文教委員会 第20号
- 発言数
- 183 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1963/06/03
会議録
○床次委員長 これより会議を開きます。 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案を議題といたします。 これより本案について参考人の方々より意見を聴取することといたします。ただいま出席の参考人は、大阪書籍株式会社取締役社長前田隆一君、株式会社三重県教科書特約供給所取締役社長別所信一君、名古屋市教育委員会事務局教務部長辻晃一君、静岡県教育委員会教育長鈴木健一君、日本出版労働組合協議会副委員長豊田匡介君、東京教育大学教授安藤堯雄君、渋谷区立大向小学校校長近藤修博君、練馬区立開進第一中学校教諭本多公栄君、元教科書編著君徳武敏夫君、以上の方々であります。 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。本日は、御多用中のところ、本委員会の法律案の審査のためわざわざ御出席を賜わりまして、まことにありがとう存じました。ただいま本委員会におきましては、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案を審査いたしておりますが、本案は、広く関心を持たれる重要な法律案でありますので、その審査に慎重を期するため、本日、参考人各位の御出席を賜わり、各界より貴重な御意見を承ることとなった次第であります。つきましては、本案に対する全般的な御意見なり、各参考人の方々のお立場からそれぞれ忌憚のない御意見をお述べ願えれば幸甚に存じます。なお、御意見の開陳は、お一人約十五分程度にお願いすることとし、その後委員諸君の質疑にお答えを願いたいと存じます。 それでは、まず、前田参考人からお願いいたしますけれども、午前中は前田参考人から別所君、辻君、鈴木君、豊田君、以上五人の方に引き続いて意見の御開陳を願いまして、そうしてそのあとにおきまして各委員の方々より御質疑を願うことにいたしたいと思います。午後になりましては、残った四人の方に御意見の御開陳を願いまして、そうしてあと御質疑を願うという順序に取り計らいたいと存じますから、御承知をお願いいたします。 それでは、まず、前田参考人から御意見を承ります。前田参考人。
○前田参考人 今回の法案につきまして、私ども、教科書を発行しております立場から申しましたときに、やはり問題になります点は、資格の指定の問題と採択の問題ではないかと思われるのでありますが、この点につきましていろいろな、こういうことによって小企業が圧迫されるのではないか、また、教科書の検定制度というものが国定化と言いますか、固定化、画一化といったような方向へいくんじゃないかという心配をいろいろ聞きますし、また、新聞その他でも読むのでありますが、これにつきまして私どもの考え方を率直に申し上げたいと思うのであります。 第一の、この資本金指定制度においての中心になりますことは、資本金の問題だろうと思います。ほかの点はもうほとんど問題がないと思います。ところで、資本金につきましては、今回大体一千万円ほどを最低限度にするというような案が内定されております。これにつきまして、私どもの発行会社の全員がつくっております教科書協会というのがあるのでありますが、先月、その理事会において、この問題について意見をかわしましたけれども、その席上、全員、これはやむを得ない、差しつかえないという結論が出ているのであります。もっとも、若干の余裕期間をほしいという意見もありますが、この点も相当の余裕期間が与えられるようでありますから、この点は差しつかえがないというのが大体われわれの意見でございます。総会を開いて、全会員の意見を聞いたわけではありませんが、理事の中には、もちろんいわゆる小会社側を代表される方も数名おられることでございまして、まず、これはみなの意見だと思います。と申しますのは、現在の経済の高度の成長下において、一種類の教科書をつくって売るというだけでも二、三千万円はかかるという事業であります以上は、一千万円の資本金は、これは常識上やむを得ないものであるということはみな考えているわけであります。もっとも現在は非常に寡少資本のところもあるのでありますが、これは一部、ごく個人的な色彩の強い会社であるためというような場合もありますし、また大きい会社が案外資本金が少ないというのは、これは教科書の利益率が非常に低いから増資しにくいという点もあるわけでありますが、しかしいずれにしましても一千万円はやむを得ない、こう考えておるわけであります。 次にそういう点からいいますと、別にこの指定制度によってわれわれの事業が圧迫されるとは考えておらないのでありますが、次は採択の問題になってくるかと思うのであります。しかしこれも一言にして言いますならば、大体において現在の法案の上にあらわれました限りにおきましては、現行の状態からそう急激な変革とは思われませんので、原則的に言えば、われわれとしてはこれによって大きな圧迫、変化があるとは考えておらないのでありますが、あとで申し上げますように、この法案のつくられてまいります過楳における、たとえば調査会の答申その他においては、われわれとしては若干危惧の念を抱いておる点本あるわけであります。そこで採択の問題の中で、やはり一番固定化の方向とか、あるいは小企業圧迫とかいったような問題から考えましても、われわれの立場からいいましても心配になります点は、第一が県において数種選ぶということであります。それから第二が、毎年いままで教科書の採択、変更がありましたのが、四年目に一ぺんということになるということ、第三が県の中を幾つかの地区に分けて、その地区で統一するということ、この三つの問題でありますが、この三つの問題がどういう影響を及ぼすかということであります。 第一の県で数種という、その数種の意味によりますが、もし先般来初等中等局長などがたびたび御説明くださっておられるように、五、六種という意味でありますならば、われわれとしてはほとんど差しつかえはないと思っております。現在支持を受けております教科書は、まず一つの県についていえば五、六種というのは大体以内でありまして、結局あとで言いますような、少数な教科書の存続を危うくするようなほかの問題がなければ、この五、六種という選び方だけからならば、どれかの県にやはり現在の教科書は生き残っていけると思っておるのであります。 次にその採択が数年に一ぺんということは、これはやはりある程度教科書の地盤が固定するといったような面では、あるいはそういう企業に対する自由性を阻止するという点もないとは、言えませんが、現実問題といたしまして、こう毎年教科書が変わるということは、実際われわれの、ことに利益の少ない教科書事業をやっていく上には非常に影響が多いので、この点はむしろわれわれとしては歓迎しているわけであります。 次に、採択の地区を幾つかに分ける問題であります。そしてそこで統一する問題でありますが、これがやはり郡市を単位にするというぐらいのことでありますならば、現状から大きな変化はありませんので、われわれとしてはやむを得ないと考えておりますのみならず、むしろわれわれはこれを歓迎したい面があるわけであります。と申しますのは、現在のように毎年々々教科書が変わり得る、その変わる場合に、どの地区で変わるのか、変わらないのか見当もつかない。また実際は、地方の教育委員会に採択権はあるというけれども、実際の採択の実権は必ずしも委員会になくて、学校にある場合があり、校長にある場合があり、ある特定の先生にある場合がある、またその採択の方式もその地方々々で非常に実態が違っております。そういう状態では、われわれとしましては年じゅう採択のことに気をとられねばならないということでありまして、ちょうどこれは年じゅう総選挙におびえているようなものでございまして、いろいろな意味のむだが非常に多いわけであります。そういうことでございますから、われわれとしましてはある程度企業の自由性を抑えるという面はあっても、やはり合理化という面なり、われわれが安心して仕事ができるという観点からも、この採択の方式を一定してもらいたい、ある程度原則を確立してもらいたい、また委員の選任については、権限と責任を明確にした委員の選任の方式をきめていただきたい、こういうことをたびたび陳情しているわけでありますが、そういうことをするためにも、やはりある程度の地区における統一はやむを得ない、こう考えるわけであります。 いままでは差しつかえない話を申し上げたのでありますが、最後に、それではどういう点に危険があるかという問題について一言つけ加えたいと思ます。 その第一は、郡市などのような範囲を統一地域にすることはやむを得ないと考えるし、むしろわれわれも望んでおる面さえもあるのでありますが、これが県のような大きな地域、あるいは指定都市なんかのようなああいうふうな大きな人口を持った都市といったようなところで統一採択が行なわれるということは、われわれは非常に困ると考えておるのであります。それはどういう点からくるかと申しますと、いろいろ理由はあげられると思いますが、第一に私が訴えたいことは、そういうことでは検定制度というものは有名無実になるということであります。なぜかと申しますと、教科書というものにつきましては年々、やはり教育の内容は指導要領で原則はきまっていましても、その指導の方法等は、年々国内的にもあるいは国際的にも進歩していくのてあります。そういった新しい教育の方法の改善によって新しいくふうをこらした教科書が出てくるという場合に、いきなり大きな地域で採択を受けるということは絶対不可能であります。また特に進歩的な、いろいろくふうをした教科書というものは、そうたくさんの採択は得られないものであります。 そこで、そういうものはどういうところから入っていくかといいますと、やはり県の中心になるようた都市の場合、あるいは大きな都市の場合の中心部のように、研究についての条件が相当整っており、そういう能力のある先生の多いところでそれは採択を受けるのであります。それが採択されることによって、だんだん周辺の地域がそれに従って、またそこの研究会等の様子を見てだんだん採択していく、こういうことで教科書の進歩、したがって教育の進歩があるのでありますが、非常に大きな都市とか県のような広い地域が統一される場合には、そういうものが入る余地がなくなる。結局やはり、なるべく平凡な、なるべく昔からの、ことに小学校は専門の先生というのはおられないのですから、自分たちが昔習ったころのような形で教えられるような教科書ということにならざるを得ないのであります。現実に非常に大きな地域で統一した場合には、そういうふうな先生方の研究熱が非常に停滞し、非常に教育の上の停滞が起こるという現象をわれわれは感ずるわけでございまして、こういう点から、もし検定制度というものをたてまえにされるならば、私どもはそういう大きな地域でこれを統一するということはひとつお考えいただきたいと同時に、このことは法案の上には出ておりませんが、調査会の答申等にもありますように、定価を安くする。これはあらゆる面で合理化することはわれわれも必要であろうと思いますが、ただ教科書の数を少なくしていわゆる建て部数を多くすれば安くなる、こういう考え方は、極端な言い方をすれば、偽装された国定論でありまして、検定制度というものをたてまえにする以上、やはり特色があるすぐれているというような教科書は、少なくこも、検定で支持される以上はこれを生かさなければならぬ。また新しい教科書も取り上げられる余地を残しておかなければ検定制度とは言えないと思います。そういう点で、ただ教科書の数を多くすれば安くなるという考え方で定価などをおきめになることは、これは全く検定制度という名前だけを残して、実は国定にするのと同じことではないかと思います。 それでありますから、大体持ち時間も終わりに近づきましたので結論的に申し上げますと、私どもは、いまの法案が、いまのような線で書かれてあります法案に出ておりますような線でいきます限りは、大局的にはわれわれは差しつかえないだけでなく、ある意味ではいままでのいろいろなむだとかあるいはいろいろわれわれが矛盾と考えておりましたような点が整理されてまいると思っておりますので、けっこうだとは思っておりますが、いまも申し上げましたように、検定制度というものをたてまえにしていくということは、これはあくまでわれわれ業者は、大企業の会社といえども、やはり検定制度を望んでおります。また事実国定にするということは、現在では私はほとんど不可能だと考えております。そういう点から考えまして、検定制度を維持する以上は、現在のような高度の成長下におきましては、もちろんわれわれ自身が経営努力をすべきであって、そういう点で不合理があったり能率が悪かったりして淘汰されることはやむを得ないと思います。また現実にいままでに相当淘汰もされてきておるのであります。しかし検定制度そのものによって、数は少なくともいい特色のある教科書を出していく、あるいは新しいくふうをしていくというものも出ていき、生き残っていく余地がなくなるというような政治であるならば、これはわれわれは困ると考えておるわけでございまして、その点をよくお考えくだされば、われわれはこの法案については何ら反対を申し上げるところはないわけでございます。
○床次委員長 ありがとうございました。 次は、株式会社三重県教科書特約供給所取締役社長の別所信一君にお願いいたします。
○別所参考人 三重県の教科書特約供給者の別所信一でございます。 私どもは教科書発行業者にかわりまして供給の仕事を一手に引き受けていたしておるのでございます。したがいまして、今度のこの無償措置の法案をごらんいただきますとわかりますが、この法案にはまだあまり供給の点は詳しく出ておりません。発行業者の供給事業代行機関であるという関係もあり、またこの法案に供給のことがあらわれておらない関係で、この法案についての参考意見ということは、この際私は差し控えさせていただきたいと思いますが、この法案と同じ趣旨で、ことしの四月に政令で小学校の一年生の教科書が無償給与が実施されました。それを私どもの手で供給をいたしました二、三の事柄について申し上げまして、今後この法案が制定され、その後いろいろ施行細則等ができますときの御参考にしていただければ幸いだ、こういうふうに考えております。 本年四月に小学一年生に教科書を無償で給与いたしましたが、初年度のことでもありまして、非常にこの趣旨の徹底を欠く面があり、事務上の連絡も不十分でありましたので、県の教育委員会あるいは各地教育委員会あるいはまた学校の校長、先生等にはいろいろむだな御心配やらお手数やらをわずらわし、またわれわれ業者のほうもふなれなために、供給を完全にするためにいろいろと苦労をいたしたのでございますが、一言にして言いますと次のようなことになるかと思うのであります。 まず第一に、これは小学一年先の特殊性でもありましょうけれども、児童数をはっきりつかむことが非常にむずかしいということであります。政令にも、教科書は冊数、納入場所、期日等を教育委員会の指示を受けて発行者が学校に納めるということになっておりますけれども、教育委員会のほうではほとんど指示ができなかった。これはひとえに児童数をつかむことができなかったということになるのじゃなかろうかと思います。学齢期の児童数というものはおおよそ各市町村でわかっておるはずでございますけれども、現実には四月四日あるいは八日、始業式の当日でなければはっきりつかめなかったというのがことしのありさまでございます。 それともう一つは、ことしは教科書の納入を始業式の当日かあるいはその前日というふうな指示が文部省のほうから流されておりましたので、ほとんどの学校が始業式の当日あるいはその前日に納本するようにということでございました。業者のほうでは一斉にお納めしたわけでございますが、いま申し上げましたように確実な児童数がつかめられておりませんので、各所に過不足を生じたわけでございます。もちろん納めますその当日以前に、学校に業者がお伺いしまして十分にお打ち合わせをした上で持って行ったわけでございますが、やはり入学式の日あるいはその前日の数は前にお打ち合わせをした薮と誤差がある。御承知のように無償給与ということになりましたので、従来の有償配本とは違いまして、かりに百人の児童のところに二冊足りませんでも、学校はその二冊をだれにするかということで、結局九十八冊全部のものをやはり二冊がととのうまで児童に配本することができなかったわけでございます。そういう関係で、不足数を学校は非常にやかましく言われます。これは当然のことでございまして、明日から授業が始まることでもございますし、児童に教科書が渡らないということではお困りになることはよくわかっておりますので、われわれ業者といたしましても極力その点に苦労をいたしまして、どうやら不足の分はお納めしたのでございますが、また一方反対に事前にお打ち合わせをした部数をお届けにいきますと、二、三部余る学校もあったわけです。ところがこの余る学校のほうは、やはりきょうは都合が悪くて出てこられなかったけれども近日出てくる子供がおるんだから、とにかく学校のほうで預かっておこうということで、一応四月十五日の前期分図書としての取りまとめ締め切り日まで余分なものは学校のほうに預かっていただいていた。この点やはり四月十五日になりましてその児童が出校いたしません場合には、われわれのほうへ残本として返ってきたわけでございます。有償で配本しますときと違いまして、無償でございますから、昔のように古本使用ができるからこの本は買わないあるいは要らないという児童はなかったわけでございます。どの児童も全部必要なものは給与を受けたわけでございますから、児童数の把握さえはっきりできておりますれば、ほとんど過不足はなく、また残本も生じなかったわけなんでございますけれども、児童数の把握が完全にできなかったということと、供給日が始業式当日あるいはその前日というふうに限定されまして、すぐ授業が始まるというような実態でございましたので、過不足を調整するいとまがわれわれのほうにございませんでした。その結果予想以上に残本を生じたというのが現実でございます。 それから事務上の手続でございますが、これはさきにも申し上げましたように、初年度のことでございますから連絡その他不十分であったためであろうかと思いますけれども、学校のほうで業者にお出しになる受領証明書あるいはまた地教委にお出しになる受け取り書等の書類が県教委、教育事務所、地教委を経て学校にまいりますので、その間非常に時間も要し、あるいは途中でまた紛失等のことがございまして、学校へ肝心の書類がいってなかったというようなこともございます。そのためにやはり業者としまして教育委員会と学校の間を何度も往復いたしまして、どうにか書類を整えたというのが実情でございます。しかしどちらにいたしましても、さきに申し上げましたように、教育委員会、学校長さん等の御協力を非常に得ましたので、本年のところは大過なく供給ができました。また書類も大体所定の期日にそれぞれ提出することができたように存じております。 こういう実情でございましたので、これを次の年、かりに、ことしは一年生だけでございましたけれども、将来これが三年生にも及び六年生にも及び中学三年まで及ぶということになりますと、よほどこの書類の手続等にいたしましても、あるいは児童生徒数の把握にしましても考慮をしなければ相当事務上に波乱を来たす。事務上の混乱はともかくといたしましても、それがために完全な供給ができなくて授業に差しつかえるというような事態が起こるのではなかろうかと心配されるわけでございます。との児童生徒数の把握ということは、これは一応の基準の数はわかっておりますけれども、わずか二、三名にしましても転出入というものは避けられませんので、どうしてもその日でなければわからない、あるいはまた転出入があった日でなければわからないということになるのではなかろうかと思います。これはやむを得ないことだと思いますが、次の納本日を入学式の当日かあるいは前日かという、これをもう少し猶予を見ていただいて、かりに三月初旬からでも始めてよろしいということになりますれば、授業開始の日までにはどうしても十分に調整をいたしまして、不足の児童生徒のないように、余分のところのはこちらに引き揚げまして足りないほうに回すということにして、残本を少しでも少なくするようにということができるかと思いますので、この点に余裕を見ていただいたらどうかと思います。 それから書類が、いま申し上げましたように県教委、教育事務所、地教委、学校という順序で流れてまいりますが、やはり県教委、地教委、教育事務所にしましても、いろいろの書類が学校へ流れますので、勢いそういったような大事な金券にかわる用紙が紛失をしたり、あるいは伝達箱のすみに忘れられておったりというようなこともございますので、これはできれば県教委からわれわれの手を通じまして、取り次ぎ供給所が納本後適当なときに学校へその用紙をお届けするようにさしていただいたらどうか。それならばことし起こりましたような紛失等は防げるのではなかろうか、また書類の処理も早くなるのではなかろうか、こういうふうに考えております。 大体本年小学一年生の無償給与を実施取り扱いましたことについて気づきましたことは、以上でございますが、御承知のわれわれ特約取り次ぎ供給業者は、全国で約五千軒ございまして、発行業者にかわりまして、供給責任を代行しておるものでございます。長らくこの教科書の供給にのみ専念いたしまして、今日に至っておるものでございます。国定の当時から検定、さらに今回また無償給与というような一大変革期を迎えることになりましたので、われわれといたしましても、供給の面におきましては、十二分に戒心いたしまして、無償措置がりっぱになし遂げられるように、その一端をになっていくつもりでございます。従来から文部省のほうの絶えざる御指導あるいはまた発行会社さんの御協力等によって、どうにか今日までやってきたわけでございます。何ぶん大ぜいの会員のことでもありますし、また長い間のことでもございますので、いろいろ供給面につきましても、あるいはまた取り次ぎ店を特約供給所が選定します場合におきましても、いろいろの問題が従来も起こってまいりました。そのときどきに十分注意をいたしまして、是正をいたして今日に至っておるのでございますけれども、将来もその心持ちで何とか供給の面だけはわれわれの手で完全に果たしていきたいというふうに考えておりますので、どうかこの後ともにこれまで以上に御鞭撻いただきまして、この無償の給与というような画期的な事業がりっぱになし遂げられますように、それのお手伝いをわれわれにさせていただくことができますれば、たいへんしあわせに存ずる次第でございます。 私の申し上げることは、以上でございます。
○床次委員長 ありがとうございました。 それでは次は、名古屋市教育委員会事務局教務部長辻晃一君にお願いいたします。
○辻参考人 私は名古屋市教育委員会事務局の教務部長の辻晃一でございますが、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市の関係するものを代表いたしまして、意見を述べさせていただきます光栄に浴しましたことを、哀心から感謝しておるものでございます。 このたび政府におかれましては、新入学の小学校第一学年の児童に対しまして、無償により教科書の給与をされましたことは、かってない措置でございまして、新入学児童はもちろん、保護者も心からこの措置に感激しておることと推察しておるのでございます。これは単に義務教育の無償を身をもって示されたばかりでなく、幼心の中にほのかではございますが、国家に対する感謝の意識を強く印象づけたものといたしまして、日本教育のために心から敬意を表するものでございます。政府におかれましては、来年度は、さらに小学校二年にまでこの措置を拡充されますことは、感謝にたえませんが、さらにこの制度を義務教育全学年に拡充されますことを心からお願いしたいと思っておるのでございます。 この無償指貫の実施につきまして、義務教育語草校の教科用図書の無償措置に関する法律案を国会に提出され、またその措置に必要な事項を定めるとともに、無償措置の円滑な実施をはかるために、教科用図書の採択と発行の制度とを整備しまして、この措置の完全実施によりまして、義務教育の充実をはかられますことは、当然のことと存じ上げておるのでございます。 この法案は、総則、無償給付及び給与、採択、発行、罰則、附則とに分かれておりまして、無償の事務を簡素化し、また円滑化し、広域採択等の精神を拡充して、教科書の低廉化と父兄の負担の軽減をはかり、さらに発行に対する過当競争の防止を目ざされまして、供給に万全を期せられておるということは、従来の方法に一大革新をもたらされたものと深く衷心から敬意を表しておるのでございます。 この法案の制定にあたりまして、政府におかれましては、教科書の無償制度調査会の答申に基づいて、さらに地方教育委員会の代表者の意見を徴してつくられたものというふうに聞いておりますが、この取り扱いが慎重で、しかも民主的であるということをねらっておやりになっておることには、敬意を表したいのでございますが、しかしながらこの法案の内容をつぶさに検討さしていただきますと、指定の都市の実情を無視した立案が行なわれておるということは、まことに遺憾にたえません。これは法案の作成過程におきまして指定都市の自主性をお認めになることなく、委員会に指定都市の代表を招いてその意見を聞くということがなくして、立案されたためだと思っておるのでございます。 そこでただいまからその点について意見を申し上げまして、善処方を要望したいと存じ上げておるのでございます。 第一は、指定都市に教科書の選定権を与えられていないということでございます。法案の第十六条には、「指定都市に関する特例」がつくられています。この特例は、採択区の設定のみで、特例としてあげるにはまことに意味のないことだというふうに申し上げるよりいたし方がないと思っております。指定都市の特例を考えていただくならば、当然府県並みの権限を与えていただく特例でなくては意味がないと思っております。従来指定都市には、自治法の改正によりまして十六項目にわたる大幅の権限が付与されておりました。そして府県並みの権限を行使しておるのでございます。教育委員会におきましても、これと同じ精神で、教育の特別の市、すなわち教育特市と呼ばれまして、府県と同様に教員の人事とか、あるいは研修など、あらゆる分野におきまして自主的な運営をしておるのでございます。しかるにこの法案では、教科書の選出については府県に権限を与え、指定都市の選定権を認めておらないのでございます。これは大都市制度を確立した精神にも反し、従来大規模でかつ組織的な研究調査を経て選定採択してまいりました実績を無視しておるものと思われるのでございます。どうか府県と同様な権限をお与えいただきたいということを、まず強くお願いしたいのでございます。 第二番目は、広域採択についてでございますが、この五大市の持っております児童数すなわち小学校の一年生から六年生までをその県に対して見てみますと、横浜市は約十四万人ございまして、神奈川県の三八%を占めております。名古屋市は約十六万人で愛知県の三四%、京都市は約十二万人で京都府の五八%を占めております。大阪市は約三十万人で、大阪府の五三%、神戸市は約十一万人で兵庫県の二五%を占めておるのでございます。このように各府県のパーセンテージが大きいということもごもっともでございますけれども、児童数そのものにおきましても、決して少なくはないのでございます。まず名古屋市あるいは横浜市といったこういう指定都市と他の県全体を考えても、他の県でこれらの市よりも児童数の少ない県がたくさんにあります。もちろんこの広域採択は単に地域の広さというものだけで決定する、こういうのでなくて、この教科書を使用いたしますところの児童の数をお考えになって決定されるものだというふうに考えなければならぬのでございます。教育におきましてのおもな教材であります教科書の選定採択というのは、法案第十一条にその地域の「教育の水準及び自然的、経済的、文化的諸条件を考慮して」、「選定する。」と明記されております。五大市にはそれぞれの特殊の条件を持っていますし、従来からも大規模でまた組織的な研究調査を経て選定採択を行なってきたのでございます。したがいましてその自主性というものを確保していたのでございますので、そういうような事情からいたしましても、何とか指定都市を府県並みに扱っていただきたいということを要望したいのでございます。 第三は、第十一条に教科書の選定を行なうときは、「あらかじめ教科用図書選定審議会の意見をきかなければならない。」また第十七条に「選定審議会の所掌事務、組織及び運営並びに採択地区の設定、採択の時期その他採択に関し必要な事項は、政令で定める。」となっておるのでございます。この場合、選定審議会の人数は大体二十名前後と聞いております。教科書の選定については二十人の選定審議員のみで決定するということは、これはできません。やれとおっしゃても、まことに困難なことで、当然専門的な機能を果たすために、下部機構として、選定の対象となる教科書の種類に応じまして必要な数の調査員を置いて十分検討されるものでなければならぬわけでございます。この場合、任命権者の異なるものをもって組織して、はたして円滑なる運営ができるかどうか、また指定都市の意図を十分反映する保証ができるかどうか、万が一反映できなかった場合の調整措値はどうするかということを考えますと、選定審議会及び調査会の運営はきわめて困難な事態を発生するという心配が多々あるのでございます。さらにまた指定都市の要望する教科書が万が一にも選定のワクに入らなかった、そういう場合の調整は私どもの最も心配しておるところでございます。これらの点を考えますと、教科用図書の選定権並びに採択地区の設定権、これを指定都市の権限とされるというように何とかこの法案を修正いたしていただくようにお願いしたい、これを強く要望いたす次第でございます。以上でございます。
○床次委員長 ありがとうございました。 次は、静岡県教育委員会教育長鈴木健一君。
○鈴木参考人 私は静岡県の教育長でございますが、静岡県におきます教科書の諸問題の実情を中心にただいま御審議になっておられます法律案に対する意見を申し上げたいと思います。 本年四月初めて小学校児童一年生に対しまして、教科書が無償で給与されました。本県におきましては、入学式に校長からそれぞれ児童に手渡されまして、父兄とともに喜びを分かったわけでございます。従来保護世帯の児童等の場合は法律で特別の措置がなされておりましたけれども、いろいろ手違い等もございまして、児童一人残らず同時に教科書を手に入れて、入学の喜びを味わうというようなことがなかなかむずかしい点もございましたけれども、そういう観点からいたしますと、ことしの入学式はまことにうるわしい風景であった、かように考えるものでございます。したがいましてこのような教科書の無償給与が一日も早く小学校全児童、中学校全生徒に対して実施されますよう強く希望するものでございます。かりにこのことが一挙にできない場合がありましても、少なくとも教科書無償に対する計画が明示されまして、したがってこれに対する各地力あるいは父兄の心がまえ等ができますならば、まことに意義があることではないか、こう思います。なお教科書無償に関しまして、地方負担等の問題もあるやに聞いておるのでございますが、教科書に関する限りは地方負担がないのだということがこの法案審議の過程におきまして明確にされますならば、地方公共団体なり父兄はさらに一そう歓迎するものと考えるものでございます。 次に、教科書の採択の問題でございますが、静岡県は現在十九の市と十三の郡がございます。これに対しまして十一の共同採択地区が設けられておりまして、数年来共同採択を実施しておりますが、私の考えではきわめて順調にいっている、かように考えております。本県でやっております共同採択あるいは共同採択地区の状況を申し上げますと、まず共同採択地区ごとに選定協議会というものを設けます。この協議会の委員は校長あるいは教諭あるいは地方教育委員会の職員等、一種目につき三ないし五名程度の委員を委嘱いたします。これは教育事務所長が委嘱するのでございますが、もちろん地方教育委員会と協議をして定めるわけでございます。この協議会は各学校から教科書に関する意見を提出していただきまして、それを中心に教科書の選定に関する協議を行ないますと同時に、県の教育委員会が平素教科書につきまして十分な研究をいたしておりますので、府県の教育委員会から教科書に対する研究の資料を配付いたします。したがって、協議会は各学校の意見あるいは県の研究成果の資料等を中心に協議研究を行なうものでございます。この協議会で協議の結果選定されました内容を、県が中央につくっております採択指導委員会というものがございまして、その採択指導委員会で再検討をし、意見を付しまして地方教育委員会に御通知をいたします。これらの資料をもとにいたしまして共同採択地区ごとの教育委員会が協議をして、原則として一種の教科書を採択をするということになっておる次第でございます。このような採択のシステムができました経過を考えてみますと、県が指導をしたというよりはむしろ自然発生的にできてきたということが言えるのではないかと思うのでございます。言いかえますと、展示会あるいは学校内部での研究のみでは非常にたくさんの種類の教科書に対する万全な研究というものが期しがたい。そこで、現在どの県でもそうでありますが、地区ごとに教科に関する先生方の自主的な研究団体ができております。そのような地域ごとに設けられておりますところの教科の研究会が、教科書問題等も同時に研究するという機運が出てまいったわけでございます。本県におきましては前々から教科書に関する研究を独自でやってまいりましたので、そういう場合の研究資料等も学校あるいは研究会に配付いたしております関係上、そうしたものが一つになりまして、自然にこの両者がそれならば地域ごとに教科書に関する研究をしよう、その研究の結果適当な教科書を採択しよう、そういう機運になってきた、これが本県におきますただいまの採択のシステムの状況でございます。 従来父兄から私どもに対しまして、転校ごとに教科書が変わって困るという御不満、あるいはまたなかなか早く手に入らないという御不満等がございましたが、だんだんそうした問題も解消しておるように思うのでございます。しかしながら現に便宜上あるいはまた県の指導でやっておりますこのシステムは、やはりいろいろ欠陥を持っておるわけでございます。つまりこの方法はあくまで行政指導でやっておるわけでございますから、場合によりましては必ずしも明確な理由はないが、ただ従来からこの教科書を採択しているから、自分のところは従前どおりのものを採択したい、こういうことで協議がととのわないということが間々起きるわけでございます。現状で申しますと、本県では大体県下を通じまして一種目に四ないし六種類の教科書が採択されておりますけれども、ただ同一の採択地域におきましてもやはりいろいろな関係上、二種類以上の教科書がなお採択されているということが実際問題として起きているような状況でございます。また先ほど申しました選定委員会等の委嘱の形式も多少無理がございまして、やはりそういうことを考えました場合に、この採択方式を制度化すということが必要であるという感じを持っておるものでございます。 それからただいま辻参考人から指定都市の立場から採択に対する御見解の御説明があったわけでございますが、私ども県の教育長といたしましては、採択に関しましてはただいま御提案になっております法律の原案でよろしいのではないかという見解を持つものでございます。言いかえますと、今回の改正の御趣旨はあくまで教育的見地に立って、社会移動の激しい昨今、近接地区に転校のケースがきわめて多いのでございますが、そういう際に児童父兄の支障を極力少なくしたいということ、あるいはまた教科書研究の成果をできるだけ積み上げて、これに基づきましてこの県、地方におきます教科書採択により合理性を与えていく、こういう観点からいたしますと、ただいまの原案が最もよいのではないか、かように考えるものでございます。 それから最後に発行者の指定につきましていろいろ論議があるのでございますが、本県におきましては小学校の場合大体におきまして十五の発行者から本が入っておりますし、中学の場合は二十五程度の会社の教科書が入っておりますが、これは従来に比べましてだんだん減少の傾向にあります。従前におきましては間々学校あるいは父兄等から落丁があるとかあるいは製本が悪いとか、あるいは災害の場合になかなか手に入らぬといったような、そういう余裕がないというような苦情があったわけでございますが、漸次改まりつつあるように思うのでございます。したがいまして、教育について十分な力のある発行者によって教科書が供給されることが県の教育委員会としてはきわめて望ましいことでありますので、そういう点におきまして、発行者に対する指定を法律で規制するということはやむを得ないのではないか、かように考えるものであります。 大体以上をもって私の意見は終わります。
○床次委員長 ありがとうございました。 次は豊国匡介君、日本出版労働組合協議会副委員長、お願いします。
○豊田参考人 参考人としての意見を述べるに先だって一言私の立場について述べなければなりません。それは、私が日本出版労働組合協議会の副執行委員長であり、かつ教科書国家統制粉砕推進会議の事務局長であって、直接的には、二十をこえる産業別、地域別労働組合と民主団体並びに個人を代表し、傘下百万近くの労働者を代表する立場にあるわけですが、それと同時に、本日は、労働組合ではない、一連の教科書出版会社、特にその中小業者の立場からする本法案の問題点も述べなければならないということです。何ゆえそういうことになるかということについては、後ほど質疑の過程でも明らかにしたいと考えますが、まずこのことを最初にお断わりしておきたいと思います。 それでは参考人としての意見を述べます。第一に、本法案に対する教科書出版労働者、それを含めた出版労働者、日協組をはじめとする教育労働者、多数の学者、文化人の態度は、絶対に反対であるということです。その理由は、この法案が教科書を無償にするための措置法であるとうたいつつも、その実は教科書に対する致命的な国家統制を目的とする以外の何ものでもないからであります。 その具体的な点については、細部にわたって述べる時間がありませんので、要点だけを申しますが、一つには、本来教師と国民の手にあるべき教科書選定の自由を根本的に否定していることであります。二つには、そこから発して、採択区域、採択期間等を規制して、教科書の数と発行会社の数を強制的に淘汰し、独占集中をはかることによって、発行、供給の面からも現在の検定教科書制度を崩壊せしめ、事実しの国定教科書制度の完了をもたらそうとしていることであります。三つには、教科書発行会社に対する指定制と立ち入り検査によって、教科書作成の自由、教育、出版、言論、思想の自由を著しく脅かしていることであります。四つには、この直接的結果の一つとして、出版労働者、これは教科書並びに直販関係も含みますが、さらにはその関連産業労働者の生活と権利を大きく脅かすおそれがあることであります。五つには、多数の教科書出版会社、特にその中小関係の企業活動を破綻せしめることであります。 ここで、教科書出版労働者の現状について、その一端を述べたいと思います。 政府は、教科書が持つ教材としての重要性、教科書発行会社の公共性を云々し、この法案第四章第十八条から第二十二条において、発行者の指定に関し厳重な規制を行なっておりますが、それでは直接教科書の編集、供給に携わっている教科書出版労働者の賃金や労働条件はどうであるかというと、極端な低賃金と長時間労働がその特徴となっております。このことは、一般に、出版、印刷会社とそこに働く労働者やまた執筆君の中では常識となっておりますが、二、三の数字をあげるならば、昨年七月現在で出版労協が調査した結果によれば、教科書大手十社の平均賃金は、三十五歳の男子で三万二千三十六円であります。ところが出版労協全体の平均は、同じ三十五歳男子の場合、四万三千八百五円であり、実に二万円以上の開きがあります。この労協全体の平均という数字の中には、組合員五人とか四人とかの零細企業の非常に低い数字も含まれていることを考えれば、実態はさらに大きな開きがあります。たとえば、教科書以外の大手六社の平均の場合、三十五歳男子で四万五千八百五十三円であり、その差は実に一万二千八百円に達しています。また長時間労働の面では、残業が月百時間から二百時間にも及ぶという例があり、一カ月間に普通の二倍、つまり二カ月分働かされている例が少なくありません。 このようなことからどういう実態があるかといえば、ある有力会社の編集部員たちの実例ですが、これらの人々は、大学を卒業して勤続二、三年以上過ぎている人々ですが、税込み二万数千円の賃金ではどうしても普通の下宿もできないために、一泊五十円とか百円とかの簡易宿泊所――東京の山谷とか大阪の釜ケ崎にあるようなああいう宿泊所ですが、そういうところに寝泊りして会社に通っております。このようなひどい状態の原因には、もちろん会社側の無理解や低賃金政策というものがあるわけですが、同時に、より根本的には、文部省がそれまで教科書選定権は教師が優先するという教育委員会に対して行なってきた指示――これは一九五二年八月にやっておりますが、それを否定して、教育委員会が優先するという通達を出し、――これは一九五七年七月に出しておりますが、こういう方向によって年々拡大されてきたいわゆる広地域統一採択の推進によって、各社とも営業、宣伝費にばく大な資金を要するようになってきたことが有力な原因となっているのであります。このことは、かつて百数十社あった教科書会社が現在八十六社にまで減少しているということ、それから昭和二十七年以降昭和三十五年まで業界第三位の地位を占めていた二葉株式会社が、三十六年度採択において五百万冊の減少により六億といわれる赤字をかかえてついに倒産し、合併されてしまったことをあげても明らかであると思います。つまり、広域採択が教科書出版労働者にとってはどんなに過酷なものであるか、それは、平時においては極端な低賃金と非人間的な長時間労働の原因となり、しかもその採択合戦で一歩つまずけば、たちまち首切り合理化となって襲いかかるものであるということがいえるわけであります。 こういう点から見ても、本法案の採択地域並びに採択期間にかかわる規制が教科書会社の企業間競争をますます激化させ、労働者にはきびしい労働強化として重くのしかかり、必然的に発行会社の数をとことんまでしぼり上げることは火を見るよりも明らかであります。そしてその被害は、当然中小企業に集中的にあらわれ、中小企業殺しの機能を遺憾なく発揮するでありましょうが、さきの二葉の例にもあるごとく、ひいては大手独占的の各社にも波及して、労働者の大量の失業、教科書業界の荒廃をも招くでありましょう。 しかし、ここでどうしても一言しておかなければならないことは、教科書編集者としての立場にある多くの労働者の長年の悩みと苦しみについてであります。それは、ほかならぬ教科書内容の反動化の問題であります。この点に関しては、ほかの参傍人も述べると思いますが、一九五六年六月に、かつての教科書法案が審議未了、廃案になったにもかかわらず、その年の十一月に教科書調査官が設置され、五八年には検定基準が改正され、その翌年の五九年には、昭和三十六年度用小学校新教科書が第一次検定において実に八二%の不合格を出したことであります。あるいは二次検定で救済したと述べる向きもあるかもしれませんが、問題は、この検定の内容であり、その思想検閲的性格であります。ほんの一例を引いても、「日本国憲法は、また、日本は永久に戦争はしないということを宣言しました。だから、これからは、どんな理由でも、軍備はいっさいもってはならないということになりました。」という記述に対して、憲法第九条については解釈がいろいろあるのだから、この表現は一方的である、訂正せよと要求しております。そして教科書の記述は、その後、「この憲法は、完全に戦争を放棄し、軍備をもたないことを示した世界で最初の憲法である。けれども、二つの分かれた世界の中で、平和国家として進んでいく日本の歩みは決してなまやさしいものではない。」というようなものから、さらにわが国の憲法では、わが国はどこの国とも仲よく交わって、自分から進んで戦争をしないということがはっきりきめてありますというように、変遷していっている事実があるということであります。教科書編集者としての良心から、このような傾向に抵抗し、抗議した人々は、少なからずありましたが、発行会社に対して検定合否という生殺与奪の権限を持つ文部省をおそれる業者は、このような編集者あるいは執筆者を年々排除し、企業として生きるために一歩々々後退を続けております。 しかるに本法案では、これらに加えて、採択地域、採択期間という二重、三重の統制のみでなく、指定制と立ち入り検査という、いわば四重、五重の統制を加えてきております。これではもはや教科書は民編といっても、形式だけで、名実ともに国定に事実上移行することは明らかであります。 このような状況に面して、法案通過を見越した一部業者、特に大手の二、三社では、内部からの批判の声を押え、将来の合理化も考慮に置いて、そこの労働組合人事に介入したり、憲法、労組法にも公然と違反するような就業規則を出したりして、労働者と労働組合により一そう強い圧迫を加えてきております。 そして教育委員会月報正月矛に載った歴史調査官村尾次郎の一文にあるごとく、みずからが調査官という立場にあることを知りつつ、皇国史観に立つ独断論を展開して、しかも今後新しくされる教科書には、筆者は大いなる期待を持つというのであっては、検定に対する自己規制、社内検閲はますます強化され、良心的編集者の第二、第三の犠牲者も考えられる次第であります。 最後に、本法案を貫く国家統制の強い糸は、決して案文にのみあるというのではなしに、諸沢教科書課長の昨年八月、本年三月の言動に見られるごとく、行政指導的やり口の中で着々実態が進められているということ、そのことと、本法案中で、十七条に見られるごとくきわめて重大な事項が、政令への委任条項になっていることをあわせ考えるとき、本法案の危険性はきわめて大きく、まさに教科書国家統制法案であると考えざるを得ないのであります。 以上述べてきた理由から、本法案については、廃案となし、憲法、教育基本法の精神に立って、無条件に即時全面的な教科書の無償を実施することこそ、至当であると考えます。
○床次委員長 以上で午前中予定いたしました参考人の御意見の発表は一応終了いたしましたので、引き続き質疑に入っていただきたいと存じます。 ―――――――――――――
○床次委員長 これより質疑に入りますが、質疑の通告がありますので、順次これを許します。八木徹雄君。
○八木(徹)委員 最初に前田さんにお伺いいたします。本教科書法案を審議する過程でいろいろ委員会においても問題になっておるんですけれども、その中でいまお述べにならなかったことで少し伺っておきたいと思うのでありますが、その第一点は、教科書を国が無償で供給をしようということにいたしますと、当然より質のいい、ということは、書籍として質のいいものがより安く提供できるようにしなければならぬということが、当然起こってこようかと思うのであります。しかし現実の教科書を編集し、印刷をし、発行する過程において皆さんのお立場というものは、労働賃金の高騰であるとか、資材の高騰といったようなことを含めてなかなか安くするということがむずかしい面があるのではないかと思います。その中で議論としていままでの実例から言うと、いわゆる宣伝といったような面に相当な金が使われておるのではないか、そういう不当な、過当な宣伝というものを抑制することを考えなければいかぬじゃないか、こういうことが言われます。そこで本無償法案を通すにあたりまして、それらの宣伝費等に対してどのようなお考えを持っておるかということが一点。 それからいま一つは、皆さんの原価計算の中に、とにかく早くから印刷の準備にかからなければいかぬ、あるいは製本を始めなければならぬということで相当の資金を必要とする、現実にはそれは銀行に借り、あるいは特約供給店のほうから供給を受けていままでやっておるのだと思いますが、本無償法案を進める過程において、当然国自体は前渡金を支給して、それらに対して供給しなければならぬと私たちは思うのですが、その場合にどの時点で前渡金が出ることが望ましいか、またその資金コストというものがどれくらいのウエートを書籍の上に与えておるか、これをひとつ第二点に聞きたいと思います。 それから第三点には、どうも残念ながら、いままでの間に過当競争のためでありますか、ところどころに教科書汚職というものの問題点が、今度郡市単位というような形で広域採択、広域採択というか、中城採択といいましょうか、中域採択になりますと、それが教科書汚職の温床になるのではないか、教科書汚職に対しては当然皆さんが、われわれはそのようなことは絶対ないのだ、われわれは良心に従って絶対にそのようなことはやらないのだという言われ方をしておりますが、それらに対する本法案のいうならば懲罰的なものといいますか、それがこれでよろしいかどうか、あるいはこれではひどいというのかどうか、そこの点、その三点を前田さんにひとつ伺いたい。
○前田参考人 第一の定価を、よい本を安くしていくという点からの問題につきましては、いろいろございましょうが、いまの御質問の点の宣伝費の合理化の面だけにしぼってこの問題にお答えいたしますと、これはちょっとさっきも申し上げましたように、事実この採択の方式とかということがはっきりしていない、また各地でいろいろの方式がまちまちであるということでありますと、これはさっきもお話ししたように、いわば年じゅう総選挙の不安におびえているようなものであって、ちょうど皆さんが御経験のように、議員の本職でないようなことのためにむだな労力や、時間や、金を費やさねばならないというのと似たような、われわれは自分の本職以外のそういうことのためにむだをさせられておるということを非常に感ずるのであります。そういう点からいいますと、やはり採択の方式をはっきり、今度のあれでは政令事項の中に入るのか入らないのか不明確でありますが、一つの統一された地域における採択方式が出ておりませんので、われわれは一番そこに不安を感じているのでありますが、こういう点を明確にしていただくならば、かなり変わってくるのじゃないか。結局宣伝費の問題については、これからあと今後採択をふやしていくということのために、直接名前を知られ、あるいは本の内容を知ってもらう宣伝、それからいま入っているものを維持していくための、地盤を維持していくためのアフターサービスの宣伝、両面があるわけであります。この両面ともに、いま言ったように、もっと合理化すべき点もあります。またわれわれがしなければならないものでなく、もちろん教育委員会においてなさるべきアフターサービスの面もあるわけでありますから、こういう点は今後実際面において検討していけばいいんじゃないかと思います。しかしたとえばほんとうに教科書というものは戦後戦前に比べて進歩もし、また先生方いろいろその趣旨もだんだんわかってくるようになりましたのは、一つはやはり絶えず教科書発行者側と現場との意見の交流がある、そういうチャンスがあるということにあるのでありますから、これはその面のあれは必要でありましょうが、この点においても、先ほど申し上げましたように、いわゆる統一地区における採択の方式、委員の任命等を明確にされればいい。それは当然あとの統一採択における汚職の危険性についての御質問に関係するわけでありますが、この点はいわゆる民主主義ということの理想論からいいますと、一人一人の先生に採択権がある、あるいは一つ一つの学校にあるとも言えますけれども、現実の問題としましては、そこに責任を持った人たちでみんなのあれを代表して慎重にやっていただくということにするならば、汚職というような問題はほとんど少なくなっていくのではないか、こう感じます。むしろオープンな責任の明確な委員の方々でやっていただくことをわれわれは切望するわけであります。そういう上においての罰則規定としましては、いまのものについて、特にこれが過当であるとか、あるいはまた少な過ぎるというような点は別にないわけであります。 それから資金の問題につきましては、これは実際どれだけのものがいつの時期に早く特約等を通して調達されているかということは、全体の実態はなかなか把握しにくいのでありまして、ある程度これは教科書の協会の事務局等でお調べいただかないと、私もちょっと覚えておりませんが、実際は大体大きいところでいうと、六、七月ころから次の年のものの発行準備にかかります。したがって、実際に工貸その他は七月ごろから金が要ってくるわけであります。九月ころからは特約からだんだん金を集めております。現金あるいは手形で集めております。その場合、現金の場合などにはある程度補給利子等も必要としておるわけであります。十二月ころには私どもは八〇%くらいは吸い上げておると思っておりますが、その辺の実態はよくわかりません。ただしかし今後は、この秋以後は、こういう点がどういうふうになってくるかということが、われわれが経営していく上の一番の心配事であるということであります。
○八木(徹)委員 それでは次に別所さんにひとつお伺いいたしたいと思います。 先ほど現場第一線において児童、生徒数の把握に難儀があるという現実的なお話がありました。そうであろうと思いますが、そこで一つだけ伺いたいのですが、教科書が無償になる前も出版会社から児童、生徒に対して供給をやっておられたわけですが、その場合でも同様の悩みがあったんではないか。そこでおそらくは、予想される必要本数の上にプラス・アルファのものを事前に供給を受けて円滑なやり方をしておったのではないかと思いますが、その場合に、返品が出版会社に対して無条件で認められておったのかどうか。あるいは一定部数というものはいままででも、たとえば一%とか二%とかというものは無条件で無償でもらえるようになっておったのかどうか。これは実はどのようにやりましても少々のものをどこかでためておかなければ現実には円滑な供給はできぬと思います。申し込んだ翌日に死ぬという場合もありましょうし、あるいは急に移動してくるという場合もありましょうから、そういうようなものは無償になっても当然やらなければならぬが、その負担をだれが持つかというのは一つの問題点になろうと思うが、いままではそういうものはどういうふうにされておるか、この点を伺いたいと思います。
○別所参考人 おっしゃるとおりで、いままででも児童の数の把握ということは正確にできかねたのでありますが、先ほどもちょっと触れましたように、供給期間が相当ありましたために、その需給調節がうまくいっておったということであります。それと生徒の実数の把握がむずかしいために返残本が出たときのその品物はどうするかということでございますが、これは従来も、またことしの一年生の無償分につきましても、全部出版社の負担になっております。それだけに私どもといたしましては、やはり出版社に徳義的な面から言いましてもなるべく返本、残本の少ないようにつとめておるわけでございます。 それから一定部数のものが出版社から無償でくるというようなことはどうかということでございますが、これは従来もございませんし、今後もないというふうに考えております。
○八木(徹)委員 鈴木さんにひとつお伺いいたします。先ほどのお話の中で、静岡県はいままで郡、市を合わせて十一の共同採択地区があった、その共同採択のための選定協議会は、校長、教諭、地教委の職員等を含めて一科目について三名ないし五名のいわゆる専門家といいますか、協議会委員を選定しておるというお話を伺いましたが、これは非常に参考になると思いますが、その三名ないし五名は先ほど言った校長、教諭、地教委職員等というものに一応バランスをとってやっておったのかどうか。これはもう必ずそういうふうに一名は校長が入るとか、地教委の職員が必ず入るとか、教諭が二名入るとかいうようなそういうものであったかどうか、これを第一点に伺います。 それからいま一つは、指定都市の問題に対して原案どおりでよろしいというお話でございました。近接都市の児童、生徒の移動その他の問題を二点ばかり例をあげておられましたが、どうも言われることがそれだけでは十分でないような感じがする。先ほどの辻さんのお話によりますと、現実にこの指定都市というものは、十二、三万とか、あるいは大阪の三十万とか、みなそれぞれ十万以上の児童、生徒を持っておるということでございますが、それは一つの単位としてかなり大きなものだろうと私は思いますが、それだけで指定都市としての特別扱いをするということは、なお危険だとか、おもしろくないというような理由をもうちょっと具体的に――はだにおられるから言いにくいのではないかと思いますが、これはやはり率直に聞かせておいてもらう必要があろうと思いますので、この二点だけひとつ伺います。
○鈴木参考人 共同採択協議会の委員の構成でありますが、校長一人、教諭一人、地教委の職員一人というようなそういう厳密な条件はつけておりません。むしろ教諭が圧倒的に多いということが言えるのでございます。つまり教科書研究について平素熱心にやっておられる方をもって構成する、こういうことでございます。したがいまして県下全体では約五百六十名くらいの委員が出ておりまして、教科書に関する研究意欲が高まっておる、かように考えております。 それから指定都市の問題でありますが、私どもは今度の採択方式の変更というものは、できるだけ広い範囲において教科書が採択されることをねらっておると思うのであります。これはどちらかといいますと、児童あるいは生徒もしくは父兄の便宜ということを中心に考えておる。したがいまして、あくまで教育的な理由であると思います。 さらにまた教科書の選定にあたりましては、十分な研究をして、その地域における経済性なり、文化性なり、自然的な条件等を考慮して、十分に適切な教科書が選ばれなければならないとすれば、選定の研究あるいは選定に関する協議の場合は、できるだけその教科書に関して権威ある者を集める必要がある、かように考えます場合に、県が選定の委員会を構成するということが最も妥当である、こう思うわけでございます。そういう見地から特に指定都市を例外とする必要はない、こういう考えでございます。
○八木(徹)委員 もう一回鈴木さんに重ねて伺いますが、いままでの選定協議会のあり方はそれでわかったわけです。それによれば、教諭が圧倒的に多かったのだというお話であります。無償供与になって、そして府県に選定協議会が新たに設置される、その場合に静岡の実態としては、その委員にはいままでと大きな変更を来たすような形で委員構成がなされるか、いままでの集約をしたような形でやられる御用意であるか、その点をお伺いしたい。
○鈴木参考人 条例で定められる県段階の審議会等につきましては政令その他で規定されます委員で構成されるわけであると考えますが、そうした審議会に対する資料を提供するのはやはり県の教育委員会の義務であると考えます。そういう意味で平素教科書研究に対して十分な情熱を持ち、かつデータを持っている方々の意見をできるだけ採用して、公正にそれを提示していくという心がまえで今後の運営をはかりたい、こういうつもりでおります。
○床次委員長 次は山中吾郎君。
○山中(吾)委員 前田さんにお尋ねいたしますが、採択権の所在が不明なために非常に不安である、採択権が明確になったほうがいいというお考えなんで、出版業者の立場からはよくその点もわかるのですが、そのときに、採択権が学校にあるというたてまえになると、出版業者のほうでは困ることがございますか。
○前田参考人 私は、採択権が明確であるかないかということを申し上げたのではなくて、法律的な問題はよくわからないのですが、採択の実権の所在が不明確であるということを申したのでございます。この点は、あるいは学校に採択権が法律上いこうといくまいと、その健権というものが校長にある場合もあれば、一教員にある場合もあるし、何ともはっきりしない人にある場合もあるし、教育委員会が持っている場合もある、これが実情なんであります。その点の方式を少しはっきりしてもらいたい。そのためにはある程度、やはり何もかも自由まちまちでは、今後方式も何も立たないだろうから、そういう点からあまり大きな地域はさっきお話したようにちょっと困りますけれども、現在の郡市くらいで統一されるということはやむを得ないだろう、こう考えます。
○山中(吾)委員 わかりました。それでたとえば、教科書ですから、検定というもので国が正しいといったものはどの教科書も教育に使っていいという国家的承認――実際に教育をする学校が選ばないと、人から与えられた教科書からは教育の熱情というものは出てこない。それで、学校で選ぶということは、教諭を含んだ学校という一つの機関がやる。静岡のいいお話があったのですが、そこでお互いに共同研究をして自発的に採択する権限を持った学校の代表、そこの熱心な先生が集まって採択協議会をつくり、行政的に法律的にきめるのじゃなくて、地域でお互いにその地域に適した教科書を研究してきめる、そういう慣行が明確になれば、出版する立場からもそれについて何も不安はないということだと思いますが、その点ひとつ……。 それから、よい教科書をつくるということが出版業者の社会的責任だと私は思います。したがってこういう法案で、幾ら国が無償で出すからといって安くしなければならぬというのは実はおかしいので、父兄の負担で有償にするときは安くしなければ国民の立場からは困る。しかし税金の中からいい教科書をつくるという場合には、PTAの負担の問題も解消しておるわけです。それで無償であるから安い価格でつくらなければならぬということは、もしそういう提案説明があればこれは門違いなんです。よい教科書をつくるために合理的な価格をということでなければならぬと思うので、それで前田さんのお話の、出版業者の立場からの安い価格ということよりも、よい教科書をつくれ、そしてそれに合理的な価格を与えるべきだという御意見は非常に参考になると思います。そういうことで価格の規制とか、そういうものをいわゆる無償を通じてされるということがないように、やはり出版会社の教科書に対する責任の立場から十分に主張されてしかるべきだと思うのです。そういうことを考えて、資本金一千万でも二千万でもそれは別として、そういう出版業者に対する上からの規制というもので、いろいろ皆さんの教科書出版供給の責務を果たす上に心理的に押えられて、またよい教科書をつくるときにも、前に何か、おっかないからどうせにゃならぬという心理的影響を受けるというようなこと、過去の体験を通じてまたこういうことがないかどうか。それは現在率直にこういうところでお述べになっておかれないと、やはりあとでまた無償教科書から出てくる弊害が入ってきて、よい教科書ができることがなくなってくるとたいへんだ。ことに中広地域採択のときに、前田さんのお話しになった、一定の地域を画一的にきめると、なるほど教科書ができると先生が一度使ってみなければいい教科書はわからないのです。幾ら研究しても一年使ってみると欠陥が出る、したがって少しずつ採択されてよい教科書がたくさん採択されるということは自然だと思う。そういうよい教科書の採択の余地がなくなるのじゃないかという御心配があったのですが、その点は確かに私もこういう法案審議の際に考えなければならぬと思う。そこで、いままでの出版業者の立場は、なるたけよい教科書をつくり、文部省の検定もうまく通り、そしていろいろと制肘されないでいきたいという立場の中でいろいろと矛盾があったとか、将来こういう心配があるというようなことがあればお話し願っておきたいと思います。
○前田参考人 いまの採択の問題につきまして、静岡の例をあげられたのでありますが、私も承っておりまして、静岡県は一つの統一採択地域に対する扱い方としては、非常によく民主的におやりになっていると感心したのであります。いま教育長から、やはりそれがある程度制度的に明確になっていないためにいろいろな点でぐあいの悪い点があるというお話がありましたが、私ども実務に当たっている者から言うと、やはり同じ感じがするのであります。今度は、来年はどうなるかということがきまっていないことはいろいろな点で非常に困るのでありまして、そういうことがある程度いいことならやはり制度化していただきたいと思います。 それから、教科書はただ安ければいいのではないということについての御発言は、私どもとしてありがたく思うのであります。これはやはり国民の税金で買っていただくことでありますから、できるだけ合理化することにはわれわれもやぶさかでないのでありますが、実親面からいいまして、現在の教科書は、ほんとうに近代国家として希望されるようなものにするときに、合理化はしてもはたして定価が下がるかどうかということにはわれわれは疑問を感じております。ことにわれわれの人件費、貸金というものは他に比べて非常に少ないのでありまして、ことに教科書は、子供の数が減りこそすれふえることはありませんのと、定価というものはそうたびたび変えられないということも、この高度成長下においては特に成長性がございませんので、格差がひどくなっていくおそれを非常に心配しております。こういう点はひとつよろしく御指導いただきたいと思うのでありますが、心理的な問題等につきましては、実は私どもはあまり心配はしない。ということは、教科書というものはやはり全体客観的に妥当と認められるような内容でやっていくものでございますから、そういう点では私どもはあまり指導要領について危険は感じませんのでございますが、しかし教科書は指導要領がきまったから画一的になるかと申しますと、現実の教科書をごらんになったらおわかりのとおり、非常にバラエティーがあると思います。それは実際の教科書は、学習の指導というものについて年々新しい研究が進んでおりますから、非常なバラエティーがある。そういう意味で前進的ないい教科書は、検定である以上、それが通って、しかもある研究熱心な地域で採択された以上は、それがあまり少なければ別でございますが、少なくも四、五万も採択ざれたものはこれが生きていくことができるようにするということが検定制度を護持するゆえんだと思うのでありまして、定価のきめ方等でもそういうことを考えていただかなければ、これは全く検定制度というものは有名無実となると思っております。
○山中(吾)委員 一つだけ。よい教科書をつくるについてはいわゆる大企業でなければできないのか、あるいはよい教科書をつくるという場合には、小企業でもそこに優秀な人を集めればできるのではないか。資本が大きいからいい教科書ができるということは私はあまり考えない、教育的の意味の教科書はですね。この点についてどうもよい教科書というものは大企業でなければできぬという間違い、先入主が、常識的にだいぶ考えられるのですね。その点も経験をされて、よい教科書は小企業でもできるのだとお考えになっておるかどうか、それをひとつ。
○前田参考人 その点は私は、教科書は何もそこいらでたくさんのあれを製造する襲業とは違うのでありまして、小さい会社でできるものだと思っております。それがまた教科書というものの楽しみでございます。ただしかし、いまのような行き方では、値段のきめ方では、なかなかいい編集人を得がたいと思います。そういう点で採択が少なくても、いいものならば、これが生きるようにしていただきたい、そういうことを切に思います。
○山中(吾)委員 鈴木さん、出版業者の人々は販売が安定するということが一番頭にあるので、とにかく採択を明確にして制度化されることが一番安心だ。これは出版業者の立場からそういうお考えになるということはわかる。今度は教育を進めるという立場の教育長さんの立場からいって、制度的にたとえば先生が自分の教科書を選ぶのに選ぶ権限がない。しかも市町村立の学校は県教育委員会が選定をする。市町村立学校を管轄する市町村の教育委員会は制限されたあとのかすのようなものだけを選ばなければならぬ。そういうことになると教育の自発性というものはだんだ死んでしまうのではないか。そこで私は静岡のいままでの経験の中に、教師が自発的に父兄の声も聞き、またお互いの経験を積んで自発的な一つの自然発生的なものとしてそういう協議会ができ、県も指導行政の立場から資料を出して、そうしてそこから自然にそういう一定の地域、一定の条件のもとに一つの教科書が統一されたということは、教育行政を担当して教育を進める立場からいったならば一番望ましいと考えられておるのではないか。出版業者の人々が制度化ということは、これは教育的に考える必要はない、そう思うのだが、鈴木さんからは先ほどその点について私、御意見を聞かなかったのでありますが、これを法律化すると私はおそらく死んでしまうと思うのです。そこの点は、こういう法案を審議するときに、これは出版業者の安定した立場で、過当競争にならないで、むだ金を使わないでよい教科書に金を投ずるように、同時に、教師が自分で選んだ教科書だという誇り、そういうものを法律的には認めて、そのあとで行政指導、これはお互いの研究ですね。その点についてはどうお考えですか。
○鈴木参考人 先ほども少し申し上げたのでございますが、指導行政で採択が理想的に行なわれるということをわれわれも期待するのでございますけれども、思うようにまいらない。言いかえますと、かりにある教科書が、どういう観点から見てもその地域で最も妥当なものだというように百人が百人賛成をしたという場合がありましても、なお何かそこに過去の伝統とかいろいろな要素が加わりまして、そういうものが採択されない、そういう事情が従来はやはり残っておったということを現実に体験するものでございます。そういう意味からすれば、制度化されて、その制度が、先ほど申しましたような運用よろしきを得てまいりますれば、間々相まって完ぺきな採択制度ができる、かような考えを持っておりますので、むしろ制度化を希望する、こういう意見でございます。
○山中(吾)委員 私は角をためるために牛を殺すという感じがする。先生というのは、教科書がきまりますと、その教科書を同じように使っておれば楽になるんですね。教科書というのは、ときどき変わらないと、やはり教材研究をやらなくなる。一つの教科書を十年も使っておればそれは遊んでおってもできるのですね。そこでどうしても教師自身の中から他の教科書に変えていくというふうな自主性と研究心をそそるために、ときどきは教科書を変えたほうが私はいいと思う。同じいい教科書でも、変えないと勉強しない。そういうふうな中で従来のとおりでいいということは、これはやはり私は反対なのです。しかしこれは法律的に規定してしまいますと、今度さらに逆に、あなたのお考えになっていないような弊害が出るのではないか、これは確かに出ます。そこで、日本人は何かあるとすぐ法律で規制してしまうという悪い習慣がある。現実に傾向がそうなっているなら、なぜその自発性を大いに尊重して、そうして教師の誇りと、みずから選ぶという法律的な立場というものを認めないか。そうなったから、とってしまうのだということはどうも――出版業者の人ならいい。教育長さんがそう考えるのは、ちょっと何かお考えが教育的立場から行政的立場というか、ほかのほうにいっているような感じがするのですが、お話を聞いておるときに、静岡のそういう自主的な先生の力でこうなったということはほんとうに望ましい。日本はそういう意味において教育が進むと思ったのですが、結論のほうにちょっと私ども考えなければならぬようなものが出たわけなのです。それから実際問題として教科書を教壇に立っておる人が選ばなければこれは選べない。その教師のうちの一番すぐれた人を代表者として選び選定の任に当たらせる。教育委員会の職員といっても指導主事でしょう。一般の行政の事務的な人が幾ら入ったってこれは選べないのです。したがって結局教師が自分の使う教科書を選ぶときに、自分の選ぶべきものに対して非常にその教科に一生懸命に努力しておる教師に代表として参加してもらおうという思想が確立していないと、教科書を選ぶについては一般の行政、他のものにまかすというふうな法制的なものができれば、私はもう教育は死んでしまう、たてまえだけは教育的立場を貫き通す必要があるのではないか、こう私は思うのです。ことに検定ということで国によい教科書を確認されたあとは、その教科書のうちどれを選ぶかというのは、私は行政でなく教育だと思う。その点について、ここに局長と課長がおるから、少し行政的にそう言われてはぐあい悪いと思っておられるのか、それを遠慮なく言っていただいて――そういうことは全然ないので、よい制度をつくるということで来ているのですが、せっかく静岡でそういういい慣行ができたのですから、それを法制的に殺すというふうな御意見が出るのは、どうも私ぴんとこないのですがね。いかがです。
○鈴木参考人 ただいまのような採択方式が、従前の小範囲の採択の仕方よりは進歩的だと私は考えておりますが、それにもかかわらず、現状というものはそうした好ましい形態が順調にいかない節がある。そこで、最小限度の法的な制度によってそういう隘路を打開することはやはり必要だ、こう考えます。ただ教師の教科書に対する情熱あるいは研究というものを反映する仕方をわれわれは行政的に十分考えていかなければならぬ。教育委員会はやはり行政機関でございますけれども、教育内容についても平素研究もし、またあるべき教科書について意見も持っております。そういうものを教師の意見を聞きつつミックスして、一定の正しい方向に指導するということはやはり教育委員会としては本来の仕事である、かように考えますので、制度ができたからといって直ちに自主研究が芽をつまれるということにはならぬのではないか、かように考えます。
○山中(吾)委員 何も論議しておるのじゃないのです。県教育委員会はいわゆる指導助言の立場で地方教育委員会に対してあるわけであります。教科書を選ぶということについてこの法律は選定権という新しい権利を県教育委員会に設定しておるのであります。指導行政の立場を貫いていく場合には重要な教科書採択についての資料をお出しになることが、県教育委員会が地方教育委員会に対し、また学校に対する指導行政の立場だ。これがだんだんなくなってくるようになってはたいへんだと考えることと、それから、小、中学校は市町村立ですから、市町村立の学校においてどういう教科書を使うかを県教育委員会が選定権を持つことはあまりにも矛盾する。すなわち、市町村立の学校の管理は市町村教育委員会であるべきだ。そして検定で合格した教科書のどれを採択し、教えるかということは、実は教える当事者である学校が選ぶことが一番望ましい姿である、第一次に市町村教育委員会がそれに対して直接的な指導をやる。第二次的に県の教育委員会が指導して助言し、研究資料を出してやるというんでないと、教育は伸びないと思うのです。この法案は市町村立の学校の教科書の選定権を県教育委員会に与えている。さらに十数万の児童を含む指定都市についても、その採択権を制限しているのは五大市の教育行政旭当者とすればおもしろくない、憤慨すると思うのです。県教育委員会の選定に賛成だというお考えなんですが、まあ静岡は五大市でないからあまり利害関係がないので簡単に言えると思うのですが、教科書採択については私は純粋の行政じゃなくて、教育活動あるいは教育活動に最も密着した仕事だと思うのです。ところが、事実上広地域採択の傾向があり、またある程度望ましい点もあるというので、行政指導によることをやめて法律で画一的にしていくことは危険を非常に感ずるのであります。この点について静岡においてはせっかくいいものができたのですから、殺すことのないようにお考え願うことがいいんじゃないかと思うのです。いずれにいたしましても、県の教育委員会の選定権は市町村の学校の採択権の上級採択権といえばいえる。すなわち選定権は数種を選ぶのですから、その数種の中からさらに一つのものを選ぶ、採択権を二つに分けて、上級採択権と下級採択権と分けたような感じがする。それは県の教育委員会と市町村教育委員会が上級、下級の官庁に移行せしめることになります。しかも県教育委員会が県立でない市町村立の学校の教科書の選定権までとってしまうと、現行の県教育委員会、市町村教育委員会、学校という日本の民主的な教育行政機関のあり方を便宜的な必要から破壊していく感じがするのですが、これはいかがですか。
○鈴木参考人 原案では県が数種の教科書を選定してその中から地方教育委員会、つまり市町村の教育委員会が採択を決定するというシステムであると思います。県は、平素市町村に対して教育行政各般にわたりましてかなり具体的な指導をいたしております。そういういわば指導の一種である、かようにも考えられるわけでございまして、県が十分な努力をもって積み上げた資料に基づいて数種を選定し、この中から選んだらいかがですかということは、決して強制にはならぬと思います。むしろ町村側もそうしたデータによって適切なものを採択できる、かように私は考えます。
○山中(吾)委員 法律はそうではないのです。それはこういう中から選べ、けっこうだというのではないのです。もうこれは選ばなければならぬということになっておるのですから権限なんです。そこに問題があるのです。もちろんまだできていない法律ですから十分お読みになっていないと思うのですが、そこに何か間違いがあるので、この法律は、望ましい数種を向こうに資料としてやってその中からお選びなさいというのではないのですよ。
○鈴木参考人 私も法律をただいまあなた様のお話のように理解しておりますが、私の言い回しがあるいは悪かったかもしれませんが、県が選定したものの中から市町村教育委員会が選ぶということはもちろん承知しておりますけどれも、ただその仕方が県が最終的に決定して押しつけるものではないということを申し上げたわけであります。
○山中(吾)委員 まず静岡の自然発生的な体験を持っておられるので、そういうふうに明るく考えられると思うのですが、これはそうではない、日本全体を拘束する法律になるわけでありますから、静岡のようにいかないので心配しておるわけです。 それから別所さんに伺いたい。児童生徒数を把握することができないので、残本ができてそれが出版元の負担になるから、そうおいそれと多く出して損をするわけにいかないので、最小限ということによって不足の分が出るということですね。これはどうしたらいいかということなんですが、大体実績は、残本は全国的に二%以下、もっと低いと思うのですが、その分を国が予算的に措置していけば解決できると思うのですが、そういうことですか、ほかに何かいい方法がありますか。
○別所参考人 残本の率でございますが、昨年まではおっしゃるとおり小学校の一年半はほとんど残本はございませんでした。ところが本年になりますと、先ほども御説明いたしましたように、需給調節の時間的な余裕がございませんでしたために、――これは全国の例ではございません、三重県の例でございますが、二・七五%の残本ができました。この残本を版元がまるまる損をするというのがこれまでの姿でございますし、本年の一年の残本もそういうことになろうかと思います。そこで出版元としましては、これは相当痛手になるのではないか。自然教科書の定価というものにもあるいは響いてくるのではなかろうかということと、先ほどの御質問にもありましたように、私のほうでこの残本について経済的な責任をちっとも負っていないというたてまえから、われわれとしましては定価の問題云々にかかわりませず、徳義的にやはり発行会社には残本による損害はなるべく少なくさせなければならぬというふうに絶えず考えておるわけでございまして、極力需給調節をして残本を少なくしたい、こういうふうに考えておったのですが、残念ながらことしの一年生はそういう結果を見ました。国家でどうなさるということは私どもしろうとではっきりわかりませんが、法律によりますと、国が購入契約をしてそして市村町教育会を通じて、設置者の学校長を通じて児童に供与する、こういっておるのですが、いつの時点で購入されますのか。ことしの場合は供給いたしまして各学校長の受領証によってその代金が国から支払われておるということでございます。でございますから、結局売れたものだけの代金を業者はいただいた。残本については一切国は関係なさっていない。もしこれがかりに、御承知のように七月に展示会がありまして、七月末には各学校から需要数というものが県教委を経て文部省のほうに参ります。それからそれを検討されまして発行指示というものが行なわれるように聞いておりますが、国が発行業者に発行指示をなさったときに、発行指示をなさった部数だけをお買い上げになるというならば、これは残本についての発行会社の損害というものは相当軽減されるというふうにも考えておりますけれども、これは私直接関係のございませんことですし、発行業者さんもこちらにいらっしゃいますので、この程度にしておきたいと思います。
○山中(吾)委員 あと一点だけ。書類の流れが県教委、教育事務所、地教委、学校に行く間に紛失をしたりする、忘れられたりする。県教委からまっすぐ取り次ぎ所に行って学校にというならばうまくいく。これは教育事務所、地教委をどうしても通さなければならぬという何か行政的にもきっと――いろいろそういうお話をされたと思うのですが、支障があるのか、できるのですか、われわれが努力をしなくても。県教委から皆さんに渡してすぐ学校にというのは事務的にできることなんですか。あるいは国で何かやり方を考えなければ――通牒、政令その他をつくらなければできぬのか。どういうことなんですか。
○別所参考人 政令あるいは通牒で出さなければできないのか、できますのか、その辺のことは私詳しく存じませんが、現実にこの春は県教委、教育事務所、地教委それから学校長というふうに書類が流れてまいりまして、先ほども申し上げましたように、県教委、教育事務所、地教委、学校というものは絶えずいろいろな文書が流れておるわけでございます。つい重要な受領証でございましたけれども、その間停滞をしたり、あるいはまた極端なのは紛失をしたりという事例が三重県下でも相当あったわけでございます。それともう一つやっかいなことは、小学一年生は普通六教科なんです。国語、書写、算数、理科、音楽、図工この六教科なんですが、中にはこの国語が上中下三冊になっておる国語があるわけです。その場合には上中を供給したわけです。各教科ごとに受領証を書くということになっておりましたから、採択の教科書によりましては、学校によって六枚の受領証でもいいところがあるし、七枚のところもあったわけです。その辺が県教委でもあるいは地教委でも十分な御調査ができていないで、中には全部七枚ずつ学校にお配りになったところもある。そうすると一校分、三校分というものは足りなくなるというような事例もございました。そういう点はやはりその学校に教科書を納めております業者でございますれば、すぐこの学校は六枚でいいんだ、あるいはこの学校は七枚要るんだということもわかりまして、適当にお届けすることができるのではないかということと、いまの伝達の途中において滞るというようなことは業者のほうではあるいはなくなるのじゃないか。これはどういうふうでいまの通牒とかあるいは通達がなければできないものか、あるいは簡単に、文部省から教育委員会の方へ、特約を通じて業者に書類を渡せばよろしいということだけでできますものか、その辺は私存じませんが……。
○山中(吾)委員 その辺は今度はこちらの文部省の方であとお聞きしますから、お聞きだけしておきます。 最後に辻さん、静岡の教育長さんのほうが、特定都市の御意見に反対だと言いっ放しで、なお御意見を述べる機会がないようですから、まずそれをお聞きして参考にしたいと思います。
○辻参考人 実は静岡の鈴木教育長さんのお話を聞いておりまして、静岡さんは静岡さんのお立場でお話しになっていらっしゃるんだというふうに私は解釈しております。したがって文部省御当局におきましてもそれはそれとしてお感じになって、また文部省の中でいろいろとお考えいただけることだというふうに私は思っております。そこで私どものほうでお願いしたいと思っておりますのは、とにかくいままで指定都市としての特性を生かして進めてきていただいておるのに、今回この法案だけがそうでないということは、ほかに影響するところもずいぶんあることでございますし、実際地についた教育をするのには、先ほど来いろいろとお話がございましたのですが、ほんとうに議員の先生方からお話があったそのとおりだというふうに私はいまここで拝聴しておりました。そこでその採択の仕方につきましても、私どものほうではまず採択協議会を構成いたしましてその方針を決定し、そしてまた教科書の展示をし、それでもってその展示を見まして研究をし、そしてまた各学校から希望票を出させて、そこでまた採択の協議会を持ちまして、そして名古屋市で申しますならば、名古屋市の教育委員会がその採択を決定したのでございます。ほかの横浜、京都、大阪、神戸御同様でございます。そこで教育委員会で決定したものを各学校で採択をしてきた。そのことはいままで県がおやりになっておったかどうか、県自身が直接おやりになっておったかどうか、その点につきましては私は疑問を持っておるわけでございまして、実際地についたものというものは各市町村がやっておったのであります。私は市町村全部、とこういうふうにおし上げるのははなはだ僣越でございますけれども、とにかく私は五大市の代表でおじゃましておりますものですから、五大市の代表といたしましてその意向をもし述べさせていただければしあわせだというつもりでおじゃましておるわけでございまして、お呼びいただいたことを非常に感謝し、また発言を御要求またお許しいただきましたことにつきまして感謝しておるのでございます。したがいまして私のほうといたしましては、いまのほかのお方の御説明等につきまして、文部省側におきましては特にこの五大市の実情をおくみ取りいただきまして、五大市を府県並みにしていただいてお扱いいただく、この法案を改正していただきたい、それだけをお願いしておるわけであります。なお私ごとばの足らないところがございましたらあとでまたひとつお許しいただきたいと思うのでございますが……。
○床次委員長 この際おはかりいたします。 なお質疑を願うわけでございまするが、鈴木参考人は所用のため早くお帰りになりたいとのことでございますので、この際質疑は鈴木参考人のみにお願いいたしまして、以後の質疑は休憩後に午後にいたしたいと思うので御了承いただきたいと思います。それでは鈴木参考人に対して御発言を願います。村山喜一君。
○村山委員 鈴木教育長にお尋ねいたしますが、これは文部省の初中局の地方課で編さんをいたしました都道府県指定都市教育委員会一覧表というのがございます。それをずっと私調べてみたのでございますが、静岡県のことば私ここで申し上げません、実際五大都市を含む各都道府県がその所掌事務としてやっております問題を、どれだけのスタッフでどういうようなふうにして教科書問題には取り組んでいるのかというのを調べてみました。そこでその調査いたしましたものが、これは文部省で出しているのでございますから、間違いないと思うのですが、それを収録してみますと、こういうような結果が出ているのでございます。たとえば横浜市を含みます神奈川県、この神奈川県は教科書の採択、教職員の研修というのが所掌事務の中にございますが、これは学事係というのが四人、四人でなされておる。それから一方横浜市の場合には教材教具の研究利用、教科用図書の取り扱いという名目になっておりますが、これには指導室というのがありまして、十六名がこれにタッチをしているわけですね。ですから、県のこの指導課の十七名と比較いたしてみますと、実際教科書の問題に携わっているのは横浜市のほうがかえってスタッフはそろっているというのが一つございます。それから愛知県。いまおいでを願っている名古屋市のを開いてみますと、名古屋市の場合には主事が十二名で教科書採択、教科書センター、教科書学用品の給与というところまで所掌事務の中に取り扱っておる。それに対して愛知県は、これは学校教育の指導というのでなされているのだろうと思いますが、高等学校の係が六名、中学校が五名、小学校五名、いわゆる指導主事の人たちがなされていると思いますけれども、教科書の採択とか教科書センターとか、そういうような問題は取り扱っていないように所掌事務の中ではなっております。それからほかのところを調べてみましても、大阪市と大阪府、それから京都市と京都府、それに神戸、兵庫、こういうようなところを調べてみましても、いずれも五大都市の場合には教科書その他教材の採択及び取り扱い、指導というようなのがはっきりしておりまして、それに対しては責任を持った指導主事等が当たっているようでございますが、そのほかのところは京都府にいたしましても、あるいは大阪府にいたしましても、全然いままでやっておいでにならない。こういうような実情が文部省の調査によっても明らかになっている。そういうようなことを考えますと、いままでは指定都市の場合には教科書に対するところの研究、採択あるいは展示、こういうようなものは府県はもう全然タッチしないで、五大のそういう指定都市の教育委員会におまかせをしておった、こういう結果がこの調査の結果から出ている。そうするならば、静岡県のように政令都市を持っておいでにならないところの県の教育委員会の指導助言というものは今日まで有効になされていると思いますが、この五大都市を持っております府県の場合には実績というものはなかったのだということを、この結果は示しているものだと思えば、あなた方がおっしゃる都道府県に選定権、採択権、採択地区の設定権を認めなければならないという理由がどうも薄弱に聞こえるのでございますが、その実績はどういうふうになっているのか、御存じでございましたらこの際お示しを願いたいし、またそのほうが合理的だとおっしゃるその合理的なゆえんというものをひとつはっきりした数字でお示しを願いたいと思うのですが、いかがでございましょう。
○鈴木参考人 ただいま教科書指導の行政の県指定都市あるいは府県の実情を数字でというお話でございますが、私はその数字を実はつまびらかにいたしておりません。ただ、この問題はきわめて重要なことでございますので、われわれの教育長で構成しております協議会等でかなりディスカッションいたしまして、その結果先ほど申し述べたような見解に至ったわけでございまして、今後この制度が成立するならばおそらく各都道府県、特に指定市を持った府県にいたしましても、一そうそうした指導行政の完ぺきを期することができる、かように考えますので、先ほど申しましたような見解をやはり持つものでございます。
○村山委員 ちょっとおそれ入りますが、この問題は、教科書をどう選ぶかということは、教師の人事権を持っているところがいろいろやったほうがいいように私は行政的には思うのでございます。ところが、全国の教育長協議会では、政令都市の場合には御承知のように人事権はその都市にまかされておるのですが、そういうのは不都合だ、だから人事権まで取り上げる方向で府県行政というものが包括的な自治団体であるという立場をもっと強調しなければだめなんだというような、そういうような考え方で論議をなさったのでありましょうか、どうなのでありましょうか。いろいろ御論議なさったということでございますが、都道府県が教科書の採択権も持たなければ、選定権も持たなければやっていけないのだというその根拠が、どういうふうに論議されてそういうことになったのか、お承りいたしたいのでございます。
○鈴木参考人 その論議の過程におきまして、人事権をどうするとかいうふうなことは出ておりません。要するに現行の制度が五大都市におきましては特定の権限を持っておりますが、その権限との権衡をはかる意味において教科書採択についても権限を与えるべきだということには考えない、むしろ教科書採択は児童あるいは父兄等を対象にした教育的見地であるから、人事権と採択権とが別々であっても差しつかえない、こういう見解でございます。
○床次委員長 三木喜夫君。
○三木(喜)委員 私はきょう参考人の皆さん方からいろいろな意見を聞きまして、その中で一番よかったと思うのは、前田さんから、検定教科書のよさというものをわれわれとしては失いたくない、こういうお考えが如実に出た、他の方々からも大小それに触れたお考えがよく出まして、私たちが一番問題にする点がかなり皆さんの御意見ではっきり出てきた、これは非常に喜びとするところです。しかし静岡の教育長さんの場合には、二つの面で私はお伺いしたいと思うのです。 その一つは、いま教科書採択事務の面で村山さんのほうから話がありましたが、私はこれをさらに人事の面とにらみ合わせて、そして名古屋の教育委員会の教務部長の辻さんの御意見とあわせて考えたいと思うのですが、名古屋の辻さんの御意見では、教科書が広領域になれば勢い集中化してくる、集中化することは排除しなければいけない、これは検定教科書の持っておる一つの特徴でありますから、そういう意味合いから述べられたと思います。しかしながら静岡の教育長さんのほうの御意見は、やはり県でこれを握っておることが、握ることが五大市も支配することになるんだ、支配意識に立って私は論じられたような気がするのです。私たちが一番心配しているのは、検定教科書のよさが失われてはいけないという立場から、国家統制になったらいけない、これを非常に心配しておるのであります。これは供給の面でも言えると思うのですけれども、そういう意識が両者とも違っておると思うのです。そこでその立場をひとつ明確にしてもらいたいということが一つです。 それから静岡の教育長さんのおっしゃった中で、これは山中さんも触れておられましたが、県で選定審議会を持っていくということが、いままででも私たちのところは自然発出的に各地区ごとの教科書研究団体を持っておった、それが積み上げられるのだからよいではないか、こういう御意見のように承ったのです。しかしながら、形は、これからはものの順序として、選定審議会が先にやられて、採択の研究等は今度は各地方教育委員会ごとに後に行なわれるので、いわゆる下意上達といいますか、そういう機会が著しく圧縮される、ここに心配があるわけなんです。しかしながらこれが非常にうまくいくんだというお考えですが、ひとつその具体的な方策をお聞きいたしたい。たとえば選定審議会というものは、私の推定では、各公立の小中学校長と教諭によって、大体これは四名、それから私立学校の校長、教諭によってこれは二名、それから国立等の校長、教諭、こう考えていますが、これが二名、四名、二名、二名、その他で現場の意思は約十名ぐらい入るのではないか、これは一般的な考え方ですよ。それから県の教育委員会が五名で、地方の教育委員会が五名ぐらいになって、大体二十名というかっこうがとれるのではないかという構想を持つのです。あなたもこの点についてどういう構想を持たれるか、現場の意向というものがどれだけ入ってくるかということですね。これが非常に危惧の念を持つのです。きょう御発表いただいた御意見では。その点ひとつお聞かせいただきたいと思います。
○鈴木参考人 指定都市の問題につきまして御意見がございましたが、私どもは指定都市に対して、いま支配意識というようなことばがございましたが、さような気持ちではございませんで、指定都市を含む都道府県におきましても、それぞれ教科書研究に対する十分な研究も持ち、あるいは全県的な教科書研究に対する資料等を積み上げて十分整理をしていると思います。したがって県の段階でそうした資料に基づいた選定をしてこれを出すということは、これはむしろ正しい行政指導のやり方だ、かように考えます。 それからもう一点、選定審議会に関するお話でございますが、政令でこの構成が規定された場合はそれに従わなければならぬわけでございますが、先ほど来申しておりますように、教師の教科書に対する研究意欲をできるだけ反映させるというしかたはやはり必要である、かように考えます。したがいまして、構成のしかたで必ずしも十分に教育の直接関係者が入らない場合は、その審議会に対して研究の結果を、資料を十分に提供して、現場の意向というものを組み入れるというしかたでやっていくのが適当ではないか、かように考えるものでございます。
○三木(喜)委員 第一点の現在の傾向なんですが、中小企業にいたしましてもいろいろな集中排除をいま考えておりますね。それから自治体においても大幅に権限を市に移管していったり町村に移管していく傾向がいまあるんですね。それがこの教育の場合だけ、あるいはまた教科書の場合だけ、いままで大体五大市というものは人事権を持っておった。それを市町村の人事権は県が吸収して内申権にしてしまった、今度は教科書に対するところの採択の広さも選定という名前で県に吸い上げていこうという、こういう傾向が出てきているわけです。それがもう一つ進めば国が選定してしまったらいいわけなんです。その考えを大きくすればね。そういうところに非常に危惧の念を持っているわけなんです。いまの世の中の一つの傾向として、一方では地方自治ということによって東京都あたり相当大幅に都の仕事を区に移譲した。清掃事業だとかその他、そういう傾向が出てきておるのです。これを今度県に持ち込まれると相当人員もふやさなければならぬし、やっかいな問題が出てくると思うのです。先がた村山委員も指摘しましたように、人数もふやさなければこれはとてもやりきれませんよね。この事務だけでも。指導行政とかおっしゃいますけれども、相当むずかしい問題が出てくるのではないかと思う。そういう点についての基本的な考えをお聞きしたかったのですが、やはり平行線になっておるような感じがするのです。 名古屋の辻さんはその点いかがですか。先がたから対立しているんですね。
○床次委員長 三木委員に申し上げますけれども、鈴木さんに対する質疑だけ先に済ませて……。
○三木(喜)委員 ちょっと対比してお聞きしなければならぬわけです。
○辻参考人 ただいまのお話につきまして、まことに私ごとばがへたで済みませんけれども、静岡の教育長さんは非常に観念的になってみえるのではないかという気がするのです。ですから私は先ほどお話申し上げましたときに、地についた行政をしたいのだというようなことを申し上げたわけでございますが、実際われわれのほうといたしましては、各学校、それを各区でまとめ、そうしてまた名古屋市全体をまとめ、教育委員会でいろいろ検討する、この運びが、まず各学校の中の代表者を底で選ぶということ、また区の代表者を市のほうで選ぶということ、そこでもう相当な手数と申しますか、時間を要しまして、現場にぴったりするような人間を選びたいということをやってきたわけでございます。そうして教育委員会で決定するまでには、いままでのお話の中にもあるいは出ておったかと思うのでございますが、その仕事の操作と申しますか、指導主事がいま十四名でつきっきりでやるわけでございますけれども、非常にもう事務的にも煩瑣でございます。したがってそういったような仕事をどこかで助けてもらわなければならぬというような気持ちでおるわけでございますが、幸いにしてこの事務局のほうと学校側と密着した気持ちになっていてくれますので、これは非常に学校側のほうのお助けをいただいておって、事務もいまのところはわりあいスムーズにいっておると思っておるわけでございます。もしこれが県のほうにということになりましたら、県の中のある一部分が名古屋市である、こういうふうになってくると思うのでございます。そこで二十人たとえばその審議会の委員ができまして、名古屋市が大体三分の一くらいだからというので六名ないし七名のその委員に入れていただいたといたします。その場合おのおのみんないいかげんの人が行くというのではなくて、ほんとうに真剣に考えておやりになることだと思う。そういたしますととどのつまりは、最後はいろいろの説得とか納得とか申しますが、そういったようなことでいかなくて、投票でやらなければならぬというようなことになりましたら、たとえば二十分の六とか二十分の七で、どうしてもそれを入れていただけるというふうには向いていかぬ場合も考えるわけでございます。したがってとにかくそんなことをしなくて何とかうまく論議を進めていくというふうに審議会がもしできた場合にはやっていきたいと思いますものの、それよりも前になぜそんなようなやり方をしなければならぬだろうか。とにかく修正していただくことがわれわれのほうとしてはお願いしたい第一だ、こういうふうに思っております。いまの事務につきましてはそんなふうに考えておるわけでございます。
○三木(喜)委員 私もそういう心配を持っておるのです。それよりももっと心配なことは、従来の実績を積み重ねて合計して、その多いものから与えていこうというような傾向も県によっては出ないかと思うんです。 そこで静岡の教育長さんにお聞きしたいのですが、この県でまとめるということは、父兄に便宜があるからだ、いわゆる転校のことなんかを言われておると思います。それから研究が必要だから、こうおっしゃっておるんですね。父兄の便宜ということだけ考えて、教科書の使命が断たれたり、よい芽がつまれるということを私たちは心配しておるので、これを考えれば、便宜主義的にずっと一律にやるなら国一本にしておけば一番便利なんです。これがやれないところに、やってはいけないところに検定教科書のよさを私たちは持ちたいという願いを持っておるんです。父兄の便利だからと言うのは、私はちょっと問題だと思うんです。次に研究が必要だから、こうおっしゃっておるんですが、これは市町村にしましても五大市にしましても、やはり研究はやるのです。県でなければなぜ研究ができないかということなんです。県としては特に審議会の委員とか役員にはうんと報酬を張り込むというお考えがあって、そうおっしゃっておるのか、その辺をひとつ聞かしてもらいたいと思うことが一つ。研究が必要だからとおっしゃる意味はですね。これは市でもやるわけなんですね。そういうことが一つの論拠になっておりますけれども、ちょっと論拠にならないような感じがするんですが、その点どうでしょう。
○鈴木参考人 私も指定都市が教科書に対する研究を非常に御熱心にやっておるということを否定するものではございませんが、ただ県という段階でより広範な研究ができる、そういう機能を持っているし、またより一そう各般の意見を集中して合理的な考え方をまとめることができる、こういう意味で申し上げているわけでございます。
○三木(喜)委員 県でなければ特にいい研究ができないという理由ですね。私はやはり教科書なんかは地についたもので、教師に近いところ近いところほどいい教科書の選定ができると思うんです。これは理屈だとかそんなものだけではいかないと思うんですね。最後にはそういう自信ありますかということを言いたいんです。多いものからとっていって、もう投票せぬと去年の実績でいこうじゃないかという結果になったら、それみたかということになるんです。そういうことにならぬという自信のほどをひとつお教えいただきたいと思うんです。
○鈴木参考人 教科書の採択問題は非常に重要なことでございますので、従来とも私の県で実施しておりました経過を見ますと、単に機械的に投票をするとか、あるいは従来のしきたりできめるとかいうことではございませんで、あくまで教科書の内容に基づいて詮議をいたしてまいりました。そういうことからいたしますと、どのような制度になるにしろ、そういう根本的な教育的な精神で運営されなければならぬと思いますし、またそういうふうにしてまいる私は所存でございます。
○床次委員長 小林信一君。
○小林(信)委員 私もお聞きする重点は同じようなところになるわけです。の問題は検定制度というものを常に生かすように、これがこわされることを防ぐように努力していかなければならぬという考えでおるわけでございまして、これは教科書を発行する人も、あるいはこれの採択に当たる教育委員会も、常にこのことを念頭に置いていかなければならない使命を持っておると思うのでございまして、各参考人からこの点につきましてお伺いをする予定でございますが、特に教育長さんという立場で鈴木さんには、この点でゆっくり御意見を承りたく思ったのですが、時間がございませんので、まことに失礼な言い分でございますが、私のほうから要点を申し上げてお伺いしたいと思うのです。 文部大臣は、この法案の審議にあたりまして、ただいま問題になっております教師の声を聞くということについては、指導要領にのっとって教科書会社がつくり、これを文部省がその指導要領にのっとって検定をしておるものだ、したがってあえてこれを採択する場合、教師などの意見を聞かなくてもいいということを言ったこともございます。したがって現場の教師の声など聞く必要ない、こういうことまで言ったこともございますし、また話の中では、教師の意見を聞くことは望ましいというような程度の意見も出したことがございます。また時には必要であるというふうな傾向も出したこともございますが、とにかく文部大臣が検定制度に対しまして、教師の意見を聞くというようなことについてはきわめて不明確なものを持っておる、どっちかといえば教師の意見を聞かなくてもいいくらいの態度じゃないかと私は思うのですが、これではますます検定制度は有名無実のものになっていくおそれがあるし、さらに教科書の検定等にあたりまして文部省は無償というたてまえをとりますから、いろいろな注文を発行業者にしてまいります。そういうふうなものがいろいろな力となって、何となく――文部省だってもちろん悪いという考えを持っておりっこないのです。いいと思って言うことでしょうが、そういうものがきょうの状態ではいいかもしらぬが、町にどんな大臣が出てこないとも限らないし、時にどんな官僚が止まれようともわからぬわけでございまして、そういうものが強くなってくると検定制度はぶちこわされるわけです。そこでそれを守る、りっぱな検定制度を生かすということでお互いが気をつけていかなければならぬわけでございますが、残念ながらこの法案の中には、現場の教師の声を聞くというふうなことは少しも書いてないわけですね。説明を聞けば、政令の中で選定審議会をつくるような場合に、校長とかあるいは教諭とかいうふうなものを入れますというようなきわめて薄弱なものがあるだけでございまして、いつこれは影がうせるとも限らないわけでございます。そういう点から教育長さんの立場から考え、実際に県の教育行政に当たっておる立場から考え、しかもこの検定制度を守るという立場からいたしまして、先ほど来鈴木さんのお話では、現場の教師の声を聞く機会というものがたくさんあるというような御意向ではございますが、なるほど当初はそういうふうに進んでいかれるかもしれませんが、私はその点がただお互いが頭の中に入れておくだけでは心配だと思う。やっぱり法律の中で現場の教師の声を聞くという――私は選定というような問題、採択というような問題につきましても、文部省の見解については反対でございますが、しかしもしこれが実施されるような場合になりましても、そういう条文というようなものをしっかりと持っていかなければならぬと思うのでございますが、この点について地方教育行政に当たる責任者としてどういうふうにお考えになるか、この点をお聞きしたいのです。
○鈴木参考人 先ほどもお話が出ておりましたように、教科書は指導要領等に雄づきまして文部省が検定いたすわけでございますが、その教材の配列のしかたあるいはその仕組み等は非常に変化がございます。したがいまして、ある地域でどの教科書を採択するかという問題は、その地方の実情に合ったものを採択しなければならぬ、こういうことになると思います。したがいまして、そういう場合に、庭際に教育を担当し、その地域の教育をやっております者の声を聞くことがどうしても必要になる、かように考えます。事実教科書の従来の採択に当たりまして、常に現地の教師の教科書に対する研究の成果が十分に反映されている、かように考えます。今後いかような制度ができますにいたしましても、教師の意見というものを採択について活用するということは、これは行政上必要であると私は考えます。
○小林(信)委員 必要であるということは、先ほど来あなたの発言の中から十分私たちもくみ取っているわけであります。きょう、だれしもこれを否定する者はないと思うのです文部、大臣くらいだと思うのです。しかしそれは、やっぱり法文の中にしっかり持っておかなければ私はいけないと思うが、その必要はないとおっしゃるのかという私の質問でございます。
○鈴木参考人 法律の構成につきましては私はまだ十分な研究をいたしておりませんので、ここで意見を申し述べることはできませんが、要するに法律は運用がきわめて重要でございますので、運用によって私のいまの見解は十分生かされ得る、かように考えるものでございます。
○小林(信)委員 一応御意見はわかりました。しかしこれは、私の意見を押しつけるわけではないのですが、運用ということは非常に危険でございまして、いまのように、教師の意見も聞くような運用のしかたが述べられておりますが、だんだん広地域の採択というようなことになりますと、それが影をうせてきて、県の選定審議会の中で教師の代表を選ぶと申しますが、それが形式的なものに終わってしまって、一応意見を入れておるという形に終わってしまう。こうなれば、前田さんが、よい教科書が生まれるには、現場の教師が使って、そこから出てくる意見がどういうふうに業者に反映するかということが大事だ、こういうふうにおっしゃっておるとおり、非常に大事な問題だと思うのです。 次の問題は、時間がございませんので簡単に申しますが、今度のこの制度の改革によりまして、業者が一体どんな態度をとるかというふうなことが――業者の考えはこうである、業者はこういっておるというふうなことで、新聞等にも盛んに見えますし、また先ほどの前田さんの御意見にもございましたように、教科書を売るということはきわめてなまやさしいものでなく、いままでもかなり問題も起こしたように、熾烈な競争というものがなされるわけですが、今度の制度が出れば、前田さんの御意見ではそうしたものがなくなるだろう、こういうふうにおっしゃっておりますが、とにかく新聞等の意見では、これは業者の言ったことをそのまま書いてある新聞でございますが、ここをせんどと教科書の売り込み合戦が行なわれる、なぜならば、ここで実績をとれば将来その会社は安定であるけれども、さもなければ編集費等に相当多額な金を投じたものが無意味になると同時に、その会社は崩壊をするのだ。先ほども労組の方のお話がございましたように、その会社とともに妻子が路頭に迷うような、そういう悲劇まで止まれることを考えれば、ここでものすごい売り込み合戦が行なわれることは私は当然だと思う。この場合、さらに業者の述べているところを申し上げれば、明治三十六年ですか七年ですか、あのときの教科書疑獄、あのときには知事だとか視学、こういうふうな者を中心として疑獄が行なわれたそうでございます。いままでの採択方法から考えれば、県教委とか、あるいはそういう大きな単位の中では考えられなかったので、業者の運動のしかたというものも熾烈であったかもしらぬけれども、そんなに重点をおいてなされなかったわけです。ところが今度の採択方法によりますと、県教委をつかむというようなことが私は一番の問題だと思う。あるいはそれに対して知事あるいは県の有力者、こういうふうな者が動くということが予想されるわけなんです。そうしたら、日本の教科書の問題に対しましては、また再びここで第二の汚点を残さなければならぬ。しかもこういうことが三年ごとに行なわれるというようなことを想像いたしますと、こういうふうな誘惑とかそういう問題に対して、これを排除して、ほんとうに検定制度を生かすような教育委員がはたしてあるのかないのか、問題はそこに集約されるわけなんです。 そこで御質問申し上げたいのは、きょうの任命制の教育委員ではそうしたものに耐え得られる者があるかどうか、私はこういう制度を実施するならば、ほんとうにもとに返りまして、公選制の教育委員会が構成されるような姿でなければ、この問題を正しく解決していくことはできない、こうまで考えておるのですが、県教委という単位はもちろんのこと、地教委等の現状から考えて、そういう憂慮すべき問題があるかないか、この中では鈴木先生がただ一人でございますので、その点を特にお伺いしたいと思うのです。
○鈴木参考人 私は他のことは多く存じませんが、私の県に関します限り、任命制の教育委員によりまして、教育行政がきわめて円滑に、しかも公正に行なわれております。したがいまして、教科書問題につきましても同様、十全な、完璧な運用ができる、こういう信念を持っておる次第でございます。
○小林(信)委員 静岡県に対しましては、いままでの採択方式等を伺いましても私はほんとうに尊敬しているものでございまして、おそらく静岡県にはそういうことはないと思うのでございますが、しかし全国的には相当憂慮すべき問題がある、こう考えるわけであります。私はその業者の誘惑に負けるとか負けないという問題ももちろんですが、もっとお伺いしたいのは、採択の能力のあるような教育委員が市町村等にそろっておるかどうか、そこまで実はお伺いしたいわけです。静岡県はいま教育長さんがはっきりおっしゃっておるので、信頼いたすわけでございまして、全国的な情勢をお伺いするのは無理かと思いますので、以上でその問題は終わります。 次に、県の選定審議会の問題ですが、先ほど指定都市との問題であなたの御意見があったのですが、あなたの県の選定審議会に対するお考えの根拠というものは、父兄の立場というふうなもので、転校等をした場合には非常に都合が悪いというふうなことが大きな理由だったのです。県で選定いたしましても、それは数種を選定するわけで、ほんとうに採択するのは、郡、市ということになるわけなんです。したがって県下において一つの郡から次の郡、次の市へ転校をしたというような場合には、この選定審議会の形をとりましても、なおやはり教科書というものはかえなければならぬような状態になるわけなんです。もっとこれの数を少なくすれば、いわゆる県全体を統一するような形になれば転校しても差しつかえないわけなのですが、しかし法律はそうでないし、おそらく数種ということが厳守されると考えれば、あなたのような意見は、指定都市を県の選定から独立させるということは決して無理ではない、こう考えるわけなんですが、あなたのその理由の説明がそんなふうに受け取れたのですが、その点はいかがですか。
○鈴木参考人 私が申し上げましたのは、現在の市町村単位の採択の方式よりはさらに広域の採択方式のほうが転校等の場合も不便が少ない。したがいまして指定都市と隣接都市等の関係もございまして、そういう観点からは、その地域の立地条件に基づきまして指定都市と他の郡市とを区別しないで、必要によっては指定都市と他の郡市との共同採択地域をつくる等、社会移動の実態に合って適切な採択地域をつくることが望ましいのではないか、こういう観点から申し上げたわけでございます。
○小林(信)委員 しかし移動ということよりもやはりその地域の特殊性を生かす、あるいは子供の能力、水準というふうなものを考慮して採択するということは、これは先ほど来申し上げましたとおり、私は検定制度の重大な問題だと思うのです。そういう点から考えれば、いわゆる指定都市は明らかに区別されていいのではないか、独立していいのではないか、こう考えるわけですが、一応御意見を承りまして終わらしていただきます。 最後に、今度一年生の教科書を給与いたしまして、これから全学年にわたるような点を考えれば、相当数の職員をそのためにふやしたりあるいはいろいろな事務費もかかると思うのですが、そういう点に対しては県当局はどういうふうにその費用の財源を求めようとしておるのか。私たちの見解とすれば、この法律に書かれておるような筋から考えれば、設置者に給付をするのだ、設置者は今度は校長を通して子供に給与するのだというふうにあくまでも国家の仕事であるわけなんですね。県教委とか地教委というものはこれは国の委託の仕事なんです。したがってこれに対してあなたたちの立場とすれば、こういう見解からすれば人員をふやすとかあるいはそれに要する費用とか、こういうものは一切国が支弁をすべきであるというふうに主張されていいと思うのですが、この点に対するお考えはいかがですか。
○鈴木参考人 ことし一年生だけにつきまして教科書給与の事務を各市町村教育委員会もしくは県の教育委員会が実施いたしまして、その事務の量の大きいのに実は驚いた次第でございます。非常に金もかかる、事務量も多いということを痛感いたしました。そういう意味で、今後都道府県あるいは市町村のこの給与に要する事務費を明確にしていただきたやという希望を持っております。本年度は交付税の積算費用に組まれておるということでございますが、でき得れば今後別途都道府県もしくは市町村に交付する方式のほうが明確になってよろしいのではないか、こういうふうに考えます。
○小林(信)委員 私は検定制度の問題に結びつけて考えていくほど、すべてここに問題があると思うのですが、県の教育委員会等も、なるほどその精神というものは説明をされれば、そんなに教師の意見も聞かぬわけではない、あるいは検定制度が破壊されるわけでもないというふうになりますが、実際の現実の問題とすれば、文部省の力というようなものは、いろいろな補助金等を支給する点、あるいはその他の影響から県教委というものはもう文部省の言うなりになりつつある。これは地教委においても同じです。先ほど山中さんが言われたように、地教委も県教委も同等の立場でなければいけない、文部省も県教委も同等な立場に立たなければいけない、決して隷属的な考えを持ってはいけない、こう思うのです。ところがそういうふうな思想というものは、だんだん私は強くなってきているのではないかと思う。だからいまのあなたのおっしゃるような問題も、交付税の中に含まれておるというようなことで、はたしていいのかどうか。私はそこのところをお聞きしたいと思うのです。交付税ではほんとうにその事務費というものが――補助というふうな形でございますが、事務は県の責任においてやるという見解に毛なるわけです。あくまでもこれは国の仕事である、委託事務という場合であるならば、交付金なんか交付税の中でもらうのでなくて、かかる金というものは完全に国が支弁すべきものだ、こういう見解を私は持ってしかるべきだと思うのです。そういう点が、ほんとうに地方教育行政が権威を持ち、確立されるもとになると思うのですがいかがですか。
○鈴木参考人 法律の原案を見ますと、ただいま給与に関する事務は都道府県もしくは市町村の事務ということになっているようでございます。したがいましていまの地方財政制度の根本でございます交付税制度の観点からすれば、交付税に算定されるということは一応筋が立つわけでございますが、ただ現実に今後膨大な事務を処理していくことを考えますと、これらにつきましては、さらに一そう明確な事務費が交付税なりあるいはまた補助金なりで支出されて、この事務がきわめて正確にかつ迅速に行なわれるようにしていただきたい、こういう考えを持っております。
○小林(信)委員 そこら辺は、あなた方がどういうふうに考えようが、やはり今度はそれこそ国会の問題でありますので、その御意見はそれで終わります。 一番最後に、選定の場合に、選定審議会において数種を選ぶ、こういうことが法案の中にあるわけですが、実際問題、あなたの県あたりで大体小学校あたりの教科書を考えれば、あなたの県に現在の方法でもって採択される教科書、そういうふうなものの数はすでに数種くらいになっているのではないですか。私たちの全国的な調査でも、一つの教科を見ても十種入っているというふうな教科はないのです。たいがい数種に自然になっているわけです。それでも県で、選定審議会でもって数種に選ぶというようなことを無理にする必要があるでしょうか。そういうふうなことを私たちは全国的な情勢の中からつかんでいるわけです。だからもし選定審議会というものをどうでもつくらなければならぬというためには、もっともっと少なくする、三社とか三社とかにするというふうな腹があってこういうふうなものを出しているようにもうかがえるわけですが、静岡県の実情等から実際問題をお話し願いたいと思います。
○鈴木参考人 私の県では、小学校におきまして四ないし六種、中学校におきまして四ないし七種の教科書が採択されております。したがいまして、いわゆる数種ということになるわけでございます。ただいかなる教科書を選定するかということは、時代の変化あるいは社会の変化、地方産業の変貌によりまして変わってくることでございますので、そういう観点から選定審議会が慎重にそのつど審議をするということは必要ではないか、かように考えるものであります。
○小林(信)委員 それは見解の相違になるわけでございます。したがって、これ以上無理を申すわけではございませんが、それは確かに静岡県でおやりになっておるように、教師の意見も聞く、それから県のほうの教科書の研究をなされるほうから資料も出して、そして選択をするというふうな方法から考えて、私は決してあなたの県に無理を申し上げるわけじゃないのですが、そういう自然の中で出てくるところに検定制度というものは生きるわけで、それは県の選定審議会といういかめしい名前をつけたものが、さらに下のほうに専門部会のようなものを持ちまして各科目ごとに研究をする、そうしてその中から何種かを選定することは、いいことには違いませんが、またその反面かえって逆の問題も出てくるわけです。先ほどのような汚職の機会にもなるし、あるいはその中に一つの権力が働けば、権力の意向によって教育というものは固定される。それよりも自然にまかして、なるべく現場の先生たちの声の出てくるその中から自然にだんだんとよい選定、よい採択がなされる方向をとるという自然の行き方、このどっちがいいか、こういうことは私は重大な問題だと思うわけでございます。実際も、あなたの県の実情を聞いても四種ないし五種だ、こういうところであえて数種を選ぶというふうなことをすることは、何かそこにいいことがあるかもしらぬが、弊害があるような気がしてならないわけでございまして、これはあなたの意見と私の意見の相違でございますが、非常にお忙しい中をありがとうございました。
○床次委員長 谷口善太郎君。
○谷口委員 私も鈴木参考人にお尋ねします。 何だか静岡県会みたいなことになったわけでありますけれども、しかしあなたのおっしゃっていることは非常に根本的な問題に触れられておりますから、みんなの質問があなたに集中したというように思うわけなんです。 実は私は皆さんに三点ばかりお尋ねしたいことがあるのですが、これは午後の皆さん全体を前にしての質問のときに申し上げることにしまして、鈴木さんに実はお尋ねしたいと思っておりますことは、もう少し先ほどから問題が出ております点を突っ込んで聞きたいと思うのです。 さっき最初にお話しいただきました中でも私ども全体が非常にくみ取ったわけでありますが、質疑応答の中でおっしゃっておりますあなたの決意、これは非常に貴重なものでありまして、今度の法律ができまして府県に採択権があるとなっても、府県教委にはその権利があるということになっても、法律の運営の上で、現場の教師やその他下のほうの意見を聞くことが必要だ、それについては相当の決意を持っておられるようにいま伺ったわけであります。これは非常に大切なことでございますが、そういう決意を持っておられるあなたの決意の生まれてきた根拠といいますか、現場の先生は一番教育に関心があり、また関係者であり、担当者であるということだけでしょうか、それとももっと根本的にそうすべき必要を感じていられるのでしょうか、その点いかがでしょうか。
○鈴木参考人 私は教科書というものはいまの日本の教育の現状におきましては、きわめて重要な学習の媒体と申しますか、教材でございます。したがいまして、教科書をできるだけ注意をして使っていかなければならぬ、こういう考え方を持っております。そういう意味からいたしまして、この教科書を直接活用して教育をする現場の教師の意見というものは、行政当局としては常に謙虚に耳を傾けていくべきだ、そういう気持ちでございます。
○谷口委員 まことに適切な御意見で、私どももそうだと思うのであります。ただ現場の先生方が教育の担当者でございますし、直接子供たちを預かっている方々でありますから、教育をやっていく上の一番大事な教科書の選定にあたってのそれに対する発言といいますか、そういう点で非常に重視しなければならぬということをおっしゃってるのでありますが、私もそうだと思うのであります。しかし、もう一つ掘り進んで考えてみますと、教育自身の受ける権限と申しましょうか、教育権といいましょうか、そういうものが新しい憲法では国民自体にあるということは原則であるように思います。現場の先生方は、この国民の権利に基づく教育の上で子供たちを預かっている、そういう点で、先生方に教科書採択についての最も根本的な権限というものがあっていいのではないかというふうに、私どもは考えておるわけであります。そういう点の憲法の基本的な理念の上から申しまして、教育長はどう考えていらっしゃいますか。
○鈴木参考人 各種の法律によりまして、教育行政のそれぞれの機関が国民の意思を代表いたしまして事務を担当するものでございます。したがって、文部省なりあるいは都道府県の教育委員会が教科書に対する見解いわゆる指導をするということは当然である。ただ現場の教師がどのような教科書を使うか、そういう実態というものはあくまでも考慮しつつ適切な教科書を採択するという考え方で、決してこのことは教師の教育に対する熱意なりあるいはまた実情というものを無視するものではない、かように考えます。
○谷口委員 あなたがさっきおっしゃったのは、採択、選択の権限が都道府県の教育委員会にあったとしても、たとえばそういう法律ができたとしても、それを運用する場合、現場の先生方の意見を聞くことは絶対に必要だ、そういうふうな行政指導をやっていきたい、こういうふうにおっしゃっているわけであります。さっき山中委員もおっしゃいましたが、法律ができますと、――あなたが良心的といいましょうか、教育行政に携わっておられる経験からそういう確信をお持ちになったのだと思うのでありますが、あなたのお考え一つでは、そのことによって実は現場の教師の意見を聞くという崇高なあなたの態度が失われていくことになるのは当然だと思う。法律できまる、きまったとしますと、そういう御意見を持っておられる方々あるいはあなたのようにりっぱな教育長がいられましても、実際は法律に基づいてやっていくというのが下級機関の与えられた権限でございますから、それに従ってやっていくという方向になりまして、現場の先生の意見を聞くというあなたの考えは、失われていくという方向をとるのは当然であります。これはもう過去の経験を見ればわかりまして、いまあなたのおっしゃったように、法律ができればそれに従ってやっていくということをあなたは一方においておっしゃっているわけですから、したがって、法律ができても運営において現場の教師の意見を聞かなければならない、そうあるべきだという御意見を持っておられるとしますと、これは言い方によりましては、たとえば法律に反してもそういうことをやるということも言えないことはない、極端な言い方をすれば……。そうなっては困るわけでありますから、根本的に下のほうの教師の意見を聞く必要があるというあなたの確信の底には、動かすことのできないものがあると私どもは考える。それは私はさっきから聞いていまして、やはり憲法で規定されました教育権が国民にある、国民主権の憲法のもとにおきましては、教育する権利、教育に対する権限というものはまず国民にあるということの理念に徹していられるように考えられましたのですが、その点はそうではないのですか。
○鈴木参考人 教育に対する教育権の問題につきましては、私は現行の法律あるいは諸制度でこれは明確である、かように考えます。したがいまして、それと教師の日常教育活動における意見を聞くということは決して矛盾するものではない、かように考えます。
○谷口委員 幸いにして辻さんもいらっしゃることだし、またさっき労働組合の代表である方もおっしゃったわけでありますので、午後からもう少し皆さんにお伺いしたいと思いますが、はっきりとこの際はこういう法律が出ることがやはり正しくないんだというあなたからのお話をずっと推し進めていけば、そういう結論になるという確信を私は持っておるのですが、実際の教育を国民主権の見地から、教育権が国民にあるという憲法の見地に立つとすれば、その教育の最も基本的な教材であると言っております教科書の選択にあたりましては、やはりほんとうの原則的なものは父兄にある。その父兄の委託を受けて現場で子供を預かって実際に教師としてやっております先生方の意見は、そういう意味で非常に重要だと考えております。その点ははっきりと、法律に矛盾して運営でやるのではなく、法律そのものをもしつくるとすれば、その点を明確にすべきだという要求があなたの御意見なら出てくると思うのです。しかし、そこまであなたにいろいろ質問する時間がないので、残念ながら中途でやめますが、そういうふうに考えておるのです。これは午後も皆さんに伺いたいと思っておるのですが、あなたもいまおっしゃったような言い方でなく、もう一歩突き進んで御研究願いたいと思います。 私の質問を一応終わります。
○床次委員長 午前の会議はこの程度にとどめることといたしまして、午後は二時半から再開することにいたします。 午後一時五十三分休憩 ――――◇――――― 午後二時四十分開議
○床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 午前中の参考人に対する質疑を継続いたしまするが、時間の関係がありますので、お一人七分ぐらいでお済ませをいただきたいと思います。そうして午後の予定いたしました参考人の方の御意見を伺いたいと思うのであります。 村山喜一君。
○村山委員 前田参考人にお尋ねいたしますが、いま実際取り扱いをされております検定から採択までの事務的な期間の問題なんですが、八月から十月に申請の受付を文部省でいたします。それをもとにして教科書調査官がいろいろ調査をして、実際の合格の決定をするのは三月末までということでありますが、事実上の問題として四月に入る。そうなってまいりますと、大体四月から七月の採択の決定までの間は一切の宣伝行為が禁止される、このような形になっておるようでございます。もしこの法律が通りますると、五月に県の選定委員会が公表をする、そして選定をしたものについて今度採択を七月に行なうというような仕組みに大体なるのではなかろうかと思われるのであります。そうなってまいりますると、発行会社であるあなた方のほうでは、どの期間にどのような方法で自分の教科書は優秀であるという内容の普及宣伝というものを行なわれることになるのか、その点は全然運動ができないのではなかろうかというふうに私たちは見るのです。そうなってまいりますると、勢い潜行運動というものに入らざるを得ない。そのようなことから、申請から採択までの時間的な問題がやはり今後の一つの大きな問題点になるのではなかろうかと思うのでございます。この点を明らかにしていただきたい。 それから、新しい改訂版を申請をいたしまして合格した場合には、その旧版は廃刊を要求されているというように承っているのであります。ところが、これに対するところの紙型でございますか、紙型については全然文部省のほうからは補償はないわけであります。これは教科書会社にとってはただ唯一の財産ではなかろうかと思うのでありますが、そういうようなものに対してあなた方がいままでどういうような態度でお臨みになっているのかという問題であります。これはやはり著作権の強制廃棄という問題につながっていくのではなかろうかと思うのでございますが、そういうような点について、いままで文部省に教科書協会のほうから交渉をされた事実があるかどうかという点でございます。 それにこの法律案をずっと見てまいりますと、一本にしぼる、採択地区を県一本にすることができるということに相なっておるようでございますが、そうなった場合には、文部省は地教委に採択権があるということを言っておるようであります。しかしながら、採択地区を県一本にしぼった場合においては、事実上の問題といたしまして、採択権というものは地教委から取り上げるという法律効果を生むわけでありますが、そういうような問題に対しまして、あなた方のほうではどういうような何で対処してこられたのかという点でございます。 それからもう一点は先ほど説明をなさる中で、ちょっとお聞きいたしたのでありますが、たしかこういうようなことをおっしゃったかと思います。現在の検定は学習指導要領に基づいて行なわれておりまするが、これは大して問題ではございませんで、非常に変化のあるものが生まれている、だから教科書はバラエティーに富んでいるんだというお話をされたようでございます。その学習指導要領は文部省告示で定まっておりますが、この問題が大した問題ではないのだという受け取り方を、あなた方は教科書経営者としてそういうふうにお感じとりになっていらっしゃるのか。それは、あなた方の社員の人たちが文部省の当局といろいろ交渉をしていく中で調査官からいろいろ指導をされて、検定事務というものについては教科書会社としては非常にやりにくいということをかねがね私たちは承っているのでありますが、そういうような点から、最近出てまいります教科書を見てみますと、各社の特色というものが非常に少なくなった教科書が生まれつつあります。これはやはり検定制度が強化されてまいったというところと、文部省の調査官が非常に権威を持っているといいますか、一つの権力を背景にいたしまして、この学習指導要領というものの基準性を非常に強く主張をしていくところに教科書の均一的な品物が生まれてくる。だからこの点は何とかしなければいかぬというふうにわれわれは考えているのでありますが、そういうような学習指導要領は大した問題ではないという御認識をされているのは、これはあなたの主観的な考え方であるのか、会社の意向としてそういうふうにおっしゃったのか、教科書協会のほうの意見はやはりそういうような意見としてお持ちになっていらっしゃるのか、その点をお尋ねいたしたいのであります。 ほかもございますが、時間の関係がございますので、一応前田さんに対しましてお尋ねをいたしたいと思います。
○前田参考人 最初の検定から採択までの期間については、現在はお話のとおりだと思っております。これについても、もちろんわれわれといたしましては、できるだけ事務的な点を簡素化して早くやれるようにしていただきたいと文部省にもお願い申しておりますし、われわれ自身もそういう努力をしているわけであります。ところが、この点も、先般指導要領が変わりましたときには、非常に大きな変革であり、いままで教科書の歴史上にないような無理な仕事を一気にやりました関係でいろいろなことがございましたが、次はもう来年ということは前からわかっておりますし、続いてそれから三年はないということがわかっておりますので、今後、この制度が実施されていきますと、そういう点につきましてはわれわれも準備も相当できるようになると思いますし、また文部省のほうもそれに沿うて能率をあげてもらえるようになると思いますので、こういう点は逐次改善されると思うのでありますが、しかし、検定手続等についての事務上でいろいろ簡素化していただきたいことについてはわれわれは絶えず陳情もし、要望しているわけであります。 それから第二の旧版の問題につきましては、これはやはり前に指導要領が変わりましたときに全部の教科書が変わったわけでありますが、このときに、旧来のものが著作権が残るか残らないかということがあいまいのままにそこへ入っていって、結局その前のものは廃棄せざるを得ないという形になったのでありまして、この点につきましては、われわれ自身がやはりまだその時分十分な態勢が整っておらず、あとになってそういう点についてもう少し強くいろいろ要望したらよかったのじゃないかという考えを持ったことはございましたけれども、この点はすでに過去の問題となりまして、これは終わっているのでありますが、これからの問題につきましては、そういうふうに教科書が三年間は据え置かれて、四年目に改定になるということであれば、当然われわれとしましても改定が必要になってまいるわけでありまして、事実来年小学校、再来年中学ということでございますが、これに対しましては、われわれのほうからやはり相当みな改定についての陳情、希望が出ておるわけでございまして、実際に進めているわけであります。やはり教科書は四年目ぐらいには改定しなければならないわけであります。改定をするというのは、われわれとしてはよりよい教科書にするわけでございますから、そのときはこの事業の経営者の立場からいいましても、当然それは前のものを廃棄して、新しいもの一本でいく方が、それは実際にコストの面からすべての面からいいわけで、それはやはり前のものを廃棄するということを計算に入れた上で、この新しい改定に臨むということになるのであります。ただ問題は、すでに過去になりましたが、指導要領の改正によって全面的に改正したというときに、そういう問題があったということなんでございます。 それから次の県一本ということの問題に対してわれわれはどういう立場をとってきたかということでございますが、これはわれわれ終始一貫して県一本は反対である。またあの指定都市のような大きい都市において一本化は反対であるということを絶えず陳情してきた。それは先ほども申し上げましたように、やはりその新しくくふうされた教科書、あるいは少なくとも内容的によくて、支持者のあるというような教科書は、そういう大きな地域が一つになる場合には消されてしまうおそれがある。そういうものは熱心な、終始その教科書によって研究していくだけの自信と、またその環境の備わったところでないとなかなかいかないものです。そこをだんだん拠点にして広がっていくものですから、県一本化ということは、これは検定制度の根本を破壊するものとしてわれわれは強く反対してきたのでありますが、幸い文部省当局は、先般来繰り返し、これは数種である、五、六種であるというふうにおっしゃっていただいておるので、われわれはこの点は安心しているわけであります。 それから指導要領に対する私の先ほどの話がちょっと誤解を受けたかもしれないのですが、私の申したのは、その教科書のバラエティーを画一化していくという面からいうと、私は指導要領というものはそれほどきつく画一化のファクターにはなっていないという意味で申し上げたのでありまして、現実に教科書にはバラエティーがあるのだということは、もちろん指導要領そのものについてわれわれは無批判ではないのである。事実ぐあいの悪い点もございます。ある点については絶えずわれわれもいろいろな形で意見も言っております。そういうことが反映して、適当な時期にまた指導要領の改定に進んでいくのだろうと思いますので、われわれは実際に教科書をつくり、それを使っていただいた、そういう現実の実績の上に立って、現場のほうの実績とわれわれの研究とを反映して、絶えずこの改善に対しては努力していきたいと思うのですが、何といいましても指導要領を読みましたところが、大きな基準性は示しておりますが、やはり客観妥当的な範囲をこえて、それほどにわれわれの学習の指導のあり方とか、あらゆるそういう点までを規定しているものではないので、相当のバラエティーのある教科書が現実にできておる、こうわれわれは思っておるわけであります。
○村山委員 そこで定価の定め方ですが、この定価のワクの範囲内においてページ数やらその他いろいろきまっているように聞いておりますが、その中で最高価格制をとる、限度価格は最高の価格制をとって、その中でバラエティーに富む教科書を編さんをしていく場合に、いま検定業務にあなた自身が文部省に行かれていろいろ話をされたことがあるかどうか知りませんが、社員の人たちを出向かせられると思いますが、その場合において、現在の検定というのは、御承知のように教科書法案が国会に出されたあと、それが廃案になりました。廃案になったけれども行政的な措置として、いま行政行為としてなされているわけであります。検定の手続につきましては、立法府である国会のほうにおいては制度をいたしておりません。そこで検定のあり方の問題をめぐりまして、教科書の発行者を育成指導すべき立場に立つべきなのか、それとも間違いがあるかないかということを監視し監督をするという立場に立つべきなのか、それともその二つをミックスして考えるべきであるのかという問題については、いまだに問題点が多々残されておるということが、文部省のほうにおいてさえもいわれておるような状況であります。そこで私たちは、よりよい教科書をつくっていくためには、今日出されている法案以外に、やはりそういうような検定のあり方というような問題をめぐりまして、これはもっと発行会社がそういうようなふうによい教科書をつくれるような環境、態勢に持っていかなければならないものだと考えておりますが、実際発行を担当しておられるあなた方の立場からは、そういうようなものに対する御意見がありましたらお聞かせ願いたいと思うのであります。その点につきましては前田さんと、豊田さんのほうにもし御意見がございましたらお伺いしたい。
○前田参考人 よい教科書をつくるということは、私どもの仕事全体がそういうわけでございますので、ただいまの御質問はその中のどの点について意見を申し上げたらよいか、いま御質問のよい教科書をつくるということの中で、どういう点について申し上げればいいか、ちょっとお聞かせ願いたいと思います。
○村山委員 先ほどの御説明の中で、小企業の会社でもいい教科書をつくろうと思えばできるのだ、しかしその発行部数を考えた場合には四、五万以上も考えてもらわなければだめだということをあなたはおっしゃいましたね。ところが文部省が考えておるのをわれわれが推測いたしますと、大体一種類について十七万五千冊以上でなければ、これは将来の国の財政負担の上から考えてむずかしくなるだろう、そしてそれが将来の姿としては、一種類について三十万冊以上でなければならないことになるのではなかろうか。これは国家財政とのかね合いの上から出てまいる問題であります。そういうような考え方の基調というものが流れている。そういうような方向に進む可能性が大きいわけです。そうなった場合に、あなたが県庁所在のそういうような都市部から、漸次よい教科書が地方に普及されていくというような教育的な見解を立てた場合には、四万から五万程度のものも救うてもらわなければならない、こういうようなことをおっしゃるわけですが、定価の定め方いかんによりましては、そういうようなものはできない心配があるということを私たちは考えるわけです。そうなった場合において、あなたが原案に賛成をされておる立場からいくならば、その抑え方が、十七万五千冊といま想定されておりますものからは、その線とするとはるかに違うじゃないか、これは矛盾する点でなかろうかというように考えますので、その定価の定め方のいかんによっては非常に困難な問題があるのではありませんかということを言ったわけです。 それともう一つは、現在の検定の問題のあり方について、どういうふうにお考えになっておりますかということをお尋ねしたわけであります。
○前田参考人 いまの定価の問題につきましては、ただいままでのところ文部省側から私ども、そういうふうに部数を大きくするという話は、実は聞いておらないのであります。しかし調査会の答申を読んだり、いろいろ新聞その他のあれを聞いておりますと、やはり相当教科書の数をふやす、いわゆる建て部数をふやすことによって安くしたほうがいいという声があることは、われわれ非常に心配しているわけであります。しかしこの点につきましては私どもも昨年末の予算決定の際に、定価の問題はこの際ひとつ合理的に検討していただきたいという陳情をいたしました結果、これが取り上げになったのかどうかは存じませんが、定価審議会が発足するということに承ってはおりますので、そこで十分に御検討いただければと思うのでありますが、私の申し上げますようにいい教科書、特色はあるがその数は少ない、そういうものがやはり生きていくというところに検定というもののよさと、われわれが仕事をする楽しみがあるのである。われわれもこれだけの資本を投下して、そうしてもうかのということであるならば、こんな割りの悪い事業はないのである、まともな事業家なら教科書などはやらないと私は思います。それはやはり教科書をやるということにわれわれとしての喜びがあるからやるわけであります。そういう点ではやり方によっては少ない部数でもこれが存続する道は現に外国の場合などでもあるわけであります。それは一つは先ほど言いましたような、あまり広域な採択に持っていかないということと、もう一つは定価のきめ方にある。現実に大きな、この二、三の様子を見ましても、非常に大きな会社が非常に思い切って十分に宣伝をした場合でも、教科の新しい教科書を出した場合には、一点が五万、六学年に六十万というようなことをとるのはなかなかむずかしいのでありますから、もちろんわれわれが事業家として新しいものを出すときはある程度初めの間は赤字を覚悟をいたすわけでありますけれども、少なくも五万冊くらいのものが生きていけるという最低線は何かの形で確保されないことには、検定制度というのは事実は名前だけで有名無実になる。これは結局法案のほうに皆さん御心配があるようでありますが、私はむしろ検定制度を破壊する根本は定価に対する考え方、数が多ければ安い、安ければよかろうというこういう考え方のほうに検定制度を破壊する根本があるのである。こういう点がやはり国会等において十分世論を代表していただく皆さんのところで、そういう点をひとつはっきりさせていただければありがたいと思っている、こういうふうに考えます。 その他検定のあり方につきましては先ほど申し上げましたように、相当まだまだ自主的に当局もわれわれも改善していきたい点がありますが、何ぶんいままでは非常にあわただしい中でやってまいりましたことでありますので、しかしその間にずいぶんいろいろの苦しい経験をしておりますから、今後そういう点をお互いに経験を反省しあっていくならば、改善の道が出てくるかと思っているわけであります。 なお、その教科書の調査官はこれを監督するのか、保護育成するのかということにつきましてでございますが、私どもは教科書の内容の誤り、教科書の内容が間違っているかどうかということについてはわれわれに責任があるのだ。新聞等ですぐこまかいことを取り上げますので、そしてすぐそれが文部省にいきますので、何か文部省のほうでもそういうこまかいところは自分たちの責任のようにお考えにはなっていないかもしれませんが、非常に御心配も起こると思います。しかし私どもはそういうことは余裕を持ってわれわれに編集をさせてくださるならば、われわれは十分にその点はわれわれのつくる本なんでございますから、そういう不名誉のことのないようにいたしたいと考えるわけです。ただしかし国の教育のあり方、そういうものを大局的な見地で見ていただいておることでありますので、いろんな意味で御指導いただくということが必要でありますので、そういう意味で文部省において十分にやはりわれわれの教科書の原稿について調査され、いろいろの指導的な御意見をいただけるということは、われわれはありがたいと思っております。
○豊田参考人 定価の問題が出ておりますが、これはまあ多くの部数を刷れば安くなるだろうというような考え方がたしか一つあるのですがそのことだけではなくて、今度この法案の重要な構成部分になっております広域採択制度、このことがやはりさっき私も述べましたが、営業費、宣伝費に非常に大きな額を要する傾向にある。これはいままでの実例がそういうふうになってきておるわけであります。先ほど二葉株式会社の例を引きましたけれども、二葉株式会社の場合は、昭和二十七年から三十五年まで実に七年間にわたって業界で三位の地位を確保していたところです。ところがそれがやはりひとつつまずけば一挙に転落してしまう。それの根本原因を探っていけば、これがほんとの自主採択、現場の先生が採択権を持っておる、このたてまえに立った自主採択であるならば、ある程度といいますか、避け得た事態だと思うわけです。それが市町村段階あるいはそれの幾つかを包含する地域、さらには広く都道府県段階というふうに広まるに従って、そういうリスクが非常に大きくなってくる、そういうふうなことによって定価、その他の問題もありますが、大体中小の教科書会社が成り立たなくなっていくし、それから大手の場合でも現状において採択冊数が必ずしも多くない教科書、これはやはり落ちていってしまう、そういうふうな問題があると思うわけです。やはり根本は採択制度にあるわけでありまして、完全な自主採択制度が発揮されるならば、こういう点は避けられると思っておるわけです。特に東京都の場合、これはこの教育委員会月報五月号で諸沢課長が若干書いておりますが、これはちょっと事実に反しております。東京都の場合は、現在やはり自主採択が根幹になっております。先日も大田区へまいりましたけれども、ここではある教科については十匹種類採択されております。こういうふうな現状で、この東京においては、これは各教科書会社どこも特別な宣伝費、特別膨大な営業費はかけておりません。またそれをかける経済的な根拠はないわけです。こういうことが根幹としてもし全国的に守られるならば、これは中小会社あるいは特色ある教科書がますます発展していく条件があると思われます。
○床次委員長 時間はなるべく短縮して簡潔に願います。
○豊田参考人 検定の問題につきましては、先ほど述べたとおりですが、これがいわゆる教科書としてのたとえば誤植があるとか、数字が違っておるとか、あるいは写真がさかさまに入っておるとか、そういうふうな問題からそういうふうな点を是正していくという限度内にとどまるならば適切だと思いますが、それが先ほども引用しましたように、そうでなくて、明らかに考え方の違いといいますか、あるいは理論的な違いといいますか、そういうものがぶつかり合う、そういう場になっておる、それがますます強められておるということ、これはいままでの各教科書の執筆陣の変動を見てもそのことははっきり言えると思いますが、こういうふうな検定制度がある限り、検定がそういうふうに行なわれる限り、やはりほんとうにいい教科書というものが育っていくことは不可能だ、そういうふうに考えます。
○床次委員長 三木喜夫君。
○三木(喜)委員 午前中五名の参考人の御意見の御披露を聞きますと、どなたも教科書が無償になることについてはみな賛成である、しかしながら無償になることに付随していろんな問題の心配があるということ。私は皆さんの御意見を聞いておりまして、まあ三名の方は大体業者の立場から言われておる、つまり中小の企業者がこわされないだろうかという心配がおありになると思います。それから採択の地域をめぐりまして、やはり汚職の問題が出ておりました。私もこの教科書の問題をずっと審議する中で一番心配しておる二つの問題が出されているわけであります。その点は賛成のところも多いのですが、一、二やはり気になる点がありますので、お聞きしたいと思います。 まず前田さんにお聞きしたいのですが、採択区域が大きくなっても、少数の会社がオミットされなければよい、こういうように言われたように思うのです。私が検討してみますと、いろいろな方法がいまから予想されると思うのですが、大体過去の実績をずっと拾っていきますと、中小の会社は、六位までとってみますと、現実に落ちていく、それはどういう方法になるかわかりませんけれども、一つの方法としてとっていくと落ちていくのです。多いのは県で落ちていくのが五、六軒、七、八軒、九軒くらい落ちるのがある。会社によってはそういう検討を業界でなさったかどうか。教科書協会の理事の十四社については文句はなかったけれども、総会にはあがってないとおっしゃいましたが、こういう検討も大事じゃないかと思う。それはどこへ続くかといいますと、小さい会社でもいい教科書をつくる目を持っておる、こうおっしゃったですね。それから小採択区域で初め始めなかったらいい教科書というものはその次育っていかない、こういう論拠を持っておられたのですが、そういう立場から私は現実に起きると思うので、そういう御検討をなさったかどうかということ、また今日そういう懸念を持っておられるかどうかということですね。 それからその次に採択権の問題をおっしゃっておりましたが、三年ごとに変わる、これは安定してないというお考えで、年々総選挙みたいにびくびくするようでは困る、こういうお話でしたが、その考えの裏には、私は業界で非常に潜在意識的になっておる問題点は、過当競争を潜行してやることですね。相手を疑うということです。こういう問題がお互いにあるんですが、そういうものがなくて、またお金がそこに動いたり供応するという動きがなかったら、あなたもそうびくびくされる必要はないと思うのです。総選挙もやはり同じことです。東京都のようなああいうことがなかったら、ああいうことをやっておかしなことをやるから出し抜かれないだろうかとみな心配するのですが、公明に選挙が行なわれておったら公明選挙でまかしておけばいいわけなんです。これは業界にもそれが言えるだろうと思うのですが、あなたのお考えの中には多分にそういう懸念があったように思うのですが、それはどういうことでしょうか。 それから別所さんにお聞きしたいのですが、あなたは非常に低姿勢で、上手に次のことをお考えになって発言されておりましたけれども、私は教科書を無償にするかどうかというその措置を協議する会では、多分に配給機構の、供給機構の統制ということが問題になったように思うのです。そこでそういうことがあったかどうか、それについては、やはり懸念を持っておられるかどうかということです。私は早晩やられることだと思うのです。いわゆる教科書を市町村から広領域にし、そして県に取り上げる、やがて国の方に持っていく。これは絶対にしませんと言うていますけれども、再軍備でもやらぬやらぬと言うて再軍備していきよると思うのです。これは文部省のあくどい考え方はこういうところにもあると思うのですが、あなた方はやがてぱちっとやられてしまって、あれよあれよと言う間にだれかが権利を握ってしまう。そこでそうなると、手を握る役人ができてしまって、汚職を起こすことになりかねないコースを描くのです。そういう心配なり検討をされたかどうかということです。私はやがてそういう時期が来るんじゃないかという心配を持っておるのです。 それから出版労協の豊田さんにも同じような問題が言えると思うのですが、五番目におっしゃった中に、中小企業は活動を破綻させる、このようにおっしゃったですね。どういうような経路でどのようにして破綻していくかという御見解をお聞かせいただきたい、以上です。
○前田参考人 広域採択の場合に、小企業は現実に落ちているし、落ちるんじゃないかというお話でございますが、これは県における採択、選定の問題と、統一地区における採択の問題とありますが、私は県における選定という場合に、その順位を現実にいままでは五、六種選んでいながら、実は順位をつけているような場合があります。これは意味がないのであります。これはわれわれ業界としては五、六種選ばれるときは順位をつけないで、各教科書の特色を明らかにしていただきたい、こう言っているわけですが、私はそういう場合には必ずしも小さいものが落ちないと思うのです。現実の一例を自分のところを引いては恐縮でございますが、私のほうは、東北のほうへは全然宣伝をしておりません。しかし毎年ある県では一位ないし二位に入れて選定してくださっておるのです。しかし今までのところ全然運動しませんので一冊も入っておりません。だから県における選定というものは、小さい会社の教科書でも、それが小さくて、同時に貧弱であれば別でありますが、小さくても内容的に特色を持った教科書であれば、私は五、六種あれば必ず入ると思います。業界を代表してというか、これは私個人の経験からくる自信でございます。したがまいしてそういう県の五、六種のことについての問題はあまり感じておらないのでありますが、要するに一つの統一する採択地区をどの範囲にするかということであって、これがあまり広くなるということは、先ほどから繰り返し申し上げましたように、一番危険があると思っておるわけであります。 それから過当競争の問題は、これは先ほどから私ども希望しておりますように、採択の方式等がはっきりし、採択委員がはっきりした責任と権限を持ってくださるようになれば、われわれの疑心暗鬼の点も減ってくると思いまするが、それにいたしましても、毎年この採択変更があるということは、これはどうしてもそれに対するいろいろな対策をしなければなりません。やはりわれわれとしては一ぺん使っていただいて、そこからのいろいろな御意見を聞くのに、一年、二年はかかるわけです。それを編集なりに反映さしていくとなれば、やはり四年目でないとそれがほんとうに反映したものが出てこないわけでありますし、ある程度その期間編集に専念できるような、というのは、何しろわれわれわずかな人数でやらなければやれないような、定価その他の点からしめられているわけでありますから、そういう点から希望するわけであります。
○別所参考人 たいへん御親切なお言葉をいただきまして恐縮いたしております。実は私どもはもう数十年にわたってこの供給業務に専念してきておりますことは先ほど申し上げましたとおりでございます。その間文部御当局の絶えざる御指導と発行会社さんの御協力によりまして今日に及んだわけでございます。いろいろと供給の面につきましては、何しろ全国五千の取り次ぎ供給所があるわけでございまして、不行き届きの点もあるいは非難を受けるような点もございましたけれども、徐々に改善いたしましてどうやら今日にきているわけでございます。 今度無償が実施されることにつきまして、この供給の面につきましては、調査会の方からの答申にもうたわれておりますし、また図書分科審議会の方の建議書にもうたわれておりますので、実は私どももこの字句の解釈ということにはいささか疑念がないでもないわけでございます。この教科用図書分科審議会から出ました建議書によりますと、「無償措置が年次計画をもって漸進的に行なわれるものであるとするならば、さしあたっては引き続き現行の供給機構によることとし、将来無償措置が完全に実施される場合において、供給機構についてあらためて根本的な検討を加えるのが適当であろう。」、こういう建議書が出されております。このあらためて根本的な検討を加えることが適当であろう、この「根本的な検討」という字句の解釈がまた、これはそれぞれ現場の立場によって異なってくるのではなかろうか。おっしゃるように、利用できる間は利用をして、用がなくなればばっさりやってしまうというふうにも感ぜられますけれども、必ずしも、根本的な検討ということは、現在の特約取り次ぎの機構を全然破壊して新しいものをするんだということでもないとも解釈できると思うのです。現在の機構を存続して、いいところはいい、悪いところは改めさせるということの検討をお加えになるのではなかろうかというふうにも解釈ができると思います。また、今日まで文部当局がわれわれのこの供給機関に、先ほど申し上げましたように、絶えず指導をいただきまして、どうやら今日あまり世間さまから非難を受けないような体制にまで育ってきたものでありますから、無償が実施されたからといって、これを先ほどのお話のように、もう用事がないからよろしいというようなむごいことは絶対になさるまいと私は確信をいたしておりますので、その点、御当局を信頼いたしまして、ますます御指導を得て、この無償実施が完全にりっぱに行なわれるようにつとめてまいりたい、こういうふうに考えております。
○豊田参考人 中小企業が具体的に破綻していく程度ということですが、このことについていえば、中小であろうと大手であろうと、教科書一冊つくる作成の段階での製作コストは大体変わらないだろう、これはだれがやったって大体同じくらいかかる。そうなりますと、問題はこれが採択されるためにある一定の部数を採択された。たとえそれが三万であれ、五万であれ、それに一体どのくらいの宣伝費、営業費が必要になってくるのか、それが現在の状況。それからこれで広域採択が確定した場合に、それがどういうことになるのかということです。これについて一々こまかい数字はあげませんが、私自身の組織である出版労協の中に、現在教科書関係、出版関係は十六社あります。ところが毎週のようにそこで会議を開いて連絡し合っても、お互いに異口同音に出ることは、やはり特にもういますでに六月ですが、この時期において一斉に営業員が外に出る、しかも出るときには、決してわずかの金額じゃないわけです。明確な数字はあえて申しませんが、相当大量の資金をふところに入れて全国に散っている、そういうふうな状態。これが現在のだんだん広域採択になってきた中で行なわれている現実なんです。あるいはある部分においては一銭の宣伝費もかけずにとれているということももちろんあります。そのことを全然否定するわけではありませんが、そういうふうな、しかし全体としてはそうなっていっている。こういうふうな状況に資金面で弱い中小企業がはたしてついていけるかどうか、そういうことを考えただけでも、すでに現状のままでもこれはやはり急速に脱落していくという方向があるわけです。それが一たんこれで制度化されて、法的根拠まで持たれた上においては、そういう事態というものはより顕著になり、より急テンポになるであろう。このことは、単に中小だけではなくて、ことしの新春、大手の各経営者、社長から新年のあいさつで一斉に異口同音に言っていること、これがあまりにも言葉の内容が似ているので、お互いに話を聞いたときにあ然としたのですが、やはり皇国の興廃はこの一戦にあるということをはっきり言っているわけです。そうして昭和四十年度、四十一年度を目ざして、やはり社の浮沈がきまるということを言っております。そういうことを考えても、これはやはりこの法案との関係がはっきり出ていると思うのですが、そういう点からいって、中小企業がやはり大きく淘汰されていくということが言えると思います。
○三木(喜)委員 先の二人からまだ聞いていないところがあるので、それを簡単に質問させていただきたいと思います。 前田さんにお聞きしたのは、私は先般中学校の国語教科書を、いろいろな方法で五種、六種の選定がされると思うのですが、その数でやってみたのです。とれも大小一緒になると思いますが、こういう結果が出たのです。教科書会社の名前を言うては悪いですけれども、六種までとるのです。そうしてその中で一、二を二重マルにし、それから五位までをマルにし、六位を三角にし、それから以下を失格、こう考えたのです。そうすると二重マルになるのは光村で十八、マルが十五、三角が二、失格が一です。それから教育出版で失格が五、それから書院で失格が十、それから三省堂がなしです。それから日書が九、それから大修が九、それから東書がなし、それから学図が四、大日本が八、これは一つの選定のしかたを仮定して、どうせこういうことになるだろうと思ってやってみたのです。そういうようなことを教科書協会でしなかったら、あなたが何か仮想して、仮説を立てて御検討なさったかどうか、それをお聞きしておったのです。それから供給の方面か何かでそういうことが業界で問題になり検討されたかどうかということをお聞きしておるのです。御意見じゃなくて、やったかやらぬか、あるいはそういうことを自分でも検討してみたか、みなかったかということをお聞きしているのです。この点簡単に……。
○床次委員長 参考人の方にも申し上げますが、なるべく簡潔にお答えを願います。
○前田参考人 ただいまの点協会としては雑談としては出ておりますが、協会として検討ということはやっておりませんけれども、もちろん各社で大事な戦略ですから検討しております。私のところももちろん検討しております。私のところは、ただいま例をあげられました国語なんというのは、初めてできたばかりですから数は少ないのですが、私としてはちゃんとしたわれわれの希望するような形で採択というものが行なわれるようになれば伸びるという確信のもとに戦略を立てております。
○床次委員長 次は小林信一君。
○小林(信)委員 時間がございませんので、要点だけ申し上げまして、皆さんの率直な御意見を承りたいと思いますが、まず出版業者としての前田さんにお伺いいたしますが、何の商売にも商売道徳というものはあると私は思うのです。ことに教科書をつくる業者というものは、どの商売をなさる方よりも良心的であり、常に一つの信念を持って当たっていかなければならぬ仕事だと思うのです。検定の場合にも、ただ文部省の言うなりになるような、そういう態度ではいけない。それから安く安くということをこれから要求されると思うのですが、しかし世界的な水準というふうなものもございまして、まだはるかにそれに日本の教科書というものは及んでおらないと思うのです。そういうふうなものが制約されるというようなことは、これはやはり業者の点ではね返してもらわなければならぬと思うのです。それから先ほどもお話がありましたように、よい教科書を使う方たちの意見というものを聞いていかなければならぬわけなんですが、しかしそういうような使命感というものをみんなお持ちだと思うのですが、今回の法案に対しましては、おそらく一、二を除いて、大部分の方たちが批判的なんです。しかし私たちにそういうことを訴えながら、私がこういうことを言ったということは文部省に言わないでくださいとか、私たちの名前は出さないでくださいとかいうのが出版業者の現状なんです。私は非常に残念な気持ちになったわけです。こんなことで、中には道徳を説く教科書も出てこなければならぬ、あるいは偉人傑士の話もしなければならぬ、書かなければならぬ教科書の仕事であるのが、こんな態度の中から、はたしてりっぱな教科書が出てくるか、まことに前田さんを前にして言いにくいことなんですが、そういう印象を私たちには与えたわけなんです。もっと教科書業者というものは、自分たちの教科書という仕事を真剣に考えていただかなければならないと思うのですが、しかしそれにはやはり言うべきことは言わなければいけないと思うのです。そこで一つお伺いしたいのは、いまのような状態では、あなた方のやっている仕事は投機的な仕事だと思うのです。金をかけて、そうしてそれが採択されなければ、みすみすそれは全部御破算になってしまう。そしてただ自分が苦しむだけじゃない。自分が使っておる従業員の諸君も路頭に迷うというようなことになるわけなんです。したがってこの法案が出た場合にも、業者の方たちはこれに対する保障制度をつくってもらいたいということを出したはずなんです。そして従来のような機構からいえば、地方の供給業者のほうから相当な金融を仰いだわけなんです。ところが今度はその道が断たれるわけです。しかし、原稿を出してそしていよいよ採択部数というものがきまるまでというものは相当な期間がある。その期間にやはり一応紙も買っておかなければならぬ、あるいは鉛も一応保存しなければならぬというふうなことから考えれば、非常に業者の皆さんの立場というものは犠牲的な面が多いわけなんですよ。したがって保障制度がつくられるようなものをあなた方業者が要求する、考える、こういう態度を示すことによって業界というものが信念的に、ほんとうに教科書を扱うという、そういう商売として確立される仕事になりはしないかと私は思うのですが、これも何か、皆さんが会合したところへ教科書課長のほうから、法案審議の最中だ、待ってくれと言ったのか、やめろと言ったのか、それは知りませんが、そういうふうな指示があって、それがとまったという話ですが、そういう信念的なものでほんとうによい教科書ができるかどうか。私はそういう一つの点からも疑惑を持つわけなんですが、一体この保障制度というふうなもの、あるいは金融の特別前渡し金というふうなもの以外に考えさせるような気持ちがあなた方にないかどうか、この点をお伺いします。 それから次に別所さんですが、こんなところで申しては失礼ですが、供給業者というものも、いま三木さんが言われたように、文部省にも低姿勢だし、業者に対しましても低姿勢な態度をおとりになっている。やはり何かあなた方の将来の運命をあなたが見せているような気がするのですよ。(「とんでもないことだ」と呼ぶ者あり)とんでもない話ということでなくて、私は教員をやった人間ですが、戦争直後、あなた方からずいぶん私は苦しめられた。あの薄っぺらな本を買うために子供たちから金を集めて、そしてあなた方のところに持っていく。それもずいぶん早く、来年三月に買うものはたいがい十月ごろ金を集められたわけです。その金を持っていかなければ売ってくれない。そしていよいよ教科書が出る場合にも、私はリヤカーを引いて供給業者のところへ行って、そうして本を持って来たのです。本が少なくても、あなたが勘定していかなかったからというようなことで、かえって業者からおしかりを受けた。それくらいかつてはあなた方もいい時代があった。しかしそういうふうな場合にも将来のことを考え、やはり供給業者もいま申しましたように、教科書を扱うという重大な仕事をしているわけなんです。一般の商品を売るのと違った気持ちをこの際ひとつ持っていただきたいと思うのです。先ほどの三木さんのお話というものは、私は冗談じゃないと思う。そこで一つお伺いしたいのですが、あなた方はいままで一割六分の利潤というものを受けたわけなんですね。これが今度は一割二分に減らされる。しかし実際あなた方がもらうのは幾らですか。一割二分もらうのか、あるいはもっといろいろな事務経費を差し引かれて少なくなっていると思いますが、一体その算定というものはだれがやるのか。全く私はあなたに敬意を表するのですよ。いかにむだな本をなくするか。ほんとうに子供たちに一人も残さず、期日を期して、いかにして完全配給をするかということであなた方が一番苦労している。ところをこの法案の中にはあなた方の立場はどういうふうに書いてあるかというと、発行とは製造と供給をいうというふうに、発行業者のほんとうに一部の付属物みたいな、盲腸みたいな存在にされているのです。しかしあなた方がほんとうに計画を立て、緻密な計画の中でほんとうに不眠不休で働かなければ、文部省の言う始業式に間に合わせるというような仕事はできないと思う。にもかかわらず、あなた方の利潤というものは、それに対する報酬というものは、一割六分を一割二分に減らされ、さらにいろいろな事務費を取られて九分しかいっていないことは私は知っています。一体あなた方がそういう自分たちの仕事をちゃんと計算して、幾ら幾らなければならないという考えのもとにもらっておる金かどうか。あてがいぶちじゃないですか。大蔵省できめられたり、文部省できめられたり、発行業者から押しつけられるようなものをもらっておれば、それはあなた方の将来というものは私がいま申し上げるような状態にあるわけなんです。あなた方の仕事というものもりっぱな仕事なんです。大きな役割を持っている仕事なんで、自分たちの立場が確立できるようにしていただかなければ、あなた方が苦しむだけではない、子供が困るわけなんです。あくまでも子供の立場に立って御自分の仕事を、何もほかに迎合する必要はない、子供のためにがんばっていただかなければならぬと思うのですが、その算定の基準をどこで立てておるのか、これをひとつお伺いしたいと思います。 以上で終わります。
○前田参考人 いまわれわれの使命観をおっしゃていただいたことは、私ども全く同感であると同時にきもに銘ずるわけでありますが、そういう点で、たとえば検定に際して文部省の言いなりになっておるじゃないか――これは業界全体の様子はわかりませんので、こういうことは申し上げかねますが、私自身の経験から言いまして、決して言いなりになっているわけではないのであります。納得のいかないところは質問もし、場合によっては意見を変えていただくという場合もあるわけでありまして、そういう点はあくまでもわれわれの使命観に立ってやっておるつもりであります。また無償制度に対して業界の一部は賛成だが、全体は反対ではないかというお話でございますが、これは初めこういう制度ができるというころはわれわれも非常に心配し、迷い、いろいろ疑心暗鬼をいたしたのでありますが、しかしだんだん話をしていきます間に、この日本の高度成長下における日本の大勢、世界の情勢からいって、こういう方向にいくことはやむを得ないのではないか。かつて数年前に無償貸与制ができたときには、われわれは猛烈に一致反対して、これをやめていただくように努力したのでありますが、今回はやはり世論とか世界の大勢ということから考えて、これは方向としてやむを得ないのではないか。やむを得ない以上はその中でわれわれができるだけ今後安心して教科書がやれるような方向へ内容をつくっていっていただきたいということで、われわれも中にそれに対する対策の委員会もつくり、絶えず文部省と折衝を続けてまいっておるわけでありまして、それはときどき、あるいは法案が出たときだとかあるいは新聞に途中で発表があったときとか、あるいは予算の折衝の過程におけるいろいろな発言が新聞に出たときというようなときには、われわれも疑心暗鬼で心配をしたり、迷ったことはございますが、しかし絶えず接触を続けて今日まいっておりますところでは、先ほど私が繰り返し申し上げたような点について――これは法案の条文じゃなくて、むしろ法案の実施の面になると思いますが、考えていただくならば、われわれとしてはまずこれでけっこうだと考えているので、ただ泣き寝入りをしているつもりは全然ないのでございます。 それからもう一つ、保障の問題につきましては、結局今度の無償制度が出てきた根本も大きく言えば日本の高度の経済成長による日本の社会の変革ということからきておるわけでありまして、そこに中小企業基本法というようなものもいま取り上げられておるわけでありますから、特にその中でわれわれの事業はさっきも申しましたように成長性のない事業でございますので、そのままにほうっておかれますと、非常に格差ができてまいります。そういう意味で中小企業基本法の精神にのっとって関係の皆さん方でぜひわれわれの事業の育成をお考え願いたいという意味の陳情をするということはわれわれも考えております。いずれ定価の委員会もできるということでありますから、適当な時期にそういうふうな陳情をしたいということで案文等もたびたび相談をいたしまして、いつの時期にどうしたらいいかというようなことは事務当局にまかせてあるわけでありますが、いまお話のありましたように、われわれは会合を課長からとめられたというような話は私は全然聞いておりませんし、私自身そういう対策の委員長であるけれども、私のおります席でそういうことがあった事実も私存じません。
○別所参考人 戦時中の教科書の配給につきまして、たいへんどうもおしかりをいただきました。事実そのとおりでございました。たいへんおそまきでございますけれども、ここでおわび申し上げます。 それと、供給業者といえども少なくとも教科書を扱っているんだから、一般図書、雑誌の販売業者のようなことではいけないんだ、自覚を持てとおっしゃいますが、これは確かに私どもは持っておるつもりでございます。先ほど前田参考人も言いましたように、現在の供給手数料では実際ほかの仕事に比べますと、ずっと低率なんであります。低率にも甘んじてやっておるということは、やはりわれわれが教科書の供給業というものに誇りを持っておるという証左ではなかろうかと私は思います。この点は今後も十分に戒慎いたしまして、御心配のないように誇りを持ってやっていくようにいたしたいと思います。 それから発行業者の隷属物で盲腸のような存在ではないかというお話でございますが、しかしこれは教科書の発行の臨時措置法にはっきりと供給の責任は発行業者にあるということがきめられております。学校の児童生徒の手へ渡すまで発行業者の責任だというふうに臨時措置法ではっきりきめられております。それでこの臨時措置法が現在でも生きておりますのと同じことで、私どもはその発行業者の供給責任を代行しておる機関でございます。おっしゃるとおり、盲腸だというふうにお考えになればなれるかと思いますけれども、決してそんな無用の長物ではございません。供給が完全にいかなければ、いかにいい教科書を発行会社がつくりまして採択がございましても、教育の効果というものはあがらないのではなかろうかと思います。
○小林(信)委員 私がそう見ているのじゃないのですよ。文部省や大蔵省が盲腸的に見ているのです。(笑声)
○別所参考人 いまの臨時措置法にそうきめられており、またわれわれがその代行機関であるという事実からいたしまして、あるいは盲腸のような存在だというふうにお考えになるかとも思われますけれども、私どもはいま申し上げましたように、製造供給、これを発行といっておる、二本柱の一本を背負って立っておるのでありますから、決して盲腸だとは思っておりません。 それから手数料の問題でございます。これはおっしゃいますように、ことしから無償の分に限りまして四%引き下げられました。これは、われわれが四%引き下げてくださいと申し上げたわけでは決してございません。先ほども御紹介いたしました教科用図書分科審議会からの建議書の中に、代金回収業務がなくなるんだ、だからその代金回収業務がなくなる見返りとして、特約、取り次ぎともに現在の供給手数料の四分の一ずつを引き下げることが妥当だという建議書が出ておりまして、それがそのまま大蔵省でもお認めになり、あるいは文部省のほうでもお認めになり、また発行会社のほうへもその通達がありまして、発行会社のほうから私のほうへ四分引き下げということに決定をしてきたわけでございます。代金回収業務がなくなりましたかわりに、先ほども申し上げましたように書類の整備が非常にかかりました。これは教育委員会の名古屋市のお話にもございますけれども、三重県だけでも十三、四枚のカードを整理しなければならぬという実態になりました。しかし、この四分引き下げがきまる当時では、代金回収業務がなくなって、かわりにどれくらいの業務がふえるかということはわかりませんでした。理屈ではございません。実際にいまの代金回収業務にかわる業務がどれくらいのウエートを占めるかということは、この四月実施いたしまして初めてわかったことでございます。それで私どもといたしましては、現在全国の取り次ぎ供給所にどの程度無償給与に関して費用がかかったかというような資料を取りまとめ中でございます。この資料が出てまいりましたら、その資料を発行会社のほうへも、あるいはまた文部省のほうへも提示いたしまして、この四分の引き下げということについてはあらためて御相談をお願いいたしたいと思っておりますが、四分引き下げがきまりますときにはまだ実施段階でございませんでしたから、向こうの原案のとおりに現在四分引き下げられまして、特約供給所が三%、取り次ぎ供給所が九%ということになっております。以上でございます。
○床次委員長 谷口善太郎君。
○谷口委員 七分の時間ですから、いろいろなことを聞きたいのでありますが、最初に辻さんにお尋ねしたいのです。さっきあなたのお話の冒頭に、ことしの一年生に対する無償の供給をやったときに、たいへん評判がよくて児童の幼心に国家に対する感謝の気が起こりという御報告がございました。同時にそれについてこのことは、このこと自体教育のためにも、教育的見地から見てもたいへんいいことであるという御評価をなさっておられます。その辺の実情をもう少し詳しくお聞きいたしたいと思います。
○辻参考人 私個々の児童に聞いたのでございませんですから個々には申し上げられませんが、大体名古屋市におきますところの各区、それから教員のいろいろな会合におきましての発言、そういったようなことを総合いたしましてそういう感じを持っておりましたものですから、とにかく今回の措置は画期的なものである、この点はよかったなあというような感じを持ちましたものですから、父兄はもちろんのこと、それからまたこういった気持ちが幼心の中にも芽ばえてきて国に対して感謝をしていく、そういったふうに持っていける、そういったようなことも、また教科書は国からいただいたのだよということを個々に聞いておりましたものですから、そういった気持ちで申しましたので、いまお尋ねにつきましてもっと詳しく申し上げられませんのが残念でございますし、申しわけないと思っております。 それから教育上と申しますのは、そういったような気持ちが、すなわち、とにかくわれわれ教員が地についた教育ができるというようなことにつきましては、気持ちがまずぴったりすることが第一だと思っておるわけでございます。すなわち教員は子供の気持ちをよくつかみ、また子供は教員を特に信頼してかかるといったような、そういう態勢に持っていくことがまず教育のもとである。こういったようなことからいたしまして、国全体を考えた場合にも、国を背負って立つ今後の第二の国民を養成する、そういうような仕事をする先出たちも、今後の国に対しての第二国民のあり方といったようなことについて、まず感謝をしてかかるべきじゃないかというような気持ちを持っておりましたものですから、そのように申し上げまして、個々のことについて申し上げられませんのを申しわけないと思っております。
○谷口委員 あなたのことばじりをとらえて何か言おうという気ではない。そうじゃなくて、大都市の教育長をなさっておられるあなたからのお話だもので、私非常に大事なことをおっしゃっていられると思うのです。なるほど世間の常識的な言い方で、まあ人に物をもらったから感謝するという、そういう意味でおっしゃったことであろうと思うのでございますけれども、しかしこれが教育上それだけ大きな意味を持つということを、教育長であるあなたがおっしゃいますと、これは聞いておく必要があると思って伺ったわけであります。というのは、これは感謝すべきものじゃない。これは当然憲法で、昭和二十一年に、義務教育はこれを無償とするという、日本国民の権利として規定ができております。ただ自民党政府はこれをやらなかったわけであります。去年の参議院選挙にあたりましても、政府の閣僚諸君の中でも、あるいは自民党の議員諸君の中でも、選挙にあたって、大いに、無償措置をとったことは自民党の功績だというようなことを言った向きもあったように伺っております。これは全くあべこべでありまして、これは当然政府としてやらなければならない、国民自体の権利である。昭和二十一年から権利として持っている。これをやらぬで、それが先生方や父兄や、その他全国民から相当猛烈な、この憲法の条章を実行せよという要求、運動、つまり権利の確保のための戦いが行なわれた結果、いやいやながら教科書だけを無償にした。したがってこういうことから権利の意識を育てるという、そういうものとして教育的にやはり活用すべきであって、逆に権利の意識を放棄して、これを何か物をもらったからありがたいということで教育的な意義を持つというような考え方を、もし教育長が持っていられるとすると、これは大問題だと私は思うのです。そういう点どうでしょう。
○辻参考人 おっしゃるとおりでありまして、とにかくいままで私の感じておりましたのは、物を与えられたからありがたいとかいうようなことになりますと、犬やネコにでも何かえさをやれば喜ぶ、そんな気持ちは私は毛頭持っておりませんでした。とにかくいままでなかったこういうような措置がとられたそのことにつきまして、そういう心の芽ばえが各児童生徒あたりにも当然起こるべきではないか、現場での話をつまんでそのようなことを感じておりましたから、そういうことを冒頭に申し上げたわけでございます。
○谷口委員 時間がないですからこの問題だけこだわっているわけにいきませんけれども、これははっきりしておく必要がある。たとえばみんな集まって会費を出して宴会をやろうということをきめて、こういう料理にこういう手踊りとこういうおみやげを渡すということをきめて会費を出したわけです。ところが世話人はその一部を出さなかった。それで自分のひいきにしている芸者を呼んできてかってなことをやっているというのがいまの自民党の政府のやり方なんです。ですから……。
○床次委員長 谷口君、質疑の要点に入っていただきたいと思います。
○谷口委員 国民の権利の意識をはっきりさせるということが教育委員会の責任だろうと思うのです。そういう点をやはりはっきりさしておく必要があると私は思う。こういう点ここではっきりしておくということはあなたも賛成なようですから、これは国民の権利でありまして、政府に当然、全期にわたる義務教育の無償をやらせるというためには――たった一つのことを十何年目にいやいやながら自民党の方でやった。しかもそれについて感じますのは、さっきから問題になっておりますが、いままでの検定の制度では内容的には国家統制、国定と同じようになっておる。しかし今度はそれを採択、配給の名義で一種目五種類くらいに統制する、そういう方向をめざしておるのだということを、文部省が去年のあの法律を出す場合に親分自民党へ、そういう申しわけをして、それでこれは採択の面から、あるいは業者に対する国家統制を強めるという面から、国定のほうへ一歩近づくのだということを文部省自体が言っている。それが今度の法律です。こういう点から私はあなたに伺いたいのでありますが、採択権は一体だれにあるのだ、根本的にはだれにあるのだ、これは教育長としてどういうふうにお考えになりますか。
○辻参考人 実質的には現場で使う教員、それにあるべきだと思うのですが、事務的にはこれは所管の教育委員会にあるべきで、指定都市の場合には、従来も名古屋市の教育委員会におきましても、また他の五大市におきましても、教育委員会で決定してきたのでございます。ですから事務的には結局は教育委員会にあるべきだというふうに考えております。
○谷口委員 この問題もそう掘り下げているわけにいきませんので、私どもの考えを言いますが、採択権は……。
○床次委員長 谷口君、御意見は、御質疑だけをお願いしたいと思います。
○谷口委員 ですから当然憲法及び教育基本法の規定によりまして、これは基本法でありますが、やはり国民にあると思います。皆さんのやっていらっしゃる教育委員会なりの仕事は、これは文部省もそうでありますが、それらの根本的な国民の権限に対する行政事務、事務をやるというふうに私ども考えておるわけでありますが、その点はさっき意見を言うなと言いますから、意見を言いませんで質問はできませんですけれども、次に流していきます。 最後に私、大阪書籍の社長さんに伺いますが、どうでしょう、汚職の問題とかなんとかいろいろ問題になってきまして、教科書を採択させるために悪徳業者がいろいろなことをやったということが、いままでにも暴露されて問題になっております。私は思うのですけれども、教科書をつくっていられる会社にしましても、なるほど一般の出版物と違うかもしれませんけれども、やはり商品をこしらえて売るのでありますから、せっかくこしらえたって売れなければ何にもならぬ。売るためにはいまの制度のもとでは、安く売るかおまけをつけるというようなことをやるのは当然だと私は思う。それをよけいやったほうが勝ちでありまして、なるべくたくさんの人に自分の教科書を採択させるようにいろいろな運動が起こってくるのが当然だと思うのですが、これは避けることのできない必然だと思う。そういうことについてはどういうふうにお考えになりますか。
○前田参考人 これはやはり教科書というものは国家的な、非常に公共的なものでございまして、なるほどサービスは当然でございますけれども、そのサービスというものにもよりけりでありまして、私は普通の意味の商品のようなサービスはやはりない方向へいくべきものだと思っております。ちょうどこれは選挙民に対するサービスと似たような考え方で考えればいいのじゃないかと思うのです。ですから私はこういう制度によってやはり責任――さっきの採択権はどこにあるかという問題と似ておりますが、根本は国民にある、父兄にあるので、その権利がどこにある、先生にあるとか教育委員会にあるわけではなくて、われわれしろうとの感じからいいますと、国民にあるのだから、それらの方々が責任を持っていただいているのだと私は思います。ですからそういう方々のはっきり責任ある御選定におまかせしたい。それに対してわれわれがそれを十分PRし、趣旨をわかっていただくような努力が許されることが望ましいのであって、それ以上のことは私どもはいまやはりできるだけ自粛し、遠慮していきたいと考えております。
○床次委員長 谷口さん、もう時間がきましたのですが、――それじゃそれでもって終わっていただきたいと思います。
○谷口委員 自粛とか、それからそういうことがあってはならないということはだれでも言いますし、一番言うのは文部省です。これは議員の方もそう言っているわけです。しかし私の申しますのは、それはそうなってくればいいけれども、やっぱり商売していらっしゃるのですから、したがってそれはいやでもそうなるのが必然ではないか。これを文部省がその必然をうまく利用いたしまして、業者を淘汰していこうという意図を今度は持っているのです。そこのところをやはりあなた方は商売をなさる方として、そういうものだということをここにはっきりされるほうが、むしろこの法案を審議する上に非常に私は助かる。ほんとのことを言っていただきたいと思います。いかがでしょう。そうなるべきだ、なると思います。自粛してなんというのは精神主義でありまして、もうかると思ったらやりますよ。相手を倒してやろうというのは、それはそうなるのが当然です。商売ですから。その点どうです。
○前田参考人 なかなかこれはむずかしくてあれでありますけれども、私の気持ちから申しますと、採択の制度等において責任と権限がはっきりされる、選ばれる方も十分責任と権限を持って当たっていただくということであれば、いかに業者といえどもやはりそれに対処する態度でいくということになるので、いわゆるその採択をするためにというような点は私は少なくなると思いますし、かりにあったとしても、そういうことは、もしそれがばれた場合は事業そのものができなくなる危険性を負わされているのでありますから、そういうばかなことをする人はないだろうと私は思うのです。もちろん親しくなっている間に当然平素のつき合いというようなことはあるかもしれませんが、これはもうやはり自粛ということばで言うよりしようがないので、良識でお互いに考えていくよりしようがないと思う。まあ教科書のようなものはやはり本質的にわかってもらうという努力は認めてもらいたい。それだから、いままでのように制度がはっきりしないために、一番教科書をとってもらわなければならない時期に説明に行けない。こういういわば選挙が始まってから立ち合い演説も個人演説もできないといったような状態はわれわれは困るのでありまして、そういう点ができるようになりさえすれば――確かにこれは制度がはっきりすれば制度の運営の点で可能な道があるだろうと思っております。そういうことを期待しているのでありまして、すべてそういうことがちゃんとよくなっていけば、あまり変な方向へ走った過当競争はない。本質的な意味の競争は依然として残ると思うのです。
○床次委員長 以上で前田参考人、別所参考人、辻参考人、鈴木参考人、豊田参考人、各参考人からの意見聴取はこれにて終了いたしました。 各参考人には長時間にわたり有意義な御意見の開陳を賜わり、まことにありがとうございました。委員会を代表し、私より厚くお礼を申し上げます。 ―――――――――――――
○床次委員長 引き続きただいま御出席になっておられます東京教育大学教授安藤堯雄君、渋谷区立大向小学校校長近藤修博君、練馬区立開進第一中学校教諭本多公栄君、元教科書編著者徳武敏夫君、以上四名の参考人の方々より意見を聴取することといたします。意見の開陳は安藤参考人、近藤参考人、本多参考人、徳武参考人の順序でお願いいたします。 なお、参考人の御意見の開陳はお一人で約十五分以内にお願いすることとし、その後委員諸君の質疑にお答えを願いたいと存じます。 なお、議事の進行を考慮いたしまして、参考人に対する質疑は約十五分程度で御協力を願いたいと存じます。 なお参考人の方に申し上げます。質疑に対する御答弁は議事の進行上できるだけ簡明にお述べいただくように御協力をお願いいたしたいと存じます。 それでは安藤参考人より意見の御開陳をお願いいたします。
○安藤参考人 私は現在の職務の立場から、この制度について端的に私の研究の結果を申し上げて、御参考にしていただきたいと思います。 私は東京教育大学におきまして教育政策、教育行政、教育制度、そういうものの研究と学部及び大学院の学生に対する講義を担当し、かつ比較教育学、比較教育制度学、比較教育行政学等、世界各国の教育制度の比較研究をいたしておるのでございます。そういう学究者の立場から意見を申し上げたい、こう思うわけでございます。この問題については午前中の参考人の方のように、直接その制度の運営の利害関係、また責任、そういう立場におりませんものでございますから、わからないところがあるかと思いますけれども、しかし多少広い視野から考えることができると思いますので、大学の学問の自由と研究発表の自由の立場から率直に述べたいと思うのであります。 第一に申し述べたいことは、この問題は教育問題であるということであります。まず日本の教育をよくし、子供の幸福と国家社会の発展の基礎になる教育の問題であるということを確認して考えることが必要だと思う。したがいまして私の立場から考えますと、業者の立場が第一に考えられるべきではない、もちろん業者も国民の権利として企業の自由な立場から利益を徴されることは当然でございますけれども、教育の立場から考えるべきであるということをまず申し上げたいと思うのであります。したがいまして私はきわめて画期的な制度の実施でありますので、この制度の実施が問題になります当初から意見も開陳し、文書でも発表し、また新聞その他にあらわれているものは、数種の新聞をたんねんに見まして切り抜きを全部保存しておりますし、社会党のほうの御意見も自民党のほうの御意見も、活字で出ておる限りはほぼ目を通しているつもりであります。きわめて主体的な――アメリカのできごとではない、ソ連のできごとではございませんので、単なる研究家という傍観的立場ではなく、主体的立場で考えておるわけでございます。 そこで問題をしぼりまして、まず法案に直接関係して意見を述べ、立法自身の実施に伴うわが国の教育行政、あるいは学校制度の全般のことにも関して意見を述べたいと思うのであります。言いかえますならば、これは単に教科書を国が買い取って、そして無償で配布するということではないのでありまして、そうあってはならない、こう思うわけであります。学校給食の問題がありまして、一万九千校の実施校に対して、牛乳だけは配給したい、これも非常に画期的でございますが、それと本質的に違う。もっと内面的、精神的な問題であるということと、人間の心の、また基本的人権に関することであるということをまず確認して、関係する人がそれぞれの立場からこれを育成し、そのおちいりやすい欠点はいろいろなくふうをして是正して育て上ぐべき問題と思うのであります。 第一点は、やはりこれは技術的なことが非常に議論になっております。もちろん無償の実施の精神は先般の法律で成立いたしております。そのときに十分論議されておると思いますから、したがって今回はそれを実施する措置が中心になっておることはもちろんであります。しかし私はやはりその基本に流れておる、要するに教科書無償制度の根本を絶えず忘れないようにすることが必要であろうと思う。そこで無償の制度が問題になるときに、私はこれには賛意を表したのであります。これは憲法の精神から当然行なうべきことでありますから、賛意を表したのでありますが、いままで無償で配布しておったものとは根本的に違った発想法であるということを主張したのであります。言いかえますならば、いままでは社会保障的な性格のものであります。ただそれが全児童生徒に普及したと考えるのは、これはきわめて近視眼的考察であります。言いかえますならば、全く違った原理が出ておるということであります。そうなりましたときに憲法の第二十六条の第一項で出てくるのか第二項で出てくるのかということは、これは学界でも意見がありますが、私は第二項で出るべきものと考えるのであります。第一項は、すなわち「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」したがいまして、これは義務教育々々々々といいますが、権利教育ということをまず考えるべきだと思うのです。教育権ではありません。よくことばをルーズに使う皆さんは、権利々々というが、教育権というだれのことやらわからぬようなことを言っておりますが、これは教育を受ける権利であります。これを称してすなわち教養を受けるべき権利、教育を受ける、学習権などというちっぽけなものではありません。それは教育ということが人間の能力を最高度に発揮し、そうしてこれが自分の力量を最高度に発揮して、そうしてまず自分の幸福の基礎を築き、社会国家に奉仕するそのエネルギーとなるわけでございますから、そういう機会を与えらるべき権利と解すべきであります。このことを確認することが、あらゆる教員組合運動にいたしましても、あらゆる教師の活動にいたしましても先決問題だと思うのであります。ところがどうも巷間は、二十六条の第二項の就学させる義務、そういうほうから義務教育、義務教育というのであります。これは保護者の義務でありまして、まずこのことを考える必要があります。 それから義務教育制度のとかく忘れがちなことは――小学校、中学校に関しては市町村の学校設置の義務、特殊学校に対しては都道府県の設置義務、第三の義務構成は児童を使用することによって、その教育を受ける権利を妨害してはならぬ、これは教育妨害禁止の規定、これには罰則がついておりますが、この三つが義務教育制度をなすのであります。こういう構想の立場で考えて、絶えずこれは子供の教育を受ける権利を保障するために保護者に義務を課し、市町村、府県に学校設置の義務を課し、また児童を使用する者に対してそれを保障する責任を持たせる。したがいまして、保護者は権利は持っておりません。それだのに両親権だとか教師の教育権だとか言われるのは、これは憲法二十六条を解せざるものだと私は考えます。したがってこの教科書無償の問題も、広く考えれば教育無償制の一環として考えるべきものだと思います。私は研究室で大学院の学生その他を指導いたしまして、数年来教育無償制の問題の比較教育学的研究、世界各国の研究をして、昨年の日本教育学会広島大会で発表いたしたわけであります。これもそういう意味で考えるべきだということでございます。したがって従来は無償を授業料を取らずということできたのでありますけれども、さらに一歩進めまして、教科書の無償ということにしたということであります。しかし教育の無償制は、授業料を取らない、教科書を無償にするということでとどまるべきと解すべきではない。もっと大きい無償制の構想を立てて、その現段階においては教科書の無償というふうに理解すべきである、こういうふうに考えます。これが第一点であります。さらにもっと全体的教育政策の構想においてこの問題を考える――御質問に応じてまたあとで答えたいと思います。 次は、直接法案に関してでありますが、教科書政策を考えますときに、詳しくは申し上げませんが、三つのタイプがあるわけであります。一つは社会主義国または全体主義国といっても私は間違いでないと思う。これは、戦前の日本の国定なんというどころではないのでありまして、全く国営であり全部国家公務員であり、そういう立場でやっておる最も統制――国家権力の最大限にあらわれた行き方であります。これに対してイギリス的は、直接は放任、国家権力は教科書に関しては放任したようなかっこうでありますが、社会的――たとえば大学のほうで入学試験というようなことできまってまいりますから、いわば社会的に、教育界自体の制約としておのずから教科書が、その前段階の学校の教科書がきめられてくる、直接国家は介入しないというようなことであります。だから表面的、近視眼的に見ただけではだめでありまして、全体のメカニズムの中でどういう教科書が使われているか、選ばれているかということを見ないといけない。私のような者が多少でも皆さんに御参考になるというのはそういう点からではないかと思うわけでございます。 そういう点から考えますときに、いろいろこまかい点については、運営上また実施上注意すべきことがあります。その点についてはあとで要望申し上げたいのですが、一般的に考えますときに、この法律を、文字どおり、揣摩憶測、不信の念を持って見ない限り、大体私は民主主義国家では、あるいは現段階では適正だ、こう言っていいと思うのであります。これは大体であります。しかしあとでいろいろ各方面に注文を申し上げたいと思うのであります。 その一つでありますが、選定と採択、これは一連の事柄であります。言葉が選定と採択というふうに使い分けてありますが、これに対して運用上大きい問題があると私は思うのであります。その県の段階において選定し、そして具体的に市町村教育委員会において一種採択するということは、これは当然とるべき適正なことだと思う。ただその場合に起こってくる問題について申し上げたいのですが、その一点は、数種ということ。これは、二つでも数でありますし、十でも数であります。これにつきまして、私は、県の段階ではできるだけ多くのものをあげるべきだと思う。それにつきましても、さらに義務教育諸学校といいますが、小学校と中学校はやはり違った発想法でいくべきだ。義務教育という点から考えまして、小、中をいつも一緒に考えるくせがある。これは文部省をはじめそうであります。しかし文部省も、行政的には、中等教育課と初等教育課といっておりますが、どうも地方へ行きますと、義務教育課とか高校教育課、――義務教育ということは、就学の義務が強制されておるというだけでありまして、学校段階的には、初等教育、中等教育――中学校は中等教育前期、小学校はその基礎の初等、これは使い分ける必要があろうと思うのであります。その点から考えるときに、まだ中学校はほんとうの中学校になっていないのであります。教員養成しかり。学校施設の基準もありません。そういう点で、教科書に関しましても、小学校は基礎であります。ここはそんなにバラエティーのある教科書をやる必要はないと思う。これはほんとの基礎であります。農村でも都市でもおよそ日本の国民である限り、基礎的なものをしっかりと学ぶということでありますから、同じ数種といってもやや少なくてもいいと思います。これに反して中学校は、高校進学も多くなりましたけれども、やはり相当数の生徒は就職をいたします。ここで初めて地域性というものを教科書採択において考える必要が出てきますから、この場合には小学校に比してやや多く選定する必要があろう。したがって各教育委員会、市町村教育委員会がこれを採択する場合に、幅を、自由の余地を残すということを申し上げたい、これが第一点であります。 次は選定委員会の構成であります。公正なる――公正なるということは、社会的圧力に屈せずということでありますが、適正ということは教育的概念であります。公正適正に行なう、こういうことになりますと、選定委員会の構成はきわめて重要なものであります。これは政令できめられることになると思いますが、教科用図書分科審議会会長から文部大臣に出されました建議によりますと、そこに、教科用図書選定審議会の組織について、としてあがっております。ここに市町村立小学校または中学校の校長及び教員――この教員という場合に、私は国民という概念のようにあいまいに使ってはいけないと思う。一人々々の教員が選ぶべきものではないと思う。これは公教育の建前上、教員の代表――ちょうど主権在民といいましても、皆さんのように、選ばれて、委託にこたえて主権を行使されておるのと同じであります。ところが一方の人たちは、国民の概念をもってきたり教育の概念をもってきて何だかわからぬことをいっております。国民による国民のための教育、何のことだかもう少し聞かねばわからぬ。その場合に、人民であったり――人民と国民とは違うのであります。字が違うように。国民でも、国民という言葉は使うが、とんでもない概念、これが戦略でありましょうけれども、それは別にいたしまして、私は教員の代表をもってこれをできるだけ多く加える。何も個々の学校が自分がやらなくても、自分たちの信ずべき代表を多くするということであります。あまり行政関係者は多く入らぬ方がよろしいと思います。それから最後に広く教育に関し学識経験を有するものとありますが、いままでありませんが、私は学識のつもりでおります。教育学に関しては、日本で十本の指くらいに入っているようにプライドを持っております。実際は入っておりませんよ。うぬぼれと何だかはだれにもある。うぬぼれのないところに責任を持って行動できませんから、私を入れよとは申しませんが、学識経験者じゃないんですね。学識、経験者であります。経験というものは、特殊的状態における状態でありますから、学識はその字句を越えたところに理論を持つのが学識の、私は努力すべき目標だと思う。内閣はその責任があると思うのでありますが、そこでぜひ、ここにあるところの学識経験者をもっと比重を持たせる。これは文部省の委員会、池田総理大臣の人づくりのお相手をすると申しますか、意見を述べる方を見ましても、どうも私は経験者は多いのでありますが、教育について、教育史的比較教育学的に研究している人がどうもあまり重んぜられないのは、日本だけのように思うのであります。その意味で、私ごとき者がしゃべる、こういうようにたいへんに愉快でたまりませんし、感謝をいたしておりますが、機会あるごとに学者を活用していただきたい。これはひとつ私は各方面に、参考人の場合にも、さらにもう一人くらい加えていただきたいと、日本の学者にかわってお願いをいたしたい、こう思うのであります。これが選定であります。採決に関しましては、私は非常な疑問を持ちます。これを改善する必要があると思う。このことは市町村教育委員会と一口に言いますが、その設置単位がまちまちであります。指定都市の問題も出ましたけれども、これは私は教育委員会制度がかつて改正されたときに、根本的に検討すべきだということを文書をもって、また私の昭和二十四年に書きました教育行政学の中にも、教育委員会と、地方分権の設置単位に対しては疑問を投げかけておりますが、全然改正されておりません。これはひとつ今度はこの際にこれが成立した暁に重大なる関係を持ちます。これのみではございませんが、教育委員会制度の、特に市町村教育委員会制度の規模に関しては、ひとつ検討をしていただきたい、こう思うのであります。小さい市町村で、はたして採択委員が適任者が得られるかどうか、私は非常に困難な問題があると思うのです。そういう点で選定及び採択に関しては、今後政令できめられることでございましょうけれども、また運用の点で教育行政にあたられる方に要望をいたしておきたい、こう思うわけでございます。 それから次の問題でございますが、今度のことは発行者の指定、それからその取り消しとかいうことであります。この趣旨は教育用の図書でございますので、その基礎の安全性ということでございますけれども、その運営に関しては、私はやはり先ほどから伺っておったのでございますけれども、いい教科書が出てくるということを絶えず考えて、行政指導をされることが必要であろうと思うのであります。結論的に言いますならば、検定制度の短所はこれは是正しなきゃなりませんが、検定教科書の長所を育成していくようなことであります。もちろんそれを法案は目ざしておると思います。検定教科書を私は支持するものであります。と申しますのは、競争のなきところに上達はないのであります。ただどういう程度、野放しの競争か、制約された競争か、そこに行政的英知をもって判断する必要がございますけれども、競争をするということがない限りいい教科書はできないと思うのであります。そういう点で検定制度を堅持する。しかし戦後のごとき野放しの検定制度は、これは是正すべき点があろう。 それから採択に伴う汚職でありますが、これは広域でも小さい域でもそれに関係ありません。結局関係者の良識に待つより方法はないのであります。民主主義というのは法律で縛ることではないのでありまして、一人々々の心の中にその社会秩序なり、制度運用の基礎を個人を信頼して、また個人は責任を持っていくという立場であります。でありますから、法律で規制すべきという性質のものではないのでありますから、私は関係者の自粛ということばでは、精神主義ではございません、民主主義は自粛の原理であります。他人の権利を尊重するとともに自分の権利を尊重する。自分の義務を、権利を正しく行使するのが民主主義でございますから、そういう意味でこれは広域、狭域のいかんにかかわらず、現在でも汚職の危険性はあるのであります。そういう点で結局関係者がまかされた権利と義務を正しく行使していく、こういうことをとるべきだと思います。 時間がきて恐縮でありますが、御質問に応じましてお答えいたしたいと思います。失礼いたしました。
○床次委員長 ありがとうございました。 次は近藤修博君、渋谷区立大向小学校校長。
○近藤参考人 このたびの教科用図書の無償措置に関する法律案についての私の意見、感想、また学校の実情等を申し上げたいと思うのであります。 第一は、この法律案の骨子である児童生徒に教科書を無償で給付するということにつきましてはきわめて喜ばしい措置であると存じます。去る四月小学校一年生だけについては無償で給与が行なわれたのでありますが、子供も父母もきわめて喜んでおります。入学式の日に学校で子供に渡したのでありますが。新しい教科書を友だちと一緒に手にしたということでたいへんうれしそうでありました。また父母もわざわざ買う心配もなく、またはじめての父母などはどれだけ買えばよいのかという不安もあったのでございますが、学校で同じものがもらえるということで安心しておったわけであります。また経済的な負担もなく、私の学校では二百九十八人でございましたが、そういう経済的な負担もなく、たいへん喜んでおりました。 ただ問題がないわけではありませんで、ことしははじめてのためであったと思いますが、子供がいつ教科書が手に入るかということでたいへん心配していたようであります。二年以上の兄さんや姉さんはすでに三月中に新しい教科書を持っているのに、自分は持っていないので不安であったということであります。私の学校は四月六日の朝入学式をしたのでございますが、五日の夕方教科書が届いたのであります。これは通達にもそう出ているのでございまして、前日か、入学式の日と出ているのでございますが、そういうためにそれを十分に調べるひまもなく、子供に六日の朝渡したのであります。で、六日の入学式の日に親に落丁があるかどうかを見てもらいまして、悪いものはその場で取りかえる作業をいたしたのでございます。こういうことから、もっと早く届いておれば、そういうようなことは学校でできたのではないかと考えているのでございます。またこれに伴いまして従来よりも学校の事務はふえたのでございます。たとえば入学児童名簿を作成して教科書の取次店に出すようなこととかでございますし、また午前中にございましたが、児童数の確認ということにつきましては、学校でもずいぶん困難をしたのでございます。 次に、第二には法律案の三章に述べられてございます。都道府県教育委員会が教科書選定審議会の意見を聞いて種目ごとに数種の教科用図書を選定すること、市または郡の地域ごとに採択地区を設けること、それから採択地区では種目ごとに一種の教科書を採択することなどについての意見を申し述べたいと存じます。 まずこのような方法によることによって教科書の価格が安くなり、また教科書の供給も円滑に行なわれるということから一つの適切な処置であろうと思うのであります。しかし、なお学校の立場からこれについての意見を申し上げますと、ある一定の地域で同一の教科書を使用している場合には、その地域内の転校等には便利であります。私の学校の通学区域内に、ある官庁の公務員住宅が最近できたのでございますが、これに伴いまして先週数人転学してきました。一人は私のつとめております渋谷区内のある学校から一年に転入してきたのでございますが、音楽の教科書が同じだけで、あとの国語、書き方、算数、理科、図工はみな違っていました。それから二人はきょうだいですが、隣の目黒区の学校から転校してきたのでございますが、やはり音楽だけ同じでございまして、あとは違っておりました。またこれもきょうだいで、二人ほど都下の小金井市から転校してきたのでございますが、これは全部違っていました。またけさ杉並区のある学校から三年に転入があったのでございますが、この杉並の学校とも私の学校は全部違っておりました。けさ母親が私に会うなり、教科書はどうでしょう、私たちの学校と違っているのですというような質問を最初に私にあいさつがわりにしておったわけでございます。 また私の学校は渋谷区の駅の近くの八百六十名ほど在籍している小学校でございますが、昨年一年間に転校した者が七十二名、転入学した者が七十名でございまして、その内訳を申しますと、転校者の区内へ転校した者が一名、渋谷区以外の二十二区に転校した者が二十七名、東京都下に転校した者が十三名、他府県に三十一名、合計七十二名でございます。転入者は区内から三名、二十二区から十八名、都下から七名、他府県から三十九名、外国から三名、合計七十名でございます。これを合計しますと、区内移動が四名、二十二区内の移動が四十五名、都下との移動が二十名、他府県が七十名、外国から三名ということになっておるのであります。東京都というところは全国各地からのいろんな関係で交流がありますので、この数字からは区内の移動は少ないのでございますが、一定の採択地区内で同一の教科書があれば便利であるということは言えるわけでございます。また子供の側から見ましても、転校して教科書が違うということは最初のうち学習上相当の抵抗があるようであります。この面からも同じ教科書であるほうがよいのでございまして、つまり教科書によって教材の提出の時期などが違うのでございます。そういうところから子供に抵抗があるのではないかと思いますので、転校した場合に同じ教科書であったほうが子供にとっては安心するわけでございます。 なお次に、ある一定地区内が同一の教科書であるほうが便利であることは、一つは学校の生徒数が減りまして、たとえば都内の中心地区などでは減りまして、二つの学校が統合されるような場合に、二つの学校からの生徒が違う教科書ではいろいろ困ることがあるのでございます。また郊外地域でアパートなどの団地ができまして、二つの学校から生徒が集まって新しい学校をつくるというような場合にも教科書が違うと不便であるのであります。このような場合には、現にあらかじめ予想されておるならば、二つの学校で打ち合わせまして、同一の教科書を使用するようにしたりして、くふうしておるようでございます。また児童が転校してきた場合に、取り次ぎ店に教科書があればよいのでございますが、ない場合には販売店から買ってくるのでございます。場合によりますと一週間から十日間くらいかかる場合があります。この場合古い教科書などで間に合わせておいたりするのでございますが、これが同一教科書を近隣で使っておるならば、隣の取り次ぎ店からすぐ取り寄せてくるというようなこともできるわけであります。以上のことから同一採択地区内の転校には同一教科書であるのがたいへん便利であるということが言えるわけであります。なお、途中入学の児童は教科書は無償でなく購入することになっておるのでございますが、これは第五条の三項によりまして、この間入学した一年の子供などは、前に学校で給与を受けて二カ月くらいで転校して今度は買わなければならないというようなことで、子供にとってはかわいそうでありまして、父兄には気の毒でありますので、これなどはやはり無償にできないものだろうかというように思うわけであります。 次に、同一の教科書を使用する同一の地区内では、教師の各教科などの共同研究には便利である場合があります。私の学校があります渋谷区にも渋谷区教育研究会というものがありまして、国語教育研究部とか算数教育研究部というふうに分かれて研究を行っておりまして、時に実際の授業などもして研究を行なっておるのでありますが、この際同一の教科書のほうが便利の場合があります。もとより教材研究というものは、いろいろの教科書の教材を比較研究することも意味があるのでございますが、また同一の教材の場合のほうが共通理解ができ共同研究もできると思うのであります。全国各地では広地域の共同採択が行なわれておるところが相当多いようでありますが、それはこれらのことからきておるのじゃないかと思うのであります。また学校におきましては、地域や学校の実態を考慮し、また児童、生徒の発達段階や経験に即して適切な教育課程を編成することになっております。これによって主たる教材である教科書をきめるのでございますが、近隣の学校は地域や学校の実態がそれほど異なるものではありませんので、同一の教科書を使用してもよいのじゃないかというように私は考えておるのであります。現に渋谷区でも、社会科などは渋谷社会科教育課程というものを各学校の共同でつくりまして共通の教育計画でやろうとしておるのであります。しかし教科書の教材研究のためには比較研究も大切でありますので、全教科書を市町村単位の教科書センターなどにそろえておきまして、ある一定部数を置きまして、単に見るだけではなしに貸し出しをするような方法も考慮してよいのじゃないかと考えておるのであります。あるいは場合によっては各学校には全教科書が一部あるというようなこともよいのじゃないかと考えておるのでございます。 なお、教科書を選ぶ場合に、一つの学校が選ぶよりも、広い地域の幾つかの学校で集まって研究したほうがよりよい教科書を選定することができるものと思うのでございます。このようなことから、一定の採択地区を設けることは一つの方法と思うのでございます。しかしここで私が特に申し上げたいことは、採択にあたっては各学校の意見や先生方の考えを十分に反映し、取り入れてもらいたいということでございます。自分たちで使う教科書は他から与えられたものではなく、自分たちも何らかの形で参加して選んだのだという気持ちを失わせたくないのであります。ある一定の採択地区は教科ごとに一種の教科書になり、また都道府県では数種の教科書を選定することになるのでございますが、この際これを採択する手続の上で校長や教師の意見を十分に反映するようにしてもらいたいということでございます。しかし、これは運営に属することかもしれないのでございますが、たとえば同一採択地区の学校では各学校から委員を出して意見の交換をするようなこと、また選定審議会でも委員は二十名以内ということになっておるのでございますが、この人だけではどうすることもできませんので、何らかの方法で地方教育委員会とか各学校の意見なども反映するように措置していくことが必要ではないかと思うのでございます。また都道府県ごとに数種の教科書を選定することになっておるのでございますが、この数種ということにつきましては、地区によっては相当な幅を持たせることがやはり私も必要と思うのでございます。たとえば東京との場合などは、住宅地区あり、商業地区、工業地区あり、農山村地区あり、八丈のような離島地区などもありますので、それぞれの地域に合ったものといいますというと、数種ということを相当な幅に考えることが必要ではないかと思うのでございます。 それから教科書の採択は数年に一度ということになっておるのでございますが、私の学校では去る三十六年度以来同じ教科書を使っておるのでございまして、来年も変更しない方針でおるのでございますが、学校で教師が落ちついて研究し、また父母も児童も安心するというようなことから、毎年教科書が変わることは望ましくないのじゃないかというふうに考えているのでございます。 最後に、教科書の発行ということは一つの公共事業とも考えられまするので、教科書発行会社が教科書を発行、出版するにあたりましては、その資金面につきましても国家で十分考慮することが必要であり、それによってよりよい教科書が発行されるものと思うのでございます。 以上、私の考えを申し上げまして、終わりといたします。
○床次委員長 ありがとうございました。 次は練馬区立開進第一中学校教諭の本多公栄君にお願いします。
○本多参考人 私は現在中学二年生を担任しております。教科は社会科であります。 先日私のクラスの生徒が二人、音楽の先化にものすごくしかられてしまいました。きめられた座席をかってに変更してその二人の生徒がいつも一緒にすわっているというわけです。さっそくその二人を呼んで聞いてみますと、教科書とノートを共有にしているからだという。つまり二人は貧しいので、家から十分学費を出してもらえず、そこで一冊三十円のノートを十五円ずつ出し合って買い、そして共同で使用しているので座席も一緒にしたいというわけです。この子供たちの言い分は、一緒に並びたいためのへ理屈かもしれません。現にその二人は先生方から非行生徒の部類に入れられております。しかし生活保護家庭ではないけれども、家庭が豊かでないことは事実なんです。もし教科書やその他の学用品がその子供たちに十分与えられていたら、このような二人一緒に並ぶすきなど与えずに済んだかもしれません。中学生の非行防止は、このようなきめのこまかいところから行なっていかなければならないのです。それにしては現在の義務教育は金がかかり過ぎます。私の学校の例を申し上げますと、四月と五月の二カ月間に、三年生はPTA会費や学校援助金、学年費、生徒会費などを合計して約二千円納入しております。なお誤解のないように申し上げておきますが、そのうちPTA会費は六十円。またこの中には修学旅行費や教科書代が含まれておりません。さきの二千円に教科書代を含めますと、約二カ月間に何と親のふところから三千円近くも出たことになります。これでも私の学校は東京都で金のかからない学校として有名なところであります。私たちは集金カードを生徒に渡しながら、一方では社会科の教師として憲法第二十六条を教えなければならないのです。御存じのとおりこの条項には、義務教育は無償とすると書かれております。現在審議中の義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案は、そのような私たち教師や子供あるいは親たちのせめて教科書代だけでも無償にしてくださいという強い要望を背景に作成されたものであると思っております。ですから教科書をただにするということについてはもろ手をあげて賛成するのは当然のことであります。しかし問題はただにしたから教科書はどうなってもいいというものではありません。この法律案の第十条以下はその辺に重大な問題を含んでおります。 その前に、現在使用されている教科書がどういう内容のものであるかについて若干触れておく必要があるように思います。これが現在小学校六年の、歴史が入っておりますが、それの最もたくさん売れている教科書であります。出版社の名前を言うとあれですけれども、これがそうであります。内容的に見ますと紙などもまあまあのところじゃないか。ただし、本文の中に色刷りの絵などは入っていないようであります。いま参考までに義務教育がわが国で始まりました明治五年の前年明治四年の、これが教科書でございます。もちろん国定でも何でもございませんが、これは「世界国名尽し」という、こういうのを明治四年には使っていたようであります。これを見ますと、「大日本」とありまして、日本の人口は二千五百万と書いてあります。次は皆さんの中にはおなつかしい方もいるんじゃないかと思いますが、大正元年に印刷されております文部省国定教科書でございます。大正元年に印刷されているというのですが、すでに明治天皇崩御の記事がこの中に入っております。現在の教科書と比べると非常に何か考えさせるものがあるように思います。次はわが国が最も軍国主義はなやかなりしころの昭和十九年の小学校六年の国史教科書でございます。これは私自身が使用したものでございます。次は戦後最初出ました「くにのあゆみ」でございます。ずいぶん戦争中から比べますと質が落ちております。こうして現在はこういう教科書になっているわけです。こう並べてみますと、教科書の変化は日本の歴史の変遷を裏づけてくれます。明治五年から比べてみるとずいぶんりっぱになったものであります。しかしこれで私たち現場教師は満足しているわけではありません。まず現在の教科書は以前と比べればずいぶんよくなったとはいっても、まだ内容的に大きな問題があります。たとえばルビ、つまりふりがなの問題があります。この点は作家の飯沢匡氏も指摘しておりましたが、最近の教科書はルビをふらないことを原則としております。だから井原西鶴をニシヅルと読んでしまったり、あるいは島村抱月を抱き月と読んだりして、古い教育を受けた人々から、いまの子供は漢字が読めないとしかられてしまう。そこでいろいろ辞書を引かなくともルビを存分にふってある漫画本や、あるいはそういう頭を使う必要のないテレビについて、子供はついそちらのほうへ目がいってしまうわけです。中学校の教科書では一番文章のやさしいのが国語の教科書ではないかと考えております。私は社会科の教科書を子供たちに国語で習ってない字をいろいろ教えております。たとえばこの前は雇うという字を子供は中学二年ではどうもまだ習ってないのですね。それで全部のクラスで雇うという読み方を教えております。こんな状態の教科書では子供が教科書で楽しく予習することを期待するほうが無理ではないだろうか、国語の教科書より他の教科書のほうがやさしくあるべきはずなのに、現実はどうも逆になっておるようであります。また音楽の芥川也寸志さんは、皆さんもごらんになったかと思いますが、五月十二日の朝日新聞のコラム欄にこんなことを書いておりました。現在の音楽の教科書や文部省の指導要領を読んで、たいへん高度なことを要求しているので驚いてしまった。その全部をマスターする生徒がいたとしたら、それは音楽の天才ではないかと言われます。芥川さんほどの音楽家でも現在の小中学校の教科書をマスターすることはとうてい困難だと述べております。これは教科書に問題があるというよりも、その基準となる文部省の指導要領に問題があるのではないかと思います。また歴史教科書に登場する人物について、ある出版社で中学校用十四社の全部の一覧表をつくってみました。そうしたら歴史辞典にさえ出てない人物が日本の中学校の歴史教科書に出ているという事実があがっております。それにしても現在の日本の教科書はおもしろくないというのが子供の声であり、教師の実感であります。世の中は昔のような読み書きそろばんの時代とはすっかり変わりました。日本の子供の学力を高めるためには、まずテレビより教科書がおもしろいというほどのものをつくるべきではないか。これはカナダの世界歴史の副読本であります。いまの子供たちに、中学生に、僕はちょうどいま世界歴史を教えているのですが、こういうものを見せたら、この横文字が読めなくともこの絵を見ただけで目を輝かすのはあたりまえであります。これはピラミッドづくりですね。どうやってピラミッドをつくったのだろうかというのは、この絵を見ただけであざやかにわかるわけです。またほかの国でも資本主義国、社会主義国ともに教科書にはたいへん力を入れておるようでありまして、ずいぶんりっぱなものが出てきております。日本は現在ぐんぐんと経済力において世界の一等国になろうとしていると言われております。日本の子供たちがこんなすばらしい教科書をただでもしも手に入れることができたら、どんなに学力も高まるものだろうかと考えただけでもうれしくなるわけです。皆さん方国会議員が予算案採決のときにさっと右手をあげていただくだけで、日本の教育がぐっと高まるわけです。 こう述べてきますと、ではお金をどっさり出すから文部省に政策をまかしてしまったらどうかという声がかかりそうです。しかしそれは危険なことであります。教科書代を国で負担することと教科書を国で発行することとは全く別問題、教科書を国で編集し発行するということは、教育の内容に国家が介入することを意味します。現在でさえ教科書の検定機構を通じて文部省は教科書の内容に不当に介入しているという批判がなされております。これが国定教科書になったら日本の教育は文部省の思うとおりに支配されてしまいます。文部省は時の政府に左右される性質のものです。自民党政府のときと社会党政府のときと教科書の内容が違い、先住の教える内容が違ってくるようでは、たいへんなことであります。現在でさえ次のような例があります。皆さん御存じの日清、日露戦争について、現行の小学校六年の歴史教科書は七社出ておりますが、そのうちの六社までが、日露戦争は日本の自衛戦争であるというように書かれております。それは新指導要領と検定制度によって生み出されたものと考えております。日本の歴史学会では、日露戦争は日本とロシアの双方による侵略戦争であり、侵略されたのは中国であり、朝鮮であるというのが常識になっております。自民党政権のときは日本の自衛戦争となり、もしも社会党政権のときは日本、ロシア双方の侵略戦争というように書きかえられるようなことがもしもきたら、つまりこれがどうも国定教科書ではないだろうかと考えられるわけです。そのようなことを避けるためには、どうしても教科書はやはり教科書会社に自由につくらせるべきであります。その中から学校で採択した教科書代を国家で支払う、これが私たち現場教師の共通した声ではないでしょうか。 ところで先ほどはカナダのすてきな世界歴史の副読本をごらんに入れましたが、どうも現在のところでは、こんなすばらしい教科書が日本の子供たちの手に渡りそうもない。そこで私たち教師は、現在発行されている教科書の中で少しでも子供が喜び、教師が使いよい教科書を真剣に求めております。毎年七月になりますと、近くの学校の教科書センターで教科書展示会が開かれます。私たちとしては、わざわざそこへ出かけて行かなくとも、自分の学校に発行されている教科書の全部がそろっていれば一番都合がよいと思っております。しかし現実はそうもいきません。そこで私たちの学校でいえば、各教科の先生が何回か話し合いをし、いままで使ってきた教科書の長所短所をあげてみます。製本はどうだったか、分量はどうか、活字の大きさ、漢字のむずかしさ、あるいは図版類が適切かどうか、単元の配列順は教えやすくできているかどうか、そして一番重要なことは本文の記述内容にうそがないかどうか。特に子供に批判されるような個所や、あるいは子供に不向きな、喜ばれない文章がないかどうか、その結論の上に立って来年はどういうようにしようかとある程度見当をつけてから教科書センターへ出かけて行きます。そこで私たちの希望に沿う教科書を探します。学校へ帰ってきてからも、何度も話し合います。場合によっては出版社へ問い合わせもいたしますし、教科書研究の諸論文もいろいろ参考にいたします。その結果、一年の地理はどれ、二年の歴史はどれ、三年の政治経済社会はどれというのを決定します。このような採択を学校別の自主採択と申しておるようであります。私は教師経験八年目であります。その間一貫して、このように自分で使う教科書は職場の同僚たちの共同研究の中で選んできました。教科書を教えるのではなく、教科書を単なる教材の一つとして教科書で教えるのだとよく言われます。それはそのとおりであります。しかしその教材の中でやはり教科書が最も重要な位置を占めていることは事実であります。教科書を教える人自身選ぶということは、それだけ教師の責任を感じます。その結果、教科書研究の必要に迫られ、教師の教育研究もぐっと高まることになります。現在東京都二十三区は御承知のとおりこのような学校別の自主採択を行なっております。全国的には東北各県にもまだ幾らか自主採択の学校があるとか聞いております。しかるに、今回の義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案の第十条以下は、結論的には、学校別の自主採択権を奪おうとするものであります。 私は多くの仲間にこの法案についての意見を聞いてみましたが、文部省はそんなことをするよりも、まず教科書をただにした上で、先ほど御紹介したようなルビの問題や音楽の問題あるいは指導要領、教科書に対する現場教師の切実な声をもっと取り上げて、それを教科書行政に反映してもらいたいと多くの教師たちは述べておりました。教科書の自主採択権を奪うことによってほんとうに日本の教育が高まるかどうか。ぜひ日本の現場の教師の声に耳を傾けていただきたい。この法案が通過すれば、現場教師が地域の実情と学校の特色を血かした教育に合わせた教科書を採択しようと思っても、教育委員会がそれと違う教科書を採択すればだめになります。これでは教師の教育研究の情熱を奪うも同然であります。人づくりの最も重要な場は学校であります。学校は子供の無限の可能性を引き出すところです。その学校集団の求める教科書が自由に使えないで、どうして人づくりの成果を期待できるでしょうか。特色ある個性豊かな教育を奪うことにもなります。皆さまよく御存じの吉田松陰の松下村塾にしろ、福沢諭吉の慶応義塾にしろ、あるいは大隈重信の東京専門学校にしろ、クラーク博士の札幌農学校にしろ、いずれも明治を築いたすぐれた人物を育てたのは個性豊かな創造的な教育の成果であります。教科書の自主採択権を奪うことは教師の教育研究を停滞させ、個性豊かな教育の発展を阻害し、画一的、押しつけ的教育が蔓延することになりそうです。 さらに心配いたしますのは、現在においてさえ特に社会科の教科書などは検定の圧力で内容がゆがめられているといわれています。それが広域統一採択になればさらに発行点数がしぼられ、それに伴って現在以上に文部省や教育委員会に迎合した教科書が続々登場するのではないかということです。事実上の国定教科書の登場であります。教育は直接的には私たち現場教師が責任をもって行なっているものであります。それはあくまでも教育基本法の精神、つまり、教育は不当な支配に服することなく国民全体に対して直接責任を負って行なわれるべきものであります。したがって、教科書などはその学校集団で自主的に選ぶことは当然のことであります。この法律案によれば学校は全く関知せず、都道府県教委から市町村教委段階で決定されることになります。それを学校へは単に配給することになる危険性が多分にあります。本末転倒もはなはだしいと申し上げざるを得ません。父母や子供を包む学校集団の要求を背負っておる私たち現場教師の意見を教育行政が正しくくみ上げでこそ、日本の教育が高まり、日本の将来は正しく発展するものだと確信いたしております。この法案の十条以下は、そのような私たち現場教師の気持と反するものだと受け取らざるを得ません。
○床次委員長 本多参考人に申し上げます。なるべく簡潔にお述べ願います。
○本多参考人 歴史を振り返ってみまするに、明治五年の学制発布以来、わが国の義務教育ではずっと授業料が取られてきました。日本で法律上義務教育の授業料が全廃されたのは、私の調べたところによりますと、昭和十六年の国民学校になってからであります。昭和十六年は太平洋戦争の始まった年であります。授業料をただにするかわりに、国民は肉弾に供せられた苦い経験を私たち日本人は持っております。あれから二十年余たって、今度は教科書がただになるかわりに、私たちはどのような苦い経験をさせられるのだろうかと不安にならざるを得ません。 以上の理由から、この義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案に反対いたすものであります。
○床次委員長 ありがとうございました。 次は元教科書編著者徳武敏夫君にお願いいたします。
○徳武参考人 私は昭和二十一年から昭和三十四年まで中教出版という教科書会社につとめておりまして、その間主として社会科の教科書を編集執筆しておりましたので、特にそれを通じて経験いたしましたことに基づいて意見を申し上げたいと思います。私がその中で特に取り出して申し上げたいのは、「あかるい社会」という小学校の社会科の教科書と同じくその改訂版、この二種類について特に申し上げたいと思います。 「あかるい社会」は昭和二十六年版といわれる学習指導要領に基づきましてつくられたもの、それから同改訂版は昭和三十年に出された学習指導要領に基づいてつくられたものであります。そして検定の実際面については、改訂版のほうはいわゆる文部省に調査官の方々がおられるようになってから検定を受けたものでございます。改訂版でない「あかるい社会」のほうは、昭和二十九年から昭和三十五年まで使われておりました。その当時は、検定は匿名の調査員五名によって検定をされまして、不合格の場合は不合格理由書、合格の場合は修正意見書というような形でA、B、C、D、Eという匿名のサインによる意見書を手渡されたわけであります。そして実際の場合には、当然調査員A氏はこの個所を削除したほうがよろしい、また調査員B氏は、この個所はさらに強調せよというような食い違った意見が当然出てきたわけでございます。そういう場合に私たちはA、B、C、D、Eの意見を参酌しながら、Aの意見を取り入れてもよかったし、Bの意見を取り入れてもよかったし、またA、Bともに拒否してもよかった。そういうようなある程度の自由がございました。しかしそうは言っても実際にややとまかいことを申し上げますと、たとえばAの意見に従って修正したいというような場合でも、文部省の職員の方がBの意見にしたほうがいいのじゃないかというようなサゼスチョンがあったことは事実でございます。そういう場合に私たちは編著者測としまして、これこれしかじかの理由でAの意見にしたいのだというようなことを再三申し上げても、それはまかりならぬというようなことは決しておっしゃりませんでしたけれども、事実上修正意見によって修正をしない限りは組み版許可というような、つまり展示会に見本を出す、そういう本づくりが実際問題としてできないわけでございます。そういう点であまりねばり過ぎるとその展示会の目録登載期日に間に合わなくなる。つまり採択の対象となる教科書は展示会の目録に登載されている教科書の中から採択されるわけでありますから、現実には、かりに時間をかけて検定を通ったとしても、その年の教科書とはなり得なくなってしまうわけでございます。ですから実際問題としては、どうしても文部省の方の言われるような意見にならざるを得なくなる場合がしばしばあったわけでございます。しかし先ほども申し上げましたように、取捨選択の自由、そういう自由は最初の「あかるい社会」のころはございました。そして何よりも昭和二十六年の学習指導要領の場合には、昭和二十二年に最初に出されました学習指導要領の一般篇に書かれてあったことばですが、「その地域の特性や学校の施設や実情や、さらに児童の特性に応じて、それぞれの現場でそれらの事情にぴったりした内容を考え、その方法を工夫してこそよく行くのであって、ただあてがわれた型のとおりにやるのでは、かえって目的を達するに遠くなる」これが教科書検定制度出発にあたっての重要な学習指導要領、及び教科書に対する文部省の見解であったと私は解釈しておりますが、この精神が昭和二十六年の学習指導要領の場合も生きておりました。したがって教科書をつくる場合にも指導要領を、私の経験で申し上げれば、私たち編著に関係した者は学習指導要領を大幅に拡大解釈をいたしまして、できるだけ特色のあるものをつくろうということでつくったわけでございます。ところが当時は非常に採択も学校単位で行なわれていることが全国的に多かったわけでございまして、昭和二十四年に検定制度が出発しまして、昭和二十九年に「あかるい社会」が非常におくれて出発したにもかかわらず三年目には一冊平均約二十万部、一年は教科書ございませんから、二年から六年まで合計戸数十万部という売り上げをするに至ったわけでございます。私のおりました会社、これは中小企業というのでしょうか、そのようだ会社であってもドル箱の一つになり得たわけでございます。このことは後ほども申し上げたいと思いますが、検定がゆるやかで特色のある教科書がつくれて、採択が現場の先生方の自主的な研究というものを基礎にして自由に採択されるというような場合においては十分企業として成り立つというようなことを私は痛切に感じておる次第でございます。 それから改訂版についてでございますが、これは昭和三十三年度用の検定に出しました。しかしそのうち、これは五年と六年だけとりあえず改訂したわけですが、改訂をするに至った理由というのはたいへん複雑な、これも申し上げれば御参考になると思いますが、時間の制約がございますので一応略させていただいて、五、六年を改訂して検定に出したわけですが、五年は合格しまして六年のほうが落第をしたのでございます。ところが、このときはもちろん昭和三十年に出た学習指導要領で、指導要領自体もだいぶ違っておりましたが、一応指導要領のワクに沿って前の「あかるい社会」よりはだいぶ編著者としては筆を折るというような状態でつくったわけでございますが、そのうちの六年の上、歴史の部分を含む教科書が特にひどいということで落第をしたわけです。その理由はたいへん簡単なものでして、けい紙半分というんでしょうか、それにタイプ印刷した非常に簡単なものでございました。それまでの不合格の理由のように親切な具体的な指摘は全然なかったのでございます。たとえば「史実や先人の業績など、題材の選択に妥当を欠き、各時代の様子の概略を把握させるに不十分と認められる」こういうことです。それから「歴史の推移についての取扱い方、問題の取り上げ方などは実力抗争関係を強く印象づけるものとなっており、全般的に明るさを欠いている。」こういうことです。「上述の欠陥は、郷土及び国家の現状と伝統について正しい理解に導き、国を愛する心と広く世界に学ぶ心、ほこりをもって自ら処する意欲と態度の涵養とを困難にしていると認められる」こういうことだったわけです。私たちは実はいま最後に申し上げました「郷土及び国家の現状と伝統について」云々、その点について非常に力を入れてつくったつもりであったものですから、こういうような不合格の理由では納得ができなかったわけでございます。したがって、文部省に呼び出されて調査官の方々からこのような不合格理由書を手渡されたわけでございますが、そのときにできるだけ具体的に、たとえばどのような個所がどういうようなことになるのか、そういうようなことを、ずいぶん失礼とは思いましたけれどもしつこくお聞きしたわけでございます。しかしそのお答えはほとんど、というよりも全部自分で研究しなさいというようなことで、どこがどうなったのかは具体的にお聞きできなかったわけです。しかし私たちは昭和三十年に出されました「うれうべき教科書の問題」という当時の民主党のパンフレット、それから三十二年度の社会科教科書の検定において、いわゆるF項ページといわれる事件がございましたが、そのような経験から私たちは、こういうふうな不合格理由をいわれることがどういうことを意味しているのかというようなことは、これはそれほど討論をするまでもなく経験から出てきたわけでございます。そして簡単に申し上げますと、たとえばそれまで実力抗争、百姓一揆というようなことは書かないほうがいいんだろうというような解釈をして、よく見ましたけれども、落第した教科書にも簡単に二カ所出てきただけで、とても生活を暗くする、児童の心を暗くするとは思われなかったわけでありますが、二カ所を一カ所に削り、それからたとえば日露戦争のところで、そのあとへ堺利彦、幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子というような名前をあげて、こういう人たちが戦争反対の声を上げた、そういうふうに書いてあったのを、その一行を削る、そういうことで次の年に申したわけです。これは合格しました、しかし合格したについても、それ以前とはなはだ違いまして、先ほど申し上げましたようにA、B、C、D、Eの修正意見というようなものを私たちは全然見せられずに、調査官の方が調査員の意見とそれから御自分でお調べになられた御意見と、そういうものをあわせて一つに整理して、それを私たちにお伝えになられたわけです。ですから、どういう対立した意見があって、それをどのように調査官がおまとめになられたかは私たちには全くわからなかったわけでございます。しかもより重要なことは、口頭でお伝えになられるものですから、私たちはその要点をメモするということにとどまったわけです。それで、中にはもちろん私たちの聞き違いも、教科書会社側の聞き違いも誤解もあったことかと思いますが、そうでない場合もたくさんあったと思います。それは私たちが承服できないと思われるような意見について、これはやはり国民の皆さんの前に公表をして文部省の検定というようなものが、私たちが考えるほうが間違っているのか、あるいは私たちが考えているように文部省の考え方がおかしいのか、そういうようなことを国民の前に公示して国民の批判を仰ぎたい、こう思ったわけでございますが、しかしそのようなことをしても、それ以前とは全く違いまして、証拠物件がございませんので、そんなことを言った覚えがないとか、あるいはメモのし違いであろうとかというようなことで、つまり水かけ論のような形で終わってしまうのでございます。しかもそうすることによって、そのような発言をした者はいろいろな形で年表をこうむってくるというような事実もございますので、全く秘密裏、つまり公にできない状態で検定が行なわれるわけでございます。そして現在はテープレコーダーを持ち込んでよろしいということになっておるそうでございますが、私の聞いたところではそういう会社は全然ありませんでした。それは半日、一日あるいは二日、三日と続くような口頭指示をテープにとるというようなことは実際問題として不可能なんじゃないかと思うのです。それよりも、調査官制度ができる前にあのように修正意見書を見せてもらえた、そういうことがいまできないということは、私はないんじゃないかと思うのです。正しい検定をされているとするならば、堂々とそれを活字にしてお出しいただいたほうがあといろいろな問題がないんじゃないか、そういうふうに私はいままでの経験から考えております。 なお採択について少し申し上げたいと存じます。これはきょうの午前中の静岡県の鈴木先生もおっしゃっておりましたし、また文部省から出される採択事務取り扱い要綱というんでしょうか、そういう文章その他を通じて現在各県とも相当の教科書が非常にしぼられてきている、数種にしぼられてきているというようなことをおっしゃられております。これは私たちの調査の結果も、大へん独占集中化とでもいうんでしょうか、これは全く事実でございます。ところが鈴木先生も、それから文部省の方がおっしゃることも、これはこのようになってきたんだ、つまりあたかも自然現象のように、あるいはそのように現場の人たちが、教師が望んでいるからこうなってきたんだというような意味合いのことをおっしゃっておられますが、私はそうではないと思います。それは極端にはっきりと出だしたのは任命制の教育委員会ができてから後、私の資料によれば特にそのころから激しくなってきていると思いますが、都道府県教育委員会などを通して広地域統一採択あるいは採択権を教育委員会が――採択権という権利、はっきりしておりませんが、とにかく教科書を選ぶというようなことは教育委員会で握れといったような意味の通達とか指示をお出しになっておられるようでございましたが、このようなことがいま申し上げました教科書の種類り独占集中化というものを一そう激しくしてきていたのだと思います。幸い私はいろいろな用事で現場の先先方とよくお会いする機会が全国的にあるわけですが、そういうような、つまり役所の、教育委員会のえらい方などにはなかなか通じがたいような意見をたくさん耳にするわけですが、現実に一つの市あるいは市郡あわせた地域、そういうようなところで一種類の教科書を使っているようなところでもそれを喜んで使っておられる先生方というのは非常に少ないということを私ははっきり申し上げたいと思うのです。つまり自主的な研究によって、自分たちの考えた、やろうとしている正しい民主教育というものを推し進めるためには、この教科書を使いたい、これは展示会へ行ったりあるいはその他の機会でそういう希望を持ったとしても、どこか上のほうできまって与えられてしまうというようなことがどれほど現場の先生方の自主的な研究意欲を喪失させているかということを、行政の立場におられる方は、民主教育の発展、保護、育成というようなことをお考えになるならば、この際もう一度よく考えていただきたいと私は思うのでございます。 そしてこの今度の法案のことでございますが、私が某自民党の代議士の方を通じてさるところから入手いたしました資料によりますと、このようなことが書かれておるのでございます。その前にちょっとお断わりいたしますが、この資料は文部省が作成して自民党側に討議資料として提出したものだということでございました。「義務教育教科書については、国定化の論もあるが、現在検定は学習指導要領の基準にのっとり厳格に実施されているので、内容面においては実質的には国定と同一である。またかりに名実ともに国定とするためには検定教科書について著作権の買い上げ等の方法による補償を行なう必要があり、そのために莫大な経費を要する。今後企業の許可制の実施及び広域採択方式整備のための行政指導を行なえば国定にしなくても五種程度に統一し得る見込みであるので、国定の長所を取り入れることは現制度においても可能である。」こういうような資料でございました。したがって、以上申し上げました検定採択の実態と――文部省のお考えがこのようなものであるとするならば、私のいままで申し上げた検定採択の実態とこの資料と、そういうものからいって、すでにこの法案のねらうところというようなものが相当はっきりしているのではないか、あえて国定とは申し上げませんが、とにかく教科書をしぼるということが今度の法案の採択のところで結果としてははっきりと出てくると思うのでございます。そして検定のほうは、ここで資料でおっしゃっているように、実質的には国定と同一である。ですから、法案には採択のことしか触れられておりません。
○床次委員長 徳武君に申し上げますが、だいぶ時間が過ぎましたから……。
○徳武参考人 もうすぐ終わります。 したがって、教育そして教科書、つまり教育の中身、そういうものに対する具体的な国家統制を激化するものであると私は考えざるを得ないのでございます。義務教育無償の原則の一部である教科書無償を実施するということは、これは早急にやっていただきたいことでございますが、しかし教科書を無償にするというようなことを、ことばはたいへん悪くて恐縮ですが、何かえさのようにして、それで教科書や教育を国家統制するというようなこの法案というものには、私はどうしても反対せざるを得ないのでございます。民主教育を発展させ、そういうためにこの法案をやめていただいて、それと同時に現在の検定の方法と採択の方法をすみやかに民主化していただきたい、これがこれまで十数年教科書の編集執筆に携わってきたことのある者の経験として、またその後教科書を研究している一研究者として、さらに一人の子の親として、国民の一人として、私は強くお願いしたいと思うのでございます。 以上が教科書無償措置法案に関する私の意見でございます。
○床次委員長 ありがとうございました。 これにて各参考人の方々の意見の開陳は一応終わりました。
○床次委員長 引き続き質疑の通告がありますのでこれを許しますが、まことに恐縮でありますが時間がだいぶおくれてまいりましたので、質疑、答弁は予定いたしました時間の中でひとつお願い申し上げたいと思います。御協力を仰ぎたいと思います。八木徹雄君。
○八木(徹)委員 最初に安藤先生にひとつお伺いいたします。 先ほど来のお話を聞いておりましても、問題は採択の問題に一番中心がある、先生は違いますけれども、あるように私は思いました。現在学習指導要領というものを基礎にして、そして教科書会社が編さんをし、そして検定を受けて発行をするということが、そのことが国定につながるんだという御意見がかなりあったわけであります。そこで先生に一つお伺いしたいのですけれども、その学習指導要領によって結局発行される、検定をし発行されるという間に、現実の問題として画一的な教科書になってしまうかどうか。現実には各教科書会社がそれぞれの立場に立って別々の書籍をつくっておるのですけれども、そのようなやり方自体が、先生の立場に立って日本の国の教科書としてよろしいかどうか、あるいはまた先ほど言ったように、画一的になり過ぎるという弊害があるようにお思いになるかどうか、これをひとつ第一点としてお伺いいたしたいと思います。 それから、先ほど先生のお話の中で、非常に参考になることばの中に、例の府県の選定審議会が数種のものを採択するという数種というものは、できるだけ多くのものをひとつやったらよろしいではないかという御意見であったのであります。われわれが審議をしておる過程において、文部省当局は大体五、六種程度のものを選定をいたしたい、こういうように言っておるのですけれども、その五、六種類というのと先生の言っておる多くのものというものの間には相当な食い違いがあるのかどうか。具体的に申しますならば、小学校は基礎教育であるから少数でもよろしい、中学校のはより多くせよという抽象的なお話であったのですが、小学校ではどの程度を先生はお考えになられるか、中学校ではどの程度をお考えになられるか、これをひとつ第二点として伺いたいと思います。 それからその選定審議会の構成が一番大事だということ、まことにそのとおりだと思うのでございますが、その中には選ばれた教師、教員というものと、それから学識経験者を中心にやれということでございます。ごもっともなことだと思うのでございますが、大体まあ二十名程度というようにいわれておりますけれども、その二十名という構成メンバーというものでよろしいかどうか。もちろん午前中の御意見もありましたように、二十名だけがきめるのではなくて、それらの準備の段階で幹事役と申しますか、があるということは当然でございますけれども、審議会のメンバーとして二十名というのが適当であるかどうか、これを先生にまずお伺いをしたいと思います。
○安藤参考人 簡潔にお答えいたします。 学習指導要領を国が定めてやることが国定化にいく危険があるかどうかということと、それから画一化になるかどうかということであります。これは世界各国見まして日本の程度はやはり大ざっぱに見まして適切だと思います。全体主義国家は微に入り細にまで規定いたしておりまして、ほとんど先生の考慮する余地はございません。それからイギリスのようなところはきわめてルーズでありまして、そこでカバーするのはあそこのアングロサクソンの国民的英知であります。わが国の現状としてはこの程度でけっこうだと思います。なぜかと申しますと、ここに先生方の教育課程編成のやはり限度を考えなければならぬのでございます。なぜかと申しますならば、ちょうど列車のダイヤのようなものでありまして、各学校が全く最後の教育に続くのである。吉田松陰の塾とか広瀬淡窓の咸宜園のようなものならばそれはそれでけっこうでありますけれども、多くの小学校から一つの中学校へ行き、その中学校から高等学校へ行き大学へ行くのでありますから、そこに最小限度のと申しますか、公約数がなければ教育の接続が悪いのであります。これを教育でいえばアーティキュレーションというのでございます。だから先出方は幾ら自分のことで考えましても、子供の利益を考えてやはりいく、それを定めるのが学習指導要領の任務であろうと思います。 それからもう一つ学習指導要領の任務は、教育基本法、学校教育法が目ざす方向へいかないような教育をしようとする、またさせようとする社会集団がないとは言えません。これはやはり不当な支配であります。そこで教育基本法、学校教育法の目標を示すには、やはり最小限度その教育の方向づけ、こういうことが必要でありますから、この程度をきめざるを得ない。したがって、ごらんになればわかりますように、項目が上がっておるだけであります。そこでこれをもとにしてどのような題材でそれを理解させるかというところを、考えることによって、十分に私は教科書の編集でできると思います。だから画一化になりません。ただそうするためには教科書の値段をあまり無償にするから安くというようなことでなくて、願わくは、私は父兄が負担するなら安くでありますが、国が負担をするのでありますから、そう定価で押えてそのくふうができないようにすることのないことが必要だと思います。これをその定価を下げるようにし、そして薄いものにしてということになると、これは画一になり個性が少なくなる、こう思うわけであります。 第二点は、数種ということでありますが、これは各教科におきまして発行されている部数が違いますから、そう画一に五種、六種なんと考えるのがこれはおよその平均というふうに考えるべきでありまして、やはり出ておる教科書の実態に即して、そしてこの何%とは申しませんけれども、伸縮を考えるべきでありますから、あるものは何も無理に六種置く必要はないのであります。あるものは八種にしてもいい、そういうぐらいしか、要するにあくまで観念論に論じないで、具体的にその出たところのものを見て、そしていくというふうに私は考えております。 第三点の審議会の構成でありますが、はなはだ大ざっぱな言い方でございますけれども、二十人ぐらいが私は適当だと思います。それからその割合は現場の先生方が三分の一、学識経験者が三分の一、それから現場の先生の中にはもちろん国立、公立、私立が入るわけであります。三分の一が行政関係の方、行政関係の方と申しましても教育委員会におられます専門職でございますから、指導主事の方がお入りになる。指導主事の方は広く地域を考えておやりになるでありましょうし、現場の先生はそれぞれの経験を通していく。この三者がバランスがとれるところに、それぞれの専門的、経験的立場で一つの調和が出てくる、こう考えます。以上でございます。
○八木(徹)委員 本多先生に一言簡単に。先ほどの御発言とは別のことなんですけれども、教育をする場合に教科書で教える、教科書でも教える、こう二つの、あるいは三つくらいに分けられるのかもわかりませんけれども、教科書でも教える、こういう言い方があります。先生は教科書が非常に重要な要素を示しておるから非常に御関心があって、いろいろ御意見があったと思いますが、現場第一線に活躍されておる立場に立ってその教科書で教えるという態度、あるいは教科書でも教えるという態度、それはどちらがよろしいとお考えになっておられるか、ひとつ伺いたい。
○本多参考人 結論的に申し上げますれば、私は教科書で教えるというふうに考えております。と言いますのは、子供たちに教科書でもということで教科書を何か教育の場で非常に端に置いてやるということは、教育効果を高める上で非常にマイナスであるというふうに考えております。また逆に教科書そのものを教えるんだということも、今度はこれは教育の多様性を阻害するものとして、これもまずいというわけで、やはり教育の場合に絶えず教科書というものが中心というまでいきませんけれども、円で言えば三分の二くらいの大きな比重を占めながら――ですからぼくは教科書を必ず読ませるということは、そういう意味でございまして、それをやりながらかつぼくの場合で言えば、歴史を教えておりますから、資料が一番大事ですから、授業の中になるべくプリントするようにしております。しかしそれはプリントを主体にして、教科書でも教えているということではないので、やはり教科書というものを大事にしながら、なお十分子供がその資料を見ながら歴史というものを考えるようにということでやっているわけでございます。
○床次委員長 三木喜夫君。
○三木(喜)委員 私はいまお聞きいたしました参考人の方からは、学者は学者の立場から、あるいは学校長は経営の立場から、現場の先生は現場の先生の立場から、また編著者は編著者の立場から、それぞれとうとい御経験を承って、特に実際家として教師の立場から言われました本多さんのお考えには共鳴するところが多かったわけなんです。そこで私は経験者の立場、あるいは学者の立場という立場に立っての問題点を申し上げて御教示を得たいと思います。 まず最初に安藤先生にお伺いしたいのですが、文部省の立場、このたびの法案のとった立場は適切である、こういう立場をとっておられますが、私は一点疑問になることは、基礎教育主義ということと、それから初等科の子供は初心の子供であるから教科書はそう多くなくていいというこの考え方、これが納得がいかないわけでございます。それが一つと、それから先生は非常に教育学とかあるいはその他実際の立場に立って、学問的な立場に立って御検討なさっておるので、非常に御信念を持っておられますけれども、私はやはりこの教科書の発行とかあるいは採択とかいうようなものは、現場の教師の考え方、それから業者の考え方というものがいまどこに一番悩みを持っておるか、あるいは問題点はどこかという、そういう多方面のところから意見を聞くということは大事であって、業者の考え方なんかはこの際聞くべきでない、教育的な立場にいちずに立つべきだということもわかりますけれども、教科書業者といえども教育の立場にずっと立って、いままでこれだけによい教科書にしてきたのです。そういうところから考えて、やはり業者の言うところを参考にしなければならないのじゃないか、このように思うのです。 それから近藤先生に対してお聞きしたいのですが、先生は学校管理者の立場から同じ教科書でなければならないということを強調されておりました。しかしながら先生のお考えをもってしても、他府県にかわっていく子供もありますし、それから東京都一本であればこれはいいかもしれませんけれども、東京都でも区ごとに五種類なら五種類の中から選んでいきますと、やはり同じ教科書にならないという矛盾があると思うのです。それも同じ教科書にしたらいいというお考えかどうかということですね。やはりそういう点にどうしても違った教科書ができてくると私は思うのです。それから教科書が違うということは学習上非常に抵抗が起こる、あるいはまた学校経営上に困難をきわめる、こういうことなんですが、やはり一方の長所を見落としておられるのじゃないか。Aの教科書とBの教科書とを習っておるものは、一応Bの教科書に移るときには、その間がうまくいかなくても、やはりAの教科書の長所を習ったという利点があるわけです。そういう点をやはり私たちは見きわめていかなければならぬし、それから他校からかわってきたときに、教科書が手に入らなくて困るというのは、これは学校経営者の運営上考えていけばいける問題じゃないか。たとえば昨年度卒業した子供の古い教科書を備えておく、あるいはまたかわっていく子供の教科書を置いてもらうとかいうことは、東京都の中の校長会あたりの話し合いでスムーズにいくんじゃないか。それを理由にするということは、やはり学校経営に対するくふうが私は足らないんじゃないかということを思うのです。 それから本多先生のお話なんですが、カナダの教科書を見せられて、しかもよい教科書を与えられる子供たちは非常に学習意欲を持つ。教科書のようなという、教科書それ自体に対する通り相場のように、およそおもしろみのないというような代名詞に最近使われておりますけれども、そういうものが吹っ飛んでしまうというようなお話でしたが、私は確かにそのとおりだと思うのですが、これはやはり国の行政の中で教科書の貸与制度をとっておるところからこういうことが起こってきて、いい教科書をどんどんつくって、年々学校に、買わなくとも、かわるたびに備えつけたらよいのであって、雪だるま式に教科書がよくなっていく。日本はいまの制度を用いますと、よくなることも考えられますけれども、物価の問題とかあるいはその他の要件が加わりますと、教科書が細るおそれがある、こういうふうに私は思うのですけれども、先生はどのようにお考えになるか。やっぱり貸与制を加味して教科書をよくしていくほうがいいのじゃないかということを先先のそれから思ったわけであります。 それから徳武先生につきましては、いろいろいままでの教科書に対するところの検定上の圧力問題を具体的に示していただいたのですが、いま先先がお聞きのところでは、検定上どういうような暗い面があるか、これは安藤先生にも申し上げたいと思うのですが、いままでの教科書行政というものが、教科書業者が戦々恐々としておったり、あるいは現場の教師が危惧の念を持ったり、あるいはこれで意識的に統制をしてやろうという考えを持ったりすることは、やはりこの際考えて、与党と言わず野党と言わず、もっと教科書を真剣に考えていく必要があるのじゃないかと思うのです。先生は、この法案を変な目で見ぬ以上、この法案は非常に妥当である、こういう結論を下されておりますけれども、やはりその背景に何か暗いものを日本の教科書の歴史には持ってきた、そして現在に至っておる。端的に申しますならば、いま一応検定という国家統制が行き渡った、そして採択について大きく国家が統制をしようという意図が如実に出ておる。これは私が申すだけではなくて、多くの人がそういう意見を持っておりますし、私もその危惧を持っておるわけであります。そこでその問題について、安藤先生にも、率直に学者としてのお考えを言っていただきたい。私はそれを一番心配しておる。それから徳武先先にも、いまなおそういうものがあるとするならば、歯に衣を着せずしてここで言っていただくことが、私は教科書の問題を審議する上に一番重要な問題ではないかと思いますので、よろしくお願いいたします。
○安藤参考人 お答えいたします。 第一の点は、小学校は基礎教育だから中学校に比して少数の教科書でよい、こういうことに対する御質問でございますが、決して一種とか二種にしようということではございません。中学校に比較して少なくてもいいではないか、しかしこれはさっきお答えいたしましたように、実際出ている教科書というものによりましてきめるべきことであります。ただここで申し上げたいのは、教科書もきわめて重要なものでございますけれども、さっき本多さんから言われましたことは、教科書に対する教師の態度として非常に尊敬すべきことだと思います。三分の二ということをおっしゃいましたけれども、教科書を活用するのが教師でありますから、ここでも私は教員養成の画期的改革を期待いたしたいのであります。 そこで、選ぶ場合にそんなに多くなくても、五、六種の中からお選びになったあとは、先ほど社会科のことで統計、その他資料――これはたいへん御苦労なことでございますけれども、特に社会科とかいうものは、教科書の改定が間に合わぬほど、統計とか、その他動きます。それから算数にしても数学にしてもそうでございますが、やはり教科書で教える。しかしそれを生かすのが先生でございます。したがって、そのくふうは、教科書を、数種の中で比較的いいものを先生がお選びいただく。そのことは先ほど申しましたように、十分討議をされました先生が委員となられる場合には、単に個人の御意見ではないと思います。経験とともに、直接勤務される学校、また教科書研究会、そういうようなものを踏まえての発言でございますから、私はその点で、結局最後に教科書を使って教育をされるときに先生方のごくふうで補うことができると思います。これは小学校、中学校でございます。 新しい時代への即応と、教育の進歩に対して適応していくことに対する障害をなすものが二つございます。一つは教科書であります。一つは教師であります。歴史的、社会的、現実を見る洞察力を持ちまして、そうして教科書を活用していく、そういうところが必要だと思う。と申しますのは、われわれが考えなければならぬのは、私に対する自粛自戒でございますけれども、学問は日新月歩であります。絶えず自粛自戒しておくれないようにするということで、毎年講義案をつくりかえてやっておりますが、先生方のお気持ちもそうだと思うのであります。そういう意味で、教科書を三分の二、さらにそれを補足するためにいろいろ御苦労なさっておる先生方のその熱心な御研究とこぐふうに期待すれば、数種の中から選んでその短所を補うにあまりあると思います。 次に検定制度でありますが、これは私もいろいろ考えておりますけれども、検定制度の長所を生かすように、編集者も、また検定の方も、ほんとうに日本の教育を考えておやりいただくようにすべきであろう。もしその間に不十分のことがあれば十分御検討をいただきたい、こう思うわけであります。 それからもう一つのことでございますけれども、業者の考えを聞くべきでないとは決して申しません。先ほど八木先生からの御質問が出ましたが、学習指導要領をきめることが画一化になりはしないか、こういうことでございますけれども、私は現在の程度であれば、業者の方が――業者と申しても編集者の方でありますが、十分個性を生かすことができる、その点は可能だ、こう思っております。きょうは教科書選定、採択のことでございますから、検定のことは申しませんが、この採択、選定の運営のいかんによりまして、検定の精神と申しますか、長所を狭めるようなことになれば、これはたいへんなことだ、こう思います。その意味で、どういうところで業者の方、編集者の方の御意見を聞き、教科書検定制度を育成していくかということで、決して私はそういうものは耳を傾くべきではないとは考えておりません。 以上で終わります。
○近藤参考人 同一地区内で転校の場合には、教科書は同じであればたいへんよろしゅうございますが、東京のような場合には同一地区内の転校というのは非常に少なくて、もっと広い場合があると思う、もっと地域を広げるような考えがあるかというような御質問が第一の点であったと思うのでありますが、東京のような場合には二十三区を一本にするとか、東京都全体を一つにするというようなことはやはり望ましくないことでございまして、少なくとも区単位でなければならないのではないかというふうに考えるわけであります。 次に、転校してきた生徒が学習上抵抗を示すということを申し上げたのでございますが、これに対しまして先生はまた、他の教科書を習っていることは生徒に有利ではないかというお話があったのでございます。なるほど私もそうであろうと思います。しかしながら、実際の問題としまして、生徒が入ってきますと、学校が違い、友だちが違い、先生が違い、その上に教科書が違うというようなところで、非常に不安定な気持ちを当分持つようでございまして、このようなところからやはり教科書が同じであるほうが学習上いいのじゃないかというふうに考えているわけでございます。けさも杉並のほうから転校してきた子供が母親と一緒に参りまして、ランドセルに教科書を全部持ってきた。持ってきまして、参りますとすぐ校長室の私のところに教科書を並べまして、これでよろしいかと言うおかあさんでありました。担任の先生も立ち会いまして調べますと、全部違うわけでございまして、おかあさんも何か不安のような気もしましたが、子供の様子を見ましても多少とまどっているようなところがございました。担任の先生から、君安心していいんだ、古い教科書があるからそれを当分貸すからということを言ったのでございます。古い教科書を、先生のお話ですと、何かもっと広い地域で、校長会なんかでやったらどうかというお話がございましたが、すべての学校でもそのようなことはやっているわけでございます。子供にとりましては前の学校の教科書と今度の学校の教科書と二種類持っておりますので、学習上利便であることは利便であろうと思うわけでございますが、転校当初非常に抵抗を感じるということは確かであるわけでございます。 以上でございます。
○三木(喜)委員 先生、ちょっと違うのです。私の申し上げたのをちょっとお取り違えになっておると思うのですが、東京二十何区全部一緒にしたらいいじゃないかという点、便利主義の上に立つならばそういうぐあいにしなければなりませんし、それとも県でいえば、県全部一緒にするほうがいいし、国全部一緒にするほうがいいのであって、各学校学校でまちまちに採択していることの利点もひとつ考えてみなければならないのではないか。ただ便利主義の上だけに立つとそういうことが言えるのじゃないかということの例に東京都全部を一緒にしたほうがいいのじゃないかということを申し上げたのです。 それからもう一つ、御意見はいいのですが、第二の点の、学校に備えつけるということについて校長会あたりできめられたらいいじゃないですかということは、どこかへかわっていったときに、その学校で教科書がみな違っておるというときに困るとおっしゃられるから、それだったら校長会の申し合わせで十冊なら十冊、二十冊なら二十冊というものを何か置いておく、あるいは出るときに置いていくというようなシステムにすればいいので、要は運営の問題ではないだろうか、それをしても不便だというようにされる理由はないだろうということを申し上げたわけであります。そういうくふうもすれば、一本の教科書になっておることが非常に便利だということは私は希薄になってくるのじゃないかしらということを申し上げたのです。ただ便利主義的に教科書というものを考えていただいたら、教科書の生命というものやら、あるいは採択あるいは検定という意味が死んでしまうということを申し上げたわけです。以上です。
○本多参考人 先ほどカナダのこれを御紹介したわけですが、これは実際は三ドル九十五セントということですから、日本の金で千五百円ほどするわけです。たいへんなものです。しかし私が先ほど申し上げましたのは、世界の歴史を現在の中学校で文部省は七、三でやれというふうに指導しているわけですね。ぼくはいまちょうど世界歴史を教えているところなんです。ところが日本の現在の歴史のいろいろな参考文献や何かで、世界の歴史を中学生に全体的に教えるいい参考書というのは、ほとんどないんです。実に残念な状態だと思っております。そういうときにこれを目にしたものですから、こういうものがあったらほんとうに子供も生き生きするだろうなということを強く感じたから、特にこれを御紹介したわけなんですが、そうなると、実際に千五百円もするものをいますぐ子供たちにただでということはたいへんなことであります。そしてまたこれは非常に装丁がいいわけで、確かに一年だけではもったいなくて、二年も三年も使えるかもしれない。そうなれば貸与というか、貸し与えるということで、実際は使用にたえるだろうと思うのです。ぼくは非常に残念に思いますのは、現在教育の問題を論議すると、すぐに与野党で対立するということがよくあるわけです。私が申し上げておりますのは、対立する点について申し上げているのじゃなくて、日本の子供たちの教育のためには、社会党の方も自民党の方もともに協力し合って、日本の教育を高めなくちゃならない問題点が一ぱいあるということを御指摘したいわけなんです。ですから現在のテレビ時代に対してどう子供を教室に引きつけるかというようなこととして、われわれがこういうものにはっとするという、そこをぜひ皆さんで私たち現場教師の声を聞いていただきたいというわけです。これは幼稚園のものらしいのですけれども、ぼくは小学校の一年生でも十分使えると思うのです。これは川なんです。山から始まって――絵を見ただけで川がどうなって海に流れるか、最後のところまできれいに入っているわけですね。こういうのなんかは、子供が持っていれば、川の話など一々めんどくさくやらなくとも、子供の中に川という働きがどうしているかということがじいんと入っていくと思うのです。そういうことで教科書のことについてはもっと広い視野でいわゆる日本の人づくりのために、対立する以上、共通して考えなくちゃならない点を大いに御努力願いたいということが、私の強い気持ちでございます。
○徳武参考人 御質問にお答えいたしますのに一番手っとり早いのは、つまりきょう参考人として私のようにかつて教科書会社で働いていたというような者でなしに、現在教科書会社で日夜働いている、そういう人たちがほんとうはここへ出てきて参考意見を言っていただきたい、そう思うわけですが、それが実際問題としてできないのが実情なわけです。これは何もその人が勇気がないのではなくて、実際に私なども文部省の方がどう言われたかは、私は直接文部省の方から聞いておりませんが、重役その他を通して私が言われたことは、文部省では、君のような反抗心ばかり持って教科書をつくるようなのは好ましくない、そういうようなことを言っておられるわけです。ですから私たちは、そのようなことはたいへんな基本的な人権の侵害でもありますから、一向かまわずにはねつけるわけですけれども、実際問題としてそのようなことがやはり教科書づくりの上に非常に響いてくるわけです。具体的には社会科の編集をはずされて家庭科の教科書をやる、そのときに言われたことは、家庭科ならばそんなに文部省と対立することはないだろうから、家庭科の教科書を編集しろ、そんなようなことを言われて、実際問題として次第に仕事を取り上げられていって、会社にはいられなくなるというようなことです。これはもちろん経営者にも私は問題があると思うのです。私のような状態の者が必ずしも経営者からそういうような仕打ちを受けるとは限りませんから、これは経営者にも問題はあると思いますが、やはり一番本質的な問題は、うしろといいますか、一番大きな影響を与える文部省の態度ではないかと私は感じております。私だけではなくて、現在教科書会社に働いておられる方の具体例は以上のようなことで申し上げられませんけれども、毎日のようにそういう事態が起こって教科書労組共闘会議の中では話し合われているわけです。そして中には自分の良心とそのような圧迫に耐えかねて自殺をしてしまった――これは私の友人で教科書問題の熱心な活動家ですが、そのような者もいるわけです。つまり良心を持っていれば持っているほど現実には教科書をつくりにくくなってきた、やはりそれは指導要領ができた、だから画一化するのではなくて、指導要領でがっちり縛って、しかもその指導要領を教科書検定の運営に当てはめるところのその実際の力といいますか、それが文部省にある、あるいは調査官のほうにあるというようなことがやはり重要な問題じゃないかと思うわけでございます。
○床次委員長 村山喜一君。
○村山委員 私は安藤先生にまずお尋ねをいたしたいのでございますが、国民の教育を受ける権利というものが憲法の二十六条によって保障されておる。この国民の教育を受ける権利というのは悪い教育を受けるよりも受けないほうがいいと私は思っておるのです。ヒットラーのようなああいうファッショ教育というものやあるいは、戦前のような日本の超国家主義の教育、こうした悪い教育は受けないほうがいいにきまっておるのでございますから、当然国民が教育を受ける権利というのは、いま日本にあります憲法や教育基本法に定めるところのその精神にのっとった教育でなければならないし、また民主主義的な教育を受ける権利が国民に保障されている規定だと考えているわけです。そういうような立場から考えてまいりますと、いわゆる人間の尊厳というものと、世界平和のための教育を受ける権利が国民にあるというふうに私たちは考えているわけでございます。 そこで、今日の日本の教育は民主主義教育というものでなければなりませんが、その民主主義教育というものの根本はやはり自主性というものになければならないと考えている。そういうような立場から先生が先ほどお述べになりました内容の中で、両親に教育権があるという問題は、これは否定されなければならないということをおっしゃいました。そこで民法の八百二十条でございますか、「親権を行う者は、この監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」ということばが現在の法律にございます。また、成年に達しない者は父母の親権に服するというようなことで、居所の指定権あるいは懲戒権、職業の許可権、その他財産管理権と代表権というようなものが民法によって親権者の権利として保障されている。そこで国民は子弟の教育を、国立の学校に入れようがあるいは公立の学校に入れようが私立の学校に入れようが、教育の方法の問題でございますから、どこの学校に入れても差しつかえはないということになっている。そういうふうな立場から公教育というものが今日行なわれているわけでございますが、これはやはり公教育のあり方という問題をめぐって、親の持っております教育権というものをどういうふうにして実現をしていくかという基本的な立場から考えてもらわなければならない問題だと私たちは思う。したがいましてこれは国家権力によって教育の内容を統制するというような方向において、そういうような公の機関にわれわれの子弟の教育を頼むのではもちろんございません。そこでは真理というものを教えてもらわなきゃいけないし、新しい時代に生きるところの青少年として具備しなければならない条件を備えていくという意味において、その基礎的なものを教えてもらう権利が国民にあると思うのであります。そういうふうな立場から、先ほど先生は、親の権利というものはこれはもう排除しなければならない、そういうふうに私承ったのでございますが、そういうような考え方というものが私の聞き違いであるのかどうか、その点についてまずお聞かせを願いたいのでございます。 それからそういりような民主的な教育というものを推進していく中で、私も国が一つの基準というものを示すことに対しましては、これは全国的なレベルを同じような方向において維持していくということにおいて、その点はある点納得する点があるのでございますが、かりに国が現在の法律によりまして、御承知のように教科の内容につきましての教育課程の基準は文部大臣が公示をするということをきめておりますが、そういうような基準というものは一応の限界線というものがなければならないと思うのであります。やはり教育課程を定める場合において、そこには一つの、こういうような程度で、ここだけはぜひということで一つのワクを示すことは必要ではありましても、それがいやしくも教育の内容にまで不当に干渉していくということになってまいりますと、教育の精神がゆがめられてくる。そこには限界点というものがなければならないと思うのでありますが、現在の教科書というものが文部大臣が定めておりますいわゆる学習指導要領に基づきまして、検定基準というものによって教科書の編さんをされている。その結果でき上がってまいりました教科書を逐一われわれも見てみますと、最近は非常に変化のない、割合に均一化された教科書というものが生まれつつあります。そこでそういうような教科書をもっと特色のあるりっぱな教科書にしていくためには、実際に使う人たちがこの教科書の内容について十分に批判をし、それをよくしていくための建設的な意見というものを十分発揮し得るような体制というものがなければならないと思う。したがいまして教科書というのは教材でございますから、これは教育の内容の問題でございます。それを児童あるいは生徒に対しましてどういうようなふうに学習を進めていくかという指導方法の問題やら、学習形態の問題に最も関係がありますのが、この教科書の問題でございます。教材というのは教える一つの道具である、そういうような対象物であるという考え方に立ってまいりました場合には、当然その教科書を十分に使いこなしていかなければならない教師が、文部大臣の選定基準というものによって発行されました教科書を使うわけでございますから、無原則に野放しになっている教科書を使うわけではございませんので、そういうような立場からいった場合に、当然教育を行なうところの教師に選択の権限というものがなければならない。これは教育の内面的な作用である、こういうふうに私は理解しているのでございます。ところがこの教師の採択権につきましては、現実の問題といたしまして事実上は学校側にある。しかし行政的には教育委員会が握っているというような解釈論やら、あるいは採択権は現場教師にはないのだ。それはやはり教育行政機関が握っているのだ、こういうふうな文部省の解釈やらいろいろございました。私はその問題は当然教育委員会が採択権を握っているとするならば、先ほどお話をいただきましたように、東京都の場合には、本多先生のお話でございますが、自主採択権を各学校において持っている、こういうような事態が訪れているとするならば、これは地方教育行政の組織及び運営に関する法律によって、文部省が、そういうような適正な方法が行なわれていないから、それは是正をするようにという措置要求を今日までしたかどうかという問題を考えたければなりませんけれども、そういうようなことを要求をした事実もないようでございます。そうなってまいりますと、この教育内容に関する教科書の採択の問題に関しましては、当然学校が持っていなければならない。そういうような学校が指導要領に基づいて教育課程、カリキュラムをつくって教育を行なうのでございますから、学校長を中心にして、そうして学校という一つの教育の集団の場の意見というものが教育行政の上において十分反映されるような仕組みというものをつくり上げていかなければならないのが、今日の問題点ではなかろうかと思うのであります。ところがそういうようなものは全然この教科書法案の中にはございません。一部選ばれたところの優秀な教師が参加をしていくという形をとっている。前の教科書法案の中には、安藤先先も御承知だと思いますが、そういうような学校集団の意見というものを地教委が十分に聞いて、それを各都道府県の教育委員会がまとめていく、そういう方式をとっておったのであります。
○床次委員長 簡潔に御質問願います。
○村山委員 それが今度の法案にはございません。そういうような方向において提出法案の内容を見てまいりますると、幾多の変遷があるわけでございます。そのような立場から安藤先生はこの法案に対しましてどういうような見解をお持ちになっていらっしゃるのか、その点をお尋ねいたしたいのであります。 それと同時に、近藤先生にもそういうような現場の教師、校長という立場からこの問題について――いま事実上の採択権は東京都に関する限り学校側にあるというふうに私たちは承っております。そういうような立場で教育的な配慮の上に立って、校長同士で協議しあるいはいろいろな研究協議会等をつくってやられておいでになることは知っておりますが、実際教科書を選ぶ場合には、学校でおきめになっていらっしゃるというふうに承っておるのですが、それが事実になっているかどうか、その点を現場の校長先生としての立場からお聞かせを願いたいのであります。 それと同時に、私がいま申し上げましたいわゆる教育の目的を達成するために現在の教科書が主たる教材として使われていくということになるならば、当然これは教育の内面作用の問題でございますから、学校に採択権がなければならない。それを地域の同一社会において同じような教科書を使おうじゃありませんか、そうして共同研究を進めようじゃありませんかというのは、その学校に採択権があるということを前提にした上に積み重ねられる教育の進め方でなければならない。私はそういうように教育のあり方を考えているのでありますが、校長先先の御意見はいかがでございますか、その点をお尋ねをいたしたいのであります。
○安藤参考人 お答えいたします。 いま仰せのとおり、教育において最も重要なのは人間の尊厳、それからもう一つは生活共同体の倫理、この二つをどう調整するかということが根本問題でございます。長く申すことはできませんが、教育基本法の第一条にある「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、」とことばは非常に簡潔でありますが、この二つの、これは楕円の二つの焦点と考えられます。人格の完成、もっといえば個人の完成、個人の志を達成させるということと平和的な国家及び社会の形成者と、これは楕円の二つで、この楕円の二つの間を世界の教育史、日本の教育史でありますが、それは時代によってあっちゆれ、こっちゆれておる。前者の考え方が人格的教育学、個人的教育学の立場でありまして、後者の立場は社会的教育学の立場であります。この社会的教育学の立場が極度に行きますと、ヘーゲルに見られるようなシュタートペダゴキリの立場になります。この緊張と申しますか、油断をすればどちらか一方へ行く。片方のコスモポリタンになるか片方の全体主義に行くか、人類はこの両者の間に立って教師も教育行政家も私は苦しんできておると思うのであります。いまの教育基本法の第一条は、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、」ここが一番重要なところでありまして、そのあとにあがっているいろいろな項目は、あれはその代表的なものを列挙したにすぎません。 そこでわれわれが注意しなければならぬことは、子供の個人としての完成と、家庭、地域社会、国家、人類、そういういろいろな人間共同体のメンバーとしていかに行動するかということが絶えず考えられなければならぬと思うのであります。私が現在の道徳教育のときにも強調いたしますのは、人間の尊厳性ということを失ってはならない。同時にさまざまなる生活共同体の一員であるその具体的な場面においてどう行動するかということを考え、悩み進んでいくことが道徳的人格だ。善をなすことは必ずしも道徳ではないのであります。それならば法律の合法性でありまして、まあそう考えます。これが第一点であります。 両親権の問題はお説のとおりであります。しかしながら、ここで問題になっているのは公教育でありますから、公教育は私教育と違うのであります。私は民法に規定してあるところの、さらに根本的にあるものは自然法の考えにも基づくと思いますが、親は子供を養育する義務と同時に子供を教育ずる権利、むしろ当然義務と解すべきだと思うのであります。しかし、だからといって直ちに法律の定めるところによって――こういう法律によって定められたところが、これは国会の審議によってきまった学校教育法その他であります。そういうものによって定められた公教育において、直ちになまの形で両親が教育権を発動すべきでないと思う。それはやはりいかに私たちが主権在民といえども、皆さんのように公職選挙法によって成規の手続によって選ばれた方が主権によって行動されるべきであります。しかし、そういうことは両親が何ら沈黙を守れということではございません。教育に対して述ぶべき要望はどしどし述べるべきでありますが、公教育に携わっている学校の先生方は、国民全体に対して責任を負う。特定の集団に対して責任を負うのじゃないのでありますから、機会あるごとに両親の要望をその襟度を大にして受け入れるべきものだと思います。だからいま御指摘の民法に定める両親の教育権を否定するものではありませんが、それはやはり公教育においては、そのために任命された者が責任を負うべきであります。それに協力す、その態勢が私はPTAであろうと思います。 次に、現在は法律主義でございますから、国会が国の最高の機関でありますから、そこにおいて法律をもって定められたそれに基づく学校、学校にもいろいろございますが、私は学校教育法に定める学校と、塾とかそういうものとは根本的にはっきりと区別すべきだと思う。それは社会学的学校と名づける。その中間にあるのが各種学校であります。そういう状況でありますから、ここで問題にしているのは国会において定められた学校教育法に基づく、そしてそれによって委任されました政令なりまた省令なりによっていくべきものでありますから、私たちは国会の厳粛なる審議に期待して教育をするつもりでおるわけであります。 次に、基準性の問題でございますが、これはおのずから限度があるのが、当然でございます。現行制度におきましてもいまお話のように、何らかの基準を定めるべきである。しかし、それが先生方の、あるいは学校経営の自主竹、独創性――自由のなきところに自由な人間はできませんから、われわれが大学の一員として草間、研究の自由を主張し、それに対して責任を負うているのはそれでございます。そこで問題は、教育課程というときに私は二つに分けて考えるのであります。一つは基準教育課程でございます。これは省令それから学習指導要領などによって国全体において持つ基準性であります。ところがこの基準性にもいろいろございまして、守らなければならないはっきりとした基準がございます。たとえば各教科の最低時間というものを、二時間を一時間にすればそれは違法であります。しかし、ごらんになればわかりますように、教育に関する基準は、これが望ましいとかいうような弾力性があるわけで、そこに私は妙味があると思う。そして各学校が校長の責任のもと、先生方の協力によってできるのが実践教育課程でありまして、これは各学校が当然つくるべき権利であり、また私は義務であると思う。そういう点でここで考えられるときに、教育課程と国家統制とか自主編成とか、こういうようなことを両極端に考えないで、問題は基準性をどの程度に定むべきか、私はこれはできるだけ最低限に定むべきだと思う。そういう点から考えまして、私は占領下にできました学習指導要領試案などというものには反対をしてきたのでありまして、国が責任を持つべきものに試案とは何事だ、しかし、試案でありながらそれに基づいて教科書を検定するなんというのは、法でないものに基づいて教科書を検定するのであって、これは不合理であるから、はっきりとこれを法的規制にすべきだということを述べてきたのであります。これは占領軍が背後におりましてオーケー、だから試案というようなカムフラージュをして、そして実は占領軍が握っておった日本の教育管理であります。私は自主的にこの法律を定めることによって、委任されたその文部大臣が、それが教育課程審議会とかいろんな各方面のものに諮問して、そして責任ある今度は告示でございますけれども、官報に出るようになった。私はこれを主張してきたのであります。その試案とか、従ってもいいとか悪いとかというような形でやるのは違法だ、私はこう思っておるのです。ただいろいろ考えまして、前の学習指導要領よりは今度のほうが簡潔にできておる、指導助言の行政をはずしたのです。前のは指導のしかたとか評価のしかたとか、まことにこれは先生方の領域に至るまで基準であるようなかっこうで文部省が出しております。私は文部行政としては、これだけは管理行政で行なうべきで、これから先は指導助言行政、言いかえれば先生方の、特に地方教育委員会、また地方行政、さらには学校管理運営、さらには先生方の自由裁定の余地を残す、そういう点を指導行政と名づけるわけであります。そういう意味で現在の学習指導要領を完璧だとは申しません。申しませんが、前の学習指導要領のあいまい性と基準性の範囲の広いということが修正された点は、私は絶えず十数年来主張してきたことでいいと思います。しかし、しさいに検討するときにまだいろいろ問題がある。人間がつくったものでございますから、十分やってみて、おのおの行政家は行政家の立場、地方行政の方は地方行政の方がおのおのの立場から虚心たんかいにわが国の教育、わが国の子供の方向を考えて検討すべきだと思います。人間がつくったものでございますから、これが金科玉条永遠にこれを堅持すべきものだとは申しておりません。 それから採択権の問題でございますけれども、私は採択権は教育委員会が持つべきだと思うのです。責任のとり得ないような者が権限を最終に行使するのは私は不合理だと思うのです。だから、職員会議でも私は諮問機関だと考えております。私、所属中学校と高等学校の校長を六年やりましたが、最後は校長が責任を負う。ということは、校長が一方的に押しつけることはないのでありまして、私は職員会議に出ましても、会議において発言はするけれども決には加わらない。先生方の中から議長を出して十分検討して、どうしても校長がこれではと思うことにおいてはもう一ぺん考え直してくれ、六年間やって一ぺんもそういうことはございません。そういう意味でできるだけ先生方の創意くふう、あの校長のもとなら、あの行政のあり方ならばと喜んで教育ができるようなふうにすべきだ、こう考えます。しかし、採択権というものは、個々の教師が権限を行使したときに、どうしてそれの選びそこないに対して責任をとるか、解散があるわけではございません。私も実ははなはだ不行き届きでありまして、全く知らないうちに事務職員がある事件を起こしまして、全然知りませんけれども、戒告処分を受けておる。しかし、知らぬと言って受けぬわけにはいきません。ところが、職員会議がもし決定して、それを校長に強要したときに職員会議はどうして責任を負うか、校長に教員としての解散権があるならいいのでございますが、それがございません。最後に責任を負うべき者が最後決定すべきだ、かように考える。しかし、このことは先他方の教科書採択に関する事柄に対して一方的にきめることであってはなりません。私が教育委員会に要望したいのは、いろいろな形で調査員とかそういうフォーマルなものでもけっこうでありますし、またいろいろな形においてほんとうに先生方とひざを交えて、日本の国民全体に対して違った立場から、片方は行政の立場から――行政のための教育ということはないと思うのです。教育のための行政であり、教育のための実践家である。そういう点でフォーマルな形で制度的に意見を聞く機会もございましょうが、またインフォーマルな形で現場の先先方の採択権というよりも、採択に対する要望というかあるいは主張というようなものでいくべきで、私は各学校に採択権があるとは考えません。あるべきでないと考えます。ということは、各学校は各学校一つはわかるけれども、もっと広い視野で考え、その間に連絡調整を考えるのが行政家の立場である。 そういう意味において、私はいろいろ申しましたけれども、結局制度は制度でございます。その場合に相互信頼の立場に立って、そして日本の教育をどのようにしていくかということを考え、実践してみて、さらにこれを改正していくということを主張しておるものでございます。 以上でございます。
○近藤参考人 東京都の場合の採択方式について申し上げます。 部立学校並びに二十三区の学校につきましては、およそ百二十名くらいの学識経験者並びに校長、それぞれの教科の専門の先生をもって組織するところの採択委員会を任命いたしまして、その委員会が教科書を審議するわけであります。すでに本年も七月の展示会を前にしてその準備が始まっておると聞いておるのでありますが、その委員会が教科書を審査した結果を東京都の教育委員会に答申いたします。東京都の教育委員会はその答申に基づきまして採択と不採択を決定いたします。東京都の場合も不採択教科書があるわけでございまして、たとえば地方版と申しまして、東京から著しく離れた北海道あるいは九州だけに適用されるような教科書については不採択にするわけでございまして、その答申に基づきましてその採択、不採択をきめまして、それを七月の展示会前に各学校に教育委員会を通して流しまして、東京都の都立学校、二十三区はこの中で採択するようにという通知を出しておるようなわけでありまして、つまり都の教育委員会に採択の権限が都の場合にもあるわけでございます。したがいまして、各学校の先生や教員やあるいは二十三区の教育委員会にはないのでございます。それが二十三区並びに都立学校についてでございます。 東京都の市町村につきましては、先ほど申しました都の教育委員会の決定の通知を参考に各市町村に流します。都の教育委員会はこういうのを採択し、これを不採択にするということを流しまして、それを参考にして各市町村は採択をしておるのが現状でございます。つまり都の場合には相当大きなワクで押えているというのが現状であるわけでございまして、そういう中で三鷹市や調布市などはその教育委員会でなお相談して一種の教科書にしているということを聞いておるわけであります。でございますが、やはり各学校の先生やあるいは校長などの自発的な気持を十分にくんで、そういうものが選ばれなければならない、そういうことを私宅思うわけでございます。したがいまして、私はやはり採択権は教育委員会にあるものと思うわけでございます。
○床次委員長 村山委員の時間もだいぶ過ぎましたので、簡潔にお願いいたします。
○村山委員 東京都の教育委員会が選定委員会というものをつくって、そこで初めに採択をしておいてその中から選ばせるという説明でございました。ところが、先ほど本多参考人のお話は、学校で八年間、いままで自主採択をやってきたというような御説明でございました。私はここに東京都の資料を持っておりますが、国語あるいは各教科ごとにずっと書いてございますけれども、それぞれ区によって非常にたくさんのところと、少ないところとあるようでございます。小学校の場合もそうですが、これは不適だといって、初めから東京都の教育委員会が不採択にしている教科書というものが、どの教科については幾つあるかということを、もし御承知だったらお知らせを願いたい。私はそういうような副読本的なものは、東京都の教育委員会が、事前に採択云々ということをおっしゃいますが、あるかもしれないけれども、文部省が検定をした教科書を、そういうふうに一方的にしぼって、これだけ採択をしたから、この中から選びなさいというようなことをやる権限はないはずでありますし、またそういうふうなことをやっていないと、この資料から見た場合には思う。そこで、その点疑問に感じましたので、近藤参考人と本多参考人に、その点だけは重要な問題でございますから、この際明らかにしていただきたいと思います。
○近藤参考人 私のことばが不十分だったか知れませんが、つまり、本年度展示されます教科書並びにその教科書目録に従いまして、東京都の実情等に照らし合わせまして、東京都はこの教科書を採択するというようなふうにきめるのでございますが、そのことばは、私ちょっと覚えておりません。各学校に、具体的に教科書の名前なぞをあげて出している通知文があるのでございますが、その数字はいまちょっと覚えておりませんが、わりあいにそれは少ないものでございます。
○本多参考人 先ほど近藤さんのほうからお話しになった内容については、その限りではやはり事実ではないかと思っております。といいますのは、私たちも東京都のほうで、いろいろと教科書について委員会をつくりまして、そうしていろいろな資料を流していることは十分存じております。しかし問題は、私たち、たとえば中学校社会科でいいますれば、東京都で採用している教科書を調べてみましたら、全部で十二社ございます。発行している出版社が全部で十二でございます。つまり、東京都では十二発行されている教科書が、全部採用されている。ただし少ない教科書は、一、二の学校しかないんだそうでございます。ということですから、そのような、いろいろ東京都のほうでやられていることはわかりますけれども、実際的には、私たちが自分たちの研究で、自主的に研究して、その結果自分たちの使う教科書を自由に選べるということが、現在の実際的な実情だと判断いたしております。
○床次委員長 山中吾郎君。
○山中委員 簡単に一問ずつぐらいお聞きしたいと思うのですが、まず安藤先住に。 最初に、この問題は教育問題であるという大前提を先生が言われたので、非常に私は敬意を表して聞いたのでございますが、この検定制度と、そういう立場で採択という関係について。検定は、確かに指導要領に基づいて、そして妥当なる教科書をきめるのであるから、行政機関がこれを行なわなければならぬ。しかし、すでに適当なる教科書であるということを、国または行政機関の権威で定めたあとは、適当であると認めた教科書の中で、どの教科書を使うかというのは、教育機関、これがやらないと、これは教育問題にならない。検定制度も行政機関、採択も行政機関、そうすると、これは教育問題にならぬと思うのです。そこで私は、検定制度という大前提がある場合については、その次にどの教科書を選ぶということは、これは教育機関が選ばないと教育問題にならない。そこで、その中間のいわゆる行政機関、あるいは都とか、県とか、市町村教育行政機関というのは、実質は採択の指導行政をしている。指導助言行政をしている。検定制度、これは国において責任を持って検定をする。そして中間の教育行政機関、採択についての指導行政をしているのを、俗に採択権といっているならば、採択は教育機関がしないと、教育にならないのじゃないか。その点私の考えが入っているのですが、これは、おそらく安藤先生も私と同じ考えだろうと思う。そうでないと教育的にならぬと思うので、明確にお聞きしておきたい。 それから一つは、検定の範囲はどうあるべきかということは、これも非常に重要な問題なので、ことに歴史書物になってくると、事実に合わないことを上から指導するということになれば、私はこれは、思想の自由から、学問の自由から、あらゆる問題にかかわってくるので、どこかに検定の限界があるのじゃないか。またそういうものは、単なる省令などで――検定規則ですか、そういうものによらないで、検定に関する立法措置によってやるべきじゃないかという感じでするのですが、その点はいかがであるか、それをお聞きしておきたいと思います。
○安藤参考人 お答えいたします。まず検定の限界というか、どういう点を検定するかということですが、これについては、二つの考え方があると思うのです。一つは、適当としてこういうようなものを選ぶ、そういう考え方は、これは積極的検定の方法であります。こういうやり方を明治の、まだ国定教科書の出ない前にやったことは、御承知のとおりであります。巷間出ているものから、要するに推薦という形。しかし、私は現在の検定制度は、適当というよりも不適当なのを切り捨てる、これは消極的検定、こうなっておるのじゃないかと思うのであります。またそうあるべきだと思う。困るものを除けばいいのでありまして、それならば、これが適当だということになってきますと、この検定の趣旨が、何が適当かという限度。もちろん基本的原則はございますから、政治的、宗教的な立場が公正である、教育基本法、学校教育法の基準に合っている、これは絶対的条件であります あとの文字の大きさとか、いろいろ相対的とありますけれども、私は、やはり検定の制度というものは、本質として、適当とか、いわんや順位をつけるというようなことではなくて、困るのを除く、こういう消極的と申しますか、そういう態度でなければ、国定で数が多いというようなことになりますから、そこで、あくまで学習指導要領なら学習指導要領というものに照らして、逸脱しておるところを切る、こういうふうであるべきだと考えております。 それからこれを、いま告示というような形でできておるが、現在は法律主義が原則でございまして、法律の定めるところを実施するため、また法律によって委任されたことが政令または省令で出ております。私はやはりこの問題も、今度教科書無償に関する原則とその措置が法律で出た以上、この際現在の検定の基準になるものを検討されまして、やはり法律の規定にするべきで、しかしあまり法律主義できめますと、これはまたその欠点が出てまいりますから、どういう事項を法律事項とし、どういう事項を政令事項にするかということは、この際私は、教科書をただ無償給付なんということは法律になっておるから、それと関連して検定の基本、たとえば立場が政治的に、宗教的に中正であるとか、これはいろいろ立法技術の問題もございましょうから、十分文部省また議会において検討されるということが一つの課題ではないか、こう思っております。 それから採択のことでございますが、国が全部きめていくならば、都道府県及び市町村の行政は、ただ出先機関になりますから、やはり検定は消極的である。しかしその中で今度はその地域の実態に即して、また時代の趨勢に応じて、また生徒の実態に照らして、その中から実際使う場合にどれがいいか、そういうのが採択の問題、あるいは選択の問題、もっというならば、検定、それから選択、それから採択というようなことになる。大体そういうようなことがここに考えられているように思う。教科書は、検定して逸脱するものを除く。その中から、各県が、この県として考える。その中から地方がやる。その場合に、いま山中先生のおっしゃるとおり、実際にそれをもって教育をする方ができるだけ多く、さっきから申しましたように、フォーマルまたはインフォーマルの形で実質的に選択する、それを十分尊重するというあり方、それが市町村行政の骨子であると思う。もし、そうでなかったら、市町村教育行政機関は要らぬと私は思うのです。だから、そう考えますときには、やはり現在のような教育長が一人、片手間にちょっと、非常勤のような、そして指導力もきわめて――失礼かもしれませんが、教育基本法もあまり読んでいないような、地方教育行政の組織及び運営に関する法律などもあまり知らぬ、そしておどおどしているような者がもしあるとすれば、これは仮定でございますが、こういうようなことで、そこに何か採択権を与えるというようなことになると、私は国民の一人として非常に不安であります。 そこで、こういうことになりますならば、まず一番教養の点でも、また責任を持たれる点でも考えられる校長及び先生方というものに十分発言と参加をするような仕組みをやるのが賢明な市町村である。そうでなかったならば、今度は連合で指導主事その他を置かれまして、そして十分やるような、幾つかの市町村が協議をして――それは教育長だけが協議したって不十分だ。だめだとは申しません。私も全国回りまして、くまなくとは申しませんが、まあアトランダム式に行って、教育長にお目にかかって教育の方針を聞いたり、いろいろしますが、どうも、――どうもであります。これはなぜかと申しますと、それは無理な話でありまして、要するに補佐機関がないのであります。しかし現在受けておるのでありますから、指導主事その他の職員の共同設置、このためには文部省もうんと金を出していくべきだ。 さらにイギリスの視学制度、非常に民主的な先生方、視学官と申しますが、五百人くらいおられますが、ほんとうにあの制度、それが日本の指導主事といっていいと思う。共同設置、巡回指導でもいい。ミーティングのようなものでもけっこうだと思う。それこそ議会においてうんと金を出していただきまして、指導主事共同設置、ほんとうに先生方の中から、先生方の仲間で苦労している方から、それから出て、そういうものが加わらなければ私は不十分だと思う。それが一つの方法で、最後の責任はやはり市町村の教育委員会が持たれる。しかしそれには補佐機関というものがいまきわめて貧困である。私は理想的に言えば十万、九万九千九百九十九人はどうかとおっしゃると、それは何とも言えませんけれども、そこはあまりほじくらぬようにしていただいて、約十万くらいの単位が一番下の教育委員が地方分権として適切ではないか、こう考えておりますが、しかしこれを変える以上は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律がありますから、いまこれで活用するならば、指導主事の共同設置ということで、教育委員会及び教育長が十分その責任を果たし得るようにしよう。御承知のように教育委員会制度は、高い見識あるいはしろうととしての広い立場の教育委員の方と、教育長をはじめ、指導主事のような専門職とが長所を相生かし合っていくというものであります。ところが市町村教育委員会の小さいところになりますと、そのしろうとの方の長所はあるかもしれませんが、その欠点が出る。これは一般論としてお聞きいただきたいと思うのでありますし例外と気違いはどこにもございますから。そこでもっと市町村教育委員会に専門職員を置いて、そうしてそれは学校の先生方から交流して、その方が校長になられる。こういうようにして、いま山中先生のおっしゃるようなことを実質的に実現する。そうすればまさに教育機関が十分関心を持ち、またその経験を生かすことができる、こう考えております。
○床次委員長 なお、この機会に参考人の方に申し上げますが、委員の質疑に対する御答弁は、委員の質疑の持ち合わせ時間があります関係上、ひとつ御考慮いただきまして、なるべく簡単にお願いいたしたいと思います。
○山中(吾)委員 安藤先生のいまのお話で、大体安藤先生のお考えは、地方教育委員会の採択権は拒否権のない、形式上の責任を持つ採択権、たとえば文部大臣が拒否権のない、大学学長に対する任免権、学内において選挙をしたりというふうな、そういう御思想のように聞こえたわけです。この点は検定で合格をした教科書をどれを使おうが責任はないのです。責任問題はどこにもない。責任というのはどういうように教えるかという教育活動の中から出るのであって、国家が認定をした検定の教科書のいずれを選ぶかということについて責任が出るはずはないわけです。そこでその教科書を取り扱う先生が自分で選ぶんだという自覚と責任の中においてその教科書を使うということでなければ、教育活動は成り立たないそうして取り扱ったあとにおいてこの教科書はこういう欠点がある、また取り扱うことによって実費的に本多先生が言ったようなはつらつたる教科書研究という熱情が出る。その点についてどの教科書を使うかということはやはり教育者でなければならない。それに対していろいろと先生は能力のある人もない人もある、したがって行政機関において専門の指導主事その他が日常職務として研究して、この教科書はこういう欠点がある、この教科書はどうだということを、資料をその学校に与えるということがたてまえでないと、このいずれの教科書を使うかという検定制度のもとにおけるたてまえは基本的に成り立たない、こう思うのです。そうしてそのあとに広地域、いろいろの問題が出る場合においては、先ほど先生が言われた教員の代表、採択権を持っている教員の代表が採択に関する委員会あるいは教科書研究会というものを持って、そこで合同採択をする。その他のことは次の問題だ。ところがこの法案は最初から検定も最高の国の行政機関、文部大臣、そうしてそのどれを選ぶということも行政機関、選定権は県教育委員会、採択権は市町村教育委員会、先生は何をやるか、これはかすなんです。だからこの問題については、先生が最初誓われた教育の問題だということを私はぴんと頭に置いて、その論理から、実際にどの教科書を選ぶかということはやはり学校だということを安藤先生が言われるものと思って期待をしておったのですが、どうもその辺がちぐはぐなので、あとで私はゆっくりと安藤さんと論議をして、日本の教育がまっすぐ進むようにお願いしたいと思います。 次に校長先生にお願いいたしたいのですが、近藤先先、あなたのお話をお聞きしておりまして、教科書の問題について同一採択をせなければならぬという理由をお聞きしておると、私は校長さんという感じがしなくて、行政官、PTAだけの感じがしたわけです。転校するということは、いなかに行ったらほとんど例外なんです。転校する子供は――義務教育は至るところにあって、どんな僻地においても、子供はその地域において教育を受けられるように、国が責任を持って、分校を含めて学校があるのです。移転をするという場合については、家族全体でどっかに移るというときだけなんです。そして学生が自由にほかの学区に行ってはならぬ。東京では行っておるようでありますが、そういうことは絶対あり得ない。そこで、そういう例外の子供のために、教科書を学校の特殊性において使うべき教育的立場というものは、それによって――いや、これは広地域採択をした方が便利だというお考えは、校長先生の立場からは出るはずがないのです。私から言うと。もしそうならば、転校する場合の子供にも、同じ無償なら、その分を一%でも二%でも国が予算を多くして、公務のために転校するという場合については、当然にまた再び支給をすべきであるというお考えならば、教育者の立場としてわかるのですが、そうでなくて、転校するという例外的な立場をもって、この重大な教科書というものを選ぶことについて広地域採択にすべきだという理由にされるのは、これはとても私は校長さんの御意見のように聞こえなかったのです。私の子供も小学校は三回転校しているのです。各県にわたっている。そして教科書はみな変わっておる。しかし、そのために教科書を広地域に採択せねばならぬという、そういう教育的立場は出ないのです。その点はどうも疑問であるので、これはお考え直していただかなければならぬような感じが私はするのです。 そこで次に、この地域採択の場合についても、行政区域ごとの採択というものはどうしてもだめだ。たとえばいなかに行くと、一つの町村合併の中に海岸部と農村部と山地がある。私は岩手ですが、盛岡市といってもクマの出る地域があるのです。そこでこの教科書を採択する場合については、行政区を単位にして、簡単に便利だからというので教科書を一つにするというようなことはほとんど考えられない。それは行政的感覚なんです。教育的感覚ではそうではなくて、岩手なら岩手の地域の中に漁村部の教科書、山村部の教科書、農村部の教科書ということで、ずっとお互いに研究して、この農村部にはこの教科書がいいという、そういう教科書研究会、これは教員の代表でなければできないのです。ところがこの法案は、行政的に、だれかしろうとがこういうことを着想するのですね。そうして一つの市というふう々場合についてもほんとうの僻地がある。そこに問題があって――ただ東京にお住みになっていますから、東京の区というとみな市街地ですから、そう矛盾を感じられないが、その観点だけでいって、――この法律は全国を拘束する法律なんですから、そこに簡単に賛成されては教育を破壊する。その点を一つ。それから教師の立場というものの場合に、どの教科書を選ぶかという権利は私は要りません、行政機関でけっこうでございますというのは、教育的立場ではないと思う。私は校長さんだけ、先生だけはどんなことがあっても、私たちの選ぶ教科書は私たちに選ばしてもらいたい、それを法律的に選ぶことができぬという法律は反対なんです。しかし実際においてはお互いに研究をして、下からの同一採択、これは教育的であり、上からの同一採択は教育じゃありませんという感覚が、私は教師的感覚だと思うのです。その点はどうも私の校長のイメージに合わなくなってしまったのですが、一つその点をお聞きしておきたいと思うのです。
○近藤参考人 最初に申し上げましたとおり、子供が転校しますと、教科書ばかりではありませんで、学校等が違いますので、非常に抵抗を感ずるというようなことがございまして、特に教科書が違うために、最初のうちは学校になじむようなことも薄いわけでございます。そういう意味から、同一採択地域をきめた場合に、その中の転校にはきわめてよろしいということを申し上げたわけでございます。 それから、学校で選ぶ場合におきましても、私の区なんかですと、私の学校と隣の学校と、その隣の学校というようなところは、そんなに地域も、あるいは児童の実態も違いませんので、同一教科書を使うことがいろいろな面で、教師の、先ほど申しました共同研究とかあるいは教材研究等にたいへん利便になるのではないかということを申し上げたわけでございます。
○山中(吾)委員 私どもの言う校長のイメージが違うということは、意見の相違だけで、それでいいのですが、なおちょっと補足いたしますと、一番最初に、教科書は広地域に採択してほしい――各学校では困るというのは、転校する子供の父兄が言う。それからまた二重に買わなければいかぬから財政的に困るという、そういう、教育的立場じゃなくて、いわゆるPTAの負担の立場とかいうことからこの問題が起こってきておるのは間違いないのです。今度は無償になる。次に一回買うか買わぬかということは、私は、やむを得ず転校する人には、その分は国がやるべきだと思っているのです。しかし、そういう実際的な理由から来た広地域採択に対して、教育的な問題がいつの間にかすり変えられて、そういう便宜的な問題になって法案が出てくるということは、日本の教育のためにまことに遺憾だ、こういうことを申し上げたわけです。 もう一つ、採択期間を三年、四年に固定するということは、私は教師の勉強のためにはならぬと思う。先生というのは、同じ教科書を使っておれば安心だ。同じ教科書だったら勉強する必要はないのです。機械のごとく――だから、ときどき教科書を、一年でも変えていく。教科書を変えればまた勉強しなければならぬ。毎年々々、また教材研究をしなければ教えられない。そうして教科書を変えていくうちに、ほんとうに教育に熱情が起きて、その熱情が子供に移っていく。だから、安易に、同じ教科書をずっと三年、四年使っているのは教育的であるということは間違いである、私はそう思っておるのです。私は若い先生方には、教科書をどんどん変えて、教科書に追い詰められるくらいに毎年々々勉強する、そしてそれが子供に教育するためであるということであるので、その点御研究願いたいと思う。
○床次委員長 山中さん、時間の関係がありますから、簡単に質疑だけ、御意見はだいぶ拝聴いたしましたから……。
○山中(吾)委員 本多先生には私聞くことはなかったのですが、みな大ぜいおられますので、これだけ一つ先生の立場からお聞きしておきたいのだが、先生は教科書を採択する能力があるかないか、大体ないからというふうなことも一つの理由になっておるので、教師の立場からどの教科書を選ぶかということは、やはり先生が選べないのだということでは、これは何としても問題にならない。あるいはなくても、その努力というふうなものが教育を進める一つの立場なので、その点一つお聞きしておきたいと思います。 それから徳武先生ですか、検定の被害者で深刻なお話をお聞きしたのですが、検定制度を廃止といっても、日本の事情からいってできないと思うので、明るい検定の方法はどうしたらいいかということだけ、ひとつお考えがあったらお聞きしておきたいと思います。
○本多参考人 教諭に実採択の能力があるかどうかということは、ときどきぼく自身も耳にいたしております。それを考える場合、たいていそういう本気でないのじゃないかと考えている人たちのために、このことだけははっきりしておいていただきたいのですが、私たち教師は教育というものを一人で行なっているのではないのだということ、これははっきり確認しておきたいのです。つまり学校という一つの集団の中で教育の営みが行なわれているのでありまして、一人の教師が教えたことと、次のほかの教師が教えることと違ったのでは、これは教育の阻害になるわけです。ですから教育というものは絶えず学校集団の中で、その中には子供の声も入るし、あるいは父母の声もあるし、そうしてそれらを背負って、具体的には教師集団が行なっているものであります。したがって教科書を採択するということにつきましても、私が先ほど話した中にもあったように、私は一人で選んだことは一度もございません。いつでも大体五、六名の社会科の教師が意見交換をする中で大体どれがよかろうという話が出てきているわけであります。ただしその場合、さて数学やなんか何を選んでいるのかということがいつでも話になるわけです。そうして、うちではこれをとっているのだけれども、そっちではそれなのかというような話は、いろいろ意見交換をしながら、たとえ教科は違っても、いわゆる図版類がこの出版社は全般的にいいということがけっこう出てくるわけです。そういう意味で決して教科書は一人で選んでいない。したがって集団で選んでいる以上、学校教育を集団として行なっている以上、それほど採択能力がないともし言われたならば、その学校集団が教育する能力がないと言われたと同じように私たちとしては受け取らざるを得ない。そんなことはない、もっと私たち現場の教師を信頼していただきたい。自分たちの使う教科書ぐらいは自分たちで選んでこそほんとうの教育になるのだということが現場教師のみんなの考えであり、おそらく信念じゃないかと思っております。ただし残念なことには、現在そのような私たちが教科書を含めた教育研究が十分できるような条件ができているかどうかということはまた別な問題でございます。ですから、もしもそのような能力を心配されるような方がおるとしたら、ぜひ私たち教師が教科書のみならず教育研究が十分にできるような諸条件を現在よりももっともっと整備していただきたいと思うのです。現在私は持ち時間二十時間、これは東京都では非常に少ないほうであります。うちの学校ではことし二十六時間持つといって大騒ぎになったことがありますけれども、二十四を最高としていながら、実際上はそれ以上持つことがあるのです。私は自分がどうもあまり能力がないために、どうしても一時間の授業をやるために三時間は教材研究をしなければ、自分としては子供に申しわけないと思っております。しかしその三時間の教材研究というのは決してそんなに十分にできるものじゃないのです。持ち時間を十二時間以下くらいにしなければ十分にできないというのが現状であります。その他いろいろのことを考えまして、私たちが十分教育研究をし、教科書研究ができるように、今後とも諸条件を整備していただきたいというのが私たちの真実の声だろうと思っております。
○徳武参考人 私の経験から申し上げます。理想的なことを申し上げてもたいへんなので、いまの政府がその気になればできると私自身考えております点について申し上げたいと思います。 まずこまかい点では、検定は少なくとも文部省のお役人がこれに絶対にタッチしてはならない。それから異議申し立て、これは法律的にどういうことになるのか私存じませんが、とにかく実際問題として異議のあった場合には異議申し立てができるようにしていただく。それから先ほど私が申し上げた中でも触れましたけれども、検定というものを一切ガラス張りの中でしていただく。どの国民でもそのことを知ろうと思ったときにはいつでも知れる、つまり国会の議事録みたいにきちんと残っているというようなことがどうしても検定を明るくしていくためには必要だと思います。その基礎になることは、検定の基準ということになると思うのですが、これの基本的なものは、やはり日本国憲法と教育基本法の精神にはずれているものを不合格にするということだけを基本にしていただいて、あとは教科書の執筆者、編集委員、監修者というような方は、それぞれ権威ある方々がやられるわけでありますから、児童の発達段階とかいろんな点で十分御研究の上つくられていると思うのです。ですから、そういう点については検定で合否の判定になるというようなことははずしていただきたい。それからなお客観的事実というのでしょうか、地名の読み方、統計の数字、地図、たとえば鉄道がどこまで延びているとか、そういったようないわばだれが見ても気づく欠点、間違い、しかも実際上編集執筆している間には、人間のやることですから、これは間違いがあってはならないけれども、間違いがあるかもしれない。そういう点についてのみ検定をしていただきたいと思うのです。 なおそのようなことで野放しではないかというような御意見もあろうかと思いますが、これはもしもいま本多先生がおっしゃられたような採択が行なわれているとするならば、そこで、つまり教科書選定なり採択なりというところでほんとうの意味の検定が行なわれるのではないかと考えております。ですから国家統制的なにおいのするようなことは一切排除して、国民の中から教科書が生まれていくというような形をとっていただきたい。なぜならば、現場の先生たちがほんとうに情熱を持って教科書を研究し選んで、しかも授業していくというような点については、本多先生がおっしゃられましたけれども、たとえば教科書会社に働いている人たちが、やはり情熱を持って、ほんとうに子供たちのためにいい教科書をつくってやろう、つまり子供たちのことを頭に浮かべて、そのまま熱意を持って教科書をつくれるような制度でなければならない。常に文部省や教育委員会や、そういうようなところを意識しながら教科書をつくるということであってはほんとうのいい教科書はできないのじゃないかと思います。
○床次委員長 高津正道君。
○高津委員 私はこの法案の審議にあたって、この法案にもいいところがあるし、それから憂えらるべき点もある。ちょうどILO八十七号条約のようなもので、ILOの批准にはわれわれは賛成だし、それにくっついて一緒にしようという国内法の改善ということはわれわれ反対だ。どの法案にもそういうことがあるのかと思いますけれども、この法案について憂えられる点は、教育に対する国家統制がますます強化されるのではないか、あるいは広域採択の問題、あるいはいまの検定の問題、いろいろありますけれども、教育学者であられる安藤先生にお尋ねするのですが、やはりこの法案には、独占資本の集中化ということで六十も七十もある教科書業者が二、三社になってしまって、あとはみんな葬られてしまう、そういう点があるのですが、それを非常に軽く思われておるが、学者はそこにまで目が届かんといかんと思うのです。そういう意味から聞くのですが、あなたも御存じのように、証券会社は四大証券で支配しているのですよ、業界を。あるいは乳業会社は明治、森永など四社で支配しているのです。ビール会社は三つが独裁で支配しておるのです。いま貿易の自由化で対等合併とかいろいろな合併が行なわれておりますが、しかし、それもやはり大資本が勝つという冷たい原理が作用しておる、われわれがよく見れば。だからその弊害が非常によくあらわれるので、さすがの政府も中小企業基本法というものを出さねばならないようになってきており、われわれは、さらに政府の出す特定産業振興臨時措置法というものがこれに加わるのだから、一方で何か中小企業基本法を出しておかしいなと思っているのでありますが、それは脱線ですが、そういうときに、教科書の世界へまた大資本は勝つ、独占集中化という新しい現象がここに起きて、その原則が、どういいますか、残酷にあばれ回ろうとしておる。われわれとしてはやはり滅びいくというか、そういう状態に立っておる業者のことを、教科書のこの問題でやはり重く取り扱わねばならない義務があると思うのです。先先は非常にその問題を軽く思っておられるようで、三木委員もその点を指摘したのでありますが、私は、あなたは教科書を自分の専門にしておられるのであるから、これに対する対策、この法案の持つ弱点をどうすれば弊害を少なくするか、それを食いとめられるか、それに対するあなたの御意見を承らないと、いろいろいままで聞いたのではその点が抜けておるように私は考えるのであります。私の質問はただその一点です。
○安藤参考人 御心配のような点になることは私は最も憂うるところであります。そこで、これは実際の数字を調べてみないとわかりませんけれども、私が選定委員会に対して非常に多くの期待と申しますか、人選その他に対して考えるところもそのことであります。これは前田参考人もおっしゃったように、いい教科書をつくって売ろうというのには五万というようなことをおっしゃいましたけれども、選定委員会が第一の関門でございますけれども、その場合に現在たくさん採用しているからという実績だけで、そういう量的だけでイージーに考えるべきでないと思います。もしそうであるならば選定委員会は十分その責任を果たし得ないのじゃないかと思います。もっと内面的に考えて、いろいろな条件からかりに現在非常な優位であっても、実質的に考えてみてそれよりもいいくふうがしてある教科書があるということの場合には、それをやはり数種の中に入れるべきだ。そう考えております。その防ぐ道は、どうも経済界のことはどういう法則で動くか私も不案内でございますけれども、やはり教科書は量的が唯一で――もちろんそのたくさん採用されるということにはいいところがあるからであると私は考えたいのでございますけれども、しかし選定審議会が今度できた以上、やはりさっき申しましたように、三分の一、三分の一、三分の一と、そこで学識経験者というのが重要な役割を果たしていくということしか私は申し上げることができませんが、しかしおっしゃるように、もしこれがただ量的で、金力、資本力のあるものが支配するというようなことになることは、私は教科書検定制度を弱めていくものだと考えます。
○高津委員 大資本ならば広い地域の県単位のものを攻略する場合には勝つわけですよ。だから学者がそれは望ましくないと言われても、そういう結果が必ず生ずるとわれわれは見るのですが、君らの思うこともそういうことがあるだろう、こうお認めになりますかどうですか。むずかしいことはちっとも私は言っていません。われわれはそれがいまの社会の常識だと思う。悪い薬でも大宣伝すると勝つのです。いい薬であっても宣伝をしないと問題にならないのですよ。それはどうでしょうか。大資本はそんな力をいまの社会で発揮するものじゃないとおっしゃるのですか。
○安藤参考人 そういう危険性がないとは考えません。だから私は県単位には反対であります。だから市町村またはその狭義の範囲でやるべきで、県単位とかあるいはさらに県を越えたというような大単位では、そういう独占資本の危険性も考えますし、それからさっきからも出ておりますように、行政地区必ずしも等質の条件ではございませんから、地域性を考える点から考えて、いま考えられているような市、市と申しましてもいろいろございますけれども、小さな町村単位では小さ過ぎる。そこで、これは地方教育行政でもそう私は考え、組合教育委員会をつくるということすら考えておりますから、県単位のような広域には反対であります。そうかといって各市町村、特に町村単位で独立に選ぶこともまた他の欠点が出てまいりますから、その中間と申すと変な言い方でありますけれども、市の範囲、これも人口にもよりますけれども、それから最近市と申しましても、御承知のように合併してできた市は農村的なこともございますから、やはりそういう市町村を単位として考えるといたしましても、やはり教育委員会はその地域性というものを考慮していくべきである。特にその点は中学校を最後として実社会に行く場合には一そう地域性、地域性と申しますのはどういうことかと申しませば、その学校の生徒の卒業後の進路ということで、全部農村だから農村にとどまるというような考えでなすべきでないと考えます。
○床次委員長 谷口善太郎君。
○谷口委員 たいへんおそくなりまして、参考人の皆さんに申しわけがございませんが、私、簡単に一、二点だけ伺って――私が最後でありますから、私が済んだら夕めしを食べていただくということにしていただきたいと思います。 安藤先生に伺いたいと思っているのですが、これは各委員とも若干触れられたことでありますけれども、子供が教育を受ける権利を持っている。子供が教育を受ける権利というやつは、これは親が実行しなければならぬという意味で、さっき村山議員は民法上の問題をあげておられましたが、これに対して先生は、民法上でいえばそうであろうが、この場合は公教育に関することであるから、したがって、やはり法律の規定が守られるという意味があるのではないか、そういうふうにおっしゃったように私伺ったわけであります。私どもは、それは逆ではないかというような気がするのです。教育の場合で申しますと、さっきからも言われておりますが、やはり立国の基礎をなしている憲法、教育基本法というのは、普通の法律よりももっと重大な根本的な意味を持っているのじゃないか。したがって、 別な場合にだれかもおっしゃいましたが、この教育基本法を守るということに法律があるべきであって、教育基本法に反するような法律があったとしても、やはりもっと原則的なところからそれに対する批判なり判断なりしなければならぬのじゃないか、そういう点で、子供が教育を受ける権利を持っているということ自体は、やはり父兄、広くいって国民、これが教育についての権限を持っている。先ほど先聖、教育権ということばなんかないんだというようなことをおっしゃいまして、あげ足をとるようでありますが、教育権ということばの問題につきましては、国会で、帝国議会のときでありますが、憲法改正の論議の中で、政府も言っておりますし、それぞれの方が言っております。教育権、教権というようなことばを田中耕太郎氏なんかも言っておるようであります。つまり子供が教育を受ける権利――憲法二十六条の規定の国民の教育を受ける権利というもの、これを広く国民が権利を持っている。したがって、教科書の今度の法案でいえば、採択権がどこにあるかというような問題では、採択権はやはり父兄を中心とするところにある。そういう意味で、私としましては、教師にあるという考え方すら、やはり正しくないのじゃないか、根本的には国民にあるのじゃないか。したがって、この場合は父兄にあるのじゃないか。そういう権利を持った国民の子供を預かって、当面具体的に子供を教育している先先方は、そういう意味で、国民の権利を付託した最も専門家であり、身近な人たちであるということで、もし採択するという事務を実際上かわってなされることは、私はいいと思いますが、そういうふうに考えるべきじゃないかと思うのです。そうしますと、今度の法律で府県の教育委員会に選定権を持たせる、あるいはその地方の教育委員会に選定権を持たせるというような問題になりますと、こういう法律ができるということ自体、私どもやはり反対しなければならぬというふうに考えるわけです。理屈を言うのじゃありませんけれども、そうしませんと、国会で多数を持っている党派が出てきまして、教育基本法の原則の問題に違反するような法律をつくった場合でも、その法律が正当性を持ってくるということになるように思うのです。社会党の皆さんも将来多数をとって権力をお持ちになるし、共産党も将来多数をとってやろう、こう思っておるわけでありますが、そういう場合に、それぞれの政党がその政党の考えからこの教育基本法、憲法に規定しております原則問題をじゅうりんして自分たちの考えを押しつける、そういう法律をつくったならば先生のお考えだとたいへんなことになると思いますが、さっきの検定問題でも、先生の不適当なものを落す、私は賛成です。これは実にわが意を得たと思うのです。何が不適当だという基準は、現在ではやはり憲法及び教育基本法である。内容の問題まで入りませんけれども、最近の文部省の検定における指導は逆でありまして、憲法及び教育基本法を全く破壊するような方向を持っている。これは参考人の若干の方々もおっしゃったし、先ほどから出ております委員の方からも出ているわけであります。そういう方向にありますので、適当であるかどうかという問題の基準は、今日の文部省のきめました指導要領ではなくて、立国の基礎になっております憲法と教育基本法だというふうに私どもは考えるのであります。そういう点についての先生の御意見はいかがでしょうか。
○安藤参考人 簡単に申し上げます。教育する権利と教育を受ける権利は別だと私は思うのであります。しかしまた、教育について発言する権利、これは当然あると思うのであります。憲法二十六条二項の「すべて国民は」という「国民」は、学校教育法において「保護者」ということになっております。しかし、第一項は「すべて国民」でありますから、これは子供も両親も全部含む。ただし、その場合に「法律の定めるところにより」こうなっております。教育基本法では九年の普通教育ということになっておる。しかも学校教育法では、その九年が現在でいえば小学校と中学校、こういうことになっておりますから、憲法の二十六条に規定する国民の教育を受ける権利を直ちに父兄の権利というのは少し読みかえが誤っているではないかと、私は学者でありますからはっきり申し上げます。 それから、教育基本法に違反したというようなことがあってはならないことは当然でございます。その点では人類がいろいろくふうをいたしております。現在の国会は最高機関でございますが、議院内閣制でございます。これについては比較憲法学上いろいろ問題がございます。各国の憲法の翻訳が岩波書店から宮沢俊義博士編で出ております。これを比較してごらんになればすぐわかりますが、結局多数党議員から総理大臣が出ます。私がそうなってはならないと考えることは、その議会において法律ができるのであります。その場合に、もし政党のなまの教育政策がそのまま教育行政に反映するということはきわめて危険である。これはいかなる政党でも同じであります。世界各国が教育問題について非常に苦労しているのはそこであります。だからといって、国民から、法律の定めるところによって選び出された方に立法を委託するというより方法はないのであります。どこにチェック・システムを置くかということが、私は、憲法上のあるいは政治の仕組みの根本問題であろうと思います。もし教育基本法に違反するようなことがあれば、それはいかなる政党といえども非常に残念なことだ、こう思うのであります。現在教育基本法、学校教育法及び学習指導要領の定めるところにおいて云々ということがうたってあるのであります。学習指導要領が憲法並びに教育基本法、学校教育法に違反するかどうかということであります。私は違反すると考えておりません。少なくとも教育基本法は、現在のところ根本的な基本法としてすべて尊重すべきことであろうと思います。ただこれについて私は教育基本法を一部改正すべきだということを提案いたしたいと思いますが、それはどういうことかというと、現在のものを改悪するのではありません。足らないのであります。職業人を養成するということがどこにもありません。平和的、民主的、文化的、これは私は堅持すべきでありますが、人間が経済的存在であるにかかわらず、どこにも職業的人間ということが書いてありません。そのことは、小学校一年から職業訓練をやるということではないのであります。人間存在を考えるとき、人間とは経済的存在であり、社会的存在であり、文化的存在であり、宗教的存在であります。宗教教育をやれということは、御承知のように特定の宗派を公的機関が援助することはできません。そういう意味で、教育基本法は、現在では十八世紀的な部面を残しておるのであります。すべてよく働いて自分で働くかてを得るということは経済的、職能的人間以外にないのであります。しかし現在きめていることを私は改悪せよとは考えておりません。 そこで、先ほど申しましたように、教科書検定も、現在の検定規則の中に、また教育基本法には政治的、宗教的に立場が中正であるということをうたっておるわけでございますから、お説のようにわれわれは国民の一人として、また教育に関係する者、行政に関係する者として教育基本法を守って、絶えず教育基本法に違反していることがなきやいなやを自粛、自戒していくべきものと考えております。
○谷口委員 先生の御説よくわかりました。わかりましたが賛成するかしないかは別であります。私どもいま問題にしておりますのは、ここ十年ばかりの間の文部省の教育行政あるいは自民党政府が多数を頼んでやりましたいろいろの法律や政令なんかの制定につきまして、相当の部分が憲法違反を実質的に犯しているというふうに考えております。これは社会党の皆さんもこの点につきましては同じ意見を持っているのじゃないかと思います。これは私の想像でありますが、そういうふうに思っておりますが、争いはそこにあるのでありまして、今度の場合も教育委員会に採択権なり選定権なりを持たせるというような法律をつくるのは間違いであり、また前にさか上って申しますならば、国民の教育権の独立ということを憲法制定の時期にやかましく言われたわけであります。政府の不当な支配から脱却しまして独立権を持つ、そういうことが非常に問題になったのは先先御承知のとおりだと思うのであります。そういう見地から申しまして、国民の教育権をすなおに教育行政に及ぼし、教育内容に実現するという点で公選制の教育委員会ができた。これを多数を頼んで任命制の教育委員会にしているわけでありますが、ああいう法律にしても、憲法及び教育基本法に対するまことに反逆だと私は考えておるわけであります。そこに争いの中心があります。今度の法案もそこにあるのであります。したがって先生のお考えと私の考えとはだいぶ違っているというふうに初めてわかったわけでありますが、したがってこのことをさらに論議してもしかたがないことでありますから、関連して次の点を伺います。 先ほどのお話の中で、社会主義の国は全体主義の国であって、国家統制は最も極端になされているというお話がございましたが、寡聞にして私よく知りませんので伺っておきたいと思います。
○安藤参考人 時間がございませんから簡潔に申しますが、社会主義国すべてとは申しませんけれども、その憲法またそこから出ている法令を見てのことでございます。それ以上は申しません。もう専門家でございますから、全部憲法はもちろんのこと――私はロシア語ができませんけれども、その法令を見るときに、少なくとも民主主義国家とは違ったような行き方をしている。きょうここに法令を持ってきておりませんけれども、それだけお答えいたしておきます。
○谷口委員 私宅憲法学者でないのでよく存じませんので、あとに先生さっき御指摘の宮澤先生の編さんされた各国憲法集でも大いに勉強させてもらおうと思っておりますが、たとえばここに、実は先生のために、私のために、ソビエトにおける教育制度及びその根本原則についてのいろいろな書類を実は持ってこようと思っていたのですが、持ってこなかったので、途中で取り寄せたいと思ったがとうとうこない。ただ一冊だけ「レーニン教育論」というのがあります。これはもちろん教育学者である先生はお読みであると思います。このレーニンの教育論は、社会主義の国としての代表的なソビエトにおける教育行政あるいは教育そのものの根本をなしております。これはレーニンの生きているころでありますから、一九一七年の革命の直前と、それからその後の戦時共産主義時代の方針が出ておる。たくさん読む必要はないので読み上げますが、「国民教育の事業を地方自治の民主主義的な機関の手に移すこと。学校の教育課程の構成と教師の選任とに対する中央権力のあらゆる干渉を排除すること。教師は直接住民自身によって選挙され、住民は望ましくない教師を解任する権利を持つこと。」これは一九一七年六月のときの綱領であります。それから戦時共産主義の時代でありますが、いろいろなことが書いてありますが、この点について申しますと、「基本的な諸タイプの教育機関の教育課程、また次に講習会、講演会、読書会、座談会、実習の教育課程は、参与会と人民委員会によって仕上げられる。」人民委員会と申しますのは教育ソビエトでありまして、国民が直接選挙しました機関であります。また新しい現代のソビエトにおきましては一九六一年十月には党の二十二回大会も行なわれ、ここでも教育の問題がきめられておることは先生御承知だと思います。これにつきまして毎年ソビエトの最高会議に教育に関する政府の報告書が出ております。これも先生お読みだと思いますが、すべての教育は人民の直接の参加と、人民の直接の教育的主権と申しますか、そういうものによって行なう。ただ国家はこの場合に対して、ソビエトの憲法、ソビエトの立国の基礎に反対する、これを破壊するというものに対しましては統制を加える。今日の日本の事情で言うならば、日本の憲法、日本の教育基本法を破壊するものに対してこそ国家は行政権力をもってこれに対して統制を加えてもいい。しかしそうでないものに対して統制を加えたり、憲法や教育基本法に対してこれを擁護しようというものに対し、あるいはこれを発展させようというものに対して統制を加えるような行政や政治権力は多数であっても許されないというふうに私どもは考えておりますが、いかがでしょうか。
○安藤参考人 私はロシア語はできませんから、社会主義国で最もよくわかっておるのは東独でありますが、それは先生の解釈と私の考えとは違いますからこれ以上申し上げません。ただ連邦国家と日本のような単一の国家とは違いますから、地方というときに、日本のようた都道府県とそれからアメリカならアメリカ合衆国のステートとは事情が違いますから、そのことだけ申し上げます。それから憲法と教育基本法に反するというようなことがあってはならないということは全く同感でございます。
○谷口委員 これでやめます。どうもたいへん長い間ありがとうございました。ただここで明らかにしておきますが、私は共産党の幹部であります。御存じだと思いますが、最高幹部の一人であります。今日の憲法、教育基本法に基づいて教育はなされるべきであって、いかなる政党もこれに対して行政権やあるいは多数を持ったといってこれに干渉し抑圧を加える、あるいはこれをねじ曲げるというようなことはやってはならぬという立場に立っておることを明らかにしておきます。 先ほど先生はたいへん、私におっしゃったのだろうと思いますが、いろいろなことをおっしゃっていただきましたし、またいまもいい参考書をあげていただきましたから、私のほうもひとつレーニンのものを先生にお読みいただくように申し上げておきます。
○床次委員長 参考人各位からの意見聴取はこれにて終了いたしました。 参考人各位に申し上げます。本日は長時間にわたり、しかも貴重な御意見の開陳を賜わりましたことにつきましては、まことにありがとうございました。本法律案審査のため多大の参考になるものと存じ、委員会を代表いたしまして委員長より重ねて厚くお礼を申し上げます。 本日はこれにて散会いたします。 午後七時五十分散会