお互いに切磋琢磨する機関、あるいは場合によっては大学の運営等に関して学生の立場から意見があればそれを討議して、討議した結果を大学当局のしかるべき機関に申し出る。そういうことも自治会としてやってしかるべき問題であろうというようなことで指導してまいったわけでありますが、そういう文化的、教養的あるいはレクリエーション的なサークルはサークルとして、すべて学生の自治会が全員加入制というような指導をされた結果、そういうものがすべて学生自治会というようなものの中に包含されて、きわめて多種多岐な目的を追求するような形をとりながら、学生自治会の名のもとに行動そのものは政治的な方向に傾いてまいったというのが実情でございます。  こういう自治会を今後いかに導いていくかというのが、現在中央教育審議会で審議しております学生の地位の問題の中心的な課題でございまして、そこであらためて学生の地位というものを考えてみますと、従来の通説は、どちらかといえば学生というのは被教育者であって、いわば古いことばを使いますと営造物の利用者的に考えられておりました。そこでかなり受動的な立場で、たとえば自治活動も大学の認める範囲で行なうというような考え方でありますが、他方これとは正反対の意見としては、大学というのは学生も一つの構成員とする共同体であるから、学生も固有の権利を持って大学の管理運営に参画すべきものであるというような考え方がございます。中教審では、そのいずれの面に偏することもよくないのではなかろうか。学生の地位というのは大学においていろいろな側面がある。そのいろいろな側面をどう調和するかによってあるべき学生の地位が出てくるのではなかろうか。その地位に基づいてそれに対応するいろいろな組織、それから手だてが考えられてしかるべきではなかろうか。大体こういう方向で具体的な諸点について審議が進められておるというのが現状でございます。文部省といたしましては、大体二月いっぱい、おそくも三月くらいには何らかの中間的な結論を出してほしいということをお願いしておりまして、まあ大体そのような運びになるものと期待しております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 学生の地位の問題、大学の自治、学生の自治会の問題については、なお突っ込んだこまかい議論をもう少ししたいと思うわけでありますが、中教審の答申が出た段階でまたお尋ねをする機会があると思いますので、この程度できょうは保留をしておきまして、次に移りたいと思います。  いま私どもが一番心配しておりますのは、大学紛争が高等学校へ飛び火をするのではないかということでございます。現に昨日ですか、大阪府下の二つの高等学校で事件が起きているわけでございますが、こういった高等学校における紛争の実態、また、それに対する文部省としての対策その他についてお考えをお尋ねしたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 高校生における言うならば政治活動と申しても差しつかえないと思いますが、そういう動き、これはまことにゆゆしい問題だと実は考えておるわけでございます。四十三年の十月二十一日現在の調べによりますと、代々木系、つまり民青同系が約一千班で約九千名、反代々木系の三派系というのが五十四の組織で約二千七百名というような実態でございます。この点につきましては、ことに高校の段階において一番大事な時期にこういうような政治活動に類似するようなことにかかわり合うということは、まことに遺憾なことでございまして、生徒会の活動、あるいはホームルーム活動、あるいはクラブ活動というような面について、学校長及び担当の教諭等が適切な指導を行なってもらいたいということで、いろんな指導を文部省としてもやっておるわけでございます。また、先生方の研修につきましても、しかるべき指導を行なっておるわけでございます。この指導強化のために必要な経費も、本年度の予算で御審議をわずらわしておるわけでございますが、これはあまりこまかくなるので申し上げませんけれども、こういうような問題についても、今後とも一そう適切な指導を加えてまいりたい、かように考えておるわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 大学紛争が高等学校までエスカレートしたということにつきましては、もちろん一部の政治的な意図を持っているグループが、高等学校をねらい撃ちするということだろうと思うのですけれども、やはり高等学校自体にそういう紛争を起こすような火種があったというふうに私は考えるわけでございます。  新聞の報ずるところによりますと、昨日、大阪府立東淀川高校において答辞が二つ出現いたしまして、おしきせの答辞に反対をして、倉沢という生徒がかってに答辞を読んだという事件が出ております。その中で倉沢というのが、予備校化した現在の高等学校の教育を批判いたしまして「現在の教育は先生と生徒たちの間の心のふれ合いがなく、本当の教育とはいえない。在校生諸君、われわれが解決できなかったいろいろな問題を、君たちが解決してほしい。」ということを答辞の中に述べているわけであります。これはいままで長い間論じられてきていながら、入学試験制度というものが、大学入試制度というものが改善されないで放置をされてきた、ここに大きな原因の一つがあるのではないか。大学の入試が高等学校の教育そのものもゆがめているのではないか。これがひどいところでは、一部でございますけれども、初等教育にまでその害が及んでいるという例すらあるわけでございます。これはやはり早急に取り組んで改善をしていかなければならない基本的な問題だと考えるわけでございますが、この点についての大臣のお考えを承りたいのであります。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 今日の高等学校教育におきまして、教師と生徒の間においてある程度の不信感と申しますか、そういうものがあるということは、これまた事実であろうと思うのであります。しかしながら、これはやはり教師の側にも責任があるのであって、単に生徒だけの問題ではないのではないか。この二十年間において、直接的には責任を持つべき学校の先生が、小学校、中学校、高等学校を通じまして、ほんとうの意味における教育それ自体と取り組んできたかどうか、あるいはほんとうに生徒たちのことを考えてやってきたかどうかということは、一ぺんやはり考え直してみなければいけないのではないか。大部分の先生方は私が申し上げるような気持ちで教育に当たってこられたと思うのでございます。ある一部の先生の中には、教師としていかがかと思われるようなこともあったことは事実でございますし、そのような影響がないとは私は断言できないというふうに思うわけでございます。  しかしながら、仰せのとおりに入学試験制度の問題、ことに御指摘の高等学校の志願者を、大学に入学しようとする志願者を受けとめますところの大学側の入学試験のやり方あるいは選抜の方法、これについては相当に問題があるのではなかろうかというふうに思うわけでございまして、それゆえにこそ、実は能研テストというような問題も取り上げて、もう少し科学的に選抜する方法というものはないのかということで、たとえばいろいろな心理学的な配慮も考えた選抜方法というものも研究をされ、あるいは国立教育研究所等においても、この問題と取り組んでこられて、社会党の山中議員からもこの前の予算委員会におきまして御指摘になった点でございますが、山中議員におかれましては、むしろ高等学校長の意見、教官の意見といいますか、いわば高等学校三年間の成績評価というものを大学が受けとめるということが望ましいのではないだろうか。大臣もそれを知っているのじゃないかというようなお尋ねでございまして、私もある程度承知をいたしておるわけで、その結果からいいますと、能研テストのやり方あるいはまた高等学校の成績評価、それにまた大学が行ないますところのペーパーテストというようなものをある程度かみ合わせたものが、追跡してまいりますと、一番本人の能力に合った選抜をいたしたという結果が、実はある程度の客観的な成果として出ておるわけです。これを、たとえば慶応大学におきましては、たしか工学部だったと思いますけれども、高等学校三年間の成績評価を重視して、Aクラスという人に対してはこれを認めて入学させておる。その結果は非常によろしい。ことに一般教養の二年の間にはさほどあらわれないけれども、むしろ専門課程に入ると、つまり上級の大学課程になりますると、それが歴然としてあらわれてくるということでございます。こういうようなことについて、一部の先生方のほうで、ああいう能研テストであるとかなんかを、科学的なあれをやるということはいけないのだというようなこともございまして、それに基づいてまた大学当局も、こういうような反対があるならば、うっかりこれは乗れないのだ、採用はできないのだというようなためらいもあったように私は聞いておるわけでございます。  しかし、文部省といたしましては、大学入学者選抜方法改善会議というものを設けまして、大学側、それから高校側、それに有識者の学者の人たちなんかを集めまして、鋭意検討を続けてまいってきておるわけでございます。この会議において三つのことが言われておるのであります。一つは、まず公平に選抜ができるということ、それから二つ目には、能力を十分に選抜できるということ、それからもう一つは、高等学校に悪影響を及ぼさないということ。ところが、まさに現実は仰せのとおりに、入学試験というものが大量にしかも短い時間に選抜をしなければなりませんので、結局高校の成績評価というようなものを採用せずに、各大学がやっておるわけです。昔のわれわれの大学の試験のときには、たとえば作文なんかを課しましたし、こうなりますと、やはりものを考えるとか、思索をするとかいうようなことが、その評価の一つに加えられたわけでございます。ところが、今日の入学試験制度から考えるならば、どうもそうばかりも言い得ないかと思いますけれども、簡単に割り切って申し上げますと、マルバツ式のやり方で、思索するというようなことはやらないということになって、結局、先ほどの国立教育研究所の結果によりましても、ペーパーテストだけでやったもののほうが一番低位にあるということがそれを物語るものです。そうすると、結局知識のまる暗記といいますか、その暗記する力が人間の能力だというような片寄った——そうじゃなくて、人間というものはやはり情緒性も徳性もあるいは体育も、そういうもので円満な人間形成ができて初めて自治活動もうまくいくわけなんで、自立的人間形成というものが期待できるのであって、まさに高等学校の教育というものはそういうようなバランスのとれた人間形成というものをねらっておるわけでございます。  しかし、仰せのとおりに、そういうような入学試験制度が、逆に高校の教育のあり方というものを逆規定いたしまして、そのゆがみというものが、いわば有名校においてこれが予備校と同じような形に変形させられ、ゆがめられておる。この点はやはりこの入学試験制度について非常に真剣に考えられなければいけないのじゃないか。過去のことは過去のことといたしまして、各党でも協力できる部面については御協力いただいて、そういうような成果というもの、科学的成果というものをやはりわれわれがくみ取る努力をしなければならないのじゃないか。そしてこれはある程度大学当局がお考えいただくならば、来年からでもかなり実行できることだと私は思います。そのことによって高校教育及び中等、初等教育におきましても、そのゆがみというものが正されるのじゃないだろうかというふうに考えますので、まことに重要な検討すべき課題だと考えておるわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 ただいま大臣も御指摘になりましたように、現在の大学入試の制度というものは、一回限りの試験で、しかも暗記一点ばりの学習を強制しているわけでございます。これが青年期の人間形成に与える影響というのは非常に大きいのではないか、私は、これが今日の大学紛争の遠因になっているというふうに感ずるわけでございます。これからの時代はコンピューターの時代に入っていくといわれておりますが、記憶力というものはコンピューターにかえられてしまう。これから必要な人間は、構想力を持った創造性豊かな人間でなければ、もう人間は要らなくなってしまうわけであります。そういう意味からも非常に大切な問題であろうと考えるわけであります。いま大臣は、来年からでも実施をしていけるのではないかというお話でございましたけれども、一昨日ですか、来年の春の大学入試の問題について文部省が通知を出しておられるわけでございます。大臣のそれだけの御決意があれば、そういうことではなくて、大学の試験の制度は一切やらないようにすべきであるということをこの際はっきりなさってはいかがか。十九日の日でございましたか、全国の高等学校の校長協会でございますか、具体的な提案も出ているようでございます。その点について大臣のはっきりしたお答えをいただきたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 この点については、私がいま申し上げましたのは、やはり行政的にある程度大学当局自体が協力をして、そして実験的にでもできるところはやっていただくということを指導するということが第一だ、それからまた各党におかれても、また一般的にも、この点についてよくひとつ御理解と御協力を賜りたい、こういう意味なんでございまして、直ちに来年から一切それをやれという段階までここで明言は実はできない。と申しますのも、これは一応中教審に諮問をいたしておることでございますので、やはり——何でもかんでも中教審、中教審といってお笑いになりますけれども、事はやはり制度の問題なんで、それをいいかげんな形で私がやるべき問題ではないし、たとえばそういうような答申が出て、それを私が実施ということになりましても、受け取る側の方々が御協力になってそれをやられないことには、実は実効があがらないのであります。今日日本の——これは大学問題にもあらわれておると思いますけれども、私どもは、議会があって立法をいたしました制度あるいは民主的な法律を幾らつくりましても、しかし動かすのは人なんでございます。その人そのものが運営を誤まったならば、どうもその法の目的、精神というものは貫かれないのであって、むしろ私は、そういうような運営や事を自発的に行なうということがあって初めてそういう規則なり法律というものがおのずから生きてくるのであって、その辺はやはり入学試験にいたしましても、もう少し各大学が御理解をされて、そして採用してみて、その結果の積み上げの上において制度化していくということのほうが、結局は、遠いようだけれども近道じゃなかろうかというような感じがするわけなんです。  以上でございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 入試の改善につきましては、早急に実現されるように強く希望をするものでございます。  ところで、入学試験の改善が将来実現したといたしますと、高等学校の内申書が非常に重要になってくるわけです。そこで、いま非常に問題になっております通信簿の問題について御質問を申し上げたいと思います。  これは久保田政務次官が火つけ役になられたようでございまして、この通信簿の問題は全国のお母さん方の間に非常に強い反響を呼んでいるようでございます。この経過を見ておりますと、まず一般的に通信簿と、いわゆる指導要録といわれております、前に学籍簿といわれておったようでありますが、この関係が非常に不明確である。この点が理解をされていなかったところにも一つ問題があったのではないかと思いますが、その点の解明からしていただきたいと思います。

久保田藤麿自由民主党文部政務次官

○久保田政府委員 お説のとおりで、私も実は五とか三とか数字の理解の点が足らぬのかと思っておりましたが、通信簿と学籍簿と俗にいえばその区分が非常に不徹底だということのほうが大きいんだなということを後ほど知りましたようなことで、この間うち問題になっていますのは、それがどの程度不徹底なのか、あるいはまた先生方の指導が悪いのか、あるいは制度そのものが悪いのか、そうした問題がはっきりしてきたと思っております。したがって、私はいわば通信簿と学籍簿との区別から始めて、ことに子供さんが小さいところにいけばいくほど親切、愛情がより必要なわけですから、そうした意味合いから、私どもそれを受けてできるだけ親切にひとつ徹底させようじゃないかというわけで、いま苦心いたしております。ただ、いつごろそれが出るのかということがいま問題になっておるように承知しておりますが、現在県によってあるいは町によってだいぶ差もあるようですから、そこらもひとつ把握できたら十分把握して、さっき申しますように親切、愛情に徹底した形をとったらよかろう、こういうことでいま勉強しております。時期が時期でありますから、あまり遠くないうちに早くその結果を得たいものだということで苦心をいたしております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 局長にちょっとお尋ねをいたしますが、指導要録というのと通信簿との関係でございますが、通信簿は、これは学校がいわば出しても出さなくてもいいという種類であるというふうに私は理解をするのですが、その間の関係をもうちょっと詳しく御説明をいただきたいと思います。

宮地茂文部省初等中等教育局長

○宮地政府委員 もう先刻御承知のことと思いますが、お尋ねの通知簿とか通信簿というものですが、これは法律上は学校教育法にも施行令にも書かれておりません。ただ、実態といたしましては、学校におきます児童とか生徒などが学習をしたり、あるいは学校でいろいろ行動、教育活動をいたしますが、そういったような教育上の問題につきまして、学校から家庭への連絡通信、そのための書類が通信簿であろうと思います。  ところで、通信簿と指導要録との関係は、直接に法令的に通信簿のことを規定いたしておりませんので、法令上は出てまいりませんが、指導要録と申しますものは、これは児童の学習及び健康状況等を記録いたしました学校が、その子供の卒業後二十年くらいは保存しておくようにという省令がございますが、そうした保存簿でございます。この指導要録というものがいろいろ詳細に学校で記録されますので、各学期ごとの通信簿はこれに基づいて大体出されておるというのが実態だと思います。  ただ通信簿は、これは先ほどから申しておりますように法令にも根拠もございませんし、ただ、学校としては教育的な配慮から家庭との連絡用に使っておる。したがって、指導要録のつけ方、これは五、四、三、二、一とかいったようなことが問題になっておりますが、そういう指導は確かにいたしましたが、通信簿のつけ方というものは文部省は直接指導いたしておりません。ただ、従来一、二回この指導要録との関係で通達を出しております。たとえば指導要録の記載事項に基づいて就職の証明とかあるいは家庭への通信簿などを作成する場合、その指導要録の記録事項をそのまま転記すると誤解を生ずるおそれもあるから、これらの作成にあたっては特に注意すべきであるということくらいしか触れておりません。  したがって、最近久保田政務次官の出られましたあるテレビ、あるいはそれをめぐっての新聞等の一部報道でいろいろ問題が起こっておるわけでございますが、指導要録で五、四、三、二、一をつけるということは、これは大体一つのクラスがあります場合に、甲とか乙とか丙とかいうようなつけ方も従来ございましたが、学校の保存用ですから一応統一的に五、四、三、二、一がいいであろう。それから、大体成績の中ぐらいのものを三として、その上下に五、四とか二、一とかいったような指導をいたしております。ただ、終戦直後連合軍が参りまして、CIEというのがございましたが、それらの方が新教育についていろいろわが国の学校の先生方に指導をされました。そのときに、統計学上正常分配曲線というんだそうですが、不特定多数の、五十人とか百人とかいう子供がおります場合に、一定のカーブを描いたかっこうになるんだといったような指導がなされたようでございます。  しかし、文部省としては、いま問題になっておりますように、五はクラスの何%とか、一はクラスの何%の者につけなさいというようなことは指導いたしておりませんで、そう機械的にならないようにという指導はいたしております。したがいまして、通信簿も、指導要録を写すだけではなくて、十分配慮しなさいという指導をしているのですが、学校によりましては五、四、三、二、一、しかも五と一はそれぞれ正常分配曲線、統計学上いう七%ずつとかいったようなことを非常に厳守しておられる学校があるということでございますが、趣旨としては、これは私どもが考えておる趣旨ではございません。したがいまして、これらのことについて趣旨が徹底を欠いておるということですが、通信簿につきましては、だからといって直ちに文部省が、それでは通信簿のつけ方について画一的にこのようにやるべきであるという指導に乗り出すのも、従来のいきさつからいかがか。しかし、混乱が起こっておるのは事実のようでございますので、近く指導部課長会議等ございますれば、県の実態等も十分報告を受けまして、そういう会議でいろいろ関係者に協議もさせて、各県でしかるべく指導、助言をしたらどうであろう。あるいは文部省に文部広報とかいったようなものもございますが、そういったようなもので解説的に考え方を述べるということも一つの方法ではなかろうか、大体このように考えております。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 この問題はなかなかおわかりにくいのじゃないかと思うのです。これは一般国民の側から見ると、ほんとうに私はそういうことはわかりにくいというふうに思うので、やはりわれわれといたしましては、よくこの点は周知をさせなければいけないのじゃないかとよりより相談をいたしておるところです。これはむしろ現場の経験をお持ちの方が詳しいんじゃないかと思いますけれども、私の理解からいうと、こういうことがいえるかと思うのです。たとえば新制大学というものが新たにできた。しかしながら、その理念というものをほんとうに当時の文部省やあるいは大学当局も踏まえてこれをやったかどうかという問題が、一つ問題がある。理念だけは昔の旧制の帝国大学の考え方で第一義的に管理運営をする大学当局がやったところに今日の大学紛争がある、こういうことでございますね。それから六・三・三という制度、これももちろんアメリカの教育使節団の提案があって、そうしてどうするかということをわれわれの先輩たちが選択をされてきめたことではございます。しかしながら、やはりアメリカの一つの新制大学の理念というものは、これははっきりしておるわけなんです。そしてそれがそのまま日本の土壌においてはいかがかという面もあって、そしてその指導等に手違いがあったこともこれは認めなければならないと思うわけでございますが、その意味合いにおいて、いろいろのアメリカの制度が部分的に小、中、高のこういう通信簿みたいなものにも実は及んできておったのじゃないかというふうに思うわけです。  だから、われわれの育ちましたときの通信簿というのは、考えてみると、算術、国語、修身なんといって、そして試験が行なわれる。五回試験が行なわれて、八十点とった、六十点とった、私なんか四十点とったこともあったわけですが、平均すると七十点とかということで、それが通信簿になって家庭にいくわけです。そうしますと、受け取る親も子供たちも一応わかるわけですよ。そして勉強する場合には、四十点とった者は、この次の二学期に勉強しようということで六十点とる、そうすると七十五点になる、こういうことで非常にわかりやすいわけなんですね。それをこういうような五段階に分けてしまっておるわけですね。ところが、実際学校の先生たちが試験をする場合のペーパーテストは、ある部分についてはやっぱり八十点とか七十点とか九十点とかということを言っているわけですね。それをそのまま見ると、これが四になったり、三になったりするわけです。うちの子は八十点とった、九十点とった、何でこれは四なのか三なのか、こういう疑問が起こるのはあたりまえじゃないかというふうに実は私は思うわけです。  しかし、戦前と戦後とで明らかに違ったことは、言うなれば昔のような点取り虫みたいなことはやらないのだ。むしろそうじゃなくて、おのおのについて先生の独自の一つの教育指導にゆだねて、ある場合においては奨励の意味においてそういうようなことを出す先生もあるけれども、一切そういうものはつけないで、子供たちを激励してあげるという意味においての評価というものもあるので、八十点とったからといって、必ずしもそれに合う五の内容を四にするとかということではない。そしてまた、そういうことは中央集権的なやり方から地方分権的なやり方に変わり、かつ、各学校の教師にゆだねられたものだという指導を少なくとも文部省はやってきておると思うのでございます。  そのことについて、あるところではA、B、C、D、Eといっているし、あるところは甲、乙、丙、丁といっている、あるところは、五、四、三、二、一とやっているし、あるいは全然やっておらないようなところもあるわけです。これはそれなりに徹底するならば、それもまた一つの方法かと思うわけでございますけれども、子供を持っておる父親、母親というのは戦前の教育を受けた人たちなんでございまして、その考え方でもって自分の子供を見ますものですから、どうもそこに行き違いがきておるのじゃないか。おそらくここにお集りの方々は、いま局長や政務次官から御説明を申し上げましたことで御理解がいっておると思いますけれども、一般の方々、父親、母親という方々にはなかなか御理解が、何べんも親切に久保田さんがテレビで御説明になってもわかりかねるということも、これはまた事実じゃなかろうかと思うわけでございまして、やはりこの点が、われわれといたしましても、新しい制度をとるといたしますならば、よくその意味を周知徹底させることを考えなければいけないのじゃないか、寄り寄り相談をいたしておるようなわけでございまして、一応私、大臣といたしましての考えを申し上げまして、御了承を得たいと思います。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 今度のこの通信簿の騒動で一番私が問題だと思いますのは、文部省の通達というものがいかに権威のないものであるかということでございます。この文部省の通達の経過をずっと私調べてみますと、一番初めに五段階の評価というものが出てまいりましたのは昭和二十三年当時の学校教育局長通達で、ここではプラス二、プラス一、ゼロ、マイナス一、マイナス二の五段階がとられております。それから二十四年、そこのところは非常に混乱があると思うのですが、中学校の場合には、ということで一、二、三、四、五というはっきりした数字の五段階の評価という現行のフォームが、二十四年にたしか通達として出ているようであります。ところが、この通達をずっと調べてみますと、ただいまお話がありましたような正常分配理論によるところの五と一が七%で、四と二が二四%、三が三八%ですか、それをそういうふうに記載しろという項目は全然ないようでございます。ないのが、どこからまぎれ込んで現場に伝わっているかと私は非常に奇異に感ずるわけでございますが、その経過は、先ほど局長から講習会かなにかでそういう説明があったというふうなことですけれども、文部省が出します通達というのは出しっぱなしで、それが守られているか、どのように現場で実行をされているかということを確かめることを全然おやりにならないわけでございますか。局長でけっこうです。

宮地茂文部省初等中等教育局長

○宮地政府委員 確かめ方ですが、大体私どもがいたしますのは、現場の小中学校でどこまで徹底しておるかを一々は調べられません。勢い県の教育委員会の指導部課長とか、あるいは市町村の教育委員会のそういう方々というあたりで、直接教員個々の人のつけておられるところまでの確かめは、御指摘のように通常いたしかねております。そういった意味で、不徹底といえばそういうことでございますが、実はこれは戦後のわが国の教育の六・三・三・四も、アメリカの指導等もございましたが、そういったような関係もございまして、戦後相当大ぜいの教育関係者がアメリカから参りました。これは東京のCIEだけでなくて、省都道府県にもそういう駐在官もおりまして、それらの方々がそういったアメリカの正常分配曲線のような新知識を教えられた。そこで戦前の教育と非常に違っておるのでございます。学校の先生はまじめですから、それを非常に勉強されて、その後指導をしたのですが、終戦後教えられたことをどうしてもあきらめ切れないでやられた先生も多いようでございます。しかしながら、正常分配曲線で五と一は七%でなければいけないと固執しておられる方がいまだにあるというのですけれども、私どもはそこまではないと思っておりました。そういう意味で、指導部課長会議も開きまして、県の実態も十分調べてもらって、その報告を徴したいと思っております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 この問題はおきまして、文部省として、現場ではどういうふうに実行されているかという点を調査されましたか。

宮地茂文部省初等中等教育局長

○宮地政府委員 実はこの問題が起きましてから、各県全部ということではございませんが、大体各ブロックの県に電話連絡で照会いたしました。ところが、各県の指導部課ではそのようなことはない。と申しますのは、指導要録と通信簿、この話がごっちゃになっているわけですね。そこで、先ほどから御説明いたしております指導要録について、文部省は相当の指導もし通達もしました。その限りにおきましては、県の指導部課では、そういうことはあり得ないと思うくらい毎年指導いたしておるようでございます。しかしながら、テレビや新聞等で見ますと、やはり現実にそのように、昔のように信じてやっておる学校があるということでございます。そこで問題になっておるわけですが、私どもとしましては、指導要録のほうは相当徹底をしておる。ただし、通信簿の出し方が、無理にクラスで——ちょうど昔の旧制の中学や高等学校では、五十人おれば五十人中の一番とか二番とかいうものが出されておりましたが、そこまでではございません。五と一は七%ですから、一番、二番ではございませんが、相当厳密にやっておる学校もある。したがいまして、問題は通信簿の記述のしかたというものが各県でばらばらになっており、各学校でいろいろ教育上の配慮からなされておる。その点がまあ画一的に文部省の考え、県の考えどおりになっていないのではないかという御指摘がありますれば、徹底しないということになりますが、その通信簿の一々のやり方、教育上どれがよいかという程度のことは、教育委員会なり学校にまかせて、そこで創意くふうをして、よいと思われる方法をとってもらうのがよいのではないかというふうに考えております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 局長は全部調べてないとおっしゃいましたけれども、ある新聞社の調べによりますと、これは文部省よりも新聞社のほうが熱心に調べているのでありますが、全国の県に問い合わした結果が出ているわけでございます。それによりますと、指導要録、いわゆる二十年間も保存をされ、しかも高等学校に行く内申書等に使われているその指導要録自体が、この正常分配理論に基づいて大体半数程度の県でやっているという一覧表が新聞に発表されているわけでございます。これは私は大きな問題ではないかと考えます。文部省の通達というもののあり方について大いに改善をする必要があると考えますけれども、この点大臣のお考えを承りたい。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 昔のように中央集権的な教育制度をとっておりませんし、非常に地方分権的な教育行政、その県の教育委員会、それから地方の市町村の教育委員会、いわゆる地域的な、そういうようなことでやっていくというたてまえになっておるわけでございまして、よく現在の制度について、いま自民党政府及び文部省のやっておることは中央集権的、中央集権的とおっしゃいますけれども、そうじゃなくて地方分権的なあれなんでございますが、とにかくそういうこととは別に、こういうようなことをやはり単に県の教育委員会の段階でわかるということと、それから先の実際のいわゆる義務教育を受けておる生徒及びその父兄たちがわからないというようなことであっては、これは意味がないわけでございまして、そういうような、今日非常なコミュニケーションの発達した時代で、現実の問題として、ある具体的な問題については新聞等が早いなんというようなこともございます。しかしながら、私たちといたしましては、国民に対して責任を持っておりまする文部省といたしまして、こういうような混乱がとにかく事実上周知徹底しておらないということであるならば、これはやはり問題かと思いますので、この通達のやり方等についてもよく親切にし、先ほど久保田政務次官からお答え申し上げましたように愛情を持ってやらなければいかぬ。そのためにひとつ早急に私たちのほうで意見の調整をいたしましてやりたい、こういうふうに考えておる次第でございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 今後の問題でございますが、この正常分配理論に基づく教育評価のしかたというのが問題になりましたのは、一つのクラスの中で、どんなに勉強をしていい成績をとっても、自分よりもちょっとでもいい生徒が一人か二人いれば五にはなれないのだ、その矛盾だと思うわけでございます。それに対するおかあさん方の長い間の怒りが爆発したというのが、今回の通信簿の騒動の大きな原因であったと思うわけであります。今後の教育評価のやり方について、問題点は絶対評価か相対評価かという議論だと思うわけでありますが、この点につきまして大臣のお考え、どうあるべきかという点をお尋ねします。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 これはなかなかお答えがむずかしいわけでございますけれども、もう少しやはり何というか、わかりやすい、だれにでもわかりやすいやり方ということは一つの目標かと考えておるわけでございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 そうしますと、今度の問題をきっかけとして指導要録のほうも改正をするというお考えでございますか。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 これはやはり慎重に検討いたしませんと、何とも申し上げられませんけれども、しかし、やはり十分検討いたしまして、そうして必要とありまするならば改善をいたしたい、かように考えております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 ぜひそのような方向で改善され、周知徹底され、今後の文部省の通達が今度のようなことを起こさないように強く要望するものでございます。  次に、大学の問題を契機といたしまして、私は教育の制度全体をあらためて考え直す時期に来ているのではないかということを強く感ずるのでございます。これまで日本の教育の明治以来の改革の経過を見てみますと、大体二十年から二十五年間に一度は、何らかの形で教育制度の改革がなされているようでございます。そういう意味からも、いまそのいい時期に来ているのではないか。その点について大臣のこれからの取り組み方についてのお考えをお尋ねをいたします。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 六・三・三・四が始まりましてから、もう二十数年を経ておるわけでございます。で、やはりこの六三制度というものについて、いろいろ二十年間において批判がございましたけれども、一面におきましては、国民教育を普及するという意味、また高等教育機関に学ぶ人たちが多くなっていくという方向、そうしてまたそれが今日世界の非常な発展に対して、何と申しますか、国民の資質を教育の力によって高めることによって、経済活動も活発になるし、国民生活水準も高まるし、あるいはまた社会的、文化的な意味においても高まっていく、こういうこと、極端なものの言い方をいいますると、教育投資即経済発展というメカニズムが構成される一つの要素として六・三・三・四の果たします役割りというものは、やはり一応評価すべきであるというふうに思うわけでございますが、同時にまた、他面、これがアメリカの制度を日本が選択をいたしましてやりましたために、日本の従来の教育制度との対比において、なかなか定着しにくい部面も、たとえば大学問題等においてもあらわれてきておるということも率直にこれを認めなければいけないのじゃないか。しかしながら、やはりこの二十年、これだけ経験しましたこの段階において、やはりもう一ぺん制度自体についてすなおに率直にこれを検討し直すということは必要であるということで、前の文部大臣の灘尾大臣のときに、これについて諮問をいたし、いま中教審において検討を加えられつつあるわけでございまして、やはり一つの時期かと私は考えております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 この問題につきましては、非常に広範囲な問題でございますので、また別の機会に掘り下げた議論をしたいと思いますが、一、二点だけこの機会にお尋ねをしておきたいことは、義務教育の就学年齢を引き下げるという問題が議論にあがっております。この点について大臣はどういうふうにお考えかという問題が一点。  もう一つは、高等学校の教育を義務教育にすべきである、この動きはすでに昭和二十三年ですか、文部省の新制高等学校実施の手引という文書の中にそういった趣旨のことが書かれてございます。相当年数たっているわけでございますが、これについて現在大臣はどうお考えか。この二点についてお尋ねいたします。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 これまたなかなか難問でございますが、しかし、義務教育年齢の引き下げの問題についてのいい面と悪い面、両方考えなければいけないんじゃないかというふうに私は思うわけでございまして、実は私もこの問題でドイツとフランスとイギリスの事情を調査いたしました経験を持っておるわけでございますが、一般的に申しまして北欧諸国というものはやはり年齢は高い。場合によっては七歳というようなところもあるように聞いております。というわけで、これはやはり人間の発展段階に応じて、また、その能力に応じて教育を施すということが親切なやり方ではなかろうかというふうに思うわけでございます。たとえばイギリスにおきまして、確かに五歳からインファントスクールに入りますけれども、インファントスクールも日本と同じような幼児教育の形でやっておりますけれども、しかし、今度また、いままでナーサリースクールというか幼児教育、就学前教育というものをやっておりました人たちともお会いいたしましたところが、その人たちの気持ちといたしましては、就学前教育と学校教育というものは区別さるべきものである。むしろ、その意味において確かに年齢の引き下げというそのものは、そのものとしての価値を持つかもしれないけれども、幼児の発展過程から考えるならば、むしろ就学前教育というものを認めないような方向、たとえば義務教育を五歳からやるということになりましてから以来は新しい就学前教育をつくるということは禁止しておりますということに対して強い批判を持っておった実情も聞きました。  フランスの場合は、日本と非常によく似ておりまして、むしろ幼稚園教育というものと学校教育というものとを区別いたしまして、そしてやっておる。そして幼稚園の教育も非常に就学率も高い。むしろ、日本に似ているんじゃないか。  ドイツの場合には、これは行って見てみますと、日本の幼稚園と比べると非常に違うと思いましたことは、むしろ日本の保育所と同じだ。つまり、けがをさせないとか、あるいは衛生的な意味において保護をするとか、とにかく遊ばせるということを主眼としておるように受け取れるような幼稚園、ドイツではむしろ就学前の教育というものはむしろ家庭教育が主体である。補完的な意味において幼稚園というものが存在するんだ、こういうことでございます。  それからまた、連邦の事務局長みたいな方に会いまして話を聞きましたときには、バイエルンで何か五歳から義務教育ということを始めたというようなことがいわれておりますけれども、おかしいなと思いながら帰りましたところが、追いかけて手紙が参りまして、バイエルンでやっておりますのはある特殊教育の人たちに対して早い年齢から始めたという訂正の手紙も参っておるわけでございます。  それから、アメリカの場合も、多少スラム街対策として、前の平和部隊の長官だったシュライバーあたりがそのことを考えて、そういう教育環境のないところの子供に対しては早い機会にそれを教育の場に引き込むということのほうが将来の教育として非常によろしいんだ、こういう発想であれは始まったように聞いておるわけでございまして、そう考えますと、それぞれの国においてこれを考えなければいけないんじゃないか。一つの提案ではある。しかしながら、これはやはり慎重にやらなければいかぬのじゃないかというのが私の考え方でございます。  それからまた高等学校を義務教育にするかどうかという問題、これもまたきわめて重要な問題だと思います。ですけれども、今日もう準義務教育のような状況に、平均七十数%になっておるということでございまして、この点、ただいますぐ義務教育ということは私は考えておりませんけれども、やはり近き将来においてそういうような考え方というものもよく考えていかなければならない課題だというふうに思っております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 もうだいぶ時間がたってまいりましたので、あと一、二点だけお尋ねして質問を終わりたいと思います。  ひとつ提案を含めて大臣のお考えをお尋ねしたいのですが、スポーツの振興につきまして、これから都市の再開発等でますます大きなビルが建ってくると思うわけであります。私は、学校体育にもいろいろ問題はございますけれども、社会人のスポーツの施設というものを充実させる必要があるということを痛感をするわけでございます。そういう点で、これはまず官庁等がその気になればすぐにでも実行できる問題でありますが、一定規模のビルをこれから建設をする場合に、そこに必ず一定規模の体育施設をつくるというのを法制化するというようなことができないものであろうか。たとえば霞が関ビルにいたしましても、あの中に相当の事務員の方がおられる。ちょっと昼休みでもスポーツをやるという機会、ビルの中に体育館の小さいものがあれば、それが可能なわけでございます。そういうことがこれからますます必要になるのではないかと私は考えるわけでございますが、これは建設省その他ともいろいろ関係のあることであろうと思いますが、ぜひ実現をしていただきたいと思うわけでございます。大臣のお考えを承りたい。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 まことにユニークな御提案だと思うわけでございまして、とにかくこれから好むと好まざるとにかかわらず人口の集中というものが都市に来ておる。そうすると、都市を構成するものは高層建築というような形に変わっていく。そして実際の場合、あらゆる方法でもって政府といたしましては緑地化をはかっていくということをやるわけでございますけれども、なかなかそれも、ある程度はできましょうけれども、そう近い将来にすぐできるというようなものではない。ところが、いまの御提案はある程度、これは建設省その他関係各庁と相談をしてやるならば、可能性全然ないというものではないんじゃないかというふうに思うわけでございます。この点については、貴重な御意見といたしまして関係各省とも連絡をとりつつ検討いたしたい、かように考えております。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 最後に私立学校の振興の問題について大臣のこれからの抱負というものをお聞きしたいと思うのです。  それからもう一つは、これは大臣が特に力を入れておられます特殊教育の振興につきましてどのような構想をお持ちか、この二点について最後に御質問を申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。

坂田道太自由民主党文部大臣

○坂田国務大臣 私学の振興につきましては、たとえば大学に例をとりましても、今日百五十万の学生のうち、百十万あるいはそれ以上になりますかが私立大学に学んでおるわけであります。一方、平均いたしますと、国立大学三十に対して学生一人当たり年間七十六万円を国は援助をしておる。にもかかわらず、財投を含めまして百十万の学生に対しては一人三万円、財投をはずしますと一万円以下である。これはいかにもいかがか。大学問題というものは、単に国立だけのものではなくて、やはり国公私立を問わず、百五十万の学生というものの一つの見方をこれからはやっていかなければならないのじゃないか。そういう観点でものを見た場合に、今日これだけ高等教育機関に学ぶ数というものがふえてまいりました。それからまた、そのことは、むしろ私立大学当局にわれわれ文部省がお願いをして、ある程度この人口増あるいは進学をする人を受けとめていただいた経緯もあるわけでございまして、また、日本の社会近代化に果たしましたこれらの卒業生、及び各大学がやっております研究成果等も非常に大きいというふうに思いますし、今後ますますその比重というものも、質的にも量的にも私立大学に対して責任があると思いますし、また、その貢献度合いというものも評価をしなければならない、こういうふうに考えますので、明年度の予算案におきましては、むしろ量的な面ではなくて質的な面において多少前向きに実は交渉をいたして、現在皆さま方に御提案を申し上げておるわけでございます。たとえだ教育研究費の問題にいたしましても、四十三年度までは、一番必要だと思っております光熱水料というものもはずされた。したがいまして、四十三年度においては、三十億円の予算をもらいながら、実際においてはこれを二十三億程度しか消化しなかった。ところが、これにつきましては、いろいろ原因を探ってみますると、十万円以上は対象にしないとか、光熱水料はこれを認めないというような、いろいろのきびしい条件、これは大蔵省とその当時そういうような取りきめになったわけでございますけれども、その運用について多少幅を持っていただくということは、当時としても文部省としては強く考えておったわけでございますが、実態といたしましては、そういうことで三十億をもらいながら二十三、四億しか使い得なかった。そのことを踏まえましてその原因をいろいろわれわれといたしまして調査いたしました結果、むしろこれは積極的に光熱水料というようなものもその中に含めて、あるいはその運用にあたっても、もう少し幅を持たせて責任の省である文部省におまかせをいただきたいということを大蔵大臣にも申し上げまして、この点について御了承をいただき、量のほうもわずかではございますけれども、三十億から三十三億という形にいたしたわけでございます。  また、私学振興会の大学の関係の予算にいたしましても、従来は確かに学生の増加に伴いましていろいろ建築を余儀なくされる大学がございまして、その建築の費用について振興会のお金というものが意義があったわけでございますが、もうその時期は一応過ぎました。この段階においては、むしろ経営費補助という形において質的な転換をはかるという方向をある程度認めていただいたということは、一つの芽ばえかと思いますけれども、この点についても、もう少し抜本的な私学対策というものを考えていかなければいかぬのではないか。  もう一つは、たとえば義務教育の私立学校におきましても、ある地域におきましては、教育委員会等において指導をして、私立の小中学校に行くことをチェックしたかのような誤れることがあったことも御承知のとおりでございます。事実はいささか違っておりますけれども。しかしながら、公立の学校において、言うならば自分の中学や高等学校に来るのを奪い合いをするという傾向もあるやに聞いておるわけなんでございまして、私立学校における義務教育あるいは高等学校教育というものは、公立学校にない一つの特色を持っておる。同じ義務教育であって、数は少ないにしましても、その教育的価値というものは高いというふうに私は思うわけでございまして、この点について明年度実はわずかながら調査費を計上いたしまして前向きに検討をしていきたいというふうに私は考えておるわけでございます。その他私学の問題についていろいろ申し上げたわけでございますが……。  最後にお尋ねの特殊教育については、私、就任いたしまして、この点こそが日本の教育行政の中で一番取り残された部面ではなかろうか、精薄あるいは心身障害児あるいは重複障害児ということについて私は常々考えておりましたので、就任いたしますと同時に、特殊教育ということに光をともそうじゃないかということで、省内寄り寄り相談をいたしまして、まず、中央教育審議会にもその方面の専門家の人がいらっしゃいませんでしたから、特にお願いをいたしまして、特殊教育の三木さんという教授をお願いをいたしたわけでございます。さらに、もう二年来調査しておりました特殊教育の総合センターというものの敷地をきめまして、いよいよ始めるということで着手をいたしているわけでございます。これは単に教育的見地からだけではなく、心理学的あるいは精神衛生学的、医学的な学問の分野も、あるいは社会学的学問の分野も総合いたしまして、教育のやり方、方法、それからまた場合によってはそこに生徒、児童を収容いたしましていろいろ研究する。それからまた同時に、この人たちがどうやって社会の中に入っていけるかというような道も開くということで、この特殊教育の総合センターがきまりましたということは、各党の御支援もございまして、私どもといたしましては、今後ともこの教育行政の中の谷間といわれておるこの部面については意欲的に積極的に取り組んでまいりたい、かように考えておる次第でございます。

西岡武夫自由民主党

○西岡委員 午前から午後にかけて大臣との質疑を通じまして、しばしば中教審という名前が出てきたわけでありますが、もちろん、中教審が制度として存在するからには、中教審における答申、審議等を十分尊重をするという大臣のお考えは理解できるわけでありますけれども、やはり文教行政の最高責任にある文部大臣として、中教審の答申待ちということで、いろいろな根本的あるいは緊急を要する問題を避けて通ると申しますか、非常に手おくれになるような事態が起こったりする場合も考えられますので、やはり大臣として、これはやるべきであるという点については、勇断をもってぜひ実行をしていただきたいということを要望いたしまして、質問を終わります。

大坪保雄自由民主党

○大坪委員長 次回は明後二十八日金曜日、午前十時より理事会、理事会散会後委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。     午後四時一分散会

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