文教委員会 第24号
- 発言数
- 120 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1963/06/12
会議録
○床次委員長 これより会議を開きます。 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律及び市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案を議題とし、政府より提案理由の説明を求めます。 —————————————
○床次委員長 荒木文部大臣。
○荒木国務大臣 今回、政府から提出いたしました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律及び市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 現行の標準法は、昭和三十三年に制定され、同法のもとで、翌三十四年からの五カ年計画により、公立義務教育諸学校のいわゆるすし詰め学級の解消を進めてまいりましたが、昭和三十八年度においてこの五カ年計画は完了し、すし詰学級は、一応の解消を見たのであります。今後は、その成果を基盤とし、教育効果のより一そうの向上を目ざして、義務教育の充実を進める必要があります。このためには、昭和三十九年度以降における学級編制の標準について新たな目標を示し、計画的に、その改善をはかりたいと考えるのであります。 さらに先般、義務教育諸学校の教育課程について大幅な改訂を行ない、小学校については昭和三十六年から、中学校については昭和三十七年から、それぞれ全面的に実施いたしておりますが、その適切な運用を期するため、必要な教職員が確保できるよう教職員定数の標準につきまして改善を加える必要があります。 なお、今後数年間にわたって、児童生徒数が急激に減少するという事態が生じてまいりますので、現行法に定める標準のまま推移いたしますと、教職員定数の大幅な減少が予想され、今後の人事行政に重大な支障を生ずるおそれがあり、この点も十分考慮に入れ、ここに学級編制と教職員定数の新たな標準を定めるため、この法律案を提出いたしたのであります。 次に法律案の内容について御説明いたします。まず第一は、学級編制に関する標準の改善であります。すなわち、現行法における一学級五十人の標準を四十五人にするとともに、複式学級、単級学級につきましても、それぞれ標準を改めることといたしたのであります。なお、この際、特殊教育の普及に伴って養護学校につきましても必要な規定を設けることといたしました。 第二は、教員定数に関する算定標準の改善であります。すなわち、新教育課程の完全実施にともなって、新たに道徳及び技術・家庭科が新設され、さらに教育内容の充実のために授業時間数を増加いたしたので、これに必要な教員数を確保できるよう、教員定数の算定標準を改めることといたしたのであります。 第三に、以上のような改善と並行して、養護教員及び事務職員の増員をはかることとし、これらの職員の定数の算定標準を改めることといたしました。 第四は、経過措置についてであります。 この法律案は昭和三十九年度から実施することにいたしておりますが、まず、学級編制の標準につきましては、児童生徒数の減少及び学校施設の状況を考慮しつつ、五年後には一学級四十五人の目標に到達できるようその間の必要な経過措置について政令で定めることといたしました。また、教職員定数の標準につきましても、同様に、五年間に漸次改善をはかることといたしております。なお、この場合において問題となりますのは、児童生徒数の減少が必ずしも全国一律ではなく、その減少の傾向が特に著しい県があること及び現に相当数の定数を上廻る教職員を擁している府県があることであります。前者につきましては、一般の府県と同様の扱いをいたしますと、教職員定数の急減によって混乱を生ずることも予想されますので、事情に応じて昭和四十五年三月三十一日までに漸次定数を減少させることができるよう配慮することといたしました。また、後者につきましては、法律の施行と同時に定数を上回る教職員を認めないことにいたしますと、同じような混乱を生ずることになりますので、その程度に応じて昭和四十三年三月三十一日までに漸滅できるよう特別の配慮をいたしております。 最後に事務職員の充実と関連して市町村立学校職員給与負担法の一部を改正いたしました。すなわち、現在吏員相当の者に限られている義務教育諸学校の県費負担事務職員の資格の制限を緩和し、その確保に遺憾なきを期すことといたしたのであります。 以上が、この法律案を提出いたしました理由及び内容の概要であります。何とぞ、十分御審議の上、すみやかに御賛成くださるようお願い申し上げます。
○床次委員長 本案に対する質疑は後日に譲ることといたします。 ————◇—————
○床次委員長 次に、国立大学総長の任免、給与等の特例に関する法律案を議題といたします。 質疑の通告がありますので、これを許します。長谷川峻君。
○長谷川(峻)委員 通称認証官学長の法案が二月の二十七日にここで趣旨説明がありまして以来、いままでほかの法案の審議の関係から全然手がつかないでおったのでありますが、きょう私はこの法案について、若干の質疑を試みたいと思うものであります。というのは、明治以来の日本で、いわゆる大学が果たした役割りというものは、日本の産業、文化向上の上に非常に大きな意義があるということを私は認めているのであります。終戦後、たくさん大学ができまして、駅弁を売るところには全部大学があるというくらいに大学が生まれたのでありますが、そういうふうに大学教育が非常にふえんしている中において、最近、ことに池田内閣で人つくりが強調されている。そしてそのうちにおいて、この認証官学長の制度を構想されて、国会に法案を提案された。その意義について、私はあらためて文部大臣の御見解、それをお伺いいたしたいと思うのであります。
○荒木国務大臣 この点につきましては、いま御指摘のとおりの趣旨だと申し上げてよろしいかと思うのであります。 元来、ひとしく公務員の中でも教職にある公務員につきまして、国家的、社会的立場でいかにこれを評価するかという課題は、戦前からの問題でもございますし、戦後において特に重視さるべき課題であったにかかわらず、十分な検討がなされないままに今日に来ておるとも言い得ると思うのであります。いつかも申し上げたことがございますが、むろん戦前との比較だけがすべてではございませんけれども、いまもお話に出ましたように、いわゆる人づくり、大事な児童生徒、学生等の青少年を育成していく教職員は、他の公務員よりも違った評価でもって考えられるべき本質を持っておろうかと思うのであります。その意味においては、すでに御案内のとおり、戦前におきましては、たとえば高等師範学校を出て中学の先生になれば、一般の官吏、行政官吏よりも格づけを高くされておったと承知するのであります。戦後におきましては、必ずしもそうでない。しかも、戦前において教職にある官吏の最高峰とでもいうべきものは、大学総長であったわけでありますが、その大学総長は戦前におきましても、他の一般行政官吏よりも非常に高く格づけをされておったと承知いたします。それを現在の制度に比べてみますときに、教職に対する国家的、社会的評価は戦前に劣るという実情にあろうかと思うのであります。のみならず、他の一般職の公務員におきましても、戦前との比較のみならず、現在の総合的な比較の立場に立ちましても、格別に重要視された待遇が行なわれているということなどを考えあわせますと、現在の大学の教員の待遇というものは十分ではない。したがって、その待遇そのものも検討さるべきと同時に、教職そのものについての国家的、社会的な評価をあらためて慎重に検討して、評価がえをするという必要課題に直面するわけでございまして、その場合に、どういう方法でこの新たなる価値判断に対応するかは、いろいろ考えようはございましょうけれども、国立大学の学長のうち、特にその職責が重大だと思われるものを他の一般職の例をもにらみ合わせながら、認証官という扱いをすることによってその評価づけをする。同時に、それにふさわしい給与を与えるという制度を確立することが、冒頭から申し上げました教職に対する国家的、社会的評価を十分に国民的立場で考えるよすがになるであろう、さようなことがこの法案を提案するに至りました基本的な考え方でございます。
○長谷川(峻)委員 印象といたしまして、私たちも戦前のことを思い起こしますと、大学の総長という人たちはたしか鉄道の一等のパスを持っておった。当時は、たしか地方長官も一等の鉄道パスがあったように記憶しております。いわゆる尊敬された、それだけの地位づけをされたというところに社会制度としての秩序というものが生まれ、またそういうことをすることによって大臣の御答弁のように、尊敬と秩序を立てて、それがまた別な作用としていういろな教育公務員の待遇改善等々に生かされようとする趣旨はわかるのでありますが、さて、その場合に、認証官の大学総長を持つ大学というのは、提案理由を拝見しますと、七大学に限られているということが一つ。さらに世の批判の中に、法案の内容をまだよく御理解いただけない方々の中からは、この認証官制度というものは、大学管理というものを強化するのではないかということから、言葉は弱いかもしれませんが、認証官学長の問題について反対の空気がある。しかも、これがその制度のときによって恩恵、ときによって権威づけられるであろうと思われるところの学長さんの中からさえもある。いわんやそれに直接関係しないであろうところの学術会議の諸君の中からもある。それを受けて立って世の中の理解のできない方々が、認証官制度といえば、何かしら大学管理制度をやるための一つの手段じゃなかろうかという問題が、私は出ていると思うのですが、この辺のけじめと申しますか、理解度と申しますか、その点について世の批判についての大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
○荒木国務大臣 ただいま御指摘のような反論といいますか、反対的なムードがあることを私も承知しております。それはマスコミを通じてもうかがえますし、それぞれの団体からの意思表示という形をとっておるものも御指摘のとおりにあるようであります。ところでそれらの御意見は御意見として御自由ではありますが、本来国立大学の一部の人を当面認証官という手続によって任命しようという考え方そのことは、先刻申し上げましたとおりの根拠に基づいて考えられた案であることには間違いないのでございます。大学管理の問題とからみ合わしてよく言われるようでございますが、事柄は大学管理について中教審の答申が出るずっと以前から、具体的に申せば一昨年の春早々から文部省としては検討し始めたことでございまして、なくなりました前人事院総裁とも一般的に教職員の待遇改善あるいは処遇等について相談したことがございますが、前後三回の論議を通じまして、先ほど冒頭に申し上げましたような考え方に到達せざるを得なかったということから端を発しておるのであります。そのことはいま申し上げますように、一昨年春からの事柄でございます。したがって時期的にもそうでありますと同時に、内容的にも大学管理の問題はそれ自体としていかに反対がありましょうとも、中教審の答申の線に沿って一応立案しましたものは遂げても是なりと信じております。いろいろな都合で提案に至りませんでしたが、それはそれであって、これはこれで全然別個の問題と受け取って、文部省としては検討を加えてきたことでございます。いま御質問のような角度からのいろいろな批判は、先刻も申し上げましたとおり御自由ではありましょうが、全然見当が違っておる。要は繰り返し申し上げれば、教職にある公務員というものを純粋に国民的立場でとらえて、あるいは国家的立場に立って客観的な評価をあらためてし直してみるという角度から見た場合に、戦前比較等も念頭に置きながら考えますと、現状は満足できない。これはひとり大学に限らない課題でございますけれども、その事柄をいわば局面を打開する角度から冷静に客観的に考えてみまして、落ちつくところが、結局一つの手段としてでもございますけれども、国立大学の一部の人を認証官という扱いにすることによってその契機ともしたいという総合的な見地に立つものでございまして、いわゆるムード的な反対の意向というものは私は当たらないものと存じておるのであります。
○長谷川(峻)委員 そうしますと、大学管理の問題については中教審の答申に基づいていずれの日にかお出しになる。しかしこの認証官大学長の問題はそういうふうな法案なりそうした考えとは全然別なものである。これは給与なり待遇なりあるいは権威なりというものを広く国民的に示すことによってやっていくんだ、こういうふうに私は大臣の答弁の中から理解したものでありますが、そうしますと、今度は数多い大学の中から七大学の学長を総長とした理由と、またそれがどういうわけでその七大学だけがこういうふうにして選ばれたかということについての御解明をお願いしたいと思うのであります。
○荒木国務大臣 まず第一に、七大学を認証官制度の対象とし、その中で東京と京都をまた給与の面からいきますと差をつけておる案になっておるわけでございますことは、御指摘のとおりであります。学校教育法のたてまえからいきまして、大学というのは国立大学だけを一応とりまして七十二あるとされますが、すべてこれ大学であることには制度上何らの相違はないということであることは、申し上げるまでもございません。その中から七つだけをなぜ取り出したかということでございますが、これは一つの方法論であると申し上げるべきでございましょう。一番典型的な身近な一般職の他の認証官制度の例を一応念頭に置いて、具体案を考えざるを得なかったわけでありますが、それは検事の認証官制度のことでございますけれども、検事長というものはちょうど大学が同じであると同様に、制度としては同じものであると理解されます。ですけれども、その中の特別のものをより出して認証官として扱うという前例を念頭に置きながら、大学の学長というのを、認証官制度というのを採用するという見地に立って考えます場合、七つの大学は現実には昔の十大であることは間違いないことですが、他のいわゆる新制大学と異なりますことは、制度論としての立場から見ます場合、すべて七つの大学は人文、社会、自然の各学問の分野でそれぞれすべての学部を持ち、その学部の上に歴史的な所産ではございましょうが、博士課程の大学院を置いておるということで、大学としての体裁からいって他のものとせつ然と区別せざるを得ない実態を備えておる、それは質的にも量的にも大学人の中でもすでに常識として認められており、ある部分は制度上も現在差別されながらきわめて自然に受け取られておるという実情にあるわけでございますが、そういう点をもって一応のけじめをつけるということが他の例から申しましても、認証官制度を適用することには現実的であり、かつまた理論的でもあるであろうということが、期せずして七大学を認証官制度の対象とするという案になって結論づけられたような次第でございます。言うまでもなく、他の大学と認証官制度について作意を持って差別するということでなくして、およそ認証官制度のもとに任命するということが、その職責の重大さという点において任用形式をいわば厳粛にするという一つの方法だと考えられるわけでありますが、その意味においてとらえましても、七大学をまずもって認証官制度の対象とすることが妥当であろう、そういう考え方に立つわけでありまして、繰り返し申し上げれば他の大学との格差を故意につくるためのものではない、認証官の制度を確立するために、客観的に冷静に考えてそうせざるを得ないものである、こういう理解の上に立つものであります。
○長谷川(峻)委員 偶然のように、制度上のいろいろな整備されている模様などからいたしまして、旧帝大の七つだけの学長が総長に、そして認証官という形になったということについて一応理解はいたしますが、私はほかの会合でもしきりに申し上げたことがあるのですが、外務省あたりになりますと——最近アフリカあたりでたくさん国が独立いたします。去年あたりは十くらいが独立したのですが、人口七、八十万、いな二、三十万の国でも、独立したところへ日本から大使、公使が行く。そうすると、どうしても認証官でなければ、国際外交場裏において、国王に閲見するとか、外交的手続を踏むのに不便であるというふうなことから、たくさん認証官が生まれた実例を見ている。で、大臣のいまのようないろいろな積み上げによるところの認証官学長を七つ置くというお気持ちはわかるのですが、私はまた、そういうふうに四、五十万の国に行くところの大公使が認証官になるという実例からいたしましても、これは文部省においても、どの形式においてか認証官のようなものがたくさん生まれることによって、一つのバランスがとれる、それからまた権威が持たれるということを、私は主張しておるものであります。 そうしますと、ここで大学局長に聞きますが、一体文部省関係で認証官、あるいはほかの役所において認証官というふうなものがどの程度に占められておったか、こういうバランスの問題も出てくると思いますので、数字などがわかりましたらお知らせいただきたいと思います。
○小林政府委員 現在までの認証官は、御承知のように、先ほどお尋ねにもございましたように、外交官の関係で大公使、それが一番数としては多いわけでございます。それ以外は、先ほどこれも御意見の中にちょっと出ておりましたが、司法官の関係でございます。最高裁の判事、それから高裁の長官、それから検事長、次長検事というのがございます。それ以外はきわめて例外的なものになっておりまして、たとえば国務大臣、それから会計検査院院長、人事院の総裁、人事官、会計検査院の院長のほかに、検査官も実は認証官でございますが、大体そういった方方に限定されております。なおそのほかに、きわめて例外といたしまして宮内庁の長官と公正取引委員会の委員長というものがございます。それからこの国会で新たに創設されたものといたしまして、内閣の官房長官と総理府の総務長官、こういうことにきまっております。それからその数は、国務大臣は御承知のように十六人でございます。それから特命全権大使が七十二人、特命全権公使が六人、最高裁の関係といたしまして、判事十四人、それから高等裁判所の長官が八人、それから検事総長一、次長検事一、検事長八人、それから会計検査院の検査官三人、人事院の人事官が三人、あとは大体一人のものでございまして、公正取引委員会の委員長、宮内庁の長官、それから侍従長というようなことになっております。
○長谷川(峻)委員 いまの数字については了解いたしましたが、私は、ここで七大学の総長というものが、認証官制度が法律化されることによって生まれるとしますと、大臣の御答弁の中にもありましたが、今度は他の大学の学長との身分上の取り扱いについて差異が生まれやせぬか、こういうふうな疑問が一般的に持たれると思うのです。一般には、大学の内容などを——大学を卒業しない者が大体多いようですから、そういう者からいたしますと、そこに格差でも生まれるような印象が与えられると思うのですが、その辺はどういうことになりますか。
○荒木国務大臣 お答えします前に、いま認証官の数を一般的にお答え申し上げたわけでございますが、申すまでもなく大公使、裁判官等は、これは特別職でございます。一般職としますと、検事が一番数が多いところの、唯一ではないと思いますけれども、ほとんど他は特別職。特別職と一般職ということで、この問題についても考え方に差異があろうかと思うわけでございます。七十二の全権大使——数からいえばちょうど国立大学と同じだということでございますが、これは国を代表して外国に使いする者ということで、給与の問題は別にいたしまして、特に任命形式を認証官としておるという趣旨だと承知いたしておりますが、そのことはお尋ね以外のことでございますのでこれ以上申し上げませんけれども、その一般職である国立大学七十二の中で、七つだけを認証官にして、その他を認証官扱いしなければ、非常な格差がそこに出てくると一般に受け取られるであろう——まさに御指摘のとおりだと思います。ところで、認証官の手続をとって、任命をいわば総長にするということは、国立大学でいえば代表的な者をその手続にすることによって、教職員一般の国家的、社会的評価を的確にとらえてもらうよすがにするという点に特に主眼点があろうかと思うわけでございまして、認証官の手続をすることと給与そのものは、一応別個の問題であろうかと思います。ただし認証官の手続で任命するがゆえに、そうでない人よりも、たとえば学長につきましては、他の学長よりも給与そのものがある程度上に位するということは、他の類例から見ましても当然のことでもあり、またやむを得ないことだと思うわけでございます。 ところで、現在でも——認証官制度はむろんございませんが、国立大学の中で東京と京都とその他のもの、それから学部があり総合大学のさっき申し上げた典型的なものとそれ以外のものというのは、人事院における指定号俸と申しますか、現実の給与表の適用にあたりましては、現在でも一応の差別をいたしております。これは、この職責の軽重ということはないでございましょうが、量的な大小が基準になっておろうかと推察しますけれども、現実面としてやむを得ざる必要なこととして、そう扱われておると思われます。そのことが一般には理解されておりませんが、認証官の形式をとることによってはじめて格差がつくように、受け取られる傾向があろうかと思います。私はそれはこの認証官制度をごらんいただく場合に、必ずしも当たっていない考え方、見方であろうと思うわけでありまして、繰り返し申し上げますが、認証官の手続をとるということは、ことさら格差をつけるということが目的でなくして、教職それ自身の国家的、社会的評価を、特定の七つではございますが、それに加えることによって、全般的な国民的信頼と評価を適正に確立するのだということであろうかと思うわけでございまして、もし給与でこれを見ます場合には、現在すでに格差的なものはある、たまたまその最高もしくはその次に位する扱いを受けておる学長を、七名を限って、認証官という荘重な手続を経て任命するというところに重点が置かれて、それはそれなりに一般的な課題としてはすなおに受け取っていただけるもの、格差の問題は、また給与であらためて見直さるべき課題が別個にある、こういうことだと思います。
○長谷川(峻)委員 いまは七大学になるのですが、先ほど大臣の御答弁の中に、それはいずれも、この七大学は人文、社会、自然の各科学の全分野にわたる学部を有する大規模な総合大学、そしてその上に博士課程の大学院が設けられておる、伝統も深いというふうなことが、七つの国立大学の学長の職務と責任は非常に重大であるからということですが、その辺からも話が出たように、これは認証官にするということは、これだけの規模であるから認証官にするんだという話でありますが、それじゃ、将来これほどの規模というものが充実されたときに、七つだけじゃなくしてほかにふえる。早い話が、いま森戸さんの名前などが出ましたが、これは大学の形式が整っており、偶然そこに総長選挙でいろいろな票をかき集めたものが総長になったおり、認証官というものによって栄誉というものと、ほかの大学より給与がよけい高くなったというかっこうになりますが制度のほかに、これが将来、同じような大学が、設備、基準その他の教官の手当等々において生まれた場合には、七つが十、十五にふえる可能性というものがあるかどうか、またそういう期待感というものを大学経営者に持たせることができるかどうか、こういうことをお伺いしたいと思います。
○荒木国務大臣 その点は御指摘のとおりに、私どもも理解いたしております。七大学がたまたま昔の帝大だということであるわけですが、それは戦前の制度上の重点の置き方にもよったかもしれませんけれども、人文、社会、自然の各学問の分野について、ことごとく学部があり博士課程があるということは、明治以来の何十年もの年々歳々の経費を注入したことにもよりましょうし、また大学人の努力の成果が積み重なってそこまで到達しておる姿だと思うのであります。そのことが、量的にとらえればちょっと変でございますけれども、量と質をあわせ考えて、その上に、大学の学長として責任を持つという立場の人、すなわち学長、その職責というものが重大であると理解されるゆえんのものは、量と質と両面であろうかと思われます。そのことに重点を置いて七つの大学の学長を認証官扱いにしようという案であることは、先刻申し上げたとおりでございます。 そこで同じような努力が同じテンポで行なわれるということを前提とすれば、何十年先かわからぬことではございますが、戦後の特に学問教育を重大視するという新憲法下の風潮から申しましても、そうでなくても行政的努力を積み重ねる意欲をもちまして、戦前よりはテンポがうんと早まることは、これは期待されもしましょうし、努力すべきことだと思いますが、そういうことを前提として考えまして、行く行くは、次々に七大学と同じような量と質を備えるに至る大学は当然出てくるということが考えられるのでございまして、その意味で認証官の学長は七つに限るという意味ではございません。ごらんのとおり、それぞれの大学七つを列挙的に認証官の扱いで任命するという形でございまして、次々に同じ条件が備わるに従ってそれは増加していくことを当然予定した法案でもあるわけでございます。
○長谷川(峻)委員 大臣の答弁によって、将来充実さえすればほかの大学も認証官学長、総長というものが生まれる可能性があるという御答弁で、私は期待させる面において非常にけっこうだと思うのです。 そこで、先ほどから大臣の御答弁を聞いていると、いままで大学関係者の給料が非常に安かった。私たちも年々歳々予算のときによく見ているのですが、戦前の大学から見るとまだ待遇が悪いことはわかっておりますが、さてこの認証官学長というものが生まれることによって給与の問題——すぐ金になってはなはだ相すみませんが、このごろは何でもかんでも金、金で恐縮ですが、一体そういうものがどの程度に改善されるか、こういうことについてあらためてお伺いします。
○小林政府委員 この七大学の学長の現在の給与と、この学長がそれぞれ認証官になりました後の給与との比較でございますが、先ほど大臣からお答え申し上げました中にございましたように、この七つの大学の中でも、東京と京都とそれ以外の五大学とは差等が現在すでにございます。東京と京都の大学の学長は、教(一)の一等級の八号という号俸が適用されておりまして、本俸と暫定手当、勤務地手当、管理職手当等を合わせまして、大体の数字でありますけれども十五万五千円になっておりますが、これが本俸が十八万円に引き上げられまして、暫定手当がそこに一万七千二百円加わりますから、十九万七千二百円ということになります。したがって約四万二千円ばかり俸給が高くなるということでございます。 それから、それ以外の五六学につきましては、一等級の六号俸ということになっておりまして、これは本俸と諸手当を合わせますと十四万六千円ということに大体なっております。これが認証官になりました場合、本俸と暫定手当を合わせますと、これは地域給も多少差等がございますが、十七万二千円程度に引き上げられますので、約三万円近く待遇が改善されるということになるわけであります。
○長谷川(峻)委員 学者はなかなか金のことは言わぬ。謙遜からだろうと思うのですが、大学局長、これはどうですか。こういう制度が国会で法案として上程されたということはおわかりいただいているはずなんですが、こうした当該大学総長は、月額が三万円から五万円上がる、これは喜んでいるのですかね。それともまた反対でしょうかね。銭まで差し上げて反対されてもこれははなはだまずいと思う。ほかにも関連があることなんですが、これはどういうことでしょう。
○小林政府委員 大学の学長の集まりでございます国立大学協会等では、かねてから大学教官の待遇改善ということを非常に強く要望してこられております。それがやはり単に上のほうの人だけでなしに、たとえば学問研究上あるいは教育上、特に下のほうもあわせて全体の待遇を改善してもらいたいという希望の趣旨でございますので、今回のこの認証官制度によって、単に七大学の学長だけが引き上げられるということでは自分たちの本旨ではない。しかしこれがきっかけとなりまして全体の待遇改善が行なわれるということであれば賛成であるというふうに言っております。私どももそういう方向にこの制度を持っていきたいというふうに考えておりますので、少なくともこの七大学の学長はこの認証官制度の趣旨、そういった全体の趣旨から考えて賛成であるというふうに私どもは考えております。
○長谷川(峻)委員 昔はというて昔のことを言うて悪いのですが、人の月給を上げてやる例ですから御了承いただきたいと思いますが、昔は国務大臣と七帝大の学長、総長というものは大体月給が同じです。そういうことからしますと、いま国務大臣が幾らになっておるか私は知りませんけれども、ここまで上がったにしても大したことはないじゃないかという気がするのです。さてその場合に、いま局長が申されたように、七大学以外の大学の学長の給与もこの法律が通ることによって可能性というものが生まれるかどうかこれが一つ。ということは、大学教官の俵給というものが少ない。戦前から見てなおかつ今日六〇%くらいであるということからいたしまして、予算の時期になりますといろいろみんなで苦心するわけであります。最近においても七大学の教官の皆さんから何とかひとつ給料を上げてもらうような運動を起こしてもらいたいとかあるいは推進してもらいたい等々の話があるのですが、いまの局長の御答弁によりましてもこの法律案が大学管理という通称誤解されている問題と全然切り離されて、そして数多い大学の中から対社会的九権威というものと、さらにまた責任を持たせる一つのきっかけにもなる、こういうふうなことで提案された。これが通過することによって、ある場合にほかの先生方の教官の給与も少し上げてあげる一つの素材になるのじゃなかろうか。そのことをまた七大学の総長も期待もし、自分たちだけ上げていたのではまずいので、困っているところの戦前の六〇%をなおかつ占めているああいう教官の月給を上げる一つの材料にしてもらうならけっこうだというふうに、私は歓迎をしています。 その次には、これは人事院にお伺いしなければなりませんが、ここでもうすでにこの認証官の問題が国会に提案されたときに、官房長官と総務長官も大学の総長にあわせて認証官にしようという法律案が内閣から提出されて、これはすでに通って、きのうは天皇の前で認証式でもやって喜んでいるような新聞の記事を拝見したのですが、さてそうなりますと、七月の人事院勧告があると思う。また教官諸君が、われわれのようなあまりいまの官立大学に好感を持ってないわれわれにさえも頼みにきているというふうなことからしますと、これが一つのきっかけとなって、人事院勧告の中に一般の教官あるいは商校以下の教職員の給与の改善などに役に立って、わずか七名だけが月給が上がって権威が上がるのじゃない、ほかの人もそれをきっかけにして出てくるのだ、そういうような一つの文教政策であるということになるものかどうか、人事院あたりの最近の動きあるいは御見解をお伺いしたいと思います。
○滝本政府委員 今回七大学の学長を認証官として、それからまたそれに伴って給与改善をされるという法案を政府が御提出になります前に、官房長官から人事院の意見はどうかというお問い合わせがあったのです。これに対しまして俗稱認証官と言っておりますがこれは身分的に認証官というものがあるわけではないのは申し上げるまでもないことでございます。ただ任命にあたって天皇の認証があるということで俗稱認証官、身分的には一般職であって、現在の大学の学長大ぜいおられますが、その中の特定のものを特別職にするというような話でありますると、これは身分の変更でありまするし、いろいろな付随する問題が起きてまいりますので、これは人事院とすれば非常に関心の深いところであります。しかし政府がそういう立案をされて、国会で判断をされてそういう任命にあたって非常に荘重な形式を伴うという方法でやるということを御判断になるのは、むしろ人事院がこれを判断すべき事項よりも、もう少し高次の問題という意味におきまして、認証官にされるということにつきましては、とやかく人事院としては意見を申し上げなかった。また現在、認証官は先ほどもお話が出ておりましたが、一般職の中で検事の関係で認証官がございますけれども、これはほとんど例外的で、裁判官との関係で出ておるのだろうと思いますけれども、一般職の関係では、現在のところ認証官というものは検事関係以外を除きましてはないのでございます。認証官は特別職の方々が非常に多いわけであります。特別職の中でも認証官になっていないものもございますけれども、この認証官という方々が特別職に非常に多い、特別職の間におきましてはやはりこれは給与の一応の均衡があるわけであります。そういう意味におきまして、認証官にされて、そして認証官同士の給与のバランスの中にこれを考えていこうということを国で御判断されます場合、こういう場合はまた非常に高次の判断でありまして、人事院がとやかく足をひっぱる問題ではないというような意味におきまして、人事院としてはこれはやかを得ないものであるという御回答を申し上げたのであります。ただ、その際、これは大学学長の中の七つの官職が俗称認証官になりまして給与の引き上げが行なわれるということで、そういうことが実現をかりにいたしますのならば、われわれのほうといたしましては、これは同じく一般職でございます。今回認証官にならない大学の学長も一般職である、認証官になった方々も一般職であります。職務の内容というものがこれは非常に共通する部分が多いわけであります。したがいましてそういう観点から先ほど大臣からお話がございましたように、現在人事院では大学の学長をその職務と責任の度合いに応じまして東京大学、京都大学は教育職俸給表の一等級の八号、それから五大学は六号というように指定号俸をきめておるのであります。その他の大学も職務と責任の度合いに応じまして指定号俸が違っておるのであります。しかしその間には均衡関係というものを一応保っておるというのが状況であります。したがいまして今回七大学の学長が認証官になられ、そしてその給与が上がるということになりますと、この間に断層ができるということはあることでございます。したがいまして、われわれの立場といたしましては、やはりこの均衡関係は何とか考慮しなければならぬという問題が必然に起こってまいるのではなかろうかという考えております。ただ今年勧告するかどうかということは現在まだ白紙の状態であります。一体勧告するようにかりになった場合を想定いたしまして、この法律が通ったという事態が起こりますならば、当然その均衡関係ということにつきましては人事院として考えざるを得ない、このように考えております。
○長谷川(峻)委員 そこで大臣にお伺いますが、学長が総長になった場合、こういうことが私は対世間的に解明されていないと思いますが、認証官になった場合の内閣総理大臣との関係、そして文部省との関係、それについてあらためて御説明願いたいと思います。
○荒木国務大臣 本質的には変わるはずがないわけですけれども、ただ任命手続を総長にするという意味合いでのいわゆる認証官というものは、他の類例の扱いを見てみましても同じく政府としての任命の形を丁重に扱うという前例になっておるわけでございます。したがって学校教育に携わる大学の学長が教育的立場でその身分を考えられればならぬという実質的な意味においては変わりませんけれども、任命の最終的な手続というものは他の例にならって内閣に任命権を移すという案になっておるわけであります。その場合の文部大臣対内閣総理大臣、内閣との関係は、文部大臣が現行の学校教育法上の管理機関の申し出に基づいていままで最終的任命というものを閣議を経てきておりましたのを、内閣に申達する機能を文部大臣が受け持って、それに基づいて内閣で任命ということを最終的に結果づける、そういう関係に立つわけでございます。
○長谷川(峻)委員 先ほど人事院の給与局長のお話の中にも、官房長官、総務長官が認証官になったときに天皇の前で荘厳なる式が行なわれた。私は、いまの七つの大学の学長が総長になって認証官になった場合にも、やはり一つの権威というものと、地位の名誉というものと、それに伴うところの責任というものを対世間的に持ってもらいますことからいたしまして、そういうふうな儀式が行なわれていくということなら非常にけっこうな法案だと思います。さらにまた人事院からの話によりますと、最後においては国会をこの法律案が通った暁には一般職としてほかの大学の学長並びに一般教職員の給与というものも、つり合いが悪くちゃ困るから、当然これは考えなければならぬだろう、こういう答弁と了解したのでありますが、そうしますと、ここに問題が二つ出てくる。一つは世にいうところの大学管理制度と関係するそのものではない、誤解する諸君はあるけれども、そうじゃなくて純然たる問題としての認証官学長の問題である。戦前の六〇%の給与を占めていた日本の教育界の最高峰——人物はいざ知らず、その学長がここで認定されることによって認証官というものになる、給与も上がる、地位も一般的によけい権威づけられるということになっていきまして、しかもそれが反作用としてほかの大学学長並びに一般教職員あるいは高校以下の教職員の給与などに対しても考えられるということになりますと、一般の給与の問題なんというものは、いまの時代になかなかむずかしい給与体系でありますから片づかないことは普通わかっていることですから、こういう機会にいろいろな面からの積み上げによって教育者の待遇というものを権威づけられるようなことになるとするならば、私は非常にけっこうなことであると思う。もしほかの考え方、ほかの誤解、ほかの意図で御反対になってこの法案がつぶれるようなことでもあったならば、私が前段に申し上げたような大きな目的というものがくずれやせぬか、重大な段階にきているのじゃないかというふうに思うのですが、その点文部大臣はいかがですか。
○荒木国務大臣 私が冒頭のお尋ねに対して申し上げたことを他の角度から御質問いただいたように拝聴するのであります。いま御指摘のとおり、大学管理などという問題は全然別個の問題で、何かしらんギブ・アンド・テイク式の非常に次元の低い課題であるように一般的には受け取られていることは、そもそもから私としましては心外千万に思っておったわけでありますが、だんだんと時期が経過するに従って、先刻大学学術局長からもお答えしましたように国立大学長協会あたりもようやくその真意も含めて御理解いただいておる段階に来たと思うのであります。学術会議のほうはまだ御理解いただけない——われわれのPR不足であったことと思いますけれども、消極的な意向らしいものが出されたように記憶いたしますが、それらの反対もしくは消極的な経過がいかにございましょうとも、問題はこの法案それ自体が率直に物語る、かつまた人事院からも期せずしてお話がございましたような、きわめて冷静に客観的にとらえてかくあるべきもの——かくあるべきものということの一番の焦点は、冒頭に申し上げましたように、いわゆる人づくりが素朴な気持ちで全国民に純粋な意味で受け取られて反響を呼んでおると思いますが、そういう気持ちから国民的立場で考えましても、人をつくってくださる先生、幼稚園から大学に至るまでの先生に対する国民的、社会的、国家的処遇というものはたしてこれでいいかという課題としてとらえて、初めて出てくるこの御審議願う法案だと私どもは考えておるのでございます。したがいまして人事院からもお話がございましたように、いまの教員の俸給表の(一)、(二)、(三)とございます三本立てそのものを単に人事院的な立場でお考えになってどうだということよりも、次元が高いという表現を使われましたが、まさしく全国民的な立場で、いままでのとおりでよろしいかという価値判断をあらためてしていただくための一つの課題、それが国権の最高機関を通じまして全国民的意思として定まりまする限り、先刻来の人事院との質疑応答でも明瞭でございましたように、その次元の高いものと人事院本来の機能とあわせて一本にして初めて総合的な給与体系が生まれ出る事柄だと思うのでございますが、そのまず第一着手としての国家的、国民的評価をこの課題でしていただきそれによって戦後とかく教師に対する国家的、社会的な評価がいわば低過ぎておったのを、幾らかでも全面的な課題として評価がえをするよすがになるならば、ほんとうに全国民が喜ぶことではなかろうかという問題として私はいまの御質問を受け取めまして、舌足らすでございますが、以上のことを率直に申し上げてお答えにかえたいと思います。
○床次委員長 午前の会議はこの程度とし、午後一時三十分再開することとし、これにて休憩いたします。 午後零時二十九分休憩 ————◇————— 午後二時十六分開議
○床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 学校教育に関する件等について調査を進めます。 質疑の通告がありますので、これを許します。杉山元治郎君。
○杉山委員 私はあまり文教が専門でないのですが、特に文教の中の農業教育の問題について少しく伺いたいと思います。 聞くところによりますと、このたび高等農学校を増設するやに伺ったのですが、日本で現在高等農学校はどれくらいあるのか、そういう問題をまず先に御説明していただければありがたいと考えます。
○福田政府委員 現在農業に関する高等学校は全国で約六百校でございます。学科数にいたしまして、一千八百五十八学科、在籍生徒数で約十九万三千人というふうな現状になっております。
○杉山委員 それくらいたくさんあるならば、新しく別に置く必要はないような気もいたしますが、政府が新しい農業高等学校を置こうという意図はどこにございますか、お示しいただきたいと思います。
○福田政府委員 文部省といたしまして、特に農業高等学校を増設しようという計画は、現在のところございません。ただ、いま申し上げましたような実態から申し上げますると、この農業高等学校の学科の中にはいろいろな学科がございます。御承知のように、農業基本法に、いわゆる農業自営者を養成する学科あるいは関連産業に従事するような卒業生を養成する学科、いろいろな学科がございますが、そういった学科の内容につきまして、従来やってまいりました学科なり、あるいは教育内容から考えまして、近代的な農業に従事する卒業者を養成するものとしては、いままでのようなあり方では必ずしも十分でございませんので、特に農業基本法が制定されました以後におきましては、そういう農業の近代化に即応するような養成計画をしなければならぬ、こういうようなことで学科の転換あるいは内容の刷新をはかっていくという方向に重点を置いてやっているのでございます。
○杉山委員 おことばによって大体意図はよくわかりましたが、農業基本法によって農業近代化をいたしますために、近代化に沿うた農民をつくる、こういうことであるようでありますが、よく伺いますというと、科目のうちに、三年間に八十五単位をとらなければならぬ。そのうちに法制経済とか倫理とかあるいは社会というようなものをも、今度は加えていかなければならぬ。そういうことになりますと、はたして農業の単位はほんとうに三カ年間で、この単位どおりやったにいたしましても、ほんとうの農業技術者ができるかどうかという心配をいたすのですが、これはいかがでございましょう。
○福田政府委員 御指摘のように、農業高等学校も一般の高等学校と同じように、全体としては高等学校教育のたてまえのワクの中に入るわけであります。したがって、全体として八十五単位を三年間に修得しなければならぬというたてまえになっております。そこでその単位の中で当然に農業に関する技術的な、技能的な教育だけではなくして、一般教養というものがやはり農業高等学校におきましても、一般の他の高等学校と同じように重視されなければならぬという点から、御指摘のありましたような科目を編入するような仕組みになっております。しかしながら、一方基礎教養というものを非常に強化いたしますと同時に、いわゆる職業に必要な教育というものを従前よりもさらに強化しなければならぬ、こういうような考え方から、農業にいたしましても、工業にいたしましても、あるいはまた商業にいたしましても、新しい教育課程の中にかなり内容を高めてまいっております。したがって、農業高等学校につきましても、まだ教育課程の全面的な改定は一年生だけしか適用されておりませんけれども、漸次今後の学年進行に応じて全面的に改正する計画になっております。したがって、この計画が進んでまいりますと、いままでよりもさらに充実した職業教育もできようかと考えておるわけでございます。
○杉山委員 いまお伺いいたしましたことによって、いろいろな新しい学科の単位がふえてまいりますけれども、基本的な教育が農民をつくる上に必要だとおっしゃれば、それまででございますが、新しい農業高等学校というものの意味は、私はやはり技術農民をほんとうに養成しなければならぬところにあるのだと思うのでございます。ところが、そういうような学科をいたしておりますと、農業技術の学問が非常に少ないから、はたしてそれで修得できるか、こういう問題が起こってくるのじゃないかと思うのであります。一般のいわゆる市民という立場でならばけっこうですけれども、農民という立場なら農民に独得の教養がやはりもう少し加わっていかなければならぬのじゃないか、こう思うのでございますが、その点はいかがでございますか。
○福田政府委員 これは御指摘のとおりに、農業教育でございますから、農業に関する専門的な知識あるいは職業教育としての現場の技術というものも当然新しい技術教育の近代化に即応したような教育が行なわれなければならないことは御承知のとおりでございます。ところで、それでは技術教育あるいは技能教育みたようなもので済ませるかと申しますと、現に農林省でやっております伝習農場などで、農民としてのそういう技術的な問題のみにある程度狭めてやっております経験から申しましても、やはり一般教養というものは非常に重視されなければならぬというようなことをいっておりまして、だんだん伝習農場等のやり方もそういう傾向に変わりつつあるものと私は見ております。したがって、もちろん職業教育というものを軽視してはいけませんが、そういう現在の農業教育に適合するような職業教育を充実していくかたわら、やはりその基礎としての一般教養というものも軽視することができない、その両方をやっていくのが現在の高等学校教育のあり方だ、こういうように考えているわけでございます。
○杉山委員 一般の教養が必要だ、私も必要だとは思いますが、農業高等学校という名前がついた以上は、やはり農業というものに重点を置いた教育でなければならぬと思いますが、一体農業高等学校の卒業生でどのくらい農業に従事しているか、あるいは農業外の違ったほうに就職している者がたくさんあるように思われますが、一体農業高校を卒業した者の就職率、実際に農業に従事している人がどのくらいいるか、もしおわかりならばお示し願いたいと思います。
○福田政府委員 昭和三十七年の卒業者をとってみますと、その動向は、男女合わせて農業高校の卒業者が六万三千人くらい、そのうちで就職者は五万七千人、その五万七千人の就職者のうちで農業関係と申しますか、農家において農業に従事するためのそういう就職者というものは一万七千人くらい、そのほか関連産業に就職している者が約一万近くございます。したがって二万六千人ないし七千人くらいが農業関係に就職したということを申し上げても差しつかえないだろうと思います。 純粋に農業経営のほうに従事した者を、パーセントにしますと、大体男子で三三%、女子で二〇%、平均して約三〇%ぐらいでございます。しかし、いま申しました農業関連産業にいった者を合わせますと約四五%——半数には達しませんが、四五%農業関係の仕事に従事している、こういうふうに考えております。
○杉山委員 伺いますと、わりあいに農業関係に従事している人が多いのでございますが、実際に卒業した人を見ますと、ほんとうに農業に従事している人は少ないことを利自身実際に見ているわけであります。私自身も残念ながら実際には農業に従事しなかった、そういうことを自分が身をもって体験しているわけでありまして、高校を卒業した者がほんとうに農業に従事しているかと申しますと、それはごく一部分にすぎない。そこで、そういう弊害を除いて、ほんとうに農業を指導するあるいは農業の実際につくという人をつくるために農業高校をつくるのだというふうに考えておったのでありますが、そうではなく、いままでの農業高校では、実際はほんとうに百姓を指導する人が少なくて、かえって一般の人を教育する点が多くあるように思う。そういう意味において、農業高等学校を置くのならば、こういう教育課程というものも必要かも知れませんが、しかしもう少し実際に農業の指導もし、農業もやっていける、こういう人をつくる必要がある。そういう意味において、できるならば農業高校の卒業者の組織なり団体で——いまの第一次産業、第二次産業、第三次産業との間には格差がある。そのために農業がだんだんすたっていく。そこで、この格差を縮めていくような実例が何か出ておりましょうか。何かいい結果が出ているなら、それを見習ってまいりますから、お示しを願えれば、たいへんありがたいと思います。
○福田政府委員 御指摘になりました点は、私ども全く同感でございまして、農業高等学校の卒業生が全部そういう本来の農業経営、農業関係のほうに就職しないということは、やはり農業教育のあり方としては検討すべき点であろうと思います。したがいまして、いま御指摘になりましたような点がございますので、私どもとしましては、今後農業教育をさらに充実発展させていきますために改善をしてまいりたい、こういう考え方をしております。教育課程の改正は、すでに実施の段階になっておりますが、さらに今後農林省等とも十分現実の状態に適応するような農業教育というものを研究していこうじゃないかということで、今年初めから農林省関係の方々とも十分緊密な会合をいたしまして、その改善策をいま研究中でございます。そういう結論が出ればまた御指摘になりましたような方向にも役に立つのではないかというように考えております。
○杉山委員 研究してくださることはありがたいが、実際にそれに間に合う人をつくっていかなければ何か政府のほうで、また文部省のほうで、結局そういうことがあるということを御研究になりまして、農業と工業と格差があることはどこでも世界的の傾向ですが、それを縮めておるところがあるということを御存じでないでしょうか。
○福田政府委員 寡聞にして私よく外国の事情を存じませんので、お答えできないことを残念に思いますが、もし御存じならば教えていただきたいと思います。
○杉山委員 教えるということはなかなかむずかしいと思いますが、御承知のようにドイツのライン川の沿岸にコブレンツという市がございます。このコブレンツ市の周辺はヘッセンという州でございます。そこの州の知事がこの間参りましたときに、知事が申すのに、私の州では大体工業と農業というものと格差はほとんどない、まだ少しありますけれども、ほとんどない、近いうちには全くなくしてしまうのだ、こういう話をいたしておりまして、話だけではだめでございますから、私は数日そこを見せてもらいました経験を持っております。行って拝見いたしますと、その話のとおり農民が実にりっぱな生活をいたしておりまして、収入を聞いてみますと実にりっぱな収入をあげております。こういうふうにドイツでできるならば日本でもできないはすがない、そう思って拝見してきたのですが、私はそういうことを聞いておるときに高等農学校を置くということを聞いた。これは非常にありがたい、そういう意味で高等農学校を置くのだから、こう思いましたから、実は質問いたしたのですが、できるならば、西ドイツのコブレンツという町の周囲のヘッセンという州が大体そういうように農業と商工業というものの格差をなくして、農業は非常にいいものだから喜んでどんどん農業にやってくるというようにしむけておるドイツの一例を私は見せていただいて感心したのですが、できるならば日本でもそういう高等農学校を卒業した者が、自分で実際に働いてこういうようにやれるのだ、こういうように格差をなくしていくのだというように実際にやってみせたならば、だんだんやってくる人もあるし、嫁にこないというような問題はなくなってくると思うのですが、残念ながら日本では、そうではない。格差がだんだん広がっていくものですから、農業をやめていく。そして工場へ行く。あるいは商業へ行くという者が多くなってくるのですから、これをぜひ是正して、いただきますために、いま言うようなことをいろいろ考えていただいて、ぜひそういう方法が——ドイツでやれるならば日本でも少しぐらいやれないはずはないと思うのでありますから、私はそういうような意味合いにおいてぜひ政府のほうに御研究願って、そして私どもも研究して、そういう方向にぜひ持っていきたいものだ、こう考えておるわけですが、私、そういうような方向を今後ぜひ政府のほうでとっていただきます。とともに、ぜひこの格差をなくする方法を実際に骨折っていただければありがたいと思うわけであります。
○荒木国務大臣 私も杉山先生といまの課題でお答えする具体性を持った基礎知識はございませんので立ち上がったものかどうかと思うくらいですけれども、ただ私しろうとながら思いますのに、先ほど来政府委員からお答え申し上げましたことは、少なくとも従来の農業高等学校の教科のあり方は、ここの、と申しますと、農業基本法以前の、さらに具体的に申せば、貿易自由化だあるいは技術革新だということで世界的な荒波が押し寄せつつある傾向だとも承知しますが、その場面に即応して御指摘のような生きた農業教育をやるという意味では十分にこたえてないと感じます。しかしながら一応いままでの農業高校ではいけないという立場におきまして、すでにお答え申し上げたことですけれども、たとえば、農芸化学あるいは農産加工工業農業土木というような角度からも教科そのものを改善していこうということで、それらの改善は今度の新教育課程実施を契機としまして、年次的に前進してまいる体制はできておると申し上げてよろしいかと思います。また農業高校の実習農場にいたしましても、いわば過去の日本農業に対する程度のものしか現実においては持っていない。しかるに一方耕地面積を広げてそれを機械化することによって合理化していくということが、もう現実にスタートしておりますけれども、それに即応すべきすぐ役立つような教育がはたして行なわれ得るかとなりますと、農場ないしは実習の機械等も不十分でございますから、直ちには応じ得られないというようなうらみがあるのじゃないかというふうに感ずるのであります。したがいまして余談みたいなことでありますが、もとはといえば、単に教科そのものを抽象的に取り上げて、前向き姿勢をとる程度のことはやっておりましても、日本の農業政策、農業基本法に立脚しまして、将来にわたっておおよその見通しを立てながらどう持っていくのだということと相呼応したような教科課程、実習農業等の考慮はいまだしでございますので、そのことを政務次官を中心に、さっき政府委員が申し上げましたように、農業政策の立て方を相照応しながら、間に合うならば三十九年度からでも応急的に具体的施策を推し進め得るように、そのことが農業高校に反映しますように検討しようじゃないかというので、課題として現実に検討中であることは確かでございます。お話のような線に沿う成果があがることを私としては期待しておるわけでございます。今後もお話のような趣旨に向かって生きた改善をして努力をしなければなるまいと存じております。
○杉山委員 いま大臣のおっしゃったように、ぜひそういう方向に進めていただきたいと思いますが、いま実際この高等農学校でそういうような実習に使っている時間、またそういう実習でない化学、数学というような——私はそういう意味で実際に寄宿しておらなければこれはできないと思うのですが、そういう寄宿舎に入って午前学科をやって、午後は農業をやるというような、そういう組織の高等農学校は現在幾つございましょうか。
○福田政府委員 御指摘のように農業教育を実際十分やるには、寄宿舎の整備が必要であるということは私ども痛感しております。ところが公立学校においては、一般的にいままで寄宿舎がございません。私立学校において、特殊の例として寄宿舎を設けてやっておるところもございます。これはごくわずかでございます。御指摘になりましたような考え方に立つものだと思いますが、最近いわゆる定時制高等学校の農業課程の学校におきまして、一般の昼間の学校よりもさらに特色を出して農業教育をやっていこうという試みが地方で一部行なわれているところがございます。たとえば富山県のごときでございます。そういうところでは全寮制度と申しますか、全部一定期間生徒を寮に収容しまして、徹底して日常の生活から、あるいは農家経営のやり方から、そういう事柄を十分体得させるようなやり方を始めたところがございます。しかしこれも例外的でごく数が少のうございます。
○杉山委員 いまお伺いいたしましたように、高等農学校が学問だけやって、実際手が動かぬということでは、これは農業の指導者にもなれませんし、また実際の模範になってやっていくわけにもいきません。そういう意味で、できますならば、高等農学校を置くような場合に、午前は学科で午後は実習をやる。そしてその地方の実際の中農の生活をやっている農場の広さをその学校に実際にやらしていくというような形式をとらないと、ほんとうのものはできないと思うので、今後高等農学校をいま大臣がおっしゃったようにだんだん改善していっていただきたい。そういうことによって、学校の実習で農業の機械化もやるそういう実例をやってみて、経験を得て出ていくならば、ほんとうにやろうという気も起こりますけれども、学問だけできましても実際手が動かぬというのでは出てもしようがない、こういうことになるから、初めは農業をやるつもりの者も、ついには俸給取りになってしまうというおそれが多いのでありますから、そういうような意味合いにおいて、ぜひ今後の農業教育は、実際に農業をやって、これなら指導ができるというような確信を持てるような教育をやっていただきたい、こういうようにお願いする次第であります。そういう点について、いま少ないということで残念ですけれども、これからできますそういう学校のうちにぜひそういうような模範を示していただきたい。ですからこれはたくさんなくていい。ところどころ各地方において一つ二つずつこういうふうにやっていただいて、その見本によってこれならやれるという確信を持てば、だんだんまねしていただくと思いますから、ぜひそういうようなほうに進めていただきたいと思います。そしてそこを出ていった実際の農業指導者から仕事を聞いて、やればやれるんだ、こういうりっぱな生活か農業でもできるんだという模範を示していけるようにならなければ、どうしても農業は衰微してしまうと思うのであります。いま申しましたように、ドイツの例で、百姓にもこういう生活ができるんだという実例を見せた結果、ヘッセン州など農業が盛んになった実例を拝見いたしましたが、ぜひ日本でもそういうような学校を出た者が農業をやってこのとおりやれるんだ、こういうようにりっぱな収入をあげるんだという実例を示すように、ぜひひとつそういう教育を政府はしていただくようにお願いをいたしたいと思うわけであります。そういう高等学校は文部省だけではなく、その地方の知事がこういう計画でやるということで、置けば置けるわけでございましょうね。
○福田政府委員 御指摘になりました点、まことに私どもは同感に思うわけでございまして、農業教育の今後のあり方として、先ほど申し上げましたように農林省などと具体的な相談をしております。方向は御指摘になりましたような方向でございます。したがって農家の自営者を養成する農業教育のあり方としては、やはりその地域の実情に即応した農家経営が十分できるような人を養成するというのがたてまえだろうと思うのです。そういう面からいろんな各種の問題を検討いたしております。私ども現に、先ほど例をあげました富山県のごとき、まさにそういうような教育を行なおうとして努力しているわけでございます。数は少のうございますが、そういう方向に今後ある程度学校はいくだろう、またそうあるべきだというように私ども考えております。したがって農業高等学校は御指摘のように都道府県知事が認可しあるいはつくるわけでありますが、そういった点を十分考慮して設置されることを私ども希望いたしております。
○杉山委員 大阪には府立の農業大学がございます。それと一緒に、もう一つ府立の農業の短大がございます。それで話に聞きますと、何か短大のほうをやめてしまうというようなことを聞くのですが、これは大阪府のことでございますからこっちは御存じないかもしれませんが、多分二つあることは不必要だということで短大のほうをやめて、学問のほうなら同じことだから農大のほうでやったらいいのじゃないかということだと思うのですが、そういうことについはて何か文部省のご意見ございますか。
○小林政府委員 ただいま御指摘の大阪府立大学の農業短期大学のことでございますが、これは従来大阪府下という特異な環境のせいもございましたでしょうが、大阪府民の子弟よりもむしろほとんどが大阪府以外の他府県からの子弟であるというようなこともございまして、府当局といたしましてはいろいろその維持経営について御研究があったようであります。そういった事情もございまして、本年からこの入学募集を取りやめたいという御通知を昨年の暮れにいただいております。短期大学部でございますから二年間募集を停止いたしますれば当然将来廃止されるということになろうと思います。文部省といたしましては設置者である府の御当局が技術者の養成の見地からその必要性について御研究になったことでございますので、特に今後の運営については府に対して指導というようなことはいたしておりません。
○杉山委員 二つあるということは不経済だということかもわかりませんけれども、私はいまお話しのような高等農学校を置くということならば、農民の指導をするという大阪府下のような、いわゆる園芸農業だとかあるいは家畜農業だとかいうような特別な農業をやるならば、こういうような農業大学をやめることはいいかもしらぬが、それを高等農学校にかえることはできるんじゃないか。そういうことは、学校の校舎もあるし、農場もある、またそこには先生たちもおるんだから、別にたいして金の問題は要らなくて簡単にできると思うのですけれども、そういうように大阪府自身が高等農学校に変更するということだったら、文部省のほうでは別に差しつかえないのでございますか。
○小林政府委員 御指摘のございましたように、設置者である大阪府が府下の農業の実態に即応して、あるいは府下の農業の将来の見通しに基づいて、これを農業高校に転換されるというようなことでありますれば、それも私はけっこうではなかろうかと思います。
○杉山委員 私は高等農学校も農業大学もけっこうでございます。大体学枝ですからそれも置いておくことは必要だと思いますが、しかしいま言う、ほんとうに農業の専門の技術家あるいは農業経営のいろんな指導者というものを養成することが必要だということなら大学もけっこうだ。今日の時代ではぜひ大学は必要だ。同じようなものが二つあってはいけないということでやめるということならば、これは実際に間に合う人間をつくるような、いま申したような高等農学校をぜひつくってほしいと私自身は思う。しかしそれにはいま申したような、ただ学問だけではいけないのであって、実際に修得したことを郷土に指導してこういうふうにすればできるのだというような人を養成するような高等農学校をつくってほしい、私はこう思っておるのです。大学をやめるというならば、その校舎を利用し、先生に働いていただいて、そしてほんとうに新しい農業教育をやっていただければありがたいことだと思っているのですが、しかしこれは教育に関することで、文部省がそういうことはいけないのだということであればしょうがないのですが、いま申したように、府がこれをやめるということならば、またつくりかえるということなら差しつかえないということでございますので、これはその人たちに御相談しなければならぬと思うが、私自身としては、いま申し上げたように、せっかくあるものだから、大阪府のような郊外農村の農業として立っていくにはこういうやり方をやるのだという、実際のほんとうの見本をつくっていただくような高等農学校になればけっこうだ、こういうふうに私は希望を持っておるのですが、これは私の希望ですから、私の希望でいきますまいが、そういう希望を持っておるということを申し上げておきたいと思います。日本の農業というものは、いま言ったようなわけで、だんだん減少していくという問題を、ただいま申し上げたように、ほんとうにもっと日本の農業というものを、復興していくとはいかないまでも、日本の農業を維持し、そうして日本の農業でもこういうようなりっぱな生活ができる、こういうようないい生活ができるのだという見本を示していくようにしなければならぬ。農業というものは、これは言うまでもございませんが、こういう仕事は金をもうけることはあるいはむずかしいかもしれないけれども、必要な仕事なのだから、この大切な農業という仕事をほんとうにやることによって——これは精神的な問題を抜きにいたしますが、ぜひそういうふうに日本の農業というものは維持していかなければ困る問題もあるということを私は考えますから、いまちょっとの減少ですぐやめてしまおうという問題でなしに、これをほんとうにやっていく。やっていくといってもなかなかやっていけないから、これを実際にやって生かすためには、いま申したようなことを実際にやってみて、これならやれるというような確信を持たすような農業教育が必要である、こういうふうに思いますので、今度高等農学校を新しく置くのだ——新しく置くならば、こういうようなものを全国各所に置いていただくならば非常にありがたいと思います。こういうふうに考えましたから、ぜひお願いしておるようなわけであります。私のお伺いしたいことはそのほかに別にございませんから、一つそういうような点をお考えいただいて、高等農学校の新しい将来の施策を一つしていただくようにお願いいたしまして、私の質問を終わります。
○荒木国務大臣 先ほど来のお話、端的に申せば、近代的な生きた農業教育ということを目安にして、しっかりやれという御激励でもあり、示唆に富むお話だと受け取ったわけであります。大阪の事例をお引きになりましたが、大阪の短大をやめようとする理由が、大阪府民が学ばないで、よそからの人ばかりだからやめるのだということも、ある程度、地方自治体という立場から考えますれば無理からぬ面もあろうかと思います。さりとて、全国的に見て、短大クラスのものは必要でないとは御説のとおり、言えないことだと思います。それに幾らか関連を持って申し上げれば、もし可能ならば、農業高等専門学校というふうな構想で考えて、お説の方向に沿うような近代的農業教育指導者層を養成するという課題として意味があるのじゃなかろうかと一応考えておりまして、そのことも検討していきたいと存じておりますことを申し添えさしていただきます。
○床次委員長 関連の申し出がありますのでこれを許します。山中吾郎君。
○山中(吾)委員 杉山先生の農業教育思想を実現する方法に関連して聞きたいのですが、各地方の国立大学の農学部に付属の農業高等学校を置くという構想が必要じゃないかと私は思っておるわけです。現在、いろいろの歴史を持っておる県立農業学校を文部省の指導でいわゆる富山の産業学校のように持っていくなんということは、事実上ほとんど不可能だと思う。やはり国が直接やるという腹がまえの立場でないとできない。一応地方大学の学芸学部、教与学部には、付属の実験学校として小学校、中学校、高等学校まであるけれども、日本の場合は、農学部に付属の農業高等学校という構想が、昔から行政的にないのですけれども、現代の日本の農業というものは、これは教育的に違った年度から国が責任を持ってやるというふうな体制がないと私は不可能と思いますね。そこで、いま文部大臣が国立農業専門学校というふうな——むしろ国立水産が何としても必要である。ぼくは科学関係はあと回しでもいいんだと思っておった。それは反対はしましたけれども、できればまたよくしなければならぬので、私も意見を発展さしていいんですが、ただ現在の県立農業を国立に移管して農学部の付属農業高等学校——そうして、思い切って国の方針でそういう新しいやり方をやるというねらいがなければできないと思う。そういう農学部付属の高等学校は、全国で——岐阜大学にあると聞いたのですが、いかがでしょうか。
○小林政府委員 私の知っているところでは二、三ございます。たとえば愛媛大学の農学部に付属の農業高等学校がございます。ただ、これはもと県立の農科大学であったものを国立に移管したということでございまして、その付属学校を一緒に移管さしたというようなことでございます。従来大学の付属学校は、御承知のように、たとえば教員養成関係の実験学校あるいは実習学校として、付属学校の設備があったわけでございまして、ただいまお話しのように、技術者養成のための付属学校というようなものはほとんど類例がないわけでございます。お説のような意味も、むろんわからぬことはないと思いますが、局としては、ただいまの御意見のような線に沿って、農学部に付属の農業高等学校を置くというようなことは、ただいまの段階では考えておりません。
○山中(吾)委員 いま杉山さんの言われたことをほんとうに実施するというならば、県立の農業学校を指導してもそうならない。とてもできるものじゃない。それで、いわゆる国立で最初から、農繁期はうちの田畑で働くことが実習、農閑期には集約授業をやるというようなこととか、思い切ってこちらの構想そのまま実施するというならば、私は国立をまず新設して実験学校としてやる。そして地方に農業高等学校を急増するということも、そこから出発しなければ不可能だ。どんなに言っても、観念的に、努力いたしましょうで終わりになるので……。 それからもう一ついいことには、農学部には非常に広い実習がある。それを農業高等学校の生徒に活用するということが非常に必要だと思う。新しい農業高等学校をつくっても、実習が少ないので、結局学科だけという場合も非常に多いしするので、あの広い大学の農学部の実習を、いまのような構想で活用するということも含んで、そして付属の農業高等学校、そして最初からいまの考えた案でとにかくやらなければならぬ。定時制と全日制という区別は農業高等学校になくして、独特の教育形態のものをつくっていくということをほんとうにおやりになるならば、私はブロックに一つぐらい付属の農業高等学校をつくって、構想を新たにしてやるということでなければ、答弁は政治的答弁に終わると私は思いますが、文部大臣のほうでそういう点もひとつ御検討されてはどうかと思うのですが、いかがでしょうか。
○荒木国務大臣 結論から先に申し上げれば、検討する値打ちがあるとお説のように思います。これは事務当局からしかられるかもしれませんが、直感的にそう思います。というのは、先核も杉山先生にお答え申し上げたのですけれども、むろん文部省と農林省と相談しながら、農業政策的な見地も考慮に入れながう、日本農業の将来のあり方も考慮に入れながら、いままできたと思います。ですから、教育基本法もさることながら、教育基本法がなくても、日本の農業の置かれた立場というものは、何としても大農的な方向をたどらざるを得ないという運命に立たされておるとしろうとながら感じるわけでございますが、そのテンポがあまりにも早いがゆえに、戦前から戦後にかけまして、明治以来の日本の農業のあり方というものは、およそ大同小異の経過を経て少しずつ進歩するという形できたと思いますけれども、ここ数年、さらに今後の数年か十数年か知りませんが、その動きの中における日本農業の宿命というものは、いまお説のような特別の考慮を必要とする、また特別の技術なり学識なりをもってでなければ対処できないという姿が目前に迫まりつつあると受け取るわけでございます。その意味においては、いままで以上に、日本の農業政策の基本的なあり方、見通しというものと相照応しつつ農業教育の場が考えられなければぴったりしない、これは杉山先生御指摘のとおりだと私も感じます。そういうことで、同じ農業高等学校を考えるにしましても、あるいは農業高等専門学校を考えるにしましても、四年制大学の農学部を考えるにしましても——四年制大学は少しは趣きは違うにしても、何らかそこにいままでと事変わった角度からの考慮もあわせて今後の対策が考えられる必要があるというふうに私も感じるわけであります。そういう意味で文部省としても、検討せねばならない一つの課題がそこにある。課題があるから、見物しておるのじゃなしに、現実にその求めに応じる努力があわせてなされるべきものであろう。これはこの場限りでさようならというふうにいたしましても、その必要性は生きて脈々と流れていくものだろうと思いますから、看過し得ない具体的課題だと受け取ります。
○床次委員長 この際王子中学及び商船学校の問題について政府委員より発言を求められておりますので、これを許します。福田初中局長。
○福田政府委員 小林委員からお尋ねのございました北区立王子中学校の問題につきまして、調査いたしました結果を御報告申し上げます。 事件の概要でございますが、東京都北区立王子中学校の三年生小林由美子が高校受験に際し、同校長木住野実氏は、小林由美子の母親が同校のPTAの寄付金募集に反対運動をし、学校に対する悪評を印刷配布しているという事実を書簡及び口頭をもって受験校に通報しているが、そのことは小林由美子の進学に差別的な扱いをしているのではないかという事件であります。この事件に対する都の教育委員会の調査あるいはまたこれに対してとった処置について概要を申し上げますと、次のとおりであります。 一つは、北区立王子中学校木住野校長は、同校三年小林由美子が錦秋学園高校受験のため調査書送付後に、調査書に記入漏れがあったとして学園長あてに二月二日をもって書簡を送っております。同書簡では、小林由美子の母は、昨三十七年十二月十八日校門外において王子中学校を悪評した印刷物を配布し、一方的な内容によって学校は著しく迷惑した旨を記しております。同校の入学試験は二月一日、二日であり、小林由美子は不合格であった。二は、順天高校入学試験において小林由美子は合格しているが、二週間後木住野校長は同校におもむいて主事下平辰雄氏に面談し、王子中学校生徒多数が合格したことについてのお礼を述べ、次いで小林由美子の母の行動についても述べている。この間の行動について木住野校長は生徒指導上母親の学校に対する行動についても十分述べて指導の参考にしてもらう必要があると言っておる。三は、木住野校長の書簡は、調査書に記入すべき内容を、調査書作成のとき多忙のため立ち会うことができなかったので、書簡の形式で調査書の追記というつもりで送付したと言っている、こういう事実でございます。 その次の問題に移りますが、東京都の教育委員会がとりました措置は、木住野校長と三回面接をいたしまして事情を聴取をいたしました。主として都の教育委員会の指導部において指導を加えたということを述べております。一つは、調査書は所定の期日までに所定の形式を整えて出すべきで、このような書簡の形式で追記するのは適当でない、こういう点を指導いたしております。それから二番目は、校長の真意がどのようなものにしろ、選抜の時期に選抜にかかわるおそれのある所定以外の文書を送付するのは穏当を欠く、校長のこの件に関する行動は慎重を欠いたと言わねばならないという注意を指導部からいたしております。三番目は指導部長は北区立王子中学校長会に出席して、校長並びに同教育委員会に対し、調査書作成及びその取扱いについて慎重を期すべきであるということを要望して注意を喚起いたしました。 それから区の教育委員会がとりました措置は大体都の教育委員会と同様でございますが、三月二十日に出ました読売新聞掲載の記事につきまして、校長のとった措置は悪意でないにしても誤解を受けたことは事実である、したがってこの点についてははなはだ遺憾であるということで校長を指導いたしまして、校長はこのような結果になりましたことについて遺憾の意を表しております。そういう措置をとりまして後に、区の教育委員会といたしましては、再度この点につきまして、今後このような事態が起こらないよう管下の学校に対して十分趣旨を徹底させて、木住野校長の遺憾の意を表したという点につきまして十分指導をいたした、こういうことでございます。 以上が区の教育委員会あるいは都の教育委員会のとりました、措置でございまます。これにつきまして都の教育委員会から私どものほうに、以上の点を、事件の概要と、とりました措置について報告をいたしてまいった次第でございます。 以上でございます。
○床次委員長 小林信一君。
○小林(信)委員 それは調査した——調査というか、都の教育委員会や区の教育委員会が調査をした。それを文部省が受け取ってきてそこで発表されただけのことなんですが、文部省のそれに対する見解というふうなものは何ら表明されないのですか、あるいは文部省が都の教育委員会あるいは区の教育委員会に対して指導する何かがあったですか、それはないのですか。
○福田政府委員 この点につきましては、私ども直接この問題について都の教育委員会を指導する必要は認めないと思っております。先ほど申し上げましたように、都の教育委員会としては、校長のとった措置は誤解を受けるような措置で非常に遺憾だということを指導いたしておりまして、校長自身も誤解を招いたという点については遺憾の意を表しております。したがって私どもとしては都の教育委員会と同様に、適切でなかったということは認めております。したがって特にこの問題について都の教育委員会等を指導するという必要はなかろうと考えるのであります。
○小林(信)委員 大体御説明で文部省のこの問題に対する見解というふうなものがわかるわけなんですが、なおこれに対する見解があれば、いわゆる指導とか何とかいうことでなくて、この問題に対する見解というものがあれば、この際御発表願いたいと思うのです。
○福田政府委員 特に見解と申しましても、以上申し上げたほかにはございません。誤解を生むような方法をとったということは適当でないというようなことだけでございます。
○小林(信)委員 その誤解という問題が、要するにその文部省の見解としては非常にわれわれとすればもの足りない。遺憾である。もっとこの点について文部省自体がその事実を調査するということはともあれ、その事実に基づいて、調査に基づいて検討を加え、そして文部省としての正しい判断あるいは見解というようなものはやはり持たなければ——そこから実態に即した教育行政というものは生まれてくるはずなんですから、その点がまことに遺憾に思うのです。 この点でこれから質問をしてまいりたいと思いますが、いま区のほうからいわれた、悪意でないかもしれないけれども誤解があった点は非常に遺憾である、また校長もまことに遺憾であったという意思表示をしておるということでこの問題が葬られるかどうか、文部省はそれをそのまま了解して、それ以外には何も考えないのかどうか、もう一ぺんお尋ねいたします。
○福田政府委員 東京都の教育委員会が調査した結果を見ましても、また法務局の勧告が出されましたその内容を聞いてみましても、最初の錦秋学園の受験の際におきましては、校長からそういう書簡を送っておりますけれども、すでにその前にこの学校の入学決定が行なわれておりまして、到着以前に行なわれていたことは事実のようでございます。したがってそういう書簡を送ったということは適切ではないにいたしましても、学校の入学の合否に影響を与えているとは考えておりません。そういうような事実になっております。 その次の第二の志望校である順天高校の受験におきましても、これはそういう書簡を送り、あるいはまた口頭で面談をしたということになっておりますが、順天高校側の話は、そういうことに関係なく入学を許可したということでございます。その校長が直接話をしておるようでございます。そういうことを考えますと、木住野校長のとりました行動は適切ではないにいたしましても、入学試験そのものには影響はなかった、こういうように私どもは調査書等から見たわけであります。したがってそれ以上のことをかれこれ私どもが申し上げる筋合いのものではなかろうというように思います。
○小林(信)委員 入学の合否に影響なかったとか、それに支障がなかったとかいう問題で葬るべき性質ではないと私は思うのですよ。これは法務局の方も簡単にそんなことでこの問題を処理しておりません。まず教育基本法の第三条ですか、これから考えて、憲法第十四条から考えても、きわめて、これは適当でないなんという問題ではなくて、違反をするという見解を持って問題に当たっているわけなんですが、しかし文部省が入学の合否に影響なかったからたいしたことはないんだ、そういうことはやはり教育者の基本的な問題になるわけなので、この点に厳重な、文部省としての判断、見解というものを持たなければ、ほんとうに憲法に基づき、あるいは教育基本法に基づいて教育をするというふうな態度が薄れてきはしないかと思うのですがね。法務局の見解、教育基本法第三条にもとる、憲法十四条に違反をするという見解に対しては、文部省とすれば同意をしないということにもなると思うのですが、いかがですか。
○福田政府委員 御指摘のように法務局の勧告は、法の前に平等な取り扱いをすべきだというそういう憲法の理念に照らして違反、背反しているというような趣旨であったかと思います。私ども憲法違反云々の問題は、これは法務局におまかせしたほうがよろしいと思います。私どもとしては憲法に違反するかどうかという問題は、この際意見を持ち合わせておりません。ただ教育上の問題としてこれが適当かどうかと申しますと、先ほど東京都の教育委員会が言ったように、これは教育上の問題として、校長のとった措置は、内申書の書き方あるいはきまったやり方に対して非常に異例なやり方をしているという点におきまして、適当でない、そういうことでございますので、私どもはそういうふうに考えております。こういう問題について特に文部省が積極的に乗り出していくということでなく、これは都の教育委員会あるいは区の教育委員会におまかせしてしかるべき問題でないかというように思っております。
○小林(信)委員 憲法の問題は法務局の仕事だから文部省はこの点で検討する必要がない、こういうふうな御意見にも受け取れるのですが、そんなことはないと思うのです。教育をする人が憲法違反をするというようなことがあれば、これは重大な関心を持たなければならぬと思うのですが、私は行政措置をあなたにお聞きしているわけじゃないのですよ。問題は、教育者としての見解は、考え方は、あるべき姿はこうでなければならぬという、そういう考え方を私は聞いているわけなんです。決してあなたにどういう措置をとれとか、あるいはどういう行政的指導をしろということじゃない。都の教育委員会あるいは区の教育委員会に対しても、それは別に文書とかあるいは文部省からの通達とかいうふうなものでなくて、教育行政に当たる者とすれば、あなたの一つの見解があるはずなんで、そういうふうなものを何らかの機会にでも伝えるということは、私はあってしかるべきものだと思うのです。だからそういう場合に、憲法問題というのはとるべきでない。これは非常に遺憾だと思うのです。しかしこの問題がある以上はあくまでも追及し、そして違反しない教育行政が行なわれるように注意していかなければならぬと思います。そこで、適当でないということはおっしゃっておりますが、その印象からすれば、たいしたことはないのだ、さっき言われました入学の合否ですね、受かる、受からぬという問題に影響さえなければ、たいしたことじゃないんじゃないか、こういうふうに問題が処理されておるような気がしてならないのです。あなたの表明された、一応内申書を出したけれども、記入漏れがある、その記入漏れを補う意味でとか、あるいは将来の指導の参考にというふうなことばを取り上げておられるところは、こうした人たちをかえってかばうような感がするのです。学校の先生をかばうということは大事だと思うけれども、やった仕事に対して、それがいいのか、悪いのか、やってはいけないことであるか、やっていいことであるか、こういう的確な判断というものは出しておかなければいけないだろうと思う。うわさにも、この問題が出たときに、文部省の態度は、これは明らかに——事実であるかどうかわかりませんが、教育委員会等を指導する文部省の態度としては、七十五日もたてばそういうふうな問題は薄れてくる、だから、ほうっておけ、こういうふうなことがあったと聞くのですが、いまのお話を承りますと、そのうわさが事実のようにも考えられるわけです。私は、もう一ぺんこの問題に対する文部省のそういう意味の見解をお聞きしておきたいと思います。
○福田政府委員 私は、私の見解を述べろとおっしゃいましたので、先ほどそういう行動は適当でないと申し上げたのでございます。それは私の見解でございます。ただ、いま御指摘になりましたように、何か文部省はこれについて別の指導をしているかのような御発言がございましたが、そういう事実は全然ございません。何かの誤解であろうと思います。
○小林(信)委員 しかし、いまのようなお話を聞けば、そういうふうなことがあり得ると考えられるわけです。あなたの御説明では、おかあさんが学校を悪評した、学校に迷惑をかけた、こう言っていま発表されたのですが、一体どんなことをしたのですか、お述べ願いたいと思います。
○福田政府委員 私の先ほど申し上げました報告は、東京都の教育委員会が調査した結果を申し上げたのでございます。これははっきりしておりませんけれども、ここに学校の周辺でいろいろ訴えたというお母さんなる者の出された書類であろうかと思いますが「王中父母の皆さん、卒業生の皆さん。」という文書がございます。
○小林(信)委員 全部それを読んでみてください。
○福田政府委員 それでは、長いですがごしんぼう願って読んでみます。「王中に木住野校長が来てから、学校の中でいつも不愉快な出来事が絶えません。その影響で子どもたちは不安な毎日を送っています。その反動で子どもたちが言うことをきかなくなり、しかもそれを、ろう下やコンクリートの上に座らせたり、職員室に立たせたりするような体罰で押えようとしています。出来事の例を、あげれば——(1)無理な担任をもたされて、この夏なくなられた谷口先生のお通夜に、多くの教師の反対を押し切って運動会の反省会(飲み会)を強行し、校長は「これが常識だ」と言って平気な顔をしています。老令、病弱、お産の教師が同様に、苦しめられています。(2)一年生では、個人通帳の無い積立貯金——昔の王中で、そうだった頃、利子は先生方のふところに入った。使いこみをした先生もいた。——を一部教師が校長、教頭と手を組んで強行に行なっている。(3)三年の先生方の反対を押し切って、「役得」だと言って修学旅行の下見に行った校長(学年主任と、もう一人、男か女か誰か秘密にしている者、計三名)は比叡山の入場料があることもわからぬまま帰り、当日生徒達は入ることが出来なくなってしまった。下見の報告もしていません。公費で何をして来たのか。そのうえ皆さんから、わけのわからない金を集めはじめました。協力費(五〇〇円)は、一昨年「PTAに入会金があるのはおかしい」ということが問題になって、規約を改正してやめることになっていたものを、PTA会員が、大かた入れかわった頃に、またこれを持ち出して、将来体育館建設の時の諸設備などに使うと言っています。最近の各学校では、義務教育ということから、こういう金は集めない方向に向かっています。「地方財政法」でも禁止を命じています。これは明らかに法律違反です。実行委員会の一員である某区議までが、この集金に賛成で「生活保護の家からも取るべきだ。」と発言しました。先日行なわれた生徒会の役員選挙で、このことを発言した生徒達が、教頭などによばれて、お説教をうけました。真実をつらぬき、正しい発言をする生徒や教師を、おさえつけようとしています。しかも、この非合法的な集金の集まりが悪いので、(二年生の場合二割程度納入)本木先生や、その他一部の担任などが、生徒達に、「校長室に来い」とか「父母をよびだす」とか言って、出すことを強要しています。本木先生はこういうことをする反面、昨年度卒業生の記念品代数万円を持ったまま、まだ記念品を作っていません。)校長や、その側近教師たち(ほんの四、五名)の、このでたらめな行動に目を向け、断固として反対しましょう。(1)地財法で許されているかどうか教育委員会に問い合わせましょう。(2)絶対に、このお金を払わないようにしましょう。もう払ったのでしたら、とりもどしましょう。このような使途不明なお金は、学校内で汚職を生む源泉になります。王中地域子どもを守る会(連絡先、東十条四の八小林(九一一)二二〇五)」こういう文書のようでございます。これがまいたもののようであります。
○小林(信)委員 それはいたずらに学校を誹謗するような態度でもってなされたと思いまするか、あるいは、学校の中に、あるいは学校と父母との間にいろいろなもつれがあって、そういうふうなものがいま読まれたような行動にあらわれたのか、こういう点を御調査されたですか。
○福田政府委員 ちょっと最後のところ聞き落としましたので……。
○小林(信)委員 そういう文書は、ただお母さん一人の考えから出たものか、あるいは学校内部に多少問題がある、あるいは学校と父兄との間にいざこざがある、そういうふうなものがそこにあらわれたのか、そういう点につて御調査されたか、されたところがいあったらお知らせ願いたい。
○福田政府委員 これの一々につきまして私どもは存じませんが、こういう文章にして書いたものをやはりPTAやその他一般の方に配布されるということは、これは学校の立場としては非常にいろいろな問題がありますので、困る問題ではないか。そういう、ここに書いているようないろいろなこまかい事柄につきましても、ただこの母親の人が全部確認をしておるものかどうかわかりませんけれども、聞くところによりますと、学校の中の先生に一緒にそういうPTAの反対運動と申しますか、そういうことについてやっている方がおるらしい、そういうことを聞いておりますが、もちろん詳しいことは私どもは存じません。東京都教育委員会ではそういうことを申しております。こういうのをいきなり配布するということは適当がどうか、その辺はやはり良識をもって考えるべき問題ではなかろうかと思います。
○小林(信)委員 それは確かに良識に基づいてやればそんなことはないのかもしれませんが、ただそれだけの問題でなくて、それに内在するいろいろな問題があると思うのです。私たちもその事実を的確につかんでおらないけれども、学校の中にも相当複雑なものがあったらしい。それから父兄のほうでも、いまお読みになられた内容全部が真実であるかどうかわかりませんが、PTAの会費五百円の問題は、これは単に学校に対する一つの反発ということではなくて、その末端にもいわれておりますように、こういう費用を父兄から徴収して学校の施設をするというふうなことは地財法でもって禁止せられておるのだ、こういう一つの国の方針からしても、父兄として抗議をするということも現状からすればあり得ることだと思うのですよ。それがたまたま少しひどい文章を配付するというふうな形になったかもしれませんが、根本の問題は単にその入学をしようとした子供のおかあさんだけの問題でなくて、学校の問題あるいはPTA全体の問題というふうなことが検討されなければならない内容を持っているのじゃないかと思うのです。ことにPTAの会費五百円という問題は一応今後はとらないという形にしておったのに、二年分を続けて一年、二年の生徒に取るように校長が強要した。その金を何に使うのか、こういうふうに父兄が使途を究明したら、いまはさしあたって必要ないけれども、今後建てられるだろうと予想される体育館の施設のためにこの金は準備するんだ。将来使う金に対していまこれを蓄積するというふうなことは、やはり父兄が了解できないところなんですね。こんなところから問題が大きくなうたのじゃないかと私たちは予想するのですが、それを校長が強硬に押し切ろうというふうなことをすると、やはり父兄との間に摩擦も出てくるわけなんです。そういうものから出てきたものは、やはり校長にも感情的になるものが生まれてくると思うのですよ。局長は、不適当である、適当でないというきわめて簡単なことでもって処理されますけれども、たとえそれが入学が決定された以後に書簡が届いておるとか、あるいはもう入学が許可されてから順天高校ですかここに校長がたずねてその家庭の事情等を話しただけであって問題ない。問題ないじゃないか。ただ遺憾であったというふうなことで済まされるのですが、これは明らかに子供の問題に対して、おかあさんがどういう態度をとっておろうが、おかあさんがどういう思想を持っていようが、それでもって子供の立場を左右するような行為は、これは絶対にしてはならぬことだと思う。それが教育基本法に定められてある、それから憲法十四条でもこの点が強く規定されてあるわけなのです。私はもうそういうような行為をとる者は不適格な教師であるというくらいの判断をしなければならぬと思うのです。だからどうしろということじゃございませんが、本人がまことに遺憾であったとかあるいは適当でない行為であって、誤解を招くようなことがあって——誤解を招くなんてそんなものをもし教育委員会が文部省に報告してきたら、それは擁護局の勧告というものを忠実に受けてない証拠だと思うのですよ。その程度に文部省が聞きおくというなら、これまた文部省も問題の核心に触れて問題を追及しておらないということにもなると思うのです。 第一番は、いまどういうような問題でもって校長が子供たちが入学する学校に報告したか、学校が悪評されたとかあるいは学校が迷惑を受けたというふうな感情問題でもって、いまのようなことを言い歩いた、これは明らかにできたらその子供の入学を拒否して、報復的な手段に出ようというふうに私は解釈するのですが、いまの経緯から局長はどういうふうにこれをお考えになりますか。
○福田政府委員 報復的かどうかは私は存じませんが、ただいま私が朗読いたしましたような事柄がかりにあるにいたしましても、それはPTAの中の問題でございます。したがってそういうようなPTAの中の運営の問題等につきましては、これこそPTA自体で責任を持っていろいろ相談して解決すべき問題であろうと思います。したがってこういう文書をいきなり配られるということは、校長としては非常に困る。しかも校長の立場としては、その内容は一方的に解釈したもので、学校側にはたいへん迷惑というようなことを言っておりますから、そういうような立場でやるのでなしに、そういう事実があるかないかを十分調査してPTAの中で解決すべき問題であろうと私どもは思っております。 その問題はさておきまして、校長のとった事柄につきましては、これは先ほど申し上げましたとおりに適当ではないというように考えております。したがって私どもとしては、校長も行き過ぎがあったというように考える点については、率直に遺憾の意を表して、今後そういうことが再び起きないように十分注意するということが肝要だと思います。
○小林(信)委員 あなたがおかあさんの配った文書、この問題を重ねて述べられるところを聞くと、やっぱしあなたの頭の中にもこういう父兄がいる以上、校長が子供の入学に際して内申以上のことをしてもやむを得ないのじゃないか、これくらいはあたりまえなことだ、まずおかあさんのやった行為から是正すべきである、こういうような気持ちがうんとあなたにはあるような気がいたしますが、いま論議しておる問題は、そういうものと子供の入学の問題なんというのは絶対切り離さなくてはいけないのだ、子供を評価する場合、子供の進路に対するところの指導、こういうふうなものは親たちがとる行為なんというものには絶対左右させちゃならない、そういうふうに頭を切りかえて学校教育はなさるべきであるという見地に立ってお話をしておるのですが、どうもあなたは、そのおかあさんが文書を配ったとかあるいは学校を誹謗したとかいうことを取り上げがちなんですが、あなたはやはりそこにこだわっておるのじゃないか。それを切り離せということが法務局なんかで勧告した意味だと思うし、またわれわれが今後教育の問題についていろいろ検討する場合には、やはりこれを確立していかなければならぬと思うのです。あくまでもあなたは、不適当である、こういうふうな形でもって葬っておりますが、絶対してはならないことであると、はっきりそこを振り切って処理しなければいけない。こういう御確認を文部省が持っていただきたい。法務局でははっきり教育基本法を取り上げ、憲法を取り上げて、かかる行為は断じてあってはならないことであるときつい態度をもって臨んでおる。でなければ、やはり憲法は守られませんよ。教育基本法はその精神を生かすことができないのです。それに違反した問題を、全然関係のない親の行為等を取り上げてきて、違反したことが多少同情されるとかというような解釈をしたら、憲法は守られぬし、教育基本法というものは生きてこないと思う。こういう見解で文部省が出べきである、こう思ったのですが、残念ながら局長の先ほど来の御答弁を聞けば、そのおかあさんの方に問題を持っていって、そうして校長がとった態度というものは一面同情もしなければならぬ点があるというふうな解釈に立たれることは別に校長を悪く言おうとか、あるいは子供をどうしようとかいう問題ではないのです。あくまでも憲法の精神あるいは教育基本法の精神というものをわれわれは守っていく立場にある。その守っていく立場にある者がどういう判断を下さなければならぬかという点で、あなたの御検討をお願いしているわけなんですが、私たちもいろいろ調査した資料等もこうやって集めてみたんですが、相当学校の中には複雑なものがあるのです。必ずしもそのおかあさんの配ったものがでたらめではない。もちろんそれはPTAの会合とか、あるいは学校の先生とも直接の対談の中で解決するほうが適当かもしれませんが、しかし、よってくるものというのはいろいろなところから出てきているわけなのです。その社会的な問題を、これを子供の入学試験へ持っていくというふうな、そんな校長というものは——全くこれは教育の本質を忘れた行然であって、こんな者がもし文部省や教育委員会でかばわれるようならば、日本の教育はどうなるか。私はこの前も、何となく最近の文部省がそういうムードをつくっているのじゃないか、そのムードの中にこの人たちがおぼれて、はっきり、してはならないことであるのに平気でやっている。まあ私たちの気持からすれば、子供が入学するような場合には、その学校をなるべくよく評価して、そしてその入学を希望する、こいねがうというのが教師の心じゃないかと思うのですよ。あなたは、その入学の合否決定に間に合わしてはおらない、時間がはずれておるというふうなことを言われますが、校長の意図は、間に合わせようとする意図が十分見受けられる。それを何となく避けるというふうな態度を文部省がとっておるのはまことに遺憾だ。何も処置しろというのではない、厳正な判斯を下せ、私はこう言っておる。それでもあなたは、やはりそれ以上の見解というものは出てまいりませんか。出てまいりませんければ、私はもう、これでやめて、そして西村委員が来ておりますので、西村委員に関連して問題を究明していただきます。
○福田政府委員 先ほど来申し上げたとおりでございます。
○床次委員長 西村力弥君。
○西村(力)委員 おくれてまいりまして、小林委員がどういう質疑応答をなさったか聞いておりませんが、この問題、新聞で承知いたしまして、私と小林議員と三木議員、それから法務委員である坪野米男君の四人で北区の教育委員会に参りまして、教育長、指導主事と会って実情を聞いてまいりました。その後社会党の国会対策委員会においてこの問題を重視いたしまして、島上国会対策委員長と私が法務省の人権擁護局長にお会いして、この調査方を依頼してまいりました。その法務省の最終的な結論は御承知のとおりなわけでありますが、私は結論的に申し上げますと、この問題は、本住野なる校長さんが子供を売った事件である。私はそう思っておるのです。文部大臣にお聞きしますが、入学試験に影響ない、影響させるような意図は持たなかったという答弁を本住野校長はいたしておりますが、それはそのまま承認されるものかどうか、常識を持たれる方であるならば、そういう意図は持たなかった、ただ事実を述べただけだ、こういうことはとうてい了承するわけにはまいらぬではないか。事実を述べたにしたって、そのことによって、将来学校の名誉に影響する、あるいは他の生徒に影響する、それをおそれたからやったんだということでは、結局入学さしてもらっては困るんだということになると思うのです。しかも、教育的な立場をとってまいりますと、子供の親に問題をからみ合わせるなんということはあり得べきことではない。そうしてまた入学試験の場合なんかにおいては、子供の入学に幾らかでもよかれと願っていろいろな行動をとるのは、教師のあり方としては当然だ。そのことによって虚偽をやっては悪いけれども、しかし子供の入学によかれと願うのは当然だ、こういうあり方こそ教師本来の姿であると思う。そういう場合にこういう行動に出たことに対しまして、大臣としては、教師のあり方としては絶対にこれは好ましいものではないんだという前提というものは、はっきり認められるものだろうと思うのですが、いかがですか。
○荒木国務大臣 実はその問題それ自体を、私自身としてその全貌を承知いたしておりませんために、的確な責任のあることは申し上げかねます。ただし、いままで聞き得ました、この委員会で知り得ましたことだけを根拠に、それなりの判断をしたことを言ってみろとおっしゃる限りにおいて申し上げさしていただきますが、内申書というものは、本来入学に関連をして出す制度上の問題かと心得ます。その内申書に何を書くことになっておるのか、そのことも実はしさいには存じませんので不正確かもしれませんが、西村さんのお説のとおり、私の常識をもって判断しましても、生徒本人に専属する事柄、そのことが進学します場合の相手の学校当局において参考になるというものが、常識的に内申書の内容だろうと思います。家庭の事情等も当然内申の中に入るべきことになっておるとするならば、これまた生徒本人に密着した受け取り方で、必要な限度にとどまるべきものでもありましょう。したがって、その常識的判断のもとに、先ほど来の事実と御論議等を承りながら、私なりの考え方を申し上げるならば、まず第一に、その校長が入学そのものに影響させようと思ったかどうかの主観的なことは別としまして、すでにして内申書が入学に関連して出さるべきものであるならば、主観的な気持ちいかんにかかわらず影響を持つであろう。ただ現実にはそれがあとになったから、いわば未遂に終わったような形の話でございますから、実害はなかったと言えましょうけれども。そういう判断のもとに内申書に書くべかりしものならば、書き落としたことにミスがある。それが一つ。それから書くべからざるものをミスをしながら追加して通告したとするならば、それもまた別個の一つのミスであると思います。したがって、実害が起こらなかったという現実に立って考えますれば、都の教育委員会、区の教育委員会等がそのことに反省を求め、将来に向かって装飾したという処置で一応十分ではなかろうか。さらにまた都内あるいは区内の学校関係にもそのことを示しながら注意を喚起したとするならば、処置としては、政府委員が申し上げますように、常識的な妥当な線で結着を見ておる問題だ。 御質問の、内申しましたことそれ自体についてどういう判断を持つかということのお答えは、先刻申し上げたとおりでありますが、もう一ぺん簡潔に申し上げますれば、書くべからざるものを書いておったことであるならば、それ自体として今後に向かって装飾さるべきことで、それをまた追加してやったところにも二重のミスがあるようにも思われるので、書くべからざりしことであるならば、それ自体もってのほかのことである、自今それぐらいの区別をなし得るように注意しろという課題であろうと思います。
○西村(力)委員 大臣の答弁は少し形式論理を追っているようなぐあいに私には聞こえる。その第一は、書くべかりしものを書かなかったというならばそれは手落ちだったろう、書くべからざるものを入れたとすれば行き過ぎだったろう、こう言いますが、Kなる子供の母親がPTAの特別協力金ですか、これを集めることに対して反対をし、反対の行動をとる自由というものは、何人にも許されておることではないか。そのよしあしの判断ということは主観的にはできるけれども、これをいいことだ、悪いことだというはっきりした判定をするようなことは法的には許されないのじゃないか、こう思うのです。ですから、この反対行動をとったということが、報告すべき範疇に入るか、報告すべからざる範疇に入るかというようなことは論議のほかじゃないか。それは必要な対象のほかにあるべきものだ。内申書はそれぞれの学校において用紙をつくってやるでしょうが、必要限度というものは、そのうちだれが一体学資を出してくれるだろうか、学習した能力はどういう程度だろうか、こういう程度ならば、これは当然でありましょうけれども、あそこのおやじは前科者だ、あそこのおやじは酒飲みで、そしてあばれておるのだ、そういうようなことを書いたら、むろんこれは大問題になるでございましょう。しかも今度の場合は、憲法に保障された自由なる行為というものを悪ときめつけて、そしてそれを報告しておる。だから書くべかりし範疇に入るか、書くべからざる範疇に入るかという論議は、ちょっと形式的過ぎると私は思うのです。そういうことの自由というものは憲法に保障されておるのだ、そういうことを内申書に書くなんということは許されることではないのだ、こういう考え方をはっきりさしてもらわなければならないと思う。どうですか。
○荒木国務大臣 そのビラをまいたとかなんとかいうことが教育委員会からの報告で出てきておりますから、一応事実だと考えられますが、それを根拠に申し上げるとするならば、お説のとおり、何をしようとかってだとは申さぬまでも、どこからかそういう批判をするビラが手に入ったからそれをまくということ、そのことを制約する理由はないと思います。またそれがそのとおりの事実だとすれば、当然内申書に書かるべき問題ではなかろうと私も思う。ただPTAといういわばその学校をめぐる地域社会の課題のわけですが、その場合の寄付金がどういうことか知りませんが、大多数の人が賛成しておって、一部の人だけが反対だということも自由ですけれども、そのことはおのずからその地域社会以外に口の端にのぼらない姿で適切な措置が講ぜらるべき問題であって、かれこれ国会の場でまでも取り上げられなければならない問題に発展したことに根本的に私は疑問を持ちます。と申しますことは、論議していただきたくないということではありません。その地域社会それ自体だけでケリになるべき問題じゃないか。そのことは言いかえれば、そのことが内申書に書かれたことに誤りがあり行き過ぎがあるということに端を発していることと思うのであります。
○西村(力)委員 では局長にお尋ねしますが、内申書というの峠校長の職権をもってやるのが当然だと思う。その内申書を作成する場合においては校長独自ではやれないはずだ。最後の報告は校長がやるでしょうけれども、ここにはその責任を持つ担任がおるはずでございますから、その人と合議をして、そうして最終的には校長の職権をもって内申しなければならぬ、それ以外の行動というものは職権の逸脱である。こう私は思う。その点はどうですか。
○福田政府委員 内申書を書く場合におきましては、平生の生徒の生活環境なりあるいは家庭の環境について指導上留意すべき事項というのは記入するたてまえになっております。したがって、それはもう一番密接に生徒を知っている担任の教師が書くたてまえでございますけれども、それは校長と相談をして、最終的には学校の校長の責任においてそれを出すということは仰せのとおりでございます。そういうのが慣例であります。
○西村(力)委員 だから一度内申書をそういうぐあいにして出した以上、その後私信をもって、あるいはみずから出向いて、私的に陰口的なものをやるということは職務権限を逸脱しているのではないか、これを明確にしてもらわなければいかぬ。法務省の人権擁護局の判定は、憲法違反、それから教育基本法、学校教育法、あるいは児童憲章の精神に反するというはっきりした判定をしているわけです。それはどういう理念に立つかというと、とにかく差別があってはならないのだという考え方だ。確かにKなる子供は差別を受けたということになる、そういう考え方に立って、そういうものの違反だ、こう言っているわけなんです。その場合においては、当の母親がどうしたとか、何がどうしたとか、K子はこうなんだ、あるいは木庄野校長の日常の性行がこうなんだとか、そういうものは一切切り捨てて、とにかくこの扱いというものは差別待遇をした、こういう立場から判定をしておるのです。それはそのとおりで私は了承する。子供を差別して扱うなんということは、教師として許さるべきはずのものではないのです。ですから、あの判定というものは相当な理論的な根拠、また実際的な力、比重というものを持っていなければならぬ、持っておるのだと私は思うのですが、そのほかに学校教育の立場からいいまして、校長の職務権限は学校長の職責をもってやる限界、その限界以上の行動をこそこそとやっておるというところに職務権限の逸脱があるのだ、これをやはり学校教育法を守る文部省の立場では認めざるを得ないんではないか、認められるべきではないか、こういうことなんですが、そこのところをどう考えるか聞いておるのです。
○福田政府委員 先ほどの御質問に対してもお答え申し上げたのでございますが、東京都の教育委員会においても、その点については適当でないということを言って指導を加えております。私どもとしてもそういう点については適当でないと、同じような見解を持っております。
○西村(力)委員 そういう見解を持つとするならば、先ほど言ったように、全国の学校長に通達を出したというようなことだけじゃなくて、木庄野校長本人に対する処置がなされなければならぬ。職務権限を逸脱して、しかも私をして言わしむれば、先ほど冒頭に言いましたように、このひとによって与える教育界に対する影響は実に大きいものです。校長が自分の子供を落第せしめんとして行動した、生徒が落ちたというようなことは、これは重大な教育界の汚点である、私はそう言わざるを得ない。ですから、職務権限を逸脱してやったとするならば、本住野校長自体に対する処分は当然あるべきなんです。一般的な、訓示的な、再発を防ぐ、そういうことだけじゃなく、これは当然行なわれるべきものだ、こういうぐあいに考える。その処分権者は東京都の教育委員会でございましょうが、しかしながら文部省としてもこれに対するはっきりとした見解があってしかるべきだ、私はさように思うのですが、どうですか。
○福田政府委員 その点につきましても先ほど申し上げましたとおりに、東京都の教育庁は指導部長をして当該校長に注意を喚起して、校長は遺憾の意を表しておるということでございますし、また区の教育委員会におきましても、同様に校長に対して、今後こういうことを再発しないように、厳重に注意を喚起して、校長もそれに対して遺憾の意を表すると同時に、それに従うという意思表示をした、こういうことでございます。
○西村(力)委員 注意を喚起して本人も遺憾の意を表した、こういう処分というのは、学テ闘争とか何かがあると、あなた方がよく使われる戒告、訓告、免職それから減俸、停職さまざまありますが、その処分の中のどれに入るのですか。
○福田政府委員 都の教育委員会がとりました措置は、公務員法に基づく懲戒ではない、ただそういう行き過ぎがあったので事実を警告して、今後あやまちを起こさないように注意をするという措置であります。懲戒処分ではございません。
○西村(力)委員 自分たちの立場を擁護する一番の基本的なところを、実際的にこの文書をやったこと、あるいは口頭で申し入れたことは、入学試験の合否に時間的に影響しなかった。こういうことをよりどころとして、そういうような微温的なというか、ただ単なる注意——このことによりますると、利益にもかかわらぬ、昇給延伸にもならぬ、そういうことであると思うのでありますが、そういうことで事をごまかそうとするということになれば、ごまかそうじゃなくて安易に考えようとするならば、影響するところは実に大きいではないかと私は思う。これは入学試験に影響しようがしまいが、問題の本質は変わらない、こういう立場をはっきり立ててかからなければならないと思うのであります。しかも法務省においては、影響したかしないかというところは最終的に判定ができぬ、実際に調査に行って当たってみて、時間を食ってみて、影響したかしないかということは最終的な判定はできないんだこう稲川人権擁護局長は言っておるんですよ。あなた方に対する報告は、それは時間的に影響しなかったとこういうことを言っておるようでありまするが、まあいずれにしましても、そういうことで、影響しようがしまいが事の本質は少しも変わらないという考え方に立ってものを処置してもらわなければいかぬ、こう私は思うのです。ですからいまのようなことで、処分ではない、そういう微温的な立場で東京都の教育委員会がこのことを処置するということは、これからの教育の上において、実に重大な影響をもたらすものである、私はさように考える。こういうことになりますと、学校のやること、校長の言うことには反対をしないことにしようという空気になる、こういうことは好ましくない。現にそういうことが起きておる。これはもう自分の子供にしっぺ返し食うんじゃたまったものじゃない、やめておこうということにならざるを得ないんです。そういうことは父兄と学校とのほんとうに心からの協力を立てる道ではない。それはそのとおりでしょう。言うべきことは言い、協力すべきところは協力するという形でこそ、子供の成長を願う親と学校の教育が正常な形で進められるわけなんであります。ところがこの問題をそのような形に、ただ微温的に処置することによって、やはりこれはあぶない、おれの子供にしっぺ返しがきてはたまらぬということで、無批判に学校の校長のやり方を受け入れることになってくると、ほんとうの教育の姿というものはあらわれない、とんでもないことになってしまうのです。現にそういう形があらわれつつあるのです。ですから私をして言わしむるならば、単に注意しろよ、注意します。こういうようなことで処置するような問題と本質は違うんだということです。明らかに子供を売ったんですからね。私はこの記事を見て激怒をしました。子供を売る教師なんというものが、注意しろよなんということで済む問題であるかどうか。ここのところは教育のほんとうの姿を守るという立場から、文部省としてはもっとき然とした立場を確立していなければならぬのじゃないか、こう考えるのです。これに対してはあなたのほうではどういう答弁をなさるかわかりませんけれども、ただ私の感情むき出しのようなことであるけれども、私はほんとうの意味の父兄の信頼する学校、教育というものを打ち立てるためには、この問題はほんとうに軽視できないと思う。こういう考え方に立って取っ組んできたわけなんです。大臣にも申し上げますが、ここの学校は日教組の組合員になると転出をさせられる。こういうことで脱退をする、そのことがあなたからいうとたいへん本住野校長の手柄だということになるかもしれません。これはさまざまの方法を持って相当の圧力をかけておる。たとえば主任にしないんです。お前さんが日教組を脱退しなければお前さんを学級主任から引きずりおろす、こういうことである。ところが逆にどうしても転任したい人は、むしろ組合に入って校長からはじき出されるようにしたほうがいい。逆に組合に入って転出をはかろうというようなぐあいにまでなってきておるのです。こんなような姿はまことにおかしいのです。それから現実に石田という子供が、学校の中で子供同士のけんかで、後遺症が残るではないだろうかといわれるほどの傷害を受けた。その際に学校はどういう措置をとったか、けがをしたのは十一月三十日、それであるのにかかわらず三月の十二日になってもなお学校から、校長からその問題に対していささかの連絡もなく、また学校安全会に対する補償の手続もとられない。こんなものは交通事故と何ら変わらない、こういうことを放言している。これが事実かどうかということについては、私はそういう話を聞いただけであるから、なんですが、しかし十一月の三十日に起きた事件が、三月の中ごろになってなおかつ何一つ処置をとられないなんというような、まことにこれではたまったものじゃないです。こういうような状態にしておいて、いたずらに組合弾圧にだけ狂奔しておる。こういうような形になっておるのですが、そのことを抜きにしましても、学校長というものが、三カ月以上四カ月も、子供が後遺症が残るといわれるほどの脳内の出血で苦しんでおるのを、交通事故と変わらないといって放置する。そういう校長が、これで校長の席にとどまるなんというのがおかしいし、私はこの問題の本質から言うて、またこの一例をもってしても——こういうことを言い出すと、小林のおかあさんはこう、だこうだと向こうでは言うかもしれませんけれども、これは向こうは公民としての父兄としての立場、こちらは学校長としてのやるべき仕事の放棄なんだ。だから問題の性質が違う。それをもって小林のおかあさんはこうだこうだというような比較をするとすれば、これはたいへんな誤りです。こういう状態にしておく人が、いま子供を売ったという。このことはすなわち、私は推測していろいろ考えておるのでありまするが、文部大臣、あなたが日教組攻撃、そして口をきわめての悪罵をする、こういうことが知らず知らじ学校長にうつっていく。弾圧に狂奔して、その実績さえあげれば何をやってもいいのだというような、子供を売ってもいいのだというような、そういう安易な気持ちにさせているのだ、私はそう思うのです。ここに日本の教育の危機というものを私は感ずる。ですから、単に訓戒で、そうして本人が今後気をつけますという問題で済んだというぐあいにはいかない。あなたのいままでとった文部大臣としての功績もあるでしょうが、ただ重点は、世間一般の印象すべては、日教組攻撃に終始したというぐあいにいわれておるのですが、それはそれであなたの信念でいいでしょうが、あなたの行動というものは、いますでに本住野校長が子供を売るところまできているのだという、その関連性を私は言うのだ。文部大臣は、私のこの考えに対して、どう考えますか。あまりに誹謗だ、こうおっしゃるかどうか。
○荒木国務大臣 私の日教組批判と、いま問題になっております事件に関連する校長の措置とは、全然関係のないことだと思います。私はあえていろいろ申し上げませんが、倫理綱領の誤りを国民にかわって指摘しておるつもりであります。日教組を脱退しろなどと言ったことはない。むしろ、脱退するよりも、民主的組合ならば、一人一人の先生の見識に立っていまの日教組の倫理綱領をつくりかえたらどうだ、そのくらいの元気をお出しになったらどうだということを言っておりますが、脱退しろなど言ったことはない。言えた義理でもない。いわんや、私の話をどう受け取られるか知らぬけれども、その校長が影響を受けたように西村さんおっしゃいますが、私の話でそんなふうな影響を受けて、そんなふうな事柄にくっついてきたとするならば、それ自体がまた別個の非常識さを物語ると思います。それとこれとは全然別個の問題であります。内申書なるものがいかなるものか、逸脱したかいなかということの問題だと考えます。
○西村(力)委員 それでは結論的に言いますが、内申書は逸脱しているかいないかということですが、その一つは、この小林の母親なるものがいかなる行動をしょうが自由だ。憲法で保障された自由の中に入るものである。それを内申とか、あるいは内申でない別な形式で子供の受験先の学校に言うことは逸脱だという考え方と、もう一つは、学校長の内申というものは職権をもってやるべきだ、それ以外の入学によかれあしかれ影響をもたらすようなことをやることは職権を逸脱しておるのだ、これだけは文部大臣はっきり言っておいてもらいたいと思います。本住野校長が順天高等学校に出向いていって、何とかいう教頭に訴えたその行動は明らかに職権を逸脱しておるものだ、こういう断定だけは、はっきりここで最終的にやってもらいたいと思います。
○荒木国務大臣 冒頭にお答えいたしましたときに申し上げたように、ここで承知しました事柄が事実だとして判断しましても、まさしく逸脱しておるというふうに考えます。
○西村(力)委員 それでは終わります。 —————————————
○床次委員長 福田初中局長。
○福田政府委員 鳥羽商船高等学校において起こりました事件について簡単にその事件の概要を御報告申し上げます。 事件の概要でありますが、五月六日及び八日の二回にわたりまして、二年生、三年生の一部の生徒が、一年生の生徒二人に対して暴行を加えたことが被害生徒の申し出によって判明したのであります。学校は直ちに調査を開始し、暴行を認めた生徒は、一応家庭に帰して謹慎をさせた。それから五月十五日に、二年及び三年の生徒は、朝から授業に出ないで集会を開き、学校の暴行生徒に対する処置を遺憾として大部分帰郷した。この間において、学校側としては、帰郷する生徒に対して、駅その他において極力説得をいたしまして、学校にとどまり、授業を受けるように説諭をいたしました。しかし、大部分は帰郷したということになっております。 この事件の原因でございますが、暴行の原因は、五月二日から五日にかけまして、いわゆる連休を利用いたしました学校の休業日に際しまして、一年生の二人が、三年生が指示いたしておりました帰寮時間午後五時に約一時間おくれて帰寮した。それから一年生の二人が帰郷のとき、学校が平生からやめるように指導しておりましたトラック便乗を四日市市の付近まで行なったということに対して、日常二人の態度が上級生の反感を買っておったというような関係からいたしまして、上級生がなぐなったという事件が走きたのでございます。 被害生徒は航海科の一年生と機関科一年の生徒でございますが、いずれも東京都に在住するものの子弟でございます。それからこの暴力行為を認めた生徒は六人で、航海科が三年一名、二年二名、それから機関科三年一名、機関科二年二名、それから暴力行為をしなかったといって否定しておる生徒が航海科三年生に一人ございます。 学校のとりました措置は、ただいま申し上げましたように、極力学校において授業を継続するように説得いたしましたけれども、そのまま生徒の大部分は帰ってしまった。したがって、学校側としては、その後父兄側に呼びかけまして、極力学校に帰って授業を受けるように指導を加えてまいりました。その結果、五月二十日から各学年とも平常授業を行なうようになりました。したがって、全部帰ってきたわけでございますが、この暴行事件に関連いたしまして、なぐった生徒の処置のこと、あるいはまた寮の生徒ほとんど全部が自宅に帰ってしまった、これをいろいろ煽動いたしました生徒等の処置につきましては、具体的な事実をいろいろと学校側で調査をいたしまして、その結果に基づいて何らかの処置をとりたい、こういうことでございます。この間におきまして学校側といたしましてはすでに現在平常授業を継続いたしておりますけれども、できる限り今後こういう事件が再発しないように、生徒に対しましても十分訓戒をいたしますと同時に、父兄の会合を開きまして父兄側にも十分生徒の指導について協力を求めると同時に、今後学校側が生徒に対して指導をする、そういう指導方針についても十分協力をしてもらいたいというようなことをはかりまして、父兄側からの協力申し出を受けております。 要は、不幸な事件でございますけれども、こういう起きました事件を契機にして今後十分生徒の指導を徹底していく、それには学校側と父兄側とが相協力して当たっていく、こういうような態勢を固めておるのでございます。いま申しましたように現在まだ処置は決定いたしておりませんけれども、学校側として教育的に十分考慮いたしまして適切な処置をとりたい、こういうような段階でございます。 以上簡単でございますが御報告をいたします。
○三木(喜)委員 いま初中局長のほうから事件の概要とその後の経過が述べられました。なお学校のとった態度、とるべき態度というものもその中に含まれていると思います。私がこの前の質問のときにるる申し上げた点は二つでした。その一つはさきの二月には富山の商船高校でこれと全く同じ事件が起こっております。そして五月に入りまして鳥羽高等商船のこの事件が起こったのですが、これはさきがたの王子中学校の事件とその責任の範囲が違って、文部省の管轄下にある国立高等商船学校にこの事件が相前後して起こったというところに、私は問題にせなければならない点があると思うのです。それとともに文部省がいまおっしゃるような説明だけでは済まされないものがあるのじゃないか。その責任の立場に立っての御答弁を願い、あるいは経過の報告を受けたかった。その点に私は遺憾の気持ちを持っております。第二の点は、こうした不祥事件が相次いで起こったことは、こうした商船高校のあり方に問題があるのじゃないか、そうして今後こういう問題を起こさないようにするためには、厳罰主義で進めることが必ずしもよい結果にはならないのではないか。したがってこの問題は慎重な措置によって処理していただきたい。父兄そして生徒、これが納得のいくところの方法において、よく話し合うことによって処理をしてもらいたい、こういうように要望しておいたのですが、ただいまの初中局長の経過の報告は、まるで自分の管轄下以外のところに起こった事件を報告しておられるがごとく私は受け取った。 そこでその二点に基づきまして質問をしたい。生徒の処罰についてはまだ決定しておりませんということですが、すでに処罰は決定して、その子供に通知されたもののようですが、なぜそのように処罰は決定していないとおっしゃいますか。
○福田政府委員 その前にちょっと申し上げますが、富山の商船高等学校におきましても大体似たようなケースが起きましたことは私も非常に遺憾に思います。したがって商船高等学校におけるいわゆる全寮制度の生徒の指導のしかたについて、各商船高等学校ともにその徹底を期していきたいということで学校長会議等も重ねておったやさきに、この問題が続いて起こったというので、非常に遺憾でございますが、この問題が起きましてから私もう一つ非常に残念に思っておりますのは、富山の場合は非常に父兄の御協力もあって、非常に不幸な事件でございますけれども、トラブルもなく決着したわけでございます。今度の鳥羽の事件は父兄が多く関東方面におるために、あるいは学校側の意思と父兄側の意思が十分疏通しなかったという点も一つの原因ではなかろうかと思いますが、父兄側の一部にはいわゆる東京情報と称して学校側に非常に圧力をかけて処分をさせまいという動きがあるようであります。学校側としましてもこの処分をするかしないかということが問題ではなくして、生徒の指導訓育という問題から考えまして、今後こういう問題が二度と起こらないようにやるということが目的でございます。したがってその処分をことさらに重くしようというようなことを考えているわけではないと思います。私は学校側に対しましても、今回の事件は遺憾であるけれども、慎重に、しかも十分父兄側の理解を得た上で処置をすべき問題だということをくれぐれも申しておるわけでございます。先ほど私は、まだ処置をいたしていないと申し上げましたのは、あるいは三木委員には関係のほうから大体の学校側の考え方というものを申し上げたと思いますので、御存じと思いますけれども、生徒に対する処置はまだ行なっておりません。今日の段階において行なってないのが実情でございます。
○三木(喜)委員 そうすると私のほうの聞き違いだったのかもしれませんが、私の不在のときにこういう処分を決定したということで文部省のほうから通知をもらったのです。それはだれが出されたのか、金子さんの話だったかその辺が明らかにならないんですけれども、大体のケースを私は聞きました。 それからいまおっしゃった中でたいへんなことをおっしゃったと思うのですが、東京情報と称して処分させないよう圧力を加えた。これは富山の場合と違って父兄が足元にいなかったから非常に問題の解決がおくれたということと別問題で、私は非常にたいへんなことをおっしゃったと思うのです。まずそのうちの東京付近あるいは全国に散らばっておる父兄の層が多いために事件がうまくスムーズに解決つかなかったという点は認めていいと思うのですが、その次の、東京情報と称して圧力をかけた、こういうことをおっしゃることについては何かはっきりしたものがあるのではないかと思いますが、これはちょっと私はお聞きしておかなければならぬことだと思いますので、お聞きしたいと思います。
○福田政府委員 私もあまり具体的なことは存じませんが、学校側あるいは生徒間にそういうことはもっぱら言われておるということを申し上げたのでございます。
○三木(喜)委員 学校側、生徒側がもっぱらそういうことを言っておるというようなうわさ話ではいけないのです。学校からそういう報告を聞かれたとかということをはっきりおっしゃっていただいたほうがいうのじゃないか。あなたは当面の責任者ですから、そういううわさ話ではこのことは済まされないと思いますから、この点を明確にしていただきたいと思います。
○福田政府委員 学校側の関係者がそういうことを言っております。
○三木(喜)委員 そうしますと、さきの富山高等商船事件で、文部省としては事件がかりにそういうようにおさまっても、学校側に対しましてどういう措置をとられたか、さらにはまた今次のこの事件に対して、学校に対してどういうような措置をとられたか、これをお聞きしたい。というのは、なるほど子供、生徒に問題があってこういうようになったといたしましょう。しかしながらそういう子供ができたということにおいても、学校は責任を持たなければなりませんし、なおこうした商船高校の反乱として新聞に大きく出るようでは、学校の責任者も当然このことについて責任を負わなければならぬ。これは法的な責任も負わなければならないでしょうし、道徳的な責任も負わなければならないでしょうし、事件を後に起こさないという、善処するところの責任も負わなければならないと思うのです。私はこの三つが完全に行なわれることにおいて学校側は責任をとったということが言えると思う。これは私は現場に行かなければわからないのですが、現場の校長さんにもあるいは生徒課長さんにもよくお聞きしてから結論を出したいと思いますけれども、私の聞いておる範囲内では、生徒に対して処罰を強くすることがこの事件を解決する道であり、将来においても起こらない道であるかのごとき錯覚を学校は起こされているのではないかというような感じがするのです。その点はどうですか。
○福田政府委員 私どもはこういう事件の起きることにつきましては、学校側の責任は確かにあると思います。しかしながら不幸な事件が起きたことによって今後さらに学校がよくなればまたそれにこしたことはないわけであります。したがってこの事件の再発というようなことを絶対に防止するという観点から、学校側に対して必要な指導をいたすのでありますが、富山の場合におきましては、いろいろ父兄側の生徒の指導方針に対する御協力もあったようでございます。そういうことで富山の経験などをもとにいたしまして、商船校長の会合等においては、いろいろな具体的な問題を検討し、今後これを実施しようというような話をいたしておるわけでございます。現在の鳥羽商船高等学校の校長は学校に参りましてまだそう長くないのであります。したがって土地になじめないということもあるいはあるとは存じますが、何か校長か非常に厳罰主義の人だというような誤解があるとすれば、それは全く誤解ではないか、校長自身はそう厳罰をもって臨んでやることのみが生徒の指導をうまくやる方法ではないということを繰り返して申しております。したがって私はそういう考えであれば校長の意見は尊重すべきだと考えておりまして、十分慎重に処理したいと校長は申しております。
○三木(喜)委員 私の質問は、今申し上げましたような観点から富山の高等商船に対しまして文部省としてはどういうような措置をとられたか、今次の問題について校長の責任はきわめて重いのです。それについてどう考えておられるかということを申し上げたのです。
○福田政府委員 富山の場合は校長に来てもらいまして、私のところでいろいろ具体的な生徒の指導についての注意なり、今後学校側として十分留意しなければならない事柄について校長に対して十分注意をいたしました。校長といたしましても学校側の見解も全く同じでございますから、はなはだ事件としては遺憾であったけれども、今後学生の指導には十分注意をして二度とこういう事件を起こさないということをかたく約束して帰りましたので、その程度にいたしました。いまのほかの問題はまだ最中でございます。これについてはまだ何も私ども考えておりません。
○三木(喜)委員 そうしますと、富山の問題につきましては訓告程度で終わった。それから鳥羽商船高校の問題につきましてはまだ未決定であるということですね。そこで私がいま申し上げました三点について文部省にはっきりと今後の措置を示してもらいたい。 第一は、今後そういうことが起らないよう適当なそして妥当な措置をとってもらいたい。それから学校側の、校長に対しても教師に対しても、私はあとに問題点を言いますから、そういう点も御調査の上で適当な文部省としての責任を明らかにして措置をとってもらいたい。それから生徒、父兄に対して納得のいく解決方法を話し合っていただきたい。そうすることが国立高等学校、特に商船高校の今後のあり方としてよい芽が出てくるのではないか、このように思うのです。 そこでいま初中局長のお話の中で私はひとつ反論したいことがある。その一つは校長は必ずしも厳罰主義で臨んでいないということなんです。しかし私の聞いた範囲内では自由を強要し、そして今までずっと厳罰主義で臨んでおられた、この点は後ほどそちらも調査していただいて明らかにいたしましょう。私も将来国立の商船高校のあり方としてひとつ勉強したいと思いますから、現場へ行ってよくお話も承り日本の文教行政がうまくいけばいいのですから、そういう態度でいきたいと思いますが、文部省のほうにおいてもその点をもう少しよく御調査いただきたいと思います。いま申し上げるのは自白を強要し、そして以前からなかなか厳罰主義に徹しておられる。前校長はそうでなかったそうです。それを文部省の課長さんに聞くと、前の校長がぐうたらだったからこうなったので、むしろ厳罰主義がいまの校長によってとられるから今後よくなるだろうということが一つ。それからもう一つは、私がるる申し上げておるように、処罰するだけで、今後こうしたことの起こらない明るい学校の教育あるいはまた学校の管理ができるのではない、処罰するだけがそうではない。だから処罰することについてよく考えていただきたいということを申し上げますと、文部省の課長は、それを処分権が学校にあるのだからいたしかたありません、これはそのとおりです。学校にあるのですが、こう事件が大きくなり、先がたの荒木文部大臣の話ではないですけれども、国会までこういう問題が波及してくるということになれば、どこかにやはり欠陥があります。私が誇大に申し上げるのかあるいは向こうに、そうした大きな要素があるのか、どっちかに問題があろうかと思います。私はしかしものごとを誇大に申し上げておるつもりはないのですが……。そこで、文部省はようもこれつとめられた、つとめるだけが能じゃない、また突き放すだけが能じゃないと思うのです。やはりここに問題を掘り下げていただくならば、私のいま申し上げた点が真であるかもしれない、あるいは私の思い違いかもしれませんから、この点も調査願いたい、それが一つであります。その点はどうですか。
○福田政府委員 御指摘になりました三点に関連してお答え申し上げたいと思いますが、今後こういう事件が起こらないように妥当な方法を講ずべきだというような御質問でいざいますが、もちろん私どももそう考えております。適当な、方法を相談いたしまして、できる限り起きないような措置を講じてまいりたいと思います。ただ、私先ほど申しました校長の問題は、校長自身か利の前でそういうふうに言っております。したがって、厳罰主義ということで臨んでいるわけではない、商船高等学校は一般の高等学校と違って全寮制度をとっておりますので、訓育という面については一般の高等学校よりやや違った行き方をしている、そういった点で商船高等学校は他に比べたら生徒の非行問題についてもかなりきつい罰を科しておるということは事実でございます。しかしながら、今回の問題について自白を強要しているというようなことはないと私は思っております。 それから校長あるいは教師に責任があれば、もちろん私どもとしては、その実態に応じて校長あるいは一般の教官に対してもしかるべく処置をとりたいと考えております。 それから三番目の生徒、父兄の納得するような解決方法と申しますか、これは父兄側の納得というか理解、特に生徒の指導の問題でありますから、十分父兄側が指導について協力し得るような納得する方法を学校側としても努力をすべきだということを、私も再三話をしたのであります。生徒の中にはいろいろ頑強な生徒もおるようで、生徒全部が納得するかどうかわかりませんが、父兄としては少なくともおとなの立場において、こういう事件についてはかくあるべきだというような良識があろうと思います。父兄の中にはいろいろな考え方の方もあろうと思います。大多数の父兄が良識を持って判断した場合にこういう処置は妥当だというような線があろうかと思いますので、そういう線にできるだけ相談をして了解づくでおやりなさい、こういうように私はお話をしております。そうあるべきだと思います。
○三木(喜)委員 長くなるといけませんからもう一つだけにしておきます。 いま局長のお話の中には、先がたの小林委員の質問のときにも出たような御態度があるわけです。それは言いわけこれつとめる、真相をもう少し掘り起こそうというお考えが見当たらないのです。なぜかといいますと、校長の報告をそのままうのみになさっておる。これが厳罰主義でないと校長は言いますけれども、厳罰主義の事実が出ておるし、私はまた一つ例を申し上げます。まず、いまの二年生、三年生が入学したときの子供といまの子供がどのように減っておるか、いままでどういうように処罰をされて子供がやめていったか、またその処罰の仕方が、単に夕立ちのように気持ちよく子供が受けられる処置であったかどうか、たとえば謹慎を命じても、試験のときを目当てにして謹慎を命じて、試験が受けられないために落第するとか、二回落第したら規定として学校をやめなければならぬ、こういうような処置がとられておる。そして現在生徒がどれだけ減ったかということを検討されたか、これをひとつ御検討願いたい。 それから火兄のことばです。これも間違いがあればいけないと思いますので、父兄のことばとして申し上げておきますが、私は調査しておりませんから父兄から聞いたものですが、生徒課長は全寮制の生徒に対して言うべきでないことを言っておる。これは親元を離れてさびしい気持ちを持っておる子供があるでしょうし、またそれらの子供に対してきびしい教育をするならするで当然とるべき措置、心の持ち方があると思うのです。非常にきびしいけれど、温情ある指導をしていかなければならぬ。それにもかかわらず、生徒課長はほんとうの子供を世話するようにで含ません、一々子供の世話はそんなことでしておられません、こういうことをある処罰する子供の親に対して呼びつけて言っておられる。そうすると、その母親は帰って非常に心配して病気になったという話を聞いております。これはその一例です。あなたのおっしゃっていることに私は一つ一つ反発してあげつらうわけではありませんけれども、そんな話を聞くと、あなたのおっしゃる厳罰主義でない、あるいはまたこういう全寮制の学校に対してとるべき措置でないと、私は申し上げたいのです。これが一つです。 それから、生徒の納得がいくということは困難かもしれません、それだけ世間を知っておりませんし。しかしながら、父兄が納得するかせぬかの問題は、先般の事件のあったあと鳥羽商船高校におきましては父兄会をやった、その父兄会は全国に散らばっておる関係上、必ずしも生徒数に応じてたくさん集まったとは言えません。しかしながら、全父兄異口同音に処分をしてもらうことについては考えてもらいたいというのが圧倒的だったそうです。これが一つと、なお父兄の中には、学校から相当きついことを言われて、これが家元を離れた子供を預けておく学校の先生の言葉かということで非常に心外に思った人が多かった。泣いた人もかなりあるそうで。私はそのように聞いておる。そうすると必ずしも父兄の納得のいく方法はとられていない。私は父兄に迎合せたということを申し上げるのではないのです。父兄もこれなら学校に預けてもいいという納得の線を出したやり方がいいんじゃないか。それから処罰にあたって相当遠距離のところから行かなければならない父兄を四回にわたって引き出して、それがために父兄は、もうこんな学校にお世話になってはかなわぬということで、根気負けして学校をやめさしたというような、まああなたのつかまえておられる話とは全然まるきり反対のことを私は申し上げておるわけなんですが、そういう要素もあるんです。だからその二つを一緒にして一ぺん文部省の責任において調べてみてください。そういういまの調査のような中途はんぱな御調査では私は納得ができない。なお私は文部省の課長とずっとこの問題について応答しておった間、課長は終始学校側擁護に立っておられる。それではよくならないですよ、言いわけばかりしておっては、ここは悪いです、ここは絶対にいいというふうに主張していただくほうがいいと思います。もう一回調べてみてください。私たちも機会があれば行って調査してみたいと思いますので、その点よろしくお願いしたいと思います。この点につきまして局長のほうから何か御答弁があったらしていただきまして、私はこれで終わります。
○福田政府委員 私も決して学校側の言い分をうのみにしているわけではございません。係官を派遣をいたしまして、経過なり事実を調査をいたしまして、その結果に基づいて申し上げておるわけでございます。先週開かれましたPTAの会におきましても、父兄は全国に散在しておりますので、いつも地元の父兄だけしか集まらないのが例でございますが、この事件のために約二百名の父兄の中で百十名程度先週の父兄会には最大と申しますか、一番数が多かったように聞いておりますが、その父兄の集まりのときにおきましても、私どもの受けました報告は、いま三木委員がおっしゃいましたのと少し違うのでありますけれども、学校側としては大多数の父兄は学校側の処置なりこれからの指導方針というものを十分了解してくれた、こういうように報告を受けております。
○床次委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は来たる十四日、金曜日開会することとし、これにて散会いたします。 午後四時五十三分散会