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58回国会参議院1968/04/01

予算委員会公聴会 第1号

発言数
51
登壇者
18
会派数
3
開催日
1968/04/01

会議録

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) ただいまより予算委員会公聴会を開会いたします。  公聴会の問題は昭和四十三年度総予算についてでございます。本日は午前中お三人の公述人の方に御出席を願っております。これから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。  それでは、これより公述人の方に順次御意見をお述べを願うのでございますが、議事の進行上、お手元に配付いたしました名簿の順序に従いまして、御一人三十分程度で御意見をお述べを願いまして、お三人の公述が終わりましたあとで、委員から質疑がありました場合、お答え願いたいと存じます。  それでは嘉治公述人にお願いいたします。

嘉治元郎東京大学助教授

○公述人(嘉治元郎君) 東京大学の嘉治でございます。  本日は国際経済問題についての意見を述べさせていただくことでここに参りました。そして、申すまでもないことでございますが、四十三年度予算についての私の国際経済との関連における考えを若干つけ加えさしていただきたいと、そういうふうに思っております。  で、第二次世界大戦後の世界経済の状況は、いろいろ紆余曲折を経て二十数年に及んでおるわけでございますが、まあその間いわゆるIMF体制、すなわち国際通貨基金の活動を中心にいたしまして、国際金融の制度を整えながら、その中で世界経済は長期的に見ますと発展の傾向をたどってまいりました。ところが昨年の十一月にイギリスのまあポンドの切り下げということが起こりましたが、そのころから国際金融の情勢に大きな混乱が起こっておりますことは御承知のとおりでございます。したがいまして、現在の時点に立ちまして、これから一年後、さらには長期的な見通しを立てるということになりますと、今日の国際金融の混乱をどういうふうに評価するかということが一つの眼目になるかと存じます。  そこで、初めにこの点について、まあ若干私見を述べさしていただきたいと思います。で、もともと第二次大戦直後におきましては、御記憶の方も多いと思うのでございますが、ドル不足ということが言われまして、アメリカ以外の国々はドルの為替を獲得することにきゅうきゅうとしておりました。と申しますのは、当時、先進諸国の中でもアメリカ以外の国におきましては、第二次大戦による直接、間接の打撃を受けておりました関係から、経済は極度の疲弊におちいっておったわけで、その復興のためにも輸入をふやさなければならない。ところが、輸入をすべく外貨を獲得するのに、輸出を伸ばすそれだけの力がなかったわけでございます。この点はわが国の場合にも同様でございました。しかしながら、一九五〇年代に入りますと、まあ主として朝鮮動乱を契機といたしまして、先進諸国の経済は戦後の復興を達成し、また、さらに発展成長を遂げる、こういうことになってまいりました。したがいまして、一九五〇年代の中ごろになりますと、一応、ドル不足の状態は克服されまして、いわば総体的な安定の状態が達成されたと、こう申してもよいかと思います。で、わが国の場合もそのころからもはや戦後ではないというようなことが言われるようになりまして、その後の高度成長期につながるわけでございます。  当時の世界経済全体の情勢を見ますときに、一番大きなできごとは、何と申しましてもヨーロッパ共同市場、EECの発生とその発展ということだと存じます。そこで、一九五〇年代の後半になってまいりますと、ヨーロッパ経済の復興に伴い、アメリカ経済の持っておりました圧倒的な地位が少なくとも相対的に見ると低下するという事態が起こってまいりました。それからアメリカの国際収支問題ということが、一九五〇年代の末近くなって顕著に出てきたことは御承知のとおりであります。由来約十年にわたりまして、アメリカの国際収支は年々少ないときでも十数億ドル、多いときには三十億ドルをこえるような赤字を出しておりますので、このことが今日の国際金融の混乱の根本原因と、こういうふうに申してよいかと思います。それならば、アメリカの国際収支はなぜ悪くなったかということでございますが、これは私大きく分けますと、三点の理由があると考えております。その第一は貿易の黒字の縮小ということでございます。御承知のとおり、アメリカの貿易収支は長年にわたって黒字を続けておりまして、その点は今日といえども変わっていないんでございますが、しかし、その黒字幅が縮小してまいりました。それではなぜ黒字幅が縮小しているかということでございますが、これは根本的には、先ほども申し上げましたように、わが国も含めてアメリカ以外の先進諸国の経済力が高まって、アメリカの持つ国際競争力が低下したということでありますが、それをさらに具体的に申しますと、アメリカ国内にインフレ的な傾向がありまして、アメリカのものが国際的に見て割り高である。そうなりますと、どうしても輸出はしにくくなり、逆に輸入がふえる、こういうことでございます。これが第一点で、次に、第二点といたしましては、アメリカの民間資本の海外流出ということがございます。このことは一九五〇年代の後半に各国通貨の交換性が回復しまして以来、アメリカの大企業を中心として、特にヨーロッパ諸国に対する企業進出が非常に顕著でございます。そのために、毎年、これまたおおよそ三十億ドル程度の資金が海外流出するわけでございます。それから第三点といたしまして、アメリカ政府の手によるドルの流出ということがございます。もちろんこの中には発展途上国に対する援助というような、世界経済の長期的成長発展に貢献する、そういうものも含まれておりますが、特に一九六〇年代に入り、さらに最近二、三年の状況では、これも御承知のとおり、ベトナム戦争のエスカレーションに伴いまして、軍事支出的な形でアメリカ政府資金が海外流出するという分もふえてまいっております。そういうことでアメリカの国際収支の赤字が続いており、まあそのためにアメリカにあります、アメリカの保有しておりました金が国外に流出するという事態が起こりまして、それで金が流出いたしますと、それとともにドルの為替に対する国際的な信頼というものも傷つけられてくるわけで、そのことが現在の混乱の直接原因、こういうふうに申してよいかと思います。  それでは、この状況が今後どうなっていくかということでございますが、これはつい先ごろ行なわれました十カ国蔵相会議の結論等を見ましても、一応は世界諸国のいわゆる国際協力なるものができまして、当面いわば小康状態が保たれる、こういうことのように見受けられます。しかしながら、私の考えますところでは、国際協力というものは、やはり基本的には世界諸国間の利害の一致ということがない限り、長期にわたっては維持しにくいと、こういうふうに考えます。そして、申すまでもないことながら、世界諸国の利害は一致する面もあると同時に、相対立する面もあるわけでございまして、したがって、世界諸国が現在のような国際金融制度を維持していこうという考え方のほうが、各国独自のいわゆる国益というものの相対立する面を上回っている限りにおいて、この国際協力は続くものと、こういうふうに考えます。で、その際にアメリカ以外の国々が、この国際協力のいわば代償としてアメリカに対して求めますものは、アメリカの国際収支の改善ということでありまして、アメリカがこの国際収支改善にどれほど努力するかということと、この国際協力がどれほど、長期にわたって続くかということ、このいわば二つのことのかね合いの上に、今後の国際金融の状況というものが動いていく、こういうふうに私考えております。  そこで、アメリカの国際収支が今後改善していくかどうかということでございますが、この点につきましては、実はイギリスの場合が一つのヒントを与えてくれると思います。イギリスはすでに一九六四年に国際収支の非常な危機に陥りまして、当時たまたま政権の交代があって、現在の労働党内閣が成立したわけでございますが、現在の労働党内閣が非常な国際収支の危機の中に政権を担当することになりまして、すぐにやりましたことは、輸入を抑制する、課徴金というようなものを設けて輸入を抑制するということをやり、それと同時に国内の財政支出の削減とか、その他金利の引き上げ等、国内景気の抑制ということをやりまして、さらに国外からの緊急的な融資を受けるという、この三つの方策をもって国際収支の危機を乗り切ろうとしたわけでございます。しかしながら、詳細なことは省略いたしますが、その三つの方法が必ずしも十分に効果をあげませんでしたために、結局、昨年十一月におけるポンドの切り下げということになったかと思います。で、この場合と比較して、アメリカの場合を考えてみますと、アメリカの場合には、先ほど申し上げましたように、貿易収支は現在でも黒字であります。したがいまして、基本的な国際競争力という点については、なおイギリスよりははるかに強いものを持っている、こういうふうに考えます。しかしながら、資本の流出や、あるいは政府資金の海外流出という点に関しましては、イギリスと事情が異なるわけでありまして、しかもイギリスの場合には、比較的政府の政策が経済全体に浸透しやすい体質でございますが、アメリカ経済におきましては、本年一月一日に大統領は相当思い切ったドル防衛策を打ち出しておりますけれども、それにもかかわらず、その後のアメリカの議会における立法措置の進行状況などを見ておりますと、必ずしも行政府の考えておるようなドル防衛が早い時期に達成されない、そういう危険があると思うわけです。それから、さらに大きな要因といたしましてのベトナム戦争の行くえということが考えられるわけで、この問題は私の専門外でございますので、内容に立ち入っての意見は申し上げる能力を持っておりませんけれども、経済面に限って考えてみますると、この戦争のために直接ドルが外に流出する分が約十数億ドルある。しかも、ここに間接的には国内のインフレが助長され、それからまた輸出産業、輸出に回るべき生産活動が軍需のほうに回ってしまう、こういうこともございますので、全部考えてみますと、この戦争のために、アメリカの国際収支はおそらく三十億ドルぐらい赤字になっているのではないか、これほどの影響を持っているということは考えておく必要があろうかと思います。  そこで、こういう世界経済の状況の中で、わが国の国際経済面における今後の動きという点についてどう考えるかという問題に次に移らしていただきたいのでございますが、この点につきましては、経済企画庁の四十三年度経済見通し、あるいは経済運営の基本的態度の中にも、国際環境が非常にきびしいということが十分に指摘されておりまして、そういう中にあって、わが国は昨年の後半以来、国際収支の改善策ということをとっているわけでございますが、それがどれほど効果を収めていくかという点について、企画庁の見通しにおきましても、必ずしも楽観的ではないわけです。しかも、わが国の国際収支改善策がとられ始めました昨年秋と現在とを比べてみますと、国際環境というものは混乱の度を加えることはあっても、決してそれがよいほうには向かっていない、このことは認めざるを得ないと思います。しかしながら、私の考えでは、わが国の国際収支改善に関して、それほど悲観的になる必要はない、こういうふうに考えております。その理由は、まず第一に、基本的に日本経済が対外的な、相対的関係において、今日なお次第にそれを強めていっている、こういうふうに見ているからでございます。これは西欧の先進諸国も、先ほど申し上げましたように、EECの誕生から数年にわたりましては、ヨーロッパ大陸諸国が非常に順調な経済の発展を遂げていたのでございますが、それがやや頭打ちのような傾向になってきている。それからまたイギリス経済は御承知のとおりのような状況で、今日は緊縮引き締めということを通じて、何とかそれの建て直しに努力しているというような状況でございます。しかも、ポンド約一五%切り下げましても、それによってイギリスの商品の持つ国際競争力が非常に強くなって、そのためにわが国の商品と輸出市場において競争する際に、わが国が不利であるというような状況もいままでのところ出ておりません。それからまたアメリカもどれほどインフレ対策を講ずるか、今後の動きを見守る必要がございますが、しかし、これも極端にわが国の対米輸出に対して大きな阻害になるというほどになろうとは私は考えておりません。そういうふうに見ますと、基本的にはわが国の国際収支改善ということに関して、貿易面については必ずしも悲観する必要はないと、こういうふうに見ております。  ただ、これも企画庁の見通しに指摘されておることでございますが、わが国の国際収支の面におきましては、いわゆる貿易外の収支で大幅な赤字を持っております。これは御承知のとおり、海運の収支とか、あるいは過去における外国からの借り入れに対する利払いの支出とか、そういうものがあるわけでございますが、その中で、海運の収支に伴う支払い分というようなものは、今日の世界の海運の状況を考えてみますると、早急にわが国が邦船の積み取り比率を高めるというようなことは、むずかしい状況にあるわけでございまして、そうしますと、貿易の規模が拡大すると同時に、この貿易外収支の赤字というものも拡大する。そういう意味合いから、この貿易外収支の赤字分というものは、何とか貿易の黒字、あるいはあとに申し上げまする資本勘定での受け取り分というもので埋め合わせをつけない限り、国際収支全体としての均衡とか、あるいは黒字化ということはむずかしいというのが、現状かと思います。  それから貿易につきまして一つ言い落としましたけれども、わが国の場合に、資源が乏しく、大きく輸入に依存しなければならない。したがって、輸出も伸ばさなければならない、こういうことはもう何年も前から口では非常に言われておるわけでございます。そしてまた、そういう言い方をする際に、日本経済は貿易依存度が高いのであるということを前提にして言う場合が多いわけでございます。しかしながら、これは統計を見ていただきますと、すぐにわかることでございますが、いわゆるGNP——国民総生産に対する輸入なり輸出なりの比率、そういう形で見まするわれわれの、普通貿易依存度と申しますのですが、その貿易依存度の率で見る限りにおいては、わが国の現状は諸外国と比較して決して高くないという事実でございます。アメリカの場合は、国内市場が非常に大きいわけでございますから、この貿易依存度が五%以下であるというのは当然といたしまして、西欧の先進諸国は、オランダのごときは五〇%近いような高さでございますし、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア等、いずれもわが国より高い率でございます。そういう事実がございますので、口では貿易立国であるとか、輸出振興であるとかいうことが言われながら、実態においてはなかなかその実が上がってないということを、ひとつ指摘しておきたいと思います。このことは、四十三年度予算にも関連するわけでございますが、四十三年度予算におきまして重要施策の一つとして、六番目の項目に、貿易の振興と経済協力の推進というのがあげられております。そして、そこでの貿易振興費、経済協力費は前年度に比べますと、相当大幅な増額になっておるわけでございます。しかしながら、その絶対額におきましては、財政全体に占める比率が、私の意見を率直に言わしていただきますると、必ずしも高くない。口で貿易の振興ということを言うのに比べますと低いのではないか。しかも、この項目の中には、経済協力の推進ということも入っておるわけでございまして、これは具体的には発展途上国に対する援助を含み、いわゆる南北問題の解決の上にわが国が果たしている役割ということを内蔵している、こういうふうに考えますると、こういった項目は、今後もちろん財政全体のバランスということを、各費目の間の均衡のとれた形での支出ということを考える必要性は十分私も必要と思うわけでございますが、しかし、問題の重要性にかんがみて、もう少し重視されてもいいのではないか、こういうふうに思っております。  それから、もう一度話をわが国の国際収支に戻さしていただきまして、貿易と貿易外の問題に続いて、資本取引の点に移りますると、この資本勘定におきまして問題になりますのは、いわゆる外国からの直接投資をどういうふうに受け入れるかということかと思います。これは非常に大きな問題でありますので、そのことの国内経済に与える影響、あるいは国際経済の場におけるわが国の役割と、こういうものをいろいろ考え合わせた上で、しかも具体的施策を考えていく上におきましては、タイミングということも大切になってまいりますので、簡単に結論を出すことはむずかしいわけでございますが、私といたしましては基本的な方向としては、資本取引に関しても自由化を現在政府が考えているより以上のスピードで進めていくべきではないか、こういうふうに思っております。といいますのは、国際収支の面で現在のわが国の状況を見ますと、貿易収支では、先ほど申し上げましたように、黒字が期待できる。しかし、貿易外収支では赤字である。こういたしますと、まあ大ざっぱに言えば経常勘定で収支相償うというような形になります。そうしますと、今度は資本勘定のほうを見る場合に、もしわが国が低開発国その他に資本を出すということを考えるならば、それと同時に、受け取るほうもない限り国際収支全体は均衡しないわけであります。したがいまして、わが国の世界経済に果たしていく役割りという点から考えますと、資本勘定におきましては、外に出すものもふやしていくが、それと同時に外国から入れるものも、これはもちろん適切な処置を講じた上でということでございますが、ふやしていく方向、こういう方向がわが国の国際収支の現状から考えてとるべき政策ではないか、こういうふうに思っております。  で、もともと世界経済が戦後発展してまいりましたのには、アメリカを主唱者といたします自由多角化という経済関係を取り結んでいくという、こういう基本方針がいままでは少なくともありまして、そのことによって日本経済も国際経済の場において発展してきたと思うわけでございますが、今日の国際金融の混乱の結果、予ての自由多角化の方向ということが阻害されるような事態が起こりますと、これは日本経済にとっても不利な影響が出てくる、こういうふうに考えますので、少なくとも日本の立場としては、従来と同じような方向で世界経済が発展していくことを期待すべきであり、したがって、そういう方向でわが国の態度というものもとられるべきではないか、そんなふうに思います。  それでは、これで終わります。(拍手)     —————————————

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 次に、佐伯公述人にお願いいたします。

佐伯尚美立正大学教授

○公述人(佐伯尚美君) 日本農業の現状について、現在いろいろな診断がなされていると言っていいと思いますが、端的に申しますと、いわば明るい面といいますか、明るい材料と暗い材料とが交錯しているというのが現状ではないかというふうに考えます。  暗い面といたしましては、これはしばしば指摘されることでありますけれども、農工間の所得格差、あるいはその基礎にある生産性格差というものは一向に解消していない。基本法以来、所得格差の解消ないし均衡ということが政策の目標にありながら現在に至るもまだ解消していないというような問題がございます。さらには、農業就業者数が急激に減少し、しかもそれが特に若年労働者を中心に減少しているために、いわゆる三ちゃん農業と言われる兼業農家が増大し、しかも農業就業者が非常に劣悪化している。いわば農家の空洞化現象が広範に進んでいるというようなこともございます。あるいは、農業生産の伸びがかなり鈍化してきている。たとえば三十年代前半と後半と比べますと、前半がほぼ三%の伸び率を示したのに対し、後半は二%というふうに、総生産の伸びがかなり鈍化してきているという事実もございます。あるいは、農産物価格が年率八%を上回る水準で高騰を続けている。これは需要に対して供給が追いつけない一つの必然的な結果である、こういうふうに考えます。あるいは、海外との関係からいいますと、農産物の輸入が急激にふえている。四十一年度では二十三億ドルというふうになりまして、世界的に見ましてもイギリス、西ドイツに次いで世界第三位の輸入国になってしまったというような事実がございます。あるいは、さらにもう一点あげますと、基本法当時言われました選択的拡大という現象が、ここ二、三年のうちやや停滞し始めるきざしを見せ始めた。たとえば果樹であるとか畜産とかいった成長農産物が、三十年代の後半から四十年に入りまして、やや壁にぶつかるというような現象が出てきております。  こういう暗い材料ばかりかというふうに申しますと、しかしそればかりではなくて、他方ではそれを打ち消すような幾つかの明るい材料も出てきておるということも見のがしてはいけない点かと思います。明るい面といたしましては、第一点としてあげたいのは、農家と都市勤労者との生活上の格差が次第に縮小してきているという点であります。一人当たりの家計費を農家と都市勤労者について比較してみますと、三十五年当時は七六%であったのが、四十一年には八四%というふうに、かなり接近してきている。これは明るい材料と言ってよろしいかと思います。それから第二は、ごく最近に至りまして生産の伸びが回復のきざしを見せ始めたという点であります。ごく最近といいますのは、四十一、四十二年です。四十一年には三・八%という高い成長率、さらに四十二年は八%、これはかなり豊作による一時的な要因が強くあるわけですが、それにしても八%という非常に高い成長率を示した。こういった生産の回復がはたして傾向的に維持されるかどうかという点は、かなり注目していい点ではないかというふうに考えます。あるいは、明るい材料のもう一つの面といたしましては、テンポはかなり鈍いとはいっても、やはり規模拡大の方向へ着実に進んでいるという点も見のがせないかと思います。たとえば畜産の多頭羽飼育であるとか、あるいは農地移動の上層集中というような形が徐々に進んでいる、さらには集団栽培とか請負耕作といった新しい生産組織があちこちにできて定着し始めているという点も、いわば明るい材料として評価していいのではないかというふうに思います。あるいは、問題になっております自立経営も、ごくわずかですが比率も増大している。農業白書によりますと、自立経営と目される農家数は、全国で三九年に八%であったのが、四十年には九%、四十一年には一〇%というふうに、この一年ごとに一%ずつ毎年増加してきております。あるいは、さらに明るい材料として数えたいのは、農家の中に農業の将来に対する意欲をかなり強く持っている農家が少なくないという点であります。これも、農林省の意識調査によりますと、農業の将来に対して期待するというふうに答えている農家が五一%ございます。逆に期待しないという農家が二六%ですから、おおよそ半分をこえる農家が、現在のような非常に困難な事態にあっても、なおかつ農業に対して積極的意欲を持ちたいというような回答をしております。  こういった幾つかの明るい材料があり、それと対象的な暗い材料があるという中で、こういったこんとんとした状態の中で、農政の果たすべき役割というのはかつてないほど比重が高まっていると言っていいのではないか。要するに、いかにして現在の農業に見られる暗い面を押え、いかにして明るい面を助長していくか、そういう点に農政の基本的な課題が置かれているというふうに考えなければいけない。そういった観点から、以下、農業政策について大きく分けまして、構造政策と価格政策と金融政策というふうに大きく三点に分けまして、若干の考えを述べてみたいというふうに思います。  まず第一は、構造政策についてであります。農業基本法以来、構造改善とか構造政策ということはいわば農政の中心の目標であるというふうに言われ、事実これまでもさまざまな施策が行なわれてきております。しかし、全体として見ますと、現在の客観情勢の切迫からいいますと、そのテンポというのはかなりおそい、遅々としている。しかも、より問題が大きいのは、その構造政策の目標自身がまだ明確になっていないのではないかという感じを持つ点であります。たとえば四十三年度予算について見ますと、構造政策としては、従来の構造改善事業や、あるいは機械化の促進、あるいは後継者の育成といった幾つかの従来からの施策以外に、新しく農業振興地域の整備であるとか、あるいは農地法の改正であるとか、総合施設資金の新設といった幾つかの施策が加わっております。その点では、確かにまあ一歩前進を示しているというふうに認めてよろしいかと思いますが、しかし、他方から言いますと、きわめて不十分であるという印象もぬぐい切れないわけであります。それは、個々の施策自身が、構造政策という視点から見て、非常に不徹底であるという点ももちろんございます。たとえば農地法の改正について言いますと、現在考えられている農地法の改正というのは、まあ一言で言いますと、賃貸借の自由化という側面だけが強調されていて、それを規模拡大にいかに結びつけていくか、そういう積極的な視点が非常に弱い。いわば抽象的な自由化に近い形が考えられているようであります。その点から言いますと、構造改善というものについては、まだ農地法自身の中に明確な意識なり方向づけが行なわれていないというふうに考えざるを得ない。あるいは、新設を予定されております総合資金について言いますと、設備資金と流動資金が農林公庫と近代化資金ないし系統資金という二元的な供給のルートを予定されている。その点で、はたして両者がうまくいくかどうかという問題もあります。あるいは、予算の規模に即して言いますと、四十三年度予算に予定されている総合資金の額は二十億円、対象は一千戸という農家であります。この程度の規模でもってはたして自立経営の育成にどの程度まで寄与し得るかという問題ももちろんございます。しかし、そういった個々のこまかな問題あるいは個々の施策以上に問題なのは、構造政策全体についての政策手順が現在でも依然として明確ではないのではないかということになります。  で、やや区切って申し上げますと、第一点は、構造政策の目標をどこに置くか、あるいはもっと端的に言いますと、どのような生産の主体を育成するのを農政の中心に置いているのかという点が割り切れていないことかと思います。これについては、周知のように、数年前からいろいろな議論がありまして、要するに個別的な農家——個別経営の育成を主体に置くのか、それとも協業経営を主体に置くのかという議論が繰り返されているわけですが、私の考えを申し上げますと、どうも個別経営か協業経営かというような抽象的な議論をするだけでは、いまの段階ではあまり意味がないのではないか。で、たとえば自立経営なり構造改善ということを考えれば、作目別、地域別に詰めていって、どのような形で現在規模拡大が進んでいるかということを考えて立証的に詰めていけば、およそ自立経営の目標として想定されるのがどのような経営であるかということもかなり明らかになってくるのではないか。そういった現実の規模拡大の動きに沿った形でもって政策目標を設定すべきではないかというふうに考えるのです。  それから第二点は、自立経営の育成あるいは構造政策についての問題の第二点は、政策体系の問題であります。構造政策というのは、単なる農地政策でもなければ、単なる後継者育成政策でもなければ、単なる機械化政策でもない。それら全体を含めて、いわば総合的な政策であるべきであります。そういった政策として有機的な関連を持って現在構造政策が進められているかというふうに考えますと、残念ながら否定的に答えざるを得ない。その結果、現在の構造政策というのはかなりでこぼこがある、あるいは政策体系としてのアンバランスが激しい。その点についての反省が必要ではないかという感じがいたします。  第三点は、政策自身のタイミングの問題があるかと思います。つまり、目標を考え、政策の手段を考えましても、一体どの政策をどういうタイミングでどの時期にやっていくかという点の問題があるかと思います。  要するに、構造政策について申し上げたいことは、構造政策を本格的に進めるためには、いま申し上げました目標、手段、タイミング、その三点について再検討する必要がありはしないか。そうすることによって、これまでの構造政策がかなり公式的ないし、ことばを強めて言いますと、やや西欧模倣的な形であった、つまり西ドイツなりフランスなりの構造政策の発想をそのまま日本に移そうとしたという感じが強いわけですが、そういう発想ではなくて、むしろその精神を日本の中でどのように具体化していくかという、いわば特殊日本的な構造政策のあり方というものを再検討する必要がありはしないか。その点で、日本経済の土壌に基づいた特殊日本的な構造政策のタイプといいますか、形態といいますか、そういったものを現在再検討する必要があるのではないかという感じがいたします。  以上が構造政策についての私の考え方でございます。  第二点は、価格政策についてであります。  現在、農産物総生産高の約八割近くについていろんな形の価格政策が実施されておりますが、その中で特に問題が大きいのは、言うまでもなく米と牛乳であります。  まず最初に食管制度についてでありますが、食管制度のあり方については、さまざまな矛盾が表面化しておりますし、いろんな議論が展開されております。まず考えなければならないことは、長期的に現在の制度をどのように変えていくかといういわば戦略目標を立てる必要があろうかというふうに考えます。その場合、最大のポイントになるのは、四十年度から始まっております米の需給緩和は将来どうなるか、傾向的に定着するのかどうかということを確かめることかと思います。大量の米の過剰が生ずる、あるいは政府米の在庫が半年ないし一年分にまで及ぶというふうな条件が将来にわたって想定されるとしたら、いかに政府が現行制度をいじってみても、現在の直接統制という形をそのまま維持するのは不可能ではないかということは自明かと思います。そういった点から、まず米の将来の需給ないし長期的な需給情勢に合わせて食管制度の基本的な目標を長期的に設定する必要があるかと思います。それが第一点。  次に、その場合問題になることは、現在の食管制度が果たしている農家に対する所得補償的な機能と新しく要請されている価格による需給調節的機能とのバランスをどうさせるかという点かと思います。一挙に所得補償的機能をなくしてしまうというわけにいかないというのは、これは自明だと思います。かといって、現在のように全く需給バランスあるいは需給情勢と離れて価格がきめられるというのも非常にまずいという点も、また自明かと思います。そういった二つの機能を将来にいかにバランスさせていくかということが問題であると思います。そのためには、たとえば——たとえばの話ですが、たとえば不足払い制度的な形でもって両者の調和をはかるということも当然考えられていいのではないかという感じがいたします。  最後に、そういった長期的な目標を立てた上で、さしあたり現在の食管制度についてどのようにそれを動かしながら長期的な目標に持ち込んでいくかという点についてのいわば戦術的なプログラムの設定が必要ではないかという感じがいたします。どうも私の印象から申しますと、これまでの食管制度をめぐる議論というのは、やや公式的、抽象的でありまして、いわば直接統制か間接統制かというような大上段に振りかぶった議論ばかりが多かったような感じがいたします。しかし、問題は、そういった抽象的な議論の段階ではなくて、むしろ現実論として、たとえば間接統制という場合、さらにいろんなニュアンスがありますが、そのニュアンスの一体どこを強調し、現在の制度とどこが変わっていくかということをもう少し明らかにしなければ、直接統制か間接統制かという抽象的な議論ばかりしていても始まらないのであります。事実、そこまで問題は詰められていないのではないかという感じがいたします。  それから次に、価格政策のもう一つの問題は、乳価政策についてであります。乳価政策については、御承知のように、四十一年度以来、原料乳の不足払い制度が導入されております。当初のねらいは、全体としての生乳生産の増大をはかるとともに、その中での飲用乳——市乳の比率を高めていく、市乳については将来に向かって自給度を高めたいということがねらいであったかと思います。しかし、現在ほとんど二年たとうとしているわけですけれど、その時点に立って振り返ってみますと、どうも当初の政策の方向に動いていないのではないかという印象が強く持たれます。  問題としてあげたいのは、どうも牛乳生産の伸びがはかばかしくない。かって一〇%をこえる成長率を示した牛乳が、去年、一昨年あたりは四、五%まで落ちてきておる。もっともごく最近——ごく最近といいましても、四十一年度に入りまして、この一、二月はやや成長率は伸びてきておりますが、これがはたして本格的な牛乳生産の回復を意味するかどうかはもう少し時間をおいてみないとわかりませんが、少なくとも牛乳生産自身がかなり鈍化しているということは大きな問題だと思います。と同時に、もう一つの問題は、牛乳生産の中で原料乳の伸びが高くて、逆に市乳、いわゆる飲用乳が停滞しているという結果がこの一、二年のうちにあらわれている点であります。つまり、政策のねらいとしたところと全く逆の形でもって、むしろ加工乳不足払いを実施することによって原料乳の生産地帯が安定して原料乳の比率が高まってくる、そういう状態が着々と現在進んでいるのではないかという感じがいたします。  結局、乳価については、原料乳及び市乳を含めて、全体としての価格体系をどう持っていくかということをもう一ぺんこの辺で再検討する必要はありはしないかという感じが一ついたします。もう一つの点は、それと同時に、単なる価格政策だけではなくて、生産政策ないし構造政策を含めて、いかにして現在の牛乳生産の内容を市乳化の促進に持っていくかという点を考えるべきではないかという感じがいたします。どうも原料乳の比率が増大しているということは、価格政策だけが先行して、それに対応する、たとえば道路網の整備であるとか、あるいは生産政策であるとか、そういった価格政策以外の政策がついていかなかったために、結果としてはどうも政策のねらいとは逆の形があらわれてきたということが現在の一つの問題ではないかというふうに考えております。  第三は、金融政策についてであります。最近の農政というのは、いわゆる金融農政というはやりことばがありますように、農業政策の中で制度金融の比重が非常に増大しております。たとえば、三十八年度には、制度金融の年間の融資額というのは千四百四十億円だった。それが、四十三年度予算を見ますと二千九百四十二億円というふうに、この五年間に融資ワクというのは倍増しております。あるいは、その質について見ますと、制度金融の低利性、長期性というのはますます強まってきて、その頂点が四十三年度に新設される総合資金制度だと思います。こういった制度金融の増大が農業設備投資の増大ないし農業近代化の促進に一定の役割りを果たしたということは事実といたしましても、同時に、その欠陥といいますか、そのひずみというのも、最近いろんな点であらわれてきておるのではないかという感じがいたします。  これも、ごく簡単に問題点だけ指摘いたしますと、一つは、金融農政の財政負担が増大して、農林予算硬直化の一つの要因になるという気配が濃厚であるという点かと思います。まあ、当初金融農政が実現したときのうたい文句の一つは、補助金に比べて金融というのは非常に効率的であり安上がりであるという点がメリットであるというふうに考えた。しかし、どうも長期的に見て必ずしもそうではないということがだんだん明確になってきているのではないかという印象が強いわけです。で、たとえば四十三年度予算について見ますと、制度金融に伴う財政負担というのは、たとえば出資であるとか、公庫補給金であるとか、利子補給金であるとか、いろんな形を含みまして、大体二百億前後に当たるものと目されるわけです。農林予算の総額から言いますと、せいぜい三%ですから、あまり目立たないようでありますが、どうも性格から言いますと、今後、等比級数的に増大をしていく可能性が強い。おそらく四十六年ごろには、つまり三年後には約六百億——農林予算の一割近くまで金融的な経費が増大するのではないか、そういう点から見ますと、あらためて農林予算あるいは農業政策全体の中の効率化という点から制度金融について考え直す必要があるのではないかという感じが一ついたします。  それから第二の問題点は、農業金融機構が著しく複雑になり、しかも長期化してきているという点であります。たとえば農家が一定の農機具なら農機具についての資金を借りようとする場合、五、六通りの借り方ができる、あるいは五、六通りの異なった制度金融があるというふうに非常に複雑になってきています。これは農家から見ましても、あるいは融資の主体である農協から見ましても、きわめて混乱が大きいということもございますし、逆に政策運用の側から見ましても、一体政策の重点といいますか、政策の目的がどこにあるかが明らかにならないというマイナスを生んでいる。いずれにせよ、こういった金融機構あるいは制度金融機構について、交通整理をする必要があるのじゃないかという感じがいたします。  それから第三には、借り入れる農家の側から申しましても、一部の農家、借り入れ農家から債務返済不能、いわゆる延滞現象があらわれてきております。借金を返せない、あるいは形式的には返しても、実情はそれを農協の肩がわり資金に求めるとかいたしまして、あちこちで延滞があるという状態があります。もともと金融というのは、補助金と違って、単なる一回だけの関係ではなくて、最後の返済が済むまでの長期的な関係であり、それだけいわば病状が慢性的になるという可能性を本来持っているものであります。どうもその点から言いますと、ここ数年間の制度金融というものは、やや安易に金融が政策の手段化されてきたのではないか。特に金融が、他の農業政策との関連ないし援護なしに、やや独走して走っていった、そのひずみがいろんな面であらわれているという感じがいたします。そういう点についても、いまの時点で本格的な反省が必要ではないかという感じがいたします。  ごく簡単でありますが……。(拍手)     —————————————

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 次に、松尾公述人にお願いいたします。

松尾均日本女子大学教授

○公述人(松尾均君) 松尾でございます。私は昭和四十三年度の国家予算のうち、特に社会保障関係につきまして私見を述べてみたいと思います。  私の材料は、大蔵省主計局から出ております「昭和四十三年度予算の説明」というようなものでありまして、これを中心に、特に最近数年間あるいは約十年間ばかり問題になっている医療保険を中心に申し述べてみたいと思います。特に昭和四十三年度予算におきましても社会保障関係は、特に医療保険のために多くの財源を食われているわけでありますけれども、新聞などで特に国会における予算論議を見てみますというと、いわゆる財政硬直化問題これを中心に展開されているような気がいたします。財政硬直化というのは一体どういうことかということも、私自体もはっきりした論拠を持ちませんけれども、要すれば当然増経費がふえて、いわゆる政策増的な経費の伸びを押えられているというような意味だと私は思います。したがいまして、そういう観点からこの昭和四十三年度予算も編成されているのじゃなかろうかと私は見ているわけでありますけれども、その点特に社会保障関係もその例外ではないわけでありまして、大蔵省では年末から年初にかけまして、いろんな見解を発表されているようでありますけれども、社会保障につきましては特に次のような規定、考え方があるかにうかがえます。社会保障は本質的にこの硬直的性質を持つものである、こういうふうな考え方に立っておられるのじゃなかろうかと思いますし、そういたしますというと、特に今年度予算におきましては、財政硬直化の原因の一つが社会保障にあるというように見られるわけであります。その点、結論から申しますというと、社会保障が今年度あるいは四十三年度予算を契機としまして、質量ともに非常に大きな変化をしていくのではなかろうかというふうに考えるわけであります。予算編成に関しましての大蔵省の見解その他はいろんな雑誌、文献でも見られることでありますけれども、特に財政制度審議会にお出しになった資料によりますというと、社会保障の問題につきまして次のように述べられているわけであります。  特に私は医療保険を中心に述べたいと思うわけでありますけれども、医療保険というものは毎年巨額な国費を投入したというわけでありますし、こうした医療保険に対する巨額な国費を投入している日本の社会保障というのは、非常に異常な形じゃないかという点であります。しかも膨大な経費を毎年投入しているにかかわらず、御存じのように年々赤字を生んでいるわけであります。そのような医療保険を再建することが今日の課題じゃないかという点、しかも今後年金保険が拡充していくのでありまして、そのためにもやはり医療保険の再建というのは今日的な急務じゃないかというような点、これが述べられているわけであります。特に医療保険のような社会保険に対して巨額な国庫負担というものがあるわけでありますけれども、社会保険に対する国庫負担というようなものは、やはり一つの異常な形じゃないか、逆に申しますというと、公的扶助その他のような、当然租税をもって、国庫支出をもってまかなうべき分野もあるわけであります。そうしたことを考えますというと、社会保険、特に医療保険などに対する国庫の増大というものは、社会保障全体としての体系を乱すものではないかという点、こういう点が指摘されています。したがいまして、医療保険の財源につきましては、今日検討すべきことは、保険料と租税とをどのような組み合わせでこれをまかなうか。思い切って申し上げますというと、保険料と租税との徹底的入れかえを行なうというようなことであります。租税負担というようなものを、やはり医療保険を中心とした社会保険部門から引き上げる、こういうやはり課題が今日あるのじゃないかという点、こういう点が述べられているわけであります。特に従来社会保障関係費のうち約三分の一の国庫を医療保険で占めているわけでありますけれども、今年度の予算を見てみますというと、やはり医療保険に対する深い反省と申しますか、あるいは強い批判と申しますか、これが行なわれているのが今年度の昭和四十三年度予算の特徴ではなかろうかと思います。そのような見解のもとに、非常に的確な表現だと思いますけれども、社会保障というものがいまや転機にきているというような考え方を私は見ることができるわけであります。  それでは、そのような大蔵省の見解というものが、具体的に昭和四十三年度予算にどのようにあらわれているかというようなことを見てみますというと、この予算説明について見ますというと、一般会計の総歳出というようなものが、昭和四十二年度の当初予算に比べまして約一七%前後の増加率でございます。ところが社会保障関係費というものはほぼ一三%前後の増加率でありまして、その総予算の伸びと社会保障関係費の伸びが、従来とはやや変わってきているということ、これは非常に具体的なメルクマールだと思います。御存じのように終戦後ずっと、特に三十年代にかかりましてから、社会保障が一つの体系を持ってきたこの十年間は、一方ではやはり自然的増収に余裕があったことがありますけれども、他方では、たとえば防衛費とか、あるいは国債負担費、こういうものがきわめて小規模であったがために、年々社会保障予算というものは順調に伸びてきたわけであります。したがいまして、この数年間の傾向を見てみますというと、総歳出の伸びよりは社会保障関係費の伸びが一般的に高かったというのが、この最近の傾向であります。ところが、最初申し上げましたように、昭和四十三年度予算におきましては、いわゆる財政硬直化対策というようなものの立場からしまして、社会保障に対する国庫負担というようなものを大きくするということは、従来の一般的傾向であった、しかもこれは福祉国家に至る進歩的なものだというような考え方が従来あったわけでありますけれども、これに対しましては、この際反省なり批判が必要だというような考え方のもとに、おそらくそのような社会保障関係の相対的伸び悩みと申しますか、そういうことが出てきたんではなかろうかと思います。特に医療保険に対する国庫支出の増加を抑制するということは、今後どうしてもやはり年金保険が発達してくるわけであります。特に年金保険への国庫負担の増大が必至になるわけであります。その場合に社会保障の維持というようなものを考えるというと、この際問題の医療保険に対しては徹底的な批判が必要だ、こういう考え方が貫かれているやに私は解釈します。と申しますというと、大体社会保障関係のうちの各費目別の項目を見てみますというと、日本では大体医療が六〇%を占めております。年金はただいま、まだまだ未発達の段階でありますので、一〇%前後でありますけれども、社会保障が比較的発達しているヨーロッパ諸国におきましては、医療保険が大体三〇%、年金が約五〇%でありまして、日本の場合と非常に比例が逆になっているわけであります。したがいまして、日本におきましても、今後年金がそのような比重を持っていくことは事実でありますし、その場合にやはり医療保険というようなものの比重というものをいま検討しておかざるを得ないというような立場であろうと思います。  ところが、計数であらわれましたそのような今年度の予算でありますけれども、そのような医療保険に対する国庫負担の増加の抑制と申しますか、もちろんこれは絶対的には増加しているわけでありますけれども、相対的な伸び悩みというようなものがどのような主義主張というようなものから展開されているかと申しますというと、この点につきましても、意識的に問題を提出する意味におきまして、次のような二つか三つぐらいの主義主張があるのではなかろうかと思います。一つは、しばしば新聞紙上その他にも見かけるところでございますけれども、いわゆる能力に応じて負担するという応能主義ということでございます。つまり社会保険というものは、本来社会連帯意識に基づいて行なうものであり、特に被用者、あるいは被保険者と申しますかの相互救済制度である。したがいまして、被保険者の負担能力に応じまして給付の費用をまかなうのが当然の原理だ、当然の主義だということであります。いわゆる応能主義の原理ということでございます。特にこのことは、年々膨大な国庫負担にもかかわらず、昭和四十二年度の単年度におきましては約百億、四十二年度までの累積赤字は約一千億でございます、をかかえる医療保険につきまして、以上のような応能主義の原理というようなものがきわめて強調されておるわけでございます。特にこのような方針というものは、先の第五十六回国会におきまして成立しました健康保険特例法によりまして、すでに実施に移されていると見てもいいと思いますけれども、保険料が千分の六五から七〇に上がったというようなことは、少なくともその前兆じゃなかろうか、そういう考え方がすでにいま実施されているのじゃなかろうかと思うのであります。これが一つであります。  それからその次のよりどころというのは、いわゆる受益者原則と申しますか、応益者主義と申しますか、そういう考え方があるやに私は理解します。特に四十三年度予算の審議にかけましては、公共料金、その他いわゆる受益者負担の原理というようなものをしばしば私たち耳にしたわけでありますけれども、これも四十三年度予算の特徴かと思いますけれども、社会保険にもこれを適用していきまして、特に医療保険につきまして、初診料あるいは薬剤費等々の一部負担金の考え方となってあらわれているわけであります。一部負担金と申しますというと、文字どおり非常に僅少な、ごく一部の負担というように聞こえるわけでありますけれども、実は家族負担が非常に大きいわけでありまして、総保険医療費の約二五%前後あるいは二七、八%に達しているわけであります。この一部負担金は、したがいまして、かなりの大きさになるわけでございますけれども、この一部負担金をいわゆる受診者が負担するということは一体何だというような点につきましては、昭和三十一年の社会保険制度審議会におきまして、医療保険勧告というようなものが出されたわけでありますけれども、そのとき以来、この一部負担金の性格というものが論議されております。通常言われることは、一部負担金というようなものは、やはり保険経済の収支バランスを保つためにきわめて必要だというようなこと、それからやはり、そのことは同時に受診率というものをある程度押えなくちゃいかぬ、そういうことによって保険経済のバランスを保つというような考え方が貫いていると思います。すでに健康保険の特例法におきましてもこのことはあらわれているわけでありますけれども、そのような一部負担金にまつわる考え方というようなものが、やはりこの四十三年度予算におきましてはきわめて注目されているのじゃなかろうかと思います。  そういうわけで、以上が昭和四十三年度の国家予算、あるいはその審議状況等々を私が見た、私なりの新年度予算の特徴と私は思いますけれども、これに関しまして、ことに国会以外でありますので、はたから見ていろいろな問題があるのじゃなかろうかと思うわけであります。問題を、これも意識的に問題を出してみたいと思います。  一つの問題は、いま述べました応能主義あるいは受益者主義というようなことでありますけれども、やはり、そもそも社会保険が、たとえばドイツのビスマルクの時代に、あるいはイギリスでビバリッジ以来できた経過を見てみますというと、やはり応能、応益主義というような、通常の商品交換法則というようなものが貫かれないところに社会保険というようなものはできたのじゃないか、そういう歴史的経過があるわけであります。したがいまして、応能主義あるいは応益主義というようなことを言いましても、社会保険の場合は、さほど単純にこれを適用できないのではないかという点であります。  まず応能主義というような考え方に注目しますというと、やはり、たとえば現行制度上は標準報酬あるいは保険料率と申しますか、これに一定の限度があるわけであります。しかも最高限度があるわけであります。したがいまして、おのずから応能主義と言いましても、現行制度上は限界があるわけであります。このために、応能主義を主張する以上は、やはりもう少し負担の累進制というようなものを明確に貫くべきじゃなかろうかと思うわけであります。ところが他面応能主義につきましては、次のような問題もひそんでいるわけであります。その一つは何かと申しますというと、やはり応能主義というのは保険料負担というようなものを、被保険者と申しますか、被用者と申しますか、この被保険者相互の負担というようなものにしぼってしまいまして、社会保障の本来的な原理であるところの所得再分配というようなものに欠ける点がないかという点であります。要点だけ申しますと、やはり能力に応じて負担しまして、そうして保険経済を保つのだというような考え方は、いわゆる社会保障の分野で申しまする階層内分配、階層内再分配、こういうものだけにおちいりやすくなっていくわけでありまして、いわゆる階級間再分配と申しますか、こういうものがなおざりにされる傾向があるわけであります。いわゆる水平的再分配のみに走りまして、垂直再分配ができないというような、こういう傾向というようなものを持っているということであります。それが第一点であります。  それからもう一つ、応能主義というようなものは、確かにこの保険経済の収支を保つためには有効な方法でありますけれども、ややもすれば保険料の徴収と申しますか、こういうものが非常に重視される。あるいは医療保険なら医療保険の経営というようなものが非常に重視されてきまして、社会保険あるいは社会保障の一環としての医療保険の本質というのが見失われる傾向も持っているわけであります。そういうことから考えますと、やはり現在の日本の社会保障なり社会保険の場合に、応能主義というものを強調するということは、やはり、ややもすれば、社会保険に対する国庫の負担の増加の抑制というようなものにつながるというような懸念が生ずるわけであります。それが一つであります。  それからもう一つ、応益主義でありますけれども、確かに利益を受ける者が一定の負担をする、一部負担を行なうということは、一つの理屈でありますけれども、はたしてこの受益者負担というようなものが、一部負担金が世にいう受益者負担に相当するかいなかという点であります。と申しますというと、まさに、たとえば病気になったときに医療担当者のところに行って、そうして受診して、そうして治療してもらう。そのために保険料を納めているわけであります。ところが、そのような保険料に対しまして、一部負担金がなければ、いわゆる給付が保障されないというのは、はたして社会保険の目的に合致しているかどうか、この点が疑問であります。そういう点から、一部負担金というようなものを受益者負担と直ちに見ていいかどうか、一つの疑問があります。  それからもう一つ、いわゆる医療保険、社会保険のいわば赤字、あるいは経費を抑制するというような意味におきまして、いわゆる受益者負担を行なう。その一つのあらわれが一部負担金だとしますというと、そもそも考え直してみなければならぬ点は、医療費の経費がかさむと申しましても、単にそれをいわゆる受診者、あるいは治療費と申しますか、そういう面だけに、要しますと患者さんだけに、あるいは別の見方から申しますと需要者、医療給付の需要者のみにその負担を負わせていいかどうかという点であります。医療費をやはり高めている原因というのは、文字どおり、あとで申しますように医療担当者の側にもあります。それから薬剤業者にも関係があります。したがいまして、医療費の経費増というような点を一部負担金で行なう。そのためには患者、つまり需要者負担というような形のみでこれを追及していいかどうか、これは私は非常に疑問だと思います。  それからもう一つの受益者負担につきまして、特に社会保険の場合に注意しておきたい点は、はたしてこの受診というようなものが、医者に行って見てもらう、あるいはこれをなおしてもらうというのが、はたして受益であるかどうかという点であります。この点、まあ私たちの仲間におきましても、かなり論議のあるところでございます。やはり、しかしながら、たとえば病気にしましても、けがにしても、たとえば賃金とか労働条件といったものに非常に関連することが多いわけであります。もちろん、この病気等々は、いわゆる人間の生理的な点から起こることも非常に多いわけでありますけれども、社会保険のそもそもの成立、あるいは本質から考えますというと、やはり傷病の多くというものは賃金、労働条件など、いわゆる社会経済的な機構と関連することが多いわけであります。    〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕 したがいまして、やや極言いたしますというと、傷病というのは一つの損害であって、したがいまして、治療を受けるということは、一つの損害の補てんであるというような議論もあるくらいであります。このように見てきますというと、あまりにも受益者負担、そういう点を追及して、そうしていわゆる応益者負担主義というものを貫くということは、要すれば需要抑制の措置としての性格を強めることになるのじゃなかろうかという点であります。社会保険につきましては、そのような複雑な面があるということを指摘しておきたいと思います。  したがいまして、以上のように考えますというと、やはり今年度予算の増加の伸び悩み、こういう点に注目いたしますというと、どうもやはり応能主義というものは、国家負担の増加というものをやはり抑制する、それからまた、受益者主義というようなものは、需要の増加を抑制するというような役割りを持つものと、こういうふうに考えられないこともないわけでありまして、昭和四十三年度予算というものは、社会保障に対しましては、きわめてやはり消極的性格を持っておるのじゃないかというふうに私は判断するわけであります。もちろん、この財源難その他におきましてそうした消極的政策が出てきたと思いますけれども、特に医療保険につきまして、もはや十年近くも幾多の論争、論議が行なわれておりますし、幾多の制度的な処分も行なわれておりますので、やはり今日、新しい積極的なビジョンというようなものも当然必要でありますし、私たちはこれを要請したいと思います。財政硬直化と積極政策というものは決して矛盾することはない。むしろこういうときにこそ積極的なビジョンというものを出してほしいと思うわけであります。したがいまして、以上これまた同じでありますけれども、医療保険を中心に、ごく簡単な私の提案を行なってみたいと思います。  その一つは、やはり医療保険に関してでありますけれども、現在の医療保険というものは、御存じのように昭和三十年代の半ばから、国民皆保険というようなものをとられまして、医療の需要のほうはほとんど九八%くらいが保障されていると申しますか、そういう制度になっております。ところが医療の供給のほうはどうかと申しますと、供給面につきましては、いわゆる世にいう自由開業医制というようなものになりまして、医療のサービスというものは、技術的にも、あるいは経済的にも、最低限度あるいは最低基準というようなものの決定というものは困難であります。しかもこの医療のサービスというものは、医療担当者、いわばお医者さんの報酬と密接不可分になっておるということであります。そのために、しばしば問題になっている差別診療があるかと思えば、過剰診療というようなものがつきまとうわけであります。これに対しまして、こういう医療保険の実情なり、現在の仕組みでありますので、これに対しましていろいろ抜本政策としましては、これは厚生省はじめいろいろな意味での抜本政策、根本政策というものが出ておりますけれども、基本的な政策としましては、私はやはり医療サービス機構と、それから保険機構、これを分離すべきじゃないかという点であります。特にそういう面からしますというと、医療の供給機構というようなものを、やはりいわゆる金を中心とした保険機構と分離しまして、そうして供給機構をもう少し公共化していくべきじゃないか。特に国公立病院、その他保健所までの医療機構というものをケルン——中核としまして、これを公共化に踏み切るべきじゃなかろうかと思います。  私の言いたいのは、社会保障は、いわゆる財政硬直化に面しまして転機にきていると言われましたけれども、私の言いたいのは、供給機構にメスを加えるということこそ、文字どおり本質的な転機じゃないか。少なくとも供給機構にメスを加えない限りは抜本対策にならないのじゃないかというこの点を私は強調しておきたいと思いますし、転機という意味は、私はおそらくそういうふうに解釈いたします。これが一つであります。  それから供給機構に関連してでありますけれども、これはほうぼうで指摘されておることでございますが、特に保険薬剤の生産流通機構、これに対しましてもいまや改革が必要だと思います。直ちにこれにいかなる制度をしけと私は申しませんですけれども、指摘したい点は、確かに医療費増加の原因の一つが薬剤費増加にあるということは、これは周知のとおりであります。しかも、薬剤費が増加するということが医療サービス自体の実質的向上と完全に結びついているとは言えないわけであります。薬剤費の増加には、確かに薬剤の乱用、あるいはそれを助長するような、やはり製薬企業と申しますか、薬剤企業のあり方というようなものが作用していると考えられますので、単に薬剤の乱用というようなものを医療担当者あるいは患者のせいだというふうなことを言う前に、この際、薬剤の生産流通機構というものに対しまして、再検討と申しますか、むしろこれを改善するために一歩を踏み出すべきじゃなかろうかと思うわけであります。  以上が大体医療保険につきましての私の報告でありますけれども、そのほか二、三社会保障分野につきまして私の提案をさせていただきます。  一つは年金であります。特に今後、先ほど申し上げましたように、少なくとも国際並みの社会保障になるには、年金が拡充していくことは事実でありますし、また、そうあるべきだと思います。ところが、年金給付というものが少なくともILOの基準に非常に抵触するような低さだということであります。この点の年金給付というものが年年多少とも向上しておりますけれども、年金給付をどうするかということは、この年金保険につきまとう基本的な問題でありますけれども、今日特に気になるのは物価騰貴であります。特に年金というものは長期保険でありまして、今後、日本の社会保障が長期保険中心に体系をつくるというような場合には、この物価騰貴、特にインフレというものと年金、長期保険というものは、全くこれはうらはらと申しますか、逆のことでありますので、こうしたインフレーションが高潮するようなときには年金に対する不信が非常につのりますので、ぜひともこのインフレ対策を厳重にしていただきたいと同時に、今日まだもって確立していない年金スライド——物価変動に応ずるスライド制の確立というものは、いかなる形に置かれようと、これは確立していただきたいと思うわけであります。  それから、もう一つ、年金に関連しまして指摘しておきたい点は恩給であります。恩給につきましては、御存じのように、公務員恩給といわゆる軍人恩給とがありますけれども、この給付がきわめて不均衡だという点、この点の是正はもちろんでありますけれども、この恩給というようなものがなお給付がきわめて低いことは事実であります。ところが、恩給をいわゆる国民の一般的な年金と別個の性格として続けていいかどうかという点であります。この点あまりにも全く別個の性格のものとして維持することはこの際反省すべきじゃなかろうか、やはり一般の年金との調整というようなものに手をつけるべきじゃなかろうかと思います。それが年金保険についての私の指摘であります。  もう一点は児童対策であります。特に、児童問題のうるさい昨今でございますけれども、身体障害児の福祉政策につきまして、もちろん、これはささやかでありますけれども拡充を見たということ、特に行政簡素化のおりからこれにつきまして一歩を踏み出されたということは、社会保障関係者としましては一つの前進だと思いますけれども、懸案の児童手当というものは一体どうなっているだろうかということでございます。これは昭和三十年代の末から児童手当問題が出ておりますけれども、この点につきましては、昭和四十三年度からの発足は無理としましても、実施の方法、実施の時期、あるいは制度の仕組みと申しますか、この点につきましての一つの積極的な方針というものを私たちは聞きたかったのであります。それが児童手当であります。  最後に、どうしても社会保護を論ずる場合に免れないのは生活保護基準であります。生活保護基準というものは、むしろ社会保障の中での、社会保障の最も不可欠の使命である最低生活保障の基準を示すものとしましてこの生活保護基準が位置しているわけでありますけれども、いろいろな論議の末、これが一三%上がったということ、これはもちろん喜ばしいことでございますけれども、ただ、欧米諸国の場合には、一般世帯とのつり合いが少なくとも六〇%前後というようなものが現実でありますし、それが社会保障のいわばあるべき姿というふうに考えられております。ところが、この一三%では、一般労働者世帯の五〇%前後でありまして、この点につきましても、やはり社会保障を今後体系的に整備していく場合には十分に念頭に置いていただきたい点と思います。  以上、医療保険を中心に年金と児童対策、生活保護につきまして要点だけを指摘しました。  公述を終わります。(拍手)     —————————————

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) それでは、各公述人の方に御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。  この際、特に御質疑の方及び公述人の方にお願いしますが、時間の関係もございますので、ひとつ簡潔に御質疑なり御答弁をお願いいたします。

岡田宗司日本社会党

○岡田宗司君 嘉治さんにお伺いをいたします。  アメリカの国際収支の面につきまして、私も嘉治さんの言われたこととほぼ同意見でございますが、このアメリカの国際収支がこれからどうなるかということが、過日ストックホルム会議できまりましたSDRの施行と非常に関係があると思うのであります。アメリカの国際収支につきましては、まあ、本年の一月初めにジョンソン大統領が示しました方策によって国際収支の改善が行なわれるでありましょうけれども、私はあれが十分に行なわれるとは思わないのでございます。たとえば、海外旅行者に対する課税をとりましてもそうでありますし、あるいはまた、十億ドルの増税にいたしましても抵抗が強い。その上に、最も大きなファクターと思われるのが、本日ジョンソン大統領が発表されるであろうところのベトナムへの増兵、そうしてそれに伴う支出増、三十億ドルぐらい増すというようなことが私はこれから一年間のアメリカの国際収支の上に決して予期されたような結果をもたらさないだろうと思うのであります。イギリスにつきましても、御指摘のように、私は必ずしもポンドの第一回の切り下げがいい結果を生んでおるとは思いませんし、また、これからもポンドの動揺は続くであろうと思うのであります。そういたしますというと、来年になってから発動されるSDRは、かなりマイナスのファクターを持ったまま生まれているのではないか。そうして、これが有効な作用を行ない得ない、期待されるようなはたして第三の国際通貨になるのか、それとも、英米の国際収支の赤字を一応埋めていくために設けられたというような結果だけに終わるのではないか。そうして、それがまた将来金との関連においていろいろの問題が生ずるのではないかというふうに考えるのでございますけれども、このアメリカの国際収支のこれからの見通しとSDRの関係等について御教示を願いたいと存じます。

嘉治元郎東京大学助教授

○公述人(嘉治元郎君) ただいまの御質問に対しまして、私の考えを述べさしていただきます。  まず、アメリカの国際収支の今後の見通しでございますが、私もただいまの御質問の趣旨とほぼ同じ意見を持っております。と申しますのは、貿易収支をさらに大幅に黒字にしていくということについては、かりに方向としてはそういう方向が出るといたしましても、それほど大きな効果は期待できないと思います、それから、資本の流出あるいは海外旅行に伴うドルの流出等を法的措置で抑制するということに関しましても、これも立法の手続等の動きを見ておりますと、即効薬ではあり得ない、そういうふうに思うわけでございます。したがいまして、先ほども申し上げましたように、ベトナム関連の赤字分がどれほど改善されるかということが当面の問題であろうかと思います。そして、その点に関しましては、本日のジョンソン大統領の声明というものが一つのめどを与えてくれるのではないかと思いますが、たまたま私いまちょっと聞いたんでございますが、北爆停止というようなことを含んだ声明を出したそうでございますので、それだけしか私知りませんので、それがはたしてどれほどの解決の方向に向かっているのかは、声明を見た上で考えるべきことかと思います。この点、御承知のとおり、本年大統領選挙があるわけでございますので、大統領選挙対策ということが一つと、それから国際収支対策ということと、この両面から考えまして、問題をその二つから見る限りにおいては、ベトナムの問題についてジョンソン大統領は何とか収拾の方向に動くのではないかというふうに、これは全く私見でございますので間違っているかもしれないんですけれども私は思っておりまして、その限り、その点に国際収支の改善はかかっている、そういうふうに思います。  それから、このことは実は第二の点でございますSDRの有効性とか、あるいはそれがいかなる国際協力の上に発動していくかとかいうこととも関連を持っているわけでございます。ストックホルムの十カ国蔵相会議の内容につきましても、これもまた私まだ新聞等の報道以上のことを存じませんので、あるいはまた、蔵相会議の内容は公表されませんからわからないわけでございますが、推測いたしますると、ここでも単に金融のことだけが議せられたのではなくして、世界情勢その他に関してもアメリカの今後の方針というようなものが語られ、それについての他の九カ国の意見も、どういう形かは推測するしかないわけでございますが、話し合われているのではないかというふうに察するわけです。そういたしますると、やはりアメリカの国際収支改善に努力するということを相当はっきりした形で約束したのでない限り、SDRの早期発動というような点について他の九カ国が、フランスはもともと棄権してしまったわけでございますが、他の八カ国が当面の国際協力を約束しなかったのじゃないか、こういうように察します。ということから見まして、アメリカは国際収支改善努力を、ベトナムの解決も含めて、相当真剣に考えておるんではないか、こういうふうに私は推測しているわけでございます。  それから、SDRそのものにつきましては、これは第三の通貨というふうに普通俗には申されますが、ある意味では、非常に画期的なものになり得る萌芽だというふうに私は見ております。といいますのは、御承知のように、今日国内の通貨発行に関しては、ほとんどすべての国で管理通貨制度ということをやっておりまして、金保有とは無関係に必要通貨の供給をやっております。そういうことがもし国際的にもできるようなそういう世界情勢が実現されれば、その際にはこのSDRがいわば真の通貨にもなり得る、そういう萌芽というふうに私は見ております。この点に関連しては、今日はもちろん国境があって各国の主権というものが、ときには利害が共通しながら対立する形で存在しておりますから、国内における管理通貨のような制度が国際的にすぐに実現するとはとうてい考えられないわけでございますが、しかし、金の保有が、戦争直後のようにアメリカだけに片寄っているというのではなくって、ある程度主要国に分散しているという状況は、一面では混乱の種でございますが、これも私の見方は若干楽観的に過ぎるのかもしれないんでございますが、逆の目で見れば、こういった金の保有が分散しているという状況のもとで、ある種の勢力均衡ができて、その上に新しいいわば合理的な国際通貨体系というものができる可能性があるのではないか、そういうふうに思いまして、その面でSDRというものがそういった方向への萌芽になり得るというふうに考えます。ただし、この点は、御指摘のとおり、アメリカとイギリスの国際収支がどれほど改善していくかということにかかっておる、そんなふうに思います。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 嘉治さんに一点、いまのSDRに関連して伺いたいと思います。極論を申しますと、今後の国際通貨についてはいろいろ意見がございますけれども、SDRそのものは第三通貨として評価するのは過大評価である。一つの国際通貨としての国際流動性の不足を補う一つの一環であると評価されておりますが、いまのままですと、とにかくアメリカが金の再評価をしてそして解決するのが最終的な解決としては一番賢明ではないかという意見がずいぶんあるのです。日本にとっては不利でございますけれども、全体的から見てそのほうが最終的な解決になるのではないか。もちろん、再評価したあとでまたいろいろ問題がございますけれども、しかし、SDRの問題ですと、たとえばアメリカが引き出す場合、戦費調達のためにあれを引き出すということになったら、これはよその国が賛成できるわけがないと思うのです。それでフランスあたりでも、リュエフなんかもディシプリンが必要だ、節度が必要だが、理想的に節度を保つ国はないから、やはりそれをディシプリンの最終的な一つの、何ですか、基礎としては金というものが、それが一番客観的なことですけれども基本になるのではないか。それで昔の金本位ではないけれども、やはり金に基礎を置いた国際通貨としての流動性、準備ですか、こういうことで準備がなされているのです。最終的にはやはりそういう方向で解決すると。そして金をたくさん持っている国は再評価で利益を得ますから、それはIMFに拠出するとか、それから発展途上国にこれを援助するとか、そういう解決方法が賢明ではないか、こういう議論が相当あるわけです。日本でも相当有力な方が——これは名前ちょっと申し上げませんが——主張しておられるのですが、この点伺いたい。  それから松尾さんにちょっと伺いたいのですが、先ほど財政硬直化と関連しまして、特に医療保障の問題にお触れになったのですが、これは私も、四十三年度予算の性格そのものを変えるような、単なる日本の社会保障政策の変化ではなく、今後の日本の財政の性格さえ変えるような、そういう重要性を持つ問題だと思っているわけです。松尾さんからそれについての重要な指摘をいただきましたので伺いたいのですが、政府は財政硬直化の打開策として、先ほど松尾さんが指摘されるような、特に医療保障について応益原則あるいは応能原則、そういうものを打ち出すとともに、またほかにも二つの原則を打ち出して、それは社会保障に大きな関係があるのです。その第二つの原則は、経費間のバランスをとると、これは医療保障につきましても、先ほどお話ございましたように、日本の医療保障としては、社会保障の中で医療保障が独走しておると。予算の面でも医療保障が非常に大きな比率を占めておる。年金とかあるいは社会福祉的な、あるいは公衆衛生等非常に比重が低いと。そこで、これを均衡をとらなければならぬ。均衡をとる場合、経費間のバランスをとるということで、低いほうへ均衡をとる危険があって、医療保障のほうをまだまだふやさなければならぬのに、それを押えて、そのほうを先ほど言われた年金、あるいは——まだ児童手当は実施しておりませんが——児童手当とか社会福祉とか、そういう方面に向けると、そして経費間のバランスをとるということは、これは社会保障関係の中の経費間のバランス調整ということでございますが、低いほうに均衡化させるというふうに聞いておるわけです。医療保障の抜本的な対策、いま厚生省で立案中だそうですが、たとえば国民健康保険の給付はこれは七割、ところが、政府管掌保険のほうは給付は十割ですね。それは七割に均衡化されるという方向でいろいろ立案されているやに聞いているのであります。  それから第三点は、経費の効率化ということが硬直化打開の第三のタイトルになっているのですが、その中で現実の問題になっているのは、国立療養所の特別会計への移しかえですね。これをやって、独立採算制をとっていく、こういうような方向も打ち出されているのです。結局問題は、財政硬直化対策としていま医療保障に非常にしわ寄せが来ておりますが、この財源がないというところに帰着してくると思うのです。ところが、政府は歳入の硬直化には一つもふれていない、歳入の硬直化には。なるほど、政府が出している資料を見ますと、諸外国について税金全体とそれから国民総生産なり国民所得に対する比率を見ると低いのです。税負担とそれから社会保障の負担を合わせたものも諸外国に比べると著しく低いのです、日本はまだまだ。だから、もっともっと税金をふやしてもいいんだ、あるいは社会保障負担をふやしてもいいというふうに政府は最近主張しだしてきております。ところが、勤労者の税負担を見ますと、アメリカの五倍くらいの税負担になっております。したがって、取るべきところから税金を取っていないから日本の税負担率は諸外国に比較して低いということになってきて、非常に資本蓄積のための減税をたくさんしちゃっているのですね。だから、高度成長は非常に成功しておりますけれども、他面において社会保障のほうに非常にしわ寄せが来て、勤労者の税負担は非常に高いのです。ところが、全体の税負担の面から見ると非常に低いのですね。ですから、ここのところに問題があると思うのですがね。歳入面の硬直化に一つもふれていない。非常に重要な御指摘がございましたので、やはりこの社会保障にしわ寄せされたのでは、ことに諸外国、西ドイツなんかでは非常に社会保障が進んでいるところで、このごろは財政再建のために社会保障にしわ寄せしておりますけれども、しかし、西ドイツの場合は財政の三〇%も社会保障が占めている。日本の場合はその半分以下なんです。そういう場合に、西ドイツのまねをして社会保障に財政硬直化のしわ寄せをするのは非常に問題ではないかと思うのでございまして、この点の御意見を伝いたいと思います。

嘉治元郎東京大学助教授

○公述人(嘉治元郎君) 国際基金の上における金の問題についての御質問でございますが、この点につきましては、御指摘のとおり、学問的ないろいろな論議がございます。ただ、そこまでちょっと立ち入る余裕がございませんので、比較的現実的な問題についてお答えいたしますが、それは、かりにアメリカがドルと金との結びつき方を現在の一オンス三十五ドルではなくて、例に言われておりますように、七十ドルとか、そういうふうに金価格の引き上げをやることの是非という点に関して、これを具体的問題として考えてみますと、まず、これを行なうためには相当時間を要する。といいますのは、アメリカの議会で審議しなければなりません。そうしますと、そういうことが起こりますと、放置しておけばアメリカが現在手持ちしている金がさらに大幅に流出するという危険があります。したがって、それを防ぐために金価格の引き上げをする前に、いわゆる金兌換の停止ということをやらなければならぬと思います。ところが、金兌換の停止をしてしまいますと、これはほとんど事実上は国際金融の場において金と他の通貨との結びつきというものが断ち切られることになりまして、そこで大きな混乱も予想されますし、そうなりますと、金価格を上げることの意味も、少なくとも当面の国際金融状況の改善という点から見ますと、ほとんどなくなってしまうのじゃないか、そういうふうに思います。したがって、現在十カ国蔵相会議でもあれほどはっきり確認いたしましたように、金価格の引き上げはしないで、そして別の方法で国際金融体制を立て直すということのほうが、おそらくこれが、御指摘のとおり、日本の場合には金を持っておりませんから、そういった方法が有利でございますが、他の諸国にとっても有利であるということになるのではないか。さらに根本的なことについてもう一言だけつけ加えさせていただきますと、産金——金の新しい産出というものはごく限定されておりまして、これはもちろん価格との関係もございますが、今後世界貿易あるいは世界経済が大きく発展していくためには、金に結びついていたのでは、結局、いつかは不足するときが来る、そういうふうに思いますので、非常に長い目で見た場合にも、金との関連というものを、直結した形でなくしておくことのほうが望ましいのではないか、そういうふうに思います。

松尾均日本女子大学教授

○公述人(松尾均君) いろいろの御指摘がございましたけれども、一つは、やはり経費間のバランスであります。こまかい計数的な指標はいま直ちにお答えできませんですけれども、やはり今年度の場合では、医療保険に伸び悩むとはいえ、かなり食われております。その点で生活保護と福祉が一そう伸び悩んでおります。それから、公衆衛生とたぶん失業保険だと思いますけれども、これがかなりいわば停滞ぎみであります。そういうふうな経費間のバランスを実際ははかるというふうに説明書には書いてございますけれども、経費間のバランスが、いずれかと申しますと、医療保険に食われましてバランスがくずれているような形を示しております。まあ、正直に考えまして、財政硬直化のおりでございますので、かなりの無理はあると思いますけれども、私、強調したい点は、やはり、たとえばそのような形で社会保障の経費間のバランスがとれないという場合には、先ほど申し上げましたように、たとえば現行機構をどうするとか、あるいは児童手当をどうするとか、あるいは国費の使い方は、たとえば病院施設その他に投下するとか、そのような何らかの一つの対策と申しますか、肩がわりの政策と申しますか、そういうものが私はほしかったと思います。  それからもう一点、非常に社会保障の場合には、保険料というものと租税というようなものの徴収とその支出のしかた、これが四十三年度予算の場合には顕著に問題になってきております。ところが、やはり実際の予算の説明書を見ますというと、どうしてもやはり国庫と申しますか財政、あまりにも財政中心主義でありまして、財政硬直化と申しますか、それに社会保障の体系自体がやはり無理をきたされた、もたらされたというような感じがいたします。指摘しておきたいことは、社会保障という場合には、いろいろな経済成長なりあるいは国庫の収入によってまあ変化は免れないと思いますけれども、あくまでやはり社会保障のあるべき姿、特に日本において強調したい点は、なおなお財政面はもちろんでございますけれども、私たちの生活面におきましても、しゃれたことばを申し上げますというと、ビルトインしていいない。どのようにして国民生活の中にもう少し体質化するか、あるいは財政制度の中にビルトインさせるかということ、そういう点が、日本の社会保障の現在の発達水準から申しますというと、きわめて重要なことと思います。その点におきまして、やはり日本の場合には、この分配と再分配の関係ですね、直接的な第一分配と振りかえ所得との関係というようなものの突っ込み方が少し足りないのじゃないか。要すれば、再分配というようなものを財政だけから見るというような傾向が依然として続いておる。少なくともまあこういう硬直化のおりでございますので、たとえ財政支出は少なくとも、そうした社会保障本来の、根っこにさわるような見解というようなものを貫いてほしかったという点、これが第二点であります。  それから西ドイツ、イギリスの事例でございますけれども、これはもう御指摘のとおりでありまして、西ドイツの危険というようなものを日本人が感ずるということは免れないとしましても、社会保障水準自体が非常に違ってくるということでございます。医療保険一つ取り上げましても、国民所得に対する医療費の割合は同じであったとしましても、一人当たりの医療費水準というものはその何分の一かということでございますので、これよりこういうふうなイギリスなり西ドイツというようなものに対するドラスティックな社会保険政策、そういうものに対する危険視以前に、もう少し日本の社会保障自体のあり方というようなものを検討することが、私は重要ではないかと、そういう点で指摘したわけでございます。

千葉千代世日本社会党

○千葉千代世君 佐伯公述人にお伺いいたしますけれども、農業の明るい面で、都市と農村の生活が接近してきているという中で、一人当たりの家計費が三十五年で七六%、四十一年で八四%とおっしゃられたわけですけれども、この調査はどこの調査でございましょうか。というのは、具体的に伺いたいのは、農家の主たる——生活の主体者ですか、その方が農業をしているので、あとまあ、そこのうちの子供が働いて得た分を、食費を入れるとか、あるいは出かせぎに出た者がお金を送って、そして、まあ定期的にお金を入れて、それをまあ農業で得た生産のお金と合わせてやっているのか、そういう点を知りたいので、わかりましたらお知らせいただきたいのです。

佐伯尚美立正大学教授

○公述人(佐伯尚美君) ただいまの御質問でございますけれども、これはつい最近出ました四十一年度の農業白書ですね、それによります数字でございます。その根拠は、農家のほうは、全国農家経済調査の全国一戸当たり農家の一人当たり家計費の平均を出したものです。都市勤労者のほうは、家計調査による都市勤労者一人当たりの家計費の調査であります。ちょっとことばが足りませんでしたけれども、三十五年七六%であり、四十一年に八四%であったというのは、いま申しましたように、平均的な数字でございますから、当然その中に、特に農家の場合には、最近のように非常に兼業収入がふえてきているというのが入っているわけであります。したがって、農業生産性が上がって生活水準の格差が縮小したという面よりも、むしろ、兼業所得が増大して、それによって都市勤労者との生活水準の格差が縮小したという面が強いわけであります。それと、まあ農産物価格の高騰による農家所得の増大、その二つの面からの影響が強いというふうに考えていいかと思います。したがって、それがはたして農業の望ましい発展の方向かどうかという点になりますと、かなり問題でありますが、少なくとも、生活水準上の格差がなくなってきたという点は評価していいというふうに考えております。

船田譲自由民主党

○船田譲君 松尾先生にお伺いしたい点、二点ほどございます。  一点は、医療保険財政の支出面の非常に大きな割合を占めておるのは薬剤代でございますけれども、薬価基準をきめるときに、いわゆる九〇%バルクラインということで薬価基準をきめておりますが、これが少し甘過ぎるのじゃないか。実際の問題として、医家に対するダンピングあるいは景品販売等で、そういう不必要な経費を落としていけば、薬価基準をもっと低く定められるのじゃないかという点が一点でございます。  もう一点は、恩給と年金との関係の問題でございますが、先生は、是正すべき格差のあるところは是正すべきであるけれども、しかし、年金とは別個に考えていくのは問題であるということを言っておられますけれども、実は四十一年の国会で恩給法の二条ノ二でしたか、いわゆる調整規定が入りまして、ことしの三月の恩給審議会の答申におきましても、物価水準五%以上上がったときはどうするとか、それに付随的な要素といたしまして、生活水準と公務員の給与水準と考え合わせるというような形で、一種のスライド制が答申されているわけでありますけれども、そうなってみますと、ますます恩給のほうは、いわゆる硬直増大化をしていくわけでございますが、その点についてどうお考えか、お答え願いたいと思います。

松尾均日本女子大学教授

○公述人(松尾均君) 御質問の点、二点でございます。  最初の薬剤費でございますけれども、これのウエートがかなり高いというような点、それから九〇%ラインが甘いのじゃないかという点、これは確たる証拠はございませんですけれども、私もそうだと思います。おそらく論拠も同じように考えているわけでございます。ただし、その材料というものがきわめてやはり複雑でございますし、それから実は私のうちも医者でありますけれども、なかなかやはり正体がわかりにくい。もう少しやはり、いろいろな審議会でも問題になっておりますように、医業実態調査等々は厳格にやりまして、この判断を行なうべきじゃなかろうか。約束の医業実態調査というものが行なわれているか、あるいは行なわれようとしているのか、私は不幸にして知りませんので、むしろ、その裏づけというようなものをしっかりすべきじゃなかろうかと痛感しております。  それから恩給についてでございますけれども、この恩給というようなものも長い間の歴史を持っておりまして、非常につかみにくいところでございます。先ほど指摘しましたように、やはり公務員恩給と軍人恩給等々を含めまして、あまりにも恩給、これは一種の退職者あるいは老齢年金と考えますけれども、こういうものを別個に扱うというのは、保険あるいは保障としましても、やはり無理が来るのじゃなかろうかと思うわけであります。と申しますというと、いろいろな意見もあると思いますけれども、社会保障なり社会保険である以上は、母体というものはなるだけ広いほうが、これはより的確であり、より安全であります。そういう点からしましても、これを切り離しておくということは、これは歴史的理由もあると思いますけれども、年金制度は今後大きな問題になりかけているおりから、再検討を要すると思います。それから格差の問題でありますけれども、確かに、数字的その他見る限りは、公務員の恩給、退職恩給ですね、公務員の場合には低いと思います。これに比べまして、まあ軍人恩給のほうは、いろいろなプレッシャーもかかりまして年々増大しているかに承ります。したがいまして、こうしたものがはたしてやはり別個で、あるいは特殊なものとしてばらばらにあっていいかどうかということは、私は大きな疑問もいたすわけであります。それから、スライド制というようなものが、少なくとも恩給につきましては案としましてでき上がったかに考えます。決定かどうか知りませんけれども、審議会のほうの案としまして、五%アップの場合にスライドするという案ができ上がったかに存じております。これをはたして硬直化かと言われますと、確かにそういう疑問はわきますけれども、少なくとも年金、保険総体としましてこれを総合調整し、しかも、スライドしていくというのは、これは年金、保険のたてまえでありますし、特にわが国の場合には、年金につきましては苦い経験も持っているわけでございますので、スライド制自体は私はちっとも非難すべき事柄じゃなかろうと思います。要すれば、年金給付のための、先ほども申し上げましたように、保険料なり租税負担なり、それから広い意味での再分配をどう考えていくかというところに基本的な今後の課題があるかと思います。

内藤誉三郎自由民主党

○内藤誉三郎君 佐伯先生にお尋ねしたいのですけれども、先ほど食管会計の話が出ましたが、食管会計の目的が、農家の所得補償をするということと需給の調整、この二点をおっしゃいましたけれども、この需給調整で毎年供給が過剰となってくるという事態が予想されるのですが、その場合に、先生は、具体的にどうしたらこれが解決するか、何か御案がありましたら、お示しいただきたいと思います。

佐伯尚美立正大学教授

○公述人(佐伯尚美君) どうも非常にむずかしい問題で、いろいろ議論がなされているところであります。私自身が直接そういう制度改革があるというふうに申し上げたわけではございません。ただ、考えなければいけない点は、これまでの食管制度がいろいろな問題を含みながら、戦後二十年にわたって維持されてきたその基本的な条件は何かと考えますと、おそらく、米の需給について大幅な緩和がなかったということ、逆に言いますと、ある程度需給が均衡するか、やや詰まりぎみである、そういう経済情勢が基本にあったからこそ、現在のような直接統制の形が、いろいろな無理を持ちながらも、なおかつ維持されてきたのであろうというふうに考えております。したがいまして、問題は、四十一年から始まる需給緩和が本格的になっていくということが確実であるとしたら、これはいかなる政治条件をもってしても、食管制度を現在のままで維持することはできないであろうということが一つはっきりしているかと思います。  もう一つの問題は、では一体、その新しい食管制度、あるいは食管制度というより、米の管理制度についてはどういう形を考えるかというようなことになると思いますが、これまでの議論ですと、間接統制に移すべきだというような議論が支配的であるというふうに考えております。で、間接統制という場合に、いろんな議論がありまして、たとえば、その最高最低の価格水準をきめて、その間で自由にするというような議論もあります。いわゆる戦前の米穀法に見られた形ですね。あるいは一種の補助価格をきめて、最低の保障限度をきめるべきだというような、そういう最低保障価格制度的な発想もあります。あるいは、かつて河野構想に見られたような、政府の買い入れ量を一定に制限するというような考え方もあります。しかし、私は、そういった間接統制ということを考えた場合にどうも一番問題になってくるのは、まあ完全に自由化するのは別ですけれども、おそらく、いまの条件では完全に米の管理を自由化するというわけにいかない。多かれ少なかれ、何らかの形で政府が介入するということを前提にせざるを得ない。その場合問題になるのは、おそらく、一つは買い入れ量をどういうふうに設定するかという問題と、それから買い入れ水準、あるいは政府の関与水準と言っていいかしれませんが、そういう、政府が政策的に関与する場合の価格の水準をどうするか、その二つの点がおそらくポイントになるのではないかというふうに考えております。そういう点から見ますと、直接統制といい、間接統制といい、実は現在の制度とそれほど大きな質的な違いはないと言ってもいいのではないかと思います。つまり、やや極端な言い方をしますと、現在の直接統制自身が、ある意味では間接統制になっている。間接統制というのは、一定の価格でもって、固定した価格でもって政府が全量を買い入れるという、そういう間接統制の形と実質的には見なされなくもない。したがいまして、間接統制になるということが非常に大きな変化であるというふうに考えるのは、ちょっと、あまり公式的あるいは形式的に問題をこだわり過ぎているのではないかという感じがします。したがって、詰めていくべきことは、買い入れ量と買い入れ水準の決定をどのようにするかというふうに詰めていって、そこが現在の制度とどう変わるかというふうに考えるべきではないかというふうに思っております。  もう一つ問題なのは、かりにその間接統制という形を考える、まあ現在でも間接統制ですが、それを制度的に認め、しかも、ある程度自由な市場なり自由な価格形成を認めるという場合には、現在の食管制度が果たしている農家に対する所得補償的な機能というものが失われる可能性がある。やや教科書的に議論しますと、確かに、価格政策によって所得補償をするのは非常に無理であるという議論はもちろん正論であります。しかし、現実論といたしまして、本格的な構造政策ができるまでの間、多かれ少なかれ、価格政策というものは一定の所得補償的な機能を持たざるを得ないというのも、これもまた否定しがたいところかと思います。その場合の矛盾といいますか、ジレンマをどういうふうにつないでいくかというのが、実は最大の問題かと思いますけれども、まあ考え方としては、さっき申し上げたように、たとえば不足払い制度の問題、したがって、まあ価格自身は一応自由な価格設定になるし、しかも、不足払いによってある程度所得補償的な機能は従前どおりやっていくというようなことは、当然一つの手順として考えられていいのではないかという感じがいたします。しかし、その場合も、それはいわば一つの過渡的な形でありまして、長期的にそういう形が合理的に維持されるという可能性はない。やはりそういう形でもって、あるタイミングといいますか、時間をかせぎながら本格的な構造政策の展開を待つ、あるいは構造政策によって問題の解決を待つというふうに考えざるを得ないのではないかというふうに思っております。

宮崎正義公明党

○宮崎正義君 佐伯先生にお伺いします。  金融農政とか、あるいは制度金融とか、非常に複雑化してきておりますけれども、こういう金融、制度金融、そういう複雑化してきている金融制度というものは、実際面の農家の方々の立場に立ちましてこの制度を統合して、ならば、その金融農政と言われる行き方の生かし方、そういうものの統合のしかた等について先生の考えがありますれば、お伺いしたいと思います。

佐伯尚美立正大学教授

○公述人(佐伯尚美君) 金融農政をいかに統合していくべきかという話でありますけれども、非常にむずかしいことかと思いますけれども、一つの点は、金融といいますか、現在のいろいろな制度金融、たとえば公庫資金であるとか、近代化資金であるとか、あるいは改善資金であるとかいった制度金融自身をどのように変えるかという問題以前に、農業政策全体の中での制度金融の位置づけといいますか、それをまず確定しておく必要があるのじゃないかということが第一点かと思います。どうも最近の制度金融の一番の問題点は、本来金融がしょえないところまで金融がしょわされている。そのひずみが、いろいろな形でもって徐々に慢性的にあらわれてきているという点にございますから、おそらく、その点で、政策手段の中での金融の位置づけというものをまず明確にして、ここまでは金融でできるけれども、これ以上はできないということを明らかにする必要があるというふうに思います。それから、その上で、制度金融の中で考えるとしたら、おそらく一番問題になってきますのは、現在行なわれようとしている、あるいは部分的に行なわれております構造政策といいますか、自立経営育成政策といいますか、それとの関連で制度金融の目標をどこに定めるかということかと思います。どうも最近の制度金融の動きを見ますと、毎年制度改正があり、新しいものができてくる。新しい制度ができて、それに対する評価がきまらないうちに、また次の新しい制度ができるという形で、部分的に改正が行なわれることによって、かえって混乱を大きくする。むしろ全体として考えなければいけないことは、かりに自立経営の育成というようなことを政策の主眼にした場合に、制度金融をどの部分がどの資金を調達するのだということを明確にすべきではないかというふうに思います。そういう点から言いますと、どうもあまりに現在の制度金融というものは分散されておるために、制度金融自身がどこをねらっているのか、たとえば今度の総合資金でもそうですけれども、今度総合資金ができた場合に、これまであった公庫のいろいろな構造改善関係の資金なり、あるいは近代化資金との関連を一体、政策的にどうつけるのかという点が非常に明確ではないと、そういうところに問題があるのじゃないかという気がいたします。それ以上具体的に、じゃ公庫資金と、たとえば系統資金についてはどう考えるかということになりますと、これは非常にこまかな問題で、それぞれの資金の状況を洗っていって、かなり技術的な問題がからみますので、私としては、いますぐここでどうだというふうに言えるほどの資料を持ち合わせておりません。

森中守義日本社会党

○森中守義君 佐伯さんに二、三点お伺いいたします。  まず第一点は、今日の農業基本法、成長部門の選択方式をとっております。家畜、それから果樹ですね。ところが、こういう選択の方式によれば、かえって全体の農業経営を結果的に混乱させる傾向を私は強めているのじゃないかと、こう思っております。したがって、こういう特殊部門の選択方式が今後採用されていいものかどうなのか、これが第一点であります。  それから次の問題は、現在二・八%程度に抑制をされている成長率、これに対して需要は相当拡大をする。したがって、需要の拡大と二・八%程度に成長率を押えているということは、政策的に矛盾がある、こういうふうに私は思うのです。したがって、長期経済計画の中で示されている二・八%というものは、何としても外国への依存度をかえって高める結果になっております。そういうことは、結果的には自由化を非常に促進する結果になりはしないか、こういうふうに私は考えております。したがって、成長率と需要の上昇率、このバランスをとるには、いま少し政策の転換が必要だと思いますし、かたがた、野放しの自由化の方式によるこういう状態は、いつかは若干の規制を加えることが必要ではなかろうか、こういうように考えます。この点お示しをいただきたい。

鶴園哲夫日本社会党

○鶴園哲夫君 ちょっと関連。いまの佐伯さんに関連いたしましてお尋ねをいたしたいのですが、いまの質問の中にもありましたように、日本の主要農産物の自給率が年々低下しておるわけですね。特にこの四年ぐらいの間に一〇%ほど、非常な勢いで低下をしておるわけです。ところが、農林省は、政府は今度の白書の中では、四十年度の農産物価格で計算しておりますから八〇%という数字ですが、従来のように三十五年度の価格で計算しますと、おそらく七二、三%の自給率になるのじゃないかというふうに思いますが、非常に自給率が急速に低下をしてきている。このままでいきますと、そう遠くない機会に、相当なところまで落ちていくのじゃないかという懸念をするのですけれども、どういうわけで佐伯さんは自給率を高めるような方向に農政が行なわれないのかと、どういうわけで行なわれないのかという理由ですね、お考えになっていらっしゃるか。私は、政府としては自給率をどうしようということはないと思うのですね。結果として自給率を計算してみたら、年々とめどもなく低下してきているというだけであって、米については自給をどうするかとか、あるいは飼料については自給はこうするのだとか、乳製品については自給率はこうするのだとか、あるいは高めていくのだとかというような、個々の農産物についての施策というのは全然ないわけなんですね。結論として、いつの間にかどんどん下がっていく。このままでいくと、これはえらいことになるのじゃないかというわけなんですが、ですから、お伺いしたいのは、どういうわけでそういうふうになっていくかというのと、歯どめは一体あるのかどうか。歯どめがいつになったらかかる、いつに、どういう時点に歯どめを考えるのだろうかという疑問なんですけれどもね。

佐伯尚美立正大学教授

○公述人(佐伯尚美君) どうも非常にむずかしい問題で、十分質問の趣旨を理解し得たかどうかわかりませんけれども、第一点は、選択的拡大というような発想自身が誤っているのではないかという御質問であったかと思います。おそらく、その趣旨は、現在のように農業生産が停滞する、あるいは鈍化するという中では、むしろ全面的に拡大をはかるということのほうがいいのではないかと、こういう趣旨かと思いますけれども、どうも私はそうは考えません。で、おそらく選択的拡大と言いましたことの一番の基本は、需要の伸びが非常に将来にわたって伸びているものと、需要がむしろ停滞に推移しているものと、そういう基本的な動向に即して全体の農業生産の方向を考えていく、そういう形でもって選択的拡大というふうに言われましたし、事実そのように進んでいると思います。そのこと自身は問題はないのではないかというふうに思います。ただ、おそらく問題がありますのは、かりにそういう形でいった場合に、現在のように食糧の自給率が落ちてきて、御指摘のように、三十五年価格計算でいきますと、すでに七十何%というふうにかなり低下してきている、それ自身をどういうふうに考えたらいいか、あるいは、それに対してどういう方策を考えるべきかということかと思います。で、私は、それについては、やはりやや公式的な言い方になりますけれども、基本的に言いますと、国内の生産体制といいますか、あるいは経営体制といいますか、それがどこまで育っていくかという問題とのかね合いでもって考えるべきであろうというふうに考えます。で、ある程度政策的な保護によってタイミングないし時間をかせぎながら、国内について主産地形成なり、あるいは自立的な農家なりが育成されるというものについては、やはり関税なり、あるいは価格政策なりについての一定の外部からの政策的な保護というか、競争を遮断しながら内部的な充実をはかっていくということを考えざるを得ない。かといって、全面的に自給しろというのも、政策的にはおそらく無理であろうし、おそらく、そういうふうに考えましても、現実にはうまくいかないのではないかという感じがいたします。たとえば砂糖でありますと、これはどうさか立ちしてみましても、一〇〇%国内で自給するというわけにいかない。砂糖の中でも、ある主産地的な形でもって伸びている北海道などは、ある程度政策的に育成していく。しかし、ある程度は外国に依存するというバランスでもって考えていかざるを得ないのじゃないかというふうに思います。したがいまして、歯どめはあるのかないのかということも、これは個々の作物ないし地域ごとに詰めていかなければいけないと思いますけれども、おそらく歯どめがあるとしたら、それについての国内農業の生産主体なり、あるいは自立経営がどの程度まで形成される可能性があるのかどうかということが、いわば政策的な歯どめになるのじゃないか、それについての認識が歯どめになるのじゃないかというふうに私は考えます。十分お答えになったかどうかわかりませんけれども。

森中守義日本社会党

○森中守義君 成長率は。

佐伯尚美立正大学教授

○公述人(佐伯尚美君) 成長率の問題は、私はよくわからなかったんですが、二・八%の成長率に押えておくのはよくないという見解かと思いますが、それは押えておくというよりも、むしろ、いまの状態でかろうじて二・八%の成長率を維持しているということなんだろうと思います。たとえば四十一年度なり四十二年度は、かなり成長率が高かったわけですけれども、しかし、いろんな気象条件などを抜きにしましては、日本の農業が三%の成長率を維持していくことはたいへんなことだろうと思います。農業というのはそういう意味では成長率はかなり低い。おそらく、戦前で言いますと、せいぜい二%程度の成長率しかできなかったわけですから、これを三%に上げて、しかも、コンスタントに三%を維持していくというのは、これは経済の問題としてもたいへんですし、政策の問題としても非常にたいへんではないかというふうに思います。それ以上高めるというのは、政策手段で高めるというのはおそらく無理ではないか。むしろ、農業内部の構造改善なり構造的な変化自身がある程度進むことによって、二・八%をこえて五%なり六%にいくという可能性はあるかもしれませんけれども、その点が解決されなければ、どうも政策をいかに講じてみても、二・八%をこえるような成長率を維持させるというのは非常に無理ではないかというように思います。

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) 他に御発言もなければ、質疑はこの程度にとどめます。  公述人の方々には、長時間有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。  午後一時再開することといたしまして、これにて休憩いたします。    午後零時二十八分休憩      —————・—————    午後一時十六分開会    〔理事剱木亨弘君委員長席に着く〕

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  午後も、お三人の公述人の方に御出席願っております。これから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわらず、本委員会のために御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして、厚くお礼を申し上げます。  それでは、これより公述人の方々に順次御意見をお述べ願うのでありますが、議事の進行上、お手元に配付いたしました名簿の順序に従いまして、お一人三十分程度で御意見をお述べ願いまして、そのあとで委員から質疑がありました場合は、お答えをお願いいたしたいと存じます。  それでは、鎌倉公述人にお願いをいたします。

鎌倉昇京都大学助教授

○公述人(鎌倉昇君) 鎌倉でございます。本日は、物価の問題について、私どもかねがね考えておりますことを申し上げさしていただきます機会を得まして、たいへん感激いたしております。  で、物価の問題といいますのは、非常に複雑な成り行きに現在なっておりまして、かつてのたとえば戦争中もしくは戦後の物価上昇のように、いわゆる通貨の増発によるインフレーションという形態からはかなり離れてまいっております。したがってまた、物価の問題を考えます場合には、種種の角度からこれを検討する必要があろう。すなわち、よく言われますが、物価の上昇を引き起こしますものがいわゆる通貨あるいは需要の側が原因であるか、それともまたコストの側が原因であるか、こういうことでしばしば論議がされておるわけでございますが、私どもは、そのただ一つの原因に、すなわちたとえば需要の側が物価を引きずっておるのであるとか、あるいはコストが物価を押し上げておるのであると、こういうふうに一がいに割り切ってしまうことが非常に困難な状況に現在なっておる、こう考えておるわけでございます。  そういう観点から考えてまいりますと、いささかこれから申し上げます問題の理論とは離れるようでございますけれども、巷間しばしば言われておりますように、たとえば金の価格の改定があると日本にたいへんなインフレーションが起こる、こういう議論はあまり御信用なさる方が少ないわけでございますが、そういう理論も、実を申しますと、実際のたとえば金融のメカニズムあるいはそれと物価の関係というふうなことに関して、少し間違った考え方が前提にあるのではないかと、かよう考えておるわけでございます。と申しますのは、現在日本のみならず、ほとんど世界の各国、あるいはすべてと申し上げていいわけでございますが、国内における通貨の発行量とそのときどきの価格で評価された金の間に緊密なつながりを持っておる国はないわけでございます。たとえば日本の場合について申しますと、三億三千万ドルほどの金の準備があるわけでございますが、これがかりにその倍に評価がえされたといたしましても、それに応じて国内の通貨が急激に増加いたしまして、それによってたとえば戦争中及び戦後に起こりましたようなインフレが起こると、こう考える必要はないと、こういうふうに考えておるわけでございます。  よく数学のほうでカウンター・エグズァンプルということを申しますが、反対の場合をあげて考えてみますと、事情は非常に明らかになるのではないかと、こう考えておるわけでございます。もしかりに、金の評価がえが行なわれますことによって通貨の量がふえる、それによってたとえばインフレーションが起こるということになりますと、たとえば六十数億ドルの金の保有をしておりますフランスでは非常に大きいインフレが起こるであろう、三十数億ドルの金を持っておりますドイツはそれに次ぐインフレが起こるであろう、三億三千万ドル程度の通貨しか持っておらない日本の場合には非常に少ないインフレしか起こらないであろう、もしそういうことになりますと、これは現在の為替レートが維持される限り、日本の商品はいま申し上げましたヨーロッパの主要工業国と比べて非常に競争上有利な立場に立つわけでございます。はなはだ残念ながらそういうことが起こらないであろう。残念ながらというのは少し語弊があるわけでございますが、そういうことによって日本の国際競争力が強まる可能性がないというふうに、逆の例を考えてまいりますと、私どもはかつての子供のころには十円札を持ちますと、「此券引換に金貨拾円相渡可申候也」と書いて、日本銀行総裁の印が押してあったものでございますが、こういう時代とは現在は変わってきております。あの書かれておりましたころでも、すでに兌換という事実は停止されておったわけでございますが、現在のように金の量が直ちにその国の通貨の量にならない。したがって、そこから非常に急速な、いわゆる通貨インフレが起こると懸念する心配はなさそうであると。そういう点を考えてまいりますと、最近国民の間に、私どもを含めまして一般国民の間に、どうも金の評価がえが起こりますと、それによって生活が脅かされるのではないかというばく然たる不安が一部で持たれておるようでございますが、そういうことがありますと、これは国政の御担当をなさる諸先生方も憂慮なさることかと思いますが、私どもはそうでないということをやはりこの際非常に強調しておく必要があろうと思います。むしろそのことよりは、じみちに日本の国の物価の上昇の根源が一体どこにあるのかということを突き詰めて考えていくことのほうに重要な意味があるであろう。いたずらに流れております説といいますか、そういうものが流布されておりますと、そこから不安動揺が起こってきて、国民の生活の安定を害することがあり得るであろう、こういう考え方をかねがね私ども持っておるわけでございます。これはこれから申し上げます物価の問題とはいささかわき道でございますが、若干そういう意見も出ておるわけでございますので、一言つけ加えさしていただいたわけでございます。  そこで、現在日本の国における物価の上昇の問題を考えてまいります場合に、しばしば論議されておるわけでございますが、一体これが経済の成長とどのようなつながりを持っておるかということを考えてみる必要があろうかと思います。この場合でも、たとえば日本経済の高度の成長があったから物価の上昇があったというふうに言い切るのには、少し問題があり得るだろう、こう考えておるわけでございます。無関係だとは申し上げません。しかし、ではたとえばいまかりに日本経済の成長の速度を落としまして、いわゆる安定成長と申しますか、ゆるやかな成長に移したとして、それでは現在起こっております消費者物価の上昇がそれによって食いとめられるであろうか、こういうふうに考えてまいりますと、物価の問題と経済成長の問題について、直ちに、経済成長が原因であり、それが物価の上昇を引き起こしておると、こう考えることはむずかしいだろうと思っております、  もう少しこの点を突き進んで申し上げますと、次のような考え方になるであろうと思います。確かに経済が非常に成長発展をいたしまして、私どもの住んでおりますこの日本の国民経済というようなものは、私どもが子供であったころ、たとえば戦前であるとか、あるいは戦後しばらくの時期と比べて、非常に大きな相違を引き起こしてきたということは事実でございます。それが何らかの意味でいわゆる物価の上昇、特に消費者物価の上昇につながっておることも一がいには否定できないと思います。どういう意味でつながっておるのか、私はその点について二つのことを申し上げたいと思います。  一つは、そういう日本経済の高度成長の結果、速度がどの程度がよろしいかということはいろいろ問題がありますが、日本経済が戦前ないしは戦後しばらくの時期と比べて、いわば格段の相違と言われるような非常に大きな変化が起こってまいりました。そのことがとりもなおさず私たち国民の生活水準というものを急速に上げてまいったのである、かように考えておるわけであります。その意味では、私たちは、経済の成長発展なくして国民の福祉の向上はあり得ないということを最初に強調しておく必要があろうかと思います。  しかし、そこではどういうところから問題が起こってくるのかと申しますと、一つの点が、いわゆるコストが物価を上昇せしめるという、しばしば言われるような考え方になってくるわけでございますが、私はこの点も、単にコストが物価を上昇せしめるから、ではコストの上昇を直ちに押えろという議論には、直ちにはくみしがたい考え方を持っておるわけでございます。と申しますのは、いま申し上げましたように、日本の経済の成長の速度が非常に速かったということ、これは皆さんよくもうすでに先刻御承知のことでございますが、かりに一九五〇年から一九六〇年までの十年間をとりますと、日本の経済の成長は年率に直しまして大体九・六%、これの率で上昇したわけでございます。昭和二十五年から三十五年の間でございますが、この間に日本における鉱工業生産の伸びは、ほぼ年率にして一八%ほど伸びております。その一八%も伸びたその時期に、日本の国における工場部門における、製造工場部門における雇用の伸び率は、これをやはり年率に換算いたしますと、ほぼ八%程度の年率の伸び方をいたしております。  かつて日本の経済は労働力過剰の経済であった、こう言われておりますが、その労働力過剰であり、したがってまたあり余った労働力が非常に低い賃金で雇用されておったような状況が、次第に賃金水準の上昇を起こし、次第にその過剰労働力が生産の部門に吸収されていった。このことは率直に喜んでいいだろうと思います。しかし、そのことが、言いかえますと、労働力に対する需要と供給の関係を変化せしめている。かつて労働力のあり余っておりますころは、これはもう言うまでもございませんが、賃金の水準は当然低い水準に固定されるような形になる。当然と申し上げましたのは、それがいわゆる倫理的、道徳的な意味で当然ということではなしに、むしろ需要と供給の引き起こす関係という意味で当然ということを申し上げたわけでございますが、それがむしろ労働力が不足の状況に次第に近づいてきました。それが年々日本における国民総生産の増加によるいわゆる生活の内容の向上、またそれを受け入れますときの手段としての賃金水準の上昇、こういう形であらわれてまいったわけであります。  したがって、そういう観点から考えますと、いわゆるコストインフレを非常に強調なさる方のように、コストの上昇が、特にその場合賃金水準の上昇が物価の引き上げを引き起こしておるのであると単純に議論をお進めになる方がいらっしゃるわけでございますが、私は、これは半面の真実とともに半面の誤りを持っておる、かように考えておるわけでございます。と申しますのは、賃金水準が上昇しても、それは必ずしもあらゆる産業において、あるいはあらゆる商品において、いわゆる価格の上昇を引き起こしておらないという事実を見れば、ある程度歴然とすることであろうと思っております。もしコストが価格を一義的に決定するものであるならば、コストの上昇、なかんずくそのコストの中で非常に重要な意味を占めます労働コストの上昇は、当然あらゆる物価の上昇を引き起こすはずでございますが、実際上はそういう形になっておりません。これはすぐあとで申します第二の論点と関係いたします。コストの上昇にもかかわらず、その市場における、あるいはその産業においても、生産性の上昇がこれに伴わないような部門において物価の上昇に反映しておる。  私たちはこういうふうに考えてみますと、私たちの生活に非常に密接につながっております幾多の商品を、かつて私たちの所得からとても手が出ないような商品が、次第に中級の所得の階層に普及するような価格に下がってきておるという事実をたくさん見ておるわけでございます。ですから、賃金水準の上昇がすべての物価の上昇を引き起こすわけではなく、それが場合によっては価格の上昇を引き起こし、場合によっては、そのコストの上昇にもかかわらず、非常な努力によりまして——これは経営者の努力もありましょうし、同時にまたそこに働いていらっしゃる従業員あるいは労働組合、そういうところの人々の努力にもあると思いますが、実質上生産性を上げる形によってコストの上昇が価格にそのまま反映しないような形にしていらっしゃる産業あるいはそういう企業が幾多あることを私たちは見ておるわけでございます。これが私の先ほど申し上げました、一面の真理ではあるけれども、しかし半面のいわば誤りを含んでおる。ですから、その働く人々の賃金が上昇していくことをまずよいと考える、これはけっこうなことであると考えて、しかし、それにもかかわらずそれにうまくいわば適応し対処し得るような企業と、それにうまく適応、対処し得ない企業との差、あるいは産業の差と申し上げてもいいかもわかりませんが、これが価格の上昇という形になって反映しておるのだろう、こう考えておるわけでございます。  そこで、二番目の問題でございますが、そのこととすぐに関連して、それでは一体どういう部門において、いわゆるコストの上昇にもかかわらず、そこにつくられております商品の価格が長期趨勢的に見れば、むしろ下降の傾向をたどっている。また、どのような企業、どのような産業においてそのコストの上昇が直ちに価格、あるいは場合によっては料金等の上昇にそのまま反映しておるかということを私たちは分けて考えてみる必要があろうかと思います。私どもがしばしば現在の日本において、企業の効率化ということがきわめて重要であるという考え方をいたしますのは、このような観点に結びついておるわけでございます。私実は、以前経済審議会の委員をさして——現在もそうでございますが、さしていただきまして、例の経済計画の問題で、いわゆる経済の効率化という問題に取り組んだことがございますが、やはりどうしてこういうかつての況状でないような状況が現在あらわれておるか、また、それに適応するような企業ないし産業の体制にもっていくかということが現在きわめて重要なことである、こういう考え方をいたしておるわけでございます。  そこで、そういう考え方からいたしますと、現在のいわば価格の上昇というものを考えてまいります場合に、特に重要な観点として強調しなければいけないことは、しかもその点が実はいわゆる高度成長とのからみ合いのもう一つの側面になっているわけでございますが、そのことがいわば高度成長が引き起こしたいろんな変化が場合によってコストの上昇を引き起こしておる。これは二つの面に分けられると思います。つまり、過去にしがみついておるから、そこでコストの上昇が起こるという場合と、新しい状況に対処するためにコストの上昇が起こってきておるという場合とに分けられるだろうと思います。たとえば、最近のように——東京はもちろんでございますが、私どもの住んでおります京阪神地区とか、そういうところへたくさんの人々が流入してまいっております。新たな職を求めて、あるいは新たな生活の基盤を求めて移ってまいっております。そうすると、そういう人々が住みますところの宅地造成ですとか、その人の住みますところの、たとえば水道の開発であるとか、そういう人たちのためにたとえば道路をつくらなければならない、小学校あるいは中学校等を整備しなければいけない、こういうことは私たちは当然やるべきことであろうと思いますが、しかし、それにはかなりの負担が伴ってまいります。こういう意味でいわゆる日本の経済が単に経済成長——それは一つの要因でございますが、それと同時に非常に大きな社会の変革が起こっておる。その非常に大きな社会の変革が起こっておりますことが、いままでなかったコストというものをつくりあげてきておる。これをどうするかという問題と、それからもう一つ先ほど申し上げました旧態依然たる形態のままで、いわば過去を墨守することによって、コストの切り下げを行なわないような態度があるのとは、やはりせつ然と分けて考える必要があろう、こう考えておるのでございます。と申しますのは、私たちは企業の経営にもせよ、あるいは私たちの個人の家庭にもせよ、環境が変わってきますと、おのずからそれに対処する方策というものがなければならないと思っております。私どもの家庭で申しますと、いまから二十年前あるいは三十年前は、私たちの家庭が自動車であるとか、あるいはその他の家庭用の電化器具といわれるようなものを持つことは、つまり概して機械と申しましてもいいでしょうが、とても私たちの手に負えなかったわけでございます。その時分は、これはいまこういうことばは使われなくなっておりますが、かつて女中さんということばが使われたことがございますが、そういう非常に安い労働力の上に乗っかって私たちの家庭生活が営まれておった。少なくとも中流の社会あるいはそれ以上のところでは営まれておったという時代があったわけであります。ところが、いまやそういう労働力に依存するということはもうできないし、またすべきことでなくなってきておる。そうすると、それに対していままで人の手をかりておったものをたとえば機械にかえるというのが合理的な生活であろう、こう考えますと、その同じような考え方は、たとえば企業の経営等におけるいわゆる近代化の努力、あるいはそれによって生産性を高める、こういう努力になったとしても、私たちはそこに何らの不思議はないだろうと思っております。  そういうように考えてまいりますと、非常に大きな根源はなるほど経済の成長でございましょう。日本経済が、かつての過剰労働力に悩み、貧困に悩んでおった経済が、現在のようにいわば豊富な、そして次第に上昇発展し、労働力はいわば過去よりも非常に高く評価される社会になったわけでございますから、その中における企業のあり方、産業のあり方というものは根本的に変わってこなければいけません。そういう変化を根本において起こしたものは経済成長ですが、私はその経済成長を、したがって否定し、これがよくなかったと考える考え方にくみしないのは、それがやはり私たちの生活を高める非常に重要な根源になっておると、かよう考えておるからでございます。  こういう観点からまいりますと、現在私たちは、変わってくる状況に対して、一体何が摩擦になり、何が抵抗を引き起こしているかということを考えていかなければいけない。で、私たちはそういう意味から申しますと、価格が上がり、料金が上がることが全部いけないと言うこともできないだろうと思います。私たちは新しい状況に合う生活にだんだん切りかえていかなければいけない。かつての私たちの生活様式というものがこういうふうに高度化してくることによって非常に大きな便益を受けるわけでございますから、そのために必要な支出であれば、社会資本の充実であるとか、住宅の建設であるとか、そういうものが国の予算の中に十分取り入れられなければならぬ、場合によってはそのためにある意味の間接費であるとか、ある意味の受益者負担的なものが出ても、これは限度によりますが、やむを得ないだろうと考えております。しかし、効率が一向あがらない、そのことによって私たちのいわば生活の中に、もしたとえばそういうものを外国から輸入すればうんと安く買えるようなものをいつまでも日本の国内で温存するようなことが行なわれますと、そういうことは、これは社会問題とかいろいろな問題がありましょうから、一気にそういう方向へ踏み切ることには困難があろうと思いますけれども、しかし、私たちは国民の負担がそこにかかってくる、こういうふうに考えられるだろうと思っております。  そういう点で、現在までの日本の経済の動きを考えてまいりますと、いま、たとえば昭和三十年代あるいは四十年代も半ば近くになってきているわけでございますが、その間の動きを見ておりますと、私たちは、経済のいわば好況、不況と価格の上昇、なかんづく消費者物価の上昇との間に必ずしもはっきりした関連はないと、これは統計上きわめて明らかなことでございますが、そういうことが言い得るだろうと思います。卸売り物価といいますものは、これはもうそこに含まれております商品の性質上、原材料であるとか、中間生産品あるいは資本財的なものが大部分を占めておりますから、これは先刻御承知の景気の動向に非常に敏感な影響を受けます。すでに昨年来行なっております金融引き締め政策、財政収支の繰り延べ、こういう一連の景気調整策の結果、この一月以来卸売り物価指数はむしろ停滞の方向に向かっております。それにもかかわらず、消費者物価のほうは、現在もなお上昇を続けているということはどこからくるか。こまかい議論をいま申し上げる時間の余裕のないのはたいへん残念でございますけれども、しかし、卸売り物価指数と消費者物価指数との間に違った動きというものがある。卸売り物価指数というものはある程度循環的なと申しますか、景気の動きに敏感な動きを持っておりますが、あるいは経済の拡大発展の速度が速いかおそいかということによって非常に敏感な関係を持っておりますが、消費者物価指数の場合はそれとは別に、長期趨勢的な動きをしている。その根源が一体何であるかということが、実を申しますと、消費者物価の問題、またこれに対する対策を考える基本の姿でないかと、かように考えているわけでございます。  ただ、消費者物価という問題を考えます場合、私たちいろいろなお方と論議さしていただくわけでございますが、それは非常に利害の錯綜している問題でございます。たとえば米価という問題を一つとりますと、これはお米をつくらない私たちにとっては、米価が上がらないということは非常にけっこうなことでございます。今度はお米をおつくりになる方にとっては、米価というものは非常に密接な問題を持っている。それからまた、たとえばよく言われることでございますが、消費者物価の指数を見ておっても、あれは政策の実態に合わないということをよくおっしゃる方があるわけでございますが、消費者物価指数の中には基礎的な商品がたくさん入っております。日本の国民生活の中で申しますと、上層階級になればなるほど消費者物価指数の中に含まれておりますいわば商品品目の率が生活の中でだんだん少なくなってくるわけでございます。米の価格にしてもそうでございまするが、あるいはまたそれ以外のいろいろ生活に直接密接につながりますものの比率が少なくなってまいります。そういう点から考えますと、同じように、たとえば消費者物価指数は今年は何パーセント上昇したというふうに申しましても、それを受けます人々の所得の水準であるとか、あるいは生活の様式とか、それによって非常に大きな変化が起こってくるわけでございます。そういう点では非常にこれは経済問題であるとともに、高度に政治的な問題であろう。つまり一般のあらゆる人がこれに満足をする方策ということは非常にむずかしい問題であろうと思います。しかし、そういう点を考えてまいりました場合に、私たちはいわゆる国民の中流もしくはそれ以下の人々が、一体どういうふうに安んじて生活ができるかということを重点に置いて国の経済政策とうものは立てられることがしかるべきものであろうと、こういう考え方をいたしておるわけでございます。  そういう観点からいたしますと、やはりそういう人たちの——私どもも含めますそういう人たちの生活水準というものは、非常に変わっておるわけでございますから、変化いたしておるわけでございますから、その新しい状況にうまく合うような社会資本の充実、住宅あるいはその他生活環境の整備、こういうことは場合によりましては、これが国の予算にある程度の負担がかかってもむしろやむを得ないという観点でひとつお考えいただけるとたいへんにありがたいことだと思っております。と同時に、またいま、過去を単に温存するだけで、それがいわば生活の重荷になっていきますようなものは、これも一気にはむずかしいでございましょうが、何年間かの非常にいわば緻密な努力の上に、それをどういうふうに変えていくかというふうなことについていろいろ問題が起こってくるだろうと思います。ただ、私たちが現在そういうことに対して非常に大きな負担を感じておりますような問題も、何年かたちますと、私たちの生活の中からいうと非常に少ない割りのものになってしまって、かりにそれが変わってまいりましても大きな変化が起こらないように、つまり影響が起こらないような事態が出てくるかも、わかりません。  たった一つの例だけを時間の関係がございますので申し上げることをお許しいただきたいと思いますが、たとえば銭湯というものがございます。銭湯料金というのはこれはもうほんとうに庶民の生活にとって非常に重要な問題でございます。銭湯の料金がどうして上がってくるかということはもう当然のことでございますが、一方にコストの上昇があるが、しかし生産性の上昇はこれに伴わない。どうして生産性の上昇が伴わないか。機械化がまずできないということがありまするし、それからさらに申しますと、たとえば東京都内でもそうでございますが、大阪あるいは京都、名古屋こういう大都市のどこでもそうでございますが、だんだんだんだん銭湯を利用する人の率が減ってまいっております。そうしますと、上昇するコストをより少ない人々から回収しようとすると、銭湯料金が上がってくるのはある程度やむを得ないという算術になるわけでございます。その場合に、一体その銭湯の料金をどうするかという問題は非常に大きな問題でございますが、しかし、もうこれから十年もたちますと、あるいは十五年かかるかもわかりませんが、そうなってきますと、だんだんだんだんむしろ都会のいわゆる人口ドーナツ化現象と申しますか、銭湯を利用しないでいわば郊外に住んで、そこでみずからガスぶろとかその他の設備を持つような人々に変わってくるわけでございます。そういう現在はいわば非常に大きな転換の時期にあるわけでございます。かつて非常に重要な地位を占めておったようなものが次第にそういう重要性を持たないようなことになる。もしそうなれば、銭湯料金がかりに三百円であろうと五百円であろうと、それによって損害を受ける人はほとんど少なくなってくる。むしろ自分の家の小さなふろに入っておるよりは、三百円で銭湯へ入ってのうのうとするほうが楽しいという方も中には出ていらっしゃるかもわからない。  そういうふうに考えてまいりますと、私たちは、日本の経済というものが非常に早く変わっており、したがってそこで社会の状況というものも非常に変わっており、国民の生活のパターンと申しますか、これも急速に変化しておるそういう時期に、——したがって現在は、そういう意味でいろいろ過去において重要性を占めたような事柄が次第に重要性を占めなくなってきておるし、過去においてむしろ重要性のなかったものが現在非常に重要性を占めるような、そういう変化の状況になっておる。その摩擦と抵抗の発熱現象が物価の問題であろう。そういうふうに考えてまいりますと、もちろん本日お集まりの諸先生方は常々そういうことをお考えと存じ上げておるわけでございますが、この物価の問題を単にいわゆる経済成長であるとか、あるいは通貨の増発であるとかという一般論に対照なさることなく、むしろ、特にそれに対する問題というものを御検討いただくということがやはりこの際重要ではなかろうかと考えておる次第でございます。  ちょうどちょうだいいたしました時間がまいりましたので、このあたりで終わらせていただきたいと思います。(拍手)     —————————————

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) 次に、田中公述人にお願いいたします。

田中慎次郎評論家

○公述人(田中慎次郎君) 田中でございます。  今度の国会では防衛問題に対する問題提起といいますか、論議が非常に活発であったように思います。しかし私が本日申し上げようといたしますことは、今度の国会でいろいろ論議されましたこととすぐつながるような角度からでなくて少し違った方向から問題をながめてみたいと思うのであります。  それはどういうことかといいますと、一口に申しますとドルの危機と日本の防衛問題の関係、そういう角度であります。こういう角度の問題はあまり議論されていないのであります。その理由としては、日本の防衛費は国民総生産の中で占める割合も、あるいは予算の中で占める割合も、あるいは国際収支に影響する関係からの外貨の流出というようなそういうふうな角度からも、比率としては一般の国に比べて小さいわけです。その限りでは日本の防衛の問題、またその費用の問題を、ことさらドル危機とか国際収支とかそういう問題に結びつけることは一見適当でないというお考えの方もあるかもしれませんけれども、日本の防衛政策、これはアメリカの防衛政策と現実に結びついているわけであります。アメリカの防衛政策というのはアメリカの世界政策と結びついている。そうしていまのドルの危機、これはアメリカの世界政策遂行の費用をあまりたくさん使ったというところから出てきているわけでありますから、これに対してアメリカがどう対処するか、つまりドルの問題に対してアメリカがどう対処するかということとアメリカの世界政策とは関係があるわけです。ということは、また日本の防衛政策とも関係が出てくる。そういう意味でこのドルの問題というのは、決して日本の防衛政策の将来を考える上で無視できないわけであります。  御承知のようにアメリカのドルの危機が伝えられまして、あるいは金の二重価格、あるいはSDRの創出、そういうようないろいろの対策が出てまいっておりますけれども、フランスのようにはっきりそれに対して反対をする国ばかりでなしに、欧州の諸国でひとしくアメリカに対して言っていることは、つまり、そういうドルに対する国際協力の関係でのいろいろな政策を採用するためのいわば条件としては、イギリスとかアメリカといういわば基軸通貨を出している国の国際収支を均衡させろ、それがむしろ条件になっていると言っても言い過ぎではないように思います。このことは金融専門家、そういう方々の立場から申しますと、アメリカの国際収支の均衡、それを守れというようなきわめて中立的な表現でいわれるのが常であります。これは金融専門家のような方々の立場としては当然だと思います。しかし、フランスのドゴールのように、そういう中立的表現でなしに、アメリカの国際収支の不均衡が一体何に基づくかというところまで突っ込んで、むしろ中立的というよりも、アメリカの世界政策を批判するような立場でその問題を指摘する立場もあるわけです。ところで、この立場には実際は共通したものがあるわけです。つまり金の二重価格とか、あるいはSDRに賛成した国々でも、中立的な表現で、アメリカはもっと国際収支の均衡に思いを配ってほしい、こういうことを言うわけですが、それは専門家としての立場からそういう中立的表現をとるので、その中身をよく考えれば、実はドゴールなどがアメリカに対して批判していることとかなりの部分同じ内容を本質的には持っている、こう見なければならないわけです。  それならば、アメリカの国際収支の不均衡をもたらした世界政策、それは何か。また、その世界政策を遂行するためにアメリカがどういう方法をとってきたのでドルの危機が今日のように深刻なものになったか、その点を考えなければならないわけです。で、アメリカの世界政策ということばは、まあはなはだばく然としておりますけれども、ドルの危機、つまりアメリカの国際収支の不均衡を多年にわたってもたらし続けた根本、一番大きいのは、何といってもアメリカの世界政策が著しく軍事的な政策に傾き過ぎていた、これが一つであります。数字的には私はっきりとは申せませんけれども、たとえば去年あたり、これはベトナム戦争の費用があるせいでありますけれども、軍事支出、たとえば欧州における軍事基地の維持とか、日本における軍事基地の維持、あるいは兵員の配置、そういうものの費用は非常に大きなものでありまして、それから出る国際収支の、つまりドルの流出というものは大体四十億ドルくらいになっておるといわれております。  それからもう一つ、アメリカの世界政策に関連して、軍事援助というものがあります。また、軍事援助のほかに、いわゆる未開発国その他に対する経済援助というものがあります。これの合計が、やはり昨年あたりはまず四十億ドル見当であろう。そうすると、その二つを合わせて八十億ドルになります。  一方、アメリカの貿易収支、これは貿易だけに限っていいますと、アメリカは輸出超過の国でありまして、最近だいぶ輸出がよくないにしても、それでもやはり三十億ドルから四十億ドルというものは黒字になっている。しかし、さっき申しましたように、海外に対する軍事支出、あるいは経済援助、そういうものの額がアメリカの世界政策遂行の費用として非常に大きいものですから、差し引きやはり三十億ドルとか、あるいは四十億ドルというふうな赤字が出てくる。この数字はきわめて大ざっぱな数字でありまして、一応の輪郭を示すだけのものでありますが、大体そういうふうな状況なのであります。ということは何を意味するかというと、結局いまのアメリカのドルの危機をもたらしたのは、アメリカの世界政策遂行のためのドルの海外への費用、それからくる流出、こういうことになるわけですが、その中で特に軍事的色彩のものが非常に多い、これが特徴であります。つまりそのことは何を意味するかというと、アメリカの世界政策が非常に軍事的な角度から、軍事的な角度に重きを置いて世界政策が行なわれ過ぎたのではないか、こういうふうに私は見るわけであります。これはベトナム戦争が今日のように激しくなる以前からのことでありまして、むしろベトナム政策はその絶頂の問題として出てきたわけであります。そこで、このドルの危機に対してアメリカがどういう立場をとるかということは、すでに金の二重価格とか、あるいはSDRの創設ということで一つの対策がそこに出てきているのでありますが、先ほど申し上げましたように、単にフランスばかりじゃなしに、ほかの西欧諸国も、ことばは、アメリカがもっと国際収支の均衡に注意してほしい、そうでなければ事柄はうまくいかないのだということを言っておりますが、そのことは、しかし、それは中立的な表現でありまして、実際はアメリカの世界政策をもっと再検討しろということと同じであります。もしアメリカが現在までのような、あまりにも軍事政策、軍事的な角度から世界政策を考える場合には、おそらくアメリカの国際収支の均衡を達成することはできないだろうと思います。現にそういう方向に向かうようにも思いますけれども、まあ私などはそう簡単に楽観はもちろんしておらないわけであります。つまりアメリカは、非常に無理をすれば、つまり他国の思惑を顧みずにいままでの方針をやろうと思えばできないことはないわけです。その場合にどうなるかと申しますと、一番極端な場合はドルと金とを切り離してしまうことです。そうすると、これは一番極端な例ですけれども、一番極端な例として申し上げますと、むしろ仮定に近いものでありますけれども、その場合には、アメリカというのは何しろ生産力の高い国でありますから、そのドルは、それを受け取る国かあれはその限りにおいて通用するわけです。戦争中の日本の軍票とは違って、やはり相当の値打ちを持っておる。しかし、金と切り離されてしまう。そこまでのことをやって、しかも、それについてくる国が多ければ、これは一つのドル帝国ができるわけです。しかし、これはおそらくアメリカとしても実際にそこまでやることはできないでしょう。もしそういうことをやれば欧州は全く離れてしまって、とんでもないことになるからであります。したがって、それ以外の方法だと、どうしてもアメリカとしては国際収支の均衡ということにこれから力を入れなければならないわけです。しかし、力の入れ方にもいろいろありまして、たとえばいまドルの危機に対してアメリカが臨時の措置としていろいろのことをやっております。輸入課徴金、あるいは旅行者の制限、あるいは海外投資をなるべく押える。しかし、こういう国際収支の均衡のやり方というのは結局一時的なもので、すべてそれに対する対抗手段を生むし、また、世界経済を萎縮させるのでありますから、決してアメリカのためにも世界のためにもならない。どうしてもアメリカの世界政策まあ——大げさな話でありますが、アメリカの世界政策の根本に立ち返って、あまりにも軍事的角度から、あるいは共産圏に対する軍事的な封じ込め的角度、そういうものから考えを改めて、アメリカの世界政策が軍事的になり過ぎない、そういうふうに考えを変えないとアメリカの国際収支は改善されませんし、ドルの危機も、長い間にはまた盛り上がってくる、こういうことになるのではないかと思うのであります。  先ほど下の食堂でテレビを見ておりましたら、ジョンソンは、いわゆるサンアントニオ方式でなしに、無条件で北ベトナムに対する爆撃を、あるいは沿岸からの砲撃を停止するということを発表したようであります。テレビでちょっと見ただけですから、決してそのとおりであるかどうか、私まだよくわかりませんが、どうもそういうふうに思われます。ということは、どういうふうに見たらいいかと申しますと 私がさっき申しましたような背景、その中でアメリカが、一つはごり押しでいままでの方針を続けるという道と、世界の世論、あるいは国際通貨を健全にするという角度からいままでのやり方を反省して、もう少し良識のある立場に変えていくという二つの道のうち、少なくとも、ベトナムに関する限りは、どうもアメリカは良識のある道を選び始めたようであります。もとよりこのアメリカの世界政策というのは、単にいまのベトナムに対する政策だけではありません。たとえば一番大きいのは、現在のところは何といっても中国に対するアメリカの考え方、これが一番の問題であります。この中国に対する考え方、あるいはアメリカのアジア政策というものがいままでどおり非常に軍事的な色彩のもので押し進められるならば、決してそこから平和は出ないし、また、アメリカの国際収支も健全さを維持していくことはできない。したがって、まあこれは私の希望ではありますが、ベトナムでアメリカがもし考えをいままでと変えることになるのだとすれば、同時にアメリカのアジア政策全体が、いままでの軍事偏重主義から脱皮する必要がある、こういうことが言えると思うのであります。そのことは日本にも関係があるわけであります。  そこで、私が初めに申しましたように、日本だけを切り離して言えば、別にドルの危機の問題、アメリカの国際収支の問題は特に申し上げることはないのですが、日本の防衛政策というものはアメリカのむしろ一環になっておるという意味から、アメリカがそういう大きな考え方の再検討の時期に入ったとすれば、日本も進んで同じように日本の防衛政策の根本を長い目で見て考える必要がある。それはどういうことかと申しますと、つまり中国というものを軍事的脅威という角度からだけでなしに、つまりアメリカがやっているように、軍事的な脅威というふうなことで問題を考えるのでなしに、ほんとうにアジアに平和をもたらすにはどうしたらいいか、これはアメリカも、さっき申したような意味で、ほんとうにアメリカの国際収支を長きにわたって改善するとすればどうしても考えなければならない問題であります。したがって、おそらくアメリカもそういうことを考えるでしょうが、日本は中国とすぐ隣の国ではありますし、もっと進んでアメリカ以上にそのことを考え、また、日本の考えをアメリカに伝える、こういうことが必要ではないか、かように考えるわけであります。  で、ここでひとつ申し述べておきたいのは、大体このアメリカの世界政策がなぜあんなにいままで軍事的になり過ぎたか。例の封じ込め政策の最初の提唱者であったケナン、これがこのごろ回想録を出しているようであります。私はまだ読んでいないのですが、伝えられるところによりますと、ケナンの言うところは、自分が提唱した封じ込めという訳にいろいろ非難もあるようですが、コンテインメント、これはソ連、あるいは共産主義圏を囲んで封ずるということですが、それは決して軍事的なものではなかったというようなことをいま言っているようであります。それがいつの間にか非常に軍事的な色彩の封じ込めになってしまったのだ、そこからいろいろな困難な問題が出てきているのだ。で、ケナンの最初考えました封じ込めというのは、そういう軍事的なものでないということを彼は言っているのですが、たとえばよく百貨店の入り口などに空気の幕がありまして、空気が出ておりまして、中の空気と外の空気、つまり中で緩房していて、もう外の戸を締めなくても外側の冷たい空気が入らないような空気のカーテンというものがありますが、それに近いものだとかりにたとえれば、それに比べて軍事的色彩の強い封じ込めというのは、あたかも鉄条網で囲って、そうしてそこへ機関銃やら大砲を据える、それくらいの違いがあると思うのですが、この軍事力に非常にたより過ぎてきたということにはいろいろな原因があると思います。何もアメリカだけの問題、アメリカだけに何か考え方の間違いがあったとばかりは言い切れないと思うのですが、核兵器が出てまいりまして、最初は特にアメリカが独占しておる時代が続きましたので、非常にその威力に心酔したという時期があったと思うのです。確かに核兵器、特に大陸間弾道兵器というものが出ましてからは、もしそういうものの破壊力が到達に要する時間、たとえばアメリカとソ連の大陸をつなぐのにわずか三十分で飛ぶわけですから、しかも、その破壊力はものすごく大きい。そういう物を破壊したり人をたくさん殺したりするという、その破壊のほうの力で見れば、地球はとても小さくなったわけです。あるいは、たとえば偵察衛星のようなものがありますが、これも地球を大体一時間半で回る。いかに地球が小さくなったか。つまりそういうふうな軍事技術の破壊力というふうなほうから見ると、地球というものはとても小さくなった。小さくなったということは、そういう軍事力を持っていればアメリカは世界を押えることができる、こういうふうな考えになりやすいわけです。それほど単純なものではなくても、およそそういうふうな考え方に近くなりやすい。ところが、核兵器というものはあまりに破壊力が大き過ぎるわけですから、実際はそれを政治あるいは軍事的な意味のあるようには使えないわけです。したがって、そういうものに過度の信頼を置くということになると、そういう政策はどうしても成り立たなくなる。アメリカの場合にも、軍事力はアイゼンハワーのときにはおよそのワクを設けて、そのワクをこえないような非常な軍事予算の切り詰めをやった時期があります。ところが、そのときはアメリカの世界政策、たとえば軍事的な手段による封じ込めというような根本の世界政策の考え方はそのままにしておいて、ただ軍事力だけをワクで縮めようとしたのでありまして、これは失敗に終わったわけです。ケネディになってからそのワクを取り払いまして、非常に大きな軍事予算が出てくるようになったわけであります。ただ、そのワクの中で——ワクというよりも、大きな軍事予算の中でマクナマラは、例の費用対効果という考え方で、できるだけ予算を小さくしようとしましたけれども、こういうのはそもそも部分的なことでありまして、予算のワクを取っ払う、しかも、アメリカの世界政策の考え方が非常に軍事的なものである場合には、軍事予算はどんどん大きくなる、それがいままでの現状でありまして、その結果として多年にわたるそういう政策の継続で今日のドルの危機が招かれたわけです。  そこで、今度のドルの危機並びにそれに対する各国の共同しての対策、そしてその対策の中に含まれるところの、アメリカは国際収支の均衡にもっと力を入れるべきだ、それが基軸通貨を出しているアメリカの責任である、こういう声の前にアメリカが今後どういう政策変更をやるか、これはこれからの問題であります。ジョンソンは、先ほど申しましたように、ベトナムについて、いよいよ北爆を無条件で停止するということになりますと、ベトナムについては、おそらく何らかの話し合いが可能になるでしょう。しかし、それだけではやはり足りません。おそらくアメリカは、欧州についても、あるいはアジア全体についても、いままでの考えについて再検討する時期に入っている、こういうことは言えると思います。そういう背景の中で日本の防衛問題も考えるべきではないか、これが私の根本の考えであります。  なお、防衛費というものは、そういうこれからの情勢に即しつつ、できるだけ少ないほうがいい。しかし、ただ削るのではありません。少なくなっても削っても、日本人としては日本を守らなければならない。それは日本人の覚悟が要るわけです。そういう覚悟なしに防衛費をただ安閑として削ることはできない。しかし、防衛費を削ってどうするかというと、私はそれをできるだけ日本の経済の建設のほうに向けてほしいわけです。私はたまたま原子力委員会の参与などをしておりますが、たとえばこれからの日本の原子力の問題を考えますと、よほど力を入れないと日本の原子力というものは健全に伸びない。むしろそういうことのために軍事費をできるだけ節約してもそういう方面に費用を投ずるということが日本のほんとうの長い目で見ての安全の保障になるというふうに考えておるわけであります。  時間がまいりましたので、私の公述はこれで終わりといたします。(拍手)     —————————————

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) 次に、湊公述人にお願いをいたしますが、本日は御多忙中にもかかわらず、本委員会のために御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  まず、最初に三十分程度で御意見をお述べ願いまして、そのあとで委員から質疑がありました場合お答えをお願いいたします。  湊公述人にお願いいたします。

湊守篤日興証券社長

○公述人(湊守篤君) 私、関係いたしております経済審議会で、昨年の春、経済社会発展計画という名前の新しい長期経済計画を政府に答申いたしました。政府はそれを閣議決定いたしまして、その後の経済運営の指針にしておられると存ずるのでございます。この経済社会発展計画が目標といたしましたところは、経済の効率化を通じて安定成長を実現するということであったのであります。安定成長と申しますことは、もう御説明の要がないと思いますけれども、国際収支と物価の安定を維持しながら成長をなるべく高く実現していくという考え方でございます。私どもはそういった成長方式のほうが、三十年代にわれわれが経験いたしましたような超高度成長政策よりも長期的に見れば高度成長を実現する道だと、このように確信いたしましてそういう答申をいたしたのでございます。そうして、この計画では五カ年間の平均の実質成長率を八%強というふうに一応考えまして、すべてそれに合いますようにいろいろな政策に関する提言をいたしたのでございます。ところが、四十二年度はこの計画の初年度に当たるわけでありますけれども、年の初めからすでに現実の経済は、この計画が想定いたしました路線からかなり離れて高くのぼってまいりました。もとよりわれわれの持っております経済は自由経済でありますから、計画経済のようにぴっちり過不足なしというふうな動きになることはございません。しかしそれにいたしましても、去年の初めからの経済成長の速度は、われわれが考えていたものから比べると、かなり高くなってまいったのであります。最近企画庁が発表いたしております四十二年度の経済成長率は実質で二一%近くなるようであります。これはまだかりの計算でございまして、三月末をもって締め切りますと、一二%をこえるようなところまでいくのじゃないかと思われるような早さで経済が成長し続けておるのであります。そういったことの結果といたしまして、われわれが心配していた安定成長はなかなか実現しない、国際収支は御高承のように、ことしの初めから相当な赤字を累積してまいりました。これはまだよくわかりませんけれども、年度中で見ると六、七億ドルの総合収支の赤字が出るようなことが予想されておるのでございます。さらに物価につきましても、一時比較的マイルドになっておりました消費者物価の上昇がだんだん年度の後半に向かってピッチをあげてまいっております。おそらくこれは四十三年度に持ち越されて、かなり大幅な消費者物価の上昇をもたらすのではないかと憂慮されておるのであります。そのような事態が起こってまいりましたのは、とりもなおさず成長の速度がわが国の持っている経済力の限界をかなり大きく越えたところにある、われわれはそのように考えました。もちろん計画をつくった責任者の一人でありますから、計画にこだわっているという御批判もあろうかと思いますけれども、私ども計画をつくった当時みんなと相談したのでありますが、われわれは決してこの計画にこだわるつもりはありません。したがって、成長率が非常に高くなったとしても国際収支もたいして悪くならない、消費者物価もそれほど上がらないということであれば、計画で想定した八%を上回る成長率が実現していたとしても、それをチェックするといったようなことを考えるべきではない、そういう考え方に立っていたのでございますが、不幸にしてわれわれが心配していたとおり、さっき申し上げたようないろいろな問題が日本経済に出てまいりました。そこで、昨年の七月、八月と二度にわたりまして審議会の総合部会を開催いたしまして、そこでこの問題を討議したわけです。そのときの結論は、どうもこのままでいくと国際収支ももっと悪くなるし、消費者物価の上昇率も強くなるであろう。したがって、当時としてはまだ過熱現象と言われるほどのものが経済の随所に見られたわけではありませんでしたけれども、少し早目に経済の成長の速度にブレーキをかけようということをきめまして、政府にそういう提案をいたしました。それを受けまして、政府におかれては直ちに財政支出三千億余りを繰り延べることをおきめになりましたし、日銀は公定歩合一厘引き上げを御決定になって九月一日から実施をされたのでございます。そのようにいたしまして、日本経済はだんだん成長速度を落としながら、遠からず国際収支問題の解決に向かうであろうと、われわれはそのような期待をいたしていたのであります。  ところが、御高承のように、昨年十一月イギリスが突如としてポンドの平価切り下げを断行いたしました。それに続きましてアメリカ、カナダが公定歩合を引き上げました。その時点を一つの転機といたしまして、世界経済はわれわれが予想したとおり大きくゆれ始めてまいりました。最近の事象はもう皆さま十分御存じのとおりでございますから、格段に申し上げませんが、私どもはそういった事態が起こりましたときに、すぐ審議会の下部機構であります企画委員会を開きまして、これは重大な事態に立ち至ったと考えるべきである、そこで国際収支の回復について、それまでは比較的楽観的といいますか、わりあいに早くそれが実現するであろう、したがって、一連の引き締め政策も比較的早く解除できるであろう、またそうしたいと思っていた考え方はここで改めねばならなくなった、国際収支の黒字基調回復には相当の時間がかかると考えるべきである、そのように思ったものですから、十二月に経済審議会を開催いたしまして、そこでこの問題を十分討議いたしました。そのときの結論は、大体私どもが考えていたとおりでございまして、結局そういった新しい国際情勢の変化に対応するために、この国の経済はこれまで以上にもっと慎重に運営をしていかなければならない、そういう結論でございました。  そこで、具体的にどういう提案をいたしたかと申しますと、一つは金融政策の面であります。主として民間設備投資に向かって慎重なビヘービアを企業が持つようにお願いをいたしました。もう一つは財政面であります。財政面から景気調整を少し強化する必要があるということを申したのであります。そしてすでに各方面で問題として取り上げられておりましたいわゆる財政硬直化を打開いたしますために、行政、財政両面にわたる効率化に勇断をふるっていただきたいということを申し述べ、四十三年度予算はその初年度として、いま申し上げたような行政、財政効率化の第一歩をはっきり踏み出していただきたい、少し強くいえば、四十三年度の予算は今後の日本経済の推移をきめる一つの試金石のようなものである、こういうことを申したのであります。その後四十三年度の予算の政府原案が示されて、私ども非常な関心をもってこれをしさいに検討いたしたのであります。十分皆さま御承知のように、一般会計におきましては前年度に比べて一一・七%の増、これは四十三年度に予想されております名目成長率一二%を若干下回る水準でございます。それから財政投融資につきましては一三%増、前年度に比べると、かなり大きくダウンをした水準できめられております。これを拝見いたしまして、われわれとしましては、欲を言えば切りがないのでありますけれども、これはまずまずのできだ、そういう感じを第一感として持ちました。さらに公債依存度につきましても、われわれ計画の中でも申し述べましたし、十二月の審議会の中間報告といいますか、中間の答申にもそのことを触れたのでありますけれども、この公債依存度についても十分な配慮が行なわれておりまして、一一%を若干切るというところまでダウンしておるのであります。これを見ますと、まあまあこういうむずかしい政治的、経済的諸条件の中で、これだけの予算を政府が原案として出されたということは一応敬意を払っていい、このように考えたのであります。  さらに、財政硬直化打開のための一助になると思いますけれども、総合予算主義をおとりになった、これも高く評価していいんじゃないかというふうに考えたのであります。しかしそうは申しましても、総合予算主義が徹底的に貫かれるかどうかには大きな疑問がございます。どうしても補正なしということでは相すまないだろうと思うのでありますが、そういった段階におきまして、このきびしい政府の方針がくずれるようなことがありはしないかということをわれわれは非常におそれるのであります。このようなことが起こらないように、この機会に国会の皆さまにもお願い申し上げたいと思います。  さらに、四十三年度の予算につきましては、その実行面で十分弾力的な配慮をあらかじめ持っておいていただきたいということでございます。先ほど申しましたように、四十三年度は国際経済の激動の中でもまれまして、いろいろ思わざる事態も予想されます。そうでなくても、四十二年度の経済成長の速度が非常に早かったものですから、四十三年度景気調整のために成長速度をダウンさせますと、四十三年度における需給のバランスはかなり大きく破れることになってまいります。上期中くらいはまだまだ四十二年度からの惰性で鉱工業生産もかれこれ右上がりに上がるだろうと思いますけれども、七−九あたりになりますと、これがむしろ右下がりに落ちていくということが予想されるのであります。そういうことでありますから、財政といたしましては、その予算の実行面において上期は若干押えぎみに持っていく、下期にもしいわゆるデフレ不況が非常に強く出てくるようなことになれば、その押えた分を下期に出すというようなことをして、経済の全体をうまく調整していくということが要請されるようなことになるのではなかろうか、その辺の配慮を十分お願いいたしたいと思うのであります。そのような弾力的なことをいたしますためにも、財政の硬直化は何としても打開しなければならないのでありますが、そもそも財政硬直化——これはまあ釈迦に説法でございますけれども、これはかつての高度成長期の惰性で財政支出がうんとふくらんでまいります。それに対して四十年代は、三十年代のような高度成長はちょっと望みがたいいろいろな悪条件が出てまいっております。労働不足だとか全面的国際化とかいったことがそれでありますけれども、そのためにわれわれは経済社会発展計画で成長率を八%強というところに押えたわけでありますから、当然三十年代のような一〇%成長を四十年代においても持続することは非常にむずかしくなってきた。そこで三十年代の高度成長の惰性でふくらんでいく財政支出と、四十年代の比較的低い成長率の中から出てくる財政収入とのギャップが財政の硬直化という形になって立ちあらわれているんだと理解するのであります。この硬直化の背景については、これまた釈迦に説法でありますけれども、われわれは何といってもわれわれの国が持っている諸制度、慣行が今日硬直化し、あるいは陳腐化している、そこに財政硬直化の基本的な原因がある、そう思うのでありまして、そういった制度、慣行の硬直化にメスをどうしても入れなければ硬直化打開はできない、このように思うのであります。まあ一例をあげれば中央、地方を通じての行政制度の改革、これはもうかねがね言われていることでありますけれども、この改革を急いで行財政にわたって効率化が一段と進展するように政府としてはしなければいけない。当然そうしようとすれば摩擦が起こると思いますけれども、その摩擦を逃げていたらわれわれが考えているような安定成長はできない。結局行き詰まって非常に大きな激動が起こるということになると思われますので、この際そういった中央、地方を通じての行政制度改革について政府が決断をされることを望みたいと思います。  ところで、成長がこのように行き過ぎてまいりましたその原因でありますけれども、それは簡単に申しますと、民間の設備投資と個人消費がわれわれの予想をかなり大きく越えて伸びたところにございます。民間設備投資、中でも民間設備投資の伸びが一番計画の路線から乖離しているのであります。最近企画庁が出しております見通しによりますと、四十二年度の民間設備投資の伸び率は二七%強になっております。これも三月末を締め切って計算し直してみたら、もっと上にいっているんじゃないかと思うのであります。そのように民間設備投資は非常な勢いで三十年代の高度成長期といわれた三十四年から六年にかけてのときのような盛り上がりをここで見せているのであります。われわれは民間設備投資がそのように盛り上がりつつあることを去年の春ごろから気がつきまして、先ほど申し上げた総合部会で引き締め強化を呼びかけましたときには、まず金融をある程度締めて、それによってこの民間設備投資の過度の盛り上がりをチェックしようと考えたのであります。ところが、われわれそう考えたようには事態はうまくまいっておりません。第一、最近ではこういった金融引き締め政策のききがたいへん悪くなってきているのが事実でございます。その理由は、大企業になればなるほど近年自己金融力が強まってきております。と同時に、幾度かこういう体験をしてまいりました大企業は、こういった場合に対処するための政策が非常におじょうずになっている。たとえば手元流動性を常に十分持っているといったような対応策をとっておられますために、なかなかこの金融引き締め政策がすぐにはきき目をあらわしてまいりません。その上に、日本にはこういう金融政策が設備投資にあまりきかない制度上の問題があるのでございます。御高承のように日本では、企業が設備をいたします場合に諸外国のように自己資金プラス資本市場における資金調達——増資とか社債、そういったようなもので全部をまかなうというような慣行は全くありません。ほとんど大部分を借り入れ金に仰ぐという慣行を戦後一貫してとり続けているのであります。これは戦後の高度成長をささえた一つのメカニズムとしてある意味からいえば一応評価されていいことであるのでありますけれども、しかし、そういうことがありますために、いま申し上げたような金融によるブレーキがきかないということが出てくるのであります。さらに過去の実例を振り返ってみますと、企業の設備投資は常に相当強力に前進いたします。金融がどうなるかとかということはもちろん設備投資をする場合考慮の一隅にはあると思いますけれども、多くの場合金融は何とかなるということで設備投資が先行する。必ずその場合過去において幾度か金融引き締め政策を誘発しているのでありますけれども、しかし引き締めながらも結局は金融はこれにフォローいたしております。フォローしきれなくなった場合に問題は証券市場にしわ寄せされております。三十六年の例がいい例でありますけれども、金繰り増資というような形で証券市場の消化力とは無関係に増資が強行される。さらに社債につきましても証券市場の消化力とは無関係に発行される。結局それは証券市場にしわ寄せするという形になって証券市場が一ぱいになってしまう。これが破裂しそうになってくると日銀が出てこられます。共同証券とか保有組合とか、あるいは四十年に日銀法二十五条の発動があったといったようなことはこの点をさしているものでございます。結局そのようにいたしまして、企業の設備投資は、大企業である限りはもちろん、かなりな程度な中小企業まで実現してしまいます。先進諸国に見られるような設備投資にはリスクが伴うといった条件が日本は非常に不十分でございます。その上に金利機能を日本は全く殺してしまっております。低金利政策を長年政府は標榜してこられました。それは国際競争力を高めるために水準としての金利が低いことが望ましいのは申し上げるまでもありませんけれども、金利機能を全く殺していたのでは金融による景気調整は実は非常にむずかしいのであります。こういった制度的な欠陥が今日依然として続いておりますために、いま申し上げたように金融による景気調整がうまくいかない。これではわれわれが望んでおる安定成長もなかなかうまくいかないというふうに思うのであります。政府はかねてこういった問題について深く考えられて、金融、資本両市場の正常化をはかろうということをたびたび声明しておられます。しかし過去を振り返ってみまして、これはそういう決意のほどはたびたび伺いましたけれども、具体的な政策として何がなされたかというと、遺憾ながらあまりこれといったものは見当たらないのであります。今日依然として税制その他で間接金融は直接金融よりもはるかに優遇されております。それから金利機能も、いま申し上げたようにたびたびわれわれはこの復活を要望いたしましたし、政府もたとえば中期経済計画において金利の自由化を非常に強く提唱されましたけれども、しかし、これは国債が出るようになってからまた逆戻りしているといってもいいような状況でございます。こういうことでは資本市場、金融市場の正常化は実現しないと思います。私は資本市場がいま申し上げたように自由金利によって正常化されるようなことになれば設備投資は自律的に調整されると思いますし、また公債につきましてもりっぱな歯どめになると考えまして、四十年に戦後久しぶりに公債を出すようになりましたときにこの点を当局に向かって強く要望したのでありますけれども、ついにこれは実現を見ておりません。したがって私は、これからの経済運営を特にこういった国際環境の激変の中でじょうずに進めていくためには、やはり先進諸国がいずれも持っているようなこういう景気調整機能を回復する必要があると思うのでありまして、その点について政府の勇断を望みたいのであります。しかし、どうもこういう問題は実は言うのはやさしいんでありますけれども、実行しようとするといろんな問題があることは明からでございます。したがって、われわれが期待するようなものになりますには若干時間がかかると考えざるを得ない。とすると、財政の景気調整機能に大きく期待するしかないと思われるのであります。  ところで、その財政が先ほどから申しているように硬直化したままでは、これではどうにもしょうがないということにならざるを得ない。その意味から、われわれは財政硬直化は何としても早期に打破していただかなければならぬと強く考えるのであります。今日当然増だけで年々一〇%以上一般会計をふくらませると、こういったようなことをそのまま放置していたのでは問題にならぬのじゃないかという気がいたします。中央、地方の行政改革、さっき申し上げましたが、これを思い切って簡素化して、消費的支出を大幅に削減すること、このことが当面政府の財政の仕事としては急務ではなかろうかと思います。  また、一例をあげますけれども、府県制度は明治以来百年続いております。この府県制度を近代的な制度に改めることもできないということでは、私は財政の硬直化打破ということはなかなかできないのじゃないか。したがって、経済の効率化も進まないし、安定成長も実現しないのではないかということを深く憂えるものでございます。これは政府のみでなく、国会議員の皆さま方にも、ぜひ勇断をもって効率化を進めていただくようにお願い申し上げたいと思うのであります。  最後に、私は、いまの日本経済はどうも三十年代の高度成長になれ過ぎてしまって、あのような一〇%以上の成長が続かなければどうにもやり切れない、どうにも間が詰まない、そういったような体質になっているような気がしてならないのであります。たとえば賃金は年に十数パーセント上がらなければとうていがまんができない。米価も一〇%以上上がらなければこれはたいへんな騒ぎになる。民間経済にいたしましても実質一〇%以上の成長でないと利潤率は下がるといったような実態でございます。  また、財政もそういう成長が続かなければ硬直化の度を加える。これはしかし無理な話ではないか。さっきから申し上げるように、四十年台は三十年台のような高度経済成長はできない、こういったむずかしい条件が幾つもここに加ってきている。そこへもってきて今日のこういう国際経済の激動であります。そういうことを考えれば、私はいまここで国民の一人一人が、わが国がいま直面している事態を正しく認識して、昭和元禄と一部に言われているような、レジャーだ、バカンスだ、三C時代だといったようなことによる高度成長になれ切ったこのものの考え方を革新する必要があるのじゃないかということを非常に強く考えます。その場合、私は何といっても日本は先進諸国と違いまして、政府あるいは国会の権威が断然高い。したがって、この辺から国民に向かって強い呼びかけがあることが必要だ、そういう説得がなされなければ、国民はなかなかそういう点について自覚することはないのではないかという気がいたします。どうかその点十分御配慮いただきまして、今後の経済運営がうまくまいりますようにお願い申し上げて私の話を終わらしていただきます。(拍手)     —————————————

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) それでは公述人に御質疑のおありの方は、順次御発言願います。  なお、鎌倉公述人は時間の都合で午後三時十分には退席されたいとのことでありますので、鎌倉公述人に対する質疑を先にお願いいたします。

矢追秀彦公明党

○矢追秀彦君 二、三お伺いしたいと思います、鎌倉先生に。  一つは、先ほどお話の中でおふろの問題が少し出ましたですけれども、三百円になってもそれで楽しければいいのじゃないかと、結局物価が上がるとか下がるとか、そういう問題。  一つは、現在数字でいろいろあらわされているわけですけれども、やはり先生のおっしゃったような考え方からいきましても、やはりそのものがその人に対する幸福感といいますか、満足感といいますか、やはりそういうものも一つの要素として考えていかなければならないと私は思うわけです。それを数字にあらわすことは非常にむずかしい問題であると思いますけれども、先ほどいろいろお伺いしておりまして、物価という問題いろいろな要素があると、一つの見方から見てはいけないということを言われましたけれども、そういったたとえばお金が、物価の実際の価格が上がりましても、給料がうんと上がるとか、あるいは最低生活が保障されておれば、それがあまりこたえないわけです。やはりそういった点を何かひとつ数字的にあらわしてですね、これだけの給料の人であれば、これだけの物価の指数、かりに指数でもいいと思いますけれども、その場合はこれはそういう物価が上がったということを感じないと、しかし、これだけの給料の人であれば、このくらい上がっただけでもこのくらいこたえる、そういうような見方といいますか、そういう一つの方式というものも私はほしいと思うのですけれども、そういう点についてどうお考えか、これが第一点。  これは直接物価の上昇等にはどの程度関係するか、私もあまり専門でありませんのでわかりませんけれども、社会保障の問題なんですけれども、経済成長と社会保障との関係、それが当然物価というものがある程度からんでくると思いますけれども、その点はどうお考えになりますか。  それからもう一つの点は、現在の状態において、まあ、先生がいろいろおっしゃった中におきまして、私はいまの物価をある程度押える——国民の大半はやはり物価というものの上昇にはいろいろ苦しんでおるわけですが、現在の日本経済の中において、現在の政治の仕組みの中において、どのボタンを押せば——一番国民が納得できるような抑制あるいは経済成長を勘案した上において考えられるやはり主要ボタンというものは一つあるのじゃないか、こう思うのですけれども、現状においてはどういうふうにボタンを押していけばその点がうまくいくか。  この三点についてお答え願いたい。

鎌倉昇京都大学助教授

○公述人(鎌倉昇君) お答えさしていただきます。  一番最初のお話でございますが、まあ、銭湯というのは例として申し上げました。その例の意味は、いまも御指摘ございましたように、現在の国民の生活にとっては非常に重要なものでも、将来国民の生活にとって重要性がなくなってくれば、それからこうむる負担は少なくなるかもわからないと、そういう意味で申し上げたわけであります。ですから、したがって、そういう観点から申しますと、たとえばどういう階層にいまのいわゆる一本の物価指数で発表されておりますものが、どういう負担を与えるかという問題を、かりに数量的に把握し直すといたしますと、これはできないことではございません。満足度のほうは把握できませんが、しかし負担としてどのくらいになってくるかということはできないわけではございません。どういう方法があるかと申しますと、ですからそういう意味では限られた目的にしか使えないわけでございます。たとえば都市の勤労者の家計調査みたいなものがございます。農村にもございますが、農村の場合はちょっと農作物の自家消費とかその他がありますので十分把握できませんが、かりに都市について考えますと、東京都の人々をある程度社会階層別あるいは所得別に分けまして、そういうその人たちのお買いものかごの中身はどうなっているかというふうに分類し直してみるわけでございます。現在の消費者物価指数というものは、まず平均的な日本の家庭がどういうお買いものかごを持っておるかということを不完全ながら目標にしてつくられた指数でございますから、それをそれぞれの、たとえば私なら私、あるいはどなたかならどなたかの家計のお買いものかごの中身にしてみますと、たとえばいろいろ非常に物の値が上がっておりますものがそのお買いものかごの中で非常に大きなウエートを占めておりますような階層というものは負担を受ける割合が大きいわけでございます。たとえば鉄道料金の定期券の値上げということは、定期券をそもそも使わない人にはたいしてこたえないわけで、よそさんは非常に困っていらっしゃるでしょう、こういうことになるわけでございますから、そういう点でもし階層別にある程度分けますと、たとえばどのくらいの所得の方で、たとえば東京なら東京にお住まいの方は、現在の消費者物価指数の上昇率よりも、もっと家計に対する大きい影響を受けておるという場合もありましょうし、ある方はそれほど影響を受けていらっしゃらない、こういうことになるかもわかりません。そういう点が私先ほど申しましたいわゆる所得階層で低いところの人のほうが、どちらかと申しますとより多く影響を受けるであろうと、こう申し上げた。一般論的な申し方をいたしたわけでありますが、これを少しこまかく計算をいたしますと、方法はあるわけだと思っております。ただ満足の度合いをどうしてはかるかということは、これはそれぞれの人によって満足の感じ方が違いますから、どんな世の中でも楽しいと思う方もいらっしゃいますし、どういう世の中でも不満をお持ちの方もいらっしゃいますから、一がいには言い切れないと思っております。  それから最後のほうの問題から申し上げていったほうがあるいはよろしいのではないかと思いますが、どのボタンをという一つのボタンがありますと非常に簡単でございますが、それが一つのボタンがなくなっておるということが、現在の物価の問題の非常に大きな特徴をつくっておるだろう、こういうことが先ほど申し上げた事柄でございます。ですから、それではたとえば成長をストップすれば、物価の上昇はとまるのかといいましても、かりにいま成長のストップをしましても、ストップと申しますか、非常に成長速度をおそくしましても、都市への人口流入傾向が続いている限り、新しいたとえばそういう人たちに対する、先ほど申し上げましたような社会資本のおぜん立てということが当然必要になってまいります。またかりにある程度ストップをいたしますと、今度はそこから企業が——先ほどこれは湊公述人のお話の中にもおっしゃっておられましたが、日本の経済というものは、かなり高い成長率になれた姿になっておりますから、そうしますと、それがある意味では企業の倒産を急激にふやすかもわかりません。そうすると、社会資本に対する負担は急速にふえてくるかもしれません。そうなってまいりますと、そういう一、二の例を考えましても、たとえば成長の速度を落とせば、それで物価の上昇はそのとたんにとまるという理論もできないわけであります。同時に、また賃金上昇がすべて物価の原因になっているという考え方の方もいらっしゃるわけですが、そのボタンを押して——かりにこれはできっこありませんが、かりに賃金のストップ令、凍結令というふうなことを、かりに蛮勇をふるってお行ないになったとしても、しかしそのことがそれではすぐに物価の上昇にストップをかけることになるだろうかどうだろうか。これはある程度適度な動き方ということはあるでしょうけれども、これもたった一つのボタンではできないだろうと思っております。しかし、そういういろいろなものの組み合わせと、それから先ほど湊公述人のお話にございました財政の硬直化といわれますような現象は、財政の硬直化のみでなく、その裏にあります過去の諸慣習、たとえば行政の制度であるということもございましょうし、また場合によりましては、いままでずっと過去に行なわれたものが——これは私どもも含めまして、大体人間の固有のことでございますが、過去のものが変わるということに対して、非常に不安を持ちます。ましてやそれに特典があります場合には、それにしがみつくと申しますか、それを何とか維持していきたいという風潮が強いものでございますから、なかなか政治的にはむずかしい問題がたくさんございますが、しかしそういうものをどうしていくか。それからたとえば先ほど申し上げましたが、いかにコストが上昇しましても、もしそこで合理化と申しますか、効率の向上が望めればけっこうなんでございますけれども、たとえば最近問題になっている国鉄の運賃の問題なども、結局はコストの上昇、それにあわせて合理化のための努力はなさってはいらっしゃるでしょうけれども、なかなかそれだけではコストの上昇をカバーし得ない。しょせん、それはいまの形では、通勤者に対して負担がかかってくる。結局、はいり切れない入れ物の中に詰め合わせをしているような形になりますから、そのどこをがまんするか、これがやはり経済政策の中における選択の問題であろうと考えておりますので、一つのボタンあるいは二つのボタンで処理できないということが、今回の、現在のわれわれの直面している物価の問題の非常に大きな特徴であろうと、かように考えているわけでございます。  それから社会保障、社会政策というふうな問題、これは第二番目の御論点でございますが、これに関しましては、私社会保障というものは、今後充実すべきものであると考えておりますが、それはだんだんに充実されていくべきものであろうと考えております。しかし経済の成長の速度によって、国民の所得がやはり高まってきて、そこからたとえば支出されるものが、お互いにたとえば所得の高い人はどちらかというと、社会保障のおかげをこうむるのは少ないわけでございますから、そうした人たちからよけい集めてきまして、いま所得の低い人々、あるいはいま所得があっても、将来所得を失ない、あるいは老後になって非常に困難におちいるだろうという人々に対する保障という形になってくるだろうと思いますが、そのためには、やはり時間をかけるということが必要だろうと思います。それを非常に急速に行ないますと、そこから起こってきます一つの可能性は、いわゆるその社会保障の赤字を財政負担によって補わなければいけない。それも悪くはございませんが、それが非常に大きくなってまいりますと、そこからいろいろな無理が起こってまいります。あるいはもしそれを避けようとしますと、たとえばスウェーデンその他の国々に見られますように、やはり増税という方向によってその原資を出さなければいけない。現実はこの組み合わせという形になるだろうと思いますけれども、やはりいずれにいたしましても、だんだんと国民所得全体の上昇とテンポを合わせながらこういうことを考えていく。そういうことが、やはり国の財政全体を流動的に、あるいは弾力的に運用するということとあわせて長い目で考えていって、国民の福祉の向上、こういう二つの観点から必要なことでないかと、かよう考えている次第でございます。

田中寿美子日本社会党

○田中寿美子君 鎌倉先生に三つほどの点について、物価の問題については、もう予算委員会の席でこまかく質問したのですけれども、いま最初に先生が、通貨の発行が膨張しているから、物価の値上げの一番原因になるという考え方があるが、それは全くそういうことはないということを断言なさった、抽象的にそういうことを言うのはいけないとおっしゃられた。私どもは別に抽象的に言っているのではない、昭和三十五年以降の通貨の発行の状況、それから物価指数の上がり方なんかを比べてみますと、昭和三十五年までは、わりあいと横ばいに来ているわけです。三十五年から急激に物価の上昇率も高くなっていますし、それから通貨発行額が非常にふえている。これは日銀調べで、三十五年を一〇〇といたしますと、通貨発行額は、いま私もここにデータを持っておりませんけれども、四十二年度は二八、七%くらいになっている。三兆四千億も出しているのですね。そうしてことに昭和四十年度の国債発行政策に踏み切って以後、急激にふえています。四十一年から四十二年にかけては通貨発行額は四〇%もふえている。それじゃその通貨発行額が適正かどうかということを見る一体基準は何で見るのか、ということを伺いたいのですけれども、この間日銀総裁にお尋ねしたときも、ちゃんとはっきりとはおっしゃいませんでした。しかし、一つのデータは私は物価指数である。物価の上昇率は急激にふえていくということは、結局三十五年から四十二年までに五二%政府統計で上がっているということは、それだけ貨幣の価値が落ちているということじゃないでしょうか。それからもう一つのデータは、生産総額で見ることができると思うのです。昭和三十五年までは、生産総額の指数のほうが通貨発行額を上回っている。ところがそれ以後反対になりまして、生産総額よりは通貨発行額のほうがふえているわけです。私たち、現実に私も簡易保険なんかかけています。ほんとうにその貯蓄も減価していっているし、持っている貨幣の購買力も減っているわけですね。ですから、いろいろと個々の物価を上げる原因はあると思うのです。公共料金の値上げとか流通機構の問題とか、さっき先生のおっしゃった賃金の上昇がある部分においては物価を上げる、これも認めますけれども、そういう個々の物価を上げる要因のほうが先にあって、貨幣の需要があるからインフレじゃないという考え方の方と、そうじゃなくて、通貨の発行が膨張しているのに、根本的に貨幣の価値を下げているということが非常に重要な生活を圧迫する問題であるというふうに考えている方と二通りあるので、ちょうど先生は私とは反対の立場だと思いますが、通貨の価値は下がっていないとお思いになるかどうか、その点。つまりインフレということばがいやでいらっしゃるのじゃないかと思うのですが、私どもはインフレだと思っています。  第二点は、さっきコストの上昇にもかかわらず、生産性の上昇が伴わない部分で物価の上昇が行なわれている。これはたとえば中小企業、サービス関係なんかで一番そういう事実があると思うのですね。しかしそういう場合に先生は、それだから、生産性が上がっていないから、そういうものでは賃金も生産性の以内に押えるべきだというふうにお考えでしょうかどうでしょうか。そういうことは所得の政策と関係してくるので、全体的に賃金が上がっていくということが、物価上昇の非常に大きな原因だというふうに先生はお考えになっていらっしゃるのかどうかです。  それからもう一つは、物価指数のとり方の問題、これは私も所得階層別にとってほしいという意見を、この前お話申し上げたのですが、いま出している平均の指数というのは、あくまで平均指数——三百六十四品目のウエートをそれで平均してとってあると思うのですね。私は実際に生活をする者においては、たとえば家賃だとか公共料金というようなもの、あるいは教育費というようなものは、家計の中で縮められないのです。ですから、上がっていったら縮めるのは何かといいますと、食品のほうなんです。食物、食料の中でも主食でなくて副食のほうを詰めていく、あるいは文化品目を詰めていくわけですね。それですから、家計の中に占める公共料金とか家賃とか教育費とか住宅費とか、動かしがたいもののウエートはもっと大きく見るべきじゃないかということです。それからしさいに家計調査のやり方なんか見てみますと、非常に問題だらけだと思う。それから一番たくさん使うもののほうにウエートはもっと重く置かなければ平均の指数は出ないということ、それはどうお考えになりますか。

鎌倉昇京都大学助教授

○公述人(鎌倉昇君) お答えさしていただきます。  一番最初の問題でございますが、私が申し上げましたのは、いわゆる通貨の増発ただ一つの理由によって物価の上昇を考えることは、現在困難になっておる。もし、一般的な通貨の増発によって貨幣価値が下落するということが原因であるならば、昭和三十五年以降卸売り物価指数の停滞ということはどういうふうに説明できるかというのが、私たちみずからおいておる問題でございます。それと、通貨の発行のいわば方法そのものが、いまたとえば一応通貨発行の最高限度というものを置くことになっておりますが、こういうものは有名無実でございまして、実際は経済活動が結局たとえばいろんな道筋がございますが、たとえばいわゆる公定歩合のあれに関係いたします、つまり商業手形の再割り引きという形でまいりましたり、あるいはまた最近四十年以降は例のオペの問題がございますが、これは四十年以降に通貨が非常にたくさんふえてきた。国債発行等々と、それからいまのその中で行なわれますオペの問題、こういうことがつながっております。ですから、私どもはそういうことで、じゃ通貨の発行を押えれば——通貨の発行を押えることもなかなかむずかしい問題がございますし、いろいろそういういまの通貨の発行そのものがどういう原因で起こっておるかということがあるわけでございますが、通貨の発行を押えれば、それでは物価の上昇がとまるかと逆に反間をいたしますと、それは先ほど申しましたたった一つのボタンでは、なかなかいまできないような状況になっておる、こういうことが言えるだろうと思っております。そういう点で通貨の発行高をすなわちインフレの原因であると考えるという考え方に、私どもはくみしませんのは、やはりそういうことと関連いたしておるわけでございます。  そのことが、すぐ第二番目の問題に関連いたします。私は先ほど申しました賃金水準の上昇そのものは、といいますよりも、むしろ物価、貨幣であらわした賃金水準でもどちらでもいいわけでございますけれども、むしろ国民の実質の賃金水準、所得の向上ということは、非常に望ましいことであるということを申しましたが、決して生産性が上がらないから、その部門だけは賃金水準を落とせという提唱ないし提案をするつもりはどこにもございませんし、いままでそういうことをしてきたことはございません。事実そういうことをいたしましても、たとえば最近のように非常に雇用の機会がふえてまいりますと、かっての労働力過剰のころなら、もう働き口がないものですから、いわゆる賃金の二重価格といいますか、一方で高い賃金を払うが、しかし、そこでなかなか働けないから、その半分くらいあるいは半分以下の給料であっても働くという状況が成り立ったわけでございますが、いまかりにそういういま生産性の上がらない部門別について賃金水準を下げましても、あるいは押えるといたしましても、そういうところは定着性がなくなりますし、新規雇用の採用ということが非常に困難になってまいります。そういうことを私提唱するつもりもございませんし、提唱してかりに御採用いただいたといたしましても、そういうことの実現性は非常に少ないだろうと思っております。ただ、むしろ問題のむずかしさは、そういうことの場合に、結局先ほども申しましたが、一方でコストが上昇し、他方では需要というものは変化いたしますけれども、やはりそう無限に拡大するものではない。そういたしますと、そこで、そういう企業のやはりむずかしさというものが次第にあらわれてくるのじゃないか。それが私たちは現在しばしばいわれますマクロとミクロのいわば食い違いということを申し、日本経済全体が拡大発展しながら、その中にいらっしゃる企業としては、非常に苦しい立場のところがいらっしゃるというふうな現象を引き起こしてくるような局面を持っておる。これをですから、結局どちらへ、要するに限られた器の中に入りきらないものが入って暮らしておるわけでございますから、そういう場合に賃金だけを押えるということを申し上げるつもりもございませんし、そういうことができるとは、その部分だけ押えるということは、事実上できないと私たちば考えております。この点が第二番目の問題。  第三番目の問題は、これは先ほど申しましたことと若干繰り返しになりますが、私ども所得階層別に物価の上昇ということを考えなければいけない。それから現在の平均的な物価水準というものも、これは大体最近は五年ごとに消費者物価指数の、いわば先ほど買いものかごの中身の入れかえをやっておりますが、これはほんとうに国民の生活に対する影響というものを真実に反映するかどうかということについては、かなり大きな問題があると思います。五年ごとに組みかえていっても、それでもなかなか追っつきにくい。しかもそれが平均値でありますから、その平均値というものは、あくまで非常に多様な、いわば所得階層別があり、非常に多様な食料別があり、また非常に多様な年齢構成あるいは家族構成を持った家庭には違った影響を与えてくるだろうと、こういうことが言い得るだろうと思います。したがって、たとえばいまおっしゃいましたように、電灯料の値上げぐらいが少しあったって別にお困りにならない、全然そういうことはもう問題にならないような非常な高所得階級の者もかなりいらっしゃると思いますが、それはもう日本の国民の中からいうと、非常に限られた層であって、御指摘のように、たとえは公共料金の値上げとか、そういうものが影響を受ける層のほうが多いということは、もうこれは私からいまさら言うまでもないことだと思います。しかし、その場合に、それでは公共料金の値上げというものをあくまで食いとめて、絶対それをしないという方針だけで通していけるだろうかどうだろうか、というところにまた別の角度の問題があるということを先ほど申し上げたつもりであります。と申しますのは、そういうことで公共料金だけを押えておりますと、たとえば国鉄というふうな非常に日本のいわば交通の根幹をなしておるなものが、だんだんだんだん内部資本のいわば食いつぶしの状況が起こってくる。そうしたらそういうときに一体どうするかとか、あるいはそういうことを押えるために、たとえば市町村の財政が押えられて、そのために新興都市における水道の開発とか、道路その他のいろんなことがなかなかうまくいかないというようなことはどうなっていくのか、これもやはり過去の日本の国の社会ないし経済の状況に合うような状態であったものが、非常にその入れものが変わってきたわけでございます。また、その中にあります私どもの生活のしかたも変わってきたわけでございますから、その点はおっしゃるとおり、非常に影響は大きいわけでございますが、しかし、かといってもうすべてのものを上げるなというだけで問題が解決するかどうかということが、私どもの考えておることでございます。

田中寿美子日本社会党

○田中寿美子君 最後はちょっとポイントが違うので、ウエートの問題なんです。つまりそういう公共料金がやはりウエートを持っている。いま言いましたのは、公共料金のような動かしがたいものは、物価指数の中ではウエートをもっと重く見るべきではないか、たとえば米とか主食は波及効果が大きいですから、やっぱりウエートのとり方は、平均に電気冷蔵庫まで一緒にした平均のウエートのとり方ではいけないのではないかということを申し上げたのであります。先生のおっしゃる意味はわかります。

鎌倉昇京都大学助教授

○公述人(鎌倉昇君) その点は前段に申し上げました、おっしゃるとおりだと思います。ただしかし、それは繰り返して申し上げますが、やはり所得階層別によっていろいろ違いますので、むしろ先ほど私が申し上げましたし、先ほど御指摘にもなりましたように、その階層別に違ったことをしないと、どのぐらいのウエートを占めるかということは、はっきりわかりませんし、だから一部の人には全然無関係、たいしたいわば痛痒を感じないことが、おっしゃるように非常に一般のというか、数多くの人にとっては、大きな影響をこうむることは十分あるだろうと、これは先ほど私が申し上げたとおりでございます。その点は全くおっしゃるとおりだと思います。

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) 鎌倉参考人は時間がまいりましたので、御退席願います。ありがとうございました。

岡田宗司日本社会党

○岡田宗司君 田中公述人にお伺いをいたします。先ほどアメリカのジョンソン大統領のステートメントが伝えられた。これは今後の世界に非常に大きな影響を持つものだと思うのであります。特にいままでアメリカがベトナムで軍事的優位性を持って北ベトナム並びにベトコンを交渉の場に引き出そうとした、ああいう考え方というものがまず第一に効果がない。そこで軍事力というものに対する再検討を必要とすると思います。また、第二には、いわゆるドミノ理論というものがくずれた。さらにまた東南アジアにおける集団防衛の機構、これもその根拠を失った。あるいはまた、それに伴いまして中国封じ込め政策というものも、ここに動揺することになろうと思うのであります。もしアメリカが、アメリカのアジアにおける戦略体制というものがこれによって動揺をし、さらにその存在理由を漸次失ってくるとするならば、アメリカと日本との関係、すなわち日米安保体制という、日本にとっての防衛政策の根本から考え直さなければならない事態に来たのではないか、こういうふうに思うのでございます。もちろん、このジョンソンの声明というものが、まだ詳細に伝えられておりませんし、さらにそれがどういうふうに具体的にあらわれてくるかということのためには、時日もかかるでありましょうけれども、私にはいま言ったようなことが考えられますが、田中さんは、やはりこれは日本の防衛の根本問題に関連し、そうして日本としてもあの佐藤・ジョンソン会談にあらわれた日本の態度というものを変えていかなければならぬのではないか、その点をどうお考えになるかお伺いをしたいのであります。

田中慎次郎評論家

○公述人(田中慎次郎君) 私がさっき申し上げましたことで私の考えの根本は御了解願えたと思うのですが、佐藤・ジョンソン会談が行なわれた時期とこれからと比べますと、かなり大きな変化ではないかと思うのです。ただし、私はいまさっきテレビで見ただけでして、いま記者席から新聞を回していただいてざっと見ただけですけれども、どうもそういう考えを変えるつもりはないわけです。そこで、日本としての考え方ですね、これは佐藤・ジョンソン会談が行なわれた当時といまとでは、背景というか、かなり大きな変化を予想していいのではないかと思いますが、もちろんアメリカが一本調子でいままでのダレス外交のアジアに残した遺産を一ぺんに取っ払うというようなことはなかなかしないと思います。しかし、確かに再検討しなければならぬという反省は出ているのじゃないかと思います。特に大統領が出馬しないということは、これは今度の北爆停止をジョンソンが言っただけでは向こうが信用しない、大統領に出馬しないということは、それを信用させる裏づけになるわけですから、かなり話し合いの軌道に乗る可能性があるように思うのですね。それはともかくとして、いずれにしてもこの動きというものは、確かにアメリカのアジア政策というものを根本的に考え直すという時期に入りつつある、こういうふうに判断してもあまり大きな間違いはないのではないかと思います。それで、日本のこれからの進み方ですけれども、私は、安保条約をよく廃棄廃棄という、廃棄ということばをよく使いますが、私個人は廃棄ということばを使わないのです。それは条約にあることばそのまま、あれは何というか、英語ではターミネートということばで、終結ですか、条約の訳語を私知りませんけれども、ターミネートさせる、そういう条件をつくり出す、そのために日本は一生懸命努力すべきだ。つまり日米安保条約がなければ日本が不安心でならぬというようなのは、軍事的な情勢のもとでの考え方です。ところが軍事というものは、アメリカなり日本が、ある軍事体制を持てば相手も持つわけです。ですから、これはよく防衛費をあたかも平和を守る保険費のように考える人がありますけれども、保険費とはたいへん性質が違うと思うのです。火災保険をつくったからといってそれで火事がふえるわけではないわけです、犯罪的効果を除けば。ところが防衛費の場合は、一方がふやせば相手もそれに反応してふやす、それに対してまたふやすというようなのは、つまり長い日で見て軍備拡張になるというので、保険費とは性質が根本的に違う。そういうたとえは全然成り立たないので、あるいはまた、たとえ話で申しますならば、外套を脱がせるのに北風と太陽の競争のお話がよくございますね、幾ら北風を吹かしても、寒い風を吹かしても外套は脱がない、ますます着る。外套を風で吹き飛ばすわけにいかない。それは太陽であたためることによって外套を脱ぐようになるわけです。それと同じことが軍備の場合にも言えるわけでして、軍備というものは平和を守るのだといってふやせばふやすほどますます対立を強めていく、アメリカのいままでの政策の失敗というのは軍備偏重にあったことでありますが、それが再検討される時期、それがどの程度再検討されるかは、まだこれからの問題だと思いますけれども、日本としては進んでそういう考え方でアジアの政策を立てるべきである、これが私の考えであります。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 湊さんに伺いたいのですが、政府の景気調整策につきまして、先ほど特に四十二年度の九月におけるいわゆる金融面と財政面における政府の調整策についてお話があったのですが、お話によりますと、その前に、もっと三月ごろに鉱工業生産で非常に上昇しておりましたときに、このままでいけばどうも国際収支は赤字になるのではないか、当初見通しと実績とが狂うのは資本主義経済のもとでは、自由主義経済のもとではしかたがないというけれども、しかし、まあ実質基礎収支で十億ドル以上、十億五千万ドルくらいになりますか、こんなに、ゼロと十億五千万ドルとたいへんな大きな違いになります。大きな間違いがあったと思うのです、政策的に。そこで、経済企画庁の人に聞きましてもQE作業つまりクイック・エスティメーションという作業によって非常に早く、いろいろ設備投資とか鉱工業生産とかを測定し、それからファイン・チューニング、つまり微動調整作業、いろいろある、その結果、これは正確かどうかわかりませんが、さっき湊さんが言われたように、三月ごろかなり徴候が出たと言われたのですね。ところがタイミングを誤った。私は、景気調整というものはタイミングが非常に重要じゃないかと思います。その程度もありましょうけれども、さっきのお話ですと、私は確かにタイミングを誤ったのじゃないかと思います。その点ひとつ伺いたいと思います。それは今後もございますから、九月になって、もう三月に大体わかっているのに、あるいは国会があったせいもあるのじゃないかと思うのですけれども、そこで政府がためらったのじゃないかと思いますけれども、九月になってあれを打ち出したのは少しおそ過ぎたのじゃないか。この間、日本銀行総裁に金融制度が間違ったのじゃないかと伺ったら、いや金融制度は間違っていないと言う。じゃ、財政制度が間違ったのじゃないかと思います。その辺非常にくろうとでおられる湊さん、またよく長期計画もお立てになっていろいろの事情をお知りになっていると思いますので伺いたいと思います。  それから第二は、四十三年度の問題なんですが、これはいろいろ国会でも議論になったのですけれども、四十三年度予算は、これは景気抑帯型じゃないとわれわれは見ているのですが、しかし政府のほうは財貨サービスで見ると一一・七%、前年度の一五・五%より低いのだと、それから、先ほどの成長率一二・一%より低いのだから抑制型だと言われておりますが、それなら一月六日に日本銀行の公定歩合一厘上げる必要もないのじゃないか。にもかかわらず一厘上げたことは、やはり財政が抑制型じゃなくて、いわゆる景気刺戟型であるから、そこで金融をかなり強く締めなければならぬ、こういうようになっているように思えるのです。結局は不景気にしなきゃならぬ、不況にしなきゃならぬということでは結論は同じにしても、財政で締めるのと金融で締めるのとでは非常にそこに違いがあって、金融にウエートを置いて締める場合は、その影響はことに中小企業なんかに非常に大きく及んでくると思うものですから、その点がどうもわれわれと政府とのあれでは水かけ論みたいになっちゃうのでして、ですから、実際実務家であられる湊さんから、実際のところ一体どうなのか、その辺を伺いたいんです。どうも金融に少しウエートが置かれ過ぎているような感じがしますんです。  それから第三番目は、いまお話ございましたが、どうもベトナム情勢が相当変わってくるように思われますが、ベトナム特需にかなり日本の貿易収支は依存しておりました。十四、五億ドルとかいわれておりますけれども、今後やっぱりその辺も考慮しなきゃならない段階に来たようにも思われるのです。ドルの危機をいろいろ問題にしておりましたが、今度はドルのほうがベトナムのほうを終息的な方向に向ければ、ドルは安定するでしょう。しかしベトナム特需のほうのマイナス要因が日本経済には影響してくるように思うんですが、その辺のことをひとつお伺いしたいんです。

湊守篤日興証券社長

○公述人(湊守篤君) まず、昨年の九月の景気調整のタイミングがおそ過ぎたんじゃないかという御指摘でございます。私ども経済審議会の下部機構の企画委員会というのは毎月最低一回開きまして、刻々の経済情勢をウオッチしながら、そういうタイミングをはずさないように政府に向かって政策提言をする責任を持たされているわけでございます。昨年の三月の時点で、すでに国際収支はもうかなり悪くなっておるということ、御指摘のとおりでございます。しかも、その悪くなり方が国内景気が非常によ過ぎるために輸出の足を引っぱっているという面と、海外の景気が少し悪過ぎたために輸出が伸び悩んでいる面と、両面ございました。海外の景気のほうはなかなか予測がつきませんでしたけれども、各国それぞれ景気政策に転換し始めております。特にヨーロッパ諸国はそうでございます。そちらのほうはまあまあわれわれそう心配していなかったのでありますけれども、国内景気がよ過ぎたために輸出の足を引っぱるということに対しては、もうすでにその時点からわれわれとしてはかなり懸念をし始めておりました。そこで、当時われわれの委員会でもすでに景気は過熱的な様相を示し始めたという診断をなすった委員の方も決して少なくはございません。ところが、御承知のように日本の統計指標はかなりおくれて出てまいります。まあ国際収支なんかは非常に早く出ますし、鉱工業生産もわりあい早く出ますから、それだけで見れば、もうすでにそのときにおいていま御指摘のような判断をすることが適当だったと、振り返ってみるとそう思うんですけれども、しかしそれだけの指標でこういう重大な決定をいたしまして、それを政府に申し上げるということは、われわれとしてもできかねた事情がございます。特に政府の中でも省によりましては非常に当時強気といいますか、国際収支の前途に対して楽観的な見通しを堅持しておられるところもございまして、そういう方々の御意見を伺っておりますと、そうならないときめつけてしまうだけの材料をわれわれ自身が持つこともできなかった。そこで、われわれとしては、数カ月情勢を見たわけなんです。大体四−六という四半期をウオッチしちゃった。あとから考えてみると、これは少し甘かったという感じがいたします、そこで四−六をウオッチしているうちに、われわれが心配したとおり、あるいはそれ以上に国際収支が悪くなってまいりましたし、また、さっきも指摘いたしましたような物価にもぼつぼつ問題が出てくるようになった。これはいかぬということで、七月に総務部会をやった。ところがその総務部会においても、まだ意見がかなり割れまして、あの時点で、すぐ財政の繰り延べなり公定歩合の引き上げをやるべきだという意見と、まだ早いという意見が対立いたしまして、一本の結論が出ませんでした。ただしかし、われわれの心配は一応心配としてお認めいただけたものですから、国債については減額をしていただく、その辺をきっかけにしてぼつぼつブレーキをかけていこうというようなことになったのでありますが、一月たった八月には、もうこれはいかぬと、さすが強気だった方々も、この時点ではだいぶ弱気になられまして、そこで、やっとさっき申し上げたような提言ができるようになった次第であります。そういうことでありますから、政府が選挙があったからというような事情は、私どもは関知しないのでありまして、われわれは純粋客観の立場で経済自体をウオッチしておりますものですから、それとは無関係に、あとから振り返ってみて、タイミングを少し失したというような推移になってしまったわけであります。  それからその次の四十三年度の予算が抑制的であるかないか、これもずいぶん議論のあるところでございます。われわれといたしましても、政府が申しておられるほど抑制的だとはちょっと言えないような感じが随所に見られると思います。しかし、さっきも申し上げましたように、日本の政治経済の諸条件は、なかなか財政をこういうふうに押えることを非常にむずかしくしている。財政硬直化ということばが端的に示しますように、また、さっき私が申し上げたように、一〇%以上の成長でなければ国民がみんながまんができないというそういう背景の中で予算を抑制的にするということは、たいへんむずかしいことだということを私も関係しておりましてよく知っております。したがって、そういう意味からいたしますと、いま御指摘の財貨サービス、この関係が一番景気にとって大事な指標になりますのですが、それが若干成長率を下回っておるというようなことからいたしましても、まあまあすべり出しとしてはかなり抑制しようという意欲が見えているということは言えるのではないか。ただ、さっき申しましたように、これから実行段階に入りまして、このままいけるのかどうなのか、その辺が疑問が残っておるという感じでございます。  それから金融政策によるしわ寄せでありますけれども、もし財政が抑制的であれば、ことしの一月の公定歩合は上げなくてもよかったはずじゃないか、まあ理屈からいえば、そうようにも考えられるのでありますけれども、ことしの一月の公定歩合引き上げは、何といってもアメリカのジョンソンの年頭の例の声明がたいへんこたえたわけです。われわれもあの声明を正月に聞きまして、これはたいへんな新年を迎えたという感じを直感的にいたしました。そういうことでありますから、あの時点で日銀が公定歩合を一厘引き上げたのは妥当であったし、そうだから財政は抑制的でなくてもいいのじゃもちろんありません。当然ここはポリシー・ミックスといわれるような、両々相まった政策が推進されなければならないし、いままでの政府並びに日銀のとっている政策は、一応われわれとしては妥当な政策だと考えております。ただ、いかにも現状は、財政がまだこういう状態で予算も通っておりませんし、財政面からのさっき申し上げた弾力的な配慮も、希望するだけで実現しておりませんから、現時点では金融のほうにしわが非常に寄っておるような感じがいたすことも事実でございます。こういうことが中小企業に及ぼす影響が深刻であることももう多くの方が指摘されておられるとおりであって、われわれとしては、ですから財政が相当ポリシー・ミックスの片棒を十分かついでいただくということが望ましいと考えてさっきのようなお話を申し上げたような次第であります。  それからベトナム特需の問題でありますが、ただいま田中さんからもお話が出ましたように、大体きょうの様子では休戦和平のほうへ向かって進みそうな気配が出てまいりました。これがかりにぴったり戦争が終わっちゃって、アメリカがベトナムから五十万の兵を即座に引き揚げる、軍事行動はもちろんのこと、その後の経済建設、あるいはその後の平和維持といったようなことに対してアメリカが全く手を引いてしまうということになりますと、これはわが国にとっては相当重大な影響がくると思うのでありますけれども、私は、そのようなことにはならないと考えております。当然当分はアメリカの軍隊も残らなければならないでありましょう。戦争をしなくてもあそこの秩序がちゃんと回復するまではアメリカの責任があるのじゃないかと思います。また同時に、長年にわたる戦争に疲弊いたしておりますあのベトナムのための経済復興も当然アメリカが手伝ってやらなければならない。これは日本もその協力をしなければならなくなるかもしれないと思うのでありますけれども、そういうことであれば、当然従来の軍需にかわって経済的な需要がこの地方に非常な大きさで出てくるということは予想されるわけでありまして、ベトナム特需がなくなったから、すぐ国際収支が非常にこの面で悪くなるということにはならないだろうと私は考えております。

船田譲自由民主党

○船田譲君 田中先生にちょっとお伺いしたいのでありますが、アメリカがアジアにオーバーコミットしておる。これは今度の声明などで、だんだんに引き揚げていく、イギリスもスエズ以東の防御的な展開を引き揚げていくといった場合に、南西太平洋からインド洋にかけての——日本は中近東から石油を主体とする非常な輸入をしなければならぬわけですが、その航路の安全を、もし局地的な事件でもありましたときに、どうやって国民が安心感を持ってまかせ得るか。日本の自衛隊を考えてみますときに、しばしば国会の答弁にありますように、防衛する範囲は、領土と領海、領空であります。海上自衛隊といえども、いわゆる周辺水域から先には出られないわけであります。また、その力もない。その点をどこに安心を持ったらいいか、御教授願いたいと思います。

田中慎次郎評論家

○公述人(田中慎次郎君) ただいま御質問のありましたような質問には、絶対的な安全ということは、どういうことをしてもなかなかないのじゃないか。これはスエズが一番いい例でありまして、たとえば、いまスエズ運河が閉鎖されておりまして、非常にアフリカ回りでみんな不便しているわけです。しかし、これを何か軍事力をもって開通するというようなことは、事実上できないわけです。ですから、あれはマラッカ海峡ですか、いま御質問は。そういうところでも同じだと思うのですね。もしそこで何か軍事紛争が起こった場合、何か日本が武力をもってそこへ出ていって、何かするなんということは、もちろんできないでしょう。もしそこで軍事紛争ができて、そこが通れないというようなときは、やはり国際問題としてそれをできるだけ平和的に打開する。何か武力で解決するというのは決して正しいとは思わない。そしてそれが——にもかかわらず、なかなかそこが解決しないという場合は、しばらくの間は遠回りをしてきたらいい。それが私の見解です。何かそういうところが起こったら、すぐ何か武力を出して何とかできるというふうな妙な、世界全体がそういうかっこうでありません。スエズが一番いい例だと思います。それでお答えになったかならないか知りませんが、私はそういうふうに考えております。

森中守義日本社会党

○森中守義君 田中先生に一言だけ承っておきたい。  先ほどから開陳された諸点については、私は全面的にそうありたいし、そう信じたい。そこで、先ほどからお話しになりました、アメリカのこれから先の問題ですが、少なくとも先般の核拡散の防止条約の時点までは、米ソが核を中心にして、この二つの勢力によって世界の支配体制を強化しよう、こういう一つの根底が強く流れていたことは事実であります。そうなると、今回のジョンソン声明によりまして、そういうことをもこれは放棄するということに通じていくのかどうか。これが第一の問題であります。  それと、お話しの中にありました、中国の存在を無視できない、このことがベトナム和平への一つの足がかりであったというお話のようでございますが、そのことが前提になれば、今日でもそうであるし、将来においてもNEATO等の結成ということは、段階的にどう処理しようとしても、これは考えられません。そこで、じゃ、具体的にどういう問題になるかといえば、南北朝鮮の問題、あるいは中国、台湾の問題、こういうことが、さしづめの処理問題として大きくクローズアップされてくるのじゃないか、こういうふうに私は考えます。同時に、沖繩に展開されている今日の装備というものが、どういう方向に、少なくとも縮小の方向にいくのか、現状維持であるのか、そのことの一つの予見が、もしお持ちであるならば、あわせてお答えをいただいておきたいと思います。

田中慎次郎評論家

○公述人(田中慎次郎君) 十分なお答えができますかどうかわかりませんけれども、核拡散防止のほうの問題ですが、これは、かりにアメリカの世界政策あるいはアジア政策というものが再検討されてくる。しかし、ダレス外交——いまのお話の出ましたようなものは、ダレス外交の遺産だと思うのですが、そういうものがなかなか一夜でなくなるということはもちろん考えられないかもしれない。しかし核については、もしアメリカの世界政策というものが、あまりに軍事政策に、軍事的角度にとらわれ過ぎていたということになってくれば、幾らかでも核拡散防止条約で各国から苦情の出ました、この米ソの核軍縮への努力、そういうものへのいささかの条件はつくることになると思うのです、決して完全にはいかないと思いますけれども。  それから沖繩の問題については、私は全く知識がないのですけれども、先ほどのような状況が、今後アメリカのアジア政策にだんだん反省の度合いが加わってくるとすれば、結局、これは中国に対するアメリカの軍事的な角度に片寄り過ぎた見方からきているわけですから、沖繩に対する考え方も、よりよきほうへ向けるきっかけにはなると思うのです。まあ、その程度のことしか私には言えないわけです。  いずれにしても、アメリカの中国政策というものは、ダレス政策の遺産が至るところにまわりにあるわけですから、これを除いていくということは、たいへん、一ぺんには、できないことですけれども、一番大切なのは、やはり中国に対する根本の考えをアメリカがどの程度変えるかというところに帰着すると思うのです。そこで、日本としては、やはりアメリカの中国に対する考え方に対して、日本としてできるだけアジアのほんとうの平和になるような、まあ進言を遠慮なくする。ちょうど、ドルの危機に対して、先ほど申しましたように金融界の方々は、国際収支をもっとアメリカが良識をもって守れという立場を表明されているわけですが、これは非常に、先ほど申しましたように、いわば金融界としての中立的な表現でありまして、実際はアメリカの政策そのものに対する批判を実質的には含んでいるわけです。これは、そういう意味では日本ばかりじゃなしに、世界共通の一つのアメリカに対する、注文といいますか、忠告といいますか、期待といいますか、そういうものだと思うのです。いわんや、日本は一番中国と近いし、中国と何か起これば一番被害をこうむるのは日本ですから、日本としては、アメリカに対してドルを準備通貨に持っている国としても、当然アメリカに対して国際収支の均衡について極力努力しろと言うことは当然な話であるけれども、その中身を、アメリカの大げさに言えば世界政策といいますか、あるいは特に日本との関連で言えばアジア政策についても十分考えをめぐらしてくれと。もし軍事的な緊張でもって中国をただ包んでいくというようなことであれば、平和が確保できない、ばかりでなしに、金ばかりかかると、将来にわたって。それに日本も同じふうに巻き込まれる。防衛費がどんどんふえていく、したがって、どうしてもこれは日本としても、アメリカに日本の考えを遠慮なしに言う必要があると、そういうふうに考えられます。

森中守義日本社会党

○森中守義君 大体わかりましたが、もう一つ伺っておきます。  先ほど岡田さんから、ドミノ理論というものがくずれた、したがって、そういう共産圏への将棋倒し政策というものが事実上崩壊したと見るべきであるのか。少なくともベトナムはそういう将来の暗示を投げかけているように思うんです。そうなると、いままでの核と、ドルのアジアにおける、極東における支配体制というものがかなり薄いものになってくる。言いかえるならば、ダレスの遺産としての韓国、あるいは台湾、そして今回のベトナム、こういったものから発展をして必然的にアジア一帯に多極化現象が出るという見方をすべきであるか、依然としてドルと核の支配の中にアジアはさらに将来も続いていくという見方をすべきであるか、この辺どうでしょうか。

田中慎次郎評論家

○公述人(田中慎次郎君) それはですね、まあ韓国の問題、台湾の問題、ベトナムの問題と、いずれも何らかの意味で、ダレス政策の遺産だと思います。これは少しずつ性格が違うと思うのですね。ですから元来、韓国の場合でも、私は、北朝鮮と韓国の間では、戦争の終わった当時はやっぱり一緒にするつもりであったわけですね。それがああいうふうに二つになってしまった。これはアメリカの政策が入っているのか、北の政策のほうが強いのかわかりませんけれども、いずれにしても二つに割れた。それから台湾の場合は、これは蒋介石が台湾に逃げたわけですから、両方ともまだおれのほうが中国だということを言っているわけですから、いわば全くの内政の問題ですけれども、それにやはりアメリカが第七艦隊で台湾を守っていくという意味では干渉しているわけですね。まあ朝鮮の場合でも同じかもしれませんが、ただベトナムの場合は一番それがひどかったわけですね。ですからベトナムのようなひどい形での政策というものは、今度おそらく失敗、少なくもあのやり方そのままでは失敗だということになったと思いますけれども、まあ台湾とかあるいは北朝鮮、韓国の問題というのは非常にむずかしいと思います。ただ、この間も新聞で見たのですが、あれはアメリカの上院議員のマンスフィールドですか、いままでアメリカ人が言ったことのないような台湾について問題の提起をやっております。もちろん、ああいうことが、すぐアメリカの政府がそのままそういう政策に走るとは私思いませんけれども、そういう意味からいっても、台湾、中国の関係についても、これは特に国連加入の問題がありますから、基本的な問題ですけれども、やはりアメリカがいずれは再検討してくると。その結果がどうなるかわからないけれども、とにかく、いままでのでそのままでいいのだというふうに単純には考えていかない状況になってくるので、はないかと、こういうふうに私は考えております。

剱木亨弘自由民主党

○理事(剱木亨弘君) 他に御発言もなければ、質疑はこの程度にとどめます。  公述人の方には長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。(拍手)  以上をもちまして、昭和四十三年度総予算についての公聴会は終了いたしました。  明日は午前十時から委員会を開会することといたしまして、本日はこれにて散会いたします。    午後三時四十六分散会

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