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58回国会衆議院1968/05/09

文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

発言数
67
登壇者
7
会派数
2
開催日
1968/05/09

会議録

中村庸一郎自由民主党

○中村小委員長 これより文化財保護に関する小委員会を開会いたします。  文化財保護に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。長谷川正三君。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 先般、文教委員会におきまして、公明党の有島委員から、一局削減の法案が今国会で成立の見通しになってくると、文化庁がいよいよ発足をするということになるのではないか、それにあたりまして、文部大臣の文化政策の構想を述べてほしいという御質問がありまして、灘尾文部大臣から御答弁がありました。私はこれに関連しまして、いよいよこれから文化庁というふうに切りかえられていくようでありますので、先般も一度簡単に質問申し上げたことがあるように記憶いたしておりますが、これはざっくばらんに申し上げると、文化庁ということで何かたいへん機構が整備されるような感じもしますが、もともと政府全体としては、簡素化を目的とした一局削減の構想の中で出てきたものでありますから、あまり大きな期待は寄せられないと思うのでありますけれども、いままであった文化財保護委員会と文部省の文化局をただ合わせた、こういっただけのものではないかというふうに常識的には考えられますが、しかし、大臣も一応構想を述べられておる。文化政策をになう重要な文化庁がこれから発足するということだと思いますので、これに対しまして、文化財保護委員長はどのようにこれを受け取られ、どのような点を一歩前進というふうに受け取っておられるか。また、どのような点は今後十分配慮をしなければならないと心配されているか、そういう点につきまして、まず保護委員長のほうから御所見を承りたいと思います。

稲田清助文化財保護委員会委員長

○稲田説明員 ただいま御質問の点につきましては、文部大臣の側からるる御説明があったことと存ずるのでありますけれども、文化庁設置という問題につきましては、私、承知いたしておりますことからいたしますれば、ずいぶん前からこの構想はあったようでございます。その構想の一つのねらいといたしますことは、何と申しましても、文化財保護も文化の一環でございまするので、それと他の文化行政とを一つに掌握し、広い視野のうちにおいてこれを見ますことに、一つの意義があるように考えられるのでございます。ことに今日、文化財保護委員会は一つの独立した権限と責任を持っておるわけでございまするけれども、先般来当委員会でもいろいろ問題がありまするように、建設の面でありまするとか、あるいは都市の開発の問題であるとか、他の一般の諸行政と文化財保護行政というものが、今日の状況においては非常に相交錯しております。したがいまして、やはり文部大臣が、直接この文化財保護という問題について権限と責任をお持ちになって、他省の諸行政の責任を持たれる各大臣と御折衝になりますことは、文化財行政のいろいろな障害、いろいろな隘路を開拓していかれるにつきまして、一つの大いなる意義のあることと考えられております。そういう意味合いにおきまして、私どもは、やはり今日のこの構想に、一つの新しい意義があると考えております。  次に、長谷川委員が仰せられましたように、特にどういう点に留意する必要があるのか、こういう問題でございます。十数年以前に文化財保護委員会が設置せられましたその当座、主として目的といたしましたことは、文化財保護行政ということは、ある意味において非常に学術的な、専門的な内容を持つ行政であります。と同時に、またこれは個人あるいは諸団体の所有権でありまするとか、権益に対しましてかなり強大な制限をいたします行政でありまする関係上、その行政を行なうについて非常に高い良識を必要とする。そういう意味におきまして、委員の一員である私が申しますことは、たいへんこれははばかりあることでございますけれども、そうした学術的識見あるいはそうした良識、そういうものを持った委員が相集まり、相会して、それの共同責任において委員会行政ということでやることが適当だ、こういう理想で出発したことだと思っております。その性質は、新たに今度統合せられまして、文部大臣の管下に行なわれる場合におきましてもまた必要である。その意味におきまして、ここに一つの文化財保護審議会という諮問機間を置いて、指定でありまするとか、その他保護行政の重要案件はこの審議会に諮問し、また審議会も建議する道も開いて、それを尊重しつつ文部大臣あるいは文化庁長官が行政を行なう、こういう構想になっておるようでございまするから、その意味におきまして、この審議会の答申なり建議あるいはまたいろいろな審査を十分に尊重する、こういうことが、今後におけるこの行政の大切な要点であろうと考えます。  以上、おもな点について所見を申し上げます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 ただいま委員長から、今回の文化庁設置についてのお考えをお述べいただいたのですが、そこで事務局長にお尋ねしますが、文部省、文部大臣と文化庁、文化庁長官との関係と、いままでの文化財保護委員会と文部省、文部大臣と文化財保護委員長、これの関係とどこがどういうふうに違ってきますか、その点を少し事務的に詳しくお述べいただきたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 ただいま長谷川先生の御質問は、文部大臣あるいは文部省というものが、現在の文化財保護委員会の場合どう関係があり、それが今度文化庁ができました場合、文化庁長官と文部大臣との関係でどう変わっていくかということだと思います。それにつきましては、御承知のように、現在は行政委員会でございますので、一応指定その他文化財の重要案件につきましては、文化財保護委員会が、文部大臣から独立してこれを処理することになっております。文部大臣の文化財保護についての現在所掌しております範囲といたしましては、法律の提案でございますとか、あるいは予算の提案でございますとか、これを閣議あるいは国会等に、文部省を代表して文化財保護についてのその点について代表されるということでございます。一応実質的な権限につきましては、文化財保護委員会がこれを処理していく。それが今度文化庁長官ができますと、文化庁長官は文部大臣の指揮下に入ることになりますので、最終責任がすべて文部大臣になるわけでございます。一応事務の所掌といたしましては、法律では、指定その他非常に重要な案件だけが文部大臣ということで、こまかいことは、現状変更その他は文化庁長官ということで、一応区分けはしておりますけれども、そういうこまかいことを含めてすべて文部大臣が、ただの代表でなくて、責任を負うという形になってまいります。この点が一番大きい変化だと思います。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 ただいまの御答弁で、性格がかなりはっきりいたしたと思います。  そこで、先ほど委員長がお述べになったように、文化庁ができ文部大臣が最終責任を負うということになりますと、文化財保護に関する、たとえば予算要求であるとかそういうような場合に、一そうある意味で力が強くなって、その点は期待が置けるのではないか、こういう一面があると思います。しかし、また反面、文化財保護指定その他いわゆる文化財保護の政治的、財政的と申しますよりも学問的、文化的と申しますか、そういう面では、非常に独自の自由な判断、自主性というものが、文化財保護委員会の場合には保たれておるけれども、これが今度審議会になった場合には、単なる諮問機関になりますので、そういう点の自主性というものはともすれば薄くなる、弱くなる、そういう心配があるのではないかとは申さなかったけれども、言うならば、そういう点は配慮すべきところだというふうに私は伺ったのでありますし、そう思うのであります。  そこで、これから具体的な問題を御質問する前にこの問題を取り上げましたのは、確かに大臣が直接責任を——いままでだって、もちろん予算折衝等は、文化財保護委員会の部分も含めて、文部大臣が代表して扱っておったわけでありますけれども、今後は直接の責任ということで、一そうそういう点で強くなる面があろうかと期待ができる反面、文部大臣は閣僚の一人でありますから、政府の決定したことに対していろいろ問題が起こったときに、ともすると、いわゆる政府側という立場で、もし文化財保護審議会のほうから、独自の建議権も与えられておるということで建議が出ましても、すでに政府が責任を持って一つの方針をきめておると、どうしてもそれにとらわれがちになって、文化財保護の純粋な、先ほど私が申し上げましたとおり、政治的、財政的な面でなく、学問的あるいは芸術的あるいは文化的な面から見たその判断というものが、ともすれば押えられる、そういう面が非常に出るのではないか。  私がなぜこういうことを申し上げるかと申しますと、文教委員会あるいはこうした文化財小委員会等でいつも述べておりますとおり、政府、場合によっては政府の外郭機関と申しますか、特殊法人である機関、そういったものが、今日非常に大きな建設的な面の仕事をしております。これは建設省がまず第一であります。いろいろ道路をつくっておる。それから日本道路公団がございます。また日本鉄道建設公団がございます。日本住宅公団、あるいは直接国鉄があり、運輸省があります。そうしますと、こういういわば政府並びに政府の外郭機関でいろいろ道路建設、その他いま国土開発の名をもって大きな土木事業が進む。これが文化財の危機を非常に招いておるということは、しばしば私どもが指摘したところであります。その場合でも、いまの機構でありますと、先ほどお話がありましたように、一応文化財保護委員会が独立の機関として史跡指定等に権限を持っておる。そういう点である程度——私はまだこれでも弱いと思いますけれども、チェックする力があった。ところが、今度は文部大臣になるのだから、それ以上強く言えるのじゃないかという面もあるかもしれないけれども、しかし、国全体の事業として、予算その他方針が決定して進んでいるさなかに、こういう事態が、いままで枚挙にいとまがないほど起こってきている。そうすると、どうしても政府の方針という形で、各省の方針というものが文化財保護に優先してしまう、そういう傾向がますます強まるのではないか。これはぜひ改めなければならない。この間文部大臣も、文化財保護について、政府の取り組みをもう一歩次元の高いところへ持っていかなければ、いま当面している文化財の危機というものがなかなか解消されないという意味のことをおっしゃっておったのでありますけれども、そういう心配が一そう強くなるのではないか、こういうことを憂えるのでありますが、実はこの点は、文部大臣がおいでいただければ、文部大臣にもぜひひとつ御答弁をいただきたかったのでありますが、これは別の機会に譲るとして、この面について、文化財保護委員長並びに事務局長の御見解を、再度尋ねたいと思います。

稲田清助文化財保護委員会委員長

○稲田説明員 ただいまのお話でございますが、やはりあらゆる機構を考えました場合に、問題は、その運営の問題で解決せられ、また運営の問題が一番大切なことだと考えるのでございます。一面、お話にありましたような各省関係の種々の開発、建設事業等と文化財との交錯の問題でございます。もちろん、従来とも文化財保護委員会独自でこれらの権限官庁と折衝いたしますとともに、同時にまた、常に文部大臣にお話しいたしまして、文部大臣の御援助によって、そのお力によって解決したことも少なくないのであります。今後こういう積極面は大いに期待せられるであろうと存じまするし、一面また、文化財保護行政の学術的な内容というような点につきましては、この法律自身が規定しておりまするように、重要なことにつきましては、文化財保護審議会の意見を聞かなければならないことになっておりまするので、この機構の運用につきまして、文部大臣なり文化庁長官が十分この法律の趣旨を尊重せられまして、文化財保護審議会を尊重するというか、その意向を十分聞いてやっていただくという点につきまして、その消極面は少なくなり、あるいは解消せられるものだと信じております。  要するに、今後新しく運営せられます方が、この文化財保護行政という問題の本旨を考えられ、また同時に、ただいまおことばにありましたように、要するに文化財保護という問題は、一般国民の理解に始まり、理解に終わるものだと思っております。一般が文化財保護という問題の重要性、その内容を十分知っていただきます点につきまして、新しい機関がそうした啓発、宣伝、教育というような点につきまして、十分御配慮をいただくことを期待いたします。その意味におきましては、文部大臣は同時に教育を主宰せられ、また社会教育等にも関与せられておりますので、あらゆる点からして、この文化財保護という問題につきまして取り組んでいただきますならば、いまの問題が大いに進展することを期待いたすわけでございます。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 私にも御指名がございましたので、稲田委員長の御説明で尽きていると思いますけれども、若干補足をさせていただきますと、文化財保護審議会につきまして、新しい文化庁の機構の中で、その位置づけについて私ども配慮いたしましたのは、普通の諮問機関でございますと、定数二十名とかそういう形になりまして、多くても月に一回というような開催になってしまいます。それで、現在の文化財保護委員会というものが定例会を毎週一回やっております。そのほか事案によりましてはそれ以上の回数開催しておりますが、その程度の回数の開ける諮問機関ということを考えまして、文化財保護審議会の定数も五名ということにいたしております。それで事務局の考え方といたしましては、現在とほとんど同じぐらいの内容のことを御相談をしながら進めていく、こういうような形になれば、ある程度現在の文化財保護委員会の長所というものをここに残せるのではないか。それで、いま委員長から申されました運営の面を、ある程度制度の面で保障したいという気持ちで、そういった点を配慮したつもりでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 新たにできる審議会が、いままでの文化財保護委員会の運営と同じように、その委員の方の内容あるいはその運営について、少なくとも従来より後退するようなことのない配慮をなさっているということでありますので、いつの間にかこれが従来以上に、何と申しますか、飾りものになってしまうようなことのないように、十分文化財保護について大きなともしびをともす機関として活用されますように、ひとつお願いをし、期待をしまして、この件につきまして、あとこまかいことを伺いたいのですが、時間がありませんので後に譲りまして、具体的な問題に入りたいと思います。  まず第一に、先日の文教委員会で非常に緊急な問題として、私が横浜市の金沢区称名寺、それから金沢文庫、この史跡が非常な破壊に瀕しているということについて質問を申し上げまして、一応これについては神奈川県並びに横浜市と十分連携をとり、保存について配慮をするという御答弁をいただいておりましたが、実は私、現地を見ておりませんでしたので、去る四日現地に参りまして、つぶさにその状況を調べてまいりました。行きまして、特に裏山に登ってみまして非常に驚いた。まさにあの貴重な中世の文化遺産というものが、累卵の危うきにあるということばがありますけれども、危殆に瀕していると言っても大げさな言い方ではないのではないか。特に、海に臨んだほうの日向山ですか、そこのところのうしろは、私がこの間表現したように、歌舞伎の舞台を表から見ると山だけれども、裏へ回れば、もう断崖絶壁のように掘りくずしてしまっている。これは、何か埋め立てに使ったでしょうか、もう一回あの土を持ってきて突っかい棒をしなければ、もう間もなくこれがくずれ落ちてしまうであろう。もちろん、何らかの工事でこれはささえるでしょうけれども、その場合には、相当上を削ってしまって低くして、それをならして保存するということしかできないような状態にまで宅造工事といいますか、進んでおるのですね。これは非常に一刻を争うと思いまして、この小委員会の開催を、たいへん忙しい中でありますけれども、ぜひひとつ至急やってほしいと申しましたのも、それが一つの大きな私の気持ちの上の原因になっておるわけなんです。これは当日横浜市長はじめ地元の方々みな熱心に、ひとつ政府の御援助をいただけば、何とか乏しい地方財政の中でも配慮をし、また同時に、あの開発をやっているのは西武建設ですか、そのほうとも折衝をし、理解を願って、何とかその保存をしたいのだということを、皆さん口々にそれぞれの立場からお訴えがありまして、この点は、文化財保護委員会でも配慮をいただいていると思いますが、その後何らか手をお打ちになったか、また、具体的にこれらの破壊を食いとめる措置をどのようにお考えになっているか、ひとつ明快な御答弁をいただきたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 先般、長谷川先生から御質問がございまして、その後、長谷川先生御尽力くださった結果だと思いますが、五月一日に神奈川県知事、横浜市長の、この件に関する会談が持たれたようでございます。その翌日、横浜市の市議会の文教委員の方々あるいは局長などが私のところにお見えになりまして、地元としては、文化財保護委員会が史跡を拡大する、あるいは国庫補助を用意するということであるならば、何とか少なくとも日向山のほうについて、初めに考えたよりはもっと広く保存するという気持ちだ、知事と市長の会談の結果そういうことにきまったので、ひとつ文化財のほうでも、何とかそういう形で配慮してくれないかというお話がございました。私ども文化財保護委員会といたしましては、この前御答弁申し上げましたように、地元の方とよく連絡をとりながら、そういう方向に行けばよろしいがということを期待しておりましたやさきでございますので、その点については、地元がそこまで進んでまいったならば御協力申し上げるのにやぶさかでないということをお答えいたしました。  その後、五月の六日でございましたか、県のほうにも連絡をいたしまして、もし西武不動産との間にその話が十分円滑にいかないならば、県のほうで仮指定をするというようなこともひとつ考えてほしい。これは将来史跡指定につながる問題でございますので、文化財保護委員会である程度のそういう気持ちを出さないと、県のほうがちゅうちょすると思いましたので、そういう点についても県のほうに申し伝えまして、現在この協議がうまく進みますように、検討を進めている最中でございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 この問題がこじれるようであれば、やはり国として取り上げて、早急にさらに手を打つ必要があると思いますし、また文化財小委員会といたしましても、西武建設ですかの責任者も呼んで、いろいろその経緯等もただしたり、あるいは称名寺の住職さん等にも参考人として御出頭願って、いろいろ事情を聞きたいと思いますが、そういう必要なしに問題が大きく解決の方向に向かうことを願うわけであります。いまのお話で、とりあえず県が仮指定をして、そしてこれ以上工事が進むことを押え、さらに正式に国の史跡としての地域の拡大をして、早急に保護委員会でもその裏づけをする、そしてそれに費用等も伴うとすれば、国としても相当の援助をする、こういうふうに踏み切っていただく方向であるという御答弁のように伺いましたが、そう受け取ってよろしゅうございますか。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 仰せのとおりでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 なお、いろいろそこの事情を伺いますと、おそらくお寺が非常に困窮の時期に西武に売ったと思いますけれども、いまから聞けば実に安い値段で、ただみたいに買っており、しかも、当時そこは景観をこわすようなことはしない、地上の整備をして、多少子供の遊び道具などを置いて、遊園地程度にするのだというお話であったそうでありますが、その後、それを宅地にすることに許可をとって進めてしまった、こういう事情があるようであります。ですからいまから、あそこの道路の予定地をもう少しうしろへ持っていって、現在、作業のための車が通る道がございますが、ほぼあの程度のところに道をつけるということで保護すれば、北条実時の墓がぽつっと離れてまた史跡になるというような、昔の史跡指定の点主義というか、それがよくあそこにあらわれておりますが、できればそれを含めて史跡に指定すれば、あそこが一つのまとまった史跡として残るし、また破壊についても非常に危険が少なくなる、こういうふうに私は現地を見て思いました。しかし、それには少なくとも現在の西武の計画から申しますと、宅地になるものが宅地にならないで、いまの坪幾らというようなことを計算すれば、財政的にはかなりの犠牲ということになる。しかし、事情が事情でありまして、これは話し合いによって、西武が文化財保護ということに協力するという気持ちを持っていただければ、それを全く時価でもって買収するというような、そん大げさなことを考えなくても、十分これは話のつく性質の問題ではないかというふうにも受け取ってまいりましたので、ひとつ県、市並びに文化財保護委員会、国も乗り出して、そういう点については早急に円満に話がまとまって、あの危機が何とか救われますように、特に日向山が二十メートルも三十メートルも低く削られますと、潮風が入って、塩害で、今日まで地上にそのまま保存されてきた称名寺なり金沢文庫なりの破損、腐食というようなものが、急速に進むというようなことになってはたいへんでありますし、また山がくずされることによって、あの阿字ヶ池というやはり当時の代表的な庭園というものが、台なしになってしまうというようなことのないように、ひとつ万全の手配をお願いしたいと思いますが、この点に対して、おそらく委員長も御承知と思いますので、委員長なり事務局長なりから、御決意を含めての御見解を伺いたいと思います。

稲田清助文化財保護委員会委員長

○稲田説明員 先般、事務局長からお答え申し上げたとおりでございまして、ただいま長谷川委員のおことばのような気持ちを持ち、またその念願を持って、今後文化財保護行政を担当いたします者といたしましては考えるべきものだと存じております。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 神奈川県にちょっと話が及びましたので、ついでにと申し上げては何ですが、もう一つ鎌倉の問題をちょっと一言この際お伺いしておきたいと思います。  私は、鎌倉によく参りますけれども、実際あの天園を中心とする裏の山の道を通りますと、驚くような宅造開発が進んでおりまして、一言で申しますと、見るもむざんな姿になっていると言ってもいいような感じを方々でいたすのであります。しかも、だんだん伺いますと、せっかく宅地をつくっても非常に高い値段のために、わずかに三分の一程度も、もう三年も五年もたっても実際はそれが住宅にはなっていない。今日住宅困窮の国民がたくさんいる中で、一方で何でああいうばかなことをほうっておくのだろうというような批判も出るような、そういう現状が鎌倉にはあります。そういうことを文化財保護委員会ではもちろん御存じだと思いますけれども、鎌倉のいまの状況に対してどういう御認識をお持ちか、総括的にひとつ事務局長のほうからお話をいただきたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 お話のように、鎌倉は東京の住宅地として、現在宅地造成が非常に伸びてきております。それに対しまして、鎌倉は非常に史跡が多いところでございますので、あちこちで史跡における無断現状変更もございますれば、こちらとして今後史跡に考えているところが、宅地造成など先に行なわれたりいたしまして、いろんな問題が起こっているわけでございます。しかし、そのつど私ども鎌倉市のほうとよく連絡をいたしまして、十分情報を入れて指導しております。たまたま昨日などは、鎌倉に宅地造成をする業者が私のところに参りまして、何か宅地造成をやろうと思ったんだが、これが近く史跡になりそうだという話を聞いたんだけれども、あとからだとお互いにまずい思いをするから、あらかじめその史跡予定地であれば、その範囲を教えてくれないかというような話もございました。ある程度文化財に対しての認識というものは、業者においても考えてきてくれている。こういう状態にはなりつつあると思いますけれども、何せいろいろな業者もございますので、私ども今後ともよく注意をいたしまして、文化財保護に遺漏のないように気をつけてまいりたいと思います。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 これは私、三年か四年前にやはり文教委員会の席上で指摘を申し上げて、国の史跡に指定されておるようなところが、一方土地会社とか建築業者の立場からすると、きわめて合法的にすらすらと通って、その史跡内の現状変更がなされてしまっているというような事態が、まあ都下国分寺の例をとって指摘を申し上げて、以後こういう間違いが起らないように、事務的に自動的にそこがチェックできるような方策が、縦割り行政の弊で管轄省、役所が違うためにその関連が全然うまくいかない、こういうようなことのないように、きちっと仕組んだらどうかということを申し上げたことがありますが、その後、そういう点について具体的に、正式に国の史跡として指定されているようなところが、知らないうちに宅地に現状変更されて家が建ってしまったとか、あるいは埋め立てられてしまったとか、そういうようなことがいろいろいまだに起こっているのじゃないかと思います。何かそれについて具体的な手をお打ちになったかどうか、現在そういう心配がないような行政の仕組みができているかどうか、その点についてお尋ねをいたします。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 数年前の長谷川先生の御提案については、私よく存じませんけれども、その後文化財保護委員会として事務的に進めておりますのは、各省あるいは大きい公団等の行ないます開発事業というものにつきましては、事前に協議をしてもらうようにしてございます。  それともう一つは、府県、市町村を通じまして、文化財保護につきまして、十分担当の者に了解をしてもらいまして、その市町村内に起こります事態につきましては、そうした無断現状変更等の起こりました場合には、直ちに文化財保護委員会の指示を仰ぐように、そうした連絡は、おそらく数年前よりは行政的に整備してきている、こういうふうに考えます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 そこで、具体的な例をひとつお尋ねするのですが、鎌倉市と逗子市とにちょうど隣接する海岸にある和賀江島の史跡ですか、これがやはりいま埋め立てられるのじゃないかということで、土地のそうした文化財を大切にする人々が非常に心配をしていらっしゃるわけであります。先ほど文化財保護委員長から、最終的には国民全体が文化財を大切にするという意識を持っていただくことが、文化財保護の一番大切な要諦であり、またそういう体制をつくるように新たな文化庁を置いて、そうした国民に対する啓発をしてほしいという意味のおことばがありましたけれども、まさにそういう意味では、現地の方々が非常にこの危機を憂えて、そうして、一体お役所は、ちゃんと史跡になっているはずだのに、どうしてあんなことをほっておくのだろうか、こういう心配をなさっているというふうに伺っております。私、これはまだ現地を直接見ておりませんけれども、この点について、文化財保護委員会として何か把握をされておるか、またこれについて、保護についての措置をいたしておるか、そういう点についてお聞かせをいただきたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 鎌倉と逗子の境にございます和賀江島につきましては、これは昭和四十年の三月に、文化財保護委員会といたしましては指定することに決定をいたしたわけでございます。その後、告示をいたしますのには、これが鎌倉時代の、港といっては大げさでございますけれども、防波堤、船着き場ということで、ちょうど鎌倉の側におもに属しますけれども、鎌倉と逗子の境に突堤のように出ている部分でございますが、それがだいぶくずれてまいりまして、海中に没している部分が相当あるということで、実測図の作製が非常に困難な状況のために、今日までまだ告示に至っていないという状態でございます。ある意味では、史跡に内定しているものでございます。  ただいま先生のお話の、これが埋め立てられるということにつきましては、私どもが調べております限りは、ここの和賀江島については、埋め立てる計画はないようでございまして、逗子のほうの町に入りますところで埋め立てる計画が進んでいるようでございます。この和賀江島との関係につきまして、若干、防波堤のようなものでございますから、石積みがくずれて、その一部があるいは埋め立て地のほうへ流れていっているということも想像されるのではございますけれども、私ども聞いている限りでは、むしろ漁村としての施設がその埋め立て地内にあって、それが和賀江島とやや類似の形をとりますために、和賀江島がこわされるというようなことを地元で申しているのではないだろうか。私どもの聞いております限りでは、この和賀江島に関しては、今度の埋め立てではこわれない。ただ、地元で心配いたしまして、そうした流れていったような石などは、これを集めておきたいというようなことは言っているようでございますけれども、和賀江島自体は、この埋め立てによっては破壊されない、こういうふうに承知しているのでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 私、現地を見たわけじゃありませんので、人のお話や資料に基づいて申し上げているのですが、一つは、四十年に史跡指定に内定しているものが、四十三年まで放置されているということに、多少理由をおっしゃったようですけれども、非常に疑問を持つのです。これは早急に正式に告示をする段階に持っていくということについては、どうお考えになっておりますか。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 先ほど申し上げましたように、潮の満ち干によりまして、その島自体が姿をあらわしたり、ある程度海中に没したりするような、その史跡そのものをつかまえるのが容易でないというようなことで、実は航空写真等を利用するとかいうようなことで、何とか精密な実測図をつくりたい、こう考えまして、現在県の教育委員会を督励している最中でございます。記念物関係につきましては、そうした手続が非常に困難なために二、三年告示がおくれている件がございますので、これは全体的に関係者を督励いたしまして、委員会できめたものにつきましては、なるたけ早く告示に持っていくように、これは全体としても考えているのでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 技術的な困難が多少あるというお話ですが、私は、これは困難があるからというよりも、熱意が足りないからだと言われてもしかたがないんじゃないか。県にしても市にしても、そのくらいの図面をこしらえて申請するということが、そんなに困難とは思えない。また、もしそういうことであれば、文化財保護の全体責任を持っておる文化財保護委員会として、もっと的確な指導なり処分なりをなすって処理すべきものであって、怠慢のそしりを免れないと思いますが、いかがですか。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 これは私が参りましてからも、稲田委員長からも特にお話がございまして、十分その点配慮いたしまして、ここ数カ月の間に、相当数の未告示のものを告示に持ってまいりました。今後ともそういうふうに努力してまいりたいと思っております。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 正式に告示に至るまでの見通しはいかがですか。時間的見通しは……。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 ちょっと、中西記念物課長から答弁していただきます。

中西貞夫文化財保護委員会事務局記念物課長

○中西説明員 和賀江島の告示の問題ですが、昨年からしばしば市あるいは県のほうに、実測図をつくるようにということで話をいたしまして、私どもも非常に気にしているのでございますけれども、いま局長が申されましたような事情と、それから逗子と鎌倉の両方にわたるというようなこともありまして、鎌倉のほうは、まだできておりませんけれども、何とかやろうという話がありますが、逗子のほうは、まだ進んでいないということでございまして、実測図が非常にむずかしいという段階でございます。そこで、私どものほうとしても、航空写真でもとって、それによって範囲をきめるよりしようがないじゃないかということで考えておるのでございますけれども、そういうことでございますので、もう少し時間をかしていただきまして、なるべく早く告示ができるようにいたしたいと考えておるわけでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 いま鎌倉市と逗子市にまたがっているというお話がありましたが、逗子市のほうの部分についても史跡指定の予定になっておりますか。

中西貞夫文化財保護委員会事務局記念物課長

○中西説明員 正確に申し上げますと、この和賀江島は鎌倉市の材木座の飯島というところにございまして、そういうことで一番はっきりしておるわけでございます。島そのものは大蔵省の国有財産になっておりまして、鎌倉市にあるということがはっきりしておりますが、その周辺が、先ほど局長が申されましたように海面になりますので、どこの辺までを島の周辺として指定したらいいかということでございます。そこで逗子市のほうの地図をいただきませんと、的確な告示の範囲というものがきまりませんので、そういう意味で逗子市のほうの地図もほしいということでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 その逗子と鎌倉の問題も、やっぱり現地の人はたいへん心配しておるようです。つまり、鎌倉部分だけ史跡指定にして、逗子のほうはまだ予定にも入っていないんじゃないかという心配、あるいはそれは県の指定地域になっているのか、その辺はどうなっていますか。

中西貞夫文化財保護委員会事務局記念物課長

○中西説明員 和賀江島は、ただいま申し上げましたように、鎌倉市の飯島にございます。県のほうの指定を現在やっておりまして、昭和二十九年七月二十七日に神奈川県の史跡に指定しておりますが、これも鎌倉市のある部分でございます。ある部分と申し上げますのは、吾妻鏡でございますとかを調べてみましても、やはり和賀というのは材木座の古い名称でございまして、そこの江の島ということでございますので、材木座のための突堤である。それから古い図面を調べましても、やはり鎌倉の材木座の海岸に面して直角に出ておりますので、そこが和賀江島の意味でございます。  それから、いまいろいろ地元で御心配になっております逗子の小坪のほうにございますのは、石が流れていったか、あるいはおそらく小さい昔の漁村の施設だろうと思うのでございますけれども、これは和賀江島とは全く別のものであろうということを、文献とか地図とか、あるいはいろいろな方々の御意見によって、そういうふうに私ども考えておるわけでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 いまの御答弁ですが、先ほどの称名寺の問題でもそうですけれども、どうも史跡指定が非常に狭く限られて、断片的になって、全体としてまとまった史跡として残すということに欠けるのが従来の弊であったように思いますので、ひとつ文化庁からさらには文化省になるかもしれませんが、大いに文化財保護については、ことしは一新紀元を画すくらいのつもりで、これをせっかく史跡指定するならば、十分抜本的検討をされて、いま、片一方は違うといっても、てんで史跡とは関係ないような景観の中に、ぽこっと一つだけ何かあっても、それはあまり意味をなさなくなったり、やがてはこわされてしまう。そういうことのないように、これを史跡に国が指定するからには、やはり歴史的価値というものを十分認めての上のことであると思いますから、そうであるならば、これが完全に残るような形に——ひとつそのうち国会でも終わりましたら、あるいは開会中でも、私も時間があればぜひ現地を見て、文化財保護小委員会の一員として責任を感じますので、見てみたいと思うのでございます。なるほど、さすがは文化庁よくやったと言われるように、ひとつ記念物課長はじめ御奮闘を願いたいと思います。その点はこの程度にとどめまして次へ進みます。  これまた私、前から何回か質問を申し上げたことがあるのですが、先般日本考古学会の総会が開かれましたので、そのおりに、全国的に見て重要な文化財保護の問題で、緊急な施策を要することがあればぜひひとつ意見を聞きたいというようなことを、個人的にお願いをしておりまして、なかなか一人でそういうことができませんから、いろいろそういう方々からも意見を伺ったのですが、これは各地でいろいろな問題が起こっておりますけれども、こまかい問題を一々言っても切りがありませんから、日本の古代、あるいは中世、あるいは歴史以前、そういうようなところの日本の文化といいますか、文化の発展のあとづけとして非常に重要な史跡であり、今後また十分研究の対象ともしなければならない、学問上もあるいは文化的、芸術的にもいろいろな意味で価値のあるそうした史跡が、やはり各所で危機に瀕しているということがありますので、そのうち、きょうは三つ取り上げまして質問を申し上げたいと思います。  第一は、これは実は私はついこの間も質問申し上げたのですけれども、例の大阪の和泉市から堺市へかけて、ちょうど日本の古代国家の形成の時期の中心都市と申しますか、そういうところの跡が四つ非常によく残っている。日本の歴史書のあとづけといいますか、そういう面からも重要な問題を含んでいるという史跡、池上の弥生式遺跡、四ッ池の遺跡、さらに観音寺山の遺跡、それから惣ノ池の遺跡、この四つのことをこの前申し上げたと思いますが、特に池上の弥生遺跡と四ッ池の遺跡は第二阪和国道、これは万博を前にして、建設省が建設を急いでいる国道のために、まん中からまっ二つに分断されようとしている。当時としては最大のものであるということが、学問上ほぼ明らかになってきているが、これが破壊されようとしている。これに対しまして建設省は、金にいとめをつけないから、この間も申し上げたとおり、一億四千万ほどの調査費を出すから、来年六月にはどうしても着工するので、それまでにこれをひとつ全部調査しなさい、こういうようなことに進んでおるようでありますけれども、現在の学者やあるいはこういう遺跡発掘の関西における力というものを計算いたしますと、ただ一応掘って調べたというだけのかっこうをつけるというなら、あるいはできるかもしれませんが、単に金だけ出されても、そう簡単に断片的な調査はできない。むしろこういうことは慎重にやって、最終的に全部保存するかどうかは別として、時間を切っての、この第二阪和国道というもののためにこれをこわしてしまうということは、学問上も悔いを千載に残すのではないか、そういう声が非常に高まっておるわけですけれども、これについて、何らか道路のほうを路線を変更するなりして、個々の史跡を十分調査し、その上で残すか、あるいは部分的には記録の保存なり発掘物の保存にとどめるか、範囲をどうするかというようなことは今後の問題としましても、とりあえず、ここで破壊してしまうということは学問上も非常に惜しいということで、これは第一の問題になったようであります。これについてどういうふうにお考えになり、進めておられますか。  続いて三井不動産の観音寺山、日本住宅公団が住宅を建てようとしている惣ノ池、これらにつきましても、文化財保護委員会としての態度を、もう一度ひとつ明瞭にお聞かせをいただきたいと思うのです。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 先般お答え申し上げましたときに、私として不勉強でございまして、この四つの遺跡のつながりにつきまして、御指摘をいただきましてから専門家の意見を聞いてみますと、この池上、四ッ池の遺跡は弥生の早期、前期、中期から後期にわたる遺跡であり、観音寺山あるいは惣ノ池の遺跡は、後期から晩期にかけての遺跡だということで、これまで弥生時代の遺跡として住居址が移っていったというところに、住居の移り変わりが見られるということでございまして、その点勉強したわけでございますけれども、この保存につきましては、実はその後いろいろ部内でも検討しておりますけれども、いまのところなかなか、先般お答え申し上げた以上の十分な御答弁ができないのが残念でございますが、ことに池上、四ッ池の遺跡につきまして、何とか第二阪和国道が通らない方法はないだろうかということで、いろいろ聞いているわけでございます。  ただ、非常に広い部分にわたっておりますために、ここをよけますと、道路は実現可能な道路が出てこないような状態にございまして、聞きますと、地元の学者でも、できればここをよけたいという方々と、それから、それは実現不可能だから、できるだけ完全な調査をして、ある程度こわれるのはやむを得ないのではないかという学者の方もおられるように聞いておるわけでございますけれども、私どもとして今後さらに検討いたしまして、何とか道路が通らないくふうがつきますれば別でございますけれども、そうでない場合には、一億数千万円の金が妥当かどうかわかりませんけれども、一日も早くできるだけ完全な調査をいたしまして、そのあとで道路の通るようなふうに話を持っていければいい、こういうふうに考えておるのでございます。  観音寺山につきましては、先般お答え申し上げましたように、三井不動産と地元との間でその一部分と申しますか、四十カ所以上の住居址のうち、十数カ所の住居址を緑地帯として保存するということで話を進めておるようでございます。その成り行きを見てまいりたい、こういうふうに考えております。  信太山、惣ノ池の遺跡は、これは先般お答え申し上げましたときには、調査団と住宅公団の間で話し合いがつかずに終わっているようなことを申し上げましたけれども、何か六千坪のうちの四千坪を残すということでございます。そこまで話し合いがついて、実はほかの事情で宅地造成がとまっているようでございます。ただ、住宅公団と調査団の間に話がつきましたときに、大阪府がこの間に入っていないようでございますので、府のほうに中に入ってもらうように指導しておる状態でございます。  以上の四遺跡につきましては、そういう状態でございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 非常に御関心を深めていただいて、努力をされている点は力強く思いますが、何しろ建設省が万博を目ざしてやる道路ですから、これこそ文部大臣も先頭に立ってがんばっていただかないと、容易なことではないと思いますので、文化財保護委員会と文部省、新たに文化庁になれば文化庁、ぜひこれについて悔いを残さないような処置に御努力を願いたいと思います。  それからもう一つ、時間がありませんから急ぎますが、これは最近新聞紙上にも報道されておりましたが、広島県の福山市、草戸千軒というのですか、芦田川の中州に残っております中世の大商業地帯と申しますか、それが非常によく残されている。中国の宋、明時代の陶器も相当そこから発掘をされておるし、また、当時の町づくりというものが非常によく残っておる。それがいま人造湖の湖底になろうとしているというように聞いております。また、五年計画で河川の改修工事が行なわれますと、これは完全に破壊をされてしまうのではないか。これをもし非常に貴重な史跡として残すということになりますと、おそらく現在の科学技術、そういうものの粋を結集して何らかの措置をとらなければならないような、文化財保護の事業にもなっていくような性格というふうに聞いておりますけれども、この点について、文化財保護委員会としてはどのような認識を持たれ、また、対策を持たれているかお伺いいたします。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 お話の草戸千軒の遺跡につきましては、これは中世の港町が数度の洪水によりまして埋没したものでございまして、そういう意味から非常に貴重なものだと考えております。たまたまこれが昨年から災害復旧工事が行なわれる、あるいは河川のしゅんせつが行なわれるということがございまして、建設省と文化財保護委員会とで数度話し合いをしてまいりました。ことしの二月には地元で、建設省の関係者と教育委員会、それに私ども文化財保護委員会も入りまして協議を行ないました。これは、一つは堤防敷の問題であり、一つは河床、この両方にいろいろな遺跡があるわけでございますけれども、その堤防敷につきましては、これは実は災害復旧でございまして、放置すると危険だという状態でございましたので、これは話し合いの結果、本年度建設省が緊急災害復旧事業として実施することはやむを得ない。しかし、その前に文化財保護委員会として国庫補助をいたしまして、地元で、広島県教育委員会がこれを調査することになりました。問題は、三万坪くらいあろうかというその河川敷の問題でありますけれども、これにつきましては、建設省の計画でございますと、昭和四十六年から四十七年にかけての工事を予定しているようでございます。まだ明確な計画が提出されていない状態でございますので、事前に私どもよく話し合いまして、専門家の方にもお入りいただきまして、できるだけこれがそのままの形で残るような方途を講じてまいりたい、こういうふうに考えております。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 そうしますと、堤防敷のほうは県教委のほうで調査をいまいたして、調査後はこわされてもやむを得ないという方針ですね。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 そのとおりでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 河床のほうは、昭和四十七年ごろまでの工事ということなので、その間に調査も進めるし、できれば完全な保護ができるように努力したい、こういうことに確認してよろしゅうございますか。——それでは次に移ります。  もう一件なんですが、これは諏訪湖の湖底にある、湖底と申しましても波打ちぎわの近くと思いますが、曾根遺跡というのが、無土器時代、縄文時代の初期にかけての史跡として、特に縄文初期の状態を明らかにする非常に貴重な史跡として、前から有名なところであるといわれておりますが、石器も二百点から出ておる。これは何か古代のみさきあとが水没したものだというように伺っておるのでありますが、最近、底をすっかりさらう事業が進むことによって、これがこわされてしまうのではないか、こういうふうな心配がなされておるわけであります。最近、考古学がいろいろ発達してきまして、海底考古学と申しますか、海の底をいろいろ調べる、そういうところからいろいろな古代の遺跡というようなものが発見されてきたり、海の底であるだけに、完全に残っておるというようなことになってきております。ここは海の底ではありませんけれども、そういう意味では非常に珍しい、しかも貴重な遺跡であるというふうに聞いておりますが、この問題についての文化財保護委員会としての現状把握並びに対策をお聞かせ願いたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 お話の諏訪湖の曾根遺跡は、先土器時代の終わりから縄文時代の初めにかけてのもので、明治の末年以来知られておる著名な遺跡でございまして、これがお話しのように、県が諏訪湖の総合開発を実施するということで、この地域もそのしゅんせつされる計画の中に入っていたわけでございます。それで心配しておりましたところが、最近聞きますと、その遺跡の重要性にかんがみまして、市の教育委員会と県の土木部のほうの話し合いがついて、この地域だけはしゅんせつ計画からはずしてもらうことにきまりましたので、喜んでおるわけでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 一応しゅんせつで破壊されるという心配だけはなくなったわけですね。今後は、そうしておけばそれでよろしい遺跡ですか。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 とりあえずは、そうしておけばよろしいようでございます。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 それでは最後に、これは文化財保護委員会でも非常に努力されておるようなんですから、御質問申し上げなくてもいいのですが、さらにこれをバックアップする意味でお聞きしたいのですが、太宰府の保存の問題ですけれども、最近百二十アールほど指定地区を拡大するという方針を立ててせっかく御努力中と思いますが、その経過、何か非常に困難に遭遇しておるというようなことをちょっと伺いましたけれども、その実態をお知らせいただきたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 太宰府につきましては、一昨年の十一月に、従来の都府楼跡の史跡指定を拡大する方針をきめたわけでございます。その後すでに一年半以上たっておるわけでございます。この分につきましては、地元との話し合いが十分につかないというために、いまだ告示に至っていない、特別史跡として拡大されていないわけでございます。その部分につきましての地元の反対の点につきまして、県の教育委員会が私どもと密接な連絡をとりまして、現在、地元の方の納得のいくような形で了解をお願いしている最中でございまして、もう数度にわたる会談を続けているわけでございます。その間、私どもが地元の反対理由として受け取りまして、何とかそれに対する改善措置を考え得る問題として、幾つかその方向に努力を始めているわけでございます。  その一点は、従来の都府楼の史跡指定地につきまして、草ぼうぼうにはえて十分な整備がされていない。それで、すでに公有地になったところがあのような状態で、さらに買い上げを進めても、また放置されるだけではないのかというような地元のお気持ちがあるようでございます。これは一昨年度から始めておりますけれども、昨年度さらに整備の国庫補助をいたしまして、地元で整備してもらいました結果、地元の方々のそうした気持ちはだいぶやわらいだようでございます。  それからもう一点、土地を買い上げました場合の譲渡所得の課税の問題でございまして、これを何とか四分の一課税にできないかというようなお話がございました。これは史跡指定地を拡大いたしますと、それが買い上げにつながってまいります。買い上げの場合の難点が税金の問題でございますので、これは根本的には、私ども法律改正を待たなければならないので、その点努力はしているわけでございますけれども、法律改正以前に、何か行政措置でもってその四分の一課税の実現の方法はないかということで、この点もいろいろ具体的に進めてまいっております。  それからもう一点、これも地元の住民感情でございますけれども、都府楼の跡には礎石がはっきり出ているわけであります。これは史跡だとはっきりわかる。ところが、今度拡大しようとしておりますところは、実は外から見れば何も史跡らしいものがない。これは平城宮跡などと同じように、私どもが考えておりますのは、発掘してみれば、そこにいろいろ重要な建物のあとが出てくると思うのでございますけれども、それを実際に目にしないと地元としては納得できない。これは平城宮跡の買い上げの初めのときにもそういうことがあったようでございますけれども、それと同じ問題だと思いまして、私ども本年度から県にも御協力を願いまして、発掘調査を始めたいと考えております。その結果、目で見て、なるほどこれは大事なところだというようなことによって、いま申し上げましたようないろいろな角度から、地元の方々に納得をしていただきまして、この史跡指定を受け取っていただきたいというつもりでおります。

長谷川正三日本社会党

○長谷川(正)小委員 非常に御苦心の御様子がわかりました。稲田委員長のお話じゃありませんが、文化財保護に対する住民の理解から、非常に熱心な運動の起こるところもあるし、いまのように、逆に理解の得られないために、むしろ障害になるというような事態もあるということが感ぜられたわけであります。いま事務局長が言われたような御方針をひとつ貫いていただいて、完全な史跡保存を全うしていただきたいということを要望して、私の質問を終わりたいと思いますが、実は、先般私が広島の大本営問題について御質問申し上げましたことに関連して、いまここで大原委員のほうから、関連質問をさしていただきたいということでありますので、お願いいたします。

中村庸一郎自由民主党

○中村小委員長 大原亨君。

大原亨日本社会党

○大原小委員 関連ですから簡単に質問いたしますが、史跡の指定をされた広島城址の現状を変更して大本営を復元するということが一つ問題になっているわけであります。これにつきまして、文化財保護委員会の経過と見解を簡単にお答えいただきたい。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 先般、文教委員会で長谷川委員にお答えしたところでございますけれども、地元の御計画については、私ども具体的には承っていないわけでございます。そういう計画があるということを承って、その段階でお答えしたわけでございますけれども、私ども文化財保護委員会といたしましては、史跡の現状変更ということでございますので、そこに復元を計画されておりますものが、歴史的に正確な資料に基づいてなされるかどうかという見地からこの現状変更に対処したい。大本営を復元することの是非ではなくて、そこの復元計画の内容によりまして、私どもこれを見てまいりたいと思っておりますが、具体的に何も出ておりませんので、いまの段階ではそれ以上に申し上げるわけにはまいりません。

大原亨日本社会党

○大原小委員 問題はいろいろあるのですが、史跡として指定してあるのは広島城址ですね。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 そのとおりでございます。

大原亨日本社会党

○大原小委員 広島城址の本丸に旧大本営を復元するという問題は、たとえば、新聞にも出ておりますが、師団司令部とか連隊の司令部等、そういう軍関係の設備を含めて復元されたという前例があるのですか。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 そうした復元はいままでなかったと思います。ただ、従来城址に、戦災その他で焼けました城を復元するという計画がございます場合に、文化財保護委員会としてとっております態度は、それが住民感情に基づきまして、どうしてもそこに城を復元したいということが出てまいりました場合、史実としてそれが正確なものであればこれは認める。しかし、不正確なものしかない場合にはこれは認めない。こういう態度をとっております。

大原亨日本社会党

○大原小委員 史実として正確なものが出されておりますか。あるいは文化財保護委員会としては、非公式でもそういう史実、図面等について把握しておられますか。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 まだ地元から出ておりませんのでわかりませんけれども、正確な図面その他、私ども聞いておりますところでは、十分なものがあるいはないのではないかという懸念をしております。もし正確な図面で復元可能な形でございましても、それをつくるつくらないということについては、地元の住民の気持ちによっておきめいただく、こういうふうに考えております。

大原亨日本社会党

○大原小委員 いまのところ事実を裏づけるような証拠とか、正確な図面その他がない、こういうふうに私も承知いたしておるわけです。文化財保護委員会もそうだと思うのです。  そこで、これは結論ですが、いろいろ議論が沸騰しているわけです。というのは、平和都市のシンボルとしてどうか、あるいは広島城址の本丸を復元したというふうなものであるならば、それは文化財として、あるいは歴史的な芸術品としても、これは一つの意味があるのですけれども、しかし、芸術的、歴史的にそういう価値のあるものかどうか。あるいは広島と朝鮮、広島と中国、こういうふうな関係における問題、そういう問題等をめぐりまして、これはかなり議論が沸騰いたしておるわけです。いまのところは正確な図面がないということですが、そういう点について、これは広島城址の指定であるから、現状を変更する場合には慎重を期すべきであるし、あるいは政治的な圧力云々でこれが動かされたという印象を文化財保護委員会が与えるということは、将来に禍根を残すのではないか。したがって、その点について、この際はっきりとお答えをいただきたい。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 歴史的、学問的価値というお話でございましたけれども、文化財保護委員会が指定をするということでございますと、そういったことで相当厳格な要請がございます。ただ、復元されたものにつきましては、指定ということは考えられません。復元そのものにつきましては、もとあったものが非常に正確な形でそこに復元されるということであれば、私どもは、かつてあったものよりは、むしろ史料的な性格という形でこれに対処をしていくつもりでございます。

大原亨日本社会党

○大原小委員 それでは、その点はひとつ慎重に扱ってもらいたい。これは委員長にも申し上げておきます。最後に委員長からひとつ……。

稲田清助文化財保護委員会委員長

○稲田説明員 問題の性質上、十分慎重に考慮すべきものだと考えております。

大原亨日本社会党

○大原小委員 終わります。

中村庸一郎自由民主党

○中村小委員長 小林信一君。

小林信一日本社会党

○小林小委員 だいぶ時間が延びておりますから、簡単にお伺いいたしますが、丸ノ内の例の三菱赤れんがの建物の問題です。これを文化財保護委員会はどういうふうに評価されて、これに対する処置をどういうふうにされておるか、御説明していただきたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 丸ノ内の三菱旧一号館につきましては、これはあの地帯に三菱が、いわゆる一丁ロンドンということで赤れんがの建物を建ち並べまして、わが国としては最初の近代的な都市計画があそこで実施されたという、非常に由緒のあるところでございますし、建築史的に申しましても、事務所建築でございますけれども、本格的洋風建築の第一号の作品であったわけでございます。それで、実はここ数年前から、明治の洋風建築の一つの代表といたしまして、三菱地所会社に対しましても、できるだけ保存のことを考えてほしいということで、いろいろ打診もいたし、御依頼も申し上げてまいりましたが、具体的に文書をもって申し入れましたのは昨年の九月でございましたが、この建物があき家状態にありましたので、多少危険を感じまして、ひとつ保存に留意してほしいという文書も、委員会から申し入れたわけでございます。  ところが、ことしの三月二十一日でございましたが、急に三菱のほうから手紙が参りまして、どうしてもあの建物を取りこわさざるを得なくなったということで、了解してほしいということでございます。私ども、急遽委員会から三菱あてに、建物の保存について再考慮してほしいということを申し入れますとともに、私どもたびたび出向きまして、いろいろお話を申し上げたわけでございます。お聞きいたしましたところが、あの横に鉄道が乗り入れてまいりまして地下に入ってまいります。それであの建物が危険な状態になるということで、ひとつ取りこわしを認めてほしい。三菱側としては、取りこわしたあとこれを——あれは延べ千五百坪ばかりある建物でございますけれども、そのうちの八百坪につきましては、L字型に曲がっておりますが、あの一面につきましては、これを移築保存するつもりだというお話でございました。私どもとしては、あの地にあの建物が初めて都市計画の第一歩として置かれたということの意味が、あの土地を離れますと失われますので、できればあの現地に残してほしいということで、私どもの文化財保護委員会の建造物関係の専門審議会の専門家の方や、あるいは建築学会の方々の応援を願いまして、いろいろ三菱側と懇談を重ねたわけでございます。  ところが、三菱側といたしましては、どうしてもあの土地にあの建物を残しておいたならば、企業体としてぐあいが悪いんだというお話でございまして、ある程度その取りこわしの工事をストップしてくれましたり、あるいはそれを延ばしてくれたりしてはくれたのでありますけれども、そのうちだんだん取りこわしが進んでいくという状態でございまして、現地に置くということは、ほとんど不可能な状態になってまいりました。文化財保護委員会としては、現地保存からこれを移築に切りかえたわけでもございませんけれども、話し合いの間に、実態としてそういうふうに動いていってしまいまして、それならば、できればこの千五百坪の建物全体をどこかに移築する、次善の策としてそういうこともやむを得ないという態度で、さらに三菱側に話しかけ、現在もその話の途中なのでございます。三菱側といたしましては、予算の面からいっても、その半分程度のものは移築する予算も組み、その場所などについても、一応考慮してこられたようでございます。それ以上のことになると、三菱だけの力ではできない、だれか引き取り手があり、その引き取ることについて、残りの部分を経済的にも用意をしてくれるところが名乗り出ない限りそれはむずかしい、こういうような状態で現在進んでいるわけでございます。  私ども、いまだにこれが全部の形で移ることについてあきらめているわけではございませんけれども、その移築先につきまして、やはりあれが東京の建物だということで、できれば東京都内にというようなことも考え、いろいろ非公式にはあっせんなどもいたしているわけでございますけれども、それもなかなか実らない状態でございまして、そういううちに取りこわしが——三菱側として非常に慎重にやってくれてはおります。というのは、もし移築がきまりましたならば、ある程度現在のいろいろな材料が、そのまま使えるような形での取りこわしはやってくれておりますけれども、それにいたしましても、日がたってまいりますと、いまの新しい地下工事との関係もございまして、ある時期までに、これを三菱として取りこわしてしまうということがございます。そうなりました場合のことを心配いたしまして、さらにあっせんを続けてまいりたい、こうは考えておりますが、先般の帝国ホテルに引き続きまして、たいへん残念な事態が起こってまいりまして、私どもとしても頭を痛めているような次第でございます。

小林信一日本社会党

○小林小委員 昨年九月文書で要請したという、その文化財保護委員会の要請というのが弱いんじゃないですか。しかし、文化財保護委員会としては、重要文化財に指定をしたい、現地保存をしたい、そういう強い要望を持っておりながら、世間に表明したものは非常に弱いものであったというようなことを聞くのですが、ほんとうに重要文化財に指定し、いまおっしゃったとおり現地保存をしたい、こういう希望は持ったわけですか。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 これは弱いと申しますか、一方的にこちらとして指定をするというようなこともできませんので、所有者の三菱地所の御了解を得て指定したいという気持ちでございますので、そういう意味では、弱いと仰せられればそのとおりなのでございますけれども、ほかに所有者の了解を得て、明治建築につきましても若干のものを指定してまいっておりますし、そういった形に動いているものもございますので、三菱に対しましても、何とか御了解を得て指定したい、こういう気持ちでお願いしておるわけであります。

小林信一日本社会党

○小林小委員 要するに、その理解を得るとかあるいは良識にたよるとかいうことだと思うのですが、だれが聞いても、いかに三菱の財閥をもってしても、あの土地を実際時価で踏んでみれば坪四百万だそうですね。そうすれば、少なくとも何十億という金がまず土地代だけでも必要である。それはもうわかり切ったことだと思うのです。だから、もしそういう得がたい、失ってはならない文化財である、あるいは一つの東京の商店街というのですか、そういうふうなものの姿を残すということが必要であるという場合には、ただ相手の良識や相手の理解だけに依存をするというふうなことでは、これから何もかも東京から失われてしまうのではないか、こう思うのです。  この前帝国ホテルの問題で、委員長さんもおいでになりますが、お聞きしましたところ、やはり同じようなお考えだったと私は思うのですよ。やはり現地に保存をしなければ意味がない、こういうことを強くおっしゃられたのですが、しかし、そういう希望は持っておっても、やはり今度の三菱のあの赤れんがも、結局、あの現地には保存することができなくて、しかも、所有者の理解でこれがどんな形で保存されるかわからぬけれども、まあ責任のがれのようなものが残るのじゃないか、こう思うのです。この三菱の赤れんがの建物だけの問題でなく、こうして次々に東京の重要な面影がなくなっていく。しかも、これがただ単にそうした一つの古い東京の町の姿を残すのではなくて、この建物を設計をした人とか、あるいはまた現場監督に当たった先生だとか、あるいはその流れをくむ建築学者、そういう人たちがたくさんあることを聞いております。そうして、その流れをくむ人たちが、今日もなおこれに未練を持って、何とかして保存してもらいたい、こういう希望を持っておるのです。しかも、いま文化財の皆さんの御意向を聞けば、やはり現地保存を強く要望しておる。だが、問題はやはり金だと私は思うのです。いまのような文化財の財政をもってしては、私は、大事なこういうものが次々と失われていくのではないかと思うのです。  こういうときに思い出すのは、フランスのパリあたりが、あの姿を長く保存をしている。あれが日本の政治の力だったら、あんなものはやはりとっくに私はなくなっていると思うのですよ。もしパリのあの姿というものがなくなれば、パリだけの問題ではない、フランスだけの問題ではないと思うのですね。世界の一つの文化というふうなもので、世界の人類全体が惜しまなければならぬと思うのです。東京だって私は同じことだと思うのですよ。そこへいけば、地方の商家の屋並みを残すとか、あるいは特別の家屋を残すとかいうふうなことは、完全とは言いませんけれども、意欲を持てばこれが保存できる。それは単に文化財だけの力ではない。やはり地域の人たちの協力というものが非常にあると思うのですよ。だから金という問題と地域の人たちの協力というふうなものが必要だと思うのですが、東京都あるいは東京都民、こういう人たちの動きというようなものが、東京の姿というものをなくしていくのではないかと思います。  したがって、文化財保護委員会のいまのわずかな財源をもってして、東京のこの失われていく姿をどうするかということを考えるときに、やはりそれ以外の問題を考えなければならぬと思うのです。もう相次いで、帝国ホテルが失われ、三菱の赤れんがの建物が失われる。私は、ただ良識に訴え、御理解に依頼するというのではなくて、何かもっと文化財というものは力強いものを持たなければいけないと思うのです。いま長谷川さんから、日本全国の各所にわたっての質問が行なわれたのですが、幸いそういうところは何とか保護できるけれども、こういうものは保護できない。非常に私は残念だと思うのですが、一そうの御努力を願いたいと思うのです。  そしてもう一つお聞きしたいのは、いつか新聞に、山梨県の勝沼町にあります大喜寺が、キツツキにやられている大きな写真が出て、文化財というものが非常に所々で危機に瀕しておるということが出ておったのですが、これも私は、ただ大善寺のキツツキだけの問題でなく、まだまだ防火設備が完備しておらぬところがある、あるいは美観をそこなわれるどころでなくて、最近のいろいろな道路をつくるとか、あるいは新しい建築をするとかいうことでもって、そこなわれるものがたくさん出ておると思うのです。私は、この大善寺のキツツキが穴をあけている姿を見たのですが、大善寺が一体どういう建物で、いままで文化財がこのことについてどういう努力をされたかもひとつお話し願いたいのですが、勝沼町あたりは観光地なんです。そういえば私にも責任があると思うのですが、この大善寺を利用して観光地とすることができるのですがね。そういう場合に、もし理解があれば、金網をその個所だけかけてもたいした金がかかるわけでなく、こういう心配がなくなるのではないかと思うのです。しかし、そういうふうな御指導が、いまの文化財の手をもってしてはできないのか、そういう点には無関心であるのか、おそらく無関心じゃないと思うのです。こんな点が至るところにあるのではないかと私は思うのですが、これについてひとつお聞かせ願いたいと思います。

福原匡彦文化財保護委員会事務局長

○福原政府委員 初めに、明治建造物につきましては、帝国ホテルに引き続き三菱旧一号館が取りこわしになっていくというような状態でございまして、御指摘のように、今後こういった形で次々にこわされていくのではないかということも懸念されますので、明治洋風建築の全国的な所在について、建築学会の協力を得まして調査いたしましたものを各県に連絡をいたしまして、各県の十分な認識のもとになるべく保存に努力してもらう、こういうことに努力してまいりましたけれども、さらに今回のことを契機に、あらためて建築学会に現在依頼いたしまして、さらにそれを類別と申しますか、ランクをつけてもらいまして、その中の大事なものについては、何とか十分な理解というものを深めまして、その土地にそのまま残っていくような措置を講じたい。そういう努力をして——東京が一番むずかしいのでございますけれども、地方の町並みといったようなものを残すことにつきましては、史跡指定をそういった方向にだんだん拡充してまいりまして、すでに山口県の萩などはそういう町並みの指定を行なっております。その他、現在保存されておりますそういったものが、将来取りこわされることのないようにあらかじめ手を打ちまして、これを指定してまいりたい、こういうふうに考えている次第でございます。  それから大善寺のキツツキにつきましては、実はたいへん弱っておるのでございますけれども、現在、キツツキの穴が五十ばかりあいておりまして、その中の二十ばかりは穴をふさいだ状態でございますけれども、私は知りませんが、参りました者には、国宝の建造物がこんな状態でいいのかというような気持ちを与えるような形になっておるのではないかと思うのです。これは新聞にも出ましたように、建造物課の者ともいろいろ相談しております。建造物課では県のほうにも連絡して、いろいろな対策方法について検討しているようでございます。まだ的確な対策が出てまいりませんので、お答えするには至りませんけれども、十分今後も対策につきましては研究してまいりたいと考えております。

小林信一日本社会党

○小林小委員 先ほど長谷川さんが指摘をしたように、これから新しくつくられる文化庁ですか、その中でこういう問題を解決してもらうのですが、実際もう皆さんがどれくらい御熱心にやっておられるか、私どもよくわかります。手が少ないことと金がないこと。これじゃ、せっかく次から次に改造しあるいは修理をしてまいりましても、次から次に破壊されていくような状態であるし、そしていまの近代化するということから、東京のこの二つの建物と同じように、なくなっていくものが非常に多くなるんじゃないかと思うのです。いまも建築学会の協力を得て、そして全国に明治時代のものを幾つか指定して、その保存のために協力するというのですが、これじゃもう建築学会の人たちもあきらめているみたいな感じなんですね。帝国ホテルを守る会とか、あるいは今度も旧一号館を守る会、こういうものを次から次につくって協力されるのですが、全く協力する張り合いがなくなっていくというふうな印象を私は持っているわけです。そして、やはりこういうものは、もっと総理大臣に私は強く訴える必要があると思うのです。明治百年なんということを言っていますけれども、こういうものは全然文化財の皆さんの小さな力にまかしておって、そういうものを壊滅させておって、何が明治百年だと私は言いたいと思うのです。明治時代のものについては、いま文化財は多少考えをいたしておりますが、たとえば、これは保護委員会で検討すれば価値がないものかもしれませんが、私の県に藤村式という建物がありますが、あれなんかを文化財に頼んで、何とか保存するような協力を願ったのですが、だめだ、こういうらく印を押されたのです。しかたがないから、地元の人とかあるいは県とかいうものがこれに対して、自分たちが自力でもって——これは藤村という県令が来たときに、初めて私の県へ西欧式の建物をつくったわけです。それで県庁をはじめ役場、そういうふうなものを全部この一様の建物でつくったのですが、それがどんどん改築されていく。心ある人たちが率先をして、これをいま二、三保存されておりますが、しかし、それもやはり何か文化財保護委員会あたりから、保存すべきものであるというふうならく印を押されればなおこれが保存されますが、しかし、また心ない人たちがこれを扱えば、私はなくなっていくと思うのですよ。そういうふうに建築学会が、学者の人たちがそういうふうなものを一々指摘してくれるでしょうが、しかし、それも私は非常にいまの状態では情けないものに終わりはしないかと思うのです。この際、私は明治時代のものというものをもっと考えていただきたいと思うのです。そして、そういうような心ある人たちの期待というものを裏切らないような施策をお願いしたいと思うのです。  以上で終わります。

中村庸一郎自由民主党

○中村小委員長 本日はこの程度にとどめ、散会いたします。    午後六時二十四分散会

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