法務委員会 第9号
- 発言数
- 21 件
- 登壇者
- 7 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1962/02/28
会議録
○河本委員長 これより会議を開きます。 法務行政及び人権擁護に関する件について調査を進めます。 質疑の通告がありますので、これを許します。赤松勇君。
○赤松委員 本日は、吉田石松君の人権に関する問題につきまして質問をし、さらに本委員会で調査を進めたいと思っておりますけれども、その前に特に最高裁あるいは検察庁等にお尋ねしておきたいことが一点あるわけであります。 それは、去る二月二十二日の新聞の報道によりますと、東京放送が十時五十分から三十分間テレビ放送をすることになっておった「真犯人は誰か、丸正事件」の放送に関しまして、最高裁、最高検、司法協議会——これはおそらく在京の判検事、弁護士有志をもって構成されておる会であると思うのでありますが、最高裁、最高検、司法協議会が二十一日の午後東京放送に対してこのテレビ放送の中止を申し入れた。その中止を申し入れました理由としては、いわゆる裁判の公正を欠くおそれがあるというのがその理由になっておるわけであります。その点につきまして、刑事局長からその間の経緯につきまして御説明を願いたいと思います。
○竹内政府委員 ただいまお話しのテレビ番組は、丸正事件の犯人はすでに有罪判決を受けている李得賢らではなくして、被害者の実兄夫婦であるという主張をいたしましたことによって、現在名誉棄損罪で起訴されております正木ひろし弁護士、鈴木忠五弁護士両名らの指導によって録画されたものであるという報道がなされておりました。これは二十一日の毎日新聞の朝刊に掲載されております。そこで最高裁判所事務当局、それから在京の検察庁、在京の三弁護士会等の各関係者が、右放送は現に係属中の裁判事件について裁判の公正を疑わしめるようになるおそれがあるというふうに考えまして、それぞれ二十一日TBS当局者に放送の中止を含む善処方を要望したというふうに承知しておるのでございます。同放送では、結局TBS当局者自身の判断によりまして中止されるに至ったものであるというふうに聞いておる次第でございます。
○赤松委員 東京放送が放送を中止するかしないかということは、放送局自身の自主的な判断によってきめる問題でありまして、これを私は今問題にしておるわけではないのであります。問題は、いわゆる憲法二十一条によって保障されております表現の自由、報道の自由に対しまして、司法当局が中止の申し入れをする、あるいはその報道の自由を侵害するような申し入れをするというところに問題があると思うのであります。私は不敏にしてよくわかりませんが、私の記憶によりますと、かような事件はかつてないと思っております。すなわち、司法当局が報道関係に対しまして直接かような申し入れをしたというような事実はかつてないと思うのであります。一体東京放送が放送しようとしておった「真犯人は誰か」というこの放送内容は、いわゆるドラマなのかどうか。つまり現に行なわれた裁判もしくは行なわれようとしておる裁判に対しまして、何か裁判上容喙するような企図で作成されたものなのかどうか。あるいは単なるドラマであるのかどうか。私の聞いた範囲によりますと、東京裁判はセミドキュメンタリー番組ということでこの番組を編成したということになっておるわけであります。それが非常に客観性が強い場合におきましても、テレビでドラマとして放送することに対して一々司法当局が申し入れを行なう、あるいは報道の自由を侵害するということは、憲法の建前から言って断じて許してはならぬ。こういうふうに思うわけでありますけれども、人権擁護局長はこれに対してどうお考えになりますか。
○鈴木政府委員 ちょっと赤松先生におわびしなければいかぬと思いますが、実は、質問事項は、この件につきましては私の方にはないと思って十分な準備をいたしておりません。ただ問題は、このTBSが放送しようとしたその内容がどういうものであったかということを具体的に知りませんと、何ともお答えができないのでありますが、はっきりどういうふうな内容のドラマであるのか、それがよくわかりませんので、その点今すぐお答えは、仮定的な質問ならばお答えが……。
○赤松委員 仮定的な質問ではありません。あなたの方が答弁をする用意に欠けておるというだけのことであって、仮定じゃありません。冗談じゃありません。私は、事実を事実として、あなたに質問しているわけです。ですからそんな仮定とか、吉田みたいな答弁をしたってだめですよ。ですから私は無理なことは言いませんから、人権擁護局長は、その間の経緯が十分わからない、あるいはこの「真犯人は誰か」という番組の内容及びこのシナリオがよくわからないということになりますならば、答弁のしようが実際はないと思うのですね。従いまして、きょうここで無理に言えというようなことは申し上げません。従いまして、局長の方で十分これを調査していただきまして、後日この委員会におきまして再度私は質問いたしますから、その際これを明らかにしていただきたい。なお、刑事局長に対する質問も、私は留保しておきたいと思います。 ただ繰り返し申し上げますけれども、この表現の自由に対しましては、御承知のように政防法等も非常に問題になっておるおりからでありますから、非常に慎重を期してもらいたいということだけを申し上げまして、次の質問に移りたいと思います。
○鈴木政府委員 私の言葉が足りませんで、仮定的な質問という意味ではございません。仮定的な問題としてなら私は今その内容を、こういうふうな問題であれば、表現の自由にどう関係するかということならお答えできるという意味でありますからあしからず。
○赤松委員 それから念のために言っておきますが、昨晩の朝日新聞の夕刊に、「丸正事件の放送中止」という投書がありまして、これは東京の野見隆介、三十七才、文筆業でございますけれども、これが「二十一日夜の、TBSテレビ「丸正事」件の放送中止は、考えさせられるものがある。TBSでは、放送倫理規定にふれるので自主的にやめたと称しているそうだが、司法協議会などからの申入れが無かったら、おそらく放送したに違いない。殺しの場面など、近ごろのテレビでは一般化しているのだから自主的中止は言逃れに過ぎないと判断される。司法協議会の理由は「裁判の公正を疑わせる企画」ということらしいが、私はそういう発想に反対する。裁判の公正に対する信頼は、裁判の公正そのものによって保たれるべきなのであって、それ以外にはあり得ない。それが確保されていれば、それに疑いをはさむ批判は、批判者の敗北として終るのであり、そのことは、裁判の公正と権威を一層増すであろう。批判そのものを押え、それによって権威を保とうとする考え方は、民主主義とは正反対のものであり、自らの権威に泥を塗るものであろう。」こういう投書も載っておりまして、世論必ずしも司法当局のやり方に対して賛意を表していない。非常に批判的であるということも十分お考えの上で、問題の重要性を認識して調査していただきたいということを希望しておきます。 続いて、日本の巌窟王と言われ、今日大きな問題になっておりますところの吉田石松君の事件に関しまして、この際質疑を行ないたいと思います。質疑の便宜上、この事件を担当されて参りました日本弁護士連合会の人権擁護委員であるところの小田良英弁護士と、それから同じく人権擁護副委員長の後藤信夫弁護士が来ておられます。そこで後藤弁護士と、それからこの事件において過去四十年間、無罪を主張し続けて参りました吉田石松君がわざわざ栃木県の片いなかから本委員会の調査のために上京していただきまして、今うしろの傍聴席におられるわけであります。ぜひ参考人として招致をお願いしたいと思います。
○河本委員長 この際お諮りいたします。 ただいまより本件について吉田石松君、後藤信夫君のお二人を参考人として御出席願い、その意見を聴取いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○河本委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。
○赤松委員 ただいま参考人にしていただきました吉田石松君でありますけれども、吉田君は、大正二年の八月十三日、愛知県におきまして発生をいたしました強盗傷害事件に連座をされまして、第二審の大正三年七月三十一日、名古屋控訴院におきましては、最初死刑、置いて無期懲役の判決を受けられたわけであります。それから第三審は、大正三年十一月三日、大審院におきまして被告の上告が棄却をされまして、そこで服役をいたしまして、大正三年の十一月三日に小菅監獄において服役を開始したのであります。続いて大正四年秋田の監獄に移送され、大正七年再び小菅の監獄に移送され、その後間もなく遠く北海道の北端の網走の刑務所に移送され、大正十四年十月一日に再び秋田の刑務所に移送されました。そうして昭和十年三月二十一日に仮出獄をされまして、服役の期間は実に二十年四カ月十九日の長きにわたっているわけであります。 その間、先ほど申し上げましたように再審関係を申し上げますと、大正七年に大審院に対し再審を請求され、同年三月一日棄却判決があり、大正十一年大審院に対し再審を請求され、同年十一月二十二日棄却判決があり、昭和十二年大審院に対して再審を請求され、昭和十九年に棄却が決定をいたしました。さらに昭和三十二年九月十八日名古屋高等裁判所に対して再審を請求され、昭和三十四年七月十五日に棄却が決定され、同二十六日最高裁判所に対して即時抗告をされ、同年八月三十一日棄却が決定され、昭和三十五年十一月二十八日名古屋高等裁判所に対して再審を請求いたしました。ところが、昭和三十六年四月十一日再審開始が決定をされたわけであります。しかるに同月十四日検察官から同裁判所に対して異議の申し立てがありました。昭和三十七年一月三十日、この四十年間無罪を主張して参りました吉田被告の長い間の冤罪の叫びは、あえなく、この検察官の異議申し立てによりまして、また裁判所の、私の判断によれば間違った判決によりまして、原判決を取り消し、本件再審請求を棄却するということが決定をされまして、ただいま参考人にお呼びいたしました後藤弁護士などは全く犠牲的な立場から、また人道的な立場から最高裁に上告をされておる、こういう事件であるのであります。 実は私は吉田さんとは初対面でございまして、その間この事件を取材いたしました当時の名古屋新聞の記者にも会いましたが、全くこの事件は無罪である、自分はあらゆる点から客観的に考えて無罪を確信する、従ってぜひ衆議院の法務委員会に呼んでもらいたい。これは池田君だけじゃありません。藤田幸男君というやはり新聞記者も、同様人道主義の立場から、あくまで自分は無罪を確信をする、その客観的な証拠は十分あるのだ、こういうことを主張されておるのであります。 判決のよしあしにつきましては、ここであえて論じようとは思いませんが、少なくとも四十年間無実の罪を叫んでこられました吉田さんは、私、よく年令は存じておりませんけれども、おそらくもうよわい八十を越えておられると思うのであります。従いまして、最高裁がその上告を認めてくれますならば、裁判所においてその無実を主張する機会が与えられるわけでありますけれども、もしそれが与えられないとするならば、一体吉田さんは、どこに向かってその無罪を立証する機会を得られるだろうか。また、だれに向かって訴えることができるだろうか。まことに民主憲法のもと、私どもはだえにあわの生ずる思いがするのでありまして、これは今日単に一吉田さんの問題ではない。すなわち、冤罪によっていつ何どき再び第二、第三の吉田事件が発生するかもしれないということを考えてみますると、事件は全く重大性を帯びておるというように私は考えるのであります。 そこでおそらくこれが最後の機会にならぬことを私は希望しておきますけれども、すでに共犯の海田某も相当な年令に達しております。本法務委員会におきましては、立法府の立場から、さらに国政調査権を有する本委員会といたしましては、四十年間無実の罪に泣き、さらに三十数回の懲罰を受けながらも、なお監獄において終始一貫無罪を主張して参りましたこの吉田石松君の事件につきましては、どうぞ党派を離れて、高い人道的な、ヒューマニズムの立場から問題を取り上げていただきたいということを委員長や各同僚の皆さんにお願いを申し上げる次第でございます。 そういう意味におきまして、なお、つけ加えておきますが、吉田君は、警察においても、検察庁におきましても、あるいは刑務所におきましても、自分は犯人だ、自分がやったのだということの自白はかつて一回も行なっていないようであります。しかも、その自白のないままに今日このような状態になっておる。その生涯をまさに無実の罪でもって苦しみ通したというところの、このことはわれわれとして看過できない問題であると思うのであります。 そこで私は委員の皆さんには恐縮でありますけれども、事件がこのように重大でありますだけに、名古屋高等裁判所がどういう客観的な立場から再審請求、これを受け入れて、そうして開始をするという態度をきめたのであるか、この点につきまして判決文をぜひ国会の記録にも残し、かつ委員の皆さんにも認識をしていただきたい、こう思いますので、以下若干の時間を拝借いたしましてこれを朗読したいと思います。 主 文 本件について再審を開始する。 理 由 第一、再審事由の要旨 本件再審請求の理由とするところは、弁護人円山田作等十二名共同名義の再審請求書に記載するとおりであるが、その要旨は、請求人は強盗殺人被告事件につき大正三年七月三十一日当裁判所(当時名古屋控訴院)において請求人が大正二年八月十三日北河芳平、海田庄太郎の両名と共謀し戸田亀太郎を殺害し金一円二十銭在中の財布一個を強取したという理由で無期懲役に処せられ、上告の申立をしたが、上告棄却となり、右有罪判決はここに確定し、請求人はその刑の執行を受け了ったものである。しかしながら請求人は毫も原判決認定のような強盗殺人の犯行に加担したものではなく、全く関知せざる事実であるから、つぎの二つの理由によって再審の請求をなすものである。すなわち、 (一) 原判決において請求人の有罪の証拠とされている共犯者という(1)海田庄太郎の原審公判における証言、(2)北河芳平の予審調書並びに原審公判における証言は右両名のその後における供述によっていずれも虚偽であることが明となった。しかるにすでに右海田庄太郎については偽証罪の公訴時効が完成しており、また右北河芳平も死亡しておるため、いずれもその偽証罪につき確定判決を求めることができないので刑事訴訟法第四百三十五条第二号、同第四百三十七条によりその各証言が虚偽であった事実を証明しようとするものである。 (二) 原審において有罪判決の言渡を受けた請求人に対し無罪を認めるべき明な証拠として花村志づ、堀場貞助等の供述のようなきわめて有力な証拠があらたに発見されたので、この花村志づ、堀場貞助というのはあとからここに出て参りますけれども、アリバイを立証した証拠になりますが、 これらの証拠によって事件当夜における請求人のアリバイの成立を明らかにし同法第四百三十五条第六号により本再審請求に及ぶというのである。 第二、本件事案の概要 本件再審請求の記録を精査するに、請求人石松は所論の強盗殺人事件につき、大正三年四月十五日名古屋地方裁判所において、請求人が北河芳平、海田庄太郎の両名と共謀の上、大正二年八月十三日戸田亀太郎を殺害し金一円二十銭在中の財布を強取したという理由で死刑に、右芳平、庄太郎の両名は夫々無期懲役に処せられ、芳平、庄太郎は直ちに服罪したが、請求人は当裁判所(当時名古屋控訴院)に控訴したけれども、大正三年七月三十一日死一等を減ぜられたとはいえ、結局芳平、庄太郎と同様無期懲役に処せられ、さらに上告したが、同年十一月三日大審院の上告棄却の判決があって、ここに前記控訴判決は確定しその刑の執行を受けるにいたった。しかし乍ら請求人は右被告事件については、終始一貫その犯行を否認し続けていたもので、右判決確定後もつねに冤罪を訴え、入監後も囚衣をまとい労役につくを肯ぜず、囚衣というのは囚人の着る着物です。ために不労囚の烙印のもとに北辺の網走刑務所におくられ、その間懲罰を受けること実に五十有三回に及んだけれども、あくまでこれに屈せず、再審の請求をなすこと数回、司法大臣に対し請願をなすことまた数回いずれもその目的に達するには至らなかった。かくて斗争嘆願に明けくれている間に二十有余年の歳月が流れ、昭和十年三月二十一日漸く仮釈放の恩典に浴し、秋田刑務所を出所したのであった。しかし請求人は出所するや、その足で直ちに秋田警察署に赴いて右庄太郎、芳平両名の所在捜査を依頼し、爾来屑屋となって諸所を彷遑し、右両名の所在を捜しもとめその冤罪を叫びつづけているうちに、ついに報道関係者の協力を得て、両名の所在を捜しあて、記者立会のもとにこれと会見し、夫々請求人を冤罪におとしいれたことを認める詫状や覚書をとることができたので、昭和十二年中またも大審院に再審請求に及んだのであるが、いかなる理由によるものか、これまた太平洋戦争が苛烈をきわめていた昭和十九年中ついに棄却されてしまった。かくて終戦を迎え、請求人は皈農したが、その窮乏の時代においてもいささかも不義不正に組しない行と、少しも前科を隠そうとしないで一途に冤罪を叫び続ける同人の声は次第に村民の胸をうち、もう一ぺん読みます。請求人は皈農したが、その窮乏の時代においてもいささかも不義不正に組しない行と、少しも前科を隠そうとしないで、一途に冤罪を叫び続ける同人の声は次第に村民の胸を打ち、隣接町村六百名にのぼる再審嘆願の署名となり、さらに法務省人権擁護部の活動をみるまでにいたったものである。そこで請求人は畢世の願をこめ昭和三十二年当高等裁判所にまた再審請求の申立をなしたが、やはり資料十分ならず、昭和三十四年七月十五日棄却されるにいたったが、多年探しもとめていた花村志づ、堀場貞助等をついに捜しあてたので、齢はすでに八十歳をこえ、余命いくばくもない請求人としては、もしこれが冤罪とすれば、青天白日の身となりうるおそらくは最後の機会として、本申請がなされるにいたったものとなることが窺われる。第三、第一、二審判決の検討 本件再審請求は叙上の如く、その対象たる判決がすでに大正三年十一月三日に確定したもので、その強盗殺人事件なるものはいまを去る四十数年前のできごとである。しかもその間太平洋戦争の相重る戦禍によって、その事案の訴訟記録はほとんど焼失し、わずかに第一、二審判決をとどめるに過ぎないのであるが、さいわいこの二つの判決にはいずれもきわめて詳細な証拠説明がなされているので、まず右両判決を仔細に対比検討することによって、本件再審理由の当否を判断する資とするほかはない。 (一) 認定事実について 第一、二審判決の罪となるべき事実の記載は共犯者三名にかかる強盗殺人事件のそれとしては異例なまでにいずれもきわめて簡潔なものであるが、しかもこの両者の内容を比較検討してみると、つぎのような重要な諸点において両者はことごとく、その認定を異にしていることが一見して明である。もとより第一、二審判決の認定の相違もそれ自体としては何んら怪しむに足りないが、ただどうしてかように多くの重要な諸点に関し認定の相違を来たしたかについてはなお深く探究すべきものがあるようにおもわれ、本件事案における事実の認定がいかに困難をきわめたかを窺い知ることができる。両者の認定の相違点はつぎのとおりである。 (1) 犯行の動機と犯意を生じた時期 第一審判決では八月十三日請求人石松が繭の空籠を載せた戸田亀太郎を見て、同人が繭の売却代金若干を所持しているものと思い、これを強取しようと悪心を起し、そのことを庄太郎と芳平に諮ったというのに対し、第二審判決では八月十三日夜請求人石松、芳平、庄太郎の三名が亀太郎を殺害し、その所持金を強奪せんことを企てとあるのみで、犯行の動機や犯意を生じた時期についてはなんら判示されていない。この点はとくに認定の相違というほどのものではないが、第二審判決にいたってこのような漠然たる認定がなされるようになったことがまず看過されてはならない。 (2) 芳平の玄翁による殴撃についての使嗾者 第一審判決では請求人石松が芳平をうながして亀太郎の背後から玄翁で同人の頭部を殴撃させたとあるのに対し、第二審判決では請求人の指図が削られ、芳平自ら亀太郎を殴撃したように判示されている。 (3) 被害者の褌を外しその頸部に巻きつけた者 第一審判決は庄太郎が亀太郎の兵児帯をのみで切断してその着衣を解き、褌を外してこれを同人の頸部に巻きつけたと判示しているのに対し、第二審判決は請求人が亀太郎の褌をはずし頸部にまきつけたと判示している。 (4) 被害者の財布を強取した者 第一審判決は庄太郎が亀太郎所持の一円二十銭在中の財布を強取したとしているのに対し第二審判決は請求人がこれを強取したものとしている。 かようにみてくると、第一、第二審判決における事実認定の相違は被害者が殺害され金品をとられていたという罪体事実に関する認定と請求人が尺八で被害者を殴打したという点を除いたほとんど全部にわたっているといっても敢て過言ではない。果してそうだとすると、かような全面的ともいうべき事実認定の相違がどうして生れてきたかという点について、つぎに両判決の引用証拠を対比して仔細に検討してみなければならない。 (二) 援用証拠について まず第一審判決の引用する請求人の有罪の証拠のうち、庄太郎、芳平の各供述調書は暫く措き、小野瓢郎の鑑定書によると、請求人の着衣に人血が附着していたことが窺われるが、右鑑定書には、請求人の着衣たる「単衣に存する九個の汚点中暗褐色の一小斑点は人血に基因するものと認む」とあるのみで、証第八号の玄翁に存する暗褐色の斑点や、芳平が犯行当夜着用していたという証第三号の単衣に存する五個の汚点が同鑑定書によって明なように悉く人血に基因するものであるのとは大いに趣を異にしている。血液型の研究の進歩していなかった当時としては、その九個の汚点の中の右一小斑点が人血に基因するということ以外にはこれを究明する術もなかったのであろうが、判示によると、芳平が玄翁をもって亀太郎を殴撃し、その直後請求人がさらに尺八で右亀太郎の頭部を連打したというのであるから、請求人の単衣にも芳平の着衣と同様、相当な返えり血を浴びるのが通例であるのに、九個の汚点のうちわずかに一小斑点のみが人血にとどまるというのはいかなる理由によるものであろうか。 こういうふうに疑問を出しております。「いかなる理由によるものであろうか。」と。 ことに同じく引用の検証調書によれば、被害者亀太郎が倒れていた附近は「血液の飛沫は籠並に車体の一部を染め又は破損せる菅笠、提灯、手拭等は附近に散乱し、なお暗紅色の血餅所々に潴溜せる旨」の記載があることからみて、ひとり請求人のみ血の飛沫を浴びないということは容易に首肯しがたい。また引用の大島直の予審調書によると、同人は千種町元古井で湯屋を営んでいた者で、犯行のあった「十三日夜九時半頃表に出て夕涼をなしいたる際、自分の立ち居る少し西の処にて一人の男が吃り声にて繭籠を載せたる荷車輓に道を教え居り又一人の男は早足にて自分の前を東へ通り越したり肩の張り工合、背恰好より考ふるに当時自分の前を東へ通り越したる男は示された男(請求人を指す)なりしと思われる」旨の供述をしているが、その証言自体からもうかがわれるように「肩の張り具合や、背恰好」からの推測に過ぎないような疑もあるし、その証言のように、もし足早に証人の前を通り過ぎた男が請求人石松であったとするならば、犯行に用いられたという尺八を持っているのが目についたはずであったと思われるのにその点については何等言及していないことが看過されてはならない。しかも右証言によると、同証人は被害者たる荷車輓のほかには吃りの男と東へ足早に通りすぎた男との二人しか認めていないことになるが、しからば第一審判決の認定する被害者のほかに共犯者が二人ではなくして三人いたという事実はどのように説明されるのであろうか。また第一審判決の援用証拠のうち請求人石松が犯行に用いたという証第十四号の尺八が判決に引用されていないのは、尺八に血痕の附着した形跡が認められなかったことによるのではなかろうか。 ともあれ第一審判決においては、芳平、庄太郎の前記供述調書のほかには請求人の着衣から一小斑点とはいえ、人血を検出しえたことをしめす小野瓢郎の右鑑定書が有力な証拠であったことはこれを窺いしることができる。 つぎに第二審判決は請求人石松の有罪の証拠として (イ)海田庄太郎、北河芳平の第二審公判における各供述 (ロ) 北河芳平の第一、二回予審調書 (ハ) 請求人石松の第二審公判における供述(当夜外出した事実とその時の服装に関するもの) (ニ) 大島直の予審調書 (ホ) 第二審公判における請求人、庄太郎、芳平三名の身長測定の結果 (請求人は庄太郎より約一寸、庄太郎は芳平より約一寸夫々身長が高い) (ヘ) 検証調書 (ト) 谷宝抱の鑑定書等が引用されているが、これを第一審判決のそれと対比してみると、第一審判決において有力な証拠とされていたとおもわれる請求人の着衣に人血を認めうるとする前掲小野瓢郎の鑑定書が、はやくもその引用証拠のうちからいかなる理由か、除外されていることがまず注目される。 第二審判決においても前掲大島直の予審調書は第一審判決と同様、しかもより詳細に引用されているのであって、これによると、「吃音の男より先きに東に通越し行きし男は黒色の単衣を着し、草履か麻裏を穿ち居り、吃音の男の方が少し小さき様思いたり」という供述記載があるほか第二審判決は公判廷における身長測定の結果、請求人より吃音の庄太郎の方が約一寸丈が低いという事実を認め、これを証拠として引用しているところからみると、第二審判決においては右大島直の予審調書を重視していることが窺われる。しかしながら、大島直の観察は先きにも触れたように、夕涼みにでて漫然と通行人を見ていた者の観察であるから、必ずしもその正確を保し難きものであることはいうまでもない。 さらに谷宝抱の鑑定書も第一審判決の引用よりはやや詳細になされておるが、これによると「戸田亀太郎の死体を検するに(イ)、(ロ)左右顱頂部後部の創傷、(ハ)右顳じゅ部より耳上を経て後頭部上は右顱頂部に達する膨隆(ニ)後頭部右側の膨隆は相当重量を有する鈍体にて他為的に打撲せられ生じたるものにして、死因は打撲の為め頭部に(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の諸創傷を生じ、頭蓋骨骨傷脳震盪脳表面出血に因る脳圧迫を起したるに因る」とあって、芳平が犯行に用いたという玄翁がここにいわゆる相当重量を有する鈍体であることは明であるが、玄翁とはその重量において比較にならない尺八が相当重量を有する鈍体にあたるか否かについてもなお疑問がのこるものといわねばならぬ。かようにみてくると、第二審判決引用の各証拠のなかで、庄太郎、芳平両名の供述、ないし供述調書の占める証拠価値は第一審判決におけるそれの比ではない。 そこでつぎに第二審判決引用の庄太郎、芳平の各供述ないし供述調書を第一審判決引用のそれと対比して仔細に検討してみよう。 (1) 共同謀議の点について (イ)庄太郎の第一回予審調書(第一審判決引用)によると、「自分は大正二年八月十三日雇主大西仲蔵方にて夕食を喫し、硝子工場へ皈らんとし表へ出てたる際被告石松に出会せし処、同人は自分に向い工場にて一泊せしめ呉れと頼みたる上、古井坂を上り行きたるを以て自分も跡を追い其坂を上り大久手停留場の軌道を北へ曲らんとせし際車上に繭の空籠を載せたる一人の荷車輓自分に向い萱場への道を尋ねたるに付自分は湯屋の表を過ぎ牛乳屋の処より電車道に出て之を北に進まばよろしき旨を教へたり当時自分は凡五、六間隔りたる処に居り被告石松に聞ゆる様態と大声を発し道を教へたるを以て石松は右荷車軌の行くべき道を知り何んとか為すならんと思い居たりしが、荷車輓は湯屋の前にて横道へ入らんとせしより若し横道に入らは石松が先きに聞き居たる道筋と異ることとなり、同人が事を為すに不便なりと思ひ道が違ふとて荷車輓を元教えし道へ引き出したり自分は石松が何を為すものと思いたりし故工場に赴き芳平に対し石松が繭の空籠を輓げる車輓を追跡せる由を語りたるに芳平は直く玄翁を携へ車輓を追駈け行きたる旨」の供述がなされている。第一審判決が引用している庄太郎のこの供述の内容からは同人が被害者に道を質ねられて教えるとき、わざと石松に聞えるように大声をだしたというのであるから、何かその時悪心をいだくようになったことは窺われるが、いつどこでどのようにして芳平やことに請求人との間にいかなる共同犯行の謀議が成立したかについては全く明にされていない。ただ庄太郎は右供述のなかで「石松が右荷車輓の行くべき道を知り何んとか為すならんと思い居りし云々」とか、「自分は石松か何か為すものと思いたりし故云々」ともいっているが、それだけでは強盗殺人の謀議としてはあまりにも曖昧なことはいうまでもない。 (ロ)芳平の第一回予審調書(第一審判決引用)によると、犯行の夜同人が雇われ先の大西仲蔵方の工場内にいると、「石松走り来り今夜よき仕事ある故手伝ひ呉れといひて立去り間もなく庄太郎も亦走り来りてよき仕事ある故行き呉れと述へたるより自分は玄翁を携え畔道を通り電車道を走り行きたるに石松は荷車の跡を付け行き自分に早くやっつけよと促したり云々」とある。第一審判決の引用にかかる芳平のこの供述内容からは「今夜よき仕事ある故手伝ひ呉れ」といったという請求人石松の言葉や、「よき仕事ある故行き呉れ」という庄太郎の言に対し、芳平がどうして玄翁をおっとり刀に手にしてとびだしていくようになったのか明でないし、少くとも請求人と庄太郎、芳平三名間に成立したという謀議に関する供述としてはまことに明瞭を欠くものといわねばなるまい。 (ハ)庄太郎の第二審公判における供述として犯行当日同人が「大西仲蔵にて夕食を為し表に出て居りたる処被告石松が来り今晩はと挨拶を為したり其処へ繭籠を載せたる荷車輓か西方より来り古井坂を登り行くより自分等も其後より尾いて電車道の処迄行きたる処其車輓は萱場に行く道を聞きしに依り自分に於て其道を教え自分等も教へし道を行きしに大島湯に達する手前に於て被告石松は自分に対し右車輓より金員を奪取せんと告げたり右車輓は大島湯の手前にて左に曲らんとしたる処被告石松は足早にて右車輓の処に行き、俺か道を教へ遣る故此方へ来れと云ひ其湯屋の前の方へ連れ行き、自分も其後より行きしに湯屋の前を通過し少し行くと石松は一寸番小屋に行き水を飲み来ると云ひ立去りたり自分と車輓とか電車道迄行きたる際には、既に石松は其処に来り待ち居りたり自分は其処より別れ番小屋に限りたるに芳平は石松か今夜金円を奪はんと云ひたりと云ひ玄翁を持ち近道より出て行きしに付き、自分も鑿を持ち其後より電車道に行きたるに云々」とある。庄太郎はかように第二審公判にいたりここに始めて、大島湯の手前で請求人石松から右車輓の金員を奪取しようという話をもちかけられたとか、番小屋に戻ると、芳平は石松が今夜金円を奪おうといっていたとか、請求人石松を介し三者間の謀議の成立したことをおもわせる供述をしているけれども、第一審判決引用の芳平の前掲第一回予審調書では請求人が「今夜よき仕事ある故手伝ひ呉れ」といったというに過ぎないし、第二審判決引用の芳平の第二回予審調書によると犯行の夜庄太郎が小屋へ戻ってきて、「今繭売りか荷車を親き電車道を北に行くか少くとも百円や百五十円は持ち居る故ばらして金を取る為石松が行き居るに付き手伝ひ呉れと申した」という供述があって、芳平をその犯行に誘ったのは請求人石松ではなくして、却って庄太郎のようにいっている。したがって庄太郎の第二審公判における証言のように請求人石松を介し三名間に謀議が成立したのが事実であるとするならば、請求人石松こそは警察、予審、公判を通して終始一貫自己の犯行を否認していたことが窺われるけれども、庄太郎、芳平の両名が予審や第一審公判においてもその犯行を自白し、請求人石松が首謀者のような供述をしながら、何故に庄太郎の右第二審公判における証言まで予審、公判におけるあらゆる角度からする取調(予審及び公判の取調がこの点に集中されたことは疑ない)に対し庄太郎、芳平の両名が謀議成立の経過についてのみ前記のような曖昧漠糊たる言葉で、これを隠さなければならなかったのであろうか。 (2)請求人の尺八による被害者の殴打の点について 芳平が原判示のように亀太郎の頭部を所携の玄翁で背後から殴った直後、地上に倒れた同人の頭を請求人「石松が所持の尺八で殴った」という点については、芳平の第一回予審調書(第一、二審判決引用)、庄太郎の第二審公判における証言は互に多くの矛盾撞着のうちにも、この点に関する限りはまことに符節を合するが如くであって、とくに芳平は右第一回予審調書において、この点につき詳細な供述をしている。すなわち「石松は荷車輓の後を付け行き自分に対し早くやっつけよと申したる故荷車輓の後ろに進み右手に玄翁を振揚げ力一杯二つ程荷車輓の頭を撲りたるに其車輓は後へ倒れる前一度荷車に積みたる空籠に頭を触れ其儘仰向けに倒れ石松は所持の尺八にて倒れ居る荷車輓の頭を三つ計り撲り云云」と芳平は供述している。 かように芳平がすでに玄翁で力一杯二回も被害者の頭を殴り血にまみれて倒れた被害者の頭をもし請求人がさらに尺八で三回も殴ったとするならば、前にもふれたように押収の尺八が血痕にまみれない筈もなくここで裁判所は特にカッコとして(特に周知のように尺八は孟宗竹の根部の根を削った部分をも含め之を利用して作製された楽器であってもし之を犯行の兇器として用いたものとすれば兇器としての威力の点から考へ恐らくはその根部の方で殴るのが普通であろうがそうだとすれば被害者の血液はその削られた根の部分に複雑な形で密着する筈である)、こういうように裁判所は疑問を出している。また請求人の着衣(証第十六号)に、たとえ芳平の着衣(証第十三号)と同程度でないにしても相当顕著な返り血の痕跡をとどめないわけがないようにおもわれる。しかるに兇器として用いられたはずの証第十四号の尺八は第二審判決においてもこれを証拠に引用していないところからみると、尺八には前記の如く血痕はもとよりこれを洗った形跡もなかったものと推測されるし、第二審判決が第一審判決の引用した請求人の着衣に人血に基因する一小斑点を認めうるとする小野瓢郎の鑑定書を引用証拠から除外していることにも益々疑が深められる。しかも芳平の右供述によると、請求人は仰向けに倒れている被害者の頭を尺八で三回殴ったというのであるが、被害者の創傷の部位は第二審判決引用の前掲医師谷宝抱の鑑定書によって明なように、「(イ)、(ロ)左右顱頂部の後部の創傷、(ハ)右顳じゅ部より耳上を経て後頭部上は右顱頂部に達する膨隆(ニ)後頭部右側の膨隆は相当重量を有する鈍体にて他為的に打撲せられ生したるもの云々」とあって、いずれも後頭部にちかく、仰向けに倒れている被害者を尺八で殴打したことに因る創傷であるとは容易に首肯しがたいことがとくに注目されねばならない。 (3) 被害者の褌をとってその首をしめた者について 庄太郎は同人に対する検事の第二回訊問調書(第一審判決引用)によると「自分は石松の指図に従い倒れ居たる荷車輓の首に褌を巻き付けたるに相違なき旨」供述しながら、第二審公判においては「自分が鑿にて車輓の帯を切り石松が其者の褌を外し首に巻き声を出さぬ様になし云々」とその供述を変更し、一方芳平の第一回予審調書によると同人は「捻声を止むる為め石松は庄太郎に命し荷車輓の褌を解かしめ之を以て荷車輓の口の処へ巻き付けたり」と供述し帰一するところをしらない。 (4) 被害者の死体からその財布を奪取した者 芳平は検事に対する第二回訊問調書において「自分は財布を取り之を番小屋へ持ち来りし旨」(第一審判決引用のもの)供述し、また同人の第一回予審調書にも「電車が来りたるより三人共其附近の黍畑に身を隠し電車の通過したる後又電車道に出て自分が懐中を改めたるに縞の財布に二十銭銀貨五個十銭銀貨二個ありたる旨」(第二審判決引用のもの)と供述しておるのに、庄太郎は第二審公判において「自分が財布を取りたるに、石松が其財布は俺に渡せと云ひしにより石松に渡し、石松は其場より何れへか立去り云々」と供述しこの両名の供述の矛盾撞着にはまことにただならざるものがある。 (三) 要約 かように芳平、庄太郎両名の供述は互に矛盾撞着をきわめ、変転つねなきものであるが、いまこころみに第二審公判における庄太郎の証言を主にして芳平の供述でこれを補足し両名の供述をまとめてみると、つぎのようなことになるであろう。 被害者の強殺は請求人石松が発意し、芳平、庄太郎の両名を順次仲間にひきいれ、石松が芳平を促して玄翁で被害者の頭部を二回殴打させ、石松自ら尺八で同人の頭部を連打し、石松が被害者の褌をはずし、石松自ら首をしめ、庄太郎のとった財布も石松がこれをとりあげていずれかへ立去ったということになる。 しかしそうなると、その犯行は請求人のひとり舞台といっても過言ではない位で、請求人は芳平、庄太郎の両名を手足の如く使っていたことになるが、共謀の上の犯行であるというのに両名がいちいち請求人に促されあるいは言われるままに行動したということも容易に首肯しがたいものがある。ことに庄太郎についてはそうなるところの犯行において同人の果した役割はわずかに被害者の財布をとって請求人に渡しただけだということになる。しかしそれにも拘らず、芳平、庄太郎の両名は前記のように第一審でともに無期懲役という重刑に処せられながら、玄翁で殴った芳平はまだしも、ほとんどこれという役割をしていないはずの庄太郎までも直ちに服罪しているのに対し、犯行の終始立役者であり、その独壇上であったはずの請求人が控訟審において前叙の如く死一等を減ぜられ、芳平、庄太郎と同様無期懲役に処せられてもなお上告し、いな五十年に垂んとする今日、いまなお無実を叫んで争いつづけていることと考え合せてみると、両名がいち早く服罪したことにも何か不自然なものがあるように感じられないだろうか。 なおここに附言すべきことは庄太郎は右の如く第二審公判で一旦自分のとった財布も請求人にもっていかれたと証言しているが、いずくんぞ知らん、芳平は前記のようにすでに検事の取調において芳平自身が財布をとって小屋に持ち皈った事実をとっくに自白し、その上予審の取調において前記の如くその在中の金員が二十銭銀貨五個、十銭銀貨二個であったことまでも、ことこまかに自供している。しかも同人の右自供がでたらめのものでないことは第一、二審判決がいずれも被害額をその供述どおり一円二十銭と認定していることからも窺いしることができる。そうだとすると、庄太郎が第二審公判にいたって、右の如く財布は自分が一旦とったけれども、請求人がそれをとりあげていずれかへ立去ったと証言していることはまことに瞠目に値するものがある。庄太郎のかような明な事実に相違した供述は単なる記憶違いとはとうてい認めがたいので、少くともこの点に関する限り庄太郎はいかなる意図をもって偽証を敢えてしたのであろうか。これが裁判所の言い分です。「偽証を敢えてしたのであろうか。」 なお芳平も同人の第一回予審調書によると「石松が人を殺して金をとるが如き気風の者なることは庄太郎の熟知せる所云々」と、自分自身としては直接知らない筈の請求人の人柄について推測を交えてまで悪しざまに供述していることも庄太郎の叙上の如き供述態度と関連してとくに注目されねばならぬ。 第四、芳平、庄太郎の偽証したことの自白 本件再審請求の対象たる第二審判決において芳平、庄太郎両名の第二審公判における各証言その他の供述が証拠とされていることは前叙のとおりであって、右両名がいずれもその刑を了え出所後、夫々第三者立会のもとに請求人に対し第二審公判において偽証したことを自供し、また第三者に対しても同様の供述をしていることはつぎのとおりであるから、果して第二審判決の証拠となった両名の供述が真実に合致するものか否かの点を審究してみなければならない。 (一) 芳平の偽証自白の内容とその覚書 請求人は刑務所出所以来、血まなこになって探していた芳平が神戸市立救護院に収容されていることをつきとめ、昭和十年四月二十四日名古屋新聞記者池田辰二とともに、同救護院を訪ねて芳平に会っているが、その時の模様について右池田辰二(名古屋高等商業学校卒業後、名古屋新聞社に記者として入社、現在財界名古屋社の経営者)は証人として当裁判所の事実調(この証言は当裁判所において証言の内容を録音した)においてつぎのように述べている。「北河芳平を救護院へ訪ねていき、石松と会わせたところ、『俺は無罪だ』とか『俺を犯人にした』とかいって石松が芳平に飛びかかっていったので、自分もびっくりして話をしてからにしようといってとめても、石松がなかなかきかないので院長を呼んできて、石松と芳平をテーブルを隔てて坐らせ四人で話あった。石松が『俺は無罪だ』といったので、院長が芳平にどんなことかと質ねた。そこで自分が説明すると、芳平は何のいいわけもしないで『吉田、すまん』と頭を下げた。石松は頭を下げるだけではいかん、証拠がほしいというようなことをいい、芳平もその時石松は事件に関係がなく、芳平、庄太郎の二人がやったことであることを認めていたので、院長の提案でこれは神戸市立救護院灘分院の院長だと思います。 そういう趣旨の謝り証文のようなものを芳平に書かせた憶である。会見の時の言葉のやりとりまではいまでは記憶がないが、当時の名古屋新聞に写真入りで詳細にその記事をのせたはずである。この記事の内容については当時の名古屋新聞与良社長は記事の正確をモットーにし随分やかましい人であったから、自分も会見記の内容については、絶対に誇張や事実をまげたようなことはなく、ありのまま書いたものである」と供述し、昭和十年四月二十五日の名古屋新聞(写真)によると、その対談の模様 「石松−お前はなぜ自首して出ないのだ。 芳平−無言。 石松−俺はお前の居所を血眼になってさがしていたのだ。 芳平−申しわけない。芳平も石松もともに涙をながしている。これは立ち会った新聞記者の取材ですよ。この新聞記者は、新聞記者としての良心、人道主義の立場から、私は無罪を確信しておるから、いつでも法務委員会に出て証言をいたします、こう言っております。 石松−俺は二十三年間無罪を泣きつづけてきたのだ。俺の無罪を知っているのはお前と庄太の二人きりだ。なぜ俺を罪にまきこんだのだ。 芳平−申しわけい。お前には罪はなかったのだ。 石松−無言、 芳平−あ時の事件は俺も事実知らなんだのだ。庄太にあとできかされた上に脅迫されたんだ。許してくれ。これは芳平ですね。同じように無期懲役になった芳平、俗にアホ芳と言われている男ですね。これは死にました。 石松−俺とお前は一面識もなかったはずだ。 芳平−全くその通りだ。取調の際に係官に石松も一諸だったろうと云われ、俺はその時ハハンこれは庄太の狂言だと察して自分の罪を少しでも軽くするために、つい心にもなくお前を首謀者にしてしまったわけだ。 石松−俺は調書を今もで暗記している。庄太のでたらめにひっかかったのだな。おい芳平、俺の冤罪を認めてくれるんか。 芳平−すまん、すまん。 石松−じゃあ、あすにでも自首してでよ。そして事件の真相を明らかにしてくれ。俺は死んでも死にきれないのだ。 芳平−自首でもなんでもする。俺はここで立派にお前の無罪を証明するために筆でかく。どうか許してくれ。」とあって芳平が池田証人と右救護院の院長の面前で請求人に対し、同人を罪にひきこんだことを平謝りに謝って一言もなかった当時の会談の模様が彷彿としている。これは名古屋新聞に写真入りで載っているのです。これは裁判所に証拠物件として提出してある。しかして右池田証人のいう謝り証文というのは前記昭和十年四月二十五日の名古屋新聞紙上に芳平の覚書なるものの写真が登載されているが、これによると、「大正二年八月十三日夜名古屋市千種町の殺人強盗事件に関しては海田が私を脅迫し海田というのは海田庄太郎です。吉田とはここにおられる吉田さんです。吉田を主犯とするようたくらみ、さらに公判に際してはデタラメの申し立をいたし罪を貴殿と私に転稼いたしましたゆえ、成行上私の罪を軽くするため貴殿を主犯と申したのであります。右相違ありません、なお貴殿はこの事件に関係ありません」とあって芳平の認印がその名下に押されているのである。これが芳平が書きましたわび状です。庄太郎の偽証自白とわび状です。 (ニ) 庄太郎の偽証自白と詫び状請求人は出所以来の必死の努力と、司法関係の新聞記者等の協力によって、ようやく庄太郎が埼玉県北葛飾郡彦成村上彦川戸六三に居住していることを探知し、昭和十一年十二月十四日都新聞の記者藤田幸男とともに右居住地に赴き庄太郎に会っているが、その時の状況について右藤田幸男(早稲田大学法科卒業後都新聞社に記者として入社現在財団法人東京新聞論説委員)は当裁判所の事実取調(前同様録音採取)においてこの藤田記者も、いつでも証言に立つと言っておられます。そうして無罪を確信すると言っておられます。これも名古屋高等裁判所に録音でとってありますから、もし当委員会が必要ならば名古屋裁判所から証拠物件として取り寄せていただいてもけっこうです。証人としてつぎのように述べている。「石松と自分は菊地写真部員と自動車で彦成村の庄太郎の住居を訪ねると、ひどいあばら家で折あしく不在だった。近所にいた子供に行先を質ねると、庄太郎は雑貨のあきないをしているとかで、向うへ行ったというので、附近で待っていた。間もなく庄太郎らしい男が来たので隠れていると、やはり庄太郎で車をひいて近ずいてきた。石松が飛びだそうとするのをしきりにおしとどめ、これは押しとどめたのは今の藤田記者です。自分がでていき『海田さんですかお会いしたい人があって連れてきました』といって、名のっていると、石松がおどりでてきて『やいこの庄太』ということになった。ところが庄太郎は石松を見ると、車をほおりだして一目散に逃げだし、自分もせっかく来たことでもあるので四、五十米追いかけ、ようやく追いついて『決して乱暴するわけではないから、話だけ聞いてやって下さい』といっているところへ、石松がとんできて、『やいこの庄太、俺のことを知っているか』というと、庄太郎がその時の言葉どおりには憶えていないが、とにかく何んで忘れることができるか、毎日あんたのことばかり考えていた。あやまりに行きたかったが、行けばあんたに怒られて殴り殺されるかもしれん。それがこわくて行けなかった。もう一ペん言いましょうか。 何んで忘れることができるか、毎日あんたのことばかり考えていた。あやまりに行きたかったが、行けばあんたに怒られて殴り殺されるかもしれん。それがこわくて行けなかった。すまなかった。事件にまきこんでほんとうにすまなかった。かんべんしてくれという意味のことをいい、道ばたにへなへなとくずれて四つんばいになって頭をさげた。これは石松さんが言っているのじゃないのですよ。藤田記者が言っているのです。これは名古屋高等裁判所において証言している。自分としても、まさかこんな場面にぶつかるとは思いもよらなかったがすぐ、写真におさめた。石松は庄太郎のいうことを自分がメモしていた時、同人をたたいたような気もする。しかし自分も石松に庄太郎と会う前、絶対暴力にでないよう注意しておいたが、石松も押えに押えていた気持が爆発したという感じがした。庄太郎は石松に長い間あんたをまきこんで迷惑をかけてすまなかったと謝ったので、そこから大分離れた農家の軒先を借りて、そんなに申しわけがないというなら、後日の証拠に詫証文を書いたらどうかというと、庄太郎はその農家ですずりと筆を借り紙ももらって詫証文を書いた。文面は庄太郎がお前をひきいれてすまなかったというようなことを云い、そのとおりでよいということになったと思う。文字は庄太郎が書いたのに間違なく、たしか詫という字を聞かれて自分が教えた憶がある。」と供述しており、藤田証人のいう右詫証文というのは昭和十一年十二月十五日の都新聞に登載されている写真によると「お前を引入れて悪かった堪忍してくれい。罪が軽くなろうと思って、うそを言うた」という文面の半紙一枚に書きなぐった庄太郎名義の謝罪状であることが窺われる。もっとも庄太郎の右詫状については、請求人がその際同人に暴行を加えた事実があるようではあるが、もし請求人が所論のように冤罪であったとするならば、庄太郎等に陥れられて獄窓生活二十余年の長きに及び、その間夢寐にも忘れなかった仇敵にいまや、遂いにめぐりあったのであるから、痛憤激昂ももちろん当然のことであって、藤田証人のいうように押えても押えきれない気持から庄太郎に鉄拳を振うようなことがあったとしても、その暴行の一場面のみを捉えて、右詫状が暴行脅迫によって書かせたもので、真意にいでたものでないと断じ、その記載内容までも否定し去るべきものではないであろう。しかし庄太郎の偽証の自白はこれに尽きるものではない。 (なお以上(一)、(二)摘録の池田、藤田両証人の証言は同証人等尋問の際の立会書記官作成のいわゆる要領調書の要旨を摘録したものであるが両証人の証言は前叙のとおり当裁判所の事実取調の際その証言内容を録音してあるから、その録音の内容を直接耳から聴くことによって両証人の証言の内容の詳細並びにその信憑性の高く評価さるべきことが判るであろう)裁判所はこう言っております。 (三) ラジオ東京企画による請求人石松と庄太郎の対質訊問録音の速記録、その他 (1) ラジオ東京が収録した海田庄太郎、吉田石松対質録音記録によると、同社記者の問に対する庄太郎の供述は全体としてはまったくのらりくらりとした何ともとらえようもない答で、これが真実を語るものの態度かと疑わしめるものがあるが、しかしそれでも記者のこころみた請求人が被害者に手を下したことは事実かという問に対しては「いいや、そんなことは知らない」と答え、記者に「あんたこの裁判書に書いてあるようなことでね、吉田や北河と一緒にやったんだというようなことを言っているようになっているがね、そういうことをもし言うているとすれば、洵に二人に対して申訳ないというような気持だね」と追及されると、庄太郎もついに「ええ、そうです」とようやく頭を下げ、さらに「その時はズート書いて向うが読みあげたから自分ではどうなっても構わない。そこで間違いないねて……はい、判こというから、判こを押してきた」と弁解し、記者の「あんたがそんなあやふやなことをするから、ああいうように迷惑をする人もできる。そういうことあんた、これから先が短いといったって、いきられる人だから気をつけなけりゃね」とだめを押されると、庄太郎も「わしがそこでヘエヘエそうだといったのはわしが悪かった」とついにかぶとをぬいでしまっている。 (2) 庄太郎に対する法務事務官の調査書(昭和二十八年四月十日付)によると、庄太郎はここでも相かわらず、不得要領の供述をしているが、そのなかでも「私は何故公判廷で事実に反したことを供述したかといいますと、警察で取調べられたとき、蹴ったり殴ったりひどい拷問をうけたので夢中でしゃべってしまったのですが、検事さんの前でも、予審判事の前でも、一度警察でしゃべってしまったので、その通り供述したのですが、矢張り公判廷でもその通り述べたのであります」と嘘の供述をしたことについて陳弁これつとめている。また庄太郎に対する同じく法務事務官の昭和三十年六月二十二日付調査書によれば、この取調においても庄太郎は「只今判決原本を読んでもらいましたが、それと同じようなことを以前に予審判事に読んでもらいましたが、そのときは頭がカッカッして何もわからないで、私は「ヘイ」と答えて認めてしまったのであります。うそを云うつもりでしゃべったのではないのですが、あのときはなんのはずみか、どうしてあんなことを言ったのか判らないのですが、吉田に悪いことをしたと思います。私も吉田の立場になれば、吉田の気持は判ると思います」とのべ、その弁明のなかにも、不実のことをしゃべって請求人を罪にひきいれたことを認めるような供述をしている。 第五、芳平、庄太郎の偽証自白の信憑性 有罪判決の証拠となった証言をなした者がその判決確定後その証言を翻えし、虚偽の供述をしたことを認めたからといって直ちに虚偽の事実が証明されたものと断じえないことはいうまでもない。 しかしながら芳平、庄太郎の偽証自白は右の如くいずれも請求人に対し第三者立会のもとにまたは第三者に対して行われたものであってその偽証自白が真意にいでたものであることは、その会見に立会った前叙の如き教養の高い、当時として有数な新聞社の若手記者として活躍していた前記池田辰二、藤田幸男のひしひしと胸に迫るもののある各証言(ことに右藤田証人の証言は記者としてその上司であった青山与平の当裁判所の事実取調における証言によって一層その信憑性が裏付けられる。録音参照)と芳平、庄太郎両名の自供の内容から十分に窺い知ることができる。もっとも庄太郎は前掲ラジオ東京企画の請求人との対質訊問や法務事務官の調査などにおいて、請求人を罪にひきいれたことを認めながら実は自分も犯行に関係がなかったといっているので、その偽証自白もこうした自己の犯行の否認を前提とした供述ではないかという点に疑を挾む余地が絶無ともいえない。 そこで請求人が大正二年頃勤めていた加藤硝子工場の経営者であって、庄太郎や芳平もそれ以前に雇っていたことのある加藤半十郎から当裁判所の事実調において証人としてこの三名の性格をきいてみると、「石松は真面目な信頼のできる男であったが、芳平は頭が悪くアホ芳というあだ名のある役に立たない男で、庄太郎は頭がよく真面目そうに見えるが、嘘が多く、嘘がばれたり都合のわるいときは吃のせいか、わざとするのか、とにかく口を開けてウアーウアーと訳のわからぬことをいう癖があった」と証言しており、小菅監獄から一宮警察署宛の庄太郎の身上票照会に対する大正一二年五月三日付同署の回答書にも、同人が無類の嘘つきであるという記載がある。このうそつきというのは、共犯の海田庄太郎のことであります。 しかも当裁判所の事実調において庄太郎は証人として初めのうちは十分聞きとれる程度に氏名、年齢、職業、住所等を答え、「民生委員の保護を受けているか」という弁護人の間に対し「民生委員から月千八百六十七円もらっている」と述べたあたり迄は、前年わずらった脳溢血のためか、小声で聞きづらいところがあるとはいうものの、十分聞きとれたのであるが、犯行の内容にはいろうとすると、忽ち顔を伏せて頷いたり首を横に振るだけで言葉を発しない。そこで顔をあげて返答するようにいうと、口を大きく開けて舌を喉に巻きこむようにしてただウアーウアーというだけで、かいもくその供述の内容はわからない(この点同証人尋問の際採取した録音によって極めて明白である)。やむなく急きょ耳鼻咽喉科の専門医師橋本好司の来診を求め鑑定せしめたが、庄太郎の声帯鼓膜その他に何等病的異常のないことが明になったのみならず、その診断中、同医師が偶々庄太郎の舌の先端をすこしつまんで引っぱると、同人はおもわず「痛い」とはっきり発声して悲鳴をあげ、関係者一同を唖然たらしめたこともあって、証人加藤半十郎の前掲証言とおもいあわせて、庄太郎の虚言癖が若い頃からのもので病膏肓にはいっていることが明である。 したがって庄太郎がこれまで請求人やその他の者から原審におる虚偽の証言について屡々きびしい追求をうけ、再三前記のように自己の偽証を認めておりながら、途中から実は自分も犯行には関係がなかったのだというような余りにも見えすいた虚言を弄して活として愧じないのも、同人のかような虚言癖からくる自己弁護のための便乗的供述であると考へざるを得ない。 以上の説明によって原判決引用の芳平並びに庄太郎の原裁判所における証言の虚偽であったという自白が、詫状文、覚書を含めその当時の状況から推断していづれもきわめて任意になされ十分信用するに足ると認むべき理由の解明ができたであろう。 第六、再審事由についての当庁の法的見解 再審制度はいうまでもなく判決の確定力と実体的真実の要求との衝突を調和するためのものである。判決の確定力を重視することは裁判の威信を保つうえに必要ではあるが、判決の確定力を重視する余り、もしこれを確定不動のものとすれば、実体的真実の要求が犠牲となり、それはかえって裁判の威信を傷つけることになる。そこで法は確定判決の効力を消滅せしめる再審事由を定めているのであるが、わが現行の刑事訴訟法はかっての治罪法や日々刑事訴訟法が再審をもって刑事訴訟に関する一大原則たる判決の確定力に対する最少限度の例外として、きわめて狭い範囲においてのみその原由を認める制限的な列挙主義の立法であったのに対し、比較的に実体的真実の要求を重視した旧刑事訴訟法と同様、再審の許否を実質的必要性に即して弾力的に決定しうる裁量的な包括主義の立法となっている。これはわが憲法の基調たる人権の尊重と人道主義的な寛容の精神を反映したものというべきであって、再審立法のあるいは世界的趨勢にも合致しているといえよう。 〔河本委員長退席、林委員長代理着席〕 さてわが刑事訴訟法第四百三十五条各号の列挙する再審事由は要するに、原判決の事実認定に誤認のあることがあらたな証拠によって著しい確からしさをもって推測されることを必要としている。しかして同条第二号は原判決の証拠となった証言等が確定判決によって虚偽であることが証明されることを再審事由の一として掲げるとともに、同法第四百三十七条は右の確定判決を得ることができないときはその事実を証明して再審の請求をすることができる旨を規定している。 (一) そこで、まず右のいわゆる「その事実の証明」の意義如何であるが、それは確定判決をうることができなかった事実のみならず再審事由たる事実を包合するものと解すべきである。したがって本件において芳平の虚偽自白の主張については、芳平がすでに死亡していることな記録上明であるから、原判決引用にかかる同人の証言が虚偽であったことが証明されなければならないわけである。 (二) 再審事由の証明がつねにあらたな証拠を必要とすることは前記のとおりであって、右の第四百三十七条の場合もその例外をなすべきものと解すべきではないから、あらたな証拠によってその虚偽の事実が証明されなければならないものとおもわれるが、ここにいわゆる「あらたな証拠」というのは新事実を証する証拠方法に限るのではなく、あらたな訴訟資料、すなわち新事実、新証拠の一切を包含するものと解する。本件についてこれをみるに、原判決の有罪の証拠となった証言をした芳平や庄太郎が判決確定後前言を翻えし、偽証をしたことを自白したのであるから、この両証人は証拠方法としては原審において取調べずみであるけれども、その偽証自白そのものはなおここにいうあらたな証拠にあたるものといわねばならない。これは明白です。名古屋高等裁判所はこう言っている。 (三) さらにこの「虚偽であったこと」の証明に必要なあらたな証拠の証拠価値については、あらたな証拠を有罪判決のあらゆる証拠との有機的な関連において総合的に判断すべきであって、これを既存の全証拠からきり離して、その証拠価値を評価することは許されないであろう。もしそうでないと、そのあたらしい証拠をあらゆる既存の証拠のうちに正しく位置づけて適確な評価をすることができなくなり、再審請求の認められる場合も、おそらくは著しく極限される結果となるものとおもわれるが、かくては実体的真実発見を重視し、再審制度の運用に弾力性を与える前記包括主義の立法をとるわが刑事訴訟法の建前や、ひいては人権尊重と人道主義を基調としているわが憲法の精神にも背馳するであろう。 本件においてまず第一、二審判決、ことにその援用証拠の検討からはじめた所以もそこにあるのであって、あらたな証拠の証拠価値を正しく評価するためには、これと有機的に総合判断さるべき既存の全証拠の把握がなくてはならないからである。 (四) そこであらたな証拠による虚偽の証明の度合についてであるが、通常既存の証拠のなかにも、有罪の認定にそう積極的証拠のほかに反対のはたらきをする消極的証拠も含まれているから、この積極、消極両証拠を対比するとき、積極的証拠の方がはるかに有力な事件もあれば、積極的証拠がまさるとはいえ、その差の比較的少いいわゆる微妙な案件もある。あらたな証拠による虚偽の事実の証明に必要な度合も、こうした事案のニュアンスによって大いに異るものと解すべきであろう。もちろん右のいずれの場合でも、あらたな証拠を既存の全証拠に加え、これを総合判断することによって、原判決の認定に誤認のあることが著しい確からしさをもって推測されるのでなければならないことにはかわりはないが、後者のような微妙な案件こおいては、そのあらたな証拠によって証明されることの必要な度合は前者のそれに必要なほど強力なものでなくてもいいであろう。 第七、結 論 さて本件事案がいかに微妙をきわめたものであるかは前記第一、二審判決の検討においてすでにみたとおりであって、請求人を有罪とするきめ手となるような決定的証拠は存しない。ただ請求人の犯行を肯定する芳平、庄太郎両名の証言その他の供述記載があるけれども、それらの供述が互に矛盾撞着し、変転つねなきものであって、そのいずれを採り、いずれを捨つべきかに迷わざるを得ないものであることも前叙のとおりである。しかも前記のように芳平、庄太郎の両名はいずれも原判決の確定後その供述を翻えし、偽証したことを確めるにいたっており、ことに庄太郎の如きは再三、再四その偽証自白を認めているから、同人の自白がたとえ、前記のように自己の犯行をも否定する単純でない自白にかわってきているにしても、本件事案の右の如き微妙性に鑑みるときは、原判決引用にかかる芳平の証言が虚偽であったことは叙上の各証拠によりこの程度において証明されたものと認めなければならない。 ただここに附言すべきことは請求人はすでにみたように、これまで幾度となく再審請求をなし、その都度申立が棄却されているのであるが、昭和三十二年当高等裁判所に申立てられた再審請求事件をのぞき関係記録はすべて消滅していて、その棄却の理由はこれを確認しがたく、また右の昭和三十二年申立にかかる再審事件における昭和三十四年七月十五日付当高等裁判所の棄却決定によると、庄太郎の偽証自白(刑事訴訟法第四百三十五条第二号、第四百三十七条と同法第四百三十五条第六号とに基く)の主張が理由なしとして排斥されているにすぎない。してみると、本件再審請求において庄太郎の偽証自白を理由とする同一の主張が再審事由として許されないことはもちろんであるが、その主張も本件再審事由の一たる芳平の偽証自白の主張とまことに微妙な関連を有しているので、本件において芳平の偽証自白の主張を判断するにあたり、敢えて庄太郎の偽証自白の主張もこれを考察の対象からのぞかなかったものである。 よって本件再審請求は爾余の再審事由について判断するまでもなく理由があるので、同法第四百四十八条第一項に則り再審開始の裁判をなすべきものとし主文のとおり決定する。 昭和三十六年四月十一日 名古屋高等裁判所第四部 裁判長判事 小林 登一 判事 成田 薫 判事 布豆 憲治 右は謄本である こういうように判決を下しております。名古屋高等裁判所が下しましたこの判決は、客観的に見ましてきわめて妥当でございまして、すべての証拠に対しましては、念にも念を入れて十分な究明が行なわれておるのであります。私は、ここで裁判の内容について言及しようとは思いませんが、少なくともこれほど明白な事実があるにもかかわらず——ここで私、法務大臣に申し上げたいことは、あなたは先ほどいらっしゃいませんでしたので、もう一ペん繰り返し申し上げますけれども、吉田石松君は、第一審は、大正三年四月十五日に死刑の判決を受けました。その後無期の判決に変わりました。自乗、大正三年十一月から、小菅監獄、秋田監獄、それから網走監獄をずっと歴訪いたしまして、五十三回懲罰を食いながらも、今日まで四十数年間、一貫して無罪を主張して参ったものであります。この吉田君の生涯は、私は、まさに真実を求めるところの法律との戦いであったと思うのです。しかるに吉田君のこの悲願が、先ほど申し上げました名古屋高等裁判所が再審を開始するという判決をしたにもかかわらず、これに対して名古屋検察庁が異議の申し立てを行ないまして、再度裁判になりまして、その結果、再審をしないという決定が行なわれました。ただいま日本弁護士会の良心的な、非常に正義感に燃える皆さんの手によりまして、最高裁に対して上告が行なわれておる、こういう段階にあるわけであります。 法務大臣ごらんのように、吉田老人は、もうよわい八十三ですか、五ですか、余命幾ばくもない人なんです。今も栃木県からわざわざおいで願いまして、ここへ上がるにもつき添い人がなければ上がれない。その参考人の席へ着くにも衛視のつき添いがなければすわれない、こういう状態なんです。なお、こういう状態にありながら、うまいものを食おうとか、あるいは余生を楽しもうとか、そういう一般的な人間的な願望なんというものは一切捨てまして、ただ一つ、自分の無実の罪だけは明らかにしてもらいたい、冤罪であることを法律で認めてもらいたいということから、ただいま裁判所に対しまして、涙ぐましい努力を続けておられるということを、私は、十分考えていただきたいと思うのでございます。私は、裁判の上にいろんな不当な影響を与えようとは思いませんが、少なくとも最高裁などは、こういうような社会正義に基づくところの本件のような事件に関しましては——私は、その判決の結果は、専門家でないから、それに対してとやかく言いません。問題は、疑問のある、しかも高等裁判所がこれほどの証拠をあげて、しかも全然無縁の新聞記者諸君ですら、人間として、人道主義的な立場から協力をして、そうしてその証拠を集めて、しかも神戸の救護院の院長なども立ち会ってくれて、あるいは弁護士諸君も無料弁護でもってやっておってくれるのに、どうして裁判所が取り上げない、どうして検察庁がそれを取り上げていけないという異議の申し立てをするのか、検察庁というものは、そんなに無情なものですか。大臣、司法当局というものはそんなに無情なものであっていいのですか。私は、これこれの結論を出してくれと言っているのじゃないのです。そうでなしに、これだけ生涯を棒に振って、しかもこの委員会に出てきておられるのが、もうこれが最後になるのかもわからない、この場しか石松さんは自分の無実を世間に訴える場はないのです、裁判所が取り上げてくれなければ……。これだけの証拠がありながら再審することがなぜ悪いのですか。それを検察庁がやめさせるとは何ですか。これが民主憲法のもとにおけるところの検察庁のあり方かと言いたい。法務大臣が検察陣を指揮するところの——かつて汚職の問題について、吉田内閣は犬養君をして指揮権を発動させたじゃありませんか。汚職じゃありませんよ。社会正義の立場から、今日まで無実を叫んで四十何年間戦ってきている。指揮権を発動しなさい。汚職に対して指揮権発動できるなら、この事件に対して異議の申し立てをした名古屋検察庁に対して、あなた、それこそ異議の申し立てをしなさい。こういうことでもって社会正義がどこに生かされますか。このあれを見ますと、人権擁護局の方も非常な御努力を願っておる、これは当然のことでありますけれども、国民の一人として、まことに感謝にたえない。これは党派の問題じゃありません。思想の問題ではありません。それ以前の問題です。人間の問題です。しかも今聞けば、自分の前科について全然隠さない。そして自分は冤罪だ、それが近接町村の諸君の感動をかって、約六百名の陳情書、請願書になって現われてきている。私は、今日まで国会がこの問題を取り上げなかったのは不思議だと思うのです。おそまきながらこの問題を取り上げた。取り上げた以上は、委員長以下私ども法務委員会に身を置く者は、法による国民の基本的人権を守るために、あらゆる努力を重ねなければならぬと思うのであります。その意味におきまして、今の池田辰二君あるいは藤田幸男君、こういうかつての新聞記者諸君は、一人は今論説委員として、一人は今雑誌の経営者として現に生存しておられるわけです。この諸君とともに、今生存しておるところの共犯者の一人であるところの海田庄太郎、この三人をぜひ参考人としてこの委員会に呼んでいただきたい。あとで理事会に提案いたしますが、次の機会にはぜひこれを呼んでいただきたい。そして海田庄太郎の口から明白に、以上、裁判所で申し立て、あるいは報道関係においていろいろ供述いたしました点について、すなおに人間として——ここで彼がどんな証言をしましようとも、すでに時効が完成しておりまして、虚偽の証言をした、いうところの偽証には問われません。真実を明らかにしてもらえばいいのです。吉田石松君も、今さら国家賠償を要求するとか、そんな気持は——私は本人に聞いたわけじゃありませんが、私のそんたくするところによれば、そんな気持はみじんもないと思うのです。ただ問題が明らかになればいいんだ、このいちずの思いが、今日まで吉田石松君をして、この血の叫びを続けさせましたゆえんでございまして、以下私は本件に関して、今申し上げました名古屋高等裁判所の判決に対し、再審はいけないというところの異議の申し立てをした、それによって再審はしないという、再び同一の裁判所が全く相反する決定をしたわけでありますけれども、それに対してただいま上告が行なわれておる。これに関しまして、真実を探究するためにいろいろ御努力をお願いしております日本弁護士連合会の後藤弁護人から、一つその間の事情を明らかにしていただきたい。なお、そのあとで私は吉田石松君に対する質問を行ないたい、こういうように思います。
○林委員長代理 後藤参考人。
○後藤参考人 吉田石松の冤罪雪辱のための努力は四十九年七カ月に及んでおります。大正二年八月十三日に逮捕されまして、そして非常なる拷問を受けております。十数名の刑事、巡査たちから虐待を受けまして、一例を言いますと、六人の刑事が各両手、両足、頭に五人これを押えて、一人がまたがってそして虐殺して、まさに一時は死んだのでありますが、しかし冷水を浴びせられてようやく蘇生したというようなこともございます。かような、これは昔のことでございますから、虐殺を受けるほどの拷問をこうむったけれども、彼はがんとして犯行を否認し続けて参りました。経過はただいま赤松委員のお話しの通りでありますが、そこで刑務所に入りますと、またそれから二十数年間、絶対に自分は囚人ではないから労務には服しないと称して、そのために五十三回の懲罰を受けております。法務大臣に情願すること三回、再審の申し立てもみずから二回しております。これはやはり手続上の不備でことごとく却下されております。かようにして在監中二十二年、その間刑務所では非常に困りまして、あるいはこれは精神的に何かの欠陥があり、または異常性を持っておるのじゃないかというようなことから、特に精神鑑定もしたのでございますが、精神上みじんも異常はなかったのでございます。かようにして在監中はともかく、また出獄しても二十七年間、おそらくあらゆる努力をして冤罪を雪辱したいという一念に燃えて参っております。全部を通算しまして、ただいま申し上げたように四十九年七カ月、これは瞬時もやむことなく今日に至っております。 そこで、わが日本弁護士連合会の人権擁護委員会がこれを受理いたしましたのは、この半世紀に及ぶ本人の異常なる、偉大なる冤罪を雪辱しようとする信念に打たれまして、それから委員会においてあらゆる証拠を検討いたしました結果、これは無実であるという十分の確証、確信を持ちました。これは人権委員会には数多くの事件が参ります。しかし、そのことごとくを取り上げるわけではございません。しかしながら、この事件だけはわれわれ総員一致をもってこれこそ無実である、こう考えた結果、名古屋高裁に再審の申し立てをいたしました。 私は、この際、申し上げておきたいのですが、この再審という制度は確かにございます。これは一たび確定した判決がその後新しい証拠があるような場合に、前判決が間違っていたと認められる事情がある場合には、再審を許すということになっております。道は確かにございますけれども、実際において再審を許したという実例はほとんど絶無でございます。あるものは、検察官が人違いであったという検察官からの再審の請求は受理されております。しかし、弁護人からの再審を許したということはおそらくございません。新憲法下におきまして、人権の擁護は非常に叫ばれております。まず、基本的人権の尊重ということが新憲法の基礎になっております。しかしながら、この再審の面におきましては、人権の尊重な全く阻止されておる状態でございます。われわれはこの吉田石松君の事件を契機といたしまして、再審の面におきましても、われわれの基本的人権の擁護を大いに確立していただきたい。そういう意味におきまして、この法務委員会がこの事件をお取り上げ下さったということは、将来の法改正の問題の点にもつながりますし、またかような事件が、非常に有力なる資料があるにもかかわらず、ことごとく排除されておるというような実情をも社会に訴えたいのでございます。再審をなぜ裁判官が極力阻止するかといいますと、裁判が間違っておったということは、裁判官から見れば、自分の同僚なり先輩の裁判が間違っておったということを同じ畑の者がこれをあばかなければならない。これは情において忍びません。実情関係においてなかなか破れないものでございます。これはわれわれ連合会の人権委員会が痛切に感じておるところでございます。 一例を申しますと、徳島事件のごときは、このわれわれの人権擁護委員会が出張をいたしまして、いろいろな調査をいたしますと、その証人となるべき者を、われわれ人権擁護委員が行った場合に、検察官がことさらにこれをほかに拉致して、そして警察の寮か何かに軟禁してしまっておる。そしてわれわれの調査をそれで阻止する。あるいは人権擁護委員会の委員が宿泊しますと、その宿屋に隣の部屋をちゃんと借りていろいろなことをしておる。あるいは尾行がつく。これは一例を申したのでありますが、かようにして再審の手続を阻止する状態でございます。本件につきましても、ただいま再審開始の決定をお読みいただきましたように、名古屋の高等裁判所の第四部は、高い人道的の立場から、特に本件については異例といわれるほどの勇気を持って再審開始の決定をお許しになったのであります。そこで、われわれ人権擁護委員会は、これによって初めて裁判の権威が保持される、また裁判に対する国民の信頼が維持できるのだという非常な喜びを持っておりまして、これに対して検察官の異議がなされないようにという趣旨のもとに開始の決定を受けました。喜びの気持を持って名古屋の検事長にお会いいたしまして、これは異例である、異常である、かような事件は世界の裁判史上においても珍しいことである。だからどうか一つ再審の裁判だけはやらしていただきたい。その結果はどうあろうともかまわない、従って、異議は一つ御遠慮願いたいということを申し上げたのでございます。検事長は了承されるかのようにそのときの会見では思われたのでございますが、最高検との打ち合わせか何かあって、最高検においての御指示があったのではないかと思いますが、ついに異議が出されたわけであります。 しかし、この異議というものは、皆さんのお手元の特別抗告にも掲げておりますように、最高裁判所の二つの判例から見ましても、こういう高等裁判所の決定に対しての異議は許されておりません。最高裁の二つの判決がございます。もう一つは、東京高等裁判所の判例におきましても、かような再審開始の決定に対する異議は許されておりません。にもかかわらず、名古屋高裁のその同じ高裁の第五部の裁判官は、この判例違反をあえて犯してまでもこの異議を認めて、しかも棄却したという結果になっております。それからその特別抗告の理由として憲法違反の二つの問題を掲げております。その第一は、憲法三十一条の問題で、国民の一つの利益を法律の手続によらないで奪ってはならないというたしか規定だと思います。と言いますのは、今回の名古屋の高裁の判事の処置は、この判例違反を犯してまでも、しかもそれは判例もございません。先例もございません。学説もございません。にもかかわらず、新しい道をわざわざみずからの独断で切り開いて、この再審の異議を容認した。この事実が憲法第三十一条の違反としてわれわれは掲げております。それから憲法三十七条の問題として特別抗告の理由としたのは、この名古屋の高裁の第五部の判事の中の一人、谷口正孝判事というのは、かつて数年前この吉田石松の再審事件を審理した裁判官でございます。しかもこれを却下した裁判官でございます。この裁判官が、この再審の異議の裁判官の構成の一員として入っております。これは憲法三十七条の問題として、被告人は公平なる裁判所の裁判を受ける権利を持っております。にもかかわらず、かつてこの事件に対して反対に棄却したその裁判官が、今度は第四部がこれを認めたという逆の再審開始の決定をまたさばく裁判官の構成の一員となっております。これは明らかに裁判所の正公、またその他の点において裁判の公正を非常に疑わせるところの一つの裁判でございます。しかも、公正でないところの判決をまた結果においてやっております。かような点につきまして、今回の名古屋の検察庁が、この再審開始の決定に対して異議を述べたということをすこぶる遺憾といたしますと同時に、名古屋の高裁の第五部が、その再審開始の決定をただいま申し上げましたような理由によって逆転さしたということをわれわれは非常に遺憾に思います。 なお、この際つけ加えて申し上げたいことは、人権擁護という一つの観点からの考え方でございます。人権擁護局は法務省内にございます。また弁護士が結成しておるところの日本弁護士連合会の人権擁護委員会がまた各単位会の人権擁護委員会と相関連いたしまして人権擁護の職務をとっております。しかしながら、ただいま申し上げましたように、法務省は、右手では検察行政をつかさどって犯人を作ることに努力しておる。左の手においては人権擁護という一つのお仕事をなさっている。これは主体が同一であるという観点から見まして、人権擁護局が法務省に所属しているということに私はちょっと矛盾を感ずるのでございまして、こういう点は、将来の法改正の問題として法務委員会でも御検討になっていただきたいと思います。と同時に、さようなことがもしなくなりますと、やはり純被告人の弁護人の立場にあります弁護士会にむしろ委譲すべきではないか。これは私の私見でございますが、少なくとも人権擁護の問題につきましては、将来法務省という地位を離れまして、やはり純然たる民間の人権擁護の職責をつかさどっているところの弁護士会にこれを委譲された方が適当だ、かように考えております。 それから再審の開始につきましては、非常に厳重な狭い制約が数多くあるのでございます。われわれ日本弁護士連合会といたしましては、こういう吉田石松君のような異例な再審事件を一つのきっかけといたしまして、将来この再審事件について、いま少しく基本的人権が尊重され擁護されるような道を開いていただきたい。かような将来の法改正にも一つ御留意いただきたいと思います。 といいますのは、一例を言いますと、ただいま申し上げましたように、再審事件は、自分の同僚でありまた自分の先輩であったところの裁判官の誤判を自分が正すということの実情にあります関係上、どうしてもやはり原判決を固執するということになりがらでございます。まさか自分の先輩あるいは同僚が同じ裁判所部内でやったところの判決の誤りを、同僚であり後輩であるその者が是正するということは人情上非常に至難でございます。さような点には法改正上将来の御留意を願いたいと思います。 後ほどいろいろ気づいた点がございましたら、また申し上げたいと思います。
○赤松委員 ただいま日弁の後藤さんからお話がございました。こういう事件が発生いたしまして、特に現在の刑事訴訟法にきめられております再審の制度が実際は生かされていない、憲法の精神というものが事実上行政的には生かされてはいない、あるいは裁判の上にも生かされていないということはまことに遺憾であります。これは一つ自民党、社会党を問わず、超党派的に問題をよく検討しまして、ぜひ憲法の精神に沿うて再審制度を検討いたしまして、この国会でぜひ法の改正をやりたいということを考えております。この点を明らかにしておきます。 続きまして、一つ吉田参考人から、現在の心境につきまして申し述べていただきたいと思います。
○林委員長代理 吉田参考人。
○吉田参考人 私は耳が聞こえない、目もみえない。虐待でつぶれたのです。病気じゃないのです。これは医者の証明もあります。手足はあるが虐待のことは抜きにしますが、われわれのこの事件を衆議院様にお取り上げになったということは、もう私はこの事件が無実でもどうなってもかまわぬという心であります。うれしくてうれしくて、この制度を一掃していただけるのが私の胸の願いであります。国民がみな死んでしまっているのです。昔からこれまでに何ぼ死んでいるかわからぬ。これを衆議院様がお取り上げ下さって、どうかこの国民を救い、国家を救い、国家の法を救うてもらわねばなりません。まず、われわれはこんなことを言いかけたらここでもう三日ばかり要る。ぼろ裁判官のことを言えば、憲法も何もあらへん。ぼろ裁判官が言うていること、またお読み上げになったあれは、また辰二さんの書いたように、あんなへたなやつの作ったそんな書類は事実というのは何もないんです。私がそれを今ここで、ここが何じゃ何じゃと説明すれば十日間も話さなければならぬ。 〔林委員長代理退席、委員長着席〕 あんなものはもう私の耳に入りません。 一つだけちょっと申し上げておきます。日本の憲法は大体証拠物件を陳列してそれから裁判するんです。これは裁判官も、日本のちっぽけな子供でも知っているんです。 初めのことを言うたら、仕事していたら——こんなことは抜きにします。刑事が四人来て、仕事しているところを、ちょっと警察へ来いと言う。そうして警察へ引っ張られて行ったんです。ところが、刑事のやろうがこんなステッキのようなものでもって、ちょいと動いたらぶんなぐるぞと、一人はこうやって、一人は私の手をうしろへ回している。そういうようなことで四人の刑事が来て、何も知らぬ者を引っ張って警察へ連れていった。なぜあなたら来てそういうことをやるのか、何も知らぬものをこういうことで——おれは無実に違いないが、どういうなにで引っ張って行くんだ、ことわりを言うてくれ。それは警察へ来たらわかる、そういうふうな口実で警察へ引っぱられて行ったのです。それで行ったところが、警察に五、六人の荒武者が待っている。お前これを見ているか、知っているか、こう言う。血の塗ってあるものを見せて、おい、知っているか、それは見たらわかるじゃないか、まるで洗たくものをたらいからあげたような、血でどぶどぶしたものです。見るも見ぬもない、よくわかりました。それでいい。一体どういうわけでもって、これからは話は抜きにします。虐待する。そういうような始末で、その証拠は何だというと、げんのうに被害者の着物、すげがさ、まだまだあるのです。それが証拠である。ここでどうか衆議院様よく聞いて下さい。強盗殺人という、一円二十銭とったという、財布を渡したという。これは庄太郎が言っている。それで寺島という当時の判事が、お前財布をとったというが、一体だれに渡したのか。この石松に渡した。財布は何だった。きれでありました。銭は何ぼあった。一円二十銭あった。それは間違いないのか、お前夜よくわかったな。それはおぼろ月夜で調べてわかりました。これが証拠となっております。肝心の証拠じゃない、致命傷の証拠じゃない。それは調べるときにはそう言うたけれども、その証拠は出てない。庄太郎が言うただけのことなんです。その財布は庄太郎はおぼろ月夜で見たと言ってみても、陳列室に出てない。警察に行って、貴様言え、言えと言う。片一方は正直に言っているのに、貴様だけはのがれようとするのかといって虐待した。警察は証拠は見せないのですよ。こういうひどいことをやったことについて証拠がない、見せないというのは、どういうわけですか。証拠を見せなくちゃわしは承服できないのです。この証拠が裁判においても出てない。見せない。証拠品を陳列して裁判を下すのが法規でしょう。その証拠が、何回裁判しても出てないんです。法廷に出さぬのです。わしは証拠を見ないのはあたりまえだが、裁判官も検事、巡査、どれも証拠を見た者がないんです。証拠がないものは見せられない。証拠がなかったならば裁判ができるわけがありません。憲法にいう証拠裁判に、何で証拠を見せない。何も証拠を見せない。これだけ五十年間も裁判していて証拠を見せない。また刑事、巡査、検事のやろう、裁判官、こいつら何で見せないんだ。ないから見せぬのでしょう。あったら見せる。証拠のないものを何で裁判したのか。おれはもうこれを聞いてから三日も寝ない。神様の前に出ている。天の神様が応援して下さったんだ。後藤先生もやっぱり神様だと思って喜んでおる。このやろう、証拠も見せぬといて裁判ができますか。証拠裁判で証拠を見せぬ。これだけでもこの裁判官は、賢者とか何とか位だけかぶっていて畜生と同じ、犬ネコと同じなんだ。何もわけがわからない。もののあわれを知らぬ。しっぽの人間だ。人でなしは人間じゃない。そんな者に裁判さしておいて、どうしてこの国家の重大は裁判をする、国民の命を左右するような役目がどうしてこんな者にできるか。これはどうか衆議院様、この裁判官はみんな廃止していただきたい。裁判官は悪いことをしたやつは処分はないものですか。これは処分はどうしてもしていただかなければ、自転車でちょっと傷をしてもみんな処分があるのだ。それを裁判官ども帽子をかぶって、人間を殺しても、五十年苦しめても、それでも……。
○後藤参考人 ただいまこの吉田石松君が非常に悲憤憤慨しております。そこで、申し述べることも理路整然たるところを欠いていると思います。しかし、私たち弁護士といたしましては、現在の石松のこういう理路整然でないところの供述だけを信頼しておるのではございません。これは在監中における膨大なる記録もあります。雪冤のために、冤罪をはらしたいということの数限りない膨大な記録があります。刑務所二十二年間におけるそれを取り寄せます。それから本人が在監中、それに出所後二十七年間における冤罪雪辱のためのあらゆる努力の経過をつぶさに検討いたしております。さような資料に基づいてこれをやったのでございまして、ただいま石松の取りとめのない悲憤憾慨した言葉だけでは、これは理解できないと思います。これは本人が八十三才でございまして、とても今順序立てた話をすることはできないと思いますから、御了承願います。
○赤松委員 今、後藤参考人から、本人に関するいろいろなものはあとから参考資料として出すというお話でございましたが、ぜひ出していただきたいと思うのであります。 この際法務大臣に、先ほど私は検察庁の不当な異議の申し立てにつきまして申し上げたのでありますけれども、今、この吉田石松君の態度を見ておわかりだと思うのでありますけれども、大体私も刑務所に四年ほど入って、受刑者の心理というものはおおむねわかるわけです。中で無実の罪の者も中にはおると思うのです。そういうのは飯をこれくらいしか与えないわけなんです。今あるかないかわかりませんが、当時は石が囲んだ、からだだけ入って背伸びができないわけです。中へ入って、そして足はもちろん伸ばすことができない。手と足と、こう入って、これで半日も一日も置かれるわけです。ひどいのになると二、三日中へほうり込んでおく。実際の話、大ていのやつは参ってしまうのです。やっているやつは、おれは無実なんだと言っても、大体そんなものは一年も持つものではありません。あきらめてしまうのですね。あきらめてしまうというのは、あの中ではうそはつけないわけです。ところが、自分で無実の罪であるということを確信しておる者は、非常に反抗します。中には二、三カ月反抗する者もあるけれども、それも大体あきらめてしまうのですね。私は、今吉田石松君がずっとこの四十年間戦ってきた経路、さらに名古屋高等裁判所の、実に私は名判決だと思うのですけれども、この判決文、それから新聞記者諸君から聞いておりまするいろいろな証言、それから今本人がここで、衆議院の法務委員会で、なるほど理路整然ではありません。うそをつくやつは理路整然であるのです。うそのつけない者は、感情が先に走りまして、理路整然と述べられるものではありません。もし理路整然と吉田君がここで参考人として意見を述べるようならば、私はあるいは吉田君の主張がうそではないかという疑いを持つものでありますけれども、しかし、今の態度を法務大臣ごらんになれば、これがうそのつける人間か。五十年間冤罪を叫び続けてきて、よわい八十三才になって、余命幾ばくもない人の真実の叫びがここに出てきていると私は思うのです。どうしてこれを再審しないのか。どうして調べてあげないのか。しかも名古屋高等裁判所の第四部の裁判官が再審をやるべきだという決定をやっておるのに、一方では検察庁がやってはいかぬという異議申し立てをする。そうすると、検察庁に対しては独立であるべき裁判所が、同じ裁判所が今度は検察庁の圧力に屈して——と私は思うのですけれども、そこで再審をやるべきではないというような判決を出すというようなことは、私は全く矛盾撞着もはなはだしいと思う。法の威信を傷つけるものこれほど大きいものは私はないと思います。 私は、この際は同僚議員の皆さんにお願いしたいのですけれども、今後藤弁護人が御発言になりましたように、何度再審を請求しても、ほとんど再審を受け付けられない。あるいはいろいろな証拠調べをやると、時には相手の証人を軟禁をしたり、あるいは尾行したりする。ここに至っては、これは民主憲法のもとにおけるところの、また国民が信頼おくあたわざるところの裁判所のあり方かどうか。ほんとうに私は疑問なきを得ないのであります。こんなことでどうして国民の基本的人権が守れますか。どうして私どもが安心して生活をすることができますか。幾ら憲法がりっぱなことを書いておりましても、法律がりっぱなことを書いておりましても、これを運用する人の魂が腐っておったら、今の裁判所の裁判官が腐っておったら何にもなりません。 先般来、裁判官あるいは検察官の待遇改善について、いろいろ司法当局から申し入れがありました。私どもも、基本的人権を守るものは裁判以外にない、そして裁判所だけが国民のたよりの綱だ、その裁判官をあくまで独立の立場に置いて、そしてその生活権についても十分保障していかなければならぬと、これはひとえに裁判の独立性と社会正義に基づくところの公正性を私どもは確保するために協力をしておるわけであります。 今上告されておりまする憲法違反の問題について、最高裁がどういう態度をとるかわかりませんけれども、最高裁がこれを棄却するという場合におきましては、一体吉田石松君はどこへ訴えたらよろしゅうございますか。殺人強盗の汚名を着ながらこの人は死出の旅路につかなければならぬ。親戚一同の気持あるいは隣接町村の陳情書を書いた村民の気持、そういう暗い陰を裁判の上に残しておいてよろしいでありましょうか。この際は、真実を探究するために勇気をふるって裁判所が立ち上がって、そしてかつて犯した先輩の間違い、誤りを正していってこそ、初めて裁判に対する国民の信頼性というものが強まると私は思うのです。そういう意味におきまして、特に法務大臣の御一考をわずらわしたいと思うのであります。 先ほど後藤弁護人も申し上げましたように、同僚議員と相談をいたしまして、この事件をきっかけといたしまして、実質上活用されていないところの再審制度につきましては再検討し、この法の改正をこの国会でぜひやりたい。おそらく自民党の諸君も社会党の諸君も、党派以前の問題、つまり人間の問題としてこれには御賛成下さるものと私は確信をしております。 いろいろまだお尋ねしたいことはあるのでございますが、参考人といたしましても、五十年間に積もり積もったうっぷんが、その怒りがここに集中的に爆発していると思うのですが、親戚のつき添いの方が、あまり興奮をさしてもらうと健康上困るという御注意もございましたから、私は、今の吉田参考人の態度を見れば、この人が犯罪を犯したか犯さないか、これはわかると思うのです。実感としてわかると思うのです。 これ以上私は申し上げません。しかし、本件につきましては、非常に重要な問題でありまするので、私はぜひ続いて参考人として呼んでいただきたいのは、後藤参考人につきましては、引き続き御多忙中恐縮でありますけれども、本委員会に御出席を願いたい。それから事件のかぎを握る海田庄太郎、これは報道関係に対しましても、いろいろ供述をしておるようでありますけれども、やはり私は国会の公式の席上におきまして、人間海田として真実を吐露していただきたい。真実を私どもは究明したいと思いますので、ぜひ海田庄太郎、それから当時の関係者、新聞記者として池田辰二君並びに藤田幸男君、この三君に後藤参考人、この四人を、次回は昭和女子大の問題がありますので、来週火曜日に再び人権問題を議題とされまして、ぜひ当委員会に呼んでいただきますよう、これは理事会に提案いたしますが、特に委員長にお願いを申し上げまして、一応私の質疑を終わり、なお、同僚委員の諸君から質疑があればそれに譲りたいと思います。
○河本委員長 ただいまの赤松君の御発言は、次回の理事会に諮り決定いたします。 ————◇—————
○河本委員長 連合審査会開会に関する件についてお諮りいたします。 すなわち、人権擁護に関する件のうち、昭和女子大学の問題について、文教委員会から連合審査会開会の申し入れがあります。この申し入れを受諾して、文教委員会と連合審査会を開会するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○河本委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 なお、連合審査会開会の日時は、明三月一日午後一時より開会することといたします。 なお、本件について、参考人より意見を聴取することに去る二十三日の委員会において決定いたしておりますが、この参考人は、明三月一日の文教委員会との連合審査会においてその意見を聴取いたしたいと存じますので、さよう御了承願います。 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後一時三分散会