文教委員会 第4号
- 発言数
- 106 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1963/02/22
会議録
○床次委員長 これより会議を開きます。 この際、小委員会設置に関する件についてお諮りいたします。 理事各位と御協議の結果、小委員九名よりなる文化財保護に関する小委員会を設置いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 なお、小委員及び小委員長の選任につきましては、先例によりまして委員長より指名いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、小委員に 上村千一郎君 坂田 道太君 田川 誠一君 中村庸一郎君 濱野 清吾君 小林 信一君 高津 正道君 三木 喜夫君 山中 吾郎君 以上九名の方々を指名いたします。 なお、小委員長には中村庸一郎君を指名いたします。 次に、委員の異動等に伴う小委員の補欠選任並びに参考人より意見を聴取する必要が生じました場合には、その期日、人選、その他所要の手続につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 ————◇—————
○床次委員長 次に、文教行政に関し調査を進めます。 質疑の通告がありますので、これを許します。山中吾郎君。
○山中(吾)委員 私は、池田内閣のいわゆる人づくりの基本的な考え方、これがまだ不明確でありますので、一般の国民はこれについての不安を持っておるのじゃないかと思いますから、一問一答によって明確にして、文教行政の安定を国会を通じてしたいと思うので、質問をいたしたいことと、最近の高等学校あるいは大学の入試に関連をして、文教政策の暗い面が非常に続出しておると思いますので、そういうものを通じて、荒木文政のどこかに何か欠陥があるんじゃないかという感じがするので、そういう点についても疑点を明らかにいたしたいと思います。 まず人づくりの基本問題でありますけれども、これは確かに一般の国民は、池田さんの人づくりの強調は歓迎をしておるということは明らかであります。何か経済的な繁栄のあとに、日本の国民の精神面にどこか欠点がある、そういうふうな考えを持っておるときに、人づくりということを強調した、そういうところに私は国民が共鳴をしておるということは確かに認めたいと思います。しかしその人づくりの目ざす教育人間像、あるいは基本精神というふうなものが明確になっていないので、これを明確にするということがやはり文部大臣の責任であると思うので、お聞きいたしたいと思いますが、予算委員会その他の質問に対する答弁で荒木さんは、教育基本法の再検討を、個人として立法論としては考えておるということをしばしば言明をしております。しかし行政的には憲法と教育基本法を忠実に守っていくということについては、これも間違いなくそういう通り実行しておると言われておりますが、その点は間違いはございませんか。
○荒木国務大臣 お尋ねまでもなく、当然のことと存じております。
○山中(吾)委員 ところが、教育基本法の再検討というふうなことを、全国の教育長会議に文部大臣として訓辞ではないでしょうが、演説の中に言われておりますが、それはどうですか。
○荒木国務大臣 会議のときの正規の発言以外に、私の考え方を、就任直後であったと記憶しますが、述べたことはあります。その後一両回同じことを言ったこともありますが、国会におけるお尋ねに対しましても、山中さん冒頭に言われましたような趣旨でお答えしたことも数回ございます。
○山中(吾)委員 全国の教育長協議会の席上で、文部大臣として臨席をして、そうして教育基本法の再検封の要があるということを言うことは、単純な立法論ではないと思うのです。行政指導じゃないですか。あなたのおっしゃることは言行不一致だと思うのです。その点もう一度御意見を伺っておきたいと思います。
○荒木国務大臣 いかなる席上でございましょうとも、国会におきましても立法論の立場でいかなる考えを持っておるかということを申し上げることそれ自体は、私は悪いことじゃないと思います。教育長協議会で所見を申し述べましたからといって、私の発言が即法律の改正じゃないわけですから、問題としてはそういう課題がある、憲法だって問題とすべき課題があるがゆえに、毎度申し上げておりますが、国会の審議を経た法律によって調査会ができて、現に調査審議中である、調査審議中であるということそのことは憲法そのものがどうなるということとは全然別個の問題でありますから、それと同じ意味合いにおいて立法論の立場において問題の所在に関する私の所見を述べるということそのことは悪いことではない、ある意味において問題ありとするならば、私はいかなる点が問題であろうかということを教育長、教育委員長等とともに考えていくという意味においてもいいことだと思っておるのであります。
○山中(吾)委員 それは詭弁でしょう。いいことだというようなことは、私は文部大臣としてはずいぶん大胆不敵な御答弁だと思うのです。全国の教育長協議会ですよ。年に一回これを開いて、そこで文部大臣の行政方針を述べるところじゃないですか、立法論を述べるところじゃないはずです。それをどこで述べてもいいというお考えですね。教育基本法にのっとって忠実に地方の教育行政をやるという責任者の会議で文部大臣が訓辞を述べるという姿の中で、そういうことをおっしゃるということは、これは立法論じゃないですよ。ある雑誌に荒木さんが論文として、教育基本法の再検討について私は考えるというふうに、いつもあなたのおっしゃる持論として、どうも日本的な色彩、ニュアンスがないとかいうことをお書きになるのはいいと思うのです。現在の教育基本法を忠実に守ろうとする、また守らなければならぬ責任を持っておるあの教育行政の担当者の正式の会議に、しかも教育行政の最高の責任者である荒木文部大臣が、文部大臣としての訓辞に近い演説の中で話をするということは、私は立法論でないと思う。行政指導じゃないですか。今のような暴論は私は認めるわけにいかぬと思うのですが、ほんとうにそう思っておられるのですか。
○荒木国務大臣 ほんとうにそう思っております。教育基本法だから特にセンセーショナルに当時も扱われたと思いますが、かりにこれが学校教育法その他教育関係の諸法律について、教育長といえども、教育委員長といえども、学校の先生といえども、現行法でいいだろうか、これをこうするならばもっとよくなるだろうという立法論的な建設的な意見はだれしも持っておるだろうと思います。従って教育長協議会等において、たとえば学校教育法についてもっと改善すべき点があったらもっと言ってもらいたい、われわれはこう思うがという話題を提供して話をしますことは私は悪いことじゃないと思うのです。いかなる場合といえども、常に立法論的な立場で現状認識の上に立って将来に向かってよりよくしたいという意欲、その努力というものは当然なさるべきことであって、それを法律なら法律の改正という形として国会の御審議を経て国の意思が決定されました後に、その立法論が現実化した後に、現実の問題として動いていくということは、言わずして明らかなことでありますから、それをよき結果づけをする原案を考え、ともに切磋琢磨しながらよりよきものを作成するための努力をし続けるということは、常時行政庁の長官であれ、あるいは公務員であれだれしもが心がけて努力していくべき責任を持ってなすべきものだと私は思っておるのであります。
○山中(吾)委員 私の言うのは、教育長協議会が研究会という場面に入って、そして文部大臣がそういう話をされるならばそれはわかるのです。全国教育長会議の一番劈頭に、文部大臣の訓辞的な意味を持っているそういうときに、教育基本法を軽視するようなムードをつくるような話をされて、単純な立法論だというようにお考えになる、また荒木さんは行政指導の面でも、教育基本法を軽視する方向に持っていきたいとしゃべっておいて、国会でこれはいいことだ、どんなことを言ってもいいというふうなことをおっしゃっておるので、私は非常にずるいと思うのです。そういうことはずるくないですか。あなたが全国教育長協議会で言われたということは、それは教育基本法軽視の思想をつくりますよ。単純に立法論でございますなんていうことをおっしゃることは、私は慎むべきだと思うのです。 さらに少し深めて考えますと、憲法の場合は憲法調査会をつくって、そして政府の弁明によれば、改正するかしないかということをきめる調査会で、憲法改正を前提とする調査会でないという、そういう慎重な弁明のものに憲法調査会ができておるわけです。そしてその改正するかどうかということについては、池田さんはこの結論によってきまるべきものであって、総理大臣としてそういう意見を述べるということはしない方が正しいし、答えるということは不適当と思うから答えないという、慎重な態度をとっておられますが、荒木さんの場合はどこへいっても改正すべきであるなんていうことを言ってもいいと公言されておると思われるけれども、私はその点は池田さんの方が正しいと思う。あなたのそういう態度は行政指導という面から言って、非常に軽率な態度だと思うのです。ことに憲法のもとに教育基本法ができておるわけですから、憲法改正の結論が出たあとに初めて教育基本法の再検討ということを荒木さんが言うならまだわかるのです。まだ憲法がいろいろの論議の中に慎重に慎重を重ねて結論も出していないのに、その憲法のもとに生まれてきておる教育基本法を先ばしって荒木さんが公の席上でどこでも言いたいほうだいなことを言っているということは、憲法の立場からいってもおかしい、こう思います。少なくとも憲法改正の結論が出たあとにおっしゃるならまだわかる。今憲法をどうするかということを論議しているときじゃないですか。それを先ばしって教育基本法は再検討すべきであり、私はどうだ、こうだと批判をするということはおかしいと私は思う。その点はいかがですか。
○荒木国務大臣 憲法は国の基本法でありますから、特に慎重を期して、法律に基づく調査会で検討しておる、それは御指摘の通りでございます。教育基本法は法律であります。前文に憲法の趣旨に基づいてと書いてありますが、これはいかなる法律といえども憲法のらち内にある意味においては重要だと思います。その意味において現行の法律について一切批判も加えるべからず、立法論的に改善意見も述ぶべからずというがごとき御意見のように拝聴しますけれども、それは私はかえって法律というものを軽視する態度じゃないかと思います。法律、憲法を尊重すればするほど、常に国民の一人として、あるいは公務員の一人としても前向きに全国民のためによりよきものにするのにはどうしたらいいか、また慎重審議して識者の意見を聞いて、よりよきものに仕立て上げる課題として残っておると考えるという意見を述べることは、私は重要視するがゆえの態度であって、軽視するという態度じゃむろんない。またそう言ったからといって、それを聞いた人が文部大臣がああ言うからすぐ改正されるのだ、改正されたのだなど思うはずがない。ともに知恵を出し合ってよきものにしていこうという意欲を解明するということは、さっき申し上げましたように尊重するがゆえの考え方に立って、私は言っておるつもりであります。
○山中(吾)委員 私は詭弁だと思う。これ以上このことを論議しても荒木文部大臣は詭弁でおさめるつもりですから、聞くことはやめます。ただ、正式な全国教育長協議会に、荒木文部大臣が行政指導の目的を持った演説の中で、教育基本法を軽視するようなことを言われることは、これは慎んでいただかなければならぬのだ。意見だけを申し述べておきます。 そこでそういうことは別にして、予算委員会においてもどこでも、池田内閣の人つくりの基本的な精神は、立法論は別にして、憲法と教育基本法を忠実に守ってやるのだ、これが基本的精神だと答えておりますが、立法論は別、行政指導の基本的精神として、憲法と教育基本法を忠実に守っていく、これが基本的な行政の方針だということについては間違いありませんか。
○荒木国務大臣 その点は先刻も申し上げましたように、当然のことだと存じております。
○山中(吾)委員 それなら少し具体的に聞きますが、憲法を忠実に守るということについて確認をしたいのでお聞きしておきたいと思います。 憲法の第一条に国民に主権があるということが言明をされております。天皇は国民の象徴であると同時に国民に主権があるということが強調されておる。これはおそらく日本の歴史的な伝統の中に、天皇の地位というものと、それから国民主権制というもののある意味においては一つの妥協であり、あるいは調和だと思うのですが、大臣、このときに旧憲法から新憲法に移ったときの一番大きいいわゆる国民主権制、君主主権制から国民主権制に移ったというところに第一条の重要な意味があるので、国民に主権があるという国民主権意識を強調することが、この憲法下において憲法に忠実なる人つくりの基本方針として考えなければならない。国民主権意識を強調するという行政方針をおとりになって参りましたか。これからとるということでここで言明されますか。
○荒木国務大臣 言明どころか御念に及ばない必然性を持った当然しごくのことと心得えておりまして、今の御質問にお答えするような課題は念頭にないくらいに、空気のような当然のものと心得ております。
○山中(吾)委員 それで結局何もしていないということになるのですか、空気のようにというのでは……。大東亜戦争のあとに内乱によってできた憲法でもない。大東亜戦争という敗戦の中から国民主権制という一つの新しい民主的な本質が、国家の理想というものが生まれてきたので、よほど強調して、具体的に国民主権意識を強調する教育方針と施策をとらなければ、私は憲法を尊重したと言えないと思うのです。そういう施策が具体的に現在文教政策のどこにあります。当然しごくでありまして水のごときものでございますとおっしゃいますけれども、具体的に政策はどこにあります。
○荒木国務大臣 私は毎度申し上げておりますが、これまた当然のことでございまするけれども、憲法、教育基本法以下の法律に基づいて文教行政というものは行なわれねばならない。お尋ねに答えるとすれば、憲法はもちろん教育基本法はもちろん、学校教育法その他もろもろの法律、直接、間接関連のありまする法律に基づいて行動すること、そのことが主権在民の憲法の趣旨に従って行動しているゆえんだ。いまだかって逸脱したことはないと考えております。
○山中(吾)委員 逸脱したことがないという消極的なことでは文教政策にならないと僕は申し上げておるのです。主権が国民にあるという新憲法の精神を国民のいわゆる感覚として浸透せしめるのには、積極的な政策をとらなければ新しい意識が出ないじゃないですか。ただながめておって、それでこの憲法の第一条の精神に即して積極的に政策をとっておるということにはならないのではないですか。大臣のおっしゃることは何もしない、そういう意識を妨害をしなければ忠実に守っておるということだ、そういう論理の飛躍があなたの答弁の中に入っておると思う。強調されたということが具体的にどっかありますか、それをお聞きしている。
○荒木国務大臣 私個人が主権在民だ主権在民だとどこかで言うたからどうなるという問題じゃないと思います。その主権在民の趣旨は、教育政策、行政を行なうにあたりまして守らねばならない。積極消極両面を含めた趣旨に従ってもろもろの法律ができておる。もし足らないところありとせば、これこそ立法論の立場においてその法律そのものを補っていくというやり方によって、その線に、らちに沿って行動するということが、積極消極両面の憲法の趣旨を徹底するゆえんだと思います。学校教育の場をかりにとって申しますならば、教科書は文部大臣の検定を経たものを使うということによってある意味では制約を受け、責任を負って教育が行なわれておる。そのもとは学習指導要領にある。学習指導要領は、数百人の専門家、有識者の意見によって検討されたものを、責任を負って文部大臣という立場で定めておる。そういうことに従って行なうことが即おっしゃることに適するゆえんであって、もしお話しのごとく積極面が足りないということありせば、もろもろの法律以下に今申し上げますようなことも含めまして内容を充実していく、その欠陥を補う努力をするという形で御質問に応じ得る行動が始めて責任を持って行動する姿となって現われる、そういう筋合いのものと心得ております。
○山中(吾)委員 道徳教育を強調されておるので、そういう道徳教育を強調される中に具体的にそういうものを明示をしていくべきであると思うので、大臣がそういうお気持ならば、もっと強調する一点として、憲法の第一条の精神を普及するようなことをおやりになるべきであるというので私は御質問申し上げたのであります。これからの施策を見せていただきたいと思います。 次にまた、たとえば思想の自由、学問の自由という一つの要請があるわけですけれども、大臣が日教組を批判されるときに、倫理綱領が革命を目ざしたところの綱領であるということをしばしば言われて、そうして日教組を非難をされておるのですが、その点については、教師はいかなる思想を持っても自由である、しかし教壇に立って子供に向かった場合は思想的自制が必要であって、イデオロギー教育はしてはならない、ということとけじめをつけて、教師に対する立場を文部大臣はおとりになる必要があると私は思うのですが、そうでなくて、文部大臣は至るところで放言をして、これは放言をしたらいろいろ大へんなことになると思うのですが、そういう中に、教師に対する思想の自由と、いろいろな思想を持った教師が教壇に立った場合に、子供の可能性を引き出していくという教育的な本質に基づいた教育ということをごっちゃにされておられるのじゃないか、その点は教師観の問題ですが、これに関連して大臣に聞いておきたいと思います。
○荒木国務大臣 教師の一人一人が国民としていかなる思想を持ちましょうとも、これは憲法の趣旨に従って自由であることは論を待たないと思います。ただ教師なるがゆえに、そこに教育活動に関する限りは制約があると思います。その制約は何だというならば、小中学校あるいは高等学校についてしかりだと思いますが、教育活動それ自体、教育内容を児童生徒に教え導くという行動半径は一定の制限がある。それは学校教育法の命ずるところに従って文部大臣が教科に関することを定め、またその定めねばならない権限と責任に基づいてひとしく学校教育法に定めるところの教科書の検定を行なう。これは主権者たる国民に対して文部大臣という立場で責任を持たされておることであり、またそのゆえに与えられた権限に基づいてやるということで学習指導要領がきまり、教科書が検定ということで確定する。採択その他の手続があるにいたしましても、検定されたもの以外に使ってはいけないという制約のもとに、その大筋を逸脱すべからずと、思想の自由の制約が法律によって定められておる。その意味の制約は、私は現行法上当然のことでもありますと同時に、現行法に従って行なわなければならない、こういう関係に立つと思います。私が日教組を批判しますのは、教師の個人々々の思想の自由とか何とかをどうせいというようなことは、いまだかつて言ったことはない。私の指摘しますのは、倫理綱領の目ざすものが、革命教育を具体的にやらねばならぬことを組合員に要請しておる、その性格が教育基本法第八条の示すところの教育の場における政治的な中立性を要求しておることに違反する結果を招来するおそれあり。教師の勤労者たるゆえんは、教育活動それ自体が勤労内容と思われる。その教育活動をなすにあたっての心がまえとして定められたと思われる教師の倫理綱領なるものが、一体何を言っているか。集団としての教職員組合がいかなる綱領を持つかということは、これまた自由だと私は理解します。しかし教育基本法の趣旨、さらに学校教育法によって制約を受けておることすらも無視して、たとえば扇のかなめをとりかえなければならぬとか、教師の政治的中立性などは求むべくもないとかという独断に立って倫理綱領を定め、組合員に集団の一員として忠誠を誓わせる形で、その内容たる教育活動をそれを通じて行なわせるということに間違いがある。現に、毎年日教組みずからが主催する教研大会を開きながら、文部省の定めた教育課程、教育内容を骨抜きにするということを明らかに目的として行動もしておる。そういう現実につながるおそれのみならず、現実の行動がありますから、その根源は何だとなれば、倫理綱領の誤まりに端を発する。だから、一人々々の組合員の意思によって、総意によって定められるであろうところの組合綱領というものは、一人々々の教師の良識に訴えて、主権者たる国民が新憲法のもと、教育基本法のもと納得するようなものにつくりかえたらどうだという意味で反省を求め、忠告をし続けておる次第であります。
○山中(吾)委員 具体的に教壇に立っている教師は、検定のない教科書を使ったりあるいは指導要領を無視して教育している事例は、私は寡聞にして聞いたことがないのです。全国の教師は、現在の教育権本法に基づいて文部省の検定を経た教科書を使って、指導要領によって教育しております。これは文部大臣は認めるのですか。——何かそれに対する違反の事例をお持ちになっておられますか、それを先にお聞きしておきます。
○荒木国務大臣 何も検察局みたような態度と方法によって、全国数万の学校を、しかもそれぞれの学級、クラスにおいて行なわれている授業内容を監察したなどということは、文部省ではないと思います。従って、そういうことからしか発見できないような具体的な誤まりを、今ただちに申し上げる方法はございません。ですけれども、新聞紙上に表われたところだけをとって考えましても、たとえば山口県、たとえば京都府というがごときところに、戦後十数年にわたって忌まわしいことがあったことは、一応信憑性があると私は思っております。その一々の具体例をとらえて、それがけしからぬからこうだという気持を持って私が批判しておるわけではございません。必要とあればやらねばならぬと思いますけれども、その必要を今感じて申し上げているのではない。だれしも常識人ならば日教組の持つ倫理綱領から派生するところの教育が、現場において教育基本法第八条違反を犯すおそれが多分にあるということだけは、良識のある限りにおいてはそういう懸念を持つのが当然だ、かように思いますから、私は、みずからの見識で、倫理綱領のあの沿革的なこともありましょうけれども、十五、六年たった今日の状態に立脚して、教師の一人々々の良識に従って検討されたらどうだろうということの反省を求め、勧告するということであります。
○山中(吾)委員 最近のそういう全国の教師の法律にそむくような教育実践がもしありとすれば、一つ資料を出していただきたいと思います。これは話だけしておってもわからないから、それをお願いしておきます。 それからこの機会にもう少しこの問題を掘り下げるために、教育の中立性というのは、文部大臣はどういうことをお考えになっておられますか。
○荒木国務大臣 これこそ教育基本法第八条そのものが物語っておると心得ております。
○山中(吾)委員 教育の中立性ということは、もっと具体的でないとならぬと思うので、具体的に文教政策として、教育の中立性を強調されるのは、不当な支配になるというようなことだけではなしに、そういう真空のような中立では政策にならぬと思うのです。従って現在の憲法と教育基本法にのっとった教育、これなら中立性だ、あるいは憲法軽視だ、教育基本法軽視だ、そういう教育をするのは中立性ではない、あるいは暴力革命を意図したいわゆる意図的な革命教育は中立性でない。それなら何だといえば、現行憲法、教育基本法を忠実に守っていこう、その精神を実現していこうというのが中立性だ、こういうようにならないですか。
○荒木国務大臣 その通りだと思います。私が日教組について言うことを再び言及することが許されるならば、さっきも申し上げましたように、教師に政治的中立性などあり得ようもないというがごとき認識に立った倫理綱領は、教育基本法にまともにぶつかるということに懸念を持っておるのであります。抽象的でおそれ入りますが、さっきも申し上げましたように、学校教育法にのっとり、教科書を通じて教育され、学習指導要領にのっとって教師が行動します限りにおいては、憲法及び教育基本法の趣旨にのっとった教育が行なわれるはずです。もしそれに疑いがあるとするならば、そのことに欠陥があるゆえでありましょうから、将来に向かって改正するという課題はむろんございましょうけれども、私の感想を述べてどうだということによって教師の中立性が保たれるものではない。制度そのものが全国的に公平に制度づけられて、その線に沿って歩くことが、主権者たる国民に対する限りにおいての、学校の場における政治的中立性であり、教師の中立性を保つゆえんだ、こう思います。
○山中(吾)委員 憲法と教育基本法を忠実に守り、その内容を実現していこう、そういう教育が中立性だ、そういう意味から日教組の倫理綱領はどうも中立性を破っている、こういう論理ですね。そういえば荒木文部大臣も、教育基本法再検討の要があるということを公の席上で大演説することは、中立性を破る危険性がありますよ。同じことではないですか。あなた自身が中立性の立場で批判をしているのじゃなくて、教育基本法を無視、軽視するような方向の意味において教育行政が偏向していないですか。そういう具体的な政策として、こういう問題を安定させなければいかぬと私は思うのですよ。 そこで私、教育の中立性を持ってきたわけですが、教育の中立性ということは、文部大臣の在職中は、憲法と教育基本法を忠実に守る方向にいつも強調されないと、中立性を保たれないし、教育に対して中立性を要望しても権威がないと思うのでよ。だれも心服しないと思うのです。だからそういうことを文部大臣在職中に教育基本法を軽視するようなことを言うことをおやめになったらいかがですか。教育の中立性を日本の教育界に確立するために、そういうことを言わない方がいいし、言うべきでないと私は思うのです。いかがですか。
○荒木国務大臣 それは必ずしも私はお説に賛同しかねますことは先刻も申し上げましたが、日教組の倫理綱領批判と並べておっしゃいますから、そのことに関連して申せば、日教組の倫理綱領は十数名の学者に頼んで書いてもらったと思われるのですけれども、全国大会で組織の機関にかけて正式にきめておる。きめた以上は組合員たるもの、そのおきてに従わねばならないということは当然のことであります。いわば法律、憲法等になぞらえていうならば、成文法として組合みずからが憲法として持っておる、定めておるというそのことが物語る行きつく先が、教育基本法第八条に違反するおそれありと懸念するがゆえに、反省を求めておる次第であります。 教育基本法を立法論的にもっとこうしたらよくもなろうかということ、そのことは、日教組の倫理綱領で現に定めておるものに従って、教育の中立性を侵すなどということとは、およそ縁遠い話だと思います。憲法の改正を唱えれば憲法を無視しておる、軽視しておる、教育基本法、学校教育法その他もろもろの文部省所管の法律を、立法論的に改善意見を述べれば、それ自身が現行法を軽視して教育の中立性、憲法、教育基本法の趣旨を逸脱するということと同じことだという御批判は当たらない。立法論は立法論、法治国日本において憲法以下の法令に従って行動するということは鉄則である、それとこれとは全然別個のこと、同時に存在し得ること、何ら相互にスポイルすることなしに行なわれることであり、行なうことはむしろ見方によればいいことだ、こう思うわけであります。
○山中(吾)委員 同じことですけれども、それなら倫理綱領の中に憲法を改正すべきだという方針を出したら、それはいいのですか。あなたは憲法、教育基本法の改正を何ぼ言ってもそれはいいことだ、教育の中立性に反しない、それなら今度は新しく、日教組が倫理綱領にこの憲法を改正すべきである、この教育基本法は改正すべきであるというようなことを載せれば、あなたはけっこうだといって賞賛をいたしますか。それはあなたのおっしゃることは理屈ですよ。
○荒木国務大臣 載せることは自由であり、載せたからといって改正されるものではない。国会を通じて主権者たる国民の負託を受けた機関においてきめるのでなければ、そうならないわけですから、書いたからといって弊害があるとかなんとかいうことは私はないと思います。現に日教組といえども、教育基本法第一条の教育目的は、あれは抽象的でだめだ、もっと具体的に改めなければならないということは、もう十数年来言い続けておることでありまして、そのことに関する限り、私は日教組と同意見であります。
○山中(吾)委員 それはよく覚えておいて下さい。大へんなことです。そうすると教育の中立性なんというものは大体基準がないのです。あなたは現実の文教行政を実践的に担当する最高の責任者ですよ。そして憲法、教育基本法のもとに、日本の文政を進めていかなければならぬ人が、教員の団体が、憲法を改めよ、教育基本法を改めるべきだ、憲法はこれではだめだ、こう言うのはかえっていい。そのときは文句は言わない、非常にけっこうなことだと今おっしゃったのですが、一体教育の中立性というのは何ですか。具体的な政策として教育の中立性をもう少し説明していただきたい。
○荒木国務大臣 たとえば日教組が、憲法は改正すべきである、あるいは教育基本法は改正すべきである、学校教育法には不備があり、改正すべきであると言うことは、これは自由であり、弊害はないと思います。その意味で自由民党が言いましょうと、文部大臣が言いましょうと、その限りにおいては同じことだ。憲法の保障する表現の自由の一端であると同時に、現状を見詰めながらそれぞれの立場によって改正内容が違うかもしれませんけれども、立法論的な意見を吐くことは何ら差しつかえない、教育の中立性を現実に侵すかいなかは、現に日教組みずからのものとして倫理綱領を定め、定めた以上は組合員たるものは、その線に従って集団に忠誠を尽くすことは、これは当然のことでありますから、その定められたものによって現実行動が要請されるという関係に立つ意味において、中立を侵す具体的おそれありということと、憲法を改正すべきだ、教育基本法を改正すべきだという意見の述べっぱなしであることと、本質的な違いがあり、次元の違いがあり、同時に存在し得る問題だと先ほどおっしゃいましたが、立法論を言ったからといって、その人間が教育の中立性を侵しておるということとは、全然別側でございましょう。むしろ私の言わんとするところは、教育基本法第八条の教育の中立性というものが要請されておるが、現実に、たとえば日教組のごとく中立性を侵さんとする意図を持つ余地があるならば、そういう意図を持って現実行動ができないようにする立法措置はないものかどうかということも含めて考えることだって、立法論としてはあり得ると思いますが、それは立法論は、私はそれ自体として、民主主義国家においては国民の当然の自由であり、行政官といえども立法論を持つことは、むしろ奨励されるべきことだ、立法論を持たずして行政の進展はない。政府が法律の改正案を提案する権限も与えられている。その意味において文部省といわず、どこの省といわず、役人の一人々々が常に前向きに、現在の法律をこうすればもっとよくなるということを考え続け、機会あって、その意見を述べることは、私は奨励されるべきことだと心得ます。
○山中(吾)委員 今二人で話しているのは、全然立法論じゃないですよ。たとえば教師の団体がその倫理綱領の中に、憲法反対とか教育基本法反対という綱領をつくったとすれば、これは立法論ではなくて、具体的教師の団体の指導方針になる。荒木文相が三十何年度以降における文教政策の基本方針として、日本の教育方針の中に、教育基本法を改正すべきだと書くことは立法論じゃないですよ。これは行政方針ですよ。あなたのおっしゃることは、すぐ立法論という言葉を使っておられますけれども、私の論議の場面は立法論にならないですよ。 そこで現実に思想は自由である、学問は自由だ、しかし現実には国家公務員であり、地方公務員であり、われわれ政党にいたしましても、共通の広場は、憲法、教育基本法という中において初めて現実に議会政治も成り立つのでしょうし、教育なら教育の中立性というものが安定するのであって、現在の憲法も教育基本法も改正してもいいのだということを政策方針その他に自由自在にいったら、教育の中立性ということはわけがわからないじゃありませんか。それだから国民が迷って、何が教育の中立性か、そうすると一党一派に偏して、一方の手前みその色めがねで見ると、これが教育の中立性に反するというような、基準のない批判と弾圧が出てくるのじゃないですか。荒木さんのおっしゃることは、おそらく国民は納得しないと思うのです。今立法論々々々と——私は立法論でないことを、あなたは立法論と言っているのですが、要するに憲法を改めていいというような方針を、新しいある教育団体がつくって堂々とやることは、あなたはお認めになった。あとでそうでないというなら、なお答弁して下さい。
○荒木国務大臣 政治結社にあらざるものは、政治結社のまねをすることは許されぬというけじめはあるべきだと思っております。
○山中(吾)委員 そこでもう一つ、ここまで話がいったのですから、掘り下げておく必要があると思うので聞きますが、大臣は倫理綱領の解釈をとって盛んに論議をし非難をしておるのですが、解釈というのは別に決定したものではない。だれかが書いたものであろうと思うのです。本文の中で、教師は労働者である。教師は団結しなければならぬという文章があります。これをさして革命を目ざした団体、方針だと言われておるのですか、あるいは解釈について批判をされておられるのですか、どちらですか。倫理綱領というのは、解釈の文章がないのです。第一、第二、第三と書いてある文だけです。この点はどうお考えになっておりますか。
○荒木国務大臣 むろん第一項目から第十項目に至るスローガン的な単純な表現そのものが、私の申しますようなことをそのものずばりで言っておるとは思っておりません。教師は労働者であるということすらもが批評すれば批評の余地はありましょうが、そのことが本質的なことと必ずしも思っていない。階級闘争理念に立っておるという注釈書を読んで、変だなと思います。しかも団結こそは教師の最高の倫理だと断定するところにも子供らしさがあると思います。もっとおとなになった表現をしたらどうだろう。その目的意識はお話しの通り十項目を読んだだけで、そのままでずばり出てこない。たくみに用語を警戒して使われておる痕跡は私は認めます。問題は、あたかも法律が施行規則、施行令その他通牒等で完璧になりまするがごとく、十カ条の倫理綱領そのものの、倫理綱領にくっついておる簡単な解説、さらに日教組が責任を持って定めておりますところの倫理綱領の解説書、あわせ読んで初めて端的にいえば共産革命の有能なにない手を育て上げるのだ、それが教師の目的だというふうにみずからが定め、その注釈書も全国にばらまかれて、末端の教師にそれが要求されておるという点が、教育基本法第八条の趣旨にまっこうからぶつかるようなことになるおそれを多分に持つ、そのゆえにこそ、新聞に出たもろもろの事例がもとをただせば、そこに源を発してそうなっておるであろうと考えざるを得ない。十数年の実績がこれを雄弁に物語っておる。そのことを教育基本法第八条を守らねばならない立場において警告を発し、みずからの見識で改めたらどうだという反省を求め、忠告をするという態度できておるわけであります。
○山中(吾)委員 解釈とそれから綱領とは私は違うと思うので、解釈は変わると思うのです。たとえば憲法九条にしても、軍備を持たないというのが数回変わってきて、自衛隊は軍隊でないとかいう解釈が、自民党の方にされておる。解釈というのはずいぶん幅があって、その解釈そのものを憲法と同じようなつもりで批判をされるのは間違いだと思うのです。解釈などは別に機関決定したものではないのだろうと思う。だから純粋にあなたは倫理綱領を批判されるのならば、個人的に書いている解釈書を憶測して、そうして誇大にして非難をされるというところに、何か荒木文政の中に先ほど言ったような教育の中立性を、みずからそのよりどころを捨てていくのじゃないかという不信頼が出てくると思うので、その点は明確にされる必要があるのじゃないですか。倫理綱領というそのものの解釈は変わるでしょう。個人々々が解釈できるのでありますし、時代とともに変わる。倫理綱領そのものはある単純なスローガンだと思うのです。そういうことについても、もう少し静かな文部大臣の見解を出される必要がある。いい意味において、好意的にああいう暴言を吐かれておると言われるかもしれませんけれども、私はその点については逆効果しか出ないと思う。 それからなおこの問題に関連をしてお聞きしておきたいと思うのですが、教師の団体というものについては、思想の自由というものがあるわけですから、一番文部大臣として問題にしなければならぬのは、教壇に立った場合に一定のイデオロギーを押しつけるということがない限りについては、教師の団体が、いわゆる憲法に保障された市民としての立場において、どういう方針を立てようが、そういうことについてはかれこれ文部大臣が批判をすることは、これは憲法の精神からいっておかしいのであって、教壇に立って子供に向かってそういう一定のイデオロギー教育をしない限りについては、かれこれ基本的な態度としてあなたのように文部大臣の立場から大上段に非難をされるということは、これは思想の自由と、それから教育の基本法に基づいたいわゆる教育の中立性という立場に対する批判と混乱しておるのじゃないのですか。あなた自身が教育の中立性というものは、憲法、教育基本法をどうしてもいいのだと言って中立性の基準を示されないから、さらに混乱するのですが、その点何か教師に対する非難に二つ混乱したものがあると思うので、この点もう一度明確に御意見をここで発表しておいていただきたいと思います。
○荒木国務大臣 お答えします前に、私が立法論を言うことそのことが、憲法、教育基本法その他の法律を無視するがごとく独断したようなお話がちょいちょい出るわけですが、私は共産党の諸君は法律であろうと何であろうと気に食わなければ悪法である、悪法は法にあらずという考え方で現実に行動していると見受けますが、そういう人々なら別ですけれども、お互い民主憲法のもとに代議士として存在し、私ども公務員として存在しておる者が立法論を展開しておるから、さては改正しようとする意見そのままを地でいくのだな、そのまま実行するのだなあなどと思う愚かな者は一人もいないと思う。その意味において立法論即現実の脱線であるはずがない。これは常識人はだれしも認めるところであって、注釈を要しないと思うのであります。 山中さんお説のごとく、教師の一人一人が市民として、国民として憲法の保障のもとに表現の自由がある。そのことは疑問を差しはさむ余地がない。たとえば小学校の先生の何の何がしが選挙のときに共産党を支持するといったって、それ自身が憲法違反だとは言い得ないという解釈だと私も聞いております。そういう意味で市民、国民としての教師の、その表現の自由は憲法がじかに直接保障しておるから疑いないと思うのであります。学校教育法は、教諭は、教育をつかさどるとある。終戦直後法律ができました早々の際には、教諭は教育をつかさどるから、文部大臣とか文部省とか、教育委員会、教育長、学校長などがつべこべ言うべきではない、完全に自由な立場で教えればいいのだ、いわば何を教えてもいいのだというがごときムードが流れたことを私も知っておりますが、それがきわめて幼稚なデモクラシーのはき違えから発しておる、もしくは日教組の倫理綱領から発しておる、いずれかは知らぬけれども、そういう誤りがあったことは周知のことであります。今日そういう愚かな考えがあるということはむろん思いませんが、先般国会のさる委員会で同じようなお尋ねがあって、私もお答えしたのですが、なるほど法律は教師が教育をつかさどるということを規定しているけれども、民主憲法、教育基本法、民主主義、法治主義の日本においては、その法律につかさどると書いてあるから何でもやるということでないことは当然であり、法律に制約がある、守らねばならない規範がある場合には、その制限の限度内においてつかさどるということである、これは法学通論的なことでありますけれども、当然のことだ、そういう意味のことをお答えしましたが、やはり同じように私は思います。制約とは何か、先刻も触れましたように、学校教育法第二十条は小学校の教科に関する事項は、文部大臣が、これを定めよと定めておる。それが学習指導要領となって具体的には現われてくる。それに基づいて二十一条によって教科書の検定が行なわれ、文部大臣が検定した教科書以外は使ってはならない、裏を返せば、教科書及び学習指導要領の線に沿ってしか教えてはならないぞ、それを敷衍し、それを完全にする意味において、教師が教育をつかさどる立場から、山中さん御指摘のようにいろいろな計画を立てて、指導の具体的な沿革のもとに毎日々々の授業、教育活動をしてもらうという約束事で民主教育が行なわれている。その間、文部大臣の権限が一部都道府県、市町村の教育委員会ないしは教育長等に法律上委任され、もしくは独自の立場において権限を持っておるという、その面からする具体的な制約も、教科に関しては、教育活動につきましても、法律の定める限度内においての制約があることは当然であります。その一定の法則に従って教師が教育をつかさどりながらよき教育が行なわれていく、こういう建前になっておると私は承知しております。
○山中(吾)委員 今質問をした中で一番私が気にかかったことは、教育の中立性というものを憲法、教育基本法という現行法の具体的なものを基準として政策の中で確立していかないと、中立性というものは動揺して、結局何が中立性だかわからない。ところが文部大臣は、立法論として、立法論としてと、こう言っておりますけれども、あなたのおっしゃる中に、一つの具体的な文部大臣の政策の中にも、あるいは教師団体の政策の中にも、教育基本法なんというものを改正していくという方針をきめてもいいのだということをおっしゃっておる。これは大へんなことだと私は思う。この会期中にもう少し吟味をされて、一般の国民に具体的に教育の中立性というものが安定するような答弁を期待をしておきたいと思います。このままでは、おそらくきっと教育の中立性というものはわけのわからぬものになる、こういうふうに思うんです。国家公務員、地方公務員ということを常に言いながら、現行法の基本的なものを立法論の名においていつでも自由に批判をして、そして運動方針とか教育方針に持っていってもいいようなそういうムードをおつくりになっているのじゃないかと思うので、次になおこの会期中にもう一度機会を見て質問をいたしたいと思います。 次にこれと関連をして、道徳教育を文部大臣が大いに強調されておる。私も正しい意味の民主的な道徳教育は推進すべきだと思っておるんです。ところがその道徳教育の推進を盛んに主張されておる荒木さんが、日教組を批判するのは自由でしょう。自由でしょうけれども、用語は、国民が一体これで道徳教育を強調する文部大臣の用語だろうか、そういうことを言っておる。一体国民に道徳教育を推進する資格があるのかどうかということを疑われるような用語がやたらに出ておるんですね。ヘビをなま殺しにしておるとまた飛びついてくるから、徹底的に殺してしまえとか、あるいはざこのととまじりみたいなものだ、日教組のものは。今はおとなしくしておるけれども、死んだふりしたクマみたいなものだ、聞くにたえないようなやくざの世界で使うような用語をもって、しかも全国のPTA、教育のことを心配しておる団体に、文部大臣としてそういう用語をもって批判をされる。それで道徳教育を推進できますか。内容は別です。その点大臣の心境を聞いておきたい。
○荒木国務大臣 用語が洗練されておるかどうかというのは、その人の頭の中にあるボギャブラリーの問題であって、それをどう批判されるかはもちろんこれまた自由であるわけであります。その批判が具体的にどう現われるかは、選挙を通じて国民が代議士を選ぶあるいは代議士の中から閣僚を選んだり、何かを選んだりするわけですけれども、その選定の基準として、選定する人、批判する人、裁きをつける人がどう見るかということにまかせるほかないと思います。ただなるべく洗練された用語と洗練された比喩をもって表現したいものだという意欲は、私は常に思っておりますが、不敏なるがゆえにお話のような感じを持たれる方もあるいはあろうかと思いますが、これは今後の私の努力に待つほかないと思っております。
○山中(吾)委員 どこでも言っておるんですよ。文部大臣の演説を聞いておもしろいからそのとき手をたたいた、そうすると調子に乗って文部大臣はまた放言をされる。あとでPTAの良識のある人に聞くと、幾ら何でも文部大臣がああいう野卑な言葉を使うのは子供の教育のためにならぬと、これはみな言っておりますよ。そしてますます興味を持って、あとからあとから新語を出されて、非道徳的な表現を盛んに研究されてやっておる。そうして一方に道徳教育の手引きをつくるんだ、同じ文部大臣がそんなことを言ったって、国民はついてこないと思うんですね。道徳教育の中には、やはり思想に関連した世界観、人生観の問題もあるでしょう。また一方に、お互いの人間関係によい洗練された条件をつくる、いわゆる生活におけるところの規律だとかあるいは技術、いわゆるしつけという言葉でいわれておる、そういうものを教育していくというようなことが、義務教育の中に非常に重要なことになるのですが、そういう用語を使ってもこれは単なる表現の問題であってということを国会のこんな席上でおっしゃって、そうしてまた道徳教育を一方において強調し、現在の教師はなっておらぬとか、そんなことを言って道徳教育はできぬと思うのです。それは文部大臣ですよ。文部大臣として荒木さんに私は聞いておる。これは少しほんとうに慎もう、またそういう用語は文部大臣在職中は努めて注意をするというような真摯な態度をお出しにならなければ、道徳教育を推進する資格はないと思うのです。何とも考えておられないようですね、平気な顔をしている。そんなら道徳教育など言わなければいいのです。そういうようなことで、道徳教育を進めることについては私は信頼はできないので、批判をせざるを得ないのです。この程度にしておきましょう。どうせ陶冶性がないとすれば仕方がないと思うのですが、とにかくもう少し用語ぐらいは、文部大臣の品位を傷つけることのないようにされる責任が私はあると思うのです。この問題については、この会期中にいろいろの関連事項を通じてさらに質問をしていきたいと思うし、もう少し明るい日本の文教行政の安定線を一つ発見をしてつくっていただきたいと思うのです。 次に、きょうお聞きをいたしたいのは、入学試験問題を通じて、高等学校入試問題あるいは大学の入試問題を通じて、さまざまな暗い面がたくさん出ておるのでお聞きいたしたいと思うのですが、最近入学試験に失敗をして自殺をした者あるいは家出をした者というのがたくさんある。こういう問題を私は簡単に社会現象として見るべきでなくて、こういう問題が出てくる日本の文教政策全体の中に何か欠点があるんじゃないか。単に風潮で、あるいは意思が薄弱になったとか、あるは進学率がふえて競争が激しくなったとかそういうことでなくて、日本の文教政策の全体の中に根本的な欠陥があるのではないか、それを突き詰める必要があると思うのですが、こういう入学試験問題からくる自殺、家出あるいはPTAのノイローゼ、お母さんのノイローゼ、中には今度の私学の入学金没収の問題まできておりますが、一連の関連した問題だと私は思う。基本的にどこに欠点がある、どうしてこういう問題が起こっておるか、これを大臣にお聞きしておきたいと思います。
○荒木国務大臣 これは一般的に申せば、そういう忌まわしい、悲しむべき事実が教育に関連して起こりますことは、何とかして絶滅するという方向で検討を加え、善処していかねばならない課題だと思います。それを一々こまかに分析しまして、こういうところにこういう欠陥がありそうだ、だからどうするんだ、ということを今頭の中に自分自身で、はっきり持っておりませんので、政府委員から一応お答えすることをお許しいただきたいと思います。
○福田政府委員 ただいま御指摘になりましたような問題につきましては、私ども非常に憂慮いたしておるものでございます。ただ、いろいろ社会面をにぎわすような事件につきまして、必ずしもそれが入学試験のことのみに関連して起こったとは、はっきりいたしませんけれども、平素からやはり家庭のいろいろな事情なり、あるいは個人的な事情というものが、そういう生徒にはあるだろうと思っております。従いまして学校教育の面におきましては、そういう特に指導を要するような生徒につきましては、できる限り教師の力によりまして指導していただくとか、あるいはまたそれについていろいろな問題が出てくれば、それについてできる限りの対策を講じながらやっていくということが必要でございましょうと思います。特に中学校を卒業する時期におきましては、将来の進路指導というものが十分徹底いたしませんと、いろいろな悩みを持っておりますので、そういった点から進路指導なり一般の指導についても十分適切な指導が届くことを私どもは希望しているわけでございます。
○山中(吾)委員 そういうふうに軽くこういう問題をお考えになるということを私、非常に残念に思うので、もっと深刻に日本の学校制度全体の問題として検討しなければ解決しない問題があると思うのです。その程度のお考えで過ごされることでは、私は日本の文教政策はいつまでたっても体質が改造にならないので少し掘り下げてお伺いしたいのですが、日本の学校制度自体が大学本位であるために、それ以下の高校学校は大学の予備校のようになる。中学校は高等学校入学の予備校のようになっている。そういう中に入学に関するいろいろの暗い問題が出ると私は思うので、全体として学校の制度のあり方の中で、こういう機会に深刻に施策を考える必要があるのじゃないですか。日本の場合には入学本位で、入学をすればもう卒業予約である。中へ入って大して勉強しなくても卒業さしてくれる。入学即就職である。入学即いいお嫁さんをもらう条件にもなる。そして入学するまでにエネルギーを浪費して、卒業までは遊んでおってもできる。そういういわゆる入学本位の日本の学校運営という伝統的なものを、入学はむしろエネルギーを浪費しないようにして、卒業資格については、もっと大学に入ってから鍛えていく、そういうふうな根本的な対策を考えないと、こういう問題は、私はある程度定員を多くしたところで解決しない問題があると思う。その点はもっと真剣にお考えになっておられるかと思ってお聞きしたのですが、どうですか、大臣は。
○荒木国務大臣 今例示されたようなこともまさしく検討せねばならないと思います。ですけれども、検討した結論が今ここに具体的にあって、こうですと申し上げることが私の念頭にございませんので、先刻のようにも申し上げた次第でございますが、思いつきでおそれ入りますけれども、今御指摘のようなことは、弊害として指摘する一つの課題だと思います。本来今の学校制度全般がこれでいいのか、これまた立法論的でありますからお許しいただきますが、六・三制をどうするということではむろんないのですけれども、十数年来の経験に顧みて、制度そのものに、何らか大学、高等学校、小中学校とのつながりにおいても、運用それ自体についても、今指摘されましたような社会的な悲しむべき事実との関連においても、何かそういう検討を加えることによって改善の余地ありやなしやということにも、私は根本的には問題があろうと思います。 入学試験の問題にしましても、高等学校を卒業して大学に行くについて、高等学校に課せられた本来の純粋の教育目的からする教科内容そのことを完全に理解しておれば、入学試験がよしんばあっても受かるというめどがあり、一般的に安心感を持って、児童生徒の頭にも教師の頭にも、制度上も実際上も一点の疑いなく行なわれ得るとするならば、入学試験にからみます家庭的な悩みとか学校的な悩みというものは根本的には解消するのじゃないかとさえ、私はしろうとながら思います。大学の入学試験問題についてはすでに御案内の通り、中教審の答申の線にも、沿い、大学、高等学校及び文部省三者が純粋に客観的な立場で十分の打ち合わせをして、十分の協力をして、世間に信憑性のある、大学でも、高等学校でも、家庭でも、一般国民的な立場においても納得のいく、信憑性のある、適性能力を一ぺんきりの入学試験ということでなしに、本人の持つ適性能力を安定した姿でその年令そのときでなしに、将来の発展性も考えながら評価する方法なきやという気持で、公益法人をつくって、試験的に三年間、それを実施してみよう、そうして試験的にやった結果に基づいて今申し上げましたような信憑性を一般に持っていただけるならば、それで入学試験にかわる、もしくはそれを補う合理的な一つの手段ではなかろうかということも、そういうことにも関連しての一つの試みであるわけでありますが、冒頭にも申し上げましたように、関連するあらゆる事柄を分析して、分析した一つ一つの事柄について系統的に申し上げる能力が今私にございませんので、一般論としては放置すべきものではない。あらゆる面についてもっと真剣に取っ組んで御期待にこたえねばならない、かように思っております。
○山中(吾)委員 テストの改良について一つの政策を考えられておることは、一応は敬意を表するのですが、それだけでは解決しないので、もっと総合的に私は研究すべきだと思って今掘り下げているわけです。たとえばこの弊害は、在学中日本特有のカンニングの習慣とか、あるいは試験の場合にもかえ玉試験というような弊害は始終どこにもあります。私大においても人にかわって試験を受けてもらって、それでも卒業できる。あるいは地方に行くと越境入学、学区制をつくってもこれは無視されておる。越境入学が常識になっておる。それから国会議員も受験期になると裏口入学で頼まれて、多い人は百名くらいあって困った、困ったというようなことを言っておる、そういう問題がある。 それから私学については文部大臣も困っておられると思うが、定員を無視して水増し定員というのが何倍もある。こういうふうな全体の日本の文教行政の乱れというか、そういうものは私は個々の問題から全部その奥にひそんでおる弊害だと思う。ことに各種学校として予備校というふうな——一体教育制度の問題から考えて、予備校を認可してあちらこちらに——その予備校がまた入学難だ。予備校という学校を考えてみると、私は不思議でならない。私は簡単に時事問題としてここにクローズ・アップして新聞の問題にするというような簡単な問題でなくて、根本的に日本の文教政策をこの試験地獄の一点から掘り下げて、長期計画をお立てになる必要があると思う。今テストの方法をどう変えたところでこれは私はなくならないのじゃないかと思う。何か研究所をつくって三年かかって、なるたけ公正な——試験内容をどうされようが、社会現象としてこういういろいろの欠点というものをなくするということはできないのじゃないか、予備校でもだんだんふえるばかり、そうして受験のために二年、三年エネルギーを浪費して、入ったあとはほとんどそういうものがなくなってしまっておる。 そこで私は文部省に資料を出していただきたいと思うのですが、この機会に、一体試験の失敗その他によって自殺をしたとか、家出をし、今度は母親が悲観をして死んだりしている、そういう事例を全国的にこの数年間の統計をちょっと調べて出していただきたいと思います。 さらに、私学の裏口入学、それから莫大な寄付金を強制されても、父兄は泣き寝入りで入っていかなければならないのであって、私学関係においての入学金とか寄付金とかいうものは、医学部ばかりでなしに、一体実際にどれくらいとっておるのか、それを全部調べて出していただきたいと思います。
○福田政府委員 前段の御要求でございますが、数年間の入学試験に関連した自殺者を調べろというお話でございますが、私は、これは不可能ではなかろうかと思っております。そういう過去のものまで私どもが調べるとすれば、教育委員会に頼んで調査するぐらいでございますが、そう過去にさか上っていろいろ調査するということは、現実の問題として資料がございませんので、これは可能な限り努力をいたしてみます。
○天城政府委員 入学金、寄付金等の調査でございますが、入学金については調査いたしております。間もなくその結果が出る予定でございます。寄付金につきましては非常にいろいろな形がありますし、また表に現われないものもありますし、そういった調査の困難性のためにただいま調査いたしておりませんが、しかし、今後は何とか実態を把握するように努力いたしたいと考えております。
○山中(吾)委員 私、聞いておりますと、すでに医科の場合などは表面に正式に出ておるものが入学金も含んで六、七十万ぐらい、それから裏口の場合はさらに百万とか百五十万出すと入れる。人の命を預かるお医者さんがそういうことで質の悪い人に入られてはたまったものではない。と同時に、逆に秀才が入れない。私学の医科は、むしろできる者が入れないという弊害が出てくると聞いておるわけです。こうなると、大臣は、私学の自主性に期待すると私学についてはずいぶん遠慮深く、期待に待つと言っておられるし、また確かに私学は戦時中文部省からずいぶん一方的に閉鎖を命ぜられて、まだ相当反感を持っておるので、政治的にはいろいろと配慮した答弁をされておられるようでありますけれども、こういう入学試験問題、入学難を通じて、やはりこういう機会において全般的に責任のある対策を文部省が一応考えるという期が欄熟してきておるのではないかと私は思うので、今局長が言われた資料は、不正確でもけっこうですから、全体としてできる限りお出しを願いたいと思います。その中で私学の対策も、国の財政援助という責任のある立場を持ちながらやらなければならぬという切実な政策が私は出てくれると思うのです。この点はもっと深刻に考えていただきたいと思うのです。これは立法論じゃないんですよ。文部大臣はまた立法論々々々と言われるだろうが、これは立法論じゃない。これは、学校教育法の中学校の目的を見ても「小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な素質を養うこと。」という眼目をずっと並べている。ところが今の中学校は予備校みたいになってしまう。だから学校教育法違反の状態の中に、試験問題に関連をして、学校教育全体がひずみを生じておると思う。だから学校教育法の規定に戻すように学校運営をお考えになることは、文部大臣としての一番の責任なので、朝から晩まで一年じゅう日教組の倫理綱領ばかりやって、ほかの政策は少しもおやりにならないような感じがする。四十二条の高等学校の目的を見ましても、そういう明確な法律的目的が全部狂っておりますよ。現行法の線に少しでも戻すということは、これは立法論でなくて行政の中心なんで、いい機会であるからこういう試験問題を中心として、来年度の政策を立てるまでに、アンバランスの点あるいは日の当たらない部面の政策——こういう青少年の問題は社会的に非常に暗い問題になっておって、現行法が全部狂っている、そういうことを姿勢を正しくするために再検討してもらわなければならぬと思っておる。この間川崎市で百貨店の屋上から飛びおりた中学生のことが新聞に載っておりましたが、あの新聞を見ても、警察の方は直ちに行って原因を調査しておる。しかしあれはまさしく文教政策の大きい穴であって、文部省あるいは教育委員会がまっ先に行って調査をして、そうして対策を考えるというべき問題だと思うのですが、文部省は無関係で何らそれにタッチしておられないようですが、それはいかがですか。
○福田政府委員 調査するといたしますと、所管の教育委員会がやることでありますので、文部省としては直接あの問題については調査いたしておりません。
○山中(吾)委員 そうすると川崎市の教育委員会に問い合わせたり報告を求めたり、あるいはそれに少なくとも関心を示されたということはないのですか。
○福田政府委員 あるいは担当の課で問い合わせたかもしれませんが、私その内容を聞いておりませんのでお答えできません。
○山中(吾)委員 結局ないのですね。そこに僕は欠陥があると思う。何かはなやかな部面だけに集中しておる間に、そういうじみな、日本の文教政策の姿勢を正しくすることについて非常に無関心になってきておるのではないか。この点については文部大臣ももう少しじみな部面に頭を突っ込んで、肝心の学校教育法が全部狂っておって、その一つの集中的な現象としてああいうものは出ておるわけですから、責任を持って検討してもらいたいと思う。 それに関連して私疑問に思うのですが、池田総理大臣の人づくり懇談会ですか、あれも個人的な機関だそうですか、それも私はおかしいと思うのです。経済懇談会あるいはマン・パワーの部会ですか、ああいうところの顔ぶれを見ますと、そういうことについて専用的な対策を立てるような意見を持った人を一人も入れておられない。教育学者、心理学者あるいは社会心理学者とか、そういうきめのこまかい政策、識見を出せる人、そして現在の学校運営はこうすれば正しい人間形成ができるという政策を出せるようなメンバーでなければならぬのですが、ほとんど入ってない。専門家というのは、高等学校長をしたから専門家ではない。数学の担当の人で高等学校長になっておる人がある。大学の学長だからといってこれは教育行政についていい意見を出してくれる専門家ではないですよ経済学の専門家だとか……。そういう人を見ますと、専門家で構成しておるとは認められない。もっと教育学、心理学あるいは社会学そういう分析能力を持って、そして科学的に学校制度あるいは文教政策をどうするかというような人を入れないと、幾らああいう顔ぶれで手続上答申を待つといっても、何ら得るところがないのではないか。文部大臣の責任分散のための手続にしかならない。こういう問題の中に私は、深刻な文教政策の欠点があるし、対策を立てなければならぬと思うのですが、この点文部大臣の意見をお聞きしておきたいと思います。
○荒木国務大臣 ひっくるめて申しまして、御趣旨は私も異存ありません。人つくり懇談会のメンバーがあれで適切かどうかというお話も出ましたが、十全ではないと思います。しかし懇談会の席でも、お医者さんやら哲学者やら宗教家やら、あるいは教育関係の専門の学問をした人を入れたらどうだろうというような話も出たくらいでありまして、メンバーとしてすべてを網羅しておるというわけではむろんございません。責任転嫁、分散せしめるための策略でも何でもございません。総理が教育について関心を持つということはいいことですから、今後も続けたらという意見も出ておりましたから、今後もできることなら続行していって、人つくり即教育政策と言えないことはないわけでありますから、一国の総理として教育により以上の関心を持ってもらう意味においては望ましいことと思っております。冒頭に申しましたように、前向きに一般的な根本的な課題もあろうから、そういうことも念頭に置きながら計画的に、いわば将来の青写真的な見通しを持ちながら、諸政策を検討すべきじゃないかという意味の示唆はありがたくちょうだいして、できる限り努力をしたいと思います。
○山中(吾)委員 特に私が希望申し上げておくことは、やはりいわゆる社会的に有名な顔ぶれというのでなくて、もっと学問を活用されることが必要だと思うので、そういうほんとうの専門家、内容的に今言ったような教育学、心理学、そういう人々の何かグループをつくられて、そうして意見を聞かれたらどうか、何か今まで常識的に意見を出しておるものが、学問的に違った参考になるような意見がまとまって、日本の文教政策に何か新しい前進するような意見がとれるのじゃないかと思うので、その点は検討願っておきたいと思うのです。 それに関連をして、これは天城さんが責任者だそうですか、教育白書が出た。その中に今後長期文教政策を必要とするので立てなければならぬというようなことが結論に出ておりますが、私は確かに長期政策を立てなければならぬと思うので、その場限りの力関係で、ある政策が進み過ぎ、ある政策は少しも進まないというように、力関係によって非常にアンバランスが出ておる中にいろいろの矛盾が出ておると思うので、この長期政策をほんとうにお立てになるつもりなのかどうか、これは大臣もきっとタッチをされておられると思うので、真剣に日本の長期文教政策をお立てになる方針で、この教育白書の最後に出されておるのかどうか、それはいかがです。
○荒木国務大臣 あの白書を出しますときに、調査局長とも話したことですが、過去を顧みて現状認識を持つということは必要なことであって、その限りにおいては経済財政の面に限って一応観測のメスをふるった報告書としては意義がある、しかしその限りだけとしても、問題を提起するだけで終わるべきじゃなかろう、問題点が合理的な資料その他に基づいて課題として少なくとも示唆されるものがあるとするならば、それを受けて文部省内各部局に関連をしてきましょうけれども、それぞれの部局で明年度の予算の課目だけをあさり回るということもむろん必要ですけれども、明年度の予算課題というものは、相当長期の見通しの上に立って、大筋、概略だけであっても見通しを立てたその中の初年度分としてかくあるべしというような関連性を持っていかなければ、全体のアンバランスになるであろうし、純粋に教育的な見地からいっても望ましいことじゃないであろう、何かそんなことをやろうじゃないかというような話はしたわけであります。惜しむらくは終戦以来今日まで文部省が、そういう角度から着々毎年々々一歩々々一つのめどを持ちながら歩いてきたという気持はありましても、顕著な痕跡は必ずしも残っていないといううらみがあろうと思います。そこで教育白書が出ました機会に、これだけが物語ることがすべてではむろんないのですけれども、これがいろいろ批判される向きもありますが、ことさらなる批判は別として、この白書が着実に客観的に物語る、与える問題点の所在、それがまじめに取り上げられていくべきものと思います。そういう感覚を持って今後文部省全体としてやっていこうじゃないかと寄り寄り相談いたしておるところであります。
○山中(吾)委員 そうすると一応具体的にそういう総合的な長期政策を立てるというお考えでおられるならばけっこうだと思うのです。そのときにこの思想が教育投資論の思想の上に立っておるということは間違いないのですか。それを先にお聞きしておきたいのですが、もちろん教育は私は最も根源的に生産事業だと思うのです。それは生産にしても人間の能力であり、そうして能力を正しい方向に使うかどうかはその人間の善意、いわゆるよき人格者だと思うので、そういう意味において産業も文化も全部教育が推進力である。この点については明確にしておかなければならぬと思うのですが、何かこの教育投資論を見ると、教育は経済に大きい影響を与えるものであるという、そんな考え方ならば、教育は経済に従属する自主性のない教育観だと思う。従いまして常に経済企業的な立場の中に人間形成が引きずられていくのであって、そうでなくて教育は経済の推進力だ、そういう意味において私は教育の生産的意義を強調するならば、文部省らしいと思うのですが、ただ教育は経済に無関係でなくて、大いに経済に貢献しておる、そうしてその貢献率、有効率は何パーセントというような出し方はこれは経済企画庁がやるならばわかるけれども、文部省としてはそんな自信のない書き方、そして現在教育投資論という言葉があれば、すぐ教育投資という言葉に飛びつくような、そういう人間不存在に持っていくような危険のある用語をお使いになることは、これは見識がないものだ。文部大臣の自主性を疑うのですが、その点の考え方はいかがですか。
○荒木国務大臣 考え方はあなたと同じであります。教育投資という言葉が世界的にはやりものみたように使われてきたそうでありますが、はやろうとはやるまいと、お説の通り私は、教育投資というものは生産的投資だというふうに根本的に受け取ります。あたかも鉄道なんというものは生産投資じゃないという概念で、旧憲法時代から整備されてきたと思います。道路については必ずしもそうでなかった。自動車が発達してきて、道路が公共性の高い全国民的な立場で重要視されるべきものという理解がだんだん高まって、惜しみなく道路整備に金を使うという ムードが今動き始めておると思うのですけれども、明治以来教育については、先輩の識見を高く評価しなければならぬと思いますが、そういう教育投資なんという用語は使わないでも、教育投資は民族的に見てペイするものだ。もし経済的な用語を使って表現するとなれば、明治時代の人も先輩は内心はそう思いながら言葉を使わなかっただけで、あらゆる努力をしてきたおかげで今日ある。かような面が私は高く評価さるべきものと思うのであります。そういうことで根本的な考え方としては、今の御説に私はいささかの異存はない。本来そうあるべきもの、それがそういう角度から重点を置いて今まで考えられなかったところに、特に戦後の教育についての努力が不足しておる結果を招いておるのじゃないかというふうにさえ思うのであります。そういうことで経済的な、もしくは財政的な面から教育に注ぎました努力を振り返ってみて、それが物語るものを結論的に白書で表わしておる。それは今指摘されましたような、経済に従属するとか、独資本に奉仕するとか、マン・パワー・ポリシーの日本版でやるのだとか、そんなけちな根性は毛頭ないのであります。まさしく教育投資こそが国民経済全体を潤し発展せしめていく、これは一点の疑いのない基本的な考えであるべきだと私は思います。文部省はそういう考え方に立ってこの白書も公にしたつもりであります。ただ用語、表現等がいろいろと批評される余地がありやなしや、これはまた別問題でありまして、根本的には今申し上げる通りの考えだと御理解いただきたいと思います。
○天城政府委員 教育の基本的な考え方につきましては山中先生のおっしゃったことに同感でございますし、大臣の御説明申し上げた通りでございますが、そこに書いてございますことにつきまして若干補足させていただきます。 教育が生産的なものであるとか、あるいはあらゆる社会の基本的に大事なものであるということは、従来教育の領域でもまた国民の中でも非常に強くいわれてきております。ただ、現在教育投資論という議論が起きて参りましたのは、経済の発達を中心とした社会の今後の発展を見ていく場合に、非常に理論的な見方が出てきたために、従来ただ観念的に、あるいは実証的に教育が大事だといっていたことを、経済の理論で証明してきたということでございまして、私たちも文部省として教育が大事だ、大事だとただ言っていても、他の分野で、たとえば経済については所得倍増計画ですとか、あるいは産業構造の長期見通しとか、いろいろな政策が出ている段階でございますので、そういうものとの関連で今まで光を当ててなかったところに光を当てて、従来いわれておった問題を歴史的にたどってみようというのがねらいでございまして、経済との関連だけで教育の本質をすべて見ようというような意味でその報告を書いたのでは毛頭ございません。経済の発展にしましても、究極は国民生活の向上であり、国民福祉の向上でございますし、教育は当然教育本来の人間性の問題も出してやるわけでございますが、社会が非常に複雑になってからみ合っている段階でございますので、教育と経済その他との関連を新しい理論で解明するということを、九十年の歴史に徴してやってみたというのが今回の白書でございます。
○山中(吾)委員 教育生産論というような銘を打ってやるならまだわかるのです。投資という言葉を流行しているからすぐ使うという文部省の考え方は、どうも軽薄だと思うのです。いなかでは日本の教育というのは観念的には尊重して、実際は予算面もあと回しになるというようなところに、経済と関係ないような考え方を持っている。それは直さなければならぬということはわかるのですが、学校に入る場合についても、就職、将来月給が多いコースはどこだ、医科の方は卒業するとすぐその学資は返ってくるというような計算で親も子供も考えていくという風潮はなくさなければならぬと思うのです。そういうふうな日本特有の考え方がある中に、ヨーロッパで教育投資という言葉を使ったから、教育投資論と銘打ってそういう出し方をするということは、私は決して教育の改革にならぬと思う。だから、もっと思い切って、教育は経済の推進力である、教育の主体的立場をもっと強調して、高い意味で教育を一般の識者に知らしめすということならいいが、私は逆だと思う。こういうことを書いたからといって、ほんとうは大蔵省の予算はとれるものじゃないと思う。だから、教育の生産的な性格というものをもっと強調して、日本の教育に対する考え方を変えていくというならば、こういう書き方はおかしいんじゃないか。現在のように企業単位によって利潤追求の立場において過当投資をしたりいろいろ投資をしていくので、実資的には経済計画が成り立たない。従って教育計画も出ないと思う。基幹産業でも計画化して初めて——教育計画に対して経済計画を推進、先行すべきであると思うけれども、教育そのものは経済に先行しなければならぬと思うので、そういうことを明確に出さないで、アメリカその他が人工衛星その他で競争するために、いわゆるマン・パワーの思想から出てきた教育投資というような言葉をすぐそのまま日本に持ってきては弊害しか出ないと思う。だから、この文教政策の中に、もっと確信を持って、主体性を持って、現在の日本の教育現象としてのひずみを根本的に解決する真剣な検討を文部省の中でとるべきであって、何か荒木文相は、日教組さえ退治すれば文部大臣の責任を果たしたような、そんなつもりで文部大臣のいすにおちつきになっておるような気がする。私はまことに残念しごくなんで、もっとじみな中でもっと深い思慮のもとに文教政策をお進め願うことを特に要望いたしたいと思うのです。 最後に、やはり日本の文教政策のひずみの問題として青少年の問題も一つの社会問題となっておるのですが、最近若年の青少年の犯罪が非常にふえておるということを警視庁の白書に発表されておりまして、それを見ますと、年令からいいますと全部中学校と高等学校の学生です。従って文部省からいえば、学校の中におる青少年ですから、これは文教政策として重要な問題だ、学校運営の重要な問題としてこういうものを取り上げて対策を立てるべきで、すぐ警察の取り締まりの対象として傍観するということでなしに、高等学校の生徒、中学校の生徒としてこの問題を解決する対策を真剣に考えるべきだと思うのですが、この点にもどこか抜けたところがあるんじゃないか。そういうことから入っていくと、学校の定数の問題にしてももっと真剣に論議がされなければならぬと思うので、大体一学級五十名も学校の先生が担任しておれば、個人指導なんてできるものじゃない。これは金がないからあと回しだというふうな、そんな簡単な問題でなくて、ああいう問題の中に学級定数の問題も真剣に考えて総合的に対策を立てる、これが長期政策を立てなければならぬゆえんであって、その点にも抜かりがあるのではないか。もちろん全体の社会構造の中に青少年を非行に導いていくところの根本原因があると思うので、そういうものを含んで教育条件の整備ということを考えておる限りについては、非行青少年の問題も学校教育の問題として真剣に取り上げるべきだと私は思うのであります。こういう点について最近文部省で何か対策を研究されておりますか。
○齋藤(正)政府委員 お話のように、犯罪少年あるいは非行、触法等の関係が低年令に移ってきた、有職の少年に比べて在学している者の比率がふえてきた、それから、今まで経済的に恵まれなかった分野の者が多かったのに対して、中産階級の者にもふえてきたというような傾向が出てきております。学校教育の面において、生活指導その他にさらに努力をしていただきますとともに、家庭、社会におきましても生活指導について一段の努力をしなければならぬと思うのでございます。家庭教育につきましては、やはり親が幼時から自分が教えられたことを子供に引き継いでいくようなしつけを考えたいというようなことにつきまして、現在家庭教育に関する専門研究会を実施しておりまして、明年度は相当部数の資料をつくりまして婦人学級その他の成人教育の分野で両親教育の材料といたしたいということが一つございます。それから校外における生活指導につきましては、社会における青少年の指導の要領というような資料を、現在審議会で検討してもらっております。それを材料にいたしまして、学校あるいは教育委員会の指導主事、社会教育主事、あるいは民間の子供会その他の指導者を集めまして研究集会も実施いたしております。また、教育関係者が警察の行なっておりますいろいろな補導行政というものに対して十分の理解を持つ必要がありますので、先般全国の社会教育主事の研究集会を実施いたしのであります。特に警視庁に御協力を願いまして、深夜喫茶その他盛り場における青少年の補導の問題等も見学させまして、いろいろな実態の認識を深めたわけであります。基本的には、青少年のための施設の拡充でありますとか、あるいは青年学級、勤労青年学校等の内容を拡充するということを考えております。
○山中(吾)委員 学校教育と社会教育と関連することなんですが、社会教育部面からこの問題について一つ疑問に思うのは、不良文化財に対して日本の現在の文部省は寛大過ぎるのじゃないか。あくどい営業主義で青少年に影響を与えるようなものが横行している。きのうの新聞を見ても、子供がピストルで、あれはきっと西部劇のまねだろうと思うのですが、傷をつけたりするようなことを、少年のときにしている。最近問題になった「温泉芸者」という映画にしても、これは全国のろうあ者から私の方にも抗議を申し込んできているわけなんです。売春問題としてでなしに、ろうあ者の立場から。いなかへ行くと、娘がおしだということがわかると青年はすぐその性欲の対象にする、暴行するというのはおしだということがわかるとあぶない。そういうようなことで心配しておるときに、おしを主題にして、そして売春行為を中心とした映画をやられては困る、ますます劣等感をつくるし、危険だ、何とかああいうものはやらさないようにしてくれという切なる要望があった。そういうことを考えてみるときに、青少年問題を社会教育の立場から考えていくと、不良文化財に対してもっと正しい意味において指導性を発揮すべきであるけれども、こういうところで、何か営業の自由とか憲法の基本的人権をある意味においては悪用することを認めておるような感じがする。文部大臣はこういう不良文化財にはもっときびしく——あなたはずいぶん暴言をお吐きになるが、こういう方向でもっと鋭い批評をされるならば、私は荒木文部大臣にあらためて敬意を表したいと思うのですが、そういうことにまことに無関心で寛大過ぎるのじゃないか。ところが聞いてみますと、映倫があって、映倫は文部大臣の指導対象になっておる団体であり、その委員長は高橋誠一郎さんで元文部大臣だ。そこでそういう社会的な影響を与えないことを考えて上映を認める認めないを決定する機関があるのでありますけれども、高橋誠一郎さんはほとんど会議に出たことはない。もう象徴としての委員長で、ああいうりっぱな人がおっても実際は映倫はほとんど活動していない、営利主義の言う通りになっておるということも聞いておるわけです。この点については私はやはり現在の文教政策の暗い面の穴だと思うので、これも今後何か対策をおとりになるつもりなのか、非行少年を社会問題としてでなく、教育問題として対策をお持ちになっておるかどうか、それをお聞きしておきたいと思います。
○荒木国務大臣 根本的には私は新憲法消化不良症状の現われだと思います。山中さんも今御指摘の通り、憲法第三章はもろもろの基本的人権、自由権々保障してくれておる。そのことは国民ともども御同慶に存じますが、同時に憲法は基本的人権、自由権の乱用を戒め、社会公共の福祉に貢献させる責任を課しておる。憲法第十二条はまるであってなきがごとき新憲法の制定以来の実施状況で、言葉をかえて言うならば、私はデモクラシー憲法の消化不良症状だと言い得ると思います。従ってデモクラシーとは何ぞや、基本的人権、自由権は当然責任もしくは義務を伴う本質を持っておるという憲法第十二条の趣旨を徹底することが、私は一般的な課題としては重大だと思います。教育、特に学校教育でこれをとらえるとしますれば、家庭において学令に達しまするまで親が自分の命にかえてもと愛するがゆえに、自分の子供を責任を持ってよき日本人になれかしと念ずる立場からのしつけをする。その家庭から法律的にいえば隔離されて義務教育を受ける。義務教育の場の学校の先生は日教組騒ぎだけに専念しないで、賢明な使命観に立ってしつけもしていただく、いわゆる知育、徳育、体育も賢明に総合的に教育活動を通じてやっていただくことができますならば、私は社会教育ないしは社会問題の対象としての青少年の犯罪、非行事件というものはゼロになし得る、理想的に行ない得るならばそういうことが言い得ると思います。そういう意味で文部省も、教育委員会も、教育長も、学校の校長先生も、各担当の先生方も、自分の問題として教育面でとらえて全部が真剣に協力していきますならば、いわばハエみたいに羽をはやして飛び回るというがごとき姿の社会問題的対象はウジの間にこれを退治できる。言いかえれば一人も非行青少年を出さぬで済むということを理想に学校教育が行なわれるべきだ。同時に今度中学を終え高等学校を終えて社会に出る、大学卒業生は別といたしまして、小中高等学校の卒業生が社会人となるべきその目前に、今山中さん御指摘のようなばかげた不届き千万な商魂たくましい無責任な、基本的人権と自由権をただ野放図に振り回すだけで、目の前に青少年がいることを全然感じないような社会の姿というものはおとなが反省すべきである。また中学卒業生、高等学校卒業生が社会人となり、世の子供の親となりそれぞれの職業につき、あらゆる面で教育の場を通じて今申し上げるような素養を与えられて、出て、その者がおとなになった時代は、もうおよそ社会問題としての青少年の不良化防止などとことさら言わぬでも、おのずからりっぱな社会が形成されるという根底をなす意味におきましても、学校教育の重大さを私は思います。 そこで、そう言ってみましても、現実はそうでない事態が目の前に出てきておりますから、それに対してどうするかということにつきましては、今社会局長が申し上げましたようなもろもろのことをやりつつ、また御指摘の、たとえば映倫にいたしましても、自主的に青少年に災いを及ぼさないようにという考慮も払われながら映倫というものが存在しておると思いますが、本来の機能を発揮してもらいたい、発揮できるように、われわれも助言もし、指導もするということを怠ってはならない。妙なことを申し上げておそれ入りますが、概念的に、抽象的に、一般的に申し上げれば、そういう関連の中に立ってわれわれは行動すべきじゃなかろうか、こう思います。
○山中(吾)委員 映倫の構成その他はあとでお知らせ願いたい。そして、必要によっては、映倫から参考人を呼んで、こういう不良文化財についての真相、そういうものを知りたいと思うので、委員長からお諮り願いたいと思うのです。 学校教育の問題も、文部大臣は今意見、思想を述べられたのですが、やはり政策として、こういう問題について何か具体的に立てられるということを私は示していただきたいのです。たとえば現在池田総理大臣も、社会教育、家庭教育、学校教育において充実指導すると言っておりますけれども、それは思想だけ発表したところでどうにもならないと思う。日本の戦後の親というのは、確かに自信をなくしておる。時代の激変によって自信をなくしておる。子供に対する家庭教育について、確信を持って親が子供に向かっておる人は非常に少ないだろうと思う。ある意味において、戦後の親は不幸であり、ある意味においては新しい親が生まれつつあると言えると思うのですが、この家庭において子供に対して責任のある親を養成する、というと言葉は悪いですけれども、子供を育てるについての教育心理、衛生その他に関するものを内容として、両親学校というようなものを具体的に考えて、小学校に付設する。とかいっても、思想的なこと、あるいは党派的なものに利用しては絶対いけないので、そうでなくて、ほんとうに子供を育てる、教育をする、教育に関する基礎的知識、発達心理に対する基礎的知識、そういうものを自信のない日本の親に付与するというふうな対策をお立てになることが必要ではないか。ヨーロッパの親の場合については、子供の世界についてはおとなの世界とは違ったものがあり、一応発達心理学的な法則に従って教育をして、そうしてそこから一つの自信が出ておる。日本の親の場合には、せっかく学問として児童についての心理学、青年についての心理学とか社会心理学も発達しておるけれども、親は全然そういう学問についての恩恵を受けないで、無関係で、長い一つの経験だけで育ててきておるという中に欠点がある。だから、家庭教育を重視すると荒木文部大臣が言い、池田総理大臣が言うならば、具体的に小学校に付設して両親学級とか両親学校をつくって、子供を生まれた母親に対して、週に一回ぐらい、午前中は、私は家事あるいは社会活動その他に障害がなくてやれると思うので、定時制の両親学校でもつくるくらいの親切さ、これがほんとうのこういう問題に対する私は文部省の態度だと思う。そういう点について、今まで婦人学級とかあるいは青年学級とか、そういうものがあるけれども、両親学級あるいは両親学校——思い切って学校でもいいじゃないかとさえ思うので、そういう点のお考えがなければ持っていただきたいし、何かそういうことについての今後の話し合いがあればこの機会にお聞きしておきたいし、なければ私の切なる希望として申し上げておきたいのです。
○荒木国務大臣 私も山中さんと同じ気持で、切なる希望を持つ一人であります。文部省自体としましては、寄り寄りそういうふうなことを話し合ったことはございますが、まだおっしゃるような具体的な企画というものは今ございません。婦人学級ないしはPTA等を通じて期待しておる姿で今日にたどりついておると思います。私は今の山中さんのお説は、ともすれば新憲法は社会教育という立場におきましても、文部省ないしは教育委員会というものはただ見物人であるべきだ、それで十分だというごとき一種のムードに支配されて今日に来ておるんじゃなかろうか。具体的な根拠をもって申し上げる自信はございませんが、一種のムードとしてはそういうふうな懸念を持つのであります。懸念といえば、しからばもっと積極的にある意欲をもって方向づけをするということになって、それ自身が行き過ぎて弊害があるぞという懸念も、当然批判される立場から言われることは必至でありますが、そういうことじゃなしに、今山中さんが言われたように、いわば対症療法的に、先刻の言葉をまた使わしていただくならば、デモクラシーの消化不良症状であるがゆえに、胃散を飲ませたり何かする介抱人の立場で、両親学級、母親学級というがごときものを企画いたしまして、そこで最もいい意味においてのお説のような効果を具体的に持つようなすべがないかということは、私は研究すべき課題ではなかろうかと思います。ただ、意欲あって実行がまだ伴っておりませんで、恐縮ですけれども、そういう考えはあってしかるべきじゃなかろうか、こういうふうに思います。
○山中(吾)委員 関連質問をされるなにもあるので、私はこの辺で終わりたいと思いますが、問題はやはり最初に、憲法と教育基本法を、とにかく中心実にその内容を実現するという文部大臣のいわゆる確信がないものだから、私はどうも日本の文教政策推進の柱がなくなってしまって、世間のムードが、文部省は傍観するべきものだと思っておるばかりでなく、文部省自身も何か傍観せざるを得ないような、そういうことになるのではないかと思うのですが、その点は、なぜ申し上げるかというと、新しい憲法、教育基本法の精神をほんとうに進めていこうとすれば、やはり日本人の意識行動を改めていくという政策が私は出されなければならぬと思うのですよ。古い封建的な身分意識にまだ閉じこもっておる農村の生活についても、もっと真剣に、傍観じゃなくて責任のある立場において積極政策を出していくということは、決して民主主義に反するものではない。民主的な憲法に沿うた意識をつくっていく、日本国民の意識の改造ということを宣言をするくらいのことは、憲法、教育基本法をほんとうに実現するという確信があれば、民主的信念を持って言えるのだ。ところが荒木さんはそうでないから、変なところをいろいろと力説されておられるけれども、肝心のところに主体性をお持ちにならないのはそこじゃないか。私はそれを言いたいために、いろいろな点から申し上げておったわけであります。たとえば、現代の、人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずという民主主義の基本的な意識、それが国民主権という政治機構に出ておるのだし、そういうものをもっと普及していこうとするならば、政策についてもっと主導性をもって積極的な働きかけをしていく責任を感ずるだろうし、このままで傍観をすることが民主的でないのだということも出てくるのではないか。それをお持ちにならない。日本の今までの封建的な意識の中に優越感と劣等感が重なり合って、ちょっと上の人には劣等感を感じ、ちょっと自分より力のない者については優越感を感じて、いろいろの人間のひずみを生んでおるわけなんです。それを真剣にお考えになるべきだ。そういうことをお考えにならないから、大学学長の給与の改善をはかろうとするとき、またピラミッド型をさらに築いていくというような、学長に認証制をつくって東京、京都大学などとその他の大学とを差別をするかというふうな政策が出てくるのです。文部大臣御自身は、自分は民主的である、そしてほかの者はそうでないとお考えになっておられるかしれないけれども、政策というものを並べてみますと、あなた自身が分裂をしておると思う。その中に日本の文教政策というものは非常なひずみがあるので、姿勢を正すという意味においては、もっと積極的に民衆に向かった意識構造の改革を考えるくらいの政策も出して、そして教育基本法とか憲法を立法論で改正すべきだというようなことばかりをおっしゃらないで、やはり姿勢を正すべき必要があるのじゃないか、そういうふうに私は思うのです。青少年の問題にしても、入学難の問題にしても、現代の定員問題にしても、また一方に教育投資論というふうな新しい教育思想の問題が出たことにしても、全体的に統一した柱がないというふうに考えるので、こういう問題についてはじみな研究をしていただいて、日本の文教政策が安定する方向に御努力を願いたいと思う。文教政策一般の私の質問はこれで終わりたいと思います。 なお各論的な問題は、各法案に関連をして対論を深めて、何かもっと前進するようなものがこの国会の討論の中で出てくることを期待をしておる次第であります。
○床次委員長 山中委員の映倫に関する御要望につきましては、理事会でもって処置したいと思います。 関連質問がありますから、これを許します。小林信一君。
○小林(信)委員 予定された質問者もあるししますから、関連したものをたくさん申し上げたいのですが、一問だけ初中局長にお尋ねいたします。 さっき高校入学の問題で自殺をしたというお話があったのです。それに対して文部省ではこれを調査しない、こういうお話があったのですが、調査しないことが建前になっているのですか、調査する必要のない問題だというお考えでおっしゃったのですか。
○福田政府委員 私申し上げましたのは、そういう建前をとっているということではございません。私ども新聞紙上で見た程度でございますので、そういう個々のケースについては、これは調査してみなければわかりませんけれども、先ほど山中委員の御要求にありましたように、過去数年間にわたって入学試験の問題について自殺した例を調査しろ、こういうことになりますと、私どもとしては、それは現実の問題としてはなかなか困難でございますということを申し上げたわけでございます。
○小林(信)委員 私、何かそういうことについては調査しないというような印象を受けたので、文部省の態度をお聞きしたのですが、この具体的な問題として今山中さんが言われました川崎市の問題が週刊誌にこんなに大きく取り上げられているのですが、これはまだ調査するつもりなんですか。こういうものは調査しないつもりですか。この一つの事実について御意見を承ります。
○福田政府委員 私その週刊誌を読んでおりませんので、読みましてよく検討してみたいと思います。
○小林(信)委員 おそらくこれはこの週刊誌に出ただけじゃないでしょう。各新聞にみんな出た。そして新聞に出たばかりでなくて、この問題は相当父兄の問題になり、教師の問題になってきた。やはりこういうものから高校入学の問題については相当世間の関心事になっておるわけです。今局長は、見てないというふうなことをおっしゃっているのですが、このことについてはおそらく聞いていると思うのですが、今のような御答弁をなさっておられれば、今試験地獄という問題で山中さんが質問をしたわけですが、高校入学の問題にそういう態度でもっておいでになるならば、もう高校入学試験の今の問題は話にならないんだ、もうすべて宿命的なもので、父兄あるいは教師はあきらめなければならないのだということになってきやしないかと思うが、どうですか。そういう一般のこれに対する関心事と、局長が今おっしゃったような、まだ私は見てないから、いずれ調査をして何とかする、そういう態度でもっていいでしょうか。私はそういうところから高校入学の問題、あるいはこの国会が始まって以来あらゆる委員会でもって問題になっているように、先生をふやすというような問題、今の非行少年の問題とか、あるいは大臣が入学試験の制度、方法、こういうふうなものを考慮するということをおっしゃっておりますが、こういう現実の問題を真剣にお取り上げになれば、私はその試験方法をどうこうするとか、あるいはそのほかの非行少年の問題を教師増の問題で解決するとか、あるいは社会教育の問題で解決するとかいうふうなことでおっしゃっておりますが、もっと一つ一つの具体的な問題に真剣に対処していけば、もっと簡単に問題は解決できる、こういうふうに思うのですが、今のような態度で初中局長よろしいかどうか、もう一ぺん御答弁願いたいと思います。
○福田政府委員 その川崎の事件につきましては、私も新聞で拝見したことはございます。しかしながら、その詳しいことは存じませんが、先ほど山中委員の質問に対して私が答えましたのは、調べたかとおっしゃいますので、それについては、あるいは担当の課でそういうことを川崎の教育委員会に聞いたかもしれませんけれども、詳しいことは私は聞いておりません、ということを申し上げたわけでございます。必要があればさらにこれは調査してみたいとも思っております。
○小林(信)委員 山中さんに答えただけでなく、私の質問に対しても、私は読んでない、読んでないから川崎市の問題は調べてまた御質問に応ずるというふうなことを言われておるわけなんですよ。だから私たちは、あなたの方はこういうことに対しては非常に誠意がないと思う。学校がつぶれたといっても、すぐ文部大臣の頭には、あるいは当局の頭の中には、人命には影響なかったかというふうに、一人でも二人でも命の問題をすぐ考えるくらいに、これは教育行政の中では重大視しなければならない問題だと思う。それがどういうところから端を発し、何が起因してそういう問題が起きるのだというところに文教行政の大事なところがあると思うのです。この週刊雑誌を見ても、受験地獄の問題を取り上げるとともに、劈頭にはこれに対する親たち、あるいは教師の問題、これがほんとうに印象づけられるように、たとえば一番最初に——これはごらんになっていただかなくてもわかることだと思うのですが、深夜十時ごろおかあさんが学校の先生を訪問しているわけなんです。どういうわけで訪問しているかといったら、入学試験問題で家じゅうで話しても結論がつかない。やはり結論をつけてもらうのは学校の先生だろうというふうなところから夜中におかあさんが訪問しているわけなんです。学校の先生も訪問を受けて、うちの子供は大丈夫でしょうかと言われれば、何とか答えなければならぬけれども、先生も神ならぬ身であるから、何とも答えようがない。こういうふうに、もう世間は入学問題でもってほんとうにノイローゼになっているわけなんです。そういう中からこういう問題が出てくる。一体どこに持っていったら解決できるかということになってきているわけなんです。高校全入運動というようなことが言われれば、文部省は簡単に、あれは日教組が他の目的からああいう運動を起こしているのだ、これにごまかされてはならないということを宣伝して平気でいる。今のような御答弁の態度から、私はそういう問題が出てきて、そうしてこういうふうな悲劇が起こってくるんじゃないかと思うのですよ。そこで今都会地にこういう状態が起きておるのですが、これからいなかの方にもこういう現象が起きてくると思うのです。こんなに一生懸命勉強しなければ高等学校にもはいれない、そういう競争をした者が今度は大学にはいるというようなことになってくれば、これは将来の大学入学の問題が大きな問題になってきますが、そのときに一番困るのはいなかの学校だと思うのですよ。だから私たちがこの際定員の問題を重視しているのは、社会問題から考えてみてもこうした現象は非常に重大であるから、この際定数問題ももっと真剣に取り上げてもらいたいといっているわけなんです。先日も私は局長にその点を質問をいたしましたが、今度も一学級を五十名にするというような制度でもって臨んでおるけれども、その五十人というのは、一般父兄は、五十人になるだろうと考えておりますが、政令が出ておって、五十五人まではがまんしなければならない学校もあるわけです。そういう学校はどこかといえば、これは山間僻地なんです。山間僻地の学校では、制度が五十人になりましても、五十五人でがまんしなければならぬ。さもなくても、小規模学校の先生というものは、仕事の面ではいろいろな負担をしておる。さらに五十五人というようなたんさんな生徒を収容して授業をやっておる場合には、ほんとうに個別指導というものは十分にできない。あなた方が学力テストをやっておわかりになっておるように、どこが一体学力が低下しておりますか。これは山間僻地の学校なんです。さらに、ほかのところは五十人に下げられても、五十五人でもってやっていかなければならぬ。勢いいなかの生徒の学力は低下してくるわけです。それが今度いよいよ大学の入学試験というようなことになったときに、ますます格差は大きくなって、今度は悲劇は都会からいなかに移っていくわけです。そういう点を考えれば、ほんとうに五十人にしようとするならば、政令なんかにこだわらずに——今先生方が県側と、教育委員会ばかりじゃないか、知事も相手にして盛んに折衝しておるのは、こういう問題を考えるからなんです。人の命がただ一つ失われただけではない。その背後には、今のような親の心情もある、教師の悩みもある、社会的に全体が悩んでおる。私はさっきの局長の答弁を聞いて、これではもう問題にならないのだ、いずれ調べますとか、あるいは山中さんの質問が、そういうふうに過去何年にさかのぼってというようなことであれば答えられないようなことかもしれませんが、一つ一つのこういう問題にもう少し真剣な態度を持っておれば、今のような答弁は出てこないと思うのです。ああいう答弁を出すということは、非常に誠意のない、今の一般国民全体が問題にしていることをきわめて軽視しておる態度と言わなければならぬと思うのです。幾ら試験制度あるいは方法を変えたからといって、やはり入ろうという子供は入りたいわけなんです。そうすれば、やはり成績優秀な者が入学を許可されるということになれば、依然として試験地獄を続けていくわけなんです。学校をふやし先生を確保する、むずかしいことをたくさん並べるよりもこれが最も簡便な、行政の責任が果たされることだと思うのです。 先日、局長は私の質問に対しまして、多少あいまいなところがありましたので、この際もう一ぺんお伺いしておきますが、政令をことしは各府県の交渉によって云々というようなことを言われた。来年度はこういう点から考えて必ず文部省の責任によって直すというのか、直すくらいの考えでいるのか、もう一ぺんそこのところをこういう問題と関連して私は聞いておきたいと思うのです。
○福田政府委員 私どもは定数問題につきましては誠心誠意努力をしてきたつもりでございます。三十八年度は予算も決定いたしております。原則として五十人に下げるということは間違いございませんが、将来の三十九年以降の問題は、そういう問題もございましょうし、ほかにもいろんな要素がたくさんございます。そういう問題について全般的に私どもはできる限りの努力をいたしまして検討して第二次計画をつくりたい、こう考えておるわけでございます。
○小林(信)委員 言葉じりをつかまえるようでございますが、誠心誠意努力したというけれども、私たちの見るところでは、ちっとも努力してないと思う。文部省の今度の予算を立てる方針として、決して定員は減らしません、かえって七百人ふやします、こういうふうに言明しておりますが、しかし、各府県で今折衝して大体結論が出つつあると思うのですが、これを集計されましても実際定員は減らすようなことはない、こういうふうに断言できますか。
○福田政府委員 各府県には各府県の実情がそれぞれございます。従ってまだ決定を見てない県も相当ございますので、一がいに断定はできませんけれども、標準法通りに定数をきめたいという県もあるようでございます。昨年と全く同じ定数でこれがきまるというわけには参らないと思っております。そういった意味で、各県の実情に応じた定数のきめ方、これは私どもは今後に注目しているわけでございます。
○床次委員長 関連質問でありますから、いかがですか、まだあとに質問者が……。
○小林(信)委員 結論をつけます。時間がありませんから、これはまたいつかの機会に質問いたしますが、もちろん私はこの受験地獄の問題からだけで定員をふやせなんということを言っているわけではございません。そうして五十名に満足しているわけではない。先ほど来山中さんの質問を中心として展開されました日本の教育の充実、これはそこ一点に集中されてもいい、こう考えておるわけなんです。今のお話では非常に努力をされたような話でございますが、しかし、各府県のそういう予算の立て方につきまして、文部省が積極的に指導されたのかどうか。私自分の県のことをよく知っておりますから、この問題を取り上げて質問をすれば長くなりますから申しませんけれども、各府県に対しまして個々に文部省が努力をしたかどうか、これだけ聞いておきまして、また次会にこの点について質問をしていきたいと思います。ということは、大体もう仕上がる段階でございまして、非常に速急を要する問題でございますから、その点だけお伺いしておきます。
○福田政府委員 昨年来いわゆる標準法の定数をオーバーする県におきましては、県費負担等の問題もございますので、相当な県が私の方にいろいろ相談に参ったことがございます。そういう際に、常に私どもとしては、いつもいわれておりますように、できる限り教員の首切り等が起きないような具体的な措置ができるかどうかということを中心にいろいろ話し合っております。従いまして相談に参りました県については、私どもはいろいろなできる限りの御協力を申し上げまして、やっているわけでございます。 ————◇—————
○床次委員長 次に、日本学校給食会法の一部を改正する法律案、私立学校振興会法の一部を改正する法律案、及び国立学校設置法の一部を改正する法律案の各案を一括議題といたします。 質疑の通告がありますので、これを許します。上村千一郎君。
○上村委員 まず私立学校振興会法の一部を改正する法律案につきまして、二、三明らかにいたしておきたい点がございますので、質問をいたしたいと存じます。 この私学振興会が私学振興に従来多大の貢献をいたしたということはよく存じておりますし、また世間もこれを認めておる点でございますが、この際少しくお尋ねをいたしておきたい点は、私学振興会は私立学校の施設及び定員に対して必要な資金の貸付をするということでございますが、この施設あるいは定員につきまして、従来どの方面にどういう状態で貸し付けて参ったのか、その実態につきましてまずお尋ねをいたしておきたいと思います。
○杉江政府委員 三十七年度予算につきましてその概要を申し上げたいと思います。 まず第一に一般設備費貸付金として十二億が計上されております。これは幼稚園から大学までの学校につきまして、一定の基準から見て不足する分について、これを充実しようとするための施設に対する貸付金でございます。 次に理工系学生増の施設費貸付金として十七億計上しております。これは科学技術者養成ということを、私学もその点について力を入れる、このために特にこういうワクを設けて貸付をしているわけでございます。 次に、高校生徒急増対策施設費貸付金、これは高校急増対策として公立学校についても特別な財源措置をいたしておりますが、それに照応して私立学校の施設費として貸し付けているものでございます。その金額は十六億でございます。 以上が大きな項目でございますが、そのほかに災害復旧費貸付金、これは御存じの災害の場合の復旧費でございます。これが八千四百万円、それからまた高利債務の弁済資金その他特別な施設費に二億を貸し付けております。私立学校が非常に資金に困って高利の金を借りて、それが経営を圧迫しているということがかなり一般的に見られる現象でございますが、それを低利の振興会の貸付に切りかえる、そのような措置をもいたしておるわけでございます。 そのほかいわゆる経常費の貸付金、これは一年以内の償還の建前にしておりますが、これを二億五千万円計上いたしております。 大体以上が私立学校振興会が実際に行なっております事業とその貸付の内容でございますが、なおそのほかいわゆる助成の仕事を行なっております。貸付でなくして、それをやりっぱなしにする、いわゆる補助金のごとき性格すが、債券の形式、無記名にするか、利札をつけるかというようなこと、また発行の方法、どういう募集の仕方をするか、それから引き受け、受託会社の経費をどうするか、それから払い込み、そのような債券の発行に伴う諸事項について政令で定めることになっております。
○上村委員 この資金運用部資金の融資を受けるということが、今回の改正の大きなねらいであろうと思うのですが、この法案を見まして、資金運用部資金の融資を受ける手続的なものについては、この法案には規定されていないが、その点はどういうふうな法律適用を持っていくのですか、その点をお尋ねしておきます。
○杉江政府委員 これは資金運用部資金法という法律に詳しく規定されてございます。
○上村委員 そうすると、その資金運用部資金の融資の具体的手続法は資金運用部資金法の規定に基づいてすべて処理していくのだ、こう承っておいてよろしいですか。
○杉江政府委員 その通りでございます。
○上村委員 次に、資金運用部資金の融資を受けるということに相なって参るわけでありますが、従来の私学振興会の性格というものを大きく変えていくようなことに相なりはしないかという点についてお尋ねしたい。
○杉江政府委員 実は財政投融資の融資を受けることについては、当初そういう心配が各方面から持たれたのでございます。この財政投融資からの融資を受けるということは、一般にはかなり厳格な審査が行なわれ、そしてそれは本来的には金融機関的性格を持つことを要求されておるのであります。その団体自体が貸付でなくして、先ほど申しましたような助成事務を行なうということは、あまり例がないのであります。従ってこの財政投融資からの融資を受けるということにした場合に、今まで振興会が行なってきた助成の仕事が削除され、またはそれが制約されるということが非常に心配されたのでありますが、しかしそういった助成の業務が制約されるということは、理論的に必ずしも必要なことでもないし、法律的にそうしなければならぬということでもないのであります。実際上どう措置するかという問題であります。そこで私学振興会の仕事は、ねらいとしては私学振興という大きな目的のために一つ貢献しようということであって、その方法としては貸付と助成と二つの方法をとる、こういうことがやはり私学振興会設立当初からの基本方針であり、またそういうことで運営されてきております。この性格を変えるということになればこれは非常に大きな問題であって、私どもはもし助成事務がなくなる、できないというようなことになれば、これは財政投融資からの融資を受けるべきでない、かように考えて折衝してきたわけでありますが、幸いにそのようなことなく、性格については全く変化なく、資金運用部資金からの融資を受けることになったわけでございます。
○上村委員 実は本日は私立学校振興会法の一部を改正する法律案関係につきましては今の程度にしておきまして、あと明らかにしたい点は後日に質問を譲りたいと思います。 次に国立学校設置法の一部を改正する法律案について、二、三明らかにいたすべく御質問をいたしておきたいと思います。まず第一点といたしまして、今度大学に教養部というものを設けることに相なるわけであります。この教養部は一体どのような目的で設置されるのか、またどの範囲の大学に設置されるもくろみであるのか、この点を一つ明らかにしていただきたい。
○小林政府委員 御承知のように新制大学におきまして、一般教養に関する教育の実施の方法につきましては、発足以来の経緯等もございまして、各大学いろいろなやり方をしております。たとえば分校というような形でやっておるところもございますし、あるいは一ないし二学部で集中的にやっておるところもございます。それについて従来も大学側でいろいろと検討をされて参りましたが、大体において学部を離れて特別の教育組織を制度上認めることが実施の方法としていいという結論を持ったところが相当ございます。これらにつきましては各学部に共通する一般教育の課程を一つの組織をもって行なうというふうに考えておるのでございまして、反面またそれによって一般教育の課程における教育指導上の責任もはっきりしてくる、明確になるというように考えられるわけでございます。そういう考えから、相当数の大学で実は教養部の設置、教養部の法制化ということを要望して参りましたが、明年度におきましては特にその中で、学部の数も相当多くて学生数も相当多い、それから一般教育担当の専任の先生もかなりおるというものを選びまして、名古屋大学と京都大学、大阪大学、九州大学、この四つだけに三十八年度ではとりあえず置くということにいたしたわけでございます。なおこの教養部の設置につきましては、中央教育審議会でも検討されまして、そういったものについては教養部の設置を考えたらよろしかろうという答申も実は出ておるところでございます。
○上村委員 そうすると、教養部というものは原則として、設置する順序といいますか、年次というものは別にあるのでしょうが、終局的には各大学に全部教養部を置く、またそれが好ましいというお考えなのかどうか、その点をお尋ねしておきたい。
○小林政府委員 先ほどお答えの中で申し上げましたように、各大学で一般教育のやり方は実はいろいろでございますが、私どもの考えといたしましては、相当の規模を持っておる、あるいは学部の数にいたしましても学生数等にいたしましても相当の規模を持っておる大学で、一活して一般教育を行なうような場合には教養部を設ける方がいいのではなかろうか、かように考えております。
○上村委員 次に、大学院を設置するという問題は、今度の改正法律案の重要な部分を占めておると存じまするが、新制大学に大学院を設置する場合、どんな基準で大学院を設置するのか、この点の基準についてお伺いしておきたいと思います。
○小林政府委員 戦前からのいわゆる旧制大学には大学院が設置されておりますことは御承知の通りでございますが、明年度の予算におきまして初めて新制大学に大学院を置くということにいたしたわけでございます。この選定につきましては、実は各大学それぞれ相当の希望があったわけでございますけれども、私どもとしては、その中で特に水準と申しますか、程度の高いものについて研究課程を設置するということにいたしました。その水準の高さというものでございますが、その基礎になる学部の学科の数あるいは学生数等の規模、それからそこで教えておられる教官の充実の度合い、あるいは教官の研究活動の度合い、あるいは地域的な配分というようなことも考えて、法案に御要求しておるような数を選んだわけであります。
○上村委員 次に大学の共同利用の研究所のことでありますが、従来は共同利用の研究所というものは具体的にどういうものがあったのですか。またその運営状態というものはどんなふうであったか、お尋ねをしておきたいと思います。
○小林政府委員 現在国立大学に共同利用の研究所として設けられておりますものは、東京大学に原子核研究所、宇宙線観測所、物性研究所、海洋研究所、この四つがございます。それから名古屋大学にプラズマ研究所、京都大学に基礎物理学研究所、大阪大学に蛋白質研究所ということでございまして、全体で七つの共同利用の研究所が国立大学に付設されております。この共同利用の研究所の運営でございますが、これは御承知のように単に国立大学の先生ばかりではございませんで、国公私立大学を通じて、また民間の研究所等も通じまして、それぞれの専門分野の研究者の方が共同的に研究し、利用するという構想のもとにできておるものでございます。従ってこの共同利用の研究所におきましては、それぞれの学問の種類に応じまして相当規模の大きい、スケールの大きい研究設備等がございます。またそれに伴いまして研究費あるいは旅費というような予算が計上されておるわけでございますが、それらの全体の研究所の運営につきまして、研究所長の相談役になるような諮問機関を研究所の中に設けまして、研究者の意向が十分その運営に反映するように取り計らっておるわけでございます。実際現在までもそれぞれの七つの研究所の運営につきましては、共同利用の研究者が各方面からかなり多数この共同研究に実際に参画しておる状況でございます。
○上村委員 本日は本会議ももう間近に迫っておりますので、あと一点だけ質問をいたしまして、私の本日の質問を終わりたいと思います。 国立高等専門学校の新設関係の規定でございまするが、この十七校のうち秋田、冨山、米子、松江、呉の五校の国立高等専門学校については、予算その他の都合で、昭和三十八年度中に準備を行なって、昭和三十九年度から開設することにいたしたいというふうに、本法律案の提案理由の説明の中で申されておったように記憶いたします。法律の建前として、昭和三十九年度から開設される、しかも予算措置がほとんど行なわれていないというものについて、今度の国立学校設置法の一部を改正する法律案の中でこれを規定しておるということは、これはどういう理由によるものか。これがきちっとできたときに、そのときにまたこの設置法の一部を改正する法律案を提出すべきが立法技術上妥当な方法ではなかろうか、こう思うのでございますが、この点につきましての見解を伺いたいと思います。
○小林政府委員 確かに今お尋ねのような方法も考えられることでございますが、この五校につきましては、実は私どもは三十八年度において開設したいという気持で予算折衝等もいたしました。その結果、この五校につきましても建物を建築をするための施設費だけが認められております。これに伴いまして学校開設のためのいろいろな準備も昭和三十八年度において行ないたいということを考えましたので、法律案にはっきり記載をいたしまして、国会の御承認を得るならば国が責任を持って開設の準備をすることができるのではなかろうか、そういうふうに考えまして、この三十九年度開設の五校についても法律に規定をいたした次第でございます。
○上村委員 以上で私の質問を終わります。
○床次委員長 次会は公報をもってお知らせすることにいたしまして、本日はこれにて散会いたします。 午後一時四十九分散会