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46回国会衆議院1964/07/03

大蔵委員会 第58号

発言数
40
登壇者
8
会派数
3
開催日
1964/07/03

会議録

山中貞則自由民主党

○山中委員長 これより会議を開きます。  税制に関する件について調査を進めます。  本日は参考人として舟橋聖一君、池部良君及び庄司葉子君がそれぞれ出席されております。  参考人各位には御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。  参考人の中には仕事の上でたいへん御疲労の向きもありますので、委員会の進行にあたりましては、その点委員各位の御留意の上の御協力をお願いいたします。  本委員会は、租税制度に関する所管委員会として、従来より税負担の適正化等の問題につき調査を行なっておりますが、本日、参考人各位より御意見を伺いますことは、徴税の執行と今後の税制改正について、本委員会の調査に多大の参考になるものと存ずる次第でございます。  参考人各位におかれましても何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただくようお願いいたします。  まず参考人各位から御意見を述べていただき、その後に質疑を行なうことにいたします。  ではまず、舟橋参考人からお願いいたします。

舟橋聖一作家

○舟橋参考人 ただいま御指名がありました舟橋でございます。実は昨日歌舞伎座の七月興行の舞台げいこがございまして、そのため昨日の夜半の十二時ごろから今朝八時半までかかってしまいまして、実は一睡もしないでおります。したがって非常に疲労しておりますので、あるいはお話が混乱するようなことがございますかもしれないのでございますが、何とぞお許しをいただきたいと思います。こういう状態でも、なおここへ参りますということは、よほど税金の問題で何か話がしたいからなんでございまして、つきましては、それについての報復のごときものがないことをまず第一にお願いしておきたいと思うのであります。ややともすると、私どもおっちょこちょいにしゃべりました結果は、必ずしもよくないことが多いのでございます。それでこれをまずあらかじめ発言する前に御了解を得まして、本日語りますことが江戸のかたきを長崎というふうなことのないように保障していただきたい。言論もまた一種のボデーガードといいますか、言論ガードといいますか、しゃべったことにつきまして、やはり皆さまのような政治力のある方に保護していただかないと、芸術家というものは、ここに三人並んでおりますが、全くそのような権力がないものでございます。政治的権力を持たないことをもってわれわれはその素志といたしたのでございますから、小さいときから芸術家になろうと志しました私どもは、政治的権力というものは全然自分にないということをよく心得ておりまして、こういう発言をいたしますのも、政治的なものと結びついての発言ではないのであって、ただの個人としてのみ申し上げているのでございますから、そういう政治的背景のない人間がここに三人首を並べておるのでございますから、その点も重々お察しを願いたいと思います。私たちが言ったことが何か報復を受けることになりますと、まことにあわれにもわれわれごとき者は何らそれに抵抗する力がないということでございまして、芸術家の言論というものは実は言いっぱなしのことにすぎないのであります。そのことをまず申し上げて、きょうの発言が私の一生にとりましてマイナスにならないように保障しておいていただきたいと思うのであります。なぜそんなことを言うかと申しますと、実はこの間からときどきこういうことをしゃべったわけであります。社会党に呼ばれました。自民党にも呼ばれました。そうして税金のことでおまえ言いたいことを言えとおっしゃるから言いました。著いましたところが、やはりそれに対してはどことなく関係当局にわかると見えまして、そうしてわかったほうからいやなことばが入ってまいるのであります。これは実に微妙な線でございまして非常な被害を受けるわけでございます。その一例に持ってきたのですが、昭和三十九年六月二十四日の朝日新聞の夕刊に「あなたは納税者」という特集がございまして、「芸術、文化人の不満」というのがございます。その中に東京国税局の直税部長植松守雄氏の談といたしまして、芸能、文化人の不満は「なくならぬゴマカシ」という題なんです。そして「金額も大へん大きい」と書いてあります。その中に「ある作家——これも超一流の著名人。借金の利子、年間約三百万円を「執筆に必要な経費」として申告してきた。自宅の隣にある空地を買うため借りたカネの利子だという。なぜ、これが執筆に必要か。「すぐそばの会社の寮がうるさくて仕方がない。この空地にまた寮でもできたらかなわんと思って空地を買取った。「静かな環境」を確保するための経費だ」という説明だったそうだ。むろん、国税局は納得せず、まだニラミ合ったまま。」とあります。これはある作家ということで匿名にしてあるわけであります。匿名にすれば何を言ってもいいか、自分の関係しておる、骨無しておるところの仕事につきまして、その納税者のことをこのようにあからさまに書いていいものかどうか。これは申すまでもなく私のことなんであります。私が超一流の著名人かどうかは知りませんけれでも、ともかく空地があることは事実なんです。そうして申告したことも事実なんです。これについて私の衷情をひとつ申し上げたいと思うのであります。  私の家は父からもらいました地所、家屋でございますが、父が去年なくなりました。そのなくなります前なんでございます。大腿骨骨折で、八十七でございましたが、あらゆる看護をいたしまして、とうとう不帰の客になりましたのでございます。ところで、その父が病床におります間、約一年半ばかり、二年近く寝ておりまして、足腰が立たない状態でございましたが、そのときに、私の地所の地続きに古河鉱業株式会社が持っておりましたところのテニスコートがございまして、これを古河が持ちこたえていてくれれば問題はないわけでありましたが、古河がどういうかげんか、おそらく火の車であったか、せっかく、厚生施設として持っていたところのテニスコートを売りに出したわけです。私の家の地続きですので、ぽんぽんとテニスのラケットの音がいたしますことは、うるさいと申しましてもほんの短い時間でございますので、何とも思っておりませんのでございました。ところが今度売りに出しましたところが、ポーラ化粧品が買うというお話がありました。そこに地上五階地下二階ほどのビルディングが建つということに相なりましたのでございます。これはとうてい私ども執筆に耐えかねる状態になるわけでございまして、どうしたらいいだろうと思いました。父の名義になっておりますところの家屋と土地を売ってどこかえ引っ越すのが一番いいに違いないのでございます。ここにございます「静かな環境」というのは、われわれにとっては最も大事なことなんです。これは専門のことでないとおわかりにならないかもしれませんが、われわれものを書きますときは、子供がくしゃみをしても書けなくなる。ほんとうにそのことは偽りはないのでございまして、皆さんがよく作家がどこかへ行って書くのはぜいたくだとおっしゃいますけれども、女房がかぜを引いても書けなくなるし、子供がしゃっくりしても書けなくなるのが実情でございまして、どうかそういうことのない環境にいて——まあ知らぬが仏でございますけれども、あるいは家で病気しているのかも知れないけれども、執筆中はなるべくそういう状態の聞こえないようなところに行きたいと念願するのが自然のあれでございまして、私ばかりではないと思うのであります。谷崎先生なども黒海にいながらまた別のホテルへ行ったり、広津さんなども熱海からわざわざ東京へ出てきて書いておりますし、またわれわれは熱海へ行って書いておるので、この静かな環境を欲することは、皆さんこれは御存じのことだろうと思うのであります。これを植松さんは静かな環境が必要かというようなことを言っておられるところがまことに見当違いもはなはだしいと思うのでありますが、それはあと回しといたしまして、ただいまのお話の、おやじの地所を売ってしまえば簡単だったのですが、遺憾ながら病気でございまして、もう死ぬかというところなんでございます。そこで子供の私が親の財産を処分するというわけにはどうしてもいかない。これも古いのかもしれませんけれども、私は親の財産を手放すわけにいかなかったのであります。そこでやむを得ずそのテニスコートであったところを買うことにいたしたわけです。これは非常に膨大な額でございますので、銀行に借りたわけであります。保証は産経新聞の水野さんに頼んだわけです。これはどうして頼んだかといいますと、産経に私が書く約束があるわけであります。いざというときは私が原稿を書けば差し押えられるわけであります。そういう意味におきまして、水野さんが措金の保証をしてくださることは、これは国税局も、私の借金の保証が過去のことであればとやかく言うかもしれないが、将来のことまでは言わないということを聞いたのであります。これは去年私の係であった人からその言質を得まして、それじゃ買ってもいいんだねと国税局に私は一応渡りをつけたわけであります。それは買ってしまってからぐずぐず言われると困ると思ったから、痛くない腹をさぐられるのがいやだから、国税局にお話をいたしまして、買ってもいいですねというので買ったものなんであります。実はその土地なんであります。それはそのまま私は利用するわけにもいかない。私の商売は小説を書くことでございまして、ほかのことはやってはいけないと思っているわけであります。政治的なこともいけないし、商人になることもいけない。そういうものがあることは芸術家の資格をみずから阻害するものである、私はそうかたく信じておりますので、大学のころから政治運動にはずいぶん巻き込まれかける情景がありましたけれども、今日まで無色で参りました。それはあるいは自慢になることじゃないかもしれないけれども、私なんかの年配でございますと、そのころの東大には「大学左派」という雑誌が出ているくらいで、ほんとうに左翼的な思想が強かったし、私なんかも政治的な気持に少しでも動かされる傾向があればやっているかと思うのです。私が今日までとにかく何にもしないで芸術一点ばりで参りましたことは、そういう政治的な行動や商人の行動、資本主義の行動をとらない、資本家としての行動をとらないということをもって自分の座右の銘としてやってきたわけでありまして、したがって、このテニスコートを直ったけれども、これをパーキングにしようか、ゴルフの練習場にしようかなどということは考えたことはないわけであります。ただそのままほうっておいたわけであります。しかしながら利子はかかるわけであります。利子が年間三百万と書いてありますが、もうちょっと多いと思うのであります。大体一日一万円くらいの利子がかかってしまう。それでこれはたいへんだと思ったけれどもしようがない。それでこれは必要経費としてはどうかと申し上げたところが、まあだめだということです。そこで他の先輩諸君に相談いたしましたところが、それならそこに家を建てたらどうだ、書斎を建てたらどうだ、そうすれば国税局も認めるのじゃないかというお話がありましたので、おやじがなくなりましてから書斎をつくることにいたしまして、現在建前は済んだところでございます。こういうことにいたしましたならば、あるいはその借金の利息は必要経費に認めていただけるものかどうか、とにかくやってみろというのでやっているわけでありまして、いろいろ手をかえ品をかえてお願いしているわけでありますが、この新聞によりますると、国税局は何か私がごまかしているかのごとく書いているわけであります。これは明らかに私にとっては、ここまで書いていいものでしょうかという点、植松という人が自分の係官として、納税者の事情をこういうふうに書くことが脅迫にならないでしょうかという点、公務の機密の漏洩でもあるんじゃないか、もう少し私に手を尽くしてくださって、たとえば、それはこうだからいけないよとか、何とかかんとかということをもう少しわかりよく私どもに話した上で、議論が決裂いたしましてこういうことになったという場合にはあるいは新聞紙上にお書きになることもあるかもしれませんが、まだそこまでいっていないのじゃないか、私のほうにはいろいろな手続上の問題がまだあるのではないか。たとえば植松さんがいけないと言っても、あるいは鳩山さんはいいと言うかもしれないじゃないか、あるいはもっと上の人がいいというかもしれないじゃないか。そういうことも考えて、手を尽くしてやった上でなければいけないのであって、まだ新聞紙上に公開するに至らないんじゃないか。ところが、ある作家だということでいいじゃないかとおっしゃるのだろうと思うのでありますが、明らかにこれは私のだということは、大体あき地が隣にあるという話だけでも、文壇からいえばごく少数のことですから、私のだということはすぐわかってしまいます。ですから、舟橋ということを暗にほのめかすところの文章をもって、納税者のこうしたまだ係争中である、まだ論争中であるところの問題をこういうふうに論判するということは、あるいは文章でもって発表するということは、私としてははなはだ解しにくい点でございます。そういう報復があったということを、ひとつ社会党の税金のほうの御大である佐藤さんにもよくこれを含んでおいていただきたい。私ども決してしゃべることがいやじゃない、喜んでこうして徹夜して、あくる日までやってくるのですが、どうもそのためにこういうことがあって、作家はなんて書かれては、はなはだ迷惑じゃないか、もう少し先でもいいんじゃないかということを考える次第でございます。  少し余談になりましたので、本来のお話とはずれておりますが、そういう前提のもとに、私どもとしましては——これはかなり古いことであります。シャウプが日本へ参りましたときに、文壇人の税については、その中にヴィッカリーという人が考えてくれたわけであります。そのころから私は、芸能人の税金は適正でないという考え方を持っておりまして、そのためにたびたびESSへ伺ったわけでございます。そのESSの中には、モス、シャベル、あるいはハーノットというような人物がおりまして、そのときにハーノットが私の車に同乗いたしまして、日本の国税庁へ伺いまして、金子一平さんとお話をしたことがあるのであります。これはずいぶん古いことで、ハーノットがまだいたころなんです。ハーノットがいたころから、すでに私は金子さんと税法については論争をしておるわけなんです。そのときにヴィッカリーに私が訴えた点はたくさんありましたけれども、要点は作家は収入が不定期である、いいときはいいけれども、悪くなるとだめになる、作家は世の中の景気、不景気にあまり左右されない、自分の株が上がらないとだめなんです。これはふしぎなものでございまして、自分が当たっていないときは全然スランプに落ちちゃってどうにもならなくなっちゃう。幾ら世の中がよくっても、自分がスランプになればだめなんだ。ことに小説家はそれが激しいのでございますが、多年芸能社会でも当たりはずれがありまして、必ずしも収入が定期的に入らない。ことに年を取りますと、どんどん減る。女優さんにしても小じわが一本ふえればそれだけ収入が減りますので、実にそういう点は情ないことでございますが、安定しておりませんから、何とか安定させるようにしてくれ、入ったときに一度にとらないで長年かけてとってくれ、十年くらいはどうであろうというのが私の提案でございましたが、ヴィッカリーもよく聞いてくれまして、そしてシャベルのほうへその話を通したわけでございます。私はシャベルに呼ばれまして、ESSに参りました。君のプランは成功した、十年じゃなかったが、とにかく五年間に割ってやろうじゃないか。ことしの収入がこれだけございますと、普通の人ならこれをこのままごっそりとられるけれども、これを五年間に割って考えてやろうじゃないかというのがヴィッカリーの考え方でございまして、そして変動所得というものが生まれまして、非常にむずかしい計算で私どもにはわからないのです。それはもう実に悲しいかなわかりません。わかりませんが、とにかくそういう趣旨ではあるということでやっとこの点が通ったのでございますが、その変動所得の計算のしかたは、いまのモスたちがいなくなりますとまた変わります。これにつきましてはきょうはここで申し上げませんが、実は私もよくわからない。どうもその後変動所得にかかる率が少なくなってくる。毎年かからないようになっておるというようなことで、多少これには私は疑問を持っておりますが、専門的なことになりますので、これは省いておきたいと思うのであります。  とにかくそういうことで、そのころからアメリカのやったこういう税金問題はわれわれにはかなり過酷なんであって、どうしてもわれわれの必要経費というものをよっぽど見てくれなければ困ると思っていたところが、この間芸術振興国会議員懇談会、中曽根さんが会長でございますが、そこで国税庁の大島課長を呼んだわけです。そして聞いた。そのときの速記録なり何なりはあるかと思いますが、その人の話によりますと、政府はえんま帳を持っておる。必要経費のえんま帳がちゃんとできておる。どれだけの収入に対してはどれだけとるということを考えておる。けれども、それは言わない。必要経費は申告するとおり認めると言っている。ただし、それは認めるとは言うけれども、認めない部分がたくさんあるということで、結局そのえんま帳に合うようにできておる。これを隠してやっておる。これは一国の政治としてあまりに不道徳じゃないでしょうか。隠すということはよくないじゃないでしょうか。特にわれわれのごとき芸術家は隠さないことをもって天分としておるのですから、隠されるとはなはだ不愉快になってしまう。そこで植松君は私に対して、文芸家協会の会合でしたが、その席上でこういうことを言っておる。君ごとき人物が——人物と言ったかどうか忘れました。必ず申告してやったらいいじゃないか、つまり申告したいだけ申告したらいいじゃないか、それをぐずぐず言わないで、黙って申告したらいいじゃないか、認めるにやぶさかじゃない、認めるということを言ったわけです。それは私に対して、一種のやゆがあったと思います。腹はそうじゃないけれども、まあまあやってみろ、おれのほうで必ずうまくチェックしてみせる、えんま帳にちゃんと照らし合わせてうまく削るということ、だから一応やってみろということだったと思います。こっちはそうじやない、人の言うことをわりあいに直に考えますものですから、大いに認められたつもりで出したわけです。そうしたらやっぱりそうじゃないのです。初めからそれは、出させておいて切る気でいるのです。そういうずるいやり方は実際やめていただきたいと思うのであります。これはえんま帳によってやるということをこの間はからずも大島さんがしゃべっちゃった。実はそうなんだとしゃべっちゃった。これも放言としてはかなりおかしな放言だと思いますが、むしろ秘密になさるのであれば徹底的に秘密になさればいいのに、えんま帳を持っているということを言っちゃった。これはおたくのほうから言うと実にまずいことじゃないかと思うのです。おたくと言っちゃ悪いからなにですが、税務署側から見ればですね。  そこで一番問題は、われわれの必要経費を広言せられるごとく、われわれが必要だと思った経費について、申告したら認めてくれたらどうですか。私は少なくともあっちは必要だと思っているわけです。  ところでわれわれが一番困ることを具体的に申し上げますと、ことしの収入に対してことしの経費というふうに考えていらっしゃるようでございます。ところがわれわれの仕事は三年、四年かかるわけであります。ことしそのために必要だと思ってのこのこ出かけて行って取材しているわけでありますが、それがすぐ収入にならない。来年か再来年になっちゃうのです。池部さんの写真を書くにしても、やはり相談するだけでも一年ぐらいかかることがありますよ。なかなかこれは簡単にやれないものなんです。司さんなんかもぼくのものをやりたいと前から言っているけれども、ぼくもなかなか司さんにぴったりするようなものが書けないので、なかなかチャンスはないものです。池部さんはぼくの夏子をやってくれたことがありますが、これもずいぶん前のことで、それから何年間かたっておりますが、なかなかない。そんなわけで、われわれのものはすぐおいそれとはできないのです。ですからことし取材したものが数年先に実を結ぶとか、また数年前に取材したものがことしはたして収入があったかとか、あるいはたまには  たまにじゃない、NGが出ることがございます。取材しても収入がないことがあるのです。これは絶対あるのですから、ひとつ御同情願いたい。これが一番御同情願いたいところなんです。たとえば私が柳沢騒動を書こうとしまして、柳沢吉保について調べる、あるいは千姫について書こうと思って千姫について調べたって、それがどうも自分の気に入らなければ自分でキャンセルなんです。まず自分の選定に合わないんです。それだからこれは本屋がどうこうというんじゃないんですね。自分でだめだという場合もあるんです。その場合の必要経費は全然認めてくれないのです。ですからわれわれとしてはどうしてもそこのところで国税局と戦うことになってしまうのでありまして、これはぜひもう少し長い目で見ていただいて、われわれの申告を一応了解していただきたい。そうして数年にかけて考えていただいて、その収入があればその必要経費を認めることにしていただくということで、われわれの取材費に使いましたものはそのまま認めていただきたいというのがわれわれの念願なんですが、それが何割というところへくるわけでございます。  その一つの例として、これはこの前社会党のときにも申し上げたのですが、「文筆家等自由職業所得者の所得計算に於ける必要経費の取り扱いについて」という通達が税務署に出ているわけです。その中にいろいろありますが、この間新聞にもちょっと出ましたけれども、その中に「主として軟文学(主に恋愛、情事を主題した文学作品をいう。)」とあります。軟文学ということばは大問題であります。江戸軟派ということばがございまして、為永春水とか柳亭種彦とかは江戸軟派といいますけれども、軟文学ということばは俗称でございまして、まだ文壇の言論のやりとりの最も激しい場では、軟文学というものはどういうものであるかということが規定されておらないと思うのであります。これをどうして国税局がこういうことをおきめになるか。こういうところまで立ち入っておやりになるのは越権じゃないか。もう少し文学を勉強してからやったらいいじゃないか。文学を何も知らないくせに軟文学とは何だ、これに対することばは硬文学であります。硬文学とは、いま中村光夫が硬文学を言い出しているのですが、まだ熟しておらないのでございます。たまたま中村が言っておりますけれども、ほんとうはまだ熟しておらないのであります。これは文学上の大問題でありますが、こういうものを通達に書くというのはどういうわけでしょうか。これが税務署員の頭に入りますかね。しかもそれについて軟文学の場合、「たとえば芸妓、女給等を素材とする作品の創作と関連してこれ等の者の生態または雰囲気等を探究味得するため待合、キャバレー、バー等において支出した費用については、日時、場所、同席者の有無およびその職業、支出の程度などを、その記録等により勘案し(1)執筆のため直接必要と認められるものについては、その費用の七〇%相当額、(2)主として執筆のために必要であるが、私的な関連もあると認められるものについては、その費用の五〇%相当額をそれぞれ必要経費に算入する。」ということが書いてあります。そうすると、税務署員がわれわれのところへ来て、軟文学の材料を選ぶためにどうしだこうしたと聞いたあげくに、同席者の有無まで調べるということは、一種のプライバシーの侵害じゃないでしょうか。これをありていにいえば、一種の憲法違反みたいな感じもするわけであります。ここまでやられていいのでしょうか。ほかに調べるものはたくさん世の中にあるわけです。もっと調べなければならない怪しげなことがたくさんあります。そういうものはもうやっているでしょうが、小説を書くのに待合に行ったかどうか、そして同席者がどうで、芸者の名前までということは  そういうことの権力を税務署員が持つということは、非常に危険じゃないでしょうか。職権乱用の危険が非常にあるんじゃないか。そういう点を考えますと——こういう通達を出したということは事実なんです。これはぼくは鳩山さんに持っていったのです。そうして鳩山さんが大島さんを呼んで聞いたら、大島さんは知っていた。上の方はあまり知らない。ですからそういうことはまことに私どもとしては心外にたえないのでございまして、まずこういうことをやめていただきたい。そうしてわれわれをもっと信用していただきたい。芸術振興、芸術家を保護するという決議案さえ生まれてくる今日において、中には、にせの芸術家もおりましょうが、こうして長年やっております。池部さんにしても、ずいぶん長いこと映画界に出ておる方ですが、怪しいことをやれば実際は読者が許さぬです。今日まで私が文壇で盛名を得ましたとするならば、それは読者の維持なのでありまして、変なことをする作家、うそをついたり、真実を言わなかったり、ごまかしたりする作家は読者がまず無視してしまいます。私のような無才の男がこうして六十の今日までどうやら文壇で筆一本でやってこられたということは、私がうそを言わずにきた、真実をもって対したということで読者が信用してくれているのだろうと思う。私はほんとうのことしか言わないという点で読者が私を信用してくれていると思うのです。私のようなまだまことに才能が足りない者がどうにかこうしてやってきた。私よりも大学のときに、もっと秀才と思う人もおりましたけれども、何かがあるとやはり読者はついてこないのです。多少ともうそをついたり、前に寄ったことと違ったり、これが大きいですよ。左と言って右になったり、右と言って左になったり、そういう人は、読者は許さないのですよ。だから税金のことでも、うそをつくようなやつは許さない。ぼくがこうしてどうやらきたのは、そのおかげなんでございますから、どうかひとつ税務署もこんな通達を書かないでいただいて、もっとわれわれを信用していただいて、そして喜んで税金を納めるような状態に導いていただきたい。決して私どもは愁訴しているわけじゃないのです。これは初めから、どうかひとつ安くしてくれなんて言っているのじゃないのです。ぼくは一番先に池田さんと少しごたごたやったときから、シャウプに会うにしても、ヴィッカリーに会うときでも、税金をまけてくれということは言ったつもりはないのです。そんなことはいまでも言っていないのです。ただわれわれの主張を主張しておるだけであって、それは個人的主張であって、何も世論でも何でもないかもしれぬけれども、私は自分の意見を率直に述べることをもって芸術家の信条としておりますから、これでひとつやっていこうというのであって、そのためには税務署とも妥協しないというところははっきりしているだけのことでございますので、どうか誤解のないようにしていただいて——私ども、ほんとうにいま言ったようなたくさんの数々のあれがございます。ただし芸術家の中には多少愁訴の好きな方もありますので、皆さまに泣き言を言ってて、そしてそれを今度皆さまが、そうか、よし、おれが助けてやろうとおっしゃって、そして税務署あるいは国税局をおたずねになりますと、もしもこっちの言っていることが多少オーバーで、大げさでございましたときは、まことに汗顔の至りですね。それが多少あるかと思いますので、私は常に仲間につきましては、これを注意しておるのであります。そういうことのないように、それでないと、つまり泣き言だけを申し上げて、調べてみたら案外だということだと、まことにわれわれの信用に関すると思いますので、あまり泣き言、めそめそ言うな、ただしそちらが、たとえば池田大蔵大臣当時、これがやはり私が言ったあとで関係事務官をお呼びになって、舟橋がこういうことを言ったが、ほんとうかということをお聞きになったそうですね。そうすると、やはりそうは言わないのですね。それは舟橋さんのいうとおりとは言わないですね。絶対に違いますと言いますよ。そうすると、係官を呼んでみたが、文士の税金はそれほどでもないそうだというので、これはお流れです。それから少したってまたやった。今度また呼ばれる。これは官僚というのは、そういうふうですよ。代議士諸公がお呼びになっても、うまいこと言ってくるめられちゃうのです。それでこっちの言ったことが何かばかみたいになってしまう。これだけはひとつそろそろ、まゆつばだということで、ひとつどっちをとってくださるか、まあわれわれをここへ呼んでくだすったということだけでもだいぶ世の中が違ってきた。そうすると、私たちのことにつきましては、やはり皆さんは相当信用してくださるのだ。そうしたら聞いたときに、その当該係官が何を言っても、それはもう、ちょっとおかしいと思って聞かれたほうがいいと思う。これがいままで官僚の手です。必ず何かあるとすぐ出てきて、いやそれほどでもないですよ、そんなことはありませんよと言うと、そうか、というようなことになっちゃうのです。これだけはもうその手に乗りませんから、ひとつ今度は佐藤さんにもよく頼んだのですが、今度はそういうことはしない、しかしぼくはこの間ちょっと見ていると、やはり大島さんは相当根強いです。なかなかまけない。日本の国税局の団体的結束一致というものはなかなか根強いもので、とてもこれは普通の者では壁にぶつかるばかりだと思うのでありますが、どうかひとつこの際、これだけの世論が起こってきたのですから、ここでぜひいままでの長い慣習であったこの悪法についてもう少し皆さんが強く突っぱっていただくことを期待いたしまして、たいへん長いことおしゃべりいたしましたが、一応これで私の発言をとめたいと思います。  どうもありがとうござい、余した。(拍手)

山中貞則自由民主党

○山中委員長 次に、池部参考人にお願いします。

池部良俳優

○池部参考人 池部でございます。いま舟橋先生から、私どもと全く関係は違うのでありますけれども、しかし精神的な支柱と申しますか、そういうものについては全く同意見、もう何も申すことがありませんので、このまま引っ込みたいところでありますけれども、多少部門が違いますので、お話ししたいと思います。  そこで、きょう私は映画俳優を代表して参りました。私の肩書きが、実はこういう肩書きは非常にきらいなんでございますけれども、日本映画俳優協会代表理事という肩書きでございまして、その肩書きに沿いまして、私の、つまり私怨というのは幾らでもございますけれども、私怨はちょっとさておきまして、一般的なことを、まあこれも釈迦に説法かと思いますけれども、多少お考えの中で重複されるところがあるかと思いますけれども、お話し申し上げたいと思います。  映画俳優ということからここに呼ばれましたので、そういうところから始めていきたいと思うのですけれども、映画俳優というのは御存じのように映画のフィルムの上でもって映されている、芝居をしているというのが商売でございますが、しかしもうここにきますと映画俳優も多少職業的なにおいが強くなりまして、いままで私たちはよく、お前は好きだからやっているのだろうとか、まあちょっと皮がいいからやっているのだろう、そういうところでもって、いろいろな社会的な地位と申しますか、そういうものに対しての多少の懸念がございました。それは私たち自体にも非常に悪いところがございまして、そういうものに甘えたり、あるいはそういうものを誇りにしたりするというところがあったのですが、しかし現在の二十世紀の後半に入りましたこの世の中でそういうことは許されませんし、同時に私たちが、おこがましい言い方なんですが俳優というものをやっている以上は、やはりそこにはプロフェッショナルなにおいがなくちゃいかぬ、においばかりでなくて、そういうものがなくちゃいかぬというふうに考えております。それを一番認めてくださったのは税務署でございまして、たいへん光栄に思っているのですが、その光栄がはからずもいろいろと問題を惹起いたしまして、そこで税務署的ものの考え方における俳優というものをひとつ皆さんに考えていただきたいと思うのです。  もともと俳優というのは、天照大神の時代から、岩戸の前でもってストリップをやった時代からいろいろとございますけれども、私という俳優以外の皆さんのお仕事の形成しているこの社会では、こういう娯楽あるいは芸能に関するものというのは必要はないのだ、社会的な組織の上で必要はないのだというような考え方が絶対にないとは申されないというような気がするのです。というのは、早い話が、銀行では不要不急業務などと申しまして、私たちに絶対に金を貸してくれません。金を貸してくれるときには、自分の持っておるものを担保にするか何かでございますが、映画そのものについてこれからつくりたいから、あるいは俳優の仕事をしっかりやりたいから金を貸してくれと申しましても、どうもそれはならぬということで、たいへんそういう意味ではらち外に置かれているような気がいたします。しかしもし皆さん方のほうで、そういう生活のあり方、つまり実業家は実業尿とうふ屋さんはとうふ屋さんというような生活ばかりがあって、それだけの合理的な生活をしたときに、その余ったものはどうするのだろう、悲しくなったらどうするのだろう、そういうことが、もう何千年の昔から悩みがあったと思うのです。その悩みに耐えてき、あるいはその悩みをうまいことやわらげてきたのがこの芸能関係でございます。ですから、それがだんだんと純化されたものの中には、娯楽からもう少し上回って、いわゆる文化の一端をになってくるものでございます。そういう意味で、私たちは、映画俳優という職業を指定してくださいましたときには非常に光栄に思って、文化の一端をになっているのだ、もしこれがなければおそらくただのかたまりであろう、そう申すのはちょっと過言なんですが、現在レジャーブームなんと申しましていろいろなことがございますけれども、しかしこれもとりもなおさず余った、生活の余剰あるいは生活に対する悲しみだとか苦しみだとかをのがれる意味で、ある程度そういうブームができたのじゃないか。ですから、映画俳優というものは必ずしも社会のらち外に置かれるものではなくて、そういうものがなければ、むしろ社会というものがうまく、円転滑脱に動いてはいかないのじゃないか。つまり、こういう解釈を皆さんに頭の中で、おおそれながらということなんですが、しっかり植えつけていただきたい。これが税務関係に非常に役立つものでございまして、何か余分なものだというようなお考えがもしも少しでも税務関係のほうでおありになったときにこれが——先ほど舟橋先生からいろいろお話を承っているうちに、そういうにおいが多少してまいりました。  そこで、今度は私たち映画俳優というものの生活自体をお話しするのですが、映画というものは、近代産業なんて言われておりましたのが三十年くらい前なんですが、しかし当時からだんだん発達してまいりました今日においては、むしろ近代産業がちょっと落ちまして、年間十億あった映画人口が現存では五億に下がってまいりました。これはレジャーブームというもの、あるいはテレビの攻勢などという常識的な解釈もございますが、そういうふうにして近代産業の花と言われておりましたアメリカの映画でさえも、現在のところ落ち目になっている。しかし、何が何でも映画がある上においてなくてはならないものは俳優であろう、こういうふうに私たちは考えております。というのは、監督がおりませんでも、あるいは、そんなことを言っては舟橋先生におこられるのですけれども、脚本がなくても、ある意味においては、俳優さえいれば何とか写真ができる。これは非常に極端な言い方ですが、そういうところまで論を推しますと、映画俳優というものは非常に必要なものであろう。つまり被写体がなければどうにもならないわけです。被写体があるからこそ映画の業者は商売をしている。こういうところに映画界というもののあり方があるということを、私たちは最近一生懸命叫んでいるのです。ところが情けないかな、映画界が、先ほど申しましたようにだんだんと落ち目になっておりまして、最近では企業としても非常に末端のほうへまいりました。それで、それを何とか巻き返そうと努力しているのでありますが、しかし末端から巻き返しになってきた、この巻き返しの方法に私たちが非常に巻き込まれまして、そこでまたもや脳みがふえてまいりました。と申しますのは、映画をつくるのに、二、三年前までは東宝あたりでは大体八十八本年間につくっておりました。ところが現在では五十五本に減っております。これは月に四回週がございますから、まあ一年間に五十二週ですか、大体そういう見当なんですが、しかしその間に今度はいろいろなものをまぜて何とかごまかしてやっていく。ところが八十八本から五十五本に減ってきた、この三十三本の減り方というものは、企業のあり方としてはたいへんまずいやり方だと私は思っております。と申しますのは、予算をまず減らしていく。この予算の減らし方は、昔は、昔といってもせいぜい二、三年前ですが、大体二千万円の写真でしたらば、これは中どころの写真で、それから以上になりますと、順々に超大作になりますと、一億もかかるものもございます。しかし現在、一千五百万から大体二千五百万までの間の写真を各会社はつくっているようです。ことに某会社においては、観客の動員数が少なくなりましたので、一千万から一千五百万、だんだんとずり減ってきているわけです。このずり減ってきている中に、一番予算を食うのが俳優でございますので、まず俳優費を削ろうということと、それからほかで削ってしまうと文句が出てしょうがないから、大体セット一ぱい三十万から五十万ぐらいのセットが三ばい要るとすると、もう百五十万円とってしまう。しかし、それを二はいにすれば百万円で済んでしまう。しかし、映画は何となくみみっちくなるから、そこはかんべんしてくれというような監督のほうからの要請ですと、百五十万円の据え置きになります。そうなりますと、だんだんしわ寄せされてまいりますのが俳優でして、俳優は文句をあまり言いませんから——言いませんというのは、あとでお話し申し上げるのですけれども、うっかり言おうものならばあとでもって報復手段がくる。なるべくならば黙って頭を下げていると、いやなものは上を通っていってしまうというのが現在の姿でございます。ですから俳優費がいま減ってまいりました。減ってまいりますと、たとえば二千万円の作品を一本つくりますと、大体五分の一ないし四分の一というのが現在の俳優費に当たっております。しかし、それが将来はもっともっと、六分の一になるかもしれません。そうすると、たとえば四分の一にしますと五百万円になります。そうすると、その中でもっていわゆる主演と助演クラスでもって大体の大ざっぱなところを取っていってしまいますと、あとに残ったものは、たとえば、ここでもって百人のモブシーン、群集シーンがほしいのだというときには、百人が五十人に減ってしまう。五十人に減ってしまうと、しょうがないから三日に分けますと、二日に分けた写真というものは——レンタルが一日二十万から高いところ四十万、これだけの一日のステージ・レンタルというものがございます。これはだんだん支離滅裂になって申しわけないのですが、どの会社でも一本の作品において落とすというような形式でもってやっておりますから、必ずそれだけはかかってくる。そうしますと、二日間でもって八十万円かかるならば、それよりも安い俳優を使おうではないか、安い俳優を使おうということは、まければいいのです。たとえば池部良は、おまえは百万円だから、じゃ八十万円にしなさいと言われたときに、はいと言ってしまえばいいのですが、はいと言わなかった場合には八十万円以下の俳優さんを連れてくる。そうすると、そこにダンピングではないですが、多少ダンピング的な状態にはまってくる。これがいま映画界でもって、映画界というよりも私たち俳優でもって非常に問題になっていることですが、こういうものがどこから生じてきてどういう結果に陥っていくのだろうかと考えますと、まず先ほど申しました予算の関係からそういうふうになってくるのではありますが、しかし考えてみますと、問題が契約から入ってまいります。その契約というのは、これは税務関係とはちょっと別なんでお話ししにくいのですが、しかし結果においては関係がございますので、ちょっとお耳に入れていただきたいと思うのですが、現存大きな会社が東宝、松竹、大映、東映、それから新東宝がございましたけれども、これがつぶれまして、あと大小のプロダクションがあります。そうして、いまの四つの会社は配給会社を持っておりまして、製作配給を一緒に担当しております。そうしますと、自分のところでつくった作品を自分のところで配給をする。しかしほかの大小のプロダクションは、あるいはその会社でもって買ってもらうことができるかもしれないが、つくってしまうと配給先がなくなってしまうということで、これは問題になりません。そこで、この四つの会社がいままでの大体の習慣において契約制度をしいております。いま私どもが組んでおります社団法人の俳優協会は千三百名の会員がございますが、この千三百名のうち大体八割が専属俳優、一割が社員俳優、あと一割がフリーでございます。この八割のうち、これが非常にピンからキリまでありまして、ピンからキリというのは縦横十文字に非常にややっこしくなっている。たとえばうまいのとへたのとでもピンからキリまであるのですが、契約の形式、われわれはフォームと呼んでおりますが、このフォームも非常に縦横十文字で、ちょっと一がいに専属俳優というだけでもっておさまりきれない形式がございます。これはいつそうなったのか私もよく知りませんけれども、いつの間にかそうなってしまって、いつの間にかだれもがそれが当然なことであろうというふうに考えて現在進んでおります。一番ポピュラーな形式といたしまして契約がすなおに行なわれておるのがいわゆる専属契約。この専属契約というのは、御存じのように一社がその俳優、たとえば司葉子君を東宝では専属にする。その専属にするためには、野球選手と同じように拘束料を払い、そして写真をつくるたびに、出演するたびに、一本幾らという値段をきめます。これがありていに言いますと非常に正しい姿なんですが、ちょっと形式が狂ってまいりまして、東宝ばかり言うのもちょっと気がひけるのですが、たとえば私は東宝におりますけれども、保障という文字を使いまして、数字がわかりいいように申しますと、年間百二十万円の拘束料あるいは専属料と称するものをもらいます。そうして一本幾らときめます。これも数字がわかりやすいように一本四十万円としておきますか、そうしますと、おまえには保障金としてあげるのだから、それはまとめてもらってもよろしいし、あるいは一ヵ月に幾らと割ってやってもよろしい、これは自由である、その辺はわかります。ところがこの一本四十万円というものは百二十万円に対する保障の裏打ちになるのであるから、だからわれわれはチャージと称しあるいは償却と称してその中に入れていくからよろしいかということになります。そうしますと、三本つくりますと百二十万円になりますから、これは全く私自身のものになります。そうしますと、年間の所得というのは、かりに三本だといたしますと百二十万円しか残らないわけです。実際もらった金は百二十万円なんですが、そのうちから、これはめったにないことですが、貯金をしたり、いろいろなことがあります。しかしその前に一〇%は必ずノックオフされます。そうして一本四十万円のこれもノックオフされてきます。しかし現金が私どもの手元に入ってこないで、会社の経理に移って百二十万円チャージされます。そういう意味でもって月十万円、この十万円が私たちの生活費になるわけです。その月十万円の生活費をいかにして苦心して税金に払い、あるいはいろいろな勉強のために、あるいは遊びのために使うかということになるのですが、現在私たちの仲間でもって最高の人気があると申しましても、いま百二十万円という数字を申し上げましたのは決して高いほうではなくて、むしろ安いほうでございます。しかしだからといって一本何千万円もとっているというのは一人もおりません。やはり百万円単位であります。しかしこれも俳優のうちのピンでありまして、キリのほうに参りますと、同じ形式なんですが、これが十二万円ということになります。そして一本幾らということになりますと月一万円ぐらいの生活費になりますから、これでもってすべてが引かれて残ってきたのは手元に五千円だというのではとても生活ができないということで、私たちきょうみんなからのぼりを立てられ、たすきをかけられて、参考人としてしっかりやってこいと言われて出てきたのですが、何しろあまり話がうまくないものですから、意余ってどうにもなりませんけれども、そういう形式の契約と申しますか契約の内容について、これは皆さんにお考えいただくまでもないのですが、現在そういう姿でいるために、税金を引かれてまいります税務署とそういう話をするのですが、これは契約と税金とではちょっと話が違うからそれはそれで納めてきてくれ、そしてそのあとから税金の話をしようじゃないか言ってくれますけれども、しかしその姿というのを非常に皆さんがよくお考えくだすって解釈をしてくださるということになれば、私も気が強く話ができると思います。  そこでいま申し上げましたように、それが全部ではありませんけれども、大体そういう形式をももまして、現在四社が専属制をしいております。そこで専属制をしかれた俳優はどういう立場にあるか、あるいは映画俳優というものはどういう立場にあるかということになりますと、まず専属俳優でありますと、よその社に出られません。これは絶対に出られません。しかし力関係によって出られる場合もございますけれども、おそらく出られないと見たほうがいいのではないかと思います。そうしますと、先ほど申しました一本四十万円が年三本、それしか彼の、あるいは彼女の収入にならないわけです。そうしますと、たとえば十万円というのは数字がわかりやすいように申し上げた数字なんですが、そういうような程度においてあるスターは生活をしているとお考えになってくださっていいのですけれども、たとえば月十万円もらっているスターがそれで何をするかと申しますと、まず要求されるのは、おまえの芝居のうまさ、へたさということです。この芝居のうまい、へたというのはもとより素質がございまして、どんなに努力してもうまくいかないやつはうまくいかないし、努力しなくてもうまくいくやつはいくのです。しかし現在のようにいろいろな角度から芝居が組まれてまいりますと、それにこたえるだけのものをこちらに持っていなければなりません。これはまず肉体条件です。この肉体条件は必ずしもスマートが主体ではありません。あるいは太っているほうがいいという人もあって、そいつがへたにやせたりすると商売にならない。ですからそういう意味においての肉体条件というものを粗末にはできない。キープしていかなければならない。  それからその次には、専属俳優と申しましても、俳優がただそこにくっついているだけの話でありまして、あるいは悪いことばで言えば利用されているだけの話でありまして、こちらから、ではこうしてくれと言うことはほとんどない。たとえば宣伝なんかもそうなんですが、一つの作品をつくりますと、その作品に対する宣伝は、もちろん彼あるいは彼女を利用いたしましてやるのですが、しかしそれでは写真と写真の間というものは専属はどうしているかということになります。これはしようがないですから——しようがないということは、会社が何もしてくれないということにひとしいので、自分で自分を保っていかなければならない。そのためには、これも当てはまるかどうかわかりませんけれども、多少いい身なりをしていかなければならない。中にはげたをはいて衣装でもって通っている人もいますけれども、これはたいへんけちな人で特殊な例でございます。これは千三百人のうちにたった一人しかおりません。名前を申し上げるのも失礼だから言いませんけれども、それはそれとして問題になりませんが、そういうふうにして自分を守っていかなければならない。たとえばある俳優が銀座を歩いている、セーターで歩いたりシャツだけで歩いていると、おお、——じゃねえかなというだけなんですが、これが一応ネクタイをきちっとしておりますと、もう十メートルも前から、目のいい人だと二十メートルも先から、だれだれだということがわかります。だれだれだということは、たとえば池部良は池部良だと言われるとたいへん気持ちがいいのですが、気持ちがいいということの根底には、おれもこれでもって商売が成り立っているのだという潜在意識があります。この潜在意識が非常に役立ちまして、池部良と言われることがうれしい、あるいは楽しいということではなくて、こういうことがあるからこそ、それこそ世間の支持があるからこそ、おれは商売ができているのだ、世間の支持を得るためにはこうしなければいけないのだという逆説論から、世間ではぜいたくと見られているいろいろなことが行なわれてきてしまうわけです。たとえば自動車なんかでも、皆さんは、外車なんか持ってあのやろうとおっしゃる向きもあるのですが、確かにぜいたくなやつもおります。これは否定できません。できませんが、十何年前私が自動車を持ち始めたときに、自動車なんか持つのはぜいたくだ、こういうふうに世間からずいぶんいろいろなことを言われました。しかし自動車を持たない限り、電車に乗っていた日には間に合わない。その電車に乗ったために非常にひどい目にあった例が一つございます。これはその方の名前を出すのもぐあいが悪いので申し上げませんが、二つ作品をかけ持ちいたしまして、一つは鎌倉にロケーションいたしました。午前中でロケーションを終わって、一時間たって新東宝に参ります。十二時半から撮映を開始するというので、それではというわけで、鎌倉から撮影が終わってやってまいりましたけれども、当峠の電車はなかなか込んでおりますし、それから渋谷からおりてタクシーもなかなか見つからなかった。しようがなくてバスに乗った。そして新東宝の門に着いたところが、これが充分過ぎておりました。そうしたら、向こうから監督が来まして、きょうは中止をしたと言うのです。五分しかおくれてないのに、なぜ中止をするのか、ほかに理由があるのかと思いましたところが、池部、おまえが五分おくれたからきょうは中止するのだ。しかし、その間のプロセスを私に説明をさせろ、こう申しましたけれども、それは、もうこの監督と俳優というのは、人間関係がよほどうまくいかない限りにおいては、お互いが人間だと思っていないくらいな状態にあるような社会ですから、どうもぐあいが悪くて、それからその監督さんの仕事には、私はついに一本も出られなかったというような結果になっているのですが、そういうようなふうにして、自動車を持つということはその当時たいへんな冒険でしたけれども、しかし持たなければならぬと私は思いました。それを持ったために非常にいい目にあった、あるいは自分の仕事がスムーズにいったということは数々ございます。しかし、それ以上にどういう車を持つか、車の種類まで言ってしまいますと、これはぜいたくになるかもしれません。そういうことも尾を引きまして、現在では映画俳優は非常にぜいたくをしているものであると申します。しかし、先ほど申しましたようにピンからキリまでございまして、キリのほう、まん中以下のキリのほうに参りますと、俳優仲間でもスターとは言われません。こういう連中においては、先ほど申しました一万円というのはわずかな例でございますけれども、そんなことはありませんけれども、それに似た数字の月給をもらって暮らしております。ところがそういう連中はやはり小さなアパートに入り、あるいは細君もおりましょうし、子供もおりましょう。そして世間並みのサラリーマン的な生活をしておりますが、しかし、彼はうちに帰ってジョニーウォーカーの黒を飲むということはほとんどありません。おごりであれば飲むでありましょうけれども、しかし特級も飲みません。じゃ、やめればいいじゃないかといいますが、そうはいきませんから、酒は飲みます。そういう意味で、そういう生活をしておりますけれども、今度セットに入ってきて、おまえはあそこの三菱の会長の役だなんて言われる、あるいは王様の役だなんて言われたときには、困ってしまうわけです。つまり、いままでの自分の生活の守備範囲が狭いとどうにもならない。ですから、毎日ジョニーウオーカーの黒を飲ませろと税務署に要求するのもちょっと不当だと思うんですけれども、つまり、俳優というものは、それほどまでに要求されて何かをしなくちゃいけない、常日ごろそこまで耐えていかなくちゃいけない。戦争中の兵隊のように、なくても何でもいいから勝てというのが会社の言い分ですが、これは現在の世の中では通じないと思います。やはりある程度の生活ができ、ある程度の余裕がなくちゃ俳優の生活ができないと思うんです。そして俳優というものは、いまお話し申し上げましたように、ほとんどが感情で生活しております。そして芝居に乗っかりますと、その感情がいやが応でも高ぶってきて、いい芝居をする、こういうふうになってくるんですが、しかし、 とりもなおさずそのもとというものは、俳優は心のぜいたくをしなければいかぬ。これは皆さんの生活の中ではちょっと想像がつきかねると私は思うんですけれども、ぜいたくということばをはき違えますとへんてこになってしまうのですけれども、それ以外につけようがないのでそう申し上げますが、心のぜいたくというのは、結局は哲学を勉強するわけでもありませんし、それからお釈迦さまになったわけでもありませんから、座禅を組んでそのままで済むというわけではありません。物質的なものが伴いますので、そういうときにはどういうふうな処し方をするのか、これは個人個人によっていろいろなやり方があると思います。しかし、何といっても心のぜいたくをしなければ俳優というものはできない。そういう心のぜいたくをした豊かな芝居をしたものがフィルムに乗っかる、あるいは舞台に乗っかるという場合には、お客さんも非常に豊かに見ることができる。これが何だか知らないが、王様の役をやっているのに、どうもこの役者は貧相でいけない、こういうふうになってくると、見ているほうでもがっくりします。その反対に、ぜいたくな生活をしているとこじきの役はできないかと申しますと、これはまことに情けない話ですが、落ちるほうはどこまでも落ちられる、ぐあいよく落ちる。あるいはこれは冗談ですが、男優の方は兵隊をうまくやる、それから女優さんのほうは、パンパンをうまくやる。(笑声)これはちょっと言い過ぎですが、そういうふうな言われ方をするのですが、そういうふうに落ちる役というものは何でもできるわけです。しかし、上がるほうの役はよほどの努力、よほどの環境がなくてはできない。そういうところで、税務署のお方も、つまり国税庁が拡大解釈をしていただく、この拡大解釈と中心に切り込んでいく解釈と、この二つの両面を私ははっきり申し上げたいのですが、これ以上数字を申し上げましても、ただこまかくなるだけでなんですから、大体こういうような行き方で私たちは生活をしているのであるということを胸にとどめていただいて、ひとつこれからの私たちの生活をよく考えてやっていただきたい。  ただいまの舟橋先生の話ではありませんが、同情はしてもらいたくない。私たちも同じように社会の一員ですし、むしろ社会の一員として社会を形成しているものをささえているのだというような、ちょっとやぼな言い方ですが、誇りを持っております。そういう意味でもって、社会の一員としての生活を私たちもしたいと考えておりますので、同情とかあるいはそれ以上のものは要らないんですが、しかし解釈の仕方にわれわれとしてはたいへん不当なものがある。  それからさっき舟橋先生が例を引き出されたように、妙てこりんな軟文学的な解釈があります。これも余談ですが、たしか明治三十三年に、現在の映画法なんですが、それが設定をされたと思います。そして現在に及んでおりますけれども、この映画法というのは、これもちょっと余談ですが、その中に活動写真云々とございます。これを現在私たちは映画ということばを使っております。あるいはムービーというふうにしゃれて申しますけれども、実際には官庁その他で字句をタイプで打つ場合には、活動写真ということになります。活動写真というのは、大体これは私たちのおやじから上が話すことばでありまして、昔は、この活動写真の動にはにんべんがついておりまして、働という字がついておりました。ところが、このにんべんがいつの間にか抜けてしまいまして、動になりまして、現在でもこの活動写真というのが残っております。たとえば、著作権問題で、私たち何やかやと申し上げておるのですが、著作権の問題でも著作権そのものに該当するというのはたいへんむずかしい、しかし、著作権隣接権というものについて何か考えられないかというようなときにも、現行の著作権では、皆さん方御存じの方があると思うのですが、私はもちろん知りませんが、浪花節の雲右衛門がその昔出てまいりましたとき、どういう服装だったのでしょうか、とにかく紫の紋つきの羽織はかまで、総髪で出てまいりました。これが、浪花節そのものも著作権的なものでもって解釈できるのですが、おまえは舞台にその姿をして出ているからという意味でもって著作権が与えられたということで現在まで及んでおります。そういうふうにして、俳優というものに対する解釈というものが何となく昔のようなカビくさいような気がいたします。そうしてしかも何回も申し上げますけれども、現在の社会の中でもってどうしても何となく要らねえのじゃないかと思われるような、これはひがみかもしれませんけれども、そういうような感じもするのです。それをもう少し社会の一員の中にしっかり加えていただいて、そうして社会的地位というものが決してないわけではありませんから、これは人間として存在しているのでございますから、そういう意味できちんとした解釈をいま申し上げましたわずかなことでございますけれどもおくみ取りいただいて、ひとつお考えいただきたいと思うわけでございます。  どうもありがとうございました(拍手)

山中貞則自由民主党

○山中委員長 次に、庄司参考人にお願いいたします。

庄司葉子俳優

○庄司参考人 司葉子でございます。  きょうこういう時間を持てますということを俳優協会から聞きまして、こんなにたくさんのえらい先生の前にすわらせられるとはつゆ知らず、もう少し何とかならないかしらという気持ちで、このお部屋のすみっこで聴講でもしたいという気持ちで参りました。  ここに適切なことばを準備してまいりませんでしたので、後ほど質問でもございましたら、実感でお答えしたいと思います。どうぞよろしく。(拍手)      ————◇—————

山中貞則自由民主党

○山中委員長 これより質疑に入ります。  質疑の通告がありますので、これを許します。佐藤觀次郎君。

佐藤觀次郎日本社会党

○佐藤(觀)委員 時間がありませんから、簡単にかいつまんで三人の方にお伺いいたします。  舟橋さんからもいろいろお話がございまして、芸術議員連盟なんかも、ただいま作家、芸能人の税金についての折衝中でありますが、ただいま申されましたように、なかなか税務署の壁がかたいので、そう簡単には切り抜けかねると思っておりますが、何といっても特殊的な仕事でありまして、ほかの業態の人が想像されるようななまやさしいことでないことは、ただいま舟橋さん、池部さんからもいろいろな特殊的なお話を承りまして、われわれも多少理解はできますけれども、税金を取るほうの面から考えますと、取ることが商売でございますからして、何としても取りてしやまぬということばは少し過ぎますけれども、何とか取ろうという考え方が前面に出て、私たちもそういう点ではわかりますけれども、一面においてはこういうような特殊的な仕事をやっておる人に非常に酷ではないかというような考えがするわけです。  このごろ、だれ言うとなく、国税庁の鳩山さん、主税局の志場さんに悪いけれども、国税庁の国という字が、国でなくて残酷の酷に変わってきたような感じがするわけです。これは私たちも大蔵委員として、いまの税法の悪い、いいという問題は、政党の関係がありますからここで申しませんけれども、やはり取り方にも少し理解がないんじゃないかというような気がするわけです。  船橋さんにお伺いするのですが、実はこれは昨晩でございましたか、こういうお話が出ました。相当家を持った人が相続する場合には、自分の土地を貸しておる貸し賃に対してまで借地権の税金を取られて非常に困るという話がございましたので、それは非常に気の毒だけれども、作家も死んでからやはり十年、二十年先の耕作権に対して和紙のときに税金を取られるのですと言ったら、びっくりしておられましたが、最近吉川英治さん、佐藤さん、それから尼崎さんがなくなられましたが、こういう点については船橋さんはどういうようにお考えになっておるのか。これはあなたは文芸家協会の会長もやっておられましたし、それから作家の代表でこういうような税金問題でいろいろ御心配されておると思いますが、著作権の相続税の問題についてどんなふうなお考えを持っておられますか、これが第一点。  もう一つは、必要経費という問題が、これは非常にむずかしいのでありまして、おそらくあなたが「お夏」をお書きになるような場合と、それから谷崎さんたちのいまの立場、それから新しい若い作家の立場というものがいろいろあると思うのです。その点について、これはおそらく所得税課長その他鳩山さんのような直税部長のほうにいろいろ聞けばわかるけれども、これは個人々々によって非常に違うのではないかと考えられるわけです。   〔委員長退席、吉田(重)委員長代理着席〕 そこで船橋さんの場合には、これは基準になるかならないかしりませんけれども、必要経費をどのくらいに押えたらある程度まであなた方が満足できるか。これは実はいま申告制度でありますから、当然申告された人間の良心を信用して税務署が認めればいいけれども、なかなかそういうようにいっていないということはただいまもあなたから御意見を聞いたのであります。あなたは取材費としてはどのくらいの程度ならがまんされるかということについての率直な御意見、この二つをひとつお伺いしたいと思います。

舟橋聖一作家

○舟橋参考人 ただいま御質問の点についてお答え申し上げますが、第一の相続税その他に関しましては、むろん著作権の相続税につきましては、いろいろ折衝いたしました結果、それはややわれわれの希望が達せられた点は、見込み課税ではなく、実際において相続者がその被相続者の著作権を相続した場合、その被相続者の著作物が売れた件数に関してその収入に対して相続税を払う。決して見込みで、売れないものまでかけないというふうに相なりまして、その点比較的円満にいっているわけでございます。ただしいろいろ事情によって御不満が多い方もあるようでありますが、これを平たく言いますと、他のあらゆる税金と比べましてこの所得税が高いということであります、ほかのは比べものにならないということであります。私などの場合は固定資産税とかいろいろたくさんかかりますけれども、所得税とはもう問題になりませんので、所得税が一番過酷な税金であるというふうに感じております。したがって、相続税のほうに対する関心がないわけではないけれども、あれと比べるとあまりに違うので、そのほうはどうでもいいやというような気持ちになりますことは、たとえば私は、事実最近父が死にましたために相続いたしましたが、その方面のことはまことに寛大なような気がいたします。たとえば非常に長い期間にわたって払ってもいいというふうな恩典がございまして、すぐことし取り上げられるということはございません。ところが所得税のほうはむちゃくちゃに、そしてしかも予定納税で取られて、それを払う時期がきてから払わないとすぐに利息がつくというふうな実になまなましい苛斂誅求が行なわれていると断言してはばからないわけでございます。  それから必要経費のほうにつきましては、私の思惑でございますが、これはほんとうはよくわかりません。でも、まあ大ざっぱなところで、私はたとえば百万円までは原稿料収入は無税にしたらどうかと思うのであります。この百万円、これは私はずいぶん遠慮して言っているわけです。中には、もっと原稿料収入というものは徹底的にもう無税にしてしまえという人もある。これはこの間の社会党の会でちょっとそういう意見が出ましたので、私はそのときに、やはり内輪に見て百万円までは、皆さんのお書きになるものでも何でも、大学教授の書くものでも、新聞雑誌に片々として書くもの、放送局でしゃべること、そういったものはあれはただにしたらどうか。国税庁の部長、課長もずいぶんお書きになっておるようですし、本が出たりしておりますし、その他大臣も書きますし、これを一応百万円までは黙っておけというふうに考えてもいいのじゃないか、それから上を課税なすったらどうかと思うのです。それでも還付というものがございますので、多少問題がございます。それから原稿料収入に関しては、分離課税にしたらどうかという意見がございます。それから預金ですか、預金利子は分離課税になっておりまして、そういうものが分離課税になっているなら、文筆に関してはどなたでもやれるのですから、これは小説家のような膨大な収入はまた別でございますが、文筆に関しても分離課税はどうかということも一つ案がございます。それからもっと卑近に言えば、五割はどうでしょうかというような意見もございます。それからこの間団十郎さんに聞きましたら、植松さんの就任以前は五割だった、植松氏が就任して以来これが三割に減らされることに相なった、ところが五割の思惑で大体計算して襲名をいたした、もしも団十郎に襲名する前に三割しか認めてくれないということがわかっていたならば、団十郎にはならなかったということも申しております。つまり団十郎襲名にかかりますところの費用はばく大でございまして、三割に下げられてはとうていできないということでございますが、松竹の会社としましては、やはり団十郎という名前がほしかったわけでございまして、その間団十郎としても非常に遅疑逡巡したわけでございますが、当時は五割だったそうであります。そこで俳優諸君のことを代弁するのは、私としては実はらち外でございますけれども、去年はだいぶやられたわけであります。一番被害の大きかったのは、松本幸四郎でございますが、幸四郎、梅幸、歌右衛門、みな修正申告といいますか、更正決定までではございませんが、修正させられたのがみな何百万円ずつ、中にはもっとひどく、ずいぶん高い額を修正させられたのですが、これはつまり五割だと思って出していたものの申告の修正なのでございます。五割と思っていたのが三割になったということは、ここにつまり植松守雄なる能吏があらわれたために、皆さんがしきりにやっていらっしゃるところの減税ムードが、たちまち豹変して増税ムードになったということなのであります。社会全般が、また国会その他においても、しきりにPRされているところの減税ムードがわれわれの社会だけは増税だったというのは、実にこの植松守雄氏なる東大出身、秀才の能吏の存在によって決定したことでありまして、いかように政策的に田中角榮氏が減税を叫ばれても、何らわれわれには馬耳東風といっていいのだろうと思っております。私はもう信用しないことにいたしまして、新聞で減税が出ると腹が立つくらいであります。ということは、絶対に増税だったわけであります。ですから、いま言ったように実は五割というところは大ざっぱですが、ものは山分けがいいのじゃないかというようなことから、まず五割くらいを見ていただければ、一応いまの連中、団十郎をはじめ、またわれわれ作家あるいは池部さんその他も、一応の標準率があれば、みながある程度納得するのじゃないか。その上にたとえば特殊の事実があった場合には、それを申告する、そしてそれを認めていただく。たとえば火事だとか、あるいは海外に、たとえばアメリカの国務省の招待で井上靖氏がいま行っておりますけれども、そういうような場合とか、いろいろな海外旅行も、ただ見て歩くだけの観光旅行と違うこともありますから、そういうこととか、あるいは朝鮮の史実を調べに飛んで行ったとか、マニラを調べに行ったとかいうような場合とか、いまの天災地変とか火事とかいうことは別個に考えていただくとして、それらを除いて、まず五割というところを認めていただければ大体いいのじゃないか、必要経費についてはそういう考え方もございます。  それからさっき申し上げたとおり、分離課税という考え方もあります。分離課税の場合に、実は一割なり何なり取られると還付がなくなるという問題がございますが、これはみなに聞いてみませんとわかりませんが、ある方は、それは還付がなくてもそのほうがめんどうくさくなくてありがたいということを言っておりますので、これらは技術的な問題で、よく御相談して、原稿料に関しては分離課税、あるいはそれがだめならば、百万円までは無税とかいうようなことで、この際もう少しわれわれの生活を保護していただければ、われわれとしても非常にハッスルできるわけですが、実は創作意欲が減退しつつあるということが事実であります。これはこの間徳川夢声氏ももうある程度しゃべったら、それでいいのだというようなことを言っておられましたが、そういうふうにだんだん意欲が減ってきておりますことは、もう明らかな事実でございますが、その辺も御勘考願いたいと思います。  実はきょうここに白楽天の詩を持ってまいりました。この白楽天というのは、いまから千七百年くらい前の時代です。この人が「重賦」という詩を書きましたが、その中に「いかんぞ歳月久しく貧吏因循するを得たる。われをさらえてもって寵を求め、おさめもとむること冬春なし」と書いてあります。この一句は私座右の銘としておりますが、われをさらえて、つまり自分から全部持っていったことによって寵を求める。すなわち能吏が寵を求める。国民のものからさらえて寵を求め、そうしておさめもとむること冬春なし。一年じゅうということです。この一年じゅうというのは、今日の税法はまことにうまくできている。これは納税者のことを考えたかもしれないが、毎月何かある。それを白楽天はすでに千七百年も前に冬春なしと言っている。こんなに実にはっきりしたものです。これはもう世界的な問題だと思いますが、この際日本でもこれを十分御勘考願いたいと思います。

佐藤觀次郎日本社会党

○佐藤(觀)委員 池部さんにちょっと伺いますが、実はこの間話を聞いたのですが、俳優さんは自分の収入以外にファンから、あるいは後援者から金をもらっているのではないか、そういうことを相当年輩の方が言われたわけです。私らはいま舟橋さんからいろいろな話を聞いて、ずいぶんみみっちいなという感じを受けましたが、これはおそらく歌舞伎俳優も今日はそういうことはないと思いますが、そういう収入は一体あるのかないのかということが第一点。  それからあなたは、御承知のようにお父さんが画家で、その中で育った人でありますが、お父さんたちの税金の問題と現在のあなたの俳優としての税金の問題について何か感想があるかどうか、またどういうようなお考えを持っておられるか、この二点を伺いたいと思います。

池部良俳優

○池部参考人 お相撲さんの世界ではよくそういうことを聞きますし、それから歌舞伎の俳優さんの間でもそういう話を聞きます。ところが俳優というのは、ただファンレターとして十円切手を張っただけのものはまいります。そして中身というのも、これは郵便法にひっかかりますが、入っていてせいぜい百円とか二百円で、収入といっていいかどうかわかりません。ある人は、それは多少スポンサーがおりまして——スポンサーというか、テレビのスポンサーというごときではなしに、いわゆるファンのスポンサーといった形のものですが、これは個人的にお出しになっている方もあると思いますが、それも微々たるものです。ですから、俳優全体から見るとそんなものはないといってよろしいかと思います。  それからいま感想を述べろとおっしゃいましたので、少しばかり述べたいと思いますが、舟橋さんのおっしゃったとおりに、必要経費の落とし方が三割五分がいいのか、どこまでがいいのかということは、よくわかりませんけれども、やはり山分け方式が一番いいように思います。現在私どもは三割から四割というのが大体常識になっております。と申しますのは、三割から四割というのは、人によって違いまして、税務署が査定してくるのは三割で、こちらから一生懸命吹っかけまして、もう来なくてもいいと害われるくらいしつこいのが大体四割です。これは個人差がございまして、その個人差はどうもはっきりわからない。つまりこういうようなきちんとした数字が出るのに、なぜ個人差が出てくるのか、そういうことが非常にわからない。ですからさっき山分けとおっしゃってくださいました舟橋先生のお話にかかってくるのですけれども、私たちの生活の中でたとえばバーに参ります。もちろん遊んでいる場合もありますけれども、ほとんどが日常生活が自分の生活につながってくるものである、そういう言い方はよくないのですけれども、たとえばどなたかが芸能記者を招待する、招待するという形がよくなければ、一ぱい飲もうじゃないかと誘うということが、個人的に何の何がしとのつながりもありましょうけれども、しかしそれがとりもなおさず専属とはいいながらも、決して会社でもってチョウよ花よと育ててくれませんから、結局は自分でもって処理していかなければならない。といたしますと、たとえばある商事会社の部長さんは接待費に会社から幾らか出る。その範囲においては伝票も切れるかと思います。しかし私たちは伝票の切りようがない。へたに切って突き出すと、会社からおこられなければならない。結局自分が自分で伝票を切って自分で払う。自分の中に会社がいるとお思いくださればいいわけで、そういうことがたび重なってまいりますので、それが交際費と必要経費とございますが、交際費と必要経費の分け方がちょっとむずかしいのですが、そういったような仕組みのものをもっと範囲を広げて考えていただきたい。これは俳優の生活というものはそういうものであるというふうに解釈していただきたい。  それからもう一つは、資産合算しまして所得が総合的に年間幾らになりますけれども、二百万以上になりますと、課税対象というものは累進されまして、御存じのようにパーセンテージが徐々に高くなっていく。いわゆる私たちがいう総合所得なるものは、結果においては収入が高ければ高いほど率が非常に高い。これは現在政府は自民党がおやりになっていらっしゃる。そういう意味の思想関係からいってどうも累進課税のパーセンテージのあり方が何ともふに落ちない。つまり頭打ちをしてしまっておる。下はどんどん下げていく。それで頭打ちにしますと、いまの舟橋先生のお話ではありませんが、私たちにも勤労意欲がなくなってしまう。勤労意欲がなくなるということは、やらなくてもいいのだ、寝ていればいいのだ、寝ているわけにもいきませんから働きます。俳優というものは働くだけではおさまらないものです。やはりいいものをつくりたい、いいものに出たい、いいものをやりたい、ほめられたい、いいものは皆さんに差し上げたい、こういうふうにくるわけです。ですから、累進のパーセンテージの上げ方をもう少し小刻みに、一挙に一〇%から一%に上げないで、一〇・一%とか一〇・二%ずつ徐々に上げていっていただきたいというようなことも必要なんじゃないかと思います。  それから地方税が非常に高い。これは毎月全く驚くほどやってまいりまして、うちの前に道路ができたらしめたと思ったら、今度ある宮殿下が来られるので、道路を直した。私たちのために直したのじゃなくて、その方が来られるので道路を直したというのじゃ、これは税金の使いようがどうなっているのかわからない。確かにうちの前がきれいなってありがたいのですけれども、どなたがどうしたからそうなったというのじゃなくて、こちらの税金でもってこういうふうにしたのだからというようにおっしゃってくだされば、私たちも一生懸命に出す、そういう気持ちになるわけであります。そういうこともありまして、地方税が高い、それから累進のかけ方をもう少しパーセンテージを下げていただきたい。それから必要経費、これは五割以上とは申しませんが、五割までは、だれが何といっても、ピンからキリまでの人、全部五割にしていただきたい、こういうふうに考えるわけです。

佐藤觀次郎日本社会党

○佐藤(觀)委員 最後に司葉子さんにちょっとお伺いします。  日本の女優さんでは、ひばり御殿というような御殿までつくる人があるのですが、そういうふうに非常にはでな生活が女優さんにはある。外国なんかではどえらい金をもらっておる。池部さんの話を聞くと、どうも私も俳優になりたいような気がするのですけれども、これは無理でしょうが……。(笑声)女の方はやはりそういう点で、一般的に相当なえらい収入があるのじゃないかと思われておるのですが、この点についてどんな考えを持っておられるか。  また社会的な通念になる問題なんですが、いま女優さんの税金に対してあなたはどんなふうな感想を持っていらっしゃいますか。この二点だけ時間がありませんから……。

庄司葉子俳優

○庄司参考人 最初のお話ですけれども、撮影所の結髪部というところに、いつも女優さんたちが集まるのです。それでこの間いろいろ不景気な話をしたのでございまして、いま歌手が一番いいという話がありました。これは名前をあげていいかどうかわかりませんけれども、司さん一曲ずつ覚えない、そうして地方巡業したら、それでも半年ぐらいは何とか勉強するぐらいの費用はかせげるというわよ、といって話をしたのですけれども、ほんと情けないわねと言ってしまったのですが、いまほんとうに俳優は損なんじゃないかと思うのです。歌手の人はお金は要らないけれども、東宝の映画に出たいという方もいらっしゃるそうです。ですけれども、美空さんのいわゆるひばり御殿とかなんとかいわれていらっしゃいますけれども、ある程度人気を維持するための宣伝の一つではないかと思います。でも歌手の方と映画俳優の場合は、聞くところによりますと、だいぶけたが違ようでございます。  それから税金に関してですけれども、去年からずっと映画のほうの本数は減りまして、さっき池部さんがおっしゃいましたけれども、野球選手には専属料というのですか、十年なら十年何か契約料といいますか、それを先にぽんと払う。ところが俳優にはそういうものはないのです。ただ最低保障金額というのがありまして、それを本数から消化していくのです。ですから、私なんかは、いま一番困りますのは、勉強する時期なんですけれども、勉強を十分にできるだけの余裕がないというわけです。   〔吉田(重)委員長代理退席、委員長着席〕 池部さんの時代と、私たちの時代と、それからもう一つ下の時代と流れがありまして、池部さんの時代は多少映画のいい時代にいらっしたような気がするのですが、私たちは池部さんのいまおっしゃったことよりもまだ深刻な状態にあると思います。この間私、母が急に病気になりまして、そっちに全力を集中しておりますのですが、そうしますと、ほかに全然余裕がないのです。ですから銀座を歩くこともやめて——銀座を歩きますと、あれもほしくなります、これもほしくなりますし、とにかく歩くときはまっすぐ見て歩く、そういうふうにつとめております。それから映画の本数が減りますと収入が入りませんから、テレビのほうに走る、テレビというのはやはりやっつけ仕事という段階だと思うのです。私たちほんとうはいまテレビにやたらと走らないほうがいいとは思うのですけれども、それもやむを得ないということ。それから舞台に出たら芸の幅ができるといいますけれども、舞台はなおたいへんで、私たちはまだほんとうの芸を持っておりませんから、お値段は安くても勉強のつもりで、ただのつもりで勉強費用として赤字になってもいいから出たいという希望があれば、芸術座へ出していただくというふうで一回分税金も滞納している状態で、たいへん苦しいのでございます。  以上でございます。

山中貞則自由民主党

○山中委員長 堀昌雄君。

堀昌雄日本社会党

○堀委員 全般的な問題なんですけれども、実はいろいろ課税上の問題を考えておりますと、法人というのはいろいろな面でかなり個人とは優遇される点が税法上にあるわけです。一般論といたしまして、そこでたとえば最近は農民の皆さんが、農業というのも御承知のようにこれは個人所得になる形のものですから、それを法人化することによって合理的に経費を算出をしてもらいたいという動きが実はあるわけですね。いま皆さん方のお話を伺っていて感じますことは、確かに別に同情してもらったりいろいろしてもらいたくないけれども、制度上どうも納得がいかない。それの問題点は、やはり経費の問題もありますが、たとえばまあ池部さんのお話を聞いておりますと、その収入を得るための宣伝費なるものも実は本来項目としてあっていいと思うのですけれども、それではそういう宣伝費をいまの個人所得の中でどう見るかというようなことは、これは非常に微妙なことになってくる。これはもし法人であるならばはっきりと宣伝なら宣伝と分けて項目か何かつくって、多少できる問題があるかと思うのですが、一般的にこういう文化的労作というものに対して、現在の税法というものはみな個人所得をたてまえとして考えておる。もちろんブロダクションか何かになすっている方があるかもしれませんが、一般的な例としては実は個人所得によっておる。ですからそこに個人所得、法人という形をどう考えるかは別としても、何らか制度上の問題として少し考える余地がないかという感じを私は持っておるわけですが、それについて何か御希望がありましたらちょっと伺っておきたいと思います。

舟橋聖一作家

○舟橋参考人 いまの御質問はまことにありがたい御質問で、そういうことを私は心待ちにしておったわけであります。確かに個人というものが非常に圧迫を受けております。現代は集団のカ、国家の力が強過ぎる状態で、個人はまことに圧迫を受けておるわけでありますが、今度個人についての考え方も少しはだんだんにまた考え直されてくるような、そういうムードもあるようでございますので、ただいまの御質問は非常に肯綮に当たっていると思うのであります。ぜひひとつ個人的な立場から、われわれが個人以外に考えられない、個人以外の団体に属しておりませんわれわれが——わずかに私は文学家協会とか、池部さんは映画の俳優協会とかいうものに属して、組合には入っておりますが、それとても別に経済環境をよくするというようなことについての積極的な実力はないのでございまして、われわれは個人で戦っているわけでございます。これは法人のほうがたいへん都合のいいことをやっているということ、事実いま自動車の話が出ましたが、自動車につきましても全部これは個人の負担でございまして、会社の自動車に乗っていらっしゃる人に比べますと全くお話にならない、雲泥の相違があるわけでございます。ここらもぜひ御勘考を願いたいと思う一点でございまして、そのほかいわゆる家事関連というものとその必要経費のバランスの問題なんかも、むしろ非常に原始的な状態のことを申しているらしいのでございまして、ことに私小説というものが流行したことがあったために、自分のことを書いているじゃないか、それなら必要経費も要らないというような考え方がございまして、ペンとインキと紙さえあればいいのだというのが、根本的に日本の主税局関係の方の頭に入っちゃっていると思うのです。そのためにそれ以上のことは何だかんだとうるさく言っているのでございます。  ところで、ただいま池部さんや司さんからお話がございました点で、ちょっと一言私が補足しておきたいと思う点がございます。それは、小説家とか映画俳優とか、ここにちょうどたまたま三人出たわけですが、この連中の作品は、きわめて大衆的だということをぜひ考えていただきたいと思うのでございます。特権階級との直接取引は何にもないということをお考え願いたいと思うのであります。私の作品を特権階級が高く買ってくれた例がないのであります。また池部さんの作品や司さんの映画を特権階級が特別に買うということはないわけであります。これはみな映画館を通して、わずかな観覧料をもって池部君に支払っているわけであります。あの観覧料の中に池部君の出演費があるわけであります。これを映画資本家が一応自分のところに金を集めてしまうから、映画資本家がいばりますけれども、あれは実は直接観客からもらっておると私どもは思っております。それをたまたまそういう事務の手続上、会社が持っていくだけであって、私としては実は読者からもらっておる。その私が読者からいただいておるものは、三百円程度、あるいは四百円くらいのいま定価でありますので、ことに、いまもっと安いのは文庫でありまして、新潮文庫など、私のものが売れておりますけれども、これはもっと安くて七十円とか八十円とかいうものでございます。そういう零細なお金が集まってこうなりますので、特殊の関係でやっておりません。  そこで、たとえば、いま歌舞伎俳優が出ましたが、歌舞伎俳優も昔は一晩幾らでからだを売った習慣もございました。明治の終わりごろまではございました。あるいは大正初めくらいまではございました。私の考えておるところでは、二代目市川左団次あたりからそういう空気はなくなってきたわけです。相撲取りもやはり双葉山あたりから以後はからだを売る、いわゆる相撲買いと称するものはなくなったように思われるのであります。まだ多少残っております。それは多少はそういうことが聞こえてまいります。あるいは無料、金は出さないけれども肉体を買うというような例はいまでも一、二聞かないことはないから、私も正直に言えばそれを押し隠すわけにはいきませんけれども、大体において役者衆などもからだを売る、いわゆるかげまとか、あるいはそういうことばをこの神聖な席上で申し上げてはいけないかもしれませんけれども、そういう陰のお金ということがあったこともあると思いますけれども、大体もう昭和に入りましてからは激減しまして、戦後はまずないと見ていいんじゃないか。ある特殊なブルジョアが金を出すという場合もあるかもしれませんけれども、非常に少なくなってきておりまして、歌舞伎俳優、ことにこれから伸びていこうというところの若い俳優は、今度歌舞伎座で「女暫」をやる中村米吉に至るまで、実にまじめな少年でございまして、昔の役者修業とはがらりと変わっておりますので、歌舞伎俳優もまあ映画俳優よりは少し高い観覧料をとりますので、ちょっとその点はどうかと思いますけれども、少し高過ぎるかもしれません。ということは、つまり非常に限定された大衆、限定された観衆だものですから、歌舞伎座という、いわゆる伝統だとかなんとか言いましても、池部さんの、あるいは司さんのファンとはけたが違いますので、多少観覧料が高くなりますけれども、私は歌舞伎俳優はまじめにやっておると大体認識しております。したがって、そのさらに大衆的である映画俳優は当然所得するものを所得するのであって、その利潤の分配においてもむしろ少ないのではないかと思うほどでございまして、ほかの金力その他における搾取のほうがよほど多いのではないか。そうしてまたわれわれの所得したものをこのようにとられるということも一つの搾取だということを私は申し上げたいと思います。国家の搾取であるということは、何かの形で私どものせっかくかせいだものがとられるということは、やはり搾取がいけないとこれだけ言って、社会正義とか言われている以上は、搾取ということばが、国家の税金の場合は黙っちゃうということは何だろうという点につきましても私は疑義を持っておるような次第でございますが、まあ当然いただくものをいただいているのだ、その点についてやましいことは一つもないのだ。これは、あるいはこういうことはお差しさわりがあるかもしれないけれども、血尿の場合は必ずしもわからない。画家にこういう絵をかかせる場合は個人的以上の個人的な問題でございまして、われわれの個人的な収入は一応ボイルされて会社なんかの収入になってそこから割り当てられてくるのでございまして、公明正大なる源泉徴収表によって明らかなんでありまして、これをごまかせば会社が損をするから、会社の経費になるものを何も申告しないはずはないのですから、われわれのものは常に明らかにされておるという点もひとつぜひ御勘考願いまして、われわれの税金に対しましてはひとつこの際搾取を少し寛大に緩和していただきたいということで、国家の名における搾取であるということがわれわれとしてはどうしてもその考え方を払拭することができない。われわれがたとえばこれだけを幾らで書くということを相談した、契約したのは、その利潤の分配について契約したわけです。それを自分がもらったのをなぜそんなに出さなければならないか。この点は、私には、国民の義務であることは事実であるけれども、それにしてもちょっと多過ぎるのじゃないかという点につきまして、われわれがほんとに釈然として納めていないことは事実であります。  それから中にはぜいたくな女優さんがいることにつきましては、これも一言補正しておきたいのですが、これはまことに言いにくいことであると思うのでございますけれども、女の方がいるところでそういうことを言っては悪いかもしれないけれども、女の方はついぜいたくをするというようなことにつきましても、まわりのものに動かされたりすることが非常に多いのであります。だから、ぼくたちから見ますと、あんなにやっていていまに困るぞと思っていると、やっぱり困る。だからプールをつくったり何かしている人は、困る人はあとで困るでしょう。それは若げのあやまちみたいなものです。だからこれはお許しを願いたいのです。確かに非難に値するかもしれないけれども、その金の使い方が多少羽目をはずすようなことはあっても、これはかんべんしていただきたいと私がかわってお願いしたいのです。それはどうしても女の方がお金をたくさん持つとついその使い方については迷うことがあるだろうと思うのです。そこは男はわりあいにそういう点はいろいろ考えてセーブしたりコントロールしたりしますけれども、つい——美空さんが悪いとは言いませんけれども、美空さんだっていまいろいろ苦労しているでしょう。ああいうことは、やっぱり何かあの人のまわりや何かにいろいろあっただろうと思うし、またわれわれのごときでもそうですか、女優さんなどでお金をとられるとまわりががっと集まってくるのです。これはどうしてもかせぐ人のところへくっついてくるのです。これは人間の本能ですね。働けるくせに、もうかせぐ人がいるとそのほうにくっついてくるのです。その人からとろうとするのです。これはどうもどんなプロレタリア作家でも何人かはかかえていますね。名前を言って悪いのですけれども、壷井栄さんのような方でも、あんなに清廉潔白な方でも、やっぱりあの人の親類では、なぜ私のほうへおばさんくれないかといって言いにくる人があるということをこの間ちょっと聞いたのですが、まことにもっともなことだと思うのですよ。だから、金の入る女優さんなんかにまわりがくっつくことは事実なんです。何とかこれをやっぱりある程度守ってやり、また親切に指導してやらないと、やっぱり行き詰まることがあるし、またいいときはなかなかわれわれの言うことに耳をかさないし、そういう問題はヒューマニティーの問題であって税金の問題ではないのじゃないか。そこらはひとつごかんべん願って、特殊例外があってもまあ大目に見ていただいて、おしなべて大体日本の芸術家が国家の保護を受けることなく、国家によって搾取されることが多いということをこの際申し上げておきたいと思うわけでございます。

堀昌雄日本社会党

○堀委員 もう一点だけ。さっき池部さんのお話の中に、税務署のほうで三割経費と見ておったのを、しつこいくらい税務署に行っていろいろお話しになると四割になるというお話ですね。これは確かに問題のあるところだと思うのです。やはりいろいろと言っておると、片一方が少しずつよくしていくというのでは、行かない人と行った人との間に公平を欠くことになります、課税ということは公平に行なわれなければいけないと思うわけですから。そこでそういうのを感じながら何か紛争の状態、私どもよくわかりません。いまどこかの時点でけっこうですけれども、課税がそういうふうなことになりましたと、非常に不満を持っていろいろと紛争があると思うのですけれども、四割にするために行かれた方というのは実は私はごく少ないんじゃないかと思うのです。大多数は三割台、そのまま泣き寝入りになっておるのではないかと思うのですが、そこらについては、どの程度の割合で、そういう非常に熱心にやられる方があり、どのくらい泣き寝入りしておるのか、そういうことでは私はまずいと思いますので、そういう紛争を解決するための何かの機関というようなものを——もう一人一人が行くのではたいへんなんですから、もう少し何か処理する方法等について努力されたことがあれば、それらについてちょっとお答えをいただきたい。

池部良俳優

○池部参考人 いま直接だれが四割、だれが三割だということはもちろんわかりませんけれども、たとえばさっき私が申し上げようと思って、言いそびれてしまったのですけれども、実は私たち契約というのが大部分でございます。八割何がしが契約者です。その契約というのは、御存じのように大体一年、十二月三十一日から一月幾日までという一年間の契約が主なんです。つまり将来何年かたてば部長になり重役になりというような形式ではありませんから、一年こっきり。年間の終りには契約を更改しなければいけない。ところが更改した翌年というのは、それ以上上がるかあるいは維持するか、あるいは落っこってしまうかということについては、必ずしもだれも保障してくれないわけです。でありますから、年間においての自分の最大の能力を発揮してあらゆる努力をして契約にこたえなければならない。そうしますと、翌年は多少はいいだろうとか、維持だろうとかいうことになりますけれども、要するに年間における自分の保障というものはだれも保障してくれないのである。紙切れ一枚なんです。そうすると自分で自分を守っていくという意味のことなんですが、扶助料あるいは保険、そういうものを差し引いた残りの三割なり四割というものだけでは、とても自分を保障し切れない。たとえばぼくたち俳優というものは顔が、鼻が一つ欠けてもちょっと困りますし、もちろん小指一本なくなってもぐあいが悪い。ぐあいが悪いどころではない。むしろそれによって商売が全く途絶してましう。それに対して会社が保障してくれるかということになりますと、絶対に保障いたしません。それはもちろん金一封何がしというものは出すときもございましょう。あるいは俳優協会でもってお見舞いなんということはありましょうけれども、しかし、だからといって将来の生活というものはそれでもってまかなえるものではないと思うのです。そういうような契約をしておりまして、たとえばこの仕事が非常に危険な場合が多いわけです。冬のさなかに海へ飛び込めだとか、あるいは馬でもって走っていって飛びおりろとか、がげを取っ組んでおりろとか、火の中に飛び込めとか、監督が自分のイメージのままいろいろ言いますから、イメージされたほうはなま身ですから、それに対する危険手当、要するによく言う危険手当、あるいは危険予防というものを会社に要求するのですが、これがなかなかうんと言ってくれません。結局自分でもって策を何とか立てようということになります。ですから、そういうことになると、そういうようなときにはどうしたらいいだろうということが考えられなければならない。それはもういま自分のある収入の中でもって幾らかでも貯金しなければならない。貯金するについて一番いいのは使わないのが一番いいのですけれども、使わないと商売がぐあいが悪い。それじゃ何がいいかというと、税金、いまの高率のものの問題を解決していただいて、たとえば五割なら五割というものがびしっときまってしまえばそういう計算方法が自分の頭の中で簡単にできるわけです。ところが、ある人は、人によって動かなければならない。動くためは自分が時間をさかなければならない。ところがたいてい官庁というのはいつ来てもいいというのではなくて、時間がぴしっときまっている。そこへ行かなければ困る。そういうふうにしてにつちもさっちもいかなくなる状態がずいふんあって、結局うやむやにしてしまうと向こうの言いなりの三割になるわけであります。だからだれもがそういうふうにしなくてもいいように、この点は税務署がぴしっと頭から五割というものを天引きしてくれという状態ですと文句がない。それからだれもが社会悪を利用して隠し金をするということもなくなりますし、私たちが隠し金をしようと思っても、たとえば私はいま何でも屋と言われるようにやっておりますけれども、テレビやラジオ、お粗末な雑文も書いておりますが、これは全部ノックオフされて返ってきます。これは全部税務署に出さなければならない。非常に明るみに出ておるので、どうにもしようがないわけです。  それから先ほど法人のほうだったらどうだろうというお話があったのですが、これはことしになりまして法人関係が全くだめになってしまいました。これはいままではうまい隠れみのだったのですが、全くだめになってしまった。これは多少逃げ道がありまして証拠物件を持ってこい、この証拠物件というのはいわゆる領収書ですが、これを持ってこい。ところが領収書というのはなかなかもらいにくいものなんで、たとえばバーなんかに行って一々領収書をもらうのはばかにされてどうにもならなくなる。またタクシーに乗っても一々領収書をくれというわけにもいきません。そうなりますと領収書が百枚あれば何とかなるものが、二十枚か三十枚しかないということになって法人がだめになってしまう。それではどうしたらいいかというと、これは私たちの所属の場合ですと青色をしなければだめですから事業所得と結局同じことなんです。つまり法人であろうが、事業であろうが、個人であろうが、そうたいして差がない。むしろ全く差がないのじゃないかというふうな気がいたします。ですから先ほどから申し上げますように一律に、小学校の算術みたいな計算方式によるびしっとしたものを与えてくだされば、これが一番いいのじゃないかと思うのですが、そういうわけです。

堀昌雄日本社会党

○堀委員 終わります。

山中貞則自由民主党

○山中委員長 小松幹君。

小松幹日本社会党

○小松委員 芸能人の方々は日夜たいへん努力なさって国民の目を楽しませあるいは精神的な慰安をさせてくださっておることに対して私は感謝をいたします。  税金が高いということは芸能人の方のみならずわれわれ政治家もそれにはたいへん苦しんでおる。立場を変えてもっと税金を負けろということを私が言いたいくらいなわけであります。いまの税法体系で公平なる徴税ということが税務署の観念だろうと思うのです。ところが最近の世上のムードというか、芸能人あるいは歌手は、最近は少しはお下がりになったようでありますが、たいへんいい生活をしてたいへん金を取っておるという一つの世間の常識が税務署をしてそっちのほうに向かわせておるだろうと思います。最近はどうも国会議員が税金を出さないというわけで、こちらのほうにも相当そういうような風向きになってきております。要は私どもは必要経費を落とすわけにはいきません。実は必要経費があなたたちよりもよけい要るくらいに思っておるわけです。政治家の必要経費といったらいまあなたたちが言った以上の必要経費を持っておるけれども、芸能人の方々はもう一つ違った面の必要経費も要るのではないか。結局税金の問題を論ずる場合には、芸能人の方々の場合は必要経費のとり方が一番問題点になってくるのだと思います。先ほど言ったずっと前は半分くらいはもう必要経費で頭からとっていくというふうなやり方が、最近は個々にケース・バイ・ケースで必要経費を落とすことになったと思います。そうなるとやはり問題は納税する者の立場として非常に迷惑しごくになってくると思います。そこで分離課税の問題も出てくる。最近は証券の分離課税なんていう問題が出てきます。累進課税に対して分離していこうという考え方があるわけです。それにしてもやはり芸能人はその分離課税にしたからといってケース・バイ・ケースで税金を取られるのではないか。先ほど法人にしたらどうか——法人にしてあれば交際費はあるいは大まかに落とされる点もありましょう。しかし交際費以上に必要経費が出るのではないか。そこで徴税当局に向かって焦点をしぼっていけば必要経費をどうとっていくかという問題の一点にしぼられると私は見ておるのです。だから一、二の点についてそのことをお伺いしたいのですが、池部さんなり司さんは自分で申告をやりますか、だれかに頼んでやりますか。  それから女優とか歌手はよく結婚式に二千万円かかった、いや何千万円かかったというが、ああいうのは必要経費に落とすのですか、落とさないのですか。  それから芸能雑誌がたくさんございますね。その芸能雑誌に載るのと載らないのとでは宣伝価値がずいぶん違うのではないか。ところがえらいたくさん芸能雑誌はあるわけです。あれに一々宣伝費を使っておったら相当の宣伝費が要るのだと思う。宣伝してくれるのはありがたいが、おそらくただで芸能社は宣伝しないだろうから、どのくらい金を出しておるのだろうかと思っておるのですが、そういうところは必要経費で落としておりますか、どうですか。まず第一番に池部さんと司さんに伺います。

池部良俳優

○池部参考人 私の確定申告書というものを持ってきたのですが、いまお話しなさいました申告は、自分でもってやる場合もあるのですけれども、何しろ御存じのようにこまかいもので何が書いてあるかわからない状況でもって大体のことはいたします。ほとんど私が自分でもってやれるのは最後の明細書です。これは日記をつけておりまして、その日記に従ってうちの事務員がやっておるのですが、大体会社に総務部長がおります。総務部あるいは自分の気の合った演技課員だとか、そういう方たちや会社にまかせてやっておるという場合が多いようです。それからフリーの人たちはたいていどこかに所属しておりますので、その所属しておる事務員にやらせるとか、あるいは経理士と契約をして、そうして申告しておるようであります。  それから次の結婚費用なんですが、これは別に必要経費に落とされるものじゃありませんから、もちろんこれは世間並みのとおりにしております。最近は結婚式もあまり費用がかかってはいけないというので、中には何千万円という人もおりますけれどもこれは特殊な例です。たいてい招かれるほうが逆の立場で、つまり花嫁さんと花婿さんを結いて、二人をさかなにしてお祝いをしてやろうというので、逆に会費を出してやっておる、そういう意味では結婚費用というのは問題になりません。

庄司葉子俳優

○庄司参考人 大体そういうところなんですけれども、雑誌は二つに分かれるのです。たとえば「平凡」とか「明星」というのは宣伝をするという意味でお金は出ないということです。それからモデル料といういわゆるお洋服を着たり何かするのは大体七千円ぐらいは出ます。これは何枚着ても七千円というふうに出るようになっております。

山中貞則自由民主党

○山中委員長 こちらから払うかということ……。

庄司葉子俳優

○庄司参考人 ですから、「平凡」、「明星」といういわゆる俳優さんを宣伝するという場合には無料で出演するわけでございます。それから、お洋服を着る場合は逆にいただく。

小松幹日本社会党

○小松委員 そうすれば、ああいう特殊雑誌、「平凡」とか「明星」とか、いろいろあると思います。ああいうのに出すのは一応会社の宣伝材料になるだけで、あなたたちのほうからみずから宣伝費としては出さない、けれどもモデルになった分はモデル料をもらうのですね。そうした場合のは全部申告などはしますか。その辺……。

池部良俳優

○池部参考人 これは全くもう完璧に入っております。いま司君が言ったように映画雑誌の中でもってそういう二つ三つ、それから週刊誌、これは出てもこちらからもちろん出しませんし、向こうから原稿料も出ません。しかしまあ随筆を頼まれたりなんかする場合には、原稿料が舟橋先生の千分の一くらい参ります。それから総合雑誌の口絵なんかに出ますのは、これはもちろんこっちも払いませんし、向こうからも参りません。特殊なのは女優さんの場合が多いのですが、モデル、着物を着たりあるいは洋服を着たり、それから毛糸のどうのこうの、水着がどうのというようなモデルの場合はあります。これは額は私は知りませんのであとで司君からお聞き願いたいと思います。  それから薬屋さんだとか、よく自動車会社とか、そういう意味のスポンサー的なタイアップのしかた、それから専売公社へそういうような広告に出る場合、これは何がしかのモデル料が出ます。これは契約する場合と、それから一時的に出す場合と、これはもう額は非常にまちまちでして、しかし額はまちまちですけれども、絶対に税務署には提出しなければならないようにできております。

小松幹日本社会党

○小松委員 舟橋さんと池部さんの両先生にお伺いしますが、小説家の場合の必要経費というのは、コンスタントに考えた場合にはどういう種類があるかということと、特殊な場合、いまさっきあなたが言われた、家の隣にビルが建ったら静かでなくなって困るというわけで、特殊的にそこを買ったというような場合の必要経費なんというのは、まあ十年に一ぺんかしかないと思いますが、それ以外に必要経費というのは、どういうのがコンスタントに考えられているか、ちょっとお伺いをいたします。

舟橋聖一作家

○舟橋参考人 私どもの先輩であり、また先生でございますが、里見=先生に言わしむれば、生命必要経費と言っていられるわけです。全生活が必要経費だという考え方をしていらっしゃるわけですが、まことに、そう言うとかえってこれはやぶへびになっていけないかもしれないのですが、実際問題としては私どもは小説を書くという場合は、小説の原稿紙の前に向かって、机の前に向かっているときだけではないわけでございまして、日常坐臥、どんなところでも小説というもののひらめきが来るのであります。一種のインスピレーションと言いますか、ふろへ入っていても起こりますし、電車の中でもふと思いつくといいますか、その霊感が参りますので、いつ何どきというような型にはまったものじゃないわけでありまして、したがって実際捕捉しがたいと思うのであります。しかしながらそう言っていてはきりがないので、先ほどの五〇%が出たんですが、大体においてわれわれとしてはそれを書くために必要な経費というのは、大ざっぱに二つに分けてみますと作業費と取材費というふうな考え方がありまして、書く場所がほしい。それが家事関連とあまり複雑に接触しないような場所で書きたい。先ほど一番初め私申し上げたんですが、女房のせき払い一つが気になってしまう。ことに女流作家の場合は、だんなさまのことなどは非常に神経的になりますし、それから御用聞きのことでも、男の作家よりも女の作家のほうがより神経を使うので、御用聞きが来ただけでももうその小説が中断してしまって書けなくなっちゃうという例がたびたびございますようですが、したがってわれわれの必要経費の中の一つは、その作業をするために必要な場所とか、そのために必要な飲み食いとか、かん詰めになってホテルで作業をしております場合に、飲んだり食べたりした場合には家事関連とは関係のない給食みたいなつもりで食べているという点で、これはまあ必要経費に入るんじゃないか。  それから取材費のほうは、これは先ほど申し上げたとおり、たとえば潮来に行ってひとつ書きましても、それは行ってもだめだったということもございます。私どもの場合「雪夫人絵図」という小説があるのですけれども、それは野尻湖で最後に死ぬことになってロケハンをしたわけですが、それは最後にそこに行ったので、初め箱根に行って箱根の湖水に二晩くらいいましたが、どうしても夜中にモーターボートが通るのでここでは死ねないので、そこで裏磐梯に行きまして、またその場所を観察しましたところが、またそこでもどうも死ぬのに不適当であるというので野尻湖まで行って、ようやくその場所を得たということになりますと、その点は税務署のほうでは、国税庁のほうでは最後の場所だけはわかるけれども、前の二つのミスした場所についての取材は認めない。これが私ども一番痛いところで、実際に動いているのですからと言っても、汽車の切符まで実は証拠がない。これは二等で行ったか一等で行ったかも実は確証がない。そのために切符だけは取っておいて——改札口で渡さなくてもいいようにしてもらえないかとこの間綾部さんに頼んでみたのですが、そういうこともいままで国鉄でやったことがないらしいということでございました。実際言うと展望車で行ったか特二で行ったかもわからないわけです。そういう点も実は大ざっぱに大体これはこうだと申し上げるのですが、それでもなかなか信用なさらない場合もあるわけです。大体日記を書けということになっておるのです。日記を書けということは、七月なら七月の一、二、三と毎日ずっと書け。これは去年東京国税局のやはり直税部から出た案でございまして、これなどは実に人権じゅうりんもはなはだしいのじゃないかと私は思って、まあ実行していないのですけれども、実際問題としてはやはりそういうふうに問い詰められてきますので、大体私の申告に関しましての付録の収支の決算につきましては、ほとんど日記的であります。幾日から幾日まで箱根に行っていて、こう書いた、幾日から幾日までどこへ行っていたというふうに。それで毎日毎日がほとんど日記的に書かないと御承知がないといったよな状態で、これではたまらない、こんなにまで事こまかにということになりますと、これはちょっと特高以上じゃないか、昔の特高がずいぶん調べましたが、このごろの国税局のあり方は場合によると昔の特高以上に身辺を脅かすものがあるのじゃないか、その点を非常に心配するわけであります。御質問の要旨と異なるかもしれませんけれども、こういう必要経費のあり方についての考え方は、私は実は国税局あるいは庁のお考え方が悪いとのみはほんとうは考えてはいないのです。ほんとうはやはり一部資本家たちが、われわれが少し収入が多いことに対する嫉妬があるのじゃないか、その声が国税局あるいは庁に投書の形その他において、あるいは談話の形において、また有力者間において交換されるところの対話のうちにおいてもどうも出ているのじゃないか。これはジードの有名なるソビエト紀行の中に、ソ連も流行歌手の収入の過大についてはどうすることもできないということを書いております。ジードはソ連に行って一応ソ連に感化されたのですが、そのときに彼の鋭利な眼光で見たものは、それの不均衡ということだったに違いないのでありまして、流行歌手というものが多過ぎるということについてのソ連当局の悩みというものをジードが書いております。これは実際問題としてどうもしょうがないことじゃないかと思うのです。しかしその場合に、嫉妬は必ず起こると思うのです。先ほどから申されておるところの美空ひばり云々、あるいは女優の結婚式の費用のばく大なことにつきましても、一部の人の嫉妬反目があるやに思われるのでありまして、これは先ほども申し上げたとおり、確かにあまりにぜいたくなことをやるのも悪いけれども、それを見ている人たちがやはりこれを穏やかならぬと見る感情の中に嫉妬排他の心がある。しかもこれは資本家の中にあるとぼくは思っております。資本家というのは金には非常に敏感なものですが、われわれは実はそんなに敏感じゃないわけなんです。実際いうと金をどうしていいかわからない。たとえ金が入ったにしてもどうしていいかわからない。またどうしていいかわかってはいけないとぼくは思っているのです。どうしたら金がふえるかということを考えちゃいけない、それを自分の鉄則としているわけです。ですから預金程度です。それ以上に自分が金を動かして金をもうけようという精神が起こりますと、芸術家の意欲が減るのです。これはもう確かで、私がいま巧言令色をもって皆さんを説得しようというのじゃない。確かに金をもうけようという気があるとだめです。だからぼくは、いま隣りの地所に駐車場をやったらどうだ、そんなただ利息を払っていないで駐車場をやったらどうだということをずいぶんすすめられますけれども、そんなことをしたら芸術家としてはおしまいなんです。だからわれわれとしては、金のことには実際鈍なんです。しかし非常に鋭なる人があるわけです。その鋭なる人にとっては、われわれの収入が多いということは何か非常にふかしぎに思われる。その感情から、必要経費はなんということを言っているのはなまいきだというお考えが資本家の多くの頭の中にあって、それが実は国税局をバックアップしているに違いないと私は察知しているのです。ですから私はさっきからずいぶん国税局の悪口を言ったけれども、実際はある程度はむべなるかな、しかたがないという点もあると思っているのです。けれども私はここで声を大にして一向いたいことは、われわれの読者は嫉妬していません。大衆は案外嫉妬していません。大衆の声でわれわれが糾弾されるならば、それはわれわれもいさぎよくシャッポを脱ぎます。われわれの直感で、われわれはよくわかるのです。受けているか受けていないかは実によく自分でわかる。それだけで商売しているのです。ステージに立っても、自分が受けていないということはよくわかるわけです。われわれ小説家は、読者が読んでくれない場合はちゃんとわかる。読んでいる場合、受けている場合は行間まで読んでくれる。われわれの書かないところまで読んでくれる。一行一行の間まで読んでくれる。それはみなわかるのです。それが必ずしも教養のある人とは限らない。髪結い屋さんのすき手までも、受けている小説は行間まで読んでくれます。それから一つの小説をみんなでぐるぐる回して読んでいますから、買ってくれなくても読んでいるのです。実際には印税を払わなくても、私の本が売れなくても、その本を回して読んでいますから、受けているときはすぐわかります。受けている場合は、ステージの場合でも何でもそれはほんとうにわれわれの収入である。それを大衆に嫉妬があって、われわれの取り分が多過ぎる、われわれの収入が多過ぎるということであるならば、われわれはほんとうにいさぎよくこれをお返しすることもいいと思います。しかし一部の資本家が自分たちの金に鋭なるがゆえに、国税局に投書なりその他をしてわれわれの税金をよけい重税化しようという傾向がぼくはあると思うので、その点も代議士諸公は公平なる立場で資本家の態度もひとつお考えくだすって、われわれと資本家との間に一種の不利があるのじゃないかというように考えます。これは必要経費を三割にされたが、なぜ五割ではいけなかったかということについて、そういう節の言説を私は感ずるのです。その資本家たちが三割は高いとか、三割でも高いとか言っている声が私の耳底に響くのです。だから私は、この問題は必ずしも官僚だけの問題ではないし、また国会だけの問題ではなくて、もっと根深いある種の資本象の考え方に支配されておるなと思っておりますが、これはごく内輪の話でここだけで申し上げることですが、別にそうかと言って私は資本家に向かってぶつぶつ言っておるわけではないのです。しかし、ひっくるめて国税局に一応公正な徴税をしていただきたいということで、われわれの立場をぜひひとつ十分に考えていただき、大所高所の国家的見地から、もう少しわれわれ芸術家の生活を保護していただきたい。われわれとしては実際問題として、歌舞伎俳優にしてもアメリカに行けば日本の歌舞伎役者と言って国家の代表みたいな顔をしなければならないときがあるし、国家のほうだってその歌舞伎俳優を自分たちのもののような顔をするじゃないか、それなのに税金のほうでは一向寛大さがないということにつきまして、あまりに虫がいいじゃないかという点がございますから、歌舞伎俳優などに対してももう少し御同情願いたい。私はきょうはたいへん歌舞伎俳優を弁護いたしましたが、こちらにいらっしゃる映画のほうは御自分でおっしゃるから、代弁して申し上げたような次第でございますが、どうかその点を御理解願いたいと思います。

池部良俳優

○池部参考人 私のほうは自分で申しますけれども、こまかいことなんですが、ここに事業所得収支明細書芸能者用というのを参考までに持ってきたのですが、これは私自身数字がどの程度どうなっておるのかわからないのですが、しかしこの収支明細書の中の必要経費の欄を分けて幾つかございます。十以上あると思いますが、この欄をどういうふうにお分けになったのか知らないが実によくわからない。たとえば衣装代というのは、おそらくたとえばこういう服なんかだろうと思いますが、こういうものは私たちにとってたいへん大事な項目ですが、ある意味では税務署の方が非常ににっこりするようなところだと思います。と申しますと、映画に出ます映画衣装というものは、会社の製作費の中から出しまして、私に着せます。終わってしまえば、これがそのまま経費に落ちてしまう、これは会社側の話で、私たちのほうの関係はほとんどありません。しかしそうなりますと私たちのほうの主張することがないのですが、先ほど申しましたように、シャツ一枚で歩いてもちょっとぐあいが悪い、げたでもちょっとぐあいが悪い。やはりくつをはきたい、はかなければならない、そういうような意味での衣装代が相当かかります。ことに女優さんの場合は、やはり多少の流行も追わなければならないし、ガラスのまがいよりもダイヤのほうがすべてにおいてぐあいがよろしい。これはぜいたくという意味ではなくて自己宣伝——この自己宣伝ということもちょっと気になるのですが、それ以外に言いようがないので申し上げますが、そういうことでもってお金がかかる。  それから次に化粧代というものがあります。この化粧費というのもよくわからないのですが、実際の化粧から申しますと、やはり現在のところほとんど会社持ちです。あと会社持ちでないのは、たとえばモデルに出るとか、野外に出るとか、自分はそのきたないのを使いたくないとか気に入らないというような場合ですと化粧代というものが非常にかかります。  その次に中日の祝儀というのがあります。この中日の祝儀というのは古いことばで、歌舞伎の方面ではいまでも舞台の中日というものをつくりまして、ちょうどまん中、三十日やっておりますと十五日目ぐらいに大道具、小道具その他つけ人に対するいわゆる御祝儀を出して、よくやってくれた、またお願いします、こういう意味で出すのが習慣でございますが、映画関係ではこれがほとんどありません。ありませんが、それにかわりましてゆすられ代というのはつくってもいいと思うのです。これは私たちゆすられるというのは、何も暴力団だとかそういうものばかりにゆすられるのではなくて、町内からのゆすられ代も多いのです。たとえば隣の田中さんのところでは池部さんに聞いてくれ、こう言っている、しようがないから、それじゃ百円、百円というのはないよというので、結局あなたのところは千円だ、大福帳をずっと並べて見てみますと、千円というのはぼくのところだけだというふうになっていて、これはゆすられ代と言っては失礼かもしれませんが、そういうことになっておりますし、それからおみこしをつくったからどうだとか、それから消防署でもってちょっと宴会をやりたいからどうだとか、警察で何かしたいからどうだ、これはもちろんやっていいことなんですけれども、御近所の、つまり町内の一員としての振り合いからいうと、まことにけたが違ってくる。そういうふうにして、あらゆる意味のゆすられ代というのがこの中日に相当するものだと思っております。  それからあと光熱費、公租公課というのがございますけれども、これは一般の方とみなしてくだすってけっこうなんですが、その次に研究費というのがございまして、この研究費というのが実によくわからない。舟橋先生の場合ですと、やはりそういうふうにして、夜中にモーターボートが通ったのでは死ねないからというので、よそへお回りになって、キャンセルされた。そういうふうになりますけれども、私たちでも、先年、私は東京生まれで東京育ちなんですから東京のことば以外にはまるきり能がなくて、その能がないのが大阪弁をしかもたいへん占い大阪弁をしゃべらなければならない芝居を仰せつかったわけです。そこで一生懸命勉強したのですが、まずテープレコーダーを買ってきて、テープレコーダーとともに大阪に参りました。その大阪に行ったときには、決して製作費の中から落としてくれません。自前で、あまり汽車がのろい、といっては失礼なんですけれども、あまり好きでないものですから飛行機に乗った。飛行機と汽車との差というのはがまんしてもよろしゅうございますけれども、とにかく交通費がかかった。それから大阪に行って先生を頼んで、あのときは四日か五日勉強いたしました。結果においては不満足だったのですけれども、そういうものは別に先生から領収書をとるわけにもいきませんし、せいぜいあったのがテープレコーダー代ぐらいで、あとは宿屋のほうもちょっと忘れてしまって、うっかりしてしまった。しかしそれは研究費といって私たちが出しましても、そんなのはあたりまえじゃないかというような言い方をされて、そのまま終わってしまいます。それから女優さんなんかでも、この間馬に乗ったときに、乗れない人がいて、これを馬に乗せるために一生懸命みなが勉強させた。当人もその気になって馬をやったのですけれども、やはり馬を借りるためには一時間二百円なり三百円かかる。中には、くらまで買った人もいる。そういう熱心なのもおります。くらを買った日にはたいへんなんで、何万円もかかってしまいます。それから先生は演技課から俳優さんが出てくれたのですが、これはただなんです。しかし人間にはただよりこわいものはございませんから、そこで多少なりとも差し上げる。これは領収書をとるわけにいきません。そういうふうにして、その研究費というのは非常にやはり範囲が広うございます。  それからずっと下がりまして、広告宣伝費というのがございまして、私はここの欄には何も書いておりません。と申しますのは、先ほど申しましたようにすべてが勉強であり、すべてが自分を守るためだ、こうなりますと、ある意味で宣伝費というのがなくちゃとても追いつかないのですが、宣伝というのは何かをつくったときにどうかしなくちゃいかぬという公的な考え方からいって、宣伝費が全くゼロの状態にあります。しかしこれはいろいろな本に出るとか、あるいは道を歩くときに服装が要るとか、車が要るとかいうことが、精神的な意味においても宣伝費が絶対に必要でありまして、どんなに内容がよくても形が伴わないと困る、つまり馬子にも衣装というのがこの宣伝費に当たるわけでございます。  その次に接待交際費、これがまた非常に大きな率を占めるのですが、私の欄ではわずかに一割しか認められておりません。たとえば、そういうことを言ってしまえば、もうそれが全部ひっくるめられるのだというふうにお考えになるかもしれませんけれども、非常に人間関係の強い生活をしておりまして、たとえば監督と俳優、もう仲の悪い監督だったらばあいつは使わないということになりますし、仲が悪い重役であると——いま私は私の専属している会社の重役さんのほとんどとけんかしておりますので、たいへんぐあいが悪い。そうしますと、たまにはどっかへひとつ皆さんをお呼びして、仲よく歓談をということになるのですけれども、この歓談をする資本金が要ります。その資本が結局仕事につながるわけなんですが、これはまあよその会社でも、どういう会社であっても、部長さんであろうが何であろうが、そういうことは大なり小なりやっているのだから、それはがまんせいとおっしゃるのですが、しかし非常に高率を占めるということが多いので、これはぜひ一割なんというのじゃなくて、もっともっと認めていただきたい。これがほとんどがこういう状態に入ります。  それからずっと下がりまして、消耗品費というのがございますが、これが何だかよくわからないのですけれども、消耗品というのは私たちに非常にたくさんあります。これも一般の方とその必要程度を異にいたしまして、女優さんで言ったら、たとえば美容院の問題なんかもそうでしょうが、三日にあげず美容院に行く。三日にあげずということばがいけないのでして、やはり三日ごとに行かなければきれいな髪形ができない。自分ではできない。やはりいい髪形にしておく、これが女優さんとしての身だしなみであり、自分を守ることである。とすれば、普通の奥さんが三日にあげず行ってしまったら相当家計に響くのでしょうが、これはやはり商売のものだろうと思うのです。ですから、これが三日にあげずが一日にあげずであっても、ぼくはかまわないと思います。そういう意味の認められ方。  それからあとはずっと大体普通の方の——普通というと変なんですけれども、私たちの商売以外の人たちと同じような考えでけっこうなんですが、福利厚生費というのがございまして、これがわずか〇・三%ぐらいにしか当たっておりません。これはおそらくいわゆる国民年金その他なんだろうと思うのですけれども、先ほど申し上げましたように契約状況というのは一年間でございますので、一年の間に自分のからだをいかにしてキープしておくか、つまり私たちは頭はなくとも、中身はなくても、骨と皮さえあれば商売はできるのです。皆さんは骨と皮はなくても多少は生活していらっしゃれる。しかし私たちは骨と皮がないとまことに役に立たない仕事でございますので、この骨と皮を維持するためにいかにしたらいいか、そのための保障はやはり自分でもって保険をかける、あるいは社会保障をよくしてもらうというようなことでもって、この福利厚生については相当な努力を払いますので、これも大幅に認めていただきたいという意味で、この必要経費がこういうふうにこまかく書いてありますけれども、無理にその中に押し込めてしまうのです。もう少しよく私たちの生活の内容を調べていただいて、条項の分け方を考えていただきたい、こう思います。

小松幹日本社会党

○小松委員 たいへんごくろうさまでございました。  やはり税金の問題は、われわれ国会で法律を変えてやる場合と、事務的にやらなければならぬ場合があります。私は、法律を変えるという場合にはいろいろな芸能人だけを特別ということもできない、累進課税をどうすることもできない面も出てくるだろうと思いますが、やはり問題は必要経費のとり方で解決する以外にはいまとしては方法がないのじゃないか、いままでどおり五割なら五割、そうでなければいろいろ言ったとしてもなかなか問題は解決ができないと私は思う。ここで今後私どもはこの芸能人の必要経費というものをどうとるかというのを事務段階で詳細に研究してみたい、こういうふうに考えておるわけであります。  以上で質問を終わります。

山中貞則自由民主党

○山中委員長 春日一幸君。

春日一幸民主社会党

○春日委員 ただいままでいろいろと御高見を拝聴いたしたのでありますが、私の受けました印象では、芸能家を含めて、わが国の芸術家の所得に対する徴税制度というものは何となくまだ星雲状態にしかないのではないか。固まっていない。税務署はこの法律をしゃくし定木に解釈、適用して、やりたいことをやっておる。そこで芸術家ははなはだ苦しんでおり、中には適当な自家調節を行なっておる人もある、こういうようなことに私は印象を受けた次第でございます。したがいまして、この問題はいまや一個の社会問題にも政治問題にもなりつつあるわけでございますから、早晩、合理的な解決、妥当な措置がはかられなければ相ならぬのでございましょうが、そのことは、しょせんは国民の代表である国会においてその問題を所管する本委員会と、当事者でありますあなた方との共通の理解と努力によってその成果をはからなければ相ならぬかと思うのでございます。こういう意味で、もう時間もございませんし、伺えば舟橋先生、昨晩御徹夜でございまして、早急に結論をつけろとの委員長のアドバイスもございますから、むしろ問題を投げかけて、ともに今後の研究をいたそうというような意味で、いささか所見を加えながら御質問をいたしたいと思いますので、よろしくひとつ御答弁を願いたいと思うのでございます。  そこでまず第一番に、私は舟橋先生にお伺いをいたしたいことは、芸術家の創作活動といいましょうか、芸術家の芸術活動というものは、所得を得ることを直接の目的として活動されておるのであろうか、それともいい作品をものしたい、いい作品をものすることを目的としてその芸術活動をされておるのであろうか。これは人さまざまでございましょうが、本来的にはいかがなものであるか。また大部分の人々はいまどういうような心境、心がまえで芸術活動に携わっておられるものであろうか、この点をひとつ御見解をお述べ願いたいと思います。

舟橋聖一作家

○舟橋参考人 だんだん話が専門的なことになってまいりますので、うまくしゃべれるかどうかと思いますが、私はかつて当て込みということをもって創作したことはないのであります。当て込みというのは、何かそれによって利益を得ようという腹づもりでございます。自分の例を申し上げてはなはだ申しわけないのでありますが、ごく最近、私は滋賀県の彦根市の名誉市民というものにしてもらいまして、この間三十日の日でございますが、その名誉市民賞第一号をもらって帰ってきたばかりなんであります。これは、たまたま私の小説の「花の生涯」と申しますものが彦根市の人たちにたいへん歓迎されまして、しかも観光客を誘致することにおいて、まあ非常に功績があったということをもちまして、彦根の市民会館で式がございまして、その市民賞をいただいたわけでありますが、これなどは全くもって私の思わざるところでございまして、私はかつて名誉市民になろうなどと夢にも思ったことはなかったのであります。「花の生涯」という小説を書くことにのみ一心でございまして、そういう当て込みで、将来もらえるかもしれないというようなことを考えて書いたのじゃないわけでございます。したがって、創作の動機は絶対に純粋でなければならないのでございまして、多少とも何か当て込むという場合は失敗するに違いないのであります。私の場合はその点はいつも考えておりますが、大量に売れるということを考えたらもうおしまいでございます。大量に売れることは望ましいかもしれませんけれども、それを目的として多少とも筆に何かを加えるというようなことがございますれば、これはだめなんです。「花の生涯」の場合でも、もしも井伊直弼にいささかなりとも技巧をもってして、そして彦根市民の何かになろうというようなことを当て込んだのであったならば、あの作品はきっとうまくいってないと思いますが、私は夢にも考えずにまっすぐあれを書いた。先ほど池部さんは、作者がなくても役者がいればとおっしゃいましたが、私のほうも実は役者のことを考えたことはないのでございます。映画になろうなどと思ったことはないのでございます。たまたま映画になるのであって、それはたまたまなんです。絶対にこちらが考えて映画的に書ごうといったら、創作というものはだめなんです。ですから、たとえ同じ芸能人といいましてもみな違いますように、池部さんには池部さんの見識をもって映画俳優たる自負をお述べになったわけですが、私もまた映画俳優をたよって小説を書いたことは一度もない。あれば、それは御用作家だ。御用作家というものはあわれなものであります。自民党の御用作家というものがありますか。あるいは彦根市の御用作家というものがありましょうか。たまたまフルシチョフの場合は、御用作家とは言わないが、ホーヘイだと言っているので、この点に関しては私は疑義を持っております。これは志賀直哉先生がやはり主人持ちの小説家はだめだということを明言されたので、われわれはそれを宗としておりまして、主人持ちあるいは御用作家になるという気持ちは全然ない。とするならば、われわれはいつでも自分の創作は純粋ですから、はなはだ極端な例を言えば、恋愛でも実は私は、自分のことはまだかつてその点でほんとうに恋愛だと思ってない。そうすると、たいへんどうも女房や何かに悪いということになるかもしれませんが、私の場合は夫婦生活であれ、恋愛生活であれ、何であれ、そのかわり全部小説なんです。小説というものから離れられない。小説以上の主人がないのです。小説以外の女がいない。小説だけで、つまり自分の一生をやってきた。したがって、私の朝、飯を食うのから何から全部これ小説なんです。さっき里見=の生命の必要経費というのはよくわかるし、これは私の身辺におります。私の生活を知っておる人たちが、ぼくがいかに純粋に小説的であるか、つまりどんな、一番大事なものでも、実は小説のほうが大事なんです。これはどうも相手を傷つけることになりますけれども、私としては家事関連費などについてとやかく言われるのは、自分としてははなはだ見当違いだと思っています。家事関連でさえも私の場合は小説なんです。家事関連であると同時に、それは私としては小説なんです。それ以外に実は自分の主人がいない。それはわがままといえばわがままですね。たとえば主人を持っている方々から比べますと、何というわがままだということになります。ですから、その点はわがままかもしれません。しかし、私としては実は女房のしりにも敷かれない。これは、そのある瞬間において小説家なんですから、どんなときでも小説家なんです。それはつまり女房と飯を食ってても小説家なんですから、その点でどうしてもそれは私は譲らないのです。自分の魂を女房に売れないのです。小説家としての魂をどうしても自分の一番愛している者にも売れない。変な話ですが、孫みたいなものはずいぶんそれは動揺しますよ。孫なんというものは実にかわいいから、私もときどきふらふらっとなるわけです。普通の者にはとてもならない。それよりも小説が大事だと思っているんです。だから私の場合、五割というのはこっちが甘く考えたことであって、ほんとうは、自分のあらゆることは、あらゆる動きは全部を必要経費だと思っていますよ。ここへ来るのだって自分は小説のことで来ている。あらゆることは小説のことに還元するように自分で生活していますから、それはそうなんですけれども、そう、言ってもしょうがないから五割という数字が出てきたわけでありまして、いま御質問くださった力に答えるならば、その点は決して誇張でも何でもない。私の生活を見てくだされば、一週間ついてくださればおそらくそれは納得がいくと思うほど、私の日常はそういうふうに自分自身をちゃんと整理しているつもりでおります。これは私の秘書なんかもちょうどここにおりますけれども、おそらく私の秘書に対しても私は恥ずることなく言っていると思います。これは、もしもぼくの言っていることがうそなら、私のうしろにいる秘書は何と言ってやがるんだと思いますよ。しかし、おそらく私の秘書は、私の全生活を小説にかけているということに対して、私がうそを言っていないということを証明してくれるだろうと思いますね。それくらい一生懸命にやっておりますから、よろしくお願いいたします。

春日一幸民主社会党

○春日委員 ただいまの御意見によって明らかになりましたことは、少なくとも作家がその創作活動をされます場合は、その金銭収入はもとよりのこと、そのことによっての反対給付はいささかたりとも念頭に置いてはいないので、そうしてむしろその作品をものにすることにもっぱら没頭して、その作業がなされておる、こういうことが明らかになったと思うのでございます。だといたしますると、私がここで考えさせられますることは、ならば、そのような芸術家の所得というものは、いわゆる税法に言う所得とは異質のものではないだろうか、こういうことでございます。すなわち、芸術家が芸術活動をしたその結果として不可避的に発生したところの一個の貨幣というようなものであって、御本人としてはそんなものがあろうとなかろうと全然関係がない。たまたまそういうものが発生してしまったものだから、これが税法上の問題の焦点となってさまざまな問題を連鎖的に起こしておるというにとどまるものであって、所得を得たからさてどうという問題ではないのではないかと思われるのでございます。わけて、さきに舟橋先生の御開陳された心がまえから判断いたしますると、芸術家というものはその芸術生活に没頭せなければならない、ほかの経済事業なんかは断じてやってはならない、こういうふうの御心事であって、まずそのことを実行されておる。だといたしますると、たとえばここに舟橋先生の創作活動から発生したところのその金銭所得というものは、いわば一般的にその金銭の持つ本来的な流動性、すなわち経済的価値というものはそこにはないように思うのでございます。ただ漫然と金が出てきたからそこに金があるというだけのことであって、それが次の経済活動の原資になるものじゃございません。ただあるからあるのであって、税金がかかってくれば取られるというようなことで、世に言う、経済社会に言う、また税法上に言う所得とは全然効用価値もその本質も違う金銭というような感じがするのでありますが、その点の実際的なあり方というものはどういうものでございましょうか。これをひとつ先生からありのままに御見解をお述べいただければしあわせに存じます。

舟橋聖一作家

○舟橋参考人 先ほどからもそのことについて触れていたと思いますけれども、つまりお金が入ります。その金はただたんす預金をしておきましても火事になって焼けてしまうこともありますから、銀行預金程度のことはいたしますけれども、それをもって何か商売をしようというような気持ちには全然なりませんことは、たとえばいまの名誉市民賞をいただいたのも、むろん喜んでいただいてはおりますけれども、もらおうと思って書いたわけじゃない。書く前は全然そんなことは考えない。書いたものがたまたま金になる。これは読者がくれるんだ。もしも私が歌をうたって帽子を持って歩いたら必ず金が入りますよ。人間は絶対に歌を聞いてただで帰るということはないのです。だから映画を見たら金を払うのは当然であって、本を読めばその代価を払うのが当然である。それの製作費というものがあって、印刷費というものがあって、そうして新潮社なら新潮社のもうけがあって、残った印税は舟橋聖一にくれるのはあたりまえである。だからそれはありますけれども、それは名誉市民賞をいただいたのと同じだと私は考えるわけです。ですからその金は、確かにいまの質問の方のおっしゃったとおり、その所得の意味は営利を目的としてそこでできた収入とは違うのだ。言うならば、昔の宗教家が喜捨を得たようなものではないかと思っているのです。それはいまの宗教家はわかりません。私は無宗教です。したがって私はいまの宗教家はどういうものかという点は、ここでは問題を持ち出しませんが、昔の宗教家は大衆が勉強させた。たとえば延暦寺へ叡山へ日連を派し、親鸞を派し、勉強させたかわりに彼らの生活を見てやったというようなところがございました。さっき池部君が言ったけれども、芸術家というものはふしぎな商売で、勤労が多いほどいい。役者なんか実にふしぎなんです。いい役についてせりふが多いほどいい。これは普通の収入と違う。普通の収入は収入に該当するところの勤労でバーターになる。ところが役者衆は少しでもよけいせりふを言いたいというふしぎな労働者なんです。だから労働者でないかもしれない。つまり役者衆というものは、自分がただでも働きたいのですよ。そういうものがある。そうかといって、全然しろうとじゃないのですよ。やはりそれで金がとれる人なんです。読者はしろうとには金は出さないのです。観客はしろうと芸人には金は出しませんよ。くろうとだから出すわけです。だからその金は当然池部君のふところに入っていいわけですよ。しかしそれは初めからもうけようと思って歌ったりうつしたりしたものではないわけですね。私たちの書くものでも、その点では自分自身が書こうと思って書くのであって、それが何とかになろうとか何とかをもらおうとか、たくさん売れるだろうとかなんとかかんとか、全集に入るだろうとかいうことは予想も立たない。その一例としましては、川端康成氏が、大衆文学を書くよりも純文学を書いたほうがもうかると言った。もうかるということはおかしいけれども、実は金をあてにしないで書くもののほうが金になることがたくさんあるということを言っているのですよ。そして純文学の作品は初め金のことを考えないで書くのです。そうしてそれが実は自然に売れてくる。十年たち、十五年たつと、川端さんのものなんかも非常に売れてくる場合がある。そうしてかえって金になるからと思って書いたものは売れないことになっちゃうのです。そういうことがある。だから川端さんがよくそういうことを言いますが、純文学をやったほうがいい。純文学をやれば、かえってあとで金になる。金になるからうれしいというわけではないけれども、そういう例が多いのだ。だからわれわれは金のことを考えないで、それから名誉市民になろうなんて考えないで黙って書くべきであって、そしてその結果が金にななったら、それはおのずから読者がくれるのだから、もらっておかなければならないのじゃないか。その場合に全部新潮社に取られちゃうというようなことはそれはどうも間違ったことじゃないか、その利潤の分配は間違っているんじゃないか、だからその利潤の分配が間違っているようなときがあったならば、それについては抗議をしたり何かしますし、税金で取られちゃうと、いま私がもらった名誉市民賞を取られると同じようなものだから、それについて抗議はしますけれども、それじゃ税金をかせぐために書くとか、そんなようなことは考えたことがないということを申し上げておきたい。これは僕だけじゃないと思います。これはおそらく少なくとも根性のある作家ならば、その点は大部分を売ろうがためとか、いわゆる売らんかなの態度で芸術はできないということは、これは根性のある作家はむろんですけれども、大体作家たらんとするときに、まず初心としてこれはあるんじゃないか。私は四、五日前の毎日新聞の朝刊に「私の小説作法」という題で書きましたが、その中にもいろいろな自分の態度を書いてありますが、教科書になるということを考えないこと、教科書などでへたな教育的な立場なんかに立たないようにしたいこと、それから大部の部数を売らないようにしたいことなどという一つの自分自身に対するブレーキをかけておりますが、それだって自然に入ってくるのはしようがない。しかしそういうことを目的としてやっちゃいけないということをちょっと五、六ヵ条書いておきましたが、いま記憶が健忘しておりますが、その点でも、自分の態度はそこに十分にあらわしたつもりでおりますが、その点に間違いがないことを申し上げたいと思います。

春日一幸民主社会党

○春日委員 そういたしますると、芸術家の製作活動なるものは営利を目的とするものでもないし、またあってはならない、こういうことが明らかになりました。事実上この経済社会においては営利を目的として活動してもなかなかもうからないのが現実でございます。いわんや営利を目的としない行動というようなところから営利が発生する、利潤が発生するというようなことはまれなことと申さなければ相ならぬでございましょう。さればこそ、古来芸術家の台所は乏しきものとされておったと思うのでありますが、しかしここにたまたまごく少数の流行作家でありまするとか、スターでありまするとか、こういう人々にその所得が発生しておりますということは、言うならばこれは少数異例の特異現象である、こういうふうにわれわれは認識しても、そんなに事実関係にあやまちはないと思うのでございます。何万人かの志を同じくする志望者の中からわずか少数の者が志を遂げて、流行作家なりあるいはスターの座にすわるということでございまするから、したがって税法上もそのような事実関係を把握して課税の方式が定められていってしかるべきではないかと思うのでございます。わけても私は、特に当事者の皆さま方とわれわれ委員との間で共通の理解を持ってその解決の方向についての大体の心がまえ、めどを統一してかからなければならぬと思うのでありまするが、やはり法律というものは相当の普遍性というものがなければならぬ、あるいはその基準というものが、一個の合理性というものがなければならぬと思うのでございます。しかし、芸術作品から発生するところの所得というもの、これは必ずしも、芸術価値と経済価値というもの、あるいは商業価値というものは正比例し得ない現状にあるのではないかと私は思うのでございます。たとえばここに一茶の俳句があります。「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」という、こんなわずかなものがございましても、しかしその商業価値はどういうものであろうか、雑誌社に持っていったとしても、わずかそれだけの文章があるだけでございますから、商業価値としてはたいしたことはないし、それからそれを一冊の本の中にそれだけ書いて売り出したところで、私はたいした企業収入ははかり得ないと思うのでございます。けれども、その一つの俳句に含蓄されております芸術価値というもの、これは非常に高価なものではないか、こういうふうに判断をしてまいりますと、その芸術価値というものと、それのもたらしたところの商業的あるいは芸術的価値というものには全然相関性がない。だといたしますと、そういうような芸術家の所得に対しまして、一律の経済上の観念でもって税を課していこうということ自体が本来的に無理ではないか、不可能なことではないか、こう思われるのでございますが、この点について舟橋さんの御見解はどのようなものでございましょうか。

舟橋聖一作家

○舟橋参考人 まことにごもっともなお話でそのとおりだと思うのでございます。芸術的価値とは営利を目的としない、それは先ほど池部さんから私の原稿料は千倍に該当するというお話がございましたが、私自身に関しましても、原稿料の評価は、ただいま申し上げたように純文学と大衆文学の場合非常に違いまして、さし絵のない小説の場合は、たとえばそれがかりに一枚千円といたしますと、やはり十分の一ぐらいの額に当たるわけでございます。したがって、これは国税庁のほうでもやっとわかってくれたわけでございます。初めはわからなかった、大体どこの雑誌も同じくらい出すんだろうと思っておったのであります。ところが純文学の場合は、私の書いたものでも大衆文学として書いたものとはたいへんな差がございまして、十分の一ぐらいから十五分の一くらいまでに及ぶことがございます。そういうことはなかなかわからなかったのですが、やっとこのごろわかりまして、たとえば「新潮」「群像」「文学界」などという雑誌に書きました小説は非常に安く書くわけでございます。だから、私のほうは実は金のために書かない、金がよけい入るからよく書こうと思ったことは一度もない。そして、むしろ安いほうの原稿のほうに力が入ってしまう。これもふしぎな現象ですが、それはうそではないのです。絶対にうそではないのです。私の書いたものはやはり「群像」「新潮」「文学界」に書くもののほうに力が入ってしまう。そう言っては悪いのですけれども、たくさん金をもらっておっていいかげんなことを書いておるわけじゃないけれども、それはたまたま入るから入るのであって、どちらかというと絵なんかの入らないほうの小説のほうに私としては力がこもってしまう、書いてしまうということだけで、普通の社会の営利方針、営業手段とは違うのじゃないか、ということは、おそらくそれだけでもおわかりいただけると思っていますので、ただいまの質問は全面的に、ほんとうにそのとおりだと存ずる次第でございます。

春日一幸民主社会党

○春日委員 それでは私はこういうことが言い得るのではないかと思うのでございます。これはすなわち芸術家の芸術活動は営利を目的とするものではなく、したがって、そこに発生した所得というものは本人の望んだ所得ではなくして、不可避的に発生したものである、こういうことでございますね。しかも、その金銭なるものの流動性、経済効果というものは、それは経済活動には原資として全然使用されないものである、それは芸術家がほかの銭もうけなんかやってはならないものであるし、やる気もしない、こういうものであって、そのような所得は税法に言うところのいわゆる所得ではない、異質の所得である、こういう規定がなし得ると思うのでございます。  そこで、私は、こういうような所得に対してはやはりそれなりに法律をもって特別の措置が講ぜられてしかるべきではないかと思われるのでございます。舟橋先生、税法を相当御苦心の結果、御研究のようでございまして何でありますが、ここに医者の所得というものにつきましては七二%が経費である。それは社会保険診療収入に対する経費が七二%であって、実質所得は二八%であるという租税特別法における特別の法定がなされていることは御承知であろうと思うのでございまするが、ただいま舟橋さんは、所得の中の五割くらい見てもらいたいというような御見解もございましたけれども、それは別に根拠のある御主張でもなく、即興的に、反射的に御着想になった率であろうと思うのでありますが、論理をかくのごとくに探索究明してまいりますと、私は、芸術家の所得というものは、それが他の経済活動に使用されない前の金銭の姿というものは特別の把握がされてしかるべきではないか、こう思うのでございます。すなわち、医者の七二%の必要経費というのは、なるほど社会保険の診療単価が安いという点も一個の要素にはなっておるでありましょうが、しかしここには医は仁術であるという一個の観念も大いなる要素の支柱となっておると思うのでございます。そういうような立場から芸術家というもの、また芸術作品というものの価値を判断をいたしてみますと、これはやはり何といっても民族的な財産ではないかと思うのでございます。すなわち、その民族の芸術はその民族の共有の財産である。富める者にも貧しき者にもひとしく心のかてを供与することにおいて、きわめて民主的な価値の高い財産である。このような財産が造成され、さらにそれが拡大されていくということについては、やはり民族的な理解と協力がなされて私は別に均衡を失するようなことはないと思うのでございます。私はそういうような意味合いにおいて、租税特別措置法が医者の診療収入に対する限定課税をいたしておりまするように、芸術家の所得に対しましてもそのような方式をとっていく。しかし、それが後日一般経済活動に利用、使用されますような場合、たとえば喫茶店を開くとか、あるいは、工場でも附くとかというようなときに、その分に対して、その時点において課税してもおそくはないと思うのでございます。私は、そういうようなあまりにこまごましいことをやらないで、むしろ芸術家というような人々の生活は雲の中でかすみを食って生きているような、しかも浮き世離れのしたムードの中で全国民がそれをそっとしておいても差しつかえないような気はするのでございますが、しかしこれを合理的に解決せなければならぬとするならば、私は、現実に即して、かつ論理に合わして、医者が受けておりまするような特例なんというようなものも芸術家の所得に適用されてもちっとも均衡を失するようなことにはならぬような気がするのでございます。これは私の一個の見解であり、本日いろいろとお三方から御開陳を受けたその実態を拝聴いたしまして、いまここに直感的に浮かんだ一つの方法、方策にしかすぎないのでありますが、願わくは、やはり民主政治は世論政治でございますので、当事者の方々からそのような世論が確信を持って展開されるのでなければ、なかなか法制化ということの実現は困難であろうかと思うのでございます。  私の申し上げたことはあるいは間違っておりましょうし、あるいは不十分な点もあるでございましょうけれども、なおよく十分に御検討ありまして、ただ不当に税務署から強い苛斂誅求が行なわれておることを非難されておるというのではなくして、具体的な解決策を提示されて、ひとつ国会に向かって、政府に向かって厳然たる態度で御要求ありまするならば、われわれ微力ではございまするが、院の中において、またそのような論理の上に立って問題の解決に当たりたいと存じておるような次第でございます。  いろいろ伺いたいこともたくさんございまするが、時間もだいぶ過ぎておりますので、以上をもって私の質問を終わります。

山中貞則自由民主党

○山中委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には御多用中のところ、しかもたいへん御疲労の向きもありましたにかかわらず、長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  本日お述べいただきました御意見は、今後税の執行、税制の改正等に関し、本委員会の調査の上に十分参考に供させていただきたいと存じます。ありがとうございました。(拍手)この際、暫時休憩いたします。    午後一時三十六分休憩      ————◇—————   〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕

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