予算委員会公聴会 第2号
- 発言数
- 72 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1963/02/15
会議録
○塚原委員長 これより会議を開きます。 昭和三十八年度一般会計予算、昭和三十八年度特別会計予算、昭和三十八年度政府関係機関予算につきまして公聴会を続行いたします。 本日午前中に御出席を願いました公述人は、一橋大学教授木村元一君、東京大学教授大内力君。民主社会主義研究会議事務局長和田耕作君であります。 開会にあたりまして御出席の公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、目下本委員会において審査中の昭和三十八年度総予算につきまして、各界の学識経験豊かな各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算の審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位のそれぞれの専門的な立場より忌憚のない御意見を承ることができまするならば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第でございます。何とぞ率直な御意見をお述べ願いたいと存ずる次第であります。 議事の順序といたしましては、まず木村公述人、次に大内公述人、続いて和田公述人の順序に、お一人三十分程度におまとめを願って一通り御意見をお述べ願いましたあと、委員から質疑を行なうことといたします。 なお、念のために申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際には委員長の許可を得ること、また、公述人は委員に対しまして質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御了承をお願い申し上げます。 それでは、木村公述人の御意見を承ることにいたします。木村公述人。
○木村公述人 ただいま御指名にあずかりました木村元一でございます。 私には総予算一般について意見を述べろということでございましたので、取り急ぎ四ヵ条ほど項目をつくりまして私の意見を申し上げたいと思います。最初は財政の規模でございます。第二番目に経費の面について、第三番目に租税収入、第四番目に公債の問題、おおむね四項目に分けまして意見を述べさしていただきます。 財政の規模につきましては、すでに何回か御議論があったことでございますので、私の意見として特別に新しいことを申すわけではございませんが、従来、昭和三十五年の十二月に所得倍増計画というものが立てられまして、最初の三年間あたりは、成長を九%程度に引き上げて、自由化その他の新しい時代に対処できるだけの経済力をつくろう、こういう計画が出ました。その後の実績を振り返ってみますと、大体、倍増計画で予定しておった昭和三十八年度のところまで、現在の状況が大体それにマッチしてきているように思われるのでありますが、ただ、こまかに見て参りますと、昭和三十六年の成長がいかにも早過ぎまして、実質一六%ですか、一七%程度の大きな成長を示しておる。これはいろいろな原因があったのだと思いますが、一つには、予算が大き過ぎて景気を刺激した点がなかったとは言えないのであります。そのため、昭和三十七年度に入りましてからの成長が落ちまして、昨年来かなりきつい引き締め政策がとられなければならなくなったのでございます。この倍増計画で予定しておりました財政規模なりあるいは租税負担の割合などと実際の動きを調べてみまして、それほど大きな差はございませんが、やや大き目に出ておるということと相待ちまして、今後の財政の規模をあまり拡大しないで済むならば済むようにしていかないといけないのではないか。ことしの予算規模が昨年の当初予算に比しまして約二四%の伸びをしておるのであります。もちろん、実績で参りますと、補正予算その他がございますので、私の計算では一五%程度の伸びでございます。しかしながら、ことしの事情として特に考えておかなければならぬと思いますことは、中身の方で、ことしは昨年などに比べますと、いわゆる投資的な経費というものが非常に伸びておるようでありまして、私の計算で申しますと、昨年二八・四%の伸びを示しておる消費的な経費の方は、伸び方が一一・三%と若干低いのであります。景気に対する刺激その他の点から申しますと、投資的な経費の方がどうしても強いということを一つ考えなければなりません。それから、もう一つことしの財政規模の測定について考えなければならないと思いますことは、従来剰余金が前々年度からその年に毎年入ってくることになっておりますが、その金額が、ことしの予算では、二千六百二十六億と、かなり大きな金額になっております。これは、三十六年の予算の膨張が自然増収その他によりまして非常に大きかった。その自然増収がことしに入って回ってきておるわけでございます。ついでに申しますと、三十七年度にはこの種の剰余金が千二百五十一億程度でございましたし、その前の三十六年を見ますと、これは五百十二億程度であったのであります。もちろん、これは予算の均衡の問題とは関係ないのでありますが、単年度だけで見ますと、とにかく政府資金の散布超過といいますか、散超の原因になるのでありまして、かなり景気刺激的な要素を持っているように思われるのであります。そのほか、財政投融資計画の方でも、ことしは一兆一千億ほども見込んでございますので、全体としてかなり景気刺激的な要素を持っていると思うのであります。 しかし、景気をほんとうに刺激するかしないかということは、経済界の状況によって左右せられるのでありますから、単に財政の規模の面だけからこれを刺激的であるとかないとか判断することは、実は間違っているのであります。ことしの経済がどう動くかということにつきましては、私あまり専門的じゃないのでよくわからないのでありますが、従来までの経験、数字などを調べてみました結果では、どうも現在の時点、つまりこの二月なら二月、三月なら三月の時点で申しますと、かなりまだ不況が深刻でございまして、ことに、民間の投資が縮小しておる、そんなところから、経済白書などでも、ことしは財政方面または消費方面から有効需要が出てくる形に変わってくるのじゃないか、または変わらざるを得ないというような意見が出ております。その意味で、財政の規模が大きくなるということについては、現在の時点では、民間ないしは産業界の方では相当好感を持ってこれを見ているのではないか、事実そういういい影響が期待せられているようでございます。しかし、民間の投資需要の測角も、ことしなども全体としては三兆五千億程度が見込まれておる。現在少しおくれておるといいますか、縮んでおるということは、後半になりましてかなり大きく伸びるということも予想せられますし、また、在庫投資なども、おそらく後半からピッチを上げていくように思われるのであります。そういたしますと、予算というのは、一年間を通して立てておるわけでございますが、経済界の動きの方は一年間を単位にして動いていない。つまり、四半期ごとに相当大きな変化を伴っているのであります。従って、そういう観点から申しますと、現在の時点で好感を持って迎えられ、また景気刺激的ないい意味でそれが受け取られているようでございますけれども、年間を通して考えましたときに、この刺激作用が逆にまた過熱的な要素に、ちょうど昭和三十六年のときと同じようなことにならなければよろしいがと、そんなふうな疑念を抱いておるのであります。 時間の関係もありますので、そしてまた私の専門でもございませんので、財政の規模についての考え方はそのくらいにいたしまして、次に、経費の面について、ごく一般的なことでございますが、考えておることを申し上げたいと思います。 これは毎年の例でございますが、私ども財政を勉強しておる者にとって理解のなかなかいかないことは、概算要求というものが毎年実に大きく出てくるということでございます。ことしなども、大体七割掛けたような大きな概算要求が出ておりまして、それが、大蔵省の方の主計局で査定を受け、また、いろいろ政治的な交渉の結果、二兆八千億というところに縮められてくるわけでありますが、この点、気になりまして、諸外国の例も少し調べてみましたのですが、どこの国でも、前年度予算の一割増しとか、一割五分増しくらいのところの要求が出ておるようでございます。わが国のように、非常に大きく出しまして、歩どまりを考えるというやり方は、どうもあまり例がないように思われるのであります。これは、予算のあり方、財政のあり方広くは政治のあり方と関係いたしますので、すぐにこれをどういうふうに改めたらいいかということは、私にも名案はございませんけれども、皆さん方のお力で、こういうあまりにかけ引きが目に見えたような姿の予算の編成というものを改めることができないだろうかと、かねがね思っております。私どもが、あるいは一般にでありますが、経費の膨張について非常に警戒的になります理由は、つまりフィスカル・ポリシーの立場から言えば、不況のときに、ある程度経費を膨張させることが許されるし、また望ましいということが言われておるにかかわらず、私どもが経費の膨張について警戒的になり、またならざるを得ないというのはどこにあるかと申しますと、これも御案内の通りでございますが、一たんきまりました経費につきましては、削減が非常にむずかしい、こういう事情がございます。不況のときにいろいろな要求で望ましいと思われる経費膨張をしまして、今度は景気が過熱状態になってきた、そういう場合にそれでは引き締めができるかということになりますと、なかなかその引き締めができない状況にあります。この点がありますものですから、あとで述べます公債の発行につきましても、同様の考慮が自然に入って参りまして、実際の財政の運営をきゅうくつにしておるのでございます。 第二点は、これも前々から言われておることでございますが、経費面で特に私ども不自然だと思いますことは、予算の単価のきめ方がはなはだ実情と離れておるように思われる。これは特に国庫支出金の補助金でございますが、補助金の場合に、とても予算の単価ではできそうにもないような単価を使って補助金を算定しておる。それがいろいろな方面にしわ寄せされてくる。ことに地方財政の方の圧迫の原因になってきておるというような面がございます。個々の経費について、この経費が多いとか少ないとかいうことは、非常に政治的な問題でありますので、私としては特に申し上げる資格がないのでございますが、ただ、経費の出し方の問題といたしました、戦後、それから最近もそうでありますが、国庫補助金ないしは支出金の形で出ていく経費が非常に多くなってきておるということは、注目すべきことだと思うのでございます。これに交付税、交付金の方の地方配分額を加えますと、予算のほとんど半分近いものが通り抜け勘定で出ていっているということになっております。ことしの国庫支出金の金額を見ますと、一般会計だけで七千二百五十八億という大きな数字になっておりまして、これは昨年に比べまして約一七%の増加でございます。このほか、御案内の通りたくさんの特別会計、四十二ばかり特別会計がございますが、その方から出ていきます国庫支出金、委託金なども含めてでありますが、そういうものが別に七千六百七十五億円ございます。大きな項目を掲げまして、文教施設だ、あるいは人づくりだ、あるいは道路の拡張だといっておりますが、経費の出ていきます行き方で見ますと、こういう補助金で行くものが非常に多くなってきておる。これは、ある意味で、行政の効果といいますか、実績がどのくらいあがるかということを政府みずからが責任をとるというのではなくて、仕事の方はどこかほかにまかせるという形になりがちでございます。もちろん、補助金の出し方あるいはその使い方については、適正化法などがありまして、ずいぶんチェックをしていることは私も存じているのでございますが、しかし、その場合のチェックの仕方というものは、どうしても会計上の責任が中心になって参りまして、どれだけの仕事がほんとうにできたのかということについての、いわば行政上の責任といいますか、その点はややもするとおろそかになりやすいのでございます。ことに、この補助金の支出が多いために、一方では各省、各庁ごとにいろいろな補助金をいろいろな名目で出しまして、地方へ行って調べてみますと、いかにも窓口を一本にして一括して地方に出した方がよほど能率的ではないかと思われるような補助金が大へんたくさんダブって出てきております。これが、また、地方の側から申しますと、いずれ補助金でも出てから仕事を始めようといったふうな傾向あるいは中央依存の傾向を生んでおるのでありまして、この点については、よほど財布のひもを締めまして、出すことについては慎重でなければならぬと思います。また、一ぺん出しておりますものでも、先ほど申しましたように、経費を一ぺん出しますとなかなか縮小がむずかしいのでありますが、ことに、補助金などについては、その効果が薄くなったようなもの、あるいは、事情が変わりまして、もうそういう意味の補助金は不必要じゃないかと思われるようなものについても、依然として補助金が出ていくという傾向がございます。つまり、予算書などでことしの重要施策といって並べて参ります項目と、それから実際にそのお金が使われていく姿とが一致しない。国民の方では、金額だけを見まして、大きな仕事をしておるなというふうに印象づけられますけれども、その実質が伴わないということが間々あるようでございまして、この金額が一般の予算規模以上にふえていく傾向にあるということについては、よほど注意が必要ではないかと思うのであります。 もちろん、先ほども申しましたように、個々の予算について、これが多過ぎる、少な過ぎるということは、私申し上げる力がありませんけれども、ただ、日本の戦後の大蔵大臣は大へん幸福だと私は思うのであります。それはなぜかと申しますと、国防費の占める割合というものがはなはだ小さいのでありまして、ことしなども、私の計算が間違っているかしれませんが、八・四%程度しか持っておらない。世界の各国で、こんな小さな国防費で間に合っている国というものは珍しいと思うのであります。私はふやせと言うのでは決してございませんが、ただ、大蔵大臣がうらやましい、こう言うだけでございます。それだけに、よほど大事にお金を使ってほしいのであります。それは、あとで税制の改正と関連しまして若干申し上げたいと思いますので、経費面につきましてはその程度にいたします。 私は財政学をやっておるもので、どっちかというと税金の方の専門ということになっておるのでございますが、税制のあり方につきましては、御案内の通りに、税制調査会というものが設けられまして、ことしの分につきましては答申もしたわけであります。私もその税制調査会の委員の一人でございますが、ここでは、先ほど委員長のおっしゃられたことを文字通り受け取りまして、私の個人的な忌憚のない意見を申し上げたいと思うのであります。 一体、私どもが租税の公平とか能力に応じた負担とかということを申しますと、笑う人がいるのであります。そもそも資本主義というものははなはだ不公平な組織なんだ、金持ちが幾らでも金がもうかる組織なんであって、貧乏人はなかなか金持になれない組織なんだ、そういう資本主義というものを前提としておきながら、租税についてのみ公平々々と言うのは、一体どれだけ意味があるのだ、むしろ資本主義を改革することの方が大事じゃないか、こまごました税金の負担の配分なんというものは、これはブルジョア同士の間の問題であって、どっちにかけてみたところで結局は労働者が負担してしまうのだという考えもあります。また、国民の大部分は、いろいろなことを言うておるけれども、われわれの税金はなかなか軽くはならぬ、これはもうしょうがないことだというふうなあきらめに似た気持もあろうかと思うのであります。こんなときに、われわれが、——われわれといって、私なんか税金が公平でなければならぬということを言うのは、ほんとうにかぼそい公正ということなんでありまして、持っている力というものはおそらくあまりないと思うのであります。しかし、かぼそい、すぐ倒れやすいようなものであっても、美しいもの、りっぱなもの、尊敬すべきものはやはり尊敬してほしいのであります。咲いてすぐ散ってしまうような花は、いかにもかぼそいのでありますが、しかし、その美しさというものがある。私は、自分で租税の公平の問題を取り上げるときには、確かにそれ自体はそれほど有力ではないけれども、それがなかったならばほかの経済の発展も何も非常にゆがめられてくることの著しいそういう性質を持っているものだ、このように考えているのであります。今日の日本の税制が私どもの考える公正ということからまだまだ遠いことは、十分私も知っているのでありますが、最近の事情といたしましては、資本の蓄積ということを名目といたしますところのいろいろな特別措置、または税制全般としての改正がかなり強く出てきているように私は思われるのであります。特に昭和二十八年ごろからこの傾向が強くなりました。これも、理屈としては十分理屈が合うのでありますけれども、しかし、ややもすると、その部分的な効果に着目し過ぎまして、全体としての税制の公正ということを破っていることに気がつかない、また、破ったことがどういう悪い影響を持ってくるかということについては目をつぶるという傾向が強いのでございます。これはまことに残念なことでございますけれども、私の見るところでは、そもそも税金というものは資本主義経済というものを成り立たせるがためにあるのでありまして、自由な競争、自由な生産・市場関係がこの世にできていくために租税というものが必要なんです。ところが、租税をかけられる方の立場に立ちますと、どれもこれもみな資本の蓄積には阻害的な作用を持つと考えられる。しかし、租税がなくなった場合の資本蓄積の阻害ということはあまりそのときは考えないで、自分のところの税金が少なくなればいかにも資本蓄積が十分にいくというふうに考えがちであります。いろいろな要求がそのために出て参りますし、その要求はまた政治的な力とも結びつきやすい。どうしても減税の要求あるいは特別措置の要求というものは主体がありまして、その団体なりなんかがプレッシャーを持っている。これが税制面に現われるときには非常に大きく取り上げられて、一般的な減税ということについての声は、一々当たって聞いてみれば確かにみなあるに違いないのでありますが、ややもすると、自分のところだけの減税ということを考えがちでございます。これが、いろいろな方面に影響といいますか、税制をゆがめる方向に現われてきているのでありますが、ことしの措置といたしまして、私の忌憚なき意見で言いますと、どうしてもがまんができないのは利子の減免、それから配当金に対する源泉徴収率の引き下げ、一〇%から五%へ下げるということでございます。なぜかと申しますと、私のもらっております資料その他で見ますと、預金というものは、利子が少々動いても、あるいは税金が少し高いか安いかということによって総額がふえているのではないのでございまして、むしろ、大きく見ますと、国民所得の伸び自体と関係を持っている。そこで、配当について優遇措置をいたしますと、おそらく預金されるお金があるいは株の方へ行くということがありましょう。姿を変えてほかの投資物件へ行くということはありましょう。けれども、総体としての預金の量そのものはほとんど影響がないのであります。それを、銀行を経営されている方は、幾らかでも自分の方の預金が多くなって、それによって資本の蓄積あるいは経済の発展に役立たせようとする御意向であることはよくわかるのでありますが、その結果、租税の公平という点から申しますと、たとえば配当の所得というようなものを統計で調べてみますと、大体五百万円以上を取っている人のところへ配当所得の八〇%くらいが行っている。あとの二〇%が五百万円以下の所得者のところに行っている程度でございまして、どうしても大きな所得者の方に有利に作用してくる。減免ということがそういう作用を持つのであります。こういうことが——少し横道にそれますが、日本の税制といいますか、世界の税制もそうでありますが、大きな穴があるのでありまして、その穴というのは何かと申しますと、キャピタル・ゲイン、つまり株の売買によってもうけたような利益というものは、なかなか課税所得としてつかまえることがむずかしいのでございますが、戦後の日本のように、大きく成長をしてきましたときに一番簡単にお金持ちになる方法というのは、株の売買じゃないかと人が申しますし、私もやってみたいと思っておるのでありますが、その方でもうけた部分というのは、税でなかなかとれないことになっておる。その方はもうあたりまえのことにしておいて、さらにまたいろいろな特別措置というものをお考えになるという点が、私気に入らないのでございます。つまり資本の蓄積ということは、他面においてはりっぱな労働勤労者がそれにくっついていくということなんでありまして、単に資本だけが幾ら蓄積せられましても、経済の発展ということはあり得ないと私は思います。その労働者や下層低額所得層の方をいじめておいて、社会的なテンション、緊張を高めるということは、健全な経済の成長にとって私はどうも望ましくないのではないか。自分のところの税率の引き下げということだけをただ頭に置くやり方については、もう少し考えていただきたいと思うのであります。 それから、もう一つ、しばしば税制調査会の答申と今度の原案との間の差として問題になっておりますのは、一般的な減税を減らして政策減税に相当回してしまったということなんでありますが、これについては、今私が述べたことによって、私の意見がどちらにあるかということはおわかりいただいたと思うのであります。しかし、もう一つ私ここで申し上げたいと思いますのは、税金というものは、もし余裕があれば悪い方からやめていくのが筋であります。また、その悪い税金と比べられる方の経費というものは、むだに近い経費がやめられるならば最初にやめて、そして、減税するならば一番悪い税金を最初に減税する、これがルールであります。ところが、聞くところによりますと、所得税の減税をする必要がないとは言わぬが、今やらないのは、社会保障を拡充するために財源が必要だということで、所得税減税というものと社会保障とをはかりにかけておられる、こういう傾向がある。間違っておったら訂正いたしますが、そういう傾向がどうもあるように見受けられるのであります。しかし、もし社会保障が必要ならば、所得税の減税をやめにして社会保障をするのではなくて、必要ならばもっと増税をしてでもおやりになってしかるべきだし、あるいは公債を募集してでもやってしかるべき性質のものではないかと思うのであります。そんな意味で、はかりにかけますときのかけ方が少しルールにはずれていはしないか。そういう点から申しますと、やはり税金の中の一番悪いものからということになれば、同じ減税をするならば、地方住民税の方を先にしていただきたかった、このように私は思っております。 時間がだいぶ超過し始めましたので、最後に、公債の問題について私の意見を申し上げます。 ことしあたりからおそらく公債の問題について真剣な議論が戦わされると思うのでありますが、公債を持たない近代国家というものはあり得ないのでありまして、日本は、その意味では、まだかたわの国であります。なぜかたわになったかということは、いろいろ原因がありますが、公債発行を許しますと、それに乗っかって経費が幾らでも膨張するのではないかという危惧を国民に与えておる。また、国民の方でもそういう危惧を持っておられる。これははなはだ情けないことなのでありまして、公債を自由に発行できないような国家というものは一人前の国家と言うことができないと私は思うのであります。しかしながら、なぜそれができないかということになりますと、一つは、売れない公債を発行しようとするからそういうことになるのであります。売れない公債を発行するというのは、低利の公債を発行しようとするからである。低利の公債を発行しようとするのは、低金利政策というものを、とにかく低金利々々々でやっていこうとする、そういう一つのフィクションといいますか、仮想の目的がありますものですから、それに引きずられて公債の発行もなかなかできない。私は、公債を発行してもかまわぬが、どうかみんなが買えるような、買って得になるような公債を発行して下さい。そうなれば、おそらくは公債にたよってむやみやたらに経費が膨張するということもないのではないか。どうも低利々々ということが何かもう至上命令のようになっておるようでありますが、私の感じでは、金利が高いのは利潤が高いからである、利潤が高いのは労賃が安いからである、資本家が、低金利の利益もほしいし、それから低労賃の利益もほしい、二つ一緒に望むのは少し虫がよ過ぎるのではないか、こんなふうに考えております。 まとまりませんでしたが、時間が参りましたから……。(拍手)
○塚原委員長 ありがとうございました。 次に、大内公述人の御意見を承ることにいたします。大内公述人。
○大内公述人 私、大内でございます。 私は、農業政策を専門としておりますので、来年度の予算につきまして、農業政策関係のことを主として申し上げたいというふうに考えております。これも実はいろいろ問題がございますが、与えられた時間も限られておりますので、ごく重点的に、特に来年度の農業政策の中心問題として取り上げられておりますような、そういう政策に関連いたしまして、二、三のことを申し上げるということにとどめたいと思うのでございます。 その問題に入ります前に、まず農林予算の総額ということをごく簡単に考えてみますと、御承知の通り、来年度の一般会計予算におきましては、広い意味における農林予算というものは、ほぼ二千五百二十九億円になるというふうに計算されております。これは、昨年の三十七年度の当初予算に比較をいたしますと、わずか三〇%の増大ということになっております。その結果といたしまして、一般会計総予算に対します農林予算の比率は、三十七年度が約一〇・一%でございましたのが、三十八年度は八・八%に下がっている、こういう形になっております。もちろん、これはある程度までは見せかけのことでございます。と申しますのは、三十七年度におきましては、御承知のように、食管会計の繰入金というものが非常に大きなウエートを持っていたわけでございますが、消費者米価の値上げがございましたために、三十八年度におきましては、食管繰入金が約百七十五億円ほど減少する、こういう計算になっております。そのほか、これは偶然の好運であったわけでございますけれども、災害が比較的少なかったということがございまして、災害復旧費がだいぶ減っておりますので、そういうものを一応除いて考えますと、農林予算はほぼ二〇%近くふえたという計算になるわけでございます。そういうふうに考えてみますと、一応農林予算は、数字の上でざっと見ますとあまり伸びていないように見えますけれども、実質的にはかなり優遇されたというふうに判断してもいいのではないかと思うのであります。なお、そのほかに、財政投融資計画の方におきましても、農林関係の投資がかなり大幅に、ほぼ二七%と計算されておりますが、そのくらい伸びておりますから、その点から申しますと、政府は大いに農業のために配慮をしてくれているというふうに一応考えてもいいように思うのであります。 ただし、それにもかかわらず、われわれはこういうことを心配しているわけでございます。それは、今日の日本の経済なりあるいは日本の社会なりにおきましては、もちろん政府がやらなければならない仕事は、ある意味ではあまりにも多過ぎるわけでございます。それに比べますと、財政の許されている規模、これは、今の木村教授のお話によりますと、今でも大き過ぎるという御意見のようでございますが、かりに今がぎりぎりの限度といたしましても、それは政府がなすべき仕事に比べますとあまりにも貧弱だと言わざるを得ないのでございまして、従って、農業だけが特に大きな予算の配当を要求するということは、ある意味では無理かとも思うのでございます。しかし、同時に、私はこういうこともお考えいただきたいと思うのでございます。それは、何と申しましても農業というものは、これは日本だけではございませんで、すべての資本主義社会におきましてある意味で最も弱い一環をなしております。ことに、最近の日本におきましては、一方では鉱工業を中心といたしまして非常に激しい経済の高度成長が行なわれてきておりまして、その影響を受けまして、農業はきわめてむずかしい困難な問題をたくさんかかえ込んでおります。それと同時に、今年度は特にまた非常に重大な問題を農業はかかえ込む情勢にあるわけでございます。それは申すまでもなく、IMFの八条国への移行が勧告されたということによりまして、農産物につきましても国際競争が当然急激に強まってくるということを考慮に入れざるを得ない情勢になっているということでございます。こういうことを考えますと、やはり農業に対する政策的な配慮というものは、さらに強められる必要があるのではないかというふうに思われます。 すでに昨年から構造改善ということを正面から政策的に取り上げられまして、そのために相当の努力が払われてきたわけでございますが、最近国会に提出されました農業の年次報告をごらんになりましてもおわかりになりますように、実は農業の状態というものは少しも改善されておりません。はっきり申しますと、農業と他産業との間の所得の格差というものはいささかも縮んでいない。積極的に格差が開いたとまでは申しませんけれども、少なくともいささかも縮んでおりませんで、その間に相当大幅な格差があることは事実でございます。さらに、きのうの川野教授のお話にもあったと思いますけれども、農業の内部におきましては、地域格差なり階層格差が非常に開いていく、こういう傾向も示しているわけでございます。こういうあらゆる問題を考えてみますと、われわれは、どうしても今日日本の経済を健全な姿に持って参りますためには、農業に対してもっとその近代化なりあるいは構造改善なりを急がなければならないという感じがするわけでございます。 ところが、農林省の計画によりましても、この構造改善事業というものは十カ年間を要する、こういうことになっております。ところが、大蔵省の方の計算によりますと、実は十三カ年間かかるという計算になっているようでございまして、どうも今年度の予算にいたしましても、十三カ年かかってどうやら構造改善が一応完了するという計画の上に立っているのではないかというふうにわれわれは考えるのでございます。こういう事業の進み方というものは、今までの日本の経済の成長の中における農業の激しい変化と差し迫った貿易自由化の影響というものを考えます場合に、あまりにもスロー・テンポではないかという感じをいなめないわけでございまして、今日日本の農業が置かれております重大な地位と、それが持っております重要な問題というものをお考えいただきますならば、農業に対してもう少しの配慮があってしかるべきではなかったか、こういう感じをいなみ得ないわけでございます。 これは全体の農林予算に関する感想でございますけれども、今度はもう少しその内容に立ち入りまして、農林予算のいわば構造というようなものを考えてみますならば、これは昨年から始まったことでございますけれども、今年度におきましても、私はある意味で三、四年前の農林予算に比べますとかなり改善の跡が見られるというふうに考えております。それは、数年前におきましては、日本の農業政策というものがともすれば焦点を失っておりまして、従ってまた農林予算におきましても、総花的にあれやこれやにとにかく金をばらまいていく、こういうことになっている傾向が非常に強かったわけでございます。私も公聴会に呼ばれるたびにその点を指摘してきたわけでございます。ところが昨年あたりから、農業基本法が成立したということもございまして、農業政策にやや焦点が定まってきたという感じがするわけでございまして、その点で、三十八年度の予算を拝見いたしましても、従来に比べますとかなり焦点がしぼられて、いわば重点的に政策が行なわれようとする傾向が見えてきている、こういうふうに言ってよろしいかと思います。この点は確かに改善の跡が著しいわけでございます。 また、その場合に焦点として取り上げられておりますのは、御承知の通り、第一には農業の構造改善事業を推し進めようということでございます。これは非常にスロー・テンポで、現状と比べましてあまりにも不十分だということは、先ほど申し上げた通りでございますが、とにかく、予算といたしましては、そこにかなりのはっきりした焦点を持つようになっている、こういうことは申し上げていいかと思います。 それから、それにつけ加えまして、今度の予算では、農産物の、特に生鮮食料及び畜産物の流通過程の改善というものにかなりの配慮が払われている、こういうふうに言っていいかと思います。 それから、これはある意味では構造改善と関連いたしますが、もう一つの焦点になっておりますのは、おらそく農業の技術指導体制というものを整備しようという考え方が入ってきているように思われます。 大体この三つぐらいを柱にいたしまして、ほぼそこにかなりの焦点を置いた予算の組み方をしているということにつきましては、私も一応賛意を表することができるわけでございまして、その点は評価することにやぶさかではないわけでございます。ただ、そのこと自体はそれでいいといたしましても、今申し上げましたような重点的な施策というものの内容にもう少し立ち入って考えてみますと、そこにはきわめて疑問の点が多いわけでございまして、これは政策の立て方そのものとしても疑問が多いわけでございますし、予算の使い方としても、これでいいのかという疑問をわれわれとしては持たざるを得ないわけでございます。 その点も、時間がございませんから詳細には申し上げられませんし、また、実は昨年の参議院の予算公聴会である程度私が申し上げたことでもございますので、くどくはここでは申し上げません。ごく要点だけをかいつまんで申し上げておきますならば、まず第一に、農業構造改善施策というものは昨年から始まっておりまして、これは今年度はさらに拡充される、こういう形になって予算にも現われてきておりまして、これが農林経費のいわば中心的な地位を占めるようになってきているわけでございます。ところが、昨年からやって参りました農業構造改善施策というものは、それが始まります前からわれわれはいろいろな疑問を持っておりまして、その点は、先ほど申し上げました昨年度の参議院の公聴会でも私も指摘したのでございますが、昨年一年これが動きました実績をある程度振り返ってみますと、ますます大きな疑問を持たざるを得ないということになっているように思うのであります。そういう疑問に十分に施策がこたえるという形になりませんで、ただ金額だけをふやし、それからパイロット地区なりあるいは一般地区なりの指定農村の数だけをふやしていく、こういう形で、政策がいわば漫然と続けられていくということには、私としては疑問を持たざるを得ないわけでございます。 それでは、この構造改善事業というものがどういう欠陥を生みつつあるか、また持っているかということを考えてみますと、実は、これもいろいろたくさんありますし、また地方的にもかなり違った様相が現われているということは御承知の通りでございますが、ごく重要だと思われます点を指摘いたしますれば、おそらく次の四つないし五つの点にしぼっていいのではないかというふうに思うのでございます。 その一つの点は、この農業構造改善施策というものが、ともすれば、いわばセット主義になる傾向が非常に強いということでございます。そのセット主義と申しますのは、つまり国の方で、およそこのパイロット地区なりあるいは一般地区なりで構造改善をやるということはこういうことであるというふうに、いわば一つの理想図のようなものを描きます。そうして、それにつきまして、たとえば土地改良には幾らの予算をつける、それから機械を導入するのに幾らの予算をつける、あるいは家畜導入のためにはどれだけの措置をとる、こういうふうにきめていっているわけでございます。ところが、これは農林省の責任であるのか、地方庁の責任であるのか、あるいは地元の責任であるのか、その辺のこまかいことはわれわれにはよくわかりませんが、とにかく実際にこの構造改善事業を始めた村にわれわれが行ってみますと、村の受け取り方というものは、いわば、この土地改良事業から機械の導入から家畜の導入から、あるいはいろいろな共同施設の設置から、あらゆるそういう構造改善と呼ばれております事業をいわばワン・セットとして自分の村に導入しなければいかぬのだ、こういうふうに受け取っておりますし、また県庁あたりの指導方針は、明らかにそういうふうになる傾向が非常に強いわけでございます。また、これは、予算のつけ方として、ある程度ある意味では当然なことなのでございますけれども、たとえば、ある村で土地改良事業だけしかやらない、ほかのことはあと回しだ、こういうような計画を立てるといたしますと、土地改良事業に関連した予算だけしか村には流れてこないわけであります。しかし、その村で土地改良事業もやり機械も導入するという計画を立てますと、今度は機械に関する予算がまた流れてくるということになります。村としては、当然なるべくたくさんの予算がほしいわけでございますから、従って、村としては、あれもこれもあらゆる事業を全部計画の中に盛り込みまして、そうして最大限七千五百万円なりあるいは一億円なりという金を、いわば多少悪い言葉で申しますならばぶんどろう、こういう動きが出てくるのは当然のことかと思うのであります。しかし、実際には、構造改善事業というものを考えてみますと、私はそういうセット主義では動かないだろうと思うのでございまして、実際には、それぞれの村の実情によりまして、ある村におきましては、まず土地改良事業というものを徹底的にやってみる、機械を導入するなんていうことは、三年なり五年なりあとでもいいのであって、ともかくひとまず土地改良事業を重点的にやってみる必要がありはしないか。また、ある村ですでに土地改良事業が進んでおりますならば、土地改良事業よりは、たとえば機械化の方に重点を置いてやってみる必要がある、こういうこともあるかと思います。また、特に最近のように主産地の形成というようなことにかなりの重点を置いて考えるといたしますと、特定の村には家畜の導入ということが非常に重要でございましょうし、他の村につきましては、必ずしも家畜の導入ということを考える必要はない、こういうことにもなってくるかと思います。いずれにいたしましても、そういう意味で、構造改善事業というものをやりますときには、それぞれの村につきましての基礎調査というものをもっとはっきりとやりまして、そして、この村につきましては、どういう点に重点的に予算をつぎ込んだらば構造改善ができるかということを、まず科学的に組み立ててみるということが必要のように思うのであります。さらにまた、それは村だけの問題ではございませんから、それを国全体としての農業生産なり、あるいは農業の地方的な配置なりというものの計画と突き合わせまして、そして全体としての構想を立てた上で重点的に予算を使っていく、こういう施策が行なわれなければならないと思うのでございます。ところが、率直に申しまして、今の構造改善事業というものはそういう配慮をきわめて欠いておりまして、ただワン・セットの金を村に流しさえすれば、構造改善ができるというような、きわめて安易な考え方が非常に強いのではないかと思うのでございます。私は、これでは構造改善はほとんど進みませんし、また金はむだ金になる危険性というものが非常に大きいのではないか、こういうふうに思うのでございまして、このセット主義というものを、とにかくこの構造改善事業からぬぐい去る態勢を一日も早く整えることが必要だ、こういうことを第一に申し上げたいわけでございます。 それから第二番目に申し上げたいことは、この構造改善事業の中心的な仕事の一つになっておりますのは、いわゆる基盤整備でございまして、この基盤整備の中にもまたいろいろの内容がございますけれども、その基盤整備のまた一つの中心になっておりますのは土地改良事業であることは御承知の通りでございます。ところが、この土地改良事業というのは、戦後もう長いこと日本ではやってきたわけでございまして、食糧増産対策以来、広範に行なわれてきたわけでございますが、この土地改良事業というものの今のやり方というものは、きわめてむだが多いやり方をしております。また非常に不合理な点を含んでいるのでございます。それはいろいろ内容的には厄介な問題がございますけれども、その中で一番私が強く感じておりますことは、今の土地改良事業というものが、御承知の通り三段がまえの、いわばげたばきのような仕組みになっているということでございます。言いかえますと、土地改良事業の幹線的な部分は国がやる、それから、それよりももう少し座規模のものは府県がやる、一番小規模のところは、いわば末端の事業は土地改良区でやる、こういう三階建になっております。そしてまた、金の流れ方といたしましても、国営事業は国がやるが、県営事業に対しては国が補助金を出す、それから末端の事業に対しましては、国と県が両方補助金を出しました上に、低利資金のあっせんをする。あるいは低利資金をつける、こういうようなやり方でやっているわけでございます。ところが、こういう三段がまえでやるというようなことはいろいろ問題があるわけでございまして、財政能率の点から申しましても、うまく三段の組織の計画が一致して動くというふうになかなか参りませんで、そこで幹線事業の方が先ばしってしまって、幹線はできたけれども、末端の設備が整わないというようなことが起こったり、末端の方が先に片づいたけれども、幹線が整わないということになりまして、ばらばらになるということもございますし、また大きな、村なりあるいは県なりというものの範囲を越えたような大規模な計画というものが非常に立てにくい、こういうことにもなっているわけであります。さらにこの土地改良事業が、末端におきましては主として農林漁業金融公庫その他の低利資金でやっているわけでございますが、このことがまた農民に対しましては、彼らの債務を非常にふやすという問題を引き起こすわけでございまして、そのために農民は、土地改良事業に対して、土地改良事業のいいことはわかっていても、借金をふやすのはいやだ。こういう感じが伴いますために、なかなかやろうとしない。こういうような問題も生んでいるわけでございます。 従って、私の意見といたしましては、土地改良事業のようなものは、できるだけそういうばらばらにやるということをやらないで、末端のところまで国が責任を負ってやるべきではないか。まずそれは国の投資としてやっておきまして、そして現実にその土地改良事業の効果が上がってきたときに、あとから受益者負担なり、あるいは目的税なりという形で費用の一部分を回収する、こういうやり方をすることが必要ではないかということをかねてから考えているわけでございます。その点につきましても、依然として何ら改良の跡が見られないままで基盤整備を非常に拡大する、そのための予算をまた非常にふやしていく、こういう措置がとられているわけでございますが、この点は、私は非常に疑問としなければならないことではないかと思うのでございます。 それから第三番目に申し上げたいことは、この構造改善事業というものは、もちろんいろいろむずかしい問題を持っております。しかし、今日われわれが村へ行ってみますと、その中でやはり最もむずかしい問題の一つになっておりますのは土地問題であろうかと思うのでございます。この土地問題というのも、大きく分けますと二つの側面があるわけでございまして、一つは、いわば既耕地につきまして集団化と申しますか、つまり、機械を導入いたしまして近代的な農法を適用するに適したような集団化が行なわれていないということでございまして、これは、交換分合なりあるいは売買なりを通じまして行なえばいいわけでございますが、その過程がなかなか円滑に進まないという問題がございます。そのやや付随的な問題といたしまして、特に第二種兼業農家のような人たちで、本来ならば離農しても差しつかえがないというような状況を持っている人たちまでが、今のこの地価ではなかなか土地を手放したがらない。これは、農業外の雇用条件が非常にまだ不安定でございまして、従って、老後とかあるいは病気の場合には戻ってきて百姓をやりたい。こういうような希望がありますために、なかなか手放さないということもございますから——もちろんその方は社会保障なり何なりによって突っかい棒をしなければならないわけでございますが、同時に、多くのそういう人たちは、まだもう少し土地を持っていれば土地が値上がりするかもしれないとか、そういういろいろな思惑を持っておりまして、なかなか土地を手放そうといたしませんし、また事実上兼業農家化いたしまして、ろくな農業ができないにもかかわらず、何とか農業を少しでもやろうとすることによりまして、農業生産の上昇の妨げになっているだけではなくて、せっかく近代的な農法を適用しようとしている、伸びようとする農家に対してまでそれが障害になっている、こういう問題も出てきているわけでございます。いずれにいたしましても、そういう点で、まず第一の問題は、既耕地のいわばコンソリデーションというもの、集団化というものをどうやって進めるかという問題をもう少し解決する必要があるかと思うのでございます。 それからもう一つの土地問題として現われて参りますのは、言うまでもなく未墾地の利用という問題でございます。これから日本の農業の中心になりますものが、言うまでもなく畜産とかあるいは果樹作とかいうものであるといたしますならば、未墾地の利用を大いに拡大するということは、ぜひとも必要なことでございます。ことに畜産におきましては、今までの日本の畜産の最大の欠陥が、飼料生産が非常に弱いということでございます。これを補いますものといたしましては、どうしても未墾地の開発、その草地化というものを通じて放牧地を拡大していくということをやりませんと、畜産が健全には伸びないかと思うのでございます。ところが、この未墾地につきましては、国有林をある程度開放するということだけはどうやらきまってきたようでございますが、少なくとも私有地なり、県有地なり、村有地なりにつきましては、何らの措置も考えられていないというのが現状でございます。いずれにせよ、私はそういう意味で、この農業の構造改善というものをほんとうに考えますならば、土地の最も合理的な利用というものを妨げないように、土地所有制度というものに相当の規制を加えるということが必要になってくるかと思うのでございます。その具体的な方策をどうするかというようなことは、なかなかむずかしいいろいろの問題がございますから、ここで限られた時間の中では立ち入ることができませんが、いずれにいたしましても、今までのように単なる、これは自分の土地だから自分が自由に使えばいいんだ、こういう考え方では農業の構造改善は進まないのではないかと思うのでございまして、土地そのものをもっと公共的に利用するという道を開いていかなければならない。また、そういう考え方を国民全体のものとしなければならないというふうに思うのでございます。この点につきまして、その一方におきましては、土地のコンソリデーションなりあるいは未墾地の利用の促進なりにつきまして、土地所有の側面から十分な配慮が行なわれていないということが私としては一つ不満でございます。 もう一つ非常に不満に思っておりますのは、このことと関連いたしまして、いわゆる農地補償の問題というものが政治的に取り上げられて参りまして、そしてこれが実現されようとする気配にある。これは、予算の上におきましてはまだ調査費だけしか計上されておりませんが、新聞の伝えるところによれば、実現したいという御意向がかなり与党の方には強いというふうに伺っているわけでございます。こういうことは、そのことの是非は、これも議論をすればいろいろのことがあるかと思いますが、ここで特に一つの新しい見方として皆さんに申し上げておきたいことは、こういう補償をやるというような方式がかえって土地私有権の意識というものを非常に強める結果を生むだろうということを私はおそれるのでございます。そういう土地私有権というものに対する観念なりあるいは執着なりというものを非常に強めるような政策をとるということは、構造改善の促進という点から申しますときわめて大きな障害になる。こういうことを申し上げておきたいのでございまして、それが第三の点でございます。 それから第四の点といたしまして申し上げたいことは、今のコンソリデーションという問題と関連いたしますが、この構造改善というものを進めて参りますためには、当然土地の集団化を考えなければならないわけでございます。その集団化としてはいろいろな方式がございますけれども、しかしその中で、先ほどもちょっと申しましたように、すでに兼業化しておりまして離農可能な状態にある農家の土地をなるべく早く買い上げまして、これを専業農家の経営規模の拡大という方に流してやるという措置をとる必要があるわけでございます。もちろん、こういうことをいきなり強制的にやるというわけには参りませんけれども、そういう動きを促進する一つの手段といたしましては、土地の売買というものをなるべく円滑化すると同時に、土地売買資金につきまして相当の政策的な措置をとるということが必要だろうというふうに思うのでございます。それは先ほど申しましたようなわけで、離農する人は、土地を売るという点につきましてはもちろんなるべく高い地価を要求いたしますし、また思惑がございますから、普通の地価ではなかなか手放さないという傾向が強いわけでございます。従って、これに対しましては、相当の地価でもってこれを買い上げるという方法をとりませんと、円滑にはなかなか進まないかと思います、しかし他方、この土地を手に入れまして農業経営を拡大しようとする人たちからいいますと、高い地価というものは非常に大きな障害になるわけでございまして、従って、なるべく安い地価でもって土地が手に入るようにしてやるということが望ましいわけでございます。この矛盾を解決いたしますためには、手っとり早い方法としては、土地について二重価格制をとればいいということになりますけれども、実際問題といたしましては、相当広面積の土地が動くというふうに考えますと、二重価格制度というような毛のは財政的にはやり得ないものかと思います。従って、次善の策といたしましては、金融措置によってこれを行なうということを考えざるを得ないわけでございます。ところが、三十八年度の予算を拝見いたしますと、その点につきまして政府がわずかに考えておりますのは、御承知の通り、公庫資金の中に農林漁業経営構造改善資金融通制度というものを持ち込みまして、これによって土地購入のための低利資金を農民に融通するという措置がとられるようになったということがほとんど唯一の措置でございます。しかもこれは土地購入だけではございませんで、農林漁業全体をひっくるめまして考えられておるようでございますが、その金額はわずかに三百億円というものでございます。かりにこの中の三分の二、二百億円が土地購入のために動くといたしましても、二百億円で買える土地がどのくらいの面積であるかということをお考えいただきますならば、実際には全く大した意味を持たない措置だという以外にはないように思うのでございます。この問題を解決いたしますためには、私は、こんな手ぬるいわずかな金を動かすというような方法ではとうてい解決し得ないのではないかと思います。そうかと申しまして、これは金融として考えますと、非常に特殊性を持った金融でございまして、普通の金融機関がとうていやり得るようなものではないと思うのでございます。従って、この問題をほんとうに解決しようといたしますならば、やはり土地銀行なりあるいは土地金庫のような特殊な金融組織、つまり非常に低利であって、非常に長期にわたる年賦償還を含むような、そういう特殊な金融の措置というものをどうしても考えてみなければならないものだというふうにかねて思っているのでございますが、その点につきましても積極的な措置が行なわれていないということは、やはり構造改善を推し進めるというためには非常に弱点をなしているのではないかと思うのでございます。 それから最後にもう一つ申し上げたいことは、これは昨年来申し上げていることでございますが、私は、この構造改善の一つの重要なてこになっております農業近代化資金なる制度は、非常に悪い制度だというふうに考えております。これは昨年公聴会で詳しく申し上げましたから、こまかいことには立ち入りませんが、一言で申しますならば、それは一方では農協の資金に政府がげたをはかせるということによりまして、同時に農協の資金の運営に対しまして政府がワクをはめてしまう。こういう形になりますから、農協の自主性を阻害する、あるいは侵害する、こういう点で非常に望ましくない結果を生むものでございます。同時に他方、その近代化資金の運営そのものは、末端においては農協が責任を持つという形になりますから、これは先ほど木村教授の言われました補助金と同じことでございますが、政府が責任を負うべき政策の遂行を第三者にゆだねてしまう。こういうことになりまして、政策そのものについての責任の所在をきわめてあいまいにしてしまうということになるものだと思うのでございます。そういう意味で、この近代化資金なるものは、私は一日も早くやめるべきものだというふうに考えておりますが、今度の予算におきましては、むしろ近代化資金を拡大するという措置がとられているわけでございまして、この点もぜひ御考慮をわずらわしたいと思う点でございます。 さて、構造改善につきましてはそれだけの点を指摘しておきまして、あと二つの重点施策として考えられております点につきましては、時間もございませんので、ごく簡単に申し上げますが、一つは、生鮮食料の流通合理化というものにいよいよ本格的に政府が着手されたということは、これは非常に時宜を得たことでございまして、それ自体としては望ましいことだと思います。ことにこの生鮮食料なり畜産物というものは、わが国におきましては流通過程に非常に古い組織が残っておりまして、合理化されておりません。それがこれらのものの価格の動きを非常にゆがめておりますし、また農民にとりましても、彼らの生産物の値段を不利にする一つの条件をなしておるわけでございますから、これを合理化するということにつきましては、私はもちろん異存がないわけでございます。ただ、この生鮮食料品の価格の問題というものは、単なる流通過程の合理化だけではもちろん解決できない問題をたくさん持っております。その中で根本的に考えてみなければなりませんことは、今日の政策の体系の中におきまして農産物の価格体系というものがどこまで考えられているかという問題でございます。今日、いろいろのものにつきまして、農産物の価格支持政策なりあるいは米のような直接統計なり、こういうものが行なわれておりますけれども、はたしていろいろな、政府が支持しております農産物につきましても、あるいはそれ以外の農産物につきましても、価格体系という考え方が十分に入ってきているかと申しますと、ほとんど入っていないのではないか。米は米なりにそのときの政治情勢に押されて米の値段をきめていく、麦は麦なりにきめていく、生鮮食料については、価格対策をやるというときにはまたそれなりに価格をきめていく。こういういわば場当たり的なきめ方をしているだけのことでありまして、これからの日本の農業の進路を考えまして、価格体系をどういう形で組み立てたらいいかということに対する根本的な配慮というものにきわめて欠けているというのが実情でございます。私は、こういうことをやっておりますならば、たとえば先ほどちょっと申し上げました米の問題につきましても、これは消費者米価の値上げで食管赤字がある程度減りましたけれども、一、二年すれば、またもとに戻ることは必然であろうというふうに考えております。おそらくことしの秋は、また生産者米価を上げざるを得なくなる、しかし、また消費者米価は続いては引き上げられないということになって、また食管の赤字がふえてくるというような問題が出てくるだろうと思います。こういう問題をただ米の問題だけとして解決しようとしても、私は解決のしようがないと思っているのでございまして、この問題は、全体としての農産物の価格体系というものの中で個々の農産物の価格政策なり流通政策なりをどう位置づけるかという問題を考えてみる必要があるのではないか。そういう配慮が今までの農業政策に非常に欠けていたということは、大へん残念な点でございまして、ぜひこの点を真正面から取り上げるという政策を展開していただきたいと思うのでございます。 それから第三番目の重点施策として考えられておりますのは、技術指導の充実ということでございますが、これも今度の予算の中におきまして改良普及員の待遇改善とか、あるいは専門普及員の増員とかいうことが考えられております。もちろん、これから技術指導というものが非常に重要でございますし、今まで改良普及員というものが待遇があまりよくなかったために、いい人が集まらなかったということも事実でございますから、私はそのこと自体は大いに賛成の意を表するわけでございます。ただ、この技術改良の問題というものは、今日実際にわれわれが感じております問題は、単に改良普及員の手当を上げたり、あるいはその人数をふやしたらそれで問題が解決するということではないということなのでございます。実際には、今日非常に問題になっておりますのは、農民の、ことに専業農家の技術の知識なりあるいは技術水準というものが非常に進んできております。また農業生産がだんだん専門化してきているということによりまして、改良普及員程度の知識なり、あるいは彼らの持っております技術では追っつかなくなってきているということが一番大きな問題なのでございます。そしてこれから農業の技術が非常に高度に発達していくということを考えますと、私は、おそらく今までのような改良普及員が個々に持っております知識なり技術水準では、もはや指導という役割は果たさなくなるだろう、現に果たさなくなりつつございますが、将来はますますそうなるだろうというふうに考えております。従って、この問題を根本的に解決いたしますためには、一方におきましては、試験場の制度を改善普及員制度とどういうふうに結びつけるかという問題が出て参ります。他方におきましては、大学における農業技術の研究なり、あるいは農学の研究なりというものと技術指導というものをどういうふうに結びつけるかという問題が出て参ります。現在までのところにおきましては、御承知の通り、大学の研究というものは、ともすれば現実から離れて研究室だけの研究になる傾向が強かったわけでございます。それから試験場、ことに各府県の試験場というものは、国からの委託試験というものに追われておりまして、現実に農民が持ち、また改良普及員の程度では解決ができないいろいろな技術的な問題を試験場が真正面から取り上げまして、これの解決をはかるという態勢は整っていないわけでございます。問題は、そういう全体の農業教育なり、あるいは試験研究なり、こういうものと改良普及員をいかに有機的に結合するか、こういう点にあるわけでございまして、その点についての根本的な態勢の立て直しがなければ、今日の改良普及員制度というものは、おそかれ早かれ行き詰まってしまうというふうに思うのでございます。この点につきましても、今や新しい構想が要求されているのではないかということを申し上げておきたいわけでございます。 以上か、農林関係の予算に関連いたしまして特に私が申し上げたい点でございます。 最後に、これは少し本題からはずれて恐縮でございますけれども、もう一つだけぜひ皆さんに聞いていただきたい問題があるのでございます。それは、私は昨年の十二月から一月、ちょうど二カ月、アジア経済研究所の委嘱を受けまして、インドの農村調査をして参りましたが、その中で私が非常に強く感じましたのは、御承知かと思いますが、ここ三、四年前から、当時の大使でありました那須先生のごあっせんによりまして、日本人のデモンストレーション・ファームというものをインドでつくっておりまして、これはまだ四、五カ所しかございませんが、かなり優秀な農業技術負あるいは農民の方が行きまして、日本の農法というものをインドに普及するために非常な努力をされております。これはなかなかむずかしい問題でございまして、そう一年や二年で目に見える効果が上がるというふうに私は考えませんが、しかし、インドの今の農業生産力の非常な低さというものを考えてみますと、こういう日本の進んだ農法というものを紹介するということは、私は非常に有意義なことかと思うのであります。ただその場合に、実際にデモンストレーション・ファームで働いております日本の農民の方が一番悩んでおります問題は、この予算の問題でございますけれども、これは日本とインド政府との取りきめだろうと思いますが、日本の農民たちの給料と申しますか、手当と、それから農業機械の費用は日本政府が持つ。そのほかの土地、建物、それから肥料とか農薬あるいは労働者の賃金とかいうような費用はインド政府が持つという約束になっているようでございます。ところが、日本政府が持っております方はともかくといたしまして、インド政府が持っておりますいろいろの費用につきましては、インド政府が非常にこまかい干渉を加えているようであります。しかもインド末端の役人たちは、日本の農法というものについてほとんど理解がないままにいろいろな文句をつけてきまして、やれ肥料の使い方が多過ぎるとか、あるいは農薬の使い方が多過ぎるとか、あるいはわらを売らないで堆肥にしてしまうのはもったいないとか、そういういろいろなこまかい文句をつけて、せっかく日本人が日本式の農法を普及しようとしております努力をいわば抑えつけてしまうというような結果を生んでいるように思いまして、この点は日本の農民の人たちが非常に困っている事実でございます。従って私は、これは外交の問題がございますから、なかなかデリーケートだとは思いますけれども、やはり日本式の農法というものをほんとうにインドに紹介したいということでございますならば、もう少し日本が金の面からもこれにめんどうを見てやりまして、そういう無理解な制約を受けないで自由に日本の技術水準を伸ばせるような措置を、ぜひ予算措置としてもお考えいただきたいというふうに思うのであります。最近の経験から申しまして、それをぜひ皆さんにお聞きいただきたいと思った次第でございます。 以上でございます。(拍手)
○塚原委員長 ありがとうございました。 続いて、和田公述人の御意見を承ることにいたします。和田公述人。
○和田公述人 私は、池田総理の人づくりの問題提起、これに関連いたしまして、私どもが平素研究しております問題、特に産業社会の底辺で新しい産業社会をささえておる青少年の教育の問題、これの問題にしぼって意見を述べてみたいと思います。 このような問題につきましては、私どもの研究機関で二年間にわたって多くの専門家をわずらわしましていろいろと研究をしました。また二回にわたって全国の研究会議をやりまして、大衆的な討議にかけていろいろ議論をした問題でございます。このようないろいろな結論なり御意見を参考にしながら、これからの私の意見を申し上げたいと思うのでありますが、まず最初に池田総理が人づくりの問題を提起されまして、いろいろと御苦労なさっておられることに対して深い敬意を表しておきたいと思います。今のところは、どのようなねらいを持ってこの人づくりをしようとするのかという基本的な検討の段階にあるようでありますが、世間では、すでに総理のねらいをいろいろとかんぐりまして、たくさんの意見が出されております。その中には、まあ自分流に理想的な人間像を考えまして、また自分流の人間製造法の意見を述べるといったような人もあって、かなり多くの批判が池田さんの人づくりに対して出されておるように思うのであります。また、どうせ自民党の池田がやるのだからろくなものにならぬだろうというふうな、非常に派閥的な、政党的な、あるいは階級的な見方をする人もかなり多いように考えられます。しかし私は、池田さんがこの現在の時期に人づくりという問題を提起したことについては、非常に時宜を得たものと心から歓迎する次第であります。むろん、そのやり方について賛成というわけではございませんが、このような問題を提起したということに対しては率直に歓迎をしたい。従ってまた総理は、正しい意見があれば虚心にこれを受け入れる準備も十分あるのじゃないかということを期待しているわけでございます。 そこで、一つ、二つの意見を述べてみたいのでありますが、第一は、この問題をめぐる基本的な考え方でございます。総理の考え方をいろいろ想像しますというと、まず第一に、新しく変わりつつある産業、高度な産業社会、このようなものの中でりっぱに働ける人間を養いたい。このようなことが一つあると思います。第二は、また総理が選挙以来しばしば口にしておることでありますけれども、りっぱにしつけられた国民、よくしつけのきいた国民をつくりたい、そういうようなことから出てくる人間像のイメージという問題があると思います。こういうことは当然道徳教育というものを盛り込んで、りっぱな日本国民をつくろうという意図があると思って差しつかえなかろうと思うのであります。このような二つの問題を総理はお考えになって、今の人づくりのことで御苦心なされておると思うのでありますが、言うまでもなく、これらの問題は、現在の日本にとっては大へん必要なことでありまして、何らかの対策を必要とするものだという点においては、先ほど申した通り私は異論はございません。しかし、その内容について、もし総理のお考えになることが、今後の産業社会においてできのよいロボットといった人間をつくる、つまり新しい機械を上手に使う、あるいは上手に使われる、そのようなロボットのような人間をつくるということであれば、私は反対であります。またもし、よくしつけられた日本人という意味が、国家や国民のために、あるいは社会公共のためにということで、自分が正しいと信じておる主張を控え目にするような日本人をつくるとか、あるいはまた、これまた総理がときどき口にされますような大国主義的な愛国心を持つ日本人をつくるというようなことだといたしますと、むろん私は賛成できません。これに反しまして、総理のねらいが、新産業社会において新しい技術をよく使いこなす人間であって、しかも機械の奴隷とならないような産業や社会秩序をつくるために努力する人間をつくるということであるとしましたら、私は大賛成であります。またもし、このしつけられた日本人という意味が、戦後の与えられた民主主義のもとで自由の過剰に陥っておる社会、あるいはまた無責任な言動があまりにも横行する社会、従ってまた、これらの自由に対して幻滅を感ずる人々が次第に増加しつつある社会、こういうようなものを予想して正しい民主主義の秩序を打ち出す。そういったようなものであるとすれば、むろん大賛成であります。そうして今国民にとって必要なことは、何がより大切であるのか、何がより正しいことであるのかという選択がよくできない、あるいはまたできたとしても実行することができない。このような状況があると思いますけれども、お互いの国民の間に、このような問題を解決する民主的なリーダーシップというものを打ち立てるということが非常に必要だと思うのであります。また、そういうふうなものを打ち立てることのできるような民主的なしつけをつくるということであったとすると、大へんこれは必要なことだと思うのであります。また、正しい愛国心というものは、そのようなしつけを基礎にしてでき上がるものだと思うのであります。おそらく池田総理のお考えになる点は、このような人づくりの問題について、ただいま私が述べました前のような方向ではなくて、あとで述べたような方向であろうと思うのでありますけれども、しかし、ここで特に指摘しておきたいことは、今申し上げた二つのタイプ、これは全く相反する二つの傾向だと思うのでありますけれども、しかし、実はこの二つは、ちょっとした心の持ち方とか、あるいは取り上げる方法とか、あるいはそのかじのとり方などによって知らず知らずのうちに右が左になり、左が右になるというふうな微妙な関係にあるものだと思うのであります。たとえば、この前から総理が、今の大学の教育はおかしな点がたくさんある、従って、大学の自治に対しては政府による効果的な管理制度が必要だという趣旨の発言がなされたことがございます。このような発言をする場合に、総理は、おそらくこれでもって大学を政府の言う通りにしようというふうな気持は持っておられなかったと、むろん思うのでありますけれども、しかし、このような取り上げ方というものは、そのような危険な状態に陥る可能性を持っておるのであります。こういうことはないと思いますけれども、これは総理も気持を改められてやらないことになったようなんですが、もしこういうような問題を提起する場合に、世間を騒がして、世間に大きな関心を起こさして、そしてわんわんわんわん言わしたところでうまく持っていこうというような考えがもしあったとしますと、これはまた大へんな問題だと思うのであります。よく社会党なり総評なりという最近のいろいろな行動に対して、政府は、あるいは池田さんは批判しておるのでありますけれども、これじゃ、かなり無責任な行動もやってのける社会党とか総評その他の人たちを非難することはできない。また、基本的に言えば、はったり的な行動というものを世の中に助成するということにもなりかねないのでありまして、そういう点からも、もっとよく考えて、しかもこの取り上げ方、かじのとり方によっては、この問題はどう回るかわからないような問題であるので、もっと慎重に考えていただきたいということでございます。最近、戦前に帝国大学であった大学総長さんに特別の立場を与えるというようなことも、そういう点から見て、決してこれは前向きの考え方ではない。つまりこういうような取り上げ方は、総理が正しい意図を持っておると私は思うのですけれども、大へん危険な方向にいく可能性があるということを指摘しておきたいと思うのであります。 また、来年度の予算を拝見しますと、大学や研究機関の科学技術教育やあるいは研究開発の拡充については、乏しい予算のうちから相当の予算を計上しておるということは、私は喜ばしいと思うのであります。しかし、その一面で、ここで私は強調したいことは、真に産業社会をその底の方からささえている勤労青少年の教育については、ほとんど無視されているということに注目する必要がございます。こういうふうなところにも、つまり一種の権威主義的な、あるいは即物的な考え方というものが感ぜられるのでありまして、私は、こういうふうなことを申しましても、将来技術的な優秀なエリートをもっともっとたくさんつくるということについて、その必要がないなどということは、毛頭申す気持はございません。問題なのは、従来の学校教育偏重の上に立って、しかも上の方から人づくりの問題を考えられていると思われる点であります。新しい開けていく産業社会に適応するためには、高級の技術者だけではなくて、それより以上に、一般の青少年労働者の教育が必要であると思います。この意味で、中学や高校を出て現に職場に働いておる青少年、しかも将来も同様な人たちがたくさん出ていくわけでありますけれども、このような人たちに対して効果のある教育を行なう措置を考える、このことが非常に必要な問題ではないかと思うのであります。しかし、本年度の予算あるいは政府の考え方と思われる方向には、こういうふうな感覚が非常に欠けているというふうに思うのでございます。このような傾向は、特に中学卒の勤労青少年についてその弊害がはなはだしいということになると思うのであります。 このように見てきますと、現在の技術革新を伴う高度な産業社会に必要な教育や、とりわけ民主的な教育の一そうの徹底などを考えますとき、もはや普通のお昼の学校教育だけでは十分ではございません。明治以来わが国の学校教育は大きな役割を果たしてきました。しかし、今や決定的にこのような画一的な学校教育から百尺竿頭一歩を進めなければならないと思うのであります。学歴の偏重から実力主義、普通の学校から産業別の学校、そしてまた最後に働きながら勉強する教育機関の必要性を重視しなければならないと思うのであります。特に、働きながら向学心に燃えた勤労青年たちが、誇りを持って勉強することができるようにする、そのような精神的な環境と諸施設を至急に必要とするのであります。そこには一般の産業あるいは会社というようなものと学校というものを合理的に結び合わした教育機関というようなものも必要になりましょう。あるいはまた、最近いろいろ問題を出しておる定時制高校というふうな問題を、もっと魅力のあるものにするという問題もありましょう。あるいは企業内の教育制度というものを量と質の両面から拡充していくという問題もありましょう。あるいはまた青年学級やその他すべての社会教育機関を飛躍的に拡大していく。そうして先ほどから申しておる新しい産業社会を新しい日本人をつくるための大きな国民的な教育の場にするという考えが必要でございます。これと同時に、働きながらだんだんと大学教育またはそれに相当する教育や資格が受けられるような方法を考えること、つまり中等教育と高等教育との連絡道をつけるということも必要であります。このようなことは、西欧先進諸国では、あるいはまたソ連でもすでに以前から行なわれていることでありまして、学校と産業との関係がそう一そうに密接になりつつある状態を考えますときに、日本においても、この問題をおそまきながら考える必要があろうかと思うのであります。 以上のような基本的な考え方というものから見まして、また、今申し上げたようないろんな重要な側面があるのでありますけれども、第二に私が強調したいことは、特に現在の定時制高校に勉強しておる青少年の問題でございます。昭和三十六年末の調べによりますと、定時制高校に通う生徒は四十六万五千人をこえております。これは普通のお昼の学校に通っておる人の数に比べると、約二割前後に達するわけであります。また、現在の高校への進学率は大体六二、三%と言われておりますので、中学を卒業してすぐに企業に入っていろんなところで働くという数は、およそ四〇%近くになるわけでございます。従って、現在の定時制高校というものがもっと魅力があり、また会社側でももっと理解があり、また政府としても、その政治の中から、ここで働く人はりっぱな人なんだというように扱われるような指導があるとしましたなれば、この定時制高校というものはもっともっと盛んになり、もっともっと重要になるはずでありますけれども、実情はその逆であります。この定時制に通う人々は、むろん一日中働いて、全く疲れておるそのからだで、夜の六時から九時ごろまで三時間も勉強するのでありますが、この人々は、かなりのものが、その働いておる会社の了解を得て来ておる人もありますけれども、また相当の人が、会社にはこっそりと内密で通っている人も多いのであります。また、その学習は夜間ですから、照明が非常に不十分だ、また、昼間の学生が使えるような実習あるいは実験室が使えなかったり、あるいは運動場が使えなかったり、あるいは教室が使えなかったりというふうな制約のもとであるということも御想像願いたいと思います。このようにして定時制の学習は、そこで教えられる先生方も、あるいは生徒も、最初から昼間の普通の学校の生徒や先生に比べて劣等感を持っている。このような状態のもとで教育が行なわれている。また、政府も地方の公共機関も、これはやってもあかんのだが、やらなければしょうがないのだ。ちょうど中小企業というふうなものに対して、これはやっても焼け石に水だけれども、やらなければしょうがないのだというふうな、厄介者を見るような気持でこの問題を見ている。そういうふうな環境のもとで、これらの人々の成績がよくなるなんということを想像する方が間違っておるのであります。 このような状態でありますから、非常な決意を持って定時制高校に入った人々も、二年になり三年になりあるいは四年になるうちに、中途でやめる人が非常に多い。一年に入学した人が半分も卒業することができないというのが実情なのであります。このような状態のもとで、めげずがんばっておる人々は、向学心に燃えており、意思も強固であり、りっぱな素質を持った青少年であることに注目していただきたいと思います。しかし、もし現在のままの状態で放置すれば、その結果は憂うべきものがあると言わなければなりません。これらの純真な、素質のよい、りっぱな若い日本人の人々が、非民主的な左右の全体主義の影響下に陥ることがあるとするなれば、その声をあちこちで聞くのでありますけれども、もしそういうことがあるとするなれば、それこそ社会の責任であり、あるいは政府の責任であると断じて間違いないと思うのであります。またもしこういうことがあるとすれば、そういう状態は即刻に除かなければならないのではないか、そのように思うのでございます。 現在、世界の先進諸国に、すべての人々に後期中等教育をという言葉があります。つまり、すべての人々に後期中等教育をということは、世界的な風潮なのであります。ここで言うすべての人々に後期中等教育をというこの目標、中等教育ということはむずかしい言葉なんですけれども、結局、日本で言えば高等学校の教育を与えるということでございます。一年前から日本でも、日本の一部の人たちでありますけれども、高校全入の運動なるものが展開されております。日教組の方々、あるいはその他の労働組合や政党の方々がかなり熱心にこの運動を推進しておるのでありますが、これも確かにすべての人々に後期中等教育をという目標を達成する方法だと言えましょう。しかし、私の見るところでは、このような運動だけでは、正しい方法で毛なければ、またあまり利口な方法じゃないと思うのであります。第一に、一年や二年のうちに百万以上の人たちの校舎をつくる、あるいはまた先生を大増員をするというふうなことはできない相談でありましょう。またかりに少し年を延ばしてそれができたとしましても、現在までに職場に入っておるたくさんの人たち、今申し上げた定時制の高校に通っておるような人たち、そういうふうな人たちに対しては、これは全然関係がないのであります。また校舎ができ、先生がたくさんできましても、現在学校に行けない人は、お金がないから行けないという問題があるのでありまして、そういうような問題との関連を考えましても、また、学校教育よりはおれは実際の仕事をしたいというふうに考える人も相当おるのでありまして、こういうような非常な多様性がある。こういうような状態を考えましても、高校全入というふうなスローガンでわいわいとやっていくということは必ずしも当を得た方法じゃないのじゃないか、そういうふうに考えるわけであります。このすべての人に後期中等教育を、つまり高等学校程度の教育をというこの目標を実際に実現できる方法を他に求めるとしますと、先ほど申し上げたような定時制高校、あるいは企業内の教育、あるいは産業と学校を結びつける特殊ないろいろな学校、こういうふうなかなり多様性のあるいろいろな方法で、特に働きながら勉強をする人が効果のある勉強ができるような、そういうふうな着眼でこの問題を解決していくということが非常に重要な問題ではないかと思うのであります。また、定時制高校をよくするということは、昼の普通の学校を夜に切りかえるというだけの問題じゃございません。もっともっと仕事に応じた、能力に応じた方法が考えられなければならないし、また、もともと夜間に三時間もやるということは無理なんでありまして、一週間に一日あるいは半日を、二日ぐらいの日々義務的な方法で、そのような中卒の人たちを雇っておる会社には義務づけて、昼間の定時制の学校に通わすとかいうような方法で、夜間の授業を三時間を二時間にするとかというようなことも考えられていいのではないか。その他いろいろな方法が具体的にあると思いますけれども、非常にむずかしい複雑な問題でありますけれども、このようなことを本気で考えるということがつまり正しい方法で、いわゆる人的資源の開発を行なう方法だというふうに思うのであります。 このような問題は、相当の長期の計画が必要であり、また相当の予算が必要であります。とりわけ必要なことは、明治以後の日本の教育というものは、これは学校でするものだという、このような基本観念から脱却して、働きながらの教育というものがりっぱに成果を上げられるような工夫をするということが一番大事な問題だと思うのであります。現在定時制高校には、一名ただし制の高校、ただしづきの高校という別名があります。これはよく高校卒業者を採用します。ただし定時制高校はお断わりというようなことから出た言葉でありますけれども、このような呼び名が出るということ自体が非民主的なことであるし、また新しい産業社会に伸びていくその底辺からささえている人たちに対して、きわめて侮辱した言葉だと思うのであります。 以上、繰り返して申し上げますけれども、本日の公聴会で、私は、現在並びに将来の産業社会をその底辺からささえておる働く青少年の教育という問題について、一そうその重要性を強調するとともに、ぜひとも今年の予算でも、こういう問題について深く留意をしていただきたいと思うものでございます。 以上で私の公述を終わりたいと思います。(拍手)
○塚原委員長 それではこれより公述人各位に対する質疑を行ないますが、大内公述人は御都合がおありでございますので——実は一時から講義がおありだそうでございますので、先に大内公述人に対する質疑をなるべく簡単にお願いいたしたいと思います。倉成正君。
○倉成委員 時間がないようでございますから、簡単に御質問申し上げます。二点だけお尋ねを申し上げたいと思います。 大内先生の一昨年並びに昨年の公聴会の御意見も拝聴いたしておりますので、それを前提にして申し上げたいと思いますが、ただいまの公述で、基盤整備をもっと早いテンポで進めることが必要ではないかということに関連いたしまして、いろいろ構造改善事業について、セット主義の御批判であるとか、土地改良の進め方等についてお話がございました。私どももこれはもっともなことだと思います。また、セット主義につきましては、政府においてもこれは改めていこうという方向でございますので、申し添えておきたいと思いますが、これを角度を変えて私は御質問申し上げたいと思うのですが、実は基盤整備というのは、結局機械化を積極的に進めていく、特に機械化の中でも、大型の機械を導入して農業の近代化をはかっていくためのものであろうと思うわけでありますが、私は、基盤整備を進めていくやり方が、今のテンポあるいはいろいろなやり方を変えて先行投資的にやっていくにしましても、これは相当長期を要するんじゃないか、多少構造改善をテンポを早めるという程度ではとうてい間に合わないで、うっかりすると五十年、百年かかるというような結果になるんじゃないかと思うのです。そこで、もしほんとうに機械化をもっと積極的に進めていくためには、相当衝撃的な刺激を与えないといかないんじゃないか。農村に意欲を起こしてもっと大型の機械を入れていくというためには、何か大きな刺激をこれに与えなければいかないのではないか。もっと端的に申しますならば、道路をつくってからバスを通すのが順序でありますけれども、やはりバスを通すとどうしても道路がよくなってくるという、鶏と卵の関係にもなるわけでありますけれども、何か積極的な刺激を与えなければいけないと思うのです。この点をどうお考えになるか。 それから機械化の場合に、日本の場合、傾斜地が非常に多いわけでございますが、この傾斜地の機械化という点をどうお考えになるかという、考え方だけでけっこうでございますから、お答えをいただきたいと思います。
○大内公述人 今の御質問の第一点は、機械化を促進するために農家にどういう刺激を与えることが考えられるか、こういう御質問だったかと思います。私も、その基盤整備ということが理想的に行なわれますためには、相当長期を必要といたしますし、また大へんな金が必要だ、こういうことはおっしゃる通りだと思います。従って、私も、何も基盤整備が理想的にできてから初めて機械を入れろというほどに極端なことを申し上げているのではむろんございません。しかし、実情におきましては、農道も整備されていない、また農地の区画も非常に小さい、それからまた、その所有がばらばらに散らばっている。こういう条件の中で機械を入れるということは、事実上非常に困難でございますし、また、兵庫県の姫路付近の実例が示しておりますように、無理に機械を入れましても、機械の使い方が非常にゆがめられてしまいまして、機械の長所がほとんど発揮できないということに終わってしまっているという事実を考える必要があろうかと思っております。従って、確かにおっしゃるように、私は農家に対する一つの刺激として、まず機械を多少無理であっても入れてみて、そして機械を使わせてみると、この土地の状態なり道路の状態ではとても困るということから、農民の間に、それでは基盤整備をしようじゃないか、こういう意欲が盛り上がってくるというような効果があるということを必ずしも否定はいたしませんけれども、それにもかかわらず、私は、やはりもう少し合理的に機械が使えるような基盤の整備というものに政府は急いだ方がいいだろう、それは、完全にいくのには、おっしゃる通り五十年かかるかもしれませんが、少なくとも五〇%なり六〇%なりをなるべく早く到達をして、そして機械を入れる基盤をつくってやるということが、この際必要ではないかという感じをもって申し上げたわけでございます。 それから私は、日本の農民につきましては、もちろん兼業農家、零細農家になりますと、農業について十分な関心を持たない人たちが相当おりますけれども、少なくとも今日の専業農家層として農業で伸びていこうとしている人々は、非常に高い技術的な知識と関心を持っているかと思います。従って、土地改良をしなければならないということもよく知っておりますし、それから機械を入れなければいけないということもよく知っているのでございまして、従って、もっとおくれた国の農業の場合のように、特別の刺激を与えないと新しい技術が入らないということではなくて、新しい技術の入り得る条件を整備さえしてやれば入るもの、また、そういうものを使いこなす能力は日本の農民には十分にあるというふうに考えておりますので、そういう意味で基盤整備の点を強調したわけでございます。 それからもう一つの御指摘の、傾斜地をどうするかということでございますが、それほど急傾斜地でない場合には、たとえば水田にいたしましても、畦畔を等高線に沿ってつくるというような、アメリカあたりでやっておりますような方法を取り入れますならば、細長い形の水田にはなりますけれども、相当大型の機械を使うことは十分可能でございます。さらにもう少し傾斜が強くなりましたときには、水田なり普通畑作として使うことは困難になってくるかと思いますが、そういう地帯こそ、むしろ果樹なりあるいは牧草なり、こういうものを導入いたしますならば、私は十分利用できると思います。その場合の機械と申しましても、小型のトラクターなど相当急傾斜地でも使えますし、それから果樹園なんかの場合には、中心になりますのは、トラクターの導入よりは、御承知の通り、配管設備によるたとえば病虫害の防除とか薬剤の散布とか、あるいは肥料の散布、もしくはケーブルその他の方法によります生産物の搬出というような機械化の方が重要になってくるわけでございまして、そういう場合には、傾斜地を十分有効に利用することができるかと思います。従って問題は、一つは、傾斜地における区画の整理の方式が、今まではともすれば、水田になりますとどこでも四角くつくらなければいかぬという考え方が強くて、たな田になっているわけでございますが、これを整理方式を変えていくということと、それから今まで水田に使っております傾斜地で非常に無理なところは、ほかの作物に転換するということを考えることによって、私は十分解決のつく問題ではないかというように考えております。
○倉成委員 今の点はおくといたしまして、兼業農家をだんだん減らして参りまして、その土地を専業農家に吸収して、専業農家を育成していく方向が望ましいということは、御指摘の通りでありますが、先生のお考えになります専業農家、特に自立農家というのは、どの程度の規模のものをお考えになっているか、お伺いしたいのであります。これは地域あるいは耕種等によっていろいろ異なると思いますが、代表的な例を一、二おあげいただけばけっこうじゃないか。 それと関連しまして、協業についてどういう評価をなさるか、また、農業政策の対象として、そういった自立農家を対象として、そういった兼業の零細な農家を一応農業政策の対象の外に置くべきかどうかという考え方を、あわせてお聞かせいただきたいのであります。
○大内公述人 今の御質問の第一点の、専業農家の規模をどう考えるかということでございますが、これは御質問の中にもございましたように、地域によりましても営農の形態によりましても、非常に千差万別でございまして、一律にこのくらいが理想的だというふうに申し上げることは、非常に困難かと思います。たとえば水田単作地帯で——実は今八郎潟の入植計画が農林省の方で行なわれておりまして、私も、それに知恵を貸してほしいという御要望がありましたので、多少研究しているのでございますが、ああいう八郎潟のようなところで、たとえば高度に機械化されました水田単作経営、こういうものを考えてみますと、どうも一戸平均十町歩では小さ過ぎるという結論が大体出てくるわけでございまして、おそらく一戸平均にいたしましても十五、六町歩を考える、しかも、一戸の農家としてはなかなかその機械を使いこなせませんから、やはり六、七十町歩から百町歩ぐらいを一つの単位としまして機械を結びつけていくというような協業経営を考えざるを得ない、こういう結論がどうも出てきそうであります。しかし、そういう八郎潟のような場合には、新たな入植地でございますから、ある程度理想的なことをやれますが、実際問題としまして、旧村でそんないきなり二十町歩のものをつくれというようなことを申しましても、一つの空想でございますし、それからまた、地域によっては水稲単作というような形がある程度できるかと思いますけれども、概して申しますと、日本の農業の場合には、おそらく単作経営という形では成立が非常に困難ではないか。もちろん多角経営と申しましても、今までの日本の農家のように、よろず屋式にあれもこれもつくるということは望ましくないといたしましても、やはり水稲作なりあるいは穀作と畜産なら畜産というものを結合いたしました複合経営という方式を考えざるを得ないのではないかというふうに思っております。そういう場合に、どのくらいの面積が一番合理的かということになりますと、これも一律にはなかなか申せませんが、あえて大胆な、大ざっぱなことを言わせていただきますならば、私は、水稲作につきましては、やはりそういう複合経営の中では、今の技術水準では三、四町歩なり五町歩程度のところまでがほぼ適当な大きさではないか。それから家畜の飼育規模につきましては、酪農について申しますならば、ほぼ十頭以内というところが適正ではないかというように見当をつけております。ただ、これは御質問の第二の点と関連いたしますが、かりにそういう規模の農家がある程度できましても、もちろん発達した大型の機械というものを個々の農家が個別的に所有し、個別的に利用するということは不可能でございます。従って、この点につきましては、共同利用方式を大いに発達させていかなければならない。もし基本法で協業経営と申しますのが、そういう機械の利用を中心といたしました共同利用の形態であるといたしますならば、そういう意味で、自立経営と協業経営というものは決して矛盾をしないのであって、これからの自立経営なるものは、むしろ協業なしには成り立たないものだというふうに考えております。 それから最後の御質問は、零細な農家について農業政策としてどう考えたらいいかということでございますが、これは一方におきましては、できるだけ第二種兼業のような人たちで離農可能な状態にある人たちは、なるべく離農を促進するということが望ましいというふうに私は考えております。もちろん、これは強制的にやるべきことではございませんので、先ほど申し上げましたように、農業外の雇用条件の改善なりあるいは生活の安定なりをはかりながら、他方農業から比較的自然に離れていけるような条件を整えてやるということが政策の非常に重要な目的かと思います。しかし、それは農業政策ではないとおっしゃるならばその通りでございまして、むしろ社会政策なり、そういうものかと思いますけれども、ただ、そうは申しましても、零細な第二種兼業的な農家というものが全部一ぺんになくなるということは空想でございまして、また、今日ヨーロッパやアメリカ、いずれの国をとりましても、相当大量の第二種兼業的な農家をかかえておることが事実でございます。こういう農家につきましては、一つの問題は、そういうものの存在を認めるといたしましても、それが専業的な農家の発達をなるべく妨げないような方式を考えていく、たとえば地域的に集中させるということも一つの方法でございましょうし、それから先ほど申しましたような、農地の交換分合によって農地の整理をするというのも一つの方法かと思います。しかし、同時に、こういう零細兼業農家というのは、いわゆるかあちゃん百姓といわれるものでございまして、技術水準が非常に低い、また技術的な関心が非常に薄いために、たとえば病虫害防除のような場合でも、専業農家が一生懸命病虫害の防除をいたしましても、こういう兼業農家がろくなことをしないもんですから、そこに集まった虫がまた専業農家の水田まで広がってしまうというような状態を引き起こしますので、そういう点から申しましても、また限られた日本の狭い土地をなるべく有効に使うという点から申しましても、やはりこういう零細兼業農家の技術水準を高めてやるということが農業政策としては非常に必要な点かと思います。私は、むしろいわゆる共同経営方式なるものは、こちらの方に重点を置いて考えるべきものだというふうに考えているのでございまして、こういう零細兼業農家というのは、大体労働力も非常に薄弱でございますし、技術的な知識も弱いわけでございますから、こういうものをこそ共同経営方式でくくりまして、高度の技術を備え、また技術的な装備を備えるという条件を与えてやりますと、かなり生産性が高い、そうして専業農家に劣らないような経営を実現することができるだろう。専業的な自立経営は、共同経営と申しましても、先ほど申しましたような共同利用なり共同作業はできると思いますが、いきなり共同経営に持っていくなんということはなかなかできない相談でございます。こういう零細兼業農家こそ、まさに共同経営の対象になるべきものではないかと思うのでありまして、そこにおそらく農業政策としてやるべき点が残されているかと思います。
○倉成委員 ありがとうございました。
○塚原委員長 井堀繁男君。
○井堀委員 大へんお急ぎのところ恐縮でございますが、先生が最後に公述なさいましたインドにおける日本のデモンストレーション・センターの問題ですが、その今後の役割なりそれが及ぼす影響について、二つの角度からちょっとお尋ねをしてみたいと思います。 一つは、最近、国連の農業食糧政策委員会ですかを中心にして、世界の飢餓防止運動を大規模に展開しようとする動きがかなり活発になっていると思うのであります。これとこのセンターとの関係。 いま一つは、このセンターが将来インドの農家にどう大きく影響を及ぼすかは、日本の農業にとってもきわめて重大な関係が起こってくるのではないか。あるいは競合の面において、あるいは協力関係の形において一応の見通しを持っていなければならぬ問題ではないかと思いますので、この二点についてちょっとお尋ね申し上げます。
○大内公述人 第一の点は、その飢餓防止運動と直接どういう関係があるかということを、私すぐお答えするだけの用意はございませんが、ただ、今の程度の日本のデモンストレーション・ファームが行なわれましても、私は、すぐに日本式の稲作というものがインドに大いに普及いたしまして、インドの技術水準が比較的短い期間に高まるというほど楽観的には考えておりません。これはある意味では技術以前の問題でございまして、むしろインドの社会構造、それから農民の極端に低い教育水準というようなもの、それからまた宗教的な感覚から申しまして、肉体労働を割合に軽べつすると申しますか、多少ましな生活をしている人間は肉体労働をしない方がいいという考え方が非常に強いとか、いろいろな社会的、歴史的な制約がございまして、従って、日本の農業技術を紹介いたしましても、それを実際に利用し得る農民というのはきわめて限られたものだろうと思います。従って、十年とか二十年のうちにこれが大いに芽を吹きまして、インドの生産力が非常に高まって飢餓防止に役に立つというところまではなかなか考えられないのでございますが、ただ、それにもかかわらず、インドの社会というのは、ここ十年くらいのうちに非常に急激な変化を見せつつあるわけでございまして、たとえば古いカスト制度のようなものは急激にくずれつつございますし、それから政府の努力によりまして、ともかく普通教育が普及しつつございますから、従って、次の世代が育ってくるころになれば、かなりインドの社会の状態も変わって参りまして、技術を導入し得るような条件が整ってきはしないかという感じを持っております。そういう点で、この際、日本の過去百年以上の経験を積みました特に稲作技術をインドに紹介しておくということは、決してむだではないのでございまして、大いにやっていただきたいことだと思いますが、そうかと申しまして、こういうものを、今度第二の問題とも関連いたしますが、ふやしまして、それによりまして日本のいわば植民地をつくる、あるいは移民をするというようなところまでいくことは、私は問題だと思います。やはりこれはあくまでもデモンストレーションという意味だけにとどめる範囲の方が賢明ではないか。と申しますのは、インドは非常に過剰人口をかかえておりまして、しかも人口の増加が急激でございまして、それほど土地に余力があるわけではございませんから、ブラジルやなんかのように日本人が大いに入りまして、移民をするというところまではとうてい行き得ない条件を持っておりますから、やはりあくまでも技術的な紹介というところにとどめるべきだと思います。 その場合に、それにもかかわらず、日本の稲作がかりに非常に浸透いたしまして、インドの生産性が上がりますと、日本農業との間に競争関係が起こるかどうか、こういう問題も御質問の中にあったかと思いますが、これは今申しましたようなわけで、私は、そんなに急激にはなかなか生産力が上がらないだろうという感じは持っておりますし、それから同時に、現状におきましても、インドは非常に食糧不足の状態でございまして、年々相当の輸入をしなければならない状態でございます。さらにインドの国民全体の消費水準というのは、平均的に申しますならば、いちじるしく低いわけでございまして、もしこれを一割なり二割なり引き上げることができるということになりますならば、何しろ四億何千万という人口を持っている国でございますから、大へんな消費力の増大が起こるだろうというふうに思うのでございまして、従って、生産力を上げたらすぐに日本の農業に反作用が及ぶというふうには私は考えておりません。
○塚原委員長 安藤覺君。
○安藤委員 お忙しいところ恐縮でございます。先生のうんちくあるお説を承りまして、まさに日本の農業の大改革をいたさねばならぬときに、農業の構造改善ということが背骨の重要な役割を持っておるということだけは事実であります。そこで、その場合のこの構造改善をはばむものとしておあげになりましたセット主義並びに基盤整備の御指摘についても、われわれ大いに啓発をいただいたところでありますが、最後にお述べになりました、土地の集団化並びに専業農家一人の経営面積としても五町歩、七町歩、十町歩という大規模面積を必要とするということについて、全く先生のお話の通りだと思うのであります。この場合、この集団化並びに専業農家の経営規模の拡大のための土地を必要とすることについて、他の兼業農家がその土地を手離したがらない。その理由は、転業した場合においても、離職あるいはその後におけるところの社会保障というようなものに対する不安感、これも全くその通りだと存じます。そこで、それはそれなりに別の面からそれぞれ救っていくにいたしましても、何かしら農民それ自体の土地というもの、そのものについての愛着というようなものも、見のがせない事実だと思うのであります。そこで、これを集団化あるいは専業農家へ移行させるということについての方法として、土地の収用について何らかの方途を講ずべきではないかという御意見でございましたが、ただいままで道路、港湾、河川あるいはその他の公共施設につきましては、土地収用法があり、かつまた、昨年の国会におきましてこれが強化せられた面もあるのでありますが、この場合におきましては、道路あるいは港湾その他の公共施設というようなことに限定されておりますが、農地の集団化あるいは個人経営の専業農家への移行という場合においても、公共という考え方のもとに現存する土地収用法を適用することがはたして妥当だろうかどうだろうか、もしそれが現在の国民の多くの考え方において少し無理だとするならば、これにかわる何らかの方法はないであろうか。土地収用法を強化するというか、何というか、いずれにしましても、農地を収用することにおいて何らかの方法はないであろうか。もし御私案等がおありになりましたらお示し願いたい。 さらにもう一つは、たまたま言葉をそこに及ぼされたのでありますが、農地補償の問題等を実行することによって、さらに土地私有権の観念を強めるのではないだろうかという御心配もあったようであります。この場合における先生のおっしゃる土地というお言葉は、田畑あるいは山林等々の農業用土地のみをおさしになるのか、あるいはその他宅地等々も入って、一般的な土地ということにおいて、国民個々はその土地を所有すべきものでない、これは国有であるべきものだという基本的なお考えのもとにおいてお話をいただいておるのであろうか、この二点をお答えをいただきたいと存じます。
○大内公述人 第一の点につきましては、私の言葉が足りませんで、もし誤解がございましたら訂正していただきたいと思いますが、私は、農地の集団化という場合に、土地収用法のような形で強制的に行なった方がいいということを申し上げたわけでは決してございません。現状におきましては、私も、おっしゃる通り、土地収用というような方法でいきなり強制力を打ち出すということは非常に無理だと思いますし、かえって摩擦が多くて効果を達成できないのではないかと思っております。しかし、そうかと申しまして、それでは全く土地については野放しにしておいていいかと申しますと、これはなかなかそうはいかないと思います。そこで、一つ私が私案として持っておりますのは、一つの方向は、やはりさしあたり農地について、未墾地も含めてでございますが、ある地域社会の村なら村でもけっこうでございますが、そういう場合における農地の合理的な利用についていろいろ計画を立て、かつまた、その合理的な利用になるべく即したように農地の所有関係なり利用関係を調整していくような何らかの自主的な機関を組織する必要があるだろうというふうに考えております。これは私個人の考えではございませんで、前、農林漁業基本問題調査会という調査会がございましたとき、すでにその中で、公的機関といったようなあいまいな言葉で表現してございますが、何らかの土地管理の必要を強調しておるわけでございます。これは、政府が上から法律によってそういうものを強制的につくらせるのがいいのか、あるいは国民運動のような形で下から盛り上がってくるのが望ましいのか、その辺はいろいろデリケートな問題があると思いますけれども、とにかく一方では、そういう土地の利用をできるだけ合理的に行ない得るような、また、そこで土地の買収が必要だというときには、もちろん話し合いで納得的にやらなければならないと思いますが、しかし、ある程度多くの土地所有者がそれに協力できるような、そういう一つの運動なり組織をつくっていくということが必要だろうと思います。 それから第二番目には、先ほどちょっと申し上げましたように、その場合でも、土地を手放す人に対しましては、できるだけの補償を考えてやる必要があるわけでございまして、それと農業の発達とのかみ合わせの上におきまして、特殊な金融組織というものをどうしても考えなければならないだろうということを申し上げたわけでございます。 それから第三番目に、これは第二の御質問とも関連いたしますが、私は、もちろんいきなり土地国有論を主張しようというほどの空想家ではございません。そして今日の、少なくとも社会主義社会は別といたしまして、資本主義社会でございますならば、土地の私有というものを認めざるを得ないし、それがある意味で当然だと思います。ただ、いかなる資本主義社会におきましても、かつての十九世紀のような自由主義の時代とは考え方が変わってきているわけでございまして、個人が土地を、これはおれのものだから、おれの勝手に使えばいいのだというふうに言うことは、なかなか許されなくなってきている。これは農地についてもそうでございますが、御質問の宅地や都市市街地につきましてもそうでございまして、たとえば都市計画なり、あるいは道路の作成なりというものを考えてみました場合に、個人の土地所有権を一方的に主張するということに対しましては、やはり非常に大きな問題が出てきているわけでございまして、その辺を合理的に調整するということが、非常に大きな政治の問題ではないかと思うのでございます。ですから、これもいきなり国有にするということではございませんが、やはりそれについて、一方ではもちろんある程度の規制を加えるなり、また規制を加えると同時に、しかし、その所有権の規制に対しての補償はむろん考えなければならないと思いますけれども、同時に、やはり国民全体の考え方といたしまして、この土地はおれのものだから、おれが勝手に使えるのだ、こういう観念をだんだんと薄めていく必要がある。土地というものは限られた資源でございまして、これを社会全体のために最も有効に使うのにはどうしたらいいか、こういうことについて関心を高めるような運動なり啓蒙なりというものがぜひ必要であろうと思うのでございまして、そういう点から、私有権をあまり強めるようないろいろな政策なり対策がとられるということは、警戒しなければならないということを私は申し上げたわけでございます。
○安藤委員 先生、農地というものをもう少し公共性のあるものとして強めていくという考え方を国民の間に打ち出すということは、何らかの方法でできないものでしょうか。たとえば、食糧供給ということが国として絶対必要な国策だということであれば、それは道路や港湾をつくるのと同じような意味において大切じゃないか。こういう意味においては、土地収用法そのものを強化するということはちょっときつ過ぎるかもしれませんけれども、何らかの形で——もっとも、こういう考え方を持ちますと、貧農切り捨て論がすぐ出てきますけれども、貧農切り捨てでなくて、好んで他へ転業するという人である限りにおいて、これが行なわれていってしかるべきじゃないかという考え方が、一つ私にあるわけでございます。 それともう一つ、土地私有権の観念はあっていいのじゃないか。あっていい。土地は私有している、しているけれども、公共の福祉のために自分の利益をある程度まで提供する。同時に、それは地域社会全体のしあわせになるのだ、こういった広い公徳心といいますか、公共心というかを養っていくということの方が肝心なのじゃないか、こんなふうにも私考えるのでありますが、いかがなものでございましょうか。
○大内公述人 最初の方の点につきましては、私も、農地の利用にいたしましても、それは公共的なものであって、ですから、私有地であるから勝手に使えるという考え方では困るというふうにだんだんなりつつあるということは、お説の通りだと思います。しかし、そのことと、すぐにそれでは強権力をもって収用していいかどうかということとは、多少別の問題でございまして、私は、少なくとも今の日本の状態におきましては、いきなり強権力で収用するというようなことをやりますと、かえって混乱の方が大きくなりまして、実効が上がらないだろうという判断をしております。従って、この点につきましては、できるだけ先ほど申し上げましたような運動を通じまして、国民の間にそういう考え方がなじんでくるということが必要なわけでございまして、また、それをさしあたりはできるだけ育成し、促進していくべきだろうと考えております。しかし、今のあとの方の問題との関連について申し上げますならば、私は、もちろん、土地私有だけを今日の社会で否定しなければならないという理由はない。もし否定するならば、すべての私有を否定して社会主義にすべきでありまして、土地だけ私有を否定するということは、ある意味では無意味なことかと思います。ただ、これにつきまして、資本主義のワクの中で考えますと、こういうことになるのではないかと思うのであります。つまり、今までは土地所有というのは、具体的な土地を所有しておりまして、そのある一定の何番地という土地を自分が自由に利用できる、こういうものと私有権というものが結びつけて考えられてきたわけでございます。しかし、これが資本主義がだんだん発達して参りますと、御承知の通り、土地を所有しているということは、一定の収入の源泉として所有をしているのであって、必ずしもその土地そのものを自分が特定の方法で利用するということとは結びつかなくてもいいという傾向も、一方ではだんだん出てくるわけでございます。これは土地の場合には、それでは全部ただ収益の源泉でありさえすればいいので、個別的な土地の利用と全く縁が切れるかと申しますと、なかなかそうは簡単には参りませんが、しかし、農地の場合についてこれを考えますと、事実上機械化をする。機械化をするためには、どうしてもある程度集団化された面積で機械を使わなければならないということになって参りますと、個々の農民は、おれの土地はここにあるから、おれはこれを勝手に使うというふうにはだんだん言えなくなってくるわけでありまして、個々の農民の所有権というものは、事実におきましてある一定の収益を得る源泉にすぎない、こういう形のものに変わりつつあるのであります。これはもちろん、農民の世代によっても観念の仕方が非常に違っているわけでありまして、年をとった人は、また自分の土地という愛着心が非常に強いわけでございますが、若い世代になれば、自分の先祖伝来の土地だとかなんとか言っているよりは、それは一定の収益を得る源泉として考えたいという合理的な考え方にだんだん変わりつつあるかと思います。こういう合理的な考え方を大いに促進して参りますならば、私有権そのものを否定いたしませんでも、土地を社会的なものとして利用する方法というものは考えられるのではないか。その点を進めていくことによって、おそらく私有権という考え方と土地の公共的な利用というものを妥協させると申しますか、うまく接合することが、今日政治の問題としては非常に重要な点ではないかというふうに考えております。
○安藤委員 ありがとうございました。
○塚原委員長 大内公述人に対する質疑は終わりました。 大内公述人には、御多忙中のところ貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 引き続き木村公述人、和田公述人に対する質疑を行ないます。 正示啓次郎君。
○正示委員 大へん時間がおそくなって、木村先生御迷惑と思いますが、重要な問題だけでございますので、ちょっとお願いいたします。 まず第一に、先ほどのお話に、三十六年の景気過熱について、予算のことをメンションされたのでございますが、われわれの認識は、政府の旗振りということは確かにあったと思いますが、むしろ民間設備投資が非常に旺盛であったという点で、先生のお話は、伺っておりまして、われわれの実感と少し違った点がございましたので、この点を一つ指摘したいと思うのであります。 それで、一番大切な問題は、今度の税制改正につきまして、利子・配当の課税を軽減するという措置について、先生として非常に潔癖にこの点についての感想を述べられたのでございますが、実はきのうもここで議論があったのですが、われわれは、この問題について、古い租税理論からだけ割り切った議論は当を得ていないのではないか、すなわち、今日の資本主義は、先ほど先生がお述べにたったように、大資本というものがいつも優遇されて、資本のない者はもう浮かばれないのだという古い資本主義というものは、今日われわれとしては現実に考えられない。むしろ、今日の資本主義は徐々に本質的に変わりつつある。これは、ソ連のフルシチョフが共産主義の中に利潤という観念を入れなければならぬということを言っていることにも、違った意味で相通ずるものがある。聞きなれないかもしれませんが、ピープルズ・キャピタリズムということをきのうも盛んに言ったのでございますが、そういう一つのビジョンから申しまして、今回のような減税措置というものが決して意味なくはないのじゃないか。すなわち、政治の民主化ということはだれでも言うのでございますが、資本主義社会における経済の民主化、資本というものは一部の限られた者だけが持っているのだ、銀行預金というものは非常に限られた者だけが持っているのだという観念がそもそもアウト・オブ・デートになりつつある、オールド・ファッションになりつつあるのだ、こういうふうに思うのでありまして、できましたらこの少額の郵便貯金、それから五十万円の少額貯金をしておる方々が、さらに一歩を進めて、やみ金融やあるいは不動産なんかに投資していくというふうな考え方、あるいは消費ブームによってむだづかいをするというような考え方を、少しでも大きく蓄積して、預金の形で、あるいは株式投資の形で、あるいは投資信託の形で資本に参画していく、すなわち、資本を大衆の手に、こういうビジョンに向かって前進していくという意味から言うならば、今回のような減税措置というのは非常に意味を持つのじゃないか、こういうふうに私は考えておるのでございまして、その点から、先生のお考えと非常に違った印象を持ちましたので、一つ申し上げるのであります。 御参考に、これは釈迦に説法になるのでありますが、日本が敗戦後シャウプの税制改正の勧告を受けまして、アメリカ式の直接税に非常に偏重した税制をとりました。その後、ヨーロッパ各国を回りますと、西ドイツは敢然としてアメリカのやり方に反対をいたしまして、そういうことではドイツの経済は復興しないのだ、民生の立ち直りはできないのだということで、独自の税制を打ち立てたことは、先生も御承知の通りであります。また、フランスがああいう歴史的な事情から、アメリカなんかとは非常に違った流通税あるいは間接税というものを大いに尊重いたしまして、そして資本の蓄積をはかっておる。これも先生御承知の通りであろうと思うのであります。 それから先ほどお話のように、キャピタル・ゲインの問題、これは非常に専門的な問題でございますが、今日証券投資というものが、昔のようなスペキュレーションを主にするものではなくて、インベストメントである。非常に安定をした株主として大衆が株に投資をする。従って、それはキャピタル・ゲインをねらうのじゃなくて、経済のスケールが大きくなり、日本の企業が成長していく、それによって当然に受ける配当というものを期待するのだ、こういう傾向があるとするならば、それを助長する意味において、やはり配当課税を軽減するということは正しいのじゃないか。先生がいみじくもお触れになったように、将来の公債政策にお触れになって、売れない公債じゃ因るのだ、全くその通りなんです。そこで、公債が売れるような環境をつくっていくにはどうするか、これはやはり利子課税、配当課税というふうなものを軽減していく。それで、現在郵便貯金とか少額貯金が無税になっておるというロジックを発展させても、この大きな利子あるいは配当のようなものをできるだけ軽減して、大衆が自分たちの蓄積をそういう方面に、企業に役立つように流していく、公の場へ流していく、こういうことが非常に意味があるのじゃないか、こう思うわけでございます。 そこで、結論的に申し上げますが、先生が先ほど軽くお触れになったような古い資本主義的な観念、あるいは租税の公平論というものの静的、平面的な公平論、こういうものではなくて、動的な、立体的な将来の新しい資本主義、日本の経済のビジョンを描いて今回の措置をお考えになるならば、よほど違った意味が出てくるのじゃなかろうかという点、それから今日までに所得税の減税ということは年々非常にやっております。また、これは私はぜひやらなければならぬことだと思う。しかし、これをやらすために、ことしは公共投資に予算の支出面では重点を置いた。ことしは蓄積面に重点を置いて、消費の方を若干スロー・ダウンさせて、蓄積を促進していくというふうな政策をとる、これは租税政策としても非常に意義あることじゃないかという感じを持つのでございますが、もう一度先生のこれに関する見解を承りたいと思います。
○木村公述人 だいぶいろいろな方向に話がいっていますが、三十六年では民間投資が伸びて過熱になったのだ、それはその通りなのでございます。私もそう思うのですが、三十五年の十二月に所得倍増計画を立てました。それで、つまり十三兆円の国民所得が十年目には二十六兆円になるというあれをした。三十六、七、八と三年間は九%の成長率でいくのだ、こういうビジョンを出しました。これが実は民間投資を過熱させる一つの大きな心理的なファクターをなした。そしてあまり過熱したときに、政府の方では、民間の企業家というのは頭が単純だから、それでいいとなるとむやみにふやしていった、お前たちがばかなんだ、こういう説明をしておったのです。これはたまたまそういう過熱の状況にいく気配があるときには、政府の側としては、ビジョンを与えることはけっこうなんだが、少なくとも財政面の方でもう少し慎重であったならば、ああまで過熱をしないで済んだのではないか、そういう意味なのでございます。ですから、今度の場合でも、先ほども申しましたように、今の段階あるいは五月、六月、七月ごろまでは、今の予算がかえってサポートしていく、沈滞から救い上げていくという効果を持つのじゃないか。その点では私はいいと思うのですが、さて今度またさあこうなったというので、公共投資の方もだいぶ伸びてきたしというので、誘発投資がどんどん起こってくる、起こってきたときに、一体政府としてはどういうふうな方策をとるのだろうか、その点についてもう少し慎重なお考えがあった方がいいのじゃないか、こういう意味で申し上げた。おそらくは財政投融資の方の一兆数千億をかげんするというような方策をおとりになるのじゃないかと思いますけれども、実はこれは財政法の改正その他とも関連するので、財政政策を景気の安定に使おうと思いますと、今のように一年だけで何億というふうな予算のきめ方ではもう足りなくなっているということは事実でございます。ただ、いろいろ政治上、法律上の問題がありますので、長期の計画を立てることも、あるいはその中の短期の計画を立てて実施に移すということも、なかなかむずかしい事情があることはよくわかっておるのでありますけれども、そういう点で少し心配があるということを申し上げたのでございます。 それからピープルズ・キャピタリズムのお考え、よくわかるのでありますが、一つこういうことをお考えいただきたいと思うのでございます。つまり、すでに五十万円の貯蓄までは無税である。これは、私の立場から言って一番悪いのは、郵便貯金が無税だということに一番悪い点がある。郵便貯金ならなぜ税金をかけてはいかぬのか、よく私にはわからぬ点があるのですが、昔からそういうことで郵便貯金は税金をとらない。そこで、郵便貯金の預け入れ限度の問題と関連しまして、だんだん無税の範囲の預貯金がふえてきて、最近では乱用が起こって、名前をずいぶん分散するといったような弊害まで出てきておるわけでございます。私の考えますのに、これは統計がちょっと古うございますが、昭和三十五年で八十万円のところの所得階層において、あらゆる貯蓄形態をまじえた貯蓄が大体四十六万円くらいあります。八十万円の年収の所得層と申しますと、ほとんど日本の世帯の大部分をカバーしている。つまり、私の理想というのはあまり激しいとしましても、現状を認めたとしましても、相当に低額の預貯金については優遇措置がすでにできている。それを今度ふやしていくという段階のところの人たちは、一体利子が高いから貯金をふやすのか、あるいは利子が安いから貯金を減らすのかということになりますと、これは学説上もいろいろ議論がございますけれども、まあ何といっても国民所得の函数であるという面の方が大きい。つまり、所得の総額というものは、いろいろ形は変わるにしても、国民所得総額から一定の函数——それは非常に変化はありますけれども、ただ、今源泉分離一割でございます。源泉分離一割だから貯蓄がこれだけふえるとか、あるいはこれを総合課税にした場合減るかというと、実は減らない。つまり、幅は幾らかあると思うのです。思うのですが、それほど大きな効果が期待できないにもかかわらず、そこで源泉分離にするために、五百万円超の所得階層あたりでは非常な得をしているということになる。皆さんを五百万円階層の所得のところまで持っていこう、その基盤をおつくりになるのだという御説明であれば、もうそれはけっこうだと思うのでございますけれども、大体いつでも基盤整備ということだけが出て参りまして、ことしも基盤整備、ことしも基盤整備、戦後昭和二十五、六年ごろから今日まで政府のとってこられた政策というのは、絶えず先を見て、いつでも基盤整備、資本蓄積、こういう姿できておられる。しかし、その錦の御旗でもってあまりにも公平というものを破っていっておるのではないか。確かに古い学説かもしれませんけれども、租税制度の中で公正感がなくなったら、おそらく租税制度自体がうまくワークいたしませんし、現によくいわれることでございますけれども、配当の二重課税防止のために配当控除をやっているということも、いろいろ理屈があってこういうことになったのですが、働いてお金を取ってくると、百五十万円取ってくれば三十万円の税金を納めなければならぬ。ところが、配当所得の場合には、百五十万円の所得がありましても税金はゼロになるということ、これはまあ法人、個人の二重課税の問題と関連して、今税制調査会でもどうするかということを非常に問題にしておりますので、私自身も結論はございませんけれども、何かそこに不合理がある。 それともう一つ、キャピタル・ゲインの問題でございますが、私も投機的でないということは十分認めます。しかしながら、投機的ではございませんけれども、金が——金といいますか、株を持っておるがためにだんだんふえてくるという部分と、それから今そちらのお話にありましたように、産業資金を供給するということが日本の現状においては非常に分離しておるのでございます。たとえばソニーならソニーという株式会社が増資をするという場合に、一体ソニーの方に入ってきて、ほんとうのキャピタル・ビルディングというか、現物資本の形成になる部分というのは五十円しかない。あとの六百円とか七百円とかが何になっているかというと、資本家、株を持っている人のキャピタル・ゲインになっている。ですから、今の投資の方式、公募方式でない今の方式というようなものとも関連がございますし、それから法人、個人二重課税問題——話が少し横へそれましたけれども、法人、個人二重課税問題を考える場合に、たとえば二割配当をするはずだが、法人税を払ったがゆえに一割にしますという形になっておれば生きてくる制度でございますけれども、法人税がかかっておるということを示さないままで二割配当をしておる。つまり、四割もうけなければ二割配当できないというような形で今日まできておって、そのために資本金が過小に——額面では過小だけれども、上場株の段階にいくと非常に大きなものになってくる。その差額が産業資金に全部流れておるのかというと、そうじゃない。そんな点がございますので、御説の点はごもっともな点があるのでございますけれども、こういう点もお考えいただきたい。 それからヨーロッパ諸国のことでございますが、これは私も調べに参りましたが、西ドイツというのは、大体フランスに近いものでございまして、もしあれが東独一緒の形でいきましたならば、直接税中心でいっても——中心ではございませんけれども、大体半々と言っておりましたが、その程度のことで参りましても、ドイツはあるいは現在のように復興しておったかもしれません。大体フランス、イタリアというところは、納税意識の非常に低いところでございまして、直接税で取りたいのですが、取れない。取れないから、間接税で取って、間接税で取ったからあれだけの経済復興ができたということは、まだ私証明できてないというふうに思っておるのでございます。
○正示委員 時間がございませんから、御答弁いただかないでけっこうでございますが、最後に今おっしゃられましたように、株の増資の発行のやり方、あるいは証券会社の監督、こういう点について大いにやらなければならぬことは同感でございます。いろいろ工夫の余地があると思います。それから、ただ、先生、日本では御承知のように、土地がべらぼうに上がっておる、またやみ金融が非常にある、こういうことからいいましても、私は、大衆のもうけたものを少しでも有利に持っていくのに、金融機関の正規のルートへ流すということも、あわせて大きな経済政策だ、こういうふうに考えております点だけを指摘申し上げまして、私の質問を終わります。
○塚原委員長 川村継義君。
○川村(継)委員 木村先生に御意見をちょっとお伺いしたいと思います。 大へんおそくなりましてまことに恐縮でございますが、先ほど先生の公述の中にいろいろ御意見をいただいたのでございますが、特に税制調査会の答申を無視されたような格好で、一般減税が低く押えられて、政策減税重点になった、これは自分としても不満だというような御意見をいただいたと思います。そのほか、いろいろ税制政策についての御意見をいただいたのでございますが、その中で、最後に、住民税の軽減をすべきではなかったか、これだけお言葉がございました。そこで、私は、住民税の軽減問題について先生の御意見をいただいておきたいと思うのでございます。私たちが日ごろ心配しておる問題でございますが、私の考え方が妥当であるかどうかも、一つお聞かせいただきたいと思うのでございます。 申し上げるまでもないことでございますけれども、一昨年の税制調査会の答申によりまして、県民税が比例税率に変わりました。税源の配分等々の理由によりまして、百分の二、百分の四という格好になったのでございまして、この点、一般の住民には非常に大きな負担がかかっておる。昨年政府は、これは所得税と合わせると軽くなったのだと言っておりまして、もちろん、初年度はそういうことも数字の上で出てきたかもしれませんが、これは非常に大きな負担でございます。特に、申し上げるまでもなく、低所得層に大きな負担がかかっておるということは事実であるわけでございます。しかし、それはそれといたしまして、今最も考えなければならぬことは、市町村民税の問題、特に所得割の問題ではないかと考えております。私が申し上げるまでもないことでございますけれども、市町村民税、所得割の不均衡ということは、もういろいろな事例で指摘できるわけでございます。そこで、私は、こういう状態を均衡にするためには、どうしても、今の市町村民税の所得割の方式、つまり本文方式とただし書き方式、二つございますけれども、本文方式に統一すべきではないか、こう考えておるのでございますが、これについて一つ先生の御意見を賜わりたいのでございます。 それで、時間もございませんから、くどくなっては相済まぬと思いますけれども、私がなぜそのような考え方を持っておるかと申しますと、これは私が申し上げるまでもないことでございまして、先生方、より御存じのことでございますが、われわれの調査いたしましたところでも、三十七年度の状態をちょっと見てみますと、本文方式でないただし書き方式をとっているのが八二%程度ございます。しかも、そのただし書き方式の中で準拠税率によらないで課税をしておるところ、しかも準拠税率を上回った課税をしておるところが大よそ五三%程度でございます。金額にしてちょっと指数で表わしてみますと、本文方式をとっておるところを一〇〇といたしますと、準拠税率を採用しているところが二一二、準拠税率をこえて採用しているところが三二二という指数を実は出しておるようでございます。もちろん準拠税率をとっているところは、これはまちまちでございまして、ものすごく高いところもございます。しかし、大体、準拠税率によるただし書き方式が倍、準拠税率をこえておる所得割住民税をとっているところが三倍、こういうようなことになっておるわけでございまして、大へん住民の負担が大きくなっているわけでございます。本年度から準拠税率の改正がありましたけれども、やはりこの比率というものはあまり変わらないようでございます。 こういうような状態でございますが、これが一体どうして出てきたかということは、私がくどくど申し上げるまでもございませんけれども、今の準拠税率を、これが地方団体に委任されてございますから、十万円までは二%にしなさい、こういうような標準はございましても、五万円までは二%、八万円までは三%、十万円までは四%というめちゃめちゃな準拠税率の適用をやっているのでございまして、これがほとんど変わりません。さらには、扶養税額控除については標準六百円を引きなさい、こう書いてありますけれども、二百円をやはり税額控除をしていないというところも非常に多うございまして、今大よそ平均三百四、五十円でございましょうか、こういう状態で、まことに大きな不均衡の状態が出てきているわけでございます。 こういうようなことは特に貧弱な市町村団体に多うございまして、これはもう申し上げるまでもないわけでございますが、大へんな問題でございます。このただし書き方式等を採用しております市町村では、給与所得者に特に負担が重くかかってきているようでございます。せっかく給与所得の割増し控除もございますけれども、これが微々たるものでございますから、まるまる捕捉されます給与所得者の負担というものがほかに比べて特に大きいとか、いろいろな理由が実は存在するようでございます。 そこで、やはり、こういうような住民税のあり方というものを再検討をいたしまして、本文方式に統一をして、全国の住民が同じような形で地方の住民税を納めるということにもう考え方を立てていいのではないか。何も、貧乏な市町村におる者は高い住民税を納めなければならぬというようなこと、あるいは負担分任の考え方ということにこだわっている必要はない。負担分任の考え方というものは均等割というものでちゃんと一応筋は貫かれておるじゃないか、こういうような考え方からいたしまして、やはり、本文方式に統一するのが、住民税の負担を軽減させる、今とり得る唯一の方策ではなかろうか、このように考えておるわけでございますが、先生の御意見を賜わりたいと存じます。
○木村公述人 住民税の問題にちょっと触れましたのですが、ただいま御指摘がありましたように、日本の直接税、所得税課税の体系の中で、住民税はガンでございます。これをどういうふうに改めたらいいかということについては、具体的に意見はございませんけれども、少なくとも国税において基礎控除ないしは配偶者控除を上げる余裕があるならば、住民税の方の軽減に回すべきであるというのが私の主張でございます。ただし、現行の制度をどこまで改めるかということについては、いろいろ利害関係が錯綜しておりますために、なかなか一義的な回答が求められない。つまり地方自治の要求と負担の均衡の要求とをどこでバランスさせるかという問題に結局は帰着すると思うのでございます。 御承知の通り、昨年度住民税の改正をやりましたときに、従来までは五方式といいますか、課税方式が五つございましたのを、第一課税方式をやめにいたしました。やめにいたしました理由は、第一課税方式は国税、所得税の何%という形でいくものでありますから、国税において減税が行なわれたときには直ちに住民税にかかってくるという考え方であったのでありますが、地方税と国税との間の連関を断ち切るという主張、つまり基礎控除額を昭和三十五年度の九万円という線に押えたままで地方税の方はいくことにしようということで一つの改正が行なわれ、同時に、従って、課税方式の第一課税方式がなくなりましたし、それから、第三課税方式というものもなくなってしまいまして、第二課税方式だけが生き残った。しかし、今御指摘がありましたように、大部分の市町村というものは、第二課税方式の現在のただし書きでありますが、あれを使っておりまして、御指摘の通り、八〇%くらいの市町村がそれを適用しておる。ただし、納税人員並びに納税金額の面から申しますと、本文方式とただし書き方式が大体半々でございます。今申しましたような意味で申しますと、八二%ほどの差ではなくて、大体半々の差でもって、差といいますか、一方はただし書き方式、一方は本文方式ということで対立し、その間の負担の差というものが一対二・五ぐらいまで伸びておる。これは階層によってだいぶ違いますが、平均いたしましても相当大きな開きが出ておるのであります。私は、これを直ちに本文方式に統一するということについては若干疑問を持っております。つまり地方自治の要求からして、ある程度の増税またやむを得ぬということであれば、住民の議決機関を通じて住民税が少し高いということは、これはあり得るだろうと思うのであります。従って、本文方式に統一するという形で考えるよりも、むしろ、ただし書き方式と本文方式との中間ぐらいのところで何か幅のある一つの方式にして、つまり、差ができることはある程度認めよう、認めるが、しかし、今のように大きな差の出てくることのないようにして、やはり負担の公平ということを実現しなければならぬし、全然画一的にしてしまいますと、地方自治の面でかなり窮屈な面が出てきやしないか。これと関連いたしまして、今、貧弱市町村において、特に町村でありますが、ただし書き方式を採用せざるを得ない理由の一つは、農業所得の把捉というものが非常に十分いっていない。これはいろいろな理由があると思うのでありますが、特別措置関係でもって課税所得の中に入れないといったような措置もございますので、この点で、農業所得の把捉について、もう少し何か方式があるんではないか。農業所得は事業税をかけられておりませんので、これは市町村じゃなくて府県の財源という問題になりますが、少なくとも何らか農業課税について手直しをする必要があるのじゃないか、このように考えております。 それから、今均等割は負担分任の精神にのっとって十分負担分任の役割を果たしておるとおっしゃられましたけれども、私の考えでは、むしろやめるべき税金は均等割の方が先であろう。負担分任という考え方はなるほど一理あるようでございますが、税金を納めないから市政とか町政に関与できない、住民税を納めないからほかの人の税金の使い方について発言権がないんだという考え方には、私疑問を持っております。 それから、もう一つ、県民税でございますが、もし現行の制度を動かすことができるということでございますれば、この同じ住民税、つまり市町村のみに与えられるべきはずであった住民税が、二重に、つまり府県段階と市町村段階と両方からとられる形になっておる。しかも、そこにまた国税がある。結局所得税については三段階の課税が行なわれておるという現状をやはり改める必要があるのではないか。つまり、住民税を全部市町村に戻しまして、その際に税率の緩和をはかる。それでは府県の税金はどうなるか。だいぶ大きな改革になるかもしれませんが、事業税をもう一度付加価値税方式その他のものに変えていく考え方でいけば、方策が見つかるのではなかろうか。従って、住民税の問題は、単に所得税との関係だけばかりでもいかない複雑な問題を含んでおるのでありますが、今度の税制改正の場合に、住民税はなかなか動かしにくいので、国民健康保険税を幾らか負けるということで低額所得層の負担を減らしたんだという御説明でございますけれども、国民健康保険税というのは一体税なのか保険料なのか、これまたなかなかむずかしいことでございますけれども、たとい国民健康保険税が減っても、税の面では、私は、低額所得層の負担の軽減をはかったと大きな顔をしては言えないのではないか、このように思っております。
○川村(継)委員 簡単にもう一つ。今先生のお話のございました中で、私の本文方式に統一すべきじゃないかということについては、先生必ずしもそのまま御賛成いただけないようでございますが、私も、地方自治の要求あるいは地方自治という立場から考えてみる場合には、問題が必ずしも解決しておるとは存じておりません。しかし、今日の地方の住民の立場からものを考えてみますと、非常に余分の負担と申しましょうか、それが多いということも、われわれは忘れてはならぬと思うのでございます。三十五年度の調査でございましたか、三百五十四億という税外負担をかぶせられておるというような事実から考えて参りましても、さらにはまた、地方税のいわゆる非課税による減収というのも、御存じの通り、非常に大きゅうございます。これは昨年試算してみたのでございますけれども、国税のいわゆる非課税措置によるはね返りの住民税や事業税に及ぼす額が四百三十八億ばかりございまして、地方税自体の非課税措置を考えましても四百九十九億ばかりございますから、合計九百三十七億というのを一応われわれははじいてみたわけでございます。こういうような状態でございますし、今度も国税のいわゆる政策減税によりましてこういう住民税のやはり非課税の範囲がまた広がるのじゃなかろうか。そこで、ことしの地方財政計画等をちょっと見ましても……
○塚原委員長 川村君、ちょっと申し上げますが、木村公述人が税制調査会の小委員長をやっておりまして、今会合が開けないで、電話がかかっておりますものですから、一つ簡潔にお願いいたします。
○川村(継)委員 はい。 そこで、ことしの所得割、県民税、市町村民税の税収の率は二五%以上の非常に高い増収を考えておる。ところが、反対に、法人税割とか法人事業税については、これは非常に低い率でしか増収を考えられていないというようなことを考えますと、どうしてもやはりこの住民税の負担を、特に所得割等についての負担を軽減する方向に考えなければいかぬのじゃないか。そして、もしもそこに一般的な財源の減収が来たならば、私は、今日の立場からして、交付税等を増額をして貧弱な市町村の財源を見てやる、こういう考え方に立って差しつかえないじゃないか、このような考え方を持っているわけでございます。大へん粗雑でございますけれども、その点について先生の御意見を一つ聞かしていただきたいと思います。
○木村公述人 大へん時間が迫りまして……。私も、基本的な考え方は、今おっしゃられた通りでよろしいのじゃないかと思うのでございます。その意味から申しましても、国税で所得税を減税いたしますときには、地方税のことをまず頭に置いてほしい。いつでも国税だけがいい子になりまして、地方税の方で負担はふえるとか、ふえないまでも所得の増加に伴ってふえてくる、こういう形になっていることは、はなはだおもしろくない。税制全体で考えましたときには、減税の優先順位というものは、かりに所得税だけをとりました場合でも、単に国税だけでやるのではなくて、——つまり、そこにギャップができるわけなんでございます。国税の方で、今度千七百万人までかかってくるから千五百万人までで切ろうというので、基礎控除その他を上げます。上げますけれども、今お話ししましたように、地方税の方はいつでも昭和三十五年が基準でございますから、その間のところでまたギャップができてきて、地方税が悪税というか、重い税金であるということをますますはっきりさせてくる。これは国全体として考えた場合には、はなはだおもしろくない行き方じゃないか。交付税の増加あるいは補助金の整理という問題とひっかけまして、地方の財源は減らさないでも、何かもう少しいい方法がないのだろうか。つまり、先ほど申しましたように、決して補助金があるがために地方が、助かっておると言えば言えるのでございますけれども、それがあるがためにまた持ち出しになっている面も非常に多い。そういう面の整理をはかる方式、一括補助金のような形にするかしないか、まあ税制全般に関係することでございますけれども、何かもっと根本的な検討が必要になってきておる、その点はもう御同感でございます。
○川村(継)委員 ありがとうございます。
○塚原委員長 木村公述人には、御多忙中のところ貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 井堀繁男君。
○井堀委員 大へんおそくなりまして恐縮でございますが、和田先生にお尋ねを一、二いたしたいと思います。 和田先生の公述なさいました人づくりの問題には、わが党も重大な関心を持っております。しかし、また、多くの疑問も持っておるわけでありますが、先生の御指摘になりましたように、確かに、人づくりの問題は、池田内閣としてはかなり高い姿勢で国民に訴えておるにかかわらず、予算の面では見るべきものが全くないのであります。 たまたま時間がありませんから、要点だけ一、二お尋ねをいたしたいと思いますが、一つには、この人づくり政策の中で、学校制度に対する問題が一つ頭を出してきていると思うのでございます。その中でも、大学管理制度に関する点で、わが党としては多くの疑問を投げかけておるのであります。今政府が大学管理制度の改善を急いでおります中で、特定の大学の管理については国家の干渉を今後深めていく前提になるのじゃないかと思われる。たとえば、大学総長の認証官任命の制度のごときは、その危険の最も顕著なものではないかと思うのであります。まずこの点について先生の御見解を一つ伺っておきたいと思います。
○和田公述人 私は、先ほども申し上げましたように、人づくりの問題について、池田総理あるいは自民党の方々が、まともな、非常に民主的な人間をつくるという考えを持っておられるということについては疑問を持っておりませんけれども、取り上げ方のいかんによって、いいと思ったことがすぐ間違った方向に移りやすい、そういう微妙な問題を注意する必要があるということを申し上げたのです。その例として、今指摘されました大学管理の問題についてのことも例にしたのでありますけれども、この問題については、戦後非常に民主的な大学になってくる前の戦前の状態を考えましても、大学の自治、自由という問題についての政府の干渉、あれくらい大きな権力を持っておった戦争前の政府でも、この問題ではうかうかと手をつけられないというふうなものなんですね。こういうふうなものについて、戦後、しかも最近になって池田さんが取り上げるということは、どういうふうな気持があるのかということをいろいろ考えてみたわけなんですが、一つは、やはり、かなり無軌道な大学の自治という事実も確かにあるでしょう。あるでしょうけれども、もう一つは、こういう国民の関心を持っている問題について、必要以上に関心を高めてというふうな、何かこうふまじめというのですか、はったりというのですか、そういうふうな取り上げ方もこの問題の中にあるのじゃないか。そういうふうなことで適当にゆさぶっておいて、適当なところへ落ちつけてみようというふうな戦術的な意図もあるように考える。そういうふうに見てみないと、なかなかわからない面がいろいろあるというふうにも思うわけなんでして、こういう事柄は、基本は、やはり大学の教育は大学の自治にまかすという、昔からりっぱに確立された方向があるし、もし直すとすれば、それを正しい姿勢にするという直し方をするべきであって、今さら古い帝国大学の歴史を持っている大学の総長さんを特別扱いにするということは、これは非常に間違っている、また、おっしゃるように、かなり危険な方向に行く一つの布石になる、そういうおそれがあるというふうに思います。
○井堀委員 この問題は、申し上げるまでもなく、教育が政治権力と結びついてきますと民主主義の崩壊の傾向をたどったことは、多くの歴史でも教えられます。この点についてわれわれももっとお尋ねをいたしたいのでありますが、時間の都合もありますので……。 次に、人づくりの中で、先生が御指摘になりましたように、生産の第一線で活躍をしております勤労青年の教育の問題は、人づくりの第一にあげてこなければならぬ大きな問題だと私は思うのでありまして、先生の御指摘の通りであります。ことに、青少年の教育の問題につきましては、今度の予算を通じて見ましても、あるいは政府の政策のどの面から見ましても、従来の方針より一歩も出ていないという感じが強いのであります。こういう人づくりというような問題を提唱する限りにおきましては、政府の政策と結びついて出てくるべき一番重要な問題ではないかと思うのであります。先生の御指摘になりましたように、定時制の問題などはその最も露骨なものでありますが、さらに、私どもの一番懸念しておりますものは、貿易の自由化あるいは技術の革新に伴う国際競争の中に日本の貿易の占むる地位というものの中で、勤労者の質の向上の問題は、日本の今後に課せられた一つの解決のかぎを握るものではないかとすら思うのであります。ところが、実情は、御存じのように、先生も御指摘になりましたが、こういう人々の思想的傾向というものが、極端を求め、右と左に全体主義へ大きく動揺しておりますことは、いろいろな動きの中で枚挙にいとまないのであります。さらに、犯罪白書の中に現われております傾向を見ましても、非行青少年の犯罪というものが質的におそるべき方向をとっております。また、その量におきましても、都市に多く偏在して、だんだんとその数が高まってきておる。こういう実態は、人づくりについて政府の言うところと現実とは逆行している。こういう問題を処置するということは、政府はもちろん、政治に関係を持つ者のあるいは共同の責任かもしれません。しかるべき処置を講じなければならぬ事態にあるわけであります。さらに、先ほど冒頭に申し上げましたように、日本の国際的な地位からいきましても、この問題を積極的に取り上げていかなければならぬ。教育する前に、今堕落しつつある者を救うすべもないという現状なのであります。この点に先生は言及されましたが、時間の関係もあると思いますが、具体的な御指示をしていただければしごくけっこうだと思います。
○和田公述人 今、青少年の問題について、特に犯罪等に現われる問題を御指摘になったのですけれども、一般に、その裏には欲求不満という問題があるということが言われておるわけであります。ところが、先ほど申し上げました定時制高校に働く人たちは、欲求不満状況を他のどのような青年よりもより多く持つような環境のもとにあるということです。しかも、この人たちが、産業に働く意思を持った、きわめて素質のいい、そして何事かをなさんとする意欲を持った青年だということです。その問題を特にお考えいただいて、現在のような定時制高校のような状態にならないように、もっと魅力のある、もっと希望の持てる状態にしていくということが何よりも急ぐ問題じゃないかと思うのであります。実は、この数日前も、ある中卒の青少年をたくさん使っておる大企業のところでいろいろ話をし合ったことがあるのですけれども、先ほども申し上げましたように、この定時制高校の出身者の中に、非常に優秀な人で、残念ながら理想的な妙な方向に行く人があるんだということを申されておりました。ことに、左の方だけでなくて、右の方にもそういう傾向があるということを同業者の人に聞くのだということも話しておりました。これは、先ほど言ったように、全く社会的な責任というのか、従って、その対策をしない政府の責任だということはもう免れないと思うのです。これは、特に否定的な面から、消極的な面からこの問題を取り上げるわけですけれども、しかし、これがそういう救済をしなければならないというものであれば、消極的な救済態度ということも一つの方法なんでしょうけれども、実際問題としてはそういう消極的なものではない。つまり、その人たちは、産業社会をになおうとする、しかも素質のいい人たちなんですから、これに対してもっと積極的な施策を集中すべきだ。何十億も金がかかるわけでもないのだし、というふうに私は思うわけなのです。今御指摘の点は同感でございます。
○塚原委員長 安藤覺君。
○安藤委員 大へん時間が経過いたしまして、先生もさぞかし御空腹でいらっしゃろうと存じますが、われわれどもの議会審議にあたっていかに熱心であるかということの実践を一つお認めいただく意味におきまして、三分ばかりごしんぼうを願いたいと存じます。 先ほど和田先生から、人づくり問題についてお取り上げをいただき、いろいろ御高説を承りまして、大いに啓蒙いただいた次第でございます。お話のごとく、人づくり問題につきましては、その幅も広うございます。大学管理令の問題から、保育園の児童、保母さん等の問題にまでわたり、いろいろございまして、われわれどもも、明年度予算を編成するにあたりましては、それ相当に努力をいたして参りました。また、事実、政府もこれに対応いたした次第でございます。ただいま井堀議員から、まことに軽少なものであるというお言葉もございましたが、これが各方面に振りまかれます上からいきまして、結局、その部署その部署においては軽少なものになってしまうことは、まことに残念に思うわけでございます。わけて、先生が非常に多くの時間をおさき下さって御公述下さいましたこの定時制の問題でございます。これにつきましては、先生御指摘の通りであります。憲法二十条、二十三条、あるいは二十六条等々を思い起こしますときに、仕方がないからこの程度のもりをとにかく不平ふさぎに設けておこうという程度の定時制の姿であるやに思われます。しかも、そこを目ざして行く青少年たちは、非常な向学心に燃え、あらゆる環境の不備を乗り越えて、みずからの努力によって行っておるわけであります。しかるところ、たまたまこれを卒業いたしました青少年に向かって、御指示のごとく、各企業会社におきましては入社を拒む。単に試験した結果能力が劣っておったからこれを落とすということであるならばやむを得ないとしても、試験をする機会、入社にあたっての試験をする、その試験を受けさせないという姿があまりにも多くございます。その結果は、先生仰せのような思想傾向にもなっていくであろうと存じます。従いまして、これらの問題を解決するのに、先ほど先生からちょっと、大企業のもとにおいてはそれぞれの企業・会社において定時制の学校を設けるということもお言葉の中にあったやに思いますが、さらに進んで、こうした試験をさえも受けさせないといういき方に対して、何らかこれを処置する方法はないものか。そしてまた、一方においては、先ほど御指摘もありましたように、学校それ自体に対し、国なり県なりが予算を出して設備を充実するということも必要でありましょうし、これはわれわれにおいて今後も努力をいたすものでありますが、それ以前において、この定時制を卒業する者、卒業した者についての何らかの蔑視感、こうしたものが広く社会のムードとして出ておるやに思われるのであります。これらの問題を一つ何とか是正せしめる方途を、具体的にお考えがありますならば、お聞かせを願いたいと存ずるのであります。
○和田公述人 ただいまおっしゃいました点が私も一番中心点だと思います。つまり、教育というものは学校だけだ、そして昼間の学校だけだ、しかも、それは、大学が一番偉くて、高等学校はその次で、中学校はその次だというふうな考え方です。これは明治以来の日本の学校教育のことでありますし、また、それの制度からの非常に強い印象を国民が持っている。また、お互い自身、こういうことを申しながら、やはりそういう感じからなかなか抜けられないというほど根強いものでありますので、それだけに、この問題について、政府がかなり思い切った、教育基本法の転換という問題をいろいろな施策を通じてお考えになることが大事だと思います。働きながら勉強をするという人たちがりっぱな成果があげられるようにするには、もっともっと施設をしてあげるとかいう方法によって得られることなんです。あるいはまた、先ほど申し上げましたように、週に一日の日を、定時制の人たちに昼間の授業をするようにしてあげる。一日が無理であれば、半日ずつ二日という日を設ける。これを義務的なものにする。お困りの企業も小さい企業にはありましょうから、それに対して税金その他の措置で考えるとか、いろいろなことがあると思います。そういうような方法でもって、国がこの問題を非常に積極的に、日本の社会にとって大事な人間をつくるのだから、これくらいのことをしているのだというような政策を重ねることによって、深くたまった、つまり学校教育偏重の思想を直していくことができるのじゃないか。 また、先ほど申し上げたように、学校をたくさんつくって、先生もたくさんつくって、何もかにも高校だというこの運動は、政治的には一つの効果があると思いますけれども、実際的には、これはほとんど意味がないと思うのです。今の学校へとにかく全部の人を入れるということでは、ほとんど解決しないと思います。学校の教育内容自体に問題がある時期に、そういうようなことは政治的なスローガンにはなり得ても、具体的な政策としてはそう価値のあるものじゃない。むしろ、今申し上げましたような、教育に対する基本観念の変更と、そしてそれをささえる具体的な政策を多方面に積み上げていくという政府の努力が必要で、政府は、つまり自民党が政権を取っているのだから、自民党の方々がこの問題について心から大事な問題として考えて、そういう印象を国民に与えていく、これが何よりも大事だと思います。あとの具体的な問題は、それぞれ具体的にいろいろな点があると思いますけれども、定時制高校の問題はそれ一つであります。 企業内の教育の問題にしましても、いろいろむずかしい問題がございます。資格の問題その他の問題について、あるいは企業内の教育と学校教育を結びつけるという問題についても、これはなかなかむずかしい問題もありましょう。あるいは働きながら勉強した人がだんだんと資格を取って大学教育まで行かれるという、このチャンネルをつけるという問題も、そう簡単な問題じゃない。ただ、われわれも、たとえば古い教育を受けた者は、今の高校には昔のような高等学校の制度を持たした方がいいという感じを文句なしに持つ。つまり、自分が受けた古い教育に、はだに感ずるような郷愁を持つようなことですから、先ほども一番初めに強調したように、つまり基本的な考え方を変更するというところにこの問題の焦点がありはしないか、そういうように私は考えます。
○塚原委員長 これにて質疑は終了いたしました。 和田公述人には御多忙のところ貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 午後は二時十分から再開することとし、暫時休憩いたします。 午後一時四十九分休憩 ————◇————— 午後二時二十分開議
○塚原委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 昭和三十八年度総予算に対する公聴会を続行いたします。御出席の公述人は九州大学教授正田誠一君、三井物産社長水上達三君のお二人であります。 この際公述人各位にごあいさつを申し上げます。公述人各位には御多忙のところを本委員会のために御出席をいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、目下本委員会において審査中の昭和三十八年度総予算につきまして、各界の学識経験の豊かな各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算の審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位のそれぞれの専門的立場より忌憚のない御意見を承ることができまするならば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。何とぞ率直な御意見をお述べ願いたいと存ずる次第でございます。 議事の順序といたしましては正田公述人、水上公述人の順序で、お一人当たり約三十分程度におまとめを願って一通り御意見をお述べ願いまして、そのあと、引き続き委員から質疑を行なうことといたします。 なお念のために申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際には委員長の許可を得ること、また公述人は委員に対しまして質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御了承をお願い申し上げます。 それでは正田公述人の御意見を承ることにいたします。正田公述人。
○正田公述人 私九州大学の正田でございます。予算委員長より公述を求められましたけれども、いなかにおります関係もございまして、いただきました文書、それから予算書等について、ほんの二、三日しか実は手元で検討する日数がございませんでしたので、まことにその点は遺憾でございますが、委員長の文書によりますと、石炭対策、中小企業、物価問題、こういった問題について特に発言するようにという御指名でございましたけれども、それぞれに非常に広範な問題を持っておりまして、物価問題につきまして十分な検討、それから御意見を申し上げるだけの用意ができてございません。それでまことに恐縮でございますが、石炭対策と中小企業の問題、これにつきまして私ども平素勉強しておりますことから若干の御意見を申し上げることでお許し願いたいと思います。 石炭問題につきましては、三十八年度の予算にさまざまの非常に努力された項目、また今後の努力が約束されるような項目がございますが、やはりその前提となります石炭問題について、どのように問題を理解し、どのように対策を考えるべきかという点につきまして、幾つかの意見を持っております。 その第一番目の問題につきましては、石炭産業について合理化が要請され、またこれは非常に必要なことであるわけでありますけれども、その石炭産業の合理化をいたしますにつきましては、各年次と申しますか、おのおのの時期と申しますか、このような合理化の速度、段階、これをよほどたんねんに考えて実行することが一番大切な問題ではないかというふうに考えております。 御承知のように、合理化を行ないます場合には、あるいは地域に、あるいは関連産業に、あるいは労働者に、それぞれに非常に緊密な有機的な関連がございます。従って、この有機的な関連、これをできるだけ手を厚くして処理しながら進めるというためには、特に速度あるいは各年次の実際に合理化を進めますやり方について、よほど慎重でなければならないわけであります。形の上から申し上げますと、産業の合理化につきましては、これを促進する要因と、またこれを制約する要因と二つございます。促進する要因については、今さら申し上げるまでもございませんが、内外の市場条件、特に燃料競争あるいはエネルギー競争といわれております問題、さらに自由化政策の問題等々がございますが、そういった、言ってみれば石炭産業の外部から加えられます要件と、それからもう一つ無視できないのは、産業の内部に、この合理化を促進するような内部的な条件の問題があります。一言で申しますと、合理化投資と申しますか、あるいは生産の近代化、これが具体的に取り行なわれるということが、内部的な要因となって合理化を促進する、そういう要因になるのだと考えます。外部的な要因と内部的な要因と、この両者について常に考えておく必要があるわけであります。 第二番目の問題としましては、この合理化の推進を制約する要因がございます。それは一つは、その産業の内部に一定の人員を雇用し、そして生産体制を確立するという立場からしますと、その人的な側面を常に確保しなければならない。そういった雇用の確保の問題というのが一つの要因でありましょう。 それからもう一つは、合理化に伴って、石炭産業以外の産業に人間を出す、あるいは他産業で再雇用する、こういった雇用の移動の問題、また再雇用の問題、これがどれだけの速度、それからまたどれだけの規模、それからまたどのような内容や水準をもって実際に実行できるかということが、一つの大きな制約の要因になるわけです。 三番目は、御承知のように、石炭産業は特に地下産業でありますので、炭鉱が位置しおりますその地域経済に対して、非常に広範な有機的な関連を持っています。従って地域経済がこのような合理化の推進に対してどれだけ適応し得るかということが制約条件になってくるわけでありましょう。 それで三十八年度予算につきましても、そのおのおのの領域について、さまざまな御議論もあったことのようですし、またさまざまな施策がうかがわれるのでありますけれども、この合理化の速度の問題につきまして申し上げておきたいと思いますのは、このような促進要因と、それから制約要因、この二つが結び合う、あるいは交わり合う、その点を明確にしておく必要がある、かように考えるわけであります。それは合理化計画あるいは合理化の速度、このようなものと、それから雇用計画あるいは再雇用計画、この二つができるだけ緊密に結びついて行なわれる必要があるという主張であります。政府で編成されました石炭調査団の答申においても、またその後の石炭政策の大綱におきましても、この二つが結びつかなければならないということが指摘されておりますことは、これまでの合理化政策に比べますと、今私が申しましたような意味合いを明確にしたものだとして、高く評価してよろしかろうかと考えます。従って、これを実際に実行いたします場合には、各年次ごとに今の合理化の推進、それの実績と、それからまた雇用ないし再雇用の状況、この両者がどのようにうまく適合しておるか、あるいは逆に適合しないで、人員の整理あるいは廃山というようなことが非常に早く進んで、実は社会的な諸条件の方は一向に整っていないということになりますと、これはどうしても合理化の速度が制約されざるを得ないわけであります。 翻って、昭和三十年石炭合理化臨時措置法の成立以来の今日までの推移をたどってみますと、実は一番表面上、形の上だけをとらえて参りますと、石炭合理化計画で行なわれましたところは、三十四年まではやや足踏みをしておりますけれども、しかし相当な成果をあげております。簡単な数字でございますが、通産省で押えておりますところでは、三十年度の出炭が約四千二百五十万トンに対して、人員が二十七万四千人、従って、能率は十二・九トンというようなものが出ております。三十四年には出炭が四千七百九十万トンに対して、人員が二十六万八千人、能率が十四・九トンというふうになっております。しかしその後三十四年から以降は、御承知のように合理化計画が新たに改定されました結果としまして、人員その他形の上だけからとらえますと、三十七年度までに非常に急速に雇用や出炭の状況が推移しております。たとえば三十七年の十月を見ますと、一カ月の出炭が四百四十万トンであるのに対して、人員が十七万六千人という程度になっておりまして、二十五・一トンあるいは十一月には二十六トンといったようなことになっております。従って、三十四年以降の合理化の推進につきましては、ほぼあのときの年次計画を大体その通りに推進しているわけでありまして、地域によりますれば、あるいは少しく進み過ぎたというような、そういう形をとっておるところも決して少なくはないのであります。今後このような合理化がいかにして進められるかという場合に、お気づきのように、四十二年まで、三十七年、三十八年、三十九年、各年度々々についてどのように一これを推移させるかということが、非常に大切な要件になっているのであります。従って、こういう年次計画を、年次的な推進を無視しまして、三十七年、三十八年、特に世界及び国内の諸情勢が非常に差し迫っているからというので、四十二年までの計画を三十八年までに全部やってしまうということは、先ほどから申しておりますような社会的な要因からとらえまして、とうてい実行不可能なわけだし、かりに、そのことを石炭企業だけの立場から推進いたしますと、社会的にきわめてゆゆしい問題を引き起こすということが簡単に考えられるわけであります。そしてまた逆に、そのような年次を繰り上げる必要がもしかりに出て参りまして、これを実行しなければならないとすれば、おそらく四十二年までに支出されるべきさまざまな社会的な予算、社会的な費用、これを繰り上げて、たとえば三十八年度予算に全面的に投入する、こういう必要も出てくるわけであります。また、その金額だけ投入しても、これには時間の問題あるいは機構の問題あるいは実際の実施する方法の問題がございまして、そこには非常に大きなギャップを生ずる、こういうことも考えておく必要があるわけでありまして、合理化法に基づいて、また、これまでやってこられた合理化の実績に基づいて、特に今年度の予算の審議にあたりましては、この点が重要なのじゃないかというふうに私どもは判断いたしております。 以上の生産速度の問題につきまして、なお一言付言いたしますと、地方の実態からいたしまして、各石炭企業の合理化、その合理化計画を、それだけでなくて、産業における雇用の問題とかみ合わせて実行するということは、これは石炭政策大綱にも明示されておるところでありますが、各地域の地域経済の状況からいわれておりますように、実はそれだけでは足りないのでありまして、各地域の地域経済の対策、地域経済をいかに充足することができるか、このこととやはり結びつけ、かみ合わせて推進する必要がある。このような点が新たに指摘されるわけであります。もしもこの三つ、石炭合理化と雇用計画と地域経済、この三つが有機的に関連を持ちながら遂行されるならば、これはおそらく将来の日本の産業にとって、重要な産業基礎をここにつくり上げることができるのではないかと、私どもはこのように考えております。 第二番目の問題につき幸しては、先ほどちょっと問題を出しておきましたけれども、合理化を行ないます場合には、ただ単に外部的な要因、市場要因、これが緊迫しておるからということだけでは実は合理化は促進されないのでありまして、やはり内部的な要因としまして、合理化投資と申しますか、設備投資と申しますか、あるいは地下産業の場合には、さまざまな開発のための努力が必要になっております。そして合理化法以来いわれておりますのは、それだけでなくて、今度はあまりよくない炭鉱についてこれを整理する、あるいは統廃合する、このような問題が指摘されております。だから、一方でビルドしながら他方でスクラップするといわれるのでありますが、最近ではこのスクラップの問題が差し迫っておりますので、このことが特に強調されておりますけれども、その前にやはり一つ考えておく必要があるのは、この合理化投資これがはたして十分に充実し、そしてまた実際の手順として誤りなく推進されるかどうかということになりますと、この点は決して楽観を許さないような状況にあります。私いただきました資料の中からだけで、あるいはそれ以外の部分があるかもしれませんけれども、たとえばことしの財政投融資のところで、開発銀行が石炭産業に対して出します金は、開発投資が百十億で、昨年の百二十五億よりも若干下回っておる、それからまた整備資金が八十億で昨年の百億よりも若干下回っておる、そして、かわりに合理化事業団の方でもってこれを行なうというふうにされておりますけれども、従来大体開発投資を年率二百五十億円程度で推移しておりますので、これがあまりに下回りますと、実はこの点では、期待しておった新しい炭鉱のビルド、あるいは維持し増強するということを期待しております炭鉱について、かなり困難な問題が起こり、それは四十二年までにおそらく累積して、そしてわが国の石炭合理化計画がこの点できわめて困難な問題を露呈するということにもなりかねないのじゃないかというふうな危惧を特にこの際強く感じます。 それからもう一つ、これはやや別個の問題でありますけれども、特に従来ありました炭鉱で、今後さらにこれを維持し、そして増強するというような炭鉱が、北海道及び九州にかなりな数ございますけれども、北海道の炭鉱ではかなりに鉱内の体質を改善いたしまして、かなりな能率が期待できるものも出てきておりますけれども、九州の炭鉱では、その点でかなり困難な状況も見受けられるようであります。炭鉱の、山元の実情から申しますと、二十六トン程度という能率になっておりますけれども、これを三十トンまで持っていくということになりますと、山元の経営者としまして非常に苦慮している。そして、これを人員その他あらゆる点で努力して三十三トン程度にまで持っていくとしても、それをそれ以上の段階にまで持っていくというところには、一段も二段も奮発した努力、あるいは合理化のための投資ということも必要になってくるし、これがはたして投資と、それからあとの採炭という関係からして十分に適応し得るものかどうか、こういった点もこの際検討してみる必要があるように考えられるわけであります。 このような投資について、今年度の予算及び各企業の努力でもってどこまでこれが行なわれるかということを一つ取り上げてみる必要があるように考えるわけであります。一言で申しますと、昨年以来石炭政策が非常にやかましく論議され、その中で政策がそれぞれに明確な姿をとるようになって参りましたが、大まかにまとめますと、やはり昨年以来の問題の性格もあって、石炭産業の企業の整備に必要な資金については国費をもってこれにかなり重点的に充てなければならない。しかしながら合理化投資というか、積極的な開発投資という点では、自己資本の蓄積というところに昨年以上に期待しているということが言えると思います。その点、石炭産業の実情からして、はたしてそのような、昨年以上に自己資本の蓄積への期待ということが確実に行なわれるかというと、現在の内外の市場状況からいいますと、相当に困難な問題もあるわけであります。 そこで考えます問題は、今の第二の問題の要約といたしましては、やはり一番必要なのは合理化投資あるいは設備投資を実際に実行する問題と、それからもう一つは、これまですでに投資を行なっておりますけれども、それがあるいは炭量の関係あるいは市場条件の関係で市場性を持たなくなってきておる。そうすると、その投資は若干の程度不良投資といいますか、不良化する、こういう問題も出てきて、これを再調整しなければならない、こういう問題が二番目にあります。 そして三番目に、合理化に伴って整備調整する問題があるわけで、この合理化投資と、それから既存の投資の調整と、それから整備資金と、この三つのバランスをいかにとるかということが重要な課題になっているわけであります。そして先ほども申しましたように、この場合若干整備資金と申しますか、これに非常にいろいろな措置を講じなければならないために、全体のバランスとしては必ずしも十分なものがとられていないのではないか、こういう点を考えるわけであります。 その次の問題といたしましては雇用対策の問題でございますが、雇用対策につきましても、これまたさまざまに議論が行なわれたわけでありますが、私は最初に申し上げましたように、合理化を行ないます場合に、促進する要因もあるけれども、やはりどうしても客観的に制約せざるを得ない要因がある、それの大きな条件として雇用問題というのがあるのではないか、このように考えているわけでありますが、最近の産業情勢、また失業情勢といったような点からとらえますと、問題は相当深刻な様相を呈しております。従って、他の産業に転換すると申しましても、その産業転換あるいは他産業への雇用ということは決して楽観を許さないのではないかというふうに考えているわけであります。 そこで、第一番目に考えておく必要のありますのは、合理化計画と雇用計画は、これは年々つき合わせて、そして調整をとりながら進めることに相なっておりますが、現在の雇用関係は、自由に企業と労働者が契約しておるわけでありますからして、この雇用関係を、あるいはやめる、あるいはやめさせるといったような問題については、これに介入することは適法ではないという意見もあるようであります。しかしながら、これだけの大きな計画で国費を費やし、そうして非常に重要な事業であります石炭産業の合理化ということを行ないます場合に、この合理化計画とそれから雇用計画、再雇用計画をつき合わせて、そうして、そこでいろいろなでこぼこ、あるいはギャップが出てきた場合に、これを調整するには、ただ単に労使の話し合いということだけにまかせておいたのでは必ずしもうまく解決しないのではないか、政府あるいは適当な機関がこれに介入して、そうしてこの二つの計画、雇用計画が合理化計画とうまく合うように、そういう点、これを責任を持って推進する態勢が非常に重要なことになるのではないかと思います。 もっと具体的に申しますと、炭鉱の労働者が企業整備あるいは他の産業への転換というのに対して非常に危惧を持って、なかなか言うことを聞かないというようなことがよく指摘されます。しかしながら、もしも他の産業、またそれぞれその地域に適当な仕事の口、適当な、生活を安定させることのできるような条件が実際に先につくられておる、そうして、そこで働き、そこで家族が生活する、そういう条件を実際につくり出していくならば、それでもなお、炭鉱を離れるのはいやだ、そういう労働者であるならば、これはよほど説得も可能でありますし、また炭鉱の労働者も決してそういうことは申さないのではないか、そこの前後の関係が、これまでの数年間の実績からすると——前後と申しますよりも、社会的な対策がきわめておくれる、非常に大幅におくれる、この点が大きな難点をなしているのではないかというふうに考えているわけであります。 それから雇用対策に関連いたしましては、もちろん炭鉱での生産体制の問題もあり、またそのために保安の問題もありますけれども、その点は省略いたします。 しかし、それにいたしましても、日本の石炭産業を何とか体質を改善して、そうして生き残っていくことができるようにという努力をするのでありますならば、炭鉱労働者の賃金水準の確保の問題、あるいは労働時間、これを国際的な水準から見まして、また今後の動向に照らしましても、適切に短縮するという問題も重要でありましょうし、この炭鉱の労働条件をいかに他の産業 国際的な基準と照らして遜色のないものに持っていくかという点は、今後非常に努力を要する点じゃないかというふうに考えるわけであります。 それからもう一つの問題は、炭鉱産業にただ漫然と関連企業を経営することを推奨するのは、これは十分慎まなければなりません。しかしながら、やはり今日までに至った一番大きな原因が、日本では石炭企業が比較的に単純な石炭単一企業というやり方でやってきておるために、非常に抵抗力が弱い、あるいは弾力性が少ないというようなことが大きな条件になっております。従って、石炭産業のまわりに周辺的な企業、あるいは周辺的な産業を育成するということは、今後の産業の体質のために重要なことになってくるわけであります。 最後に残りますのは離職者と再雇用の問題でありますけれども、先ほどから申し上げておりますように、今一番重要なのは、この離職者及び再雇用のための条件を前もって先行的に実施する、だからあとから調整するというのでなくて、積極的に先行的に実施するということが、今年度のわが国の予算及び実際の施策を通じてどこまで推進されるであろうか、このことを一番大きな課題として考えるわけであります。すでに失業情勢がきわめて悪化しておりますので、その点ではよほど大きな努力が必要なのではないかというふうに考えます。 時間がわずかになりましたが、もう一つ最後に、地域経済の問題を少しだけ触れておきます。地域の影響につきましては、さまざまな計算の仕方があるようでありますけれども、非常に素朴な計算で恐縮でありますが、合理化の推進の結果として、ある人員を炭鉱外に排出する、そしてその人員の中で、今も申しましたような先行的な諸施策がおくれますと、失業者が出てくる。そうして失業者は家族を持っておりますので、その家族を含めて困窮する、そして、それは家族だけではなくて、関連した商売をしている人たち、あるいは学校の先生たち、いろいろな関連のものがございますが、やはり一定の割合でもって、関連人口が窮乏するわけでございます。これはいろいろな学説によりまして、その関連を大きく見るものもあり、小さく見るものもありますが、やや小さく見ましてその関係をとりますと、たとえば筑豊だけでございますが、四万二千人程度の失業者が四十二年までに出るような数字になっておりますが、それをかりに家族三人ということであれば、さらに今申しました関連人口というものまで入れますと、約五十万四千人というような推計も出てくるのであります。ですから、約十二倍余りというくらいに規模を考えなければならないし、筑豊の総人口に対して五五%以上の人口が窮乏する、こういうことも危惧されるわけであります。実際にこのようになりましては、これは非常な一大事でございますからして、もちろんさまざまな施策によってこのような窮乏地帯を大きくしないように努力し、また先行的な努力によって、むしろ労働者の生活が安定するようなそういう産業、あるいはそういう地域経済の手配が必要でもあるわけでありますが、その規模あるいは速度、これがきわめて大きくかつ速いものだということ、これを御理解願いたいと思うのであります。その点から言いますと、先ほど申し上げましたように、実は合理化計画に対して、地域経済の整備計画というものを、ちょうど雇用計画と結合するのと同じように、地域経済の整備計画というものを年次的にぜひ結合する必要があるのじゃないか。あるいは炭鉱などにつきまして、もしその地域経済の整備、これが立ちおくれますと、非常に困ったことになります場合、その炭鉱の整備については若干の期間アローアンスを見てもよろしいのではないか、あるいはある程度の金額の補給ということもあってよろしいのではないか。もちろんこれが十年、二十年に及ぶということはあり得ませんし、せいぜい三年ないし五年程度にとどまるかもしれませんが、そのようなやり方で地域経済の整備、それから改善という計画と合理化計画とを、ぜひとも適合的な関係に賢くということも、この際考えてみるべきじゃないかというふうに考えるわけであります。 金利その他の問題につきましては、もう時間がございませんから省略いたしますが、先ほど触れた問題をちょっとだけ敷衍しておきますと、この金利その他の措置につきまして、その基礎になる一つの考え方として、やはり三十年ないし三十一年当時の重油価格及び競合的な石炭価格、これを基準にして設定いたしました、想定しました石炭を掘り得る可採炭量、その後の新しい価格条件、市場条件によってその可採炭量がだめになった。実収炭量がだめになってきた、そのためにある一定の投資部分が不良投資化する、あるいはそれが無効になってくる、こういう要素がありますとき、これは合理化法に基づいて行なわれた措置であり、またその後の推移によって起こってきた変動でありますからして、これは適切にその不良投資化した部分についての措置ということが当然考えらるべきではないか、このようなこともあるわけであります。 それからもう一つ、地域経済に関連いたしましては、よく言われますように、イギリスあるいはドイツあるいはアメリカ、さまざまなことが報告されております。また予算委員会においてもすでにそのようなことが取り上げられておるということでございますから詳しく申し上げませんけれども、ただ一つ、私どもが地方におりまして地域経済の問題に幾らか関連を持ちながら仕事をしておりますと、やはり一番大きな問題は、私たちの場合には、総合開発事業、これは、法律におきましてもまた実際の起用におきましても、未開発地帯、後進地帯あるいは農林水産業関係というところに一つの重点を置くという建前であり、また事実そういうふうに行なわれております。この場合必要なのは、すでにもう一世紀近く石炭地帯であった、そういう古い鉱工業地帯、これをもう一度再開発するという必要が今非常に迫ってきておるわけであります。従って、従来の総合開発の法の建前ないしは運営の建前からいたしますと、これが結局その点で制約される問題が出てくるのでありますが、これは一つ各方面の衆知を集めまして、ぜひとも日本では再開発の地域、そして再開発の事業、これが十分な基礎を持って推進されるべき必要があるんだという点、これを国民の前に明らかに示すことがこの際重要になっておるのではないかということと、もう一つ、この地域の問題につきましては、御承知のようにただ工場あるいは商店だけの問題ではなくて、あるいは失業対策だけの問題ではなくて、ある意味では今失業します四十代、五十代の労働者の世代の間では、必ずしも問題はうまく解決しないかもしれない、そういう長期的な痕跡も残るわけであります。その場合には、次の世代のための教育あるいは福祉施設あるいは保障施設、そういった地域全体でまともな二代目、三代目をつくり出していって、それでつくり直していく、こういうことも必要なわけでありまして、よくいわれますニュー・タウンの計画というのが日本の条件でどのように遂行されるか、これはまださまざまな点を検討しなければなりませんが、大きな課題として、再開発政策というのをこの場合取り上げる必要がある、このような意見でございます。 以上でございますが、以上の問題の締めくくりとしましては、やはり日本の石炭産業の規模の問題が常に問題にされます。それで、エネルギー経済の側面からこれはさまざまな意見がございますが、特に考えておく必要がありますのは、今後のわが国の経済の発展、経済の規模という点からいきますと、エネルギー全体の消費の量というのは、国際的な比較をいたしますと、国際的に今後日本は非常に急激にふえる時期に遭遇しておる。この点は皆さんお考えであろうと思います。たとえばアメリカのように、国民一人当たり年間石炭換算九トンくらいになるとある程度停滞する。けれども、わが国のようにまだ二トンにまでなってないというような状況ですと、今後非常に急速にふえて参ります。その場合に、ふえるからといって、石炭の供給体制の問題もあり、そう簡単ではございませんけれども、やはりわが国での五千五百万トンないし六千万トンという石炭の生産の規模というのは、このようなエネルギーの総供給体制と総消費体制、これの非常に急激な増加の中でとらえなければならないのではないか。その意味で五千五百万トンないし六千万トンを維持するという政策は、これは長期的に見ると当然必要な政策だといわなければならないわけであります。もちろん需要の問題はございますが、この需要の問題につきましては、イギリスの政策などでは、相当強引に官公需関係、これを維持するようにとり行なっておるようであります。そういう点で、わが国でも官公需を石炭の方には特に手厚く措置するということ、これがある非常にドラスティックな状況のもとではかなり重要な条件になるかと考えます。 ちょっと申しわけございませんが、中小企業対策については……。
○塚原委員長 少々時間があります。
○正田公述人 ほんの一言でけっこうでございます。中小企業対策について、時間もございませんけれども、申し上げます。 この点は、今後もっと検討しなければならない非常に重要な問題かと考えます。それは、用意されておりますような中小企業基本法といわれるものがあり、あるいはそれの安定的な方向というようなさまざまな御意見があるようでございますけれども、少なくともこの基本法は、たとえば農業構造の基本を改善するということと並んで、あるいはある意味ではそれ以上に複雑な問題をわが国の中小企業の場合には持っております。従って、この中小企業の基本というときには、わが国の中小企業があるいは経営の水準において、あるいは市場条件において、あるいは採算条件において、あるいは労働問題においていろいろと持っております前期的な、あるいは不利な条件、これを克服していって、いわば日本の産業及び日本の経済の二重になっておりますような仕組みを克服、改善していって、そうして一つの近代的な経済構造、これに持っていく、こういう点が非常に重要な問題でありましょう。そうして、この点ではあまり異論がないわけでありますが、そこから考量いたしますと、側面があるいは労働、あるいは経営、あるいは資金、あらゆる点で非常にたくさんの問題を持っておりますので、望ましいのは、そのための政策が一つ有機的に統一されて、このような中小企業をもっと近代化していく、そういう点が特に強調されることが望ましいのではないかと考えるわけであります。 それからもう一つは、わが国の経済構造の中では商業あるいは流通機能、これがやはりもう一つの大きな領域でございまして、この点の流通機能の近代化、流通機能の合理的な編成ということによって、おそらく日本経済の面目はかなりに新たになるでありましょう。従って、中小企業の基本を考えるとなりますと、その点をも十分に取り上げる必要があるかと考えます。 中小企業につきましてまだ若干のことがございますけれども、時間を過ごしまして恐縮でございますので、大へんぶざまな公述に終わりましたけれども、石炭問題に中心を置きまして、中小企業問題についてはほんの一言ということで、公述を終わりたいと思います。(拍手)
○塚原委員長 ありがとうございました。 次に、水上公述人の御意見を承ることにいたします。水上公述人。
○水上公述人 ただいま御紹介いただきました水上でございます。御指名によりまして、昭和三十八年度総予算に関連いたしまして、若干の意見を申し述べたいと存じます。 昭和三十八年度の予算に関する政府の基本方針につきましては、わが国の経済の実態認識、あるいは今後の重点施策の方向などにおきましては大体賛成でございます。本年の課題は国内的、国際的均衡を確保しながら、長期にわたる安定成長の基盤の強化にあることは言うまでもないところでありまして、政府の財政予算も、こうした課題に即応して、積極と均衡の両面の性格を打ち出すことに力を注いだものと思われますが、その点全く同感でございます。 ただ、それに加えていま一つここで私が強調したいことは、この二月の六日にIMFのわが国に対する八条国移行の勧告があったということであります。予算案編成の当時におきましても、もちろんこれは予測されておったことではございますが、日本の置かれた新しい国際的立場をいま一度反省、自覚しながら、本年度予算運営に配慮が加えられたならばなおけっこうである、こう考える次第であります。従って、政府の重点施策としての公共投資、社会保障、文教施策の三本の柱とともに、自由化の進展に伴う輸出力の増強、産業の国際競争力の強化が第四の柱ということになりますれば、けっこうだと存ずる次第であります。 次に、予算の規模といたしましては、歳出面の一般会計二兆八千五百億円、財政投融資一兆一千九十七億円、ともにそれぞれ一七%あるいは二二%の増加となっているわけでありますが、こういうところに非常に積極的な意欲がうかがえまして、一方歳入の租税面では、国民の税負担の軽減のために減税が打ち出されているわけであります。税の負担が国税・地方税を通じまして、国民所得の二割をこえているという現状にかんがみますと、国民生活の安定向上と国民の勤労意欲、あるいは事業意欲を増進するというためには、この二割の線を押えていくという長期的な基本方針が持たれることが望ましいと考えます。減税につきましては、政策減税とか一般減税とか、いろいろ言われておるようでありますが、私は政策減税というものを終始推し進めていきますれば、自然一般減税となるということになるのじゃないかと思います。従って、何よりも肝要なことは、税源を養っていくということでありまして、税源の涵養がおのずから減税を将来にわたって可能ならしめるものであるというふうに考えております。 なお、三十八年度予算の性格が経済基盤強化予算である以上、その運用、使途、支出時期などにおきましてその効果を最大限に上げられますよう、経済活動の推移の実情に即しまして、弾力的に実施されるということが非常に大事な点ではないか、そういうふうに考えております。 次に、重点施策の各項目につきまして若干の所見を申し述べますと、まず第一は公共投資であります。日本経済は今までの高度成長の陰に、経済の岩盤ともいうべき基本的な分野におきまして立ちおくれがあったということは否定できない事実だろうと思いますが、ことしはその岩盤強化の意味で、政府施策におきましても公共投資に重点が置かれているということは、きわめて賛成でありますけれども、公共投資が、たとえば府県単位にばらばらに分散実施されるということがないように、広域経済ないしは日本の全体的な視野と長期にわたる計画性を持って、総合調整の上で実行されなければならない、そういうふうに考えます。公共投資がアンバランスであるということは、その経済的効果を非常に減殺すると思うわけであります。また公共投資は、長期にわたってその効果を生み出すものでありますので、三十八年度投資は三十九年度以降にも継続性を持つ、いわば多年度予算の一環として実施されることが望ましいというふうに考えます。 道路の整備強化はもちろん重点施策でありますが、港湾施設の増強もまた切実な問題であります。一昨年の夏ごろにかけましての港湾の混乱と損害を考えますと、非常に重要であるということを今さらながら考えるのでありますが、船が港にいかりをおろしましてから、その荷物がはしけ、岸壁、置き場とか倉庫とかを経まして、それからいろいろな施設を通じて輸送されて需要者の工場へ運ばれていく、こういう一貫した作業があるわけでありますが、この途中にいわゆるネックがあるわけであります。その一つのネックが、結局全体を支配する要因になっていくということでありまして、それが全体の流れを渋滞あるいは麻痺させるということは申すまでもないわけでありますが、さらに注意すべきことは、わが国の貿易、特に輸入が、食糧品とか燃料とかその他の原材料を主といたします、いわば加工貿易の典型的な型でありますので、今後の貿易の拡大は当然原材料貨物の増量を招き、しかも輸入物資の荷姿、輸送の形態と申しましょうか、荷姿がものに入っていた、たとえば袋に入っていたとか、そういう形がだんだんバラ荷化す、流動化してくる、そういう傾向にあるわけであります。従って港頭におきましては、上屋とか倉庫とか、あるいは貯木場とかサイロとかタンクとか、いろいろなものにおきましてその商品に応じた、しかもまたその商品の動向に応じた港湾の受け入れ体制の強化、近代化というふうなことが非常に急務であるというふうに考えておる次第であります。 また水につきましては、非常に残念ながら一般の問題になってきたというのが現状であると思いますが、水稲用とか灌漑用だけに使われておったころの水という観念と、現在の工業用あるいは雑用に非常にふえてきた水を必要とする現状と、用水政策というものも全く新しい見地から再検討さるべき問題だと存じます。湯水のごとくという言葉はすでにもう合いません。国は要するにこういう一般の環境をつくって、事業家なり国民に提供するということが一そう大事ではないか考える次第であります。 第二は、物価の問題でありますが、経済安定のかぎはもちろん物価の安定であります。過去十カ年間日本の経済が非常に顕著に成長したという陰には、物価の安定があったということを忘れてはならないと存じます。輸出を阻害する大きな要因は、やはり物価の騰貴と、この不安定な動きであるということであります。最近ちょっと気になりますのは、景気調整期を脱するにつれまして、一部商品の卸売物価に統制のきざしがありまして、この程度でいきますならばもちろん問題はありませんが、あまり景気が早期回復、あるいは財政金融政策の運用のいかんによりましては、下期に参りまして多少心配すべきことがあるのではないかというふうなことも考えておかなければならない問題だと存じます。 第三は、文教問題でありますが、人間の能力の開発は時代のいかんを問わず重要であることはもちろんでありますが、特に昨今のごとく技術革新の進展と産業構造が非常に高度化してくるという時代におきましては、これに即応し得るような技術教育の積極化が非常に重要であると考えるわけであります。国産技術の開発、研究機関の充実というふうなことをはかると同時に、企業間、それから企業と学校、それからいろいろな研究機関が国にも民間にもございますが、そういうものが相互間で共同していくというようなやり方がもっともっととらるべきではないかというふうに考える次第であります。 第四は、社会保障の問題でございますが、経済発展に応じまして国民生活の向上、生活環境の整備、社会福祉の充実ということが必要でありまして、社会保障の強化拡充が望ましいことはもちろんでありますが、これに関連いたしまして社会保険、健康保険とか厚生年金、失業保険というふうなものの保険料が、かなり企業側の負担になっているという点があるのであります。もちろん企業も当然負担すべき点があるのでありますが、私の申し上げたい点は、国・民間の負担をできるだけ効率的に調整して、だんだん拡充していく必要がある、こういうことであります。 それから金融政策でありますが、御承知のように昨年末来、日銀の金融正常化政策がとられて参りまして、正しい方向に一歩前進したということは言えるかと存じますが、現実の問題といたしまして、金利でございますが、金利は国際的に非常に高い水準にあるということは常識であります。企業の国際競争力にかなり重い負担になっている一つの要素であります。よく企業が非常にオーバー・ボローイングをしている、過度の借り入れをしているというふうにいわれておりますけれども、それにはやはりそれだけの理由があるわけでありまして、それを除去していくいろいろな施策、環境づくりが必要ではないかと思います。その最も大きな問題、要因に金利とか税の問題があるわけであります。自国資本の一そうの充実をはかることは当然でありますけれども、同時に金利の国際的水準へ接近のための努力とか、あるいは税金の、企業法人税関係とか、そういうものに対する配慮がもっともっとなされなければならないと考える次第であります。 それから農業問題でありますけれども、農林漁業の構造改善による生産性向上は、これは大体日本経済の体質改善につながる問題として考えていかなければならない問題だと存じます。たとえば過去十年の農業の変化をたどってみましても、米の生産というふうなものは若干増加程度でありますが、くだものとか畜産関係というのは、非常に増加しております。そういう結果、米はほとんど自給自足の域に達しましたけれども、一方畜産の非常に伸びた関係上、トウモロコシのようなものは、十年前にわずか千四百万ドルの輸入であったのが、昨年は一億三千四百万ドルに達しております。これは見方によりますと、数年を出ませんで、この倍あるいはそれ以上になるだろう、こういうことでありますが、食糧輸入は、米麦は減少しても、そういったようなものの増加で、やはり五、六億ドルの外貨を必要とする、それ以下になかなか下がらないというふうな傾向にあるわけでありますが、農業の質的転換と外貨収支の問題というふうなものをやはりからみ合わせて考えていく必要があるのではないか、そういうふうに考える次第であります。 それから産業施策でございますが、日本経済におきまして国際競争力のある部門の育成強化、もちろん必要でありますけれども、弱点部門の回復をはかるということもまた必要ではないかと思うのであります。石炭業とか肥料、海運業というふうなものに対して基本的な対策が今度の予算におきまして打ち出されるということは、非常に長い間の懸案が一応解決したとか、あるいは解決の方向に踏み出したという意味で、大へん特色のある年だと存じます。特に海運は、世界の船腹量も貿易も今戦前の約二倍に達しておるわけであります。しかるに日本の場合は、外航船の船腹量は若干の増加しかない。日本は世界水準以上に貿易はふえているわけでありますが、一方逆に外航船の船腹量は、若干の増加しか見ていないというふうな哀れな状態にあるわけであります。もちろんいろいろな理由はございますが、国際的にもそういうわけで非常におくれておるわけであります。国力の強化という見地から申しましても、これはもちろん国際収支の面におきまして恒常的な赤字をもたらしている最も悪い、最もこれから力を入れて施策を考えなければならない分野ではないかと存じますので、その強化は焦眉の急であると存じます。 石炭対策につきましては、私は今の石炭対策というものは、総合的なエネルギー政策の確立を待って初めてできるものである、こういうふうに考えております。エネルギーは、産業のいわば台所のようなものでございますので、より安い、より効率的なエネルギーを確保することが、産業の国際競争力を確保する基礎となるわけであります。その意味で、電力とか石炭とか石油とか、あるいは原子力発電というふうなものを総合的に考えて、エネルギー対策を立てるということが非常に大事な問題ではないかと考える次第であります。 それから輸出振興と経済協力の問題でございますが、政府の本年度の経済見通しによりますと、輸出は通関、為替ペースで前年の七%余り、輸入は約一割ふえる、こういう見通しでありますが、私はむしろそういうわけで、為替ペースで輸出は五十二億ドル、輸入は五十億ドル、こういうふうに見通しておるわけでありますけれども、三十八年度は、もちろん三十七年度のような輸出の大幅な増加は期待できないと存じますけれども、七%はいささか控え目ではないかというふうな感じがいたします。いろいろな事情からもう少し伸ばすべきではないかというふうな意味で、今輸出をもっとふやそうというふうな考え方で、一般には努力されているように承知しております。もちろん適正な通商政策、強力な経済外交というものは当然でございます。 また、この際特に私は申し上げたいのは、日本の輸出の国民総生産に対する比率が非常に低水準であるということであります。一九六一年におきまする輸出比率は、イギリスが一五%、西独は一六・三%、フランス、イタリアはいずれも一二%です。それに対しましてわが国は、昭和三十六年は九%です。三十七年は推定でございますけれども、九・七、八%ではないかと存じます。それから今度の三十八年度総予算の数字からはじき出しますと、ドルに換算しましてGNPが五百六十億ドルになるかと存じますので、やはり九・七、八%ぐらいになるのじゃないかと存じます。いずれにしましても一割未満であります。輸出振興におきましてわが国が西欧諸国より劣勢にある。輸出というものに対する考え方が、少なくとも西欧諸国に比較しまして劣っておるというふうなことが、この数字から見る限りは言えるわけであります。田中大蔵大臣が今国会の財政演説の冒頭におきまして「この年の課題にこたえるための努力の焦点を一つにしぼれば、それは輸出力の増大であると信じております。」ということを言っておられるのでありますけれども、これは私は、もちろん同感でありますが、この大蔵大臣の言われる輸出力強化を単に本年の第一目標ということでなくて、毎年々々、将来とも一貫する政府の最高かつ恒久的な国是としてこういうことを考え、実行していただくということを強く要求したいという気持であります。予算案で貿易振興あるいは経済協力費というものを合計してみますと、八十五億五千四百四十七万円になります。ドルに換算いたしまして二千四百万ドルぐらいになりますが、輸出規模五十四億ドルと仮定いたしますと、〇・四五%という規模であります。この予算のつけ方が非常にむずかしい対象であるということはよくわかりますけれども、いずれにしましても、いささか低姿勢であり過ぎるように感ずる次第であります。 それから最近輸出秩序化という問題がよく叫ばれておりますので、ちょっとその問題を申し上げたいと存じますが、ことしの通商政策上の大きな一つの課題といたしまして、輸出取引の秩序化ということがあるわけであります。結局対先進国貿易の要諦と申しましょうか、先進国貿易に対して一番大事なことは、輸出の秩序化ということでありまして、当然従来もかなりの努力をしておるわけでありますが、輸出品目が非常に多様化するということと、それから、それに従いまして、当然従来やっていなかった新輸出業者というものが日に日に現われてくる。現在輸出業者、貿易業者としまして合計六千店近くあると存じます。もちろんその中において入れかわりはございます。ございますが、総数におきましてはそのくらいある。多様化と扱い業者がふえるというふうなことから、当然いろいろな問題を起こしてくるわけであります。にもかかわらず、ある程度の秩序化ということは、当然これからもっともっと努力していかなければならない。こういうふうに考えまして、私どももいろいろな会合などを開いているわけであります。ただ、反面現在の日本の輸出総額の中で、繊維はもっと多いと思いますが、約三割は何らかの輸出規制の対象になっております。自主規制とかその他いろいろなやり方がありますが、その輸出規制が輸出力の圧力にならないような、つまり輸出の足を引っぱるようなことにならないような配慮を払いながら秩序化を進めていかなければならない、こういうことであると存じます。それからまた、日本の国内だけの範囲に限定せずに、輸出品を出す相手先の国の中の輸入のやり方とか、あるいは流通機構というふうなことも、一連の結びつきとしまして考えて対処していかなければならない、こういうむずかしさがあるわけであります。いずれにしましても、そういう努力はこれから大いにやっていかなければならぬと存じます。 次に、経済協力でございますけれども、先進国に対しまして輸出秩序化が輸出を増進していく一つの大きな柱といたしますと、後進国に対しましては、経済協力ということになるかと存じます。戦後の後進国は、先進国との植民地関係というべき縦の関係を脱却いたしまして、それぞれ政治的の独立、同時に経済自立というものを目ざしまして進んでいるわけであります。これらの後進国の政治的、経済的苦難に耐えながら経済自立を意欲的に進めんとする真剣な努力に対しまして、日本も国力相応の経済協力を積極的に進める必要があるということは、抽象的には異論のないところだろうと存じます。ただ一部にいわれますように、GNPの一%を後進国経済協力に向けたいという、たとえばDACなどの意向がありますけれども、わが国の場合は、現在賠償を含めまして〇・七%くらいじゃないかと存じます。これは延べ払いというものは入っておりません。いずれにしましても後進国、特に東南アジアなどに対しましては、こういう開発援助の積極化ということが非常に大事だと存じます。 最後に、わが国の財政、民間設備投資、それから輸出、そういうもののそれぞれの国民総生産に対する比率を、主要の各国と比較してみますと、これは皆さんもう御研究済みのことと存じますけれども、西欧の各国は、財政、民間投資、輸出が大体一五、六%以上の水準で、およそバランスがとれているということが言えるかと思いますが、それに対しましてわが国は、財政規模においてはおくれ、設備投資においては行き過ぎ、輸出においてはさらに劣っている、こういうふうなことが言えると存じます。こういう、つまり相互間にアンバランスがあるということがい、えるのじゃないかと存じます。経済の安定と成長とを確保するためには、財政、設備投資、輸出が妥当な比例関係でいくということが大事ではないかと存ずるのであります。輸出入の変動、国際収支の不安定を避けるためには、国内経済の諸活動が健全なバランスをとることが必要でありまして、そのために財政、金融の健全な運営が必要であるということは申すまでもないところであります。さらにつけ加えて申しますならば、日本経済を考えるには、目先の景気動向だけにとらわれないで、横の関係と申しましょうか、幅広く国際経済の中における日本という立場から、それからまた縦の関係と申しましょうか、長期的な成長過程の中における位置づけとして日本のいどころをとらえて、そうしてその対策を立てていくという態度が、考え方が必要ではないか、こう考えるわけであります。本年度の予算も、本年度だけの予算ということでなくて、長い連続した財政の一環として考え、運用するということが必要ではないか、こういうふうに思う次第であります。 簡単でございますが、以上をもちまして公述を終わります。(拍手) —————————————
○塚原委員長 これより公述人各位に対する質疑を行ないます。 水上公述人は所用のため三時四十五分ごろに退席したいとのことでありますので、一応、水上公述人に先に御質疑をお願いした方がよいと思います。そのように一つお願いいたします。倉成正君。
○倉成委員 ごく簡単にお尋ねを申し上げたいと思います。 ただいまいろいろ興味深いお話を承ったのでありますが、そのうちで公共投資について、重点的に長期的な視野に立って、しかも総合的な立場からこれをやるべきだという御説のようでございまして、まことに同感でございます。その中で港湾の例を一、二あげられたようでありますが、そこで公述人にお尋ね申し上げたいのは、長期的な視野に立ち総合的だという、抽象的にはまことにわれわれも同感でありますが、これをもう少し具体的に推し進めて参りますと、一体何を最初にやっていくか、すなわちこういった社会資本の充実の順序でございますね、もっと具体的に申しますと、たとえば港湾や道路というのに非常に重点が置かれますと、環境整備——世界的にも非常におくれておる日本の上下水道、こういったものをどうするかという問題がございますし、また総花的ということは確かにおっしゃる通りでありますが、またやりようによっては、この公共投資のやり方では地域の格差が非常に開いてくる、この問題をどうするかということは非常にむずかしい問題と思うのでありますが、これらの点についての大体の感触というか、お示しいただけば幸いと思います。
○水上公述人 もう少し具体的に港湾の問題について申し上げますと、先ほども申し上げましたように、物の形が変わっておるということであります。日本の輸入の内容を大まかにごらんになりまして気づかれると思いますが、大きく分けまして、人間の食べる食糧関係、それから石油のような産業の食べる物、それからその原材料、鉱石類初め原材料、そういうものを量として考える場合、つまり輸送は量としてまずとらえなければなりませんので、そういう意味からいいますと、これが一番大部分を占める大きなものです。ところがその中で、いろいろに包装の状態というものが変わってくる。従って港湾の設備をよくすると一口に申しますけれども、なるほど大きな船が岸壁に直接着く。たとえばEEC諸国でEECの港としてロッテルダムをいわゆるユーロー・ポートとして育て上げたわけでありますが、あそこは、雑貨は雑貨関係、それから鉱石類は鉱石関係、油は油の関係というふうに、それぞれその品物に適応するような施設をしているわけであります。一口に言いますと、ああいうふうな施設をする方向に大きな計画を持って進まれることが望ましい、こういうことであります。従って、はしけでわずかばかりのものをもって運ぶというふうな、そういう施設はこれからなかなか役に立たなくなってくるというふうに考えます。 それからもう一つは、その船から需要先まで行く途中を円滑にいくようにするということです。その過程におきまして道路の問題も起こってくるわけでありますが、たとえば、最近は工場そのものは技術的にも設備的にも非常に日本はよくなりつつあります。ところが、一歩外へ出ますと、まるで後進国と先進国くらいの違いがあるのじゃないか。時間は三十分で行けるところが一時間かかっても行けない。従って、輸送機関は倍以上必要とするし、その輸送機関に携わる運転手その他の要員もまた倍以上必要である。こういうことで、非常に経済性を阻害し、生産性の向上を阻害しているというふうな面が非常に多い。これはとりもなおさず国際競争力の減殺ということにもなっているわけであります。こういう点をぜひそういうふうな観点から進めていただきたい。もちろん、国際港を先に優先すべきは当然であります。おととし払った——金額を私はっきり覚えておりませんけれども、滞船料は莫大なものです。外貨で払った分がかなりあります。 それからもう一つ水のお話がございましたが、もちろん上下水問題もありましょうが、工業用水というふうなものが考えられなかった時代のいろいろな法律があるのじゃないかと思います。そういうものを、私たちは、少し乱暴な言い方で皆さんからおしかりを受けるかもしれませんけれども、経済関係の法律というものは、大体明治から大正、昭和の現在までの間に、日本の置かれていた立場は、明治から大正、昭和、昭和の初めと戦後とこう分けて参りますと、大体統制に進んでいく過程と、統制をはずしていってまた自由になっていく過程、こういう過程を経ているのじゃないかと思うのですが、その間にいろいろな法律がそれからそれへとつけ加わりまして、どうにもならなくなっているというふうな状態のものがかなりあるのじゃないか。そこで、少し乱暴でありますけれども、全部一ぺん経済的の関係の法律を見直していただきたい、そのくらいに実は考えているのであります。そういう意味で、水の問題も、公共投資というふうな面からだけでなくとらえていただきたい。さっき私の言葉が足らなかったかもしれませんが、そういう意味であったわけであります。
○倉成委員 ちょっと重ねて今の点お尋ねしますが、ロッテルダムは私も拝見しまして、あんなりっぱな港をつくるのは非常にけっこうだと思いますし、これはおそらく近くニューヨークを越して世界一になるだろうと思います。ただ、私申し上げたいのは、たとえば港湾が今非常に困っているから港湾をやる、道路が非常に輻湊しているからこれを改善していく、これは当然やらなければならないことでありますけれども、明治以来の法律を全部御破算にするというくらいの大きな構想でいくならば、もっと先行投資と申しますか、もう少しずつと長期的な先のことを考えた投資をやっていくというのでなければ、ただ困っておるところだけをその場その場で対策をやっていくということでは、なかなかこういう社会資本、公共投資の効果を十分発揮することはできないのじゃないか、こういう意味のことを申し上げたのでありますが、その点はどうでございましょう、その場合の順序という問題……。
○水上公述人 ことしの予算編成の方針は輸出競争力を強化していくというふうなところに重点がある、こううたっておられるわけでありますから、そういう点から申しましても、それから現在国際的に見まして最も劣っている部分の一つだと思います港湾施設は、従って長期的にあるいは総合的に考えていかれるということは当然であります。しかし、そういうものが地方の行政、いわゆる狭い立場からの方針とかなんとかにあまり左右されないで、大きな立場から長期的な考え方でなされていくことが必要だということを申し上げたつもりでございます。
○倉成委員 それでは簡単にもう一点だけ。実は水上先生から農業問題のお話があって、非常に興味を持ったわけでありますが、お米の問題あるいは飼料の問題を取り上げられまして、国際収支また農業の質的変化というお話がございましたが、もう少し具体的に、一体今の日本の農業に、産業人として、あるいはもっと違った意味で高い立場から、何をやったらよろしいか、どういう改革をしたらよろしいかというふうな点を、そのものずばり、もし御構想があれば一つお聞かせいただければ幸いと思います。
○水上公述人 そのものずばりはなかなかむずかしい問題でありますけれども、日本人の食生活がやはり先進国型になってきておるということです。エンゲル係数がだんだん落ちてきて、家畜とか果実というものがだんだんふえていくということでありますから、結局、家畜の飼料をどう供給するか、ただ一つだけ一番重要に思う点だけを申し上げますと、私は、日本の草地を改良して、原野あたりに属する部分が多いと思いますけれども、牧草をつくるということだと思います。肥料などはずいぶんばか安く輸出しておるわけであります。そういうものをそういうところに利用していく、これだけでもずいぶん大きな効果があるのじゃないかと思うのであります。たくさんありますけれども、まず一つ一番大きな問題を申し上げたわけであります。
○塚原委員長 加藤清二君。
○加藤(清)委員 水上さんにこういう席で久方ぶりにお目にかかりまして、りっぱなお説を承って感激しておるわけでございます。 輸出力の増大、これを国是として長期的に考えていきたいという水上さんの意見には全く同感でございます。そこで水上さんに承りたいことは、そのためには経済外交を強力にすべきであるというお説でございましたが、ただいまアメリカで交渉が行なわれておりまする綿製品の輸出の問題、これを相手国は、撹乱のおそれがあるとして規制をして参っておるのでございます。御存じの通りでございます。私はこれを見て非常に不思議に思うわけでございます。すでにその前々に数回各所で行なわれておりまする会合におきましては、日米友好の関係上、これは漸次拡大をいたしましょうと固い約束が取りかわされているわけでございます。にもかかわりませず、それを制限するの方向にきておるわけでございます。一体これに対して業界の皆様はどのようにお考えになっているのか、日本政府に対してはどのような希望を持っていらっしゃるのか、この点をまず御教示いただきまして、その結果、次に質問を移したいと存じます。
○水上公述人 私は、あいにく綿製品の専門家ではございませんので、今、数日来新聞に現われておりますアメリカとの綿製品の問題については、あまり詳しく申し上げる知識を持ってないのです。ただ、日米貿易あるいは日本の輸出政策、そういうふうな観点から見る限りは、今、あの程度のところで、あれだけをつかまえて議論をするのは少し早いのじゃないかという感じがしております。もう少し事務的なり、あるいは内容を確かめてから交渉をやるべきものではないか、こう考えております。もちろん、綿業界では昨日あたりから何か協議をしておるようでございます。
○加藤(清)委員 私は、これをただ綿だけの問題として取り上げているのではございません。アメリカへ輸出されておりまする日本の商品は、ほとんどが労働集約的製品でございまして、大なり小なり綿製品に類似したものが多うございまして、やがてこのことは、毛製品にも影響を及ぼすことでございましょうし、その他あまたのチェック品目、これに大きな影響を与えることと存ずるのでございます。それからまた本件は、何もきのうきょう出来した問題ではございません。終戦後長年にわたって毎年のように論議をされてきている問題でございます。そこで日本政府は、そのつど輸出秩序の確立、自主規制、自粛という立場でもってこれに対処して参ったのでございまするけれども、その結果は、常に日本の輸出が縮小されまして、むしろ香港、インドその他の輸出が伸びているのでございます。そこで私は、これは今日放置すべき問題ではない。あまつさえ貿易の自由化という命題のもとに、いろいろな無理な自由を押しつけられなければなりません。しかし、その自由は、日本の買いの自由はございますけれども、売りの自由がはたして買いと同等なほど与えられるかと申しますると、さようでもなさそうでございます。そこで、それでは綿は別としまして、一般論として、対米貿易に関するところの水上さんのうんちくのあるところを一つ承りたいわけでございます。
○水上公述人 一口に言いますと、先進国向けの産業と後進国向けの産業と、こういうものがあると思うのです。国際貿易が自由化するに従いまして、そのあり方は非常にはっきりしてくるということだろうと思います。極端に言いますと、日本は米はつくらない、米を全部買って食べる。イギリスは綿製品なんか、綿紡績なんか全部やめちゃう、インドあたりから買うというような形であります。その過程におけるのが今の日本の現状ではないか、こう思うのですよ。それですから、労働集約的なものを買ってくれるアメリカというものは、私は非常にありがたい相手ではないかと思うのです。どっちでもいいものを買うということも言えるのではないかと思うのであります。それですから、そういう意味で何やかや言っても、いろいろなことを言いながら、ある程度輸出ができていけば、これはいい商品ではないか。一方、これはあまり外国に対して大きな声で言えないかもしれませんけれども、しかし、実際はみな外国人もよく知っておりますが、香港で毛その他でも、日本の企業がそういうところに進出して、そこでまたアメリカ向けに出しておるわけであります。イギリスにも出しておるわけであります。そういうことを考えますと、やはり日本の間接な輸出がいろいろなところで行なわれている。こういうことにもなっているかと思うのです。ですから、大いに外交折衝をすることはもちろんけっこうです。大いにやるべきでありますが、ある程度の限界を考えながらお客様に対する態度というものも必要ではないか、そういうふうに考えております。
○加藤(清)委員 次に輸出取引の秩序確立の問題でございますが、日本の労働集約的製品というものは、アメリカのみならず、EEC諸国に対しましても、あるいはイギリスに対しましてもさようでございまするが、ほとんどチェック品目になっておるわけであります。三十五条の援用をさせられているわけです。かりに日本が八条国に移行したといたしましても、なおこの援用が全部なくなるとか、あるいはこのチェックがなくなるということはちょっと考えられない現状だと思います。そこで、その原因が一体那辺にあるかと調べるまでもなく、輸出秩序が乱れている。あなたが確立されなければならぬとおっしゃったことですね。その第一が、相手国に言わせると、レーバー・ダンピングだ、こういうことです。もう一つは商社の過当な競争である。こういうことのようでございます。ところで、レーバー・ダンピングは、日本政府に言わせると、それほどでもない、こう言われますけれども、商社の過当競争という点になりますと、ちょっとこれは反駁に苦しむ問題でございます。特にこれが自由化を控え、先ほどあなたのおっしゃったように品目がだんだんふえることによりまして、商社の数はどんどんふえる傾向にある。商社そのものの数はふえなくても、専門商社がどんどん総合的になって参りまして、扱い品目をふやします関係は、やがて一つの品目別に調べてみますと、そこへ多くの商社が殺到する。こういう形に相なっておるようでございます。商社関係の横綱でいらっしゃるあなたに、そういう意味からいって、あなたの御説の秩序確立とこの問題はどういう関係で処理していったらいいのでございましょうか。
○水上公述人 この問題は、国によってちょっと違うのですけれども、たとえば御指摘になりましたEECの中でフランスのような国、あるいは西独のようなところと違いますけれども、例をとってみますと、フランスとイタリアというものは、これから日本が最も重点的な経済外交を必要とする相手先だと思いますが、そのフランスに例をとってみますと、国内に、メーカーから消費者までの一つの国内流通機構というものがすでにあるわけであります。これに乗せなければ、やはりうまくいかないのじゃないかというのが私どもの考え方です。従って、先ほども公述の際に申し上げましたように、相手先の国の中の流通機構とかその他の事情を考慮して、日本の国のやり方と向こうの国内の事情とをつなぎ合わせて考えていかなければいけない。ところが、最近新しく貿易をやられる方、これはメーカーといわず、大小の商社といわず——大商社といえとも新しい商品はしろうとと同じことであります。従って、そういうのを全部ひっくるめて申し上げまして、やはりこれは全然しろうとと同様と申しましてもいいんじゃないか、そういうところに問題がある。そこで、その対策はどうかということでございますが、これはなかなかむずかしいのです。日本の貿易というものは自由になり過ぎております。たとえばたばこは、日本の国内で一個のたばこを売るにも、非常なむずかしい規則がありまして、それによって扱うことが許されておる。ところが輸出は、考えようによると非常に大事な外貨を扱う仕事にもかかわらず、何の規制もありません。早い話が、外国人がどこかの宿屋におって、何一つ自分の設備やなんかなくてもできるわけであります。そういうところに私は問題があるんじゃないかと思うのです。ですから、いわゆる基本的人権を侵さない範囲内でそういうことに対して考える必要があるんじゃないか。一つ最近神戸あたりの雑貨組合から提案されておるのが、貿易業登録法というものを考えたらどうかということを、零細な雑貨を扱っておる組合の方々から出ております。かつて十数年前に、私どももそいうことを考えたことがあるのですが、そのときは、そういう方々の反対によって、あるいは法務省あたりの解釈によって、そのままずっと流れておった。しかし、最近非常に強くそういう要望が出ております。これは、まだ私もこの段階においてどうという意見は申せませんが、研究の題目であるということは確かだろうと考えます。
○塚原委員長 水上公述人には、御多忙中のところ、貴重な御意見をお聞かせいただきましてありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 木原津與志君。
○木原委員 正田教授に簡単に二問だけお尋ねいたします。 先ほど教授から、これからの日本の石炭業界の合理化計画を行なう上において、雇用計画とマッチしたものがなければいけないのだという御意見を承ったのです。私どももまさにその通りだと思う。しかし、これをただ時の政府の行政の指導、行政措置だけにまかせておくということでは、労働者としては非常に不安なんですね。そうなると、結局行き着くところ、これはその合理化をやる炭鉱の経営者に対する一つの制約、解雇に対する制限をする法律というものがどうしてもここに必要になろうかと思う。現に第一次世界大戦後、産業転換をする場合に大量の首切りをしなければならなかったあの当時、ヨーロッパにおいては解雇制限法というようなものができて、そうして雇用者の首切りを相当制約をした。他の産業に転換できるまでは首を切ってはならぬ、合理化を実施してはならぬというような趣旨の法律ができたということを私ども聞いておるのですが、これのヨーロッパにおける状態、並びにヨーロッパにおける——一つだけでよろしゅうございますが、解雇制限法というあの当時の制限法の内容を、一番重要なところ、どこにポイントを置いて立法されたか、そういう点について一つ御教示願いたい。
○正田公述人 解雇制限法のこれまでの歴史的な事実について、一つでいいからヨーロッパの実情をという御質問でございます。どれが適当か判断に困りますけれども、イギリスの場合を取り上げますと、イギリスの解雇制限法関係の歴史は、やはり一番大きくは一九二六年から始まっております。そして、これはこの前の戦争の前の大恐慌の時期を中にはさんでおりまして、法律的な規制がなかったならば失業率が非常に大きくなる。そしてヨーロッパの経済生活におきましては、失業の期間が長くなるということは社会的に非常に大きな波紋を及ぼします。そのことと関連いたしまして、解雇に対して、それまでの勤続年数、これをおもな条件といたしまして、一定の勤続年数を満足に充足している労働者については原則的に解雇を禁ずる——禁ずるというところでいろいろ議論があるようでございますが、私は禁ずるというふうに理解しております。もちろん、これにはいろいろな条件がございまして、全然解雇ができないというのではございませんが、ある注釈によりますと一大体イギリスでは一九三三年法でしたか、あれ以降は、十年程度以上の勤続を満足に満たしておる労働者については、解雇が実質上できないというようなことのようであります。これは産業の種類もいろいろございます。そして全般ではありませんで、やはり労働が非常に重く激しいということ、あるいは職種の関係からいって転換が困難であるといったようなこと、こういうことがかなりな条件になっておるようでございます。 お説のように、この合理化計画と雇用の計画とを、ただ単に行政指導だけで、あるいは諸般の施設や方法を予算的に国費でもって補うだけでもって、この雇用の安定あるいは雇用の維持ということがどの程度可能であるかは、私も若干疑問に思っております。しかしながら、いま一つは、日本のこれまでの労使慣行では、従来雇用関係は自由契約だとすることを特に経営者の方では主張しておられます。その点で、これは漸次今起こっておりますような国の政策から起こってくる産業の転換、そして内外の経済情勢の構造的な変化から起こってくる転換、このことがだれの責任であるかということを明確にし、従って国の介入ということ、あるいは法律的な制限ということが必要になる段階が日本でもきているのではないかというふうに私は判断しております。
○木原委員 よくわかりました。 次に根本問題になろうかと思いますが、御承知のように有澤調査団の調査答申書が石炭問題の決定版だということで答申されたようになっているわけなんですね。しかし、その有澤調査団の答申というのは、教授も御承知のように、私企業のワク内における石炭問題の解決方法というようにわれわれ見るし、また、事実そうだろうと思うのです。ところが、現在の日本の石炭界の実情は、石炭の状況はもちろんのこと、総合的に、石油あるいは電力、こういったようなものとの総合エネルギー政策を基本にして解決の中にいかなければならぬのだが、そうなってくると、結局結論としては、これはもう私企業の経営規模としてワクをはみ出なければやっていけないという段階にもう来ていると私は思う。 そこで、この際、先生の石炭国営あるいは国家管理、こういったようなものについて、日本でこれをやるについての条件が——条件といいますか、あるいはそれを力関係を抜きにして、石炭国営についての合理性、そういったようなものについての御見解を一つ聞かしていただければと思うのですが……。
○正田公述人 石炭の経営形態について、現在行なわれておる私企業の経営状態、これでどこまで合理化政策が可能であり、国際商品との対抗が可能であるか、あるいはそれの限界がすでに明らかなのではないか、従って、そこでは経営形態が、公的な形態あるいは社会化の方向、あるいは鉱区、生産設備等々を国有に移す問題、あるいは従って生産された石炭あるいはそれの流通経路、これを含めて公的な運営に移すべきじゃないかというような御質問の趣旨であろうと存じますが、この点につきましては、石炭調査団の答申は、これがはたして私企業として可能であるかどうかということを十分に私どもに説得しているわけではないように私は理解しております。むしろ、それよりも、私的企業の形態でもって再建し安定させるとすれば、どういう施策が必要であるかということでありましょう。従って、もしこれが十分に成果を上げることができない、あるいは内外の情勢、あるいは従来の歴史的な事情等々からふまえて、やはりこれではすでに限界がきておるということは、四十年あるいは四十二年度に至るまで明確になって参りますと、次の段階で御一趣旨のような点を真剣に取り上げなければならないのではないかというふうに理解しております。ただし、国営の問題につきましては、私どもは政策の一半として勉強しておるにすぎなくて、御専門の方から見られますと迂遠な意見かもしれませんが、少なくとも第二次大戦の直前までの経過を含めまして、今日の私的企業の形態が公共的な形態に変わります場合には、関連した産業、これがやはり相互に連関して、公共的な形態に移されないと、あまり効果が期待されないという問題と、それから特に企業形態を左右しますのは資金の問題であります。従って、資金について国費あるいは公的な資本の調達といった、そういう金融機関と、これの運営なりこれとのつながりなりが公共的な形態に変化いたしませんと、実際の問題としては相当に困難の問題があるかと考えます。従って、石炭産業について、今日私的企業としてはたしてこれで再建・安定できるかという点については、お互いに非常に多くの危惧を持っておりますけれども、さて、それを全面的にエネルギー産業及び資金及び関連経済領域ということを含めてどこまでの範囲でやるかといいますと、わが国の経済の情勢からいいますと、その点ではまだ十分に掘り下げられていない面が若干あることは、これは否定できない。その意味で、そういう手続を抜きにして可能であるかどうかという意見を持てと言われますと、これは可能というよりも、むしろ、産業の中でこういう産業はある意味ではおくれておる産業でありますから、おくれておる産業の場合には、私的経営として困難であるということが出てくるのは、これは外国の場合にもみんな見えるところでございまして、御質問の趣旨のように、ある意味では、日本の石炭産業が私的経営として十分に自立安定できるという条件はきわめて疑わしいのではないか、こういう危惧を私は持っております。 それからもう一つは、この公的な経営形態を問題にしますときに言われますことは、経営を公的な形態に移したからといって、赤字はやはり赤字であって、それが企業の内部で企業の責任において処理されるか、あるいは公的な、あるいは国民全体の負担において処理されるかは別として、やはりその負担は負担に違いないのです。だから、経営形態を改変することによってこの経済的な問題が打開できるということは言えないんだ、こういう議論もございます。確かにその通りでございまして、経営形態を改変することによって、すぐに企業の資金あるいは生産全体の態勢が変化するとは申されません。たとえば、イギリスの炭鉱国営の場合が一番いい例であろうと思いますけれども、すぐにそれが変化するとは申されません。しかしながら、若干の期間をもって、そして公共的な立場からの開発、公共的な立場からの流通、生産、そして労働、経営の整備を行ないますと、これは何年かの間にかなり基本的な改善が行なわれるということも、歴史的な事実でございます。従って、あまり短期間でもって改変すれば、即座に条件が変化するということを期待するのは、これまた早急なのではないか。この二点を考えております。
○木原委員 ありがとうございました。
○塚原委員長 倉成正君。
○倉成委員 ごく簡単に三点だけ正田先生にお尋ねしたいと思います。 第一点は、地域の経済という点で、産炭地振興についてわれわれも非常に知恵をしぼっておるのでありますけれども、なかなかいい知恵が浮かびません。そこで、筑豊などについて何かいい具体案がございましたら、一つそのものずばりお示しいただければ幸いだというのが第一点。 第二点は、この離職者対策については万全を期さなければいけないし、また、できるだけのことをするというのは当然のことであります。しかし、この離職者に対する国家のいろいろな対策と、一般の失業者その他の同じような状況にある人々に対する施策とのバランスという問題が、やはりこれは当然起こってくるのじゃないか。これは石炭だけ特別だからと言っても、やはり同じような性質のものがいろいろあるのではないか、この問題をどう考えるかというのが第二点。 それから第三点は、いかなる名案、いかなるいい案が出ましても、労使間の信頼あるいは協調というものがなければ、石炭政策はうまくいかないということは、三池の争議その他の例を考えてみましても、御承知の通りであります。この第三の問題について特に先生がいろいろお考えになっておる点がございましたら、お示しいただければ幸いであります。 これだけであります。
○正田公述人 第一の点につきまして、産炭地振興についての具体案ということでございますが、これは先般来石炭調査団が現地調査をいたしましたとき以来、九州あるいは北海道、ともに具体案があまり成熟していないということで、きびしい指摘を受けたようであります。また、その後の政府あるいは地方、あるいは民間団体、それぞれの努力にもかかわらず、そのものずばりと申しますか、きめ手になるようなものがあまりないということでありますが、それでは外国について非常にはっきりと短期間でずばりときめ手があるかといいますと、これもどうもあまり短期的にはないように思うのです。それで、私は、やはり二段に問題を考える必要があるのじゃないか、というのは、第二段と申しますか、五年あるいは十年見なければいけないかもしれませんが、十年後までにはこれだけの工場、これだけの農地、これだけのニュータウン、こういうものが形成される、このような構想を持つことが非常に重要だ。しかし、今すぐに民間工場、あるいは今すぐに何かの施設をということで、それで急速な効果を期待しますと、おそらくこれは非常にでこぼこになってしまいまして、そうして何年かたちますと、あのときにあのように下手に急ぐのではなくて、いわゆるマスター・プランを持つべきだったということが必ず言われるのじゃないかと考えます。従って、第一段階の問題では、いかにも知恵のない話でございますが、やはり道路、あるいはボタ山、あるいは川、あるいは水といったような基盤関係、これはどうしても第一段の問題としてぜひ整備する必要があるのじゃないかということ。それから第一の段階と第二の段階のつなぎの問題といたしまして、このごろ言われておりますが、政府の機関、政府の機関についてかなり民間工場と同系のものもございます。それから並置工場は地盤の関係で困難だとしても、軽量工場ですとかなり大規模なものもつくられる。そして、この政府の機関を持ってくることが、それだけが目的なのではないのでして、それをきっかけといたしまして、関連の企業、関連の産業、これをつくっていく。特に炭鉱地帯は、機械工業その他についてこれまであまり大きな蓄積がございませんので、その点で意識的に関連企業を育成していく、これが第一の段階と第二の段階をつなぐもとになるのじゃないか。そして第二の段階の問題としては、おそらくそれは、現在筑豊の各市、あるいは長崎県の不況地帯にあります市や町の姿とは、かなりに違ったものになるべきなのじゃないか。位置からしましても若干違うであろうし、また、水の関係、山の関係、そういう点からいっても、全く面目を新たにしたもの、そういうものが必要になってくるのじゃないか。どうも抽象的で、お尋ねのずばりとはおよそ距離が遠いのでございますが、ごかんべん願います。 それから第二番目の離職者対策については、これは国会でも非常に理解を深められたようでございまして、できるだけのことをしたいということを各党申されておるようでけっこうでございますが、やはり具体的な問題になりますと、炭鉱失業者の性格は何かということが出て参ります。一体炭鉱失業者の位置をどう見るのか。これもほっておきますと、非常にまずいことになりまして、まあ死なない程度でいいのだというような、そういうような暴論も出てくるかもしれません。しかし、やはりこれまでの数年来の経過をたどって、一つは、国の合理化政策、あるいは広く日本の経済構造の変化の結果として起こってくる失業であり、しかも長期的な失業であり、しかも滞留的な失業であるという点で、やはり国の経済政策がこの一つの条件になっておるということは、これはこの際明確にしておく必要があるのじゃないかと考えます。もちろん、それ以外の失業者につきましても、本人の責めに帰すべき部分というのがどこまであるか、これは大いに疑問でございまして、今日の経済制度のもとでは、しょっちゅう本人の意に反し、また本人の責めとは別個に失業せしめられるという点もございます。その意味で失業者の処遇というのは、これは一般的には経済政策全体から出てくると思うのであって、従って、就業する権利、また生活する権利といったようなものを一般的にこれを確保する、保障するということが重要であろうかと考えます。しかしながら、それぞれの産業において現われてくる局面が違っております。従って、炭鉱失業者の場合には、十分ではなくても、前職収入、前収をあまり急激に下回ると、家族生活の解体、あるいは本人の労働能力や労働意欲の喪失といったようなことも起こって参りますので、私、その点で若干の高低があっても、だからといって、現在の失業者の中で非常にみじめな状況にある、あるいは半失業の状況で非常にみじめな賃金で働いておられる、こういう人たちと同列に持っていくのがいいのだという意見には、賛成いたしかねます。若干のでこぼこがあるだろうけれども、やはり炭鉱失業者について、この際国費をもって、あるいは地方自治体の努力をもってこの点をささえるということが、ある意味で政策のかなめになるのではないかというふうに考えております。 それから第三番目の、合理化政策であれ、あるいは炭鉱経営の今後であれ、いずれにしても労使関係、特に労使の間の協調関係が重要であるという御意見、御指摘でございますが、私もその点では異論はございません。いずれにいたしましても、経営者あるいは使用者と労働者の関係というのは、すべてがすべて信頼関係あるいは同調関係というものではない。しかしながら同時に、すべてこれは話し合ってもむだだ、すべてなぐり合いで解決するのだということも、これまた現実とはずいぶん距離があるわけであります。従って、そこには、経営者の側あるいは使用者の側の、いわばこれまでの慣習的な、あるいは歴史的なやり方がどうか、そして何をもっと近代的な、そして合理的な性格を持たすべきかという問題が一つと、それから合理化政策について、これはもう競争のために必要だし、また法律によってもいわれておるのだから、何をやってもあたりまえなんだということでは、これは労使の間にはなかなか信頼関係ができないのじゃないか。そこにはやはりこのような政策の結果として、お互いに犠牲がいろいろと分かたれますけれども、その犠牲に対する十分な理解というものがあるところとないところで、やはり一番基本的な違いが出てくるのではないかと思います。労働者及び労働運動の側についても、今の二点が同じように言えるのでありまして、労働者の慣習的な、歴史的な性格、これをやはりできるだけ近代的なものにお互いに高めていくということも、もちろん非常に大切であります。また、今日の合理化政策についての客観的な理解ということ、これを明確にするということも、これもまた重要であろうかと思うのであります。
○塚原委員長 正田公述人には、御多忙のところ長時間にわたり貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 以上をもちまして公聴会は終了いたしました。 なお、この際、委員各位に念のため申し上げますが、明日から分科会の審査に入りますから、御了承願います。 本日はこれにて散会いたします。 午後四時二十八分散会