文教委員会 第4号
- 発言数
- 78 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1968/03/07
会議録
○委員長(中村喜四郎君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 委員の異動について報告いたします。 昨六日、田村賢作君が委員を辞任され、その補欠として大谷藤之助君が選任されました。 —————————————
○委員長(中村喜四郎君) 教育、文化及び学術に関する調査中、当面の文教政策及び昭和四十三年度文部省関係予算に関する件を議題といたします。 本件に対し御質疑のある方は順次御発言を願います。 なお、政府側より灘尾文部大臣、宮地大学学術局長が出席いたしております。
○岡三郎君 その前に、委員会の運営についてちょっとお尋ねしたいわけですが、委員会の運営で、ここに質疑通告という、予告ということが出ていますね。これを予告しないと質疑をさせないのかどうか。委員会の運営については、それぞれの委員会でいろいろなしきたりがあると思いますが、まあ端的にいうて、質疑がありますかということをわれわれに聞いてこられたということを聞いていないのだけれども、いま質疑がございますかということを聞いて、ないというならいいけれども、委員会のほうで聞いてこない。そしてあらかじめだれかが通告して、それを順次取り上げてやられるということになると、これはある意味において言論封鎖になってしまうから、この点については明確に、どういうふうに質疑というものをやっていくのか、それをお知らせ願いたいと思います。
○委員長(中村喜四郎君) 私も本委員会の委員長になりましてまだ日が浅いものですから、前例はわかっておりませんが、質疑者の十分な意思が、いつでも質疑できるように理事会とよく懇談いたしまして、取り扱い方について協議いたしていきたいと思いますので、どうぞひとつ御了承願いたいと思います。
○岡三郎君 いやいや、そういう点でいいのですけれども、ただ問題はいま言ったように、まだ早々ですから、あまりやかましく言うわけじゃないけれども、実際問題として通告するということになると、野球のメンバーじゃないけれども、オーダー順がきまっていて、やりたいことがあっても、前の人が終わらないとできないという不便がある。ですから、その点で、あらかじめ質疑通告の順にやるのだということになれば、そういう点についてはひとつ、質疑がございますかどうかということについて、あらかじめ委員部を通してやはり各委員に聞いて、それに対して質疑通告があったらそれをどういうふうにしていくかということは、委員長、理事打合会でやってもらってけっこうだ。しかし、それだけではやはり運営としてうまくないので、臨時的に重要な問題についてはやられるということを、ひとつここに意見としてお願いしておきたいと思います。
○委員長(中村喜四郎君) 御趣旨に沿うた線で理事会でひとつ協議したいと思いますから、よろしく御了解願いたいと思います。
○楠正俊君 私は文部大臣に、最近の学生運動の問題と、それから大臣が昨年の暮れ発言されました国防教育の問題について、二点お伺いしたいのでありますが、最初に全学連の学生運動の問題について質問したいと存じます。 最近の全学連の動き、特に三派全学連の行動につきましては、非常に世間でひんしゅくを買って、いるものがございまして、羽田の第一回、第二回それから佐世保、最近の成田における三派全学連の動きは、これははなはだ学生としての領域を越えた運動でございまして、特に成田における動きを見ておりますと、一部の学生が竹やりを持っておったというようなことを聞くのであります。それから、農薬を使って、それを警官に投げかけた、そのため非常な被害を警官が受けたということを聞いております。彼らは一九七〇年の安保改定を目ざして、その先兵となるのだということを言っているわけでございます。いよいよその一九七〇年に向かって彼らの行動はラジカルになってきていると。 この問も佐世保事件のあとに、一月三十一日に日比谷公会堂で、佐世保の報告集会があったときに、三派全学連の秋山委員長がこういうようなことを言っているわけです。「今後の闘いの方向としてはっきりここで言っておきたいことは、われわれは武器を持たねばならないということである」と。武器を持つと。すでにいままでも角材——これは武器のうちに入るわけでございますが、だんだんとその武器が先鋭化してきている。こんなことで一体いいのであろうかということを国民ひとしく憂えているわけでございます。 そこで、大臣にお伺いしたいのでございますが、最近の全学連の動きについて、どういうふうに大臣がこれを把握しておられるか、簡単にお述べいただきたいと存じます。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 最近の学生運動の動きにつきましては、一口に申し上げますれば、私は、いかにも残念であり、また憂慮にたえない事態であると思うのであります。この実体は、特定のイデオロギーと申しますか、そういうふうなものを持った一部の学生による政治的意図を持った運動と言わざるを得ないと、このような認識をいたしておるわけであります。 御承知のように、いわゆる全学連は、あるいは日共系とかあるいは反日共系とか、いろいろと分かれておりますが、これらの各派を指導しておりますところの学会員の団体はその規約でいろいろなことを掲げておるわけでありますが、あるいはマルクス・レーニン主義を学び、人民の戦いに役立つ、あるいは反帝、反独占の青年戦線統一の中軸になって活躍するとか、共産主義社会の実現であるとか、国際帝国主義の打倒であるとか、プロレタリア世界革命実現のために戦うとか、独占資本の体制と戦うとか、こういうふうなイデオロギーを明らかにいたしておるように思うのであります。全学連の各派はそれぞれの大会におきまして、全人民が直面しておる政治課題を取り上げて戦うとか、公安条例をすみやかに即時撤廃せよ、砂川基地拡張を実力で阻止せよ、第三次防衛計画粉砕、国防省設置反対であるとか、そういったような政治的な運動方針やスローガンを打ち出しておりますことは御承知のとおりであります。このような政治的な目的を達成するために、羽田事件であるとか、あるいは佐世保事件等の不祥事件を起こしておるのではないか。さらに、授業料の値上げ反対、学生寮の自治管理要求というようなことで学園内の紛争を起こしておるのであります。いずれも政治的な目的のために手段を選ばない秩序破壊の運動であり、本来の学生運動の域を逸脱した行動である、かように考えざるを得ないのであります。 学生の自治活動が大学において認められておりますのは、申すまでもなく、自律性の加養であるとか、社会性の陶冶であるとか、あるいは学生相互の啓発等、教育的意義にかんがみまして、大学が正規の教育課程外の教育方法としてこれを取り上げて、これに承認と信頼を与えるところにその存在の根拠があると思うのであります。しかし、全学連傘下の一部学生の一連の行動は、学生の好ましい自治活動とは考えられない。先ほども申しましたような政治的行動、秩序破壊の暴力的行動でありまして、その認められておる本来の趣旨に反することはなはだしいものがあると思うのであります。学外においては、学生は一個の市民としての立場を持つにいたしましても、なおよりよき人間形成の途上にある就学中の身といたしまして、学生の本分にもとることのないようにしなければならないことは当然のことじゃないかと思います。 各大学としても、このような意味におきまして、学生の行動につきましては、たとえそれが学外における場合でありましても、その指導には十分留意してまいらなければならぬと考えます。ただいまの状況はあまりにもこの一部学生の行動が学生としてのいわば常軌を逸した行動をしておる、目的のためには手段を選ばない、いかにも過激な政治行動をやっておるわけでございまして、このことは学生自身の人間形成の上から申しましても問題がございますけれども、一面、社会に対しても大きな不安を与えておる問題でございますし、ひいては大学そのものに対する社会の信頼を薄くしていく、このようなおそれもあるわけでございますので、私どもとしましても重大な関心を持ち、また大学当局としましても、この状態の改善のために非常に心配をし、努力をし、むしろ苦悩をしておるのが現状ではないかと、かように考えておる次第でございます。
○楠正俊君 いま大臣が申されたとおり、この学生運動が政治的意図を持って非常な常軌を逸した行動になっておる。大学の自治というのは、これは非常に大切なことであって、彼らみずから大学の自治をくずそうというような方向に行っておるように見受けるのでありますが、これに対しまして、羽田事件以来、三派全学連がとってきたあの暴力行動に対して大学がどういう措置をとってきたか、また学生指導をどういうように行なってきたかということについて、お答え願いたい。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 羽田事件あるいは佐世保の事件等、この一部学生の暴力的行動につきましては、各大学におきましても、学生運動の域を逸脱した行為として、事前に暴力行動への参加を戒める学長等の告示を出しましたり、あるいは教員による学生への説得など、学生指導について努力をいたしたのでございます。また、暴力行動の拠点として利用され、あるいは利用されるおそれのあった関係大学では、学内施設の警備であるとか、他の大学の学生の侵入に対して格別の措置をとってまいりました。羽田事件、佐世保事件等に参加した学生につきましては、学園の秩序を乱し、学生としての本分をそこなったことに対して、各大学は教育的な見地から、いろいろの検討と反省を加え、再びこのような事件が起こらないようにと努力をしておるのが現状でございます。また、国立大学協会、私立大が連盟等でも、その後の学生指導のあり方について真剣に検討をいたしておる次第であります。多くの大学では、これらの行動に参加した学生の事実の調査や、教授会で検討中のところが多いのでありますが、何としても、あのような暴挙に出た学生に対しまして、これを慢然と放置して置くべきでないという考えのもとに、真剣に検討をしておるものと私は考えておる次第であります。
○楠正俊君 大学側が告示を出したり、それから国立大学協会が常置委員会で最近の学生運動に関する意見というようなものを出したりしておりますが、大学側といたしましても非常に苦悩しておるということはよくわかるのでございますが、そういったことと無関係に、彼らは何か意図があって、彼らの学校側のそういった苦悩を全く馬の耳に念仏といったようなことで、いよいよもってラジカルな方法をとっておる。非常になまぬるいやり方ではとてもだめだということを私は考えるのでございますが、学生の退学、停学という処分も、もちろんこれは教育的観点に立って行なわれなければならないのでありますが、起訴された学生とか、学業を放てきして職業的革命家を気どっておるような学生活動家に対しては、当然学校側として停学、退学の処分に処すべきであると考えるのでございますが、何かなまぬるい感じがして、世間では、一体大学は何してるんだ、大学の学長は一体何してるんだというような、大学側は無定見、無為である、無為無策であるというような気持ちで見ておるのでございますが、その学生の処分、これはどうなっておりますか。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 先ほど申しましたように、大学としましては、あのような行動をした学生に対しましてただ漫然としてこれを見ておるというようなことではない。これに対しまして真剣にいろいろ処置を考え、対策を考えておるのが現状であろうかと思います。 しかし、どこまでも大学としましては、やはり教育の立場というものが基本になるであろうと思います。したがって、学生の処置にいたしましても、その立場からいろいろ検討を加えて適切な処置を講じていくということが必要なことではないかと思います。現にいろいろ検討をいたしておるところでございすまが、繰り返して申しますようでございますけれども、決して事態をそのままにしておいて何らのけじめもつけないというような心持ちではないものと、私は大学当局の善処に信頼をいたしておるところであります。 しかし、御承知のように、学生の処分というふうなことは、御本人の一生にとりましてもきわめて重大な問題でございますし、その人その人の状況というものもあろうかと思います。一がいに簡単にきめつけるわけにもいかない点もあるかと思うのであります。大学といたしましては、個々の学生につきまして十分調査の上で、それに対する適切なる処置を考えていきたいというのが当然の任務ではなかろうか、このように私は考えておる次第であります。その処置いかんということについて大学が目下いろいろ検討をしておる、学長さん一人ですぐに右から左にものをきめるような、そんな単純な組織ではないと思います。内部でいろいろ検討しておるのが現段階であろう。もちろん、中にはすでにそれぞれの処置をとられた大学もございますけれども、多くの大学はいまなお慎重に調査をし、検討しておる段階だ、このように私は考えておりますが、適切なる処置をおとりになるであろうということは、私どもこれを期待をいたしておる次第であります。
○楠正俊君 その処分した学生の数がわかりましたら、教えてください。
○政府委員(宮地茂君) 先ほど大臣もお答えになりましたが、すでに処分を、その処分もこれですべて決着がつきましたというものではなくて、処分を含めていろんな決着のしかたはあるわけでございますが、そういう意味で完全にこれで決着いたしましたという大学は、現在のところほとんどないと言ってよいと思います。 そこで、いま数字ということでございますが、退学処分あるいは停学処分をした学校が、わずかですが、数校ございます。数を申し上げるのはちょっと差し控えさせていただきたいと思いますが、しかもそれは、それでもう終わったということでございませんで、とりあえずの措置でございます。 それから、そのほか一応父兄を招致しまして、父兄にその事実を言い、父兄、学生ともどもに今後このようなことをしないという誓約書を出させたり、あるいは特別に主任教授が本人とこれから先一年間なら一年間常に、たとえて申しますと、一週間ごとあるいは一月ごとに本人の行動を、まじめに勉学しておるといった日記式にして指導教官に出すとかいった、ことばは悪いすですが、監視人をつけたような、補導員をつけたようなかっこうで、本人の今後の挙措を見守るような形、それから一番軽いのは、二度と再びこういうことをしないという厳重な注意を与えてそれ以上のことはしない、いろいろの形がございますが、お尋ねの処分者が何人出たか、懲戒停学が何人、退学が何人というおそらくお尋ねだと思いますが、それにお答えするだけの数字は現在のところまとまった学校はございません。わずか数校でございます。
○楠正俊君 数はけっこうですが、大臣が言われるとおり、大学の自主的な規制に期待すると言われておられますが、大学がとった羽田事件以降の行き方を見ておって、大臣が期待するような方向にそれが向いておるかどうかということはいかがでございますか。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 私は、羽田事件とかあるいは佐世保事件にあらわれた学生の行動につきまして、理由のいかんを問わず、また考え方のいかんを問わず、暴力的な行動に出ることは、これは許されないことと思います。ことによく世間では、警察官と学生とが乱闘をしておるとか衝突をしておるとかいうような表現でもって伝えられるのでありますけれども、私は、警察官の行動につきましても、個々の問題をとらえればあるいは行き過ぎであるというようなこともあろうかと思いますけれども、しかし、これはその職務を遂行しておる立場で、これに対しまして学生側の行動はどこから考えても弁護の余地がない行動をとっておる、いわば不法な行動をいたしておるわけであります。同じ列に並べてかれこれ論議すべきことではないと思います。そういう意味におきまして、暴力行動に対しましては、私はやはり学内においてもあるいは学外においても、学内の秩序を維持する、あるいは社会の安寧秩序を維持するというような意味において、むしろ遠慮なくこれに対しては処置をとってほしいと思っております。しかし、大学の立場からものを考えますときには、やはりどこまでも教育というところを基本にしてものごとは考えていくべきであろうかと思います。そういう意味におきまして、大学は今後いかに対処するかということについて、真剣にこの問題を検討しておると、私はそのように認めております。また、そのことが、ただ単に所見を発表するとかということでなくて、これが必要なことだということであれば、それを着々として実行してもらうことが何よりも大事なことであります。私はあくまでも、大学当局の善処、努力というものに大きな期待を寄せ、これに対しましてわれわれもまた必要に応じて御協力をしてよろしい、こういうふうな考え方をとってまいった、これが今日の私の態度であります。 この問題は、たとえば現在の大学であのようないわば暴力的な実力行使というものに対して、大学それ自身の力でこの実力に対抗するということは、これはできない相談だと思います。そういうふうなことを大学に期待するということは私は無理だと思います。そういう問題に際しましては、私はやはり大学としては学内の秩序を確立し、いわゆる大学自治を全うする上から申しましても、必要な警察力を借りると、こういうふうなことも決して遠慮すべきことではない、かように考えておりますけれども、本筋の問題としましては、あくまでも大学の自治を守っていくために必要なあらゆる努力を積み重ねていかなければならぬ。ただ問題は、それだけでも済まないところがあるのではないか。今日の学生のいわゆる暴走事件といいますか、こういうふうな問題の中には、きわめて深い、また広いこれは問題として考えなければならない要素がたくさんあると思います。中には、学生に対して同情すべき原因もないとは言えない。広い意味で考えました場合には、ないとは言えないと思います。教育の立場から申しましても、ただ単に大学の教育だけを問題にして終われりという問題では私はない。教育全体の問題として考えなければならぬような要素もあろうかと思います。また、学校教育だけではなくて、広く社会一般の状態というふうなものも決して無関係ではない、こういうふうな見方もできようかと思うのです。広く深い問題でございますので、その意味において、学校教育全体のあり方につきましても、われわれとしても検討を加えなければならぬ点がございましょうし、その間におきましては、また教育行政の任に当たる文部省その他の教育行政機関においてもっともっと考えなければならぬ点もあろうかと思います。また、社会全体としてもその意味においては十分考えていただかなくちゃならぬ点もあろうかと思うのでございます。これらは、いずれにいたしましても、そう簡単に短時日の問にどうというふうな問題ではございませんけれども、しかし、そういう大きな問題としてその問題はやはり考えていかんけりゃならぬものがある、そのように私は思っております。 ただ当面の問題としまして、大学としては漫然として手をこまねいているということではなくて、事態の改善のために真剣に努力する、そしていわゆる大学の自治を全うするということに骨を折ってもらわなければならぬ。私は、多年にわたってつちかわれてきましたところの大学自治という大原則は、これを尊重してまいりたいと思っております。しかし、その大学の自治は今日一部の学生によって破壊され、あるいは脅威を与えられ、世間からも大学に対する信頼感を薄くする、こういうふうな事態に立ち至りつつある。こういうことについては、よほど大学としましては考えてもらわなければならぬと思います。楠さんの御心配の点もあろうかと思いますが、お互いに大学を激励し、鼓舞いたしまして、そして勇気をもって事態の改善のために積極的な努力をする、こういう方向に行ってもらいたいものと念願もし、また期待もいたし、そういう態度でもって、大学当局と密接な関係を持ちつつ、事柄の改善に努力をいたしてまいりたいと思っております。
○楠正俊君 いまの大臣のお話を伺っておりますと、大学にかく希望するとか、それから大学も努力しておるとかいうことはお伺いできたのでございますが、現実に大学はどういう処置をとって努力しておるかという、そのお話は承らなかったのでございますが、もちろんこういう事件が起こったから直ちにこういうことをやって直ちに実効があがるというようなことは、それは望めないかもしれませんが、次から次に起こっていく問題でございますね。またこれ、十日くらいですか、成田であばれる、それが終わったらまた何かを見つけて、この間の国鉄のときのように招かれざる客で、労働組合のほうも非常にめいわくを受けた。二階から高みの見物で、彼らのあばれているのをのぞいておった。ながめておった。どこにでも彼らは出かけて行って、国民に迷惑をかけているといったことが、次から次に起こっているわけでございます。 そこで、ただ大学が努力しているとか、文部大臣として大学にかく望むとかいったくらいのことでは、とうていこれは処理できない問題じゃないかと私は考えるのでございます。もっとスピーディーに、何か全学一致して、あの国立大学協会の意見書にもございますとおり、全学一致してかくしたとか、学生との対話を教官が着々やっているとか、そういったことが新聞あたりで報道されない限り、国民は、これはどうなるのか、こういう学校に自分の子弟を預けてだいじょうぶなのだろうかという気持ちがあるわけでございます。その点についてもう少し詳しくお話し願いたいのでございます。
○国務大臣(灘尾弘吉君) ごもっともなお尋ねと思うのでありますが、しかし、この種の問題はすぐに右から左に片がつく問題ではないと思います。また、大学としましても、その対策を立てて、あるいはそれぞれ学内におけるすべての人たちのいわゆる一致した行動のできるような、そういう態勢に持っていかなければならないと思うのでありまして、従来の大学の状態というものが必ずしも現在のような事態に対しまして満足すべきものではなかったのではないか、かようにも思うのでありますが、そういう問題について、先ほど私は大学は苦悩しているということを申し上げましたが、その苦しみを通じて、大学としていかになすべきかということを真剣にやっているところであります。こういうふうに私は認識をいたしている次第であります。また、われわれとしましても、大学に対してしっかりやってほしいという意味で激励もし、鼓舞もしていきたい、このように思っている次第であります。
○楠正俊君 この大学の、学内と学外の一連の彼らの行動を見ておりますと、当然学内に政治活動を持ち込んでいるというように見受けるのでございますが、政治的中立であるべき学園に、政治的に偏向したそういう行動を持ち込むことのよしあしは、これはもうはっきりわかっているわけでございますが、文部大臣としてごらんになって、学内に政治的なものを持ち込んでいるか持ち込んでいないか、持ち込んでいるとすれば学校の管理機関がどういう処置をとっているのか。聞いてみますと、べたべた張り紙を張り、安保体制反対、いろいろの政治的な紙をべたべたきたなく張って、学生課がそれをはがしにいくと、またすぐべたっと張ってしまう。どうにもお手あげだというように聞いているのでございますが、何らかの処置がなくてはいけないと思うので、その点の模様と大学のとってきた態度について御説明願いたいと思います。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 一部の学生の行動は、決してただ学内だけの問題ではないと思います。外部との関係もあるものと私どもは認めているところであります。その意味におきましては、大学のいわゆる政治的中立という、教育の政治的中立というふうな点から見まして、これを排除してまいらなければならぬと思います。また、大学の当局としましても、そのつもりで学内の秩序を確立していかなければならない問題だと、このように考えておる次第でございます。なおまた、そういう大学の規律について、これを無視して顧みない、大学の規則に反し、大学の秩序に反し、かって気ままなことを実力的にやっておるということ、そのこと自体が確かにあるわけでございます。そういう事態をいかにして防止するかということが大学としては当面の問題である。大学の中でかって気ままに実力行使というふうなものが横行しておるという事態は、私は大学の自治が完全に行なわれておるものとは考えられないのです。そこをどうするかというところが大学当局として考えなければならぬ問題でございます。実力の前には何も抵抗はできないような大学であってはならない。学生と大学当局との間に十分な意思の疎通をはかってまいる。よく言われることでありますけれども、話し合いの場を盛んにつくったらどうかというような問題については、もちろん現在各大学において最も大切なこととしてくふうをしておると思うのでございます。従来とかくそういう点においては欠けるところがあったのじゃないか。あるいは現在の大学の状態がそういうことを非常にむずかしくしておるということも認めざるを得ない。そういう事態をどうして改善していくかというのが、今後の教育の場における私は重大な関心である、このように思っております。
○楠正俊君 そこで、大学管理の問題でございますが、大体学長が何ら権限がないということを嘆いておる学長がおりますが、学長と、教授会、評議会、協議会といったような大学管理機関があるわけでございますが、その一つ一つがどういう権限を持って学内の管理に当たっておるか、局長からお答えいただきたい。
○政府委員(宮地茂君) 大学の一応組織といたしましては、頭に学長がおりまして、その下に各学部がございます。学部長がおります。またその下にそれぞれ学部内に教室等もございますが、そういう教育的な組織がございます。また、一方におきまして、これらの学問研究が十分行なわれるように学校の諸条件の整備をはかります事務機構といたしまして、事務局長以下の機構がございます。また、一応これは教育組織等の中にあるものと外にあるものと学校によってまちまちでございますが、一応学生の厚生補導をつかさどる厚生補導という部局がございます。 特にお尋ねの教育、学問研究をやります組織といたしましての学部でございますが、学部には教授会があり、また学部長並びに学部の数名の代表者等からなります全学的な評議会がございます。で、これら教授会なり評議会、こういったようなものは、一応教授会、評議会ということは法的にもございますが、それらの所掌事務と申しますか、職務権限と申しますか、こういったようなものにつきましては、現在のところ法律上の詳細な規定はございません。これはまあ従来から大学の自治というようなこともございまして、各学校内での教授会の権限等は学内がきめるといったような過去の旧制大学以来の沿革もございます。しかし、戦後新制大学がたくさんできまして、法律的にあまり規定もございませんので、各新制大学では旧制大学のやっておったことをほぼ踏襲するとか、あるいは若干違った形のところ、まあいろいろございます。ただ、法律的には教授会、評議会の権限として明記されておりますのは、教育公務員特例法で人事関係の部門につきましてははっきりと規定がございます。したがいまして、大体評議会と申しますのは全学的な、各学部に共通するような全学的な問題につきまして協議をする、各学部では学部内のいろいろな運営につきましてやるということでございますが、ただ、しいて申しますれば、大学の自治ということから極端に申しますと、何でもかんでも教授会できめる、したがって学長は教授会できめたことを一応そのとおり実行するといったようなところが多うございまして、そういう点から、学長は教授会、評議会できめられたままを自分は執行するので何ら自分固有の権限がないということを嘆かれる大学もあるのではないかというのが実情でございます。
○楠正俊君 いまお話を承っておりますと、どうも管理体制がはっきりしていないと申しますか、脆弱であるというか、これではどうもこういう結果にならざるを得ないようなことの気がするのでございますが、もちろん大学の自主的な改善によって、その自主的改善のための努力ということに期待するということがこれは当然でございますが、やはり法の整備ということも、その両々相まって初めて大学の管理というのはりっぱにいくわけでございますが、こういった問題が起こると直ちに、大学管理法を提出するのじゃないかというようなことを新聞で書かれるのでございますが、私は大学管理法というものは必ずしも悪いと思わない。前に出ておった案を見ましても、なかなかりっぱだと思うのでございますが、そういった両々相まって、大学側の自主的改善とその努力と、それから法の整備ということを考えなくてはいけない。 文部大臣がこの間、十二月一日でございますが、国立大学の学長との懇談会の席上で、大学管理に関する法的措置は当面考えないが、大学自体が学生指導、大学管理の責任体制を確立するために具体的な検討を行なって、事実によってその責任の発揮を示されることを強く望むと言っておりますが、この事実によってその責任の発揮を示しているのか示していないのか、どうもわれわれその点に疑問がある。この点に関しまして、十二月一日から非常にまた暴力的な学生活動が再三繰り返されているわけですが、いまも事実によってその責任の発揮を示されることを強く望むという希望だけにとどまって、法の整備ということはお考えになっておられないのかどうか、その点をお伺いいたします。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 現在の大学の管理につきまして、先ほど大学局長から御説明申し上げましたようになっておるわけでありますが、必ずしも大学の諸機関のただいまの権限というふうなものも明確でない点もないとは言えないのであります。かつて、大学の管理体制を明らかにする、あるいは権限の点を明確にするというような趣旨をもちまして、大学の運営というようなものを文部省が考えたこともございました。しかし、この問題については、大学側が自主的に改善の努力をしていく、検討をする、こういうことでございましたので、その考え方を認めまして、大学のほうの自主的な努力というものを期待しておったのが今日までの状況でございます。私は、この当時考えられました国立大学の運営法という法律は、それはそれなりに意義のあるものと考えます。決してそれが無意義なものとはもちろん思っておりませんけれども、一番いま大事なことは、そうしたふうの法制を整えるということだけで足りるかというと、そうした事態でも実はないようであります。 むしろ、大学の学長以下教授の諸君、先ほど大学のもとで仕事をしておられる諸君、あるいは学生諸君、こういうふうな人たちの、大学の自治を確立し大学をほんとうにりっぱな学園に守り育てていくというこの心がまえが何よりも必要なことではないか、と同時に、事態を改善するためには、すべての人が勇気を持って事態の改善に当たっていくということが一番大切なことではなかろうかと思うのであります。ただいたずらに法制を整備しただけで事態の改善ができるものとは思いません。ことに現在のいわゆる暴行学生の集団といったようなものは、そういう大学の規律というふうなものは無視してかかっている。どんなに法律をつくりましても、どんなに法制を整備しましても、そういうことは無視してやっておるのが現状であります。私はいま直ちに法制をどうする、こうするということよりも、大学の多くの学生は別に暴走学生でもなんでもない。また、教授の中にもいろいろ取りざたされる人がおりますけれども、多くの教授がそういう状態ではないと思います。すべての人たちが、ほんとうに大学の現状を改善するために力を合わしてやっていくという、その心がまえと勇気が最も必要なことではないかと思います。そういう意味において、大学を鼓舞激励をしたいと思いますし、また全学一致の態勢が組めるように、大学の中でもろもろの努力をしてもらいたい。何かの事態が起こりましても、すべての教官が一致してこれに対処する、あるいはまたいわゆる一部学生以外の学生が大学を守るという立場において、一致してこれに対処するということで、いわばほんとうの意味における民主的な運営が大学の中で行なわれるということになれば、今日の事態はよほど改善されるだろうと私は思うのであります。そういうふうな一部学生以外の人たちが、ややもすれば傍観者となり、無関心な態度をとってしまうというところに、むしろ問題があるのじゃないか。ほんとうに学生自治会にしましても、あるいは教授会にしましても、すべてが民主的な運営が行なわれるということになれば、事態がよほど改善せられてくるものだと考えておる次第であります。 そういう意味におきまして、私は、傍観者的態度、無関心な態度をとるような人たちに大いに反省もしてもらいたい。そしてまた、自覚もしてもらいたい。ともどもに大学をりっぱなものにしていくということに協力し得るような状態をつくり出す。また、大学は、必要なものはそれぞれ自分で自主的な規律を確立いたしまして、これを確実に実行していくということが最も望ましいことと思います。決して前の法案が無意義であるとかなんとかいう考えはございませんけれども、法制の整備を急ぐということよりも、そういうふうな心がまえの問題が何よりいまの場合として大事なことじゃないかというようなことを申しておるわけであります。
○佐藤隆君 関連。いまほど文部大臣は、まあ一部穏健なというか、大学教授の中でも穏健な、中正な連中は、まあ声を出さずに傍観的態度をとっておる。そういうことにも問題がある。もちろんずっとこの論理を進めていけば、国民全体の中にもそういうことが言えると私は思うのです。そういう点について、このままの状態を放置しておけば、やはりいまのままの状態だと思います。そこで、文教行政を責任持って何しておる文部当局において、き然たる態度でひとつやってもらわなければいかぬ、こう思うわけです。 いまほどずっとお話を聞いておりますと、非常に文部大臣御自身ソフトなムードの持ち主でいらっしゃいますから、非常に——私は特に気性が激しいですからそう感ずるのかもしれませんが、非常に考え方が甘い、おとなし過ぎる、こう私は思うのです。先ほど来ことばの端々に、学生行動の暴力的というおことばがありました。私は、先般来の羽田の第一次、第二次にしろ、佐世保にしろ、あるいは成田にしろ、一連のあの学生行動というものは暴力的なんというものじゃないのです。暴力です。はっきり暴力ときめつけてもいいのです。暴力的なんということばを使われること自体が私ははなはだ心外に思うのです。教育の立場が基本である、大学側の適切な措置に期待をするというおことばもございましたけれども、あるいはまた一部同情的な、学生に対する見方もあるいはあるであろうというようなおことばもございましたけれども、これはもう大学だけの問題ではないのです。大学の自治を破壊しているなんという問題ではないのです。社会の秩序を破壊しているのですよ。社会の秩序を破壊しているのです。したがって、私は、大学だけの、大学生だけの問題ならばここまで強く言う必要もないかもしれませんが、これを放置すると、義務教育層までに及ぶのではないか、これを私は危惧しておる。その点について、義務教育面に対してどういう影響を与えるか、こういう影響があると思うがこうしているとか、その辺についてのお考えをひとつお聞きしたい。 それからもう一つ、第二点は、大学の自治の破壊はいま申し上げました。あるいは社会の破壊は申し上げましたが、これはもうけが人が出る。毎回けが人が出ているがしょう。警察当局のけが人であれ大学生のけが人であれ、私はまことに気の毒だと思います。けがをする、傷つけられるということ自体が人間社会において許さるべき問題じゃないのです。そこで私は、どうも大学生だからということで非常に柔和な感じをもってことに当たっておられるのじゃないか。たとえば、そういう暴力事件が起きたらたいへんだと、警察当局は出動を待機しておるというときに、まあ大学生のことなんだからまあまあというような、私に言わせれば、文部当局が逆に警察当局に圧力をかける、おまえらは騒ぐなと、待てというようなことがありゃしないか。ないとは思いますけれども、そういうことがあったら、国家の一大事、私はそう思うのです。したがって、いずれ警察当局に対しては、そういう一連の関連した学生の行動について、いずれ機会をあらためて警察当局に聞きますが、その辺のことについて文部大臣のお考えと、いままでとってこられた措置をあわせて承りたいと思います。以上
○国務大臣(灘尾弘吉君) 私は、学生の行動に対しまして決して甘い考えを持っておるつもりではございません。また、従来その種の学生の行動に対しまして大学が少し甘やかし過ぎておったのじゃなかろうかというような気持もいたしておるのであります。ただ最初に、先ほど申しましたように、私は学内であると学外であるとを問わず、大学の学生が暴力ざたをやりまして問題を起こすということについては、その種の暴力に対しては大学自身はいかんともしがたい問題だと思う。これに対抗することはできない。また現に、その事実が連続してあらわれてきておるというのがこれまでの事態であります。そういうふうな場合に、社会の安寧秩序というようなものを確保するためには、警察力というものがあるわけであります。また、大学内におきましても、不法な行動が行なわれておると、こういうふうな場合に、大学自身が自分の力をもってこれに対抗することはできないのであります。そういう場合に、その不法な行動がそのままに行なわれておるという事態は、明らかに大学の秩序が破壊せられ、また大学の自治が破壊せられておる、こういう現象だと思います。これを回復する、その秩序を維持し、大学の自治を全うするという意味におきましては、私はいわゆる警察力の協力を得るということについても大学当局は何のちゅうちょする必要もない。 で、従来ややもすれば、大学と警察の問というものは疎遠なような関係にあった。これはもう古い時代からの関係が今日なお尾を引いて残っておる問題だと思いますけれども、私は、いまのような事態に対処いたしまして、大学としましては、必要に応じては、その判断によって、大学の秩序を維持する、自治を全うするという立場から、警察力の導入が必要であるという事態においては、遠慮会釈なく、遠慮することもなく警察の協力を求められたらいいと、そのことも大学当局にも言っております。また、学外におけるあの種の行動については、これはもういわゆる社会の治安の問題ですから、びしびしと警察でおやりになってもけっこうだ、こういうふうにも思っておる次第でありますが、ただ、先ほど来申しておりますことは、何と申しましても大学は教育の場でございます。その本来の教育という面からも大学の不断の努力というものがどうしても必要になってくる。しかも、社会に対しまして全学一致してこれに当たるというぐらいな気がまえを持ってやってもらわなきゃ困る。 大学、ことに国立大学の協会におきましては、学生運動に対する所見というふうなものも発表せられておるわけであります。私は、その所見につきましては、国立大学の協会に出てごあいさつをしました際にも、その所見については何ら異存はない、賛成しますと。ただ問題は、所見が所見に終わったのでは何の意味もない。事態はそういう問題じゃない。私が事実をもってと申しましたのは、その所見をひとつ実行してほしいということを申し上げたのであります。もちろん、そう簡単に何もかも一ぺんにやれる問題とも私は思いませんけれども、とにかく大学側として学生運動に対処するのはこうあるべきだ、こういうことをお考えになった以上は、これを事実において実行してもらいたい、一つでも二つでもできるところからどんどんやってもらいたい、それをひとつお願いしたいということを実は申しましたようなわけでございます。 先ほど来申しておりますように、大学の中の仕事というものは、そうてきぱきとものごとがやっていけるような状態ではないのであります。その点について大学側においても管理体制を確立するということについてもっと真剣に検討をしてもらいたいと思いますし、また一つでも二つでも事態の改善のために手を打っていくという、その実証がほしい、そのことを特に大学のほうに訴えておる、こういうわけでございます。そのようにひとつ御了解をいただきたいと思います。
○久保勘一君 先ほど来大臣よりいろいろと、大学の管理問題につきまして意見が開陳されまして承っておりましたが、このことに関連しまして一言だけお尋ねをしたいと思います。 私は、先般のエンタープライズの佐世保入港の際に、地元でもありましたし、多少関心もございまして、長崎大学、佐賀大学、九大等に出向きまして、いろいろと教授のあの際における学生の問題についての感想、あるいはこれに参加した学生、また参加していない学生等について、直接意見を聞く機会を得たのでございます。そういう私の経験に基づきましてお尋ねをするわけでございますが、先ほど来、楠委員の質問に対して大臣は、大学管理については大学側の自主的な御努力に期待をしておる、こういう結論的なお話のようでございます。さきに文部省においては、大学管理の法案を用意して国会提出の運びになったようでございましたが、いろいろと大学側の意見等もありまして、あのような状態になっております。これについては、それぞれの立場でいろいろ意見があると思います。ただ、この際確かめておきたいと思いますことは、なるほど大臣のおっしゃいますように、大学の自主的な御努力にまつということが大学管理の本質であるということは私どもも理解をいたします。しかし、現実の大学の管理の実態は、そういう大学側の自主的な努力だけではたして正常な大学管理運営を期待できるかどうかということが判断の岐路であると思います。 そこで、私が直接見聞いたしました際に承りました二、三の事例を申し上げますと、特にこれは事務局長あたりの意見でございますが、今日の大学の管理運営の法制下においては全く、自分たちに学校の建物、施設等に対する責任は持たされておるけれども、管理運営の最高的な権限と申しますか、そういうものがないということが一つと、それからこれは特に九州大学で承ったことでありますが、御承知のように教授会というものがありますし、その下にまた学部には学部の正規の機関があります。こういう教授会と学部会の意見の不一致の場合に、学長の裁量に対してはいずれも服しないでいいというようなことに相なっておるように聞きます。そのことが九大のああいう暴徒を入れるか入れないかというようなことに対して、大学がき然たる態度をとれなかった、またその対策についても周密なる対策が立てられなかった、こういう点があるように私は聞きました。なおまた、あの運動に参加していない学生から私は数多く聞いたことでございますが、学生の立場からいうても、今日の大学管理についてはいろいろと法的に改めてもらいたい点がある、こういうことを具体的に私は二、三の事例について学生の意見を聞くことができました。私のこの短い数日問の調査によりましても、私はこの際、大学を束縛するとか、あるいは大学の自治を拘束するとかいう意味じゃなくて、大学がほんとうに自由な研究、自主的な研究というものを確保する意味で、そういう意味合いにおいて、私は大学管理法を法的に検討する必要があることを痛感いたしております。もちろん大学局においてもそういう点についてはかねがね重大な関心を持ってはおられると思いますけれども、私はやはりこの機会に、そういう抽象的な、大学側の自主的な努力にまつということと同時に、それと並行して大学の管理法について検討する。大学側の、協会側の意見を聞きながら、あるいはまた事務官あたりの意見も聞きながら、また一般学生の意見も聞きながら、私はこの際やはり大学管理法の抜本的検討をする必要がある。そのことなくして、単に努力だけでこの問題を解決しようということについては、なるほど大臣のお気持ちは私はよく理解できます。大臣の今日の立場においてああいう暴徒的なことがあったから直ちに管理法を検討するのだということになれば、また自由を束縛するのか、弾圧するのか、こういう反論を呼びますので、その点のおもんぱかりが大臣にあることは了解いたしますけれども、法的に検討する段階でない、その必要がない、単なる自主的な努力にまつということだけでは、私はものは解決しない、こういうふうに思いますので、これは意見は承りません、要望申し上げておきますが、どうぞひとつ大学管理については大学側の意見も聞きながら、また学生の意見も聞きながら、やはりこの際この機会にこそ私は検討すべきであるということを要望申し上げておきます。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 意見は聞かないということでございますが、今日の事態においてやはり考えなければならぬことは、大学みずからが事態の改善に対して真剣に努力をするということが一番基本じゃなかろうかと思います。かつまた、大学がそれぞれ自分の大学の中の管理運営に関するルールをつくっていくということはできるのであります。いままでのルールが不十分であるということであるならば、大学側としては少なくともみずからそのルールの改善のための努力をなさるべきではないか、こう思うのであります。と同時に、国立大学の協会でも私は申し上げたのでありますが、いろいろのことをやっていって、もし政府になすべきことがあれば、政府としては十分御協力するということを申しておることばの中には、現在の制度のもとにおいては大学の管理運営がうまくいかない、あるいは法律を必要とする、こういうふうなことがあれば、政府としてはこれに努力するにやぶさかではないわけであります。ただ問題は、政府で一方的に法律をつくりましても、これが大学がほんとうにその気になってやるという気分がない限りは、思うような成果はあがらぬと思います。そういう意味で、まず大学の自発的な努力というものを私はふるい起こしてやってもらいたい、これに対して政府ができるだけの努力はしようという心がまえでおるということは御了解願いたいと思います。
○楠正俊君 ただいま久保委員の質問と、それから大臣のお答え、私よく了解したのでございますが、大学管理体制の整備ということもさることながら、教育内容の整備——山崎君の日記、羽田でひき殺されたあの山崎君のあれによりますと、自分はいままで何をしてきたかと自問して、何もしなかったんだ、だから私は羽田で行動すべきだということを日記帳に書いておるのでございますが、一部革命家を気どっております三派全学連の者以外の一般学生の、引きずられておる者の意識というものは、こういった意識じゃないかと思うのでございます。別に深く考えるところなく、どうも高等学校でやってきたことが、受験、受験で明け暮れしておって、自分の主体的な生活というものがなく、だからここで爆発するのだというような気持ちでついて行っておるようなところも多分に見受けられるのでございますが、そういったこととも関連して、教育内容の整備、特に教養課程の二年間でございますか、それの整備も何とかしなきゃいかぬということを、大学協会の意見書にも出ておるようでございまが、それに関連いたしまして、文部大臣もそれを強く推し進めていただきたいということを要望しておきたいのでございます。 それからまた、大臣が、大学の設置者だという立場から、ただ努力を要望するとか、そういったことでなく、もっと強い立場で臨むことができないのか。大学と文部大臣との関係がどうなっておるのか。こういった問題に関してその点を明らかにしていただきまして、国民が、大学は何をしているのだ、文部大臣は無力じゃないかというような気持ちがある、そのことに対してこたえていただきたいと思うのでございます。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 私が先ほど申し上げましたように、多年にわたってつちかわれてきましたところの大学の自治という大原則は、私は尊重してまいりたいと思います。その大原則が今日いわば脅威にさらされておる、あるいはまた、ある時点においては破壊されておる、こういうような事態になっておることであります。問題は、大学といたしましてはきわめて深刻な問題だと思うのであります。その大学の自治というものを尊重するという立場から申せば、大学みずからがその自治を全うする責任があると思うのであります。その責任を果たすということが何よりも先決の問題ではないかと思います。また、その責任を果たすために、必要があれば私ども幾らでも御協力はするつもりでおるわけでございます。態度としてはそういう態度をもって臨んでいきたいと思っておるのであります。 ただ、率直な反省でございますけれども、私は先ほど警察と大学のことにちょっと触れました。同じく文部省と大学との関係においても、従来、やや疎遠であったのではないかという気持ちがございます。まあ大学の中には、政府に反抗するのが大学の使命だ、こんなことを放言してはばからない人もいるようでありますけれども、とにかく文部省が何か言うと、すぐにこれに、何といいますか、上からの押しつけというような気持ち、何か干渉せられているというようなふうにとられてものを考えるというような空気が、従来からずっとあったように思うのでございます。戦前からそういう問題があるわけでございますけれども、私は、いまの警察にしましても、またもちろんいまの文部省と戦前の文部省とは違って、警察にしても違っている。事態は変わってきている。文部省と大学との間に、私は、その自治を尊重するという立場から、これに干渉がましいことをやろうというふうな気持ちはございません。むしろそういうふうな考え方ではなく、お互いに助け合って、お互いに協力し合っていって、りっぱな大学をつくり上げていくということにならなければならないと思うのでございます。大学側の文部省に対する認識なりあるいは理解なりについても、考え直してもらいたい点もございますし、また、文部省のほうからいいますと、何か大学にものを言うことを遠慮しているというふうな従来からの心持ちというものも、これはみずから改めていかなくちゃならない。そうしてお互いに協力してりっぱな大学をつくり上げていくという考え方のもとに仕事を進めていかなければならぬ。そういう意味におきましては、もっと文部省が大学そのものを知ることが必要だ。ただ通達を出せばそれでおしまい、法律を出せばそれでおしまいというようなことでは、とうてい目的は達しがたいのであります。もっとお互いに親近感をもって接していくというふうなことに私どもとしてもつとめてまいらなければならぬ。その親近感をもった協力体制によって、りっぱな大学をつくり上げていくという努力を積み重ねる以外になかなかいい道はなかろう、このように考えております。
○岡三郎君 関連。これは大学学術局長に聞くのですが、大学は数が非常にふえているけれども、比較的に生徒数の少ないところはわりあいによく行き届いている、そういう面においてはわりあいに問題が少ないのではないかというふうに私は見ている。もう何万という学生がいて、これは灘尾さんが学長になっても私は実際問題として無理なんじゃないか。いまの大学のあり方というものについてどう考えているのか。いたずらにマンモス化するだけで、内容は空疎である。しかも、その中で学問的なものを与えるといっても、現実の中においては、皆がまじめに出席するというと、入り切れないんですな。一体これはどういうことなんです。大学自体が教育の場になっておらないじゃないか。ただ、いま言ったように、入学試験で入れればいい。それが行きつくところ、いまの物価の値上げ、そういった問題で学校自体が経営に追いまくられている。この正常化というものを一体どうするのか。私はそういうふうな点で、学生運動学生運動というが、一がいにそういうことじゃなくて、大体小規模の大学というものはかなり行き届いているのじゃないかと思うのですが、そういう点はどうなんです、学術局長。
○政府委員(宮地茂君) お尋ねでございますが、一般論としては確かに大きな、大世帯、大規模の大学になりますと、もちろんその下に各学部、学科もあるわけですから、小さい大学と組織は同じですが、やはり何となく集合体的なもので単一体でないようなことになりがちだと思います。したがいまして、一般論として、学生問題等も関係があるであろうということは、まあ言えないでもないと思います。しかしながら、小さな大学でも、たとえば高崎経済大学、これは御存じの学校でございますが、公立大学ですが、これは経済単科大学で、小さな規模でございます。ところが、ここはいろいろな問題で数年間、紛争に紛争を重ねておった大学でございまして、一般論としては、先生のおっしゃるような点もございますので、これはただ学生問題という見地だけではなくて、好ましい大学の規模のあり方、こういった観点からも一応識者の問には問題にもなっておりますし、文部省といたしましても、こういったようなことで適正な規模といったようなことは、もちろん検討しなければならない問題だというふうには考えております。
○岡三郎君 高崎経済大学の問題は、最近においても定員の六倍採っているなんとかいって、これは何か入学金とか受験料とか、六千万円とかなんとか増収をはからなければならない。これは新聞記事だから別にしても、高崎経済大学は特別の事情にある。都留文科大学なんかも最近はおとなしくなってきている。やはり問題があれば、学生というのは比較的私は純真だと思うので、そういう問題については、一般的に世なれた人はわりあいにこにこしていられるけれども、純真な者がおこるというのは当然なことだと思う。そういうものとけじめをつけて考えていかなければ、何でもあばれれば悪いのだ、それではみんな去勢された大学生みたいになってしまったら、日本の将来というものはあり得ないと思う。 ただ、私はここではっきり言っておかなければならないことは、暴力的にやるということはわれわれ絶対反対です。ただ、暴力的なことがどうして起こってくるのかということについては、いわゆる何というか、根本というものを明確に把握しないというと対策を誤る。これがいまの世界の情勢というものは、普通でいっていれば第三次大戦が始まっているころだと思うのです。ただ、いまよく言われるように、抑止力というのはどこまでいかれるかわからないけれども、やはり原水爆というものがあって軽々にできないというところが、確かに世界の一つの問題をつくっておるけれども、しかし、内実的には、戦争が終了して二十二年というものの中に、社会的な内部矛盾というものがいま一ぱい出てきている。そういうものに対する強い要求というか、そういうものが純粋な学生層の中にも非常に多くある。それがたまたま一つの問題点にぶつかっていくときに、過激なる行動をする者は一部分であっても、それを心の中で行動にあらわさぬとしても、あるいはまたやむを得ぬとか、そういうふうなことで、そういう戦いというものを支援するという形になってしまう面が非常に多いのではないかというふうに考える。アメリカのベトナム反戦運動に対して学生が非常にやっている。あるいはアジアにおいてもインドネシアの革命運動なんというものは、これは見方はいろいろあるにしても、たいへんな一つの力をもってやっておる。あるいは韓国自体においてもそういう問題が起こっている。これはヨーロッパにおいてもどこにおいてもそういう問題があるけれども、ヨーロッパ自体の大学の実態というものを見てみると、これはもう規模がそろっている。非常に内容というものも充実しているし、そんなでたらめなマンモス学校なんというものはない。あるにしても、それに即応するような体制というものができるような形でやっているというように私は見るわけです。 そういうふうな点を考えていく場合に、やはり先ほど言ったように、これはベビーブームという問題でやむを得ぬということを言っておるけれども、もうぼつぼつ峠を越してきている。ことしあたりが最高だと言われておりますが、峠を越すといういまの段階において、こういう問題についてやはり学問というか、学校の内容といいますか、教育的ないわゆる環境というものをどうつくり上げていくかということについて、やはり大学の先生ももちろんであるし、文部省自体もその点に思いをいたしてもらいたいと思うのです。いままでのは、とにかく学問というよりはただ入学試験で入れればもういい。だから、大学生に聞くというと、これは広範なる大学生に聞いても、大学に入るまではめくらめっぽうで、とにかく狭いところで受験だけを考えてやっている。大学に入るというと、次の目標がなくなってしまう。入ってくるというと、いまいったように国立大学に入れる者はいいけれども、国立大学に入れない学生が一ぱいいる。その学生全部が学校へ行けば、あふれちゃって教室にすわるところもない。そういうふうな点で、この前も決算で聞いたんだが、定員というものがもう国電並みに守られていないんです。定員に沿って大学の教授とかそういうものがちゃんと置かれているわけですけれども、その根本の学生の層というものが非常に多くなっちゃっているから、もうその点については一升ますに二升、三升盛っているから、これは混乱が起こるわけですよ。 そういう点で、現状についてはいろいろな問題点があるにしても、私が先ほど言ったように、灘尾文部大臣が、何というか、弱腰だなんということは考えていない。われわれから見ると、灘尾さんという方は、これはなかなかたいへんなファイトマンであって、それはとてもじゃないけれども、やさしいどころの人じゃないと思う。そういうやはり一つの方向というものについては、秩序を正していくという点については信念を持っておられると思う。ただ、灘尾さんもやはり時代を経るに従って年をとられておりますから、年をとるというと、がんこになる。そうしてやはり精神的にも老朽化するということは普通だと思います。灘尾さんにはそれはないと思いますがね。そういう点でやはり先ほどの答弁をずっと聞いているというと、われわれも首肯する点がずいぶんあるわけですよ。そういう点で一がいに、社会党だから、それがただ反対だということにはならぬというふうに考えるわけです。そういう点でわれわれ自体も教育の問題というのは党派を越えて実は問題を解決していかなければならぬ。ただ、その中で、あまりにも政策的に、このごろの文教政策を見ているというと、文部省はどっかへ行ってしまって、自民党文教部会が引きずり回しているという、こういう姿は灘尾さんによって一ぺんきちっとやってもらいたい。灘尾さんは政党人であるけれども、現実に文部大臣であるから、文部省としては政党の容喙というものについては限界があるんだ、文部省としては責任を持って私がやっているんだから、自民党が教育行政全般を鼻づらを持って引きずり回すというようなことは、これは見識がないと、もっと十分に考えてもらいたいということで、私は灘尾さんが自民党をしからなければ、いまの文教政策は軌道に乗らぬと思う。そういうことが一方においてあれば、いまの文部官僚自体としても、いまの一体自民党文教部会にへいこら、へいこらばかりやっている、これでは天下の大道としての文教政策は打ち出されてこないと思う。これは悪口ではなくて、しみじみと私が見ている感想です。 そういう意味において、われわれ自体も大学におけるところの自主的な学生に対する指導とか、そういう問題についてはわれわれも積極的に関心を持って、単に甘やかすことだけではなくて、ほんとうに教育の場としての大学のあり方、それに伴って学生に対する指導力、そういうものについてやはり積極的に文部省が鞭撻支援する立場で、これを軌道に乗せていくという方向にぜひしてもらいたいと思う。これは時間がありませんので、一言だけ意見を申し述べておきます。
○楠正俊君 次の問題に移りまして、昨年の暮れ、文部大臣が自分の国は自分で守るという国防教育を小学校のときから行なうようにしたいという意味のことを発言しておられるんでございますが、これが非常に教育界及び各界に大きな反響を呼び起こしておる。文部大臣は一月十八日の朝日新聞で秋山ちえ子さんと対談をされまして、残念なことには、いろいろ論評される方がおられるが、私におまえはそう言ったのかということを聞いてくれる人は一人もいないということは非常に残念だということを言っておられますので、さぞかし残念と思っておられる大臣に私はかわりまして御質問しようと思っておったんでございますが、委員会が開かれないためにいままで延びておったのでございますが、こういった発言のためにある一部の人がこれを誤解をいたしまして、佐藤首相とジョンソン大統領の会談の結果が教育の面にあらわれたんだ、あれは軍備を強化するのだ、核アレルギーをなくする目的を持っておるんだというような誤解を持って、激しく反発しておる人もおるのでございますが、これはもう非常に私は間違った考えであって、大臣の真意はそこにあるのではないと。国防教育といっても、何も軍事教育をやるというようなことを大臣が言っておられるわけでもございませんし、戦前のような教育に引き戻すといったような考えを灘尾文部大臣が持っておられるとはとうてい思えない。 そこで、大臣にこの際真意を、何と言われたんだということをお答え願いまして、国民に私はこう言ったんだということをお伝えしていただきたい。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 先ほど岡さん御意見だということでありますので、お答えもいたさなかったのでありますが、だんだんと老朽化しておるんじゃないか、こういうお話でございますが、あるいはそういうことも——自分では若いつもりでおりますけれども、そういう点があればどしどし御注文を願いたいと思うのでございます。がんこだというのは、昔から言われておるのですけれども、必ずしもがんこでもないつもりでおるわけであります。わかる話ならいつでも承るというつもりでおりますから、このようにひとつ御承知願いたいと思います。 楠さんからの御質問でございますが、実は私もどうもあまり言いわけとか弁解なんかするのは好きなほうじゃない。ただ、したがって積極的にかれこれ申しませんで、機会あるごとに、その後お話が出た場合には申し上げているわけであります。先般も衆議院で社会党の山口君から御質問がありましたので、お答えをいたしましたが、それがそのときの私の気持ちであったわけです。 実は暮れに記者会見をいたしまして、これは大体予算編成のときの記者会見で、たいして話をすることもなかったのでございます。記者会見はその辺でやめて、ひとつ懇談でもしましょうやということで、いろいろよもやま話もやっている中に、そういう問題で私がものを言ったということでございます。したがって、何の特別の意図を持ってものを言ったわけでもなんでもございませんし、またそういう際の話でありますので、十分まとまった話として言ったわけでもございません。ただ、申したことは、私としましてはそう間違った話をしているとは思っておりません。ただ、あくる日の新聞を見ましたときに、第一面にでかでかと、国防教育を強調したとか、あるいは防衛教育を大いにやるんだというふうな記事が出ておりまして、御念の入ったことには、その記事によってでしょうが、有名な評論家の評論までつけておるような始末でございます。私自身が驚いたようなわけでございますけれども、要するに、そのときの話というものは、いろいろな話をしているうちに出てきたことばでございますけれども、現在学校教育では、国に対する愛情であるとかあるいは国に対する理解を高めていくという趣旨で教育が行なわれていると思うのでございます。そういうふうなことは、当然に、国のために尽くすべきであるとか、あるいは国を守っていくとかいうふうな気持ちと通ずるものであるというふうに私は考えるのでございます。また、いやしくも独立国の国民であります以上は、自分の国に対して尽くしていく、あるいはこれを守っていくというふうな心がまえというものはだれしも持たなければならないものではないかと考えるのであります。そういたしますならば、やはりそういうことは幼いうちからつちかっていくのが適当ではないか、こういう趣旨のことを申したにすぎないのであります。 その際、それでは尋常一年、二年に防衛とか国防とかいうようなことをやるのか、そういう質問がありました。まさかそんなばかげたことはないだろう、それよりは交通安全のほうがよほど気がきいているだろうというようなことを申しました。要するに、子供さんの心身の発達段階に応じまして、専門の人たちが十分研究くふうを加えて、そうしていまのような心情なりあるいは意識というか、そういうものをつちかってほしいということを申したわけでございます。その限りにおいては私は別に間違ったことを言っているつもりはございません。 御承知のように、現在国防教育とか防衛教育ということばが何を意味するものかということすら実は私にはよくわかりませんけれども、私の考えでは、取り立てて国防教育とか防衛教育というふうなものを現在の学校教育でやっているとは思いません。同時に、私もそういうふうなものをあえてやろうというふうな気持ちもございません。要は、先ほど申し上げましたとおりであります。国民として備えなければならない資質というものがあるとするならば、小さいときからそういうことについての教育を適切な方法によってやっていったらよかろうというふうな気持ちを申したにすぎないのであります。 それで、まあそれをさらにふえんして、私この際申し上げておきたいと思うのでありますが、私はいま申し上げましたようなことは、国のいわゆる国防であるとか安全であるとか、こういうふうなことに関する政策とは関係のない問題だと考えております。むしろ、私の申したのは政策論議以前の問題であります。いやしくも独立国の国民である以上はだれしもそういうふうな、国を愛し、国のために尽くす、国を守ると、こういうふうな気持ちは持たなくてはならぬものじゃないかというふうなつもりで申し上げたことでありまして、政策論議をそのままの姿で教育の場に持ち込んでいくというふうなことは、むしろ私は賛成しがたい問題でございます。 同じように、国を愛し、国のために尽くす、国を守ると申しましても、政策に至ってはいろいろ意見を異にする、考え方が違うということは大いにある。現にあるわけであります。そういうふうな問題をそのまま教育の場に持ち込んで、どっちがいいの悪いのというふうな論議をやってほしいとは実は思っておりません。それ以前の問題として、そういう心情なり意識というふうなものをつちかってほしいということを申したのであります。 しかし、だんだんと大きくなって、まあ高等学校でも出るというふうな段階になってまいりますれば、一応国民としての常識としても、現在の日本の防衛体制はどうなっているかというふうなことについての知識を授けるというふうなことは、これは何ら差しつかえないことだと思います。ただ、防衛論議、政策、そういうふうなものについて、いろいろ今度は生徒、児童の間にも関心を持って話が出ることもありましょう。そういうふうなときには、よほど慎重な態度でもって指導してほしいというのが私の本心でございます。 そういうふうな点に一々触れてまとまった話をしたわけでも何でもない。先ほど申しましたようなことをただ申したのであります。しかし、このことについては記者会見後の話でありましたので、新聞記者諸君も、先ほどの話はあれは記事にしていいかというふうなことを言ってこられたのであります。私の言ったとおりのことが出るんなら別に差しつかえもない、載せてよかろう、こう言ったのが実はああいう記事になってしまったのでありまして、何か佐藤さんの訪米後のあれと関係があったかのごとく言われておるわけでありますが、全然そういうことは意識しないで実は発言した問題であり、むしろものの考え方、私の平素の考え方をそのまま率直に申したというだけのことであります。かようにひとつ御了解願いたいと思います。
○楠正俊君 よく大臣の真意がわかったのでございますが、戦後の教育思潮と申しますか、教育の傾向は、個人の人間形成ということに力点を置くあまりに、国を愛するとか国に尽くすとか、そういった問題を避けて、教育の場から避けていくという傾向があるのでございますが、国に尽くすとか、国を愛するとか、国に愛情を持つとかということは、これはあたりまえのことでございましてそういった傾向がだんだん教育の場から薄れていくということこそ私は非常に憂えるべきことだと考えておるのでございます。 最近、若い人に、あなたはどういう主義を信奉するかというアンケートを見たのでございますが、最高を占めておるのがマイホーム主義自分の家庭、自分個人、それを守っていく、これが私の主義だといったマイホーム主義が最高になっておるということも、これは考えなきゃいけないことだと思うのでございます。それから、去年でございましたか、新聞にもこれも載っておったのでございますが、パリに留学している日本の学生がヨーロッパの留学生から、非常に日本に対して関心を持っているヨーロッパの連中から、日本の歴史とか文化についていろいろ興味を持って聞かれる。ところが、日本から留学しておる学生は、日本の文化とか歴史というものに対して非常に知識が浅い、むしろヨーロッパ人以上にヨーロッパの文化、歴史に対して知識を持っているということがはなはだナンセンスである、おかしなことじゃないかということをヨーロッパの留学生が言っておるという記事を見たのでありますが、これもはなはだいまの教育が個人中心、マイホーム主義を助長するような傾向にあるというあらわれであると私は見ておるのでございます。 そこで、国に尽くすとか、国に対して愛情を持つ教育ということは、大臣が言われるように、大臣の真意はよくわかったのでございますが、心身の発達段階に応じてこれを教えるということはこれは当然なされてもいいのであって、何も私は大臣遠慮なさることはないと考えるのでございます。ただ、国を守るということになりますと、これは当然のようですが、国を守るとか防ぐというのは、何か攻めてくるものがあるがゆえに防ぐんだ、守るんだという概念になるのではないかと思うのでございますね。そうすると、ある教育評論家がさっそく大臣が言われたあの談話のあとに、何か仮想敵国を設けて、それに対して日本の国を守るのだと、防ぐのだというような教育になるのではないか、それは小学校の教育においてははなはだ間違いであるということを評論家が言っておるのでございますが、大臣も、国を愛し、尽くす、そこまでは私大いに賛成なんでございますが、守るという点に関してそういった意見が出ておりますが、それに対して国を守るということは一体どういう——これは国防ということになるのでございますが、どういうように考えておられるか。先ほどの真意はよくわかったのでございますが、その国を守るということを持つのも当然だと言われる大臣の、その国防、国を守るということばの概念を大臣はどういうようにお考えになっていらっしゃるか、お聞かせ願いたいと思います。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 私は、国を守るということばは、国を愛するとか国に尽くすということばとすべてみな通ずるものだというふうに思っておるわけでありますが、守るということばの中には、これも別に吟味したことばでもございませんし、吟味して使ったことばでもございませんけれども、これはいろいろのことが考えられると思うのであります。まあ結局、国の独立を守っていくとか、国の安全を確保していくとかということになるわけでございましょうけれども、それはひとりただ単に軍備だけの問題でもないと思います。国際友好親善を増進する非常に適切な外交手段を講じていくとか、あるいは通商貿易を大いに興していくとか、こういうようなこともやはり日本の安全とか独立とかというものを確保する上において決して無関係じゃない、非常に大きな役割りを果たしておると思います。また、日本がほんとうに平和国家としての心がまえを国民がみんな持っておるということが世界じゅうの人に理解されました場合に、これは非常に大きないわゆる日本の独立、安全を守っていく上の要素ではないか、このようにも考えるわけでございます。したがって、守るということばにもいろいろな意味があろうかと思うのでございますが、私は何と申しますか、きわめて狭い意味にそれを考えましたときには、いわゆる防衛という問題につながってくると思うのであります。 国の防衛という問題が必要であるかないかということもいろいろ議論のあるところであろうと思いますが、少なくとも、しかしこの世界の中で国を立てていきます以上は、日本の安全という問題についていささかなりとも心配のないようにするということは、私はこれは政治の一番大きな課題ではないかと思うのであります。そういう意味におきまして、日本の今日防衛上必要なる措置をとってきているわけであります。そういうふうなことを考えますときに、政策はともあれ、やはり国民としては自分の国の安全を守っていくためには、とにかくただ単に自分のことだけを考えるのじゃなくて、お国のために尽くしていこう、守っていこうという気概、そして勇気を持ってほしい。それでなければいわゆる防衛体制の万全を期するということにはならないのじゃなかろうかというふうな考えから、ものを申したにすぎないのであります。さよう御了承願いたいと思います。
○鈴木力君 関連。詳しくお伺いするつもりはございませんけれども、いまの問題は非常に重要な問題でありますから、あとでいつかの機会に私も若干お伺いしたいと思うのですが、その前提ではっきり大臣から伺っておきたいのは、いま楠委員の質疑の中に、国を愛するというような、あるいは国に尽くすといいますか、自分の国を愛するというようなことが今日の教育の場に遠ざけられている、こういう前提での御質問だと思う。私は、いまの大臣の御答弁、答弁がどうこうというわけではありません。いまの教育が国を愛するということを遠ざけているという前提で御答弁なさったのかどうか。つまり、文部省は日本の今日の教育が国を愛するということを教育から遠ざけているという認識に立っていらっしゃるのかどうかですね、その点をひとつ伺いたい。 それからもう一つは、いまの楠委員の質疑に大臣の御答弁がなかった。これもちょっと私は大事だと思いますから、聞いておいたほうがいいと思うのですが、最近の青年がマイホーム主義になっておる、国をどうこうというのは二の次で、まず自分だ、こう考えることは、これは国を愛するということがないのだという発想の御質問だと思うのです。それを大臣お聞きになられまして、やはり個人、家というよりも、マイホームというのは家ということでございますから、家よりも国が先だということが今日の憲法なり教育基本法の考え方なりで是認されるものかどうか、その御見解を承りたいと思います。この二つであります。
○国務大臣(灘尾弘吉君) この現在の教育において国を愛する心情をつちかうという教育については、私は行なわれておると思います。ただ、これはしろうとの私が言うことでありますが、国を愛するということまでは行なわれておるのでありますが、いま私が申しましたように、積極的に国家社会のために尽くしていく、あるいはまた国を守っていくというふうなことになりますと、何となしに避けられておるのじゃなかろうかというふうな気持ちがせぬでもないのです。そういう意味で、国を愛するということを、国に対する愛情を高めるとか国に対する理解を深めるとかというふうな事柄は当然に、国のために尽くす、あるいは国を守るという心情に通ずるものではないか、そこをことさらに避けて通るということがあってはおかしいじゃないか、こういうことを私の感想として言ったわけであります。そのようにひとつ御了解願いたいと思います。 それからいま一つ、個人が先か、国家が先か、こういうふうな御質問であったと思いますが、私は教育はもとより個人の完成を目ざして教育するということは当然のことでございますけれども、その個人というものはただ単にその人だけの問題では私はない。やはり個人であり、家庭人であり、社会人であり、国家人であるというものを兼ね備えている個人だと思うのであります。そういう意味において、どちらが先とかあととかという問題ではなくて、個人としてその人一人がただしあわせであればそれでいいというものではない。やはりりっぱな国家社会を完成する人としての資質を備えてもらわなければならない、こういうふうに考えているわけでございまして、どちらが先でどちらがあとだというふうな考え方は私はいたしておりません。
○鈴木力君 それでわかりました。このあとはまたもう少し伺いますが、いまの大臣の御答弁でわかりました。 ただ、そのあとの国に対する愛情、こういうふうな教育がいまもやられているという御認識に立たれている。これは私もそのつもりでいるわけですが、ただ、国を守るということを避けて通っているということの中には、これは私は国を守るという考え方が相当にいろいろ、国を守るという考え方が違うから避けて通っているという考え方は、私は避けて通っていないといま思っているのですが、その違い方があるのじゃないか。そういう違いがあるかもしれない、あるのじゃないかと思いますけれども、大臣のお考えはわかりました。 それから、第二点の、マイホーム主義という問題ですが、これもよくわかりました。マイホーム主義と青年が言うから、いまの青年には愛国心がないなどと言うことは暴論であるというふうに大臣の御答弁でわかりましたので、了承いたします。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 私は、マイホーム主義ということばをどう考えるかということになろうかと思うのでありますが、マイホーム主義というのが自分たちだけがしあわせであればそれでいいというようなもし考えであるとするならば、それは足りないところがある、こう言いたいのでありまして、そうでなくて、自分の家庭をりっぱにひとつしあわせなものにしていこうと努力するということは、これは当然のことであると思います。しかし、同時に、それがやはりよき国家人であり社会人としてのつとめを果たしていくというマイホーム主義でなければ困る、自分たちだけのことで終われりということでは足りないということが言いたいのであります。
○楠正俊君 いまの教育にそういった愛国心というものを避けて通るということがないならば、これはたいへんけっこうでございますが、それでは、学習指導要領の中にそういった意識を涵養するといったものがどう取り扱われているか、それを局長から伺いたいと思います。
○政府委員(天城勲君) お尋ねの問題につきましては、小学校の社会科あるいは道徳、国語、中学につきましても同じように社会科、まあ社会科がいろいろ発展してまいりますが、高等学校についてもそういうような教科を通じていろいろ取り上げております。たとえば小学校低学年におきましては、身近なところからということで、自分一人生きているのじゃない、家庭や学校の生活、それから自分の周囲の人々の働き、助け合い、そうして郷土とか地域社会との関係、そういうような発展のしかたから、日本の国、この国における政治の仕組みや歴史というようなアプローチのしかたをして、国に対する理解や、それから愛情を育てるというやり方をいたしております。また、国語につきましても、教科といたしまして、低学年は低学年なりに、いま申したような趣旨の教材を取り上げていくと。中学校に参りますと、社会科はかなり地理的分野あるいは歴史的分野、政治・経済・社会的分野ということが出てまいりますので、それぞれの地理、歴史、政経の分野からやはり日本の国というものに理解を持たせるようにいたしておるわけでございます。高等学校に参りますれば、さらにそれが中学校の基礎の上に発展してまいりまして、世界との関係の中での日本の意味で、日本の国に対する理解を深めていくという取り上げ方をいたしておるわけでございます。
○楠正俊君 私のほうの質問が長くなりまして、ほかの質問がまだ二つございますようですが、いまの局長のお答えでややわかったのでございますが、それでは現在の指導要領のままでいいのか悪いのか、いま少しそういった意識をつちかっていくといったものを大臣は要望しておられるのかどうか。要望しておられるがゆえにああいった談話をされたと、こう思うのでございます。その点について簡単にお答えいただきまして、私の質問を終わらしていただきます。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 私が私の感想というか意見というか、そういうものを申したのは、別に学習指導要領を意識して申したわけではございません。ただそういったふうの気持ちを適切な方法でひとつつちかってもらいたいということを申したわけでございます。私の気持ちといたしましては、このような心情をつちかうというふうなことは、国語であろうと、道徳であろうと、社会科であろうと、いやすべてにわたっての、学校教育のすべての場において常にそういうふうな心持ちでこの種の教育はやってもらいたいものと、さように考えておる次第であります。学習指導要領については、これはもう御承知のように、専門の権威のある人たちが、非常にたくさんの人たちが参加して熱心な検討のもとに教育課程審議会から答申が出されるわけであります。したがって、私はこれを尊重するのは当然のことだと思っております。いま私の発言というものとこれと直接関連してお考え願わないようにお願いいたします。
○楠正俊君 了解しました。
○委員長(中村喜四郎君) ちょっと速記をとめて。
○委員長(中村喜四郎君) 速記を起こしてください。
○小野明君 きょうは文教委員会では初めての——初めてではありませんが、珍しい与党質問ということでずいぶんお聞きいたしたのでありますが、もう時間がないからやめろというようなことをひとつ私どもの質問の場合にはおっしゃらぬように、委員長のほうでお取り計らいを願いたいと思います。 大学管理問題あるいは学生運動の問題等、あるいはいまの大型教育論まではいかないかもしれませんけれども、国を守る論ですか、そういう問題については私どものほうといたしましてもお尋ねをいたしたいと思っておりますので、その点についてはもう本日は触れませんけれども、その前にひとつ、せっかく楠委員から御質問もあったのでありますから 一ぺんだけひとつ大臣にお尋ねをいたしておきたいと思うのであります。 この佐世保の事件というものが取り上げられ、久保さんからもいろいろ御意見なり御質問があったのでありますが、私も佐世保に行っておりまして、当日、第一回なり第二回なりの実情というものをかなり経験をしてまいったところであります。で、まあこのエンタープライズの入港というものが、どこから来たかわかりませんが、あるいはその後の日本海に行った行動、プエブロ号に関連をしまして行った行動、そういったものからあわせて考えまして、やはり国民のいまの政治に対する不安の一端を代表しておるのではないか、こういう見方をわれわれとしてはやはり謙虚に反省をしてみる必要があるのではないか、こうまあ考えるのであります。それかといって、暴力を私どもは肯定をいたしておるわけではございません。しかし、何といいましても、暴力の最大のものは戦争でありますから、これを避けようとする当然の国民の気持ちの一端をこの事件はあらわしているということを私は見なければならぬと思うものであります。 で、佐世保に行きまして、大臣は、学生は暴力をふるった、警察については当然の職務を遂行したばかりであるという、まあ私どもからお聞きをいたしますと、一方的な御見解が発表されたのであります。ところが、衆議院予算委員会でもいろいろ問題になっておりますように、警備過剰ではないかという批判が市民の問に起こっておる。また私もいわゆる催涙ガスですね、ガスを使っておる場所から約一キロぐらい離れておったのでありますけれども、やはり目が非常に痛み、涙が出る、こういったまあ状態であったのです。これは例の三次防で研究開発される中に、AMMの問題なり、あるいはいわゆる毒物、CBRの問題等がまだ帰趨が明らかになっておりません。しかし、ベトナムに使っておる毒ガスがあるいはこの警備の中で使われたのではないか、こういう疑念も私ども持っておるのであります。いわゆる警備過剰ではないかという点については、少しもご意見がなかったように思うのであります。 こういった見方から、最近まあ大学の自治ということが大きくきょうも議論になりました。この大学の自治を守らなければならぬということに私は大いに賛意を表したいのでありますけれども、警察庁が大学構内、学内における強制捜査の基準をきめた、あるいはきめられつつあるというような話を聞くわけであります。それについて大学の自治を守るといった上からも、これは強制捜査云々ということになりますと、重要な問題でありますので、この点について警察庁から大臣のほうにお話があったのか、あるいはこの点について大臣から大臣の御見解を、わかっておればお聞かせをいただきたい。それをまあ第一にお尋ねをしたいと思うのであります。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 私は、先ほど来申し上げておりますように、警察の警備が適切であったかどうかということは、これはまたその角度からの御批判はあろうかと思います。また、個々の場合をとらえていいますと、あるいは行き過ぎがあったという御批判も当たっているかもしれません。しかし、その問題についてとやかくここで申し上げようというわけではございませんが、いずれにいたしましても、学生のあの行動というものはそのままにしておけばどういうことになるかということを考えますと、おそろしい問題だというふうな気もするのであります。したがって、あの場合に警察が警備活動をするということは、これはまあ当然のことで、当然の職務行為である、こういうふうに私どもは思っておる次第であります。それに反して学生の行動というものは明らかに不法な行動、計画的に不法な行動をやっておるというふうに認めざるを得ない。暴力だけはひとつやめてほしいというのが私どもの偽らざる気持ちでございます。 また、警察と大学との関係でございますけれども、これも先ほど来申し上げておるわけでございますが、私はそれぞれの立場があると思うのでございます。ですから、みだりに警察官が大学の中に押し込んでくるといった事態が決して歓迎すべきものでないということは申すまでもないことであると思います。しかし、また大学も、もし大学の秩序が大学の力をもって維持し得ないというような場合において、警察の協力を求めるということも何ら差しつかえないことである。もしそれを怠っておって、大学の秩序が破壊されたままに推移するということであっては、私は大学は責任を全うしたことにはならぬじゃないかというふうな気持ちもいたしておるわけでございます。したがって、必要に応じては、警察の協力を得て大学の秩序を確保するということについても、私は大学当局が考えてよろしいと思っております。同時にまた、警察側の立場からいたしまして、犯罪の捜査上大学の構内に入る必要があると、こういうふうな場合においては、大学も私は協力していいじゃないか。大学が犯罪人の逃げ場所になっておる、隠れ場所になっておるという姿は、これまた好ましい姿ではないと思います。そういう意味におきまして、大学側が警察側の要請に対しては協力すると、そういう心持ちであってほしいのであります。お互いにそれぞれの正しい立場を守りながら協力していくという関係が最も望ましい姿じゃないかと思うので、いまの強制捜査云々のことにつきましては、あるいは警視庁との関係云々のことにつきましては、ひとつ局長から、何かあれば答弁させていただきたいと思います。それでは、学生課長から御説明をいたさせます。
○説明員(石川智亮君) 毎日新聞に出ました、警視庁から出ました部内に配られた警備体制の基準でございますが、一月二十五日に出されております。さっそく私どもが伺いましたところ、従前のものとほとんど変わっておりません。確認した上で、今後こういうものを発表される場合には、事前に文部省に連絡されたいという強い申し入ればいたしております。
○小野明君 いまちょっと聞き落としたんですけれども、そういった警察庁からの何といいますか、相談があっておるわけですか。それとも、強制捜査の基準の内容というものはおわかりなんですか。
○説明員(石川智亮君) 出されました基準につきましては、文部省に事前に御相談はございません。ただ、伺いましたところが、従前私どもで了解しております大学の自治を侵さないような捜査の基準でございますので、今後こういったものが発表される、あるいは改定される場合には、十分に事前に文部省に御連絡願いたいという強い申し入ればいたしております。
○小野明君 それはどういったものか、ひとつ資料として提出をしていただきたいと思います。よろしゅうございますか。
○説明員(石川智亮君) これは私どものほうの資料ではございませんので、警察庁のほうに私も聞いてまいりたいと思いますが、私どものほうからすぐ出しますということが、私のほうの資料じゃございませんので、申し上げかねます。
○小野明君 どうして、出しますというあれができないのですか。
○政府委員(宮地茂君) これは私のほうへは通知が参っておりませんので、必要なものでありますれば、警察のほうに私のはうから照会をして、警察のほうで出せるものなら出していただきたいと思います。私のほうといたしましては、それ以上ちょっと申し上げかねます。私のほうの問題ではないのです。
○小野明君 そういうことはわかっておるのですよ。警察がきめる捜査基準ですからね、あなたの所管じゃないことはわかっておるのだが、私が要求しておるんですから、その旨を伝えて、出すように、あなた、してもらいたいと思います。 その問題はそれとして、次の本題のほうに入らしていただきたいと思いますが、大臣にお尋ねをいたしますが、京都府の教育長の人事がおくれておる。まあ通常であれば申請手続をいたしまして、大体十日くらいで承認されるという、まあ前例になっておるように承知いたしておるのでありますが、十二月一日以来三カ月をこす間、大臣の承認がないために、京都の教育長は空白になっておる。きわめて重大な事態だと思うのでありますが、おくれておる理由をお聞かせをいただきたいと思います。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 京都の教育長の問題でございますが、確かに京都の教育委員会から、教育長の候補者について承認を求めてきておられるわけであります。この人事につきましては、いろいろとこれに対して批判的な声も相当あるわけであります。私どもとしましても、この人事につきまして間違いのないところをやってまいりたい、このように存じまして、もちろん責任は文部省にあるわけでございますので、文部省の責任において間違いのない人事をやっていきたいという立場において、いろいろ今日まで検討を続けてまいっておるわけでございます。まだ遺憾ながら最終結論を得るところに至っておりませんので、延び延びになっておりますけれども、目下なお慎重に検討をしておる段階だというふうに御承知を願いたいと思います。
○小野明君 私がお尋ねいたしておりますのは、おくれておる理由といいますか、いまだに承認がおりない、大臣もおろしておられない理由であります。いま大臣がおっしゃったのは、いろいろ批判があるのでというおことばでありますが、三カ月もおくれるというのはきわめて重大な事態であります。おくらしておるというのは文部省の責任でありますというおことばがありましたが、京都府下数十万の児童生徒に対しても、教育長の職責はきわめて重要であるだけに、重大な問題ではなかろうかと思います。その点をひとつつまびらかに御説明をいただきたい。
○国務大臣(灘尾弘吉君) この人事につきましては、その地位の重要性ということを考えましたときに、よほど慎重に検討いたしまして、教育長としてはたしてこの人が適格者であるのかどうなのか、適任者であるのかどうかというような問題について自信のある結論を得ました上で判断を下したい、そのように私は考えておりまして、現在までただ手をこまねいておったわけでもございません。事務当局でいろいろ検討をいたしておるわけでございます。その経過につきましては、局長から御説明をいたさせます。
○政府委員(天城勲君) 京都府の教育長の承認の問題でございますが、お話のように、昨年の十一月の二十七日付で文部大臣に承認申請がございました。京都の教育長候補につきまして、率直に申しまして、いろいろ私たちのほうに適否について意見や、間々あるものはうわさかもしれませんけれども、ございましたので、私たち慎重にこれらを検討しなければならぬと思いまして、調査を続けてまいっておるわけでございます。その間に、やはり現地の方々の御意見も伺う必要があると思いまして、私のほうから担当官が京都にもおもむきまして、関係の方々に広く御意見も伺ってまいりました。最終的には、それらの調査から、候補者自身にお目にかかっていろいろお話を伺ってみなければならぬことがたくさんございますので、候補者の上京を促して、一ぺん懇談したいからということを京都の委員長に申し上げたわけであります。委員長のほうとしては、任命権者は教育委員会であるから、いろいろ話すことがあれば自分が行くからというお話でございました。もっともその中間に——中間にと申しますよりは、初めから委員長とずっとお話をしておるわけでございますけれども、特に候補者について面談を求めるならば自分が行くと、こういうお話でございます。もちろん、委員長であれ委員であれ、おいでになる方とお話をすることは別に拒むことでもございませんので、おいでになることはけっこうです、お目にかかりますということを申し上げたわけですが、ただ私たちでお目にかかりたいということを申し上げたのは、教育委員会制度における教育長の立場がきわめて独特なものでございますし、職務と権限がきわめて重要なものでございます。したがいまして、候補者についてやはり抱負なり意見を伺っておくことが必要な問題がたくさんあると こう考えたからでございます、委員長はおいでになっていろいろお話ししたのですけれども、結論として、これは時間も結果的には十分でなくて、話が全部お互いに了解するところまでいきませんので、さらに話を続けようというところでお別れをして、候補者の上京の問題もあらためて向こうで委員会として検討した上で返事するからということで、ごく最近お別れしたわけでございますけれども、その後文書をもって、言うだけのことを言ったから説明を終わったと、候補者は面談はさせないと、こういう意味のことを言ってこられたわけであります。いろいろの時間がかかっておりますけれども、その間には私たちのほうなりの調査、それから京都の委員長なり委員の方々との面談等を重ねてきておるのございますが、最終的に候補者の承認についての判断を得るまでにまだ至っていないというのが、率直に申して現在の時点の状況でございます。
○小野明君 局長には局長でまた質問がありますけれども、とにかくいままでの各県の教育長承認に例がない、承認をこれだけおくらせるというのは。 それで、大臣にお尋ねをいたしたいのでありますが、教育長の任免権というのは教育委員会にございますね。で、いわゆる任免でありますから、解任の場合には、解任の場合にいたしましても教育委員会にある。承認というのはいわゆる任免権に比べて上にあるか下にあるか、優位にあるのかどうかという問題になりますと、法解釈上、きわめて私は問題があって、むしろ下位にあるのではないか、こう解釈するのが通常ではないかと思う。そういった立場から、三カ月もおくらせるというのは承認権の乱用ではないか、こう考えるわけであります。 それから、時間がありませんから局長にもお尋ねをしておきますが、承認人事で一々面接をしなければならぬ、こういうことになるとたいへんであります。いままで面接をしてオーケーを出し、承認をした事例があるのか、あればどこどこか、これをひとつお尋ねをしておきたいと思います。大臣にまず……。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 任免権と承認との関係についてのお尋ねでございます。私は、教育長の任命につきましては文部大臣の承認を得て任命する、こういうことになっておるわけでございますから、この承認ということと任命権者であるところの教育委員会との間の意思が合致しませんというと事は成立しない。どちらも必要な要件だと、このように思っておるわけでございます。上とか下とかという問題ではないと思います。両者の合致したところで任命ということが行なわれる、こういうふうに考えておる次第でございます。 で、京都の場合におきましては、この承認を与えるについて私どももよほど慎重に検討いたしまして、間違いのない処置をとっていかなければならぬと思います。そういうふうな関係から、調査に時間がかかっておる、こういうふうに御了解をいただきたい。まだ結論を得ておるわけではないわけでございます。目下検討の段階だと、こういうふうに御了解をいただきたいと思います。その他のことにつきましては、初中局長からお答え申し上げます。
○政府委員(天城勲君) 私たち、教育長の承認は必ずしも候補者に事前に面接しなければしないというようなことを申し上げている、そういうプリンシプルをとっているわけでは毛頭ございません。今回の場合に、候補者自身につきまして、教育行政の本質にかかわるようなことについていろいろ、うわさも含めていろいろの意見が周囲から出ておりますので、最終的には御本人の御意見を伺っておくことが必要だということが、今回候補者にお目にかかりたいということを申した理由でございます。なお、私、昨年の十月から現在の仕事についておるわけでございまして、日の浅いせいもあったわけでございますが、御本人にお目にかかった機会がいままで全然ございませんものですから、私自身としても、いろいろ言われている方だけに、お目にかかって自分としての心証もはっきりしなくちゃならぬ、こういう意味で申し上げているわけでございます。制度としてそういうことがきまっているという意味で申し上げているわけじゃございません。
○小野明君 局長、いままでの事例としてはこのような面接という措置をとられたがおありになるかどうかをひとつお尋ねをしておるのですがね、どうですか。
○政府委員(天城勲君) 前のことを、私個人としてやったかどうかということは、経験が浅いので別でございますけれども、一般的に申しまして、教育長の候補にあがってくる方は、いままでの例で申しますと、ほとんどふだんから教育委員会におられた方で、次長であるとか部長であるとか課長である方が多いものですから、名前が出てくれば、あの人かということで、みんな知っている人がいままで大部分だったと思っております。全然関係のないほうから来た方につきましては、前任の局長が、発令になって、今度候補者になる人はこういう人ですといって御紹介をされて、関係の局に来られるというような例はいままでございました。
○小野明君 先ほど局長の御答弁の中に、京都の教育の本質にかかわる問題がある、こうおっしゃられたんですが、それはどういう内容を持つものですか。
○政府委員(天城勲君) 京都の教育行政の実態におきまして、他の府県において当然実施されておる条例規則の制定等がまだ行なわれていない事情がございます。これらの中にはもちろん最終的には議会の決定や教育委員会の決定にかかわるものがあるわけでございますが、教育委員会制度における教育長の地位というものは非常に重要な仕事でございますので、これらの措置について教育長としてどういうふうに今後考えていかれるかということをお聞きしたい、かように考えておるわけでございまして、教育行政上の問題と申しますのは、給与条例の問題ですとか、管理規則の制定その他幾つかございますが、それらの問題について懇談をしたい、こう考えたわけでございます。
○小野明君 それでは、給与条例あるいは勤評、何ですかいま一つは。学校管理規則ですか、こういったものがまだ未制定である。そうしますと、承認をこれだけ三カ月おくらしているのは、その人事に引っかけてこれだけの制定の約束を取りつけよう、こういう意図でございますか、どうですか。これはひとつ大臣にお尋ねしたほうがいいと思うのです。
○政府委員(天城勲君) ちょっと私のことばが足りませんでしたので、補わせていただきます。 京都に何か特殊なことを私たち期待しているわけではございませんで、普通の状態で、四十五府県でやっていることが京都で特にやらない、あるいはやれない事情があれば、その特殊な事情を私たちもよく承っておきたい。今後京都府の教育行政についてわれわれがいろいろ御連絡をしたりしていく場合に、これらの事情について新しく教育長になられる方が、京都の特殊な事情についてどういう考えを持っておられるか、あるいは将来の抱負はどうされているのかということについてお聞きしたいということでございまして、何も条例の問題規則の問題を教育長承認にからめていくという考え方は毛頭ございません。 御案内のように、教育長は教育委員会の、まあこういうことばは文書であるわけじゃないのですけれども、事務局員なんだから、政策の決定は全部教育委員会の責任だ、こういう考え方を持っておられるものですから、教育長はそういうポストじゃないはずだ。これは法律にも明らかに出ておりますように、教育長は単なる事務職員ではございませんし、また単なる事務局長でもございません。教育委員会に教育長を置くということで、教育委員会の仕事について教育長はきわめて重要な職責を持っておりますので、合議制の非常勤の委員で構成されている教育委員会における専門的な常勤職員としての立場から、委員会がいろいろな施策を決定される場合に、持っておる専門家としての立場、特に助言をいたす人でありますので、その意見を十分承っておきたいという観点から申したのでございまして、条例、規則等は、たまたま京都の教育行政の本質にかかわる問題の一例として申しているわけでございます。
○小野明君 教育は専門職だと、こういうことばがありまして、これは灘尾文部大臣が昭和三十一、二年のころ大臣をおやりになったことがあると思うのですが、大臣は六回ほど文部大臣をおやりになっておるようですが、その当時福岡県の教育長は全くしろうとです、これは。ある石炭会社の社長、教育経験ゼロ。これは申請をした場合に、灘尾文部大臣のもとで一週間、十日でこれは許可が、承認がおりているわけです。こういう前例もあるわけです。 それで、大臣にお尋ねしたいのは、いろいろ京都の教育の本質にかかわる問題というのは、大体いまこういうことだということを御説明いただいたのでありますが、この規則制定を条件にして京都の教育長の承認と、いわば三カ月遅延というのはそういった理由であるものかどうか、お尋ねをしておきたいのです。
○国務大臣(灘尾弘吉君) 京都の教育委員会が規則、条例等の制定について、他府県と違った態度で今日まで中止しておられるということは、これは御承知のとおりでございます。それと教育長の人事と何か交換条件にでもするかというふうなお尋ねのように思うわけでございますが、そういう気持はございません。ただ、しかし、教育委員会と文部省との関係というものは、私の気持ちといたしましては、お互いに対立するとか抗争するとか、そういう関係は望ましくない。お互いに協調しつつ、もちろん文部省といたしましては教育委員会の自主性というふうなものは大いに尊重していいことなんだ。しかし、お互いに協調しながら教育行政を円満に遂行していくということが望ましい姿ではないかと思うのであります。そういうふうな角度からいたしますると、文部省の立場からいえば、他府県でできるものがなぜ一体京都ではできないのだろうかというふうな気持ちは確かにあると思います。そういうふうな問題について、教育長の候補者自身がどんな考え方をしていらっしゃるのであろうかということは大いに知りたいところなんです。そういう意味で、教育長との面談を局長が求められる。教育長のお考えも十分聞いた上で、承認すべきであるかすべからざるものであるかということの判断をしなければならない。いま局長の手元でいろいろと検討してもらっておるわけでございますが、私としましても、先ほど来申しておりますように、お互いに教育行政を円満に協調的に推進していくということが望ましい姿であるとするならば、その意味において、教育長というもののお考えというふうなものは十分承っておきたい、こういうふうな気持ちで局長が調査しておるのを私は承知いたしておるわけであります。局長の判断がきまれば、私のところに判断を求めてくるのだろうと思うのであります。その際に結論を下したいと存ずるわけです。 要するに、いまはまだするともしないともきまっておらない段階でございまして、慎重な検討を続けておる。しかし、願わくはお互いに、何か会うとか会わぬとかいうようなことで妙なこだわりを感じないで、京都の教育委員会の皆さんも、教育長の候補者が東京へ出てこられて、初中局長といろいろ話し合う、そういう機会をぜひつくっていただきたいものと、いまもって私はそのように思っております。
○小野明君 どうも事前の同意という強い制肘であるかのように、いわゆる地教行法の十六条の2を解釈されているように思うのでありますが、その点について疑義がある。それから第二には、承認人事、これは国会にもたくさんあるのです。それから、都道府県においても市町村教育長という関係がある。こういった承認、同意人事というのが天下にあまねくあるんだから、一々面接テストをやっておるのじゃ、これはもうたいへんなことだ。京都にだけ面接をおやりになる。そういった問題を是正をしていきたい気持ちが、大臣、率直におっしゃったのですがね、あるということは、どうもやはり文部行政の基本であるべき指導、援助、助言、このワクを越えているのではないか、こう考えられます。 それで、委員長、きょう時間がありませんから、この次もお尋ねをいたしたいのですが、京都府教育委員会がとってまいりましたいわゆる文部省に対する事前の協議手続、そういった点について、私はさらに詳細に尋ねてみたいと思うのです。そこで、参考人をひとつ呼んでいただくように提案をしたいと思う。というのは、京都府の教育委員会教育委員が一人、事務局一人、その程度でよかろうと思うのです。で、あと、局長のほうで、いままで京都府と協議されてきた内容、それをひとつ資料として出していただきたい。参考人を呼んでいただくということと、京都と協議してきた事実の記録ですね。ずいぶん新聞報道あたりを読みますと、両者の言い分に食い違いがあるようですから、それをひとつ局長のほうでまとめて出していただきたい。 この二つを要求いたしまして、私の質問を本日のところはこれで終わりますが、この次も引き続いてお尋ねしたい。
○委員長(中村喜四郎君) ただいまの小野君の御要請の点につきましては、理事会でよくお話し合いをいたしまして、結論を出したいと存じます。
○松永忠二君 いまのに関連して。その点、特に私もきょう少しお聞きしたいと思ったことは、事前に何か連絡して、ある程度了承を得たというようなことを言われているわけです。で、きょうは十分質問ができないために——私は文部省のほうの考え方、その点の問題がどういうふうになっているかお聞きをした上で、そうしてあらためて京都側の言い分を聞くというのが筋だと思うのです。その時間がないために、小野さんからいまそういう御提案があったわけです。これは理事会で御検討の際に、その点やはり、何か唐突なような提案だけれども、現実には十二月、昨年の末からすでにお話があって、そうしてある程度了承されていたのが、内閣改造とかいろいろな問題にからんでおくれてきた。ある程度了承されているようなお話等も伝えられて聞いているわけだ。こういう点について、やはり文部省側のひとつお話等も聞いた上で、いま言ったようなことも出てくると思うのです。時間が十分ないために、急にそういうふうなお話が出てきたので、これはひとつ十分に理事会で御相談をいただいて、そうして順序を踏んで、ぜひいま言ったような御提案ができるように、ひとつ委員長でお計らいを願いたい。
○岡三郎君 その点、ちょうど同じことでちょっと関連して。いま松永さんが言ったように、大体初中局のほうとしては、一応そうして事前に審査をやって、大体よかろうと思った。ところが、京都のほうの自民党のほうからこれは突き上げられて、自民党の文教部会にはね返ってややこしくなったというのだが、それはほんとうなのかどうか。それもあわせて聞いておきたいと思います。
○委員長(中村喜四郎君) まだ御質疑も残っておるようでございますが、これを次回の委員会に譲りたいと存じます。 それでは、本日の委員会はこれにて散会いたします。 午後零時五十分散会