本会議 第1号
- 発言数
- 14 件
- 登壇者
- 3 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1963/10/15
会議録
○議長(重宗雄三君) 第四十三回国会閉会後の諸般の報告は、朗読を省略いたします。 ————・————
○議長(重宗雄三君) これより本日の会議を開きます。 日程第一、議席の指定。 議長は、本院規則第十四条により、諸君の議席をただいま御着席のとおり指定いたします。 ————・————
○議長(重宗雄三君) この際、新たに議席に着かれました議員を御紹介いたします。 議席第五十五番、地方選出議員、茨城県選出、鈴木一司君。 〔鈴木一司君起立、拍手〕 —————————————
○議長(重宗雄三君) 議長は、本院規則第三十条により、鈴木一司君を法務委員に指名いたします。 ————・————
○議長(重宗雄三君) 議員武藤常介君は、去る八月六日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は議員従四位勲二等武藤常介君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます ————・————
○議長(重宗雄三君) 赤間文三君から発言を求められております。この際、発言を許します。赤間文三君。 〔赤間文三君登壇、拍手〕
○赤間文三君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、参議院議員武藤常介君は、去る八月六日、病気のため急逝せられました。同僚議員としてまことに痛惜にたえません。ここに同君の御生前をしのび、つつしんで哀悼の意を表する次第であります。 武藤君は、明治二十三年茨城県久慈郡誉田村に生まれ、大正二年茨城県立師範学校を卒業、直ちに久慈郡太田町小学校訓導として教職に従い、郷党の子弟訓育に当たられました。その後、大正十四年、推されて太田町会議員に当選、初めて町政に参与したのでございまするが、郷里の人望厚く、太田町長にあげられること三たびにも及んだのでありまして、昭和十八年には茨城県町村長会長にも推挙され、その卓越せる識見と円満なる人格とをもって、地方自治発展のために大いに御尽力されたのであります。その間、久慈川改修期成同盟会長として、さらに茨城県農業会理事、久慈郡農業会支部長、茨城県地方木材株式金紙副社長等も兼ね、治山治水、農林業の発注等に尽瘁せられました。 戦後、昭和二十一年、郷党の有志に推されて衆議院議員に当選、かたわら日本進歩党民情部副部長として初めて国政に参与せられることになり、君の声望は、ついに地方の政治家のみにとどまることを許されなくなったのでありました。同時に、君は、茨城県の林業協同組合連合会長、林業協会長、全国木材連合会常任理事等の要職にも推され、実業界の発展に尽くされた功績は実に偉大でありました。後にこれらの功により、三十三年藍綬褒章を授与される光栄に浴したのであります。 参議院へは、昭和二十八年の第三回通常選挙に際して、茨城県地方区より推されて当選、次いで三十四年にも再選の栄をになわれたのであります。 最初、君は改進党に属し、やがて自由民主党の結成に合流、自来、党の重鎮として活躍するとともに、その間、国土総合開発審議会委員として、あるいは労働政務次官として、また最近は商工委員長として、国政心重責に任ぜられたのであります。 思うに、君のごときは、身を修め、家を斉え、国を治めた典型的な政治家と申すべく、内にあっては円満な御家庭に多数の子女をりっぱに養育し、出でては町を治み、国を治め、友人後輩の信頼と尊敬を一身に集め、選挙には必ず当選するというように、まことに羨望にたえないところであったのであります。すべてこれ君の不断の御修練と重厚篤実な御人格のいたすところと申すべきであります。 いまや政局多事のとき、私どもは、君のごとき豊富なる経験と高邁なる識見を有し、事に処して悠揚追らず、泰然として中庸の道を進む政治家に期待するところすこぶる大きかったのでありますが、天無情にして命をかさず、今こつ然として君と幽明境を異にするに至りましたことは、一家一市町の嘆きはもとよりのこと、国のため、本院のため、まことに惜しみても余りある痛恨事であります。 ここに、武藤君の御逝去に対し、つつしんで哀悼の誠をささげますとともに、衷心より御冥福をお祈りする次第であります。(拍手) ————・————
○議長(重宗雄三君) 議員杉浦武雄君は、去る九月十二日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は議員正四位勲二等杉浦武雄君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます ————・————
○議長(重宗雄三君) 鳥畠徳次郎君から発言を求められております。この際、発言を許します。鳥畠徳次郎君。 〔鳥畠徳次郎君登壇、拍手〕
○鳥畠徳次郎君 ただいま議長より御報告がありましたとおり、議員杉浦武雄君は、去る九月十二日、病気のため突然逝去されました。同僚議員としてまことに痛惜にたえません。ここに同君の生前を回顧し、心から哀悼の辞をささげたいと存じます。 杉浦君は、明治二十三年、愛知県豊橋市東細谷町に生まれ、東京帝国大学卒業後、裁判所に入り、各地の判事を歴任され、その後、大正十三年衆議院議員に当選、自来衆議院議員に当選すること五回に及びました。さらに昭和三十四年参議院議員に当選、その間、内閣、大蔵、懲罰、逓信、文教、法務の各委員、あるいは検察官適格審査会委員、裁判官弾劾裁判所裁判長として、日夜国務に尽瘁され、その卓越した識見と温厚にして厳正な人格は、常に同僚友人の信頼と尊敬の的でありました。 本院は、同君のごとき真に豊かな経験と高邁なる識見を兼ねた人材の活躍にまつべきものがきわめて多いことを思えば、いまさらながら同君に対する追慕の情、実に切なるものを禁ずることができないのであります。 ここに、杉浦君の御逝去に対し、つつしんで哀悼の意をささげ、衷心より御冥福をお祈りいたす次第でございます。(拍手) ————・————
○議長(重宗雄三君) 日程第二、会期の件、 本院規則第二十二条により、議長は、衆議院議長と協議の結果、会期を三十日間と協定いたしました。 議長が協定いたしましたとおり、会期を三十日間とすることに賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○議長(重宗雄三君) 総員起立と認めます。よって会期は、全会一致をもって三十日間と決定いたしました。 ————・————
○議長(重宗雄三君) この際、お諮りいたします。 野村吉三郎君から病気のため会期中、坪山徳弥君から海外旅行のため二十四日間、請暇の申し出がございました。 いずれも許可することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(重宗雄三君) 御異議ないと認めます。よっていずれも許可することに決しました。 次会の議事日程は、決定次第、公報をもって御通知いたします。 本日はこれにて散会いたします。 午前十時五十一分散会 ————・————