建設委員会 第1号
- 発言数
- 33 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1965/08/06
会議録
○森山委員長 これより会議を開きます。 まず、理事の補欠選任の件についておはかりいたします。 本委員会の理事に欠員がありますので、その補欠選任を行ないたいと思います。 この際、先例により委員長において指名するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○森山委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。 それでは丹羽喬四郎君を理事に指名いたします。 ————◇—————
○森山委員長 国政調査承認要求に関する件についておはかりいたします。 建設行政の実情を調査し、その運営を適正ならしめるため、 一、国土計画に関する事項 二、地方計画に関する事項 三、都市計画に関する事項 四、河川に関する事項 五、道路に関する事項 六、住宅に関する事項 七、建築に関する事項 八、建設行政の基本施策に関する事項について、小委員会の設置、関係各方面から説明聴取及び資料の要求等の方法により、本会期中調査を進めたいと思います。 つきましては、衆議院規則第九十四条により、議長の承認を求めたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○森山委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。 なお、議長に提出する国政調査承認要求書の作成及び手続等につきましては、委員長に御一任願いたいと思いますが、御了承願います。 ちょっと速記をやめてください。 〔速記中止〕
○森山委員長 速記を始めてください。 ————◇—————
○森山委員長 建設行政の基本施策に関する件を議題として調査を進めます。 この際、瀬戸山建設大臣から、建設行政の基本施策について説明を聴取することにいたします。瀬戸山建設大臣。
○瀬戸山国務大臣 第四十九回国会の建設委員会審議にあたりまして、当面の建設行政に関する所信の一端を申し述べたいと存じます。 まず、建設行政に関する施策の基本といたしましては、国土の改造を通じて過密都市の弊害の除去と地域格差の是正をはかり、およそ十五年後に公共施設の水準を現在の西欧水準に引き上げ、全国民が豊かな生活を享受し得ることを目標としたいと存じます。このため、各種の長期計画に基づき、道路、河川、住宅、都市施設等の公共施設の整備充実を積極的に推進する所存であります。特に最近の経済情勢にかんがみ、公共投資を大幅に拡大し、なかんづく社会開発の中核として、立ちおくれの目立つ住宅の建設に最重点を置いてまいりたいと存じます。 第一に、住宅対策といたしましては、昭和四十五年度までに、すべての国民が適正な水準の住宅を確保することを目標に、一世帯一住宅の実現をはかることとして努力してまいりましたが、人口の都市集中、世帯の細分化等による住宅需要の増大に伴い、現在の住宅建設七ヵ年計画を最近の資料に基づいて再検討し、住宅事情に即応した住宅建設に関する計画を新たに策定し、住宅の建設、供給を強力に推進してまいる所存であります。 なお、当面の問題として、現下の沈滞した経済の早期回復をはかるため、関連産業への波及効果の大きい住宅建設に対する財政投融資を拡充して、公団、公庫住宅について、建設戸数の増大、建設計画の繰り上げ実施等必要な措置を講じてまいる方針であります。 次に、土地対策につきましては、最近における地価の高騰が、はなはだしい宅地入手難、公共用地の取得難、無秩序な市街地形成等の弊害を生じ、国民生活の安定及び公共事業の遂行に支障を来たし、経済の成長にも悪影響を及ぼしている現状にかんがみ、土地の公共性を重視する観点に立って、宅地対策及び公共用地取得対策を強力に推進する所存であります。 なお、宅地対策を強力に推進していくため、本省に宅地部を新設することとし、このため建設省設置法の一部を改正する法律案を今国会に提出いたしております。 第三に、都市の整備の促進につきましては、近年の人口、産業の都市への急激な集中及び今後の都市化に対処し、都市整備を強力に推進し、都市における土地利用の適正化、都市施設の整備をはかる必要があると存じます。このため、過密の弊害の著しい大都市の整備をはかるとともに、新産業都市等地方開発の拠点都市の整備を推進する方針であります。特に過密の弊害の著しい大都市につきましては、概成市街地内に必ずしも立地する必要のない工場等の移転を促進し、そのあと地を道路、公園、駐車場、中高層住宅等に計画的に利用する方途を講ずる所存であります。 また、都市施設のうち最もおくれている下水道につきましては、さきに閣議決定した総投資規模三千三百億円の下水道整備五ヵ年計画の大綱に基づき、近く同計画を確定し、その整備を促進する所存でありますが、現下の景気対策の一環として、住宅建設と並んで、下水道に対する財政投融資を拡充する措置を講ずることといたしたいと存じます。 第四に、道路整備につきましては、最近における道路交通需要の増大に対処するとともに、国土の総合的な開発と均衡ある発展をはかるため、国土を縦貫する高速自動車道を軸とし、全国の主要都市及び開発拠点都市を結ぶ高速自動車国道網を策定し、その計画的な建設を促進する方針であります。このため、青森から鹿児島に至る高速道路を今後十年間で貫通させることを目標にし、さしあたっては、すでに着工している東名高速道路及び中央高速道路(——これは東京−富士吉田間であります。)を、それぞれ昭和四十三年度及び昭和四十二年度に供用開始できるよう建設を促進するとともに、すでに予定路線が決定した東北、北陸、中央(——これは富士吉田−小牧間であります。)中国九州の各高速道路についても、緊急を要する区間から建設に着手する予定であります。 また、道路整備五ヵ年度計画の第二年度として、一般国道及び地方道の整備を促進することとし、特に最近における交通事故激増の趨勢に対処し、ガードレール、道路照明、横断歩道橋等の交通安全施設の整備を強力に推進する所存であります。 第五に、河川につきましては、新河川法の施行に伴い、水系を一貫した河川管理を行なうとともに、水防体制の整備をはかり、その万全を期することとし、新治水事業五ヵ年計画の実施にあたっては、重要水系及び水害多発地域の河川改修、新産業都市建設、農業構造改善事業等の地域開発に関連して必要な各種治水事業等の促進並びに用水需要が逼迫している重要地域における水資源の開発に重点を置き、治水利水対策の総合的な推進をはかる所存であります。 最後に、建設業につきましては、その近代化と中小建設業の育成をはかり、特に輸出振興と国際協力の見地から海外進出基盤を整えるための積極的方策を進める方針であります。 以上、建設行政の基本的施策につきまして所信の一端を申し述べましたが、建設行政の国政に占める役割りがいよいよ重要となりつつあるおりから、全力を尽くして責務の遂行に邁進する覚悟であります。何とぞ委員各位の一そうの御指導、御協力をお願いする次第であります。(拍手)
○森山委員長 以上で説明は終わりました。 本件に対する質疑は次会に譲ります。 ————◇—————
○森山委員長 次に、道路に関する件について調査を進めます。 この際、本件調査のため、大分県知事木下都君、愛媛県副知事野村馬君、宇和島運輸株式会社社長長山芳介君、豊予商船株式会社代表取締役田中健之助君を参考人として、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○森山委員長 御異議ないものと認め、さよう決定いたしました。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 参考人の方々には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、ありがとうございました。どうぞ本件につきまして腹蔵ない御意見をお述べくださるようお願いいたします。ただ、時間の都合もございますので、御意見をお述べいただく時間は約十分以内にお願いいたしまして、後刻委員からの質疑もあろうかと存じますが、その際十分お答えをお願いいたしたいと思います。 御意見をお述べいただく順序等につきましては、委員長に御一任を願います。 それでは、木下参考人からお願いいたします。
○井谷委員 ちょっとその前に……。 今臨時国会は非常に短期でありまして、しかも当委員会はわずか二日間、法律案の提案はないとしても、非常にこの二日間は大切な時間であると思いますが、その間に委員長が格別のおはからいで、きょうフェリボート問題について参考人を呼ぶ処置をとっていただいたことを、まず感謝申し上げたいと思います。 次に、大分県知事をはじめ、参考人においでいただきました方々、公務、社務御多端のおり、しかもこの暑いさなか御上京いただきましたことを心から感謝を申し上げます。 この九州・四国連絡のフェリボートの問題は、河野さん、小川さん、現大臣に至る三代にわたる当委員会としての大きな課題であります。と申しますのは、ただ単に佐賀関−三崎間に旅客や自動車を航行さすというだけのことでなくして、これは、明石・鳴門架橋と相まって、東のこの架橋の問題、西にはこのフェリの問題という、東九州、四国を京阪神経済に直結する大動脈であることは、御承知のとおりであります。さらにまた、瀬戸大橋の架橋によって中国、四国、九州の交流ということが、やはりこの三崎の路線を通るこういうことにおいて、われわれ非常に重大視しておるのでありますけれども、この長期にわたる間において、世間にいろいろな不明朗な疑惑を与えておるし、さらに皆さま方のお立場においても相当の御意見があろうと考えまして、御足労願った次第でありますが、いま申し上げますとおり、時間が非常に短縮されておりますので、そのおつもりにおいて要領をまとめた御意見を御開陳願いたいということを申し上げる次第であります。終わります。
○森山委員長 木下参考人。
○木下参考人 きょう参考人としてお呼び出しを存じもよりませず受けまして、この九四フェリの問題については、前の小川建設大臣の御裁定になった案について協議を私受けまして、残念ながらその協議に私としては御同意申し上げかねるということに相なりましたことが、きょうこうして御審議というようなことになった一つの原因ではないかとお察し申し上げます。この点、たいへん恐縮いたしますが、同時に、私としましては、私の考えを皆さま方のお耳に入れる機会を得ましたことを、その意味においてはたいへんありがたく存じておる次第であります。 時間が少ないのではしょって経過だけを申し上げまして、その経過の中に私の考えがおのずから出てくると思いますので、さような意味で申し上げたいと思います。 この三崎と佐賀関間にフェリを通すという問題は、十年前私が知事になりましたときから問題になつておりました。しかしながら、まだその当時は、佐田岬のほうに三崎まで自動車も通っていないというような交通の実情でありましたので、とりあえず七年前の昭和三十三年に大分県でも期成会をつくりまして、そうしてそのころから愛媛と大分の土木関係のほうで調査はいたしてきたわけであります。その調査の結果、ぜひ通したいということに相なりまして、まずこの路線を国道に格上げしていただきたいということをお願いしてまいりました。幸いにその国道の格上げが昭和三十五年に大分大洲線ということで認められました。それと同時に、愛媛県側で佐田岬に道路をどんどん開かれて、それで昭和三十六年には自動車がとにかく、上等の道じゃありませんけれども三崎まで通うようになったということで、それでは両県共同してこの運動を展開しようということになりまして、昭和三十六年に、国道に編入された翌年に両県共同の期成会をつくって、そうしておもに建設省と公団の方面に御陳情申し上げてきたわけであります。それで、三十六年から建設省のほうもこの路線の調査ということで、三年間続いて公団のほうに予算を組まれて予備調査をされました。その予備調査の結果、いよいよ昭和三十八年の暮れに実施予算がつくということになりまして、愛媛県知事さんから私に、いよいよつくようになったといって、たいへん御一緒に喜んだわけであります。で、大分県側の佐賀関町あたりは、昨年のお正月には祝賀会をしたというような状態で、この運動が進展してまいったのであります。 ところが昨年の二月の二十六日であったと思いますが、当時の河野建設大臣が、条件が同じなら、道路公団は非常に仕事が多いのだから、それは民間がやったがいいと思うというような御趣旨の国会における御答弁があって、それが新聞に大きく伝えられまして、私もこれはとは思いましたけれども、しかしそれほどその問題がまだ複雑化し、発展してくるとは思いませんでしたので、気をつけて、ずっとその経過を見守ってきたわけであります。そうしましたら、御案内のとおり、昨年の五月、六月というのは、自民党の総裁選挙がありまして、そういうことがあるので、そういう際にこの問題をかれこれ御陳情なんか申し上げてもと思ったので、じっと私としては静観しまして、その間に、ときどきは両県の知事その他がそろいまして、そうして御陳情申し上げたことがあります。河野建設大臣にも五月ごろであったと記憶しますが、申し上げました。そのとき当時の河野建設大臣は、いやこれは公団はたいへん仕事が多いのだ、それで条件さえ同じならこういうのを民間でやらせるのもいいと思う。しかし県がまたやるというならこれは別だということを漏らされました。私もそれははっきり耳に残りましたけれども、県でやるというようなことは夢にも私考えてまいりませんでしたものですから。——やはり八年前から両県とも手を携えて共同の運動を展開しましてから、両県選出の国会議員をはじめ、両県知事、県会議長、その他関係市町村の幹部がいつも一緒に陳情してきたわけであります。さような意味で、私も河野建設大臣のおことばは、耳にはぽっときましたけれども、それほどこれについて深い関心は持たないでずっとやってきたわけであります。 ところが御案内のとおり、昨年の七月十八日に内閣が改造されまして、河野建設大臣か建設大臣をおやめになって、小山さんが建設大臣に御就任になりました。御就任早々にかようなことを陳情申し上げるのもどうかというふうにも思いますし、県政のほうも忙しいものだから、ずっとそのままにしておりましたところが、昨年の八月の四日、小山建設大臣が就任されてまだ一ヶ月をたたないときに、その二、三日前に、だれか県から一人出てもらいたい、九四フェリの問題で話したいからということの電話が建設省からあったというので、さっそく私のほうに県の事務所から通知がありまして、私も仕事の関係上繰り合わせがつきませんので、企画部長をと思いましたが、企画部長も人を集めておるというようなことで、それで県の事務所長が出席する。それで出席したならば、これだけは間違いなく申し出ておいてくれということを指図しましたのは、八年前から終始一貫して、いわゆる道路公団一本立てで運動をしてまいりましたし、今日もその一本立てという意見に変化はありませんということだけは忘れぬように申し出ておいてくれということだけを指図したのであります。ところがその昨年の八月四日の集まりの様子をこさいにあとで伺いますと、その八月四日には愛媛県からも知事さんはお出にならなくて事務所長がお出になった。それから公団からは総裁がお出になった。それから小山建設大臣、それから運輸省から参事官の方が一人お見えになった。両県の国会議員の中からは大分県選出の村上代議士が一人お出になったというだけだった。そうしてその際に愛媛の事務所長さんから、私が受け取ったのは、卒然と一そう分を愛媛県にやらしてもらいたいという申し出があったということがちょっと出ました。それでその前から、ことばが適当でないかもしれませんけれども、足して二で割るような意味において一そう一そうしたらどうかというようなことも新聞には伝えられておりまして、私としては、そういうことがあるから事務所長にははっきり公団一本立ての意見を八年前から今日まで少しも変えておりませんからということを申し出させたわけであります。そうしましたら、最後に小山前建設大臣が裁定するというような趣旨で、それで公団と民営と一そう一そうという裁定があったということを伺いました。私自身としては非常に心外に存じまして、それでなるべく早い機会——に小山建設大臣にもこの問題でお目にかかって陳情申し上げた、そういう機会を一度も持ちませんので、それですぐ参りたいと思いましたが、九月の県議会等がありましたので、十月十日に参りまして、建設大臣にお目にかかって私の考えを詳しく申し述べたわけであります。 建設大臣からもいろいろお話がありまして、もうここまできたのだから納得してもらいたいというお話もありましたけれども、私としましては、後方項目的に申し上げますが、この路線が普通の路線なら、それは何でもないと私は考えておるのであります。河野建設大臣が、条件が同じならという意味は、私こう理解しておるのであります。公団がやっても民営がやってもどっちでもいいような路線、私の理解するところではローカルな路線ならどっちでもいいんだという意味で、条件は同じという意味は、船の太さ、が同じとかあるいは料金が同じとかいうような意味ではないと私はそう理解しておったわけであります。それで小山建設大臣に十月十日にお目にかかりまして、非常な長い時間ちょうだいして私の考えを申し上げたのでありますが、しかし大臣は、もうこういうふうにきまっているんだから、まあ納得してもらいたいというようなおことばがありましたけれども、私は、それは県民の利害を守らねばならぬという最大使命を持っている大分県知事としては納得しがたいのでありますということでお別れしたわけであります。その足ですぐ松浦前運輸大臣にもお目にかかりまして、私の考えだけは陳情申し上げております。松浦運輸大臣からは、あまり詳しいことも御存じないようなふうで、もうきまったらそのとおりやってはどうかというような意味のことばの片りんもありませんでした。 〔委員長退席、吉川(久)委員長代理着席〕 それで御案内のとおり、道路法の関係で、道路と港湾の管理権を持っておる知事に対して、いよいよ一そう一そう案を実施するとなりますと、協議が来ることになっております。その協議はまだ来ませんけれども、その協議の来ることはわかっておる。ところが、本年の一月でありますが、この問題について大分県側の佐賀関のフェリをつけるための防波堤の三十九年度の予算が一千五百万円について、内示があってそれを県が受け入れるかどうかというお話があったわけであります。土木部長がそのことを私に申しますから、フェリをつける防波堤、これはつくらなければならぬし、県が当然負担すべき筋の通ったものは当然負担するという覚悟はしておりましたけれども、私はそれはどういう負担でやるのかということを聞きましたところが、これが産業関連港湾改良事業ということで防波堤、が千五百万円、そのうちの三割を公団と民営の会社がやる、残りの七割を国が四、県が四、地元が二という割合で負担するんだということを言われました。三割の半分、言いかえれば千五百万円の三割の半分二百二十五万円を民営の会社が負担する。そうして三十九年度の予算の中で防波堤にこれを使って仕事を始めるということなんです。私は、これはうっかりできない、公団一本でいっているときに民営の会社、しかもその民営の会社は、後に申し上げますが、現在の豊予商船株式会社であります。その会社が防波堤に二百二十五万円という、考え方によればそうたいした金ではありません。それを出したがために、もうその公団、民営二本立てを知事が認めたということに相なる危険が多分にありますので、私はそれをお引き受けすることはできないとお答えしたのであります。 ことしの二月十日にいよいよ法に基づく協議書をいただきました。その協議書が二本立て案であります。民間の会社が半分持つ。それで民間の会社はどの会社を予定されておるのかということを私確かめましたところが、それは豊予商船を予定しておるんだ。そして先ほど申すのを忘れましたが、昨年の八月四日に小山前建設大臣が裁定されたときも、会合に豊予商船の重役である近鉄の社長の佐伯さんが出席されておったということも伺っております。 それで私は、さような意味で二百二十五万円の防波堤の費用を県がそっくりそのまま受け入れることはいたしかねる一いうので御返事を申し上げたわけであります。二月十日に協議書が参りまして、いまのように確かめたところが、民間会社には豊予商船を予定しておるということでありますので、これで私としては従来新聞で伝えられておる線が出たのだというふうに考えました。これは私は豊予商船を特にきらっているとか近鉄をきらっているとかいうことではありません。近鉄が別府にケーブルカーをつくるときには、県内の経済界の人たちは、県外資本を入れるなというような陳情も受けましたけれども、自分たちでやる力がなくして、そうしてそんな県モンロー主義なんといったってしようがないですよ、私は極端なことを言うようだけれども、建設をするのなら外国の資本でもいいぐらいに思っているんだというぐらいに言いまして、近鉄のケーブルカーをつくることには自分の仕事のように、県としても協力してきたわけであります。近鉄というようなものを特に私が何か感情的にきらうというようなことのない意味においていま申し上げたわけ一であります。 ところが、さような情勢になりましたので、私、よく調べまして、いまの豊予商船株式会社の成り立ち等を調べましたところが、一昨年の暮れに実施予算がつきましたときに、その直前の昭和三十八年の十一月の末に、鹿児島の岩崎與八郎さんという人が資本金一千万円で九州四国フェリーボート株式会社というものを設立されておるのであります。そうして、伝えられるところでは、青木石油という会社の持っている機帆船の航路権を譲り受けたんだということであります。佐伯社長が八月四日の会に出席された理由も、私の伺っているところでは航路権者として出席したんだということであります。その九四フェリの一千万円の岩崎與八郎さん、この方も非常に敏腕な実業家であることも私承知いたしております。 〔吉川(久)委員長代理退席、委員長着席〕 しかし、この方については県に九州の横断道路のすぐ近くに大きな土地を確保して、そうして大きな遊覧の計画をお立てになった。その計画を私のところに持ってきましたときに、その中に県が農林省から何千万円、県も何千万円と出してやっている酪農の大規模機械化の農場があるわけであります。その農場も計画の中にいっておりますので、それで私としてはこういう乱暴な計画の立て方をする人では、これは自分としても用心しなければならぬというふうに思ったのが岩崎さんに対する私の第一印象であります。そこで岩崎さんが、大分県にも愛媛県にも関係のない岩崎さんが九四フェリー株式会社というものを一千万円でおつくりになった、青木石油の機帆船の権利をお買いになったというようなこともうわさには聞きましたけれども、そういう問題は立ち入って調べる必要もないというので、私は立ち入っては調べません。けれども、その会社の経過だけを見ますると予算のついたそのときに設立された。そうしてその会社の商号を、河野さんが国会で民営もしかるべしという発言をされた二月の末でありますが、その三月の初めにその会社の商号を豊予商船株式会社ということに、商号だけを改めたのであります。そうしてその一千万円の会社が、先ほど申しましたように、小山さんが建設大臣に就任されました七月の十八日、その一週間足らずの後の七月二十二日に豊予商船株式会社が資本金を一千万円から三千万円に増資いたしました。そうして、近鉄の社長さんの佐伯さんが代表取締役になられておるのであります。世間がこの問題を約半年前から新聞等で近鉄の運動だと伝えておったのも無理もないというふうに、私はこの事実によって承知し、はっきりその確信を得たわけであります。
○森山委員長 木下参考人に申し上げます。お約束の時間がだいぶ経過いたしましたので、結論をお願いいたします。
○木下参考人 それで、私としましては、これは幹線であります、関門あるいは青函というものに準ずる、将来は四国を通じて阪神地方につながる幹線であります。ことに大分県としましては新産都を建設いたしておりますが、一番大分県の持っておる弱点は、阪神という日本の中央市場に遠いということです。それが、この路線ができますると、四国の道路が改修されれば百六十キロから二百キロ近く短縮されるわけであります。この点は愛媛県にとりましては一キロも短縮されるわけではありません。その点が、大分県としてはこのフェリを開いてもらいたいという最大の理由は、その中央市場の距離の短縮であります。そうして、これは御案内のとおり大分、宮崎の新産都の建設のほうが進みますと、必ず重大な、関門、青函に準ずる幹線になることは間違いないのです。そこで、輸送賃がトン当たり一円安くても数でこなしますから非常に大事なものです。そういう意味において私は、県民の利益を擁護するという立場から、建設費が償却されれば料金は漸減するという立場にある公団でやっていただきたいというのが私の最大第一の理由であります。 それからなお申し上げたいのは、二本立てと伺いましたときに、理屈を言うようですけれども、万々一洞爺丸事件とか紫雲丸事件のようなことがありましたときに、責任の所在、区分が不明確であります。そこで、これは公団に伺いました。そうすると天災ではないのだという返事であります。そうしますと大きな被害を与えたときの賠償能力の点において、資本金三千万円の会社と、国家と同一視してもよい公団との間には、これはたいへんな賠償能力に差がある。その点においても安心ができないというのが第二の理由であります。 それから県内でも、もう小山さんがああいうふうに裁定されたのだから、ことに愛媛の知事さんもそれでいいとおっしゃるのだから、もう大分の知事さんそうがんばらぬでも、という声はあります。けれども、そういう人たちも第一には公団でやってもらいたいのです。みな言っております。公団でやってもらいたいというのであればこそ八年も運動してきたのです。けれども、これがこういうことになったから次善をとるという意味で、まあひとつ知事さん、われわれはがんばらぬでもらいたいのだというので、本心は、第一の願望は私は確信を持っております。九〇%以上が公団でやってもらいたいと思っておるのです。これは現在の政治の姿としては、ぜひ政府においても十分御参酌していただきたいというのが私の考え方であります。 ほかに、関西汽船とか宇和島運輸とか、それから私の地元にある宮崎産業という船会社から、公団でやるようにずっと何年問聞いておったからいままで静かにしておったけれども、民営というような声が新聞に出ると、それなら私たちは深い縁故を持っておるのだから出願したいというお話を、私のところに三つの会社からたびたび、昨年の春から夏にかけて受けました。私は、誤解せぬでください、私は近鉄だからいかぬというのではありません、私の持論は、公団一本立てをしかるべしと考える、そうしてそれが知事に課せられた権能を正しく信ずるままに行使する道だと確信しているからするので、豊予商船なら悪いけれども、あなた方ならいいというのではないから、そこは誤解せぬでくださいということを申し上げましたら、いやそれは知事さんの前からの御意見、よくわかっておりますというようなことでおるのが現在の姿であります。 それでことしの春、小山建設大臣がおやめになって、瀬戸山現大臣が御就任になりましたが、就任早々のたいへん御多忙とは思いましたけれども、私、小山大臣には一度もこの問題で御陳情申し上げる機会を得ないままになった、だからひとつ貴重な時間で恐縮だけれどもちょうだいいたしたいということを申し出ましたところ、四十年の六月の十八日にゆっくり陳情申し上げる時間をいただきました。瀬戸山建設大臣に経過を約一時間以上にわたりまして詳しく御陳情申し上げておるのが現状であります。その後、愛媛県の方々も私のところに見えたこともありますが、瀬戸山建設大臣にお目にかかった、そのときの様子で、新聞で県営という話が出たということがあるものですから、これも一そうは公団、一そうは両県でやるというようなことは、それは公共性は共通のところはあるかもしれませんけれども、責任の区分とか運営とかいうような面であまり複雑になっちゃと思いましたけれども、しかし原則論として、ことに前から愛媛県のほうでは県で単独に一そうをやろうというようなお話も伺っておるものでありますから、貧乏県の大分県ではありますけれども、それはおつき合いはすべきものであるというふうに考えたから、原則としては県営で一そうをまかなうという、具体性は何もありませんけれども、そういう原則には私は特に異議を言うわけではないということだけは申し述べました。 それでことしの六月の二十八日に正式に、私としては、いまの協議を受けておる案では御同意申し上げかねるという回答書を出したわけであります。回答書にこまかく理由等も具申してあります。経過の大要と回答書だけは——最近、回答書を出しましてから、県民からいろいろ問い合わせがあるものですから、三枚のものに印刷してありますが、もしお差しつかえがなかったら、後ほどその控えを事務局のほうに差し上げておきますから、委員長のほうで、もし御要望の方がありますれば、委員の各位にもごらんになっていただければ私たちとしてはたいへんしあわせだ。私の考えをずっと経過でごらんくだされば、一そうよく御理解していただけると思うので、きょう持参しております。 時間が相当経過いたしまして恐縮でありますが、以上、大要の経過と、私の協議書に御同意申し上げかねるという回答を出したいきさつを申し上げた次第であります。
○森山委員長 次に、野村参考人。
○野村参考人 四国の後進性、あるいは愛媛県が非常に後進性の強い県であるということは、結局道路網の整備がないということ、特に四国側といたしましては、本土への架橋あるいは九四の連絡ということにおいて欠けておる点が非常に大きく作用しておると考えておるのであります。そういう意味で愛媛県といたしましては、特に大分、宮崎等、南九州とは経済的にも文化的にも、また観光部面から申しましても非常に緊密な関係にあるのでございます。ところが、この佐賀関と三崎間海上三十キロ、豊予海峡にはばまれてその念願が達成せられておらないのが現状なのでございます。そういう意味から、愛媛県といたしましては、本土へかける橋の問題とあわせて九州、四国を結ぶこのルートにつきましては多年の念願であったわけでありますが、大分県と愛媛県が三十四年の八月にこの道路の建設を促進しようという協議会をつくってまいったのであります。さらに三十六年の五月になりまして、広島、島根各県が加わりまして、四県でこのルートの促進をはかってまいりまして、政府に対しましても何回となく陳情を続けてまいったわけでありますが、途中の経過は大分県の知事さんからお話しになったとおりでございまして、四十年度に初めてこのルートの予算が計上せられた。それで愛媛県側としましては、多年の念願がまさに緒についたものとして非常に喜び、また感謝もいたしておるわけであります。 本年の二月に道路公団からこのルートの有料道路の協議書によりまして協議を受けた際におきましても、愛媛県議会は満場一致でこれに同意いたしましたのも、そういう理由によるわけでありまして、私のほうとしては、一年でも早くこのルートが完成することが愛媛県、ひいては四国の開発に大きな貢献をするものと確信いたしておるのでございます。 ただいま大分県知事さんからいろいろ御意見がございました。愛媛県に対しましても、一本立て方式から二本立て方式に変わったいきさつはどうなのか、それに対する意見はどうであるのかという御質問の書簡もいただいたのでございます。これに対しまして、私のほうからは、こういうふうにその事情を御回答申しておるのでございます。それは、「昭和三十四年以降、貴県とともに道路公団方式による実現をはかってまいりましたが、昭和三十九年に至り、河野建設大臣の民営方式が発表せられ、小山建設大臣の就任直後、同年八月四日の関係者協議会において官民合同方式が打ち出されたいきさつは御承知のとおりであろうと思います。本県といたしましては、最終的に建設大臣より官民合同方式の提案があったことに対し異議の申し立てを行なわなかったことは、いずれもひたすらに早期就航を願うためでございます。」というふうに御回答を申し上げたのでございます。 なお、各船会社からそれぞれ航路の申請などが出されておりますが、愛媛県といたしましては、各社から事前には何らの御相談も受けておりませず、また、その後参りましていろいろ御協力を願いたいというふうに申されたのでありますが、愛媛県側といたしましては、民間の会社がどこでなければならないという考えは一切持っておらない、それは一にかかって政府の態度でおきめ願うわけでありますから、ということで御返事をいたしてきておるのでございます。 そういうふうないきさつで、何と申しましてもやはり愛媛県、四国及び九州を結ぶこのルートというものは一日も早く実現しなければならぬと考えておりますし、県民及び四国の各地域の方々も熱願しておる現状なのでございます。ただ、愛媛県側といたしましては、三崎から大洲に通ずる道路の改修が大きな責任として残っておるわけでございますが、この道路につきましては、現在の道路の応急整備として仕事をやっておるのでございます。概算六億八千七百万円余りの経費を見積もっておるわけでありますが、この四十年度一ぱいでそのうち四億二千五百万円の経費を投じまして幅員五メートル半の道路を整備いたしたい。なお二億六千万余り残るわけでございますが、この点につきましては四十一年度にぜひお願いしたいというので建設省へ御依頼することにいたしておる次第でございます。 とにもかくにもこのフェリが通りました場合に愛媛県の道路の受け入れといたしましては支障のない程度の道路を整備いたしたいという覚悟を持っておることを付言申し上げまして、簡単でございますが、御説明にかえさせていただきます。
○森山委員長 次に、田中参考人。
○田中参考人 私、豊予商船株式会社代表取締役の田中でございます。 豊予商船は現在三崎−佐賀関間に旅客船を運航しておりますが、これに加えましてことしの五月二十日三崎−佐賀関間にフェリボートの運航をいたしたい、その旨の運航計画変更認可申請を提出いたしましたのでございますが、その経緯と当社の考えにつきましてしばらく御清聴をわずらわしたいと思います。 近畿日本鉄道におきましては、かねてから生活水準の向上に伴いまして、旅行が普遍化し広域化するとともに漸次高級化する傾向を見せ始めましたことに着目いたしまして、将来のわが国の観光開発は国際的視野と感覚によって行なわれるべきである、こういう考えをもちまして、これに最も適応するスケールと内容を持つ地域は瀬戸内海である、瀬戸内海こそ最も適応した地域である、こう考えましたのでございます。このため早くから瀬戸内海沿岸の中国、四国、九州地区における総合的な交通体系の整備運営並びに観光施設の経営を決意いたしまして、すでに昭和三十二、三年ころにはその基本計画を樹立しておりましたが、その後も社会情勢の変化に対応いたしまして逐次検討を加えてまいったのでございます。昭和三十五年秋開設いたしました別府近鉄百貨店、これに引き続く別府ロープウエーの建設、竹原−波方間−竹原と申しますのは広島県の竹原、波方は愛媛県の波方でございますが、竹原−波方間自動車航送事業への参加等はこれら一連の計画の一部の具体化にほかならなかったのでございます。 今回の九州−四国間自動車航送事業計画も、上記構想の中に含まれていたものでございまして、かねてから関係者の現地調査をはじめ、海象条件、使用船舶、接岸施設及び輸送需要など事業運営の基本条件につきまして詳細な検討を続けてまいりましたが、特に本事業は、産業ルートとしても重要な意義を有しておりますので、航路の選定などには慎重な研究を重ねまして、昭和三十六年ころにはほぼ現在の計画内容に近いものが樹立されておったのでございます。 しかしながら、当時は本事業運営の基盤となる周辺道路、特に愛媛県下の道路が未整備の状況にございましたので、しばらくその改修計画の推移を見守っていたのでございますが、その後、国の道路政策の積極化に伴いまして、事業環境好転の見通しが立ってまいりますとともに、社内におきまする準備体制も完備いたしまして、事業運営について確信を持つに至りましたので、一昨年本事業計画の具体化に着手しようとしたのでございます。 ところが、当時たまたま岩崎産業株式会社においても九州東南部の開発発展のために本事業の必要性を痛感されまして、同様の事業構想を持っておられることが判明いたしましたので、両者共同して本事業の実現を推進することといたしたのでございます。 一方、本事業の計画区間でございますところの四国の三崎港と九州佐賀関港間には青木石油株式会社が旅客航路事業を経営しておられましたので、青木石油株式会社と話し合いをいたしました結果、同社の航路事業を母体といたしまして、本フェリ事業を具体化することに了解が成立いたしましたので、近畿日本鉄道及び岩崎産業は昭和三十八年十一月二十五日別途に九州四間フェリーボート株式会社を設立いたしたのでございます。その後豊予商船株式会社と名前を変えたのでございますが、その事情は八幡浜−臼杵間に貨物フェリを運航いたしております九四フェリー株式会社という会社がございましたので、混同を避けるために九州四国フェリーボート株式会社という名前を豊予商船株式会社と社名を変更いたしたのでございます。かように三十八年十一月二十五日に新会社を設立いたしまして、翌三十九年三月豊予商船株式会社と青木石油株式会社及び青木繁吉氏との間に、航路事業並びに使用船舶の譲渡契約を締結いたしたのでございます。 これに基づきまして豊予商船は直ちに運輸省に対しまして航路事業譲渡及び譲り受け認可申請を行ない、三十九年五月十五日付をもちまして御当局の認可を得たのでございます。それでその以後豊予商船におきましては、九州−四国間の一般旅客定期航路事業を運営する一方、本フェリ事業の具体化に着手した次第でございます。 一方、日本道路公団におかれましても、本自動車航送事業を御計画中であるやに聞き及びましたが、豊予商船は、当該航路、すなわち三崎港−佐賀関港間の当該航路における唯一の旅客定期航路事業者でございますのみならず、事業規模、内容よりいたしましても民間資本により十分実施し得るものでございまして、また、産業、観光両面の連係的な開発という立場におきましても民営がはるかにまさっておる、こういうふうに私どもは強く確信しておりましたので、私どもは、経済団体の会合、あるいは新聞紙上等において、常々本事業の重要性とその早期実現を強調いたしますとともに、その運営については民営によるほうがより効果的かつ最も適切であるということを強く主張してまいった次第でございます。 この間運輸、建設の両御当局に対しましてもいろいろの機会にいま申し上げたような趣旨を私ども申し述べてまいったのでございますが、昨年の八月、豊予商船の社長でありかつ同社の出資者代表でございます近畿日本鉄道の佐伯社長が建設大臣の招請を受けまして、建設省におきまして本事業の運営につき会合をいたしました際、道路公団において行なうべきものであるとする地元の強い御要請にかんがみまして、本事業は日本道路公団と豊予商船株式会社が連携して運営することが望ましいとする御当局の示唆もございましたので、当社もこれをやむを得ないと判断いたしまして了解した次第でございます。 その後事業運営の具体的方法につきまして道路公団と種々協議を続けたのでございますが、本年初頭に使用船舶、接岸施設、運航回数、発着時刻等、事業運営の原則につきまして道路公団と了解が成立いたしまして、これに基づく豊予商船の事業計画も完成いたしましたので、去る五月二十日に四国海運局長あて豊予商船既存の旅客定期航路事業に自動車送船を運航させるための運航計画変更認可申請書を提出した次第でございます。 計画の概要につきましては、事務局に「三崎−佐賀関間自動車航送事業計画」というパンフレットを差し出してございますので、後刻ごらんいただきたいと思いますが、その概要だけ申し上げますと、航路といたしましては、愛媛県の三崎港から大分県の佐賀開港に至る三十一キロの区間でございます。所要時間は一時間二十分でございます。使用船舶は沿海の船級の船を使いまして総トン数九百五十トン、最高速力十六ノット、航海速力十五ノットでございます。自動車の積載量は大型バス十一台と乗用車四台を積載できます。トラックのみでございますと、トラック十七台を載せることができるのでございます。旅客定員は六百五十名程度、こういうことになっております。その他、事業用施設としては、接岸施設、駐車場。総体の所要資金は、当社といたしては船一隻と両岸の施設の経費の半分を負担するということで、総額三億七千万円。運航といたしましては、道路公団で一隻、豊予商船で一隻、この二隻を使いまし、それぞれ三往復ずつ、合計で六往復を運航しよう、こういう計画でございます。 ついでに収支の見通しを簡単に申し上げますと、初年度は二千四百万円ほどの損失金が出る見込みでございますが、その後、道路の改良とか本事業開設による利便化等によりまして、利用の増加が見込まれますので、第四年度に至りますと若干の利益金が計上できる、こういう見込みでございます。 九州−四国間の自動車航送に関しまする当社の計画の策定及びその経緯並びに計画概要は以上のとおりでございますが、本事業の運営は、当社長年の念願でありまして、事業の遂行につきましても当社の全機能をあげて実施することによりまして十二分に公共的使命を果たしますとともに、広く地元の御期待にもこたえ得る強い決意を有しておりますので、委員各位におかれましても、当社による木事業の早期実現につきましてよろしく御配慮いただきますとともに、格別の御支援を賜わりたくお願い申し上げる次第でございます。 どうもありがとうございました。
○森山委員長 次に、長山参考人。
○長山参考人 宇和島運輸社長の長山でございます。今回参考人といたしましてお招きを受けまして、フェリ問題につきましての意見を述べる機会を得ましたことは私の最も喜びに存ずるところでございます。 その九四連絡の問題につきまして意見を述べます前に、まず宇和島運輸という会社は愛媛県の西南地区におきましてどういう仕事をやっておるのかということから御了解を願いたいと思うのでございます。私どもの会社は、明治年代から今日まで八十年この地方におきましての海上輸送に携わっておるのでございます。ことに九四連絡につきましては、長年やっておりまする関係で、私のほうの責任であり使命であると常に考えておるのでございます。その間におきまして、九四間の連絡につきましては、あるいは寄港地が変わったり、航路が変わったはいたしておりまするが、現在宇和島−別府間を昼夜二便制でもって、営業をいたしておるのでございます。 〔委員長退席、廣瀬委員長代理着席〕 また、この十月には愛媛県の八幡浜と臼杵に八百五十トンのフェリボートを走らせる計画を立てまして、目下その船舶を建造いたしておるのでございます。私どもの会社は、いま申しましたように、八十年の間、営々としてこの地方の海上輸送に携わってまいったのでございますが、残念なことには、あの太平洋戦争によりまして、当時二万余トンの船舶を擁しておったのでございますが、それが戦争のためにその大半の一万九千トンを喪失いたしたのでございます。終戦の当時におきましては、わずかに戦禍を免れて残りました船が一千トンでございます。その後、そのわずかの船をもちまして立ち上がって、労使一体となってこの海上輸送の面に挺身をいたしてまいったのであります。現在わが方の資本金は一億六千五百万、所有しております船は七隻で、六千百トンでございます。また用船をいたしておる船が十隻、二千二百トンをもって経営に当たっておるのでございます。九四連絡輸送というものは、長年にわたってわが社がやっておりまする事業の最も基幹となるものでございます。これがなるならぬということは、わが社の興廃を決するほどの重大な問題なのでございます。 近来、輸送機関の近代化に伴いまして自動車航送船の必要を痛感しまして、早くからこの九四連絡のフェリボートの問題につきましては、当社として研究を重ねてまいったのでございます。ところが、いままで瀬戸内にできております国内における他のほとんどのフェリボートというものは平水航路でございますが、本航路は沿海航路でございまして、気象あるいは潮流によりまして異常な風波の頻発する非常にむずかしいコースでございます。この難コースに対する技術面の研究やらあるいは相互間の経済効果などにつきましても調査検討を続けてまいっておったのでございます。 そういうときにあたりまして、先ほど大分県知事からお話がございましたとおり、大分県は公団一本でなければならぬという線を堅持されてまいっております。木下知事のおっしゃることもわからぬではないのでございます。しかしながら公団一本という線は、先ほどもお話が出ておりましたように、公団一本があるいは公団と民営かという二つの案が出てまいったのでございますが、公団一本のときであるならばわれわれのほうといたしましては何をか言わんやでございますが、これが公団と民営ということになりますれば、長い間この地方におきまして苦労を重ねてまいりました宇和島運輸というものも一応考慮の中に入れてもらわなければならぬのではないかというふうに考えておるのでございます。公団におきまして、この気象の問題あるいは相互経済交流問題等につきましても、調査のおりに当社にいろいろ御研究資料としてお問い合わせがございましたが、私のほうはそれに対しましてできる限りの資料を提供してまいっておるのでございます。何といたしましても、その後昭和三十九年八月四日に建設省会議の結果、公団、民営の二本立てという線が出ました際、私のほうは民営ということであるからやや喜びはいたしましたが、あにはからんやその民営なるものは豊予商船であるということを聞きまして、まことに残念に思い、また驚きもいたしましたようなことでございます。 それから昭和三十九年の十月四日、衆議院建設委員調査団の一行が大分県に見えました際、私おじゃまをいたしまして、わが方としての苦しい立場を陳情申し上げ、ぜひ公団、民営二本立てになる場合においては、どうか宇和島運輸がこの地方にあることを御認識願いたいというお願いを申し上げたこともあるのでございます。そして昭和三十九年十月十三日に建設大臣に対しましてその旨を陳情申し上げておるのでございます。 それから昭和四十年三月十八日、これは木下知事からの諮問でございましたが、私のほうのこのフェリに対する考え方を知事さんに文書をもって申し上げておるのでございます。 フェリというものは、何と申しましても第一は道路でございます。道路の完備なくして幾らフェリが走ったところで、これはだめであろうと思います。そういう意味におきまして、三崎−佐賀関間のフェリにつきましては、現在あの半島が五十キロございます。この五十七キロにハイウェーがつきました場合においては、われわれが現在やっております航路というものは全部この中にとられてしまうということは間違いないのでございます。そういう際における私どもの非常な心配があるわけでございます。しかしながら、これが現在の道路を補修した程度のもの、カーブを切り取ったり、あるいは少々幅員を広げた程度の道路ではその役はなさないのではないかと思います。あれがハイウエーがついてこそ、あの三崎−佐賀関のフェリというものはりっぱに四国・九州の幹線道路として役立つのではないかと思うのでございます。その間におきまして私どもは、先ほど申しましたように、八幡浜−臼杵間に八百五十トンのフェリを十月から走らすことを計画いたしております。おそらくこの面においても、幹線であるいわゆる三崎−八幡浜間がハイウエーがついてでき上がった暁においても、われわれのやっております八幡浜−臼杵間のフェリはあるいは裏通りとなるかもしれませんが、将来五年、十年先のことを考えますと、これも成り立つものと思いますが、私どもとしては単独に三崎−佐賀関間をやりたいという希望も述べたこともあるのでございます。しかしながら、これは先ほど来知事さんの申されましたように、公団がやるんだ、われわれも公団がやられるものであるならばこれはいたし方がないことだと考えておりましたが、公団、民営という線が出ましたならば、何十年という長い間苦労して開発してまいったあるいは多少なりとも地方産業の開産に役立ってきたという自負を持っております宇和島運輸というものがなぜのけられなければならないのかということなのでございます。 大体私の申し上げたいことは以上でございますか、公団一本で本航路か開設を見る場合においての影響もさることながら、公団と民営でやるんだという場合にはどうか宇和島運輸の存在をお忘れくださいませんように切に委員各位にもお願い申し上げて、私の考え方を終わりたいと思います。
○廣瀬委員長代理 どうもありがとうございました。 —————————————
○廣瀬委員長代理 質疑の通告がありますので、これを許します。井谷正吉君。 〔廣瀬委員長代理退席、委員長着席〕
○井谷委員 豊予商船にお伺いをいたしたいのですが、いろいろ会社の名前も順次変わったと御説明をいただきまして、よくわかったのですが、大体この御計画の基本になりましたのが山石崎興八郎さん、それから青木繁吉さん、それから佐伯さんこの三人のお話し合いで順次進んできたように了解をしておるわけであります。ところが、これは会社の非常にこまかい点に入りますから、お答えがお差しつかえのある点があろうと思いますので、それはお省きになっていいのでありますけれども、青木との御契約はどうなっていたのか、お差しつかえなければ承りたいと思います。というのは、青木がこの豊予商船をつくるまでのお約束が果たされていないというので、いま非常にごたごたしておるのは御承知と思います。そういう点でひとつ承りたいと思います。
○田中参考人 お答え申し上げます。 先ほども申し上げましたように、三崎−佐賀関間は青木石油株式会社が旅客航路事業を経営しておったのでありますが、この青木石油と話し合いを始めましたのが三十八年の四月でございます。三十八年の四月に話し合いを始めまして、六月には青木石油の航路事業を母体といたしましてこのフェリ事業を行なおう、こういう旨の合意が成立したのであります。最初の計画といたしましては、青木石油株式会社を逐次増資いたしまして、その際岩崎産業なり近鉄系が資本参加をする、そして事業基盤を強化していこう、そしてフェリ事業を行なおう、こういうことでありました。それに基づきまして三十八年の八月と十月に、二回にわたりまして青木石油の増資を行ないました。岩崎産業株式会社が青木石油に対して資本参加並びに経営参加をいたしたのでございます。ところが同年の十一月に至りまして、青木石油株式会社の内部事情によりまして、青木石油のほうからの要請に基づきまして、このフェリ事業を別途設立する新会社によって行なおう、こういうことになりまして、青木石油株式会社は航路事業を新会社に譲渡する、こういうことに方針が変更したのであります。この方針の変更に基づきまして、三十八年の十一月二十五日に、先ほど申し上げました九州四国フェリーボート株式会社をつくって、その後三十九年三月六日、先ほどのような事情で、他の会社との混同を避ける意味において、商号を豊予商船に変更した。そのときの最初の資本金は一千万円、こういうことで設立いたしまして、三十九年の三月に青木石油とこの豊予商船との間に契約を結びまして、航路事業譲渡、譲り受けの契約を締結する、そしてこの航路事業に使用しておりました船舶の所有者でありますところの青木繁吉個人と船舶譲り受けの契約を締結した次第でございます。この契約に基づきまして、この豊予商船と青木石油会社では三十九年三月に運輸大臣あて航路事業譲渡、譲り受けの認可申請を行ない、一方、公正取引委員会に対しまして営業譲り受けの届出書を所定の手続により提出したのでございますが、公正取引委員会におきましては、同年の四月十三日に届出書を受理されました。同年五月十五日には運輸大臣より航路事業譲渡、譲り受けの御認可を得た、こういう次第でございます。 臼後豊予商船といたしましては、四国−九州間の旅客定期航路を経営する一方、本フェリ事業計画の具体化に着手したわけでございまして、去年の七月第一次の増資を行ないまして、資本金を三千万円としたのでございます。その際近畿日本鉄道株式会社か千五百万円を引き受け、近畿日本鉄道の佐伯社長が当社の豊予商船代表取締役社長に就任して現在に至った、こういう次第でございまして、これは正式の契約に基づいて事業をやっておるような次第でございます。
○井谷委員 そうしますと青木繁吉氏は豊予商船に出資したのではなくて、自分の航路権を売ったわけですね。
○田中参考人 これは現在は三千万円の資本金でございますが、フェリの御認可をいただきましたならば、約二億円ぐらいの会社に将来増資をしたい、かように考えておるわけでございますが、青木繁吉氏は現在は豊予商船の株式は持っておられませんけれども、将来増資の際には株式も持っていただく、こういうつもりでおるわけでございます。
○井谷委員 つもりですね。そういうつもりでおられるわけですね。そこに青木君との食い違いができておるように私は思うのですが、これはこれでよろしゅうございます。 それから公団は来ておりますか、道路局長——ちょっと関連があるのですが、豊予さんのほうにお尋ねします。ちょっとここでまた食い違いができてきたのですが、前に公団のほうでは、民営ということは言ってもどの会社ということは考えていないというお話であった。これは記録にも残っておると思うのです。それからさらに、大分県、愛媛県に民営と公団との半々のあの案を示されるときも、尾之内さんはいまおられぬけれども、尾之内さんから、民営ということばは使うけれども、固定した会社のことは考えていないという話だった。いまのお話によると、公団の要請によりやむを得ず了承したというお話があった。そうすると公団の言い分と豊予さんの言い分とまっこうから違うわけでありますから、その点をひとつ——来られなかったらしようがないけれども、私はそれを聞きたかったのです。これは保留しておきます。 いま豊予さんのお話しになったあの点、間違いございませんね。
○田中参考人 去年の八月四日に建設大臣のところへ私どもの佐伯社長が招請を受けまして参りましたときに、佐伯社長としてはあくまでも豊予商船一本やりということを強く要請したわけです。一方、地方のほうでは公団一本やりを強く要請された。その会合の結果、私どもは地元の強い御要請がありましたので、やむを得ず、いたし方ないということで公団と会社の豊予商船との二本立て、一隻ずつ船を持ち、両岸の設備は共有して共用でやっていこう、こういう二本立ての案を了承した、こういう経緯でございます。
○木下参考人 青木石油の話が出ましたから…。 青木石油の社長から私のところにたいへん長い手紙が数回来まして、読んでみると、意を尽くさぬところもあるし、多少性格の特異なところもあるように思ったものですから、私はそれはもうほとんど読みません。それから、県にわざわざおいでになって会いたいというお話があったけれども、私としては第一段階の問題でいま苦心しておるので、この青木石油の何々ということを聞く必要はないということから、まだ会ったことはありません。ところがその青木石油ですが、最近関西汽船の方から聞いたのは、青木石油は過去一年以上も機帆船の権利は持っておるけれどもほとんど仕事はしていなかったのだ、こういうふうに伺います。そうすると、最近になってから、豊予商船のほうから船を別府にもつけたいからということが出てきたから、それでそれを断わるわけにもいかぬからというようなことで、久しぶりに別府に豊予商船の船が着岸したというようなことは承知して、耳にしております。私としましてはこの基本の問題について終始してきておるので、青木石油から私のほうにもたびたび手紙なんかは来ましたけれども、ほとんどその意味を理解することができませんので、いままでのところは相手になっていないのが実情であります。 御参考に申し上げます。
○森山委員長 他に参考人の方々に御質疑はございませんか。——御質疑がないようでありますから、この際参考人の方々にごあいさつ申し上げます。 本日は遠路本委員会に御出席をいただき、長時間にわたり腹蔵のない御意見をお述べくださいまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます —————————————
○森山委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についておはかりいたします。 河川に関する件について来たる十一日、水資源開発公団理事小林泰君を参考人として本件調査のため出頭を求め、意見を聴取いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○森山委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。 次会は来たる十一日水曜日午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後零時八分散会