法務委員会 第22号
- 発言数
- 88 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1965/04/22
会議録
○加藤委員長 これより会議を開きます。 刑法の一部を改正する法律案を議題といたします。 本案については、去る二十日参考人より意見を聴取することに決定いたしておりましたが、都合により、理事と協議の上、これを延期し、本日ここにあらためて参考人の出席を求め、その意見を聴取することにいたしましたので御了承願います。参考人の諸君には御迷惑をかけて申しわけございませんでした。 本日出席の参考人は、法政大学教授吉川經夫君、全日本交通安全協会専務理事片岡清一君、国鉄労働組合副委員長神戸世志夫君、日本自動車運転士労働組合委員長甲斐國三郎君の四名の方々であります。 参考人各位には御多用中のところわざわざ御出席をいただきましてまことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。何とぞ本案に対し忌憚のない御意見を承りたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。なお、御意見は、最初お一人十分程度に取りまとめをお願い申し上げておきます。 それでは、まず吉川参考人よりお願いいたします。
○吉川参考人 今回の刑法一部改正案は、二つの条文からなっております。順序に従って申し上げます。 まず、第四十五条の一部改正案、確定裁判による併合罪関係の遮断を禁錮以上の刑の場合に限ろうという趣旨のものでありますが、この点については、私は結論において賛成いたしたいと思うのであります。 すでに、これと同趣旨の規定は、改正刑法準備草案第六十三条に規定されておりますが、そのときからも問題になったのでありますが、この点についての当局のお出しになっている理由には、私は必ずしも同調はいたさないのであります。と申しますのは、この逐条説明書において、罰金以下の刑の場合には、両者は原則として併科主義であるから実質的な相違は生じないと書いてございますが、刑法で併合罪として処理する場合の罰金刑の場合には、最高額の合算以下で一つの刑を言い渡すので、これは必ずしも併科主義とはいえない、いわゆる一種の加重主義であるというのが、たとえば小野博士や団藤教授をはじめとする有力な学説でありまして、私もそのように理解しておりますので、この点については、この逐条説明の理由それ自体には必ずしも密着した賛成論ではありませんが、ここで実務的な理由として述べられている交通違反の激増、それに伴って前科通知、前科調査の困難さ、したがって、場合によっては前科調査の行き届かなかったものについて有利な取り扱いがなされ、そうでないものには併合罪関係が遮断されるために不利になるという実質的な不均衡等があることを考えますと、この四十五条の一部改正案には賛成してよいと考える次第であります。 次に、第二百十一条の業務上過失致死傷の刑の強化という点の改正には、いろいろと問題点があろうかと思います。 まず、この条文は現行法の法定刑に懲役刑を加える。それから、このようにして加えられた懲役刑並びに現在のままの禁錮刑の長期を引き上げる、この二点からなっております。 まず、過失犯に懲役刑を加えるということについての問題であります。 立法論としては、禁錮と懲役との区別を廃止すべきである、こういう有力な意見もございました。刑法改正準備会ではこの意見も強く、御承知のように発表された草案には二本立て、現行法どおり懲役、禁錮の区別を存置する案と、両者を廃止して拘禁刑と呼ぶ名前の刑一本にしようというのと二本立てで出ております。立法論としては大いに両者それぞれ主張の理由のあるところであります。もっとも私は、立法論としても両者の区別をなお存置するのが妥当だという見解を持っており、刑法改正準備会でもその旨を申しておりますが、それはいま別であります。現行法のたてまえでは明らかに両者は区別されておる。そして禁錮刑というのは、いわゆる非破廉恥罪といいますか、非常にこの概念はむずかしいのですが、通常にいう非破廉恥罪並びに過失犯に科す自由刑と称されているのであります。占領中一時、たとえば有毒飲食物の取締法等に過失犯にも懲役を科した例がありましたが、これは日本の自主的な立法ではなかった。日本の現行のたてまえとしては、すべて過失犯には自由刑を科する場合も禁錮である。この原則は固く守られておる。ところが今回の一部改正案は、この原則を過失犯である業務上過失致死傷罪について破ろうとするものであるので、この点は非常に刑法のいわば基本的原理に関連する修正でありますので、私は非常に慎重にやっていただきたい、結論的には私はここに懲役を入れることに対しては反対であります。 この逐条説明書を拝見いたしますと、未必の故意と紙一重のような要質なものが多い、これが業務上過失致死傷にも懲役を入れようという実質的な理由であるかと思います。私も交通事犯に非常に悪質なものがあるということを認めるにはやぶさかではありません。現に多くの裁判所もこれを未必の故意として処理する、殺人罪なり傷害罪なりの故意犯として処理される例が多きを加えておるということも事実であります。私もこのような方向にいくことには何ら異存ございません。関係者がこの種の事案について未必の故意を証明するために努力すべきである。ただこの、逐条説明書を拝見いたしますと、どうもここに懲役刑を入れるというのは、未必の故意が、実際には未必の故意と思われるのだけれども、どうも証明ができない場合の救済をここで懲役刑を置くことによってはかろうというふうに読み取れないこともない。そうであるとすると、これは刑法の責任原理ということから見てはなはだ好ましくないのではないか。証明不能の場合はやはり過失であるという原理、もちろん過失をやるなら、刑法としていわば故意とのあいのこのような妥協的な刑を法定刑として盛ろうということについては私は賛成いたしかねる。 次に刑の引き上げであります。この法定刑には、何年にするということについては、元来理論的な絶対的基準というものはございません。したがって、それは一般には立法政策の問題であります。しかし、この送られてまいりました資料を拝見いたしますと、実際に現在の三年という刑期でまかなえないのかどうかということについては相当疑問があろうかと思います。法務省でおまとめになった事例というのが、全部網羅したものかどうかつまびらかにいたしませんが、件数はそう多くはない。これらについてはいずれも道交法の事犯がかぶっておりまして、併合罪関係で処理すれば、特に酒気帯び運転等で道交法違反関係で処理いたしますと、頭打ちは決して三年ではないので、四年という刑が大体盛り得る場合——それでも大体三年どまりです。したがって、現行法ではたしていかぬかどうかということについても疑問があります。絶対的基準はないと申しましたが、しかし他の条文とのつり合いということはございます。今回の改正案は、自由刑の長期だけを上げて罰金刑の多額をあげておりません。したがって、この改正案が通れば、自由刑が五年以下または五万円以下ということになる。同じような種類の業務上失火というのは自由刑は現行法のとおり三年で、しかも禁錮だけ、しかも罰金は三千円から十五万円になる。自由刑はずっと業務上過失致死のほうが重い。それにくっついた選択刑としての罰金は失火のほうがはるかに重いのは一種の均衡を失している。 次に、二百九条と二百十条の比較ですが、二百十条には業務上はかぶらない。単純過失傷害は五百円、二万五千円以下の罰金で、過失致死でも五万円以下の罰金だけです。事由は別として業務上となると、とたんに五年という非常に重い刑がつく。これは業務であるということが加わっておるからということでしょうけれども、業務ということは、実際の職業とかなんとかいうことではなくて、広く社会生活上の地位に基づいて継続反復してということがありますが、娯楽としてハンターが鉄砲を撃つ場合も業務だというのですから、実際は社会生活上の地位ということは要件となっていない。反復継続してということだけのようであります。そうしますと、現在の判例の実質的な理由は、業務上ということはほとんど限定がない。もっともこれは無理はない。もしこれでほんとうの業務だというと、まじめな運転手が事故を起こした場合には重いが、マイカー族が運転してやったのは軽い、こういう不合理なのは困る。ということは、業務上ということでしぼることがいいかどうかという問題に帰着するだろう。外国の立法例にも比較的業務をしぼるというのは少ないので、この点について、私も現在の行き方から現行法でも相当問題があり、いわんや業務を理由にして、業務とそうでないものとを非常に画然と区別するということについては賛成いたしかねる。もしどうしてもやるとすれば、この逐条説明書にお書きになられたような点については私も認めます。したがって、これらの一部、たとえばめいてい運転の結果としての致死傷、あるいは無謀運転の結果としての致死傷、無免許運転の結果としての致死傷というようなものを、いわゆる結果加重犯とする立法技術的な問題があろうかと思います。それを特殊の類型とされるほうが、はっきりとここのねらおうとされる、取り締まりの対象とされようとするものを的確に把捉できるのではないか。その場合に、これを刑法の中に置くか、あるいは道交法の中に置くかということは問題でありまして、最近のドイツの刑法草案、オーストリアの刑法草案は、これをほとんど刑法の中に置こうとしておりますが、私は、現在の日本の刑法体系、特に刑法は非常に簡潔な条文をもって終始しているという体系からいたしますと、いまいったような加重類型をこの道路交通法の中に置くほうが体系としてもいいし、また取り締まりの目的とするところを的確に把捉できるのではないか、こういうふうに考えております。 以上で一応の意見を終わります。
○加藤委員長 ありがとうございました。 次に、片岡参考人にお願いいたします。
○片岡参考人 刑法第四十五条の改正について意見を申し上げたいと存じます。 この改正の趣旨は、道路交通法違反の罪で即決または略式の裁判によって罰金以下の刑に処せられる者の数が最近激増の一途をたどっている実情にかんがみまして、検察庁における捜査手続及び裁判所における審理手続を簡素化するための措置であると承知いたしますが、これはとかくおくれがちな刑事裁判の迅速円滑な運営をはかる上からまことにけっこうな改正であると存じ、賛意を表したいのであります。 わが国の国民生活におけるモータリゼーションの進行は今後一そう激しさを増してくるものと存じますが、その趨勢に伴いましては、はなはだ遺憾なことではありますが、道交法違反の事案は今後一そう多くなることが予想されます。今日においてさえ、各地の交通裁判所は毎日さばき切れないほどの事務量で、警察の検挙に手心を加えなければ間に合わないといわれているほどであることを考えますと、今後が思いやられるのであります。もとより私は、ささいな交通違反事件を余すところなく検挙することは必ずしも目的にかなったやり方とは存じませんが、一部の悪質な運転者の中には、万事承知の上で違反を繰り返している者が少なくありません。これらの人たちは、警察官に見つからなければ交通違反は日常の茶飯事だと心得ている人たちでありまして、これを見のがしておくことは順法精神を希薄にし、法を軽視をする風潮を助長する結果となることをおそれるのであります。この種の人たちには訓戒や説諭などというものはあまり効果がなく、断固たる法の執行によらなければ目的は達せられません。 このような見地から、私は、交通法規違反に対しては、ささいな違反であっても現場で必ず警告を与えるか、検挙するかのいずれかの方法によっていやしくも見のがすことのないよう措置すべきであると存ずるのであります。それがためには、交通違反に対する捜査手続や裁判手続はもっと簡単にいたしまして、今日実施されておりますいわゆる切符制をさらに一段と簡略化し、欧米諸国で実施されている裁判手続によらないいわゆるチケット制の採用も考慮さるべきであると考えるのでございます。そうしなければ、交通法規軽視の弊風をいよいよ助長いたしまして、交通事故を一そう誘発する結果になり、わが国の自動車交通の将来にゆゆしい暗影を投ずる結果となることを憂慮いたすのであります。このような見地から、この第一の改正点は、私の希望いたします目的に一歩前進するものでありまして、賛意を表したいのでございます。 次は、刑法の二百十一条の改正案についてでありますが、これにつきましても、私は双手をあげて賛成いたしたいのであります。なぜなれば、この改正は、帰するところ運転者の業務上当然払わねばならぬ注意義務を怠ることから起きるといわれている自動車事故の防止に相当の効果をもたらすであろうと確信するからであります。 この条文の改正理由は、政府の提案理由の説明によりますと、道交法違反の悪質重大犯に対し厳正な処分をすることが今日における国民感情に合致するばかりでなく、国家の刑政から見てもきわめて緊要であるからということでありまして、交通事故の防止対策上の見地からの理由づけは直接述べられておりませんが、刑事罰の目的は決して応報主義にとどまるものでなく、どこまでも犯罪を繰り返させまいという教育刑主義の立場も含まれていることは、これは言うまでもないと存じます。そうだといたしますれば、この条文の改正によりまして、交通事故を起こした者の責任を一そう厳重に追及し、本人に一そう強く反省を促すことによって一罰百戒の実をあげ、再び犯罪を繰り返させまいとする教育目的が達せられるものと存ずるのでございます。したがって、この改正は交通事故の防止に直接大きな成果をもたらすものと存じまして、交通事故防止と交通道徳の高揚に専念しております私どもといたしましては、この改正に哀心から賛意を表したいと存ずるのでございます。したがいまして、私のこの二百十一条の改正についての意見は、もっぱら交通事故防止という観点から若干申し上げたいのでございます。 そもそも自動車事故というものはどうして起きるものであるか。その第一の責任者はだれであるかという点から論じなければならぬと存じますが、これに幾つかの論点があると思います。 まず第一にあげられるのは、道路環境が整備されておらぬという外的な原因が事故の原因であると考える考え方であります。道路がりっぱに整備され、いろいろの交通安全施設が完備しておるということは、交通事故防止の上にきわめて大きな効果のあることはだれしも否定することはできないのでございます。特に人間は不完全なものでありまして、いかに有徳の士であっても時に過失を犯すことは免れ得ないことと考えますならば、人間に一〇〇%の注意力を要求することは無理でありましょう。したがって、この人間の不完全さを補うために万全の安全施設を整備しておくことは必要不可欠のことでありましょう。特にわが国のような人も自転車も自動車も一緒くたに走っておる、通行しておるいわゆる混合交通のところにおいては一そうそのことが痛感されます。 しかし、そうかといいまして、このような外部的な条件が完備さえすれば自動車事故は起きないかと申しますと、決してそういうものではないと思います。もしそうだとすれば、自動車専用の高速道路などが四通八達をいたしまして、交通安全施設も高度に整備されておるというアメリカ等においては交通事故はないはずでございますが、御承知のとおり、アメリカでも毎年四万人内外の自動車事故による、これは世界一のはずでございますが、死者が出ているということで、同じように交通安全の問題が大きな問題になっておるのでございます。またわが国の現状から見ましても近年一級国道の拡幅、舗装等がだんだん進みましてから、かえってその道路上における事故がふえております。また、建設省の統計によりますと、幅の広い道路の直線部分で最も多く事故が起きているということであります。こういう事実から考えましても、外的条件である道路環境の整備だけでは事故防止の問題は解決されないことがはっきりと言えると思うのでございます。 さらに交通事故の原因について歩行者の交通道徳の水準が低いからだという議論があります。歩行者の中には、確かに交通規則を守らない交通道徳意識の低い人も少なくないことは事実でございましょう。それが交通事故を起こす原因になっていることもいなめない事実でございます。しかしながら、そうかといって規則を守らない歩行者をひき殺してもいいということにはならないのであります。人命は最高で絶対でございます。道交法もこういう立場から考えて、どんな場合においても安全運転をすべきであるという義務を課しておるのでございます。 こういうふうに考えてまいりますと、問題の帰着点はやはり運転者ということになると存ずるのでございます。事実毎年公表されます警察庁の交通事故統計を見ましても、自動車事故の九十何%というものが自動車側すなわち運転をする人の側に第一の原因があることが明瞭に示されております。しかも、その事故を起こした直接の原因は、その状態においては当然なさねばならない作為義務の違反が最も多いのでございます。次には酒酔い運転とか居眠り運転とかいうような不作為の義務の違反でございます。さらには自動車を整備すべきものを整備しなかったという保安整備義務の違反でございます。これらは、いずれを見ましても運転者の順法精神の問題でありまして、道徳的な実行性の問題であります。いわば運転者の内部的、精神的な問題に多く帰着するのではないかと思われるのであります。もちろん、運転者自体の問題の中には精神的なもののほかに肉体的な欠陥の問題がございます。特に潜在的なてんかん性でございますとか、精神病のために重大な事故を起こすことがございます。これらは将来適切な医学的検査によって早期に発見してこれを排除することが必要でございます。 ところが、一番やっかいなのはやはりドライバーの精神状態の問題であります。おこりっぽくて軽率で自制心がない、自己本位で人に迷惑をかけることなんか何とも思わないというようなへんぱな性格の持ち主が最も交通事故を多発しておる人たちであるということは多くの学者の指摘しておるところでございます。このような人たちは順法精神に欠けるところの道徳性の欠除者でありまして、いわば反社会性を持った人たちであると存じます。心理学的、医学的ないろいろの適性検査の方法によってこれらの人たちを発見する努力が各国で行なわれておりますけれども、いまだ確固不動の基準がないところに問題の困難性があるわけでございます。この種の人たちをどうするかが交通事故防止の最大の焦点であると信ずるのでございます。元来、自動車の運転は、レールの上を一定の時間表に従って走る汽車や電車の運転と違いまして、運転車みずからの判断によって任意の道路を任意のスピードでだれからの監督も受けずに行なわれる性質のものでございます。したがいまして、他のいかなる乗りものの運転よりもより高い程度の業務上の注意力と順法精神を要求せられるのでございます。しかるに今日においては、一定の技能と学科の試験さえ通れば、だれもが比較的容易に運転免許証を取得することができます。この免許試験制度によっては、先ほど申し上げたような反社会性を持った者を排除することは事実上不可能でございます。ここに大きな問題があるわけでございます。人に良心の反省を求める方法には幾つかの段階があります。口頭によってよく言って聞かせる、あるいは経済的な負担を負わせるということによって反省を求める、しかしながら、いま私が指摘しておりますような反社会性の強い人たちには、このようななまやさしい方法だけでは効果がないのでございます。好ましい方法ではございませんが、やはり片手にコーランを持ちながらも片手には剣を持って峻厳な体罰を加えるほか良心を呼びさます方法がないことを痛感いたすのでございます。最近の欧米各国における立法例を見ましても、交通事故防止のために運転免許の取り消しを含む一連の行政処分をきびしくし、被害者に対する賠償責任を厳格にするほか、刑罰を峻厳にしておりますのは、同様な考え方に基づくものかと存ずるのでございます。この意味で、今次の改正案によって、交通上の悪質重大犯を犯した者に対する刑罰を厳重にする道を開かれましたことはまことに時宜に適したものでありまして、交通事故防止の上に多くのよい結果をもたらすものと確信いたすものでございます。のみならず、国民一般の世論も強くこのことを要望いたしております。私の協会で毎年年頭に開きます交通安全国民総ぐるみ運動中央大会をはじめといたしまして、中央地方のいろいろの会合におきまして、各界代表者から、最も多く、最も強く、しかも運転者の中からも政府に要望せられるものは、悪質な運転者をもっと厳罰に処すべきである、善良な運転者を、かえって一部の悪質な者のために人から非常に疑われたりばかにされたりするのは残念だという意見も出ておるのでございます。それからまた、運転免許制度をもっと厳重にしてほしいという切実な意見がたくさんございます。この意味におきまして、このたびの刑法改正は国民の世論にこたえた政府の善政であると心から私は歓迎いたしておるのでございます。 最後につけ加えておきたいことは、このたびの改正で懲役刑が加えられたことでございます。従来どうかしますと、交通事犯、交通法規の違反は被廉恥罪でない、だからそう恥ずべき行為ではないというような安易な考え方があったと私は思うのでございます。それを裏づけるかのように、交通事故で人を殺したりしても、傷つけたりしても、政治犯と同様に禁錮刑にとどまったということが一そうそういう錯覚を起こさせる結果を助長したように思われるのでございます。こうした意味からも、このたび懲役刑が加えられるようになりましたことは、これも時宜を得た措置である。交通事犯の問題についてはこういうことが言えると思いますので、私は賛意を表したいのであります。 以上で私の意見開陳を終わります。
○加藤委員長 ありがとうございました。 次に、神戸参考人にお願い申し上げます。
○神戸参考人 今回政府が国会に提案をいたしております改正案の内容は、刑法第二百十一条の罰則強化と同第四十五条の併合罪の一部を改正して、いままで刑法主文を二つに分けていたものを一つにすることができるというふうにすることであって、そのねらいとするところは、最近における交通犯罪の激増、悪質化にかんがみ、罰則強化を通じて交通事故を防止し、いわゆる交通戦争の災害から国民の生命と財産を守ろうとするところにあると理解をいたします。これに対しまして、私は刑法第二百十一条の改正に対し、次のような理由から反対の意見を申し述べて御参考に供したいと思うのであります。 確かに一般的傾向として交通事故は年々増加をし、これに伴うて悪質犯もふえたことは否定をいたしません。しかし、これは主として自動車事故を中心にした路面事故の場合に言い得ることであって、鉄道事故の場合には、逆にここ数年来年年減少しつつある事実について指摘をしておかなければならないと思います。このことは国鉄当局発表の統計資料を見ていただけば十二分に御理解がいただけるところだと思うのであります。いずれにいたしましても、最近における交通事犯に対する裁判所の態度並びに判例の傾向を見るに、結果としてすべてが本人の不注意ということで片づけられ、そのような不注意を生ぜしめた事故の背後にある真因が究明されることなく、事故が起きたということそれ自体に職員としての責任があるという理解をもって処理されてきたきらいなしとしませんし、また国鉄当局も、そのような事故の起きた場合には、必ずといっていいほど、意識的な政策の面も加えまして、その衝に当たった国鉄職員にあたかもすべての責任があるがごとき印象を与える説明がなされ、真の原因が明らかにされないまま、重大事故を繰り返す結果を招いていたこともまた事実であろうと思うのであります。 もとより、個々の事犯について、その原因を究明をすれば、いずれもそれはそれなりの原因があったに違いありません。しかし、だれもが好んで事故を起こす気はないはずであります。それにもかかわらず、なぜ事故が起きるのか。それは要するに社会情勢や産業機構、交通機関のめまぐるしい変化に伴って、交通量やスピードが著しく増し、交通事故を起こす要因が増大しているにかかわらず、これに対する事故防止の対策が追いつけぬところに真の要因があるのであって、事故の背後に隠されている潜在的な原因を明らかにし、これに対する抜本的な対策と適切なる施策を講ずることなくして、交通事故を防止することは事実上できない相談であることは、何人も否定し得ないところであろうと思うのであります。もし、そのことにあえて目をおおうて、罰則の強化によって事故を防止し、ないしはそれによって事故を少なくすることができると期待する者があるとするならば、それは大きな誤りであろうと思うのであります。 法は、いたずらに罰することを目的としたものにあらずして、戒めることを目的としたものであり、この意味において適正なる刑罰のみが人を戒め、その行為を反省させ、再びあやまちをおかさないという法効果を期待し得るものであって、峻烈苛酷な厳罰主義は、いたずらに反抗心を起こさせることに役立つことはあっても、何ら反省や更生のかてにならないばかりでなく、社会的戒めの効果をも半減させる結果を招くに至るであろうことをおそれるのであります。もちろん、私は、そうだからといって、酔いどれ運転やあるいは無免許運転あるいは悪質スピード運転等、無謀なる行為者までかばおうという気持ちは毛頭ありません。しかし、これらの行為は、ごく一部の限られた不心得者のよくするところでありまして、こういう人たちの取り締まりのために、他の多くの善良なる労働者がそのとばっちりを食って、たまたま人間の機能不能に基づく一時的、瞬間的錯覚や、あるいは避くることのできない偶発的な事由によって不幸にして予期せざる事故を起こした場合においても、法改正によって、業務者たるゆえをもって、いままでにもまして、さらに一段と過酷な刑罰が加えられるに至るであろうということは、過去の経験に照らしてみても明らかなところでありまして、かくのごとき傾向に対しましては、私は社会正義の上からも強く反対をするものであります。 政府が提出をいたしております資料から判断いたしましても、現行刑法の最高刑三年の禁錮に処せられている者の数はごく少ないのでありまして、あえてこの際罰則を強化しなければならないという必要性はないという判断に立たざるを得ません。かりに一歩を譲りまして、酔いどれや無免許運転等、悪質者の取り締まり上、どうしても罰則の強化が必要であるとするならば、それはむしろ道路交通法の改正の中で措置すれば足りることであって、基本的人権を規制する基本法たる刑法にその道を求めんとすることは、いささか軽率のそしりなしとしないのではないかというふうに考えるのであります。私ども交通労働者がこの際強く望んでいるものは、刑法第二百十一条の罰則強化ではなくして、同法の定むる業務上過失の項をこの際削除すべきじゃないかという意見を持つものであります。 そもそも業務上過失致死傷罪は、いわゆる業務者なるがゆえに、もしくは危険なる業務に従事する者なるがゆえに、通常の者より高度の注意義務を負わせる行政取り締まり的必要から出発したものであると私どもは聞いておりますが、一般的に業務上過失致死傷罪の構成条件は、法令の定むる規定のほかに、これを補うものとして、慣習上または条理上の注意義務を認めているために、注意義務の内容、範囲が拡大解釈され、不当なる刑罰が科せられる危険性があるとされておりますが、過去の判例を見るに、たとえば国鉄職員等の場合、たとえ本人が運転取扱心得その他国鉄職員として守らなければならないとして義務づけられている作業上の行動基準を完全に順守し、かつまた社会的常識をもって客観的に要求される相当の注意義務を果たし得たというふうに認められるような場合であっても、一度事故が起きれば、その結果だけを問題にして、すべて業務上必要な注意義務を怠ったという千編一律の理由によって、重過失と同列の刑罰を科せられるという今日実情にあります。これは要するに、処罰さえすれば事故がなくなるという考え方に基づいて発足したいわゆる業務上過失致死傷罪そのものに問題があるのであって、諸外国の立法例におきましても、業務上過失は前時代的なものとして今日ではほとんど姿を消し、わずかに例外として数カ国に存在しているにすぎないと聞いておるのであります。 このような観点から、もしあえてこの際刑法第二百十一条の改正を必要とするものがあるとするならば、それは罰則の強化ではなくして、むしろ近代国家としての前時代的な遺物である業務上過失の削除こそ真剣に検討に値する問題ではなかろうかと思うのであります。要するに、度を越した刑罰や条理に合わない処罰は逆効果こそあれ、法のねらいとするところの効果はないということを、私はこの際強調したいのであります。罰則強化だけで事故は防げるものではありません。事故の原因はほかにあります。鶴見事故あるいは三河島事故も、刑罰が重いとか軽いとか、そういうことによって起きたものではないと私は思うのであります。これらの重大事故の背景をなす真の原因は、いわゆる軽わざといわれるところの国鉄の過密ダイヤであります。そして不完全な保安施設や、人間の注意力のみにたよって事足れりとしてきた国鉄当局の精神主義であり、必要な休養さえとれない、言うならば、雨風も吹き込むような全くみじめな休養施設であり、安い賃金と低劣な労働条件にあると思うのであります。さらに突っ込んで言うならば、安全を第二とし、営利を第一としてきた国鉄当局の経営の姿勢の中にこそ真の要因があると私は申し上げたいのであります。 かりにもし参宮線六軒駅に起きた事故調査に基づく国鉄監査委員会の勧告案を国鉄当局がまじめに取り入れて、そうして少しの金で装置ができるところの車内警報器やあるいは車内放送装置、そういうものを取りつけていたとするならば、あるいは三河島における第二の追突事故は防ぎ得たかもしれませんし、またもし三分ヘッドの過密ダイヤではなくして、ないしは万一に備えて設けられた安全側線が、その名のごとく安全側線としての機能を完全に果たし得るものであったとするならば、第二の追突事故は完全に防止をし、百六十名のとうとい生命は失われずに済んだことは明らかであります。いたずらに刑罰をもって威嚇するより、まず規律規則の周知徹底、事故防止のための保安施設の整備、必要な要員の確保、適切な指導と訓練、安心して働ける職場環境の整備、被害者に対する賠償制度の改善等、安全を第一とする総合的事故防止対策こそ当面最も緊急を要する事項であって、これこそ官民一体となって取り組むべき問題ではなかろうかと思うのであります。 私ども交通労働者も、このような観点に立って、交通事故防止のために今後ともなお一そう懸命な努力を払わなければならない、こういう気持ちを持って、以上申し上げましたような意見を御参考に供したいと思います。 以上をもって終わります。
○加藤委員長 ありがとうございました。 次に甲斐参考人にお願いいたします。
○甲斐参考人 今日の非常に増加しておる痛ましい交通事故をぜひとも防止をして、少しでも事故がなくなるようにと私は心から念願をしまして、実際にハンドルを持っておる者の立場から、今回の刑法一部改正案に対する参考意見を申し上げたいと思います。 初めにお断りしておきますけれども、私の運転歴は、昭和二十三年に宮城の中の皇宮警察で皇宮警察官の時代に免許証をとりまして、自来約十六年間、乗用車、大小のトラック、各種の自動車の運転手を職業として働いてきました。その経験の中から率直に申し上げたいことの第一は、今日の運転手の一般的な気持ち、心情はどういうことであるかと申しますと、仲間同士とよく話し合うことですが、ほとんどの運転手が心身ともに疲れ切って、胃腸病障害や腰椎症の病気にかかる者が多くて、できることなら早く落ちついた事務労働のような他の職業に変わりたいというような気持ちで毎日を過ごしておるのが真の姿であります。麻痺状態の道路、数多い交通規則、きびしい取り締まりと重い罰則、きわめて強い圧迫の中で、いつも事故と隣合わせで働いておるのが現状でありまして、特にこういう点は御説明するまでもないと思います。 こうした悪条件のもとで不幸にして事故を起こした場合、あるいは交通違反で取り締まりを受けた場合、運転手として考えますことは、運が悪かった、この一語に尽きておると思います。それはなぜかといいますと、精一ぱい注意をし、神わざに近い運転技術をもってしても、なお今日事故はひんぱんに起こっているからであります。幸か不幸か、参考人である私はまだ一度も事故も違反も起こしておりませんので、他の運転手の気持ちを申し上げますと、著しい過失があった場合のほか、大半の者が処罰によって再びこういう事故や違反をしないようにと反省しておるかといえば、決してそうではないのであります。すなわち、自分だけが運が悪かった、事故にあったり違反でつかまったという気持ちであります。ですから処罰に対する反抗心だけが残っております。もちろん交通違反の取り締まりの方法にも問題があります。 一つの例でありますが、スピード違反の取り締まりであります。ごく最近の話でありますけれども、私の友人の四十年配のまことに温厚なベテラン運転手がスピード違反で取り締まりを受けました。そのとき彼は制限キロで走っていたため強く否定しました。ところが警察官は、君のメーターがこわれていたと言って聞いてくれない。いや、つい最近車検を終わったばかりですと、検査証を見せて主張したにもかかわらず、聞き入れられず、結局十キロオーバーで八千円の罰金に処せられたということであります。警察側で絶対正確だと言われても、運転手を職業としている私たちとしては、計器の誤差、他車との誤認、あるいはわずか百メートルくらいの間での検査では、車の位置によっても誤差が出るだろうし、どうしても納得がいかない場合が多いのみならず、今日の交通事情の中では、スピードメーターを見てぴたり四十キロで走れるということは神わざに近い至難なわざだと言ってもよいように私には思われます。 このようなトラブルは日常茶飯事、毎日起こっていることでありますが、信号違反にしても、その他の各種違反にしても、非常に見落としやすい、見間違う場合もよくあるわけであります。きわめて不親切に標識が立てられておりますし、また、その数も不適正であります。この種の例は一一申し上げるまでもないことと存じます。それに加えて、取り締まりのあり方からいえば摘発主義で、物陰に隠れていて、一時停止をつかまえたり、知らずに一方通行を入ってからつかまえたりというように、点取り主義といいましょうか、違反を数多くつくっておいて、それを処罰することに重点があるように思われます。運転手側に一そうの悪感情を持たせ、現場警察官に対する憎しみをあおり、罰金納入にしても、逃げられるだけ逃げるという気持ちを起こさしているのであります。このような状況では、罰則適用について少しも実効が上がっていない点をまず強調しなければならないと思います。 ところで、罰則を強化すれば事故が減るかという問題でありますが、罰則の軽重はいかにあろうとも、事故を起こしたくて事故を起こす者はだれもおらないのであります。それは事故を起こせば、私ども運転手がまっ先に自分の生命に危険が伴うからであります。とするならば、なぜ事故が起こっているかという現実問題に解答を出さなければなりません。私は、事故を正しく解明することなくして、威嚇主義、つまり罰則強化によってその解決を求めることは明らかに本末転倒であることを言いたいのであります。今日一番問題になっており、きょうの改正案の理由となっております無謀運転、酔っぱらい運転、無免許運転を例として、その原因なり対策と思われることを私なりに解明したいと思います。 第一に、あの走る凶器といわれておるダンプカー、砂利トラック、そして東海道その他における長距離路線トラックによる事故であります。車が非常に大きいだけに、自動車事故では被害が大きいのであります。その一番大きな原因は、何といっても一往復幾らというノルマ賃金制度、一カ月平均して超過労働が実に百五十時間余、一日当たり八時間労働のほかにさらに五、六時間、時間外労働をしなければならないという長時間労働、ここに問題があります。そして労働条件が悪いために、よい運転手は安定した他の仕事に行ってしまいますから、必然、この種の業種につく運転手は、免許証を取ったばかりの熟練をしておらない若い青年か、あるいは一回でも多く体力にまかせて往復することによって金になるという欲望を持った者しか集まらない結果になっておるわけであります。加えて、大型車のスリルを味わい、多少の衝突でもまず自分のほうはだいじょうぶという安心から走る凶器と化した運転をしておるわけであります。ですから、この種の事故は、賃金制度と長時間労働が野放しになっているところにあると言えるのであります。 第二に、めいてい運転あるいは酒気帯び運転の事故であります。この事故の多くは自家用車であろうと思いますが、酒を飲んでの運転は、現行の道交法でも厳に禁止しているところですから、その面での有効な措置がとられるべきであることは申すまでもないのでありますが、ここでぜひお考えを願いたいと思いますことは、たとえば、前の晩に晩酌をやった場合、個人差がありますが、翌朝まで体内にアルコール分が残っておる人があります。ときには、二日酔いみたいな場合もありましょう。そういう場合に、運転できないといって簡単に会社を休むわけにはいきません。残念ながら、今日人手不足なんであります。不幸にしてそのとき事故を起こしたからといって、酒気帯び運転で厳罰にするということはどうかと思います。こういうようなことは例外であろうかと考えますが、一般的にいって、飲酒運転の禁止はそうあるべきだ、絶対に禁止しなければならないというふうに考えます。しかし、それを取り締まるのは現行道交法で十分であり、その上罰則強化は無意味ではないでしょうか。それよりも効果的な防止策は、いわゆる酔っぱらい運転の防止策は、人命尊重という原則から、事故による損害賠償額をもっと高くして、死傷者の相手に対して十分な損害賠償をする責任制度を確立し、罰則で規制するよりも、本人が一生かかっても損害金を相手に払うという制度のほうが実効が上がるのではないでしょうか。 第三には、無免許による事故でありますが、賠償制度については、めいてい運転と同様な方向でなすべきだと考えますが、同時に、車の管理者あるいは事業主に対して、免許証を持たない者に安易に運転をさせないように、その管理義務を強化することも考えるべきではないでしょうか。 この際、特に免許制度についても申し上げたいのでありますが、自動車教習所が全くの営利企業化していることは御承知のとおりであります。聞くところによりますと、金で免許試験が左右されるという事実もあるというふうに聞いております。未熟運転の無謀操縦が多いために、当事者の直接事故もさることながら、それによる誘発事故もきわめて多いという事実に立って考えますならば、免許制度を厳格にすることではないでしょうか。同時に、精神病的欠格者には免許を与えないよう、免許試験において、あるいはまた更新の際、科学的、医学的、必要最小限度の適性検査、つまり精神機能検査が必要と考えます。 最後に、いわゆるひき逃げについてでありますが、この最も大きな原因は、人間的良心の欠けていることもさることながら、あまりの厳罰主義で、運転手をおどしたこともあると申し上げなければなりません。この点からも、処罰だけで事故防止には役立たないといわざるを得ないのであります。厳罰主義は、その根底において、事故の責任はすべて運転手にある、事故があったら全部運転手が悪いんだ、かような考えから出ておると思いますが、私は、今日の交通事故の責任が運転者だけにあるとは絶対に思いません。処罰をどうするかを考える前に、なすべき多くのことが問題としてあるのではないでしょうか。 具体的に申し上げますと、一つとして、道路の拡張、舗装等を完備して、道路環境を徹底してよくすること。当面早急な問題としてぜひお願いしたいのは、学童横断の場所と、著しく交通量の多いところは、地下道もしくは横断歩道橋をつくること、また歩車道の区分、ガードレール等の安全設備を完備すること。二つとして、道交法の条文が非常にむずかしくて、歩行者一般人に徹底しておりませんので、交通法規の周知徹底と、交通安全のために道交法を平易にするとともに、必要な教育啓蒙を行なうこと。三つとしては、罰則強化とか、取り締まり強化でなくて、指導行政を充実させ、信号機、標識、街路灯、横断歩道の標示等を充実し、見やすく、わかりやすくすること。四つとして、交通企業者が営利本位を考えないで、安全第一とした企業政策をとること、及びこれと関連して、交通労働者のノルマ賃金制度、長時間労働をなくすこと、これは特に法的な規制をすることが必要であります。 おおむね以上の点を申し上げます。 最後に、交通工学でいわゆる三E政策といわれておることでありますが、これは事故防止の根本思想であるというふうに聞いております。十分な教育及び指導、進んだ設備と技術、適正な処罰という、この三つが三E政策だというふうに聞いておりますが、この三つの点をつり合いを持って政治の上でぜひ実行されることを切に切に願ってやみません。処罰が優先するのでなく、各般にわたって十分な政策を、十分な予算措置の上推進されることを心からお願いしまして、私の陳述を終わります。
○加藤委員長 ありがとうございました。 これにより質疑に入ります。坂本泰良君。
○坂本委員 時間がございませんから、最初に吉川参考人にお伺いいたしたいと思いますが、いま問題になっております——各参考人の御意見もございましたし、先生の御意見もございましたが、業務上と非業務上の過失犯を区別しているこの根拠と、それに対する先生のお考えを承っておきたいと思います。
○加藤委員長 ちょっと参考人の方々に申し上げますが、きょうは参考人の方の御都合を考えて、午前中に終わりたいと思いますので、委員のほうの質問も簡単にいたしますから、参考人のほうもごく簡略にお答えいただきたい、こう思っております。
○吉川参考人 ただいまの御質問でございますが、業務上過失の場合にどうして刑を加重するか、これは大きく分けまして二つの意見がございます。一点は、一定の人身等に危険を及ぼすおそれのある業務に従事する者には、通常人よりも加重された注意義務が課されておる、通常人よりも重い注意義務があるのだという意見と、それからもう一つは、一定の重大な危険を生ずるおそれの強い業務に従事しておるという地位にかんがみて、一般警戒の意味から刑を加重したのだという、大きく分けて二つの意見。前者はたとえば団藤教授とか木村教授などの著書に述べられておる。後者は滝川教授あるいは植松教授などの書物に載っております。私は、一定の時点において一定の危険な車の運転等をやるという場合は、業者であるといなとにかかわらず、やはり客観的には同一の注意義務ではないか。したがって、前者には従い得ない。従うとすれば後者でありますが、このような形での一般威嚇ということは、立法論的に見ていかがであろうか、必ずしも賛成しがたいので、私としてはさっき申し上げたような意見で、他の立法例にもあまり例が少ないことでもあるので、業務上ということで特に刑を加重する理由といいますか、立法政策としてもあまり当を得たものではないのではないかというふうに思います。
○坂本委員 片岡参考人にお聞きしたいのですが、先ほどの中央大会、地方等においても、悪質な運転者は厳罰にする、その意味で改正案に賛成だ、それから免許制度を厳重にする、こういうようなことがありましたが、これに対する対策はわれわれはいまなかなか微弱じゃないかと思うのですが、これに対する御意見をお伺いしたいと思います。
○片岡参考人 悪質な者に対しましては、先ほど私が申しましたように、これは結局性格的になかなかやっかいなといいますか、法を守ろう、積極的に社会に迷惑をかけまい、そういう精神に欠けた人が多いと思います。それはもちろん、先ほどからほかの参考人がおっしゃいましたように、非常に疲れておるとか、その他いろいろの理由から、生活上の問題等から、ときに間違うことはございましょう。ところが、私がここに指摘しております悪質というのは、そういうことは当然考慮された後において、さらにそういうこと以外に、やはり本質的に法を守ろうとする気持ちのない人、これをさしておるのでございます。たとえばここにいろいろ判例なり実例として出ております。当然酒を飲んで運転すれば危いことを知りながら酒を飲んで運転する、あるいは無免許で運転するというような悪質な、これはもう承知の上でやっておるので、これを弁護する余地はない。そういった者は、反省を求めるためには、やはり罰則を強化することによってやる以外にない、こういうふうに思うわけでございます。 また、免許制度につきましては、先ほど申しましたように、明らかに精神病者であるとか、てんかん病である者は法で禁止しておりますから、免許状はとれないわけでございます。ところが、潜在性のてんかん性とか、分裂症というのは、学者のいろいろの話を聞きますと、しょっうちゅう出ているものではございませんで、ときにそのおそれが顔を出すというものでございますから、免許を受ける際にそれはほとんどわからないのでございます。特に現在のような学科と技能だけの試験では全然わかりませんし、これを発見するためには、数時間にわたる脳波試験とか、いろいろな心理学的な試験を必要とするので、今日、毎日何千人と押しかけてまいります運転免許の試験にそれを行なうということは事実上困難で、これはできないことでございます。したがいまして、私は、免許試験で現在技能と学科だけをやっているのを、何かもう少し道徳性があるかないか、そういうことに対する判断ができるような簡単な試問なり試験問題を若干出して、そしてそれによってある程度チェックする。そういうことで、あるいは最初に六カ月なりぐらいの仮の免許証を出しておいて、事実それをやらしてみて、その間に何回か違反をやったり、あるいは事故を起こした場合には、それに本免許を与えない、そういう方法を考える以外にないのじゃないかと思います。
○坂本委員 ほとんどいまのような御説明じゃないように考えられますけれども、まあ時間がないから参考人に伺ったことで……。 次に神戸参考人にお伺いしたいのは、先ほどの御意見によりまして、鶴見事故、三河島事故についての鉄道従業員の業務上の過失の点については御意見ごもっともだと思うわけですが、そこでこのほかに、最近の国鉄においての業務上の過失致死傷罪はどんな事故が基礎になっているか、この二つのほかに若干ありましたら承っておきたいと思います。
○神戸参考人 十分資料を集める時間がなくて、先生の御質問に満足いくような御回答ができぬことはまことに残念に思いますが、二、三の例を拾ってきたんでありますけれども、そういうことから一、二御参考に申し上げたいと思います。 たとえば昭和三十八年二月八日に古河の駅で踏切事故が起きております。結果として罪名は業務上過失致死傷、判決は禁錮一年、執行猶予四年ということになっているが、この事故の内容は、たまたま当時新潟の雪害がありまして、そのために臨時列車が運転をされておった。そういう状況の中で、転轍手が踏切警手でありながら、その踏切の遮断機をおろす時期がおくれたということで、実は人を列車に触れさせて傷つけたというために、これは踏切警手の業務上の過失だということでこういった刑が科せられたのでありますけれども、踏切と転轍機の間が六十五メートルもあるわけであります。雪が二尺五寸から三尺ぐらい降っておる構内でありまして、転轍機を返しながらなお踏切も返さなければならぬという状況の中で、遮断機をおろす時期が若干おくれた、たまたま列車も臨時列車であるために、雪のために非常におくれておった。定時に運転されておったとするならば、そういうことはなかったと思いますけれども、雪が降っておって一方に汽車がおくれておった。しかも転轍手が踏切も扱わなければならぬし、転轍機も扱わなければならぬということで、非常に天候の悪い中で二つの業務を扱うという状況の中で、視界が見えぬという事情もあって、これは若い転轍手でありましたけれども、遮断機をおろす時期がほんの瞬間おくれたということから事故が起こったのであります。もとよりこれも職員の責任だといえばそれまででありますけれども、問題は、先ほど申し上げましたように、国鉄は今日いろいろな面からいわゆる合理化ということで人間を削減しておる。昭和二十五年から今日まで十数年たつわけでありますけれども、列車の回数は旅客列車にして大体六割五分、貸物列車にして五割以上の増発が行なわれているにかかわらず、国鉄の職員の数は実は一人もふえておらぬわけであります。そういう事情の中で、たとえば本来であるならば、この事故の場合でも、踏切警手もつける、それから転轍を扱う者もつけるというような処置がなされておるとするならば、こんな事故は実は起きなかったわけであります。にもかかわらず、とにかく人間を少しでも削減をしたい、少しでも減らしたいという国鉄の経営方針のために、とうてい実際的にも不可能であるような業務を本人に負わしておる。こういうようなところにこういう事故が起きて、本人も気の毒な結果になりましたし、また踏切事故にあって傷ついた人はほんとうに気の毒なことになった、こういうような事例があります。 さらにまた、国鉄の場合には自動車のこともやっておるのでありますが、仙台の国鉄の自動車営業所におきまして、幅が三メートルという狭い道路の中に二・五メートルの自動車が運転を許可されておるわけであります。そういう中でたまたま雨が降っておりまして、でこぼこというか非常に道路がくぼんでおった。そのために、そこへ知らずに自動車が片足を突っ込んで傾いたために、通行人を傷つけたという事故があるのでありますけれども、これにしましても、やはり業務上の過失致死傷ということで、一審で罰金五万円、二審で禁錮四カ月というような最高の刑に処せられておるわけであります。四、五日前に、同じ仙台の場所で自動車事故が起きまして、名前は忘れましたけれども、二十五歳になる人がこのために死んだ。道路がでこぼこのためにオートバイに乗っておって死んだということで、県を相手取って裁判をしておったのでありますが、この間裁判所の判決が、これは当然県がその責任を負うべきだということで、金は忘れましたけれども、相当の賠償金を支払っていることを聞きまして、非常に私は心あたたかい気持ちをもってあの新聞の報道を読んだのであります。こういうような措置というものが法の上にもとられなければならないのではないか、私はこういうふうに考えるわけです。 そのほか幾つか例はありますけれども、委員長から時間がないということでありますので、この程度にとどめてお答えにかえたいと思います。
○坂本委員 甲斐参考人にお尋ねいたしたいのでありますが、長年の自動車運転手としての御経験から、いろいろと自動車運転手の立場から自動車事故の多い原因等について承ったわけでありますが、ひとつ聞きたいのは、いわゆるマイカー族と申しますか、自家用車運転の場合、新聞なんかでは有名人が事故を起こしておる。いわゆる酔っぱらいとか、そういうような悪質の事故はどうもこういう関係の方に多いように思われるのですが、その点についてのお考えを承りたい。
○甲斐参考人 要点だけ簡単に申し上げます。 マイカー族の事故は二ついえると思うのです。一つは遊びに行く、レジャーのためのときの事故と、もう一つは中小企業の人についても大半でしょうけれども、営業上といいましょうか、業務上といいましょうか、自分の事業を遂行中の事故、この二つがあると思うのです。 まず前段のほうは、私自身のことを申し上げて恐縮ですが、外国で生まれたものですから、多少アメリカでの経験があるのですが、車に対するマナーといいましょうか、そういうものが、ここ近来とみに急速に自動車が発達して、安易な形で買えるようになりまして、そういう根本をなす常識的といえるようなマナーが伴わないまま、かてて加えて先ほど申し上げましたように、免許制度が非常に不備であるために、もう少し先ほどの点を説明いたしますと、もうけ仕事でやっておるわけですから、必然的に教習所は免許証を取れる率が多くないとお客さんが来ないわけです。率のいいところは少々遠くてもそちらに行く。最近は非常に受験者が多い。あそこに行ったら免許証が取れるということにするためには、必然実地試験免除ということで、おまわりさんが現場に来てやるわけですから、多少その辺の関係も出てきて、いつか新聞にもありましたような金で取引される。こういった制度の形にあるのと、もう一つは、特にマイカー族というか、自家用の人たちが違反でつかまった場合にしても、事故の場合にしても、私も一ぺん四谷警察で例があるのですが、こちらに全然過失がないのに向こうが酔っぱらってぶっつけて、こっちが損害賠償要求したのですが、警察では示談にせいといった姿、まことに私はいやだったのですが、向こうのほうは菓子折り持って警察に頼んでおる。示談にしてそこで取り下げてくれ。そういうような現行犯のあやまちを犯した場合のもらい下げとか、免許を取る場合の程度の低さということがいえるのと、もう一つは、最近私たち運転手の立場から言いますと、新しい車を売り出すときに、テレビで非常に爽快にさあっと海岸ぶちを走らしているのです。それからバイクで、これだけ実力があるといって、わあっと無人の道路を走らせて宣伝しておる。そういうことで若い人たちが、これは特に私は日本だけだと思いますが、女の子とくっついて、バックミラーが見えないようにして走っていると事故が当然起こると思う。 もう一言申し上げますと、警察の方が言っておられましたが、えらい人の車で、うしろのガラスに日よけのためにカーテンをつけたり、曇りガラスを使う、あれは絶対廃止してもらいたいと思う。本人は見えても、うしろの人はあの窓を通して前を見るわけですから、ああいうことは富永さん自身も言っておるのですから、それはオートメーカーと相談してやってもらいたいと思います。 営業用の場合には、非常に忙しく、自分で自分の仕事をして運転をしておるという、いわゆる中小企業の一般的な背景から事故が起こっておるのではないかというふうに考えます。
○加藤委員長 大竹太郎君。
○大竹委員 最初に吉川先生にお伺いいたします。これはちょっと先生の専門外になるかもしれませんが、現在は自動車事故についてはもちろん刑法の、先ほどお述べになりましたような行政処分の刑罰とあわせて科しておるわけであります。御承知のように現在の行政処分というものは、六カ月の就業停止、あるいは取り消しということになれば一年間の後に再試験を受けてやるという制度になっておるわけであります。こういたしますと、運転手がハンドルを持てないということは、罰金を科せられたのも質からいえば同じことだと思うわけであります。これを一つの判断のもとに刑罰といいますか、処罰といいますか、それをやることが事故をなくする上には必要だと思う。一本にして処罰することがいいと思うのでありますが、この点についての先生のお考えをお聞きしたい。
○吉川参考人 ただいまの御質問ですが、外国の立法例でも、いわゆる付加刑とするか、保安処分的な性格を持った運転免許の取り消し等々を刑とあわせてやるかという意見もございまして、現にわが国におきましても、現在法制審議会の刑事法特別部会でも、現在のように裁判所がやる刑罰と、それから行政処分としての免許関係の制限、停止ということを別にしないで、少なくとも刑事事件になった場合には、裁判所も免許停止等をやり得るようにしたほうがいいのじゃないかという御意見がございまして、私も、それに伴う若干の技術的な困難もあると思いますが、いまおっしゃった点は必ずしも反対ではございません。一本にしてもいいかと思います。ただ、現在の行政的な取り消しの手続がどういうように行なわれておるか、私、それをよく承知いたしませんので、その点はあまりお答えにならないかと思います。理論としては、場合によってはそれも適当だろうと思います。
○大竹委員 次に片岡さんにお聞きしたいと思いますが、御承知のように今度三年の禁錮を五年の禁錮、懲役というふうにするわけでありますが、ただ私どもとしておそれることは、もちろん悪質な者については三年でも軽いと思うわけであります。五年でもいいと思うのでありますが、こういうように上限が上げられますと、いままで一年のものもその割合で上がってくるという可能性もあるわけでありますが、参考人のお考えとして、総体的に交通事犯というものを現在より重く処罰すべきだというお考えでございましょうか。その点はいかがなものでしょうか。
○片岡参考人 お答え申し上げます。私は、全般的に上げるということは必ずしも必要でないと思います。どこまでも、やはりどうにもならぬ悪質な者をうんと強く罰するということでなければ効果がない。先ほどからほかの参考人の方がおっしゃったような、いろいろな理由でそういう事故を起こしたというような者は、これは裁判上も当然主張せられるでございましょうし、そういうものは当然それらの要因を十分しんしゃくして、同情すべき者は同情しなければならぬと私は思います。ところが、どうにも同情のしようのない者は、これをきつく罰することがやはり目的にかなうものというふうに考えます。
○大竹委員 次に神戸さんにお聞きしたいのでありますが、いまの片岡さんに対するのとちょうど反対の質問になるかと思うのでありますが、ほんとうに悪質な者に対して現在よりももっと重い処罰をする必要がないか、その点について伺いたい。
○神戸参考人 私は、先ほど申し上げましたように、処罰をすることが事故を防ぐゆえんではないということと、もう一つは、これも時間がないから十分検討してこられませんでしたけれども、いまこの法案の資料を見せていただきまして、業務上過失致死傷罪、死んだほうとけがをしたほうと二つに分かれて資料が出ておるのでございますが、置き忘れてきてしまって数字を持っていないのが申しわけありませんが、たしか私の記憶では、いずれも二千三百から二千五百くらいの中で、最高刑三年というのは七件と九件、こんなふうに私は実は記憶をしておるのですが、そういうことから言っても、私は現在の法律で十分に目的を達することができるのじゃないか。いま先生がおっしゃいましたように、私どもおそれるのは、たとえば三年を五年にする、あるいは禁錮に懲役を加えることによって、その七人なり九人なりの人だけが対象になるならまだわかるのであります。ところが、そうでなくて、全部がとにかく一年なり二年なり刑が重く科せられるという傾向をおそれるわけであります。ですから私は、先生の御質問に答えさせていただくならば、現在のそれでも十二分であるというふうに実は考えておるのであります。
○大竹委員 最後に甲斐さんにお聞きしたいのでありますが、もちろん事故の中には運転者の責任でない事故があるわけでありますが、運転者の責任の事故といたしまして、これには二種類あると思うのであります。いわゆる運転の技術が未熟であるとか、あるいは交通法規を知らぬというような事故と、それから交通法規の順法精神とでも申しますか、そういうものを無視した、一口にいえば不心得な運転手、承知していながらそういうものを無視した事故、長くやっていらっしゃって運転者のことをよく御承知ですが、事故を大別しまして、この両方の事故の中でどっちが多いとお考えになりますか。
○甲斐参考人 きょう私実は統計を持ってきておりますが、一ぺん警察庁の三十九年度の統計をぜひごらん願いたいと思います。一番多い死傷者の事故はどこの場所で一番起こっているかといったら、横断歩道がない、しかも信号機もなくてという場所で歩行者が横断中に、先ほどちょっと質問がありました乗用車でなくて小型貨物がその人とぶつかって、ということです。しかもスピードは三十キロから五十キロという中が一番多いというようなこと。その他幾つも統計に出てきますけれども、先ほど申し上げましたように、私の判断では、ほんとうに運が悪かったと思っている内容は、多少の瑕疵があっても、間に合わなかった、やむを得なかったという事故がやはり大半だと思います。そういう意味では、安全設備を十分改善すれば、そういう意味での事故防止になると思います。 それから神戸さんにお聞きになりたいだろうと思いますので、ついでに申し上げますと、ほんとうに酔っぱらってひき逃げする、あるいは無免許でといろいろありますけれども、無謀操縦、私はそれは憎みます。この間こういう例が一ありました。阿佐ケ谷の交差点で、ある女性のオーナードライバーの人が、免許取りたてだと思うのですけれども、自分が変な追い越し方をしたものですから、あぶないと思って私のほうの車がよけたために、私はそのときタクシーに乗ってたのですけれども、うしろのバンパーにぶつかったわけです。ぶつかったのを横目で見ながら彼女笑って通っていっちゃったんですけれども、その種のような事故なんかもいろいろあるのですけれども、原因別に見まして、やむを得ず起こるということが一番多いのじゃないか。一つ一つの事故原因、場所、スピード、スピード違反だったか何だかということを統計上からも——詳しく言えませんけれども、ごらんになっていただければお答えが出るのじゃないか。 前段と重複しましたけれども、悪質な運転手さんに対しては、私は罰の重い軽いは、いままでどおりでいいとか、もっと上げろとかいうことは、先ほどのような実情がありますから言いませんけれども、私たちはこういう人たちを弁護しようという気持ちはさらさらないし、そういう悪質の人たちをなくするように、私がもう一言申し上げたいのは、国民世論としてもう少し、監視するような運動をしていただきたい。これはむしろ安全協会さんのほうにお願いしたいと思います。
○加藤委員長 上村千一郎君。
○上村委員 時間の都合もございましょうから、私吉川参考人に一点お尋ねするだけで終えたいと思います。そういう関係もございますので、私の考え方をちょっと申し上げながら御質問申し上げたほうが適切なお教えを賜わることができるかと思うわけでありまして、お許しを賜わりたいと思います。 きょうは、吉川参考人、片岡参考人、神戸参考人、甲斐参考人からそれぞれ有益な御意見を承りまして、それぞれ非常に私参考になったと思うわけでございます。ただ私は、実は現在の実情におきまして、現下の日本の情勢におきましても交通事故が激増してまいって、またきわめて悪質化した事案が多数出始める。これに対してどういうふうに対処するかということは、これは参考人の皆さま方も一応お触れになっておられますが、いわば一つの国民の世論であろうと思いますし、これが対策をどうするかということは喫緊の要務であると思います。それで、もちろんこの対策につきまして、いろいろと道路の条件なり、勤務の条件とかあるいは安全装置とか、そういうような外的条件を無視するということはいかぬでございましょうし、あるいは摘発一点ばりでなくして行政的な指導もしなければならないだろうし、あるいは浮薄な一つの社会的な風潮というようなものも是正しなければならないだろうし、いろいろな諸般のものがございましょうが、しかし、この法律の点につきまして、罰則の点について何らこれを考慮しなくてもいいかというわけにもいかないだろうと思うのであります。いいか悪いかはひとつ検討する必要があろう。と申しますのは、少なくとも罰則の問題が教育的な面と威嚇的な面があることははっきりしておりますし、またその威嚇的な面を全然無視するというわけにいかない、一つの大きな使命であろうというふうに思うわけでございます。それで諸外国におきまして、ちょうどこの交通の事故の防止関係あるいは対策関係につきましておのおの悩んでおる国が相当あると思うのであります。たとえばいま甲斐参考人がおっしゃいましたが、非常に交通の事故の現場というものが交差点、クロスの点においてあるかもしれませんが、高速道路におきまして非常に起こることも確かであります。だからこれは多面的な問題である。しかも本件につきましては刑法の一部改正、特に二百十一条の問題に関連をいたしております。もちろん四十五条の後段の問題もございまするけれども、そうすると結局、この過失犯について刑を重くするということは、故意犯ならある程度いいでしょうけれども、過失犯について刑を重くしたからといって、それで真に刑の目的を達するかどうかという疑問もございましょう。なお、要するに業務上の過失というものと、普通の重過失の場合の法令とかいろいろな問題もあるでしょうが、二百十一条は多くの問題を含んでいることは確かでございます。でありますが、その個々の問題につきましては裁判所でいろいろな諸般の実情を勘案をしながらきめるわけであります。でございまするからして、必ずしも刑を重くしたからといって、具体的妥当性を欠くとも言い切れないし、また刑を重くしますれば自然と現実におきましては罰則の規定が高くなっていくという現実的な面でも無視できないと思うわけであります。こういうような非常に大きな問題を含んでおりまするから、御多忙中にも参考人の皆さま方、各方面の専門的な御経験をお持ちになっておられる方の御意見を承るということに相なるかと思うのでありますが、諸外国において、特にこの交通関係につきまして悩んでおりますところのいわゆる先進国と申しましょうか、そういうような外国の二百十一条に相当するような立法例としまして、刑罰の上限と申しますか、それが普通どのくらいにいっておるか。要は刑を重くするということ自体が事故防止ということに直ちに直結するというわけじゃございませんけれども、少なくとも交通違反関係につきまして悩んでおる諸外国の立法例、しかも上限というものを勘案するということも私は大きな一つの対策であろうというふうに思っておるわけであります。そんな意味におきまして、特に学問的な問題に関連をいたしますので、吉川参考人にもしその点のお調べがあるならばその点について御感想と申しましょうか、御意見を承りたい、こういうふうに思う次第であります。
○吉川参考人 ただいまおっしゃいましたように、私も刑罰の強化によって交通事故を防ごうというのは策としては下だ、それ以前に解決しなければならない問題は多々ある。まず道路の整備とか、あるいは先ほど他の参考人から言われました労働者が無理な運転をしないで済むように、これは大企業の労働者もあるいは中小企業の人も同じでありますが、そういうようなことでやらなければならないことが多々ある。他に金のかからぬ方法がたくさんあるわけであります。刑罰の強化は比較的金がかからぬ、比較的やりやすいということで、それだけで、策としては私は決してすぐれたものとは言いません。ただしかし、それが全然効果がないとは申しません。しかしこの現在の、いま御指摘のやり方につきましては、たとえば悪質なものについていわゆる懲役に当たる場合があるということも私は十分認めておるわけであります。ただ外国の立法例というお話でございましたが、ここに法務省の刑事局から参考人として提出されておりますこれを拝見し、若干のものに私、原文に当たっておりますが、懲役としてもちろん五年というのがないわけではないのであります。たとえばドイツの現行法というようなものが軽懲役、いわゆるゲフェングニスというものは別段の規定がない限りは五年ということにもなっております。しかし、これはまちまちでございまして、その国の交通状況、その他の刑罰の重さ、軽さということ、すべて勘案しないとこの数字だけでは言えない。たとえばスイスなどでは、これも軽懲役、スイスのゲフェングニスは別段の規定がない限り三年ということになっております。そういうことで比較はあまりそれほど意味がないかと思います。 ただ注目に値するのは、最近の立法例で——実は法務省のこの資料で若干錯乱したところがあります。ここに刑事局長見えておりますが、この「過失致死傷罰に関する外国立法例」という資料の三十四ページの一番最後に、「一九六二年ドイツ刑法草案」と書いて、一五一条はいいのですが、第二〇五条と書いて、その前に「(軌道・船舶・航空交通の故意の危害行為)」とございまして、それ以下三十五ページから三十六、三十七、三十八ページの四行目まで、これは一九六四年オーストリア草案の条文なのであります。これは私、原文に当たってまいりましたが、そのあとにオーストリア刑法草案が書いてあります。これはしかるべく御訂正を……。四十五ページ以下のあとに入る部分だと思います。この二つの最近の一番新しい立法例を見ますと、先ほど私ちょっと意見開陳のときに申しましたように、やはりある種の致死傷の結果となりやすいような行為、無謀運転とか、めいてい運転とかをあげまして、その結果としての致死傷というものを非常に重く罰しておるという、これが新しい——おそらくこの交通事故の最近の、一八七〇年代あるいは八〇年代あるいはフランス刑法のごとき一八一〇年、十八世紀末、十九世紀初頭ないし中ごろの交通事故等を対象としたもので現在あまり参考にならぬ。やはり最近の立法というものを参考にいたしますと、そういう傾向にきているのではないか。そうしますと、日本でも、たとえば道交法の中にそれ自体独立して一年の懲役とか六カ月の懲役とかいっている無謀運転とか無免許運転、プラスそれに基づく傷害致死ということにいたしますと、これは現在の道交法でも懲役何年、懲役を科することも大いに——大いにけっこうとは言いませんが、いい面もあるだろうし、刑を五年あるいは場合によってはもっと重く、一種のこれは傷害致死、つまり酒に酔っぱらって道路を運転するとか、無免許で自分は運転技術もろくに知らないくせにやる、これの傷害等については、それこそ一種の未必の故意それ自体と認めていいんじゃないか。そういう形でやることが、いまのねらいとする悪質犯をぴしっと取り締まれるということではないかと思うのです。 それから先ほど片岡参考人のほうから御意見もありましたが、いわゆるてんかん病質者等の事故が多い、それは精神病者の場合でありますから、懲役刑というものはなお無意味ではないか。むしろこの問題は、現在法務省の刑法改正のための審議会でもやっております保安処分をどうするかという形ででも考えていかなければいけない。懲役というのは、一応現在の刑法のたてまえでは、精神に顕著な欠陥がない、いわゆる自分の行為の是非善悪の判別のつく者、あるいはそれに従って行動する能力が人並みである者に対しての通常の刑である。これに対していわゆる病質者の概念もはっきりしないし、限界も非常にあいまいでございます。通常人と、そのようないわゆる倫理的な判断、それはともかく、それに従って行動する能力に欠陥のある者に現行の懲役とか禁錮とかいう在来の伝統的な刑罰では必ずしも処遇を全うし得ない。したがって、それらの実態を明らかにした上で、他のしかるべき処置というものをも真剣に考えなければいけないんじゃないか。お答えになるかどうか存じませんが、一応この程度にいたします。
○加藤委員長 畑和君。
○畑委員 大体ほかの委員の方から質問が出尽くしたようです。したがって、時間もありませんから簡単に一点だけ吉川参考人にお願いいたします。 先ほど神戸参考人からの意見もありましたけれども、いまの日本の刑法の業務上過失、この概念が非常にばく然とし、しかも拡大解釈をされ、非常に不明確である。しかも本来これは行政取り締まり的なものであるんだ。それが刑法に入っておるのは、大体法体系として非常におかしいと私も思う。それで神戸さんも、いっそのこと業務上過失というあれはやめにして、重大な過失一本でいくべきではないか。外国の立法例もそういうふうになりつつある。まためいてい運転等は、さっき話のあったような別の概念で押える、こういうようなことが最近の世界の傾向のようであります。 そこでお伺いいたしたいのですが、日本の刑法の業務上過失に関する刑法の変遷ですね、それについて一番最初——私の記憶に間違いないとすれば、旧刑法ではたぶん単なる過失傷害だけを罰しておったと思うのです。それから新刑法というか、明治四十年ですかのいわゆる現行刑法、これも最初は、たぶん業務上過失ですか、それが加わって過失のほうはなくなった。ところがその後になってまた改正になって、昭和二十二年かに重大な過失がまた入ってきた、こうして現行に至っておる、こう思うのです。それぞれ社会的な背景があって変遷してきたと思うのです。それが諸外国の立法例によると、世界的な傾向としては、日本のあれはだいぶん時代おくれ、そういうふうに感ずるのですが、その辺に関して、どんなわけでこうなったか、立法者でなければわからぬけれども、しかし法律家としてのそれに対する考え方、世界における日本の刑法の立場、位置、そういったものについてひとつ御見解を承りたい。同時に、あわせて神戸さんの言われた、むしろ重過失一体でしぼるべきだということに対する教授の御意見をお願いいたします。
○吉川参考人 ただいま御質問ございましたように、私も、業務上過失を刑の加重理由とするということは、明治四十年の現行刑法に始まると思います。旧刑法にはございません。その理由というのは、いまの参考資料を見ましても、必要があるからだと書いて、「改正案ニ於テハ之ヲ必要ナリト認メ新ニ其規定ヲ設ケタリ」「其情状頗ル重キヲ以テ特別ニ処分ス可キコトヲ定メタルナリ」、これでは問をもって問に答えるのたぐいでありまして、あまり参考になりませんが、推測いたしますと、旧刑法は御承知のように明治十三年の立法でございまして、おそらくそのときに東京には自動車などはなかった。交通機関といえば人力車ですか、非常に皮相な見方をしても、業務による加重という必要性が乏しかったのじゃないか。明治四十年ごろになりますと、私も明治の歴史をあまりよく知りませんが、ある程度そういう交通、たとえば鉄道なども相当発達してくるというようなことがおそらくねらいであったのではないか。諸外国の立法は現行法でも、法務省の資料で見ましても、この中で法務省では業務上のほかに自動車運転に伴う過失致死傷の場合は二重まるがついておりまして、純粋の業務ということをもって刑を加重しているのはブルガリア、ハンガリー、オランダ、ブラジル、アルゼンチン、このくらいのようでありますが、たとえばドイツとかフランスとかの刑法は、その制定年月日が日本の現行刑法よりもはるかに古いので、おそらくいまの自動車交通等を特に重点を置いた業務上という必要性に比較的乏しかったのではないか、これは私の全くの推測であります。 では、そういう一応のあれがあるとして、現行法でこれが合理的であるかどうかということになりますと、私はさっき申し上げましたように、必ずしもそうとは思いかねる。といいますのは、判例ではこの業務という概念が広がっております。最初社会生活上の地位に基づきというようなことが書いてあり、現在も一応そういう社会生活上の地位というようなことがうたわれておりますが、たとえば有名な昭和三十三年ですかの最高裁の判例によりますと、ハンターが娯楽で鉄砲を撃つのも業務だ。これは社会生活上の地位とおよそ関係がない。単に継続反復また継続反復の意思をもってする行為を、業務としているとは私には思えない。ただしかし、判例がそうしていることは意味がないことはないのでありまして、たとえばさっき申しましたように、国鉄の運転士の諸君が機関車を運転する、あるいはタクシーの運転手の諸君が自動車を運転される、これはどう意味を解しても業務です。業務以外には解し得ない。ところが業務を非常に厳格に解釈しますと、どうも先ほどからしばしば出ている女の子を乗っけてどうのこうのというのは全くレジャーでありまして、業務とはいえない。たとえば私が、自分は車を持っておりませんが、車を運転して学校に入る場合、これを拡張解釈して付随業務といえる。休日に、きょうは箱根にドライブしようか、これは厳密な意味での業務ということは困難だろうと思う。しかし、ではその実態だけ見て、どちらを重く罰すべきか、いろいろな事情がございますが、おそらく重く罰する必要のあるような場合は、後者の遊び半分にやるほうが重いのではないか。そうしますと、裁判所がこの問題に関する限り業務という概念を非常に広く解釈されるということは、無理もないといえば無理もない。しかし、御承知のように刑法には厳格解釈の原理というのがあります。この一点からも刑法の解釈はルーズでいいのだという風潮が出てくればこれはおそるべきことだ。したがいまして、現在の時点に立ちますと、いまの業務であるか、業務でないか、厳格に適用するならばかえって逆の結論が出てくる可能性を含むような業務という一点で重いものと軽いものをしぼるということについては、現在の時点においては合理的な根拠を見出すことがむずかしいのではないか。したがいまして、学者の注釈でも非常に苦労しているのですが、私も学生時代から刑法の講義をいろいろの先生に伺いましたが、業務上の刑を重くする理由が、どうも納得いく理由が、なるほどそれがぴしゃりだということを発見するのに非常に困難です。先年私が私の講義用の本を書きましたときにも、実はこの点は、ごまかしてあるのです。どっちに書いていいか実はよくわからぬというようなことなので、どうも業務というのは困ると思います。
○加藤委員長 委員諸君に申し上げますが、吉川参考人は講義の関係で十二時三十分までしかおられませんから、吉川教授に御質問のある方、繰り上げて御質問いただきたいと思います。 神近君。
○神近委員 ほかの.質問もありますけれども、いま吉川教授がお帰りになるというので、ちょっと……。 いま業務、非業務というふうな区別をなさいましたけれども、いま一番問題になっておるのは道路運転だと思うのです。それで、あなたもおっしゃったように、私も道交法の改正でこれを行なわれるべきだというふうに考えていたのですけれども、刑法ということになると、軌道運転をどういう形でこれを区別するかということの技術的な面が一つ。それからもう一つ、これは常識的にお考え願いたいのですけれども、さっき道路のことにちょっとお触れになって、道路の割合に車が多いという点で、私も夕方なんか車に乗っておりますと、人間が非常に悲しく見えるのです。車の洪水のようで、そこに人間が五人か三人ちょろちょろするというふうな形を見ますと、ある程度道路に合わせた車の制限というようなことも必要じゃないかというふうに私はいつも考えるのです。アメリカの道路の割合と東京の道路の割合とは五と二くらいの関係になっている。車の許可数をそれに合わせて、まあいままではしかたないとして、今日こういう状態になったときに、これをある程度制限する方法があるかどうか、前例があるかどうか、その二点を伺いたいのであります。
○吉川参考人 後者のほうは、私専門でございませんので、第一点、前者の軌道、国鉄の組合の方なんか一番問題にされている軌道の交通の問題につきましては、これはおそらく刑法の中に入れます場合には、外国刑法、さっき申しましたオーストリアとかドイツとかは軌道上とか区別しているようでございますが、日本の現在の非常に条文の少ない、刑法は簡潔にやるのだというたてまえの刑法典のもとでは、ここに軌道はどうの自動車はどうの、それ酔っぱらいはどうのということを入れるのは、非常に全体としてのていさいを失するのではないか。現在この案が提出された決定的な理由と考えられるのは、おそらく自動車の酔っぱらい運転とか無謀運転だろう。そういたしますと、やはり道路の交通を取り締まる道交法の中に入れるほうが、立法技術的にもすっきりいくのではないかというふうに考えます。 それから後者につきましては、私もいまの神近議員のおっしゃったことと全く同じような考えでありまして、私自身車の免許をとる気にもなれないのは、こんなことをやってへたに禁錮刑でも食うと、学校の教師も首になりますので、食っていけない、これはやめたほうがいい。特に私現在三多摩といわれる調布市に住んでおりますが、都内二十三区内はオリンピック関係等々で道路も非常に整備されたり、あるいは駐車禁止などもずいぶんやかましくなった。そのしわ寄せが三多摩にきておりまして、私のうちの横の通りなんというのはずっと夜——あれは駐車禁止じゃない。あぶなくて歩けないんですね。やはりこういうようなところが是正されないと、道路交通違反の原因というものは、とても刑法の改正だけではまかなえるものではない。したがって、これはむしろこちらから国会の諸先生方にお願いしたいわけですが、そういうところも善良な歩行者が安心してともかく歩けるように、特に夜なんか多少めいてい——これは運転者じゃないからかまわないのですが、めいてい歩行しているときなんか非常に危険を感ずる。そういうことはこちらからお願いしたいと思います。
○畑委員 片岡さんにお聞きしたいと思います。 片岡さんのお考えは、とにかくいまの自動車事故は悪質で、しかも激増いたしておる。これを減らすためには、ほかにも方法はあるかもしらぬけれども、ともかく厳罰に処すべきである、こういうお考えのようであります。この点はほかの参考人の意見とお違いになっていらっしゃると思います。そこでしからば法定刑を引き上げることによって交通事故が少なくなるかという問題です。これはやってみなければわからぬといえばそれまでですけれども、しかし、いままでに道路交通法の刑罰の改正があって、昭和二十五年でしたかに道路交通法の罰則も上がったんですね。ところが上がって、それが実施されても一つも変わっておらぬのじゃなかろうか、そういう統計が出ておると私は思うのです。今度刑法でこれを引き上げてみても、事故は減らない、やはり依然としてふえる。少しブレーキをかけるということになるかどうか知らぬけれども、それも私はどうもちょっと不可能だという感じが、ほかの参考人と同じようにするのです。その点はいかがでございましょうか。
○片岡参考人 これは非常に刑罰の根本に触れる重要な問題だと思いますので、なかなかいろいろな議論があると思います。私もそれは処罰だけが唯一の方法だとは考えておりませんし、先ほど申し上げましたように、外的な条件も十分——十分といいますか、とにかく整えることが望ましいことである。しかし、それだけではやはり問題は解決しないのじゃないか。これは人間性の問題でございますが、いろいろ聞いてみますと、たとえば中共で物がなくならなくなった、どろぼうが少なくなった、いろいろ話を聞いてみると、これは物を盗んだらひどい厳罰に処せられるからなくならない、そういうものが防げたのだ。あるいはその他の国々のいろいろな立法例を見ましても、ある程度厳罰に処するとある程度防げるといいますか、そういう実例は私は確かにあるのじゃないかというふうに思うわけでございます。それで私は、片手にコーラン片手に剣ということが昔からいわれるとおり、言って聞かせて、聞く者に対してはどこまでも指導すべきであるけれども、繰り返し繰り返しそのことをやる者に対しては、やはりある程度厳罰でいく以外に手はないのじゃないかというふうに考えるのでございます。道交法の刑罰罰則がふえたので、それじゃそれで少なくなったかというお話でございますが、これは何も別にそのお考えに私は反対するわけじゃございませんが、毎年毎年自動車がうんとふえておりますし、それから自動車の走行距離がうんと伸びております。そういう割合から申しまして、統計的には絶対量がふえるということはあると思いますが、ただ私は、やはり処罰は重くするということにおいて、人間は、そういうことをするとあるいは処罰を受けるかもしれぬから注意をしなければならないという注意をする、気持ちの上に大きな反射的な影響がある、こういうふうに思うわけでございます。それは先ほど吉川参考人のおっしゃいましたように、おどかしてやることは一番下の下の策かもしれませんが、しかし、人間には必ずしも上等な人ばかりはおりませんので、どうにもならない人に対しては、やはりその下の策を講ずる以外にないのじゃないか。それでさっきからお話しの、いろいろ同情すべき余地のある人に対しては、これは裁判上当然情状酌量すべきでございますし、弁護人もついて十分それを主張されると思います。 ところで問題は、棒にもはしにもかからない、その結果人が殺された。私たちは職掌柄、その殺された人の悲惨な状況を実情調査などをしましてよく知っております。この結果から見まして、これが酒に酔っぱらっていいかげんなことをして殺されて気の毒だということで、やはり被害者の立場からいうと、応報主義といいますか、そういう応報的な、一つの社会正義の立場から非常な義憤を感ずるわけであります。そういう国民の気持ちも十分察して立法は行なわれるべきものである。こういうようないろいろな点を考えまして、そしてことに未必の故意と考えられるものでも、その未必の故意という証明がなかなかできない。ほとんど紙一重のところで相当ひどい事故が起きてたくさんの被害者が出ておるということをわれわれは現実に見ておりまして、そういう立場からあれこれ考えましてそういう考えを申し述べたわけでございます。
○畑委員 先ほど処罰を重くするという例で中国の例を出されましたけれども、私は中国のためにちょっと釈明しておきたいのです。私も行ってきましていろいろ聞いてきておりますから、少しはわかったつもりでありますが、それによると、窃盗だからといって決して厳罰に処しているわけではありません。なぜ窃盗のようなものが減ったか。確かに旅館に行っても、こちらが恥ずかしくなるほど、こちらが捨ててきた物でも、忘れものではありませんかといって飛行場まで追っかけてきます。それほどいまの中国と昔の中国とは全然変わって、窃盗はありません。私もその理由を聞いてみたのですが、やはり政治的な教育、精神教育が根本だ、そういう意味で感心したのですが、その点をいま例にとるのはあれだと思いましてちょっと申し上げます。 それと、いまの棒にもはしにもかからぬやつということですけれども、われわれも無謀運転、酔っぱらい運転、無免許運転、こういったものは相当厳罰に処してもらうべきだとは思っています。その点はそれを肯定するに何らやぶさかではないのでありますが、ただ刑を重くしたばかりではだめだと思う。それで未必の故意の問題がございましたけれども、それはできるだけ未必の故意でやって、立証できなければしようがありませんよ。そこでさっきもだれか言ったように、妥協的なことで刑法の体系を汚すべきではないと思う。これは意見になったが、そういうことで、処罰を強化することだけではとても救えない。それにはいま言った一つの類型を設けて、諸外国の例のような、ああいうふうにしてやったらいいと思うのですが、あなたはどうお考えですか。いま言った酔っぱらい運転とか、無免許運転、それを業務上の過失とかなんとかでなしに、そういう一つの構成要件のあれを設けて、それでやったらどうかと思うのですが、どうなんですか。
○片岡参考人 私は法律学者ではございませんから、私たちの仕事の上から現況を見まして申しておるのでございまして、体系は、たとえば道交法の中でおきめいただくことも一つの方法であろうと思いますし、あるいは刑法でいまの案のようでも差しつかえないと思いますし、どういう形でございましても、とにかく国民の多くの声が確かに厳罰にしてほしいという、それは法律のしろうとの考えが多いと思いますけれども、しかし、そういう国民の感情というものがある、それはやはり国民の意思であると考えられますので、どういう形でもよろしゅうございますが、とにかくそういう一部の者に対する罰則を強化していただきたい。それが反射的にみんなに対する警告になる。そういう意味で私は申しておるわけでございます。
○加藤委員長 これにて参考人に関する議事は終了いたしました。 参考人各位には、御多用中のところ長時間にわたり貴重な御意見をいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表してここに厚くお礼を申し上げます。 どうぞ御退席くださいますようお願いいたします。 ————◇—————
○加藤委員長 次に、経済関係罰則の整備に関する法律を廃止する法律案を議題といたします。 質疑の通告がございますのでこれを許します。上村千一郎君
○上村委員 経済関係罰則の整備に関する法律を廃止する法律案につきまして、若干の問題点につきましてお尋ねいたしたいと思います。 この法案の提案理由を拝見いたしますと、「最近の経済事情にかんがみ、経済関係罰則の整備に関する法律を廃止することとし、これに伴い、同法に規定する団体のうちその役職員に関し贈収賄の罪を存置すべきものについては、それぞれ関係法律中に所要の規定を設ける必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。」というふうに述べられております。それで、昭和十九年当時の経済罰則整備法の制定の理由につきましてお尋ねをし、漸次問題点に入っていきたいと思います。
○津田政府委員 昭和十九年経済関係罰則の整備に関する法律が制定されましたのは、当時におきまする戦時経済統制の円滑な遂行のために、経済統制事務その他重要な公共事務を取り扱う各種の団体の役職員の涜職行為及び経済統制の運用に関しまする官庁または経済団体の重要な秘密を漏らす行為等について、厳正な処罰を行なって綱紀の粛正をはかるということが要請されましたので、それまで団体によってはこれらの行為を処罰する規定を欠くものがあり、また罰則の存するものにつきましても、その構成要件、法定刑等が区々に分かれておりました等の不備がありましたので、これら経済団体の役職員の涜職または秘密を漏らす行為についての罰則を統一的に整備強化するため、この法律が制定されたのでございます。
○上村委員 この経済罰則整備法は、いわば戦時立法であるというふうにも特色づけられるかと思うのでございますが、その経済罰則整備法が戦時統制がなくなった戦後においても存続しておるのはどういう理由か、また昭和二十二年における改正の理由は那辺にあったかという点についてお尋ねをいたします。
○津田政府委員 制定されましたのは、ただいま申し上げましたとおり昭和十九年でございますが、終戦に伴いまして、経済統制関係法令は大幅に廃止されましたものもあり、戦時中の統制の権限を行使いたしました各種の団体もその大部分が消滅をいたしたのでございますが、ここに戦後の新しい特殊事情が生じてまいりまして、政府による経済統制が継続されることになり、その結果、新たに政府の行なう経済統制の補助事務を行なう各種団体が設けられてきたのであります。それらの団体の役職員の涜職及び秘密を漏らす行為は、戦時における経済統制団体の役職員による涜職の行為と同様に厳重に処置すべきものであると考えられましたし、また、他方におきまして、鉄道事業でありますとか、電気事業その他、その事業の性質上当然独占となるような事業を行なう団体につきましては、統制補助事務を行ないますものではありませんが、それらが独占団体として社会経済中に占める地位が重要なのにかんがみまして、その役職員の涜職及び秘密を漏らす行為を、ただいま申し上げました統制の補助を行なう各種団体の場合と同様に厳重に取り締まる必要が生じたのであります。このような配慮のもとに昭和二十二年法律第二百四十二号をもちまして、この法律の一部が改正されまして、統制補助団体、独占事業団体の役職員の涜職規定等を新たに設けた次第であります。
○上村委員 現行経済罰則整備法中、実効のある部分、すなわち、現実にこの法律の適用を受けておる団体というものは現在どれとどれか。また、第二条との関係において、それらは同条所定のいかなる種類の団体として適用を受けておるかどうかという点についてお尋ねをしておきたいと思います。
○津田政府委員 まず全体について申し上げますと、第一条の関係におきましては、現在効力の存するものは別表甲号中の九の日本銀行のみであります。なお、日本銀行につきましては、別途日本銀行法に、日本銀行の役職員は法令により公務に従事する職員とみなされる規定がありますので、この関係においては日本銀行法と重複いたしております。 それから次に、第二条の関係におきましては、同条には三種類の団体があります。すなわち、第一は特別の法令により設立された会社またはこれに準ずるもの。第二は、鉄道事業、電気事業、ガス事業その他その性質上当然独占となるべき事業を営む会社もしくはこれらに準ずるもの。第三は、臨時物資需給調整法その他経済の統制を目的とする法令によりまして、統制に関する業務をなす会社もしくは組合またはこれらに準ずるものが規定の対象とされておるわけでありますが、同条の適用がありますのは右三種類の一に当たる団体でありまして、しかも別表乙号表に掲げられておるものに限るわけでございます。しこうして、現在同条の適用を受けているものといたしましては、別表乙号表をごらんいただきたいのでありますが、ただいま申しました第一の種類に属するものといたしましては、六の日本航空株式会社、八の国際電信電話株式会社、九の帝国鉱業開発株式会社、十の電源開発株式会社、十七の農林中央金庫、十八の商工組合中央金庫、十九の二の信用金庫法による信用金庫及び信用金庫連合会、十九の三の労働金庫法による労働金庫及び労働金庫連合会、二十の中小企業等協同組合法による信用協同組合及び同法第九条の九第一項第一号の事業を行なう協同組合連合会でありまして、第二の種類に属する団体といたしましては、三十の地方鉄道法第十二条の規定による免許を受け地方鉄道業を営む者、三十一の軌道法第三条の規定による特許を受け運輸事業を営む者。第三の種類に属する団体といたしましては、現存いたすものはございません。ただ、別表の乙号の十六に掲げられております貸家組合法による貸家組合、貸家組合連合会、貸室組合及び貸室組合連合会は、現実には統制に関する業務を行なっておりませんし、また、十一に掲げられております森林法による森林組合及び森林組合連合会は、もともとすでに廃止されました旧森林法による団体をさしておりますので、このものにつきましては、昭和二十六年法律第二百四十九号をもって制定されました森林法による森林組合及び森林組合連合会とは別でありまして、この法律による森林組合及び森林組合連合会は統制に関する業務を全く行なっておりませんので、十六と十一は実質的に失効しておる、こういうことになっておると考えております。
○上村委員 現に経済罰則整備法第六条の適用される経済団体としてはどのようなものがあるかということをお尋ねしておきます。
○津田政府委員 現在六条は、形式的には第一条及び第二条の適用を受ける団体、すなわち、別表甲号、乙号に掲げる団体の全部に適用されるわけでありますが、同条の保護の対象となりますのは、重要物資の生産、配給、または消費等の統制、その他経済の統制に関する重要なる秘密に限定されておりますから、これに該当するような秘密を有しない団体については同罪が成立する余地はないのであります。したがいまして、現在といたしましては、同条の適用を受ける団体はほとんど考えられないというふうに考えております。
○上村委員 戦後相当の歳月を経ておって、経済統制はかなり前からなくなっておるのに、今日まで経済罰則の整備法を廃止しなかったのはどういう理由であるか、その点につきましてお尋ねします。
○津田政府委員 先ほど申し上げました戦後の経済統制関係で最も最近までありましたものは金融関係の統制であります。これは御承知のとおり、一昨年金融緊急措置令が廃止されるまで、なお金融統制は存続しておりましたわけでありまして、それまで経済罰則整備法に規定されておりました銀行等の役職員にかかる贈収賄罪によって検挙処罰された事例は少なくないわけであります。そういう意味におきまして、なお戦後の経営に必要な経済統制は一昨年まで存続しておったと考えられますので、その点におきましてこの法律は存続されてきたものと考えるわけであります。今日におきましても、経済統制というものがどういう定義を有するかということについてはいろいろ議論がありまして、現在でもある種の行為は経済の統制ではないかということも考えられないわけではありませんが、もう戦後のいわゆる経済統制といわれていたようなものは、一昨年の金融緊急措置令をもって終わりを告げているというふうに考えておるわけでございます。したがいまして、一昨年当時までは必要であり、一昨年から見て、今日この法律を出すのはおそいではないかということもありますが、なお理論的には統制あるいは類似行為というものは存在いたしております。ことに独占事業の面についてはなお存在しておるわけでありますが、そういう点におきまして、現在でもこの法律が存続されていると私どもは考えております。
○上村委員 この法案によって罰則の適用を受けなくなるものと、別途関係法規の改正によってなお罰則の適用を受けるものとが生ずることになるのでありまするが、どんな考えでこういうふうにお分けになられたか、お尋ねしておきます。
○津田政府委員 今日の経済情勢のもとにおきましては、先ほど来申し上げますように、この経済罰則整備法は、ほぼその使命を果たし終わったものというふうに考えられるわけでありますが、他面、現にこの法律に規定されています団体の中には、右のような経済情勢の推移にもかかわらず、その団体の性格あるいは営む業務の性格等にかんがみまして、なおこの種の罰則を存続する必要があるものが相当認められるわけでございます。したがいまして、この法律を廃止するにあたりましては、同時にこのような観点かち個々の団体について罰則の存置の要否を検討いたしました結果、この御提案申し上げた案にありますように、これらの団体のうち、日本航空株式会社、電源開発株式会社及び商工組合中央金庫の三団体は、いずれも政府からの出資を受けて、重要な国の施策に関し必要な業務を経営しているものといたしまして、高度の国家的あるいは公益的な性格を有するものでありますので、もともとこういう団体には、その性格の特殊性にかんがみまして、その団体に関する法律自体にこれらの規定を設けるべきものと思いますが、経済罰則整備法の中にこれが組み込まれておりますので、これを廃止するとすれば、これらの団体に関する各法律の中に、経済罰則整備法の内容にほぼ近じ役職員の涜職規定を設ける必要があるというふうに考えられるわけであります。
○上村委員 日本航空株式会社の役職員並びに電源開発株式会社の役職員の涜職に関し、特別の罰則を設けることといたしておりまするが、その理由はどうか。国際電信電話株式会社について、その役職員の涜職に関する罰則の規定を設けないのはどういうわけか。要するにその関連ですね。
○津田政府委員 日本航空株式会社は、わが国の政治経済活動の能率化、外貨の獲得及び節約による国際収支の改善、経済の自主発展、国際交流の促進等の国家的な目的を達成するために、国家資本を投入して設立された特殊会社でありまして、その公的性格はきわめて顕著でありますので、その役職員の職務の公正を期するために、かような規定を設ける必要があると考えるわけであります。 電源開発株式会社につきましては、電源開発促進法によりますと、「内閣総理大臣は、国土の総合的な開発、利用及び保全、電力の需給その他電源開発の円滑な実施を図るため」電源開発基本計画を決定するものとされ、この計画の実施の一環として新たに電源開発会社を設立し、これに国家資本を投入して、基本計画中、他の民間電力会社によって実行しがたい大規模な電源開発、送電等の事業を行なわせることとしたものであって、この意味におきまして、この会社につきましても、株式会社組織をとるとは申せ、高度の公的性格を有する団体であるというので、日本航空株式会社と同様に役職員の涜職規定を設けるわけであります。 それから、国際電信電話株式会社についての涜職規定を設けないことは、という問題でありますが、この会社は昭和二十八年に設立されました当時、資本金は三十三億円でありましたが、その大部分、すなわち三十二億七千八百六十九万四千円は、国がその資本の全額を出資している日本電信電話公社の現物出資であったのであります。したがいまして、当時におきましては公的性格はきわめて強かったのであります。しかしながら、その後この会社の資本は増加しておりますのにかかわらず、会社に対する公社の持ち株は逐次他に譲渡されまして、現在は会社の資本は、六十六億円中、日本電信電話公社の持ち株は六億六千万円にすぎないのであります。その公共的性格も次第に、先ほど申し上げました三社に比べまして非常に希薄となってまいりましたので、この会社の役職員について公務員に準じた涜職規定をこれ以上設けておく必要はないというように考えられた次第であります。
○上村委員 農林中央金庫は、沿革的には商工組合中央金庫と同性格のものと考えられるが、農林中央金庫については罰則を廃止し、商工組合中央金庫については別に罰則を設けるということにした理由はどういう点にありますか。
○津田政府委員 農林中央金庫も商工組合中央金庫も、もともと社会政策的な見地から政府が資本金の一部を出資いたしまして、組合系統の金融機関として設立されたものであり、重要な国の政策に関する事業の経営を行なってきたのでありますが、特に戦時中あるいは戦後の経済金融統制のもとにおきましては、両金庫の業務が金融統制と直接間接に密接な関連を持っておりまして、この経済罰則整備法の適用を受けることとされたのであります。しかしながら、金融統制の最後の法規であります金融緊急措置令も一昨年廃止されておりますので、もはや金融統制に関連を有する理由では、これらの金庫に罰則を存続する理由はなくなったものと考えられます。しかしながら、この間におきまして、両金庫の内容はかなりの変化をきたしておりまして、商工組合中央金庫につきましては、政府出資は年々増加して、現在資本金百八十億円中、政府出資額は百七億二百十万円であります。半額以上を占めております。また理事長、理事等も主務大臣が任命するというようなことにされておりまして、政府の強力な監督のもとにあるわけであります。したがいまして、商工組合中央金庫はきわめて高度の公共性を有するのでありまして、今日金融経済統制との関連はなくなったとは申しましても、この役職員は公務員に準ずる扱いをするのが相当であると考えられるのであります。これに反しまして農林中央金庫につきましては、政府出資がその後次第に減りまして、現在は政府出資はありません。主務大臣による役職員の任命制度もありませんし、行政面の監督もかなり後退しておりますので、商工組合中央金庫とは実質的に異なり、いわば民間団体にひとしいものになっておりますので、これにつきましては涜職に関する規定を設ける必要はないと考えられるのであります。
○上村委員 帝国鉱業開発株式会社はいかなる理由によって経済罰則整備法の適用を受けることとされたのか。また、この会社は政府出資の行なわれている特殊会社であると考えられるが、役職員の涜職に関する罰則を設けないのはどういう理由であるか。
○津田政府委員 帝国鉱業開発株式会社は昭和十四年の法律によりまして設立されたものであります。同社は、政府から出資を受けまして、重要鉱物の資源開発の促進等、重要な国策業務の経営に当たったものでありますと同時に、戦時経済統制のもとにおきましては、経済統制遂行上重要な関連を有するものとされていたわけで、この会社は第二条の特別の法令により設立された会社として、経済罰則整備法の適用を受けておったのであります。しかしながら、この会社はその後、昭和二十五年四月一日解散いたしまして、それ以来全く事業活動は行なっておりませんし、すでに清算事務もおおむね結了している状況でありますので、この際新たに役職員の涜職規定を設ける必要はないものと考えております。
○上村委員 先ほど御答弁の中に入っておりましたが、貸家組合あるいは貸家組合連合会は現在存在しているのかどうか。存在しているとすれば、何ゆえに経済罰則整備法の適用がないのか、その点についてお尋ねします。
○津田政府委員 現在貸室組合及び同連合会は存在しておりますが、貸家組合及び同連合会は若干存在しております。建設省の調査によりますと、昭和三十七年九月現在で、全国における貸家組合の数は七十二ということになっております。しかしながら、その大半は組合員相互の親睦団体的なものでありまして、独自の事業活動を行なう組合はきわめてわずかであります上に、現在活動中の組合も、事業内容としては、貸し金の取り立て、組合員の貸家経営に対する指導を行なっており、統制業務は行なっている事例はありませんから、そのこと自体では経済罰則法の適用はないということになるわけであります。なお、現状から考えまして、近い将来にこれらの組合が統制業務を行なうというごとは予想されておりませんので、さしあたりは罰則の必要はないというふうに考えております。
○上村委員 金融機関というものについてどういうふうなお考えを持っておるのか。銀行については、役職員の涜職については商法の罰則が適用されておりますが、他の金融機関についてどういうようなお考えを持っておるのか、承りたいと思います。
○津田政府委員 金融機関につきましては、銀行は、これは株式会社によっておるわけでございます。したがいまして、株式会社につきましては、御承知のとおり商法の罰則がございますので、この点は銀行という金融機関の性格としてではなくて、株式会社の性格から商法の罰則の適用を受けている涜職規定があるわけです。ところが、信用金庫あるいは労働金庫、信用協同組合等に関しましては、現在は経済罰則整備法によって涜職規定があるわけであります。ところが、これは金融機関としては、すでに銀行が一昨年はずれておるわけであります。そこで、それらのものとのつり合いから見て、金融機関ということだけで、信用金庫、労働金庫等をこの法律の対象にする、あるいは別途の涜職規定を設けるということについては、いささか問題があるというふうに考えられるわけであります。しかしながら、これらの団体については、過去におきましても相当いろいろな問題がありましたわけでありますので、この法律の経済統制という面から考えれば、この法律から除外するのが理論的には正しいと思うのでありますけれども、そのほかの一般的な影響等も考えまして、銀行等を含めまして、これらの金融機関に涜職的措置について何らかの規制を加える必要があるかどうかということについては、相当検討を要する問題であるというふうに考えております。法務省といたしましては、関係各省と今後十分連絡協議をいたしまして、この問題について何らかの結論を得て、立法を要する場合には、すみやかに立法したいというふうに考えておるわけであります。
○上村委員 地方鉄道業とか軌道による運輸事業については、どんなお考えをお持ちになっておられますか。
○津田政府委員 鉄道、軌道運輸事業につきましては、一般の営利会社と異なった高度の公共性が要請されることはもちろん否定されないのでありますけれども、純然たる私企業として認められております以上、基本的には、公共的使命というものも私企業のワクの中で考えるべきだというふうに考えられるわけであります。ところが、現在の実効を考えますると、昭和二十二年にこの地方鉄道及び軌道運輸事業の関係につきましてはこの法律に組み込まれたわけでありますが、最近におきましては、その当時に比べますと、バス輸送、トラック輸送の発展、乗用車の普及、国内旅客・貨物輸送中に占めまする地方鉄道、軌道の割合は、きわめて低下しております。その独占性というものは非常に希薄になってきたわけでございます。したがいまして、その役職員を公務員に準じて涜職規定を設けて、その公共性を厳重にするというほどの事業ではもはやなくなってきておるのではないかという意味において、これをこのままはずしてよかろうという考え方であります。
○上村委員 特殊会社の役職員の涜職罪については、どんな法制がとられているか、お尋ねしておきたい。
○津田政府委員 資本金の一部に政府出資が行なわれております特殊会社につきまして、その役職員の涜職罪の規定が設けられるようになりましたのは、おおむね昭和十九年の法律制定以降のことでありまして、経済罰則整備法制定後設立された特殊会社につきましては、設立の根拠規定にそのつど特殊会社を経済罰則整備法の別表に掲げまして、同法の適用を受けることとするというのが例であったようであります。その後、経済社会情勢の変遷もあり、同法の規定する涜職罪の構成要件が、いわゆる単純収賄、柱法収賄のほかに、事前収賄、事後収賄等かなり広い範囲の涜職を処罰することにしているわけでありますが、またその法定刑、特に懸役刑の法定刑がかなり重く規定されておりまして、特殊会社につきましてこれほど厳重な罰則を設けるのはいかがなものかというふうに考えられてまいりましたことから、昭和三十年ころから以降は、政府の一部出資により設立された特殊会社につきましては、関係法規中に特別のわいろ罪を設けることとして、その内容はすべてこのたびの日本航空株式会社法の改正案程度の構成要件と法定刑をきめるのが例になってきております。 その例といたしましては、東北開発株式会社、石油資源開発株式会社、北海道地下資源開発株式会社、日本航空機製造株式会社等があります。
○上村委員 次に、経済罰則整備法第八条は、本法第二条及び第三条の収賄罪及び第六条の秘密漏洩罪について、刑法第四条の国外犯の規定を適用することとしているが、日本航空株式会社、電源開発株式会社及び商工組合中央金庫についてこのような規定を設けない理由はどういう点にあるか、お尋ねしておきたいと思います。
○津田政府委員 ただいま御指摘の点でございますが、従来第六条の秘密漏洩の罪につきまして、国外犯をもって処罰しておりましたのは、戦時中、戦後の経済事情に基づきまして、このような違反がわが国の重要な公益を侵害するものであるというふうに考えられたからであると考えるのであります。しかしながら、今回の廃止の際に、日本航空株式会社等の法律を改正いたしまして、特別わいろ罪の規定を設けることになるわけでありますが、その罪則の内容は、特別わいろ罪の規定を設けておりました先ほど申し上げました諸会社の場合と同様に、経済罰則整備法に比較いたしますれば、構成要件も法定刑も軽く定められております。したがいまして、これらの他のすでに存する特殊会社等の均衡を考えまして、国外犯について罰則を設けることは適当でないというふうに考えた次第であります。
○上村委員 最後に一点だけお尋ねをいたしておきたいと思うわけでありますが、同法附則の二項に経過規定がございます。「この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。」という規定でございますが、実はこの規定につきましては、もう削除していいのではないか。と申しますのは、「最近の経済事情にかんがみ、経済関係罰則の整備に関する法律を廃止することとし、これに伴い、同法に規定する団体のうちその役職員に関し贈収賄の罪を存置すべきものについては、それぞれ関係法律中に所要の規定を設ける必要がある。」という本法案についての提案理由があるわけであります。それで実はこの際においてもし必要があれば、その贈収賄の罪を存置すべきものは、その関係法律中に所要の規定を設けるというふうにして、この際もう経済事情が非常に変化し——先ほどからいろいろ御質問申し上げた際にもあらわれておりまするように、普通常識から言いますれば、この法人については涜職の規定を存置すべきものだ、あるいは規定すべきものだとし、あるものについてはこれは必要がないというふうに、この経済の関係が非常に変化を来たしておる。そういう際であるから、この際一応この提案理由の線に沿って整理され、そうして新しく設ける必要のあるものはそれについて設けてはどうか、こういうような意見が相当私どもの耳に入るわけであります。そういう点について私どもその意見を承ることによって、この特殊な戦時的な色彩を持っておる経済関係罰則の整備に関する法律であるから、この際そういうふうないわばすっきりした線でこの経過規定というものについてお考えをされるという必要についてどういうふうにお考えになっておられるか、この点をお尋ねしておきたいと思います。
○津田政府委員 附則第二項の経過規定を設けた理由でございますが、これはすでに逐条説明等でも簡単には御説明いたしてございますが、御質問でございますので、それ以上にやや詳細に申し上げますと、御承知のとおり刑事訴訟法第三百三十七条第二号の規定によりまして、犯罪後の法令により刑が廃止されたときは免訴の裁判を言い渡されることになっております。しかしながら、この原則は刑法に規定されておりまする自然犯についてのものでありまして、各種の行政取り締まり法規に規定されておりますようないわゆる行政罰則の廃止が行なわれました場合におきましては、特に罰則に関する経過規定を設けまして、廃止前に違反行為をした者に対しては、廃止後もなおこれを処罰することとすることが通例になっておることは御承知のとおりでございます。すなわち、行政罰則は元来一定の社会情勢あるいは経済情勢のもとにおきまして、特定の行政施策を行なう必要に基づいて制定されるものであり、これが罰則を必要とした社会情勢あるいは経済情勢の変遷等に基づくものでありまして、廃止後といえども、廃止前の旧事情のもとにおいて行なわれました違反行為の可罰性に関する価値判断自体には何ら変更がないというのが通例であります。このような場合には、廃止前に違反行為をした者を廃止後も処罰することは当然であると考えられるのでありまして、刑法犯につきまして刑を廃止する場合には、むしろその行為の可罰性に関する価値判断が変更されたものと考えられるのでありますから、この場合と同一の論にはならないわけであります。 また、行政罰則は行政の必要がなくなれば早晩廃止される運命に初めからあるわけでありますから、このような廃止前の行為を処罰するということにしなければ、罰則の廃止を見越して違反を行なったり、現に裁判中の者がことさら裁判を引き延ばして処罰を免れようとする悪風を生じかねないのでありまして、かくいたしましては、行政罰則を設ける趣旨が十分達成せられないこととなるのであります。 経済罰則整備法もまた戦時及び戦後の特殊な社会情勢あるいは経済情勢のもとにおいて必要とされた行政罰則でありまして、これを今回廃止しようといたしますのも、その背景であります社会情勢なり経済情勢の変遷に伴い、これを存置する必要がなくなったことを理由とするものであり、廃止前の違反行為についての評価を改める趣旨ではないのでありまするから、他の行政罰則の例にならい、罰則に関する経過規定を設けて、その廃止前に違反行為をした者に対して廃止後もなお従前どおり処罰を行なうことが必要であるとしているわけであります。もしこのような経過規定を設けておりませんと、現に法律の違反に問われて裁判中の者が免訴の裁判を言い渡され、処罰を受けないこととなりますと、裁判中の者の共犯であってすでに有罪判決の確定している者もある、これとの間に明らかに不公平を生ずるということにもなるわけであります。 また、経済罰則整備法につきましては、これまで十一回にわたってこの種の改正が行なわれておりますが、右に述べましたような趣旨からそのつど所要の経過規定を設け、廃止前にした違反行為については廃止後も処罰することとしてきたのであります。この法律を廃止するにあたりまして罰則の経過規定を設けないといたしますると、過去十一回の改正の際設けられました罰則に関する経過規定もどうなるかという重大な問題も生ずるわけでございます。 以上のような理由によりまして経過規定を設け、この法律の廃止前に違反行為をした者に対し、廃止後もなお処罰することが必要であると考えられた次第であります。
○上村委員 実は論旨はよくわかります。わかりますが、いま申し上げましたような意見を生じまするのは、経済関係罰則の整備に関する法律が特殊な戦時的な色彩を持っておるという点からかと思うのであります。と申しますのは、戦時法関係で映画法あるいは防空法、軍機保護法その他を見ますると、本法が廃止されるとともに罰則規定が同時に失効したかと思うのであります。もちろん、係属しておりますところの事件その他いろいろな過去の問題というものは、免訴の問題につきましては常に起きる問題であります。また罰則規定が変化していく場合には必ず起きてくる問題でございます。ただ問題は、先ほどのような意見が生じてまいりまするのは、戦時的な色彩を持っておるものであるという点で起きてくるであろうというふうに私は考えるわけでございますが、この映画法、防空法あるいは軍機保護法につきまして、本法が廃止されたときに罰則規定が失効したという点は一体那辺にあるかお尋ねしておきます。
○津田政府委員 ただいま御指摘の点は、いま私調べておりませんので、直ちにははっきりしたことは申し上げかねますが、防空法あるいは軍機保護法が廃止されまして経過規定を設けておらないということは確かにそのとおりであろうと推測されるわけであります。しかしながら、これは御承知のとおり戦前の状態あるいは戦時の状態において必要であった法律でありますので、今後はさような法律は必要としないという前提であり、さような事項もないという前提であろうと思います。しかしながら、戦時中それで処罰した者について免訴になるのではないかということは同じであろうというふうなことになりますが、戦時中さような処罰を受けた者につきましては、もはや終戦後は処罰の必要がないという、全く事情が変わった状態であるというふうに考えられたからではなかろうかと考えるのであります。 経済罰則整備法につきましては、御承知のとおり昭和十九年に制定されまして、戦時経済統制に寄与する目的であったことは事実でございますが、戦後にこれが趣旨が変わりまして、戦後経営に必要な経済、社会情勢に対応するものというふうになったわけです。ですから制定当時の趣旨と今日の趣旨とは非常に事は変わっておると思うのであります。その中で戦後経営に必要な経済統制というものが行なわれてきまして、わが国は順次回復して経済成長してまいったというふうに考えますので、当初が戦時であったということ自体は直接の理由にはならないものではないかというふうに私どもは考えております。
○上村委員 時間の関係がいろいろございますので、きょうはこの程度で質問をやめておきたいと思います。 ————◇—————
○加藤委員長 次に法務行政及び検察行政に関する件について調査を進めます。 発言を許します。志賀義雄君。
○志賀(義)委員 刑事局長にお伺いいたします。昨日、衆議院大蔵委員会で吹原産業のことが問題になりました。大蔵省もこれが問題になった以上は即刻調査をする。同時にきょうの新聞の報道によりますと、検察陣はなかなか慎重であるというようなことが書いてありました。これにつきましては、明日定例の法務委員会で質問いたすこととして、同僚議員からの質問がありますので、その前に明日の答弁のためにも御準備いただきたい、調査していただきたい点がありますので、それに限って、ごく短かい時間伺いたいと思います。捜査に不都合が生ずるようなことは私のほうでは質問いたしませんから。 まずこの問題が大きくなってきたのは、四月九日言論時代の社長倉地武雄という人がむすこに殺害された、これは殺害された翌日吹原産業の特集号の編集会議を開くことになっておったということでありますが、新聞の報道によりますと、どうもそのむすこが犯人として推定されているようです。これについては、私どもがどうも解せないのは、新聞を見ると、検察庁でもこれを初めから単独犯行というふうにお考えになっているようですが、年若い青年が、いまに至るもまだつかまらないというようなことで、この点について単独犯とやはりお考えなのか。共犯があって、あるいは教唆者があって功みにのがれておるのか、そういうふうにお考えになったことがありますかどうか、これをまず伺います。
○津田政府委員 ただいまの殺人容疑事件でございますが、これにつきましては目下警察において犯人の検挙につとめておることは御承知のとおりであります。検察庁といたしましては、もちろん関心を持っておりまして、随時警察庁と密接な連絡をとっておるというふうに私は考えておりますけれども、私はその事件については何もいま承知いたしておりません。したがいまして、そういうような推測がなされ得るものかどうかについても申し上げることはできないわけであります。
○志賀(義)委員 その点もよく警察とお打ち合わせ願いたいと思います。 次に吹原産業の件でありますが、これは去年の六月から怪文書がわれわれ議員の間にも振りまかれておりますが、怪文書をもとにして国会で議員があれこれ質問するのは不見識にわたるところがありますから、そういうことは一切省くといたしまして、きょう新聞が一斉に取り上げるということ、これは相当重要な問題であるから、かように考えておるのでありますが、新聞が関係者から話を総合したものを見ても、肝心の点が非常に私どもには疑惑に思われるので、その点についてのお調べをいただきたい。というのは、通知預金証書が発行されるには、預金があるか、あるいは他の銀行から本人振り出しの小切手などでそれを提出するということがなければ通知預金証書を出すことはないと思います。ことに十億、二十億というような通知預金証書を作成するのは、一支店長の権限範囲を越える金額であります。ついては、これは預金がないということでありますが、それなら振り出した小切手、自己振り出しの小切手、これはどこの銀行から——三菱銀行から出すことになっておったのか、またその小切手をどこの銀行が保証したのか、また裏書き人はだれであるのか、この点をお調べいただきたいと思うのでありますが、その点いかがでありましょう。
○津田政府委員 ただいま御指摘の事件と思われる事件につきましては、東京地検において捜査中でございますので、内容については申し上げることを差し控えたいと思います。
○志賀(義)委員 私はお調べ願いたいと申したのであります。 次に、この通知預金証書は、吹原産業が相当な金額の金を森脇という金融業者から借りて、この通知預金証書が森脇の手に入っております。なぜこの支払いを拒絶したのか、支払い拒絶の理由が明確でございません。しかもこの通知預金証書は昨年十月に発行されたものであります。支払い拒絶は今年の三月と聞いております。新聞によればそういうことはないといっておりますが、なぜこれが半年近くもそのまま放置されて、いまになって支払い拒絶ということになったのか。六カ月間も裏づけのない通知預金証書を出しっぱなしにする。なお三菱銀行では、この通知預金証書をどう処分したのか、処分しなかったのか。森脇という金融業者が支払いを請求してから急遽処置をとったのかどうか、こういう点が非常に重要になるだろうと思います。大蔵省でこれを急遽調べるといわれるからには、検察庁もその点をお調べ願いたいと思いますが、いかがですか。
○津田政府委員 ただいま御指摘の問題につきまして捜査をしておることは申し上げております。捜査が必要になれば、必要の範囲でいかなる取り調べも行なわれると思いますので、その結果をまたなければ何とも申し上げられないわけでありますが、もちろん捜査を行なう以上は抜かりなく各方面について事実を明らかにしていくことは当然だと思います。
○志賀(義)委員 新聞によりますと、検察庁ではまだ捜査には踏み切っていないが内偵中ということでありますが、そういうことはございますかどうか。
○津田政府委員 検察庁においては、もちろん内偵もいたしておりますが、捜査もいたしております。
○志賀(義)委員 内偵、捜査をされるならば、大蔵省に答申する前に三菱銀行常務会はこの問題を取り上げて論議しておるはずであります。なおその席でだれに責任があるかということも報告されているはずであります。こういう点も検察庁においては御注意願いたい。 それからなお、吹原産業のことについては、いま新聞に出ているのは、しかし吹原産業が融資を受けているのは三菱銀行だけではない。いまの小切手の問題は別の銀行が関係がある。さらに融資ではほかの銀行もあります。こういう点も明らかになりませんとはっきりわかりません。それから担保はどういう状態になっているのか。なお、この点について新聞には出ておりませんが、この通知預金証書でもって吹原社長が方々の業者から手形でもっていわゆるパクリをやっております。名前は申し上げませんが、ある建設会社、ある食料品製造会社、ある土地会社、さらに政界で高名な人が、どうもこれはお気の毒なことだが相当巨額の金を詐取されております。さらに個人でもそうです。いま関係のあるところを申し上げましたが、いずれも億が単位であります。もう一けた多いのもあります。この二通の通知預金証書でもってこういうことが行なわれているのであります。きょうの新聞では銀行のことだけが一部出ております。森脇将光、三菱銀行、吹原産業社長、この三者だけの問題になっておりますが、こういう事件が行なわれている。私は、これを内偵、捜査と言われるならば、なるべくすみやかにやっていただきたいのでございますが、その点はいかがでございましょう。
○津田政府委員 捜査を始めております以上、一般の例に従いまして迅速処理をいたすことは当然であります。したがいまして、可能なる範囲において迅速処理をいたすものと私は思います。
○志賀(義)委員 いま帝銀事件の偽証事件、あるいは東京都の汚職事件などで検察庁はたいへん御繁忙だということは私どもも推察するところであります。特捜陣が足りないから、とてもすぐには取りかかれない、こういうふうにいわれているようでありますが、従来の例をもって見ましても、昭電事件あるいは造船汚職事件では、在京だけでなく地方の検事をも集めて特捜陣をつくられた例もございます。これをすみやかにやっていただきたい。というのは、最初に私が申し上げました倉地武雄についてもいろいろ疑惑が生じております。さらに、これでは結局だれか貧乏くじを引く、つまり大の虫を生かして小の虫を殺す、こういう結果になるという疑いがいま広がりつつあります。そういうことのないように、検察庁がほんとうに正義のためにおやりになるというのであれば、十分ひとつこの真相を明らかにしていただきたい。と申しますのは、山陽特殊鋼の荻野社長のことについて次から次からボロが出ておりますが、この事件も遺憾ながらそういうことになりそうであります。御承知のとおり私はここでは無所属で、三十人の委員の中のただ一人であります。私が個人の力で調べた範囲でも相当のことがわかるのであります。まして国家の権力である検察庁が、繁忙でとても手が回らないとかなんとかいうことは、だれが聞いても納得できない理由であります。明日同僚議員から、この問題についても山陽特殊鋼と同様いろいろと質問が始められることと思いますので、捜査の機密に属することを先んじてここでお話し願いたいというのではありません。ただいま申し上げましたようなことでも非常に疑惑を生ずることになりますので、私は怪文書なんか一切問題にいたしませんが、こういう点でひとつ検察庁は迅速にかつ正確にこの問題の処理に当たっていただきたい。明日から質問が始まりますから、これを先に要望申し上げておく次第であります。
○加藤委員長 本日の議事はこの程度にとどめます。 次会は明二十三日午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、これにて散会いたします。 午後一時三十六分散会