文教委員会 第11号
- 発言数
- 62 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1968/04/19
会議録
○高見委員長 これより会議を開きます。 昨十八日付託になりました唐橋東君外八名提出の学校給食法の一部を改正する法律案を議題といたします。
○高見委員長 本案について提出者より趣旨の説明を聴取いたします。唐橋東君。
○唐橋議員 ただいま議題となりました学校給食法の一部を改正する法律案について、提案の理由と内容の概要を御説明申し上げます。 学校給食は戦後再発足してからすでに二十一年を経過し、この間、政府をはじめとする関係者の努力によりその普及率は次第に高まり、児童生徒の体位向上と国民の食生活の改善に大きな役割りを果たしてまいりました。しかしながら、国民的要望ともいえる義務教育諸学校の完全給食全面実施を実現するためには、現行制度において、学校教育における学校給食の位置づけ、学校給食実施上の責任体制、学校給食関係職員の設置基準、学校給食に要する経費の負担区分、給食用物資の供給体制等多くの改善すべき問題が残されております。 昭和四十二年度文部省調査による義務教育諸学校の完全給食の普及率は、小学校で全国児童数の八六・一%(八百十四万人)、中学校で全国生徒数の三〇・五%(百六十一万人)となっており、小学校に比べて著しく中学校が低くなっております。また、地域別に見た場合、栄養改善の必要性が高い農山漁村及び産炭地域での普及率が低いことは考えなければならないことです。この点については政府も昭和四十一年後半から僻地学校等に対する学校給食の特別措置を講ずる等、普及率の地域格差是正に努力しておりますが、現行制度の中では限度があります。戦後学校給食が再発足して二十一年を経た今日において、義務教育諸学校の児童生徒百五十五万人がいまだに学校給食の恩恵に浴していないということは、学校給食の実施が義務制となっていない現行法に問題があるからであります。この際、学校教育における学校給食の位置づけをより明確にするとともに、学校給食の実施を義務教育諸学校の設置者に義務づける必要があります。 次に、学校給食の給食内容について見ますと、現在の学校給食の形態は、ミルク、補食(ミルク・おかず等)及び完全(パン・ミルク・おかず)給食の三本立てとなっておりますが、その効果において完全給食がすぐれていることは言うまでもありません。学校給食の形態を完全給食一本に統一し、その給食内容の改善充実をはかる必要があります。 また、現在学校給食用のミルクは、価格と供給量の関係で国庫補助による輸入脱脂粉乳が大量に使用されております。昭和四十三年度の使用量は約二万六千トン(購入費国庫補助額十二億六百万円)が予定されており、これは昭和四十三年度義務教育の学校給食で使用されるミルク給食所要量の約四〇%に当たる量であります。残りの六〇%は牛乳(約百五十五万石、脱脂粉乳換算四万トン)が使用されることとなっておりますが、これについても二合当たり五円の国庫補助金(総額七十七億六千万円)が農林省予算に計上されております。この学校給食用牛乳に対する国の助成措置は昭和三十二年度から実施されており、年々その供給量は増大しております。この際、脱脂粉乳に比較して栄養価と児童生徒の嗜好の点においてまさっている牛乳を学校給食用として使用するよう義務づける必要があります。 次に、現在の学校給食費は、貧困家庭等の児童生徒を除き父母負担となっております。その負担額は、国の学校給食用物資に対する助成措置にもかかわらず、昨今の相次ぐ消費者物価の上昇にともなって増加を余儀なくされ、昭和四十年度文部省調査によれば、小学校児童一人当たりの平均年額は五千六百五円となっております。この額は父兄が支出した学校教育費の三六%に当たるものであります。 この際、学校給食を通じて児童生徒の心身の健全な発達と義務教育の内容の充実をはかり、あわせて教育費父母負担の軽減に資するため、給食費を全額公費負担とする必要があります。 次に、学校給食関係職員の設置状況についてであります。 昭和四十二年度文部省調査によれば、学校栄養士の設置率は、義務教育における完全給食実施校(約二万三千校)の一割弱となっております。このため、本来栄養士が行なうべき栄養管理業務をはじめその他の学校給食に関する事務も教員が行なっております。私どもの調査によれば、学級担任教員で週当たり五時間前後、特に給食係教員の場合週当たり十五時間以上の超過労働になっております。 また、給食作業員の設置については、小規模体をはじめとして一般の学校においても不十分な実情にあるため、校長やときには父母が学校給食の調理作業に動員されるといり事態も起きております。このような状態では学校給食の円滑な運営は期待できません。 この際、栄養士、給食事務職員及び給食作業員の設置を義務教育諸学校の設置者に義務づける必要があります。 最後に、学校給食の施設設備等に対する国の既成措置について見ますと、現行の学校給食の施設設備整備費補助は、開設の場合に限られております。既開設校における施設設備の改善充実が必要とされる現在、これらの学校の施設設備の拡充、更新等の場合にも国庫補助の道を開く必要があります。 また、学校給食の実施を義務制とすることによって増大する義務教育諸学校の設置者の負担を軽減するため、現行の貧困家庭等の児童生徒を対象とする学校給食費補助または栄養士に限られている給食関係職員の設置費補助を拡充する必要があります。 以上が本法律案を提案したおもな理由であります。 なお、牛乳の学校給食の円滑な実施をはかるため、学校給食の用に供する牛乳の買い入れ及び給付等について特別の措置を講ずる必要がありますので別途学校給食の用に供する牛乳の供給等に関する特別措置法案を国会に提案し、その審議をお願いしております。 次に本法律案の概要について申し上げます。 第一は、本法の目的を、学校給食を通じて児童及び生徒の心身の健全な発達と義務教育の内容の充実をはかるとともに、国民の食生活の改善に寄与するため、学校給食の実施に関し必要な事項を定めることにしております。 第二は、義務教育諸学校の設置者は、当該義務教育諸学校において学校給食を実施しなければならないものとし、学校給食の給食内容は、パン、牛乳及びおかずとすることにしております。 第三は、国立及び公立の義務教育諸学校の設置者は、政令で定める事由がある場合を除き、当該義務教育諸学校に栄養士、給食事務職員及び給食作業員を置かなければならないこととし、私立の義務教育諸学校の設置者は、栄養士、給食事務職員及び給食作業員を置くようにつとめなければならないことにしております。 第四は、学校給食に要する経費(他の法律の規定により国または都道府県が負担するものを除く。)は、義務教育諸学校の設置者の負担とすることとし、国は、公立及び私立の義務教育諸学校の設置者が負担する学校給食に要する経費(私立の義務教育諸学校の設置者については、栄養士等の設置にかかる経費を除く。)の二分の一を補助することができることにしております。 第五は、この法律は、昭和四十四年四月一日から施行することとし、学校給食に要する経費の負担等について必要な経過措置を講ずるほか、関係法律について所要の規定の整備を行なうことにしております。 以上が本法律案を提案いたしました理由及び内容の概要であります。何とぞ十分に御審議の上、すみやかに御賛成くださるようお願いいたします。 ————◇—————
○高見委員長 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の通告がありますので、これを許します。有島重武君。
○有島委員 前回、昨年末の国防教育に関する灘尾文部大臣の発言につきまして、世間では、これは非常に前時代的な、いわば富国強兵的な軍備に通じていくような考え方であるというふうに理解している。これに対しまして大臣のお考えをさらにわかりやすく誤解のないように説明して公表なされるようにと申し上げましたところ、これは釈明の必要はない、一度言ったことはどう解釈されようともかまわないというのではなしに、父兄や教員たちの戸惑いをなくすためには積極的に努力すると申されまして、ごく近い将来において国防について大臣のお考え方を公表されるという約束をいただいたわけでございます。質疑の中で幾つか重要な点がございましたので、再確認して先に進みたいと思います。 その一つは、すでに何べんか繰り返して説明いただきましたおことばの中で、国防と言ったのは、これはプリミティブな意味で、だれでも本来持っている国を愛する、国を守る心、意識のことを言ったのである、そういうお話がございました。もう一つ、国防、愛国といっても、すべて日本国憲法及び教育基本法にのっとるのである、そういうお話もございました。また、国防というのは、広くいえば経済の力、文化の力、軍事力等を含む、そういう意味のお話もございました。なお、あの発言は記者会見の席上、ことばの吟味もしないで平素の考えを述べたにすぎないというお話もございましたが、これにつきましては、あの発言が現在すでに大きな反響を呼んでしまったという結果から考え直してみますと、そのことばの意味とお考えの内容をよく再吟味して誤りのないように発表するという必要性を一そう強める結論になった。そういうような次第でございましたけれども、以上のことを確認してから進みたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。
○灘尾国務大臣 国防ということから、実は私はものを申したわけじゃないのであります。したがって、有島さんのお尋ねで、国防と言ったのはこういう意味だということではなくて、私は国を守ると言ったのはこういう意味だ、こういうようにひとつ御了解を願いたいと思うのであります。そのほかの点につきましては、特に申し上げることはございません。
○有島委員 ただいま、国防というのではなくて国を守るという心である、そのように御訂正がございました。その他の点はいまのでよろしゅうございますね。 それで、あの際にこちらから申し上げました点、国を守るという概念は昔といまとではだいぶ違うのではないか、それでこんな話が出まして、黒船の脅威の前に日本という運命共同体を保持していこうという明治時代の国を守るという考え方、それからすでに地球上に蓄積された核爆発の破壊力の強大なものであるという認識の前に、人類という運命共同体を保持しようという現在の国を守るという意識とはだいぶ違うのではないか。つまり現在世界人類の危機に目ざめて、何がほんとうの国を守るということになるのかということを考えておる人と、同じ現代に生活しながら明治時代流の古い感覚でもって過去の国を守るという心を考える人との違いは、これはいわば明治時代の先覚者であった坂本雄馬だとかあるいは福澤諭吉だとか、そういう人と、あるいはその当時の時代おくれの旧藩主に義理立てしておったいなかざむらいほどの違いがあるのではないか。それからブリミティブな国防の心というのは、これは現代の青少年でもだれでも、だれに言われなくても自己保存的な自己防衛的な、あるいは仲間を守っていく、あるいは住んでいるところを愛するというような心情は持っておるけれども、政策以前の心の持ち方ということに限って考えても、片寄った狭い世界認識による国を守るという心はかえって結果が反対になる点があるのではないか、国を破り身を滅ぼすような結果になるような点もあるのではないか。そういうわけで文部大臣としての御発言としては、プリミティブな国防の心、国を守る心というのは、そういっても本能的な無自覚な防衛というようなものではなくて、やはり広い正確な世界認識の上に立った防衛の心である、国を守ろうという心持ちを育てていきたい、そういう意味ではないだろうかという話が出ましたときに、大臣はこれは肯定されまして、いまの教育は世界における日本という認識を持たせる方向でやっておるのだ、子供たちが成長の度合いに応じて正しい世界認識を持つように、そのもとになる心は幼いときからつちかっていかなければならない、そういうふうに言われたと思います。この点はこれでもってよろしいですか。
○灘尾国務大臣 そういったような心情と申しますか、意識と申しますか、どういうことばが適当であるか存じませんが、そういう気持ちを子供のうちから養い育てていくことが必要ではないかということを申し上げたわけでございます。つまり、中にはそういう気持ちはだれでも持っておるのだ、自然に持っておるのだ、こういうお話もございます。あるいはそうかもしれません。しかし、そういうことを持っておるとすれば、やはりこれを正しく導いていくということが教育の場においては必要ではないかということを私は頭に置いてものを申したつもりでございます。
○有島委員 本来持っておるそうした心の芽を正しく導いていくのが教育である、そういうようなことでございますね。
○灘尾国務大臣 大体そういうことでございます。
○有島委員 ただいま申し上げましたことは、先日いろいろお話し合いの中の要点でございますが、大体これでよろしゅうございますか。——それでは先に進みたいと思います。 結論的に申しまして、国を守るという心は、彼ら自身が属する社会あるいは彼らの信じる信念なり思想が、守るに値するものであるということを確信したときに、初めて国を愛する、国を守っていこうという姿になっていくんじゃないか、こういうことがいわれております。先日のお話し合いの経過をたどって総合的に考えてみますと、平和憲法の擁護者であり、教育基本法の行政に当たられます文部大臣というお立場からすれば、現代の国防というものは、国を守るという心のあらわれは、形の上からいえばいろいろな分野にわたっている。経済にも、軍事力にも、文化の力にも、これはあらわれてくることだと思いますけれども、その中でも特に文化の発展による国威の発揚が国を守る心の一番中心課題になるんじゃないか。まさか軍事力を一番主体に言っていらっしゃるのではないと思う。ですから、灘尾文部大臣の御発言の真意がその辺にあるのじゃないかと私は考えたいのでございますけれども、その辺はいかがでございましょうか。
○灘尾国務大臣 どうも私がもう少しよく頭を整理して、そうして私の考え方をまとめてお話を申し上げたほうがあるいはよろしいのじゃないかという気もするのであります。記者会見の席で、ただ平素思っていることを話したというところから出発しての話になりますので、何となしにものがふぞろいになっておるような気もいたすのであります。したがって私は、今後むしろ私のものの考え方を整理して、そうしていい悪いは別としまして、私の考え方をまとめて発表するような機会があれば、あるいはそれも先ほど申し上げましたように必要なことではないかとも考えておりますが、とかくふぞろいなことばかり申し上げておるようでまことに恐縮に思っております。 いまのお話の中にもありましたが、守るに値する国でなければならぬじゃないかというお考えも確かにあると思うのでありますが、私は、守るに値する国でなければ国を愛する必要はないんだというような考え方はいかがであろうかと思います。むしろ、守るに値する国をつくりあげていく、このことが大事なことじゃないか、それがいわゆる国を愛するゆえんじゃなかろうか、このようにも思っておる次第であります。日本には、申し上げるまでもなく日本国憲法あり、また、それに基づいての教育基本法もあるわけでございます。現在の教育はこれにのっとってやっておるつもりでございます。その憲法の大きな理想をわれわれは追求していかなければならぬと思います。いろいろな理想、目標も掲げられておりますけれども、何と申しましても、いわゆる戦わざる国家、あくまでも平和を追求していく国家として、世界の中で偉大なる日本、こういうことが私は新憲法の大きな理想じゃないかと思うのであります。そういうふうな一つの憲法の大原則というようなものを踏まえまして、またそれに従って教育基本法というものができており、そういうものを踏まえて教育を進めていくというわけでございます。そういう大きな理想を達成するために、われわれの国というものを愛していく、あるいはこの国のために尽くしていく、あるいはこの国を守っていく、こういうことが必要なことではないかというふうな考え方が根底にあるわけでございますが、とかくふぞろいなことばかり申し上げておりますので、もう少し私の頭の中も整理いたしまして、適当な方法でこの考え方を世間の皆さんに知っていただくということも考えてみたいと思っております。
○有島委員 自分たちの属する国が守るに値するものであるということから初めてそこに愛国心が起こるのじゃなくて、みずから理想を掲げて守るに値する国をつくっていこうとする心を育てていきたい、そういうことであります。それは非常によくわかります。それからさらに、大臣のお考えをまとめて体系的にこのことを発表したい、そういったこともよくわかりました。 それで、いまの私の質問の中心は、憲法の精神あるいはいまの教育基本法の精神にのっとっていきますと、愛するに値するような国をつくっていく、その一番の基本になることは、国を守る中にもいろいろな種類、分野がありますが、現代の日本においては武力によって紛争を解決しない、文化の力によって世界じゅうの人たちを納得さしていくといいますか、共感さしていくというか、そういうことが一番の中心課題になるというふうに、私、憲法を受け取っておりますけれども、そういたしますと、文部大臣のおっしゃった国を守る心というものの内容は、文化的な発展というところに一番重点を置いて考えていってよろしいかどうか、その点を伺ったのであります。
○灘尾国務大臣 ことばの問題になってくるような気もいたします。お心持ちも私とそれほど違っておるとは私は思っておりませんけれども、日本がほんとうに名誉ある偉大な国として成長していくということが、世界の中における日本の地位をますます高くし、またかたくする道であろうというようなお心持ちじゃなかろうかと私も思うのでございますが、そうであるとすれば、いま有島さんのおっしゃる、いわゆる文化を中心にしてりっぱな文化国をつくっていくというようなお考えにつきましては、私は別に異存はございません。私もそのように思っておるわけでございますが、私としましては、これらの大きな理想——日本の憲法をその大きな柱として、始終いわれておりますことは、いわゆる民主国家であるとか、あるいはまた平和国家であるとか、あるいはまた文化国家であるとか、あるいはまた福祉国家であるとかいうようなことがわれわれの日本の進むべき大きな基本の線である、こういうふうにいわれておりますし、私もそのように考えておるわけでございます。そういうふうなりっぱな国に仕上げていくということが、むしろ今後のお互いの努力じゃなかろうかと思うのでございます。今日、現実の世界の中において日本があるわけでございますので、やはりこの現実の中における日本というものを考えましたときには、ただ単に平和国家とか、文化国家とか、福祉国家というだけでは済まないものがあるのじゃなかろうかと思うのでありまして、やはりこの国を安全のうちに守り育てて、いま申し上げましたような新憲法の理想とするところを実現していこうというようなことが、日本国民に課せられた大きな使命ではないかと思うのでございます。そういうところに、やはり国を守るとか、あるいは国を育てるとか、こういうふうなことばが生まれてくると私は思うのでございます。その考え方の基本におきまして、有島さんのお考えをまたよく伺いたいと思いますけれども、私はそれほど違っておるとは思わないのであります。文化ということをおっしゃいましたけれども、その文化ということにいろいろな意味をもちろん含めてのお話だと思いますので、それほど違った考えではない、このように感じておる次第でございます。
○有島委員 その点はまたよき御発表を楽しみにしております。 それから、いま国を守るということと、国を愛するということばがございましたけれども、愛用らということばについてもう少し伺っておきたいのでございますが、愛国心というと、生活環境が一緒であるとか、それから考え方が似ているとか、あるいは生活様式そのものが同じだ、少しあいまいなんでありますけれども、共通な運命の中に置かれてしまうというような連帯意識と申しますか、共感、いわゆるコンセンサスでございますね、そういうようなものが土台になっておるのではないか。これは客観的な理解のしかたであると思うのでございますが、江戸時代なんかの狭い閉ざされた地域的な連帯意識、あるいは士農工商であるといったような階級的な連帯意識、そういうものが海外からの圧力に反応して一つの混乱状態におちいって、それが次の新しい世界の中での日本の国土、そういった連帯意識、または天皇を中心にした血族という連帯意識、いままでの藩の殿様を中心にしたものではなくて、そういった一次元大きくなった連帯意識の上に明治時代の愛国心というのは築かれてきたのではないか。これもこの前ちょっとそういった話が出ましたけれども、それで、こういった連帯意識というものは非常に共通の危機意識というものと関連があると思います。もう一面には、交通だとか、情報の交換、伝達の速度ということとも非常に密接な関係があろといわれております。第二次世界大戦以後の核の開発だとか、それから電子技術の発達によって、現実的には人類がほとんど一つの運命共同体になっているということは、これは客観的にいえることじゃないかと思います。にもかかわらず、客観状態がそうなっているのに、そうした自覚がまだ普遍的になっていない。一時代前の地域的な連帯意識だとか、感情的なあるいは生理的な民族意識と申しますか、あるいは貧富の差によるおのおのの連帯感の対立であるとか、そういったものがいま非常に雑多に入り組んでおって、対立したままでもってこんとんとしている状態にあるのではないかと思うわけでございます。一つ全学連の問題なんか考えましても、ここには思想的な一つの信念が連帯感になっておるか、立ち入ってみますと、必ずしもそうではない。そこにはかなり盲目的なといいますか、本能的なごく感情的な共感でもって動いておるというような、見かけの上の統一行動のように、幾つにも一次元の違ったものがそこに発見できるのではないかと思うわけでございます。 それで、大臣は国を愛する心と言われました。その心の底には、現代の日本人の共通した大きな連帯感を体系づけて一つの調和をつくっていきたいという強い責任感に立っての御発言じゃなかったかというふうに私は拝察するわけでございますけれども、そういった点はいかがでございましょうか。
○灘尾国務大臣 いわゆる愛国心ということについていろいろお話があったわけでございますが、これはやはりその国、その国によって事情が違いましょうが、日本は日本としての歴史というものから生まれてきておると思うのであります。また、その愛国心というものがどういうものであるかということは、基本は私は同じであるといたしましても、この愛国心の発露というようなことを考えますと、やはりそのときそのときの状況によって発露のしかたは違ってくるだろう、かように考えるわけでございます。 いまおっしゃったように、世界じゅうが共通の運命のもとにあるという御認識も確かにあろうかと思いますが、と同時に、われわれが新しい国づくりを開始するに際しまして、世界が一つである、あるいはまた、そのために国際連合というような組織、機構も生まれた。また、そういうことをわれわれは信頼いたしまして、戦争の放棄というようなことを断行いたしたわけでございます。しかしながら、現実の世界はなかなかそのように動いていない。一つになるというのが、現在はむしろ逆の方向に行っておるのじゃなかろうかというような気持ちもいたしておるわけでございます。そのようにいろいろ複雑に変化する世界情勢の中で、日本が日本の基本的な目標とする大きな路線をどういうふうにして走っていき、りっぱな国を建設していくかということをお互いに考えていかなければならぬと思うのでございます。愛国心というものは一つであるとしましても、私は、その発露の形態というものは、情勢によっていろいろ変わりが生じてくるものと思いますけれども、願わくは、いま申しましたような国の大きな目標を達成するために、お互いが協力していかなければならないのが現在の日本ではないか、かように考えておる次第でございます。 もちろん、いろいろな意識の段階もありましょうし、あるいはまた意見の相違もありましょう。しかし、そういうことも、やはり国が平和に徹する、平和を追求していく国として考えましたときに、ことに民主主義というものが一つの大きなわれわれの進み方の基準になっていると思います。すべての問題は、お互いに国内において民主的に解決をいたしまして、そうして手を携えて進んでいくというこの姿が、私どもまことに望ましい姿ではないかと思っておるような次第でございます。
○有島委員 国の現状、それから伝統、そういったものを踏まえて、それから理想と現実という問題があって、そうしてこれから理想に向かって国をつくっていこう、そういう向きの連帯感ということが望ましいのだということを仰せられたと思います。 ここに、これはNHKの調べでございますけれども、現在の日本人が日本についてどんなような感じを持って自分たちの国を考えているかという手がかりになると思いますので、ちょっとここに持ってまいりましたけれども、国にとって何が一番重要であるかといったときに、経済力と答えたのが四〇%、生活水準というふうに答えたのが二二%、知的能力、勤勉さ等であるということを考えたのが一七%、文化水準であるということを言うのが七%、軍事力であると答えている人が六%です。それからあとは人口と面積であるとか、これはほとんどありません。全然わからないというのもそのようにございます。大体経済力であるということを答えたのは、二十歳以上、二十五歳以上、三十歳以上、三十五歳以上、四十歳以上、五十歳以上、六十歳以上、七十歳以上、これはずいぶんこまかく刻んで、各年齢層にわたって調査しておりますけれども、これはほとんど一致しておる。といたしますと、現在われわれが日本国といっている世界にある一つのエリアと考えたとき、何が国家主体であるかといったときに、ほとんど経済主体であるという認識のしかたが一般化されてしまっているのではないか。これは外国に行ってもエコノミックアニマルであるというような評判を立てられておる。現在まではそういうことであったんでしょうけれども、今度文部大臣の立場として、これは少し片寄っておるんじゃないかとお考えにはならないかどうか、ちょっとその点御意見を。
○灘尾国務大臣 どうもだんだん御質問がむずかしくなってくるのでお返事にも困るわけでありますが、やはり一般的に申して、私は現在の日本国の、ことにまた若い世代の国民というものが経済という問題に非常に頭を使っておるということはいえるのじゃないかと思います。それが一がいに悪いとかなんとかいう意味で私は申すのじゃございません。自分の生活を豊かにし、自分の生活をしあわせにするということから申しましても、あるいはまた一国の文化その他を進めていく上から申しましても一、つまり国民全体の幸福の増進ということから考えましても、基本的な力はやはり経済力がなければならぬということになってくると思うのでございます。そういう意味で経済という問題はいかなる場合においても重視していかなければならぬと思います。ただ、特に経済、経済と申しますのは、一つには、日本の発展のためにまずもってひとつ経済力をつけなければ、というふうな経済の努力というものが、今日までのお互いの努力の中の大きな要素を占めておったと思います。自然そういうことが多くの人たちの意識にのぼってきておると思うのでございますけれども、私は、率直に考えますれば、経済はなるほど必要である、経済力がなければ何ごとも思うようにできないという意味においては必要でございますけれども、それが人間の目標であるのかどうなのか、人間の生活の目的であるのかどうなのかということになりますれば、経済は、お互いの生活にしろ、また国民全体のしあわせを高めていくにしろ、それはやはり手段である、このように私は考えます。したがって、経済だけがわれわれ個人の、また国民のすべてではない、こういうふうに私は思っているわけであります。どこまでも大事なことではありますけれども、しかし、結局それは一つの手段として重要な意義を持っておる、こういうふうに考えます。
○有島委員 経済は、人間の生活にとっても国にとっても大切な条件である、手段である、けれどもそれが目的ではないというようなお話でございますけれども、私、質問いたしましたのは、このような考え方に全部おちいっておるということが、文部大臣という立場からして望ましいことかどうかということです。それはいまのお答えで大体わかると思うのです。これは非常に示唆に富んだ一つのデータであると思いますので申し上げたのですが、教育の中でも、入学難ということは金次第になっているわけであります。文教問題の中でも、今度教特法が出ることになっておりますけれども、こうした問題が一番大きな問題となってくるわけであります。 それから教育行政ということからもう一段上がって政治そのものですね、何を一番重んじているか。そうすると、これは経済を重んじているのか、あるいは経済の中に繰り入れられてしまったような印象さえ受ける。これは日本ばかりか、もう少しまた次元を上げてみまして、いわゆる自由主義諸国という一つの主体性というもの、いままだはっきりは仰せられておりませんけれども、その他のほんとうの人間的な要素のための手段であることが、その手段のほうが大きくなってきて、その手段のためにきりきり舞いしている状態が、昔から見ればこれだけ豊かになっておるにもかかわらずまだ続いておる。ところが、このごろではその限界が見えてきたのではないかというふうに見られる点がございます。それはアメリカのジョンソン大統領の一つの行き詰まりということが大きく報道されております。そういったような一連の事象、これがいまやはり反省期に入らなければいけないんじゃないか。そうして本来は一体一番何が大切なのか、そういう一つの価値観といいますか、新しい目標といいますか、そういうものが全体に、特に日本の青少年たちにとって共感できるような一つの目標が現在どうしてもほしいんじゃないか。そういう共感がないところから、むだな対立によって非常に不毛な論議がいつまでたっても空転のまま繰り返されることが多いのではないかと思うわけであります。いま大臣のお答えの中では、これだけが目標ではなくて、手段であるということですが、じゃあ目標は一体何であるか、そういった点についてはどういうふうにお考えになりましょうか。
○灘尾国務大臣 これはむしろそういう方向の問題になりますと、有島さんの教えを受けなくちゃならぬのじゃないかと私は思って、実はお答えをするのにはなはだ面はゆい気持ちがいたしておるわけでございます。私どもはどこまでも俗人でございますので、とかくものの考え方が俗っぽくなってくるおそれがたぶんにあるわけでございます。したがって、申し上げる次元もあるいははなはだ低い、こういうふうなおしかりを受けるかもしれませんが、まあわれわれが考えましても、経済、経済でやってきた。そこで国内においても経済主義が非常に横行して——と言えば語弊があるかもしれませんが、そういう風潮がある。また外国から見まして、日本に対しまして、先ほどのおことばにもございましたが、あるいはエコノミックアニマルであるとか、あるいはトランジスタのセールスマンであるとかいうふうな批評を外国人がしたとかどうとかいうような話も出てくるわけであります。外国人の目から見ましても、その点においてあまりにも日本人は経済的過ぎやしないか、こういうふうな批判があるのじゃないかとも思われるわけでございますが、そういうふうな点から考えまして、先ほど有島さんがおっしゃったように、やはり一つの反省の時代に入ってきておる。つまり経済だけが万能じゃないのだ、やはり人間というものは精神といいますか、そういう方面が大切なのだ、少なくともいわゆる昔の人のことばでいえば、経済も大事であるけれども、精神はそれに劣らずもっと大事なものだ、こういう気持ちがだんだんと起こってきておるように私は思います。同時に、そういうふうにあらねばならぬと私自身は考えております。経済の奴隷になるというのではなくて、私は、自由なる精神が十分に活発に働き得るような人生が望ましいと思うのであります。そういう観点からいたしますと、従来のとかく経済、経済に流れておりました現在の風潮というものの中に、宗教あるいは倫理、道徳、こういったふうな精神的なものがみなぎってこなければ、りっぱな日本国民ということにはならないような気がするのであります。また、その観点からいたしますならば、いまの若い者はという批評だけでは済まない。むしろ、いまの若い者はという前に、いまのおとなはというような考えのもとにあらゆることを考えていかなければならぬのじゃないか、こういう気持ちがいたしておるということを申し上げたいと思います。
○有島委員 ただいま大臣がお答えになりました一番最後の問題でございますけれども、おとなたちの頭の切りかえということが、これは非常に大問題でありますけれども、これがいまの青少年とおとなたちとの間の大きなみぞをつくっているのじゃないか。青少年の持っている、ほんとうに実感しているところと、いままでのいろいろの経過がございましたそれゆえに、どうしてもここまで日本を持ってきたのだというおとなたちの感覚との間に大きなずれのあることを、客観的にこれは認識していかなければならないときじゃないか。むしろ、これはおとなたちのほうが歩み寄るといいますか、勉強していかなければならないときじゃないか、その先頭に立っておられるのがやはり日本の文部大臣ではないか、そのように私は思うわけでございます。 それで、幾つか紛争がございます。大学の問題は大学の中でもってやっていきたいというような意向があったのは、これは非常にけっこうなことだと思いますが、これは昔から——昔からでもないけれども、私が国会に出ましてから非常にふしぎに思っておりましたことでございますが、教員たちのグループである日教組と文部省側とが話し合いをしようということがあった。ところが、これはいつも、話し合ってもむだだという、そういうことでもって話し合いがなされない。先日も文部省が会談を断わった理由として、日教組の言い分というのは誤解に基づいておるのだ、そういう報道になっておりました。これはどういう誤解に基づいておるのか。誤解に基づいているのだとおっしゃったですね、じゃ、どういう誤解なのか、そのことを私は伺いたいと思うのでございます。
○灘尾国務大臣 文部省と学校の教師との間に対立があるとか、あるいはときに抗争をするとかいうような姿が望ましいものでないことは申すまでもないところであります。私は、やはりわが国の教育のことを進めてまいりますためには、みんなが協力しなければならぬというのが基本的な考え方でございます。つまり、われわれのあとをになってもらう若い人たちを教育するという仕事でございますし、これは国民全体がみんな関心を持っておる問題でございます。学校の先生方も、あるいはまた教育行政を担当する行政機関も、また国民全体も、その共通の目標があるはずなんです。つまり、われわれのいいあと継ぎをつくっていくという共通の目標はみんなあると私は思うのであります。そこで、お互いに協力し合っていくということが何よりも望ましいことだと思っておるのであります。したがって、いろいろな面においてあるいは対立するとか抗争するとかいうような姿は決して好ましい姿とは思っておりませんがただ、不幸にして今日までの経過から申しますと、なかなかそのようになっていない。この点はいかにも残念なことに思うのであります。私は、文部省のやることにつきましてもいろいろ御批判をいただいております。そういう文部省のやり方につきましても、もちろん反省すべきところは反省しなければならぬと思うのでありますけれども、ただ、文部省が何かものを言えば、すぐそれが押えるのだとかなんとかいうようなことではなく、あるいはまた、それが日本の独占資本の手先であるとか、アメリカの手先であるとかいうようなものの考え方でなしに、すなおに受け取ってもらいたいと思うのであります。したがって、文部省の申すことにつきましても十分御検討を願って、その上で穏かにお互いに話すという話ならば、別に私は絶対に日教組と会わぬとかなんとか、そんなかたくなな気持ちを持っておるつもりはございません。しかし、最初からこれはアメリカの手先であるとか、独占資本の手先であるとかいうふうなことで、あるいは何かすればすぐ軍国主義に移るのだというようなことで、中身も十分御検討願わないですぐに反対的な態度に出られる場合も往々にしてあるのであります。こういうことははなはだ好ましくない。文部省が誤解だと申しましたのも、われわれの提案したものについて十分な理解を持って判断をしていただいておるかどうかというところに、文部省としては疑いを持つのであります。そういうふうな意味でそういうことを申したように私は思うのでございまするが、願わくはそういうことでなく、お互いに打ち開いた気持ちになって、そしてともどもに日本の子供のことを考えるというような姿が実現することを、私としましては心から期待をいたしておるわけでございます。私のほうに間違いがあればもちろん是正するにやぶさかではございませんけれども、日教組の諸君も、ひとつ従来の行き方は変えていただきたい、こういうふうに心から念願をいたしております。
○有島委員 そうすると、会って話すのには初めから誤解があるからということですが、その誤解の中身というのは、文部省がものを言えば、たちまちこれは権力で押えるのではないかということが一点、それからまた最初から、これは独占資本の犬であるとか、アメリカの手下であるとか、そういうきめつけの上からの発想であるから話にならないのだというお話がございましたね。それで、示された法案の内容をよく検討して、それでもって話し合うというならばいいんだ、それから教育という次の時代の人たちを守り育てていこうという、そういった大きい共感の上に立って話ができればそれでいいんだ、そういうお話でございますね。私どもは日教組の方にもお目にかかりました。そしていま問題になっております重要法案についてのいろいろな御見解も伺いましたが、私どもが考えていることと非常によく似た点もございます。それからまた、そうかけ離れて理想的なことを言ったって現実にはこうじゃないかと思われる節も多々ございます。これはいわば理想主義派であってもいいわけでございますから、そういった見解なり主張なりということは食い違っていてもいいんじゃないかと思うのです。事実国会においてはこうやってほぼ円満に審議が進められるわけでありますから、それで、いまこうやって大臣と私はここまでかなり共感を持って詰めることができたわけだと私は喜んでおるわけなんでございますが、昔からいままでの経過はともあれです。いま新しい時代に入っておるのだ、そういうことをやっているような時代じゃないのだ、明治維新のときのいなかざむらいみたいな姿では困るのだ。それで、ひとつここでもって気持ちを新たになさって、日教組からの提案をお受けになってお話し合いになってはどうか、そのことをお考えになったらどうかと思うのでございますが、いかがでしょうか。
○灘尾国務大臣 御親切な御忠告だと思うのでございますが、これにはまたいろいろいきさつもございますし、日教組の諸君に対しまして、私ではございませんけれども、何代か前の文部大臣もいろいろの接触をなさったことがある。また、いろいろ御注文をしたこともあるわけでございますが、そういう問題については何ら誠意ある御回答はいただいておらない。大臣がかわるたびに、ある大臣は会う、ある大臣は会わないということもおかしなことで、したがって、私の基本の気持ちはいま申し上げたとおりでございますけれども、現実の行動ということになりますれば、いろいろな点を考え合わせていかなければならぬということでございますけれども、少なくとも日教組の諸君は、イデオロギー的な立場に立ってかれこれものを考えないようにひとつお願いを申し上げたい。それぞれの方はいろいろな思想はございましょう。何十万という教員の中にはいろんな考え方があると思うのでございますけれども、いまもって私は日教組の諸君が、一つの例をあげればあの倫理綱領を撤回されたというお話を伺っていないのです。あの倫理綱領というものは、少なくとも全国民がともどもにものをやっていくというためには大きな障害をなすものではないかと思っております。
○有島委員 第一点の、いままでのいきさつがいろいろあるのだ、経過があるのだ、代々の大臣がとってきた態度ですね。ここでもってくずすということも軽率にはできないというのでありますけれども、それはさっきの問題で解決済み、いままでの経過はどうあろうとも、いま一つの新しい時代に入っているのだという認識の上に立ってもう一ぺんお考えいただけないかと申し上げたわけでありますが、それはもう一ぺん考え直してみるということはどうでしょうか。
○灘尾国務大臣 私の先ほど申し上げましたことは、昔も今も将来も一変わらないと思っております。基本的には前からそういう考え方なんです。それがなかなかそういかないというところに悩んでいる。
○有島委員 永遠不滅の誤解であって、これは大きなことです。これは生徒側にしても父兄側にしても非常に気になる話でありまして、教育そのものに対してやはりその内容を詳しく知っている人、知らない人、いろいろあると思いますけれども、これはやはり不信感のもとになっておる。それで、先生の言うことは聞いていきたいけれども何だというような、そのまますなおに聞いていかれないような、子供たちにとって不信感が——対立感といいますか、そういったものがなかなか解消されないと非常に——これをどのように解消していくかという努力をどちら側かしなければならないものです。 たとえば、ただいまあげられました倫理綱領でございますが、これが確かにそれこそ全国民の共感によってささえられておるものか、あるいは一部の片寄ったイデオロギーであるかということについては、検討しょうと思えばいつでもできることじゃないかと思うのです。一つのアンケートを出せばいいのじゃないかと思うのです。そこに幾つかの摩擦が起こってやっかいなことになるかもしれないけれども、いつまでもこのままの、さっき過去も現在も未来にわたってもだめなんだと言われましたけれども、二つの思想の対立だといわれておった世界情勢が、いま純粋な自由主義というようなものもなくなりつつあるし、共産圏である東欧圏においても、五〇%は自由を目ざしておる、とにかくどんどん情勢が変わっているわけであります。では、現在の日本の情勢の中において、あのような倫理綱領というものがほんとうの国民の共感によってささえられるかどうかということを検討してみようじゃないかということも、これは一種の歩み寄りの努力に通ずるのではないか。そういうふうに思いますけれども、何か方法を考えていくということはできないでしょうか。
○灘尾国務大臣 誤解のないようにお願いしたいと思うのでありますが、私が、過去も現在も将来も変わらないと申しましたのは、教育という問題は関係者がみんな協力するという姿でいかなくちゃならぬ、こういう心持ちを申し上げておるわけであります。日教組との関係が未来永劫いまのような形であっていいというふうに考えておるわけでも何でもございません。しかし一、二の例をあげて申し上げますれば、私の何代か前の大臣が、日教組の諸君に対しまして話し合いをしようとかしないとかいうふうな、特に倫理綱領はひとつやめてほしいとか、あるいはまた実力行使はやめてほしいとか、あるいは政治的な中立をひとつ守ってほしいとかいうふうなことを御注文申し上げた。それに対して日教組側もいろいろ御意見はあるのでしょう。あるのでしょうが、それに対して誠意ある回答はまだ文部省はいただいておらない。そういうふうなことでありますので、なかなか従来のいきさつもあり、今後のこともあり、そう簡単に身を処することはむずかしいということを御理解をいただきたいと思うのであります。基本的な気持ちは先ほど申し上げたとおりでございます。
○有島委員 教員にせよ、文部当局にせよ、教育者たちが協力をし合っていかなければならぬということは古今不滅のことである。ただいま問題になっております点は、文部省側としてはこういう注文を出した、向こうではこう言っておる、それだけのことでありますね。それだけのことと言っては申しわけないけれども、まるで子供のけんかみたいな感じが、時代がたって大きな目から見れば見えるのではないか。そこにどっちかがどうしてそれほどこだわるのかという一つの根拠を探っていくということが必要であり、いま、できる限りの国民的な立場といいますか、客観性といいますか、そういうものに立って努力が踏み出されるべきものではないか。それは考えられない、こっちのこういった条件に向こうは回答してこないからというのでは、これは国と国との間でももう少し協調していこうという——学校教育法などを拝見しますと、「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」、そういうふうになっておりますけれども、国際協調どころではなしに、国内において解決できない問題がその一番基本のところであるということは非常に重大なことではないか。いまその努力を何か始められる御意思はないかどうか、もう一度伺います。
○灘尾国務大臣 先ほど例にあげました私の何代か前の大臣が日教組の方にお示しした問題というようなことは、私は日本の教育を進めていく上から申しましてきわめて大切なことだと思うのであります。そういうふうな問題について何ら省みるところがない、これでは声のかけようもないということになってまいります。あるいは有島さんからごらんになれば、小さな問題ではないかというふうにおとりになるかもしれませんけれども、日本の文教行政の上から申しますと、そのような問題はお互いが協力していきます上におきましては非常に大きな障害となるものである、私はそういうふうに考えておるわけでございます。願わくはそういうことをさらっとして、ほんとうに虚心たんかいにお互いに話ができるというふうな姿ができればけっこうな話だ。もちろん、個々の教員と教員の組合と私は混同しようとは思っておりません。混同しようとは思っておりませんけれども、教員の組合のあり方につきましても、いままでのようなああいうやり方をいつまでも固執し、継続せられるということであれば、私はまことにおつき合いしにくいという気がいたすのであります。
○有島委員 ただいまの御発言の中で気になりますことは、声のかけようがないということであります。それはほんとうに五つの子供と五つの子供と対立しておるというならばしょうがないけれども、また、声をかけなくてもいいという話ならばそれでいいと思うのです。現在のこちらの力では声のかけようもないけれども、それでいいというわけにいかないですから、どちらかがこれを解決する方向に努力を始めなければならないと思うのです。とすれば、それこそ先ほどの愛国心の問題でちょっと触れましたけれども、さらに大きい一つの共感といいますか、あるいは世論の力と申しますか、そういうことでもって現在は解決できるすべがあるのじゃないかと私どもは思うわけでございます。たとえばアメリカにおいても、タカ派だハト派だといって、ほとんどこれは相いれない状態であったのだと思います。それが経済的ないろいろな客観情勢も変わってきたということもありますけれども、向こうの世論調査ということも非常に大きな力があったのじゃないかと私は思います。それで文部省側の言い分の根拠になっていること、それをやはり一段と明らかに国民の前に知らしていくということが大切なことであると思うのです。それからまた、日教組側の固執しておられる点について、これがどのくらいほんとうに子供たちのためになっているか、また国民の共感を得られているかということについて、これを客観的に調べることができるのじゃないでしょうか。もう一度お伺いいたします。
○灘尾国務大臣 だんだんの御忠告でございますが、決して粗略には考えておりませんけれども、そう簡単にはまいらないということが、私の現在置かれておる立場でございます。ただ同時に、日教組のあのイデオロギーというものが個々の教師にどういう影響を与えておるかということになりますと、おのずからこれ、また問題は別だろうと思いますけれども、私は少なくとも一国民の方々の判定はついておると思うのであります。
○有島委員 そう簡単には、まいらない、それから国民の判定はすでについておると思う、そう思っていらっしゃることが、やはり客観的にこうであるという裏づけを持たなければ、向こうに通用しないわけであります。国民はそう思っておると大臣が確信していらっしゃるならば、それをいつまでも放置していることは非常に不親切なことです。子供たちに対して非常に冷酷なことであります。そういうように私は思います。
○灘尾国務大臣 私は、日教組の標榜しておられますところの教師の倫理というような問題については、大多数の国民はこれに共感を覚えていないということを確信いたしております。
○有島委員 確信しているならば、その確信がただ確信にとどまらないで、一つの行動化された形でもって現在の教育界を救っていくという姿でなければならぬのじゃないかと思うのです。御自分だけが確信していて、あとはそう簡単にはいかないので、声のかけようもなくて立てこもっていらっしゃるというような印象を受けるわけでありますけれども、これはまずいと思います。
○灘尾国務大臣 文部省は毎日のように努力しておるつもりでございます。ただ、それに対して誠意ある回答を寄せていただけないのが日教組であります。
○有島委員 文部省では毎日努力していらっしゃるそうであります。それでは聞きましょう。毎日努力をしていらっしゃるんですね。
○灘尾国務大臣 それが文部行政でございます。
○有島委員 毎日努力していらっしゃるんですね。いまの日教組と文部省との対立、深いみぞ、日本の教育の一つのガンになっているこの問題について、毎日努力をしていらっしゃる、それでは具体的にはどういうことをやっていらっしゃるのですか。
○灘尾国務大臣 私は、日本の教師の研修にはつとめておるつもりでございます。文部行政はその精神でもってやっておるのでございます。
○有島委員 いまのお答えはお取り消しになったほうがいいのじゃないかと思います。そう簡単には引っ込められないでしょうが……。このことは、もう一ぺん冷静に申しますと、その努力がまだ客観性のある努力となっていないのじゃないかと私どもは思います。その証拠として、解決しないのだから、距離が縮まっていかないのだから、その努力のしかたについて一そうのくふうを加えられる余地があるのではないか、そういうふうに私は痛感するわけなのでございますが、新たなくふうを加えていくということについて、たとえば世論調査をしてみるとか——文部大臣の確信がそうであるなら、それでもいいのです。それからその確信のその意に反してこういう結果が出た、それは文部省の考えとも違った結果だというなら、それでもいいと思います。ですから、そうした努力を一ぺんくふうを加えられて始められたらどうか、そういうふうに思いますが……。
○灘尾国務大臣 お気持ちはよくわかっております。よくわかっておりますが、文部省としましては、あのようなものの考え方の教師諸君では困るのであります。したがって、教師諸君が教師らしく正しい姿において教育をすることを望んでいる、そういう意味において文部行政は進められている、このようにお考え願いたいと思うのであります。日教組と私どもの間の関係の問題につきましての御親切な御忠告でございまして、私どもとしましても、決しておろそかに承ってはおらぬつもりでございますけれども、しかく簡単にそれではどうなるというようなものではない。関係が改善されることを望んでいるということは先ほど来申し上げているところであります。なかなかそう簡単にいかないというところにわれわれの悩みがあるということでございます。
○有島委員 私は別に親切で言っているんじゃないのですよ。これは子供たちにとって、親たちにとって非常に問題であるから言っているわけであります。そうして日教組もそういう考えでは困るのだ、困るならどうかすればいいじゃないかということになるわけです。困るのだ、困るのだといってそのままずるずる何年もたっている。もっと困るのは父兄ですよ。子供ですよ。それで、その困ることを解決していく方向に——いままでの行きがかりがいろいろあって簡単にいかない、簡単にいくなら別にお願いしませんよ。ですから、これは非常にむずかしい問題であろうが、灘尾文部大臣の今度の御就任については、国民はいろいろな点でもって期待しておったと思います。先ほども国を守る気持ち、あるいは国を愛する気持ち、そういうことについて、これをはっきりと体系づけて発表してくださるというお約束もございました。それも、こうした問題をよりスムーズに解決していく一つの前提になると思います。それがこの問題を、そういう態度だから困るのだ、困るのだ、これは文部大臣としてはあまり望ましきお答えでないのではないか。困るというのは、それはわれわれが言う話なんですよ。困るのを解決してくださるのが、その衝に当たるのが文部大臣じゃないか、そう思うのでございますが、その点いかがですか。
○灘尾国務大臣 その解決がなかなかむずかしいので、実は困っているということを申し上げているわけでございます。
○有島委員 むずかしいということは十分わかります。お困りになっている点もわかります。それだからいままでの態度を続けていく、いままでの努力のしかたを続けていく、そういうことなんですか。困るから一歩踏み出して一つのくふうを加えていったらばどうか、そう言っているのです。
○灘尾国務大臣 なかなかそのくふうができないので困っておるのであります。
○有島委員 わかりました。なかなかくふうができないので困るのですね。そういう大臣が、この問題は困難であるからなかなか解決できないで困るというような問題が起こったときにはどうなさるのですか、手続があるはずです。
○灘尾国務大臣 いかんともしがたい問題だと思います。
○有島委員 諮問機関をおつくりになるなり、そういったような方法は残されているじゃないですか。それから、さっき申しました世論調査を一ぺんやってごらんになったらいかがでしょうか、それだけの確信があるのでしたら。それはいかがですか。
○灘尾国務大臣 いろいろまたお教えもいただきたいと思いますけれども、現在、いまお話しになりましたように諮問機関をつくって解決する、あるいは世論調査をして解決するというような問題ではないように私は思っております。
○有島委員 どうしてですか。
○灘尾国務大臣 これはむしろ日教組に聞いていただきたいと思います。
○有島委員 ここには日教組がおりませんので、まあ日教組のほうにもそれは伺いましょう。だけども、その理由を御存じだからそういうことを言っていらっしゃるのだと思います。どうしてなんでしょうか。
○灘尾国務大臣 どうしてどうしてとお聞きになりましても、解決がむずかしいから私はむずかしいということを率直に申し上げておるわけなんでありますから、これ以上お答えのしようがないのでございます。
○有島委員 むずかしいからむずかしい、それは客観的には認識の問題ですよ。これからどうにかしていかなければならない、これは意欲の問題ですよ。その意欲があるとはおっしゃるけれども、いままでの意欲では解決できない一つの限界を感じていらっしゃる。それであれば、この非常に大切な問題について、これは私にはとてもできないのだ、国民の前にそういうように表明されなければならない。それで方法はあるじゃないか、こういったことをおやりになったらばどうか、そう申し上げているのですけれども、その意欲がないのじゃどうにもしようがない。
○灘尾国務大臣 何度お答え申し上げても同じことになるのじゃないかと思います。私はいまの状態がいいとは思っておらぬのです。何とかしたいと思うのです。ただ、それに対しまして何か私が行動するとするならば、やはりその行動それ自体についてよく考えなければならぬ。ただ何かすればいいという問題じゃない。そういう意味におきましてなかなか適切な解決方法が見当らぬ、このために悩んでおるということを先ほど来申し上げておるわけであります。そういうふうにひとつ御了解願いたいと思います。
○有島委員 その点は私ほぼ了解しておるつもりなんでございますけれども、じゃあ大臣の御苦衷については私は非常に理解が足りないでありましょうか。大体そのことは了解しておるつもりなんですけれども、その点が違うのだと言われてしまえばこれはお話にならないわけです。非常にむずかしい問題である、困った問題である、解決困難な問題である、そのことは私も千分承知しておるつもりでございますけれども、私のその理解のしかたでもってまだ足りないというのならばお教えを願いたい。
○灘尾国務大臣 何とかしたい、何とかこうありたい、こう思いましても、それが現実に何とかなるということには必ずしもつながってこないのであります。そういうことで、この問題がきわめて重要な問題であるということは十分承知いたしているつもりでございますけれども、事実、私は率直に申し上げておるのです。いいかげんなことを飾って申し上げているのではないのです。むずかしい問題だということを率直に申し上げまして私のお答えとしておるわけであります。これをほうっておいていいとか、このままでいいとか、そういう気持ちで言っているのではないけれども、解決策というものはなかなか得にくいきわめて困難な問題である、そういう認識を私は申し上げているわけであります。そういうわけで、率直に申し上げますれば、いかにも熱がない、消極的だというふうにあるいはお考えかと思います。また、そういう御批判があるいは当たっているかもしれません。しかし、私自身としましては、この状態がいいというつもりでものを言っているわけではないのでございます。何とかうまく関係が改善されて、先ほど来私が申し上げましたような気持ちでお互いに議論することもけっこうです。お互い意見を戦わすこともけっこうでありますけれども、まるきり別世界に住んでいるようなものの考え方では困るというようなことにも実はなるわけであります。あるいはこれはことばが過ぎるかもしれませんけれども、そういうような点でほとほと手をやいているというのが現在の状況でございます。こういう気持ちだけはひとつ御理解をいただきたいと思います。
○有島委員 私、いま伺いましたことは、いまの状態の認識が大臣とお話する資格がないほどまだ浅いのだったらば、いろいろなことを教えていただきたいと申し上げたのですよ。その点では大体お認め願えるとすれば、このアンケートについての御提案は、実は対日教組の問題と離れまして前劔木文部大臣に対しまして御提案申し上げたことがあったのです。 教育基本法について、昭和二十二年、ほんとうに終戦のごたごたのときにこれが制定された。昔の教育と違って今度は平和憲法に基づいた民主教育をやっていくのだ、そういうような希望に満ちた基本法でありましたけれども、これが二十年たたった今日、社会情勢、社会認識の上からいって、もう一ぺんこのことばの意味を明らかにしないと非常に誤りを生むのではないか。たとえば「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」第一条でありますけれども、ここでもってたとえば人格の完成というけれども、これはいろいろなふうに考えております。また、真理と正義といいますけれども、この真理と正義についていまここで非常にむずかしい問題が起こっているわけであります。これについて私として申し上げたことは、真理はこのように読むべきであるとか、正義というものはこういったものであるとか、そういう統一見解をつくれということではなしに、正義なら正義ということについて、大体こういった階層のこういう立場の人はどういうことを考えているか、教育に関して言いますと、文部当局の大体の考え方、そして文部当局の方々からこういったアンケートに回答してもらいたいわけです。それから教育者の中にもいろいろな教育者がおります。父兄の中にもいろいろおります。また子弟の中にもいろいろおります。こういった大ざっぱにいって四者があって教育がいま行なわれているわけでございますけれども、いままでのアンケートといいますと、どっちかというと青少年だけに出されたり、教師である者にだけ出されたり、そういうようなものでございました。広く各階層にわたって基本的な問題のアンケートをおとりになってはどうか、そういうことを御提案申し上げました。そのときに劔木文部大臣は、昭和四十二年度は一つの計画ができておるけれども、来年度すなわち四十三年度にはそういうことをやってみたい、そういうお答えがございました。 それと大体同じような行き方の考えなのでございますけれども、いまの日教組との問題でございますけれども、そうした一つの、いままでと違った前向きの試みを一歩踏み出されれば、これは事の解決するしないということとは別に、父兄側としても、教師側としても、やはり一つの新しい時代が来て、いままでのこんなことではいけないのだというような一つの有効な反省を与えるよすがになるのじゃないか、そのように私は思っておるわけでございます。少しお考えいただけないでしょうか。
○灘尾国務大臣 御提案と申しますか、お話の点につきましては、私は一つのサジェスチョンである、こういうふうに伺ったわけでありますけれども、しかし、これをやるかやらぬか、やるとすればどういうふうにしてやるか、あるいはそれが実際問題として適切な回答を得る道であるかどうか、こういうふうな問題につきましては、なお私どもといたしましては今後検討さしていただきたいと思います。ここでとかくのことを申し上げることはかえって失礼に当たるかと思います。十分検討の上でこの問題を考えてみたいと思います。
○有島委員 大臣がその点について検討してくださるというお話でございます。それで検討して、検討した中間なりでけっこうでございますけれども、こうした態勢で検討し出した、具体的にこういうふうに検討し出したということを知らせていただきたいと思います。とかく検討しておきますということが、時間が非常に延びてしまったり、あるいは忘れられてしまったりということがいままでもしばしばございましたので、灘尾文部大臣に限っては私は絶対にそういうことはないと御信じ申し上げたいわけでございますから、必ず踏み出していただきたい、それをお願いいたします。 それでは、まだ一点私学の問題で具体的なことをいろいろ伺いたいと思っておりましたけれども、時間の関係がございますので、あと留保させていただきまして、以上をもって私の質問、きょうは終わります。
○高見委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後零時二十四分散会