文教委員会 第16号
- 発言数
- 234 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1963/05/22
会議録
○床次委員長 これより会議を開きます。 過日の委員会において私立学校に関する小委員会を設置いたしましたが、小委員長及び小委員の選任につきましては委員長の指名に御一任を願ってありましたので、理事会の決定によりまして私より小委員に 上村千一郎君 小澤佐重喜君 竹下 登君 長谷川 峻君 八木 徹雄君 小林 信一君 松前 垂義君 村山 喜一君 山中 吾郎君 以上九名の方々を指名いたします。 なお、小委員長に長谷川峻君を指名いたします。 ————◇—————
○床次委員長 次に、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案を議題といたします。 質疑の通告がありますので、これを許します。村山專一君。
○村山委員 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案が提案をされておるわけでございますが、私はきょうは文部大臣に、教科書のあり方の問題を通じまして、特に今日法律の手続によらないで文部省の省令なりあるいは各規則その他の行政的な行為によって検定という一つの既成事実をつくり上げて参りましたその問題点の中から、いま当面をしている教科書をめぐるところの諸問題について触れてまいりたいと思うわけでございます。 この法律の第一条を見てみますと、「教科用図書の無償給付その他義務教育諸学校の教科用図書を無償とする措置について必要な事項を定めるとともに、」ということで、第一に教科書を無償にするというその措置をとるのだというのが法律の第一の目的になっているわけでございますが、それと同時に、この措置の円滑な実施をやらなければならないということで、採択なり発行の制度を整備していくのだという二重の目的を持っている法案が今度の国会に出されているわけでございます。こういうように、いわゆる現在の義務教育諸学校に教科用図書を無償で給与するということは、われわれ社会党におきましてももろ手をあげて賛成をいたすのでございますが、その反面において、その措置をやると同時にこういうようなことをやるのだという、第二の目標としてとらえられましたこの採択なり発行の問題をながめてみますと、この中においては問題としていかなければならない点が数多く盛られている点をきわめて遺憾とするものでございます。 そこで大臣にお尋ねをいたしたいのは、この法律案は一体何をねらっているのかという点でございます。どちらのほうにおもなウエートを置いてお考えになって国会のほうに提案をされたものであろうか、この点をまず明らかにしていただきたいと思うのであります。
○荒木国務大臣 憲法が義務教育はこれを無償とすると定めておりますことを受けまして、その趣旨をふえんする立場から、この前の通常国会で義務教育諸学校の教科用図書を無償とする教科書無償法律を決定していただきました。それは法律でもって憲法の趣旨をふえんし、義務教育諸学校の教科書に及ぼすという趣旨であったのであります。これを実施するにつきましては、法律事項として無横措置を適切に行なうための諸般の事項がございますので、そのことを今度御審議願っていよいよ実行に移したい、そのための法律案を提案したつもりでおります。
○村山委員 だから、主たるねらいは教科用図書の無償措置をするのだという基本的なかまえをこの法律の中で打ち出していくために、そういうようなものに主たるねらいを定めてお出しになったのか、それともそれを円滑にやっていくために採択、発行というような問題にねらいを定めておられるのか、その点をお伺いしておるわけです。
○荒木国務大臣 純粋の無償措置、そのことに関します部分と、これを円滑に実施するために必然的に関連をもってきます事柄をあわせて御決定願うことが教科書の無償措置の目的を果たすゆえんだ、こういう考えで、御指摘の点は両方とも一体をなしたものとして考えておるわけであります。
○村山委員 一体的なものであるということに立って考えてまいりまするならば、これは教育委員会月報の五月号にも出されておりますが、現在の採択なり発行という問題の以前に検定という問題がございます。これは学校教育法に基づいて、なるほど検定権は文部大臣にあることは事実であります。したがいまして、検定の問題に対するところのその所在権をめぐる争いという問題で私が提起をしているわけではなく、その検定の手続をめぐる法律的な制定の動きは三十一年の教科書法案の中にもすでに出てまいりました。その教科書法案の中には検定についての手続が立法の立場からなされているわけでございますが、その三十一年三月の二十日に提出をされました教科書法案が国会の関係からこれが廃案ということに相なりました。それを受けまして、その後行政措置として検定につきましてはわれわれ立法府の定めない立場において行政行為の事実上の既成事実をあなた方が今日までつくっておいでになったわけです。その当時においてはその検定のあり方について、検定の手続については法律で定めていかなければならないという考え方をおとりになった。ところが今日の時点においては、そういうような既成事実を積み上げることによって検定の問題については何ら触れようとされない。これは一体どういうような考え方の変化があるのかという点をまず大臣からお答えを願っておきたいと思うのであります。
○荒木国務大臣 いま御指摘の点は特別に検討をいたしたわけではございませんが、お話のとおりかって法律という形で検定の手続の一部を考えるということを妥当なりとして御提案をしたことがあることは聞いております。それが廃案になりました出精等もむろん詳しく存じませんけれども、国会で一応廃案になりました以上は、その後の実施状況そのままで当面検定に関する限りはやっていっても適当である、かように考えまして、あらためて検定についての立法措置については触れなかったわけでございます。
○村山委員 立法府である国会に検定の手続についてお出しになった。そのときには、いわゆる文部官僚の手に検定権が実質的に握られていくのに対して、立法府の良識でこれをチェックしていかなければならないという考え方が基本的に私はあったと思う。ところがいまは野放しの状態に相なって、あなたの忠実な部下であるところの文部官僚の手によってこの検定権の行使がなされている。ところがその実態をめぐって幾多問題があることを私はいまから指摘をしてまいりたいと思う。そこでそういうような検定の問題については、いま大臣がお答えになりましたように別に討議をされていない様子であります。したがいまして検定の問題は、これは官僚独善の形で官僚の恣意にまかしていけばよろしいのだというのを立法府がチェックするというような考え方は間迷いなのだ、こういうような基本的なかまえ方で大臣はおられるのでありますかどうですか。
○荒木国務大臣 お話のような意味ではむろんございません。すでに御指摘のとおり、学校教育法第二十一条以下において、検定をした教科書を使わねばならないという趣旨のことは明確でございまして、検定の責任と権限が文部大臣に課せられておる。それを検定する行為をするにいたしましては、むろん憲法、教育基本法はもちろんのこと、教育に関する法令を念頭に赴きながら、教科書の意図するところの目的を完全に果たすための態度でもって検定が行なわれるべきことは、これは当然でございまして、あえて立法的手続をしなくても当面支障なかろうという判断に立つだけでございます。だからといって、官僚の独善とおっしゃいましたが、かつて気ままな行動が検定を通じて許されるはずのものではむろんないと存じております。
○村山委員 そこで私は、現在の検定の機構そのものがいろいろな制度、ワクの中において計画をされているものだと、もちろん考えるわけでございますが、この際そういうような実質的に教科書が提示されてそれを内閲をするという制度が行なわれている。その実権を握っているのは文部大臣ではなくて、文部大臣の下で働いている教科書調査官の意見によって、これはA項、これはB項というように指定をされ、A項というのは絶対に修正をしなければならない点であります。B項というのは、それは教科書会社にその意見を採用するか採用しないかはまかせるという取り扱いが現実においてなされている。そういうような中で、実際教科書の編成をめぐって生殺与奪の実権を握っているのは、文部大臣ではなくて、また局長ではなくて、現実に教科書を検閲をしている——もう検閲ということばを私は使いますが、検閲をしているその教科書調査官の手によって握られているという実態が出ております。そういうような仕組みの中において、あなたが小学校一年から高等学校の三年まで各教科書に目を通して、これがよろしいというような検定権は文部大臣にあるからといって、それを——あなたがチェックするだけの余裕はもちろんないはずであります。したがいまして、その教科書調査官がやっております行為というものに対してどの程度の実権をまかしておられるのかということを。この際私はお尋ねしておかなければならないと思う。この教科書調査官は文部省設置法によってどういうような権限がまかされているのですか。
○荒木国務大臣 詳しくは政府委員からお答えを申し上げることを御了承いただきたいと思います。 もちろん文部大臣が検定権、検定責任を法律上持たされておるわけでございますが、御指摘のように一々の教科書の検定を文部大臣が現実みずからやることは物理的に不可能でございますから、教科書調査官あるいはそれぞれの部局長等の職員が置かれておるわけでありまして、そういう検定行為を信頼して、結果において国民に責任を持つという体制のもとにいままで行なってきておるものと理解いたします。そういうことで、一々私みずからが具体的に検定をするということではもちろんあり得ないし、そうでなくても責任は言わなければならぬ、そういう心がまえであることを申し上げさせていただきます。 いまのお話の具体的なことは政府委員から申し上げます。
○福田政府委員 教科書調査官の職務でございますが、これは文部省設置法の施行規則によって「教科書調在官には、上司の命を受け、検定申請のあった教科用図書及び通信教育用学習図書の調査に当る。」こういう規定がございまして、教科書並びに学習図書の調査を行なうのが任務でございます。もちろん上司の命を受けた範囲内において調査に当たるわけでございます。
○村山委員 そういたしますと、この「上司の命を受け、」というのは教科書課長ですか。ここではどうなります。
○福田政府委員 もちろんこの「上司」は局長、大臣を含めての上司でございます。
○村山委員 そういたしますと、この教科書調査官は文部省設置法血行規則の第五条の2によりまして調査に当たる、そういうような内面的な活動の権限しか与えられておりませんね。その点どうですか。
○福田政府委員 内面的と申しますか、初等中等局に申請のありました教科書について具体的に調査する、こういう仕事でございます。
○村山委員 その調査することはわかります。調査した結果、自分たちの考え方というものを新聞に出したり——いろいろな文部省の機関雑誌に出すのは差しつかえないと思いますが、そういうような対外的なものに、自分はこういうふうに考えるということを文部省調査官何の何がしということでいままで出しておりますね。そういうような権限は一体何に基づいてされているのですか。
○福田政府委員 権限というわけではございませんが、一般の公務員におきましても同様でございますが、文部省の刊行する図書、雑誌等にいろいろな所説を書く、あるいはまた、その他の場合におきましても、いろいろ会議その他において意見を発表するということは、職務に支障のない限度におきましては差しつかえないと考えております。
○村山委員 たとえば文部省の「教育委員会月報」、こういうようなのに出されるのは何ら差しつかえないと私も思う。だが新聞等に教科書調査官の立場からということでお出しになる、そうすると、あれは文部省という一つの役所という立場においてなされる行為だ、その場合には、その出しました内容についてはだれが責任を負うことに相なっていますか。
○福田政府委員 新聞に井きました点につきましては、朝日のことをおさしになっておるのか知りませんが、教科書についての一般の民間の方々の御批判というものを出されて、それに対して文部省の検定調査官の立場というものを書かれる、これは事実そういうことを何回かやったわけでございますが、この内容につきまして不当の点がございますれば、もちろん私どもの責任だと考えます。
○村山委員 「私どもの責任」ということは、局長ですか。「私ども」という複数ではなくて、責任はどこにあるのかということを私は一応尋ねておきたいと思うのです。
○福田政府委員 私でございます。
○村山委員 そこで、私はここにわれわれ委員全員に配られました教科書の特集、これを見て非常にびっくりしたのです。福田さんが取り上げられておる問題はあとで論議いたしますけれども、初中局の審議官、高山政雄さん、この人の考え方は、現在の教科書の検定のあり方をめぐって非常に良心的な聞き方をされておると私は承ります。ところが諸沢さんの論説を見てみると、これはうそがあります。大きなうそをいっていらっしゃる。そのうそについては、後ほどまた小林委員の方からも指摘があるかもしれませんが、採択に関連をしての東京都の実情、これはうそであります。それからこれをずっと見ていきますと、今度は教科書調査官が担当してずっと記事を書いておる。 そこで、私がきょう問題として取り上げてまいりたいのは、「社会科教科書における歴史教材」ということで、村尾次郎さんという調査官が非かれた論説、これであります。この村尾次郎さんの考え方というのは、このことに関する限り村尼次郎という調査官の個人的な見解であるのか。先ほど福田さんがお話しになったように、これは初中局から出ている月報ですから、都道府県なり市町村の教育委員会、こういうようなものにずっとお配りになっていらっしゃるはずです。とするならば、これは文部省の一調査官の名前は出ておるけれども、これについての責任は初中局長のあなたが負われるものか。それとも村尾次郎というこの調査官が個人的な見解として述べたものをここに出しておるのか。その点を明らかにしていただきたい。
○福田政府委員 この村尾次郎氏の諸論は、むろん村尾次郎氏の考え方でございます。それをここに古いておるものと考えております。
○村山委員 個人的な考え方をこういう特集号にお出しになることもわからぬでもないのですが、社会科の調査官は何名おりますか。
○福田政府委員 十名でございます。
○村山委員 そういたしますと、その前に「社会科教科書における創意工夫」というのを、新美さんですか、お出しになっていらっしゃいますね。主任官はたしか太田さんだと思います。とすれば、これはただ単なる個人的な見解だけでなくて、ここに新美さんと、それから村尾さんという二人の調査官がお出しになったことは、社会科の担当主任官である太田さんが責任を負われるべきものであって、またそういうような人たちが代表して、社会科の問題についてはこうだ、こういうことを公の立場から述べたものだと私たちは受け取らざを得ない。なぜかならば——この「教育委員会月報」というのは、有料ですか。市販をする場合には有料ですが、名都道府県なり市町村の教育委員会から、どこまでこれは配られているわけですか。私は、少なくとも市町村の教育委員会までは配られているものだと想っているのですが、その点はどうですか。
○福田政府委員 有料でございます。各都道府県の市町村の教育委員会を、主として購読の対象にいたしております。
○村山委員 そうしますと、局長はこれについて目を通されたわけですか。これは地方保ですね。最高の責任者は地方課長ですか。その点はどうですか。
○福田政府委員 もちろん地方課で編集はいたしておりますけれども、その責任は私にあろうと思いますけれども、この村尾さんの論文は、私は事前には拝見いたしませんでした。
○村山委員 これは有料ですか。有料でしたら、これは指導行政としてお出しになっているのか、それとも広報活動として、文部省の見解はこうなんだ、こういう立場からこれは編さんをしておられるものなんですか。どうですか。
○福田政府委員 これは参考資料として、各教育委員会に購読を願っているわけでございます。
○村山委員 これは参考資料。そうすると、文部省はこういうふうに考えておりますということを、各都道府県の教育委員会、市町村の教育委員会向けにつくられて出しておられるわけですね。とするならば、これは文部省が、文部省の考え方というのはこうなんだということを、これにおいてお出しになったわけですか。その点はどうですか。
○福田政府委員 そういう場合もございますが、個人の論文を載せることも再々ございます。したがって、具体的にそれぞれの内容によって違ってくるわけでございますが、文部省として何何課というような署名でもってやる場合は別として、その他の場合は個人の考え方として、これが教育委員会に流れるということは、これはもちろん従来もございます。
○村山委員 局長は、この論文は、これができ上がるまでの間に、まだ見ていなかったということですね。結局、文部省調査官村尾次郎という名において、自分はこういうような考え方を持っているということを主張をされているわけですが、こういうような主張をされるにあたりましては、ここに新美さんと二人、社会科のほうからは特に二人の方がそろってお出しになっていらっしゃる。とするならば、社会科の教科書調査官というのが十人ほどおいでになる。太田さんという主任調査官もおいでになる。とするならば、そういうような考え方でこれからわれわれは教科書の検定にも臨むのだ、こういうような基本的なかまえを持ってお出しになったものだろうと思うのですが、そうじゃないのですか。
○福田政府委員 こういう考え方で、今後検定に臨むのだという方針を、これで出しておるとは私は考えておりません。これは、あくまで歴史教材の取り扱いについての村尾氏の考え方でございます。
○村山委員 そこで私は、そういうような問題もさることながら、こういうような調査官がはたして正しいかどうかということを、この内容の面から論議してみたいと思うのです。というのは、村尾次郎さんというのは、元富士短大の教授をしておいでになるそうでありますが、この方は歴史が専攻だと自分でもお書きになっていらっしゃいますね。この三二ページを見てみますと、こういうようなことが書いてある。「人物史はいまの流行で、小説徳川家康が飛ぶように売れるという今日「歴史教育論に人物史中心主義をいうのは流行に追随するようでいやな気がするけれど、実は学校も世間も同じことなので、世間が求めてやまないことは、やはり学校においても必要なことだと思う。」こういうふうに掲げて、いかにも人物中心の学習形態が望ましいのだ、こういうような主張をしておられます。ところが、これはあなた方が指導要領として告示されました社会科の四六ページ、これには、そういうような人物を中心にするようなことに教育が流れていかないようにしなさいということが明示してあります。ところが、こういうような徳川家康の小説が売れるから、世間の人たちはそういうような人物を中心に興味本位に考えている歴史観、一つの傾向というものがあるのだということは、世間のそういうような考え方というものは、いわゆる学校教育と同じなんだ、学校というものも、一般社会の中から特別に遊離した社会ではないのだから、世間で求めてやまないことは、やはり学校においても必要なことなんだ、こういうようなもののとらえ方というものを、非常に粗雑な形でなされておる。これは指導要領に違反する事項じゃありませんか。その点どうです。
○福田政府委員 私、必ずしもそのようには考えないのでございまして、教科書その他において歴史上の人物を取り扱います際には、あくまで教育的な立場において配列し、その記事を書くという、そういうようなことはもちろん根底において必要でございます。ただ、一般の社会において受けるから、あるいはその木について非常に需要があるからということだけでなく、教育的にこれを考えて、どういうぐあいにこれを配列し、どういうぐあいに取り扱いをするかということは、同じ人物を扱うにいたしましても、違ってくるだろうと考えております。したがいまして、一般の町で売っている本が非常に売れ行きがいいと申しましても、それは一般成人、あるいは一般社会の人を対象にしているものでございますから、これはまた別といたしまして、学校の場において子供にこれを教え、扱うということにおきましては、当然そういう教育的な配慮のもとにこれが書かれるわけでございますから、私は決してそういうようには考えておりません。
○村山委員 だからこう書いてあるのですよ。「「先人の努力や業績」を知り、この人びとに感謝しつつ今日の自分もこれらの人びとに続こうとする意欲をもうあげるようにすすめている。筆者は、このあたりに小学校の教科書を良くするためのかぎがあるのではないかと思う。人物史はいまの流行で、小説徳川家康が飛ぶように売れるという今日、歴史教育論に人物史中心主義をいうのは流行に追随するようでいやな気がするけれど、実は学校も世間も同じことなので、世間が求めてやまないことは、やはり学校においても必要なことだと思う。」こういうふうに述べておられる。それで指導要領の中で、人物の取り扱いについてはよく注意をしなさいということが書いてありますね。それをちょっと読んでみて下さい。
○福田政府委員 それは、取り扱うなということを書いているわけではございませんので、この論文のそこの表現が、あるいは足りない点があるかもしれませんけれども、一般の市販されているような小説類、同じようにやるという考え方ではないと私は思います。と申しますのは、指導要領の中にも、御承知のように、歴史上の人物を取り上げて指導する必要があるけれども、その場合には人物教材の長所、たとえば、児童の歴史的な理解を具体的にし、学習に対する興味を深めることができる点などを十分生かすとともに、時代的背景から遊離した取り扱いや、人物中心の学習に走り過ぎないように留意すべきである。これは当然のことを書いているわけでございまして、そういう趣旨で教科書等に扱う場合にはそうあるべきだと私どもは考えます。
○村山委員 世間が求めてやまないことは学校においても同じだ。これは、おとなの社会において徳川家康の本がなぜ売れるのか。これは今日の経営学の立場から徳川家康のそういう読みものに対する興味というものが自然にわいてくるのですね。ところが、では徳川家康は学校教育の中においてどういうような位置づけをしなければならないのか。これはやはり教育的な立場から見ていかなければならぬでしょう。ところが、この文章のような考え方でいくならば、世間が求めてやまないことは、やはり学校においても必要なことである。これはやはりそういうような人物史中心主義というものがこの中に生きてくるという考え方というものをお持ちになっていらっしゃるのじゃないかと疑われるような文章表現ですよ。そういうようにお思いになりませんか。
○福田政府委員 その点はこの表現の中からのみ——文字の表現としては古いておりませんけれども、もちろん調査官として、それを直ちに一般の町で売っているような本と同じように取り上げろという考え方は持っていないと思います。したがいまして、そういう一般に非常に希望されているようなものについては、もし扱うといたしましても、先ほど読み上げましたような学習指導要領の注意事項というものは当然かぶってくるわけであります。そういう慎重な取り扱いのもとに、これは取り上げるべきものだと考えております。
○村山委員 では次に移ります。 これは日露戦争の問題ですが、同じページに書いてあります。「これを侵略戦争と規定する傾向は戦後かなりながく継続したが、いまではまたもとに戻って防衛戦であったとする説の方が有力になってきている。」日露戦争というのは防衛戦というふうに考えられておりますか。
○福田政府委員 私は歴史学者の説は存じませんけれども、われわれが学校において習いました時代はそういうように教わりました。
○村山委員 学校において習った。それはあなたが何十年前に習われたのか知らないけれども、われわれもそういうような皇国史観——日本の国は天皇が治めて、天皇に忠義を尽くさない者は逆賊だ、こういうような考え方の教育を受けてきて今日に至っております。そういうような教育が間違ったからああいうような戦争という状態に入っていったんだ、そういうようなことを私たちは考え、反省をしている。あなたはそういうような教育を受けた。あなたはその当時は小学生であったかもしれない。しかしあなたはいま文部省の教科書行政を直接担当する最高の責任者である。初中局長ですよ。初中局長の立場からお答えをいただかなければ、三十年くらい昔のお話をお持ち出しになっても意味がないじゃないですか。
○福田政府委員 村尾氏の説は、戦後の一時的な教科書の傾向として、日本が侵略戦争をやったんだということを特に強調するような記述が多かったわけであります。そういった点はだんだん年を経ますと同時に順次変わってまいりまして、これに書いておりますように防衛戦争的な考え方を説く者が多くなったということを言っておるわけでございまして、私は侵略戦争だ、防衛戦争だということを特に考えているわけではございません。
○村山委員 そこで「その中心に立つのが乃木大将と東郷元帥であり、」、いま子供たちはそういうような人たちを知らない。そうして「日露戦争については」云々と書いてありまして、軍人が教科書から追放されておる。だからこれを復元をしなければならないという主張を言っておるわけであります。教科書から追放されておりますかどうですか。
○福田政府委員 いまちょっと記帳がございませんけれども、全然記述がないわけではありませんで、一部の教科書にはそういうものが出ております。出ていない教科書ももちろん非常に多いわけでございます。
○村山委員 追放されておるということは全然出ていないということなのですね。載っていないということなのです。そこでおかしいなと思って小学校の教科書をずっと調べてみましたら出ておりますよ。出ているのもある。出ていないのもある。旅順開城の写真まで出ているのもある。あるいは日露開戦の写真——これは写真か何か知りませんが、肖像画みたいなのが出ている。これが追放されておる。もちろん少ししか取り上げられていないということは事実です。そういうような軍人が取り上げられていないから、これを復活をさせなければならない、こういう考え方ですね。これがはっきりあらわれているという事実を私は指摘をしておきたいと思うのです。 その次に問題になりますのは靖国神社でありますが、靖国神社は今日はどういう地位にありますか、
○福田政府委員 靖国神社は、現在法的には宗教法人法による宗教法人でございます。
○村山委員 靖国神社は、文部省が所管をする宗教法人ですね。そうして国の財政的な援助ももちろん得ておりませんね。これは神式ですか仏式ですか。
○福田政府委員 もちろん神式でございます。
○村山委員 そうすると神道に属するわけですね。
○福田政府委員 もちろん神道に属します。
○村山委員 この靖国神社に、何か日本の文化財として、日本民族の歴史の流れの上において、先人の遺業、文化的な遺産、そういうようなものがありますかどうですか。
○福田政府委員 靖国神社に合祀されておりますものは、維新の際に各地で戦没しましたいわゆる志士と称する者の霊、あるいはまたその後日清、日露戦争、その後の戦争等において戦没あるいは病没した方々を合祀しておるわけでございます。したがいまして、宗教法人自体についてかれこれ申すよりも、靖国神社そのものはそういう時代的な背景を背負っておるということにおきまして、私どもはやはり社会的な観点からこれを考える必要があるんではないかというように思っております。
○村山委員 私が聞いておるのは、国宝であるとか重要文化財であるとかいうようなものがありますかどうですかということを聞いておる。
○福田政府委員 国宝はあるかどうか私は存じません。
○村山委員 これは、あなたの所管される宗教法人ですね。それはあるかないかおわかりになっていらっしゃらないのですか。
○福田政府委員 現在の文化財保証法で指定されております文化財、そういうものがあるかどうか私はっきりわかりません。必要ならば調べて御返答いたします。
○村山委員 あとでお調べになってもけっこうですが、これは、そういう国宝や重要文化財に類するものは全然ございません。何か処築上学問的な価値があるかどうかというような問題については、これは問題はないわけですね。ただあなたがおっしゃるように、靖国神社にはいままで戦争で倒れた戦死者の魂が祭ってあるということだけでしょう。 それからこういうことが書いてある。法隆寺、東大寺、本願寺、天主堂、こういうような寺院や教会が堂々と教材になるならば、国民のほとんどが関係がある靖国神社は、なおさらのこと無視されてはならない。ここの法隆寺、東大寺、これは歴史学の上から言っているのですよ。どういうことが文化的な価値があり、どういうような先人の遺業をしのぶかということが問題であって、そういうような政治的な論争の上からものを申し上げておるのではない。ですから学校の教科書のあり方、教育観というものについては、あとで教科書の本質論について文部大臣から伺いますが、私がここで取り上げておりますのは、法隆寺あるいは東大寺、これは歴史的に見て、日本の先人が今日まで残してまいりました国宝なり重要文化財がどういうふうに取り扱われているかということであります。これはどうですか、ただお寺があるというだけですか。
○福田政府委員 お答え申し上げますが、この本願寺あるいは東大寺等につきましては、長い歴史の所産でもございます。宗教的な問題にかんがみましてもいろいろと考えるべきものがその中にあると思います。しかしながらここで言っております本願寺、東大寺等は、歴史の産物として文化財的な見地からこれを教科書等に取り上げているということを指摘していると思いますが、これは長い日本の歴史の中での、そういう文化財的な価値というものを肯定してのことでございます。靖国神社自体は、これはなるほど歴史は浅うございます。しかしながら浅くても明治以来の社会におけるいろいろな背景というものを持っております。そういった意味で、文化財でなくても、これを取り上げるということは、別に教育的に軍国主義の鼓吹だとかいうことでなしに、日本人としてこういうものはどうだということは、当然知っておいていいはずでございます。
○村山委員 あなたは靖国神社を、歴史の教科書の中に復元されようというお考えなのですか。どういうような権限からそういうことをお考えになってそれを命ぜられるのですか。
○福田政府委員 私は靖国神社を復元しようといってここで申し上げているわけではございません。ただ本願寺や奈良の東大寺等を引き合いに出して御質問になりましたので、歴史は短くても、日本人として靖国神社があるという、その靖国神社のおい立ちその他については知っておいて悪くはない、当然知っておくべき事柄ではないか、こういうように考えるわけであります。(「名答弁だ」と呼ぶ者あり)
○村山委員 名答弁ではなくて、それは迷っておる。東大寺、あるいは法隆寺というのが教科書に出ているのは、そういうような宗教的な立場から出ているのですか。靖国神社のことを言われるのは宗教的、信念的な立場ですか。やはり宗教なり信仰、あるいはそこに神が祭られているというのは、一つの信心に属する問題ですから、そういうような問題からあなたはこの東大寺、法隆寺、あるいはその他本願寺、天主堂という問題を考えておられるのですか。
○福田政府委員 東大寺や法隆寺を考えます場合に、もちろん文化財としての価値を知らせるという点に、重点があると思いますけれども、宗教としての半面を全然記述しないということでなくて、やはり宗教についてもこういう昔の宗教のありさま等を引き合いに出しまして、そして文化財的なものを説明をしていくというような取り扱い方が多く行なわれておると思っております。
○村山委員 そういうような宗教は、小学校の社会科の本の中で取り扱いなさい、こういうようなことは学習指導要領のどこに書いてありますか。
○福田政府委員 学習指導要領の中には、文化や伝統に対する正しい把握をさせるという意味において、これを教科書に取り上げるといううたい方をしております。したがって宗教そのものを広める、あるいは宗教的に考えましてたくさんあります中の、特定宗教を指して、それをPRするというような形では、基本法にも抵触するわけであります。そういうことではなくして、やはり昔仏教なら三十何派あったという、そういうものから触れることは一向差しつかえなかろうと思います。
○村山委員 われわれの祖先がその時代の特長、伝統とかあるいは宗教というものを文化的な遺産として残したという上においては、これを客観的に取り上げる必要はあるわけですね。しかしながらこの歴史の上で、法隆寺なり東大寺という問題を取り上げられているのは、こういうふうな宗教的な立場から取り上げておるのじゃないと思うのです。そうでしょう。宗教的な立場から天守堂やあるいは本願寺あるいは東大寺、法隆寺というものを歴史教材の中で取り上げなさいということは、私たちは一ぺんも聞いたことはない。またそういうようなことを学習指導要領にも書いていない。私が言っておるのは、こういうようなものの中には、日本民族の文化的な遺産というものが今日の日本民族の上にどういうふうな関係があるのかという上において、先人が残した遺業をとらえていかなければならない。これがわれわれの今日の処前とするならば、あなたは初中局長だがら御承知ないかもしれませんが、法隆寺、東大寺あるいは本願寺、天守堂というものは、国宝なり重要文化財はどの程度ございますか。
○福田政府委員 たくさんあると思います。
○村山委員 小学生向きの答弁をなさっては困る。わからなければわからないで、あとで調べてお答えしますというのがあなたの立場じゃないですか。それを、それはたくさんあると思います。まるでわれわれを侮辱するような答えをされるということは、これはあんたは行き過ぎじゃないですか、どうですか。
○福田政府委員 後ほど調べまして御返答いたします。
○村山委員 私もこれは調べて初めてわかったのですが、法隆寺とかあるいは東大寺、法隆寺の場合は飛鳥時代なりあるいは奈良時代の歴史的な一つの経過の中に立って、重要文化財なり国宝というものが約五十件ある。あるいは東大寺、これは大仏殿、三月堂というようなものが相当あるわけですが、これはいわゆる奈良、鎌倉時代の時代的な特長を現わすものとして、歴史教材の中に取り上げられて出ておるわけです。本願寺の場合は、桃山時代、こういう歴史的な背景というものがある。それから天守堂というものは、ヨーロッパ建築の、いわゆるフランスのゴシック的な建築のあり方というものを西洋建築からとらえて、一つの重要文化財としてここに取り上げられておる。こういうような歴史の上において一つの文化的遺産として取り上げられてきた問題をここで対比しているのは、宗教的な問題と同時に、これをごっちゃに取り上げているので、そこに私は問題があるということを指摘したいわけです。そういうような論法ですべての問題を論じられてくるとするならば、これはあまりにも常識的な、あまりにも一方的な自分たちの考え方というものを押しつけることになるのじゃないか、こういうような調査官がおるということは、私は、こういうようなものに対してはこうしなければならないという立法府の立場から規制をしなければならないと思うのですが、こういうような考え方というものは、文部省の一つの主たる傾向として今日考えられている傾向なんですか、どうなんです。
○福田政府委員 こういう考え方が、全部の調五官の考え方ではないと思います。もちろんそれぞれの専門の立場においていろいろな意見を持っておることは、これは各人自由でございます。そういう意味では、いろいろな意見を持っておると思います。
○村山委員 そこで、国民主義というような名のもとにごまかしておられると思うのだが、こういうような今後新たに改定される——来年は改定期に当たりますね。教科書の問題をずっと調べてまいりますと、われわれの考え方からするならば、小学校においては多少問題があるけれども、中学校の社会科の教科書等を調べてみると、わりあいによくできていると私は率直に思うのですよ。だけれども今後においてこういうような考え方のもとにこれから教科書行政というものが、特に検定というものが、国会の立法府の意思というものとは完全に離れて、独立して進行をし始めると、これは大きな問題が出てくるという心配をいたしましたので、この際この問題を取り上げたわけです。 そこで教科書問題について憂うべき教科書という問題が出ましてから、教科書法案が制定をされようとして三十一年に提案をされて、それが廃案になり、それから行政的な行為をあなた方がとられてやってまいりましてから、その後ずっと学習指導要領の改定、あるいは教科書の基準改定等ずっと歴史的なものを調べてまいりますと、昭和三十五年三月十五日にもう新聞でも取り上げております。再検討を要する教科書検定という、これは読売の社説です。それから四月二十三日になりますと、朝日の社説でもそのことが取り上げられ、同じく東京新聞でも社説として、検定機構の再検討をしなければならない、こういうような問題が取り上げられてまいりました。その間に歴史関係の九学会の代表の申し入れがあって、教科書の検定は、特定の皇国史観というような考え方でやるのではなくして、史実の正誤についてこれを検定すべきであるという申し入れがなされて、その当時いま事務次官をしております内藤さんが局長の当時でありますが、ちょうど三十五年六月二十七日編著者の立ち会いを慰めて、それから教科書会社の編集部員と一緒にそういうような責任者の立ち会いを認め、それから当時テープを使うことについては、テープを使ってもよろしい、こういうようなところを文部省としてはお出しになって、当時の新聞では、文部省は大幅に譲歩した、こういうような記事が出ておりました。そこで教科書の検定をめぐる問題は、そういうような内藤局長の通達というか行政的な運営の方向が、ただ一般の編集部員だけでなくて、その編集についての責任者、その人に立ち会いを許して、そして問題点についてはメモでこれを書いて渡し、なおメモで書き切れないような問題は、テープコーダーを持ち込んでそれをテープで受けて、教科書会社の諸君がりっぱな教科書ができるように、そして文部省の調査官の言うことも正しく把握ができるようにしていくべきであるという措置を講ぜられた。この措置は非常に文部省が譲歩をして、よい教科書をつくることに熱心になってきたことだというふうに新聞は評価しておる。今日の実情はどういうふうになっておりますか。
○福田政府委員 教科書の検定審査にあたりまして、読んだだけではなかなか著者の意図などわからない場合がございます。したがいまして必要に応じて編著者に来ていただくとかいうことももちろんいたしております。いまお述べになりましたようなやり方は、現在も行なっております。
○村山委員 あなたはそういうようにお考えになっておるのか、実情を御承知にならないのか。テープを持ち込んだ会社の名前を言って下さい。うしろに諸沢教科書課長がおりますからお答えを願いたい。私はそういうような事実があるということを聞いていないのです。
○福田政府委員 必要に応じまして、テープを持っておいでになっております。メモもお渡しすることもあります。また相談して編著者に来ていただく場合もあります。
○村山委員 テープ持ち込みは認められたのですが、それが実行されておりますか。私はそのことを聞いているのです。実行されているかどうか。
○福田政府委員 やっております。
○村山委員 どの程度実行されておりますか。それは全部の数、教科書会社八十六社もあるわけですから、そのうちどの教科書についてはどうなっておる、そういうような詳しいことでなくてけっこうです。
○福田政府委員 全部私はわかりませんけれども、テープを持ってきますのは会社側であります。したがって会社側が必要に応じて持ってこられるということは聞いております。実行もされております。
○村山委員 そのテープを持ち込むような部屋の問題がその当時は問題になっておりましたね。そういうような部屋もおつくりになって、そういうテープを回すような構造の中でおやりになっていらっしゃるのか。
○福田政府委員 部屋はそのときどきに応じまして、あいている部屋を使うこともあるし、調査官がいる部屋でやることもございますが、申し出に応じて随時やっております。
○村山委員 私は、そのテープコーダーを持ち込んで誤りなきを期していくのだということであるが、教科書会社がテープコーダーを持ち込んでいくことができないような情勢が最近生まれているというふうに聞いているのですが、そこでこういうような措置を講ぜられた結果は、いわゆるその実行率がどういうようなふうに、何割ぐらいのところになっているのかをお尋ねしておるのです。
○福田政府委員 ちょっとわかりませんが、相当の数の会社は、必要に応じてそういうものを持ち込んでやっているようでございます。
○村山委員 うしろのほうに審議官もおるし、課長もおるのですから、どの程度それが実行されておるか。私たちが聞くところでは、その編著者の立ち会いは必要に応じて認められておることは事実ですが、しかしながら、教科書調査官が言うことは、これは内閲をしていく場合において、内閲というのかどういうのかわかりませんが、初めに上がってきたときにいろいろ注意を受けるのは、これは口頭指示だ、文書によるところの指示というのは、最後の段階の中で、この点についてはどうだこうだということは、聞くけれども、それまでの間は口頭指示で、一々文書によって手渡しをされることはございません。テープを持ち込んでいったら、おまえのところはなぜテープを持ち込んでくるのかということを言われないにしても、テープを持ち込むことによって自分たちの会社が不利益を受けるおそれがあるような気がするので、テープもなかなか持ち込みができません、こういうことを聞いているのですが、実情は一体どういうような運用がなされているのかということをやはりこの際明らかにしていただかなければ、片一方のほうには非常に片寄った調査官がおり、片一方においては被告のような教科書の編著者のやり方がある、あるいは編集部員がおる、こういう形の中では私は明るい教科書というものは生まれてこないと思う。そこで、そういうような実情は一体どういうようになっているのか、テープコーダーを持ち込むことを許すようになったということは、私も知っておりますが、実行率は一体どうなっているのかということを伺っておきたい。
○福田政府委員 テープなどを持ち込んでやる場合におきましては、もちろんお互いの了解の上においてやることでございます。したがって、会社の方から申し出がございまして、適当な時期にそれをやるということは従来もやっております。全部の会社がテープを持ち込みたいという希望はないようでございますけれども、必要に応じまして、原稿審査の段階あるいは見本本審査の段階、いろいろ長い期間でございますから、そういう適当な時期に、会社側としてそういう御要望があれば、これを認めて実施しているというのが現状でございます。
○村山委員 どうもいまの答弁では明らかになっておりません。わかりませんが、その問題はあとでまた尋ねます。 この調査官は調査に当たるという権限だけしかないわけですか。実際の問題としては、検定審査の決定に関与しておるのですか、いないのですか。
○福田政府委員 調査官は調査をいたしまして、その結果を審議会に報告するわけでございます。したがいまして、決定いたしますのは、教科用図書審議会の委員でございます。そこにおいて調査した結果を審査して決定する、こういうことでございます。
○村山委員 調査官と、それから調査員というのがおりますね。そうしますと、実際の手続としては、自分の調査した調査意見書と調査員が調査した調査意見書というものがありますね。これはどういうような形で調整をされておるのですか。
○福田政府委員 調査員は、現場の先生方に大体お願いしておりますので、文部省に常勤として来ているものではございません。したがって、各地におられるわけではございますが、そういう人たちに原稿審査をお願いいたしまして、大体の判定をつけまして、その原稿に対する調査の結果が集まってまいります。その集まってまいりました調査の結果に、さらに調査官が独自の立場においてこれを調査いたしまして、その両方の調査の結果を審議会に報告いたします。そこで審議を願って決定する、こういうような仕組みになっております。
○村山委員 そういたしますと、調査員の意見書というものは、コントロールされた形の中で出てくるので、Aという調査員がおったら、Aという調査員の意見はこうだという意見はまっすぐには出ませんね。
○福田政府委員 それは当然出てくるわけでございます。一つの教科書について一人で調査するわけではございません。三人で調査いたしますので、それぞれ三人の評価というものがついてくるわけであります。
○村山委員 そうしますと調査員が三名、調査官が一人の四名の調査意見書というものが集約されて審議会の委員に供される、こういうぐあいに考えていいのですか。
○福田政府委員 集約ということではなくて、調査員の意見は調査員の意見、調査官の意見は調査官の意見として別々に審議会に出すわけでございます。
○村山委員 そこで文部大臣にお尋ねしたいのですが、教科書は主たる教材であるということは、法律の上でも明らかになっておりますし、この主たる教材であるということを私は否定するものではありませんが、一体文部大臣の教科書観というのは、どういうようなお考えをお持ちになっているのですか、この際国民の前に明らかにしていただきたいと思います。
○荒木国務大臣 定義がなかなかむずかしいわけでございますが、私が理解しますことは、少なくとも義務教育を対象として申し上げますならば、教育基本法がいいます教育の目的に応ずるような人間養成に役立つものを、国の責任において最小限度絶対必要なりと思う範囲のものを教科書に盛り込んで提供する、その目的に応ずる主たる教材が教科書である、かように思います。
○村山委員 教科書というものは、やはり国の一つの標準というもが設定されることは事実です。そうして大臣が言われるように義務教育の諸学校の教科書というのは、国民のだれもが身につけておかなければならない、そういうような真理であるとか真実であるとかいうようなものが一つの体系づけられたものとして与えられなければならないことは言うまでもないわけです。そこで大臣、あなたは最近教科書の教師用指導君というものが市販されているのを御存じですか。たとえば教科書会社から出されている。私は、ここに現物は持ってきておりませんが、表の方はもう全く子供向きの教科書と変わらない。そうして厚さが大体三倍くらいになっていて、小さく教師川と、こう書いてある。中はあけてみますと、指導すべきところには赤字で書いてある。そうしてここは声を大きくしなさい、このことばは新しく出てきたから許しなさい、ここはこういうふうにこことここを結びつけなさい、こういうような教科書のとらの巻みたいなものが名会社から市販されて、そうして東京都のように教育に非常に熱心なお母さんたちのいるところは、そのお母さんたちが教師用の一般に市販されているものを買い求めてまいりまして、そうしてうちで自分の子供をつかまえて、いやあなたの言い方は間違いではないかというようなことでやっておられるのを私たちはよく聞くのであります。こういうようなものが販売されている事実を大臣は御存じでございますか。御存じであるとするならば、それについて一体教科書の取り扱いは、いまのような形がいいのかどうか、この点をどういうふうにお考えになっているかを明らかにしてもらいたい。
○荒木国務大臣 そういうものが出ておるということは、聞いております。それがいいか悪いかの問題は、単純に結論も出しかねる課題かとも思いますけれども、もしそれが教師の参考書として有意義であり、間違いがない有効なものであるならば、あえてとがめだてすることもなかろうという感じでございます。
○村山委員 だから、私が大臣の教科書観というものをお尋ねしたのはそこにある。指導要領の結びつけと、この教科書のあり方という問題とを、やはり考え合わせながら御答弁願いたいと思っているんですよ。そういうようなものが市販をされるということは、これは大臣、好ましいことではないですよ。というのは、二日酔いした頭でも、それを持って教室に入りますと、ちゃんと書いてあるんだから、そのとおりやればいいんであって、教科研究をする必要はないんですよ。こういうようなものが出回るということは、教科書に対するところの考え方というものに、今後におけるところの非常に大きな狂いが出てくるということで、私たちは心配している。大臣は、その点は心配なさらないんですか。
○荒木国務大臣 いまおっしゃるような意味でのお尋ねであれば、また幾らか違いますが、御指摘のように、主たる教材そのものが教師によって解明せられて、子供の脳裏に正しくいわば移植されるというのが、教育効果だろうと思いますが、もし教師のことごとくが、そういうとらの巻的な、だれも責任を負わないかもしれないとも考えられるようなものによってオウム返しに教えられるということ以外に方法がないなら、そうであるとするならば、教師の能力そのものが十分でない、あるいは心がまえが十分でないということに問題が帰着すると思うのでありまして、それはそれで別個の問題であろうかと思います。いわんやさっきお話しのように、父兄が、それを買い込んで、担当の先化にさかねじを食わせる材料にするがごときは、弊害の最もはなはだしきもので、不当な干渉がましき行為とも言えぬことはない。要は、私は教科書というものが、先刻申し上げましたような、舌足らずでございましょうけれども、それによって児童生徒が義務教育課程を正しく、また予期したように終わり得る、それに心要な内容のものでなければならぬ。またそれを教えるについては、教師がその教科書を中心にみずから勉強して、そして児童生徒に十分理解させる努力をしてもらうということで、あわせて一本で目的を達し得るものと思います。
○村山委員 だからそこに教科書を十分に勉強をして、そしてその教科書に盛られていない問題も、地域の特殊事情等、その他いろいろその置かれている教育の条件を考えながらカリキュラムをろくって、教育課程を組んで、そしてやっていくという、創造的な活動、行為というものが教師に残されている。だからそういうような方向に向けていかなければならないとするならば、そこに、私は、教師は教科書に対するところの採択権はないという主張を文部省はいままでしておられるけれども、いわゆる選定については教師が関与するという考え方を立てない限り、そういうようなものは生まれてこないじゃないかということを言いたいんですよ。 そこで福田局長にお尋ねをいたしますが、これもあなた方が出された教育委員会月報の何月号でしたか、記憶しておりませんけれども、たしかこれに出ておったと思いますが、採択権と選定権をめぐるところの混乱がある。今日においては採択権は教育委員会にある。だけれども、選定については、これは教師の意見というものを十分に開かなければならないので、選定をする行為は学校の教師だけれども、採択は市町村の教育委員会にあるんだということを、あなた自身が言われたことを、私は記帳しているのですが、その点はどうですか。
○福田政府委員 採択権につきましては、これは現行法上教育委員会にあると私どもは解釈いたしております。事実上の選定権というようなものは当たらないと思いますが、選定すること自体は、これは教師も参画してもよろしい、あるいは直接税場の教師だけでなく、いろいろな専門家がこの選定に参面してもよろしいというように、私どもは考えております。しかしながら、現実の問題として、たとえば現在各共同採択地区におきまして共同採択をいたします際には、採択協議会あるいは採択委員会というようなことで、実際上教師の意見を反映するような仕組みを考えていく。そういう意味におきまして、この選定に教師が参画して現場の意見を反映させるようなことをやるということは、これはけっこうなことではないかと思います。
○村山委員 あなたのようなそういう官僚的な答弁ではなくて、もっと私は教育的な立場からものを尋ねておるのです。というのは、あなた方が教科書センターというものをつくられ、あるいは臨時分館をつくられて、教科書の採択の時期にはそこに教科書研究に行きなさい、こういう行政指導を教師に絶えずしておられるのです。これは、実際教科書を取り扱う教師が教育的な創造活動を展開をしてまいる場合に、教科書というものを十分に研究をし、そしてこれを通じて国民教育というものを創造をしていくのだ、こういうような活動というものに期待をされるがゆえに、今日までそういうような指導をしておられるのでしょう。ところが、いまの答弁は何ですか。教師もそういうようなものに参加してもいい——参加しなくてもいいというような言い分のように私は聞き取れるのですが、教師がそういうような教科書研究をするということは、文部省として教育行政の指導の面から当然今日までとられた行為ではないですか。それを、教師も参加してもよろしい、こういうような消極的な考え方というのはいつから生まれてきたのですか。
○福田政府委員 ことばが少し足りなかったようでございますが、私ども、現場の教師あるいは教育委員会の指導主事、その他関係者が教科書を十分研究することは望ましいわけでございます。したがって、各都道府県あるいは都市等には、教科書に関する研究会などがたくさんございます。したがって、この教科書の採択あるいは選定等にあたりましても、そういった現場の声が反映するように、したがって現実の教科研究を通じまして教科書の研究の結果というものができる限り反映するようなことが望ましいと考えております。したがって、今回の法案におきましても、そういう選定の際には、十分そういう教科の研究会等における教科書の研究の結果というものが、そこにあらわれてくるような指導をしてまいりたいと考えております。
○村山委員 いままでは、教師は採択権がどこにあるかという文部省の解釈の有無にかかわらず、よりよい教科書を使わなければならないし、子供たちのためにりっぱな教科書を使いたいということで、教科書の問題についてはそれ相当の研究を重ねてきているのですね。ところが今度の法案を見てみると、そういうような学校の個々の教師が、自分たちが受け持っている子供たちの教育を前進をさしていくためのそういうような教科書に対する関心というものをそらすような方向にあなた方は法案をおつくりになっていらっしゃる。これはこの前三十一年にお出しになりました教科書法案と非常に大きな食い違いが出ている点でありますが、そういうような、教師から教科書に対するところの選定の——これは権限でなくてもいいんですよ。選定に対するところのそういう参加の手続を失っていく。そして選定は県の教育委員会が五種数程度きめる。そしてそれを今度各地区において一種類ずつ採択をやっていく。現場の教師との間のつながりというものは、それは選ばれた一部の人たちはつながりがありましょう。しかし大多数の教師は教科書というものからはもう完全に置いてきぼりを食らうような法律体系というものをおつくりになる。これは教師を信頼していないという証拠ではございませんか。こういうような法律のとらえ方をされたのは、文部大臣どうですか。学校の教師のそういうような——採択権のことを私はここでは言いません。選定に対するところの手続、教科書を自分のものとして研究をしていこうという意欲をそぐような法律をつくっておいて、上のほうで与えたものをそのとおりやりなさいという、そういう方式の中に導き込んでいくという法律案の体系で学校の教育がよくなるものでしょうか。教科書がよくなる方向に進むとお考えになっておいでになるのだったら、理由をお聞かせ願いたい。
○荒木国務大臣 お尋ねの点は、現在がほぼそういう状態にあると思います。現状で大体よろしいと私は判断をいたします。先ほど来お話が出ましたように、およそ教科内容については文部大臣が国民に責任を負えということになっておる。その責任を負う具体的内容は学習指導要領という形で責任を担うということになっていると思います。それを一応茨木にいたしまして、教科書調査審議会等が文部大臣を補佐する立場において衆知を集めて知恵を授けてくれるという形で、実質的にも麦価が償える努力をするやり方で教科書の検定をいたすものと思います。検定されました教科書をだれが住民のために責任を負って選ぶかとなれば、教育委員会が責任を持って住民に対してその地域で使う教科書を選定するという責任と権限が与えられておる。たてまえはあくまでもそうでございまして、文部大臣が検定しますときでも、文部大臣という具体人が一人でできるものではむろんございませんので、教科書調査審議会の委員には現場の先生の検討の結論をなるべく反映できるような人選をすることも常識上当然であります。また事実そうなっておると思います。したがって、教育委員会が採択権を持つという、行政制度の上で住民に責任を持つ意味においてはそうならざるを得ないから、現行法がそうなっておる。しかし、選定します場合に、具体的な教育委員会の構成委員が、その道の権威であろうとも常に言いかねるという現実に立って選定します場合に、現場の教師の見解、意見等を十分にしんしゃくして、それを自分のものとして住民に責任を負うということで選定しておるわけでございますから、それで私は十分であると思います。教員が制度の上で参画しなければならぬということを立法上表面に出さねばならない課題ではなかろう、かように思います。
○村山委員 いまの問題につきましては重大な問題ですので、私は午後さらに追及をいたしますが、私の質問に関連して小林さんの質問があるそうでありますので……。
○床次委員長 関連質問の申し出があります。小林信一君。
○小林(信)委員 ただいまの論議の中で、非常に重大な問題でございますが、まことに要領を得ないので、私はここでひとつ文部省の見解を統一していただきたいと思うのです。大臣に対しまして教科書観というものをいま村山さんが尋ねられたのですが、やはりこの教科書観、教育観がしっかりしておらなければできてこないわけです。しかもこの教育観が明白になっておらなければ、教科書制度がどういうふうにつくられようとも意味のないものになるわけでございまして、教科書は教材にすぎないのかあるいは教科書を教えるというのか、こういう簡単な問題ではっきり教科書観というものは表明できると思うのですが、どうも大臣のは非常に回りくどくて、教科書を教えるということにも聞こえるし、教科書はあくまでも教材であるというようにも聞こえるわけなのです。ここら辺をはっきりしていただくことが大事だと思うのですが、おのずからそこに採択をする場合の責任とか、それは住民に対する責任もあるでしょうが、教育そのものに対する責任を負う教師もまた無視できないわけなのです。さっき村山さんのお話の中にもありましたように、いまの教師用の指導書を読んで教えるようなそういう空気が出てきておることは、やっぱりそこら辺がしっかり打ち出されないと、いやがおうでもそういうふうになってしまうわけでございますので、もっと意思統一をして、この際この法案と同時に教科書に対する考え方というものをしっかり国民に明示してもらいたいと思うのです。 それにつきまして、もっと如実にきょうのお話し合いと先ほど問題になりました「教育委員会月報」これとを見ますと、先ほど局長は、これは個人の自由な発表であって、何らこれが文部省の責任にはならないというようなことを言っておられますが、たとえそれが個人であろうとも、文部省の教科書課長という銘を打ってここに教科書の採択の問題を書かれてあるわけです。やっぱり課長がこういう考えでいられるなら、課長の考えと局長の考えとは違うわけなのです。ここら辺もやっぱり明白にして、これからの論議を進めてもらいたいと思うのです。と申しますのは、二ページの上の段の終わりのほう。前のほうは略しますが、「これに対し一部には」——こう言う場合に、局長の前の論説を見ますと、一部の者というのは結局だれをさすかということを考えると、何か異端者のような感じがするのですが、まずこういうところから私は非常に不快を感じながらこれを読んでいったのですが、「「教科書その他の教材の取扱に関する事務」とは」——これは要するに教育委員会法に出ておる言葉なのですが、「とは単なる事務をさすのであって教科書を採択することは含まれないとする説がある。」確かにそういう説を私たちは言っております。「なるほど法文には採択に関することと条文の規定はないが、」結局重点はここなんですね。「法文には採択に関することと明文の規定はないが、」とはっきり課長は言っているわけなのです。何ら規定はされておらない。「それならば一体誰が採択を行なうというのであろうか。」というきっかけから、教科書の採択権は教育委員会にあるという、きわめて常識的な判断でもって課長は言っているわけなんです。やっぱりこういう見解が文部省の中にあるとするならば、採択権というものはまだ明白になっていないと言わざるを得ない。これは、そのあとをずっと読んでいけば、常識的に考えて「それならば一体誰が採択を行なうというのであろうか。」というふうなことで、結論的には教育委員会にあるというふうに出されているわけで、法律にこういうふうにはっきり出ておるということを言っていないわけなんです。しかし局長は法律でもって規定されておるというふうに言っておる。ここら辺の意思統一をしていただいて、次の審議に入る前にはっきり言明してもらいたいと思うのです。 そこで、つけ加えて申しますが、そのあとを見ますと、ここら辺が課長のかなり独断なところだと思うのですが、「元来教科書の採択はそれぞれの教科書の教育的価値に対する評価に基づいて行なうべきものであるが、」これは当然なことでしょう。しかしこの一つのことを考えても、もし常識的に考えるとするならば、採択というものは一体だれに重点を置かなければならぬかということがわかるわけなんです。あなた方は、いま置かれておる教育委員というものは、県教委もあるいは地方の教育委員会も自信を持っているかもしれぬけれども、私たちの見るところでは、任命制になって以来ほんとうにこういう点まで仕事のできる教育委員というものがはたして網羅されておるかどうか、まことに疑問なんです。 さらに「同時に地域の教育水準その他の実情および父兄負担等の問題を考慮に入れながら、慎重に比較検討し決定すべきものであって、教育行政全般の立場に立って行なうべき行政事務である。」妙なこじつけで「行政事務である。」というふうにくっつけてあるけれども、その中間の問題を考えていく場合、これは正しいことなんですが、これを考えていけば、きょうの地教委あたりにこういう能力を持った人が完全に備えつけられてあるかどうか。たとえば町長選挙に落ちたから何とか立場をつくってやれ、農協の会長の選挙に漏れたからあれを教育委員にでもあげておけという、そういう人たちがたくさんにそろっているわけなんです。常識的に判断する場合、その人たちにこんな大きな責任を果たせるかどうか。ところがそのあとのほうにこう書いてある。「したがってこれを校長あるいは教典等教育の当事者に保することはむしろ教育行政上の責任を他に転嫁することとなるのであり、条里上も教育委員会が当然行なうべきものである。」こういうふうに習いてある。こんなことでもってだれも納得できっこない。この前の号から私たちは見ておりますが、たまたま教科書問題が論議される、これに呼応してきっとこういうものが計画されたと思う。そしてぼくらの机の上にも配付されたと思うのですが、かなり思い上がった役人根性でもってこういうものを扱っていると私たちは思う。書いてあるということよりも、この文部省の機関——機関しよう、かなり公のもの、その公のものを、自分の独善的な考えというものを少しも批判することなく、反対することなく使っておるのが私は現状だと思う。この前のは最初から最後まで日教組批判の四月号、こんなことも多少は私は考えなければならぬと思う。そしてその次に出されたこの教科書法の問題、今の村山さんとの一問一答のこの歴史の問題につきましても、私はいまお話を聞いてみて、あまり文部省は行き過ぎじゃないかと思う。あの人の説を、あれではほんとうに支持されるよりも、かえってこれが正しいんだ、こういうふうなお考えだと思うのですが、私は非常に問題があると思うのです。教科書なんというのは、もっと謙虚に、何か対決するというような考えでもっていくべきものじゃないと思うのです。したがって、いまもお話がありましたように、教科書なんというものは停滞しておってはいけない。常に発展させなければいけない。りっぱな教科書にしなければいけない。そのりっぱな教科書にするには、一体だれがその教科書を検討し、そして教育上効果があるかないかということを研究するんだ。先生でしょう。扱う先生が子供という実際に当てはめ、しかも自分の教育観を通して検討されて、この教科書のこういうところは不備なんだ、こうあるべきだ、こういうことはやはり教師から生まれてくる。あなたのその考えは、先日から言っておることは、何か教科書研究会を県あたりに持てば、教科書というものが研究される。その使用の方法から、あるいは今後の教科書に対する希望から、そういう研究から出てくるだろうというふうなお考えなんですが、そんな機関から生まれるのでなく、現場の一つ一つの教師の声が結集されて、それが教科書業者に響き、あるいは検定に反映をして教科書がよくなる。こういう教育のたてまえというものを考えなきゃならぬ。いまそういう反省は文部省にはないと思う。こんなものを出して、そうして私たちの前にも出してこれでいいじゃないかというような態度を持つということは、教科書をますます悪くするだけだと思う。業者をごらんなさい。これは私の県の事実でございますが、業者はこの法案を印刷して、今度教科無償法はこういう形になりますといって、まずそれを一つの郡の中の社会科なら社会科の先先の権威者のところへ持っていく。そうして、ひとつごらんなさい、今度は県に選定審議会が二十人でつくられます。しかしこれだけでは教科書の選定までいかない。その下に各教科の専門的な研究機関、専門委員会のようなものがつくられまして、その中で数種を選ぶことになります。そのときには、あなたは本郡におきましては社会科の権威者だから、おそらくあなたが専門委員に選ばれると思います。そのときにはわが社の教科書をお願いします。こういうことをやっておる。検定で苦しめられ、売らんかなでもって業者は苦しみ、今度ますます苦しんでいくわけなんです。もうそういう人たちは文部省の言うなりに教科書をつくること、そうしてどんな手段でもいいから売ることに専念する、そうして教科書は少しも現場の人たちから批判を受けないような形だったら、一体日本の教科書はどこへ行くんだ。実に重大な問題なのです。もっと意思統一をしっかりして、こんなざっぱくなものを出してうそ八百を並べて、そうして天下の人たちをごまかすようなことでなく、意見の統一をした上で確固たる信念を持って教科書法に対してはっきり言明してもらいたいと思う。私は答弁は必要ない。一つお聞きするならば、同じページの終わりにこういうことが書いてある。「都の教育委員会が、教科書目録に登載されている教科書のうちから適切なものを数種選定し、その範囲内で各学校から希望するものを申し出させ、その申し出に基づいて都の教育委員会が採択しているのである。」こういうように書いてあるのですが、これは課長からお聞きしたのですが事実ですか。
○諸沢説明員 お答えいたします。東京都の特別区につきましては、都の教育委員会が教科書を採択するということは、地方自治法の二百八十一条の二項並びに四項の規定によりまして都の教育委員会がやるべき仕事であるというふうに私は記述しておるのであります。そうしまして、その法律のたてまえのもとに、実態は、都の教育委員会に教科書制度研究委員会がありまして、その下部機構といいますか、専門的な調査機関として百四、五十人の教員からなる教科書採択専門委員会というのがございます。その専門委員会で、各教科書につきまして出ておるものについてそれぞれ検討をいたしまして、そのうち特に都の学校として使用するのが適切でないと思われますもの、たとえば特定の県の地域を対象にして明らかに編さんされたと思える教科書、そういうものは除外いたしまして、このうちから選ぶようにという指示を教育委員会がいたしております。それに基づきましてそれぞれの学校が選んだものを都の教育委員会に報告し、教育委員会がそれを採択するという通知をいたしておりますので、そのような実態を私はこういうふうに表現したものでございます。
○小林(信)委員 おそらく今度の共同採択、数種に限定するというような方向をとらせるための一つの押しつけ的な指示だと思うのです。表明のしかただと思う。なぜというならば、もしそういうことが事実であっても、その選定する委員に選ばれる人たちはどういう人たちから選ばれている人か、そういう内容もなぜ書かないかということを私は言いたい。そういうふうにうそを書かなくても、実際においては東京都の教科書の選定というものは、各学校の選択方法というものは、私は実態はそうでないと思うのです。そういうたてまえになっているかどうかしりませんが、しかし、大事なことは隠しておくのです。もっと正直に——今度はその選択をするために選ばれた人たちはどういう人たちで構成されておるか。たくさんな教師が選ばれて、その中で選択されておるというようなことは、これは非常に大事なことなんです。いま文部省のやり方というものは、先日の建議書を見れば、校長さんの代表一人、教頭さんの代表一人くらい入れて、教師の意見も聞きましたというようなことを言うと思う。それとはだいぶ方向が違うと私は思う。とにかく、いまの大事な点を意見の統一をしてもらいたい。これはうそだ、これは教科書課長がでたらめを書いたのだ。局長の言うように、はっきり法律にこういうふうに明示してあるというなら明示してあるでいいです。あるいは課長のようなそういう言いがかりをつけた考え方で、採択権が教育委員会にあるというならそれでいいですから、はっきりして今後の審議に当たっていただきたいと思います。以上です。
○床次委員長 午後は一時半から再開することとして、これにて休憩いたします。 午後零時四十二分休憩 ————◇————— 午後一時四十八分会議
○床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。村山喜一君。
○村山委員 先ほど小林委員の方から、文部省の採択権の問題についての統一的な見解をこの際明示されたいという要望があったわけでありますが、それに対しましてお答えを願いたいと思います。
○福田政府委員 午前御質問になりました教科書の採択権の問題でございますが、私どもといたしましては、前国会においても再々この問題について御質問にお答え申し上げましたように、地方教育行政の組織及び運営に関する法律題二十三条に教育委員会の職務権限を列記しております。その中に「教科書その他の教材の取扱に関すること。」こういうように規定がなされております。したがいまして、教科書の採択に関することは、この規定によりまして教育委員会の権限、こういうように解釈をいたしております。
○村山委員 その問題につきましてはまた後ほど論議してまいることになりますので、一応統一的な見解として承っておきたいと思います。 私がここでお尋ねをいたしますのは、東京都の場合各学校において採択がなされているという事実はお認めになりますか、お認めになりませんか。
○福田政府委員 午前におきまして東京都の採択の法律的な根拠あるいはその実際のやり方につきまして教科書課長から御説明申し上げましたとおりでございます。もしそれに違ったような事実があるとすれば、それは私どもとしては現在の東京都のやり方にはずれたものではないか、こういうように考えるわけでございます。
○村山委員 採択権は、先ほど申し上げた地方治法の二百八十一条で、特別区の教育委員会にはないのであって、都の教育委員会に採択権があるんだということは書いてない、二百八十一条はたしかそういうようになっていると思いますが、そういうような採択権は持たない。現実にそういうような選考委員会を設けるとかなんとかいうような手続は、それは省略をいたします。問題は、各学校ごとに教科書の採択が事実上なされているかどうか、お認めになるかどうかということであります。採択権の問題ではなくて、採択の現実の姿をどういうふうにお認めになるかということを私は尋ねているのです。
○福田政府委員 まずさっきのお答えに足りなかった点を補足いたしますが、都の場合におきましては、地方自治法の二百八十一条の四項に規定しておりますように「特別区の存する区域においては、法律又はこれに基く政令の規定により市が処理しなければならない事務は、都がこれを処理する。」と書いてありまして、特別区をはずしておりますから、これは当然都が処理するということに法律上なろうと思っております。これは法律上の問題でございますので、いま村山委員のお尋ねの点につきまして事実上学校で採択あるいは選定等が行なわれているかということでございますが、これはいろいろ戦後の慣習的なやり方もあろうと思います。したがいましてそういった点につきましては、学校によって選定したものを都の教育委員会が認めるというような事実上の措置はあるいは行なわれている学校があろうかと思います。
○村山委員 そういうような事実上の行為が東京都をはじめほかの地区においても三カ所くらい行なわれているやに私聞いているのですが、この採択の問題については、法案の不備という問題については、この前二月の予算委員会の席で採択権は文部大臣のほうは地教委にある、市町村教委にあるということを認めておると思うのです。福田局長はたしか法案については不備ということはそのとき認めておるのです。議事録にも残っておる。その点はいかがですか。
○福田政府委員 もし私が不備ということばを使っておったとすれば、先ほど申し上げましたような地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条に採択云々という文字上の表現がなされなかったという点は、法律の規定としては不備だと言われてもしかたがない、そういう意味で申し上げたのではないかと思います。
○村山委員 教育委員会月報の一月号の四一ページを見てみますと、こういうように書いてありますね。「もともと、教科書の採択については、法令上の規定も不備であり、」——確かに書いてあります。これは鈴木勲さんが書いております。ちゃんとこういうように不備であるということは書かれておる。それで文部省が採択権は地教委にあるのだという解釈は、文部省の指導解釈、行政指導の立場における解釈ですか。それとも法制局あたりの一つの権威を得た」での解釈なんですか。有権解釈ですか、そうでないのですか、どうなんです。
○福田政府委員 かつて法制局に意見を聞いたことがあると思いますけれども、文部省としては公式に私が先ほど申し上げましたような見解を、解釈をとっております。
○村山委員 そういたしますと、これは文部省の解釈だ、それで指導方針だというふうに受け取るわけですが、これはどうです。 昭和二十七年の七月一日、だいぶ古いのですが、文調刊第百七十九号、当時の文部次官日高第四郎氏から各都道府県教育委員会、各都道府県知事、各小、中、高等学校を有する国立大学長あてに出しました「教科書展示会と採択について」という通達がございます。この中で「教科書の採択は、」——前文がずっと書いてございまして、記というところの四を見てみますと次のように書いてある。「教科書の選定や採択に密接な関係を有する者が、自ら教科書関係の業務に従事することのないようにすること。従って学校生活協同組合が、教科書の供給業務に従事することも好ましくないと考えている。」これはいわゆる学校の教師が生活協同組合というものを当時つくって教科書の取り扱いをやっておりました。たしか古森児であったかと思いますが、これの問題が出まして、それに対する取り扱い方としてそういうような学校の教科書の採択あるいは選定に一番関係の深い学校の教師が携わることは不公正取引になるおそれがあるので、この場合注意されたい。だから学校生活協同組合がこういうような教科書の採択業務に携わることは好ましいことではない、こういう通知をお出しになりましたね。この通知は、明らかにそういう選定や採択という仕事に携わっているのが教職員なんだ。だからその教職員が組織をする学校生活協同組合のようなものが、教科書の採択についてどの教科書を採択するということは好ましくないのだという通達でしょう。その当時にはそういうような実質的に選定とか採択が学校の教師において行なわれているという事実をあなた方はお認めになっておったわけですね。その点はどうですか。
○福田政府委員 この教科書の採択権という場合におきまして、私どもは再々申し上げるところでありますが、法律上の権限として採択するという最終的な教科書をきめる権限、これは教育委員会にあることは当然だと思います。その前提といたしまして各教科書について現場の学校あるいは教師等におきましていろいろ研究される、またその研究の結果が採択の前提としての、あるいはその採択を決定する際にいろいろ反映するような参考資料としての研究、そういうものが、いわば事実上の選定ということが、あるわけでございます。したがって法律上の採択権と事実上の選定ということを分けて考えますと、御指摘のように現場の学校の先生方が選定に関係する、あるいは参加するというようなことは従来もあったと思います。現在におきましても各地区の採択協議会等の構成メンバー等から考えまして、そういう現場の先生方が相当かなり多くその協議会等に参加していることはこれは事実でございます。そういう趣旨からそういう通牒が出たのではないかと思います。
○村山委員 この教育二法が昭和三十一年に提案されました際には教科書法案というものが同時に提案をされた。その中において採択権はどこにあるんだということが当時は明確にされたわけですね。だから、この地方教育行政の組織及び運営に関する法律案が国会に提案をされるかたわらにおいては、教科書法案がもう一本出されておる。その教科書法案には、いわゆる採択権については府県の教育委員会が持たなければならない、こういうようなものが出されたことは事実ですね。ところが片一方しかとおらなかった。そして教科書法案は廃案になった。その前の解釈では、そういうような選定とか採択について密接な関係を有する者は教師だ、そういうような教師が自分たち自身でそういうような採択の業務に従事する学校生活協同組合をつくって、そういうようなものが取り扱いをしてはだめですよといって、生活協同組合から教科書を取り扱う権限を削除する、こういうようなことで、当時においては、これは採択権は学校教師にあるとははっきり書いてありませんが、この通達はそういうような適切な公正化を保持していくためにはそういうような現実に選定とか採択に関係を持っておる教師が組織する生活協同組合は不公正になるから除かなければならないという通牒を出しておるのでありますから、うらはらの解釈としては、選定の仕事をやっているのは学校なんだということを現実に認めているこれは証拠です。そうして、昭和三十二年の七月四日に、内藤局長のほうから出しました「教科書採択の公正の確保について」というのにはこういうふうに書いてある、「公立学校の教科書の採択について権限と責任を有する教育委員会においては」、ここには明確にそれが出てまいった。こういうような一つの過料をたどって今日の段階に来ているのであって、このあなた方が出しました教育委員会月報の一月号の四一ページにも教科書の採択について不備である、こういうことが書いてあるのですから、このことはお認めになるべきじゃないのですか、その点はいかがです。
○福田政府委員 その不備だということを認めないわけではございません。私ども、法律の規定としては足りない点があると思いますが、だからといって現在の採択権が教師にある、あるいは教育委員会以外のところにあるんだという解釈は出てこないと考えております。
○村山委員 不備であるならば採択権の所在というものを明確にすべきである。そうしたら今度の法律の案の中には採択権の所在はどこどこにあるということが明確にされておりますが、どうです。
○福田政府委員 今回の法案におきましてはその採択権の所在ということには直接の規定はございません。したがって私どもといたしましては従来の地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第二十三条を根拠にいたしまして教育委員会に採択権があるという解釈のもとにこの点については法律の改正を考えてはいないわけでございます。
○村山委員 ではこの地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条の第六号に「教科書その他の教材の取扱に関すること。」というのがあります。そこでそういうような解釈で進められるとするならば、私がいまから申し上げます問題は一体どういうふうになりますか。ことしの三月二十九日、毎日新聞のこれは西部版ですが、公取委員会の福岡地方事務所で「学校あっせんに警告」と大きな新聞の見出しが出ました。この内容は、「公正取引委員会福岡地方事務所はこのほど管内の九州、山口八県教委に対して「児童生徒学用品の学校取次あっせんは公正な自由競争秩序を乱し、独占禁止法違反の疑いがあるので新半期から禁止するように」と文書で警告した。」これは中身をずっと見てみますと、たとえば「福岡市内のある中学では、昨年秋一冊千円以上もする百科辞典の申込書を配って希望者にあっせんしたり、学校推薦の参考書一覧表をこどもにもたせて帰して問題になったこともある。」それから「公正取引委の調べによると、工作機械、絵具などはもちろん洋服帽子、クツ、それに特定のメーカーの栄養剤まで取り次いでいるところもあり、筑豊のある学校ではこの金を使い込んだ事務員まで出た。こうした学校あっせんに対して父兄は買いたくなかったり、高いと思っても自分のこどもだけに肩身の狭い思いをさせたくないとつい無理をして買う、学校側は知らず知らず特定の業者と結び、リベートをとるようになる、学校への売り込み競争の激化から公正な販売秩序が乱されつつあるなどの弊害が出ている。」だから、この公取委員会の責任者であります審査課長の田中清さん、この人の言うには「戦後物資不足のときならいざ知らず、自由に安いものの選択して買える現在教科書以外の物品を学校があっせんしているのは行きすぎもはなはだしい。最近この傾向がとくにひどくなって父兄の不満も強いので、厳重に警告した。」それに対して父兄の声として出ておりますのは「一冊千円以上もする百科辞典を買わされたり、別にほしくもない栄養剤などをあっせんしてくれ迷惑していた。こんな物品販売はどの学校もやっているのでこんどの禁止処分は父兄にとっては非常にありがたい。」これは公正取引という立場から福岡の公取委員会の事務所のほうでこういうような警告を発したものだ。とするならば、教科書の問題はさておきまして、そこに「その他の教材の取扱に関すること。」こういうことになっておりますね。その教材の取り扱いは、教材というのは非常に範囲が広うございますが、そういうようなものは、たとえばそのほかにも、第三十三条の学校等の管理の第二項、に「学校における教科書以外の教材の使用について、あらかじめ、教育委員会に届け出させ、又は教育委員会の承認を受けさせることとする定を設けるものとする。」こういうふうに書いてございますから、ほとんど、文部省の行政指導によって管理規則を教育委員会が定めてその管理規則を各町村の学校の先生たちは受けている、こういうふうにいまなっていると思いますが、そうなってまいりますと、教材の取り扱いの内容等については、福岡の公取委員会がいったように学校にはそういうような採択権はない、だから、あっせんをしたりそういうようなことをやったりすることは行き過ぎなんだ、だから教科書以外の教材の取り扱いについては厳重に注意しなさい、こういう公取委員会の指示のほうが正しいわけですか。この点はあなた方はお認めになったのですか、どうですか。
○福田政府委員 公正取引委員会の方がお見えになっておりますから、その点についてお答え申し上げると思いますが、私どもの教育上の立場といたしましては、いま村山委員が御指摘になりましたように、教材の取り扱いについては管理規則をもちましてあるものは承認、あるものは届け出によってやるというような扱いになっております。したがいましてそれが印刷した文書のようなものでありましても、あるいはまた視聴覚教材のようなものでございましても、一応それは教育委員会が責任を持ってやるというたてまえになっておるわけであります。ところで具体的な問題になりますと、学校に業者が売り込んでくるという場合におきまして、御指摘のように一括してみんなに買わせるという場合には、安いということもございましょうけれども、ともるすと教育的には好ましくないことが起こりがちでございます。御指摘の福岡でもリベート云々の問題が何かあったように聞いておりますが、そういうこともございましょうし、また父兄側から見れば、非常に高いものを学校で先生がまとめて買うと、いやがおうでも買わなきゃならぬというような問題もございますので、私どもはこれは教育的に必ずしも好ましいことではないというように考えておりまして、これについての対策も今後十分検討してみたいと考えております。
○村山委員 公取委員会は警告をした事実は御承知ですか。
○小沼政府委員 存じております。
○村山委員 そこで、それを受けまして今度は四月十日、これは西日本新聞の記事でございますが、こういうような広告が出たのです。「四月五日、公正取引委員会事務局堀米福岡事務所長より各新聞社に対して、つぎのような談話が発表されました。と同時に、九州地方各県・山口県の教育委員会当局に対して、その趣旨の周知徹底方が文書で通知されました。」「談話内容」として、「当事務所が、九州、山口の各県教育委員会に出した文書(去る三月十八日)の趣旨は、研究会などが特定の物品を推薦し、それを不公正な方法で購入させることは独禁法に違反するおそれもあるということから、注意を喚起したものである。したがって、教科書以外のもので、教育上望ましく、かつ必要なものを、学校関係者が教育計画にしたがって学校で購入したり、斡旋したりすることを、一般的に違法であるとする趣旨でない。」さらに続いて、「したがって、当協会加盟各社の学習雑誌・図書・教材類(学研の学年別学習雑誌、ドリル・テスト・労力検査・図工・科半教材等の教材教具数、および教育的な学習参考図書類)について、学校の先生方が、従来通り購入または斡旋され、学習指導に活用されることはなんら差支えないことが確認されましたので、ここに取り急ぎお知らせし、今後ともに一層のお引立をお願い申しあげます。」こういうふうに、学校が教育上有益適切なものを購入し、またはあっせんすることは何ら差しつかえない。こういう広告が業者のほうから出ております。 そこで私がここで問題にいたしますのは、三月の十八日に公取の福岡地方事務所の審査課長のほうから警告が発せられて、しかも四月の五日になりますと福岡の事務所長からそれを取り消すような談話が発表される。こういうような一貫しないところの公取委員会のいわゆる行政指導というものと、それからそれを受けて今度は教材の取り扱いについては、そういうような管理規則等をどういうふうにつくりどう指導をしておられるかどうかわかりませんけれども、学校を所管する教育委員会に教材の取り扱いの権限があるのだとするならば、その教材を学校が使う、あるいは教育上有益なものを購入する、あっせんをする、その中には理科の教材とか図工の教材なんかもあるでしょうが、そのほかに学習雑誌やいろいろな参考書類等も取り扱いをする。その場合には一々教育委員会のほうに届けをし、そしてそういうような許可を得てやらなければもう学校の活動というものはできないようにがんじがらめにあなた方は縛り上げておいてやっていこうという考え方を持っているのか。あるいはここに書いてありますように、学校が教育上有益適切なものを購入し、またはあっせんすることは何ら差しつかえないのだというような見解に立って、学校の創造的な教育活動というものを助長していこうとお考えになっているのか、そこら辺がはっきりいたしませんので、この教材の取り扱いを教科書と同格の取り扱いをしているとするならば、それらの点を文部省の立場から明確にしてもらいたい。以上二つです。
○福田政府委員 教材の取り扱いにつきまして一般的な扱い方は、先ほど申し上げましたように、三十三条の二項に規定しておりまして、教育委員会の規則で各教育委員会でそれをきめるようになっております。したがいまして、御指摘の福岡県の場合がどうなっておりますか、これは調べてみませんとわかりませんけれども、大体一般的なやり方としましては、がんじがらめということではなくして、やはり教科書あるいは副読本その他重要なもの、教科書に準ずるようなものにつきましてはできる限り承認をしていくというようなやり方でやっているようであります。その他のものにつきましては適宜学校側から報告をとってやるということでございます。したがいまして、教材も範囲が広うございましていろいろなものがございます。軽微なものについては、もちろん校長は学校の管理運営については教育委員会から委任をされているわけでございますから、これは校長の権限において使えるということになっておるわけでございまして、別に無理やりにがんじがらめに、縛るというようなことではないと思います。そういった意味で学校の現場においてそういうものがいろいろ持ち込まれ、先生方がいいとなればそれを学校で買うというようなことが行なわれているわけでございます。
○小沼政府委員 公取の福岡の事務所で最初に、学校関係者が関与するのは行き過ぎもはなはだしいというようなことを申したというようなことが出ておるわけでございますが、公取としましては、学校が関与しないという問題については何ら権限を持っておりませんので、その後取り消しました趣旨も、そういう公取の権限外の問題に触れないで、業者が売り込みをする際に不当な誘引、不公正な方法で売り込みをすることは独禁法上違反になるおそれがあるという趣旨のことをあとで所長が申し述べたということでございます。ですから公取としては業者が学校に売り込む、あるいはどういう行き方をしますか、不公正な取り引き方法を用いてはならぬということを言うだけの権限しかないわけでございまして、学校の関係者は一切関与してはならぬということを言うことは公取の権限外でございます。そういう趣旨でございます。
○村山委員 児童生徒の学用品の学校取り次ぎあっせんは、公正な自由競争秩序を乱し、独禁法違反の疑いがあるので、新学期から禁止するようにという文書の警告は取り消されたわけですか。
○小沼政府委員 これは毎日新聞にそういう表題が出ておりますが、福岡の事務所からはそのとおりの文書ではございませんので、実はこれは陳情がありまして、その陳情書を、教育委員会の所管でございましょうということで取り次ぎをしたわけでございますが、その際、「このことは公正な自由競争秩序確保の上から関心を持たれる事業でありますので、学校関係者には貴庁から注意喚起方配慮煩わしたく依願いたします。」というような文章でございますから、ただいま先生のお読みになりましたのと若干違っております。そういうことで、学校関係者は一切関与してはならぬということの趣旨ではないということでございます。
○村山委員 こういうような警告を発したあとで、今度は研究会などということで、学校はもう抜けております。研究会などが特定の物品を推薦することは行き過ぎだ、学校はそういうようなものを推薦してもあっせんしても購入しても、何ら差しつかえありません、いま初中局長の話を聞けば、認可を受けなければならない、承認を事前に必要とするのは副本的な、あるいは夏休み帳、冬休み帳、そういうものに限られておって、あとは学校長の裁量にまかされておる、これが普通の状態だ、こういうふうに聞きますと、そういうような学校の行なう教育活動、それに対して独禁法違反の疑いがあるから、あなたのほうで注意、指導していただけませんかという通達のように聞こえるわけです。ところがそういうような通達を三月十八日に出して今度は四月五日にはその所長がそれを取り消して、そういうような研究会などがやったらいかぬということを言うたのであって、学校の活動上必要なものを学校で購入したりあっせんする、そういうようなものについては一般的に違法であるという趣旨ではないのだ、こういうような、公取の権威を落とすようなことをあなた方のほうでやられておるのですね。これは現在の学校教育というものに対する考え方が、やはり違っておるのではなかろうかと思うのですが、その点どうなのですか。
○小沼政府委員 字句の点は多少舌足らずの点もあるかもしれませんが、公取といたしましては、学校あるいは研究会等が必要であるということでごあっせんなさることに対してとやかく言う権限がないということで、当初出しました所長文書が若干新聞等に誤り伝えられ、だんだん騒ぎが大きくなりまして、補助教材等を学校で買ってはいかぬというような趣旨に、だんだん末端にいくほど伝わっていくような空気が見えましたので、それは公取の考えておるのと全然違うのだ、公取は業者の競争に対しては制限を設けるといいますか、規制する権限はありますが、学校当局あるいは教育委員会の権限でおやりになることに何ら権限はないという趣旨でございます。
○村山委員 そういたしますと、ここで文部省にお尋ねいたしますが、「教科書その代教材の取扱に関すること。」ということになりますと、教科書は教育委員会が採択権限を持っている。それから教材の取り扱いに関すること、これは教科書も教材も同じく同列に「教科書その他教材の取扱に関すること。」こういうふうに書いてあるのですが、その「取扱に関すること」は、勢い地方教育委員会の権限事項だ、こういう解釈をしておられる。そこでそれを受けて、いわゆる管理規則というものをつくりなさい、そこで主たる教材、これは事前の承認を必要とする、そうでない軽微な問題、これは主たる教材というものと軽微なものとはどういうような区別をして指導をされるのですか。
○福田政府委員 これはいろいろあると思いますが、本来軽微なものでございましても、その取り扱いに関することは、先ほど申し上げましたように、当然に教育委員会の管理権の範囲に属するものと考えております。 ところでそのやり方といたしまして、非常に数も多うございますので、たとえば一例をあげますと、試験の問題用紙というような、個々の授業に継続的でなくて、あるときにたまたま使うというようなものにつきましては教育委員会の届け出ぐらいで、学校で適宜それを採用するというようなことを校長にまかしておるわけでございます。これらのまかせ方はいろいろあると思いますけれども、一般的には先ほど御指摘になりましたような重要な事柄はすべての承認でございますから、校長に相当幅広く委任をいたしておりまして、校長の裁量でもってその学校でこういうものを使うというような、たとえばいまあげましたような問題の用紙というようなものは、これは学校側で適宜購入しているようでございます。
○村山委員 あなたはいまドリル・テストの問題をお話されていると思うのです。そうしますと、このドリル・テストのようなものは、これは軽微の範疇に入りますか、教育委員会の承認を必要とする範疇に入りますか。私がここで言いたいのは、こういうようなドリル・テストをやるときに、自分でガリを切って印刷物を配って教育をしたその効果を確かめるわけですね。それがどの程度その子供たちになにされているのか。それを一つの反省材料として使って、新しい教育計画を立ててその問題をやっている、これが教育の作用だと思うのです。そのときに、自分でガリを切らなければならないけれども、それよりも安い、非常にいいものがある、これをかわりに使いましょうということで使うこと、これは教育活動ではないかと思うのです。これが教育委員会の行政権ですか。その点はどうです。
○福田政府委員 もちろんそういう場合には、先生みずからが問題を作成して子供にテストを行なうということは、一般的に望ましいわけでございますが、最近そういう問題用紙を購入してやるという傾向も相当あるようでございます。したがって、そういう場合にやはりどこかからそういう資料あるいは参考になるようなものを使って教育をするという場合におきましては、これは広い意味においてやはり教材であろうと思います。したがってそういう意味からすれば、教育委員会の管理権の範疇に入っているものだと私どもは考えております。たとえばまた視聴覚教育等にいたしましても、非常に簡易な器具がございますが、そういうものは、これは一々教育委員会の承認を得るということでなく、校長が、適切であればそれを購入することを認めるという、そういうまかせ方をしているわけでございます。
○村山委員 そこに私は非常に大きな問題があると思うのです。これはあなた方のほうの資料として出された熊本県荒尾市での裁判をめぐるところの判決の内容の中にも、こういうことがいわれているのですね。「教育活動のすみずみまで、干渉があり、教育活動が危険に陥るということになれば、それが国又は公共団体の管理権の作用としてなされようと、或いは民間や教師の団体等を通じてなされようと、等しく教育の自由を侵害する不当の干渉として、これを違法視し得ないではない。」こういうようないわゆる管理権の作用が、教育の現場にどの程度まで及ぶかということは大きな問題だ。そこで、私がそういうような問題を事こまかに取り上げてまいりますのは、一体その教科書の採択権という、そういうような管理権としての採択権というものをあなた方は主張をしておられるわけですが、教育という本来の立場に立った場合に、そういうような教育の価値を左右する権利というものを管理権というものによって左右できるのかどうかという問題が、私は当然出てくると思う。そういうような教育活動のすみずみまで入り込んでいくようなことになるならば、それは教育の自由を——本来教育というのは創造的な機能というものを持っておるのですから、そういうようなものを抑制していくような方向においていったならば、角をためて牛を殺すということになる。その点は官僚であるあなた方が一番自戒をしてもらわなければならないところだと思う。その点この教科書の採択権の問題は先ほどから私申し上げておりましたが、いわゆる教育の自由権、教育活動の分野に行政という一つの管理作用として働く行政権がどの程度までこれにタッチすることが認められるかという点を考えてまいりまするならば、先ほど公取の事務局長からお話がありましたように、公取としては独禁法違反という事実が出てまいった場合には、それに対して容赦なく公正取引の立場から処理をしてもらわなければならないけれども、学校の教育活動、その内容のものの中に入り込んで、それ違法だ、こういうのは厳重に警告するというようなことは間違いだと本人自身もお認めになっていらっしゃるわけですから、そういうような点からこの教材の取り扱いという問題は考えてもらわなければならない。さらにまた、いま蒲田初中局長からの話にありますように、管理規則を制定するという、管理権の作用として働いた一つの法則が生まれる。その中においては教育の自由性というのですか、これを侵すような方向で教育の創造的な機能が組めないような方向において管理権を主張することは、これは教育の自由を侵害する行為といわなければならないということが、あなた方が推薦をされましたこの判決の中でさえも出ているわけなんです。そういうようなことをお考えになりましたときに、この採択の問題について、採択に至るまでの間教師があるいは学校が一つの教育集団としての機能を果たしていながら、教科書に対して学校集団の立場から意見を言う、それをどういうふうにして受けとめていくかということは、当然法律の中において保障をされなければならないと思うのです。その点は前の教科書法案の中にはそれがありましたね、覚えておいでになりませんか。前の教科書法案を諸沢課長持っておられると思いますが、三十一年にお出しになりました教科書法案と今度の教科書法案の違いは、私はそこに一つあると思うのですが、その点はそういうふうに思想をお変えになりました理由は一体でとにあるのか、その点を明らかにしてもらいたい。
○福田政府委員 かつて出されました教科書法案にそういう御指摘のような条文があるかどうか私いまわかりませんが、これは調べてみたいと思います。しかしながら、かつての教科書法案のときにおきましても、その根本として考えておりました考え方は、教科書法案は教科書法案といたしまして、これは行政的な教科書を採択、あるいは教科書のそれぞれの府県あるいは市町村における教科書行政に関連する事務の進め方、そういった点についての規定がなされておったわけでございます。したがって、その実際の採択に関連しての現場の教師の意見あるいは学校での研究の結果というものが全然反映しないような仕組みということではなくして、私はその当時の教科書法におきましても、実際問題として学校あるいはそれぞれの地域の教師の研究の結果というものは、十分反映できるような仕組みになっておったと思います。今回の場合におきましても、その点につきましては何ら異なるところはないつもりでございます。県の段階におきまして教科書の選定審議会というものを設けるわけでありますが、選定審議会は二十名以内の委員でございます。これはあまり大ぜいでは選定の仕事ができかねますので二十名以内となっておりますけれども、その選定をする際におきまして、やはりいま御指摘になりましたような学校あるいはそれぞれの地域での教科書の研究、あるいはそれぞれの各教科の研究活動というものが十分教科書の選定の際に反映できるような仕組みにしたい、こういうような考え方は、私ども変わりないわけでございます。したがって、この選定審議会の委員でなくして、専門委員というような形におきまして、これは府県で設けるわけでございますが、何人かそういう専門委員を設けます際には、そういう現場の学校なり地域の研究活動あるいは教科書研究事業の結論というものはそこに反映してくるように、いい教科書をその地域で使っていただくという意味におきます反映の仕方を十分配慮いたしたいと考えておるわけであります。 また各都道府県内の幾つかの共同採択地区におきましては、これはもちろんいろいろ研究もされておりますし、また最近は教科の研究も非常に盛んになってまいっております。したがいまして、教科書の選定が行なわれまして、たとえばある話では五種類というような選定が行なわれたといたしますと、その中でこの地区ではどういうものをとったらいいかというような際には、これは法律上は教育委員会の協議によってきめるということになっておりますけれども、その前提としては、現在ありますような採択協議会あるいは研究委員会でもけっこうだと思いますが、委員会、協議会等の実際上の組織を通しまして、そうして学校側のそういう研究の結果というものは十分そこに反映してくるような仕組みを考えたいと考えております。したがいまして、いろいろ申し上げましたけれども、そういう点においては決してそれぞれの地域あるいは学校での研究意欲というものを無視するというようなことでなく、できる限りそれを尊重していきたい、こういうような考え方でございます。
○村山委員 前の教科書法案では第二十四条「(教科書の選定)」というところがあるのですが、そこにはこう書いてあるのです。「市町村の教育委員会は、毎年、その所管する小学校及び中学校の校長から翌年度に使用することを希望する教科書の申出をさせ、その申出をとりまとめ、これに意見を付して、都道府県の教育委員会に報告しなければならない。」こういうような手続関係が前の場合にはなされているのですね。それに対して今度はもう頭から都道府県の教育委員会は五種類といいますか、それは書いてありませんが、「当該都道府県の教育の水準及び自然的、経済的、文化的諸条件を考慮して、当該都道府県内の義務教育諸学校において使用すべき教科用図書として、種目ごとに数種の教科用図書を選定する。」だから今度の場合には、その選定の手続の上から見た場合には、新しい法案は小学校及び中学校という現場、その現場はもちろんのこと、市町村のいわゆる具申権というのですか、その市町村の教育委員会の意見、希望すらも認められないで、選定審議会の意思を聞くだけで独断的にこれができるようなシステムになっております。前の場合にはもちろん採択を府県がやるというので、そういうふうな手続をとったことも事実でありましょう。しかしながら、その教科書の選定にあたっては、各学校集団という一つの教育の場というものを踏まえて、その場を代表する学校長、その学校長から意見を聞いて、そしてそれにまた市町村のそういうような教育的な配慮というものが、少ないけれども、この中には残されておった。ところが今度はそういうようなものは全然なくて、県の方で多くて五種類くらいを選定をして、その中できまったものを都市単位くらいでこれをやっていくんだ、こういうような頭ごなしにやっていく考え方で、それでそのほかは自分たちが行政指導としてやっていけばよろしいんだ、こういう考え方が基本に流れているのではないか。その流れてまいった基本的な考え方が、昭和三十一年当時とするならば、今日においてはなぜこういうような天下り的な方向に行かなければならないように、あなた方は法案自体を計画修正をされたのか、その理由は一体どこにあるのかということをこの際承りたいと言っているのです。これが通ってしまったあとの行政指導について私は局長から聞いているのではありません。その発想のしかたをお尋ねをしているわけです。
○福田政府委員 なるほど御指摘のように、旧教科書法案の二十四条を見ますと、教育委員会でその所管の小中学校の校長から希望する教科書の申し出をさせるというような手続が書いてございます。その点は確かに今回の法案にはございません。ただし、その場合はそういう申し出をさせまして、都道府県の教育委員会はそれを取りまとめまして、もちろん協議会にはかけるわけでございますが、一種目について一つの教科書に前の法案の場合にはこれをしぼるわけでございます。したがいまして、そういう手続は違いますけれども、終局の目的としては、これを原則として一つの教科書に選定するというようなことになっていますが、今回の場合はそうではなくして、もう少しこの範囲を広く考えまして、やはり、都道府県の中でいろいろい公立もあり私立もあり、あるいはまたいろいろな地区に応じまして考えた場合に、一種類ということは適当でない。したがって都道府県の中での選定の際には、一種目について少なくとも五、六極数程度を選定する、そういう基本的な線で考えました。したがってその際には、先ほど申し上げましたように個々の学校から希望をする教科書の申し出をさせるというような手続を特にいたしておりませんけれども、できる限り地域の教科研究、その他の成果が反映するような仕組みを実質上考えまして、そうして五、六種数に選定をする、こういうようないわゆる構想が違うわけでございます。したがって、一種数にするのと五、六種類にするのとでは非常な違いがあるだろうと私どもは考えておるわけであります。そういった点からも、今回の法案におきましては、こういう点は考慮をいたさなかったわけであります。
○村山委員 なるほど選定をする場合には、選定の手続をやって、そうして採択をする場合は、いまおっしゃったように都道府県の教育委員会は、旧法案では採択地区を選定をするということ、採択地区は同じなんです。それはいま考えられておる新法案と同じなんです。郡または市、これらを合わせた地区を基準として採択地区を設定をしなければならぬ。そうしてその採択地区が同一種類の教科書を使用しなければならぬ、こういうことになるのであって、私がいま申し上げておるのと、その選定に対するところの運び方において、あなたがいま言われたのとは食い違いがある。これは旧教科書法案を十分に勉強しておられない証拠なんです。ですから、この問題は文部大臣、これはほんとうに日本の教育をよくしていこうと思うならば、ただ選ばれた少数のそういうような権威者に教科書をすべてまかせるということでなくて、中には教育上非常に教育能力のない先生たちもおるでありましょう。しかしながら、その先生たちを信頼をして、その先住たちにいま出されておるところのあの市売をされておる教師用指導書、教師の見本のようなもので教壇に立って教えていくだけで教育が成り立っていくんだというような方向を考えられないためにも、教育をもっと学校という一つの教育集団の場から盛り上げていくためにも、再検討をしていただかなければならない問題だと思うのですが、その点については大臣、どうですか。
○荒木国務大臣 教科書の採択ということは教諭が教育をつかさどるという事柄以外のことだと思います。先刻もお答え申し上げましたように、教育内容を文部大臣が国民に責任を持つ立場で定めなければならない、その根拠に立って文部大臣がこれまた国民に責任を食うという立場で教科書は検定しなければならない、検定を受けた教科書以外は使っちゃならない、こういうことででき上がりました教科書を地域ごとにどれを選ぶかということが採択行為だと思いますが、教育委員会が採択権を持って採択します事柄は、内容的には全部いわば学校教育法上国民に式年を持つ立場においては解決済みのものを、地域的な特色等を考えて、その中からどれを選ぶかということでありまして、教師の教育活動それ自体を左右するという問題では本質的にはないと私は理解します。程度の差は出てくるかもしれませんけれども、本質的にはそういうものだと思うわけであります。ただし、教える側の現場教師の意見というものが尊重されねばならない要素であることには疑いをいれないと思うわけであります。その意味では教育委員会が採択します場合に、具体的な何の何がしという教育委員が現場の教師の意見を聞かないでも、あらゆる面から百点取れるような判断が通常出てくるとも思われない。したがって、当然の具体的措置としてはそういう教育現場の教師の現場教育上の体験に基づいてのいろいろな意見等を十分に聞いて、そして責任を持って地域で採択する場合の判断に誤りなきを期するという努力をすることは、これは教育委員会として当然のことでありますから、そういう意見を反映させながら、あくまでも採択の結果の責任は教育委員会が持つ、こういう制度がいまの採択制度であると思います。したがって、法律上、制度上、教員の意見を必ずいれなければならないと、採択権限もしくは採択の責任を転嫁するようなことは、制度それ自体とは矛盾することじゃなかろうか。と申しますことは、先刻も触れましたように、教員の意見を聞いてはならないということではむろんない、聞くのが当然だ、聞いて自分の判断の内容として取り入れて万誤りなきを期するていの考慮の上に立って採択というものを行なうべき責任が教育委員会にある、そういうふうな理解のもとに現在の少なくとも教科書の検定あるいは採択という制度が制度化されておる、かように思うわけであります。
○村山委員 私は、その採択の権限の問題をいまここであなたと論議しておるのではなくて、採択に至るまでのいわゆる選定というのが法律の中にも新しく出てきておるわけです。前の教科書法案のときには、選定の手続について学校の現場の教師の意見というものが反映をされるような法律上の仕組みがなされた。いま大臣が当然だとおっしゃる、それが法律の定めにしたがって、そういうような意見を学校の教育集団というものから地方の教育委員会に反映をし、地方の教育委員会はそういうふうにして上がってきたものに対して意見をつけて、これを県の教育委員会の方に出していくというシステムが前にはあった。ところがそれは当然のことなりといえば当然のことなりでありましょうが、そういうような、いわゆる法律上それが認められていくという立場をとらなければ、やはり教科書というものが上から与えられたものである、こういうようなことになりますと、いわゆる教科書研究というものから教師を遠ざけていく。先ほど私がここで教科書観というものを大臣に尋ねたのはそこに一つのねらいがあるわけでありますが、そうなってきた場合には、いまでさえも教科書の上にあぐらをかく教師がなきにしもあらず、それは教科書を教えず。教科書の見本を持ってきて教科書を教えるという教師が現実におる。そういうようなところから教科書を教えるのであって、いわゆる教科書で教えるという自立的な立場に立つところの教育が生まれてこない。そうして教育をよりよくしていこうという考え方は——これは文部大臣がなるほど検定をした、しかもそれは国家基準のあるところの指導要録に基づいたものでありましょう。しかしながらその教科書は一体自分たちの子供たちにこれがいいのか悪いのかということを、自分たちみずからのものとして教科書研究に取り組む立場と、与えられたものとしてそれを受けとめる立場とは、教育に対する情熱が違います。その情熱をあなた方がわき出さしていくところに日本の教育の振興という問題があるのじゃないですか。前の法案にはそういうような現場から上のほうに、行政機関のほうに反映をする手続がなされておった。ところが今度の法律にはそれがなされていない。これはますます官僚統制、中央から政治権力として、教育作用というものを押えつけようというねらいがあるのじゃないか。そうでなければ法律の上においても、選定の手続において当然だと大臣がおっしゃるそれを法律事項にうたい上げて、国会の立法の参与を仰ぐべきではないかという考え方なんです。その点はどうですか。大臣当然だとおっしゃるのだったらなぜ法律に入れていただけないか。
○荒木国務大臣 自分で選ばなければ情熱がわかないとおっしゃいますが、そういう人もあるかもしれませんが、すでにして文部大臣の検定したもの以外は使ってはならないという教科書でありますことそれ自体が、どれを選びましょうとも、教師がみずからの意思で選択するという余地は、地域的な要素、あるいはある程度の教科書観の違いということについて関心が集中できることとはむろん思いますけれども、およそ教科書の採択、その準備行為としての選定という行為そのものは、これは行政行為であるべきであって、教師が教育をつかさどるという教育活動それ自体でないと私は思います。言いかえれば、採択、選定ということは、教育委員会が国民、住民に責任を持って、選定のよしあしを責任を持つべき課題であって、教師が教育をつかさどるという角度から住民に対して出てくる責任課題じゃない。さりとて、さっきも申しましたように、教師の現場体験に基づく選定上の参考となる意見は当然あると思います。だからそのことを参考にしながら教育委員会が住民に責任を持つ、そういう意味合いにおいて教師は関連を持ってくる。さらに逆にいえば、極端な場合教師の意見を聞かないで採択選定いたしましても、いまの制度からいって制度そのものに違反するものではない。しかし良心的によりよき選定採択をなさんとならば、この教育委員個人々々の自己反省にも立って、自分たちの認識の足らざるところを学識経験者とでもいうべき、能力を持っておる教師の意見を聞きながら誤まりなきを期する。意見を聞いたからといって、その結果選定が誤まったということについての住民に対する責任は教師に転嫁すべきでない。終始教育委員会が住民に責任を持って選定すべき課題だ、こういう前提に立って申し上げておるわけでございまして、教師の建設的な意見を聞くという、自分の責任を果たすために良識ある人々の意見を聞きながら総合判断するという、そういう前提要件としての意見聴取を怠るべきでない、そういう課題の意味において当然だと申し上げたのであります。
○村山委員 大臣の考え方はあまり四角四面に、あなたはものごとを行政という立場からだけ考えておられます。いまお話しになったように、文部大臣が検定をしても、検定をしておる教科書の中に、この地域の社会においてはこれがふさわしいのだという意見を、学校教育集団としての学校長が、これが自分たちのほうとしては一番正しいのだ、これは教育作用としてこの教科書を使いたいという意見を申し出て、それで市町村の教育委員会が自分のところはこういうようなふうに考えておる、こういうような意見を県の教育委員会に吸い上げていく、そして県のほうが選定してもいいですよ、選定権は県に与えてもいいですが、そういうような一つの民主的なルールというものが今度の法案にはないということは、教科書というものはそんなに差があるものじゃない、だから実質的には国定と同じだ、だからどの教科書を選ぼうがかってであって、行政権の作用としてそれができるのだ、だから教育そのものは問題がないのだから、お前たちがかってにそんなことを言うたって何もならないのだ、こういうとらえ方であなたがおられるところに、これは教師に対する不信感というものが根底にあるのです。だからそういうようなことをおっしゃる。ところが、これはやはり、あなたがこれを読まれたかどうか知らないが、教育委員会月報の五月号にこう書いてあります。これは社会科の新美さんが書いたやつですが、「一例を分量についてみると中学校「社会」一二点のうち使用紙数の最高のもの三七〇ページ余、最低のもの二七〇ページ余、その差一〇〇ページである。この差は「ある」ですむところを「あるのである」とか「あるもののようである」という種類の冗漫さや自信のなさとも関係するが、主としてはいわば大綱主義と網羅主義との編集方針の差に由来するものと見てよい。」こういうような差があるのだから、これを是とし非とするわけにはいかぬけれども、人には得手不得手がある。その得手不得手はどの教科書が使いやすいかと考える。それによってどれだけ教育効果を期待できるかということによって採択の判断をしなければならない。そうなってまいりますと、人には得手不得手がある、いずれの教科書が使いよいと考えるか、それによってどれだけの教育効果を期待できると考えるか、こうなってきますと、それは教育の領域ではありませんか。その領域に対して、自分の学校の生徒はこうだからこういうようなふうにしてもらいたいのだということを申し出をする法律的な基準というもの、基礎というものを与えて、そして市町村の教育委員会の意見も県の教育委員会に反映さしていく。こうしなければ、文部大臣は検定教科書はほとんど目を通しておいでにならないはずです。そういうようなひまもないのです。だからこういうようなふうにとらえておる。百ページも差がある。現在の文部大臣の検定済みの教科書においても百ページの差があるということを言っておる。だからそれはどちらが教育的効果があるかという問題になったら、これは行政官の判断する問題でなくて、教育者が判断をする問題です。その点はどうです。
○荒木国務大臣 私は制度の問題としてはさっき申し上げたことに尽きると思います。教師に対する不信感を持っているから、さっきお答えしたようにおとりになっておるようです。がむしろ私は教師を尊重するがゆえに申しておると自分では思っております。というのは、採択、選定ということについて、民主主義のルールからいって、住民たる主権者に責任を持つ課題だろうと思いますが、教師の一人一人が、あるいは学校としてでも同じでございますけれども、選定、採択のところではそれ自体について住民、国民に責任を持つ立場じゃないと思います。選定された教科書の教え方については責任があると思いますけれども、選定すること自体にかりに適当でないものを選ばれたとしましても、教師は責任はないはずであります。ただ誤まりなき選定をするために、その責任者たる地位にあります教育委員会が万全を期するときに、当然に意見を聞くということが必要である、その協力は求めなければならぬ、これはもう常識の範囲であって、特に法律に書かねばそういうことが行なわれないという趣旨じゃないと思います。それは先生が勉強してください、勉強するためにはこれは妨げてはならぬし、大いに協力しなければならないと地方公務員法にも、あるいは法律そのものにもそのことが慫慂されておるぐらいでございますから、教育委員会たるもの、選定するにあたって現場教師の意見も聞く、そして誤まりなきを期するということを当然申し上げております。
○村山委員 現場教師の意見を聞くのが当然だとするならば、当然前の法案の中にはそういうような学校の教育集団としての学校長、代表である学校長から意見を聞いて、そして市町村の教育委員会がそれを自分のほうに今度はまた申し出をする、こういうような手続をとっておるところに、ほんとに教育の、現場が教科書という生きたこれは教材ですから、これは行政の道具じゃないですよ。教材ですよ。道具なんです。そういうような教育に直接関係のある問題は学校の意見を聞いて、そして教育委員会がそれを正しく上に汲い上げていくんだ、こういうようなのを法律の中に明記しないで、ただそれは常識の範囲だとか、そういうことが望ましいのだといったって、これが正しいと思ったらそれを明美に法律の上で実現をしていくのが立法府としてのわれわれの仕事だし、またそういうような法律を国民の皆さん方につくって出していくのが文部省の立場でございませんか。
○荒木国務大臣 私は先刻お答えしたとおりに、かりにまたそのことが採択、選定等の要請行為、それを通じて国民や住民に対して責任の所在をはっきりさせるゆえんだ。民主的とおっしゃいますが、各学校から意見を聞いて責任を分散するというがごときことこそが適当じゃないのではなかろうか。選定するにあたって現場教師の意見を聞くということが教育委員会として望ましいことであることは、これは常識の範囲でございますから、特に言わないで、法律にそれを明記することによっての責任の分散をかえっておそるべきじゃなかろうかというふうに私は理解いたします。
○村山委員 責任の分散ということを私は言っているんじゃないのです。前の法案の中にはこう書いてあるということをよく言っているのですから、前の法案を大臣よく見てください。「市町村の教育委員会は、毎年、その所管する小学校及び中学校の校長から翌年度に使用することを希望する教科書の申出をさせ、その申出をとりまとめ、これに意見を付して、都道府県の教育委員会に報告しなければならない。」これは責任の分散をさせることではないでしょう。これは当然そういうような、あなたが当然やらなければならないのだということを法律の上に明記している。そうすることによって学校の声というものが教育委員会にも化かされていき、その地方の教育委員会が府県の教育委員会にもまた声が生かされていく。その中においてそういうような意見を集約した中で県の選定審議会がその選定の行為に当たる。私が言うのは責任の分散をしなさいということを言っておるのではない。これは教育を愛するがゆえに言っておるのです。そのことは賢明な大臣はおわかりになると思う。あっちこっちに話を分散させないでもらいたい。
○荒木国務大臣 私も教育を愛するがゆえに申し上げておりますが、むしろおっしゃるようなことは政令ないしは行政指導にゆだねて十二分なものではないかというふうに考えますので、以上のとおりにお答えしておるわけであります。教育を愛する意味は村山さんに劣らない気持で申し上げております。
○村山委員 ところが、それが政令で生かされるのだったら、政令にゆだねる何かがそこになければならないと思うのですが、その選定について政令で定めるという事項が今度の法律の中にありますか。
○福田政府委員 法案の十七条には、「この章に規定するもののほか、選定審議会の所掌事務、組織及び運営並びに採択地区の設定、採択の時期その他採択に関し必要な事項は、政令で定める。」というふうに規定がございまして、先ほど大臣が申し上げましたように、この学校というか、現場の声をできるだけ有効適切に反映させる方法といたしまして、私どもは政令の中に定数事項として考えておりますのは、先ほど申しましたが、委員の中に専門委員というようなものを設けまして、その専門委員のこれは構成のしかたでございますが、各教科にそれぞれ専門家がおるわけでありますから、相当数の各教科にわたる専門家をそこに配置をいたしまして、そうしてこの法案では学校から直接その希望を聞くということではございませんが、学校の希望は、それぞれの地域やあるいは県内の教科研究会等を通じまして、そういう希望が十分選定の際に反映できるような仕組みを考えたい、こういうことを先ほど申しましたその根拠は、この十七条でございます。
○村山委員 法律からそういうような政令に委任をする場合には、ここに掲げてあることが政令に委任されるのであって、いまいうような法律の手続に関するような問題について政令に委任されない。私が言っておるのは、そういうような旧法案にあるような内容のものが法律で定められなければならないといったら、大臣はそれは政令なり、あるいは行政指導によってやるというから、政令はどこに根拠があるかといったら、あなたは十七条という。十七条は選定審議会の所掌事務、組織及び運営、それにつくられた。そのあなたがいま説明をされたこと以外にはできないのです。だから、それに意見を具申するところの筋道は、政令の中では定められない。これは十七条のこの法文を解釈すれば、そういうふうになりますよ。ですから政令で生かすということは、この十三条の採択の問題をめぐるところの十一条の教科書の選定等のところからは——そういうような手続についてゆだねるのだったら、そこに入れなければならない、私はそういうふうに考える。ですからこの問題については、われわれは非常に大きな問題として関心を持っておりますので、少ししつこくなりましたけれどもお尋ねしたわけであります。 そこで、私に残された時間も少ないようになりましたけれども、教科書センター、これは前は幾らありましたか、大体九百くらい全国にあったと思いますが、それを去年ですか、教科書のセンターを少なくされましたね、この点はどうですか。
○福田政府委員 御承知のように、この教科書の展示場は常設的なものと臨時のものがございますので、臨時のものを含めますと、従来一千カ所以上になっておりました。それは年によって違うわけでございますが、いま村山委員の御折価になりました点は、昨年は臨時のものの数が少し減ったということだと思います。数を申し上げます。昨年の、三十七年の本館と分館を合わせまして七百二十八、臨時分館を合わせますと八百五十九という数になっております。大体従来もこれくらいでございます。
○村山委員 去年減っておるでしょう。いわゆる臨時分館ではなくて、センターとして設置されておるのは全国的には非常に数が少なくなっておる。昨年高等学校の改訂等もございまして、非常に教科書に対する関心が深まってきておったのですが、それがセンターが削られたために、いままで一地区に大体一つくらいあったのが二つくらいに集約されてしまったので、非常に教科書の研究の上から困ったという話を聞いております。その点はどうなんですか。
○福田政府委員 ちょっとここに資料を持ち合わせておりませんので、正確なことは申し上げかねますが、昨年は高等学校の採択の関係が主でございまして、したがって高等学校関係は展示場も少なくていいということで数はかなり減っております。これはまた数を調査いたしまして御返事をいたしたいと思います。
○村山委員 従来センターには高等学校の教科書だけでなくて、小学校、中学校、高等学校まで一緒にしなさいという指導をしておられましたね。ところがこれは高等学校だけだからというので数を減らしていくということになりますと、いわゆる教科書センターにおいてその教科書を見て、そうして研究をするという、それがどういうようなわけでありますか、もう教師頼むに足らず、そういうような教科書研究活動というのはもうやめなさいというようなことを、センターを少なくすることによって行政的に指導しておられるのじゃないかというふうに疑うような結果が出ているのですね。これは予算の関係でそういうようになさったのですか。それともいま私が申し上げるような考え方が基礎になってやられたのですか。
○福田政府委員 私どもそういう指導を特にいたしておるわけではございません。何かの誤解であろうと思いますが、高等学校につきましては、もちろん小中学校一緒にやりますけれども、小中学校につきましてはまあ大きな採択がえはないというようなこともございます。それから高等学校につきましては見本を送付する関係もありまして、新しいもののみにいたしましたので、したがって府県側におきましてはそういった点から特にいままではどの展示場を開設する必要はないということで減ってきたものと思います。もちろん予算の関係もその陰にはあったと思いますが、主としてそういう理由であろうと思います。
○村山委員 私は先ほど大臣に教科書観についてお尋ねをしたわけですが、教科書というものはやはり国民のだれもが身につけておかねばならないところの真理やあるいは真実というものを、人間の前面的な発達の段階におきまして役立っていくような、そういう科学や技術というものの集積されたものを内容的に持っていなければならないという意味において、国民が要求する標準的なものが設定をされなければならないんだ、そういうような意味において文部大臣が検定の一つの基準というものを設定しているだろうと思う。ところがそういうような教科書というものが、今日、私が先ほど指摘をいたしましたように比較的に画一化された教科書というものが生まれてきて、そうしてそれが学習指導要領という国家的な権威にささえられて、その基準性というものを教科書自身が今度は自己主張をするようになった。教科書に振り回されるような教師というものが生まれてくることを私たちは心配しているわけです。だから戦後ありましたように、教科書というものはほんとうの教材なので、この教材はまあ非常に軽べつをしていく、そういうような一つの過去におけるところの流れがございました。だからその当時には、私たちは教科書でも教えるということで教科書に対する一つの認識をしておった時代があった。ところがこのごろは、教育の現場を見てまいりますと、中には非常にりっぱな教科書研究をし、あるいは地域の社会に合った一つの教育旅程をつくって、カリキュラムというものをつくり上げて、非常に教育を取捨選択をしながらよくやっておる教育の実例も見ます。しかしながら教科書に対して、もうそれをほんとうに金科玉条のものとしてこの問題を取り上げていくような人たちも企まれてきた。そのことは現実に市販されておるところの、各教科書会社が一つの基準も持たないで、こういうふうに指導要領に書いてあるのだから、こういうところでこういうふうに指導をしなさいという、そういう教師用の教科書さえもあらわれておる。こういうところから教科書そのものが一つの基準性を持って、それが教育を左右していくという一つの弊害が生まれ始めている。だからこれは教科書を教える教育なんだと私たちは言う。そういうのに対して、正しい教育は教科書で教える教育でなければならない、こういうようなところからいままで論議をしてまいったのでありますが、やはり先ほどの教科書の選定をめぐる問題、あるいは採択をめぐる問題について、大臣からの答弁はまことに私は不十分だと考えます。したがいまして今後そういうような問題をさらに深めてまいりますと同時に、いま検定の基準が行政行為によってだけなされて、そして検定の基準に対する手続については、法律の上においては規制をされないがゆえに、こういうような行政行為によってややもすればあやまちがおかされている事実を、私は教科書の内容を通じてこの次に取り上げてまいりますので、きょうは時間の関係がございますからこれで保留させていただきます。
○小林(信)委員 関連して……。いまのお話を聞いておって、私は制度だとかあるいは法律だとかいうような問題をしばらく忘れても、大臣にこの際先生の仕事、教育をする仕事ですね、もう少しこれを理解してもらいたいと思うのですよ。これは実際知っていただけば、いまのような大臣の考え方はもっと私は改まると思う。何か一つのものに拘束されて、そして教師の教育という仕事に対してあなたは法律だ、制度だ、しかもそれも文部省の解釈する方向に持っていこうとしているのですが、こういう考えをもって、今後大臣もどれだけおやりになるかわかりませんが、その考えを基礎にして世間に向けてものを言われるということは、私は日本の教育の権威を失墜するものだと思う。私は時間がないのでまたあらためてお尋ねするつもりですが、先ほど検定の問題について文部大臣が責任をもってやっているんだ、その教科書だから教師自身が選んだものでなくて、教育委員会が選んだものでもいいじゃないかというお話がありましたが、それだったら教育委員会が権限を持ってもかまわぬ。教育委員会が自由に教師に選ばして責任だけ教育委員会が持ったって差しつかえないわけです。そういうようなこともあるし、それからあなたはこういうことをいま言われた。たまたま選んだ教科書が間違っていた場合教師が責任を負うということは非常に問題だ、やはり行政機関である教育委員会が責任を持つという方がいいのじゃないか、こういうふうにおっしゃっておる。何か思いやりがあるようなんですが、私はそこが教師のしておる仕事を十分お知りにならないと思う。私は例をもって申し上げますが、プロ野球の選手がバットを使う場合に、監督がお前はこのバットを使えと言って監督がバットを選んできてそのバットを使わせて打たせる、選手一人一人は監督が選んできたバットであるから打てようが打てまいが、選手には責任がない、監督に責任がある、こういうことではたしてほんとうに野球の試合というものがうまくいくかどうか。私は野球の選手が選ぶバットと同じだと思うんですよ。できるだけ子供を知りあるいは子供の置かれておる地理的な条件を考え、教師の持っておる教育観、こういうものに立脚して教科書を選ぶ、これは制度でもって認める認めぬの問題はともかくとして、私はそれが教育を営む上の大事な条件であるということをどうでも知ってもらいたいと思う。野球の選手がバットを選ぶというような問題と、どうですか、問題は違いますか。
○荒木国務大臣 私は違うと思います。大学の教授が研究し教授することならば別ですけれども、いやしくも義務教育の場において教員は教育をつかさどるとあるから、自分の主観に立って何でもどう教えてもよろしいということであっては絶対いけない。義務教育なるがゆえに、特に教科に関することは文部大臣という立場で全国民に責任をもって基本線を定めて、責任を負うて、そのことが具体的には学習指導要領という形で責任を負う内容ができておる。検定します場合も学習指導要領を根拠にもって調査官その他が文部大臣にかわって調べて、その線を逸脱しないようなものだけが検定に合格する、そういう建前になっておるゆえんでございまして、そのことを念頭に置いて、そのうち内において教師が教育をつかさどるのであって、その基本線を逸脱することは許されない。これが大学教育でない、特に義務教育の国民的な要請として学校教育法に明記されているゆえんだと思うわけでございます。したがって職業野球団の選手のバットを選ぶことにたとえられましたが、選定するという以上は、数種やるからこそ選定する。選定し得る範囲内においてよりいいものを選ぶという意味においてはバットを選ぶのと同じだということは言えないことはないと思いますが、それよりさき、およそバットというものはこういうものでなければならぬということがきわめて限定されて、極端にいえばバットはどこのだれがつくったどんなものでもいいというものと同列に置いて同じだとおっしゃるならば、私は違う、こう申し上げざるを得ないものと思います。
○小林(信)委員 私ももっといい例を出してくればいいのですが、私は制度とか法律とかいうふうなものは別問題としてと前提して、教師の仕事というものに理解をもってもらいたいという考えで申し上げたのですから、今のような例をとったのですが、あなたが例が不適当だとお考えになればこれはまた別なんですが、やはり選手がほんとうに打とうというふうな場合には、あてがわれたバットでもってできるものではないと思うのです。バットだって無制限のものじゃない。やはり規定がある。その規定の中で、自分の体力とかあるいは自分のいろいろな調子とかいうふうなものを考えて自分で選んできたバットで打つということが私はいいと思う。そのバットだってやはり一つの規程があると思うのです。いま大臣がおっしゃったように、教科書はもう完全に検定されているわけなんです。どの教科書を使っても間違いないということは文部省が責任負ってもいいと思う。そういう中から選ぶ場合に、何を選んでもいいから教育委員会が選ぶのも差しつかえないじゃないか、というような妙なことでもってごまかしておるところが私は気に入らない。私がこういうことを言うと、何か教師というものがかって気ままな教育をするかのように考えますが、どんな教科書をあてがわれたって、教師の考え方を無理にこじつけでもって言えば、どんな教科書だって教師の思うとおりになっていくわけなんです。悪く解釈しようとすれば悪く解釈できるわけなんです。さっき靖国神社の問題が出ましたが、靖国神社というものをそこへ並べても、教師の教え方ではどうでもなると思うのです。さっきも局長の言われるように、靖国神社が国民とつながるもの、だとかあるいは靖国神社の背後に明治以後の日本のいろいろな変遷があるというふうなことを簡単に言われましたが、扱いようでどうにでもなる。そういうことを言えば問題にならないのです。私は良心のある教師、良識のある教師という立場でものを考えているのです。教師がただ規則に従ってあてがわれた教科書を忠実に教えれば、それによって教育の成果が上がっていくという考え方は、ほんとうの教師の事実を知らないものじゃないかと思うのです。やはりそこに教師が情熱をわかしていく、教師が責任感を感ずる。どんな教科書を選んだって間違いというものはないはずなんです。だから教師が自分の教育観に立ち、指導要領というものがあてがわれておるわけなんですから、その中から、この地方のこの能力の子供はこの一年間には指導要領に従ってどの程度のものを理解させる、どの程度のものを力をつけるか。国語なら国語だって、国語の中に書いてある事実を知らせるという問題もございます。いろいろな事象を教えるということもございますし、中の文字を教えるということもございますし、読解力を養成するという問題もある。それはやはりその地域の子供たちの能力を教師がしっかりつかんで教育計画を立てる、これが私は大臣の行われる指導要領を忠実に守る教師の仕事だと思うのです。計画を立てて、それに材料としてあてがわれるものが教科書なんだ。したがってどっちが主になるかといったら、私は、教科書よりも、教師のその計画をする熱意を打ち努力をする姿というものが私は教師の一番大事な仕事だと思う。その計画をする者にあてがうところの道具これは何でもいいわけじゃないと思うのです。何も選ぶ能力がほかの人にあるわけじゃない。教育委員のどの方を見たって現場の教師が一番能力を持っていると私は思うのです。この教師に選択をさせる、それが何よりのことである。だが何か行政上の問題で都合が悪いから教育委員会に持たせるというのなら私はわかる。それならまた別ですが、ほんとうにそれが教師の意図するところとか教師にほんとうに教育に熱意を持たせるためには、どうしても教師に選ばせるほうがいいんだ、こう私は考えなきゃ、ほんとうに大臣として教育に対する理解を持っておらないと思うのです。この点を私は午前中も多少申し上げたわけです。教科書を教えるのか、教科書はそういう計画の中で教材として考えられるのか、こういうところからまず始まっていまのようなことが最も希望する条件ではないか、こう思うのですが、もしだめだというならだめだと一言でいいです。またあとで時間をいただいて私は論議を申し上げるつもりなんです。
○荒木国務大臣 私は、その実質的なものの受け取り方においては小林さんとそう違っておるつもりは自分としてはございません。教育委員会、文部省もそうですが、文部省も教育委員会も何も教師と対抗する立場にあるんじゃなしに、行政上の権限とか何とかは制度論として必要だから申し上げているにすぎないのであって、文部省も教育委員会も学校長も教頭も教員も全部一緒になって主権者たる国民に、その国民の子供であるところの児童、生徒に対しまして義務として課さねばならないと国家的に民族的に判断するところの教育を一緒になってよりよくしていこう、それをそれぞれの立場において責任を分担し合って、総合すれば最もいい状態に持っていくためにこそ存在しているそれぞれの立場だと思うのであります。そういう意味でものの考え方の基本線にいささかも小林さんと食い違いはないと私は信じながらお答えしているつもりでございます。 そこで、なるほど検定を済ませました教科書そのものは、一般的に言って同じだと言えないことはないわけでありますが、種数があるからその中から選択しようというのがいまの検定もしくは採択の問題である。その場合に最も理想的なのは、教師が選ぶということが一番名実ともにいいのかもしれません。いいことを否定しません。ただ全国的な制度論として申し上げます場合、文部大臣が、ことに私のようなしろうとが文部大臣であることは、これまた幼稚園から大学に至るまでの教育に通暁したオールマイティな人が文部大臣になることが望ましいこともこれは言わずもがなだと思います。それと同じ意味で、教育委員も一人一人がそうであってほしいということもこれは言い得ると思います。ただ実際問題としてはそれができないので、かつまた国全体、県全体あるいは市町村等の地域行政区域を中心として一般的に教育の問題を取り扱い、それぞれの分担があらざるを得ないから、委員会とか文部省とかがあるということを前提に、それを構成する具体的な委員は、枢軸に言えばびんからきりまであるわけです。そのことも制度としてはやむを得ざることだという前提に立ちながら、教育委員会が採択権を持つんだという制度こそが適切であるという現行制度であると理解するのであります。したがって、そういう採択権を持つ委員会というのが、何度も申し上げますように、その住民に対して責任を持つ制度上の必要からできておるものであります。だから責任を持つのが当然、しかし責任を持つについては、ただ検討も加えないで責任を持つということだけじゃ済むものじゃございませんので、責任を持つ以上は持ち得るようなあらゆる努力をして採択という責任を来たす、そういうことから言いまして、現場の教師の体験上の意見を十二分に参考にしながら、採択の責任を住民に果たすということが当然だ。常識的に当然のことであるから黙っておってもそうするであろうけれども、もし万一漏れがあるならば、行政指導等によってやってしかるべき程度のものではなかろうかということを先刻来この問題については申し上げているのでありまして、かつまた教育そのもののしかた、それは先刻申されました意味のバットの選定とはおのずから違うのではなかろうか、これも先ほど来くどく申し上げましたことを根底にお答えしている つもりでおります。
○小林(信)委員 根底においては同じような意見だというようにだんだん発展してきたようでいい傾向ですが、大臣、二十四の瞳なんという映画を御存じゃありませんか。やはりああいう境地は責任とか、義務だとかそんなような境地じゃないのですよ。ほんとうに純粋な教師の境地というものは三枚境というあれがございますが、やはりああいう境地に入る。それを私たちはこいねがわなければならぬと思うのですよ。大学へ入り、あるいは師範学校を卒業したというような先生は、やはり教育でもって自分が生涯を通るのだ。やはりその仕事に情熱を傾け、そこに自分の生きる楽しみを感ずるという、こういう境地をつくってやるように、教育行政をやる者は考えなければならぬし、またそこに父兄というようなものは常に尊敬を持っていかなければならぬと思うのです。そういう点から考えれば、いまの教科書の選定、選ぶというような場合には、教師が最も理想とする教科書を遊ぶようにしむけてやるほうが私はいいと思う。それを大臣がとかく制度的なことを頭に置きますから、いまのような教育委員会の問題が出てくるのですが、そういうような境地に教師を追い込んでいこうとする場合には、いま考えておる教育委員会なんというものは盲腸の存在なんです。そういう形に私はならざるを得ないと思う。もっと教育委員会には大きな使命があると思うのですよ。ただそれを生かさんがためにその行政的な立場を何とか意議づけようとするから、私がいま申しましたように、かえってじゃまにこそなれ、決して利益にはならない。教師のそういう情熱をはばむようなことになっていくわけなんです。まあ、大臣のおっしゃる最初の意向というものはややいいような気がしますが、またどうも教育委員会が気になってしかたがないから、教育委員会の問題を取り上げてしまうのですが、そうなれば私は教育委員会というものは盲腸の役目だ、こう言わざるを得ない。まあ論議はせっかく村山さんとほんとうに一問一答をして大事なところに触れてきたので黙っていることができなくて私の考えを申し上げたのですが、大臣はまだまだ教育の実際の事情というものを知らないと思うのです。よく勉強してください。そうしてやはり大臣がそこにもう少し発展した考えをもっていけば、制度はどうであっても、もっと私は生きた教育が行なわれてるようになると思うのですよ。制度なんかよりももっと大事なことだと思う。時間が詰まっておりますから私は以上で失礼します。
○床次委員長 上村千一郎君。
○上村委員 本法案につきましては三木委員、村山委員、小林委員からいろいろと質問をいたしております。重要法案でございますので、いろいろと慎重な質問が展開されておるわけでございまするが、本法案が実は憲法の二十六条の義務教育無位の理想をより広く実現していくというとうとい使命を持っておる法案でございますので、なおこれが義務教育諸学校の児童、生徒に対しまして全面的に教科書の無償給与という制度の確立の法案でございますので、かかる画期的な法案について、ぜひ完ぺきな状態におきまして法案が通過するということを切望いたしておる一人といたしまして、二、三、できる限り重複を避けまして御質問をいたしたい、こう思っておるわけであります。 この義務教育諸学校の児童、生徒に対しまするところの教科書無償給与の制度というものは、かつて昭和二十六、七年に、その教科書は種目として限られておりますし、また全面的な無償給与の法案ではございませんけれども、その理想の一端を実現いたしておるかと思います。その法案が実は途中で廃止されたというような点から考えてまいりますと、今度の法案の実施につきまして、昭和二十六、七年度に実施いたしました体験というものは貴重なものであろう、こう思うわけでございます。そういう意味から昭和二十六、七年度の実施の御体験につきまして少しくお尋ねをしておきたいと思います。
○荒木国務大臣 いま御指摘の、以前に実施せられました、まあいわば部分的な教科書無償制度、それが結果的には廃止されるに至ったことはお話のとおりと理解しております。あれはすでに御案内のごとく、立法の当初から一つの試みとしてなされるという趣旨がうたわれておったと承知いたします。さらに次の段階におきましては、一年生に入る児童に対しての一つのはなむけとしてというがごとき、本来部分的なものであることを標榜されながらスタートしましたために、当寺の立案者としましてはだんだん発展せしめていく意図がむろんあったと思いますけれども、スタートラインにしてすでにして部分的なあるいは臨時的な要素をはらんでおりましたがために、不幸にして沈没したんだと理解するわけであります。 今度は——そのことのお尋ねはございませんけれども、御審議願っております法案は、すでに申し上げましたがごとく、御案内のごとく、この前の通常国会において御決定をいただきました憲法の趣旨に基づいてそれをふえんする意味において、義務教育諸学校に使います教科書をすべて無償とするという基本線を確立していただいたその基本線に立って、前向きに具体的な実施に必要な立法措置を講ずるというのが内容でございますので、今度のこの無償措置が御指摘のようにかつて行なわれて途中でなくなりましたような轍を踏むことは、法案それ自体の出発点からしてあり得ないもの、またあらしめてならないもの、かように理解しておる次第であります。
○上村委員 そういたしますと、大臣とされましては、いわば不退転の決意をもってこれが憲法の義務教育無償原則の広い実現をはかっていく、こういうふうに承ってよろしいか、行頭においてお尋ねをしておきたいと思います。
○荒木国務大臣 これはたまたま私が責任者の立場にあります者としての主観的な不退転の決意などということでなくて、先刻申し上げたように、この前の通常国会において御決定いただいた法律そのものが政府に対しましても厳粛に要求しておる趣旨であろうと理解するのでございまして、先ほど申し上げたとおり、当然に段階を踏むことはやむを得ないといたしましても、なるべくすみやかに完全に義務教育諸学校の教科書が無償になるということまで必然性を持って進行していくべき問題と心得ております。
○上村委員 去る四十回の国会におきまして義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律というものが成立をいたしました。そのときにはこの教科書の無償給与という大原則がうたわれたのでありますが、これが具体的実施につきましては、臨時義務教育教科用図書無償制度調査会というもので調査をしまして、そしてこれが答申を得て具体策を練っていくというふうに相なっておったかと存ずるわけであります。右調査会は、昨年の四月から十一月末で七カ月にわたって調査されまして、その審議した結論を文部大臣に答申をされておるようであります。 その答申に関連をいたしまして少しくお尋ねをいたしておきたいと思いますが、このたび御提出になっております本案につきまして、この調査会の答申内容がどの程度採用されておるのかどうか。採用されていない部分、採用されておる部分につきまして御答弁を賜わりたいと思います。
○荒木国務大臣 この答申の基本線は全部盛り込んで御審議願っておると心得ております。ただ部分的にある程度の誤差があるかと思いますが、その点は政府委員からお答え申し上げます。
○福田政府委員 ただいま大臣からお答え申し上げましたように、昨年四月以来調査会において審議いたしました結果、その答申に基づきまして全面的に答申の内容を法案作成の過程に盛り込んだわけでございますが、まずこの答申の第一の問題といたしまして、無償の範囲でございます。無償の範囲につきまして、公立学校に限定せずに国立、公立、私立の義務教育学校の全児童生徒を対象として無償給与すべきだ、しかもこれは中学校でありますが、選択教科も含めた全教科の教科書を対象とする、こういうような答申があったのでございます。これにつきましては、この法案の中でこの答申どおりに法文の作成をいたしました。 それから第二の点は、教科書を給与すべきか貸与すべきかという問題が非常な論議の的になったのでありますが、この教科書の無位のやり方につきましては、現在の教科書の実態から考えまして、教育上からもこれを生徒児童に給与することが適当である、こういうような答申をいただいたわけでございます。したがってこの答申どおりにこの法案では給与するというたてまえで、貸与でなくして給与だというたてまえになっておるわけでございます。 それから三番目は、「費用は当面国が全額負担して発足することが妥当である。ただし、地方分担については、今後各般の状況を考慮しあらためて検討する必要がある。」こういう答申をいただいております。したがって今後将来の問題としては地方財政等の状況を考慮いたしまして、国と地方の負担関係についてはさらに検討する余地はございますけれども、法案といたしましては、費用を国が全額負担して出発する。そういう意味におきましてこの答申どおりにいたしておるわけでございます。 それからその次の問題は、教科書の体様の問題でございますが、「教科書の体様は、おおむね現行のままとし必要な改善を加えるべきである。」という意味の答申をいただいております。これは直接法案に出てまいらない問題でございます。これは定価の問題でございますので、法案には直接関係はございません。 五番目は、「教科書の採択制度については、現行の方式を基本としその改称をはかるべきである。」こういうような答申をいただいておりまして、その現行の方式と申しますのは、現在行なわれております郡市を単位とする広地域の共同採択の実態をふまえまして、その実態を基礎にしていく、こういうふうな関係でございます。したがってその点につきましては、この答申の趣旨に従って法案は作成されております。それから、その際に、もちろん都道府県の教育委員会におきまして選定委員会を設けて、都道府県内の学校で採択すべき教科書を一教科について数種類選定するという方式、これも答申どおりでございます。それから県内に設けられました採択地区につきまして、区域内の教育委員会が共同して採択するための協議会を設けるという事柄が言われておりますが、これは特に協議会をこの法案では設けておりません。これは事実上の問題として、必要な場合は設け得るということでございます。これは採用いたしておりませんが、趣旨においては全面的に同じでございます。 それから六番目は、教科書の発行企業及び供給機構のあり方並びに教科書の価格の決定についてでございますが、この教科書の発行企業等につきまして合理的な改善をはかるべきだという答申になっておりますが、発行企業につきましては「その健全な育成の価格の低廉化をはかるため、一定の資格要件を設け」て、今後この発行者の基礎の強化をはかるべきだ、こういう趣旨の答申でございます。これにつきましては本法案の中に一定の資格要件を政令で定め、そうして今後新しくできます会社につきまして乱立を防止するというような措置が講じられております。 それから次の問題として教科書の供給機構の問題でございますが、これは検討する必要も多々あるわけでございます。しかしながら答申ではこの供給機構については経費の合理化と供給の円滑化という見地から、手数料の縮減については必要な改善を加えるべきであるけれども、さしあたりこの供給機構について混乱を起こすというようなことでは困る。したがって無償措置が漸進的に実施されることを考慮して、現行の供給機構を利用するようにした方がよろしい、こういうような答申をいただいております。したがってこれは直接法案の中身になってこないわけでございますが、そういう趣旨でこれを答申のとおりに実施することにいたしております。以上でございます。
○上村委員 政府は五カ年計画で全児童生徒に無償給与するというふうに言っておられるが、そうであるのか。もし五カ年計画であるとするならば、その具体策はどういうふうになっておるのか。また財政当局はこれに対して裏打ちができているのか、了解がついておるのか、完全実施をした場合に大体どのくらい予算が必要であると見込まれておるのか、その点についてお聞きしておきます。
○荒木国務大臣 五カ年間に完了したいという文部省としての強い希望を持っておるということでございます。五カ年と申しますのは、それに対応する予算年度で申し上げれば三十七年から始まりまして四十一年までの間に予算措置を完了したい。実施年度で申し上げれば一年度ずつ繰り下がるわけでございますが、その予算でいいまして第二年度目をいま迎え、予算も御審議御決定をいただいたということで、五カ年計画の第二年までは予定どおり進んでおる。今後三年度にわたりまして予算の裏打ちがきちっとあるかというお尋ねでございますと、ございません。客年度ごとに大蔵当局と折衝をしながら、いま申し上げた残りの三分の一を完了の域まで持っていくという課題として残るわけでございます。ただしそのことにつきましては、池田総理からも国会におきまして、五カ年で完了するという決意のほどは本会議で御答弁申し上げていることは御承知いただいていることと思いますが、その決意をもって臨んでおるということだけは申し上げ得るかと思います。
○上村委員 大体完成時における総予算はどのくらいであるか。
○荒木国務大臣 現行定価で申し上げまして、おおよそ百十五、六億見当かと思われます。その後の物価の変動ないしはコストの合理化がこれに加味されまして、結果的にどうなるかは、はっきりはむろん申し上げられませんけれども、百十五億円見当と推定をいたしております。
○上村委員 これは局長にお尋ねをしておきますが、その五カ年計画の内容です。何年度は何年生というような具体的な問題についてお聞きしておきます。
○福田政府委員 五カ年計画についてはただいま大臣からお答えを申し上げたとおりでございますが、三十九年は一年から三年まで実施する、二十七億六百万円はすでに予算に計上されております。これを既定の不実として考えまして、それ以後大体二カ年ずつ、二学年ずつ進行していくといたしますと、四十年度は小学校の一年から五年まで、それに要する経費は先ほど申しました現存の定価で推定いたしますと、五十一億四千六百万でございます。それから四十一年度におきましては小学校の六年までと中学校の一年ということを仮定いたしますと、総経費八十五億円、それから昭和四十二年度、これは完成年度でございますが、小学校から中学の三年まで合部実施いたします。経費は先ほど大臣からお答え申し上げましたように百十五億五千万円でございます。
○上村委員 今度の教科書の無償給与の制度の大きな柱となっておりますのは国が面接に義務教育諸学校の児童生徒に対しまして教科書を無償給与するという点にあるかと思うのであります。そういたしますれば、その教育という場から、またその精神からいいまして、地方負担、地方にこれが経費を分担させるということはいかがかと思うのであります。あくまでも国が全額負担をして遂行すべきものであろう、またそれが本旨であろう、また憲法の趣旨からいいましても、それが本旨であろう、こういうふうに思うのでございますが、大臣の御所見を承っておきたいと思います。
○荒木国務大臣 義務教育諸学校教科用図書無償措置に対する財源の問題のお尋ねでございますが、御指摘のとおり、この趣旨から申し上げましても、国費で負担するというのが本則であるべきことは申し上げるまでもないと存じます。調査会の答申はそのことを是認いたしておりますが、ただ少数意見として、将来国費と地方費の分担ということも検討をしてみる課題であろうという意味合いの意見が付記されておるのであります。そのことのためにいろいろと御批判もあるようでございますが、少なくとも文部省としてこの問題を担当します立場においては、御指摘のとおり、国費一本で完成するということは、少なくとも私どもに課せられた必然の課題と存じておるのであります。
○上村委員 いまの点につきましてはわれわれも強くその点を考えておるわけであります。ひとつ不退転の決意をもってこれが実視をいたしていただきたい、こう思っております。 次に、本案によりますれば、この教利用図書の選定権、これは第十一条にありますが、それから採択地区の設定権 これは第十二条が規定いたしておりますが、この教科用図書の選定権それから採択地区の設定権というのが都道府県の教育委員会に与えられておりまして、そして教科用図書は選定された数種のうちから採択地区内の市町村の教育委員会が採択するという規定が第十三条に設けられておるわけであります。この教科件の無欲給与という今回の制度は、これは提案理由の中にもありまするように、義務教育の充実をはかるということであります。これは無償設置をするということはそれ自体大きな意識を持っておりまするが、そのもとをたどりますれば義務教育の充実をはかっていくということに相なると思うのであります。そうすると、この無償措置というものが教育目的に合致するということは、これはぜひ必要であろう、こう思うのでありまして、先般来山中委員あるいは小林委員あるいは村山委員それから三木委員の方々がおっしゃっておられる点、私としましても非常にうなずける点が多くあるわけでございます。それでこの教科用図書の選定審議会の構成でございますね、この選定権の問題につきまして文部省当局がお考えになっておられる御見解、これは私は法律的にそうであろうと思っておるわけでございまするが、少なくともこの教育目的を達するという点につきましては一番密接に関連するのは教師であるということは否定できない。そういたしますれば、この教科用図書の選定審議会の構成というものはよほど慎重に考えておく必要があるであろう、また大臣が先ほどおっしゃった点、私もよく理解するわけでございますが、しかし正しいということが確保されるためにはこれがある程度規定化される、定型化されるということは必要であろう、こう思うわけでございます。そういう意味から、教科用図書選定の審議会の構成につきましてどういうふうになっておりますか、また現場の教師の意見というものを反映をさせるということの確保ということの心配をどう除去するかということが必要であろうと思うのであります。教育基本法の第一条の教育目的のような、第一条に規定されておりますところの内容を有する人格を形成する、そして国民の育成をいたしていくということが教育の目的であるということになれば、人格形成ということは重大な問題である。そういう点に相なりますれば、ここにはほんとうに精神と精神が触れ合う場というものが必要であろうし、また教師の情熱というものもこれは必要であろう、こう思うわけです。そして、教育の場といたしまして教科書が非常に重要なものであるということは、本法案がきわめて画期的な法案であるという事態からいたしましても多言を要しないものであろうと思うのです。その意味から、この選定をするという場におきまして教師の意見というものをどういうように反映させるか心配のないようにしておくかということは私はあたたかい配慮であろう、こう思うわけです。そういう意味から、ひとつ教科用図書の選定審議会の委員の構成につきまして少しく御見解を承っておきたいと思います。
○福田政府委員 御質問の点、私どもも全くその趣旨においては同感でございまして、この選定審議会の委員の構成等につきましては、特に慎重に考える必要があろうかと思います。そういった意味で、その組織につきまして教科用図書分科審議会におきましてこの点につきましてもいろいろ慎重に審議を重ねていただいたわけでございますが、その結果、先般五月十三日付でございますが、あの結論を出しまして、そして会長から文部大臣あてに建議がなされた。その建議の内容を御披露申し上げますと、教科用図書選定審議会は次のような委員をもって構成するのが適当であるということが書いてあったのであります。一つは市町村の小学校または中学校の校長及び教員、二番目は市町村の教育委員会の関係職員、それから三番目は国立及び私立の小学校及び中学校の校長または教員、四番目に都道府県の教育委員会の関係職員、最後に五番目に広く教育に関し学識経験を有する者、こういう者で構成するのが適当であろう、したがって、この構成員は校長もおりますし、また一般の教員もおりますし、それから市町村あるいは都道府県の教育委員会の関係職員も入れ、さらに広く教育に関し学識経験を有する者を入れたほうがよろしい、こういうふうなことで、かなり専門的な人たちを網羅する意味において構成が考えられております。その上にこの人選にあたっては、都道府県の教育委員会の教科書の採択の公正を確保すると同時に選定の権威を保つために慎重に配慮することが必要だ、こういうようなことが念のために書かれております。 それから、先ほど来いろいろ村山委員その他からお尋ねがございました点でございますが、選定審議会の選定機能を十分果たさせるために専門家を下部機構に置きまして、いわば専門調査員、そういう人たちを、教科書の種数に応じて必要な人数をここに配置して十分専門的に検討する必要があるじゃないか、こういうような組織をとることが必要だということを書いてございます。同時にその調査員によって教科書の検討が行なわれる際には、先ほど来しばしば御指摘もございましたように、各府県あるいは地域におきまして、教科書の研究事業というものが非常に活発に行なわれております。そういう教科書の研究事業というものの成果が、この調査員の調査の際に十分反映されるように配慮することが必要だ、こういうようなことが建議の内容として出ております。この建議されました内容あるいは趣旨につきましては、私ども全くこういうような点については同じ意見です。したがって、この政令等においてこれをきめる際におきましては、この建議の精神にしたがって具体的に処置していきたいと考えております。
○上村委員 それから採択地区の規模の点についてお尋ねしておきたいと思います。市、郡、県と規定されておりますが、文部当局としてはどれぐらいを適正な標準規模として行政指導をなさろうといたしておるのか、その点をお尋ねいたします。
○福田政府委員 この点につきましては、現状は全国の市町村の大体八二、三%程度が郡または市の単位において採択地区を持っております。したがって、大体現状を基本にいたしまして、地域によりましては教育事務所単位程度にこれを考えて、適当な採択地区に県内を分けるということが一番望ましいと思うのでございまして、私どもといたしましては、現状を踏まえまして、大体その程度に今後指導してまいりたい、こういうように考えておるわけでございます。
○上村委員 次にこの十六条を見ますと、指定都市に対して選択権、採択地区設定権が認められていないわけですね。この指定都市は、地方自治法の関係においては、府県と大体同一の処置を講ぜられておる。それで指定都市に関する地方自治法との関係は十分御検討の上になっておるのかどうか、この点をお尋ねしておきます。
○福田政府委員 指定都市の問題につきましては、一般行政の面につきましていろいろ論議のあることは御承知のとおりでございます。ところで、現在教育行政の面につきましては、指定都市の問題は、県費負担の職員の人事、たとえば任免、給与の決定とか休職、懲戒処分、そういうような権限、それらの原質負担職員の人事につきまして、指定都市においてこれをやれるように、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の五十八条に特例が設けられております。それ以外には教育行政上指定都市につきまして特別な権限としては認められていないわけでございます。したがって、一般行政との関係ももちろんいろいろ考慮する必要はあろうと思いますが、教育行政の立場から申しますと、今回の無償措置の円滑な実施をはかる見地から申しますと、特に指定都市を県並みに扱うという必要も認められないわけでございます。と申しますのは、今回の場合におきましては、選定審議会の委員の中に指定都市の関係者を加えるとか、あるいはまた指定都市でいろいろ研究されました結果、その意見が十分選定の際に反映するような仕組みを事実上考えていくということによりまして、当然カバーできるはずでございます。したがって事実上の問題として、この指定都市に選定権を認めないといたしましても、事実上の問題としては何ら不都合はない、こういうように私どもは考えておるわけでございまして、指定都市の方々も大体事実上の問題としてはそういうことに同意なさっているようでございます。したがって、今回の無償措置を円滑に実施する意味におきまして、児の選定の際に、いま申しましたような実際上の問題を解決する方法を十分考慮いたしまして、教科書の採択をやっていきたい、かように考えておるわけでございます。
○上村委員 次に、発行者に対する指定の問題です。これは業者としましても重要な問題でございますし、またこれが適切な指定ということは、国にとりましても、また国民にとりましても看過できない問題であろう、こう思うわけであります。それでこれが一定の基準が第十八条に規定されておりますが、この基準というものにつきましては、すでに大体御構想はできておるのかどうか、この点についてお尋ねしたいと思います。
○福田政府委員 お答え申し上げる前に、先ほどの答申と違っている点について、ちょっと申し落とした点がございますのは、発行者の点でございます。答申では、発行者について認可制度をとるべきだという答申でございますが、法案では指定になっております。その点で違っておることを申し添えさせていただきたいと思います。 それで十八条の「発行者の指定」につきましては、法案の一項の一号から二号に掲げてございますが、要するに、「破産者で復権を得ないもの」あるいは「指定を取り消された日から三年を経過していない者」あるいは「禁錮以上の刑に処せられ、又はこの法律の規定に違反し、若しくは義務教育諸学校において使用する教科用図書の採択に関し刑法第百九十八条若しくは第二百三十三条の罪を犯して罰金の刑に処せられ、その刑の執行を終わった日又は執行を受けることがなくなった日から三年を経過していない者」それから「法人で、その役員のうちに」今申しました「イからハまでのいずれかに該当する者があるもの」それから「営業に関し成年者と同一の能力を有しない未成年者又は禁治産者で、その法定代理人がイからハまでのいずれかに該当するもの」そういうふうに、客観的に見まして明瞭なものをこの資格要件の欠格条項の中に掲げてございます。第二号に「その小業能力及び信用状態について政令で定める要件を備えたものであること。」こういう政令で認める要件が掲げてあります。これにつきましては、先ほどちょっと申し上げました選定審議会の組織について研究されました教科用図書分科審議会におきましても、この問題は非常に重要な問題でありますので、慎重にこれを審議してもらいまして、結論として出ました建議がこの十八条の政令で定める要件というものでございますが、これにつきまして、大体事業能力につきましては、法人の場合資本金の額が一千万円以上であるというようなこと、それから教科用図書の編集を適正に行ない得る編集担当の専務者が少なくとも五名以上いるというようなこと、それから三番目には、相当の経験を有する経理担当者がいるというようなこと、それから四番目には、教科用図書を発行するに足る施設設備を有すること、またはこれと同等の施設設備が担保されていること、こういう施設設備についても事業の遂行に支障のない点が掲げられております。それから五番目には、法人の役員のうち一人以上が教科用図書の出版を適正に行ない得る経験を有する者であること、こういうような五つの、産業能力についてこれだけは最小限度必要だという建議でございます。さらにこの法律に書いております信用状態という問題につきましては、一つは法人の代表者が教科用図書の出版に関し高い識見を有する者であること、二番目は法人の代表者が企業の的確な運営をはかるに必要な経済的信用を有する者であることというような、若干抽象的ではございますが、こういう基準を一応研究いたしまして、そうして今後新しく会社が教科書発行事業を行ないたいという場合には、以上申しましたような事業能力及び信用状態についての適格性を備えた会社であることが必要だ、こういうような建議をいただいておりますので、これに従って私どもはこの政令の内容をきめていきたいと考えております。
○上村委員 いまのような内容の政令を考えておる、そうするとその基準に該当するものはすべてこれを指定するという御方針なのか、そういう中からある一定の数を指定しようとするお考えなのか、その点をお尋ねしたい。
○福田政府委員 この点につきましては、いまの十八条の指定そのものは、将来新しく教科書発行事業を営もうとするものについての規定が建前でございます。したがって新しく申請をしてきました場合に指定する要件としては、ただいま考えておるようなことでございます。しかしながら現在ある会社をどうするかという問題は、別個の問題として考えなければならぬ問題だと思います。したがっていまのような資格要件をきめましても、現在の八十六社、小中学校の義務教育関係は四十六社でございますが、四十六社全部がこの基準に合うとは考えられません。したがってこれは大臣も国会において言明されましたように、現在の会社は資本金が少なくとも、いま申したような資格要件に該当しなくても、全部指定をするということはいま一応教科書の発行事業を営んでおりますいわば既得権というものを尊重して全部指定する、指定をいたしますけれども、できればなるべく早い機会にこの資格要件を満たすような会社になることが希望されるわけでございます。したがってその猶予期間を大体五年くらいに見て、その間にこういう資格要件に到達するように努力していきたい、こういうことでございます。したがって現在の会社はこの要件に合わないから、直ちに排除するという考え方ではございません。
○上村委員 実は現在おやりになっておる発行社というものは、この指定基準に合わなくても既得権として認めていこう、それも長いことは困るから五年間を限っていこう、こういうふうに承っておいていいかと思います。 その点はそういうふうに理解しておりますが、私が質問いたしておりますのは、この指定基準に合えば、今後どういう方にでも指定をしていくという御方針なのか、それともこういう中から一定のワクをきめておいて指定をなさるのか、こういうことを承っておるわけであります。
○福田政府委員 先ほど申し上げましたように、できる限り客観的な要件というものをきめているわけでございます。したがってこの要件に該当するものは令部指定する、こういう考え方でございます。
○上村委員 次に、この教科用図書の無償措置というものが前面実施されるに至るまで、これは五カ年計画ですから四十二年度にならなければ完全実施にならぬ。それまでの準要保護児童、生徒の対象数というものは一体どのくらいなのか、あるいはその予算額というものはどのくらいであるかということについてお尋ねしたいと思います。
○福田政府委員 小、中学校の準要保護児童生徒の数でございますが、昭和三十七年度におきまして八十九万九千でございます。それから教科書の給与費でございますが、七億四千六百八十三万となっております。それくらいの額になっております。
○上村委員 最後に一点だけお尋ねして私の質問を終わりたいと思います。 沖繩の援助等に必要な経費として、昭和三十八年度予算に約二十億円が計上されておるわけでありますが、そのうちで教科書無償給与費としては一体どのくらい出しておるのか、その点をお尋ねしたいと思います。
○福田政府委員 沖繩援助費の中で、三十八年度に計上されております教科書費は四千二百四十七万一千円でございます。
○上村委員 私は第四十国会の義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律案につきまして、衆議院の本会議で討論をいたしたわけでございます。その際に私はこの義務教育諸学校の児童、生徒に対する教科用図書の無償給与というものは、憲法の二十六条によりますところの義務教育無位の大理想のより広い実現過程にあるという意味から、一つの大きな歴史的使命を待つ法案であるから、ぜひこの法案というものは財政当局の方へも文部当局としましては強く主張されまして、そうしてこういうりっぱな法案の財政的裏づけというものについて御努力を賜わりたい。なおそういう点については不退転の決意を持ってひとつお当たり賜わりたいという希望の趣旨を表現いたしておいたわけでありますが、現在もその点について変わらない一員でございまして、これが要望を申し添えまして私の質問を終わりたいと思います。 ————◇—————
○床次委員長 学校教育に関する件等について調査を進めます。 質疑の通告がありますのでこれを許します。村山喜一君。
○村山委員 関係者の方々においでをいただきましたので、時間もだいぶ迫ってまいりましたから、簡潔にお尋ねをいたします。 ちょうど五月の四日に児童福祉白書が出たわけでございますが、これは初めての児童福祉白書でございまして、いま人間の人格形成の上において一番大事な幼児期の教育あるいは心理の上から見て、今後この児童の問題をどういうふうにして取り上げていくかということはきわめて重大な問題であると私たちは見ているわけでございます。その中で、今日まで厚生省のほうにおきましては児童館の新設であるとかあるいは三歳児の一斉健康審査であるとか、児童政策を前向きの姿勢でいろいろ努力してこられたことは、十分認めるのにやぶさかでないわけであります。ただ私たちが今日、この児童の問題を取り上げてまいりますと、就学前の児童の問題があるし、あるいは学校に入学をいたしましてからの児童の問題がございますし、学校を卒業いたしましてからの児童問題というふうに三つの段階が考えられるのではないかと思うのであります。ところが、この児童白書の中にもすでに指摘がしてございますように、母親の就労という問題から家庭の保育というものが欠けてきておる、その保育に手の回らない幼児が全国で行九十三万人もおるということが指摘をされ、したがいまして、私がこの際お尋ねをいたします主たる内容は、こういうような幼児期における保育の問題もさることでございますが、いま青少年の不良化という問題が叫ばれておる、そのときにあたりまして、現在の学童保育の問題をこの際考えておかなければならぬ段階にもうきているのじゃなかろうかということを考えますので、そういう学童保育の問題について厚生省のほうはどのような態度で取り組んでおられるかということをお尋ねいたしたいのでございます。 これは東京都の文京区の例でございますが、共かせぎで家に親がいないという家庭が三十三校のうち三千二十一名もおるということが発表されているわけでございます。そこで、学校で学童保育をするということも一つの方法として考えられておるようでございますが、こうなってまいりますと、学校教育との関係が出てまいります。さららにまた、児童福祉法によりますと学童を福祉施設で預かるというのが学童保育のたてまえに相なっているようでありますが、そういうような点から保育所をどのように活用するのか、学校という一つの建物をどういうふうにして活用するのか、あるいはそういう公の支配に属さない私立の、任意のそれぞれの人たちが金を出し合いまして、学童保育の問題等について設置している場合もあるようでございます。そういう方向のものを今後どういうふうに進めていくのかということをまず担当の児童局長のほうからお答えを願いたいと思います。
○黒木政府委員 御説のように児童保育の問題が非常に重要になってまいりましたが、実は歴史的に見ますと、これは諸外国の例でもそうでございますが、保育所といいますのは虚弱な乳児あるいは幼児のために始まったのでございます。クレーシュと言っておりますが、それからだんだん婦人の労働への進出に伴いまして保育にかける子供が多くなりましたので、低所御寺とか婦人労働者のための子弟の保育所というものがだんだん発達をしてまいったのでございます。わが国でもその例に漏れないのでございますが、最近におきましては集団教育ができるような年齢に達しますと、保育というか、幼児教育といいますか、そういうものをしたほうがいいということで、その要望がだんだん強くなってまいりまして、保育所もだんだん幼児教育的なこともやらされるというようなかっこうで今日に至っておるわけでございます。しかしこの問題は外国の例を見ましてもいろいろ歴史があり、またいろいろな試みがあり、どういう方法でやったらいいか画一的な方法が実は考えられていないようであります。その子供の状態あるいは時代の必要、地域の必要によりましていろいろな受け入れ態勢をつくっておるのであります。わが国でもいろいろな受け入れ態勢をつくりまして、最近では保育所や幼稚園以外に児童館というようなものも考えてみたわけであります。しかしこの問題は文部省との関係もございますし、単に厚生省だけできめるという問題ではございません。また保育所なり、幼稚園なりそういうような施設で保育をして、あるいは教育をして、家庭の保育なり養育というものを軽視するということも考えものでありまして、この際一体どうしたらいいかということを専門家の方々で研究してもらいたいというので、実は昨年中央児童福祉審議会に保育特別部会というものを設けまして、いま鋭意専門家の方々とも御検討を願っている最中でございます。厚生省としましてもこういうような専門家の方々の御意見を承りまして、これは来月には一応中間報告がある予定でございますが、文部省なり関係方面ともいろいろ連絡いたしまして時代の要求に合うような、また最も客観性のあるような、効果のあるような施策をこれから講じてまいりたいというようなことでいませっかく準備中でございます。
○村山委員 そういたしますと、厚生省の立場はわかりましたが、文部省の社会教育局長はこの学童保育の問題についてはどういうような立場で臨んでおられますか、宵少年の不良化の問題と関連して。
○齋藤(正)政府委員 社会教育の部面におきましては、むしろ学校教育あるいは学校の中で行なわれる教育の問題、あるいは就学いたしますために、たとえば身体あるいは精神上の理由で就学奨励をするということは、社会教育の面では取り扱っておりませんで、学童でありましても校外でいろいろな活動をする、そういう場合に成人がこれに対して健全な娯楽でありますとか、あるいはいろいろなグループで学ぶというようなことを援助いたすための仕事、子供会でありますとか児童愛護班でありますとか、こういうような仕事に対して援助するということを一ついたしております。また家庭におきまして、これは学童であるといなとにかかわらず、それぞれの父母が自分の子女に対してどういうふうにしつけをして育てていくかという問題につきましては、婦人学級の中の活動でありますとか、その他公民館等で行なわれます成人教育の場で親の考え方あるいは実際の指導のしかたということにつきまして指導していくというふうに考えておるわけであります。特に先ほど厚生省からも述べられましたように、第一義的には自分の子女に対して父母が責任を負うべきものだという考え方がややもすれば薄くなりがちでございますので、婦人学級の実際の活動におきましても家庭教育という問題が最近非常に大きく取り上げられております。またそれに対して指導書も出したいと思いまして、現在家威教育につきまして成人教育の場で使われます適当な手引書のようなものを得たいと思いまして、現在専門の学名に御相談を願って編さんを急いでおるような次第であります。
○村山委員 児童福祉法のいうところのその施設によりましても、三十六年の改正によりまして、内職をしておっても制定当時にはそれを労働と認めておった。ところが母親、祖母がいた場合には、もう今日においては保育所に入れないというようなことも、聞くところによりますと出ているようであります。あるいは高額所得者、百万くらいの所得があったら預からない、こういうようなことで、保育すべき該当者は多いにもかかわらず、保育されている者が非常に少ない、こういうような問題がございますし、いま斎藤局長のほうから出ましたように青少年の団体活動というものを見てみますと、非常に形式的な団体活動になって、いま参加者が非常に少ない。だから、学童保育というような面から、青少年の不良化防止という面からいままで打少年のそういうような団体活動というものはほとんどなされていないといっても過言でないような実績しかないのじゃないかと私は思うのです。学校から一ぺん家に帰ってみたけれども両親ともいない。両親が帰ってくるまでの間の学童に対する保育という問題は、社会が進展をしていくに従って、これからどんどん出てくる問題であろうと思う。青少年の不良化という問題がそこら辺から生まれているのだということに、やはり文部省としてもメスをふるってもらわなければいかぬと思うのですよ。そうして青少年の団体活動はいかにあるべきかという問題に教育的な見地から取り組んでいただくように、私は齋藤局長に要望を申し上げておきたい。 そこでもう一点、齋藤さんに尋ねておきたいと思うのですが、青少年の演劇センターというものの設立運動が若干あるようでありますが、児童劇場とか、あるいは人形劇場、さらに演劇教育研究所、こういうような児童劇を専門にやるようなものが全然ない。おとなのための劇場、ホール、映画飢というものはたくさんあるけれども、子供たちのほんとうに必要な演劇とかをやる、そういうようなものはないし、また児童劇団とか人形劇団というようなものもない。だから、この点、子供が非常にないがしろにされているのじゃないかという関係者の意見があります。これは一文部省だけの問題ではなくて、厚生省あたりにおいてもこの問題を考えていただかなければならない段階にきているのではないかと思うのです。外国の場合等は、中国の場合でもドイツでも、あるいはインドとかインドネシアの場合でも、アメリカの場合でも、それぞれそういうような施設があるようでございますが、それに対して今後どのように取り組んでいかれる気持をお持ちであるかということを、関係者のお二人からお伺いしたい。
○齋藤(正)政府委員 児童演劇につきましては、児童演劇関係者で組織します団体がございますので、昨年からでございましたか、特に僻地に対しまして児童演劇を巡回いたしますための経費の補助をいたしております。 それから、これも昨年でございますが、児童演劇のリーダーの一人を社会教育の関係の指導者の海外出張の中に加えまして、外国の実情等も研究してもらっておる次第であります。なお、児童ではございませんが、青年演劇等につきましては、それぞれ各地で指導者研修会を文部省としては予算をとって実施をいたしておるようなわけでございますが、いまお話しの劇場の問題につきましては、今後われわれ検討してまいりたいと思います。
○黒木政府委員 厚生省におきましては、児童の福祉施設におります子供の情操を豊かにする意味で、児童演劇を奨励いたしております。厚生大臣の表彰状を出しましたり、あるいは盛んにコンクールをやらせましたりして今日まで至っておるのでありますが、一般の児童に対しましては、主として文部省の文化活動のほうの社会教育面の活動に待つところが多いのであります。私のほうの児童福祉法では優良文化財推選というような制度がございまして、中央児童福祉羅議会にこの特別の部会がございまして、ここで常時優秀な児童演劇とか、その他を調べておりまして、優秀なものがありましたらそれを推選し、かつまた厚生大臣から表彰をするというようなことでやっておるというのが現状でございます。
○村山委員 文部省の児童劇場対策費というのが百万円計上されておるということは知っている。これが地方巡業したときの旅費の補助に充てられているということも知っております。しかしながら、そういう面でなくて、国立の青少年の演劇センターをつくるということが考えられている段階の中にあるわけですから、子供向きのものもこの際やはり考えていかなければならない、そういう状況にいま日本もだんだん置かれてくるようになってきたんじゃないかと思う。幸いここに児童白書も初めて出ましたので、そういうような立場からこの問題は取り組んでいただきますようにお願いを申し上げておきたいと思います。 時間がありませんので、引き紡いで高等学校の急増の問題に関連をいたしましてお尋ねいたします。中央青少年問題協議会の深見事務局長がお見えになっていますが、この前報告書もいただきましていろいろ内容も調べたのであります。中央青少年問題協議会の総会で報告書が出された。その内容は中学年の進路の上から考えて、あるいは青少年の対策の上から考えて、一学級の定員は三十名とすべきだ、こういうような意見が総会に提案をされたということは聞いておるわけでございますが、これは非行青少年の低年齢化に伴う措置として中央青少年問題協議会のほうでいろいろ検討をされた結果こういうことになったのだろうと思うのです。これは一つの結論として、この協議会がこれを受けて今後推進をしていくのだという一つのかまえをとられたものであるのか、こういうようなものが総会に拠出をされたということだけはわかっておりますが、今後これをどういうふうに発展をさしていこうとお考えになっているかをお尋ねしたいのであります。
○深見政府委員 お答え申し上げます。 この前山中議員の御質問に対しましてお答えいたしましたように、先般報告書を出しましたのは、昭和三十六度におきまして中央青少年問題協議会が九つの青少年対策に関する項目を掲げて、これを学者先生に御委嘱して、これに対する研究をお願いをいたしのでございまして、そのレポートがまとまりましたので、これを印刷して委員会の委員に配付したという段階でございます。いわゆる協議会として提出され、これを処理するといったような過程ではございません。われわれの日ごろの施策樹立のための参考資料ができましたので、報告書として提出はいたしましたが、これを議題として取り上げる段階には現在まいっておりません。この報告書は、九つの報告書のうち現在六つの報告書が印刷になったわけでございますけれども、これらを今後どのように活用していくかということは、委員の方々の御意見をまだ伺っておりません。しかし、従来の例によりますと、これらの報告件がそれぞれ施策の間に織り込まれていくことはございますが、御指摘の中学校の定員を三十人にするといったようなことが、そのものとして答申せられ、あるいは研究として要求せられておるわけではございませんで、非行対策の報告を出しましたのは、国立教護院の院長である医学博士の青木先生の報告でございますが、そういう特殊な観点において見た場合にこういう必要があるというのでございますから、これを教育全般の面から見た場合に、その数が適当であるかどうかということは、それぞれの立場において、また文部省等にも送ってございますので御判断くださることと思いますが、われわれのほうが直ちにこれを教育と結びつけて結論づけるということまではまいらないわけであります。非行対策の上の一つの資料として考えてまいりたい、このように考えております。
○村山委員 そういたしますと、協議会のほうとしましては、こういうような報告があった、その報告を受けて、協議会としてはこういうようなふうに持っていくべきだということで意見を集約され、行動に移るというようなことはないわけですか。
○深見政府委員 ものによりましてはそのようなこともいたすと存じますが、今回の場合は、学校教育の基本理念に関係いたしますことで、おそらく協議会といたしまして、直ちにこれを取り上げて云々するという過程にはならないだろうと思いますが、もし委員の先生方からの御発言が他日あった場合には考慮しなければならぬかと存じます。ただいまはそのように考えております。
○村山委員 やはり青少年の不良化防止という点からこの問題をとらえておいでになるわけで、そういうような点から個別指導という問題が必要なんです。だから、三十名を上回るような学級編制では個々の教育指導ができないのだ、生活指導ができないのだということで取り上げられたことは正しいと思うのですが、ただ報告書として出されっぱなしでこの問題が終わるということでなくて、やはり青少年問題の立場から、不良化防止というような全体の大きな流れの中で、この問題を今後積極的に推進をしていくのだという気がまえをお持ちになるように要望申し上げておきたい。 そこで高等学校の急増の問題について触れてまいりたいと思いますが、この前、文部省のほうからこういうふうになったという報告書をいただいたのでありますが、三十八年度の高等学校の入学状況、文部省調べ、これはたしか文部大臣が閣議に報告なさったことだと思うのであります。これによりますと、ことし実際に高等学校に入学した生徒は百六十六万人、そのうち進学率は六六・五%、合格率は九七・六%、こういうようなことに結果としては相なった、こういうふうに報告されて、中学浪人はほとんど出なかったものと思われる、こういうような報告が閣議においてなされたということが当時新聞にも出ました。そこで、はたしてこれは事実であるかどうか、この問題をひとつお答えを願いたいのでございます。 そこで、ちょうどことしの二月の二十七日の日でございますか、文教委員会で私が質問をいたしましたのに対しまして大臣が答えておいでになるわけでありますが、計画の手直しをするかどうかということは、結果を見て対策を講ずるということを当時言っておられるわけであります。そこで結果は、文部省の当初の計画よりも、人数にいたしまして十万人ほどふえたわけです。ふえた結果といたしましては、いままで建物が足りませんので、特に三万名は公立のほうで引き受けたけれども、七万名は私立学校で引き受けたという結果が出てまいりました。その結果はたいへんなすし詰めという状態が東京のあたりにも出ておるようでございまして、七十名、八十名の編制をしている学校というのが出ておりますが、この学校をずっと調べてみますと、もうたいへんな数でございます。一番系統的にあらわれているのは女子高校、それから商業課程の学校、それから私立の場合でも一流、二流はそういうような無理をしないで、一流が多い、こういうような分析もできるようでございます。そこで、これではもう生活指導が全然できない、教育効果は低下していく一方で、教育上たいへんな無謀な措置に相なった、こういうことをいっているようでございまして、その結果、今後の対策というものを考えていかなければ——いま入れておりますものを吐き出すわけにも参りませんし、問題は、当然受け入れの態勢というものが計画よりも上回ったわけでございますから、計画をその現実に合わせて修正をするということに始まらなければならないのでございますが、それに対しまして文部省はその計画の手直しをされる考え方をもって、この財源的な措置は文部省というよりもむしろ自治省のほうが考えていただかなければならない点が多かろうと思いますが、そういうような点について交渉を始められたのであるならば、その結果をお知らせ願いたいと思うわけでございます。
○福田政府委員 御指摘のように本年の高等学校入学者は意外に数が多くなりまして、御指摘のような私立学校の好ましからざるすし詰め状態もあるようでございます。しかしながらこれにつきまして私どもといたしまして従来の急増対策の手直しをする必要があるかどうかということにつきましては、さらに慎重に検討してみたいと思っておるわけであります。直ちに財源措置について自治省と交渉をするというようなところではまだございません。まだ交渉をいたしておりません。
○村山委員 文部省としてはいま部内において検討中だということですね、その点どうですか。
○福田政府委員 それぞれの担当の課におきましてその実態は検討をいたしております。しかしながらいまお尋ねのように、直ちに財源措置を追加してこれを手直しをするというようなところにまだ結論が出ていないのでございます。そういった意味で交渉をしていないということを申し上げたのであります。
○村山委員 二月二十六日地方行政委員会で、山口鶴男君が大臣と奥野局長に質問をいたしましたのに対しまして、当時事業計画が二百十二億円の高等学校急増対策費が計上されて、その中からはみ出る分については一般会計の単独事業債の八十五億を振り当てて財源措置をするということも考えられる、全体計画を修正する必要が出てくれば修正をするし、必要によっては起債の措置を講じなければならない、こういうことを自治省としては確かに答弁をいたしておる。この前も山口君が地方行政委員会で質問をいたしておるようでございますが、現実に百五十五万人を収容するというが、今年の進学者の数は当初の計画を上回って六六・五%に相なったんだ、そして人数も十万人ふえた、こういうような具体的な事実が出てきているわけです。それはそういうような建物を文部省の計画よりもよけいつくったか、すし詰めをやって現在特別教室等を使ってこの教育をやっているに違いない。とするならば、当然都道府県の知事会あたりのほうからこれの財源措置について、あるいは将来の全体計画についての修正が求められてくるだろうと思うのですが、それを受けて立ちまして自治省としてはどういうような態度で臨まれるのか、その点をこの段階で明らかにしておいていただきたい。
○松島説明員 ただいまお尋ねのございましたとおり、実際の進学者は政府が計画改定によって見込みましたものよりも上回っておるようでございます。これは文部省におかれましても整備計画を立てたからといって、甲の県は何%にしろ、乙の県は何%にしろという規制をされるわけではございませんで、それぞれの団体が自治団体としていろいろな情勢を判断されました上で入学者をおきめになったわけでございますので、個々の団体においての考え方で上回る、あるいは下回っていくということは今日の制度の上からはやむを得ないことではなかろうかと考えております。ただそれが非常に多くなった場合において、計画を修正する必要があるかどうかという問題につきましては、文部省において御検討中のようでありますので、その結論を待って私どもも御相談を申し上げたいと思います。 ただ一般的に申しますならば、そういうふうに自治団体としてそれぞれの判断に基づいていたすわけでありますから、かりに甲の県において多くしよう、あるいは乙の県において少なくしようというにつきましては、それぞれ政府のとりました財源措置と自分のところの団体においてそれに充てられる財源というものをそれぞれの判断においておのおの考えて仕事を進められてきておると思うのであります。したがいまして、ただいまのお尋ねにございました知事会あたりから何か要望があるかというお話でございますが、ただいま今日の段階までは私どもはそういうことは伺っておりません。ただ地方財政の問題にも関連をいたしますので、個々の問題についてまた具体的に処理をしたものがあれば、私どもも考えてまいらなければならぬ、こういうふうに考えております。
○村山委員 自治省の答弁はそれで了承いたしますが、前に当初の第一次計画が三十八年度は六〇%で計画された。それに対して知事会のほうからこれを六三%にしてもらいたい、こういう要請が出て、文部省、自治省それに知事当局側といろいろ折衝した結果、六一・八%ということで三者の意見が一致をして、それに基づいて政府計画が二百十二億に修正されたことは事実であります。その六一・八%が今度はふたをあけてみたところが六六・五%、しかも入学者は十万人もふえた、こういう結果が出たのですから、当然六〇%から六一・八%に一画を変更される場合においても、そういうような政府計画の手直しが行なわれた。とするならば、今度六六・五%にも進学率が変わったという事情は率直に文部省は認められなければならない。そして財源的にそれが十分である、しかも教育効果の上から見て、現在われわれが聞くところによるとたいへんなすし詰め教育が特に私立の場合においては行なわれておる。これに対しては今後どういう教育的な配慮をしなければならないかということを検討していただかなければならない。そして検討した結果も早急にまとめて財源的な措置を講ずるなり、いろいろな行政指導もされる必要があると思いますが、文部大臣、いかがでございますか。
○荒木国務大臣 そのとおりだと思います。
○村山委員 そういたしますと、大臣、いつごろまでに内部的な検討を終わって具体的な措置を講じていこうという計画をお持ちですか。
○荒木国務大臣 具体的にいつまでにということはちょっといまのところ申し上げかねます。なるべくすみやかに現状把握をし、その上に立っての検討を加え、自治省その他関係省とも相談すべき課題でございますから、検討いたすということだけは申し上げ得ますけれども、いつまでに結論が出るとはちょっと申し上げかねます。
○村山委員 この問題は来年度の入学率の問題にも関係があります。その次の年にも関係があります。教育の問題は一日も放置しておくわけにはいかない。七十名も八十名も私立学校の場合にはすし詰めをしておいて、そしてそれが教育でござるということは言えないわけであります。こういうような問題については、困ったことだという考え方だけではなくて、何か前向きの措置を講じてもらわなければ、現実に教育は行なわれつつあるわけでありますから、早急に結論をお出し願いまして措置されるように要望申し上げて私の質問を終わります。
○長谷川(峻)委員 せっかく各行の局長が来ておりますから、関連してひとつ厚生省の児童局長に御質問しておきます。 ということは、さっきも触れましたように、今日幼児の教育というのは非常にやかましくなってきた。しかし一方農村の場合には人手不足と母親に対する労働過重から、農村にはお嫁さんになり手がない。であるから最近非常に保育所に対する要望が強い。これは御承知のとおりであります。しかも私設保育所、篤志家がやっている保育所というのは保母さんの給与は非常に安いし、そういう篤志家であるがゆえに非常に苦労しながら経営しておる。が、従来厚生省が公的に市町村立などでやっておるものに対しては補助金が出ております。が、一方私設保育所がふえつつあり、また要望が多い。こういう問題に対して従来厚生省はわりに冷淡であった。今度の予算の中にわずか一億円くらい児童館ということで多少の手当てをしておりますが、これは考え方としてあまりいいものではない。要するに私設保育所の保母さんの方の給与の問題とか、あるいはまた前途に希望を打たせる問題、それから農村における子供たちの教育の問題等々がありますから、この際、せっかく来られたのだから抱負経綸と、将来こういうふうにやるんだということをここで出していただきたいと思う。
○黒木政府委員 御指摘のとおりでございましたが、実は本年度の予算でかなりの改善を見たわけであります。現在保育所が一万四百ほどありますが、その中の六割は私立でございます。私の方は、私立であろうと公立であろうと、認可した保育所につきましてはその運営費の八割を措置費として負担しておるわけであります。その中に保母さんの給与負担があるわけでありますが、昨年までは実は町村の保母さんの給与が御指摘のように非常に低かった。甲地、乙地、丙地というふうに分けておりまして、町村を丙地といっておりますが、丙地の保母さんは他の地域の公務員に比べまして三〇%も低かったのであります。それで三十八年度の予算ではこういう不合理を是正するということで予算措置をいたしまして、三十八年度では丙地を解消いたしまして、したがって一躍町村の保母さんは私立、公立を問わず、ただし認可した保育所の保母さんでありますが、一二・七%のベースアップをいたしたのでございます。それから保育所が足りないという問題は御指摘のとおりでございまして、実は全国三千あまりの市町村の中でまだ保育所が全然ないという町村が千町村あるのでございます。そこで、いろいろそういうような町村に対して保育所の設置をすすめておるのでございますが、いろいろな事情でなかなか適正配置が今日まで効果をあげていないのでございます。しかしいろいろ調べてみますと、実は認可を受けるための基準がございます。これは大事な子供さんを一日八時間も預かるわけでございますから、やはり衛生的な基準あるいはいろいろ保母さんの資格あるいは人数において最低基準というものを設けざるを得ないのでありますが、大体六十名の子供さんたちを見るならばバランスがとれるというように私のほうでは国の措置費の運営をやっております。かつ地域におきましても適正な配置をやはりやらざるを得ないために、そういうふうな基準に合致するものしかつくらないということでいままでもやっておるのでありますが、そうすると通園の距離内に六十名の保育児童がいないという場合が町村等ではあるのでございます。そこで、そういうふうないわば盲点を解消するために児童館というようなものも実は考えた次第でございまして、今後はこの基準を下げるわけにはまいらないと思います。これはますます保母さんの数をふやし、資格も高め、また設備構造も内容もよくしていくというようなことをやらざるを得ませんから、基準を下げるわけにはまいりませんが、そうかといって保育所に行く子供を放てきするわけにはまいりませんので、今度は児童館——小型の一種の保育所的な運用も働きもするわけでありますが、これも大いに普及して参りたい。ことしは百四十カ所一応認めてもらいまして、これは設備費なり運営費について三分の一国が補助を出すというような制度でございますが、大いにこれを奨励して参りたい。のみならず、保育所につきましても、だんだん増加いたしまして、適正な配置をして参りたい、かように考えておる次第でございます。
○床次委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は来たる二十四日金曜日開会することとし、これにて散会いたします。 午後五時十一分散会