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46回国会衆議院1964/06/03

国際労働条約第八十七号等特別委員会 第13号

発言数
160
登壇者
12
会派数
2
開催日
1964/06/03

会議録

倉石忠雄自由民主党

○倉石委員長 これより会議を開きます。  結社の自由及び団結権の保護に関する条約(第八十七号)の締結について承認を求めるの件、公共企業体等労働関係法の一部を改正する法律案、地方公営企業労働関係法の一部を改正する法律案、国家公務員法の一部を改正する法律案、及び地方公務員法の一部を改正する法律案の各案件を一括して議題とし、質疑を続行いたします。安井吉典君。

安井吉典日本社会党

○安井委員 私の質問は時間の関係でこま切れになってしまいまして、きょうは文部大臣がお見えでございますので、主として文部省に関係した事項を中心にいたしまして、その他議題となっております諸案件に関しお尋ねを進めてまいりたいと思うわけであります。  まず初めに、教育関係の公務員の場合における職員団体の加入につきまして、管理職の問題があるわけでございます。政府原案によりますと、この管理職については政令で定める基準に従い、人事委員会規則または公平委員会規則で定める、こういうふうな書き方になっているようでありますが、政令で基準を定めるという考え方は、いかなる理由によるものでしょうか。いままでもいろいろお答えがあったと思うのですが、念のためにもう一度伺っておきたいと思います。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 教職員関係の管理職の問題でございますが、御承知のように学校教育法等によりまして、学校長あるいは教頭等の管理職たる地位は明らかであろうと思うのであります。したがいまして、これが地方の公平委員会あるいは人事委員会等できめられる場合にも、法制上すでに管理職たる地位のはっきりいたしておるものにつきましては、これはまちまちにならぬようにいたしたいと考えまして、まずもって政令でもって基準をきめまして、地方によってまちまちになることのないようにいたしたい、かように考えました次第であります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 この場合におきまして、政令で予定されております職は、あるいは基準はどういうことでしょうか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 まだ具体的に決定はいたしておりませんが、大体このような基準が必要ではないかと思うのであります。すなわち、学校長、教頭あるいは教頭に準ずべきもの、そういうふうなものがまず取り上げられる問題であろうかと思います。

安井吉典日本社会党

○安井委員 校長や教頭は、いままで公務員法制定段階から今日までは文部省も、教職員団体の特殊性から見て組合に加入しても差しつかえないという意向を明らかにしているし、自治省もそういったような考え方を示してきたと思うのでありますが、その点はどうですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 御承知のように現行法によりますと、教職員が職員団体をつくることができることになっております。学校長もまた教頭も教職員たることにおいては変わりはないわけであります。そこの区別がつかないままに今日まで組合がつくられてきておるわけでありますが、今回の法令の改正に際しまして、この辺を明確にいたしたい、このような趣旨から政府案もできてきておるわけであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 自治省の見解はいかがですか。

佐久間彊自治事務官(行政局長)

○佐久間政府委員 校長、教頭が組合に入ることにつきましては、現行法のもとにおきましては法律上別段禁止はされておりませんけれども、校長、教頭の職務の内容にかんがみまして、管理職手当が支給されておるところから考えまして、これを組合員に入れますことにつきましては好ましいことではないという考え方を自治省といたしましても持っておったわけでございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 いままでずっとやってきて、いまになって、ILO条約批准というふうな段階において急にそういう問題を持ち出してくるというのはどうも私は理解できないと思います。  それからもう一つ、いま行政局長の御答弁の中に、管理職手当をもらっているから管理職だ、こういう御発言もあったわけでありますが、それなら管理職手当をもらっていなければよろしいわけですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 管理職であるから管理職手当を出しておるわけであります。管理職でない者に管理職手当が出るはずがないと私は思うのであります。管理職たる者が必ずしも全部が管理職手当をもらっておるとは私は思いません。  なお、従来は教職員団体ということで一括して考えられておるわけでございますが、ILO条約批准に伴いまして、管理職たる立場にある者としからざる者との間を明確にする必要があると考えまして、政府といたしましては今回区分することにいたしたわけであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 いまの行政局長の管理職手当との関連については、これは教育公務員だけではなしに、一般公務員の場合にも関連がある問題だと思いますので、その点やはりはっきりお答えをいただきたいと思います。

佐久間彊自治事務官(行政局長)

○佐久間政府委員 文部大臣の御答弁になりましたとおりに私どもも考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 そういたしますと、管理職手当が出ていなければ管理職ではない、こういうことですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 そうではございません。現在管理職である管理職的立場におる人につきましても管理職手当の出ていない者もあろうかと私は存じております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 そういたしますと、管理職手当が出ていても管理職でないと認められる者もあるということですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 管理職手当が出ている者で管理職でない者はないと私は思います。

安井吉典日本社会党

○安井委員 私は教育公務員だけではなしに、一般的な問題としても申し上げておるわけですが、教育公務員以外でも管理職手当と管理職との関係がたくさんあるわけです、地方公共団体の中で。その点を、教育公務員の問題についてはいま文部大臣からお話がありましたが、自治省としての御見解をひとつ伺っておきたいわけです。

佐久間彊自治事務官(行政局長)

○佐久間政府委員 管理職の範囲と管理職手当を支給しております職員との範囲は必ずしも一致をいたしておりません。しかしながら、現在管理職手当を支給いたしております者は、その職務の内容から見まして管理職であるというふうに認定をいたしておりますので管理職手当を支給いたしておるものと考えます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 その点この間も私は触れたんですが、非常に妙な形が現実にはあらわれておるわけです。管理職手当をやたらに都道府県あるいは市町村の地方公務員の場合に出して、管理職の範囲を広げていく。そうしてそれらの人には、お前はもう管理職だから超過勤務手当を出さないのだというふうなことで、逆に給与のレベル・ダウンというような形さえあらわれておる。こういう実情も私たち聞くわけですから、その点をお尋ねをしたわけであります。この論議はさらに後に残しますが、教育公務員の場合におきましても、校長や教頭について、これを管理職として職員団体から除くのだ、こういうような論議についても、ILO条約の結社の自由、そういうふうな精神からいって私はずいぶん疑問があると思うのであります。  先ほどの教頭についての文部大臣の御答弁でありますが、教頭を設置している県としていない県とあるように思うのですが、どうですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 お答え申し上げます。小中高等学校につきまして公立学校では全部設置をいたしております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 教頭という名前を使ってないものもあると思うのですが、どうですか。  それから、いま全部設置しているというふうなお話ですが、設置してない県はいま現在の段階において一つもないですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 お答え申し上げます。名前は若干違うのがあるかもわかりませんが、それは教頭と同じ職務を扱っておるものでございます。現在のところ教頭に当たる者は全部設置いたしております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 北海道は教頭はもうすでに任命されて置かれておりますか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 お答え申し上げます。北海道におきましても教頭を設置いたしております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 任命もされているのですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 任命をされております。ただ管理職手当をまだ出してないようでございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 そういういろいろ問題があるのですよ。そこまで詳しく御理解になってのお答えかどうか私はわからないと思うのです。  そこで、教頭といわれている任務内容でありますが、全国統一されているのですか、どうでしょうか。文部省が統一できる筋合いのものではないと私は思うのですが、どうですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 教頭につきましては学校教育法施行規則の第二十二条の二におきまして「教頭は、教諭を以って、これにあてる。」という規定がございます。そして「教頭は、校長を助け、校務を整理する。」こういうように教頭の職務は明確にされておるわけであります。各府県におきましても教育委員会の規則等におきまして、多少の表現は違いますけれども、学校教育法施行規則第二十二条の二のこれを受けまして、「校長を助け、校務を整理し、校長に事故あるときまたは不在のときはその職務を代行する。」こういうような規定を大部分がいたしております。そういう教頭の職責につきまして規定のしかたは大体各県一様でございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 私のところにある資料では、教頭といわれている人たち、これは教頭じゃなしに校長補佐という名前を使っているところもあるそうですね。その職務内容の規定では「校長を助け、校務を整理する。」というのが十二県、単に「校長を補佐する」と書いてあるのが十九県、規定の全くないものが六県。これはどうですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 この教頭の職制につきましては学校教育法の施行規則、先ほど申し上げました規定によるわけでございますが、これは市町村の教育委員会のいわゆる学校管理規則等におきまして具体的にきまるわけでございます。御指摘になりましたような事実はないと考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 それじゃひとつ、そうでない全国みな同じだという、それについて明らかにするような資料を御提出をいただきたいと思います。  それから、任命主体でありますが、教頭とか校長補佐のそれはどうなっていますか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 教頭あるいは校長補佐というような名称のものもございますが、これは市町村教育委員会の任命でございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 全部市町村教育委員会の任命ですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 もちろん市町村立の学校におきましては市町村教育委員会でございます。県立の学校につきましては県教育委員会でございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 実際つくられている規則等に見ますと、任命主体教育委員会としているものが十九、教育長というふうになっているのが一つ、規定のないものが十七、これは間違いですかな。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 先ほど御要求がございますので、資料として提出いたしたいと思います。

安井吉典日本社会党

○安井委員 どうも文部省がどこまで実際の事態をおつかみになっておるのかどうかわからないというふうな気が、いまのお話の中からするわけであります。教頭という仕事は職務分掌というのではなしに、校内における教員間の校内分掌であるという考え方、あるいはまた教頭についての人事は行なわない、こういうような考え方があるわけでありますが、どうお考えですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 御指摘になりました点、よく私理解ができないのでございますが、もちろん教頭は教諭をもって充てるということになっておりますから、したがって、教頭その他の学校の中の職員のいわゆる内部組織上の職としてこれは考えても差しつかえないと思います。そういう意味においては学校の中の内部組織上の一つの職である、こういうように解釈いたしますが、その根本はもちろん先ほど申し上げました学校教育法施行規則第二十二の二によって教頭の職責は明確にされている、こういうように考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 教頭としてのいわゆる人事措置、命課措置ですね。こういうものは行なわないで、校内における一つの事務分掌という形で処理していく、こういう考え方でも間違いではないと思うのですが、どうですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 単なる校務の一部の事務分掌というような考え方ではないわけでございまして、先ほども申し上げましたように校長の職務を代行する、校長が欠けたる場合にはあるいはその代理をするというようなたてまえになっておりますので、そういう教頭の地位としてはおっしゃるように単なる一部の事務分掌というように考えるべきではなかろう、こういうように考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 だいぶ文部省のほうで現実をおつかみになっていないような気がするのです。私は北海道の出身ですけれども、市町村の中にはまだ実施してないのがだいぶあるんですよ、実際は。みんなおやりになっているというふうにおっしゃっておりますけれども、そうではない。規則のできてないところもまだあるようです。実情をあまり十分におつかみにならないで、いいかげんなお気持ちでお答えになるのでは私は困ると思うのです、  なお、この管理職の範囲等の問題はまだまだ論議の分かれるところであると思いますので、さらに別な機会に譲りたいと思うのでありますが、この管理職の問題については政令で一方的に基準をきめてしまうという考え方には私どもはあくまで反対で、一般の公務員と同じような形で問題を処理すべきであるということだけをひとつこの際主張をいたしておきたいと思います。この問題の論議は後にまた譲ります。  ところで、交渉の問題であります。この交渉におけるいわゆる当局というものの意義でございます。きょうは当面文部大臣を中心にしてのお尋ねでございますので、教育関係の職員についての問題に一応初めは限定いたしますけれども、それについてのお考えをひとつこの際明らかにしていただきたいと思います。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 お答えを申し上げます。  現行法におきましては、教職員の組合が交渉の相手方として法律上認められておりますのは地方の当局でございます。それぞれ当該地方公共団体の中で組織された団体でございますので、御承知のようにそれぞれの地方当局とは交渉の権限があるわけでございます。教育公務員特例法によりまして、市町村立の学校の職員団体につきましては、御承知のように交渉等につきまして府県の段階の団体というようにみなされております。そういう特例はございますが、一般的な他の地方公務員の職員団体と同じように考えてよろしいかと思います。

安井吉典日本社会党

○安井委員 公立学校の義務教育職員の場合は都道府県の教育委員会、これはもう当然でありますが、知事はどうなのか。それからまた市町村教育委員会についてはどうなのか、市町村長についてはどうなのか。それをひとつ伺います。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 教職員の団体につきまして、交渉の相手方として、その交渉事項の内容によりましては市町村長あるいは都道府県知事といったような当局もあり得ると思います。

安井吉典日本社会党

○安井委員 市町村長なり市町村教育委員会、あるいはまた都道府県知事が教育関係の職員団体の交渉の相手方たり得るということは、それはどういう根拠に基づくわけですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 現行法におきましては、地方公共団体の当局と交渉するために団体を結成する云々という規定がございます。この地方公共団体の当局というものの中にそういう御指摘のようなものは含まれると解釈いたしております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 任命権者でなくても、教職員団体の勤務条件やその他にきわめて関係があるから知事や市町村長が交渉の相手方たり得る、そういうことではないのですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 地方の当局におきましては教職員の給与は都道府県の負担でございます。そういった意味において給与あるいは勤務条件その他におきまして地方の知事その他の当局が関係する部分についてはあり得る、こういうように考えるのでございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 市町村長はどうですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 市町村長におきましても同様でございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 市町村長は別に任命権者ではないし、それから勤務条件について直接関係はないが、しかし常識で考えましても教職員の勤務条件その他非常に関係がありますよね。そういう意味合いから知事だけではなしに、市町村長にまで範囲を広げてお考えになっているのだと私は思うのです。  そうだとすれば、文部大臣を交渉の相手方としないという考え方にひびが入るのではないですか。どうでしょう。文部大臣も同じじゃないですか。むしろ文部大臣こそが公務員の給与の大元締めですよ。もとを握っているんですよ。それはどうですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 私が申し上げましたのは、この勤務条件等に関連する部分についてもちろん交渉の相手方となり得る、こういうことでございます。  文部大臣の場合はそういう交渉の相手方としての当局ではないと考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 任命権者でないのは知事や市町村長も文部大臣も同じですよ。しかし、労働条件に非常に影響があるという点からいえば、文部大臣も知事も市町村長も同じじゃないですか。いまの御答弁じゃ論理が合いませんよ。どうですか文部大臣。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 現行法によりますと、勤務条件等の問題について交渉する相手は地方公共団体の当局であります。文部大臣はそのうちに入っておりません。

安井吉典日本社会党

○安井委員 つまり文部大臣のいまの御答弁は、筋やそういうようなものではないのだ、法律できめてあるからそのとおりなのだ、そういうふうな御答弁のように私は承るわけです。筋としてはこれは知事や市町村長が公立学校の義務教育の職員の勤務条件に非常に関係がある、そういうものだから当然交渉権を与えているのだ、そういうふうな初めの御答弁です。しかし、ただ法律の上で文部大臣にということばを使ってないからないのだ、ただ法律がそういうふうな仕組みができてないからないのだ、筋はそうなんだけれども法律の規定がないからそうなんだ、こういうふうにとれるわけですが、どうですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 法律の規定がないということだけでは私はないと思うのであります。もちろん文部省も予算、法律その他を通じまして地方の教職員の勤務条件に関係があることは、これは明らかであります。関係はございますけれども、政府の文部省が地方の教職員に対するいわゆる使用者的立場にあるものとは私どもは考えておりません。

安井吉典日本社会党

○安井委員 使用者的立場にないから文部大臣は交渉の相手方になり得ないのだ、文部大臣のそういう御答弁です。しかし、知事にしたって市町村長にしたって、使用者じゃないでしょう。任命権者でも何でもないでしょう。ただ教育公務員の労働条件に非常に関係のある立場で仕事をしているから、そういうふうな交渉権を与えてもいいのだ、こういうことなんじゃないですか。どうもそれは筋が合いませんよ。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 私は、使用者的立場と申したのでありますが、地方の知事あるいは町村長がその意味におきましては現行法上も地方公共団体の当局であり、同町にそれが使用者的立場にあると考えられてそのような規定が設けられておると思うのでありまして、中央の政府は私はさような立場にはなり得ないと思うのであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 私はいま初めていろいろ見方を伺ったわけでありますが、知事も市町村長も義務教育職員について使用者的立場にあるのだから交渉権を与えているのだ、そういう御答弁のように承るのですが、それでよろしいのですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 私は、現在の法律はそのような考え方のもとにああいう規定ができておるものと考えます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 それはおかしいですね。どう考えても私はそれは筋が通らないと思います。文部大臣は、現実には知事や市町村長やあるいはまた地方の教育委員会以上に教育職員に労働条件の上で関係を持っているわけです。ことしの文教予算四千百五十億円ですか、その半分の二千億円以上は義務教育費国庫負担金、その大部分は給与費であるわけです。都道府県の教育委員会や、あるいはまた知事や市町村長や市町村の教育委員会が教員団体と話し合いをしても、文部省で大もとを握っているその予算にすべて左右されるじゃありませんか。具体的に地方で話し合いができて、それは教員団体の申し入れがもっともだからということで、地方の教育委員会のほうが教職員の給与を二割上げようとか三割上げようとかきめたって、これはどうにもならないわけですよ。問題は、文部大臣がすべて押えておられるわけですから。だから、給与関係の問題は文教の予算という範囲内では考えられないわけです。それを除いては考えられないわけです。  あるいはまた先ほど来の御答弁からいっても、文部大臣は管理職の範囲を全国統一をするということにきわめて御熱心であるわけです。どうしても政令できめてしまわなければいけない。地方の自主性を尊重しようというお気持ちはないわけです。だから、ほかの一般の地方公務員よりも、教育公務員に対しては文部大臣は何とかして全国統一をしょう、そういう御熱心なお気持ちを持っておられます。  そういう二つの例からいっても、私は文部大臣が知事や市町村長より以上に教員諸君の労働条件に関係のある立場におられると思うのです。先ほど来、地方の知事や市町村長のほうは労働条件に非常に関係のある地位にあるから交渉相手にするのだというお考え方と、それからもう一つは、使用者的立場にあるのだから交渉権を認めているのだという御説明と二つあるように思うのです。どうなんですか、それは。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 どちらもほんとうだと思うのであります。私は使用者的立場ということを申しました。使用者ということを申し上げておるわけじゃありません。地方の市町村長あるいは都道府県の知事の立場というものは、学校の教職員の勤務条件と最も関係が深いのであります。文部省ももちろん関係はございます。しかし、文部省がやっておりますことはきわめて抱括的、一般的でありまして、これは私はむしろ行政として考えてしかるべきものじゃないかと思うのでありまして、それをもって直ちに文部省もまた府県知事あるいは市町村長と同じような立場にある、こういうふうに考えるのはいかがであろうかと私は思うのであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 二つの筋を文部大臣はどちらも肯定されたわけでありますが、そういう筋からいっても、文部大臣のほうがむしろ本家のおやじみたいな立場で、その本家のおやじが頭を振るかどうかによって教職員の勤労条件は全部きまってくるわけですよ。そういう一番大事な本家本元が交渉の相手方としていないという考え方くらいおかしい考え方はないと思うのです。  たとえば時間外勤務手当というふうな問題があります。都道府県教育委員会あるいは市町村教育委員会において、教員諸君は気の毒だから時間外勤務手当は認むべきだ、そういうふうに市町村段階や都道府県段階ではきめてもよろしいのですか。この点はどうですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 教員の手当等につきまして決定する権限はもちろん地方の当局にあるわけでございます。もちろん予算その他において国と関係のないことはございませんが、関係ありましても、そういう事項について具体的に決定し、管理する権限は地方当局にございます。そういう意味でこの交渉の相手方として考える場合には、そういう事項について適法に管理、決定する権限のある当局が交渉の相手方になる、こういうことでございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 教職員に対する時間外勤務手当はなぜ出さないのですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 これはいろいろ前々からのいきさつもございますが、そもそも教員の給与をきめます際に、教職員の勤務の特性ということにかんがみまして、いわゆる時間外の手当というようなものはつげないというたてまえになっている。そのかわり教員の給与につきましては、一般の公務員の場合よりも、教員のいわゆる勤務の特殊性に基づいて十分考慮するというようなたてまえでこの給与制度が始まったわけでございます。そういった意味で、特にまた教員につきましては夏休み、冬休みあるいは春休みというようなものも含めまして特別な勤務の態様に基づいて給与が決定されている、そういうことでございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 いま時間外勤務手当について文部省の御見解をお話しになりましたが、それは文部省の御見解でしょう。地方教育委員会が教員団体との交渉からどういう結論を出してもいいじゃないですか。文部大臣は使用者でもないし、任命権者でも何でもないわけですよ。そういう文部省の方針がそのまま地方に押しつけられることくらいおかしい話はないと私は思うのです。  きのうの参考人の意見の中に、これはまだ速記録はできていませんが、新聞の表現を使いましても、「教育公務員の交渉についての現行制度は不備だ。地方庁に交渉能力を与えずに、中央交渉を認めないでゴタゴタしない方がおかしい。地方庁に交渉能力を持たせるのも一つの救いだが、いまの段階では実力者である政府と交渉するチャンスを与えるべきだ。」こういうふうな陳述もあります。  私は時間外勤務手当という一つの問題を取り上げたわけですが、交渉能力はないのですよ。それを文部省が一番うしろのほうでチェックしているわけですよ。そういうふうな立場をそのままにしておいて、文部大臣との交渉の機会を与えないということぐらいおかしな話はないと私は思うわけです。  そこで、この際伺っておきたいわけでありますが、歴代の自治大臣はいつも気軽に自治労と会っているようでありますが、どういう資格でお会いになっておられますか。

赤澤正道自由民主党

○赤澤国務大臣 何となく陳情や意見などを聞いておるのだろうと考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 日教組ともときどきお会いになっているようですね。

赤澤正道自由民主党

○赤澤国務大臣 同じことでございまして、私も、この間たくさん来られたから、お目にかかりました。

安井吉典日本社会党

○安井委員 どんどん気軽に、変にしゃちこばらないでお会いになることが私はいいと思うのです。どうですか、お会いになったことで日本の地方自治行政の上に非常に大きな汚点を残したとか、そういうようなことがありますか。

赤澤正道自由民主党

○赤澤国務大臣 私はまた文部大臣とは立場が違いますので、たいへん気楽な気持ちでお目にかかって、私のほうから、あなた方のやっていることは国民はいいとは言っていませんよというようなことから切り出して、いろいろな雑談をいたしました。一向私は気にもならなかったわけであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 自治大臣はお忙しいなら、あとでまた……。  そこで文部大臣に伺いたいのは、この間、国立大学の職員の問題については、日教組と会うべきだし、会ってもよい、当然のことだ、そういうふうに小林委員の質問に対して御見解を御発表になったわけでありますが、そのとおりですね。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 国立大学の関係におきましては、いわゆる団体交渉ですか、勤務条件等の交渉の問題の相手方としましては、ひとり文部大臣ばかりではないと思いますが、究極するところ、文部大臣がその交渉の相手になるということは、私は当然だと思っております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 その場合に、日教組の代表が会う、その代表者の資格についてはどういうふうにお考えですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 私は、国立大学の職員団体が、日教組といわず、ほかの団体でも同じことだと思いますが、それに委任いたしまして、そしてそれが交渉の相手としておいでになることは別に妨げるところではないと思います。ただ、現在の日教組は国立学校の職員団体とは私ども考えておりません。

安井吉典日本社会党

○安井委員 日教組の構成の中には、御承知のように国立大学の職員もおるわけです。その場合に、日教組の代表は、当然の交渉権を持ったものとして国立学校の職員の問題の話をしても別段おかしくはないと思うのですが、どうですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 なるほど、この職員団体の中に国立学校の教職員が一部入っておるという事実は私も認めるのでありますが、しかし、現在交渉の資格を持っておるものといたしましては、地方の公務員の職員団体でございます。私は、日教組はこの都道府県の職員団体の連合体だ、かように考えておるのであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 国立学校の職員団体でないという認定のしかたは、日教組の加盟人員のうち、国立学校の職員よりも地方の公立学校の職員のほうが多いからだ、こういうことからですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 現在の状態として考えます場合に、地方の職員団体の中にあるいは国立学校の先生方も入っておるかもしれません。しかし、これが交渉の資格を認められておるのは、それぞれの地方の教職員の職員団体として認められておるわけであります。都道府県教組というものは、私は国立学校の職員団体とは考えておりません。また現在の日教組は、この都道府県教組の連合体でございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 いま日教組は登録団体ですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 日教組といたしましては、地方公務員法第五十二条第三項の事実上の連合体でございまして、登録はいたしておりません。

安井吉典日本社会党

○安井委員 国立学校の職員が自分の勤務条件の問題の解決のために文部大臣ときっちりした交渉権を持つためには、どうすればいいわけですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 その場合におきましては、国家公務員法の定めるところに従いまして結成された国家公務員の職員団体であって、しかも人事院規則の定める手続に従って交渉するという場合であろうと思います。

安井吉典日本社会党

○安井委員 私は、同じ教育の場で働いておる人たちの共通の問題というものはあると思うのですよ。そういうような問題の解決のために日教組というふうな組織ができておるのではないかと思うわけでありますが、同じ教育の場で働いておる人でも、市町村立の学校につとめておる人、都道府県立の学校につとめておる人、国立の学校につとめておる人、それからもう一つは私立の学校につとめておる人、こういうふうにいろいろあるわけですね。そういうような共通の問題の解決のためにあるそういう職員団体に対して、もう少し積極的に交渉能力を与えていく、交渉権を与えていく、こういうような考えでなくてはいけないと私は思うわけでありますが、公立の学校の教職員と、それから私立の学校の教職員とが同じ団体に加盟をした場合、あるいは同じ団体を結成した場合には、どういう扱いになりますか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 先ほど大臣からも申し上げましたように、現在の日教組のいわゆる県教組というものの中には、私立の学校の教職員も若干入っております。また国家公務員の教職員も若干入っておると思いますが、しかし、それはあくまで現行法におきまして地方公務員の職員団体ということになるわけでございまして、私立学校の教職員が入っておりましても、この現行法におきましては、県教組自体は地方公務員の団体であるということに私どもは解釈いたしております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 教育公務員特例法によりますと、公立学校職員の給与についても国立学校教職員の給与に準ずるという扱いになるわけです。したがって、国立学校の教職員の給与をきめるということが、地方の公務員に対する非常に大きな影響となるわけですから、文部大臣の国立学校教職員の給与に関する関心は、直ちに地方の教職員の場合に影響をもたらしてくるわけです。ですから私は、国立学校の教職員団体の問題に対する交渉の中に、地方の教職員の団体の問題をも同時に加えさせるような形で日教組の文部大臣との交渉といいますか、話し合いといいますが、そういうものが持たれていいのではないかと思うのですが、いかがですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 先ほどお答え申し上げました中に、現行法においては云々ということを申し上げたのを、訂正いたしておきます。改正法案においては、というように御了承いただきたいと思います。  ただいまの問題でございますが、給与につきましては、国家公務員の場合は人事院が決定いたします。この国家公務員の給与に準じて地方公務員の給与も決定されるわけでございますが、その決定権を持っておりますのは地方の当局でございます。これは地方条例によって決定されるわけでございますから、御趣旨のように、国家公務員の給与に準ずるからといって、直ちに中央の文部大臣と交渉云々の問題は起きてこないと考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 最後的にはもちろん地方がきめることですよ。そういうふうに法律はできています。しかしながら、実質的には文部大臣段階できまってしまっているのですよ。そういうふうな仕組みを問題にしないで、そういう仕組みじゃなしに、地方に全部お預けになっていて、地方に完全な交渉能力をお与えになっているなら話はわかると思うのですが、実質的には全部中央で握っておられる。握っておられながら、教職員団体の中央交渉を認めるわけにはいかない、こういうような考え方自体が問題だと私は申し上げているわけです。  ところで、この中央交渉とか地方交渉とか俗にいわれている問題は、いまのこのILO案件審議の一つの焦点になっているような形でございますので、私、速記録を読み返しておりましたら、いつかの永山委員の御質問にちょっと問題があると思いますので、この点政府当局のお考えをはっきりしておいていただかなくてはならないと思うわけです。  日教組の中央交渉の問題に対して、ILOの結社の自由委員会が提訴に対する回答を与えているわけです。その内容についての理解のしかたでありますが、その内容を三治政府委員が一応お読みになって、特にこのくだりです。「任命当局は、地域的段階または全国的段階のいずれで交渉するかを決定する権利を有するが、労働者は、地域的段階または全国的段階のいずれで交渉するにせよ、上記の諸原則に従って、その交渉においてかれらを代表する団体を、自己の希望するところに従って、選ぶ権利を有するべきであるといろ見解を表明すること。」こういうILOの見解があるわけです。これに対して永山委員の次の発言は「ILOの、中央段階で交渉するか、地方段階でするかは結局は当局がきめることであるというのが結論なんですよ。この関係につきましても、決してILOの八十七号条約に抵触をするものではないのです。ILO関係には、八十七号条約には関連してないのです。」こういうふうにきめつけていられるわけです。これは私は何かのお考え違いではないかと思うのでありますが、中央段階で交渉するか地力段階で交渉するかは当局がきめることではなしに、職員団体の側が選ぶ権利がある、こういうふうに思うのですが、この点いかがですか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 その点に関しましては、これは前に労働省のほうから御説明があったかと思いますが、私どもといたしましては、政府側が、地方段階において交渉するか、あるいは中央段階で交渉するかを決定する権利を持っておると思いますが、同時に、御指摘のように、労働者側も、地方団体を通じて交渉するか、あるいは中央団体を通じて交渉するかの自由を有するということを述べたにとどまるのではないかというように考えております。したがって、私どもとして、それ以上のことはこの第五十四次報告には書いてないように解釈いたしております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 つまり後半の御説明の問題でありますが、たとえば県なり市町村なりの段階でいろいろ交渉がある、その場合、職員団体側においては、県の場合に限定をすると、県段階の職員団体がその交渉に当たってもいいし、それの全国組織があって、その全国組織がそこに来て交渉してもいいということは明らかだと思うのですが、そのとおりですね。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 先ほど申し上げたとおりでございまして、労働者側から考えれば御指摘のようなことかもわかりませんが、当然に使用者側の立場においても、先ほど申し上げましたように、どこで交渉をするかということは、これは自由に選べる権限があると考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 労働者側から見てできるのかもしれないがという、自信のない答弁では困るのです。  労働大臣、これは別に教育関係の職員団体だけの問題じゃなしに、全体的な問題でございますので、労働大臣からお答えを願いたいのですが、いわゆる中央交渉とか地方交渉とかいわれている論議のその裏で、そういう点にちょっと誤解があるように思うのですが、その点もう一応この際はっきり御説明願いたいと思うのです。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 ILOの報告書で申しておりまする意味は、使用者側はいかなる段階において交渉するかを決定する権利がある、そして使用者側の決定した段階において、労働者側は、いかなる団体にその労働者を代表して交渉する任務を与えるか、その選択の自由がある、こういう意味に解釈しております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 自治省にちょっと伺いたいのですが、自治省の見解として、職員団体を代表して交渉に当たる者は、委託を受ければ、非職員であっても一般に差しつかえない、そういう見解はだいぶ前の通達で出ているようでありますが、その点については、改正法によっても、現行法によってもいまも変わりはないわけですね。

佐久間彊自治事務官(行政局長)

○佐久間政府委員 そのとおりに解しております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 文部省の御見解も同じですね。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 同様でございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 どうもいまこのILO論議の陰で、この改正法が通ったら、国の段階や公共企業体の段階は別として、何か市町村や教育委員会の中に、とんでもない者が入り込んできて革命が起きるのではないか、そういうふうな形で問題を巻き起こしておられる方がいるように私は聞くわけであります。これぐらい誤りはないので、現在の法体系の中でも、あるいは改正法の中でも、職員以外の人が地方団体やあるいは教育委員会等と話し合いをする道は残されているし、あるいはまた、中央団体が出かげてきて地方交渉に当たるということも、別に法律を改正しなくても、いまの法律の中ではっきり認められているわけです。そういうような点をお忘れになって、何か革命騒ぎが急に起きるのではないか、こういう言い方をされるくらい誤ったことはないと私は思うのです。そういう意味で一応確かめのためにいま伺ったわけであります。  そこで私は、この日教組の中央交渉という形で問題が出されている陰にはいろいろな問題があるように思うわけであります。いつか文部大臣は、全国都道府県教育委員大会のあいさつの中で、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正を考えていく時期ではないか、こういうふうな御発言をなさっていたように記憶しておりますけれども、その点につきましてはいまはどうお考えですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 都道府県の教育委員長の会議におきまして、私が、現在の地方教育行政の管理運営、そういう問題について検討すべき時期がきておるのではないか、このようなことを申したことは事実であります。これはちょうどたしか十五周年の大会であったかと思うのでありますが、過去を振り返り、また将来を考える一つの時期であろうかと思うのでありまして、そのような意味におきまして、今日地方の教育行政の管理運営についていろいろ議論があり、また意見もあるわけでございまして、あたかもそういう記念すべき時期でございますので、検討すべき時期ではないか、このように申したわけであります。もとより、これは時期いかんにかかわらず、常に制度の問題につきましては検討すべきことであろうと思いますが、たまたまそういう時期でございましたので、そういう発言をいたしたわけでございます。現在文部省としまして、現在の地方の教育行政に関する制度の改善ということについての具体的な考え方は持っておりません。大いに検討すべきであるという意味で申し上げたわけであります。

倉石忠雄自由民主党

○倉石委員長 安井さんにちょっと申し上げますが、先ほどお話いたしましたように、文部大臣は十一時ちょっと過ぎには他に出なければなりませんので……。

安井吉典日本社会党

○安井委員 それでは、文部大臣に関係のあります問題について急いで質問を進めてまいりたいと思います。具体的な問題の解決にはどうも遠いわけでありますけれども、お急ぎのようでございますから、そういうことにいたしたいと思います。  いまの地方教育委員会の組織に関する問題点でありますが、市町村教育委員会の人事内申権の問題やら、あるいは高校職員人事を都道府県をこえて昔やっていたような形にやりたい、こういうような要求はあるいはあるかもしれないわけです。しかしながら、だからといって直ちにこの法律改正というところには、少し問題が大き過ぎるというふうに思うわけでありますが、いまのような考え方は、せっかく地方分権的な方向にやった教育行政を、また中央集権化の方向に戻そうという一つの企てだとも言うことができるわけです。ですから私は、中央交渉はいやだというお考え方と、一方におきましては、もっと中央集権化をしたいという御要求を文部省は持っておられるようだし、この二つがどうも意識の下では矛盾した方向になっていて、だから私は、反動行政だとか、そういうような言い方をされる基礎がそこにあるような気がするわけであります。そこで、先ほど自治大臣は、簡単に自治労やあるいは日教組の諸君と会ってますよと、こういうふうにお話になったわけでありますが、文部大臣が日教組といままであまりお会いにならないのとコントラストがひど過ぎるような気がするわけでありますが、その点どういうふうにお考えですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 日教組と私が会わないという問題が非常に大きく取り上げられまして、いろいろ論議を呼ぶわけでございます。この問題につきましては、先般来たびたびお答え申し上げたところでありますが、日教組の諸君は常に、文部大臣と交渉をする、こういうことを言っておられるわけであります。また、交渉を要求しておられるものと考えるのでありますが、この職員団体と交渉するとかしないとかいう問題は、私はこれはやはり勤務条件等に関する問題であろうかと思うのであります。そのような考え方からいたしますならば、先ほど来いろいろ御議論があるようでございますけれども、文部省は地方公務員の職員団体ないしはそれの連合体と勤務条件等について交渉する立場にはいない、このように考えておるわけであります。これは別途ひとつお考えを願いたい。それ以外の問題ということになりますと、教育行政一般に関する問題になろうかと思うのでありますが、この教育行政一般に関する問題ということになりますれば、いわゆる勤務条件等に関する交渉とは性質が違う問題だ、かように考えるのであります。また、文部省が行政を進めてまいります上においていろいろな方面の御意見を聞く、御要望を聞くということは、これは当然のことであります。したがって、私は、教育行政についても日教組の諸君の意見、要望というようなものを全然聞かない、そういうふうな心がまえでいるわけではございません。大いに聞いてよろしいのであります。ただし、同時にまた、日教組だけから聞く必要もない。各方面から聞けばよろしい問題でございます。問題は、そのような場合にも、あたりまえの姿で、あたりまえの陳情、あたりまえの要望、意見の表明をなさることなら問題はございませんけれども、日教組の諸君はどうも教育行政全般について文部大臣と交渉してものをきめようというようなお考えがあるのじゃないか。少なくともそういうことを始終外部に向かっては言っていらっしゃるのであります。私がたまたま廊下で日教組の諸君と会いまして、それが文部大臣との正式交渉ができたんだ、こういうふうなことを呼号しておられるのであります。どういうつもりでそういうことを言われるのかわからぬのでありますが、日本の教育行政を日教組の諸君との交渉によってきめようとは思っておらぬのであります。そういうことでありますから、日教組の諸君がいまのような心がまえあるいは態度でもちましてみだりに会うということは、これはよほど考えなければなりません。日本の教育行政の筋が乱れてくる。職員団体との交渉によってこのような問題を決定しようとは私は夢にも思っておらぬわけであります。そういう誤解を生じ、地方の教育行政について混乱を起こすようなことがあってはならないというので、日教組との面会ということについてきわめて慎重な態度をとっておるわけであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 そこでこの点だけ、大事な問題ですから伺っておきたいと思うのですが、前に日教組はああいう倫理綱領を持っているから会わないんだ、そういう団体に会う必要はないんだこう言われた大臣もいたわけであります。しかし灘尾文部大臣は、そういうことでなしに、中央交渉ということば使い、その理解のしかたが問題だから会わないのだ、問題をはっきり別に考えておられるように、今日までの御答弁の中から読みとれるわけでありますが、そのとおりですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 これまでたびたびお答えを申しておるとおりでございまして、私は今日、日教組の諸君があのようなものの考え方では文部大臣と会うことを求め、そしてそれを誇大に宣伝せられるようなことでは困る、普通の姿で陳情においでになることはけっこうだと思うのでありますが、事実はそうではない、そういうことでは困るということを申し上げたわけであります。いわゆる倫理綱領の問題は、私どもは一日もすみやかにこういうものはやめていただきたいと思っておるわけであります。それをとらえてこの国会で申し上げておるわけじゃございません。

安井吉典日本社会党

○安井委員 それでは、中央交渉というふうなことばを使わなければ会っていい、きょうでもあすでもいつでも会うのだ、こういうように理解されるのですが、それでよろしいわけですね。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 ことばの問題ではないと思うのであります。実態の問題だと考えます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 日教組が中央交渉をやったとかやらないとかいうことを新聞に大きく取り上げるわけです。しかし、自治労が自治大臣に会ったあと、自治労の新聞を見たら、やはり中央交渉ということばも使っておるようです。しかし、そんなのを新聞はちっとも書かないわけですよ。どうでしょう、これはおかしいと思いませんか。いままでの文部大臣の態度の中からニュースバリューをおつくりになっているわけです。自治大臣みたいにいつでもお会いになっていれば、もう新聞はそんなものを一々書く値打ちもなくなってしまうわけです。あるいはまた、混乱をするというおことばをお使いのようですけれども、それも簡単にいつでもお会いになっていれば、混乱のしょうがないわけです。手っとり早く手軽にお会いになる、そういう習慣をおつげになっていないで、やれ、あれが何だから、これが何だからというようなことで、みずから事をかまえようとなさっていらっしゃる、そういうところにいまのいわゆる中央交渉の問題点があるのじゃないかと私は思うわけです。文部大臣はPTAの人にお会いになってもいいし、それからまた、教育委員の人たちや市町村長や、そういう教育に関係のある人たちにどんどんお会いになって、その中に日教組の諸君が入ったっていいじゃないですか。日教組の人たちにお会いになったら日本の教育行政をかき乱されると文部大臣ほお考えですか。私はその点はおかしいと思うのです。日教組に会えば日本の教育行政がみんなごちゃごちゃになってしまうのだというような考え方くらいおかしいことはないと私は思うのです。教員組合がみずからの労働条件を守るために、直接ではないにしても使用者側に強い影響力を持つ文部大臣に対して、話し合いを求め、意見を求めるというのは当然でしょう。それを頭から否定するということは、法律に定める職員団体というものを抹殺して、職員の諸君の発言権を全く認めないということに通ずるわけです。これでは近代的な労使関係についての一かけらの理解もない人だといわれてもしかたがないわけです。文部大臣は、いまの御答弁の中から、そういうお考えではないということは大体私も読み取れたような気がするのですが、しかし、ずいぶんまだ不確かな点も残っているように思います。そこで、中央交渉・中央交渉といいますけれども、河野・倉石修正案の中には中央交渉ということばは使われていないように思うわけでありますが、話し合いというふうなことならば問題ない、文部大臣の結論的なお考え方はそうなるように思うのですが、どうですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 私はことばの問題を申し上げておるのではございません。日教組の諸君が文部大臣と教育行政の問題について交渉をする、そうしてそれでもって結論を得てやろうという、そのものの考え方は私は受け入れるわけにはまいらぬのでありまして、そういうふうな考え方、態度というものを改めてもらいたいと思っておるわけでございます。教育行政の問題については、私ども意見を聞いたり要望を聞いたりすることは何らやぶさかではありません。しかし、そうではなくて、文部大臣と一騎打ちの勝負をやるのだというような態度で、そこで大いに談判をしてこうきまったのだ、ああきまったのだというようなことを誇大に宣伝してやっておられるあの姿というものは、ともに教育行政を語る相手としてはまことに遺憾であると私は思うのであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 重ねてお伺いしますけれども、話し合いならばいいわけですね。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 先般もお答え申し上げましたが、いわゆる倉石修正案と伝えられておりますものの中に、話し合いをすることができる、こういうふうな条項が入っておるようであります。これは国会の皆さんが御審議なさることでありますが、私は、そのような話し合いとか意見の表明とかいうふうなことについて、あらためて規定を設ける必要は全然ない。話し合いでも意見の表明でも、お目にかかることはよいのです。ただ問題は、いまのような態度を堅持せられる限りはお目にかかるわけにはまいらない、こういうことなのであります。

安井吉典日本社会党

○安井委員 いまでも話し合いをさっきからお認めになっておるじゃないですか。いまのとおりですよ。いまのとおりを条文に書いたらまずいということですか。

灘尾弘吉自由民主党文部大臣

○灘尾国務大臣 無用な規定を入れる必要はないと考えております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 それならば、まだまだ無用な規定はほかにもたくさんあると思います。とったほうがいいという規定もずいぶんあると思います。とったらいいと思うような規定のほうはお残しになって、こちらのほうに目にかどを立てた言い方をなさる、私はそこに問題があると思うわけです。時間がないそうでございますし、文部大臣もまだほかに御用もあるそうでありますから、私はきょうのところはここで一応終わっておきますけれども、この点は非常に重大な問題です。現実にやっておられることだし、また日本の労使関係の問題を改善していく上においても、あるいはまた、教育行政の問題で現場で働いておる人たちの意見を率直に聞いてあげるということは、必ず日本の教育の前進のためになると思います。そういうような態度を文部大臣にひとつ強く要求いたしておきたいと思います。  それから、ちょっと労働大臣に一つだけ。団体交渉が終わったあと、確認の方法として協約の問題があるわけですね。ところが、この改正法案の中には、その確認の方法としての協約の問題をネグレクトされておるような気がするのでありますが、その点はどうですか。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 国家公務員法におきましては、改正法案におきましても現行法と同様でございまして、この点は何ら改正いたしておりませんが、その内容は、国家公務員の職員団体と当局との団体交渉においては、交渉はいたしますが、その結果でき上がった協約というものについては、法律上の効力を付与いたしておりません。

安井吉典日本社会党

○安井委員 どういう理由によるわけですか。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 国家公務員の勤務条件は主として法律によって定められておりますので、したがって、交渉はいたしますけれども、でき上がった協約というものは締結しない、すなわち、かりに書面にそれを残しましても、法律上の効力を付与しない、こういう扱いでございます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 私は、どういうわけでそういう仕組みになされなければいけないかということを伺っておるわけです。法律事項はいいですよ。法律の範囲内でいろいろ話があると思います。その話し合いの結果をレコードして、それをお互いに確認し合って守り合う、こういう仕組みは別に悪いことでも何でもないと思うのですが、いかがですか。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 これは、法律上別に効力を発生させる必要はないと考えます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 そういうお考え方の根拠は、どういう理由によるものか、それを伺っているわけです。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 結局におきまして、国家公務員法は、国家公務員に対しまして憲法二十八条の団体行動、すなわち団体協約の締結権を公共の福祉並びに公務員の性格にかんがみまして、質的に一部制限をいたしておる、こういう趣旨から出たものと思います。

安井吉典日本社会党

○安井委員 そういうことは、せっかく話し合いはついても、その結果をお互いに尊重し合うという、そういう仕組みは要らないというふうに私には聞こえるわけです。どうですか。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 これは私の個人的な見解ですが、あるいは個人的な見解を聞いているのじゃないと言われるかもしれませんが、何かの御参考になるかもしれませんので申し上げさせていただくならば、私は、これは一つの紳士協約というようなものになるんじゃないか、法律の効力は認めておらぬが、一方は公僕であるところの公務員を組合員としておる職員団体であり、一方は国家機関であるところの行政機関あるいはその他の国家機関でございまするから、この間において意見の一致いたしました事柄につきましては、おそらく当局としてはこれをある程度実行するであろう、また、情勢が変わって実行が不可能になったという場合におきましては、これはやむを得ないんじゃないか、そういう意味で法律上の拘束力を付与しなかった、こう私は個人としては解釈をいたしております。

安井吉典日本社会党

○安井委員 その内容が違法であったり、あるいは公共の福祉に反するというふうなものであったりすればこれは問題かもしれませんけれども、そうでないあたりまえの話し合いの結果というものは、具体的なその職場の問題の解決等にたくさんあるわけですよ。そういうようなものを一般の労働組合の場合にはきっちりとした労働協約の締結権、それの双方の順守義務、これは明らかになっておるわけでありますが、国家公務員、地方公務員の場合等について守らなくてもいいというくらいおかしいことはないと私は思うのです。相手は国や地方公共団体やあるいは公務員だから守るのはあたりまえだと言われればそうかもしれません。それなら順守義務を規定してもいいということにもなると私は思うのです。大臣は私見をお話しになりましたけれども、政府全体としての御見解をお聞かせ願うわけにはいきませんか。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 政府全体といたしまして特にこうした問題について、これが法律の解釈ならばともかくも、立法された当時の趣旨ということになりますと、統一見解というのもいかがなことでございまして、個人個人それぞれに現行法を適当に解釈して運用する以外になかろうと思います。  なお、この機会にお許しを得まして一言発言をさしていただきたいと思います。それは五月二十九日の本委員会におきます安井委員の、国家公務員の連合団体たる職員団体の登録に関する御質問に対しまして、私から、国家公務員が主体となっておりまする連合体でありましたならば、連合体として独立に登録ができますという趣旨の答弁を申し上げたのでございますが、この点につきましては、国家公務員の職員団体であって登録要件を充足するものが組織いたしております連合団体たる職員団体は登録することができる、こういう趣旨に訂正さしていただきたいと存じます。お許しをいただきます。

安井吉典日本社会党

○安井委員 あとまだ問題はたくさんありますけれども、いまの肝心の問題点について、さらに統一した政府としてのお考え方もおまとめをいただかなければいけないし、またそれをお聞かせいただく機会も別に持ちたいし、また大ぜいのあとの委員の諸君からも御質問があると思いますし、一応多くの問題点はあと回しにいたしまして、きょうのところはこれで終わります。

多賀谷真稔日本社会党

○多賀谷委員 いまのに関連して、議事進行ですが、意見についての訂正はけっこうですけれども、法律解釈等をときどき訂正されたり、あとからこそっと来て速記録を消したいがどうか了承してくれと言われると困るのです。われわれずっと速記録を見て次の質問を展開しておるのです。ですから論議の間に、お互いのことですから考え方の変化はあってもけっこうですけれども、しかし解釈等の訂正をあとから次から次におっしゃりますと、まるきり質問の前提がくずれるわけですから、それはあらためて見解の相違として発表してもらって、そうして訂正はあまり乱用されないように、みだりに訂正をされないようにお願いいたします。

倉石忠雄自由民主党

○倉石委員長 多賀谷君の御趣旨は十分政府側に伝えますが、ただいまのはおそらくことばの行き違いの小さな部分の御訂正だと存じまして、そのまま了承いたしました。  午前の会議はこの程度にいたしまして、午後一時に再開することといたしまして、暫時休憩いたします。    午前十一時五十七分休憩      ————◇—————    午後一時四十六分開議

倉石忠雄自由民主党

○倉石委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。山本勝市君。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 私はこれから質問をさせていただきますが、私の質問はこれまで本委員会で他の委員諸君が質問された点とは別の視角からお伺い申したいと思うのであります。お伺いしたい問題の重点を最初にあげておきたいと思いますが、最初に伺うことは、この条約を批准し、また関連の国内法を改正するということによって、わが国における労使関係の正常な慣行を確立する、これがねらいであるというふうに提案理由にも説明されております。そこでわが国における正常なる労使関係とはどういうものと考えるかということが第一点であります。  それから次に、この条約適用にあたっては、各国の国情といいますか、そういうものを十分考慮しなければならぬと思いますが、わが国における考慮すべき国情とは、どういうものを考えるべきかということがその次の問題であります。  それからその次には、八十七号条約の適用の範囲、これは私いま自分一人の一つの疑惑でありますけれども、今日まで一般に考えられておるように、すべての労使関係というものに適用のあるものだと考えられておりますけれども、私はそうではなくて、これは民間企業における労使関係を対象とするものではないかという一つの疑惑であります。その理由はあとでだんだん申し上げます。もちろん政府も、またILOの委員会その他が、私と違った見解をとっておることは承知しておりますけれども、しかしそれにもかかわらず、私は条約の条文を読み、その他のILOの機構を考え、万般の事情を考えて、これは本来民間企業の労使関係を対象としたものではなかろうかということであります。  それから最後に、私はILOというものの権威、これは過大評価をしてもいかぬし、過小評価をしてもいけない。ほんとうにわれわれはILOというものの価値、権威をどのように考えたら正しいのかというその問題を検討し、また御意見をただしたいと思うのであります。  その順序でまいりますが、大平国務大臣が最初に政府の提案理由を説明されたところをかいつまんで申しますと、ILO八十七号条約を批准し、この条約の規定する結社の自由及び団結権の自由な行使を保護する措置をとることがわが国の労使関係における正常なる慣行を確立する上にきわめて有意義であると信ずる、よって、ここに条約の締結につき承認を求め、また国内法の改正案を提案する、こういう趣旨の説明をしておられるのでありますが、そのように理解して差しつかえないものかどうか、大平さんは見えておられませんけれども、大橋国務大臣のお考えを承っておきたいと思います。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 政府といたしましてはきように考えております。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 そこで問題となるのがわが国の労使関係における正常なる慣行の確立、正常なる労使関係とはいかなるものであるか、こういうことであります。私がなぜこの問題を特に取り上げるかと申しますと、今日のわが国におきましては正常なる労使関係の何たるかについて意見がまとまっていないというだけではなくて、全く相反する二つの見解が存在しておると思うからであります。すなわち一つの見解は、労働者と使用者というものは本来事業における。パートナーとして平和的に協力する関係にありと考えるのでありますが、他の一つの見解は、今日の社会においては、いわゆる資本主義社会においては、労働者と使用者とは根本的に利害の相対立する二つの階級として闘争すべき、戦うべき関係にありと見る見解であります。不断の戦い、これは労使は不断に戦っていく、二つの相敵対する階級であるという、そういうのを一つの正常なる姿と考えておる。これは非常に違ったものでありますが、正常なる労使関係を打ち立てていくといいましても、ことばは同じでありましても、その中身が、パートナーとして平和的に協力し補足していくという関係と見るか、あるいは利害が根本的に対立する、戦うところの階級関係と見るか、その点をはっきりしておきませんと、正常な関係を打ち立てるといっていろいろ国内法をいじくってみましても、目的がはっきりしなければ手段の選びようがないと思う。目的がもしどれかの一方をとる、他をとる。ここで分かれますと結果は千里の差を生じてまいります。この点をはっきりさせないままで議論を進めていきますと、いたずらに議論は紛糾いたしますが、なぜ紛糾するのかということさえもわからなくなってしまうおそれがあると思う。こういう点で私はこの点をぜひともはっきりさせておかないといけない、きわめて重大な点だと思うのであります。もちろん今日その二つの見解のいずれの側におきましても、労働者及び使用春が対等な自由の上に築かれねばならぬということだけは、これは両方とも一致しておると思います。対等な自由の上に築かれなければならぬが、しかし対等なる自由の上に相戦っていくのか、あるいは協調していくのか、不断に戦うのかもしくは平和的に協調していくのか、こういうことで非常な違いを生じてくるのでありますが、政府はこの正常なる労使関係の一つのイメージといいますか姿というものをどういうものと考えておられるのか。私がいま申しました二つのいずれをとっておられるかをはっきり伺っておきたいと思うのであります。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 政府は労使関係というものは本来相互に協力すべきものであると考えておるのでございます。なぜならば、労働にいたしましても経営にいたしましても相手方がなければ一人だけでは成り立たないものでございまして、労働は経営によって成り立ち、経営は労働を伴って成り立つのでございまして、本質的にこの二つは協力しなければならぬ立場にあると考えておるのでございます。もとより労使間におきましては労働条件その他の問題を通じまして絶えず意見の交換、いわゆる交渉が行なわれております。この交渉におきましては労使は互いに平等、自主的な立場に立って交渉に臨みまするので、その間意見の相違を見ることもありまするし、ときとして意見の対立を見ることもあるのでございます。この際において双方がおのれの意見によって相手の意見を屈服させたいと考えることもやむを得ないのでありまして、その際において争議的手段がとられることもあるのでございまするが、しかし私は、かような争議というものは労使双方がお互いによりよい協力関係をつくり上げるためという、そういう特殊の目的を持った対立であると考えておるのでございます。したがいまして、対立のための対立にはあらずして、常によりよい協力をつくり上げるための対立であるというところに、こうした労使間の争議の特徴があるのでございまして、人間のことでございまするから、ときとして対立のあまり感情が激しまして前後を忘れた行動に出るというようなこともいままでの例からいってなきにしもあらずでございますが、これは本来の姿ではない。私は、いかなる激しい争議にあたっても労使は常に本質的には協力関係にあるのだということを忘れてはならないし、また、いかなる激しい争議においても、その争議の目的は、よりよいお互いの協力をつくり上げるためのものであるという、この目的を忘れてはならない、かように考え、そうした方向に労使関係を指導いたしてまいりたいと考えております。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 ただいまの大橋国務大臣の御答弁は、わが国における正常なる労使関係というのは、やはり両方が、私のことばでいうパートナーとして協力していく関係だ、しかし、それがときに争議行為になることもあるが、あくまでも正常な姿は協力だということを忘れてはならぬという見解と承知いたしました。私もその点は非常に大事な点だと思うのですが、正常な姿がこうだときまりますと、争議行為というものをどういう意味において認めるか。これは正常な姿でなくて、異常な姿である、異常な姿ではあるが、やむを得ざるものとして正当なる行為と認められておるというふうに私は理解しておるのであります。違法行為とは認められていない、いわゆる労働組合の正当なる行為の中へ入っておりますけれども、しかし、それはちょうどたとえは悪いかもしれませんが、夫婦は仲よくするという夫婦関係でも、けんかするということはやむを得ないのですから、要するにそういう正常なる関係の一つの破れというものができてくる。その破れの意味のものだと思っておるのですが、大臣もそういう御見解のように承知いたしました。  そこで、その破れでありますが、争議行為は認められておるが、異常な関係であり、できれば避けなければならぬ、避けたい関係であるといたしますと、争議行為の限界、どこまで、どういう形の争議行為なら差しつかえないということをはっきりと明文でもって規定しておくことが、実は労働者が自由にその許された、正当と認められておる権利ということばはいいか悪いか知りませんが、俗にいうスト権を行使する場合に必要だと思うのです。それがはっきりしていない。正当なるものは差しつかえない、しかし正当でないものはいかぬといいましても、何が正当なのかがはっきりしておりませんと、自由にその権利を行使することができない。交通規則にたとえますと、自由に運行してよろしいといいましても、入られぬところははっきり筋引いて、これよりこっちには入れないということをあらかじめみんなにわかるようにきめおいてもらえば、そこの以外のところで自由に運行ができると思う。そこで私は、正当なるものと正当でないものの区別、労働組合法の中には、御案内のとおり、「刑法第三十五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であって前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。」正当なものの場合には罰しないという刑法三十五条の規定は適用すると書いて、「但し、いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない。」というただし書きがついておることは御承知のとおりであります。そこで暴力行為というものはいかぬということは書いておりますけれども、何が暴力かということをだれにもわかるように、どんな労働者にもわかるようにはっきりと示しておくことが、私は実はこの争議権というものを自由に行使させるために必要だと思うのであります。正当なるものについては三十五条の適用があるというのですが、正当なるものはどういうものかということ、そして暴力は正当でないというのですが、暴力といったらどの程度のものが暴力かということであります。その点を伺いたいのですけれども、これは具体的にわかっていないと、どんな運転手でもわかるように筋を引いておかないと自由に運転できないのですから、はっきりしておくことが必要だ。  そこで、私はここに例をあげますが、こういうのは正当なるものあるいは暴力ではないのだということなのか、あるいはそれは一種の暴力だと見るのかということであります。争議行為、同盟罷業あるいは怠業というものが正当たるものとして認められておることは、これは異論がありません。しかしすわり込みですね、すわり込みというものが正当なるものかどうかということです。これは最高裁判所が何と言っておるとか、かんと言っておるとかいうようなことは私はここで聞かぬでいいのです。そういうだれがどう言っておるというのではなくて、これは私の考えを申しますが、私は、交通妨害にならぬところにすわり込んでおる場合は、これは正当なるものと認めていい、こう思う。これはやはり自分の一つの意思表示で、正当なるもののうちへ入ると思うのですが、これはあとで大臣の意見を伺いたいと思います。  それからハンガー・ストライキというのをよくやりますが、これなども正当なる行為のうちへ入るのだろうと思う。ハンガー・ストライキは暴力でも何でもない。それから、交通妨害にならぬようにデモ行進をやる。これはアメリカでもフランスでもイギリスでもやっておりますが、プラカードを掲げてずうっと町を歩くデモ行進、こういうのは私は問題がないと思います。しかし、大声をあげて怒号しながらジグザグ行進をするということは、怒号の程度にもよりますけれども、これは一つの暴力じゃないか。しかし周囲の者が見て、気の小さい者は非常なショックを受けるくらいの猛烈な勢いで大きな声をあげてジグザグの行進をやるというようなことは、私は世界のいわゆる文明国には見ることのできない現象だと思う。よほど程度の低いところへ行けばそういうこともあり得ますけれども、今日アメリカとかあるいはイギリスとか、フランスとか、ドイツとかいうところでは考えられない。だからこういうのはどうか……。(発言する者あり)まあひとつ最後まで聞いてくださいよ。それくらいのことを聞く雅量が君らないから、いつまでたっても三分の一突破できないのだよ。  それからつるし上げですね、これは最近はだいぶ減ってきたようですけれども、しかし、平気でつるし上げということばがはやっている。それからカン詰め、それからピケですね。これも先ほど言いましたとおり、どこやらの裁判の結果はこうだった、ああだったという人の意見を聞きたいのではなしに、ほんとうにいまの政府が考えて、ストライキでピケを張って、そうして入り口を通る従業員これはストライキをやる権利があると同時にやらぬ権利もある。労働組合を結成する権利といえば結成せざる権利も含んでおるんでしょうから、参加しない人が通ろうとするのをそばで腕はふるわない、からだにはさわらないけれども非常な威圧を加えるような形でピケを張るというようなことはこれはいけないのか、差しつかえないのか、こういうことははっきりいけないときまっておりますと、これはやるほうもやりやすいし、しかし、いいか悪いかわからずにそのままほっておいておくと、自由にその権利を行使することができないのではなかろうか。まあこういういまあげたような点について、これは大臣でなくても、局長でもけっこうですが、ひとつ御見解を承りたい。

三治重信労働事務官(労政局長)

○三治政府委員 きわめて具体的な御質問でございますが、先生のお尋ねのは一般の労働組合の行動としての基準の判断だとかいうふうな御質問だろうと思います。すわり込みの場合、先生の御指摘なのは、おそらくたとえば工場とか事務所という場合のすわり込みという場合の一番極端なのは、事務所なり工場の自分の職場のところへすわり込んで、ほかでは一切仕事ができないようにする、また普通の勤務しているようなときには正常な仕事をやっているけれどもそのすわり込みということで全然仕事もやらないということだろうと思いますが、これもいろいろのいままでの労働運動の事実として工場を何と申しますかストライキをやる、そうすると事業主のほうがかわりに労働者や何かを雇ってきて工場や事業所を動かす、それをスト破りというわけですが、スト破りを防ぐためにすわり込みをやるというふうなことで、それがしかも暴力ざたになるというふうな、まあいろいろの関係がございますが、単にそういうことでなくして従業員が自分の職場へ仕事をやらぬで全員が何日もすわり込むというふうなのを考えておりましても、現在のところではそういうすわり込みは違法な争議行為であるというふうに考える。まあ程度によっていろいろの場合が考えられると思いますが、一般的にはそういうことでございます。  ハンガー・ストライキでもまあ結局すわり込みと同じように、そこで食事もしないで何日間もすわり込みのハンガー・ストライキという場合もある。これはまあいままであまり例がないのでしょうが、一部の幹部が社長の事務室の前とか廊下でハンガー・ストライキをやるストライキ、こういうふうな一部の組合幹部とか一部の者が社長室の前とか責任者の廊下のところでハンガー・ストライキをやるという場合にでも、これは一般に争議行為というのか陳情といいますか、まあその人数によって社長なり部長なり重役なりが現実に業務がとれないような状態になるような場合におきましては、やはりそこに一種のストライキ的な部面もあるかと思いますが、こういうのは一般的には何と申しますか、争議行為としてはそう使われないことじゃないかと思います。  それからデモ行進とか、何と申しますか大声をあげる、こういうふうな場合はおもに工場や事務所以外のところで行なわれますものですから、これは現在のところわが国ではほとんど警察が対象になっておりまして、デモ行進をやる場合には警察のほうの許可をとってやるというふうなことになっておりまして、もちろん各地方自治団体に条例なり何なりありまして、一般の公衆の道路とか広場を使う場合にはそれぞれそういうものの営造物の管理規程があり、そちらのほうから規制されておりまして、労働法関係の対象には直接はなっておりません。それからつるし上げとかカン詰め、ピケというふうなもの——つるし上げ、カン詰めばまあ交渉の場に一般に行なわれているわけでございます。これについて労働省は、特に団体交渉のルールとしてあらかじめきめた代表で交渉するというのが正しいのであって、そこへ何人か団体交渉だと言ってそういうほかのたくさんの人が来てわいわい言う、その使用者側を誹謗するというのは、これは正常な団体交渉ではないという意味において争議行為とは離して、そういう交渉のルールの正常化の問題としてわれわれはこちらをことに労働教育の重点にして正常化すべきものだ、これはあらかじめ定めて、交渉のルールとしてやるべきものだというふうに考えております。ピケはまあこれも時代によって、また実際にずいぶん変わっておりますが、まあ平和的な説得の程度のピケというもの、労働者が門に入ってくるときに、いまストライキに決定したから入らないでほしいというふうな平和的な説得の限りの程度のピケは違法の行為には入らないというふうに一般にはわれわれ考えておるわけであります。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 いずれにいたしましてもそういういけないことははっきりだれにもわかるように、こういうことはいけないということをあらかじめはっきりきめておくことが私は必要だ、その場になって状況判断によるとかなんとかいうことになるとかえって自由にやれない。ここまでははっきりいいんだということ、そういう意味でまあ具体的な個々の場合に私はそれが賛成とか不賛成とかいうのじゃないですが、とにかくいままで正当なる行為と正当でないのと、暴力と暴力でないのとの境が一般の人にどうもはっきりしていなかったのじゃないか、あとになってから結局それはいかぬとかなんとかいうことになる場合があるのじゃないか、こういうことを心配して申し上げるわけです。  それから次の問題は、個人としての労働者または使用者というものの自由とその団体の行動との関係についてであります。御案内のとおりマルクスレーニズムなんかの立場から申しますと、今日の日本の社会をもって労働者と資本家の階級社会と見る、この社会の続く限りは労使は階級敵として不断に戦うのが必然であり、それが正常であると考えておるわけであります。彼らは階級を第一義的存在と考える、したがって個人としての労働者はむしろ第二義的に考える、したがってすべての労働者は労働階級として団結することが義務であると考えておると思うのであります。これがマルクス主義が集団主義、コレクティビズムと世界でいわれておる理由だと思います。集団という、一つの組合なら組合、団結なら団結それ自身がきわめて大事である、だからこの団結をくずすようなことは、それは労働者としての義務にそむくものであり、裏切り行為であり、これは許せないという考え方。だから分裂主義者と言われることが一番きつく響く、これは集団というものの自主的活動といいますか、集団の自由というものに重点を置いておるからであります。これに対して私たち自由民主主義の立場に立っておる者は、個人というものは自由においてのみ本来の意味を児出し得るものだ、個人は自由な姿においてのみ本来の意味を見出し得るものだと考えるところから、個人の自由を第一義に確保しようと考えます。個人の自由の結果として、結社の自由あるいは団結する自由、これは個人の団結する自由、結社を結ぶ自由を認めるのでありますから、団結せざる自由も同時に認めるわけでありまして、個人の自由ですから、団結する自由も認め、団結せざる自由も認める。したがって、団結することを義務とは考えないわけであります。権利ではあっても、義務ではない。団結せざる自由もある。私は、いまの日本国憲法は、個人の自由を第一義とし、自由民主主義の憲法であると考えるのであります。したがって、結社の自由はもちろん、団結権の行使も個人の自由から派生したものであって、したがって、団体の自由な行動というものは、個人の自由から浮き上がって、独立して、個人の自由を抑圧したり、または個人としての人間の尊厳を傷つけたりするようなことは許されないたてまえのものであると解釈するのでありますが、政府はどのように考えますか。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 御質問は憲法二十八条の労働基本権についての基本的な考え方に触れておるのでございますが、私は憲法二十八条の権利というものは、これは憲法上の個人の自由権とは関係のない、一つの独立した権利であると考えておるのであります。それはどういうわけでありまするかと申しますると、憲法二十八条には「勤勞者の團結する横利及び團體交渉その他の團體行動をする権利は、これを保障する。」とあるのであります。この権利は、自由とは書いてないのであって、権利と書いてある。この権利というのは何人に対する権利であるかということになりますると、この労働権というものは、労働関係、すなわち使用者対労働者というこの労使間の一つの社会的身分、これを前提にいたしまして、使用者に対して労働者に保障されておる権利が労働権ではないか、こういうふうに私は憲法の二十八条を理解いたしておるわけなのでございます。したがって、この問題は、個人の自由ということからきた、個人の自由ということの一つの姿ではなくして、労使関係という一つの特別な社会関係を前提にして、その関係から発生した、独立別個の権利である、こういうふうに私は理解をいたしておるわけなのであります。もちろんこの労働権の行使というものは無制限に認められておるものではないのでございまして、憲法第十二条におきまして、「この憲法が國民に保障する自由及び権利は、国民の不斷の努力によって、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」、こういう意味で、他の国民の自由、権利、その他憲法上のいわゆる権益、広く申しまするならば公共の福祉というものとの調和ということを考慮しつつ、この労働権が行使されなければならないものであるし、また労働権に関する法律上の規定をいたしまする場合においては、これらの憲法上の自由及び権利というものとの調和を考えつつ、おのずから限界を定めなければならぬものである、かように理解をいたしておるわけでございます。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 私は、これは意見になりますけれども、やはり勤労者という特殊の地位においての、二十八条はそういう規定であります。ありますけれども、やはりその根源は二十一条、人間の自由権、この自由権がある特別の場合に特に規定されたものだと思います。したがって、集団を組織して、集団が個人の権利を無視するということはできない。そこに調和点は必要でありますが、常に個人から離れないように——ですから、勞働協約が三年以上の契約は無効だというようなことも、幾ら契約であっても、三年以上たちますと個人の自由というものから離れていく。契約があまり短いと、また実際に不便を来たすから短くもできないが、大体三年というところで、それ以上の契約をしても無効だというのは、やはりその個人の自由を失わせないようにという配慮からじゃないかと思います。ですから、大橋大臣の言われたように、発生の由来は別といたしまして、集団が個人の自由と矛属する場合が起こってくる。つまり、集団としては団結が第一、何をおいても団結をくずしてはいかぬという要請があります。しかし、この団結を第一にいたしますと、組合民主主義といいますか、その個々のメンバーの自由を犠牲にせざるを得ないことになる。このジレンマが起こってくるわけで、ここの調和が結局必要だということになると思うのであります。ですから、常に個人の自由ばかり主張しては、これは団結行動はできませんけれども、いつも個人の自由を忘れないようにしてやらないと、たとえば先ほど申しましたジグザグ行進——ねじはち巻きでジクザク行進をやったある労働者が、これは私鉄の鉄道におった人ですけれども、私のところに来まして述懐をするのです。幹部がやれと言うから、しかたない、やるけれども、私はあんな、子供にテレビで見られても恥ずかしくてしかたがない、大きな声を上げてジグザグで走るなんということは、若い者ならなんだけれども、しかしそれをいやだと言ったのでは団体行動ができない。しかし、その人のことばに、人間の品位を傷つけることはなはだしい、こう言う。これは東武鉄道に長くおった方ですが、私のところに来て述懐する。話は余談のようになりますけれども、終戦直後に、労働組合に株を配当しろという要求を労働組合から出した。社長の根津さんはじめ相談して、株を出した。十年以上はどれだけ、二十年以上はどれだけと渡した。ところが、株主総会にその従業員の株主が出て、前列にずっと全部集まれという命令が出た。それで自分たちが行って、前列をずっと何列かとっておったところが、いよいよ議事に入って、配当するという議案が出たときに、反対ということになった。配当する金があるなら、労賃を上げろ。そうしたところが、大株主も来ておるし、いろいろ弁明しだした。ところが、飛び上がっていって根津さんの頭を皆でぶんなぐった。それで根津さんはたたかれて引っ込んだのだが、そこに、これも私の知った男ですが、ある男が飛び上がっていって、だれもなぐった者はない、たぶん手を出したところに頭を突っ込んできたのだろう、こういうことを言った。その演説した人も私は知っておるのです。しかしその後レッド・パージがあってから、いまはずっと変わってきました。いまはそういうことはありませんが、そのときはそうでした。ということから、だんだんただいま申したような、人間の品位を傷つけるそういうことはやりたくないけれども、やらなければ結束がくずれるというので非難される。こういうことですから、集団の自主的行動は必要であります、これなくては意味をなさなくなりますが、その自主的行動が人間の権利、個人の自由、権利というものとぶつかってくるということを念頭に置かれて、そうして労働関係法をつくっていく場合に、十分ここに調和点を発見するように慎重な努力を期せられたいと思うのであります。  なお、いまの点で一言申しますが、私は今日の社会の最大の危機というのは、いろいろ心配事はありますが、最大の危機は何かというと、意識的あるいは無意識的に集団主義、コレクティビズムというものが横行をしておるということ、そのために個人としての人間の自由と尊厳とが傷つけられていくというところに、私は今日の社会の一番大きな危機を感じておるのであります。悪いと思わない、それが正しいんだと思ってどんどんそれが行なわれていくということであります。個人としては恥ずかしいようなことを、集団としてはもう当然のこととして行なう。こういうことが非常に危険だと思うのでひとつ申し上げておきたいと思います。これは三池炭鉱の争議の委員長が、これは聞いた話ですけれども、あれだけのストライキをやったあとで、一夜ひそかに考えて、これでいいのか、自分はこれでいいのかというので、これまでの態度を変えて全然別個の、労働関係というものはほんとうにパートナーとして平和的にいかにゃならぬという趣旨の団体に属したということを聞いておりますけれども、ほんとうに集団行動というものは人間の良心を傷つけるおそれが十分あるということであります。  それから、条約に伴う国内法の整備にあたって、どの程度にわが国情を考慮することが許されるのかという問題。昨日の公聴会の席では松岡教授が、親族法や相続法などは、それぞれの国によって違う、国の特殊事情できめるべきだけれども、労働法というようなものは、これはイギリスの労働者も日本の労働者も同じなんだ、だからこれは親族法や相続法のように、国情によって特殊虚構を考えて扱うべきものではないんだという説明であったと私は了解したのであります。私はずいぶん変わった意見だと思ったのであります。しかし労使関係における労働者、これは労働とか資本とかというものを問題にしているんじゃないと思うのです。労働力というものはこれは国籍はありません。資本にも国籍はありません。しかし労働者あるいは資本家、これにはりっぱな国籍がある。学問とか技術には国籍はないけれども、学者あるいは技術者にはりっぱに国籍があるはずであります。労働関係法においてわれわれが問題にしている問題は、単なる資本とか労働力を問題にしておるのではなくて、労働者という人間、使用者という人間が問題でありますから、労使関係というのは人間関係であります。ものの関係ではなくて、ヒューマンリレーションといいますか、人間関係であると私は理解しておる。そうして人間関係というものは、常にどこの国でも歴史的社会的なものである。これが先ほど申しました、学問に国境がなくても学者に国境があるといわれるのは、人間は歴史的社絵柄な存在であるということ。そうしまと、この労働関係において正常なる姿あるいは不正常な姿、そういうものを規定する法律というものは、歴史、伝統、その他の国情によって変るのがほんとうであり、それを一律にきめるのが、一つの定木で縛ってしまうということが、これはまことに無理なことで、そんな無理なことをしたら、必ずそういうものは守られないから、権威がなくなってしまうと思う。ですから私は、このILOの問題についても、われわれが批准した以上は、これは忠実に守るという覚悟が必要であります。それだけに、無理なことをやってはいかぬ。だから労働権の定義から始まり、あるいは結社の自由の定義から始まって、そうして定義と矛盾しないようにいろいろ国内法をいじくるというやり方ではいかぬのであって、そうではなくて、最初に申しましたように、正常なる関係というのは、労使が平和的に協力、補足する関係だという、この目的に照らして、そうして国情、歴史、伝統、すべてを見て、みんなが納得するような、守られるような、というこれは納得いくところの法律をつくっていくのが正しいし、またそれはILOの精神でもあると私は思うのです。  もっとも戦前にはILOが、第一号条約は御承知の労働時間の条約でありましょうが、八時間労働、まあ労働は苦痛であるという前提に立って、二十四時間を三分して、八時間働けば八時間眠る、そして八時間遊ぶ、こういう三分法を用いて、そして世界にそいつを当てはめようとした時代が私はあったと思います。しかし裸で、立ち小便を平気でする、平気で手鼻をかむという、ほとんど大部分の労働者が裸、はだしでおるような国と、大部分が自家用自動車で工場に通っておる労働者とが、同じ労働時間でやっていこうなんてことは、子供が考えたって間違っていることはわかっておる。環境衛生についても同様であります。労働時間についても同様であります。暑いところと寒いところを労働時間を同じにするなんてことは、それがむしろ無理なんだ。だから、そういう国情を考えないで、ややともすればILOの場において、後進国の国際市場における進出を押えるがために、労働者側の要求をいいことにして、その国の資本家も使用者も——かつては資本家と育ったんですが、資本家も政府もぐるになって、そうして大国の基準を後進国に押しつけようとはかったことがなかったとはいえない。今日はだんだんそういうことは少なくなってきたと思います。またそのためだと思いますが、御承知の一九五一年の労働協約に関する勧告、九十一号、これを読んでみますと、団体交渉制度に関してでありますけれども、労働協約の原則として、「国内事情に適するように協約又は法令によって、労働協約を交渉し、締結し、改訂し及び更新するため、また、労働協約の交渉、締結、改訂及び更新に当って当事者を援助するため、各国の現状に適した制度を設けるべきである。」という勧告、第二に「前記の制度の組織、運営方法及び機能は、国内事情に適するように当事者の協約又は国内の法令で決定すべきである。」と、こういうふうに繰り返し繰り返し、国内事情に適するようにやれということを、これは八十七号条約の直接の問題ではありませんが、しかし労働協約に関する勧告の第一、団体交渉制度と題して、繰り返し国内事情に適するようにやれということを書いておるところを見ますと、私は国内事情を十分に考えてやれというのが、今日のILOの精神だと思うのであります。政府はどういうふうにお考えになりますか。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 労働関係が一つの社会関係であり、人間関係であるというお説は、そのとおりに存じます。したがいまして、社会関係であり人間関係であるところの労働関係を規律する制度というものは、その国々によっていろいろ特殊な事情もあるわけでございまして、その国情に合うようにくふうされなければならぬということは、これは印すまでもないことだと思うのでございます。ただしかしながら、ILOというものに日本が加盟をいたしております以上は、ILOの条約において、少なくとも加盟国としてこの程度のことは労働関係において最小限度守るべき責任がある、こういうふうな取りきめをいたした条約を批准いたします場合におきましては、それをしも、条約を批准しながら、国情に適しないからといって条約の適用を免れるというわけにはまいらぬと思うのでございまして、そうした場合においては、批准をしないということによって初めて適用義務を免除される。批准した以上は、その条約の要求いたしております最小限度の要求には当然こたえなければならぬ覚悟を持たなければならぬと思うのでございます。その辺のところは、国情とそれから労働条約における普遍的な原理というものをよく勘案して国内の制度をつくっていく必要があると思います。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 私はILOの精神にそむいてはいかぬと思う。しかしその精神そのものが、国情によってやれというのが少なくとも今日におけるILOのほんとうの精神であろうと思うのですよ。そうでなかったら、私はILOというものは非常に無理なことをするということになってくると思うのです。それは、日本人は一たん約束したものは守らなければなりません。守らなければなりませんけれども、その約束というのは、その精神を約束したのである。だから、条約そのものの解釈についても、その国情に適したようにやる精神を述べたもので、憲法みたいなもので、むしろあんまりしゃくし定木にやると、ILOというものはつぶれてしまう。(「最低限度じゃないか」と呼ぶ者あり)最低限度と、あんまり数字をやかましく言いますと——私は条約を結んでおいて実行しないということは、はなはだいかぬと思う。しかし現にILOの加盟国には、条約を結んで実行しない国がうんとあると思うのです。たとえば、フランスは条約を一番たくさん批准しております。その次にたくさん批准しているのはブルガリア。イギリスよりもスイスよりもスエーデンよりも、どこよりもブルガリアがたくさん批准しておる。アルジェリアやモロッコのほうが、スエーデンや何かよりたくさん批准しておる。こういうこともあるから、われわれも守らぬでいいというんじゃないのですよ。それはもう約束したら守らなければならぬが、守るときには私は精神をあくまで守って、その精神が国情に沿うてやれというのが精神なんだから、十分国情に沿うたようにその精神を生かしていくということがILOの精神じゃないか。そうだと思うんです。これはしかし……(発言する者あり)君ら黙って聞きなさい。君らの立場とちょっと違うのだ。君らは闘争だからね、ちょっと違う。

倉石忠雄自由民主党

○倉石委員長 どうぞ御進行願います。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 これはあとでILOそのものの権威、価値、これが過大に評価しても過小評価してもいけない、どの程度に評価すべきかということは、最後に問題といたします。いまは略しますが、しかし国内事情に沿うてやるという場合に、日本の国内事情というものをどう受け取るか、労働関係について考慮すべき国内事情というものをどういうものを考慮するかこいう点であります。これについて私の考えをちょいと申し上げて御意見を承りたいと思います。  私は今日の日本人の職業に対する考え方というものは、かなり西欧諸国あるいはアメリカなどと違うと思う。日本人は職業を生活だと考えておる。だから、職業において人生の意義を見出そうと考えておる者が多い。したがって、就職を頼みにくる者は、将来性のある一生の仕事を探しにくる者が多い。われわれのところに頼みにくるのはそういうのが多かったし、今日も多い。ところが対照的なのがアメリカであります。アメリカの場合は、仕事というのは生活費をかせぐための手段である。ほんとうの生活は、仕事が終わった瞬間から始まると考えている。午後の四時なら四時に仕事が終わった、これからが生活だ。それまでは実は生活費というものをかせぐ手段にすぎない。したがって一ドルでも高いところがあれば、きのう就職してきょうやめても、だれもふしぎには思わない。大学を出てくつみがきをやっておる者があるが、それもだれもふしぎには思わない。これは極端な例ですけれども、日本人の職業に対する考え方が違う。日本人の場合には、職業というのは一つのつとめだと考えている。つとめというのは、仕事をつとめと言うと同時に、おつとめといって、朝起きて供養をする、お経をあげるのもおつとめなんです。ですから単に労働力を売るのだ、買うのだというのは、それはいろいろ学問をした人が向こうの本を読んで考えるのであって、ほんとうの日本人においては、雇う者も雇われる者も、労働力を売る、買うというふうには一般には考えていない。ですから日本には、時間給というものはほとんどありません。時間の切り売りなんということは、向こうでは平気です。平気よりも、それが原則であります。これが日本人の仕事に対する考えで、おつとめ、つとめだ。だから子供がおとうさんどこへ行ったと言ったら、おとうさんほおつとめと言えばもう幼児でもそれで納得する。だからこれはある意味において、単なる労働力というものの売買関係以上に、もちろん生活費をかせぐのですけれども、そこに人生の意義を見出し、非常に道徳的で、むしろ宗教的である。そういうのがいいか悪いかは別問題ですけれども、私は必ずしもそれが悪いものだときめてかかるならば反対である。西欧の、あるいはアメリカのやり方が近代的だ、それがいいんだというふうには、私には考えられない。現にアメリカにおいても西欧においても、いき過ぎが反省されて、労使関係は単に労働力の売買ではなくて、人間関係であるということで、そうしていかにしてほんとうの人間関係をつくるかということに非常な苦心を払ってきておるのは、御承知のとおりであります。  それから第二に、私は教師というものに対して、人を教えるという、この教師の職というものに対する日本人の一般の考え方は、かなり特徴的だと思います。よほど身分の高い人でも、自分の子供を預けておる先生に対しては、ほとんどもう常識もないような先生にでも、先生、先生と言って、出会ったら、おはようございますと、父兄のほうから先におじぎをする。だから教師の職は、これは一つの聖職というふうに一般には考えられておる。いいか悪いかは別問題ですよ。しかし、とにかくそれが現実であります。ですから教師が、わが輩は労働者であるというようなことを言いますと、父兄が反発する。なぜ反発するかというと、自分たちがそれをたっとんで、尊敬しておるものを傷つけられたという感じで、よごされたという感じで反発をする。教師自身がそういうことを言うけれども、先生を労働者であるというふうには父兄は考えたくないの、であります。これが私は日本の労働関係法を考える場合に、教師、これは地方公務員とか、公務員でないとかいう議論がだいぶやかましゅうありましたけれども、それは公務員たる教師であろうが、あるいは公務員でない教師であろうが、同じことです。およそ人を教育する立場にある人を尊敬する、その職を尊敬する。そうして、その人は模範的に行動してほしい。それはむずかしいことだけれども、人の模範となって行動してほしいというのが、日本の父兄の願いであります。これを私は考慮せにゃならぬというのが第二点。  それからもう一つ、日本の労使関係に関係した特色は、使用者とそれから労働者との関係であります。いい悪いは別問題。この間大野さんがなくなりましたけれども、大野さんが非常に大衆に受けるというのは、親分子分という、これは日本は昔から親子の関係というものを——いいか悪いか、昔から親子関係というものが一つの社会の軸になってきておる。ですから、一般の雇い主は預けられた若い娘さんに対しても、親から遠く離れて預けられたのだという気持ちがあるのです、これは十人のうち九人まである。それだけに、夜おそく活動写真から帰ると文句を言ったりするのは、そこなんです。そういう弊害も起こってくる。弊害も起こってくるが、親がわりに、間違いのないように育てていこう、時間があればお花も教え、裁縫も教えて、結婚のりっぱにできることを願う。この間、外国の見た日本、というので、読売新聞に、日本の会社では上役が社員の結婚の世話で忙殺されておる、これが外国人にはわからぬという記事がありました。社長が社員の仲人になって祝辞を述べるというふうなことは、これは日本においてはあたりまえのことなんです。上役が下僚のために嫁を世話をする。そうして、外国にない例は、会社が、できることなら社宅をつくり、労働者の寮をつくり、また運動場もつくってやりたいというのが、日本の雇い主の願いであります。なかなかそういきませんけれども、できればそうやりたい。外国に見ないほど厚生施設が発達したということ、これは日本の雇い主というものが、労働者と階級闘争をしているとか、あるいは労働力を売買しているという考え方に立っていない、いわゆる人間関係として受け取っておるという証拠だと思う。これもいろいろその結果弊害もありましょうけれども、必ずしもこれを前時代的なものとして排斥すべきではないというのが私の考えであります。社会党にすらも、聞くところでは、親分子分というのがあるという話である。外国で言うボスというのと、日本で言う親分というのは違う。親分子分というのは、外国で言うボスの関係ではなくて、親の気持ち、子の気持ちという、この日本の社会の一つの親子関係というものがそこに反映してきておる。だから、労働者が親方と言い、おやじと言う。インテリはそういうことを言いません。頭が古いと言いますけれども、ほんとうの大衆はそう言う。だから、ほんとうの日本人らしい、泥くさい日本人といいますか、日本のはえ抜きの労働者に労働関係というものを聞いたら、おそらくメーデーに親方を、社長を呼んできて、そうして祝杯の音頭をとってもらい、乾杯の音頭をとってもらうということを喜ぶと思います。そういう関係を今日の労働基準法や労働組合法にあるいわゆる不当労働行為なんと言うのは、少なくとも日本の伝統からはえ抜いて出てきた考え方ではなくて、翻訳にすぎない。翻訳が悪いとは一がいに申しません。   〔委員長退席、森山委員長代理着席〕 しかし、社会党にすら親分子分がある。いわんや自民党なんかにはありますが、そういうのが日本の社会である。この労使関係を考える場合に、雇い主とそれから雇われる者の関係というものが人間関係である。だから、労働法というものは、戦争法規のようなものにしないように、対等の立場で戦う戦争法規のようなものにしてしまって、そうしてこまかいことまで、こっちがやるならこっちもやる。こっちがやるならこっちもやるで戦いをやるのではなくて、平和的に協調補足していく関係で、これを両方とも承認したならば、私は、団体交渉とか中央交渉  それを承認するなら、会ってはいかぬというふうなこともおかしいし、あるいは事務所を貸しちゃいかぬというのもおかしい。対立闘争でけんかするという前提だから、事務所なんか貸すなということになりますが、あいているから使いなさい、いや、ありがとう。おやじ、今度子供ができたから、ひとつ来て名前をつけてくれ、こういう調子ならば、私は、場所があいておれば貸してやったらよいと思う。専従なんかでも、けんか腰になるから専従なんかいかぬということにならざるを得ないのですけれども、なごやかに、本来の目的が私の申し上げたように平和的協力、補足の関係ということになれば、そういうことは問題でなくなる。ただ、遺憾ながらいままでの行き方が、とにかく対等の立場でけんかをするのだ、不断の戦いあるのみということでやってきたものですから、戦いならば必ず敵を弱くしていく、味方を強くするという考え方が起こってくるのは、両方とも当然なことになってくる。それを、いやなものですから、使用者のほうでは、労働法は労働法でありましても、実際は自分の好きな流儀でやっていく人が出てくるんだと思うのです。  それからもう一つ、日本の特殊事情を私は申し上げてみたい。  それは、日本は非常に進んだ工業国、先進工業国になっておりますけれども、先進工業国の中では、土地が狭くて資本の蓄積が少なくて、労働力が多い国である。土地、資本、労働と、これが生産の三要素といわれておることは御承知のとおりでありますが、この三つの要素の中で、土地が狭くて、資本蓄積が少なくて、労働力が比較的よその国に比べて多い、こういう国におきましては、これは土地が狭いから、必然的に地代が高くなる。それから資本蓄積が少ないから、金利が高くなる。労賃がそのわりに低くなるということは、私は自然の法則だと思います。労働の移動が自由ならば、世界各国、アメリカでもイギリスでも自由に移って働けるなら労賃の格差というものはおのずからなくなります。高いところへ、高いところへ流れていきますから。そうして、人口の密なるところと粗なるところはできますけれども、水が自然に流れれば、労働報酬の格差というものはだんだんなくなっていきます。労働条件は均衡化するにきまっている。しかし、今日国境というものがあって、労働者が自由に動けないというものにおいて、国際分業の世界で生きていくためには、土地が狭くて天然資源が少なくて、資本蓄積が少なくて、労働力が多い国においては、よそよりも比較的に安い労賃で働く以外に国際分業でその地位を保つことは不可能だと思います。土地が広い、天然資源が多い、資本が多い国、そして労働力の少ない国——アメリカを考えますと、資本も多い、土地も多い、労働力は比較的少ない。そういう国と比べまして、これは代表的な一つのコントラストでありますが、資本が少ない、土地が狭いのに、労働力は同じというふうに考えたら、これは国際分業の世界では生きる余地はありません。しかも、そういうところでは、率から申しますと、労賃率というものは低い、金利は高い、地代は高い。それは地主の収入が多いというのではありません。ただ一反歩当たりの、一坪当たりの地代とか、百円についての金利とか、あるいは一日とか一時間当たりの労賃というふうな点から比較しますと、地代が高く、金利が高く、労賃が低いということはやむを得ない。国鉄労組の一九六一年二月二十日付のILOへの申し立ての中に、「日本の労働者は全体として外国の労働者に比し低い賃金を支払われていること」云々というようなことを書いておりますが、これは、もし外国と同じような労賃を支払うということになったら生きていくことはできないということになるので、砂漠の中で住んでおる者も、国際分業に参加することが、せざるよりは有利であります。しかし、ただ参加した場合に、生活程度は低いというところに甘んじて国際分業に参加したほうが、分業に参加しないよりもなおいいということになると思うのです。この点。  それから、その次の日本の特殊事情は、これは社会党の諸君がちょっと気に食わぬかもしれませんけれども、案は労働運動の指導者の中にマルクス・レーニン主義者が多いということです。今日、自由国家の先進国の中では、日本級の中では特異の例だと思います。口を開くとアメリカ帝国主義がどうのこうのという。あるいは金融資本がどうのとか、独占ブルジョアがどうとか、こういうマルクス・レーニン主義者が多い。そして階級闘争史観といいますか、労使は階級の敵として不断に戦っていかなければいかぬのだ、戦いをゆるめたらいかぬのだという考え方。したがって、やむを得ざる破れとして争議を認めるのではなしに、ノーマルなコースですから、ことしのうちから来年の春のストライキまでスケジュールを組む。これは異常なるやむを得ざる行為として認められておるものをノーマルな行為、正常な行為として考えるからスケジュール闘争というか、春闘だの秋闘とかいうので、ちゃんと半年も一年も前から計画してやるということになると思います。このマルクス・レーニン主義者が多いということが一つの特徴だ。これも自由国家における労働法というものを考えていく場合には一つ念頭に置かなければならぬ。よそにないことです。よそ並みではいけない。イギリスとかアメリカとかドイツとかいうものと同じように、せめて同じようなことをきめたいといいましても、その人間が違い、考えが違うのですから、これは同じように扱っていったらたいへんなことになる、こういうふうに思うのです。  だから、公務員というものに争議権を奪還せねばならぬというので非常に御熱心だ。しかし公務員にストライキを権利として認めておるような国は、おそらく先進国にはないと思います。それはたとえば西ドイツの場合には、これは申し上げるまでもないのですけれども、ワイマール憲法では団結権というものは認めておりました。しかし、条文で認めておっても、判例で公務員の争議は公法上の忠勤義務に反するということで全部否決されておる。今度公務員法をつくるときに、ボン憲法の三十三条で公務員に関することは従来の伝統、伝来の慣行に即して法律できめるとこうきめておいて、そして公務員法をきめたときに、政府原案には公務員のストは禁止するという一項がありました。それを審議の過程で削った。削ったときの理由が、公務員のスト権がないことは自明の理であるから削れということで、削るには削ったけれども、スト権を認めるというので削ったのではなくて、自明の理だからというので削った。これは西ドイツの例です。フランスなんかでは、ドゴールが出てくるまで公務員は組合を結成する自由すらなかった。ドゴールが出てきて、今度は法律上はいろいろ出てきましたけれども、それでも一般の人が公務員のストライキを権利と考えて認めておるようなことはありません。アメリカも御承知のタフト・ハートレー法ではっきり法文で禁止しておる。だから、公務員も労働者という概念規定から出発をして、そしておよそ労働しておる者、ないしは賃金俸給をもらっておる者を全部その概念で包括していろいろ議論が行なわれるようでありますけれども、公務員というのは、憲法第十五条にも、公務員を罷免する権利は国民固有の権利であると書いてある。国民固有の権利として公務員を罷免する権利を憲法が認めておるということは、一般の労働者、勤労者の場合にはおよそ考えられぬことであります。一般の労働者の場合には、いかに国民が固有の権利を有しましても、罷免する権利を持っておりません。しかし公務員については罷免することすらも固有の権利として認めておる。ですから、これは一つのことばの概念規定で、概念にはまるかはまらぬかでやっていくものですから、しまいに概念からはみ出るところができるから議論が紛糾して、答えるほうもわからぬし、尋ねるほうも結論が出ない。議論が紛糾するのはその概念規定から出発していくからだと思う。もともと概念規定から出発しないで、事実から出発する。公務員なら公務員というものの実体から出発する。一般の労働者の実体から出発する。そして学校の教員の実体から出発する。労働者の概念や、あるいは労働権という概念や、団結権という概念規定から出発しないで、事実から出発していったら、私はこんなに議論は紛糾しないと思う。  これらの、まだあげればたくさんありますけれども、日本の労使関係についての特色といいますか、についての私の考え方、大体において御賛成いただけるか、いかがですか。運輸大臣どうですか。   〔森山委員長代理退席、安藤委員長代理着席〕

綾部健太郎自由民主党運輸大臣

○綾部国務大臣 個々の運輸行政の問題と離れまして、非常な法律論でございますから、専門家の法制局をして答えさせます。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 ただいまは山本先生から、日本の労働関係においていろいろ注目すべき事柄について例をあげて御説明がございました。  まず第一には、一般国民の職業についての日本人らしい考え方、これについても、私そういうことは確かに言い得ると存ずるのでございます。  第二には、教職にある方々に対する一般の国民の、その仕事についての特殊な考え方、その次には労使間における親子関係にも比すべき親愛なる関係、これらはわが国の労働関係の上に一つの特徴をつけておりまする、いわば労使間における純風美俗であると考えるのでございまして、いろいろな労務管理についての指導などにあたりましては、こうした純風美俗を一段と高揚するという方向に考えてまいりますことは、労使関係の改善の上からいってもまことに適切なことであると考えておる次第でございます。  次には、日本の現在の経済発展の段階におきまして、土地が狭く、資本の蓄積が少なく、しかも労働力が割合に豊富である、この結果労働賃金が安いということが指摘されておるのでございますが、私どもは、なるほど土地というもの、あるいは労働力というものは国際的に移動することはまことに困難でございますが、しかし資本の移動というものはその方法があるわけでございますから、その面からも考えまして、できるだけ先進国に追いつくような経済を早くかちとりたいと考えているのでございまして、労働政策の面におきましても、こうした経済成長ということを常に頭に置いておく必要があろうかと心得ます。  それから、労働運動の指導者の中に共産主義者が多いという問題でございます。これはヨーロッパの国々においてもそうした事情を持っている国もあるのでございますが、わが国におきましてもそうしたことは、日本の労働政策の連帯の上からいってこれは頭の中に置いておかなければならぬ事柄の一つだと思うのであります。ただしかし、労働運動の指導者の中に、たくさんの共産主義者がおりますが、私はより多くの、共産主義者と戦おうという指導者がおるということも認めていかなければならないし、また労働組合を組織している勤労者の大衆というものは、この共産主義者に対して労働組合の組織を守り抜かなければならぬという熱意を持っている人が大多数であるということも頭に置いて進まなければならぬことだと思っておるのでございます。  さらに、公務員の労働権、ことにスト権の問題であります。わが国の現在の段階におきましては、公務員のストライキの問題は、池田総理も他の機会に申されたごとく、現在においてはまだその問題は頭に入れるべき時期、段階ではない、こういうふうに考えておる次第でございます。

吉國一郎内閣法制局参事官(第一部長)

○吉國政府委員 御質疑の中で、勤労者あるいは労働者の範囲がどうであるかということにつきましては、法律問題として簡単にお答え申し上げます。  憲法二十八条に「勤勞者」ということばを使っておりますが、この勤労者は労働関係の諸立法におきます労働者と同じ範囲を示すものということは、これはもう通説でございましょうし、私もさように信じております。たとえば労働組合法では労働者を定義いたしまして「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者をいう。」と定義しております。憲法二十八条の勤労者の範囲もこれと同様に解すべきものと思います。また労働基準法におきます労働者の定義も、労働組合法の労働者の定義と同様な規定をいたしております。  次に、憲法第二十八条の勤労者の範囲に公務員が含まれるかどうかという点でございますが、この点につきましては学界にも二説ございます。憲法二十八条は私企業の労働者のみを規定したものであって、公務員は含まれないという説もございますが、多数説は憲法の勤労者の中には公務員も含まれるということになっておりまして、最高裁の判決におきましてもそのように論旨の中でうたわれております。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 大橋国務大臣の話、非常にいいことを言ってくれました。私も申し上げたいと思ったのですけれども、労働者の労賃を長い目で見て持続的に上げていくといいますか、方法は結局資本をふやしていくという以外に方法はない。土地はなかなかふえない。労働力が減るということなら、これは賃率は上がりますけれども、これもそういうわけにはいかない。やはりできることは資本の増加ですから、したがってごく短期的に見れば資本の分け前を労働者のほうへよけいとるということが労働者をよくするように見えますけれども、しかし長い目で見ると、やはり労働生産性が上がるというのは要するに資本設備がいいということですから。ですから、資本の蓄積というものが多ければ多いほど結局単位労働当たりの生産性が高くなる。そういう意味で、私は資本蓄積に反対したり、合理化に反対したりということはかえって労働者の条件を悪くしていくものだと思っておるのですが、まあ大臣もそういうお考えのようであります。  そこで、私は非常に大きな問題にこれから入るのです。それはILO八十七号条約の適用範囲は、結論から申しますと、私は民間私企業の労使関係のみに適用のあるものではなかろうか。まあ、たいへんなことを言い出したというふうに皆さん思われるかもしれませんが、私はそういうふうにより思えないという理由をこれから申し上げて、ひとつ問題を提起して、御考慮願いたいと思うのであります。  いろいろ理由はあります。しかし第一の理由ですね。なぜ、私が公務員とかあるいは公社とか、あるいは地方の公共企業団体の経営する企業の労使関係、そういうものには適用がないんだ、民間私企業にのみ適用があるものだと私があえて解釈します理由を申し上げます。  第一は、ILO第八十七号条約第二条の規定の解釈であります。これをすなおに読みますと、第三条の第二項でありますが、「公の機関は、この権利」この権利というのは第一項に規定された労働者及び使用者の団体の規約、規則の作成の権利、自由に代表者を選ぶ権利、その管理及び活動について定める権利、並びにその計画を策定する権利をさすのでありますが、「この権利を制限し又はこの権利を合法的な行使を妨げるようないかなる干渉をも差し控えなければならない。」こういう規定であります。これは明らかに労働者団体及び使用者団体に対する公の機関の不介入、不干渉の原則を定めたものでありますが、公の機関が使用者となっておる場合、またそういうものの団体である場合に、私は公の機関の不介入の原則というものはナンセンスというか、意味をなさなくなるのじゃないか。なるほど民間の企業におきましては、利害が一応対立する——協力面もありますけれども、分配問題の上で対立する使用者及び使用者の団体というものは労働者及び労働者の団体と同様に考えられるのであります。しかし、政府やあるいは地方公共団体が使用者となっておる場合、公の機関そのものが使用者となっておる場合に、その使用者が、公の機関がその使用者にあるいは労働者に干渉してはならぬということが意味をなさぬだけでなしに、その団体に対しても不介入ということはどうもおかしい。やはり公の機関の外に労働者及び労働者団体、使用者及び使用者団体のある場合を想定しておるのではないかということが第一であります。  それから、第二に私がそう判断いたしますのは、第十条の規定であります。第十条はこの条約における団体の定義であります。それは「この条約において「団体」とは、労働者又は使用者の利益を増進し、かつ、擁護することを目的とする労働者団体又は使用者団体をいう。」という規定でございます。民間の営利事業の場合におきましては、利益の増進を目的とする。利益の増進またはではありません。利益の増進かつ擁護を目的とする。つまり増進をも目的とし、擁護をも目的とするというのでありますが、そういう団体は民間の場合においては労働者側においても使用者においても考えることができると思います。しかし、公の機関つまり国であるとか、あるいは地方公共団体であるとか、そういうものの行なっておる仕事の場合、国または地方公共団体が利益の増進を目的とするということは、これは明らかに言えません。したがって、そういうものがかりに地方公共団体が集まってみましても、団体をつくりましても、あるいは広い意味で利益の擁護を目的とするというまでは言えるかもしれませんが、利益の増進を目的とする団体だということは、私はどうもこじつけになると思う。元来ILOというものが労働者の生活を中心としての要求から起こってきましたために、使用者側のことはあまり問題にしない。またILOの場でもほとんど問題にならぬということで、やや無視されるというか、軽視されておりますけれども、しかし条文そのものは申し上げるまでもなく、労働者と使用者は全く対等の立場において政府と三者構成、こういうことになっておるわけで、労働者との関係を考える場合においては、政府との関係を考える場合においては、公社もあるいは公務員も何だかそこにこの適用を受けるように思われますけれども、しかし同時に、同じように考えておる一方の側の使用者の側と政府の側とを考えますと、政府自身が使用者になっておるという場合には、これに介入、介入し七はならないとか、あるいは利益の増進を目的とする団体という定義にはならないのではないかということが第二の理由であります。  それから第三に、私はかいつまんで申しますが、ILOは政府と使用者と労働者の代表との三者構成からなっておるということをいわれておりますが、しかし、もし公務員やあるいは公社もまた適用されるということでありますれば、公務員の使用者は国といいますか、政府といいますか、そうなりますとその使用者代表というものは、一体公務員の使用者を代表しておる使用者は、あのILOにおいてだれが代表しておるのか。聞くところによりますと、いわゆる使用者代表というのは民間経済団体の推薦した者を政府が選んできまっておるということであります。ほんとうかうそか知りませんが、そういうふうに私は聞いておるのです。だからあの使用者というのは、民間の経営者の代表ということであって、国鉄とか電電公社とかあるいは公務員の使用者である政府や公社、すなわちそういう職員や公務員の使用者を代表しておる者とは考えられないということであります。ILOでの三者構成における使用者というのは、すでに民間の使用者の代表である。そこで青木大使は政府の代表であって、公務員の使用者を代表して行っておるのではないのだ。これは外務大臣がいませんけれども、おそらくそうだと私は理解しておるのです。だからこのことから見ましても、私はそもそもこれは公務員だの公社だのというものの労使関係というものに当てはめるものじゃなくて、いろいろ提訴が行なわれ、提訴についてのいろんな調べをやっておる間に、いろんな文書の中、あっちこっちの会議でいつの間にやら公務員もその中に入ってしまったというふうなことになったんじゃないか。もしそういうことじゃなくて、もともとあの使用者代表は政府の公務員の代表、国鉄や電電公社の使用者の代表も含んでおるのだ、その代表者として行っているのだということであり、同時にこの八十七号条約もすべて適用があるんだというのなら、どういう法的根拠に基づいてそういうふうになったのか。ヘーグの司法裁判所か何かでそういう判決でもあったのか。そうではなくて、だれか、何の何がしという専門委員か何かがいろんなことを書いたりしておる中にそういうものを含んできたのか。どうも私はいま申しましたる三条の規定をすなおに読み、十条の規定をすなおに読み、そうしてILOの構成を見て、これはそもそも九十八号条約だけでない、八十七号条約におきましても、労働者と使用者というものが対立して、平等に考えられておる。この八十七号条約の使用者を考えると、適用範囲は民間の労使関係ではなかろうか。  もう一つ私の理由があります。それは御承知のとおり、ILOの中に、百十カ国でございますか、ずいぶんたくさんの加盟国がありますが、その中にソビエト・ロシア、チェコ、ハンガリー、その他共産主義の国家がかなりたくさん含まれております。これらの共産主義国家におきましては、労働組合というのは政府の御用団体——政府というか、党の、したがってまた政府の、党の御用機関のようなものであります。御用機関であって、いわゆるわれわれがここで議論しておるような、そういう組合の自主的な団結権というようなものがないということは、これはもう議論の余地がありません。しかし、そういうない国がたくさん長い間あそこに席を列して、しかもソビエト・ロシアのように、だれが見てもはっきりしない国が八十七号条約を批准しておるということであります。なぜそういうことが許されておるのかといいますと、私の察するところ、こういうことだろうと思うのです。それは資本主義社会における事業においては資本家と労働者というものは階級的に対立しておる、利害相反する階級である。したがって、これは適用をさるべきものだけれども、しかしソビエト・ロシアその他の社会主義国家では産業はすべて国営ないし国営に準ずべき公団である。したがって階級的に利害対立した労使関係ではないんだ。だから、これは批准してもそういうものには適用がないんだ、こういう論理ではなかろうかと私は思う。またその論理があるからこそ、自由国家の連中がぶつぶつ言ってもすわっていられるし、また自由国家の連中もこれを無理に責めることができないのだろう。  しからば、わが国におきましても、ソビエト・ロシアのような社会主義国家と同じカテゴリーに属する部門、すなわち公務員あるいは公団、公社、公庫、つまりロシアやその他の社会主義国家における労使関係と同じような関係にあるものについては、これと同じ論理を主張できない理由はないのではないか。そういう人たちがそれで通っているものなら、日本はそれは通らぬという理由はないのではないか。つまり三条及び十条というその条文そのものをすなおに理解した場合、またILOの三者構成をすなおに理解した場合、また現に団結権の全然ない社会主義の国がそこに平気で席を並べておられるという事実をいろいろ考えた場合に、これは私は民間企業にのみ適用があるものではないか。しかしこれは問題提起であって、大橋さんにいま質問はいたしません。政府はいろいろ解釈が違って、いろいろ進んできたんですから。  しかし、私は批准には大賛成なんです。条約の批准には大賛成なんですから、最後まで大賛成を主張しますけれども、しかしこの条約に違反して、抵触しているからこれを削るんだというあの論理を使いますと、公労法第四条第三項は直接矛盾するんだ、抵触するから削るという論理でこれを削りますと、私は非常な大事なことが起こると思う。  それはどういうことが起こるかと申しますと、一つには、私のような解釈は別にいたしましても、日本国憲法二十一条あるいは二十八条の結社、団結の自由に関する憲法の精神と八十七号条約における結社、団結の自由というものは精神において同じものであるかどうかという質問が出ましたら、違っているんだという説明をしますと、憲法に違っている条約を批准してよろしいかという問題が起こる。いや、精神において同じなんだというなら、これは当然批准できます。われわれもかねて、これは日本が再加盟したときに、齋藤邦吉君が行って説明した中で、わが国においては憲法二十一条、二十八条においてこういう自由は保障しているんだ、だからどうか入れてもらいたいということを小委員会ではっきりと述べておるのであります。ですから、そのときにはすでに八十七号条約も二年ほど前に採択されておったわけでありますが、同じであるのなら批准してよろしいということになるが、違うんだったら、憲法に違った条約を批准することはどうかという議論が起こるし、もし同じなんだということになりますと、八十七号条約に矛盾する、抵触する、違反するからこれを削るんだということになりますと、あの規定は憲法違反を犯してきたという問題が起こってきはせぬか。同じなんですから、この二つというか、これに直接違反しておれば、これにも違反しておるんじゃないか。違うとすると、憲法に違反するところの条約を批准するのはいかぬという議論も起こってくる余地がある。私は批准には賛成なんですけれども、そういう憲法論との矛盾から問題にするのではなくて、先ほど来申しますとおり、条約そのものをすなおに読んでみると、またその構成をそのままに見てみますと、私の疑惑は根拠なき疑惑とは私は思わない。実は法制局の非常な権威ある——名前は申しませんが、最南的な権威のある方にも聞いてみました。そうしたら、なるほど、あなたの言うのが正しいということを言われた。ですから、これは一つの問題として提起しておきたいと思うのです。御意見を求めることは、かえって御迷惑かもしれぬと思いますから、すでに統一解釈できておるものを——しかし、私の考えが、君のは明らかに間違いだ、こういうことがあったら、私は自分で改めます。(発言する者あり)  それで、だいぶ騒がしくなってきましたが、最後に、私はILOの権威というものをひとつここで問題にして、ただしてみたいと思うのであります。(発言する者あり)私の解釈が間違っておったらお教えを願いたいのです。  私は、ILOの条約というのは、やはり憲法みたような性格のもので、普通の刑法とか商法とかいうように罰則でささえておるのではなくて、罰則によってこれを履行させるというのじゃなくて、これを批准した国が自発的に、つまり順法精神といいますか、これを守るという精神によってささえられるものだ、こういうふうに思うのですが、この点はどうでしょうか。

三治重信労働事務官(労政局長)

○三治政府委員 ILOのやっております活動の中には、条約、これは先ほど大臣も申し上げましたように、その条約ごとに特定の事項について最低限のものをきめて、それを批准する国については、その国はその最低限の条件を守らなければいけないというのが条約であるわけでございます。先ほどお読みになりました勧告のほうは、むしろ、一定の労働関係について、また勤務条件に関して、一つの目標を掲げて、それを各国それぞれの事情によってできる限りそういう目標に近づけるように努力をしたかどうかということをきめているのであります。それで、条約関係は、批准すれば、先生がおっしゃったように、それを罰則とか何かで強制的にやるということではなくして、その国が順法精神をもって順奉し尊重していくというのが、ILO条約の精神だと思います。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 私もそう解するんですが、そうしますと、罰則でささえておるのじゃなしに、加盟国の自発的な順法精神というものでささえられる。そうすると、順法精神というものが生まれてくる根拠ですが、これは約束を守るというその国自身の性質にもよりますけれども、そのILO機構ないしは条約そのものに備わった権威というもの、オーソリティ、頭が下がるような一つのオーソリティ、これがなくてはいかぬと思う。そこで、頭が下がるようなオーソリティというものは、一つには、その条約の中身に無理がないかどうかという中身の問題と、もう一つは、憲法にもそういう問題が起こってきておりますが、その機構ないし条約の成立の由来に無理やごまかしがありますと、いかにりっぱな文句を並べてみましても、むしろ、りっぱな文句を並べれば並べるほど、かえって権威が失なわれてくる。  そこで、そういう観点から伺っておきたいと思うのでありますが、まず第一に、先ほど話に出てきましたが、ILOの三者構成の使用者代表というものはどうして選ばれて行ったのか、それには、公務員の使用者としての政府あるいは地方公共団体の意思ないし三公社の意思というものによって、この人をわれわれの使用者代表とするというふうな意味が加わっておるのか、あるいは単に民間の経済団体から推薦してきたものを取り次いだというのか、それはどういうものでしょうか。

三治重信労働事務官(労政局長)

○三治政府委員 ILOの三者構成というときに使う労働者、使用者、政府という場合の政府は、公権力を持っている、国のいわゆる政治を行なう国家としての代表、政府ということを意味しているわけでございます。使用者としての政府の場合には、たとえば運輸とか電信とか、そういうものが全部国有企業になっておりまして、そういう場合に、その問題が委員会や特殊な問題としてILOで議題になるという場合には、電電公社とか国鉄公社が、使用者の当局が使用者として出るのは、何ら差しつかえないというふうに考えます。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 私のお伺いしているのは、ILOの三者のうちの一つである使用者の代表というのは、どうして、どういうふうな、だれの代表で行っておるのか。民間の団体が推薦してきたものをきめたということですが、もし公務員にも公社にも適用があるものなら、三公社五現業あるいは中央公務員、地方公務員のそれらの使用者としての意思を代表してもらうのだという意味で行っておるわけですけれども、あれはそうではないんじゃないですか。ただ民間の経済団体から推薦してきたものをやっただけで、そこに私の——裏表になるのです。向こうのいろいろな勧告書やいろいろなところには、公労法の問題なんかごてごていっていますけれども、そんなことはあっても知っていますよ。知っているけれども、それにわずらわされないで、すんなりと答えてもらいたい。

三治重信労働事務官(労政局長)

○三治政府委員 使用者としての代表の選び方、先先も御承知のように、わが国では、日経連を代表的な団体として、その推薦を求めて出しております。これは代表の選び方でありまして、国家公務員を使用している政府を代表している、いないというよりか、ILOそのものが、労使の代表の選び方は、その使用者団体あるいは労働者団体の代表的な団体から代表を推薦して出すというふうな規定になって、それによってやっているわけでございます。したがって、使用者団体という場合には、民間の労働関係のおもな団体である日経連が、関係団体と相談をして使用者の代表を政府に推薦してくる、それを政府が任命する、こういうことでございます。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 私も追及するわけじゃないけれども、選ぶときに、一体地方公務員の使用者も代表しておるのだ、あるいは国家公務員の使用者も代表しておるのだ、ただ、そのうちで日経連が比較的大きいから、そこへ頼んだというのか、そういうことは念頭になしに、とにかくすんなりと、あれは民間の使用者代表という?もりで、それがILOにおけるすなわち使用者代表にちゃんと当てはまるのだということでやったのじゃないですか。地方の公共団体なんかに相談はしないでしょう。——これはいいです。それはここで議論してもしかたないから。  それで、その次には、このILOに実際に労働の団結権のない国々が、社会主義国家が席を並べておられるという理由はどこにあるのですか。これはお教えを願いたいのです。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 ILOは、御承知のとおり、労働問題についての国際機関でございまして、その活動といたしまして、労働に関する国際条約並びに労働に関する国際的な勧告ということをいたしておるのでございまして、加盟国は、すべてILOの精神、労働条件の改善によって正義を実現し国際平和に寄与する、こういう目的に協賛して加盟しておる、そして条約を批准したる国は、その条約の順守について誠意をもって協力する、こういうことを当然認められておるわけなのでございまして、もともと条約を無視していこうというようなものが加盟国として平然としていられるというような性格のものではないと心得ております。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 ILOに百十カ国加盟しておるということですが、そして条約を百十九採択したいうことでありますが、その全部の条約を批准した——条約は守りますということで入っておるわけです。しかし、全部を批准した国というものは一つもないようですね。これが間違っておればお教え願いたいのですが、そうではなくて、全体の百十九の三分の二を批准した国も一つもない。あれほど約束して入っておいて、これがちょっと私はおかしい。そしてフランスが一番多いが、その次にたくさん批准しておるのはブルガリア、それからベルギー、イタリア、イギリスは五番目、イギリスよりはブルガリアのほうがよけい批准しておる。ブルガリアなんというのは私はよく国情を知りませんけれども、とにかく、イギリスは代表的だというふうにいわれておるのに、イギリスにしてなお半分近くしか批准してない。それからその次はペルー、アルゼンチンよりもスエーデンあるいはデンマーク、スイス、西ドイツなんというのはずっと批准が少ない。アメリカはわずかに八つしか批准してないということであります。それで、とにかくILOで批准が日本が少ないからというので、だいぶこの委員会でも恥ずかしい恥ずかしいということを言いましたが、私は、批准して守らぬということなら恥ずかしいと思いますが、批准しないのが恥ずかしいのなら、全くソ連なんか日本より少ないのだから、ソ連も恥ずかしい。カナダも恥ずかしい。カナダも日本より少ないのです。デンマーク、スイス、西ドイツしかり。そして恥ずかしくないのがユーゴスラビア、アルジェリア、モーリタニアというような、私どもどこにあるか知らぬような国がたくさんある。だから私は、批准そのものには、正直に言って——これはわざとそう言うのではないのですよ。この実際をそのまま見て、イギリスにしてなおかっこういう地位にある。アルゼンチンよりもスエーデンや西ドイツやデンマークやスイス——スイスは二十九にすぎない。こういうふうなことがどうして起こってきておるのか。つまり、批准そのものにそれほど権威を置くとむしろ間違いではないかということについての見解をひとつ伺いたい。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 ILOが国際条約は百十数件もございまして、これらの条約の内容は千差万別でございます。むろん労働問題に関係のない条約はございませんが、しかし、たとえば建築工事のやり方についての条約であるとか、あるいは特殊の事業におけるきわめて技術的な条約であるとか、そういういろいろな条約がございます。各加盟国は、これらの国際条約が締結されました場合におきましては、おそくとも十八カ月以内において、条約の批准について権限のある機関にその条約を送付する、そうしてその機関において批准すべきものは批准する、批准せざるものは批准しないという扱いになるわけでございますが、特殊の条約を除きまして、特に批准しないからといってそれがために加盟国からやめてもらうというような措置がとられることはないのでございまして、やはりILOといたしましては、批准すべき条約の数は少なくとも、ILOの機構に協力し、労働条件の改善を通じて平和に協力しようという国は、できるだけ数多くその傘下におさめておくということによって、ILOの目的が一そうよく達成し得る、こういうふうに考えておられることだろうと思うのでございます。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 私は決して難くせをつけるつもりじゃないですけれども、ただ、これも批准せよ、これも批准せよ、批准の数が少ないということを委員会で責められておりましたから、これを実際に見て、先ほど申しましたとおり、ブルガリアとかウルグァイとかペルー、アルゼンチンなどが、スエーデンや西独やデンマーク、スイスなどよりもたくさん批准しておる、また、ブルガリアやベルギー、イタリアが、イギリスよりもたくさん批准しておる、こういう事実を公平に見ますと、批准が少ないというのは、かえって忠実に守るという一つの精神の強い国じゃないか、そうして歴史と伝統というものを尊重し、批准した以上は忠実に守ろう、しかも民主主義の国家ですから、政府がかってにできない、国民が納得するのでなければいかぬという、そういう民主国家で、そうしてそういう歴史、伝統を重んずる、しかも条約に対しこれを守るという責任感が強いという結果、こういうふうにカナダがわずかに二十より批准しないとか、あるいはスイスが二十九、デンマークが三十四というふうに非常に少ない理由ではないかと私は思うんですよ。これはまあ私の推測です。   〔安藤委員長代理退席、委員長着席〕 そういうことを考えますと、批准が恥ずかしいということ 第百万条約、労働時間の条約などというものをまだ批准してないのはけしからぬというふうな質問もここでありましたけれども、少なくともこれだけはというにしても、あの第一号条約が出た当時、最も進んだ国で、しかも第一次大戦という戦争において労働者を動員して、これに対して約束というか、その労働の団結権を認め、地位の改善をするという約束をして出ていった、その先頭を切った国がようやくたどりついたようなところを第一号条約として出してきたところを見ますと、それは趣旨は、これだけのものはせめてみんなに共通にやりたいという意味かもしれませんけれども、先ほど申しますとおり、手ばな、立ち小便平気なような国なんかがたくさん入っておるのですから、その精神をよく理解して、精神さえ備わっておれば——別に罰則はないのですから、実際守らぬ国がわんさとある。ソビエト・ロシアは八十七号条約を批准しておる。批准しておるけれども実際に守っていないことは、これはもう見なくてもわかりますよ。だから日本も守らぬでもいいというのじゃありませんけれども、日本は精神をそういうふうに国情に適してやれるのだという自信を持って、あまり弱々しくおそれおののいて、これに矛盾せぬようにというのじゃなくて、堂々と立ち向かっていける、私は実際にこうしてほしいですな。

大橋武夫自由民主党労働大臣

○大橋国務大臣 山本先地のただいまの御意向につきましては、政府も全く同意見でございます。政府といたしましては、わが国のILO条約に対する批准数が少ないということは認めてはおりますが、しかし、ILO条約を批准する以上は、わが国といたしましては、由来、明治憲法以来、国際条約の批准にあたっては、必ずこれを実効ある実施をするという責任ある態度を持ってきておるのでございまして、批准する以上は必ず実行をするという考えを今後ももとにしてまいるつもりでございます。  つきましては、いかなる条約を批准するかという問題でございますが、批准数が少ないから恥ずかしい、何とか少しでもふやそうというような考えは毛頭ございません。日本の労働政策、また日本の産業労働事情というものを考えまして、この条約を批准し、これを国内に実行することが、日本の労働政策の前進の上からいって必要だ、こういう自主的な判断によって、批准するといなとを決定してまいりたい、こういう考えでおるわけでございます。

山本勝市自由民主党

○山本(勝)委員 それはよくわかりますけれども、かりに批准した以上は忠実に守る、その忠実に守るときに、それの精神を守る、それを国情において実現するというのなら私は心配がないのですよ。しかし、きのうの委員会で参考人の先生方が言ったり、大橋さんも、少なくとも最低限のことをきめておるのだから、これは実行するのだということをおっしゃいましたけれども、これは労働時間とかなんとかいうのならはっきりしますが、たとえばだれが一体法の解釈を——私のような解釈が少なくとも問題になり得ると私は思う。常任理事国として問題を出した場合に、それをどこで権威をもってさはくのか、最後はヘーグの裁判所じゃないかと思うのです。それから、もしILOの何やら委員会というものが、公務員のストライキ権はあるのが当然だ、もしそんな解釈をして手紙でもよこしたら、これはILOを批准したら守らなければいかぬということになるのか。そのILOには、専門委員でも、われわれが見ても明らかにマルクス・レーニズムのプロフェッサーが日本の専門委員で行っているのです。だから、そういう人たちがいろいろ寄ってきめてきたことを、一々これはILOを批准した国はみな守らなければならぬのだということになりますと、これはいろいろたいへんなことが起こってくる。ですから、精神は憲法と同じ精神だ、したがって、憲法に違反しないものはILO八十七号条約にも違反しないんだというくらいの見識を持って解釈して、その解釈がILOの事務局の連中と衝突した場合には、堂々とヘーグの司法裁判所の解決を求める、そしてその結果、向こうの解釈が日本の純風美俗を破壊してしまい、日本の労働秩序を不正常化するようなことをしいて要求してくるのなら、私はベネズエラみたいに脱退したらいいと思う。一番大事なのは、ILOの事務局がつくった条約解釈に忠実に、矛盾しないことよりも、日本の労使関係をいかに正常化するか、しかもその正常化というのは、われわれが考えるように、これは労働問題懇談会の答申にもあります、同じ立場をとっておりますが、労使の安定、事業の正常な運行、要するに、平和的に協力、補足していく関係というものが破れてしまうようなこと、そういう破れざるを得ないようなことを押しつけてきた場合は、私はそういう解釈には抗議を申し込んで、そうして抗議が聞かれなければ最後まで争ってみて、それでもどうしても日本の、われわれがこれでなくてはいかぬというものを破壊しなければならぬようなときには、われわれは加入の自由とともに脱退の自由があるのですから——、これは脱退しなくても、批准を取り消す、アメリカのように、アメリカは州に労働に関する権限があるから批准しないのだなどと言う人がありますけれども、条約批准権はアメリカの連邦政府が持っておる。ですから、アメリカはやはりアメリカの独自の立場において、連邦は条約批准権を持っておりながら批准しないのだと思いますが、日本も、心配はないと思いますけれども、向こうの、名前もよくわからぬ、経歴もわからぬ、今度来る人なんかも、実は私はどういう著書があって、どういう思想傾向の人か、ほんとうは詳しく知りたいのですけれども、だれやらわからぬ人がうじゃうじゃと言う間にきめたことを後生大事にやって、それでも害のない場合はいいですけれども、これからどんなことを言うてくるかわかりません。よその国には労働団体が提訴するというようなことはあまりないのだろうと思います。日本には昔から、兄弟内にせめげども外侮りを防ぐということばがあって、内輪げんかはしても、外へ出たら一緒になるという習慣があったのですけれども、今日は、先ほど言うように、根本的に自由社会と革命政党というものが対立しておるために、それが労働運動の指導者の部面にもいっておる。組合員自身は、大臣がおっしゃるとおり、私は健全だと思います。その連中のほんとうの気持ちは、たとえて言うと親子の関係というようなものは大臣だと考えておるような人たち、そういう人たちは健全だと思いますが、少なくともジュネーヴに行って、そして盛んに、これでもかこれでもかというふうに政府を提訴するというようなことは、ソビエトの労働組合なんかはしないのだろう。だから、批准しておってもそっとしておられる。ブルガリアもチェコもそうだろうと思いますが、しかし、そういうことを言うてみても、現実はこれからも提訴するでしょう。しかし、提訴して向こうからいろんなことを言うてきたときに、き然として対処しなかったら、これはもうたいへんなことになる。そういう意味で、先ほどの私の、この八十七号条約というものは本来公務員や公労関係の労使関係には適用がないという私一個の解釈ですけれども、しかし、その解釈に相当の根拠ありとすれば、批准はしても、公労法その他の検討は将来十分慎重に考えていいのではないかというのが私のほんとうの結論であります。いまこういうふうに正常なる労使関係という目的に関してまつ二つに割れておる。これは私はきょうここで持ち出しましたけれども、この点についてはこれまでの委員会で検討されておりません。国内法改正の目的について目標である一つの労使関係、正常関係について全く違った考えが存在し、それが検討されないまで審議を続けてきた。適用範囲についても私のような疑問もあり得るし、そのほかいろいろ議論が起こりますのは、それは現実であります。ですから私は、批准すべきだ、しかし、批准すべしというのは憲法と同じ考えだという前提に立っておるわけです。  長い間おしゃべり申し上げて恐縮でございました。ことばもいろいろ礼を尽くさぬ点があったと思いますけれども、私は非常にその点を憂えておるので、参考に問題提起をしたという意味で含んでいただけばありがたいと思います。  どうもありがとうございました。

倉石忠雄自由民主党

○倉石委員長 次会は、明後五日午前十時より開会することといたしまして、本日はこれにて散会いたします。    午後四時十三分散会

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