法務委員会 第15号
- 発言数
- 176 件
- 登壇者
- 20 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1968/05/09
会議録
○委員長(北條雋八君) ただいまから法務委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 昨八日、木村美智男君が委員を辞任され、その補欠として野々山一三君が委員に選任されました。 —————————————
○委員長(北條雋八君) 刑法の一部を改正する法律案を議題といたします。 本日は、まず、先日決定いたしましたとおり、本案について参考人の方の御意見を聴取いたします。 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申しあげます。 参考人各位には、御多用中にもかかわらず、本委員会のため御出席いただき、まことにありがとうございました。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。 御承知のように、本案は関係各界において深い関心を持たれておる議案でございますので、本委員会といたしましても、その審議に慎重を期すため、ここに各位の御意見を承る機会を持った次第でございます。 何とぞ各位におかれましては忌憚のない御意見をお述べくださるようお願いいたします。 なお、議事の進め方でございますが、参考人からお一人十五分程度御意見をお述べいただきまして、御意見の開陳が全部終わりました後に委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。 それでは、まず宮崎参考人からお願いいたします。
○参考人(宮崎澄夫君) 失礼でございますけれども、すわったまま述べさしていただきます。
○委員長(北條雋八君) どうぞ御自由に。
○参考人(宮崎澄夫君) 時間が制限されておりますので、私はごく大体のことだけお話しして、こまかいことは御質問の際にお答えいたしたいと思います。 全体から申しまして、私はこの改正案に賛成なんでございます。二点ございまして、第一点は四十五条の問題でありますし、第二点は二百十一条に関する問題でありますが、時間の関係もありますので、問題のあると思われます二百十一条の改正の問題だけについて申し述べたいと思います。 御承知のように、この提案の理由とするところは、最近交通事故及びこれに伴います死傷者の数が非常に多くなってきておるということと、それから同時に、その事件の中にいわゆる悪質重大なものが相当多く見られるというようなことから、現在の二百十一条に多少の変更を加える——一つは刑の最高限を二年引き上げまして五年にするということ、それからもう一つは懲役刑を加える、そういうことでございます。この二つの点につきまして、どちらから先にということもございませんけれども、まず便宜上刑の引き上げの点から意見を述べさしていただきたいと思います。 いままで申し上げましたように、刑の引き上げの理由とするところは、事件が悪質重大になってきておると、ことに交通事犯についてはそうだというようなことなんでありまして、この実態そのものについては、これは見方の違いでいろいろ議論もあるかと思いますけれども、しかしその事実そのものはあまり多く疑いがないんじゃないかと私は考えております。 そこで、それならばそういう事態に対して、刑を引き上げることが適当かどうかと、こういう問題になるわけでありますけれども、これは深く考えていきますというと、法定刑というものは何を基準にして考えていくか、基本的に言いますと、刑罰の本質といったような問題にも触れてまいりますわけで、やかましい問題になると思いますけれども、しかしそういう問題はしばらくおきまして、われわれが刑の一般予防的な効果とかあるいはまた特別予防的な効果というものを否定しない限りは、刑法の立場に立って事を考える限りにおきまして、犯罪のこういう増加、ことに悪質重大な事件が増大しているという、そういう社会的な現実に直面いたしました場合には、一応やはり刑の点に反省を加えまして、そうして引き上げといったようなことを考えることはきわめて自然なことでございまして、過去においてもしばしば行なわれておることでございます。ただ、誤解を避けるために念のため申し上げますけれども、私はこれは刑法の立場に立っての話でございまして、それ以外に犯罪対策といったようなものがなくていいんだというわけでは決してございません。多くの人によって言われておりますように、この道路交通の環境の整備とか、あるいは交通教育の徹底とか、あるいは過重労働の強制とかといったようなものに対する取り締まりを一そう徹底さしていくという、そういう総合的な対策が必要であることはもちろんでございます。ただ、刑の引き上げといったような刑法的な配慮もその対策の一つとしてきわめて重要であるというふうに私は考えるわけでございます。ただ、その引き上げによって、一方自動車運転に従事する者——これはそれを職業としておる者ばかりではございません、一般に自動車運転に従事している者、あるいはまた鉄道その他の関係に従事している者の注意義務に過当な負担をかけるということはむろんいけないことでありますので、その除去の方法はいろいろございましょうけれども、法的な方法としては、近ごろやかましく言われております危険の分配とかあるいは信頼の原則とかいったようなものが考えられるわけでありますので、その方面の法理の発達ということにつきましても大いにこれから期待しなければならないということだと思います。 それから、次に禁錮刑の問題でありますけれども、これは懲役刑を併科するかあるいは禁錮刑だけでおくかという、これ本来刑法学でやかましく論議されておるわけでございますけれども、これは立法論としてでありますが、ことに準備草案の今度の全面改正に関連した問題でありますけれども、しかし、現行法が懲役と禁錮の二本立てにしておるということ、これを前提といたしまして事を考えてまいるわけでありますが、この刑の種類とそれから犯罪の関係というものは、基本的に言いますると、破廉恥罪に対しては懲役、非破廉恥罪に対しては禁錮と、こういうふうに理解されておるわけでございまして、この点から、過失者に対しては禁錮という、そういう原則が刑法において貫かれているというふうに私は理解しておるわけであります。ところが、今度の改正では、過失者に禁錮という従来の刑法における原則に一つの例外をつくるわけでありますから、法制審議会の当時から大いに議議されたところでありまして、しかし結局多数の意見は選択刑として懲役を加えるということに賛成となったわけであります。 私といたしましては、やはりその案に賛成であったのでありますけれども、その理由は、この刑法立法当時と違いまして、今日では過失犯そのもの、ことに業務上過失致死傷罪自体の中に質的な変化を来たしている。言いかえると、これらの犯罪の中には、過去に行なわれたその過失行為の内容、あるいはその際とった行為者の態度等から見まして、いわゆる悪質であって、これを目するにもはや非破廉恥罪とすることはできないものが相当多数見られるに至った、そういう現実、そうしてそういう質的な変化が生じている以上は過失者に対して禁錮刑という原則に例外が起こりましてもやむを得ないことである。これは、過失者には禁錮刑という、そういう原則に例外が生ずるだけでございまして、非破廉恥罪には禁錮という原則まで破られるわけではないと、かように私は考えるわけでございます。したがいまして、刑法の懲役、禁錮というその二本立ての趣旨を無視するものではないのだ、ただ過失者に対する質的な変化を考慮しての例外的な現象である、こういうふうに理解しておるわけでございます。 それから、右のような理由で私はこの刑法の一部改正案に賛意を表するわけでありますけれども、ただ問題となる点が二、三ありますので、時間の関係もあろうと思いますけれども、一、二述べさせていただきたいと思います。 その一つは、刑を引き上げるにしても、何か特別な構成要件というものを考えて、その類型に属する行為だけについて特別に刑を定めたほうがベターではないか、こういう意見でございます。これも法制審議会当時から問題にされまして、具体的な案が出されまして慎重に検討いたした次第でございますけれども、やはり少数の賛成しか得られなかったわけでございます。私もこの意見には十分耳を傾けまして真剣に考えたのでありますけれども、結局賛意を表することができなかったわけでございます。 それからもう一つ大きな問題は、道路交通法の改正によってこれをまかなってはどうかと、こういうことでございます。これは二面においてたいへんな理由があることとは思いますけれども、私としては結論的にはやはり賛意を表しかねるわけでございます。 で、第一点といたしましては、これも従来言われておることでございますけれども、今回の改正の動機となったものは、それは確かに、自動車運転に伴う過失犯の激増、あるいは悪質重大化といったような、そういう点にあることではございましょうけれども、さればといって、これを道交法の改正でやるということになりますと、道交法の適用を受ける者の過失だけが重く処罰される、他の者の過失はこれよりも軽くてもいいのだということがはっきり表面に出てくることになるわけでございます。これは、筋から言いますと、どうも通らない。つまり、道交法にいわゆる車両の運転者だけが重く処罰されて、その他の交通機関の運転に従事する者等がそれよりも軽く処罰されるということは、どうも筋が通らないように私は考えるわけでございまして、もちろんそれでもいいんだという何か合理的な理由があれば別でございます。けれども、私にはちょっとそういうふうな特別な動機というもの、理由というものを考えることができないわけでございます。 それからもう一つは、道交法の改正ということになりますると、刑法第二村十一条の中で、比較的悪質で重大なものが道交法によって処罰されることになり、比較的軽微なものだけが刑法の中に残るということになりますので、これは法体系の上でおもしろくない。また、国民の道義観念にも影響を与えてくるのではないか、こういう点が一つ心配になるわけでございます。もっとも、その詳細はまたあとでお話しすることにいたします。 それから第三点といたしまして、道交法でまかなうことになりますと、これまたそれとして立法技術上いろいろな面で問題を生ずることが予想されるわけでございます。これならという案をつくるということはおそらく困難なことではなかろうかと、こういうふうに私は考えております。詳細は、また御質問でもあればお話ししたいと思います。 それから、まあ大体そのような理由によるわけですが、そのほかに、これは確かなことは申し上げかねます、かねますが、この外国の立法例をちょっと見ましたところ、自動車の運転手だけの過失を重く処罰するという例は多く見られないのではないか。あるいはしさいに検討すればそういうものもあるかもしれませんけれども、多くの場合に、自動車だけに限るというような、そういう例は見られないように考えられるのでございます。 かような趣旨からいたしまして、私は本案に賛成するわけでございます。なおいろいろな問題が残されておると思いますけれども、時間もございますので、この程度にただいまはさしていただきます。
○委員長(北條雋八君) ありがとうございました。 次に、宮原参考人にお願いいたします。
○参考人(宮原守男君) 私は今回の改正について反対でございます。 改正の理由としては、自動車事故で酔っぱらい、無免許など、実質的に見て傷害あるいは傷害致死のいわゆる故意犯とほぼ同程度の社会的非難に値するものがあるということが改正の理由になっております。そのことについて、私は五点にわたって申し上げたいと思います。 第一点でございますが、こういう自動車事故における悪質なものについては、現在の上限、いわゆる三年というのではまかない切れない、これに何かの手当てをしなくちゃいかぬということが改正の動機であります。これはこの改正案の提案理由の中にも書いてあるところであります。しかし、この悪質なものというのを現在処罰できないかというと、現実には処罰をしているのであります。それは、現在の殺人罪、傷害致死罪、傷害罪という規定をもって処罰しているのであります。法務省から出された資料にも、そのことは多数事例としてあげられております。このことは、広島高裁の三十六年の八月二十五日にいわゆる未必の故意で処罰することが可能であるという判例が出てから、続々として出されているのであります。ですから、このことは提案者自身も否定できないことだろうと思います。この広島高裁のことは、飲酒運転をしまして三人死亡して七人重軽傷を負わした事件について、懲戒六年で処罰しているのであります。検察官は確かに、この未必の故意という——未必の故意ということは、御承知だと思いますけれども、明らかに人をひき殺すとか人にけがをさせるという確定的な意思がなくても、万一人をひき殺すかもしれない、ひき殺してもやむを得ないと思ってやる不確定な故意ということでございますが、この立証が非常にむずかしい。立証が非常にむずかしいために、つい三年以下の業務上過失で起訴せざるを得ないということが、実はこの提案の主たる理由だと私は考えるのであります。すなわち、検察官の立証をゆるやかにして、そういうものは殺人罪で起訴するとか傷害致死罪で起訴するには証拠が足りない、証拠が足りないから業務上過失罪の上限を五年に引き上げてそれでまかなおうというのが、この主たるねらいであると考えるのであります。これは非常に危険な思想であります。いわゆる嫌疑刑——「ケンギ」というのは疑いを持つ嫌疑です、犯罪の嫌疑があるとかいう嫌疑、嫌疑刑という考え方があります。これは封建時代に、犯罪を犯したかどうかはっきりしない、しないけれども処罰をする、これは封建時代の考え方であります。これは近代刑法がとらなかった原則であります。これは非常に重要なことであります。疑わしきは罰しないという原則が近代法の原則であります。それを疑わしきは処罰するいわゆる嫌疑刑の考え方がこの提案理由の底に流れているということであります。これはまさに基本的人権にかかわる問題であります。この点を立法府としては十分考えていただきたい。近代法の原則は、有罪と立証されたもののみが処罰される、それに適正な刑罰を受けるということであります。ドイツの法哲学者であるラートブルフはこういうふうに言っております。有罪者は罰せられるべきであるという原則と並んで、罪の立証された者だけが有罪の宣告を受けるべきであるという他の原則が同等の価値を持って存在すると言っております。すなわち、本件の上限を五年に引き上げることによって、本来そういう未必的な故意のものまでも、はっきり証拠がないということによって処罰されるという結果になりかねないのであります。この点が第一点であります。 第二点は、業務上過失犯といういわゆる犯罪の要件。これは刑法では構成要件ということばを使いますけれども、この要件はいわゆる開かれた構成要件と言われております。開かれた構成要件というのはどういうことかといいますと、刑罰を見ただけでは何を処罰するかはっきりしていないということでございます。いわゆる業務上の不注意によって事故を起こした場合、人を死傷させた場合と規定してあるだけであります。不注意というのは、じゃ何が不注意かということは、それぞれのケースによって裁判官が補充すべきものである。そういう意味で、開かれた構成要件と言われております。しかも、何の基準によってこれを補充するのかということになりますと、これは法律だけじゃなくて、社会通念、条理によって補充する。いわゆる裁判官の考え一つによって無制限に拡大される。それは裁判官だけでなくて、検察官が起訴する段階において、検察官の一つのオピニオンによって——意見によって拡大される危険を持っているのであります。これは非常に危険な面がある。ですから、この刑法の二百十一条というのは、道路交通法だけじゃなしに、お医者さんであろうが、列車事故であろうが、すべての場合に適用される、いろいろのものをそれぞれの場合に補充できるという、一つのブランクの刑法であります。ですから、先ほど宮崎先生のおっしゃったように、それでは注意義務が広過ぎるではないかということは、危険の分配とか信頼の原則とかということで、これをなるたけ制限しようじゃないか。最高裁の四十一年の十二月二十日第三小法廷の判決でも——これは車対車の事故でございますが、信頼の原則を適用して注意義務を制限したわけでございます。さらに、最高裁の四十二年十月十三日の第二小法廷の判決例でも、こういう自動車交通というものは相互に信頼し合っている、だから相手が法規に相反したりむやみやたらな交通をしないということを信頼して運転すればそれで十分だ、だからそれ以上に注意義務を無制限に課することは過酷であるということで破棄しているのであります。これは、車対車の事故でございますけれども、さらに車と歩行者の間の事故についても、大阪高裁の四十二年十月七日の判決では、歩行者との間でもやはり信頼の原則を適用すべきだといって、これは無罪の方向に考えているわけでございます。そういう方向にある以上は、無定限に刑罰を重くするというのはやはり逆行するものじゃないか、相当の合理性がなくては引き上げるべきではないと考えるのが第二点でございます。 第三点でございますが、これは先ほど宮崎先生もおっしゃいましたけれども、禁錮刑と懲役刑というのは刑法の法体系の中できちっと理論的に位置づけられているのであります。いわゆる先ほどの破廉恥罪と非破廉恥罪という考え方がそうであります。この体系をここでくずすということの問題があるのであります。これは学者の間でも異論のあるところであります。決して学者が全部賛成しているのではありません。ですから、こういう刑法の体系をくずすものは、刑法の全面改正でやるべきであります。全面改正で初めて考えるべき重大な点を、一つの、一片の改正点で、いわば全面改正についての橋頭堡みたいに、足がかりみたいにして改正されることに、私は賛成しかねるのであります。これは全面改正で十分検討してされるべきほど重大な法体系の中の位置づけであります。たとえて申しますと、刑法の百十七条の二という規定があります。これは業務上失火罪でございます。いわゆる火薬を爆発さして、業務上過失で非常な危険を伴います。この場合でも、やはり禁錮は三年以下の禁錮、そして三千円ですから、五十倍しますと十五万円以下の罰金になっております。それから列車事故の場合に、業務上過失往来妨害罪、刑法の百二十九条の二項であります。この場合もやはり三年以下の禁錮、千円以下の罰金——これは五万円以下の罰金でございますから、刑法二百十一条と同じ法定刑であります。ですから、そういう意味においても、やはり私は悪質なものもあると思います。なぜじゃあそっちのほうだけを放置して二百十一条だけを上げるかということは、先ほどの悪質悪質というのはどうも道路交通の自動車交通だけに限定されそうであります。それだけに、私は全面改正で考えなくちゃならない問題である。しかも、罰金刑はそのままにしているのです。この二百十一条で禁錮刑を上げて懲役刑を加えるというだけで、罰金刑はそのままにしているのです。これはなぜそのままにしたかといいますと、罰金刑を準備草案のように三十万円に上げますと、ほかの罰金とのバランスを失するのです。ですから、バランスを失するために、罰金だけはそっとしたのです。それは禁錮においてもバランスを失するのです。これは非常に誤解をされて、衆議院のときに、名前は差し控えますけれども、ある参考人は、罰金刑をそのままにして懲役を新たに入れた、またその禁錮の上限を引き上げたということは、軽いものは従来どおり軽く罰して、重いものだけを重くするのだという理由に使われております。これは非常な誤解であります。罰金刑を落としたというのは、罰金刑がほかの法体系——刑法の中でこれは私調べてみましたら、贈収賄の贈賄罪の罰金刑が重日のですけれども、そういう故意犯とのつり合いからどうしても引き上げられないわけであります。だから罰金刑は従来の五万円の低いままでとどまっているのであります。そういう片ちんばなことを、本来なら刑法の全面改正でやられるべきことを、今度やるということは、実は方法を誤っているということであります。先ほど比較法の問題でいろいろおっしゃいましたけれども、衆議院のときも問題になりましたが、法務省から出されている案によりますると、三年以下の立法例はスイス、フランス、オランダ、フィンランド、ブラジル、アルゼンチン、まだ三年以下の法定刑はあるのであります。だから、法定刑が五年のものがあるということは理由になりません。これは私はそのために上げろということは理由にならないと思います。 それから第四点でございますが、刑法はなぜじゃあ処罰するのか。いわゆる刑法の機能的に考えなくちゃいけないと思います。なぜ刑法があるのか。これは、先ほど宮崎先生もおっしゃいましたように、二つの目的があるのであります。一つは、一般予防ということが言われております。もう一つは、特別予防ということが言われております。一般予防というのは、そういう犯罪が起こらないように、刑罰によってその犯罪の発生を防止する。いわゆる本件においては、事故の発生を防止するということであります。これが一般予防であります。特別予防というのは、一たん犯罪を犯した者、事故を起こした者が、再びその犯罪を犯さないように、再び同じような事故を繰り返さないように、ことばは問題がありますけれども、その犯罪者を教育するということがもう一つの機能であります。 で、この一般予防の事故の防止がこの上限の引き上げによってじゃあ可能になるか。これはおそらく参考人全員が、引き上げによって可能になるとは私は断定できないと思うのであります。これは極端な言い方ですけれども、死刑を規定すればじゃあ事故は防止できるかという問題、いわゆる死刑を規定すれば殺人がなくなるか、そういうものじゃありません。事故を防止するというのは、ある程度の警告的な意味があっても、三年で私は十分まかなわれていると考えております。特に考えなくてはいけないのは、人間というのは不注意な存在であります。人間はそもそも不注意な存在なんであります。ハインリッヒというのは、一対二十九対三百ということを言っております。どういうことかといいますと、一つの重大な人身事故が起こった場合にその背後に二十九の実は人身事故に至らない事故があった。しかも、その背後にはさらに三百の不注意の事例があった。いわゆる人間が、三百の不注意の中に事故になるのはそのうち一つだ。人間というのは、先生方こう聞いていらっしゃるけれども、注意をもって持続して聞けるのは七分であります。約七分くらいだと思います。これはむしろ鶴田先生が専門でございますからお聞きになるとわかりますけれども、注意力というのは波を打ってるんです。たまたま注意力が低下したときに、ほかの環境の要因と重なったために不幸にして事故になるという場合があります。ですから一般予防——交通事故については罪の意識というのはあんまりないというのは、その点もあると思います。ああしまったというような意識で事故を起こします。そういう意味から、刑を引き上げることによって事故防止ができると考えたら、本末転倒もはなはだしいものだと思います。 それから、次の特別予防でございますが、この一般予防と関係しますけれども、このちょうど刑罰というのは煙幕みたいなものだと思うのです。すなわち、刑罰で処罰すれば事故の原因というのが不問に付される傾向があります。本人を処罰することにきゅうきゅうとして、そして何が原因か——その原因を解明しなくては事故の防止というのはできないのです。そういう煙幕的なものである。ですから、この際煙幕的なものをもっと事故の原因を究明するほうに向けていただきたいのであります。 で、次に特別予防でございますが、三年というのがじゃ短いかということであります。確かに悪質な場合には、傷害罪とか殺人罪を適用することは現在でも可能であります。そういう事例については、精神病質だとか、犯罪的な傾向者があることも否定しません。ただ、そういうものはある程度の特別予防が必要だと思います。しかし、この交通事故とか業務上過失については、そういう精神病質じゃなくて、ノーマルな人、正常な人がそういう事故にあうということであります。ですから、先生方がこの交通事故の刑に服している人を見学なさると一目しておわかりだと思いますけれども、一番行刑の成績がいいはずであります。すなわち、三年も入れなくても、十分特別予防が達せられるのであります。先生方、失礼でございますけれども、三年間自分が入れられたことを考えてごらんになるとわかります。三年間で反省の機会がないかというと、十分あると思います。現に行刑の結果が、私は法務省のほうから提出を求められれば、当然得られる、その成績がいかにいいかという結果が当然出されると思います。そういう意味からも、この三年というのは決して短くないんだということを考えていただきたいのでございます。 それから、英米法の関係では、一般の過失犯は処罰しないで、いわゆる不注意が重い場合——いわゆる英語でレックレスということばを使うのですけれども、レックレスの場合を処罰しております。普通の過失犯は処罰しません。ですから、確かにレックレスの場合には非常に重い場合を処罰しておりますけれども、だから日本でも重くすべきだということにはならないんですが、そのレックレスの処罰でさえも、最近ホールという学者は、やはり刑罰で処罰すべきでなくて、それは損害賠償で十分まかなえるであろう、まかなっていいということを、アメリカでさえも言っているのであります。これは衆議院の場合も問題になったようでございますが、私は刑罰で処罰するのは最小限度にとどむべきだと思います。これが刑法の嫌疑刑ということだと思います。むしろ現在の強制保険の三百万を、私は航空機並みに六百万に引き上げて、傷害の五十万を百万円に引き上げるべきだと思います。私は個人的には、保険会社とかいろいろのところに、むしろそちら側に関係があるわけでございますけれども、その立場でありながらも、いろいろの解決をするためには、引き上げることのほうが急務である、刑罰でおどかすよりも、損害賠償で額を引き上げるほうが急務であると考えるのであります。 最後に第五点でございますが、それにもかかわらず、どうしても改正しなくちゃならない。これは私は、改正しなくちゃならないというのは、一つの感情論だと思います。これは国民感情と言われるかもしれません。これは決して私は否定できないものだとも思います。だから、法務省から出された動機については、私はそれなりに理解できるのであります。しかしながら、やはり刑法の改正は、法律が乱用される危険がある以上は、合理的に改正すべきであります。そういう意味で、私は道路交通法で改正すべきであると考えるのであります。むしろ私は全面改正でやるべきでありますけれども、どうしてもこの際やるべきならば、道路交通法でやるべきだ。道路交通法でやることは、いわゆる平等の原則に反するじゃないか、いろいろの議論が衆議院で言われたようでございます。それからまた、酔っぱらいとか無免許と事故との間の因果関係の問題をどうするかという議論がなされております。しかし、私はこれは立法技術的に可能でございます。これは私の試案を申し上げますと、道路交通法でもこういう車両の運転者の事故について処罰をしておるのであります。たとえば道路交通法百十六条をごらんになるとわかりますように、「車両等の運転者が業務上必要な注意を怠り、又は重大な過失により」——これは二百十一条と同じ文句です。「他人の建造物を損壊したときは、六月以下の禁錮又は五万円以下の罰金に処する」、こういう規定があります。それからその次の百十七条、これはひき逃げの規定でございますけれども、ひき逃げに対して特に処罰しております。「車両等の運転者が、当該車両等の交通による人の死傷があった場合において、第七十二条」——いわゆるこれは救護措置なんかをしないで、「第七十二条第一項前段の規定に違反したときは、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」という規定があります。その規定が、現に車両の運転者、道路交通法の中で自動車の運転者だけを特に重く罰しておるという規定があります。これは、現在の道路交通法でも、やはり合理性がある以上は処罰できるということであります。特に、道路交通法の中で処罰することは平等に反するという理由が成り立たない一つの論拠であります。それで、道路交通法の百十七条の規定を借用して私が試案として考えましたのは、「車両等の運転者が、当該車両等の交通による人の死傷があった場合において、」、その次に、第六十五条の規定に違反した者が、酒に酔い車両を運転し——これは酔っぱらい運転です。そうして、「かつ酒酔いにより」という文句を入れることにより因果関係はつながってくるのであります。それから無免許の場合でも、「又は第七十二条第一項前段の規定に違反し」、これは無免許ですが、かつ同違反によるときは、同違反によって、これが原因で重大な死傷を生じたという場合には、五年以下の懲役もしくは禁錮。この場合、私は罰金は五万円でなくてもいいと思います。ひき逃げのように十万円以下に引き上げたってかまわないと思います。そういう立法技術が可能であるにもかかわらず、どうしても私どもにとっては、強引に通そうという意向があるように——私は弁護士の立場ですからそういうふうに見られるのかもしれませんけれども、第三者から見てもそういうふうに考えられるのであります。動機においては自動車事故でありながら、刑法改正のほうに全面的に広がるものを持っている。そういう意味からも、私は先生方にお願いしたいのは、この参議院においては、これは衆議院で可決したことについて、やはり慎重に審議されることであろうと思います。ですから、参考人の意見を聞けばもうそれで十分だと、決して聞きっぱなしになさらないで、もう一度——具体的に私は述べたつもりであります、五点において——十分検討していただきたい。そうして、慎重審議の結果、この五点をそれぞれ解明されて改正をしていただきたい、そういうふうに考えます。
○委員長(北條雋八君) どうもありがとうございました。 次に鶴田参考人にお願いいたします。
○参考人(鶴田正一君) 私は、法律とか、刑法とか、そういう詳しいことについてはよく存じておりません。しかし、いまの交通事故に限らず、いろいろの事故防止対策についていろいろな面から考えると、いわゆる法律というものが非常におくれてきているんじゃないかという感じを持っておるわけであります。明治四十年ぐらいのときと昭和四十年のいまでは、社会もいろいろな条件が非常に変わってきておるわけであります。そうして、そういう中で、不変のものもあるでしょうけれども、たとえばいまの交通の状態を考えるときに、その事故がどうやって起きておるのか、これを考えると、やはり確かに法律だけでは解決できない面がずいぶんあることはもちろんあります。そうして、われわれの立場から考えると、私は心理学者でありますけれども、そういう意味で、人間の行動の法則というものをまず頭の中に入れておくわけであります。そうして、事故が起きるときには、その人間の行動がいろいろな条件で不適切になったときに起きると、こういうふうに考えるわけでありますけれども、それではその人間の行動というものがどういうふうに規制されているかというと、これはいろいろな面から考えられるんでありますけれども、まず人というものがあると、そうしてその人が生活し活動している社会環境というものがある、この相互のかみ合わせによって人間の行動がきまっておるのではないか。ただ人間だけを切り離して考える、あるいは社会だけを切り離して考える、そうして人間の行動をどうこうと言うことはできないので、その両方の関連というものが非常にダイナミックに関連しておるのでありますが、その関連というものに対する認識が非常に欠けておるわけであります。ですから、交通事故の防止を考える場合にも、道路交通路ですか、道路条件ですか、そういうものを考えるのはもちろん必要でございます。そうして、そのための交通の流れを考えるのはもちろん必要でございます。あるいは道路環境——信号だとか施設、そういうことを考えるのももちろん必要であります。それから車の条件、車両の構造を考えるのも必要であります。しかし、さらに、車に関係するのは、人であり、歩行者であり、運転者であり、それの利用者である。こういういろいろな条件がからみ合って、そうして一つの事故になる。ですから、たとえば交通事故であるとすれば、それが道路交通であるとしても、その場合に、それらのおのおのの因子の間の関連を考えて、そうしてそこの因子にそれぞれの負荷量を考えて、そして対策を立てるということが従来も考えられておるんでありますけれども、一般にはそれぞれの因子の流動的な関連というものに対して認識が足りなくて、それを個々に孤立的に出して、そして考える。だから、人間のいろいろな機能というものは、ある機能とある機能とが消費的に働く場合もあれば、ある機能とある機能がマイナスであっても、それがかえってプラスになることもあれば、プラスとプラスのものが、逆にそれが相殺的に働いて、それが事故になるということもあるわけであります。そういうことはあとで申し上げられる時期があれば申し上げますけれども、そういうようなことになっている。したがって、何というんですか、要するに事故を防止するという立場からこういうことを考える場合には、ただ人に責任を課するというだけではもちろんこれはできません。しかし、人の責任による面もかなりあるということだけは言えるわけであります。というのは、注意の問題にしましても、これは私もずいぶん長いこと研究してきておるのでありますが、さっき宮原さんがおっしゃったように、注意というものはだれでも同じような状態を続けられるものでもなく、またそれは始終流動変化している。しかし、それにはまた非常に個人差がある。人間によって人の顔が違うように、非常にその注意の能力にも、その持続にも、その波にも変化がある。そうして、当然前途を注意しなければならないときに、その注意の動揺があり、そしてそれが不注意になるということはもちろんある。しかし、そういうものとは別の注意というものがある。われわれがふだんの行動をする前にいろいろな準備をする。あるいは、たとえばお酒を飲んで運転すればあぶないということを知っておるならば、それに対する注意をしなくちゃならない。あるいは、スピードを出し過ぎたらばあぶないということならば、そのスピードを気をつけて注意をするということはできるわけであります。そういうようなことは、人間がふだんの生活の中でできることなんであります。そうして、もちろん人にはいろいろな個人差がある。で、私自身も、要するに、罪が重くなればそれで事故が減るとか、注意力が高まるとか、そう一がいに考えるものではないのであります。しかし、実際に事故を起こした人たちと生活をともにしておりますと、その中でやはり非常にいろいろな人がある。良心的な人もあれば、実にもうこんな人間があるかと思われるような人もある。たとえばパトロールが来る。そうすると、わざとスピードを出して、そしてあとから来たおまわりさんのパトロールがさっと行き過ぎちゃう、そして自分はうしろで喜んでいる。そしてつかまって、けがをしておっても、それをおもしろがって病院の中で話をしている。あるいは、アベックで走っておる、それをわきでもってこするようにして行ってそれをぶつけてしまう。あるいは、私はそういうことはしませんけれども、禁錮ということがどれだけこたえるかわからないと思われるような人がそういう中におるわけであります。そうして、もちろんそういう人に対して、それぞれ、事故を起こした場合と起こさない場合と対策は違うでありましょうけれども、事故を起こしたその人たちがそれによって反省する場合に、刑の量というものがある程度の影響を及ぼすのではないかというような気がするわけであります。全然刑がないという場合と、ある程度の刑がある場合と、それが非常に重い場合と、やはりそういう人たちに及ぼす影響はかなりあるとこれは思えるのであります。 というのは、いろいろ私たちも事故の例を調べてみますと、たとえば注意することによって防げるという例の中に、前の衆議院のほうにもありましたけれども、妻帯者あるいは家庭の責任者、そういう人たちの事故は非常に少ないのであります。ということは、そういう人がふだん運転をするときに、そういうような態度で注意を払って、そうしてやるからということも考えられるわけであります。それから、御承知と思いますが、警笛の問題がかって大阪でやられたことがあるわけです。あれは注意を引くためのものでありますから、あれをやめたならば事故はもっとふえるだろう、こういうようなふうに一般は考えて、なかなか実現されなかったのでありますが、あれをやめて禁止してみたところが、かえって人間がみんな慎重に注意の深い運転をするようになって、その後事故が減っているという例があるわけであります。これは一つの例でありますけれども、そういう事柄があちらこちらにあるように思うのであります。したがって、事故によって慎重になる人もあれば、その事故をおそれることによって慎重になる人もあれば、そうしてそれによって態度が変わるということもあるわけであります。それから見ると、ただ罰するというだけで事故はもちろん防げるものではありませんから、いろいろな面から総合してやらなければならないのですけれども、そのうちの一つとして、そういう悪質な事故を起こす者に対しては、やはり何かしかるべき対策を講じてやらなければ、これは防げないのじゃないかという気がするわけであります。 そうして、最近いろいろな調査をしてみますと、たとえば運転にしても、技量そのものではない、知識そのものではない、その人の態度、性格というものがこれに大きな影響を及ぼしている。そうして、その影響の及ぼされ方が、そういう刑によって影響される人もあれば、そうでなくお説教だけで影響される人もあれば、みずから反省することによって影響される人もある。したがって、刑というものが変に悪用されればこれは別ですけれども、そうでない限りは、こういう一部の悪質者を防ぐためにも、やはりそういう方法を考えなくてはならない。しかも、それによって質的な差があるとすれば、それに段階づけをしなければならない、こういうようなことも考えられるわけであります。私には、その禁錮刑が懲役刑に変わって、それが何年が適当かということは、これは直接合理的な資料がないのではっきり申し上げられませんけれども、しかし、何か明治四十年ぐらいに東京都の自動車が十六台ぐらいしかなかったときの刑法が、現在百何万台になっても、それに適用しているとすれば、これは何か考え直さなければならないと、こう思うわけであります。そうして、刑があるということは、ないことよりもやはり何らかの影響をその一部の人間には与えている、こういうふうに考えるわけであります。そういう意味で、条件的な意味で賛成のような、ある意味では不賛成の点もありますので、条件的にそういうように考えられるわけであります。
○委員長(北條雋八君) ありがとうございました。 次に、田村参考人にお願いいたします。
○参考人(田村清君) 結論的に申し上げますと、私この法律案に反対でございます。と申しますのは、私のほうの立場は、開業保険医の団体の責任者でございます。現在の開業保険医が多数自家用車を使って日常の診療の具に供しておりますので、この問題に直接関係がありますことと、それからもう一つは、この二百十一条によりまして医療過誤の問題を処理される場合、いろいろ問題を出しております。これは私どもの業務の上から直接関係のあることであります。どちらにいたしましても、環境を改めずに、ただ個人の注意義務が不足していたということで処理されることに、しかもこれを刑を重くすることによって目的を達しようというところに、反対するわけでございます。私住んでおりますところが第一京浜国道と第二京浜国道の横浜で合わさるところでありますので、戦後の自動車の交通の事情がどんなふうに変遷しているかを毎日見ているわけでございます。そこで自動車を運転している人の様子をずっとながめておりますけれども、よくこれで免許をもらったなと思う人、それから先ほど来問題の出ております運転のマナーの問題、そういう点で不適格な人がたくさん自動車を運転しているのではないか。とすると、免許を与えているというその時点から考えなければならない。現在の自動車学校の繁盛の状態は、先生方すでに御承知のとおりでございましょう。あの箱庭のようなところで練習をさせて、十分なロード・テストなしに町の中にはうり出される。最近の高速道路の高速運転というようなものはどこで修練をするのか、実におそろしいことでございます。また、車のほうを見ますと、実にさまざまな車が走っております。日本ほど車の種類が多いというところはないそうでございますが、その中に非常に高速を出す性能を持った車があります。道の分かれ道に住んでおりますので、ゴーストップのところでございます。一時停止しました車がスタートしますときの条件が、車一つ一つみんな違います。そして、道路の条件が悪いものですから、そこでスタートしてすぐカーブを切らなければならない場所になっている。それぞれ違った角度で進行しております。違ったスピードで進行しております。年じゅう事故が起こる場所でございます。車を売る側のほうの問題は一体どうなっているのか。世界的な自動車産業国になりまして、自動車をどんどん売らなければならぬ。買わせなければならぬ。それには、お客さんである人の注意を十分引いて、少しでも有利な立場で売らなければならぬ。これは日本の道路でどうして百四十キロも出るような車を売らなければならないか。人命を守る立場から言いますと、四十キロの道路を走っているときにスイッチを入れれば四十キロ以上のスピードの出ない自動車を売られたらどうか。六十キロのところなら六十キロというところのスイッチを入れればそれ以上スピードの出ない自動車をつくって売られたらどうなのかというふうに、人命を守る立場からして考えられるわけでございます。また、道路の整備の問題にいたしましても、第一級国道の整備は進んでおりますが、横道に入りますというと全面駐車でございます。それで一つ一つ聞いてみますと、それぞれ青空駐車をしなくて済むはずになっておるのですが、手続の上では、たいへん離れた、二十キロも三十キロも離れたところに届けのと雪の車庫を求めたというふうなことで済んでいる。また、最近つくられました高速道路を見ましても、百キロで走るためには前方距離を百メートルとらなければならないという道路ができたならば、それが二車線でしたら二台ずつ百メートルおいて車を入れてやればよろしいと思います。ゲートから入るのには無数の車を入れておいて、それで事故を起こした者に対してだけ前方距離百メートルをとらなければ危険なんだということをあとから幾ら説教しても、これは始まらぬことだと思います。人間尊重という立場から言いますならば、法律だけでなしに、あらゆる可能な方法で人間が尊重されて初めて、それでなお罪を犯す場合、その罪の処断を刑法の専門家の方々にお考えいただけばよろしいことと思います。その前にしなければならないことが無数ありまして、それが一つも解決されずに、うわべだけの取り扱いをして、それで事故の当事者に対してだけ罪を科するという場合、その罪を重くするという方向に反対するわけでございます。 交通の問題にしましても、私ども開業医として多年これに関係した診断書を書かされてまいりましたけれども、その診断書の取り扱い等につきましても、すでに先生方御承知のように、幾変遷ありましたけれども、これは私をして言わせるならば、公安委員会の責任のがれであろう。三月一ぱいで取り扱いのやめになりましたあの診断書の様式にしましても、医師会との話し合いの場合には、その診断書によって免許を取得した者が事故を起こした場合に、何かそれに関係したことがあってもその診断書を作成した医師に責任を要求しないという話し合いでああいう診断書が出されることになりました。精神医学会から強い反対がありまして、精神鑑定というものの内容がどういうものであるかということが理解されまして、あんなものをやっても無意味であるということで廃止になったわけでございますが、それぞれの関係の立場の方が自分のところの責任のがれだけをやっておられて、個人がこれに乗せられて処罰されるということには、反対でございます。 なお、これと関係しまして、この法律が私どもの日常の業務でございます医療の過誤と強い関係がありますので、そのことについて少しく意見を述べさしていただきたいと思います。 すでに衆議院の法務委員会の参考人として、日本医師会の武見会長が現在の医療の非常に高度な面につきまして意見を述べられております。最近の高度な手術の実態等に関連しまして、医師の持たなければならない注意義務ということが要求されても、数年前と現時点では問題の性質が全然違うのだということを述べられておりますが、これは武見先生の御意見、そのとおりであろうと思います。また、日常の診療の中で起こります医療過誤につきましても、医療の過誤というものが問題になります場合は、先ほどお話の出ましたように、注意義務がはたして十分であったかどうかという点がございましても、もともと人間の生命力というものがございまして、かなりな間違いがあったんではないかと推測される場合でも、病状にも変化がなければ、生命に危険もないということはたくさんあろうかと思います。しかし、医療の場合には、結果論でございます。結果が悪かったということから出発しまして、年じゅう問題が起こっております。最近のマスコミの傾向は、またこれをことさらに報道するようになっております。隣の台湾の医療の実情を見ますと、開業医が診療しておりまして死亡いたしますと、事のいかんを問わず遺族の方からたいへんな強い賠償の要求があるということで、開業医は、重症の患者さんは、自宅で治療するのが当然であるケースであっても、これを無理でも病院に送ってしまう。開業医は死亡診断書を書かないようにするという風潮で、そのために台湾の医療の実情が日本とはずいぶん変わった状態になっているわけでございますが、こういうふうな結果論だけで問題を考えてまいりますと、日本の医学の将来はどういうふうになるか。これは武見先生の述べられておりますところでございますので、私は時間の関係で省かしていただきます。 最後に、この医療過誤の問題で私どもが非常に苦慮しておりますのは、私どもが臨時にかり出されます予防接種に関係しての問題でございます。一昨年、名古屋で予防接種にかり出されましたある医師が、市当局の用意いたしましたワクチンが間違っておりまして、問題を起こしました。現在の開業医というのは、たいへん忙しい生活をしております。予防接種にかり出されます場合には、私も今月の三十日に日本脳炎の予防接種の当番だから出ろということで通知を受けておりますが、何時までに来い。ところが、午前中の患者を済まして、昼食も食べるか食べないかで、あたふたとその会場へかけつけまして、大ぜい待っておられるところへ行って、注射を始めるわけでございます。その先生の場合には、あたふたとかけつけていって、大ぜい待っている。しかも子供さんを対象の予防接種でございましたので、ギャアギャア大ぜい泣いている。先生早くやってくださいというので、すぐ注射にかかったところが、ワクチンが違っていたわけでございます。幼児に対して行なってはならない腸パラのワクチンが用意をされておった。注射の途中ではてなと気がついて確めたところが、液が違っているというので、それを中止しまして、ジフテリアと百日ぜきの混合ワクチンを取り寄せて、そのあとの方たちの注射をした。ところが、幼児に対してしてはならない、しかも分量も違いますし、腸パラのワクチンをしましたために、大ぜいの子供さんが発熱その他の障害を起こしまして、これが二百十一条の対象として起訴されました。検事さんの論告の中には、私ども非常に遺憾と思いますのは、検事さんがこのように論告しておられます。その途中で、「最近の医師の道義心の弛緩ははなはだしいものがあるので、警告を発しなければならない。」——私をして言わしむるなれば、現在の日本の開業医というものは、たるんでおるのではなくて、緊張の連続なんでございます。その結果、不当にこき使われまして、注意義務を果たすことのできないような状況になる。しかも、この先生の場合には、先月の末日に判決がございまして、求刑は禁錮四カ月でございましたが、判決は罰金五万円という罰金刑の一番重いところでございます。その前に、間違った予防接種液を用意しました看護婦、保健婦たちは、すでに昨年判決を受けておりますけれども、こういう状態で予防接種にかり出されること。予防接種につきましては、予防接種についての法律がでございまして、こまかに規定されております。これは市町村長の義務でございますし、取り扱っておりますのは保健所でございますが、保健所の現在の実態をごらんいただけばわかりますように、医師にしましても、看護婦にしましても、保健婦にしましても、人員が不足でございます。臨時の人がかり出されて、予防接種の会場その他の用意をする。それで、予防接種の実情を一度ごらんいただきますなれば、現在厚生省が出して厚生省が管轄しております、直接命令系統にあります保健所で、この予防接種の実施についての規定を守っていないということでございます。消毒その他用具の用意について規定がございますけれども、これが守られておりません。注射の針というのは、もともと一人一人取りかえるべきですが、名古屋ですら、この先ほどの事件がありましてからやっと針を一本ずつ取りかえるようになった。一本の針で何人も予防接種をして、まだそうやっているところもございます。これによって感染が起こった場合の責任は、医師の責任ということで追及されるわけでございます。また、人手不足の中に臨時にかり出された医師が、そこでこの法規に定められたとおりの注意をしておりますと、予防接種が実行できないわけでございます。予防接種の前には、禁忌という注意がございまして、からだに異状がないかどうかを、問診、打聴診その他の方法によって健康状態を検査しなければならない。一人一人十分な検査をしておりますと、これはあの短時間に三百人もの予防接種はできないわけでございます。口頭で「変わりありませんか」という程度で済ましてしまう。その方のからだにどういう変化があるということは、全然調べることができません。また、予防接種後の注意にしましても、これは紙に書いて張り出しておくよりほかしかたがないところでございます。流れ作業で夢中になって、前に出された腕だけを見ながら処理していくというのが実情でございます。ところが、こういう規定を守れない保健所に対して、これをきちんと守れという要求をしますと、その医師が県の衛生部に呼び出されて注意を受けるわけでございます。その実例もございます。現在進行中のポリオのワクチンの服用でございます。小児麻痺のワクチンを接種いたします。ポリオのワクチンというのは、その使う場所で希釈しなければいけないという規定になっております。ただ、これを低温度に保った場合には、ほかへ持っていって使っても効力は落ちないというふうに規定されておりますが、希釈するのは一体だれなんだ、これは保健所の医師なりあるいは薬剤師でなければできないことでございます。そうすれば、保健所で薬剤師が希釈しましたものを接種会場に持ってまいります。そうすると、どういう日にちによってだれが希釈したという証明書がついていなければならない。ごらんになりますとわかりますように、液体でございますから、これは何であるか、その証明書をたよりにする以外にはないわけでございますが、とてもこれを安直に取り扱っております。それで、ある予防接種会場にかり出されました開業医が、何も書いてない入れものを見まして、これでは自分が責任を持って接種場の責任者にはなれないから、きょうはやめだと言って帰ってしまった。それで、県の衛生部に呼び出されて、伝染病予防のほうがあなたの身分に関する医師法よりも優先するのだというふうなお説教を受けたということを私に訴えてまいりました。現在の予防接種についてのあらゆる準備がされていないで、それで起こりました過誤についての責任だけが追及されるということですと、おそらく遠からずして日本中の開業医はこの公象衛生の面に協力しなくなるだろうと思います。現にそういう意見が強く上がってきております。その会場に行かなければ、医療過誤の対象にならないわけでございます。行けば過誤の対象になる可能性が十分現存しているわけでございます。ちょっと交通の問題と似ているのではないかと思います。こういう環境整備をすることなしに、本人の注意力だけを強く要求して刑を重くするというのは、まだまだその前にすることがたくさんあるのではないかという立場で、私、本法案の改正に反対するわけでございます。 それから、先ほども御意見のありましたように、武見先生が衆議院の参考人として意見を述べられました、その意見は深く討議されることなしに採決になってしまった、それならばなにも参考人の意見を聞く必要がないじゃないかということを言っておられるわけでございますが、各参考人から出ました意見をなお掘り下げていただきまして、十分御審議のほどをお願いしたいと思います。 以上でございます。
○委員長(北條雋八君) ありがとうございました。 次に、近藤参考人にお願いいたします。
○参考人(近藤武君) 私は、いままでの方々のお話でも、かなり十分私の言いたいことを言い尽くしてあると思います。ですが、交通事故の予防と申しますか、その他安全の問題を専門にしておりますので、そんな立場から少しお話をさせていただきたいと思います。 まず、人間の行動の特性につきましては、鶴田さんから先ほどお話がありましたが、一つは絶えず人間の心臓というものはゆれ動く波動を持っておるということでございますが、これは脈榑などを見ていただければどなたにもおわかりだと存じます。普通六十から八十くらいをいつも打っておるのでございますが、これがいろいろな条件で非常にはね上がるわけでございます。たとえば自動車の運転の場合ですと、車に乗っただけでもう八十四くらいの脈搏を打っております。そうして、条件によっては百四十あるいは最高は百八十というようなところまでいくわけでございますが、これはかなりの緊張をもって運転をしておるということがわかるわけでございます。しかし、数分あるいは数十分あるいは数時間というようなものを平均をしてみますと、やはり恒常性というものがございまして、その緊張の水準は、波動はあるけれども、高いレベルで常に動いておるというようなことがわかるわけです。こういう例はたくさんございますが、時間の関係で省略さしていただきます。 次に、人は注意を長く持続できないという先ほどお話がありましたが、これも、いまの心臓の状態を見てみてもそうでございますし、目の状態を見ていただいてもそうでございます。あるいは皮膚感覚その他の人間の特性といいますか、そういうものを見ていただきますと、数分でなくて数秒の持続で、その数秒で断続してまた持続する、また断続して持続するというような、大きな波動を持っております。しかし、その波動曲線も、教育なり、訓練なり、あるいは経験、熟練といいますか、そういうようなものをもって加えられますと、このレベルも一定の水準に上がるわけでございまして、それがいわゆるある作業をする、ある労働をする、ある行為を行なうというときの態度と申しますか、そういうものだと私は考えるわけです。 その次に、こういう人間というものを基礎に考えて、安全ということを考えてみますと、これは事故や災害が起こるというのは、物と物、あるいは人と物、そういうようなものがエネルギーの危険な限界の中に入る、あるいは接触するというようなことから、災害とか、そういうふうなものが起こってくる。としますと、安全の根本の第一の対策というのは、そのエネルギーの発生を源で囲み込み遮断する、それが発生源で囲み切る手段がない場合には中途で遮断する、あるいは拙劣な次善対策と申しますか、防護具なり、保護具なり、そういうようなもので囲う、あるいは遠隔操作をするというようなことになる、これが出発点だと思います。そうして、そういう意味において、機器を操作する、運転をするというような人たちは、絶えずその取り扱いについて非常に慎重にやっておるのでありますが、先ほどの、人間が波動する、注意が持続できないというようなことから、往往にして危機的場面に遭遇するわけでございますが、この危機的場面に遭遇しないような対策というのは何か。そうしますと、それはすでにおわかりのように、環境の整備ということになると思います。しかし、これはこういうこと自体で進行しておりますが、そのことを知りながらかつ守っていかないというようなひどい行為をする人たちがたくさんあるわけでございます。たくさんといいましても、私たちはいろいろな統計から、われわれの経験から見ますと、数%——一〇%までいかない、数%というようなものがありまして、これはそういう人たちが事故を誘発するのではないかというふうに考えるわけです。これが意識、無意識というようなところから過失という問題が出てくるということになりますと、やはりそのことから、先ほどからのお話のように、法律的にはよくわかりませんが、三年ないし五年とか、もっとひどい場合には十年ということがあり得るのかもわかりません。私はそういう意味で、それを防止するためには、環境の整備、あるいは危機の安全感ですね、あるいはエネルギー源のもとを合理化するということについては、どうしても、そういう不安全行為と申しますか、不安全な取り扱いをした場合にはこうなるぞというような、何か重苦しいことでございますが、事項がなくてはならないということから、鶴田さんその他の方々がおっしゃいましたような、どうも昔のままの状態ではまずいのじゃないか、古い時代の制度ではまずいのじゃないかというふうに考えて、ある面ではこれに賛成する、しかしそこには非常に大きな条件がついておるということで、鶴田さんもおっしゃいましたが、不賛成の面も私はあるのでございますが、賛成をするというふうに考えるわけでございます。たいへん粗末なあれですが、これで終わります。
○委員長(北條雋八君) ありがとうございました。 次に、大島参考人にお願いいたします。
○参考人(大島藤太郎君) およそ問題が起こるにつきましては原因があるわけでございまして、その原因を正確につかみませんと問題は解決することができないわけであります。交通事故の問題につきましても当然そういうことでございますが、今回の刑法の改正が、自動車の事故の増加、悪質化と、この問題を解決するために二百十一条以下の改正が提案されているわけでありまして、その中身は、申すまでもなく、禁錮三年を懲役五年に引き上げていくということが重要な重点になっております。これは要するに、事故の原因というものが、結局運転者の注意力が不足しているのだ、緊張度がゆるんでいるんだということに現在の膨大な交通事故の原因を認めている。したがって、懲役を五年に引き上げていく。率直に言うならば、威嚇していく、おどかすということによって交通事故を減らしていこう、こういう政策であることは明らかであろうかと考えるわけであります。はたしてこういうような形でこの膨大な交通事故が減少するものでしょうか。また、原因はそういうところにあるのでしょうかということをまず明確に最初に提起しておきたいと思う次第でございます。 実は、こういう政策は、すでに昭和三十五年道路交通法を改正いたしまして罰則を強化したのであります。しかし、その後、事故は減らないどころか、逆にますます増加しているのが実情でございます。こういう政策によって事故が減らないことは、過去の最近の実績でも証明されておるわけであります。あるいはまた、交通事故の裁判をたくさん扱う現場の裁判官の判決の中にも、たとえば昭和三十年四月十八日の東京簡裁の判決にはこういうことを言っておりますけれども、「刑罰をもってする威嚇よりも、規律の周知徹底が先決問題で、これに努力しないで処罰の徹底のみを期するのは本末転倒である。」、さすがに交通事案をたくさん扱う裁判官は事実教育せられまして、こういう判決を下しておりまして、私たちは全くこのとおりではないかという実は意見を持っておる次第であります。 しからば、交通事故が起こる交通の現場は一体どういうものでありましょうか、私の幾つかの経験を若干披露申し上げてみたいと思います。昨年私たち研究者は、十人近くの者が東京から夜行の路線便に乗りまして、国道四号線を夜仙台まで参りました。まず私は、会社をみんなおのおの変えまして便乗いたしたのでありますが、深川の私はある大きな一流の路線便の会社に参りましたところが、一生懸命いま二人の交通労働者の諸君が荷物を積んでおりました。車は十何トン積めるのですから、タイヤも私の胸ぐらいある巨大な軍でありました。荷物をそれに満載するのでありまして、ちょうど入梅時期でありましたけれども、汗びっしょりになりまして二人の諸君が荷物を積んでおりました。よもやこの二人が運転するのだと私は思っておりませんでしたところが、相当疲れられて汗びっしょりになっていなくなりました。ところが、ふろに入られまして、私が運転台に乗っていたところが、この二人が見えたんでびっくりしたのでありますが、実はその二人の人が運転を開始せられました時間はすでに九時をこえておられました、千住から先に参りますと、すでに仙台の到着の時間がきめられておりますから、スピードを落とすことはできません。対向車はものすごくふえてまいりまして、目を射るようなライトの光、だんだんある町になってまいりますと、非常に道が狭い、センターラインはもうほとんどあるかないか見えない。横断歩道もはっきりしてないというところが随所にあるわけであります、国道四号線でありますが。ですから、ピュンピュンという対向車の行き会うたんびに私はひやっとして、何回ひやっとしたかしれませんでした。途中一カ所、一人の方はうしろに横に寝ておりまして、きびしい震動でありますので、どれだけ寝れるのかわかりませんけれども、三十分ばかり休養いたしました。そこで交代して、また仙台までそういう状態で疾走して行きました。そうして夜が白んでまいりました。仙台へ、目的地に到着いたしますと、この二人の労働者の諸君が荷物をそこでおろすのであります。私は超人的なその労働ぶりに全く驚いてしまったのでありますが、宿へわれわれ一同が集まりまして話し合いましたところが、いずれの諸君もまずそういう経験と全く同じでございました。職業としておる交通労働者の現場、特に非常にいま増加しております路線便の運転者の諸君の状態は、大体そういうものでございます。 それから続いて、今度は東京都内のタクシーに私たちは大ぜいで便乗いたしました。大体四時ごろにすでに夕食を済ませまして、浅草方面で乗りますと、時間帯によりましてお客のある場所が違いますので、よくそういうことを心得ておりまして、もう走りどおしであります。夜中の一時ごろまで、小用のために二回おりたきりで、その運転手は走りづめに走りでおりました。そういうようにして料金をかせぎませんと、生活できる賃金が実は得られないのであります。目をさらのようにして、おりたときにはほんとうにいかにもだれが見ても疲れたしょう然たる姿でありましたけれども、これまたみんなが集まって話し合ってみますと、全く同じ状態でございました。 私はまた、信州へ車で参りましたけれども、たとえば碓氷峠を通りますと、これは国道十八号線でありますけれども、あの碓氷峠の短い区間に百八十幾つカーブがございまして、だんだん車が大きくなってまいりましたから、カーブで大きい車が回るためには、反対側では車は通れないのであります。停止しておるのであります。そういうカーブの個所が幾つもございます。広くなったところもありますけれども、断崖絶壁と、一方では岩場になっておりまして、一台の車しか回れない。それが国道十八号線であります。 あるいは、卑近な例で、私は学生時代を神田で過ごしましたけれども、小川町、駿河台、神保町、この交差点は三十年前の私の学生時代から一尺もおそらく広がっておりません。ところが、自動車の数はおそらく十倍、十五倍に増加をしているということは間違いないと思います。こういうことは経験的に皆さんも十分に御承知だと思いますが、もうあらゆる小さな路地にまで自動車が入ってまいります。ここに私は、労働条件と設備、車両の増加が全く無関係であるという具体的な、しかも皆さんの御経験の姿が、なまなましくどこにもこれはあることではないかと思います。ここにこそ事故の起こる根本的な問題点がありやしないか。たとえば、自動車は激増してまいりましたけれども、最近の十年間、十五年間をとりましても、一台当たりの一年間の交通事故というものはほとんどふえていないんであります。事故そのものは激増しておりますけれども、車の一台当たりの事故は六件とか九件。これを見ましても、条件が悪くなっても、非常に注意力を高めることによって——運転者は一般的にまいりますと、例外は別といたしまして、非常に緊張度が高まっている。 さらに私は、これは新聞に出ておりましたけれども、先年英国博覧会が来たときに、ロンドンから二階のバスがやってまいりました。ロンドンの運転手がそのバスで東京都内を運転したんでありますが、びっくりいたしまして、この車の洪水に驚き、毎日冷や汗をかき、へとへとになって宿屋に帰ったという経験をしておる。新聞話者に語っているところにかんがみますと、私は、日本の大都会の特に職業的な交通労働者諸君の運転は世界的である、非常に巧みであると言えるではありませんか、こう判断いたします。このことは、自動車ばかりではなくて、鉄道におきましても、私などは知れば知るほど軽わざ運転であるということばを使いたいケースが幾つも出てまいります。東京から運転して、列車が小田原まで参りますと、まず踏切と信号の数の多いこと、十秒なり十五秒間隔に踏切と信号を見なければならぬのであります。おそらく電車の運転士にいたしましても、中央線でお茶の水から出発いたしますと、信号が五つも見渡せるんであります。御経験だと思いますが、戦前にはなかったことでありますが、大きな駅のホームのまん中に信号があります。実に信号が増加してまいりました。こういうことでありますから、おそらく運転士の諸君は、どなたも一カ月に数にして一万個も一万二千個も一万三千個も信号を見るんであります。万が一見そこなっても、これはたいへんなことになります。こういう状態であります。でありますから、こういう交通労働者の諸君の家庭におきましても、奥さんをはじめとして、非常に心配しております。小さいアパートに生活しておる人たち、昼間寝なければならぬ。雨が降ると、奥さんは小さな子供をおんぶして、いやでも散歩して歩かなければならない。主人を寝かせ何とか事故をしないように。昨年の秋も、西武鉄道が踏切の事故が非常に多いので、私たちは視察に参りました。で、踏切の状態のひどいことももとより、一本のさおあるいは旗を立てて、まことに原始的きわまる状態でありますが、こういうふうに踏切の事故が多いのに、運転士諸君は一体どんな気持ちなんだろうということで、座談会を開きました。そうしたところが、運転士の諸君は憤然といたしまして、私たちは毎朝うちを出るとき、きょうこそは事故がないように神に祈りたいような気持ちで出てくるのだ、うちに帰って夕めしのときには、子供までもみんなが、ああおとうちゃんきょうは事故がなくてよかった、そういう毎日の生活だ、こう言っております。それが実は圧倒的な多数の交通労働者の生活の実態であるわけでございます。 一方では、この十年間にものすごく自動車が激増いたしました。その背後には、自動車産業というものがものすごく拡大されました。日産にいたしましても、トヨタにいたしましても、設備、オートメーション、世界の一流であります。ものすごく収益が増大いたしまして、資本が蓄積せられ、そして政府は戦略産業としてこういう産業の土地の確保なり資金の提供なりに援助してまいりました。その結果、自動車が激増しておりますが、自動車の増加は、他方ではものすごく石油の消費の増加でありまして、これは圧倒的にアメリカから原油を輸入しているのは御承知のとおりであります。日本はいまではアジアにおける最大の石油の市場でございます。事故が起こる。他方におきましては、こういうようにして自動車の生産、原油の輸入、大企業はばく大な資本を蓄積し、収益をあげてまいりました。しかし、他方安全設備の現状は、すでにお話ししましたように、まことに貧弱きわまる状態なのが実情で、ここに大きな交通問題、道路の問題が起こってまいります。実は、環状七号線が開通いたしまして、非常に広い道幅でございます。まだ歩道橋も横断歩道も非常に不備であった初期においては、ずいぶん交通事故が起きました。しかし、最近目立って交通事故が減少してまいりまして、たしか、本年に入りまして、三月ごろまで、ほとんど事故がなかったのであります。その理由は何だ。結局、ガードレールが完備してきた、歩道橋がふえたことでございます。これによって、こういう素朴な段階でも、相当まだ事故を防ぐことは可能なのであります。美濃部都知事がこの点に力点を置いているのは、新聞でわれわれも承知いたしましたけれども、手をつけることは幾つでも身近にございます。たとえば、中央線が高架になりましたけれども、高架になります前の時代、つまり踏切の平面交差の時代でございましたけれども、踏切に自動車が来て危うく電車をとめるという事故まで入れると、中野から立川あたりまでの間に毎月二百くらい軽微な事故まで含めるとあったのであります。軽微な事故がありますと、もうさっき宮原先生がおっしゃったような、ハインリッヒの言っているとおりに、どうしても三百の小規模な事故があれば必ず二十九の中規模な事故が起こり、二十九の中規模の事故が起これば大きな事故が一つ起こるのは、学者の研究の事実のとおりであります。結局、小さな事故をなくさない限り、大きな事故はなくならないのであります。結局、中央線が高架になりまして、すべて立体交差になることによって、事故は完全になくなって、大事故はもうあの高架のところで起こらないのは申すまでもありません。ここにやはり交通事故を解決するための基本的な道筋というものが、私は実績として明確に出ておるのではないかと思います。そういうような設備の問題と、労働条件——ノルマ、賃金問題、これとは切り離せません。事実政府におきましても、労働省はこういう労働条件の劣悪なことが交通事故の原因であるということを認めまして、本年の二月九日に、有名な、私たちは二九通達と申します通達を出しました。これは、長時間労働、劣悪な労働条件、賃金のきびしい歩合給について制限を加えているわけでありますが、なかなか事実現場におきましては、十分経営者はこれを守っておりません。先刻、東京高等裁判所の判決の中に、処罰の徹底を期するのは本末転倒で、むしろ規律の周知徹底が先決問題、まことに正しいことばでございまして、既存のそういう法規、設備を十分まだ守られてない。これを守ることが事故をなくする上にとっては非常に重要なことであると私は思います。このようにして、一方では全く自由競争的な交通政策——いま飛行機が新しく、新幹線にお客を取られたということで、巻き返しでもって、いわゆるエアバスと言われる三百人乗り以上のを今度は東京—大阪間に入れまして、一時間以内で飛ばす、そうして運賃を二等へ近づけていく、そうして新幹線のお客を奪い返そうということが、具体的な日程になっております。こういうようにして、政府の政策自体が、競争を容認し、あるいはあおるような状態でございます。こういうことにのみ交通経営者は重点を置きますから、全く安全の施設は、たとえば踏切にいたしましても、道路が広がっても踏切が狭いというところが随所に東京近くにはございます。道路が二車線、三車線になっても、踏切は自動車一台しか通れない。まことにおかしな話でありますが、私鉄の経営者に言わせれば、道路を広げたんだから、道路のほうの費用で踏切は広げてくれ、こういうようなことを堂々と陳情団に言っている始末でございまして、全く運輸省の交通政策は何をしているのかということをわれわれは嘆ぜざるを得ません。確かに一方では酒飲みや無免許、こういうような事故があることは、私たちも認めるのにもちろんやぶさかではありません。いま近藤先生のお話を承っておりますと、一〇%くらいはこういうことがあるということをちょっと数字を言ったように拝聴いたしましたけれども、もしかりに一〇%のために九〇%の善良な、全く日夜苦しみながら事故の絶滅を期しておる交通労働者の場合に、事故を起こせば自分自身が死んでしまう可能性があるのでありますから、好んでたるむわけがありません。そういう中で、一般論として業務上過失の刑を過重するということは、むしろ問題点をぼかしてしまう、水増ししてしまう。明確に酒飲み、無免許、あるいはひき逃げ、こういう点だけを処罰をきびしくしていくのは、私は非常にはっきり注意力の喚起の点もある程度の効果をわれわれは否定するものではございませんけれども、これを水増しいたしまして、一般的に九〇%のものにまでそういう形で事故を解決しようとするのは、結局政府が、膨大なこういう事故に対する解決策、本来の交通政策なり、自動車の生産なり、そういうようなものに対しまする安全設備の指揮なり交通経営者の監督なりということを全く放任をして、ただこの事故を労働者と利用者の責任に帰せしめるという政策に私はほかならないと思うのであります。 最近、小学校におきましても、非常に交通道徳の教育がきびしくなってまいりまして、ある学校では、自転車に乗るには免許証を出す。きびしくなってくると、歩行者手帳などといいまして、子供が道を歩くのに手帳を持って、違反したとかしないとか手帳に書き込ませるような教育をいたしているところが出てまいりました。こうなりますと、伸び伸びと飛んだりはねたり、けんかをして成長しなければならない子供が、道を歩くのにも違反するかしないかという注意をしなければならない。いなかから転居してきた先生は、東京の子供はいじけておる、伸び伸びした子供らしさがたくなっておる。道へ出れば事故がある、自動車が裏通りまでやってくる、ですから道に出られたい、結局うちにいて、遊びたい、あばれたい、妹とけんかして——けんかをするよりしようがないのだ、そういうことを、私は先般ラジオのコンクールに出まして、そういう放送がありましたけれども、まことに子供がかわいそうであります。遊び場がない、そうして道路には自動車が入ってくる、都会の実情はこういうことでありまして、結局この点から見ましても、一貫した道徳、注音力の緊張という形で本来の交通事故の原因がむしろ隠蔽せられているのではないか、そこに問題があるのであって、そういう意味で私は刑法二百十一条の改正には反対でございます。 いまタクシーに乗って、タクシーの組合が車の裏側にどういう安全標語を出しておりますか。「交通事故違反なしに生活できる賃金、安全輸送のできる賃金を」——まことに私は労働者の気持ちを率直にあらわしていると思います。好んで交通違反はしておりません。交通労働者は、もし事故を起こせば、二重、三重の罰則を受けるのであります。刑法の罰則、社内の会社の罰則、あるいは民事行政罰、一つの事件につきまして三重の罰則を受けるのであります。何で罰則の強化によって注意力が増加することがありましょう。こういう実情でございます。 ぜひ諸先生方は、こういう交通の現場の実態、交通政策のあり方というものを、この問題につきましてもお考え願って、ぜひひとつわれわれの意見のような形でこの刑法改正問題を処理していただきたいと思います。 以上であります。
○委員長(北條雋八君) どうもありがとうございました。 以上をもちまして参考人の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより質疑に入ります。御質疑のある方は順次御発言を願います。
○委員長(北條雋八君) ちょっと速記とめて。
○委員長(北條雋八君) 速記を始めて。
○亀田得治君 たいへんおのおのの立場で有益な御意見を拝聴しまして、われわれも、自分の立場は別として、謙虚に拝聴したわけですが、非常に参考になりました。それで、簡単に問題点を集約してお聞きしたいと思うのですが、交通事故に関する犯罪という問題について、これは社会的な非常な注目が集まっておる。そうして法律案がいま出ておる。これに対して、非常にこう激しい賛否の立場が対立しているわけですね。賛成論者から見れば、それは反対論のほうは少数だというふうに簡単に考えておられるかもしれぬが、なぜこのようなちょっと表面上見ればなるほどもっともだと思われるような問題について、反対が強く起きておるのかという点が、私は一番大事だと思うのです。それらの点について、先ほどから皆さんがいろんな角度から御指摘いただいて、私も非常に意を強うしているのです。総合して考えますと、過失はいろんな条件がかみ合って発生しておるということは、もうこれはどなたも意見が一致しておられるようです。また、それらのたくさんの原因を一つ一つ排除しなければならぬということも、これはほとんど一致しているのです。一致している、法案に対する賛否は別として。そうなりますと、一体運転者個人の主観的なあやまちという点が強いのか、それ以外の各種の施策、そういったようなものが強いのか、ここが非常に大事な点だと思うのです。私たちは、それ以外の、主観的な条件以外のものが強い、一般的に言って。例外は別、一般的に言って、こういうふうに実は確信をしているわけです。このことは、刑法の一部改正に賛成の方もおそらくお認めになるだろうと思うのです。そういう情勢の中で、運転者の過失を重くしていく、こういうことがはたして政治として適切かどうかということですね。慎重に検討すれば決して自分の責任でないようなものを、ずいぶん運転者の責任として処理されてしまっているものも非常にたくさんあると思うのです。一々運転者が正規の裁判を求めましたりして成規の手続をとる力がありません、時間も。そういう状態をみんなが知っているわけです。ことに、職業としてやっておられる、自分の家族の生活をささえておられる運転者は、これは一番よく知っているのです。だから、そういう状態の中で、このような刑法の一部改正というものがはたしてどういうことになるのか、この点を私たちは非常におそれるわけなんです。それで、こちらの意見はあまり言う必要もないわけですが、それにしても、非常に乱暴な運転があるということは、これは私たちも認めます。先ほどの御指摘もありました、それに対する措置は、本案に反対の宮原弁護士も必要性は認めておられるように私受け取ったわけなんです。だから、それであれば、この悪質者と世間が言っておる自動車運転者、それにしぼってこの立法をすべきじゃないか。はっきりとこのような態度をとれば、これは全員一致でいくわけですね。職業的にほんとうに運転者としてまじめに働いておる人は、その立法に私は反対しないと思うのです、その立法には。むしろ、この真の原因をぼかし、しかも場合によってはまじめにやっている者までそこに引きずり込んでいくと、こういうことに対する義憤があるわけですね。そうして、一般的には交通事故というばく然たる弊害、危険性というものを感じておるものですから、マスコミが盛んにそれを書く、それを背景として政府が押し切っていく、こういうことは私はほんとうの政治じゃないと思うのです。反対論者も、われわれも、悪質なものをきちっと整理して、そうしてもう少し警告を与えるということも、これはある意味じゃ必要だというふうに考えておるわけですから、なぜそうしてくれないのか全くおかしいのですね。それで、そういう立場から、たとえば、いろいろ検討の結果こういう案をつくってみたんです。それに対する御意見をひとつ承りたいのです。 「酒に酔って自動車を運転する者等による業務上過失致死傷等の処罰に関する特例法」、これは単独立法ですね。いま申し上げたような名称をつけた単独立法です。中身は、「自動車の運転者が酒に酔い、運転免許を有せず又は法令に基づく最高速度をこえて運転し、当該運行により人を死亡させ又は傷つけた場合において、その行為が刑法第二百十一条の規定に該当するときは、五年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」——現在の二百十一条よりも重くすると、こういうことは一つの仮の案です。これは多少不十分な点があればもちろん直していったらいいわけですが、何かこういう形でですね、世間にほんとうに警告を与えるということなら、これ全員一致でいくのですよ。私は、この現在の交通事故の状態から見ても、少なくとも全員一致になり得る性格の問題だとこれは思っている。それを、政府原案のように、一ぺんつくりあげたらどうしても譲らぬというふうなことでは、はなはだ残念だと思っているのです。宮崎先生からもいろいろ問題点の指摘があり、最終的には原案のようでしかたがないというふうな結論と承ったわけですが、ただ、そういう場合でも、何かこう既成の法律学の概念といったような、そういうものにやはりとらわれているところがあると思うのです。立法技術上のむつかしい点が道交法並びに刑法に関連してこういう独立法をつくるとあるかもしれん。また、ていさいとか、そういうこともあるかもしれん。しかし、そういうことは、技術的にそれを解決してくれるのは、これは法律専門家なんです。それがていさいがいいとか、困難があるとか、そういうことでせっかく一致して、そうしてやれる方式があるのに、そういう方向に向かわない。そして、ともかく従来の刑法改正でちょっと直せばていさいがそろっていいというようなことじゃ、どうも政治という立場から言えば割り切れぬわけです。で、宮原さんは先ほど、道交法の改正、悪質犯に対する刑の引き上げということで、やむを得ぬければそれでもいいんじゃないかという提案でありましたが、私はまあ精神的な注意を喚起するというような意味も兼ねていま申し上げたような名称をつけた単独立法をこの際出していく。法律体系上ていさいがいいとか悪いとか、そんなことは私は二の次だと思っているのです。われわれ専門家の間じゃ、これはずいぶん刑法二百十一条というとやかましいのですがね。一般的にはまだ何のことかわかっておりませんよ。ところが、こういう名称をつけて、そうして訴えていけば、これはよくわかるのですよ。まあそういうふうに終局的には考えているんですが、そういう点についての考え方を各人からひとつお聞きしたいんです。 で、宮原さん何か公判の関係でお急ぎのようですから先にお答えいただいて、何か中山先生も宮原さんにあるようですから、あとの方は、中山先生の宮原さんに対する質問の終わったあとで……。
○参考人(宮原守男君) じゃ私からお答えさせていただきます。すわったままで答えさせていただきます。 私、東京大学の経験法学研究会のメンバーなんです。経験法学研究会というのはどういうことかといいますと、現在の法律学を経験科学的に、科学的に考えよう——従来の法律学は、非常に誤解を招きますけれども、決してサイエンスじゃないのです。非常に神学的な、まあいわば哲学的な面が非常に強過ぎて、実際にどういう効果をもたらすか、刑罰がどういう効果をもたらすかということに対する反省がないわけです。そういう意味で、この刑罰というのは、経験科学的に、いわば一つの実験だと思うんです。実験をすることだと思うんです。だから、上限を上げてやるということも一つの実験だと思いますけれども、しかしこれは対象になるのは一般大衆なんです。やたらに実験されて迷惑しちゃ困るので、アメリカで実験に失敗したのは、禁酒法なんかは実験に失敗したわけですけれども。ですから、国民に被害を最小限度にして、そして実験をするという意味では、これは私は、単独立法であれ、道路交通法でやるにしろ、差しつかえないと思います。ですから、いわゆる全体の一〇%——私は一〇%にも足りないと思いますけれども、非常にアブノーマルなものを自的とするにもかかわらず、あとの大多数の九〇%以上の人にまで実験の結果が及んで、衆議院でも問題になりましたけれども、一億総犯罪になるような実験は差し控えていただきたい。 そこで私は、実は、こういう刑法の改正の問題について皆さんの意見はどうだと、東大の教授、助教授、都立とか立教の講師なんかのいる場で意見を聞いたわけです。そうしましたら、やはり、そういう実験は刑法の改正のように大綱を打って全部に広がるような実験はすべきではないので、道路交通法で特に弊害のある点についてやるということについては賛成だ、これはやはり感情論としても国民感情じゃないかということがそこの意見では出たのです。そこで私は、そういう人たちの意見を代表する意味もあって、道路交通法で、これは立法技術的に可能であるわけですから、やったらいいんじゃないか。ただ、いま亀田先生のちょっと案を聞きますと、これは法律家の立場から言いますと、結果的加重犯のような感じを受けるわけです。ですから、立法技術的に、多少被害が大きければ重くなるというような原因を与えますので、酔っぱらいとか無免許が原因になって。やはり責任主義といって、その責任に応じて刑罰を重くするというふうに条文の上で考えていただけませんと、ちょっと結果的加重犯というのは、やはり現在の近代的な考え方から言えば、古い考え方と言っちゃ申しわけありませんけれども。ですから、私は単独立法という道路交通法をやることは賛成です。ただ技術的な面では、そういう面を強調して責任主義の立場でやっていただきたいということをお願いしておきます。 それから、施設を改善すれば事故がなくなったということですが、これは全くそのとおりで、名古屋でダンプカーが幼児をひき殺したということで、新聞でも非常に騒ぎました。これはこの立法のきっかけになったのも、そういう動機もあるかもしれませんけれども、あの場合に、跨道橋をつくっておけば、そういう場合でも事故はなかったわけです、結果的になりますけれども。だから、幼児が跨道橋を渡っておれば幾らダンプカーでも事故は起こらなかったわけですけれども、いま七環の話を大島先生はおっしゃったのですけれども、跨道橋をつくった所が事故が減っている。そういうことをしないでただおどかすだけでやってもらっては困る。特に列車の場合は、偶田先生などは御専門ですけれども、設備を改善すれば事故が起こらない。一番いい例が東海道新幹線です。これはいままで一度も事故は起こっていないというのであります。ということは、中央でコントロールしているわけですから、そういう設備のしようによっては事故が防げる。居眠り運転しようが、新幹線は事故は起こらないわけです。そういう面もあるので、それで実は東大の藤木教授が最近刑事政策という本を書かれている。こういう自動車事故についてはどういう見解を持っておられるだろうかと思って、私それを読んできたわけです。そうしましたら、列車事故については、やはりそういう設備の改善で、刑を重くすることについては賛成しかねる、しかし自動車事故に限っては現在の段階では酔っぱらいや無免許のような場合は合理性があるだろうということをおっしゃっている。ですから、やはり私は全面的に賛成ではないと思っているわけです。比較的藤太さんは、そういう立法者の立場に立って好意的に考えてくださる人でさえも、そういう発言をされたということは、やっぱり重要視すべきだと思うのです。 この程度でよろしゅうございますか。
○中山福藏君 それでは、宮原さん並びにほかの五人の方々からたいへんけっこうな御意見を承りまして、感謝しているわけです。 そこで、宮原さんにお尋ねしたいのですが、私、おっしゃることについては、ほとんどかねてから考えていることであって、首肯いたします。そこでお尋ねしたいのは、刑法の全面的改正によってこの問題を解決したらどうかということなんですが、一体全面的な改正を刑法に加える、その期間がどれくらいかかるという想定のもとにこのいわゆる懲役並びに禁錮という問題を解決しようとしておられるか、その期間はどのくらいとお考えになっておりますか。
○参考人(宮原守男君) それは、私どもはそのほうにタッチしておりませんし、具体的な状況でそういう資料も持ち合わせておりませんので、それはわかりませんけれども、ただ私がお願いをしたいことは、こういう懲役刑にするということは、刑法の体系をくずすことで、事が国民の基本的人権に関することですから、やはり慎重にやっていただきたいのですけれども、合理性がはっきりしていれば、いま亀田先生がおっしゃったように、単独立法でやるということについては、私は賛成なんです。
○中山福藏君 そこで、私どもふだん公判廷に立っていまおっしゃった各参考人の方の意見を常に述べているわけです。刑の量定の上に相当の考慮を払えということを要求しているわけですが、やはりいまの刑法の改正に着手して相当の年月を経ているわけで、何ともゆうちょうなことですが、これで、急テンポで、加速度的に変化していく社会の実相というものに対して対応できるかどうか、こういう点はどうお考えですか。
○参考人(宮原守男君) その点は、私も先生のおっしゃるとおりだと思いますので、道路交通法で現に実験を従来やってきているし、大島先生のおっしゃるところによると、その実験の結果あまりいい結果は出ていない、だから今度の実験もあまり賛成でないという趣旨のようですけれども、私は道路交通法ですぐできる問題だと思います。本来の体系をいじらなくてもそういうことは可能ですし、また亀田先生の単独立法ということもそういうことからきているんじゃないかと思いますが。
○中山福藏君 その点よくわかるのですがね。 そこで、道交法の改正ですね。この法に基づいていったらこの問題を即時に、できるだけ時間的に短く改正できるという御意見を持っておられるわけですか。
○参考人(宮原守男君) 私はそう思っております。
○中山福藏君 それでけっこうです。私はそれだけです。
○秋山長造君 もうちょっと時間がございますから、宮原さんに、実務とそれから研究面と両方やっておられるのでお尋ねするのですが、確かにさっきおっしゃったように、未必の故意でやられるんじゃないか、悪質な者はどうも立証に手数がかかるので、安易な道を選んで上限を上げるということにいっているんじゃないか、私もそういうような感じがするのですが、それほど何ですか、これだけ学閥も進み、同時に実際上の経験を積んでいるわけですが、にもかかわらず、未必の故意の立証というのがそれほど不可能に近いくらいれずかしいのですか。
○参考人(宮原守男君) 私はそうは思わないのですが、ただ裁判官によっては、非常に厳格に、シビアに解して、間接的な事実だけでは事実上推定してくれないということは確かにありますけれども、これはやはり検察官の私は責任の問題だと思います。立証責任はやはり検察官にあるので、それをやはり裁判官に説得する義務があるのですね。そういうことをやはりなさっている検察官がいらっしゃるからこそ、広島高裁の三十六年の八月二十五日の判決も未必の故意を認めておりますし、その後に、東京高裁の三十八年の六月二十七日、札幌地裁の小樽支部の昭和四十年の二月十六日、これは殺人で処罰しております。山形地裁の三十八年九月三十日、これは殺人未遂。法務省から出されておる資料では殺人未遂がかなりありますが、そのほかに東京高裁にしろかなりのものがあるわけです。ですから、現にそれが可能であるにもかかわらず、なさらないということは、私は、ことばはちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、検察官の怠慢であろうと思うのですよ。それは、そういう国民感情があるなら、堂々とやはり殺人罪、傷害致死罪で起訴して、それで立証して、その一つのルールをつくるべきだと思うのです。それができないで、立法府にげたを預けるということは、私は努力が足りないと思います。やはり国民感情に逆にこたえていないんじゃないかというふうに思いますが。
○秋山長造君 いま幾つか未必の故意を立証した実例をおあげになったのですが、私の想像では、そういう立証をやったという場合は、未必の故意でも特に立証のしやすい特別な場合だとか、あるいは未必の故意の立証をやったその担当した検察官が特に優秀な腕ききの検察官だったとかいうことじゃないと思うのですがね。そういう例外的なことなら、それは一般論として要求できぬわけですけれどもね。
○参考人(宮原守男君) おっしゃるとおりだと思います。
○秋山長造君 これだけいろいろな理論面でも実際面でもうんと進歩しているときに、どうも未必の故意に限ってこう立証できないできないという論議というのは、どうも理論的でないような感じがする。それで、どっちかといえば、やはり今度の問題なんかは、まあ提案者のほうはそれ相応の理由をもっておっしゃってはおるのでしょうけれども、相当感情論というか、ムード的なものが有形無形の影響を与えているということは、これは否定できないと思うのです。じゃ、その点については、これはもうさっきおっしゃったように、決してそうむずかしいことじゃないという御見解ですね。
○参考人(宮原守男君) ええ、私はそう思っております。
○秋山長造君 それから、もう一点ちょっとお伺いしますが、業務上過失ということですね、外国の例なんかでも、業務上の過失に類するようなことをきめた例というのは幾つかあるようです、外国の刑法にも。ただまあ、外国の刑法の場合には、日本の刑法のように業務上過失とこういうのでなしに、業務による過失とか、業務に関連した過失とか、職業に何とかした過失とかいうようになっておるわけでですが、ところが日本のは業務上過失だから、業務上の過失だとも言えるが、必ずしもそうじゃないのですね。業務上過失という一つの固有名詞のようになっているわけですね、業務上過失と。そこらに、ことばは同じでも、何かこう日本の場合の業務上過失というのは、外国の業務による過失とか、業務の上での注意を怠ったとかいう業務というのと、だいぶ私内容が違うのじゃないかという感じがするのですが、業務上過失という意味は、まああらためてお伺いしなくても、これは判例なんかも確定しておるのですが、日本で言うような業務上過失というのは、一体外国にあるのですか、ないのですか。
○参考人(宮原守男君) まあそれは、私あまり学者のほうでございませんので、その点は、ちょっと単なる意見でしかあり得ませんけれども、この日本の場合の業務上過失とは、しろうとの人が受ける感覚とそれから法律家が受ける感覚とは全然違うわけです。あの業務というのは、ただ反復性、継続性という意味だけしか持っていないわけです。それで、あれは重過失と同じ構成要件なんですね。ですから、重過失の場合は、具体的に注意義務は千差万別であるわけです。そうすると、検察官のほうもそれを一々こうするのはたいへんですから、ある程度定型的に、こういう定型にはまっているものはもうそれは重過失と同等の非難性があると考えてやるものが業務上過失なんです。ですから、そういう一つの定型的なものをつくろう、いわゆる検察官のやはり注意義務に対する立証を軽減させるためにあの業務上過失という概念があるわけです。ですから、それはいままで判例が固まっておりますし、ある程度定型化されているということで、私は弊害はないと思うのです。そういう意味では、あまり問題はないのじゃないかと思いますが。——よろしゅうございますか。どうもたいへん、やはり業務上過失の事故の事件で一時からやるものですから、申しわけありませんけれども。
○委員長(北條雋八君) どうも宮原さん、たいへんありがとうございました。 それでは、他の参考人の方に対する質疑を行ないます。
○亀田得治君 先ほどちょっと質問を発したままになっているのですが、特に宮崎先生にお答えいただく際に、法制審議会の経過なども、私たち一応拝見はしておるのですが、その中における論議なども若干具体的にもし御説明願えたらと思っているのです。
○参考人(宮崎澄夫君) これは、審議会の議事録を要約したもの、あるいは法制審議会自体の答申にもある程度あらわれておりますが、私自身それにタッチいたしておりますので、その点いまここで要約してお話しいたしますけれども、最初道交法でやったらどうかという意見もあったのでございますが、やはり先ほど私がここでお話ししましたような点が問題になりまして、結局やはりこの刑法の中でやるのが適当であるという意見が多数であったのでございます。しからば、刑法の中で事を考えるときにどんな方法が考えられるか、こういうことで、最初に某委員から、業務上重大な過失による——業務上ということとそれから重大ということとを組み合わせて、業務上重大な過失により人を死傷に至らしめた者、こういうふうなことを構成要件にしてはいかがということ。第二には、他人の生命身体に危険を及ぶすべき方法で車両を運転し、よって人を死傷に至らしめた者云々の刑は、同じくやはり五年であります。そういうような案が出されまして、論議の結果、あとに述べました他人の生命身体云々という案が第一案となりまして、それから最初に私が述べました業務上重大な過失による、こういうものが第二案としてその提案者から提案されたわけでありますが、しかし、そこでいろいろとそれこそ慎重に検討いたしたわけでありますけれども、第一案につきまして、つまり他人の生命身体云々という方法でというようなことの場合に、その表現から見まして、これは非常に広く解される心配がある、場合によるとすべての過失が他人の生命身体に危険を及ぶすべき方法で運転したということになりはしないか、その点が大きな反対理由でございました。なお、危険を及ぶすべき方法ということについて、故意を必要とすることになりはしないか。そういたしますと、実務上やはり相当の問題が起こってはこないかという点も問題になりました。それからさらに、その条文とそれから現行法の二百十一条との関係はどうなるのか、それらの点も不明だということで、結局やはりこれも、この案は少数の案としてあまり賛成者が実はなかったわけでございます。 それから第二案の、業務上重大な過失により人を死傷に至らしめた者、こういう構成要件にしようという案でございますが、これにつきましては、大体業務上という概念はそう明瞭でない、それ自体。そういうものにさらに業務上重大な過失という概念をつくり上げるということは、このこと自体問題じゃないか。それから、ある人の立場からしますと、業務上重大な過失というものは、業務上の過失というもの自体がもうすでに重大な過失というものを含んでいるのだ、業務上過失は重大な過失なんだ、こういうふうに理解している立場がありまして、そういう立場からしますというと、業務上重大なということは意味をなさないといったような、そういう疑問を出されました。それから、業務上重大な過失というふうにいたしますと、本来の悪質な業務上の過失あるいは重過失というものに対して刑を上げようというその趣旨と多少ずれるのではないか。本法のねらいは、悪質なものについてだけ刑を上げろというところにあるわけであります。業務上重大な過失というふうな概念でそれをとらえるということには、その間にズレがあるのじゃないか、こういうふうな意見もございます。いろいろほんとうに慎重に検討いたしたのでございますけれども、そういうようなことで、結局この双方の案とも少数になりまして、多数意見としては原案に賛成するということに落ちついたわけであります。
○亀田得治君 私の提案はどうでしょうか。
○参考人(宮崎澄夫君) 先ほどの御提案ですが、無免許ということ、それから酒酔いでございますか、それと……。
○亀田得治君 無免許、酒酔い、スピード違反ですね。
○参考人(宮崎澄夫君) それだけに限るわけですか。
○亀田得治君 そうですね。
○参考人(宮崎澄夫君) これは先ほどひまがなかったので申し上げなかったのでありますけれども、多少ことばの上で誤解をされるようなことになったかもしれませんけれども、ただ単に立法技術上困難だというふうなことだけでそういう点を排斥しているわけではございません。それからまた、特別法で規定することが刑法の体系を乱すということの意味も、これは私も、どういうわけでそういうことをお話ししたかという意味合い、これは御説明申し上げなければならないわけですが、いまのこういう道交法の改正でまかなうという点については、それだけでやはり問題が相当あるのじゃないかということを私は考えたわけです。いま亀田先生がお出しになりましたこの案自体、私は実は存じておりません。この案自体についてそう深く考えたわけではございませんけれども、いま私の意見を申し上げますと、これがどういう形になるかということが一つの問題ですが、むろんそこに、いま先生の御案のような場合も、ゆとりがあるものですから、字句の修正その他は考えられると思いますけれども、その場合、無免許運転によって——やはりよってでございますか。
○亀田得治君 その運転によって——「当該運行により」。
○参考人(宮崎澄夫君) その運転によってでございますか。
○亀田得治君 ここで結びついているように思うのだが、不十分であれば……。
○参考人(宮崎澄夫君) それは結果的に加重犯的な問題として考えてとらえますか、あるいはそうじゃなくて故意犯的な問題としてとらえるか。これはむしろ提案の御趣旨としては、要するに、無免許で運転しているのだ、あるいは酒酔いで運転しているのだという点について故意がありさえすればよろしい、結果の発生について故意は必要でない、こういうお考えであろうと思うのでございます。故意があればむろん殺人とかあるいは傷害罪で打てますから、ですからおそらく結果についての認識は必要でないという御趣旨だろうと思いますが、その点はことばでどうでもなると思います。ただ私一つの問題は、はたしてこの無免許とそれから酒酔いだけを取り上げて重くするということで、それで、今回の改正というよりは、現実の事故ですね、事故に対処することが十分であるかどうかという点、つまり結果的に加重犯的な考え方をしますというと、基本的な行為をどこまでとるか、何をもって基本的行為とするか、これもいろいろなものが問題になるわけでございます。たとえばスピード違反ということも問題になりましょうし、あるいは一時停止の違反ということも問題になりましょうし、いろいろなものが問題になるわけで、その中で特に酔っぱらいと無免許を取り上げることが妥当であるかどうかということが一つ、これは相当慎重に考えなければならない問題じゃないか。つまり、業務行為というものをどこまでとらえていくかですね。それから、先ほど因果関係の問題が起こりましたけれども、この無免許というようなものを考えてみますというと、無免許であるということが原因で、その無免許運転によって人を死傷いたすという場合のほかに、無免許運転で人を死傷に至たらしめたという場合において、全部、無免許ということと、それから死傷に至らしめたということの因果関係というものをよく考えなければいかぬのではないか。無免許でも、技術が相当普通にある者もあるわけでございますね。そういたしますと、その無免許で運転したということが原因じゃなくて、むしろ無免許であることに伴うというか、免許、無免許にかかわらず未熟だったということですね。だから、無免許者について考えれば、無免許者であるということが原因じゃなくて、技術が拙劣であるにかかわらず運転したというところに過失がある、こういうふうになってくるのじゃないかと思うのでございます。それですから、ただ無免許で運転したということだけで——無免許運転によってそういう死傷が起きたというふうな因果関係というものは、相当これは問題になるのじゃないか、無免許の場合には。酒酔いの場合ですと、比較的簡単に認められるかとも存じますけれども、しかし無免許の場合だと、相当無免許運転自体に原因を認めるという場合がかなり減ってくるのじゃないかというふうに考えるわけでございます。 それからもう一つですね、従来、いわゆるここに例にあげてありますようなこの悪質な事件におきまして比較的重い刑が科せられておりますけれども、これを見ますと、これは何も無免許であるからとか、あるいは酒に酔っているからとか、その一つ一つを取り上げて、そして重い刑を科しているわけではないのですね。つまり、この中心はあくまでも過失ということにある。中心は業務過失にある、あるいは重過失にある。ただそれに付随して、無免許とか、あるいは酒酔いとか、あるいはひき逃げとか等々のですね、あるいはスピード違反とか、そういういろんなものがすべて全体的に考慮されて、初めてそこにこういう重い刑が出てくる。つまり悪質という判断は、個々の、無免許だから悪質だとか、あるいは酒に酔っているから悪質だとか、そういうことではなくて、そういうものがかみ合わされて総合的にそこに事象としてそれがあらわれているからこそ悪質だと判断される、それで重くなる、こういうふうに私は考えるわけです。この提案によると、酒酔い自体、あるいは無免許運転自体ですね、それによってもう五年ということに上がるわけなんです。それは条文のほうでそうなってしまう。それがどうかということなんです。つまり、むしろこれによると、酒酔い運転の中でも悪質でないものもある、無免許運転の中でも悪質でないものもある、いろいろなものがあるわけです、その形の上において。実質はそうですけれども、個々の、酒酔い運転、無免許運転、それだけで重く処罰される、それによって人を死傷に至らしめた場合、重く処罰されるということになって、多少行き過ぎになるんじゃないか、かえって。これはむしろ、裁判官をどこまで信用するかという基本的な問題になるわけでございますけれども、たとえば窃盗にしても十年以下にしておる。これは、事例をとってみれば、個別的に言えば、こんな窃盗でたとえば懲役三年を食った、これはひどいとか、あるいはまた、こういう事件でもって懲役六カ月で済んだ、これは軽いとか、それはいろいろな個々の次元についての判断はいろいろありましょうけれども、しかし法律のたてまえからしますと、やはり一定の刑の範囲をきめて、その範囲においてあとは裁判官の法律常識というものにたよる、これが今日のたてまえでございます。これは極端に詰めて神経質に考えれば、なるべく構成要件を細分化いたしまして刑を科していく。たとえば、同じ窃盗であっても、持凶器窃盗あるいは夜間窃盗とかといったようなものを、また加重いたしていくとかということになりますけれども、しかしその加重する場合でも、ただいまの刑法のように、窃盗については五年とか、何々については何年だとかというふうにきめることは、これはとうていできない。そういうわけで、こういうふうな提案の規定にいたしましても、何もそのすべてのところが、多くのものがそういうふうになると、ことに最高刑に近いもので処罰されるといったようなことは、これは観念的には考えられますけれども、いやしくも裁判官の良識とかあるいは法律常識というものを信頼する限りは、そういう心配はない。ことに、いままでの実例を見まして、私はそれは、いま申し上げましたように、何も一つ一つをとらえて言っているのではなくて、全体の要素を総合してそこに悪質という判断をして重くしておる、こういうふうに私は考えるものですから、そこに若干疑問があるのではないか、こういうふうに私はただいまは考えておりますが、詳細に検討しないとそれは言えません。
○委員長(北條雋八君) 速記をとめて。
○委員長(北條雋八君) 速記を始めて。
○亀田得治君 いろいろ御意見を承りましたが、私の考えでは、ともかく酒酔い、それからスピード違反、無免許、こういうものがなくなるだけでも、これは非常に大きないい結果が出る。で、いろいろなものにこいつが結びつく一番大きな原因ですわな、いままでの事故を調べると。ことに酒酔いなどはそうです。ですから、したがって、実際の注意義務をどれだけ果たしたかということになると、必ずしも、無免許なんかの場合は問題があると思うのです。ほかのやつよりも注意義務自身はもっと注意してやっておるかもしれない、場合によっちゃね。しかし、そういうことじゃなしに、ともかく形式的にこの三つのものについては、もう事故が起きようが起きまいが、それ自体絶対いかぬのだということをはっきりさせたいんです。私はその必要があると思うのです。で、そういう人が、これはもう道交法ではもちろん処罰してるわけですが、もっとその点をはっきりしたい。そして、そういう諸君がこの刑法の二百十一条に当たるようなことをした場合にはもう五年にするということで、やはり世間に対する効果をねらうというところなんですね。それで、いろいろ実際のケースになった場合に、三つのものの処罰がどうなるか、これは私はまあそれこそやっぱり裁判官にまかしたらいいと思っているのです。あなたのほうでは、二百十一条、原案どおりやってもそんなに心配要らぬと、悪質でない運転手さんのやつは、そんな重いところへ持っていかぬからという意味のことをおっしゃっている。それと同じことをこれまた言えるわけですね、この三つのことについてもね。なるほど三つに該当しておっても、事情の軽いものは三年以下というところでおやりになるでしょうし、だからまあ裁判官の問題よりも、現在の社会情勢、政治情勢から見て、みんながわかりやすいように、この酒に酔って運転をしたり、スピードをむやみに出したり、いやしくも、たとえ腕があっても、免許も得ないで運転するというようなことは最もいかぬことであるということをはっきりしたいというのが、この単独立法にしたい、日本弁護士連合会もやはり単独立法の意見ですね、正式に法務省へ出しておる意見は。個々の弁護士さんにはいろいろ意見があるでしょうが、そういう意味なんですがね。この案自体の字句などは、これはもちろんもっと訂正してもいいし、また、いま御指摘のように、どうも三つだけにしぼるのはおかしいじゃないかというふうな点があれば、あるいは社会的に非難されておるようなのがあれば、もう一つや二つ加えてもいいと私は思うのです。しかしあんまり加え過ぎてもまた問題があるので、いわゆる交通三悪といわれておるこの三つだけを取り上げたというのが、まあ私の気持ちなんです。
○参考人(宮崎澄夫君) 御趣旨は十分理解できますけれども、私は、やはりいまの実態に即応して、まあ悪質なものをとらえようという形である。それを条文の上で、形の上であらわそうとしますと、ちょっと問題があるんじゃないかということを感ずるわけでございます。 それからいまの限界の問題ですけれども、これもしさいに検討していきますと、おそらくいろんな議論が出てくるんじゃないか。無免許であるということですが、先ほどお話しのように、無免許については因果関係がどうしても問題になってくる。そうすると無免許であるということじゃなくて、むしろ技術が拙劣だからということが原因になっているわけですから、そういうふうなことにいかないとまずいんじゃないかというような気もいたすわけです。
○参考人(近藤武君) 私ちょっと、おいでになる前に、ちょっとあれなんですが……。
○亀田得治君 あとからまた来ますが、ちょっと時間がありません。 そこで、無免許の場合ね、宮崎さん、とにかく無免許者が事故を起こした場合には重いと、御承知のようにはっきりしたらいいと思っているのです。何も無免許ということと、人身事故は結びつかぬでもいいと思うのです。無免許者が二百十一条に該当する場合には重くする、無免許自体をもっと非難しなきゃならぬということを申し上げている。
○参考人(宮崎澄夫君) そうしますと、結果的に加重犯という形はとらないわけでございますね。そういう形じゃなくて、無免許運転自体あるいは酒酔い運転自体ということが問題になってくるわけでございますね。そうしますと、たとえばいまの道交法の規定をもう少し上げるといったようなことでも間に合うんじゃないかという、また反論も出てくるわけでございますね。
○亀田得治君 まあちょっと、あとでまた聞きます。
○中山福藏君 それでは私すこぶる簡単にお尋ねするわけですが、この場合、近藤参考人並びに大島参考人にまずお尋ねするのですけれども、それはこう承っておりますと、結局結論として反対と、その理由は何を反対されるかというと、環境の整備というものが不十分である、こういうことなんですね、一口に言えば。もちろん私ども法廷に立っていろいろと弁護をする場合、結局道路の狭いこと、陸橋、地下道の不整備なこと、それから高架線が通っていないというようなことを、いろいろ何と申しますかね、弁論の資料として陳述するわけです、弁護をする場合には。そこでお尋ねしたいのは、たとえば近藤先生はポリオの問題を取り上げられたですね。それから大島さんは現在の社会の実相というものを把握していろいろ陳述された。そこでお尋ねしたいのは、そういう環境の整備ができたら、この法律というものに賛意を表されるというふうにも聞きとれるのですがね。しかしながら、それには時間的な問題というものが横たわっていると思われるのですが、環境が整備されてきたら御賛成になるのですか、お二人とも。ちょっとその点。
○参考人(大島藤太郎君) 環境の整備ができれば事故は激減すると思いますね。ですからその必要はなくなると思います。
○中山福藏君 そこで環境の整備というものには、財政問題というものがくっつくのですね、結局。私もそういうことでいつも量刑の上に非常な論陣を張っているわけです。だからそういうことをするには、環境の整備をするには、あなたの立場からどうすればいいという御意見を、ちょっとつけ加えておかれる必要があるのではないかという気もしますがね。そういう点をひとつ承っておきたい。
○参考人(大島藤太郎君) たとえば道路の整備はばく大な財源、いま六兆でしたかね、また五か年計画通りますね。そういうものと、それと鉄道は約三兆円で長期計画をやっておりますですね。一体この道路のばく大な計画と鉄道の計画が、日本の交通体系というものを考えた場合には、十分検討されているかどうかということですね。道路は自動車の問題と切り離せません。それから鉄道も電化、複線化、新幹線も岡山まで、やがて九州ということも考えられるわけですね。現状には何ら関連がないのですね。建設省と運輸省との関連において見ますと、たとえばこの路線は自動車はどの程度発達させる、あるいは鉄道はどういう形で持っていくか、飛行機との関係はどうするかということは、全く自由放任だと思いますよ、現状は。ですから、そこに私は総合的な交通政策、ばく大な資金を使うわけですから……。
○中山福藏君 そこで私がお尋ねしたいのは、それでですね、よく攻撃、批判はしても、自分がこうするという建設的な意見がない、いつも感じているんですよ、普通の攻撃陣は。それであなたの立場からいえば、こういうふうな財政措置を講じ、あるいはこういうふうな政策というものを打ち出せば、この問題は解決するのだという時間的な期限と方法というものがちゃんとできているのですか。
○参考人(大島藤太郎君) そういういまばく大な資金を、ただ競争とスピードアップということじゃなくて、安全の施設に回したらいいのじゃないかということですよ。そういう何も、たとえば東北新幹線、九州新幹線まで考えないで、通勤輸送を充実するとか、踏切を立体交差するとかということに、その資金を回すべきだと思うのですね。
○中山福藏君 そこでお願いしたいのは、政府にそういう献策、あるいはそういう資料をそろえて御提出願う、また私どもにもくだされば、たいへんけっこうだということに考えているんです。どうか将来さようにお願いします。時間がありませんから、近藤先生にもその点をお聞きしましょう。
○参考人(近藤武君) 私は結果的には賛成という、いろいろの条件がつきますが、賛成という意見を出したわけでございまして、反対を申し上げているわけではありません。ただ、そのときに……。
○中山福藏君 ちょっとお待ちください。私は田村先生と間違っておりました。あとからあなたと鶴田先生に固めて御質問したいと思います。 田村先生にお聞きしたいと思います。あなたはポリオの問題を取り上げましたね。
○参考人(田村清君) 交通の問題につきましては、交通の問題だけで、先ほど亀田先生と宮原先生あるいは宮崎先生と御質疑がありましたが、これはその中で単独立法で処理されたらよろしいと思います。それと、なぜそう申しますかというと、他のたくさんあります業務上の問題について、交通の事故防止のための立法の考え方が、他の業務に対してまで、これがそのまま影響されて罰の条件が引き上げられるということにはどこまでも反対でございます。 それから、先ほど触れました予防接種の問題につきましては、せっかく国が定めております予防接種についての基本的な条件、予防注射の会場に当てられるところは衛生的でなければならないというところへ、土足でみんなが出入りする。また、そういう方法でないと処理できないような、小学校の雨天体操場のようなところが当てられて、おていさいにクレゾール液を少しまいて、しめらせておくというふうな程度のことでお茶を濁し、また、従事者につきましても、現在の保健所の設置基準が、人口十万に一カ所というのが、二十万、三十万というところに一カ所しか間に合わないような状態になっておる。その中で法律が形骸的に存在しておって、実際には公衆衛生の立場から、予防接種をやらなければならぬ、やらなければならぬ予防接種の必要性と、その問題の重要性を、役所のほうで忘れておるのではないかと思われる実情でございます。そういう状態のまま私どもに問題が課せられてくる。
○中山福藏君 わかりました、おっしゃることは。そこで、私は申し上げておきますが、これは大体医療問題に対する武見会長の御意見が半ば手伝ってあなたの御意見となったものと看取しております。そこで私は、これも大島さんも述べたと同じように、議員立法で出す措置が講ぜられるのですよ、あなた方の御意見を。それをほっておいて、十年も非難攻撃しておられる。その点は国民に済まぬと思われませんか、その点はどうですか。議員立法でやれるわけです。あなた方の医者が援助された代議士はたくさんおられるのですから、そういう人に意見を述べて、なぜ議員立法でそういう措置を講ぜられないか。しからばそういう問題もおのずから解決するのじゃないかという気もするのですがね。その点どうですか。
○参考人(田村清君) その点につきましては、日本医師会が常に国会議員に対する働きかけ、政府に対する働きかけをしておりますので、私ども個人開業医の、ことに保険医だけの団体からいいますと、これは医師会の問題でございまして、医師会の定款にあります公衆衛生に寄与するという、これは各段階の医師会の定款の中にありまして、医師会というものの当然の任務でございますので、日医の武見会長はじめ、各都道府県の会長にいたしましても、絶えずそういう努力はしておるわけでございます。ただ、厚生省でこれを取り上げるか取り上げないかは別問題でございます。将来とも続けて努力されるに違いないと期待いたしております。
○中山福藏君 どうかひとつ努力されて、実りのある行動をおとり願いたい。私は、この前も医師会の方々に、代表者にそのことを言っておったのですがね。それで十年間もおやりになって実りがない、これはどういうわけか。そのひとつ欠陥的な事情というものを十分御反省願いたいということをつけ加えて、あとは鶴田先生と、それから近藤先生、お二人にお尋ねしたいと思うのです。心理学的な立場から現在の日本の情勢、政治、経済、文化、その他の問題を考慮して、そうして今日の立法措置を講ぜられつつあるところの今日の問題、刑法の一部改正法律案ですね。これは今日の日本人の心理的な影響というものから考えてみて、適切と思われますかどうか。適切であると私は受け取ったように考えておりますが、その点を一言だけお二人に伺いたいのです。
○参考人(鶴田正一君) もちろんそのほかのいろいろな総合対策が行なわれることが必要ですけれども、その中の一つの対策としてこれが必要だと、こう思うわけです。
○参考人(近藤武君) 私、回答する前に、先ほど何か間違ってとられておりますが、運転をする場合に、非常に無謀な運転がある。それは一〇%くらいと申し上げた。これは一〇%足らずと申し上げたつもりで、大体七%くらいじゃないか、こう申し上げておる。 それからもう一つ、ハインリッヒの法則が出ましたが、これは産業災害における法則、これはもう御承知だと思いますが、自動車災害なんかの場合には、御承知のように、たとえば東京都の場合には二・五人とか三・五人くらいの間で一人、そうして百八十人から二百人くらいが重傷を負っておるのですね。ですからこういう比率は、自動車産業とか電気産業とか、そういう産業ではだいぶん違うのです。ある産業の例を、建設業などを調べてみますと、四五対七五対一と——死亡者が一出る場合には重傷者が四十五人くらい出て、軽傷者が七十五人くらい、非常に危険だというようなことがございまして、あれはもう産業全体のものであるわけですね。その二つ、ちょっと気がつきましたので訂正さしていただきます。 条件つきと、何かあいまいなようでございますが、そういう無謀なものに対するものとして賛成するということでございますね。そして、しかしゼロから始まって五年までということでございますから、何も全部五年になるということだったらこれは不賛成である。ゼロから始まる、そうしてほとんどの場合に、いろいろな条件を客観的に判断した上では、おそらくそう悪質なものというのはおらないだろう、それは七%というようなふうに私は受けておるわけです。
○中山福藏君 これで私は終わります。
○山高しげり君 田村先生と大島先生にちょっと簡単に伺いたいのですけれども、酒酔い運転が非常に多いのですけれども、それについてはどうしたらいいとお思いですか。いろいろ大きな環境整備等の問題出ておりますけれども、酒酔い運転というのはまた少し違うように思うのですが。
○参考人(大島藤太郎君) 酒酔い運転につきましては、やっぱり道徳的な刺激ですか、つまりこの法案がねらっているような、ある程度の刑罰の重科による緊張度を高めるということも、やむを得ない対策の一つとしてそう思っておるのです。ですから、これは単独立法がいろいろ議論がありましたように、道交法の改正なり、あるいは故意犯として処罰するということはやむを得ないだろうと思いますね、それが対策の一つとして。しかし圧倒的な部分の人に対しては全く反対なんですね、こういうやり方は。
○山高しげり君 それはわかります。まあやむを得ないと、道徳的なあれと、そのほかにお考えにならないでしょうか。田村先生いかがです、お医者さんでいらっしゃいますから。
○参考人(田村清君) 自動車の運転のことが問題になっておるのですが、自動車の運転というのは、非常に自動車をつくるほうの技術が進んで、だれにでも簡単に運転できるような宣伝がされておりますけれども、しかし、最近の自動車の運転される場の状態を見ますと、これはスポーツで言えば、相当高度な訓練をした人でないとできないものだというふうに考えます。で、自動車についての運転についての知識と技術と、その上に、これはひとりで走っているわけでございませんので、それで事故が起こるわけですから、モラルの問題、これは酒を飲んで運転いたしますと、大脳の生理から申しましても、知識も技術も、これは体を動かす動かし方に大きな欠陥が生じますし、またモラルの点でたいへんに、本人の正常な状態で持っているものと条件が変わってまいると思いますし、どうしても酒を飲んだ場合には運転をしないんだということが確立されなければならないと思います。
○山高しげり君 それだけですか。
○参考人(大島藤太郎君) やはり酒酔いの運転の場合でも、安全施設の充実というのは非常に関係があるのですね、考えてみますと。というのは、たとえばガードレールががっちりしておれば、かりに少々の酒飲み運転で道路に寄ってきても防げるわけですね。これがないと、そのものずばりで事故になりますけれども、たとえばあらしの場合でも、あるいは台風でも、防ぐにはやはり安全施設を充実する以外にはないと思いますね。大いに関係あるわけですよ。これは、ですから専用道路の酒飲み運転と一般の酒飲み運転、つまり人道もないような酒飲み運転とは非常に違いますね。やっぱり、ですから酒飲み運転の事故をなくす場合にも、施設の充実というのは無関係じゃないので、大いに関係があるんですね。それにプラスそういうモラルの問題が非常に強いということは事実ですけれども。
○山高しげり君 私は、だからそこからもう少し飲酒というものに対する社会的な規制ということが起こらないかと思ってお伺いをしてきたわけです。だからドライブインなんかで何の制限もなしに酒を売っているというようなことに対して御意見ないかと承ってみたんですが、御意見ないようでございますからけっこうでございます。
○大森創造君 宮崎さんにお伺いしますけれども、こういう刑法の改正をしますというと、その意図はわからないことはございませんけれども、一般的に量刑を底上げされるような裁判の傾向になる危険はございませんか。
○参考人(宮崎澄夫君) これはもうたびたび論議されている問題でありますけれども、私たちの考えからいたしますと、それは確かに立法の理由というものは、そのままに裁判官を拘束はいたしませんけれども、これがまた刑法の適用にあたって、相当な心理的な影響を与えると、これは否定できないことでございますし、それから宮原さんが言いましたように、刑の下限をこれはいじってないと、自由刑にしても罰金刑にしても、そのままにしてあるという点、これは先ほど宮原先生は、これは何もそういう趣旨でいじらなかったのじゃなくて、ほかの刑とのつり合いでわざとそうしたんだと、あるいは目的、意図が違うんだというふうな御議論ございましたけれども、しかし、そのこと自体は、これはそう即断していいかどうか、これが一つ問題ですが、かりにそうであるとしても、規定の上でいじくられておらないと、つまり規定の上で下限は従来どおりだということは、これは客観的に動かない事実ですから、それが裁判の実情において考慮されるということは、これはもう当然やっぱり期待していいんじゃないか。そうすれば一般的に、ことに宣告刑ですが、宣告刑が一般的に引き上げられると、そうして程度の軽いものまでが重い罰金刑に処せられるようになるとか、あるいは罰金刑で済んだものが自由刑になるとか、そういう現象を起こす心配は間々ないんじゃないかというように、私はさように考えております。
○大森創造君 それから田村先生がおっしゃいましたような問題ですね、それらも法制審議会あたりで議論の対象になりましたですか。田村先生、お医者さんの立場で、こういうケースがあると、交通の問題で取りまとめてもらったらいいじゃないかと……。
○参考人(田村清君) ございましたです。
○大森創造君 そこでさっき山本さんの質問に対してのお答えの中に含まれていたかわかりませんけれども、聞き漏らしましたので。道交法の改正ということで足りるじゃないかという意見も相当あったんですか。
○参考人(宮崎澄夫君) それはそのとおりではないのです。これはそういうことをここで申し上げていいかどうかわかりませんけれども、しかし、それはあらわれたところでは少数でございまして、結局直接刑法の改正が妥当である、これは多数の意見でございました。
○参考人(近藤武君) ないようですから私からひとつ。酒飲みとか無免許あるいはスピード違反、これはおのおの違うように考えますが、やはり無免許運転されるのは、死傷させようとさせまいと、この刑法のとおりとは違いますが、これはしてはいけないということにしないとまずいと思います。無免許でも技術がいいからというわけにはちょっといかない。お酒のほうは、先ほどのような、ああいうところで売ったりしてはいけないということでも私はかまわない。やっぱり飲んではいけないということであって、長距離トラックなどが国道をよく走っておりますが、普通の人は運転して酒を飲むなんということは考えられませんですね。ただし二人乗っておりますと、一人は二時間半ないし四時間で交代しますから、交代した人はうしろで仮眠するわけですが、仮眠のときにどうしても眠れないという人が飲むかもわかりません。そういう意味で言っているのだろうというふうに考えるわけですが、そういう常識のある人たちに対しては、これがすぐ適用になるということではないのではないか。ゼロから五年までの間のほうには入らない、ゼロのほうに入るのではないか。それからスピードなんかの場合でも、ほんとうにスピードの適切な規制がしてあるならば、違反というものは、すぐ危険とうらはらの問題になるわけですが、しかし、そうでないところも多分に見受けられまして、そういう意味で環境の整備というところでチェックをしなければならぬ。スピードという場合に、操縦不能なスピードがいけないのであって、操縦の自由のきく、適切な操縦のできるようなスピード、これは各人いろいろ違うと思いますが、そういうスピードの場合では、そう問題はないかというふうに私は考える。 何かスピードを三悪の一つに取り上げてずいぶん騒がれますが、どうもあの辺にも問題があるのじゃないかと思います。たとえば高速一号線は十キロオーバー、私は二十キロオーバーを主張して大いにがんばったのですが、十キロオーバーになっております。六十キロが七十キロ、五十キロが六十キロ、ある所は五十キロそのままになっておりますが、そうしてからもう半年近くになっておりますが、御承知のように事故がそのために減っているわけです。やはり適当なスピードのものには、ある幅があって、その幅の中では許される最高、最低の幅をよく指示してあれば、そのスピードというものが三悪の一つにならぬ、ちょっと問題だと思います。
○秋山長造君 もう時間がないようですから、簡単に宮崎参考人にお尋ねしたい。皆さんの御意見、結論的にイエスかノーかということをはっきりしていただきたいということになれば、賛成、反対に分かれるわけですけれども、ただ、しかし皆さん、どなたにしても、今日の交通事故あるいは悪質違反を食いとめるために、いま提案されている刑法改正ということが、いの一番にやるべき最善の道だとおっしゃる人は一人もおいでにならない。いろいろほかの条件が必要だということについて、そのほかの条件の評価のしかたが多少程度が違うだけで、いろいろやらにゃならぬが、まあ結論的にやむを得まい。賛成論の方もいまの場合、これもいろいろな国としてやらなければならぬ一つの方法として、やむを得ないだろうということにとどまるのであって、積極的に刑法二百十一条をどうでもこうでもこの際改正すべしという積極的な賛成の御意見はなかったように私受け取ったのですよ。それで宮崎先生が一番法律のいまの専門家ですから、そういう意味でちょっとお尋ねするのですが、先ほどおっしゃったように、過失は罰せずという大原則はあるが、その過失の内容がだいぶ時代とともに変わってきているのだというようなお話があった。それはもう私もよくわかります。わかりますが、しかし、しからば、刑法の大原則としての過失は罰せずということは、いささかでも微動したかというと、それはしていないんじゃないかと思うのです。現にいま先生方の手元で検討されていられるのでしょうが、準備草案、準備草案の該当の個所を見ると、やはり過失は罰せずというこの大原則は、いささかも微動しておらぬのですね。過失は罰せずという、ただしというただし書きはありますよ。二百十一条は、もちろん数少ないただし書きに含まれる最たるものだろうと思います。過失は罰せずの例外としては、たとえば、失火とか過失傷害、過失致死、いろいろありますがね。幾つかあるけれども、それらはいずれも過失は罰せずという趣旨が大幅に生かされている。自由刑は、これはないですね。ただ罰金刑にとどまっておるのですがね。 そういう中で、よくよく例外中の例外として二百十一条の業務上の過失あるいは重過失ということがあるわけですから、これはよくよくのことだろうと思うし、よくよくの例外だろうと思うし、例外である以上は、当然これはきわめて厳格に解釈さるべきものだろうとも思うし、またその刑罰も最小限度にとどめられるべき筋合いのものだろうと思うのです。しかも、一方では統計上この交通事故で重大な傷害を起こしたという場合をずっと当たってみますと、ほとんどの場合が無免許運転、飲酒運転、それからまた無謀運転、しかも、それらが二つ三つ重なっている場合がもうほとんどです。全然素面でまともにやって、そういうむちゃな事故を起こした原因というものはほんとうに微々たるものという事実が片一方にある。しかも、その場合に、業務上過失の刑法の三年ということだけでなしに、前段のところの無免許、それから飲酒あるいはひき逃げというようなところは、みな道交法にそれぞれ罰則がありますね。だから併合罪になるわけです。両方合わすと最高四年半までは、少なくとも現在の法制でもいけているわけです、そういうことが一つ。 それから、その法務省からもらって、ごらんになっておると思うのですが、その資料の統計を見ますと、業務上過失致死傷あるいは重過失致死傷、それから道交法違反、この三つの刑を食らった、それぞれの統計を見てみますと、三年以上の刑を食らっているというのはもううんと減っていますね。この件数、大体数も少ないですが、それがさらに減っておる。たとえば業務上過失致死傷でも、昭和三十九年までは年々二十件前後あったのが、四十年には四件に減っていますしね。それから重過失にしても、三十七、三十八年ごろは二件ぐらいであったのですが、それが四十年には一件に減っています。それから、道交法違反にしても、三年以上というのは三十七年、三十八年ごろで四件ぐらいあったのが、四十年にはゼロ、こういうようにいわゆる悪質重大交通事犯というのは減ってきているわけですわね。 そういうもろもろの事実を私考え合わせますと、何もいまこの交通事故がこれだけ数がたくさん起こっているのだからといって、これを予防する手として、あるいは警告を発する手として、その二百十一条の三年を五年に上げなければならぬという必然性というものは、私はつかめないように思うのです。もっとほかのことで、あるいは現行法だけでも十分、一番極限の最悪質な事件でも十分さばけていけているのじゃないか。現にこれ統計数字が示しているのじゃないか。それで警告する、あるいは予防するというところに重点が置かれるならば、技術的に可能か可能でないかは別として、さっき亀田君の一つの提案的なお話があったのですがね、そういう具体的な特殊問題についてだけ何か特別な対策を考えるということで、十分目的を達せられるのじゃないか。それをただもうその交通事犯の悪質なものが多いからということだけで、これは刑法二百十一条というのは、もう言うまでもありませんけれども、何もこれだけに限るわけじゃない、お医者さんから看護婦さんから、あるいは薬屋さんから何から、もうまことに広いですからね。そういうもの全部に及ぶような、そういう一般原則で例をあげて、そうして、さっき大森君が言いましたように、何となくムードとして、検事の求刑一つでも、底上げされるのじゃないか。いままで一年求刑しておったのを、今度は一年半の求刑というようなことに一般的になってくるのじゃないか。あるいは二年になってくるのじゃないか。求刑がそれだけ上がってくれば、判決する人たちもそれに従ってエスカレーションするのじゃないかというような心配が起こってくるのは、私はこれ当然だと思うのですね。 何やかや申しましたけれども、私の申したい真意はおわかりいただけると思いますが、ひとつそれらについて伺いたいと思います。
○参考人(宮崎澄夫君) 私も、先ほど申し上げましたように、別にこれだけやればいいということではございませんのです。ほかの総合的な対策が、これはいろいろな見地から行なわれなければいけないということも、これもむろん考えておるわけでございます。ただ、先ほどの他の参考人からのお話もありましたように、刑そのものが、やはりこういう犯罪予防においてかなりの効果を期待できるということも、また考えられるわけなのでありますので、それで、そういう総合対策の一環として、やはりこれは刑法の立場からすればこういう改正が必要なんだ。こういうふうに考えておるわけなんでございます。 それから、なるほど併合罪という問題がからんでおれば、自然に法定刑も上がってくるわけでありますけれども、しかし、それは結局ひき逃げといったようなものがからんできて、現在の道交法の百十七条によってそちらへいくということで上がってきておるのでありまして、そうしないと、そうはなかなかいかないのです。そういたしますと、ただ併合罪の関係でまかなえるということにはならないし、大体私は、こういう業務上の過失というものが中心をなしているそういう事件において、そのほうの刑罪が適用されないで、その一部であるひき逃げといったようなものの刑によって底上げされていくということ自体が、少しおかしいと私は思っておるのであります。本筋からいえば、やはり業務上過失というもので打つべきだ、そういうふうに考えております。 それからもう一つは、道交法の改正というようなこと自体、これはまあ先ほどもお話ししたように、改正の方法いかんでいろいろ批判が出てくるわけでありますけれども、しかし、先ほど私がお話ししたような技術的と言っては少しまた誤解を招くわけですけれども、実際に法案をつくる上でいろいろな困難が出てくるということが予想されるわけですし、それから基本的には、やはり道交法でいくと道交法だけの適用を受けるものだけが重く処断されるのだ、それなら、たとえば酔っぱらって危険な交通機関というようなものを運転するということが絶対に予想できないかというと、決してそうではないと私は思うのです。これはまた今後交通機関の進歩というような問題もあるのですけれども、たとえば航空機にしても、ヘリコプターのようなものにしても、だんだん私に使用されてくるということも考えられてくるわけですし、その場合、めいてい運転というようなものが絶対に予想できないかというと、そうではない。それから、いわんや、ほかの重大な過失といったようなものは、これはむろん予想できるわけです。そういうわけで、ただ自動車の運転に従事する者だけについて、重い取り扱いが行なわれるということ自体、これはどうしてもやはりうなずけないわけなんです。なるほど、実際の適用はそのほうに多くなってくると思いますけれども、しかし、法の上でそういう適用そのものが作為的に初めから制限されてくるということですね、これはどうも私にはうなずけない。それから過失犯を処罰するということは確かに例外的でございますし、それから過失犯に対して自由刑を科せられておるのも例外的でございますけれども、しかし、二百十一条については、もうたびたび言われておりますように、また、そうであるように、事実が、もうその実態がえらい変化を来たしておるわけなんであります。ですから、その点を考慮すれば、二百十一条だけについてこの程度の刑を引き上げるということは、やはりやむを得ないことじゃないか。やむを得ないということは、いろいろな点を考慮して、結局、ここへ落ちつくのじゃないかということなんでございます。
○秋山長造君 これ以上は申し上げても議論になりますけれども、ただ、先生のおっしゃる交通事故だけではなしに、ほかにも絶対起こらぬとは予想できないから、やはり一般法で規定しておかなければいかぬという御趣旨だろうと思う。ただ、それにしても、やはり法律改正をするには動機、理由、それからまた、その適用の対象というようなものが当然前提として予想されておる。それはすべて交通事故ということになっていますわね。政府の提案理由から始めて、それから実際にまた九九%、それなんですね、例からいいましても、たとえば法務省の実例が、ずっと三十七年一月一日から四十二年十月三十一日までの五年間、二年以上の実例が百七十九例あがっています。この中で、御存じのとおり、自動車事故以外というものは、わずか七つしかないわけですね。その七つをずっと見ましても、その七つの中でも、また、刑の最高限三年をくらっているというのはほんのわずかですね、一つか二つですね、一々申し上げませんけれども。だから、そういう実態の中で、やはり自動車事故以外の当然いろいろなことが予想されるからというような、そういうばく然とした理由で全般的に適用されるような刑法の二百十一条をいじくるということは、私、得心できぬのですよ。もう時間がないから、お医者さんの田村先生にも、また近藤さんや大島さんにも、これ以上お尋ねしませんけれども、これは実際、いたずらに刑だけ上げて対象を広げて、しかも、これは警告程度ならいいですけれども、これは威嚇、さらに脅迫をし、重大な脅威を私は心理的にも与えるのじゃないか。たとえば、せんだって衆議院で武見会長がずばりおっしゃっておったのですが、きょうも田村先生御遠慮しいしいおっしゃったと思う。これはやはり過失の内容も変わっておるかもしれぬけれども、医学そのものもずいぶん内容が変わってきておる。どんどん日進月歩ですから、そういう中で、こういうものが片一方あって、しかも、最高刑五年というので、不断の心理的脅威を与える、それはやはり医学の進歩に、ある場合には非常に大きな障害があるということは言い過ぎじゃないという気がするのです。だから、どんどん、どんな間違いでもやってよろしいというのじゃないですけれども、やってよろしいというのじゃないけれども、さっき心理学者の鶴田先生にしても、おっしゃったように、やはり人の注意力には限界があるという一つのワクがあるわけですから、そこらのかね合いということをよほど考えていただかぬと、私は、過失の内容が変わってきた、したがって、刑法理論も日進月歩で変わっていかなければならぬということを一方でおっしゃりながら、他方では、この二百十一条の改正を推進しておられる論者は、どんどん変わっていっているのだということだけ頭を切りかえなければいかぬのだということをおっしゃりながら、他方では案外、古い形法理論というものにとらわれておられるような矛盾を感ずるのです。しかし、これはこれ以上申しません。
○参考人(宮崎澄夫君) 私は、そういうふうにお受け取りになるかもしれませんけれども、しかし、刑法理論が進歩しているというようなことも、これは考慮に入れつつ考えているわけでございまして、先ほどもお話しのように、危険分配の原則とか、あるいは信頼の原則といったようなものが一方において、注意義務を過当に課することを防止するような役割りを果たしているという、そういう現実も考えて、そうして考え合わせて、何も法刑を引き上げたからといって、一般の交通労働者あるいはわれわれのような十何年も運転しておりますけれども、私のような運転者が重い刑を科せるというような、普通にはあり得ないというふうに、私は裁判官を信頼しておるわけなんです。ことに、それが立法の面にあらわれておるというふうに考えているわけです。 それから、先ほど失念いたしましたけれども、四十年の最高三年というのが減っていることは減っておりますけれども、同時に、それに近いものはふえておるようでございます。ですから、二年以上、二年半以上というようなものをとってみますと、そうすると、必ずしも減っていない。それから、四十年にどうしてそういう現象が起こったかというのも、これもそう急に四十年にこれだけだからこうだというふうにもいかないんじゃないか、やっぱり全体的な考察でもって事を考えていかなければならぬじゃないかというふうに考えておるわけでございます。 なおまた、法定刑の頭打ちの問題なんかにつきましても、まだ実は御説明申し上げたいことはたくさん残っておるのでございます。時間がございませんので申し上げないだけのことで、御質問もないので申し上げませんですが、頭打ちなんかでも、やはりそれ相当の理由があるというように私は考えております。
○委員長(北條雋八君) 他に御発言もなければ、参考人に対する質疑は、これをもって終了いたします。 終わりに、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。 本日は御多用のところ御出席いただき、非常に長時間にわたり、貴重な御意見をいただきまして、まことにありがとうございました。本案の審査に多大の参考になったものと存じます。委員会を代表いたしまして、重ねて厚くお礼を申し上げます。 午後二時四十五分再開することとし、これにて休憩いたします。 午後一時四十三分休憩 —————・————— 午後三時五分開会
○委員長(北條雋八君) ただいまから法務委員会を再開いたします。 委員の異動について御報告いたします。 本日、野坂参三君が委員を辞任され、その補欠として春日正一君が委員に選任されました。 —————————————
○委員長(北條雋八君) 休憩前に引き続き、刑法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。 質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
○春日正一君 今度の刑法二百十一条の改正点ですけれども、業務上過失致死傷罪、それから重過失致死傷罪の法定刑を、五年以下の懲役を新たに加えた、禁錮刑、懲役五年にする、罰金をかけるというような改正ですけれども、これを改正する動機、趣旨ですね、これをひとつ簡単に。
○政府委員(川井英良君) 改正の動機といたしましては、最近の交通事情、特に自動車運転に基因するところの事故が非常に多発しているばかりではなくて、特に重点を置きますのは、非常に悪質で重大なものが多くなってきているということが、この定められた法律の法定刑では不十分である、このきわめて悪質な、また重大な事故に対しましては、禁錮三年という刑では、いまやこれをまかなうことができなくなってきた。そこで、悪質重大なものが多発しているというところに重点を置きまして、この改正案を提案している、こういうことでございます。
○春日正一君 まあ理由はそういうことですけれども、業務上過失致死傷罪ということになると、これは自動車運転以外のものも当然含まれると思うのですけれども、この法の対象になる業務上という中身は、どのくらいの範囲にわたるものですか。
○政府委員(川井英良君) 御指摘のとおりでございまして、自動車運転のほかには、交通機関としましては、たとえば汽車、電車というふうなもの、それからまた、たとえば航空機でありますとか、それから海上におきましては、船舶というふうなものが、交通機関としてはこの適用を受けることになります。それから、そのほかにも業務上云々と、こういうふうに書いてございまして、いままでのこの法律の判例が確立してまいりました結論によりまするというと、その他にも、たとえば重大な炭坑保安の事故のために、よくたくさんの方々が死亡されるという例がございますけれども、この炭坑における爆発の事故あるいは水没の事故というふうなもの、それから最近はいろいろな造成工事なんか行なわれておりますけれども、その造成工事の不注意のために、また多数の方々が死傷されるというような例も非常に多いわけでございますけれども、そういうようなものにも、もちろん適用がございます。それから医療過誤の中で、特に過失が証明されるようなものにつきまして、そういうふうなことにつきましても、過去において適用されたかなりの例がございます。それから、その他最近、公害の問題がやかましく議論されておりますけれども、この公害の問題なんかも、もちろん、過失が証明されれば、この二百十一条の対象に相なるわけでございます。その他にも、要するに、人の社会生活上の地位に基づいて反復累行する行為であって、しかも、人の生命身体に影響を及ぼすような行為、それはすべてこの「業務」に該当するわけでございますので、目的といたしましては、特別加重された注意義務を持っているものであって、人命を尊重する、こういうたてまえからできた法律でございます。
○春日正一君 非常に広いものですね。私どもしろうとではどうもちょっと思い及ばないくらいな広い範囲にわたって適用されると思います。しかし、そういうものを提案の理由とすれば、自動車の交通事故の中で悪質なものがあれば変えるんだという形で、自動車交通事故だけを理由にして非常に広い国民を縛るというような改正をするということが妥当であるかどうかということですね。
○政府委員(川井英良君) 立法の理由といたしましては、先ほど述べたとおりでございますが、この刑法でこういう改正をいたします場合には、刑法といたしましては、いま申し上げましたようないろいろなものを適用の面で含んでくるということは、これまた御説明のとおりでございます。問題は、そういうふうな社会現象に対しまして法律の手当てをする場合に、刑法という法律でまかなうか、あるいはその他の方法があるかと、まあ、こういうことだろうと思います。そこで問題といたしましては、いろいろ慎重に検討いたしました結果、結論といたしましては、単独立法とか、あるいは道路交通法とかいうふうな法律の改正をもってまかなうことは、いろいろの面からして妥当でないと、やはり刑法の改正をもってまかなうのが最も妥当だと、こういう、慎重審議の結果、結論に到達したわけでございます。これを私どものほうに設けられております法制審議会にかけまして、法制審議会でも、四回にわたりまして慎重な御審議を願ったわけでございます。その席上におきましても、御指摘のように、ほかの法律でまかなうことはできないかという一部の意見が出ました。そういうふうな案も示されたわけでございまするけれども、審議の結果は、それはごく少数説といたしまして採用されるに至りませんで、大多数の多数説といたしましては、やはり刑法の改正をもってまかなうのが筋である、それが法律の体系上最も妥当である、こういう結論になりまして、法制審議会の議を経て、この改正案を国会にお願いしておる、こういう事情になっております。
○春日正一君 刑法の改正ということは、刑法全体の改正が問題になって日程にのぼってきているというのじゃないですか、その点、進行状況どうなんですか。
○政府委員(川井英良君) 御指摘のように、私どもの手元で、ただいま刑法の全面改正の作業を進めております。これは御承知のように、何百条にも及ぶ条文でございまするし、そしてまた、何と申しましても、国の基本法の最も重要な法典でございますので、その法律全体につきましては、かなり年月をかけて慎重に審議がなされなければならないと思います。最近、世界各国におきまして刑法の改正が議題になっておりまするけれども、世界各国の事例を見ましても、三年、五年で済んだというところはございませんで、やはり十年、十数年をかけて議論をしている。また、国会にかけましても、ドイツ刑法のごときは、もう数年にわたりまして国会で審議が続けられておる。その国会にかける前にかなり長い間の審議が行なわれておったというのが実例でございますので、私ども、なるべく早くこれを行ないたいということで、作業をなるべく迅速に行なうためにお願いいたしておりますけれども、これ全体を完成いたしまして、国会にかけるというような見通しといたしましては、どんなに早くても数年間ないしはそれ以上の期間を見越さないことには、全面改正が国会にかかるということにはならない見通しでございます。そういうふうなときに、私ども、主として交通関係の事故でございまするけれども、交通戦争と言われているような特に悪質重大なものが多発しているこの現状に対しまして、何年先になるかわかりません全面改正を待つということは、これはまことに妥当ではなかろう。やはり行政を推進するものといたしましては、差しつかえない限度におきまして、一部改正という方向でもって国会にお願いするということも、これまた行政の推進としては妥当な考え方ではないかというふうなたてまえのもとに、緊急な事態であるので全面改正を待つことはできない、こういう見通し、また、そういう確信のもとに、一部改正をお願いしておる、こういう事情でございます。
○春日正一君 そこのところですね、まあ刑法の全面的改正という問題は、いろいろ論議があって問題があるということは私ども承知しておりますけれども、やはりこういう問題は、刑法全体の中でこの重過失致死傷ですか、そういうような問題もやっぱり位置づけていかなきゃならぬ問題でしょう。全体の体系としてそういう問題がいじられているときにですね、緊急に交通事故の問題が激化してきたからというなら、道理とすれば、急場の間に合せのためならば、単独立法なり道交法なりというものでさしあたっての手当てをして、全体のその改正の中で正しく位置づけをしていくということが道理じゃないですか。
○政府委員(川井英良君) 一面においてまことにごもっともな御議論だと思います。ただ問題は、御承知のとおり、刑罰法令でございまして、人の人権に最も重大な影響を及ぼすものであるとともに、また、国民全体としての法秩序の維持ということにきわめて重要な関係を有する基本法典と申しますか、そういう基本的な事柄でございますので、一般行政法規あるいは民事法規も、もとよりいいかげんであっていいというわけではございませんけれども、それはそれなりに、法律の解釈としても、運用としても、ゆとりがあるわけでございます。しかしながら、御案内のように、およそ刑法とか、あるいはその他の罰則とかというふうなものの解釈は、これは、ほんとうにきわめてこれを厳格に解釈し運用していくということが最も大切なことだと、申し上げるまでもないことでありまするけれども、私ども法を運用する立場のものは、もとよりそういう立場で運用いたしておるわけでございます。そこで、そういうような要請から、いろいろな体系なり、あるいはその組織なり目的なり趣旨なりというふうなものが、将来解釈を誤らないように、いろいろな配慮がなされているわけでございまするので、そういうふうな観点から緊急必要性がある、その目的、必要性と、それからもう一つ非常に厳格性を要求される刑罰法規のこの改正の問題と十分慎重にかみ合わせまして、最も妥当なところをやはり選ばなければならない、こういうふうに思うわけでございまして、そういうふうなたてまえのもとにいろいろ考えました結果、先ほども申し述べたところでございますが、御指摘のような単独立法とかその他の特別法規というんじゃなくて、やはり刑法でもってまかなうのが、そういうふうな観点から見て最も妥当であると、こういう結論に達したわけでございます。
○春日正一君 それじゃ、まあ交通の問題に今度は限っていきますけれども、刑罰を強化して、それで交通事故とか悪質事犯というものが減るという具体的な根拠はありますか。
○政府委員(川井英良君) この複雑多岐な人間生活を規律する上について、いろいろな方策を人間が考えておるわけでございまするけれども、私も一つは刑罰であろうと思いまするけれども、刑罰を強化することによって、直ちにその一事をもって犯罪が減少するとか、あるいはきわめて顕著な効果を発揮するとかというふうなことを私は信じてもおりませんし、また、それを主張しようと思いません。しかしながら、刑罰が全然なくていいのかということに対しましては、私は刑罰は人間社会において必要だというふうに信じております。そこで問題は、御指摘のように、この罰則とか刑罰というふうなものは、今日の社会においてどういうふうな目的と効果を期待しているのかということが一つのポイントだろうと思います。刑法という法律の持っておりまするところの目的とか機能とかというふうなものをやはり考えてみますというと、それはそれなりに国民の一つの法的規範としての重要な意味を基本法典として持っておるものだと思います。こういうふうなことをすればそれは反社会的な行為であって、そして処罰をされるのだ、お互いにそういうことはしないようにしていこうとすることが、人間生活として最も妥当なんだ。非常に平たいことばで失礼でございますけれども、こういうふうな意味を持っているのが、私、刑法という法律の一つの意味だろうと思います。で、もう一つの意味は、不幸にしてそういうふうな国民の規範に触れる者があった場合におきましては、それを裁判制度という制度によりまして十分に調べて、そして罰するものと罰すべからざるものと区別いたしまして、どうしてもやむを得ないものについては、これを罰するということによって、一般防衛をはかるとともに、その罰せられる人個人の特別防衛もはかっていく、こういうふうな意味合いを持っておるものだと、こう思うのでございまするので、刑罰というものはやはりなくてはならないものだと、こういうふうに思います。ただ、そうだからといって、刑罰を強化したり、刑罰をつくりさえすれば、それで直ちに犯罪がなくなるのだということにはなりません。したがいまして、私は、刑罰法規をつくり、ないしは刑罰法規を、法定刑を上げるということは、それだけでもって犯罪を絶滅するということにはなりませんけれども、それは一つの非常に強い有力な一つの対策であることを失わない。それと同時に、あわせて万般の行政施策を推進していくということがやはり必要であることは、私はもとよりこれを否定するものではございません。
○春日正一君 この法律で問題になっているのは、新しく刑罰をつくろうということではないのですね。いまあるものの罪を重くしようということでしょう。だから、そういうことなら、いままでの法規ではなまぬるいから、なめられて、かってなまねをされておった、だから今度は重くしてやれば少なくなるというような根拠がなければ、これは提案の理由にはならぬと思いますよ。
○政府委員(川井英良君) この最近の二百十一条違反の事件を見てまいりますというと、最高刑の懲役、禁錮三年という刑罰に処せられた事例がかなり出てきております。刑法の罰則でもって法定刑がきめられております場合に、一応の考え方といたしましては、その類型の犯罪では、どんなに悪質なものでも三年でいいんだというのは刑法の意味でございます。ところが、その三年一ぱい一ぱいのものが、お手元にお届けいたしてあります表をごらんいただきますとわかりますように、数件とか、多いときには二十件くらいも年間にそれが出ているわけでございます。刑法の定めている一ぱい一ぱいの、これ以上の悪質なものはない、これ以上の刑罰がいまの現行法では科せられないのだというふうなものが、たとえば一件でも二件でも五件でも二十件でも毎年出てきているということは、私これは非常に異常なことだと思います。御承知かもしれませんけれども、よく言う話でございますが、窃盗は十年以下、それから傷害は十年以下、こういうふうにきめられておりますけれども、前科十何犯の窃盗でも、前科何犯の傷害事件を起こすものでも、懲役十年いっておるというふうなものは、実際の面においてございません。これは実際の裁判例は、きめられておる刑の下のほうに集中しております。ところが、ひとり二百十一条だけにつきましては、下じゃなくて、上のほうに最近、刑罰が集中しておるという、刑事裁判上は非常に異常な事態が見られるわけでございます。裁判例の中にも、刑罰が軽過ぎるのではないかということを判決の中に書いてある裁判例さえも出てきておるということ、それから裁判例に書いてなくても、裁判官は、三年しかないから三年にしておくのだけれども、あなたのやったことは三年ではおさまらないような重要なものだということを説示した例さえ報告にありますので、簡単に申しますと、頭打ちの状況が見られるということが、刑を引き上げる有力な事情の一つの動機に相なっております。
○春日正一君 私もいろいろ新聞なんか見ても、ずいぶんひどいものだと思うこともありますよ。だから、非常に悪質なものを厳罰にするということを、何でもかんでも私は否定しているというわけではないのですけれども、しかし、実際、悪質事犯というものを、これは四十二年度の犯罪白書ですか、あれを調べてみますと、五十一万七千件のうち、一審判決で、二年以上のものが、いま言ったこの法律に該当するものですね、それが三十六年から四十年の累計で二百七十七件、それから年割りにすると、年五十六件くらいしかないということになると、件数とすれば非常に少ない。五十一万七千件のうちで二百七十七件というようなことで非常に少ない。こういうものを対象にして、あるいは理由にして、そして、もっと広げて刑法の改正ということになると、先ほどあなたが説明したような、業務上ということになれば、かかるところは非常に広いわけです。そういうふうな変え方、こういうようなことはやる必要ないじゃないか。もっと、こういうものというのは相当特定なものなんだから、そういうものをはっきり限定して、こういう場合にはこうするというふうにしておいたほうが、これは実際、運用する上でも目標がはっきりするし、よさそうなものだと思いますよ。 それから、全部の事故の中で、酔っぱらい運転が六%、過労が一・一四%、その他は正常運転で九二・八六%と、このうち、過労というのは重過失の中には入らぬと思うのですよ。そうすると、これは衆議院の法務委員会での警察庁の答弁です。そうすると、六%でしょう、酔っぱらいというのは。しかも、この中に、さっき言ったように、二百七十七件というようなことになると、相当少ない数だけしか対象にならぬということになれば、やはり特定すべきものじゃないかという気がするのですけれどもね、その点どうです。
○政府委員(川井英良君) そういうふうな、またお考えも一面にはあろうかと思います。ただ、いまの制度を前提といたしますというと、やはり御承知でもございましょうが、旧刑法とかなんとかいう古い刑法を見ますというと、非常にこまかく規定いたしまして、裁判官の裁量の幅を極力狭くする、裁判官は恣意的に裁判官の感情でかってな刑罰を科さないように、法律で、立法できめておくというのが、法律の従来のたてまえでございまして、だんだんとこの裁判制度が進歩してまいりまして、裁判制度というものが確立し、裁判の独立というものが制度として国民のものとなってまいりますとともに、なるべく裁判官の裁量の幅を広げて、そうして、そのケース、ケースによって最も妥当な刑罰を言い渡すということがかえって刑事政策の面で合目的だということが、この刑政の分野におきまして指導的な理念となってまいったわけでございます。そういうふうな理念を反映いたしまして、刑罰のきめ方はなるべく大まかにきめておきまして、その中でもって、一件一件の事件について、裁判官がその人間の性格なり感情なり、それから、その被害者の状況なりというものを十分聞きまして、画一的でなくて、柔軟性のある刑の量刑をするということが一番いいのだということになりましてから、最近の刑法をごらんいただきましてもわかりますように、各国とも刑法はそうでございますが、だんだん大まかにきめていくのが大かたの趨勢に相なっております。このもとは、結局、裁判制度を信頼する、裁判官を信頼していくということが基盤になってそういうことが成り立つと思いますけれども、これは裁判官というものを信用しなければ、そういう制度は成り立たないわけでございますが、今日私ども、やはり現在の裁判制度というものを信頼いたしまして、こういうふうなきめ方でもって、具体的には個々のケースについて裁判官の良識に待つという行き方が、私はやはり時代の趨勢にも合っておりますし、実際のケースにつきましても、妥当な判決が得られるところではないか、こういうふうに信じております。
○春日正一君 判決が三年ぎりぎりというケースが多くなってきているという話ですけれども、この点は、衆議院での松本善明委員の質問で、この政府のほうから提出された資料によれば、単純一罪の場合に二年六カ月以下だ、それ以上のものはないということは、まあ、いろいろやりとりあったようですけれども、結論としてはそうだということになっていますね。それから併合罪ということになれば、ひき逃げだったら、四年半くらいが懲役でやれるとか、あるいは酔っぱらいだったら、やはり四年半くらいは禁錮にやれるようなことになっているということも、あそこで議論されて、そういうことができるものだということが大体認められていると思うのですけれども、そうすると、いまのこの道交法でも、大体五年というのにほぼ近い刑罰が可能だということになるのじゃないですか。
○政府委員(川井英良君) この最初の問題でございますが、二年半くらいのところで、併合罪でない場合、確定しているものが多いじゃないか、御指摘そのとおりでございます。
○春日正一君 多いというけれども、それ以上ないじゃないかということで、資料はそのとおりということになっております。
○政府委員(川井英良君) ただ問題は、検察官の求刑をお考えいただきたいわけでございます。判決が二年とか二年半と言っているのは、これは多くは、検察官は、三年ではまかなえない、しかし、現行は三年しかないのですからということで三年が相当だということを主張してやっているのが、裁判の結果、いろいろ事情が認められまして、そうして若干の刑が、裁判の結果、検事の求刑よりやや軽くなって行なわれている。しかし、中には、検事の求刑が軽過ぎるということで、二年半の求刑を三年にした判決も数例出ております。いろいろ裁判官と検察官の意見の違いはございますけれども、とにもかくにも、最近の事故の問題に対しましては、刑罰は下よりは上のほうに集中しているという傾向は、私は数字の面で争うことができない事実じゃないか、こう思っております。 それからその次に、併合罪の関係があるのですから、三年じゃなくて、四年ないし四年半で処罰ができるということ、これはまさに御指摘のとおりでございます。ただ、併合罪の規定というのは、そういう規定がございますけれども、たとえば人をひいて逃げたというふうな場合には、ひいた点では禁錮三年、逃げた点では懲役三年ということに相なっております。懲役と禁錮は、懲役のほうが重いわけですから、懲役のほうで処罰されるということで、三年の一倍半、懲役四年半ということで処罰されることになります。そうしまするというと、人をひき殺して、そうして逃走した、届けないで逃走した、あと始末しないで逃走したという事例を考えてみた場合には、人を殺したというほうの条文で処罰されないで、逃げたという条文で処罰されるということが現状でございます。私ども法を適用するものといたしましても、また、判決を言い渡す裁判官の心情からいたしましても、ひいて逃げたという事例につきまして、ひいて人を殺した事実を中心にして、そこに刑罰を持っていくというのが、やはり犯罪に対する刑罰のあり方だろうと思います。ところが、今日は、そのひいたほうは別にいたしまして、逃げたというような付随的な刑罰のほうが重くなっているという事情から、そちらのほうで処罰をするというような妙なかっこうに相なっておるわけでございまして、これは刑罰理論と申しますか、いろいろな点から考え合わしてみましても、ほかにはあまり例がないことでございます。やはり中心になっている、最も重点になっている行為の責任を問う、それを中心にして刑罰を盛るというのがやはり刑政のあり方だろう、こう思うわけでございます。
○春日正一君 ひいて逃げたという場合、それはしかし、ひいて殺したというものと、殺すつもりで殺したというのとは違うし、それからまた、人をひいて殺したこと自体、これは殺人罪の対象にはならない。だから、やはりそういう場合の状況からいえば、ひいてしまったと言って逃げずに、何とか病院に持っていこうとかなんとかしたというものと——これは逃げたということになれば、これは逃げるほうが悪い。常識的に考えれば、逃げたからけしからぬという、私は新聞なんか読んでみても、人をひき殺していて逃げるやつがあるか、こういう点にむしろ私らの感情はいくのです。そうすると、ひいて殺した、だから、殺人にも該当するような形で、これに罪を重くかけるというような趣旨から改正がされるということになると、これはもっと大きな問題がいろいろ出てくるじゃないですか。
○政府委員(川井英良君) この殺すつもりで人を殺したというのは、殺人で最も悪質だと思いますね。それから、そうじゃなくて、やはりあやまって注意が足らなかったために人を死なせるという結果が生じた、これは前の場合に比べて、犯情としても軽く扱うべきものだ、人情でもそうだし、理屈の上でもそうだと思いますが、ただ、しかし、最近のいわゆる人命に対するわれわれの考え方というふうなものが、だんだんと内容的に考え方が質的には私は変わってきたと思いますが、戦前の刑法と戦後の刑法をごらんいただきましてもすぐわかることでございますけれども、非常に人命に対する尊重、その考え方というものは非常に大きな質的な飛躍的な変化を遂げてきているのじゃないか、こう思うわけでございます。たとい、過失にせよ、人の死という結果を生ぜしめた、過失によってうちを焼いたという行為と比べてみました場合に 同じ過失でありましょうとも、人命に損傷という結果を生じたということは、これはきわめて重大な社会的評価ないしは法的評価に値することではないか、こういうふうに考えるものでございます。そこで、各国の事例を見ましてもわかりますとおり、特に人命に損傷のある過失犯につきましては、次第にこれを重く評価していくというのが、私、時代の趨勢だろうと、こういうふうに信じております。
○春日正一君 そういうことで五年というように上げるということですね、上を。そうすると、それはさっき私の出した数字のように、ごく特定な、悪質なものだということになっているわけですけれども、やはりそういうふうにして、刑罰を上限を上げれば、下のほうまで全体として上がっていくという傾向になるのじゃないですか。
○国務大臣(赤間文三君) 上が上がるから、それに伴って下も上がるのじゃないかという、そういう考えはわれわれは持っておりません。下はそのために刑を引き上げる——変わってない、刑全体を引き上げるという考えはない。ただ、悪質な、重大なもので、人命に死傷を来たしたものについて刑が上がっているのだ、こういうふうな考えを持っております。
○春日正一君 しかし、それは実際のこれは法務省の刑事局から出した資料を見ても、たとえば道交法というものが、三十五年の十二月にあれは施行されたのですね。あれができて以後の処分、こういうものを見ると、たとえば罰金刑でも、千円以上二千円未満というようなところは、三十六年が五十万ですか件数が。それが四一年には二十一万七千というように、千円以上も減っているのですね。ところが、ふえるほうは、二万円以上五万円以下というようなものになると、三十五年十三件のものが、四十年には一万九百件、 こういう形、それはこまかく言えば、幾ら幾らというのはみんなそうなっていますけれども、傾向として、やはり非常に、こう罰金刑の場合でも罰金の高いほうの額、あるいは実刑を受けるというような場合でも、それが急速にふえていっているという、これは事実が出ているのですね。道交法ができて、刑罰が重くなったら、そうなる。それから、常識で言っても、裁判官なり検事なりがいろいろ量刑を考える場合に、この犯罪に対してどのくらいのものを求刑するか、あるいは判決するかという場合ですよ、やはりこの法では五年未満となっているから、だから、これは中くらいな犯罪だということになれば、二年半ということになるし、三年未満となっておれば、中くらいといえば一年半というようなことになるわけですね。だから、全体の比重の中で量刑されていくということになれば、上が上がれば下も当然そこへ上がっていくということにならざるを得ないし、そういうことと、いま言ったような資料から見ても、罰金刑の額も上がっていっているし、あるいは実刑のあれも上がっていっているというような数字が出ているのですね。だから、そういうことになる。あなたはさっき、最近の刑法の考えとしては、こまかくきめずに、大きな幅を持たせて、その幅の中で検察官なり裁判官なりが適当な判断をしてやっていくんだというふうに言っておりますけれども、しかし、こういうことになれば、やっぱり裁量権といいますか、どこでどの程度のところを裁量するかという権限というものは非常に広くなるわけですよ。当然どんどん広くなる。そうすると、ほんとうにそれが適正に神様のように行なわれるか。あなた方はその当局者だから、自分たちと一緒に働いている者、あるいは法務大臣とすれば、検察官なり何なりにしても、全部理想的に検察官なり裁判官として行動するものという前提で考えておられると思うんですけれども、やはり人間の判断というものはそうはいかない。私はこの間、メーデーの日に私自身がそれにひっかけられたの、だから。国会の前のあの道路で、メーデーで行列が来るものだから、うちの事務局の人たちが、共産党だと言って赤い旗を持っておった。そしたら警察官が来て、「これを撤去しろ」と、こう言う。「何の根拠に基づいて言うのか」と言ったら、「公安条例である」と。で、「公安条例は、道路の端に旗を持って立っておったらいかぬということが書いてあるか」と言ったら、「いや、道交法だ」と言う。国会議員ですよ、私は。国会のあすこの面会所の前で、メーデーの行列が来るから、共産党の旗を持って、「がんばりましょう」と言ってやっていたら、「道交法違反だ」と言う。こういうことは、あの道交法を審議されたときでも、そういうことには使わない。民衆運動、大衆運動の弾圧の道具にされるんじゃないかという質問に対して、当時の当局者は、そういう民衆運動に適用されるものじゃないのだということは厳重にやはり約束しておったわけですよ。しかし、一度法律になって、警察官の手に回れば、そのときの気分でそういう——突っ込んでいけば、結局、根拠がないということでおかまいなしになったけれども、あれ、私だから突っ込んでいったけれども、突っ込んでいかなければ、不当に権利を制限されるようなことが起こる、そういう傾向があるんですね。そういうときに、量刑を上を上げて、この裁量の幅を広くするということになれば、やはりそこにいろいろ乱用される危険というものが出てくるだろう、現実はそうなんだ。だから私どもは、先ほど言ったように、非常に悪質なもの、そういうふうなものはやはり厳罰にする必要もあるだろうし、それを厳罰にすることのできるように、やはり目的を特定してはっきり規定しておかれたらいいだろう、そうすべきじゃないか。そうでなければ、どうしても乱用される危険が出てくる。その辺を、乱用は絶対ないと言い切れますか。
○国務大臣(赤間文三君) これは上を上げれば下も上がるんじゃないか、まあ俗に言うと、絶対にそういう方針はとらないつもりでございます。全部が軽いからというのなら、下も幾らか上げたら、そういうことになると思いますが、そういう意味において、下は一つもさわらぬで、上だけを三年以下のものを五年以下にしただけで、決して刑を全体として重くするという考えは毛頭ない。じゃ、なぜかと言いますと、現在におきましても、やはり重要な、重大な過失によって人命を損する、そういうものが外国の例を見ましても、三年未満の禁錮では軽過ぎるということで、これを五年未満に上げる、全体の刑を重くするとか、下のほうまで上げるというようなことは絶対に考えていない。施行においても、十分その点については注意していこう、こういうふうにわれわれとしては考えております。それを私は信頼をいたしておる。むしろ、お話のようであれば、われわれは下も上げたい、そういうつもりであれば、私は、下も上も両方上げたら、まさに刑を重くした、重くするということになるから、下は絶対にさわらないで、特に重過失の重大なものについての範囲を広げた、こういうふうに御解釈を願います。 —————————————
○委員長(北條雋八君) 質疑の途中でございますが、この際、委員の異動について御報告いたします。 本日、木島義夫君が委員を辞任され、その補欠として北畠教真君が委員に選任されました。 —————————————
○春日正一君 それは、法務大臣なり刑事局長なりの信念なりとしては、そうなくちゃならないと思います。しかし、私さっき言ったように、事実として、たとえば、この道交法ができた昭和三十五年、このときの懲役を見ますと、三十五年には、一年以上が三件、ところが、四十年には百四十八件というふうにふえておりますし、それから二年以上が、三十五年にはなかったけれども、四十年には二十件というふうにふえている。それからこの六月未満というのは、三十五年には四百二十六件、そして四十年には六百七十九件ですから、これは、ふえている比率というのはずっと低いわけですね。こういう数字を見ると、やはり道交法というものができて刑罰が重くなったという関係から、そういうふうな形で上のほうがふえたというのは、これは数字の判断としては、そう考えざるを得ない。その事実をどう説明されるのかということです。
○説明員(石原一彦君) 資料に関係いたすものでございますので、資料を作成いたしました責任者といたしまして御説明申し上げます。 春日先生御指摘の数字は、刑事局から出しました刑法の一部を改正する法律案についての資料の一〇五ページ、一〇四ページ、一〇三ページ、一 ○二ページであろうかと思います。なるほど、最初に罰金の点について申し上げますと、三十五年におきましては、たとえば三万円以上五万円以下というのは十三件でございますが、三十六年に至りましては、六百七十九件とふえているのであります。しかしながら、お話の前提がやや違っているのではないかという点で御説明申し上げたいわけでございます。と申しますのは、三十五年に道路交通法が改正されたのでございますが、その際は、全般的に刑を引き上げたのでございます。すなわち、罰金刑——科料を含めました罰金刑、財産刑と体刑等、そういうほうを引き上げたのでございます。例をあげて申し上げますと、無免許運転は現在は一年になっておりますが、三十五年以前は法定刑が三月と罰金五千円、科料でございました。それを、法定刑を六月、五万円にいたしまして、その後、さらに一年に上げたのでございます。したがいまして、三十五年の三万円以上五万円以下というのは、その当時、法律がなかった、そういう法定刑がございませんので少なかったわけでございます。と申します証拠は、別に道交法だけ先生御指摘されたのでございますが、低いほうを見ていただきたいのでありますが、たとえば千円未満という点がございますが、これは三十五年は二千二百四十五件でございますが、法律が変わりました三十六年は、千百二十五件と減っているのでございます。罰金の千円以上二千円未満につきましては、三十五年は六十八万件でございましたのが、三十六年では五十万件に減っているのでございます。なお、一〇三ページ、一〇二ページの体刑の点でございますが、これも先ほど申し上げましたように、当時の体刑は特殊なものを除きますと六月、これが無免許運転であるとか、酒酔い運転であるとか過労運転は、三月が最高限でございました。三十五年以前は三月というのが最高限でございましたのを、一挙に倍の六月にいたしたわけでございます。したがいまして、三十五年度と三十六年度と比較しました場合に、三十六年度が増加するのはこれまた当然であろうかと存ずるのであります。しかしながら、今回お願いいたしました法案につきましては、先ほど大臣が答弁されましたように、罰金刑の五万円というのは全然動かさずに、体刑の三年というところだけ五年に上げようということでございまして、提案趣旨にも書きましたような、悪質重大なものに対処しようという趣旨でございますので、三十五年度、三十六年度の道交法の改正と同じような結果には相ならぬものと考えております。
○春日正一君 その説明は、結局、やはり道交法でこの罪の内容が重くなったということで、重いほうがずっとふえているということは、これは動かせないんで、上げたけれどもやっぱり下が多くて、そう重いものが適用されないという、皆さんの言う御心配には及びませんということの論証の資料にはならぬですわ、これは。これはやはり上げたら重くなるという数字が出ているのだから。そうすると、今度の場合は、まあ下は動かしませんと法務大臣言われるけれども、下は動かさないけれども、上を上げれば、そうすれば上がやっぱりふえていくということになるのではないかと、そこをみな心配している。しかも、それが適用される場合、必ずしもここで議論されているように、ごく悪質の、それはいろいろあるんですよ、私も監獄に治安維持法で何度か入れられて、窃盗とかなんとかいろいろな犯罪を犯した人間で、近所にいる者の事情とかなんとか、いろいろ観察する機会がたくさんあったのですけれども、相当むちゃなことをやった者でも、監獄に入れられてから非常に改俊して、まじめに立ち直ろうとする者もあるし、たいしたこともないと思うけれども、そのかわり何回でもやろうというような気でいる者もおるし、いろいろおるわけですわ。だから、そういうものをよく見なければならぬときに、やはり上が上げられたということになって、どうしたって上が開いているわけですから、だから、上に上げていこうというような傾向というものは、これは出てくるものなんです。相当公正に考えても、三年が五年になったんだから、だから、これはいままでなら二年のところだけれども三年が妥当だろうというような判断に導かれるということは当然なんで、だから、それをもっと限定しなきゃいけないのではないか。しかも、適用範囲は、ちょっとつかまえどころのないほど広いんですね。そういうことになると、これはいろいろなまた弊害を伴うだろう、そこがこの問題での一つの論争の焦点になっていると思うのです。だから、そのことを私は言っているわけです。 そこで、まあ交通事故の問題に限って言えば、現在、交通事故の免許を受けている人はどのくらいいますか。
○政府委員(鈴木光一君) 交通事故の免許ということでございましたけれども、おそらく交通運転免許だと思いますが、運転免許の人口につきましては、これは二輪の原付の免許も含めまして、ごく最近の数字では、約二千四百万人になっています。
○春日正一君 それで、まあ道交法違反あるいは重過失致死傷で起訴された人が、その二千四百万に対してどのくらいいますか。
○説明員(石原一彦君) 先ほどお示し申し上げました資料の九九ページ、九八ページでございますが、まず受理人員で申しますと、昭和四十一年度におきましては、四百四十八万人でございます。それから昭和四十二年度が四百五十七万人でございます。 それから次に、起訴でございますが、それは一○一ページ、一〇〇ページの表でございまして、四十一年度が三百七十九万人余、四十二年度が三百九十二万人余でございます。
○春日正一君 そうしますと、四十一年度の数字をとってみても、この起訴された人というものの運転者に対する比率で言うと、一五%から二八%になりますね。それだけの人が一年で起訴されているということになると、こういうものを全体として犯罪として扱えるのか。実際問題として事故を起こして、それは確かに加害者でもあるけれども、同時に被害者でもあるというような場合が非常に多いわけでしょう。そうすると、やはりそういうものを含めて、とにかく事故をなくさなならぬということで刑罰を重くするというようなことで解決つくのか。この人たちは刑罰を知らずにかってに事故を起こしているのかと言えば、そうでなくて、刑罰を知っておっても事故を起こすのじゃないか。そこらの辺どうですか。
○国務大臣(赤間文三君) 刑罰があるから事故が起こらない、刑罰がなければ何ぼでも起こると、私はそういうものじゃないと思います。刑罰があっても事故は起こると思うのです。しかしながら、刑罰のあるのとないのとで言えば、人の注意のしかたが違ってくるし、警戒が違ってくるので、私は適当なる、重からず軽からず、適切なる刑罰をかけることが事故防止には非常に役立つものである、かような考え方でございます。
○春日正一君 そこで、それじゃ、なぜこういうふうに事故が多いのかですね、これはあなたのほうでいままでずっと扱っておられて、いろいろ分析もしておられると思うのですけれども、事故のおもな原因というものはどういうものですか。
○政府委員(川井英良君) その前に、先ほどちょっと、いまの表の見方でございますが、二千四百万人余りが免許を持っている、その中で道路交通法違反で検察庁で警察から受理した数を先ほど申し上げて、約四百万とか三百万とか、こう申し上げたわけですが、一五%じゃございません。むしろ二〇%近い数字が道交法違反になっております。 それから、いま春日委員が問題にされております事故のほうはそんなにございませんで、検察庁が年間受理いたしますのは、事故の数としては、ここ数年間は二十万件から大体四十万件あたりが事故として、いわゆる業務上過失として受理するのはその程度の数字に相なっておるわけでございますので、パーセンテージはもっと減るわけでございます。 それから二〇%近いものが犯罪になるというのじゃおかしいじゃないか、まさにそのとおりでございまして、昨年道路交通法の改正をお願いいたしまして、本年七月一日から道路交通法の大部分のものは犯罪としないで処理していくという手続がとられることになりました。私ども、軽いものには軽く、重かるべきものには重くという方針が刑政のあり方だということで、道交法のいまの改正と、それから刑法のこの改正とあわせて国会にお願いしておる、こういうふうな事情でございますので、御了解を賜わりたいと思います。 それから事故はどういうふうな原因から起こると思うかと、こういうふうな仰せでございますが、これに対しましては、簡単にお答えができませんで、やはり総合的な慎重な分析と検討が必要でございます。われわれも、起きた事故をあとから審査をしていく、捜査をしていくというふうなものから見ました場合におきましても、その具体的な事故が、車の整備が不十分であったために起きた事故もありましょうし、あるいはそのときの道路の状況が必ずしも十分でなかったために、本来ならば避けられた事故が起きたというふうなこともありましょうし、それから歩行者の側のほうに重大な過失があったために起きたというふうな事故もございます。それから、さらに調べてまいりますというと、道路がいかにできておりましても、それから被害者のほうがどんなに注意いたしましても、めいてい運転の結果注意力が散漫になって、非常なルール違反を犯して不注意のために起こしたというふうな事件も非常にたくさんあるわけでございます。酒を飲んで起こした事故とか、無免許でもって起こした事故というものは、どんなに、私、橋をつくりましても、どんなに道路の整備をいたしましても、どんなに被害者が注意をいたしましても、これはその他の方法ではまず避けられない事故だと思われるような事故が、私どもの検察庁に来る事故の中には非常に多いわけであります。禁錮二年とか禁錮三年とかいったような事例をごらんいただきますと、これはどんなに予算をとって、どんなに措置をいたしましても、当該その車を運転しておった人が注意をしてくれなくては、どうにもならないというふうな事故があるわけでございます。そういうふうなものはそれじゃどうしたらいいんだということになりますと、それは交通道徳の教育とかいうことももとより大切でございますけれども、教育とあわせて、そうして刑罰の面においても、刑罰の面からの規範を確立することによって、抽象的な注意を喚起する、具体的な事故を起こした場合においては、そういうものはこういうふうな刑罰がかかりますよということによって、この交通道徳の秩序を保っていくということも有力な一つの方策ではないか、こういうふうに考えてこの改正をお願いしておる、こういうことでございます。
○春日正一君 自動車の保有台数の最近の数字ですね。それはどうなっていますか。
○政府委員(鈴木光一君) 自動車の数でございますけれども、ごく最近の数字では、約一千百万台をこえたと思います。
○春日正一君 大体この資料を見ると、古いことは別にして、道交法の施行されたのを境にして見て、自動車の台数が、三十五年でもって三百四十五万台、それが昭和四十一年では九百三十三万台ということで、非常にふえている。いまの話では、四十二年度には一千万台こえているというようなふえ方ですね。特に四十一年の数字を見ると、前年に比べて百四十四万台もふえている。こういう勢いで自動車がふえていくと、そうして、それに伴って道路整備も十分ついていけないというようなことが、事故が激増する一つの大きな要因になっているのじゃないか。この点、事故との関係で見ても、そういうことが言えるんじゃないかと思うのですけれども、その点どうなんですか。
○国務大臣(赤間文三君) お話のように、やっぱり自動車台数がふえるということは事故の一つの私は大きな原因だと見ます。これに件いまして、これはやはり思い切って道路の改修等もやる、なおまた、今日の時勢からいうと、農山村等においても自動車がふえるのであって、国道その他ばかりでなくて、町村道等も相当手を入れなければ、車がいなかにも非常にふえておるというような事実、思い切って車のふえるのに相応して道路をよくすることに全力を傾注していかなければならない、かように考えます。
○春日正一君 そうすると、車が非常にふえたという数字と、事故がそれにつれて多くなっているというあれがあるんですけれども、建設省のほうですね、この道路がふえていく、車に追っつかない。建設白書を見ると、道路の許容量が三十七年から四十年までの間に一・二一%ふえた。ところが、自動車の走行キロのほうは一・七八%ふえたというふうにして、この道路が整備されるよりもはるかに速い速度で車がふえているということが出ているんですけれども、それをそれでは正常にマッチさせるというような点については、どうなんですか、どういう計画を持っているんですか。
○政府委員(蓑輪健二郎君) ただいま御質問にございましたように、非常にいまの現状は、道路の上を走ります自動車の台数は毎年二〇%ないし二五%ずつふえていく、これに対して道路につきましては、なかなかそれに伴わないような状況でございます。ただ、非常にこれも諸外国の例を見ますと、国民所得が上がると非常に乗用車がふえるということが、統計から出ております。ことに国民所得がある額に達すると非常にふえるというような結果になってくるかと思います。ただ、いまの日本で、じゃあ将来約二十年、昭和六十年ぐらいを考えまして、その当時の国民所得から考えまして、自動車の台数はどのぐらいになるか、われわれの推定では、約三千五百万台ぐらいになるだろうというように推定しております。そうなりますと、その後の日本の人口が、約一億一千万か二千万である、約一家族に一台というような状況になれば、その辺になれば、それ以後の自動車のふえ方というのは、倍率は非常に減ってくるのじゃないか。これは中古車を買いかえるというようなこともございまして、自動車の生産量は相当あるかもしれませんが、実際に自動車のふえ方は非常に減ってくるんじゃないかということでございまして、私たち、そういう長期的な見方で、昭和六十年ぐらいまでに、幹線の道路となりますものを日本で約四十万キロぐらい整備いたすと、大体いまの混雑度よりさらに減ったもので十分交通がはけるのじゃないかというようなことを考えまして、それにそれまでに道路投資がどのぐらい必要かということも一応試算をしております。一つの試算でいいますと、約五十三兆というような非常に膨大な金になるかと思います。やはり現状は、自動車の急速なふえ方に道路が追いつかないということもございますが、逐次道路投資がふえますと、自動車の増加数も逐次倍率が減ってまいりますので、今後昭和六十年ぐらいまでに逐次それが回復できるというような見通しを持っております。
○春日正一君 二十年後には三千五百万台ぐらいになる、去年の、さっきの数字でも、四十一年、前年に比べて百四十四万台も一年間にふえているわけであります。そのままでふえたとしても、十年すれば千四百万台ふえるという計算になるわけですから、だから、非常に急速にここのところ自動車がふえておる。しかも、いまのお話のように、現状では、とにかく自動車がふえるのに道路が追いつかないという現状にある。そこで、これは一番大事な基礎的な問題だから確かめておきたいのですけれども、世界の主要な国で、これはいわゆる資本主義社会だけでもいいですけれども、自動車一万台当たりの死傷者数、これは日本が最高だというようなふうに書いたものを私見たのですけれども、その点どうなんですか。調べたものがありますか。
○説明員(石原一彦君) 先生お持ちであろうと思いますが、「交通事故統計年報」昭和四十一年度版「警察庁交通局」というのがございますが、その八四ページに、自動車一万台当たりの死者数をアメリカと比較いたしております。これは死者数についてでございますが、日本で申しますと、昭和四十一年度では、一万台当たり十四・九人、昭和四十年度では十六人、昭和三十九年は二十人ということでございます。なお、その横に人口十万当たりの死者数がございます。
○春日正一君 そうすると、もう一つ、まあ日本の国は非常に山が多くて平地が少ない、国土地理院の調べたものでも、平地は二六%弱ということになっているんですね。そこで、平地面積に対して自動車の台数、これもまあ世界で一番高いほうだと言われておるのですが、スイスのほうがちょっと高いというふうに聞いてはおりますけれども、そこのところはどうなんですか。
○政府委員(蓑輪健二郎君) ただいま、平地面積当たりについては、ちょっと持ち合わせてございませんが、いまの、まあ想像いたしますと、平地面積当たりの日本の車の台数、特に東京その他とアメリカのニューヨークなりヨーロッパの、ドイツ、イタリー、フランスに比べますと、平地については、ほとんど——アメリカは別といたしまして、これはかなり多いのですが、西欧とはほとんど匹敵するんではないかというふうな感じがいたします。
○春日正一君 大体そういうことは、平地面積当たりにすれば、もうそうよその国とあまり変わらぬ。私は一番高いほうだと聞いているのですが、まあ変わらぬとして、そこまで来ているのに、まださっき言われたような勢いでどんどんふえていくということになったら、一体どうなるのか。道路をつくるとあなた言われたけれども、この狭い国で自動車のふえるにまかせて道路を広げていくと言ったら、耕地も人の住むところもだんだん狭くなってしまう、そういう問題もあるわけです。そこで、自動車の行政というか、そっちをやっておられる運輸省、そっちの考え方ですけれども、いまのような勢いでモータリゼーションといいますか、とにかく何でも自動車を使えというような方向の政策を進めていって、これが日本の実情に合うのかどうか。で、十年後には、この調子でふえていくと、一千万人くらい死傷者が出るのじゃないかというようなことが、そっちのほうの関係の本には書かれておる、予想が。そういうような状態にいくということを予想しながら、いま言ったように、野放しに自動車の数をどんどんふやしていくということを運輸省としては考えておるのですか。
○説明員(菅川薫君) 自動車の台数のいろいろな増加の問題ですが、まあ、これはそういう生産面あるいは輸出の問題とか、いろいろあろうかと思いますけれども、運輸省の問題としては、結局、経済の需要の実態に応じて、貨物の輸送あるいは旅客の輸送を確保するということであって、まあ、これは日本の経済のそういう需要の動向に応じてやっていくわけであって、運輸省としては、需要がある場合には、それに対して適切な供給力を進めていくというような方向で考えるべきじゃないかと、そういうぐあいに思っています。
○春日正一君 まあ旅客課長さんだから、旅客輸送とか、そういうところだと思うのですがね。まあモータリゼーションということで、いま言ったように、三千五百万台くらいになるだろうと、持ちほうだいというようなことで。一般にこれはどこでやるのですか、それは私よく知らぬけれども、とにかく、そういう方向にいっているということになると、これは法務大臣にも考えていただきたいんですけれども、この調子でどんどん車をふやしていって、道路が追っつかない、また、追っつけようにも、いろいろ支障があって追っつけようもないというような状態のもとで、あなたのほうで幾ら形法的に処罰をし、それを減らしていこうとしても、そういうことはほんとうに焼け石に水みたいなことで、事故というものはどんどん起こってくるだろうというふうに思うのですよ。そうすると、どうしても交通対策という問題を日本の実情に合わせて抜本的に片をつけていくということをこれは考えなければ、いまのままでほっといたら、これはたいへんなことになるんじゃないかというふうに思うのですけれども、まあ法務大臣は、法務省の管轄だと言えばそれまでだけれども、これは閣僚ですから、やはり閣議その他でこういう問題の討議に参加されると思うけれども、大臣のお考えでは、こういうモータリゼーションをやっていって、急速に進めていって、それが日本の実情として、交通事故を防ぐというようなことができるのかどうか。また、何かそういう点、チェックしなければならぬのじゃないかと、そう思うのですけれども、その点、大臣の考え方はどうですか。
○国務大臣(赤間文三君) 事故対策としましては、お説のように、ただ刑法とか道交法とかという法律だけでやっていこうというような考え方もありますが、これだけで目的を達するとは全然考えていません。やはりもうあらゆる方策を行なう、たとえば道路なんかを思い切ってやはり——私は相当日本の道路は悪いところがある。国道はだいぶ整備せられました。私は地方に参りまして、先般も山形に参り、いなかのほうを全部回りましたが、ずいぶん車が通っておりますが、いなかの道路というのは非常に狭い、しかも、舗装していないようなところに、しかも、今日では必需品のようになって農産物を運ぶとか果実を運ぶとか、農家のそういう貨物兼乗用車のような車が相当ふえている。これはとめようと言ってもとてもとまらぬ。で、まだふえる。やはり考えてみると、所得も相当ふえているのじゃないかということを考えてきたのであります。 まず第一に、道路を、単に国道ばかりでなくて、日本の産業をあげるためには、町村道まで思い切って車が通るようにやるということに私はやれば、まだなかなかたいへんな金も要りますが、ぜひ道路の確保をやりたい。 それからまた、自動車につきましては、われわれは適切な税を取る、取得税と申しますか、税金というものを取るということを一つの考え方として考えて、ようやく四十三年から取得税を取るように方策を講じました。将来もこういう自動車については税金というものを考えることがまたできるのじゃなかろうかと思って考えております。 それからなおまた、何でもかんでも自動車によって物を運ぶというような考え方は一部改善して、やはり海を使って運べるように、海運なんかを私はもっとやはりあれして、急がない荷物は港から港へというような方向も一つの方法じゃなかろうか。どうも気が短くて、何でもかんでもトラックで敏速にやろうということもいいが、日本のような海国は、海を利用することによって陸運のあれができる。あるいはまた、汽車などでも、見方もありますが、私はもっとやはり人を運ぶばかりに力を入れぬで、思い切って貨物を運ぶことに努力をしたならば、まだ汽車等において荷物を運べば、それだけやはり陸運のほうがあれするのじゃないかと考えております。 それから、やはり景気、不景気ということが、自動車のふえることにも非常に関係があるのじゃないかとも考えておりまするので、決していまのような事態でずっと先々ふえていくかどうかという見通しも、私はいまふえているからこのままふえるというふうには、まだ考えません。買うほうにしても、あまり車が多くなって便利が悪くなって、交通がひまが要ってくれば考えるから、車をそう幾ら買う力があっても買わなくて、買うにしても、研究を買う人がするのじゃなかろうかというようなことも考えられる。しかし、いずれにいたしましても、車はお説のように相当ふえるので、国といたしましても、思い切って、いま言うたような制度をもっとだんだん拡充強化して、この問題に対処していく、そういう点から考えてみると、今回の刑法の一部を改正するような法律も、私はもう、さっき春日委員から、何やら全部上げるような気がするという御心配がありましたが、その心配は私はもう絶対にないような施行をする。それがあるならば下も上げるとか、いろいろな知恵を出しますが、一つも上がるような知恵は出していない。ただ、むちゃくちゃな運転をやって人命を失うようなものについて、人命尊重から言うてきておるのであります。こういう法律が非常に今日の情勢においては、一日も早くこれが施行せられて、いろいろな施策と相まって、一人でも少なくするということが非常に急務じゃなかろうか、こういうふうに私は考えておる次第であります。
○春日正一君 じゃ警察庁のほうへ聞きますが、まあ、いま大臣もいろいろの法律の問題言われましたけれども、まあ都市への自動車の交通の混雑ですね、それに基づく事故、特にことしなんか、まあ全国的に見れば、四月一日から十五日までに二百七十人ですか、相当子供が死んでいるというような事故も起こっている。そういうことを考えると、日本の場合ですね、都市における自動車の通行というものは、これは車種別、地帯別、時間帯別というふうにいまでもやっておりますけれども、入ってくるのを相当制限する、厳重に。そうしてスピードなんかも制限する。同時に、やはり基本としては、都市交通の公営とか国営の交通機関、こういうものを中心にして、路面電車とか、それからバス、トロリーというような大衆的な大量輸送の交通手段ですね、これは地下鉄まで含めて、そういうもので基本的に都民の交通というようなものを保障していくような、そのことを中心にして総合的な交通整備をやるというようにして、自動車を、とにかく電車に乗れば大ぜい乗っていけるものを、あるいはバスへ乗ればそれで行けるものを、一人で一台というような形でふっ飛ばして、道一ぱいにして事故を起こすというようなことは、きわめて不合理なことですわ。経済的にもこれは非常にむだなことですわ。だから、そういう方向でやはり都市交通の整備というものを強めていく、これがいまの事故をなくしていく。私がなぜこんな問題を法務委員会で出すかと言えば、やはりこの法案が審議されている問題の事故のもと、つまり、警察庁なり裁判所へいくその問題のもとになっているのは、都市の交通問題なりその他そういう条件があるわけですから、そこのもとを正さないで、刑の重いか軽いかだけを議論しておったのでは解決にならぬから、こういうことを聞くわけですけれども、その点、いわゆる警察庁のほうとして、どういうふうな考えを持っておられるのか。また、どういうような措置の方向で進めておるのか、その点聞かしてほしいのです。
○政府委員(鈴木光一君) 都市におきます交通混雑はまことに非常に激化しておりまして、これは何とかしなきゃいかぬということになるのでございますけれども、しからば、都市内に入る車を禁止または制限するかということになるわけでございますが、いかなる車種を、間引きというような考え方から、これを制限するということにつきましては、現在の道交法の立場からは、きわめてむずかしいわけでございます。で、この問題は、春日委員のお話にもありましたように、やはり大量輸送機関の整備、特にまあ地下鉄の整備という問題と、それから車の都市周辺におきます、周辺部の駐車場の問題といったようなこと、そういう都市政策的な問題との関連において考えなければならない問題だと思います。警察力で車を間引きしていくということは、現在の道交法の立場からはできないと思います。そういうことで、これはやはり都市政策の一環としてやらなければいかぬと思いますが、総合的な対策が講ぜられなければならぬと思います。したがって、当面道路交通法によってできる問題につきましては、たとえば、お話の中にありましたように、バスの通行の円滑化を期さないかぬということもございますので、それにつきましては、バス路線におきますところの重点的な駐停車の規制をする。それからバス以外の車両については、右折禁止をするけれども、バスについては、右折禁止を解除してやる、あるいは駅前の広場等のバスの優先利用といったような、そういう程度のものしか実はできないわけであります。話がバスになりましたけれども、バスのまた通行の円滑化ということになりますと、同時に、バスターミナルの整備の問題だとか、バス路線網の合理化の問題だとか、そういったような警察だけの問題じゃなくて、総合的な都市政策といいますか、そういうものの一環としてやっていかなければならぬ問題がありますので、私どものほうで警察力でやれぬかということでございますけれども、たいへんむずかしい。
○春日正一君 この問題は国の交通政策の問題ですから、大臣も大いに閣議で発言をしてもらって、こういうものを推進していくようにしてほしいと思う、ここが確立されていなければ、部分的な努力を幾らやっても、効果を生まないということになるわけですから。 それから規則のほうとしてあれですか、所管として、いまの道交法をそういう関係で、たとえば住宅地の、まあ車一台入ったら一ぱいになるような道路ですね、あれを、まあ大きい道路が詰まっているものだから、近道しようというので、最近非常に通る傾向が多くなった。あそこでいろいろ事故も起こったりなんかしているし、それから住宅の住みぐあいもいろいろ撹乱されるというような事態も起こっている。だから、こういう住宅地の小さい通りというようなものは、通り抜け禁止にする。もちろん、そこの住民が通り抜けさせてくれと言うなら別ですけれども、住民の意向も聞いて、通り抜けの禁止をするということにすれば、住家が騒音に悩まされないとか、あるいは子供がうちの近所で遊んでいる分には安全だということも保障されるわけですね。こういうことはどうですか、おやりになり得るのか、あるいはまた、やる気があるのかどうか。
○政府委員(鈴木光一君) 道路の状況によりますけれども、最近いろいろ、この道路につきましては、危険防止の観点から、一方通行あるいは通行禁止というようなことを順次強化してまいっておりまするけれども、車がその中に相当、その中の住民が車を持っている方々も非常に多いわけでございます。あるいは中に車庫まで持っておるというのもございまして、ここを通り抜け禁止ということが、そういう形でできて、それが保障できればたいへんいいんでございますけれども、そういう技術的な問題もございまして、なかなかむずかしいことでございまして、私どもは実はやりたいんでございますけれども、通り抜け禁止という形、その中のものはけっこうだが、外から入ってくるものはいかぬというような禁止のしかたが、技術的に保障されるかどうかということを考えますと、なかなかできない。したがって、一方通行というような形でなされることが非常に多いということで、今後技術的にいろいろ検討してまいりたいと思いますけれども、現在の段階では、その道路の状況にはよりますけれども、そういう程度の規制しかできないということでございます。
○春日正一君 この問題は、住民のほうから要請があれば十分考慮されるということですか。それからまあ、こういうことで、道路の整備そのものがおくれて、まあ、そういう道路環境の不備に原因する事故というものは、交通事故の中でどのくらいの割合を占めますか。
○政府委員(鈴木光一君) 先ほど来から交通事故の原因についていろいろお話がございましたけれども、交通事故というのは、やはり車と道路と人とのきわめて複雑な相関関係でできておりますので、何が原因かということについては、なかなかむずかしいわけでございます。警察といたしましては、やはりその道交法にきめておりますところのルールがございまして、そのルール違反という観点で原因を分析しているわけでございますが、まあ道路が悪かったから事故が起きたんだという、主原因がそこにあるというのはきわめて少ないと思います。たとえば道路がでこぼこで穴があいておった。穴があいている場合には、その穴があいているという表示をしておかなきゃならぬわけです、道路管理者は。その表示をしていなかったために、そこへ突っ込んで事故を起こしたというようなことは、明らかに道路の欠陥による事故だと思いますが、そういう事故はないとは言いませんけれども、きわめて少のうございます。したがって、道路環境が悪いから事故が起きたんだという統計ば、それ以外のものについてはございません。
○春日正一君 しかし、実際さっきの話のように、道路の広がりよりも車のほうが多くなる、それに伴って事故の件数というものがずっとふえているということを見れば、やはり道路が十分車に対応できてないということが、これが事故の大きな原因になる。たとえば運転しているんだから、それがいまあなたの言われたように、前の人は無事に通ったじゃないか、おまえが事故を起こしたんだから、同じ道路を通っておって事故が起こったんだから、これは運転者に原因があるというような論の立て方もあるかもしれないけれども、しかし、そういうことじゃなくて、やっぱり道路が詰まっておれば、正常な道路事情のもとで走っていれば当然大多数のものは事故を起こさないというのに、道路が非常に混雑して詰まってきたというような状況の中で、疲労度も増すだろうし、いろいろ認識も誤るだろうしというようなことで事故が起こっているということになれば、道路環境不備に基づく、直接穴があったとかなんとかということでの原因というものは少ないだろうけれども、しかし、全体としての、そういう道路交通環境が不備になった、かつては完全だったものが、車がふえた、そのために不備になったというような結果、やはり事故が激増してくる、そういう関係が非常に大きいと思うのですけれども、そこで、まあ、こういう道路環境の不備が実際あった場合ですね、立証された場合に、交通事故の原因になった場合に、国とか自治体という、道路に対して責任を持つ人が、どういう責任をとられるのか、そういう法的な根拠ありますか。
○政府委員(鈴木光一君) 道路管理者が責任をとられるというような法律的な根拠は、先ほど私が引例いたしましたように、道路の損壊等がありまして、それに対して道路管理者としての責任を果たしておらないという場合以外は、抽象的に、要するに、道路の整備が悪いんだということにその責任を問う規定はございません。
○春日正一君 そういう点では非常に片手落ちだというのですね、運転する者だけに責任を負わせて、本来道路を整備すべき国なり自治体なりの責任は問われないということでは。自分のほうは、極端に言えば、あなた方はそうじゃないけれども、自分のほうはなまけほうだいなまけても罪にならぬということになってしまう。だから、ここらにも、そういう酔っぱらい運転とかなんとかということは、これは別ですよ。しかし、さっきの統計を見ても、正常な運転をしておって事故が起こったのは九二%でしょう。これだけの人がそのための犠牲になっている。そのための責任はとられないということになると、非常に片手落ちだ。だから、そういう点ではもっとやはり、法のきめのあるなしにかかわらず、道路を整備し、直していくということには力を入れてもらわなければならぬわけですけれども、たとえば、ここにこういうものがあるんですね。道路施設の改善、タクシー駐車場の増設要求書ということで、大阪の全日本自動車交通労働組合大阪地方連合会、それが今年の二月に、これは法務大臣は大阪だから御承知だと思うけれども、大阪市内の各要所要所を回って、全部調べて、ここの道路はこうなっている、ここはこう直してほしい、こう直せば交通が緩和されるであろうというようなことが、これだけたくさんのものになって出されておるのです。こういうものに対して、当局としては、一体、こういうものが民間から出てきたという場合ですね、どういうやはり受けとめ方というか、処置をしておられるか、そこらの辺聞かしていただきたいのですが。
○政府委員(蓑輪健二郎君) ただいまのことは、今年の二月、全自交から大阪の府、市及び建設省の出先機関に出されたものだと思います。実はこれの内容そのものは現在私のところに来ておりませんが、ここで問題になりますのは、やはり五十項目ばかり、大阪の全市街の、大阪市街のうちの五十カ所ぐらいについて、五十項目につきまして、いろいろこうしてほしいというような要望があったというふうに聞いております。これにつきましては、私たち、やはり都市内の交通の流通をはかるということと、交通事故の防止ということにつきましては、これはどこから意見がございましょうとも、傾聴すべきものは十分傾聴いたしまして、できるだけそういうことで交通事故が防げるようなものは、あるいは補助工事なり、あるいは単独工事なりでやらせるように指導したいと考えております。
○春日正一君 これは非常に大きな、あなたたちに対する協力だと思うんですね。ところが、これは返事をもらっていないと言っているんですよ。そうして、第二次をつくって、また近いうちに提出しようというようなことを言っております。この組合はタクシーの組合ですから、一番道路交通の問題では直接関係も持っているし、毎日走っているから、道路のどこがどうだというようなことはよく知っている。だから、そういう意味で自分たちの交通の安全ということも考えて、こういうものを出している。こういうものをもちろんまじめに取り上げて、手当てできるところはさっそく手当てするというようにしてほしいと思うのです。それから同時に、こういうふうな例から見ても、たとえば建設省なり、あるいは警察庁なりが道路交通の改善をやろうとする場合、実際に、こういうものは道路交通に非常に深い関心を持っている自動車とかトラック関係に働いている人たち、労働者ですね、大体いままでのあれでは、そういう問題というと、経営者からは意見を聞くけれども、経営者は自分で直接運転しているわけじゃないですから、やはり道路の問題ということになれば、こういう労働組合あたりの意見も取り入れて、民主的な対策を立てるということをやるべきではないかと思うのですけれども、そういう点どう考えますか。
○政府委員(鈴木光一君) 春日委員の御指摘の問題は、実は私どものほうで調べてみましたら、大阪府の交通部に要望書が提出されたものだと思います。従来、大阪では特にそうでございますが、全国的にも交通関係の労働者の皆さん方の意見も聞いて、いろいろ規制もし、それから運転する方方の意見も取り入れて、交通、われわれの所管しておりますいろいろな問題については、意見を反映させるようにということで指導しておりますので、その一環として、大阪府の交通部、全自交の大阪地連との懇談会、これは警察がイニシアチブをとった懇談会でございますが、その懇談会の席上でいろいろ懇談をしておった中で、この要求書が提出された。しかし、聞いてみますると、要求書を提出されたけれども、別に提出された要求書については、組合から何らの説明もない、また、回答を求めるというようなことはないまま配付されたままになっておった。しかし、警察としては、これを見て、中にいろいろ検討してみますると、もっともなこともございますので、たとえば安全施設の設置を、ここに信号機をつけてもらいたいとか、ここに横断歩道をつけてもらいたいとか、そういうようなことで、もっともなこともございますので、中には措置をしたものもある。信号機等につきましては、予算の問題もありますので、予算を離れても、ここに信号機をつけたほうがいいのかどうかということは問題点もあるというようなことで、検討中のものもございます。この要求書の中には、先ほど道路局長のお話にもありましたが、建設省関係の、たとえばここに横断歩道橋をつけてくれ、ここに駐車場を設けてくれといったようなこともございましたので、それについては、建設省、おそらく大阪の地建だと思いますけれども、そのほうに警察が連絡をしてということでございます。お話のように、この中にありましたように、こういう交通関係に携わる皆さん方の意見は漸次取り入れていろいろやっていくという考え方は、この問題は実は全国昂的な問題でございますので、私どもはそういう、むしろ積極的に懇談会を持ってやっているということでございます。
○春日正一君 その点は、まあ、さっきの地域の交通の問題にしても、いまの問題にしても、実際に関係する当事者の意見を大阪はそういう形でやっているということは、これは非常にいいことだと思うのですけれども、全国的にも普及をして、そうして、みなの知恵を集めて、さしあたって事故を少なくしていく、交通条件を整えていくというようにやってほしいと思います。 そこで、その次に、事故の原因になっている運転者の不注意という問題ですけれども、やはりこれにはいろいろ条件もあると思いますけれども、やはり疲労、それから特に労働がきつくてこれをやるというような問題、労働者の労働条件の問題であると思うのですけれども、こういう問題についての労働省の対策ですね、これはどうなっておりますか。
○説明員(藤繩正勝君) 自動車の事故が、運転者の労働条件が悪いということから来る疲労その他の事情によって起こる。したがって、労働条件の改善が非常に必要ではないかという議論はたびたびございました。私どもといたしましては、いやしくも、そういうことがあってはならないというふうに考えておりまして、かねがね自動車運転者の労働条件の改善については、重点的な指導監督を加えてまいったわけでございますが、特に昨年二月に、自動車運転者に、労務改善基準というものを通達によって示しまして、長時間労働の排除、休日労働の排除、あるいは走行を刺激するような、極端な累進歩合い制の排除その他の事項を示しまして、強力に指導を行なってまいっております。現に事業所の監督にいたしましても、数年前は年間三千ないし四千件程度のものでございましたものが、昭和四十一年には九千百四十一件、昭和四十二年には二万一千八百九十件の自動車運送関係の事業所の監督を実施いたしております。それ以外に、いわゆるダンプカーの事業所も、かなり数多く監督を実施しておるわけでございまして、今後ともそういった面で強力に指導してまいりたいというふうに考えております。
○春日正一君 確かに、この数字見ますと、三十七年に違反業者総件数五件、四十一年は五十五件というのに、四十二年二百六十五件というふうに、ぐっとふえている。これは監督が強まった結果、そういうものが発見されたんだろうと思うのですけれども、しかし、それにしても、やはり事業所総数に対して監督すべき職員ですか、これが非常に少なくて、たとえば労働組合あたりから監督が依頼されても、それに応じられないというような事態があるというように聞いているのですけれども、その点はどうですか。
○説明員(藤繩正勝君) 労働基準法に基づきます監督は、先生御承知のように、全産業に及ぶわけでございまして、そういう意味では、通常の製造業あるいは労働災害の多い建設業等はもとよりのこと、このような運送事業あるいは商店、旅館等の非工業的業種、あらゆる面に行きわたるわけでございまして、そういった点から、監督官たいへん忙しい思いをいたしております。ただいまも御指摘ありましたように、労働基準法ができました昭和二十二年には、適用事業所は約五十万でございましたが、現在は二百四十万にふえておりますし、適用対象労働者数も、九百万からいま二千九百万をこえる状態にございます。その間、監督官の定数はほとんどふえておらない状態でございますので、遺憾ながら、監督を実施する事業所もどうしても一定の限度に限られるという状態でございますが、そういった中にありましても、事態の必要性に応じまして、監督官は非常に馬力をかけて監督を実施いたしております。また、私どもの方針といたしましても、法律的な監督という面で、重点的に災害の多発する現場でありますとか、あるいはこういった労働時間等に問題のある事業所、そういうことに焦点を向けて監督を実施してまいるという方針をとっております。今後とも、監督官はとてもこれでは十分でございませんので、ふやしてまいりたいと思っております。ただ、御承知のような、また一方において、公務員の定数という問題もございますので、事情必ずしも楽観できないのでございますけれども、私どもとしましては、できるだけの努力をしてまいりたいというふうに思っております。
○春日正一君 だから、いまの説明でもはっきりしているように、昭和二十二年ですか、五十万事業所があって、監督官の数が二千四百八十一、四十一年には二百二十六万以上の事業所があって、しかも、監督官の数は二千六百人、百数十名しかふえていないのですね。こういう状況なら、労働省の職員がどんなに骨を折ってみたって、とてもじゃない、監督が行き届きかねるということになるわけですね。そうすると、いまあなたの話では、今度の一省一局削減のようなことで、どうももっとふやしたいのだけれどもふやせそうもないような話ですけれども、そうすると、政府の方針としては、結局、これを、この事業所が事故がたくさん多発するというのに見合って監督官をふやすというような方針はないのですか。
○説明員(藤繩正勝君) 私どもは、労働省といたしましては、監督官をもっとふやしたいという気持は熱烈に持っております。ただ、御承知のような事情でございまして、できるだけ現有の人員で効率的な行政を運営しなければならないという要請も片方にあるわけでございますので、そういった努力を積み重ねまして、なお必要なものは来年度におきましても強く要求をしてまいりたいというふうに考えております。 なお、先ほど御指摘のありました労働組合に限らず、労働者その他から申告等がありました事案につきましては、通常の定期的な臨検、監督のほかに、特に重点的にできるだけ現場に行くという方針は当初以来とっておりまして、現在でもできるだけ現場に参るという方針でございます。
○春日正一君 それから労働時間の問題ですね。これは二月九日の通達でもずっと制限をして出されておるし、その後三月になってからですか、また通達を出されてやっておるんですけれども、あれはどのくらい効果ありましたか。
○説明員(藤繩正勝君) 先般もお尋ねがございましたときにお答えをいたしておるわけでございますが、始めてまだ一年でございますので、なかなか統計的に明確に把握できないわけでございますが、まず、この改善基準のねらいは、御承知のように、労働基準法の一般原則でありますところの一日八時間、一週四十八時間であれば常識的な範囲に入っているわけでございますが、労働基準法では、例の三六協定を締結することによって時間外労働ができる、あるいは休日労働ができるということのために、産業によっては非常に長い労働時間あるいは休日労働ということが見られるということが問題でございます。特に自動車運転者の場合には、どっちかと言えば中小零細企業が多いというような事情もございまして、その辺が非常に問題であったわけでございます。そこで改善基準のねらいは、その三六協定の締結の場合に、一つの基準を示すことによって、できるだけそのワクの中に追い込んでいくと申しますか、そういうことで労使にお願いをしておるわけでございます。その結果は、ことしの一月末でございますが、自動車業全部で大体四五%はこの改善基準にのっとった三六協定がすでに届け出られておる。特に問題のハイタクでは六三%、それからトラックが四九%という状況でございます。ダンプその他がまだあまり進んでおりませんので、平均といたしましては四五%という状況でございます。さらにこれを推進してまいりたい。それから先般もお答えしましたように、毎月勤労統計調査あるいは賃金構造基本調査等から見ましても、一般産業に比較しまして労働時間の総ワクの減少がやや顕著に出てきているということは、必ずしも直接この効果かどうかは即断できませんけれども、若干の効果があらわれてきているんじゃないかというふうに私どもは考えておるわけでございます。
○春日正一君 労働組合のあるところはわりあいこういうものが出たということもわかるし、それからまた、会社に対してもそういうものを根拠にして改善を求めていくということもできるわけですけれども、労働組合を持ってないようなところですね、特にダンプカーなんというのは、企業が小さくて労働組合か何か持ってないので、非常に無理な労働をしている。この間もテレビ見ていたら、埼玉県から一日に四往復するとか五往復するということがある。そういうことがやっぱり事故に結びついてくるわけですね、居眠りとか不注意があったとかということで。こういうものをどのようにしてなくしていくのか、そういう点は労働省としてはどういうふうに考えておりますか。
○説明員(藤繩正勝君) 昭和四十一年の十二月末に、御承知の愛知県の猿投町におきまして、多数の幼稚園児をひき殺すというような不幸な事件がございまして、私どもは、その直後に、当該運転手が疲労、居眠りというようなことが報道せられまして、そのためもございまして、一斉に全国のダンプを監督をいたしまして、その結果、悪質のものはびしびし送検をするという措置をとったわけでございますが、その後、昨年の春、秋の交通安全週間におきまして、一般自動車と並びまして、ダンプの監督も進めてまいりましたが、相当な違反を発見してきびしい措置をとっておるわけであります。ただ、先般も衆議院の交通安全特別委員会で御説明申し上げたのでありますが、私どもがそういう監督をいたしまして痛切に感じたことは、ダンプの場合は、いわゆる一人一社と申しますか、一人で自動車を持っておりまして、そうして砂利その他の輸送に当たるというものがたいへん多うございまして、労働基準監督の面でまいりましても、労働基準法入るべからずというか、雇用関係が存在いたしませんために、非常に劣悪な状態が発見されましても、監督指導が十分できないという面がございます。私どもは、もちろん現場に行きましてそういうことを発見いたしました場合には、陸運局その他に通報その他もいたしておりまするし、また、そのことの重大性にかんがみまして、総理府で主催しておられます各省連絡会議の場におきましても問題点を出しまして、私ども問題の重要性を指摘しておりますが、これは関係各省一致の努力で改善をしていかなければならない問題だというふうに考えております。私どもとしましては、たとえ一人一社の場合でも、保険その他の適用から労働関係があると見られるようなものについては、できるだけ労働関係ありと認めて労働基準法の面で監督指導を加える。それでもはみ出す場合については関係方面に連絡をするというような措置でできるだけの努力をしていきたいというふうに思っておるわけであります。
○春日正一君 その点で、むろん、運転している人たち御本人が事故を起こすのだから、そんな無理な労働しなくてもよさそうなものだと思うのですけれども、実際には生活のためにというようなことで無理な労働に甘んじられる、あるいは買って出るという事態もあるわけですが、聞いてみますと、夜業をするので、そうすると、どうしても夜食食べたり何かして生活費もかさむから、まあ月に六万くらい必要なる。そうすると、水揚げが月十五万くらいやらないとそれだけにならない。ところが、実際規則どおりやっていますと、東京都内で走ると、タクシーなんかの場合に非常にスピードがおそいのですね、ひっかかるから。だから、総労働時間の中で、全体平均してみると、一時間に十九キロくらいしか走れない。十五時間走り続けて二百八十五キロも走れば一ぱい一ぱいだというふうにいわれております。そうすると、結局、一カ月に水揚げが十三万円くらいで、賃金が五万三千円くらいになってしまう。これを埋めるたにめは、どうしても時間延長でかせぐか、そうでなければ、違法ですね。要するに、スピード違反やって飛ばしてかせぐかということになってしまって、つまり、さっきの話でスピード違反とかということは、これは事故の大きなもとになるからいけないことだけれども、それを承知しておっても、月にこれだけの収入かせがにゃならぬということになれば、それをやらなければかせげぬようになっているというような点で、そこらの問題を解決しなければ、刑罰でおどしただけではその問題は片づかぬだろう。スピード違反が悪いということは、自動車の運転を職業としているのだからよく知っているし、おっかないということは一番知っておる。それでもやっぱり走らなければかせげぬからつい走ってしまう、こういうふうな状況ですね。そういうものがいまだにある。だから、こういう点はどうなんですか。
○説明員(藤繩正勝君) 御指摘のとおり、われわれ非常に重要な問題だと思っております。 先ほどお話ししました改善の基準におきましても、賃金の形態、特に走行を刺激するような累進歩合制というものについては、ぜひ排除をしてまいりたいということで、そういう行政指導方針を打ち出しておるわけでございます。ただ、労働時間と違いまして、労働基準法の規定に基づいて、どうしても言うことを聞かなければ、処罰をしてでも守らせるという性質のものではなくて、賃金は労使がおきめになるというのが原則でございますために、指導の範囲を出ないという点が一つございますけれども、しかしながら、まあ六割程度は最低保障給を定める、そしてなおその他の点についてもできるだけ歩合を少なくしていく。しかしながら、当面一番危険なトップ賞でありますとか、あるいは走行を刺激する累進歩合というものについては、ぜひまあ今回の賃金改定、この春闘期の賃金改定期を最後に、なくしてもらいたいということをいま関係の労使に強くお願いをしておるわけでございます。
○春日正一君 それが実際なかなかそうなってないんですね。むしろ、この善意の通達を悪用して悪くしたというような事例が、あなたのほうにも言われておると思いますね、これを見ると、労働省のほうでいろいろ言っているというので。ことしの春闘のタクシー関係の回答の特徴を見ますと、一律歩合は四五%。それから十万円以下の水揚げはもう歩合なしにしてしまうということですね。そうすると、どうしたって十万円以上は何としてもかせがなきゃ生きていけぬということですね。それから、固定給に対して、無事故手当とか精勤手当とか、皆勤手当とか愛車手当、生産手当、服務手当、いろいろな名前の手当をくっつけて、それを出すということになっている。ところがこれ、無事故とか精勤とか皆勤とかということになりますから、一日休んでも、まあ平均十三日働くとして、十三分の一が減るだけじゃなくて、そういう手当が減るから、五千円も減ってしまう。二日も休めば水揚げが十万を切るから、二万円ぐらいな減少になるということになると、どうしたってからだが調子が悪くっても、そういうときは事故を起こしがちなんだけれども、それでも無理して出なきゃならぬし、あるいは一日休んだということになれば、取り返しをつけるために一そう無理しなきゃならぬというような賃金形態になっているんですね。いまあなたは、ことしの春闘からはそういうふうにして歩合制をなくするようにと言われたけれども、やはりことしの場合の回答がそういう形になってきている。だから、これなんかは、労働基準法で言えば、就業規則で、「減給の制裁を定める場合においては——一回の額が平均賃金の一日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えてはたらない。」、これは九十一条に書いてあるんですね。これはまあもちろん九十一条に言う制裁というようなものに該当するかどうかということはいろいろ議論があると思うけれども、性質から言えば、休んだらやらぬとか、水揚げが少なかったらやらぬとかという意味から言えば、これは強制規定、制裁規定に類するものです。そういうことで、二日も休んだら二万円も減る、給与の二五%ぐらい減るというような事態になればこれはあなた方の通達の精神にそむいているというだけじゃなくて、基準法九十一条の違反として問題になるんじゃないかと思うんですけれども、その点どうですか。
○説明員(藤繩正勝君) 一日休めば幾らということでどんどん賃金を差し引くとか、いま御指摘のようなそういった事案につきましては、たいへん不適当なことではなかろうかと思っております。ただ、それがいま御指摘の労働基準法九十一条に該当するかどうかについては、やや問題があろうかと思いますけれども、私どもとしましては、累進歩合制の排除という面で、そういった不合理な賃金体系の排除というものについては強く指導してまいりたいというふうに思っておるわけでございまして、実は先般、四月の九日に全自交の皆さんおいでになりまして、いろいろお話を承っております。特に私感じましたのは、ただいま先生御指摘のように、一般的にはこの基準を受け入れておりますけれども、個々の事業場におきましてはいろいろ知恵をしぼりまして、趣旨に反するような扱いも見られるようでございますので、個別のケースについてなお指導する必要があるというふうに思いました。そのときにも伺いましたし、また四月十七日に全自交の書記長にも来てもらいまして、個別問題の処理についてお話を承っております。私どもとしましては、そういったことのないように各県の労働基準局を通じまして関係労使に強く訴えるというふうに指導をいたしております。
○春日正一君 いまの問題ですね、いまの法律のもとではこういうものがいろいろ出てきて、たくさんいろいろ事例がありますけれども、私も言いませんけれどもね、出てきて、しかもそれが強制するわけにはいかぬ、労使関係で解決しろということになれば、ストライキでもやるよりしようがないということになるほかないけれども、あなた方の立場ではそうも言えないでしょうけれども、だからそういうことなんですけれども、やはりこれが交通事故なりなんなりの大きな原因になっているし、労働上そういう産業の仕事に従事する労働者の労働条件として不適当なものだということがあなた方もわかって、そしてそれがいろいろそういう通達を出したり指導もやっておるということだったら、やはりそういう業種に対しては、少なくともまあ通常賃金の六割は保障するというような法的な措置をとる考えがないのかどうか。そうしなければ、労働組合持っているところで、そしていま言ったように、労使の関係だからといってやって改善はしていけるけれども、未組織の労働者というものはまだ非常に多い。むしろ組織労働者というのは五分の一ぐらいでしょう、全体の平均から言えばそういう状態。だから、むしろ未組織の人たちが多い。そうすると、やっぱりそういうものが規定されていないためにいろいろ悪い条件がきめられてきて、それを、そのままだと思って、その中で生きていこうとすれば、違法を承知で違法をやらなければならぬというようなことになって、これは法に対する軽視といいますかね、法が道理があれば従うということになるけれども、法に道理がないということになれば、そんなもの従うかということになってしまう。そういう意味からいっても、交通事故をなくするという意味からいっても、法的に、まあ全額固定にしろとは言えないだろうが、少なくとも六割は保障するというようなことをやる必要があると思うのだけれども、その点どうですか。
○説明員(藤繩正勝君) 御承知のように、労働基準法第二十七条には、出来高払制、つまり歩合制等の場合には保障給を設けなければならぬという規定がございます。ただ、幾らの割合ということがないために、ただいま先生のような御提案があったのではなかろうかと思うわけでございますか、このたびの改善基準では、少なくとも六割の最低保障給を持つようにという指導をいたしておるわけでございます。ただ問題は、法律をつくったらどうかと、こういう御提案でございますけれども、私どもは、法律だけですべてが解決するということはちょっと問題があろうかと思います。率直に申しまして、今度の改善華準につきましては、大多数の労働組合から御賛同を得ておりますが、たとえば全自運のように、改善基準そのものについても絶対反対という立場をとっておられるような、組合運動の面でもそういう事案が見られますし、また、個別のケースにいたしましても、監督官が夜中に現場に行きまして悪質なものを摘発するという努力をかなり続けておりますけれども、肝心の労働者について非常に長時間労働があったのではないかということを聞いてまいります。そうしなければ法廷維持ができませんので、私どもとしては証拠をとるためにそういう努力をいたしますが、ほとんどが、いや私は途中寝ておったのでそういう長時間労働はやっていないというのが大部分でございまして、監督官といたしましては、隔靴掻痒といいますか、士気を阻喪するような事案にもよくぶつかるわけでございまして、やはり私どもの指導ももちろん必要でございますが、関係労使の自覚と申しますか、御協力ということもたいへん望ましいことではないかというふうに考えるわけであります。
○春日正一君 それで法務大臣に、いまのお話、お聞きになったと思いますけれども、つまり労働条件が非常に無理になっておって、そのために事故が起きるような危険もおかさなければならぬし、スピード違反とかその他のそういう規則違反もやらなければやっていかれないような状態になっていくと、それを改善してやらなければ、あなたがたが今度は法で規制してくるが、法を守れないような状態になってくる。だから私は、いませめて六割までは法として、あるいは省令とかなんとか、そういうもので強制力を持つという方法があればそれでもよろしいけれども、とにかく強制力を持たせるものとして最低の条件は保障してやらなければならないのじゃないかと言うと、それはよくわかっておりますけれども、なかなかそれはできませんと。一方ではそういう労働条件の改善という点でどうしてもいま必要だし、労働者がみんな組合へ入って団体交渉やっているわけじゃありませんから、そして、むしろ未組織のところほど条件が悪いわけですから、労働者の個々の生活というだけじゃなくて、交通事故とか犯罪の起こらぬという意味から見ても、六割を保障するというようなことでこういうものはしてやらなければ無理じゃないか。それがわかっておりながら、立法はしない、するつもりはないと言っておる。とすると、あなた方のほうで、悪質な犯罪がふえるから、これは法律、罰則を重くしてそれで取り締まらなければならぬということになると、つり合いがとれないわけですよ。同じ法をいじるのでも、さっき言ったように、ごく悪質なものがあることは私は知っております。その中には厳罰にしなければならぬものもある。しかし、それがあるからといって、やはり法として出てくれば全体にこれはかかってくるわけですから、だから、そうすると、そういう無理のいかないような、こっちのほうの、保護するほうの法律も上げてやるとか、あるいは道路の整備であるとか、交通の規制であるとかいうような手を、政府の各機関が全体として、政府というものは一つのものですから、打った上で、それだけ手を尽くしておるにもかかわらず、なおかつ、これを無視して無謀運転をするとか、違反の運転をするとかという者に対して厳罰にするというなら、これはだれしも納得する。ところが、法務大臣のところでは、悪質が多いから刑を重くすると言いながら、一方では建設省のほうでは、車はふえてしようがないけれども、道路は予算の関係で追っつきませんというようなことになっている。いろいろ施設をしなければならぬけれども、建設省のほうにしてもなかなか追っつきませんということになっている。労働者の労働条件の問題でも、労働基準監督局としては歩合制というものはなくしていきたい、そういうことで指導しているのだけれども、強制力がないからそれができないということで、事故のよって起こる素地というものを全部やりっぱなしにしておいて、そうしてたまさかそこで起こってきた事故に対する罰則だけ重くするということになると、これは非常につり合いを失った措置になってくる。だから私結論を言えば、非常に悪質な、よく法律のことばでいわれる未必の故意というような、それに相当するようなものをしかるべく厳罰に処するということに私らは絶対反対だと言っているわけじゃないけれども、自動車事故の原因というものが、単に運転者だけの責めに帰するそういう単純なものではないし、いまの自動車台数の激増、それから道路の整備の立ちおくれ、低い賃金水準とか歩合制だとか、その他もろもろの事故を不可避とするような労働条件があるというような原因があって、これらの問題とからんでいろいろな事故が起こってくるということになれば、これを総合的に解決すること、そういうことで事故は減少させ得るし、そういう条件のもとで規則なり法律というものを順守させ得るし、また、守ろうという精神も強まってくると思うのです。いまのような形では生きていけない。生きていくためには無理しなければならぬ。この前神風タクシーの問題でここでも論議されたことがあると思いますけれども、無理しなければならぬという状態をそのままにしておいて、それで無理した者は罰するということでは、これは国を治める者のやり方ではないと思います。だから、そういう意味で罰則だけ突っ走る。独走するということばがありますけれども、法務省だけが独走して、そうして刑法改正やって、それで罰則を強めて事故をなくすというようなことじゃなくて、やはり国や地方自治体、雇い主なんかの責任もはっきりさせて、そうしてそういう全体の交通の条件というものを改善していく。そういう中でやはり必要な罰則もつくっていく。強めていくものがあれば強めていくということをやるべきじゃないか。だから、最後にもう一度言いますけれども、一般的に大きなワクで刑法を変えて上げるということではなくて、そういうだれが考えてもひどいという特定な者に対して、はっきり、これはそういう場合にはこうするぞと言ったほうがむしろ効果があると思います。悪質な者は、こういうことをやったら普通より重くなるぞと言ったほうが効果があると思います。だから、そういうふうに考えられないものかどうか、この点最後に大胆にお聞きします。
○国務大臣(赤間文三君) 刑法の一部改正につきましては、たびたび申し上げましたように、事故者とでも申しますか、そういう故障を起こした人間の罪を一般的に重くするという考え方は毛頭ございません。もしそれが道交法のような改正のときには、さきにも話がありましたように、やはり重くしたほうが犯罪が減るのじゃないかという考え方もあったと私は思いますが、あれは明らかに重くしているので、これは一つもそういうところにはさわらなくて、決して全体の罪を重くするというのじゃなくて、さきにもお話しになりました未必の故意に、わかりやすく言うと、準ずるような乱暴な操縦をやって人命を失わしめたというような特殊の者についての刑が重くなるというのが骨子でございます。決して全体を重くするような考えではない。それからもう一つは、いろいろな施設と相まってやるべきであるということは、同じ考え方、ただほかの設備、ほかのことをやって一番あとにこれをやるということには賛成ができない。あらゆる面をほどを合わせて力を注いで、たとえば道路の問題にいたしましても、政府は全力をあげて道路の拡充強化に努力をいたします。なおまた、労働省におきましても、いまお話しになりましたような、あまり無理な事故の原因となるような労働をほうっておくということは好ましくないので、これは法律のあるなしにかかわらず、法律がなければ指導をと申しますか、やはり人間として、注意をしても事故が起こり得るような過激な無理なことなどは、これは政府としてもやめさせるように全力を尽くして、無理なことのないように全部努力をいたします。なおまた、安全施設につきましても、歩道橋にいたしましても、このほどようやく盛んにできてまいりましたが、あれもまだどんどん進んでやらなければならぬ。その他の安全設備、なおまた進んで言うならば、できるならば車の安全装置まで私は考えなければいかぬのじゃないか。それからなおまた、さきにもお述べになりましたような警察の取り締まりにおいても、やはりまださらにくふうをしていかなければ、いまよりも一そう合理的な方法で事故が少なくできるところがあるのじゃないかというような点も考慮してもらう。私は、もうありとあらゆる面から、一年に六十数万人の死傷者のできているのを一人でも少なくするということが目下の急務である。すべての施設がひとつ相まってその目的を達成したいというのが本旨でございますが、そういうのが全部できるまで待っておるというわけには私どもいかない。むしろこれをやりまして、これを機会に乱暴なことをやれば罪も重くなったんだから、これを機会にひとつ政府も全力をあげて整備をやるとか、いろいろな施策を講ずることに役立たせたいと考えております。その点については、いま言いますように、全体の刑を上げるのじゃなくて、なお最高の刑についても、外国の例等も調べてみて、決して過重な刑を科すものではない、適切な妥当な刑のところまでこれを上げていく、こういうふうな考え方を持っておるのでございます。この点ひとつ御了解を願いたいと思います。
○春日正一君 もう一言。いま大臣のお話で、道交法のときには上げたと、しかし、さっき言ったように、上げてそれでは事故が少なくなったか、犯罪が少なくなったかといえば、そういう数字にはなっていないわけですわ。だから、それだけではだめだし、そうして、それをうんと重くしてやろうというからには、これこれのことをやった、それでもなおやるなら重くするぞというんなら国民は納得するけれども、それの立ちおくれをそれっぱなしにしておいて、これだけが先走っていくということになれば、やっぱり政府はやるべきことをやらぬでおいて国民をいじめることだけやるじゃないかということになるじゃないか。だから私は、一番あとからそれをやれとかなんとか言っているのじゃなくて、全体のつり合いの中で、そういう悪質な犯罪をなくすためにつり合いのとれた方法でおやりになるならこれは妥当なものだと思うけれども、いまのような条件の中で、しかも、一ぱいにばあっと広げた形でぐっと刑罰を上げるというようなことになれば、かえって実際適用される問題、さっき私言いましたから言いませんけれども、国民の受ける印象としても、国民を責めるほうに急にして、自分のやるべき義務のほうにはきわめて寛大じゃないかということになってしまうと、そこを私言っているので、決して、刑罰はなきにしかずで、一番ないにこしたことはないのだけれども、いま必要なものならそれは必要なんだけれども、それにしても、やるならですね、政府としてやるべきことをやっていく、その度合いに応じてやらなければ、非常につり合いのとれぬことになる。そこに問題があるということを、まあ、もう一度私の真意を説明して私はこれで質問を終わります。
○委員長(北條雋八君) 本案に対する質疑は、本日はこの程度にいたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後五時二十三分散会