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43回国会衆議院1963/03/01

文教委員会 第7号

発言数
83
登壇者
8
会派数
2
開催日
1963/03/01

会議録

床次徳二自由民主党

○床次委員長 これより会議を開きます。  国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の通告がありますので、これを許します。村山喜一君。

村山喜一日本社会党

○村山委員 大臣にお尋ねをいたしますが、国立学校設置法の一部を改正する法律案を提出になりました際に、中教審が「大学教育の改善について」という答申を出しております。この十月十五日付の中間報告の前文を見ますと、「大学の設置および組織編成について」というものと「大学の管理運営」という内容が出ているわけでございます。今度お出しになりましたのは、この「大学教育の改善について」という答申の中の部分を拾い上げてお出しになったのか、それとも、それとは別に、関係もなく、文部省の方で別個の見解のもとにお出しになったのか、その提出をされた基礎的な考え方というものは那辺にあるのかということについて、お尋ねをしたいわけでございます。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 中教審の答申の線に沿って実施できまするもののうち、緊急と思いますことを拾い上げておるのであります。むろん総合的には答申を全面的に検討を加えまして、あらためて処置すべきことがあるということは当然でございますが、急ぐものは、部分的にでも実行できるものは実行したいという考え方と、特に科学技術教育の充実につきましては、従来の計画の線に沿って充実していく。そのことはまた趣旨から申しまして、中教審の答申の線にも沿っておると申し上げられないことはない。さような考え方で今度は提案いたしておるような次第であります。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そうであるならば、今回出されました設置法の改正の内容の中で、中教審の答申を受けて、この際緊急に措置すべきだと考えてお出しになった個所はどれとどれであるか、局長の方から承りたい。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 先ほど大臣がお答え申し上げましたように、中教審の中間報告でございましたけれども、これについてはできるだけその線に沿って、忠実に具体化をはかりたいということが基本でございます。ただいろいろな面で制度改善をしなければならぬというものもございます。そういうものについてはさらに慎重な検討をしなければならぬこともございますので、それらの点については今後の検討に待ちたいということで、予算措置あるいはその他で比較的安易にでき、また大学等も多年要望しておりましたものをやったわけでありまして、この国立学校設置法におきましては、一つは教養部の制度化というものをやっております。それからもう一つは、新制大学に大学院を置きまして、修士の課程を新設するということでございまして、これらについては予算要求をし、予算が認められましたので、この国立学校設置法にその規定を設けておるわけでございます。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そういたしますと、「大学教育の改善について」という答申の中で、この際取り上げられたのは教養部と修士課程の二本だけですか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 その他にも、この設置法にはございませんけれども、たとえば大学の入学試験の改善のために研究をするということで、これに必要な客観テスト実施のための一つの措置を講ずるということで、その方の予算も認められております。しかし直接にはこの国立学校設置法には関係はございません。

村山喜一日本社会党

○村山委員 中教審の答申を見ますと、修士課程についてはある程庫の規模の拡大をはかりなさい。それから高専を拡充しなさい。さらに教養部についてはこういうふうに言うているのです。「教養課程における教育を行なう組織は、必ずしも各大学において一様でなく、将来も、画一的な組織とすることは適当でない。ただし、多くの学部を有する大学においては、」云々というふうに書いてありますが、教養部として制度的に認めるようにする必要があろう。そこで文部省令で定める数個の学部を置く「国立大学に」「教養部を置く。」、こういうことが出ているわけでございますけれども、各大学におけるところの自主的なあり方——画一的にするのは間違いだというふうに出ているのに、ここで省令で定めるとはいえ、国立大学に教養部を置くことができるようにしておくのですから、置くことができるではなくて置いて全面的に実施していくのだ、こういうことになりますと、その内容について問題があるのではないかと思うのです。その点は東京大学が今教養学部として特異な姿で存在を示しておりますが、これは教養部とした場合におけるところの考え方と、教養学部としてこれを一つの学部として認めていくという考え方との間には、私は相当な開きがあるのではないかと思うのですが、その点について各大学で、受け入れる大学の方でトラブルは出ていないのかどうかということについて、その実情はどのようになっているのかを承りたいわけです。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 中教審の答申の点で、要するに教養部として制度的に認めるようにする必要があるといっておるわけでございます。ただ戦後新制大学発足以来、一般教育の大学における実施のあり方につきましてはいろいろ態様がございます。教養学部として東大のようにやっておりますもの、あるいは法律上の制度化はされておりませんけれども、教養部的な実施方法をとっているところ、あるいは一つの学部で全体の一般教養を受け持っておるところ、あるいは委員会組織みたいなもので受け持っておるところといろいろございます。中教審の答申の線に沿いまして、かつ大学側で教養部の制度を実施しておるもの、あるいは実施したいと強く要望しているものについて、この教養部を制度的に認めようということでございまして、全国の国立大学に画一的に教養部というものを置くというふうに私どもは考えておりません。置きたい希望のもの、そしてある程度条件が整備されておるものについて教養部を認めようということでございます。お尋ねの中にございましたように、東京大学では、教養学部で一般教育も行なっておるわけでございまして、これについて教養学部を制度的に改めるとか、あるいは別個に教養部をつくるというようなことは、大学の方も考えておりませんし、私どももそういうことは現在考えておりません。またそれぞれの大学で今後いろいろ検討をなさることと思いますが、教養部制度以外の方法が自分の大学としては適切であるというお考えのものにつきましては、私どもの方から教養部設置を特に強制するというようなことは考えておりません。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そうなりますれば、教養部を置くことができるというふうにすべきではありませんかね。「教養部を置く。」というふうになると、それは省令で定めるから云々ということも言えるかと思いますが、その省令で定めるのは手続であって、「教養部を置く。」ということに主眼点があるのであるならば、これは法律で規制をする以上は、そういうよう数個の学部を置く国立大学には教養部というものが置かれなければならない、置くことが正しいのだ、そういうことに思想的な統一がなされた上で提案なされておるものと私たちは受け取る以外にないわけでありますが、これを教養部を置くことができるというふうにされなかった理由はどこにあるのでありますか。今の答弁を聞いておりますと、どうもおかしいのですがね。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 この教養部の規定は、設置の根拠をこういう形で三条の一項を加えたいということでございまして、趣旨は、置くことができるという意味でございます。従って全国的な国立大学で、特に一般教養に関する教育を一括して行なう希望の大学について、その組織として教養部を置くという趣旨でございます。設置根拠でございますので、大体こういうような書き方を従来いたしておるわけでございます。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そういたしますと、設置根拠であるという考え方の中には、中教審の答申の中でも例示されておりますが、教援会を置くとか、必要な専任の教員を配属するとか、そういうような一つの考え方というものが根底にあって、それに伴うところの予算的な措置を考えていくのだという、そこら辺から出発をしたものなのか。現に教養部として国立大学の中にある——名前は教養部じゃないけれども、現にあるものを正常化したという考え方になるのか。その予算を獲得するために、組織形態としてこうようなものをお考えになったのか。その点はどうなんですが。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 今この国立学校設置法案で御提案申し上げております四つの大学につきましては、すでにある程度教養部的な組織で一般教育をやっております。もちろん教員の組織等で完全ではございませんが、従来そういう方法でやっておりますし、今後もこういう形でいきたい、しかもそれを強化していきたいという希望のところを取り上げておるわけでございます。なお、私ども聞いておりますところでは、これ以外の大学でも、将来こういった教養部的なものが制度的に認められるならば、自分の大学でもそういう組織に持っていきたいと希望をしておるところもあるように聞いております。教養部が法律上制度的に認められるということになりますれば、今後教員組織あるいは施設、設備等の充実の上からいたしましても、法的根拠が与えられるという関係から充実しやすいだろうというふうに私どもも考えております。今後制度的に認められるならば、それを基礎にさらにこういうものについては充実をして参りたいと思っております。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そういたしますと、教養部を置くという目的は一体どういうことになるわけでございますか。というのは、今まで教養部として正式の発足をしているわけではございませんが、あれは教養部の担任の教授だということで、教養部の教授、助教授というのは専門学科の教授、助教授よりも低く格付を意識的にされる、そして教養部に行くのをきらっているという実態があるわけです。そういうような実態があり、しかも数個の学部を置く大学にあっては、おもに文理学部、そういうようなところの大学の学部の先生たちが一般教養に当たっている、それから教育学部そういうようなところから、教養部というものができた場合においては、これは学部ではないのだから、教授会というものが積極的に設置をされる根拠もないし、結局その大学の中において、専門教育課程の教育に当たる教職員と一般教養に当たる教職員とのそういう格差を生んでくるのではないか。そしてそこには当然人員の配置等の問題も出て参りますし、大学の内部自体が混乱をするということも考えられるわけでありますが、現に信州大学などにおいては、この教養部の設置をめぐって、学校内部においても非常に問題が起こっているというふうに聞いているわけでございます。そういうような実情は一体どういうふうになっているのか。さらに、この教養部というものを置かなければならない積極的な理由は、一体どういうところにあるのか、その点をお尋ねをしたいのです。というのは、今までいわめるタコ足大学というのですか、あちらこちらに大学がそれぞれ学部ごとに離れている。そういうものを整理統合をしていくために、これはそのような一つの整理方案のねらいを込めて教養部というものを設置するのではないか、こういう見方もなされておりますので、この際そういうものではないのだということであるならば、それを明確にしてもらわなければならないと思うのですが、その点はいかがでございますか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 大学の四年間の教育の中で、御承知のように一般教育の課程と専門の課程というふうに現在分かれておりますけれども、教育自体の本質から申しますと、もちろん一般教育と専門教育の課程それぞれに本質的な重要な差は私はあるべきものではないと思っております。従って一般教育の担任の先生が専門に比して劣等感を持つとか、ひがみを持つということは、本来あるべきことではないと思っております。従って、教養部をつくるということで、専門と一般教育の間に特にそのための格差を設けようという気持はもちろん毛頭ございませんし、今後もたとえば待遇その他でその間に特別に格差ができるということは考えておりません。この教養部を法律上の制度として設置しようという積極的な理由といたしましては、従来たとえば分校というような形で教養部的な扱いをされながら一般教育を扱っておる、そういうふうな大学では、一応実質的には学部から独立した教育の組織でありながら、たとえば教員の任命の形などが不都合な点が多いわけでございまして、また分校で教養部を扱っておりましても、教養部長の身分取り扱い、あるいは待遇等で、いろいろ不都合な点がございます。これが制度化されることによりまして、そういった点がすっきりしてくるであろう、それから法令上の根拠を与えることによりまして、教養部で行なう学科目も明らかにすることができるであろう、また先ほどお尋ねの中にもございましたように、制度化されることによって、たとえば、施設、設備あるいは教員の組織等も今後充実する一つのステップになるであろう、そういうようなことを考えまして、法律上の制度としたいというふうに考えております。  お尋ねの中に信州大学のことについて言及なさいましたのですが、私どもも信州大学で一般教育の統合ということについて検討されておるということについては、承知をいたしております。もちろん信州大学には、よその大学と違った地域的なきわめて複雑な事情がございまして、他の一般大学と同様に簡単に一般教育が統合されるものとは私は考えておりませんけれども、もしそれが各学部間の話し合いが十分円満について、特に混乱もなしに統合されるということであれば、私はそれも一つのけっこうな行き方ではないか、そんなふうに思っております。決して、この教養部の設置は、いわゆるタコの足大学を整理統合するための一つの手段であるというふうには考えておりません。

村山喜一日本社会党

○村山委員 現に教養部として存在を公に認められない形のままで教育が行なわれている状態があるわけでありますが、専門教育課程の場合における教授の一人当たりの受け持ち時数と、教養課程の中で受け持つ教育時数とは、受け持ち時数の間において差があるわけです。というのは、教養課程の方がそれだけ大きな労働に携わっておる。こういう実態があって、専門教育課程の先生は教養課程の方には行きたがらない。それだけまた自分の研究に支障が出て参りますから、オーバーになるという傾向がすでに出ておるわけです。そうなって参りますと、大学の先生方の意識構造の中には、そのような先入的なものがあり、現実にそのような格好の中で大学の教育が進められているわけであります。この教養部を置くことによって、さらにそれが制度的にそのような方向になるのではないかという心配を持っておるわけですが、そういう教育の内容の改善の問題についてはどのようにお考えになっていらっしゃるのかをお尋ねしたいわけです。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 一般教育の実施の現状から申しますと、ただいま御指摘のございましたように、確かに専門教育課程の先生の授業担当時数と、一般教育の先生の担当時数とには差があると思います。これはやはり一般教育課程の科目として定められたものと、専門教育課程の科目として定められた学問の本質的な差によるものであるというふうに考えられる点もございます。ただ、その一般教育の先生の担当時数があまりに多くて、オーバー労働になる、研究も十分できないというようなことでは、この一般教育の充実そのものに非常に大きな影響がございますので、この制度化を通じて今後さらに一般教育の先生の必要な充実をはかっていきたい、整備をはかっていきたい、それによって極端にオーバー労働になっておるようなところは是正をしていくべきであるというふうに考えております。たとえば、そういった先生の受け持ち時間の点、あるいはまた研究費、設備費等にも多少の差があると思いますが、こういうものについては今後実情に応じてできるだけ是正をして参りたい、そういうふうに考えておる次第でございます。

村山喜一日本社会党

○村山委員 それはわかりましたが、教養部を置くということになりますと、現在それぞれの大学の教育の目的に従ってその独自性を加味しながら、一年半あるいは二年間の教養部の組織が行なわれているわけであります。そうなりますと、これは二年制にされるのでありますか、一年半にされるのでありますか、その内容はどういうふうになっているのかということでございます。  それからもう一つは、進学の振り分けの問題でありますが、各学部あるいは学科目ごとに定員をきめて、それによって入学者を決定をして、たとえばある者は文理学部の一年生、ある者は農学部の一年生、そういうように初めから目的を定めまして学校に入学をさして、この一般教養部で一般教養に関する内容のことを教育するのか、それとも教養部に入れておいて、そこで二年間の課程を終わってから専門の課程に入っていくというふうに分けていく考え方に立っているのか、それともその中間的な段階であります文科系統あるいは理学部系統あるいは医学部系統という、三つぐらいのグループに分けて置いて、そうしてこの一般教養部を終わりました者がそれぞれの専門課程に入っていくというふうに、いわゆる進学の縦割りの問題は今後どういうふうに指導されていくというふうにお考えになっているのか、そのあたりはいかがなものでございますか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 一般教育の期間の問題でございますが、これは大学によって学則上定められておるところが異なっております。ある大学では、一般教育課程は二年であるとしておるところもございますし、また一年半というふうに定めておるところもございます。また実際やっておるところもそれぞれ違っておるわけでございます。この教養部を制度化いたしましても、私どもは特にこの一般教育の年限につきましては、従来それぞれの大学でやっておるところを改めさせるということまでは考えておりません。それぞれの大学で、大学に適した、最も適当と思われる年限でやっておられるところを認めて参りたいと思っております。  それから学生の進学の配分と申しますか振り分けの問題でございますが、これは従来教養学部を除きまして、それ以外の大学では学部の学生の身分でございますが、各学部に属する学生の一般教養を一括して行なうという組織として、従来は法的の根拠のないものでございますが、そういうものをつくってやっておったというものでございまして、今後教養部を制度化いたしましても、やはり学生はそれぞれの学部の学生の身分であっていいのではないか。従って教養部の学生にするのだというようには考えておりません。ただ各学部に属する学生の共通的な一般教育をこの教養部で行なう。一般教育を共通的に行う組織として教養部を法律上制度的に認めたい、かように考えております。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そこでこれは新制大学の性格の問題にも発展をして参ると思うのでありますが、旧制の大学との比較ではございませんけれども、大学に入る年令が非常に若いということや、あるいは新制大学の教育目的というものが社会の人材需要というものに面接応ずるということよりも、もっと高邁な、いわゆる人間の知能をできるだけ発展をさせる、そうして大学を出てから実際職業的に必要な技術というようなものは職場で訓練を受ける、その中において創造的に発展をさせる能力が基礎的につちかわれることが、新制大学の教育の目的でなければならない、こういうような一つの新制大学としての特徴というものを考えていった場合には、東京大学でやっておるように、教養学部の前期課程の中に入れて、その中で本人の個性、専門の科目を履修をするような方向に持っていくという考え方の方が、私は合理的であり、本人の側性を伸ばしていくゆえんではなかろうかと思うのですが、今のような形の中で、お前は何学部の何学科の生徒だ、こういうようなことで、学部を固定をして、一般教養の教養部に入れて、ここで教育をしていくというシステムは間違いではなかろうか、そのためには、やはり教養部というものの、コースは、学校の組織運営上便宜的に設けられるものとしか受け取れないわけでありますが、教育的にこの問題を取り上げていく考え方、これは運営上の問題として、当然各大学の自主的なものに関係はしてくると思うのですが、それに対して小林局長はどのようなお考えをお持ちであるかをお尋ねをしたいと思うのです。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 東京大学の教養学部は、御承知のように一般教育を行なう組織であります。と同時に、あわせてここには四年制の教養学科がございます。特殊な学科編成をした教育を行なって、四年間そういったものを中心に勉強をして卒業をしていく教養学科がそこにはあるわけであります。なお、その教養学部の上には、大学院もございますけれども、とにかく四年制度の教養学科というものがそこにはございます。それ以外の学部に行くべき学生の一般教育の組織としては、今回御提案申し上げております教養部と大差のない教育ではなかろうか、もちろん先生の組織も充実しておりますし、学科目の数も他の大学に比較して数が多うございますので、充実の度合いは多少違いますけれども、それ以外の点ではそれほど大きな差異はないものと思っております。なお、教養学部的な組織をそれでは今後拡充することがどうかということにだんだんお話がなると思いますが、これには、いわゆるリベラル・アーツをどうするかという問題と関連いたしまして、一般の大学では必ずしもこの教養学部的行き方にはなじまないのではないか、また、学生の質等からいっても、相当程度の高い教官組織と学生の質が要求されるものと思います。もちろん他の大学でそういうものは絶対に不可能であるとは考えませんけれども、必ずしも一般的にこれを推進すべきものとは考えておりません。

村山喜一日本社会党

○村山委員 第三条の修士課程の問題にも関連をして参るわけでございますが、中教審の中間報告の前文を見ましても、あるいはその前に出されました大学教育の改善の目的と性格、これを見てみましても、中教審の構成分野というものが非常に産業界の人が多い、そうして資本家の代表の方々が多いわけでございますが、その人たちは、大学の教育というものに対して、直接的な社会の需要というものを中心にものを考えておられる。そのようなところから、大学のいわゆる性格をめぐりまして、大学院というものは高度の学術的研究を行なうものである、大学院でも博士課程の方はそういうようなものをねらうべきだが、修士課程の場合には、それと同時に、いわゆる専門的な職業教育というものに重点を置かなければならない、大学の場合はもっと格が下がりまして、大学は高い専門職業教育を行なうべきだ、それから短大は、これは職業教育というものに専念をすべきだ、こういうようなものの考え方、大学をもうすでに格差をつけて、そうして今後の対策を考えていくのだという方向が大学院、大学学部及び短期大学の期待される水準というものとして指摘をされているわけです。そうなって参りますと、この大学の教育の内容というものを考えていった場合には、たとえば教養部というものを設置する、そのことによって、今文理学部というのがありますが、この文理学部は法学部と理学部、こういうふうに分かれていくべき筋合いのものであって、そうして現在のような文理学部というようなおかしな組織は、これは卒業してから社会に出た場合に、現場の需要に即応しない学科の内容ではないか、こういうようなところから、一般教育の教養部を置くことによって文理学部を解消するのだという一つのねらいが、この中教審の答申の内容から出て参ることも考えられるわけでありますが、それらについてはどういうふうにとらえておられるのかということでございます。というのは、いわゆる大学院というものは高度の学問研究と研究者の養成を主としていくものだ、こういう規定づけをし、大学というのは、これは上級の職業人の養成を主としてやっていくのだ、こういう規定づけをし、短大は職業人の養成及び実際に社会に必要な高等教育を主とするのだ、こういうふうに規定づけをして参りますと、現在の日本の高等教育機関というものをそのようなグループに分けて、この短大のグループにはこれは当然高専を入れていくのだ、このような考え方の中に今後国立学校の設置法をめぐる問題が生まれて参りまするとするならば、今まで新制大学として学問の研究というものを中心にして考えてきた考え方が、今後こうした中教審の答申を待って狂ってくるのではないか。すでにこれは教育界の中においても非常に心配をされておりますが、いわゆる大学の中にそのような上級の職業人の養成を主としていくものだ、こういう考え方が打ち出されてくると、大学の自治というのは学問研究の自由のために存在をするのだから、そういう大学で学問研究の自由というものが保障されない形になってくる。そのような形の中において実質的に新制大学というものを高等専門学校の程度に格下げをしていく方向が文部省の中には出ているのではなかろうか、こういう心配をいたしている向きもあるわけであります。そうなりますと、学問の進歩という問題を一つ考えてみましても、そのためには広いすそ野を必要とすることは言うまでもありません。従いまして、新制大学の学問の研究というものが無視されるような状態の中に、中教審の大部分を占めております実業界の人たちから要請をされてくるというのに対して、文部省はどういう立場でこれに対して受けとめていかれるつもりであるのかということを、この点は大きな問題でございますので、大臣からお答えを願いたいと思います。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 中教審の委員のメンバーには、いろいろな方面からの方がおられることは御承知の通りであります。経済界方面から、経済界だけの立場に立った特別の注文に応じて、注文生産みたいなことをやる意思は毛頭ございません。あくまでも法律に基づいて設置されました中央教育審議会全体としての設置目的の立場に立った、総合的な答申が尊重さるべきだ、そういう考え方で答申も受け取っておるような次第でございます。今後さらに文部省自体としましても、中教審の答申を基本線としまして、検討を加えていきたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そういうような平面的な解説の話を聞こうとは思わぬ。というのは、中教審の答申の中には明らかに大学院大学、それから普通の学部の大学、短大、これにそれぞれ異る目的を与えていこうとして答申がなされている。それに対してそういうようなことでは、大学から学問、教育の研究の自由というものを奪い取ろうとする内容が入っているのじゃないか。だからこういうようなものは、あなたとして採択をされる御意思があるのかないのかということをお聞きをしているわけです。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 それらを含めて、今申したように、もっと検討したいと思うのであります。現在の新制大学の趣旨を否定しようとする考えに、文部省自体には全然ありません。中教審の答申にも、そういう考え方が盛られておるとは理解いたしません。ただ方法としまして、四年制の大学、それにはすべて修士課程、博士課程の大学院を置いて、全部がたとえば東京大学と同じようにせねばならぬということは入っていないと思います。それはそうしていけないという趣旨でなくて、現実に七十二の国立大学ことごとくを、実際問題として、そうすべきかいなかという角度からの、ニュアンスの違いが現われておるとはむろん思いません。あくまでも大学の目的というものは貫かれなければなるまい、学校教育法に指定する方向づけでなければならぬことは当然でございますが、それを実現する方法として、ある具体的な大学がそれ自体で、まるで独立したモンロー主義をとったような形で、外部とは一切人的にもあるいは学問的にも交流しないというような建前で今まできていると思いますが、それをもっと高い立場から相互協力、公開的な、交流的な考え方にも立って、あくまでも真理の追求に向かって、大学の本来の目的を達成するための手段にいろいろ考え方があるであろう、そういう意味で中教審の答申は、私は一つの意味があろうかと見ておりますが、その具体的な取り上げ方をどうするかということも含めまして、今後の検討に待たなければ、今直ちにお尋ねの線に沿っての回答が出てこないと考えておるのであります。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そういたしますと、大臣は、学校教育法の五十二条に定めます大学の教育の目的は、これはかえる考えはない、こういうふうに受け取って差しつかえございませんか。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 学校教育法に定めております根本原則とでも申しますか、大学設置の目的というものをかえる意思はございません。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そこでこれも大臣にお答えを願いたいのですが、現在の大学の教育の内容を見ておりますと、新制大学の場合に、一年半なりあるいは二年間一般教育課程と語学を中心にする一般教養が行なわれ、そして三年、四年生で専門教育課程を履修をして卒業するということになっておりますが、最近は大きな会社、経営者協議会あたりでも自制をしようとしておられるのでありましょうけれども、もう三年生の終わりごろ、あるいは四年生になった初めのころに採用試験を行なう。特に理科系統の場合などは、三年生で青田刈りをされる。さような格好の中から、会社に合格をしますと、会社の方からお前は将来の業務見習いのために出てこいというような話もあってみたり、あるいはもう合格してしまうと、大学の学問に対する情熱というものが失なわれる。そういう仕組みが社会的にでき上がってきつつある。そして新制大学四年間におけるところの学問の研究というものは、もう第二義的になって、実際は新制大学は三年間で教育は終わるという格好が、今日の日本の教育の姿ではなかろうかと思う。こういういわゆる青田刈りといいますか、学年途中でそのような就職の決定させるような方式を許しておいたら、今でさえも新制大学の卒業生は学力がない、使いものにならないというような話が出ておるときに、社会的な現象から、こういうような問題が出てきておるとするならば、これに対するところの大学教育振興の立場から規制を考えていくという問題が必要ではなかろうかと思うのですが、それに対しては、今までどのような措置を文部省としてはされておるか。この点を承っておきたい。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 学生の就職試験の時期の問題でございますが、これは経済界の景気の変動等にも多少関連をする問題でございますけれども、文部省としては、教育上の観点からはできるだけ学生が成規の学年の間は落ちついて勉強ができるように、措置されるべきであるという考えを従来から持っておりまして、いろいろ経済界の団体等とも話し合い、また国立大学の団体、公立大学の団体、私立大学の団体等ともいろいろ打合会、懇談会等を開いて、そういった趣旨のことを説明をし、できるだけ学生の勉強に支障のないような方法をとってもらうように、従来指導をして参っております。ただ、ただいま御指摘のございましたように、特に理工系の科学技術の学科に関する学生の就職等におきましては、従来経済界等と協定をいたして、その実施を守ってきておったのが、最近必ずしも十分行なわれていないという実情が出ております。この点につきましては、先ほどお尋ねのございましたように、公の制度としてはやはり学生が四年間安心して勉強ができるように、できるだけ就職試験の時期はおくらしてもらう。具体的に申しますと、現在大体十月以後ということで協定ができておりますのを、私どもとしてはこの実施をできるだけ守ってもらうということで指導をいたしております。また来年度の問題についても、その線に沿っての話し合いを現在いたしておるところでございます。個人々々のプライベートなルートで話し合いが私的に進められるというところまでは、押えることはできないと思いますけれども、大学が公の機関としてタッチするのは、できるだけ学生の勉学の妨げにならないように、学年のできるだけおしまいの方の時期でやってもらうということで話し合いをしておるところでございます

村山喜一日本社会党

○村山委員 そこで、東京工業大学ほか五つの大学にこのたび修士課が置かれることになるわけでございますが、この修士課程を置く考え方に対して反対するわけではございませんが、今度の文部省の考え方というものを私はこの際お尋ねをしておきたいと思います。というのは、新制大学の四年を卒業しましても、京都大学の、あれは工学部でございますか、たしか専攻科というのをもう一年置いて、そして五年間出なければ就職の世話はしないという形の中で、実質的に新制大学の四年制を五年制にしている場合があるようでございます。そういうようなところは非常に実力がついているというので、大企業の方から学校の方にお百度を踏んでぜひ自分の会社に渡してもらいたいという形で要請がされる。あるいは地方の大学にもございますが、専攻科というのが置かれて、その専攻科を一つの足場にいたしまして、二年間の修士課程のそういう大学院になりたいのだ、このような形で運動をしているところもございます。やは新制大学は大学院というものを置くようにしてもらわなければ困るのだということで、これからそういう要求度は、国民の高等教育を受けたいという一つの熱望と相待ちまして、ますます強くなってくるだろうということが想定されるわけでございます。今度六つの大学にこのような修士課程の大学院を置かれることになるわけでありますが、そうなって参りますと、これは教職員の免許法との関係も出て参りまして、教職員の高等学校の一級免許状がこれによって交付される、こういうことになろうかと思うのですが、そうなると将来の高等学校の教員養成という問題にもこの問題は関係が出てくるかと思うのであります。そういうような教員養成制度との関係あるいは今後におけるところの大学、大学院のあり方をめぐって、今後そういうような要求というものが生まれてきた場合には、どういうふうに対処されるつもりなのか、そのあたりを承っておきたいのであります。というのは、中教審の答申の中にも、ある程度の規模の拡大というものは修士課程については必要だということを指摘をしているわけでございますので、その辺はどのようにお考えになっているかという点であります。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 将来新制大学院の修士課程を置くについてはどういうふうに考えるかということでございますが、私どもさしあたって三十八年度には七つの修士課程をお願いしておるわけでございますが、やはり将来、この修士課程が高度の技術者の養成にも非常に役立ちますし、またこの修士課程が置かれる大学の教官自体非常に元気づけられて大いに勉強するということも考えられますので、条件の整った新制大学には、これは予算との関係もございますが、逐次設置をしていきたいというふうに考えております。たとえば教官の組織の点あるいは施設設備の点、それから従来の経緯から申しますといろいろその学部の沿革、歴史というようなことも関連すると思いますが、そういう条件がそろったものには予算の許す範囲内で修士課程を認めていくのがよいのではないか。現在、どこどこに幾つ置くというような具体的なことまでは考えておりませんけれども、できるだけ将来その幅を拡げて参りたいと思っております。  なお教員の免許状との関係でございますが、御指摘もございましたように、この修士課程を出れば高等学校一級の免許状が得られるわけでございます。これが将来教育界に入るということは非常にけっこうなことでございますし、またこれは従来教員養成学部で直接養成をしておりませんでした高等学校の教員を、教員養成学部で養成したらどうであろうという御意見も最近は出ております。そういった線にもしいくとすれば、すべての教員養成学部に専攻科を設置する大学院の修士課程ができなければ、少なくとも専攻科は設置して高等学校の教員の養成に資するということも十分検討しなければならぬ問題だと私は思っております。

村山喜一日本社会党

○村山委員 その問題はまた他日に譲りますが、ここで私がお尋ねをしておきたいのは、大学院の設置が認められる。従来大学院が設置された場合は、大学院の設置されたところのその大学の教授に対して手当が出される。その手当が調整額になって実質的には八%程度の手当が出されている。だけれども、人員は大学院が設置されたからといってふえていない、こういう傾向があるわけでございますが、そういたしますと、今度修士課程の大学院を設置されるにあたって、専任の教授の組織といいますか、教授陣の組織というものは、一体どういうふうになっているのか。それから大学院が設置されたら、その大学院において全然講義もしない先生に対しても調整手当が支給をされるように聞いておるのでありますが、その点はいかがなものでございますか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 従来国立の大学院を持っておる大学の大学院の基礎になっておる学部におきましては、講座制をとっておるわけでございます。大学院が上にないものについては科目制をとっておる。従って教員の組織について差があるわけでございますが、従来国立学校ではすべて博士課程でございます。修士課程だけの大学院というものはございませんので、私どもこの今回の大学院、すなわち修士課程の大学院の設置については、制度としては講座制をとるようにしたいと思っておりますが、その組織をいかにすべきかということについては、一年実施をいたしまして、その結果を待ってその制度をはっきりさせたいと実は考えております。要するに博士課程まである講座と全く同じである必要があるかどうかということについては多少の疑問がございます。しかしさしあたりやはりこの修士の課程を置く学部の教官はできるだけ充実しなければなりませんので、三十八年度の予算におきましても、これらの大学の学部につきましては、教官の充実をいたしております。  なお大学院を担当しながら、大学院の講義をしていない教官というようなお話もございましたが、私どもは講義が大学院の授業の必須条件であるというふうには考えておりません。学生の具体的なゼミナールの指導などもございますので、講義をしなければ大学院の担当にはならぬというふうには考えておりませんが、学部の先生で、中には大学院の担当にならぬ先生も当然出てくるわけでございます。新制大学では大体九〇%以上がやはり学部の先生で、しかも大学院を担当するということにしておりますし、またその大学院の担当には学内で正規の辞令を用いておるようでございます。学部の先生で上に大学院がございましても、やはり大学院の講義を担当をしない場合には、この調整手当はつけるべきものではないと思っております。

村山喜一日本社会党

○村山委員 講座制がいいか学科目制がいいかという問題は、予算との関係から問題が出ておるのであって、現在の講座制が必ずしも教育上効果的に働いているかどうかということについては私は疑問に思っている点が多いんですが、修士課程を置いた、ところが講座制にすれば人員あるいは予算もふえる。ところがその組織については何らことしのは財源的に措置がされていない。こういうことになって参りますと、せっかく修士課程の大学院が設置をされたけれどもその裏づけは十分になされてないということでは、この発足の期待にこたえられないのではないかと思うのですが、この点については大蔵省と交渉をされる場合には強い線で要望されたものとは思うのですが、向こうの方はどうしてもそれについては了解を与えなかったわけですか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 この修士課程の大学院設置について予算が計上されていないということではございませんので、約八百八十万の予算は計上されております。それは学生経費並び教員の充実に要する経費としてそれらのものが計上されておるわけでございます。ただ、講座制をとるだけの規模のものにするかということについては、いろいろ具体的に大蔵省と資料を通じて折衝をいたしましたが、最終的な結論には達してなかった。一年間十分実施の成績を見た上で適正な規模の講座制にしたいという話し合いになっております。

村山喜一日本社会党

○村山委員 八百八十万円の予算ではこれはまことに貧弱ですよ。六つの大学院を置くというのに八百八十万円ではほとんど焼石に水だと思う。この問題については今後御努力をお願いすることにいたしまして、次に進めて参りたいと思いますが、従来第四条の中で研究施設というのがある。これが研究所に名前が改まる。この研究所になりますと、これは一つの組織として置かれるようになるわけでありますが、従来は一学部の場合では施設というふうにたしか使われていたと思うのですが、その施設が研究所に昇格をし、それに伴って予算的にも人員的にも充実をされた、こういうふうに受け取っていいわけですか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 国立学校設置法の法的な規定の上から申しますと、従来大学付置のものについては御承知のように第四条で研究所を付置する、そして共同利用の研究所については研究施設という名称を法的には使っておったのでございます。それらを合わせまして、第四条の表題としては大学付置の研究施設ということであったわけでございますが、共同利用の研究施設、研究所の内容が御承知のように逐次変わって参りまして、当初たとえば東京大学に宇宙線の観測所ができ、京都大学に基礎物理学研究所ができましたときには、そのそれぞれの施設を使って共同的に研究をする、要するに建物あるいは設備の共同利用の点に重点を置かれておったわけでございます。従って研究施設というようなことで一括しておったわけでございますが、その後におきまして、最近たとえば名古屋大学にプラズマの研究所ができ、大阪大学にたんぱく研究所ができ、あるいは東京大学にも物性研究所ができ、原子核研究所ができて参りますと、これらの研究所では、前のそういった共同利用の形態とはだんだん形が違って参りまして、もちろん共同利用も非常に大きな使命でございますけれども、その研究所自体が一つの研究の目標を持つようになって参りましたので、特にこの共同利用のものについてだけ研究施設というようなことをいわなくてもいいのではないかということで、研究施設というものを研究所に改めたい、名称を統一したいというふうに考えたわけでございます。  なお、これと多少違いますものは、たとえば大学の研究所にはなりませんけれども、研究の一つの組織としてより小規模のものを研究施設というふうに申しておるのがございます。たとえば今回の法律案で御審議をお願いしております群馬大学の内分泌研究所、これは従来群馬大学では研究施設として扱われておったものでございますが、だんだん組織も充実して参りましたので、これを法律上の研究所に格上げをしたい、そういう意味でこの設置法の中に盛り込んでおるわけでございます。

村山喜一日本社会党

○村山委員 最後に、私は大臣から承っておきたいのは、このたび国立高専が十七校増設をされるわけでございますが、これに伴いまして開設を予定されるのは二十九校になるようでございます。そういたしますと、この国立高専の募集定員というものと、それから、昭和三十六年でございましたが、所得倍増計画の中で十七万人の科学技術者の不足が考えられる、こういうようなことから初め一万六千人の増募計画というものを立てて、六カ年計画を立てられたわけですが、これは実情に合わないというので、さらに第二次の補正計画というものを立てられたわけであります。それによりますと昭和三十六年から三十九年の四カ年に二万人の募集増加をはかる、こういうことで計画が立てられました。この中で六千五百二十人の高専の増募、それから一千三百二十人の短大の増募を含めて二万六百人というものの増募計画が定められたわけであります。そうなって参りますと、このたび来年度に五校ですか、開設を予定をされて、全部で二十九校の高専ができて参るわけでございますが、この所得倍増計画の中で定められました中級技術者の養成をいたします高等専門学校の募集定員は、一体幾らに相なるのか、増募定員として予定をされているのはどのようになるか。なお今後二万人の増募というのは、大学は昭和三十九年度、短大は三十七年度で、国立大学の場合は終わる。高専は三十九年度で終わる。こういうことに相なっているようでございます。そうなって参りますと、今後この高等専門学校を増置をしていく考え方というものは、また科学技術者の全体の養成計画の上から、どういうふうにお考えになっていらっしゃるのかという点でございます。この点はやはり大学院あるいは大学、高専、短大という一つの性格、目的を与えて、それによって一つの所得倍増計画を推進をしていくのだという考え方を立てておられますので、今後に尾を引く大きな問題であるかと思いますから、この際所得倍増計画との関係における問題として、この点をどのように考えたらいいかということをお話しを願いたい。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 御指摘の通り所得倍増計画という角度から科学技術者教育を見ました場合に、計画上十七万人を必要とするが、そのためには、高等専門学校は当初ございませんでしたけれども、後ほどそれを含めまして入学定員を増加していかなければならない。当初一万六千人の計画をいたしましたのは、教員組織の充足がなかなか容易でないということのために、現実問題として一万六千人計画たらざるを得なかったわけであります。その後各大学の実情も変化がございますと同時に、民間からの教員組織充足のための要員もある程度期待できるというふうなことも考え合わせまして、御案内のごとく二万人の入学定員を目標として整備していこうという考え方に立って今日に参りました。ただしこれは文部省だけの考え方でありまして、一万六千人計画が政府全体として二万人計画になったというわけではございませんでしたが、現実問題といたしますと、幸いにして高専の設置数が当初想定しておりましたよりもスピード・アップできましたことも合わせまして、大体今度三十八年度の予算措置のもとにこの計画が実施せられますれば、二万人計画の目標は大よそ入学定員としては達成できるのじゃなかろうか、こう思っておるわけであります。従って単なる所得倍増という見地からの計画からしますと一段落するめどがついた、こう言えると思います。ですけれども、所得は倍増、三倍増、四倍増まで続いていくべき性質を持っておる。政府としてその計画を具体的にしておるわけじゃむろんございませんけれども。従って科学技術者教育という面から見ましても、今後の日本の歩いていくべき方向、世界の科学技術、技術革新の趨勢に応じてひけをとらないようにやっていくという心がまえ、そういうことからいたしましても、それだけの見地からも、二万人の入学定員だけで近き将来まではそのままでよろしいかどうかという新たな問題として検討を要するものと心得ます。従ってその後の見通しに立ってどうするのだということまでは今日お答えする段階にきておりません。

村山喜一日本社会党

○村山委員 先般も、この高専の敷地の問題につきまして、寄付をめぐる問題から地方財政法の一部を改正する法律案について文部省が自治省の提案に対してはまだオーケーを与えない。大蔵省と文部省が強固に反対をしている、こういうようなことで地方財政法の改正案が国会において上程をされないといういきさつを地方行政委員会の方から聞いたのでありますが、そういうような考え方でやはり高等専門学校の設置については今後あなたは増設をされるお考えであるのか、それとももう今度でおしまいだ、これで二十九校の高専をつくったからあとは内容の充実強化に当たるのであって、こういうような高専よりももっと現在の大学自体を強化していくのだという考え方をおとりになるのか、その点はどうでございますか。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 科学技術者養成という先刻お答えを申し上げました点だけに立って申し上げれば、先ほどもお答えしましたように数としてはどうやらいいのだということになりますけれども、もともと各都道府県単位に一応考えてみましても、日本の都会地ないしは農村地帯いずれにいたしましても、産業構造の変化に応じ、世界の趨勢に応じて従来の状況を墨守していくことは困難だと考えられるわけでありまして、そういうことからいって、今の考え方としましては、当初も申し上げました通り、できれば各都道府県一校見当のものが高等専門学校という形の教育施設の配置としては一応考えられる構想ではなかろうかという考え方に立つのでありまして、それがあわせて所得倍増という一つの政治目標ともにらみ合わせての具体的な設置となって今日に参ったわけであります。そういう意味でございますので、来年度五校を設置予定をする予算措置をしましたことで、それが最後であるということには考えておりません。同時に高等専門学校に工業科だけを置くということに局限をされましたそもそもの沿革は、村山さんも御承知のようなことでありまして、学校制度として工業科だけでなければならぬということではなくて、ある程度便宜的なことからスタートをしております。たとえば農業基本法に基づく今後の日本の農業のあり方をどう考えるか、どんなふうに推進していくかという農業政策面の要請もむろんあるわけでございまして、現に農業高等学校にいたしましても、従来の教育課程だけでは今後に向ってはまかない得ない節々があるというので、一昨年あたりからぼつぼつこの体質改善的な予算措置等もして参っていることも御承知のところであります。高等専門学校につきましてもやはり農業の面について新たに考えるべき課題ができたのではなかろうか、あるいはその他の学課目を置きます高等専門学校も考えねばならない一つの課題として登場しつつあるのではなかろうか、そういうことも考えるわけでございます。しからば三十九年度に具体的にそれをどうしようとしているかというお尋ねがありましても、これまた具体案として申し上げる段階にむろんございませんけれども、そういうこともあわせ考えまして工業高等専門学校は今後のために文部省としては検討いたしたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山委員 そういたしますと、高専の問題は今後の問題としてさらに考えていくということでございますが、文部省が現在の法律にも反しまして地方公共団体に施設についての寄付を要請をする、そういうような考え方で、例の都道府県立の高等学校の場合でも、地元の市町村に寄付を禁止するという法律をつくることには、やはり文部省がそういうような態度をとっているがゆえに都道府県にそのような措置をとらせることはまずい、文部省としては文部省の国立の施設である国立高専をつくる場合には、これは非常にたくさんの希望があるのだから、都道府県において寄付をしてもらう、そうして都道府県の県立の高等学校をつくる場合にはその地元において、市町村において非常に大きな希望があるのだから、その希望に即してそこの地元市町村に寄付をしてもらう、そうして地元市町村は、自分たちが負担をすることは非常に財政上困難だから住民に負担をしてもらう、こういう一貫した一つの考え方を文部省としてはお持ちになり、それをやはり今後においても主張し続けていかれる考え方であるのかどうか、大臣のお考えをお伺いしたいわけです。というのは、実は後ほど田中政務次官がお見えになるだろうと思いますが、田中政務次官は、高校全入の方々の陳情に対しまして、わが池田内閣は所得倍増計画の中で十六兆円の投資計画がなされている。その中で教育に対する投資は一兆円程度であるとするならば、こういうような高等学校の急増の問題等に政府自体が金を使うということは間違いだ、それよりもそういうようなのは市町村の地元の人たちが寄付をするのが正しいのだ、こういうことを言われて煙に巻かれたそうでありますので、私はその責任を追及するために後ほどおいでを願いまして責任を追火して参りますが、やはりものの考え方は、この国立高専を設置する場合には地元の寄付は当然である、そうして都道府県の高等学校の設置には市町村の寄付が当然である、こういう一貫した考え方が文部省の場合にはあるのではなかろうかと疑われる節々があるのでございますが、大臣の考え方は一体どうなのか、そういうふうにしてみずからが責任を講ぜず、下の方にしわ寄せしていくという基本的な考え方というものが相変わらず抜けないのかどうかということを、お尋ねをしたいわけです。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 政務次官の考え方も一つの意見であろうかと思います。しからば政務次官の意見通りに文部省としては方針を確定しておるかということでございますと、確定はいたしておりません。一つの意見であると思います。同時に、このしわ寄せを国立の大学あるいは今御指摘の高等学校であれ、小中学校でも、幼稚園でも理屈は同じことと思いますが、そういう学校施設を整備するにあたって末端にしわ寄せをする、あるいは、住民個人にしわ寄せをすることが当然だ、そういう考えはございません。ただし明治以来戦後、今日までそういうふうなムードがあり、そのムードの上に立って実際上そういうことが行なわれていることは否定いたしません。現実がそうであるということと、それに対する御批判の上に立ってのお話であることはよくわかりますけれども、建前としてしわ寄せをしさえすればよろしいなどという考え方は文部省には毛頭ございません。地方財政法の改正課題はまだ詳しく存じませんけれども、現行法にいたしましても、しわ寄せはできないことに一応趣旨はなっておると理解しておりますが、この財政法の存在もむろん念頭に置いて、高専の問題には取っ組んでおることはすでに御案内のごとくであります。  ところで市町村に至りまするまで、あるいはその住民に至りまするまでしわ寄せ的なことは一切まかりならぬという建前には毛頭異存はありませんが、そういう立法措置を講ずるについては、政府全体としてしわ寄せしなくても済むように、たとえば学校施設の単価にしましても、その構造比率にしましても、敷地にいたしましても、ひとり学校施設のみならず、国の施設に関する限り、県の施設に関する限り、それぞれの段階において次々に末端にしわ寄せをしなくて済むような具体的な裏打ちが着実になされた上で立法措置が講ぜられるならば、むろん名実ともに異存のないところであります。ただ実際問題としますと、なかなかそれが一挙にしてずばり名実ともに備わった形にならないというところに実際上の悩みがあろうかと思います。そういうことから理屈は別にいたしまして、実際上の悩みとして末端にしわ寄せ的なものが行なわれきたっておる。だから根本的な、今申し上げたような措置があわせ行なわれて実施されます限り、文部省としていささかの反対の気持はございません。政府全体として考うべき問題だと私は心得ておるのであります。  それからなお、高専そのものにつきましていささか弁解じみたことを申し上げることをお許しいただきますが、この高専の当初のときにもお尋ねに応じてお答えした記憶がございますけれども、一面学校教育については民間の浄財が寄付されることは政策的に望ましいという立場から、税法上の優遇措置もできておる。私学について、特にそれが問題でもございましょうが、国公立につきましても民間の浄財が集まること、そのことは建前としては拒むべきじゃないし、むしろ奨励されるべきものと理解されて今日にきていると思います。そういう考え方に立てば、その浄財がどこかにプールされて、あらためて具体的な学校施設、設備ないしは敷地等に活用されることが望ましい形と思いますけれども、具体的な何々高等専門学校設置について、地元の県としてあるいは市町村として、その住民の子弟の教育施設ができることを望むがゆえに、その具体的なものに対して浄財を寄付したいという意欲は今日まできわめて純粋に旺盛でありました。従って公共団体から寄付をしてもらいたいと、むろんおくびにも言った覚えはございませんけれども、公共団体の間接的な負担になっておることが指摘されておるようであります。むろんそれは望ましいことでもないし、期待したところでもないわけでございますが、そういう点の御批判はむろん甘んじて受けなければならぬ。今後に向かってどうするかは冒頭にお答えした線から解決されていくべき課題と心得ますが、昨年来現年度、来年度にわたりましての高専の設置につきましての敷地の寄付の点につきましては、いわば地元としましては、喜んで敷地を提供する。何も文部省からかれこれ無理に強制的にという感じはこっちも持ちませんし、地元側も一つそういう気持はなしに、喜んで提供していただく姿で話がまとまって参っておるのであります。また一面高校急増の時期でもあるということもむろんございましょうし、一校でも高等学校を設置したい気持は、高等学校の設置責任者としての都道府県当局にもございます。もし敷地を提供することによって、地元で考えることによって高専が置かれれば高等学校が一校国費でもって新設されるという勘定になる。経常費が二億近く工業高校については要るかと推定されますけれども、それが将来永遠に地元負担にならぬで済むというふうなことを念頭に置いて考えました。これはここで大きな声で申し上げる筋合いじゃむろんないので恐縮でございますけれども、胸算用としては、都道府県はそういうことも念頭に置き、また理解ある住民もそういうことを念頭に置きながら、むしろこの際敷地を都道府県として提供してでも設置することが、将来長きにわたって当該公共団体住民にとってしあわせであるという考え方も多分にあってのこととむろん思いますから、喜んで提供していただいておると見受けます。だからといってそのままでよろしいと申し上げるつもりでないことは冒頭のお答えで一つ御理解いただいて、ごかんべんいただきたいと思いますけれども、そういう気持で今年度及び明年度に開設予定のものを含めまして措置をして参ったような次第であります。三十九年度予算以降のことにつきましては、最初申し上げた角度から政府全体でもっと考えねばならぬ、かように思います。

村山喜一日本社会党

○村山委員 現在地方財政法の第十二条で、地方公共団体に国のそういうような施設に要するところの経費については負担をさせてはならないのだということは明確にきめられておる。にもかかわらず、現実においてはそういういうような政治的な含みといいますか、高校急増対策に要する肩がわりというような含みは地方公共団体なり住民は持っているのでありましょう。しかしながら現実において、そういうような国が一つの所得倍増政策に基づいて中級科学技術者を養成するのだという建前でやっていく場合には、当然地方公共団体にその経費の負担をさせてはならないということが法律に明記されておる。にもかかわらず、それが現実においては実施をされて、それは文部省が大蔵省に対する予算要求の弱い態度の中にも現われている。私はそこに問題があると思うのです。だからこういうようなことから、今度地方財政法の中に、都道府県が市町村に経費の転嫁をさせてはならない中に、高等学校の設置に要するところの経費を計上しようとする考え方に対して、文部省があくまでも反対をする、こういうようなことになってきておると私は思うのです。やはり文部省は法律を守れということをみずから口に主張する以上は、当然そういうような現実において財政負担の明確化を期待しているのが地方財政法なんですから、そういうような法律をみずから守るような態勢というものを国民に示していかなければならぬじゃないか、こう思うのです。  私はわざわざ田中政務次官にお出ましを願いまして恐縮ですが、次官にお尋ねをしたいのは、次官が陳情団の方々にこういうような話をされたというので、これは間違いだろうと期待をして私は質問をするわけです。次官はこのような話をされましたか。国は所得倍増計画の中で道路とか港湾とかいうものに大きな金をつぎ込まなければならない、そうするならば、当然都道府県立の高等学校というようなものに国が金をつぎ込むということは反対だ、やはり所得倍増計画を推進していく上から考えた場合には、当然そういう経費というようなものは設置者が持つべきであり、そしてまた、そこに住んいでる地方住民が負担すべきなんだ、自分はこういう考え方でおるのだという話をされた。ところが、これはあなたが経済企画庁あるいは建設省の政務次官であるならばいざ知らずですが、あなたはれっきとした文部省の政務次官、その文部政務次官が、教育施設に対するものの考え方としてそういうような方向をお出しになって、はたしていいものかどうか。あなたの立場上の問題等を考えまして、それは多分言い間違いでありますが、どうでありますか。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 ちょっと政務次官の御答弁の前に、それに触れてお答えした手前もございますから、政務次官にも聞いていただく意味で、もう一ぺん繰り返して申し上げていただきます。  政務次官が、今、村山さんが言われましたようなことを言われたといたしましても、一つの意見だろうと申し上げました。その政務次官の意見そのものが、しからば文部省の総意であるか、こうなると、その意味では必ずしもそうじゃないということをお答え申し上げたわけであります。そこで、さっき政務次官にお尋ねになるお話になりましたことに、くどいようですが、簡単にもうちょっと蛇足を申し上げさしていただきます。  これはもちろん文部省がどうするという課題でもございますけれども、あくまでも政府全体で総合的に考えて対処しませんと、格好は変だと思います。(「また失言しないように」と呼ぶ者あり)これは今後の問題でございますから、失言の部類には入らぬと思いますが、たとえば裁判所をつくる、刑務所をつくる、あるいは警察署をつくる、その他、文部省以外の国の施設、設備が地方に置かれます場合に、すべてについて共通の課題でございます。従って、先刻も触れましたように、しわ寄せをしないで済むような措置を国全体としてやるという角度でとらえませんと、口頭禅に終わるおそれがある。私は文部省の今までの体験からいいましても、自治省との相談の上ではそういうことも十分事務当局は言ってほしいと、今思っておるところであります。指図をしたいわけじゃございませんが、そういう角度からとらえられないと、なかなか御要望に沿えない課題であろう、こう思います。  同時にまた、政務次官の御発言があったと仮定すれば、連想しますことは、都市計画をする、道路整備をする、そういうときに受益者負担というものの考え方があるようでございますが、学校施設について受益者負担的な構想が取り上げられていいかどうかは、もちろん議論があります。同時にまた、先刻も触れましたように、学校施設、設備を整備するについて民間の浄財が集まるような考え方は正しいこととされておる。そのこともあわせ考えながら、この問題は考慮さるべき問題であろうと受け取っておりますので、そのことを蛇足ながら申し添えまして、政務次官にバトンを渡したいと思います。

田中啓一自由民主党文部政務次官

○田中(啓)政府委員 きのうは大へんなごやかに長時間いろいろ話をしまして、言葉が足らなんで私の真意がそのまま受け取られなかったというようなお話がございますが、実は言葉が多過ぎて受け取られなかったのかもしれぬと思っておるのでありますが、実は一地方財政法関係の問題は、私は今大臣がお話しになったと同じような趣旨の話をしたつもりでおります。ところが、教育に金を使うのが少ないじゃないか、こういう気持の話が非常に出ました、そうして、一体あなたたちは何を言っているのだ、こういう話でありました。実は、文部政務次官になったのは昨年の七月からだが、それまでも長い間国会議員で、いろいろ国策については推進をしてきたつもりでおります。そうして私の当時考えたのは、入学難のこともさることながら、就職難というのはもっとこわい、これほど国民を暗くするものはない。でありますから、戦後のベビー・ブームにしましても、この人たちが学校を出るときに職がないというようなことは一番いかぬことだ、それには職場つくりというふうなことになるわけでありまして、結局は経済成長だ。そのためには工場にも投資しなければならぬ、社会資本としての土地やあるいは道路その他にも投資を多くしなければならない、こういうことで、国の金、税金というものを相当そちらの方へ投資をしてきた、なるほど教育面へ回す分が少ないといえば少なかったかもしれぬが、私はそういうつもりでやってきたのだ、そういう弁解をしたわけです。  そこで、今日はもう就職難ではなくて、羽がはえていくようなことになったわけでありますが、そうなれば今度は人が足らぬということになる。そこで人づくり、こういう方面も、——人づくりの意味はそれだけではむろんございませんが、そういった需要に応じて人をつくっていくという面をやる時期になって、大わらわに高等学校あるいはまた高専等の増設に力を入れておる次第であります、こういうことを言ったつもりなんであります。あまり言葉が多過ぎたために、そうやって一つずつをとらえられると、あるいは今の地方財政法の改正そのものにただまっ正面から反対するようなことにとられたかもしれませんが、そうではなくて、ただいきなりそうするよりも、政府全体としてその体制を整え、そうして原則というものを厳格に行なっていくようにした方がよかろうと私は思っておる、こういうことは確かに申しました、こういうふうな次第であります。

村山喜一日本社会党

○村山委員 正式の答弁でございますから、そういうふうに承っておきたいわけですが、経済政策が主で人間づくりがあとだということになりますと、文部省がこの前出しました教育白書、あれは教育の投資が経済の投資に大きな影響をもたらすという一つの打ち出し方をしているわけでありますから、逆の考え方に私は立っていると思う。そういう点からいうならば、人づくりこそ国づくりの根幹なんだ、これがまた経済の活動に寄与するのだという考え方を文部政務次官は主張されなければ、文部政務次官としての立場はなかろうじゃなかろうかと今でも私は考えておりますので、その点は政務次官に強く要望を申し上げておきたいと思います。  この大学設置法の問題につきましては、こまかい問題はまた後日質問をいたします。私の質問に関連をいたしまして山中議員の方から発言がありますので、私はきょうはこれで終わります。

床次徳二自由民主党

○床次委員長 関連質問がありますからこれを許します。山中吾郎君。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 文部大臣に、今お答えになったことで疑問がありますから聞きますが、受益者負担の思想を出されましたが、それは非常にあやまちを来たすと思うのです。その一点だけ先にお聞きしておきたいと思うのです。病院とかあるいは保健所などは、その地域の人だけが大体使用する施設なんですから、そういう場合には受益者負担の思想は入りますけれども、国立専門学校全国から集まるのです。大学も、たとえば岩手は岩手大学があっても鹿児島からも来る。教育機関というのは、その地元の市町村が負担をすることが、受益者負担だから、同じ性格のものであるというお考えで一般的にお話をされておるのはあやまちで、これは私は常に主張することなので、東京の大学に東京都民が入るならば、東京都が受益者負担で相当出せ、そのかわりに東京都民は優先的に入学せしめるという、ずっと筋の通った論ならわかる。ところが、ある国立高専ができた。その地域の子弟を優先に入れるというようなことは教育法上できないわけですから、教育機関に対しては、今文部大臣が言われたような受益者負担の思想では、私はとんでもない間違いだと思う。その点だけ明確にしておいていただきたいと思います。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 先刻それに触れましたときも、むろん議論のあるところですがと前置きをして申し上げたゆえんでもあります。お説の通り、受益者負担の観念そのままを、そのものずばりで適用できる課題であると私も思っておりません。ただ幾らか類似の点ありと申せば、道路建設をやったと仮定いたしまして、その道路は、地域的な受益者負担の協力を得てできましても、天下の公道として通用する意味においては、やや似た意味のものがあるのかもしれないというだけでありまして、これこそ文部省がそういう見地に立って、自治省とやんやんいっているわけでも何でもありません。言わんとする要点は、もっと民間浄財が教育施設等の充実に流れ込みやすいようにするということもあわせ考えるべきであろう、その一つの要素としては、国立高専でもできますときに、会社なり個人なりが寄付するという意欲を起こさせるものを、何かプールみたいなところに受け入れるような制度ができたならば、さぞ便宜じゃなかろうか、寄付者の真意も透徹しますし、ことさら具体的な学校に結びつけて、一種の受益者負担的な、山中さんのような御非難も免かれ得る意味において、そのことを連想しまして申し上げたことであります。御指摘の受益者負担の概念をそのまま持ち込むべきにあらずということは、私も賛成であります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 これは特に考えておいていただかないと、ほかの行政とすぐ一緒になってしまうわけです。それでたとえば全国の学校施設公庫というようなものでもつくって、ある程度全国プールというならば、私は教育機関には合理的なものがあると思う。だから県立高等学校でも、県境にある高等学校の半分は他の県から入ってくる。それを阻止するということは、教育の本質上できないでしょう。そしてその学校の建っておる地元の町が半分建築費を持ち、敷地を提供させられる。そして入る場合については、その負担をした住民の子弟というものは、何ら特別の教育の機会を優先に与えられていない。そういう教育の機関の特殊性というものを文部大臣が明確に知って、大蔵大臣を説得し——大蔵官僚の方はわからないのです。そういうことはわからないのですから、同じような考えでは、論争したら負けます。その点を明確にしていただきたいと思う。もしどうしても地元の負担というものを全国組織の、あるいは住宅金融公庫とか、そういうような性格と同じ——全国同じようにプールして、資金を低利で、あるいは無利息で長期間貸せるというような、そういう全国学校施設公庫なら私は賛成します。地元ごとに負担をかけて、入ってくるのは——ことに大学などは、たとえば盛岡に岩手大学がある。盛岡が非常に多く負担をする。入る人は二%、三%もないのです。そういう不合理を持っているというところに、教育行政の特殊性があるということは、大臣が知っていただかなければ——田中次官を——僕はあれでわかっておるように思うし、文部大臣が弁護しておりますけれども、どちらもその特殊性について認識がないので、そういう常識的なお答えになる。私は、そこからは少しもこの問題は進歩しないので、特に申し上げたいと思います。大学問題についての基本的な問題については、私もずいぶん疑問があります。大学計画の問題について、あるいは大学院修士の計画についても実績主義でただふやしていくのではなくて、長期計画、二十年、三十年の日本の経済構造というものとにらみ合わして大学計画というものを立てる。これは白書にもあるのですから、そういうものの中から私は根本的な問題をお聞きしたいわけですが、これは関連でありますから次にいたしますが、一点だけお聞きしたい。  それは、この間私が、今の高校入学難が三年後の大学入学難に移っていくから、その計画を持っているかと言うと、文部大臣は、検討中であるという、非常に見通しを持った、場当たりでない答弁をされたので、私は敬意を表したわけでありますが、大学の入学試験のあり方が、大学教育に一番大きいひずみを与えておるので、大学問題に関連をして、この点だけお聞きしておきたい。  入学試験の成績と入学後の学生の成績にほとんど相関関係がないということが、国立教育研究所の中間報告で——そこの西堀道雄研究室長ですか、のところで科学的に調査をして——大学二十二校を選んで、それに基づいて調査した結果、大学の七割が、入学試験の成績よりも高校の成績が、大学の成績に反映しておるという結論を出しておる。これは重大なことだと思うのですね。ところが、文部省の方では高校の内申を尊重するという方針を明らかにしておるのに、現実には、一時間、二時間の一片の入学試験、機械的な暗記というものだけしか見られないような入学試験で入れて、むしろそうしなければ人間が鍛えられないというような偏見を持って入学試験を見ておるのではないか。そこに大学教育その他の教育に大きいひずみを生じておる。人間形成にひずみを来たしておる。最も不公平なことが、この入学試験の科学的調査の中に出ている。そういうことを真剣に、研究をされて、そこから計画を出されるのが私は文部大臣の識見だと思う。こういう研究の結果を大学局長は知っておりますか、それを検討しておりますか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 私はその話を聞いておりませんし、その資料は読んでおりません。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 大学局長がそういうことでは、大学計画なんてやはり改変できないです。今高校入学問題についても、中学校の成績が入学したあとの高校の成績に一番反映する——これはまだだれも研究してないから見ていないが、日本人は入学試験を金科玉条にして、試験地獄を生み、そうしてお母さんがノイローゼになって、全国から集まってきておる。子供たちは家出をする。自殺する。あらゆる問題が出ているのでありますが、一つ科学的に調査して下さい。大学問題は、今——あなた、国立研究所ですよ。あなたがそのために研究所をつくっておるわけでしょうから、そういう中からこういう資料が出ておる。局長が知らないでは困る。その中に日本の文教政策の基本的なあやまちがあると思う。三年後の大学計画について検討すると大臣が言われたのだから、文部大臣は、入学試験と入学後の成績の関係を十分科学的に調査をした結果を見られて、そうして入学試験問題を根本的に検討する。そうして学校を多くしなければ全部入れないのですから、それはそれの問題として、同時に、正当、能力に応じて入学ができるように、不平不満が出ないように、そうして高等学校の教育にひずみが生じないように、中学の教育にひずみが生じないように、文部大臣が責任を持って検討される必要があると思うのですが、その点はいかがですか。

小林行雄文部事務官(大学学術局長)

○小林政府委員 ちょっと申し上げますが、もちろん、私、具体的に西堀さんの論文を詳細に検討しておりませんけれども、大学の入学試験の成績と、入学後のその学生の成績がどういう相関関係にあるかということについては、従来からいろいろと意見がございまして、文部省にございます大学入学試験問題協議会というようなところでも、いろいろと検討はされております。ただ、この試験問題協議会でも決定的に、全然相関関係はないというような結論にはなっておりません。もちろん個々の事例が、あるいは大学の事例によって多少の変化はあるようでございますが、全然相関関係はないというような結論には、現在なってはおらないのでございます。現状を申しますと、内申書として高校の成績はとっておりますが、御承知のように高校の成績は、高校間、現実の問題として非常に大きな差等がございます関係で、その評価の問題から、大学ではこの内申書を非常に大きなウエートを持って見るということはやっておらないようでございます。将来の問題としては、御承知のように中教審の答申の中にも、入試方法の改善ということで全国的な学力テストというようなことを言っておりますし、またその実施方法についても今後研究するということで、明年の予算にも一部の経費を計上して御審議を願っておるわけでございますが、これらの問題についてももちろんあわせて慎重な検討がされることと思っております。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 いつかもお答えしましたし、今大学局長からも申し上げましたように、御指摘の通り大学の入学試験が、有名大学が特にそうだと理解しますが、一番不合理と言ってはしかられましょうけれども、納得のいかない節々があるとしろうとながら思います。それらのことを中教審でも数年越しの御検討の結果が、大学入試のことについてのある示唆を与えられたゆえんであると思います。まさしく一つの試みとして抜本的な弊害除去の一つの手段であろうと私も思います。そのゆえに、すでに御案内の通り公益法人の設置が具体化しまして、その準備作業に着手するというような段階になっておることは、私は非常に希望を持って期待しておるのでございます。御指摘の通り、学者的な、あるいは教育研究所の学問的な検討の結論を御披露になりましたが、むろんそれが雄弁に物語っているとも思います。常識的に考えても、われわれの周囲の狭い範囲を考えましても、昔でも中学校と小学校の相互関係では、小学校で総合的な実力のある者が中学校に行けるし、また中学校でも伸びておる。小学校時代にあまりよくなかったのだが、中学校に行ったとたんに頭角を現わすという突然変異的な人もむろんありますが、おしなべていえば、やはり数年間の総合的なその人の能力が考えられるところに基礎を置いた選考が行なわれるならば、一番望ましいものと思います。そういう意味からいって、今の大学の入学試験というものが、一片のペーパー・テスト的なものでやられることに非常な矛盾もあろうし、不幸な事態もそれに内在しておると思います。従って、真剣にこれに取り組んで、できるだけ納得のいく合理性のある制度をつくり上げまして、各大学の協力を得て実施できる——高等学校ももちろんですけれども、三者十分の協議を経まして国民の期待にこたえる案画をしなければなるまい、かように考えているわけであります。

山中吾郎日本社会党

○山中(吾)委員 局長は少しは関係あるとおっしゃいましたが、そういうことは当然でして、これの研究結果は、大学の七割は入試成績よりも高校の成績の方が反映するという結論なんです。高校の成績と入学試験の成績、どちらが大学に入ってからの成績に関係が深いかということを、十年間総合的に調査、研究して発表しているのです。これを活用しないとかこれを政策に利用しないとかいうことでは、文部省ではないと思うのです。中教審その他の答申をする人は学問を利用していないと私は思うのです。学校の校長であるとか学長とかいう人は、そういう専門家じゃないのです。何のために学問をやるか、学問は社会に貢献し社会に使うためなんですから、そういう研究を政策に反映するのがほんとうの日本の政策です。それをやらないでしょう。文部省が政策をつくるときには、もっとそういう専門家を善用して、ことに国立研究所はそのためにあるのでしょうから、こういう科学的資料を活用することを私は望んでおきたいと思うのです。この中を見ますと、ことに経済学部などにおいては、入学試験の成績とそのあとの大学の学業とは全くちぐはぐだと言っている。しかも試験の場合には、高等学校でやっている課目のうち三つか四つ選択として、高等学校ではそれだけ勉強する。そのため高等学校の教育はつぶれている。そうして試験は一時間か二時間ですから実力なんかわかりはしません。もっと五時間や六時間かければわかると思いますが……。そういう欠点があるので、大学入試問題については、国民も納得するように、子供も納得するように、学校教育法にひずみが出ないようになさるべきだと私は思う。全体として文部省は学校管理者の意見ばかり聞いておって専門家の意見は聞いていないと思うので、そういう点について私は切望いたしておきます。この次のときにこの問題について私聞きますけれども、きょうは二点だけお聞きしておきますが、大学の試験問題を含めて全体を再検討するような方向にもうやらなければならぬ時期が熟しておると思うので、文部大臣はそういうことに着手することを要望しておきたいと思います。      ————◇—————

床次徳二自由民主党

○床次委員長 次に、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の通告がありますので、これを許します。竹下登君。

竹下登自由民主党

○竹下委員 私は、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案、村山喜一君ほか提案にかかる件について、若干の質疑を行ないたいと思います。最初からこの提案理由をそれぞれ拝聴し、熟読をしてみたのでありますが、他の問題は別といたしまして、「さきに公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」が制定され、今日まで逐年すし詰め学級の解消、教職員数の充足の措置がとられ、昭和三十八年度において一応整備を終了することとなっておりますが、近年における学齢児童生徒数の減少とも相待って、この機会にさらに学級編制基準並びに教職員配置基準の適正化をはかるため所要の改正を加え、もって国際水準に近づけることはきわめて適切な処置と考える次第です。」このことに関しまして、私も、この三十八年度に一応整備を終了するという前提の上に立った場合、学齢児童生徒数の減少と相待って、政府におかれても、直ちに提案されるかどうかは別といたしまして、これらのものが準備されるということは、この限りにおいては必要であろうと思うのでありますが、この点についてまず大臣のお考えを伺いたいと思います。

荒木萬壽夫自由民主党

○荒木国務大臣 三十九年度以降生徒が激減して参ります。現在も減少しつつありますが、激減いたしていくということは御指摘の通りでありまして、いわば生徒急増のピークが高等学校に移って、小中学校の方では、生徒数が減るから、生徒数に応じて編制された学級編制なり教員定数というものが検討されなければならぬ段階にきておることは御指摘の通りでございまして、そのこと自体文部省として御指摘の趣旨と同感でございます。ただそれをどういう内容にするかにつきましては、今具体的に検討を進めておる段階でございまして、いつぞやこの委員会のお尋ねに応じてお答えしました通り、理想的な状態がどこだということは即座には申しかねる意味もございますが、学級編制の希望を四十五人と目安を定めまして、それに応じての教員定数を考える、こういう基本的な考え方に立って具体的な検討を進めつつある段階でございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 文部省自体がこの急減の時期にそういう基本方向で検討を進められておるということは、私どももまことにけっこうなことだと思います。  さてこの法改正自体について少しく質問を展開してみたいと思うのでありますが、第四条に、「都道府県の教育委員会は、前条第二項又は第三項の場合において、同条第四項に規定する限度内において同条第二項の表の下欄に掲げる数をこえる数又は同条第三項に規定する数をこえる数をもって公立の義務教育諸学校の一学級の児童又は生徒の数の基準を定めようとするときは、毎学年、当該基準について、あらかじめ文部大臣の承認を得なければならない。」こういうふうに改正案では書かれておるのであります。そこでこの現行法を見ますと、「毎学年、当該基準について、あらかじめ文部大臣の意見をきかなければならない。」かように書かれておるわけでありますが、提案者の方が特に「文部大臣の承認を得なければならない。」と書きかえられたその考え方を承りたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山議員 この点につきましては、提案をいたします際にいろいろと検討を加えたわけでございますが、現在は「文部大臣の意見をきかなければならない。」という、ただそういう程度の規制でございますので、北海道に見られますように、一学級の学級編制水準が、三十七年度は小学校五十四名、中学校五十二名というような基準でありながら、実際はそれをはるかに上回るような措置がなされて、三十八年度の知事査定でも、小学校は五十名、中学校は五十二名というようなところで、まだ北海道としてはそのようなすし詰め学級が残される可能性がことしも出て参りつつあるわけでございます。そういうような都道府県の実態を見ました場合に、やはり一定の基準というものを守っていくためには、文部大臣の承認に基づいて、それらの規制を加えていかなければならないという考え方に立ったわけでございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 私も多分そうした考え方であろうと予測をしておったのでありますが、ただそのこと自体を考えてみますとき、いわゆる文部大臣の承認事項にするということは、現行法よりも文部大臣の権限を強くする、こういう思想につながるものであるという批判の仕方もできる点も一面あろうかと思うのであります。そこで私は、やはりまずもって政府が責任を持って予算の裏づけをするという基本的考え方自体が教育行政には優先をすべきものであり、こういう規制の仕方自体から逆に、政府自体が都道府県教育委員会を規制することにより、それならばかくなる程度の予算が必要であるというはね返りを待って予算を獲得するとか、あるいは配賦するとか、そういう基本的な考え方は、やはり私はこの現行法の「意見をきかなければならない。」という姿の方が適当ではないかという感じが、これを拝見いたしましたときにいたしたのでありますが、さらに文部省の権限を強めるという思想について、提案者のいま一度のお考えを承りたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山議員 御説のように文部大臣の権限を強化することに法律の上ではなるわけでございます。そこでこの点につきましては、文部大臣にそういう強い権限を与えることは民主教育を守る上から適当ではないじゃないかという意見もございました。しかしながらこれは学級編制の基準をより強く確実に守らせるための措置を法律の上において規制をしようとするのだから、限界を定めておかなければ一定の基準だけで、「意見をきかなければならない。」ということで地方にまかされた場合には、国の基準よりも上回る学級編制をやってのけて、教育の効果を減退させる、そういう問題とのかね合いを考えまして、やはりこの際はやむを得ない、この際「文部大臣の承認を得なければならない。」という規制措置を講じなければならないだろうという考え方をとったのが第一点でございます。  第二点は、今竹下委員からお触れになりましたように、この問題について反射的にそういうような承認を与えることになるから、当然文部大臣は、教育予算について十分な措置が都道府県において行われるように、国の政治の姿の中においても予算を十分確保していくんだ、こういう反射的な期待もねらっていることは御説の通りでございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 村山委員からこの改正案作成の過程においての議論をお聞かせいただきまして、それについて私どもがとっさに拝見しただけで感ずるそういう承認事項の問題についての議論は、答弁の裏から察しますところ、かなり詰めた議論がなされたようでございますので、その点については政治家としての村山委員の判断に、今日けちをつけようとは私も思いません。それもある時期においては判断もあり得るというふうな感じで、私も答弁を承ったのであります。ただ反射的効果をねらうということになりますと、これはやはり失礼な言い方になりますけれども、反射的効果をねらう法律というものはいかにも今日村山委員が野党の立場に立って考えられることではなかろうか。与党の立場に立って村山文部大臣の手によって行なわれる場合においては、反射的効果ということはあまりとるべき筋ではないではなかろうかという感じがいたしましたので、これは私の意見として申し述べておくだけにとどめることといたします。  さていま一つ、今度は現行法によりますと「五人を加えた数」ということがございますが、これは「数をこえる数」というふうに書きかえられております。この思想は私もわからぬでもございませんけれども、この五人、いわゆる一人でもこえたという場合が想定されますが、はたして現実の取り扱いとして五人をこえる数というものを規定された文部省の考え方を承りたいと思います。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 ただいまのお尋ねは、一学級を五十人といたしました場合に、大体その一割の五人までは普通の場合考えられる問題でございますが、それをこえた場合にはやはり学級の編制としては適当でないので、意見をその場合は聞いてもらいたい、こういう趣旨でその規定が置かれたものと考えております。

竹下登自由民主党

○竹下委員 そのことはよくわかるわけでありますが、特に五人という表現をおとりになった提案者の考え方を承りたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山議員 政令にゆだねてあります、この政令一条関係の定数の問題であろうと思うのでありますが、これはことしの定員査定の中でも、知事の査定が大体終わりつつございますが、すでに政令一条を撤廃いたしました府県が十七もございました。そういうような点から、そういうような同学年の生徒で編制をする場合は政令事項は除くべきであるという考え方が当然出て参っておるわけでございます。そういうような考え方でいくならば一学級の学級編制というものを将来は四十名ということで規制をしていく場合においては、そのような特殊な学校、特殊な場合を規定をして、特に最近におきまする農山村、僻地の子供たちの学力というものは低下をいたしておるし、そういうようなところにあります学校の場合は、比較的に小規模の学校でございますので、小規模の学校の教育を充実強化していくという考え方に立つならば、当然一学級の学級編制の基準というものは明確にして、特例事項を残すべきじゃないのだ、こういう一つの考え方に立っているわけでございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 それから次は第六条関係でございますが、「市町村の教育委員会」を「市(特別区を含む。以下同じ。)町村の教育委員会に改める。」」、これは私はこの改め方の方が妥当だろうと思うのでありますが、ここに文部省において将来この基準改定のおりに、そういう改め方をされる考え方があるかどうか。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 ただいまの御質問の趣旨は、この現行の第六条に特別区が入った方がいいじゃないかというお尋ねのようでございますが、そうでございますか。

竹下登自由民主党

○竹下委員 そうでございます。

福田繁文部事務官(初等中等教育局長)

○福田政府委員 これは六条の規定の仕方としては私どもはいろいろあると思いますが、検討すべき問題であろうと思います。

竹下登自由民主党

○竹下委員 次に、第八条関係に入りたいと思いますが、第八条で、「次の各号に定めるところにより算定した数の合計数に百分の百七を乗じて得た数」、かっこは別として、「を標準とする。」というこの百分の七の意義について承りたい。

村山喜一日本社会党

○村山議員 御承知のように現在の教職員の配置基準というものは、科学的な教職員の労働量というものを計算基礎にいたしまして、現行の教育課程の完全な実施というものを期待をして、その上から出てきた数字ではございません。従いまして、労働基準法の上から一年間に二十日の年休をとることができるように労働者はなっておるわけでございます。その点は学校の教職員も労働基準法の適用を受けるわけであります。従いまして当然そこには年次有給休暇という問題が出て参りまするし、また結核、休職等の場合におきましては、そういうようなものも当然計算の基礎に入れましてやりました場合においては、将来七%という数字が全体の教職員の七%という数字をもってしても、この特に年休の問題については完全に保障するということは私は困難であろうと思うのでありますが、とりあえずの措置といたしまして、七%という数字を算定をいたしたわけでございます。これは年休と結休の補助分がこの中に入っているわけでございまして、その上から数字を算定をいたして参りました。  そこで現在学校経営の上から一番学校長が困る問題は、必要な場合において年次有給休暇の請求がなされる。なされるけれども休暖を与えた場合においては学校の正常な運営ができない。そういうような立場から労働基準法に明記してあります労働者としての教職員の権利と学校経営者としての学校長の責任との間において問題が生じておる点も一つございます。それから学校というのは、やはり教職員がいなければなかなか学校の教育の目的を達成することができないわけでございますので、その年次有給休暇をとりながら、しかも正常な教育が行なわれる、そういう職場実体をつくり上げていくためには、やはり教育の特殊性という点を考えた場合にその線の数字というものをこのあたりで定員のワクの中に入れ込んでおくべきだという考え方に立ったのでございます。これはこの前に、昭和三十七年の二月十六日に衆議院法律第一一号で出しました場合にはそこまで考えておりませんでしたが、今回はあらためてその教字をそこに規定をしたわけでございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 私もこの百分の百七というものが、そういうもろもろの要素から逆算されて有給休暇の問題が加味されたことであろうと想像しておりましたが、ただいまの答弁でその点明らかにされたのであります。ただこの点につきまして、二十日間の有給休暇をとるということになると、それについての多数の教員の増加が考えられるわけでありますが、教職におきましては私も休暇をとることには異論をはさむものでは断じてございません。ただ、私も現場の経験をしておりますが、いわゆる夏休み、冬休み、春休み、こういう期間等に研修等が行なわれるということは十分承知しておりますけれども、それ以外の日にその期間においてそういうことが行なわれない日に休暇をとれば、それで足りるのではないか。それがむしろ今までの考え方からすると自然の状態ではなかろうかというふうに考えるのでありますが、それについてのお考えを承りたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山議員 従来夏休みとか、あるいは冬休み、あるいは春休みというような児童、生徒の学校の授業が行なわれない場合におきまして、教職員が自宅研修なり、あるいは学校以外の場所におきまして研修をいたしますのは、教育公務員特別法において認められておるわけでございますし、その中においてはそういうようないわゆる研究のためにいろいろな行動をいたしておることも事実でございます。かつまたそのような機会に、子供たちが学校において正常な教育を受けない夏休み等において有給休暇をとるようにという指導も行政当局からはなされておこるとも事実でございますが、しかしながら現実に学校の運営をやっていく場合において、労働基準法の中で、必要な時期に一労働者の請求をする時期に与えなければならない。ただ学校の職場の正常化が困難である場合には与えないことができる、こういう一つの原則が打ち出されておりまして、それぞれ教職員といたしましては、自分の権利を行使する場合において、その適当な時期にということを考えて参りましても、やはりこの程度の数は確保しておかなければ、学校運営の上から不都合である。特に教職員の場合におきましては代行をする教員というものがほかにいないわけでございますので、やはり他の行政官庁の場合とは異なった考え方というものをこの際とるべきではなかろうか。こういう教育の特殊性も考えまして、この場合に入れ込んだわけでございます。従いましてこれは東京都の場合等は、夏休み等におきましてはほとんど有給休暇をとっておりません。また農村地帯におきましても、二十日のうち平均いたしまして今日においては三日程度しか有給休暇をとっていないという数字が出ておるわけでございます。そういうような点から考えて参りまするならば、当然その権利というものを行使することは正当な理由に基づくものでございまするので、それらのものを用いさせると同時に、その休暇の間におきまして心身の休養その他研修等に努めてもらう、そういうようなことによって教育の効果を期待をするという考え方が、この中に入っているわけでございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 私も権利の前に平等であるという基本的な考え方を否定するものではありませんが、教育自体の特殊性からいいまして、代行教員の方によって教育を受けること自体が教育内容の問題からいたしまして、私はプラスの面よりはマイナスの面が多くはなかろうか、こういう考え方を持っております。それがゆえに私は行政指導等におきまして、夏休み、冬休み、春休み等の研修以外のところでできるだけ有給休暇をとれるような指導そのものは、私個人の意見としてはそれであってよくはなかろうか、こういう考え方を持っておるということを申し述べておきたいと思います。  さて次に、人口の変動によりまして、四十人を基準とすることによりまして、社会増の多い——社会増が多いという姿自体が政治全般の姿勢から私は好ましいものではないと思いますが、現実、社会増の多い都市においては今度は急激な教室不足を来たすんではないか、こういうことが予想せられるのであります。そこでそういう場合の施設あるいはそれに伴う財源というようなことについてお考えがあれば、承りたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山議員 この法律は、御承知のように、学級編制と教職員定数の標準を定める法律でございますので、そういう社会的な急増等に基づく財源措置等につきましては、他の法律によらなければならないと考えるのでございますが、私たちの考え方の基本的な問題といたしましては、改正案の第八条に掲げておきまするように、小学校の場合におきましては、三十学級というものは一つの基準としてこれ以上超過した場合においては、適当な教育が行なわれないという考え方に立っているわけでございます。そのような線から学校を設置する場合には、マンモス学校をつくり上げていくんだという考え方でなくて、適正な規模におけるところの学校というものを思想的に取り上げておるのが、この法案の中で説明ができる点であろうかと思うのでございます。その他の施設整備の問題についての財源措置等につきましては、他の法律の規定するところでございますのでその際御説明を……。それにつきましては、今度の社会党の方からは別に改正案は出しておりません。以上、説明を申し上げます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 そこでこの法案で、もちろん社会増等に基づく教室不足を急激に招来するということが予測されるわけでありますが、そういうことの裏打ちのある法律が同時に検討さるべきものであると私は考えるのでありますが、それはさておきまして、この法案で、一体現行の基準で計算して減少する見込みの教員数から、どのくらいの増加を見込んでおられるか、承りたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山議員 これは提案理由のところでも触れておりまするように、五カ年計画によって約十二万名の教職員の増をはかろうとするものでございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 そこでその十二万名の教職員を短期間に採用するということになりますと、質的低下の問題等が心配されるということは一応常識的に言われるわけでありますが、今日の教員養成の現状から見て、私は十二万人を五カ年間に増加するということは非常に困難ではなかろうかという感じがいたしますので、これについておよそのめどがあれば、承りたいと思います。

村山喜一日本社会党

○村山議員 この数字につきましては、文部省が教職に関する専門科目履修者数というものを調査いたしておりまして、昭和三十六年の三月の数字でございまして、ちょっと古いのでございますが、大学院を、国立、公立、私立を卒業いたします者が七百三十七名、大学の学部を出ます者で免許状を所有する者が二万七千三百六十六名、それから短大を卒業いたします者が二万四百七名、合計いたしまして四万八千五百十名というものが免許状を持って卒業する、そういう数に相なるかと考えます。もちろんこの中には二つの免許状を持つ者もございます。あるいは免許状を持ったから必ずしも学校の先生になるというわけではなかろうかとも思いますが、今までのそういう需要増等を勘案をいたしました際において、学校の教職員の待遇改善等も合わせていくならば、五カ年間に十二万名でございますから、一年間に免許取得者というものが約五万名おるわけでございますので、その供給関係というものは十分できるという考え方を持っているわけでございます。

竹下登自由民主党

○竹下委員 間もなく本会議の予鈴も鳴ろうかと思いますので、私の質問はこれで終わりにしたいと思いますが、ただ、ただいまの最後の教員確保の問題につきましても、もとより待遇改善等裏打ちされなければ、この十二万名という確保は困難であろうかと思うのでありますし、またもとより質的低下の問題については注意を払わなければならない点であろう、それらのことを総合的に考えた場合に、生きた法改正自体ができるのではなかろうか、こういう感じを強く抱いたのであります。  最後に、政府当局に対しまして、先ほどの大臣の御答弁で明らかにされましたごとく、目下そういう急減の時期に備えて、標準法自体を改正する準備中である、こういう御答弁がございましたが、提案者とそして私との質疑の間において浮き彫りにされました諸問題を、もとより全部取り入れられるものでもなかろうと思いますけれども、それらのよきものは取捨選択せられまして、参考にして、すみやかにつくられれば、私どもあるいは審議の過程において対案としての審議ができる、こういう感じもいたしますので、そのことを要望いたしまして、私の質問を終わりといたします。

床次徳二自由民主党

○床次委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は来たる六日水曜日開会することとして、これにて散会いたします。    午後一時五十一分散会

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