文教委員会 第25号
- 発言数
- 81 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1963/06/14
会議録
○床次委員長 これより会議を開きます。 国立大学総長の任免、給与等の特例に関する法律案を議題といたします。 質疑の通告がありますので、これを許します。山中吾郎君。
○山中(吾)委員 大学総長の認証官給与の法案について御質問を申し上げたいわけでありますが、前の委員会において長谷川委員のほうから大臣に質問された中で、これは給与の改善を目的としてこの法案を提案しておるので、大学の管理の強化、大学管理法案とは無関係である、そういうふうにお答えになっておられるのですが、その点は間違いございませんか。
○荒木国務大臣 そのとおりでございます。この前の委員会でもお答え申し上げましたように、この認証官制度を御提案申すにつきましては、事の起こりは教員の給与そのものの一般的な程度がこれでいいかどうかということから端を発しました問題でありまして、大学の管理、運営などという課題とは全然別個のものでもありますと同時に、文部省内で論議しますその経過から申し上げましても、この前のお答えどおりでございまして、全然関係なしと申し上げ得ると思います。
○山中(吾)委員 そうしますと、この法案を行なうことによって憲法に保障されておる学問の自由、その裏づけである大学の自治というふうなことに対して、大学の自治に悪影響を与えるとか、それを狭めるというふうなことはないことを大臣はここで確約できますか。
○荒木国務大臣 そのとおりでございまして、私がここで確約申し上げるから初めて関係がなくなるんでなしに、この認証官制度それ自体は、全然別個の法体系のもとに御審議願う過程において国民全般が御理解いただく課題、その意味で関係ないと申し上げるのでございまして、私自身がここで関係ないと申し上げたから初めて関係がなくなるという課題ではない。その意味において関係なしと申し上げておるのであります。
○山中(吾)委員 非常に哲学的な御答弁でちょっとわからなくなったんですが、要するに関係ない。そこでお聞きしたいんですが、先般の文教委員会で私質問して、文部大臣の任免権の中に学長の拒否権はあるかないかという質問に対して、拒否権は現行法上もある。そして二、三回新聞にも発表されておられたんですが、現行法上文部大臣が大学の総長――これができれば総長になるんですが、学長に対する任免については拒否権があるということは、前の御答弁どおりにいまもお考えになっておられますか。
○荒木国務大臣 そのとおりに考えております。幾らか補足さしていただけば、もちろん大学における学問の自由あるいはそれに関連する大学の自治ということのゆえに、すでに御案内のごとく大学の管理機関の申し出に基づいて任免権を行使するという制度に相なっておるわけであります。したがいまして大学管理機関の申し出がないのに任免ということは、これは制度上あり得ない。拒否権ありといたしまして番、大学の管理機関の申し出についてノーと言う場合があり得るということであって、管理機関の申し出以外のものを拒否すると同時に任免するという権限は認められていない。同時に拒否権ありと申し上げる趣旨は、憲法第何条かをはっきり申し上げかねますが、憲法は国民が公務員を選定し、これを罷免する権利を保障いたしておるわけでございますが、もし拒否権なしとしますれば、主権者たる国民は選定しあるいはこれを罷免するという本来の基本的人権が行使される機会がなくなるという関連も考え合わせまして、結論的には現行法においても拒否権あり。しかし現実は拒否権が行使されたことはないようであります。
○山中(吾)委員 そうしますと、かりにこの法案が成立をした場合に、旧制帝国大学、そこの七大学の学長が総長になる。そうしてこの法案の第三条の「国立大学総長の任免は、内閣が行ない、」そうすると文部大臣のあなたの解釈、私はそう解釈していないんですよ。あなたの解釈では、拒否権を持っておるという、その任免権はどこに移るわけですか。
○荒木国務大臣 任免権はこの法案に関します限りは内閣に移るわけでございまして、いまお話しの拒否権の課題も内閣の課題として理解されることになる、かように思います。
○山中(吾)委員 そうすると内閣で拒否することができるということになると、内閣は閣議に付する場合についてその議を経るということは、各大臣全部の一致でなければならないと思うのですが、その点はどうなっておりますか。
○荒木国務大臣 それはこの任免の問題に限らず、内閣に付すべき問題と共通の課題であって、一致しなければ結論の出るものでないと私は理解します。
○山中(吾)委員 そうしますと十数名の大臣がおる、その中には教育に関係のない大臣は、文部大臣以外は全部である、一名でも反対をすればその内閣の議決というものは行なわれない。そういうことになりますと、これを認証官にすることによって大学の学長の任免についての拒否というものが十数名の人ができるということになると思う。その人の意見による、そのことは大学の自治を狭めることになりませんか。
○荒木国務大臣 そのレア・ケースをお取り上げになってそう言われれば、一見そう見えるわけですけれども、元来この認証官という手続をとりますゆえんのものが、教育者の国家的な評価というものをもっと高めるという手段として認証官といろ任命の方式をとるわけでございますから、文部大臣から任免権が内閣に移りますことは、それ自体任免を丁重に扱うということでこそあれ、拒否する機会がより多くなるとかあるいはことさら異を立てるということがあるはずがないという前提に立って、初めて任免手続を荘重にすると申しますか丁寧にするという本来の趣旨が生きるわけなものでございますから、御懸念のようなことはあり得ない、またあらしめてならないという課題であろうかと思います。
○山中(吾)委員 それは法律論にならぬと思うんですがね。あるべきではない、理念を訴えられておるだけなんです。政党の領袖である十数名が組織しておるところの内閣で、一名でも反対をすれば閣議が成立しない、そういう制度に持っていくことが丁重に取り上げることにしたということはくそ理屈じゃないですか。ことに文部大臣は教育基本法というものを執行する責任者であり、そうして文部大臣なるがゆえに、真理を探究するための学問の自由、大学の自治を守るという職責を持っておるがゆえに、その人にゆだねるということが、私はこの大学の管理機関によって選考された人を任命するという形ができておると思うのです。この法案において内閣に任免権を移したということは、十数名が一名拒否しても――法律論ですよ、拒否しても、これは拒否できる。大学の管理に関係ないと最初に長谷川委員に対してお答えになったから、私は疑問を持ってお聞きしておるわけです。明らかにこれはもう戦争前に幾多の前例があるのです。そこで幾らでもストップできる。一人の通産大臣の意見でもストップできるじゃないですか。その意味において、この法案は管理法に関係ない、給与の改善だけを考えておるというのはうそだ、確実にうそだ。それで大臣が、そうあるべきでない、丁重に取り扱う、それはあなたの気持ちだけを言っておるわけでありまして、この法律の構成についての論議にならないし、答えになっていない、私はそう思うのですが、いかがですか。
○荒木国務大臣 考え方としまして、任免権が文部大臣から内閣に移ることそのことが、大学管理の問題に関連を持たせるためのものであり、また持つのだという御見解は、私はちょっと理解しにくいのでございます。制度の上では検察、裁判官といえども、閣議決定を経て任免をする。またその場合といえども拒否権というものはあり得るというのが学者の通説のように伺っておりますが、だとしますならば、三権分立の理念から申しましても、大学の管理機関の進達しました案件が拒否されることがあるという前提に立つ限り、それが文部大臣でありましょうとも、閣議でございましょうとも、特にことさらなる拒否というものが起こるのだという説法で申し上げるべき筋合のものではない。あくまでも文部大臣としての良識に立って、全般的な判断のもとに、また教育プロパーの課題といたしましても、所管大臣である者と同じ良識を持って判断すべきもの、これは法律上当然要請される判断の内容だろうと私は思います。
○山中(吾)委員 これは幾らお聞きしても、それは文部大臣の気持ちを言っている。そうあるべきでないということをお答えになっておるだけなんです。法律的に、閣議決定によって認証官にして任命するということに変えられておるわけです。閣議は十数名の大臣ですから、非常に古い、非常に反動的な思想を持っておる人がおって、そうして、ある、その学長に就任する人が進歩的な思想を持っておるというときに、反対だと言ったら、もうその人の任用というものを押えることができるのじゃないですか。だから現行法において、文部大臣が拒否権があるという解釈は、あなたの場合一人なんです。荒木さん自身が良識を持っておればそれは危険がなくなるが、十数人が拒否権を持っておることになるのじゃないですか。そこで私は、大学管理とこの法案は関係ないというあなたの言うことはうそだ。しかも給与の関係も何もなくてこれをお出しになるということは、私は疑わざるを得ないので、本会議において私が反対質問をしたら、いろいろのことを勘ぐるのは能でないと私に答弁をされて、議長から、速記録から削るということになったのですが、そんなことじゃないですよ。私は少しも勘ぐってはいませんよ。この法律構成、その中にそこに持っていくということが、現実に、十数人で拒否権を持つということが法律的に可能になってきたということです。そのこうあるべきという論を幾ら聞いても、私はこれ以上審議を進めるわけにいかない。 そこで、もし――現行法は文部大臣に拒否権がないというならわかるのですよ。ないという解釈ならわかる。閣議に移っても形式的任命だというならわかる。厳然として文部大臣は拒否権があるとおっしゃっている。拒否権を持った閣議で任命ということになり、十数人に拒否権を拡大したということにならぬのですか。
○荒木国務大臣 閣議は閣議として一体をなしてむしろきまる機関だと思うのでございます。文部大臣に拒否権ありとする私の前提に立って考えましても、むしろ文部大臣だけで拒否権を行使する場合よりも、より慎重な結論が生まれ出ることが当然期待される本質を持っておるのじゃないか。文部大臣拒否権ありといたしまして拒否したことそのことは、全国民の目から見てそれが妥当であるという支持がないならば、その拒否をしました文部大臣の運用上の政治的責任は、主権者たる国民から糾弾さるべき課題として残ると思います。そのことは閣議でも同断でありまして、閣議そのものが同じように不当な判断を下してノーと言ったとするならば、その国民に対する、あるいは憲法の趣旨に対する責任というものはひとしく免れないという意味から申しまして、法理論として、より慎重な態度で拒否権というものが行使されることになる。単なる感じとか希望とかでなしに、制度論としてそういうものではなかろうか、そう思います。 なお、給与の体系もつけないでとおっしゃいますが、これは認証官の手続をとるものであるがゆえに、その職責の重大さに応じた、いわば高次の判断のもとにかくあるべしとする部分だけを添えまして審議を願っておるので、それ以外の認証官手続をとらない学長ないしは教授、助教授等、その他の教員もあわせまして、これは申し上げるまでもなく、人事院の個有の職権ないしは職責の範囲でございますから、ここでこの法案それ自体として御審議願うという形にはなり得ませんけれども、実質的には一連の関連を持ったその一部分として御理解いただけるものという考えのもとに御提案申しておるのであります。
○山中(吾)委員 大臣の御答弁ではこれは承服できません。だから明快な回答をいただかなければ、私はもうこれ以上審議をする余地はないわけですが、一応保留しておきます。 次に、天皇の認証という行為はどういう行為ですか。
○荒木国務大臣 憲法理論として十分自信を持ってお答えしかねる課題でもございますが、一応私なりに考えておりますのは、天皇の認証行為とは、ある事実について、天皇がその事実のあったことを確認し証明する国事行為だ、そういうものであろうかと思います。
○山中(吾)委員 事実の確認行為だ――そうすると、認証しない間は学長はその位置につけないわけですか、つけるのですか。
○荒木国務大臣 概念論としては、認証ということがなくても任命ということはあり得ると思います。ただ、一つの様式行為としての認証が伴うことによって完了する。その意味における任命の手続の慎重さが一つ加わっておる状態だ、こう思います。
○山中(吾)委員 あいまいでわからないのですが、認証がなければ学長の位置につけないかどうかということです。
○小林政府委員 憲法学説から申しますと、その点につきましては両説あるようでございまして、認証が効力発生の要件になるという考え方と、そうでなしに、効力は発生しておるんだが、その効力を一応完成するために権威づけるものなんだ、効力は認証がなくても発生しておるんだというふうにいわれておる学説があるようでございますが、従来政府としては、この認証は効力発生の要件とは考えずに、効力を一応完成させて権威を重からしめる。ですから認証がなくても効力そのものが免じておるというふうに、従来取り扱ってまいっております。
○山中(吾)委員 認証官にするのですから、認証しなければ認証官にならないのですから、天皇が認証しない場合には、一般の学長としてしか給与もやれない、そういうことになるわけですか。
○小林政府委員 これは法の規定に基づいて認証官になるわけでございまして、実際任免の認証は、要するに辞令書における天皇の親書御爾という関係でございますが、これがない――普通はないというようなことは考えられませんけれども、これは想像でございますが、仮定の問題としてもしそういうものが出てきたような場合でも、任命の効力は有効であると言われております。
○山中(吾)委員 どういうことになるのですか。給与もみなやれるわけですか。それから大学の総長としてその位置における権限行使は全部できるのですか。
○小林政府委員 任免と認証が一致して行なわれるというのが普通でございまして、それが行き違いになるというようなことは、実際問題として起こらぬと思います。起こらぬと思いますが、万一仮定といたしましてそういうことが起こっても、その任免は有効であるというふうに言われております。
○山中(吾)委員 有効であるということは、全部給与をもらえるし、権限行使もできるということなのか。結局条約は成立したけれども、国会が批准しないときには効力は停止しているというふうな意味なのか、効力は発生したが効力が停止しているということなのか、その点は局長の答えから出てこない。それはどっちです。わからなければこれも法制局に聞くから保留。
○小林政府委員 実際問題としてはそういうことは起こらぬと思いますけれども、(山中(吾)委員「起こらぬなんというのはだめだ」と呼ぶ)もし万一仮定の問題としてそういう事態ができましても、その任命は有効である。したがって、ただいまお尋ねの中にございましたような、たとえば学長として権限行使をする、あるいは給与の点、そういう点については認証官と同等の扱いを受けるということでございます。
○山中(吾)委員 それでよろしいですか。認証ということによって、また大学の自治を狭めてきておるじゃないかということを明確にしておきたいから聞いておるわけです。二つの説があるということの中に、政治的にどういうふうに、この法案が成立したあとどこへ解釈がいくかわからない。戦後大体文部省の解説は二変、三変しているじゃないですか。これも保留です。学説がたくさんあって、ここに権威解釈というのは下されない。文部大臣何かありますか。
○荒木国務大臣 先ほど政府委員からお答え申し上げました解釈に基づく具体例はないようでございますけれども、かりにそういうことがあった場合は、大学局長からお答え申し上げたとおりで、その解釈は政府としての統一解釈でございます。法制局とも相談をしました結論をいま政府委員から申し上げたわけでございます。
○山中(吾)委員 私は、法制局がそう言ったところで、現実に認証しないで、最高裁判所の長官にしても何にしても職務遂行はできないと思うのです。国民の象徴ということを第一条に書いて、そしてそのもとに第七条によって「天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に關する行爲を行ふ。」ということの中の第五号ですが、「國務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。」とあるので、何の効果もないというふうな解釈はどうもできそうにないと私は思う。そこで、文部大臣が一人だけ拒否権があったのを――これはあとで論議しますが、私はないと思うので、十数名の政党の領袖で構成するところの政党内閣の全員一致の閣議でなければ発令できないようにする。それは大学の学内の選挙、事実上選挙で就任できるという、長い間、日本の明治以来真理を探求する学者の良心において築き上げた大学の自治を三重、四重に、十重二十重に取り囲んで、そうして窒息せしめるという法的性格を持っておると私は思う。大学管理に何も関係がない――おかしいじゃないか。自民党の月報の中にも「大学認証官は大学の管理、改善のためにも資する」と書いてある。そういう中に、この法案は非常に政治的なものがあって、給与ということを口実にしておりますけれども、私は勘ぐるのじゃないが、客観的に、どこかこの法案というものが大学の自治を狭めていくところの意図を持っているのじゃないかと思う。私は、こうあるべきだという論議を、純粋に法律的な構成の中でいま論議をいたしているわけですが、この点について明確にならない限りにおいてはこの法案は通すべきじゃないと思う。これは悪法ですよ。 さらに、文部大臣はさっき拒否権がないということを言っておられるが、それについて、いつごろそういうふうに変えられたか。政治的にだんだん変えていくのだろうと思うのですが、そう簡単に変えられちゃ困る。これは国立国会図書館調査立法考査局から発行されている資料ですが、この資料の中で、大学教員の任命権者について、教育公務員特例法第十条「大学の学長、教員及び部局長の任用、免職、休職、復職、退職及び懲戒処分は、大学管理機関の申出に基いて、任命権者が行う。」という、これについての解釈について、天城、有倉両氏がコンメンタール、教育関係法について解釈を下している。それについて、大学の申し出によって文部大臣が任免するということの解釈を、「この「申出に基いて」というのは、既に述べたように「議に基き」と同意味に用いられているのであって、任命権者はこれに対して何ら拒否権をも有しないことは、個々の場合について繰り返し述べところである。」という解釈をしている。この教育公務員特例法をつくるときの文部省の解釈というのは、明らかに任命権は持っていない、形式的に任命するものであるという思想が疑問なくあったに違いない。政治的に変わってきている。荒木文部大臣が就任してからどうも変わったらしいですが、その点はいかがでしょう。
○荒木国務大臣 これは私がどう言ったからどうなるという問題でなくて、先刻も申し上げましたように、憲法第十五条は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、國民固有の権利である。」と、罷免権と選定権を憲法が保障しておる。基本的人権だと理解するのであります。そこで、一般の行政官の任免につきましては、大学管理機関などというものはむろんございませんことは申すまでもありません。大学の研究の自由とそれに関連する自治ということが慣行上現存しておりますがゆえに、そのことを受けて大学の管理機関の申し出に基づきということの制度を立てることによって慎重さを期しておることと理解いたします。その申し出に基づかずしての任免というものは制度上あり得ない。あくまでも基づいて任免というものが行なわれなければならない。現実問題として、ほとんどすべてに近いくらいのものが管理機関の良識に基づいて出てきております以上、ノーと言う機会はおそらく現実にはなかろうとは思いますが、法理論だけからいけば、いま申し上げました憲法第十五条の国民の基本的な権利として選定、罷免の権利を持っておることを制度上暢達することがなければならぬと思いますが、そのことはあくまでも国民にかわって、その国民の持ちます基本的人権たる選定及び罷免という行為が行なわれねばならぬことは申すまでもないことであろう。そうしますと、大学の管理機関というのは国民みずからが選んだものではない。国権の最高機関の構成員としての国会議員、特に衆議員の構成比率に従って、お説のとおり政党政治でございますから国会の承認を受けて内閣を組織する。そういう建て方のもとに、行政面におきましては主権者たる国民の権利である選定、罷免行為を最終的になすものは、法律上のことはすでに御指摘になりましたように、文部大臣が任免権を持ってそれを行使しろということに相なっておると思うのであります。したがって、繰り返し申し上げますが、大学なるがゆえに管理機関の申し出に基づかなければならない、そうでないならば行政長官たる文部大臣が申し出と別個の者を任免することは断じて許さない、あくまでも管理機関の申し出に基づく者でなければならぬ、そうして国民的立場において万に一つもノーと言わねばならないケースがあった場合にはノーと言うことがあり得るという概念を文部大臣に与えられました任免権の中に当然含まないならば、いわば国民の基本的人権の暢達される窓口がふさがれることになるであろう。その意味において文部大臣の任免権の中には、いま申し上げた趣旨において拒否権というものがあるはずだ、その解釈が私は憲法解釈上正しい、こう思うものでございます。このことはむろん私一個の立論ではなしに、中教審の答申の線もそのことを基本的には認めたいわゆる中央の機関というものをもう一つ設けて、拒否する場合においてもそのものについては慎重を期すべきであるという考え方に立っておる答申だと心得ているわけでございまして、単なる私の直感的な感じとは必ずしも考えていないわけであります。
○山中(吾)委員 中教審の部分はあとで局長から読んで下さい。 いま大臣が憲法十五条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」したがって国民の選挙によって選ばれたわれわれ国会議員が国会においてつくった法律によってだれが任命するということをきめれば、この十五条の趣旨に基づいて公務員を選定することは国民固有の権利であるということは、憲法に基づいてわれわれが議決したところの法律でだれが任命するかということをきめればそれでいいじゃないですか。そこで司法官については法律というものによって任免の規定をきめておる。大学の学長は行政官ではあるけれども、憲法上学問の自由という特別の保障された身分の国家公務員であるというところから、これに基づいて具体的な法律で大学の中においてその議決をしてあるいは選考して形式的に文部大臣がそれを任命する、ごうすればそれで国民固有のいわゆる任命という、十五条に基いてそのとおりしたということになると思うので、何か文部大臣は勘違いしているのじゃないですか。治外法権とかそんなことは少しもないじゃないですか。
○荒木国務大臣 そういう説があることは私も聞いてはおりますが、先刻申し上げましたように、いま御指摘のように、大学の管理機関が申し出たものは無条件に、一つの例外もなしに、そのとおりに任免が行なわれなければならないということではないと解すべきだと私は思います。先刻も申し上げましたように、基づかなければ任免ということはあり得ないのは当然でございますけれども、かりに任免について国民の基本的権利という立場から見て妥当でなかったということがあったといたしまして、それに対して主権者たる国民がその誤りを指摘し、その責任を追及する道は完全にとざされることに、お説のように解すればなるのじゃなかろうか。現実には万が一つのことであろうといたしましても、そのレア・ケースの妥当にあらざる結果については国は国民に責任を負わなければならない。国民はそれを追及する権利があるというのは当然のことだと思いますが、主権者がその不当さを追及する方法がない。言いかえれば大学の管理機関の申し出どうりであったそのことがいまのようなケースになったといたしまして、その不当を追及するという対象は、申し出どおりであるならば文部大臣に責任を負う実体があるはずがない。それが内閣でありましょうとも、理論は私は同断だと思うのでございます。したがってもし大学の管理機関の構成メンバーが国民によって選ばれるというものであるならば、これはまた別でございましょうけれども、あくまでも国民とのつながりにおける基本的人権に関する最終的責任というものは行政府にあり、本件につきましては文部大臣にある、こう理解すべきことは当然だと思います。その文部大臣が基本的人権に関する意味において国民に不当な場合の責任を負うという、その道を残されておくべきではなかろうか。その意味において第十五条との関連は私は重大だと理解するのであります。
○山中(吾)委員 それは常識論で法律論にならぬと思うのです。私の主観的な意見に述べてはいないのですよ。現在調査局長をしておる天城氏の一つの法解釈をここで出してみましょう。これは学校教育法の六十四条には「公立又は私立の大学は、文部大臣の所轄とする。」と書いてある。「所管」としないで「所轄」と書いてある。「一種の監督権を意味するが、第三四条にいう私立小学校に対する都道府県知事の「所管」権よりは、大学自治の原則を尊重してその関与する程度が弱いことを意味して所轄と称している。」といって、文部大臣の大学に対する関係を、この法文によって一つの解釈を一方に下しております。それから、教育公務員特例法の「学長及び部局長の採用並びに教員の採用及び昇任は、選考によるものとし、その選考は、大学管理機関が行う。」という条項を次に説明しておるわけなんです。そして、「教授会の議に基き」決定しという「議に基き」ということばの法律的解釈をこういうふうにしている。「「議に基づき」という意味は、法的拘束力をもつことを意味するのである。たとえば、教員の採用は、教授会の議に基づき学長が選考するということの意味は、」これは法的に拘束があるのだ。大学の学長の場合には御自身のことであるから申し出ると書いておる。議に基づくということについては、これはその拘束というように法律自身で拘束しておるので、文部大臣は、形式的任命権という法解釈を、全体の各種の法規定の中から、天城氏のこの解釈を精密な解釈のしかたによって出してきている。それで、あなたは、そうあるべきでということだけをおっしゃっておって、その法律の一つ一つに総合的に解釈を下されておられないのではないか。 大学の学長のことについては、こういうように書いてある。「この「申出に基いて」というのは、既に述べたように「議に基き」と同意味に用いられているのであって、任命権者はこれに対して何ら拒否権をも有しないことは、個々の場合について繰り返し述べたところである。」これはさっき読んだところです。全部を総合して確信を持った解釈を下してある。国民に国家公務員についての任命罷免の固有の権利があるということからは、文部大臣が任命しなければ筋が通らぬというのはおかしいのであって、国会によって議決した法律の規定に基づいてやれば、固有の権利といものが法律の形においてきめたということになる。何らそこに疑問がたいじゃないですか。そうして文部省設置法、国家公務員法、教育公務員特例法、全部の関係からこういう解釈を文部省の現在の調査局長が下しておるのですよ。それで、文部大臣は拒否権はある、前の宮地官房長も拒否権がある、そう国会で言っておるのですが、そんなかってな、あるかないかが文部省の中で二途に出るような解釈の中に、私は政治的なものがあると思う。もし拒否権があるということになってくると、今度は内閣の任命、それから天皇の認証ということになってまいりまして、これは戦争前の明治以来の大学総長の人事問題をさかのぼってみたときに、明らかに大学の学長というものは三段階の中に押えられていくというきわめて悪法になってくるのではないか。こういう法案について文部大臣は、大学の管理強化に何ら関係がない、大学の自治に無関係であるとお答えになっておることは、明らかに矛盾でしょう。これだけ私が言って、そうしてそうでないということは言えないのじゃないですか。だから、もっと大学の先生を優遇する、いい意味において権威を持たすというならば、文部大臣が直接天皇に申達して、天皇が認証する。あくまでも大学の中で議に付して、いわゆる選考して自主的に決定したものが、時の政権に何の関係もなしに、国民に対して天皇は日本国民統合の象徴というその性格に応じて、そういう政党の領袖で構成しておるところの内閣なんていうところに関係なしに、大学の管理機関が自主的にきめたものを天皇が認証するという、独特の、学者に応ずるようなものをお考えになるならば、私も相談に乗って検討してもいい。こんなばかな、内閣へ持っていって十重二十重に取り巻いていくような法案をつくって給与をよくするんだ、そうして大学の自治をさらに尊重するんだというのは筋が通らぬじゃないですか。そこで閣議の問題を含んで大学の管理と関係がないということを大臣は答えられないと私は思うのです。これは法律論ですから、中教審の答申なんて関係ないでしょう。
○荒木国務大臣 私の独断ではなしに、権威ある人々もそう言われておるという意味で中教審を引証したにとどまるのであって、むろん御指摘のように、法理論はそれ自体として究明さるべきことは理解いたすのであります。そこでいささかことばを返すようなことになりますが、先刻申し上げたことをもうちょっと簡単に繰り返させていただきますが、憲法十五条との関連というものは、これは当然のことであると思います。お説のように、大学の管理機関の申し出に基づいてそのまま一切の拒否というものは行なうべからずという内容で、管理機関の申し出に基づいての任免が行なわれねばならないといたしました場合、一体主権者たる国民は、大学の管理機関といえどもなま身の人間で構成されておるわけですから、万に一つの適当でない結論が出ないとは保証できない。これは理論的に保証があるとは言い得ないと思いますが、その万一であろうけれども、主権者たる国民の欲せざる適当としない結論が出て、そのとおりに任命された場合、主権者たる国民は、その不当性について何らそれを追及する責任を問う手段が残されない。ゼロである。いわば主権者たる国民が大学の管理機関の決定に盲従するということを意味する、こう申し上げても過言ではないと思うのであります。したがって、それは民主政治の基本線に立ち返って、主権者たる国民は、その政府の構成メンバーたる文部大臣が任免権を持っておる。その任免権のまれなる作用としての拒否ということによって主権者たる国民に責任を負うという道が開かれていないならば、私は憲法第十五条に違反するということになるのではないかと思うのであります。ですからこれは、この憲法それ自体の総合的判断の正しい結論は何だという課題でございましょう。私は憲法学者ではございませんから、最終的な自信をもってまでも申し上げかねることは当然でございますけれども、私の見るところでは、そう理解しなければ、民主政治というのは、大学の人事に関して、学長の選任について民主政治でなくなるのではなかろうか。したがって、まれにあるところのノーということを国民のために判断したといたしましても、その判断それ自体がまた国民から批判さるべき最終の段階として登場する。それがもし国民的な立場において、その拒否したことそのことが不当であるとするならば、国民はその拒否をした文部大臣を追及するということで、主権者の基本的人権の意思が疎通していく道がそこに開けておるのだ、こう解釈すべきものであり、それによって初めて民主主義というものが透徹する。もしそうでないならば大学管理機関の独裁におちいるという論理的な結論になるのじゃないかと思います。 なお、閣議に持っていけば非常に大学管理に影響をする、したがって政治的意図があるのじゃないかという意味の御指摘ですけれども、先刻お答えしたとおりでございまして、そういう意思は政府側にはむろんございません。また閣議なるがゆえに十数名の議が一致しなければならないということは御指摘のとおりでございますが、閣議そのものが文部大臣のときと同じように拒否する、それは良識を持って国民の負託にこたえる判断が要請されるので、もし一、二のノーと言う人があった場合、ノーということそれ自体が内閣として国民にこたえるゆえんにあらざる不当なノーであるならば、その国務大臣の首をすげかえてでも正しい判断に従わせるという国民に対する責任は、私は内閣にあると思うのであります。そういう意味で、たまたま法案提出が大学管理の問題と時期を同じくしたという偶然の一致はございますけれども、それを山中さんが指摘されておるとはむろん思いませんが、一般的にはそういうふうにとられる傾向はあったとは思いますものの、そんなことを離れまして、これだけとして大学管理の問題それ自体に影響を及ぼさんとする意図がどこにも私は法理論として発見できない。独任制の行政長官たる文部大臣と、内閣というそうでないものとの間の量的な比較は、御指摘のとおりとは思いますが、法律上意図します趣旨というものは何らそこに変わりがない、そういう問題だと私は心得ます。
○山中(吾)委員 これは一つの法律論ですから、主観は入れないで論議しているわけですが、とにかく文部大臣は拒否権がないとどうしても法理論的に成り立たぬという御主張なんですが、大学の学長その他の任免については、文部大臣の自由裁量で首は切れない、任命できぬというたてまえの現在の方向性だと私は言うのです。もし文部大臣が任用について拒否するというならば、国会において議決をした法律規矩にすべきである。現在の文部省設置法、それから大学管理に関する法律規定を見ると、それについては文部大臣がすげかえすることはできぬようにできておる、したがって文部大臣は、行政の自由裁量で学長の任免を拒否するのでないと、憲法の国民固有の任免権は筋が立たぬというのはおかしいのじゃないかと私は言っている。そうして天城氏か下条氏あたりの解釈の中にそれすっぱくなるほどいろいろな角度から書いてある。「大学管理機関の申出は、一つの地位について一人だけを任命権者に出すのであって、任命権者はこれに対し選択の余地や拒否権はないが、差し戻して形式要件の具備を注意することはできる。」こう書いてある。さらに「「申し出に基いて」とは、大学管理機関の申出により任命権者は法的に拘束せられ、拒否権をもたないことを意味するのである。同様の用例は、第四条第二項「当該学部の教授会の議に基き」、第二五条第一項第二号「協議会の議に基き学長」等において見られるが、ただ本条の場合は大学管理機関が単独機関たる学長であるため、「議に基き」と定めないで「申出」に基づきという文言を用いたものと解せられる。もっとも、申出が明白な形式的違法性をもつ場合には一応拒否しうると解する。以上の解釈は、「基き」という文理からいっても、大学自治の論理からいっても当然であると考える。」文部省の重要な機構の中にいる人の論説に、これほどあらゆる角度から言っているわけですよ。文部大臣が自主的に拒否する権限がなければ、憲法十五条の趣旨に違反するということはとこからも出てこないじゃないですか。そういう解釈の中に拒否権を主張されて、そうして天下に大きい影響を与えられておいて、それを今度は内閣に進達をする。進達するときに意見を付することもできるでしょう。引き延ばすこともできるでしょう。閣議ではまた長びく、そして先ほど申し上げたように、一人の大臣が反対をすれば、総理大臣は罷免権があるから、その大臣を罷免することしかあとに残っていない。内閣瓦壊か。そういう重大なことの中に、この特定の学長を任命するかどうかというようなものを入れ込んだらどうなるのです。さらに天皇の認証事項。これは効力発生条件と解する学者もあるのであって、憲法解釈ということがやはり出てきますよ。そういう方向性であるものを、単純に簡単に給与の改正が目的であると幾ら言っても、私は認めるわけにいかない。どうですか。こういう問答の中で文部大臣は少しも考え直すなどという気分にならないのですか。だから日本の国会というのはだめなのだ。出すなら出すで押し通すだけだ。それならわれわれも何のために国会に来ているのかわからぬ。この点については、法制局あるいは人事院の国家公務員に対する責任ある官庁があるのですから、その人たちの意見をもっと聞かなければならぬと思うのです。そこまで一方的な解釈を進めておかれてあとへあとへわけのわからぬ法案をお出しになることはまことに遺憾だと思う。 次にお聞きしておきたいと思うのですが、何がゆえに旧制七大学だけの学長を認証官にしたか。これはあるいは何回もこれから質疑の中に問答が出ると思いますが、まずこの点を聞いておきます。
○小林政府委員 現在国立の大学は、御承知のように七十二あるわけでございますが、この法案に列記してございます。この大学は、御承知のように、その大学の学部構成といたしまして、人文、社会、自然の各学問の分野にわたってそれぞれ学部を有する規模の大きい大学でございます。と同時に、それぞれの学部の上に博士課程の大学院を持ってい実学でございまして、その規模から申しましても他の大学とは隔絶したものがあるわけでございまして、その管理運営の責任者としての学長は、他の学長の職責に比してきわめて大きいものがあるわけでございます。そういう点を考えましたのと、なお、御承知のように、これらは沿革的に申せば旧制の帝国大学でございまして、戦争中あるいは戦前におきましても、その学長の待遇は他と別個の格づけをされておりましたような関係もございまして、この七つの大学についてまず認証官の制度を適用するのが妥当であろうというふうに考えたわけでございます。
○山中(吾)委員 大学の学者に対する評価は、学問的業績によって評価をしないと、真理を探究する大学の振興は不可能である。それを、学業的業績にかかわらず特定の大学学長に就任した者を認証官にし、給与を上げるという制度、あり方は、行政官庁ならわかるのですよ。大学にそういうことをして、大学の振興になりますか。これは文部大臣にお聞きします。
○荒木国務大臣 私は、その点は、お説ではありますが、矛盾しないと思います。大学の学長というのは行政長官であることは間違いない。学者を兼ねている人という意味において実質的な違いはあるかもしれませんが、形式論で言うならば、大学の学長というのは行政官、大学という有機体の長としての、いわば大学行政長官だと言っても過言でない地位だと思うのであります。したがって、他の類例についても言われますと同様の考え方に立って、いま政府委員から申し上げましたように、七つの大学ば人文、社会、自然の各部門にわたっての学部があり、その学部に全部博士課程があるという機構上の相違がありますと同時に、そのことは内容的にも、いま御指摘のように、学問的な、教育的な立場におきましても、国家的評価は高かるべきものであり、その責任者たる者は職責が重大だという考え方に立ちまして、任命の手続を他の者と差別をするということによって、ひいてはまた給与の関係についても何がしかの特例を考えるということによって、その職責の重大さに応じよう、こういう考え方でございます。
○山中(吾)委員 大学の振興のためということとの結びつけば、大学の振興にならないので、文部大臣がいま言ったのは、行政官庁だから、それで権威を高めるのだ。権威を高めることで、学問の研究、そういうのはどうして生まれてくるのですか。生まれてきますか。
○荒木国務大臣 学問の権威を高めるということはそれ自体の問題であって、行政機構として制度づけられております大学という有機体の責任者たる大学の学長の地位そのものと、すべてが一致して考えらるべき課題ではないと思うのであります。それとこれは別個の問題である。学問研究の充実というのは、学長のいかんにかかわらず、それぞれにあるべき課題だと存じます。
○山中(吾)委員 それじゃ国会における総理大臣の施政演説その他みなうそですね。大学の振興のために認証官を置くというのは何かに書いてありますよ。別個ですか。読みまし上うか。大学の振興のために認証官制度を置くと、堂々と池田総理大臣が施政方針演説で述べているのです。戦前においても、ああいう植物の世界的な学者である牧野博士が五十近くになるまで講師でおったとか、たとえば現に湯川博士という学問的実績のある人とか、そういう人の学問的実績において国家的栄誉とか何かを与えるというのなら学問の振興になる。そうでなくて、行政官庁化して何が学問の振興になります。しかも、全国の新制大学の中で、その大学の学者の中から生まれてきた学長ですから、すべての学者がこれを認める、たとえば学術会議において、この人はそれに値する人だとか、そういう推薦の中で出てくるならば、それは学問は振興すると思うのですが、大臣のお考えは、大学の官庁化をはかっても学問の振興を阻止するという論旨にしかならないと思うのですが、いかがですか。
○荒木国務大臣 学長という地位が公務員法上の課題として何だということを中心にお答え申し上げたのであります。大学の学長がいま申し上げたとおり大学という国家機関の長であって、行政官の地位を持つ、これは概念論としては私は通説だと思うのであります。その学長についての認証官手続のことでございますから、先ほど来のことを申し上げたのでありまして、その必然的な関連を持った効果として、学問の振興あるいは学術の振興につながるということは、これは総理大臣の説明等におきましても言っておりますように、これはまた当然の別個の問題で、それをその角度からあわせて申し上げれば一番完全だと思いますが、学長とは一体何だという事柄の御質問でございますから、その部分についてのみ申し上げただけであります。
○山中(吾)委員 教授会の中から選考されてくる学長という、日本の学長が生まれてくる選考手続から見て、やはり学問的業績のすぐれた人が評価をされて学長になるという、そういう実態は無視されて別個だとおっしゃることは、私は問題をそらしていると思います。そのために、日本の長い伝統の中に、日本独得の学長というのが生まれてきておるのじゃないですか。そうして、日本の場合には、任期が終わると、学長をやめたらまた教授に戻るのですよ。教授に戻ってまた学問の研究に入る人です。学部長でもそうじゃないですか。学問的業績というものを評価の基準としないで、認証官とか何かでどうして学問が発達するのです。ここで七つの大学に限定するということはなお私はいかぬと思うのです。新制大学、旧制大学を含んで平等に考えるべきもので、大学院があるかないかということでいくのは、いわゆる学者に対する対策としては、これは学問を後退させるような対策になることはわかっても、いま大臣がおっしゃるようなことにはならないと思う。別個の問題として考えておるといっても、選考過程というのは、学者の中で人望のある人が選ばれてくるという実態があるのですよ。文部大臣はいろいろと理屈をおっしゃっても――私が何か言うと勘ぐると言うけれども、勘ぐるようになっているじゃないですか。どこからそういう着想が出だのか、ほんとうのところを一ぺん話してください。給与給与と言いますけれども、そうじゃないのじゃないですか。
○荒木国務大臣 いまの点は、先刻申し上げたところですべて尽くしているようにも思いますが、先ほどすぐ前のお答えで申し上げましたように、学長が行政官であることは間違いない。ただ、その学長が他の公務員と違って、学者が管理機関によって選ばれて、学者の中からいまお話しのとおり人望のある人が選ばれる。それに基づいて任命される地位が学長であるということは法律そのものでございますから、格別それに触れなかっただけでありまして、学長とは何ぞやという点だけをとって申し上げれば、学長というのは学者そのものではない、学者から選ばれた人ではあるけれども、学長は行政官だ、そういうことを申し上げたわけであります。 給与の問題は、私どもの考えによれば、いま申し上げたとおり、規模も内容も膨大であり、また複雑でもあるという行政機構としての大学、その責任者であるところの特色をとらえまして、認証官という慎重な手続でその学長の国家的評価を高めるということが第一次の目標であり、そのためには他のたとえば検察官における認証官制度等の実例からもその職にならざるを得ませんので、概念論そのままではすべてを御説明をいたしかねますけれども、給与にいたしましても認証官手続を経て任命される人は、そうでない者よりも給与上職責の重大さに応じて高く評価される。そういう考え方で現在のすべての制度ができ上がっておりますので、その例にならって給与にも特別の考慮を払うという内容の法案の御審議を願っておる、こういうことを申し上げたのであります。学長が学者から選ばれる、文部教官と名づける地位の者から選ばれるという意味では御指摘のとおりでございます。
○山中(吾)委員 学長は任期制ですから、終わればまた教授に戻る。行政官というのは学長に就任している二、三年の間だけで、終わればまた学者に戻る。大臣の解釈はこういう解釈ですか。
○荒木国務大臣 まあまあ御指摘のとおりと思います。
○山中(吾)委員 そこで総務長官だ何だというずっと本来の学問的な特別の性格を持っていない者と同じように取り扱っていくということに、学問の振興以外の何か暗い目的を持っているように考えるわけです。認証官にしなければ待遇改善はできないということを何回かおっしゃっておられる、どうしてできないのです。
○荒木国務大臣 概念論としては断定的には申し上げかねる点かとも思います。認証官の手続を経て任命する官職の者が、いまの公務員法上の取り扱いとしてそうでない者よりも給与の点においても優遇されておる現実の例にならう、そのならうことによって初めて一般的な給与改善のチャンスも到来するというのが現実の問題でございます。むろん認証官任命の手続を経ませんでも、概念的には御指摘のように、いかようともというわけではございませんが、人事院の立場において勧告する事柄ではあろうと思います。しかし実際問題としてそれだけに期待するということもいかがであろう。同時に毎度申し上げておりますように、教職員に対する国家的、社会的な評価を高めるという一つの目的もございますから、それが給与の実例に徴しましても、給与面における優遇措置を講ずるゆえんでもあり、あわせて一本の考え方で御提案を申し上げておる、こう申し上ぐべきと思います。
○山中(吾)委員 いままでの大臣のお話は、認証官にしないと給与を改善できないんだということを何回か話をされておるのですよ。いまの答弁と少し違うと思うのです。
○荒木国務大臣 ことばは違っておるか知れませんが、趣旨は同じだという考え方でお答えを申し上げておるのであります。さっきのお尋ねは、制度というか法理論的に認証官の任命の手続をしなければ給与の優遇ができないかという御質問のようでございました。しかしその点は、認証官手続を経る形にしないと絶対できませんとは申し上げかねますから、概念論としては人事院の考え方にまつべき課題としてあり得るとは思いますけれども、現実問題としてはこの前の委員会で人事院からも答弁がなされておりますように、教職員に対する国家的、社会的、全面的な評価がえという角度から問題を取り上げます場合、人事院のいまの機能からは当然には出てこない。もっと高い次元の課題として、国権の最高機関である国会において御判断を願って格づけさるべき課題だ――そのとおりのことばはもちろん申しておりませんけれども、問題としてはそういう次元の高さから導き出される評価がえである、ということだとしまするならば、こういう御審議願っておるやり方を契機としまして、初めて教職員に対する国家的評価というものが創設される。いままでの評価は低過ぎたからもっと高くすべきだという国民の意思がそこに確定するという、課題としては私はいまはこのほかには方法がないであろう、こういう意味合いから認証官の制度を立てませんと、特に優遇するということは事実問題として困難だ、そういう意味でいま御指摘のようなことを以前に申し上げたことありせば、そういう趣旨で申し上げておるのでありますし、今日初めからいままでのお答えにつきましても同じ考え方を念頭に置いてお答えしておるつもりでございます。
○山中(吾)委員 それでは、この法案をお出しになる前に人事院と折衝して、どうしてもこれでなければできないというふうなことで出されたのか、いわゆる人事院に対して努力をされてこの法案を出されたのか、どうですか。本来給与に関する直接の責任官庁は人事院ですから、文部大臣が給与に関する法案を先ばしってお出しになるということは例外中の例外です。人事院との最善の努力をされたあとに出されておるのかどうですか、どうしても具体的にこれでなければならぬという人事院の意向が出たわけですか。
○荒木国務大臣 そのお尋ねに対しましては、十分に相談をして人事院から明確な意思が出たのかというお尋ねだとしますると、形式的にはそうは申し上げかねるかと思います。実際の問題として、いまのお尋ねとはそれますけれども、ここで申し上げることを許されるならば、「昨年の春ごろから人事院総裁とは前後三回ほどお目にかかりまして、先ほど来お答えしておる立場に立ってそういう課題として事実上の御相談は」たことがございます。その三回の会談を通じての結論的な姿が、いま御審議願っておる内容のものだということだけは申し上げ得ると思います。しかしそれは公文書をもって照会し公文書をもって人事院の最終的な意見を聞かしてもらってやったことではございませんから、いま申し上げたことを根拠に――お尋ねに対するお答えとしてはむろん形式的には十分でない点があることは御理解をいただきたいと思います。事実問題を申し上げれば以上のとおりであります。ただしこの法案を出すにつきまして、政府側と人事院側との意見の交換というものは行ないました。この法案そのものについても人事院の立場から同感の意を表してもらってはおります。
○床次委員長 関連質問の申し出がありますから、これを許します。村山喜一君。
○村山委員 三月十九日の内閣委員会で、外務省の湯川官房長が、認証官の問題についてこういうふうな答弁をいたしているのであります。認証官だから給与を高くしなければならないとは考えていない――御承知のように外務省の大使、公使の一号俸というのはたしか九万六千円だったと思います。そういうような低い給与で認証官というものはっとまるのかという話が出たときに、認証官だから給与を高くしなければならないとは考えていない、国を代表していく者は、その任命について認証という一つの丁寧な手続を踏むということを考えているにすぎないのだ、こういうふうな答弁をいたしておるのであります。なお、一般職を対象にした給与担当の国務大臣は大橋労働大臣ということに相なっておるようでございます。この国立大学総長の給与は認証官になりましても、これはやはり一般職に変わりはない、こういう状況でございますので、私がここで関連してお尋ねをいたしたいのは、認証官にしなければ給与が改善をされない、こういうような話をずっとわれわれはいままでも聞いておったのでありますが、認証官にしたから給与をよくしなければならないという理論はあり得ない。こういうことからいった場合には、大臣がいままで言われていることとだいぶ趣が変わってきているのじゃないか。この点が第一点であります。 第二点に私がお尋ねいたしたいのは、一般職の対象であるとするならば、これは当然総理府の公務員制度調査室、そして総務長官、それから総務長官がいま国務大臣ではございませんので担当の国務大臣である大橋さん、こういうような人たちと十分に相談をし、一般職の公務員の場合には人事院との関係が当然出てまいりますから、そういうようなところとどういう連絡をとられたのか。いま人事院総裁との話し合いは三回なされたということをお聞きいたしましたので、大橋国務大臣あるいは総務長官との話し合いはどういうふうになされるのか、この際お伺いしておきたい。
○荒木国務大臣 認証官の手続をとる任命そのものは、給与が当然高からねばならないという給与面からします当然の理論があるということも私はむろん承知いたしませんが、そういうことを離れて、現実の実例は検察官につきまして、認証官なるがゆえにといえるかどうかは別といたしまして、認証官の手続をとって任命するという慎重な扱いがなされております。この認証官にすべき第一のねらいと申しますか、理由は、先ほど来たびたび申し上げておりますように、教職にある者に対する国家的、社会的な評価というものが戦前戦後を比較しただけでもいまの姿が妥当であるとは私はどうしても思われない。したがってその国家的評価というものを、単に俸給のみを申し上げる意味ではございませんけれども、同じ公務員の中でも特殊の使命を持った官職であるがゆえにもっと高く位置づけさるべきだ、評価さるべきだということから認証官という手続を経て任命することにいたしたい。そのことは実例から申し上げますと、検察官の場合は認証官の手続を経た者はそうでない者よりも、そういう認証官の手続を経る地位の者がいない他の官職よりも給与面でも高く位置づけされておるのが実例でございます。そこで、現実問題としてはその二つ申し上げましたが、あわせて考えまして御審議を願う案をつくったような次第でございます。 労働大臣その他とどういう連絡をしたかというお尋ねでございますが、このことは給与体系そのものではございませんので、いま申し上げた認証官手続を径るところの官職の給与は特別職の例によるという法律の規定もございますように、そういう姿ですでに前例もできておる、それにならわんとすることでございますために、給与全般の問題として取り上げての角度から給与担当大臣と特に相談をしたことはございません。むろん閣議で了解を得たということではございますが、人事院と同じような段階を径まして実質的な相談をしたということはないことをお答え申し上げます。
○村山委員 あとでまた私は質問をいたしたいと思いますが、いま、一般職でない、特別職に準じてやることになっておるというお話でありますので、では、特別職の給与は大蔵省が担当することになっている。大蔵省のほうとどういうふうな御相談をなさいましたか。
○小林政府委員 大臣の答弁に補足して申し上げますと、公務員制度調査室並びに人事院等とは、制度の構想につきまして、また法案の作成の段階におきまして十分接触いたしまして了承を得ておるわけでございます。なお、これは当然国の予算あるいは財政にも関係してまいりますので、大蔵省とも給与の額等については折衝をいたしまして了承を得ておるわけでございます。
○谷口委員 関連して。先ほど大臣と山中委員との間で、文部大臣の権限ないし主管事務の範囲について御論議がございましたので、それに関連して一点だけ簡単にお尋ねしておきたいと思います。 文部大臣は過去三年にわたって日教組との中央交渉に応じないという態度をとってきたのであります。これは大臣の信念として日教組のようなああいう団体とは会う必要がないという意味でしょうか、それとも大臣の権限ないしは主管事務の範囲外のことになるというので会わないというようにおっしゃるのでしょうか、そこのところをお尋ねしておきたい。
○荒木国務大臣 いまの法律のたてまえからいきまして、団体交渉をする立場にはお互いがない。それを乗り越えて団体交渉をやることは法律違反だ、だから団体交渉には応じない、こういうことであります。
○谷口委員 ILO条約の問題につきまして関係法案を政府はお出しになった。これに関連して自民党の幹部の方と社会党、総評の幹部の方との間にこの問題について話し合いができまして……
○床次委員長 谷口君に申し上げますが、関連性がなければあとにしていただきたいと思います。関連質問の申し出ですから関連した質問をお願いいたします。
○谷口委員 この法律を改正して職員団体と国とが勤務条件その他について話し合いの道が開けるように改正するという妥結がなっておると伺っておりますが、大臣御承知ですか。
○荒木国務大臣 新聞で見た以外、存じません。
○床次委員長 谷口さんに申し上げますが、御質問は山中委員の質疑に直接関連しておるとは思われませんので、あとで谷口委員の質疑はまたお申し込みをいただきまして、関連質問としては適当でないと考えますので、いまの御質問ならば……。
○谷口委員 これに関連して権限の問題について伺っておるわけでありますから、もうすぐです。 大臣は知らないとおっしゃった、新聞記事を見ただけだとおっしゃった意味は、そういう話し合いのあることを文部大臣として御承知ないという意味でしょうか、政府も御承知ないという意味でしょうか、どうでしょうか。
○荒木国務大臣 あれは、政府案はすでに御承知のとおり出ておりまして、あの政府案こそが最もよきものなりという考え方に立って政府は御提案申し上げておる、そのこと以外私の念頭にない。したがって、新聞記事はむろん見ますけれども、それは社会面の記事と同じ意味で拝見いたしているにすぎないということを申し上げたわけであります。また、国会の問題となっておりますときに、与党、野党間にいろいろお話があることを政府側としていろいろ立ち入って、いま御質問に答え得るようなことを努力せねばならぬと私は思わないから、新聞記事以上存じません。また事実存じないのであります。
○床次委員長 それでは山中委員、ひとつ引き続きお願いいたしましょうか。
○谷口委員 もうおしまいになりますが……。
○床次委員長 これは先ほど関連のお話があったから申し上げたのですけれども、関連質問の範囲を越えていますから……。
○谷口委員 それでは、この問題は別の機会を……。
○床次委員長 もちろん、別の機会に……。
○谷口委員 とにかく大臣は御存じないということだけおっしゃったことは事実でありますから、わかりました。別の機会に……。
○山中(吾)委員 もう、保留いたします。あと、人事院とか関係者が来ないと私の答弁にならないので保留しますが、大臣に給与のことをお聞きしておきたいのですけれども、この認証官にしないとどうも給与が上げられないという理由に、国会議員の給与が国家公務員の最高にするという一つのもとの規定があって、それ以上の十八万円にするということは不可能である。そういうものさえなければ、こういう認証官にしなくても十八万までは上げられるということが、人事院との関係において話があったはずであり、私は聞いておるのです。もう国会議員は上がっているのですから、こういう認証官というふうな大学の差別待遇をして、そして真理を探求する大学をますます行政官庁化していく、権威に近づけていく、政治に近づけていくということを、これは必要悪から大臣は考えられたのだろうと私は善意に解釈しておるが、もうそういう必要はなくなってきているのじゃないですか。そしてあの偉大なる学者をちょっぴり上げて十八万。もっと上げられないのですか。だから、この法案の提案の理由は喪失していると思う。いかがですか。
○荒木国務大臣 これは先刻もお答え申し上げましたが、教職員に対する国家的、社会的評価というのは、実質的には給与がそれを物語るとむろん言えますけれども、それ以前に、教職員というものは公務員とは質を異にする、いわば、俗にいえば就職して以来やめまするまで懸命の努力をしなければならぬという意味では、他の官職も同様であるとしましても、いわばつぶしがきかない、教育の場に専念してもらうことによって初めてその職責が国民的に期待できるところまでいってもらえるものだ、そういう意味において、教職員というものの国家的、社会的評価を具象化する方法としましては、一応最高のレベルと考えられる大学の学長の任命そのものからして、最も慎重な丁寧な任命方式をとることによって、国民のそれに対する国家的、社会的評価を意思表示してもらう、そのことは特別職、一般職の違いはありましょうとも、共通の観念だろうと思うわけでありまして、それを大学の学長というところに求めて、教職一般に対する国民的評価がえをしてもらいたい。そのことはまた、先刻も申し上げましたように、実例としては、検察官の例を見まする場合に、給与についても特別の考慮が現に国会の意思を裏づけとしまして体系づけられ、前例として存在する、そのことをあわせ考えまして提案したことであります。
○山中(吾)委員 半年くらいの間に大臣の答弁はだいぶ変わってきている。認証官にすることがだんだん目的になってきている。いままでは、給与を上げるにはどうしても認証官にしなければならぬということだけが理屈だった。すでに国会議員が十八万何ぼになれば、これを十八万にすることは人事院の立場から聞いても当然できると思う。ところがいまは認証官にすることが目的だということを言われておるが、当然考えが変わってきている。それはおかしいじゃないですか。変わってきたと思っていないですか。いままでずっとあとを調べると、だんだん変わってきていると思う。どうしても給与を改善するのにはということを何回か言っているはずです。いま一度聞いておきます。
○荒木国務大臣 提案理由で国会で御説明申し上げたことが理由であります。むろん、いま御指摘のようなことを申し上げた記憶はまざまざといまでも持っております。しかしそのことは、現実問題だけをとってその給与の面だけを考えた場合にそういう関連性もあるということを申し上げたのでありまして、いやしくも認証官制度を創設しようとします限りにおいては、それ自体の趣旨弁明は当然必要でもあるしいたしますから、提案理由で申し上げたのであります。提案理由というようなことを開き直っていままで申し上げたことがございませんので、いま申した第一の点に認証官制度それ自体について申し上げる機会がなかったというにとどまるのでございまして、何も節を変えるとかそういうこととは私も意識もしませんし、理論的にもそうあるべきものではない、かように思います。
○山中(吾)委員 まあお聞きしておきますが、待遇改善をとにかくしたいということを力説されてきたことは間違いない。そして大学においては、実は学長自身は、ほんとうに研究するところの教授、助教授を上げてほしいと学者の良心から言っておることは間違いない。そして現在国会議員の給与が上がったのであるから、もう法制的に支障がなくなった。この法案を撤回をして、教授、助教授みな一緒にやれるようになってきているのですから、すでにこういう法案をわざわざ出す必要がなくなってきているのではないですか。しかも認証官というのはいわゆる旧帝大だけにして、東京と京都だけを十八万にして、ほかは十六万、こういう差別的なまずい内容になっておるのだから、これはお出しになる必要はないと私は考える。国会もわれわれもこぞって文部大臣を応援して、教授、助教授、助手まで最高十八万円まで持っていけるのだから、われわれは全力をあげて大学の振興のためにやりますよ。認証官にしなければならぬ理由はなくなっているじゃないですか。しかも京都大学と東京大学――こう言うとまた大臣は何だ言うけれども、池田総理大臣も京都、荒木文相も京都、田中政務次官も京都、木田総務課長も京都、あそこまで十八万円にして東北大学その他を十六万円にするなんというまずい法案をなぜお出しになるのです。もう給与を改善するという法制的障害はなくなっておるのだから、われわれ与野党一緒にあらゆる努力を払いますよ。このまずい法案を無理にお出しになる必要はない。そういうことを出したことによって荒木文部大臣がどれだけ名誉が高まるのです。しかも本音は、東京の大学でも京都の平沢学長だって、消極的にやむを得ず、文部省からなだめられて、消極的賛成あるいは反対しないという程度であることは間違いない。これは東京大学の若い助手、助教授の人々が、去る五月十八日に文部省大臣官房安達人事課長に一時間ほどこの法案について陳情した。それに対していろいろと書いておりますけれども、教官の待遇を言うならば中級以下も一緒にやらなければとても学問の振興にならぬということをいろいろと陳情したに対して、組合が認証官に協力しないなら他の待遇改善はやれない、こういう暴言まで吐いてきている。そういうふうな中に無理押しにこの法案があるのであって、決して日本の真理を探求する良心的な若い教授、助教授というものにプラスになりませんよ。ほんとうに研究をして一生懸命にやっておるのは、そういう若い中堅教授、助教授だと思うのです。もっと生活が安定して喜んで学問の探求ができるようにしてやるということが目的なので、もうできるのです。そうでしょう。障害は少しもないじゃないですか。だからこの法案の審議については与野党よく検討してやるべきだ。これは間違いなく、国会議員が十三万何ぼのとき、これ以上上げることはできぬということからきていることは明らかだ。すでにできておるのですから、こういう無理をなさらないで、しかもこれは少しも日本全体の学者にプラスにならない。学閥をつくるだけである。それで、良心的な学者は、研究の能力のなくなった老朽の教授は目をつぶっても、真理の探求のために配意するのが学者的の良心だということを学内でみな言っておる。大学の学長についても、在職中に、いわゆる学長手当という在職手当を出されることは喜んで賛成するが、こういう階級、階層的なものをつくられては困るということも、良心的な人はすっぱく言っております。これが私はほんとうの真相だと思う。この点について、私は、人事院の人々の意見も聞かなければならぬ、最初の法制局の意見も拒否権について聞かなければならぬ、天城調査局長にも聞かなければならぬ。そういうことを含んで私はこの法案というものを真剣に論議をして、文部省として大学の改善をしようということが本気ならば、この法案についてはまじめに出発点から再検討する。そうしてこの国会開会中に審議を再び始めていくというようにしてもらわなければ、最初の法案を考えたときの条件と条件が変わっておる。それだけを申し上げて私はきょうの質問を保留しておきます。
○床次委員長 本日はこの程度にとどめ、引き続き理事会を開会することとして、これにて散会いたします。 午後一時十六分散会