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55回国会衆議院1967/06/06

沖縄問題等に関する特別委員会 第10号

発言数
62
登壇者
7
会派数
3
開催日
1967/06/06

会議録

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 これより会議を開きます。  沖繩その他の固有領土に関する件について調査を進めます。  本日御出席の参考人は、南方同胞援護会会長大濱信泉君、及び南方同胞援護会評議員末次一郎君であります。  この際、委員長より、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところ本委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございます。昨日は立法院議員の方々から現地の実情等について親しく御意見を拝聴いたし、また懇談をいたしたのでありますが、引き続き本日は、去る三月から約二カ月間にわたって渡米され、沖繩問題の根本解決をはかる方針について米国政府、議会関係及び民間各方面の有識者と会談され、率直な意見の交換を行なってこられました両参考人から、忌憚のない御意見を承りますれば、まことに幸甚に存じます。  それでは、これより両参考人より御意見を承ることといたします。  初めに、南方同胞援護会会長大濱信泉君にお願いいたします。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 ただいま委員長から御紹介がありましたように、沖繩問題につきまして、アメリカの官辺筋、国防省並びに国務省の人々、さらに、上院、下院の沖繩問題に関連のある外交委員会、軍事委員会等の委員の方々、なお、極東問題に多少関連があり、アメリカの世論形成に影響力を持っておると思われます学者のグループ、さらに、アメリカの外交政策に大きな影響力があるかと思われますカウンシル・オブ・フォーリン・リレーションズ、あるいはニューヨークにおける日本協会、ワシントンにおける日米協会等、個別的にあるいはグループ討議の形式で、約百名近くの人に会って沖繩問題の話し合いをしてまいったのであります。  どういう内容のことを話し、それに関してどういう反応があったかということを申し上げる前に、どういう立場でこの問題に取っ組んで話をしてきたかということを明らかにしたいと存じます。立場と申しますのは、私がこの問題に取り組む資格の問題で、それがひいてはとの問題に対処する姿勢の問題にも関連するかと思いますので、その点を申し上げたいと存じます。  私は別に政府の公の使節として交渉に参ったのではないのであります。資格としては民間人としての資格でありますが、しかし、総理府の外郭団体であります南方同胞援護会の会長の地位にあり、さらに、総務長官の諮問機関として設けられました沖繩問題懇談会の座長であります上に、かたがた私自身が沖繩出身者としまして、従来沖繩問題、ことに日本政府の沖繩に対する援助等につきましては、進言または助言等をしてまいっておる立場にあるものであります。その意味では、非常に社会的に重い責任がありますと同時に、今回アメリカに参りますにつきましても、総理大臣並びに外務大臣にお会いをしまして、こういう趣旨でアメリカに行くのだという御了解を得、激励されて参ったのであります。その意味においては、単なる一私人であるわけではなく、多少公の意味が加味されているかと思うものであります。  ところで、この沖繩問題は、御承知のように、軍事基地と不可分の関係にありまして、軍事基地に触れることなしにこの施政権問題に触れることはできない関係にあるのであります。そこで、軍事基地の存続を肯定するか否定するか、どういう立場をとるかということによって、おのずから意見の内容が違ってこようかと思うのでありますが、私は、立場上、この平和条約が日本の国会の批准を経て、それに基づいてアメリカが施政権を持ち、その施政権に基づいて軍事基地を設定しているということ、さらに、軍事基地が東洋の平和の維持に大きな役割りを果たしておるということを日本政府が従来認めておられるのじゃないか、また、ひいては日本の安全保障の上でも沖繩の基地というものが大きな役割りを果たしておる不可欠のものだという方針を政府がとっておられるのじゃないか、そのワク内で私の立場では問題と取り組まざるを得ないという制約があるのであります。  その前提の上に立ってこの施政権問題に触れたのでありますが、まず会った人々のおもなる人々を申し上げますと、政府関係では、大統領特別補佐官のロストフ、それからジョルデン、それから陸軍長官のルーサー、陸軍次官補のホルト、それから国務次官のロストフ、国務次官補代理のバーガー、それから国務省文化担当国務次官補のフランケル、国務省日本課長のスナイダー、国防次官補のマクノートン、それから国防総告のホランド、同じく国防総省のハルペリン、官辺筋としてはこういう人々に会ったのであります。国務長官並びに国防長官にもぜひ会いたいと思ったのでありますが、これはなかなかアポイントメントがとれませんでした。どうもアメリカの常識としては、一民間人の立場で行った場合に、長官が直接大きな公の問題で会うということはあまり例がないという考え方があるようであります。しかし、できるだけ、せめて国防長官だけには会いたいと最後まで努力いたしたのでありますが、それが会えなかったのであります。  それから、議会方面では、上院のハワイ選出のダニエル・井上、それから、院内総務のマンスフィールドには会えませんでしたが、その補佐官のバレオ、それから、外交委員長のフルブライトも前にも面識のある人でありましたので、ぜひ会いたいと思ったのですが、なかなか会えませんで、その補佐官のジョーンズという人に会ったのであります。なお、下院のほうは、院内総務のアルバート、それから外交委員会のザブロッキー、軍事委員会のプライス、それから議長のマコーミック、そのほか、マツナガ、それからミンク、こういう方々は、議長を除いては昼食の席上でグルーブでお会いしたのであります。  学界関係は多数の人に会いましたが、おもなる人を申し上げますと、前駐日大使でありましたライシャワー博士、それからカリフォルニア大学のスカラピーノ教授、それからスタンフォード大学では、バスとか、前に公使をしておりましたエマーソンだとか、スナイダー、ポール、それから二世の方々でありますけれども、向こうの教授をしております池信孝、高瀬保、そういう方々にお会いしたのであります。なお、コロンビア大学では、大学のファクトリー。クラブで極東問題の研究者十人ほどと話をしました。その後、あるところで、総長のカーク博士をはじめとして、沖繩問題、極東問題の専門家が四、五人来られまして長時間にわたって懇談をしたのであります。そのほか、スタンフォードやカリフォルニア大学で、セミナー形式で私の意見を述べ、それに対するディスカッションをしてまいりました。なお、帰りがけにハワイに寄りまして、ハワイのイーストウエストセンターを訪れまして、この問題について日米両国の学者グループが集まって討議をするというような機会をつくれぬかということを提案したのでありますが、イーストウエストセンターの責任者は、これはまさしくセンターが取り上ぐべき問題である、ぜひそういうふうにやりたいということで、それは今後連絡をしまして実現したいと考えておるのであります。  さて、以上の前提のもとにどういう内容のことを申し上げたかと申しますと、アメリカの沖繩統治というものは、御承知のように二十二年の長きにわたっておるのでありますが、当初の七年間はいわゆる軍事占領、一九五二年から平和条約に基づいてアメリカ側が行政、立法、司法の全権を握るという体制のもとにアメリカの施政下に置かれておるのであります。このアメリカの沖繩統治というものは、私ども見まして、確かに明るい面と見ていい面もあることは否定できない。けれども、他面暗い面もある。明るい面と申しますのは、この二十二年間アメリカが沖繩に関してその社会の秩序を確保し、さらに財政援助、また軍事基地というものが沖繩の経済に大きく寄与しておりますので、そういうことから沖繩の住民の生活水準の向上、経済の繁栄に寄与しておることは、これは認めなければならぬし、これは明るい面と言っていいかと思うのであります。けれども、第一、独立の民族国家がその領土の一部を引きさいて住民とともに他国の支配下に置くということは、これは人類の歴史にあまり例がないし、いかにも不自然な姿である。沖繩の住民はこれをどう受け取ったかというと、この平和条約に切りかえられた際に、日本は、沖繩の社会ももちろんそうでありますが、敗戦に伴う精神的の虚脱状態にあって、経済的窮乏、社会的混乱の中にありましたので、さほど抵抗を示さずにアメリカの施政というものを受け入れたということはいえると思うのでありますが、しかし、だんだん生活が安定してくるに従って、沖繩の住民は、自分たちの置かれておる地位の特異な点に疑惑の念を抱くと同時に、元来一つの誇りある歴史と伝統を有する民族が他の民族の支配下に置かれるということに対して、支配される、統治される側からいえば、民族の誇りの上、尊厳の上から、とうてい耐えられない非常な屈辱感を感ずるのは、これはもう自然の成り行きで、世界の至るところに例がある。のみならず、この二十二年間のアメリカの統治を振り返ってみると、必ずしも公正を得ておるとはいえない面がある。たとえば、現地に来るアメリカの人々には、どうも沖繩というものを勝利に伴う戦利品であるかのごとき意識を持って臨んでおるかと思われるような面がある。もちろん、そういうことはアメリカの政府の政策ではないだろうけれども、しかし、住民からいえば、現地に来ておる個人個人を通じてその国を判断する以外にはないので、そういうことが非常に反感を生み、また、常時七、八万の軍隊が常駐しておりますので、そのことからいろいろなトラブルが住民との間に起こる、また、いろいろな犯罪が行なわれる、これの処理のしかたというものがはたして常に公正であったかというと、必ずしもそうではないので、公正を疑われるような面も少なくないし、アメリカは非常に民主主義というものを誇りに言っておるけれども、しかし、施政の現状について見ると、アメリカの民主主義を疑わせるような現象がちょいちょいあるわけで、そういうことが非常に住民のアメリカの施政に対する不信不満の情を引き起こす根源になるのだということ、さらに、アメリカは財政的の援助をし、それから基地というものが沖繩の経済に非常に寄与しておるということを常に誇示されるけれども、確かにある面においては事実であるけれども、しかし、日本の最近の経済成長から、日本本土内におけるあらゆる面の改善進歩というものに照らしてみると、やはり沖繩はあらゆる面において後方に置かれておる。たとえば教育の施設、設備の面について見ても、日本本土との間には大きな格差がある。また、生活保障、そういう面について見ても、ほとんど沖繩には見るべきものがない。あらゆる面において日本本土との間に格差が生じているので、これが、沖繩の住民の立場からいえば、アメリカの施政に対する非常な不満の原因になるわけで、このままの状態で推移するということになると、だんだん現地で反米運動というものが起こってくることは、これはもう抑えようがないのだ。しかも、根底においてこれは民族感情に基礎を置いておることだから、これを無理に押えることはできないのだ。また、日本本土内においては、アメリカのやり方、政策に対して批判的の勢力もあるわけで、その立場から見れば、沖繩というものが、反米感情をあおり、反米運動を起こす好個の材料にもなる。そういうことを私どもは非常に憂慮するわけなので、もし基地というものが絶対必要であるという前提の上に立つなら、アメリカも施政のやり方について大いに反省すべきではなかろうか。究極には施政権というものを日本に返還するという方針のもとに准むことが望ましいのじゃないだろうか。私、施政権の返還という表現はつとめて避けたのでありますけれども、むしろ裏側から、沖繩の施政については日本政府が直接責任を負う、リスポンシビリティーを日本が負うのだ、もし全面返還が一挙にできない場合には、部分的にでも段階的にでもいいが、その場合にはリスボンシビリティーをシェアするのだという表現で説明をしたのであります。そうでないと、せっかく基地を持っておっても、周辺が反米的になると、基地というものは敵地の中の基地になってしまって、基地の機能を果たすことができないことになるのじゃないだろうか、そういう観点から、アメリカが施政について日本政府の責任にこれを移すように考えてほしいのだ、これは法律上にはいろいろな問題があって、いま平和条約の第三条を基礎にしておるけれども、施政権を全面的に日本に返すというときには、それにかわるべき新たな条約を締結する必要とか、いろいろ法律上の問題があろうけれども、これはお互いの研究によって解決の道があるのじゃなかろうかということで、要は、沖繩の施政について日本政府が直接責任を負うような体制へ切りかえるブループリント、青写真をお互いにつくる必要があるのじゃないだろうかということを提案しました。その結論に達するまでには紆余曲折があろうかと思うけれども、外交レベルでも非公式な話し合いをするなり、また、国会議員のレベルで話し合いをする、それから民間では学者グループで話し合いをするというふうに、沖繩問題をどうして解決するのだという共同のディスカッションの場というものをかかえて、だんだん煮詰めていくことが必要でなかろうかという角度から提案をしたのであります。  これに対する反応の示し方でありますが、もちろん、以上申し上げたことは、場合場合において、相手方の時間の関係あるいは場所柄の関係で、簡単に要点だけ話したところもあるし、非常に長く討論したことも、いろいろあるのでありますけれども、話した趣旨は、いま申し上げたような趣旨で常に私どもの意見を述べてきたのであります。  この関連で、私の使命の限界でありますけれども、先ほど申し上げたような資格で参りましたので、別に向こうと話し合いをして何らかの結論を出すということには主眼がないので、私どもの考えを訴えてアメリカの考慮を促す、将来の施政を変えさせるための工作をするということで、別に交渉して何かの結論を取りつけてきたということではないのであります。  反応の示し方は、これはそれぞれの立場で多少ニュアンスが違うのでありますが、官辺筋の人は概して非常に慎重でありました。ただ、昨年も南方同胞援護会から、ここにおられる末次さんなどがアメリカに行って、いろいろの人に会ってこられたのでありますが、去年行かれたのと、ことし私どもが行ったのとの間に、反響の示し方に非常な変化があるということは、末次さんが認めておられるのであります。昨年は、この施政の問題に触れると、ほとんど取りつく島がないようなかたい態度を示しておったらしいのでありますけれども、今回は、非常に私どもの主張に耳を傾けて聞いてくれまして、要所要所についてはいろいろ説明もしてくれたし、そういう雰囲気から、どうもアメリカの官辺筋でも、沖繩問題はやはりこのままほっておけない、何とかアメリカ側も考えなければならぬというふうになってきておって、あるいは事務レベルではいろいろの可能性について検討作業を進めておるのじゃないかというふうに思われる節々があったように思うのであります。  国会議員は官辺筋とは多少立場が違いますので、二、三申し上げますと、話はよくわかったけれども、実はこの問題はアメリカのコングレスとしてはみずからイニシアチブをとるべき問題ではない、エグゼキュティブ、行政府のほうから、国務省、国防省あたりから提案さるべきで、そのときにアメリカの政策をどうするかというときにコングレスとしては自分たちの方針をきめるので、いまの段階では自分たちがイニシアチブをとる段階にはないということを強調した人もあるのであります。それから、一体施政について日本政府が全責任を良うということだけれども、そういう場合に、日本の国防問題との関連がどうなるかというようなことを、そういう基地の存在を前提として、アメリカと日本との協力関係を前提とした意見を述べておるわけでありますが、それに対して、はたして日本側でそういう基地の存在を認めて、それを中心として日米の協力関係が長く続くかどうかという見通し等についての質問があったのであります。  それから、学者グループは立場が非常にフリーでありますので、いろいろな思い切った意見も出まして、この問題は一九七〇年までに何とか解決しなければならない問題であるように思う、それには施政権の全面返還ということが非常に望ましいわけで、その可能性についても自分はこれは比較的簡単な問題のように考えておるというふうな大胆な意見を述べた人もあるのでありますが、それはとにかく、いま平和条約の第三条によってアメリカが施政権を持ち、その施政権を根拠にして基地を設定し、自由な使用を保証されているわけでありますが、むしろ、施政権というものは一応日本に返して、そのかわり基地についてはこれを容認する、また、その使用の自由も保障するという趣旨の新しい条約を締結すれば、問題は簡単じゃないかというような意見も、ある有力な学者が述べたのであります。それに対して私は、日本の政治情勢上、そういう新しい条約の締結に困難が伴うのじゃないだろうかという予想と、施政権が全面返還されたときに憲法との関連問題が起こってくるし、ことに核兵器の持ち込みということになると非常に困難な問題が起こってくるのだということを申したのに対しまして、その学者は、核基地というものは、沖繩の場合にはアメリカの立場からいってそう不可欠のものでないように自分は思う、従来からそういう意見を政府筋にも述べておるのだということを言っておるのであります。核兵器というものは攻撃兵器でありますから、憲法との関連がめんどうになるわけであります。しかし、核兵器は必ず沖繩に基地を持たなければならぬという性格のものじゃないので、アメリカはポラリス潜水艦とか持っていて、どこからでも発射ができるし、なお、後方にグアム島にも基地があるので、核基地の問題は沖繩問題の場合にはそう不可欠の問題じゃないように自分は思うのだ、あとは安保条約との関連から事前協議ということが非常に問題になるだろうと思うのでありますが、事前協議で拘束されるということになるとアメリカ側では非常に困るので、その基地から軍隊を他の国に出動する場合に、日本本土のような安保条約に基づく事前協議という制約のない自由使用、それだけの保障が与えられるならば、あえて施政権の全面返還ということはそう困難じゃないだろう、そういう線に沿って解決を考えることが得策じゃないかということを強調した学者もあるのであります。  以上が大体私どもが話をし、受けた反応のあらましでありますが、向こうでも指摘されましたけれども、元来この問題はどこがイニシアチブをとるべき問題かということでありますが、これはアメリカ側は受け身の立場にあるわけで、持っておるものを返す立場なのですから、アメリカ側から進んで施政権を返しましょうとか、あるいは部分返還にしろ、これだけの部分を返しましょうというふうには出てこない。だから、どうしても日本側がイニシアチブをとらなければならぬ。日本側でとにかく沖繩問題をどういう方針のもとに解決をしていくか、まず青写真をつくって、それに基づいて話し合いを進めていけば打開の道があるのじゃないだろうかということを考え、アメリカ側でも、とにかくイニシアチブを日本側がとるべきだという指摘をされたのであります。  帰ってまいりまして、以上のような趣旨を総理大臣並びに外務大臣に報告を申し上げました。日本政府としては、早急に沖繩問題の解決について、基地の関連をどうするか、それから施政権の返還について、全面返還というか、あるいは部分返還というか、そこらの問題について方針を確立した上で、いわゆる青写真というものをつくって話し合いをしていくことが必要だということを強く主張し、御報告を申し上げておいたのであります。  大体以上で私の報告を終わらしていただきまして、あとは御質問がありましたらお答えすることにいたしたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 次に、南方同胞援護会評議員末次  一郎さんにお願いいたします。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 末次であります。  大筋につきましては大濱会長からのただいまの御報告で尽きておると思いますが、終始行動をともにしてお供をした立場から、若干補足を申し上げます。  大濱会長の今回の訪米の際にお示しになった態度、考え方については、先ほどの御説明のとおりでございますが、御説明の中にも出てまいりましたように、相手方の時間、立場あるいは前後の関係などを考慮いたしまして、先ほどお話しの趣旨をなるべく効果的に相手方に伝え、かつ今回の目的が、施政権の根本に触れた日米協議の機会をなるべく早く持つべきであるという点にポイントがございますので、そういう関心を喚起するために、いろいろな問題提起などもあわせて行なったわけです。大濱会長のお許しを得て、私が私の私見というような形で問題提起したこともございました。  そういう点をまず第一に若干補足させていただきますと、アメリカ側の姿勢の中には、講和条約に基づいて施政権があり、その施政権に基づいて基地がある、その基地は断じて必要であるという考え方がたいへんはっきり出てくるわけでありますが、そういう考え方に問題提起をする意味で、たとえば私の私見として、講和条約第三条の有効性というような問題も、問題提起として相手によってはぶつけてみました。それは、条約第三条が、御承知のように、国連への信証統治を予定して規定しておりますのに対して、六二年三月のケネディ声明は、いわばこの意思なきことを明らかにしたという意味でわれわれはたいへん市要視しておるのでありますが、法律的ないし形式的にはもちろん有効であるとしても、前提たる信託統治の意思なきことを明らかにしたということは、実質的もしくは政治的には条約第三条の根拠を著しく弱めておるということになるのではないか、したがって、いつまでも条約第三条にしがみついて、はたして基地を存置することができるとアメリカ側では考えているのかといったような問題提起もしてみました。  また、国連憲章第七十八条では、国連加盟国の領域に関する信託統治の規定が出ておりますが、私どもしろうとでございますのでわかりませんけれども、しかし、こういう点についてもさらに両国で話し合って明確な合意を得るという必要があるのではないかという問題提起などもしてみました。  さらにまた、安保条約と沖繩の問題は全然関係がないのだということを、せんだってもアンガー高等弁務官がある新聞記者に語っておることが新聞に出ておりましたが、こういう考え方はかなりございます。それに対して、安保条約の防衛区域の規定によりますと、日本国の施政のもとにある領域、つまり、これが安保条約による防衛区域と規定されておるのでありますが、一九六〇年の段階では、わが国の施政は全くと言っていいほど沖繩に及んでおらなかった。しかしその後、最近の四、五年の間に急速にわが国の施政が関係を持つ形になってきておる。たとえば、財政援助でいえば、アメリカの財政援助の二倍半に達しておるし、また、パスポートの問題とか、あるいは船舶の国旗掲揚の問題であるとか、これらを施政権とは言えないけれども、施政の機能が及んでいるということは言えるわけで、これが安保条約の条文と一体どういうふうに整理されねばならないかというようなことを考えると、あながち無関係とは言えない。いわんや、政治論的に考えるともう決して無関係とは言えないのだというような問題提起を費保条約との関連においてしてみたりもいたしました。  また、基地問題について、基地の重要なることは認めるとしても、問題は、今後どのように重要であるかということが、むしろ現地沖繩にとっては特に関心の深い問題であって、単に重要だというだけでは説得できない。たとえば、過去二十二年の沖繩基地の果たしてきた機能や役割りや位置づけというものを振り返ってみてもという前置きで、昭和二十年の四月に米軍が上陸して以来、六月二十二日に戦闘が一応終わって、それから九月二日のミズリー号調印に至る間、さらに、米ソの対立が始まってアメリカの関心がソ連に大きく向かってきた段階における沖繩基地の役割り、四九年十月に中共政府ができました以後の沖繩基地の役割り、そういう中で朝鮮戦争を迎えた段階での沖繩基地の役割り、さらに講和条約を迎えた段階におけるこれへの評価、そういう推移の中で核兵器が戦略的に重要な役割りを占める段階になった場合の沖繩基地の役割り、そうこうしてやがてベトナム戦争、それと結んだ沖繩基地の役割りというふうに、二十二年を振り返ってみると一口に重要だと言っても、ずいぶん移り変わってきているんだ。したがって、ただばく然と重要だというだけではだめであって、流動する国際情勢の中でどのように重要であり、どのように必要であるかということなどが明らかにされねばならないだろう。その場合に、多少の整理統合あるいは縮小再編成をするにしても、現状でいくという場合に、二年、三年なら現地を説得できるとしても、二十年もの将来にわたってなおかつ沖繩基地の現状が必要であると仮冠するならば、沖繩はもつまい、住民はそれにがまんできないだろう。とするならば、かりに二十年も先まで必要だとするならば、たとえ金がかかって毛、思い切ってここで人間が住んでいない島へ基地を移すというようなことも場合によっては考えなければならないだろう。  いずれにしても、そういうふうに日米間で本気で討議すべき問題がたくさんあるのだというようなことを、先ほど来の大濱先生の御主張の間々に私の私見というような形で織り込んで議論を吹っかけるというようなこともいろいろといたしました。わりにきめこまかく相手に即応した問題の投げかけをして、もちろん、直接反応のある部分もあれば、あるいは反応なしという部分もございましたけれども、そういう経過の中から、先ほど大濱先生のお話しになったような全体的な感触をつかむことにつとめた、こういうことでありまして、この点をまず第一に補足しておきます。  第二は、やはり先ほど大濱会長のお話の中に昨年との対比という点が出ましたので、私は昨年やはり援護会の派遣で、ちょうど一年前でありますが、参りましたときの感じと、今回の感じの相違点について、若干補足的に御説明をいたします。  まず第一に、極東関係の学者グループとの接触によって得た一年間の変化でありますが、大ざっぱに申しまして、沖繩問題に非常に同情的立場をとる学者でも、昨年の段階では、将来は何とかせねばなるまいという程度でございました。比較的抽象的であったと言えるのであります。ところが、同じ学者に今回会ってみますと、かなり具体的にその人なりの立場で考えてくれておる。たとえば、解決の手順としては、三つぐらいの段階を経なければならないだろう。第一段階は、現在のような施政の改善である、第二の段階は、基地と切り離した施政権の返還である、第三の段階は、国際情勢との関連において基地がなくなるという段階である、こういうようなことをもう少しきめこまかく考えて、昨年はおよそそういうところまで議論がいかなかったのに、かなり積極的に議論を展開してくるというような姿勢がきわ立って印象的でございました。これは特定の学者だけじゃなくて、総体として、沖繩問題を関心深く見ておる人々の関心が、たとえいま申し上げましたようなわれわれの側から見て前進的な立場をとっていない人でも、その考え方の内容がかなり詰められているという印象でありまして、この点は昨年との著しい違いでございました。  それから、政府筋との接触を通じても似たような印象を受けるのでありますが、たとえば、現地における施政の改善、これは施政権の問題に触れるというのではなくて、現地琉球政府の自治範囲を広げる、あるいは米軍と住民との接触の姿勢を改善するといったような現地の施政の改善につきましては、昨年はまだ現地ではワトソン高等弁務官の時代でございまして、かなり努力をする姿勢は見えておりましたけれども、まださほど具体的には行なわれておらなかった。特に、例の布令をめぐる裁判問題などもまだ懸案の段階でございました。ところが今回は、高等弁務官がかわりまして以来急速に進めておる現地の施政改善について、われわれが会った関係者は、ある意味で、どうだ、あれだけやればいいだろうと言わんばかりの、何といいますか、熱情を披瀝する、あるいはまた、もっともっと自治権を広げたいのだけれども、琉球政府の自治能力に限度があるものだからというような言いわけをしながら、その熱意のほどを披瀝するというような、たいへん積極的な姿勢が感じとられました。もちろん、私どもとしてはそういうことを聞きっぱなしにするのではなくて、琉球政府の自治能力の限界というようなことが出ますと、それに対しては、大濱会長からも積極的に御意見をお述べになりまして、たとえば本土政府との人事交流の道が開かれていない、そういうワクづけをしておいて自治能力の限界があるなんといったって、それはだめだ、もしも本気でそう考えておるならば、人事交流の道を開くとか、自治能力を強化するための措置というものは幾らでもあるのだからというようなことで、もちろん、すかさず切り込むというようなことをいたしましたが、いずれにいたしましても、そういうふうに非常に積極的でありました。ただし、先ほどのお話にも出ましたように、事施政権の問題に及びますと、特に最初の段階では非常に慎重でございまして、しいてこちらが観察をいたしますと、なるべくならそっちのほうに話題を引きずらないで、当面の施政改善というようなところでなるべく話をつなぎとめようという意図が感ぜられるような場面もございました。しかしながら、こちら側もせっかく行ったわけでありますから、できるだけ話題をこちらのペースに引きずるよう会長からいろいろ努力をなさいまして、その結果、だんだんに質問応答というような形を通しながら、われわれの触れたい核心に次第に話題が触れてきた。この点は、先ほどもお話がありましたように、昨年は大体一方交通でございまして、何も答えないで、目の色をうかがいながら、こっちの言っていることがどの程度響いているだろうかといった程度、大ざっぱに言うとそういう感じが強うございましたが、今回は、質問なりあるいは部分的意見という形で、施政権の返還という基本問題についてもある程度の反応を得ることができた。これもまた昨年に比べて非常に大きな変化であったと申し上げてよろしいと思います。  こまかいことはございますけれども、大体そういうことでございまして、ただ、そうしたことを通じまして、先ほどもお話がありましたように、民間と政府の違いというものはお話のとおりでございまして、民間の学者の先生方はたいへんフランクで、今度は特に二回目という心やすさもございましたでしょうし、将来の問題についても大胆率直にいろいろ意見を述べられた方が多うございましたし、また、現状について、日本の防衛努力などに触れながら、やるべきことはちっともやらないで要求したってだめだよというような、怪い調子で率直な意見を述べるような方も、ごく一部にはございました。こういうものに対して、政府筋では、全くそういうことと受け取られるようなことは全然話題に出てこない、向こうも出そうとしないというような、今でも非常に慎重でございました。先ほども申し上げたように、事施政権の問題に及ぶと一そう慎重という感じが非常に強くて、これは大濱先生から、現状の施政改善ではとうてい問題の解決にはならないんだということをるる強調されたわけでして、その意味では十二分に政府側へもこちら側の意図を伝達することができたであろう、こういうふうに思います。  そういう全体を通じての印象、つまり、アメリカ側がどう考えておるであろうかという印象を私なりに若干集約しますと、第一に、基地に対する執着はもうきわめて牢固たるものがある。これは政府筋といわず、また民間の極東関係をやっておられる学者あるいはその他の関係者の場合でも大体共通して言える。内容については、先ほどもお話があったように、若干の問題が残るわけでありますが、総体として基地に対する執着は非常に強い。  第二に、しかも沖繩における基地をささえておる根拠が施政権にあるという意味で、施政権問題には軽々に触れられないという感じが非常にはっきりうかがえたのではないだろうか、こういうふうに観察いたしました。したがって、とりあえず当面の施政改善ということでできる限りその事態を打開していきたいということが、最近の施政改善への熱意のもとであるというふうに見ていいのではないだろうか。ただし、この状態でいつまでもいけるというわけにはいかぬという認識はかなり高まってきていて、そういうことから、アメリカの政府を通じて一貫した方針に基づいてというわけにはまだいかないと思いますけれども、それぞれの分野、部門ごとに将来の基本問題についてかなり内部的な検討が続けられている。それは、結局このままでいつまでもいけるとは思えないということからきたものと見ていいのではないだろうか。そういうことであるという私どもの認識が誤っていないとすれば、今回大渡会長からいろいろと問題を提起をされた際、特にポイントとして、将来の基本的解決のために双方が背厚真をつくってそれへの手順を組み立てて、そうしてできるだけ早く話し合いをすべきである、一部にはベトナム戦争をやっている間はだめだよという議論もございましたけれども、準備はいまから直ちに始めるべきである、ベトナム戦争が何らかの形でケリがついたときには、間髪を入れず、少なくとも沖繩についての解決策が手を打てるようにいまから話し合いをすべきだということを繰り返し強調されたのでありますが、そういう問題をある程度あるいは相当程度にとらえ得る素地があったと見ていいのじゃないだろうかというふうに感じました。  以上部分的でございますが、捕捉申し上げ、また御質問がございましたらさらにつけ加えることにいたしたいと思います。(拍手)

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 以上で両参考人からの御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。川崎寛治君。

川崎寛治日本社会党

○川崎(寛)委員 どうもたいへん御苦労さまでした。  たいへん時間がございませんので、前置きは抜きにしまして率直にお尋ねいたしたいと思います。あるいはたいへん失礼な問い方になるかもしれませんけれども、その点は、どうか前進させるためのものとして御了承いただきたいと思います。  いま大濱先生から、現在施政権を持っておるのはアメリカだ、だからアメリカ側は受け身だ、こういうお話でございました。日本側が青写真をつくって積極的に働きかけるべきだ、こういうお話であったわけでありますけれども、先生がアメリカに行かれていろいろとそれぞれの筋とお話し合いをされております情報等が新聞にも出ておりました。それらを基礎にいたしまして総理に対する質問等もいたしてまいったわけでありますが、その際に総理は、ただいまお話に出ておりました核基地つきの返還であるとか、あるいは基地自由使用協定を結んでの返還であるとか、こういう点等については、日本側からやる意思はないし、またアメリカ側から提案をされても応ずる意思はない、こういうふうに明確に答弁をしておられるわけであります。あるいは下田次官が、一月の末におきますマンスフィールド発言等以後、相次いで、ただいま申しましたような核基地つきの返還であるとか、幾つかのことを申してまいっておる、わけでありますが、大使として今回赴任されるわけでありますし、そういう中で、では現地ではそういう立場の接触というのは認めないのか、こういう点については、当然最高方針であるということであるから、現地におけるそうした立場での交渉は許さない、こういうたいへんかたいワクがはまるわけですね。そういたしますと、先ほどのお話の幾つかの学者の意見等を考えてみましても、なかなかいまの日本政府の立場では前進をしないのじゃないかという感じがいたすわけであります。  その際、さらに引き続きまして、現在の日本協議委員会の性格というのは、対沖繩援助の問題を中心にいたしております。ですから、この日米協議委員会をさらに発展させて、そして施政権の返還について日米間で協議をしていく、こういう機関を新しくつくる意思があるか、これはない、こういうふうにお答えになっておるわけであります。そういたしますと、ただいま末次さんのお話も、日米間の協議でいけ、こういうことになりますけれども、そうした機関ができない、こういうことになってまいるわけでありますね。  そこで青写真の問題でありますが、これについては、ただいま総務長官の諮問機関でございます、大濱先生を座長にしております懇談会というものがあるわけでございますが、これをさらに発展させて総理の諮問機関にしていく、こういうお話であるわけであります。たいへん懸念をいたしますことは、日本側が青与真をつくるべぎだと、こういうことで先主繰り返し強調しておられます。日本側の積極的な姿勢いかんだと、こういうことでございますし、それらを検討するのは、ただいまの機関が発展解消して、総理の諮問機関として今後十分御検討願うんだ、こういうことになっておるわけでございます。これから先、ちょっと失礼な点にもわたるかとも重いますが、青写真の問題について考えますときに、これまでの総務長官のもとにございます諮問機関、これにつきましても、教育権分離返還に見られますように、先生方が一生懸命やっておられるその間に、総理のほうは明確に方向が違ったわけですね。そういたしますと、今度先生を会長にして次に新しく諮問機関ができて青写真の検討を願うのだ、こういう答弁になっておりますけれども、私どもが懸念いたしますことは、つまり、政府自体が最高の方針がきまらずして先生方にそういう御検討を願った場合に、せっかくやられても、これがまたいつどこでひっくり返るかわからない、こういう現状ではないか、こう思うわけであります。でありますから、もっと突っ込んで申し上げますならば、総理が繰り返し答弁をしておりますような、先生を会長としたそうした新しい諮問機関の場合にも、そこが日本側のほんとうの青写真をつくっていく機関としては、われわれとしては、いままでの経過からして、どうも十分に信頼がおけないといいますか、不安があるわけでありますね。そういたしますと、今後日本側が積極的に青写真をつくるというそのことは、特に今度総理が秋にはアメリカにも行かれるわけでありますから、そのことはそうした民間の諮問機関でやるべきではなくて、政府みずからがまず方針をきっちりとすべきだ、こう思うのでありますが、その点について、長年関係をしてこられました先生の立場から、率直に申していただきたいと思うのであります。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 ただいまの御質問の要点は、政府側が沖繩問題を処理するために新しく審議会というものを設けて、そこの検討の結果に基づいて政府の方針を確立しアメリカに当たるという姿勢のようにいま見えるけれども、従来のいきさつに照らして、そういう結論が幾ら出ても、政府側でそれを強く推し進めるという決意がないのじゃないか、あるいは腰砕けになったり、あるいはよろめきが感ぜられる面があって、ほんとうの信頼がおけないのじゃないかという御質問であると理解いたしました。  実は、いまあります沖繩問題懇談会は、前の総務長官の森さんの提唱で、教育権の機能的な分離返還という角度から問題をとらえて、それだけを取り上げて私ども懇談会で検討をしてみろというふうな諮問を受けておるのであります。せっかくその懇談会で検討を進めておる途上に、佐藤総理がそれを否定するような、水をさされるような発言があったこともいま御指摘がありましたが、実はアメリカでも官辺筋からもその話が出まして、どうも佐藤総理は部分返還はしないのだということを言っておられるのだが、佐藤総理の真意がどこにあるか自分たちにはよく理解できないのだという質問があったのであります。それに対して、総理の立場は大体こういうふうに私は理解しておる。この教育権だけを特に取り出してその部分の返還を求めるという方向で進んだ場合には、ではそのあとは何を求めるのかという問題が必ず提起されてくるに違いないし、それに対して総理がまだ十分の腹がまえができておらない。というのは、全面的にどういうふうに解決に取り組んでいくかという青写真がないから腹がきまらないのだ。だから、従来唱えておる全面返還という理想論を抽象的に唱えておるだけであって、具体的な問題になると、部分返還を求めないのだと言われるのは、そういう配慮があるのじゃないだろうか。これはやはり総理としては、全体的な青写真ができない限り、この問題だけ先に持ち出すということは言えない立場にあるのじゃないかというふうに、私は総理の立場を同情的に見ておる。  それからいま一つは、現地に及ぼす影響でありますけれども、やはり部分返還をまず持ち出してきますと、あとはどうするのかという不安が現地でもあるのでありますが、現地の受け取り方としましては、教育権の部分的返還論が提唱されたときに、現地での反応は、どうもこれは教育権だけをまず返還して、あとは現状固定してほうっておくつもりじゃないだろうか、現状固定の一手段としてそういうことをやられるのじゃないかという不安があるわけであります。そうじゃないのだと幾ら説明しても、しかし、なかなかこれは全面的な信頼がおけない。そういうことを配慮すると、総理の立場としては、やはり沖繩問題について全般的の青写真ができない現段階において、すぐ部分返還を求めるということはちょっと言えない立場にあるのじゃないだろうかというふうに私は理解しておるので、もしアメリカ側が教育権なら教育権だけを返すからと言われたときに、それは要らぬというふうな態度には総理も出ないのじゃないか、そう理解しておると答えておいたのであります。それは別論としまして、いまの全般的な青写真をつくる必要があるということは、私はアメリカに行く前に、去る一月の総選挙が済んだ翌々日に総理に会った際に、いまの教育権の分離返還を否定される発言に対して、総理の意見を伺ったその機会に強く私は申し上げたのでありますけれども、総理の発言がそういうふうにぐらついているような印象を与えるということは非常に遺憾である。けれども、この沖繩問題をどういうふうな姿勢で取り組んでいくか、基本的の姿勢というものができておらないからじゃないだろうか。それには、沖繩問題は非常に多方面にまたがっておる。日本政府の援助だけを取り出してみても、とにかく、教育に関係する文部省、医療、社会福祉に関する厚生省の問題、農業問題の農林省、通産省、いろいろ各方面にまたがっておる問題である。これをどういう基本方針で取り組んでいくかという、それさえまだはっきりしておらない。見ておると、各係の人がその場その場で思いつきで行き当たりばったりにやっておられるように見えるので、これは非常に遺憾である。どうか政府として高い次元から、広い視野から沖繩問題を将来どうして解決していくかという基本的の検討をしてもらいたい、そのためには、これはただ事務レベルで検討するだけでは十分ではなくて、その道の権威者を集めて権威ある審議機関を設置して、国防の問題をはじめとして、沖繩の将来の施政権問題、その返還のあるまでの間の援助の問題、これをどういうスケジュールでやっていくか、そのための審議会を設けてもらいたいということをその当時提唱し、新聞でも大濱私案というふうに報道されておりますし、書面でも書いて出しております。今度帰りまして、佐藤総理に、いまこそ権威ある審議会を設けて日本の国の基本方針をぜひきめてもらいたいということを強く要望したので、それに対してはとにかく同意を示しておられるし、また国会でも、そういう審議会を設けて検討するのだということをお答えになっておるようであります。ただ、そこで出た結論に対してはたして勇敢に強力に推進していただけるか、多少その点は――将来の見通しでありますので私は何とも申し上げられないが、いままで私が総理と接触した範囲内においては、ことに今度はアメリカにわざわざ行かれることでもあり、手ぶらで行かれるということでは何ら効果があがらないので、その審議会にある程度の期待をかけておられるので、それに基づいてある程度の折衝をしてこられるんじゃないだろうかという期待を持っておるわけであります。それ以上総理の態度がどうこうということは、私の立場ではいまは申し上げられません。  なお、日米の協議会のお話が出たのでありますが、あれはまあとにかくきまった援助についての事務的の協議会になっておりますので、はたしてあの協議会というものは今度の施政権返還問題とか広義の問題を取り扱う機関にそのまま振りかえられるということは必ずしも適当かどうか、これは青写真ができた上で、政府の外交レベルなりその他のいろんなレベルでだんだん非公式な話で詰めていくべきもので、いきなりああいう日米協議会のようなところにかけるということが適当かどうか、この点は疑問なんであります。将来どういう機構で推進していくかということは、やはり別個に研究すべき問題じゃないかというふうに考えております。

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 ちょっと質問される委員諸君に申し上げますが、現在御質問の予定者が五名ございまして、さっきの理事会の申し合わせでお一人十五分以内ということになっておりますので、そういうお心づもりで質問応答をお願いいたします。

川崎寛治日本社会党

○川崎(寛)委員 委員長の御発言どおりに協力いたしたいと思います。  第二点といたしまして、昨年といたしますとたいへん感触が違ってきたと、こう言われる、その現象のお話があったわけです。なぜ感触がそのように違ってきたか、その根本原因をどのように――とういうあれで変わってきたか、ひとつ大濱先生のほうからお願いしたいと思います。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 これは私から申し上げるよりも、むしろ、昨年も行かれた末次君のほうからお答えするほうが適切かと思うのでありますが、ただ、私が観測いたしますのは、やはりこの一年の間にこの沖繩問題というものが、沖繩現地でも、また日本本土でも大きく取り上げられて、ことに教育権の分離返還論が提唱されてその反響が非常に大きかったので、アメリカの立場からいえば、施政権の一角にかみついてきているわけで、それに対してこれは何とか対処しなければならぬという心がまえがあって、今回私ども訴えに行った際に、どうも軽く扱うわけにいかないという空気の変化があるんじゃないだろうかというふうにしか私はわからないのであります。  いま一つは、これはもう私自身の立場でありますけれども、私も沖繩出身者であるということと、ことに国防省方面の補佐官だとか、あるいはああいう次官だとか大学の先生をした経歴の人が多いのでありますが、そういう関係上、私が大学の教授として長い経歴を持って総長をしたという私の立場に対する敬意もあるのじゃなかろうか、こう私は観測したわけであります。

川崎寛治日本社会党

○川崎(寛)委員 終わります。

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 次は、穗積七郎君。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 両参考人が沖繩の施政権返還問題で年来にわたって御努力いただきましたこと、なお、今度訪米の報告をいただきましたことに対して感謝を申し上げます。お聞き及びのとおり、時間の制限がありまして十分お尋ねできませんので、簡潔にお尋ねいたしますから、簡潔にひとつお示しをいただきたいと思います。  私どもも、全く施政権問題の根は、核基地の問題と、それから事前協議の問題の二つにしぼられると言って差しつかえないと思います。ところで、今度の訪米にあたられまして、先ほど概括的な報告はありましたが、私は、いまのジョンソン政権における思想性なり政治性というものはあまり高く評価することはできないのですから、したがって、この問題は特に軍部の意向によってむしろ事がきめられる危険性を感じておるわけです。先ほどからの報告によりますと、いろいろの変化が生じてきた、やや希望的な糸口が見られるというふうなことですけれども、これは、おそらくは学者その他の議員を中心とするいわばエグゼキュティブの意見ではなくて、世論を形成する立場にある人の変化ではないかということを私は推測するわけです。そこで、ベトナム戦争渦中における沖繩基地の地位の評価あるいは返還の問題について、特に接触されました軍部の諸君ですね、これらは、一体いまの核基地の問題、事前協議の問題について、はたして変化が化じてきておるかどうか、多少ともこちらから食い込む可能性のあるような寛容な態度が今度感じとられたかどうか、その点を第一にお尋ねいたします。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 国防省関係の人とは、これは刑に核基地または基地からの出動の場合の事前協議という具体的なポイントについては話題にはのぼらなかったのでありますが、ただ、私どもは、軍事基地を前提とした上にそうした施政権を戻せという角度から強調しておったのであります。ことにその点については、いま陸軍長官その他国防音の補佐官等に強く主張したのでありますが、いまの御指摘の件については、深くああいう連中とは討議をしなかったのであります。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 ありがとうございました。  第二にお尋ねいたしますが、全面返還は当然われわれの目標でなければならないと思うのです。そしてまた、私の判断では、機能別または地域別の返還の要求というものは、いかにも可能性があるかのごとく、現実性があるかのごとくでありますけれども、この中間案というものは、私は、やはり先ほど言いましたように、核基地と事前協議の問題、すなわち、軍事的側面からの返還の困難の壁の中心があるわけですから、したがって、いまの情勢の中、いまのアメリカの軍部を中心とする政治、外交の路線から見まして、この分離返還論というものは、私は、現実的のごとくして必ずしも現実的ではない、道はかえって遠くなりはしないかと考えます。そして私はまた大濱先生とは、たいへん失礼ですけれども、国際法上、機能別の返還ということはいささか疑義を持っております。しかしながら、問題は現実的に進み、現実的にわれわれは対応して目的に近づかなければなりませんので、その議論はさておきましてお尋ねいたしますが、今度の訪米中に分離返還問題について御提案をなさり、相手の意向をサウンドされた事実があるかどうか。それについては、私は、時間を節約するために、簡単に三つの場合についてお尋ねいたします。  まず第一は、機能別返還、第二は地域別、特に現在の核基地を除く他の地域の返還、地域別返還、それから第三は、核基地の使用自由を認めた特別の合意による返還、いわゆる下田発言が示すものでありますけれども、この三つの場合、どれでもけっこうですけれども、相手によってその話し方も提案のしかたも違ったかと思いますけれども、いずれにいたしましても、このいわば条件つきまたは分離返還ですね、こういうことを懇談の中でお出しになったかどうか、それに対して相手はどういう反応を示したか、それがありましたら、結論だけでけっこうですから、御報告をいただきたいと思うんです。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 機能別の返還論は私どもから話は出しました。これは、全面返還一手でできないときには、機能別、部分的の返還でだんだん進んでいくということも考えられる、その角度から、教育権の分離返還というものは、部分返還の場合には一番適当じゃないかということでいま検討しておるんだということに対して、教育権の返還という構想はどういう内容かということで、いままで懇談会で検討を遂げておる法律的な可能性から、日米両国間の合意の内容、立法措置、財政措置、行政機構を日本本土とどうつなぐかという具体的な構想の話を一応しまして、向こうは、そういうものか、ぜひ報告がまとまったらそれを知りたいということでしたから、これは委員会の御同意を得て、報告書は向こうに送ってやってもいいという約束はしてまいったのでございます。  また、地域的の返還については、そういう議論もあるがという向こうから意見が出た例もあるのでありますが、しかし、いままでの地域返還論は、先島だけを分離して返還するということがとられておるけれども、向こうの実情から見ると、それも望ましい形態じゃないんだというように私は考えるというふうに答えておいたわけであります。  最後の点、つまり、平和条約にかわるべき新しい条約によって、特殊な性格の基地を認めて、使用の自由を保障するというような条約を締結するという点については、向こうの官辺筋とは議論はしなかったのでありますが、その点はいろいろな法律的な可能は考えられるということは、抽象的には私は提案したわけであります。いまの平和条約に基づく施政権のもとでも、何か自主的に日本政府が直接責任を負い得るような体制を築くことはいろいろな可能が考えられるという角度から私は説明をしたのであります。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 いまのことでおそれ入りますが、機能別分離返還の問題、それから地域別分離返還の問題について話をされ、向こうから質問もあり、興味を示したという相手は、どういうセクションのどういう人物でございましょうか。もしきょう御記憶がなければ、あとで委員部のほうへちょっとメモでもおよこしいただければありがたいと思うのです。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 先方との話し合いで、オフレコにするから思い切った話し合いをしたいということを前提にいたしましたので、いまの点は、たいへん恐縮ですが、ここで名前をあげるのはお許しいただきたいと思います。  ただ、ちょっと補足いたしますと、先生から、教育権についての質問がありましたのに対して、要点をとらえた御説明がございました際に、非常に関心を示しながら聞くわけです。そして、ある政府高官は、もし部分返還でいった場合に、教育権のあとには何が来るか、こういう質問が出たことが両三度ほどございます。したがいまして、お話の中に機能別返還は無理だという点は、これはいろいろな問題が出てきますから、一がいに片づけられないのでありますが、私どもの印象としては、いきなり機能別が無理だという前に、アメリカ側の受け取り方としては、やはり機能のどこかを動かしていくためには、全体の将来についてのめどがつかなければだめだということを非常に強く感じているという印象が強いわけです。また、それに熱する発言は、政府高官筋との話し合いの中にもしばしば出てまいりました。たとえば、部分は全体につながる、したがって、全体の見通しなくしては部分には触れられないというような言い方とか、それに類する言い方がしばしば出てまいりましたのを、われわれは全体の青写真という形で整理しておるわけであります。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 次にお尋ねいたしますのは、先方が非常に固持し、あるいは関心をそこへ集中しようとしておるのは、私ども推測できますが、施政の改善ですね。民政の問題、経済問題その他を中心とする施政の改善でございましょう。そのときに、日本の政府の出先機関がございますが、これに対する事務の移譲といいますか、たとえばパスポート一つとってみますと、パスポートの受付はさせますけれども、それに対する審査、それはむろん日本政府の機関には与えない。ですけれども、その場合に、正式な協議とまではいかぬにしても、それに対して意見を開く、コンサルトするという程度のことも施政改善の一つで考えられると思うのです。したがって、先ほど来お話がありました施政改善について、皆さんのほうから、人事の交流を拡大するなりその他の方法によってやろうとするなら幾らでもあるではないかというお話が出たさ中に、沖繩立法院あるいは沖繩政府でなくて、日本政府の出先機関、日本政府の関係の機関にその一部を移譲する、あるいはコンサルトを経て決定をする、そういうことが提案または向こうから意見がありましたでしょうか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 私どもは、自治権の拡大だとか、あるいは財政援助の拡大だとか、そういう方策だけでは沖繩問題は解決できないのだ、やはり施政に触れない限り沖繩問題の解決はあり得ないのだということを非常に強調して、その角度から施政について日本政府が直接責任を担当するという体制でなければ満足できないんだということを言っておるのでありまして、それに対していま御指摘のような……。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 日本政府の行政参加の部分的エスカレートです。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 そういう角度からの提案は私どもはしなかったのです。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 相手からも意見はございませんでしたか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 別にありません。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 それでは、もう一つそれに関連してお尋ねいたしますが、主席の公選または立法院の日本政府、日本国会に対する参加の問題、こういうような自治権拡大の問題について、一般的に、または特にあれば個別的に話題が出たか、こちらから出たか向こうから出たかは問わず、それもあわせてちょっと伺っておきたいと思うのです。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 特に主席公選は、松岡主席がおいでになったときに、お帰りになって、アメリカ側で検討中だという新聞談話を私どもワシントンで見ましたので、こちらから出しました。それに対しては、検討はしておるけれども、まだ発表する段階ではないという言い方でございました。  それから、先ほどのお話に関連して、日本政府の行政事務などを伸ばしていくという問題は、話の本質としてはわれわれのウエートを置かなかった点ですが、しかし、関連して大濱先生からもおりに触れてもちろんそういったことも話題になさいました。それから私から、USCARがでか過ぎる、これを小さくすれば何ぼでもこっちでやれるのだ、あんまり人数を置いておくからそっちのほうでやらなければならぬという問題提起をしましたときは、ある政府高官でしたが、ちょっと小首をかしげながら、それは現地の意見を聞かないと何とも答えられない、こういう言い方をしておりました。したがって、繰り返しでありますが、施政改善ということに時間をなるべくとらわれないで本質論でいこうということに努力をしたために、そういう点には十分触れられなかったけれども、おりに触れてそういうことについても会長からいろいろ発言がございました。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 最後に、皆さんのきょうの御提案の中に、一つは、この問題についての日本の国会とアメリカの国会との間の交流、懇談、それから学者グループの交流、懇談、マスコミその他いろいろあると思うのですね。この間、朝日が、中国とベトナム戦争問題で国際的な一つのシンポジウムみたいなものをやられたことも、大きなインフルエンスを持っていると思うのですが、それは別としまして、一つ私どもお尋ねしたいのは、いまお話しのありました日本の国会とアメリカの国会との間で、沖繩問題について、ネゴシエーションではないけれども、ディスカッションをするということの御提案か話をされたときに、相手側、議会関係の諸君はどういう反応を示されたか、それを念のために伺っておきたいのです。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 提案したというよりも、一般的な話し合いの中でわれわれは大いに学者連中と意見をかわし、きわめて有益であった。国会議員のレベルでも大いにやってもらいたいと考えているし、日本ではそういうことを考えておる国会議員の方もおられる、そういうことをアメリカ側でもひとつ積極的に考えてほしいという、提案というほどではございませんけれども、言い方をしたわけです。それに対しては、それは大いにけっこうだという反応であります。ただし、事沖繩問題だけに限定してというわけにはいくまいという反応を数名の方々は示されました。つまり、関連するベトナム問題とか安保条約問題とかいったようなことも関連させながらという答え方でありました。

穗積七郎日本社会党

○穗積委員 時間もまいりましたので、まだお尋ねしたいこともありますけれどもまたの機会にいたしまして、最後に、大濱懇談会座長としてお願いしておきますが、政府への答申の御意見がまとまりましたら、その報告の後、同時でけっこうですけれども、この委員会にもひとつ各委員に、その懇談会での大体の討議の経過、結論がわかりますものを、委員長を通じていただきたいということを要望申し上げておきます。  どうもありがとうございました。

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 次は、永末英一君。

永末英一民主社会党

○永末委員 お二方の沖繩問題に対するいろいろなごあっせん、御熱意、まことに敬意を表します。  そこで、私は二つ伺いたいのですが、第一点は、いまアメリカが沖繩にいる根拠について、みずからどういう得心をさしておるかということなんです。先ほど一九六二年のケネディ大統領声明の話が出ましたが、われわれが聞いておりますと、一つには平和条約三条を公式には言っておる。ところが、昨日沖繩立法院の方々が来られましたときにも、すでに現地でも平和条約三条だけでは貫き得ない、そこで新しく、たとえば一昨年の佐藤・ジョンソン共同声明、これが根拠なんだ、アメリカがあそこにいることを日本が別途認めているのだということを根拠にしてその正当づけをやっておる、こういうような意見が現地側にもあり、したがって、沖繩立法院は、平和条約三条は廃棄すべきものである、こういう決議を持ってきのうこちらへ参ったわけです。そこで、いろいろ皆さんがアメリカでそれらの問題に触れられたときに、一体いまどういうことを根拠にしておれたちは沖繩におれるのだ、こう考えておるか、その辺の感じをひとつお聞かせ願いたいと思います。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 いまの点につきましては、やはり平和条約の三条に法律上の基礎を置くという考え方の上に立っているのではないかというふうに、私は向こうの人の議論の立て方から判断してまいりました。それに対して、先ほど末次君からも御指摘がありましたように、どうも平和条約の第三条というものがケネディ声明以来根拠が薄弱になっているのではないかというような点は、いろいろな機会に指摘してきたのでありますけれども、法律上の基礎としましては、平和条約の第三条というのはやはり有効で、それに基づいておるのだという考え方が強いように私は受け取ったのであります。

永末英一民主社会党

○永末委員 そういたしますと、平和条約三条については、われわれ日本国側が、それはもうやめだ、こういう申し入れをしていくという一つの国際法的な行動をとらなくちゃなりませんね。あるいはまた、アメリカ側が、この平和条約三条はやめだ、こういうことを平和条約を締結してきました各国に何とかするとか、こういうようなことが伴わなくてはならない。ただ、われわれ側としては、平和条約はいわば不平等な状態の中で締結させられたものでございますから、いろいろむずかしい問題があろうかと思いますが、もし平和条約三条に根拠があるとするならば、どういう行動をとることがこの根拠法をなくするために有効か、この辺のことは意見の交換ございましたでしょうか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 そういう角度から問題をしぼって向こうと意見の交換をしたことはございません。私どもは、とにかく平和条約の三条に基づいてアメリカは基地を置いておる、それを一応肯定した上で施政権の問題に触れたわけでありますので、さかのぼって法律の根拠があるかないかということは強くは主張しなかったのであります。ただ、いまのケネディ声明以来非常に政治的には根拠が薄弱になっているのじゃないか。また、日本の総理大臣岸・アイゼンハワー、池田・ケネディ、それから佐藤・ジョンソン、それぞれ声明が出されておりますが、沖繩の基地の必要性を極東の情勢、日本の安全保障という観点から強調して、基地は当分返さないということを唱えておるので、だから、このごろ、この法律上の基礎はあまり自信がなくて、極東情勢や日本の安全保障の観点から必要だというふうに、何か根拠が移動しておるのじゃないかというような見方が確かにあることは事実でありますが、その点はある機会では大いに指摘してみたのですけれども、だんだん追及していくと、平和条約三条というものはまだ生きておるという見解の上に立っておるのじゃないかというふうに見てとったのであります。

永末英一民主社会党

○永末委員 いま申されました三つの共同声明は、非常に慎重に書かれておるのですが、ただ共通しております点は、両方の政府の首脳は、極東の緊張をまくらにしながら沖繩の軍事基地の重要性を共同に認識し合う、それからもう一つは、沖繩の施政権に関係のあるような問題については、アメリカ大統領が一方的に言っておる、こういう声明の盛り方になっておるわけですね。ところが、聞くところによりますと、その二つを一本にしまして、日本政府の内閣総理大臣は、極東の緊張が続く限りアメリカには自由に軍事基地を沖繩で使わせます、こういう約束をあれでしたのではないか、それが新しい根拠ではないか、こういう見方があるわけですが、アメリカのほうはそういう感じで受け取っておりますか。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 その点は的確には言えないので、われわれの感想になるわけですが、先ほど申し上げましたように、条約三条の有効性を議論として吹っかけました場合に、これに正面から議論をいどんできた者は、学者を含めて一人もございませんでした。ただ、大濱会長がおっしゃったように、条約のことがやはり形式的には念頭にあるということは随所にうかがえたわけです。ただ、いまお話しのように、総理と大統領の共同声明が一応の根拠をなしておるということは言えると思うのですが、国防省筋との議論の間で、一ぺん全面的に返して、同時に特別条約等を結んで基地を確保するという方法の可能性についての議論が、これは学者を含めまして、比較的しつこかったのです。そこから私の判断でありますけれども、やはり根拠が弱いということを向こうもだんだんに考えてきておる。私、注意深く見ておりますが、公的に条約三条を引っぱり出した最近のアンガーの声明、新聞記者談話というのは、実は全く久しぶりでありまして、アメリカは最近ほとんどこれに触れない。でありますから、どっちみちできることならすっきりさせて基地を安定させたいというふうに、特に軍部筋では考えておるのではなかろうかという受けとめ方を私どもはしました。  そこで、先ほどの話で、ではどういうやり方が効果的であるかという点でありますが、これはいろいろな点から考えなければなりませんので、私どもとしても一がいに言えない、もっと検討したいと思いますけれども、やはりわれわれが言うのではなくて、専門的な国際法学者などの間で条約三条の有効性に関する議論などをもう少し起こしたほうがいい。開き直ってあれを撤廃しろとかというような言い方が効果的であるかどうかということには私はむしろ疑問を感ずるので、もう少し側面からそういう議論を起こしながら、前向きの方途について一方政府が積極的になっていくということのほうが、解決への近道ではないかという印象をいまのところは持っております。

永末英一民主社会党

○永末委員 もう一つの問題を伺いたいのでありますが、先ほど大濱先生から、学者の間に、沖繩における核基地の意味、これがだんだん変化をしてきておる、こういうお話があったということを伺ったのですが、国防省筋に対してこの点について意見交換されたことはございますか。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 交換というのではなくて、国防省筋につきましてはわがほうの一方的発言にとどまりました。

永末英一民主社会党

○永末委員 軍事基地から戦闘作戦区域に直接出動するという件に関して、安保条約では交換公文が取りかわされておりますが、いま私どもが見るところによりますと、ベトナム戦争をやっておるので、沖繩をそういう前進基地、補給基地として使っておると思うのです。しかし、ベトナム戦争が終わるという場合には、その点については相当意味合いが変わってくるはずだと思います。ところで、それが終わりましても、いわゆる米中対決という姿で、中国に対して一体沖繩の軍事基地を将来アメリカがどう使いたいと思っておるかという点について意見の交換がございましたら、伺いたい。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 意見の交換という形じゃありませんが、沖繩の施政権の返還という問題になれば、勢いそういうことが関連してくるわけであります。これはある高官から、沖繩の基地が東洋地区において占めておる地位が非常に重要である、図面を見て何か書きながら、中国の関係、朝鮮の関係、それから香港、いろんな距離や何かをあげて、非常に重要である、アメリカ側で非常に困難なことは、どうも東洋の情勢というものは非常に変化が激しくて予想ができないんだということを言っておりました。一九五〇年に朝鮮動乱が勃発したわけでありますが、あの時期にああいう形で動乱が起こるということは全くだれも予想しなかった。また、一九四九年にいまの中共政権が成立しておるのですが、中ソ同盟友好条約というのが一九五〇年に締結されております。どうもああ急速にああいう事態が発生するということは実はアメリカでは予想しておらなかったべトナム戦争の問題、最近の中共の紅衛兵革命がああいう形で起こってくるということは予想もできないので、アメリカ側としては東洋の情勢というものが非常に変化が激しくて予想が困難であるので、方策を立てる上で非常に困難があるということを言うほどで、基地というものが、そういう非常に流動して絶え間のない東洋の情勢からして非常に重要だということを強調する意見が実はあったのでありますが、いまおっしゃったような角度から特に議論を集中して意見を交換したということではないのであります。

永末英一民主社会党

○永末委員 そうしますと、極東の緊張というのはぼやっとしたものであって、そのぼやっとしたことを予測しつつなお沖繩基地の重要性を彼らは認めておる、こういうような感触でございましょうか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 全くそのとおりでございます。

永末英一民主社会党

○永末委員 どうもありがとうございました。

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 次は、横山利秋君。

横山利秋日本社会党

○横山委員 どうもお疲れのところを連続恐縮です。  先ほどからのお話や質疑応答を承っておりますと、こういうことを感ずるのであります。いわゆる地域的分離にしても機能的分離にいたしましても、日本政府は、佐藤さんがこの間言ったように、一応いやだと言っている。アメリカのほうとしても、それをやったらあと何がくるかということで、必ずしも乗ってこない。だから、双方のニュアンスの相違はあるけれども、全面返還、つまり全体がなければ部分がないという意味において、部分的なものは、全体の構図がはっきりしなければだめだという点が、ニュアンスの相違はあるけれども、そういうことなんだ、こう考えてよろしゅうございますか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 はい。

横山利秋日本社会党

○横山委員 それから今度は、一体全体とは何だということであります。先ほど末次さんが、施政の改善が第一、それから基地を残して返還、それから基地がなくなるということを、たとえばという話で述べられました。つまり、その三つが達成せられること及びその時期、それが全体だ、こう考えてよろしゅうございましょうか。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 アメリカ側の人の立場によって問題のとらえ方が若干違うだろうと思うのですが、どういたしましても軍部筋としては、全体といいます場合の前提は、いかにして基地の安全を確保するかという点に焦点があるわけなんで、われわれの言う全体というのは、基地を含めて全部なくなるときのことを考える、そういうズレがあるということをまず申し上げる必要があろうと思うのです。したがって、この場合われわれの言う青写真の必要性という考え方の基礎は、少なくとも当面の情勢下にあってアメリカを説得するに足る将来の展望を用意しないと、ただばく然と抽象的に言ってみたり、あるいは将来の展望に触れない部分要求をしたりしただけでは説得できないであろうという意味に受け取っていただきたいと思います。  それからお話の中に、アメリカ側は部分に応ずる意思がないというおことばがありましたが、私どもが申し上げている意味は、全体の見通しなき部分に応ずる意思はどうもなさそうだという意味でありまして、見通しが立てば、具体的な作業としてはあるいは段階的に部分を積み上げていくということになるかもしれない、その意味では、私の個人的な見解になるかもしれませんが、こちら側としては、何も部分はだめだといまから捨ててしまう必要はない。ただ、部分を実現するとしても、総合的な展望を前提としなければ進まない、こういう意味で申し上げたいことをひとつ断わっておきたいと思います。

横山利秋日本社会党

○横山委員 そうしますと、大濱先生なり末次さんのお考えの中には、全体の終結ですね、まあ百年、二百年の先のことは言いませんけれども、少なくとも今日あり得る全体の中には、つまり基地も施政権も全部返還をされる場合でない場合もあり得る、そういう意味でございましょうか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 理想的には、基地がなくなり、施政権が全面的に日本に返るのが理想の姿であります。しかし、いま段階的に進む以外にしか道がないという場合には、やはり向こうは基地の重要性を特に強調する、基地はとにかくさておいて、施政権だけはさしあたり全面的に返してくれ、全面的な返還が不可能な場合には、スケジュールをつくって部分的に返していくという道も考えられるのではないかというようなことでこっちは言っておるわけです。全体という意味は、全き姿は、一応基地もなくなる姿でありますけれども、基地が非常に重要だということを強調しますから、それなら基地は認めるとして、施政権だけを一応全面的に返してくれることが望ましい、それから、全面的に一挙にできないということだったら、これはスケジュールをつくって部分的返還でもいいじゃないかという立場でこっちは主張しておるわけです。

横山利秋日本社会党

○横山委員 お話の意味はわかりましたが、全面返還ということが立法院でも決議されておる。佐藤総理も全面返還を言っておる。もちろん、よりベターなということもこの間発言しましたが、そこで、言うところの全面返還というものは、基地もないと考えておるのですが、あなたの言うところの全面返還というものは、そうではないのですね。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 基地と施政権とを分離して考えた場合には、施政権の全面返還という場合には基地は含まないで、基地は当分残すという考え方です。

横山利秋日本社会党

○横山委員 わかりました。意見は別とします。  そこで、もう一つお伺いしたいのは、いわゆる内容的な御意見はわかりましたが、今度は時期判断の問題です。青耳真の中に終局の日にちがあるかという点であります。また、あるべきではないのかという点であります。これは立法院の決議の中に、いわゆる青写真に時期を明確にしろ、こういうことがあります。つまり、部分なり何なりというものをやれば、先が一そう延びるだけだというのは、おおいがたい現地及びわれわれの疑惑であります。だから、言うところの青厚真、構図というものについてはその時期を明白にすることが必要だという立法院の決議について、先生方のお話し合いの中にどういうふうな話がございましたでしょうか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 実はこれは表現の問題でありますけれども、青写真、ブループリントをつくって、それを実現するタイムテーブルをつくるべきだというふうに最初は主張していたのでありますが、時期的にはっきりするということは、いま変動する国際情勢との関連において、時期をはっきり面するわけにはいかないという考え方が出てくるものですから、それで私は、タイムテーブルという表現をやめて、プロセスをきめる、全体の青写真をつくって、これをどういうプロセスを経て実現するかというプロセスということばで表現しました。どうも何年何月にはどうするというはっきりとした時期を設定するということは、周囲のいろいろな情勢の変化がありますので、話がこれでは進まないのじゃないかという考え方で、過程だけは明白にするということで、時期の問題は特に避けたのであります。

横山利秋日本社会党

○横山委員 お気持ちはわからないわけではありませんが、時期のほかにどういうプロセスの言い方があるかという点でぼくもいろいろ検討してみたのです。きわめて抽象的な、極東情勢が平穏に帰したときだとかなんとかということで、これは何のことだかわからないような気持ちに私としてはなりかねないと思うのですが、そういう点は、何か私案といいますか、お考えがございましょうか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 これは基地がなくなるときは、極東の情勢が基地の存在を必要としなくなったという時期だろうと、理論的には言えると思うのですが、ではだれが認定するか、どういうときにそういう状態と言えるかという問題はやはり残るわけでありまして、これはやはり政治の問題であります。結局、そのときの政治の力で解決すべき問題じゃないかと思います。そういう先のことを時期的にはっきりきめることは、相当政治的にはいまの段階では困難じゃないかというふうな考えを持っております。

横山利秋日本社会党

○横山委員 そこで、いまのお話の政治的なことを最後に伺うのですが、妙なことを申し上げて恐縮でありますが、世界各国の民族独立の歴史、あるいはまた、基地返還の歴史というものを検討してみますと、ある日突如として平穏無事に植民地が解放され、基地が返還されたということは皆無であります。これはもう先生のような方には釈迦に説法でございます。そこで、それにしても、沖繩に流血の独立闘争があって返還をされるということを私どもは望んでおるわけではありません。その二つの対照的な中における一刻もすみやかな全面返還をわれわれは望むわけであります。その意味におきまして、日本国内における運動のあり方ないしはアメリカとの折衝のしかたに、先生がはしなくもいまおっしゃったような問題が残ると思うのであります。アメリカは返したくない、日本は返してもらいたい。まあそのことだけに限って言うならば、相いれざる問題でありますから、先生がおっしゃったように、アメリカはそんな返そうと言うはずがない。日本から言っていかなければだめだ。それでは、日本から言っていくについて、一体政府筋のベースだけにまかしておくべきか。そんなことではとてもできない。だから、先生もいらっしゃる、沖繩特別委員会もできた、また、国会議員でやったらどうだ、もっと民間で、学者問でやったらどうかという意見が出てくる。そこが非常に大事な問題だと思うのであります。私が率直に感じますところは、いま沖繩問題について政府の態度が、率直に言えば、大事なことについては国民はあまり触れぬでもらいたい。先生がお行きになるにしても、どういう話があったかしれませんけれども、公の任務ではないという。ひとつ全く民間人として大いにやってきてもらいたいというわけで、無責任な言い方を政府はしておると私は思うのであります。これは言い間違いかもしれません。こんなことでは百年河清を待つようなものだと私は考えるわけであります。沖繩九十六万の悲痛な叫びは、おれたちのからだを犠牲にして一億の人間は安全をはかっておるのかというのが、いまの言い方でございます。それに対して政府は答えのしようがないわけであります。もっともっとこの平和的であるけれども全国民的な運動を高揚して、その組織ができ上がり、そうして国民的な力によってアメリカと折衝をしなければこれはだめではないか、政府間のベースで、総理がアメリカへジョンゾン大統領に会いに行くから、それを期待しようなんと言うておったのでは、それはだめではないかというのが率直な考えでありますが、そういう沖繩返還運動のあり方について、先生はどういうお考えでございましょうか。

大濱信泉南方同胞援護会会長

○大濱参考人 これは、御指摘のように運動方針そのものが確立することがまず第一なんですが、それが実現するためにはやはり国民の意思の統一というものが必要で、やはり政府の政策を強く推進させるためには、あるいは国民そのものの統一的な世論、それをバックし鞭撻する運動というものが非常に必要じゃないだろうかという意味で、沖繩問題は国民世論を喚起する必要があると思うのであります。そうでなければ、いまの政府だけでこの問題を解決できるとは思わないのであります。

末次一郎南方同胞援護会評議員

○末次参考人 関連してよろしゅうございますか。――私の意見でありますけれども、いまの会長のお話のように、世論の高まりということは私は絶対に必要だと思います。問題は、高まる世論がどういう方向を指向するかということが問題ではないだろうか。オール・オア・ナッシングという立場をとって、基地とともに同時に一切が解決しなければならぬという立場をとる国民運動もありましょうし、それからまた、段階を踏みながら、とにかく、オール・オア・ナッシングでなくても、事を進めていこうという世論の形成ということもあると思うのです。私は、相手があって事をまとめていこうとする以上、ただ力だけで押し切ろうという運動だけではいけないと思う。それじゃまた、円満を装うような運動だけでいいかというと、必ずしもそうは思わないのであります。少なくとも日本側においても、また沖繩側においても、お互いに立場の違いはありますけれども、お互いが向き合って、お互い同士むきになってしまう、こういう形態はもう断じて避けなければいけない。やはり利手はアメリカでありますが、硬軟相まじえつつ全体的な効果を巧みに求めていくというような、余裕を持った国民運動の組み合わせが一番効果的だなあと実は私は考えておるのです。しからばそれを具体的にどう進めていくかということは、言うべくして簡単ではございません。簡単ではございませんけれども、この際相手に向かってお互いゆとりを持って一芝居打つぐらいの余裕を、政府も、また野党も、われわれ民間側も持ちながら、スクラムを組んでいきたいものだ。たいへんばくとした言い方でありますが、私の感じを申し上げました。

横山利秋日本社会党

○横山委員 御意見ありがとうございました。  ただ一つだけ、私の意見を申し上げて恐縮でありますが、相手側に対して余裕を持てということと同時に、私は、いまのお話の国論を統一するということに異存を申し上げておるわけではありませんけれども、すべての問題で統一しなければならぬということでは、これまた内々にゆとりがなさ過ぎるということであります。全国民の悲痛な願いは沖繩の即時返還である。これはだれに言っても間違いない問題である。即時返還の方途並びにその手順については、国民それぞれのやはり意見の違うところであります。違うところであるから、そこまできちんとしなければ国論は統一されたことにはならぬということをおっしゃっておるわけではないと思いますけれども、何かそういう節にとられるおそれがありますので、私は、とにかく、手順、方法に意見は違っても、それはそれとして、国民の中に沖繩復帰の国民運動というものが非常な高まりを見せなければ、この問題についてアメリカを説律するわけにはいかぬのじゃないか、先生方がアメリカへ行かれて、去年とことしと違ったという背景は一体何であろうか、なぜ違ったのであろうか、やはりこれだけ国会や民間で、あるいは新聞で沖繩問題を取り上げたからではなかろうか、つまり、そのアメリカを一番説得し得るものは世論であり、日本国民のエネルギーではないかということを感じておるわけであります。これは意見になってえらい恐縮でございますが、私の質問はこれで終わります。

臼井莊一自由民主党

○臼井委員長 両参考人には、長時間にわたり貴重な御意見を承り、まことにありがとうございました。ここに委員会を代表して厚く御礼を申し上げす。  本日はこの程度にとどめ、次回は、明七日、理事会午後一時三十分、委員会午後二時より開会することとし、これにて散会いたします。    午後零時三十一分散会

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