文教委員会 第2号
- 発言数
- 13 件
- 登壇者
- 3 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1962/12/22
会議録
○床次委員長 これより会議を開きます。 先刻日本社会党及び日本共産党の委員にそれぞれ出席の要求をいたしましたが、御出席がありませんので、本委員会を開会いたしたいと存じます。 ————◇—————
○床次委員長 請願の審査に入ります。 本日の請願日程第一、学校給食用物資の全額国庫負担等に関する請願より日程第二三八、高校学校全員入学等に関する請願を一括して審査いたします。 各請願の趣旨はすでに請願文書表により御承知のことと思いますので、委員会における紹介議員の説明並びに政府の所見聴取等を省略し、理事会の協議に従い、直ちにその採否を決したいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 それでは、本日の請願日程中第一ないし第八、第一〇、第二二ないし第七八、第八〇、第八六ないし第九〇、第九二ないし第一二六ないし第二一七の各請願は、いずれも採択の上、内閣に送付すべきものと決するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 なお、ただいま議決いたしました請願に関する委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 —————————————
○床次委員長 なお、本委員会に参考のため送付されました陳情書は全部で四十五件でございます。念のため御報告申し上げます。 ————◇—————
○床次委員長 閉会中審査に関する件についてお諮りいたします。 本委員会といたしましては、閉会中もなお学校教育に関する件、社会教育に関する件、体育に関する件、学術研究及び宗教に関する件、国際文化交流に関する件、文化財保護に関する件の各件につきまして、継続して審査いたしたい旨議長に対し申し出をいたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 ————◇—————
○床次委員長 学術研究に関する件について調査を進めます。 この際、長谷川峻君より発言の申し出がありますので、これを許します。長谷川君。
○長谷川(峻)委員 私は、先日全米科学財団の招聘によりまして、同僚中曽根君と一緒に南極大陸に行って参りました。それについて若干御報告申し上げながら文部当局に質問したいと思います。 この際に私たちは地図と地球と太陽というふうなものについてあらためて見直す必要があるのじゃないかということを、現地で痛切に感じたのです。なぜかなれば、羽田からヨーロッパに参ります場合に、私たちは北極圏を通って行きますが、あの北極圏には、御承知の通りアラカス、ソ連、グリーンランド、ノルウェーというふうにいろんな国々が北極圏の中にあります。人口が百万生活していますが、それと反対の南極大陸には、地図でごらんの通り面積がアメリカ合衆国とヨーロッパの大陸と合わせただけの大きさです。そしてここには人間が一人も住んでおりません。そして今行って見ますと、夏でありまして、来年の三月までは太陽が没しない、夜がないのです。世界にただ一つ、原子力の都市がある。それが地図でごらんの通りマクマードというアメリカの基地であります。日本も昭和基地に過去六回観測隊を出して、四回越冬しております。しかし越冬する者はわずか十六名。ところがマクマードのアメリカの基地は、今日八百人の人間がおります。これが科学者であり、アメリカの軍隊です。そしてそこには千五百キロの原子炉が動いておる。 地図でごらんのマクマードに参りましてから、そばにありますバード基地、アメリカの旗のありますバード基地、ここに参りますと、氷の厚さが−大陸の上に氷が張っておりますが、約二キロ、三キロ、太古のままの氷が積んである中に、アメリカがそこの雪の中に氷の中に研究所を設けて、若き学者諸君が観測をし計算をしておりました。その中に、昨年札幌大学の清水君がやはり越冬して研究しておったと見えて、写真が飾られております。 その後、マクマードヘまた戻りまして、南極点に飛行機で参りました。途中の大氷河、大氷山、すばらしい壮観ですが、ここを何と今から五十一年前にアムンゼンとスコットがそれぞれ踏破した。その苦労はすばらしいと私は思います。この南極点は、行った者の名前を記念して、アムンゼン・スコット基地というのですが、今日そこにはアメリカが基地を設けて、やはり氷の下で調査研究をしておる。すなわち、行ってはおりますけれども、行った者はあるけれども、今日研究している者が一つの実績をとっているということであります。私は国会の上なりあるいは各役所の上に日の丸の旗をあげてもらいましたが、この際一つ日の丸の旗をあげようと思ってあげて参りました。しかしそのとき痛感したことは、零下三十七度、太陽が頭の上に大きく輝いているけれども暑さを感じない、そうしてその太陽の光芒が、線が一本々々わかるのです。見はるかすところの太古の氷原、そこまで行った先人の苦労、それを痛感したものです。ということは、白瀬中尉、今から五十一年前に、秋田県出身の白瀬中尉がただいまさしましたところに上陸したのです。私はこの際に、委員会を通じ、同僚国会議員の方々に特に御理解いただきたいと思うのですが、白瀬中尉がなぜ南極に行こうとしたか。北極を目ざしながら、アムンゼン、スコットがイギリスなりノルウェーの力をかりて、極点踏査を始めようとしたので、彼はそれにおくれまいとして国会に請願書を出しております。遠藤良吉という代議士の紹介で請願をお願いして、十万円の国庫補助をお願いしたところが、衆議院はそれを採択して、当時の貴族院においてこれを三万円削っております。結果はどうか。一文も出しておりません。ここにおいてか、国民各層に働きかけて義援金を全国的につのり、大隈伯爵あるいは児玉源太郎、乃木大将、三宅雪嶺博士、押川方義、こういう方方が中心になって全国遊説して金を集めたのです。その金で、わずか二百四トンの帆船をチャーターして、それでアイヌまで乗せて、樺太犬を連れて、 〔長谷川(峻)委員図を示す〕 この周辺はいずれも二メートル、三メートルの氷です。ここへ行ったのです。ところが流氷に妨げられて、二百四トンと言われる帆船ですから、シドニーに一ぺん戻って、金がなくて露営しています。そして三百円、五百円の金をもらいに人を日本に送り帰しております。露営している間にゴリラに間違えられたり、いろいろなことがありまして、ようやく故国から義援金がまた届いたので、その金で、四十五年の一月に、先ほど申し上げたところへ上陸している。そして悪戦苦闘を十日間やって、百六十マイル進んで、とうとうサウス・ポールに行けなかった。私はそういう先人をいまさらしのぶ。その結果はどうか。あそこには大和雪原という名前と海南湾という名前がちゃんと世界の地図の上に残っております。それは米国の地理学協会が昭和七年十月発行の南極地図に、白瀬中尉一行が到達したところを白瀬と命名して以来、この活動が国際的に認められたのです。そして日本は、政府はこの探検によって南極大陸に領有宣言を行なってはおりませんが、昭和十三年三月に、駐米日本大使館からアメリカ国務省に対してこういう申し入れをしている。日本政府は南極地域に対する主権設定問題については常に発言権を留保するものであって、形式のいかんを問わず、この問題が国際的に論議されるような場合には、必ず日本政府にも協議あるべきことを期待すると申し入れた。どうです、すばらしいじゃありませんか。国会で請願、採択しながら金を出さず、全国民の義金によって、わずか二百トンの船で行った。その白瀬中尉の一行の姿が、国際的なこういう権原が生まれた。私は、百六十マイルで戻りながらも、そういう人の姿、まぼろしというものを南極点で思い起こしたのであります。 その後、御承知のようにニュージーランドのスコット基地に二回参り、あるいは船の格好が書いてありますが、あそこに一万二千トンのグレーシャーという砕氷艦とスタッテングアイランドという六千トンの砕氷艦があります。それとカーゴー・ボート三ばい、この五はいで、あの二メートル、三メートルの氷を打ち割って進む姿を見、その船に泊まって砕氷能力などをいろいろ聞いて参りました。 そこで私は、この際特に一つお考え置きを願いたいことは、昭和基地が閉鎖したのは、ことしの二月の八日、村山越冬隊長がメイン・スイッチを切ったときに一つだけ残してきた。それは自動計器です。一本の柱にとりつけられた自動計器に風圧、風速、気温、風向、そういうものがオートマティックで計算されるものを残した。このテープは四百日分、来年の二、三月で切れる。ところが、その昭和基地に対して、このたび同行いたしました各国の科学者、政治家、新聞記者がおりましたが、いずれも私たちに要望されることは、ぜひ昭和基地を再開してもらいたい。なぜかなれば、御承知のように、世界で十二カ国が基地をつくって、いろいろ太陽の問題、電離層の問題等々、南極についての研究をやっております。ニュージーランドのスコット基地においては、わずか二十人という日本と同じような小さい基地ですが、そこには七年間おって、その付近を犬ぞりでずっと踏破している地図を全部私たちに提供してくれました。 そこで日本になぜ再開を要望するかと申しますと、日本の基地は島の上にあり、ほかの基地は大体氷の上にあります。氷河が動きます、氷は沈みます。それから見ますと、オングル島の島の上にある日本の基地というものは定着性がある。その上にオーロラの撮影は一番よい、学界に対する貢献はすばらしいということです。それから昭和基地が閉鎖しているために、気象通報がよその当地に入って参りません。ブランクになる。日本が観測し、調査するように世界から割り当てられた区域は、昭和基地を中心として、日本の本土の二倍の広さです。白瀬中尉が歩いただけでも、大和雪原あるいは海南湾という名前が残り、政府なり国の力として国際的にこれだけ発言ができるときに、世界から割り当てられた、公認された、われわれの調査区域が日本本土の二倍だという、しかも村山越冬隊長が、昨年、隊員を連れて南極を目ざしましたが、七十五度の線、ここまでしか来れなかった。あと二倍の線が残っております。世界の南極地図には、この周辺は不到達地帯と銘打たれております。アメリカ、ソ連が宇宙衛星を上げて月の裏側を写したり、気の早い者は、国内の土地が高いものだから、月の土地を予約するという時代に、自分が立っている大陸に白紙があって、それを日本の科学者によって調査さしてもらいたいということは、これは私はこたえるべきじゃないか、こういうふうに痛感したのであります。 さらにもう一つ申し上げたいことは、この白瀬中尉のこういう行動によってさえも、アメリカ、世界に向かって日本の権利、権原を主張できた。今日の南極というものは世界にたった一つの平和な大陸です。南極条約というものが結ばれております。これはすばらしいことでありまして、フルシチョフが月ロケットその他を上げて大騒ぎをして、アメリカとソ連の間に大もめしたあとで雪解けを始めたあの瞬間に、フルシチョフはアメリカへ行った。その年に日本を中心として十二カ国が原署名国として結ばれたのが南極条約であります。それはどういうことかと申しますと、南極大陸においては三十年間領土権は凍結しよう。それからありとあらゆる情報を交換しながら平和利用しよう。核兵器は一切使用禁止。そのためには査察制度まで設けようという姿です。これほど敗戦後の日本が原署名国として国際的に主導権を握って条約をやったものは南極条約を除いてはおそらく何もないのじゃなかろうかと思う。その原署名国の日本が今日閉鎖をしているのは国際的な責任から見てもおかしいことじゃなかろうか。現にあそこに、ごらんの通り十二カ国がやっておりますが、昨年ベルギーがやはり基地をやめたのです。しかし来年またやり出すと申し入れしております。私たちと一緒にイタリアのデシオという氷河学者——カラコルムの氷河を研究して世界的権威ですが、最近日本で上映しておりますK2登攀隊長をしているデシオという博士が来ておりまして、この方も一緒にそっちこっち歩いたのですが、イタリアでさえも今から基地を設けさしてくれと申し入れをしている。さらにもう一つは、三、四年前に政治的悲劇といってわれわれが騒いだあのポーランドが基地を分けてくれと申し込んできた。そのときに、せっかく六回も越冬した日本が、それほど期待されていて、しかも有色人種でどこも南極にそういう国際協力している国はないし、黒い国がたくさん生まれてもそういう諸君が観測するわけでもないし、その面から見ても、アジアの代表としても有色人種の代表としてでもやはり再開すべきじゃなかろうかということを痛感した。 そこで私はこの際お願いしたいことは、文部省が従来南極観測の統合推進本部を設けて、文部大臣がその主管大臣で、それに対して国際的にあるいは国内の学者諸君がみな協力して今日までやって参りましたが、文部当同はことしの二月に閉鎖をしたのですが、来年度以降の問題においてこの再開においてどういう所感を持っておられるか。文教政策一つからいたしましても、私のような科学者でない者が南極を踏みつつ今さらながら気がついたことは、やはり少年時代に白瀬中尉のような冒険した人のその上にわれわれが生きているということ、そういう方々が艱難難の先に立ち犠牲の先頭に立った上に文明が開かれ、われわれの民族としての肩身が広いという思いをしたのであります。そういう文教政策の面からもやるべきじゃなかろうか。現に帰りに、ニュージーランドとマクマードの間は洋上飛行で九時間、ニュージーランドは御承知の通りわずか人口二百五十万、工場が一つあるわけじゃなし、いるものは羊と牛だけ、それがかせいで社会保障の国、にもかかわらずここから基地が二つもつくられて、科学者以外の青年諸君は全部公募で十槽も二十倍も申し込んでスコット・ベースへ行って働いている。そのニュージーランドにおいては第二回目にアムンゼンに次いで一カ月おくれて行ったスコットの銅像が至るところに立っている。このスコットは最後に全員帰る途中死んだのですが、そのスコットの銅像などを建てておりますし、ヒマラヤ探険のヒラリーもニュージーランド出身でございます。ラグビーにおき一ましては世界最強。日本のラグビーはニュージーランドの子供にも負ける。私は南極に向けさせている青年諸君の元気がそういうところから出ているということを考えますと、いろいろな面から、人づくりの問題としてでも昭和基地というものの再開で青少年の未来に通う心を涵養させる、冒険する気持というものを奮起させるためにも、文教政策の重要な一環としてお取り上げいただくことも必要じゃなかろうか。この際文部当局に今度の予算折衝と将来の見通しなどについてお伺いできれば仕合わせと思います。
○内藤説明員 ただいま長谷川委員から、南極に実地においでになりまして、南極観測の文教政策上における意義、科学技術振興の面における意義をお述べになりまして、まことに感慨深いものがあったのでございます。 御承知の通り、本年の二月に一時南極観測を閉鎖いたしましたのは、太陽黒点の最も活発な時期である期間に、気象その他学術方面の研究をするということで参ったわけですが、一応その任務を果たしたわけでございます。ただ宗谷でやりましたので、臨時応急的な体制で南極観測事業を始めたわけです。その意味では一応の目的を達しましたので、一応閉鎖ということにいたしたわけでございます。自来南極観測本部におきまして今後の事態についていろいろと検討をいたしまして、再開すべく準備を進めて参ったわけでございます。科学技術特別委員会の御決議もございまして、政府としてはそれを尊重しながら今日まできたわけでございます。最近になりまして南極観測本部の会合を開きまして、南極再開についての準備を始めたわけでございます。これは特に昭和三十八年度の概算要求に四十八億、その中で一番大きな経費は南極観測船の建造費と航空機の関係でございます。これらの経費をどういうふうに要求するかという点をいろいろ打ち合わせましたけれども、非常にスピード・アップして急ぎましても少なくとも三年はかかるのではなかろうか。と申しますのは三十八、三十九、四十年、一応本部としては三カ年計画のもとに準備を進めたい。それから特にその時期でございますが、昭和三十九年から太陽黒点の活動が最も弱い時期に入りますので、学術的には三十九年に間に合わしたいわけでございます。ただ一応南極観測を中止いたしました理由が宗谷等の臨時応急的な体制でございますから、今後これを再開していく場合には恒久的な体制に持っていきたい。そのためにりっぱな船をつくること、また航空機を整備すること、その他運営にあたりましても何か臨時的な体制でなくて、もっと恒久的な体制のもとにこの観測事業を将来も継続していく、こういう考え方に立っておりますので、いろいろ検討いたしまして、少なくとも三十八年度には四十年再開を目標に着手できるような予算を要求いたしたい。それからその間におきまして、三十九年から国際的観測事業が始まるわけでございますので、四十年再開の目標が確立いたしますれば、応急的な措置として諸外国に協力を求めることも可能ではなかろうかと思っておるわけでございます。 いずれにいたしましても三十八年度の予算にこの南極観測に関する必要最小限の経費が確保されますように、文部省としては大蔵省に要求をいたしておるような次第でございます。
○長谷川(峻)委員 私たちが帰って参りましたところが、わが自由民主党の政調の方においては、重要施策の一つの柱として南極観測再開、南極研究という項目が載っており、そういう意味においての御推進が必ずや文部省の出した案をバックアップしながら希望が達成されることを私は期待いたします。 この際一つつけ加えたいことは、白瀬中尉がそれだけやったその個人的業績が、何と日本が敗戦の後に独立をする平和条約の第二項にはっきりとこういうふうに規定されているのです。これを私たちは思い起こさなければならぬと思うのです。平和条約第二条のe項に、「日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。」何ときびしい平和条約ではなかったでしょうか。白瀬中尉の探検というものが、五十年前に個人でやったものが、こういうふうに平和条約の中で、われわれは権利、権原を捨てさせられた。そのあとで南極条約が生まれて、その主導権を持っておる日本であるから、ひとり文部省の問題だけにあらず、外務省もあるいは政府全体がこの問題について、大きく再開の問題、南極大陸そのものの研究の問題について、さらにさらに御推進あらんことを要望いたしまして、私の発言を終わる次第であります。
○床次委員長 本日はこれにて散会いたします。 午前十一時四十三分散会 ————◇—————