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46回国会衆議院1964/02/13

予算委員会公聴会 第2号

発言数
63
登壇者
14
会派数
3
開催日
1964/02/13

会議録

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 これより会議を開きます。  昭和三十九年度一般会計予算、昭和三十九年度特別会計予算、昭和三十九年度政府関係機関予算、以上三案について、昨日に引き続き公聴会を続行いたします。  本日午前中に御出席を願いました公述人は、成蹊大学教授肥後和夫君、全国農業協同組合中央会常務理事一楽照雄君のお二人であります。  この際、御出席の公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚くお礼を申し上げます。申すまでもなく、国の予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、この予算委員会といたしましては連日真剣な審議を続けておるところでございますが、この機会に各界の学識経験豊かな各位の貴重なる御意見を承ることができますならば、本委員会の今後の予算審議に多大の参考となると信ずる次第であります。何とぞ各位におかせられましては、目下審議中の昭和三十九年度総予算に対して忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存ずる次第でございます。  御意見を承る順序といたしましては、まず肥後公述人、続いて一楽公述人の順で、おおむね三十分程度において一通り御意見をお述べ願うことになっております。公述人各位に対して一括して委員から質疑を願うことにいたしたいと思いますので、あらかじめ御了承願います。  なお、念のために申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによって、発言の際は委員長の許可を穫ることと、また、公述人は委員に対し質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御了承を願いたいと存ずる次第でございます。  それでは、まず肥後公述人から御意見を承ることにいたします。肥後公述人。

肥後和夫成蹊大学教授

○肥後公述人 成蹊大学の肥後でございます。まだ何分財政学の研究途上にある一介の書生でございまして、財政の数字全般について十分に所見を申し述べます力量はありません。ただ、財政学の一個の学究としまして、また一市民といたしまして、一応昭和三十九年度予算案をめぐりまして一般的な所見を申し上げたいと存じます。  昭和三十九年度予算の政府の説明によりますと、昭和三十九年度におけるわが国経済の課題は、本格的自由化を目前に控えまして、「国際収支の改善と物価の安定を図りつつ、経済各分野の質的強化に努め、わが国経済の長期にわたる安定的成長と均衡ある発展の基盤を充実強化することにある。」そして「三十九年度の財政は、上述の課題に応えるため、(1)引き続き健全均衡財政の方針を堅持するとともに、経費及び資金の効率的・重点的配分に努め、(2)画期的な大幅減税を行なうとともに、農林漁業及び中小企業の近代化、社会保障の充実、文教及び科学技術の振興、社会資本の整備等重要施策を着実に推進することをもって基本とした。」このように述べられております。  したがいまして、私に与えられました課題が財政一般についての所見を述べることであります関係上、三十九年度の予算案の基本的な性格がこのような予算編成の基本方針にうたわれておりますような内容のものであるかどうかについて、逐次所見を申し述べてみたいと存ずる次第でございます。   〔委員長退席、櫻内委員長代理着席〕  第一に、三十九年度の予算案は、国際収支の均衡、物価の安定という二大目標に沿うような性格のものであるかどうかという点であります。国際収支の均衡化、消費者物価の安定のためには、とにかく総需要の増加率を適正な水準に押えることが必要でありますが、そのためには、民間投資と政府の財貨・サービス購入の伸び率が総需要の伸び率と均衡がとれていることが必要になります。ところで、政府の財貨・サービス購入と一般会計歳出の規模がほぼ同じような動きをいたしますものでございますから、一応この政府の財貨・サービス購入のかわりに一般会計の伸び率をとりまして、それが民間投資の伸び率の予想との関連で経済成長促進的ではないかどうかを問題にしなければならないと考えます。この場合、適当と考えられました経済成長率に比べまして民間投資の伸び率が大きい場合は、財政の伸び率を経済成長率以下に押えなければならないのは、これは経済の論理でございますが、この場合は、民間投資に比べて社会的資本のおくれが当然生じることになるわけでございます。大体昭和三十年度以降、明確な技術革新ブームが見られるわけでございますが、このブームの過程で、いわゆる高度成長の過程で道路、港湾のラッシュ、国鉄の相次ぐ事故、公害問題、下水、し尿処理等のいろいろな不都合、このような社会的間接資本のおくれが、生産隘路並びに国民生活の重大な脅威になっているというのが現状でありますから、三十九年度におきましては民間投資の伸び率よりも財政の伸び率を大きくする、あるいは民間投資の伸び率を財政の伸び率よりも低く押えることによって、現在問題になっておりますような社会的間接資本の立ちおくれを急速に回復することが適当であると考えられます。三十九年度一般会計予算案の三十八年度当初予算に対する伸び率は一四・二%であります。三十七年度当初予算の三十六年度当初予算に対する伸び率は二四・三%、三十八年度出初予算の三十七年度当初予算に対する伸び率は一七・四%でありますから、注文をつけることはあと回しにいたしまして、ひとまずは相当に引き締めの努力が払われたと認めなければならないと思います。引き締め期におきますいままでの足取りを見てみますと、二十四年−三十九年度の引き締め期と、それから朝鮮動乱の特需が終わったあとの二十九年度の引き締め期におきましては、政府の財貨・サービス購入の伸び率が民間投資の伸び率と同じ足取りで、国民総生産の伸び率以下に低落いたしました。つまり財政と金融が一体となって国際収支均衡化のための引き締めを行なったわけでございます。しかし、三十年度以降の場合は、金融面のオーバーローンに裏づけられました民間投資の激しい伸びと、それから金融引き締めによりますその大幅な減少によって、景気循環が生じ、財政は、景気の上昇期にはいわゆる健全財政主義的運用によりまして安定的に機能したと考えられますが、引き締め期にはかえって伸び率が大きくなって、経済成長率を上回ることになっておりました。したがいまして、国民総生産に対する財政の比率が、引き締め期には大きくなる傾向が生じたわけであります。このような金融が引き締まる際に財政は引き締まらないで、むしろ経済成長率以上に伸びるというこの傾向は、三十二、三十三年度の際には引き締めのショックを緩和して、景気安定的な役割りを果たしたと判断してもよいと考えておりますが、三十六、七年度には、財政は金融とともに引き締め不徹底の一因になったと見なければならないと考えております。  この点に関連いたしまして、三十五年度ごろから財政の伸び率が放漫に大きくなり過ぎて、下方硬直的な傾向を強めてきた点が不満であったのでありますが、三十九年度予算案については、私は一応経費節減の努力を認めるものであります。必ずしも十分満足のいける方法ではありませんが、さしあたり一般会計当初予算案の規模と国民所得の見込みとを対比いたしましても、三十九年度は一六・四%、三十八年度当初予算の国民所得実績見込みに対する比率は一七・一%、三十七年度の当初予算の対国民所得実績比率は一七%でありますから、三十九年度の予算案は緊縮的色彩をかなり強く持っているものと一応はいえると考えております。  次に、第二に、以上の所見に関連いたしまして、今度はいささか注文をつけてみたいと思います。それは、三十九年度予算案の初志を貫徹いたしますことは相当な覚悟が要ると考えられるからであります。と申しますのは、この予算案で国民総生産名目九・七%、実質七%の成長率、それから全国都市平均の消費者物価上昇率を昨年度よりも三%下げて四・二%に抑え、国際収支じりを総合で一億五千万ドルの赤字に押えるという課題を達成いたしますためには、国内民間総資本形成の伸び率を前年度の名目一三・六%から引き下げて、断固として二・一%に押える必要があるからであります。これは相当の金融の引き締めを必要といたします。また、財政面におきましても、これまでとは相当に異なった局面が展開されることを覚悟しなければなりません。予算編成の基礎になっております上述の経済見通しを前提にいたしますならば、今度の予算案では税収の見積もりがほぼ限度一ぱいになっているように思われます。違ってもおそらく数百億ではないでしょうか。したがいまして、予算の追加補正はほとんど不可能でありますから、当初予算の支出計画は首尾一貫したものである必要があります。もし年度中途で特定の経費をふやす必要が生じましたならば、それは、比較的不急な経費を削られてそれに充てなければならないと思われます。もちろん、金融をゆるめて民間投資の伸びを大きくいたしますならば経済成長率は増大いたしますから、税収もしたがってふえ、追加支出の財源を調達することはきわめて容易でありますが、国際収支の均衡、物価の安定のために経済成長率を実質七%に押えることが至上命題でありますならば、民間投資の伸びを大きくするとすれば、その分だけ財政支出を抑える覚悟が要るわけでございます。もしこのような財政運用の御覚悟が政府にあり、もし政府がちゅうちょされるならば議会が叱喧してこの方向を促進されますならば、これはドッジライン以後の画期的なことでありましょうし、私どもも、生活を詰めて税金を納めております国民といたしまして、議会の予算審議に全幅の信頼を置くものであります。積極ムードは盛り上げることがやさしく、緊縮ムードは盛り上げることがきわめてむずかしいことでありますが、来たるべき飛躍のためには、本格的な自由化を控えました現段階におきまして緊縮方針を堅持し、経済体制の質的強化をはかるべきであると考えます。松方正義の蛮勇、あるいは井上準之助の果敢な奮闘、あるいは高橋是清の財政膨張に対する決死の抵抗を想起するまでもありません。そのような覚悟は必要でないと思います。現在のような世界経済の上昇期における緊縮は、必ずや労よりも多く益をもたらすものと考えられるからであります。議会及び政府が断固として一応緊縮の方針をもって臨まれますならば、私ども財政の研究をいたしておる者といたしましても、戦後ようやく一人前の体裁を整えましたところの財政民主主義の本来の機能が国会にあるものとして、十分な期待を寄せることができるものと思っている次第でございます。  第三に、経費及び資金の効率的、重点的な配分の件について所見を申し述べたいと思います。戦後の日本の財政が戦前のそれと違いますところは、公債費と軍事費の圧倒的な負担から解放されて、経費の中身が直接間接に国民の生活と結びついていることでありましょう。それだけに、異なる立場にある国民がそれぞれ自己の立場に密接な経費の増額を強く要求する傾向が見られ、経費が総花的にならざるを得ない政治的、社会的な要因が働いております。また、社会保障関係費、文教及び科学振興関係費、公共事業、住宅及び環境衛生対策、貿易振興、海運対策、中小企業対策等に重点的な配慮が見られることも否定はいたしません。しかし、今後御考慮をわずらわしたい原理的な問題について二、三所見を申し上げたいと思います。  一つは、これはきわめて原理的な問題提起でございますが、経費の重点的、効率的な配分をどう考えるかということであります。すなわち政治的配慮を別にいたしますならば、生産政策的性質と社会政策的性質は、これを一つの経費の中に共存、混同させておくよりも、この機能をなるべく区別いたしまして、一見生産政策のように見えながらその実は社会政策的であるものは、なるべく社会保障費の中に繰り入れ、生産政策的なものは前向きに合理化をはかるよう支出が行なわれるべきものではなかろうかということでございます。まだこの点について具体的に突っ込んだ所見は申し上げられませんが、一応私の念頭にありますものは、食糧管理特別会計の赤字、補てんの問題と、それから中小企業対策をどう進めるかという点であります。  次の一つは、高度成長下におきまして、特に中高年齢層の企業規模別、産業別の所得格差が拡大している現象に対する対策についてであります。その原因は、申すまでもなく終身雇用制、年功序列型の賃金制によって企業間における労働力移動が現状では非常に困難であるということであります。このような条件のもとにおきましては、重化学工業を中心とする高成長下で大企業の生産性が上昇すればするほど、その部門の就業者の所得だけが格段に上昇して、企業規模別あるいは産業間の所得格差を拡大する傾向を持つことになるわけでございます。しかも、この格差は現金給与だけではなく、社宅その他の福利厚生施設の面でも非常に大きくなっております。この点に関連いたしまして、生活環境改善の施設の充実につきまして、これをたとえば企業の貸し付けを通じて、企業を通じて社宅その他の施設の充実という形で推進するか、それとも公営及び個人住宅の建設を優遇するかという点につきましては、この所得格差の拡大を防止するという点からは、やはり後者の公営住宅あるいは個人住宅の優遇にもっと重点を置くべきではないかと考えられます。比較的に恵まれております大企業の中堅サラリーマンでも、毎年の通勤では、最近のようになってまいりますと、いつ自動車事故にあうか、電車事故にあうか、全くわからなくなっておりますし、たとえばそうなりました場合に、たちまち社宅を出なければならなくなりますし、その際一番生活の脅威になりますのは、手ごろな家賃で住める家がないということではありませんでしょうか。この点は、職場をかわらなければならない勤労者についても言えることであります。住宅政策の充実は、ある面では一番基本的な社会保障ではないだろうか。もっと住宅政策には重点的な配慮があってもよいのではなかろうかと考えるものであります。  また、中高年齢層の職場移動の制約は、年功序列型の賃金制度が実は血清給の目的を持つものである点から、なかなかその改善がむずかしい点にあるように思われます。この点につきましては、これは次に述べます減税の問題と関連いたすわけでございますが、私は、児童手当の制度を創設して、もっとそれを充実いたしまして、これを社会保障制度の面で処理いたしますならば、賃金部分の中の生活給的なものはこの社会保障の面に移すことができる。そして、賃金をもっと能率給的なものにすることができる。そういたしますならば、たとえば住宅の公営化と、それから、その児童手当の社会保障制度への移行によって、かなりこのような生活給的な年功序列型の賃金体系を改善するのに役立つのではないかと思っております。  また、現在高度成長下におきましても、いわゆる五分位の所得階層の中の一番低い二つの下の階層の所得の格差は、依然として開いております。特に低所得層のほうは、現在といえども赤字を出しております。また、被保護世帯と一般勤労世帯の消費支出の比較を見ましても、この間の格差が非常に大きいということが明らかに統計に出ておりますです。で、このような点から、たとえば生活保護基準の引き上げを考えます場合に、その壁になりますものは中小企業におけるいわゆる賃金の壁でありますが、もしかりに児童手当制度が新設されまして、この児童手当は、一律に、被保護世帯についてもこれは別途の社会保障給付にするということになりますれば、かなりこのような生活保護基準引き上げについての一つの最低賃金の壁は除去されるのではないか、そのように考えておる次第でございます。  次に、第四に、いわゆる二千億減税について、これは画期的な大減税であるかどうかという問題であります。三十九年度一般会計予算の自然増収は五千九百八十九億円と見られております。これは、約七百八十八億円の減税を控除した後でありますから、これを合わせますと約六千七百億円の自然増収ということになります。約六千七百億円の自然増収のうち、約七百九十億円を減税に充てて、残りを支出に充てたということになっております。約六千七百億の自然増収は、一般会計予算の二一・七%に当たることになりますし、これに地方税の自然増収を合わせますと、おそらく一兆円に近い自然増収が予想されるわけでございますが、これはきわめて重大な配慮を要することではないかと存じます。過去における千億減税、千億施策、このときの自然増収は二千億であったということを考えますと、約六千八百億円の自然増収のうちの、初年度七百八十八億、平年度で千百二十八億という数字は、相対的にはさして大きな減税ではないといわなければなりません。地方税を入れまして平年度約二千億の減税ということになっておりますが、一応、減税の規模という点から申しますと、現段階におきましては、絶対額では確かに画期的な減税かもしれませんが、実質的には減税ではない。やはり調整減税の域を出ないといわなければならないと存じます。  国民所得に対する租税負担率について見ましても、現在大蔵省事務当局の計算では、昨年度の二一%台よりも幾らかふえて、二二%台になるものといわれております。そのうちで、やはり特に負担の重いのは給与所得ではないかと考えられます。たとえば昭和三十八年の現行所得税法によりまして、日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ等を比べた資料が税制調査会で作成されておりますが、たとえばこの減税が、三十八年度の税法によります場合には、独身者の給与所得者の課税最低限は十五万一千八百九十四円であります。夫婦子供三人の場合には、四十三万八千六百三十二円、今度の所得税の改正によりまして、独身者は、この十五万から十七万二千円から八千円台になりますし、それから夫婦子供三人の場合も、四十七、八万になるようでございます。これをイギリスと比べてみますと、独身者のイギリス課税最低限は十八万、夫婦子供三人の場合は七十三万一千八百八円になります。今度の所得税の減税によりましても、なおまだ独身者の課税最低限はイギリスよりも低いわけでございますけれども、かなり近くなっている。しかしながら、夫婦子供三人の場合には、ほとんど倍近くの開きになっているわけでございます。この差はやはり児童手当の開き、要するに扶養家族の開きであるわけでございまして、この点から考えます場合には、基礎控除の引き上げはもちろんのことでありますが、特に扶養家族の多い世帯の減税が今後必要ではなかろうか。これは、大体所得水準からいっても中以上の所得者になる場合が多いと考えられますけれども、この場合に所得税の減税と一緒に考えていただきたいと存じますことは、いままでの所得税減税一本やりでは、すでに税金を納めるほどの所得水準に達した人々でなければ減税の恩典には浴さない。しかしながら、この減税の方法を、たとえばかりに児童一手当の給付という形に切りかえます場合には、そしてそれを増額いたします場合には、その所得税の減税になると同時に、所得税の減税の恩典に浴さない中小所得者もひとしく減税の恩典に浴することになる。このようなことを考えますと、やはりある時期には従来の所得税減税をもっと拡大いたしまして、これを中小所得者にも及ぶような方式を考えてもよろしいのではなかろうか、このように考えております。そういたしますならば、ヨーロッパ並みに国民所得の中に占めるところの、あるいは財政支出の中に占めますところの振替所得の割合が大きくなっていくことでございますし、これと住宅、生活環境改善の設備等をあわせますと、福祉国家の達成に一段の進展を見せるのではなかろうか、このように考えております。  一応時間がまいりましたので、ここで公述を終わらせていただきます。(拍手)

櫻内義雄自由民主党

○櫻内委員長代理 次に、一楽公述人の御意見を承ることにいたします。

一楽照雄全国農業協同組合中央会常務理事

○一楽公述人 貴重な時間を私のためにさいていただき、まことにありがとうございます。  私は農業関係の者といたしまして、委員長の仰せのとおりに遠慮なく忌憚のない意見といいますか、希望を申し上げさせていただきたいと思います。  まず、本年度の予算におきましては、物価の安定等を目ざしていろいろと御苦心のほどが拝察されるわけでございますが、私ども財政経済のしろうとの者でございますが、経済成長のためにはある程度の物価騰貴はやむを得ないということは、やむを得ないものであろうかどうかということを疑問に思っておるわけでございます。何とか経済成長をするのにも、個々のものについて上がるもの下がるものいろいろありましても、物価としては平準を保つことを、理論的にも実際の目標といたしましても考えることはできないものであろうかどうかということを考えます。ことに社会保障等が社会保険の形で推進されております。国民に資本の蓄積をも当然要請されております場合に、貨幣価値の変動、貨幣価値の低落傾向は経済成長のためにはやむを得ないのだということは、これは物価の高騰自体を抑えるための基本的困難性を国民全体の頭に印象づけることではないかと考えるわけでございます。  次に、農業関係のことを主として申し上げたいわけでございますが、農業にはもちろん食糧以外のものの生産もあるわけでございますが、一応食糧問題に限定して考えてみますと、今回の予算におきましては、全体の予算の増加の割合よりも幾らか農業予算は増額になっておるわけでございます。しかし、最もふえておりますのは食管会計への繰り入れでございますが、この食管会計への繰り入れは、農業に対する保護ではなくして一般消費者に対する保護ですから、どちらかといいますと、性質上は厚生予算のほうに入るべきじゃないかと思いますので、それを差し引きますと、増加の率はほんのわずかになっておるということでございます。   〔機内委員長代理退席、委員長着席〕 もちろん量だけが問題ではありませんので、私はその金額だけにとらわれたことをあまり考えるべきではないと存じます。質的に見まして、それではこの予算にあらわれました政府の農業に対するお考え方は実質的には那辺にあるか。総理はじめ幹部の方々が農業に対しての再認識を強く表明されておりますが、私どもといたしましては、他の産業と違いまして、農業につきましては毎年毎年政策が変わるふということは、よきにつけあしきにつけ、そう考えられないことではないかと思いますので、私ども農業者の立場から考えましても、そう急にどうこうしてもらいたいというようなことは実際は無理じゃないかと考えます。しかしながら、この農業が他の産業とあまり変わった考え方で取り扱われなくして、単に生産性が上がるとか上がらないとかいうように考えたり、また、生産性を上げるためには資本的な資本武装を強化しなければならないというように単純に割り切ってしまって、一般企業との本質的な相違を重視しないというのでは困ると思うわけでございます。よく生産性の低い中小企業及び農業についてはかくかくということをおっしゃられまするけれども、商業を含む中小企業と農業生産というものは、本質的に事情が違っておりまするので、やはり農業についてはその特質をきわめて、それが国民経済の中でいかに取り扱わるべきかということを政党政派を越え、そして国の恒久政策として基本的に確立されなければならないと思うわけです。基本政策といいますよりもむしろ常識として、農業に対する常識を私ははっきりとさせていただく必要があるのではないかと思うわけでございます。そう申し上げますることは、どうもそういう点についていま少しお考え願いたいと考えるからでございます。  申すまでもなく農業生産は、農地というものによって大きな制約をされまするし、天候、気候によって大きな影響を受けますし、また、たいていのものが一つの生産の周期が一年というような長い期間を持っておるわけでございまするから、他の工業のように増産をしたり減産をしたり、いろいろその生産を企業的に統制することは、他の事業のようにいかないわけでございます。と同時にまた、需要におきましても、天気が悪ければ牛乳の消費が減るとかいうように、需要そのものも天候、気候に左右されるというようなものでございまするから、こういう農産物を消費者のためにも生産者のためにもできるだけ安定した円滑な供給をはかるということは非常に困難なむずかしい問題であって、だれが当事者になってもそう簡単にできることではないと思いまするので、御当局の御苦心は十分拝察できるわけでございますが、私がお願いいたしますことは、そういうむずかしいものであるということの確認と、そうなればこそ、恒久的な基本的な態度を強く貫いて長期の方針を持って対策を進めていただかなければならないと思うことでございます。  本年度のように国際収支の改善、これがもう一番の題目になり、そして、そのためには輸出の振興が最大の絶対的な問題であるかのごとくにいろいろ措置をされておりまするが、私から申しますと、それはもちろんでございまするけれども、むしろそれより前提の問題として、輸入すればそのまま国内で消費されて消えてしまうところの農産物の輸入をいかにして最小限度に食いとめるかということがさらに重要な問題ではないかと思います。そのことは過去の実績が示しますとおり、日本の毎年の輸入総量の中で農産物の占める割合の大きさと日本の経済成長の率とは、まさに反比例をして進んできておるわけでございます。現に、昨年度の長雨による農産物の不作がいかに今年度の国際収支に悪影響を持っておるかということで、如実に示されておるわけでございます。その観点からいいまして、私どもは、単に直接に農民を保護するという立場以外に、国民経済全体の安定向上のために、食糧は可及的に国内自給によって間に合わすということが最も大切な基本命題ではないかと思うわけでございます。なお、食糧は国内自給によって可及的にまかなうという基本方針とともに、日本の国民生活の向上ということの内容につきましては、生活が向上すればエンゲル係数が下がるのが当然だというような公式論ではなくして、日本人の食生活は、過去十年間ほとんどその消費カロリーが一日二千ぐらいだが、先進国においては三千カロリー以上になっておるという事実、また、一人一人の国民の人生のエンジョイという問題からいいましても、食糧を豊富に、そしてできるだけうまいものを食べるということこそ、むしろ一般大衆の生活の内容がよくなったということの基本であろうと思いまするので、私は、食生活の向上といいますか、そういう意味において国内自給を基本とするとともに、農産物の増産によって、国民の生活の内容において、さしあたりはむしろエンゲル係数をふやす方向への努力が国民全体のために必要なのではないか、そういう二つの以上申し上げました点を、農業政策といいますか、国の政策の基本とするというよりも、むしろそういうことをしなくてもいいようなことを識者の常識にしていただかなければならないのではないかと考えるわけでございます。  そういう根本的な立場から考えてみますると、自由化の問題等につきましても、これは品目別にいま直ちに全部国内自給でいけるかどうか、いけるものはできるだけそれにする、どうしても当分はそれは困難であるというものにつきましては、五年でも十年でも目標を立てて、その間に充足する。その間の輸入数量は、この程度で逐年やっていくという自給計画を補うための輸入計画というものを早く長期の計画として確立すべきではないか。もちろん、どう考えましても絶対に当面の技術では輸入に依存せざるを得ない、やむを得ないものについては、技術的な革命的なものが生ずるまでの間は、それはそれとして必要程度の輸入をやっていくということにして、すなわち積極的な生産計画、消極的な輸入計画、これを品目別に確立して農民全体にもよくこれを知らすということが、農民が一つの目標を持って農業経営に進める基盤になるのではないかと思います。  それから、何といいましても、生産性の向上と申されまするが、これは以上申し上げました趣旨から見ますると、やはり反当の生産性も上げなければならないので、労働生産性だけではいけないと思います。またそれにも限度がございまするので、国土の農業用地としての拡張の問題も、これはより積極的にやらないと、日本の狭い国土で、しかも農業用地が十数%というような小さい国におきましては、この農業用地の拡張については、これは公共投資の一つとして、道路に御熱心になるのと同じように、こういう方面においてもより以上の御配慮をお願いしたいと思うわけでございます。  それから農業技術。何と申しましても、以上のように農業を国が保護的に取り扱うにつきましても、消費者並びに国民経済を考えますると、それの生産費は可及的に安くならなければなりません。そのためには、やはり農業に対する試験研究というものをさらに飛躍的に強化する必要がある。ことに畑作等の問題については、その必要があるのではないかと思います。いまの予算を拝見いたしますると、農林省の直接の経費及び技術会議の予算合わせまして六十九億程度であります。この六十九億というのは決して大きな金額ではないので、こういう点は飛躍的に増加をすべきではないかと思います。科学技術庁の予算は百五十億あります。もちろん農業以外のほうでは、会社等の企業自体が相当研究しております。それでも足らないから、国自体としましても、科学技術庁は百五十億の予算を計上しております。農業におきましての研究の拡充ということが望ましいと考えます。  そういうことから見まして、事例的に申しますると、選択的拡大ということが強く叫ばれておりまするが、たとえば畜産についてもそれが言われておりまするが、そういうことはそれ自体を強く言うべきではなくして、選択的拡大を農民がやりやすいように仕向けて、その条件を整えていただければいいわけでございます。畜産につきましては、何といいましても、むしろ畜産云々というのではなくして飼料問題であって、やはり基本的問題としては、国内での飼料自給度を飛躍的に向上させるということが、国際収支から見ましても、また農民経済から見ましても絶対必要ではないか、これが最も大きな基本的問題ではないかと思います。もちろん、それの流通の合理化、こういった農業用資材、農民だけしか使用しないというようなものにつきましては、その流通過程をやはり極度に整備する、こういう農業川資材等が一般商行為、営利行為の対象になるということは、法律的に禁止する必要もないかと思いまするけれども、できるだけこれを少なくしていくという方向への努力が必要じゃないかと思います。また、えさ以外の農業用資材についても同様でございまするが、そういうものの流通過程が、一般の営利的な商行為によってその流通が不円滑になるということは、極力抑制する努力が必要ではないかと思います。  また、農産物の流通過程の合理化につきましても同様であろうと思います。これにつきましては、輸送問題等も非常に重要であろうと思います。大新聞が東京で発行されて、それが鹿児島にいっても北海道にいっても運賃は同じだそうでございます。しかし農産物につきましては、遠くから運べばそれだけやはり運賃がよけいかかる。これはやむを得ないかとも思いまするけれども、やはり輸送問題が相当重要であろうと思います。  と同時に、流通の合理化を進めるためには、いろいろ思いつきのことをやるだけではなくて、基本的には日本の消費者全体がもっと自覚をして、実質本位にものを買うというための消費者教育、その消費者教育に基づいてのある程度の消費者組織の奨励というものが基本にありませんと、他のいかなる政策を行ないましても十分の効果は上がらないと思います。私は、何も一般の商権をなくするとかなんとか言っておるのではないのでありますが、この社会的な公正さを維持する、均衡を維持するというためには、やはり国民大衆の中で消費者の立場において組織化され、力が結集されるというものが相当強まるという必要が、理論的に感じられるだけではなくして、現に西欧等、ことに福祉国家としてわれわれが教えられております国におきましては、この消費者の組織化というものが相当強く進んでおるということをぜひお考えを願いたい。そのことがやはり農業者に対してもいい影響を持つと思うわけであります。  そういうように考えますにもかかわりませず、現在仄聞するところによります。中小企業組織法とか環境衛生法に基づく組合において、員外規制の道を開くというような案が政府の一部で進められておるようでございます。たとえば理髪料、美容院の料金というものは、これは手間賃でございまするから、これが相当に上がることは私はけっこうだと思いまするが、現状は、少し理髪代とか美容院の料金は行き過ぎになってはいないかどうかということ、しかもその上がったものが、それだけその従業員に対して支払われているとは限らないというように想像されている現在におきまして、協同組合等でこの理髪を始めるというようなことが、協同組合の経営としても非常に楽になってきているという事実、そういう場合には、この手間賃の引き上げの行き過ぎを是正するためにも、こういった消費者の組織、農協における協同組合によるこういう方面への事業の進出というものは奨励さるべきではないかと考えるのに、これと逆な話を伺うのはいかがかと存ずるわけでございます。  なお、税の関係におきましては、選挙中から、農地の生前贈与については税金をとらぬことに、増与税をとらないことにする。私は、これは近ごろ全くりっぱな御発表だと思って、心から敬意を表した次第でございます。ところが伺いますると、これはとらないのではなくして、相続税まで延ばすんだという、少し歯切れの悪いところがあるようでございまするが、それにしましても、こういうことをお取り上げになったことは非常にけっこうだ思うのでございます。  つきましては、この税の問題は、これ以外にもいろいろありまするので、この機会に申し上げておきたいと思います。これは非常に理論的な問題であって、実質上はそれほど大きな問題でありませんけれども、しかし農業に対する考え方の問題として私は重要だと思うのでございます。それは、農業者はその主人一人が農業に従事しておるのではなくして、家族がみな従事しているわけでございまするが、所得税におきましては、これが合算されておるということでございます。だから、家族制度がここでは税の面で生きているわけでございます。このことは、たとえばせがれが大学を出ましてうちで働ければ、どんなに働きましても専従者控除だけしか受けられない。他に働いてサラリーマンをすれば、おやじの収入とは別に扱われるということは、これは理論的に非常に不合理ではないかと思いまするので、やはり家族が三人なら三人従事しておりますれば、この農業経営は家族による共同経営でございまするから、それぞれ所得を分納して、おのおのに基礎控除をやるし、一人一人別に扱うべきではないかと思うわけでございます。  それから、固定資産税でございます。現在の固定資産税は、大きな工場も、農業者の農地も、宅地も、住宅も、そういうものを一つにひっくるめて固定資産税を課しております。もちろんその内部においての仕訳はあるわけでございまするけれども、質的な区別が行なわれておりません。しかし農業用の農地その他の固定資産は、農業を営むために必要欠くべからざる生産の手段でございまするから、これに税をかける必要はないのではないか。これは所得税のほうでかけていただければいいわけでございます。したがっていまの制度でいきますると、農家が百万円の収入があり、所得があり、それからサラリーマンに百万円の所得があれば、所得税において同じに扱われるほかに、農業者の場合は、固定資産税を払わなければならない。これはまさに農民税の性格を持っておるのではないかと思うわけでございます。勤労者と比べました場合に。こういう点は、これを私は非課税にしてもらいたいと思うわけです。そうした反面、市町村等の財源をどうするかという問題が起こってきますから、それの対策ももちろん考えなければなりませんけども、農業用の固定資産には、私は固定資産税はかけるべきではないと思います。  と同時に、農業用の農地が農業者から後継者の農業者に引き継がれる場合の相続税も、増与税も、これも課すべきではないと思うわけでございます。おやじが職場につとめておって、定年になってやめるときには退職金をもらってやめまするが、農家が隠居をしますときには、退職金は出ませんで、逆に生前贈与税を従来であればとられる、そうでなければあとで相続税をとられるというようなことは、農業というものを国が保護していかなければならないということを真剣に考えた上でのことであろうかどうかと私は疑わざるを得ないわけでございます。そう青いますると、これは要するに農業は家族経営ということを前提としておりまするから、そのことは零細企業等にも当然振り合い上関連してきまするが、それはやはりそう及ぼしてしかるべきではないかと思う。零細企業と農業者は、同じ家族経営でありながら、同じような取り扱いをされておりまするから、農業以外の企業におきましては、個人の法人なり会社の形によってこの問題を防衛手段としてやっておるわけでございます。ああいった実態が個人、家族企業であるということがわかっておりながらあえて会社の形をとらしておるということは、ほんとうにおかしなことでございまするから、これは税の面で解決すれば、ああいった個人会社というものはなくすることもできると思います。決して私は農民だけの立場を主張しておるわけではありません。  それから、特に私が不満足に思いますることは農業用、ガソリンに対して揮発油税、道路税をとっていらっしゃるということです。これは何と申されましても、私はあまりにも不合理ではないかと声を大にして主張せざるを得ない。実は、私自身もそんなに大きな金額ではないと思っておりまして、最近までうっかりしておったのでございまするが、調べてみますると、これはすでに百億になんなんとし、しかも今後急速にふえつつあるわけでございます。農林省は、構造改善すなわち機械化農業と言わぬばかりのやり方をしておる反面、この道路税を、道路に要する費用を農業用のガソリンにかけるとは、農民が気づかないからといって、あまりにも不親切ではないかということを感じるわけでございます。  それからまた、社会福祉施設等におきましても、先ほどの先生からもお話が出ましたけれども、大体雇用計画とか職場中心に偏しておると思うのです。やはり社会福祉施設は地域的といいまするか、職場のいかん、身分のいかんにかかわらずやっていくという方向にいくべきではないかと思います。健康保険におきましても、一番貧乏な農業者は国民健康保険で、給付が悪い。また、国の負担は大きいかもしれませんけれども、農民の負担は大きい。雇い主がある場合は、半分とか同額とかそっちから出してくれるから、国の負担は少なくて済みますが、農民にはそういう雇い主がない。その分は国がかわって出してくれないと、農民としては困るのです。それを、政府のほうからいいますと、いや、おまえらのほうによけい出してやっているのだといいまするけれども、それはむしろ国民の立場から見て負担が均等になるように、雇い主のかわりは国がやっていただきたい。この点は国民年金制度と厚生年金制度においても同じ。要するに、国民の名のつくほうは農民としては割りが悪いことになっておりまするので、そういう点が問題として大きいと思うわけであります。  それから、そういうことと関連いたしまするが、財政資金の有力なるものの一つであるところの資金運用部資金でございます。このうちで、私は国民が資本の蓄積として任意に政府機関に預けるところの郵便貯金とか簡易保険積み立て金のようなものこそ、一本にしてしかるべきではないかと思うのでございます。ところが、それが分かれておる。そうして逆に、各種の社会保険で強制的に集めたものと郵便貯金とが一緒になって資金運用部で運用されているのは不合理ではないかと思います。私は、任意に国民が預けるもの、郵便貯金とか簡易保険積み立て金とは一本にして、そして、これは国のいろいろな公共投資にお使いになるのはけっこうだと思いますが、社会福祉関係で、保険の形式で強制的に集めた厚生年金とか国民年金、そういう方面の資金は、それ自体をもって一〇〇%直接に社会福祉関係に運用できるようにすべきでなかろうか。そのために一般会計のほうからの社会福祉のほうの資金がある程度節約されても、それはけっこうですけれども、そういうようにこの資金の出てくる性質と使うほうとをなるべく直接に結びつけるほうが合理的ではないかと考えるわけであります。  最後に一つ、これは農業だけの問題ではありませんが、これも税法のことでございまするが、いろいろ企業減税等を考えていらっしゃるにかかわりませず、最も重要なるところの退職給与引き当て金を、その要積み立て額の半額までしか非課税にしないというのは、これも私個人の考えとしては、これは会社も協同組合もみんな含めてでございまするが、全くこんなむらやなことはないのではないか。なぜそういうことをするかと伺いますと、職員、従業員が一挙にやめるというようなことは考えられないから、半分も積んでおけばいいじゃないか、要するに、積むこと自体が半分でいいじゃないかというような思想が根拠になっている。そのことは、私はむらやじゃないか、そういうことを言うのであれば、金融機関にしたって、預金者が一ぺんに金を取りにくることはない、十分の一か二十分の一金を取る、あとはみんな使っていいじゃないかということになりますので、これは私は農業のほうじゃなくて、一般経済界にとってきわめて重要な問題だと思います。労働基準法におきまして、退職金の規定をつくって、労組と協約したものは最優先的に債務として支払わなければならぬという、債務中で最もシリアスなこの債務を債務的に取り扱わなくて、負債に計上しておかなくてもいいというような税法は、これは私は一般の経済界全体の問題として、すみやかに全額を非課税にしなければならぬと、こう考えております。  たいへん取りとめのないことを申し上げました。どうもありがとうございます。(拍手)     —————————————

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 これより公述人お二方のご意見に対する質疑を行います。  なお、公述人お二方は十二時までというお約束でございますので、どうかお含みの上質疑をお願いいたします。  質疑者通告の順序といたしまして、山本勝市君。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 まことに傾聴すべき御意見をたくさん承りまして、非常に啓発されるところが多かったのでございますが、時間もありませんから、またあらためて個人的に伺いたい気持ちで一ぱいであります。ただ一点だけ、自分たちがいつも悩んでおる問題を申し上げて御意見を伺いたいと思うのです。  生産性を上げていく、経済を成長させていくという場合に、いろいろとる方法の結果として出てくる所得格差。一方では、所得格差を是正する、格差が出てくることは困るという要求が非常に強い。しかし、実際問題として、所得を上げていく政策をとった場合に格差が出てくる。これはいろいろ地域的にも出てきますし、またそれぞれの襲業別にも出てくる。そういう問題でありますが、その点で中小企業、農業共通の問題として、中小企業とかあるいは農業というものの所得、その対策として振興対策をとるということと、それからその農業の中の個々の農民、農業従事者の所得というものと、あるいは中小企業の場合ですと、中小企業というものを一括して、一つのカテゴリーの中に入れて、そうしていろいろと振興対策をとる。しかし、その中小企業は無数の中小企業者からなっておるわけです。そこで実際問題として、農業所得と他の農業以外の所得との格差というものをどうするかという問題と、その農民一人一人の所得と他の者の所得との格差という問題とは、これは別だと思うのです。中小企業についても同様だと思います。  そこで、こまかい点は略して一つだけ伺うのですけれども、金融面から中小企業に金融をつける、国が金を出していろいろ安い金利で貸すとか便宜をはかる。農業についても、農業の生産性を上げたりするためにいろいろ金を出すという場合に、実際問題としては、その農業や中小企業全体に出すことはできないものですから、その中のある特定の農業者、あるいは特定の中小企業者に出すほかはない。そうしますと、その中小企業者の中でどういう人に貸すかといいますと、支払い能力というものをまず見なければならぬ。国でいろいろ貸す場合に支払い能力のない者に貸したらたいへんなことになりますから、そこで支払い能力もある、それから将来性もあるというような者を選んで貸すわけです。そうすると、中に借りられない者も出てくるわけです。借りられる者が一人おりますと、借りられない者が二人できてくる。そうしますと、その業者自身が実は自由経済の中で競争しておるわけです。たとえば中小企業者、小さな零細業者でいいますと、宿屋と宿屋、あるいはパン屋とパン屋とは同じところで競争しておる、二人のパン屋が競争しておる場合に、そのうちの比較的有力な、普通銀行へ行っても無理に頼めば何とかなるような者を選んで貸すほかはない。そうしますと、借りられなかったほうの業者から申しますと、一方がそういうふうにフェイバーを与えられたために、かえって競争条件が悪くなってきて打撃を受けるという結果が生じてくる。ですから、中小企業を助けるためというふうなばく然たることでやった結果が、中小企業の特定業者を助けて、マイナスの影響を他の業者に与える。そういう結果が生じておると私は思うのです。ですから、そこの矛盾ですね。農業でも、やはり産業が発達してくる以上は、農業所得全体としては、割合からいえば他の産業に比べて減っていくということは、私はやむを得ないと思います。食糧生産に従事しておるものでも、胃袋の大きさはさまっておるのですから、ほかの産業がどんどん伸びていくほかはない。農業も伸びていきましても、しかし農業者個人個人の所得の差ということになると、私は、結局は人間自身がいいところへ動いていくということによって、格差の問題というものはわりあいに起こらぬのじゃないか。これまでも起こっていないし、これからも起こらない。ただ金銭所得だけを見ますと、これは確かに大きな差がありますけれども、金銭所得以外のいろいろな、目に見えないといいますか、金銭ではかり得ないいろんな条件を考えますと、人間がいいところへ動いていきますものですから、わりあいに均衡は取れもじゃないか。地域的にも、ある地域と他の地域との間には差別はできますけれども、その地域の中に住んでいる人間は、悪ければいいところへ移っていきますから、個人個人を見ますと、やはりそれほどの不均衡は生じていないのじゃないか。そこで、中小企業というような一種の範疇をきめて、あるいは農業という範疇をきめて、その業と他の中小企業以外のもの、あるいは農業以外のものとの間の格差をあまりやかましく言うということは、どうもそこに少し無理があるのじゃないかという感じを私は持っておるのです。  ちょっと質問の要旨がはっきりしなかったかもしれませんが、御両人から伺いたいと思うのですが、所得格差を問題にする場合に、ある業全体を対象にするのと、その中の個人個人の所得格差を対象にするのと分けねばならぬし、個人個人の格差については、人間そのものが移動していくことによってわりあいに解決されていっておるのではないか、またその方向で解決するほかに方法はないのではないか、こういうことなんですが……。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 どなたに御質疑ですか。——山本君、肥後公述人にお尋ねをしているのですか、一楽公述人ですか。どちらへ……。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 先ほど所得格差の問題が両方出ましたから、両方に。つまり、業種全体の所得格差というものを解決しなければならぬというのだったら、どういう方法があるか。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 それはわかっております。どちらを先に……。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 前の肥後さんから先に。

肥後和夫成蹊大学教授

○肥後公述人 お答えできるかどうかわかりませんが、所見を申し述べたいと思います。山木先生の著書は、私ども大学時代に勉強させていただきました。いまお答えするのは光栄であります。  先ほど私は、児童手当の問題や住宅の問題の充実が非常に重要ではないかということを申し上げたのでございますが、これは、現在の労働力の需要が非常に逼迫しておりまして、特に若年層の労働力のほうが超過需要になっているわけです。それで、中高年齢層の移動が円滑でない。円滑にその移動を促進させるということが、構造政策の面から見て今後やはり必要なことではないか。それから社会政策と申しましても、これは生産政策と結びつかない場合にはなかなか進展しないように思うわけです。そういうことで、やはり労働力の移動を円滑にするための手段としましても、住宅あるいは生活絆的なものの改善のための社会保障の充実というような対策が今後一そう必要になるのじゃないか、そういうことで申し上げたわけでございます。

一楽照雄全国農業協同組合中央会常務理事

○一楽公述人 ただいま山木先生からお話がありましたが、私の考えは——ちょっと十分理解できませんですが、もっと逆といいますか、むしろ農業に関する場合は、これが劣勢産業といいますか、非常に他の産業と比べて所得格差が起こるので、これを産業としていろいろ政策的に補強するということ、また、家族経営でございますから、それに従事する農民に対していろいろ手厚い保護をするということが、その農民のために必要であるのみならず、食糧生産という特殊な問題から見て、国民生活のためにも必要である。ところが、それが制度金融とか構造改善卒業とかいうように、特定の村を指定する、特定の人に貸す、そういうことも大事でございますけれども、そういった個別的なもの、そちらのほうに偏して、一般的な問題のほう、私がきょう申し上げましたような、だれもが均てんするような問題のほうへの力の入れ方が不足すると困ると思いますので、私は、国の政策としては、個別的なことではなくて、全体の農業に対する手厚い保護をお願いしたいと考えます。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 山本君、簡潔に願います。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 一つだけにしますが、いまの住宅問題でも、国でいろいろ公営住宅をつくった場合に、十人のうちで一人しか入れない、あるいは二十人で一人しか入れない、そうしますと、あと、入れなかった者と入った者との間に非常な不公平が生じてくる。自然にそうなるのはしかたないとしても、国自身が国民の中の特定の人だけにフェーバーを与えるという結果になって、一人にいいことをやって、あとの残りの人にかえって悪いことをやっているのではないかという感じを持つわけです。  時間がありませんから、それを一つ問題として申し上げておきたいと思います。どうもありがとうございました。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 続いて川俣清音君。

川俣清音日本社会党

○川俣委員 一楽さんにだけお尋ねしたいと思うのですが、日本の国土の置かれております自然的地理的条件の中での農業というものは、常に自然に支配される方向が非常に多いわけで、そういう中での農業であり、特に日本の米麦というものは、季節的にいって気象状態に支配されることが非常に多いのでございますが、そういう結果、期待されておるような食糧の生産が上がらないで、いまでは食糧の需給が逼迫をしておるということを、農業に関係の深い中央会としては一番痛切にお感じになっているのではないかと思います。そういうところから、ことしの生産者米価をどのように計算すべきかというようなことについてすでに検討されておると思うわけでございます。何といっても、中央会としては、日本の食糧をになっておる農業団体の中枢でありますだけに、農民の側からいっても、また食糧化滝という使命を果たす上からいっても、ことしの米価決定にあたりましては非常な努力を払わなければならないと思います。従来、米価の算定につきましては、生産費及び所得補償方式をとっておったのでありますが、一般のいわゆる学名といわれる人々は、むしろそれに賛成というよりも、消費者米価のことを考え過ぎて、需給、いわゆる食管法にある需給均衡価格と申しますか、需要その他の経済事情を参酌してという方面に重点を置き過ぎて米価を決定しようという傾向が非常に強かったのでございますが、農業団体や私どもは、そういう方法で米価を決定すると、不作のときにたいへんな障害を来たすような米価になるのではないかと常に警告しておったにかかわらず、依然としてそういう説を学者は出しておったようでございます。そこで、特に学者じゃない、農業団体の一楽さんにお尋ねしたいのですけれども、ことしもまた米価決定の時期になってまいりましたし、特に国の施策の上でも対応する施策を講じなければならぬときにきておりますので、お尋ねをするわけですが、米価決定にあたりまして、従来の生産費及び所得補償方式による米価の決定が一番いまでも望ましいと考えておられますかどうか。需給均衡価格をとると、ことしのような需給の逼迫したときは非常な高い生産者米価をきめなければならないことになると思います。高くなるということは農民の希望するところかもしれませんけれども、こういう計算方式は必ずしもとるべきじゃないようにも思うのですが、こういう点と、あわせて全中のことしの方針をひとつお伺いしておきたいと思います。

一楽照雄全国農業協同組合中央会常務理事

○一楽公述人 米価の今年度の要求をどうするかということにつきましての相談は、まだ十分行なわれておりません。これからの問題でございますので、いまのところでは公式には格別従来と変わったなにはありませんが、しかし、寄り寄り再検討をしようじゃないかという話も出ておりまするから、いずれまた従来と変わった意見も出る可能性も若干あるかと存じます。ただ、御質問の機会に申し上げますが、この需給均衡価格というものは、二面において、米が余った余ったというときには学者はそうおっしゃいまするし、窮迫してきますと、そういう意見が急に声をひそめるというようなことでございますので、こういうある程度窮迫したときには、以前おっしゃっておった学者の意見もわれわれもまた考えてみることになるのじゃないかと思います。  それから生産費・所得補償方式も、私どもがお願いをしておったものは、いままで一度もまだ実現をしておらないわけでございまするので、まず、方式自体の変更よりも、従来の方式のものでも満足するようなものにできないかというようなことも、実際問題としてあるかと思うわけでございます。特に最初に申し上げましたように、消費者米価を押えて、消費者のための負担であるにかかわらず、そのしわ寄せを米作者に持ってくるというようなことだけは——よほど変わってきましたけれども、そういうむちゃなことだけは徹底的に皆様方の御理解をお願いしたいと思うわけであります。

川俣清音日本社会党

○川俣委員 続いてお尋ねをしたいと思いますが、時間がないからまとめてお尋ねをします。  いわゆる天然に支配されることの多い、特に米麦は、ことしのように、こういう需給逼迫の状態というものが常に起こり得るものとして農業者は警戒をいたしておったところでありますが、農協なども、こういう事態が起こるということを予想しておらなかったかどうか。私は、こういうことを予想されますると、特にいまの食管の赤字の中で、赤字見積もりが非常に過大になっておる点を農業団体としてはお感じになっておると思うのです。ただし、これは農業団体としては痛しかゆしの問題があるので、あえてこれを表ざたにしないと申しますか、運動の中に入れておられないのじゃないかと思うのでございまするが、それは政府機関の保管料でございます。これほど需給が逼迫をしておるならば、保管すべき米麦が不足でありまするから、従来のような保管料で、これが赤字の基礎になっておりますが、この保管料は、おそらく決算期におきましてはぐっと減ると思うのです。そうすると、政府のいま宣伝しておる赤字よりも減ることになることは明らかなんです。保管するものがないのに、保管料だけが従来どおりの保管料になっている。しかも、ことしの保管料はもっとふえるという見込みの保管料で赤字を出しておる。つくられた赤字もあるわけです。あの赤字の中に、消費者の責任でもない、生産者の責任でもない、政府の計算上の赤字というものがあるのです。計算のための赤字、赤字というもの出すための赤字というものがあるのですが、そういう点についておそらく気がついておられると思うのです。ところが、農業団体としては、保管料というものが農業協同組合運営の大きな要素になっておるために、保管料に触れることを非常におそれておられるわけです。そういうところから、保管料についてさらにもう一度お聞きしたいのですが、従来の保管料は、こういう需給に合うような保管料になっていないのですね。一期でも二期でも同じ保管料になっている。ところが、あの固定の費用のかかる倉庫というものは、わずかな期間利用するための倉庫ではないのですね。長期に貯蔵する目的で倉庫ができておるものを一ヵ月か二ヵ月で出されたのでは、倉庫というものは非常に不経済なことになると思う。そこで、どうせ保管料の値上げをやられるからには、一期ならば、倉庫の利用率の少ないような場合には保管料を上げ、あるいはこれは専門的になり過ぎますが、十一期というと五ヵ月半、おそらく六ヵ月、十二期以上だと、いまの保管料でもそう不足な保管料じゃないと思う。しかしながら、これを三期とか四期で出されますると、そして倉庫をあけなければならないということになると、その倉庫というものは米あるいは麦以外に使用できない性質のものでありますだけに、非常な難儀をされると思うのです。そこで、保管料の算出についても、従来のような一期も二期も三期も平均した保管料でなしに考えられまするならば、こういうときにも対応できることではないかと思うのですよ。この点について、農協自体が検討が足りないのじゃないかというふうにも思うのです。こういう米自体あるいは麦自体が常に自然に支配される力が大きい、これは農業の本質ですから、それに対応したような保管料でなければならないと思います。そういう意味で検討ざれる余地があるのではないか。私どもがいま急いでこの意見を聞きたいのは、生産者米価について聞きたいのは、それが予算編成の上に大きな影響を持つものであるだけに、まだ検討中だと言われましても、予算はもう間もなく決定しなければならない時期にきておりますので、あえてお尋ねしておるわけですから、その点は、もし検討をされてなければ、農業団体は国の予算全体に関係なしに考えられるなら別ですけれども、非常に関係の深いことは十分御承知のことでありますから、予算がきまる前に農協の態度をきめてほしいものだということをつけ加えてお尋ねをいたしておきます。

一楽照雄全国農業協同組合中央会常務理事

○一楽公述人 いまの問題につきましては、まだ農協全体としての公式な意見のお答えはできませんが、ただ単に私個人の考えを申し上げさせていただきますると、そもそも、生産された米の販売は政府以外には持っていってはいけないということですから、農業倉庫に入っている米は全部政府の米です。そういうように食管法できめてある。農民は、そういう意味で、倉庫業をやるために倉庫をつくったのではなくて、自分の米を商人等に売るまでの間保管するために自家用に倉庫をつくったのでございます。中身の米は政府に全部出すという制度がきまったときには、その入れものは当然政府が買っていただくか、そうでなければ借りていただくべきであって、農業倉庫自体を政府が長期保管しようと短期保管しようと、それはお貸しした以上はかってでございまするが、倉庫自体を買い取るかわりに借りていただく、そういうことにすべきであったと思うのです。ところが、従来、米の数量もふえるし期間も長いときには、従来のほうが都合がよかったものですから、私どももそういうことを申し上げませんでしたけれども、しかし、そういう御都合主義をのけにしまして、理論的に考えて、この機会に、倉庫に出したり、入れたりするのは政府がおやりになるのだから、農協には関係ないですから、金利、償却その他管理費として適正なるところで倉庫を一坪当たり幾ら、それによってやるということが理論的にも正しいことじゃないか、これは、私はこういう意見に農協全体をしたいものだと考えておるのでございますが、先生方からも御協力をお願いしたいと思います。

川俣清音日本社会党

○川俣委員 時間がありませんから、もう一点だけお尋ねしたいのですが、肥料の二法が期限が参りまして、政府が延長しようか、あるいは廃止しようかということになっております。これは、一楽さん十分御承知のように、当時二法案ができましたときには、輸出されるア系肥料と国内肥料との間にあまりにも差額があり過ぎるので、そこでできるだけ硫安肥料を安くしたいというところから、私どもはいわゆるバルクライン方式をとりまして肥料の生産を合理化していこうというところから、御承知のようなバルクライン方式をとったわけですが、今日ではかなりメーカーも合理化されてまいりましたので、今日の段階では、国際的に見ましても、もはや安くするということよりも、農業の資材でありまする肥料に対しまして、米価政策の上からも、麦価政策の上からも、農業生産の上からも、肥料価格を安定させるときにきたと思うのです。したがって、安くするということよりも、むしろ肥料価格を安定させることに力を入れなければならなくなってきた。そうすると、肥料の需給と肥料価格の安定をもとにした法律にこれをつくり直してもいい段階にきたのではないか。ただ延長するだけではなしに、こういうふうに変えていかなければならぬ段階にきたのじゃないか、こう思うのですけれども、一楽さんの御意見を伺っておきたい、こう思うのです。

一楽照雄全国農業協同組合中央会常務理事

○一楽公述人 肥料二法が期限が切れた後の措置につきましては、ただいまもお話がありましたように、二法制定当時と相当に事情が変わっておりまするので、私どもといたしましては、必ずしも現存の制度の延長を固執すべきではないと考えます。しかし、肥料というものの性質から見まして、全く手放しにすべきではないと思います。したがって、輸出と国内供給との関係におきましては、いつの場合でも国内需要を十分に円滑に供給するという体制を確保するということと、その上で輸出につとめるということ、まあ輸出増進、輸出増進と非常に輸出を言っておりまするが、肥料に関する限りは、やはり国内需要を優先的にするということ、それをひとつ、一年間の生産数量、それでどうこうというような簡単なものではなくして、これは地域的にも時期的にも十分充足をしなければならぬわけでございまするから、そういうことについては、肥料の流通の基本を商業資本に置くのではなくして、肥料の実需者たるところの農民の組織を流通の中心に置いて、それとメーカーとの特約契約等によって、なるべく農民の注文生産的な方向ヘメーカーと農業団体との関係を取引的に密接にしていくということを、政策的にもうしろだてになっていただくことが必要ではないかと思います。それから価格等におきましては、平素におきましては売る者と買う者との折衝にまかしていただきまするけれども、いろいろの国際情勢その他の変動による非常事態におきましては、政府が十分の肥料の生産、流通に関与できるだけの権限は保留しておいていただくということが適切ではないかと考えているわけであります。

川俣清音日本社会党

○川俣委員 いろいろ御意見、まことにありがとうございました。農業協同組合は、農業に関する圧力団体だということを常日ごろいわれておるのですが、私は圧力団体だとは思いません。あまりにも弱過ぎるというふうに感じている。いまずいぶんいい意見を吐かれていながら、それが何も国会に反映していないということ、これは圧力団体じゃないですね。全く情けないと言わざるを得ないと思うのです。これだけりっぱな意見を吐かれていながら、それが現実の政治の上にあらわれていないということは情けないという感じがしますから、ここで公述されるばかりでなく、この実現についてさらに一段の御努力をお願いいたしまして、私の質問を終わります。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 両公述人にお願いをいたしますが、まだ質疑者がございますので、何分間かひとつどうぞお願いいたします。  続いて、淡谷悠藏君。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 瞬間を短くお話し申し上げます。  実は肥後先生に一言だけお聞きしたいのですが、住宅問題でございます。さっき住宅は個人に多く建てるようにというようなお話もございましたけれども、また山本委員のほうからも、いまのような状態では全部の国民に行き渡るのははるかなるかなたであって、これはかえって不公平を招くのじゃないかというようなお話がございましたが、最近の金融公庫あるいは住宅公団等のやっておる形を見ますと、どうも住宅を売ったり土地を売ったりしてもうかるほうに多く予算を組むという形が見えてきているのでございます。住宅公団等でも、何か非常にりっぱな高等住宅を建てたという話も聞きます。これでは、どうも一般国民の住宅は非常に絶望的な状態になると考えておりますが、特に私お聞きしたいのは、農村住宅であります。所得税の免税等によって恩恵を受けないような階層に対しても先生の御配慮はあったのですが、いままで農村の住宅に対する配慮は全然なされてなかった。しばしば国会でも警告いたしますけれども、まだ手がついておりません。こういう点についての先生のお考えを伺っておきたいと思うのであります。一楽先生のほうでもお考えがございましたら、ひとつお教え願いたいと思うのであります。

肥後和夫成蹊大学教授

○肥後公述人 私が申しました趣旨は、現在のように一応住宅が不足して、そして非常に手狭なアパートを一畳千五百円とか二千円とかいう形で借りなければならないということは、もうそれ自体が中小所得者に対する生活の大きな負担だと考えるわけです。それで、最近は特に技術革新の進展がきびしく、あるいは企業間の流動性も多いと思いますけれども、こういう事態で一応社宅中心主義の——住宅政策が社宅中心主義とは中しませんが、ただ考え方としましては、たとえば企業に資金を融通して社宅を建てさせるというやり方の場合には、やはり勤労者の流動性を非常に阻害するのではないか。むしろもっとだれでもが入れる——農民を含めての中小所得者についてでございますが、だれでもが入れる住宅を建てるということは、むしろある時期には社会保障よりもっと重要ではないかと考えておるわけでございます。それでございますから、個人住宅と申しましたけれども、これはもちろん一般の公営住宅並びに個人住宅と申し上げたわけでございまして、個人住宅と申しましても、普通の働く人々がとにかく自分のうちを持てるように、もう少し住宅金融を充実すべきではないかということでございます。

一楽照雄全国農業協同組合中央会常務理事

○一楽公述人 住宅問題は、農業者の場合は、大体からいいますると、低利といえども借金をしてまで家を建て直すというのは、所得面からいって非常にむずかしいと思います。それで、私は、例としましては、農村にはさしあたりのところ協同隠居所を推奨して、これは部落で近いところでやる。これが先ほど出ました生前贈与の問題等もからみまして、農村に嫁の来てが少ないという問題等の解決にもなる、いろいろな農業問題を前進さす基本になるのではないかと思うわけです。もちろん、むすこに嫁をもらったからといって、すぐ隠居する気にならない人がたくさんあると思いますが、そういう場合は、かりに新夫婦が隠居屋に数年間は住んでおりまして、そのうちに新夫婦にも子供ができるし、それから妹、弟等も片づくという場合に、本格的に数年後にじいさん、ばあさんが隠居屋へ行って、せがれが本家へ帰るというようなことで、まず一般的な問題としては、共同隠居所をごく低利の金で各部落に建てさすということが、いろいろな農村問題を解決する基本的なものとしての意義が深いのではないかということを感じておるわけでございます。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 もう一問だけ肥後先先にお聞きしたいのです。お話はよくわかりましたが、最近見ておりますと、資金がどういうふうな回り方をしているのか知りませんけれども、都会には非常にりっぱなビルディングが建つのです。ただし、そこにはまたたいへん困っている一般の人の住宅問題が渦を巻いている形なのですが、りっぱなビルを一軒つくるだけの費用がありますと、相当数の住宅ができると思うのです。町のていさいから言うと、りっぱなビルディングがいいかもしれませんけれども、現在の日本の状態では、そういうビルディングを建てるために多くの住宅を犠牲にしていいかどうかという問題、これをひとつお考えを聞かしてもらいたいと思います。

肥後和夫成蹊大学教授

○肥後公述人 そのビルディングと申しますのは、私が理解しましたところでは、会社関係のものではないかと思うのでございますけれども、いままでの高度成長時代には、かなり資金も出回りまして、その資金がそういう形で出ていったと思うのでございますが、実際問題といたしまして、たとえば、私どもにとっては、とにかくいまの住宅金融公庫の融資条件は非常にきついわけでございます。これは、おそらく多くの中堅勤労者についても同じであろうと思うのですが、こういう国民が住宅を持てるような政策がやはりほしい。もちろん公営アパート、それも将来スラム化しないような、かなり計画性のある住宅を建てるべきではないか。これが単に社会保障とか生活環境改善というだけではなくて、やはり構造政策的な意味も持っておるのじゃないかということで申し上げたわけでございます。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 続いて安藤覺君。

安藤覺自由民主党

○安藤委員 時間をすでに過ぎておりまして、まことに恐縮ですが、公述人並びに同僚諸君、ひとつお許しください。  先ほど一楽さんもお触れになっておられましたが、飼料の問題でございます。選択拡大等のことの結果、乳牛、豚、鶏等ひとしく多頭飼育、多数羽飼育が行なわれております。ことに乳牛の場合において、過去における酪農政策を見ておりますと、一町二、三反の田畑耕作に対して、二頭ないし三頭くらいの乳牛を飼育することによって、常時農家が小づかい銭をとることができるというような考え方から、酪農政興法までもできて、非常に進められてまいったのであります。ところが、選択拡大によりまして、しかも酪農の企業化、専業化をはからなければならぬというような声が大きくなり、またそういった施策が進められました結果、極端な地域にいきますと、二反歩ないし三反歩くらいの田畑——田はなくて、畑だけで十頭ないし十五頭という牛を飼育するというような現実になってきております。その他の一町二、三反耕しておるところでも、もとより十頭ないし十五頭というようなことになってきております。この場合、もし二反歩、三反歩の農家なら、当然自家の飼料だけにたよってえさを供給することはできないわけであります。しかも一町二、三反の耕作反別を有する農家におきましても、昨今の労働力から参りますると、十頭、十五頭という牛のえさを、その一頭についての六割ないし五割を自家飼料で供給することはとうてい許されぬことであります。しかるにかかわらず、依然として二頭ないし三頭飼っておった時代の六割、五割の自家飼料の供給ということの方向において事が処せられているようであります。飼料安定法などもありますけれども、ある場合においては、これが今日では安定どころじゃない、逆に飼料高を呼ぶ法律にさえなってしまっておる。これらの点について、飼料安定法を込めて、そして多頭飼育を奨励される現状において、根本的にあなたのほうのお立場としてどうあってほしいかというようなお考えがおありになりますならば、お聞かせを願いたい。  もう一問は、これは少しとっぴなお尋ねになりますけれども、先ほどあなたさまはお触れになっておられましたが、あなたさまが、農家をふるい立たせるようにしなければならぬ。それは、単に農家がかわいいからということだけでなしに、国民の総合食糧のたてまえからいって考えなければならぬ、こういうことでありまして、いみじくも私が考えておりますようなことにお触れになられましたが、私は、農家という立場でなしに、政治家としての立場からいって、今日この平和ムードの中にあっても、国民九千万の年間総合食糧の六割や五割はどうしても国内で生産できるようにしておかなければならぬ、どんな場合であってもしておかなければならぬ、こう考える。ところが、昨今のこのムードの中にあって、ましてや産業都市などというものが全国的に九ヵ所も十ヵ所もこれからつくられていくというようなことになって、地域格差が解消していくことはけっこうでありますが、三ちゃん農業は東京周辺、名古屋周辺、大阪周辺ばかりじゃなくして、全日本にわたって三ちゃん農業になっていく心配があります。そうなってきますと、今度は総合食糧の生産量の上に大きな問題が起きてきやしないか、みな三ちゃん農業になってしまいはしないか、自家食糧だけしかつくらぬようになるのじゃないか、こういうふうに考えてきますと、ここに私は専業農家と兼業農家とをはっきりと国の政治、政策のしにおいて区別して、少なくともその家の家計の九割ないし八割までは他の勤労によってとってくるとかいうような家計をなしておる人たちは、三反耕しておろうが五反耕しておろうが、それは兼業農家としてほっておいて、一ヵ月つ生計の九割、八割を農業によって収穫し、収益して、そして生活を立てていくというものを専業農家として、ここにはっきり区別して、専業農家に対して本格的な、国が保存をしなければならぬ、国が力を入れなければならぬ農家としてあらゆる手厚い、あなたが先ほど述べられましたような保護を与えていくという方策は、どんなものであるか。少しこれはとっぴなお尋ねでありますので、あるいはお笑いいただくかもしれませんけれども、こういうことに対する御感覚なり何なりをひとつお聞かせ願いたいと思います。

一楽照雄全国農業協同組合中央会常務理事

○一楽公述人 酪農の問題につきましては、私は、日本の場合、酪農酪農とことばは使っておりますけれども、これは農業になっておらない傾向が強いと思うのです。えさをえさ会社、商人等から配給を受けて、できたものを乳業会社へ持っていって、そうしてその差の手間賃をかせいでおるという、一つの副業としての家内農業になっておると思いますので、それはそれで必ずしも排撃すべきではないと思いますけれども、ほんとうの土地についたものを農業と定義する以上は、えさを各農家が自給することを本体とした畜産ということを進めなければならない。それがあまりにもえさ加工業あるいは乳業会社の下請業的なものになっておると思いますので、これのことは、具体的には飼料作物についての技術的研究と経営的研究を急速に進める必要がある。これだけ雨量も多いし、日照時間も相当ある日本でございますから、草その他の飼料作物というものは非常に見込みがあると思うのでございますが、何ぶんにもその面の技術的開発がいままで非常におくれておると思います。また、農地の地力を保護し、土地を大事にするという点からいいましても、輪作というようなものを考えていかなければなりませんから、そういう意味において、日本にまず酪農らしい酪農、また養鶏、養豚においても同様でございます。農業としての畜産を進めるということを基本政策にうたってやらなければならぬのじゃないかと思います。それから、そういう意味でいろいろ購入飼料の問題もあるのです。また、この現実は無視できませんけれども、自給のほうのことをまず第一に置かなければならぬ。購入のほうのことも、これはどうしてもこういうものでございますから、百姓以外には使わないというものであれば、その流通過程をよりよく整備して、これはやはり商業資本等のあまり思惑の対象にならぬようにすべきではないかと思います。  それから兼業、専業の問題でございますが、これはおっしゃるとおりだと思いますが、しかし、いままでの行政、政治等におきましても、ものを考えるときの考え方は、やはり専業農家というものを抽象的に描いてやってきておられるので、私は、今後ともそれでいいのじゃないかと思うのでございます。ただ、その抽象的に描いた農業者の立場をあらゆる意味で個別的にというよりも、総括的に他の産業に従事する者との均衡においてこれを保護するということをやっていただければ、それが徹底しますれば、おのずから兼業農家も少なくなるといいますか、専業農家らしい専業農家もできてくると思うのでございます。その保護が行き届きませんと、やむを得ず兼業化せざるを得ないということになってきまするので、専業、兼業を区別するということ自体よりも、専業農家の範疇におけるその農業をよりよく援助、育成するということをやっていただければ解決するのじゃないかと考えます。

安藤覺自由民主党

○安藤委員 時間過ぎまで足をおとどめいたしまして、まことに恐縮でございました。なお折り返しお尋ねしてみたいと思うこともございますけれども、時間が過ぎておりますので、他日の機会に譲らせていただきます。まことにありがとうございました。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 これにて質疑は終了いたしました。  肥後、一楽両公述人には、御多用中にもかかわりませず、長時間にわたりまして、なおお約束の時間を延長いたしまして申しわけございませんでしたが、貴重な御意見をお聞かせ願いましてまことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後は一時十分より再開することといたします。  暫時休憩いたします。    午後零時十九分休憩      ————◇—————    午後一時十八分開議

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  昭和三十九年度総予算についての公聴会を継続いたします。  本日午後御出席の公述人は、成蹊大学教授入江啓四郎君、民主社会主義研究会議事務局長和田耕作君であります。  この機会に御出席の公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚くお礼を申し上げます。  申すまでもなく、国の予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、この予算委員会といたしましては、連日真剣な審議を続けておるところでありますが、この機会に各界の学識経験豊かな各位の貴重なる御意見を承ることができますならば、本委員会の今後の予算審議に多大の参考となるものと信ずる次第であります。何とぞ各位におかされては、目下審議中の昭和三十九年度総予算に対して忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存ずる次第でございます。  御意見を承る順序といたしましては、まず入江公述人、次いで和田公述人の順で、おおむね三十分程度において一通りの御意見をお述べ願いまして、そのあと公述人各位に対し、一括して委員各位から質疑を願うことにいたしたいと思いますので、あらかじめ御了承を願います。  なお、念のために申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ること、また、公述人は委員に対しまして質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御了承をお願い申し上げます。  それでは、まず入江公述人。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 ただいま承りますと、予算審議をおやりになっているということでありますが、私の御連結いただきましたときには、中国の政府承認問題について国際法上の立場から話せということでございましたが、それでよろしゅうございますか。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 けっこうでございます。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 政府承認の一般的あるいは原理的な問題は、触れる必要もございませんので、特に中国政府の承認、その中でも、現在現実的な意味で問題になっておるものを数点拾ってみまして、ごく簡単に結論を申し述べたいと思います。  本来、国際法上の問題は、結論よりか、結論に到達する理論のほうが重要なのでございますけれども、あまり問題が幅が広く、多いために、理論的なたぐりをやっておりますと時間も不経済でございますし、また、この委員会でもすでに問題点は出尽くしておると思いますから、結論に尊く点だけを申し述べてみたいと思います。  まず第一点は、国際連合では、北京政府を非難している決議があるが、その決議が撤回されないうちに北京政府を承認することは妥当かどうかということであります。非難決議が採択されましてから二年少しばかりたちまして休戦協定が成立しております。これには侵略者と呼ばれた側の北京の代表も署名したのでございます。したがって、その非難決議自体が、国連として採択するについて妥当であったかどうか、また、どういう国際政治環境のもとでそれが採択されたのか、あるいは総会のそうした決議の拘束力はどうなるのかといった問題もございますけれども、しかし、いま取り上げる必要なところから始めますと、休戦協定によって事実上これは動乱も治まりまして、そして中国の軍隊も撤退し、その後別に中国に関する限りは協定違反という問題もないのであります。動乱と北京政府承認といったことは別問題でありまして、非難決議がありましたにかかわらず、すでに北京政府を承認していました国は、別段その決議からして北京との外交関係を断絶するという必要もなかったし、その必要性が説かれたわけでもございません。また、非難決議のあと、国際連合の加盟国でもって国民政府の承認から北京政府承認に切りかえた国も数々あるのでありますし、フランスもほかならぬその例でありますが、かといって、それが北京政府非難決議の違反であるとか、つまりは、侵略的な政府であるからして、平和愛好者でないから、それは国連決議に違反し、ひいては国連憲章に違反する、そういった議論も聞かないのであります。国際連合自体が総会で、北京政府承認は重要事項方式かどうかといった角度から取り組んでいるのでありまして、もちろん重要方式、したがって、中国の代表権の切りかえ審議にあたりましては、北京政府が国連で中国を代表するにふさわしい平和的な性格のものであるかということは、あるいは再び議にのぼるでありましょう。しかし、あの非難決議があるから北京の国連代表権の問題は初めから問題にならない、審議の対象とならないというようなことは言われないのであります。したがいまして、国連での北京政府非難決議は、承認問題とは関係なく、少なくとも現在の時点ではそれは妨げにならない、こう解釈するのであります。  第二点は、日本に関する特殊の問題でありますが、日本と国民政府との講和条約、これが維持されている限りは、国民政府を捨てて、国民政府から北京政府に承認を切りかえることはできないという議論があるかに伺いますが、しかし、講和条約と承認切りかえの問題は、これはまた別なことであります。ただ、日本側から見ますというと、あの講和条約の効力を北京政府のほうで認めるかどうかということに多くの関心がある。認めないようならばやはり承認の切りかえの障害となる、こう考えられているかもしれません。   〔委員長退席、櫻内委員長代理着席〕 理論といたしましては、条約は国対国の約束ごとであります。したがって、政府がかわっても条約の効力には影響がない。政府の交代は、新しい政府は前の政府の結んだ条約を引き継ぐのだ、こういわれるのであります。ただ、この原則論が、いま北京と台北とで対立しておる、その段階が全面的に通用するかどうかということが問題となると思います。国共内戦の段階からしまして、当時の中国共産党中央委員会、まだ北京政府が樹立される以前の段階でありますが、内戦が始まりましてから、それ以後の国民政府が外国と結んだ条約はその効力を承認しない、否認してまいったのでありますし、その後北京政府が樹立されても、そうした方針を維持していると思われるのであります。特に日本と国民政府との講和条約は、その効力を承認しないという立場には変わりがないように思われます。通常、条約は国家間に締結されるものであって、政府の交代は何ら影響がないと言いますのは、その政府の交代が一般に平穏に行なわれた場合、あるいは革命段階と言いましても、対立する新旧政府の関係が比較的短くて済んでいるのでありますが、しかし、それにしましても、ある事情のもとで二つの政権が対立しておりました場合に、一方の政府と結んだ条約を他方に認めさせることができるかどうか。これはもちろん話し合いができ、条約の効力を引き継ぐということであれば別でありますけれども、そうでない場合は、もしその効力を否認し続けている政府のほうを承認するということになりますというと、その後の政府の立場をのみ込んだ上でその政府を承認しなければならぬ、あるいは新しい関係をつけなければならぬという事態にしばしば当面するのであります。太平洋戦争終了段階で、それ以前日本は南京の汪精衛政府をもって中国の唯一の合法政府としまして、これと同盟条約その他数々の条約を結んでおりましたが、日本が降参しましたのは重慶の国民政府に対してでありますし、もとより南京政府と結んだ諸条約の効力は消滅してしまったのであります。あるいはまた、日本はビシー政権時代のインドシナを主体としまして条約を結んだのでありますけれども、ロンドンの亡命フランス政府はそうした条約の効力は認めておりませんし、日本の降服は、これまたロンドン亡命政府の流れをくむフランス政府に対してでありますからして、日本の降服、すなわちフランスの正統政府はロンドン亡命政府の流れをくむ政府ということで、いままでの条約の効力は自動的に消滅したのであります。ただいまは政府承認という問題で、いま日本政府が外交関係を維持している国民政府との条約ということでありますからして、南京汪精衛政府なり、ビシー政府なりから、後の別な政府に日本の相手方を切りかえるというのとは事情が違いますけれども、それにしましても、国際法上の原理論として、国の一政府と結んだ条約は後の政府に引き継がれるのだという、それはこの場合には当てはまらないのであります。もとより北京政府が、日本と国民政府と結んだ条約の効力を認めるということであるならば、それは歓迎すべきことでありますけれども、必ず認めさせるという立場をとりますというと、そして北京政府が、日本と国民政府との講和条約は絶対に効力を認めないということでありますと、そういう立場をとる限りは、北京政府を承認するということはできないのでありますから、北京政府の承認が必要であり、望ましいことであるということになりますならば、台湾との講和条約の効力も維持できないということをのみ込まなければならないかと思います。ただしかし、この講和条約は、その性質上非常に地域的なものでありまして、台湾、澎湖島地域だけ条約の対象地域となったのでありますし、事実上講和に関する限りは、既成事実が積まれまして、多くは問題を解決してしまったことと思います。いま北京政府を承認するかどうかという観点から言いますと、別に日本と北京政府統治下の中国との間に戦争状態があるから講和を結ばなくてはならぬという、そういったことが当面の問題になっておるのではなくして、北京政府を承認すれば当然にそれで平時関係に入るので、北京から見ましても、日本との間には平時関係、外交関係に入るのでありまして、そのほかに講和処理といったことは第二次的な問題かと思います。たとえば、賠償問題などは一つの重要なことのように思われます。もし北京政府が、かつて主張した賠償額を日本に要求するということでありますならば、それは重大問題でありますけれども、それは政府承認のあった後の問題であるし、またはたして同じような主張を固執するかどうか、それはわからないのでありまして、ここで承認問題とあわせて、北京政府がかつて唱えたような講和条件を事前に日本にとって有利なように解決する、そういった話し合いをつけておく、そういった必要はないように思われます。台湾・日本との講和条約で、地域的にすでに処理済みのものまでも御破算にしてもとに返すというようなことは、北京とて考えていないことであります。国籍条項その他がございますけれども、それで中国の国籍を取得した者の効力を認めない、そんなことは従来とて新旧政府の交代の間、あるいは革命が起こった場合の国内的な法秩序、そういったものすべて法的に御破算にして、あくまでも新政権のもとで対内、対外の法的関係を無にしてしまうということは、過去の慣例としてもあり得なかったことであります。したがって、日本と台湾との講和条約の効力を北京に認めさせるということが先決であって、それでなければ北京政府は承認できないというようなことは思い過ごしではないかと思います。  第三点は、中ソ友好同盟条約でもって日本を仮想敵国としておる限りは、日本は北京政府を承認できないといった議論、これは最近中ソ論争のほうに重点が移りまして、もうあの条約もそれほどの意味はないということが言われておるかもしれませんが、国際法上の見地から取り上げてみますというと、中ソ友好同盟条約がないのにこしたことはございませんけれども、しかし、それがあるからといって、それほど神経を悩ませる必要はないと思います。全くの法理論でありますけれども、中ソ友好同盟条約は、前にソ連邦と国民政府の時代に終戦まぎわに締結された条約を、ソ連邦が中国の政府承認を切りかえたために、新しい政府と同工異曲の条約を結んだのであります。国連憲章によりますというと、国連憲章百七条でございますが、憲章署名国の敵であった国、この場合日本でありますが、敵であった国に対する行動で戦争の結果とったものは、憲章適用を除外しております。したがって、国連憲章に従って、中国とソ連邦とは旧敵国日本に対し同盟条約を結び得るのであります。旧敵国に対してとる行動と言いますと、実際の解釈上はかなり幅を持っておるのでありますし、中ソ条約などもそれに入るかと思います。憲章上は、日本に備える同盟条約は結ばれ得るのであります。もとより憲章に署名しました国といえば、当時は、その国を代表したのは国民政府でありますけれども、中国は一つでありまして、国民政府のときに原加盟国となったのでありますが、中国政府という場合には、やはり中国は原加盟国として署名したという意味で、やはり北京の政府も中国という名において憲章の署名国並みに考えなくちゃならないかと思います。それに、日本の再侵略に備えた同盟条約でありますから、侵略に備えるということだけで、ただそれだけの抽象的な表現に対して、国際法上の立場から異論は言えないのであります。こういう条約が日本を仮想して締結されていること自体は、好ましいことで、はありませんけれども、条約論、法理論から言いますというと、これは気にとめる必要のないものかと思います。それに、たとえそのような条約があっても、日本と中国とが、北京政府下の中国と友好関係が確立されますというと、その条約も意味をなさなくなるのであります。あたかもかつての日英同盟条約は、締結された当時は、その当時の外交文書が示しておりますとおり、帝政ロシヤを仮想敵国としたのであります。そして第一回日英協約、第二回日英協約とも、その間日露戦争が第二回目のときには日露戦争がまだ済んでおらなかったときでありますが、とにもかくにも帝政ロシヤを対象としたものであります。条約の表面には書いてございませんけれども、締結の事情は、帝政ロシヤに備えたものであります。ところが、日露戦争後は、日本と帝政ロシヤとも友好関係を確立しますし、特に協商を結んで、もはや日本から見て、ロシヤを敵国と見る事由がなくなったのであります。また、日英同盟条約の相棒でありますイギリスも、日本が帝政ロシヤと結びました同じ年にやはり友好協約を結びまして、極東でロシヤ、イギリス両国のいさかい、紛争の種を一掃したのであります。こういうわけで、日英同盟条約は、当初はロシヤを仮想敵国としながら、ロシヤを同盟の対象としながら、日本もイギリスもロシヤと友好関係を取りつけたために、その条約の意味は、少なくともその対象に関する限りは意味がなくなったのであります。そうして逆に、やはり第三回の日英協約が結ばれましたけれども、これは全く別な理由から結ばれたのでありまして、しかも、もはやロシヤを対象とすることなく、第一次世界戦争は、歴史的には全然審議にものぼらなかったドイツを対象として、条約の効力を発したのであります。そうしますというと、中ソ友好同職条約、一方では日米安全保障条約でもって相互に対立した形をとっておりますが、日本の北京政府と友好関係を確立する方向に進みますというと、あの同盟条約も全く死文となってしまうでありましょうし、また、そうなることが望ましいのでありまして、承認問題と結び合わせて中ソ友好同盟条約を一つの難点に取り出す必要はないかと思います。  第四点としまして、国連における中国代表権の切りかえ問題でありますが、これにつきましては、北京政府が樹立されました翌年の十二月に総会の決議がございまして、一国に対立政権が並存する場合に、そのどちらがその国を代表するか、いままで代表したものをそれに対立する別な政府へ切りかえる、そういうときには、もちろん国連憲章の原則その他を考慮しつつでありますけれども、総会で審議する。総会で何らか切りかえを決定したならば、他の国連機関にそれを事務局を通じて通知するということであります。つまり、安全保障理事会では拒否権が行なわれる可能性が多いのでありますからして、それよりか、拒否権も行なわれない、むしろ国連全体会議ともいうべき総会で審議決出し、他の機関もこれに従ってほしいという含みのある決議であります。総会先議の原則を立てたようなものであります。そこで、毎年総会でもって国共代表の切りかえが審議され、あるいは重要事項方式か、それとも単純な決議方式かということが論じられて、かつ決議にされてきたわけであります。そういう総会で日本はどういう態度をとるか、これは政治問題でありまして、私が触れる範囲を逸脱いたします。したがって、日本が結局北京政府承認についてどういう態度をとるかということと密差してくるのでありますが、承認ということになりますと、その方式には二、三あるように思われます。  一つは現状維持、つまり国民政府との承認、外交関係を維持するということであります。どうやらこれについては再検討しなくてはならぬという時期に来ていると思いますが、そういう現状維持に対して方向を少しく変えるということで、一方では事実上の承認を行なう、他方では法的な承認を行なう、こういう二つがあるわけであります。通常は、国に革命があって新旧政権が対立いたしましても、その対立の期間は短期間でありまして、新政権、革命政権を承認したら、自動的に旧政権の承認、外交関係を断つということでありますが、しかしながら、現在ありますように、その新旧政権の対立がきわめて長期的であるというところからして、また別な承認方式も考えられるわけであります。中国で見るような対立期間の長かった例ではございませんけれども、やはり戦前にも、スペインで革命がありました当時、革命政権がむしろスペインの大半を支配いたしますというと、一方の政権は法的に承認し、他方とは事実上の承認を与えて事実上の関係を維持するという方法があったのでありますし、それはまた、国際法上も認められることであります。中国の一方の政権を法律的に承認し、他方を事実上承認する。その事実上承認ということは、結局は領事通商関係を設定するということであります。もちろん民間ベースより政府間のベースになるのであります。ただ、これは相手方があることでありますし、そういう事実上の承認と法的承認、つまり事実上の承認は領事通商関係を設定し、法的承認は外交関係を設定するのだと言いましても、相手方が、一方なり双方なりがそれに応じない場合は、これも採用するわけにはいかないのであります。そうしますと、やはり日本としては二者択一、現状維持か、それとも北京政府を法的に承認するか、そういう最後の措置をとらなければならぬかと思いますが、しかし、一つの中国とか一つの台湾とかということでなくして、一つの中国の一角にまだ従来の政府が残存しておるし、その残存期間がいつ終わるかわからぬような事態のもとで、それが客観的事実であるならば、その政府との事実関係を維持するということは望ましいのでありますからして、それはあるいは事実関係を結ぶ前に、国民政府と現在の外交関係を維持しながら、まず段階的に北京政府との事実関係、領半通商関係の設定、そういう方向をとって早晩北京政府を正式に法的に承認する、こういう方向に進むか、これは外交問題でもありますし、相下方がはたしてそれに応ずるかどうかということでもありますけれども、当面もし好ましい方式がとれるとすればどれがいいかということになれば、まず国民政府との現状維持から進んで、北京政府と少なくとも領事通商関係を設定し、やがて北京政府と法的関係、外交関係を設定することに進んでいく。そういうことがとれるならば一番順当なことでありますし、少なくともそういう含みでもって中国問題に取り組みませんと、国際連合でも日本の立場というのは非常に困難になってくるのではないかと思います。これが、中国政府承認問題について私のまず当面の問題として考えられるものとして取り上げてみたものでございます。(拍手)

櫻内義雄自由民主党

○櫻内委員長代理 次に、和田公述人の御意見を承ることにいたします。

和田耕作民主社会主義研究会議事務局長

○和田公述人 私は国民福祉の問題について意見を述べてみたいと思います。  池田総理大臣は、今国会の施政方針演説の中で、高度福祉国家を建設するのだというお話がございました。これまでも選挙あるいはその他でしばしば福祉国家をつくるという言明をなされておるわけでありますけれども、このたびは特に高度福祉国家をつくるという調子の高い言明があったことは、注目すべきことだと私は思っております。そして、私の所属します民主社会主義研究会議では、毎年一月に全国研究集会というものをやっております。それは約千人くらいの学識経験者が集まる会がございますけれども、今年は特に福祉国家を建設しようということで、日本において福祉国家を建設する場合の具体的な諸条件についていろいろ検討いたしました。また昨年の暮れに、私どもの機関に所属する学者八人を北欧の諸国に派遣いたしました。そして政府あるいは政党、労働組合その他の方々との共同研究をしてまいりました。そのような場で述べられた重要な意見を参考にしながら、池山総理高度福祉国家と言われる方向、特にそれと予算との関係について意見を述べてみたいと思うわけでございます。  現在世界の中で民主主義の相当進んでおるという国々は、どんなに強力な保守党の政府があるところでも、一般国民、勤労者の生活の向上の要望を無視してはおそらく一日も政権を維持することはできないといったような政治の状態にあることは御承知のとおりでございます。したがって、先進国のどこの保守党政府も、この国民福祉の問題については大きな関心を払っておるし、また保守党流に福祉国家の建設をやっておるわけでございます。むろん革新政党といたしましても、多くの先進諸国のまともな革新政党は、こういう問題について取り組んでおるわけでございますけれども、これに比べて保守党政権の福祉国家の問題に対する取り組み方というものは、性質上どうしても受け身のものになるわけであることは否定できない。つまり権力を維持するためにはどうしてもそういうふうな施策をしなければならないという受け身のものであるわけでありますけれども、しかし進歩的な保守党の政治をつくろうと思えば、これについて相当深い関心と施策をしなければならないということについては言うまでもないことだと思います。このような意味で、総理が高度福祉国家の問題について言及されましたことは、まことに時宜を得たことだし、また首相も忠実にその公約を実現するために努力をしていただきたいと思うわけでございます。  このようなことで三十九年度の予算を拝見しますと、その中に盛られておる数字だけでなくて、福祉国家という問題の考え方、あるいはそれに対する取り組み方についていろいろ問題がありはしないか、何かことばだけを使っているというふうな感じがありはしないかという感じも受けますので、二、三の問題について意見を述べてみたいと思うわけであります。  まず第一点は、福祉国家の建設というものは、ことばのあやのようなものではむろんないわけなんで、これは非常にきびしい改革的な態度が必要だということは、どこの国の例を見てもそうであります。できれば何とかしてお金をつくって、そして貧乏な人々に分けてやりたいというようなものではなくて、つまり近代国家の義務としてこの問題に厳粛に取り組んでいくということが基本的な態度でなければならないし、また国家の権力を媒介にして所得の公正な分配をはかるというところに福祉国家政策の根幹があるわけでありますから、単に財政的な措置だけでなくて、制度の改革についても大きな配慮が必要なわけであります。したがって、いろいろな摩擦も起こってくるし、あるいは政治勢力間の対立問題も起こってくるのは当然覚悟しなければならないと思うわけであります。こういうような意味で、何とかていさいだけを整えるというふうな気持ちがもしあるとすれば、したがってまた八方美人的な、こういうことをやれば反対されるというふうなことを考えての低姿勢的な態度であるとすれば、当然福祉国家の建設ということはできはしない、こういうように思うわけでございます。  このような点で、私は特に最近アメリカの政治を見ておりまして、アメリカの政治家たちの持っている改革に対する情熱というような点について、非常に参考にしなければいかぬじゃないか、こういう点こそまねてみる必要がありはしないかというふうに思うわけであります。と申しますのは、最近日本でもいろいろと世間を騒がしておりますたばこの問題、たばこが国民のからだに害があるのだという問題を政府の公的な機関がこれを公表した。こういうことなんかは非常に小さいことのように見えますけれども、アメリカのような国で、有力なたばこをつくる会社が幾つかあるという条件のもとで、国民に害のあるということがはっきりしなくても、そういうことが確認できた場合には、そういうふうな会社の圧力なりあるいはそれに対しての配慮なりというものを一応別にして、態度を明らかにしていくというようなことは相当の努力、勇気というものなしにはできないことなんであります。こういうふうな勇気というものは、社会保障関係を考える場合に非常に必要なことが多くあると思います。前の第二次大戦のときにも禁酒法というものをやり、この法律自体はいい法律ではなかったと思いますけれども、しかし、こういうような問題を正しいと思えばやるという、こういう気魄を持った態度が、特にこういう福祉国家を目ざす制度改革については必要だと思います。またケネディ大統領にしても、昨年でしたか一昨年でしたか、鉄鋼会社が鉄鋼の価格の引き上げをやろうとしたときに、これは国民の生活に対して害があるという判断のもとに、大きな横車に対して全権力を動員してこれに抵抗した、そうしてこれに打ち勝った。あるいはまた、最近の失業問題、あるいは人種問題等に示したかの大統領の情熱、こういうようなものが非常に若々しい、荒っぽいところのあるアメリカの政治にはあるように思う。それがあるからこそ前進しているというふうにも思えるわけなんです。こういう点は、特に日本の保守党の政治家の方々は、そういうバイタリティと申しますか、改革に対する情熱的なものを持ってもらいたい。それなしには、福祉国家というようなものは単なる口頭に過ぎないような結果になるおそれがあるということを申し上げるわけであります。  もともと福祉国家の政策というものは、つまり先ほども大きな制度改革が必要だということを申し上げたのですけれども、これをもっと一般的に申し上げますと、従来の自由主義的な所得の分配の構造というようなものを、社会正義に基づいて、計画に基づいての分配構造に切りかえていくという内容があるわけでありますから、当然政治、経済、社会の各般にわたる大きな改革が必要だということになるわけなんで、たとえば一、二の例をあげてみますと、現在、この予算でも住宅問題等について大きな配慮が行なわれております。また四十五年には一家族一戸というふうな計画を持っておるのだということも言われております。しかしながら、これをよく考えてみますと、現在土地問題に対してのかなり抜本的な制度改革というようなものを考えない住宅政策というものが本来あり得るかどうか、こういうような点についても考えてみる必要がありはしないが、その問題を考えないで住宅をたくさんつくるということは、ただ地価を引き上げるだけという結果になりはしないか。土地問題、これは非常にむずかしい問題であることはよくわかります。したがって、漸進的にいろいろな手を打たなければならぬこともわかりますけれども、こういう点についての取り組み方を持つということが大事な問題ではなかろうかと思うわけであります。  また、現在技術革新が大いに進行している。そのもとで、労使の問題でかなりけわしい問題が各所に出てきている。こういう問題を解決する場合に、たとえば、スウェーデンにおいては、労働市場の問題について労使の協力体制がある。あるいはまたドイツにおいては、共同決定法、経営組織法といったような労使の協力機関があるわけなんで、こういうような技術革新を目ざす新しい状態に対して、労使の新関係を規定するような制度を考えることなしには、福祉国家への体制はできない。こういうようなことを見ましても、制度改革に対する熱情というようなものなしにはなかなかこの問題は解決できないということになりはしないかと思うわけであります。  むろん革新党と違いまして、保守党の場合には、そういう制度改革についていろいろの制約があることは承知しております。またそれは、あながちやらなければならぬものをやらないのだというふうには言われない面もあることも承知しております。しかし、それにしても先ほどから強調しておるように、とにかく一定のきびしい改革的な態度というものが必要であるわけでございますが、この三十九年度の予算にはそのような感じのする施策、方針というものがほとんど皆無だという点を私は遺憾に思うわけでございます。これは、世間では派閥均衡予算というふうにいわれておる向きもありますけれども、とにかくあっちもこっちもと、しかも何かていさいをつくろうという感じのする点のあることは非常に遺憾なことだと思っております。社会保障費やあるいは文教費を見ても、上がっておりますけれども、本質的には物価の上昇にやっとついていっているというふうな感じのものでございます点も、これは否定できないのじゃないか。こういうふうなことだと、事をおやりになっておりながら、しかも高度福祉国家ということばを使うということは、何かことばのあやを求めている、人気のある政策を乱用している感じもいたしまして、私どもといたしましては、福祉国家建設という非常に美しい、またやらなければならないビジョンを、ことばだけを振り回すことで陳腐化するというふうなことのないようにお願いしたいと思うわけでございます。  第二点は、経済成長と福祉国家との関係でございます。総理の数々の演説を貫いておるお考えの中には、経済成長あるいは所得の倍増は、そのまま福祉国家に連なっていくんだというふうなお考えがありはしないかという感じがいたします。私どもは、こういうような問題は、それ自身そう間違っておるとも思いませんけれども、現在の段階では、そういうお考え自体を検討しなければいかぬ時期に達しておるのではないかというふうに思うわけであります。経済成長なり所得の倍増というものが福祉国家の前提条件であることは、これは言うまでもないことでありますけれども、中身が何であるかということにあまり関心を払わない成長政策というふうな状態が感ぜられるわけなんで、これはどうかと思うわけでございます。何でも成長というふうな感じになれば、経済の成長率というものだけに気がとられていく。たとえば中身にバーとかキャバレーとかいうふうなものが非常にたくさんできるということでも、成長率は大きくなるということにもなりますので、そこらあたりのところに非常に問題があるわけなんです。つまり経済成長の率の大きさだけでは福祉国家にならない、その逆の場合があるという、そういうようなことを吟味しなければならない時期にきておると思うのでございます。また、これは一つの重要な産業部門、たとえば鉄鋼にしても、繊維にしても、こういうようなものにしても、過当な競争を誘発するような条件をそのままにしての経済成長であれば、これはまたとんでもないことになるわけなんで、その結果、国際収支とか物価、あるいは労働力市場などの混乱が起こっておるわけなんで、こういうようなことだと、経済成長というものは福祉国家とは逆行するということになるわけだと思います。したがって、問題なのは、経済成長というものが大嘘であるのではなくて、その中身がどのように国民の生活のためになるかということをよく選択すること、優先順位をつけるということを真剣に考える時期にきておると思います。つまり単なる経済成長から福祉経済的な成長というものを考えなければならない時期にきているわけでございます。こういうようなことは、当然資金の統制、つまり国民の重要な資源が生活に必要なところに向くように資金の統制をする。あるいは資金統制という法律をつくらなくても、実際の行政指導でそういうような同じ効果が行なわれるようにするということについて、特別の関心が必要なわけでありまして、合理的な統制的な措置を考えない経済成長というものは、もはや無意味なだけでなくて、有害な段階にきているということに注意を喚起したいわけであります。  また、やみくもの経済成長政策の結果、生産は進みましても、あるいは所得の倍増は、現にそういう事実はあるのでございます。しかし、またその反面で、物価は倍増しているということも事実であるし、また人によっては、国民の欲望は三倍増もしておるというふうにも言われておるわけであります。このようなことは、日本の経済が、あるいは国民の生活が進歩していく過程としてやむを得ない状態であるという面もあることは私は認めます。しかしながら、そういうふうな一つの発展への過渡期という面、その中におけるいろいろな矛盾が渦巻いているということは認めますけれども、特に最近の段階では、もし政府が正しい政策を持って進むなれば、いろいろな意味で国民生活の向上の可能性を持つような発展が行なわれると思いますけれども、しかし、その反対の場合はたいへんなことになる。そういうような政策の切りかえどきにきているということを注意しなければならないのじゃないか。たとえば現在農村に起きておるいろいろな現象、あるいは中小企業に起きているいろいろな現象というものは、日本の明治以来、あるいはそれ以前にも決して起こらなかったような根本的な変化が起こっておるわけでありますことは、皆さん御承知のとおりでございます。もはやそこには慢性的な過剰労働力というものは存在していない、また安易な生産と困難な生活というような状態からも抜け出そうとしているわけでありますけれども、こういうようなことに対して正しい政策を、あるいは近代化の政策を勇敢に打っていくか、あるいはまた、そのままに放置してお座なりの政策を打っていくかということは、農村の生活と中小企業の生活に対して全く明暗をきめてしまうというふうな段階にもきているわけなんでありまして、こういうようなことに対する真剣な施策が必要だと思いますけれども、こういうふうな思い詰めたと申しますか、前向きの危機感を持った政策というものが見られない、そういう点が遺憾に思うわけでございます。  その他いろいろな問題がたくさん出ておることは、皆さん御承知のとおりでございますけれども、経済成長が進行している間は、このような矛盾は、だんだんといろいろな形で解決されていくと思うのでございますけれども、現在のように進行が鈍化してくるということになりますと、何だかここらあたりで政治のしかた、国民経済なり生活のバランスを取り直さなければならないというふうな問題が出てくる、現に出てきておると思うのであります。ほんとうを言いますと、こういうふうな状態がきておりますと、この課題を解決するためには、まともな革新勢力が保守党にかわって政権の座につく。そうして生産力の発展に伴う制度と生活の調整、あるいは国民相互の民主的な関係を打ち立てるということをまともな革新勢力、そして保守党の政治にかわるようなものがあれば、そういうものがやるべき時期でありまして、またそういうような政治が福祉国家の体制を前進さすというようなことになるわけでありますけれども、現在の日本では、そのようだ政権を担当することのできるような革新勢力の態勢はまだできておりません。したがって、保守党政府は、曲がりなりにもその任務につかなければならないという状態にあると思います。このことは、日本の民主政治にとっては残念なことでありますけれども、しかたのない、ことなんで、保守党にとってはやりにくいことと思いますけれども、とにかくいままでのようなやみくもの経済成長から、国民の福祉を向上させる経済成長へと移行させていっていただきたい、こういうふうに思うわけでございます。  第三点は、三十九年度の予算の内容に盛られた福祉予算についてでございます。この予算の中の社会保障関係費というもの、あるいは住宅費、文教費等、いずれも増加しております。特に政府は、社会保障費中の生活保護費の引き上げ、つまり四人世帯でこれまでの一万四千二百八十八一を、万六千百四十七円に、一三%引き上げたということをやっておられるわけでありますけれども、これは、予算の説明書の中を拝見しましても、たいへん強調しておられるようでありますけれども、はたしてこれは強調していいかどうかということがあると思います。  まず、保護の対象となっている者は百五十八万人ということでございますが、この百六十万内外の要保護世帯というものは、昭和三十二年からほとんど変化がないのであります。高度経済成長を続けてきたこの時期においても百六十万内外の要保護世帯の数はほとんど変化していないということは、これは注意すべきことだと思います。たしか昭和三十八年の調査によりますと、極貧化活をしている人が約六百三十万もおるということですけれども、この六百二十万と言われる極貧世帯の中から、どうしても救済しなければならない人の中から、予算がこれほどしかないからということで民生委員の方々が選び出してくるというような結果が百六十万になっておるというふうに思いますけれども、こういうことは、生活が非常に苦しい、人道的に保護しなければならないから保護するということではなくて、余裕のある金がこの程度しかないからこの範囲でというふうな調子が、依然として続いているという感じがするわけでございます。その選ぶ範囲も、客観点な事実ということよりも、地方の有力者が多くなっている民生委員の主観的な判断で選ぶというふうなこともございまして、文字どおりに人道的な問題である。こういうような問題については、いまの予算の範囲にしても、あるいは選び方にしても、非常に問題があるのじゃないか。保護を必要とするような生活をしている人に対しては、その基準をはっきりきめて、それでいろいろな情実が入らないような形で、もうこういうふうな状態になれば、そういう人全部を保護するような施策をする段階じゃないか、こういうふうに思うわけでございます。  次に、一万六千百四十七円という金額の問題でありますけれども、日本の憲法は、健康にして文化的なというりっぱな条章を持っている。また最近では、最低賃金制度というようなものを施行しようとしておるわけでございまして、この問題についていろいろ考えられておりますけれども、といって、私、最近いろいろなことを調べてみたのですけれども、最低生活というものはどれぐらいのお金かということについての信用のある数字がほとんどないということでございます。こういうところも、こういう問題が具体的に、真剣に考えられていない一つの証拠ではないかと私は思うのですけれども、その中でも比較的信用のある数字として最近あげられたのは、昨年大蔵省から税制調査会に出した数字がございます。これは五人世帯で一ヵ年四十七万一千円、つまり絶対に必要な金額、これだけは絶対に必要だということを基準にして、大蔵省で五人世帯で一年四十七万一千円という数字を出しております。これは一ヵ月に直してみますと、三万九千二百五十円ということになりますが、東京では五人世帯では約四万円くらいの金が必要だ、昨年のことですが、そういうことになるわけであります。   〔機内委員長代理退席、委員長着席〕 これに比べて、同じ東京で四人世帯、一人人が少ないのですけれども、二万六千百四十七円ということの持っておる意味はどういうふうなことになるのか。完全に生活の道のない人たちが、一日一人百三十五円で食事も住宅も衣料も何もかにもやっていくという生活が、はたして人間の生活と言えるかどうか、こういうような問題も考えてみなければならないのではないか。これは二二%の引き上げというのではなくして、少なくとも即時五〇%内外の引き上げをする必要があるのではないか、少なくとも二万円前後のものにしなければならないのではないか、こういうことが私どもの全国研究集会でも強調された点でございます。二三%増というのは、こういう階層の人たちは食事のウエートが非常に大きいわけですから、実際は物価の値上がりについていけるかどうかも疑わしいというふうなものになると思います。  最後に、私はぜひともこれを一つ御提案したいと思いますけれども、このような社会保障関係を含めて、国民の福祉向上のためには、ぜひとも年度計画を立ててもらいたいと思うわけでございます。現在、所得倍増計画の実質的な手直しが行なわれておるように聞いておりますけれども、この手直しをする場合には、福祉向上の計画を、つまり年度計画をぜひともひとつ並行させてもらいたいと思うわけでございます。その最低の目標は、とにかく生活が困窮して食うに困る人だけをなくしよう。また、生活できない老人というような人の生活を守ってあげよう。病気になればだれでも十分な治療ができるようにしてあげよう。つまりこの最低の三点だけを目標にして、五年以内の年度計画をおつくりになっていただきたい、こういうふうに思うわけでございます。  このように年度計画としてこの問題を提起する必要を私感じますのは、つまりこれは、国民多数の犠牲を払った協力が必要なわけで一あります。したがって、こういうような年度計画について、そういうふうに協力すればこうなるのだということが、具体的に国民の目にわかるような形でこの問題を出すことによって、国民の協力が得られるのではないか、国民が信用でき、出したら貧しい人はなくなるのだという確信のあるような計画を立てて国民にお願いをすれば、十分同胞の生活向上のために協力するのではないかと思うのが第一点でございます。  第二点は、お互い人間というものは、いいことを実行するには自分からいい方向へ縛っていくということが大事だと思います。そうしないと、なかなかやるものではない。特にお金を持っておる人は、お金をたくさん出さなければいかぬという可能性を持っておりますから、何か余った金でもできればやってやれというふうなことなら、何年たってもできはしない。いいことをやる方向にお互い自分自身を縛っていくということが必要だと思うわけでございます。この点は、権力を握っておる保守党の方々には特別に必要なことだと思います。これは何も保守党の方々が特別そういうことができないということではないのでありまして、お金を出す可能性の多い人は、金を出したくないということも当然だし、また、社会保障に対しても、積極的にやれといっても、受け身の立場にあるものですから、なかなか積極的にはなれないという面もあると思いますので、なおさらやるべき方向に対して自分たちのからだを縛っていくということを手がかりにして政治を行なっていくことが、必要なことではないか、こういうふうに思うわけでございます。  以上、三点にわたって、国民福祉の問題と関連して私のお話を申し上げた次第でございますけれども、どうかひとつ皆さんの方の御協力を得まして、このような方向に一歩も二歩も前進するように御努力願いたいと思うわけでございます。どうもありがとうございました。(拍手)

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 ありがとうございました。  これにて公述人お二人の御意見は終了いたしました。     —————————————

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 続いて、公述人お二人の方の御意見に対する質疑を行ないます。  まず、川崎秀二君。

川崎秀二自由民主党

○川崎(秀)委員 私、不勉強で、入江公述人の前半の公述を十分にお聞きすることができなかったのでありますが、戦争中から中国問題に深い学識を持たれ、またその御意見の推移なども大体承知しておりますので、それに基づきまして、二、三御質問をしてみたいと思うのであります。  第一は、やはり国連総会におきまする表決につきまして非常に注目されますのは、フランスに次ぎましてのブラザビル諸国の動きであります。これがまとまって動くものとも思えませんけれども、最近の情報では、中国承認の方向に七分三分くらいのかねあいでかなり国の動きがあるように私どもはひそかに聞いておるのでございますが、それについての入江公述人の見通しなとも伺えましたら、たいへん参考になると思うのであります。  それからもう一つは、この間産業経済新聞にお書きになりましたのでは、一つの中国あるいは一つの台湾というような問題も、その表決の結果を見てそれに従えというような国連総会での取り上げ方がよいではないかというような御意見のように拝聞をいたしました。台湾は、釈迦に説法でありますから、申し上げませんが、今日は千万人近い純粋の島民がおりまして、これは日本統治三十年、四十年、そしてまた終戦後二一年、ほとんど中国と——人種的にはむろん長い流れがございますけれども、現在は全く隔絶された状態で、六十年間交流のなかったような形になって、すでに相当経済的にも安定しておるという一つの高波というものに対しまして、局民の、住民の意思というものが非常に重要なものになってきやしないか。私は、民社党の曾祢益前書記長などの考えられていることもかなり大きく評価していいのではないかと思うのでありますが、それらにつきまして御意見も承われれば非常にしあわせであります。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 第一点は、ブラザビル派のアフリカ諸国の動きということでございまして、七分三分の率でフランスの北京政府承認のあとを追っかけて、国連では代表入れかえに踏み切るのではないかというお話のようにお伺いいたしますが、私は、そういう数字でもってどういう比率を示すかということについて、はっきりとお答えするだけの資料をいま持っておりませんし、また想定できるほどのものも持っておりません。ただしかし、一般論として言えますことは、アフリカ植民地の中には、かつての祖国に対して非常に反発的な集団と、それから比較的親密に近づいていく集団がございまして、フランスの場合は、フランスを中心に共同行動をとろうとする集団がかなり多いように見ております。第五フランス共和国憲法では、海外属領があの憲法を訳して、フランスを中心にフランス共同体を構成するか、それともフランスから離れて全く独立するか、その自由を認めたのでありますが、大部分の国が——ただ、国を除くほかは、フランスを中心とする共同体を構成するという形で、その名前はそれぞれ共和国になったのでありますが、あの第五フランス共和国憲法を見ますと、フランス共同体といいましても、共同体の首長はフランス共和国大統領でございますし、外交関係の設定その他共同行動をとるということは、結局フランスに従うということでありますが、それにもかかわらず、その道を選んだのが十中九であったということは、やはりフランスと親近関係を維持しようとしてきた証拠であると思います。しかし、一たんはたして独立国——もちろん独立国であることはいなめませんが、とにもかくにも共和国という名前で従来のフランスの海外属領であった地位から解放され、高度の位置を享有しますと、独立したくなったわけで、そこでかつての共同体の中で閉じ込められた体内位置な享有するにすぎない名義上の共和国が、今日のようにすべて本来の意味の独立国になったわけでありますが、しかし、そういういきさつからも見られますとおり、今日ではブラザビル派とそういうものを称しておりますが、大体フランスと親近関係を持っており、あるいは経済的にはフランス圏を構成するということであります。したがって、特にフランスに反した独自の行動をとることがその国の要請でない限りは、フランスのとった方向に従うのではないか。また、そういう国際環境というものは浮動的なものですから、一がいには言えないのでありますけれども、周総理がアフリカ各地を訪問されたというようなことが副廃物となって、アルジェリアでしたか、早くも北京政府を承認しておりますし、この秋までに大量の諸国がフランスの方向にいくということをはっきり推定できるほどの材料も持っておりませんけれども、それは短期的に見るか、長期的に見るかのことでございまして、何もブラザビル派に限ったことではなくて、国連加盟国の中で、北京政府を承認する——特に国民政府を承認することについて近接な利害関係でもある国は別ですけれども、そうでない国は、やはり国に対立政権がある場合に、どちらかがその国の領域、人口の大部分を支配して、そしてその支配権に安定性があり、国内秩序も維持されておるということであれば、それとは別にその一つの中国の一角にやはり安定した政権があっても、一つの中国である限り、どちらの政府がその国を正統に代表するかという常道からいいますと、時の長短はありますけれども、北京政府承認にいくのであります。そうでなければならないと思います。今日のように台湾と北京との比重がはずれているときに、なおかつ北京政府を承認しないということは、国際的な過去の例から見ましても、非常に異常なことのように思われます。  第二点は、国連総会で表決の結果を見て、日本もそれに従ったらよろしい、国連総会で北京政府の代表権に切りかえるときが起こったら、その結果日本もそうしたらよろしいということを私が書いたと言われますけれども、私はそういうことはふだんいつも考えておりませんし、それは、国連総会まで待って、国連での代表切りかえを待って日本も承認する、これは一番安易な方法ではありますけれども、それではそれまでどうしたらいいかということになりますと、やはり日本としての姿勢もはっきりきめなくてはならぬことでございまして、私はそういうことは書いておりません。ただ、一挙に北京政府承認に踏み切るかといいますと、これは政治問題でありまして、われわれが論ずることではございませんけれども、そういう通常革命の場合に、新しい政権を承認する資格といいますか、要件といいますかが整って、しかも両者の比重が今日まで開いたときには、やはり革命政権のほうを承認すべきであると思います。  ただし、その第二点の後段でもって、台湾には一千万の島民がおる、その自由意思を尊重すべきではないかということでございますが、これも、政治問題を離れて国際法上の立場から申しますと、それを承認するかどうかということは、一国の地域が祖国から分離独立するということになると思いますが、まあ台湾共和国というものでも成立するかどうかということですが、それは、そういう前提ができてみないと、外の国が台湾独立をさせるというようなことは、一つの中国の立場をとる限りは内政干渉になりますし、第一に、中国の両政権のもとで、はたして台湾を切り離して独立させるということが、外から見まして、そういう心的要件をくみ取れるかどうか。私どもの立場から見ますと、独立ということは、まず事実が成立しなくてはならぬことでありますが、そういう事実はありませんし、独立する意思があるかどうか、これも人民投票を台湾でなり希望し、人民表決でもあって、その結果をわれわれのところに表示されれば、またそれが判断の材料になるわけですが、ただ、また、人民が分離独立を表決の結果として表明したから、そこで台湾の独立を承認する前提ができたというかどうか、そういうことは、そのときになって見なければわからぬことであります。したがって、御質問の最後段の島民の自由意思を尊重すべきかどうかということは、現在の段階では何ら判定すべき材料もございませんし、それは、やはりそういう意思があり、また独立の実態が整ったとき形態的、外形的な要件、それから意思の要件、それがはっきり表に出ませんと、国際法上の立場から、その台湾の自由意思というものをどのように取り上げるかという段階には入らぬと思います。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 次に、横路節雄君。

横路節雄日本社会党

○横路委員 入江先生にお尋ねしますが、実は先ほど四つの点についていろいろお話を承ったのですが、本委員会における政府側の答弁をいろいろ検討してみますと、ぜひ先生にひとつここで御意見をお述べいただきたいと思いますことは、政府の考え方としては、台湾はいずれの国に帰属すべきかはいまだ明確でないのだ、こういうのであります。この点は、私どもどんなばかなことはない、カイロ宣言において、しかもポツダム宣言を受諾して、それは明らかにいわゆる中国の領土である。なお先生の一月二十八日のある新聞に書かれました議論を、私も実は詳細に読んだのでございますが、しかし、それは先生が御意見を新聞に書かれたのにとどまっているわけで、いま同僚川崎議員に対しても少しお話がございましたけれども、先生の御意見をずっと新聞で拝読してみますと、やはり台湾、澎湖島は中国の領土であるという点は明確である、こういうように言われておるわけですが、あらためてこの機会に、まずひとつ先生の御意見をお聞かせいただきたいと思うわけです。この点がまずここで常に論議されているところでありまして、先生がお述べになりました四つのうちで、国連の非難決議のことについては政府側も述べておりますが、しかし、この間の本委員会においては、中ソ友好同盟条約が障害になっているという点はさすがに触れていないわけですが、先生のお述べになっていない、台湾は中国に帰属すべきものであるという点について、先生の御意見をひとつ明確にしていただきたいと思うわけです。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 確かに講和条約を基礎といたします限り、台湾、澎湖島がどこの国に帰属するかということは明らかにしておりませんけれども、そういう場合には、他の権威ある国際文書を参考にしなくちゃなりませんので、その意味で、ただいまお話のありましたカイロ協定、ポツダム宣言は、重要な意味があるかと思います。台湾は、中国には帰属しないし、未定だという議論を検討いたしてみますと、いまの講和条約ではその最終的決定をしていないということが第一点でございます。そこで、それならどこに属しているかということで、私どものように、すでにもう決定しているということはあとで申しますとして、一つは、政治的な立場から台湾は未定であるということを主張しておるのであります。それは、台湾海峡波荒かった当時のことでございますが、カナダのピアソンが、台湾帰属未定ということを申しましたし、さらに、文書でもってそのときのイギリス外相イーデンが述べたのでございますが、それは、法律論をかりて政治の結論を満たすためにかなり苦しい議論をしている。つまり金門、馬祖、そういった大陸縁辺の諸品は、初めから中国大陸に、すなわち中国に属していたけれども、台湾、澎湖島は日本の領土であったのだし、したがって両者は違うという。したがって、金門、馬祖は、イーデンの説によりますと、これは北京政府のもとに返すべきである。しかし、台湾や澎湖島はまだ帰属が決定していないのであるからして、これに対して北京政府が領土主権を主張することは誤っているということで、要するに台湾海峡に一線を画して、あそこで実力戦闘が行なわれないようにという配慮から主張したのであります。それならば、台湾の帰属はどういう状態にあるのか。無主物であるかと言えば、それならば無主物としていずれの国かが先生を主張できるかというと、そうではなくして、日本の敵国であった諸国の共同管理のもとにある。蒋介石総統は、そういう諸国の委任を受けて台湾を統治している、こう言うのでございますけれども、列国の共同管理にあたったのは日本本土だけでして、朝鮮にいたしましても、千島、南樺太にいたしましても、それぞれ一国の——朝鮮は、北と南とに分けてそれぞれ一国ずつで占領管理したのでありますし、台湾に限ってなぜ列国が共同管理しているかという説明が、これはできないのであります。のみならず、どのような国際文書を探してみましても、あの台湾海峡、台湾と中国との争いが激しくなるまでに、強い主張として台湾の帰属が未定であるということはなくして、むしろあの台湾海峡問題からそういう主張がなされてきたのでありまして、列国が共同管理しているという、そういう意思もございませんし、形態もなく、台湾は日本が放棄した地域に対する一国の、この場合中国国民政府の単独管理、朝鮮の北はソ連邦の単独管理、南はアメリカの単独管理、南樺太、千島はソ連邦の単独管理、決してこれは列国の共同占領管理という意思もなければ、形態もなかったのでありますからして、この理論もとってつけた即席であると私は思うのであります。  そこで、それならば台湾は無主物でもなし、いずれかの国に属しているかということになりますと、講和条約の規定に至るまでの国際文書を見るという先ほど申しました第一点につきましての第二点は、やはり他のそれ以後できた、現在あるところの国際文書を見まして、一体どう解釈するのが合理的か。まず、日本と台湾との講和条約でありますが、その領土条項は、ただサンフランシスコ講和条約の領土条項を写しただけのことであります。これも当然のことでありまして、日本はサンフランシスコ講和条約でもって台湾、澎湖島に対する一切の権利、権原、請求権、つまりは領土主権を放棄したのでありますから、自国の領土でないものをどこの国に帰属したということは言えないわけであります。でありますからして、単純にサンフランシスコ講和条約の領土条項をそのまま写しただけのことでありますが、それならば、それにとどまるかというと、やはりどこかに前提として、台湾は中国に帰属している、こう解釈される節があるわけであります。幾つかありますが、一、二指摘いたしますと、あの講和条約は、中国については、国民政府が現に支配しまたは将来支配するべき地域に適用する。講和条約でありますからして、交戦国相互の結んだ条約であり、その国と国との間に適用されるのが原則であります。台湾が中国の領土でなければ、台湾について講和条約を適用するということは意味をなきないのであります。あるいは国籍条項をとってみましても、これは国民政府の制定した、台湾人に対して中国国籍を回復したという、その法律の効力を日本が承認するということでありますが、この場合、台湾が中国に帰属するという前提がなくしては、あすこの現住民がすべて中国の国籍を回復するということは、意味をなさないわけであります。あるいは国際連合で国民政府が中国を代表する、その中国は、一体もし台湾が中国の領土でないならば、亡命政権ということになりますけれども、どこの国もそうは言っておりませんで、ただ中国と一角によっている政府は、すなわち台湾も中国ということに見ませんと、どこか海外に亡命した、中国の領域でない地域にある中国の政府が原加盟国として——国際連合憲章ができましたときは、まだ北京政府、台北政府対立という段階でございませんけれども、その後の段階で依然亡命政権が中国を代表している、台湾は中国でないということになりますけれども、これは著しい現実とかけ離れたことにもなるように思います。あるいはまた、アメリカと国民政府との相互貿易条約ですか、安全保障条約ですか、これにも、どういう場合に条約の条項に基づく共同防衛の義務が発生するかということが規定してありますが、その共同防衛条項は、中国については台湾、澎湖島に適用する、こういうことになっております。およそ国際連合憲章の個別的自衛権、集団的自衛権に基づく条約に基づいて、締約国がその締約国の——アメリカは西太平洋アメリカ諸島、中国は台湾、澎湖島を主として侵略された場合に、共同連帯行動をとるといった場合に、この条約の適用で共同防衛条項の発動するのは、中国については台湾、澎湖島であるということは、やはり台湾、澎湖島が中国の領土だ、こういうことを前提としていなければ意味をなさないように私は思うのであります。  今日、北京政府も、台北政府も、台湾、澎湖島は中国の領土であると主張しておりますし、また日本は、サンフランシスコ講和条約で台湾、澎湖島を放棄したのでありますから、これも領土主張は一切行なっておりませんし、行なう地位も権限もないわけでありますが、それではそのほかにいずれかの国が台湾、澎湖島に対して領土権を主張できるか、これも全然ないわけであります。そういたしますと、諸般の条約その他を持ってきて、どの国にこの領土が帰属したと解釈するのが論理的な帰結になるかといえば、やはりそこは自国の領土だと主張し、また他の国が主張しないのでありますからして、台湾、澎湖島は中国の領土であると解釈するのが最も常識的であるし、理論的でもある、私はこのように考えております。

横路節雄日本社会党

○横路委員 入江先生に重ねてお尋ねしますが、台湾、澎湖島は中国の領土である。そうしますと、台湾の法的地位に関してさまざま奇妙な論議が行なわれておるわけです。たとえば国際会議の決定を待って台湾、澎湖島はいずれに帰属するかきめるべきであるとか、あるいは台湾の住民の自由な意思によって自由投票によってきめるべきであるとか、何かそういうことがこの委員会でも論議されたのですが、それが一つの中国、一つの台湾の何かよりどころになっているようにも私は思うわけです。しかし、いま先生の御意見で、台湾、澎湖島は中国の領土である、こういう点ではっきりしているのですが、恐縮ですが、その国際会議によってきめるべきであるとか、台湾の住民の自由な意思によって帰属をきめるべきであるとかいうのは、私は法理論的には全くなっていない奇妙な論理、意見だと思いますが、この点についても、もうさきの御意見でお聞きしたような点なんですが、なお重ねてひとつお尋ねしておきたいと思います。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 国際会議というのは、私の想像でございますが、おそらく日本との講和条約の当事国ではないかと思われますが、確かにあの講和条約で明文でもって規定しなかったのであるから、同じ締約国会議を開いて、あれに決着をつけるか、少なくとも太平洋主要関連諸国の会議でもって決定すべきだということかと思いますが、そういうことを主張するのは、日本を含めて、あったとしても非常に少数だろうと思います。そういう必要があるかどうか。しかし、かりにそういう会議を開きましても、もし政治的な特別な要素が加われば別でありますけれども、通常の領土帰属に関する問題で、ただ形式的、手続的に国際会議を開いて決定するということは、やはりそれは台湾、澎湖島は中国の領土だということになると思います。しかし、その必要はなくして、現実のままですでに中国の領しに編入されておるのだと私は解釈しております。つまり国際会議論は、私の言います領土帰属は決定されているということに矛盾することになるからして、私としては国際会議を開くということは、その必要はないと言わざるを得ないのであります。  次に、台湾住民の自由意思を問うということでございますが、一体だれがそのイニシアチブをとるのか。日本なりその他の、ことに日本——台湾、澎湖島に対して一切の領土主権を放棄した国、またそれを認めた国の中で、台湾の自由国民意思を問うという、そういう必要性をとり得るだけの客観的事実がなくして主張するというのは、非常に架空なことのように思われます。あるいは日本では、道義的な立場から、長い間の台湾統治、またその間に日本になじみの深い島民もできてきたし、またあそこにおる島民は中国の本土民とは違った感情なり考え方なりを持っておるということでありますが、それは一つの中国の内部の問題でありまして、外からそれを今日の段階で取り上げて、自由意思の表明によってその帰属を決定する、そういうことは成り立たない。およそ人民投票といいますか、国民表決といいますか、いままで行なわれてきたものは、帰属を決定し、もしくは本土から離脱する場合に、民主的な方法によってそれを明確にしよう、こういうことでありますから、それは例をあげれば切りはないことでございますけれども、かつてイタリアの前身国であったサルディニア、いまのサヴォア地域、あれはイタリア王家の地域であったのでありますが、イタリア半島統一の必要上フランスの援助を受ける、フランスの同盟国として援助を受ける必要上、その代償として、せっかくイタリア王室になじみの深い地域であるけれども、これはフランスにお礼として差し上げる。しかしながら、最後の手続はやはり民意に問うというわけで、民意に問うたのでありますが、これは、その最後を飾るための措置であります。あるいは今度は、ドイツからザール地域を引き離す。これは第一次世界戦争後のベルサイユ講和条約で規定したことでありますが、フランスとしては、ザール地域がドイツより分離することを希望しておったのであります。そこで、十五年間にわたって逗留の主催で統治を行なって、そうしてある段階にきたらば、はたしてその地域の住民が従来どおりドイツに編入されたままいいのであるかどうか、それとも離れることを希望するか、それを人民投票によって問うてみようというわけで問うたのであります。結果は、圧倒的にいままでのまま、ザールの国際連盟による施政を解いてドイツに復帰するということになったのでありますが、そういうように、人民投票は確かに民意を問う一つの国際的な民主主義的な方法でございますけれども、台湾についていわれることの中には、一つの台湾を温存しようという政治的な意図が先に立っておって、しかも少なくとも外形的には、日本の特に台湾に対する親しみ、あるいは道義感、隣の中国とは別な国家的世帯を持ちたいという心待ちもあるようだという——その感情をすべて無視するわけではございませんけれども、しかし、そういう感情なり道義感のために国際法上の常道、あるいはルールといいますか、それを離れた措置をとることはできない。したがって、島民が分離独立を希望するかどうか、そういうことは、私どもから見ますと判定する材料がないのでありますけれども、かりにあるとしましても、それは中国の内部措置としてまず具体的に表現をとらなくちゃなりませんので、そういうことがある前に外部の国が台湾の自由意思を問うということも、何か国際的な一つの謀略のように私には思われのであります。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 申し上げます。まだ三人ありますので、簡潔に願います。

横路節雄日本社会党

○横路委員 たいへん恐縮ですが、中国問題は、ここ一週間ぐらいの間にだいぶ進展をしまして、一月三十日の予算委員会からきのうの衆議院の外務委員会で、総理大臣、外務大臣から、中国が国連で代表権を持てば正常な関係を持つ。正常な関係とは正常な外交関係を樹立すること、言いかえたら承認ということだと思うわけです。そうしますと、国連で代表権を持ったということは、明らかに中華人民共和国が代表権を持ち、安保理事会で議席を持つわけで、台湾の国民政府は国連に議席を持つわけではないわけです。その段階で日本が法的な承認をする。法的な承認ばかりでなしに一切の関係を保つわけですが、国連において中華人民共和国が代表権を持った、日本が承認したという場合に、先ほどのお話で、法的な承認という問題と事実上の承認という——通商関係を保っていく、あるいは領事を置いていくということもあるようでございますけれども、しかし、実際に国連で中国が代表権を持ち、日本政府がそれとの間に正常な外交関係を保つ、承認をしたということになった場合における台湾の国民政府との関係は、これは黙っていても、その関係は——私がお聞きしたいのは、中華平和条約破棄というような段階に至って初めて明確に一つの中国を認めるという立場になるのか。国連で代表権を持った、もう台湾の国民政府は新規加盟はできない。安保理事会で中国から拒否権が発動されることは明らかだから、事実上これは消滅するようなもので、したがって、黙っていてもあとは中国の内政問題としてやれる、そういう考え方になるのか。やはり一つの中国というものを認めるという立場をはっきりさせるたてまえからいけば、これはひとつ日華平和条約破棄というところまでいかなければならないのではないかと思うが、その点の先生の御意見。  それからたいへん恐縮ですが、二度立っていただくのはあれですから……。もう一つは、中共を承認したという段階において、この国会でいつも問題になりますことは、中国の日本に対する第二次世界戦争中におけるいわゆる賠償請求権は放棄したのだ、日華平和条約ではそうなっているけれども、しかし、それは台湾、澎湖島に限られた地域である。台湾、澎湖島というのは日本の領土であったわけですから、実際には中国本土において日本の軍隊のいろいろな不法行為が続いた。これは将来とも問題になるのではないかと思うが、この点について、池田総理はたびたびここで、日華平和条約が締結されて、その中で賠償請求権は放棄しているのだから、将来中共との間に正常な国交関係を保っても払う必要はないのだ、こう言っております。あとの方もいらっしゃいますから、その二つだけお聞きして終わりたいと思います。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 北京政府が国際連合で代表権を認められた後に、日本と台湾との事実関係はどうなるか、あるいは事実関係を結ばなくちゃならぬかという問題でありますが、事実関係を維持しようにも相手の国が応じない場合には、二者択一のはっきりした形をとらなければならぬかと思いますし、また早晩、中国では、台湾も含めて北京政府に一元化するということは想像されるのでございますけれども、何らかの国際的条件でもって北京政府の台湾に対する統制力、主権的地域に入らないという事態が存続する限りは、一つの中国でも、その正統中央政府の支配権の及ばない地域が現実に存在する。それと日本との経済なり通商なりの関係が密接であれば、中央政府の支配権が及ばぬというその反射として、その地域と事実上の関係を設定するということは、国際法上の規則だけからいいますと差しつかえないように思いますし、またこれまでの例があるわけであります。しかし、この場合、国民政府が北京政府の主権的支配を排除してなおかつ、長期的に台湾に存続するいうことは、非常に何か無理な国際的条件が作用するのでありまして、それが国際政治なり国際法の上から見て常道であるか、妥当であるかといいますと、純粋の理論から考えてみまして、日本としてはどうすべきか。それは二つの中国ということはやはり不幸なことであるし、一つの中国に台湾も含めて統一されることが望ましいのだし、それを妨害するような国際的な力に加担しないほうが、日本としてとるべき道ではないかと思います。あくまで中国中央政府の支配権が及ばないその限り、そして日本としてそれと事実上の関係を結ぶことが難なく行なわれるならば、それも考えられるということでございます。  それから第二点は、賠償問題でございますが、これは日本と国民政府と結んだ講和条約でございまして、締約者自身が、この条約の適用地域は国民政府が現に支配し将来支配する、つまり若干ではありますけれども、将来支配する——拡張でなくしてむしろ減っておるわけでございますが、それだけの地域に適用される条約でありますから、それを大陸にまで遂行するということは、締約者自身が考えていないことでございます。それならば、日本は中国本土とあらためて講和条約を結び、そうして先方の賠償請求権その他を認めなければならぬかといいますと、それは政治的な折衝の問題でございますし、北京政府がはたしてかつてのようにそういう要求を行なうかどうか。むしろ日本と北京政府との関係は、経済、通商、そういったものを充実させていくほうが相互の利益にもなるし、したがって、破壊のあとの賠償という、もう十何年たったあと、ただ理論だけでもって、あるいは北京からいう戦争状態が続いておるという理論だけで支配されるのでなくして、まず北京政府を承認し、正規の外交関係を立てた上で、戦後処理ということを離れて両国関係を緊密化していくのがいいのではないか。それをこちらも主張しましょうし、また北京政府もとるべきではないかと私は思っております。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 続いて石野久男君。

石野久男日本社会党

○石野委員 入江公述人に、時間もございませんので、一問だけお尋ねします。  いま中国の問題についていろいろお話がありましたが、私は朝鮮の問題について一言だけお尋ねしたいと思います。  カイロ宣言、ポツダム宣言を受けて、朝鮮の自由かつ独立という問題があるわけでございます。この朝鮮の自由かつ独立という問題について、国際法的にいまわれわれはどういうふうに見るべきかということについて、ひとつ先生の御意見を承りたいと思います。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 日本は講和条約でもって朝鮮の独立を承認するといっておりますから、それを基本的な出発点として考えなくちゃならぬかと思います。ただ独立した、つまり日本の領土でなくなった地域にどのような政府形態ができ、どういう政治的性格の国になるか、議会組織なりその他意法上の組織がどうなるのか、これは独立した朝鮮の内部問題でありまして、日本として、その独立したあとの朝鮮の行き方について、何ら発言しなくちゃならぬ義務もございませんし、もはや独立国でございますからして、他国のことであります。ただし、日本が日本の立場から見てどういう外交関係を結ぶかどうかということは、同時にこれは日本の問題でありますし、いずれの国の独立国と同様に、あるいは朝鮮と外交関係を開こうか、あるいはまだその時期でないとして、外交関係の設定にも手かげんを加えるか、これは日本自身の考えるべき問題でありまして、ただお尋ねの最初の、朝鮮の自由独立をどうするかということは、別段日本の関与すべきことではないように思います。

石野久男日本社会党

○石野委員 日本の関与することではないというお話でございますが、カイロ宣言では、朝鮮の人民の奴隷的状態に留意して、朝鮮を自由かつ独立のものたらしむの決意を有す、こうある。ポツダム宣言の八条では、それをやはり受けて、条項はこれを履行せらるべきだ、こういうことです。ポツダム宣言の最後には、右以外の日本の選択は迅速完全な破滅あるのみ、こういう形で日本は受けてきておるわけでございますから、日本として、かつて朝鮮を属国にしておったという歴史的な関係の中でこういう条項を受けてまいりましたときの日本の見る朝鮮の独立についてどうあるべきかというようなことは、一応やはり国際的な道義的な関係からもまた考えなければならぬ、こう思いますので、そういう立場からの先生の御意見をひとつお伺いしたいと思います。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 私は、自由独立ということは、過去朝鮮が幾段かの歴史的階梯を踏んで、終局的には日韓合併でもって日本に、日本の領土として編入されて、そして日本好みの朝鮮統治に服した。それはカイロ宣言やら、それを受けたポツダム宣言の立場からしますと、決して朝鮮の自由でもなければ独立でもなかった。でありますからして、それをもとどおり自由独立にするということは、日本の支配から解放するというだけのことでございまして、それ以上、現実に独立した朝鮮がはたして自由であるか、真の意味で独立的な地位を享有しているかというその内部の政治的な問題までは、カイロ、ポツダム両宣言とも全然入っていない。日本から独立分離する、それがすなわち自由の獲得であるし、独立の再確立である、そう解釈すべきものと思っております。

石野久男日本社会党

○石野委員 意見がありますけれども、これは討議すべきではありませんから。ありがとうございました。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 次いで今澄男君。

今澄勇民主社会党

○今澄委員 日本福祉国家建設と経済政策について非常にうんちくあるお話を承りまして、裨益するところが非常に大でありました。ただお話の中で、私がお伺いいたしたいのは、和田先生に対して、いまの経済の高度成長が必ずしも福祉国家の建設につながらないという点は、私はまことに重要な点であって、この経済の成長必ずしも福祉国家の建設を意味しない具体的な事例について、一、二ひとつ引用されて御指摘を願えばしあわせに存じます。なお、民主国家の発展というものは、民主主義の発展は、将来福祉国家との関連について重要な相関関連を持っておりまするので、この点にも触れてひとつ御説明を願えればしわあせと思います。

和田耕作民主社会主義研究会議事務局長

○和田公述人 先ほどもその問題について若干解れたような感じがしますけれども、特に現在政府が数年間やってきた福祉国家と言うよりも経済成長というものは、ちょうど投網を投げたというかっこうのもので、投網の握り節になっているのが大企業であるわけですね。ずっと引き上がってくるすそ野にあるところに国民の一般の生活なり中小企業なり農民なりというものがあるということですから、成長政策が進めば進むほど、アンバランスなり格差がふえてくるという面は否定できないと思うのですね。そうでない面もあります。ありますけれども、全体としては否定できない。十万円の所得の人と五万円の所得の人と一万円の所得の人がある場合に、いま申し上げたような経済成長であると、十万円の人は二十万円になる、五万円の人は十万円になる、二万円の人は二万円になるということで、一般的な所得の格差が出てくるということは否定できないと思います。そういう面が第一点だと思います。  そのあとは、いまのたとえば経済成長の中に何もかにも中身を問わないということになりますと、国民生活にとって必要でないものでもあり余るほどつくり過ぎる、必要なものも足らなくなるというアンバランスがいま各所に出ていると思います。たとえば鉄鋼でも繊維でも、あるいはその他の問題でもたくさん出ていると思いますけれども、そういうような問題が単に一つの分野だけでなくて、ほとんど国民の全生活に出ると思うのですね。池田さんの経済成長政策というのは、一口で言いますと、起こり得る対策に対して考慮をしないで、ただあおったという感じのものですね。農村、中小企業でも、あるいは労働力の問題でも、つまり当然起こってくる対策に対して打つ手を考えないで成長政策をあおったということですから、それはそれなりに大きな意味を持っておりますから、現在の段階としては、それに対する基本的な調整の施策をする必要がある。それをしないと、せっかくのいい可能性を持っておっても逆のものになる、福祉国家にはならない、こういうようなことだと思いますね。  その次の民主国家との関係なんですけれども、もともと福祉国家というものはいろいろな見方がございます。たとえば、これは単なる資本主義のまずい点を修正する体制だというふうな見方もございます。あるいはまた、社会主義社会への第一段階だというふうな見方もございます。あるいはまた、経済のしかたから見て混合経済、つまりミックスト・エコノミーというような見方もありますし、あるいは公正な分配ということでフェアディールというふうな見方もあります。いろいろ自分の好みによって、自分の立場によって、資本主義が変わっていくこの過程をいろいろ評価しておるわけですけれども、イギリスあるいはスカンジナビア諸国の学者の人たちの定説からすると、福祉国家というのは、つまりもう資本主義とは言われない状態、しかも社会主義とか、そういうようなものにはまだなってない状態、こういうような見方、位置づけをしている人が多いと思います。汽車の駅にたとえますと、資本主義という駅がある。あるいは社会主義という、将来どういうものか知りませんけれども、民主社会主義の非常に民主的な状態がある。そのまん中の中間の駅に福祉国家という新しい社会の体制があるというふうに考えているわけですね。もう資本主義社会とは言えないが、民主社会主義の社会にもまだなっていない。こういうことでありまして、いずれにしても、民主社会というものが真に民主的なものとして拡大をする、国民の大部分の人が民主的な価値を享受するためにはどうしても通らなければならない段階、民主社会として発展する限りにおいてはどうしても通らなければならない段階というふうにわれわれは考えています。  これを革命論者との対比で申し上げますと、革命論者は、共産党とか、あるいは社会党にも相当そういう人もおると思いますけれども、資本主義社会というものは結局にっちもさっらもいかなくなるのだ、したがって何らかの革命が必要だという考え方が革命論者にはあるわけでありますけれども、そういう考え方とは基本的に対立するわけですね。私どもは、資本主義社会というものは、発展すればするほど資本主義でないものになって発展をしていくという考え方にありますから、その道程のところに福祉国家という段階を考えるわけですから、民主社会が福祉国家という形をとりながら、より拡大をしていくというふうに見るわけです。以上が、お答えになっているかどうかわかりませんが……。

今澄勇民主社会党

○今澄委員 時間がおそくなりましたので、まだお伺いしたいこともありますが、いろいろ御教示ありがとうございました。  最後に一つ入江先生にお伺いをしておきたいのは、いまの台湾の帰属の問題ですけれども、講和条約で台湾を放棄したときに、台湾の帰属がいずこであるということは、これはきわめてはおらないので将来の問題ですが、具体的に台湾の土着の人々が独立を志し、ちょうど戦後東南アジアの各地において独立運動が起きたように、独立を志すということになれば、台湾のいわゆる帰属については、その運動の結果住民の意思が一つにまとまれば、これは認められるべきであって、いわゆる中国の領土として何ら疑問の余地がないというお説は、私どもとしては疑問の点が多々ある。なお、講和条約の際、台湾の帰属を、日本は放棄したけれども、いずこともきめてないのであるから、その講和条約に参画した国々の代表が集まって、台湾の帰属をいずれにするかという会議がナンセンスであるとは思われないのです。現実的な問題はしばらくおいて、私はそういった動きが国際法上のいかなる条約、論拠に照らして、いまあなたが言われたように、中国本土に帰属するのであるかという点をもう一度説明を願っておきたいと思います。

入江啓四郎成蹊大学教授

○入江公述人 いままで私の申し上げた大半をまた繰り返すということも、そういう必要があるかどうか、私の主張も十分御承知の上での御質問かと思いますから……。国際会議を開くというのは、講和条約及びその他の関係文書等を検討いたしまして、すでに台湾、澎湖島は中国領土だという結論をとっておりますので、したがって国際会議を開く必要がないということであります。ただ、それは一つの学説であって、一切の処理として明確にするために国際会議を開くというなら一つの手続でありましょうけれども、結果的にはやはり中国の領土になるだろうと、こう先ほど申し上げたのであります。あらためて台湾の帰属ということを証明せよということでございますが、これはもう先ほど申し上げたことを繰り返すだけのことになりますから、もしどうしてもということならば申しますけれども……。  第二点の台湾の独立問題でございます。これは私は、台湾は中国の領土であるという前提に立っておりますので。しかし、いずれかの独立国の領域であっても、その地域が分離独立する、たとえばアメリカがイギリスの植民地としての海外領土であったにかかわらず、御承知のような歴史的発展のもとにアメリカ合衆国として独立したのでありますからして、一国の領土が内部的な事情によって分離をするということは、過去の事実として、あるいは第二次世界戦争後、いまお話しのとおり数々あったのであります。しかし、そういう現実が台湾にあるかということになりますと、それはただ想定にとどまりますし、台湾に対する一つの道義心なり、愛着心なり、そういったところからお考えにもなりましょうし、また台湾の島民の中にもそういう人はあるかもしれませんけれども、それは一つの客観的事実として現実に台湾が分離独立の過程にあるという材料にまですることはできないのでありまして、そういう現在未熟な、またはたしてそういくのかどうか、希望される方はあるかもしれませんけれども、希望もしくは空想の段階でもって、それをあたかも現実の事実であるかのようにして台湾の分離独立を認めよということは、国際法上はむしろ許されないことである。私の、あくまで台湾は中国の領土であるという前提に立ちますと、そういうことを外部から持ち出して、ただ論説したり批評したりするだけならいいですけれども、一つの国の政策として取り上げるということになると、それは内政干渉になりかねないと私は思います。

荒舩清十郎自由民主党

○荒舩委員長 これにて両公述人に対する質疑は終了いたしました。  入江、和田両公述人には、御多用中にもかかわらず、長時間にわたり貴重な御意見をお聞かせいただきましてまことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  以上をもちまして本委員会における公聴会は終了いたしました。  次会は明十四日午後一時から開会し、昭和三十九年度総予算に対する一般質疑を続行することといたします。  なお、質疑者は、永末英一君、山中吾郎君及び岡本隆一君であります。  永末君の出席要求大臣は、外務大臣、大蔵大臣、厚生大臣、通商産業大臣、郵政大臣、労働大臣及び防衛庁長官であります。山中君の出席要求大臣は、大蔵大臣、文部大臣、厚生大臣、農林大臣、労働大臣及び国家公安委員長であります。岡本君の出席要求大臣は、大蔵大臣、通商産業大臣、運輸大臣建設大臣及び自治大臣であります。  なお、明日午前十時三十分から理事会を開会いたしますから御了承願います。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十七分散会

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