文教委員会 第17号
- 発言数
- 245 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1963/05/24
会議録
○床次委員長 これより会議を開きます。 学校教育に関する件等について調査を進めます。 質疑の通告があります。これを許します。野原覺君。
○野原(覺)委員 文部大臣にお尋ねをいたしますが、私はきょうはPTAの問題について文部当局の見解をただしたいと思うのであります。 まずお伺いしたいことは、PTAというものは戦後できた組織でございますが、何のためにPTAというのはあるのかという点について、文部大臣のお考えを承りたいと思うのであります。
○荒木国務大臣 これは私の承知しますところでは、アメリカで行なわれておる組織を日本にも移し植えましてスタートしたものと承知いたしております。当時マッカーサー司令部からも実質上の指導をされてスタートをしたということであると思いますが、その趣旨はPとTが一緒になって、社会教育的な立場からお互いが切磋琢磨しつつ教養を高めていくというためにもくろまれた考え方であると承知いたすのであります。そのこと自体が学校教育そのものでなしに、社会教育の一環としてPとTとの協力態勢の中から社会教育的効果が生まれ出ることを期待しておる、そういう性格のものだと承知いたしております。
○野原(覺)委員 そういたしますと、これは父兄と教師がなければPTAというものは成立しない。しかもその目的とするところは申すまでもなく子供のしあわせを願うための一つの集団だ、こういうことになろうかと思うのであります。 そこで私は具体的にお尋ねをいたしますが、そうなりますと、これが特定の政党のひもつきであったり、あるいはまた日教組が気に食わないから日教組をやっつけるための集団であったりすることは望ましいことでございますか、これはどうお考えになりますか。
○荒木国務大臣 むろん望ましいことではないと思います。
○野原(覺)委員 私はここに日本週報の三月十五日特大号を手にして実は驚いたのであります。大臣はお読みになったかどうか知りませんが、その父兄と教師の集団である、日本にはただ一つしかない千八百万人の会員を持っているといわれる日本PTAに大分裂の危機がきておると書いてある。この週報には、読み上げますと、「子どもの幸わせを願う父兄と教師の集団……PTAにいま大分裂のあらしが吹きすさんでいる。ことの起こりは財政不如意のPTAに自民党がヒモをつけようとしたことにあるのだが、背景には文部省のお役人のスキャンダルあり、」あなたの部下です。「権力争いあり、陰謀あり、教育団体とはいえぬ醜い面をさらけ出している。一体これでPTAはいいのだろうか?」これが大見出しであります。そしてその中には実にこまかに、ほんとうになるほどと思われるように詳細に、この見出しの具体的なものを書いておるのであります。この記事について文部大臣はお読みになられたかどうか、どういう所見をあなたはお持ちでございますか、承りたい。
○荒木国務大臣 読んだことはございません。
○野原(覺)委員 読んだことがなければ、社会教育局長に聞きましょう。あなたはPTAを所管しておる局長として、この週報を読んでおられるか。
○齋藤(正)政府委員 私実は昨日拝読いたしました。その種類のことはいろいろな記事になって出ておりますので、そういうふうに一部で言われているということは私承知しております。
○野原(覺)委員 文部大臣はお読みでなければ、私が申し上げたことが書かれておるのでありますが、とにかくあなたが先ほど答弁いたしましたそのPTAに大分裂のあらしが吹きすさんでおるということについてはどうお考えになりますか。
○荒木国務大臣 分裂ということがどういうことか知りませんが、自発的にでき上がり、今日まで足取りをみずからのものとして踏まえてまいりました団体が、分裂しようとしまいと自由だと思います。
○野原(覺)委員 だれがどのような団体をつくろうとお説のとおり自由であります。しかしながら分裂ということは望ましいことでございますか。
○荒木国務大臣 これは一つの任意の団体であるわけでありますから、分裂が望ましくないとも言えませんし、また望ましいとも言えるものではないと思います。問題はPTAの本来期待しておるところに正しく向かおうとしての努力の結果が分裂をすることになったらそれもよかろう、もしそれが間違っておるなら分裂しないほうに持っていったらよかろうという、感想以外には申し上げることはないように思います。
○野原(覺)委員 ではあなたにお尋ねいたしますが、今日日本ではただ一つ日本PTA全国協議会というものがあるわけです。この日本PTA全国協議会というものに問題点がございますか、どうお考えになりますか。
○荒木国務大臣 格別問題点があるとかないとかいう角度から私自身検討したことがございませんので、具体的にむろん申し上げられませんが、単に当初お答え申し上げました趣旨でのPTAの存在は望ましいものと一応思うわけでありまして、である限りにおいては、その本来の目的、性格の方向に前進してもらう意味においては、分裂なんという内部の混迷はない方がいい、一般論として私はそう思います。
○野原(覺)委員 あなたは一般論としてとこう言われるのでございますが、その日本PTAの分裂の役割をあなたが果たしておる、とこう言うのです。そしてあなたの属する自民党がこれを企画していると言うのです。あなたは自民党出身の文部大臣でございますから、その役割を果たしているのか、いないのか。世間はそう言っておるのです。思い当たることはございませんか。
○荒木国務大臣 思い当たるところはございません。
○野原(覺)委員 なければ、私はここで指摘いたしましょう。これは昨年の七月二十三日の読売新聞であります。読売新聞の記事は、「PTA協会を組織、自民日教組の対抗策に」。これは読売新聞だけではないのです。私は読売新聞という一つの新聞であれば、ときに判断を間違った記事を書かないとは言えない、これは人間のすることでございますから。ところが、さかのぼって、昭和三十七年の五月二日の朝日新聞、「参院選各党派の準備整う」という中で、またこれに触れておる。自民党の全国組織委員会というものがあるでしょう。小川半次君が組織委員長をしておるはずです。そこでこの日本PTAにてこ入れして、そうしてPTA全国協会をつくるという企画を自民党の全国組織委員会が立てたというのが、この記事であります。三十七年の七月二十三日になりますと、ただいま申し上げました読売新聞の「PTA協会を組織、自民日教組の対抗策に」、三十七年七月二十七日、同じ読売、これは読者の投書の欄でございますが「気流」に「不明朗な日本PTA協」、こういう見出し。それから三十七年の七月二十八日には産経が取り上げておるのであります。「PTA協会九月に結成・日教組へ対抗組織」、これは全く七月二十三日の読売と記事の中身は同じです。八月二日になりますと、朝日が「声」の欄に「逆丹頂の独断」という見出しでこれを響いておる。それから八月二十七日には、読売が夕刊に「PTAと新団体設立」と書いておる。八月三十一日には、日本教育新聞が「PTA協会構想白紙へ、別建てで新組織」私がいま読み上げておるこの中には、文部省がみな入ってきておるのですよ。いいですか。あなたは知らないとおっしゃるかもしれませんが、新聞がみなこうして連日取り上げておる。三十七年の九月十一日には、読売、「教育の偏向を是正、自民支援十七日に発起人会」これは日本PTA協議会の分裂のための発起人会です。それから三十七年の九月十五日には日本週報、「教育界の小型台風PTA、政治にまきこまれた父兄たち」こういう記事です。それから三十七年の十一月二十三日は産経、「全国PTA協会、日協組の対抗組織、自民が全面的に後押し」私は、この記事の中身は、時間がかかるから申し上げません。私はこう申し上げておることで、あとでその新聞を、あなたの部下にでも切り抜かして、よく読んでみてください。それから三十七年の十二月四日、読売——読売新聞はよく取り上げております。「一月に発足の運び、新PTA協会、自民、積極支援」、自民党が積極的に支援をして日本PTA協議会の分裂をはかって、新PTA協会というものをつくるというのです。これが八カ月にわたって、十二月八日の読売の夕刊、「すべり出す新PTA、効果認める自民党」、十二月二十五日には、時事の内外教育版で「PTAの中立性」という論文が出ておる。これは自民党、文部省の陰謀については直接は触れておりません。PTAは教育的に中立でなければならぬ、政治的に中立でなければならぬ、政党の介入は間違いだという、これはPTAの役員の書いた論説であります。十二月二十九日には産経が、「PTA協会設立に認可、日教組のブレーキ役」ことしの一月四日、朝日、「自民も人づくり推進」という中に、自民党の息のかかったPTA協会をつくり、そうしてあわよくば選挙に役立てる。いいですか、三十八年の一月六日は、週刊現代で「第二PTAに主婦の声、人づくりブームに政治はイヤ」、これは自民党と今日の文部省に対する反撃の論文です。三十八年一月十一日は、国民協会、「近く設立総会開く、財団法人全国PTA協会、親たちも大よろこび」これは一月十一日ですが、それからずっと各新聞は取り上げておるのであります。あなたはこれを読んでいないと言うけれども、聞くところによれば、去年の参議院選挙のスタートに、自民党の全国組織委員会が選挙に役立てるために、その一環として廃品業者の組織とか中小企業の組織、それからPTAとか、こういうことが具体化されまして、本年の三月十六日にその発起人総会が開かれたそうであります。そうして自民党の全国組織委員長の小川半次君がメッセージを持っていかれた。あとで、小川半次君がそのときどういう演説をしたか、読み上げましょう。あなたは、代理として、そこに坐っておる齋藤社会教育局長を派遣をした。床次文教委員長も行かれたのであります。そうして反日教組の教員組合の団体もそこに行っておるのであります。そこで、こういうような動き方でPTAがずっときておるということについて、文部大臣はこれは望ましいとお考えになりますか。これは重要な質問ですよ。政党のひもつき、日教組のブレーキ役、それから、あわよくば選挙にも利用する、そういうねらいでこのPTA協会がつくられたと、過去一年に近いすべての新聞が指摘をしておる。このことについてあなたはどうお考えですか。新聞はでたらめだ、この新聞の記事は間違いだ、そういう信念で、あなたは、三月十六日のあのPTA協会の発会式に局長を代理として派遣されたのか、いかがですか。
○荒木国務大臣 新聞記事の真偽は私は存じません。少なくともいま御指摘のようなことは、私は読んだことはございません。そこで、いま御指摘のとおりのものだといたしまして、これに対してどうということができる立場ではないと思います。感想はどうだとおっしゃれば、特定の政党のひもつきでない方が望ましいと思います。
○野原(覺)委員 ひもつきだと書いてあるのですが、このPTA協会はひもつきでございませんか。
○荒木国務大臣 ひもつきであるかどうかはわかりません。ひもつきでないと思っております。
○野原(覺)委員 ないと思う根拠を示してください。私は、ひもつきであるという根拠を、これらの新聞の記事をあげることによって述べておる。これが絶対にひもつきでないならば、そのひもつきでない根拠を、あなたの確信のほどを聞きたい。
○荒木国務大臣 財団法人、公益法人の認可の課題として出てまいりましたことは承知しております。財団法人が、認可にあたりまして、純粋の事務的な立場から条件を満たしております場合、ノーという態度はとれないという考え方で、今日まで文部省はやってきておると承知いたしております。そういう事務的判断の条件を満たしておるということで、財団法人を認可したという記憶はございます。そのことそれ自体、ひもつきとかなんとかいうことはあり得ざるもの、ないものと承知して、私は認可をいたしたつもりでおります。
○野原(覺)委員 あなたは財団法人の認可権を持っておる、許可権を持っておる。それじゃお尋ねいたしますが、一体この自民党の企画にかかるPTA協会が、文部省に財団法人としての認可を申請したのはいつで、いつ許可をしたのか、その点を述べてもらいたい。
○齋藤(正)政府委員 認可は昨年の十二月二十八日でございますが、正式の書類としては起案をし始めたのは二十六日でございます。ただこの問題につきましては、先生御指摘のように、日本PTAそのものの課題として、約一年にわたって問題になってきたことでありまして、寄付行為その他はかなり事前審査の形で持ってこられておりましたので、あと残っておりますのは形式的な問題でございましたので、二十八日に認可をいたしたような次第であります。
○野原(覺)委員 十二月の二十六日に受け付けておりますか、二十七日じゃございませんか、東京都を経由して……。十二月の二十七日でありませんか。そして二十八日の募れの幕切れになってあわてて許可したのじゃございませんか、どうなっておりますか、これは。
○齋藤(正)政府委員 二十六日の起案になっておりますから、二十六日に受け取ったものと承知いたしております。
○野原(覺)委員 十二月の二十八日と言えば、文部大臣、午前中で文部省は幕をおろしたはずだ、昨年の十二月二十八日、なるほど予算折衝のために、大臣や政務次官やあるいは関係局長はおおわらわであったでしょうけれども、この種の事務は二十八日の午前で幕をおろしたはずです。二十六日に東京都から財団法人としての認可申請の書類がやってきた。二十八日と言えば、これはまる一日しかないじゃないですか。たった一日しかないのに、しかも一年にわたって、すべての新聞が、日本PTAの組織にひびが入る、PTAの分裂だ、これは自民党の陰謀だとはっきり書いている、ひもつきだ、小川半次君のところで選挙にあわよくば利用するのだとまで露骨に新聞が書いてあるものを、あなたはまる一日で許可をした積極的な理由、あなたはそれに判こを押したのです。財団法人として許可をした積極的な理由があれば承りたい。大臣、どうですか。
○荒木国務大臣 先ほど申し上げましたように、民法の規定に基づく公益法人の認可につきましては、積極的に認可するとかいう態度というものはあり得ないものと思います。認可申請に基づきまして書類を調査し、その書類が物語るところの事柄が認可の従来の基準条項等に合致します限り、認可しなければならないという性質のものという考え方で、あらゆる公益法人の認可が行なわれておるわけであります。その一つとして認可をいたしました。
○野原(覺)委員 形式的に書類が完備しておれば、認可しなければならぬのですか。あなたはそういう考えで、法人の認可に臨んでおりますか。これは重大ですよ。形式的に書類が整っていれば——じゃ私は基本財産百万円でPTAを組織する、今度の新PTA協会というのは基本財産が百万円です、運用財産は五十万円しかない、そして寄付行為というのは、こんなものは走り書きで書けますよ。民法に定めるところに従って条項を拾っていって書いたらいい。役員は十二、三名しかいない、役員十二、三名を社会党はつくりますよ。そして社会党は選挙に利用するために、PTAの協会を設立申請を出す、あなたは認可しますか。共産党でも創価学会でも形式的書類が整っていれば認可しますね。それを聞きたい。あなたが認可するということであれば、私はあまりよけいなことは質問しない、どうですか。
○荒木国務大臣 公益法人は共産党、社会党、自民党というものを対象とする問題ではなくて、民法に定める要件を具備し、またその施行に必要な規則、法令、様式行為として要求するものを備え、そして書類が物語るその内容を真実と信じ得る証拠があって、条件が整っております限り、認可するというたてまえであります。
○野原(覺)委員 必ず認可をいたしますね。政党が申請すると言ったことは私の言い過ぎであります。ある有志の方が公益法人として認可の申請をしたならば、形式的に書類が整えば、あなたのほうはそれが妥当であろうと不当であろうとおかまいなしに認可いたしますね、いかがですか。
○荒木国務大臣 民法の定めます条項に合致し、これに関連する法令の趣旨にもとらない限り、そのことが妥当であるということを立証できる限りにおいては、認可することは当然だと思います。認可申請者の何人であれ、思想調査の上で認可するわけじゃございません。
○野原(覺)委員 つまり認可にあたっては、形式的書類の完備だけでは足りかい、妥当なる公益法人としての団体でなければならない。妥当なる団体としての判断がなければ、その許可の印鑑は押せない、そういうのですか、いかがですか。
○荒木国務大臣 財団を構成する資産及び寄付行為の物語っておる設置目的、それらを照合いたしまして、書類上の立証要件たるもろもろの書類を具備し、実行目的遂行の可能性ありということを判断すれば、認可せざるを得ないという考え方で、今日までもろもろの案件を処理してきておるつもりであります。
○野原(覺)委員 PTAの協会ができて、日本PTAに分裂の危機が起こる、このことはあなたが先ほど御答弁になりました妥当ということとどういう関連がございますか。だから、このPTA協会をあなたがお認めになった積極的な理由は何かというのです。形式的書類だけではない、公益法人としてあなたが御認定になった積極的な理由、新聞がみなこれはけしからぬことじゃないか、PTAのあり方から見てひもつきじゃないかといって問題にしておるにかかわらず、あなたが積極的にこれを認めたその理由をお聞かせください。
○荒木国務大臣 積極的な理由とおっしゃいますが、公益法人を設立したいというその設立中請者の意思が積極的であるということであって、積極的につくりたいという意図のもとに、法定の条件を具備しております限り、認可しないというわけにまいらない案件だと存じております。その結果が分裂するとかしないとか、そういうことは公益法人の認可それ自体について、当然に考慮さるべき課題ではなくて、申請者の意思そのものが財団として妥当なりやいなやということを純粋に取り扱うという案件だと心得ます。
○野原(覺)委員 文部大臣は、社会教育局というものがあなたの所管の中にあって、PTAについては社会教育局が補助金を出しておる。しかもPTAは子供のしあわせを願う父兄と教師の集団、そのPTAの育成強化、これを健全に育てるということが、文部大臣の間接的の責務でもあるわけです。あなたがこのPTA協会を許可したならば、日本PTAが分裂をする、その結果はどうなってもかまわぬというのですか。あなたは分裂なんかどうでもいい、三つに割れようと四つに割れようとそんなことは知ったことじゃない、公益法人の申請があったからおれは許可したんだ、それだけですか。たいへんな大臣ですね。どうですこれは……。
○荒木国務大臣 結果がどうなるということは、法人の認可それ自体の申請内容、考慮内容ではないと思います。公益法人を設立したいというその申請者の意思が中心であって、その結果の影響は、極端にいえば無限に影響があるわけでございましょうが、そういうことが考慮の内容ではないという立場に立って認可をする、これは一般論としてそういう考え方に立って処理をしております。
○野原(覺)委員 昨年の十二月十一日に、日本PTAの役員が齋藤社会教育局長を尋ねていきまして、今度新たにPTA協会が財団法人としての許可申請をするやに聞いておるが、その際には私どもにも連絡をして話し合いをしてくださいませんか、こういうお願いを口頭でしたやに私は聞くのでございますが、齋藤さん、その事実はございましたか。
○齋藤(正)政府委員 この問題につきましては、日本PTAの内部の問題としても相当長い年月にわたる問題でございますから、この財団の設立に当たった人たちも、それから日本PTAの役員も、これは御指摘の日だけでなく、公式、非公式に私は何回も会っております。私そのたびに両当事者に申しましたことは、組織の分裂ということが大体取り違えておるのだ、その意味でいまお話がありました新聞、雑誌等に出ておりますことは、全部その点の判断が少し、分裂ということではちょっと実態を見てないのであります。と申しますのは、日本PTA協議会というのは単位PTAの連絡協議体である府県の協議体を構成員とする連絡協議体であります。それをいわゆる会員とする社団的なものであります。片方は、PTAの活動を援助する調査研究を行なう財団であります。ですから組織の分裂というようなことはあり得ないのであります。同じようなものが、日本PTAが第一、第二と分かれて、この県のものは自分のほうの傘下、この県のものは自分のほうの傘下というなら、なほるど組織の分裂でございましょうけれども、片方はそういう連絡協議体、片方はPTA活動について研究をしたり援助したりするための財団でありますから、これは組織上の問題は起こらないのである。そのことを私は詳しくいつも両当事者に話をして、財団ができるならば、できるだけ財団がPTA活動について援助するという運営をやったらよかろう、お互いに協力したほうがよかろうということをそのときも私は申したのでございまして、その点について私たちが財団を認可するにつきまして、一々他の団体の意思を聞くというようなことは私はしないということをはっきり申しております。
○野原(覺)委員 局長、あなたは私の質問に答えたらいいのです。十二月十一日ごろ申し入れがあったかどうか、その申し入れの内容はどういうことであったかということを私は聞いておる。
○齋藤(正)政府委員 申し出というような四角ばったものかどうか私は記憶にないのであります。ただおそらくそういう意向が漏らされたであろうと思いますけれども、私はその際にそういうものじゃないんだということを言った。自分のほうの言ったことの記憶はございますので、お答えしたようなわけであります。
○野原(覺)委員 文部大臣、いまあなたは社会教育局長の御答弁を聞いてどうお考えになりますか。これは私の聞くところでは、私は日本PTAの役員から一体どういう話を局長にしたのかと聞いたら、こう言っておる。協会の設立は、なるほど局長がいま答弁になったように善意に発しておるかもしれないけれども、このPTA協会ができる結果、次のようなことが心配されます、こう言っておる。一、教育の場に政治的抗争を導入することになって、教育効果の向上に障害になりはしないか、二つ目は、教育の政治的中立性を侵すことになりはしないか、三つ目には、PTAの正常かつ健全な発達を阻害することになりはしないか。そこで局長にお願いとして、とにかくあなたのほうに許可権があるのだから、許可されることはあなたのほうの権利の行使でございましょうから、とやかくは言えないけれども、もし申請があった場合には、私どもはこういう心配がございますから話し合いをしてくださいませんかと局長にお願いをしておる。いま局長は分裂ではない、あなたはこう言っておる。あなたはそういう信念だ。それはそれでよろしい。しかし、片一方のほうは政党のひもつきではなかろうか、分裂ではないか、日本PTAの役員諸君はそう心配をしておる。そういう心配を持っておるから、再度その節にはひとつお話し合いをしてくれと言っておる。局長がそういう信念があるならば、あなたはあなたの信念でなぜ説得する努力をしないのか、あなたは話し合いをしていないじゃないか。二十六日に受け付けて、たった一日間で許可をしておる。その理由は何かと言えば、いや、もう事前にそれはずっと審査をしてきたのだ、こう言う。それが私に言わせるとくさいのです。自由民主党の全国組織委員会で企画する。それと同時に文部省の社会教育局は並行してそのねらいできたのではないですか。きたものだからして、最後のどたん場になって、日本PTAの幹部がその際にお願いしても、それを無視して、いやそれは分裂じゃないのだ、こういう独断で——少なくともこれは独断ですよ。この点についてはどうですか。文部大臣、あなたはどう思いますか、話し合いをしてくれというのに話し合いしてないのです。
○荒木国務大臣 そういう申し出があったとして、それに応じてどんな話をしたか知るところじゃございませんが、それはそれで事実行為としてあったかもしれませんが、そのことは財団法人全国PTA協会寄付行為の設立の申請を受け付けて審査し認可することは関係のないことだと思います。この財団法人の認可については、寄付行為の目ざしておるところの第一目的というものが一番中枢的な課題と思いますが、その目的がPTAを二つにも三つにも分断するような目的がうかがわれるようなことがあるならば別ですけれども、その目的それ自体はあくまでもPTAの目ざすところをこの財団が援助し、協力したいという趣旨で一貫しておるようでありまして、したがってそのことを中心として目的、性格は適法であり妥当である、もろもろの書類を総合いたしまして判断した結論として、認可すべしという結論に到達したということでありまして、できた後にそれが具体的にいかなる行動、作用をなすか、どういう影響を及ぼすかということは別個の問題で、そのことに関連して御指摘のことがあるとするならば、教育行政担当の者といたしまして、その事態に応じての何らかの考慮が出てくる可能性はあろうかと思いますが、この寄付行為その他の書類の物語る財団法人設立の意思をもって認可申請をしてこられた課題そのこととしては、御指摘のようなことは当然の課題ではないと私は思うのであります。
○野原(覺)委員 文部大臣、話し合いをしてくれとお願いしたにかかわらず、齋藤社会教育局長はこれを無視した。その無視したことは正しい、そんなものは応ぜぬでもいいのだ、あなたはこう言うのですか。ピントを合わして答弁してくださいよ。
○荒木国務大臣 担当局長に会いたいと申し出られた。会われたか会われなかったかは知りませんけれども、会って何かを話をされた。所管局長も何かお話しした。そのことは、それと直接関係のない——関連はしておったかもしれませんが、制度の問題として考えます場合には、関係のない事実上の問題であって、認可そのこととは私は別個の問題だと思います。
○野原(覺)委員 別個ではありませんよ。何が別個ですか。PTAが片方は分裂ではないかと言っておる。齋藤局長は分裂ではない、こう言うのだ。分裂でないならば、そこでお願いしたのだ、その節には話し合いをしてくれ。局長にそれだけの信念があるならば話し合いをして、分裂ではない、ひもではない、八カ月、一年にわたって各新聞が書いたのは、あれはみなデマなんだその証拠はこれなんだといって、日本PTAの役員を説得するのが、これが文部省の役人の義務ではないでしょうかね、文部大臣どうお考えになりますか。
○荒木国務大臣 説得したほうが念が入ってよかったかもしれません。しかしながら説得せねばならない課題ではないと思います。いま申し上げましたように、財団法人全国PTA協会寄付行為の規定しております目的、これを見さえすれば分裂などということとは関係のないことが明瞭であります。だからおのずからわかるだろうと思って話をしなかったかもしれません。その事実はわかりませんけれども、事柄それ自体としては別個の問題であることは、私は確かだと思います。
○野原(覺)委員 それではお尋ねいたしましょう。自民党のひもでないと判断された根拠——新聞はひもだと書いておるのだが、ひもでないと判断された根拠を明確にしてもらいたい。
○荒木国務大臣 ひもがついておる、ついていないということは、事実問題として何をさすのかよくわかりませんけれども、少なくとも寄付行為あるいは認可申請につけられました成規の書類が物語る限りにおいては、ひもつきなどというふうに連想しなければならない何ものもない、それだけでございます。
○野原(覺)委員 新聞がひもだと書いている。新聞がひもだと書いてすべての新聞が指摘しておるのに、そうでないとあなたのほうは判断をしたのです。何か理由があるのでしょう、根拠が。国民の前に明らかにしなさいよ。新聞が自民党の申し子だ、この協会は。こう指摘しておるじゃありませんか。先ほど読み上げたとおり、私は一つしか読み上げなかったけれども、はっきり書いておるのですよ。 七月二十三日の読売は、「自民党は、参議選の終了を機に、全国的な党組織の強化を進めているが、その一環として全国のPTA関係役員有志を一丸とした日本PTA協会(仮称)を設立することを内定」した。これは七月二十三日の読売だ。この場合「設立を推進しているのは党全国組織委員会(小川中次委員長)で、同委員会のキモいりですでに関係者が数回にわたって会合、着々と準備を進めている」。七月からその準備は進めてきたのだ。これには齋藤局長の先ほどの答弁によれば、たった一日で許可したのは、こういう計画に事前からすでにあずかってきておった。社団法人にしても財団法人にしても、あなたが主務官庁でございますから、いずれは文部大臣のところにいかなければならぬ。社会教育局長がその所管の責任者だというので、あずかってきておったのだ。「現在までまとまった構想によると」これは七月現在です。「一応現在のPTA関係団体とはまったく別の組織とする。」PTA全国協会という別の組織が今度できた、三月十六日に。最初の計画を読み上げてみますと、二番、「各都道府県単位のPTA関係役員のうち希望者を任意加入させる形とする。」三月の発会を見たらそうなっておる。三番「この組織は教育の分野という特殊性から、党の主導的な色彩を表面上押えた中立的な方向をとらせ、」る。ところがさっき文部大臣が言った寄付行為が——寄付行為にはきれいなことを書きますよ。組織委員会の方針として新聞が指摘しておる中立的な方向を表向きにとらせる。そうしてその七月現在では社団法人と書いております。これは今日では財団法人に切りかえられた。「などで、党としては、その政治的なねらいは内在させつつも、同協会が自民党のヒモつきという印象を与えないよう意を用いている。」この記事は、これは全くの読売新聞が捏造した記群ですか。文部大臣はこういう記事は目を通したはずだ。これは全く捏造した記事ならば、自民党から読売新聞に抗議なり、あるいは文部省としても——これは文部省は直接にはここには書いておりませんけれども、文部省が事前にやはりずっとあずかってきておるというように書いた新聞記事もあるわけです。これだけひもつきだと誹謗されて、抗議したことを一度も聞かないのです。そうして今度三月十六日にPTA協会というのが発足しておる。したがってあなたがこれを財団法人として許可されることは、それはあなたの権利行為です。あなたにそれはできます。できますけれども、少なくとも文部大臣が職権を行使する場合には、PTAのあり方、PTAの健全な発達という点から考えて、これだけ新聞が指摘しておるのでございますから、やはりこれを許可するにあたっては、その新聞を否定するところの私は明確な論拠がなければならぬと思う。その論拠を聞いておるのです。この新聞がデマだ、そうじゃない、私はこう考えたから許可をしたのだ、それをはっきり示してください。
○荒木国務大臣 その新聞記事を私見ておりませんで、恐縮ですけれども、——見ておりましょうとも、新聞の記事が真実であるかいなかを確かめるという必要は、私はないものと思います。公益法人の認可にあたりましては、新聞記事は書類としての何ら効果のないものであって、あくまでも寄付行為が中心となった、法律上要求しておる書類がまず第一義的にものをいう。特に寄付行為の中の目的が一番問題であると思うのであります。ひもつきとかなんとかおっしゃいますが、ひもつきであるとかないとかいう定義は別といたしましても、それらしき痕跡が目的の中にありとするならば、認可にあたっては当然考えらるべきもの、すなわち公益法人として認可するにふさわしくない要素が入っておるわけですから、そのことが物語るのであって、新聞記事にどんなことがありましょうとも、それにわずらわされてはいけないという態度こそが、認可の場合には必要である、かように思うのであります。
○野原(覺)委員 あなたはおそれ入った文部大臣ですね。あなたの答弁はあとで速記を読み返して、これは私、またいずれ大問題にいたします。たいへんな答弁をあなたはしておる。この公益法人を認可するにあたっては、ひもつきであってもかまわぬ。選挙に利用されると新聞が書いておろうと、そんなことはわしの知ったことじゃない。寄付行為に書かれてある、そのことだけで許可するのだ。そうですが、もう一ぺん後日の参考のためにこれは聞いておきます。
○荒木国務大臣 いま申し上げたとおりであります。 ひもつきであるかいなかは、法人格を獲得しました後の現実の行動によって示されて、初めてひもつきであるかいなかが確認できるチャンスが訪れるのであって、その以前に世話役が自民党に党籍を持ち、社会党に党籍を持ち、共産党に党籍を持つ人でありましょうとも、そういうことまでさかのぼって審査する権限もなければ、責任が課されているものでもない。思想調査をすることがそれ自体、憲法違反だとも思いますし、公益法人の認可についてはあくまでも要式行為でもございますから、定められたる書類を通じ、調べの書類もあわせまして、その財団が堅実なりやいなや、目的を果たし得るかいなか、目的そのものが適法妥当であるかいなかということ以外に審査の権限はないわけでもありますし、必要でもない。いわんや新聞記事は、真偽を確かめる方法手段が現実にもないものと私は心得ております。
○野原(覺)委員 あなたは許可権を持っておるのだが、あなたは寄付行為について審査した上で許可するのでしょう。一体、この財団法人を許可する場合には役員のことろも入るのでしょう。寄付行為の審査、これは当然やるのでしょう、大臣いかがですか。
○荒木国務大臣 もちろんそうであります。
○野原(覺)委員 それじゃお聞きいたしましょう。この役員についても審査をしましたね。PTA協会には、は何名おりますか。
○齋藤(正)政府委員 現在、理事監事合わせて十二名でございます。
○野原(覺)委員 十二名のうち、自民党の党籍を持っておられる役員が何名おりますか。これは審査しましたか。
○齋藤(正)政府委員 先ほど大臣がお答えいたしましたように、たとえば法律で教育委員会の委員のように、党籍というのに制限を加えている場合は別でございますけれども、財団法人とかなんとかいうものの審査にあたりまして、個人個人の党籍を調べるというようなことは要求もいたしませんし、またすべきことでないと思うのであります。
○野原(覺)委員 人をばかにした答弁をあなたはするんじゃありませんぞ。政党のひもつきだと新聞が指摘をしておるのだ、だから文部大臣が許可する場合には、政党のひもつきであるかどうかという点を私はこの際は審査すべきだと思う。これは寄付行為については文部大臣の職権だ。そうなってくると、この十二名の役員の氏名の報告が、この寄付行為とともにくるわけでございますから、一体党関係はほんとうにどうなっておるのだろうかということに疑惑を持たれるのが当然ではありませんか。そういう努力をして初めて政党のひもつきではないという一つの確信が生ずるのではございませんか。これは新聞の言っておるとおりではありませんか。あなたは党関係は調べなかったと言う。ところがどうです。きのう私は社会教育課長がまいりましたから注意しておきましたが、調査してみろ、こう言ったのですが、その後調査しましたか。調査を約束して教育課長は帰ったのです。これはどうなっておりますか、発表願いたい。
○齋藤(正)政府委員 そういう話を私も社会教育課長から承りましたが、もちろん書類を調べましたけれども、党籍の点は書いてありません。党籍をこの際一々問い合わせるということは私はいたしませんでした。
○野原(覺)委員 この理事の中に田邉國男君が入っておりますね。これは自民党の現代議士、それから副理事長は山崎茂さんという方です。この人は青木正代議士の令弟です。それから常務理事に田上文次郎という人がおりますが、この方は今度の地方選挙で自民党公認で福岡の市会議員に当選をされました自民党の党員であります。それからまた須垣さんについては、これは私もまだ明確ではございませんが、聞くところによれば、自民党の富山県連の顧問をしておられるのであります。そこで私は一々新聞記事を読み上げなかったのでございますけれども、ある新聞にはこう書いてあるのです。日本PTAは役に立たない。日本PTAは日教組をやっつける何の足しにもならない。だから日教組をやっつけるところのPTAの集団をつくる必要がある。これが自民党の方針だ。そして廃品業者の団体とともにこのPTAを自民党の選挙に利用できたならば、これは最もいいではないかというのが全国組織委員会の方針だと新聞に書いてある。そこでずっと役員を見てみますと、私が簡単に調査しただけでもこれだけなのです。新聞は、政党のひもつきではないか、こういって攻撃をした。ところが文部大臣は、政党のひもつきであろうとひもつきでなかろうとかまわぬというつもりで許可をしたらしいのでございますけれども、PTAの正しいあり方からいって、特定の政党のひもつきのPTAができるということは、子供の健全な発達、あなたのいう教育の政治的中立性から考えて大問題です。あなたの無責任きわまる本日の答弁は、私はしさいに速記で読んでみましょう。そしてあらためて適当な場所で——かつてのILOの問題と同じです。私はあなたの責任を糾弾いたします。これはたいへんな答弁をあなたはしてきておる。いま役員の問題を言っただけでもそういう疑いが生じてきておる。話し合いをしてくれといっても話し合いもしないで、たった半日で、しかも昭和二十八年の年の暮れにあわてて許可をした、そういう緊急の理由というものは何らきょうは私の質問に対して明示されない。言を左右にして、しっぽをつかまれないようにというその配慮の答弁しか得られていないのです。そこで寄付行為がいいからおれは許可したのだ、あなたがこう言いますから、私は寄付行為についてお聞きしましょう。これは聞くつもりはなかったのですけれども、あなたがそこまで言うならば、私はここに寄付行為を持っておりますからお尋ねいたします。 まず第一の目的、第一章総則で、この法人は財団法人全国PTA協会という、こう書いて、これが認可された。この法人には、PTA協会、こういいますけれども、一体Tがおりますか。Pだけでしょう。TがなしにPTA協会というこの名称は不当ではないかね、どうですか。
○齋藤(正)政府委員 それがさっきお答えしたことにも関連するのですけれども、PTAのいわゆる社団的なものあるいはPTAの構成で先生を加えるか加えないかということは一つの問題でございますけれども、財団法人が目的とするところのPTAの活動を援助する、あるいはPTAに関する研究をするということでありますれば、極端に申しますればPで、Tでなくても、それは団体の目的を遂行し得る理事であればいいわけでございますので、この財団自体に先生が入っているか入っていないかということは、これは審査の対象にはならないと思うのであります。
○野原(覺)委員 全国PTA協会といいますけれども、たった十二名ではないですか。なるほど財団法人は社団とは違うから会員は問題ではないといえばそれまでだ。財産があれば法人として認可できる。それは民法にある。しかしながら、これには全国なんというおこがましい名前をつける資格はない。たった十二名じゃないか。その中の四名は明らかに自民党の党員だ。他の八名も、みな自民党に何らかのつながりを持っておられる方々ばかりだ。しかもこの事務所は静岡銀行東京支店に置いておる。 そこで私はお聞きしますが、第三条、目的のところで、齋藤局長が新聞に談話を出しておる。日本PTA協議会は必要だ、しかしながらその日本PTA協議会を財政的に援助する団体というものはあってもいい、だからそういう考えでおれは許可をしたのだ、こういうあなたの談話を新聞で拝見したのでございますが、その活動を援助するというそのことは一体何をさすのですか。これはPTAをさすのでございますか、お聞きします。
○齋藤(正)政府委員 文意から言いましてPTAの活動ということでありまして、この文意では特定のどこどこのということを言っておりませんから、どのPTA活動でありましょうともそれを援助しよう、こういう趣旨だろうと思います。
○野原(覺)委員 ところが肝心かなめのPTAが反対しておるでしょう。一体どこのPTAがこの協会に賛意を表しているのですか。こういうものの必要性をどこのPTAが主張いたしましたか。これは調査したはずだ。いかがですか。
○齋藤(正)政府委員 これに賛成であるか不賛成であるかということにつきましては、私どももかなりの人と会っておりますけれども、そう簡単に全部が不賛成だとか、全部一致して一人残らず現在の役員が賛成だということは言えないのであります。その点につきましては、もともと日本PTAの経済的なあるいは恒常的な治動というものを確保する手段として、財団にするか社団にするかということとして、それ自体の機構問題として発足して、そうしてそのときの現委員がいろいろ研究してきた問題であります。でありますからこのPTA協会につきましても、ただいまお述べになりました委員の大部分の方は、それぞれの府県の段階の現会長の方々が理事に入って構成されておるわけでございますから、この点を簡単に賛成であるとか不賛成であるとか、それが組織の分断であるとかないとかというような議論は私は非常に困るのではないかと思いまして、先般も社会教育課長会議の際にこの両団体の性格ということを説明いたしまして、PTA活動の分野でそれぞれ目的を異にする二つの団体が協力してやることがいいということを伝えたような次第でございます。そういうふうに両団体が提携してやることを望ましいと考えたわけでございます。
○野原(覺)委員 あなたが許可をした、文部省が許可した財団法人だから、そういうかってなことが言えるんですよ、あなたの方では。しかも私の知る限りでは、今日では日本PTAというのは千八百万の会員を持っておる全国でただ一つの組織なのだ。しかもこれは政治活動にはほとんどタッチしないで、PTAの健全なる発達のために今日までほんとうに純粋に努力をしてきたおりますよ。そうしてPTAが反対を唱えて、問題がありはしないかといってお願いまでしておるのに、それを説得もしないで、話し合いもしないで、速急に認可をする。去年の六月から文部省は全国組織委員会とぐるになってやってきたでしょう。そのためにそういう認可をしたのじゃありませんか。こう言われても答弁のしょうがないでしょう。話し合いをしないのだから。 そこで私はお聞きしたいのだが、そのPTAを援助するという中身は何ですか。
○齋藤(正)政府委員 援助するというのは、直接PTAがいろいろ活動する場合に、資金的な援助もございましょうし、またその事業の中に掲げられておりますように、PTA活動の調査研究、あるいはその調査研究に基づく資料を刊行する、あるいは国際的な協力を必要とする場合に、その世話役になるというようなことは、ひいては日本のPTA活動の全部の援助になるものだと考えております。
○野原(覺)委員 PTAに対して財政援助をするというお話ですが、そういう金はPTA協会は一体どこから集めるのでしょうか。
○齋藤(正)政府委員 発足当初の資金の内容を見ますと、現在理事になっておられる方のそれぞれ分担して拠出されたもので、先ほどお述べになりましたように、その財産として百万円のものでありますから、非常に小さいものであります。しかし、今後発足いたしましてから、寄付金を集め、賛助の会員等を集めて資金を吸収して、それの集まりぐあいによって事業を拡大していくというふうに思っております。
○床次委員長 野原君に申し上げますが、大臣は十二時十五分までで退席いたしますので、適当に結論をお願いいたします。
○野原(覺)委員 基本財産百万円、運用財産五十万円、それで一体PTA活動の財政援助というものはできますか。どう考えますか。
○齋藤(正)政府委員 PTAの財政援助と申しましても、全国の単位PTAに一々金をやるということはおよそ考えられないことであります。たとえばPTAのいろいろな連絡協議会とか、あるいは一種の団体等がいろいろの研究会とか研究集会を催します場合の事業費について、しかるべきものを援助してやるというようなことは、これは他の社会教育関係団体でもあり得ることでございますので、そういうことが予想されるわけであります。
○野原(覺)委員 PTA協会は社会教育団体の補助金の対象に、文部大臣考えていますか。
○荒木国務大臣 いま具体的には予定しておりません。一般的には対象となり得る団体ではあろうかと思います。
○野原(覺)委員 そうなりますと、昭和三十八年度の社会教育団体の補助金は八千五十万円、昨年は七千万円であったと私は記憶する。八千五十万円の実行計画の中に入るわけですね。
○荒木国務大臣 まだ全然事務当局からは話は聞いておりません。抽象的には対象となり得るであろう。具体的計画は、これから事務当局が案画して出してくるものと思います。
○野原(覺)委員 実は日本PTAの役員会の速記を私は取り寄せたのです。そうしたら、青木正さんの弟さんの山崎副理事長がこういう発言をしておるのです。日本PTAの林会長が自民党のひもつきだ、こう新聞が書いておるが、どうか、こう言ったら、山崎副理事長が、御用団体ということはございません、法人にした理由は、文部省から補助金をもらいたいからですと、こう言っておる。いいですか。そしてどれだけもらうのかというと、年間千万円くらいもらいたいと考えております。おくれれば——おくれればというのは、許可の申請です。おくれれば月割りになって少なくなってしまうので、結成を早くしたのです。それで十二月二十八日といえば、なるほど予算折衝の最も高い山でしたね。私は、なるほどなと、こういま思い当たる。なるほど二十八日までにこれが認可されると、三十八年度の八千五十万円の積算基礎の中にこれが入れられる。そこで、まあ自民党のかねての要請もあるから、とにかくやれということでやったのでしょう。その実態についての問題点も究明しないで、一日でやったのでしょう。文部大臣、これは符節が合いますね。この点どう考えますか。
○荒木国務大臣 これは非常に推理をたくましくしてのお話でございますが、いま推定されましたような具体的な考慮は、文部省の私も事務当局にも全然ございません。いわんや、積算基礎に財団法人全国PTA協会なるものが入っておるということも全然ございません。
○野原(覺)委員 そういたしますと、昨年の七千万円が八千五十万円にふくれたのですが、大体七千万円、昨年どおりの実行計画が、これから予算として、補助金として獲得したものがいくとすれば、残りは、千五十万円の増額しかないわけです。その千五十万円の中にこのPTA協会に対する補助金が入りますか。
○齋藤(正)政府委員 社会教育関係団体の補助金として、大きく分けますと、厳密の狭い意味の社会教育では入らない芸術文化団体の補助金がございます。本年度予算の積算としてふえましたのは、芸術関係の国際交流等に対しましての団体に補助する分は、ふえた分として大体大蔵省の了解をとっておるのであります。七千万円でありますが、これは文化関係を除いた芸術関係のその他の青少年婦人あるいは一般成人教育に関する団体に、これから検討いたしまして——検討いたしましてというのは、それぞれの団体の申請、希望に基づいてその適否をきめるわけでございますが、これは去年やったものをことしやるとか、あるいは去年四百万だったから同じように四百万やるというものではございませんで、関係団体から出てまいります全部の要求の度合いと、その事業の適格性というものをにらみまして、全部の割り当てをきめるものでございます。ですから、去年やったものは入るとか、去年なかったものは入らぬというような性質のものではございません。
○野原(覺)委員 時間の関係もありますから、私は先を急いでお尋ねいたしますが、三月十六日に総会があったのです。来賓としては、荒木文相、床次文教委員長、小川中次自民党全国組織委員長、鈴木全教連委員長、その他二、三おります。そうして、これは文部大臣にお尋ねしたいのですが、母体である日本PTA協議会——このPTA協会の設立の目的として、その活動を援助するという、その「その」に当たる、今日現存する日本PTA協議会には、三月十六日の、案内状が行っていない。それから、寄付行為をほしいから見せてくれないかと、日本PTA事務局から正式にお願いをしたけれども、いまだに寄付行為を送らない。文部大臣、こういう団体はどう考えますか。日本PTAには総会の案内状もやらない、それから寄付行為も送らないのです。それをどう考えますか。
○荒木国務大臣 いまお尋ねの点は、財団法人全国PTA協会それ自体の理事者の意思がそういうこととなってあらわれたことであろうと思う以外に、私がかれこれ申し上げる事柄じゃないように思います。
○野原(覺)委員 望ましくないでしょう。何かしら、あなたはきょうはほんとうのことを言ませんね。これはどう考えても望ましくないでしょう。そういうことをするから、PTAの分裂だと一そう騒がれますよ。そして、その扇動役をつとめたのがあなたですよ。あなたは、そういうものを認可したのですから、日本PTAの分裂のお先棒をかついだと攻撃されるわけです。私はいまここに参考のために持ってまいりましたが、東京都の中学校のPTA協議会から三月一日に「PTAの正常化について」という文書が出ておる。この文書を出した会長の篠原登さん、といえば科学技術庁の前次官です。これは東京都の中学校PTA協議会の会長です。「平素のPTAの正常な発展のため格別のご努力をいただき感謝に堪えません。私どもは全国の心ある方々と協力して教育の正常化とPTAの健全な成長につとめております故に、昨年来新聞紙上を賑わせている意図不明の新団体」あなたが認可した団体は、篠原さんに言わせると「意図不明の新団体」になっている。「意図不明の新団体(財団法人全国PTA協会)の動きに強い関心をもつものであります。私どもはかねてこのことについて充分検討し、新団体関係者に反省を求めてまいりましたが、このまま推移すればわが国の教育に、除き難い禍根を残すことになるものと判断いたしました。」これは東京都の中学校PTA協議会の会長が全中学校のPTA協議会の会員に配布した文書なんです。それから東京都の小学校のPTA会長もここに文書を出しております。これは東京都でございますから、私の手元にこの文書が入ってたのですけれども、近畿ブロックでは、つい最近全体の役員が集まって、このPTA協会を攻撃し、自民党のひもつきでこのような団体を設立した文部大臣の責任を糾弾する決意を示した。これは何も革新系の人たちが示したのではない。PTAの連合協議会会長といえば、思想的には、どちらかというと保守的な方々がたくさんいらっしゃるのでございますが、そういう人々が、PTAの正常な運営を荒木文部大臣が阻害するとは何ごとだと憤激している。東京都の小学校のPTA会長も同じような中身のことをいっておりますが、これは時間の関係で読み上げませんけれども、そういうことになっておるのです。以上私の申し上げました質問に対して、あなたはきょう初めてお聞きの点もあったろうかと思いますから、十分お考え願って、他日の機会に御答弁をいただきたいと思うのでございます。 最後に、三月十六日、全国組織委員長の小川半次君がこういうあいさつをしている。これは新聞記事によります。「今日のPTAは教育の中立性という大義名分のために実質的には何の政治的動きもしていない。だから、たとえば日教組の勤評反対、学テ反対等の斗争は、大多数の父母、父兄が反対意見を持ちながら意見を反映する場がなかった。しかし協会はそれらの父母たちにPTAとしての意見を反映させ、盛り上がった率直なPTAの気持を政治的にも実践していく。」これは政治活動です。社会党も、共産党も、自民党も、創価学会も、いかなる思想の人もPTAの集団の一員であります。こういう政治的な動きをしたら、PTAはつぶれますよ。小川君がこのあいさつをしたと新聞が報じている。ところが、文教委員長、あなたは一体どういう資格で行かれて、どういうあいさつをされたのですか。あなたはこの種の団体は全く大賛成だというのでどういう演説をされたか、承りたいのでございますが、時間がありませんから、これは他日おっしゃっていただきたい。そうして先ほど言ったように、肝心かなめのPTA協議会に寄付行為も送らないで、呼ばれた来賓は自民党の文部大臣、自民党出身の文教委員長、鈴木全教連の委員長、こういうことで、拍手大かっさいて、目黒の迎賓館で三月十六日に総会を終わっている。これはどう考えても新聞の過去一年間報道してきたことが事実となってあらわれたことになる。私はPTAの健全な発達のためにまことに残念でなりません。荒木さんは文部大臣になられてもうこれで足かけ三年になると思いますが、あなたは教育の政治的中立ということを非常にやかましく主張してきた。そのあなたが、三年目の今日、このようなぶざまなことをされるということは、私はあなたのためにも遺憾にたえない。これは私個人の声じゃないのですよ。あなたがPTAの役員に会って聞いてみなさい。この事実に対してどんなに憤激をしておるか。寄付行為の役員は先ほど指摘したとおりだ。下からの盛り上がりもない。全く浮き上がった、自民党系の人たちだけでこのような協会をつくって、そのようなものを財団法人として認可されたあなたの政治的な動きに対する価値判断というものは国民が下すでありましょう。きょう私の質問に対してあなたはそういう答弁をされて糊塗されましたけれども、しかし、この速記は全国民が読みます。私はきょうのあなたの答弁速記については他日問題にさしていただきたい。非常に無責任きわまる個所がたくさんあったことを最後に指摘して、一応質問を終わります。
○荒木国務大臣 答弁の御要望はございませんが、無責任にお答えするという意図はもちろん一点もございません。責任を持ってお答えしておるつもりでございます。 さらにまた、私が文部大臣として公益法人を認可したこと、そのことをかれこれ批判される向きがあるやの御披露がございましたが、それを不当なりとする判断のもとに批判されるのは、批判されるほうが間違っておると私は思います。それは先刻来お答え申し上げましたように、民法に基づく公益法人の認可体制として万全を期したつもりでございまして、ほかに意図はございません。また生まれ出ました財団法人全国PTA協会が、今後寄付行為の目的に基づいて何をなすかが国民の批判の的となるべきであって、そのやることそれ自体が、お話の一端にあらわれますような、かりに不当な、PTAの援護団体にあるまじきことをやったとするならば、そのことをPTAのメンバーはもちろん、主権者たる国民みずからが厳粛な批判をして、ペンペン草もはえることもありましょうし、それはこの財団法人それ自体の責任の中において解決さるべき問題であろうかと思っております。
○床次委員長 関連質問の要求があります。山中吾郎君。
○山中(吾)委員 大臣が行ってしまって残念なんですが、非常に大事なことだから一言だけ局長に申し上げておきたいと思うのです。 PTAだけは、団体が二つできるということは、超党派的な教育上まことに遺憾なことなので、今度そういうPTA協会ですか、それと、一般のその前のPTAの連合会と二つできるということは、日本の教育に非常に禍根を残す。法律的に認可することについては差しつかえないとか、形式論でされることはまことに遺憾であります。それで、あなたは御存じないと思うのですけれども、前の臨時国会のときに、私は文書で文部大臣あるいは自民党の総裁あてに抗議を出してあるはずです。それは、日教組を批判されるということは別だと思う。PTAそのものを二党に分けるというようなことをされることはまことに遺憾だ、新聞では、自民党の組織委員長である小川さんがPTA協会をつくるという運動方針を発表してあるのです。日教組に対しておもしろくないからというなら、日教組と戦いなさい、PTAを二つに分けるということはもってのほかだという抗議を、正当な立場で私は文書で申し入れてある。そういう状況の中で、あなたはもうわかっているはずなんです。それをわかりません、知りませんと言ったって、それは実際はわかっておる。そういうときにこそ、文部省の行政の立場に立っておる者は、政治の渦中に入らないで、事実上PTAの組織だけを二つにするということはいけないと、あなたが良心的に助言をしたり、守っていこうということをしなかったのはまことに遺憾である。これは必ず禍根が残るのであって、そのときにも自民党の組織委員長が、このPTAをつくったあとには特別の補助金をやろう、こういうことまで新聞に発表しておる。私は一人の政治家として、まことに遺憾なことだと思って、実はどういうことをするのだろうということを心配をしておったわけであって、それは皆さん、あなた御存じのはずなんです。これは自民党の政府だから、局長はそういうふうにせざるを得ないからやむを得ずしておるというのなら、まだそれでもけっこうですけれども、こういう傾向は遺憾だということぐらいは言えないのですか。
○齋藤(正)政府委員 私先ほどからお答えいたしましたように、社会教育の団体として、一種の青年団だとか婦人会とかあるいはその他のように、非常に多くの者を会員とする社団的なものもあり、それからそれを援助する、あるいはその活動の参考になるようなものを積み上げていくという財団があるということは、これはいろいろな各分野にあることでございます……。
○山中(吾)委員 PTAの問題です。PTAという特別の性格を持っているわけではないか。
○齋藤(正)政府委員 そこで、組織の分断ということで、これが同じようなものを二つに意識的に分けるとか分けないとかいうような問題であるならば、それはいろいろな判断もあり得るかもしれませんけれども、これはそういうものではないのだ、これは私一貫して、両当事者に説明しておるのであります。それから、これを法人化するということは、実は長い間関係者の間で議論されて、その方式を全国組織の社団にするのか、あるいはこういうふうに財団にするのかというようなことを十分検討されてなされたものでございますから、私どもは財団の認可にあたりましては、先ほど大臣がお答えになりましたように、単に組織だけでなく、そのたてまえというものは社会教育の分野にあり得るのだということで認可したようなわけであります。
○山中(吾)委員 同じようなPTAの団体が、A、B、Cというふうにできたとき、同じような補助金を出しますか。
○齋藤(正)政府委員 補助金の問題をいま私は申し上げているのではございません。補助金の問題は、社会教育関係の補助金と申しますのは、団体それ自体を育成するとか育成しないとかいう補助金は一つも出しておりません。そういうものではなくて、社会教育関係団体の性質から見て、その維持経営の基本というものは民間の浄財を仰いで、みずからやるものでございます。そしてその夢業で特に金の要るもの、あるいはそれが非常にいい影響を与えているもの、その事業自体を見て、いままで全部補助金をやっておるのでございます。でございますから、社会教育関係団体の事業をどういうふうにやっていくか、それがどういう現実の影響があるかということを見て、われわれは補助の方針をきめてまいりたいと思っております。
○山中(吾)委員 そうすると、同じようなPTAが財団法人として認可を申請する——こういうものをつくるとあとからあとから出てくると思うのですよ。そしてPTAそのものは政党政治の渦中から離れなければならむものが、いわゆる父母というものを分離さしていくような財団法人をつくっていくということがだんだんできてくる。対抗手段としていろいろなものができて、そのとき同じように認可をする。団体の補助はもちろんない、事業補助ですから。その団体がやる事業には、いまのような一般論で同じように補助を出すかという方針をお聞きしたわけです。そういうことに間違いが出るのじゃないかということを私は申し上げておるのであって、それなら、一体、文部省の指導方針は何もない、法律的な一般論だけ言っておれば。これは教員組合とかそういうようなものでなくて、PTA団体なんです。PTAが二種類、三種類の団体をつくったらどうなるんです。これはたいへんなことなんですよ。私は、良識ある政治家というものは、それはお互いに政党の立場も分かれておるから、戦うときは戦い、そして所信を持って、日本の教育のためにこの方がいいというのでお互いに論議をしておる。それはいい。PTAまで入っていってはいけないんだ。現在のPTAなるものは非常に批判力が弱いとか強いとかという評論はいいのであって、団体をそういうところにつくっていくということについて、私は自民党の本部に行って、前尾幹事長及び小川全国組織委員長の前で論議をした。そういうことだけはおやめなさい——ところが、文部省の方は認可奨励方針のようになっているじゃないですか。これはよほど考えなければいけないのであって、文部省自体がそこまで入り込んでしまえば——政治家は別なんです。文部省がそこまで入るということについてはたいへんなことなんです。こういう問題が国会で起こった限りにおいては、内部で良心的によく検討されて、明瞭に、責任を持つという立場で、もっと真剣に、社会教育局長が文部大臣にも助言をし、今後のあり方について、そういう弊害が出ないようにいまからでも御検討を願う必要がある。これだけを申し上げておきます。 —————————————
○床次委員長 三木喜夫君。
○三木(喜)委員 国立の学校で、生徒が集団で百人帰郷しておりますが、こういう不祥事を起こしまして、学校当局がその後その二とに対する反省を持たずに、子供のみを処罰しようとしておる事件が起こっております。この事件は新聞に出ましたので、御存じのとおりです。三重県の鳥羽市にあります国立鳥羽商船学校でありまして、この学校は、学校要覧によりますと、昭和二十六年から国立の学校になっています。国立の学校でこのような不祥事件が起こっておるということは、私は見のがし得ない事態だと思うのです。これに対しまして、直接関係のある文部省としてはどのようにこの問題を考えておられるのか、お聞きしたいと思うのです。 事件の内容といたしましては、去る十五日、上級生が下級生をなぐったということから謹慎処分を受け、その謹慎処分に対して不満に思うところの二年生、三年生のほとんど全員が、生徒会を開いて一斉帰郷を決議し、百人ほどが、十名ほど残して、ほとんどが帰郷をしてしまっております。そうして帰ってまいったのが十九日です。こういう事件です。そのことから端を発して、一年生の二名が暴力を受け、そしてその暴力を加えた生徒をさらに処罰しようとして、さらに事を大きくしております。 こういう事態について、文部省はどのように考え、どのような処置をしておられるか、これをまずお聞きしたいと思うのですが、まず最初に、いま申し上げましたことは事実であるかどうか、これをお聞きしたい。
○齋藤(正)政府委員 私直接所管でございませんので、お許しを得れば、担当の説明員から経緯とその後の状況を説明さしていただきたいと思いますので、御了承願います。
○金子説明員 お答え申し上げます。 事件の概要は、いま三木先生の方からお話しのあったことでございますけれども、簡単に申し上げますと、五月二日から五日の間の連休を利用しまして学校は例年生徒を帰郷させております。そうして学校の帰校の時刻は五日の午後十時三十分というふうに指示して帰郷させましたが、三年生のほうから、特に一年生に寮内の所用があるから午後五時までに帰校するようにという別の通達が学校の知らないうちに出ております。その一年生の二人が約一時間三年生が指示した時刻よりもおくれましたので、三年生並びに二年生の一部の者がそのおくれた一年生を訓戒した。その訓戒が行寺過ぎまして暴行の行為が起きております。そうして学校のほうがこの事件を知りましたのは五月九日、一年生の二人から担任の教員に暴行を受けた事実が申し出られまして、それで学校のほうがいろいろ調べましたところが、初めに二、三年生の三名がわかりましたので、十四日にその者を一応——ちょうどこのときに校長が文部省における国立の高等学校長会議へ出席しておりまして不在でありました関係上、一応処分保留のままに父兄に引き渡して家庭謹慎を命じました。二、三年生は十五日、その今後起こるであろうところの学校の処分に対して軽減運動の意味で一斉に帰郷することを申し合わせまして、十五日のお昼ごろから教官の説得も聞かずに全員帰っております。そうして学校の呼び返しの処置によって、十九日日曜日の夜までに帰郷生徒全員が帰りまして、その後、現在はいろいろ事件の全貌をつかむことを学校は調査中でございまして、まだ正式な処分はされておりません。事件の概要はそういうことでございます。
○三木(喜)委員 そうしますと、いま原因を聞きますと、一年生の二人が帰るのがおそくなった、いわゆる上級生の指示よりもおくれたのでなぐった、このようになっておりまするが、表面はそのようですが、内面はどういうことがあったか御存じないですか。
○金子説明員 学校長の連絡によりますと、調査した範囲ではいま申し上げましたような表面的な理由がはっきりしておるだけでございまして、その他のことは、わかっておれません。
○三木(喜)委員 それではひとつ調べてもらいたいと思います。この二人は、実はとの学校には前からそういう習慣がありまして、大体名古屋あたりまでトラックなどをとめたりしてただ乗りするくせがある。しかしこの二人は浜松までただ乗りをして、学校当局はそのようなただ乗りをすることをきつくとめておったそうです、にもかかわらず浜松までただ乗りしてそこから東京まで汽車賃を払って帰った。いわゆる汽車賃を軽減する意味か、あるいはまたお金がなかったのか、その辺の事情は本人に聞いておりませんからわかれませんけれども、そういうことが往々にして行なわれておったので、それを上級生の自治的な意思によってとめさせようとしたことが原因のようです。また上級生はその自治という名前のもとに、これに便乗して無軌道ぶりを発揮しておるというのが真相のように思うのですが、その点をひとつ原因として調べていただきたいと思うのです。ここで問題になりますことは、このような集団帰郷が国立の学校で、しかも道徳教育とかいろいろなことを言っておられるその文部省の直轄の学校でこういうことが起こっておることは、私は問題だと思うのです。それをまず第一に問題にしたいのですが、次に、十三日に二年生が相談をし、十四日の夜には三年生が相談し、二年生と三年生とが合同で十五日に授業を放棄しまして、そして相談をして十六日の一時から学校を出ておりますが、そういうことをやっておるのに、教官の注意も聞かず説得も聞かずということですが、何ら教官はこれに対して説得も注意も与えていないようです。これで教育のあり方、教官のあり方としていいかどうか、私は疑問に思うのですが、そういう点はなかったのですか。
○金子説明員 私のほうも校長から連絡を受けましてわかったのでありますけれども、私のほうへの連絡では、十四日の夜午後十一時過ぎから二、三年生が帰郷の相談をしたということはその後の調査でわかっておりますが、そのときは寮の当直の教官のほうではそういう集会その他も気づかない形で行なわれておりまして、全然わかっておりません。
○三木(喜)委員 これも調査してください。当日は体育大会があったのですが、体育大会に出てない。一年生だけが出ている。二年生と三年生がそれに出ずして相談をしておるのを教官が気づかないというようなぼんやりした教官では困ると思う。そこで私の聞いた話では、教官がそばにおって何ら注意もしなかったということです。これは父兄から聞いた話なんですが、この点もひとつ調査をしてください。 次に、私が問題に考えますことは、昔のビンタ、ウグイスの谷渡り、セミというようなことがいまもなお江田島のなごりだ、江田島の美風を受け継いだというので学校に温存されておる。そしてこれをむしろ先生が助長しておる。こういうことによって内部の風紀が維持できるという古い意識のもとにこれを温存しておるような気配がございます。そのことが私は問題だと思うのです。その点について係としてどのように把握されておりますか。
○金子説明員 私ちょっと先ほどの件で申し添えますが、十四日の夜の集団帰郷に関する三、三年生の無届けの集会は、学校は把握しておらなかったのでありますけれども、十五日の朝から二、三年生は養浩室という部屋に集まりまして授業に出てこないものですから、教頭、教務長以下教官が出て、どういう理由で出てこないかとかいろいろ問いましたが、全然生徒のほうでは答えないでおりますので、何はともあれ、よく考えてすぐに授業に出るようにという指示はしております。そして教官がちょっとはずした間に、十時半ごろから徐々に帰り出して、それを教官のほうで発見しましていろいろ説得しました結果、結局はああいうふうな状況でほとんど大部分の者が帰っております。十五日のほうは学校でも生徒の動向はキャッチしております。 それから暴力の関係でございますが、これはもちろん旧商船学校時代には悪い習慣として相当残っておりました。それで戦後の商船教育においては、暴力でもって上級生が下級生を指導するということは、絶対排撃の線で、学校は全教育あげて暴力排除は戦後続けられておりますが、遺憾ながら今回の事件のようなことも起きまして、そういう事実が絶対ないとは申しませんけれども、学校の立場、それから教官は暴力排除を主にして生徒の寮内の指導に当たっております。
○三木(喜)委員 これも父兄のことばなんですが、こういう事件が起こると、あなたのおっしゃるように、教官といわず文部省といわず暴力を排除しなければならぬという方針で進んでおるといいながら、おとなのずるさで、必要があればその暴力を容認してきた、こういうことが今次の事態を起こしておる原因だろうということがいわれております。もちろん商船高校のことですから、これは私どももある程度剛毅な教育をしなければならぬという点もわかります。沖仲仕を取り扱ったりあるいはそうした荒くれた場面にも相当出つくわすし、なお船の狭い中で生活をしなければなりませんので、立ったまま御飯を食べるという習慣を強制的にさせとおるという点もわかりますけれども、いま言ったような昔のビンタ、セミをやらす、ウグイスの谷渡りをやらすとかいうのは、これは旧陸軍でもこういう処罰のしかたといいますか、リンチのしかたが行なわれておった。それがいまなお温存しておるということです。それが私は国立の学校の中で問題にしなければならぬ点だと思うのです。それが今次の原因の大きなものであるということを、私は教官がやはり自省してもらわなければならぬと思うのです。 それから次の問題ですが、その二人の子供ですが、田中君は旧寮でなぐられたようです。石川君は新寮でなぐられたようです。そのことは間違いございませんか。そうしてなぐったときには電気が消されておった。何人ほどでなぐって、だれがなぐったかという二とが全然わからないらしいが、その点はどうです。
○金子説明員 新寮であるか旧寮であるかという、そういう場所のことは私のほうでも確かめておりませんで、その場所はわかりません。ただ寮内ということで話は聞いております。それから人数の件でありますが、現在までに七名の学生が学校の調査で、本人の申し出もあってわかっておりますが、被害者のほうからの申告もあり、その他の調査でもあと一、二名は出てくるのじゃないかと思っております。それがいままでの調査の暴行者の範囲でございます。
○三木(喜)委員 いま言いましたように、まっ暗の中でたたかれたということなんですが、その点どうですか。
○金子説明員 その件に関しましては、夜になりますときっと鳥羽の方は十時か十一時には消灯されると思うのでございますが、もちろん宿直の教官の目を盗んでやる行為でございますから、あるいは電気が消えたあとだったとも思いますが、私のほうではただ夜ということで、そういう状況の報告は受けておりませんで、電気が消えていたかどうかということははっきり申し上げられません。
○三木(喜)委員 二、三日前にあなたに電話して、この鳥羽商船高校の関係をもう少しよく調べておいていただきたいと思います、こういう不祥事はそうたびたび起こるものじゃないのです、国立の学校ですからして、あなたの所管されておる学校でこういう事件が起こっておるのだが、これを調べていただきたいということで申し上げておりますから、もう少し詳しく調査していただきたい。なぜかと申しますと、電気の消されておる中で新寮と旧寮の子供がなぐられて、二年、三年の上級生が、新寮の者は旧寮に行き、旧寮の者は新寮にまた行ってなぐったということになれば、それは相当数なぐられておるだろうと私は思って、心配してその点をはっきりさしたかったのです。あるいはいまおっしゃるように、七、八名というのが出てきておるようですが、新寮は新寮でなぐられた、旧寮は旧寮でなぐられたようです。しかもそこでは電気が消されておった、こういうことなんです。それにあとの問題ですが、教官はなぐられた子供に対して面通しをし、しかもなぐったことのない子供まで自白を強要されておる事案があるわけです。それからなお、現在の段階では、強制的に自発退学をしいておる、こういう事態が出てまいっております。このことに対する不満も非常にいま多くの子供たちの中からも、父兄からも上がっておるので、私はこの事態の収拾こそ教育のやる場所ではないかと思うのです。ただ単に処罰をすればそれで事は済んだ、われわれの役はのがれたんだというような処罰の仕方では、生徒と教師との間に大きなみぞをつくり、あなた方の所管しておられる国立大学のあり方というもの、国立高校のあり方としても問題を残すのではないか。道徳教育だとか生活指導だとかいうことが必要なこと、私たちも思います。そういう機会でありますので、そういう配慮が私は望ましいのではないかと思いまするのに、いまとられておるのは、ただ処罰をすることのみに主体を置いておるように思います。しかも強制的に退学をしいるというようなことは、私はもってのほかだと思うんですが、その辺はどういうふうになっておりますか、お聞きしたいのです。
○河上説明員 ただいまのお話で、強制的に退学を勧奨しているというようなお話もございましたが、それは私たちも初耳でございます。こういう問題につきましては、暴行ということは、われわれの方も絶えず校長会等を通じまして、あるいは調査官等を現地に派遣いたしまして、生徒の生活指導に遺憾なきを期するように、指導は十分にしているつもりでございますが、今回の事件はまことに申しわけない遺憾な事件だと思っております。ちょうど十三日に商船五校、電波三校の校長会を開きまして、特に寮内における生活指導体制の整備、特に生徒との人間関係というものを緊密にいたしまして、家庭を離れた子供をほんとうに正しい秩序の中で恩愛を持って教育する方途はどうしたらよろしいかということを話して、これに対して努力しようという申し合わせをしたばかりに、この事件が起きたのでございます。まことに遺憾に存じます。しかしながら今後の問題といたしましては、われわれのほうといたしまして、校長とも緊密に連絡をとりまして、ただ単に処罰をするということでもちろんこと足りるわけではございません。寮内における全寮制度というものの検討と今後の生活指導というものをどういうふうにやったらよろしいか。特に学校側では舎監を二人にいたしておりまして、あるいはもっと要すれば増員いたしまして、手の届くように生徒の生活指導というものにも努力してまいる、かように考えておりますし、また同時に強制的に自白を強要させる、そういうような問題は万ないと思いますけれども、なお私のほうで十分に注意いたしまして指導を徹底いたしたい、かように考えております。
○三木(喜)委員 ただいまの御答弁で私も満足でありますし、賛成の意を表したいと思うのですが、家庭を離れた子供たちにどのように恩愛の情を持って教育をしていくかということ、このことは文部省の指導としては私はまことに当を得た指導の考え方だと思います。どうかこの点をよく拡充していただいて、いたずらに処罰のみにとらわれて、そうして深い傷を学校側と生徒の間になお残さないようにお願いしたいと思います。 私は、この事件が起こったのは、生徒がよいということを強弁もできません。生徒にも問題があるでしょう。二番目に伝統にも問題があるでしょう。三番目に、だれがこのような子供をつくったかという教師の責任ものがれられないと思います。したがって子供の処分を考えるというなれば、教師みずから自戒し、みずから職を退かなければならない問題もあろうと思います。しかし私は、いたずらに教師を退かす、あるいは子供を処分するのでなくて、教師も生徒も一緒になって自戒してこの機会に新しく寮を立て直す、こういうようにひとつ考えていただきたい。これは学校当局にもよく御指導をいただきたい点です。これが私は事態を解決する道でないかと思いますのでお願いするわけです。 それからもう一つ、たまたまこの事件に関連してこの学校に問題点があるのは、看護の先生がいない。養護の先生がいないし、看護婦さんもいないということで、これだけ鳥羽、伊勢から離れておりますが、そうした養護関係の人がいないということは私は問題だと思います。これも私は聞いただけの話ですからわかりませんけれども、盲腸にかかった子供が手当がおくれて死んだというように聞いておりますので、これを機会に温情を持った学校教育、それから教師の態度、こういうこととあわせて、こういう人的配置もよろしくお願いしたいと思うのです。 それからもう一件は、ここは何か後援会は月五百円、現在では七百円の会費を納めておるそうですが、それは教師の待遇が悪いからだというように父兄は曲解しておるようです。まさか待遇にそれが使われておるわけではないでしょうけれども、それくらい私は待遇が悪いのかということが問題だと思います。調査しておりませんからわかりませんが、この点もひとつ調査していただき、そういう点に問題があり、教師が教育ということに身が入らないとするならば、これもこの機会に、国立学校全体のあり方の中でひとつ御研究を願いたい、このように思います。 以上皆さん方に御調査をいただいて御配慮をいただきたい点を申し上げました。また後日この問題についてお聞きする機会があると思いますので、それまでにそれぞれの手配なり調査をいただきたいと思います。
○床次委員長 本会議散会後再開することとし、これにて休憩いたします。 午後零時五十六分休憩 ————◇————— 午後三時二十三分開議
○床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 この際、参考人出頭要求の件についておはかりいたします。 すなわち、ただいま本委員会において審査中の義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案について参考人の出頭を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 なお、参考人の人選及び出頭の日時等その手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 ————◇—————
○床次委員長 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案を議題といたします。 質疑の通告がありますので、これを許します。湯山勇君。
○湯山委員 ただいま委員長のほうから議題として取り上げられました法案につきまして、若干大臣及び関係の政府委員の方あるいは説明員の方にお尋ねいたしたいと思います。 今回の改正で、検定の問題からさらに教科書の選定という段階が入って、採択、無償給与、こういういろいろな段階が考えられますが、そういう中でまず一体教科書はどういうものかということについて明らかにしていくことが、それらを一貫して理解していく上に必要だと思いますので、そういう立場からまず文部大臣にお尋ねいたします。 現在の学校教育法によれば、教科書は文部大臣が検定したものあるいは文部大臣が著作権を有するもの以外は使ってはならない、こういうことになっております。そこで、文部大臣は教科書の検定ということについては非常に大きな責任を持っておられると思うのですが、具体的に一体大臣はどういうことをしておられるか。つまり、大臣は検定される教科書に目を通されますかどうなんですか、こういうことからまずお尋ねいたしたいと思います。
○荒木国務大臣 文部大臣の責任において目を通しておると申し上ぐべきかと思います。具体的に私みずからが大臣としてすべてに目を通すということじゃむろんございません。教科書調査官がかわって目を通し、教科書検定審議会の審査を経て、その結論が出ましたものによって目を通しておる、こういうたてまえになっておるかと思います。
○湯山委員 それじゃ、これは具体的にお尋ねいたしますが、大臣は一々この教科書がいいとか悪いとかいうことをおっしゃらないで、大臣が責任を持つという機構を通じて見ておるということでございますね。
○荒木国務大臣 現実はそのとおりでございますが、全部文部大臣の責任において検定が済んだという意味においての責任を国民に対して持っておる、こういうたてまえかと思います。
○湯山委員 それでは、具体的に検定について内容にも立ち入って大臣にかわってその仕事をしておるのはだれでございますか。
○荒木国務大臣 教科書調査官であり、教科書検定審議会であり、かつまた文部省の機構内におります関係の国家公務員であります。
○湯山委員 局長は、大臣が検定する教科書は全部内容にも目をお通しになりますか。
○福田政府委員 教科書はもちろん専門的な事柄でありますので、いま大臣が申されましたような機構においてこれの検定が行なわれるわけでございます。したがって私ども一々教科書の内容に目を通すことはございません。
○湯山委員 教科書の内容について局長なり課長なりあるいは大臣なりが意見をお述べになったことがございますか。
○福田政府委員 これはものによりまして、やはり部分的にはあるいは課長も意見を言うこともございます。また調査官の調査の結果について私どもも意見を申し上げることはございます。しかしそれは教科書全体を一々見るということではございません。
○湯山委員 それでは法的な責任はあるけれども、実質的な責任は文部大臣も局長もお持ちになっていない、こういうことですね。
○荒木国務大臣 名実ともに責任を持っておると思います。
○湯山委員 実はいまのように大臣も目をお通しになっていないということですから、名目的にはそれをお持ちになっておることはよくわかります、法的にはあることはわかります。この教科書のここが悪いがどうなのかと言われれば大臣の責任であります、それはわかるのです。しかし内容をそうしたのはなぜそうしたのかということまで大臣によってお答えがいただけるのでしょうか。
○荒木国務大臣 具体人である荒木萬壽夫という人間が答える能力はございませんけれども、いま申しましたような機構を通じてかりに時間がかかりましょうともお答えを申さねばならない責任もあると思います。
○湯山委員 それではたとえば調査官が誤った検定をしている、あるいは審議会が誤った検定をしている。特に調査官です。あなたの直接の部下です。——あるいは教科書について誤った指導をしておるという場合はだれが責任をおとりになるわけですか。大臣がはっきり責任をおとりになるわけですか。
○荒木国務大臣 文部大臣が責任を負うべき問題と思います。責任を負います方法は、そのケース・バイ・ケースで違おうかとも思いますけれども、かりに調査官の能力が適切でないがゆえに誤りが続出するということであるならば、調査官の選定において誤っておるという責任は、文部大臣として免れないというがごときであろうと思います。
○湯山委員 大臣はいまの調査官をどうお考えになりますか。
○荒木国務大臣 一応全部信頼いたしております。
○湯山委員 その根拠はどこにありますか。
○荒木国務大臣 教科書が採択され、それを使って授業が行なわれる。その間において大筋においての誤りはないと思っておりますから。
○湯山委員 それは実際についてお確かめになったわけですか。そうではなくてそういうふうに考えておることですか。
○荒木国務大臣 実際に確かめたことはございません。
○湯山委員 実は私は文部省から出されておる「教育委員会月報」というのを昨日読んでみました。そうしたら実にとんでもないことなんで、学習指導要領の趣旨に反した指導がなされております。さらにまた教育の本質を阻害するようなまことに重大な点が幾つも調査官の書いておる文章にあるわけです。これは大臣は具体的には御存じないと思いますから、具体的に大臣のいらっしゃるところで明らかにしてまいりたいと思います。ついてはどの教科を選ぼうかと思ったのですが、社会については村山さんが先日お触れになったようですから、なるべく客観的なものがいいと思いますから、理科についてお尋ねいたしたいと思います。理科の調査官、お見えになっておられますか。
○福田政府委員 調査官は見えておりません。
○湯山委員 私は理科の調査官というのをお願いしておいたのですけれども……。どなたか責任を持ってお答えできるのでしょうか。
○福田政府委員 お答えできる範囲におきまして、私なり高山審議官等からお答えを申し上げたいと思います。
○湯山委員 すぐ呼んで下さい。できれば六人全部呼んで下さい。 それでは審議官にお尋ねいたします。 理科の学習指導要領に理科教育の目標として、自然から直接学ぼうとする態度を養っていく、それから筋道を立てて考えたり工夫する態度、基礎的原理の理解による生活合理化の態度、自然を愛護する態度、こういうものを養っていくんだということがあげてありますが、これは局長もそのとおりだとお思いになりますね。
○福田政府委員 そのとおりでございます。
○湯山委員 これに反した指導や教科書の扱いが行なわれていたらどういうことになるわけですか。
○福田政府委員 仮定の問題でございますので、これはお答えできませんけれども、反しておるかいないかは具体的な事実によってそれを判定しなければならぬと思います。
○湯山委員 それでは具体的な事実をあげることにいたします。この「教育委員会月報」は特に文部省から出しておる公の出版物です。著作権、発行権は文部省に属しております。特に今回は教科書法の特集号で、この特集号をつくった趣旨のあと書きにこう書いてあります。執筆者は局長も入っておるわけです。「福田局長をはじめ教科書行政に関する文部省の専門家ばかりである。教科審行政上の指針が大略示されている点で、今後この問題の衝に当る人々にとっても、まさに格好な手引書となることを疑わない。是非熟読をお願いしたいものである。」こういうことで出しております。その中にそれぞれ調査官が——これは局長の御意見にも問題があるのです、ちょっとごまかしておるところがありますから、飛躍がありますから。それから課長に至ってははなはだ独断的なところが多いので、これもお尋ねしたいのですが、具体的に言ってもけっこうですが、この担当の調査官がお書きになった理科についてお尋ねいたします。社会なんかもずいぶんひどいと思うのですが、まず理科でお尋ねいたします。これの三十八ページに教科書の特色ということがあげられております。ところが、その中に、教科書をつくっている「編著者のねらい」として、つまりその教科書がどういう意図のもとにつくられているかということが列記してありますが、その中に、「児童生徒の理解しやすいもの」、これはけっこうだと思います。それから「教師の授業のやりやすいもの」、これもけっこうだと思います。「実験から体得させようとするもの」、これもけっこうだと思います。その次に、「本文から理解させようとするもの」という一項があります。そのあとには、「考える力を養うことに重点をおこうとするもの」、これもけっこうだと思いますが、「本文から理解させようとするもの」、そういうたてまえの教科書を肯定しておるわけです、これを見ますと。ところが、さっき局長が言われましたように、理科というものは、そういう文章、文字の上から学ぶものではなくて、自然から直接学ぶ、この態度が大事なのです。文章から学ぶのなら、国語の中にも、鳥について書いた文章もあります。あるいはけだものについて書いた文章もあります。そうじゃなくて、事物から、具体的なものから、自然から直接学ぶ、これが基本的な態度でなければならないのに、「本文から理解させようとするもの」、これを肯定しておるのは、私は明らかにいまの理科教育の目標の一、自然から直接学ぶ、この態度に反することだし、それから筋道を立てて考えたりくふうする態度を養っていく。これも、理科の本というのは結果が出ているのです。何に何を加えればどういう色になる、何はいつやってきていつ帰っていく、結果が出ているものを先に読んで理解するということは、これは筋道を立てて考えたりくふうすることにはなりません。これは明らかに指導要領の趣旨に反している、こう思いますがいかがですか。
○福田政府委員 その点につきまして、私はこの文章だけから指導要領に反しているというようには考えられないのでございます。理科の教育そのものはおっしゃるとおり実物あるいは実験、実習というものが非常に大事でございます。したがいましてそういう教育をやりやすいような仕組みで考えていくのが当然でございます。その場合といえども、やはりこの文章での記述あるいは図解によってこれを示すというような、理解しやすいような解説その他の記事というものは、これは当然に含まれておってもいいんではないか、こういうように考えます。したがって「本文から理解させようとするもの」云々と書いてありますけれども、これはただ本文のみということではないと私は思います。そういう意味でございますから、考え方としてどうかとおっしゃいますけれども、その点についてこれが直ちに指導要領に反したというのはちょっと理解しにくい点でございます。
○湯山委員 福田局長、そういうでたらめな御答弁をなさらない方がいいと思うのです。本文から理解させると書いてあるんですよ。あなたの言われるのは理解しやすいようにするという意味でしょう。そうじゃなくて、文章から理解させようとする態度を教科書の編著者の態度として認めておる。その証拠にあなたは古い編纂趣意書をごらんになったことがございますか。審議官どうですか。
○高山説明員 見たことはありません。
○湯山委員 もとの小学理科の編纂趣意書、それに類するものを見たことはありませんか。
○高山説明員 忘れました。見た記憶はございます。また、ここには持っております。
○湯山委員 それで一体教科書の審査ができますか。局長は見たことはありますか。
○福田政府委員 私は見たことはございません。
○湯山委員 それでは、局長は小学校の理科の本をお使いになりましたか、小学校時代に。
○福田政府委員 私はもちろん使ったはずであります。
○湯山委員 はずではなくて、何年から使いましたか。
○福田政府委員 三年からだったと思います。
○湯山委員 あの理科の本は使わなければならぬ本ですか、使わなくてもいい本ですか。審議官、どうですか。
○高山説明員 明治四十三年の時分は必ずしも児童生徒が使わなくても、先生が教えたというふうには記憶しておりますが、その後の、先生のおっしゃる本は昭和何年か、大正何年か、よく存じませんが、ここにございますものですと、その点が不明でございます。
○湯山委員 そんな審議官でつとまりますか。私はもう少しはっきり申し上げますが、あの理科の本は使わなくていいんです。それは国民学校になるまでの理科の本というのはそうなんです。あなた、編纂趣意書を見たような気がすると言うが、それもうそです。理科には編纂趣意書はございません。教師用書の凡例に書いてある。そうなんですよ、局長。そこでどう書いてあるかといいますと、こうなっているんです。そして、このことはいまの学習指導要領にぴったり合っています。実に私は敬服しておるんですよ。教師用書の中に凡例として書いてあるのは、本書、つまり教師用書の中にあった「教材を甚だしく変更せずして教授し得る、学校のために別に、児童用書を編纂せり、児童用書は教師用書を用いて教授したる事項の大要を後日」——その場で使うんじゃないんです。よろしいですね。「後日生徒をして回想せしむるためのものにしてこれを用うれば生徒に筆記ぜしむる時間と労とを節約するを得べし、変更したる教材については生徒に適宜筆記せしむべし。」こうなっているんです。だから理科の教科書というのは使わなくてよかったんです。これは教師の選択の自由があったわけなんです。しかも授業中に使う教科書じゃありません。これは終わったあとで後日——そのときは実験をしたり、物を机の上に置いたりしている。そこでそんな筆記するゆとりもないわけですね。そこで習ったことを後日に回想する、筆記のかわりなんです。これだけりっぱな——これは昭和十年過ぎまで使われた教科書です。それにちゃんとそう書いてある。教師用書が本体で、児童書は使っても使わなくてもよかったんです。それを審議官ともあろう人が知らないで、こんなふうにいいかげんな文章を書いて、「本文から理解させる」——本来これは使うのが間違っているんです。理科の授業のときにおそらく児童用書を机の上に置いて読ませている先生があったら、そういう授業をしちゃいかぬ、これがほんとうなんですよ。そうでしょう、局長。これはおわかりいただけるでしょう。そうなんです。聞いてごらんなさい、ずっと当時の図書監修官から理科にあずかった人に聞いてみてください、みんなそう言っている。その精神は理科だからいまも変わっていません。たとい戦前であろうが戦後であろうが、途中若干軍国主義的なものが入りました、確かに。それを抜いてあとは今も昔もちっとも精神が変わっておらない。だから私は理科の学習指導要領はよくできていると思っています。それを受けてやっている教科書は明治時代に逆戻りしているんですよ、これを使って授業せいは。それで審議官、一体つとまりますか。あなたは、こんな文章を書いて、これでいいんですか。御答弁願います。
○高山説明員 この文章の趣旨は私も先生のおっしゃるようなふうに狭い意味には解釈しておりません。
○湯山委員 じゃ、それはまだ保留しておきます。じゃこういうものを、お出しになった中の「教科書中の教材の地域性」、三九ページをごらんいただきたいと思います。その中に本文として書いてあるところは私もこれはけっこうだと思います。現にこの古い教師用書の凡例にもそう書いてあります。これは何もトノサマバッタという教材があったにしても、トノサマバッタを教えることが、それを知らせる二とが理科教育の目的じゃない、それに類するものの生活の状態、それを適当な教材を使って実際に生きている状態、実際に動いている様子を生活の場においてとらえさせるのが目的である、だからかりに学習指導要領にトノサマバッタとあってもそれを使う必要はないんだという、まことにこれは理科教育にふさわしい学習指導要領の指示です。ところが、そのあとですよ、そのあとに調査官諸君が書いている。何と書いてあるかと申しますと、これがまたとんでもないのです。これは大臣でもけしからぬとおっしゃると思うのですが、「(老婆心として考えると、その学習材料と対応して、教科書に取りあげられている材料も、一応理解させておくことは全国的に行なわれる学力テストに対処するためにも必要ではあるまいか。)」こうつけ加えております。とんでもないことです。理科教育は、学習指導要領でははっきり、そこに事物がなくて、トノサマガエルがいないところでは、ほかのツチガエルでもいいし、あるいはアマガエルでもいいしヒキガエルでもいい、何でもそれに近いもの、そこで生活の見られるものを使うのが理科教育では正しいのだと書いてある。ところがそうじゃなくて、「老婆心」云々と書いてある。これはうそなんだ、いいかげんなことで、実は先生はこういうことに影響を受けるのです。ここだけ一生懸命読みますよ。そうして、いまのように、かりにその地方にはトノサマガエルがいなくとも、あるいはトノサマバッタがいなくとも、教科書にあるものは教えておけ、全国一斉に行なわれる学力テストに対処するためにも必要なことではないか、こう書いてあるのですよ。これは、もしこういうことが行なわれるとすれば、学力テストをやめたらいいのです。実はいまの学習指導要領によって正しく事物について理科教育をやった、そこで、考える判断はどうなのか、観察する力はどうなのか、物を扱う力はどうなのか、これをテストするのです。ところが、物もないのに、物も見せないでただ教科書にあるからというのでそれを扱っておけ、そうすれば学力テストの成績はよくなる、それでは理科の力はわかりません。理科じゃないのです、いま言っておることは。そうでしょう、局長。どうですか。それじゃテストの結果だって間違ってきますよ。教科書で自分が実験もやってない、観察もしてないものを、テスト用に覚えたことで答えた正解と、ほんとうに実験した正解と区別がつかない。これは結果が違ってくるでしょう、対策も変わってくるでしょう。これでいいのですか、局長。おわかりになるでしょう、しろうとでも。
○福田政府委員 これは全く老婆心で書いたのだろうと思います。よけいなことだと私は考えます。ただし私どもの考えますのに、地域的に、植物にいたしましても、九州地方にはあるけれども東北方面にはないというものもございます。したがって、一例をあげますと、私どもは九州の生まれでございますが、春になりますとアブラナの花がたくさん咲く、こういうものはあるいは全国的には見られないかもしれませんが、そういうものがあるのだということはやはり一般の小さい子供に知ってもらう必要があるのじゃないか、そういうふうな意味のことは当然あってもいいのじゃなかろうかと考えております。別にテストとはこれは関係なくそういうことは教えてもいいのじゃないかと思います。
○湯山委員 私は九州の人がアブラナを知っておって、東北の人は知らなくてもいいのだと申しておるのではありません。それを知らす方法は幾らもあるのです。あなたがお習いになった小学校でも、炭鉱はなくても炭鉱の中で道がどうなっておる……。読みものでいいのです、そういうものは。理科じゃないのです。理科とはここにある通りに、実際の事物についてやるのが理科です。だから、知っておらなければならないということと、理科でこういうふうにするということは別ですよ。おわかりになりますか、その点は。
○福田政府委員 御趣旨はよくわかりますけれども、さればといってほかのところでそれが出てくるかというと、やはり理科で一番出やすいということではなかろうかと思います。そういった意味で理科でそういう特定のものについても教えられる限りは教えたほうがよろしくはないか、こういうふうに私は思っております。
○湯山委員 理科でどういうふうに教えるのですか。見たこともないものをそうやって教えてよいのですか、理科で。そんなことが学習指導要領のどこにありますか。そんなものは扱うなと書いてあるのですよ、学習指導要領には。
○福田政府委員 これは図解なりあるいは写真等で見せる場合もございましょうと思うのでございます、実物が手に入らない場合にはそういう方法も当然考えていいと思います。
○湯山委員 あなたはとんでもない。教材というのはトノサマバッタというのが教材のときは、そのバッタが教材ですよ。書いてあるものでは教材じゃないのですよ。これはよろしゅうございますか。
○福田政府委員 もちろん実物も教材でございます。しかし写真その他によって、たとえば視聴覚教材というものが最近は非常に多く出ております。そういう視聴覚教材を利用する場合も相当ございますし、したがってそういうものも私は教材と考えております。
○湯山委員 あなたの言うのはそれは理科じゃないのです。厳密な意味で理科とは言えないことを言っている。ただ教育というものの中にそういうものが入るということはいいと思います。ヨーロッパの風景とかヨーロッパの生物あるいは南洋の生物、これを知らせるのはいいのです。知らさなければならないこともあります。これを知らす方法は別にあります。学校図書館もありますし、テレビもあるし視聴覚教育でやることもあるのです。それをやってはいかぬということではなくて、こういう考えでいいか悪いか、学力テストのためというようなことでいいのですか。局長どうですか。
○福田政府委員 これは全般的に教えることは、テストとは別に私は関係ないと思っております。
○湯山委員 ないのに、こんな老婆心でも何ででも書いて、テストのために知らぬものも教えておけというのはどうですか。
○福田政府委員 これはさっき申し上げましたように、適当でない、ほんとうに老婆心で書いたのだろうと思いますが、そういう意味で申し上げたのであります。
○湯山委員 局長にお尋ねします。それだけ確信を持ってお答えになられるなら、理科教科書にはあやまちがあってはならない、間違いがあってはならない、こういうことが書かれております。これも局長はそうだとお思いになると思うのです。いまこの中に、教科書の誤りについて六人の調査官が共同執筆しておる中に、「教科書に誤りがあることは絶対に許されない。著者が心血を注ぎ、編集者が校正を厳にし、検定の段階でさらに検討が加えられて世に出た検定教科書に誤りはないはずである。しかしなおミスが発見されて新聞等をにぎわすことがある。教科書としては宇宙の大きさから地球の年令、ハスの根のあなの配列からビールスの大きさまで正確でなければならない。」これだけ正確さを要求して、「水てっぽうをにぎっている手の指が六本」あってはいけない。それから「女の子の洋服が左前であればやはり誤りである。」こういうことまで書いて、さらに読売新聞で、学問的に新しい説を入れた教科書が没になったということがあったのに対して反論をして、サボテンのとげは葉の変わったものだ、こういう断定をしておられるのです。葉の変わったものではないというのをこれを没にした。つまりサボテンのとげは葉の変わったものではないということを書いてあったために没になったという記事に対して反駁をして、それは間違いである、やはりサボテンのとげは葉の変わったものだという反論をして、しかも、たとえばそれがもしサボテンのとげが葉の変わったものではないということが事実だとすれば、小倉謙、植物形態学、猪野俊平、植物組織学、これらも改めなければならない、これだけ厳重に番いてある。この考えは私は悪くないと思うのです。ところがそう書いている御本人が、大へんなあやまちをしている。 いま理科の調査官がお見えになりましたからお尋ねいたしますが、あなた方が間違ってはいかぬといって指摘しておる中に、「教科書としては宇宙の大きさから地球の年令、ハスの根のあなの配列から、ビールスの大きさまで正確でなければならない。」ハスの根の穴の配列とは何ですか。
○木下説明員 お答えいたします。 そのときに私も正確には——ハスのあそこは地下茎でございます。ですから当然あそこは地下茎と私は一応書くべきではないかと思いました。ですけれども、普通私どもが——これは教科書として扱うのでなしに、一般の方がお読みになる場合に、ハスの地下茎といいましたときには、ハスの地下茎というのは一体どこだろう。普通の方はみなレンコン、レンコンというふうな表現をしておりますので、ハスの根といえばおそらくあそこのわれわれの食べるところだと御理解になると思います。そうするとそこの穴の配列といえば実物はそれでわかる。今申し上げたのは、あそこのわれわれが食べますいわゆるレンコンの穴の配列のことに触れたかったために、むしろわかりにくい地下茎ということばよりも、一般的な、何といいますか、ことばのほうがかえってわかりいいんじゃないかと思いまして、そういう用語を使ったわけでございます。当然いわゆる教科書としてはといいますか、正式な名前はこれは根ではございません。根は節と節の間から出るということはもう当然考えたことでございます。
○湯山委員 それが普通の読みものなら私はこんなことを申しませんよ。あなたが正確でなければならぬ、「地球の年令」それからいまのように「ビールスの大きさ」、子供にはわからないですよ。ただハスの地下茎の穴だけは子供でもわかる。 それでは局長にお尋ねします。同じ中に私の胚珠というのがあります。松の胚珠というのはおわかりですか。
○福田政府委員 わかります。
○湯山委員 どこにありますか。幾つありますか。
○福田政府委員 数は私ちょっと忘れましたけれども、二つだそうでございます。
○湯山委員 それからサボテンのとげは葉か茎か、こんな議論をここでしておるのです。父兄にわかりますか。一般の人にレンコンが根か茎かがわかりますよ。穴があいているのです。それから胚珠が内側にあるか外側にあるか、学問的にもむずかしい問題をこの中に長々と書いてある。今度はさらにサボテンのとげが葉か茎か、この議論を長々と書いてある。しかも猪野俊平さんですか、だれですか、小倉謙、この形態学の大家まで出して言っておって、ここだけ、こう正確でなければならぬというところに、根と書いた方が一般わかりがする、そんなことでいいのですか、あなたはそういう検定をしておるのですか、そういう態度で検定をしておるのですか。それを聞いているのです。
○木下説明員 ただいまの教科書であれを根と書いた教科書はないはずでございます。ただ私そのときにあそこで穴の配列のところに非常に重きを置いたために、これはもう当然レンコンという意味でそういう表現をとったわけで、それを非常に不適当だ——普通われわれはレンコン、レンコンと害うので、おそらくハスの根と言ったほうがわかりがいい、そういうふうに私は解釈したわけでございます。
○湯山委員 ああいうふうにでたらめを言う調査官だから大臣困ると言うんです。おわかりでしょう。あなたの論法をもってすれば、子供の教科書には根とは書かない、茎と書く。これは子供の教科書じゃないんですよ。おとなですよ。それにはわかりやすく根と書いている。でたらめじゃないですか。 もっとお尋ねします。あなたの論法をもってすれば、レンコンというから根だ。鯨は魚だ、字は魚へんを書いてあるから魚でしょう。魚屋で売っているでしょう、海の中を泳いでいるでしょう。あなたの論法をもってすれば鯨は魚だ、こうなんですね。一般にわからすためにはそうなんでしょう。魚屋に売っているし、水の中にいるし、字で書いても魚へんを書くのですよ。そういう調査官でいいのですか。 ついでですからもう一つ言います。ビールスの大きさというが、ビールスとは何ですか。
○木下説明員 いまちょっと私、レンコンと申しますときは根でなしに、いわゆるそのことをいう、そういう意味だと思いましたけれども……。だからレンコンといったら根ではないということには——ちょっと私は聞き取れませんでしたけれども、いわゆるレンコンというときには茎のことをいっておるわけであります。 それからビールスというのは何のことかという御質問がちょっと私にわかりかねますが、ウイルスといわなければいけないという御質問でございますか。
○湯山委員 そうです。
○木下説明員 それは実は正しい用語集はビールスになっておりますが、そのあとでウイルス学会というのができて、ウイルスという言葉も使われております。ですが、正式な用語はビールスになっております。
○湯山委員 それもあなたもう少し勉強して下さい。法律をごらんになりましたか。京都大学にビールス研究所ができました。そのときに文部省からウイルスというのが出てきて、聞いたときに、いまはこれが正しいのだ、文部省はこれ一本で統一する、こういうことで出てきたのです。私はウイルスというのは耳なれない名前だから、ビールスにしたほうがいいんじゃないかと言ったけれども、これは文部省の意見なんです。今度は農林省設置法にも出ています。今度は植物ビールス研究所ではなくて、ウイルス研究所、これも私はあげ足とりじゃなくて、あなた方がこういうことを書いているから言うのです。同じこの中に書いてあることがあまりいばっておるから、ついお尋ねしたいのです。それはどういうことかというと、用語のことについてありますね。その中で、いろいろ用語はあるけれども、理科では同じ用語を使用することが望まれる。だから、子供の負担をなくするためにも、誤解をなくするためにも、用語というのは統一してかかる。ところが、その同じ文部省から出ておるものが、ウイルスは正しいのだ、当時の稲田大学局長がそれでずいぶん資料を出して、このとおりですと、やったのですよ。それを今度は、あなたは、ビールスが正しいのだ、一体どうなんです。もう答弁はいいです。いいが、いずれにしてもこんなふうに二つになっていることは間違いない。一つにしなければならぬと言いながら、二つになっている、悪い点、まだあります。ついでですから申しますが、一体この教科書はだれのためにつくったのですか。
○木下説明員 それは学校の児童並びに——もちろん児童のためでありますが、先生のための資料としてももちろんお使いになると思います。それを特にお聞きになる意味がちょっと私には……。
○湯山委員 いや、あなたがそういうことを書いてあるから、だれのためにつくった教科書かというのです。
○木下説明員 それは当然児童のためだと思います。
○湯山委員 ところがそうじゃないのです。この資料によれば、そうは書いてないのです。申してみますと、こう書いてあるのですよ。非常に教科書には紙の数の制限があって、内容を簡素に表現することが要求され、そのためにさし絵や文章に非常にこまかい注意が払われておる。しかしながらその中には、子供にはそこまでは教えないが、指導する先生は心得ていなければならない点を含んでいる場合もある。いいですか。あなたたちの検定する教科書には、子供に用がない、先生だけに用のあるものも含んでおるのでしょう。書いてあるのだから、そうでしょう。
○木下説明員 これは子供のためのものでございますけれども、その教科書を使って指導されるのは先生でございますから、先生が御使用になるということは、当然前提として私は考えなければならないと思います。
○湯山委員 それはあたり願えのことなんです。それをとやかく言っているのじゃありません。しかし、書いてあることは、子供に教えないのだけれども、教師としては心得ていなければならないことも入っている、こういうのでしょう。こう書いてあるのですよ。だから、それじゃ子供には要らないことで、先生のために書いてある文があるわけでしょう。子供にはそこまで教えないと書いてあるのだから、そうなりますね。
○木下説明員 具体的にどこを御指摘になっておるのかわかりませんが、おそらく電気のつなぎ方のところだと思いますが、同じ教材を使うにしても、先生の指導で、非常に程度の高いところまでも教えられることもございますし、それから同じ教材を使っても、それほど程度を高く指導しなくてもいい場合があると考えるわけでございます。そのときの生徒の学習の能力だとか、そのときの学習の進み方によって、先生がもっとその教材を使って御指導なさる場合もありましょうし、そこまで触れなくてもよくはないかと考えることもあるわけでございます。そういうことを、そこでは意味しているわけでございます。
○湯山委員 そんな文章の読み方で検定ができますか。文章は、そんなにあなたの言うようには書いてないのです。自分の書いた文章ですから、もっとこのとおりお読みになったらどうですか。四〇ページには、「こどもにはそこまでは教えないが指導する。先生は心得ていなければならない点を含んでいる場合もある。」とちゃんと書いてあるのですよ。これは子供のために書いたものが教師の役に立つ、あたりまえです。そうでなければ教えられないのだから、それはわかります。そうではない。子供には教えなくてもいいけれども、先生のために書いてある。そういう指摘でしょう。そんなものまで入れたら、教科書のコストは幾らでも上がります。
○木下説明員 その意味は、表現が非常に簡単になっているために、先生が御理解になってもっと説明なさるべきだ、そういうふうな意味だと思います。
○湯山委員 どうしてそんなに日本語を読めないのですか。それだけでも調査官の資格はないですよ。読んでごらんなさい。自分で書いたのを読んでごらんなさい。そんなふうにどうしてとれるのです。でたらめじゃないですか。まじめに聞いておるのですよ。あなたたちの書いたのを、ゆうべもとにかく読んでいたら、たいへんだ、こんな教科書を出されたら子供たちたいへんだと思ったから、一生懸命読んでお尋ねしておるのに、どうしてそんな答えが出るのです。もっとまじめに答えてくださいよ。
○林説明員 ただいまの御質問に対しまして、執筆者の一人に名前を連ねておりますので、一例をあげて説明いたします。 読む先生のほうが心得ておらなければならないで、生徒にはそこまで読めないだろうというものが教科書にあります。たとえますと、空気は押し縮めるとふくれようとするという表現がございます。これは、押し縮めた空気はもとに戻るという表現を使っている教科書はありません。もとのようにふくれると書いてあるようなものはございます。非常にわずかな差でございますが、空気というものはバネ、スプリングのようなものと違いまして、つまり固体の弾性と違いまして、もとに戻るという性質はありません。見かけ上もとに戻るように見えますのは大気圧です。もとに戻ると書くとやかましく言えば間違いでございますが、しかし、ふくれようとするというのともとに戻るというのとの差は、生徒には読み取れないかもしれませんが、先生のほうはそこまで心得て読んでもらえばいいくらいに表現に注意してもらっておる、そういう意味であります。
○湯山委員 それは詭弁です。あなたはそういう詭弁を言うから困るので、そうじゃないのです。子供にはそんなところまでやらなくていい。また、子供が縮めたらもとに戻ると言おうが、ふくれると言おうが、どうしようと言おうが、ちっともかまわない。見た事実を言っているから、それをとやかく言う筋合いはありません。 私は、あなたが理科のほうでしたらお尋ねしたいのですが、愛媛県でこういう例があったのです。お答え願いたいと思います。入学試験のテストを全県一斉にやりました。そして水の電気分解、これに交流を通じた。通常使うものです。それに対して三つ答えを出して、一つは、電気分解は起こらない、それから一つは、二対一の割合に水素、酸素が分かれる、一つは、混合気体が同じ量たまってくる。あなたはどれが正しいとお思いになりますか。
○林説明員 もう一度お願いしたいのでございますが……。
○湯山委員 子供に読ませる文章ですから、厳密に学問的ではありません。何ボルトとか何アンペアということは申しません。いま、蒸溜水に希硫酸を入れて電気分解をやった。それに交流をつないだ。そしたら、いま二対一の割合に分離した、あるいは電気分解は起こらなかった、それから混合気体が等量たまった、この三つですが、どれをあなたは正解となさいますか。
○林説明員 最後の、等量に出たというのが正しいと思います。
○湯山委員 それはさすがにごりっぱです。実はそうなんです。ところがこれはいろいろむずかしい条件がありますけれども、県の教育委員会はそれを間違いにして、電気分解は起こらなかった、これを正解にした。ところが愛媛県の北宇和郡の松野、ここの山木英作という人は、それでやったら子供たちから疑問があって、これは実験段階で、交流をつないだらどうだろうとやったら、分かれたのです。その学校の子供だけは全部あなたと同じようにまるをつけた。全部バツですよ。私が何を言おうとしておるかというと、あなた方もそうです。いまのこちらの方の詭弁を聞いてみると、確かにそうなんだ。困ったら権力的に——そんな権力はないとおっしゃるけれども、局長も御存じないけれども、振りかざして詭弁を弄して権力で押えていっている。あなた方現にそうやっておるのです。この間村山さんが読んだ中にもあったと思いますけれども、そういう態度が正しいのかどうかです。大臣だってそれはけしからぬとおっしゃると思うけれども、本願寺や天主堂を教材にするくらいなら靖国神社を教材にせよ、これはお聞きになりましたね。局長お聞きになったでしょう。そのあとのことばです。「筆者がこう言うと、おそらく、軍国主義の公然たる揚言だという非難がわき起こるかもしれない。好ましくないことである。」こういうことなんです。実に尊大千万じゃないですか。あなた方自分でそんなもの間違っちゃいかぬといいながら、地下茎を根といって、形態学を論じている中でそういうのだからおかしいでしょう。サボテンのとげが葉か茎かというので議論をやって、その証拠にはこの本もこの本もそうだ、小倉さんも書いている、猪野さんも書いている。そうやっておいて、自分で茎と根を間違えて、ハスの根の穴の配列を間違えてはいかぬ、こうやられると、結局大臣竜本を見ない、局長も本を見ない、それについては信頼してまかされておる。あなた方は権力で押える、おどかすんですよ。これを見ますと、全くなってない。老婆心でこれを書いたのはどなたですか。その中でさっきお見えにならなかったからお尋ねしますけれども、その地方で得られないものでも教えておけば全国一律でやる学力テストにはためになるからということが書いてありますね。だれがお書きになったのですか。責任は六人共同でしょう。これで一体テストの結果が正しく出ますか。
○福田政府委員 書いた人はきょうは見えてないそうでございます。
○湯山委員 書いた人が見えないと言ったって、六人名前が書いてあるんですよ。木下三郎調査官、林伝一郎調査官、森久信之調査官、森川久雄調査官、水之江正則調査官、有田忠雄調査官、六人連名です。原稿をごらんになったでしょう。だれが書いたのですか。はっきり言ってください。大臣は、能力の悪いのがあったら考えなければならぬと言われた。私は能力はこんなに悪いということをお見せしたのです。だれですか、書いたのは。重大な責任です。これはある市の教育委員会の人ですが、正しい授業をやろうと思っても、学力テストがあるまでは復習です、去年の復習、ことしの復習、その方が学力テストの成績はよくなる、指導主事は困っていますよ。学力テストの弊害は大臣にこの前予算の分科会でお尋ねいたしました。それに対して大臣が、そういう弊害があるようならこれは気をつけなければならぬ、ないように努力するということを私にはっきりお答えになっておられるのです。それをあなた方がこのとおりこわしている。いいのですか。大臣いかがですか。
○荒木国務大臣 学力テストは成績だけを上げるのが主目的じゃないわけですから、いまお話が出ましたように「教育委員会月報」にそういうことが書かれることは無用のことだと思います。学力テストは共通普遍の課題をとらえまして到達度を見ようというやり方であって、成績がよかろうと悪かろうと、よければよいで、悪ければ悪いでその原因を探求して、欠陥の是正に資するためのものですから、単にペーパーテストの一回だけのものの成績をよくするというそのことだけが主目的になることは脱線だと思います。
○湯山委員 その脱線を調査官がやっておられるのです。私は学力テストは反対ですけれども、大臣の言われた範囲内においては当然そうなければならぬと思う。ただそれができないのですね。いまのような調査官がいて、こんな老婆心を書いて、それからいまの教育委員会が手をあげるほど正規の授業をやってくれない。だからなかなかそういうことになっていないから、学力テストを見合わされたらどうですか。大臣のおひざ元がそういうことをやっている。教科書もこんなでたらめな指導をやって、しかもこれは権威者がやったから指導の指針にせよ、これで検定できますか。私たちしろうとが、全然関係していない者が見たって——ゆうべこれを見ていて、ほんとうに腹が立ちました。正直に言います。だからきょうまともな質問をしようと思ってやったんですけれども、これではとてもまともな質問はできない。こんな人たちに教科書の検定はまかせられない。これならまだ私がやった方がましですよ。ほんとうにそう思うのです。一体こんなことを書いたのはだれですか。
○福田政府委員 ここに連名で名前を書いてありますが、この名前を書いてある六人の者の共同責任だと思います。
○湯山委員 局長は御存じないから、そういうことをまた言うのです。ごまかさないようにしましょう。さっきは書いた者はいないと言ったでしょう。いまはまた共同責任、そういうことを言わないで——ほんとうに心配しておるのです。理科の教科書なんというものは、申し上げたとおり実際は戦争になる前のほうがよほどいいのです。算数でもそうなんです。これはあとで申しますけれども、明治三十九年の算数の教科書のつくり方なんて、ほんとうに頭が下がります。それから修身だってそうです。修身の教科書を低学年に持たせるか持たせないかということをやるときに、高等師範と全国の師範学校全部で調査をやって、これは編纂趣意書の緒言に書いてあります。六十八件の中で可とするもの五十三の多きに達せり、その理由とするところは、感興を助け、復習に便にし、家庭との連絡をはかり、学習効果を上げることの役に立つ、反対意見のおもなるものとして、重要なるものは、父兄負担の増についてである、しかし文部省は、この際は効果に着眼して発行することに決した、ただし価を廉ならしむることにつとめたり、こんなに丁寧なんですよ。どうですか、いまの教科書に対する態度は……。これでは大臣はおれが全責任を持つのだと言えませんよ。小学校の算数についても私は聞きたいのです。いまはもう算数も何も一緒くたにしていますけれども、小学校の算数の本なんか使わなくてもいい。戦前の本には、編纂趣意書に実に丁寧な説明があります。あれは問題だけですから。そうでしょう、局長もお使いになったのはほとんど問題だけでしょう。
○福田政府委員 私の記憶ではおっしゃるとおりだと思います。
○湯山委員 そこで本は使わなくていいけれども、子供に問題を写させたり先生が黒板に書いたりする時間を節約するために、ちゃんと書いて児童用書をつくったのだ、とれだって教師用書を使っておるところもございました。そのときに答えを切り抜いて子供が答えを見られないようにしたでしょう。局長、そういうこと御記憶ありませんか。
○福田政府委員 算数に限らずほかの教科書でも同様でございますけれども、解答の例はあったように記憶します。やはりそういう場合にはなるべく見ないで解いてみるというのが私どものときのやり方でございました。
○湯山委員 それが正しいのです。ところがいま言ったように、いまの理科の教科書は、これにこれを加えたらこうなる、これをこうすればこうなる、何も苦労しないで、からだを使ったり物を使わなくても、これだけ見れば済むのです、過程だけは。それじゃいかぬというのが学習指導要領の精神なんです。それをこわしておるのが調査官の指導なんです。この考えで検定されたらたいへんなんです。子供の教科書だけじゃなくて先生の分も少し含まれておるぞ、ちょうちん持ちじゃないですか。だからこんな教科書を使われちゃたまらぬ。検定されてはたまらぬ。ほんとうにそう思うから、きょうはこういう聞き方をしたくなかったのですけれども、これは聞かなければたいへんだ。これでやられたらたいへんなんです。もし良心的な先生がいたら、さっきのように協議会かなんかやれば、この教科書を返上しようという決議になると思います。それでも使わなければならぬ、法律によって。そんなものですか。そこで、私はこういうことじゃいかぬからやはり責任をはっきりしてもらう。そしていまの根と茎の問題なんかもそんなでたらめ言っちゃ困るですよ。間違ったら間違った、わからなかったらわからなかったとどうしてすなおに言えないのです。そういう態度だから、今度著者が持ってきたものについて変な難くせをつけて、因縁情実で通して、何か悪いこと、暗いこと、があると言われてもしかたがないような、権力をかさに着た指導をしている、そういう事実もあります。しかしそれを申し上げるのは私は遠慮しますけれども、ここでこれだけ言っただけで、だれでもそういう疑いを持つでしょう。大臣や局長はここの答弁では非常に謙虚に、これはこうだと言われても、そういうことについて大臣も知らぬ、局長も知らぬものだから、いい気になって、実に横暴な調査をしている、指導をしています、そうでしょう。だからこそ、いまのこれだけはっきり間違っておっても、学力テストの精神をぶちこわすような指導をしておっても、まだ何とかかんとか言っている、そういう人が一体調査官になれますか。人格的にどうなんです、絶対許せないと思う。これは全国の子供たちのために私は言っています、子供の使う教科護ですから。そうでしょう。
○福田政府委員 湯山委員の御指摘になりました点は、私も非常にいろいろな点において有益適切な御指摘であろうと思います。したがいまして、教科書の検定につきまして私ども直接この検定の仕事には携わりませんけれども、やはり責任を持っておりますので、そういった今後のいろいろな検定の仕方についてはつとめて謙虚にまた公正にやるということを私も考えております。したがって今後もそういう方向でさらに戒心をしてやりたいと考えております。
○湯山委員 局長のお考えは了といたしますけれども、公開しなければだめですよ、いまの調査官は全部。公開の検定をやらせなかったら直りませんよ。それはなぜかと言ったら、局長もよくおわかりにならないでしょう。全責任を持つ大臣もおわかりにならないでしょう。結局天上天下唯我独尊です。学力テストを幾らおやりになったって、こうやってこわしているのですから。公開なさるなら私も局長の言われたことをそのまま信頼いたします。どうですか、公開なされますか。
○福田政府委員 公開とおっしゃいますけれども、これはまたいろいろな点で相当問題があろうと思います。したがいまして、私どもはできる限りこの検定にあたっては、発行会社あるいは編著者等々、できる限り公正な立場で話し合いを進めていくというやり方をしておりますので、最近におきましても必要に応じて、この前の委員会でもお尋ねがございましたが、教科書発行会社としては場合によってはいろいろな問答を録音テープにとってくる、そういうことも一つの公開の方法だろうと思います。必要に応じてそういう方法を取り入れまして、できる限り発行者あるいは編著者に満足のいくようなやり方をとっていきたいと考えております。
○湯山委員 録音も調査官はとらせないのです、そうでしょう。いまおっしゃったけれども、そうでしょう。局長、そうなんです。だから、局長がお立ち会いになるか、全責任を持つというのなら大臣がお立ち会いになって、一ぺんこうだということをおやりになってみてください。そうでなかったら、こんな態度では、大臣の検定した教科書を信用していいということは絶対私ども言えません。大臣もおわかりいただいたと思うのです。そして高圧的に教科書の著者をずいぶんいじめておる。だから著者もびくびくしております。これが実情なんです。ですから、この問題は私はこれでおさめるわけにはまいりません。というのは、いま無償供与ですから、値段の高い安いは子供、父兄の段階ではないのです。値段の問題なんか、局長、これは書いておられるから、局長の認識不足だからお尋ねしようと思っておりました。値段の問題は、父兄の問題、子供の問題ではないです。大事なのはいい教科書をどうつくるか、そこで、明治三十九年の、父兄負担はふえるけれども、教育の効果をあげるためには児童用書をつくるのだ、この明治三十九年の態度がなぜ学べないのですか、それを言いたいのです。この問題は私はうやむやにしたくありません。これだけはっきりひどいことを書いて、しかもそれをすなおに認めて反省しない。局長だけ反省されても、あとの直接やっておる調査官は全然反省がない。まだこじつけようとしておる。これは私は絶対に承服できません。責任者をぜひ呼んでもらいたい。このことを委員長にお願いします。すぐ呼んでください。
○福田政府委員 調査官はこういう委員会の席上に出ましてお答えすることになれておりませんので、いろいろお気にさわる点もあると思いますけれども、決して謙虚でないとかそういうことではございません。調査官全体としても、先ほど申し上げましたような心がまえで検定すべきものである、私ども戒心をしてそういう検定をやっていきたいと考えております。
○湯山委員 局長から御答弁もうけっこうです。そうではないのです。それで私大臣に聞いたのはそこなんです。大臣は教科書ごらんになりますか、局長もごらんになりますか、そうしたら実際は調査官を信頼してやっておるのだ、責任は自分が持つけれども、調査官を信頼しておるのだ、それでは大臣はいまの調査官みな信頼できますかと言ったら、できると大臣はおっしゃった。ですから、具体的に教科書の検定の責任は、審議会にもありますけれども、調査官にあるわけで、途中のいろいろな過程がありますから、——だからここでその答弁ができないような調査官なら、これもおやめ願ったらいいことで、それができないようなら編著者に納得のいくようにお話もできないでしょう。向こうの言うことが理解できないでしょう。ことにいまのように根と書いたのはこういう趣旨だ、茎と書くべきだけれどもこうこうだ、そう言いながらそのあとであんなこまかいことを書いておいて、そして根と書いたのは意図的に書いたのだ、こういう言い方をしたりするようでは私は絶対承服できません。これは絶対間違いです。あなた方が言っておる猪野俊平さんの木をごらんなさい、小倉謙さんの本をごらんなさい、それを見ろとあなた方は書いておるのだから。にもかかわらず、それをここでごまかそうとする。そんなことでいいんですか。そういう教育をしていいんですか。そういうことですから、委員長責任者を呼んで下さい。
○床次委員長 暫時休憩いたします。 午後四時三十一分休憩 ————◇————— 午後四時四十分開議
○床次委員長 会議を再開いたします。 ただいまの湯山委員の質疑に対しては、大臣、局長の答弁は了解できますけれども、調査官の答弁についてはなお了解し得ないものがあると認められますので、その措置については委員長におまかせ願いたいと存じます。御了承を願いたいと存じます。 引き続き質疑をお許しいたします。湯山勇君。
○湯山委員 なお私は教科書のいまのような性格について、これは御参考までに申し上げて御配慮いただきたい問題があります。ちょっと申し上げた算数の教科書なんです。これも従来は算術の教科書というのは低学年にはございませんでした。それを低学年から実施する、小学校三年から用いるというときに、文部省がどういう配慮をしたかということを御参考までに申し上げたいと思います。 それは問題集ですから、さっき申しましたように、問題を写し取り時間を浪費することが多い。教科書のないためにですね。それから特に複式に対する配慮があるのです。複式にありては、時間の節約を要することが大であり、自後の調査によれば、三年より筆算を課することにより利用できる。こういう正確な調査を公表している。さらに弊害として、「ひそかに児童用書を発行する者あり、家庭、学校にても多くこれを用いる者あるに到り、かくては国定の趣旨に合せず、害毒を流布するおそれあり。」こういう懇切な説明を編纂趣意書につけてそれで使わしておるのです。ところがいまはそういう御配慮が教科書について全然ないのです。こういう配慮はどこから出るかというと——大臣から一切をまかされておる調査官の皆さんがこういう親切な態度をとらないと出てこないのです。こういうことをしないで、いまのように権力的に、しかも秘密主義でやっておるところから問題が発生してくるのであって、こういうことはひとつ編纂趣意書をよくお読みいただきたいと思うのです。文部省にはないでしょう。調査官いかがですか。
○高山説明員 残念ながらございません。
○湯山委員 それですから困るのです。さがせばあるのです。私も一生懸命さがしてみました。国会図書館には古い教科書もございませんが、さがせばあるのです。そういう努力をしないで、教科書がどうなってきた、過去においてどうであったということも知らずに、文部省でこれさえなくて、教科書の検定をするとか編さんをするとかいうのは、私をして言わしむれば僭越だと思います。先人の労苦というものはそれだけとうといのですよ。算数の本をつくるだけでも児童用書を出すか出さないか、修身の本を出すか出さないかでそれだけ苦労しています。実地について、問題、時間、複式ではどうだ、そういう配慮をしている。そんな配慮がいまの調査官の皆さんにはちっともない。だけれども、いま委員長がそういうおはからいですから、これは私省きます。 大臣にお尋ねしたいのです。法律では使わなければならないとなっておりますけれども、いまのように理科の本なんか授業中に広げてそれで見ていってやったのじゃ理科にならないのです。確かにあとで役には立ちますけれども。それから算数もそうなんです。結局問題のあれが中心ですから、問題集的な——ただ配列は違いますけれども、子供にとってはそうなんです。だから必ずしも教科書を使わなければならぬという規定は——国定時代にも算数の教科書は使わなくてよろしい、こう書いてあるんですよ。編纂趣意書には、「算術の教授は、児童に教科書を用いずして行なうことを得べし。」使わなければならぬとも必ずしも使えとも書いてない。そういうこともできるのだ。理科なんかもそうなんです。教科書を用いなくてもやれる、ところがこれを使う。あとノートのかわりに使え、筆記のかわりに使え、これは正しい態度です。いまだに正しい態度です。そこで同じ教科書でも、国語のように、それを読んでその文字を理解し文章を理解する、そのことが一番大事なものもあります。そうでなくて理科とか算数とかいうものは、教科書というものの役目がうんと違っているのです。それを一律にこういうことでやるから、いまのような無理が出てくるので、必ずしも全部を使わなければならぬということじゃなくて、その間に若干のゆとりを持たせるという配慮は、私は学習指導要領の精神からいっても正しい態度だと思いますが、そういう点について大臣はどのようにお考えでしょうか、法律はわかっていますから、法律じゃなくて実際問題としてどうお考えでしょうか。
○荒木国務大臣 さっき私も五十工年くらい前の小学校時代のことを思い起こしてみたのですが、確かに私どもが習った算術の教科書もほとんど全部が問題集のようなものでありました。理科はありましたが、これもいろいろと説明書きがたくさんありました。ということも思い出しながら、なかなかむずかしいことだなという実感を持ったわけでございます。そこで制度論からいえば、それはわかっているから質問する内容じゃないとおっしゃるわけですが、それにしても教科書は文部大臣が検定したもの以外には使ってはならないというほど厳粛に学校教育法では扱っておるわけであります。それだけに先刻来のお話も慎重に拝聴いたしたのですが、調査官の責任もその意味において重大である、また重大な責任感の上に立って内示をしてもらっているものと信じておるわけでありまして、いまお尋ねの焦点は、必ずしも画一的に物理的に教科書を使うという単純さではいけないのじゃなかろうかという意味合いのお尋ねであったと思います。相当専門的なことでもありまして、いま即座にイエス、ノーとは申し上げかねますが、そのお尋ねのことも含めまして、教科書の今後の問題については十分により以上の慎重さをもって対処すべきであろう、こういう感じを持つのであります。
○湯山委員 それからこれは局長にお尋ねいたしたいと思うのですが、局長の御答弁は、さっきのように公開できない面もあるかもしれないけれども、できるだけ明瞭にする。そうすれば当然あまり深入りしないで、大体検定というのはこういう限界があるのだと示された範囲のことをやればいいわけで、深入りするととかくいまのような間違いも起こってくると思います。だからその限界を何らかの形で示す、それから編著者には親切に、これはどういうことがどうだと議論できるような文章で示していく、そういう配慮をこの際特にこういう機会になされなければならないと思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
○福田政府委員 いろいろ具体的な問題につきましては困難なこともございますけれども、御趣旨はよりわかりますので、私どもとしては今後どういった考えのもとに進めてまいりたいと思っております。具体的なことは今後いろいろ研究してまいります。
○湯山委員 それじゃ具体的なことについては別の機会に、この法案とは無関係にお尋ねしたいと思います。 その次にお尋ねいたしたいのは、やはり検定の問題についてでございますけれども、検定教科書の特質、特徴というのはどこにあるとお考えになっておられるか。と申しますのは、これもできるだけお答えを正確にしていただくために、今度の場合は検定と言いながら編著者は民間にあり、国じゃないという制度をとっておきながら、実は学習指導要領による制約があります。それから文部大臣の検定という制約もあります。これは幾つもの、段階があるわけです。それから今度は都道府県教育委員会の選定というのがあります。それから採択、それも広域採択。それからまた使用期間の制限を設けようとしておられる。それに対してなお県教委からのしなければならない指導助言がある。こうやってくると、実際はもう非常に使う人の裁量の余地というのはなくなって、これが使いたいと思っても使えない場合の漂うが多くなるというおそれがあると思うのです。そこで検定教科書には、国定に比べて長所があって、それを伸ばしていかなきゃならないという点があると思うのですが、それをどのようにお考えになっておるか。これは局長のほうから御答弁いただきたいと思います。
○福田政府委員 国定教科書の場合は、これはもう一色でございますから、ほかに比較すべきものはございませんが、検定教科書の場合は幾つも種類がございます。したがってその内容につきましてはやはり国語なら国語の教科書をとりましても、あるいはまた社会の教科書をとりましても、編著者がどこに重点を置くか、与えられたワクの中ではございますけれども、重点の置き方、それから記述の仕方でも、それに伴っていろいろ特色があるわけでございます。したがいまして検定教科書のいい面は、そういった特色を生かしながらいい教科書ができるということが私は検定教科書の一番の眼目であろうと思います。そういった意味で、学習指導要領の基準にはもちろん合致しなければなりませんけれども、その範囲内においてできる限り創意くふうをして、また編著者の考え方というものもできる限り取り入れて、いい教科書ができていくということが、これがやはり一番望ましいことだと思います。
○湯山委員 いい悪いというのは、そういうある制限の中ではありますけれども、できるだけバラエティに富んだものができることが望ましいということだと思いますが、その点はいかがでしょうか。
○福田政府委員 バラエティと申しますか、内容についてやはり特色を生かしたいい教科書ができていくということが望ましいと思います。
○湯山委員 そのいいというのは地域的なあれもありますし、あるいは学力の差もあるし、いろいろあるわけですから、だれでもがこれはいいと思って使えるような教科書ができる、一つではだめですから、できるだけたくさんあるほうが選ぶほうとしては選びやすいということになると思うのですが、そうすると、局長のたてまえからいえば、同じ教科の教科書があまり少なくてはいけない、相当数できなければ検定の趣旨というものには合致しないということになると思いますが、そう解釈していいわけですか。
○福田政府委員 趣旨はそういうことでございますが、現在の教科書は大体一教科について十種類ないし十数種類というのが普通でございます。したがってその中には特色のあるものもございますし、また私どもが見まして特色が特にあるというわけではございませんけれども、やはり編著者の考え方あるいは若干の重点の置き方というものはそれぞれやはり違いがございます。そういう諸図書と申しますか、そういうバラエティのあるのはございますが、大体十種類程度から十四、五種類でございます。したがってそういう程度のものは少なくとも私は必要であろうと思っております。
○湯山委員 それはよくわかりました。私もそうだと思います。そうすれば文部大臣が検定したものはそっくりそのまま採択に移す。途中でまたそれをふるいにかけるというようなことをしないで、そのまま採択をするということでいいんじゃありませんか。そうしないといま言われたように十種類くらい必要だ、今度都道府県段階で二種類か三種類かうんとしぼられては、そのほかに使いたい本があっても使えないということになる。そうして局長のお考えからいえば、都道府県段階でうんとしぼるということは意味のないことだと思いますが、どうもこの法律を見ますと、そんなようなにおいがいたしますし、そういう説明もあったようですから、それはいまの御説明と違っているのではないかと思いますので、もう一度お尋ねするわけです。
○福田政府委員 教科書の種類につきまして、全体としてそういう状況になっていることを申し上げたわけでございます。 ところで御承知のように、最近は教育委員会関係で教科書の研究ということが盛んに行なわれ、また教科書研究事業の盛んなところではいろいろな研究が行なわれまして、また現場の教師の研究というものもそれに加味されて、いろいろな結果が出ております。したがってそういうものがだんだん採択の場合に反映して参りまして、各府県で採択をしております結果から見すまと、全部の種類にわたるということでなくて、大多数はやはり何種類かに限定されてきておる、そういう状況になっております。したがって個々の学校をとってみますと、あるいはこの教科書が使いたいのだということもそれは希望はよくわかりますけれども、全般的に見ますとやはり五、六種類とか、あるいは種類はもう少し出てくるかと思いますが、その教科の全部の種類がそこで採択されているということでなくして、やはりその地域、その府県に適当なものが数種類選定されていくという傾向になっております。したがいまして私どもとしては、そういう見地に立って考えました場合に、採択の方としてはそういう何種類かに選定をいたしましてもさしつかえないのではないかというように考えるわけでございます。
○湯山委員 それは逆で、自然にそうなってくるのならそれにまかせるというのが私はいまの文部省の態度であるべきじゃないかと思うのです。と申しますのは、いまのようなことをしますと、非常に使いたいものがあった場合に、たとえば読本じゃ困りましょうけれども、何か副読本のようなものをつくって、副教科書でもつくって、県の教育委員会の承認を経てそれを使います、とめる手はないでしょう。どうですか。
○福田政府委員 副読本のほうはもちろんこれは教科書じゃございませんので、県教委の承認によって使用できるわけでございます。
○湯山委員 これも教材ですからね。教科書はただでくれるのですから置いておきます。返さなくてもいいのですからもらっておいて、実際の授業にはそれを使っていくという形態が出てくると、実際問題としてはどうにもなりませんね。だからなるべくたくさんの中から選ぶ、それにしても局長の言われたように自然になってくる分については、そうなっちゃいかぬという指導はいらないと思うのです。ことさらにこういうふうにしてやっていけば、私ならいまのような理科の調査官の検定した教科書は使いません。そうして自分でやって教育委員会の許可を得て、使うとすればそれを使います。それでも差しつかえないわけですね。無理にしぼるから……。法令上そうなっておりましょう。
○福田政府委員 現在の教科書は、御承知のように主たる教材ということになっております。したがいまして、検定教科書についてはこれは使用義務があるわけでございます。したがいまして、その教科書を使いまして、さらに副読本を併用するという場合はあろうと思います。その場合は、先ほど御指摘のように、教育委員会の承認なりそういう手続によってこれは使うわけでございます。教科書自体はやはり使用義務は課せられたものでございます。これは主たる教材として使っていただくということになっておるわけでございます。
○湯山委員 そういうたてまえはそれでけっこうです。ただ、いまの理科のような教科書を使ったんじゃ授業が困るのです。それならそれで戦争中にできたのがあります、理科の本で。それなんかはわりあいよくできていました。これは国定でした。そういうものをこれも使うわけじゃなくても持たせる、実際に使うのはそっちの方がよけい使われるということになったからといってどうにもならない問題で、私はあんまりこう狭い範囲にしぼらないで、採択の余地を残したほうが、なるべく広く残したほうが、大臣の検定という大きなワクがあれば、それ以上かってに中間段階でやらない方がいいと思う。それだけの権威はありません、実際に教育委員会には。そのことについては課長に一つ申し上げたいことがあるのですけれども、ないと思うのです。どうでしょうか。
○福田政府委員 今回は無償措置に関連しての問題でございますので、湯山委員のおっしゃることも十分理解できますけれども、私のほうとしてはやはり無償措置に関連いたしまして、ある程度定価の合理化ということも考えなければなりませんけれども、そういう措置に関連しての各般の考慮からやはり数種類に一応しぼって、そしてその範囲内でできる限り特色を生かした教科書を採択してもらうということのほうが、今回の措置に適切であろう、こういうように考えておるわけでございます。
○湯山委員 これはもう時間がありませんけれども、局長はたしかにそういうお立場もあると思うのです。国として財源的なものもあると思いますけれども、ほんとうに大切なのは子供なんです。ですから、その子供に無償でやる教科書をどうするかということになれば、いまおっしゃったような点は、これは局長としては大蔵折衝なり何なり必要だと思いますけれども、それによって採択を制限するとか、そういうことはお避けいただきたいと思います。 それと、課長は非常に暴言を吐いておるのです。いま局長は、現場の先生の意見も集まってと言われましたけれども、諸沢さんが課長ですね、いらっしゃいますか。あなたは同じくこの指導の中で、採択のことを「校長あるいは教員等教育の当事者に課することはむしろ教育行政上の責任を他に転嫁することとなるのであり、条理上も教育委員会が当然行なうべきものである。」こういう暴言を吐いておられます。これはたいへんな間違いです。いいですか。では校長、教員を除外して実際に採択できますか。この問題は、理事のほうから五時までと言われておりますから——これはまた重大な責任問題もあります。こんなことをやっていたらたいへんですから、もう一ぺんこれはあなたにお尋ねいたしたいと思います。きょうはここまでにして、あとまた続いてお願いいたしたいと思います。
○床次委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は来たる二十九日水曜日開会することとし、これにて散会いたします。 午後五時二分散会