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43回国会参議院1963/06/27

大蔵委員会 第31号

発言数
60
登壇者
7
会派数
2
開催日
1963/06/27

会議録

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) ただいまから大蔵委員会を開会いたします。  金融緊急措置令を廃止する法律案を議題といたします。前回に引き続き本案に対する質疑を行ないます。  質疑のおありの方は御発言願います。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 金融緊急措置令を廃止する法律案につきまして、提案されましたのを機会に、この緊急措置令がどういう役割を演じたかということについて、これが廃止される機会に十分その点について伺っておきたいと思うのです。で、質問に入る前に、預金封鎖に関して、金融機関再建整備法が制定されまして、預金封鎖の処理をやったのですが、その処理についてはなかなかその手続も複雑でありましたが、その過程及びその結果が最終的にどうなったかということについて私は資料を要求したのですが、その資料は提出されておるかどうか、それをまず伺ってから質問に入りたいと思うのです。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) その点、私まことにうかつでございますが、きょう初めて知った次第で、この前の会議のあとで委員部を通じて請求があったんだそうでございますが、その点は、何分期間が非常に経過いたしておりまして、非常に荒っぽいものはできるとは思うのですが、詳しい資料ということになりますと困難であるというふうなことで、一応そういう御連絡を申し上げたところ、その点が木村先生のところに届いておらぬと、どこにどういう行き違いがあったか知りませんが、まことに申しわけないことでありますけれども、きょうはその用意ができておりません。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 私も、この成規の手続がなかなか複雑でして、また相当過去の古い記録になりますから、全部詳しく出せなんていうことは申しておらないのです。私は念を入れてそう言ったつもりなんです。要するに、封鎖預金による金融機関の整備がどうなったか、その結果最終的に結局封鎖預金というものはどうなったのか、銀行によっては切り捨てたものもありますし、切り捨てないで回収したものもあるが、その結果がわかるような、そういう資料を出していただきたいと私は要求したわけです。きょう出てきていなければ仕方がありませんが、政府のほうでは議員の審議に協力するように努力してもらわなければ困ると思う。それが委員会で正式に要求して、それが速記に載っていないから出さなくてもいいというような考え方であってはいけないと思う。かりに速記に載っていなくても、その委員会のあとでかりに要求しても、それが可能であれば——不可能な要求をしたんではいけないけれども、可能であるならば、できるだけ議員の審議に協力するような、積極的なそういう態度をとってもらわなければ非常に困るのです。今後について委員長からも注意しておいていただきたいと思います。

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 委員長より申し上げます。どうか木村委員御発言のように、速記に残る残らないにかかわらず、議長の資料要求に対しては積極的に協力されるように御注意を申し上げます。

池田清志自由民主党大蔵政務次官

○政府委員(池田清志君) ただいま委員長からお示しのことは全くごもっともなことでございます。今回の資料要求につきまして、私どもといたしまして手落ちがありまして、お届けしてございませんことは、まことに申しわけございません。今後におきましてはこういうことのないように、十分留意をいたします。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 それでは、あとで質問をいたしますが、その際にただ口頭の答弁だけではかなり数字的にわたって煩瑣にわたりますから、今度はこの委員会が終わってからでもよろしいのですが、その答弁を取りまとめて、そうしてわかるように資料を提出していただきたいことを要求いたします。

池田清志自由民主党大蔵政務次官

○政府委員(池田清志君) よろしゅうございます。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 第一の質問は、金融緊急措置令は、昭和二十一年二月十七日だと私は思いますが、十七日ですね、実施されたわけですが、特にこの金融緊急措置令の中で預金の封鎖が非常に重要な項目であったわけですが、特にこの金融緊急措置令はどういう目的でこれが発令されたか、その目的をまず伺いたいわけです。

池田清志自由民主党大蔵政務次官

○政府委員(池田清志君) 御案内のように、金融緊急措置令は昭和二十一年二月十七日に生まれておるわけであります。戦後のことでございます。わが国は戦争のために人命を初めといたしまして物に至るまで非常に使い過ごしてしまいまして、わが国といたしましては経済がどん底に落ちてしまったわけです。戦争は終了はいたしましたが、そういう状態は非常に顕著に現われて参ったわけでございました。つまり、何と申しましょうか、経済界はどん底でございます。こんとんとした状態であったわけでございます。つまり、一例を申しまするならば、通貨というものが物の裏づけのないような状態にまで行っておったんじゃないかと私はまあ想像いたします。そういうと、いわゆるインフレといったようなことにもなって参りますので、そういう様相のときでありまするから、これらを鎮圧防止するという建前からいたして、預金の封鎖でありますとか、貸し出しの制限であるとか、そういったようなことをやりまするために本令が出たことは御案内のとおりでございます。本令といたしましてはそういう任務を果たしまして、だんだんわが国の経済成長のもとを築いてくれたと私どもは思っておるわけでございます。当時のことについての詳しいお尋ねでございますが、御案内のように、当時担当しておった者もすでにその職にはありませんし、さらにまた資料等も欠缺をしておる部面もあろうかと思いまするので、詳しいお答えもできないかもしれませんが、お尋ねによりまして専門の者からお答えさせます。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 要するに、インフレ対策としてこの金融緊急措令が実施された、そういうことでございますか。特にこの預金封鎖についてはですね、その目的はインフレ対策にあったのですかどうか、この点をまず伺いたい。

池田清志自由民主党大蔵政務次官

○政府委員(池田清志君) 私はそういうふうに理解いたしております。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 そうですか。それですと、当時私もはっきりしない点があったのですがね、インフレ対策ならば、当時金融緊急措置令を実施する直前の通貨の発行高は六百十四億だったのです。それから、金融緊急措置令によりまして預金封鎖をやり、それから旧円の回収をやったわけですが、その後三月十二日には百五十二億円に減少しているのですね。六百十四億から百五十二億円に減少しているわけですね。しかも、当時、そのうち四十五億というものが旧円の滅失とか海外流出とみなされておりますから、実際の最低流通額は百五十二億から四十五億引いた百七億だといわれておるのです。六百十四億から百七億にまでこれが収縮したわけです。ところが、約七カ月を経過したその年の九月には、日本銀行券は再び六百億円台を突破してしまった。たった七カ月の間にですね。そのインフレ対策として預金封鎖を行なうというなら、まあ通貨を百七億まで収縮さしたのですが、それがたった七カ月の間にもとどおりになってしまうような措置を講じたことが、はたしてインフレ対策であるのかどうかですね。もっとほかに目的があったんではないかということ。  それから、もう一つは、おそらく通貨は、まあ実際の取引に必要な通貨を供給するというのが建前ですが、それならば、七カ月の間にすぐに前どおりに返ってしまうということについては、当時その理由として、実際に必要通貨以下に通貨を収縮し過ぎちゃったんじゃないか、六百十四億流通しておったのを百億台に減らしちゃったんですが、それは実態に合わなかったんじゃないか、だからすぐにこれがもとどおりになったんじゃないかという議論もあったわけです。  まあそれは当時の議論で、十分に御承知ないかもしれませんが、私はどうも、これは議論するわけじゃありませんが、この金融緊急措置令を廃止するにわたりまして、今後そういう事態をはっきりさしておく機会がないと思いますので、この機会にそういう点御承知の方があったら、はっきりさしておいてもらいたいと思うんです。私はインフレを長い間研究してきておるものですから、どうしてもインフレ対策以外に目的があったんではないかというので、御質問しているわけです。そのころの事情をおわかりの方があったら、ひとつ御答弁を願いたい。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 主たるねらいがインフレ対策にあったものと私は思いますが、そのほかに当時の財産税の調査に便ならしめるという——これはもちろん財産税を取るほうの考えが主体ではないかと思いますけれども、事実上貨幣の形における財産を調査するとしますれば、こういう方法によればほとんどすべてが現金——新円と旧円と切りかえたわけですから、一たんは全部金融機関に持ってこざるを得ないという点におきまして、その負担の公平といいますか、財産税調査の公平を期することができる。不動産その他の財産——顕現財産は調査可能といたしましても、インフレ時における、毎月通貨が増発される時点における個人の貨幣財産というものは非常に捕捉しがたい。これを機に財産税を取るというふうなことがあわせて目的とせられておったように思います。  ただいまのインフレの対策の点でございますが、なるほど九月の三十日には、これは発行高だけで申しますから何でございますが、確かにそのうちには実際に日本国内で流通しておらぬ日本銀行券があったものと推定されますが、三月の十二日に百五十二億に落ちました発行高が九月の三十日には六百四十四億になりまして、ちょうど封鎖以前の当時の発行額を少し上回るというような状態になっております。この当時いわゆる、御承知の方もおられると思いますが、五百円生活といわれておりましたが、預金を引き出す限度は、初め三百円、それから五百円ということで修正されましたが、五百円ずつ引き出しが許される、家族が多ければ少しずつそれにつけ加わりますが、いずれにしてもその程度の資金で一カ月の生活をまかなえというようなことであったようでございますが、何と申しましても、インフレを根本的に防遏するためには、物の裏づけがなければ非常に困難であるわけであります。物の裏づけなしに貨幣の流通のみを押えるということでは、とうてい永続できる性質のものでないと私ども考えます。ただし、この当時といたしましては、その後においてアメリカの物資援助がありましたけれども、この当時といたしましては終戦直後間もない時点でございまして、日本の国内に極度に物資が不足し、しかも生産力はほとんど枯渇し、外国からの輸入も非常に少ない、こういう情勢でありましたので、やむを得なかった手段ではありましょうけれども、いわゆるインフレ対策としては根本的に大きな穴があいておったと思わざるを得ないと思います。ですから、その後いわゆるドッジ・ラインといいますが、ドッジ政策によってインフレが終息したのでありますけれども、その点におきましては、よかれあしかれ、とにかく相当の額に上る物資、食糧その他の最低生活に必要なる国民の消費物資がつぎ込またれ、十数億ドルに上るそういう援助物資があったということがやはり基本的なきめ手になったんではないか。それなくして、通貨の面だけを抑制しようとすれば、いずれ必ず失敗する。そういう意味で、半年くらい通貨膨張を抑えたという程度の効果は十分あったと考えていいのじゃないか。もしこれがなかりせば、六百十何億の通貨は、九月の終わりにはそれの二倍とかあるいはもっといっていたかもしれない。あるいは二倍、三倍というふうなところに到達していたと思われますが、とにかく半年余り同じ発行額で保たれたということは争えない事実だと思います。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 議論するわけじゃないのですけれども、インフレというものが通貨の面から物価を引き上げる現象なのであって、通貨だけ抑えたからといってインフレというものはとまるものじゃないと言いますけれども、それは少しおかしいと思います。現在の日本の消費者物価の騰貴についても、これインフレであるかないか問題ですけれども、やはりその通貨面との関連で見る必要がどうしてもある。インフレ現象というのはそうなんです、元来。  それで、インフレをとめようという場合ですね、その通貨の増発を抑制する努力が払えればインフレはとまっておるのです。これはもう世界の歴史の示すところなんです。そういうものなんです。インフレによる物価騰貴と、物の需給関係における物価騰貴と違うわけなんでして、そこで私は、当時は預金がどんどん引き出されて、そこでこの預金引き出しによって非常に通貨がどんどん膨張していったことも、当時のインフレの一つの大きな原因になったと思う。それだけじゃありませんけれどもね。そこで、この預金がどんどん引き出されるので、銀行が非常に困ってきたんですね。私は銀行救済のためにやられたと思うのです。インフレ対策というよりも、むしろ銀行救済であったと思うのです。当時、石橋湛山氏が、金融緊急措置令、この措置は、預金が引き出されて金融恐慌が起こりそうになったので、これを防止するために行なわれたんだと、早稲田大学でそういう講演をしているのですよね。銀行が、その預金が引き出される、そこで預金引き出しに備えるために日銀にかけつけるわけですね。ところが、日銀にかけつけて、国債を担保として多額の借入金をもって預金を払い戻しを行ないましたけれども、日本銀行からの借入金の利息は日歩一銭二、三厘、国債の利回りは日歩九厘くらいです。そうすると三、四厘上回るわけです。だから、日銀から借金をすればするほど銀行が非常に、逆ざやですから、苦しい状態になる。この銀行の窮状を救うために預金封鎖をして、銀行に預金が集まるようにしてやった。その預金で日本銀行から借金している金を返済することができるようにした、これが一つの理由ではないかと思うのですが。  ですから、直接インフレ対策ではなかったんじゃないですか。それはインフレ対策のように見えますけれども、しかし実際は——それなら七カ月間にすぐもとどおりになった、またそれを過ぎたらさらにどんどんん、今度は政府の積極財政もあったのですけれども、公債もどんどん発行したということもありまして、ますますインフレがひどくなる、昭和二十三年まで。とにかく悪性的インフレが進行していったわけです。ですから、インフレ対策とは解釈できない。インフレ対策なら、預金封鎖もやり、新旧円の通貨交換以外にももっと総合的にいろいろやらなければならなかった施策があったと思うのですが、私は直接の金融緊急措置令発令の同期は銀行救済にあった、そう見るのですが、その点は当時の状活から見ましてどういうふうに御判断になりますか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) ただいまのお説のとおり、銀行救済という言葉を使うがいいか、あるいは金融秩序を保つということでいくのがいいか知りませんが、事実この封鎖をやりましたあとで、措置令のあとにおきまして、たとえば二十一年八月金融機関経理応急措置法を出しております。それからあとになりまして、その十月になりますと、金融機関再建整備法を出しておるわけでございまして、これは封鎖預金の中であらかじめ、これは八月でございますが、措置令の施行規則によりまして封鎖預金を第一封鎖と第二封鎖に分けております。第二封鎖のほうを結局旧勘定ということにしておりますが、そもそもこうなりましたもとというのは、戦争中の貸し出しその他非常に膨大なものがございましたが、それから運用しておりました社債類その他におきまして、外地の関係など結局相当打ち切られたといいますか、元本保証があったものがなくなって、それらのいろいろな在外の会社等は閉鎖するわけで、支払いを完全にすることができないであろう、だから債権が銀行の資産の中にかなりのものが穴があくといいますか、その見込みがあったわけであります。ですから、預金のほうの債務と資産とが見合わないということになる。そこで第一封鎖と第二封鎖に、これは別な根拠によっているわけでございますが、二つに分離いたしまして、第二封鎖のほうをそういった切り捨てらるべきものと見合わすような意味におきまして旧勘定とし、金融機関を再建整備する、前向きに立ち上がらせるという意味において新勘定のほうを堅実にする、こういった考えがあったわけで、おそらくこの措置令を出します。当時からそういったことは当然予想して用意しておったものと私は想像するわけでございます。ですから、銀行の立ち上がり、再建整備をさせるという意味においてこういう措置も必要であったと思いますが、しかし、そういった再建整備は何も金融機関のみに限りませんで、一般の会社につきましても同様なことがあったわけでございます。金融機関だけを救おうというのではございませんが、とにかくこれらの措置が金融機関の今日のようなきれいな姿になって堅実に運営ができるように、そういう意図があったことは争えない事実であろうと思います。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 この預金封鎖措置が銀行救済ではない、そういう見方は適切でないというような御意見ですが、金融秩序を維持するためと言いますけれども、それならもっとほかに措置があるべきはずだと思うのです。というのは、日銀の預入令といいますか、これによって、日銀預入令という緊急措置によって、全国銀金は二百九十二億増加したわけです。そのうち約百六十一億を日本銀行に返したわけです。それで残りの百三十一億は市中銀行の日銀の預け金の増加、あるいは市中銀行の手元の増加となっているのです。つまり、政府が強制的に国民に銀行に預金をさせて、銀行、特に財閥銀行は預金によって日本銀行に借金を返すときに手元金の増加を来たしているのですね。そして一時的にせよ、これを運用することによって利潤をあげることができた。こういう結果を招来させるために、通貨を流通必要量以下に収縮させて、なるべく多額の預金を銀行に集積させる必要があった、こう見ざるを得ないのです。もしそういうそしりを免かれようとすれば、少なくとも預入令によって銀行に預けられた金は日本銀行勘定に移すべきですよ。移すならそういう非難は、これは免かれたと思うのです。ところが、移さないで、強制的に預金をさしておいて日本銀行に返して、残りを手元に余裕金として置き運用している、そういうことになっていると思うのです。ですから、私は銀行救済であると、こう言うのであります。ただ、預金がどんどん引き出されて、そして金融恐慌を来たすと、これはいけないので、金融秩序を維持するという、そういう必要上からのみではないと思う。そういう必要以上に預入令によって強制的に国民に預金をさしておいて、こういう実態になっております。その点はどういうふうに考えますか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) とにかく銀行が、こういうインフレ下におきましては貨幣価値がどんどん毎日のように下がるわけでございますから、そういう状態において銀行制度というものをどうやら保っていこうといたしますれば、また保っていくことが日本の経済の再建のために必要なんだ、こういう認識に立ちますと、はっきり申して銀行を救済し、それによって預金者の保護になる。預金の中で確かに切り捨ては、一たんは第二封鎖として切と捨てられたような形になり、後においてはこれは貨幣価値が変わっておりますけれども、実際には銀行としては全部第二封鎖の分も、最後には最終的には払っておりますが、とにかく一時そのときの状態において預金者にある程度迷惑をかけたことは事実でございますが、小口の頭金者、大衆の零細な預金者には保護を与え、保護しなければいかぬという頭が常にあるわけでございまして、それゆえにこそ第一封鎖とか第二封鎖とか新旧勘定を分離いたしまして、小口のものはなるべく全部払う、そのためには銀行もつぶれてしまうというと変ですが、経営が成り立たなくなるということは好ましくないというのは当然だと思います。  日本銀行に返したというふうな点、確かにそうならざるを得ないわけですが、それだけ通貨が一時大幅に減ったわけでございますので、当然余剰が生ずるわけでございます。そのことによって銀行の経理を助けると、直接そのことで経理を救おうというのは、計算してみましても割にわずかでございますから、たいした意味はないと思うのでございますが、ただ問題は、新旧勘定を分離して、銀行がこうむった損失の分を大口預金のほうで穴埋めをするといいますか、それで帳消しにするような考え方ではかられた、これが当時の実情であると思います。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 そう言われますけれども、当時の実態を見ますと、封鎖された預金がどんどん引き出されているのです。それで預金封鎖をやったにしても、また通貨が膨張していっている一つの大きな原因をなしているのですね。当時僕は自分で記録しておいた、自分でまとめたものがあるのですがね。それによると、二月十八日から五月十日までに貸付以外の封鎖預金引き出しが六百八十五億円に達しているのです。そのうち封鎖支払いによる引き出し額は五十三十九億、七九%、現金による引き出しが百四十六億、二一%。それで、封鎖支払いについては非常に当時問題があったのです。われわれとしては、もう過ぎ去ったことですから問題にする必要はないじゃないかと言われますけれども、当時のわれわれの実感としては耐えられない問題でありたのです。それは非常に憤慨したものですよ。  といいますのは、その預金封鎖の現金化が非常に非合法的に行なわれた。これは当時ちゃんと新聞等にも出ていますよ。結局、政府の高官とか、役人とか、ボスの政治家とか、銀行とかにいわゆる手づるのある有産者たちが、早く封鎖を現金化して物を買って得をしておる。そうしたってのない、正直者で金持ちでない者がいつまでも預金を封鎖されて、その後物価の異常な騰貴にあって損をしていっているんですね。こういう点がある。たとえば現金による封鎖預金引き出し額のうちやむを得ざる出費その他の項目というのは三十三億、二三%に達しているんです。このやむを得ざる出費その他というのは、非常にあいまいな項目なんです。こういう項目によってその封鎖された預金がどんどん引き出されていく。それが政府高官とか役人、あるいはボス政治家、銀行とかに手づるのある有産者がどんどん引き出している。これは当時事実あるんです。私が当時ぼやぼやしておって、その封鎖を引き出すことができなくて一結局封鎖をちょん切られたから、そういうことを言うわけじゃないですけれども、感情的に言うわけじゃないですけれども、当時非常にそれは不正が行なわれたんです。預金を引き出すことのできない人は、物価がどんどん上がるでしょう、非常に価値が減価してしまって、引き出せない。あとで解除されてそれを現金少し返してもらったって、物価がものすごく上がっているんですからね。非常なそこで不正義が行なわれた。そういう事実を私は、この金融緊急措置令を廃止する法案が出てきた機会に、これをはっきり確認さしておく必要があると思うんです。  そういう点はもう過去の事実であるから仕方がないと、もうそんなことを今論じても仕方がないという問題ではないと私は思うんですけれども、そういうことを御承知だと思うんですが、あるいはまた一割とか二割手数料を払えば封鎖は容易に現金化されることができた、そうしてまた統制の衝に当たっている者が役得を得た、あるいはまた株式の売買を通じて封鎖預金が現金化されたというんですね。こういう事実があったんです。この金融緊急措置令の裏面史としてそういう事実があった。そういうことは御存じだと思うんですが、この点について伺っておきたい。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 私は今から、これはもう個人的な見解になりますけれども、結局通貨が四分の一に圧縮されたということですね、数日の間に四分の一に減ったということが、当時の経済、物はもちろんありませんけれども、すでに一つの物価体系といいますか、そういうものもでき上がっておる、給与の体系もでき上がっておって、それが急に下がるわけじゃないのに、通貨だけが四分の一に縮小したというところにやはり無理があったと思います。ですから、そういう無理な状態はどうしてもある程度これをもとに戻さざるを得ない、経済がそうでないと動かないということから、封鎖預金ではありましても、ある程度それを解除していくということをせざるを得ない、そういう必要に迫られていろいろの引き出しに関する特例というんですか、どういうときに引き出しを認めるか、封鎖の——あるいは封鎖のままで払ったりするわけですが、そしてその次の段階では現金になるということもありましょうし、そういった措置がこまかにいろいろと行なわれたという事実は私も了承しておりますが、何分そのときに私まだ大蔵省に戻っておりませんので、どういう状態で行なわれたということはわかりません。それで、いろいろそういう不正手段というようなことがあったかどうかという点については、これは全く私としてはお答えができませんが、今木村先生のおっしゃったような見方は、当時いろいろ次々とこまかい規則が出されて、それを一々とても追いかけきれないわけでございますから、その事情によく通じている者とそういう事情に通じない者との間に事実上の不公平が生じたであろうということは想像にかたくございません。ただ、それが不正な手段で行なわれたかどうかということについては、私どもはまあまあそういうことはあまりないはずであるというふうにお答えする以外にありません。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 それは当局としてはないはずであるというように御答弁せざるを得ないと思うんですけれども、それは当時の新聞をごらんになればはっきりするわけですよ。ですから、ここで、はずであると答弁したのはけしからぬと言ったってしょうがないです。そういう事実があった。正直者が非常にばかをみてしまった、こういうことです。  それで、抜け穴がたくさんあったわけですね。それも公然の秘密になっておったのですがね。これに対して政府がやはり適切な手を打たなかったということも非常に問題があるわけです。当時、われわれとしては特にインフレ下で非常に苦しかったわけですが、みんなが苦しんだのじゃなくて、一部の者はむしろ封鎖を利用して逆に非常に金をもうけた、そういう逆な現象が出ておった。そういう非常な不正義を金融緊急措置令というものは持っていたということを歴史的にも私ははっきり明らかにしておく必要があると思う、これを廃止する機会に。  それから、もう一つの質問は、これは文献で私は見たんですが、預金封鎖とか新旧円の交換ですね、これを行なったほんとうの原因は、当時非常に食糧危機だったんですね、御承知のように。非常に食糧危機だった。そこで、食糧危機対策として、当時の文献を見ると、アメリカにずいぶん食糧を援助を要請しております。その食糧援助が来るまでの過程において預金の引き出しを放任しておいたんでは、食糧が非常に不足しておりますし、食糧価格をどんどん暴騰させていけないというので、そうしてそこで食糧危機に対処するために一般の国民の預金を凍結して、そうして食糧危機に対処した、それがほんとうのねらいだ。インフレ対策とかなんとか、もちろん食糧価格の暴騰を防ぐということも一つのインフレ対策とも見られないことはないのですけれども、しかし食糧危機に対処するということがほんとうのねらいであったというふうに書いてある文献もあるんですよ。そういう点はどうだったのですかね。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 私そういう文献を読みませんでしたので、その点わかりませんが、当時における物資が不足であるということと、最も基本的な問題はやはり食糧だと思います。いわゆるタケノコ生活——サラリーマンは、都会の人はタケノコ生活をやっていた時代でありまして、農家のほうはやみ価格で潤っていたような時代でございましょうが、日に日に食糧のやみ価格が騰貴する時代であったということはわかるわけでございまして、インフレ対策といいましても、当時の物資といえばほとんどが食糧に中心があったということでございましょうから、お説のようなことも、見方も十分成り立つ、考えられる、さように存じます。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 じゃあ、最後に。この金融緊急措置令によって、特に新円旧円の処理ですが、金融機関の再建整備法によって最終処理をやったわけですが、その結果はどういうふうになりましたか、その結果。この点を伺いたいのです。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 先ほどちょっと申し上げましたが、二十一年の十月十九日ですが、おおむね八カ月経過しております、この封鎖のとき以来。そのとき金融機関再建整備法が公布されまして、旧勘定の整理を行なうということになり、で、時間が少しかかりますが、二十三年の三月三十一日に最終処理方法書というものを各金融機関から提出させまして、それを認可するという形で処理が進められましたが、このときにおきまして旧勘定の整理が一応完了した。完了したことによりまして、新旧勘定の合併が行なわれた。旧勘定、新勘定に分かれておりましたものをその時点におきましては合併いたしまして、その後どうしましたかといいますと、事実上まだ、つまり預金は封鎖で残っておるものがあるわけでございまして、これに対しましては旧勘定に属したものの財産のうちで、たとえば取れないと思っておった債権が実は生きて返ってきた、あるいは財産が当時評価しておった価格よりも高く売れた、こういう事態があったわけでございまして、そのために調整勘定というものを設けまして、いわば旧勘定に属するものの処分益といいますか、そういったものをその調整勘定にほうり込みまして、それが相当な額に達しましたので、各金融機関ともそれまで支払いをしなかった第二封鎖に属しておりました今は新旧勘定の区分はなくなりましたので、何といいますか、厳密な意味の債務ではありませんが、それを調整勘定の益金をもって支払うことといたしまして、その後金融機関ごとにこの支払いを開始したわけでございます。  で一結局、現在、時点におきましては、昭和三十四年三月末の状態で申しますると、たった二つと思いますが、二つの信用金庫を除きましては、すべての金融機関はそういう第二封鎖に属しておった預金を全額支払いをいたしました。それですべての調整勘定も閉鎖いたしまして、残った益は法定準備金の中に入れまして、現在は完全に完結いたしております。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 それは今、信用金庫ですか二つを残して、全部銀行が預金者に封鎖を払い戻した、そういう御答弁ですが、そうですか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) そのとおりでございます。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 そうなっていないのですが、どうなんですか。そういう事実が、そうなっていないという事実があるのですが。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) ただいま全部完了したと申し上げましたのは、全国普通銀行の全部につきまして完了した。相互銀行、信用金庫の一部にまだ全部払っていないところがございます。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 一時五万円を限度にして払い戻したですね、保険でも銀行預金でも。それで、五万円以上の分について——五万円以下については払い戻した。それが全部普通銀行について、全部これは返済したわけなんですか。払い戻したわけですかね、切り捨てた分があると思うのですけれども。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 最初の段階では、五万円ですか、小口のものは全部払う、大口のものは払わないというふうに、優先的には小口のものを先に払ったのですが、あとでたな上げしておりましたそういう大口の預金あるいは法人預金、これも普通銀行に関する限りは全額支払いをいたしたわけでございます。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 預金の切り捨てはなかったのですか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) ですから、非常に時間が経過しておりまして、御承知のように貨幣価値としてはずいぶん下落しておるわけでございますけれども、帳簿上では切り捨ては結局においてはなかったということになっております。切り捨てたと一ぺん言ったものをあとで調整勘定の益金から支払った、こういうことでございます。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 それはまたよく調べてみます。私個人について言うのはおかしいですが、私個人については支払われていないんですよ。これはどういうわけですかね。今思い出したのですけど、五万円で当時打ち切られちゃって、それであと全然……。それは普通銀行ですよ。普通銀行からその後何もあれがないんですがね。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 預金の中で、第一、第二封鎖でない預金が実はあったのです。それは特殊預金というものでございまして、これもばかにならないわけです。この数字を申し上げますと、二十一年九月末で第一封鎖は五百九十四億円、第二封鎖百九十三億円、特殊預金三百六十五億円、それから自由預金が二百五十三億円になっております。この特殊預金の三百六十五億円というものは払っていないのです。これは預金ということになっておりますが、実際は戦時補償特別税、全部取り上げられてしまったものですが、戦時補償関連で切り捨てになったといいますか、召し上げられたものは確かにあるわけでございます。これは封鎖預金とは別の性格のものです。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 その特殊預金というのはどういうのですか、内容は。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 要するに、戦時保険は戦後になって打ち切られたわけでございます。本来は払う建前になっておるのを払わないと、こう切ったわけです。その関係の火災保険などは打ち切られてしまったのが、預金という形で処理されておるのです。あとでそれは全部召し上げられたといいますか、払わないということになったわけであります。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 主として保険関係なんですか。それ以外にないんですか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 戦時保険の関係と軍事補償の関係ですね。これは戦後に打ち切られたものでございますが、この金額は全部国に帰属した。払わないで国のほうに召し上げたのであります。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 その戦時補償関係というのは、それはたとえば事業会社なんかについての打ち切りになると思うんですね。それは預金という形じゃないでしょう。その点がどうもはっきりしませんね、特殊預金というものは預金の形ですから、特殊預金というのはすぐ項目別にわかりそうなものですがね。保険会社ならわかりますよ。たとえば、保険会社について、火災保険について五万円払ってあとの五万円以上は打ち切るという火災保険会社、会社ならわかりますけれども、銀行についてですからね。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) その当時のことはあまり私も詳しくないので申しわけないのですが、国がそういった戦時保険やあるいは軍事補償も入っておると思うのですが、支払いをする場合現金で払わなかった。預金の形で払ったんですね。その預金を一ぺん払っておきながら、打ち切ったんだからというので、また召し上げてしまった。そういうことで特殊預金という言葉を使っていると思います。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 それから、もう一つ伺いたいのですが、当時財産税の問題が、さっきもお話にありましたのですがね、結局あの財産税というのはどうなったんですかね。あれは非常なインフレによって、実際には当初の目的をほとんど達しなかったと思うんですけれども、財産税についてはどうですか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 全くお説のとおり、財産税を課することは、ほかの目的も、もちろん税法上の目的が当然あったと思うのです。戦争によって非常な被害を受けたものに対して、比較的、たとえば不動産などを所有しておったために被害が僅少であった、そういったものに対して課税をし、その課税した金を何か特殊の目的に使うというものであったと思いますが、今日になってみますと、また、これは中には天皇家も入っておるのだと思いますが、今日の財産で評価いたしますと、相当膨大な不動産等が国に物納として帰属したというふうなこともありまして、いわゆる当時の資産家クラスにとっては、これは税法上の意味のほうがむしろ大きいものだと思いますが、かなりの影響があったということは言えるのじゃないかと思います。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 この金融機関の整備が、さっきのお話では、かなり順調にいって、最後には、封鎖には第一封鎖、第二封鎖とありましたが、そういう意味での特殊預金は別として預金の切り捨てはなかったと、それは結局はインフレによってそういうことが容易になったと解釈しておるのですがね。当時かなりそういう、まあ軍事補償の打ち切りもありましたので、その軍事補償の打ち切りの打撃というのですか、それを緩和するためにも、意識的にこのインフレ政策がとられたというようにも思われるのです。結局、軍事補償の打ち切り、あるいは財産税というものも負担ですね、そういうものをインフレの過程において、つまりインフレによって一般国民は非常に生活が困難にさせられたのですが、そういう一般国民の犠牲において財産税なり、これはもうほとんど無価値にひとしいようにしてしまい、それから軍事補償の打ち切りもインフレという形で、つまり一般国民の犠牲においてこれが処理された、こういうふうに理解されますし、したがって、インフレ当時かなり意識的にインフレ政策が行なわれたのじゃないかというように考えられるのですけれども、その点はどういうふうに考えておりますか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 意識的にインフレによっていろいろな負債といいますか、債務を軽くしていこうというふうな、そういったことは、少なくとも大蔵省に関する限りは絶対にそういう意図はなかったと思います。結果的にインフレがなかなかとまらなかった。相当な大幅な物資が入ってこない限り完全な形ではとまらなかったと思いますが、しかし意識的にやるということはまず——私も二十何年大蔵省に禄をはんでおりますが、大蔵官僚の気質としても、ぜひともインフレはとめたいというふうに思っていろいろな手を打ったと。しかし、一方において生産力の回復ということも大事でありますから、復興金融金庫というふうな、見方によってはインフレ金庫も作り上げたりしておりますけれども、しかし、これは一方において、インフレをとめるためにはやはり国内の生産力の基礎的な物資についてはふやしていかなければとまらないのだという意識から、やむを得ずそういったインフレ的な金融機関が置かれたという事実はございますが、やはり根底はあくまでもインフレをぜひ早くとめたいという考えで一貫しておったと私は信じております。

木村禧八郎日本社会党

○木村禧八郎君 大蔵事務当局の戦後における財政金融政策の考えが、一貫してインフレをとめようとする、そういう考えでやってきたということを、初めてこういう公式のところで伺ったのですがね。私は、ある時期までは、これはもうほとんど不可避的だったと思うのです。というのは、終戦直後、預金の引き出しについても、これをすぐにとめれば社会不安が非常に起こるでしょうし、それを避ける意味でも、これはすぐ押えなければいけないかもしれませんし、それかまた日銀の貸し出しについても、これはかなりルーズに行なわれてきておると思います。それから、アメリカ軍の上陸作戦に備えて、各地に日銀券を貯蔵しておったりしておりましたですね。その後も軍事費が、もう戦争が済んだのにどんどん支払われているのですよ。戦争が済んじゃっているのに、軍事費の会計から。それを今度支払わないと、軍人が退職するわけですが、その場合に非常に生活が困って社会不安を起こすかもしれないというので、終戦直後においては社会不安を起こさないためにある程度のそういうインフレ的な政策も不可避であったと思うのです。それから、物資も不足だった。しかし、ある時期から、はっきり私は意識的にインフレ政策がとられ出したと思う。  というのは、軍事補償が打ち切られてから、あのころ、御承知のように、レオ・チャーンという人が来まして、当時の石橋蔵相と非常に軍事補償の打ち切り問題についてやり合ったわけです。結局、石橋さんは軍事補償打ち切りに反対したけれども、レオ・チャーンに押し切られて、軍事補償の打ち切りになった。そこで、私は、この軍事補償の打ち切りを損失なく埋め合わせるにはインフレ政策よりないと、そこでインフレ政策がとられて、あとで司令部から好ましからざる人物として石橋さんは追放されましたね。私はそういうふうに理解しているのですが、これは見解の相違ですから、ここでどうこうという御答弁を求めるわけじゃないけれども、これは金融緊急措置令、これを廃止する法律が出てきたのですから、そういう問題についてはほかで審議する機会がありませんから、この機会に、この法律案の趣旨とは少し離れた質問もあったかと思いますけれども、そういう意味で質問したわけなんです。  まあ、金融緊急措置令、これがかりに廃止されるということになるとすれば、この機会に。その裏面においてはずいぶん国民として割り切れない事実があると思う。非常な不正があったでしょう。それから、それが結局銀行救済なりあるいは大資本の救済というので、インフレーションに続いてなっている。インフレを防止するといいながら、昭和二十三年まではインフレは急速に進んでいっているんですからね、これはインフレ対策であったというふうには私は考えられない。そういうふうに私は見解をここで述べて、私の質問はこの程度にいたします。  最後に、さっきの金融緊急措置令の、金融機関の再建整備の最終的な結果、これは表かなにかにして、銀行別にずっと処理したようですから、その点わかるように、最終処理がどうなっているかということをあとで私は表に、て出していただきたいと思うのです。

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 銀行局長、よろしいですか。

高橋俊英大蔵省銀行局長

○政府委員(高橋俊英君) 全国普通銀行につきましてはできます。

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 他に御発言もないようでございますから、質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。御意見のおありの方は、賛否を明らかにしてお述べを願います。——別に御発言もないようでございますから、討論は終局したものと認め御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより採決を行ないます。金融緊急措置令を廃止する法律案を問題に供します。本案を原案どおり可決することに賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 総員挙手と認めます。よって、本案は全会一致をもって可決すべきものと決定いたしました。  なお、諸般の手続等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 御異議ないと認めます。よって、さよう決定いたしました。   —————————————

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 次に、関税暫定措置法及び砂糖消費税法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案は去る二十五日予備審査のため本委員会に付託されました。  それでは、これより本案の提案理由の説明及び補足説明を聴取いたします。池田政務次官。

池田清志自由民主党大蔵政務次官

○政府委員(池田清志君) ただいま議題となりました関税暫定措置法及び砂糖消費税法の一部を改正する法律案につきまして、提案の理由及び法律案の概要を御説明いたします。  この法律案は、砂糖についての最近の価格の状況等にかんがみまして、関税及び砂糖消費税に関し所要の改正を行なおうとするものであります。  第一は、関税及び砂糖消費税の軽減措置であります。  最近、国際糖価の異常な高騰に伴い、国内糖価も相当な値上がりを示してきております。これは、キューバをめぐっての国際問題と外国におけるテンサイ生産の不作とによるものと見られており、早急に従来の糖価に安定することは見込みが薄いものと考えられております。  このような国際糖価の高騰に伴う国内糖価の上昇を押え、消費者の家計に及ぼす影響をできるだけ少なくしようとするのが、この法律案による関税及び砂糖消費税の軽減等についての措置であります。  まず、関税につきましては、輸入される粗糖について、当分の間、政令により減免措置の発動ができることといたしております。その発動の要件は、国際糖価の上昇に伴い、砂糖の国内卸売価格の著しい上昇があること及びその卸売価格が本邦産テンサイ糖の適当と認められる卸売価格を相当期間続継してこえることの二点であり、その減免は、そのこえる額以内においてできるものといたしております。  このような減免措置をとった後において、輸入粗糖からの精製糖の卸売価格が低下し、本邦産テンサイ糖の適当と認められる卸売価格を下回ることとなる場合も考えられますが、このような場合には減税の幅を縮減するかまたはその措置を廃止するかして、国内甘味資源作物の価格の安定をはかることといたしております。  なお、これらの措置を政府がとった場合には、遅滞なく、その内容を国会に御報告いたすことになっております。  次に、砂糖消費税については、砂糖消費税の税率を、精製糖について一キログラムについて五円、再製赤糖及び黒糖についてそれぞれ四円引き下げ、その他の砂糖類についてもこれに準じて税率の引き下げを行なうことといたしております。  第二は、輸入粗糖についての関税割当制度の採用であります。これは粗糖の外貨割当制度の廃止に際しまして、国内甘味資源及び砂糖業界に不測の混乱が生じることを防止するため、一次税率を現行の四十一円五十銭、二次税率を十円高の五十一円五十銭とする関税割当制度を、当分の間、採用することといたしております。  以上がこの法律案の提案の理由及びその概要であります。何とぞ御審議の上、すみやかに御賛同下さいますよう御願いいたします。

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 補足説明を森鼻財務調査官から願います。

森鼻武芳大蔵大臣官房財務調査官

○説明員(森鼻武芳君) ただいまの提案理由説明を補足いたしまして、御説明いたします。  第一に、関税及び砂糖消費税の軽減措置等について申し上げます。  粗糖の国際価格は、キューバをめぐっての国際問題等を契機といたしまして、昨年十月から値上がりを示してきておりますが、現在は粗糖の現行関税率四十一円五十銭の算定の際、基礎といたしました国際糖価はポンド当たり三・四五セントということでありましたが、それをはるかに上回っておりまして、ポンド当たり十セント前後というふうに異常な高騰を示しております。これに伴いまして、国内の精製糖の卸売価格も漸次上昇を見てきておりまして、昨年十月にはキロ当たり百十八円程度であったものが、最近におきましてはキロ当たり百四十円を上下するというふうに高い値段になっております。また、今後ポンド当たり十セントの粗糖がかりに輸入されるという場合を想定して算定いたしますと、この十セントに見合って国内価格は大体百七十数円というふうに計算されるわけでございます。一方、諸外国におきましては、国際糖価の高騰に伴ってどういう対策をとっているかと申し上げますと、まず関税を引き下げる。あるいは関税類似のものといたしまして、輸入の賦課金というのがございますが、それを軽減する。あるいは砂糖そのものを緊急輸入する。緊急輸入の実施でございます。あるいは砂糖の輸出国におきましては、その輸出の抑制をする、というような各国は措置を実施している実情でございます。これらの状況にかんがみまして、国際糖価の高騰に伴う国内の糖価の上昇を押えて、消費者の家計に及ぼす影響をできるだけ少なくしようとするのが、今回の関税及び砂糖消費税の軽減を行なおうとする理由でございます。  まず、関税につきましては、粗糖の国際価格の上昇に伴いまして、輸入の粗糖から精製糖を作るのでございますが、その精製糖の卸売価格が著しく上昇した場合、その卸売価格が本邦でテンサイ糖を原料といたしまして作る精製糖の卸売価格をこえる、またはそのこえる期間が相当継続する、そういう二つの条件の場合に、そのこえる額の限度、さしあたりは五円を予定してございますが、その限度で輸入粗糖について政令で定めるところによりまして、かつ期間を指定いたしまして、その関税を減免できるということといたしております。なお、減免の措置をとった場合に、輸入粗糖からの精製糖の卸売価格が本邦テンサイ糖の卸売価格を下回る場合も予想されますが、そういう下回った場合には、その下回る期間が相当継続すると認められるときは、すみやかにその減免措置を修正したり廃止することとしております。それではなおその下げたものを上げた場合に、まだ国際糖価が下がった場合どうするかという問題がございますが、その場合には減免措置廃止後においても、なお国際糖価が下落して国内産糖に悪影響を及ぼすというおそれがある場合には、これは別の法律の関税定率法というのがございますが、それの規定によりまして、緊急関税というものを発動いたしまして、国内価格の安定をはかる所存でございます。  次に、砂糖消費税につきまして、以上述べた関税に関する措置とあわせまして、糖価の引き下げと税負担の軽減をはかる、この二つの趣旨から、その税率を精製糖については現行一キログラム当たり二十一円を十六円に、それから再製赤糖については七円を三円に、黒糖については五円を一円に、それぞれ軽減して、その他の砂糖類についても、これは氷糖とか角糖の類でございますが、その他の砂糖類についても、これに準じて税率を軽減することといたしております。  第二は、関税割当制度の採用でございます。御承知のとおり、わが国は国際通貨基金から国際収支を理由として為替制限を行なうべきでないとの勧告を受け、近く八条国に移行するという必要があるのであります。これに伴いまして、輸入の粗糖につきまして外貨割当制度を単純に廃止してその自由化を行なうということにかりになりますと、国内甘味資源及び糖業界等に不測の混乱を惹起するおそれなしとしないので、これらを防止するために、当分の間経過的な措置といたしまして、この関税割当制度を採用しようとするものであります。  この関税割当制度を若干御説明申し上げますと、特定物資の輸入につきまして一定の数量、すなわち国内需要見込み数量から国内生産見込み数量を引きまして、その数量を基準として定める数量までのものについては低率の関税を課する、そういうことによりまして国内の需要者側の要望を満たすとともに、他方一定数量をこえるものについては高い税率を課して、国産品の市場を確保しつつ、なお若干のワク外の輸入を認めようとするものでございます。この法律案による粗糖の関税割当制度におきましては、一次の税率を現行の四十一円五十銭、二次の税率を十円高の五十一円五十銭ということにいたします。その間の較差は十円でございます。  第三に、実施の時期について申し上げます。関税の減免制度及び砂糖消費税の税率の軽減は早急に実施する必要がありますので、公布の日から施行いたすことにいたしておりますが、関税割当制度の実施につきましては、外貨割当制度の廃止等との関係もございますので、公布の日から六カ月以内に政令で実施期日を定めることといたしております。  以上簡単でございますが、補足説明を終わらせていただきます。

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 以上で提案理由の説明及び補足説明は終わりました。  本日は……

柴谷要日本社会党

○柴谷要君 ちょっと、資料の要求をしておきたいと思うのです。国税庁の部長さん、おいででございますか。  最近新聞でだいぶ出ております労音と労演の問題について、資料をひとつお願いしたいと思います。五つばかりありますから、御記憶願いたいと思いますが、労音と労演の団体数、これは県別にひとつ出せましたら出していただく。第二としまして、個々の課税額と未徴収額及び総額、これは地域別に出していただく。それから、納税指令書発行件数。三つ目は、差し押えをしておるそうですが、差し押え個所が何個所、その理由。四つ目は、今後差し押えを行なおうとするところがあるかないか。あればその予定地。それから、方針。それに関連した資料がありましたら、ひとつ出していただきたい。のんびりやられたんでは困りますから、これは日にちまで指定したいんだ。七月一日までに御提出を願いたい。

半田剛国税庁間税部長

○説明員(半田剛君) ただいまの資料の御要求につきましては、できるだけ御趣意に沿うようにいたしますが、いずれにいたしましても、十分検討させていただきまして、お答えしたいと思います。

佐野廣自由民主党

○委員長(佐野廣君) 本日はこれにて散会いたします。   午後二時五十九分散会    ————・————

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