P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
51回国会衆議院1966/04/20

農林水産委員会 第29号

発言数
34
登壇者
9
会派数
2
開催日
1966/04/20

会議録

中川俊思自由民主党

○中川委員長 これより会議を開きます。  入会林野等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律案を議題といたします。  本日は、本案について参考人から意見を聴取することにいたします。  本日御出席の参考人の方々を御紹介いたします。ただいま御出席の参考人は、全国町村会経済農林部長大久保毅一君、弁護士戒能通孝君、東京大学教授倉沢博君、以上三名の方々でありますが、山形県知事安孫子藤吉君は、都合により後刻御出席の予定であります。  参考人各位には、御多用中にもかかわらず本委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございます。  ただいま本委員会におきましては、入会林野等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律案を審査いたしておりますが、本案について、参考人の方々の忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、はなはだかってではございますが、時間等の都合もございますので、御意見開陳の時間はお一人約二十分ないし三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  議事の順序は、まず参考人各位より御意見をお述べいただいた後、委員から参考人の御意見に対して質疑をしていただくことにいたします。  なお、委員各位に申し上げますが、倉沢参考人は、都合により十二時ごろ退席される予定でありますので、御承知おき願います。  それではまず、倉沢参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。倉沢参考人。

倉沢博東京大学教授

○倉沢参考人 私は、東京大学で林政学を教え、研究している、林政学を専門としている者でありますので、本日の陳述は、主として林業政策という観点に立って、御意見を申し上げたいと思います。  そもそも、入り会い林野に対する国の施策は、明治以降戦前の昭和十二、三年ごろまでは、実際の林業政策上も、また研究としての林政学の上でも、きわめて重要な中心的な位置を占めていたのでありまして、当時世に林政の母などと呼ばれているほど重要な課題であったわけであります。それは林業を育てていく上でも、また農山村や農林家の経済を守っていく上でも、入り会い林野に対する国の施策というものは、欠くことのできない重要な施策であったからであると思います。  ところで、この時代の入り会い林野政策の性格を見ますと、明治四十三年から始まって、大正時代を通じ、さらに昭和十二、三年ごろまで続きましたところの、治水事業の一環として取り上げられました部落有林野整理統一という政策に、その性格は代表されていると思うのであります。ここで、本日の法案に対する私の意見にも関係してまいりますので、まず、この時代の入り会い林野政策に対する私なりの見方の大要に先に触れておきたいと思います。  当時の状況を申しますと、日本の経済の発達とともに、林産物の商品化がどんどん進んでまいりまして、それまであまり価値のなかったところでの林木も、次第に高く売れるようになっていくときであったわけであります。そういう傾向がある地方では急速に進み、またある地方ではゆっくり進むというような違いはありましたけれども、日本じゅうの山村にだんだんと広がっていったという状況にあった時代であります。しかも一方では農業における金肥の普及などによりまして、まぐさ場等の利用度が次第に低下していく、そういう時期であったのであります。こういった状況の中で、入り会い林野の管理利用の主体でそれまでやってまいりました部落農林家のほうを見ますと、この入り会い林野を自分たちで積極的に造林したり、その他生産地化したりしていく経済的な力も意識も、まだ当時非常に低いものでありまして、林野が一方でだんだんと価値を高めていくといういき方に比べますと、まことにそこに大きなギャップがあった時代だというように見ております。  こうした条件の中で、当時の政府は、強い行政指導によって部落有林野を町村有に統一し、そこに造林を奨励して生産地化していこう、こういうような目標を持った統一事業が行なわれたわけであります。この場合、地方によっては、また特にこの事業を始めた初期のころにおきましては、この行政の運用が町村制というものの形式論に非常に片寄りすぎたきらいもあったか、入り会い林野の実情に間々沿い得ないで、部落農林家の強い抵抗を引き起こしたようなところもあったことは事実であります。しかし、現在ひるがえって、結果としての町村有林野を全体として見ますると、旧入り会い林野が、先ほど申しましたような林野の経済と農林家の経済との間の当時の激しいギャップのために、ともすれば特定個人に集中したり、また村外所有に流出したりするということを、この統一事業によって未然に防止したという点は、いまなお私は大きく評価しなければならない点だと思っております。そして、町村有とされました旧入り会い林野はどういうふうになったかと申しますと、町村有とされました入り会い林野のうち、町村直営林となって、その林業収入が町村民資格の全員の利益享受までに上昇した部分が出てまいりますが、そういうものにつきましては、たとえば六・三制教育の創設や村民の診療所、あるいは有線放送、あるいは農村電化等々の実例で見られますように、村民一般の生活の基礎整備に大きな貢献をしてきているという事実も、見のがせないところだと思います。  そういう面はありまするけれども、しかしながら、町村有とされることをきらって、私有名義にされたいわゆる離権入り会い林野、それから町村有とはされたけれども、なお部落農林家の現実的な使用収益上の必要から旧慣使用林野とされたものが、一方でかなり大きな面積があったということは、入り会い林野というものが農林家の生活や経済にとっていかに重要なものであるかを知らせるものであります。  ところで、本法案が対象といたしますのは、このような離権入り会い林野及び旧慣使用林野がその対象となるわけであります。当時の林政が、部落有林野は林政の母であるなどといわれるほど、その林業政策の全勢力をこの入り会い林野に注いだかのように見えるわけでありますが、実はその政策エネルギーのすべては——旧入り会い林野を二つに分けてみますと、政策エネルギーのすべては、いま申しました町村直轄直営となったものに著しく集中しておりまして、離権入り会い林野及び旧慣使用林野という、農林家に直接関係の深いものにつきましては、やむを得ないものができたといったような消極的な態度で、なるべくさわらないようにしてきたと言って過言でないかと思います。  もちろん、林政上、これらの入り会い林野等に何もなかったというわけではなく、明治四十年森林法の中に、施業森林組合などのように、部落農林家が共同して自主的に入り会い林野を生産地化し、経営していけばいけるような、当時としてはりっぱな制度も規定されていたわけでありますが、何しろこちらの林野に対する行政的な力の入れ方は、前述しました町村直営林地に対するそれと比べましたら、全く消極的でありまして、きわめて微々たるものであった、こう言って差しつかえないと思います。たとえて言いますならば、部落有林野あるいは入り会い林野は林政の母である、部落有林野政策は林政の母であると言っておりましたが、その母が生み出したものは、町村直営林こそが実子扱いでありまして、現実の部落農林家の不可欠の必要によって残されたいわゆる入り会い林野及び旧慣使用林野、こういうものは、むしろ俗にいうまま子扱いというような政策上の扱いをされてきたのではないか、こういうふうに私は見ているのであります。  そうしてまいりまして、部落有林野整理統一政策が事実上終止符を打ちました昭和十二、三年ごろ以降は、これらの入り会い林野と旧慣使用林野は、その権利や権利主体が実定法上の取り扱いがきわめて困難であるというような理由もありましょうが、昭和十四年の森林法におきましては、それ以前の森林法にありました施業森林組合というような、部落有林野あるいは入り会い林野を対象とする林業政策の規定も除かれまして、十四年森林法においては、何ら特別な措置が考えられておらない、そういう結果になりまして、自来今日まで、これらの入り会い林野は、林政のまま子というよりは、むしろ孤児のような状態で放置されてきた、こういうふうに考えるのであります。そうして、この林業政策上全くみなしごのように放置された入り会い林野は、戦後の均分相続制の創設や町村合併促進法など新しい諸制度がどんどんできていく中で激しく動揺させられまして、だれにもたよれない、自分の力だけでひたすら自分を守るというようなかっこうに現在追い込まれてきていると考えていいかと思います。  そのような結果、部落農林家は、これらの林野を守るために、あらゆるくふうを自分自身でしてきております。結果として、所有の形態も、財産区有、生産森林組合有、農協有、民法上の公益法人有あるいは共有、個人名義有等、さまざまな複雑な形式が現在生じてきているわけであります。  しかしながら、もう少し詳細に見ていきますと、昭和二十六年の森林法の中に、実は生産森林組合の制度が設けられております。そして、戦後のこの動揺の中で、入り会い林野等は、この生産森林組合に仮の衣がえをしたものも多少出てまいります。それらの中には、生産森林組合になったがゆえに多少とも林政上の恩恵に浴したものも出てまいりまして、一部には、自主的に生産団体になっていこうとするものも出てきております。ところが、多くは、やはり政策的に放置された状態の中で、自分を守らなければならないというような条件にありますから、結局所有の形式を自衛的に変更したというにすぎないものが多いのでありまして、事実上は、依然として現在も林業政策上は孤児であるというような位置を出られないできていると考えていいと思います。言いかえますと、入り会い林野は林政の重要課題であるといわれておりますが、実はそれは町村直営林政策の陰に隠れてしまいまして、いつかは何とかなるだろうといった、いわばやむを得ずできたものというような状態に長い間放置されてきたといえるわけであります。このように考えますと、どうもまことに行政というものがバランスをとって行なわれていくということは、実にむずかしいものだと私思わされるわけであります。  ところで一方、町村直営林のほうを見ますと、戦後におきましても、森林法の計画制度の中で、公有林経営計画という制度ができまして、補助造林とか融資造林、あるいは分収造林、林道助成など、さまざまの産業行政を受け入れ得る地位を確保してきております。こういうふうに、二つの林野の一方が、すでにもうかなり政策受け入れの地位ができてきているとしますと、他の一方、すなわち、入り会い林野、旧慣使用林野のほうも、当然林政の対象に組み入れられてきてもよい時期ではなかろうか、こういうふうに考えるわけであります。  このように見てまいりますと、昭和三十九年、林業基本法の第十二条による入り会い林野施策への方向づけ、それからそれに基づきまして立案されました本法案の意義は、林業政策のこうした歴史的なものから見ましても、まず画期的なものだといってよいと思います。すなわち、入り会い林野というものが初めてまっこうから政策の対象に取り上げられ、部落農林家の経営の発達ということを目ざして近代化、生産地化をはかっていこうとするのは、まことにわが国の林政の歴史の中では実質的には初めてだといっていいかと思います。  私は、本法案の林業政策史上の位置づけを以上述べてまいりましたように考えておりますので、次に申し上げますような理由から、基本的にはこの法案に賛意を表しております。  第一の理由は、すでに述べましたように、本法案が、町村直営林と入り会い林野等とに対する林業政策をバランスのとれたものにしようとするものであると理解するからであります。  第二には、本法案による施策が、あくまで権利者農林家の自主的意思に基づいて行なわれるという、すなわち、促進法ではなく、助長法であるという本法案の姿勢が認められるからであります。  第三に、本法案は、直接的には権利形式の整備という、いわば入り会い林野の入れものの近代化をはかるものではありますが、実体のほうもそれに応じ得るよう、すなわち、中身のほうもそれに応じ得るように、現在の農林家側の条件が整いつつあると見ているからであります。現在の農林家は、適切な助成と指導があるならば、入り会い林野等をみずからより高い生産地に化していこうとする意思も、また林業の知識経験なども、十分に備えてきているというのが一般だと見ております。それは明治、大正期を通じたころの農林家の条件とは著しく違ってきていると考えていいかと思います。  第四に、入り会い林野等におけるもろもろの旧来の秩序は、実は天然生物採取、天然にできたものをただとってくるという経済を軸としてできていると考えられますが、これらの林野が、栽培生産という、より、高度の土地利用、それに応じた秩序に移行するということは、農林家にとっても、また社会経済的にも現在もはや差し迫った要請となっているといえるからであります。  私は、以上のような理由で本法案に賛意を表するものではありますが、しかしながら、なお数点について、特にこの法運用上幾つかの留意すべき点のあることを指摘しなければならないと思います。それはすでにいままで申し上げてまいりました中に大体は含まれておりますが、ここでこれを五つの点に整理して述べておきたいと思います。  その第一点、本法案は、入り会い林野等の法形式と権利形態の近代化を企図しているものでありますので、法案自体の機能はあくまで入れものの近代化をはかるにすぎないということであります。したがって、実体たる部落農林家みずからが林野をより高い生産地化するということが、容器の近代化と表裏一体となって進められなければならないということであります。そのためには、造林の助成等産業助成施策が特に並行して手厚く行なわれなければならないわけであります。もしこの間のバランスが破れるときには、入り会い林野の秩序はいたずらに混乱するだけでありまして、本法案は逆に農林家に害をなすものとさえなりかねないと考えるわけであります。  その留意すべき第二の点は、本法案が促進法でなく、助長法であるという点を行政末端まで十分徹底することが必要であると思います。もし権利者農林家の自発的意思を無視して、この施策が行政力としてあまりに強く推進されるならば、農山村民は大きな混乱と行政不信におちいるおそれがあると私は思うのであります。入り会い林野等の実態はきわめて複雑多様なものであります。しかも、入り会い林野というのは、零細農林家の生活や経済の最低必要にかかわっている林野でもあります。こういうことからしまして、いま申し上げましたことは、幾ら強調しても強調し過ぎることはないと思います。具体的に少し申しますと、本法案の運用のために、中央あるいはその出先にあまりに大きな行政機構を設けるべきではないと私は考えております。むしろ、コンサルタントあるいは経営指導員等、現地で部落農林家とじっくりひざ突き合わせて相談に乗り、現地の条件に最も適切な方法を考えてやれるような、高い資質を持った現地職員を充実することが肝要だと考えているわけであります。  その第三点、入り会い林野等は、古くから部落農林家が集団として管理、利用してきている伝統があります。その上に、林野の多くは団地を形成しております。こういう点から見まして、これをいたずらに細分化することなく、集団として生産経営の高度化がはかれるよう指導していく必要があるということであります。そのためには、森林法の生産森林組合の制度は積極的に活用されるべきであると思います。ただし、この場合も、形式的に生産森林組合の制度を適用するのではなく、集団の大きさや集落とか団地の配置、また土地利用計画、経営計画などについて、構成農林家が自発的、積極的に生産意思を発揮できるよう指導、助言されていかなければならないわけであります。もしさもないと、林野は法形式だけが組合法人に変更されるだけで、中身は旧態依然たるものになってしまうということは、多くの前例が証明しているところであります。この点でも、この種林野の近代化のためには、まずもって農林家の自発的生産担当者としての意思が、最も重要な要素であるということが知られるわけであります。  この農林家の生産担当者意識という点に関しまして、ここで一言つけ加えておきます。将来整備された入り会い林野ができてまいりますと、それらの林野には当然補助とか融資とかもろもろの産業助成が行なわれなければならないし、また当然行なわれると思いますが、特に山村では現金収入に恵まれない農林家が多いことでありますから、公団や公社などによる分収造林という形式が広く取り入れられるであろうということも推察にかたくないわけであります。ところで、この分収造林も、その取り扱いいかんによっては、必ずしも権利者農林家の生産者的意識を抹殺するようなものでもないわけであります。というのは、権利者農林家たちがこの分収造林に労働参加していくという形がうまく指導されていくならば、農林家は賃金を得ながら、公団等の技術的指揮のもとに、自分たちの山に自分たちで造林していくという形が形成されまして、農林家の生産担当者意識というものは十分保持していくことができるであろうと私は考えております。  留意すべき第四点でございますが、法案第六条第二項第三号には、入り会い林野整備計画について知事の行なう適否認定基準が規定されておりますが、その一つとして、一部の者に対し権利の集中その他の不当な利益をもたらす場合を不適因子として規定しているわけであります。これはきわめて適切な規定であると思います。ところが、第二十二条の旧慣使用林野整備計画に対する知事の認可基準にはこの規定がありません。私は法律学的にはよくわからないわけでありますが、旧慣使用林野の利用実態などを見てまいりますと、入り会い林野のそれとまずほとんど変わりがないように思うのであります。したがって、第二十二条にも前記のような制限規定を設けるべきであると考えているわけであります。少なくとも運用にあたってこの点が保証されるような措置は必要だと思います。なお、関連して、旧慣使用林野整備計画につきまして、市町村長が旧慣使用権者に対して行なう第二十条の意見を聞くこと及び第二十一条の同意を得ること、この二件については、特に十分にかつ慎重に行なわれなければならないものと理解しております。  指摘すべき第五点でございますが、現在の町村有林野は、町村民資格者全員にその権利享受が及ぶまでに上昇しておりまするところの町村直轄直営林の部分と、旧来の部落民に旧慣に基づいて使用収益権が限定され、その権利の管理がゆだねられている旧慣使用林野の部分とに、大きく二つに分けられるわけでありますが、私は、林業政策のような産業行政は、この両者にひとしく均てんしていくように作用することが、健全なる農山村をつくると同時に、健全なる農林家を育成する、そういうゆえんになると信じております。従来長い間そのバランスがどうしても直営林に傾いていたということは、先ほど来申してきたところであります。本法案は、そのバランスを平衡させようとする企図と機能を持つものであるということは、きわめて重要なことでありますが、同時に、それはそのバランスを平衡させようとする以上に出てならないものではなかろうかと思うのであります。法案はこの点について十分考慮されているように思いますが、なお、実際にかかる法制度は運用がきわめて重要でありますが、法の運用と現地での指導助言にあたっても、十分その点留意しなければならないと考えるものであります。  私の本法案に対する意見は、以上のように、本法案が実際に現実に山村農林家の経営改善に貢献できるようになりますことを、その運用を通じて実現していただきたいということを希望して、陳述を終わりたいと思います。(拍手)

中川俊思自由民主党

○中川委員長 ありがとうございました。  この際、倉沢参考人に対する質疑があれば、これを許可いたします。

林百郎日本共産党

○林委員 お時間もないようで、貴重な時間ですから……。この法案の目的に、御承知のとおり、最初の一条に、あなたのお説にあったように、権利関係の近代化と、それから農林業経営の健全な発展という、二つの主要な目的があるわけですね。この権利関係の近代化というのは、権利を細分化し、私権化する、近代的な個人的の権利関係に移す、この法案から見ると、そういうふうに見えるのですね。そういうことと、そうしなければ、農林業経営の健全な発展というものはあり得ないのかどうか。現に資本主義の法則を見ても、もう原始的な個人の自由な取引から、御承知のように、私が言うまでもなく、近ごろではカルテルだとかコンツェルンだとか、そういうものが出てきておりますね。しかもケインズなどに言わせれば、国家が資本主義の自由経済を支配するような状態になっている。さらに社会主義の体系ではこれは全然違うけれども、それが何で長い間農民が築いてきた入り会い権というものをここで細分化し、個人に移すのか。むしろ、権利関係からいえば、決して近代化じゃないと思うのです。しかもそのことは、理論的にはできるにしても、あなたは膨大な機構をこのために設けてはいかぬと言いますけれども、実際問題として、遺産関係だとか部落から出ている者、そういうものの権利関係を確定して、しかも入り会いには、御承知のとおりいろいろの形態があるわけですね。たとえば富士のすそ野なんかに行きますと、庭石を取るために入り会いがある。まぐさ入り会いだとか、あるいは総有的な入り会いの中に部落全体が入るのと、それから木曽なんかでは立ち入りなどある程度特定したようなものもあります。そういう権利関係を確定して、それに対する近代的な法律的な対価を与えて、しかも所有権の場合には、それを測量して、そうして登記までするというのでしょう。そういうことが一体近代化なのか。また膨大な機構がなくてできるのか。しかも全員の承諾だというのでしょう。それで、一方では農林業経営の健全な発展をはかるということが、両立し得るものかどうか。法律の中で理念的には考えても、実際問題としてあり得るかどうか。それからあなたが指摘されました、旧慣でないほうの入り会い林野の制度の中で、集中化をさしてはいかぬと言いますけれども、集中化をさしていけないといったって、これは政府の統計から見ましても、一人当たりの権利者の面積は、もう一入り会い事業体が二百町歩以下のものに対しては、ほとんど一町歩の権利もないわけですよ。ほとんど〇・二二町歩だとか、〇・〇一町歩とか、〇・〇六町歩、こういうものを細分化したままで、しかも集中化しちゃいかぬ、これで林業の近代的な経営に移行するということができるかどうか、私は非常な疑問を持っているのです。むしろ、長い間農民が築いてきた権利関係をどうして援助してやって、そういう中から近代的な林業を発展させるかという方向が考えられないものかどうか、そういう点について、ひとつ御意見を聞かしていただきたいと思います。それで、御承知のとおり、入り会いというのは、この法律で適用される部分については、全部消滅させちゃうというのです。入り会いというのは、御承知のとおり、非常に長い間生産農民が築いてきた歴史的な権利関係ですから、これを細分化してしまうのが、ほんとうに入り会い権者の権利を守りながら、林業の発展をはかる道なのか、あるいは長い間築いてきた歴史的な経過を尊重しながら、林業の発展ということが考えられるのか、こういうことなんです。

倉沢博東京大学教授

○倉沢参考人 御質問は、二つの点に分かれておりますが、両点とも実は関連して、しかも非常に重要な点だと思います。  第一点の、現在の入り会い林野の実情の中で、はたしてこういう近代化ということの実現が可能なりやいなやという御質問と承っておりますが、先ほど私の陳述の中にありましたように、私は、入り会い林野のもろもろの秩序は、実は天然産物を採取するという、非常に伝統的な経済の秩序で組み立てられてきておる。そして、土地を積極的に培養していくという経済の秩序とは、入り会い秩序そのものはそぐわなくなってきている。そこで、そういうような条件の生じている入り会い集団あるいは入り会い林野、つまり、入り会い農林家が当該林野を積極的に土地利用の高度化をはかろうというような条件が生じてきている入り会い林野については、かかる措置は有効であろうと思います。また必要でもあろうと思います。しかしながら、その部落農林家の条件が、依然として林野の天然物採取の必要に強く拘束されているような条件のもとでは、この制度は適用不可能であるし、また適用することが不適当であります。したがって、あらゆる入り会い林野がこの法案の対象にいますぐなり得るというふうに考えられないがために、私の陳述の中では、現地の実情に即応して運用さるべきであるということを申し上げたのであります。なおかつ、農林家の自発的意思、つまり、その林野を自分たちで栽培林地化していこうとする要求があらわれているところ、そういう自発的な意思が大事である、こういうふうに申し上げております。  第二に、せっかく集団的になっている権利の関係を何ゆえ個別的にばらばらにしてしまうか、そういうことは、現在の経済の中でかえって不利、混乱を招くではないかという御指摘ではなかろうかと思います。そういう点と、もう一つ、いまの入り会い権のままで行政対象にそのまま乗っからないかという御指摘があります。この点は、かなり法律専門にわたるので、私あまり的確には答えられませんが、少なくともここでこの法案が企図しているのは、私の理解によれば、受益する権利そのもの及びその林野に対する権利そのものは、個々の農林家経営が主体的にはっきりつかむことになろうかと思いますが、経営そのもの、あるいは林野を利用していく組織としてまで個々に分割されるということ、この法案はそこまで意図していると理解していないわけでございます。つまり、先ほども申し上げましたが、いままで団地として管理してきておる、それを集団で管理してきておる。これは、その集団は実は天然物採取という秩序で組み立てられた集団である。そこで、その土地を積極的に培養していくという集団組織に切りかえられないか。そのためには、先ほども申しました生産組合のような法人化が、形だけでなくて、実際の農林家が生産担当者意識をもって組織するならば、そこに可能性が認められる、こういうふうに私は理解しております。

林百郎日本共産党

○林委員 もう一問だけ。倉沢参考人のお話を聞きますと、天然物採取という入り会い形態から、近代的な林業経営を営む入り会い形態に発展させることが重要じゃないか、そういう意味で本法案が意義があるのだとおっしゃるのですけれども、しかし、それは何も権利関係をいわゆる近代化という名のもとに個人化さなくても、現在の入り会い関係で林業の政策を裏づければ、あなたの考えるようなことが可能ではないかと思うわけです。何で、そういう天然物採取的あるいは粗放的な状態に落とされている入り会いを、近代的林業化するために、非常に複雑な関係にある、しかも長い間歴史的な経過をもって築き上げられた入り会いを廃止して、個人的な権利関係に細分しなければそういうことができないかということですね。それは政策の面でできるのじゃないかということが一つ。  それからもう一つは、御承知のとおり、ことに旧慣の場合は、部落の財政的な基礎になっているわけですね。これは六割ぐらいが部落や市町村の財政的な基礎になっているわけです。これがいわゆる近代化のもとに私権化されて、それから営利的な経営に移った場合に、市町村、自治体が入り会いに依拠した財政的な基盤の喪失を何で補ったらいいのかということが問題の一つですね。  もう一つは、細分化はされるけれども、それは集約として大きなたががはめられるのだとおっしゃいますけれども、この法律でいう近代化というのは、個人権利関係に化すということですから、細分化された個人権利というのは、あなたの言うように何も山に行って木を植えるという意識を強めるだけでなくて、おれの権利だからおれが自由に処分できるのだ、借金の抵当になるのだ、借金が払えなければこれは取られてもやむを得ない、あるいはいい買い手があれば売るのだ、こういう権利意識だって出てくるわけですからね。あなたの言うような生産的な意識ばかり出てくるわけじゃないのだから、そういうことが、権利を個人化すことと、あなたの言う大きなワクをはめて集約的な組合的な方向で、これをとどめておくということができるかどうかという点ですね。この三点、どうも私は割り切れないのですけれども、お聞きしたいと思います。

倉沢博東京大学教授

○倉沢参考人 現地の個々の具体的な事例を念頭に置かないと、なかなか説明のできないような、たいへんむずかしい問題でございますが、いわゆる総有形態——多少法律のことばが出て申しわけありませんが、総有の形あるいは入り会い権という形のままでそれを生産権化していく、特に実際に具体的に土地に結びついた栽培の権利にしていきたい、そういうことができるではないかという御指摘が、まず第一点だと思います。先ほどもその点はあったわけですが、その点に関しましては、実はこの入り会い権というのが、慣行に基づいてできておる権利でありますために、その慣行が時代の推移とともに非常に種々雑多に変化していくわけです。その変化が、農林家のための生産経営というような方向に向くという保証も必ずしもないと思います。そこで、いつの間にか、慣行という名で放置されている中で、農林家の権利が消えていくとか、あるいは非常な不利な状態におちいるというようなことは、少なくとも避けなければならない。この権利関係をはっきりさせるということは、そういう意味はあろうかと思います。  それから、現在あるままの状態のところへ林業政策が機能すれば、それでいいではないかというわけでございますが、御存じのように、国家の行政というものは、対象の法律形態といいますか、対象が法律形態に乗らないものは、なかなか浸透しにくいという実情でございます。対象が個人なり法人なりあるいは公法人なり、はっきりした法形態を持っておりますと、行政というのは乗りやすいわけであります。ところが、従来のままということになりますと、残念ながら、入り会い集団の団体としての形態は、行政上きわめて捕捉しにくいという実情があろうかと思います。したがって、林業政策も、そういうような状態では、なかなかありのままの集団には浸透しにくいという現実だと思います。  それから第三点は、たとえ集団経営という形でもっていっても、個別的な意思によっては、どうしても細分化されるのではないかということなんでございますが、これは現今の社会ではある程度はやむを得ないと思います。それから、その集団の意思のうち、ごく少数の人の林野使用目的が、大ぜいの人の使用目的と食い違うというような場合も出てくると思います。そういう場合には、やはりその部分は細分化されることもあると思います。しかしながら、全体として、いまの林野全体が直ちに細分化されてこまかくなっていってしまうかということは、この法の実際の現地での指導によって防げると思います。ただ、全部を団地として、集団としてかかえ込んでいくということは、現今の経済情勢ではもはや不可能であろうかと思います。また適切でないと思います。というのは、同じ林野の中にも、果樹として使うような部分もありましょうし、造林する部分もありましょうし、なおかつ、草をとったり、炭を焼かなければならない部分もそれぞれ含まれておると思います。それらの利用区分によって、管理や管理の組織もおのずから区分されていかなければならない、そうなるだろうと思います。したがって、たとえば造林などのような非常に長い期間を要する生産ですと、これは大ぜいの人が集団でやっていこうということは、きわめて現実性のある投資でございます。  それから財政との関係でございますが、部落の道路の普請とか、あるいは場合によってはお祭り、神社の維持費というようなことになりますが、こういうものは、従来一見財政費的ではあるけれども、実は部落の人たちのかなり生活的なものが多いわけです。当然町村の財政に属すべきような内容のものも間々含まれていることも事実であります。したがって、この入り会い林野の収入が、その部落あるいはその町村の条件のいかんにかかわらず、一括全部個人的な収益になるというふうにこの法がそのまま規定しているかどうかという点は、私にはそういうふうには読めないのでございます。というのは、一応その収益はその農林家の収益ということで、集団収益にされた場合に、その収益処分はまたそこに協議があろうかと思います。この協議は、その部落の人が自分たちの生活を向上させるのに、団体としてその収入金を使ったほうがいいか、個別に分配したほうがいいかという問題だろうと思います。これもおそらく一律的に上からこうしなさいというように形式的にはいかなかろうと思います。しかし、長い時間をかけて、こういう町村あるいは国家の財政が当然負担すべきものは、徐々に本来の財政負担のほうに移って、当然農林家の収入にすべき部分は、この法律に基づいて形成される形から、徐々にそれの本来のところにいくのではないか、こういうふうに思います。

中川俊思自由民主党

○中川委員長 御質疑ございますか。

森田重次郎自由民主党

○森田委員 私も大体似たような質問でございますが、私は多少観点を変えて質問してみたいと思います。  これは入り会い林等に終止符を打つ法案だと私は考えるので、その意味では、非常に重大な法案だと実は考える。これは御承知のとおり、総有的な入り会い、すなわち、部落共同体としての経済上の基礎となる入り会い、これはいろいろな変遷を経て、日本でも藩政時代から今日まで継続してきている。たまたま法律的にはドイツなどにある総有的なもの、それと共通の姿で残されているということで、私は、社会的な価値から見て、非常に意味がある存在だと実は見ているわけです。  ところが、今度の法案は、これを個人的な権利に移すということが近代化だというような大体のたてまえをとって、みんなの合意の上でとはなっておりますけれども、この法に流れている立法の趣旨というものは、最後にはこういう意味の入り会いをなくしようというのが目的のように考えられる。それがはたして近代化といえるだろうかという疑問なんです。総有の姿のものは、日本のどこかに何カ所かあっていいのではないかということなんです。それを助長していったらいいじゃないか。能率があがらないというなら、能率をあげるような方向へ指導していけばいいじゃないかということが一つ。  同時に、総有の姿において、法律関係にももっと明確な立法ができないかということです。権利の関係が非常に不明確で、いまの近代生活に合わないような混乱を起こしている、だから、これを整理する必要があるというのが、大体立法された趣旨のように伺っているのであります。あなたの御意見のとおり、まま子扱いされて今日まできた。まま子扱いされて、今度大きく取り上げられたら、今度はそれを圧殺してしまうというようなことになるので、どうもまま子がいよいよ最後のとどめを刺されるような段階にきているように実は考えられるのです。これはどういうものか。やはりまま子はまま子扱いにしてきたんだから、今度は正当なる子供として取り扱って、近代的な権利関係もその発展の姿として立法して、保護育成していくことも近代化じゃないかという点が、実は私の疑いの一つなんですね。どうもその点からこれを見ると、ちょっと納得しにくいようにも感じて、一体そういう立法の傾向をとるということがいいか悪いかということ、それは総有の入り会い関係というものの価値判断の問題にかかってくると思いますので、この点を一ぺんお聞きしておきたい。  それからもう一つ。それは細分化に対してはいろいろただいまも御議論がございました。しかし、これを森林組合のようなものに持っていくと、やはり一つの集合体としてやっていけるのだからいいじゃないかというような御意見にも拝聴いたしたのでありますが、しかし、私は、根本性格として見ると、組合というものは、大体個人が集まったものなんです。総有的なものにならないと私は思うのです。だから、組合を開いて、すぐ分轄の決議をすると、すぐ分轄ができる。ところが、総有の関係だとそうはいかぬと思う。そう簡単にいかぬという考えを一つ持っているのです。そういう関係から、総有的なもののかわりに森林組合をつくったからといって、そういう本来の性格はそのまま持続できないようになりはしないかという点、これが一点です。  それからもう一つ。権利の姿として、ほとんどローマ法的な個人権利にするということが、近代化だというので、日本の今日の立法の体系は、大体それを中心に進んできていることは御存じのとおりであります。ただ、ここでおもしろいのが、いまの総有関係なんです。ある時点においての総有、その時点においての権利の主体と見らるる個人が集まって、そしてこの権利の処分をするということは、私から見ると、部落共同体というものが一つの生命体だということになると、これは、次に来るものそのものにも、やはり潜在的権能というものが私はあるもののように実は考えるのです。だから、その時点において全部個人に権利を分轄してしまうというようなことは、その潜在的権利者、権能者に対する権利を冒涜するものだという、妙な基本的な法律観を実は持っておるのですが、しかし、これは本案から見ると、ひどく遠い基本問題だ、こう実は考えますが、そういう点に対してどういう御見解をお持ちになるか、こういう点をひとつお伺いしたい。と申しますのは、もうこれで入り会い権というものがなくなるのだ、こういう段階にきておりますので、それでやはり最後の場面に達して、潜在的入り会い権者のために、これだけのことは記録にとどめておきたいという気持ちで私は質問しておるのです。どうぞお願いします。

倉沢博東京大学教授

○倉沢参考人 入り会い林野の総有的な関係を残してもいいものではないか、しかも、それを現在の日本の法律体系の中で認めていったらどうか、こういうことはできないかという御質問として受け取ったわけでございますが、実は典型的な総有であったところの入り会い林野も、明治以降の数十年の経済の発達、社会の変遷で、その一部は町村の公法人有という形に昇華しております。それからなおかつ入り会い林野という形で残された、この法案が対象とするようなものも、必ずしも昔からの総有を典型的に維持して、全部が維持しているというわけではなくて、次第にその内容は共有に近いような性質に移っているというように私は理解しておるわけです。ただし、私、法律そのものの専門家でありませんものですから、この点はいずれ戒能参考人のほうからも御説明あろうかと思いますが、そういうふうに上と下に二つ分かれて動きつつあるので、総有というのはなかなかもうあまりないのです。そういう状態に動いておるものを残すということが政策的にいいか悪いかということは、そういう現実に両方に分裂してきた、また現在もしていくわけですが、そういうものを認めるかどうかということになろうかと思います。  それから総有権、総有団体を法体系の中で認められないかどうかということは、これは法律の専門家でないとお答えできないので、私、実はお答えできないのです。具体的にできるかできないかということになりますと……。お答えできる範囲は、以上述べたように、林野の利用の形が変わってくる中で、総有というものは、典型的な形ではもうすでにだいぶなくなってきておるということ、したがって、本法案を適用する場合にも、典型に近い総有の場合の林野に対しては、この法案はおそらく適用できまいと思います。現地の部落民もこれを拒否するだろうと思います。また当然それは拒否していい段階であろうと思うのです。したがって、先ほど私が申し上げましたように、この法案が一律に入り会い林野をなくしてしまう、その事情、経済的、社会的な推移あるいは段階のいかんにかかわらず、どしどしとなくしていく、いわゆる促進法という形で部落農民に迫るとすれば、かなり問題があろうということは考えております。

中川俊思自由民主党

○中川委員長 倉沢参考人には貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  次に、戒能参考人にお願いいたします。戒能参考人。

戒能通孝弁護士

○戒能参考人 忘れないうちに、森田先生の御意見について、私申し上げたいと思います。  森田先生の御意見は、私が岩手県の小繋という部落でぜひやってみようと思って努力しておることでございます。小繋に、裸山といって、百町歩くらいの部落民の使えるところがあります。昔からその裸山に行きまして、本来雑木林でございまして、そこに行って草木を採取しておったのでございますが、そこに木を植えるという仕事をほんとうに総有的な形態で部落全員の力でやってみることに努力してみたいと思いまして、私、この十年間自分なりの努力はしたつもりでありますが、まだ完成はいたしておりません。これはお金がないこと、労働力がないこと、いろいろ不利益な条件が重なってそうなっておるのでありますが、私は先生のおっしゃるような方向の入り会いの開発というものを実はやってみたいと非常に心がけておるわけでございます。だから、先生がおっしゃったこと、私、いま伺いまして、非常に励まされた気持ちがするわけです。  入り会いの問題というのは、御存じのとおり、いろんな形態がございます。都市近郊の入り会いでございますと、実は入り会いではなくなってしまっておる。完全な宅地化しておる。しかし、それにもかかわらず、入り会い権があるというふうなことを言っておる場合もございます。  一、二の例を申しますと、神戸市内におきまして、現在宅地化しておるところが、これが入り会い団体の所有地になっておる。名目的な所有地になっておる。そうして宅地として貸した貸し賃の値段とか、あるいは借り手の問題とかで、中でけんかしておるところもございます。これは入り会い権という概念の乱用だと思っておりますが、とにかく入り会い権の中には、現在完全に宅地になっておって、入り会いとは縁もゆかりもないものも実際にあるわけです。それから入り会い権という名目で、あるいはぼつぼつ木が植わっているところもございます。あまりたくさんではございませんけれどもございます。それからまた、何らかの紛争があって、入り会い権という概念を使っておるところもございます。  いろいろ多様でございますが、入り会い権の一番基本的な形態は、何といっても天然物の採取であろう。村の人たちが、自分に必要な建築用材あるいはたきぎ、まぐさというふうなものを採取するというのが、入り会いの一番基本的な形態であろうかと私は思うわけでございます。したがってまた、そうした入り会い権というのがあまり生産的でないということは確実な事実でございまして、農家収入から申しますと、あまり多くないということは間違いない事実だと思います。そしてこの数年間、山に入って草を刈る、あるいは木を切る、たきぎを切るということが、外から見ますと、一見してだんだん不要になっているという事実もございます。一つは、耕うん機の導入でございます。昔でございますと、牛馬を使って、牛馬に草を食べさして、そしてその堆肥を利用するということをやっておりましたけれども、現在では耕うん機がずいぶん山の奥まで入っております。その結果として、草があまり要らなくなってきたという事実があるようでございます。耕作用の牛馬がなくなって草が要らなくなったという事実があるようでございます。しかし、草がなくなるということ、堆肥を使わないということは、農業の専門家ではございませんけれども、どうも地力をだんだん弱めてくるという形になってくるわけでございます。本来から申しますと、堆肥はどうしても農業に必要であろうと思うわけでございます。  そこで、従来草を刈るものとして使っていた土地は、何とかして牧場にしなければならない。集団放牧というものをやらなければならない。できるだけ大規模な集団酪農その他をやらなければいけない。肉牛を飼ったり、あるいは乳牛を飼ったりする道をつくらなければならない。従来の雑草地を牧草地にかえまして、その牧草地をできるだけ高度に利用するという方法を考えませんと、単に農家経済が貧困であるというだけではなくして、日本の産業、日本の農業全体がだんだん凋落する可能性を持つのではないだろうか。肥料だけでは維持できない。地力の維持というものにつきましても、草の問題というものをどうしても考えなければならない、こう思うのでございます。したがって、入り会い地、その他国有地も含みますけれども、土地がありましたら、その土地をできるだけ利用して草をつくるために、お金を出す方法も考えなければならないと思うのです。  第二に、入り会い地が一見不要な形に見えるようになりましたのも、薪炭がこの数年間急激に使われなくなったという事実によるように思うのでございます。木炭につきましては、特に炭鉱労働者の場合よりも、ある意味におきまして激しい失業が起こっているわけでございます。炭鉱労働者も、かつては二十数万人いた人々が、いまでは七万人くらいしかいない。そして将来はさらに半分になってしまうという状態になっております。木炭の炭焼きのほうの人たちが何人いたか、私は正確には存じません。しかし、おそらく炭鉱労働者に比べまして、そんなに数の点から申しまして少なくはなかったであろうと思うのでございます。十数力から二十万いたであろうと思うのでございますが、その炭焼きの労働者というものは、現在ではほとんどゼロに近づきつつあるわけでございます。その意味におきまして、薪炭用材というものの需要が減っております。なくなってしまっております。薪炭用材は、御存じのとおり、天然のものでございませんとほとんど採算がとれません。自分で木を植えて、そして薪炭にしたのではほとんど採算がとれませんので、天然用材も、木炭の使用が減るという事実に基づいて、またなくなってしまっているわけでございます。一応要らないような形をとっているわけでございます。ですからして、炭焼き労働者というものに対する職場を提供するという意味におきましても、造林というのはこの際どうしても必要ではないか。造林の経費を出すということは、この際非常に必要ではないかと思うのでございます。  この入り会い林野の近代化法案というものが、単に土地所有権を近代化するだけのものでございましたら、私は賛成できませんけれども、この近代化法案というものが一つの基準になって、国がほんとうに炭焼き労働者に対して職場を提供する、あるいは草地をつくることのためにあるものであるならば、これはそれなりに賛成してもいいと思うのでございます。もちろん、基本的に申しまして、その土地の使用関係、所有関係をどうするかという問題はなおございます。そうして現行の森林法をそのままにしておいていいのかどうか、それとも入り会い地を引き受けた森林組合に関して特殊な法規をつくるのがいいかは、また別の問題があると思うわけでございます。現在の法律体系をそのまま是認した上で賛成という人はございませんし、私自身がやっていることはそうではないつもりでございます。私としては、入り会い地というものが入り会い集団のままで何らかの発展を遂げることが一番よいし、そしてこれはとてもつらいと思いますけれども、不可能ではないという確信は持っているわけでございますけれども、しかし、ともかく現行法制の中から申しまして、この近代化法案というものが、単に土地所有関係を近代化するだけでなくて、本来の目的が造林あるいはまた牧草地の造成にあるという立場に立った場合には、私としてはこれに賛成してみてもいいのでございます。  法案の説明によりますと、入り会い地が荒廃している理由は、入り会い地に木があまりはえない、経済的に利用されていない、しかも旧慣的な使用権がある、それがため、入り会い地に木がはえなかったり、牧草がはえておらないというふうに書かれているわけでございますけれども、事実と非常に違うと思うのでございます。入り会い地の利用されなかった一番大きな理由というのは、入り会い地に対して何らの資金援助がなかった。農山村の人々が明治以来ずっと地租を負担いたしまして、そうしてとられるだけとられてしまって、政府のほうからはお返しがなかった。そうして入り会い地に木を植えろといっても、結局無償で植えるということにすぎなかったわけでございます。無償で働くということにすぎなかったわけでございますから、木が植わらなかったのは最も自然であったというふうに考える以外にないと思うのでございます。要するに、入り会い地が荒廃しているという一番大きな理由は、これは入り会い地に関する慣行が複雑であるからではございませんので、むしろ造林資金がどこからも来なかった、牧草地でも資金がどこからも来なかったという事実、政府が見捨てたという事実に基づくものであろうと思うのであります。だから、政府がその入り会い地というものを見捨てないで、ほんとうに入り会い地の利用促進というものを支持するだけの裏づけを提供し、同時に、農民に入り会い地が利用に値するという施策を施すような努力をしていったならば、私は、入り会い地はいまのように荒れる必要はなかったのだろうと思います。むしろ、自然生の草木をとって、そうして自給経済的な生活をするよりも、もっと高度な生活を農山村において、特に僻地の山村において営むことができるようになっていたのではないか。  都会では何か一見いたしまして、ぜいたくなものはずいぶんございますけれども、しかし、都会に暮らしまして、サラリーマンになって自分のうち一軒買うというのはほとんど不可能であります。しかし、僻地におきましては、僻地とはいわれておりますけれども、しかし、逆に、自分のうちを買うこともできましょうし、建てることもできしましょうし、自分なりの生活を高度につくっていくということもできるわけでございます。部会は、ある意味におきまして袋小路になっておりまして、それを突破する道がございません。農村の僻地は、逆にこれを突破する道があるわけでございますから、その突破する道を何らかの方法で開いていくように政府が努力していったら、これはよかったのであろう。もし入り会い権の近代化法案が、努力をするという前提に立つ法律でなくて、単に入り会い権をなくせばいいのだという、それだけの法律案でございましたら、これは無意味でございますし、ある意味におきまして、現在山奥の僻地に住んでいる、恵まれない人たちをますます恵まれなくするだけのものでございますから、これは無意味な法案になっていくだろうと思うのであります。だがしかし、これが入り会い地を使っている人たちの生活をできるだけ向上させるように政府も金のめんどうを見る、そうしてできるようにするということを前提とする法案ならば、これは賛成してもいい。どちらかというと、ここに国の森林政策の基本があるのじゃないかと思うのでございます。恵まれない人たちを恵まれる状態にしようという法律なのか、もっとひどい目にあわそうという法律なのか、そこのところに一番大きな問題があるわけだと思います。私は、あまり人さまの裏を読むことを好きでございませんので、ここに書いた説明だけを一応基準にいたしまして、恵まれない人たちを恵まれた状態に持っていこうとする法律案であるという立場において、これは一応賛成してもいいことでございます。  だが、それにいたしましても、十年前だったらできることで、現在ではできなくなっていることがずいぶんございます。たとえば、山に木を植える、造林資金を出すと申しましても、現在では人手がございません。僻地に行きますと、大体どの部落でもそうですか、小繋なんというのは、わずか五十戸足らずの部落でございまして、人口は通常の状態でございますと三百人足らずでございますけれども、そのうち百八十人が現在出かせぎに出ております。太平洋戦争時分の召集よりもはるかにたくさん出てしまっています。残っていますのは、おじいさんとおばあさんと、そして中学生以下の子供であるという状態でございまして、若者はほとんどいないそれからお金を出すと申しましても、出かせぎに出て現金収入はあると申しましても、決して楽ではございません。したがって、近所に道路工事か何かありまして、造林の仕事に出てもらう日当よりも、道路工事のほうが百円高いということになりますと、おじいさんたちでも実は百円高いほうに行ってしまいます。それだけ農家生活、特に僻地農家の生活が困窮しているわけでございますから、どうしたら造林の意思をその疲れ切った人々の間に喚起できるかということが、非常に重要なことだと思うのでございます。したがって、この法案の結果、入り会い地が近代化されるという形になって、そしてお金が出る、造林資金が援助できるということになっただけでは足りないので、農民をどうしたら組織化し、そして造林の意思を持たしていくことができるか、農民の間からどうしてそれを呼び出していくかという精神的作業が非常に重要でございます。この法律案の裏づけは、単に金だけではできないで、よほど誠実に努力するという——これは農林省の公務員に求めることが無理なことかもしれませんけれども、無理なことまでも実を申ましすと、求めなければならないということになるのじゃないかと思うのでございます。  と同時に、学校教育の面なんかにおきましても、子供たちに未来への展望をできるだけかき立てるような、そういう教育、努力と展望というふうなものをかき立てる、そういう教育が非常に必要でございます。この委員会で申し上げることはあまり適当でございませんけれども、いわゆるテスト教育なんかにいたしましても、点取り主義の教育なんかをやっていたのでは、やはり木は植わらないという事実がございます。農村生活をどうするかということにつきまして、よほどかたい、そして確実な意思を持っていなければ、僻地の開発というのはできないだろうと思うのでございます。  他方におきまして、僻地の開発に成功すれば、これは農家にとって非常に有利でございます。と同時に、おそらく日本政府、日本国の経済から申しましても、相当有利な面が出てくると思います。現在では年間五億ドルほど木材輸入が行なわれております。石油に次いでの第二位の品目になりつつあるわけでございます。五億ドルの木材輸入の外貨というのはどうして払うか、トランジスターラジオや雑貨品を売るだけではおそらく払い切れないだろうと思います。日本の林業をささえなければ、日本の農業もまたささえられないだろうということだけは事実であろうと思えるわけでございますので、本気になってこれに取り組むならば、それに取り組んだだけの効果はあるだろうと思っているわけでございます。  ところで、法案の内容でございますけれども、内容は一見いたしましたところ、まず入り会い権者が同意したら分割する、あるいは分割しないかもしれないけれども、記名共有形式に直して、それからでき得べくんば生産森林組合あるいは農事実行法人というふうなものに移すという考え方のようでございます。記名共有形式に直した場合には、実にやっかいな問題が起こります。分割してしまったらもちろんこれは譲渡される。二百町歩、三百町歩の山のうちの一部、かりに二町歩を譲渡されて、まん中にぽかんと穴があくということになりましたら、二百町歩の旧入り会い地の使用というのはおそらくだめになっていくだろうと思います。数人が譲渡するということによりまして、残りの数十人が全部売らなければならない。売ってどうするかといいますと、たいしたことはございません。何にもできないということになってしまって、入り会い地を現在以上に荒廃させるであろうと思います。それからまた、記名共有形式になりましても、共有持ち分というのは、逆に譲渡が可能でございますので、よそ者を共有者の中に入れてきて、実にやっかいな権利関係を起こしてくる。入り会いよりももっとやっかいな権利関係を起こしてくることは事実だと思うのでございます。  私の知っているのに、そうして困っている実例が数カ所ございます。たとえば福井県の美浜町新庄という部落では、六千町歩からの入り会い地がございます。部落は現在二百二十戸でございます。入り会い地全体が二百八戸の記名共有になっておりまして、十二戸だけは記名共有者でなくて、入り会い権を行使しているという状態でございます。ところが、記名共有者の一人が自分の持ち分を大阪の企業家に売ってしまいました。大阪の企業家が部落のすぐそばで珪石の鉱山を持っております。部落の人たちが森林開発公団と交渉して造林資金を出してもらおうといたしましても、この人は大阪の企業家ですから、造林には何の関心もございません。したがって、おれは判こをつかないと申します。判こをつかしたいと思ったら、部落のまん中に道路をつくらせろとか、農地の一部に道路をつくらせろというような過大な要求を出したわけであります。一人の過大な要求を聞いたら、ほかの人もわんわんいろいろな要求を出してきまして、もちろん造林計画が全部流れるという結果になってまいります。記名共有という状態で置いておきましても、土地の集約的利用というのは逆にできないわけでございます。そうなると、この法律案で書いてあるように個人有地あるいは共有地に直して、それから森林組合に移すという形態がいいのか、あらかじめ森林組合に移すという形態がいいのかという問題は、かなり大きな問題じゃないかと思えるわけでございます。  先ほど申し上げましたように、入り会い地にはずいぶんいろいろな形態がございます。宅地化しているようなところがございます。あるいは宅地化に準ずるようなところがございまして、入り会い地をやめればすぐ畑ができるようなところもございましょう。したがって、そういう場合には、分割あるいは記名共有形式になるのもいたし方なかろうと思いますけれども、純粋な入り会い地につきましては、のっけから記名共有や分割所有を通さないで森林組合有に移すことも考えられないであろうか。あるいはもう一歩進んで、森林法の森林組合に関する規定を再検討して、入り会い地が移った森林組合について特殊な規定を置くことができないであろうか。少なくとも部落の人たちが協力して、山に木を植えていけるという状態が継続できるような森林組合ができないであろうかと考えるのでございます。他面におきまして、その部落を去った場合は、森林組合員たる資格を自動的に失うような特殊な森林組合に関する規定が置けないだろうか。総有とまではいかなくとも、少なくとも合名的な森林組合というものを考えることができないであろうかということはいえるであろうと思うのでございます。しかし、現在の法律体系から申しますと、総有地に対しまして造林資金を貸そうとか、出してやろうという人はほとんどございません。森林開発公団や府県なんかにいたしましても、分収造林するような場合におきましては、相手方の同意を得まして、造林地の半分くらいについて地上権を設定する、地上権を設定するときに一々判こをとらなければならないのではたいへんだ、森林組合だったら森林組合だけの判こでいいという事実がございますので、森林組合形式、法人形式にして資金を入れることを容易にすることが望ましいのかもしれません。特に大規模の造林や牧草地をつくるという場合には、組合にすることが望ましいのかもしれません。法人にする以外にはどうにもならないのかもしれないと思うのでございますけれども、その法人そのものの内容について検討していただく道があれば、なお幸甚であると思うのでございます。  と同時に、この法律案によりまして、入り会い地の整理を十年以内に行なうというふうな計画が、一応林野庁から出た入り会い林野対策の概要に出ておりましたけれども、十年以内に行なうとかいう計画になりますと、非常に乱暴になってしまうというふうに感じないわけにはまいりません。入り会い地そのものの一つ一つについて検討するのではなくて、上から一つのひな形を提供して、そのひな形どおりにやってしまえという形になるおそれがないであろうか、この点は、私としても懸念いたしますし、先ほどの倉沢先生の御意見でも、その点は懸念しなくちゃいかぬというふうにおっしゃったのだろうと私は了解しているわけでございます。  のみならず、この入り会い権近代化法案と申しましても、この入り会い権とは何か、入り会い地とは何かという基礎になっている入り会い地の量が、私の印象では少な過ぎるという感じがいたします。たとえば岩手県でございますが、岩手県には百二十万町歩の山林原林があることになっていますが、そのうち八十一万町歩が民有地になっております。ところが、入り会い地はわずかに十二万五千町歩にすぎません。岩手県の山林原野官民所有区別手続を申し上げますと、これは村の山を全部村の有力者のものにしてしまったわけでございます。ですから、一カ村の中におきまして、第一位の山林所有者が五千町歩山を持っていて、第二位の山林所有者が三町歩だというような場合が往々にしてございます。一万町歩の次に五町歩というのはこっけいでございます。おそらくこの一万町歩というのは村山であったものに違いございません。その村山であったものの中に入り会い権があるのかないのか、実際は入り会い権がある以外にないところでございますが、この統計によりますと、入り会い権がない立場で見られているのじゃないかと思うのでございます。個人所有権を確認することに基づきまして、実際に入り会い権利者であった人々が、私有林野から追われるということになってもおかしなことになりはしないか。むしろ、入り会い権確認に関する手続あるいはまた資金援助ということのほうがこの際必要ではないかと思う面もございます。  私、小繋事件というのをやってみまして、入り会い訴訟というものは、自分の報酬は全然算入いたしませんでも、古文書や何かを写す経費がばく大になってまいります。それをさがしたり書き写したりする経費が、個人としてはちょっと負担し切れないほど大きくなってまいります。部落の非常に貧しい農民が古文書や部落内の記録や村役場に保存されている記録をさがして写すということになりますと、おそらく経費は出し切れないにきまっているように思うのでございます。弁護士さんはたまにはもの好きな人もいるかと思いますけれども、しかし、そう幾つもやれないということだけは事実でございまして、その経費がなければ入り会い権があるのに、実は入り会い権そのものをむざむざとつぶされていく実例が多いのではないかと思います。  また、山梨県の場合をとってみましても、山梨県下の林野、山林原野というのが、この統計によりますと、三十四万四千九百町歩となっておりますが、民有地が三十三万八千百町歩になっております。ところが、どういうのでございますか、明治十四年に地租改正事務局が出した報告によりますと、山梨県下に林野が約三十二万町歩、そのうち民有地になったのが二万四千町歩にすぎません。二万四千町歩から、いつの間に三十三万町歩になったのか。これは一たん官有地になったものを国が御料地にして、そうして御料地局がさらにそれを山梨県有地に払い下げたというところに基づいて、民有地がふえたに違いないのでありまして、売買によってふえたのではないだろうと思うのでございます。もとはと申しますと、これは国有地、官有地であったわけでございます。その官有地に対して入り会い権がわずか三万一千町歩しかないということは、これは県有林野の入り会い全部否認しているという前提に立っているのじゃないかと思うわけでございます。本来から申しますと、山梨県下の山林原野のほとんど全部が官有地化された。それで入り会い権がなくなってしまうのはおかしいのであります。大正四年の判決、官民有区分と同時に入り会い権がなくなったという判決は非常に誤っているということ、そのことは、山梨県の統計だけでも物語っているのだろうと思うのでございます。その統計が物語っているにかかわらず、大正四年の判決の趣旨をそのまま引用して、そしてわずか三万一千町歩だけ入り会い地にしてしまうというのはおかしいじゃないか。国自身も、入り会い権が残っているか残っていないかということを謙虚に考えて、入り会い権が残っているものならば、入り会い権があると認めていいのじゃなかろうか。そしてその入り会い権のある土地について、農民の将来、農民の未来をどう考えていくかということをまじめに検討してもいいのじゃないかと思うのであります。  要するに、入り会い権の整備というものが、単に農民の入り会い地を取り上げて、入り会い権をなくしてしまうという形ではなくて、むしろ農民を信頼し、その信頼に応ずるような農民になってもらうという努力を積み重ねていかなくてはならないのじゃないか。それにはお金も必要でございますが、何よりも人間を信頼することが大事でございます。だから、いまの造林資金の貸し方を改めまして、無担保で、分収造林という契約がなくても、将来できたら分収すればいいという条件で、思い切って造林資金を出してみる、そういう政策ができてくれば、実を申しますと、森田先生のおっしゃったような方式が可能でございます。私、そういう有利な造林資金を手に入れる道がないものでございますから、小繋におきましても、農民諸君に実際無償で植えてもらっているわけであります。苗木代ぐらい多少私くめんいたしましたけれども、それを無償で植えてもらっているわけでございます。農民諸君が無償で植えてくれておりますと、学生諸君、東京では早稲田大、都立大、日大その他の学生諸君も、それを見て非常に感激してくれまして、そして現地に行きまして、農作業の手伝いをしてくれました。岩手大学の農学部の学生諸君も、それに非常に感動してくれまして、そして、おれたちもくわをかついで山に木を植えに行くという形になっております。これらの人たちは、自分が木を植えたのだから将来その木をくれということは絶対にないと思いますが、要するに、ほんとうに自分の意思で木を植えるという条件をどうしたらつくれるかということが大事なのではないかと思うわけでございます。  また、法案の中で、入り会い権と旧慣使用権と分けて、旧慣使用権のほうが何か軽く扱われている。特に二十条には意見を聴取すると書いてあるが、意見を聴取するとは、ただ意見を聞けばいいという形になっても困るのでありまして、入り会い権をどうするかということは、これはおそらくお金を渡せばいいというような農林行政とは違った問題が出てきまして、ある意味におきまして、その仕事に従事する人が、自分が全人格的に作業しなくてはならないということになるかと思うのでございますけれども、そのむずかしさを覚悟するという趣旨で、入り会い権の整備——整理ではなくて、整備ということが行なわれて、その次の仕事が開かれていくという趣旨であるならば、この法案に賛成したいと思うわけでございます。  失礼いたしました。(拍手)

中川俊思自由民主党

○中川委員長 次に、大久保参考人にお願いいたします。

大久保毅一全国町村会経済農林部長

○大久保参考人 ただいま御指名を受けました大久保でございます。  入り会い林野の権利の整備の問題は、市町村の行財政に相当重大な影響もございますので、われわれといたしましては、昨年から現地の町村長さん方に集まっていただいて、さらに学識経験者もまじえて研究してまいったのでございますが、今日まで入り会い地につきまして紛争が生じておるとか、あるいは入り会いについて特に重大な関心を持っております市町村から、どういう具体的な意見が出ておるかという点を、最初に御報告申し上げてみたいと思います。  第一点は、入り会い地について、従来の利用目的が、経営的にも労働の面からもほとんどなくなってきたので、畜産農家でありますとか山つき農家の育成にぜひとも役立つ方向に持っていきたい、いずれもこういう熱意を持っておることは事実でございます。   〔委員長退席、大石(武)委員長代理着席〕  第二点といたしましては、入り会い地の問題は、登記面では代表者名義とか、町村名義とか、組合名義等になっておりますが、実質的には、部落共有の性格を持つものが非常に多い。したがって、旧慣使用権と民法上の入り会い権との区分が、実際には明確にしがたい場合があります。また、入り会い権の名義人の切りかえは、理論的には可能でありましても、実際には長年にわたって登記の手入れが行なわれていない。そのために、あるいは転出であるとか相続等に基づくその処理が、今日ではきわめて困難となっておる。さらに、入り会い権者の完全な意見の一致を見ることもきわめてむずかしい状態に立ち至っておる。  第三点としては、町村では入り会い権をめぐる紛争が相当ございまして、中には、十年から二十年の長きにわたり訴訟を続けておるものもあります。それで、あまりに個人的な主張であるとか、非社会的な主張が強く出ておる場合もありますし、さらに、ことさらに政争の具に供されるような場合もございます。こういったような問題を現場でどう調整すればよいのか、こういうことに困っております。  第四点としては、入り会い地の図面と現地との不一致のものが非常に多い。したがって、測量であるとか、境界の確認とか、分筆とか合筆、こういったような事務的な処理のための経費が相当多くかかる、こういうことを言っております。  第五点としては、入り会い地について、慣行優先ということで、市町村側としては全く手の出せない場合が多い。カヤ刈り場等については、むしろ町村有にしたほうがよいではないか、こういう意見も出ております。  第六点は、個人分割すれば、必ず特定の者に集中される傾向になるであろう。その対策を市町村としてはやはり考えておく必要がある。  第七点は、入り会い権の整理、事務の簡素化とか、税制上の措置、諸経費の負担等について、国のほうで十分考えていただきたい。  それから次に、われわれの研究会の場で学識経験者の方から出ました御意見を御報告いたします。  第一点は、全国的に都市化、工業化あるいは地域開発等が進んでまいりますと、山林原野は単に農村経営だけのものでなくなりつつあるのではなかろうか。そこで、土地問題についての国の基本的な計画をまず樹立すべきではないか。特に都市近郊地帯においては、土地政策的な見地から、地方公共団体の開発計画の対象となっておるような地域は、この認可の対象からはずす措置が必要ではないだろうか。  第二点は、近代化の方向は単に個人化だけでなくして、社会化することもあり得る。したがって、団体の直轄利用、契約利用等も考えるべきではないか。  第三点は、入り会い地は関係者の個人的用途と公共的用途をあわせて持ってきたものであります。したがって、公共的用途はこの際すべて税金でまかなっていいんだと、こう割り切ってしまうことは適切ではないだろう。公共的用途に対しては、その充当部分は私権化から保留をするということが必要で、私権化の限界と公共的利用の基準を明らかにする必要がある。  第四点は、入り会い地の整備にあたって、実際には地域共同体やボス的な支配の強制が働くこことが予測される。権利の近代化や活用の目的が、そういった外部からの力によって本来の目的が達せられないおそれもあるので、その測定が必要であろう。  第五点は、入り会い権の個人分轄化への方向は、西日本においては適応ができても、東北などでは直ちにこれに乗れないのではないか。乗れない事情のある地域に対して、無理に乗せるというような態度は絶対慎むべきである。  第六点は、権利の近代化と林野経済の近代化とは必ず一致して行なわれなければならない。その面で農林省あるいは自治省では十分な計画と資金を準備すべきである。  第七点は、民法の均分相続の適用について十分検討する必要がある。  第八点は、入り会い権の近代化については、学識経験者を中心とする第三者による地方並びに中央の審議会を設置すべきで、また入り会い地の活用については、専任の普及員を設置して指導する必要があろう。  以上のような意見を中心といたしまして、町村会のほうでは考え方をまとめております。ただいま出ました意見は、法案を作成する過程でも林野当局には十分お願いをしておりますが、結論的に全国町村会としては、二つの条件を要望して、この法律案に賛成する態度をとっております。  要望の第一点は、地方、中央にコンサルタントを設置していただきたい。その理由は、入り会い権の整備をめぐって町村長の地位に微妙な影響を与える場合が予想されます。また、数カ町村にわたる入り会いの場合もあります。したがって、現地で紛争が生じたような場合には、都道府県のコンサルタントが公正な判定、指導を行なうことが必要であろう。それからさらに地方だけにまかしておきますと、地方的な偏向を生ずるおそれもあります。また、問題によっては相当むずかしくて処理のできないものもありますので、中央にコンサルタントを設置して、全体の調整をはかっていただきたい。  要望の第二点は、この法律が制定されましても、それほど多くの入り会い地が直ちに一挙に解決するとは考えられません。したがって、入り会い権の近代化をめぐって現地ではいろいろ今後問題が出てくることと思います。そうした事態に対処するためには、必要とあれば勇敢にこの法律案の改正も考えていただく、そういった弾力的な態度で進んでいただきたい、こういうことでございます。  以上で一応公式的な見解を終わりまして、私の個人としての意見を五つばかり申し述べさせていただきたいと思います。  第一点は、この法律は、入り会い問題を一挙に解決するというものではなくして、農林省的な立場における行政技術的な限界内での措置である、こういうふうに私は理解をしております。その立場で、この法案に対して賛意を表するものであります。  第二点は、学識経験者の意見にもございましたように、入り会い地の高度利用を実現するためには、農業、林業面での国の補助とか融資、事業実施基準等について、さらに一段と強力な施策を十分に講じていく必要があると思います。  第三点は、林業の協業ということがいわれておりますけれども、林業の場合には、農業以上に協業の経営体のあり方が非常にむずかしいものがあります。したがって、林業における協業育成のための林業法人のあり方、それに対する融資、税制上の問題、こういうことにつきまして、もっと林野当局で突っ込んだ対策を考えていただきたいと思います。  第四点は、この法律によって資源の開発と住民の所得向上を期待するのでありますが、そのためには、まず国土全体の土地利用計画の策定が必要な段階に来ておると考えるのであります。さらに、林野の交換分合を積極的に推進して、林地、草地、農地等の適正な配分と配置を、国の企画に基づいて実現するようにつとめていただきたいと思います。  第五点は、入り会い地の整備に関連して、公有林野のあり方について明確な制度を必要とするのではないだろうか。その理由の第一としては、公有林野の位置づけを明らかにして、公有林野の高度利用に対する国の財政的な援助あるいは技術的な指導を強化することによって、国有林野、公有林野、私有林と三者の総合的な生産対策を樹立するとともに、有機的な運用を考えるべきであります。一例を申し上げますと、現在国有林野の開放問題が起こっておりまして、これに対しては国有林野の労働組合あたりが相当強い関心を示しておられるようでございますが、むしろ私にいわせるならば、国有林野の偏在地域、軒先国有林というような地帯においては、ある程度の開放は必要であろうと考えます。その考えは、スイスでやっておりますように、国全体の林野を審査いたしまして、利用度の低いものについては、国有林野が持っております管理機関を動員いたしまして、無償で国が植林等を行なってやる、こういうような考え方に立つならば、国有林野を開放いたしましても、国有林の中に持っております有力な技術、能力というものが林野全体に生かされて、高度な生産体制が確立できるのではないだろうか。そういった国有林は国有林、公有林は公有林、私有林は私有林、こういう形でそれぞれ立てこもったような形での林野行政というものは、もう一回ここで検討を要するのではないか、こういうふうに考えます。  第二点としては、入り会い林野の私権的な色彩の強いものは、この法律によって漸次私権化の方向をたどっていくと思います。しかしながら、同時に、地域社会の共通的な財産を一方で確立することによって、山村地帯の特殊な社会的、経済的な環境の中で、健全な地域社会を建設していく別途の方向が必要ではないだろうか。特に、最近私権化の傾向が末端まで浸透してまいっておりますけれども、地域社会であるとか地方自治の根底には、住民の連帯感、共通感、共同感、こういうものがあるべきであります。この点、ヨーロッパ等におきましては、こうした公有林野の確保について強い態度を示しておるといわれるのでありますが、こういう意味で、公有林野のあり方をあらためて検討した上で、その制度化を早急に考えていただきたいと思います。  なお、この機会に、現地で入り会い林野の整備の実例が一、二ございますので、御参考までに御報告をいたしたいと思います。  一つは、熊本県の小国町でございます。ここは、この法律がまだ考えられない以前、昭和三十三年の四月に、町有牧野を個人払い下げすることを町議会で決議をいたしまして、七年間かかって三千八百九十二ヘクタールの分割を行なっております。この払い下げは、住民の入り会い権を確認をして、その既得権に基づいて十アール当たり千五百円、千四百円、千三百円の三段階に分けて、五カ年年賦で払い下げを行なっておりますが、農家の中には、買い受け不能あるいは不要のものがございます。それについては、町がその倍額で買い取りを行なっておる。買い取りしたものについては、今後利用権は認めない措置をとっております。ただし、採草放牧地については、なるべく共同名義をとるように指導が行なわれております。  従来の公共的な経費面につきましての処置として、二つの対策がとられております。  第一は、払い下げ代金総額の一〇%は、測量等の事務費として町が取っておりますけれども、九〇%は部落に保有をさせまして、公共的用途に充当させる措置をとっております。第二点は、払い下げました牧野のほかに、千三百ヘクタールの町有林がございます。この町有林についての収益の四分の一は町が取っておりますが、四分の三を大字に配分をし、さらにそのうちの四分の三は地区に分配をする、こういう二つの方法で、公共的な経費をまかなうような処置がとられております。  それからここの特徴としては、払い下げを受けた者は、代金完納の上で自由に売買できることとし、価格も自由価格にしております。売却の場合にいろいろ制約を加えることは、かえって零細経営者の受けるべき収入を抑圧するという考え方に立っておるようでございます。  それから次は、林業構造改善事業に関連をして、この法案が出たならばやりたい、こういう計画でございます。それは鳥取県の三朝町でございます。ここでは六千三百ヘクタールの入り会い地のうち、二千三百ヘクタールを林業構造改善の事業として有償分割する計画をいま立てております。ここの考え方は、一人当たりとして部落に一ヘクタール、協業体に一ヘクタール、個人有として一ヘクタール、合計個人として三ヘクタールの権利を明らかにして分割をしようとするものであります。その地区の入り会い面積の多いところでは、この三ヘクタールが五ヘクタールになる場合もあります。特にここでは協業体の育成に重点を置いております。分割を受けたものが必要がなくなった場合、売りたい場合には、第三者への売却を禁じる措置を講じて、それは協業体等に返していく、こういうような考え方をとっておるようでございます。  以上申し上げましたように、この入り会い問題は、法案が成立した後におきましても、いろいろ問題が発生することが予想されますが、現場の市町村として、入り会い地の近代化による資源開発と住民の所得向上に対しては、強い関心を抱いております。今後いろいろ発生する問題であるとか、あるいは先ほど申し述べましたような要望点につきましては、当然国としては、この法案が成立すると同時に実施していただく、そういう前提に立っております。さらに、われわれといたしましては、法律が通りましたならば、全国でさっそくこの法律によって入り会い林野を処理しようという市町村長を集めまして、研修会も計画しております。市町村としては、部落なり協業体なり住民等の意見を十分にくんで処理をすることと思います。さらに、全国的な共通問題につきましては、全国町村会なり全国の森林組合連合会等、関係団体の間で研究をしながら解決をしてまいりたい、このように考えております。入り会い権の整備は、すでに昨年から発足しております林業構造改善事業の一環として実施するという方針に従いまして、現在林業構造改善事業の実施地域の約八割は、待機をしておる状態でございます。こういう意味で、この法案の成立を期待する次第でございます。  以上でございます。(拍手)

大石武一自由民主党

○大石(武)委員長代理 以上で戒能、大久保両参考人の陳述は終わりました。  これについて御質問があったならば、ひとつおっしゃってください。

林百郎日本共産党

○林委員 貴重な時間ですから、簡単に戒能先生に一つ……。  先ほど倉沢先生にお聞きしたのですけれども、どうしても私が問題としたいのは、権利関係を近代化すということで私権化していくということと、その次の問題と考えてみまして、これは目的は農林業経営の健全な発展とあるわけです。これは「業」でなくて、「経営」なんですから、これはいまの社会のもとでは、やはり利益を生み出していかなければならないし、借りた金には利息も払わなければなりませんし、経済的な能力のない者は、やむを得ず、好むと好まざるとにかかわらず、自分の権利を処分しなければならないということがあると思うわけです。ところが、農林業経営の健全な発展というと、町歩数にすれば、広ければ広いほどいいと思うのです。これは言うまでもなく、何十町歩というような経営規模があればあるほど、資本も投入できるし、機械化もできるし、合理化もできるわけです。そうしますと、権利者一人当たりの平均面積が少なくとも一ヘクタール——私たちの調査で見ますと、入り会い全体が五十ヘクタール以下の入り会いが、事業体でいけば九四・八%、圧倒的に五十ヘクタール以下だ。それから、その中で占める権利者が全権利者の八二%。そうすると、入り会いの規模全体も、近代的な農林業経営の健全な発展という観点から見ますと、保有面積が圧倒的に少ないし、そういう保有面積の少ない権利者がたくさんいるという形になっている。それで、一人平均しますと一ヘクタール以下だ。これが農林業経営の健全な発展ということになりますと、どうしても集約化していくし、その集約化の中で権利が個人化されていけば、やはり好むと好まざるとにかかわらず、権利を放棄していく、あるいは不十分ながらも、泣く泣く対価を得てこれを処分していくという形が出てきて、結局は入り会いの権利を失っていくということが考えられるじゃないかというように考えられる。このままでいくとですね。この私権化の次にどういう措置をとるかということが一つの問題になりますけれども、しかし、それはいまの社会機構の中で考えれば、しかもこの法案の一条の中の「農林業経営の健全な発展」ということになりますと、やはりそういうことになるのじゃないかというふうに思いますけれども、そうすると、結局、これは長い間の農民の入り会いの権利をなくすることに積極的な役割りを果たすことになるのではないかというように思うわけです。その点がどうかということが一つ。  それからついでですから、大久保さんにお聞きしたいのですけれども、私のほうの調査資料、これは国会の調査室での調査によりますと、収入のある事業体の収入の使途別のパーセントを見ますと、部落費と部落公共事業に使用するのが六一・九%、市町村の費用に支出するのが三・二%、合わせて六四%ですね。これは入り会いで収入のある事業体の収入の使途別を見ますと、圧倒的に地方自治体の財政的な補完をしているわけです。一部でしょうけれども……。理論的には、それは本来の国の資金系統へ繰り込むべきものであって、そういう形からはずすべきだとか、あるいは個人所得から税金として徴収すべきだということをいいますけれども、事実問題として、市町村の財政が、これは言うまでもなく窮迫の一方ですし、地方財政の援助が非常に不十分だということが問題になっておるときに、これを取り上げて、そして農林業経営という観点で、たとえば生産組合なり、あるいは施設組合に移すにしましても、これはやはり経営という観点が貫きますから、出たものはやはり金利になるとか、あるいは配当するとかという形で、いまの入り会いの山林収入が果たしている、地方自治体や部落への全般的な使途へ回すことは不可能になると思うのですよ。そういう場合、一体市町村としてはどう考えるのかという問題が一つ。  それから、先ほど実例をお聞かせ願ったわけですが、どこの府県ですか、ちょっと記憶は残っておりませんけれども、個人移転が自由になっておるという規定がある。こうなりますと、従来部落の中で長い間生活している人たちが、自分の権利として守ってきた入り会いというものが、近代化の名のもとに、大きな商業的、資本主義的な中に入ってしまって、部落外の人がどんどん入ってくる。その人たちは、その部落の長い間の歴史的な経過や農民が築いてきた権利関係と別の、全く利潤追求一本で、その権利関係が運用されていく。たとえば、私、木曽なんかで知っておるのですが、木曽は入り会いの多いところですけれども、共有関係の入り会いがあるわけですが、これは一方では農民のほうは分割したい、分割して何とか利用したい、しかし、その中に木曽バスの社長さんがほんの一筆の持ち分を持っておるわけですね。この人が分割を承認しないものですから、せっかく切り出して材木になっているのに、それを売って金にしてみんなに分配することができない。ところが、もう材木屋とは契約して前金までもらっておる。その材木屋さんのほうは、金を渡しているのに、くれなければ倍にして損害を補充してくれというようなことが出てきているわけです。そうすると、バス会社の社長なんかは、その一筆の土地なんか持とうと持つまいといいわけで、結局その人に頭を下げていって、木曽バスの社長に、あなたのおっしゃるとおりしますから、何とかこの木を売って金にするようにしてくれませんかと言うと、おまえの持分をおれによこせとか、おれの指定するように売れとかいう問題があって、ほんの一部分の権利をそういう大きな資本家の人が握っておるために、部落全体のまじめな農民がどうにもできなくなって、しかも金のかかる裁判ざたに巻き込まれて、費用やいろいろな面で負担し切れないような状態です。  もう一つは、これは農林業の健全な経営とありますけれども、そういう人たちが入ってきて、これは山梨で実例がありますけれども、ゴルフ場と……。

大石武一自由民主党

○大石(武)委員長代理 林さん、また質疑はあとで続けてもらって、安孫子参考人が見えましたから……。

林百郎日本共産党

○林委員 ゴルフ場とか別荘地帯に売ってしまって、もう農林業とかなんとかに全然関係ないところにいってしまう。しかも有力者が持ち分を持っていますと、結局その人の言うとおりにならざるを得ない。そういう形がありますので、そういう点についてどうお考えになっておるのか、お聞かせ願いたいと思います。

戒能通孝弁護士

○戒能参考人 林先生のおっしゃるとおりだと思っております。私、率直に申しまして、五ヘクタールとか十ヘクタールの入り会い地というものは、この対象にしてはならないと思っております。むしろ、これは大部分は割り山になっておると思いますが、自家労働で木を植えておると思いますし、植えられないとすれば、出かせぎが多くて、植えられなくなったと思います。そういうふうだから、農村は全体として何とかしていく以外にないのだろうと思います。私としては、入り会い地としてはほんとうに今後必要なのは、五百町歩とか千町歩とか、非常に大きな入り会い地ではないかと思います。そうして非常に大きな入り会い地があるのは、大体東北、信州、新潟というようなところじゃないかと思いますけれども、そういう土地は本気になって開発しなければ、東北の恵まれない山村の人たちは永久に恵まれないだろうと思っております。千町歩の入り会い地がある、それに本気になって植林する、国が森林開発公団法などの規定を改めて造林の規定を置くとか、あるいはまた山村振興法によって造林するという道を開きまして、新しくそこに植えていきますれば、五百町歩として、半分地元がもらっても、二百五十町歩が自分たちのものになって、カラマツを植えたりあるいは杉を植えたりいたしましても、将来の資産としては数億円になる。これは将来の資産ですから、すぐにはふえませんが、数億円になれば見返り財産になりますから、そこで大きな牧場計画を開くことができるのではないだろうか。いまさら畑をつくってもどうにもなりませんから、草地をつくるということを本気で考えることができるのではないだろうか。そのための問題であって、先ほど大久保さんのおっしゃったように、入り会い地のほうでも、関西のほうは小さ過ぎるというお話がございまして、その小さい入り会い地につきましては、むしろこの法律があまり適用されたくないわけであります。大きな入り会い地を将来どうするか、そうして造林と、それからおそらく動物による日銭の確保という道を考えなければ、僻地は何ともならないと思いますので、大きな計画をやっていく前提を考えていただきたいと思います。お話のとおり、一ヘクタールなんかになるようでございましたら、これは入り会い地のままにしておいて、分け地にしたほうがよっぽどいいというように感じております。

大久保毅一全国町村会経済農林部長

○大久保参考人 第一点の地方財政の影響でございますが、おっしゃるとおり、とりあえずは先ほどの熊本県の小国の例のように、売却代金を積み立てておきますとか、あるいは現在の町有林の収益を充当する、そういう形で培養することができるかと思いますけれども、今日の山村の町村財政を根本的に解決するには、もはや入り会い地等の収益ではもうどうにもし得ないような、どちらかというと、破滅的な条件が迫ってきておる、そういう観点に私は立ちます。したがって、もう入り会いの問題だけで突っかい棒としてみようということもきわめて困難じゃないか、こういう考え方です。  それから第二点の自由に売買できるようにしたら困るではないかということでございますが、これはその地区内の生産条件とか、地区内の住民の連帯感とか、それから住民の権利意識、こういうようなものがからまって今後の動きを決定するのではないか、小国町の場合には、個人に自由販売を許可いたしましても、あの地帯は御存じのように小国杉の名産地でございまして、非常に高く売れる杉です。どの屋敷のまわりにも全部杉を植えております。そういう地域でございますので、非常に地元の人たちが喜んで施業をやり、自分で管理しておるという状態でございます。

大石武一自由民主党

○大石(武)委員長代理 ただいま安孫子参考人が御出席になりましたので、その御意見をお聞きすることにいたします。安孫子参考人、お願いいたします。

安孫子藤吉山形県知事

○安孫子参考人 私は山形県知事でございますけれども、入り会い権の整理の問題につきましては、東北地方が相当多いのでございまして、今後の農業政策を推進するにつきましては、やはりこの問題が非常に重要だろう、こういうことを考えておったわけでございます。県といたしましては、昭和三十五年だと思いましたけれども、三十五年に、県でひとつ手をつけてみようか、こういうことで、県費の補助金、これは登記に対するところの補助三分の一でございます。それから測量その他の費用でございますが、これに対して三分の一の県費補助をする、こういうことで、苦干入り会いの整理についてやってみたことがございます。実際問題といたしましては、先ほど来お話がございまするように、ある程度の団地でございまして、利用形態が最近の事態に即応するような条件のあるところ、こういうことに相なるわけでございまして、大体これで二カ村、一千町歩くらいのものを実施いたしました。その結果は悪くないように報告を受けておるのでございます。  そこで、国といたしまして、今回長い間問題でございました入り会い林野の整備の問題につきまして、特別の立法をいたして、これを促進をしよう、こういう方針をとられましたことは、地方といたしましては、非常に歓迎をいたすところでございます。もちろん、この問題につきましては、いろいろ長い間の沿革のある問題でございまするので、問題が全然なきにしもあらずだと存じます。しかしながら、この法律は、基本的な権利関係を指導によって明確化することのほうが望ましい。それによって地方の山村の振興なりあるいは農林業の振興に寄与する、こういう観点からの措置でございまするので、この辺は一律にやるわけでもございませんし、また、こうした権利の性格から申しまして、地元の完全なる同意ということも必要でございますので、地方団体といたしましては、十分実情に即しまして、いろいろ予想されるであろうところの弊害、そういうようなものは極力除去する、またどうしてもそういう傾向にならざるを得ないであろう、こういうような地帯につきましては、見送りをするとか、やはりこの法律を適用することによりまして、地方の農山村の振興に寄与する、しかも入り会い林野であることによってそれが阻害されておる、こういう地帯について地方団体といたしましては、この法律を適用いたしましてやっていくことによって効果があるだろう、こういうふうに考えておるわけでございます。基本的にはそういう考え方でございまして、この法律の制定ということについては、私どもはぜひ歓迎をいたしたい。また、この法律を基礎といたしまして、地方の農山村の振興に役立つような指導を今後確立をしていきたい、こういう考え方をいたしております。  はなはだ概要でございますけれども、大体の考え方を申し述べまして、また御質問等がございましたらお答えをいたしたいと存じます。(拍手)

大石武一自由民主党

○大石(武)委員長代理 別にこれ以上質疑はないようでございますので、以上で参考人の方々の御意見の御開陳は終わります。  参考人の方に申し上げます。きょうは御多用のところ、わざわざ御出席を賜わりまして、貴重な御意見を拝聴いたしましたことは、まことに感謝にたえません。われわれは今後この法案の審議を進めてまいりますが、御意見を十分に参考にいたしまして、御期待に沿うようなりっぱな法案にまとめ上げたいと念願する次第でございます。  きょうはまことにありがとうございました。  暫時休憩いたします。    午後零時四十五分休憩      ————◇—————    午後二時五十六分開議

中川俊思自由民主党

○中川委員長 休憩前に引き続いて会議を開きます。  この際、法律案起草の件について議事を進めます。  まず、農業協同組合合併助成法の一部を改正する法律案起草の件について議事を進めます。  本件につきましては、先般来理事会におきまして御協議を願っていたのでありますが、その内容につきまして、便宜委員長から御説明申し上げます。     —————————————

中川俊思自由民主党

○中川委員長 農業協同組合合併助成法に基づく合併経営計画の提出期限は、昭和四十年十二月三十一日までと相なっておりますが、諸般の事情によって合併経営計画の提出のおくれた農業協同組合で、今後、合併によってその体制を強化しようとするものがなお相当数見込まれ、さらに適正かつ能率的な事業経営を行なうことができる農業協同組合を広般に育成して、農民の協同組織の健全な発展に資するため、農業協同組合の合併を促進する必要性はなお存続しているので、今後とも農業協同組合の合併を促進するため、農業協同組合合併助成法の規定の例により、昭和四十四年三月三十一日までに合併経営計画を都道府県知事に提出し、その計画が適当である旨の認定を受けることができることとするとともに、その認定を受けた農業協同組合については、従前の例により法人税及び登録税の特例措置を講ずるものでありまして、理事会の御協議により、お手元に配付いたしております案を起草した次第であります。  詳細な内容等につきましては、案文により御承知願いたいと存じます。  本起草案について別に御発言もないようでありますので、この際、本案について、衆議院規則第四十八条の二の規定により、内閣に対し、意見を述べる機会を与えます。仮谷農林政務次官。

仮谷忠男自由民主党農林政務次官

○仮谷政府委員 この法律案につきましては、ただいまの御趣旨によりましてもし議決いたされますといたしますならば、私ども趣旨に沿って、運営に遺憾なきを期してまいりたいという考え方を持っております。     —————————————

中川俊思自由民主党

○中川委員長 おはかりいたします。  お手元に配付いたしております農業協同組合合併助成法の一部を改正する法律案の草案を本委員会の成案と決定し、これを委員会提出の法律案といたしたいと存じますが、これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕

中川俊思自由民主党

○中川委員長 起立多数。よって、本案は委員会提出の法律案とすることに決定いたしました。      ————◇—————

中川俊思自由民主党

○中川委員長 次に、農林漁業金融公庫法の一部を改正する法律案起草の件について議事を進めます。  本件につきましても、先般来から理事会におきまして御協議願っていたのでありますが、その内容につきまして、便宜委員長から御説明申し上げます。

中川俊思自由民主党

○中川委員長 御承知のとおり、農林漁業金融公庫が、農林漁業金融公庫法附則第二十三項の規定に基づいて行なっていた乳業者に対する融資は、昭和三十六年から五年間に限られておりましたが、これを従来と同様の条件により、さらに五年間延長実施するものとし、その融資対象施設は、集約酪農地域または酪農近代化計画を作成した市町村の区域内の乳業施設とし、この区域外であっても、当該都道府県酪農近代化計画に即しており、かつ、その施設で処理または加工されるなま乳の相当部分が、集約酪農地域または酪農近代化計画を作成した市町村の区域内において生産されるなま乳である見込みが確実であるときの乳業施設を含むものとしており、なお、市町村酪農近代化計画が樹立されるまでの間について、所要の経過規定を設けることといたしたものでありまして、理事会の御協議により、お手元に配付いたしております案を起草いたした次第であります。  詳細な内容等につきましては、案文により御承知願いたいと存じます。     —————————————

中川俊思自由民主党

○中川委員長 本起草案について別に御発言もないようでありますので、直ちに採決に入ります。  おはかりいたします。  お手元に配付してあります農林漁業金融公庫法の一部を改正する法律案を本委員会の成案と決定し、これを委員会提出の法律案といたしたいと存じますが、これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕

中川俊思自由民主党

○中川委員長 起立多数。よって、本案は委員会提出の法律案とするに決しました。      ————◇—————

中川俊思自由民主党

○中川委員長 なお、ただいま決定いたしました両法律案の提出手続等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中川俊思自由民主党

○中川委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次会は明二十一日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後三時二分散会

国会会議録検索システムで原文を見る ↗