予算委員会第二分科会 第4号
- 発言数
- 249 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1963/02/20
会議録
○今松主査 これより会議を開きます。 昭和三十八年度一般会計予算中文部省所管を議題といたします。 文部省所管に対する質疑は本日及び明二十一日の二日間となっておりますが、質疑者がきわめて多数でございますので、質疑は一人三十分程度といたしまして、申し合わせの時間で終わりますよう質疑者各位の格段の御協力をお願いいたします。 これより質疑に入ります。滝井義高君。
○滝井分科員 私三点ばかり質問いたしたいのですが、一つは私立学校の入学金の問題、一つは準要保護児童の対策の問題、一つは今度実施されるミルク給食の問題でございます。 そこでまず第一に私立学校の入学金の問題でございますが、これは昨年の当予算分科会でも一応問題にいたしました。ところが大臣も御存じの通り、今年中学を卒業して高等学校に入学をする生徒の諸君は、いわゆる戦後のベビー・ブームに生まれた子供たちがちょうど高等学校に行くことになるわけです。公立学校が政府の政策によって必ずしもその建設が十分でないために、私立学校に相当の殺到が見られておる。ところが公立学校と私立学校との試験の時期を別にすることによって、まず先に私立学校が試験をし、そして試験が終わりますと、合格者に対して入学金の前納を公立学校の受験前に行なわせるわけです。昨年もこの問題はあったのですが、今年はさらにこの問題が全国的に大きな問題として政治的な問題になる情勢が濃厚になってきておりますが、昨年この問題については何か考えなければいかぬだろうという御言明が荒木文部大臣からあったわけですが、この問題に対するその後の文部省の考え方、あるいは今年のこういう情勢に対する文部省の対策というものは一体どうなっておるのか、お聞かせ願いたいと思います。
○荒木国務大臣 具体的に特に申し上げるほどの対策を打ち立てまして今年度に対処しているわけではございません。一面怠慢のそしりを免れない面もあろうかとは思いますが、急増に際会いたしまして、四十三万人くらいを私学に期待するということで、これは私学の関係者とも相談の結果だと承知いたしておりますが、そういうことで公立と私学と協力して急増時期に対しようということでやっておりまして、特に今御指摘の点についての今日巷間伝えられるようなひどいことになるであろうことも、必ずしも十分な予測がつかないままに今年度を迎えておるというのが実情でございまして、実態を十分に把握はいたしておりませんけれども、新聞紙等に報ぜられるところを見ながら、これは何とかほんとうに取っ組んでいかなければならないかと存じておるところであります。
○滝井分科員 新聞等を見て何とかしなければならぬということでございますが、昨年も大臣は同じような答弁をされたわけです。ところがきわめて具体的な状態で要求が出てきたわけです。たとえば兵庫県で見ますと、二月十五日に知事に向かって、私立学校の入学金は、公立高校の発表前に徴収しないよう、知事の職権で行政命令を出してほしいという申し入れが出てきたわけです。こういう行政命令をもし知事が出すというようなことになった場合は、文部省としては一体どうするかということです。その申し入れの内容を見てみますと、入学定員をはるかにこえ、収容しきれない合格者から入学金をとっておるというのがまず第一に不当だ。それから、入学は四月一日であるにもかかわらず、入学日のはるか以前に入学金だけをとるというのは、これはやはり不当である、それから、入学金などの前納は、入学難に苦しむ受験生父兄の弱みにつけ込んだ悪質なものだ、だから公立高校の発表前に徴収し、そして公立学校に入学した者にその入学金を返納しないのは不当だ、普通の商業取引だって、違約の場合には、売買の代金の全部は徴収しない。違約のときは一部しかとらない。いわんや入学金を前納させて全部取り上げてしまうというのはけしからぬ、こういう強い要望が起こってきているわけですね。これについて速急に知事あたりが行政命令——これは知事は公選ですから、へますると四月の選挙を前に控えて、行政命令を出しかねないですよ。だからこういう点はやはり全国的に文部省が指導性を発揮して、この問題はこういう方向でいくべきだという行政指導というものは、私はする必要があると思うのです。どうですか、荒木さん、この際去年と同じような答弁では、どうも一年たってあまり成長がなさ過ぎると思うのです。
○荒木国務大臣 同じことを申し上げることは、自分でもいささか気がひける気持はいたします。ですけれども、それだけ問題が複雑——と申しますか、現行の制度のもとでずばりと行政指導、あるいは行政命令は特にそうですけれども、そういうことができるかどうかもいささか疑問だと思うのであります。すなわち私学の経営はほとんど完全自主的な立場においてその独自性を尊重しながら運営されておることは御案内の通りでありまして、今滝井さんの言われた知事が行政命令を出すということすらも、私は法律的には非常な疑問だと思うのであります。入学金が法律上どういう性質かということは、私もよくわかりませんが、一説によれば一種の手付みたいな性質であろう、だとすれば、手付の倍戻しという民法の常識からいいますれば、これは没収といいますか、返さないといわれても、法律的な概念としてはかれこれ言えないことではなかろうか。しからば制度上の問題としてそういう状態に放置してよろしいかどうか。そのことは検討すべき課題かとも存じますけれども、今直ちにそれをどうということは、現実問題として不可能でありまして、すなわちそういう措置をするとするならば、法律によって、学校の利用関係に関連した手付的な性質のものは、御指摘のような場合には返さねばならないという制度を立てないことにはやれないことではなかろうか。ただし一方において去年もそうでございましたが、今年も私学の団体が自主的に当不当を考えて善処する、そういうことにまかせるほかにはないということでございまして、そういう考え方で今日までは参っておるわけであります。従ってそのものずばりでお答え申し上げかねることを恐縮に思いますが、これらのことも含めて今後に向かって具体的な検討をすべき課題ではなかろうかと存じております。そのことをさっきお答えしたつもりでおります。
○滝井分科員 私学の団体が自主的にその当不当を決定すべき問題だと私も思います。私も思いますけれども、何せ四十三万人ものわれわれのかわいい子供を、授業料も高いし、入学金も公立に比べてはるかに高いものにまかせなければならぬというこの現実は、やはり政治的な道義的な責任が政治家にあると思うんです。だからこの点から考えても、政府がそういう高い入学金を私学に納めさして、しかも公立に行った場合にこれを一文も返さずにそのままとらしてしまうということについての、何か割り切れないものが残ってくるわけです。それはもちろん一面においては私学振興ですか、ことしは三十六億余り、私学振興会の出資は十二億で、昨年と同じでございますが、こういうところの金をもう少しくふやして、私学が入学金なんかを前納させなくても私学の経営がうまくいけるという姿をとってやることが解決の一つの道にもなる。そういうことをやってやれば、私学も大臣の指導によって自主的にそういうことはやらないようにいたしましょう、こういうことも出てくるんじゃないかと思うんです。ところがそういうところがわずかに三十六億程度で、私学振興のお茶を濁しているところにも一つ問題があると思うんです。こういう点は入学金の前納問題を片づけると同時に、もう少し積極性を持たす必要があると思うんです。そういうことになると、私学に国が莫大な金を出せば、私学の私学たるゆえんがなくなる、こうおっしゃるけれども、入学金の前納問題を解決するのにこの金を幾分ふやしたところで、入学金に見合うくらいの金をふやしたところで、それほどの弊害は私はないと思うんです。こういう点は一体どうお考えになっておるのか。
○荒木国務大臣 入学金の問題、今申し上げましたような私学みずからの自主的な道義的な考え方によって善処し得る範囲もある程度あり得ようかと思いますが、一面、今お話しの通り私学振興のために国としての立場からもっと強力援助の手を差し伸ぶべきであるというお説は、私もそう思います。わずかに三十数億とおっしゃいますが、いささか弁解がましく申せば、従来に比べれば幾らか増額することができた。特に財政投融資の面から財政資金を低利長期に提供する道が開けましたことは、一つの時期を画したやり方だと思いますが、それにしましてもお話の通り二十億程度でいばるわけには参らぬと思います。この突破口が開けましたことを契機としまして、年々積み重ねていって、徐々に入学金の問題にも効果があるような努力をしていくべきだ、そういう課題は私どもに課せられた課題だと心得ます。そのほか私学振興の法律に基づいての国としてなすべき措置も、財政投融資以外にもあるわけでございますから、そういうことも努力をしますと同時に、元来民間の浄財が多く集まり得るような道を講ずる措置を政府側としても考えねばならぬ課題もあろうかと思います。従来から申し上げておることではありますが、これもまだどうも十分とは言えませんので、それらの解決すべき懸案に向かっての努力を進めると同時に、一面、私学側みずからの自主的な判断に期待いたしまして、両々相待って弊害をなくしていく、こういう考え方で臨むべきものと思っております。
○滝井分科員 当然私は、私学のそういう振興政策というのを財政投融資、今度一般会計出資分のほかに二十億お慰めになっておるので、これは大臣の言われるように前進だと思います。しかしこれでは焼け石に水であって、なお今後努力を期待するわけでございますが、とにかく当面の問題としてのこの入学金の前納問題というのは、もうすぐ現実の問題として起こっておるわけですから、昨年も言って来年もまた同じことを言うのはばかくさいので、仏の顔も三度で、二度ぐらいのところで何か文部省としては積極的な具体的な、父兄の満足のいくような具体策を私は出してもらわなければならぬと思うのです。そうでないならば、今どういうことが計画されておるかというと、もし県がこういう行政命令なんか出さずに、指導せぬというならば、県を相手に行政訴訟を起こすということが一つ問題として出てきております。それからいま一つは、別個に私学を相手にして民事訴訟を起こす。この起こす場合には、その私学に行く生徒の父兄をグループにして、グループ単位でやる。一人でやるとその私学からにらまれるから、グループ単位でやる。あるいはその出身中学別にグループをつくってやる。こういうめんどうくさい問題が教育上の問題として起こることは、日本の教育の前進のためにも非常によくないことなんですね。しかも、そういうことをやれば、裁判までなっていくということになれば、これはそこの学校に行った子供の心理的影響にも微妙な影響を与えることになると思うのです。そこでこの問題については、一つ大臣、速急に何か具体的な打開案を——私学の自主性に待つということは、私は錦の御旗でよろしいと思うのです。しかしその内面というものについて、内面指導を行政がこの際やはりやることが必要だと思うのです。そういうことで、昨年と同じことでは困るので、何か積極的な一つ方策をとるという御言明をここにいただきたいと思うのです。
○荒木国務大臣 入学金の問題は、これは昔から慣行的に存続しておることであって、特にことし問題になりますのは、量的にあるいは世間的に騒がしくなってくる点において、特に問題にされておると思うのであります。制度の問題であるにいたしましても、お説の通り教育の場に訴訟ざたまで起こらないように、できるならばすることが望ましいことですから、そういう考えに立って検討をしてみたいと思います。ただ訴訟を起こすという権利は、それぞれ国民が持っておることですから、それを差しとめるとかなんとかいうことは理論的にはできないと思います。ですからその辺も、私学みずからが自主的に関係者と話し合うなり何なりして、訴訟ざたみたいなことにならないように、できるものならば望みたいものと思います。いずれにしましても、今即座に直ちにこうするんだ、こうすればこうなるはずだからということは、ちょっと申し上げかねる時期でございます。検討さしていただきたいと思います。
○滝井分科員 私は、検討することはいいですから、解決の方向に積極的な検討をしてもらいたい、こういうことなんですね。その点どうですか。
○荒木国務大臣 現実問題として差し迫った当面のことについて、ずばり効果的な方法が今のところ見つからぬと思います。気の長いようなことを申し上げますけれども、来年度を目ざして具体的な検討をせなければなるまいという課題として受け取っておるのであります。さりとてことしの問題にいたしましても、何らか平和裏に事がおさまることが望ましいことは当然ですから、そういうことも事務当局を督励いたしまして相談もし、対策が立つものならば考えてみたい、そう思います。
○滝井分科員 ぜひ対策を立ててもらいたいと思うのです。この世の中にできたことは、ナポレオンじゃないけれども不可能ということはないと思うのです。何かやり工合によってはできるだろうと思いますから、一つ荒木さんの切断をこの際望んでおきます。 次は、この三十八年度の文部省所管予算案大綱の中で、こういう御説明をしておるわけです。「次に、義務教育の円滑な実施をはかるためには、経済的理由により就学困難な状況にある児童生徒に対して特別の援助を行なう必要があるのでありますが、この援助の範囲につきまして準要保護児童生徒の対象率五%を七%に引き上げるとともに内容の改善を行なうこととし、」云々、こう書いてあるわけです。いわゆる準要保護児童対策でございます。 そこで、まず第一に、これらの収入の少ない家庭の小学校、中学校の生徒に対する教科書とか給食などについて政府の方である程度補助をする制度というのは昭和三十一年から実施されているのですが、今度この制度の対象児童生徒数のワクを五%から七%に拡大をしたわけですね。これで一体全国の義務教育の児童の中のどの程度まで対象になることになるのか。
○福田政府委員 お答え申し上げます。従来から要保護児童及び準要保護児童の就学奨励につきましては、その援助率並びにその内容についていろいろと対策を講じまして引き上げて参りましたことは御承知の通りでございます。三十八年度におきまして、それぞれ内容から申しますと、単価の引き上げもございますが、今御質問のように準要保護児童の援助率を五%から七%に引き上げております。これによりますと、総数といたしまして約百二十万人ぐらいになります。
○滝井分科員 そうしますと、小学校の総数が現在幾らでそれが七%で幾ら、中学校の総数が幾らでその七%が幾ら、合計百二十万、ちょっとそういう方式でやってみて下さい。
○福田政府委員 小学校の児童総数が千三十七万人ぐらいでございます。従って、その約七%は七十二万人ぐらいであります。中学におきましては六百六十八万人、それに対する七%でございますので、四十六万人、合計いたしまして切り上げて約百千九万、約百二十万という数になるわけでございます。
○滝井分科員 そうしますと、今度生活保護基準が上がったんですね。生活保護基準が一級地——東京で申しますと、四人家族で一万二千二百十三円であったものが一万四千二百八十九円に上がったわけです。従って相当の薄層が出てくることになるわけです。この際一体準要保護児童の選定の基準というものはどういう基準で選定をするかということですね。
○福田政府委員 私どもといたしましては、昭和三十六年に全国の市町村教育委員会を通じまして調査をいたしました結果が、小中学校合わせまして、準要保護児市生徒のいわゆるボーダー・ラインにある者が大体七%強というような数字が出ております。この数字を、別に統計局で調査しておりますところの就業構造別基本調査というものがございますが、それによりまして調査いたしました結果の数字と合わせてみますと、生活保護法の適用を受けております世帯の比率は、全世帯に対しまして大体三%でございます。十万円未満のいわゆる所得の少ない世帯につきましては大体一〇・七%ぐらいになります。その一〇%強から三%を差し引きますと、大体七%という数字が逆に合うわけでございます。従って、私どもといたしましては、三十六年度の全国から集めました調査資料に基づいて大体七%ぐらいが妥当であろうということで予算要求をいたしたわけでございます。
○滝井分科員 予算要求の基礎は、十万円未満の収入の者が大体一〇%、従ってその一〇%から三%の生活保護階層を引くと七%になるというその予算上の根拠はわかります。ところが具体的に、これを市町村の教育委員会に落とし、市町村の教育委員会が学校に落とす場合に、大体準要保護児童生徒の選定をする基準をどういう工合に現場でやっておるか。ここが一番問題になるところだと思う。
○福田政府委員 その準要保護児童の調査のやり方といたしましては、就学奨励法また学校給食法によって補助を受けておる者の人数、それから市町村の単独事業によって教科書費等の給与を受けた者の人数、あるいはPTA等から教科書その他のものの給与を受けた人数、以上申し上げました以外にもいろいろ実際に援助を必要とするものがございます。これは学校長の認定でございますが、そういうものを合わせますと、これは三十六年の調査でありますけれども、全体の児童生徒数に対しまして大体七%強という数字が出ております。それを先ほど申し上げたのでございまして、各市町村におきまして当然に就学奨励法等の適用になっておる者、あるいは実際に援助を必要とするという見込みのある者を調査いたしました結果そういう数字が出て参りまして、それを根拠にいたしております。
○滝井分科員 そうしますと、就学奨励法とかPTAから教科書をもらっておるとかいう、そういう何かきちっとしたものさしでなく、その学校々々の特色というか、ケース・バイ・ケースで学校長の認定にまかせる、こういう形になっておるわけですね。たとえば具体的に言いますと、今十万円という数字が出てきたのですが、住民税を免除されておるとか、あるいは国民健康保険料を免除されておるとか、何か客観的な画一的な資料ではなくて、学校における児童の教育上における経済的な貧しさというものがめどになっていくのですか。
○福田政府委員 ただいま申し上げたのは、内閣統計局の調査した数字と逆に合わせられるということを申し上げたわけでありまして、それによったわけではございません。私どもの調査しました内容といたしましては、ただいま御質問の中にありましたように、たとえば地方税法によって市町村民税を免除されておる、あるいはまた国民年金法の規定によって国民年金の掛金の減免をされておる者、あるいは国民健康保険法に基づく保険料の減免または徴収の猶予を受けておる者、それから児童扶養手当法の規定によりまして児童扶養手当の支給を受けておる者、こういうようなできる限り客観的な基準のある者を対象としてとるようにいたしまして、それを学校長に通達したわけであります。それに基づいてやっております。
○滝井分科員 おそらくそうだろうと思ったのです。それだけの客観的な根拠でおやりになっておるのではないかと私は思っておったのですが、それならけっこうです。 そうしますと、問題はどこにあるかというと、この準要保護児童の予算を見ますと、昨年が二十四億、ことしが三十五億六千四百万程度あるわけで、補助率二分の一なんですね。義務教育は全部補助を国が二分の一を見ていくというこの原則をここでも貫いておることになるわけです。そうしますと、市町村におきましては、この準要保護児童が多ければ多いほど市町村の負担分はふえてくるわけです。実はここでそれを質問すると長くなりますからやめますが、日本における、池田内閣の所得倍増政策によって、生活保護階層なりあるいは準要保護児童を持つ世帯の生まれる階層の地域的な偏在というのが非常に顕著になってきた。たとえば炭田地帯とかそれから南海地区、高知とか宮崎とか鹿児島というかつての沿岸漁業をやっておった地区、それから東北、こういうように、いわゆる所得のアンバランスというのが、太平洋ベルト地帯に所得がふえて、それから南海地区、炭田地区、東北地帯というのは所得が非常に少なくなってきておるわけです。太平洋ベルト地帯に集中して。従って、これらのボーダーラインの学童なり生活保護の子供の多くなった地帯というものは経済的にも貧しいので、自治体がその二分の一の負担をすることについてなかなか問題が出てきたわけです。二分の一の原則というのは、これは政府としては厳たる原則として貫かなければならぬと思いますけれども、そればかりを貫いておると、国が予算を組んでも、その予算が十分に消化できずに放置をされるという実態が出てくるわけです。そこでこれを何らかの形で救済をしないと、二分の一の原則を貫いていっておると、いわゆるボーダーラインの学童が国からもらう分の教科書代の二分の一は出るけれども、自治体が二分の一を出さない、二分の一の学用品や給食費を出さない、こういうことのために教育に欠陥が出てくるわけです。それをカバーする方法を文部省は考えておるかどうかということです。
○福田政府委員 ただいま御質問の中にございましたように、建前は二分の一でございますので、二分の一は市町村がこれを持つことになるわけでございます。従いまして、市町村の財政力等によっていろいろの事情が起こることは、これは私ども現実の問題としてはあり得ると考えております。もちろん、二分の一の市町村側の負担につきましては交付税でこれは見るという建前になっておりますので、従って市町村のやり方としましては、当然この分だけでございますともちろん問題ないわけでございますけれども、一般的に市町村の財政力の弱いところにおきましては、やはり気の密な事情があろうと思います。特に産炭地その他の地帯におきましては非常に困っているところがあると思います。これらにつきまして、私どもとしてはできる限り今の交付税の措置の問題、あるいはできれば何か他の方法を講じたいという気持は持っておりますけれども、具体的にやる方法としては一般交付税で二分の一を見る。ほかに特別交付税等でこれが財源措置をしてもらうという方法しか、現在の制度ではないわけでございます。そういう特別交付税等の措置によって、できる限り市町村が支障のないようにやってもらいたい、かように考えているわけでございます。
○滝井分科員 二分の一の市町村負担分について特別交付税あるいは普通の交付税で見ていくということは、御存じの通り交付税はひもつきでないものですから、一般財源ですから、従って予算が苦しくなると一番しわ寄せを受けるのはどこかというと、これはもう荒木文部大臣なり福田さんが御経験のように、やはり社会保障とか文教というところに一番先にそのしわが寄ってくるのです。そうしますと、自治体も同じです。予算が苦しくなると、交付税できた二分の一というものはひもがついているわけではないのですから、この金というものは準要保護児童なり生活保護の児童のためにきたものだというひもがついていないのですから、きたものはすぐにほかのものにいってしまう。市町村は今度は二分の一の教育の部面をだんだんしぼってくる、こういうことになってくる可能性は十分あるわけです。福田さんも御存じのように、筑豊地帯ではすでに五%のときだって学校給食等は返還をしてきている。こんなものをくれたって二分の一の負担ができませんと返還をしてきていることは御存じの通りです。そこで、何らかの方法を検討をしなければならぬというそのお気持をこの際具体化する必要があると思うのです。せっかく五%から七%に拡大をしてもらっても、その拡大をした百二十万の子供に十分それが手当としていかないというならば、これはナンセンスになるわけです。そこでこの際、それらのものについて何らかの考慮を必要とすると思いますが、荒木文部大臣としては一体そこに何か積極的に検討をする意向はないかどうかということなんです。
○荒木国務大臣 ただいま具体策は持ち合わせておりません。問題は地方財政の問題であろうと思うのですが、交付税制度それ自体がひもつきでないとおっしゃいますけれども、当該自治体内における施政のもろもろの課題に対応しまして、その緩急軽重は当該自治体の見識でもって処理するという建前かと私は思うわけでありますが、教育というものの、たとえば今お話しになっておりますような課題にいたしましても、それを当該自治体としていかに緊急度の高いものとして扱うかいなかという判断にまかされておるところに、ひもつきでないという言葉で指摘される欠阻といえば欠阻があろうかと思うのですけれども、今としましては、当該自治体の見識に待つ、それを一般交付税及び特別交付税で考える、考えられた範囲内において善処してほしいということが今の制度上の結論たらざるを得ないかと思います。それで、どうしてもいけないというほどの特殊の地域格差的なむずかしさが出てきた場合、何をもってこれにこたえるか検討すべき課題であることは御指摘の通りだと思いますが、今すぐこういたしますという具体案は持ち合わせておりません。
○滝井分科員 どうも大事なところになるとみな具体案がないので、それでは文教行政が進めないですね。 それでは私は少し具体的に突っ込んでみますと、今の、七%に引き上げましたね。そうすると、その七%の準要保護児童がもし一四%あったときにはこれはどういうことになるのです。七%分については見てくれるけれども、そのこえる七%については自治体が全部見ることになるのでしょう。
○福田政府委員 これは七%で全国的な数字を見ておりますので、地域的にいろいろ、特に産炭地等におきまして準要保護児童の特に多いというところもあると思いますけれども、全般的に言いますと七%でまかなえるというように私どもは考えております。従って、私どもとしては、現在の予算の範囲内で各地域々々の実情に応じたやり方をしていきたい、こういうように考えております。
○滝井分科員 そうしますと、七%が全国平均だけれども、特別の地域に一四%あったときには、その一四%は見る、こういう理解をしてさしつかえありませんか。それはあくまでも一四%あっても二分の一の原則は変わってないわけですからね。
○福田政府委員 その通りでございます。
○滝井分科員 そうすると問題はやはり今度は二分の一になってくるわけです。七%が一四%になってくると、自治体の負担というものは、他の七%のところよりは倍になってくるわけですね。二分の一ですから、二分の一については、倍になるわけです。生活保護者なり準要保護児童というものが、七%が一四%になってくるということは、明らかにその地区においては生活保護者も相当ふえてくることを意味するわけです。これは具体的に私の指令で、産炭地を調べさせた。どういうことになっておるかというと、小学校、中学校の生徒の総数が二万七百七十六人おります。これは三十七年九月末現在の調査ですが、生活保護児童が二千八百四十八人です。だからこれは一三・七%おるわけですね。これは全国平均でしたらば三%そこそこですね。ところこれが一三・七%です。それから準要保護児童が千六百八十八人、八・一二%ですから、ことしの七%よりかさらに多い、こうなるわけです。こういう実態でいきますと、学童の二一・八%というものが貧困学童、こうなるわけです。ところが最近さらにこれがふえて三割くらいになってきておる。こういう実態になりますと、生活保護の方でも二割自治体が持つわけですから、この準要保護児童で半分持つということになりますと、これは莫大な金を教育の方に持っていくことになるのです。特別交付税というのは、御承知の通り大体三千万円ぐらいが限界です。三千万円以上やらないですよ。そうするとこういう負担分が千万以上になっているのです。三千万そこそこしかもらわない交付税の中から、千万を一体教育の方に自治体が持っていくかというと、持っていかないのですよ。そういうことになると、ミーンズ・テストを厳重にやることになる。生活保護についてもやるが、準要保護児童についても厳格な資産調査その他をやって支給することになるので、教育というものは前進をしない。こういう形で出てくるわけです。だから私はこの際全国平均七%なら七%の線を引いたならば、それを越えるものについては二分の一の原則を破る政策というものを立てることが、文教政策の一つの大きな前進だと思うのです。そこに所得倍増政策の結果、南海地帯とか東北とか産炭地とかというものに、集中的に生活保護なり準要保護児童が出るという現状では、特にそういう地域の教育を守ろうとするならば、そういう政策が必要なんです。どうも来年になったら、荒木さん文部大臣かどうかわからぬのに、来年のことばかり言っておったのではしようがないのです。今三十八年度の予算を、四月一日から実施するものをやっておるのです。いわゆる来年度の予算をやっておるのです。今は三十七年度内ですから、さ来年の三十九年の予算のことを言っておったってしようがない。ですから三十八年の予算で何かこの際勇断をもって、日教組に当たるあの勇気をもって生活保護階層あるいは準要保護階層の生徒児童の前進の政策を応じてもらいたいと思うのです。 次に具体的に、それならば今度のこの準要保護児童の政策というものは、今までの昨年までの政策を見ると、こま切れでいっていますね。ある子供には教科書がいく。ある子供には給食がいく。ある子供には学用品がいく。準要保護児童対策を前進したというならば、総合的にいくのですか。市町村民税も納めていない、国民健康保険も納めていない、年金も納められない、そして教科書もPTAのお世話になっておる子供については、教科書も給食も、学用品も、ズックもみんな総合的に併給する制度として逆用するのかどうかということです。
○福田政府委員 私どもといたしましては、全部そろえて支給するように指導いたしております。
○今松主査 滝井君に申し上げます。だいぶ時間が経過いたしましたので、結論をお急ぎ願います。
○滝井分科員 次は、今度百二十万人の子供に教科書とか給食とかを総合併給してやるという御言明がございましたが、準要保護児童に対して、これはかりに小学校一年生でも、小学校六年生でもかまいません。六年は少し金がかかるが、一体教科書、学用品、それから修学旅行、それから学校安全会の掛金、それから給食費、寄宿舎の費用、それから衣料費、こういうものを一体一人にどの程度やることになるか、その額をずっと言ってみて下さい。同時に文部省がその額を言ったならば、今度厚生省、生活保護の児童についてそういうものをどの程度やるのか。これをずっと一つ一年生でも三年生でも六年生でもどれでもかまわない、あとで資料として小学校の一年、二年、三年、四年、五年、六年と、中学校の一年、二年、三年の資料を出して下さい。この際、典型的なところ、どこでもかまわないから言って下さい。
○福田政府委員 まず教科書について申し上げますが、これは学年別に分かれておりませんが、小学校が七百三十七円であります。中学校が千九十一円でございます。
○滝井分科員 それは予算にあるからわかるのです。六年なら六年という学年を指定しておるわけです。それにあわせて厚生省が生活保護のところを言ってもらいたいのです。
○福田政府委員 後ほど学年別のを申し上げます。
○滝井分科員 わからないですか。——それならば全部の平均でけっこうですが、厚生省それはありますか。——それでけっこうです。
○福田政府委員 学用品は小学校が千四百十二円、中学校が三千四百九十四円であります。通学費は小学校が三千二百二十三円、中学校が六千三百二十五円であります。修学旅行費は小学校六年生が八百五十円、中学校三年生が二千百五十円でございます。それから番宿舎居住費でありますが、これは小学校が一学年で四万三千三百八十円、中学校で美方八千七百三円、これは通年であります。これが冬期間四カ月の場合でありますと、小学校一学年は一万七千七百九十三円、その他が一万二千九百一円であります。これを冬期間三カ月の場合は、小学校一学年一万四千五百九十五円、その他が九千六百七十六円でございます。寄宿舎居住費は以上でございます。それから給食費でございますが、これは小学校の場合が二十円六十銭、中学校の場合が二十六円二十一銭でございます。これは二百十五日として計算をしております。なお、医療費の補助でございますが、これは単価が、要保護が五百九十二円で、準要護児童が二百九十六円でございます。 以上でございます。
○小池説明員 生活保護で実施をいたしております教育費の各項目につきまして申し上げます。 まず教科書代は実費で支給をいたしております。それから学用品費でございますが、これは小学校六年を例にとりますと、月額で百六十円を支給いたしております。
○滝井分科員 ちょっと今のを合わせてくれませんか。平均でいいです。そっちが学年を言い、あなたの方が全部言ったら、質問にならぬです。
○小池説明員 学用品費は実は平均というようなことをやっておりませんで、各学年別に出しておりますので、その学年を平均してというようなことはちょっとむずかしいかと考えておりますが、例を申し上げますと、小学校六年で月百六十円、三年で百三十円でございます。それからいろいろ実験なり実習なりをやります経費といたしまして、これは学年に関係なく月に二十円。それから通学のための用品費は、六年生で七十円、小学校三年で六十五円という額を支給いたしております。このほか学校給食費につきましては、それぞれの学校で徴収をする額を支給いたしております。また通学のための交通費も必要な最低限度の額は支給をするような措置をとっております。また三十七年度から新しく技術・家庭科が行なわれておりますので、これは中学校でございますが、月額六百円を支給いたしております。 以上でございます。
○滝井分科員 私が聞きたいのは、準要保護児童というのを今福田局長さんがずっと読み上げてくれたわけですが、その場合に一体要保護児童に準要保護児童と同じ額が出ておるかどうか、どちらかにアンバランスがありやしないかという点なんですよ、これはアンバランスがあるのです。これが問題なんです。同じクラスに準要護児童と要保護児童と普通の子供がおりますと、先生が学用品費を、手工をやりますから今月三十円持っていらっしゃいと言いますと、準要保護児童は二十円時ってきた、それから要保護児童は実費として三十円持ってきた、こういうことでは教育が成り立たないのです。そこで私は昨年この問題についてもここで指摘をして、十分厚生省と文部省との間で意思の疎通をはかっておかないと、地域の教育というものは——同じように国の補助を受けて、片っ方は全額厚生省が出す、しかし一方文部省の方からは、二分の一は自治体が出して、二分の一は国が出すのだから、従ってそこにアンバランスが出てくる、ぜひ意思統一をして下さいと言ったのはそこなんです。ところが今の答弁でも、どうも故意にそう言うのかどうか知らぬけれども、どちらもちぐはぐな答えしか出てこないのです。そこでこれは時間がありませんので資料で要求をいたしますから、小学校一年から六年までと、中学校一年から三年までの合わしたそれぞれの金を、厚生省は厚生省で資料として出していただきたいと思うのです。そうしないとこれは議論にならないのですよ。子供が同じ教室の中で教育を受けるのですからね。だからそういう点もう少しきちっと、質問をはぐらかさぬようにしてもらいたいと思うのです。 そこで、今の問題にちょっと関連して、炭鉱地帯で、今小学校、中学校の学童が炭鉱閉山のために転校が非常に多くなってきた。転校をするとどういうところに問題が出るかというと、教科書代です。転校するものですから、教科書が変わってしまう。そうしますと、御存じの通り産炭地の学校においては、たとえば私の調査したところのある学校では、千二百人の学童がおりますと、そのうちの六百人は生活保護と準要保護児童です。従ってそれらが転校をすると、その使っておった学校の教科書と別なものを今度父兄が買うことになる。子供は三人もおる。この場合に、この教科書代を何とかしてやらなければ大へんだという問題が起こってきたわけです。これは小さいことのようですけれども、三人も四人も小学校、中学校に行っているという家庭では大へんな負担になっておるわけです。政府はいろいろ就職促進手当とかなんとかいうことをやっておりますけれども、今これが一つの盲点になっておるわけです。これは当然文部行政なり——まあ生活保護の場合は厚生省がみなすぐ見てくれる。ところが準要保護児童にはこういうところを見る政策がないのです。そこで今度五%から七%に拡大をしたその中で、こういう教科書が変わった場合には順当に見てくれるかどうかということを明白にしておいていただきたいと思う。
○福田政府委員 根本には大体同じ教科書をある程度広域に使ってもらうということが必要な条件でございますけれども、現状におきましてはおっしゃるような事情もあろうかと思います。直ちに今ここで支給するというようにはお答え申し上げられませんが、十分検討してみたいと思います。
○滝井分科員 ぜひ一つそうしていただきたい。 もう二、三問お願いしたいのですが、第三問のいわゆるミルク給食です。今回文部省は全く思いがけなく義務教育諸学校にミルク給食助成のための四十億の金をもらうことになったわけです。この四十億のミルク助成の金を一体どういう工合にお使いになるのか、その具体的な構想を荒木文部大臣から一つ御説明願いたいと思うのです。
○荒木国務大臣 具体的に申し上げねばならぬと思いますから、政府委員からお答え申し上げます。
○前田(充)政府委員 今のお話でございますが、全体で四十億、そのうち約三十四億をミルク代にいたしまして、そのほかの約六億を設備費にいたした い、そういうように考えております。
○滝井分科員 そうしますと、問題はこういうところに出てくるわけです。現在御存じの通り給食をやっている学校というものは、全部やっておるわけじゃないのですね。主として都市に集中しているわけです。農村地帯は給食をやっておりません。多分六割ちょっと、よく見積もって七割ぐらいの小学校が給食をやっている。あとの三割ちょっとはやっていないわけです。そうしますと、四十億のお金を、今あなたは三十四億をミルク代に持っていって、六億は設備費だと、こうおっしゃるけれども、やっておる学校とやっていない学校との調整を一体どうするかということです。やっていないところは設備をつくり、それから混合するミキサーも要ります。給食のコップその他も要るわけですね。いろいろなものが出てくるわけです。それからもう一つ大事な点は、今までこういうものを実際予定してなくて、今度突如として出てきたわけですから、人間が要るわけです。こういうものの経費を一体どうするのか、もう少し詳細に御説明願いたいと思います。
○前田(充)政府委員 設備費と申しますのは、ただいまお話のございましたミキサーとかコップとか、そういうようなものでございまして、八万七千円の半額を補助する、そういう考え方で考えております。
○滝井分科員 八万七千円の半分を補助する。そうすると、自治体側が四万何がしを出してミキサーその他を買わなければならぬが、同時に今度かまを据えたり何かしなければならぬ。そういう経費は一体どうするんですか。それから人間はどうするんですか。何千人という子供をやるのですから、千人とか千五百人の子供にミルクを飲ませるだけだって簡単な設備じゃできない。大きなかまを据えてやらなければならぬ。それから保健所の検査を通った調理人というのですか、給食のおばさんたちを置かなければいかぬ。そういう人件費をどうするんですか。
○前田(充)政府委員 完全給食の場合は調理人というものを交付税で見ておるのでございますが、ミルク給食だけについては、おかまももちろん要るわけでございますが、これは従来場合によればお茶をわかすかまを利用するということもございますが、また新しくつくった方がいいということで、おつくりになる場合もあるだろう。こういうものについては、一応私どもとしては町村にお願いしたい、かように考えておるわけであります。
○滝井分科員 それはどうも大へんな認識不足ですよ。あなたも御存じの通り、私は昨年も給食の問題はやったのですが、今給食ができていない地域は一体どういう地域かということです。これはみんな貧しい、給食を最も必要とする地帯ができてないんです。そのできていない地域に今度ようやくユニセフで四十億の脱脂粉乳がいってやることになるわけでしょう。そうすると、これをやることになるのだけれども、無料じゃないんです。これはあとで尋ねますけれども、やはり金が要るんでしょう。そうすると、その設備を貧しい自治体が今度はつくらなければならぬ。そうすると、ミキサーとかなんとか買う四万円くらいの金なら何とかなる、しかし設備をして今度は人間を入れなければならぬ。あなたはお茶をわかすかまでやると言うが、そんなことでは保健所は許さぬです。当然千人も千五百人もやるのだから、まさか学校の女子の先生にやらすわけにいかぬでしょう。当然何人かを配置しなければ、毎日々々昼やるのですから、できるはずがないです。もう少しそこらあたりがはっきりしないことには、予算審議できぬじゃないですか。
○前田(充)政府委員 ただいまの人件費のことにつきましては、今回小学校につきましては九百人規模で三・五人、中学校については七百五十人規模で一人で交付税の方で積算をしていきたいと思います。
○滝井分科員 そうしますと、小学校は九百人単位で三・五人と七百五十人単位で一人ということになりますと、中学校は一体どうするかという問題が一つ、それから一体交付税下、どの程度これを見てくれるかということです。文部省は何もかも交付税々々々と言うけれども、そんなに交付税ばかりで、さいぜん言うように一般財源だから簡単にいかぬですよ。幾らですか、交付税は。それから中学校はどうなりますか。
○前田(充)政府委員 中学校はただいま申し上げました七百五十人規模で一人でございます。その金額を申し上げますと、十六万八千五百二十七円、そういうことになっております。
○滝井分科員 そうすると、小学校と中学校に、今あなたのおっしゃるような三・五人、一人の人間の配置ができると、その総額は一体幾ら交付税で見ておりますか。
○前田(充)政府委員 総額で、小学校は八十一億円、中学校は十八億円であります。
○滝井分科員 そうすると、約九十九億円、これは認められておることになったわけです。そうすると、四十億のお金で、三十四億のミルクと六億の設備費、九十九億の人件費、これでまかなっていくことになるわけです。その場合に、予算書を見ますと、小学校が二十六グラム、中学校が三十五グラムの、脱脂粉乳を、今あなたの言われるように、お茶か何かをわかすかまで水で溶いて飲ませることになるのでしょうが、一体児童は幾ら負担することになるのです。
○前田(充)政府委員 小学校につきましては一回六十一銭、中学校につきましては八十二銭ということになります。
○滝井分科員 月にすると……。
○前田(充)政府委員 月によって違いますが、一応二十回といたしますれば、十二、三円です。
○滝井分科員 そうすると、子供が月に十二、三円納めることになるわけですね。
○前田(充)政府委員 さようでございます。 〔「何だ、金をとるのか」と呼ぶ者あり〕
○滝井分科員 小学校は十二、三円、中学校は二十五日とすると、二十円前後になるわけですが、これらのものは当無準要保証児童等は全部国が見てくれることになるのでしょうね。
○前田(充)政府委員 学校給食におきましての準要保護は、従来、完全給食に対しまして、準要保護の取り扱いをいたしております。従来とも一部ミルク給食だけをやっておる学校があったわけでありますが、これについては準要保護の補助をしておりませんでした。従って、本件につきましては従来の方法を一応踏襲いたして参っております。
○滝井分科員 荒木さん、今お聞きの通りなんです。人間は食いもののことが一番大事なのです。私、今度調べてみましたところが、今学校では、ミルクだけをやっておるのは応急給食というのです。完全給食、応急給食、こう言っておる。応急給食のところでも、特に産炭地においては相当滞納ができておる。これは準要保護児童ですね。この準要保護児童について、今のように金をとることになる。そうすると、金を持ってこなければ一体どうなるか。金を持ってきた子供の分を食うことになる。私はかつてPTAのときに、当時ララ物資があった。それがある間は何ぼかそれでまかなっておったが、だんだん金を持ってこない子供が多くなって、ミルクを薄くせざるを得ない、カロリーを落とさざるを得ない。だからわずかですから、四十億の金を出して、今度はミルクだけは無料で飲ませようと宣伝をしたわけです。ところが、あにはからんや、うしろの委員の言うように、何だ、金をとるのか、あれは無料だと思っておったという。準要保護児童について金をとるということでは、改革にならぬと思います。そう大きな額ではないのですから、大臣、どうですか、この点くらいは思い切って、準要保護児童については国が二分の一負担しよう、自治体も二分の一負担しなさい、こういう政策をとるべきだと思いますが、ここだけ例外というのはおかしいじゃないですか。
○前田(充)政府委員 ただいまのお話のような問題は、確かにないわけではありませんが、一応私どもの従来の考え方から申しますと、金額から申しまして、ただいまもお話しのような十数円ということでございますので、従来からミルクだけについては出さないという方針できましたので、本年はとりあえずそういう方針でやったわけでございます。しかし、今お話しのような点で非常に問題があるということならば、将来については私どもは研究いたさなければならないと考えております。
○滝井分科員 将来じゃだめですよ。それじゃまるっきりあなた方の政策は、格差を子供らの中にもつくることになる。完全給食をやっているところの子供については、完全給食という非常にいい恩典を受けているにもかかわらず、そこの準要保証児童については、国が見てやりましょう、こういうことだ。ところがミルクだけしか飲ましてもらえない、わずかに二十六グラムのミルクを水に溶かして飲ましてくれる。それも予算に入っておらぬ。準要保護児童については見てやらないんだということでは、ますます格差をつけられるんです。薄いミルクを飲まされて金まで取られる。片一方は濃厚な栄養をもらって、これを無料でくれる。こんなばかな教育政策はないですよ。これは典型的な池田内閣の教育政策ですよ。こういうことにさえ金が出なければ、われわれはこれはストップですよ。荒木さん、ここで言明できないのですか。そんなばかなことはないですよ。
○荒木国務大臣 完全給食でない場合の、ミルク給食だけのときに、準要保護児童に国があるいは公共企業体ともども見るということが当然だと思います。当然であることが、今事務当局に聞きましても、手落ちで、そうでないようであります。なるべくすみやかに是正しなければならぬと思います。
○滝井分科員 すみやかといっても、今年度の予算、これをやらなければストップですよ。第一、一体四十億が何のために出てきたかということです。これはわれわれ社会党で参議院の選挙のときに、厚生関係で妊産婦と子供にミルクを無料で飲ませようという政策を出した。ところが自民党の方でも、これは大へんだということで、賀屋さんが中心になって何とかしなければならぬと言っておった。そのうちに、これはやはり学童の給食が大事だというので、四十億学童の給食に持っていった。いわば米代が上がったための低所得階層に対する減税政策のかわりとしてこれは持ってきたのですよ。ところが、それを時っていった政策を、今度は、ボーダー・ラインにおける子供のためには、ミルクは飲ませるけれども金は取るんだというんじゃ、これは何ということないですよ。そもそもの成り立ちからおかしいですよ。僕はこういうことは文部省が抜けておると思うのですよ。だから、これはわずかな金ですから、文部省の予備費からでも何でも回してやるという言明をいただかなければ私は承知できないですよ。荒木さん、あなたは政治力があるんだから、このくらい、金はわずかしか要らないのですよ。
○荒木国務大臣 ただいま御指摘のことについてはまさしく手落ちであると思います。何とかして手落ちを補う措置を考えたいと思います。
○滝井分科員 それでけっこうです。ぜひ一つ政治責任において考えていただきたいと思います。しからば、これきりで終わりますが、実施の時期は一体いつですか。
○前田(充)政府委員 実施の時期につきましては、完全給食の場合は従来ともずっとやっておるわけでございます。従いまして四月から直ちに全部実施いたす予定でございます。それから、従来やってない学校につきましては、これはただいまの設備等の補助もいたさなければならないわけでございますので、そういうのと見合いまして、できるだけ早くやりたい、かように考えております。従って、できる学校についてはおそらく四月からできるのではないか。また非常に遠隔の地等で設備等を置いたり買ったり、そういうことに時間がかかる学校は、幾分おくれるのじゃないか。まあ私ども平均して六月見当ではなかろうか、そういうふうに考えております。
○滝井分科員 主査、ありがとうございました。これでけっこうです。
○今松主査 加藤清二君。みな適切なる御質問で時間の制限はしたくありませんが、どうぞ一つ簡潔に、答弁する方も簡潔にお答え願います。
○加藤(清)分科員 今松主査の言に協力するために、私は簡単に質問いたします。ただし、答弁のいかんによるわけでございまするから、一つさようお願いしておきます。 まず賞勲部の方に承りますが、あなたの方で行なっておられまする賞勲行政、そのうち、どんな勲章がどんな目的でどういう人に渡されておるかということをまず最初に聞きたい。
○岩倉政府委員 現在勲章の種類は、勲一等から八等までの旭日章、それから瑞宝章、それから女性にのみ賜わります宝冠章、これらは一等から八等までの勲章であります。その上に最高勲章としては菊花章という勲章がございます。それから単一級の勲章で文化勲章、それだけが現在の勲章の種類でございますが、そのほかに賞勲行政といたしましては、各種の褒章が勲章のほかにございます。その勲章でございますが、昭和二十一年の五月の閣議決定によりまして、生存者に対しましては文化勲章を原則といたしまして、ほかの旭日章、瑞宝章は死没の際にのみ授与されております。ただ、外国人、それか皇族は生存者にも贈られております。
○加藤(清)分科員 その中の文化勲章と菊花章の予算は。
○岩倉政府委員 文化勲章は毎年五個ないし六個、昨年は五個だったと思いますが、授与されておりますので、それに要する経費が計上されております。
○加藤(清)分科員 予算がわからなければ、先ほどお尋ねした、何の目的でどんな人に渡されているかという点を……。予算は、あとで、私が質問しておる間に出して下さい。
○岩倉政府委員 「文化勲章ハ文化ノ発達ニ関シ勲章卓絶ナル者ニ之ヲ賜フ」ということが昭和十二年の勅令第九号に規定されております。
○加藤(清)分科員 菊花章は。——それもあとで答えて下さい。ほんとうは答えの出るまで動かぬと言いたいところですけれども、時間がありませんから……。 ナポレオンは、勲章はおとなの玩具である、こう言った部下に対して、しかしやがて諸君はこの玩具によって支配されるであろう、こう言ったそうでございます。勲章をもらうことも大切でございまするけれども、その原因をつくることの方が私はより大切だと思うのでございます。勲章をもらう原因をつくることに喜びを感ずる気持がより大切ではないかと思うわけでございまするが、文部大臣の所見を承りたい。
○荒木国務大臣 御趣旨よくわかります。お説の通りだと思います。
○加藤(清)分科員 ところが勲章には、その原因を奨励する意味がございます。と同時に、人にこれを誇示したい、またその勲章によってやがて自分の地位をより高くしてみたいという結果的な要素があるわけなんです。そこで、小人にこれを与えまするというと、結局は形骸、結果のみを辿って、その結果を得る手段を選ばなくなってしまう。ここに犯罪が発生し、不道徳が発生すると思うわけです。(「論語みたいだ」と呼ぶ者あり)すなわち、ナポレオンが言うところの、玩具に支配される人間ができてしまう、こういうことなんです。それが論語だけで終われば事は簡単ですけれども、現在そのことが事実行なわれているとしたならば、これはゆゆしき問題であると思うわけでございます。そこで先般私は予算委員会において、この質問をちょっとしたわけでございます。総理も文相もともに明快なる御答弁をいただいたわけでございます。直ちに綱紀粛正の立場から、人づくり、国づくりの立場からも、これは粛正さるべきである、そうしてそれを総理も、文部省当局をしてやらせる、こう言うておられるわけでございます。そこで、その後の状況、これを一つ文部大臣に承りたい。
○荒木国務大臣 先日の御質問に対しまして、仰せの通りの趣旨のお答えをしたと存じます。そこで、御質問は二月四日の予算委員会だったと存じますが、お話のありました日本芸術院の選挙にからむ運動につきまして、二月十三日に開催されました芸術院部長会議の際に、社会教育局長を差し向けまして、お話の趣旨も御披露しながら、院長並びに名部長にお話の点を伝えましたが、芸術院側からの話としましては、多額の金員等が選挙運動のために使われているということはないという回答でございました。
○加藤(清)分科員 当然公式の席ではそう答えなければならぬ問題でございましょう。しかし、このいわゆる芸術院賞あるいは菊花賞等々の選定の問題、あるいはそれを選ぶ人の人選の問題等等から、遺憾なことに勲章が売買されている。特にまた与えられる人が、いうなれば平家にのみ与えられ、平家一族の繁栄のために与えられるということが行なわれているわけでございます。そこで、あなたの方はないとおっしゃるならば、私は証拠を見せなければならぬわけでございます。私も予算委員会で、申し上げる以上は、決して根も葉もないことを言うておるわけではございません。私のところへは、具体的に投書もきております。このように。これは一例を持ってきたわけなんですけれども。それから本人みずからがやってきまして、こういうことがある、こういうことがあるというなのもありまするし、またわが党の政綱会の方へも、書類でもっていろいろ連絡がございます。それ等を集約いたしてみますると、芸術院会員になる場合、芸術院賞をいただく場合、これはわれわれ議員の立場から言いますると、わかりやすく言えば、全く選挙違反ものでございます。訴えなり、あるいは投書なり、それを私は全部が全部額面通り受け取るものではございません。しかし火のないところに煙は立たない。従って、それを要約してみますると、今のように、選挙の場合は全く選挙違反ものである。それがまた悪循環をきわめて、次には、その結果、平家にあらざる者は人にあらずという一族の関係をあれするために、有名展の中に日展作家が少ない、こういう結果も現われてきております。それから、だれでも認めるようなよい作家が芸術院会員になっていない。また勲章の与えられた結果から見ますると、これは経済界に例をとってみても、全く独禁法違反ものである、こういうことが言えるわけでございます。 そこで、あなたはほんとうにないということを信じていらっしゃるのか、あるいは私の言うことがつくりごとであり、デマであり、そんなことはない、こうお考えでございましょうか。あなたの答弁いかんによって私の質問が変わっていくわけでございます。
○荒木国務大臣 どうもデリケートな問題だと思いますが、いやしくも加藤さんが国会の正式の場においておっしゃる以上、お話しの通り、御自分としては少なくとも信憑性のある材料に基づいて言っておられるに違いない、こう思います。ただ、実際問題といたしますと、かりに私がおっしゃる通りであると考えたといたしましても、お答えしましたように、望ましいことではないはずですから、善処せねばならない責任はむろん感じますが、その責任を果す実際のやり方としますと、直ちに検察当局みたような権限があるわけじゃなし、立場でもございませんので、現場に乗り込んで行ってほじくり回すということは事実上できません。建前が、各部会の所属員の選挙によって推薦された者を芸術院長が推薦いたしました者に基づいて文部大臣が任命の手続をする、そういう建前であることは御案内の通りでありまして、いわばこれは大学の人事的な自主性を尊重されておる建前でございますから、先刻お答え申し上げましたように、御指摘の趣旨を、部会に所管局長を差し向けて、参考までにそのことを話して、そして望むところは、芸術院それ自体としての良識に訴えて、自主的に、もしそういうことでありせば、今後に向かってなからしむる努力をしてほしい、そういう期待をもって所管局長を差し向けて注意を喚起したわけであります。良識ある人々であるはずですから、そのことを通じて、今後に向かっては、あるとすれば自粛されるだろう。あるなしをここで私がどう思うかということの言明は、それ自体確実な根拠を私自身持つわけではございませんので、言いかねますけれども、もしありとすれば、自粛してほしいという注意を喚起することにこの際としてはとどめて、今後の推移、現われ方を注視するというのが、今として私どものなすべき事柄ではないか、かように思っております。
○加藤(清)分科員 予算委員会の議場で今後それが粛正されるよう努力すると言うていらっしゃったことを、大臣はすでにある程度実行に移されたわけです。しかし、今後において相手の自主性にまかせておいてはたしてこれがあなたの期待通り粛正されるいなやということでございまするが、私は、ただ相手の自主性に待つだけでありとするならば、長年にわたってつくり来たられたところの伏魔殿的存在は、決して一朝一夕に直るものでないと思います。なぜかならば、そういうことがございましたればこそ、先般日展の改組ということが行なわれたわけでございます。しかし、その日展が改組される以前の工芸部門の岩田さんその他は責任を負うて退陣されましたけれども、それ以後、人はかわりましたけれども、やはりまた同じようなことが繰り返されている。高津正道君がわが党の実態調査に基づいて委員会でいろいろ質問しました。その結果、日展は改組になりました。これは御存じの通りであります。ところが、人がかわっただけであって、行なわれている内容は大同小異なことが今日なお行なわれている。こういう実態でございます。司直の手に待つというようなことは、これはやはり避けなければならぬことであると思うのです。そこで、今後に向かって大臣としてはどのような措置をおとりになろうとしているか、そのことについてお尋ねいたします。
○荒木国務大臣 ただいまとしましては、今お答えした通りのことに期待し、今後の推移を見守る、そしてさらに改まらないということがあるならば、その上でまた考えねばなるまい、かように思います。考えると申しましても、具体案がむろんあるわけじゃございませんけれども、たとえば文化財の価値判断については文化財保護委員という者がおって、それぞれ独立して職権を行なうという建前で、第三者的な、しかも客観的な立場において価値判断をしてくれるであろうという制度が別個にあるわけですから、そういうふうな構想が必要であるかどうか。少なくとも、さしむき部会の選挙に基づいて推薦するというこの選挙制度それ自体、選挙法があるわけでもございませんし、良識にまかされておると思いますが、選挙という形がいいかどうか、政令の再検討という課題にも及んでこようかと思いますが、これはしかし、今お尋ねに応じて思いつきで申し上げておりまして、そのこと自体ももっと事務当局で検討してもらわなければ、正式には申し上げ得る段階ではむろんございません。今申し上げるように、おそらくは芸術院会員たる者、良識者であるはずですから、いわば正式に所管局長が出かけまして注意を喚起したことを契機として、十分に自粛の考慮を払われるであろう、そのことに当面は期待したいと思うわけであります。
○加藤(清)分科員 私は今芸術院及びそれと大同小異の相似形の日展、このことについてお尋ねをいたしているわけでございます。文化財保護の関係は、これは永仁の壺は私の郷里でできたのですから、あれ以前からあれはにせものであるということは万々百もしろうとでもみな知っておることなんです。それを文部省はあれが正しいものであるという御認定をかってなさったことがある。しかしそれはきょう論じておることではございませんけれども、つまり文部省は間々そういう間違いをおやりになる、こういうわけなんです。このたびは間違いなからしめるために芸術院と日展のことについてお尋ねをしているわけでございます。 さて、私は、この問題について大臣の認識を新たにしていただくために、わが党の政策審議会や私の手元で調査をいたしましたところのアウトラインと申しましょうか、それをちょっとピックアップして申し上げてみたいと存じます。大臣御承知の通り、芸術院会員は、あなたの調査によって私いただいたのがございまするが、これは大体百二十名ばかりで組織されているわけですね。足らないときに補うというわけなんです。ところが、その第一部、美術という方は、日本画それから洋価、彫刻、工芸、書、建築、こうなっているわけでございますね。ところが日展の方には建築というものだけがないわけなんです。で、大同小異。それからこの表でごらんになってもおわかりの通り、芸術院会員の肩書きを見ますると、これはほとんどが日展の顧問、理事、常任理事、審査員、審査主任等等になり、日展の運営あるいは入選、特選、菊花賞、文部大臣賞、こういうものを選定する任に当たっているわけなんです。目下のところ七名欠けているようでございまするけれども、従って日展関係からいきますると、五十五名中三名引かれますから五十二名いらっしゃる。そのうち日展に関係していらっしゃらない人は七名いらっしゃるだけなんです。そこで、私が申し上げたことは、これは間違いないですね、今までのところはあなたの方の書類ですからね。——この芸術院会員が欠けた場合に、予算委員会の総括質問においてあなたは互選するとおっしゃいましたが、これは互選でなくて、欠けた場合、推薦を受けて候補者になって欠けたところを埋めるための員数、これを総投票できめる、こういうことになっておるようです。この組織はアメリカ軍が占領中につくられたもののようでございます。さて、その新しく欠けたところを埋める場合の選挙に、相手が員数が六十名で少ない。しかしそれは全部投票をいただかなければならない。六十名で少ないがゆえにお参りが行なえるわけです。選挙が小さい場合においてこそ買収がよけい行なわれるということは、あなたも専門家ですからようおわかりの通りでございます。まず、候補者になるには、どうしても日本画なら日本画、洋画なら洋画の推薦を受けなければならない。ところが、これも人数が少ないから、ここにそれぞれのボスがついついできてしまって、そしてそれが推薦の、つまり候補者選定の実権を握ってしまう。まず候補になるのに相当の金額が要る。われわれは供託金というものを取られるわけでございまするが、供託金程度のものではない、それに数倍する金が要る。その上、候補者にしてもらうと、今度この六十人のうちを戸別訪問をして歩かなければならない。そのためには、先般私申し上げましたけれども、京都へ行きますと案内役専門の自動車屋があって、お参りをいたしますおりに六十名に対して相当の金額が配られますので、全体では候補者の使う金は一当五落といわれていたわけです。一千万円ならば当選、五百万円では落選。しかし値上がりの結果は今や一落二当、こういう言葉がすでに横行している。これは事実なんです。これについてあなたは一応芸術院の方の言葉を信用なさるでしょう。私どもの手元へはそのことがわんさと来ているわけです。このことはもうすでに新聞雑誌にも出ている。芸術新潮にも週刊サンケイにも、それから去年の年末には、名前をあげて言いましょう、野村正一という芸術家が各戸にパンフレットを配っております。それから他の小さい芸術新聞——小さいと言っては失礼でございますけれども、それなどは常識になっている。ただ知らぬのは亭主ばかり、こういうことなんです。そういう格好で行なわれますがゆえに、今度そこで選定されます芸術院賞、これがまた同じようなスタイルで買収行為が白昼堂々行なわれ、個別訪問が堂々行なわれている。もしそれをしなければてんで問題にならない。つまり芸術院会員にもなれないし、芸術院賞ももらえないというのが定石になっている。信憑性を持たせるために私申し上げますが、去年のごときは京都において——ここに入っておる人ですが、あえて名前だけは遠慮しておきましょう、その人がパーティを開かれました。しかしおみやげつきのものすごいパーティで、とてもじゃないが芸術家ではできないだろうということで、これが注目の的になり、調べる人が出て参りまして調べてみると、Mという大きな日本で指おりの会社がスポンサーになっておったということまではっきりしているわけでございます。その結果は、当然他の人が院賞になるであろうと万人が認めていたが、それがオミットを食わされてしまって、そちらのスポンサーつきの方が入選してしまった、こういう事実もあるわけでございます。これについてあなたはどう思われますか。
○齋藤(正)政府委員 大臣のお答えの前に、芸術院会員の選考並びに院賞の候補者の選考について、手続についてちょっと御説明申し上げます。
○加藤(清)分科員 私の質問しないことに答えてもらうと私の時間がきまっておるのですから。手続なんかこっちは百も承知ですよ。どうぞけっこうです。
○荒木国務大臣 どう思われるかというお尋ねでございますが、予算委員会でのお尋ねに対してお答え申した通りに思います。
○加藤(清)分科員 そこで、もう一つこのことを裏書きするような問題がすでに世間で行なわれております。こちらの方は名前をあげても差しさわりがございませんから名前をあげていきます。つまりいや気がさしてしまった、こういう格好では芸術を冒涜するものであるから、私はそんな仲間へ入りたくない、こういうことで、芸術院会員を受ける資格が当然ありながらこれを断わった有名画家がございます。さきに横山大観さん、現役では安井曾太郎さん、梅原竜三郎さん、坂本繁二郎さん。それからわずらわしさをのがれて外国に楽園を求めた人たちがおられます。御存じの通りの猪熊弦一郎さん、藤田嗣治さん、荻須高徳さん。外国へ行くというところまでしないが、いわゆる野に下って——今朝野という言葉は芸術界にはないはずですけれども、今そういう言葉が使われておる。野に下って、実力では在野のキャップとなった人は宮本三郎さん、向井潤吉さん、林武さん、こういうふうにあるわけです。ところが今度国民の方から一体だれの絵が高く評価されておるかというと、林武さんのごときは、美術を口にする者はだれでも指さすところなんです。そこでこの人などはお参りをせぬでもオール推薦という格好で、この人だけはつい先般芸術院会員になられたわけです。それはもう周囲が承知しなくなってきたわけです。この人を入れぬことには芸術院が疑われるということで。この結果、日展は決してオール・スター・キャストではない。そこで外国展などに選ばれる場合には在野の人の方が多い。特にまた投書によるまでもなくでございますが、日展の値打がいろいろ評価されることになり、民間で行なっているところの展覧会の方が権威を持たれる結果が生じてきているわけです。すなわち毎日新聞の委嘱によって行なわれております現代美術展、それから朝日の秀作展、それから日本人から選ばれて海外で行なわれるビエンナーレの展覧会等々、これに出される人の方が優秀ではないか、こういうことを今や言われるようになってきた。それで、文部省がある程度予算を与え、ほうびや勲章まで与えて育てているはずの日展や芸術院の方の権威がだんだん失われて、新聞社等々が独自で行なっている展覧会の方がすぐれた作品が集まり、すぐれた高潔な人種の作が集まる、こういうことになって参りますと、これは大へんなことだと思うのですが、大臣の御見解を承りたい。
○荒木国務大臣 御指摘のごとくんば、日展は自殺行為をしておるようなことだと思います。話は飛びますが、形式的に申せば、芸術院の方は文部省付置機関として、芸術院会員は実質上の公務員であると言えると思いますが、日展の方は財団法人で、直接的に文部省が具体的な指示を与えることはできないわけでございますので、どうでもいいというわけではむろんございませんけれども、お説のごとくんばみずから自殺行為的なことをしておるがゆえに、純粋の財団法人にあらざる、たとえば新聞社主催その他の純然たる民間企画の方に権威が移りつつあるという御指摘でありますが、それはそれなりに非常にけっこうだと思います。それがくやしければ日展はもっと本気になったらどうかということだろうと思います。それくらいの良識は日展の会員たる者一つ良識をふるい起こされたらどうかという示唆を与える意味においても、加藤さんのお話は非常に意義があろうかと思って拝聴しております。芸術院の方は、形式的な立場から申すようですけれども、御指摘のようなことありせば望ましくないことであることは言わずもがなのことでございますから、機会あるごとに自粛、自戒、権威を高める努力をしてもらうように接触を保ちたいと思います。
○加藤(清)分科員 第三者であれば、悪い者が滅びてよき者の方へ権威が移るのはけっこうなことである、これでいいわけなんですけれども、少なくとも文部省にはそれを指導、育成、強化するところの課が設けられ、国家の予算が使われているわけでございます。なおまた、日展は文部省から独立をして民間の運営に移されたとはいうものの、この運営者は、すなわち、先ほど文部省の資料でもおわかりの通り、芸術院会員がほとんどここを牛耳っておる、この事実を忘れることはできないと思うのです。従って文部大臣としては行政的に何らかの措置を考えられるべきではないかと私は思うのでございます。 そこで芸術院が日展に及ぼす影響の一部をかいつまんで申し上げますと、上つ方がそういうことに相なっている。従ってこの人たちは金が要るわけなんです。芸術院会員になる者はお参りばかりやるのですけれども、なってしまうととたんにさきの金を取り返さなければならない。それを下に下にと向かっていくわけなんです。日展にあなたのお出しになる文部大臣賞、文部大臣といえば権威がある。そこでみんながこれをほしがる。それからあなたのところで出される菊花賞、これは別でありましょうが、同じ名前がついておる。これなどをほしいがためにみんなそれぞれの行為をするわけです。もちろん特選であるとか、あるいは入選にまでこのことが及んでいるわけでa。そこで入選をするにはまたここへ出品する出品者が審査員のところへお参りをしなければならない、こういうことになるわけです。なぜ審査員のところにお参りしなければならぬかというと、芸術院会員がキャップで握っていて、これが常任理事とか理事として運営をつかさどっておるのですから、この人たちが日展の順番制の審査員を選ぶのでございますから、選ぶときにするわけです。そこで今度は、審査員になった人が今度参加する人からまたもらう、こういうことになるわけです。この相場が、部によって違うのですが、五万円とか、十万円とか、時には百万円、特に芸術院賞のごときは最低五百万は必要である。まず一千万級のものがなければこれはあきらめた方がよろしいということになっているわけでございます。文部省が、直接監督ではないけれども、そのように間接的に関係を生じ、特にあなたが出していらっしゃる文部大臣賞がそのような行為によって、言うなれば買収によって与えられているということになると、これはゆゆしい問題だと思いますが、それでもあなたはよろしゅうございますか。
○荒木国務大臣 お話のようであるとすれば、文部大臣賞も実質上の意味はなくなると思います。遺憾なことだと思います。
○加藤(清)分科員 遺憾の意を表されますが、あなたはその最高の責任者ですからね。私は賞勲局天野総裁のように腹切れなんというやぼなことは言いませんが、これは遺憾の意だけでは足りないし、それでは事はよくならないと思う。従って何らかの具体的な措置を考えられるべきであると存じますが、お考えを承りたい。
○荒木国務大臣 遺憾の意を表するだけで済まないことは私も承知いたします。そこでさしより具体的な措置としましては、先刻御披露しましたことで着手いたしまして、今後も同じ気持を持ち続けながら、芸術院というものの日本にいわばただ一つある国家的な機関としての権威を保持すべき責任がそれ自身にあるはずでございますから、存在の意義あらしめるような、権威を失墜しないような方向へ、今後何をなすべきかということを考えながら善処して参りたいと思います。
○加藤(清)分科員 文化、芸術の象徴とも思われるりっぱな人たちのお集まりのはずなんです。従って自主性にまかしておけばいいというものの、私があえてここへこんな問題をひっさげてこなければならぬということは、すでにこれは日展改組のときに本委員会において何回か討議され、そこで自粛するということで改組になったはずでございます。にもかかわらずそれが依然として行なわれておるというところに問題があり、そこに私が再びここで発言をしなければならぬという現実があるわけなんです。そこで問題は私のところへどんどん来て、これを処理するのに党としてもほんとうに困る。だからすべてのグループ、すべての業界といいましょうか、世界にあるようなクレームの処理機関というもの、せめてこれをつくるということぐらいは考えてもよろしいではないか。またもし万一これが続いていくとするならば、官展から文展、文展から日展となり、今や民間に移ったものの、これは過去の長い歴史の間文部省が育ててきたところの日展でございます。参観者も三十数万人もあるわけなんです。とにかく入場者を集める力においてはまだまだ日本一なんです。これが及ぼす影響は大きいわけなんです。そこでせめてこの賞をきめる場合に、何とか考え方はないものか。私は同じような系統の別な賞をずっと調べてみたのです。そうしますと、ありますですね。たとえば朝日文化賞、毎日文化賞、読売文化賞、新聞社はそれぞれの立場において功績のあった人、りっぱな作品をつくった人、こういう人にそれを差し上げていらっしゃいます。これはどういうことか。候補者もなければ、お参りも行なわれていない。全くもらった人が寝耳に水というわけなんです。こんなありがたいことはない、こういうことなんです。この選び方の方が正しいではないか。スポーツのランキングをきめるにも、あるいはお相撲もかつてはいろいろ問題がありましたが、改組されて以来、この賞は担当の新聞社のベテランの総投票によってきめるということでございますので、御承知の通り敗闘賞、技能賞の候補者になった、それがお参りをしたなんという例は一つもない。あれほど旧式な、旧式というよりも古式ゆかしいといいましょうか、やり方をやっているところでも、そんなお参りをして賞をもらうなんということはないわけです。この賞については国民もろともに、その賞をもらった人と賞を選んだ人のあり方を賞賛しているわけなんです。そこで今後美術の面におきましても、こういう新聞社にはそれ専門の評論家もあれば、ベテランもいらっしゃるわけです。これがあまねく広く知っているのですから、その人にゆだねるということの方が正しい結果を生むのではないか。同じ芸術家といえども書道の人が彫刻がわかるか、あるいは工芸部門の人が絵がわかるか、それはわかるにはわかるでございましょうけれども、芸術評論家ほどにはわからない、新聞社ほど調査網を持っていない。従って居ながらにして投票するものですから、作品も見ず、顔も知らない人に投票するのですから、お参りしてきた者にする、どうせお参りしてきた者にするなら金額の多い方にしよう、こういうことになるのは理の当然であると思うのです。この点についてあなたはどう思いますか。
○荒木国務大臣 ごもっともなお話のように伺います。そこで先ほど来申し上げておりますように、今すぐ具体的な考えが浮かぶわけでもございませんが、方向としては、せっかく存在しておる日本第一流の芸術者の集まっておる芸術院と理解される、その芸術院に国民的な信憑性を与え、権威を回復してもらうということのために、推薦、選挙の制度を初めとして、制度の改善によって、御指摘のようなことが真なりせば、そういうことをなくするために役立つ方法は何ぞやということも、今具体例をお話下すったことも参考になると思いますが、そういうこととあわせて検討させていただきたいと思います。
○加藤(清)分科員 それでは、せっかく検討していただきまするならば、もう一つあわせて検討していただきたいことがあるわけなんです。それは、御承知の通り芸術院会員は終身官ですね。そうしてこれは名誉職で勲章ならば動きませんけれども、生きた人間ですから、行政を行なうわけなんです。そこに問題があるわけなんです。日展の方へ手を出して、そうしてそこでいろいろ行政措置を行なうから、そこにいろいろな問題が起きてくる。そこで御承知の通り行政官には必ずこれを査察するとか弾劾をするという制度が何の場合にでもあるわけなんです。マッカーサーさんがこれを終戦後おつくりになったか知りませんけれども、他の部門にはほとんどそれを設けてお帰りになったようですが、この部門だけその点をお忘れになっていらっしゃる。つまり終身官で裁判を行なう権威のために司法は独立しているはずなんです。にもかかわりませず、その独立した司法の裁判官に対しては弾劾裁判所というものが設けられて、より正しく行なわれるべくこちらが援助をしているという形、これが望まほしきことであると私は思う。もし芸術院会員が芸術そのもので、据えものであって動かないという場合はその必要はないと思う。その評価は骨董屋にまかせておけばいい。けれども動いて行政する以上は、会計にも会計検査院がある、同じように監督——では相済まぬかもしれませんから、正しくいくような援助をする機関を設けるべきではないか。そうしないと何度これを繰り返しても、また同じ嘆きを、同じ悔いを残していかなければならぬと思うわけでございます。実力者でいらっしゃって長い間文部大臣の席にいらっしゃる荒木さんでございまするから、何か一つ残されることをおやりになったらいいじゃないか、これなんかは芸術とともに残る最もふさわしい問題だと思うわけなんです。いかがなものですか。
○荒木国務大臣 先ほど来お答えしていることを繰り返して申し上げるほかにないわけでございますが、ただ形式的に申し上げれば、文部省設置法の中に日本芸術院というものの設置を定め、その運営等につきましては政令で定めてその運営をいたしておるわけでございます。さらにまた芸術院みずからが芸術院規則、会則を定める権能を与えられて、そういう線に沿って自主的にやっておるという形でございますが、これらの制度上のことも、先刻触れましたように政令そのものも検討することによって、よりよくなる下地ができるのではなかろうかともちょっと連想いたします。さらにまた、るるお話が出ましたことを総合いたしまして、先刻申した通り、お話のごときいまわしいことがないように、芸術院らしい権威が回復されるようにするにはいかにすればいいか、そういう課題と取っ組んで検討したいと思います。
○岩倉政府委員 さっきの賞勲部の本年度の勲章製造費は三百五十九万円でございまして、そのうちの文化勲章の分は、一個の単価が約一万円と存じますから、五個分の五万円、そういうことになります。 それから菊花章、これは戦後は皇太子殿下と正仁親王に賜ったのと、鳩山一郎さんがなくなられたときにだけ贈られております。菊花章と言われたのは大勲位菊花章のことと思いますが、その三個だけでございます。
○加藤(清)分科員 芸術院会員は、あなたの所管の文化勲章、これにやがて昇格される人をほとんど包含している、ここから選ばれている、こういうことが定石のようでございますね。そうなりますと、最もゆゆしき問題は——この文化勲章をお授けになるのはかしこい、おそれ多いお方です。そのお方が調査するなんということはできるはずのことではない。あなたのところで調査して、最もふさわしい人を推薦するということが、あなたたちの任務であらねばならぬと思う。間違った人を持っていく、買収行為をした人が当選することが間違いであると同じように、間違った人が文化勲章の優位に立つということがあるならば、これはそれを授けていただく天皇にまことに相済まぬことであると私は思うのです。そこであなたたちは、芸術院がこうなっている、日展がこうなっている、日展から芸術院、芸術院会員から文化勲章へ、このコースをどうお思いなさるか。やがてはあなたの責任にもなってくるわけです。もし万一文化勲章受章者にして、さきの天野賞勲局総裁事件と同じような問題が出来したとするならば−私はあえて過去の人を傷つけたくはありませんから、それは言いませんけれども、このような状態であったら、今後において出来しないとは保証できないでしょう。あなたの方ではどうしますか。
○岩倉政府委員 いろいろお話を伺いましたが、文化勲章の選考につきましては、文部省に文化功労者年金法に基づく文化功労者選考審査会がございまして、その委員の方に文化勲章の選考委員を文部大臣が委嘱しておられることと承知しております。そこで審査をされました分を内閣の賞脚部を通じまして閣議にかけて上奏しておる、そのように相なっております。
○加藤(清)分科員 最後に文部大臣にお尋ねします。善処する旨お答えになりましたが、それはいつごろからおやりになるおつもりでございましょうか。
○荒木国務大臣 今も主管局長と私語しておったわけですが、今申し上げたお答えは、加藤さんの御質問に対してお答えをお義理だけで済ますべきものじゃなかろうということも話しておったわけであります。直ちに着手し始めましたけれども、先刻申し上げましたように、よき方向への方向づけを念頭に置いて検討したいということでお答えにしたいと思います。
○加藤(清)分科員 私はこの際、芸術家がよりよき作品をつくるために、安心して研究、制作に専念できるような環境と組織をつくること、正しく、よい作品が正当に認められるような賞典制度を確立すること、これが政治家に与えられたところの使命である、かように存じて本日の質問をしたわけでございます。特に池田総理も私の質問に答えて、人つくり、国づくりの基礎であると言っておられるわけでございます。いわんや綱紀粛正の立場からは文部省をして督励させるというお答えがあったはずでございますから、一つ文部省としても罪を憎むのでなくして、ほんとうに芸術を愛好し、より崇高な芸術作品をつくる、その基礎をつちかうという建前から、御善処方を早急に実施されることを重ねて要望いたしまして、私の質問を終わります。
○今松主査 昼食時でありますが、質問者が非常に多数ありますので、しばらくごしんぼう願いまして、今しばらく質疑を続けさしていただきます。山口鶴男君。
○山口(鶴)分科員 時間がだいぶ経過しておりますから、科学研究開発費に関する、質問はあと回しにいたしまして、義務制の諸学校の教職員定数と、これに関連する地方財政との問題について、一、二お尋ねをいたしたいと思います。 まず大臣にお尋ねをいたしたいと思いますが、本年、小中学校の児童生徒が九十三万人ほど減少するといわれておるわけでありますが、これに伴って、義務制の小中学校の先生に対して首切りというような事態は起きないか、その見通しと大臣の確信について一つお聞かせをいただきたいと思います。
○荒木国務大臣 小中学校の生徒がだんだんと減って参りまして、今の制度のままでありますれば、首切りといいますか、過剰人員が出てくるということになるのは、今お話の通りであります。これよりさき、戦後の生徒急増状態は御承知の通り高校に移った、その以前は小中学校でありました。すし詰め状態が数年続いたわけでありますが、それを解消しますために、五カ年計画で学級定員をせめて五十名にしようという計画を立てまして、三十八年度が最終年度であります。五十名にするための完成年度である三十八年度に今申し上げるような措置をするためには、全国的に見まして数百人でございますが、増員を必要とするという計算に相なるわけでありますしかしながら、各都道府県によって実情が違いますために、そのままの措置だけではオーバーする府県も出てくる。そのことに対しましては、当該都道府県と具体的に相談をいたしまして善処してもらうように今まで話し合いを進めておるのであります。 それが一応表面的な、一般的な事柄でございますが、内容的にもう少し申し上げてみますと、別途義務教育諸学校に事務職員を増加するとか、養護教諭を増加するとか、あるいは僻地学校の定数を再検討するとかいうことも三十八年度新規にあわせ実施いたしまして、そのために数千名の新規要員が要るというわけになりまして、それを今の過剰人員でカバーする。さらには、従来の実績によりますれば、全国では毎年一万人見当の自然退職者がある、それらの計数をプラス、マイナス総合してみますと、よしんば数千人の新規卒業者を義務教育の諸学校に受け入れるといたしましても、なおかつ過剰人員は出てこないという見きわめが一応ついておるわけであります。従って、結論的に申し上げれば、三十八年度に関する限りは実際問題として過剰人員は出てこないということに相なるわけであります。のみならず、先刻も触れましたように、それぞれの都道府県と具体的に打ち合わせをしながら、過剰人員を、首切りを出さない。せっかく優秀な先生が職場におるのに、五十名が学級編制の終着駅ではないのに、目の前に学級再編制をしながらよりよき教育効果を上げたい、上げねばならないという課題がぶら下がっておるのに、形式的に職場から追放するという結果になることはもったいないことだという考え方に立ちまして、三十八年度としては以上申し上げるような考え方で善処いたしたい、かように思っております。
○山口(鶴)分科員 御答弁としては大へんけっこうであると思います。ただ私は、そのような御答弁をされております中の、たとえばこの生徒減に伴うところの減に対しまして、標準法実施によるところの増、あるいは特殊学級、充て指導主事、いろんな数字をあげて、一万人程度の新規採用者をいたしましても、なおかつ首切りは昭和三十八年度においてはない、こういうことを言われております。その増加をいたします要素について、二、一二疑問点をただしてみたいと思うのでa。 大臣御存じだと思うのですが、二分の一国庫負担金の積算には、そういう充て指導主事とかあるいは特殊学級というものを見込めば、実際支出されればそれが都道府県に流れていく、これは事実であります。ところが現実に都道府県が困難をいたしておりますのは、あとの二分の一であるところの、いわゆる交付税、教育費の基準財政需要額がはたして一体どうなるか、これが一番私は問題ではないかと思うのであります。交付税法によれば、教職員数の単位費用の算定に使うところの係数というものは、いわゆる標準法並びにその政令によって計算をされた教職員数をもって充てる、こう書いてあります。といたしますと、私はお尋ねをするのでありますが、この充て指導主事の百五十五人の増、それから特殊学級の増設に伴う九百九十七人の増というのは、一体教育費の基準財政需要額はどういう形で算定をされるのか、このことを一つお答えをいただきたいと思います。
○福田政府委員 特殊学級の教員につきましては、これは教員の定数として計上されるわけでございます。充て指導主事も、これは充て指導主事でございますので、教員の身分をもって主事に充てるものでございます。従って教員の定数としてこれは勘定するということになっております。
○山口(鶴)分科員 そうすると、法で計算した教職員の上に乗せるというのではなくて、その中身だということでしょう。
○福田政府委員 充て指導主事はそういう勘定になります。
○山口(鶴)分科員 特殊学級は基準財政需要額の、標準法並びに政令に伴う計算の上にどういう形で乗っかるのか、法的な根拠を明らかにしてお答えいただきたいと思います。
○福田政府委員 特殊学級につきましては、御承知のように、毎年五月一日現在の学級数によって計算いたしますので、その際に特殊学級の教諭としては当然入ってくるということになっております。
○山口(鶴)分科員 都道府県の基準財政需要額の計算の要素は二つしかないでしょう。教職員数と学校数だけでしょう。かつて学級数という数字をとったことがありますが、今はとっていません。そんな違法な答弁はだめですよ。
○福田政府委員 おっしゃるように教職員数を基礎にするわけでございますが、その教職員数を算定します場合には、実際に学級単位を考えますので、実学級数というものを考えて、現在それを基礎にして教職員数というものを計算しているわけでございます。
○山口(鶴)分科員 確認をしたいと思うのですけれども、自治省が計算する教育費の基準財政需要額の算定にあたっては、学級数については実学級をとる。こういうふうに了解していいのですか。
○福田政府委員 私どもが自治省と相談いたします数は、五月一日現在の実学級数によって出る数字を相談の基礎にいたしております。
○山口(鶴)分科員 確認していいですね。自治省はそういっていませんよ。自治省は標準法並びに政令によって計算をした学級数で押えるといっていますが、文部省の見解では実学級数で完全にやるのだ、こう理解してよろしいのですね。大臣の方からはっきりしたお答えをいただきたいと思います。
○福田政府委員 ただいまお答え申し上げた通りでございます。
○山口(鶴)分科員 それでは次にお尋ねをいたしますが、大臣が御答弁をされました中で、事務職員並びに養護教諭が二千人ふえる、合計四千人ふえる、こういっております。これの基準財政需要額の算定は一体どうするのですか。
○福田政府委員 これは一般の教員と同様にいたしております。
○山口(鶴)分科員 そうしますと二千人を全国でふやすということで、各府県でもってそれぞれ適当にふやしていけば、それは基準財政需要額の算定に入るのだ、こういうことになりますね。
○福田政府委員 お答え申し上げます。 教職員定数の標準をきめます際に、学級の規模に応じまして事務職員あるいは養護教諭を計算いたしております。たとえば養護教諭の場合におきましては、児童総数に千五百分の一を乗ずる。従って千五百人の子供の学校については一人の養護教諭を置く、あるいは事務職員につきましては十八学級以上のものに一人置くというような計算をいたしまして、その範囲において積算をするということになっております。
○山口(鶴)分科員 そうしますと、これは標準法通りの計算でもってやっていくので、あらためて各県でもってふやしたからといって基準財政需要額にするのではない、こういうことですね。そうすると先ほどの御答弁とは非常に違っておかしいと思うのです。先ほどの教職員の場合は実学級で押えるという。そうしますと都道府県はおれのところはすし詰め学級をなくするのだといって、たとえば学級編制において四十五人にする、あるいは四十八人にする。それで学級編制しますね。それでも局長の答弁ではその通り基準財政需要を見るということになるでしょう、そうでaね、教員の場合は。ところが事務職員、養護教諭についてはこれは見ない。こういうのですからね。さらにこれが、特殊学級として私の県ではどんどん見るのですといって、実際に見ていけば、これも実学級として見る、こういうことなのですが、養護教諭と事務職員の場合だけは違うじゃありませんか。矛盾していませんか。
○福田政府委員 事務職員、養護教諭につきましては、今申し上げましたように一定の基準によって置いておるわけでありまして、その際に全般の教員の基礎になるものは実学級数で計算するということを申し上げたわけでございます。従って私が申し上げました養護教諭、事務職員の設置の仕方と、!これは各県によって若干は違いますけれども、矛盾はないと思っております。
○山口(鶴)分科員 繰り返しますが、そうしますと実学級の取り方は、都道府県が自主性を持って四十五名編制あるいは四十八名編制でも、これは特殊学級であっても一切認める、そういうことであろうと思いますから、この点だけは大へんりっぱな答弁だと思ってよく確認をしておきたいと思います。 それでは次にお尋ねをいたしたいと思うのでありますが、標準法にのっとりまして政令がございますね。政令の 一条を見ますと、一の学級に編制する場合は十八人から五十五人まで、二の学級に編制する場合は二十八人から五十三人まで、こう書いてあるわけでありますが、今の局長の御答弁では、この政令は、基準財政需要額の算定には関係がない、要は学級編刑でもってこの政令一条をはずして編制をする都道府県においては、その実学級によって基準財政需要額を見るんだ、こう理解してよろしいわけですね。
○福田政府委員 この政令の一条は、御承知のように不経済学級問題でありますが、この不経済学級の財源措置について関係ないということを申し上げる趣旨でございません。その政令の要求に合ったものにつきましては、当然財政措置は考えなければならないと思うわけでございます。
○山口(鶴)分科員 おかしいじゃないですか。先ほどは実学級でやると言われた。今度は実学級ではないと言うのですが、どっちがほんとうですか。そういう矛盾した答弁はだめですよ。
○福田政府委員 建前は、実学級主義をとっておりますことは先ほど申し上げた通りでございます。ただ法令に合わない場合におきましてはやむを得ませんが、合致する限りにおきましては当然にやるわけでございます。財源措置としては。
○山口(鶴)分科員 今の答弁はおかしいですよ。先ほどは実学級だとはっきり言ったでしょう。今度はどうですか。法令に従ったものについてはやるのであって、そうでないものはだめなんだと言う。それでは第一特殊学級というものがはっきり法令に書いてあるのですか。ないでしょう。どっちだかはっきりして下さいよ。
○福田政府委員 特殊学級につきましては、学校教育法等の規定によりまして当然含まれておるものでございます。
○山口(鶴)分科員 そうしますと、突き詰めて言いますと、法令に適するというのは特殊学級だけで、この小さな一の学級に編制する場合、この学級に編制する場合というのは、これは政令通りでなければ基準財政需要額の算定にはしないのだ、こういうことになるのですか。
○福田政府委員 その問題につきましては、これは補正の問題であろうと思いますが、従来から自治省等と補正の問題について相談をして参っております。従って、私が先ほど申し上げましたように、法令の規定に適合している場合におきましては、これは当然財源措置を行なうという原則は変わらないわけでございます。
○山口(鶴)分科員 だんだん聞いていきますとお答えがあいまいになるので弱るのですが、要は実学級主義なんだ、それは了解してよろしい。これは大へんけっこうです。ところが、一の学級に編制する場合、二の学級に編制する場合のいわゆる政令一条の問題については、これは政令に適合するかどうかということが問題になる。そこで私はお尋ねしますが、どういう学校が政令一条に該当することになるのですか。結局小さな学校でしょう、六学級、七学級というような。いわゆる都会の学校はこれに該当してきません。いわゆる小さい学校がこれの対象になるわけです。小さい学校といったら一体どこにありますか。山間僻地、離島ですよ。そうでしょう。そういうところの学校についてはきびしく政令を該当さしていくということになれば、文部省がいつも口を開ければ僻地教育と言いますけれども、大体僻地の学校がこれに当てはまるということになるじゃないですか。しかも僻地をたくさん持っておる都道府県といえばどうですか。財政的に貧弱な都道府県ですよ。そういう財政的に貧弱な都道府県については財源措置が不十分だという格好になるわけでしょう。そんなことがはたして許されるのですか。この点は一体どうお考えですか。大臣の方から一つお答えをいただきましょう。
○福田政府委員 大臣のお答えになります前に、私からお答えいたします。 もちろん僻地の学校は小規模学校が多いことは御承知の通りでございます。従いまして、この教員定数の問題だけでなくて、一般に僻地の教育の振興のためにはいろいろなことを考えておるわけでございますが、この場合におきましても、いわゆる不経済学級の場合におきまして、従来私どもといたしましては、自治省と相談いたしまして密度補正——態容補正とい書のをやってきております。そういう方法によりまして、できる限りこの小規模学校を持っております市町村が財源に苦しまない、そういう措置を従来からやってきておるわけであります。
○山口(鶴)分科員 そうすると、補正係数でこれは十分に見る、こういうふうに了解してよろしいわけですね。もしかりに補正係数の見方が不十分だということになれば、これは先ほど私が指摘したように、財政力の乏しい都道府県、また学校において、いわゆる山間僻地、離島のいわゆる僻地の学校がしわ寄せをされる、そういうことはいかぬと思うわけでありますが、大臣どうですか。補正係数によって十分見て、文部省としてはそういった貧弱な都道府県あるいは僻地、離島というところに対して、この政令一条によるしわ寄せを来たすというようなことは絶対にしないのだ、こういうふうに思いやりのある御答弁ができますか。
○荒木国務大臣 特に私具体的に正確につかんでおりませんので、具体的な内容としては申し上げかねますけれども、考え方として、僻地なるがゆえにそうでないところよりも特別に結果が虐待されるようなことになるということにはしないように極力努力するのは当然のことだと思います。
○山口(鶴)分科員 先ほど大臣が、今回の定数減の問題については、都道府県と十分相談をして首切りというようなことが昭和三十八年度においてはないように措置せられるというお答えがあったわけでありますが、そういたしますと、結局全都道府県において予算の編成中であります。それを見ますと、県によっては二百人減とかあるいは百五十人減、現実に強制勧奨が出ようという県が相当報告されておるわけであります。そういたしますと、それらの県の事情ということになると、結局は二分の一国庫負担金の方は実額でくるけれども、あとの二分の一の方の基準財政需要額の方がいろいろな点でしぼられてくるから、県財政の事情としてこうせざるを得ないわけだ、こう言っているわけですね。これに対して今の大臣、局長の御答弁からすれば、いや実学級だから心配はないのだ、それから政令一条の問題についても密度補正等において十分処置するから心配はないのだ、こういう指導を徹底的にしていただけますか。
○福田政府委員 ただいま御質問の中にございましたように、各府県では三十八年度の教員の定数の予算をきめつつある時期でございます。まだ全部きまっていないと思いますが、それらの各県につきましてもいろいろ事情はあるようでございますが、現在の見通しといたしましては、標準法の定数をオーバーする府県におきましても、大体三十八年度においては実際に首切りが起こらないように措置するというような方向で財源措置等を考えているようでございます。従って、私どもとしましては、国庫負担金の半分の分が当然に実績に基づきまして計算された教員の負担金として支出されますと、それに見合う分は交付税でこれは見られますので、従ってあとは、オーバーする分につきましては、若干の県費の持ち出しということは起こると思います。それについての財源措置は、可能な範囲においてできる限り実情に応ずるような措置をとってもらいたいというようなことで、当該の県とはいろいろ相談をしているわけでございます。まだ全般がきまっておりませんので、具体的には申し上げかねますけれども、一般的な方向としてはそういうことでございます。
○山口(鶴)分科員 どうも、私が各県へ行って聞きました範囲では、今局長さんが答弁されたように、二分の一国庫負担金ではなくて、教育費の基準財政需要額、いわゆる交付税が実学級で算定をするのだという文部省の見解が十分徹底していないと私は思う。そうでなく、標準法通りきっちりやるのだ、こういうふうに受け取っている県が相当多いと思うのであります。そういうところから現実に都道府県の首切りというものが出てきていると私は思います。ただいまの答弁を聞いて安心いたしたのでありますが、教職員定数については、実学級でもって教職員定数を計算していくのだ、こういう点を一つ十分徹底さしていただくようにぜひともこれはお願いをいたします。これは徹底さしていただけますか。これをもって終わります。
○今松主査 山中吾郎君。
○山中(吾)分科員 文教政策の一般的な問題については文教委員会でお聞きすることにいたしまして、一つ具体的な事項の一つ二つだけをお聞きいたしたいと思いますが、最近荒木文政は日の当たる部面においてはなかなかはなやかな政策も出ているのでありますけれども、日の当たらない政策の部面については相当穴があいているように思う。文教政策全体としてはアンバランスが相当出ているのではないかと私は考えているので、一定の時期に全体の人つくり政策を池田総理大臣が出しているのであって、その点は、一応全体をにらみ合わせて穴の部面を埋めるという段階にきているのではないか、そういう認識に私は立っております。その点については、これは文教政策全般の問題でありますので、じっくりと文教委員会で論議をいたしたいと思いますが、その一つの例として、予算分科会でありますから、予算面に即して簡潔に私はお聞きいたします。そうして大臣の大体のお考えを聞けば、その後お互いに論議をして具体化するように努めたいと思うのでありますが、私の言う日の当たらない文政の面といいますと、やはり幼児教育の関係、あるいは特殊教育の関係、僻地教育の関係。先ほど滝井委員が言ったような、いわゆる貧困児童に対して非常に忘れたような政策の穴も出てきておるようでありますが、その中に図書館行政について非常にないがしろにされておるのではないかと思われるので、そのことだけ、きょうお聞きしておきたいと思うのです。 聞くところによると、今度の予算原案には、文部省の方において図書館職員の養成所を短期大学に昇格する予算を計上して、大蔵省に要求されたというのでありますが、その点について、どうも予算面に出ておらないので、その後の経過を局長からお聞きしておきたい。
○齋藤(正)政府委員 お話の通り現在図書館養成所がございまして、これが図書館の司書の国立の唯一の養成機関でございますが、現在これが学校になっておりませんので、暫定的な制度として約百三十名程度の司書を養成いたしております。予算の編成にあたりまして私ども考えましたのは、現在のような暫定制度であっては教官組織等について十分な編成を遂げることができないであろうと考えましたので、大学局の方にお願いいたしまして、これを図書館の司書を養成するための専門の短大にいたしたい、それを二年計画程度で教官の充足をはかるように要求していただきましたが、本年度は実現に至らなかったのでございます。
○山中(吾)分科員 大臣に御意見を聞いておきたいと思うのですが、現在の図書館養成所は特殊学校である、従って在学中は奨学金の貸与の恩恵も受けられない、そういうふうないろいろの欠点があるようでありますが、大学図書館、それから法律に基いた学校図書館における高級の司書並びに司書教諭の養成というものは、法律でなされておるものでありまして、当然破綻を来たさない文教政策としては、こういう部面のいわゆる指導者養成の一環として、司書養成を正当なる学校教育のルートに乗せて、十分に需要に応ずるということは、非常に必要なことだと思う。養護教員の養成計画であるとか、あるいはその他の同じ法律で要請されたものを充足する、まず教員養成ということが重要であることはみな忘れられておる。科学技術の指導者の養成というはなやかな面だけがクローズ・アップされておると思うのですが、幸いに文部省が三十八年度の予算要求を出したという着眼は、おそまきながらある程度の全体の文政の総合性を考えた一つの反省から出ておると思うのですが、削られておる。おそらく大臣も大して関心を持たないし、あまり認識を深めていないで、わずかな予算であって、ちょっと押せばできそうなものが、また流れておる。工業専門学校は全国的にどんどんと進んでいるが、こういう忘れられた谷間の、しかも非常に重要な教育機関の予算が再び流されておる。そんなことでは全体として日本の文教行政というものは円満に進まないと私は思う。これはぜひ来年——ことしはもうやむを得ないのでしょう。来年くらいは正規のルートに乗せて、全体の角度から——正規の司書のコースを卒業した者をほしいという要求が、公立図書館から大学図書館、学校図書館を含んであるのですから、これはぜひ実現するように努力せられることが、私は破綻のない文政をやる上について必要欠くべからざる重要な条件だと思うのです。世間ではもてはやされないけれども、地味な忘れられた文教政策の中に重要なもの、位置があると思うので、その点を大臣は十分認識をされて——今度の場合は十分認識されておったのかどうか。それもついでにお聞きしますが、来年度あたりはぜひ実現する方向に、覚悟をきめておいていただく必要がある。 それと一つ、先ほど申し上げた日の当たる文政以外の日の当たらない文政についてのアンバランスが相当あるということの私の認識についても、大臣の考え方に触れられて、この問題について御意見を聞いておきたいと思います。
○荒木国務大臣 まあ日の当たらないと申しますか、先ほどお話が出ました僻地教育であれあるいは特殊教育であれ、今お話の図書館司書の養成の問題であれ、そういうふうなことが総合的に他の部面と調和をとりながら前進していくのでなければ、社会教育、学校教育一体をなして考えました教育政策としては適当でない、その概念は私もわかっておるつもりでおります。要求しましたが成立しませんでしたのは、がんばりが足らなかったわけでありまして、この点は残念でありますけれども、三十九年度の予算としてはぜひ実現さしたいという意欲は持っております。
○山中(吾)分科員 大臣をやめても一つ申し送りをしておいて下さい。それからこれは学校図書館法の改正を要望するという全国学校図書館協議会が発行しておるもので、おそらく文部省の担当の方々もある意味においては知っておるばかりでなくて、参画されておるかと考えますが、率直にこれでちょっとお聞きしておきます。これによりまして学校図書館の負担の内訳を見ますと、公費で負担すべき費用をほとんどPTAが負担しておるという数字を出しております。小学校においては六七・三%負担しておる。中学校は五二・九%、高等学校は九〇・六%までが、市町村または府県が負担すべきものをほとんどPTAが出しておる。これは間違いなく、私も実感を持ってわかっておるのです。各学校の図書購入費あるいは図書館に従事する者はPTAの費用で雇っておる。しかも小中学校において、子供たちに必要な図書を買ってやって読ますということは非常に重要な意味があるので、これは切実な問題になっておる。これはこのまま発表になっておるのですが、事実はやはりこの通りで間違いないですか。あるいはその後改善されておりますか。
○福田政府委員 手元にございます資料を私拝見しておりませんけれども、従来学校図書館の経費等につきましては、おっしゃるようにPTAの負担になる場合が相当あったと思います。三十五年度の調査によりますと、父兄負担にまかされておるものが大体百六十億円以上あったと思いますが、大体各年度ごとにその解消策としていろいろ財源措置を講じて参りまして、昨年は約七十億円以上の交付税等による財源措置もいたしました。それからまた、三十八年度におきましては、地方財政計画の中では約九十四億円の財源措置を講じることになっております。従って、いろいろ父兄負担の問題について従来いわれておりますけれども、文部省としては、それらを含めて、父兄負担をできる限り解消していくというような財源措置を講じて参っておりますので、だんだんにそれは少なくなると考えております。
○山中(吾)分科員 最近の資料を出して下さい。文教委員会のときでいいですから、PTAの負担が減っておるかどうか、昔のままであるかどうか。今はけっこうです。非常にPTAの負担にかかっておるということだけは間違いないだろうと思うのです。そこで、大臣に認識してもらわなければならぬと思うのですが、一応大臣に質問いたしますが、学校図書館法の第一条には「この法律は、学校図書館が、学校教育において欠くことのできない基礎的な設備であることにかんがみ、」そして云々と言い、第三条に「学校には、学校図書館を設けなければならない。」と、義務設置になっているわけであります。従って、形式的にはこの学校図書館法によってほとんどこれがある。しかし経費というものがほとんど計上されない。ここに日本の文教行政の矛盾がいつもあるので、形式的には充足しておるけれども、内容的には穴があいておる。一般の人々の気のつかないところにこういうふうな欠陥が出てくる一番大きい例だと私は思うのです。これはもっと真剣に充足すべき現在的な課題だと私は思うのです。 そこで、今テレビだとか映画だとかラジオというものが各家庭にあって、だんだんと児童、生徒が読書するという習慣がなくなりつつあると思うのです。しかもその影響が非常に安易な姿の中に、受け身でいろいろな知識が入ってくる。これは青少年の精神構造についてもこれから相当大きい影響が与えられると思う。その点池田総理大臣が気づいたのか文部省の方から助言したのか知らないけれども、そういうマスコミの影響が重要であることを確認してというふうに施政演説もしておられるが、新しく、小中学校における読書指導ということが別な意味において重大なものになりつつあると思う。幸いにして学校図書館法ができて、義務設置にして、ほとんどの学校がこれを置いておる。しかし予算計上においては現在の文部予算の中で最も穴ではないかと私は思う。僻地に行けば行くほど、子供たちは本を買ってやると貸せい言って飛びついてくる。そこで無理をして図書を買い、いろいろしてやるのですが、国は何の手当もしないということがあるので、これは非常に小さい問題でありますけれども、予算面の上からいってもっと再検討して取り上げねばならぬ問題だと思うので、日の当たらない文政の最大の例として、きょうはこれだけ質問しておきたいと思うのです。荒木文部大臣もその点は認識をされて、今後の文教政策の中に一つの新しい課題として取り上げるよう切望しておきたいと私は思うのです。私の申し上げたことについて政治的な答弁にはならないように、現実のそういうテレビとかラジオというふうなものが各家庭に入る中における読書指導というものが、学校教育において新しい重要な課題になっていると思うので、その辺を一つ十分御検討願う必要があると思うのです。 そこで、私は一方に図書館職員養成所という面についても、短期大学に昇格してもっと国が力を入れる、そして学校の施設、設備、購入費についてももっと手当してやる対策を立てる必要があると思うので、その点一つ御意見を聞いておきたいと思います。
○荒木国務大臣 山中さんのお話は私も同感であります。ラジオなかんずくテレビがずいぶん世界一といってもいいくらいに普及しておるということからしまして、インスタント・コーヒー的な、目先だけの小才のきいた姿が謳歌されるような雰囲気というものは、子供たちのためには不幸だと私は思います。直感的にそう思います。一億総白痴とひやかす面もありますが、いい面もむろんたくさんあるからこそ、テレビ局の増加もなされること、これは当然といたしましても、反面、今のお話のようなマイナスの効果というものも無視すべからざる重大な点だと思います。それと関連しての、児童、生徒に子供の時分から読書欲を打ち立てる、というのは少し変ですけれども、習慣をつけるということが、学校教育効果を期待する意味からも実質的な重要さを持つ課題であるということも御同感であります。そういうことでございますが、実際問題としますと、率直に申せばそこまで手が及んでいないままに今日まできた。法律を見ましても、その実情に即してであろうと思いますが、当分の間司書教諭は置かぬでもよろしいというふうな考え方で今日までたどりついておる。この附則を取り除く段階まで持っていかなければならないわけですけれども、それには養成機関からして考えていかねばならない。またほかになすべきことが山ほどあるという関係にもございましょうが、とかく忘れられがちで今日まで推移したことは事実だと思います。今後に向かって附則を取り除くという目標を立てながら努力していくべき課題と心得ております。
○山中(吾)分科員 大臣が附則を取り除くということを答えられたのは、図書館法第五条の「司書教諭を置かなければならない。」という司書教諭設置のことですね。いわゆる図書館は絶対義務設置ですよ。それで現行法においては「学校には、学校図書館の専門的職務を掌らせるため、司書教諭を置かなければならない。」そうして附則に当分の間置かなくともいいということなので、その点はほとんど置いてないのです。養護教諭というのは逐次年次計画でやっておる。司書教諭はほとんど置いてない。そらして司書教諭は学級担任をしておる。二十時間、二十五時間、多いのは三十時間学級担任をして、図書館司書を兼務させられておるから、ほとんど神経衰弱のような勤務をしております。そうしてそういう子供の読書指導に興味を持って一生懸命やる人ですから非常に真剣な勤務をしておる。全国を調べればわかる。ところが、文部省においては司書教諭の養成機関についても今度予算を出したけれども、簡単に引き下がっておる。それでもっと司書教諭の養成ということに計画を立てて——年次計画を立てておるけれども、実はまだこういうのだという答弁ならばわかるのです。その点何にもしていないのですね。この点はやはり新しい社会条件が出てきておるのですから、学校教育の中において専門司書教諭を置く、また少なくとも図書館の仕事を担当する者は学級担任からはずして、週十時間授業を持ち、その余力をもって子供の読書指導に当たるとかいうふうなことを考えて定員を充足していくということを具体的に私は責任を持ってやるべきだ。これを特にこういうところで質疑の中で強調しないと全部忘れてくるわけです。これを忘れないようにして来年度の予算において充足するような養成計画と充足計画をお立てになる必要がある。そういう計画があれば言ってもらいますし、なければ立てて来年度から努力を払ってもらいたいと思うのです。
○福田政府委員 大臣がお答えになります前に、先ほどの点ちょっと漏れておりました点を補足して申し上げますが、先ほど交付税において父兄負担の解消をはかって参ったということを申し上げましたが、その結果三十五年と三十六年を比較してみますと、全体におきまして約十一億円減ったことになっております。その中で特に教材図書費の減は一年間に約六億円というのが調査の結果出ております。さらに国庫負担金等の増額もございまして、昨年は約二〇%増額いたしたのでありますが、本年度三十八年度におきまして、さらに三十七年度に比べて約一〇%の増額をはかっております。従ってまだ今後にしか結果は出ませんけれども、さらにこれが減少していく傾向にあるということをつけ加えて申し上げたいと思います。 それからなお司書教諭の問題でございますが、これは先ほど来御質問のように養成自体の問題と関連して参ると思います。従って養成の方が十分できませんで、それで置けないわけでありますが、実態としては山中先生御承知のように、学校図書館は、実情から申しますと図書館というよりもむしろ図書室というか、そこに一定の図書を備えておるという程度のものでございまして、これについて専任の職員を置くというようなことが、なかなか困難な実情にあるということは御了解をいただきたいと思います。
○山中(吾)分科員 今の答弁がよそごとの答弁だから困るので、これだけはいわゆる図書館設置計画で、教室以外に図書室というものを設けようとしても、それは年次計画で施設の充実計画を立てていない。司書教諭養成計面も立てていない。PTAの負担軽減についても立てていない。局長の答弁はだんだん少なくなっておりますと言われた。そして図書館というものは、設置するといいますけれども、実際は図書室ですみっこに、あるいは校長さんの陳列だなに、ずっと並べておるだけだという事実を物語っておるので、そういうことではなしに、文教政策の年次計画の中にまじめに入れて充実をするということを私は要望しておるわけであります。これは非常に大事なことなのです。私自身、岩手のような僻地の場合には、複式が多い、そういうところにはまず書物を充てがってやり、自発的に学習するということが非常に重要なので、県が二分の一図書購入費の補助を出して、僻地の町村に出さそうとしても、やはり貧乏なためになかなか出ない。PTAにみなしわ寄せがいくというのでなかなか実現がむずかしいのです。これはやはり国が責任を持って積極的に年次計画で立てるべき事項ではないか。しかも学校図書館法という法律ができて義務設置になり、本文においては司書教諭も義務設置になっておるのですが、そういうことを少しもおやりになっていない。これは私は一つの穴だと思う。特にこのことを新しい問題、これこそ古くて新しいのであって、取り上げてもらうべきで、忘れておるのではないかと思うので、大臣もこの辺は、たまにはこういう谷間の文教行政に関心を持って、一つおみやげにでも置いていただく必要がある。それを私は要望しておきたいと思うのです。 ほかにいろいろそういう面について私は気のついたことはずいぶんあるので、もっとじみな論議をしたいことがたくさんあるわけですが、きょうはこれだけにいたしておきます。また文教委員会で時間がある限り、そういうものを掘り下げて論議をいたしたいと思うのですが、私の今申し上げたことで、荒木文部大臣は適当にというお考えでない限りは、今後の問題として一応大臣の考えをお聞きしておいて終わりたいと思います。
○荒木国務大臣 法律も制定されていることからいいましても、そういう理想に向かって努力していくことは当然だと思います。ただ今までのベビー・ブームなり何なりにかまけて、学級編制それに定数の問題等すらも目鼻がつかないという状況が今日までの実情だと思うのであります。従って手が及ばなかったというのが今日の段階だと思うのですが、小中学校における生徒急増対策はどうやら一段落がついた、これから実質的に充実していくべき課題が山ほどございましょうが、それらの問題と取り組んで、山中さんのお説じゃないが、じみな課題に取り組んで充実をしていくという時期に到来しておると思います。それぞれの、たとえば司書教諭の養成のことから始めて、全国的に及ぼしていく見通しを立てながらの着実な考え方と努力が必要だと心得ます。
○山中(吾)分科員 少し物足りないように思うのですが、これは年次計画で充実計画をお立てになるというくらいのお考えを述べられて、事務当局にそれくらいの協力体制をつくらせるようにされたいと思いますが、今のお話では同じことじゃないですか。学校給食というものがはなやかにいわれると、ぱっと乗ってしまう。教科書無償がはなやかにいわれると、ぱっと出る。はなやかな光線の世論に従って、いわゆる科学技術振興がさっと出てくる。裏では農村教育は忘れておる。そういうふうに主体性を持たない限り、経済界の要望においていわゆるマン・パワー政策だけが出てくる。教育投資の上にすぐ乗ってしまうということが、私にとっては問題なんです。だからこういう問題について、今のようにただ抽象的なお考えだけでは、これは同じことでしょう。やはり年次計画でこれを立てる。教育白書の中においても、これは長期文教政策を立てなければならないのだというように、文部省にはないことをみずから告白して、何とかしなければならぬということを最後に書いてある。これは文部省と討論をしなければならぬと思うのですが、そういうことを言っている限りにおいて、やはりこういう問題は年次計画を立ててやるくらいのことは答口弁されてしかるべきじゃないかと思うのです。いかがでしょう。それで私は終わりにしますから…。
○荒木国務大臣 学校図書館法の要請します課題についての心がまえを申し上げたわけでありまして、その心がまえだけでもって、あとはゼロだということではなしに、それは今後着実に具体的に努力を積み重ねていくべき課題だ、そういう意味を申し上げたのであります。世論に聴従することもむろん必要であり、また自主的に計画を立てることも必要である。両方やるべきものだと思っております。
○今松主査 午後は二時三十分より再開することとし、暫時休憩をいたします。 午後一時二十八分休憩 ————◇————— 午後二時四十九分開議
○今松主査 休憩前に引き続き会議を開きます。 文部省所管に対する質疑を続行いたします。小林信一君。
○小林(信)分科員 政府は今回の予算を提出するにあたりまして、人づくり予算ということをよく言われるのですが、これは英国あたりで、将来への投資というキャッチ・フレーズをもちまして教育を重視するという、世界各国の風潮にならって、今の政府も人づくりということを言われておるものと思うのですが、この予算をうかがいまして、ほんとうに誠意をもって人づくり政策をやろうとしておるのか、ということを私たちは非常に疑問を持つわけです。問題は人づくりの考え方であって、これは文教委員会等で大臣にとくと承りたいと思うのですが、ここではほんとうに誠意をもって人づくりをやろうとしておるような点を二、三取り上げまして、これに対する見解を承って参りたいと思うのです。 人づくりの問題は、決して、文部大臣がこういう人間をつくりたいのだ、それをいろいろな手段、方法を講じて、まあ極端にいえば型にはめて人をつくるということでないことは大臣もよく御承知だと思うのです。これは総理大臣もその本人自身に自分をつくらせるのだ、そういう傾向をつくっていくのが文教行政の役目である、こういうふうに言ったことがありますが、言うことは確かにその通りでございますが、実際に行なう行政の中にはそういう点が残念ながら見当たらない、私はこの際そういう観点をしっかり踏まえて人づくり問題というものを考えてもらいたい、こう思うわけです。これはほんとうに小さな問題でございますが、しかし新聞では大きく取り上げておりますけれども、ある山間の子供が学校へ通学するのに大体四キロぐらい歩かなければならぬ、たまたまそこを国鉄のバスが通っておるわけなんです。あるいは大臣もこれを読んでおられるかもしれませんが、あまり小さい部落であるために、その子供がただ一人通学しておるのですが、そこには車がとまらない。しかし運転する人の誠意から臨時停車をして通学の便をはかっておったのであります。ところがたまたま停留所を改正するというふうなことがありましたので、国鉄の方では反対意見もあったけれども、ただ一人の通学者のためでございますが、これは名前は恵子ちゃんというのですが、一年生の恵子ちゃんの通学のためにバスの停留所を新設してあげようという、一助役の心がまえから、とうとうここに——国鉄のバスですから停留所といっても停車場と同じで非常にむずかしいものでしょうが、一応の規定があるにもかかわらず、特にバスをとめて停留所にした、こういう話が出ておるわけです。こういうふうに、教育行政をするものにはこの一助役のような、規定はどうあっても、そしてただ一人の子供の便宜であってもはかってやろう、こういう愛情というものが根本にならなければほんとうに人づくりの仕事はできない、私はこう考えておるわけです。先日も武蔵野学園という少年院と同じようなものですが、テレビを見ておりましたら、その学校の校長さんの教育方法が詳しく出ておったのです。その校長さんの言うには、そういう特別な子供たちを教育するにはなかなか苦労が要るわけでしょうが、その人が簡単に教育方針を表明するのに、情緒の栄養を与える。この情緒という言葉が適切な言葉かどうか知りませんが、その校長さんは情緒という言葉を使っておりました。情緒の栄養を与えて、そうしてその子供の周囲を情緒でもって包んでいかなければいけない。しかし、とかく教育というものが理詰めの教育をして、そうして子供にきわめて無味乾燥な形でもって教育がなされておる。これでは、普通の子供ならりっぱに育つかもしれぬが、特殊な子供なんというものは教育できないのだということを言われておった。こういうものが教師にもある、社会にもある、また文教行政の中にも猛烈に燃えておるところにほんとうに人づくりの教育がなされると思う。それがやはりいろいろな予算面にもきめこまかく現われるようでなければほんとうの人づくりはできないのだ。最近、松木清張あたりも、文芸春秋に書かれておった文教行政全体を批判する中に、文部省はますます官僚化して、いわゆる文部官僚という特別なものができ上がっておる。教育の問題には触れておりませんが、そういう中から出てくる教育というものは、これは統制された教育、あるいは官僚の独善的な教育行政がなされるというふうなことが言われておるのですが、実際には今申しましたような愛情のある教育行政でなければならぬのに、ますます文部省は、世評ではそういうふうに何か統制された形の中でもって人間の型を一定にしてつくっていこうとしているというような批判まで受けておる。そういう中からほんとうに人づくり教育行政というものがなされるかどうか、私は非常に心配するものですが、その例を引いて申し上げれば、これも先ほど問題になったことでございますが、初中局長がいろいろ答弁をされましたが、いかに答弁をされても、実際においては地方ではこの問題でもってさまざまな問題を起こしておるのです。要するに標準法の政令一条、これを都道府県の中では、教師の方の立場から、父兄の方の立場から実際的に削除して、そうしてほんとうに文部省が言っておりますように、一学級五十人、これを確保したい。ところが都道府県の当局もその事情は了察できても、これがはたして基準財政需要額に認められて交付金が裏づけとなって出てくるかどうか心配であるために、なかなかその要望に応じきれない、こういう問題がもし先ほどのような気持でもって行政というものが考えられるならば、政府がまっ先に政令一条というものを削除して、多少予算的な負担がありましょうとも、五十人といったら五十人にするというような雅量、誠意がなければならぬと思うのです。そこでこの政令一条に該当する一つの学校が二の学級に編制する場合五十三人をこえる、一の学級に編制する場合に五十五人をこえる、こういう学校が全国でどれくらいあるか、一応お示し願いたいと思います。
○福田政府委員 ちょっと資料が見当たりませんので、あとで申し上げます。
○小林(信)分科員 そこは非常に重大な、これからの話し合いの基礎になるわけで、私はぜひともそこからお伺いしたいと思っておったのです。なければ仕方がございませんが、ありますか。
○福田政府委員 後ほど調べて申し上げます。
○小林(信)分科員 それでは、大体そういうふうな学級というのは、中央に集結するものはこれに該当しない、これに該当するものは山間僻地だ、こういうふうな話が先ほどあったのですが、これはやはり文部省もそういうふうに認めておりますか。
○福田政府委員 大体僻地と申しますか、小規模学校にそういう学校が多いと思います。
○小林(信)分科員 これから考えてみましても、ここら辺は何とか今のような気持で考えていけば、地方でもってせっかく先生と知事側あるいは教育委員側と交渉しておるような実情をごらんになれば、文部当局は政令一条なんというのは削除してしまうというぐらいの態度になっていいと思うのです。と申しますのは、どうしても中央の都会地に住む子供の方がいろいろな点で、学校の設備がいいだけではなくて、児童の環境も相当学習によい影響をもたらすようなものがたくさんあるわけなんです。ところが山間僻地にはそういうふうなものが見当たらない。最近はそういうところに進んでよい先生が行くようになっておりますが、今までの例ではこういうところに行く先生は割合よい先生が行かなかったということで、先生にも恵まれない。いろいろな設備にも恵まれない、環境も不幸であるというような子供たちが特にこういうところに多いとすれば、学力テストで学童、生徒の学力を高めるような措置を文部省はしておりますが、そういうことをするよりも、かえってなるべく先生の数を多くし、児童、生徒に先生の手がまんべんなく行き届くような形を、つくっていくことがいいと思うのです。これはほんとに一部を考えたもので、いろいろな条件を考えていけば、ますますこの政令一条というものは何とかなくなすような方向に持っていくことが考えられなければならぬと思うのですが、これに対する文部省の見解を承りたい。
○福田政府委員 お話しのように、小規模学校におきますところの定数につきましては、各県いろいろ事情は異なりますけれども、現行法のもとにおいても必ずしも十分でないというように私どもは感じております。従いまして、三十八年度において小規模学校の定数改善をはかりまして、約一千百六十六名ほど増員を予算に計上しておるわけでございます。従いまして、いろいろ小規模学校の教育の向上という面におきましては、もちろん教員の定数も大事でございます。あるいはまた教材費の問題も非常に重要な問題でございます。従って、教材費の配当につきましても、三十八年度においてはできる限り小規模学校に充実した配当ができるような措置を私どもは考えているわけでございまして、いろいろな面からそういった小規模学校の教育の向上をはかっていくという施策は進めなければならないと考えております。従って、今おっしゃいました定数の問題にいたしましても、政令第一条を撤廃せよとおっしゃいますが、これは現在の負担法の建前からきているわけでございます。従って、三十八年度はこの政令第一条を直ちに撤廃するというわけには参らないと思いますけれども、三十九年以降については、こういう問題について十分私どもは検討して参りたいと考えております。
○小林(信)分科員 今のお話を承って、当然考えられておることとは私たちも思ったわけでございます。今の意見で一応了解をするわけですが、しかしそうであればなお伺いたいのは、今各府県で、先生と教育委員会、父兄と知事、こういうふうな関係で、わずか五十人、六十人という数にも両者とも相譲らないような情勢でこの問題が検討されつつあるわけなんです。先ほどのお話では、山口さんの質問に対して、実学級の問題といわゆる標準法できめられておる問題で、文部省が実学級をもって自治省と当たるというような様子は見えたわけですが、しかし残念ながら実際においては自治省に押し切られた。従ってそれが、知事あたりが譲歩しようと思っても譲歩し切れないところへきておるわけです。こういうものをもっと文部大臣、文部省の力で大蔵省なり自治省なりに強く要望して、来年度といわず、ことしからこれが完全に解消される姿でなくても緩和されるような努力をすべきだと私は思うのですが、そういう努力をしていってくれるのかどうか。
○福田政府委員 私は先ほど山口委員の御質問に対しまして、この法律の規定による学級に従って計算していることを申し上げたわけでございますが、これは過去においてもそういう実際のやり方をやって参りましたし、今年におきましても大体同様なやり方をやる方針でございます。三十九年以降の問題については、私どもはさらに定数の問題については根本的な検討をいたしたいと思っております。その検討の際に譲りたいと考えております。
○小林(信)分科員 何にしても、政令一条というふうなものは三十九年以降はなるべくなくすようにする、これはいいですね。
○福田政府委員 今直ちにここでお約束はできませんけれども、十分検討してみたいと思っております。
○小林(信)分科員 先ほどは三十九年度からはこれはなくす方針であるというふうにおっしゃったのですが、また変わったような気がいたします。まあこれはするかしないかということでなく、先ほども私の申し上げた通り、国鉄の一助役さんが、規定には沿ってないけれども、ただ一人の生徒を通学させるために、勇敢にも臨時措置をとりましてバスをとめた。やはりこれくらいな誠意がなければほんとうに人づくりということは出ないのです。従って、法律が制定されておる以上、法律に従わなければならぬということは、私も決してとがめるものではございませんが、その法律を、こういうふうな問題を考えて参りますときに、一日も早くなくなす、これを改正するというふうな努力が今回あたりもとられなければ、私はうそだと思う。こういう点で人づくり予算というものが実際には行なわれておらない、こういうふうに今言いたかったわけであります。先ほどお話申しました、一体それがどれくらい数があるのかということを調べてもらえば、さらにこれは問題が容易に解決するのではないかと思うのです。そう大した額じゃないというようなことになれば、なぜそれくらいなことをやらないかということになってくるわけです。これは今全国的に各都道府県で問題にされておることであり、教育の実を上げることは、決して学力テストなんかの問題でない。なるべく先生の手が個々の児童、生徒に回るようにする。要するに一学級の生徒数を減らすということ、これが学力を上げる一番の問題だ、人づくりをする一番の根幹であるという点を考えていけば、五十人とせっかくうたいながら、実際においては山間僻地には五十五人の一学級の生徒があるというようなことでは、やはりこれは名前だけである、実際においては努力しておらないということになるだろうと思うのです。 その次に、私が指摘したいのは給食の問題でございますが、これはどういうわけで給食の脱脂粉乳を全児童、全生徒に飲ませることになったわけですか。一体どこにその目標があるのか、これをお伺いしたいのです。
○福田政府委員 恐縮でございますが、先ほど保留いたしました中で、五十人以上の学級数でございますが、小学校で千七百学級、中学校で四千五百学級、これは三十六年度の調査によるものでございます。以上、お答えいたします。
○前田(充)政府委員 なぜ学校給食にミルクを飲ませるかというお尋ねでございますが、学校給食におきまして、これは昭和二十一年、終戦後すぐやって参ったわけでございますが、最も安くて最も栄養がある、それには脱脂ミルクが非常によろしい、こういう考え方でミルクを採用しておるのでございます。
○小林(信)分科員 学校給食には目的というものが相当に変遷されてきておることは事実だと思うのです。最初は児童、生徒の食べものが非常に不足しておったような時代、あるいは生活困窮者が多くて昼食に事欠くというふうな、そういう学童を救うということが出発であって、それが児童、生徒の体位の向上、あるいは食生活の改善、あるいは義務教育は無償でなければならぬという精神にのっとって給食をするのだというふうないろいろな考え方があると思うのですが、私は今回はそのどれに主眼を置かれておるのかということを実はお聞きしたわけなのです。今お話の様子を聞けば、非常に栄養がある、非常に安い、こういつているのですが、そういう点からわれわれが考えれば、何か学校給食をやらなければ、長い間父兄あるいは先生の要望というものがあった学校給食を無償でもってやれ、そういうふうな世論に何とかこたえなければならぬ。しかし財源的な措置は残念ながらできない。従って、その最も低廉に仕上がるもので一応ごまかしてやれというようなことにも受け取れるわけです。この際、この脱脂粉乳を児童、生徒全体に飲ませるということについてはもっとしっかりした根拠というものを明白にする必要があると思うのです。安いからあるいは栄養があるからというふうなことぐらいでもってもし出発するというようなら、これは何か国民の要望というものが強い、それに一つこたえるためにはこんな程度にやっておけというごまかしの措置にしか考えられないわけです。もっとしっかりしたものがあると思うのですが、お聞かせ願いたい。
○前田(充)政府委員 ただいま今度の学校給食においてミルクを全面的にやるということに対しての態度と申しますか、そういう点で申し上げたわけでございますが、本来学校給食はパンとミルクとおかず、こういうことでやっていく、こういう考え方は従来通り持っておりましたし、昨年の給食制度調査会においてもかようにいわれておるのでございます。学校給食そのものの目的は、ただいま先生からお話がありましたように子供の心身の発達に寄与する、さらに国民の生活改善に役立つ、こういうような意味であることは、これは学校給食法の目的にも書いてあるわけでございますが、ただ今日、昭和三十八年度においてなぜミルクを全面的に使うか、こういう御質問と解釈いたしまして、非常に学校給食費を高くとるということは、父兄間の立場から申しまして困る問題でございますので、できるだけ安いもので、しかも栄養がある、栄養があるという意味は、心身の発達に寄与するということから考えまして、児童に栄養を摂取させる、こういう立場から考えまして、栄養があるものが必要である、かような立場で安くて栄養のある、こういうふうに率直に申し上げた次第でございます。
○小林(信)分科員 これは大臣にお伺いしますが、以上のような文部省の態度であれば、これは大したことはないのですが、学校給食に対する将来の一つの展望を持って、そして今回はここから出発するというふうなものでも大臣にはおありですか。
○荒木国務大臣 私の頭の中にあるということよりも、一昨年学校給食に関しまして調査会を設けまして、専門家、関係庁も集まりまして相談をした結論が答申となって出ております。そのことを先刻政府委員も申しておったと思いますが、完全給食を目標に年次計画を定めて前進していくという趣旨のものであります。中身はミルクとパン食と、今話が出ましたようにそれにおかずということを基本的に考えて、地域によっては米食また可なり、それと併用するような姿で、国と地方で半々持ちの姿でやったらどうだという内容だったと承知いたしておりますが、その構想を推し進める一歩として、今度のミルク給食も実施するわけでございます。今申したような姿へ到達しますまで努力を続けて参りたいと思います。
○小林(信)分科員 そうでなければならぬと私は思うのですが、幾ら文部省の方で奨励しても地方の財政事情というものが許さないという問題が一番の根本でありましょうが、相当今まで一般の要望もあり、文部省としても予算を組んできたけれども、施設の完備がなかなか一〇〇%にならない、六〇%、七〇%でとまって、それ以上伸びることが非常に困難な情勢である。従って、この際全児童にこうして脱脂ミルクであっても飲ませるということになれば、それがきっかけとなって全国至るところで給食施設ができ、そして完全給食の形に運び込める、そういうふうな意図がこの中にあったのじゃないかと私は思うのですが、それならば私は今の脱脂ミルク程度のものであっても一応賛成するものでございます。しかしただ一日一円、年間二百日飲まして二百円、この程度のもので学校給食を無償でもってやりましたといって何か自慢をするようだったらこれは大へんだ、こう思っておったのですが、幸い将来そういう展望を持っておられるなら一応了解します。そうすると、どういうふうな段階で将来大臣の考えておるようなところへ進むつもりでございますか。
○前田(充)政府委員 ただいま大臣がおっしゃいましたのですが、また先生もおっしゃいました通り、もちろん完全給食へ移行していく、その移行していくのにどういうふうに移行するかということでございますが、その移行の仕方につきましては一応私どもは制度調査会の答申に沿って小学校五年、中学校十年の計画で完全給食に移行したい、しかし今回のミルクによってさらにそれが促進されることを非常に期待しているわけでございます。
○小林(信)分科員 そこで私が言いたいのは、今まで脱脂ミルクを放出物資というような形で飲ましたことがございます。ところが実際においてはそんなに児童生徒は喜ばないのです。これは文部省でも十分御存じのところだろうと思うのです。これを今度また飲ましていこうというわけですが、恒久的にこれを飲ましていくつもりであるか、やがては日本の酪農振興というふうなものに伴って牛乳にまで発展をさしたいという考えがあるのかどうか。これは単に牛乳に移行するということでなくて、この計画を持つ以上は、生産者というようなものと相当に総合された計画の中で進んでいかなければならぬと思うのです。とにかく全国の児童生徒一千何百万というものが対象になって、これから一つの消費地帯になるわけですから、そういう大消費地帯というものを考えればもっと生産者にも意欲を持たして、今日のように牛乳なんかが生産費の償わないような、飼料にもならないような低廉な価格に大業者から押えられ、農家の人たちは酪農に転換をしてもその将来が非常に心配になっている、そういう生産者の実態と、この大消費地帯を持っておる文教行政の中の給食という問題がどういうふうに計画されておるか、これは一応なければならぬと思うのですが、その点がありましたらお聞かせ願いたいと思います。
○荒木国務大臣 脱脂ミルクを使いますことは、児童生従の嗜好を中心として考えます限りは理想状態でないと思います。なまの牛乳を子供は好むと同時に、栄養価の点におきましても脱脂粉乳の及び得ないものがあると聞いております。そこで、お説の通りそういう方向に持っていくといたしましても、なま牛乳のソースと申しますか、酪農振興というものがまだ過渡期にあると存じますので、千七、八百万人に及ぶところの小中学校の児童、生徒に全国的になま牛乳を提供するという支給源がないわけでございます。しかし今後の酪農振興の進展に応じまして量的にもこれが確保できるめどをつけながら、一方農業政策が推進され、それと密着して有機的な関係を保ちながら脱脂粉乳の輸入量がだんだん減っていくという考え方のもとに、名実ともに完全給食の方へ歩いていくというのが、私は今後の学校給食の方向でなければならぬと思います。ただ惜しむらくは、国産のなま牛乳は量的に足りませんし、値段の点におきましても脱脂粉乳によるミルクの給食にははるかに劣る状態でありますので、実施面では今お話しのようなことを考慮に入れながら、計画を立てながら着実に前進していく構想を打ち立てまして望ましいところまで到達したいと思います。
○小林(信)分科員 これは牛乳だけの問題でないと思うのです。先ほどもお話がありましたようにパンは問題ないと思いますが、副食の問題では相当肉食というようなことも考えられてくるわけなんです。これも生産費というものは非常に安い。ところが小売価格はべらぼうに高い。これを実際畜産をやっている父兄に考えさせれば、どうせ安いならば自分の子供たちにくれたらどうか、農協あたりも、農協の畜産振興というふうな計画の中では、何も都会地だけにこれを送り込む必要はないのだ、自分たちの子供にも食べさせようじゃないかというふうな意図が——一方においては給食会というようなものが、そういういろいろな材料を共同でもって購入するというようなことが建前になっておりながら、野菜が高いからといって悲鳴をあげている、こういう副食物についてもなかなか安く手に入らぬというようなことでもって手を上げておる。今度この脱脂粉乳というものが初めて出て、これが給食会に渡るから給食会は仕事ができたようなものでございますが、今までにおいても、実際においては学校給食の中ではいろいろな材料というものを入手するのに困難だったわけであります。そういう点を考えれば、この脱脂粉乳を全児童、全生徒に飲ませるというならば、これが将来どういうふうに計画され、段階を踏んで発展をしなければならぬかということが根本的に考えられていかなければならぬ問題だと思うのです。そこで大臣にお伺いしたいのですが、大臣の今の構想から考えれば、確かに絶対量というものはないかもしれぬ。しかし生産されておる。それがしかも安くて採算に合わぬというふうなことが、時期にもよるかもしれませんがあり得るわけです。そういう点から考えれば、何も脱脂粉乳を飲ませなくてもいいのだ、牛乳を飲ましたっていいだろうという父兄が出てくると思います。そういう地帯が出てくると思います。そういう場合に、金額を国庫負担でまかなってもらわなくてもいいから、脱脂粉乳小学校の生徒一人に一円国が補助するというならば、その一円の補助をしてもらって牛乳を飲ませるということも可能であるかどうか、そういうことが考慮できるかどうか、この際伺っておきたいと思うのです。
○前田(充)政府委員 現在までの考え方で申しますと、生牛乳につきましては、これは農林省の畜産振興事業団から出ているわけでございます。これは一合につきまして三円七十銭の補助でございますが、もとの価格が、場所によって幾分違うのでありますが、おおむね八円前後であります。 〔主査退席、倉成主査代理着席〕 そこで、三円七十銭の補助がございますと、四円三十銭程度の生牛乳の価格になるわけでございます。生牛乳については現在までもうすでに何年間かやって参ったのでございますが、補助金は、この三円七十銭の補助がございますので、それでやっていこう、こういう考え方をとっておるのであります。
○小林(信)分科員 私の言うのは、今度の新しい計画にのっとって、全国的に全部脱脂粉乳を飲まされるわけですが、そういう中で、私のところは牛乳があるから牛乳を飲ませる、補助金はその脱脂ミルクの補助金の一円でもよろしいというようなところがあったら、それが適用できるかどうかということを聞いているわけなんです。
○前田(充)政府委員 今度全面的にやります脱脂ミルクの場合に、生牛乳を使ってもいいかどうか、まずその問題が一つあるわけであります。その問題については、私ども生牛乳を使うことは差しつかえないと思っております。 それから補助金の問題でございますが、生牛乳というのは、すでに三円七十銭の補助があるわけでございます。従って、その三円七十銭の補助でいきたい、一応かように考えております。しかし、この生ミルクの問題、それからなお国内産の脱脂ミルクの問題等もございますので、その辺につきまして、農林省当局ともいろいろ相談を今後いたしていきたい、かように考えております。
○小林(信)分科員 私はなぜそんな質問をするかというと、先ほど大臣の構想にもありましたように、将来は脱脂ミルクじゃなくて、生牛乳を飲ませるように、一面生産力の方とも対応して進めていくというような方針が当然とられなければならぬと思うのです。してみれば、生牛乳を飲まし得るところは生牛乳を飲ませなさいというふうに奨励していくことが、そういう将来に向かって発展をしていく姿だと思うのです。それをいや、制度は全国一律でなければ困るんだ、従って生牛乳を飲ませるところは勝手に飲ませなさいというのでなくて、なるべく生牛乳を飲むような方向に指導をしていく、そういう態度がこの計画の中になければいけない、こう思うわけです。大体私が心配をしておる一つは、なかなか児童、生徒に飲めと言っても飲まない。従って、脱脂粉乳が原料が余ってくる。ところがなせ飲せないかということでもって、今度は上の方からどんどん品物は送ってくる。そこで、この前よくありましたように、牛や馬の飼料に横流しをするというようなことが全国的にあったわけです。文部省の中にもこの給食問題をめぐって問題があったことは私たちの記憶するところなんです。そんなことになったらほんとうにこの学校給食というものは宣伝に終わって、かえって学校給食そのものに大きな障害を残すようなことになると思うのです。従って、なるべくこの脱脂ミルクというようなものはだんだん数を少なくして、生牛乳に切りかえるような、そういう方途を持って計画をされていかなければならぬと思います。またこれは、一面おそらく農民からは相当な批判が出てくると私は思うのです。そうでなくても貿易の自由化ということで、農産物は刺激を与えられる。それがまず学童に脱脂ミルクを、幾ら安いからといって外国の余剰農産物を——大臣も前回の委員会で言っておりましたが、外国の余りものか何か知らぬけれども、そうおっしゃっておる通り、これは一般的に共通したことなんです。ほんとうならば馬や牛にくれる飼料にひとしいものです。栄養量はあるかもしれぬけれども、そういう印象を持っているのは事実なんです。そういうものを買い込んで、これが恒久的に使われるのだということになれば、日本の農業に与える影響は私は決して小さくないと思う。そういう面からしても、この脱脂ミルクというものは恒久的なものでなくて、これ一本やりで学校給食でございますといって推し進め得るものではない。これはもっと発展されるべきものであるという考えでいかなければならぬと思うのですが、そういう場合にもし、いや、これが規定だからとか、そういうふうに勝手なことをされたのでは体制というものが乱れるとかいうようなことにとらわれて、学校給食で脱脂粉乳を給与することが行なわれるならば、さっき私が例にとりました、あの子供の通学の問題で言えば、なに、四キロぐらい通うことはからだのためになるのだ、そんな一人ばかりの問題で便宜をはからなくてもいいというような、冷酷な法律や制度をたてにとって実際から遊離した学校給食になるおそれもあるわけです。だから、これにはもっと遠大な、計画的な考え方を持って臨んでいかなければいけないと思うのです。私は先ほど申しましたように、単にこれを、今度児竜、生徒に必ず無償で飲ませますというふうな、そんな宣伝で終わるのでなく、こんなことはほんとうに恥ずかしいことだけれども、将来に希望があるのだ、そういうものを強く出して、強く皆さんが考えて実施をしなければならぬと思うわけです。ことにミキサーですが、ミキサーは日本産のものでもいいのですか。外国産のものでなければいけないのですか。この点でも先生方や父兄がだいぶ心配しております。
○前田(充)政府委員 ミルク、粉乳の攪拌機でございますが、これは外国産のものとか日本産のものとかいうことを申しているわけではございません。しかし単価から申しまして、大体日本産を使われることになると思います。ただ、こういうことによりまして、さらにいい技術で、いい日本産のものができることを私ども期待しております。現状のものでは実はまだ国産のものが幾分の質が悪いと申しますか、そういうものが多いようであります。
○小林(信)分科員 まあ日本産のものでもいいというお話ですが、流れておるうわさでは、日本産のものはうまく攪拌できない、やはりアメリカのものがいいのだというふうなことが言われておるわけなんですが、予算書には一万三千三百校とありますが、これではたしてそういう施設のないところを補えるのか、その点もお伺いしたい。
○前田(充)政府委員 一万三千三百校というのは一つ一つ全部にということにはなっておりません。従いまして幾分少ないわけですが、従来からの考え方から申しまして、一部自己財源でもってやって参っておりますので、そういう点も一部見込んでおりますが、しかし一応これで大体できるのではないかという予想を立てております。
○小林(信)分科員 そうすると、その機械はもうすでに十分買おうとすれば足りるのですか。
○前田(充)政府委員 一日の生産量と見合わせまして、実は三月三十一日までに完全にはむずかしいかと思っております。そういうようなこともございます。さらにまた各学校がお買いになるのに、四月一日からはなかなか困難な点もあるのじゃないか、かようなことも考えまして、今年度につきましては、これから新しくミルク給食をおやりになる学校については、平均して六月ぐらいを考えております。しかし、早くやれるところは四月からやっていただく、どうしてもいろいろな事情でおくれるようなところは、ある程度おくれるというように考えております。
○小林(信)分科員 そういうふうな点を考えても、せっかくやろうとするには、やはり四月当初から実施できるような、そういう万全の措置をしなければいけないと思うのですが、そういう点は、いろいろな問題を考えてみて手落ちがあるわけなのです。六月ごろから実施されるだろうというようなことを、さっきのお話の中にもあったわけですが、ほんとうに一日も早くやろうという親のような気持を持つならば、こんな、計画されて二カ月もたたなければ行き渡らぬというふうなことはないわけなのです。そういう点はやはり私は、今度学校給食を無償でもってやりますよと、一円かそこらのものを子供にあてがって、そしてのほほんとしておるところに、いわゆる文部省の批判を受けるところがあるのじゃないかと思うのです。そこで、この給食の問題で、私たちは前々国会ですか、社会党案として法案を出しましたが、そのときに、せめてパンとミルクとバターぐらいは一日も早く無償にしたい、こういう考えで臨んだわけですが、残念ながらそれが通らなかったのです。文部省としては、これを行なおうすれば、どれぐらいの予算が必要になるか計算されたことがありましたら、お伺いしたいと思います。
○前田(充)政府委員 パンとバターとミルクについて、全部無償でやった場合、幾らかということは、私存じておりません。
○小林(信)分科員 そんなことはないと思うので、私たちでさえも計算をして、そしてどれくらい予算があればできるかということを考えておるわけなんで、文部省もこれだけの仕事をしようとするときに知らないなんてことは、非常に無責任だと思うのです。
○前田(充)政府委員 今日の値段ではないと思うのでございますが、先生のお話の時期かと思いますが、文部省でその当時計算いたしましたのでは三百七十三億円、そういうことになっております。
○小林(信)分科員 四十億の予算を出してこれを実施する。それから先ほど人件費が九十何億必要だというような話があったのですが、これをもう一ぺん一つ御説明願いたいと思います。
○前田(充)政府委員 小学校が九百人規模で調理人三・五人あて、八十一億でございます。中学校は七百五十人規模の調理人一人、十八億でございます。そのほか、これは主として完全給食の関係になるかと思うのでございますが、栄養管理職員、これは市町村に置くべき栄養管理職員でございますが、一億でございます。
○小林(信)分科員 私のあとに質問者がないというふうなお話だったから、少しよけいに、要点以外のことをお聞きしたわけですが、あとがあるようでございますので、今度は要点だけ聞いて参りたいと思います。 そこで、人件費の方の問題でございますが、人件費というよりも、おそらく今の九十九億、これは従業婦というふうなものが対象になっておると思うのです。こういうふうに学校の給食というものが、これから完成に進んでいくというならば、人の問題をやはり計画されていなければならぬと思うのです。従って、今までのように未亡人の方あるいは父兄の中から順番でもって係が出て、そして学校給食をやっておったというふうなことを、このまま続けたらいけないと思うのですよ。ことに脱脂ミルクをくれるような場合は、時間的にも短い時間で済むし、そう作業も困難でないから、またおそらく父兄がかわり番こで出ろというようなことになってくると思いますが、そういう状態を放置しておったのでは、あなた方の希望するような発展というものはないと思うのです。やはりこういう人間の面も整備していかなければいけないと思います。従来のような従業婦という形で、未亡人の方なんかが奉仕的に出られたのですが、いつまでも奉仕的に働いているわけにいかぬから、市あるいは町村に頼んで、だんだん給与をきめてもらうような形になってきているわけですが、最近のような人手が少なくなって参りますと、これがなかなか得られない。従って、先生が授業を省いて、この仕事に当たるような形になってきておるわけです。そういう点からも、この点を整頓していかなければいけないと思いますが、栄養士なんかもこれから計画的に養成して、そしてこの中に繰り込んでいくような考えを持っておるのですか、どうですか。
○前田(充)政府委員 やはり学校給食は、非常に経費が少ない経費で、栄養をできるだけ多くとらなければならない、かような立場から申しまして、栄養士が必要であることはお説の通りでございまして、私ども賛成でございます。今年とりあえず栄養管理職員を町村に置きまして、これに巡回指導をしてもらうような方法をとったわけでございます。
○小林(信)分科員 次に教科書の問題でお伺いしたいのですが、新聞等でも盛んに、今度の教科書の無償をめぐって、文部省の教科書制度に対する考え方というものが問題にされてきたのですが、きのう閣議を通って法案も出されて参りましたが、私たちは非常に驚いたわけなんです。教科書を無償にするという、国民が非常に渇望しておった問題が、今度は解決されるということで喜んでおったのですが、あにはからんや無償と同時に、とんでもないものがこれについて出てきたわけです。要するに、選択の地域を拡大するとか、あるいは選定委員会というふうなものをつくって、教科書の選定というものは一部の人にこれがゆだねられるというような点から、それが教育行政の中にどんな影響を及ぼすかということを考えると、非常に問題になってくるわけです。結局、先ほども申しましたように、人づくり政策がこの教科書問題を一つとって考えれば、結局それは文部省の意図に沿った人間をつくっていくというふうな統制的な人づくりである、私はこういう意見を持つものでございまして、できるならば、この法案を、まだ付託になっておりませんが、再考してもらいたいという考えでおるわけです。いずれその法案の問題につきましては、委員会のおりに詳しく御説明を受けるつもりでございますが、一体その教科書一日を選定するということは——検定制度なり、それから各学校の自由な選択というものが今までは考えられておったのですが、これが今度の法律のような形になって、選定委員が選ぶというような形になって、教科書本来の姿というものを私はなくしてしまうような気がするのですが、こういう点につきましては、大臣はどんな考え方でこれを推し進めようとしておるのですか。
○荒木国務大臣 教科書の選定は、御案内の通り、現行制度で教育委員会が選定することに相なっておるわけであります。市町村段階で選定する建前でありますが、実際問題としましては、今まで多年の経験からいたしまして、多くは郡市単位に選定されるというのが一般だと承知いたしております。そういう今までの経験、実情等を考慮に置きまして、市町村単位に固定せずに、ある程度広域採択の考え方でやった方がより適切であるというふうな考え方でおるわけでございます。
○小林(信)分科員 その適切だというところをもう少しこまかく御説明願いたい。何が適切なんですか。どういう点が適切だとお考えになっておるのですか。
○荒木国務大臣 さっきも申し上げましたように、実際上の経験がそれを必要とする、合理的だとする理由もむろんございますが、さらに教育的な見地からいたしましても、町村単位でやるよりも、もう少し広域に及ぼした方が教育的立場からの効果が期待できる、また教科書を使う児童、生徒側から見ましても、そのことが実情に適する、便宜である、それらのことを考慮いたしまして、多くの都道府県が郡市単位になっておりますので、そのことも考慮して今お答えしたようにしたい、こういう考え方であります。
○小林(信)分科員 より適切であるということがやっぱり御説明されておらないのですが、より適切というのは、採択単位が広くなれば広くなるほど教育的により適切だ、こういうお考えですか。その教育的により適切だというのは、どう教育的に適切だということであるか、そこをお伺いしたいわけです。
○福田政府委員 大臣のお答えになりました趣旨について、補足して御説明申し上げますと、現在、学校の教科研究なり、あるいは教師の共同研究といったような場合におきましては、市町村、町や村の狭い単位でやりますよりも、もう少し範囲の広い郡市、あるいは場合によりましては郡市より出る場合もありますが、かような若干広域な地域でそういう研究が行なわれるのが多うございます。そういった点から申しまして、教師の教科研究なり、あるいは共同研究といったような面から申しますと、教育的な面におきまして、同じ教科書をその地域の学校で使うということの方がより適切であるということ、また児童、生徒の転学等の場合を考えましても、ある程度同じ地域の児童、生徒は同じ教科書を使う方が工合がいいというような便宜もございます。そういうようないろいろの教育的な配慮と同時に、また一方におきまして、無償措置を講ずる関係から申しますと、できる限り安くていい教科書をつくっていきたい、こういう要請が一方においてございますので、そういう事情を勘案いたしまして、大体現在行なわれておりますところの郡あるいは市の地域、あるいは場合によりましては郡市を合わせた地域もあろうかと思いますが、そういった現行の共同採択地域を基準にして今後広域採択を行なっていく、昨年持たれました臨時義務教育教科用図書無償制度調査会におきまして論議されました際にも、そういった趣旨で答申がなされております。従って文部省としては、その答申の趣旨に従って今回の立法措置を講じたわけでございます。
○小林(信)分科員 研究をするのに都合がいいからという、それは研究をするために偶然都合がいいから一緒になるのならいいですよ。ところが、法律でもって地域をきめて、そして研究を同じにしろというようなことは、これは非常に矛盾した非教育的な考え方だと思うのです。それから子供の転校等の場合に都合がいいからという、こんなことを理由にしたって、それは理由にならないと思うのです。それから教科書が安くなるという、これも逆の面があるわけなんです。かえってその教科書が悪くなり、そして、こういうことにすることによって、勢い業者間の競争というものは激しくなる。教科書汚職などが今後また出てきたら、それこそ教科書に対して子供たちが信頼をなくするようになる。そういう点を考えれば、そんなことを理由に統一するとか地域を拡大するとかいうようなことは理由にならないと思う。私はもっとこの点で理由があるなら理由をはっきり聞いておきたい、ないならないでいいですが。
○福田政府委員 以上申し上げましたような理由でございまして、調査会におきましても、そういった趣旨で、広域採択の方法を整備する、こういうような答申になっておるのでございます。
○小林(信)分科員 それではまず最初にお聞きしますが、教科書がこういうふうに地域を拡大して統一採択になれば安くなるというのはどういう理由でありますか。安くてよい教科書ができる、こういうふうにおっしゃっているのですが、どういう理由からそういうことが成り立つのですか。
○福田政府委員 これは、種類が非常にたくさんございまして、そうして少部数のものがいろいろ出てくるということよりも、ある程度まとまった部数で製造、供給が行なわれますことが、定価にはかなり響くわけでございます。そういった意味で広域採択の方が低廉化に資するということは、これは言えると思います。
○小林(信)分科員 そうすると、いわゆる業者が今百幾つかある、こういうふうなものはなるべく少数に整理されることの方が望ましい、そうすれば、一つの会社でもって大量に生産をして、そして価格を低廉にすることができる、こういうことにもなるわけですが、こういう点をねらったわけですか。
○福田政府委員 現在は八十六社ございますけれども、かつてはもう少し多かったようでございます。従って、今一定の学童数等を考えますと、やたらに教科書会社が多くて、その間に無用な競争が行なわれるということは必ずしも望ましくないことでございます。しかしながら、直ちに今ある会社を整理するとか統合するとかいうような方向では決して考えていないわけでございます。従来の会社の経験なり既得権というものはできるだけ尊重するという趣旨でございます。
○小林(信)分科員 しかし勢いそうならざるを得ないと思うのですよ。実際上これからやってみていただけばよくわかると思うのですが、これは選定委員会二十人がまず五種の教科書のうち 一種目をきめる。ここのところが各業者間のせり合うところだと思う。そういうようなときに脱落するのは小さい会社なのです。大きい会社しか残らないのです。さらに、その五種の中から市町村の教育委員会が一種、共同して協議の上でもって選ぶ。これもおそろしい熾烈な競争が出てくると思うのです。そういうふうな場合に、やはり小さい会社はだんだん脱落して大きい会社しか残らない。要するに、これは大きい資本家あるいは独占的なそういう会社を残す、擁護するような形になってくるわけなのです。そういうふうなものは良心的な教科書をつくるということよりも、いろいろ手を使って自分のところの教科書が確保できるように、今度は今までのようにいろいろな工作をしなくても一カ所でもって大きくねらいさえすれば、教科書というものは採択できるわけです。これは裏話ですが、実際そういうことが現在行なわれているわけなのです。これをいかに防ぐかということが今まで問題になってきたわけですが、防ぐどころか、これがかえってますます大きくなってぐると私は思うのです。そうすれば、これは小さい会社を整理して、大きな資本の会社に集中するという政策がとられてきた、こういうふうに結果的には見られるおそれがあるのじゃないかと思うのです。そういうふうな場合に何を出版会社は考えるかといえば、文部省の検定が通るように、ことに今度は大へんな権限が出まして、工場の中に立ち入ったり、あるいは必要に応じて帳簿を調べるというような権限が大臣に出てきております。そういう点から考えてきましても、教科書というものは今度は文部省の御意図に沿うよう一な編さん、編集をするというような形になってきて、良心的な教科書という一ものは私は絶対に出てこないと思う。やがてそれは今度は大きい会社が競争一をするというふうなことがうまくいかぬから、何とか国定と同じような形にしようじゃないかということは当然出てくると思う。してみれば、これは羊頭を掲げて狗肉を売るという形になって、よい教科書、安い教科書になるかもしれぬけれども、非常に片寄った教科書が出てくる、こう思うのです。一体教科書を今日のような制度にしたということは、やはり政治的な支配とかあるいは権力の支配、そういうものから教育がのがれるためにつくられた制度なのです。それを少なくなるからいいという考えでもってもし計画されるとするならば、その大方針、基本的な教育行政の問題というものがそがれてくるおそれがあると私は思うのです。それから研究というふうな問題を主にされまして統一された方がいい、こうおっしゃっておるのですが、この前展示会をされたのですが、あの展示会は一体だれが行って本を見たのですか。
○福田政府委員 現在行なわれております展示会には、学校の先生あるいは校長、それから指導主事、教育委員会の職員、そういう関係者が展示会に参りまして、教科書の研究なりあるいは調査をやっております。
○小林(信)分科員 大臣はさっき教育委員会に採択の権限がある、こうおっしゃつたんですね。ところが実際においては、今局長さんが言われるように学校の先生あるいはその他指導主事、こういうふうな人たちも展示会に行って本を見ているわけですね。何か話がおかしいじゃないですか。
○荒木国務大臣 選定の責任者がだれかということと、現実に展示会に行って見る人がだれであるかは、必ずしも絶対に一致せねばならぬ事柄ではないと思います。たとえば文部大臣にいろいろな権限が与えられておりましても、文部大臣一人で何もできない、実際は輔佐機関が調べて、その結果を聞いて、自分の責任において処理する、そういう関係と同じ関係だと思います。 なおまた、先ほどお話しの中に、国家権力をことさら振り回して新たにどうしようということは、教科書の内容そのものには全然ございません。そういう考えは一つも持っておりません。あくまでもこれは、学校教育法の定めるところの学習指導要領をつくる根源たる教科に関することを文部大臣が責任を持って国民のために定めろ、さらに文部大臣が検定した教科書以外は使ってはならない、義務教育ないしは後期中等教育なるがゆえに政治が国民に責任を負えという角度から定められた権限、それを権力といえばまさに権力といえましょうけれども、現行法規に定めるもの以外の新たなる権限もしくは権力を設定してどうしようという考えは毛頭ございませんことを、ついでながら申し添えさせていただきます。
○小林(信)分科員 最初に申したいのは、今大臣はそうお考えになっておられるし、それから今文部省の中にそういう権力を行使して、そして教育行政というものを画一的にやろうという考えはなくても、かつてはそういう時代があったわけです。それを再び繰り返してはならないというところに現行制度というものは生まれてきたと思うのです。それがだんだんもとに返るような傾向にはございますが、新しい教育行政というものは過去への反省からして今大臣のおっしゃった点が重視されたわけです。私もその点は大臣と同じ見解でございますが、いつ、いかなる時期にこれがもとに返るような危険がないとは限らない。だから私たちはそういう危険というものを常に考慮して制度というものを考えていかなければならぬという観点から申し上げたのですが、そこで大臣が、責任は教育委員会にある、しかし実際に展示会に行って見る人はだれと私は言わないと言われたが、その通り、それはそれでいいと思う。ところが実際においては学校の先生が展示会に行って教科書を見ているわけです。それは検定の中から教育委員会が選んできたわけでしょう。しかし教育委員会はやはり直接児童に接する先生の意向を重視して、先生たちに展示会に行って教科書を見せておるわけです。この現実を忘れてはならないと思う。やはり教師が自分が教えるわけです。それが国定という統一された教科書でなく、各発行会社が指導要領に基づいて検定を受けて、そして自分たちの良心的な立場から教科書というものは編さんされていく以上、その中から教師が環境を考え、教師の教育観に立って教科書を選ぶというところに指導要領を出し、教科書業者が自分たちの自由なる考え方から教科書を編さんして、そこに画一的な教育でない、権力支配あるいは政治的な支配を受けないという教育のもとがつくられておると思うのです。だからそこで忘れてはならないのは、現場の教師がほんとうに情熱を持って、誠意を持って教育に当たる、それが一番重視されなければならぬ問題で、そのためにはやはり教師が教科書を選ぶというこの段階というものは忘れてはならないと思う。それが今度のこの制度ではなくなっていくと思うのですが、どうですか。
○荒木国務大臣 これはえらい御心配のようなお言葉でaけれども、小林さんのおっしゃられることは、今後といえども続けられていくべきものであろうと思います。選定委員会等がかりにできましても、その委員が展示会に行ってすべての見本を渉猟して、これがいいということをやろうにもできないことは、今の市町村の教育委員会が、選定責任者でありますけれども、先生たちの協力を得なければできないという現実問題は、依然として同じことであって、そういう単なる現実ということを離れましても、現場で教える先生の意見を聞くということは、責任を果たす上からも必要なことであろうと、常識的にだれしもさよう考えることだと思います。従って、今まで行なわれておりますことを特に否定するなどという意図は、文部省には全然ございません。
○小林(信)分科員 どこで一体、先生たちが教科書を選ぶための意見を申し出る機会があるのですか、今度の制度の中で。
○福田政府委員 都道府県の教育委員会が、管内の小中学校につきまして使用すべき教科書を選定する際には、もちろん現場の教師等の意向も十分反映するように、選定委員会の構成等にも当然考えるようにいたしたいと思っております。また県内のいろいろな研究団体等の意向も、当然そういうところに反映してくるものと考えております。また市町村の段階におきましても、従来から教師は選定すると申しますか、教科書の研究は従来からいろいろと活発にやっておったわけであります。従って、そういうような教科書についての研究の結果が、市町村の採択に反映するような事実上のやり方は、これは従来と同じように私どもは考えておるわけでございます。そのために、都道府県の教育委員会では、県内の教科書についての研究事業等について、必要な事業を計画したり、あるいはそれを実施に移したり、そういうような任務を新しく加えられるわけでございます。そういった面で、さらに今後とも教科書の研究事業というものは適切に、また活発になることを期待しておるわけでございます。
○小林(信)分科員 そんなことをそこで幾ら言ったって、実際には絶対できないと私は思う。そんなことを言っているから、文教行政というものはますます信頼を失ってきて、荒木国務大臣は日教組に対してますます悪口雑言を言わなければならぬようになる。一体、日教組に悪口雑言を言うということは、こういう点から考えても、大臣が種をまいたことになると思うのです。一体最初、選定委員会は二十人でもって数種を選ぶわけでしょう。たくさんな教科書から数種を選ぶ。今局長が言われたように、研究会を開くとか、事業をやるとか、あるいはその構成の中にどうのこうのといいますが、ほんとうに地域全体——県下なら県下の地域全体というふうな特殊事情というものを考慮するような、そういう人間的な配慮がなされるかどうか。一体、教師が二十人の中に幾人が加えられるのかという点から考えても、こんなことは言うだけであって、実際には行なわれないということは、もう明らかなことなんですよ。それよりももっと根本的に考えていかなければならぬことは、現在の教育委員会法、改正されたものは、あのときに教育委員は任命制になったわけですが、その任命制になるときに、文部省は何と言ったか。決して政治的な力というようなものはこの中に入ってこないようにいたします。ところが現在全国の都道府県の教育委員会あるいは市町村の教育委員会をごらんなさい。文部省はそのときには、政党色なんというものはこの中へ入らないと断言しておるけれども、現在はもう一方的な政党色でもって塗りつぶされておるようなものです。(「そんなことないよ」と呼ぶ者あり)そんなことがないというなら、私の県なんかの今度の知事選挙でもって、教育委員さんがどんなことをしたか。はっきりこう申し上げてもいいと思うのです。そういうふうに教育委員がまずもう、文部省が考えておるような、委員会でもって断言したような、そういうものからおよそ遠ざかった姿になっているわけなんです。それへもってきて、今度のこの制度を出したらどうなるかということは、これはもう局長がそこでもって机の上でもってしゃべってできるものではないのです。現実にはもうずっと政党的な色彩というものを持ってきているわけなんです。従って、ここへもって現場の先生の意向が入るなんと言ったって、とんでもないことだと私は思うのです。何かそれに対して、絶対にそういうことはないという、これからの運営なり制度なりでもって言明できる点があったら、言ってもらいたいと思います。今おっしゃったようなことでは、現場の先生が自分が手にした教科書が、自分の意図が十分に反映されておる教科書だというような気持でもって扱うことはとてもできない。あてがわれた教科書——国家統制の国定教科書じゃないけれども、県の教育委員会という相当色を持つ人間が選んだものだというふうなあきらめの中で、教育が行なわれてくるような姿になると思うのです。何かその点で解明できるものがあったら、お聞きしたいと思います。
○福田政府委員 従来現場の先生が教科書の内容等につきましていろいろ研究しておりましたことは、これはおっしゃる通りでございます。しかしながらその研究した結果が、直ちに百人が百人とも自分が満足するような教科書の選定に反映しておったかというと、それは必ずしも現実はそうはいっていないと思います。やはりいろいろ自分の意見も出し合い、他人の意見も聞いて、結局教育委員会がこれを採択権を持っておりますのできめるというような方法でございますので、できる限り現場の声を反映させるということが非常に必要なことでございます。しかしながらその結果からいって、百人が百人自分の思い通りになったということはないと私は思っております。従って今回の場合におきましても、教科書の内容等につきましてはできる限り、県のスタッフのそろっているところ、あるいはまた現場のいい先生のいるところで十分研究が行なわれて、その意見というものが十分県の段階あるいは市町村の段階におきまして、反映する方法を講じていきたい、こういうふうに考えておるわけでございまして、もちろん委員会の中、審議会の中にも、そういった現場の先生なりあるいは専門家の委員も相当入ると私は考えておるのでございます。
○小林(信)分科員 今局長の言うことが、もしほんとうに局長の考えであるとするならば、これは大きな問題なんです。というのは、今までも現場の先生百人の考えが百人が百人教科書の中に意向が反映しなかったのだ、今までもそうだったから、だから今度も、それよりももっと今度は反映しない姿になっても差しつかえがない、私はこういう議論だと思いますが、それは大きな間違いだと思うのです。建前はなるべく教師一人々々の意見というものが反映される教科省採択でなければならぬと思うのです。今までも反映されなかったのだから、なお反映されないようになっても差しつかえないのではないか、こう私は受け取るのですが、どうですか。私はそんな議論はないと思う。
○福田政府委員 そういう意味に申し上げたのではありません。できる限り多数の意見が入ることは望ましいわけでございますけれども、それはいわばAの個人が自分の主張のみでやるというようなことでなくて、やはりその地域あるいは学校の教科書を採択する場合におきましては、いろいろ同僚なりその他の関係者と話し合って、その結果に基づいてあるいは自分の主張が通らないこともあろうかと思いますが、結果においてはいろいろ相談の結果、何か適当なものにきまっていくという過程を申し上げたわけでございます。そういう誤解のないようにお願いを申し上げたいと思います。
○小林(信)分科員 それはそれでいいといたしましょう。しかし、とにかく意見の反映する機会というものは薄くなる、あるいは少なくなってくるということは事実でしょう。それは認めるでしょう。
○福田政府委員 少なくなるというよりも、そういう教科書の研究事業については、いろいろ権威のある人たちによって、十分徹底して行なわれることが望ましいと考えておるわけです。従ってそういう場合におきましては、もちろん県の指導主事その他の専門家もおります。現場のそういう非常に研究しておる教師もあります。そういう人たちの合作とでも申しますか、一緒になって研究した結果が、そこに現われていくというような姿になろうかと思いますので、私はそういう意見が反映することが少なくなっていくというようには、必ずしも考えていないわけでございます。
○小林(信)分科員 これは論議しても切りがないと思うのですが、現場の先生より専門家の方、そこが問題なんです。だれをもって専門家と称するかということです。その専門家の選択の仕方というものが、教師の一人々々から離れて、ある特定の権力を持ったところでそういう権威のある人が選ばれるということが、教科書をゆがめる——教科書が従来の指導要領に基づいて出版会社が自由に編さんする、ただし検定を通る、その検定を通ったものを教師が自由に選ぶ、この形というものがゆがめられることは、私は間違いないと思う。権威のある人、こういう判定をするところが、教育委員会あるいは文部省ということになってくるところに、おそろしいものが出てくるのじゃないか、こう思っているわけです。とにかくこれは文教委員会でまたこまかく論議することにいたしますが、先ほど申しましたように教科書制度というものは、現場の教師が責任を持って教科書を選ぶ、そして自由な編集を業者がやる、その中から選ばれるというところに、私は教科書が画一的にならず、ほんとうに生々発展し、いかなる権力にも政治的な支配にも属さない教育が成り立つという一つの形があったと思うのです。それが今度、教科書を無償にするという美名のもとに、その裏にこうした考え方がなされておるということは、非常に残念なことだと思うのです。それが今回の人づくりの予算として出されておるならば、一番最初に申しましたように、もっと現場の問題というものを考えて、やはり一人々々の教師がほんとうに自分が生きがいを感じて、誠意を持って、情熱をたぎらせて教育をするというところに、焦点を置かなければいけないのじゃないか。今のような、先生よりも、権威のある人が、こういうふうな形で持っていけば、一般の人たちはちょっと考えれば、なるほど安心した教育行政かのように考えられるけれども、私はそこに将来に対して危険を感じなければならぬ問題があると思うのです。従って、今政府が言うところの人づくりとは、一体何を考えているのか。現場の先生というものは無視して、もっと文部省が権力を持ち、あるいは時の政府が政治的な力を持って教育を行なうところに、よい人づくりがあるのだというような考えを、この予算の中から考えざるを得ないわけです。そんなことでほんとうに人づくりができるかどうか、私はこの予算の中から以上のようなことを強く感じておるわけでございます。 以上です。
○倉成主査代理 本島百合子君。
○本島分科員 今日高校入学のシーズンでございますが、私立学校の試験がようやく終えて、高校ではまた公立の学校が来月早々に始まるわけです。町でいろいろと聞いてみたり、また自分で実際にぶつかってみて考えられることは、合同の生徒急増に対しては、大体百パーセントとはいかないが、それに近いだけの収容ができる、こう文部省あたりも言っておられたようです。数の上からいえばそれに違いないかもしれませんが、現実の面で見てみますと、大体進学いたしますときは、中学の受け持ちの先生等が、成績に応じて、どの学校がよかろうというような形で、二校なり三校なりを選ばしておる。そうしてその中で自分の好きな学校に——一応私立学校をきめておいて、それから公立を受けられる成績のある子供は来月の公立の試験を受けよう、こういう態勢できておるように見受けられるわけなんです。ところが私立学校は御承知の通り、入学金に伴いまして校債なりあるいはまたいろいろの寄付金というものがあるわけなんです。ですからせっかく合格という通知を受けても、その金が払えないから待ってくれというような家庭が非常に多いわけなんです。同時に、待ってくれでなくて、払った金を返してもらいたい、かりに公立の学校に受かったときには、はっきり返してもらいたいというような声さえあがってきておるわけなんです。勤労者の家庭で、高校にどうしても入れなければならぬ、入れたいが、私立学校は先に試験がありますので、ここで子供の将来の安定のためには、どこか私立を受けておかないと心配だという傾向から、こういう結果にもなったと思うのです。こういうかりに三月の公立の学校が終わりまして入学がきまったときに、私立学校に納めた月謝を返せ、あるいは校債その他を返せ、こうやられたときに、私立学校は運営上困ってくると思うのです。こういう場合に、すでに新聞紙上等にも報道されておりますが、そうした運動が必ず起こってくると私ども思うわけなんです。この運動が起こった場合、文部省としてはどういう態度で臨まれるのか、お聞きしたいと思います。
○杉江政府委員 実際の状況は、ただいまお話のような事情がございます。親の立場から考えますと、やはり何とかならぬものか、こういう考えが出るのも十分うなずけることでございます。ただこれを私立学校の立場から考えますと、やはり私学経営という見地から従来も行なわれておりましたことでありますし、また現状におきましても、これは入学案内その他にもはっきり規定しておることでございます。そういうことを承知して入ってきた場合に、入学案内等に書いてあることに反して、これを返してくれという主張は、私は現実問題としては必ずしも筋の通った主張とは言えないかと考えます。法的に考えますならば、この入学料というのは、特にはっきりした内容についての規定はないのでございます。ただ学校教育法施行規則に、学則において授業料、入学料等の規定を設くべきことの規定があるのでありますけれども、入学料というものはどうあるべきかというようなことは定められておりません。だから現実問題としましては、私立学校の学則に規定されておる、そしてそこに規定された仕方によってこれを学校は徴収し、また父兄はそれを支払っておる、そういうことになるわけでございますが、前に申し上げましたように、親の立場の主張はわかりますが、現実問題として必ずしもこれを不法だ、また不当だということを、一般論としては言えないように私は思います。ただしかし実際の事情におきましては、必ずしも妥当でないというような金額とか、その取り扱い方がないとは言えません。そういう点については、もちろん私立学校側として反省し、自戒すべき点はあろうかと思います。しかしそれは一般論としては言えないことであり、数においては必ずしも多くない。それでは根本論としまして、そのような事態をどう改善するかという問題があるわけでございます。それはやはり私学自身の努力ということもありますけれども、私学自身の努力だけで、必ずしもそのような事態が改号されるということも、期待しがたいように私は思います。私学経営に対するいろいろなとるべき保護ということが、やはり根本的に必要な問題であろうというふうに考えるのであります。そういう意味から、現在とられております各般の公的保護、たとえばその最も大きなものは私学振興会の融資でございます。こういうふうな融資額は相当大幅にふやしていく。その他産業教育とか科学技術振興という立場から、現に補助金が出ておりますけれども、そういうふうな各種の補助金または融資あるいは税の減免、そういう現在とられているような線に即してそれを強化していく。こういう措置によって次第に改善していくべき課題ではなかろうか、私はかように考えております。
○本島分科員 ちょっと大臣にお伺いいたしますが、ただいまの御答弁はもっともな答弁で、だれもがそう一応は考えるわけなんですが、来年もまた生徒急増のために、ことしと同じような轍を踏むわけです。しかも全国的に両校増設運動というのは、町から村へと大きな組織体になっておるわけです。従って、この組織体は来年も高校増設の運動のために働いていくわけなんです。同時に、今申し上げた私立学校への入学金を返してもらいたい、また返せという前に、やはり公立と同じようにしてもらいたい、入学金が非常に高いということで、私学へ一応入る形式はとっているものの、さて、実際面ではただいま申し上げたように、金は入れたが、やはり公立に行ったときには返してもらいたいという気持になるのは当然です。またかわいい子供のことですから、何とかしておかなければという気持で納めておくのが、親の心理です。こういうように考えていけば、これが矛盾であるということはだれもがわかっておりながらも、何とかしてもらいたいという動きが、政治的な面で起こってくることは当然だと思うわけなんです。そういう意味でこれが皆無だ、そういう声は一応出たけれども、具体的に要求がされていないのだからというふうに思われておると思いますが、私はこれは必ずはっきりとした政治闘争という形で時ってこられる危険があると思うわけでございます。従って、そういう場合における文部省としての見解を、ただいまのようなことでおっしゃっても、ちょっと納得がいかないという気がいたしますので、大臣としては、かくあるべきだというような線で御答弁願いたいと思います。 それから同時に、私学振興のことをおっしゃったので申し上げますが、ことしも私学会の方から相当額を要求されておったことは御存じの通りであります。今の御答弁でいけば、私学振興なり財政投融資のワクなりをふやし、あるいは税金の免除、こういう点を勘案すれば、不当な入学金あるいは入学金に伴うその他の校債等の問題は、解決するのではなかろうかとおっしゃったわけですが、それならばなぜ今日のように急増し、いろいろな形において、公立と私立の差を撤廃せよという国民の要求があるこの時期に、もっと大幅にこれをしてもらえなかったか。私学振興等につきましては、四十億円の要求がありましたのに対して、十二億円しか出していない。これは前年度と同じであるということであります。また財政投融資等につきましては、私学会の方からは六十億円の要求があったはずでありますが、これに対して二十億円程度しか出していない。こういう状況で、私学もぎりぎりの線で要求したわけですが、現在、申し上げたように三分の一程度である、あるいは振興会出資次等も昨年度と同じである、こういう状態の中では、ただいま申し上げたようなことが、私学側の声でなくて、一般父兄の側から声が起こってくるなんという矛盾したことまで出てくるわけです。そういう点について文部大臣は、今後こういう私学振興というものに対して、大幅に考えていかれるかどうか。予算が計上され、審議されておる途中でございますけれども、今日の状況からいたしまして、本年度においても何とか増額がしてやれるのかどうか、同時に来年度においてもう少し大幅に考えていくことができるかどうか、これは見通しになりますが、そういうところもお答え願いたいと思います。 特にこの中で、私学側における理工系の学級増設等について、こうした二十億円程度ではどうにもならないということは、すでに私学側から文部省には強い要求、苦情が出ておるはずです。こういう点につきましても、理工系の生徒をふやしていかなければならぬということは、産業面から見ても当然だという情勢にきておるにもかかわらず、本年度こういう査定をされ、こういう予算を決定されたということは、どういう理由であったのか、あわせて御説明願いたいと思います。
○荒木国務大臣 本島さんのお話のような、入学金についての何か知らぬ騒然たるムードが起こり始めておるのは、新聞を通じて承知しますが、教育の場の青年あるいは親との関連において、特に教育の場であるがゆえに、そういう関連において政治的なにおいのする動きがあるということは、好ましい状態ではないと思います。そのことが新聞に伝えるがごとく、集団的に訴訟事件として扱いたいというようなこともあるようですが、裁判所に訴える権利は自由ですから、何人といえどもこれをはばむわけにはいかないわけです。ですから、それはこうなったら裁判所の判決に待つほかない事柄だと思います。入学金とは一体何だということは、私も法律的にはよくわかりませんが、常識的に考えれば、一種の手付だという説もあるようであります。そういう非常に純法律的な立場で考えれば、手付分の倍戻しということが昔からいわれておるようですから、返せということは当然にいわれるかどうか、きわめて冷酷むざんに概念論を言えば、ちょっと困難ではないかというふうに思うわけであります。 それはそれといたしまして、こういうことをめぐっていろいろと問題を起こしますことが、好ましいことでないということは確かでありますから、今後に向かっては、そういうことのないように、対策がある限りは全力を尽くすべきだ。一般論としては、私そういう心がまえであります。しからば、具体的にどうすればこういう悩みが解消するかとなりますと、第一には、私は私学みずからも自粛自戒すべきはしてもらうということも一つ必要だと思います。さらにまた学生、青少年、親、保護者の立場においても、十分に自分の子供の能力、適性を考えて、学校志望をしていただく余地なきものか。さらに学校当局も生徒の適性、能力を十分に承知のはずですから、その能力、適性に応じて進学指導をしていただくということもやっていただきたい。今までもやられてはおりますが、もっと着実にやっていただく余地があるのではなかろうか、そういう面の御協力も期待するものであります。 それとお話にもございましたように、私学振興という事柄に国の立場でどう取り組むかということにも、むろん問題があろうと思います。元来私は、私学というのは国立公立と違って、いわば自主的に独自性を発揮しながら、固有の学風を魅力として学びたい者が入ってくることを期待する施設だと思うのですが、その財政的な根源は、元来は自己資金あるいは民間の浄財でもって、国や公共団体の世話にならぬということに端を発して、今日に至っておると思います。しかし私学といえども、国民全体、国家的な立場において要求されるその期待にこたえる公共性も多分にあるわけですから、その点をとらえて、国なり公共団体が合理的な協力、援助の手を差しのべることも必要なことだと思うわけであります。ところがその限度が一体どういうやり方で、どこまでであるべきかということも、これはむずかしいことでございますけれども、一定の限度があるべきことは私学である限りやむを得ない、国公立と同じであるはずがないという課題だと心得ます。 そこで、今日までやってきておりますことは、すでに今お話にも出ましたように、特に国の立場で私学にお願いしてでも協力してもらいたいという課題については、乏しいながらも国からの助成金を差し上げる、それ以外の公共性を念頭に置きましての考え方としては、学校経営に必要とする低利長期の資金をできるだけ豊富に提供するというやり方、及び民間の浄財が私学に流れやすいような措置を講ずる——税制上の問題でございますけれども、そういう措置を講ずる。そういうことが国の立場で考うべき考え方ではなかろうかというので、今日に至っておるわけでございます。ただいまのところ私は、それ以外に特別に私学経営の経常費を財政資金でまかなうということはいかがであろうか、私学の自主性と独自性に関連を持ってくる課題ですから、簡単には結論が出ないで、思い悩んでおる課題の一つであります。そういう考え方でございましょうとも、助成金なり、あるいは今度新たに三十八年度から実施する予定になって、御審議をわずらわしております財政投融資にいたしましても、御指摘のように私学側の要望にこたえるほどの十分なものではないかもしれません。しかしその年々財政規模に限度があるものでございますから、心ならずもああいう線で一応結論づけざるを得なかった。われわれの努力すべき余地が残っておるとすれば、今後の努力の積み重ねによって、その期待にこたえたいと申し上げるよりほかには、申し上げようがないわけでございます。しかし財政投融資が新たな制度として考えられ、追加されましたことは、私は一つの朗報だと申し上げ得ると思います。惜しむらくは二十億ぽっちりだからだめだとおっしゃいますが、二十億で今後絶対ふやさないというわけではございませんから、将来のふくらんでいくであろうことを御期待願いたい、そのための努力をわれわれはしていきたい、かように思っておるわけであります。
○本島分科員 私学の精神は、大臣がおっしゃった通りだと思いますが、戦争によって、戦後の日本は大きく変わって参ったという、一つの客観情勢もあるわけなんです。それというのが、御承知の通り進学率が非常に高くなって参っておりますから、中学から高校への進学というものが、従前四対六で、進学は四という程度に考えていたものが、今日では大体八割何とかになっておるはずです。私の近所の学校を調べてみますと、従前六割そこそこであったものが、ことしの高校進学率は九割七分までいっているのです。こういうふうに高校へ進学する空気が非常に強くなった、向学心に燃えてきておる、教育をしようというような考え方、こういうものが急速に発展してきておるということも、考え合わせなければならないわけです。同時に大学の場合におきましても、戦前と比較して大学進学率は非常に高くなってきておる。こうした場合において、今大臣の言われた根本精神ではなくて、日本の特殊性ということから、公立で受け入れられない生徒は、どうしても私学の方に願わなければならない。私学はやはり教育の場を担当してやっておるわけなんですから、どうか理屈でなく、理論でなく、教育の平等性から、公立と私立の差を早く撤廃して、そして公立も私立もその精神を生かしながらやっていけるというやり方、そういうものに到達していただかなければ、最近の勤労者の言っておることは、自分はあの学校に入れたいと考えるけれども、やはり公立が何といっても月謝も安いし、入学金も安い、だから公立に入れるのだ。中には、私は悲劇だと思うのですが、子供が、今回はどうしても危険である、自分の成績から、この程度であれば、どうしても私立の方でなければ受からないのではないだろうか、こういうことを親に訴えても、親の方が、月謝が高いので私立はあきらめてくれと言って、公立一本にしぼって試験を受けさせている家庭がかなりある。この人々がもし公立に落ちた場合は、中学浪人をせざるを得ないわけです。統計の数からいえば、御承知の通りことしは男の子は少し中学浪人を出すかもしれないが、女の子は大体百パーセント入学できる、これは東京都の場合特にそういうことを言っているわけです。ところが現実面では受験しておりませんから、一つの学校に片寄っておる。一校の入学希望者が六千人近くあった学校もあるし、また四千人の学校もあるわけです。実際に入学許可のできる者は五百名なり、多いところで八百名ということを言っておりますが、そういう学校に集中した子供の数は四千とか六千とか、こういうことを聞いておりますが、この子供たちはよそを受けておりませんから、公立に落ちればどうしても中学浪人せざるを得ないという結論が出てくる。私立で補欠募集をやるかもしれませんが、やった場合に、その子供がもう高校に入ったときから、自分の敗北悪というものを持っているわけです。この敗北感を子供に持たしてはならない。一生まつわりついてくる敗北感というものが、長い人生に非常な損であることは、皆さん方よく御承知の通りであります。従って私どもこういう時期において、やはり助成すべきものは大幅にやっても、なおかつ公立と私立の入学金の差等を撤廃して、そしてみんながそれぞれいいと思える学校に入っていけるという態勢を整えるのが至当であったのではなかろうか、こら思うわけであります。ことしはもう間に合いませんが、来年もまた子供が多いわけですから、来年度に備えて一つお考え願いたいと考えるわけです。これは私の意見でありますので、御答弁は求めません。 次に、最近高校等におきまして、男女共学という線がくずれてきたということも、すでに御承知の通りでございます。ということは、今まで男女共学をうたって参りまして、実績を上げてきておりながらも、その設備あるいは教育の内容、そういう点におきまして、最近は男の子は男の学校へ、女の子は女の学校へというふうな声もあがってきておったわけですが、それに拍車をかけるように教育課程が改正されまして、なおかつこの改正によって、進学組とか就職組とかいうものをつくってやるのだ、こういうことになると、男女の差というものを共学の中で見ていかなければならない点がなくなってきて、これを一本化して、従前家庭科等でやっておったものはめんどうくさい、そんなものをやめてしまって、普通科にしてしまおうなんというように考えて、女子が将来女性として生きていく一つの教養を身につけたい、こういうものがだんだんなくなりそうな気配を示してきておる。こういうことは学校の生徒の中から、女子に対するいわゆる締め出しということになるわけですが、私どもこういう傾向が非常に心配になって参ったわけです。こういう点について文部省としては、どういうふうにお考えになっておるか、同時に共学であった学校が今日男女別に切りかわって、数等の変化があるとするならば、そのお答えを願いたいと思うわけです。
○福田政府委員 ただいまのお尋ねでございますが、もちろん男女共学という建前は、公立学校においてはとっておるわけでございまして、戦後の学校制度が変わりました際におきましても、私立学校はいろいろな事情から、共学制度をとらない学校が大部分でございます。男女共学制につきましては、いろいろ批判のあるところでございますが、いい面と、やはり実際の学校運営としてやりにくい点も多々あるのでございます。特に高等学校の教育課程の改正によりまして、従来よりも女子は女子の特性に応じた教育、あるいは男子は男子の特性に応じた教育というものを強めて参ります結果、ある程度教育内容あるいはやり方につきましていろいろ工夫をしないと、必ずしも男女共学がうまくいかないというような面ができて参っておりますことは事実でございます。従って、直ちに共学をやめるというわけではございませんが、共学をいたします場合におきましても、そのやり方、男女の割合、受け入れ方について、いろいろ工夫が要るわけでございます。そういった面で各都道府県の教育委員会なりあるいは学校側において、いろいろ研究が行なわれておりますが、まだこれといって、こういうやり方が決定的にいいというようなところまでいっておりません。従いまして私どもといたしましては、高等学校教育対策研究協議会というような研究会を設けまして、外部のいろいろな方もお入りをいただいて、そういう問題についても目下検討を加えておる最中でございます。要するに、そういった男女の特性に応じた教育を充実してやるということになりますと、その受け入れ方に十分注意をし、用意がございませんと、十分な教育が行なわれない、こういう趣旨に基づいていろいろ研究しているのでございます。
○本島分科員 これは今おっしゃったような状態にあることは事実で、教育をする面からいわしても、研究の度合いが今まである程度足りなかったのじゃないか、同時に、その方向に対して女子に対する設備、男子に対する設備等が不足しておったということは、事実だろうと思います。従って、そういう面が不備であったために、共学があまりかんばしくない、こういう表現をされますと、せっかく教育の面において男女の差を撤廃して参った精神がなくなってくると思います。また教育基本法等にうたわれておることもくずれて参るわけなんです。私は自分自身が男の学校を出ておるものですから、共学は非常にいいということで、皆さんにもお勧めしておるわけですが、それが今後昔のように、だんだん男と女は分けられるのだというようなことが、どこともなく流れてくるものですから、親の方で、将来分けられることならば、共学ではなくて、別々の学校に入れた方がよさそうだなんという親もいるわけなんです。これは学校を選ぶときは、親の、またその子供の考え方によってきめられるといたしましても、文部省側で、女は女の特性があるからだというような表現の仕方は、私はおかしいと思うのです。男の子も女の子もそれぞれ年ごろになれば、自分というものに目ざめて参りますので、自然その方向に向かって進んでいくものであって、基本的な教育の中で、男女の差を制度の中で設けられる、こういうことは今後の女子教育の面で、非常に圧迫になってくると私は思うのです。同時に、女子教育の低下をもたらす一つの原因にもなりかねないというふうに考えるわけで、今回の改正は全幅的に賛成はできないわけなんです。しかしそういう方向で今後進められるとするならば、今おっしゃったように、教育委員会等を通し、今まで共学できておるところの線をくずさせないというような方向をお示し願うことができるかどうか。できるならば私はそうしてもらいたいと考えるわけなんですが、どんなものでしょうか。
○福田政府委員 もちろん共学につきましては、本島委員のおっしゃいますように、非常にいい面を強調される方もたくさんございます。従って、現在画一的でなくして、共学の学校もあり、また共学でない学校もございますが、やはりそれぞれ学校の運営なり教育のやり方としては、両方の長所があろうと思います。従いまして、無理に共学をやめるとかいうことではなくて、やはり実情に応じて十分に教育が行なわれるような体制でもって、十分の準備をいたしまして、共学なら共学の体制を進めていく、こういうことでなければならないと思います。そういった意味で、先ほど申し上げましたように、文部省としても研究はしておりますが、都道府県の教育委員会あるいはそれぞれの学校においても、そういう問題をいろいろ具体的に研究を進めている次第でございます。
○本島分科員 今までやられておりました共学の学校等で、今後別学という形がもし出てくることになれば、女子教育にとって大きな問題になってくると思うわけでありますので、どうかそういう点の御配慮を願って、今後御研究をされていただきたいと考えるわけです。 時間もおそくなっているようですから、端折って質問いたしますが、最初の質問のときに統計の問題にちょっと触れたわけですが、私はきょう突然質問することになったものですから、資料を持ってこなかったので、はっきりした統計の上に立って申し上げることのできないことは非常に残念でございますが、昨年か一昨年、社会労働委員会の席で一応質問をしたことがあり、そのとき文部省からも来ていただいたわけですが、今後十年間に、いわゆる技術労働者というものが急速に要求されてくる、それに対して文部省の考えている教育方針、つまり文科系と理工系のアンバランスというものが——将来技術教育を受けた子供たちを会社等では要求するにもかかわらず、それに伴う制度が出てこない。その数はたしか十年後に——昨年たしか質問をしたと思いますが、そうするとこれから九年後、技術労働者を欲している要求に対して、教育を受けて出てくる人々は、その何割にも満たない。結論的には、技術教育を受けた者を百二十万程度ほしいにもかかわらず、それだけの者が得られなくなってくる。従って、日本の技術面は世界に伍して劣ってくるのではないか、こういう資料に基づいて質問したことがあるのですが、その後文部省としても、技術教育の振興ということで、専科大学等をお設けになり、その数をふやしていく、こういう計画になったわけですが、これが今後九年後までの間にどういうふうに計画がなされていくか、お聞かせ願いたいと思います。
○小林政府委員 国家社会的な職業人の養成計画の中で、特に一番深刻な不足の状況を呈しておった科学技術者の養成につきましては、御承知のように科学技術会議の答申もございまして、その答申の線に沿って養成計画を立てておるのでございます。その当時の推定では、昭和三十五年以降十年間に科学技術者が、これは高等教育を卒業する肴の推計でございますが、大体十七万人程度不足するということであったと思います。三十六年以後、文部省は新たな科学技術肴養成計画を立てまして、逐次理工系の学部の学生を増加して参っております。当初は十年間に八万人程度を充足するということだったわけでございますが、その後この計画をさらに改定しまして、現在では十万人以上の科学技術者を養成するということで、計画を進めております。三十六年以後の実施の状況を申し上げますと、三十六年から六、七、八、九と四年間に、約二万人の学生増募をやろうということでスタートいたしましたが、国立大学ばかりでなく、私立大学等におきましてもこの趣旨に非常に協力をしていただきました結果、四年計画が大体三十八年度までの三年間で一年短縮されまして、この二万人増募計画が三十八年度において達成されるという状況になっております。今後の計画につきましては、明年度におきまして新たないろいろの状況を取り調べまして、さらに科学技術者養成の新しい計画を立てたい、かように思っております。
○本島分科員 今日大学卒業生の状況を見ましても、大体技術理工系を出た人々は就職率が非常によろしいわけで、文科系統ではまだ残っていると思うわけです。また最近いろいろの就労状態を聞いてみたりいたしますと、どうしても技術者であるならば採りたいのだが、文科系統ではごめんこうむりたいという会社が非常に多いわけなんです。そうして参りますと、社会に出る瞬間から、もうすでにハンディキャップをつけられるし、また自分の希望する会社に入れない、こういうような格好で、非常な悩みを時っておるのは、文科系統の人たちに多いわけです。そうしますと、この計画の線だけで将来技術者不足というものをカバーできるのかどうか。私、記憶が間違っておったかと思いますが、たしか百二十万人くらい十年後には不足してしまって、日本の産業にも大きな影響を及ぼす、こういうふうに考えておったのですが、その点もう一度聞きます。
○小林政府委員 私申しましたのは、高等学校以上の高等教育機関を卒業した科学技術者でございます。すなわち短期大学あるいは高等専門学校、それから四年制の大学というものを卒業した者の高級技術者の不足の数は、大体所得倍増計画によりますと十七万ということになっております。
○本島分科員 私の質問が悪かったと思いますが、私は中卒並びに高校卒全部含めて言っておったわけなんです。 そこで大臣にお尋ねいたしますけれども、私、昨年の秋アメリカに参ったのですが、技術教育ということを非常に向こうでも言っておりました。特に高校あるいは大学へ進学できない人のために、特殊な技術教育のセンターというものを設けて、そしてそこで学校教育とは違うけれども、やはり学校教育の一環として考えるようなものをもって、半年なり一年なり、また大体最近では半年ではむずかしいから、技術の商いものになれば一年なり一年半、こういうふうになっていくけれども、そういうものを州なりあるいは市なりで経営してやって、それで学校教育で不足した分をそこで補って、そしてその市なり州なりが工場に向けて、自分のところにこれだけの技術を修得した者がある、こういう連携をとって、やはりその人の初任給から技術者として認められる、そういう形をとってやっておるところも視察して参ったわけです。そういう制度は日本になくて、聞くところによりますと宮崎県に民間の施設として一カ所あるそうです。そこでやはりそういう中学卒業生の人々に技術が不足しておるというので、民間人がやっておる。ところがここで技術を修得した若人たちは大阪や東京方面まで、雇い主が探して逃れてくるのでしょうか、来ておるということを聞いておりますけれども、そういう計画をして補っていく、しかも中学卒業程度でなく、もう少し高いものを持っているのだ、あるいは高校生にいたしましても、そういう形の格づけができる、また本人もそれだけの技術を知っておる、こういうふうな条件のもとに就労させる、こういうことは私非常にいいことではないか、こう考えておりますが、こうした計画があるかないか、お尋ねしたいと思います。
○荒木国務大臣 外国の例を引いてお話しになりましたような計画は、文部省自体にはございません。あるかないかを責任を持って申し上げかねますけれども、労働省所管では職業訓練所というものが、やや今のお話の線に沿うある種の意味を持っておろうかと思うのでございますが、その他は各企業体内において一種の技能教育をやっておりますことは、御案内の通りであります。中小企業が共同して、たとえばお話のような趣旨にやや近いようなことを計画しておるというような話も聞きますけれども、その現実は文部省が直接タッチしておりませんのでよくわかりません。しかしできることならば、たとえば工業高等学校を卒業したならば、職場でことさら訓練されなくても、その年配の者としては十分な技能を身につけて出すというふうに、質も量も考えて処置することが、私どもの立場からする当然の責任範囲かとも思います。一面また科学技術は進展してやまないものでございますから、一応の制度に従って卒業しましても、出ました時分にはある程度プラス・アルファの訓練をしなければだめだということもむろんございましょうし、言うがごとく簡単には参らないと思いますが、基本的にはそういうふうに考えるのであります。
○本島分科員 教育というものが、職業を得るための手段であってはならないということは、私も十分に知っているわけなんですけれども、現実の日本の社会では、やはり教育というものが、社会に出るときの第一歩から規定、つけられている格好になっておりますので、そういう点でやはり技術というものを欲しておる今日の状態の中では、教育の面でも理工系をもっとふやしていかなければならないのじゃないか。ところが先ほど申しましたように、私立学校もあわせてそういう面をお願いしたと、こうおっしゃるけれども、財政投融資の中から考えて参りましても、なかなか私立学校は一挙に数をふやすだけの施設、設備はできづらいのではないか。そしてことし一年おくれる、また来年おくれる、こういうことになって積み重なっていけば、せっかく文部省が立てられた計画、また産業界で要求しているだけの技術者を得ることができない。これが何年たっても解決できない、こういうことになる危険性が大いにあると私は思うわけです。従って国立だけに重点を置くのではなくて、やはり私立方面に対しても大幅にこうした助成等をしても、急速に充実していかれなけばならないのではないかと思うわけです。 この際、私申し上げたいことは、専科大学の設置法のときに、私の方の鈴木義男先生から要求があったと思いますけれども、理工系の学校を増設するといって、新制度に変わったような格好の大学を設置したのですから、こういう機会に私立と公立の差をなくすべきだという主張をしていただいたと思っております。そうしますと、これが現実には行なわれていないというのが現状であるわけですが、せめてもそういう理工系の方々からしてでも、公立と私立の差を撤廃して、そしてたくさんの人々が就学できる、こういう形に持っていくことができないかどうか、この点をお尋ねします。
○小林政府委員 高等専門学校につきましては、これも制度が昨年から発足したわけでございますが、国立ばかりでなしに、公立、私立の高等専門学校も昨年も発足しておりますし、また本年度も新たにスタートを切るものもございます。これらにつきましては特に科学技術者養成の観点から、教育のいろいろな設備等につきまして、特に手厚い補助金を出すということにしております。もちろんこれによって直ちに、たとえば私立の高専の授業料や入学金が国立並みになるということはございませんけれども、特に科学技術者養成という観点から、従来以上に補助金を出すという予算を組んでおるわけでございます。
○本島分科員 これで最後といたしますが、私がきょう最初から主張しておりますことは、こういう高校の生徒の急増の時期、あるいは技術教育を施す学校等が設けられるとき、こういう機会にこそ、公立、私立の差をできるだけ撤廃していく、あるいは差を縮める、こういう格好でいかなければ、今日本の子弟たちの向学心の率というものは高くなっているわけです。そういう意味合いからしても一般勤労者の中では、それに耐えられない。第一、私どもが考えてみましても、御承知の通り定年が五十五才から五十六才なり七才に延びたといたしましても、この年代の人々は、おそらく大学を卒業するかしないかという子供さんが上の子にあるわけです。その次に高校生くらいがある。そして高校へ入る子供がある。そのまた上の別の角度では、大学に二名行っているとか、こういう形で子供をかかえておるわけなんです。こういう勤労者たちの所得というものがそれほどふえておりません。いかに池田さんが所得倍増とおっしゃっても、物価倍増は実現されても、所得の方の倍増にはなかなか末遠いことなんです。そうすると、子供の教育ということに親はかかっていっても、とてもじゃないけれども、全部満足に教育をすることができないというのが、勤労者家庭の嘆きなんです。ですからこそ、私立学校へ出した月謝も返してもらおうという訴訟も起こそうという声が出てくるわけなんです。こういう点で公立と私立の差をなくしていく、月謝等の授業料の負担率も縮めていくのだ、差をなくするのだ、こういう考え方のもとに、私学に対する援助というものが大幅に行なわれてこない限り、これは私どもが何年申し上げてもできない。しかも進学していく子供たちは年々歳々苦しむし、またその親はその学資のために身の細る思いをしているわけなんです。従ってそういう点について今後どうあるべきかということも、先ほど大臣から聞きましたけれども、もう一度大臣に、そういう点の差を撤廃することができるように特段の措置を、本年度できなければ、来年度はやるのだというような御決心があるかどうかお聞かせ願って、最後にしたいと思います。
○荒木国務大臣 国公、私立の差をなくしろという御要望を込めてのお尋ねでございますが、概念的に言えば同じものではございませんから、まるまる同じにはなし得ないし、あるいはなすべきではないと、こう言えないこともないと思います。しかしながら授業料にいたしましても、格差はやむを得ないとしても、なるべく縮める努力は、これはいいことであり、必要なことであるというふうに思います。さらにまたそれと相照応しまして、国公、私立の教育内容、教育効果を上げる上についての格差も、なるべく縮める努力をするということは、私どもの立場からいたしましても、当該国公、私立を通じての学校側にしましても、努力すべき事柄であることは当然である、そういう受け取り方をいたしまして、努力していかなければならぬ、かように理解いたします。
○倉成主査代理 明二十一日は午前十時より開会し、文部省所管に対する質疑を続行することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後五時十四分散会