決算委員会国有財産に関する小委員会 閉会後第5号
- 発言数
- 117 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1965/09/02
会議録
○委員長(相澤重明君) ただいまから決算委員会国有財産に関する小委員会を開会いたします。 小委員の異動について報告いたします。 本日、岡三郎君が小委員を辞任され、その補欠として久保等君が選任されました。
○委員長(相澤重明君) まず旧陸軍経理学校跡の国有地に関する件を議題といたし、調査を行ないます。 質疑のある方は順次御発言願います。
○久保等君 先月の三十日の決算委員会の小委員会に引き続いて、ただいま委員長からお話のありました問題について若干お尋ねをしたいと思うのですが、先回のこの小委員会でお尋ねをして明確な御答弁がなかった問題について、大蔵省の国有財産局長のほうからお答えを願いたいと思うのですが、その一つは、先日もお伺いをいたしたのですが、例の牛込支会の解散の時期の問題についてお調べになったと思うのですが、年月がはっきりおわかりになればひとつお答えを願いたいと思います。
○説明員(松永勇君) 久保先生からお話がございました訴状を私のほうも取り寄せて見ました。見ましたところ、その訴状には、二十五年に解散したものであるということが書いてございます。それで相手方に対して、これはどういうことであるかということをいろいろ聞きただしたわけでございます。その結果は、実はこの訴状を実際に処理いたしましたのは三文字という弁護士でございます。その弁護士の方にいろいろとお聞きしたのでございますが、これはどうも自分のミスであった、結論的に申しますとこういうどうも趣旨のようでございまして、ちょっと私のほうとしては不得要領な点であったのですけれども、どうもそういうように自分が勘違いしたというような話でございまして、事実この代表者である中野先生と話しました際には、中野先生は、解散したことはない、現在も続いておる、こういうお話でございました。私のほうでは、中野先生のほうのお話をずっと聞いて、こういう書類を実は知らなかった。現在も続いておるものと思いまして、現在貸し付け料を徴収いたしておりますのも、この団体の代表者だということで徴収しておる状況でございます。
○久保等君 訴状の中に書かれた問題が実は間違いだったという話になると、これまた何をか言わんやということになるのですが、ただしかし、訴状の原告のところを見ますと、新宿区牛込支会支会長中野四郎こと原告中野四郎、こういうようになっておる点から見ますと、原告は要するに中野四郎個人なんだというように、訴状の最も肝心かなめの、原告の性格というものをここに明記しておる点から見ますと、この訴状の中身の請求の原因の中にうたっておる文句と符節を一にすると思うのです。だから、単に請求原因の中の昭和二十五年に解散したものであるということがミスだという話になってくると、それこそ全然話にならぬと思いますが、とにかく正式の文書の中で昭和二十五年に解散したのだといって裁判訴訟にまで持ち込んで争った問題について、それは解散しておるのだという話になってくると、全く何を根拠にして理解していいのかわからないのですが、しかし少なくとも支会の本体である東京都支部というものが解散をしておることだけは、これは昭和二十六年あたりに解散したと従来から言われておるし、本体がなくなっておることそのものはだれしも否定しておらないのですから、したがって、支会そのものがいつ解散したのか、現在あるのかないのかという問題になってくると、むしろ昭和二十六年に解散したというふうに第三者から見れば解釈する以外にないし、またそう理解せざるを得ないのですが、いま局長の答弁によりますと、この訴訟を扱った弁護士の話によると、訴状の中身がミスだという答弁では、とても納得できない。しかし、この問題について財産局長とここで論争してみたところで意味がないと思いますから、その点はあまり深追いをすることをやめますが、ただしかし、いずれにしても実体のない支会というものが、支会そのものの存在がこれを明確にむしろ逆にそれなら立証できるかということになってくると、それこそ法人格なき団体ということになっておりますししますので、非常にむずかしい問題だと思うのですが、いずれにしてもこういった問題をこういう時期にわれわれ自体がお尋ねしなければならぬということ、このこと自体が非常に私は遺憾だと思います。結論的に言えば、途中でどういう経過をたどったかということ自体が、十数年もたって、一体当時あったのかなかったのか、昭和二十五年前後あったのかなかったのかという議論をしなければならないようなえたいの知れない結果になったことは、これは何といっても大蔵省の当時の管財局自体の一つのそれこそミスであったと思うのですが、その点についてはこれ以上いろいろ議論のやりとりをしても始まらないと思います。ただ、本人が訴えた訴状の中でそういうことを明確に実は表示をしておるということだけを指摘をしておきます。結局、そういたしますると、牛込支会というものそのものは、これも全く何らの権威のある団体ではないということだけは率直に言えるのではないかと思いますが、そうなりますると、ほとんどその存在価値を認められないような状態の中で、国有財産が名実ともに貸し付けられて今日に及んでおる。この問題について、私は今日までの貸借関係の問題についても、何かきわめて国民の立場からいえば不明朗な、したがって何らかの形で明確にしなければならぬという問題が出てくるのではないかと思いますが、その点についてどういうようにお考えになっておるのか。特に借料の問題等も、ずっと今日まで継続して大蔵省のほうに支払われてはまいっておりますが、同時に、東京都に貸し付けて、東京都のほうから借料を取っておるという問題もあるわけですし、それからまた、この支会そのものが直接個人個人に貸し付けて、これから借料を取っておるという問題もあるのですが、そういった貸借関係問題については、この前お尋ねをして、月別なりあるいはまた世帯別にお答え願えるかどうかということでお調べ願うことにしておったのですが、その問題、どうなんですか。
○説明員(松永勇君) ちょっとお答の前にお断わりを申し上げたいのでございますが、先ほども申しましたように、私たち戦後長きにわたってこの処理が必ずしも適切でなかった。特に三十二年度以降未契約状態にして、相手方にもたいへん迷惑をおかけしたという点につきましては、私たちの処理が十分でなかったということは遺憾に思っております。この土地と建物とが、この委員会でもしばしば明らかになされましたように、終戦後の二十一年から困窮者に住宅を与えるということで、こういう経緯になったことでございます。二十一年以降ここに収容された方々に対してささやかな住宅を供してきたという、戦後の住宅困窮難の時代にはそれ相当の役割を果たしてきた。この相手方である団体にそれに寄与していただいたというふうには私たちは考えております。しかしながら、現段階においては、現状のままで推移するということは適当でないという観点から、先般当委員会で、御回答申し上げましたように、これを東京都の改良住宅地区に指定していただいて、改良住宅を建設する。そこにこの地域の居住者全員を収容していただく、そういう趣旨でこの解決をはかりたいということで検討してまいる。相手方とも協議いたしました結果、全面的に快諾されたような状況でございます。その点、私たちとしては相手方にも非常に敬意を表しておりますが、今後東京都でこの施設を現段階において最もふさわしいように、特にこの当委員会で先般要請されましたように、低家賃で、そうして環境のいい住宅地区にするようにという御趣旨に対しまして、東京都にもお願いし、その方向ですみやかに実現していきたい、こういう趣旨でございます。なお、家賃の点につきましては、この前の委員会で御要望がございました。私のほうとしては、この前お答えしましたように、さしあたり三カ年のものを中心に調べ、そうして特に現在どうなっておるかという点に中心を置いて、これはここに現在住まっている方の聞き取り調査というもの、それから先方の帳簿等を見まして調べたものでございます。この前、もっとさかのぼった調査を出してこいというお話もございましたので、どの程度できるか私としても自信はございませんが、いま財務局をして鋭意その資料を調査中でございます。御了承願います。
○久保等君 まあその資料要求に対する資料提出は、時間もかかることでございましょうから、お調べをなお願って、お調べがついたらひとつ資料としてお出しを願いたいと思います。 それから、ただいまもお話がございましたが、結局大蔵省としては、東京都に、今後の問題としては、一括して貸すというようにしたいというお話ですが、まあもちろんそれは、二千四百坪の全体をひっくるめて改良住宅地区として指定をし、できるだけ住宅対策の一環として今後東京都でこれが実施をしてもらう、こういうことだろうと思うんですが、その点は間違いございませんか。
○説明員(松永勇君) 約二千四百坪全域でございます。
○久保等君 それでは、きょう東京都のほうから管理部長が来られておるようですから、お尋ねしたいと思うんですが、この広大な二千四百坪にのぼる土地が、今日までその一部を東京都として支会のほうから借り受けた形で、そこに若干の家を建て、入居してもらっておるという経過になってまいっておるようですが、従来この若松町の旧陸軍の経理学校あとの用地について、東京都として、大蔵省のほうに対して、できるだけひとつ直接東京都のほうに借りるような折衝をせられたことがありますかどうか。まあ先般の大蔵省のお話では、そういったような申し入れもあったような御答弁だったのですが、東京都として正式に文書等で借り受けられるような折衝をせられたことがあるのか、そういったことについて従来からの経過をひとつ御説明願いたい。
○参考人(岩田陸朗君) お答え申し上げます。 都が約千四百坪を牛込支会から転貸を受けまして、従来からありました旧厩舎その他の建て物及び都がみずから建てました都営住宅に約八十世帯を収容してまいったわけでございますが、先ほど来のお話のように、国と牛込支会との間の貸借契約がとぎれました時期から間もなく、転貸がまかりならぬというお話が出ましたようで、支会のほうからも返してくれという要請がございました。私どもも、現に当時八十世帯を収容しております住宅経営をしておるわけでございますので、即座には返しかねますが、本来そういった問題の土地でもありますし、土地の地形も非常に御案内のように不規則でございます、建て物もほとんど老朽化しておりまして、使用料と賃貸料との関係も住宅事業としてはバランスがとれないといういろんな理由から、この団地を廃止するということに一応内部できめまして、昨年の十二月二十七日をもってお返しをするということで、一応牛込支会のほうに申し入れしたのでございます。そういう契約をいたしたのでございますが、その後、従来から住んでおります居住者の方々から、何とか建てかえをして引き続きそこに住まわせるようにしてくれという強い御要望がございまして、実は支会との関係もございますが、何らか、転貸がいけないならば、国から直接お借りをして、従来どおり都営住宅として運営してまいりたいという気持ちに、途中で方針を変えたわけでございます。そうして国のほうへいろいろ適当な方法はないかということについてお願いをしてまいったわけでございますが、一方牛込支会との関係もございまして、あまり活発に、そういった運動といいますか、推進をするということはいささか控えたのでございまして、不徹底なきらいはあろうかと思います。
○久保等君 ただいまの御答弁の問題ですが、これは比較的最近の問題だと思うのですが、昭和二十二年から支会のほうから借り受けて、その後昭和二十六年ごろに、東京都のほうから大蔵省の関東財務局のほうに対して、直接ひとつ借り受けたいというような何か折衝をやられたことがあるのじゃないですか、その当時の経緯を御説明願いすす。
○参考人(岩田陸朗君) お答えがちょっと不十分でございました。確かに、二十六年六月から翌年の三月ごろにかけまして、関東財務局のほうへ直接借りたいということを申し上げて、牛込支会との関係が清算つけば、こちらへお貸し願えるというようなところで、最後まで突き詰めないでそのまま推移したという事実はございます。
○久保等君 それ以外は、特別ございませんか。
○参考人(岩田陸朗君) 正式の手続としましては、だいぶおそくなってからでございますが、昭和三十八年の九月十三日付で、関東財務局長あてに、私どもの先任者から、管理部長の名前で、この土地を直接貸与していただきたい、あるいは払い下げを受けたいがいかがであろうかということの御照会をした事実がございます。昭和三十八年が最終的にそういったこちらの希望を申し上げた最後でございますが、その後は現在まで、事実問題になっている土地であるということは承知しておりましたけれども、そのまま推移を見守っておったというような状況でございます。
○久保等君 その三十八年の九月に文書でもって大蔵省のほうに要請をした、その要請に対して、この話がなかなかうまく進まなかったという理由はどういうところにあったのですか。
○参考人(岩田陸朗君) その辺の真相は、私どもには実はあまりはっきりしないのでございますが、先ほど申し上げました、三十八年の九月に出しましたこちらからの照会に対しまして、当時の国有財産局長から私どもの住宅局長に対しまして、東京都に直接貸し付けるかもしくは払い下げることができるという意思表示がございました。そのまま私どもは先にそれ以上手続を進めなかったということかもしれませんが、どうも問題が残っておりそうでございますので、実はそれ以上突き詰めなかったというのが実情でございます。
○久保等君 あまり古い話は別としても、この三十八年の八、九月ごろ、この当時の状況からいくと、大蔵省のほうでは、できるだけ早く払い下げるなり、東京都に直接貸したい。これはまた東京都のほうはできれば早く払い下げてもらうかあるいはまた貸し付けてもらいたいという気持ちが両者にありながら、じんぜん今日に及んだということのようですが、まことにどうも一般の国民から見ると不可解な話なんですが、まあいずれにしても、とにかく両者でやり得る立場にありながら、また何とか早く実現をしたいという気持ちがありながら、今日まで解決しなかった。これは端的に言って、結局中間にこの支会が存在をしておったというようなことから話が進まなかったんだろうと思うのですが、とにかくやっと今日国会でこの問題が問題になって、ようやくにして決着を見たということになったことについては、これは従来やっておったことについては、大蔵省の当局にしても、あるいはまた東京都の当局にしても、私は十分に反省をしてもらわなければならぬ、かように考えます。 ところで、三十七年にこの東京都の住宅については廃止住宅にするということを何か決定をせられたというふうになっておったようですが、これは当時の入居者数がどのくらいあったものか、それから現在の入居者がどの程度になっておるのか、入居者数をちょっとお数え願いたいと思います。
○参考人(岩田陸朗君) 牛込支会から転貸しました施設には、これは厩舎等でございますが、これにさらにまん中のあき地へ四戸建ての都営住宅を建てまして、全部で八十世帯を入居さしておりましたが、ごく最近に至りまして逐次転出される方が出まして、現在は六十世帯になっております。あとはあきましても、あき家募集をいたしませんで、そのまま閉鎖をいたしております。
○久保等君 その減ってまいった理由は、どういった点にあるとお考えになっておりますか。
○参考人(岩田陸朗君) 当時は、先ほど申し上げましたように、一応廃止団地にするということにしておりまして、その後、住宅組合でございますか、居住者の団体から、ぜひ建て直して住宅を継続して経営してくれという強い要請がございましたけれども、はっきりとそういたしますという明答をしないままに表向きは今日まで来ておりますが、この敷地問題さえ片づけば、非常にいい土地でございますし、建蔽率も高い地域でございますので、できれば何とか中高層にもっていきまして戸数増をはかりたいという気持ちが中にあるものでございますから、支会との約束はありましたけれども、お返ししないで今日に至ったわけでございます。
○久保等君 それから、現在東京都が管理をしておる部分が坪数にして約千四百坪くらいだろうと思うんですが、同時に建物が、東京都の建設をした住宅、それから旧軍時代の兵舎、そういったものがあるようですが、土地と建物別々にそれぞれ借料というものを支払ってきたんだろうと思うんですが、それをひとつ分けて、支払ってきた借料はどの程度になるのか、総額だけでいいですが、わかりますか。
○参考人(岩田陸朗君) 手持ちの資料ではその区分けを分明にしませんが、総額ではいかがでございましょうか。
○久保等君 わかっているだけでもいいから、それだけ……。
○参考人(岩田陸朗君) 二十二年から三十八年度分までが総額四百七十一万二千五十五円でございます。三十九年度分として、いま支会のほうから請求を受けておりまして、たいへんおくれておりますが、最近お支払いする予定になっております額が五十万百六十円でございます。
○久保等君 土地と建物に分けての金額がわからないようですが、これは調べればすぐわかることですから、ひとつ後ほど調べてお知らせを願いたいと思うんです。 結局、先ほどの御説明にもあったように、だいぶん最近は出ていかれる方が多くなって、入居者に対してまあ住宅廃止したいからということで決定をして以来、ここに二、三年の間に約二十世帯ぐらい出ていかれたというようなことになっているようですが、これも実際、あの建物そのものからいっても、本来住めるような実は状態にはないです。管理部長もちろんよく現地の状況も御存じだと思うんですが、全くこれは人間の住めるような住宅ではない、お粗末きわまる状態になっていると思うんですが、それと同時に、牛込支会のほうに返すんだから出ていってくれないかというようなことでごたごたしたりして、非常に行き先不安だというようなことで出ていかれた方がだんだんと私は出てきたと思う。そういう結果で、現在わずか八十世帯、あるいはそれより以上に昔は入っておったんだと思うんですが、それが今日だいぶ減ってまいっておるという状態になっておる。したがって、そういった点から見ても、全く住宅対策に対する何らの手が打たれないで、建物そのものも何か立ち枯れになっているような状態に置かれていると思うんですが、こういった点を考えますと、この際問題が解決を見ようとしておりますが、私は東京都が積極的に、このきわめて貴重な土地をできるだけ有効に、しかも改良住宅地帯としてぜひ再建をしたいという先ほど大蔵当局のほうの答弁もあったんですが、東京都としては一体どういうふうに具体的に考えておられるのか。やっていくとすると、直接これは東京都が担当してやっていかなければならぬ問題ですから、大蔵省のほうでは、貸し付けていい、東京都に直接貸し付けようという方針をきめたようでありますが、東京都としては一体今後具体的にどういうようにこれを進めようとしているのか、考え方をひとつお聞きしたいと思う。
○委員長(相澤重明君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(相澤重明君) 速記を起こして。
○参考人(岩田陸朗君) ごく最近になりまして、全体の土地を一括払い下げあるいは賃貸をしていただくということになりましたので、図上での計計画でございますが、さっそく改良地区に指定をしていただきまして、改良住宅及び一般都営住宅を大体五階建てといたしまして、アパート四棟、およそ百八十戸ぐらいの戸数になる見込みではないかと思います。正確には若干のズレがあるかと思いますが、およそ百八十戸ということでございます。このアパートへは、現在都が管理しております区域の六十世帯と、牛込支会が管理しておられます区域の二十世帯と聞いておりますが、この方々を優先的に入居させる。これは改良事業をやります場合には当然でございます。残りは約半分ぐらい余剰戸数が出る見込みでございますので、これは一般に公募して、住宅事情の緩和にいささかでも役立てたいと思っているわけでございます。ただ、牛込支会のほうの関係の居住者には私ども一回もまだお会いをしておりませんし、御意向も伺っておりませんが、両方の居住者が建てかえ事業、改良事業について御理解を十分いただきまして、全面的にこの事業の推進に御協力をいただきますならば、着手後二年ぐらいで完成をさせたい。あそこには二千四百坪ございますけれども、あき地がございませんので、仮設住宅を建ててかりに住んでいただく余地がない。工事が非常にやりにくいという面がございます。それらから考えまして、ごく順調にいきまして、完成には二年を要するんじゃないかと思っております。
○久保等君 完成に二年かかるとすると、年月としても、これは相当な、比較的長期だと思うんですが、取りかかるのは、話さえつけばさっそくにでもいろいろ図面を引いたり、そういった作業から始めなければならぬと思うんですが、もちろん、この年度内に直ちにそういったことについて具体的に着手する予定ですか。最初のスタートの問題ですが、どういうふうにお考えですか。
○参考人(岩田陸朗君) 契約関係が順調に進みますということと、それから改良地区指定というのは建設大臣の承認を得るわけでございます。いろいろな事務手続も早急に進めてまいりまして、あと約半年ぐらいございますので、年度内には何とか着工の運びに持っていきたいというように、現在のところではそう思っております。
○久保等君 先日の委員会で国有財産局長のほうから御答弁があったんですが、話が一応ついたというお話だったんですが、さっそく、それならば手続的にいろいろ進めなければならぬ問題があると思うんですが、そういったことで、現実に大蔵省が東京都に貸し付けると、あるいは払い下げるというようなことになるのには、一体どのくらいの日数かかりますか。
○説明員(松永勇君) 私のほうとしましては、東京都から具体的な計画が出てまいりますれば、直ちに貸し付け——まあ、これは本件については売り払いを考えております。売り払いができるように措置いたしたいと思います。
○久保等君 それじゃ、今度東京都のほうにお尋ねしますが、払い下げたいというような意向のようですが、これを受け入れるものについては、もちろん予算的な問題があると思うんですが、そういったことについて、直ちにそういった申請を東京都としてとられることができますか。
○参考人(岩田陸朗君) この委員会、私、出席いたします前に、上司の住宅局長とは相談してまいりましたが、その点がおそらく話題になるだろうと思いますのでなにしましたが、払い下げ代金の価額によりましては、都の財政事情もございますし、あるいは、その上に建てます建物が公営住宅ということで、あるいは改良住宅ということで、家賃の制限がございます。それらから見まして、極力お安くお願いしたいということでございます。したがって、その金額いかんでは、受け入れができない場合もあるいはあるかもしれませんが、できればお安くいただきたいと、こう思っておる次第でございます。
○久保等君 払い下げるか、それからそれとも貸し付けるか、大蔵省の立場からいえば、いろいろそれこそまたふところぐあいもあるから、考え方もあると思うのですが、そこらの問題は、これはあまり立ち入ってどうこう申し上げませんが、ただ問題は早く、先ほど来申し上げまするように、非常に地理的にも恵まれた場所でありますし、非常に何といいますか、二千四百坪という、相当まとまった土地でありますから、これを一日も早く利用して、都民の方、また国民全体から見ても、住宅対策に非常に頭を悩ましておりますが、根本問題は、やはり土地が確保できないということから、なかなか住宅対策が進まないという状況にあるわけですから、そういう点からいきますると、国であり都であるそれぞれの立場なんですから、また、そこらのやりくりについては、これはまあそれぞれの予算のワクはありまするが、ひとつ何らかの方法を考えていただいて、問題はまたなかなか値段が折り合わないということで、じんぜん日数をおくということは、これまた私は遺憾だと思います。したがって、ただいまの払い下げるか、あるいは貸し付けるかという問題に対しては、大蔵省自体としても、必ずしもあんまり偏屈にものを考えているわけじゃないだろうと思いますが、これは一日も早く問題を解決するというたてまえになって、それぞれの当局のほうで、ぜひひとつ努力してもらいたい、かように考えます。 何ですか、大蔵省は何か払い下げるという方針に決定しているので、貸し付けるというようなことはやらないという方針ですか。
○説明員(松永勇君) これにつきましては、大体、従来改良住宅地区のときには払い下げることでやってきております。と申しますのは、国有財産特別措置法第六条の二によりまして、こういう改良住宅地区に指定された土地の国有財産の払い下げにつきましては、「当該公営住宅等の建設に要する費用に係る標準建設費のうち土地の取得又は宅地の造成に係るものに相当する対価で譲渡することができる。」と、すなわち、標準建設費というのは、建設大臣がその地区地区によって定めておりますこの価格というものは、もう何というか、時価をあらためて算定するというやり方でなしに、まあ、おそらくは、私たちの推定では、時価の一割程度の額になっておるかと思いますが、そういう標準建設費のワクがきまっておりますので、それによってやれば、きわめてもう簡単であります。すみやかに処理できるという点もありますので、できますれば、もうこれによってやっていきたいというふうに考えております。東京都とも十分その点を今後調整いたしたいと思っております。
○久保等君 まあ、それに払い下げるにしても、方法はこれまた何といいますか、分割払いということも考えられるのじゃないですか。したがって、そういったことについては、技術的に、ある程度問題であろうと思うのですが、ぜひ、ひとつ早急に、そういった手続の問題についても解決をしてもらいたいと思います。 それから問題は、先ほどちょっとお話があったように、現在の住宅なり土地が、二分割されているわけですが、入っておられる入居者そのものも、支会から借りている人たち、それから東京都のほうから借りて入っている人、いろいろ条件がもちろんだいぶ開きがあるようです。したがって、そういうような問題もあるだけに、早急に一本にして解決をしてまいる、このことが非常に私は必要だろうと思うのですが、いまお話があったようなこと、これは東京都と大蔵省の間で話し合わなきゃならない問題ですけれども、比較的短期間のうちに解決できるのじゃないかと思うんですが、東京都と、それから大蔵省の間では、まだお話し合いは全然されておらないのですか。
○説明員(松永勇君) 私たちは東京都に、こういう方針を打ち出しまして、この線に乗ってやっていただきたいということをいま話しておりまして、具体的な事務を話しております。具体的に改良住宅地区の指定、それからその建設、現在おられる住民の方々との話し合い等につきましては、これは改良住宅の事業を行なう東京都が主体となってやられることになると思います。私たちのほうでお手伝いができる部分があればお手伝いをする、しかし、主体は東京都が行なう、こういう形になろうと思います。
○参考人(岩田陸朗君) 先ほどちょっと触れましたが、私どものほうの管理しております区域に住んでおられます方々は、廃止団地にしないで、建てかえにしてくれという必要望があったくらいでございますから、お話をすればすぐ御理解、賛成が得られると思いますが、牛込支会のほうにおられます方々には、この問題は正式には何らお話しする機会もございませんし、御意向がいまのところわからないのでございますが、おそらく、改良事業というものに対しては、私どもの管理下の居住者と同じように賛意を表していただけるものだと思っております。国から建物を、土地もでございますが、建物も一諸に中に住んでいる人を入れたままでお譲りを受けるということが、私どもの管理上、非常に今後建てかえますまでの間問題がちょっと残るのでございますけれども、これは牛込支会とその居住者との間で取り結ばれております貸措関係その他がどういうふうになっておりますか、私ども、かいもくわかりませんが、その条件というものは引き続きやはり私どもも受けて、そのまま踏襲していかなければならないのじゃないか。実はそこまで考えておりますが、両方に若干の差があるかもしれません。その辺の調整は今後もう少し真相がわかりましてから考えてみたいと思っております。
○久保等君 特にこの牛込支会で現在管理をしておる土地なり建物なりの引き渡しを現実に具体的に受けるのはいつごろですか。
○説明員(松永勇君) これにつきましては、私のほうといたしましても、実は契約解除というか、現在のものを国に返してもらうという措置をとる必要がございます。返していただいたあと、その次の事業がスムーズに行なわれる状態でないと、返してもらったあと、宙ぶらりんの間に、いろいろなトラブルがあってもまた困るという事態でございますので、その辺のところは、今後東京都がお進めになるタイミング、それから東京都があとそれを引き継いで処理していただける状況等もにらみ合わせまして、東京都と協議いたしまして適当な時期を選びたいというふうに考えております。
○久保等君 まあ、その点はいずれにしても、東京都と大蔵省の間でひとつ早急に話を進められ、そして早急に東京都がいずれにしても実質的に住宅用地としてこれを利用するようにひとつ手続を、これはまあ東京都が中心になってやらなければならぬ問題ですが、ひとつ東京都が積極的に推進をしてもらいたいと思うのですが、今日まで長い間むしろ放置せられておったことそのものが、はなはだわれわれ自体遺憾に思っておりますが、しかし、そのことは別として、とにかく、今後の問題については、全く疾風迅雷式にぜひやってもらいたいと思います。そのことを強く要望いたしまして、私の本件に関する問題についての質問を終わりたいと思います。 なおまた、ぜひひとつ東京都のほうにお願いしておきたいと思うのですが、現在入っておられる方、いずれ、その牛込支会のほうからも借り受けて住まわれておる方、これは一本にして東京都が建設をした住宅の中へ入ってもらうことになるだろうと思うのですが、現在まで入っておられる方々の御意向等についても、十分に尊重してもらって、それからまた十分にひとつ相談をする点はよく相談をしていただいて、円滑にひとつ現実に新しい建物の中に入れるように配慮を特別願いたいと思います。その点についても一言御答弁を願っておきたいと思います。
○参考人(岩田陸朗君) 私ども、ほかの団地におきましても改良または一般建てかえを数多くやっております。そういう団地におきます居住者との折衝その他いろんな事業推進上の一つの前例がございますので、この団地だけを特別扱いにするわけにはいかぬと思いますが、従来私どもがやりました改良地区あるいは一般建てかえの都の場合におきます居住者との関連を十分考えまして、できるだけ貴意に沿うようにつとめたいと思います。
○二宮文造君 関連して。問題が解決の方向に進んだことはたいへんけっこうなことで、地域の住民の方もたいへん喜んでいらっしゃると思うのですが、ただ私心配なのは、いま東京都のほうで御説明があったのですが、改良に着手して完成までに二年かかるとしますと、当然その間に、いまお話を聞きますと、空地もないようですし、引っ越し先という、一時的に居住する地域が必要になろうかと思うのですが、その面についても、やはり都が目算を立てておいでになりませんと、地域の住民の方も安心して相談に乗れないということになりますが、この点はどういうふうにお考えになっておられましょうか。
○参考人(岩田陸朗君) 現在は、この二千四百坪全体にわたってうちが建っております。そこで、一斉にこれをどこかへ一時仮移転をしていただくということは、なかなかそれだけの用意もございませんし、とりあえず、一番はずれのほうからあけていただきまして、仮設を建てる余地がほとんどないようでございますから、この団地周辺になるべく近いところに建っております都営住宅の一部をあけて、あいているところをあちこち拾いまして、そこへ仮移転をしていただきまして、その期間中に、このあいたところにまず第一棟を建てたいと思っておりますが、この一棟は約六十世帯は収容できるものにしたいと思いますので、そこからまず始めていきますと、逐次こわしながら建てていくということを繰り返していくわけでございますので、さら地の上に建てるように簡単にいかないという事情で、二年ということを予定しておるわけでございます。その辺は、個々の居住者の御希望も募りまして、早く一時どいていただく方を選びながら端っこのほうから建ててまいりたいと思っているわけでございます。
○二宮文造君 いま一点。いまの一時的に引っ越すその先についての御説明了としますが、もう一つ地域のいまお住みになっておる方の心配は、確かにいま住宅環境は非常に悪いのですが、その環境がよくなるからといって新たな建物に入った場合、その住宅の、まあ端的に申しますと家賃のことになりますが、それが不当に高くなるということになりますと、行く先不安であろうと思うのです。そのために、また話し合いがうまくつかないという心配も出てまいります。いまお伺いしますと、ほかにもそういうふうに建てかえをした、そして、その改良住宅を建てた、そのケースをそのままたどるのだ、例外的な措置はできない、こういう御答弁でございました。そこで私お伺いしたいのですが、従来建てかえて改良地区をつくり上げた、改良住宅をつくり上げた、そういう場合には、一体どういうふうな条件で中へお入りになる方を収容するといいますか、貸し付けておりますか、その条件をお知らせ願いたいのですが。
○参考人(岩田陸朗君) その団地内に相当なあき地があります場合は、プレハブではございますが、仮設住宅を建てまして、そこへ工事期間中入っていただきますが、仮設住宅におられる期間は一切無料でございます。家賃はいただかないわけでありますが、もし仮設住宅をつくる余地がない場合に、既設のアパートもしくは木造の都営住宅のあき家を利用しながら分散して入っていただく例がございますけれども、これは仮設代用住宅と称しまして、これまた無料で入れてあげているというわけでございます。それから、建てかえ、改良に伴いまして仮設に住むこと、あるいはその土地から一時他の団地へ行くということに非常に困るというお話で、いっそのこと都営住宅と縁を切ってよそへ行きたいという方も中にはございます。いろいろケースがございますが、その団地の中だけで、たとえば仮設へ移るような方には、移転費として一世帯七千円を差し上げております。それから他の団地の住宅へ——仮設住宅でございませんが、他の団地の都営住宅、代用住宅へ入られます場合は一万四千円、全然都営と縁を切って自前で外へ出ていかれて再び帰ってこないという方には、現在最高十万円の移転補償をしております。そういう形でいろいろ御都合を聞きながらやってまいっておるわけでございますが、もう一つは、いま住んでおられますところが、非常に御家族がふえまして窮屈な生活をしておられる場合もございますけれども、そういう場合に、六人以上の世帯になりますと、かつ世帯を分離することが適当だというような、働く人が二人ないし三人おられるような場合には世帯分離ができることになっておりまして、その場合は、新しく入れ直します場合に、一戸よけいに割り当てて差し上げるというような便宜をはかりながら、この建てかえ事業を推進してまいっておるわけでございます。
○委員長(相澤重明君) いまの答弁が不十分だったので……。
○二宮文造君 質問の意味がちょっとわからなかったと思うのですが、いまは一時的に入る場合の条件をお話し願ったと思う。私の質問の意味は、今度新たに建ちましたときに、現在住んでいる住宅の家賃ですね、それと、それから今度新たな住宅の家賃と、これが不当に高くなると、負担し切れないほど高くなるというのじゃ、いまの方も心配だろう。そのために交渉がうまくいかない場合も予想されますので、新しい建物に入ったときにどういう条件になるのか、従来の慣例といいますか、従来やってきたことをお知らせ願いたい、こういうわけです。
○参考人(岩田陸朗君) ちょうど四十年度を境にして、従来の方法を今後変えようということを、ごく最近、こちらと無関係でございますが、きめましたわけでございます。従来のやり方といいますのは、改良または建てかえの団地におきましては、建てかえました住宅を、正規の家賃と比べまして大体一割ないし二割安くしてきめている。それからさらに、収入によりましては、それとは別個に特別安く入っていただく減免の措置をとっております。これが、たとえば改良住宅にしましても、建てかえ住宅にいたしましても、いずれも公営住宅と変わりはございませんで、一種、二種あるいは改良住宅ということになるわけですが、お家賃のほうは普通の改良、建てかえに関係のない団地の家賃と同じに一応きめまして、それをある期間割引をするといいますか、減免措置をとることに今後改めていきたい——四十年度を初年度とする団地までは従来どおりの方法を踏襲しますけれども、四十一年度に初めて手をつけます団地からは、いままでの二段の減免措置を一段に切りかえましてやってまいりたい、最近そういうふうにきめているわけであります。収入のいかんによっては安くなる場合もありますが、普通の収入をお持ちの方ですと、一般の二種の住宅とそれほど差のある大割引をするわけにはまいらない、そういうことでございます。
○二宮文造君 いままで非常に話がうまく進んできたのですが、ここのところに至ってちょっと行く先不安なような御答弁なんですがね。いまの局長さんの御答弁だったら、おそらくその居住者との話し合いがスムーズに進まないのじゃないか、そういう心配をします。なぜかといいますと、国のほうでは、その土地に対して改良地区に指定する場合には、それは時価の一割で払い下げようというのは、いままで経てきた経過というものをよく頭の中に置いた上で、絡局お入りになる方が現在安い家賃の中に住んでいるのだから、したがって高い土地代では、当然そこに原価計算の上で高い建物になってくるから、またそれがその居住者のほうにはね返るということも頭の中に置いた上での計算だろうと思うのです。ところが、そういうふうに安く入手した土地が、今度は建てた住宅については普通の改良住宅とそう安くならない、そういうことになりますと、従来の経過というものは全然無視されている、これでは話はつかないと思います。したがいまして、もちろんそれは都のことでございますので、都でまた私どもも連絡をとりながら話し合いを進めていただきたいと思いますが、結論として私のほうから要望しておきますが、現在の家賃より不当に高くならないように、負担にたえないような商い家賃にならないように、もう一つつけ加えまするならば、従来の経過をよく勘案された家賃にする、こういうふうに御要望して、本件はとどめておきたいと思います。御苦労さまでした。
○久保等君 ちょっと一言、いまの御答弁の中で、お尋ねしておきたいと思います。 百八十世帯全部収容できる四むねですか、建てるとすると、二年かかるというお話だった。二年というのは、全部建て終わってしまうのに二年かかるということだろうと思いますが、最初一むねつくって、その中に六十世帯とりあえず入ってもらうという、そういった一むねだけ建てるのは、どのくらいで大体終わりますか。
○参考人(岩田陸朗君) 大体宅地で、いままで建っているところでございますから、こわして建て始めまして約十カ月ではないかと思います。
○久保等君 十カ月。
○参考人(岩田陸朗君) はい。
○委員長(相澤重明君) ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(相澤重明君) 速記を起こして。
○参考人(岩田陸朗君) 二十二年度から三十八年度まで四百七十一万二千五十五円と申し上げましたが、その内訳を申し上げます。建物のほうで百八十九万七千五百十四円、土地のほうで二百八十一万四千五百四十一円でございます。三十九年度分は五十万百六十円と申し上げましたが、その内訳は、建物が十五万百六十円、土地が三十五万でございます。以上でございます。
○委員長(相澤重明君) 他に御発言がなければ、本件に関する調査は本日のところこの程度にとどめます。 参考人の皆さん御苦労さまでした。 —————————————
○委員長(相澤重明君) 次に、接収ダイヤモンドに関する件を議題といたし、調査を行ないます。 特に、委員長のもとに菅原通済氏からも、大蔵大臣に要望された事項等もすでに届いておりますが、また政府の方針もある程度わかったようでありますが、質疑を通じてさらによりよい結論が出せるように、これから御協力をいただきたいと思います。 それでは、質疑のある方は順次御発言をいただきます。
○二宮文造君 接収ダイヤにつきましては、昨日の大蔵省の省議で大体売却するように方針を決定されたと、総計十六万一千カラット余に及びますこのダイヤモンドを大体四十一年度に売却をすると、そうしてその評価は三十七年度においては六十八億円であった、しかし実際に売却する上においては百億円ぐらいになるのではないか、また、それは歳入に計上しまして、そして一般財源として繰り入れるようなお気持ちのような報道になっております。私考えますのに、昭和十九年のあの戦争のさなかに、いわば戦争に協力するという熱意に燃えて買い上げられたこのダイヤモンド、それが紆余曲折がありまして、何と二十年——まあ成人の年を過ぎたわけですが——に及んでやっと最終の、まあ終着駅といいますか——の方向へたどり始めた。で、その間におきましてはずいぶんとなぞめいたこともございました。ある人が怪死したという事実もありますし、あるいは略奪していったという事件もありましたし、恨みが相当にこもったダイヤモンドであろうと思うわけです。したがいまして、方針が決定した上においては、この売却にあたりまして、それこそ国民の疑惑を一掃するような方針でやっていただかなきゃならぬ。私、過去の記録をいろいろと調べたわけです。何しろ二十年に及ぶ年月を経ておりますので、中にはうわさもありますし、また追及して追及し切れない事実もあります。しかしいずれにしましても、断片的に取り上げられた部面が非常に多うございますので、いま大蔵省が方針を決定されたこの機会に、この接収ダイヤモンドの経緯のあらましについて、この席をかりてはっきりしておいていただきたい。それが今度は売却にあたりましての有力な根拠にもなり、方針にもなると思うわけです。 まず最初にお伺いしたいことは、昭和十九年に買い上げられまして、たしか解除されたのが二十六年と承っておりますが、その二十六年に至るまで、要するに接収解除に至るまでの経緯について御説明を願いたい。
○説明員(松永勇君) ちょっとお断わり申し上げます。新聞に出まして、払い下げという省議があったというふうになっておりますが、明確な意味で省議ということにはまだなっていないことをちょっとお断わり申し上げておきます。 それから、十九年から二十六年の解除までの経緯でございますが、実は私も従来の詳しい経緯はあまりよくわからないのでございますが、ごく簡単に大筋を申し上げますと、このダイヤモンドは他の貴金属等と一緒に戦争末期に国民の供出を仰ぐという姿で、ダイヤモンドにつきましては交易営団及び中央物資活用協会をして全国から供出を仰いだものでございます。このものが、戦争遂行のために全部使われるということなしに、相当な部分が残された姿で終戦を仰えた。終戦直後と申しますか、終戦の年の秋ごろから翌年にかけて駐留軍による接収という事実が発生したのでございます。その後駐留軍の管理下にあった期間につきましては詳しいことはわかりませんが、二十六年に日本政府に返還になった。返還にあわせて——CPC記録と申しておりますが、連合軍の記録と一緒に返還を受けて、これを日本政府が管理する、こういう事態になっておるわけでございます。
○二宮文造君 時間もかかりますが、どうしてもやはり経緯の中で明らかにしておきませんと、あとの質疑に差しつかえますので、問題にいたしますが、これは昭和二十七年の六月十七日衆議院大蔵委員会における会議録でございますが、ここに池山さんという方が参考人として御出席になって述べられておりますのに、あの買い上げの当時のダイヤモンドの管理は非常にずさんであった——池山さんが管理しておる金庫の中へそれを出し入れをするわけですが、こういうふうに言っております。「課長や次席の人からあの金庫を全部貸せというのじゃない、一部を開放してくれろという話で、私の預かっていた金庫へ雑貨部の人がかってに出し入れをすることを承諾をいたしました。常はドアはしめてございますけれども、あけますからという断りの言葉をもってあけて中へ入れたり、あけて持ち出したりということは、雑貨部の人がかってにしておりまして、私は一々立ち会いませんでした。また預かっていた品物は何が入っているかわからないのです。この中にダイヤモンドが入っているとすれば、あまりに粗雑な取扱い方だと思ったくらいに、中にはきれの袋もあったようでしたが、多くは紙でした。しかもその包の中に何カラット入りとか、あるいは何個入りとかというようなことが書いてあるのではなく、たいがいはこのくらいの包みです。もっと大きいのもありました。小さいのもありました。が大体このくらいの包みで、新聞紙に包んであったようなものもありました。ひもがからめてあったものもありましたが、そうでないものもあったようでした。」まあ、これは一部でございますが、こういうことを比べてみても、あの戦時中の混乱で、想像できないような買い上げであり、管理であったようです。さらにその同日、現在も衆議院議員をなさっておりますが、青木正さんがこれを一時保管をしたそうです。そのときにも、ダイヤモンドは大体軍需省が管理しているようなはずなのに、大蔵省からちょっと来てくれということで私は預かった、占領軍が進駐してくればこのダイヤモンドが没収されてしまう、それでは国民のほんとうにその思いを込めて供出したものが国外に持ち出されたのではかなわぬ、これが発覚すればおそらく断罪に処せられるということは承知の上で、お国の大事だからというので、青木さんが決死の思いで引き受けた、こういうようなことをこの当日の委員会で述べられております。また別の記録を見ますと、八軍ですかマレー大佐が帰国にあたりまして、ダイヤモンドを五百個ですか、数百個ごまかして持って帰った。上陸にあたってポケットからダイヤモンドがころころところがり出て、それが発端になって軍の裁判にかけられて禁錮十年に処された、こういうふうな事実。さらにまた皇室がやはりこの趣旨に協力をされて王冠を御下賜になって、そしてその王冠を溶かしてダイヤを取ったところまでははっきりしているのですが、そのダイヤが大粒が五粒ほどどこえいったかわからない。うわさによりますと、大阪で数百万円で取引されている、そういう事実を追及した行政監察委員会の調査員の復命書も記録として残っております。要するに買い上げられてから米軍に接収され、そして国に接収解除になるまでの経緯におきましては、相当の紛失もこれは予想しなければならぬと思います。管理はまことに不十分であったと言わなければならぬと思うのです。で、そういうことを頭に置いた上で、今度は接収が解除されまして国がそれを引き継いでから今日に至るまでの状況について、概略を御説明いただきたいと思います。
○説明員(松永勇君) 国に解除になりましてから、この処理につきまして、これをいかにするかということは、相当長い間の懸案でございました。国会の議事録にも、しばしばそれがあらわれている状況でございます。この二十七年に調査報告の法律案を提案しております。その後この処理の法律案を十九国会に提案いたしましたが、継続審議等がございまして、最後に法律として成立いたしましたのが三十四年でございます。この法律に基づきまして、大蔵省といたしましては、この法律に定める処理の方式に従って、認定返還の事務を行なってまいったわけでございます。現在までに大部分の認定を終わりまして、返還もおおむね終わろうといたしている状況でございます。残された大きな処理といたしましては、このダイヤモンドの処分ということに相なっている次第でございます。
○二宮文造君 確かに局長がいま御答弁になりましたように、このダイヤの取り扱いをめぐりまして、国会ではずいぶんと審議をされたようでございます。そこで私お伺いしたいのは、このダイヤを正式に何回鑑定をしたか、これをひとつお伺いしたいと思うのですが。
○説明員(松永勇君) 鑑定いたしましたのは、米軍が管理している間に、米軍の責任において鑑定をしたことが一回ございます。日本政府に返還になりましてからは、二十七年に鑑定をし、さらに三十七年に鑑定をいたしております。日本政府になりましてからは、したがって二回ということに相なります。
○二宮文造君 米軍の鑑定をいたしましたときの鑑定人、それから二十七年接収が解除になってやりました場合の鑑定人、それから三十七年にやりました、鑑定にあたっての鑑定人、これについてはたしか資料をいただいていると思いますが、その資料のとおりと承知してよろしいわけですね。
○説明員(松永勇君) そのとおりでございます。
○二宮文造君 そこで、米軍が鑑定をいたしました場合の、要するに上質のものですね、上質のものの数と、それから接収解除になって、日本側が鑑定をいたしましたときのやはり上質のものの数とが、大きく食い違っております。これは従来問題になりまして、政府のほうもその点について答弁をされておるようですが、たとえば上質のものならAA、ABと、こういうような二段がまえで種別されているようでございますが、米軍の場合に選別されましたときには、ABで五百一個、六百六十七カラット余と、こうなっております。ところが、国が鑑定いたしましたときは、接収解除になってから、国で鑑定をしましたときは、このABが五千百九十一、カラット数は逆に減りまして六百五十三カラット、こういうふうになっております。私ダイヤが大粒のものがいいのか、小粒のものがいいのかわかりませんけれど、カラット数においては同じであって、個数において五百が五千になるということが、どうもふしぎでたまらない、悪く解釈をしますと、もっと品位の下のものを繰り上げて、どっかで繰作したのではないか。なぜそういう心配をするかといいますと、この場合の鑑定人は業者でございます。いずれこれは払い下げを受けるとするならば、やはりその払い下げを受けるならば、売却を受けるならば安いほうがいい、そういう思惑があったのかどうかわかりませんけれども、ここにそういう大きな個数の上での開きがある。その上下を調べてみますと、一番良質といわれますAAという種類は、同じように四百八十一個で三百カラット余、これは日本側の場合も同じようになっております。次にABはいま申し上げましたが、その次の段階のACとなりますと、米軍で鑑定したときは一万六千六百十個、六千五百二十五カラット、日本側の場合は、ACが一万七千六百三十四個、六千五百六十五、まあ大体一万台においても千くらいの個数の差がありカラット数においてもほんとうに四十カラットしか差がない。なぜABの場合だけこんなに大きな差が出てくるのか、こういう疑問が出てまいりますが、この点答弁を願いたいと思います。
○説明員(松永勇君) 個数が非常にふえている。にかかわらずカラット数は減っている、ABにつきまして、という御質問でございます。これは米軍から引き継ぎましたときに、個数で五百一個となっております。この五百一個の中には、袋を一個と見ましてその袋が二袋あったわけでございますが、それを一袋について、これを一個と、こういう計算をして五百一個ということになっておりますが、その袋をあけてみますと、この二袋の中には二個と計算されてあったものが、実は四千七百四個ございましたわけでございます。その米軍のやり方が非常にラフであったと申しますか、そういう形で個数の差が出たのでございます。ところが、カラット数は若干減っております。これは九カラットというふうになっているのが、実は八・九六カラットということでございましたので、その訂正がございましたことと、それからAC、ADにそれぞれ一袋の組みかえを行なっております。そういう関係で、数量においては約十四十カラットばかり減になっている次第でございます。
○二宮文造君 非常に奇妙な答弁でございます。ならば米軍から引き継ぎますときに、個数は何個、袋は何個その袋は何個入りであってどれだけのサイズのものがこの中に入っているという内訳書をもって引き継ぎになられたか、この点はどうですか。
○説明員(松永勇君) その当時のことにつきましては、実は私詳しくは承知しないのですが、国会に答弁された資料でございましたか、それに、当時の引き継ぎに立ち会った人の記録としては、何ぶんにも米軍から短期間の間に引き継げということで、しかもそれはダイヤモンドばかりでなく、その他の貴金属を一緒に短期間の間に引き継ぎさせられた、させられたと申しますか、日数は相当あったようでございますが、何ぶんにもこれだけの膨大なものを一々点検して引き継ぐというような時間的余裕もなかったということで、向こうが大ざっぱに点検する、そうしてあらためて日本側でそれをチェックするというような引き継ぎが行なわれたと聞いております。
○二宮文造君 接収解除になって短時日に引き継ぎをされたとこう言いますが、正式にメモランダムがあって引き継ぎを受けたのは、二十七年の四月五日付の覚え書によるものだと思います。しかし引き継ぎを実質的に受けたのは、二十六年のたしか六月ごろであったと思います。したがって、当時関係者はいたわけでございますし、こちらとしてもそういうあいまいな状態で受領書を出す。ならばその受領書の内訳にも、こちらが出す受領書にも個数が幾つ、袋が幾つ、こういうようにお書きになったかどうか。この点はどうですか。
○説明員(松永勇君) 米軍からの引き継ぎのときにサインいたしましたのは、向こうからのリスト、そのリストには、先ほど言ったように袋が二個として計上されたりしております。そのリストと袋とを渡されて、これでサインをしろということで、それにサインしているということでございます。
○二宮文造君 そうすると、袋を個数に数えたままサインをしたと、こう了解してよろしいですか。
○説明員(松永勇君) さようでございます。
○二宮文造君 出発がここから始まっております。引き継ぎは受けたけれども、その内容はどういう形で引き継ぎを受けたか、出発があいまいなまんまこのダイヤは国に引き継がれたわけです。したがいまして、そのあとの、巷間うわさをされております、たとえばあっというようなダイヤモンドが市場に出回っている。これはまことしやかに言われておりますが、ある政治家のお嬢さんが見たこともないような、ほんとに驚くようなダイヤモンドを持っている。しかも、それが二人も名前をあげられて、日銀の地下の金庫に眠っておりますこのダイヤが変な形で外に流れてきているのじゃないか、こういううわさを呼んだのもここにあるわけです。 この問題はまたあとにいたしまして、この九十何種類にこまかく分類をいたしましたそのダイヤモンドを、さらに今度は三十七年に再鑑定をしましたときに、わずかに八種類に分けていらっしゃる。この八種類に分けた理由は、どういうわけでございますか。
○説明員(松永勇君) この米軍の種類分けは、先ほどお話がありましたように、九十一種類という非常に多岐にわたっておるわけでございます。で、日本側でこれを引き継いだ二十七年のときには、その米軍の分類方法をそのまま踏襲するということでまいったわけでございますが、三十七年になりまして、これを再鑑定する際に、当時日本の市場と申しますか、取引慣行によれば、この九十一種類というような非常に複雑な区分は行なわれてない。現実には五種類程度のものであって、そのほかに特殊なものとして、たとえば装飾ダイヤには適しないとか、特別にいいやつというものをそのほかに三つつけまして、八種類に区分したわけでございます。これは日本のダイヤの取引と申しますか、そういうものの実情に合わせてこれを区分したほうがいいのじゃないか、それからなおその際の配慮といたしましては、このダイヤを返還する、法律によって返還をするという際に品質、形状その他が同一のものということは、実際問題としては非常に困難であるという事態が予想されました。いかなるものを類似のものと見るかというような場合にも、九十一種類という現在の日本における慣行とは飛び離れたものでは、そういう類似のものというようなものはなかなか探しがたいというような点もございまして、日本の現在売られておる、一般に取引されておる種類別に分けたほうが望ましいのではないかということで、この区分をそういうふうに分けたわけでございます。分けましたが、その分けましたこれを元のやつをがしゃがしゃと一緒にしてしまって区分がわからなくなっているということではございませんで、もとのままの姿においてそれぞれの袋に入れて現在格納されている、それを分類のしかたとしてこういう分類をいたした、こういうことでございます。
○二宮文造君 米軍が鑑定をいたしましたときのその鑑定者は、たしかアメリカ人が二名おったと私記憶しますが、その一人は、たしかワシントン博物館の地質部長をやっていらっしゃる、そういうダイヤについて非常に造詣も深いし、専門的な立場から、これをわざわざその人が呼ばれて鑑定に立ち会ったと私は聞いております。その人たちが専門の立場から分類をしたのが九十一品種、それが国内に販売に都合がいいように、こういうことで八種類に分けた、こうおっしゃるわけですが、この八種類によって将来売却がされることになりますと、私は大いに問題があろうと思います。Xから始まってABCからZまできめておりますけれども、この中には専門的な立場から見ますと、やはりAの中にも相当のランクの差があると思います。むしろ適切な正確な売却をするためには、品種が多いほうが適切な価格が出る、それを小さくしますと、いわゆる二束三文という形になって、良質のものまでが質の落ちるものと一緒に見込まれる心配が出てくる。なぜそういうふうな分類のしかたをしたかということについても、私はここに業者を鑑定に入れたというところに問題があろうと思うのです。 そこで鑑定の問題が出てまいりますが、いまこれが売却されようという方向に出てきているわけです。その売却にあたりましては、やはり国民の疑念をはらす意味からも、もう一度鑑定をする、相なるべくは、最初米軍の鑑定にあたりましたホーシヤ氏とヘンダーソン氏ですか、ちょっと名前があいまいですが、そのお二人のうちどちらか、はたして良質のものが引き継ぎのときから間違いなく保管されていたかどうか、そういう意見もお聞きになる必要もありましょうし、また、業者を除いた、いわゆる学識経験者という立場からの鑑定、これが一番公平な鑑定になろうかと思うのですが、そういう方法を講じた後に売却をするということでなければならぬと思うのです。種々疑惑を生んでおります鑑定のしかたの結果から考えてみましても、今後に再鑑定をするという必要があろうかと思いますが、この点はどうですか。
○説明員(松永勇君) このダイヤモンドを売却するということは、大体そういう方針でいま検討をいたしているところでございます。私たちもこういう経緯で国民から供出になった貴重なダイヤというものの処分につきましては、慎重の上にも慎重にいたしたいという覚悟で進んでまいっております。具体的に処分のやり方につきましては、現在検討中でございます。まだ確たる成案を得たというところには至っておりませんが、鑑定につきましては、四十年度の予算に鑑定に要する費用として予算を要求し、計上されております。これは、これの処分をする場合の予定価格と申しますか、現実に処分する場合に、はたして幾らの値段をつけるかというような、いわゆる処分を前提とした評価というものをやるという予定で現在予算に計上されているわけでございます。したがいまして、今回の評価につきましては、処分といわば結びつくものでございますので、そのやり方には慎重を期したいと思っております。従来やった鑑定の方法をそのまま踏襲するということでなく、どのようにしたらいいかということを、いろいろな角度から検討しているのでございますが、先ほど二宮先生がおっしゃったアメリカ人二人を呼んで鑑定させるかどうかという点につきましては、いろいろ検討いたしたいと思います。もちろん、予算の関係等もございますので、いろいろな点も検討いたしたいと思っておりますが、いずれにしろ、先ほど申しましたような趣旨から、慎重な、しかも厳正な態度で評価、処分というものをやってまいりたい、かように考えております。
○二宮文造君 これからいよいよ処分されるわけですが、従来も問題になっておりましたし、処分されるとなりますと、ここでわれわれ問題として考えなければならぬことは、管理の問題、さらにそれから今度はいま申しました再鑑定の問題、さらに売却の方法の問題、そして売却代金をどう扱うかという問題、大体この四つの問題に今後残された問題があると思います。 お伺いしますが、現在日銀の地下の金庫に保管されておりますこのダイヤを、たとえば大蔵省の職員がその地下の金庫に到達するためには、そこに入るためには、どういうふうな手続を踏んでお入りになっておりますか。
○説明員(松永勇君) この金庫を開きます場合には、私のほうとしては、この接収金属の管理に当たっている人間のうち、金庫を開かなければ仕事ができないという人間は、リストをつくりまして、その人間のリストとその人間の印鑑とを日本銀行に届け出ております。日本銀行からも同様にこの金庫を扱っておられる方は、私のほうに通報されてきてまいっております。そこで具体的に金庫を開く必要が生じた場合には、国有財産局長の名前をもって、日本銀行の発券局長に対し公文をもってその派遣業務と、それからそれに携わって入る必要がある人間の氏名と日時を通知いたしまして、日本銀行の立ち会い者の先導を受けて入るという手続によってこれをやっております。
○二宮文造君 なぜ私こういうふうにこまかい点をお伺いするかといいますと、日銀の地下の金庫といえども、決して安心ならないわけです。御承知のとおり百万円が紛失しまして、いまだに迷宮入りしております。そこで従来そういうことがあったからと申すわけではありませんけれども、そういうふうに言われるようなこともあったわけです。現在大蔵省が国有財産局長の公文書でもって出入りする氏名を通達すると、じゃあそこへ行かれる方は、何か写真貼付の身分証明書か何かを持って呈示しますか。
○説明員(松永勇君) 私のほうの職員は、大体日銀の方が、常時行かれるものですから、リストを出しておけば、その人間の顔は大体承知されております。と申しますのは、仕事の関係で参りますほかに、毎月一回貴金属の審議会を日本銀行で行なっておるということで、顔を向こうが大体承知しております。なおその印鑑を届けておりますというのは、その印鑑をそれで照合するという趣旨で印鑑を届けておるわけでございます。
○二宮文造君 現在保管しておりますのは「チ」号金庫というのですか。
○説明員(松永勇君) 「ホ」と「ヘ」の番号の金庫でございます。
○二宮文造君 その金庫はどういうことなんですか。金庫を大蔵省すなわち国が借りているという形になるんですか。それとも日銀が全責任を持ってこのダイヤモンドを保管しているということになるんですか。どちらになりますか。
○説明員(松永勇君) 日銀との取りきめは、日銀はダイヤモンドの入っている金庫、この日銀の地下の金庫の中に、もう一つ金庫、ちっちゃな金庫を入れているわけであります。その金庫の中にダイヤモンドが入っております。で、日銀はダイヤモンドの入った金庫を預かっている。中のダイヤモンドは、私のほうが管理していると申しますか、そういうところで日銀と私どもとの責任の分界を明らかにしております。
○二宮文造君 そうしますと、金庫には封印をしておりますか。
○説明員(松永勇君) 私のほうで封印いたしております。
○二宮文造君 その封印は、たとえばそれをあけたときに立ち会った大蔵省の職員が数名いた場合も、たとえば二名とか三名とかが封印をする、あるいは印鑑を押すことにしておりますか。それとも一名が代表で封印の印鑑を押すということにしておりますか。
○説明員(上国料巽君) 現在は三名でもって捺印することにいたしております。
○二宮文造君 現在はとおっしゃることは、過去はどうですか。
○説明員(上国料巽君) 二十七年に鑑定をいたしました際から、そのようにいたしております。
○二宮文造君 二十七年の鑑定は何月から始まりましたか。
○説明員(上国料巽君) 二十七年の十月十日から始めております。
○二宮文造君 それ以前は一名の封印ですね。印鑑を捺印しただけですね。
○説明員(松永勇君) いま説明員が答弁いたしました二十七年というのは、当時の管財局に移ってからのことでございまして、その以前は、これは理財局のほうで所管しておったものですから、それ以前のことがちょっと担当者がよくわからない、こういうふうに申しております。
○二宮文造君 なぜこういうことを申しますかといいますと、たとえば、誤りがなければけっこうなんですが、二十六年の六月には大蔵省の職員としてはただ一人で三回この金庫の中にお入りになっております。これは御提出いただいた資料の中に出ております。説明を受けますと、日銀の職員も一緒に立ち会っておったから間違いはないと、こうおっしゃっておりますが、その当時は日銀の職員は金庫の入口まで入って、中へは入りません。そういうその責任の制度になっておったそうです。これは事実でもって、証拠でもって後日またお目にかけたいと思いますが、こういうふうなあいまいな管理が、国が引き受けた後からも出ているわけです。ですから、先ほど、言いましたような、見たこともないようなダイヤモンドが、国が接収解除を受けてから後にも市場に出回ったというようなことが、たびたびあったわけです。したがって、今後これが売却されるということになりますと、何しろ微細なものですから、人間を疑えばきりないことでして、ズボンの折り返しのところへころころとはさめてみても、すりかえてみてもわからない。現に大蔵大臣が昨年の衆議院の決算委員会での御答弁でも、この接収ダイヤの中には吹けば飛ぶようなものもある。またある人のいわくには、あるいは砂と泥にかえられているかもしれぬというふうなことまで極言する人がいるわけです。ですから、従来の管理の、あるいは保管の状況を、もう一段と正確を期した厳重な保管に今後当たっていただきたい。これを要望しておきます。 さらに鑑定の問題については、先ほどお話がありました鑑定する用意はあると、しかし、その人選については予算の都合もあるので、たとえば米人なんかを呼んで、国際的な視野に立って再鑑定をするというとこまでは確言がございましたけれども、私はこの際は予算のことではない、払い下げ価格、売り払い価格を正確にする意味からも、やはり世界的な視野において、国際的な視野において再鑑定をすべきだ。ちょっと鑑定を変えてみたら、そこに数億、十数億の差はすぐ出てくるわけです。ですから、鑑定にあたっては、その人というものは、幅の広い考え方でやっていただきたいし、相なるべくは、過去に一たんこのダイヤを手にした経験のある方をまじえるということは、ぜひとも必要であろうかと思います。さらに今度はその売却の方法ですが、これは一体どういうことをお考えになっておりますか。
○説明員(松永勇君) 売却の方法につきましては、先ほども申しましたように、実はいま検討をいたしているところでございます。確実にいまこうするということは申し上げられないのでございますが、いずれにしろ公正な価格決定が行なわれるようなことを考えなければならないということで、慎重に考えております。鑑定につきましても、いまも先生からございましたが、私のほうとしましては、これはまだ具体的にそういうふうにするというふうにきまっているわけではございませんけれども、鑑定のやり方についても、従来のやり方よりもくふうを加えたい。これはまだ私の一個人の意見、考えでございますけれども、従来の鑑定は、五人の者が同時に幾らくらいということを一言い、その辺だろうという、合議の形でこれがきまっておった価格でございますが、今後予定価格をつくるのには、そういう合議制をやめて、何か独立したそれぞの価格を出す、したがって、その評価額の最終のものを知っておるのは、鑑定人ではなくて、政府ひとりであるというような鑑定のしかたのくふうも考慮してみたいということで現在検討しているところでございます。
○二宮文造君 そこで問題は、大蔵省は、この十六万カラット余のダイヤを一体幾らに評価されているのですか。
○説明員(松永勇君) この評価は、先ほど二宮先生がおっしゃいましたように、米軍の評価の際は七十三億、接収解除になりました二十七年の評価は六十一億、それから三十七年に評価いたしました際は約六十八億という数字になっておりまして、これが処分の際に幾らの評価になるかということは、今後慎重な評価をやってみてからということでございます。
○二宮文造君 いまお伺いしまして、非常にダイヤだけは国際価格が値下がりしたのだろうと思うのですがね。といいますのは、昭和二十六年——接収解除になって引き取ったのが二十六年ですが、その前に米軍が鑑定したときのあれは七十二億、そして今度は国の鑑定は六十一億、それから今度は三十七年に再鑑定をして六十八億、ダイヤの値段というものの推移をひとつお聞かせ願いたいのですがね。
○説明員(松永勇君) 実は私、ダイヤモンドについてよくは存じませんが、実はここに菅原通済先生がお書きになった、いろいろなダイヤモンドのなにがございまして、一カラット当たりどの程度の値段が、現在しているかということがいろいろ出ております。代表的なブリリアント五十八面体のもので一カラットが、いろいろ種類によって違いますが、黄色を帯びたものについては二十万ないし三十万、白い普通のものについては四十万——五十万、あるいは青みの強い白いものについては五十かから六十万、ダイヤというものの価格というものは、大きさ、それから色、それからきずのあるなしというような点で非常に違っているようでございます。いま私たちが申し上げましたこの鑑定のもとをなしておりますダイヤは戦前のものでございまして、いわば現在では流行おくれとなっておるというような話を聞いております。流行おくれと申しますのは、従来のブリリアントという、あれは五十八面体でございますけれども、日本の従来のやつは背が非常に高いものです。現在はそれが非常に狭まっているというか、幅が押しつけられたような形、そういうもの、色については、現在は青みのもののようなものが非常に流行し、高い。ところが、この供出されたダイヤは、大体ブラウンが非常に多い。それから指輪その他につけられておったものをはずして供出したわけでございまして、その取りはずしによって相当きずをつけられた、きずのついたものが非常に多いというような関係、それからもう一つここでお断わりしておかなければならないのは、この価格は、いわば卸売り価格というものでございまして、この卸売り価格に物品税が入り、小売りのマージンがそれに加わるということになると、一般の市販に出ているものは大体これの倍近くなるのだというようなことを、ダイヤモンドのそういう専門家から聞いております。
○二宮文造君 それにしましても、戦後われわれも経験したことは、戦後ずっと低くなったのはとうふの高さくらいなんです。あとはたいてい数倍、数十倍しているわけです。いまお話を聞きますと、大体まあ二十万とか三十万とか五十万とか、良質なものでしょうけれども、そういうカラット当たりの建て値が立てられて、いま御説明を受けました六十数億といいますと、これはカラット当たり四万幾らになるわけです。私が心配しますのは、米軍が鑑定した当時七十二億、それから国が鑑定して六十一億、六十八億と、こういうふうに数字が変わってくるその理由に、はたして引き継がれたままで正しい形で今日まで保管されたかどうか、これは国民が知りたいところだろうと思うのです。その場合に問題になりますのが、出入りの問題、それからあの鑑定をしましたときの鑑定のしかたの問題、あるいは鑑定に立ち会った人のいわば鑑定のしかたの問題、というのは、良質のものをもっと下のほうのランクへ繰り入れた、したがって査定価格が下がっていくというふうな疑いがここに出てくるわけです。きずがあったということは、米軍も当時はもう承知しておりましょうし、あるいは米軍が鑑定し国が鑑定したその時点におきましても、流行の差異というものも勘案しておりましょうし、少なくとも現在二十万、三十万、四十万という建て値が立てられている時代に、国が四万五千円という建て値を持つという考え方の奥に、私は非常にふしぎなものを感ぜざるを得ないわけです。したがって、この売却のあり方に私どもとしては条件をつけたい。鑑定をやり直しなさいということもその条件でありますし、また、当時立ち会った米人も加えたらどうかということもその条件でありますし、さらに、ずっと終始一貫この鑑定に立ち会っておられるのは、巽という方が米軍のときもいらっしたし、それから引き継いだときもいらっしたし、さらに、三十七年にも鑑定の中の一員に加えられていると思いますが、こういう業者による鑑定ということはよろしくない。鑑定人の選別にも条件をつけたくなるのはそのゆえです。この売却の方法につきましては、指名入札というものは絶対避けていただきたい。これは業者間の談合ということが、巷間よく法の裏をくぐってやっております。それから指名入札はなくして一般競争入札にしていただきたい。もちろん、それには保証金なんか取って、これはまた予決令なんかの規定もあるかと思いますから、泡沫の人が参加するということでは混乱を招くだけですから、この点は若干考えなければならぬと思いますが、さらに、種類をもう少し細分化したほうがいい。でき得れば米軍が選別をしました九十一種類に戻す。そのほうがより正確に払い下げ価格が算出されると思います。そういうふうなことを十分に考慮されて、この処分に当たっていただきたいということをつけ加えておきますが、この点はどうでしょう。
○説明員(松永勇君) 私たちも、いまいろんな角度からこの処理の厳正をはかりたいということで検討いたしておりますので、いま二宮先生がおっしゃた点、今後の検討に十分加えて慎重な検討を進めたいと思います。
○二宮文造君 この評価ですね、ある人は当時買い入れたのが、交易営団が買い入れた金額が、当時の金で二億円少々だ。したがって、当時の昭和十九年の物価から考えてみますと優に一千億の値打ちがある、こういう人もおります。さらに、もっと妥当な意見としては、カラット当たりあるいは十五万円から二十万円ぐらいまでの線をつくって、そして二百数十億になるはずだ、こういう御意見の方もあります。したがいまして、この価格のいわゆる評価にあたりましても、厳重な御注意が願いたいと思うのですが、さて、この売却の代金ですが、たしか過去の国会におきまして、これは一般財源に繰り入れることなくして、戦争犠牲者あるいは引き揚げ者、そういうふうな気の毒な方々のいわゆる戦争犠牲者の社会福祉事業に充てるべきである、こういう決議がなされて、そして、もうその法も成立寸前で国会が解散された。また、たしかこの貴金属の処理の法案が通りましたときも、参議院だと思いますが、附帯決議をしました。いわく因縁があるこういう種類のダイヤモンドであるから、その販売の代金については、やはりいま言いましたような戦争犠牲者を含めた社会福祉事業に充てるべきであるというふうな附帯決議がなされたと思うのですが、何かきょうの報道を見ますと、財源枯渇のおりから一般財源のほうへ繰り込んでしまうのだというふうな、大蔵省の考えのように報道がされておりますが、この辺の考え方は、過去の由来というものを勘案して、大蔵省ではどうお考えになっておりますか。
○説明員(松永勇君) 本日の新聞の記事については、私はよく存じませんので、答弁の限りではないと思いますが、大蔵省といたしましては、私のほうでいろいろ検討をいたしておりますのは、いまの処分のことでございます。予算を組みますほうは主計局ということで、私の直接に関知しないところでございますが、本件につきましては、こういう附帯決議もついておるし、従来の国会における審議過程においても、そういう御意見が多々にあるということは、省内のいろいろな議論の際にもそれを論議しておる状況でございます。今後のそういう処理については、政府全体として方針がきめられることになると思っております。
○二宮文造君 ちょっと前に返りますが、処分、いわゆる売却ですね、売却をしますまでの手続としては、一体どういうことが考えられますか。どこで決定し、その手順が進められていくことをお考えになっておりますか。
○説明員(松永勇君) 会計法的に申しますと、これから予定価格をつくり、そうして処分をする、それによる歳入は一般会計の歳入になる。先ほど新聞にあった一般財源とおっしゃったのは、一般会計に入るという御趣旨ではなかろうかと思いますが、一般会計の歳入に入る、大蔵省主管の歳入に入ってくるということでございます。
○二宮文造君 いや、その処分の、売却する手続を決定する機関、あるいはそれを担当する部門、それらは一体どこがやるか、どういう手続あるいは実施方法でおやりになることが予定されるか。
○説明員(松永勇君) この処分は、国有財産局で処分案を作成し、そして省議を求め、大臣の決裁を経て処分をする。実際的のこれの歳入徴収官と申しますか、会計のほうは大蔵省の会計課長が歳入徴収担当官となるということになりますが、実体的な処分の計画決定という面は、私のほうで実施するということになろうと思います。
○二宮文造君 その場合に、審議会なんかにはかけますか、その処分方法なんかについて。
○説明員(松永勇君) 実はその点につきましては、そういうことも含めて現在検討をしているのでございます。現在の貴金属処理法の法に書いてございます審議会の所掌事項としては、必ずかけなければならないという規定の中には入っておりません。が、そういう点も含めて、審議会の御意見を聞くということはどうであろうかというようなことも、現在検討しているわけでございます。
○二宮文造君 四時になりまして、大体お約束の時間のようですから、きょうは、あらましこのダイヤの問題につきまして、過去の断続的な会議録なんかも整理をしたつもりでお伺いをいたしました。 なお、他の委員の方もこの部分的な問題については、ずいぶんと御質疑があると思いますが、時間の関係で本日はこれまでにとどめておきます。
○委員長(相澤重明君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(相澤重明君) 速記を起こして。 他に御発言がなければ、本件に関する調査は、本日のところこの程度にとどめておきます。 本日はこれにて散会いたします。 午後四時散会