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42回国会衆議院1962/12/22

科学技術振興対策特別委員会 第2号

発言数
22
登壇者
7
会派数
1
開催日
1962/12/22

会議録

寺島隆太郎自由民主党

○寺島委員長 これより会議を開きます。  科学技術振興対策に関する件について調査を進めます。  南極観測に関する問題について質疑の通告がありますので、これを許します。中曽根康弘君。

中曽根康弘自由民主党

○中曽根委員 当委員会は、ことしの春の委員会におきまして昭和基地再開を全員一致で決議をいたしまして、政府に要請したのであります。いよいよ予算編成の時期に迫りましたが、政府はこれに対していかなる措置をしているか、まず御質問いたしたいと思います。

内藤誉三郎文部事務次官

○内藤説明員 去る四月の科学技術特別委員会の御決議の線を尊重いたしまして、南極観測本部においていろいろ検討いたしました結果、総額で四十八億の経費をもちまして、特にその中で船の建造が三十一億、航空機の購入十三億等を含めまして、四十八億を要求いたしました。その中で、年次計画でございますが、三十九年が太陽黒点の最も静かな活動時期でございますので、できますれば三十九年に間に合わせたいのでございますが、船の建造あるいは航空機の製造等に相当の日時がかかりますので、現在のところ三年計画、四十年再開を目標にいたしまして、初年度約八億の経費を要求いたすことにいたしました。

中曽根康弘自由民主党

○中曽根委員 われわれ自民党は、過般科学技術特別委員会と文教部会の合同会議を開いて、次のような方針を部会として決定し、その決定は政務調査会副会長会並びに審議会において承認され、総務会においてもこれが承認されたのであります。  その内容というのは、第一は、昭和基地を再開する。再開は恒久的体制としてこれを再開する方針で、そのために必要な輸送施設、人員等の措置を講ずる。第二は、再開の目途は昭和三十九年、おそくとも四十年には再開を行なう。第三番目には、再開は恒久体制としてこれを行なわなければならない。そのために必要な諸般の体制を整備する。そしてとりあえず昭和三十八年度予算は文部省予算としてこれを大蔵省に請求せしむる。しかし、将来の恒久的体制については、追って別途相談をして正式に決定する。大体そのときの意向は、総理府に本部を置くのが至当であろう、こういう意見でありました。さらに、そのために本臨時国会において各党共同決議案としてこれを提出したい。そのとき、社会党との内面折衝においては、社会党側からも、自民党からそういう申し出があればそれを了承するにやぶさかでない。民社党もまた同様な内面的な意思の表明があったのであります。  こういうわれわれ党の考え方に対して、政府は今の諸点についていかに考えますか、科学技術庁並びに文部省の意見を伺いたい。

内田常雄自由民主党科学技術政務次官

○内田政府委員 御承知のように、これまでの南極地域観測は、昭和三十二年の国際地球観測年の一翼として日本も参画する、そういう建前から臨時的に始められておったわけであります。従いまして、これらの行政的の機構、また南極地域観測の手段、いずれも間に合わせの手段で参ったのであります。たとえば輸送船の宗谷のごときも今日では使いものにならないというようなことのために、国際地球観測年の済みました後二、三年の間は辛うじて継続いたしましたけれども、残念ながら昨年限りでやめざるを得ないということで参ったのであります。  しかし、政府といたしましては、この南極地域の観測の仕事を全然やめてしまったわけではないのでありましてこれまでこの観測の仕事のために設けられました南極地域観測推進統合本部の機構、ことに将来これをどうするかということのために将来問題小委員会というものもこの本部の中に設けまして、今後の処置について検討をいたして参ったところであります。  しかるところ、本年四月、当委員会におきまして南極観測の再開について御決議があり、また自由民主党の各方面におかれまして、ただいま中曽根委員からお話のように、強い御要望のありますことも私ども承知をいたしておるところでありまして、政府の考え方が国会並びに党によって非常に激励を受けたわけでありまして、私どもも非常に力を得た次第です。  ところが、問題はやはり二つ残っておりまして、一つは輸送手段、宗谷の代船と申しますか、本格的に南極地域の観測を再開するための輸送手段を新しくつくらなければならない問題があるわけであります。このためには、先ほど文部次官の内藤君からお話がありましたように、相当の新規の予算を必要とするし、また二年ないし三年ぐらいの設計建造期間も必要とするわけであります。  もう一つの問題は、先ほども私が申しましたように、今までの南極地域に対処する国の機構というものが、臨時的、応急的の機構であった。これは文部省に南極地域観測推進統合本部というものを置きまして、文部大臣がその本部長であるというような、主として学術関係とのつながりのための臨時的機構でありました。今後再開するとなれば、ことに、国会や党の御要望のように、今後国の一つの恒久的施策としてこれを再開するということになりますと、その機構の面におきましても、自由民主党における先般のお打ち合わせの建前をも十分考慮いたしまして、関係の機関、科学技術庁あるいは文部省、あるいは運輸省等々の方面とも打ち合わせをいたしまして、おおむね党のお考えに沿い得るような方途でぜひ実現をしたいということで、政府におきましてもせっかくいろいろ諸般の準備をいたしております。  ありていに申しますと、これらのための明年度の予算が当初の概算要求には間に合っておらなかったわけでありますけれども、党からの御激励もありまして、先般文部省あるいは海上保安庁、あるいはその方面に特別のスタッフを持っておりますところの防衛庁などの力もかりまして、予算に対する資料を整備いたしまして、文部省から第二次の概算要求をして大蔵省に提出をいたしておるわけであります。これは総額にいたしますと何十億かの予算を必要とするものでありますけれども、明年度におきましてはそれほど大きな金を必要といたしません。しかし、これは昭和三十九年あるいは四十年に本格的の南極地域の観測が開始できますために、明年度の予算はぜひその成立をさせたい、確保したい、かように考えておりますので、議員の各位からも、この上一そうの御助力をいただきたい、かように考えております。

中曽根康弘自由民主党

○中曽根委員 文部省はどうですか。

内藤誉三郎文部事務次官

○内藤説明員 ただいま内田科学技術政務次官がお述べになった通りでございます。

中曽根康弘自由民主党

○中曽根委員 さきに申しました自民党科学技術特別委員会、文教部会の合同会議の中の一つに、将来体制は総理府を中心に置くのが至当であろうという一項があったわけでありますが、これには関係各庁の協力を非常に必要とするところであります。  そこで、文部次官にお尋ねいたしますが、大蔵省はあなた方の第二次概算要求に対してどういう態度をとって、どういう形勢で今推移しておるのか。  それから、この南極観測を再開するためには、あるいは運輸省、海上保安庁、あるいは防衛庁、あるいは電波研究所、あるいは学術会議、各大学の協力がなければできない。われわれがさきの決定をしました一つのアイテムに、南極観測の再開は平和のための科学技術関係の研究調査を中心にして行なう、この基本線をくずしてはならない、こういう決定があったのでありますが、こういう基本線を中心にして、関係各庁の協力を求めていく上について、大蔵省あるいは運輸省、あるいは防衛庁がいかなる態度を示しているか、御説明願いたい。

内藤誉三郎文部事務次官

○内藤説明員 ただいまのところ、大蔵省に要求いたしましたのは、実は本来なら八月三十一日までに概算要求に含めて出すべき性質であったかと思います。ところが、南極観測本部の将来委員会でもいろいろな検討を重ねておりまして、予算に十分な余裕がなかった。こういう点において、大蔵省が必ずしも好意的ではなかろうと私は思っております。しかしながら、文部省から要求いたしました以上、大蔵省もこれについて誠意をもって検討していただけるものと確信いたしております。  ただ、防衛庁、海上保安庁その他関係各省につきましては、文部省というよりも、この南極観測の重要性にかんがみまして十分御協力がいただけるものと考えておるのでございます。先般南極観測推進本部の会議をいたしましたところ、関係の方が皆さん御出席になりまして、これについて賛意を表され、御協力を申し合わせされましたので、御心配はないのではなかろうかと思っておるのでございます。

中曽根康弘自由民主党

○中曽根委員 きょうはほかに議題もありますから、私は質問を簡略にしてやめますが、南極の問題は重要な問題だと私は思います。世の中では、南極というものは地球の果ての迂遠なところで、ああいうところはアメリカあるいはソ連のような大国が行って観測していればいいというような考えもなきにしもあらずでありますが、これは非常に大きな間違いであります。第一に、われわれは南極条約という条約をつくって、その原署名国の一つになっておる。南極条約ができた端緒は、一九五七年、八年のIGY、国際地球観測年というものが動機であったろうと思いますけれども、この条約によって各国は領土権を三十年間凍結し、また核実験を禁止し、平和と科学のために世界が協力して南極を調査し、開発するという厳粛な約束をしたのであります。日本はその趣旨にきん然として原署名国の一つとして参加して、昭和基地を開いたわけです。しかるに、突如として国内的な事情でこれを中止したということは、国際的な信義の上からも、あるいは将来の国際協力の面からいたしましても、非常にある意味においては信義を破るような結果にもなっておるのであります。  私たちは、実は今回南極を長谷川前文部政務次官と視察して参りましたが、そこで一番要請されたことは、各国の科学者から、すみやかに昭和基地を再開して、南極全体としての調査を完璧ならしむるように日本も協力してくれということであります〇一つの具体的な例を申し上げれば、日本の昭和基地からの電信が来ないために、南極の天気図も書けないで困っておる。日本の昭和基地がないために、ほかの研究自体がほごになり、むだになるという状態になっておるのだ。だから、すみやかに再開してほしい。これは一つの具体的な例でありますが、そういう要請すら受けておる。たとえば南極の気象という問題を考えてみても、あの寒冷な高気圧団というものが北上してきて、赤道から来る暖かい低気圧とぶつかる。そこに南緯四十度の荒れ狂う海が出てくるわけでありますが、そういう南極の高気圧団あるいは寒流の流れ、氷山の流れというものが赤道の気候に影響し、それが台風の発生に影響し、それが北半球のわれわれの生活にも影響してくる。地球の長期予報のためには、南極のような重大なファクターというものはどうしても解明しなければならない要素であるわけです。これが地球上全体の人類の福祉に関係する重大なポイントです。そういう点は、具体的には国民の目の前には見えないけれども、地球全体を人類が共存していくという上については、大きなファクターをなしていると私は思うのであります。  そういう点を考え、あるいはまた南極条約の歴史的意義を考えてみると、これはゆるがせにすべからざるポイントを含んでおるわけであります。人類は現在原水爆をかかえて苦悩しております。がしかし、南極とか大気圏外の平和利用にその活路を見出しつつある。南極において、領土権を三十年間放棄し、あるいは核実験を禁止し、平和と科学のために各国が協力するという善意の次の水平線、次の時代の世界のモデルを築こうとして努力しておるときに、核実験禁止を国際連合において、訴え、国民運動としても原水爆禁止運動をやっている日本が、それいう新しい次の世界のモデルをつくろうと善意を持って協力しているところから離脱していくということは、文明に対する背反行為である。また、日本憲法にも反するような国の歩みになるとすら私は考えるのであります。日本憲法において、われわれは全世界の平和や国際協力をうたっておるのであります。そういう面から、南極条約というものは、日本は原署名国になっておるわけであります。しかし、その点も顧みないで、一部の理由によってこれを休止するということは、日本の将来の国策の歩みからしても大いに反省を要するところである。世界が相携えてこの重大な原水爆やその他の問題から新しい世界をつくろう、平和な世界をつくろうと、苦悩しながらも努力をしているその場から日本が離脱するということは許されない。私は国会の意思においてもそういうことは厳然と政府に警告を要するところであると思うのであります。その点については社会党の諸君も全く同感であろうと私は思うのです。  そういうようないろいろな条件から考えてみて、また現にわれわれが南極に行っても、どういうふうに研究が展開され、開発が展開されているかということを見ると、日本も現代科学の粋をもって南極に挑戦すべきであると私らは痛感してきたのであります。アメリカにおいては、原子力航空機をもって南極開発をする。これを行なう人間は、軍人と科学者です。軍人と科学者と原子力と航空機の四つを、最も合理主義、能率主義に徹底しながら展開しているというのが、現在のアメリカの開発の姿である。こういう姿は、次の文明を切り開いていくための一つの前兆であるかもしれぬ、あるいはモデルを示しておるのかもしれぬと思うのです。軍はそういう意味において、機能の一部を国防やら戦争という行為からは転換をしておる。私は福祉国家における軍の概念というものは、国民の、納税者の命ずるところに従って、もちろん国防が第一義であるけれども、文化でも、科学でも、生産技術でも、芸術でも、オリンピックでも、国会の命ずるところ、法律の命ずるところに従って、柔軟性をもってこれに奉仕するというのが文化国家における軍の概念である。そういう新しい軍の概念をつくっていかなければならぬと私は思うのです。戦争に関係したのみの軍の概念というものは、旧憲法的軍の概念である。アメリカやソ連においては、南極の開発に奉仕しているのは軍であります。そういう意味において、軍の概念に文化政策や福祉政策というものが入ってきていい。現に台風の防災や、あるいはアジア・ジャンボリーにおいては、自衛隊は大いに協力している。それをさらに大きく飛躍させる、展開させるということは、日本の福祉国家としての立場から、私は当然許さるべきことであると思うのです。アメリカはすでにそれをやっている。  そのように、科学者と軍というものが、平和や人類の福祉を目ざして協力しているということは涙ぐましい姿です。日本においては、遺憾ながらこれがまだない。この姿を日本においても現出させて、国全体が喜んで立ち向かうような南極開発、あるいは科学研究体制全般をつくり出すというところに、われわれの大きな目標がなければならぬと思います。南極は、そういう意味において第一の試験台になるだろうと思います。  こういう諸般の理由から、昭和基地をすみやかに再開されなければならぬ。そういう意味において、文部省、科学技術庁の当局においては、ここ一週間の間で全力をふるってこの予算を確保し、昭和基地を再開するために努力していただきたいと思います。  私は南極へ行って、アメリカといろいろ話をして、実は白瀬中尉が上陸したロス海の開南湾のチャートあるいは航空写真がないかと請求いたしました。世界中の地図に、白瀬中尉が乗った開南丸の名前をとって英語で開南ベイと書いてある。その名前が世界の地図に残っているということは、日本人として非常に誇らしく思うところです。明治の、今から数十年前においても、日本民族はそれだけの雄大な志を持っておった民族であって、今日その子孫であるわれわれが、それ以上の雄大な意図を持ち、世界に対する協力の意思を持ち合わせなければ、先祖に済まない。新しく文化的な平和的な要素を加味して、われわれは再出発すべきであると思うのであります。そういう雄大な精神のない民族は滅びると私は思います。こういう意味において、日本の青少年、日本国民全体に新しい理想主義の、あるいは雄大なる精神の種を植えつけるためにも、南極というものは絶好の場所であって、こういう観点からも、特に教育を中心としている文部省においては心がけていただきたいと思います。  本日は、私と同行いたしました長谷川前文部政務次官が、若干資料も用意して、この委員会にお見えになっておるので、若干の時間をいただいて、長谷川委員から南極の概況を委員諸君がお聞きいただけば非常にありがたいと思う。また、それを速記録に残しておくということは、後世の歴史にも意味があると思うので、委員長の格別の御配慮をお願いいたす次第であります。

寺島隆太郎自由民主党

○寺島委員長 長谷川峻君。

長谷川峻自由民主党

○長谷川(峻)委員 ただいま中曽根委員から、南極再開に対する具体的な質問があり、それに対する科学技術庁あるいは文部省からの明瞭な御答弁をいただいたので、私は中曽根委員のおっしゃったように、先日、全米科学財団の招待で南極に行って参りましたことを、ごく簡単に御説明申し上げたいと思います。  まず、私は、子供のとき習った地球、地図、あるいは大洋、こういう関係を一ぺん全国民が習い直す必要があるのじゃないかということを痛感いたしました。ということは、南極大陸は小さいもののように思っておりますが、これが何とアメリカ合衆国とヨーロッパと合わせた面積である。日本が持っております昭和基地、国際的に調査区域に割り当てられたところが日本本土の二倍であります。しかも、全大陸が二キロ、三キロの氷におおわれている。私はそういう意味から申しまして、中曽根委員の話にもありましたように、私たちの先人がいかに苦労したか、あらためて追憶するのです。  白瀬中尉の本を読みますと、彼は南極を探検しようと思って、国会に十万円の補助金を申請して、衆議院は通過しております。それを、貴族院が三万円減らしておる。減らしたからには出せばいいのですが、一文も出していない。そこで彼は、アムンゼンが、あるいはスコットが南極探検を急いでいる、国の力でやるということを聞いてやむにやまれない気持から、当時大隈伯爵にお願いして、三宅雪嶺先生、押川方義、佐々木蒙古王、こういう方々が発起人になって、全国の国民から義援金を集めて、そして、集まった金でわずか百九十九トンの開南丸をチャーターし、名前をかえて出発したのであります。アイヌも乗せました。大陸のこの周辺は、いずれも二メートル、三メートルの氷に囲まれているのです。幾ら宗谷がくだらない船だといっても四千八百トン、砕氷能力はわずか六十センチでありますが、この開南丸は砕氷能力も何もない船であります。個人の力でここへようやく二年がかりで上陸し、進んだところが百六十マイル。サウス・ポールはとうとう攻略できず、その一ヵ月前にアムンゼンが一番乗りをし、帰ってくる船とここで落ち合っているのです。百六十マイル進んだその実績において、国際地理の上に大和雪原という名前と、開南湾という名前でちゃんと個人の力で載っている。これが私はすばらしのんじゃないかと思います。われわれ国会議員も、明治の国会のように、採択し決議をしながら金を出させないような、ばかなことをしないようにしなければいかぬ。大いに反省の材料になる。  しかも、その個人の努力が、われわれが独立した平和条約でこういうようにっておる。平和条約の第二条(e)項にこう書いてある。「日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すベての請求権を放棄する」と書かせられてある。それをつきつけられてオーケーせざるを得なかった。私はその面からいたしましても、明治の時代の諸君の元気というものが、南極にそれほど大きな歴史というものをつくった。しかも、その歴史というものが、国際地球観測年というものをきっかけにいたしまして、世界が南極大陸に眼を向け、その間、文部次官あるいは内田次官のおっしゃったように、過去六回にわたって観測隊を送り、そのうち四回が越冬しておる。そして中曽根委員のおっしゃったように、世界の科学者が、今度参りますというと、ぜひ再開せよと言われる。  村山越冬隊は、一昨年やはりサウス・ポールを目ざしております。白瀬中尉の場合にはそりでありますが、今の時代はスノー・キャット、雪上車である。にもかかわらず、零下五十三度ですから、キャタピラがみな折れたり、こわれたりいたしまして、七十五度の線でやめて、戻った。しかも、世界の地図の中に、これははっきりと不到達地帯と書かれてある。私は、今日アメリカ、ソ連が宇宙衛星を打ち上げて、月の裏側まで写真をとって、気の早い諸君の中には、国内の土地が高いものですから、月の土地まで予約する。しかし、自分の立っておる地球、自分の立っておる大地、ここに不到達地帯というものを許していいか。しかも、それを日本に期待されているとするならば、科学技術のこれは大きな責任であり、やらないことは科学の恥じゃなかろうか、こういうことを私は痛感するのであります。  アメリカその他の諸君を話をしましたときに、まず再開してお互いがやろう。しかし、静かなる太陽の年は五十年に一ぺんであり、三十九年から始まります。そのときは再開できない、船は行けないことは確実であります。今から船をつくっても間に合わない。再開するという根本原則をきめたからには、私は次の手として、よその基地あるいは輸送船など、あるいは日本の科学者がいろいろなところで共同研究する要請もできるのじゃなかろうか。こちらの方が主体性がなくしては、よそに頼んでも、これは恥になるのじゃなかろうか。その点も、実は申し入れをして参りました。現にバード基地に参りますと、氷の中数十メートルのところに研究所があります。その中では、去年札幌大学の清水君が越冬して共同研究している。こういうふうに積極的に今から要請もできる、お願いもできる、こういう気になったのであります。  白瀬中尉は百六十マイルしか行けなかった。村山越冬隊も行っておるにもかかわらず、とうとう南極点まで行けなかった。そこに、人の飛行機でありますけれども、南極点にわれわれが立った。私は先人のそういう苦労をしのびながら日の丸の旗を三人で上げて参りましたが、世界に要請されていること、それをぜひ大きく一つ解決してもらうようにお願い申し上げたいと思います。  ということは、一つの例を申し上げますと、ここにスコット基地という二ュージーランドの基地があります。わずか人口二百五十万ですが、そこの越冬隊は二十名です。日本は十六名。人口二百五十万で、社会保障で働かぬでも食える国民、それが二十名も越冬している。そのうち科学者が四名、あとはみな氷を掘る者、あるいは大工、左官というふうな青年諸君です。いずれも国内で公募をして、十倍、二十倍の諸君の中から選んでここに行っている。非行少年の関係を、警察、法務省の手をわずらわすことも大切でしょうけれども、日本の青少年の諸君をして、あるいは白瀬中尉にあやかるような気持を持たせることが、どんなにかすばらしい青年対策になりはしないか。科学の委員会で人づくりの話を申し上げて、はなはだ相済みませんけれども、私は大きな国の政策じゃなかろうかと思う。  私たちは、ぜひともこれを再開してもらう。その空気を大きく起こすために、具体的には、今文部省で出している予算でありますけれども、科学技術の先生方、あるいは大臣なり政務次官なども御協力いただいて、できた暁には、これは日本全体の科学の水準向上、国際協力ということになりますから、だんだんの御努力を、ここ一週間お願い申し上げたいと思う次第であります。

中曽根康弘自由民主党

○中曽根委員 ただいま長谷川さんの申された通りでありますが、私は一つのことを速記録に記録しておいていただきたいと思うのです。それは、われわれが南極に十日間滞在し、フィジー島からハワイを経て日本に帰って参りましたが、ハワイで総領事館のあっせんで、邦人約二百名ばかりの有力者を集めてくれて、一晩南極の話をいたしました。その際、昭和基地の映画を村山君が見せてくれまして、われわれもこもごも立って南極の実情を訴えましたところ、会が終わりましたときに、ハワイの在留同邦の五十才くらいのおばあさんが、ぜひ昭和基地を開きなさい、私はお金を置いていきますと言って、十ドルの紙幣を置いていってくれたのです。それを見た邦人全部が、ほんとうだ、われわれもお金を出しましょうと言って、みんなで一ドルあるいは五十セントのお金を置いていってくれて、実に百三十ドルのお金を即座にその場で置いていってくれたのであります。われわれはそれを見て非常に感激いたしました。  ハワイにおる在外同胞も、日本のそのような科学調査や南極に進出するという雄図に対しては、非常なる期待と熱願を持っておるわけであります。その在外同胞の心は国民の心にも通ずると思うのです。このような真心をどうか政府当局は意に体して、万難を排して昭和基地を再開するように、ことしの予算において確保してもらいたい。このことをつけ加えまして、長官の御意見を承りたいと思います。

近藤鶴代自由民主党科学技術庁長官

○近藤国務大臣 中曽根委員並びに長谷川委員から、こもごも非常に御熱心な御意見がございまして、私もすでに、南極探検と申しますか、昭和基地をつくるまでの壮途が中途で挫折をいたしておりますことは、まことに残念なことだと思っております。従いまして、日本の国自体の科学的な研究の立場から申しましても、または国際的協力という点から申しましても、何としても再開されなければならないということは強く感じておるわけでございます。幸い文部省の方で予算の要求が出ておるそうでございますので、私も、微力ではございますけれども、全力をあげてその実現を期して参りたいと思います。(拍手)

齋藤憲三自由民主党

○齋藤(憲)委員 関連して。私は御質問申し上げますよりは、文部当局並びに科学技術庁当局へ要望を申し上げておきたいと思うのであります。  それは、科学技術振興対策特別委員会において、昭和三十七年二月十五日と二月二十一日の両日にわたりまして、南極観測再開に関する質問を私は申し上げておるのであります。その質問の要点は、南極条約を締結しておりながら、いずれの国にも何らの通報なしに南極観測を中止したのは、南極条約に盛られた精神をじゅうりんしていないか、南極条約の義務違反してないかというような質問を申し上げてあるのであります。これに対して当局は、南極条約に盛られておる義務の違反とは思わないけれども、その精神を遂行していないということは事実である。従って、なるべくすみやかに南極観測を再開したいという意思の表示をしておられるのであります。私は与党でございますから、あえて南極条約に関する追及はそのときは申し上げませんでしたけれども、何回も南極条約を読んでみますと、確かに南極条約に盛られている義務というものは、これは無警告に一時放棄したという義務違反になっておるのではないかということを、私は常におそれておるのであります。  従いまして、今回中曽根、長谷川両代議士が南極現地を踏査して、その重要性を痛感せられましたのを承りますと、特にこの問題は国際信義の上からいっても、日本は即時再開をはかる準備を強力に推進する必要があると思っておるのであります。質疑応答を一々ここで読み上げてその委員会における模様を申し上げる必要はないと思うのでありますが、今読み返してみますと、文部大臣の答弁から申しましても、当時の科学技術庁長官であります三木先生の御答弁からいたしましても、これはもうなるべく早くやらなければいけないのだ、問題は三十九年度の静かなる太陽観測に間に合うか間に合わないかということが非常に論議されておるのであります。従いまして、もう二月のことでございますから、これは三十八年度予算編成までには、文部当局及び科学技術庁当局は、十分この問題を国家の問題として、三十八年度の予算には当然再開の準備を行なうべき予算の要求が何らの支障なくして盛り込まれるようになっているものだと、私はさように考えておった。しかるに、この点は今から伺いますと、あまり熱心にやられておらなかった。しかも、きのうですか、おとといですかの新聞を見ますと、大蔵当局は南極観測に関する予算はこれを認めないという方針にきまった。これはまことに現内閣の内閣の内部において南極観測問題の取り扱いが粗漏きわまりなきものであったのではないか、粗漏でなくて情熱が足りなかったのではないか、南極観測を非常に軽視しておったのではないかというふうに私は感ぜられるのであります。いやしくも、この国会において決議が上げられ、数回質疑応答が重ねられ、当局が最も早い機会において再開を約しておりながらも、静かなる太陽観測の年が三十九年に迫っておるのに、三十八年度の予算がもたもたしておるということは、私は非常に心外だと考えるのであります。文部当局から、従来南極観測に関する三十八年度の予算が編成に対して大蔵当局その他政府部内においていかなる交渉をお続けになったか、それを一応承っておきたいと思うのであります。

内藤誉三郎文部事務次官

○内藤説明員 御決議の趣旨を尊重いたしまして、政府部内でも実は検討しておったわけです。南極観測を中止いたしました最大の理由は、太陽黒点の最も活動活発な時期に国際協力によって観測事業を続ける、この任務は一応果たしたわけです。当時は臨時応急的な体制で南極観測推進本部を設けまして、関係各省の協力を得ておった。それから、宗谷も実は古い船であって、十分な効果は期待できない。こういうような臨時応急的な体制でやることは実は無理でございましたので、中止した。  しからば、今度再開するにあたりましては、御決議の御趣旨もございますように、恒久的な体制にしなければならぬし、砕氷船の建造もしなければならぬし、航空機の製造とか要員の確保こういうような点が問題になって、将来問題小委員会において十分検討を続けておったのでございます。ただ、その間におきまして、相当多額な経費も実はかかりますので、関係各省の連絡調整をはかることにいたしておりましたが、なかなか意見統一が実はできなかったというのが実情でございます。  そこで、先般長谷川、中曽根両委員が村山前越冬隊長とともに南極基地の実情をつぶさに観測され、その必要性を痛感されてこられたわけでございます。この際、政府側と申しますか、南極観測本部におきましても会合を開きまして、その御趣旨を体しまして、また科学技術特別委員会の御決議の趣旨も体しまして、ともかくおそまきながら要求を出したわけでございます。と申しますのは、四十八億という金は相当多額な金でございます。初年度にどの程度とるかということは、一つ問題でございます。いずれにいたしましても、五十億程度の金でございますし、今後の実施につきましていろいろと関係各省の協力も得なければならぬので、これは文部省だけでできる仕事でもございません。こういう点で、手間取ったことは大へん遺憾でございましたが、一たび要求を出しました以上、これは貫徹すべく最善の努力をいたしたいと思っておりますので、御了承賜わりたいと思います。

齋藤憲三自由民主党

○齋藤(憲)委員 そういう御答弁を承ると、なかなか質問がやまらなくなるわけでありますが、これは時間の関係上きょうは一切省略さしていただきますけれども、南極観測というものは何も終わったわけじゃありません。南極観測を今後三十年間、お互い約束ずくでやっていこうというのが南極条約なんです。でありますから、地球観測年から宇宙観測年に切りかえて、十二カ国が相談をして、地球観測の状態をそのまま続けていって、そうして三十年間南極においてやろうというのが南極条約であって、何も南極観測は終わったから中止したということにはなっておらぬわけであります。  ただ、私の承っておきたいのは、私が二回にわたって当委員会において南極観測に対して質問をいたしましたきっかけは、同僚前田代議士がアメリカへ参りましたときに、アメリカ当局から、漏れ承かるところによると日本は南極観測をやめるという風評がある、もしそういうことがあったならば、それは日本の威信にも関するし、また南極観測の共同体制もくずれるから、もしアメリカにおいて日本の不備を補うに足るだけの努力をする点があったならばそれを一つ協力したい、そういう申し出があったということです。そこで私は、いかなる理由をもって南極観測を中止するのかと言ったらば、それは宗谷だ、輸送能力がないのだ。ところが、アメリカでは、日本に輸送能力がなければアメリカがその輸送だけは担当してあげてもいいという意思表示があったのだ、それを一体日本はどう受け取るのかということを質問申し上げてあるのですけれども、それに対しては、何らの決定的な意思表示も政府当局としてはない。  先ほどのお話を承りますと、静かなる太陽の観測が三十九年から開始される。それにはやはりわれわれとしては、どうせ静かなる太陽の観測を行なうならば、最初から観測してもらいたい。一年間おくれて観測してみたって、過去一年間のおくれたところのデータというものは日本が取り戻すわけにはいかないのだから、どうせ三十九年度の静かなる太陽の観測が始まるならば、やはりそのときから観測をするということは、科学技術の建前から当然やらなければならないことだと思う。アメリカからそういう意思表示があったのを、その意思表示をも受けないでどうして中絶するのかという質問を私はしてあるのでありますが、それに対してはあいまいもこたる返答しかしておられぬ。  だから、三十八年度から再開の予算目標を立てて、そうしてこれを獲得するという二とに対しては、われわれもできるだけの御協力を申し上げたいと思っておるのでありますけれども、問題は、三十九年度からの静かなる太陽の観測に対しては当局はどう考えるか、いかなる国際的な協力を受けてもこの観測には参加するということを考えておるのかどうか、ということを伺いたいと思います。

内藤誉三郎文部事務次官

○内藤説明員 ともかく現段階におきましては、三十八年予算におきまして南極再開の方針をきめるべく必要な予算を獲得することが先決だろうと思っております。それにいたしましても、現在の計画では四十年にしか間に合いませんので、御指摘のように、三十九年に静かなる太陽黒点の活動を観測するには間に合わないわけであります。しかしながら、再開の方針が決定いたしますれば、十分諸外国に、三十九年の観測についても協力を求めることもできるだろうと思うし、また協力もしていただけるだろうと思っておりますので、三十八年度予算が決定した後において、早急にこの問題に対する態度をきめたいと考えております。

齋藤憲三自由民主党

○齋藤(憲)委員 この南極観測は、先ほど長谷川代議士からお話があったのでありますが、白瀬中尉の五十一年前の壮挙は、私の郷里と同じところから生まれた白瀬中尉でありますから、私、特に関心を持っておるのでありますけれども、新時代的な科学技術の進歩体制から参りますと、南極観測を一時でも中止しておるということは日本の科学技術振興体制から見て非常に遺憾なきわみであります。私は、南極条約があるにかかわらず、宗谷でもって人を運べないからというがごとき簡単な理由から、南極観測の中止を一時でもやったということは非常に残念に思っておるのであります。科学技術を表芸としておる科学技術庁においても、この問題はぜひとも重点的に考えていただかなければならない問題だと思うのであります。事文部省の予算に関しておるということ、科学技術庁は南極観測というものに対して従来直接責任を持っておらなかったということ、そういう点から考えますと、責任が非常に軽いように思いますけれども、科学技術の振興という点からいきますと、これは文部省所管というよりは、むしろ科学技術庁の所管に移して、本式に南極観測をやるということが日本の科学技術振興体制確立の上においては適切じゃないかという考えを持っておるわけであります。しかし、今ここでそういうセクショナリズムなことを申し上げてもいたし方がありませんが、どうか一つこの問題につきましては、科学技術庁も文部省と同じ責任を持っておるという立場において、予算の獲得その他万全の処置に対して強力な推進をお取り計らい願いたいと思うのであります。この点に対して近藤長官の御所信を承りたいと思います。

近藤鶴代自由民主党科学技術庁長官

○近藤国務大臣 先ほど中曽根委員と、長谷川委員のお話のあとで申しました所信の通りでございます。

寺島隆太郎自由民主党

○寺島委員長 次に、日本原子力研究所に関する問題について調査を行ないますが、都合により暫時休憩いたします。   午後零時四十八分休憩      ――――◇―――――   午後一時三十七分開議

寺島隆太郎自由民主党

○寺島委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。  本日はこれにて散会いたします。   午後一時三十八分散会

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