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51回国会参議院1966/02/17

文教委員会 第4号

発言数
131
登壇者
8
会派数
2
開催日
1966/02/17

会議録

二木謙吾自由民主党

○委員長(二木謙吾君) ただいまより文教委員会を開会いたします。  教育、文化及び学術に関する調査中、文化財の保護に関する件を議題といたします。  質疑のあるお方は御発言をお願いいたします。  なお、政府側より中野文部政務次官、嘉門西洋美術館の事業課長が出席されております。

小林武日本社会党

○小林武君 前に文部省に対しまして、ドランとデュフィの絵の鑑定書の提出を要求しておりましたが、この二つの鑑定書が文部省からありまして、その鑑定書を中心にしていろいろと私は調査をいたしましたところ、専門家ではございませんけれども、多分に、多くの疑義があるということを感じたわけであります。私はこのことを前にもそういうふうに申し上げたと思いますが、将来のこの国立美術館であろうが、西洋美術館であろうが、あるいは公立の美術館でありましょうが、たくさんのやはりそういう種類のものを収集しなければならない。それにはばく大な国費を要することです。私はこういう文化的な仕事に対して国がもっともっとたくさん金を出すべきだと思っております。非常にそういうことは重要視されながらも、予算の面ではたいへん弱いということを痛感しているんです。もっとやはり日本国民全体のために、その衝に当たる人の努力も必要でございましょうけれども、国が金を出すべきだ。こう考えますと、購入についての慎重さというものが非常に必要だと思う。同時に、それを見る日本国民の立場のことを考えなければなりませんから、専門家の責任もきわめて重いわけであります。そういう点を非常に重視しているわけです。もう一つは、やはり最近の傾向として、私がいろいろ各方面からのお話を承わりますというと、たいへん外国の絵というものは日本に入ってきている。この入ってきている状況の中では、やはり相当ないかがわしいものも入ってくるということになるわけでありますから、これは専門家であろうと、それからわれわれのようなしろうとでありましても、なかなか本物というものはむずかしいものだ、本物をつかむということはなかなかむずかしいんだ、本物と称する中にもずいぶん妙なものもある、本物が何点もある、こういうようなことは、これは日本の国でも西洋の国でも同じでありますから、そういう点では非常に御苦労が多いと思うんですけれども、一そうこれは厳重にしなければならぬと、こういう観点から調べたわけであります。何か新聞を見ると、そういうことについて国会などで調べようとしたのはナンセンスというようなことを言っているのはけしからぬ。そういう態度がはなはだもってけしからぬ。ただし、これは新聞の談話ですから、私の言ったことも必ずしも一字一句間違いなしに書いているとは思わない。思わないけれども、そういう態度でその専門家と称するような人たちがおられるということになると私は重大だと思う。ナンセンスというようなことばを使うのが一体妥当なのかどうか、もし言うたとするならば、このぐらい怒ってもいいと私は思っている。言ったか言わないかわからないわけでありますから。  そこで、まず、先に購入作品の西洋美術館のお出しになったものについてちょっとお尋ねをしておきたいんですが、この備考欄に、「原作者署名入り」というのがかなりあるわけです。これは、この原作者の署名入りというようなものは真実だということ、本物だということのこれは証明だというふうにお考えになってここに書かれたかどうか、これをひとつお尋ねしたいんです。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 原作者の署名の点でございますが、ただいまお話のございましたように、私ども作品の記録をとりますときに、作品の絵ばかりでなく、裏に書いてあります一切のことを記録に載せます。その場合の習慣といいますか、当然のことといたしまして署名ということを非常に重視いたします。署名につきましては、当然、作者のくせといいますか、特徴が出ております。したがって、真偽の決定にとって重大なポイントになりますから、そういう意味で署名があるかないかということを一つの重要な要素として取り上げているわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 まあ要素としてお取り上げになるということは私も認めます。しかし、ここには鑑定書があるのだということが書いてないですね。私はその鑑定書とか、その他いろいろな条件がありますね。これからそれについてお尋ねをしようと思いますが、「原作者署名入り」というのを書くのは、私のようなしろうと考えから言えば少しおかしい。掛け軸を私なんか見ても、つまらぬ掛け軸にどえらい名前がついていたりする。それがしかし贋作である場合、相当まぎらわしく書いてあるという例が多い。その場合の贋作者のやはり手法だってある。そうすると、署名入りというようなことをあなたのほうでこう書くのはおかしい。これは何かここに原作者の署名が入っているというと実際に本物だという条件みたいになる。こういうことはまぎらわしい。私のようなしろうとを相手にしたときは、こういう書き方をすることは不親切だと思う。もう一つ、あなたにお伺いしますが、絵の場合、署名に対して一体どれだけの正確さというのがあるのか。われわれの署名の場合、この例はありますね。公証役場なら公証役場に――外国なんかそうなんでしょう。公証役場にこの署名をちゃんと登録しておって、そのことによってきめるわけですね。これは一体どういうあれがあるんですか、署名というのは絵の場合そういうあれがあるんですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 絵の場合には、公証役場に登録するということは私はほとんど聞き及んでおりません。作品に書かれました署名を正しいかどうかということを、はっきり真作とわかっている作品と照らし合わせまして、それの研究書なんかによく署名が取り上げられておりますから、それと見比べることはいたします。

小林武日本社会党

○小林武君 ですから、私は署名入りというのは必ずしも絵の真贋というものをきめるのにこれはそれほど決定的なものでないということになると思うんです。だから、これはやはりそういうことを書くというのはやはりしろうと相手のことでしょう。おそらく専門家の間ではそんなことは通用しないでしょう。しろうと相手ならばなお悪い、こういうことは。それで、この署名入りと書いてあるところは鑑定書があるんでしょうね。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) その署名入りの作品についてでございましょうか。

小林武日本社会党

○小林武君 そうです。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 鑑定書はございます。

小林武日本社会党

○小林武君 それからここに、あとで触れますけれども、たとえばこれと同じような――お答えにならぬでけっこうでございますけれども、あとで議論されることですから。「ドラン夫人の鑑定書あり」というようなこと、ドラン夫人というのはどれほどの美術鑑定家なのかどうか、私は知りませんけれども、私が聞いた範囲では、ドラン夫人というのは美術の鑑定家だとは聞いていません。女房が、――女房と言ってはあれだが、夫人がその主人のかいたものについて証明するというようなことは、何かわれわれのあれで言えば非常に正しいように見えるのですね、日常を一緒にいるのだから。しかし、それはそういう場合もないとも言えぬけれども、きわめてあやしげなものもあるということは嘉門さんのような専門家はよく御存じでしょう。肉親の中からものすごい贋作が出たということだってあるでしょう。その点は私よりあなたのほうがずっとよく知っている。こういうことも私は国立美術館の出す書類としておかしい、こう思うのです。そこで、まあそのぐらいにしておいて、これについてもう一つお尋ねしておきますが、「以上いずれも西洋美術館美術専門家よりなる購入委員会の承認済み」とあります。もちろん手続き的に言ってそうなければならないと思います。そこでお尋ねいたしますが、この一般的に言って専門委員会、購入委員会の承認のその以前に、また専門家のお集まりによって一応きめられるというようなことになっているようでありますが、これはひとつきめ方の問題を先にお聞かせいただきたいと思うのです。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 購入委員会の構成につきましては、美術館で購入予定しました作品が出そろいますと、そのつど委員を臨時に御委嘱いたしまして、そしてお集まりいただくわけでございますが、特別のこれは規定にはなっておりませんけれども、美術館といたしましては、できるだけ慎重に考えたいのでございますから、そういう経験のある方と申しますのは、所蔵家、それから美術史家もしくは美術評論をやって作品に触れておられる方々、そういう方々をそのつど臨時にお願いいたしまして、そうして委員会を構成しております。

小林武日本社会党

○小林武君 購入にあたって、まずドランとデュフィの問題に限って申し上げますというと、富永館長、嘉門さんと、中山さん、高階さん、そのほかどなたが先に、何と言いますか、購入以前の、委員会前の何と言いますか、下調べと言いますか、下相談と言いますか、提案される、提案ですか、そういうものを作成されたことになりますか、このほかにどなたですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) そのほかには、私ども専門の事業課というのは人数が少なうございまして、穴澤一夫がございます。それと佐々木英也でございます。これが事業課の全員でございます。

小林武日本社会党

○小林武君 その方々がどういうやり方をやるのか、しろうとですからひとつ詳しくやり方を説明していただきたいのです。たとえば、その絵を見て前に置いて調べる。どういう競べ方をするのですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 作品が手元に入りますと、私ども大体いままでは館長室に一応全員集まりまして、その作品をまず見ます。それからその作品についてのできる限りの資料あるいはその作品周辺の資料を調査するわけでございますが、もちろん、たとえばドランの場合ですと、ドランについての画集、それから専門の技術、ドランの発展を知り、作風を知るための専門の技術というものも分担して調査いたしまして、またそれを持ち寄りましてみんなで話し合いをいたします。さらに購入の場合でございますから、価格という問題もありますから、パリとか、ロンドンとか、あるいはニューヨークとかの新聞、それから雑誌、ロンドンの有名なソースベーの売り立て目録、そういうものを参照いたしまして、その作品の値段がはたしてどういう関係にあるか、あるいは従来の売り立て、あるいは売買の値段と比べてどの程度の相違があるかということを調べられるだけ調べているわけでございます。そうして一応そういう作品についての私どもの調査と、それから売買価格についての調査が終わりました上で、原案を作成して購入委員会をお願いするわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 その場合に、一番大事なものは何なんでしょうね。まああなたたちの結局目なり、あなたたちの経験、研究の積み重ねによるそういうものによってお調べになるというだけなのか。たとえば先ほど画集とかいろいろなことをおっしゃいましたけれども、技法その他いろいろなものの研究も、それは専門家でいらっしゃるから当然ですけれども、やはりどうしてもなければならぬものというと何なんですか。絵、作品、それからそのほかに必要なものは何ですか。たとえば鑑定書なんというものはどうなんですか、その場には置かないのですか、置くのですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 鑑定書がある場合はもちろん非常に大事な調査のための要素になりますでございますが、鑑定書のない場合、特に国内なんかのある作品の場合ですと、鑑定書のないのが大部分でございますが、できるだけ鑑定書はむしろ求めるようにしております。

小林武日本社会党

○小林武君 そうすると、求めるようにしておりますというお答えによりますというと、たとえば、私のところに提出されておりますところのこの国立西洋美術館の購入件数の中には鑑定書のないものもあるということですね。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 鑑定書のないものも確かにございます。

小林武日本社会党

○小林武君 何点、どれとどれですか、この中でいいです、鑑定書のないもの。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 三十九年度の購入の場合でございますと、いまお話がございましたドランとデュフィは一応別といたしまして、ロートレックの「マルセル・ランデの肖像」、これはロートレックのどの画集にも出ておりますし、それから版数も何版であるかということも、作品を通して、あるいはそれの成っております画集を通して、版画でございますから間違いないことがわかります。これも鑑定書がございません。それからその次のテオドール・ルソーの「コローの肖像」でございますが、これは四、五十年以上前から日本に来ておりまして、鑑定書はついておりません。従来、西洋美術の何か展覧会がございますと、美術館あるいはデパートの展覧会でも、もう十数回――おそらく、私、詳しい数は覚えておりませんが、数十回にわたって出品されているこれは作品でございまして、その点から私ども確実にテオドール・ルソーの作品と一般に認められている、それも鑑定書はございません。それからその次に、アンリ・マチスの「庭の女」、これも石版画でございまして、マチスのたいへん有名な版画の一つでございまして、数は非常に多いのでございますが、現在購入しました作品につきましては、鑑定書はついておりません。そのほかカンディンスキーのもの、それからダリのもの、シャガールのもの、いずれもこれは鑑定書はついておりませんですが、幸いシャガールのものにつきましては、たいへん詳しい画集も出ておりますし、前に参りましたシャガールのお嬢さんで、シャガールの身辺におりました人も、これの製作時期も知っている作品でございまして、これも間違いないと思いまして買ったわけでございますが、鑑定書はございません。カンディンスキー、ダリにつきましても鑑定書はございません。したがって、鑑定書のついておりましたものは、ドランとデュフィ、この二点でございます、三十九年度の購入につきましては。

小林武日本社会党

○小林武君 そうすると、鑑定書というものは結局あまりあなたのほうでは重視されない。結局、専門家の力といいますか、そういうものにたよっているということになりますね。これは記録がどうであるかとか何とかということは別です。そういうものを全部含めての専門家の力というものを、そういう人たちの目というものにたよっている、こういうことになりますね。それから、先ほどもちょっと申し上げましたが、奥さんやお嬢さんというのは、どうも少しそういうことをお考えになるのはおかしいと先ほど申し上げたのですが、これは身辺に幾らおられましても、奥さんなんか身辺にのべついるわけだけれども、これは仕事を全部知っているわけではないのです。われわれの場合でもそうですね。国会のことを知っている、党のことを知っているなんということはあり得ないことですから、だからそういうことは、あなたのような専門家のお話とすると、ちょっとぼくは納得いかないような気がするのですけれども、それは抜きにして、鑑定書のないものが相当ある。鑑定書におたよりにならぬというところに国立西洋美術館の考え方があるということになりますけれども、これはひとつ文部省のほうにもお尋ねしたい。国立美術館、西洋美術館だけじゃありませんが、鑑定書なしに買うという、こういうことではどうなんですか。

鹿海信也文部省社会教育局芸術課長

○説明員(鹿海信也君) いろいろ、私もしろうとでございますので、はっきりしたことを申し上げかねますが、やはりこれまでの名作と言われておりますものに全部必ずしも鑑定書があるわけではございませんで、それはいろいろ、先ほど小林先生からおっしゃいましたような資料とか、そのほかの文献、いろいろそれがたどってきた所蔵者の歴史等から判断し、これはこちらだけで判断するものではなしに、世界的に判断されているということもございますので、もちろん鑑定書があるということが一番確かでございます。鑑定書があるということは――決して鑑定書のあるなしを無視はいたしておりませんが、鑑定書のないものにつきましても、そういう観点から専門家の方々が考えられまして、適正であると思われた場合には、私どもはそういたすべきかと思っておりまして、そのためにそれぞれ各館の専門家が検討し、また、それを審議するために購入委員会が構成されておるということでございますので、私どもはその線に沿って万全を期するようにいたしておるわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 文部省は無責任ですよ、あなた、いましろうとだとおっしゃった。私もしろうとだと、こう言う。しろうとがあってよろしい、しかし、予算を取ってあなたは購入される側なんです。購入するとしたら、それにふさわしいだけの手当てを講じなければならない。私は嘉門さんのおっしゃることに必ずしも賛成していないのです。世界的判断とは何のことですか、世界的判断なるものはどういうことです、そういう判断は。文部省から世界的判断とはという定義をひとつ聞きたいのですが。世界的判断て何です。

鹿海信也文部省社会教育局芸術課長

○説明員(鹿海信也君) 世界的判断と申しましたのは、私のまことに軽率なことばであったかと存じますが、いろいろ国際的に研究された資料等がございます。そういうものを、この場合でございますと、国立西洋美術館の専門家のほうでそういう資料を検討してやっておりますので、そういうことを申し上げたわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 やっぱり、しろうとでもあなたのほうは金を持っているくせに案外あれですね、何と言うか、おおようですな。  嘉門さん、お尋ねいたしますが、あなたのほうでいろいろ文献をお調べになる、これは当然ですね、専門家として。ですけれども、相当、いわゆる西洋美術館でお買い上げになるというような作家であれば、そのものを研究なさっている権威、まあたとえばドランならドランの法定の鑑定人というのはいらっしゃるわけでしょう。そういうものにあれですか、全然鑑定書を出すことのできないような作品でございますか、いま言われたのはどうなんです。私はやはり少なくとも絵の売買ということをする場合に、一体売買は、少なくともこのくらいの手続きは経なければならないというような専門家のやっぱりあれがあるでしょう、原則が。それを簡単に、鑑定書はたよらないというようなことでいいのですか。これはどうなのですか、これはあなたは専門家ですから、はっきりしたお答えをいただきたいのですが。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 鑑定書にたよらないということはございません。私ども鑑定書はたいへん重要視はいたします。したがって、鑑定書のないものは、できることならどこかにその鑑定書がないかということを当然の義務といたして一応さがしてみますが、大部分の作品には鑑定書のない、ことに近年になりましての、売り立てなんかに出ていないものにつきましては鑑定書のないのが多いと思うのでございます。鑑定書は私どもたよらないということは絶対にございません。鑑定書があるものについては、これを決定するための大事な一つの要素としまして、むしろ重要視するわけでございます。それから、ただいま小林先生からお話しございましたドランならドランについての専門の法定鑑定人というお話でございましたけれども、私ども作品についております法定鑑定人、この場合はフランスでございますが、フランスの法定鑑定人というものが、その人がはたしてドランならドランだけの専門家か、あるいはデュフィならデュフィだけの専門家かということは、もちろん調査はいたしますけれども、必ずしもそういう意味で法定鑑定人に、一人の作家の専門家であるという意味で法定鑑定人になっておる人のほうがむしろ少ないようでございまして、たとえば、二十世紀の新しい絵画について非常に詳しいとか、十九世紀後半の絵画について専門的な知識を持っている、あるいは長年にわたってそういう作品を見なれているという方々を法定鑑定人にしている場合が多いわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 鑑定人をだれにしているかということを聞いているのじゃないのですよ。それは一つの作品だけの鑑定だけでないかもしれません。その作風に大体共通する何人かの画家の鑑定をやっている人もあるでしょう。しかし、あなたの話から聞いてみれば、絵の鑑定をする人というのは現存しないような話にもなるのじゃないかと思うのです。鑑定書を探しているというようなこと、探しているのではなくて、たとえばフランスならフランス、どこの国ならどこの国に何々の絵の鑑定をする人がいるでしょう。その鑑定書をとるべきじゃないんですか、それはできないのですか、この絵について。それは鑑定書というのは何年か前につくられて、その鑑定書がなくなれば全然鑑定書はとられない、そういうことになりますか。あなたたちのような専門家も、たとえば日本のいろいろな作品に対して箱書きをなさるということがあるんでしょう。これはやはりだれだれのあれということもあるでしょうけれども、しかし、あなたたちもやっていることもあるでしょうから、やっぱりあなたたちの見た一つのあれもあるんでしょうから、そういうふうなものを一体鑑定してもらうということは、それを全部信頼するかどうかということはこれはまた別の問題です。しかし、少なくとも先ほどおっしゃった国際的というか何というか、そういう立場で、多くの人のこれは大丈夫だろうというような条件はやっぱりそろえなければならない、そのことを言っているのです。だから、あなたのおっしゃるそういうものはないのでしょうか。たとえば、ずいぶん鑑定書なしのものを買っているんですが、どうなんですか。これはわざと求めないのですか、それとも求めようがないのですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 鑑定書を探していると申しましたのは、その作品に本来それがついていたかどうかという意味で探すわけでございますし、ついていないものにつきましては、新たに専門家筋の意見は、もちろん私どもできるだけ聞くようにしております。たとえば、ここに一つの例がございます。カンディンスキーの「小さな世界」、これはドイツのカンディンスキーの専門家として、また現在の美術史家としての有名なグローマンの研究書にはっきりこの作品が載っておりますから、これを信用しないと、カンディンスキーを信用しないわけにはまいりませんから、あらためて、たとえばグローマン氏にこれについての真偽の引き合わせというようなことはいたしておりません。同じことは、ロートレックの「マルセル・ランデの肖像」につきましても言えるわけでございます。できるだけ外国の作品につきましては外国の専門家の意見を徴することを私どもいたしております。ドラン、デュフィにつきましても、パリの近代美術館の館長その他にも意見を聞いております。そうした上で、特に鑑定書のないものにつきましては、私どもの疑点が残らないように、できるだけその筋の専門家にも私どもたえず依頼は続けております。

小林武日本社会党

○小林武君 政務次官にひとつ私から御要望申し上げますが、いまお話をお聞きになっておっておわかりと思いますが、鑑定書というのは求めれば求められると思います。一〇〇%信用するかしないかは別として、それはこちらの専門家が大いに検討する場合に、少なくともひとつその道の権威者という人たちの鑑定書を求めないで、鑑定書のないものを買うというのはおかしいと思う、絵画ですよ。こういう種類のものはどうこうということは政務次官も経験上十分御存じだと思います。私は今後こういうことがあってはならないと思いますけれども、政務次官の御見解をひとつ承りたい。

中野文門自由民主党文部政務次官

○政府委員(中野文門君) ただいまの小林委員のおことばでございますが、一つの美術品を確実に特定の人の美術品であるということの判断を下す上において、おっしゃられる、最もそのものを鑑定するのに適した鑑定書というものがあることが望ましいことに間違いがないと思います。ただ、鑑定書がなくてもというような安易なかりに考えを持って、高度の芸術品を国の名において購入するということは、これは避けなければならぬことであって、つとめて正確にその美術品について間違いがないという、あらゆる面での鑑定書というものを求めることに最後まで努力していくことが望ましい、そのように私存じます。

小林武日本社会党

○小林武君 時間の関係もありますから前に進みますが、嘉門さん、これはあなたにも申し上げなければならぬが、私は調べてみたらこういうことを言われているのです。モーリスランスという、何かそういう絵の売買の権威者の著書によれば、名画の売買には鑑定書、その絵の履歴、記録をつけなければだめなものだということを書いている。私はこれは原則だと思います。幾ら専門家であっても何であっても、それからまたあなたたちは専門家であっても、役所の担当者は必ずしも専門家ではない。同時に、この金はやはり国の費用として出ているものですから、きわめて小額な金でもきわめてきびしくやっているということは、皆様もそういうところにおつとめになっていておわかりだと思います。どうぞひとつそういう点で、軒並みに鑑定書のないものがあるということは、鑑定書は一つの条件であるということは私認めます。条件に過ぎないけれども、鑑定書のないものはこれからお買いにならないように、これは政務次官ひとつ責任を持ってやってもらいたいと思うのです。  次にお尋ねいたしますが、デュフィの絵でありますが、この購入先というのは若干私はいろいろ調べてみてこだわっている。と申しますのは、フェルナン・ルグロという人が、私はこの人の人間をどうこう非難する気持ちはございませんけれども、絵の売買等に当たっては信用のあるお方なのかどうか、どこの一体画廊の、どういう立場にある人なのか、そういう点についても若干問題であると感ずるのでありますが、あなたのほうでひとつわかるように、信頼のできる人間だということが断言できるならば御説明を願いたいと思います。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ルグロ氏につきましては、パリのポンロワイヤル画廊、ルーブルの向かい側と申しますか、セーヌをはさんでの、ポンロワイヤルの橋のたもとにあります。その一角にポンロワイヤル画廊があります。その辺は画廊街でありますが、それの一つの経営者であると聞いております。そしてこのドランの作品も含めまして、アメリカでの一九六四年の十月、十一月にかけてのニューヨークでの展覧会にも多く出品した画商と聞いております。当人が日本へ参りまして、その作品を持ち込みましたし、ポンロワイヤル画廊につきましては、もうかなり古くからあの場所で画廊を営んでおりまして、私どもの知っております範囲内で、一応パリで名の通った画廊と信用しているわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 私はあなたと違うのですよ。ポンロワイヤルの主人公は違う。あなたのおっしゃるのはホテル・ポンロワイヤルじゃないですか。あなたもそのほうの専門家ですから行かれたと思う。私はここを訪れたわけではないですけれども調べました。ポンロワイヤルはマルシャンという人がそこの主人公です。これはデュフィの専門画廊だともいわれるくらいの有名な画廊だそうです。それと道路一つ隔てたところにホテル・ポンロワイヤル、そのホテル・ポンロワイヤルの何というのですか、一室というのですか、一部を借りて、そうしてポンロワイヤルの画廊といっている。しかし、ほんとうのこのポンロワイヤルというのは別だ。あなたのような専門家が間違っていたらたいへんなんですが、私、調べて調べて調べ抜いたと言ったらちょっと大げさですけれども、少なくともパリのそういうところに照会してもらうということで照会してもらった。二つ存在するかどうかということと、ルグロという人が一体どっちの人なのか。これは共同経営者かどうか知りませんけれども、あなたはそれは違いませんか、断言していいですか。そこは重大なところですよ。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ただいま小林先生のお話しのように、私どもの作品を買いましたこのポンロワイヤル・ギャラリーはホテル・ポンロワイヤルの一階の一角を画廊にしているところでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 おかしいじゃないですか。本家と宗家とあるそうだけれども、このごろはまぎらわしいのが得意だというのだが、一体あなたたちのような専門家がそういうことじゃだめですよ。ポンロワイヤルと言ったら、専門家の間では、少なくともその道の人たちは一体どっちのほうを言っているのかというくらいわからないでどうするのですか。あなたはたいへんなりっぱな業績を持ったフェルナン・ルグロ氏だということをおっしゃるけれども、この人は相当、何というか、商売上ではいいものも売るかもしれぬけれども、悪いものも相当売る。おもに地方に出ている。地方というのはわりあいに新興国というか、いままでそういうものにあまりいいものを持っていないカナダだとか、あるいはそういうところを歩いている。口の悪い人は絵のかつぎ屋だと、こういうようなことを言っておるという話も聞いているのですが、しかし、これはよく調べもしないで他人の人格にかかわるようなことを申し上げるのはやめますけれども、とにかくやはり一流の画商でないということだけは間違いない。なぜ、デュフィをお買いになるならばデュフィの画廊のポンロワイヤルからお買いにならないのか、私は不思議でならない。そしてあなたのほうの報告はポンロワイヤル画廊ということを言っておる。おかしいですよ、あなた。これは間違いないですか。どうですか、これは。あなたの言うのは、間違いない。あなたはホテル・ポンロワイヤルと、こう言ったのだ。どうなんですか。それは調べてみたのですか、どうなんですか。あなたたちはそこへ行かれたことがあるのですか、どうですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ホテル・ポンロワイヤルにありますポンロワイヤル画廊でございまして、私も現にそこへ行ったことは二、三年前にございます。

小林武日本社会党

○小林武君 私はまずこの絵について一つ疑義を感じたのは、その購入先の問題が一つです。そして専門家でいらっしゃる方々が言うなれば、もうあなたまかせですよ。あなたたちのような専門家にとにかくおまかせをして、そうしてりっぱな絵を集めてもらおうと、こういうわけだ。これはあなた、課長もそうだね、政務次官もそうだと思う。おまかせをしてやっているのだ。一体それでいいのですか。どうですか、一体。私はあなたたち少し軽率だと思うのですよ。ポンロワイヤル画廊というものが、一流の画廊があるのです。それとまぎらわしいような名前をつけているようなところからものを買って、そうしてそれをポンロワイヤルというようなふうにわれわれに言うのはおかしいのですよ。そう思いませんか。私はこういうところにどうも不信を感じます。あなたたちがこのデュフィの絵について、自信ある自信あるとおっしゃればおっしゃるほど、どうもおかしいと思わざるを得ない。  まあ次に進みましょう。鑑定書の問題です。シェレールというのは一体公式の鑑定人だというのはほんとうですかどうですか。それをお聞きするのですが、シェレールというのは現存ですか、それともなくなった人ですか。それから公式鑑定人というのは、だれがどこから調べられましたか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) これにつきましては私ども一人一人の公式鑑定人の詳しいことは知らない場合のほうがむしろ多いのでございますが、ホテル・ドゥローの売り立て、あそこが非常に大きな売り立てをよくやるものでございますから、そこへ聞き合わせまして、法定鑑定人であることを知ったわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 無責任ですよ。無責任だと思いませんか。公式鑑定人だか何だか知らないなんということをおっしゃるのはおかしいじゃないですか。たとえばあなたのほうから出したのが、文部省から私のところによこしたあれによると公定鑑定人だと書いてあるでしょう。それには公定鑑定人のこれはあれですという、こういうことが文部省から私のほうによこしたのに書いてあったから、それはもう公定鑑定人であるということは、あなたのほうでお認めにならなかったらだれがお認めになるのですか。よくは存じません――私は全部知っておれなんというそんなことは言いませんよ。少なくとも買うものについて、私は嘉門さんという方は前から名前は存じておりますから、そういう方だと、かなり広範にいろいろなものを御存じになっておる、こう思って信頼申し上げておるわけです。もう絵のことならまかしておきというようなことで考えるわけですわね。そういうあなたたちが、どれが公定鑑定人だか実はようわからぬのだ。ようわからぬというならわからぬでけっこうだ。それならば調べればいい。あなたたちは専門家としての調べ方があるわけですから、はっきり突きとめられないことはないと思うのですよ。いまごろそういうお話をされるということは私はおかしいと思う。シェレールが一体どうしてどういう公定鑑定人か、どこからそれを引っ張り出してきたのか、死んでいるのか生きているのか、それを聞きたいと、こう言っているのです。わからないならわからない、とにかく何だかわからぬけれども、これにはたいした、公定鑑定人といっても信頼できるものじゃありませんと言うならそう言ってください。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) わからない場合と申し上げましたのは、一人一人の公定鑑定人を一々私ども知っていないということでございまして、このシェレールにつきましては、先ほど申し上げましたホテル・ドゥローへ聞き合わして、ホテル・ドゥローからこのシェレールが法定鑑定人であったということを私ども前もって調べたわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 生きているのですか、死んでいるのですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) たぶんもう生きていないと思います。

小林武日本社会党

○小林武君 私は、私のようなしろうとでも調べるのですよ。シェレールというのはむすこがいま同姓同名で画商をやっています。あなたのおっしゃるシェレールというのは、これは先代であると私は調べてみた。しかもその人は十九世紀以前の古美術には非常に詳しいところの骨とう商ではあるけれども、デュフィの公定鑑定人であるという記録はどこにもないと、しろうとの私が調べたのです。これはどうなんですか。ぼくの調べが正しいのか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) シェレール氏が十九世紀以前の専門家の骨とう商であるということは、たいへん申しわけございませんが、私はそこまで詳しくは存じておりません。ただ、法定鑑定人であるという以上……。

小林武日本社会党

○小林武君 ある以上ということはわからぬですな。あるんだかどうだかわからぬでしょう。人が言ったからそうだということだけでしょう。そんなばかな話ありますか。専門家相手の話ですよ。政務次官でもおっしゃるのなら、そうかなあという話になるけれども。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ホテル・ドゥローでシェレール氏が法定鑑定人であるということを言われますと、私どもやはりそれを信用するわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 なさけないですよ。ホテル・ドゥローでどう言ったとか、こう言ったとか、帝国ホテルで言ったからそうでしょうなんていうような話をしてみたところで、しようがないでしょう。そんなことならぼくらでもやるのですよ。片腹痛いというようなこと、あなたたちおっしゃっているでしょう、ナンセンスとか。何がナンセンスですか。いままで一つか二つ聞いただけでもあなたのほうではさっぱりわからぬじゃないですか。購入先だってあいまいなこと言ってる。鑑定書だって、鑑定書なのかどうかわからない。たしかに鑑定書は判を押してある。押してあるけれども、一体これは骨とう商であったのかどうかわからぬでしょう。こういうしろものじゃありませんか。そういうことで、一体、西洋美術館というようなものが物を買っていいんですか。一点、二点とも落第ですよ。  お尋ねいたしますが、これの展覧会歴はどういうことになっていますか、この絵の。どういう展覧会にこれは出したか。あなたのほうで言っておるのは、ぼくのほうで書いてありますが、どういう展覧会ですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ドランの作品は、一九六四年十月から十一月……。

小林武日本社会党

○小林武君 デュフィですよ。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) デュフィの展覧会は一九六三年の十月から十一月の、ハリウッドのラウル・デュフィの展覧会に出品されております。そして来歴につきましては、アリ・カーンの所蔵ということでございます。その後、ハリウッドの個人の所有になりまして、そこからギャラリー・ポンロワイヤルへ入ったわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 一九六三年十月十七日から十一月二十日までデュフィ展は開催された。これはいわゆるルグロ氏のホテル・ポンロワイヤルの、画廊で開催した。ここにポスターがある。カタログがある。これはそのリストです。このリストの中にこの絵ありますか。二十点。私はゆうべフランス語ではかなり確実な人を呼んできて読んだ。この中にありますか。一体そういうことあるのですか。デュフィ展をやって、その中に一つも記録も出ておらない。リストの中にないような作品。ところが、その中にあるようにあなたたちのほうでは考えているんじゃないですか、どうですか。どうです、ごらんになりますか。このリストの中にありますか。もっとも絵のわからぬ者が読んだんですから、あるいは間違っているかもしれない。どうです。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) たいへん申しわけございませんが、私どもそのリストを見ておりません。それを拝見させていただきます。

小林武日本社会党

○小林武君 見てください。出ておりますか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) これには出ておりません。

小林武日本社会党

○小林武君 あなたさっきはポンロワイヤルの画廊の展覧会に出ているとおっしゃったでしょう。私はやはり先ほどから、あなた専門家ですから、大いに御高説を承ろうと思って、絵の履歴なんというのはどんなものかということを、ようやくこのごろいろいろな人から聞いているのですが、やはり各種の展覧会というものに出たということが必要なんでしょう。これは先ほどのモーリスランスのあれの中にもちゃんと書いてありますし、あなたの先ほどの御説明の中にも、記録その他いろいろおっしゃった。一体どういうのですか、これは。それからこのシェレールの鑑定書ですが、一応出ているのです。文部省からぼくのところに資料として出しておる。しかし、骨とう屋のあれだけれども、骨とう屋とは書いていない。しかし、この中に大きさのことは書いてあるけれども、題名もなければ、制作年月日もわからぬ、何もないというような、そういう鑑定書というものはこれは意味があるんですか。大きさだけは書いてあります。大きさというふうなのは、ぼくに言わせれば大して関係ないように思うのですよ。一体、あらゆる点でおかしいのじゃないですか。あなたのほうではずいぶん自信をお持ちのようだけれども、どうなんですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ただいまの鑑定書に題名がついていないということでございますが、鑑定書は表がデュフィの写真でございまして、その写真の裏に書いてあるわけでございます。決して別の紙ではございません。御提出いたしましたのが表と裏になるわけでございます。このデュフィの写真の裏にシェレールの鑑定書がついておるわけでございます。ですから、その作品というものを表の写真が証明するわけでございまして、私どもいままで知っております鑑定書につきましても、そういう例は非常に私は多いと思っております。

小林武日本社会党

○小林武君 鑑定書というものは、そうすると何のあれでもみなそうだとおっしゃるのですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) いえみんなではございません。

小林武日本社会党

○小林武君 鑑定書というのは、大体あれじゃないですか。題名があるというのがあたりまえじゃないですか。これが特例だということでしょう。そうじゃありませんか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) これが必ずしも特例とは私思いません。写真の裏に題名なしで鑑定書きしたものは私ども幾つか見ております。

小林武日本社会党

○小林武君 幾つか見ても、あんまりそれは鑑定書として完璧なものではないということはお認めになったほうがいいのじゃないですか。大体私はそういうふうに聞いている。聞いてみれば私もそうだと思う。どういうものでも、刀なら刀で、絵なら絵で、日本画なら日本面でそれぞれあると思うんです。ですから、そういうことがあたかも何かあたりまえのようにおっしゃるのは、ちょっとおかしいじゃないですか。それから、一体こういうことを――私は、これは出どころについては申し上げられませんし、お見せするわけにはまいりません。ただ、これはデュフィの最高権威といわれる人が書いた手紙であるということだけは間違いない。私はただ写真を見ただけで、あなたに決定的な意見を与えることができません。しかし、あなたが特にその複製を贈られた絵に関する私の印象はきわめて悪いものです。あなたのかわりに私がその絵に手を出す、取り扱うということは遠慮をしたいと思います。これは、あなたのほうでは最高権威だと認めていないかもしれませんけれども、私の聞いたところでは、デュフィの最高権威だといわれている人の手紙です。手紙の写しはここにあります。しかし、この手紙に関する限りは、ちょっとここでお見せするわけにはまいりません。どうなんです、そういう権威の方がおっしゃっているこの絵について、あなたたちはどうなんです。そういう悪評のある絵だという御心配はないわけですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) このデュフィの作品につきまして、私ども真作と信じていままでいたわけでございまして、ただいま小林先生のデュフィについての権威者の御意見につきましては、私どもできれば調べさしていただきたいと思いますが、現在の段階では、私どもはこのデュフィの作品を彼の真作と信じているわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 調べるということはけっこうです。調べていただきたいと思います。私はここにデュフィの作品を幾つか写真になったのを持っていますが、本物の絵というのはこの四点です。これとこの絵がいかに違うかということは、私はしろうとでもびっくりしたんですね。これは同じ場合でかいた絵です。私はしろうと目にこれを見たときに、一番初めに、何だかちょっと同じような作品があるが、ちょっとこれと違うなと思ったら、見る高さが違うんだそうですね。彼は当時、ホテルの何階かに陣どってかいた絵だそうです、投影ですがね。これはおそらくものすごく高いところか、さらに高いところからかかれている。それから、絵の中にかかれているものを見ましても、ずいぶん違います。こういう点はどうですか。専門家として、いろいろそういう点はあなた先ほどおっしゃったが、いろんな画集その他彼の記録の中にある絵をお調べになったときに、お感じにならなかったですか。もう一つ、この波の波がしらのかき方、この例はここに一つ、彼の作品の中にありますね、これがたいへん問題だという、そうして、贋作特有のあくどさというか、何かはでなあれというか、そういうものを持っているというようなところもある。私はこの絵に対してあなたのほうで真剣に検討する必要があると思うんですよ、ナンセンスだなんてことを言わないようにしてもらいたい。ナンセンスじゃない。ただし、ぼくもさっきから言っているとおり、このことをもってかれこれ言うというのじゃないのです。こういうことをやっておったんじゃ、日本の西洋美術館あるいは近代美術館というものはりっぱなものにならないと思うんです。いままででも弱くてしょうがない、予算もろくにとれない、そういう状況をますますあれするんじゃないかと私は思うから申し上げるんですが、どうでしょう。あなたのほうでもこのくらいのことはお集めになっているんじゃないですか。これは日本のものの資料からとったものですから、私のほうで集められるものが、あなたのほうで集められないということはない。私がいろいろこれを聞いて歩くといったら大体きまっている。そんなにどえらい先生方に聞いて歩くわけじゃない、私なりの幅でやるわけです。それでできることができないということはおかしい。私に納得させるような説明を、あなたこの五点の絵をあれしてやってくださるならばやってもらいたい。だから、私は前の問題に返っていって、鑑定者の問題、シェレールというのは鑑定人じゃないでしょう。ルグロというのは、一体どういう人間なんだ。買った画廊は一体どこなんだと、こういう問題になるでしょう。そうして最高の権威の人は、私ならば手を出さぬと言っている。はなはだ悪い作品だとこう言っている。どういうことになりますか。どうです、芸術課長。専門家の意見はともかくとして、問題があるということは認めて、あなたどうしますか、あなたの責任として。

鹿海信也文部省社会教育局芸術課長

○説明員(鹿海信也君) 十分に先生の御意見を拝聴いたしまして、もちろん国費を投じて購入する作品でございますので、これまでも私どもとしては、これは近代美術館についてもそうでございますし、国立西洋美術館につきましても、専門の委員構成によりまして慎重に検討していただいてきたつもりでございますけれども、もちろんより以上に十分検討し、先ほどから先生のおっしゃいましたような点、十分今後も検討してまいらなければならぬのは当然で、そういう点につきまして十分注意してまいりたいとは思っております。

小林武日本社会党

○小林武君 注意してまいりたいというんじゃない、この絵を取り上げなさいと言っている。あなたのほうはいつでもそういうことを言うからいけない。私は藤山さんの絵の問題でも、藤山さんを一番気の毒な目にあわしているのは結局だれかといえば、あなたたちだと思う。あの絵が世上で贋作だとか何とか言われている。それに対して一体どうするかというあなたたちの態度の決定がないじゃないですか。迷惑するのは藤山さんじゃないですか。藤山さんは率直に、何か雑誌の中で、そうであるならばどうだというような御発言もなさっておる。これから大いに注意して、いままでのものは大体いいかげんに取り扱っていこうなんという、そういう答弁はだめだ。どうするんですか、この問題は。たとえしろうとであっても、私がこういう問題を提起したんだ。あなたはこれに対してナンセンスで終わらせるつもりか。午前中二時間ほどやられたけれども、黙っておけばいい、あとはもう適当にやりゃいいというところか、どういうことですか。

宮地茂文部省社会教育局長

○政府委員(宮地茂君) ちょっとほかのよんどころない会議がございまして多少おくれて参りましたが、先刻来、小林委員のお話は十分拝聴させていただきました。私どもといたしましても、こういうきわめて専門的な問題でございますので、私自身の判断もしにくい問題もございますが、少なくとも行政的に考えまして、小林委員のおっしゃるような懸念と申しましょうか、多少疑惑の起こるようなことがあるということはまことに遺憾に存じますので、ただいまお話のような作品なり、名前の出ました人等につきましては、できるだけの調査もさせていただきまして、機会がありますれば、後刻また私どものほうで調べ得た限りの御返事をさせていただきたいと思います。

小林武日本社会党

○小林武君 デュフィの絵については、まず文部省として専門家の方とひとつ協力をなさって、やるべき、しかるべき手は幾らでもあると思う。シェレールというのが一体鑑定人であるのかないのかということを確めることも、これは嘉門さんと私との間では意見の相違があるけれども、嘉門さんもあまり自信がないようだ、私は自信があるけれども、しろうとだからあまり自信あるようなことは言わないほうがよろしいから、このくらいでがまんしているのだけれども、とにかくシェレールについても文部省はやはりはっきりこれを検討して、この鑑定書がついてますなんということを、もし間違いであれ言っちゃいかぬと思う。それからこの絵の真贋の問題も、とにかく皆さんはやはり徹底的に調査をして、将来のためにも私はとにかくそういう調査を要求いたします。日本の国内だけではなくて、ひとついろいろやってください。まだデュフィの最高権威と言われるような人が、年はとっているけれども生きているらしい。その人たちの御意見も聞くということ、こういうことのお約束は政務次官していただけますか、約束はしていただけますか、これだけです。

中野文門自由民主党文部政務次官

○政府委員(中野文門君) お説のように取り計らってまいりたいと思います。

小林武日本社会党

○小林武君 まあ、くぎを打つようで悪いですけれども、調査中と言って調査がさっぱり行なわれていないものがたくさんある。たとえばこの前にも申しましたが、佐野乾山の問題についてもそうです。調査中という答弁はなさっているけれども、調査はしておらない。そのために佐野乾山の問題を中心にして妙な動きも出ているということを申し上げた。調査をすると言ったら、してもらいたい。少なくともこの問題は早急にやってもらいたい。私が文部省のこの資料をいただいてからだって、一ヵ月もたたないうちにやろうと思えばできるんです。それは国内以外のところにだって照会するものはしてできるんです。ですから文部省という力をもってすればできないことはな、ひとついままでどおりの調査研究というようなくらいの軽い意味でおとりにならないように、そういうひとつくぎを一本打っておきますから。  それからドランの絵です。このドランの絵は、ドランというのはわりあいじみな、大衆的な画家でないというふうに聞いているんです。だから作品もあまりそう多い方ではない。だから克明な記録があるはずです。こう聞いているのですが、どうですか、嘉門さん。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ドランはただいまお話しございましたように、同じ時期の二十世紀の大画家の中では、マチスとかピカソに比べますと確かにじみでございます。特に一九三〇年ごろ以後になりますと、作品が非常にじみな作風、色彩も茶褐色を主にしたようなじみな作風に変わってきております。それから作品の数もピカソとかマチスに比べますと全体の制作数は確かに少ないと思います。ただドランは、お聞きのように、一九〇五年にブラマンク、マチスとともにいわゆるフォービズム、二十世紀絵画のスタートといわれます。日本では野獣派と訳しておりますが、フォービズムの最初の人間としまして非常に強烈な色彩を使っております。それが一九一〇年過ぎから次第にドランの古典風の作に変わり、一九三〇年過ぎからになりますと、よく日本に来ております小品のドランという作風に見られるようなものに変わってきているわけでございます。作品の数もそれほどマチスとかピカソに比べますと多くございませんが、ただ、まだドランの全作品の目録というようなものは私どもできたということは聞いていないわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 ジョルジュ・イレールという人が一九五九年にドランについての著述をした、これは権威のある文献ですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ジョルジュ・イレールの著述はドランについてのたいへんりっぱな研究だと私は思います。

小林武日本社会党

○小林武君 その中に「ロンドンの橋」は記録されておりますか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) この書物の中には記録されておりません。

小林武日本社会党

○小林武君 そのほかの何かの記録がございますか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) たいへん申しわけございませんが、残念ながら私どもまだドランの研究書にこれが載っているということは目にしていないわけであります。

小林武日本社会党

○小林武君 ドランのいままでの記録がないとすれば――これは一九〇五年ごろの作品ですね。ですから、約半世紀近い間これは記録に出ていなかった、こういうことになりますね。そうすると、これは新発見の作品ですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 新発見と申しますか、ドランに限らず、この二十世紀の作家の場合に、記録に、いわゆる研究書あるいは画集に載っていないもので、かなりたくさん売り立てとか、それからあらためて展覧会などに出る場合を私ども見聞きしております。ドランのこの作品も私どもそういう一つと解釈したわけであります。

小林武日本社会党

○小林武君 そうすると、そういう場合は新しく発見したと言うのでしょう。新しく掘り出されたものじゃないですか。一九〇五年ですからね。一九 ○五年というと、あなたのおっしゃる、いわゆるフォービズム運動のまあ非常に彼のはなやかと言ったらいいか、活躍した時期なんです。そうすると、そのころの作品だから、最高なんということばを使っていいかどうか知りませんが、かなり力を入れた作品だ。そういうものは相当いままでに紹介されているはずなんですね。いや、そう考えるのですよね。一九五九年に彼の権威であるところのジョルジュ・イレールがドランの著述を出したとすれば、その中にまあ普通ならば記録されるべき性格のものだけれども、いままで出てこなかったものだから、だから新たに彼の作品であるということがわかったと、こういうことになりますね。だから新発見と言ったら何かおかしいようですけれども、新たに彼の作品であるということがわかった、こういうふうに見られますか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 新たに世の中に出てきた作品と解釈しなければならないかと思います。なお、この一九〇五年から六年にかけましてのフォービズムの運動は、御承知のように、当時、一般の画壇からは何か的はずれと申しますか、画壇の常識を破るものとして、むしろ必ずしも受け入れられなかっただけに、しかも、このマチス、ブラマンク、ドランという人たちが、数年にしてフォービズム的な作風から脱却していったために、作品の数も少のうございますし、それが比較的制作直後から人々の収集の対象になったというケースは非常に少ないと私どもは聞き及んでおります。

小林武日本社会党

○小林武君 とにかくいろいろなことを言っても、そういうあなたがおっしゃるようなたてまえからいえば、一体、記録に残っているということ、画集にちゃんと出ていたということ、これはまあ絵を買う場合には非常に確実な、本物かどうかの条件なわけですね。とにかくいままでの記録にない、文献にない新しいものだとすれば非常に警戒を要するわけでしょう、そういうことでしょう。だから、私は新発見ということばを使いましたけれども、そういう意味で、あなたのほうで慎重な態度というものがなきゃならぬと思うのですけれども、いま何か話を聞いていると、軽く取り扱っていらっしゃる、そういうことなんですよ。いままで見られなかった作品を新たに掘り出したものだということになると、これはなかなか重大な問題だと思うのですよ。これは文学者でも、隠された原稿が出てきたというような場合にはなかなか珍しいということになるわけでしょうし、本物かにせものかということについても、その点も問題になると思うのですよ。絵の場合なんか特にそうだと思うのです。それだからこそ、ほんとうのものをつかむということはなかなかむずかしいということになるのでしょう。そういう点からいって、どうもちょっとあなたの態度というのは、私のようなしろうとに対して納得させるようなあれではないのです。そこで、これもいわゆるフォービズムの権威ある人が出された鑑定書です。公定鑑定人パシティ氏――彼が公定鑑定人だということは私も認めます。なかなかそのほうの権威だということも認めるのですが、その権威ある人が書いた手紙がありますけれども、これもまああまりだれからだれということはちょっといま申し上げられません。あなたのほうで、どうしてもそういうことを認められないというようなことをおっしゃる場合には別ですけれども、いまのところは申し上げないほうがいいと思いますけれども、文面だけ読みますというと、「私は、パシティ氏と電話で話をしたばかりで、彼は、私が彼にその写真を渡したところのドランの絵の形跡(つまり、絵が存在した形跡)を彼の入念な探索にもかかわらず、彼の記録の中には見出すことができなかったと私に言った。もちろん、彼はいかなる場合にも問題の写真について考えを表明することはできないと言った。」、私は、これはなかなか含蓄のあることばだと思う。いかなる探索、入念な探索にもかかわらず、彼の記録の中から見出すことができなかったと、パシティ氏は言うのです。いかなる場合にも問題の写真についてのパシティ自身の考えを表明することはできない、こういうふうに書いてある。一体、パシティの鑑定書というものは何の鑑定書か。題名もない。ただ大きさだけぐらい書いたようなパシティの鑑定書というものが、どの絵にも、どの場合にも使われるような、こういう鑑定書というものが、私はこういうことを起こすのだと思う。大きさだけこの場合に書いてあるようです。だから、鑑定書に疑義があると私は思うのです。両方とも共通しておる。そうして、権威のある人たちがそれぞれこれについて疑義を持っている。記録にもないそういう絵がどうして買われたか。値段のことはあとで出ますけれども、最高の値段で買われた。これはどういうわけなんですか、不思議でたまらないのです。どうでしょう。これはあなたのほうの考え方として当然ですか。しろうとはそういうことをおっしゃるけれども、こんなことはあたりまえですとあなたはおっしゃるかどうか。専門家としてその御返答をいただきたいのです。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) ただいまの小林先生の御意見、私ども十分に拝聴させていただきます。決してしろうと云々などという考えは私は持っておりません。なお、ただいま御指摘いただきました鑑定人の非常に微妙なお手紙をただいま拝見いたしましたが、即刻この問題につきまして私ども全力をあげて調査させていただきたいと思います。

小林武日本社会党

○小林武君 なお、ドランの奥さんの鑑定書の問題ですけれども、私はこういうものはあまり必要ないと思うのです。これはもう専門家でいらっしゃるあなたにそんなことを申し上げるまでもないことですけれども、そういう例があるのでしょう。肉身の中からそういうあれが出たということはいままでに相当例がある。だから、肉身だからだめだとも言われないけれども、肉身のあれが正しいのだとも言えない。「私はこのそばにある長さ……(複製)画が確かに私の夫アンドレ・ドラン自身の作品であることを証明します」と、こう書いたところで、それがどれほどまで正しいか。私はこういうことは権威のある西洋美術館のやる仕事ではないと思う。日本の文部省のやる仕事ではない。そういうことはつまらない、そう思うのです。これからこんなことはやめたほうがいいと思うのですが、まあこの点は御返事をいただくまでもないと思うのです。まあ人の悪い言い方をすれば、概して肉身の証明なんというものはどうもあやしいし、それから贋作者が最も利用する手だという風評もあるわけです。どうぞひとつ、こういう点については今後こういう、つまらないと言ったら悪いですけれども、証明などというものはきっぱりおやめになるほうがいいと思うのです。  それからドランの絵の問題なんです。これは「ロンドンの橋」というのですが、どこのロンドンの橋というのですか。これは何橋ですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) たいへん申しわけございませんけれども、私、ロンドンの何橋かと聞かれましてもお答えできないわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 そういうことを申し上げたのはこういうことなんです。こういう作品があることは、もう専門家ですから御存じでしょう。これは何か本物ということになっているらしいですね。この橋はウォータールーですか。とにかく彼は二度にわたってロンドンに行っている。そうしてかなりロンドン連作とか、そういうものを持っている。ところが、こっちは至っていただけない作品だという。この橋、これはどうか。これは贋作なのかどうか。こういう疑点がある。「ロンドンの橋」だから、ロンドンのどこかの川の橋だということはわかっている。ロンドン橋かもわからぬ。ロンドン橋という橋もありますね。ロンドン橋かというと、これはちょっと違う。もっとも、専門の絵かきがかくといろいろなかき方があるらしいですけれども、どうもロンドン橋ではないらしい、これは写真がありますからね。それじゃウォータールー橋。そうすると、これとほとんど同じなんですね。あれを見れば、色彩その他たいへん違いがありますけれども、太陽が出てきている。まああまり太陽をかかない画家だということを聞いておりますから、その点はどうも当てにしていいのかどうか、しろうとにはどうもわからぬがね。もしこれがロンドン橋であったらたいへんだという話もある。北のほうに太陽が落ちるということになりそうだという話もあるそうですけれども、そんなことは別にして、この関係のものだと私は思う。そうすると、これはずいぶん新しい、しかも記録にないということと、こういう作品がこれは記録上認められたものであるとすれば、私はこの間の関係というものはどう見ているのか。それは新しく掘り出されたものですというふうに、簡単にあなたのほうでお考えになることがいいのかどうかという問題がある。この点はどうですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) たいへんおそれ入りますが、よく調べさしていただきたいと思います。ただ、ただいま御指摘いただきましたそのもう一方のドランの作品でございますが、それは制作年代は私記憶いたしておりませんけれども、少し前のものだったという気がするのでございますけれども、一九〇五年より少し前じゃなかったかと……。

小林武日本社会党

○小林武君 一年あとです。だから何だかおかしいところもあるのですよ。おかしいというのは、私のほうがおかしいのじゃないのですよ。これをいいというあなたのほうがおかしいとぼくは思う。これは、ますます変なところでかいたのじゃないかと思うのです。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) その作風を私ども認めているものですから、もう一度よく調査研究をさしていただきたいと思うのです。

小林武日本社会党

○小林武君 まあここにある他の橋の他の作品をみると、少なくともドランの作とは、しろうとが見てもちょっとなかなか不思議に思われるようなあれだが、これはひとつ、先ほど率直な御意見として、厳重にお調べになるということですから、納得のいくお調べをしてくださるということですから、この点はこの辺でやめたいと思う。そういうふうにしていただきたいと思うのです。そうしないと、疑惑が疑惑を生んで、せっかくの発展するそういう美術界の問題に水をぶっかけることになりますから、専門家としては特段に御配慮願いたいと思うのです。  それから値段の問題です。これはどうなんですか、値段というものは大体一点平均の相場というものがあって、この美術商間の情報交換というのは、ものすごくこのごろは行き渡っておって、株と同じだと、こういうことになっておるそうですね。それで各作家の一点についての評価というものはそれぞれある。もちろん、その中に最大の傑作とか何とかいうものがあるでしょう。そういうものがありますか、あるということを認めますか。あるという人とないという人があるなら両方の意見を聞きたいのですが、あなたはあると思いますか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 同じ作家にしましても、値段が非常に高低があるということは私ども認めております。

小林武日本社会党

○小林武君 私の問いに答えておらぬのですが、たとえば一点平均の価格というもの、そういうものが大体相場のめどとしてあると、こう私は聞いているのです。たとえばどの作家のものであれば大体このぐらいのところ以上にはあまりならない。特にその人の傑作というものである場合にはそれを上がる場合がある。しかし、ものによっては下がる場合がある。大体それを平均すればここらのものだ、そういうものが作家についてはあると聞いているのですが、あなたは、あるのかないのかどっちですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 私どもあるということをむしろ信じたくないのでございます。あるほうが不思議だと思うのでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 それは御希望なんですね、あなたの御希望。それは美術を専攻なさってる方の一つの御希望としてはぼくも認めたいという気持ちがするのです。そういうことではけしからんと、株と同じだとか、それからいまのところ二兆円とか、三兆円の取引が一九六五年日本でもあったとか、貴金属よりかも多い取引が行なわれているとか、こういうことです。そうすると、たとえば投資としての美術なんていう木が出てくる。それはリチャード・ラッシュというアメリカ人が「投資と美術」という一九六〇年に書いたものの中に、いわゆる平均価格というものが書いてあるそうですが、私はそういうようなものはおのずから出てきていると思うのです。希望するとか、そういうものがあってはならぬとかいうことは別としても、大体どうなんですか、デュフィというのは大体一点の平均というのは一万二千ドルとか、ドランが一万ドルとか、これが値段のありどころだというのですか。もちろん値段に上下はあるでしょう。こういうことはどうですか、値段としては。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) デュフィが大体のところ一万二千ドル、ドランが一万ドルというのは私たいへん意外に存じます。ドランのほうがデュフィに比べますと、作家として、画家としまして私どもははるかに高く評価しております。

小林武日本社会党

○小林武君 それでどうですか、値段はひっくり返して、一万二千ドルをひっくり返しても……。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 私どもはドランの平均価というものを認めません。

小林武日本社会党

○小林武君 認めないのね。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 認めません。

小林武日本社会党

○小林武君 認めなくてもいいのです。ある、ないの議論はしてもしようがない。そこで、ドランの最高というのは一九五七年パリのベネット競売場というところで、一九〇五年の「えぐられた道の木」というのが二万二千ドル、約八百万円、世界最高の価格であるというのが国際的な常識だといわれているのですが、八百万円という「えぐられた道の木」というこのことについては御存じでございますか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 新聞で存じております。フランスの「ラール」という新聞で存じております。

小林武日本社会党

○小林武君 最高の価格だということはあなたは御存じですか。最高の傑作ということになるのですね。二千二百――これ幾らでしたかね、買ったのは。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 二千二百三十二万でございます。

小林武日本社会党

○小林武君 二千二百三十万、端数はともかくとして。最大の傑作が八百万、一九五七年だから、日本はずいぶん物価が上がったからだけれども、パリのほうはどうなっているか、あまり上がっておらないという話も聞いておりますが、ちょっとこれはおかしくないですか。私は最大の傑作だということであるならば、これはぼくは日本にひとつ持ってきたいということで買ってもいいけれども、ぼくから言えば、本物やら、にせものやらどうもおかしいというような作品を二千二百三十万で買ったあれがわからない、わからないと、こう言いたい。わかるようにしてください。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 一九五七年のドランの作品、最大の傑作というおことばでございますが、私どもその作品はもちろん見てはおりません。はたして最大の傑作かどうかも私からは何とも言えないわけでございますが、ドランのこの作品につきましては、私ども確かな作品と信じまして、そうして一九〇五年、ちょうど絵も非常に充実しているということでこの値段を聞いたわけでございますが、参考までに申し添えさしていただきますと、私どもこの値段を一応われわれなりにできるだけの努力をしまして、いろいろな売り立てとか、そういうものの値段表も比較検討いたしますが、ドランにつきましては、一九〇五年前後の作品がそういう大きな売り立てに、いま先生のおっしゃったもの以外にはあまり出ていないために、値段の見つけようがないのでございますが、一九六三年のロンドンのソースベーの大きな売り立てにドランと相並行してフォービズムを起こし、そして発展させましたブラマンクの作品がやはり同じくらいのものがございますが、二万一千ポンドで取引されております。この作品を私どもの考えました意味その他から考えまして、そういうものが一つの大きな……。

小林武日本社会党

○小林武君 日本円で言ったら幾らですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 二千二百万ほどでございます。これは絵の売り立てでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 よその絵かきを持ってきたらいかぬよ。ぼくは一点平均の値段のことについては、それは一つの見方だというあなたの立場も尊重してよろしい。しかし、自然にものには相場ができているということは、これは美術品に詳しいあなたからすればわかっているじゃないですか。日本の画家だってそうでしょう。日本の場合は何か一号幾らといいますけれども、大体あの級であれば一号なら幾ら、この級ならば一号幾らと、こうやるのでしょう。大観ならば何だとか、日本画家ならばそういうことを言っているのですから、相場はあるのですよ。ただ、芸術家的良心からいって何とかかんとかということになると、これは別だけれども、これは宗教みたいなものだから信じてくれとは私は言わぬ。しかし、そういうものがある。あって――最大の傑作と言ったのはちょっとまずかったかな、傑作だ。最大をつけたのは口がすべった。ぼくは最大かどうかもわからぬけれども、これは彼の傑作だということは大体の人がお認めになっておる。彼の傑作の一つがいわゆる日本円で言えば八百万円で売買されておる、いまから九年前に。そうすると、私は二千二百三十二万ですか、というのは、ほんとうのことを言うと、やはりこれは法外だと思うのです、何といったって。しかも、これが傑作だということがあらゆる点から証明されるものであれば、これはこの値段について文句は言わないつもりです。ところが、先ほどから出ているように、何だかきわめて怪しいものだと思われるような節もある。それをとにかくあなたのほうでナンセンスだとか何とか言ったそうだが、そんなことを言ったのですか、言ったのはだれですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 先ほどから小林先生、ナンセンスということを私ども言ったかのように――私全くこの席へ伺いまして、初耳でございます。少なくとも私ども、あるいは私の昨日来調べましたのでは、そういうことばは絶対吐いていないということは申し上げられると思います。

小林武日本社会党

○小林武君 ナンセンスのほうはいいけれども、値段のほうはどうなりますか。それはもの好きで買うならば値段は惜しまぬというのは、これはけっこうですよ、これはものほしくなれば金に糸目はつけませんというのは昔からあるのだから。しかし、国でものを買うというときには、やはりものは相場ですよ、国の予算でやるのですから。どうなんですか、方針としてどうなりますか、局長。

宮地茂文部省社会教育局長

○政府委員(宮地茂君) どうもこういう美術品につきまして、特に値段が適正であるかどうかといういわゆる感触がわかりませんが、私、文化財の仕事に関与しておりました当時、文化財で国内品を買う場合と外国ものとは違うと思いますが、一応、私が文化財に関係しておりました当時の買い方を考えてみますと、その美術品がそんなに何千万円もするものであろうかと、しろうととしてはきわめて驚くような値段がつけられることがございます。その場合に、そんなに高いのかといいましても、専門家の方はそれじゃ安いほうだといったようなお話でございますので、私自身こういう美術品の値段はわかりませんが、ただ、相場という点につきましては、相場があるようでまたないような感じもいたします。それは文化財の買い方は、買い上げをいたします場合に評価委員というのを任命しておりましたが、これらの人々が、たとえば十人の方に評価してもらいます。そうしますと、一番上と一番下の値段は十倍くらい違う場合がございまして、一番下のほうは五十万円だ、一番上の値段をつけられる方は五百万円だということで、文化財のときはその上と下を切りまして、中の人の値段を集計して、それを平均値で買うといったようなかっこうでございます。ですから、そういった平均値が一種の相場といえば相場と思いますが、相当の専門家と思われる方に評価していただいても、そのように違う場合もございます。しかし、ある場合には、一千万円程度のものが、その上下の違いは二、三百万円の違いであったといったような例もございますし、そういうことから、私、小林委員からどうだと言われまして、私自身、西洋美術館で買いましたものがどのくらいの値段かよくわかりませんが、ともかく先ほど来の小林先生の御質問で、相場というものがあるようでもございますし、専門家によりまして、評価さしても非常に違う、そういう例もございますので一がいに言えないと思いますし、それからやはり文化財に例をとって恐縮でございますが、たとえば国内では一千万円くらいであろうという評価に対しまして、アメリカで評価したらそれが一億もといったような、十倍くらいといったようなことで、よくアメリカへ持っていって売りたいのだ、だから輸出を許可してほしいといったような話も二、三聞きましたが、その国によりまして、そういうものが入手しにくい場合と入手しやすい場合で、アメリカと日本国内で日本の古文化財の値段は相当違っておるようにも聞いております。ともあれ、いまの先生の御指摘の、値段が適正であるかどうか、私も適正でございますというふうに確信を持って申し上げる力がございませんが、一応こういうものを買います場合、西洋美術館といたしましては、その道の専門家と思われる方々数名にお願いして、向こうの申し立て値段等を勘案して、日本国内で、特に西洋美術館に備えておきたいといったような考え方がプラスアルファされまして、多少フランスならフランスの値段と違う場合もあり得るかと思いますが、これらの点につきましても、一応ただいまのお話もございますので、そういったようなことをもう一度もとにいたしまして、これを買った場合の関係された西洋美術館の購入委員の方々なり、その他いろいろな方の御意見も聞きまして、何か結論を得ますれば私からでも答えさしていただきたいと思います。

小林武日本社会党

○小林武君 納得いきません。これはあれですか、手続のことでちょっと聞きますが、私いま局長に御質問したのは、西洋美術館で買うといっても、結局何といいますか、責任のあれは局長のところの社会教育局ですか、そこだと思ったからお聞きしたのだけれども、これは何ですか、西洋美術館で自由に購入できるようになっていますか。そうであれば、これは話は別なんですけれども。

宮地茂文部省社会教育局長

○政府委員(宮地茂君) これは予算を一応とります場合の折衝は私のほうでいたしますが、それぞれの館で購入する予算がつきます。したがいまして、いろいろ御相談にはあずかりますが、館の責任において予算執行させております。

小林武日本社会党

○小林武君 そうすると、まあ金が支払われているとか何とかということだけは見るけれども、そのものの値段がどうだとか、高いとか、高くないとか、不当だとかというようなことについては、別段あなたのところではそれをかれこれしないわけですね、これどうですか。

宮地茂文部省社会教育局長

○政府委員(宮地茂君) 形式的に申しますと、いま小林委員のおっしゃったとおりでございます。それから、たとえば文化財関係ですと、博物館にも購入費がついておりますし、また文化財事務局にも購入費がついております。ただ、社会局のほうは、社会局での購入費はついておりません。したがいまして、形式的には館のほうに、社会局のほうの所轄機関は西洋美術館、近代美術館、ともに形式的には館のほうに一任しておるわけでございます。

小林武日本社会党

○小林武君 まあ形式的にといっても、もしもこの値段が不当であるというようなことに、かりになれば、あなたの責任になるのです。これは当然です。まあしかし、それだからといって、一々局がやかましいことをいって、専門家の買うのを一々文句いわれたんじゃ、これはやりにくくてしょうがない、そこらあたりはぼくは何もやかましく言ってどうこうせいということでない。それだけに私はこの価格というものについてはなかなか納得いかぬのです。ですから、これは嘉門さんは先ほど、作家としてはドランが上だとか、デュフィが上だとかいうことをおっしゃった、それは人の好みにもよるのじゃないかと思う。あるいはその評価のしかたもそれぞれ入によって違うと私は思うのです、聞いているというと。ですから言いませんけれども、二百八十八万、もちろんこれは油絵とあれとの違いだといってしまえばそれだけだけれども、二百八十万と二千二百三十万との差は当然だということは、ちょっとドランとデュフィの場合は一体それは言えるのかどうか、そういうことも考えられますからね。一体この値段については私はどうしても承服できませんし、特に先ほど申し上げましたような絵についての問題点もありますから、ますますどうもすっきりしない。なおこの点については、私はもっとこれから調べますから、あなたのほうでもひとつ、これはいまお話を聞くというと、全責任はやはり西洋美術館にあるらしい。この西洋美術館でこのことを明らかにして、きょうの質問の諸点を、これは早急にやってください。これは文部省に言ったところで、形式的なあれだそうですから、形式的なところにものを言ったってしようがない。あなたのほうで徹底的にこれはやっていただいて、この委員会に御報告をいただきたいと思います。  質問を終わります。

松永忠二日本社会党

○松永忠二君 関連。きょう小林委員の質問を聞いたわけですがね、やはりわれわれ聞いていてみても非常に問題はあると思うのですね。これは委員もたくさんいて、この話を聞いたわけですけれども、委員長として、やはりこういう問題をこの委員会ではっきりさせるという責任が私はあると思っているのです。この点について、ひとつ委員長の見解を聞かしてください。

二木謙吾自由民主党

○委員長(二木謙吾君) この問題、まことに重大な問題であると思う。で、西洋美術館のほうでこれが真相をよく調査をして、委員会に報告してもらいたいと思う。

松永忠二日本社会党

○松永忠二君 そういうことをひとつこの委員会で徹底してやってもらうということ。もう一つ、文部省にひとつ御質問するわけですけれども、いま聞いていてみると、私はやはりこういうふうな問題について、文部省がいまやっている方法は妥当であるのかどうか、こういう点について検討する必要があるのじゃないかと思うのですよ。特にさっき社会局長の価格についての答弁なんかは、われわれからいうと、とても納得できないのです。これは文化財などといったような、いま言った西洋美術品とは全然やはり考え方を異にしてしかるべきものです。こういう点について検討してもらわなければ、できないし、その方法等について、やはりこの際こういうことが出た機会にひとつ検討してもらう。それと同時に、いま小林委員は、美術館のほうに直接の責任があるので、そこで明らかにするということを要望され、それがそのとおり行なわれると思うのですがね、これについてやはり文部省としてもそれを明らかにさせる、そういう決意を明確にする、この二点についてお考え方を政務次官から聞かしてください。

中野文門自由民主党文部政務次官

○政府委員(中野文門君) お説のとおりに心得ます。特に、この特定の美術品が、はたして間違いなく制作者の制作品であるかどうかということにまず疑問があるということになってくれば、これは疑問を解明する必要があると思います。それから値段の高低、これは建築単価などはわれわれもすぐお互いにわかると思いますが、美術品の価格ということになりますとなかなかむずかしいことでございますが、しかし、おのずからそこに、みずからの立場の者に知恵がなければ――適切な価格というものは、どこからか正鵠に近いものが出てこなくちゃならぬと思いますが、本日の当委員会において、小林委員のいろいろな角度からの御質問なり御意見、非常に私この席で傾聴いたしたのでございまして、いずれ速記録もできましょうし、きょうの小林委員の御発言の全部につきまして、文部省はもちろんのこと、当該責任のある美術館側といたしましても、きょうここで直ちに答え得なかったこと、答えたけれども御満足いただけなかったこと等につきましては、十分に美術館なり文部省側といたしましても、御満足のいくいかぬにかかわらず、解明をさしてもらいたいというふうに考えますので、まことにきょうの御意見ありがとうございました。

千葉千代世日本社会党

○千葉千代世君 関連質問。私いま伺っておって、たいへん重要な問題が含まれておると思うのです。むしろ何かこわいような感じがしたのです。そこで、美術館のほうに伺いたいのですけれども、向こう一年間の間に、そういう絵画をどのくらい買う予定で、金額はどのくらいか、予算審議のときに御質問したいのですが、いまわかっている範囲でちょっとお答えいただきたいのです。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 西洋美術館は、昭和三十九年度、四十年度は作品購入費三千万円でございます。そうして四十一年度は五千万円をお願いしているわけでございます。

千葉千代世日本社会党

○千葉千代世君 何点ということじゃなくて、金額だけでございますか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) さようでございます。

千葉千代世日本社会党

○千葉千代世君 また何か買う予定があって計上したのでしょう。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) はい。

千葉千代世日本社会党

○千葉千代世君 その買うものは何ですか。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) その年にもよりますのでございますが、この程度の作品を買いたいという私ども予定をいたしまして予算をちょうだいしまして、それが順調に買えますときと、お持ちになっている方からお譲りいただけない場合がございますし、また予定外に、特に予定のものが進捗しないでおりますときに、予定外の多少いいと思うものが出てきましたときに、これに切りかえることもございます。

千葉千代世日本社会党

○千葉千代世君 いま何と何を買いたいと思っているかということだけでけっこうです。買える買えないは別として。

嘉門安雄国立西洋美術館事業課長

○説明員(嘉門安雄君) 現在私ども考えておりますのは、大阪のある個人の方のお持ちになっております旧松方コレクションの中の名品数点でございますので、これはとても、一点でおそらく五千万円以上するだろうと思われますので、私ども手をつけかねているわけでございます。その中のせめて一点を五千万円でお譲りいただけないかということで、現実に私ども内々交渉をいたしておるわけでございます。

二木謙吾自由民主党

○委員長(二木謙吾君) 他に御発言がなければ、本件に関する本日の質疑はこの程度にいたしたいと思います。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時四十一分散会

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