懲罰委員会 第3号
- 発言数
- 3 件
- 登壇者
- 2 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1968/03/28
会議録
○堀川委員長 これより会議を開きます。 去る二十二日、院議をもって付託されました議員穗積七郎君懲罰事犯の件を議題といたします。 まず、鯨岡兵輔君から、懲罰動議提出の理由について説明を求めることにいたします。鯨岡君。
○鯨岡議員 私は、ただいま議題となりました議員穗積七郎君の懲罰を求むる件について、その趣旨の説明をいたしたいと思います。 すなわち、穗積七郎君は、去る三月六日、衆議院外務委員会において、主として沖繩返還後の基地のあり方について、佐藤総理大臣に対し質問中、総理を指さして、「あなたは売国者です。あなた、佐藤さん、こちらを向きなさい。」と、語気鋭く、驚くべき暴言を吐いたのであります。また、同君は、その質問中、このほかにも「売国的」云々の言辞を弄しております。 私ども提案者は、この穂積議員の暴言は、国会法並びに衆議院規則に抵触して、議会の尊厳と議員の品位を傷つけるものと思考し、ここに懲罰の動議を提出いたしたのであります。 秋田外務委員長は、当日この発言のあと、直ちに「穂積君の発言中不穏当のところがあれば、速記録を調べた上善処します。」と述べ、一日おいて八日午前十時から午後九時過ぎまで延々十一時間にわたりまして、穂積君の名誉に関することでもあるとの理由から、特に秘密理事会を開いて、本件の解決に精力的な努力を尽くしたのであります。しかるに穂積君は、自分の外交的信念と所論は絶対に曲げることはできないとの態度を変えず、われわれの要求した委員会での陳謝文の朗読について、これを拒否なされたのであります。秋田外務委員長は、本件の解決に善処を約したたてまえもあり、各党の外務委員会理事とともにその解決に最善の努力を尽くしたことは言うまでもありません。特に理事会では、民社党並びに公明党の理事それぞれから調停意見が出されたのでありますが、社会党並びに穂積議員はこの調停案を拒否し、いたずらに問題の解決を引き延ばし、何ら反省と誠意ある態度を示していただけなかったのであります。そこでやむを得ず外務委員会理事会での話し合いは打ち切られたのであります。かくして、私どもは賛成者の同意を得て、本動議提出に踏み切りましたのが、この動議提出までの経過でございます。 いやしくも、国会の委員会という公式の席上で、一国の総理大臣を売国者ときめつけるがごときは、総理大臣という地位に落して無礼であることは申すまでもなく、日本国と日本国民に対する侮辱的暴言であるといわざるを得ないと、われわれは考えるのであります。同時にまた、かかる無礼の言辞は、国会の品位を傷つけること、これよりはなはだしいものはないとも思います。われわれは、民主政治の健全なる発展のために、何よりも国会の尊厳を保ち、議院の品位を重んずることに意を用いなければならないと思います。この意味から、議員穗積七郎君のこの暴言と、その後の反省するところなき態度は、そのままにしておいてよいものとは思いません。国会法第百二十一条第三項の手続に従って、議員穗積七郎君懲罰の動議を提出せざるを得なかった理由は、ここにあるのであります。 穂積君は、申し述べました秘密理事会の席上、その暴言のよって来たった原因等について、るる開陳するところがございました。その後新聞その他にも、日本の平和のために憂慮のあまり、この言を用いたかのごとくに申しておられるようでございます。 私どもは、穗積七郎君のみならず、全野党の諸君が、日本の平和を願う心きわめて切なるもののあることを信じて疑いません。そして私どもは、穗積七郎君及び全野党の諸君もまた、私ども与党の議員全員が、野党の諸君と同様に日本の平和を願っていることを信じていただかなければなりません。そしてそのことは、私どもばかりではないのであります。戦争の苦しみ、戦争の悲しみ、戦争の不幸を十二分に経験した日本国民は、だれ一人戦争を憎まない者はないと思います。その日本国民から選ばれたわれわれは国会議員であります。いやしくも国会議員である以上、一人の例外もなく、その心に平和を願っているであろうことは何人の疑いも許さぬところであります。 しかしながら、われわれが思わねばならないことは、ただ、平和を願い、戦争を憎んでいても、戦争は必ずしもわれわれを避けて通りはしないということであります。しからば、すなわち、ただ平和を願い、戦争をきらうというだけでなしに、いかにすれば平和を守り得るか、戦争を防止し得るかという現実の問題を政策として、われわれは真剣に考えなければなりません。 ここで人々の意見が分かれるのであります。日米安全保障条約しかり、沖繩における基地もまたしかりであります。それのあることが日本の平和のために必要であると考えるか、あるいはまた、それのあることが日本の平和のために害になると考えるかの相違がそこにあります。しこうして、ただそこにはその相違があるのみでございます。それは当然、この意見の相違は、一方が平和を願い、他方は願わぬという相違ではございません。平和を願う心は君もわれも変わりはないのであります。ただその願うところの平和をいかにして守るかという手段に関して意見が違うのでございます。君はわれの考える手段を不適当と思います。同時に、われは君の考える手段を適当だとは思わないのでございます。これは手段に関する相違であって、目的に関する相違ではございません。君もわれもひとしく平和を願うことを認め合いながら、さて、そのひとしく目ざす目的を達する手段として、いかなる道を選ぶことが成功の見込みがより多いかとの、いわば技術的の問題としてこれを取り扱うことによって、われわれは無用の興奮を避け、より論理的にそして能率的、効果的に理論を進めることができると私は思うのであります。 彼の手段がわれの選ぶ手段と同一であることをわれは切に望みます。しかしながら、もし不幸にしてそれが異なっていても、それは彼の自由であります。だが、その場合、その反対説を抱く者がその動機において平和を欲しないものであるかのごとく言ったり、その者を平和の敵であるかのごとく言ったりすることは、それは許されることではありません。おのれ一人が平和を求める者であって、他を平和に対する敵であると考えたり、断言したりすることは独断であり、僭越であり、しこうして幼稚でもあります。もし、かく考え、かく言う者が、真実そのように思ってこれを言うとすれば、私は、その者の常識を疑わなければなりません。そしてまた、その道理を十分に承知しながら、あえてそれを言うとすれば、私はその人は公明正大な性格の人とは申せないと思うのであります。 議員穗積七郎君は、最高の学問を修められた知識人であります。しこうして、同君はまた、学生時代から今日なお公明正大なるスポーツを愛するスポーツマンであることをわれわれは知っております。その穗積七郎君にして、今日かくのごとき暴言をほしいままになさったのでございます。私どもこの動議の提案者は、同君のために、まことにこのことを残念に思うのであります。 すなわち、私どもは、なぜに穗積七郎君が佐藤総理に対し、あえて売国者と言ったか、その動議や理由についてこれを責めているのではないのであります。このことは十分に御理解を願いたい重要な点であります。それを言えば、穂積君には穂積君の言い分の十分あるであろうことをわれわれは知っております。東愛知新聞の三月十二日号には、「動議、受けて立つ」という見出しで、穗積七郎君が、その国会報告会で、次のように言ったと報ぜられております。すなわち、「私の発言は、言葉はともかく、その本質において誤りないことが理解されて、方々から激励をいただいている。」と、こういうふうに申されておるのであります。重ねて申しますが、私ども提案者は、穂積君の考えておられるその内容を問題にしているのではございません。「ことばはともかく」と簡単に言われますけれども、この際私どもが問題にしているのは、そのことばでございます。もし、穂積君において、私のこの趣旨説明のあと、いわゆる一身上の弁明をなさろうとの御予定がおありでございましたならば、この点については、どうか特段の御留意を賜わりたいと思うものでございます。 すなわち、内容について言うのであれば、穂積君と同じような内容のことを考えている人の絶無でないことをわれわれは知っています。ただ、われわれが、その考え方、内容に賛成しかねるというにすぎないのであります。問題なのは、穂積君の考えていることに異なるからといって、すなわち、目的に至る手段が異なるからといって、その目的を疑い、穗積七郎君が、神聖なるべきこの国会において、しかも公式の席上で、議論の相手を最大級の悪口、すなわち売国者というようなことをもってののしったという事実であります。かくして、議員同士がお互いに尊敬も理解もしないで、ばり雑言を投げ合うとしたら、議会の尊厳も、議院の品位も地に落ちて、ために政治は信を国民から失うに至るでありましょう。われわれが問題にしているのは、実にそのことでございます。 近年、テレビジョンの発達と普及は、国内至るところの家庭に対して、瞬時にして国会論争の姿を写し送っていることは御承知のとおりであります。しこうして、このことは、民主政治発展のために非常に喜ぶべきことであるとわれわれは常に思っております。しかし、それだけに、私どもはその言動に特に慎み多くなければならぬとわれわれは考えておるのであります。一国の総理や閣僚に対して、質問をする者の態度やことばに、礼を失する点はないか。国民の多くは、もっと礼儀正しくできないものであろうかと、このことを不愉快に思っているであろうことを私は信じて疑いません。口を開けば、その言うところ、もし、市井無頼の徒と選ぶところなく、その言の用いられざるや、暴力に類する行為にいずること、しばしばであれば、国民はついに民主政治に絶望を感ずるに至るでございましょう。私どもが、議会政治擁護を念願なさる皆さんとともに憂慮にたえないのは、実にこのことであります。 シドニー・ウエップは、いまを去る四十六年の昔、一九二二年六月、労働党の大会において、「わが党は一九二六年までに絶対多数党になるつもりであります。これからの労働党員は、その言動についていよいよ責任を持たなければいけません。党の政策を実現する手段として相手を罵倒することは、ただわが党の品位を傷つけるのみならず、何の益するところはない。暴力は、いかなるとき、いかなる場合にも断じて許されません。すべては、選挙民の頭数を数えることで決定されるので、頭をたたき割ることによってきまるものではない。それが民主政治というものです。」と演説をいたしております。 考えなければならないのは、これがいまから五十年も前のイギリスの話であるということでございます。これを思い、転じて今日のわが国の議会の様相を思うとき、私どもは、憂慮ひとしお深く、むしろ焦燥の感なきを得ないのであります。 われわれ議員は、憲法第五十一条によって、議院で行なった演説、討論または表決について、院外でその責任を問われないということになっております。また、憲法第五十条によって、国会の会期中逮捕されないとも規定されております。しかし、このことは、言うまでもなく、何をしてもいい、何を言ってもいいというのではございません。憲法第五十八条は、議院は、会議その他の手続及び内部の規律に関する規則をみずから定め、みずから定めて、院内の秩序を乱した議員を懲罰することができると規定しておるのでございます。これが議院の自律権もしくは国会の自律権と呼ばれるものでございましょう。すなわち、議会は他から何らの拘束を受けることがないのであります。それゆえに、みずから律することきわめて厳でなければなりません。これは当然のことであります。その点にもし欠けるところがあれば、議会はついにその機能を失い、しこうして国民の信を失うに至るでございましょう。衆議院規則第二百十一条は、議員は、互いに品位を重んじなければいけない、互いに品位を重んじなければいけないと規定しております。詞規則の第二百十二条では、議員は、互いに敬称を用いなければいけない、互いに敬称、敬うことばですが、これを用いなければいけないとも定めております。また国会法第百十九条では、議院において、議院において無礼の言を用いてはいけない、無礼の言を用いては、礼を失することばを用いてはいけない、こういうふうに規定しております。同百二十条では、「侮辱を被った議員は、これを議院に訴えて処分を求めることができる。」、こういうふうにも規定してございます。品位を重んずるとか、無礼の言動を用いてはいけないとか、敬称を用いなければいけないとか、これらはすべて国会における自律権の規定であります。今日、そのきめられている自律権がきわめてあいまいに見過ごされているきらいはないか。院内はもちろん、国内における識者ひとしくこれを憂えていることは御承知のとおりであります。 かくのごとき事態が、何らの反省もなく、また、すでに定められているのですから、その定められている規則にのっとるところの処分が何もなく、じんぜん日を送るに至らば、議会政治の崩壊は火を見るよりも明らかであると、私どもはこのことを心配するのでございます。 議員穗積七郎君の乱暴な発言を決してそのままにすべきではないとなして、これが懲罰を求めんとする動議提出の底に横たわる思想の根源は、実にその議会政治崩壊に対する憂慮、心配、これにほかならないのであります。 何とぞ、党派の別なく、このことに深い御理解を願い、日本の議会政治の健全な発達のために、この委員会において十分な御調査をお願いする次第であります。 提案理由の説明を終わります。(拍手)
○堀川委員長 以上をもちまして、趣旨説明は終わりました。 ただいまの趣旨説明に対する質疑は後日に譲ることといたします。 次回は、来たる四月二日、火曜日、午後一時より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後一時二十四分散会