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51回国会参議院1966/03/18

予算委員会公聴会 第2号

発言数
66
登壇者
20
会派数
2
開催日
1966/03/18

会議録

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  昨日に引き続きまして、昭和四十一年度総予算について公述人の方から御意見を拝聴いたします。本日、午前はお二人の公述人の方に御意見を伺うことになっております。   これから順次伺いたいと存じますが、その前に  公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとう存じます。昨日に引き続き、本日の公聴会においても忌憚のない御意見を拝聴することができまするならば、今後の審査に資するところがきわめて多いと存ずるのでございます。  これより名簿の順序に従いまして、お一人三十分程度で御意見を開陳願いたいと存じます。委員の方の質疑は、お一人の公述人の御意見の開陳が終わりましたところでお願いをいたしたいと思います。  それでは美濃部公述人にお願いをいたします。(拍手)

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) 私、ただいま御紹介にあずかりました美濃部でございます。  昭和四十一年度の政府原案がきまりまして、これは私が申すまでもございませんですけれども、一般会計において四兆三千億円、財政投融資で約二兆円、合計六兆三千億円ということになっておるようでございます。ジャーナリズムはこれを超大型予算とか、マンモス予算とか称しておりますが、とにかく四十年度に比べまして、財政投融資、一般会計、両方合わせまして約一兆円の増加、パーセンテージにして約二〇%の増加ということになっております。それで、ことしのと申しますか、四十一年度の予算がこういうふうに大型  予算になったのは、言うまでもなく、いわゆる景気刺激策、つまり財政の支出を増加することによって、生産過剰からきております不景気を解消しょうという意図が盛り込まれておりますために、財政の支出をできるだけふやすという意図が盛り込まれているためにこういうふうな大型予算  になったというふうに考えられます。そうして、こういう大型予算に四十一年度なりましたということは、日本の経済の発展の中において私は非常に重大な意味を持っているというふうに考えます。それはいわゆる財政主導型といわれております経済の発展の路線を日本がたどるということが、四十一年度予算においてきわめて明白にきめられたということであると思うのです。  それで、財政主導型と申しますのは、よく近ごろ新聞雑誌にそういうことばを使われておりますが、その意味が必ずしも明白にされていないというふうに思うのですが、財政主導型と申しますのは、結局資本主義という経済の発展あるいは成長というものは、普通生産の増加の速度によってはかられます。そうして資本主義経済である以上、生産がふえるためには需要がふえなければいけない。そこでどういう需要がふえるか、そのふえる需要が、どういう需要のふえ方が需要全体の増加の中においてイニシアチブをとるかということによって、いろいろの経済の発展のパターンがきまるということになると思います。それで財政主導型と申しますのは、政府の支出、政府の支出がふえるということは、それだけ政府が財貨なりサービスなりをよけい購入するということ、言いかえれば、政府が支出をふやすことによってそれだけ需要をつくり出すわけでございますから、いわば政府需要の増加というものが需要全体の増加の主導性をとる、そういう形であると思います。そうしてそういう財政主導型の発展が、現実に進行しているかどうかということを決定いたしますきめ手となるものは、GNP——国民総生産の中におけるいわゆる政府需要のパーセンテージが毎年ふえつつあるという形であるならば、それはまさに財政主導型の経済発展であるというふうに考えていいと思います。そうして日本の経済の発展を見ますと、こういう財政主導型の発展の経路をここ数年間たどっているということは明瞭であろうと思います。と申しますのは、国民総生産に対する政府需要の割合は、昭和三十三年くらいまでは一八%台でございました。それから三十四、三十、五、三十六はまず二一%前後でございましたのが、三十八年になりますと二二%、三十九年、四十年になりますと大体二二・三%、それからことし−四十一年度はどのくらいになるか、現在GNPの見積もり額がはっきりいたしませんからわかりませんけれども、二三ないし二四%ということになるだろうと思うのです。と申しますことは、まさに国民総生産の中における政府需要の比重が毎年毎年ふえつつあるということ、したがって、そういう政府需要の増加が需要増加の中において主導性をとる、そういう形がはっきりあらわれてきていると申して差しつかえないと思います。そうしてこういう財政主導型の発展というものは、経済の発展の中においてきわめて危険な性格、傾向を持つものであるというふうに言わなければならないと思います。   簡単に申し上げますれば、財政主導型という発展のパターンは、戦争のとき、戦時経済のときにとられる形でございます。もちろん現在戦時経済でないことは明白でありますけれども、経済的に見ますならば、財政需要が主導性を持つということ、それは戦争においては、政府の軍需品の需要という形でございますし、現在においてはそういう形ではありませんけれども、しかし政府需要が主導性をとるという点においては、そこに共通な性格を持っているというふうに言わなければならないと思います。ということは、二三%台に政府需要が増加しているということ、これは日本の経済の発展の中においても、戦時経済のときにしかあらわれない現象でありますし、二三%台という政府需要の比重は、昭和十二年、つまり満州事変の終わりころから中日事変の直前が二三・四%、企画庁の調査によりましてそういう数字が出ております。その満州事変の終わりころの政府需要の比重とほぼ同じ比重を政府需要が持つようになったということは、私は現在の日本の経済の性格が、いわゆる戦時経済的性格を持つ傾向を帯びているということ、したがって、また戦時経済につきまとう危険性と同じ経済的な危険性を持つようになるのではないかということが憂慮されるというふうに思うのであります。  一体、資本主義という経済の発展のもとにおいて正常な形、正常なパターンというものは、いわゆる消費主導型といわれる。八ターンであるといって差しつかえないと思います。これはいわゆる最終的な需要、つまり国民の消費から出てまいります消費需要と、それから外国から出てまいります輸出と、この二つの需要を基本とする発展であると申し上げてよろしいかと思いますが、しかし、何しろ国民の消費需要は、需要全体のうちの五〇%以上を占めますし、輸出のほうは一〇%前後でありますから、消費主導型という場合において最も大切なのは、個人消費の増加というものを基礎とする発展であるといって差しつかえないと思います。そして、こういう消費主導型という発展が資本主義経済である以上は、そこにいろいろの不均衡が出てくることは避けることができないと思いますけれども、しかしながら、資本主義に必然的に伴います不均衡、矛盾を最小限度にとどめておく、そういう発展の形であるといって差しつかえないと思うんです。それでありますから、第二次世界大戦前の資本主義の発展は、問題なくこの消費主導型という形をとってまいりましたし、欧米先進資本主義諸国家も、できるだけそういう形をとるというふうにかじをとっているといって差しつかえないと思うんです。そのことは、もう少し別なことばで申し上げますと、需要の構成が、つまり消費需要、財政需要あるいは投資需要あるいは輸出という、そういう需要の構成が非常に変化しないで安定している。つまり国民総生産の中におけるおのおのの需要の比重が著しく変化しない、そういう形で発展する場合、そういう発展が資本主義経済における最も安定的な形であると申して差しつかえないと思いますし、現在においても欧米の先進資本主義諸国家はそういう軌道をできるだけとろうと思って努力しているというふうに申して差しつかえないと思うんです。  わが日本におきましても、大体昭和三十年ころまではそういう軌道をたどっていたといって差しつかえないと思うんです。そして昭和三十年ころからいわゆる高度成長という発展が始まったわけでございますが、この高度成長というのは、経済的に言うならば投資主導型であったと申して差しつかえないと思います。つまり需要の増加の主導性、イニシアチブをとるのが、設備投資から出てくる投資需要である。投資需要を非常にふやすことによって需要全体を増加させていく、そういう投資主導型の発展に昭和三十年ごろを転機として日本の経済が進んできたと申して差しつかえないと思うのであります。それですから、大体において、つまり消費主導型というパターンと、投資主導型というパターンと、それから最近日本がその軌道に入り込むことが明白になりました財政主導型のパターンと、そういう三つのパターンが考えられるわけでございまして、そうしてそのうち最も安定しているのが消費主導型であり、投資主導型ないし財政主導型の発展というものは、その中に必然的に経済の不均衡を拡大する要因が含まれていると言わなければならないと思うのです。  ここに参りまして、私は、ちょうど昭和三十五年でしたか、六年でしたか、はっきり覚えておりませんが、公述いたしたことを思い出します。そのとき投資主導型ということばは使いませんでしたけれども、いわゆる高度成長という発展を続けるということははなはだ危険である。そしてその発展の形の中からは必然的に生産過剰とインフレーションが出てくることを避けることはできないということを公述いたしまして、そういう私の意見について、生産過剰とインフレーション、それに伴う物価上昇とが同時に起こるということはあり得ないのではないか、生産過剰は起こるけれども、生産過剰の必然的結果として物価は下落するだろう。そこで物価の上昇と生産過剰とが並行して進むことはあり得ないという御質問がございまして、そのとき完全な確信があったわけではありませんけれども、理論的に考えてみますと、生産過剰とインフレーションとが同時に進行するという、いままでの経済の歴史の中には見られないような現象が起こるのではないだろうか、そのときには物価の上昇と生産の過剰と、言いかえますれば、不景気と物価の上昇とが同時にあらわれるという、非常に奇妙な形の現象があらわれることもあり得るというふうに考えておりましたので、そうお答えいたしたことを覚えております。そして幸か不幸か、五年たった今日、私の申し上げましたことが大体においてあらわれていると言ってもいいと思うのです。  これは結局投資主導型という発展に伴いますアンバランス、不均衡の増大の問題でございまして、その投資主導型という発展を続ければ、必然的に出てまいりますのは生産過剰であり、そうして投資主導型が極限に近い形をとりますとインフレーション、物価の上昇があらわれるということが言えるのではないかと思うのです。なぜであるとするならば、投資主導型という場合に生産がふえる、そうして高度に発展していくイニシアチブをとりますのは、先ほども申しましたように、投資需要、設備投資から出てくる需要でございます。しかしながら、この投資需要は全需要のうちの、どんなに多くなりましてもせいぜい三〇%前後でございます。この投資需要は急速度で伸びるでございましょうけれども、しかしながら、一番量的に大きい国民の個人消費需要、言いかえれば賃金、俸給がその中心をなします消費需要なのでありまして、こういう賃金、俸給は、その伸びは決して大きいものではございません。とすれば、いかに投資需要が急速度で伸びましても、需要全体としての伸びはそれほど大きくはならない。それに対して設備投資を急速度でふやすことによって、生産能力は急速度で拡充いたされますから、そこにどうしても消費と生産との間のアンバランス、生産過剰が出てくるということは私は否定することができない事実であろうと思います。そうしてまた、蓄積された資本の中で設備投資をいたします限りにおいては、それはインフレーションは起こらないでしょう。しかしながら、成長を最高限度に高度にしようという意図のもとに、設備投資の資金の一部が日本銀行によってまかなわれるということになりますれば、そうして日本の現実の姿は、そういう設備投資が日本銀行の通貨増発によってまかなわれておりますが、そういう形をとれば、通貨膨張、インフレ、物価の上昇という問題につながることは明白であると言っていいと思います。  そのほか、この投資主導型という形から出てくるアンバランス、不均衡、矛盾あるいはひずみとか、ゆがみとか言われている現象は、まだほかにもいろいろございますけれども、しかし、その中心は何といっても生産過剰であり、そうしてインフレである、物価の上界であると言わなければならないと思います。そうして、現在においては、さらにそれが財政主導型に入り込もうとしている。そうして、この財政主導型という形の発展は、ある意味においては最も危険な軌道であると言わなければならないと思います。なぜならば、財政主導型の発展を続けるということは、必然的にインフレの本格的な進行につながらざるを得ないからでございますというふうに思います。  財政主導型によって景気を刺激するということは、確かに短期的に見るならば、それはそのとおりであろうと思います。それはつまりオリンピックをするために総額一兆何千億円という投資をし、それを土台にしていわゆるオリンピック景気が出てきたというのと全く理屈は同じでございまして、毎年毎年政府の支出をふやして、そうしてオリンピック景気を毎年毎年新たにつくり出していこう、そういうことを意味いたしますから、オリンピック景気がオリンピックの準備のための投資によって起こったと全く同じ理屈で、そこから景気の上昇が起こるということを私は言い得ると言っていいと思います。ただ、その場合に問題なのは、オリンピック景気がオリンピックが済めばオリンピック不景気に転換したと同じように、財政支出の増加をやめれば、政府需要の増加をやめることになれば、もう一度不景気がくるということでございまして、それは財政の支出の増加を、景気を悪くしないとすれば、際限なく続けていかなければならない、そういう傾向がその中に含まれているということでございます。そうしてまた、財政需要をつくり出すために支出をふやすためには、現在の状況においては、財政の収入がそれに足りない。したがって、その赤字を公債発行によってまかなわなければならないだろうということになります。  四十一年度においてこの公債発行は、一般会計において約七千三百億円、それから財政投融資における政府保証債が約四千億円、合計いたしまして、広い意味における公債は一兆二、三千億円発行されることになろうと思います。それでこの一兆二、三千億円、つまり財政主導型に入った最初の年の一兆二、三千億円の公債発行は、いま申し上げましたように、オリンピック景気を毎年つくり出そうということになりますれば、必然的に毎年だんだんその発行額はふえていくという可能性が強いと言わなければならないと思います。その場合に、最初の一兆二、三千億円の公債発行、これは、私は日本の現在の経済の情勢から見まして、決して少ない額ではないというふうに思います。それは過去における公債発行と比べるということによって、その重要さをはかることができます。もちろん過去におけるいつごろの公債発行と同じくらいな意味を持つかということは、たいへんにむずかしい問題でございますし、正確にそれを計算することはとてもできません。しかしながら、貨幣価値がどのくらい低落しているか、つまり貨幣価値の低落の度合いによって修正をして、さらに同じ公債の発行であっても、経済全体が大きくなれば、それだけその与える影響も少なくなりますから、さらに経済の規模の拡大、つまり国民総生産の増加の度合いによって調整いたしまして、過去における公債発行を、現在における公債の発行額に、非常に不確実ではありますけれども、換算してみますと、一兆二、三千億円の公債発行というのは、日清戦争のとき、このときが、現在の、いま申し上げましたような換算方法によって換算いたしますと、一兆三千億円になります。もちろん、それは日清戦争のときの二年間に発行されました公債を、一年平均にして比較したものであります。それから昭和六年から十一年までの、満州事変のときから中日事変までの年平均の公債発行額が、やはりいまのようにざっとした換算によりますと約一兆円になります。といたしますと、日清戦争ないしは満州事変のときの公債発行額とほぼ同じ重要性を持つということが言えると思います。  そうして、御承知のとおり、日清戦争のときも、満州事変のときも、公債発行がインフレを招きまして、そうしてそれまでずっと物価が下落的な傾向をたどっておりましたのが、物価が上昇しだす、そういう形をとっております。もちろんこの比較は正確なものではございませんけれども、今日における一兆三千億円の公債発行が、決して日本の経済全体の中において軽い問題ではないということ、そしてそれがインフレーションを起こす可能性も十分にあるということ、そうしてまた、財政主導型という形を一たんとりますと、そこから離脱するということはたいへんにむずかしい。という意味は、財政主導型をやめれば、もう一度不景気がくる。その不景気は、財政主導型をとっている間の物価の上昇の結果として、消費需要がそれだけ減りますから、最終消費はそれだけ減ってくる。したがって、財政需要の増加をやめれば、そのやめたあとにくる不景気は、前よりも深刻なものになる。それを避けようとすれば、いつまでもオリンピック景気をつくり出すことを続けなければならない。言いかえれば、財政主導型の形の発展をとり続けなければならない。そういたしますと、初年度においてすでに一兆二、三千億円という日清戦争あるいは満州事変並みの公債発行をしなければならない、それがだんだんふえていくということは、インフレがそこから起こる可能性が十分にあるというふうに言わなければならないと思います。そうして経済のアンバランスをつくり出す一番こわいものがインフレーションである。そのインフレーションを本格的に動き出させる体制、それが財政主導型という形であるということを考えますと、この財政主導型というパターンに日本の経済が入ったと、それが明白になったということは、非常に重大な意味があるというふうに思います。  もう時間になりましたから、十分のお話ができませんでしたけれども、そういう意味で、私は昭和三十六年のときに、ちょうど投資主導型の軌道に日本の経済がはっきりと乗るようになった、ちょうどそのときの心配をここで、申し上げましたが、くしくも、ちょうど財政主導型という別の、ある意味においては投資主導型よりももう一そう危険な発展に入り込もうという今日、もう一度私の心配を申し上げるということも、何かの運命というのも変ですけれども、めぐり合わせではないかと思います。  それでは私の公述を三十分済みましたから、これで終わらしていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) ありがとうございました。美濃部公述人に御質疑のおありの方は、順次御発言をお願いいたします。

羽生三七日本社会党

○羽生三七君 ちょうどいま美濃部先生から御指摘になった、その昭和三十五、六年当時の御意見を拝聴した際、御指摘に質問したのは私だったのです。非常に印象深く感じました。そこで承りたいことは、いま御指摘のような点を、そういう正確なものではありませんけれども、先般当委員会で政府に質問した際、その心配は要らない、というのは、税の自然増収が安定成長下で予定どおり確保できるから、決してそういう心配は要らないと、ある適当な時期が来れば、やはり消化には長い年月はかかるけれども、公債政策から離脱することはできる、こう答えているわけです。私どもはどうしても納得できないけれども、政府はそう答えている。安定成長下で、財政の取り方もありますけれども、そういう税の自然増収で近い将来離脱できるような条件があるとお考えになられるかどうかということが一点。もう一つは、景気が回復すれば、財政主導型経済で景気が回復すれば、物価が下がりますと言っている。これは私や木村委員ともにそれはおかしいじゃないかと言ったのですが、政府は——これは確かに操短率が緩和されて生産が伸びてくれば、理論的にはそういうことになりますが、実際にはカルテルとか独占の制約があって、そう物価は下がるとは思えないし、むしろ卸売り物価は上がるのじゃないかという懸念さえあるのであります。ところが、政府は絶対に景気が回復すれば物価は下がるという。これは大蔵大臣も経済企画庁長官も一致してそう答えているわけです。これをどうお考えになりますか。この二点をひとつ伺いたいと思います。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) いまの二つの御質問、私はお互いに関連し合っていると思いますから、一括してお答えいたしますが、私は、いまの財政主導型をとることによる景気刺激がほんとうの景気上昇をもたらすかどうかという問題は、一番それをきめるきめ手は、こういう財政主導型の中において物価が政府の言うように、だんだん下がり得るかどうかということによってきまるのじゃないかと思うのです。それは一方において、追加的な購買力を、財政を通じて放出していく、それで景気を持ち上げようとする、こういうことを一方にしながら、しかも物価が五%に下がり、三%に、上昇がだんだんにぶってくる。そういうことがもしほんとうに起こり得るならば、私は、ほんとうの景気上昇に、いまの景気刺激策による景気上昇が移っていくことも可能だと思います。なぜであるならば、そういうふうに物価が下落していけば、個人消費需要はふえてまいりましょう。そうしてさらに輸出もまたふえるでしょう。そういたしますれば、つまり、時間は若干かかるかも、しれないけれども、耐久消費を基礎とするいわゆる消費主導型に移ることができますから。ただ私は、いまのそういう形が、追加的な購買力を財政を通じて散布するという方法で景気を持ち上げるのですから、一方においてそれをやりながら物価が下落していく、そうして安定する、三%以内に安定するということは、これはどうしても考えられない。もし物価がこれ以上上昇するということであるならば、ほんとうの景気上昇には、これはどうしても移らない。と申しますのは、昨年の七・六%の物価上昇においてすでに国民の消費は実質で〇・三%減っているんですから、これ以上物価が上昇すれば国民の消費需要は減る一方である。そうしてまた、物価の上界が輸出に対しても悪い影響を及ぼす。そうすると、ほんとうに景気がよくなるというのも変なことばでございますけれども、つまり、政府需要をふやさないでも景気が上昇を続ける、つまり、政府需要をほかの需要で肩がわりするというものは、私は、投資需要以外にはない。しかしながら、もし投資需要をふやすとするならば、つまり、いまの生産過剰はそのままにしてあるのですから、一時的には景気の上昇が来るかもしれない。しかし、それはじきもっと激しい生産過剰が来る。それだから、その道もほんとうの景気回復に向かう道ではない。そういたしますと、物価が下落しない限りは、つまり、ほんとうの景気上昇というものにはつながらない。  そうして、もう一つ、私時間をとりますけれども、申し上げたいのは、つまり、景気景気というほど、景気のことばの意味がその人々によってたいへんに違っている。それでいつでも議論がかち合わない。それで、多くの人々が景気がよくなるということは、企業、ことに大企業の採算状態が一時的でもよくなるのだ、そうすれば景気がよくなるのだ、そういうふうに解釈していると思うのです。そういうふうに解釈すれば、いまなされようとしている景気刺激策は確かに景気をよくする。とにかくそれだけ需要ができるのですから。そうして、その需要は大企業のほうに行くのですから、いわば形を変えた山一証券の救済である。つまり、借金をしてその金を大企業に流す、そういう操作ですから、それだけ大企業が助かり、利益がふえるのはこれはあたりまえなことである。ただ、ほんとうの景気が回復するか、回復しないかということは、私はそういうことではなくて、高度成長から出てきたゆがみ、ひずみ、不均衡、そういうものがなくなる、解消するかどうかという問題であろうと思うのです。それで、そういうふうに問題を提起すれば、いまのような形のやり方は、高度成長から出てきたもろもろのアンバランスをむしろ拡大しこそすれ解消の方向に向かわせるものではない、そういうふうに考えます。

赤間文三自由民主党

○赤間文三君 美濃部先生にお伺いを申し上げたいと思います。  先生の御説によると、財政主導型になると、大体公債が一兆二、三千億になればインフレにつながる可能性が相当あるように思う、こういう御意見であります。私の考えから言いますと、その金の使い万ということがいろいろインフレになったり、あるいはインフレにならなかったりする。なおまた言いますならば、公共事業でも、特にこういう公債に性質上適合するような国の公共事業を積極的にやっていく、こういう方法を慎重にとるならばインフレになる危険というものは、私はない。ただ、この金の使い方が公債に向かないような事業にやるならば、先生の言われるような危険性が多くなりはせぬか、こういうふうに私は考えておるのでございます。要は、まあ要するに、金の使い方によってインフレ的傾向になるか、ならぬかというのが分かれるのじゃなかろうか、こういうふうな考えを私は持っておるのでございます。この点について先生の忌憚のない御意見を十分発表していただきたいと思います。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) 私もそのとおりだと思います。もし財政の需要をふやす、そうして、それを公債によってまかなう、そうして、その支出を全面的に農産物の生産増加、そうして、われわれの消費の対象となります中小企業のサービスなりそういうものの生産増加に全面的に回して、そうして支出が増加したと同じ割合、つまり、追加的な購買力が増加したと同じ割合において、それが消費財貨なり、サービスなりの生産増加をもたらすならば、私はインフレは起こらないと思う。しかしながら、公共事業という場合にはそうはいかない。つまり、公共事業それ自体は決して悪いことではありませんけれども、それによってわれわれの消費の対象となる消費財貨なりサービス、そういうものの生産はふえるものではない。そうすると、追加的な購買力だけふえて、そうしてわれわれの消費の対象となります財貨なりサービスなりの生産はふえない。そこで私はアンバランスができて、そうして物価の上昇が起こる。それですから、いまのお話のとおりに、使いようによって、つまりインフレを起こさないことはできるという点においては私は全く同じでございますけれども、現在の財政のような使い方、つまり公共事業を中心とする使い方では、インフレが起こらないような使い方とは言えないのじゃないか、そういうふうに考えます。

赤間文三自由民主党

○赤間文三君 関連してもう少しちょっと。

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) あとは簡単に。美濃部公述人は十一時にお帰りになりたいということでありますから。

赤間文三自由民主党

○赤間文三君 今日の日本の経済から見ますれば、日清戦争とか、あるいは満州事変なんかのときともう天地雲泥の差があると私は思います。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) それは計算に入れております。

赤間文三自由民主党

○赤間文三君 何倍かけて、今日の物価の。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) 物価で調整して、それから国民総生産の実質で計算いたしまして、規模が五倍か六倍になっておりますから、それをぶっかけて……。

赤間文三自由民主党

○赤間文三君 あのときはやはり大砲のたまとかあるいは非生産的な事業に金が投ぜられたからそういうふうな……。今日建設的になれば全然もう過去の例は役に立たぬのじゃないか、こういうように考えます。その点ちょっと簡単に。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) それは戦争と住宅をつくられるのは非常に違います、弾丸と。しかしながら、何と申しますか、それ自体が、つまり公債の発行による借金が、ほんとうの意味における生産がふえるということに使われないという点では同じじゃないですか。住宅が建っても、そのために生産はふえません。若干それは道路がよくなれば、輸送から生産増加という影響は出てきます。いわば戦争の場合と全然同じとは申しませんけれども、似通った点はあると言わなければなりません。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 簡単に一つだけ。  先生がさっきほんとうの景気ということを言われたのですが、私は、昭和三十年ごろは、いわゆる数量景気ということをいわれたのですが、あのときは輸出もふえ、国内生産もふえ、物価は上がらなかったのですね。ああいう形の好景気というものが、日本の資本主義のもとでほんとうの、正確には説明できないが、インフレを起こさないで、景気をよくするというのは、ああいう形の景気ならば、まあインフレ景気よりはいいと思うのですけれども、なぜ三十年にああいうことが可能であって、現在あの当時と同じような設備過剰でありながらそうならないか。この前私は、設備過剰で物価が下がるのじゃないかと言ったら、先生は、物価は上がると言われた。先生の言われたとおりになったのですが、私もその後そうかなと思いまして、いろいろ先生から教わったわけでございますが、三十年の問題ですね、その点ちょっと。あのときはどうしてあれが可能であったか。現在はああいうような数量景気みたいなものを実現できるという条件が少ないのではないかと思うのですが、その点ちょっと伺いたい。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) あのときは私はこう思うのですけれども、いまの問題の物価上昇は、消費物価の上昇ですね。あのときは設備投資で、投資主導型に入ってきたけれども、まだ消費の増加にはそれが及んでいなかったから、つまりある意味においては、インフレが消費の増加という形をとらなかったから、そこで、消費物価が動かなかった、しかし、卸売り物価はずっと上がっておりますから、いまと逆の形が出ておりますから。つまり、あのときは、まだ消費財貨と消費力のアンバランスは起こさないで、若干の年次は投資主導型でいくことができたから、簡単に言えば、そういうことではないでしょうか。

櫻井志郎自由民主党

○櫻井志郎君 美濃部先生の時間がないのはまことに残念ですが、先生のおっしゃる財政需要という、財政需要の範疇はどういうことであるか。それからそのことと、その昭和の初めと比較して、同じような純粋型の財政規模というようにおっしゃっておるのですが、財政需要の中身と財政規模というものは私は違うと思うが、そういう意味からいたしまして、もう少し具体的に解明を願いたいということが一点。それから、赤間委員からもお話がありましたが、日清戦争、あるいは日露戦争時代の公債発行等の平均高と御比較なさいまして、インフレ必至であるというようにおっしゃいましたが、工業生産力の比較あるいは国民の数の比較、言うならば、国の総合経済力の比較、そういうものを抜きにして、ただ公債発行というものを比較をして、そうしてこれをもって直ちにインフレであると、こういう言い方は私は全然納得できないのですが、それについてもう少し御解明を先生からお願いいたします。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) 最後の点から申し上げますけれども、それは簡単に申し上げましたけれども、それは計算の中に入っていると申したという意味は、つまり、国民総生産の生産が決してそれほど信頼できるものではございませんけれども、国民総生産の増加が今日とそのときと実質で計算いたしまして、どのくらいふえているかということを、計算の中に入れた比較でございます。それですから、その工業の——農業が工業に転化したというむずかしいことを言いますれば、先ほど申し上げましたように、正確に比較することはもちろんできません。

櫻井志郎自由民主党

○櫻井志郎君 工業生産力の増加は。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) 計算の中に入っているわけです。入れてあります。つまり、国民総生産の増加の割合でもって計算しておりますから、それから、もちろんそれは非常に正確ではございません。ほぼの話であって、何から何まできちんとそうだということは言えませんけれども、今日においてもそういう危険性が中に含まれているということはそれによってある程度証明できるというほどのことでございます。  それから政府需要と申しますのは、これは国民経済生産の普通の定義では、財政の支出をふやすことによって政府が買い入れる財貨及びサービス、つまり政府の需要——政府の支出増加によってつくり出される需要、これを政府需要と申します。そこで、それが弾丸を買うために使われるか、それから道路をつくるために使われるか、それから住宅をつくるために使われるか、あるいはほかの目的に使われるか、それによってもちろん効果はいろいろと違ってまいります。しかしながら、基本的に同じである点も多々あるわけであって、それは、政府の支出がふえるという、そうして場合によっては政府の赤字がふえるという、そうしてそれを埋めるために公債発行をしなければならなくなるのではないかという点、そういう点においては、財政の支出をふやして、そうして需要を増加させるという点が同じでありますから、その重要な大もとにおいては同じ性格を持っている。もちろん、こまかい点になりますれば、住宅をつくる場合、それで弾丸を買う場合、それからそれを全面的に農業生産の増加に使う場合、あるいは中小企業の補助に全面的に使う場合、そういう点において違いが出てくることは、これは否定することは必ずしもできない。しかし、その政府の支出がふえるということをイニシアチブにして経済が発展する、そういう根本的な性格においては、私は、何といいますか、似ている点が基本的には同一の性格を持っていると言っても間違いではあるまいというふうに思います。

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) 内藤君がもうちょっとあるようですから、簡単に……。

櫻井志郎自由民主党

○櫻井志郎君 簡単に言いますと、このたびのは、社会資本充実といいましょうか、つまり、再生産に十分活動する方向に持っていくためにいろいろ財政が膨張してくる。片一方は、弾丸等に消費される。そういう意味で根本的に違うと思います。その点はいかがですか。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) その点は確かに違います。戦争の場合は一〇〇%不生産的でしょう。しかしながら、道路をつくったり、ことに住宅をつくったり、それが間接的には再生産に役立つかもしれませんけれども、直接的にそれがもとになって生産がふえていくと、それは工場を建てるのだったらば、直接にそこから生産の増加が起こるでしょうけれども、非常に間接のまた間接の生産増加ですから、それは生産とは普通には言わない。つまり、工場を建てたり、あるいはそういうことは生産的でありますけれども、そのことから直接に生産がふえるとは言えませんから、普通には、そういう場合においては、住宅を建てるということは生産的な消費とは言わないというのが経済の普通の常識ではないんでしょうか。

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) 時間がないようですから、簡単に内藤君どうぞ。

内藤誉三郎自由民主党

○内藤誉三郎君 簡単にやります。美濃部先生にお伺いしますが、資本主義の初期のころには、大体先生のお話のように、一般の国民の消費でまかなわれ、国のほうの財政がタッチする面は少なかったと思うのですが、だんだん資本主義が高度に発達してまいりますと、弊害が多く出ますので、社会保障その他のために公共投資等が行なわれますので、私は財政の支出が国民経済の中に占める地位というものは、どこの国でも増大していくのがあたりまえだと思うのです。そこで、先生は、一八%ならこれは消費主導型だから影響がないというお話だった。二三%ならこれは財政主導型になって危険だというお話だけれども、私はそれは少し独断じゃないかという気もするのですが、その資本主義の発達段階によって違うのじゃなかろうか。  それからいま一つ、公共投資の話が出ましたが、確かに物価が上がる原因というのはいろいろあると思いますけれども、一つは設備が近代化されまして、本来なら物価は下がらなきゃならぬと思うのです、生産が向上するのですから。ところが、それを妨げている要因は、カルテルもあるでしょうけれども、一つは公共投資が立ちおくれておる。たとえば、道路の話、港湾の話、こういうものの立ちおくれがあるので、その面はむしろ財政に待たなきゃならぬので、その面の立ちおくれを解消することが必要だと思うし、また、私はレッセ・フェールの自由主義の資本主義経済に対してもう少し計画性を持たなければならない。この計画性を持つところに国家財政のシビリティが高まってくると思うのですが、この点についての先生の御見解を伺いたいと思います。

美濃部亮吉東京教育大学教授

○公述人(美濃部亮吉君) どうも私の言うことを御理解していただけないので、はなはだ困るのですけれども、一八%、だから財政主導型でなくて、二三%だからそうだとぼくは一言も言わなかったと思います。つまり、ぼくが言いましたのは、一八%が年々二〇%になり、二一%になり、二二%になり、二三%になる。つまり、比重がだんだんふえていくと、それが問題なんで、もしそれが一〇%から一五%にふえてもですね、一〇%からふえていけば、その場合はやはり財政主導型で、財政需要がイニシアチブをとる。しかし、私はやっぱしこれは理論的根拠はございませんけれども、世界の先進国の普通の状況において、これはあまり根拠はありませんけれども、二〇%——前に比べて、戦前は七・八%でしたよ。それが現在一五%から二〇%が普通の状態である。しかし、欧米の国々はそこでぴたっととまっている。もうずうっと十河年間もうほとんど移動していない。それが大事だと思うのですね。

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) それでは、美濃部公述人に対する質疑はこの程度にとどめます。  美濃部公述人におかれましては、お忙しいところをどうもありがとうございました。御礼申し上げます。(拍手)     —————————————

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) 次に、氏原公述人にお願いいたします。

氏原一郎高知市長

○公述人(氏原一郎君) 私の場合は、国の一般的な財政に触れる点は比較的範囲が狭うございまして、主として四十一年度の地方財政計画を中心にして、私どもの率直な意見を申し上げたいと思います。もともと野人でございますので、発言の中で礼を失する場合があろうかと思いまするけれども、その点は前もってひとつお許しおきを願いたいと思います。  昭和四十一年度の地方財政計画が決定をされましたのちにおいて、自治六団体は、しばしばそれぞれ別個にもしくは合同で、いろいろな会議を開いたのでございますが、その中で非常にシンプルではございまするけれども、国が国債という借金をするんだから、地方団体も地方債という借金をして、財政上のバランスを保ちつつ、国の政策であるところの公共投資の促進、そしてそれによって景気の刺激に一役を買わなければならぬじゃないかという、いささか押しつけがましい地方財政計画が策定をされたと、こういうような、ごくシンプルではございまするが、相当多数の府県の段階においても市の段階においても町村の段階においても共通的な意見が出ております。これは、私は、こういうような意見が出まするのには、当然そうあるべきところの要因があると思うんです。第一には、地方財政窮乏の実態というものが特に国の財政担当当局にほとんど、何と申しまするか、把握されていないということが第一。それから第二には、これはことばが当たらぬかもわかりませんが、いささか場当たり的な、そうして政略的な、同時にまた打算的な地方財政対策が立てられて、そうして地方財政の悪化することの悪循環の禍根の再生産をしておる、こういうようなことが言えるのではないか。そして、そのことが地方住民から不信を招くような性格を持っておるのではないかと、こういうふうに私どもは一応考えざるを得ないのでございます。これはあくまでも私一個の意見ではございませんけれども、そういう考え方を持っておりまする者は地方行政に携わる者の中に非常に多いわけでございます。ということは、特に第二段でありまするが、昭和四十一年度の場合は、自治省の計算によりましても、財源的には三千億以上足りない。しかし、大蔵省は、これを予算を査定をする場合におきましては大体二千五十億程度しか穴埋めをしない。しかも、そのうちの一千二百億というのはいわゆる建設公債的なものでまかなう、こういう形であったのでございまするが、しかし、現実的にはもっと地方財政の姿というものは行き詰まっておるということが十二分に財政当局にはわかっていない。そして、同時にまた、それならば、そういうようにして地方債をワクを広げるということについては、それから後の何カ年かの後に起こるであろうところの地方財政への影響をどういうふうにして遮断をするか、悪い影響をどうやって遮断をするかという計画が全然明らかにされていない。さらにまた、特に私どもが心配をいたしまする点は、すでにこの地方財政計画というのは破綻を来たしているのではないか。たとえば、地方税のうちで、自治省を中心として固定資産税と都市計画税を合わせて約百億を歳入として計算に入れてある。それからまた、一方において、地方団体の自己努力によるところの百五十億という節約を計算の中にお入れになっておる。ところが、もうすでに地方団体としては、昭和三十七年度ごろからの、だんだんと地方財政が行き詰まってくるのに対しては、物件費についても人件費についてもかなり窮屈な姿になることをあえて忍びつつ、節約ということには一生懸命みんなが血みどろになって努力をしておる。さらに、四十一年度においては、その百五十億というようなかなりの額を節減をして生み出そうとするならば、やはり根本的に言うならば給与費というものに重点を置いての節減以外に道がないではないか、こういうようなことに相なっておるのでございまするが、それがためには地方公務員法の一部改正案などというものが一体この国会で成立するのかしないのか、おそらく現状では私どもとしては非常に悲観すべき状態ではないか。具体的に言うならば、地方公務員の定年制というような問題は、自治各団体の共通的な長い間の、何と申しまするか、要望でありまするけれども、おそらく今国会ではこういうことが実現をする可能性が非常に薄い。そうだとするというと、百五十億のほとんど大半を給与費でもって節減をしようという考え方は根底からくつがえってしまうじゃないか、こういうことも一面においては言えるのではないかと思うのでございます。  それから、もう一つは、後年度の国債及び地方債計画のいわゆる見通しというものが、特に償還対策等についての見通しというものが明らかにされるべきではないかと思うのです。この一千二百億のうちの七百億は、御案内のとおり公募債でありますが、この公募債というのは、政府資金を借りまするのと比べまして、大体平均して八厘ぐらい金利が高いのです、幾らどうやりましても。特に市中銀行の資金を借りようとしますれば、それだけ金利が高い。そうすると、いわゆる据え置き期間中はよろしいのでございますけれども、据え置き期間の過ぎました後においては、いわゆる均等年賦償還の形で参りましても、かなりの大きな財政負担になる。現状においては、各地方団体のかかえておりまするところのいわゆる地方債の総ワクというものは御承知だと思いますが、その比率は大体において毎年の予算の総額に対しまして非常に内輪に見積もって、よろしいところでまず二%、それから非常にふくれているところでも五%までというようなところはそれほどたくさん団体数としてはございません。それは、それ以上の地方債を引き受ける、そしてそれを償還するというめどが立たないからなんです。ということは、一般財源が非常に枯渇をしておって、補助の対象にもならない。まして、いわんや、借金を払うためにまた再び起債をするということはなかなか現実問題としては許されぬのでございますから、勢い一般財源をそれに入れる。そういうようなことの中から、できるだけ起債は償還の計画が立たないものについては控えていこうというのが今日の地方団体の姿でございます。ところが、今回の場合は、四十年度の当初の財政計画に比較をするというと七割七分以上も伸びておる。そうすると、必然的に、償還期になりますれば、いまの二%程度の公債費が三%にもなろう、あるいは四%程度のものが五・八%程度にもなるであろうという団体は、もう現に明らかに出ております。そのことが、だんだんと地方自治本来の仕事はあと回しにして、この地方債の償還ということにやきもきしなければならないという姿になってまいりまして、今日言われるところの、あるいは四割自治、三割自治というようなものが、二・五割自治とかあるいはまた二割自治とかいうようなふうに、だんだんと地方自治本来のあり万というものがゆがめられるというおそれが多分にあるということを考えられるのでございます。  それと同時に、私どもが、これは共通的な考え方でございますけれども、長い間にわたって地方財政におけるところの超過負担を解消しなければならないということを強く主張してまいりましたけれども、残念ながら昭和四十一年度の国の財政を通じ、また地方財政計画を通じまして、大体五分の一足らずぐらいしかの処理ができていないということなんです。自治省の数字とわれわれの団体側の数字とは若干相違がございますけれども、大体まず一千二百五十億というふうにお考えいただければ間違いない超過負担を持っておる。ところが、それをせめて半分ぐらいでもこの超過負担を解消するとすれば、六百億という額になります。ところが、現実には、二百五十億そこそこしか超過負担は解消されていないし、それから昭和四十年度の物価が上がっておりまする、あるいはまた人件費が上がっておりまするものを差し引いてみまするというと、大体一七%程度しか実際には超過負担の解消はなされていない、五分の一には足りない、こういう数字が明らかにはじき出されるわけでございます。  こういうことの中から、これは皆さん方には、地方の一団体ではありまするけれども、ぜひひとつお耳にとめていただきたいというのは、昭和四十一年度にできるだけ公共事業も引き受けよう、できるだけ投資的な単独事業もやろうといって相当背伸びをいたしました、人口二十万、二十二万ぐらいの私のほうで、当初予算で四十一億というかな大型の予算を佐藤内閣の方針に沿うてつくったのです。ところが、その場合、公共事業だけの財政上の超過負担というのが依然として二千八百万円ぐらい残る。それから、たとえば、国民年金であるとかその他国の委任事務とでも言うようなものの超過負担というのは実に六千五百万円。双方合わせますると、一億に近い超過負担を依然として地方団体は背負うておると、こういうことが、これは四十一年度の予算の数字の中で詳細に計算をしてみますると出るわけなんです。したがって、人口三万に足らないような小都市においては、現実に四十一年度の予算を組んだ場合に、六億の予算の総額で、人口は三万に足りませんけれども、六億の予算で二億四千万が生活保護法の関係経費である。そして、それの約半額が失業対策関係の経費である。そして、残るところの約八〇%までが人件費である。そうするというと、単独事業なんていうものは幾らしゃっちょこ立ちしてもできない。からくも辺地債などでぽつりぽつりと仕事をし、それから失業対策の事業でもって、それがいわゆる単独事業にかわるところの投資的な事業だと、こういう姿に相なっておりまする町村が、これはもう北九州方面から四国、中国におきましては相当多数の団体にのぼっております。生活保護が総予算の四割ということになりますれば、これはもうお考えいただいてもわかりまするとおり、絶対に単独事業なんぞの余裕はないということになります。しかも、今度の国勢調査の結果では、かつて三万をこえておったものが二万七千を割るというふうに人口は減っておる。残っておる者は全然生活能力のない者、所得の非常に低い者、市民税は均等割りさえも払わないけれども、国民健康保険税は一人当たり千六百円ほどの負担をしなければならぬというような形の、非常にいびつな形の世帯、それが残ってしまっておるというような形で、ここに地方団体としては一体こういう実情が政府の財政当局にどれだけわかっているのだろうかと。国会の皆さん方も、あんまり地方財政なんていうのは票にならないから、どちらかといえば、あまりこのことについていろいろとお考えいただく場合も少ないんじゃないかと思うのでありますけれども、そういうことの中へ、政府資金でないところの公債を相当額割り当てられましても、おいそれと簡単にそれを引き受けて国の政策に対して同調するということは、将来を見通した場合、非常に危険だという気持ちが地方団体の中にあるということ。それから、こういうやり方でいきまするというと、地方財政の構造を非常に悪化させるということなんです。現に四十一年度と四十年度とを比較してみましても、歳入の面では地方税の全体に占めておりました比重というのが、四十一年度は御案内のとおり三八%と、こうなりました、歳入総体のうちで。ところが、四十年度は、これは全体で四一%でございました。さらにまた、地方交付税にいたしましても、四十年度は二〇%の比率を占めておりましたが、本年度は一八%に下がっております。二・五%の税率の改正をいたしまして三二%という交付税の税率になりましたけれども、それでもやはり二%というものは下がる。さらにまた、この場合において第二種の特例交付金を含めましても大体同じような姿になっておる。それから国庫支出金のほうは逆に前年度の二七%が二九%にふえておる。ところが、ここで問題になりますのは、大体国の一般会計の公共事業費というのが、いわゆる直轄、補助事業を合わせまするというと、八千七百六十億程度になると思うのです。この中で、なんと地方団体がこれに対して負担をしなければならないものは三千二百億ございます。そうするというと、この三千二百億というのは、結局地方団体にとりましては起債でもってまかなうか、あるいはまた、場合によりましては一般財源をつぎ込んでいくか、こういうことにならざるを得ないのではないかと思うのでございますが、このことを考えてまいりまするときに、われわれは、冒頭に申し上げましたシンプルな意見でございますけれども、国の公債発行におつき合いをさせられて、そうして公共専業の消化のために借金を許されて、そして景気刺激のパイロット的な役割りを果たせというような要請を地方団体が受けているのじゃないかというような感じにおのずからおちいらざるを得ないというわけでございます。  したがいまして、私どもがここではっきり申し上げたいことは、もう一つの面では、こういうようなあり方では、むしろ地域格差的なものを増大するおそれがあるということであります。比較的財政力の強い団体はどんどんどんどん公共事業を受け入れます。そしてまた、政府もそういうところに対してはいろいろな事業を直轄的な工事もやりましょう。ところが、弱い団体は、おのずから消極的にならざるを得ない。そうするというと、問題でありまするところの、地域の産業をまんべんなく発展させるための基盤である道路にいたしましても、一、二級の国道あるいは主要県道だけは公共事業で完備したけれども、毛細管的な役割りを果たすところの市町村道というものは依然として十分な役割りを果たして生産を高めるための基盤の整備をするという段階には至らない。依然として山を越えた向こう側にありまする何百世帯かの部落はそこで孤立をしたという形になってきて、実際には、全体の生産が高まっていくということ、あるいはまた、それによって流通がうまくいくというようなところへまではいかないのじゃないか、こういうことが私どもとしては非常に心配をされるわけでございます。  それともう一つ、これほど縁故債を多額にお認めになりまするというと、特に一般の零細企業あるいは中小企業に対するところの資金の関係から非常に大きな影響が出てくると思う。現に、昭和四十年度の国債発行に関連をいたしまして、市中銀行などでの一年あるいは二年というような長期の定期預金が相当額金融機関から公債の買い取りという方向へかわっております。これは私のほうの実例でございますが、昭和四十年度分で私のほうの一番大きな市中銀行の定期預金が約二十億公債へ流れていっております。そういうふうにして、府県なり市町村の場合、縁故債にたよるという比重が非常に高くなりまするというと、おのずからいわゆる銀行ベースに乗らないような零細企業、中小企業というものの資金繰りは窮屈になるだけでなくて、結局、手形を割りまするについても銀行では割れない、ワクがだんだん窮屈になるということから、おのずから金利の高い資金を使わなければならぬということになりまして、生産のコストを高めていくという結論にもなり得ると思う。そういう意味で、現にそういう現象がすでにもう起こっております。  それからもう一つは、せっかくそういうふうにして国も地方団体も歩調をそろえて公共事業を積極的に進めようといたしまするが、まだ年度も変わらない今日において、地方都市全般的に考えられることは、いわゆる土木建設的な工事の労賃がすでに高騰の気配を示しておるということであります。そうするというと、計画をしておりますだけの事業量を消化することに非常な困難が起こるのじゃないか。しかし、そうかといって、九六%まで——あとの四%を捨てるわけにいかないからということで、やはり今度は地方公共団体のほうで財政的に無理をしなければならぬじゃないか。こういうことを具体的に私どもが現実の姿としてはだに感じまする場合に、今後の地方財政についても、地方財政の運営については、われわれはただ手放しで資金の需要は何とかなるのだという楽観的な気持ちの中で運営はとうていやっていけない。少なくともこれから後五年なら五年の間、地方団体がどういうふうにしてやっていけばよろしいかという国としての地方財政に対する計画、見通しというものを明らかにしなければ、どうしてもわれわれはそれについていくことをちゅうちょせざるを得ないという結果に相なるのではないかと思う。そうしてそのことによって、富裕団体の場合はそれについていく、貧弱団体の場合には、それになかなかついていけない、そういうことになりますると、国全体としても、やっぱり地域格差が残っていくし、それから一つの府県の中においても同様なんです。比較的豊かな団体では毛細管的な町村道あるいは市道というものをどんどん改修もして、幹線と結びつけるようなことにして、産業基盤の整備ができるけれども、こんなところへ手も出ないというようなところは、やっぱりおくれていくということになりまして、一つの県なり、あるいはまた国全体としての地域格差というものが、かえって大きくなっていくんじゃないか、こういうふうに考えられるわけでございます。したがいまして、私どもは、これらの問題の上に立って、地方財政はどうあるべきかということについてでございますが、これはもう言い古されたことばでございますけれども、そしてまた、自治省あたりでも、理論的にはこれを肯定しておりまするけれども、何といっても、やはり行政事務の再配分と財源の付与の方式を根本的にやり変えていただきたいということ、そうでない限りにおいては、いまのままの姿で、困ったら借金したらいいじゃないかというような思いつき的な財政計画では、とうてい地方自治体としての果たさなければならない役割りを果たすことに非常な困難性がますます加わってくる。結局、国の上意下達機関みたいな自治体がだんだんとふえてくる。こういうことから、私どもは、この点についての配慮を十分にお願いをしなければならないと思うわけでございます。  さらにまた、先ほどもちょっと申し上げましたが、国民健康保険税についても、住民税は一円も払っていない、ほんの貧しい家庭であり、所得の少ない家庭でありましても、均等割、世帯割というような形で三千円も三千五百円もの国民健康保険税の支払いをしなければならない、徴収をしなければならないという立場にわれわれは置かれている。ところが、これに対するところの財政措置なんかについても、四十一年度から療養給付費に対する国庫負担の四割あるいは事務費の単価の引き上げ等が行なわれましたが、この際、政府としても思い切って、地方公共団体、特に市町村にとって大きなガンでありまする国民健康保険事業については、標準的な事務費というようなものをお定めになって、ただ一律に二百五十円という単価での事務費ということでなしに、やっぱり総医療費の関係、あるいは件数の関係、それから被保険者の総所得の関係等を見て、やっぱり標準的な保険税の制度を早く確立し、それと同時に、一面におきましては、現在のいわゆる調整交付金的なものを調整負担金として、せめて国民健康保険に対するいわゆる国の負担というものは、最小限度五割程度まで国がこれを持つということにいたしませんと、幸いにして、三十九年、四十年度において、若干、何と申しますか、国民健康保険の財政が息をついておりますけれども、四十一年度、四十二年度には、またぞろこの料金を三〇%なり四〇%なり引き上げをしないと成り立っていかないというような姿に相なりまするおそれが多分にございます。  こういうような点から考えまして、最終的に私皆さん方に特に訴えておきたいと思いますることは、今日の地方財行政というものは、ちょうどサンドウィッチみたいなものでありまして、上と下とに挾まれておりまして、政府のほうでは相当強い指導をもっていろいろなことを押しつけてまいります。ところが、住民のほうでは、ほとんど無限といってもよろしいほどに財政的な需要を突き出してまいります。ちょうど、その中に挾まれまして、われわれ身動きができぬような状態にだんだんとなっておるのが今日の地方自治体の姿ではないか、こういうことを考える。したがいまして、このままでいきまするというと、なれ合いの自治行政、それからいき当たりばったりの自治行政というようなことになりまして、地方自治本来の使命はとうてい果たされない結果に相なるのではないかということを深く私は憂うるものでございます。これらの点についての根本的な対策が、そうぐずぐずしないで、すみやかに確立されないというと、私どもの地方自治体は、結局どうでもいいじゃないかというような姿になって、日本の民主主義の基盤がそこなわれるようなことに相なりはしないかと、その点をたいへん憂えるわけでございます。  さらにまた、もう一点だけお願いを申し上げたいのであります。お願いと申しますよりも、今回の措置によって、われわれは、いやがおうでも相当公共事業もやらなければならぬし、いろいろな面で財政的な負担もございまするけれども、これをやるといたしましても、いままでの国の考え方を百八十度転換したといたしましても、はたして九月の末日までに発注を六〇%以上して、その代金を四〇%まで九月の末までに支払えと言ったところで、いままでのように補助金が決定をした、あるいはまた起債が決定をしたけれども、それがいよいよわれわれの金庫で支払いに充てられるようになることが、それほど改善できるかということになりますると、私ども、これには具体的に若干の疑問を持っております。だから、国のほうでも、補助金が中間でぶらぶらとして、二カ月も三カ月も金利かせぎみたいな形にならないように、直接市町村のほうで仕事をするように、すらすらと入ってくる、あるいは県の場合でも同様でございます。それから起債の手続にいたしましても、地方財務部か財務局にいって、さらに大蔵省に来てというようなことで時間を非常に浪費して、それからまた同時に、工事を始めた後に、一部計画変更でも、地建という出先機関を持っておりながら、一々市町村が本省まで出て来なければ、それに対する一つの許可が得られないというようなことで、むだな経費を使う、こういうような点を何とかひとつこの際思い切って改善をしていただかないというと、かえって地方団体としては、府県にしろ市町村にしろ、むだな経費を節減するなどということは、それ以外にはないのですから、われわれに節減によって百五十億を生み出そうとする努力を求めるならば、国のほうでも、その点についてはほんとうに真剣にこれを取り上げてもらいたいというのが私どものお願いでございます。  以上、私の意見を申し上げましたが、非常に私は具体的な問題を出しましたために、それを理論的に裏づけるというようなことをいたしますることが不可能でございましたけれども、お許しを願いたいと思います。(拍手)

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) ありがとうございました。  氏原公述人に御質疑のおありの方は順次御発言を願います。

塩見俊二自由民主党

○塩見俊二君 たいへん実際の経験から割り出されました貴重な御意見を拝聴いたしまして厚くお礼を申し上げます。  ただ一点だけ私お尋ねを申し上げたいと思うことがございますのは、私は田原市長と同じ高知県でございまして、この前高知県に帰りまして非常に驚いたことは、すでに総予算の中で人件費の占める割合が五〇%をこえておる町村も出てきておる、あるいは三割、四割というのはざらにあるというようなことで、極端な表現をもって申し上げますると、あたかも地方自治団体は給料支払い団体である。これは極端な表現かもしれませんが、そういったようなふうに、非常に人件費の割合が増大をして、ほんとうの地方の自治活動というものが、この面から拘束されているという事実を見るわけであります。そこで、先ほどお話がありましたが、たとえばこれを解消するために、地方の独立財源、あるいは国の助成、こういうことも必要でございましょうが、独立財源の問題にいたしましても、人件費が五〇%も占めておるというような、そういうふうな自治体には、いかなる方法でいかなる税源をやっても、その税源自身がわずかな税源しかない。これは解決の方法には私はならぬと思います。あるいはまた、財政的な援助といいましても、ここにもまあいろいろな限界があろうかと思うんです。そこでお尋ねを申し上げたいのは、こういった人件費について何かお考えがないのかどうか。私は、定年制の問題も、こういった問題に持ちあぐんだ——まあ地方団体のいわば何といいますか、やむにやまれない要望としてあらわれておるわけであって、この問題自体についてもいろいろの問題点があるわけであって、こういう問題を非常に熱心に主張するということも、やはり人件費に対する悩みのあらわれではないかと思うのでございます。私は、もちろん氏原市長が過去十二年間毎日、自動車を使わずに、電車で役所に通っておることを知っております。これは、おそらくは人件費というものについて——そういうことも一棟の人件費で、そういった意味で非常な御苦心、御努力をなされておることに、かねがね敬意を表しておる次第でございますが、普通の産業でございましたら、いわゆる合理化というものは少人数で能率を上げて、そして生産性を向上していく、そういう努力が、至るところで行なわれておるわけでございますが、この人件費の削減ということ——人件費そのものについて、何とかこれをその方面から解決する、あるいは行政整理といえばなかなか容易でございませんでしょう。あるいはまた、その他問題はいろいろございまするが、たとえば補助事業をやれば人間が必ずくっついておる。その人間はろくな仕事をしていないというような実情も、私は知っております。そういうようないろんな観点から、この人件費自体について何かお考えをお持ちでございましたら、お伺いを申し上げたいと思います。

小林武日本社会党

○小林武君 ちょっと関連しますから、一緒に私も一点。  氏原市長さんのたいへん実際に即したお話が、ただいまもございまして、たいへん参考になりました。これをお聞きしていて、地方財政に対する国の施策というものが抜本的に改められない限り、根本的な解決はないように思うんです。ところが、これが解決できないから、人件費のところに何か集中的に節約を求めよう、それがたかが百五十億の問題、これで地方自治体がうまくいくと考えたら、これはたいへんな話だと私は思う。そこで私はお尋ねしたいのですが、百五十億を定年制の実施によってとにかく節約しようという、こういうみみっちい考え——みみっちいというのは、氏原市長に文句を言っているわけじゃないのですが、そこまで追い込まれた地方自治体というものは、私は重大な段階だと思うんですよ。そこで、どういうやり方でこの百五十億を定年制でうまく節約しようとお考えになったのか。これは高知市とかなんとかいうことじゃなくて、地方自治団体全体がどんなことを考えたのか。ひとつわれわれも、これは定年制の問題でこれからいろいろ勉強しなければならぬので、御教導をひとついただきたいと思うわけであります。

氏原一郎高知市長

○公述人(氏原一郎君) それでは、塩見先生と小林先生とのお二人が関連のありまする意見を求められましたので、あわせて申し上げますから、その中から御随意に、適当にお取り上げ願いたいと思います。  塩見先生のおっしゃいますように、中国のある都市でも、すでに税金総額の百十何%というものが人件費になっている市もあります。そうかと思いますると、税金に対してわずかに二八%ぐらいしか充当していないという町村もございます。でありまするから、これは、地方団体と申しましても千差万別でございます。それならば、二八%だけしか使っていないのは非常に給与が低いのかというと、必ずしもそうではない。これはむしろ一般財源の、税金なりあるいは交付税なりの割合が比較的大きいということなんです、総予算に対して。それからまた百十何%にまでのぼっているというところは、これは少し野放図な人事管理などが長い間続けられた結果じゃないかということも考えられます。まあ私どもは、少なくとも人件費というものは市民から納めるところの市税の総額の六〇%程度が一つの適正な総額ではないか、こういうふうに大体評価をいたしております。それ以上になりまするというと、やはりどうしても問題の解決がつかないような形になってくるのだ、こういうふうに思っております。ということは、単独事業をやれなくなるということであります。  そこで、私は、百五十億というものを、財政計画の中ではっきりと、地方団体が節減によってこれをしぼり出せ、こういうことでありますけれども、もうわれわれは、物件費その他において、封筒を裏返しにして使ったり、あるいはまた、ざら紙を裏返しにして使ったりというようなことは、ほとんどの団体がもうそこまでの努力はしてしまっているのです。これ以上、物件費でどうしろとかこうしろとか申しましても、それはほんのわずかなものです。結局は、人件費に触れざるを得ないということ——私どもとしては、非常にむずかしい間上越でございまするけれども、一応欠員が出ましたときにその欠員を、全部とは申しませんけれども、不補充の方針をとらざるを得ない。欠員不補充ということになりますると、それが何もかもの職種にわたってできるということではございません。たとえば清掃専業だとか、あるいは社会福祉主事の欠員を補充しないでいるというようなことは、これは、第一、厚生省が承知しないのですから、そういうものはやむを得ないといたしましても、やはりある程度までは欠員を補充しないということと、それと同時に、私は、いまの公務員の給与というもののあり方について、年間の定期昇給が行なわれる、さらにその上に持ってきて、人事院勧告が行なわれる場合には、地方団体としても、完全にこれを実施するとかしないとかということは第二として、全然ほおかむりで通すということは絶対できません、町村の場合でも。そうすれば、そのたびごとに税金に対する人件費の比率が高まっていきます。それを欠員不補充でカバーしようといたしましても、限度がございます。  そうなりますると、どういうことになるかというと、あまり源泉徴収の所得税を取り過ぎるから、こういうことになると私は思う。いまの給料生活者の税金というものは、四十一年度の予算を見ましても、一番大きいと思う。そうして、しかもそれは、一般の企業者なんかと違って、たった一円の所得の見のがしなしに、全部課税の対象とされている。それでありますから、六・七%ぐらいの給与改定が行なわれてみたところで、やっぱりそのときには税金の額がぐっと上がっておりますから、実質的には二%ぐらいの給与の改善でしかないという姿になっている。こういうことは、国のほうでもやっぱり十分に税制の面でお考えいただかないと——ちょうど木村先生のような専門家もいらっしゃるので、私どもが言うのはおこがましいのですが、私は何がゆえに、こういうような源泉徴収の所得税というものをこれほど取って、反面では、定期昇給もやる、人事院勧告もやるというようなことを繰り返すのか。これはある意味においては、私は、給与費をただいたずらに増大する一つの原因にもなっているのではないか、こう思うのであります。  それでありますから、小林先生のおっしゃる点については、私どもは、百五十億を給与費だけで、人件費だけで節約などはできっこないと思うのです。それだから、私は、こういう節約をしろという財政計画に異議を申し立てているわけなのであります。だがしかし、塩見先生のおっしゃる、これほどどんどんどんどん増大する形のものは、このままほうってはおけぬのじゃないか、それはどうするか。——まず当面には、できるだけ能率的な事務の運営をするために——口の先だけの事務の改善などということでなくて、いまの地方公務員にしろ国家公務員にしろ、人間関係の点から言うならば、これは皆さん方聞きにくいことかもわかりませんけれども、私が本省のある役所へ行って、十二時十分前から一時三十分までの間に、ある省のある局とある局との間をずっと回ってみたとき、三十六人の人の中で、十二時十五分のとき女の子の一人もいないような部屋もございました。それからまた、翌日行ってみるというと、また別の省では、八時三十分にきちんと行ってずっと待っておりましたけれども、私のお目にかかりたいという人は全然出てこない。それですから、前日のようにずっと順々に二階を全部回りました。三十六の部屋を全部回ってみると、はなはだしいところでは、最後に私がもとのところへ戻ったときに、初めて、その階では掃除をする女の人が入ってきたという状態、これはもう政府・与党もすこぶるだらしがないと私は思うし、それから公務員としての倫理についても私どもは考えなければならぬ。時差出勤であるかもわかりませんけれども、問題点は相当多いと思うのです。そういう点などから、ただ機械を導入した事務の合理化なんという、機械化なんということは、それほど効果がなくて、やはり公務員自身の意識を高めていくということが、私はむしろ非常に大きな面で、行政が合理化され、能率化される道だと、こういうふうに考えております。これは小林先生あたりにはしかられるかもしれませんけれども、しかられることをあえて覚悟して私は申し上げます。そういう形で、私どもは、人件費の増大は相当程度の努力を思い切ってしなければ、とうていのんきな考え方ではできることじゃないということ。そこで、あなたからお尋ねを受けて、この場でこういう具体的な策がありますよといったところで、それが全部の団体に共通の課題ではないということです。それは結局、やはり首長の任にある者の心がまえが一番大切じゃないかということを私は考えます。その辺のところでどうぞお許しを願いたい。

林虎雄日本社会党

○林虎雄君 高知市長さんのたいへん苦労しておる様子を伺って、地方財政を浮き彫りにされたような感じがいたします。そこで三点ほど御意見を承りたいのでありますが、いま人件費の問題で塩見、小林両委員から尋ねられたのでありますが、もとより人件費の問題は非常に深刻な問題だと思います。そこで、市町村団体は、定年制をしいて老齢者——老齢者といいますか、高給者といいますか、それに対して人件費の節減の一つの方途たらしめようとしておるのでありますが、この点もいまお話のようになかなか千差万別で、また市長の決意に待つところが多いことは当然でありますが、まあその場合に、われわれの考え方としては、地方公務員の定年制を設けるというような点を、いま政府で検討されておるようです。ところが、国家公務員についてはまだ検討されておらない。まあ普通ならば、給与の点その他においても大体国家公務員に準ずるということに地方公務員はなっておりますが、定年制の場合には、いま検討しているのは地方公務員の定年制である。こういう点に少し矛盾があるのじゃないかという点を、われわれ考えておるわけです。そこで、さらに五十五歳程度の定年制をしくという考え方があるようですが、この場合に、やめる人の立場というものをどのように考えておいでになるか。たとえば現在の退職金あるいは年金、こういうものから考えると、将来の生活、やめた後の生活というものに対して、市町村側としてどのように考えておるか。また、それと関連して二次就職ですね、二次就職の傾向はどんな状態であるか、この点を定年制に関連してお伺いしたいことが第一点であります。  それから、お話にありました特別事業税でありますが、これはわれわれとしては当然一般財源として、その穴埋めとしてこの千二百億円を地方財政計画に盛ってあるわけでありますが、この償還方法——元利を国で持つべきだ、一般財源の穴埋めですから。そういう考えに対して、まだはっきりしておりませんが、その中で承りたいことは、公募債七百億円、これは皆さん方で苦労して消化しなければいけませんが、特にその中における縁故債ですね、縁故債はいまお話のありましたように、市中銀行から調達しなければならない。市中銀行も中小企業等の融資等によって非常にワクが窮屈になってきておる。したがって、この縁故債の消化は、市のほうでスムースにできる——可能かどうかという点をお聞きいたしたい。  それから第三点としては、例の固定資産税であります。固定資産税、都市計画税約百億、これが政治問題になりまして、いま固定資産税については、いろいろいま地方行政委員会等で検討しておるようでありますけれども、これに対するお考えを承りたいと思います。われわれとしては、すでに三年の間はストップということでおったのが、三年にならない前に、ここで行なおうというところに政治的な、道義的な問題をついたわけでありますが、まあ地方財政とすれば、これは一つの財源として、のどから手の出るようなお考えではなかろうかと思います。ただ、年々課税の税率を上げていく場合に、かなり大きな財源になる予想が立つわけで、地方財政そのものとしては、非常にまあ必要でありましょうけれども、今度は固定資産税を納める側において大きな問題であります。この点、ことしはまあ何か政治的な妥協で解決するようでありますが、将来の問題としては、激変緩和ということで、一・二倍くらいずつふやす、まあ増率をしていくということのようでありますが、その場合に、非常に大きな——四、五年後には倍になり、さらにふくらむということになりますので、納税者の側とすれば問題である、この点についての市長さんのお考えを承りたい。三点であります。

氏原一郎高知市長

○公述人(氏原一郎君) まず第一に、定年制の問題についてお答えいたしますが、地方団体はそれぞれ総会の決議だとかいうような姿で政府に向かって、地方公務員の定年制の実施を一日も早くやってほしいという要望をいたしておりますが、これは私に言わせると、少し地方団体側も責任を回避した形じゃないかと思うんです、ある意味においては。現在でも、ほとんどの団体が勧奨退職の制度を持っております。しかし、その場合にこの勧奨退職に応ずるという比率は、大体、私どもの調査によりますと二〇%ぐらいになります。ということは、特に、このことに関連をいたしますけれども、府県の段階まででは地方公務員も二次就職の機会が比較的多いんです。ところが市町村の職員が二度のつとめをするというのは、もう保険の外交員ぐらいです、あっさり申し上げて。市町村の職員で、さらに一応生活ができる程度の給与をもらっての二次就職なんというのは、ごく少ない。そこにまあ問題があるわけなんです。そこで、私どもが——これは私どもと申し上げますよりも、四国地区の市長会あたりでの考え方になるわけなんですが、これを申し上げますと、私どもは五十五歳というあり方が第一問題じゃないか、日本人の平均寿命が伸びておるということから考えても。この点についは、五十五歳というのは一応最低としておりますけれど、案外、法律が実施されますというと、やはりそこまで持っていくということになり得ると、条例なんぞで——だからむしろ、これはもっと実際に即した最低の年齢を考えるべきじゃないかという考えがまず第一。  第二番目には、地方公務員及び市町村職員共済組合の法を改正しなきゃいけない。お話のとおり、いわゆる退職後におけるところの生活の保障が十分にできてないんじゃないか。だから、退職年金制度なども、物価の騰貴などにスライドするような形で、やっぱり法の改正が付随していかなきゃならぬじゃないか、現行のままではいけないじゃないかというのが、第二の考え方であります。  そういうことの中からも、なおかつ、やはり私は制度としては、ぴちっとあるべきだと思う。ということは、上と二番目の子供は大学が済んだけれども、三番目の子供がもう一年だからというので、七十に近いような、あまり能率のあがらない職員にいつまですわり込まれているのでは——林さんが知事さんのときにも、そういう御経験があったと思いますけれども、おそらく、行政の管理者としては、なかなかやりにくいということがあり得ると思う。そういう意味において、私はやっぱり、最低の年齢をもう少し考えなきゃならぬのだ。それから、ことに職種別の年齢を、めんどうでも、かなり具体的にはっきりしておくべきじゃないか、こういうことから、定年制そのものは私は反対はいたしません。ただ、御心配になっておりまする、国家公務員のほうはそのままじゃないか。お話のとおり、ごく一部の国家公務員については定年制があるけれども、実際のところを言えば、給与その他国家公務員に準ずるというたてまえをとっておりますから、でき得るならば、私どもは国家公務員も地方公務員と同時にこれを片がつけられればよろしいんですけれども、案外政府というのは、えてかってでありまして、自分のほうの公務員の定年制なんぞということは御遠慮なさる傾向がございますから、なかなかこれはむずかしいことだと思うのですが、やるんならば、理想的に言えば、公務員は、地方公務員であろうが国家公務員であろうが、同じ制度の上に置くべきだと、私どもの考えはそういうことでございます。  それから第二の、特別事業債のいわゆる元利の償還はあくまでも私は政府の責任で考えるべきだと思う。  三千三百億という財源に穴があくのに、それを二千五十億に縮めておいて、しかもその二千五十億のうちの千二百億までを、特別事業債という形で、われわれに押しつけるのですから、それの元利償還は当然政府が責任を負うべきであって、ことに私は付言をしたいのですが、従来の直轄港湾の地元負担、国の工事に対する地元負担なんかは、あれは地方交付税の算定の基礎に入っておったのだ。ところが、四十一年度からこれが全部起債に振りかえられる。国の直轄工事の地元負担金を、従来は、ともかくも基準財政需要額の中へ算定をしてくれて、交付税でもらっておったけれども、今度は起債に回して、また利子のほうも、お前のほうで払えということは、これはちょっと私ども聞こえませんと言わざるを得ないので、こういう点は、強く私どもは国の責任あるところの措置を要望しておきます。  それから縁故債の消化は可能であるか。市中銀行での消化。現在のところ、まだ国の全体的な公共事業などが流れて出ませんから、いまのところは、その土木建築の請負業者等からの地方市中銀行に対する資金の需要というものが始まっておりません。そういう関係で、現状においては、私はそれほどまだ顕著にこの縁故債の消化がむずかしいというような姿は出てこぬと思いますが、まず大体七月ごろになりますると問題になるのじゃないか。それから私どものほうでは、縁故債と申しましても、一部は市町村職員共済の積み立て金を利用さしてもらっておりますから、幾らかのゆとりはまだあります。その次に、結局金利の高い市中銀行債ということになりますが、そこまでの間には、三月、四月後でないと、困難であるかどうかという姿が、はっきり浮き彫りはされないのじゃないかと思います。  それから固定資産税の問題でありますが、私は、税の負担の公平ということから言うならば、ある程度課税の対象となるべき固定資産の評価が、価値が上がってきたという姿になれば、これはやはり固定資産税の、何と申しまするか、新しい評価額を基礎とした税を負担してもらうのが妥当だと、こういう考え方であります。しかし、その場合において、その率が、ことしも上がった、また来年も上がるというようなあり方でなくて、少なくとも、やはり次の評価の時期までの間には、一応の片をつけていくという形で、この固定資産税の問題は取り上げなければならぬのじゃないかというふうに私どもは考えております。  これは、きょう実は全国市長会が理事会を開いておりますが、この問題を中心として、いずれ林先生のところへも市長会から陳情があると思いますが、その節はよろしくお願いいたします。  以上でございます。

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) それでは、氏原公述人に対する質疑は、この程度でとどめます。  氏原公述人におかれましては、遠路わざわざまことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時十五分再開することとし、これにて休憩をいたします。    午後零時二十七分休憩      —————・—————    午後一時三十四分開会

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  午後はお三人の公述人の方に御出席を願っております。これから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙中にもかかわらず、本委員会のために御出席をいただきましてまことにありがとうございます。一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。  それでは、これより公述人の方に順次御意見をお述べ願うのでありまするが、議事の進行上、公述される時間はお一人三十分程度にお願いをしたいと思います。また、委員の方よりの質疑は、お一人の公述人の御意見の開陳が終わりましたところでお願いをしたいと存じます。  それでは武田公述人にお願いいたします。

武田満作日本勧業銀行副頭取

○公述人(武田満作君) 私、ただいま御紹介にあずかりました日本勧業銀行の武田でございます。本日は四十一年度の予算と日本経済との関連についてお話を申し上げたいと思っておるわけでありますが、順序といたしまして、現在の日本経済の現状を私どもがどう見ておるか。第二番目に、四十一年度の予算とその経済とがどういう関係にあるか。最後に、今後、予算なりあるいは財政政策、金融政策についてこういう配慮が必要であり、また、こういう点が問題になるんじゃなかろうかというようなことについてお話を申し上げてみたいと思っております。  最初に、日本経済の現状をどう考えておるかという問題でありますが、私どもは景気動向の大筋といたしましては、大体昨年の七——九月ごろが底になりまして、現在はすでに回復の過程に入っているんじゃなかろうかというように考えております。年末ごろを一つの境といたしまして、産業活動にも動意が散見されるようになりましたし、また、一時非常に萎縮しておりました企業マインドと申しますか、これもかなり明るい方向に向かっておるんじゃないかと思うわけであります。そこで、第一に鉱工業の生産活動についてみますと、昨年の十月——十二月以降強含みに変わっております。また出荷もこれに伴って伸びております。したがいまして、製品在庫の、ほうは秋口以降あまりふえていないというような状態になっております。日本銀行がまとめました主要企業の短期経済観測、あるいは中小企業の状況予測によりますと、本年の四月——六月には生産も売り上げもともに増加するというような予想を立てております。第二に、商況の立ち直りはかなりはっきりしてまいったようであります。卸売り物価の期別騰落率を見てみましても、昨年の四月——六月は前期に比べまして〇・四%の下落ということになっておりますが、七月——九月は〇・八、十月——十二月は〇・八、また本年の一月——二月は二%というように漸次物価も強含みの状態になっております。第三に、不渡りとか、倒産といったような不況現象もすでに峠を越えたように見えるわけでありまして、不渡りの金額あるいは倒産件数の期別の推移を見てみますと、大体昨年の四月——六月ごろには不渡りが東京で百八十七億円ありましたのが、この一月には百二十一億円くらいに減っておりますし、また倒産の件数についてみましても、昨年の一四月——六月は五百二十件に達しておりました。これは一千万円以上のものでありますが、これがこの一月には三百七十八件に減っております。第四は、企業収益状況を見てみましても、これも大体昨年の九月期が一応底になりまして、本年の三月は、これはまだ予想ではありますが、日本経済新聞が調べました東京証券取引所一部上場会社三百四十社でありますが、これの業績についてみましても、売り上げの増加率が昨年の九月期には一・一%でありましたのが、この三月は二・二%、また利益につきましては、昨年の九月は一一・九%のマイナスであったのが、この三月期には五・四%の好転ということになっております。こういう指標から見まして、すでに不況は一応底をついて漸次回復の過程に入っておるというように私どもは見ております。  かような、景気を回復に転じさせた契機といたしましては、大体三つのものがあるのじゃないかというように考えております。第一は景気の循環的な要因と申しますか、これが第一であります。第二は、この予算にも盛り込まれておりますように、公共投資の復調ということが考えられます。第三は輸出の好調、この三つが景気回復の契機になったのではないかというように見ております。循環的な要因といたしましては、企業の投資活動が下げどまりまして、個人消費が立ち直りまして、また構造不況ということもよく言われておりますし、また、そういう原因があることはたしかだと思いますが、それと同時に、景気循環的な立ち直りの時期に達してきたということが大きな原因になっておるんじゃないかというように私どもは考えております。消費につきましては、全国百貨店の売り上げ高、あるいはテレビの売れ行き等にもはっきりとそういうような傾向があらわれてきております。第二は、公共投資の活発化ということでありますが、これは御承知のように、オリンピックの準備の反動だとか、あるいは財源事情が悪化というようなことに伴いまして、一時非常な停滞を見ておったのでありますが、昨年の十一月ごろから復調してまいりまして、これが財政積極化が漸次軌道に乗っておるというように考えていいんじゃないかと思います。第三番目は、輸出の好調でありまして、これが内需の落ち込みを下ささえした一方、国際収支の改善をもたらしまして、これが景気の回復を可能にした一つの契機になっておるんじゃないかと思うわけであります。ことに対米輸出のほうの輸出の伸びが非常に目立っておりまして、これにはアメリカ経済の好況持続だとか、あるいは一部分ではありますが、ベトナム特需というようなものの波及効果というようなものも原因をなしておるんじゃないかと思うわけであります。しかし、現在までのところでは景気の回復と申しましても、多くの業界において御承知のように相当強い生産調整をしておるわけでありまして、これを前提にした一応の回復でありまして、今後需要は漸次ふえていくとは思いますが、こういった対策を要しないほど需給のバランスが好転したということは言えないわけでありまして、これが回復いたしまして、いわゆる好況感がわき出るのにはまだ相当な時間が必要になるんじゃないかというように考えております。ことに今度の調整期の一つの特徴といたしましては、大体いままでは調整期が過ぎますと、すぐに民間投資が相当活発に動いてきたわけでありますが、現在われわれのほうの窓口から見ましても、まだまだ設備投資の意欲というものは非常に鎮静しておる状態であります。したがいまして、好況というためには相当民間の投資需要が起こってこなければならない、この時期はまだ相当先になるのじゃないか。いままでのように調整期が済むとすぐにV字型に景気が上がってくるということではなくて、景気が本格的に回復するには、ある程度の時間を必要とするというように見ておるわけであります。   次に、四十一年度の予算の特徴と今後の景気動向について申し述べたいと思います。申し上げるまでもなく、来年度予算の最も注目すべき特徴といたしましては、景気対策予算という性格を強く打ち出しておるという点にあると思うのであります。その第一は、これも申し上げるまでもありませんが、国債政策というものを導入いたしまして、財源を拡充し、歳出の積極化と大幅減税の双方を行なおうとしておる点にあると思うわけであります。第二番目には、公共投資を拡充いたしまして、住宅建設に重点を加えたということ、これは社会資本の従来の立ちおくれ解消という点から言っても非常に望ましい措置でありますし、また、民間経済への需要の波及効果も期待できるものであると思うわけであります。第三番目には、この公共投資の支出促進のために特別の配慮が払われておる点だと思うわけであります。その一つは、これも申し上げるまでもありませんが、公共事業等施行推進本部を設けられた、あるいは金融の面におきましては、大蔵省証券の発行限度を五千億に拡張された、こういうような配慮が加わっておるという点であります。昨年七月、景気対策が打ち出されまして、赤字国債の発行を含む四十年度の補正予算というものができまして、すでに財政積極化の助走がついておりますので、来年度の予算におきまして、さらに公共投資の活発化が軌道に乗ってくると思うわけでありまして、これによりまして四十一年度の積極財政というものが景気対策効果を上げるものとわれわれは考えております。  次に、金融政策の面につきましても、景気刺激型と申しますか、こういう緩和施策が持続されるものと思われますし、これから財政面から景気対策効果が助長するということにもなると思うわけであります。昨年の半ばごろから、金融につきましては積極的な緩和政策が行なわれるようになりました結果、わが国の金融というものは、戦後最も低利、円滑な状態に入っておるわけであります。第二に、大量の国債発行というものばかりでなく、公社債だとか、あるいは地方債等の大幅な増発も予想されますが、なお現在のところ、先ほど申し上げましたように、産業資金の需要はなお鎮静しておりますので、また金融政策面からも緩和状態の維持がはかられてくるものと考えられるわけでありまして、いわゆる成長通貨に見合う程度のものは日本銀行が政保債を、時価を基準として買い取ることによりまして供給されますし、また季節的とか、あるいは一時的な金融の繁閑はコール市場を中心に調節がはかられるものと考えるのであります。こうした状態でありますので、金融緩和の進展と国債の大量消化に伴いまして、金融機関のこれへの適応ということが一方で急がれるわけでありますが、また他面におきましては、御承知のように、アメリカの高金利との食い違いというようなものが出てまいりまして、外貨流出の傾向が今後問題になってくるのじゃないかと考えております。それにいたしましても、当面のところ、金融は現状程度の緩和状態が続いていく公算が多いものとわれわれは考えております。  結論といたしまして、景気は回復から、漸次、今後は上昇に向かってまいりまして、四十一年度は大体、政府の経済見通しでは七・五%ぐらいの成長率が実現される公算が多いんじゃないかというように考えております。しかし、景気の回復をリードいたします需要の構成というものが、従来とは異なってまいりまして、当面は企業投資活動の影響力が後退いたしますと、一方におきましては、財政と消費というものの比重がかなり高まってくることになると思うのであります。したがいまして、景気の回復、上昇と申しましても、その好況感ということにはかなりの違いが生じてくるように思うわけであります。たとえば、三十六年度と四十一年度とこういった需要構成の変化を見てみますと、個人消費につきましては、三十六年度は三四・五%でありましたのが、四十一年度はおそらく四七・九%ぐらいになるんじゃなかろうか。これに反しまして、民間の設備投資は二八・八%ありましたのが、八・四%ぐらいになるのじゃないか。それから、政府支出はこれに反しまして、一七・九%あったものが二六・六%程度。また、輸出は二・四%程度であったのが一一・五%程度になるのじゃないだろうか。こういう需要の増加要因が変化いたしまして、需要の構成というものが以前とはかなり変わってくるということが考えられるわけであります。  そこで、最後に、四十一年度経済の問題点というものはどういう点が問題になるかということでありますが、第一は、消費者物価の統制が相当目立っております。財政、金融両面から積極的な景気対策を展開しながら、消費者物価の統制を、五、六%の範囲にどうして抑制していくかということはかなりむずかしい今後の課題であろうかと考えるわけであります。消費者物価の値上がりにつきましては、これも申し上げるまでもないわけでありますが、非常にこれこそ構造的な要因と申しますか、高度成長のひずみというものが原因になっておると思われるものが非常に多いわけでありまして、たとえば生産性の低い部門の製品であるとか、あるいは需要の変化のために供給が追いつかない、あるいはサービス料金であるとか、いろいろこういった労働需給の変化に伴うかなり構造的な原因が多いかと思いますので、これを景気を一方において振興しながら消費者物価を押えていくということはかなりむずかしい問題だと思うわけでありますが、政府におかれましても、これについていろいろな対策を講じておられるようでありますが、その問題は本年度のやはり一つの大きな問題点になるのじゃないかというように考えております。  第二番目の問題といたしましては、国際収支の問題でありますが、これは大体四十一年度を通じまして黒字の基調を維持することは可能と思われるのでありますが、先ほども申しましたように、最近は内外金利の差というものが非常に狭まってまいりまして、これが今後外資の流出傾向だとか、あるいはベトナム休戦問題の帰趨といったような不安定要因のあることも否定し得ないところだと思います。この面におきまして、今後国際収支の逆調というようなことに対しまして、臨機応変に対処するようないろいろな対策というものを考えていく必要があるんじゃなかろうか。たとえばIMFからの借り入れであるとか、あるいはニューヨーク連銀とのスワップの発効とか、そういうような問題を常に考えまして、こうした面からのショックというものを極力押えていく必要があるんじゃないかと思うわけであります。  第三番目には、公共投資が拡充されまして、社会資本の立ちおくれ解消がはかられるということになったわけでありまして、これはきわめてけっこうなことだと思うのでありますが、問題は、民間の経済活動なりあるいは産業活動とのバランスを考慮してかからなければならぬという点であります。いわゆる財政主導型の経済ということがいわれておりますが、一方におきましては、民間産業の自立的な発展というものをあまり抑制したりあるいは過小評価してはならないということであります。社会資本の充実ということはきわめてけっこうなことでありますが、ただ、今後日本の経済が数年にわたって現在のような低圧経済というものを持続していくかどうかということには、私どもはかなり疑問を持っております。やはり一定の段階に入りますと、設備投資というものが相当起こってくるんじゃなかろうか。少なくとも四十一年度にはそういうことはないと思いますが、四十二年、四十三年と景気が回復してまいりましたときに、民間の投資需要というものも相当起こってくる可能性がある。それは、一つは企業の国際競争力という点から申しましても、日本のいろいろ、ことに化学工業あたりがそういう傾向が著しいと思いますが、なお、日本の企業の規模というものが諸外国の進んだ企業に比べますとかなり過小である。これと今後競争していくということのために、相当やはり投資というようなものが必要になってくると思いますし、また一方におきまして、労働力の不足というような問題も、これもかなり構造的なものでありまして、急速にこれを解消するということがなかなかむずかしいといたしますと、やはり人手を減らすということのための合理化投資というものの要請も相当強くなってくるようにわれわれは考えております。そういたしますと、民間における投資と国家の社会資本の充実のための投資というものが重なってくる危険というものが、何年後には必ず起こってくるんじゃなかろうかと思うわけでありまして、そういたしますと、一方において、そういう場合には、社会資本の充実というものを少し減らすということももちろん考えられますが、一たん行ないました公共事業というものを中途で廃止するということはかなりむずかしくなるんじゃなかろうか。そういたしますと、再び有効需要が供給を超過して、景気が過熱するというようなおそれが十分にあるのじゃないかと思います。  また、これを資金の面から申しますと、公共事業のために相当巨額の国債を発行し続けていく、その場合におきまして、現在のように民間の資金需要というものが非常に停滞しておりますときはあまり問題はないわけでありますが、もし民間の資金需要が重なって起こってくるということになりますと、国債の消化というものが非常にむずかしくなってくるんじゃないか。そういうときになりますと、当然に、資金の需給関係から申しまして、金利が上がるということにならざるを得ない。金利が上がれば、国債の消化というものが非常にむずかしくなる。また、それを国債の消化を円滑にするために、日本銀行の信用というものをどんどん出して、そして低金利の情勢、あるいは金融緩和の情勢というものを持続しようということになりますと、ここで初めてやはり有効需要が超過して経済がインフレ化する危険というものが私は十分にあるんじゃないか。したがいまして、四十一年度の予算に関する限りはそう問題はない、また四十一年度中にそういう状態が起こってくるとは考えられませんが、来年、再来年とこういうような状態が続く場合においては、やはりそうした懸念というものが相当強いと私どもは考えるわけでございまして、これに対しましては、財政にいわゆるフィスカル・ポリシーというものを取り入れた以上は、財政政策あるいは金融政策というものを、つとめて弾力的かつ予防的に運用していくことが非常に必要なことになると思うわけでありまして、この点をもし怠るようなことになりますと、一部でおそれられておるような事態が生ずる危険というものが十分あるのじゃないかというように考えておるわけであります。  この辺で一応……。  (拍手)

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) ありがとうございました。  武田公述人に御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。   〔委員長退席、理事小沢久太郎君着席〕

鈴木強日本社会党

○鈴木強君 三つほどお尋ねしたいのですが、武田さんの大体のお考えは、政府の景気の見通し等について是認をされておる立場に立っておられると思います。そこで、景気が調整期に入り、さらに回復へとスローモーションであってもずっといくという、こういう御判断ですか。そのファクターの一つに、輸出の振興等をあげられておられます。これはアメリカヘの依存度がかなり強くなっておることは事実です。と同時に、ベトナム特需ということをおあげになりましたが、この点については、大体現状がどういうふうな増勢であるか。あなたの把握されておる、お知りになっておる範囲でけっこうですから、お聞きしたいと思います。  もう一つは、経済成長率を七・五%と見ております政府の方針を是認されましたが、物価の上昇については御承知のとおり五・五%を見ておるわけです。この点については、先生ははっきり数字をあげなかったのですが、多少含みのある御意見だったのですが、私たちはとても、現在一月、二月の上昇を見ましても、政府のおっしゃるような五・五%ではいかないだろう、おそらく八%ないし一〇%いくかもしれない、こう見ておるわけでございますが、その点の物価の上昇については、パーセンテージからいったらどういうふうに御判断なさっておるか。  もう一つは、資金調進の面から、政府が外債に依存しておる点があるわけですね。これは金利が非常に安いというようなこともあるでしょう。政府保証による外使の発行が、最近のアメリカの経済情勢からいたしまして、非常に困難になってきております。現に、電電公社の約二千万ドルの外債が、向こうに登録を済ませたにかかわらず、急転直下だめになっちゃったという例も具体的にはございます。これは利子平衡税の点もあると思いますが、アメリカとして、なかなか日本が期待するような態勢が最近なくなってきておると思うのです。ですから、私はむしろそういう状態であれば、日本が外債に依存するというようなことよりも、国内的な資金調達を考えたほうがいいのじゃないかという気がするわけです。  大体この点についてどうお考えですか、三つの点について。

武田満作日本勧業銀行副頭取

○公述人(武田満作君) 第一の、ベトナム特需がどの程度あるかという点でありますが、これにつきましては、実は私ども的確な資料は持っておりませんので、いずれもこれは新聞社あたりの予測によるものでありますが、これによりますと、三十九年度には三億一千四百万ドルということになっておりますが、これが本年に入りまして、これは昨年四十年でございますが、四十年の一——三で六千八百万ドル、四——六で七千三百万ドル、七——九で七千四百万ドル、十——十二で一億五百万ドルというような数字があげられております。私どもこの数字につきましてはあまりはっきりしたことをとらえておらないわけでありますが、ただ、聞くところによりますと、直接な特需というものよりも、むしろ影響といたしましては、アメリカ経済が相当好況であり、そこへもってまいりまして、アメリカの国内においてベトナム用の物資を調進しなければならぬという必要がありますので、したがいまして、わが国の対米輸出の中にはそういうものの原材料であるとか、あるいは一部の資材というようなものが間接的に動いておるという部面が非常に多いというふうに考えております。したがいまして、日本の国内に直接落ちるということよりも、対米輸出を通じてそういうものをある程度まかなっておるというように聞いております。  それから、第二番目の、消費者物価は一体どの程度上がるかという御質問に対しまして、どうも数字的にはっきりこの程度だということを申し上げる根拠はありませんが、先ほども申し上げましたように、これは非常にむずかしい問題であるし、よほどその対策というものを進めないと、それだけに押えるということが私どもはちょっとむずかしいのじゃなかろうかという感覚を持っております。政府がおっしゃっておるようなそういう数字に押えるためには、やはり消費者物価の高騰の原因になっておるようなものを極力除くというような努力が必要じゃないだろうかというように考えております。  それから、第三番目の、今後外資が非常に取りにくくなると、したがってこれは国内で調達したほうがいいのじゃないかというお話でありますが、これはまことに仰せのとおりでありまして、現在アメリカにしろ、あるいはヨーロッパにしろ、日本へ出すような資金というものが漸次不足しておるような状態になっておりますので、日本の企業といたしましては、あるいは政府にいたしましても、外資にたよって仕事をしていくということがここ当分はむずかしいのじゃなかろうか。したがって、仰せのように、極力国内でこれを調達するというような方向に転換せざるを得ない情勢にあると私は考えております。

赤間文三自由民主党

○赤間文三君 武田先生にお伺いしたいのでありますが、まあ財政的ないろいろな関係もありますが、現在の日本の金利というものは、大体において現在ではこの程度が適当とお考えになっておりますか、あるいはもっと下ぐべきであるか、それが第一点。  第二は、臨時的でございますが、御承知のように、預金の利子が財布分離保税、あるいは株式の配当等は本人の希望によって分離もできると、こういう暫定的な措置がとられておりますが、この制度について先生は御専門家であられるので適当であるかどうか、その点ひとつごく簡単に結論だけお伺いしたいと思います。

武田満作日本勧業銀行副頭取

○公述人(武田満作君) お答え申し上げます。  日本の金利は最近非常に下がってまいりましたし、そして一方におきましては、外国のほうの金利というものが上がってまいりましたので、現在ではむしろ国内の金利のほうが安いというような状態に実際なっておりまして、これがやはり例のユーロダラーでありますとか、そういう金利によって効く短期の資本というものがむしろ流出する傾向にあるのじゃないかというような状態が現在の状態でございます。また、輸入のユーザンスについて見ましても、これも輸入ユーザンスにたよるよりも国内の金融、円にシフトしたほうがむしろそろばんの上では得だというような状態さえ起こっておりまして、これも今後の一つの大きな問題じゃないかと思うわけであります。  それから、分離課税の問題でありますが、なるほど一応形式的に考えますと、非常に預金が有利のようではありますが、預金というのは御承知のように少額の貯蓄というものも相当含まれておりますので、現在では国内における資本の蓄積というものが非常に重要な時期でありますので、この程度のことはやむを得ないのじゃなかろうかというふうに考えております。

北村暢日本社会党

○北村暢君 一つだけお伺いいたしますが、武田さんは、無気の回復は今度の財政投資型の形で回復するんじゃないかと。しかし、その回復のしかたが従来とは違って、設備投資型でなくして、消費拡大をする、こういうことによって景気回復をするんだ、こういうふうなお考えのようでございますが、その場合にですね、消費者物価はどうも政府の考えてるような形で下がらない、私どもはそう見ておる。そうしますと、物価が下がらないということになれば、これは先生のおっしゃる消費を拡大するということについてですね、そのことによって景気が回復していくということについて、物価が下がるという前提でなければ消費拡大はしないんじゃないか。そこに若干の論理の矛盾があるんじゃないかというふうに感ずるんでございますが、消費者物価の問題と消費拡大による景気回復という点について、私、若干疑問を持ちまするので、解明をひとつしていただきたいと思います。

武田満作日本勧業銀行副頭取

○公述人(武田満作君) お答え申し上げます。  ただいまお話しの、消費者物価は相当今後も上がるんじゃなかろうかと。そうなると、消費——まあ消費だけではないと思いますが、消費にしろ、あるいは財政支出にしろ、あるいは輸出にしろ、その中にやはり消費の拡大ということが景気回復の一つの要因になるんじゃないかと。その場合に、物価と申しましても、もちろんこれは消費者物価のことだと思いますが、消費者物価が上がるということになると、消費は拡大しないんじゃないかというお話でありますが、この点につきましては、消費のほうは、むしろ物価が上がるときに消費が拡大するという傾向が私どもは強いんじゃないだろうか。ですから、消費者物価が上がっていいということでは決してありませんし、また、これは極力押えなければならないと思いますが、需要という点から申しますと、たとえば、われわれが所得がありました場合に、これから先まだ物価はどんどん下がるということになりますと、むしろ買い控えの傾向が出てまいります。逆に、今後物が上がってくるんじゃないかというときは、所得の中で貯蓄に回わす部分よりもむしろ消費に回わす部分のほうが多くなるというようなことになるんじゃないかと思います。私が申しました消費購買力の拡大というのは、そういうことを織り込んでまでのことじゃありませんで、大体、消費購買力の拡大というものは、毎年そう大きな違いはありません。消費の拡大という点だけから申しますと、むしろ消費者物価がある程度上がるということが消費を促進するようなことになるんじゃないかと思っております。ちょっとおわかりにくうございますか。

北村暢日本社会党

○北村暢君 まあ納得はしませんけれども……。

小沢久太郎自由民主党

○理事(小沢久太郎君) ほかに御発言もなければ、武田公述人に対する質疑はこの程度にとどめます。  武田公述人におかれましては、まことにどうもありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。     —————————————

小沢久太郎自由民主党

○理事(小沢久太郎君) 次に、吉田公述人にお願いいたします。  (拍手)

吉田秀夫法政大学講師

○公述人(吉田秀夫君) 御紹介いただきました法政大学の吉田秀夫と申します。  毎年、政府の一般会計予算を見ますと、歳出の冒頭に社会保障関係というのが必ず出ております。これは政府が多分気持ちの上では社会保障を非常に重視していると、そういうことでこの順序になってはいないだろうかと思うんでございますが、さて日本の社会保障はどうだということは、いまから申し上げたいと思うんです。ただ、私の話の順序は、冒頭に日本の社会保障の国際的な大体の水準、それから、少なくとも貧困者あるいはボーダーライン層を対象にしている生活保護あるいは社会福祉、この辺にずっと論旨を進めまして、最後に社会保険、その中でも年金の問題や、あるいは健康保険の問題に触れたいと思います。  まず最初に、どの国でもそうなんですが、一国の社会保障の水準が、たとえばどういう内容で、どういう水準と普及を持っているかという、こういうことはその国が文化的、社会的にどの程度進んでいるかという、こういう測定のバロメーターにしばしば引用されております。ですから、社会保障制度の水準が非常に高ければ、やはり文化的、社会的に非常にその国は高いというような、こういう理解のされ方が戦後やられております。もちろん社会保障制度の水準を測定する何かまともなものさしがあるかということになりますと、これは、たいへんな問題で、いろいろな角度から考えられます。具体的にいいますと、たとえばその国の国家予算の中に占める社会保障の国の費用のパーセンテージだとか、あるいは国民の納める税金と比べて、還元される社会保障の給付の比較はどうなっているかというようなこと。それからもう一つは、国民全体の所得に対して、社会保障の給付の総額が何%を占めているかというような、こういう比較、さらに、国民一人当たりにしますと、その国の社会保障給付の総額は何ドルになるか、こういうようないろいろな比較検討がいままでございました。ところが、ここ数年来、国際的ないろいろな資料を見てみますと、特に国際労働機構、ILOのいろいろな資料を見ますと、ここ数年来、非常に重要な比較水準の重点に、それぞれの国の国民所得に対してそれぞれの国の社会保障の給付の総額は何%かという、こういうことでランクをつけ始めました。一番新しいのでは、一九六四年度のILO発表の社会保障の費用という膨大な本に出ております。これは去年の八月の厚生白書の中にも出ております。非常に古くさかのぼりますと、たとえば一九五七年度で、わが国が三十四の国の中で二十七番目であります。二十六番目はアメリカですね。それから、日本の下に続く国はどこかといいますと、チュニジア、南ア連邦、セイロン、グァテマラ、こういう国が日本に続くわけです。ところが、それから三年たちまして、この三年たった一九六〇年の比較がやはりILOから出ております。これを見ますと、三十の国を大体六つのグループに分けまして、日本は下から二番目の第五グループに入るわけです。そして、三十の国の中で日本は二十二番目、だというのですね。そして、日本と同じようなグループの国はどういうふうな国かといいますと、パナマ、日本、ポルトガル、南ア連邦、キプロスという、こういうグループと同じだ。まあ私なんかも大学で学生諸君を教えながら、たとえばキプロスやグァテマラという国を知っているかと言いますと、あまり大学の学生諸君でも御存じないような、そういう国と大体日本が同じだというのが、これが大体実態であります。で、この第五グループの国民所得に対するパーセンテージは、大体五・二二%、この辺が大体第五グループに該当いたします。  さて、そういうことで、なぜ日本はたいへん劣悪、国際的に非常に低いかという話へ、以下、論旨を進めたいと思うのですが、まあ御記憶の方もあると思うのですが、昭和三十七年の八月に、社会保障制度審議会が、所得倍増政策に合わして総合調整という膨大な勧告を出しました。この勧告自体は、私自身は非常に批判もありますし、意見もあるのですが、それでも、この勧告では、一番目が当たらない社会保障制度から順位を追って改善拡充していけという方向を出した。それは何かといいますと、第一番目に生活保護だ。これは十年の間に約三倍も生活保護の最低基準額を上げろ、こういうことでした。その次には、社会福祉、社会事業です。これは国も自治体も、もっとめんどうみたらいかがですか、こういうことです。三番目に、公衆衛生というようなことで、最後に社会保険を持ってきまして、この辺の配列については私もちょっと意見があるのですが、その一番最後でよろしいという四瀞目の社会保険の中で、あとから申し上げるように、ほとんどありとあらゆる健康保険制度がいまがたがたになっております。そういう状態の中で、まず一番最初に、十年間に三倍に上げたらどうだという生活保護の実態を見ますと、これはいままでずっと戦後の社会保障の国の予算の順位からいいますと、いままで例外なしに生活保護がトップを切っておりました。去年が千六十八億円、ことしは千二百四十億円ですか。ところが去年ぐらいからちょっとおかしくなりまして、今度は国民健康保険の関係、国の予算がやはり一つの制度ではトップを切るようになりました。これは後ほど触れたいと思うのです。確かに一三・五%上げて、総額にして千二百四十億円という、こういう金が一番困窮者に使われるたてまえになるわけです。これはすでに御案内のように、四人世帯で東京のような一級地の場合に、この三月まで一万八千二百四円という基準額が四月から二万六百六十二円、こういうふうにに上がります。しかし、一三・五%というような値上がりの大体割合を考えますと、やはり昨年来の物価の騰貴や、あるいは生計費の上昇からいいますと、これはとてもカバーできないのではないかと思います。  それから説明によりますと、その点が一つの問題ではないかと思うのですが、生活扶助、生活保護には七つの扶助がありますから、その中で一番貧困で困ったという場合にものをいうのは生活扶助です。生活扶助の人員については、最近の実績、実情にかんがみて、四十一年度の場合には百四十三万三千人にして予算を組んだ、こう書いてあります。私はいつも不思議に思うんですがね。大体六、七年前までは、生活保護というのは米が上がりませんとあまり政府は上げなかった。ところが、多分御承知だと思うのですが、もう死にましたが、岡山県の国立療養所に入院していた朝日さんという人が政府相手に訴訟を起こしまして、その朝日訴訟を拝見して、実は毎年のように、昭和三十六年の四月から生活費が上がるようになりました。もう五年間で約八割、今度の分を入れますと、もう九割をこえています。そうしますと、パーセンテージが上がるたびに、少なくともこれ以下の人は適用するが、そのすれすれの人たちがたくさんいるわけです。そうしますと、一割でも一割五分でも上がりますと、そのすれすれという人たちが拡大適用されると思うのですね。ところが、いままでの実績を見ますと、たとえば三十八年度で百九十一万人、生活扶助の適用者がいた。それから三十九年度には戸八十二万人おりました。それが四十一年度に百四十三万人ということなんですから、これはどういうわけであろうかと思うわけでございます。ですから、政府は多分逆に貧困者が減少しているというようなお考えならば、これはいまの少なくともマスコミや、あるいはいろいろな、あちこちであらわれているような未曽有の中小企業の倒産、あるいはどんどん農村を捨てて都市の底辺に沈でんするような人たち、あるいは驚くべき物価騰貴というような、貧困層が非常に増大するというような状態の中で、逆に生活保護の生活扶助を受ける人が減っているという、その辺の理解がどうしても私はつかないわけです。私は若干地方自治体にも接触があるんですが、最近、今度の予算を見て、たとえば末端の村や町、あるいは市の自治体の職員たちはどういうふうに見ているかといいますと、生活保護の基準額を毎年上げるのは賛成だ、しかし、上げられても、少なくとも自分の村や町でボーダーラインすれすれの連中に拡大適用するということになりますと、実は村にも町にも市にも予算はない、そのジレンマで実はお手上げだというようなことで、自治体の職員たちは悩んでおります。無理もないと私は思っているわけです。  それからもう一つは、今度上げられた実績、あるいはいままでの生活保護の実績の中で若干の問題を提供したいと思うのですが、たとえば私なんか新聞、テレビで拝見したのですが、この参議院の予算委員会でも、入院患者の食事の献立の現物が提供になってそれがまないたに乗ったということを拝見しまました。ところが、最近私のうちまでこういう資料が持参されたのですが、二級地の仙台の福祉事務所が、一人百円で生活ができるはずだというワクの中で、一日一人当たり八十五円という飲食物の献立表を全部刷りものにして、それで生活保護を受けている家庭に配って、保健所なんかの協力も得て講習会を持った、こういう資料をいただいたわけであります。そうしますと、一日一人当たり八十五円といいますと、どう計算しても、一日のカロリーが千四百八十九カロリーですから、千五百カロリーを割るわけです。ところが、政府の言い分によりますと、あるいは大蔵省の税金の関係のあれを見ますと、どうしてもおとな一人二千五百カロリー、だということです。それで大蔵省はごく最近、今月の七日ですか、一日百八十六円は必要だ、これならおとな二千五百カロリーでやれるだろうというデータをお出しになったわけです。そうしますと、千カロリーも少ない状態で、いま百何十万という生活保護を受けている連中が現実にあえいでいるというわけですから、これはほとんど不可能であります。その上に、御承知のように、昨年来、ことしにかけて、実際に生活保護を受けている家庭の個人あるいは主人公あるいは子供、こういう人たちの中で非常に自殺であるとか、あるいは一家心中が激増しております。これはまだ生活保護を受けておりますから、その権利を活用したのだと思いますが、実際には生活保護という制度を全然知らなくて、こういう悲惨な社会的事故が最近激増しておるという状態であります。ところが実際には、やはり非常に費用を節約するという行政指導が徹底しているのだろうと思いますが、こういう一番貧困者に対するいろいろな行政的な引き締めがかなりの事件を、北海道から九州までもたらしているという話も聞いております。これは非常に残念なことだと私は思っているのです。別に好んで貧乏になっているわけではありませんし、生活保護では食えない、あるいは生きるわけにいかないというので、やむを得ず内職や、あるいは仕事もするという、こういう状態に実は現にあると思います。もしまともに働ける場所があって、まともな賃金なり収入があれば、別に生活保護に頼る必要はないと私は思っているわけです。そうしますと、もう少し愛情のある、愛情のこもった政治、ことに雇用政策あるいは賃金政策あるいは収入政策というのが並行しますと、こういうみじめな状態はかなり改善されるのではないかと思います。その点ではやはりこの問題は日本の政治、経済、社会の根本的な構造的な問題ではないかと思っております。  それからその次に、社会福祉関係の問題ですが、これは前年度よりも一八・九%確かに予算はふえました。八十億円ぐらいふえたわけです。ところが、今度の予算を見ますと、一番目に立つのはやはりマスコミで取り上げられ、それでやむを得ずということかもわかりませんが、重症身体障害児に対して、ほんの少しばかり日が当たり始めたという感じがいたします。大体、非常に貧困であれば、これは身体障害者も出ます、あるいは精神薄弱児も出ます、あるいは非常に知能の低下ももたらすわけです。そういう状態の中で、全国で一万七千人いるという身体障害児に対していままでは三カ所で三百二十ベッド、ほとんど民間だった。それがようやっと今度の新予算では、いまぎりぎりの段階で若干ふやしまして、五百二十というベッドを国立のいろいろな施設に併設するということですから、そうしますと、これはとても遠いことではないかという感じを持ちます。そのほかに、大体社会福祉関係では、どうも政府はあまりこういう実態調査をしないものですから、大づかみのこういう統計がないのが非常に残念だと思いますが、たとえば身体障害者、不具者がどのくらいいるかといいますと、約九十五万人、これも何年か前です。ところが、現実に東京の例を見てもわかりますように、毎日何人か交通事故で死に、百人近いかたわ者が出ているわけですから、これはもっともっと現にふえているわけです。それから、精神障害者が六十三年の四月で百二十四万人、それから、精薄児がまた何十万人もいるという状態の中で、これは予算で検討がされていると思うのですが、これを受け入れるいろいろな施設が非常に貧困です。それから、また、定員が非常に少ないしと、こういうことで、大部分は精神障害者、あるいは精薄児、あるいは身体障害者は野放しにされているというのが、残念ながら、日本の社会福祉の現状であります。  それから、もう一つは、これも厚生口書が国際的統計で言っていることなんですが、日本の六十五歳以上の年寄りが約六百万人、その中で、この年寄りの自殺の高いのは国際的に第二番目だというのですね。なぜこんなに年寄りがたくさん自殺をするかといいますと、これは非常に単純で、やはり貧困と、それから孤独と、それから疾病というような問題にからみ合い、さらに住宅その他がからみ合いますと、どうしても一人ぼっちで生き長らえる勇気がないのではないかと私は思います。そういう状態の中で、諸外国に比べて、少なくともわが国の年金はまだまだ不十分です。それから、当然身寄りのない年寄りが入るべき養護老人ホームも非常に貧弱です。この辺の同額は、私は、ますます人口が老齢化する中で、かなり大きな政治的な、社会的な問題になり得ると思うのですが、しかし、政府の予算や、あるいは政治の中では、非常によくこの問題の対応策を反映していないと言ってもいいのではないかと思います。  さて、そういう状態の中で、最後に社会保険関係の問題でありますが、社会保険というのは、御承知のように、日本の場合には、中身からいいますと、健康保険と年金と労災保険と失業保険と四つあるわけです。ただ、国鉄や国家公務員や地方公務員や、いろいろな社会保険の種類からいいますと、一覧表によりましても、約十九種類ですか、非常にてんでんばらばらな制度が乱立し、給付の中身が非常に不均衡です。さて、そういう状態の中で、少なくとも健康保険の問題はあと回しにしましても、いま御承知のように、わが国の場合には国民皆年金ですね、国民年金は、拠出制、無拠出制も含めて、これはすでに実施されましたし、ほとんどの労働者は、公務員にしても、何らかの年金に入るという、こういう状態に実はいまあるわけですが、ところが、先ほどの増大する老人層、並びに、どうしようもないという非常にみじめな状態に対応して、差しあたり一番改善、拡充されなければならないのは日本の公的年金ではないかと私は思います。ところが、日本の公的年金、その中でも厚生年金、あるいは国民年金の一番のまずい点を国際的に点検しながら申し上げますと、公務員並びに民間労働者が二十年間保険料を完納しなければ老齢年金はもらえないという仕組みは、これはまずいですね。  それから、したがって、十八年や十九年では老齢年金に該当しないのですから。ところが、ほとんどアメリカでもあるいはヨーロッパの場合でも、日本のように定年制はございませんから、だから、かけ始めて二年、三年、五年、六年で六十歳とか六十五歳の所定の老齢年金をもらう年に該当したという場合には、額を減らしてだれにでも年寄りには年金を支給しておるわけです。これを減額年金制度といいます。そういう仕組みが残念ながら日本の場合には全然ございません。したがって、かなりたくさんの、何十万、何百万という労働者や公務員は二十年に達しないでやはり死んでいく、こういうことです。  それから、もう一つは、民間労働者約千七百万人の厚生年金の該当者の中で、三割は女子です。また、公務員の中でも、二割、三割は女子職一員が働いている。残念ながら、女子職員の大部分は、肝心の老齢年金あるいは退職年金をもらう条件は満たしていないわけです。それでは二十年間をまともに同じ職場で働き、あるいはまともな職場で働くということはほとんど不可能です。そういう点では、公務員あるいは民間労働者も含めて、女子は毎月高い保険料を払いながら、肝心の老齢年金はもらえない、こういう不合理。  それから、もう一つは、特に厚生年金の場合には、いま支配的に民間企業の定年制は五十五歳ですから、男の場合には、あと五年待たないと、六十歳にならないと肝心の老齢年金をもらえない。この五年間待つというのは実はたいへんなことではないかと私は思うわけです。したがって、もし五十九歳何カ月くらいで死んでしまうと全然老齢年金には無縁だと、こういう状態。それから、何といいましても、年金の金額が低過ぎます。たとえば去年の衆参両院の国会の改正で厚生年金は改正になりました。あのときの政府の言い分は、今度は一人三千数百円の年金額が一万円になるというのです。こういうPRでした。ところが、よく考えてみますと、だれでももらえる定額制五千円は、これは変わりないのですが、あとの五千円というのは、二十年間の標準報酬の平均がきっちり二万五千円にならなければもらえないという年金なんです。二万五千円になって初めて実は五千円という金額がはじき出されるわけです、比例制ですから。ところが、二十年の間に、どう計算しても、当分六、七年、あるいは十年ぐらいは三万五千円になりっこないというのがいまの現状です。たとえば戦前並びに終戦直後の賃金を考えてみてもわかります。そういうことで、どっちにしましても、月に一万円という定額で出る年金は、いまの物価騰貴、あるいはまかり間違うとインフレだという状態の中で、あと十年先にどれほどの貨幣価値があるかということになりますと、これは非常に問題だと私は思います。そのことは、今度国会に上程されております国民年金の法改正の場合でも、これは来年の一月から国民年金の法律を改正して、保険料を約二倍近く上げようということらしいのですが、それでも厚生年金の二万円年金に合わして、夫婦で一万円にするという、そういう説明です。ところが、いま夫と妻で一人五千円ずつ、合わせて一万円というのはいつもらえるかといいますと、実際に国民年金の保険料をためて、二十五年完納した人が年齢六十五歳になって初めてもらう一万円なんですから、そうしますと、いまからどうしても二十六、七年先だということになります。そうしますると、ここでもまた物価の問題やインフレの問題が当然関連するわけです。そういう意味では、アメリカの場合でも、あるいはヨーロッパの場合でも、事、年金に関しては、一番最大の敵は何かといいますと、インフレーションだと言っています。これは政府も言っていますし、いろいろな学者も言っているわけです。その辺の物価騰貴、あるいはインフレに移行するかしないかという、この辺がたいへんデリケートな問題で、午前中もそういう公述があったかもわかりませんが、私はその辺を非常に心配している。もし物価がずっと上りっ放し、あるいはインフレになるというようなことになりますと、老齢年金、膨大な金の積み立てを要するこの年金が一挙にして瓦解する可能性がありはしないかということを非常に心配しております。さて、そういう状態の中で、実はアメリカにも、あるいはヨーロッパにも全然例のないわが国の公的年金の積み立て金の使い方は、やはり厚生年金の保険料のすべて、あるいは国民年金の保険料のすべて、あるいは公務員の共済組合の三分の一、並びに、農林事業団体の零細な企業に働いている農協の職員に至るまで、一昨年から集まった農林年金の三分の一を大蔵省の資金運用部に投入し、それが財政投融資の巨大な財源になっているというこの事実が、実は私は非常に不合理ではないかと思っております。戦前のILOの条約でも、やはり年金の金は、当然被保険者が入って、民主的運営をしながら、これを社会保障に、労働者や家族の福祉のために使われるということが条約の中できまっております。そういう点からいいますと、一貫して日本の厚生年金や、あるいは国民年金は、こういうルートで実は政府の財政政策の非常に大きな役割りをになっているという、この辺にも問題があるのではないかと私は思うわけです。去年一兆六千二百六億円だったのが、ことし二兆億円を財政投融資は突破いたしました。これがいわゆる公共投資あるいは社会開発という範疇に入るべきものだろうと思うのですが、将来の社会保障全体のあり方、あるいは年金を中心にした社会保障積み立て金のあり方、この辺はやはり根本的に考え直して、少なくとも国際並みのあり方に直すのが当然ではないかと思うわけです。  さて、そういう状態の中で、最後に健康保険、医療保険の問題なんですが、これは御承知のように、ここ二、三年来、政府管掌健康保険を先頭に、国民健康保険、日雇い健康保険、あるいはいままでかつてそういうことはなかった国鉄や公共企業体共済組合並びに国家公務員、地方公務員共済組合の短期並びに大企業の健保組合の財政でさえも、実はここ数年来の医療費の増で非常に財政が苦しくなりました。この辺のいろいろな背景なりあるいはいろいろな動きは時間がありませんから割愛いたしますが、ただ本来その一番基準になります政府符掌健康保険の赤字対策は、これは四十年度、三月までの間に赤字対策は当然なされなければならないはずだったと思うのですが、これはいろいろな事情で延びて、四十一年度から本格的な発足ということで、目下国会で審議中だと私は思います。とにかく約六百億円、七百億円近い累積赤字を一時たな上げして、たな上げということは、消えてなくなるわけではないと思うのですが、それで四十一年度にはいままで史上かってなかった百五十億円を国庫補助をするという、これはよろしいと思うのです。ただ、それを引き合いにして、抜本的な健康保険の改革をしなければならないという状態にいま追い込められておりますが、厚生省の部内でも、いろいろなテーマが最近新聞に発表になっております。実はこのほうが非常に心配だということであります。さらに一番私が心配しておりますのは、一体市町村の国民健康保険がいまのような状態ではたして維持運営できるものであるかどうかということが非常に心配であります。今度の四十一年度の国庫予算を見ますと、実質的には、先ほど言いましたように、いままでのいろいろな、二割五分だとか、あるいは五分の平衡交付金だとか、いろいろまぜ合わせて実質四割の国庫負担、そういうことで、今年度の予算では千四百五十一億円、生活保護をはるかに上回る膨大な国民健康保険に対する補助を予定しております。このことは、やはり三割あるいは四割を国が持たなければ国民健康保険が運営できないというその背景には、私は、農山漁村や市民の貧困、あるいはボーダーラインという実態があると思うのです。もしまともな連中がまともな経済生活を送り、またまともな収入があれば、別にこんなに国から援助をもらわなくともやれる、そういう状態こそが私は望ましいと思っているわけです。ところが、三十八年度の政府の調べによりますと、実際には四千数百万の国民健康保険の被保険者の中で約三割は、わずかな保険料あるいは保険税でも減免になっているこういう人たち、あとの七割が国保の保険料を払っているというのが実態、さらに三十八年度の実績によりますと、年間現金収入九万以下というのが二三%、それから年間二十万以下の収入きりしかないというのが四四%、圧倒的にボーダーラインです。東京都の場合、東京都二十三区では、三十八年度で二百三十二万人入っております。その中で何にも税金を払えない——都民税の一番安いのは年間七百円、その七百円さえも払えないのがどれくらいあるかといいますと、四八%あるわけです、東京都のどまん中に。そういう点から言いますと、これほどのたくさんな、膨大ないわゆる低所得あるいはボーダーライン層をかかえながら、それでもなおかつ去年も、ことしの四月からもどんどん国民保険の保険料は値上げになっております。この値上げされた保険料が払えるものかどうかということが非常に心配なわけです。そうしますと、社会保障の一審基底をなす労働者や公勝負並びにその家族並びに農民や市民という、こういう国民諸階層がどういう経済状態であるかという、これを抜きにして社会保険やいろいろな社会保障の問題は考えられないということになるのではないかと思います。具体的に言いますと、三十七年の——これはちょっと資料が古いのですが、三十七年の産業構造基本調査と、それから厚生白書を合わせまして、生活保護にちょっと毛のはえた、一割程度毛のはえた貧困層が日本にどのくらいいるかといいますと、千八百二十三万人だということです。これは人口の約一九%にのぼります。それから労働省の昭和三十八年度の賃金調査によりますと、生産的な産業に従事している労働者の中で、一万円以下の賃金労働者が九・三%、一万円から二万円の労働者が四二・八%、合わせますと、二万円以下が約半分だということですね。これは昭和三十八年度の、実績なんですが、そうしますと、三十九年、四十年、あるいはことし四十一年度でこの状態が飛躍的に改善されているかといいますと、どうもそうではないのではないかと私は思います。こういう人たちが実は、健康保険の保険料あるいは保険税を払い、あるいは厚生年金の保険料を払い、あるいは失業保険の保険料を払い、共済組合の掛け金を払うということです。そうしますと、これはいずれの国でも、社会保険というのは、生活保護やあるいは社会福祉やあるいは厚生施設と違いまして、これは全部ある一定の財源がなければできない。その財源の出し方は、やはり賃金なりあるいは所得にかける掛け金でしょう。これは法律できまったり、あるいは組合で自主的にきめます。そうしますと、そのもとになる賃金なり所得が非常に劣悪だという場合には、どんな高い保険料をかけてもやはりその財源は豊かになれるはずはないのですね。その辺が私は一番問題であるし、もう一つは、ヨーロッパの場合には大部分は民間企業並びに公務員の場合でも雇っているほうがよけいに保険料を払っているわけです。ところが日本の場合には、きらんと、政府管掌健康保険、あるいは厚生年金、失業保険、全部折半負担ですね、保険料は。その辺にも私は問題があると思うのです。したがって、今日健康保険が赤字になって、まあ今度は保険料が若干上がって、標準報酬も上がりますが、それよりも、もしこういう健康保険の危機、あるいは財政危機をカバーするために、直接に労働者や家族に、あるいは農民や市民に費用の一部を転嫁したり、あるいはこれを現金払いにしたり、あるいは総合調整というような名前で非常に大きくレベルダウンするということがありますと、少なくともこれは社会保障あるいは健康保険、医療保障制度の大幅な後退ではないかと私は思います。したがって、別に労働者やあるいは国民大衆に健康保険が赤字になる責任があるわけではありませんし、あるいは医療担当者、医療従事者にも責任があるとは思えませんが、やはり当面どうにもならぬという状態ならば、やはり国がかなり思いきって金を出すなり、あるいはできれば法律を改正してでもその保険料の労使の折半負担をヨーロッパ並みに事業主側がよけいに払うというようなことをしてその責任を使用者側に持ってもらうというようなことなしには、私は健康保険のいまの重大な危機は解消できないのではないかと思っております。まあ要は、問題は、社会保障というのはやはり国民の生命なりあるいは健康なりを守り、あるいは生活を豊かにするために私は存在していると思っております。ところが、ここ数年来日本の社会保障制度は、だいぶ曲がりかどにきました。かなり荒っぽい後退、改悪案もちらほらしております。そうなりますと、社会保障の存在が逆に生活を圧迫したり、あるいは国民の健康をそこねるような、そういう制度になり変わるということは、これは明らかに後退ではないかと思います。そういう点では、やはり国会の立法の場で、良識の場で、こういう改悪や後退の方向は、これ以上のレベルダウンは食いとめるように、まあ私自身は期待したいと思うわけです。  以上で私の公述を終わります。(拍手)

小沢久太郎自由民主党

○理事(小沢久太郎君) ありがとうございました。  吉田公述人に御質疑のおありの方は順次御発言を願います。

鈴木強日本社会党

○鈴木強君 たいへん実情を把握されましたいろいろお話を承りまして、非常に参考になりました。日本の社会保障制度が各国に比べて非常に悪いということは、先生のおっしゃるとおりですね。私も、一昨年でしたか、社会労働委員としてヨーロッパ、アメリカの社会保障制度をよく見てきましたが、全く先生のおっしゃるとおりですね。まだまだ前途遼遠だという感を非常に強くしているわけであります。それだけにたいへん関心を持っている一人でございますが、特にきょうお尋ねしたいのは、お話のように、生活保護の基準につきましては、いろいろ今日問題を起こしているのであります。一級地における、先生の御指摘のような、月二万六百六十二円、二・五%アップいたしましても、これは非常に少のうございます。先般大蔵省で課税最低限としての生活保障の生活費の算定をいたしておりましたが、それによりましても月四万六千八十四円ですから、五〇%になりませんね。四四・八%にしかならないわけでありまして、こういうふうに非常に無理な生活をやらなきゃならないのでありますが、その上に、最近問題になっておりますような、八尾市の冷蔵庫を持ったために生活保護を打ち切るということから、おかあさんと子供が心中してしまったとか、それから青森県の三沢の大火に対して見舞い金が来た場合、これをもらってはいけないとか、また老人がネコを飼ってもいかぬとか、いろいろ問題があるわけでありまして、これは私は生活保護法における基準というものがもう少し実態に即しなきゃいかぬじゃないかと、こう思うのです。もう少し実情に即したようなものにしなきゃならぬと思うのでありますが、これは別に法律できまっておるわけではありませんでして、厚生省がいろいろ指導する、面において一つの基準を定めているわけでありますから、これは何とか改善を加えなきゃならぬと思うのでございます。たとえば八尾市の場合は、冷蔵庫を持っておりましたが、これも非常に古いものでして、売っても二千円か三千円にしかならなかったそうです。これは少し問題があるというので、福祉事務所のほうからケースワーカーの言ったのと違った形において通達を出して、そして売った場合二千円ないし三千円ぐらいのものであればそれはよろしい——こういうのもあの不幸な親子心中があったあとにやっておるわけです。まことに血も涙もないといいますか、実態にそぐわない方向ではないかと私常々思っておりますが、その点に関して先生はどういうふうにお考えでしょうか。それが一つ。  それからもう一つは、御指摘の国民年金なんかの場合には、積み立て金に対する融資の方法等について問題があると思いますが、現在では、御承知のとおり、二割五分が還元融資されて、これは厚生省のほうで一番適切に、効果的に使っておられるわけですが、本来この金は国民年金に加入した人たちが出している金でありますから、こういうものはもう少し幅を広げて、そうして加入者の利益になるように使ったらよろしいかと私は思うのでございますが、そういった積み立て金の運用に対して非常に問題があるように思いますが、この点に対する先生のお考え、二つだけお尋ねします。

吉田秀夫法政大学講師

○公述人(吉田秀夫君) 前のお話の、実際の保護の行政の実態のお話は、いまの御質問のとおりだと思いますので、その点は私も同感ですから、別に何とも意見の出しようがないのですが、ただ、最低生活費の基準額をきめる場合に、別に民主的な審議会もあるわけではないし、その点では一方的に政府の都合できめているということは私はおかしいと思いますね。ただ、日本の国民の最低生活費をきめる場合に、どうしても問題になりますのは、憲法二十五条の第一項でいう「健康で文化的な最低限度の生活」の水準というのは幾らだというようなことがこれは明確にならないと困るのですね。そのことは私は、労働者の賃金をきめる場合、特に最低賃金制をきめる場合にもどうしても関連すると思っているわけです。ですから、その辺のことを、やはり勇気を持って審議会をつくるとか、あるいは最賃制の問題でも、その額と憲法二十五条にある文句とはぴったり同じですからね。健康にして文化的な最低限の賃金でなくちゃならぬ。その辺はまだ日本はそこまで政治的に近代化していない。これはヨーロッパの考えからしてはおかしいと思うのですね。そういうことじゃないかと思うのです。  それから、積み立て金の運用の問題につきましては、何年か前に社会保障審議会が、一切の社会保障の剰余金なりあるいは積み立て金を一本にして、社会保障の基金にして、それをファンドにしてやはり原則的に社会保障のいろんな施設やあるいは社会保障制度の拡充にその積み立て金を使うという勧告を出したはずだと思うんですね。その線が私は一番いいのじゃないかと思っております。

小柳勇日本社会党

○小柳勇君 私も二点だけお伺いいたしますが、一つは児童手当法に対する——私のっぴきならぬことで前半の先生のお話聞いてないのでありますからお伺いするのでありますが、児童手当法に対する先生の御見解をお伺いいたします。  第二の問題は、昭和三十六年に社会保障制度審議会から総理大臣に答申がございまして、三十七年から十カ年間にいまの生活保護を三倍に上げる、そこをベースにして全体的に社会保障制度を計画的に前進するようにという答申が出ておりますが、われわれはそれを一つの尺度にして、いま厚生省やあるいは政府をあらゆる場で施策を追及しておるわけです。前進するようにバックアップしておるわけでありますが、そういう一つの大きなめど、大きな尺度があって、計画的に社会保障制度的なものを前進していかなければ、右に行ったり左に行ったり場当たり的なものでは社会保障制度の前進はないと私は考えておるわけですが、そういうものに対して、先生は学者でありますが、いまの日本の社会保障制度を動かしているものの大きな方向について、先生の御見解をお聞きいたしたいと思うのです。

吉田秀夫法政大学講師

○公述人(吉田秀夫君) どうもあとのほう、たいへんな問題で、困りました。ただ、前段の児童手当、家族手当の問題は、実は私も十二月の三日の日に厚生省に呼ばれまして、私の見解はどうだと、こういうことだ。ところが去年、たぶん児童手当あるいは家族手当法をつくるというので、何百万円か大蔵省は金を出したわけですね。そのために準備室ができて作業中だったと私は思うのですが、ことしの作業はそれが全然ないのですね。そうしますと、私は少なくとも昭和四十二年度から日本も諸外国並みに家族手当をやるのではないかというふうに思っていましたが、これは見送るんじゃないかと、たいへん失望しております。ただ、いま世界じゅうで六十二の国が家族手当をやっておりますが、これはたいへんな数です。全部国家が、赤ん坊から十六歳まで支給する。大部分は労働者や公務員なんですが、かなりの国は全国民ですね。  それから、家族手当の出し方は、固定額がほとんど半分ですが、ヨーロッパの大体の国が固定額、一月に千円とか千五百円とか二千円とか言わずに、プラスアルファがついております。ただ、あとから生まれた子供は額が多いとか、子供がだんだん年をとるに従って額をふやす、そういうかっこうにして、ただ財源はほとんどが雇い主負担。人口の非常に少ない国は全額税金でやっております。  そういう特徴を持っているんですが、日本の場合、そう考えますと、先ほども言いましたように、とにかくアメリカの八分の一とかヨ—ロッパの何分の一というみじめな賃金をそのままにしておいて、それで全国一律の最賃制もつくらないで、それでいま賃金から、公務員にしても、民間労組にしても、若干の家族手当は、女房に幾らとか、子供に幾らとか、一人幾らと出ていますが、あれをとにかく合理化して、全廃して、そうしてせいぜい、国が予定している場合に、これはぼくのひがみなんですが、一人一月に四百円とか五百円という程度の状態で家族手当をつくるならば、私は賛成できないのです。だから、まともな賃金にして、全国一律の最賃制をつくりながら、なおかつ家族手当を支給することによってもっと豊かにするというならいいですが、何か国から恩恵的にということならどうも私は賛成できないのですがね。  それから、社会保障制度の基本的な方向はどうだということなんですが、社会保障といいましても、健康保険も年金も労災も失業保険もありますし、それから生活保護も社会保障も公衆衛生もありますからね。個々の制度それ自体をいろいろに青写真つくりましても、ぼくはちょっと無理ではないかと思うのですよ。だから、やはりその一番社会的な経済的条件になる労働者の状態や、あるいは農民、市民の社会的な経済的な状態をどう高めていくかということの中で、私はかなりいい青写真が出るんではないかと思います。そういう意味では、たとえば社会保障制度審議会の勧告のような、十年間の間に約三倍に上がるということになりますと、毎年三割上げなくちゃいけないですね。それが、ことしの場合でも一割三分五厘、これはとてもじゃありませんがあのとおりにはならぬ。生活保護だけが目標ということは、ちょっと私は納得できないのです。だから、生活保護即最低賃金制ですね。やはりまともな仕事をどんどんあっせんする、そういう雇用状態、その他いろんな問題が関連して、社会保障という一つの社会制度が、ぼくはまっとうなことになると思うので、その辺は広く考えたほうがいいんじゃないかと思います。

田中寿美子日本社会党

○田中寿美子君 私も二つほどお尋ねしたいと思います。  ただいま先生がおっしゃいました点と同じようなことを私ちょっと考えていたのですけれども、つまり、生活保護基準というのは、いまのは全く低いわけなんですけれども、そうしたら、一体、どのくらいを妥当とお考えになりますか、ということなんです。それには、やはり労働者の賃金の最低の基準が相当程度高くなければ、きめにくいという点があるのじゃないか、その辺との関連、つまり、社会保障制度の一番根本になるのは、正常な働きをしている労働者の賃金がいかにあるべきかということと結びつけなければ、きめられないのではないかという点、その辺のことをもう一度お尋ねしたいと思います。  それから、先ほど先生が例にお出しになりました、仙台の例だと思いますが、保健所から出されております生活保護者への指導、これはどこからか行政指導がされているというわけでしょうか。つまり、本省のほうから、そういうふうに生活保護者に対して、こういうものを食べろというふうに指導されているのでしょうかどうか、御存じでございましょうか。そうですと、いまおっしゃいましたように、千四百八十何カロリーしかとれないわけです。それですと、全く正常な必要量の半分以下——半分のカロリーである。たん白質に至っては、どのくらいか。それからビタミンやなんか、もちろん、カルシウムやなんかも、ほとんどとれないのじゃないかと思いますが、そういう状態では生きられないから、家族が内職でもしなければならないのです。内職やなんかをしたときには、またこれが、生活保護費が差し引かれる。その辺、先生のお考えはどのようにお思いになりますか、お聞きしたいと思います。   〔理事小沢久太郎君退席、委員長着席〕

吉田秀夫法政大学講師

○公述人(吉田秀夫君) いまの生活保護基準額と労働者の賃金との関係ですが、やはり私は、全国一律の、まっとうな最賃制の中身が、生活保護に反映しなければならぬと思うわけです。ただ、外国の場合には、貧困者が生活保護を受けるという場合には、ほとんど労働力をなくした場合の生活保護の適用で、これは全部、公費でめんどうを見るというかっこうです。ところが、最低賃金制になりますと、それぞれの国の労使の力関係が反映しますから、だから必ずしも生活保護をかなり上回るという保証はないと思うのですが、ただ、それを抜きにしては、健康にして文化的な最低限度の生活基準は、賃金の場合でも、生活保護の場合でも出ないという感じはいたします。  それから、二番目の問題に関連してなんですが、厚生省の毎年の国民栄養調査によりましても、ぼくの記憶に間違いなければ、昭和三十八年の九月の実態でも、本来、日本人は二千五百カロリーとらなければならぬ。ところが、九千六百万の中で、二千五百カロリーどうしてもとれない、これ以下というのが約六割です。その数、約六千万になるわけですね。それから、絶対栄養不足で絶えず貧血状態を起こしている国民が、ことしの厚生省の国民栄養調査によりましても、二二%、その数、約二千万になるわけです。そうしますと、もう一つの調査で、労研という研究所が、やはり最低生存費を割りますと、両親の知能程度が普通でも、あまり貧困でありますと、その貧困に育っている子供の知能の程度は必ず低下する。何よりもはっきりしているのは、血液の重さが非常に違う、軽いんだという、こういうことを言っておりますから、その辺の驚くべき貧困状態をどう是正するかということになりますと、社会保障制度もその一つだと思います。一つは雇用政策、賃金政策だと私は思います。その辺が両々相まちませんと、このみじめな貧困状態はけりがつかないし、できれば、内職にしても、あるいは日給にしても、仕事をすればその賃金で暮せるので、低い賃金だから生活保護でカバーしなければならぬというこの日本の状態は、私はちょっと欧米諸国にはないのではないかと思うのです。だから、非常に低賃金で足らぬ分を生活保護でカバーするという国は、ちょっとよその先進諸国にはないわけですから、その辺の盲点をどう改善するかということだろうと思います。以上です。

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) ほかに御発言もないようでありますから、吉田公述人に対する質疑は、この程度にとどめます。  吉田公述人におかれましては、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。     —————————————

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) 次に、竹井公述人にお願いします。

竹井二三子日本生活協同組合連合会理事

○公述人(竹井二三子君) 日本生活協同組合連合会の理事をいたしております竹井でございます。  最近の相次ぐ物価値上げで、私たち主婦がいろいろの家計のくふうや合理化を一生懸命はかっておりますが、最近では、どうにもならなくて、いろいろ憤りさえ感ずるようなきょうこの頃でございます。そういうときに、大切な四十一年度の予算を編成されます委員会へ、私のような主婦をお招きいただきまして、いろいろと実態をお聞きくださいますということに対しまして、たいへん感謝申し上げます。  所得倍増ということばで非常に私たちを喜ばせた高度成長政策が、私たちの家庭生活にもたらしたものは、物価高による生活苦であったというのが、最近の私たちの実感でございます。  そうして、非常にピンクムードといいますか、十年たてば所得が倍になって、それがイコール私たちの生活が倍楽になり豊かになるのだというふうに、簡単に理解しておりましたのが、最近になりまして、不況対策とか、または物価対策ということが、大きな政治の柱になってまいりましたようなことを思いますと、私たちがこの高度成長政策に非常に期待をかけておりましたものと反して、非常に予想外であったというふうなことを感ずるわけでございます。  また、最近になりまして特に私たちの耳に響いてまいりますのは、消費者保護とか、または消費者教育とか言われて、いかにもそういうことが物価対策の重要な施策であるかのごとく言われておりますけれども、これとても、四十一年度の予算を見ましたら、私たちが期待するほどの積極的なものは見られないわけでございます。四十一年度の物価対策費の総額が百五十七億というふうに伝えられておりますけれども、これは四十一年度の総予算から見ましても、わずか〇・四%にすぎないわけでございます。これほど大事な物価対策が国の大きな政治の柱になっているのに、どうして〇・四%ぐらいの予算でこの大きな改革ができるだろうかというところに、私たちは率直な疑問を感ずるわけでございます。  そうして、その中身につきましても、大半が中小企業対策というふうなものに多額を組まれているようでございますので、もちろん、中小企業対策は、間接的直接的に私たちが期待するような物価安定の対策になるということは考えますけれども、消費者向けの直接の予算費ではないというふうにも判断いたします。  で、四十一年度の予算を拝見いたしますと、青少年対策費というのが、一項目あるのが私の目に入ってまいりました。確かに青少年の対策は大事な対策でございますし、私たち親にとっても非常にありがたいことでございますが、それと同時に、いま消費者が置かれている社会的な立場、または経済的な立場から見まして、消費者組織育成強化ということが非常に大切なときになっているのではないかというふうに判断いたしますと、この青少年対策に匹敵するくらいの項目を立てていただいて、そうして、それを予算化していただくということが非常に大切じゃなかったろうかというふうにも考えるわけでございます。  そういう点で、今年度の予算を見まして、非常に消費者保護とか消費者教育とか言われるわりに、予算化が少ないという点から、できましたら、予備費からでもそういうものを重点的に組んでいただくような御配慮がいただけないものだろうか、ということを感ずるわけでございます。  で、貧しい経験と知識ではございますけれども、私が、日常、物価はこういうふうにすれば安定してくるのじゃないかというふうに考えておりますことを、少しこう並べて申し上げていきたいと考えます。  まず最初に、政府が国民の私たちの生活をどのように把握していらっしゃるかというところから、やはり物価対策というものが始まってくるのではないかというふうに考えておりますが、この間、大蔵省が発表なすった標準食の基準でございますけれども、それが一日百八十六円八十七銭という数字が発表されて、各方面に非常に話題を呼んだわけでございますけれども、「イヤムチャナ」というふうなことが新聞に出て、この百八十六円八十七銭というものが「イヤムチャナ」ということにつながるというふうにも書いてございましたので、私、なかなか傑作な批評だと思って苦笑いたしました。  で、この百八十六円八十七銭という数字が、いかにもまことしやかに聞こえますけれども、何を根拠にしてこのような計算がなされたかということに、非常な疑問を持つわけでございます。で、それは、私たちは主婦ですので、毎日毎日おかずを買うのに、くふうして、苦心してやっておりますが、この大蔵省がお出しになった昨年のメニューに従って、こういう計算で出たのではないかということで、このメニューに従って計算をしてみました。そうしますと、私たちが最低のものを買って、非常にじょうずな買い物をしたといたしましても、計算が二百十九円という数字が出てまいりました。で、これは大蔵省側が発表なすった百八十六円八十七銭とは三十二円十三銭の不足となるわけでございます。この三十二円という数字は、まあ非常に零細なように聞こえますけれども、これが五人世帯となりますと、一カ月大体四千円という食費の不足が出てまいります。この四千円というのは、一家のただいまの勤労世帯では、非常に、一割近い数字を占める数字で、非常な不足でございます。で、このメニューの中に、私たちの食生活に欠くことのできない牛乳だの、卵だのというものは入っておりません。ですから、いまの日本人は、牛乳も飲まなくてもいい、卵も食べなくてもいいという計算、御判断でありましょうか、その辺のところはよくわかりませんけれども、カロリー二千五百と——先ほどから、社会保障の問題で、カロリーが問題になっておりましたけれども、その二千五百カロリーがとれれば、それで栄養は十分だというふうには判断は直通しないと思います。確かにカロリーはとれても、栄養という点からそれをまた見てみた場合に、非常に片寄った場合、不足した場合があるわけでございます。極端に申しますならば、ジャガイモをゆでて油でいためて食べていても、ある程度のカロリーはとれますけれども、それでは完全な栄養がとれたというふうには言えないわけでございます。そういう点で、栄養摂取という点から見ましたら、この二千五百カロリーがとれるという前提の大蔵省のこの御発表は、非常にお粗末で、いまの国民の私たちの実生活を御存じない方が計算なすったのではないかというふうにも、私たち考えるわけです。  で、昨年、非常に物価が上がりまして、生活が苦しくなってまいりまして、貯金をおろして毎月の生計費に充ててもまだ足りないので、まあ主婦はいろいろくふうをいたしました。で、その中で一番しわ寄せを食う部門はどこかということを考えましたら、大半を食べて暮らしておりますので、食費の中にしわ寄せが来るのではないかということに気がつきまして、私どもの主婦が十人ほど集まりまして、一年間、非常にきちょうめんに、毎日買ってきたものを目方をはかって、栄養家計簿というものをつけてみました。その栄養家計簿をつけた結果、私たちのグループの中で、消費支出が五万円、五万三千六百円とか、または六万五千円とか、または六万九千円とか、非常に、一般勤労世帯を少し上回るような消費支出を持っている人たちの中で出てきた結果が、エンゲル係数が五六%とか、四五・五%とか、または四四%とかという数字が出て、そうして、とった食事の内容が十分な栄養をとっていたかと申しますと、決してそうではなくて、八五、六%にとどまったというところに気がついたわけでございます。で、これを見て主婦たちがたいへんびっくりいたしまして、六万も七万も使って暮らしているから、まあまあ私の生活は水準以上だと思っていたら、この栄養の中身を見たら、ほんとうに貧困世帯並みで貧しいもの、だったということに気がついたわけでございます。  そういうふうな研究を主婦がいたしながら、大事な子供をかかえ、働く亭主をかかえて、いかに十分なエネルギー源を提供していくかということに日夜、くふうをしているようなわけですけれども、私はこういうふうな実態を見まして、簡単に政府が基準の食費をお出しになったり、または、簡単な指数でものをきめておしまいになるということに対して、非常に抵抗を感ずるわけでございます。それは、私たちの生活があまり貧し過ぎるからかもしれませんけれど、物価指数が七・何%の値上がり、だとかと言われますけれど、それはおしなべた数字でございまして、私たちが日常必要なもの、ほとんど食生活に金をかけておりますので、そういうものの値上がり、特にその食費の中でも、上肉ではなくて、こま切れとか、ひき肉とか、そういうものがどういうふうに上がっているかということをぜひとらえていただきたいと思うのであります。   この物価指数たるものが、どういうふうな品目をあげて、どういうふうな調査をして、どういうふうに出てくるかはわかりませんけれど、いまのような非常に生活の格差が大きいと、それは経済のひずみだなんと言われるときには、ぜひ階層別の指数というものをおとりいただきたいと思うわけでございます。それから、特にその階層別の中でも、物価の中で一番大きく動いているもの、それからまた、一番生活に密着したものを別にとっていただきたいというふうに思うわけです。去年の物価の値上がりの寄与率といいますか、それの  一番大きかったものが農水産物だというふうに覚えておりますから、そういうものが五〇%以上の寄与率を持っているわけです。私たちの生活に一番響くのがそういうやっぱり食料品または日用雑貨、サービス料というようなものでほとんど占めているのです。電気冷蔵魔にしても、洗たく機にしても、一つ買ったら十年くらいもちますし、そんなにレジャーにも参りませんし、ともかく、毎日毎日の生活に精一ぱいでございますので、ぜひ、物価指数をお出しになる場合は、階層別と、それからまた品目別に分けて、一般大衆の、特に日常生活に密着したもののデータをお用いになっていただきたいということをお願いいたします。正しい、また的確なデータがあってこそ、初めて適切な、きめこまかい政策というものができて、それが国民を非常に政治に対して信頼を持たせることでございまして、いわば、この前、大蔵省のメニューの数字が出ましたが、ほとんどの主婦が、良識ある主婦が、お役所のすることはこういうことだからわれわれが困るのだということで、一笑されてしまうわけです。そういうことのないように、ぜひ、日本政府というものはありがたい、私たちの生活をよく判断して、把握して、そうして政策を立ててくだすっているのだと、われわれが実感として思えるような資料をぜひお出しいただくことを、私はこの席でお願いいたしたいと思います。   それから、物価にはいろいろと種類がございまして、公共料金とか、生鮮食料品とか、サービス料金とか、いろいろございまして、そういうものがどういうふうな経路をたどって値上がりしてくるか、それが私たちの生活をどういうふうに圧迫するかということは、私からくどくど申し上げるまでもございませんけれど、順序といたしまして、まず、公共料金について一言、これもお願いしておきたいと思うのですけれど、公共料金はしばらくストップされて、去年の暮れからぱっと時に上がりまして、まだ上がっていないものも、これから四月以降上がるものもございますけれど、そこで言われることが、どの公益企業を見ましても、原価主義ということを言われるわけです。なるほど、原価主義で健全な経営体として保っていくことが、かえって私たちの生活に奉仕することだということは、私たちもよくわかっておりますけれど、赤字と言われても、その赤字がどうして出てくるのか、その辺のところがやはり、消費者である私たちには、あまりこれははっきりわからないわけです。私も生活協同組合の——小さな組合の専務をいたしておりますので、あがってくる利益がどういうふうに使われて、そうして赤字が出るか黒字が出るかというところで、従業員たちに申しますことは、経費の節減、それから経営の合理化ということも非常にやかましく言うわけでございます。その場合、経費がどういうふうに使われて、経営がどういうふうに合理化されているかということの立証がないと、私たちが、赤字だと言われても、さようでございますか、というふうには納得できないわけでございます。だから、そういう点で、この公共企業の原価主義というものが貫かれる以上、経営の中身がどうなっているか、合理化はもうこれ以上するすべがないか、または経費が適切に使われているかということを監査するような機関が、やっぱり消費者でも一緒に入って監査するような機関というものができないもの、だろうかということを、いつも考えるわけです。  それと一緒に、必ずそういうものは設備投資のための資本がないから、それらのコストにかけてくるということがどこでも言われるわけです。まあ電源開発にしましても、水道料金にしてもそういうわけですけれども、それをいま使って料金を払っている私たちに責任があるかどうかということです。これは共同責任、連帯責任と言えばおしまいですけれども、なぜ資源を開発する必要が起きてきたかというところ辺を少し御検討いただきまして、その最も顕著な理由のあるところ辺から、少し投資費というものを多額に出していただくような方法でもまたあわせて配慮いただければ、幾らかはいいんじゃないかというふうには、常々考えております。この公共料金の問題は非常に複雑で、私たちが簡単にこの席で申し上げるようなものではないかもしれませんが、この一つが上がると、生活費のすべてが上がるということが現実でございます。去年消費者米価が上がっただけで、うどんからパンから、菓子から、ともかく必要なものがほとんどそろっと上がりました。ことしはまたその消費者米価が上がり、国鉄が上がり、また郵便料金が上がりして、もう総なめに上がってきたような時点で、ことしの暮れは家計簿がどういうふうに動いてくる、だろうということが、まあ私たちのいわば恐怖でございます。そういう原因をつくるものだということを御承知にっていてくださると思いますが、ぜひ慎重にお願いしたいと思います。  それから、その次は生鮮食料品関係でございますが、これはもちろん需給の関係で値段がきまってくるものでございますので、特にお願いしたいのは、生産計画というものを、具体的に長期的に国民生活の実態に合わせてお願いしたいというふうに考えるわけです。これは決して不可能なわけではないと思いますので、ともかく供給が十分であるように、国の政策として御配慮をいただくということ、それは農産物とか畜産物とか水産物、みんなそうでございますが、それに伴って流通機構の改善とかいろいろ急がれるものもございますけれども、根本的なものはそれを重点的にやっていただきたいと思います。今年度の予算を見ましても、幾らかそういう姿勢といいますか、方向というのは見えておりますけれども、これがすぐに供給能力が増大するだけの強力な対策ができるような予算ではないというふうに、まあ私たちは考えるわけです。で、この調子ではよく「二階から目薬」というような俗語がございますけれども、この程度の予算では、この現状に対して二階から目薬を落としているような状態ではないかというふうに考えますので、こういうものをもっと強力に生産計画——これは簡単に私たちが生産計画と申しますが、農業政策との関連もございますでしょうし、いろいろなことがある、輸入との関係もあると思いますし、その辺は総合的にぜひ対策を急いでいただきたいというふうに考えます。  で、それからいままであまり問題にされなかったことで最近非常に顕著になってまいりましたのが、日用雑貨とかサービス料金とかの協定価格の問題、管理価格の問題でございます。で、これは適正な価格で適正な取引をするということで、まあ公正取引委員会なんかがございますけれども、公正取引委員会も、非常に何か弱体のようにも思えますし、私たちの唯一の味方ということで、この公正取引委員会を見ておりますけれども、何か歯がゆい状態でございます。で、最近の事情を少し申しますと、事業協同組合の協定価格というものが、一応は事業を保護するために認められているのでしょうけれども、それが非常にはっきりした形で物価の個上げをつくっているわけでございます。まあパーマ屋さんにしてもそうですし、床屋さんにしてもそうですし、それからマッチだとか、パンだとか、とうふとか、コンニャクに至るまで業者の協定というのが、非常に強いわけでございます。で、まあ私どもが生活協同組合で、二十円で市販されているコンニャクを十五円で売ろうとして、非常にひどい目にあいました。それは製造の業者の組合長から副組合長からぞろぞろ皆さんが出てきて、このコンニャクはどこから入れていると、その入れている問屋さんとか製造業者を、組合からボイコットするというわけです。こんなに安く入れるならボイコットするというわけです。私たちは、問屋さんからは安くもらっていない。ちゃんとした値段でもらっていて、われわれ、が利潤を少なくして組合員に分けているんだからかまわないじゃありませんかということで、だいぶコンニャク屋さんとけんかしたのを覚えているのですけれども、とうとう私たちのほうが勝つというと変ですが、それで押し通しまして、いま十五円でコンニャクを売っております。そうすると組合員から非常に喜ばれますけれども。パンを割り引きしようと思いますと、メーカーさんが出て来て、おたくはパンを割り引いて売っているそうじゃありませんかということで、締め上げられるわけです。もしこういう協定を守ってくださらなければ荷どめしますよということを言われるので、荷どめするならしてください、公取に訴えますから。というようなことでわれわれこまかいことを申しますと、毎日のようにそういう問題が起きているわけでございます。この自由経済の中では、やはり正しい競争をしていくということがたてまえじゃないかというふうに考えます。で、このカルテル関係の独禁法の適用除外というのが非常に、除外法というのが四十近くもあると聞いて驚いたのですが、幾ら独禁法があっても、適用除外法なんていうものが次から次へできてきたら、何にもならないじゃないかというふうに考えますので、この事業協同組合の価格協定に対する行政指導といいますか、取り締まりというものを少し強化していただきたいというふうに考えます。  それからもう一つその次に出てまいりますのが、再販売価格維持ということです。これは大きなメーカーが末端価格を押えて、そうしてそれで売らなければ荷どめするという戦法でくるわけです。たとえば牛乳とか、乳製品とか、化粧品ですね、それとか洗剤とかというものが、そういう形で私たちに迫ってくるわけです。この前も、あるメーカーの洗剤を協同組合で安く共同購入しようということでやり始めたら、荷どめを食っちゃったわけです。末端価格を守らないところには荷どめをするということで荷どめを食いまして、まあ私どものほうでは、公取にその洗剤のメーカーを相手取って提訴したわけです。結局、結論としては勝ちました。生活協同組合は適用除外だということで、そのメーカーさんから謝罪がきましたけれども、私は生活協同組合がその適用除外で、メーカーから謝罪がきたらそれでいいという問題ではないというふうに考えるわけです。そういうふうな管理価格といいますか、そういうものを横行させて、そうして放任しておくということは、やはり物価の値上がりの原因をつくっていくことではないかというふうに考えるわけです。で、この独占価格を取り締まるということが、非常に今日大切なことになってきているように考えます。化粧品なんかも割り引きをしては買えませんし、非常に高い値段で、まあそういうものを使う者が悪いといえばそれまでですけれども、非常に高い値段でしか買えないわけです。そういうものを何とかならないだろうかということで、この生産原価をメーカーから報告させるような制度といいますか、義務というものを負わすことができないかということを感ずるわけです、お役所のほうで。一体この値段、生産するのにどれくらいの価格かというようなことを報告させる義務を、義務化していただきたいというふうに考えます。  それからこの独占を押えていく力というのは、これはもちろん法律で押えていかなければならないと思いますけれども、法律だけで禁止できるものではないというふうに考えます。やはり力を持ったものが強くなっていくのは、これはもうあたりまえのことで、自由経済の中では、ましてあたりまえのことだと思います。ですから、私はだんだんと独占化を防いでいく一番大きな力というものは、取り締まりだけではなくて、国民の反独占運動といいますか、思想といいますか、そういうふうな消費者の独占に対して反対していくのだというかまえですね、そういうものがぜひ必要だと思います。それと一緒に、ただかまえだけでは痛くもかゆくもないわけです。消費者なんか何にも武器持っていませんし、ただあえて言いますならば、不買同盟くらいのことで、その不買同盟さえも、消費者が結束をして立ち上がることはできないわけです。やはり独占化を押えていくということになりますと、生活協同組合というような組織があるわけです。その組織に消費者が結集するならば、そのメーカーとけんかをしないで、有利な交渉を展開しながら、価格をくずしていく力があるんじゃないかというふうに考えるわけです。でまあ、これはいろいろ問題もありますでしょうけれども、大きなスーパーが、やはりメーカーと交渉して特定の値段で安く入れるということにも、ある程度成功しているんじゃないかと思いますので、ほんとうにこのメーカーの独占化を防いでいくということには、取り締まりとともに買う立場の消費者の力を、何らかの方法で強くしていくということが、やはり基本になってくるんじゃないかというふうに考えます。そういう考え方の上で、私は生活協同組合が経済界の中で果たす役割りというものを、やはりもう一度考えていただきたいというふうに申し上げたいと思います。  それからコールドチェーンなんかのために研究費というものを組まれているようでございますけれども、これも非常に科学の進歩がわれわれ家庭生活に潤してくるものというのは、たいへんありがたいと思いますが、価格の点でやはり独占化していくのではないかというふうな危惧を持っておりますので、このコールドチェーン構想の中にも、ぜひそういう御配慮をいただいて、独占価格といいますか、冷凍業界のそういうものになりませんように、どうぞお願いいたしたいと思います。  それから消費者の力を強くするという点で、私はぜひ税法の上で御考慮を願いたいと思いますのは、消費者保護の措置が、税法の上ではとられていないわけでございます。これは地方財政にも影響してくることでしょうから、簡単には申せませんけれども、非営利事業団体ですね、いわば生活協同組合とか農業協同組合もその中に入るでしょうけれども、特に生活協同組合の場合は、租税の特例措置がいただきたいというふうに考えるわけです。これは利益を目的とした団体ではございませんので、先ほどから申し上げましたように、だんだんと価格が独占化していく方向を防ぐための一審いい、また的確な組織だというふうに考えますので、そういうものに対する税法上の措置でございます、これをぜひお願いいたします。私なんか地元で主婦ばっかり集まりまして、一千万というようなささいな金でも、一生懸命主婦たちが集めまして、お店を持ちましたら、さっそく出てきたのが税務署で固定資産税をかけていくわけでございます。それからまた、一生懸命経営の合理化をはかってやってみましても、利益が上がりましたら、その利益はみながっぽりと二六%という法人税がかかってくるわけです。それからまたそれにつけ加えて、都道府県税というようなものがかかってまいりまして、何重にものべつ税金を払っているようで、私たち消費者運動だといったって、まるで税務署の手先みたいだということが、何か最近の私の実感でございます。で監査といいますか、検査に参いりましても、非常にこまかいことを追及されるわけです。私たちが皆さんから選ばれて役員ということで、常勤しながら一生懸命経営の勉強をしたり、まあ消費者運動の勉強したりしてやっておりますと、専従して役員ということになりますと、その人たちのボーナスは課税の対象になるということを言われて、がっぽりまた税金をかけられるわけでございます。そういうようなことで、なぜこうして私たちが一生懸命生活を守るためにやって、それが地域社会である程度物価安定に寄与しているのに、こうして税務署はつめたいのでしょうと言いますけれども、これはそういうふうになっているものですから、やはり払う義務がありますので、いわば泣く泣く払っているような状態でございますので、やはりこういう生活協同組合のような非営利団体には、特別の措置でいいと思います。これは何十年長期的にやっていただくということでなくても、ともかく物価が安定する間の暫定措置でもけっこうですから、やはり租税上の特別措置というものがなければ、実際上守られていかないというふうに考えているわけでございます。  それからその次が物品税でございますが、これはもちろんガス、電気の消費税を廃止していただきたいのは、もっともでございますけれども、この軽減された分を、はっきりと価格引き下げという形で何かされてくるように、法律で規定していただけませんでしょうか。これはわれわれにとっても税金、この消費税は下がったということを聞いていても、的確にそれだけの分が値下げにならない場合が多いわけです。ですから、そういうものが下がった場合に、それを明示して、その分は必ず下げなければならないというふうな義務を負わせていただくわけにまいりませんでしょうか。そういうことは別に予算的にえらく予算が要るわけでないでしょうから、どうかぜひ御配慮いただきたいと思います。  それからその次に申し上げたいことは、消費者組織の育成強化ということでございます。これは先ほども申しましたけれども、予算のその他の経費の中で、青少年対策費というのが三十八億くらいですか、組まれているようにも思いましたけれども、消費者組織育成強化費なんていうようなものがあっても、悪くないのではないかというふうに考えるわけです。消費者の力を強くしていくということは、物価の安定の上には決定的な力となるということを感じました。いままではいろいろ流通機構を整備すればいいとか、いろいろなことを言って考えたりしてみましたけれども、結論としては、こういうふうな自由経済の中では、やはり力と力の対決だというところが結論でございます。そうしますと、メーカーなり生産者なりが非常に大きな力を持っていると、消費者は組織もなければ力もない、何もない、ほんとうの裸の王様でございます。そういうものの組織を育成強化していくことをおやりになるならば、私はある程度の力関係で、自然にやはり高いものはボイコットされて、良心的で安いものが歓迎されるというふうになってこざるを得ないのではないかというふうに考えます。そういう点で、すぐには役立って効果があがらないかもしれませんけれども、経済の考え方、物価安定の考え方として、消費者組織を育成強化していくのだという方向を出していただきたいと思うのです。このことは、いまの政治の中で最もおくれている部門じゃないかというふうに考えます。で、自治的な活動がいかに大きな力を持ってくるかということは、先進的なヨーロッパなんかを見ていただければわかると思いますが、英国にしてもヨーロッパ各国にしても、アメリカにしても、やはりこういう自治的な活動を政府があと押しして強化していくというところで、初めて力のバランスというものが生まれてきて、便乗値上げとか、独占のカルテルとか協定価格とか、いろいろなそういうものが自然淘汰を食っていくところまで高めていかなければ、長期的な安定というものが得られないのではないかと思います。そういう点で、先ほども申し上げましたけれども、いろいろな婦人団体もございますけれども、主婦連もあれば地婦連もあれば、それぞれ私たち物価問題の場ではいろいろ提携しながら活動しておりますけれども、やはり事業を行なう力を持っているのは、生活協同組合でございます。これは法的に認められて合法的になっているので、こういうものをなぜ野放し——野放しというと変ですけれども、まま子扱いしているのであろうということを、最近不合理さを非常に感じるわけです。  その生活協同組合の融資が、今年度千三百万程度だというふうに聞いたのですけれども、厚生省融資ですけれども、一千万くらいの金なら、先ほども申したように、私たち主婦の手でも、ほんとうに集めていい店をつくろうということができるのに、大きな国家の厚生省が、日本の中に千何百もある生活共同組合ヘの融資に千三百万円とは、お粗末の限りではないかということで、これで消費者保護とか消費者組織の強化をなさろうということのほうがおかしくて、私たちはそういうことは、ほんとうに子供をだますあめ玉よりはまだお粗末じゃないかというふうに考えるわけです。いままではそういうものを育成すれば、業者とのいろいろな競合があるとか何とかと言われましたけれども、大きな国の経済の流れから判断しましたら、そういうことは局部的にはあっても、やはり全体の方向とは問題が別だというふうに私は考えますので、やはり基本的なそういうものに対する融資を、ほんとうにここで百億くらい組んでいただければ、もっと思い切った物価安定のための貢献ができるのではないか、というふうに私なんか考えているわけです。それと一緒に、先ほども出ておりましたが、厚生年金の還元融資でございます。あれは、つい数年前から協同組合なんかにも使えるようにはなりましたけれども、それは全部利用施設で、会館とか結婚式場とか保育園とか、そういうもので、店舗には使ってはならないということになっているのです。なぜ生協の店舖がその適用除外をされるかということがどうしても納得できないわけです。もうけるためにやっている事業ならともかく、消費者が自主的に安い物を買って、そうしてそういうものが大きい目で見ると、独占を押えていく非常に大事な力になるということを見のがして、そうして、ただ営利のために店を持つようなところには使えないというふうな判断では、非常にこれも間違った判断ではないかと思いますので、ぜひこの厚生年金の還元融資が生協の店舗にも利用できるように御配慮を願いたいと思います。で、こういうものを育成してまいりますと、私たちの地域のほんとうに小さいところでも、小売り商とは競合もございませんし、苦しむのはともに苦しんでいるの、だから、もっと原因はほかにあるということを、八百屋も魚屋も肉屋もみな一緒に考えているわけです。生活協同組合の店が地域にできることが、かえって地元の購買力を結集して、そして、いやな便乗値上げができないというので、消費者も喜べば、地域社会では非常に貢献しているように、私なんか自負しているのですけれども、そういうものに対するやはり融資、これはお金はちょうだいするわけじゃありませんので、ちゃんと金利を払ってお返しするお金ですので、政府としてもそんなに損するお金じゃないと思いますから、ぜひ百億くらい組んでいただいても、金利だけでもだいぶお国のほうに上がっていくんじゃないかというように考えますので、それを有効に使わしていただきますから、ぜひこの際物価対策の基本的なものとして、そういう実力でもって消費者が伸びていくということを御配慮いただきたいと思います。  それからその次に、もう一つ申し上げたいのは、消費者行政の機構の確立でございます。これがいままでほとんどなくて、国民生活局というものがようやくできてまいりましたけれども、国と都道府県、区、市町村段階を通じてばらばらでございます。これは一例を申しますと、東京都では、苦情処理のために各区に二十万ずつその予算を組んで出したということを経済局から報告を受けまして、私世田谷でございますけれども、世田谷に参りましたら、全然、その二十万をどういうふうに使っているかわけがわからないわけです。苦情処理もやっていなければ、何にもやっていなければ、担当する人が知識もないということで、そういうことで、全部せっかくの二十万の金が死んでいるわけです。そういうふうな状態がたくさんございますので、国から末端市町村に至るまで、消費者行政の一貫性をぜひ持たせるようにお願いしたいわけでございます。  それに加えて、先ほども申しました物価対策費が、どちらかといえば農業、漁業、それから中小企業の生産者の立場に立った育成といいますか、対策がおもで、もちろんそれは間接的、直接的に物価の安定には寄与いたしますけれども、直接的に消費者保護をこうするのだという予算がほとんどないようでございますので、ぜひ一元化とあわせてそういうふうなものをお願いいたしたいと思います。それには幾らか法規の改正が必要なものもあるように思いますので、そういうものを御検討いただきまして、一元化するような法規の改正ができましたら、ぜひ本年度にでもやっていただきたいというふうに考えます。  その他、不当景品とか不当表示とか誇大広告とか、いろいろ品質表示の徹底だとか、問題はたくさんございますけれども、これだけ複雑多岐で、しかも、同家の重要施策になっている物価安定の施策というものが、やはり長期的な展望と、それからまた、いますぐ実施できる具体的なものがあるはずでございますので、ぜひその御研究を急いでいただきまして、具体的な面でもいますぐに実施ができて、ある程度効果のあがるものがたくさんあるだろうと思いますから、そういうものをきめこまかに実施に移していただくことをお願いいたしまして、私の発言を終わらせていただきます。(拍手)

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) ありがとうございました。  竹井公述人に御質疑のおありの方は、御発言を願います。

亀田得治日本社会党

○亀田得治君 たいへん実際の経験に基づいて御参考になる御意見を聞かしていただき、感謝いたします。  あなたのほうの生協ですね、場所とか、それから人数とか、それから取引の額とか、それからさっき税金のこともおっしゃいましたが、実際にその程度のなにでどれぐらいの負担をしておるものか。それから職員の状態、そういったようなことを少し参考に聞かしていただきたいと思います。

竹井二三子日本生活協同組合連合会理事

○公述人(竹井二三子君) 私の生協は、東京の山手の下馬三丁目というところにあるのでございます。規模としましては、一番小さい生協でございます。これは昭和二十一年、終戦直後、町単位で、町内会単位でできた生協がほとんどつぶれたのが、つぶれないで残ったわけです。それは主婦がささえてきたわけでございます。この協同活動というものの必要性というものを主婦が感じましてささえてまいりまして、いまでは組合員約千人でございます。出資金が一口二百円でございます。二百円で何ができるかとおっしゃいますでしょうが、主婦にとっては、安いものを買いたいということは一生懸命でございますけれども、金はたくさん出せないという生活の実態があるわけです。その二百円で、出資金が二百円の方もあれば十万円の方もあるというわけで、普通の株と違って、二百円の人でも十万円の人でも、権利は同じでございます。そこで、百五、六十万程度の出資を集めまして、組合員の債権ですね、これは借り入れに属する部門でございますが、一口一万円に七分の金利をつけて、組合員からお金を集めたのが当初四百五十万ほどございました。それから、それだけではとてもできませんので、地元の地主さんが協力して、土地を無償提供のような形で貸していただきまして、そしてほんとうは労金から借り入れるのがたてまえでございますけれども、労金と、なかなか組織労働者でないものですからうまくいきませんで、市中銀行の三菱さんから絶大な協力を得ましてあとの不足額は融資していただきまして、金利も最低でやっているわけですけれども、いま従業員が十八人おりまして、そして供給高ですね、それが月間六百万でございますから、何とか一千万までにこぎつけたいというふうに考えているわけです。  それに対する税金ですけれども、法人税というのが均等割りで三千円かかってくるわけです。それから去年の固定資産税が、たしか三万何ぼだったと覚えておりますけれども、納めましたし、それから余剰金はわずかばかり、償却を除いたあと出したんですけれども、それに対してやはり三万円近くの税金を納めておりますし、それから、何だかこまかいのが、きょう計数的にまとめて持っておりませんけれども、しょっちゅうそういうものが税務署からまいりますし、それから役員の報酬でございますが、役員の報酬といっても、私たちはほんとうに無報酬のような形で、ほとんど無報酬のような状態ですし、あと三人雇いがおりますけれども、それのボーナスが二十万になりませんが、それをみんなやっぱり利益とみなして追加税がくるわけでございます。そういうふうなまあ決算上の不処理があったものですから——不処理といいますか、常務理事なんという名前をなまじっかつけちゃったのでそういうことになったから、今度は常務理事を廃止して普通の常勤理事にしようというようなことを言っておりますけれども、そういう状態でして、都内にはこういう生協が、学校にもございますし、職域にもございますし、百六十ばかりあるわけです。それから全国的には千百四十八ございます。そういうようなのが組合員を六百七十五万持っておりまして、八百三十億の供給高を持っているわけですけれども、全小売りの販売高といいますか、それから見ますと一%ぐらいにしかないわけです。英国が一〇%から一五%協同組合で押えているというんですけれども、そういうふうになってくると、初めて経済界での発言力が、消費者としての発言力ができて、われわれが望むものを生産させられるようなところまで、品質から価格から、やっぱりいくらしいんです。そういう状態でございます。

亀田得治日本社会党

○亀田得治君 その十八人の従業員ですね、これは給与などはどういう程度なんでしょうか。

竹井二三子日本生活協同組合連合会理事

○公述人(竹井二三子君) 給与と申しましても、大きな企業並みには出せませんので、一応いま給与規程というものの基準というのが、普通、中学新卒で一万四千円、それから高校が一万六千円、大学新卒が一万八千円。で、それにまあ経験を五年以上持ってる者は、その手当として五千円、それから運転免許を持ったり、いろいろ技術を持ってる者は五千円というふうなことで、非常に年寄りもおりますし、若いのもおりますし、人手不足で悩みまして、ともかく、もう老若男女取りまぜて、意識ある者はみんな出てこいといったような状態で孤軍奮闘しております。三十歳で家内を一人かかえて、それから母親を一人かかえている者で、ようやく主任の責任を持たされて、月間三十万の荒利益を持たないと、精肉の部門ですけれども、経営は健全でない、つぶれてしまうというノルマをかげながら、やっと与えている月給が三万七千円というところで、非常にみな孤軍奮闘しているわけでございます。

石原幹市郎自由民主党

○委員長(石原幹市郎君) よろしゅうございますか。——それでは竹井公述人に対する質疑はこの程度にとどめます。  竹井公述人におかれましては、お忙しいところまことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手)  以上をもって昭和四十一年度総予算についての公聴会は終了いたしました。  明日は午前十時から委員会を開会することといたしまして、本日はこれをもって散会いたします。    午後三時五十三分散会

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